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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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そうですね・・・・前回の第9話のあすかと久美子の「心理モノローグ」があまりにも濃厚でお見事で、
見ている人が100人いれば100通りの解釈・感じ方が出来るようなとてつもなく奥深くて繊細なつくりで
素晴らしかっただけに、
それから比べてしまうと、この第10話は、久美子の「ストレートな感情」を何の小細工もなしにド直球に放り込んだという
印象が大変強く、
第9話のデリケートさに比べてこの第10話は、おおらかさの方がより強調され、
確かに見ている方としてはとてつもなくわかり易い構造になってはいるのですけど、
第一期からこの「響け・・」を見ていて
この「響け・・」の持ち味でもある「胃がギリギリ痛くなるような重たさ」の魅力にはまってしまっている人間の観点から
見てしまうと「感動はあるけど逆に響け・・らしくないシンプルなわかり易さがあるな・・」と
なんか妙に捻くれた見方をしてしまったものでした・・(笑・・)

確かにユーフォの第二期はまだ続きますけど、
私の感覚で書いてしまうと、このアニメの絶対的な「神回」というのは、第一期は第12話、第二期は前回の第9話
じゃないのかな・・?とも思ったりもします。
(あくまで私個人の感想です・・・)







第10話ですけど、やはり構成がなかなか巧みですね。相変わらずこのあたりの構成・演出の
京都アニメーションのレヴェルは作画と合せて驚異的に高いと思います。

久美子のお姉ちゃんは、実は現況のあすかに繋がっているのだと思います。
久美子のお姉ちゃんは
「自分の道を行きたい…そう素直に言えばよかった」
「文句言いながら、ずっとお母さんたちの言う通りにしてきた」
「それが頑張ることだって勘違いしてた。我慢して、親の言うこと聞いて堪える…それが大人だって」
というセリフから示唆される通り、本音は「吹奏楽を続けたかった! だけど親の意向もあり、それが出来なかった・・・
それを今ではすごく後悔している」という事なのだと思われます。
だからこそ本音としては、妹の久美子が全国大会出場を決めたという事は、
もしかして・・・お姉ちゃんなとっては「うらやましい・・眩しい・・」と感じる事でもあるでしょうし、
心の深層としては久美子に対するやきもちみたいなものとか
「この子は次女なんだし、私と違って長女じゃないから自由にやりたいようにできる」みたいな感情も
あるのかもしれないです。
だけどそんな事よりもここで重要な事は
「親の意向に沿う形で結果的に吹奏楽と楽器を続ける事を断念した事を後悔している」という事に
お姉ちゃんが気がついた事であり、
同時に、
「私はもう親の意向に沿うばかりの操り人形じゃない! 私は私のしたい事を今後歩んでいく!
たとえそれが今はイバラの道であったとしても後悔はしない!
親が決めた路線をいい子ちゃんぶって歩く事はもう嫌だ!!」というお姉ちゃん自身の「心の叫び」が伝わってくるような
感じは間違いなくあったと思います。

そう! そうなるとここでリンクしてくる御方と言うと・・・いうまでもなく、前回の話の中で
「親の意向・・」とか「あんなのでも親は親」とか
「吹奏楽と大好きなユーフォを人質に取られる形で吹奏楽を続けてこられた」とか
「母親の幸せの中に吹奏楽は入っていない」とやっと「本音」を吐露してくれたあすかなのだと思います。

あすかは、「親は大切にしないといけない」という世間体と「母親と私は違う! 私はあなたの操り人形ではない!」
という心の本音で揺れ動いているのだと思うのですけど、
もしもですけど、あすかが自分の本音と反する形で親の意向に従い、
せっかくつかんだ「全国大会での演奏」という貴重な経験を積む事が出来なかった場合の数年後のあすかは
間違いなく久美子のお姉ちゃんと同じ状態に陥るのだと思います!
そう・・! 結果的に今現在の久美子のお姉ちゃんというのは、可能性的にあすかの近未来図だと思うのです。

