改めてですけど、新年あけましておめでとうございます!
この2017年が皆様にとりましても、私にとりましても歓びに溢れた幸ある年になる事を
御祈願させて頂きたいと思います。
どうぞ本年度も宜しくお願いいたします。
さてさてお正月という事もありますので、たまには少し取り留めもない話でもさせて頂き、お茶を濁したいと思います・・(笑)
当ブログのこのポンコツ管理人のHNは「ぬくぬく先生」とさせて頂いておりますが、
このセンスの無い名前の由来なのですけど、
実は、今から数年前(?)に、当時在籍していた金融機関の「独身寮」に30過ぎでも居座り続けていた時に
よく当時の上司とか同僚などから
「30過ぎたんだから、さっさと寮出ろよ!」とか
「そうやって独身寮でぬくぬくしているかに、いつまでたっても結婚できないじゃん!」とか
「いい年こいて独身寮でぬくぬくしていないで、さっさと寮出ろよ!」とか
嫌味の一言も当時よく言われていたものですが(汗・・・)
当時の金融機関は、リストラの嵐が吹きまくり、行員の首を切る事と片道切符の関連会社への
出向が横行し、行員数は減少の一途で、寮も比較的ガラガラでした・・・)
本当は三十を超えていたら入れないのだけど、うまい具合に潜り込むことが出来ました。
だけど独身の男が三十を超えて寮に入るのは、ある意味反則ですよね・・・(笑)
寮費はバカみたいに安いし、寮に戻れば夕食はきちんと用意されているし、
乾燥機付き洗濯機は無料で使用できるし、
お風呂は入りたい放題だし・・・
当時私自身の感覚として「結婚し家庭を持とう」という気持ちはほぼ皆無だったし、
こんな環境にぬくぬく暮らしていると、「結婚」なんて気持ちは毛頭なかったですよね・・・(汗・・)
でも周囲から見ると確かに「あいつぬくぬくしやがってーー!」みたいなやっかみもあったとは思うのですけど
その「ぬくぬく」という言い方がなんかツボに入ってしまい、
その後この「ぬくぬく」という自称はその後結構頻繁に使うようになっていましたね。
「先生」というと代議士とか県会議会の議員とか学校の先生とか世間的には「エライ先生」みたいなイメージも
あるかとは思うのですけど、
私自身の見解としては、(勿論世の中には素敵で本当に尊敬に値する立派な先生が数多くいらっしゃる事を前提としますが)
こういう「先生」の中には、普段「先生、先生」と言われることで天狗のようになってしまい
上から目線で偉ぶったような態度を取られる方もかなり多いみたいな印象もあったりします。
そんな訳で、私自身が「先生、先生」と呼ぶ場合はどちらかというと「小馬鹿にしている」みたいな感じが
私の中にはあり、
私自身が「そうした上から目線で偉ぶったような人間にならないようにしよう!」みたいな「自戒」(?)の意味を込めて
「先生」みたいな呼称をHNの中に取り入れ、
結果としてこうしたなんかヘンなHNでもある「ぬくぬく先生」みたいなものになってしまいました・・・(苦笑・・)
先生、先生と日常的に言われ続ける事で天狗になってしまう俗物的な御方に対するアンチナーゼとも
言えるんじゃないのかな・・?
大学のゼミの指導教官も、「大学教授」という事で確かに立派な先生でもあり、その体系的理論の素晴らしさには
目を見張るものがあったのは間違いないのですけど、
この先生、私生活は結構俗物で、スケベでドケチで「金の亡者」みたいな雰囲気もあり、
私がゼミよりも吹奏楽団の方に力点を置いている事が気に食わないみたいで、
何かと言うと「君は大学の意義をどう考えているのかね・・」みたいな私にとってはある意味「筋違いの事」をよく
上から目線的に言われていたのは、ある意味印象的でしたし、
やはりここからも「先生」というとなんか私自身が「こうはなりたくないね・・」みたいな小馬鹿にする要素が
あったのかもしれないですね・・

私、埼玉県の川口に住んで、今年で実は20年目なのですね!
