私が小学から中学の頃って
一時的に「オカルトブーム」というものが流行っていたこともありました。
こっくりさんもそうですし、口裂け女とか、ま、色々なんかありましたね・・・
その中でも特に目を引いたのが、1999年人類滅亡等でお馴染みとなった「ノストラダムスの大予言」
なのかな・・・
ま、あの予言集って表現があまりにも漠然とした抽象的なものですので
メッセージを受け取る読み手の解釈によって随分と捉え方も異なってくるのですよね・・・
だから現在では「全く信じられない・・」としかコメントのしようがないのですけど、
当時としては、何か「引っかかるもの」はあったと思います。
子供の頃は、「人類滅亡」の主要因は、宇宙人による地球侵略なんて荒唐無稽な事を
想像したものですけど、
大きくなるにつれて、
万一人類が滅亡したり衰退するその原因は果たして何なのかな・・・と考えた時
やはり考え付くのは、
①戦争の悲劇 ②環境破壊だと思います。
そうした事を吹奏楽からアプローチした作品の一つが、カレル=フーサの
「この地球を神と崇める」という大変な超大作なのではないかと思います。
フーサは、「プラハのための音楽1968」という大作で、吹奏楽コンクール等でもすっかりお馴染みの
作曲家の一人だと思いますけど、
「この地球を神と崇める」という作品は、あまりにも難解なテーマ・難しいテクニックと表現方法によって
長らく吹奏楽コンクールでは全く見向きもされない作品でしたけど、
1993年に都立永山高校がこの曲を自由曲として取り上げ、そして歴史的名演を残してくれた
おかげで、この曲が一気に認知されていったようにも思えます。
「プラハのための音楽1968」は、当時の「チェコ動乱」→ソ連軍侵攻とチェコ国民の苦悩と怒りを
音楽として取り上げたものですけど、
題材は「チェコ」というあくまで一国をクローズアップしたものでした。
「この地球を神と崇める」は、チェコ一国という問題にとどまらず
人類全体、いや地球全体の問題提起としてこの曲を作曲し、
「この美しい地球の環境破壊を果たしてこのまま放置して本当に良いのか・・・」という事を
既に1970年代の時点から「吹奏楽作品」という音楽を通して「メッセージ」を伝えた事は
大変意義が深いと思います。
現在の地球環境の激変・温暖化現象・PM2.5・世界各地の公害・異常気象などは
一国政府だけで解決できる簡単な問題ではないはずです。
世界各国が「共通問題」としていの一番に取り組むべき問題なのに
自国の利益・利害調整の壁に阻まれ、
なんら有効な対策を一つも打ち出せていない・・・
こうした事態・現象に、既に40年前から音楽を通して「警告」を発してきたフーサの「先見の明」は
大変なものがあると思います。
全体として25分前後の曲なのですけど
聴くだけでかなり気分は重くなります・・・
決して「気軽」に聴ける音楽ではありません。
だけど作曲者からの「強いメッセージ」は痛いほど伝わってきます。
フーサ自身が、スコア冒頭に、かなり長めの文章を掲載しています。
簡単に記すと・・・
この曲は、いまの人類が直面する様々な問題――戦争や飢餓、種の絶滅、環境汚染などが動機となって生まれた。
この美しい地球の破壊や荒廃が、幻想に終わることを祈るばかりである。
第Ⅰ楽章 地球は宇宙の中の点として描かれ、次第に大きくなり、悲劇を予感させる。
第Ⅱ楽章 放射能で破壊され、傷ついた地球が描かれる。
第Ⅲ楽章 地球は宇宙の彼方に砕け散る。奏者は「この美しい地球」と声に出す。
そしてこんな疑問が浮かび上がってくる
「なぜ、私たちはこんなことをしてしまったのだろうか?」・・・
「プラハのための音楽1968」は、具体的な事件に対する「チェコ国民の怒り」をテーマにした
ある意味具体的な内容の作品なのですけど
「この地球を神と崇める」は、非常に抽象的な内容なのだけど、強いメーセッジ性を有しています。
一言で言うと、この曲は「地球の泣き声、慟哭」なのではないかな・・とも思えます。
環境破壊に蝕まれた地球自体からの「悲痛な叫び」を強く感じてしまいます・・・
だからこそ、この曲を25分間聴き続ける事は非常にしんどいのだと思います。
マーラー/交響曲第8番「一千人の交響曲」は、地球、いや宇宙の振動・鼓動を描いた作品ですけど
