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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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なんか最近のこのブログの東方記事は、早苗さんと紫様・・・、そしてぬえの事ばっかり
書いているような気がしますね・・・(笑)
そうそう、その封獣ぬえなのですけど、最近の記事ではあのぬえの少しと言うかかなりエロっぽいというのか
色っぽいオーラに包まれているグリフォンフィギュアのあの「絶対領域の素晴らしさ」の事ばっかり
触れていましたけど、
実は、ぬえのキャラとか現況については何も触れてはいなかったもので、
今回の記事と次回の記事でぬえについて改めて簡単にではありますが触れさせて頂きたいと思います。

というか・・・6/21のあのグリフォン記事だけをご覧になった方は
「一体どんだけぬえというのはお色気キャラなのか・・・・!?」みたいな妙な誤解をされちゃう方ももしかしたら
いるのではないのかな・・・?とも思ったりもしたのですけど、
そうですね・・・
あのグリフォンフィギュアのぬえの完成度がとにかく異常の領域をとっくに超越するほど凄まじい完成度の高さを
誇っていましたが、
実際のぬえのキャラは、そんなに「エロっぽい」とか「お色気担当」とか決してそういうものでは
ありませんので・・・・・(笑・・)
ゲームにおける東方星蓮船とか東方神霊廟とか、はたまた公式漫画の「東方鈴奈庵」におけるぬえは、
グリフォンフィギュアみたいな
「服を通しておしりのラインも見えそう・・・」とか
「服のしわとぴっちりした部分が為す身体のラインがたまらない・・」とか
「黒ニーソ自体が太ももにやや食い込む感じ」とか
「絶対領域の完璧さ」とか必ずしも「妖艶」だけをイメージさせる御方ではない事だけはまずはお伝えさせて
頂きたいな・・とも思っています。
(→というか・・・「グリフォンフィギュアのぬえの絶対領域の素晴らしさをあんなに絶賛したのは、おまえだろ!!」みたいな
 ツッコミを自分自身に入れたいですね・・・苦笑・・)
特に「東方鈴奈庵」におけるぬえは、そうしたお色気よりは「ミステリアスさ」を感じさせる描き方もされていましたし、
鈴奈庵では、あんなフィギュアのような黒ワンピースと黒ニーソが体にぴったりと付着しているみたいな感じではなくて、
黒いスカート自体がかなふわっ・・としていましたからね。
(ま・・・グリフォンほどエロくは無いけど、確かに黒ニーソとか絶対領域は完備済でしたけどね・・・)

そうそう・・・ぬえについて初めにごく簡単に説明させて頂きますね・・・・(笑)

ぬえの元ネタというか正体は、地底に封じられていた「鵺」という妖怪です。
この鵺なのですけど、人前に姿を現さず、人間が自分の事を怯えて姿を想像する様子を楽しみにしているという
悪戯好きのある意味愉快犯みたいな妖怪だったのですけど、
ある時本来の姿がばれてしまい、地底に封じられてしまい、長らく地底での暮らしを余儀なくされていたという
いわば「前科者妖怪」みたいな御方です。
ま・・イタズラ好きという点では、どちらかと言うと多々良小傘とか光の三妖精に近いものがあるのかも・・・?
だけど小傘みたいなヘタレ的弱さは全く無く、星蓮船のExステージボスを務めている事でお分かりのように
かなりの強さを有している妖怪だと思われます。
そのぬえの能力なんですけど、
他の物体の正体を無くす能力という結構厄介な能力を有しています。
正体を無くすとは、そうですね・・・簡単に一例をあげると、
「東方星蓮船」にて、ぬえが幻想郷の人たちに「空飛ぶ鳥」をあたかもUFOと言う未確認飛行物体が空を飛んでいると
勝手に思い込ませるという、言わば人間たちの「未知なる事への不安感」を利用し
一つの現象を全く違う現象に思い込ませてしまうといういわば「錯覚」を誘発させてしまうという事なのだと思います。
これはまさに元ネタの「鵺」という妖怪そのものですよね・・・
ぬえの能力の厄介な所は、見る人の心の持ちようとか感じ方によって見方すらも変えてしまうという事なのだと
思います。
見た人の心の中で、勝手に姿形を補完して自分の中だけで納得の行く形に落ち着くというという感じですので、
ある人が「あれは鳥だろう・・」と感じても
別のある人が「いやいや、あれは鳥じゃないよ・・あれはUFOじゃん・・」と違う見解を述べてしまうと
否定された方に元々「本当にそうなのか・・」みたいな疑念があれば、最初は鳥じゃないかと思っていた人ですら
UFOに見えてしまうという感じですので、
まさに・・「人の不安感」とかそうした事につけこむ事が大変巧みな大妖怪と言えるのだと思います。
そうですね・・・・改めて言うのもなんですけど、先日のグリフォンフィギュアのあのぬえの絶対領域とか
黒ニーソ・黒ミニスカワンピ―スの事だけに着目してしまうと
「一体どんだけぬえはエロ妖怪なんだ・・・あんな姿でうろつかれてしまったら幻想郷内のスケベ男子どもは
全員ぬえに釘づけ状態じゃん・・」みたいなヘンな方向に走りがちなのですけど、
いやいや・・・実際のぬえは、力も能力もかなりのものを有していて、
少なくとも響子とか多々良小傘みたいなよわっちい妖怪でない事は確かなのです・・・・(笑)
本人自身も「大妖怪」を自称していますしね・・・

