今回の「ハピネスチャージプリキュア」は重たく厄介な問題を真正面から正攻法で
自分達に問いかけてきました・・・
うーーーん、正直あまりにも難しい・・・
少し整理して考えてみましょう・・・
ひめ(プリンセス)は、明らかに「過去に過ち」があり、それが原因でいおなの姉がファントムによって
倒されてしまった・・・
いおな(フォーチュン)に対して後ろめたい気持ちは有している。
しかし、「あんな大事になるとは思わなかった・・・」との言い訳に終始し
いおなにたいして明確な謝罪はしていない。
一方考える事は、「自己保身」ばかり・・・
つまり、自分の過去の過ちが原因で、めぐみとゆうこから「嫌われる事」を恐れ、
これまでの「3人の友情」が崩壊し、再度「一人ぼっち・孤独」になる事に恐怖を感じ、
「どうやって今までの友情を保つのか」ばかりを考えている。
つまり、ひめは、まだ真剣に「過去の自分の過ち」に向き合っていないし、
その過去の過ちでいかにいおなが悩み傷つき、本来はやりたくない「プリキュア」も姉への復讐心から
やらざるを得ない「いおなの心の傷」をまるで理解していないことに
問題があると思われます。
こうした場合、まずひめは何をすべきなのでしょうか・・・?
それは、まず第一にいおなに対する謝罪、そして「贖罪」をすべきなのかな・・・??
一方いおなですけど、
本来は優しく他人に対する思いやりに溢れ、
決して他人を無視したり、他人を傷つける言動は出来ないタイプのはずです。
(世間的には、いくらなんでもいおなやり過ぎ・・・ひめが可哀想・・・という声が多いと思いますけど、
自分としては、いおなに同情する気持ちの方が強いですね・・・現段階では・・・)
話は全然関係ないのですけど、
フランスのルイ13世(太陽王)を支えた名枢機卿のリシュリュー公は、世を去る前に
僧侶から
「あなたは汝の敵を許すことが出来るのか・・・」という問いに
「私には国家の敵以外に敵はいなかった」との言葉を残しています。
これをいなおに置き換えるとどうなるのか・・・?
いおなにとっての「敵」とは「自分の愛する家族に重大な危害を与えたもの、同時にその原因を作ったもの」だと
思われます。いおな自身は元々優しい性格の持ち主・・・
しかし、リシュリュー公と同様、自分の敵=自分の家族を奪ったものとその原因を作ったもの以外には
敵は存在しないと思われます。
その意味では、ひめを恨み許さない気持ちは非常によく分かりますし、
その言い分は全く正しいし、
「絶対に許さない」という気持ちを抱くのは極めて自然と思われます。
これはある意味極端な例なのかもしれませんけど、
犯罪被害者の家族が「加害者」を絶対に許さない、そして厳罰を求める事と
構図は同じなのかもしれません。
こうした場合のいおながひめに対して出来る事は
①完全な無視 ②永遠に恨みを抱き続ける ③「寛容」の精神で許容する
ぐらいしかありませんけど、
③の「寛容」なんてよほどの「聖人君子」でないと出来ない相談ですし、
それをいおなに求めるのは元々無理な話・・・
ま、それでも「歴代プリキュア」では、
ひめに対しては「贖罪」、いおなに対しては「寛容の心」をお互いに持ちなさい・・・
そしてお互いがお互いを認め合って一緒に頑張りましょう・・・という感じなのですけど
そうはならない展開なのが今作の極めて難しいところ・・・
同時にさすが10周年!!