私にとって、川口とは既に「心のふるさと」みたいな街なのかもしれません。
あ・・もちろん「浦和の調ちゃん」でお馴染みの「さいたま市」も川口市と隣接していますし、さいたま市の会社に
現在在籍していますので、もちろんあのしょぼい浦和の街とかにも
多少は愛着はありますよ・・・(笑)
私が1997年頃に、足立区北千住に住んでいた時に、
人事部から電話が入り、「〇月〇日の〇時に来るように」と通達がありました。
やばい、人事部から電話ではなくて
直接来いと言うのは何かあまり良くない話というパターンが多いですし、
以前甲府に飛ばされた時も直接人事部から辞令を貰ったパターンでしたし、
えーー、なんだろう・・・・
またまた甲府に再度追放されるのかな・・・・
それとも関連会社に出向させられちゃうのかな・・・・
はたまた先日提出した「始末書」の書き方がまずかったかな・・・
(注:金融機関においては、ちょっとした事でもすぐに始末書とか顛末書とか経緯報告書の提出を
求められます・・・)
色々と思い当る事はあったのですけど、顔を出してみると、意外な展開に・・・・・
「あーー、君、間もなく規定により寮を出る年になるよね・・・・
寮を退寮すると家賃・光熱費・食費とか色々お金がかかるよね・・・・
そこで提案なんだけど、今度西川口寮の寮長と副寮長が揃って退任する事になり
その後任が中々決まらない・・・
そこで、○○支店の○○と一緒にペアになって、寮長と副寮長を現在の仕事と兼任でいいから
やってくれない・・・??
そしたら少なくとも35歳までは寮に居座ってもいいよ・・・」
なんという巧みな誘惑の言葉でしょう・・・・
やむなく受ける事にしました・・・
ま、自分は副寮長という事で・・・・
寮長・副寮長といっても大した仕事はありませんよ・・・
せいぜい毎月一回の寮回の司会とか毎週一回の各部屋の点検見廻りとか
毎週一回の浴室の清掃手伝いとか
そんなものです・・・・
だって普段の営業の仕事をしていれば、この程度ぐらいしか出来ませんから・・・
報酬は0円ですけど、
アパート住まいするよりは全然安上がりでしたから・・・・・
だけど、この「西川口寮」というのは実はすごい場所に位置しているのですよね!
他県の方ですと全然ピンとこないと思いますけど、
埼玉県在住の方はお分かりかもしれませんよね・・・、
そう「西川口」と言えば、埼玉県最大の「風俗街」・・・・
まあその・・・・その手の街なのですよね・・・・・(苦笑・・)
ま、新宿区歌舞伎町・吉原・川崎あたりに相当するところなんですよね・・・
建物全体としては、当時は1~2階が銀行の支店、3階から9階が寮という構成でした。
そして支店兼寮のすぐ隣は、その手の風俗ビルでした・・・
現在は風営法が大変厳しくなり、
いわゆる「呼び込みのお兄ちゃん」という者の存在はほぼ皆無となっていますが
当時は、まー、やりたい放題でした! (笑)
その支店兼寮と言うのは、西川口駅から徒歩30秒くらいなのですけど、
夜仕事から戻ってきて、駅から寮を30秒歩くだけで
呼び込みの兄ちゃん3~4人には
「どう社長・・・いい娘いるよ・・・、サービスするからさあ・・・」みたいにまず間違いなく
声を掛けられる街でしたから・・・・(苦笑・・)
寮長・副寮長といっても半分は「雑用係」みたいな側面があり、
毎週日曜日には、寮の三階部分に溜まっていた燃えるごみ・空き缶・ペットボトルを
一階のゴミ集積所まで持っていくという作業があったのですけど、
このゴミ集積所の前は、なぜか知りませんけど
毎回毎回風俗嬢、ま、夜の妖しいお姉さんたちのタバコを吸う休憩場にもなっていて、
いかにも妖しい夜のお姉さんたちがいて中々見た目にも楽しかったですね・・・・
何度かゴミを運んでいる内に、そのお姉さんたちと結構話しかけられもして、色々とその手の業界の話とか
一ヶ月でいくら稼いでいるのかとか
大体何歳ぐらいまでが限界なのかとか
とにかく当時は色々とかなり興味深い話をする事が出来たのは、今にして思うと大変貴重な経験でした!
あの夜の妖しいお姉さんたちはある意味官能的で別の意味で大変美しい・・・・
何というのかな・・・・
「妖しい夜の蝶」みたいなイメージがある皆様でした!
そういう妖しいお姉さん達と色々と話をする事が出来ただけでも何かとても楽しかったです。
私の感覚で言うと、そうした「妖しい夜の蝶」と言うと、
このブログでも何度か登場している「デート・ア・ライブ」の最狂の精霊・時崎狂三(ときさきくるみ)を
ついつい思い出してしまいます。
「デート・ア・ライブ」のアニメとか原作の事も以前何度か記事にさせて頂きましたが、
あの記事は原作で言うと7巻あたりまでの話に留まっていますが、原作は既に14巻近くまで達していますので、
今年はこの「デート・ア・ライブ」の事もたまには書かせて頂きたいと思います。