前述の通り、ぬえの元ネタは妖怪「鵺」という、顔は猿、胴体は狸、手足が虎で、尾は蛇といった
正体不明の雷獣みたいなものですし、
ぬえの能力が、見た人の感じ方によって別の物体に見せてしまうというものでもありますので、
実は結構以前から、
「ぬえの本来の姿とは、元ネタの化け物・・? それともグリフォンフィギュアとか鈴奈庵で見せつけた
あの黒ミニスカワンピの少女の姿の一体どっちなんだ・・?」みたいに見解が分かれがちだったのですけど、
星蓮船の霊夢とりバトル時に、ぬえは霊夢に対して
「昔、正体がばれた時は大変だったわ。 この姿じゃ誰も怖がってくれないから・・・・
だから、その時は私、地底に閉じ込められちゃったのね・・」とか何とか言っていましたので、
やっぱりぬえの本当の姿とは、あの黒ミニスカワンピの少女なんですね・・!!
あー―、よかった、よかった・・・・(笑)

さてさて・・そんな訳で、封獣ぬえは、元々は地上の悪戯妖怪だったのですけど、
その悪行が祟って元の少女の姿が発覚してしまうと、妖怪退治をされた挙句、
地底・・・そう・・・、あのさとり様・こいしちゃん達が暮らす地底の旧地獄に叩き落されてしまい、
長期間ここでの暮らしを余儀なくされてしまいます。
そしてその前後に、聖白蓮さんが「お前は実は妖怪の味方なのか・・」と疑いを掛けられ、やはり同様に魔界に
封印され、白蓮さんを慕って行動を共にしていたムラサ・雲居一輪・雲山は、ぬえ同様に
地底の旧地獄に叩き落されてしまいます。
だから、言ってみれば、ぬえとムラサ・一輪はある意味「同じ釜の飯を食った同士」と言えるのだと思います。
共に不遇の時代を過ごした「仲間」なのだと思います。
違いはどこにあるかと言うと、ムラサと一輪の二人は元々白蓮さんに大変な恩義を感じていたのに対して
ぬえは「白蓮・・誰それ・・??」という意識なのだと思います。
そうした中、あの「地霊殿異変」が起き、間欠泉騒動が発生しそのドサクサまぎれに、ムラサ・一輪・雲山・そしてぬえは
地底を脱出する事に成功します。
そしてムラサ・一輪が即座に取った行動とは、即ち・・・そう! 言うまでもなく白蓮さん救出のための行動でした。
そして寅丸星・ナズーリンもその白蓮解放の行動に合流したのですけど、
そうした中、一人浮いてしまうのは・・・
そう・・! 言うまでもなく白蓮さんと元々何の接点も無いぬえなのです。
そしておそらくですけど・・・
ぬえの感情としては「面白くない・・」と言うものがあったと思います。否! それは間違いないのだと思います。
地底にいるころは、「不遇同士の仲間」として一つの「絆」があったのに、
そんな自分を放っておいて、あいつらは・・・そんな白蓮なんて人間の救出に動いている・・・
なんか納得いかない・・・という気持ちは間違いなくあったのだと思われます。
だったら、地上の世界でもムラサ達と行動を共にして、ムラサたちに協力すればいいじゃん・・・と
思うのですけど、ぬえは元々は悪戯好きで同時に天邪鬼みたいなひねくれ者みたいな性格でもありますので、
「そんな見た事も無い奴の救出なんて私には全然関係ないじゃん・・・」とか
「大体・・・白蓮というのは元は僧侶というか人間なんだろ・・・? 自分たちをこんな地底に叩き送ったのは
人間どもでしょ・・
だったらそんな白蓮なんて人間を救出する事自体おかしいじゃん」とか
「それって・・妖怪が人間側の立ち位置に付く事じゃん・・それって何かおかしくない・・?
というか・・・なんかそれって気に食わないし納得いかない・・・」とか
「それになによりも・・・今まで共に仲間だったのにあいつらは、口を開けば白蓮、白蓮って感じで、
なんか私だけ一人仲間外れになってしまった・・」
そんな感情を心に有してしまったのだと思います。
だけど・・・それは考えてみると別にヘンではないし、むしろ・・自然な感情なのだと思います。

