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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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よく、「もう一つのプリキュア」みたいな言い方をされる事もあるようですけど、
アニメ本編と
なかよしで毎月連載されている上北ふたご先生による「漫画版」は
「目指している方向性」は同じながらも
若干ですけど「解釈の違い」が散見される事もあり、この点は歴代プリキュアでもよく見られ
中々興味深いものがあります。

ま、だけど上北先生の漫画版は、
ああいう短いページの中でも
よくあれだけアニメ本編に忠実にストーリーを再現しながらも
上北先生らしい「解釈」も入れて
実に完成度が高いというのか、「濃密なストーリー」が短いストーリーにぎゅっと詰まっていると
痛感させられることも多々あり、
毎年毎年感心させられます。

アニメ本編と上北先生の漫画版で
一番「解釈の相違」を感じたのは、プリキュア5の「夢原のぞみ」の扱いかな・・・
アニメ本編では、ひたすら前向きで明るく元気なおバカ娘として描かれる事が多いのぞみでしたけど、
上北先生版では、
どちらかというと「繊細で優しい少女」とい側面の方を強調し
おバカキャラをかなり弱めていたのが印象的です。
特にココを巡って、くるみがのぞみに対して焼きもちを妬いたり、悩んだりする光景は
あれはまさに現役の「ハピネスチャージ」の「淡い恋愛モード」をはるかに超越した
マジの「恋愛モード」でしたね・・・
アニメ本編でも極めて優秀なありすでしたけど
上北先生の解釈では、更にすごい事になっていましたね・・・
(ネタバレになるからここでは語れませんけど・・・)
また「スイートプリキュア」でも、
アニメ本編では、「ハミィ」はお人よしのマヌケ妖精という印象が非常に強いのですけど
上北版では、毎回毎回喧嘩に明け暮れる響と奏を気に掛ける「心配性」みたいな側面も
クローズアップされていて、この辺りも何か面白いところです・・・

今作の「ハピネスチャージ」でも
そうしたアニメ版との解釈の違いと言うか設定の違いが色々と散見されていて
中々興味深いのですけど、
最近では、アクシアの箱を開けた経緯を告白する設定の違いも
中々面白いものがありました。


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上北先生の漫画版では、
いおなが仲間として加わり、4人と誠司とで「肝試し」をやる事になり
その流れの中で、
皆がいる前で、比較的軽い流れの一環として、
ひめに対してアクシアの箱を開けた経緯をさり気なく問うているのが
面白いです。

何か上北漫画版では
アニメ版ほどひめといおなの確執を強調していないという背景もあったと思いますが
比較的あっさり系のいおなの姿がそこにはあったと感じられます。


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一方アニメ版では、
ひめの贖罪といおなの「自分自身の過ちも認める」という事をかなり長時間かけて
じっくりとじっくりと確執の解消を図っていきましたので
ひめといおなの二人っきりの場面でアクシアの箱の経緯の説明と
図ったのでしょうね。

要は、上北先生の場合、限られたページと時間という「制約」があったゆえに
ストーリーを凝縮していく必要があった事との違いが
何かアニメ版との違いとして如実に表れている感じもするのですけど、
ま、その辺りも「もう一つのプリキュア」の物語として解釈していけば、
両方の素晴らしさを堪能できるような気もしますね。
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私が小学から中学の頃って
一時的に「オカルトブーム」というものが流行っていたこともありました。
こっくりさんもそうですし、口裂け女とか、ま、色々なんかありましたね・・・
その中でも特に目を引いたのが、1999年人類滅亡等でお馴染みとなった「ノストラダムスの大予言」
なのかな・・・
ま、あの予言集って表現があまりにも漠然とした抽象的なものですので
メッセージを受け取る読み手の解釈によって随分と捉え方も異なってくるのですよね・・・
だから現在では「全く信じられない・・」としかコメントのしようがないのですけど、
当時としては、何か「引っかかるもの」はあったと思います。

子供の頃は、「人類滅亡」の主要因は、宇宙人による地球侵略なんて荒唐無稽な事を
想像したものですけど、
大きくなるにつれて、
万一人類が滅亡したり衰退するその原因は果たして何なのかな・・・と考えた時
やはり考え付くのは、
①戦争の悲劇 ②環境破壊だと思います。