正面からこうした難しいテーマに挑んできましたね・・・
これは子供用アニメとしては、大変勇気がいる手法・・・

少し視点を変えてみましょう・・・
実はこうした問題は、前作「ドキドキ」で既に提示されていました。
キュアソードの祖国「トランプ王国」は、キングジコチュー一味によって崩壊し、
そのキングジコチューの娘である「レジーナ」がマナ達の前に現れた時、
ソードは、怒りと復讐心から即座にプリキュアに変身し、レジーナと対決しようとしていました・・・
だけど、レジーナ自身は、別にトランプ王国滅亡には何も関わっていないし、
単にその父親の娘という事だけ・・・
(心情としては、ソードの気持ちは痛いほど分かりますけどね・・・)
その際、マナは
「敵とは友達になれないものか・・・」と六花さん・ありすに色々と相談し、
この時点ではまこぴー(ソード)との間には深い信頼関係が構築されていましたので
何とか、「直接対話→直談判」の方向に話を持っていき、一定の所までは、それを成功させていました。
だけど「ハピネスチャージ」の場合、
レジーナ対ソードの立ち位置のように間接的な被害者と加害者という関係ではなくて
利害関係がまともにぶつかりあった当事者同士の話であり、
余計に解決を難しくさせています・・・
そうなんですよね・・・・
フォーチュンにとっての「敵」とは、
幻影帝国であると同時に、この原因をつくりだした「ひめ」でもあるのですよね。
しかもこのひめが自分と同じ「プリキュア」である事も
フォーチュンにとっては堪え難い事なのでしょう・・・

フォーチュンはサイアークとの戦闘後、ラブリーに「プリンセス抜き」でのチームを組み事を再度提案
しますけど、
ラブリーの返答は、
「うん、いいよ」 「だけど、もちろんプリンセスも一緒」
「大丈夫、ひめはいい娘だし、私の友達だし、話せばきっとわかるよ・・・」というある意味能天気な回答を
します。
ま、この辺りは良くも悪くも「天真爛漫」というか「悪気は全くない」ラブリーらしい話ですよね・・・
前々問題の本質が見えていないし、
いかにも頭の回転があまり良くない「鈍感な」ラブリーらしいお話・・・
ここで再度視点を変え、
もしもこの場に歴代でも屈指の聡明さと優秀さを誇る先代の「ドキドキプリキュア」のマナならば
どうするのか、どうすべきなのかを考えたいと思います。
マナならば、
ラブリーと「4人全員で・・」という結論は全く同じであっても
その過程が全然異なると思われます。
ラフリーの場合、いかにも普通の中学生の発想らしく
「ひめはいい子だから話せばわかる」という根拠のない感情論で対処しているのですけど、
マナの場合、これにおそらく「動機付け」を加味してくると思われます。
つまり、「3人」ではなくて「4人」でチームを組むことのメリットを提案し、
場合によっては、「ひめをチームメンバーとして入れないと、私はあなたと共闘する意思はないし、
仮にあなたが窮地の時もヘルプは一切しない」等と言った条件闘争をしてくるかもしれません。
幸いなことに、
いおなの姉は、別に既に「この世の人ではない」という事ではないという事・・・
サイアークを4人で浄化し続け、ファントムを倒し、幻影帝国を滅亡させた時に
いおなの姉のまりあ(キュアテンダー)が鏡から呼び戻せる可能性だって十分にあるのです。
しかもカードを集め続け一杯になると
「大いなる願い」も叶えられるというし・・・
だから、「まりあ救出」という「大義名分」の旗の下に
そうした「一つの目標達成」という動機から4人としてのチームを組むことも可能だとは思われます。
その辺りをマナだったらうまく付け込んでくるのかな・・・??
ま、どちらにしても
ここまで問題が複雑に絡んだ以上、
もしも「4人としてのチーム」が必要な場合、
全員が一つの共有目標に対して、一丸となってぶつかっていける事
プリンセスの謝罪と贖罪の意識、及びフォーチュンの寛容の意識は
必要不可欠になっていくのかもしれませんよね。
ま、プリンセスとフォーチュンの正式な「和解」→「真の意味のハピネスチャージプリキュアの結成」には
まだまだ一波乱も二波瀾もありそうですけど、
こうした問題に対して、どういう「提示」を見せてくれるのか
本当に今から楽しみです。
これだから「プリキュア」を見るのは止められない・・・・