今まで「仲間」だったのに、急に自分だけ「ぼっち」になってしまった・・・みたいな「疎外感」・「孤独感」を
ぬえは一人噛みしめていたのだと思います。

そう・・・・! ぬえは意外と「さみしがり屋さん」なのかもしれないですよね・・・・

ぬえは実は寂しがり屋・・・・なんかますますぬえがとっても可愛く見えてきちゃいますね・・・!! (笑・・)

さてさて・・そうした中、ムラサ達の行動が今一つ面白くないぬえは、
これも一つの焼きもちの一種なのかな・・・
ムラサや一輪たちの邪魔をしてやろうと行動を開始しちゃいます・・・
(ま・・・パルスィとか先日記事にしたプリキュアカテゴリの六花の焼きもちとは少し意味合いが違うのかな・・
ぬえの場合、根底にあるのは、同士に見捨てられたのかも・・という複雑な思いなのかも
しれないですね・・・・)
ぬえの能力をフルに活用し、聖白蓮を復活させるために必要な飛倉の破片に、
見る者によって形が違えて見える細工をし、幻想郷にばらまいてしまったのです・・・
(霊夢たちにはUFOに見えるようになったという事です・・・)

そして・・・・

この一連のバトルの中で、「白蓮は、自分みたいな妖怪ですら救済の対象とし、
自分のような境遇の妖怪を救うために尽力している」という事を知ることになり、
ここで初めてぬえは・・・
「今まで自分がやってきた事は白蓮に対して大変失礼な事・・自分は一体なんていう取り返しの付かない事を
してしまったのだ・・」と自分の行いを後悔することになります。
そして白蓮さん復活後は、白蓮からぬえの存在を容認され、
そして・・・
白蓮さん自身の復活を邪魔したという存在にも関わらず、白蓮はぬえをすべて受け入れ、
ぬえの一連の行動に対しては完全に水に流してしまいます。
(いやーー、やっぱり白蓮さんの慈愛はまさに本物ですよね!! )
そして結果的にぬえ自身も・・・
「自分はこれからはこの御方に付いていくしかない・・・」と悟り、
そしてぬえ自身も、ムラサ・一輪・雲山同様に白蓮さんに帰依することになります。
そうですね・・・ぬえ自身は、
最終的には、仏門に入門することになるのです。

余談ですけど、「東方星蓮船」では既に毘沙門天に帰依していた寅星丸とか
この星蓮船の後に、白蓮さんと言うか、仏門に帰依したムラサやこのぬえに対しても
「神仏に帰依した妖怪は妖怪退治の対象外」であるはずなのに、「参ったか―!」と言わんばかりに
退治してしまう早苗さんのはっちゃけ振りは改めて大好きです!
ま・・・早苗さんは退治したぬえに対して、射命丸文にお願いして「記念撮影」すらやろうとして
いましたからね・・・(笑)

だけど・・・・

白蓮さん復活の経緯とかもあったと思いますし、
元々が白蓮さんに恩義があり白蓮さんに心の底から心服し、最初から白蓮さん復活のために尽力していた
ムラサ・一輪・雲山・寅丸星とは異なり
後から入門したという事情もありますので、
確かについ最近まで「地底」に封印されていたという共通の思いはありながらも、
やはり・・・・封獣ぬえとムラサ・一輪・雲山・寅丸星という「命蓮寺」のコアメンバーとの間には
「微妙な温度差」が生じてしまうのは、
ま・・やむを得ない事なのかもしれないですよね・・・