そうした事を吹奏楽からアプローチした作品の一つが、カレル=フーサの
「この地球を神と崇める」という大変な超大作なのではないかと思います。

フーサは、「プラハのための音楽1968」という大作で、吹奏楽コンクール等でもすっかりお馴染みの
作曲家の一人だと思いますけど、
「この地球を神と崇める」という作品は、あまりにも難解なテーマ・難しいテクニックと表現方法によって
長らく吹奏楽コンクールでは全く見向きもされない作品でしたけど、
1993年に都立永山高校がこの曲を自由曲として取り上げ、そして歴史的名演を残してくれた
おかげで、この曲が一気に認知されていったようにも思えます。
「プラハのための音楽1968」は、当時の「チェコ動乱」→ソ連軍侵攻とチェコ国民の苦悩と怒りを
音楽として取り上げたものですけど、
題材は「チェコ」というあくまで一国をクローズアップしたものでした。

「この地球を神と崇める」は、チェコ一国という問題にとどまらず
人類全体、いや地球全体の問題提起としてこの曲を作曲し、
「この美しい地球の環境破壊を果たしてこのまま放置して本当に良いのか・・・」という事を
既に1970年代の時点から「吹奏楽作品」という音楽を通して「メッセージ」を伝えた事は
大変意義が深いと思います。
現在の地球環境の激変・温暖化現象・PM2.5・世界各地の公害・異常気象などは
一国政府だけで解決できる簡単な問題ではないはずです。
世界各国が「共通問題」としていの一番に取り組むべき問題なのに
自国の利益・利害調整の壁に阻まれ、
なんら有効な対策を一つも打ち出せていない・・・
こうした事態・現象に、既に40年前から音楽を通して「警告」を発してきたフーサの「先見の明」は
大変なものがあると思います。

全体として25分前後の曲なのですけど
聴くだけでかなり気分は重くなります・・・
決して「気軽」に聴ける音楽ではありません。
だけど作曲者からの「強いメッセージ」は痛いほど伝わってきます。

フーサ自身が、スコア冒頭に、かなり長めの文章を掲載しています。

簡単に記すと・・・

この曲は、いまの人類が直面する様々な問題――戦争や飢餓、種の絶滅、環境汚染などが動機となって生まれた。
この美しい地球の破壊や荒廃が、幻想に終わることを祈るばかりである。

 第Ⅰ楽章 地球は宇宙の中の点として描かれ、次第に大きくなり、悲劇を予感させる。
 第Ⅱ楽章 放射能で破壊され、傷ついた地球が描かれる。
 第Ⅲ楽章 地球は宇宙の彼方に砕け散る。奏者は「この美しい地球」と声に出す。
         そしてこんな疑問が浮かび上がってくる
        「なぜ、私たちはこんなことをしてしまったのだろうか?」・・・

「プラハのための音楽1968」は、具体的な事件に対する「チェコ国民の怒り」をテーマにした
ある意味具体的な内容の作品なのですけど
「この地球を神と崇める」は、非常に抽象的な内容なのだけど、強いメーセッジ性を有しています。
一言で言うと、この曲は「地球の泣き声、慟哭」なのではないかな・・とも思えます。
環境破壊に蝕まれた地球自体からの「悲痛な叫び」を強く感じてしまいます・・・

だからこそ、この曲を25分間聴き続ける事は非常にしんどいのだと思います。

マーラー/交響曲第8番「一千人の交響曲」は、地球、いや宇宙の振動・鼓動を描いた作品ですけど
フーサの「この地球・・・」は地球の慟哭なんですよね・・・・

「この地球を神と崇める」は、以下の三楽章から構成されています。

Ⅰ.神と崇める

Ⅱ.破壊の悲劇

Ⅲ.終章(エピローグ)