今回結果的に久美子のお姉ちゃんは大学を中退し、自分が本当になりたい職業=美容師という夢の実現のために
「自活」そして家を出るという選択を取りましたけど、
それは必ずしも楽な道ではないですし、むしろ「イバラの道」だとも思えます。
それを示唆していたのが、味噌汁を作っていた鍋を焦がしてしまい、必死になってそのコゲを取るシーンなのだと
感じます。
その「焦げ」が象徴しているものが「親の意向に沿う事で我慢してきた鬱積」なのだと思いますし、
その焦げを必死になって磨いて結果的に焦げは取れたものの鍋自体は傷付いてしまったという事は、
自分の道を進もうとする事で「失うもの」は一杯あるけど、その覚悟はあなたなも果たしてあるのか・・!という事を
暗示しているシーンじゃないのかな・・とも思ったりもしたものでした。
そうですね・・・どうしてもこういうシーンを見てしまうと、私自身も、
親元を早期で離れて自活をする事で得たものと結果的に失ってしまった事を感じざるを得ないですね・・・
だけど・・・
久美子のお姉ちゃんもそうだと思いますし、私自身も結論から言うと・・・
後悔はしていない!という事なのだと思います。
否!!
意地でも・・例えそこに無理があったとしても「私はどんな事があっても後悔という言葉は発しない!」という事なのだと思います。

そして・・・

結果的にですけど、多分・・・あすかもそうした「イバラの道」を辿っていく事になるのだと思いますけど、
私個人としては、あすかに対しては
「親からの自立」というのは確かに失うものもあるけど、
問題は・・・
「あなた自身の今後の生き方の方を優先した方がいいんじゃないの・・・?」という事なのだと私は感じます。

ちなみにですけど・・・あすかの毒親みたいな話と言うと
思い出すのは、実の母親を告発する本を出版された女優の遠野なぎ子さんの事なのですけど、
この遠野さんと毒親と家族の在り方についての当ブログでの記事は  系図(Family Tree)~若い人たちのための音楽詩 で
語らさせて頂いております。
興味がある方は是非ご覧頂ければ幸いです。

うーーむ、私もたまにはこうしたまともで優れた内容の記事を書く事もあるものなのですね・・・

思いっきり余談になってしまいますが、
当ブログにおいて、全記事を書いているこの管理人が「過去最高記事!! こんな神がかった記事は今後絶対に書けない!」と
自画自賛している記事は響け! ユーフォニアム【第一期】 第12話なのですけど、
こんなに優れた内容の記事なのに、いまだに誰一人からもコメントを頂けていないのは
本当に書いた方としては、不本意・・の一言に尽きます・・・
誰でもいいから・・・この記事に相応しいコメントを頂く事が出来たら本当に嬉しいですね!
(たぶん永遠にないと思いますけど・・・)

響け! ユーフォニアム【第一期】 第12話

そうですね・・・これは吹奏楽コンクール全国大会において、例えばなのですけど・・・
1985年の花輪高校があんな素晴らしい名演を聴かせてもコンクールの評価としては銅賞を受けたとか
1987年の雄新中学校があんなにも心に響く素晴らしい演奏を聴かせてくれても、コンクールの評価としては
銀賞に留まっているのと、もしかして次元は同じと言ったらさすがに語弊はあるでしょうね・・・(笑)
要は・・・
それを創りだした者とそれを見た方・聴いた方との「見解の相違」という事なのかもしれないですし、
その辺りは「コンクールの審査は水物・・」と言われるのと感覚は近いのかもしれないです。

最後にこれも思いっきり余談になってしまいますが、
当ブログにおいて「この記事が今年最高の記事!!」と自負する記事と言うのは、
早苗さんと現代資本主義
だと思います!
それと・・この記事もいまだにコメントゼロというのも・・・
書いている方としてはとてつもなくテンション下がりまくりという感じでもあります・・・(泣・・)

→ 早苗さんと現代資本主義

そうですね・・・管理人が「こんな手抜き記事みたいな・・」という記事に意外なほどの反応を頂いたり、
前述のユーフォとか早苗さんみたいな大変優れた内容の記事が反応皆無というのは、
吹奏楽コンクールにおける聴衆の感じ方と審査員の評価の「ズレ」という事にも多少は被るものはあるのかな・・・??




