プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「プリキュア」がメインになってしまいました・・・
最近は「東方Project」も大好きです!!
吹奏楽もプリキュアも何か自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在は・・・・ラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です・・・
裏の顔は・・・プリキュアと吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは・・・とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に特に・・・さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さんはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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今回も冒頭からいきなりアミグリさんが描かれたイラストから開始をさせて頂きたいと思います。

今回も「名作アーカイブス」という事で、アミグリさんが過去に描かれた素晴らしいイラストの「名作プレイバック集」
という事で過去の名作イラストを改めて冒頭にご紹介をさせて頂きたいと思います。
やっぱり素晴らしいイラストは、たとえ過去に既に掲載済であっても、時を変え掲載する場所を変え、
色々な人たちにもっともっとたくさん見て頂きたいものですねっ! (笑)

上記のメディスン・メランコリーは、アミグリさんが2014年2月に描かれた作品です。

いや――――、このメディスンの笑顔はとてつもなく可愛い・・否! めちゃくちゃ可愛くて、メディスンは一応は妖怪さんなのですが
今すぐ外界にお持ち帰りさせて頂き、自室にお人形さんとして飾らさせて頂きたいと思います!
ちなみにメディスンは元はお人形さんだったのですけど、人間に棄てられてしまった恨みから妖怪化してしまい、
何かと言うとすぐに毒をブン投げてくる危険な妖怪さんでもありますので、自室にお人形さんとして飾ったとしても
注意は必要なのかもしれないですね・・(笑)
こういうちょっと危険なメディスンを管理・指導するのにぴったりの御方は、やはり誰が何と言っても幻想郷の
素敵なお人形遣いのアリス・マーガトロイドと言えるのでしょうね!

多くの東方絵師様が既に多彩なメディスンを描かれていて、どの作品もそれぞれとっても魅力的だと思いますが、
私自身は、もちろん既に色々なメディスンを拝見させて頂いてはおりますけど、
アミグリさんが2014年に描かれたこのメディスンが一番大好きですね!
色々と理由はあるのですけど、なんといってもこのあどけない可愛らしさ! このくりくりっとしたつぶらな瞳!
両手を頬につくこの可愛い仕草!
この「少女」らしい可愛い雰囲気!!
とにかく、も―――――、全てが「完璧!!」だと思います!
こんな可愛いメディスンを超えるイラストが他にあるのならば、是非教えて頂きたい!と思わず感じ入ってしまう程の
素晴らしいメディスンだと思います!!

前振りがまたまた例によって長くなってしまいました・・(汗・・!)
ここから先は本記事の「咲夜さん語り」をその④としてスタートさせて頂きたいと思います。

咲夜さんの正体って一体何なのでしょう・・?

よく二次創作等でも咲夜さんの出生の秘密とか真の正体について色々と議論されていますけど、
最終的な結論は出ていないようですね・・
そりゃそーですよ! だってそれを決める事が出来る御方はZUN神主様唯一人だけですからっ!! (笑)
そのZUN神主様ですら、例えば咲夜さんと永琳の関連性についても
「咲夜と永琳の関係性・・? 困ったな・・それについて語ってしまうと書籍一冊分になってしまうのかも・・?」みたいな発言も
以前にありましたので、そうですね・・咲夜さんについては
「謎は謎のままでいいじゃん! 咲夜さんはミステリアスな雰囲気を色濃く残した方が咲夜さんらしいのかも・・」と
私なんかは感じております。

そうした咲夜さんの正体とか出生の謎については幾つか説があるようですね・・

簡単にまとめると・・・

1.地上の吸血鬼ハンターとしてレミリア様と戦ったものの敗北し、レミリア様としては「将来の禍のタネ」を消す意味で
  咲夜さんを抹殺しようとしたものの、咲夜さんのあのりにも優秀な才覚を惜しみ、
  咲夜さんの過去の記憶を全て消去した上で、新しい「十六夜咲夜」という名前を与えて、
  メイド長として紅魔館の一切合切の管理を任せるようにした。