この曲を生で初めて聴いたのが、1993年の都大会の都立永山高校でしたけど
その都大会のプログラム表記を見てみると、

「この地球を神と崇める」より、Ⅱ.破壊の悲劇 Ⅲ.終章~なぜ私たちは・・・・・
と記されていますけど、
「なぜ私たちは・・・・」は正式タイトルではないはずだから、これは永山のいかにも馬場先生らしい
メッセージなのかもしれませんよね。

吹奏楽コンクールでは、ⅡとⅢのカップリングばかりなのですけど、
この曲の真骨頂は、実はⅠなのかもしれません・・・
その位、最初から「衝撃度」が計り知れない曲なのです。

Ⅰは、静かなクラリネットのソロから曲は始まり、次第に他の管楽器や打楽器が
加わっていき、緩やかに曲は盛り上がっていきます。この楽章は終始、不気味かつ
神秘的な雰囲気が保たれているのですけど、途中でチューバ等低音楽器の大胆な使用もあって
その静と動の対比は半端ないものがあります。
Ⅱは、一変し、強烈な打楽器から始まっていきます。
破壊の悲劇というタイトルのように、管楽器は様々な旋律を荒々しく奏で、
そして打楽器の激しさが、破壊の規模に拍車を掛けていきます。
Ⅲは、破壊した地球が宇宙を漂う姿を表したものです。
Ⅰと同じように不気味な雰囲気を醸し出しつつ、曲は静かに進むのですけど無機質に曲は
進展していきます、
そして、その空間に「This beautiful Earth・・・」という言葉が響き渡り、
ラストはシロフォーンの弱奏で静かにフェードアウトしていきます。

とにかくこの難曲は演奏する方も聴く方も大変エネルギーを要する曲だと思います。

個人的には、都立永山のⅢにおける女子生徒のたどたどしい「ビューティフルアース・・・」という
呟きが非常に印象に残っています。






私、この曲の全曲版CDを持っているのですけど
これ完全な輸入盤でして、日本語解説が入っていないし
語学力が全くない私にとっては、何が書かれているのかさっぱり分かりませんし、
実は、上記のCDの演奏団体も指揮者も一切不明なのです・・・

多分、1985年にオランダで開催された何かの「音楽祭」である事は
間違いないと思うのですけど・・

だけどこの二枚組CDに収録されている「この地球を神と崇める」は
録音も残響音も非常に素晴らしく、気迫溢れる素晴らしい演奏だと思います。
他にリードの第三組曲、ショスタコの交響曲第9番の吹奏楽アレンジ版
ネリベルのトリティッコアンドリューセンのシンフォニアなどが収録されています。

全然関係ないのですけど
昔、星新一のショートショートの一つに題名は忘れたのですけどこんな話がありました。
ある高名な博士が大変な時間と資金を使って「大発明」を為し遂げたというけど、その発明品とは
ロボットみたいな像が立っているだけで、へその辺りにボタンのようなものが付いている。
人々は好奇心でボタンを押してみるものの、
そのロボットは面倒くさそうに、押されたボタンを元に戻す事しかしない・・・
博士は病院送りとなり、そのロボットも駅前に置かれたまま放置され、
時折いたずら者がへそのボタンを押して、そのロボットはボタンを押し戻す・・・
そうした事が何年も続いたが、
ある日世界に核戦争が勃発し、全人類は絶滅した・・・
そのロボットには実は「ある使命」を持っていて
へそのボタンを一定期間押されなかったら人類は滅亡したものと認知し、
そのロボットから地球と人類に対する「レクイエム」が流されていく・・・・
そんな感じのストーリーでしたけど、
この世界観は、まさにフーサの「この地球を・・・」のⅢ.エピローグの世界と
何か重なるものがあるのですよね・・・・

そうそう、この曲なのですけど実は吹奏楽作品から「管弦楽曲」にもアレンジされ、
この管弦楽版が、今度下野さんの指揮/読売日本で演奏されるようです。
下野氏は、以前札幌交響楽団を客演した際も
フーサの「プラハのための音楽1968」の管弦楽版を演奏されていますので
何かこちらもかなり期待大という感じですね。
現役の中高生達に
「ジョヴァンニー二のコラールとカプリチオという吹奏楽オリジナル曲を聴いたことがありますか?」と
質問しても、おそらく99%以上の方は「知らない・・」というでしょうね・・・・
私が中学から高校の頃というと、
ジョヴァンニーニは結構コンサートとか吹奏楽コンクールの自由曲として取り上げられる機会も
多い方の作曲家だったと思いますし、
「コラールとカプリチオ」以外にも