なんか命蓮寺内で白蓮さんの下、修行に励むコアメンバーに対して、
特にやる事も無く命蓮寺内でひとりポツンと・・・つまらなそうに・・・
まるで砂をかむような日々を過ごしているぬえというのも実はいたりもします・・・

なんか・・・・「ぼっち・・」みたいなまたまたさびしそうなぬえが見られるのかもしれないです・・・・

なんかそれも少し気の毒なのかな・・と思っていたところ、
実は・・・・
そうでもなかったですね!!
その辺りは「東方鈴奈庵」第5巻で見事に提示されていましたし、あの話を見てみると、
ぬえの「新しい生き方」というのか「命蓮寺内でぬえが出来る事」を示唆していて、
なんかあれを読むと・・・
妙に安心感があったものです。

よかった・・・ぬえ!!

そしてこれはその②で語りたいと思いますけど、ぬえというか・・命蓮寺内というか・・・
幻想郷内には、新しいキャラでもあるぬえ自身が外界から呼び寄せたマミゾウ・・・マミゾウ親分の存在が
最近光輝いている感じもありますので、
このぬえとマミゾウの関係を含めて、その②で続きを語ってみたいと思います。




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ぬえは「東方鈴奈庵」第5巻でも待望の登場を果たしましたけど、その中での
マミゾウ親分との会話がとっても興味深かったです!
マミゾウはぬえの事を「お前さん」と呼び、ぬえはマミゾウの事を「あんた」と呼んでいましたけど
このお互いの呼び方になんか二人の「仲間意識」を感じさせますね。

マミゾウ自身は「我ら日陰者にとっては・・」と言っていましたけど、
この表現も実に微妙なものがあり、やはりとっても興味深いです。



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最後に・・・またまたグリフォンフィギュアになってしまいますけど、
とにかくこのフィギュアの「絶対領域」の完成度とかぬえの後ろ姿のさりげないセクシーさは
まさに「素晴らしい!!」の一言に尽きると思います!!

というか・・・・

ぬえは一応は命蓮寺の入門者であり白蓮さんの弟子でもありますので、
そうですね・・・・
早苗さんが幻想郷の人里で布教活動をされていたのと同じような感覚で、
このぬえがグリフォンフィギュアの衣装のまんま、
命蓮寺の営業活動をしてしまったら、幻想郷内のスケベな男どもは、争って命蓮寺への入門を
志願しちゃうか、命蓮寺に多額のお布施をしちゃうのかも・・・・??

うーーむ、そうなると霊夢の博麗神社はますますさびれていってしまうのかも・・・??
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「キリスト教」と言うものは、なんだかんだ言っても西洋文化における支柱的存在なのだs思います。
人々の精神的支えというよりは生活の一部と言っても過言ではない感じもあります。

その点、日本と言う国は世界においても極めて珍しい無宗教の国・・・
否! 無宗教というよりは「多宗教の国」という感じなのかもしれません。
よく言われるように、クリスマスでキリスト教みたいなイベントを楽しみ、大晦日にはお寺の除夜の鐘に耳を傾け、
そして新年が明けると神社で初詣・・・!!
うーーん、世界的においてはこうした宗教に対してこれほどまで無節操な国は無いのかな・・とも思ってしまいますけど、
それは日本古来の伝統的な「八百万の神々の国」でありますし、
無宗教・無節操というよりは、むしろ・・・「多様な宗教観を全部包み込んでしまう寛容性のある国」と言った方が
いいのかもしれません。
最近このブログでやたらとネタにしている「東方Project」も、実際・・・ZUN神主様がとどのような意図をお持ちなのかは、
私にはよく分かりませんけど、
「東方の世界」をこうした「多様性とか寛容性とか様々な価値観を全ておおらかに受容する事の素晴らしさ」みたいな
事を実は意図しているという解釈ももしかしたらありなのかも・・・??
実際、世界の人たちが「こうした多様性・寛容性」を持つだけで随分と世界観がガラリと変わっていくような
気もするのですけどね・・・

さてさて・・・西洋の「キリスト教」の場合、精神的支え・生活の一部という意味以外においても
文学や絵画、音楽といった芸術面にも多大な影響を及ぼしているようにも感じられますし、
「聖書」の中に記されているお話を題材にしてクラシック音楽が創られている事例も結構多いようにも思われます。

そうですね・・・聖書を題材にしたクラシック音楽って実は結構ありまして、一例をあげると・・・・

ハイドンのオラトリオ「天地創造」

F.シュミットのオラトリオ「七つの封印の書」

バッハの「マタイ受難曲」・「ヨハネ受難曲」

ヘンデルのオラトリオ「メサイア」→これは「ハレルヤコーラス」が際立って有名ですよね!

メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」

シェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」

などが挙げられると思います。
しかし上記の曲はいずれもオラトリオというのか「カンタータ」に近いような感じで比較的
宗教色が濃厚でどちらかというととっつきにくいようなイメージが私の中ではあったりもします。
というか・・・これらの曲はあまりにも重厚過ぎて、世俗にまみれた私なんかが聴いても
正直・・・あんまり面白くは感じないものです・・・(苦笑・・)

さてさて・・・そうした中でも、比較的わかり易い音楽でストーリー性があり、
しかもその物語が結構面白そう・・というと意外と限られてしまうのかな・・・
ま・・私的には、黛敏郎が音楽を担当された映画「天地創造」なんかはかなり面白いと思いますし、
吹奏楽にアレンジもされた「ノアの箱舟」と「メインテーマ」の部分はとっても
優れていると思います。
ま・・・映画音楽ではなくて「歌劇」とか「楽劇」というジャンルにおいては、
「聖書」を題材にしたわかり易い音楽というと、
そうですね・・・・・
R.シュトラウスの楽劇「サロメ」~七つのヴェールの踊り
サン・サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」~バッカナールを
強くお勧めしたいですね!!

R.シュトラウスの楽劇「サロメ」も実は元々の出典は新約聖書です。
この新約聖書のサロメの話を題材にしたのがオスカー=ワイルドの戯曲であり、その戯曲をテキストに
作曲されたのが、この楽劇「サロメ」なのです。
だけど、この話、結構危ないものがあり、官能的要素も含まれていますし、
初演当時は何かと物議を醸した作品でもありますし、
一部の都市では上演禁止をくらったほど危ない要素はてんこ盛りの作品です。

「七つのヴェールの踊り」は、楽劇「サロメ」の一部分なのですけど、
非常に重要な場面の音楽でもあるし、楽劇全体の一つのクライマックスシーンでもあります。
ま、恐らくは楽劇全体を象徴するシーンだと思います。

「七つのヴェールの踊り」は、R.シュトラウスも相当の思い入れがあったと思われます。
楽劇全体の作曲をほぼ終えた頃に、
改めて、この楽劇全体を左右する重要な箇所の「七つのヴェールの踊り」を
じっくりと腰を入れて作曲している経緯があったりもします。

この歌劇の内容を簡単に要約すると・・・

舞台はユダヤのヘロデ王が君臨する宮廷・・
その宮廷の中には、ヘロデ王の悪政を厳しく批判する預言者ヨナカーンが幽閉されています。
サロメは、ヨナカーンに興味を抱き、
色々とヨナカーンをあの手この手で誘惑するが
完全に無視されてしまう・・
ある日もサロメは義父であるヘロデ王から「踊り」を求められるが、
最初は辞退してしまう。
だけどヘロデ王から
「褒美にサロメの好きなものを何でもあげるから」と言われ、
引き受けてしまう。
そこで踊りを披露するのですが、そこで一枚一枚着ているものを脱いでいくシーンが
「七つのヴェールの踊り」なのです。
だからあの音楽は、あんなに異常に色っぽいというか艶っぽいのです。
そして踊りが終わった後、ヘロデ王から
「お前が欲しいものは何だ」と問われ、迷うことなく
「ヨナカーンの首」と答えてしまうのです。
(サロメの母親は、ヘロデ王をたぶらかして再婚したとヨナカーンから色々と批判され、
 内心苦々しく思い、いつかヨナカーンを亡きものにしたいと思いもあり、
 この首の一件は母親からの入れ知恵という要素もありますけどね・・・)
そしてヨナカーンが斬首され、その首が運ばれてくると
サロメはそのヨナカーンの首にキスをしまくり、ハイテンション状態で恍惚となってしまう・・・
そしてそのあまりの狂気さに恐怖を感じたヘロデ王は、
周囲の武将に命じてサロメを殺してしまう・・・