2.元々は実は咲夜さんは「月の民」であり、地上の人間ではなかった。
  何かの縁で地上に降り立ち、うどんげちゃん・輝夜などのように地上で生きる事になってしまい、
  巡り巡ってレミリア様の紅魔館に拾われてメイド長としての仕事を日々こなしている。

3.単なる奇人変人みたいなもの・・ ※これは阿求ちゃんの見解なのかも・・? (笑)

何となくですけど、1の説よりは2の説の方が咲夜さんらしいような気もしますし、
あのミステリアスな雰囲気とか、興奮したり狂気の感情を宿したりすると目が紅くなるという設定は
月の民でもあったうどんげちゃんに近いものがありそうですし、
やはり一番大きいのは「東方永夜抄」にて、「永琳が咲夜を見て驚いた・・」という描写があった事ではないのかな・・とも
思ったりもしますね。
阿求ちゃんの解釈としては1の吸血鬼ハンター説に傾いているようですけど、東方ファンの見解・希望としては2が
優勢と言えるのかもしれないですね。

さてさて、それでは私自身の解釈・見解はどんな感じなのかというと、1と2の折衷案という感じです。
(そんな訳でここから下記に書いてある事はほとんどは私の脳内妄想で公式の設定でもなんでもありませんので
その辺りはご理解頂けるとありがたいです!)

「東方儚月抄」の漫画版・小説版を読んでみると「第一次月面戦争」に関しての描写も少しですがあったと思います。
それによると幻想郷内の妖怪勢力を引き連れてゆかりん=八雲紫様が意気揚々と月侵攻を図ったものの、
月界の地上界とは比べ物にならないほどの科学・技術力でもって見事に返り討ちに遭ってしまいほぼ全滅状態で
命からがら幻想郷へと逃げ帰ってきたというような内容だったと思いますが、それに関して申し上げたい事は、
紫様は、ああいう計算高く同時に幻想郷で最も賢者の妖怪でもありますしプライドも大変高い御方ですので、
例え予想勝率が90%を超えたとしても、残り10%のリスクと危険性を考えると、予想勝率が100%でないと
月侵攻というリスクは絶対に犯さないと考えます。
ではなぜそれでもゆかりんは月侵攻という無茶をやったのか・・?
それにはこれはあくまでも私の脳内妄想なのてすが、その時点における幻想郷内の人間対妖怪の勢力バランスが大変悪くて
妖怪勢力の方が質・量としても人間勢力を完全に凌駕し、
ゆかりんとしては「まずい・・このままでは幻想郷内のバランスが壊れ、数で圧倒する妖怪がこのままでは全ての
人間を食べ漁ってしまう・・・
そして人間がいなくなった幻想郷内には、妖怪を恐れる人間がいないという事で、妖怪の存在意義と存在理由がなくなり、
外界のように妖怪自体が消滅してしまう危険性がある」と考え、
「それでは妖怪勢力と人間のバランスを再度取り戻して両者のバランスを取る方法は何かないものか・・」と思案し、
「そうだ! 月侵攻という大義名分を立てて、人間をやたらと食い散らかす極悪妖怪とかこの私に反抗的な一派を
ぜんぶ丸ごと月に送り込んでしまおう!
そしてそうした不穏分子をこの機会に全て排除してしまおう!
え・・? 万一そうした妖怪が月の民にも勝ってしまったらやばいのではないかって・・?
それは100%無いない! なぜかというと月にはこの幻想郷や外界の技術をはるかに超越するとてつもない科学文明を
有しているから、そんな素手とかスペルカードだけで戦う妖怪たちに勝ち目は0.1%たりとて無い!!」と思いたち、
1.妖怪勢力の間引き 2.自分に反抗的な勢力の一掃を意図され、その大義名分として「月侵攻」という甘い罠を
仕掛けたのではないかと思います。
多分ですけど「月の住人なんてウサギばかりで弱いし楽勝! 月を支配下においたら月の土地は自由に使って構わないし
月の民はどんどん気兼ねなく食料として食べてもOK!」とかうまい事いって、幻想郷たちの妖怪をその気に
させたのかもしれないですね・・・