〇ジュビランス

〇序曲変ロ長調

〇ファンファーレ、コラールとフーガ

などの曲が当時頻繁ではありませんけど演奏されていた記憶があります。

だけど自分のような「オールド吹奏楽ファン」にとっては
ジョヴァンニーニというと何と言っても「コラールとカプリチオ」ですよね・・・
この曲、1960年代にはヤマハ浜松が自由曲として取り上げた曲でもありますし
他にもプリジストンとか蒲郡吹とか尼崎吹奏楽団のような名門チームなどが
これまでの所、計9回も全国大会で演奏されています。
ま、といっても最近では支部大会でも県大会でも全く演奏されず
既に「忘却の彼方・・・」という位置づけになっているかもしれませんよね・・・(苦笑・・)

だけどこのオリジナル曲、忘却されるにはあまりにも勿体ない曲なのですよね。

5分30秒前後のすごく短い曲なのですけど
「構成」が実に素晴らしいと思います。
タイトル通り、前半が金管を中心とする重厚なコラールで、
後半が、木管・金管・打楽器が巧みに絡み合う奇想曲的な曲想・・
その対比が実に素晴らしいと思います。
前半の金管の「威圧さ・厳格さ・緊張感」があるから、後半の「奇想天外さ」が非常に活きてくると
思います。
後半の「ブンチャカ・ブンチャカ・ドンガコンガ・・」みたいなややぎくしゃくしたリズムの面白さも
いいと思いますし、
何か奇抜に走り回っている印象がすごーく強いのですよね。
とにかく前半と後半の対比があまりにも極端で、その明瞭な違いがこの曲の一つの醍醐味なのだと
思います。
最近の吹奏楽コンクールの華麗な邦人作品とかラヴェルのダフニスとクロエとか
レスピーギの「ローマの祭り」に耳が慣れすぎますと、
かえってこうした昔ながらの「シンプル イズ ベスト」を立証したオリジナル曲をたまに耳にしますと
逆にすごーく新鮮なものを感じたりもします。

この曲のCDで聴く場合
今の所一番いいなーと思うのは、東芝EMIから出ていた「吹奏楽オリジナル名曲選」の10枚組CDの
一枚に収録されていた演奏ですね。
録音は相当古いと思いますけど
いかにも「古き良き時代の吹奏楽」という感じが明瞭に伝わってきて
少し粗いけど私は好きな演奏です。

吹奏楽コンクールというと印象的な演奏が一つありますね・・・
かなり古い話ですけど、1975年の大阪府の董中学校ですね。
この年は、当時の名門、今津が5年連続金賞ということで関西大会不出場というラッキー(?)も重なり
三木中学と共に全国に出場するのですけど
三木と董の二つの中学の指揮者が当時はまだ珍しかった女性指揮者というのも
何か興味深いものはあります。
この董中の演奏は銅賞でしたのでレコードには収録されないものの
日本ワールドレコード社のカスタムテープで聴くことが出来、この演奏を持っていた友人に頼んで
このテープを借りてダビングしたのですけど、
一言で言うと「豪快な演奏」ですね・・・
金管バンドと聴き間違えるような金管主体の演奏ですけど
パワーと流麗なリズムとスピード感は中々楽しかったと思います。
当時のBJ講評を見てみると、
「木管16名 金管21名 打楽器7名」と記されていますけど、
なるほど・・・確かにこの編成では金管主体となってしまいますね・・・

またBJの中に当時の指揮者の東礼子さんの貴重なコメントが掲載されていて
こちらもかなり興味深いです。
東先生がこの中学に赴任当時は部員が10名前後の廃部寸前、しかも東先生自身は
音大のピアノ科出身で、吹奏楽指導経験は一切なし・・・
しかも楽器はポンコツばかりで
全てがないない尽くしから始まったのですね・・・
1975年の前年は、何と3年生が「受験」を理由にコンクール出場を辞退し、1~2年生のみで
コンクールに出ていたそうですね。
そして75年は、前年度に3年生がいないことの絶対的不利を悟った当時の3年生が
コンクール参加を決め、
全員一丸となって夏の厳しい練習を乗り越え、「手探りと手作りの音楽」で全国大会にたどりついたのですね。