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話がそれまくりで大変失礼しました・・・

あ・・・Aパートで久美子のお姉ちゃんが「全国聴きに行くから・・」と言っていましたけど、
いやいや、お姉ちゃん!
今現在の全国大会のチケットは完璧に「プラチナチケット化」していて、入手は極めて困難です・・・
1984年に私が初めて普門館開催の高校の部を聴いた時なんて、余裕で並ばずに当日券を購入でき、
プログラム一番があの天理だというのに会場は7割も入っていなかった時代から見ると
信じられない現在の光景でもあります。

そして運命のBパート・・・

ここで久美子は泣きながら・・・

あすかに対して「私はあなたと一緒に吹きたい! あなたと一緒に全国大会のステージで吹きたい!!」という
想いをあすかにぶつける事になります!

あすかは最初は「教室まで来て緊張したでしょ。飴ちゃん食べる?」みたいな
「おまえは関西のおかんかっ!?」とツッコミを入れたくもなってしまういつもの飄々とした感じでしたし
(「飴ちゃん食べる?」というセリフは、スマイルプリキュアの第14話の関西のおばちゃんたちみたいでした・・・)
最初の久美子の説得工作に対しては
みぞれの一件をあえて持ち出し、「理論武装では私には絶対にあなたは私に勝てない!」みたいなものを
見せつけていましたけど、
ここで久美子は主人公らしい本領を発揮します。

電車のシーンの涙は「姉に対する自然な感情」という事でしたし、
あすかの説得シーンは、まさに久美子の自然な感情の爆発でしたし、
まさに「私はあなたと一緒に吹きたい!」という気持ちがストレートにぶつけたものでした。
だけどこういう場合の人間の説得というのは「理屈」じゃないんですよね・・・
それが「気持ち」なのだと思いますし、
久美子のストレートな感情が結果的にあすかの「心」を動かしたのだと思います。

あのシーンは確かに見ていて「みえみえの展開」という事で私的には必ずしも完璧な共感はできなかったですけど、
久美子役の声優さんの
あの感極まったような迫真の泣き方・・・が大変印象的で
まさにあれは「泣いている女の子が感極まった様子」が見事に演じられ、素晴らしい!と感じたものでした!

久美子役の黒沢さんは、正直・・初期の頃の「セリフ棒読み」とか淡々とした感じが
いかにも久美子らし過ぎてあまり共感しなかったですけど、
今回のあの感極まった迫真の演技は、まさに声優魂炸裂!!だと思いました!!

10話では、基本的には何も考えていない久美子が、自分が傷つくことも恐れず、あすかの心に飛び込んだ結果、
あすかの分厚い仮面を剥がし、あすかの「心の闇」をこじ開けたのだと思います。
そしてあすかは・・・全国大会のためでも、北宇治のためでもなく、そして審査員の父親のためでもなく、
久美子のために吹く覚悟を決めて、「ただいま」と言い、
そしてあのタイトル「ほうかごオブリガード(ありがとう)」につながる展開は本当に素晴らしいものがあると思います。