そしてゆかりん=八雲紫様はとある決断を下します。

つまり、ゆかりんは、幻想郷内の妖怪の人口を強制的に減少させるための手段として用い、
同時に自分に対しての反抗的分子・将来そうした可能性がありそうな分子の一掃を意図して立案されたのが
第一次月面戦争の本質であるのではないのかな・・?と考えたりもしています。
だって、あのゆかりんがレミリア様みたいなおこちゃま的発想で月面侵略なんて無茶な発想をする訳ないじゃん・・・と
思いまいよね!
それともその頃のゆかりんは今現在のような「老獪さ」はまだ持っていなくて
本当に「若気の至り」だったのかな・・・?
もしかして・・・その第一次月面戦争の敗戦がゆかりんのトラウマになって、その敗戦を一つの教訓と考えて
紫様独特のあの「老獪さ」にやがて達するようになっていったのかな・・・??
だけどどちらにしてもゆかりんは、仲間の代償と引き換えに「幻想郷の維持」に成功したのだと思われます。

確か「東方儚月抄」の中では第一次月面戦争は幻想郷の妖怪勢力が完膚なきまでに月の住人達に叩きのめされ
全滅状態になったという感じで語られていたと思うのですけど、
そうですね・・私の脳内妄想としては「全滅はしていなかった・・」という事になると思います。
もちろんゆかりんは最初から「勝ち目がない」と分かっていますから、テキトーな所でいつものようにスキマを使って
月からの撤退を果たしたのだと思いますが、
大将亡きあとの幻想郷の妖怪たちは月の高度な科学技術の前に全滅していたのだと思います。
ある種族を除くと・・という事になってしまいますけど・・・
その「ある種族」というのが他ならぬ「吸血鬼」なのだと思います。
そして吸血鬼勢力は、他の妖怪たちが次から次へと全滅していく中で、しぶとく生き残っていきます。
月の住人たちや玉兎たちを次から次へと襲撃し、血を吸いまくってゾンビ化させるとか死に追いやっていたのだと思います。
そうした状況下において、月の住人たちや玉兎たちから「あの吸血鬼を何とかして!」と懇願された永琳様は、
その当時の自分の大切な右腕の一人で、将来的に「是非自分の後継者になって欲しい・・」とひそかに考えていた
十六夜咲夜さんに「吸血鬼ハンター」としての戦い方をレクチャーさせ、咲夜さんも永琳のそうした期待に見事に
応えていたのかもしれないです。
結果的に咲夜さんは月界の吸血鬼の撲滅に成功をする事になります。

だけど永琳様はそれでも安心が出来なかったのだと思われます。

「いつ何時またまた地上から侵略部隊がやってくるかわかりゃしない・・」

「特にあの吸血鬼は強くて大変性質が悪い・・血を吸われた自分達の仲間がゾンビ化したり、吸血鬼になってしまう事には
本当に手を焼いた・・」

「だけどそうした原因を作りだしたそもそもの黒幕は、幻想郷に古くからいるあの困ったスキマ妖怪・・」

「うーーむ、これは将来の禍の芽を今から摘んでおく必要があるのかもしれない・・・」

「今のうちに、地上の幻想郷に刺客を送り込み、あのおっかない吸血鬼の親玉とあの困ったスキマ妖怪を
なんとかしないと、こっちがおちおち枕を高くして眠れない・・」

「その刺客候補として私の可愛いかわいい咲夜を指名しよう! なーに彼女は優秀だから、きっと成果をあげて
また月に戻ってくる!」

みたいに永琳様は考えたのかもしれないです。

永琳様は、咲夜さんを幻想郷へとこっそり派遣させたのですけど、そこでまさかの敗北・・
そして咲夜さんの記憶記憶喪失化という事が起きてしまったのです!