この辺りは「吹奏楽コンクールには100の出場チームがあれば100のストーリーがある」事を
何か象徴させる話だと思いますけど
何か味わいものがあります。


この年の課題曲はいわゆる「マーチの年」という事で全て行進曲ばかりでしたけど、
これって一日丸ごとコンクールを聴いている身にしては
結構負担が減るというか、難解な課題曲を聴かずに済むというリラックス感があったりして
従来よりは、随分と「聴きやすい大会」という感覚もありました。
特に課題曲Ⅳ/マーチ「エイプリル・メイ」は大変親しみやすくメロディーラインが実に躍動的かつ美しい
という感じで、聴くだけで何か「ハッピー」な気持ちにさせてくれましたね。
マーチと3月を掛けているのも何か作曲者の「粋さ」を感じさせてくれます。
課題曲Ⅲ/潮煙も大好きな課題曲でした。
とても「行進曲」という感じではなくて、「ポップス+リズム」という感じですし、
4曲の中では群を抜いて技術的に大変難しいものがあったと思います。
県大会とか支部大会でこの課題曲を選び、最後までリズムがぎくしゃくしてしまうチームとか
例のトランペットソロがしくじるとか
この課題曲の「悲惨な事故」(?)は当時、ほーんと続出していましたね。
だって全国大会でも、例えば袋原中学とか職場の部のNTT中国とか
このトランペットが外しまくったケースは結構ありましたからね・・・
でもあの「潮煙」のリズムがどんちゃん鳴る感じとか粋な感じとかあのノリは当時も今も大好きですね。
反面、課題曲Ⅰ/ターンブルマーチも、いかにも古典的マーチというかマーチの正統派という感じが
して悪くは無かったのに、全く人気が無かったのは何か気の毒でしたね・・・


〇広島・基町

 Ⅰ/天国と地獄

 非常に「地味」な印象のチームです。
 良く言えば、正統派の演奏、悪く言えば華がない演奏・・・
 正直評価は分かれるかな・・・
 この年、偶然ですけど、やはり地味系のヤマハ東京が自由曲に、基町と同じく
 オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲を選曲したのですけど、
 ヤマハ東京の場合、ソプラノサックスのソロを前面に出し、全体的に「華やかな演出」をする事に
 ある程度成功していましたけど、
 基町の場合、
 「あれ、ヤマハ東京がソプラノサックスを使用した箇所では、どんな楽器を使用していたっけ・・・?」と
 思っていてもそれが全然思い出せないほど
 印象度が希薄だったと思います。
 91年にも6年ぶりに全国に出場していて、
 この時は、交響組曲「寄港地」で高校生離れした半分プロみたいな抜群に上手いオーボエ奏者がいて
 結構「華」もあったのですけど、
 この年は、全体の雰囲気も奏者の技量もすべてが「印象が薄い・・・」という感じで
 終わってしまったような気もします。
 表現も実にオーソドックスですし、「真面目で誠実」な表現もかなり好感が持たれるのですけど
 この頃の全国大会は、既に「普通さ・真面目さ」のみで何とかなる時代では無くなっていたのですよね・・・
 ある意味、「昔ながらの伝統校」が昔通りの演奏を懐メロ風に聴かせてくれたという
 感じもします。