さてさて・・・そうなると残った問題は・・・麗奈なのでしょうね・・・

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私が中学生くらいの頃って、こっくりさんとか口裂け女とかノストラダムスの大予言とか
世間的に「オカルトブーム」が起きていたような気もします。
そうですね・・・あの雰囲気は「東方Project」の「東方深秘録」における各キャラたちが各自がチョイスした都市伝説を
元ネタにして展開していたあの世界観を彷彿とさせるものがあったのかなと思います。
当時爆発的に売れていた「ノストラダムスの大予言」においては、1986年に惑星一直線が起きて第三次世界大戦が
勃発するとか1999年に太陽系の惑星がグランドクロスを起し、その十字架の中心にいるのは地球自身で、
その年にこそまさに黙示録とか旧約聖書で提示されているような「最後の審判」が起き、全人類が滅亡するみたいな事を
盛んに煽り立てていて、当時の中学生・高校生たちあたりに相当のインパクトはあったのかな・・・と
今にして思うと感じる事があります。
ま・・結果的に1999年7月の「恐怖の大王が降臨」とか「全人類滅亡」と言うのはとてつもないガセネタであったというのは、
ま・・・皆様、既にご存知の通りの話だと思います。
余談ですけど、1999年7月は、当時私が在籍していた金融機関が破綻認定を受けて、結果的に倒産みたいな
事になってしまった年月日でもあるのですけど、当時あの金融機関に在籍していた人たちは、
まさにあの破綻認定こそが「恐怖の大王降臨」と言えるのかもしれないですね・・・

私が子供の頃は、「人類滅亡」の主要因は、宇宙人による地球侵略なんて荒唐無稽な事が
むしろ当時の子供たちの主なイメージと言えたのかもしれないです。
大きくなるにつれて、人類滅亡の原因は果たして何なのかな・・・と考えた時、
やはり考え付くのは、①核戦争の悲劇 ②環境破壊ではないのかな・・と思ったものでした。

そうした事を吹奏楽からアプローチした作品の一つが、カレル・フーサの
「この地球を神と崇める」という大変な超大作なのではないかと思います。
フーサと言うと「プラハのための音楽1968年」と言う大変政治的メッセージ色の強い曲が一番最初に
思い浮かぶ方も相当多いとは思うのですが、
「この地球を神と崇める」という作品もフーサにとってまさに神がかった渾身の名作だと思いますし、
政治的メッセージというよりは「全人類への最後の警告」みたいな感じの一曲だとも思いますし、
まさにこれは絶対に忘れてはいけない素晴らしい吹奏楽オリジナル作品だと思いますし、
私たちが絶対に忘れてはいけない曲で、後世の人たちに永遠に受け継がれて欲しい作品だと思います。

前述の通り、フーサは、「プラハのための音楽1968」という大作で、吹奏楽コンクール等でもすっかりお馴染みの
作曲家の一人だと思いますけど、
「この地球を神と崇める」という作品は、あまりにも難解なテーマ・難しいテクニックと表現方法によって
長らく吹奏楽コンクールでは全く見向きもされない作品でしたが、
1993年に都立永山高校がこの曲を自由曲として取り上げ、そして歴史的名演を残してくれた
おかげで、この曲が一気に認知されていったようにも思えます。
「プラハのための音楽1968」は、当時の「チェコ動乱」→ソ連軍侵攻とチェコ国民の苦悩と怒りを
音楽として取り上げたものですけど、
題材は「チェコスロバキア」というあくまで一国をクローズアップしたものでした。

「この地球を神と崇める」は、チェコスロバキア一国という問題にとどまらず
人類全体、いや地球全体の問題提起としてこの曲を作曲し、
「この美しい地球の環境破壊を果たしてこのまま放置して本当に良いのか・・・」という事を
既に1970年代の時点から「吹奏楽作品」という音楽を通して「メッセージ」を伝えた事は
大変意義が大きいと思います。
現在の地球環境の激変・温暖化現象・PM2.5・世界各地の公害・異常気象などは
一国政府だけで解決できる簡単な問題ではないはずです。
世界各国が「共通問題」として最優先に取り組むべき課題の一つだと思うのですが、
自国の利益・利害調整の壁に阻まれ、なんら有効な対策を一つも打ち出せていない・・・
こうした事態・現象に、既に40年前から音楽を通して「警告」を発してきたフーサの「先見の明」は
大変なものがあると思います。

全体として25分前後の曲なのですけど、聴くだけでかなり気分は重くなります・・・
決して「気軽」に聴ける音楽ではありません。
だけど作曲者からの「強いメッセージ」は痛いほど伝わってきます。