やはりこうやって文章にしても
かなり危ない世界の領域の話ですよね。

R.シュトラウスの「七つのヴェールの踊り」は約9分程度の作品ですけど、
出たしとラスト以外はそれほど音量的に爆発するものはありません。
むしろオーボエ・フルート等のソロ楽器が大活躍し、
全体として徐々に雰囲気を盛り上げていくというような感じの音楽です。
不思議な事ですが、目をつぶって聴いていると、
ホントまじで一枚一枚身に着けているものを脱いでいくという意識が明確に伝わってきます。
全体的にオーボエの官能的な響きにゾクゾクさせられます。
また、タンバリンの控えめながらエロチックな響きにも魅力を感じます。
瞬間的に曲の「間」があったりもしますけど、
この間の感覚が実に素晴らしいと思います。

この曲は解釈としては、テンポを少し落として、じっくりやんわりと徐々に盛り上げていった方が
いいようにも感じられます。

続きましてサン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」なのですけど、
この話自体は、やはり出典が旧約聖書であり、
色々な映画監督が昔も現在も結構題材にしているようですね。

でもこの物語もなかなか興味深いですよね。

簡単に要約すると・・・

イスラエルの民は長い間ペリシテ人に抑圧され苦しんでいた。
ある時、イスラエルにサムソンという怪力の赤ん坊が誕生し、成長するな否や
ライオンを素手で倒したり、ペリシテの軍隊を一人で散々にやっつけたり、
怪力を武器に大活躍をしていた。
ある時、サムソンは、デリラという絶世の美女に一目惚れしてしまうが、
それに目を付けたペリシテ人はデリラを買収し、そそのかし、
何とかサムソンの怪力の秘密を暴いて来いと命令されてしまう。
寝物語の中、デリラは何とかサムソンの怪力の秘密はその長髪にあると知り、
サムソンが爆睡している間にサムソンの髪をちょんぎってしまう・・・
そしてサムソンは結果的に怪力を失い、ペリシテに捕えられ、目をつぶされ視力を奪われ、
牢の中で石臼をひかされる日々を過ごしてしまう・・・
ある日、ペリシテの神々のお祭りが開催されることになり、サムソンは
見世物として、いたぶられながら祭壇に引きずり出されてしまう・・・
だけど、牢の中に閉じ込められている間にサムソンには再び髪が伸び始め、
最後は、怪力を再度発揮し、祭壇の二本の柱を破壊し、祭壇をなぎ倒してしまい、
多くのペリシテ人と共に祭壇の下敷きになってしまい、
復讐を成し遂げた・・・

この話、旧約聖書で読むと比較的淡々と描かれているのですけど、
映画として見てみると、
デリラが実に色っぽい感じ・・・
いかにも「誘惑する悪いお姉さん」的な感じで描かれています。
だけどデリラ自身、本当は心底サムソンが好きだったという感じでもあります。

サン=サーンスは、この旧約聖書を題材に不朽の名作オペラを完成させ、
今日に至るまでフランスオペラの貴重なレパートリーの一つとして完全に
定着させています。

「バッカナール」は、この歌劇の中の盛り上がる部分の一つで、
要はサムソンを捕えた祝賀会の宴会のどんちゃん騒ぎを描写した部分です。
歌劇の中でも大変有名な部分でもあります。
オーボエのいかにも妖しい雰囲気のソロで開始され、
中東の音楽のような雰囲気の音楽が展開されていきます。
カスタネットのリズム感溢れる響きが実に楽しいです。
中間部もたっぷりと歌われ、ラストも一気にヒートアップします。
ラスト近辺はホルンが大活躍します。
7分程度の曲なのですけど、妖しさ・楽しさ・歌・追い込みなどの要素がてんこ盛りで
飽きることはまずないと思います。

CDで「バッカナール」のみを聴く場合、デュトワ指揮/モントリオール響の素晴らしい名演が
個人的にはお勧めです。

なお、このバッカナールは、
2007年頃のフィギュアスケートにて、安藤美姫がショートプログラムで選曲した曲です。

そうですね・・・・・・妖しい誘惑するお姉さんは、古今東西問わず怖いという事を
立証した作品と言えるのかもしれないですよね・・・(笑)

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