〇関東第一高校

 Ⅳ/交響曲第一番「指輪物語」

 この時代、結構メイの「指輪物語」が話題になっていて
 前年度の92年に特別演奏ではありましたけど、土気中が第一楽章の「魔法使いガンダルフ」を
 演奏していましたね。
 この年は、高橋水産と関東一高がいち早く、このメイの指輪物語を取り上げていましたけど
 高橋水産が第一楽章のみを取り上げていたのに対して
 さすがこだわりの塩谷晋平先生らしいというか、
 そんな簡単な構成にするわけも無く、
 第一楽章冒頭のファンファーレ風な部分のみを演奏し、
 その後は確か第三楽章に飛んだような記憶があります。
 そしてラストも華やかには終わらせず、弱奏部分をかなり執拗にゆったりゆったりと演奏し
 静かに閉じていたのが
 結構意表を突いていて面白かったと思います。
 全体としては「地味」なのですけど、
 音楽を「聴かせる」という意味からアプローチした演奏であり、
 私自身は、「ふーーん、なるほどね・・・」と感心しながら聴いていた思い出があります。

 結果として関東一高は、83年の初出場以来、10年目にして「初金賞」を受賞しますが、
 その本領はむしろ翌年の「カンタベリーコラール」と95年の「ベトナムの回顧」で
 更に開花することになります。
プロ野球は結構好きなのですけど、
高校野球はあまり見ないですね・・・
でも高校野球って普段あまり意識しない「郷土愛」みたいなものを感じる瞬間もあるのですよね。
私、何度か書いている通り、高校までは仙台で育ち
大学以降は埼玉→都内、そして社会人になってからは千葉・山梨・都内・埼玉を行ったり来たりして
現在は埼玉にすっかり落ち着いています。
先日、埼玉県代表の春日部共栄が、まさかまさかの予想外の初戦突破(相手は春の選抜の優勝校)という
大番狂わせを演じてくれた際は、何か「埼玉愛」に瞬間的に燃えてしまいましたね・・・(笑)

でもそれでも何となくですけど
毎年宮城県代表の出場チームも気にはなったりします。
ま、もっとも宮城の場合は、
公立が圧倒的に弱くて、自分が現役高校生の頃から今に至るまで
毎回毎回、仙台育英と東北の「私立の2強」ばかり目につき、
正直「どこが出てもあまり興味ないな・・・」という感じでしたね・・・
私が高校の時も、東北と育英ばかり抜きんでて強く、
しかもこの私立の2強は、結構県外から優秀な生徒をスカウトして引き抜いてくるので
あまり「地元のチーム」という意識も低く
何となく「どっちらけムード」が昔も今も漂っていると思います。

だけど今年度は状況が違いましたね。
今年は公立チームとしては久しぶりに県立利府高校が夏の大会を制し、
甲子園初出場を成し遂げ、しかも8/13の初戦を見事に勝利で飾っていましたね。
何かこのニュースは結構嬉しかったですね。
ニュースでは、
「宮城県の公立高校としては実に31年ぶりの甲子園勝利」と出ていましたが、
これを聞いて
「はっ」と思い出しました・・・

そう、31年前の夏の宮城大会の甲子園予選を・・・

今から31年前の夏、私は高校3年生・・・
丁度大学受験を控えながらも、
「高校生活最後の吹奏楽コンクール」にうつつを抜かしていた時期でもありましたが、
野球部も、まさかまさかの「快進撃」を続け、
準々決勝で、仙台育英を撃破し
準決勝で東北高校を撃破し、
あと一勝で「待望の甲子園」というところまでいったのですけど、
決勝戦で、同じく県立高校の仙台商業に完膚なきまでに叩きのめされ大敗し
甲子園出場は「夢」と散りました・・・

そう、ニュースの「31年前の公立高校」とは仙台商業であり、
その仙台商業に決勝で敗れたのが
自分の出身高校だったのです・・・

その決勝戦も大敗だった上に、確か9回裏まで相手投手に「ノーヒットノーラン」までさせられ
9回に幸いヒットが一本でたから最悪の屈辱まではいかなかったけど
そのせいか決勝で負けてもそれほと゛「悔しい」という気持ちはなかったですし、
むしろ「よくやった!!」という爽やかな印象の方が強かったです。
同時に、
「あーあ、これで甲子園出場が幻になると、あとは自分自身の受験が焦点か・・・」と
むしろ今後の事の方が憂鬱になったのも何か
いい思い出というものですね・・・

何か利府高校の初戦突破のニュースが、31年前の「夏の思い出」を思わず
呼び覚ましてくれました・・・

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