フーサの「この地球・・・」は地球の慟哭なんですよね・・・・
「この地球を神と崇める」は、以下の三楽章から構成されています。
Ⅰ.神と崇める
Ⅱ.破壊の悲劇
Ⅲ.終章(エピローグ)
この曲を生で初めて聴いたのが、1993年の都大会の都立永山高校でしたけど
その都大会のプログラム表記を見てみると、
「この地球を神と崇める」より、Ⅱ.破壊の悲劇 Ⅲ.終章~なぜ私たちは・・・・・
と記されていますけど、
「なぜ私たちは・・・・」は正式タイトルではないはずだから、これは永山のいかにも馬場先生らしい
メッセージなのかもしれませんよね。
吹奏楽コンクールでは、ⅡとⅢのカップリングばかりなのですけど、
この曲の真骨頂は、実はⅠなのかもしれません・・・
その位、最初から「衝撃度」が計り知れない曲なのです。
Ⅰは、静かなクラリネットのソロから曲は始まり、次第に他の管楽器や打楽器が
加わっていき、緩やかに曲は盛り上がっていきます。この楽章は終始、不気味かつ
神秘的な雰囲気が保たれているのですけど、途中でチューバ等低音楽器の大胆な使用もあって
その静と動の対比は半端ないものがあります。
Ⅱは、一変し、強烈な打楽器から始まっていきます。
破壊の悲劇というタイトルのように、管楽器は様々な旋律を荒々しく奏で、
そして打楽器の激しさが、破壊の規模に拍車を掛けていきます。
Ⅲは、破壊した地球が宇宙を漂う姿を表したものです。
Ⅰと同じように不気味な雰囲気を醸し出しつつ、曲は静かに進むのですけど無機質に曲は
進展していきます、
そして、その空間に「This beautiful Earth・・・」という言葉が響き渡り、
ラストはシロフォーンの弱奏で静かにフェードアウトしていきます。
とにかくこの難曲は演奏する方も聴く方も大変エネルギーを要する曲だと思います。
個人的には、都立永山のⅢにおける女子生徒のたどたどしい「ビューティフルアース・・・」という
呟きが非常に印象に残っています。

私、この曲の全曲版CDを持っているのですけど
これ完全な輸入盤でして、日本語解説が入っていないし
語学力が全くない私にとっては、何が書かれているのかさっぱり分かりませんし、
実は、上記のCDの演奏団体も指揮者も一切不明なのです・・・
多分、1985年にオランダで開催された何かの「音楽祭」である事は
間違いないと思うのですけど・・
だけどこの二枚組CDに収録されている「この地球を神と崇める」は
録音も残響音も非常に素晴らしく、気迫溢れる素晴らしい演奏だと思います。
他にリードの第三組曲、ショスタコの交響曲第9番の吹奏楽アレンジ版
ネリベルのトリティッコアンドリューセンのシンフォニアなどが収録されています。
全然関係ないのですけど
昔、星新一のショートショートの一つに題名は忘れたのですけどこんな話がありました。
ある高名な博士が大変な時間と資金を使って「大発明」を為し遂げたというけど、その発明品とは
ロボットみたいな像が立っているだけで、へその辺りにボタンのようなものが付いている。
人々は好奇心でボタンを押してみるものの、
そのロボットは面倒くさそうに、押されたボタンを元に戻す事しかしない・・・
博士は病院送りとなり、そのロボットも駅前に置かれたまま放置され、
時折いたずら者がへそのボタンを押して、そのロボットはボタンを押し戻す・・・
そうした事が何年も続いたが、
ある日世界に核戦争が勃発し、全人類は絶滅した・・・
そのロボットには実は「ある使命」を持っていて
へそのボタンを一定期間押されなかったら人類は滅亡したものと認知し、
そのロボットから地球と人類に対する「レクイエム」が流されていく・・・・
そんな感じのストーリーでしたけど、
この世界観は、まさにフーサの「この地球を・・・」のⅢ.エピローグの世界と
何か重なるものがあるのですよね・・・・
そうそう、この曲なのですけど実は吹奏楽作品から「管弦楽曲」にもアレンジされ、
この管弦楽版が、今度下野さんの指揮/読売日本で演奏されるようです。
下野氏は、以前札幌交響楽団を客演した際も
フーサの「プラハのための音楽1968」の管弦楽版を演奏されていますので
何かこちらもかなり期待大という感じですね。