フーサ自身が、スコア冒頭に、かなり長めの文章を掲載しています。

簡単に記すと・・・

この曲は、いまの人類が直面する様々な問題――戦争や飢餓、種の絶滅、環境汚染などが動機となって生まれた。
この美しい地球の破壊や荒廃が、幻想に終わることを祈るばかりである。

 第Ⅰ楽章 地球は宇宙の中の点として描かれ、次第に大きくなり、悲劇を予感させる。
 第Ⅱ楽章 放射能で破壊され、傷ついた地球が描かれる。
 第Ⅲ楽章 地球は宇宙の彼方に砕け散る。奏者は「この美しい地球」と声に出す。
         そしてこんな疑問が浮かび上がってくる
        「なぜ、私たちはこんなことをしてしまったのだろうか?」・・・

「プラハのための音楽1968」は、具体的な事件に対する「チェコ国民の怒り」をテーマにした
ある意味具体的な内容の作品なのですけど
「この地球を神と崇める」は、非常に抽象的な内容なのだけど、強いメーセッジ性を有しています。
一言で言うと、この曲は「地球の泣き声、慟哭」なのではないかな・・とも思えます。
環境破壊に蝕まれた地球自体からの「悲痛な叫び」を強く感じてしまいます・・・

だからこそ、この曲を25分間聴き続ける事は非常にしんどいのだと思います。

マーラー/交響曲第8番「一千人の交響曲」は、地球、いや宇宙の振動・鼓動を描いた作品ですけど
フーサの「この地球・・・」は地球の慟哭なんですよね・・・・

「この地球を神と崇める」は、以下の三楽章から構成されています。

Ⅰ.神と崇める

Ⅱ.破壊の悲劇

Ⅲ.終章(エピローグ)

この曲を生で初めて聴いたのが、1993年の都大会の都立永山高校でしたけど
その都大会のプログラム表記を見てみると、

「この地球を神と崇める」より、Ⅱ.破壊の悲劇 Ⅲ.終章~なぜ私たちは・・・・・
と記されていますけど、
「なぜ私たちは・・・・」は正式タイトルではないはずだから、これは永山のいかにも馬場先生らしい
メッセージなのかもしれませんよね。

吹奏楽コンクールでは、ⅡとⅢのカップリングが多いのですけど、
この曲の真骨頂は、実はⅠなのかもしれません・・・
その位、最初から「衝撃度」が計り知れない曲なのです。

Ⅰは、静かなクラリネットのソロから曲は始まり、次第に他の管楽器や打楽器が
加わっていき、緩やかに曲は盛り上がっていきます。この楽章は終始、不気味かつ
神秘的な雰囲気が保たれているのですけど、途中でチューバ等低音楽器の大胆な使用もあって
その静と動の対比は半端ないものがあります。
Ⅱは、一変し、強烈な打楽器から始まっていきます。
破壊の悲劇というタイトルのように、管楽器は様々な旋律を荒々しく奏で、
そして打楽器の激しさが、破壊の規模に拍車を掛けていきます。
Ⅲは、破壊した地球が宇宙を漂う姿を表したものです。
Ⅰと同じように不気味な雰囲気を醸し出しつつ、曲は静かに進むのですけど無機質に曲は
進展していきます、
そして、その空間に「This beautiful Earth・・・」という言葉が響き渡り、
ラストはシロフォーンの弱奏で静かにフェードアウトしていきます。

とにかくこの難曲は演奏する方も聴く方も大変エネルギーを要する曲だと思います。

この曲の吹奏楽コンクールの演奏と言うと、磐城高校も大変素晴らしいものがありますけど、
やはり1993年の都立永山高校の歴史的名演が大変印象的です!