その後永琳様自体も奇妙な運命の導きによって自らも幻想郷内で暮らすことになるのですが、
ある時、レミリアと共に行動を共にしている咲夜を見て
「えーー、咲夜はまだ生きていたんだぁー!! 信じられない!」と言う感じで、咲夜さんを見て永琳様は驚かれたという背景に
繋がっていくんじゃないのかな・・とも思ったりもします。

そして私の中にはもう一つこの点に関しての脳内妄想があるのですけど、それについては次回に譲りたいと
思います。






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さてさて・・ここからは既に恒例になっているのかもしれないのですけど、
当ブログが本当にいつも大変お世話になっている dream fantasy の管理人様のアミグリさんが過去に描かれたイラストのご紹介コーナーです!
今回ご紹介させて頂く作品は、言うまでもなく十六夜咲夜さんですっ! (笑)

上記のとっても可愛いコスプレ咲夜さんは、アミグリさんが2013年4月に描かれた「猫耳咲夜さん」とタイトルが
付けられた作品です!

このにゃんこちゃんの咲夜さんはとってもふわっとして可愛いですね!

猫耳がとっても可愛いですし、この獣耳は、今すぐテレビ東京で絶賛放映されていたアニメ「けものフレンズ」に
ご登場されても全然違和感が無いと思います!(笑)
けものフレンズの主人公のサーバルちゃんは、「サーバルキャット」という
食肉目ネコ科に分類される中型の肉食獣でも実はあったりするのですけど、この猫耳咲夜さんは、
そうした肉食獣ではなくて飼い猫のかわいいにゃんこちゃんという印象ですね!

この猫耳咲夜さんを描かれていたのは2013年ですので「アミグリさんの淡い色彩時代」の絶頂の頃であり、
全体の雰囲気は淡いとか透明感とかファンタジーといった印象が大変強く、
この咲夜さん自体は、いつものあのメイド服に髪にはカチューシャで「普通」そのものなのですけど、
アミグリさんはここになんと大胆にも咲夜さんに「猫耳」をやらかしてしまい(笑・・)
これが結果的に大変親しみやすい咲夜さんみたいな印象をもたらしているようにも感じられます。
アミグリさんは、ルーミアとかフランちゃんなどにネコ耳・ウサギ耳等の:獣耳を付けてしまうお茶目な一面も
あったりするのですけど、この猫耳咲夜さんは、その中でも群を抜いて「可愛らしさ」をアピールしていると思いますし、
見れば見るほどこの猫耳咲夜さんは可愛いと思います! (笑)

そうそう・・背景に「猫の足跡」を用いているのはとても素敵な演出だと思います!

そうですね、何か私の勝手な脳内妄想としては、退屈を持て余したレミリア様が
「ヒマだからみんなで動物のコスプレ大会をやろう!」と言い出し、妖精メイドとか美鈴や小悪魔、そして咲夜さんが
動物の着ぐるみを着たり、尻尾を付けたり獣耳を付けたり、牙や爪といったアイテムを準備したのかも
しれないですね・・(笑)
あれれ・・それではパチュリーさんは・・? パチュリーさんも動物コスプレとかをさせられてしまうのかな・・・?
パチュリーさんは「動かない大図書館」という異名もありますので、やはりコスプレする動物は
ナマケモノとかオスのライオンあたりなのかな・・?? (笑)

改めてですけど、アミグリさんのイラストは見ている人に「美しさ」を伝えて感動を与える事もできますし、
見ている人たちに「楽しさ」を伝える事も出来ると思いますし、
本当にアミグリさんが描かれるイラストは「素敵な魔法」だと思います!

