〇秋田南高校
B/パロディー的四楽章より、Ⅳ.ルーセル
この年の東北大会の成績発表&代表校発表の際、花輪高校が代表に選ばれず
秋田南が代表校の一つとして選出されたとき、
正直思いっきりがっかりしたものですし、
「えー、秋田南は5年連続全国大会金賞を果たし、もう全国はいいじゃん・・」と勝手なことを考え
ぶーたれていたものですが、
今にして思うと、秋田南も花輪高校に劣らない素晴らしい演奏をしてくれたと思います。
だけど、全国大会での素晴らしい演奏に比べて
東北大会での演奏は、少し硬かったかな・・・
全体的には堅実で手堅い演奏なのだけど、少々面白みに欠ける演奏だったような気がします。
だけど、全国大会では、秋田南は化けたのですよね・・・
東北大会とは見違える程生き生きとした演奏であり、
歴史に残る演奏を残してくれたと思います。
だけど結果論からいうと、この1982年の全国大会での金賞を最後に実に
秋田南は31年以上全国大会・金賞から遠ざかっています。
この間、高橋先生・佐藤先生・小林先生、そして現役の阿部先生と
指揮者が交代しても「秋田南サウンド」を30年近く維持・受け継いでいる秋田南の関係者の方には
ホント頭が下がる思いですし、
別に全国での金賞が全てではありませんので、
これからも素晴らしい演奏を聴かせてくれる事を心より祈っています。
話を1982年の東北大会に戻しますと、
課題曲B/序奏とアレグロは、
仁賀保の透明感&スピード感溢れる演奏とは全く別のアプローチです。
比較的ゆったりとしたアレグロで、
スピード感がない代わりにどっしりとした安定感というか、堅実さを強く感じます。
自由曲も、金管楽器、特にトランペットセクションの硬質な音の響きが
個人的には引っかかるものがありますが、
それを埋めて帳消しにするほどの「知的さ」というのか
「練りに練られた音楽の巧みな構成感」は感じられます。
この深井史郎の自由曲は原曲も大変ユニークな曲です。
この曲が作曲されたのは、第二次世界大戦前なのですけど、
こんな戦前の日本にも「こんな自由な発想で音楽を創れる人がいたんだ・・・」と感じさせる程
自由自在な音楽です。
当時の楽壇は、
「西洋音楽に影響されずに、日本独特の音楽を創ろう」という雰囲気があったかどうかは
定かではありませんが、
西洋音楽に影響を受けることを恐れる雰囲気はもしかしたら何かあったのかもしれません。
だけど深井史郎は、そうした考え方に対して
「別に西洋音楽から影響を受けたっていいじゃーん、影響を受けて色々と西洋音楽のノウハウを
吸収した上で、日本らしい音楽を作り上げても
おかしくないじゃーん」という考えはあったようです。
そうした発想から着想したのがこの「パロディー的四楽章」なのです。
曲自体は
Ⅰ.ファリア
Ⅱ.ストラヴィンスキー
Ⅲ.ラヴェル
Ⅳ.ルーセル
というタイトルが付けられ、特にⅡのストラヴィンスキーは
「花火」・「春の祭典」を見事に茶化した作品であり、実に聴いていて痛快な楽章です。
Ⅲのラヴェルは、ひたすら「だるい」所がまた面白いです。
だけど、全曲のメインは、Ⅳ.ルーセルです。
「ルーセル」とはフランスの作曲家ですけど、
実はこの楽章のどこにもルーセルの旋律は引用されていません。
実はバルトークの「舞踏組曲」の主題の一つをパロディー化した楽章なのです。
しかし、どうして「ルーセル」の名前を使用しているのに、
バルトークの作品に転化したのはなぜなんでしょうかね・・・??
謎です・・・
だけどこの曲の「真のパロディー化した曲」とは
実は、日本の「さくら、さくら」なのです。
第四楽章の至る所に
この「さくら、さくら」がしつこいくらいに引用され
西洋風なつくりなのに、日本の曲が乱入しているという
大変ユニークな作品なのです。
ちなみに深井史郎のこの作品は、ナクソスレーベルからCD化されていますので
興味がある方は是非聴いて欲しいと思います。
(山岡重信指揮/読響の演奏も中々の演奏です・・)
さてさて、秋田南高校は、こうしたユニークな作品を実に生き生きと知的に聴かせてくれました。
「さくら、さくら」の引用も中々功を奏しています。
原曲は、ピアノが大活躍をしていますが、
天野氏の吹奏楽アレンジ版では、
ピアノの代わりに、シロフォーン・マリンバ・ヴィヴラフォーンの鍵盤打楽器をかなり効果的に
使用し、
部分的にはなぜか「チャイニース風」な響きも出しています。
原曲には無い「ドラ」を使用しているのも、中々ユニークなところです。
全体的には、秋田南の演奏は堅実なのですけど、
何か妙に明るい感じもあったりします。
「明るい」というよりは「屈折した明るさ」なのかな・・・
何か素直になれない明るさというのか、開き直った明るさというのか
そんなものも何か感じ取ってしまいます。
このヘンな明るさは、やはり原曲のヘンなところにも由来するものなのかも
しれませんよね。
1976年に秋田南は、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を自由曲に取り上げていましたけど
この時も何か「妙に屈折した明るさ」を感じたものでした。
秋田南は、当時は、矢代秋雄・三善晃といった法人作品に果敢に挑戦し
見事な演奏を後世に残してくれましたが、
そうした際は、どちらかというと「暗い陰鬱な表情」を見せてくれました。
この「パロディー的四楽章」とか「ペトルーシュカ」は、「屈折した明るさ」を
何か感じるのです。
何かその辺の使い分けは、当時の秋田南の上手さでもありますね。
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