都立永山の演奏は、都大会も全国大会も生演奏で耳にしたのですけど、
とにかく「衝撃度」がすさまじかったです!
確実に私の中に「何か」を伝えてくれました!!
「この地球を神と崇める」という曲があるのは随分以前から知識として知ってはいましたけど、
この曲のレコードやCDも見当たらず、
演奏会やコンクールでも演奏される事はまず無い曲でしたので、
都大会の永山高校の演奏で、この曲を初めて聴いたというのが正直なところです。

都大会を通過し、全国大会に進んでも
正直自分の内心では不安な点もありました。
というのも、都立永山は、1990年のプラハ、91年の「火の鳥」、92年の「オード」と
都大会では素晴らしい演奏を聴かせてくれるのに
なぜか全国大会では緊張するのか、「よそいき」の演奏になってしまい、
都大会で聴かせてくれたような「自由さ」とか「メッセージ性」が今一つ伝わりきれていない杞憂が
あったからです。
この日も永山の演奏が始まる際は、心の中で
「どうか彼らが都大会のような演奏が出来ますように・・・普段通りの演奏が出来ますように・・・」と
祈っていましたけど、全国大会の本番では、ついにやってくれましたね!!

都大会以上に大変満足できる演奏であり、
Ⅱの衝撃度、Ⅲの静粛さの対比も申し分なく
確実に全国大会での聴衆にも間違いなく「何か」を伝えてくれていたと思います。

ラストの女子生徒による「This beautiful Earth・・・」の呟くようなボイスもとても良かったです。
(このボイスはソニーの実況盤CDにもしっかりと収録されています)
シロフォーンの繰り返しによるフェードアウトで曲が閉じられていくのも実に効果的でした。








私、この曲の全曲版CDを持っているのですけど
これ完全な輸入盤でして、日本語解説が入っていないし
語学力が全くない私にとっては、何が書かれているのかさっぱり分かりませんし、
実は、上記のCDの演奏団体も指揮者も一切不明なのです・・・

多分、1985年にオランダで開催された何かの「音楽祭」である事は
間違いないと思うのですけど・・

だけどこの二枚組CDに収録されている「この地球を神と崇める」は
録音も残響音も非常に素晴らしく、気迫溢れる素晴らしい演奏だと思います。
他にリードの第三組曲、ショスタコの交響曲第9番の吹奏楽アレンジ版
ネリベルのトリティッコアンドリューセンのシンフォニアなどが収録されています。
ちなみにですけど、クラシック音楽のCDというものは楽章ごとにトラック番号が付けられているのですけど、
この輸入盤は、楽章ごとのトラックが打たれていないから、
フーサの曲もショスタコーヴィッチの交響曲も、曲一つに「一つのトラック番号」とかついていないから、
例えば第三楽章から聴くという当たり前のことが出来ずに、大変面倒な面があるのは
難点なのかもしれないですね・・(苦笑・・)

全然関係ないのですけど
昔、星新一のショートショートの一つに題名は忘れたのですけどこんな話がありました。
ある高名な博士が大変な時間と資金を使って「大発明」を為し遂げたというけど、その発明品とは
ロボットみたいな像が立っているだけで、へその辺りにボタンのようなものが付いている。
人々は好奇心でボタンを押してみるものの、
そのロボットは面倒くさそうに、押されたボタンを元に戻す事しかしない・・・
博士は病院送りとなり、そのロボットも駅前に置かれたまま放置され、
時折いたずら者がへそのボタンを押して、そのロボットはボタンを押し戻す・・・
そうした事が何年も続いたが、
ある日世界に核戦争が勃発し、全人類は絶滅した・・・
そのロボットには実は「ある使命」を持っていて
へそのボタンを一定期間押されなかったら人類は滅亡したものと認知し、
そのロボットから地球と人類に対する「レクイエム」が流されていく・・・・
そんな感じのストーリーでしたけど、
この世界観は、まさにフーサの「この地球を・・・」のⅢ.エピローグの世界と何か重なるものがありますね。

もしもこの世に天使とか精霊がいたとしたら、核戦争・環境破壊で自滅した人類を見たとしたら
「こいつらバカだなぁ・・」と感じるのかもしれないですね。

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