私といたしましては、一人でも多くの皆様に dream fantasy のアミグリさんが描かれる素晴らしいイラストを見て欲しい!という気持ちで一杯です!
どうかアミグリさんの dream fantasy という
素敵なブログを宜しくお願いいたします!

上記にて転載をさせて頂きましたアミグリさんが描かれたメディスン&咲夜さんのイラストは、
その権利は全てアミグリさんに帰するものでありますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので、 くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

それでは繰り返しになりますが、今月と来月に展開される「咲夜さん語り」も引き続き宜しくお願いいたします!

それでは次週、9月10日のの咲夜さん語り その⑤の方も宜しくお願いします。
9/10の咲夜さんイラストは、あの素晴らしいイラストが再度戻ってきますし、冒頭の名作プレイバック集には、
東方屈指のあの迷惑住人(汗・・)のとてつもなく天使すぎるイラストが華麗に登場します!

それでは皆様を次回の咲夜さん語り その⑤にてお待ち申し上げたいと思います。
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21.花輪高校


C/バレエ音楽「チェックメイト」より(ブリス)



今年はまだ終わっていませんし、残りあと四か月ほどあるのですけど、今年・・2017年度において、
私にとって最大の訃報は、かつて花輪高校吹奏楽部と秋田南高校吹奏楽部をご指導され、全日本吹奏楽コンクールで
数多くの歴史的名演を私達に残して頂けた小林久仁郎先生のご逝去の知らせだったと思います。

改めてですけど、ここに小林先生のご冥福を心の底より御祈願させて頂きたいと思います。

だけど小林先生の訃報の知らせは突然でしたし、「まだまだお若いしこれからもずっと吹奏楽界の発展に貢献して欲しい!」と
願っていた先生でもありましたのでショックは大きかったですね。
事実、当ブログは一応は「毎日更新」が一つの売りにもなっているのですけど、小林先生の訃報を聞いたとたんに
「そんなブログの更新なんてどうでもいいじゃん・・」と感じてしまい事実5日程本当にこの毎日更新のブログが止まって
しまった程、やはり私にとってもショックの大きさを当時物語っていたと思います。

私に出来る事は、小林先生と花輪高校吹奏楽部という素晴らしき存在を、定期的にこういうブログという文章の形でも
とにかく何か「記録」として残して頂く事と
小林先生や花輪高校吹奏楽部の演奏を私がせめてこの世にいる間は「決して忘れないで思いを馳せる事」なのだと
思います。

1992年の花輪高校の演奏は、2017年現在現時点では、結果的に最後の全国大会出場となってしまいました。
翌年の1993年以降は小林久仁郎先生は秋田南へと異動をされてしまいます。
(当時の秋田南は、90年~92年の三年連続県大会落ちという屈辱の歴史を味わっていますので
小林先生を秋田南へ赴任させることで名門校復活を秋田県の教育委員会が意図したという可能性もあるかもしれないですね)

私自身は、小林先生=花輪高校の本流はロシア系マイナーシンフォニーにあるの思っていますので、
前年度の1991年の「バッカスとアリアーヌ」みたいなフランス系路線とか
「永訣の詩」・「壁画」みたいな邦人路線は今一つ小林先生が求める音楽の本質と合わなかったと
言えるのかもしれないですね。
(私自身は小林先生の邦人路線は大好きですし、事実、秋田南での竹取物語とか舞楽は大・大・大好きですっ!!)
1992年は、吹奏楽では珍しいブリスというイギリスの作曲家の作品を自由曲に取り上げていました。
1982年にも東北大会でダメ金でしたけど、ウォルトンの交響曲第一番終楽章を自由曲に取り上げ、
うちのブログではあのウォルトンの一番の超名演を何度も何度も執拗に取り上げている事で分かる通り、
あの演奏には「魂を揺さぶる何か」が間違いなくあったと今でも確信しております。
つまり、イギリス音楽と小林先生の相性は意外とも感じるぐらい実に大変良好なものがあったと思います。
イギリス音楽にも小林先生は造詣が深かったのかもしれませんね。
歴史に「もしもという言葉はNG」とよく言われるのですけど、もしも小林先生が21世紀に入って以降にどこかの市民吹奏楽団の
指導をされ吹奏楽コンクールに出場され、自由曲にイギリスの作曲家のアーノルドの交響曲を演奏されたら
一体どんな感じの演奏&解釈をされていたのかというのは実に妄想のし甲斐があるようにも思えます。
というか・・・どちらかというと重厚な曲を好まれた小林先生が軽妙・ユーモア・現代的なスピード感と爽快感が
一つの売りにもなっているアーノルドの音楽をどのように料理されるのか考えただけでなんかわくわくしそうです・・(笑)
それが今となっては叶わない夢というのも実に残念な話ではありますね・・・

1992年の小林先生としては結果的に最後の花輪高校の普門館での演奏なのですけど、
この演奏は正直驚きでもあります!
当時この演奏を生で聴いていた時も感じましたし、後にこの演奏がCD化された時も感じたのですが、
一言でいうと「それまでの路線と比べて明らかに音楽が洗練化されスマートになっている!」というものでした!
自由曲のブリスのバレエ音楽は、急-緩-急の三曲を選んでいて、特に最後の曲のスケールの大きさは素晴らしかったと
思いますし、緩い部分の大人っぽいしっとりとした歌いまわしも素晴らしかったと思いますし、この緩い部分にどことなく
「寂寥感」みたいな表情も感じられ、花輪高校にしては珍しく(?)都会的なチャーミングな雰囲気も感じられたものでした。

以前のラフマニノフ/交響曲第一番 ショスタコ/交響曲第一番 ハチャトゥーリアン/交響曲第二番「鐘」
プロコフィエフ/交響曲第三番などの演奏のように細かいミスがたまに目につきサウンドが少々荒かった頃に比べると
とても同一チームとは思えないほどサウンドは洗練され、技術も安定しています。
自由曲のブリスの音楽も緩急をしっかりと表現し、随分と大人びた演奏を残しています。
課題曲も三善晃らしいスピード感と音楽の切れを遺憾なく聴衆に聴かせていたと思います。
(私個人としては、課題曲Cの演奏としては、高岡商業・都立永山に次ぐ素晴らしい演奏だったと思います)
そうですね・・・特に自由曲の洗練さは、これはこれで素晴らしいけど、やはりどうしても私としては、
花輪高校というとロシアマイナーシンフォニーの「荒ぶる魂の叫び」なんかを期待しちゃうのですよね・・・(笑)
だけど、この年の花輪は、素晴らしい演奏を最後に普門館で聴かせてくれましたし、
非常に惜しい銀賞だったと思います。
上記で述べた通り、都会的洗練さ・ツンデレの女の子みたいなチャーミングな雰囲気は従来の花輪高校にはほぼ皆無の要素
でもありましたので、「これは来年以降は別の花輪高校のサウンドに変身しちゃうのかも・・!?」みたいな
期待感も感じさせてくれる演奏だったと思いますし、
花輪高校としての「変化」を示唆する演奏であったような気もします。

それだけに結果論ではあるのですけど、せめてあと3年程度は小林先生は花輪高校を指揮されて欲しかったなぁ・・と
今更ながら感じることも多々あったりもします。
そして翌年以降小林先生は、秋田南へと異動され、そして立派に秋田南高校吹奏楽部を立て直され、
1994年には秋田南を引き連れて1988年以来久しぶりの全国大会に臨むことになります。
(94年の秋田南のあの気合入りまくりの饗応夫人と竹取物語は感涙ものでしたね!!)

花輪高校は、1990年の吹奏楽コンクールは「三角帽子」で東北大会ダメ金だったのですが、
翌年の「バッカスとアリアーヌ」・翌々年の「チェックメイト」は生まれ変わったような
洗練されたサウンドに生まれ変わったことは前述の通りなのですけど、
これは小林先生自身ももしかして、「さすがに今までの表現スタイルは時代にそぐわないから、自分たちも
チェンジを図る必要がある」と思われて、小林先生としての「変化」を示した演奏と言えるのかもしれないですね。
花輪高校の1992年のサウンド・音色は、「究極の繊細さ・洗練さ」の域に達しているように感じられます。
小林先生が初めて花輪高校を引き連れて普門館にやってきた1978年の音色・サウンドと単純に比較すると、
雲泥の差があるようにも感じたりもするのですが、これは別にだから78年の演奏はダメ・・と言っている
訳ではありません。78年のラフマニノフには、当時としての美点もたくさんあると思います。
だけど、78年と最後の92年の演奏のサウンドの違いと言うのは、まさに小林先生が1978年→1992年にかけて花輪高校で
育んできた「一つの進化」としての結果なのだと思います。
あの荒ぶるロシアの魂路線からスタートした小林先生が最後に求めたものとは「繊細さ・洗練さ」だったのかもしれないですね。

改めてですけど、小林先生=花輪高校は、とにかく「伝説」だと思います!
ブレーン社から出ている「レジェンダリーシリーズ」の花輪高校編を聴くと、花輪高校の偉大さがご理解して頂けると思います!!
(今回は割愛しますけど花輪高校の吹奏楽コンクールでの選曲は本当に素晴らしいものがあるともいえると思います!)
何よりもあの花輪高校特有の響きは大変洗練されデリケートに美しく響く幽玄なサウンドながら、
時に豪快に、時に荒っぽく、時に咆哮し激高する等、その自由自在な表現も大きな魅力だったと思います。
花輪高校吹奏楽部は1978年の小林先生赴任以前も既に吹奏楽の名門校という立ち位置ではありましたし、
佐藤修先生時代のあのとてつもなく地味な選曲&渋すぎる表現力も大変魅力的ではありましたけど、
花輪高校を更にさらに大きく飛躍させたのが小林先生の赴任なのだと思います。
小林先生は赴任一年目から、いきなり、ラフマニノフ/交響曲第1番第四楽章という
当時誰も目にも留めなかった曲でいきなり全国大会金賞を掴みとってしまいますが、
1979年の2年目のショスタコーヴイッチにしても、自由曲の定番中の定番の交響曲5番ではなくて、
交響曲第1番を選ぶあたり、小林先生の目の付け所の確かさを感じてしまいます。
1980年のハチャトゥーリアン/交響曲第2番「鐘」も81年のプロコフィエフ交響曲第3番も
どちらも第一楽章を選びながら、
ラストにおいては、第四楽章の終結部を巧みに結合させてしまう辺りに、その大胆さと音楽的センスを
感じてしまいます。
(そうそう、小林先生はクラシック作品を吹奏楽用にアレンジされる事にも大変素晴らしき才能を発揮された先生であり、
 事実、小林先生が編曲されたハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」はいまだに全国大会でも
演奏され続けられています!)

花輪高校吹奏楽部は、1992年の演奏以降は現在に至るまで吹奏楽コンクールの全国大会の表舞台から
姿を消してしまいますけど、別に「吹奏楽コンクール」だけが全てではありませんし、
何よりも「花輪高校吹奏楽部の偉大なる歴史」は永遠に不滅ですし、
少なくとも「私の心」の中では私が生きている間は少なくとも記憶され続けると思います!

最後に・・・

とにかく私は声を大にして申し上げたいです!

「秋田県立花輪高校吹奏楽部は永遠に私たちの心に刻まれ続ける!!」ということを!!

そしてもう一度だけお悔やみの言葉で締めさせて頂きたいと思います。

小林久仁郎先生、どうぞ安らかにお眠りください・・・、そして「ありがとうございます!」という言葉だけは
お伝えさせて頂きたいと思います。

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