プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「プリキュア」がメインになってしまいました・・・
最近は「東方Project」も大好きです!!
吹奏楽もプリキュアも何か自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在は・・・・ラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です・・・
裏の顔は・・・プリキュアと吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは・・・とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に特に・・・さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さんはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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5/31は、週末&月末ですよね。
5月はGW等で稼働日数が少ないためか、後半何か妙に忙しくなり、
5/31も朝からバタバタしそうです。

昔金融機関に在籍していた時は、月末イコールその月のノルマの締めを意味し、
毎月毎月「あーあ、どうすれば目標達成するのだろう・・・」
    「どのお客様に無理を頼めばいいのだろう・・」
    「万一未達に終われば、今月も始末書かな・・言い訳どうしよう・・」
という感じでした。

現在の職務は、そうしたノルマとは直接関わりはないから、昔と比べると
気分的には楽になった月末ですけどね。

若い頃は、ノルマに追われてばかりでしたけど、そうした追い込まれた経験が
現在でも貴重な「経験」というか「免疫」という事で
生きているのかもしれません。
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予想通りと言えば予想通りなのですけど、
ジョー岡田の正体は、アン王女の婚約者という設定でしたね。
(個人的には執事辺りかなと思ってはいましたけど・・・)

だけど歴代プリキュアを見ても、男性がプリキュアと一緒に戦う又はヘルプに入るというのは
結構珍しいですよね。
強いてあげると、「フレッシュ」りサウラーとウェスターくらいだったかな・・・?
そう言えば、「スマイル」のポップという例もいるにはいましたよね。
本日健康診断に行ってきましたが、予想通り血圧が少し危険水域に近づいてきました。
20代の頃までは、どちらかというと低血圧で、朝起きると頭がボーッとし、覚醒するのに結構
時間はかかる位だったのですが、
ここ数年「高血圧」気味で、毎回140前後でした。

だけど今回はついに160台にまで一気に突入してしまいました・・・

そして、心室左室がやや肥大の傾向があり、今はまだいいけど、高血圧対策を少しは
考えないと、心筋梗塞・脳卒中のリスクが高くなるとと問診で指摘されてしまいました・・・

うーーん、さすがに少し反省・・・

仕事のストレスが溜まったりとか、夜食・間食のし過ぎとか、甘いものや塩分の取り過ぎとか
色々思い当たる節もあるので、
少し改善する必要があると改めて認識させられました・・・
かなり反省・・・・
身長167cm・体重55キロがまだ救いなのかも・・・

それにしても胃の検査時のバリウムを飲むのは毎回毎回嫌なものですよね。
今回の病院は、事前に肩に注射までされましたので、
何か二重にしんどい思いがありました。
毎回感じる事ですが、採血時の自分のどす黒い血を見るのは
嫌なものです・・・
5/28(火)は会社の健康診断です。
だけど、本来この日は自分の定休日であり、全社員そうなのですけど、うちの会社は
その人の定休日の際に、健康診断を受けに行けという事なのだから
何かすこしセコイ気が・・・
普通の会社なら、業務の合間を見て行けというのが普通なのにね・・・
しかも、受付がAM8:15だから、普段よりも早い時間・・・

うーーん、これではゆっくり寝坊も出来ない・・・

12時間前は何も食べるなと言うから、間食は本日はお預けです。

35歳を過ぎると健康診断も、バリウムを飲んでのレントゲンとか色々あるし、
採血もされるし、何だか面倒くさそう・・・

早いとこ終わらせて、たまの休みなのだから、「プリキュア」でも見て
ゆっくりしたいものです。
それとたまーに対しいものでも食べたいなっと・・・
最近のテレビでは、「ドキドキプリキュア」以外のアニメでは
結構気に入ってみているのは
「デート・ア・ライブ」かな・・・
テレビ埼玉にて、毎週日曜のAM24:00から放送されているのですけど
このアニメや原作を全く知らずに、何となくチャンネルを回していたら偶然このアニメの
第一話を見てしまい、
プリキュアとは違う意味で何か好きな作品になってしまい、毎週見ています。

主人公の十香がまたいい・・・




だけど十香の中の声の人って、井上麻里奈さんで、
最近まで「スマイルプリキュア」のなおちゃんの声を担当していた人で、
十香の声となおちゃんの声がほぼ同じなので、
「デート・ア・ライブ」を見ていると、何か妙になおちゃんと被ってしまいます・・・・

先週あたりから、狂三(くるみ)が登場し、俄然面白くなってきたので
またまた楽しみが増えてきたという感じです。
生まれて初めて購入したレコードは(当時はCDが存在していない時代)
シングル盤(この言葉とかドーナッツ盤とか言われても今の世代の人達には
分りませんよね・・・)
ですと、アリスの「チャンピオン」なのではないかと思います。
LPレコードですと、「太田裕美ベスト盤」なのかな・・・

クラシック音楽のレコードを初めて購入したのは、確か高校一年の頃
曲目は、ショスタコの交響曲第5番「革命」だったと思います。
二番目がオーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団の「ロシア名曲シリーズ」で、
ダッタン人の踊り・スペイン奇想曲などが収録されていました。
三番目がシベリウスの交響曲第一番だったと思います。

シベリウスの一番は、初期の頃の作品と言うせいもありますが、
シベリウスという作曲家の個性が開花する前の作品ですし、あまりにも有名な2番みたいな
華やかでエネルギーが開放される曲ではありませんし、
どちらかというと北ヨーロッパの長い冬を想起させるような陰鬱な曲です。
なぜこの交響曲が好きになったかと言うと、
当時の自分は吹奏楽部のクラリネット奏者で、
1981年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会を山形市で聴いた時、
八戸高校がこのシベリウスの第一番第一楽章を自由曲として演奏し、出だしが
クラリネットの非常に長いソロで開始されるのですが、
このクラリネットの独特の雰囲気に何か魅かれるものがあり、
「では、この交響曲全体ではどんな感じの曲なんだろう」と興味を持ったのが
そもそものきっかけなのです。

購入したレコードは、ベルクルンド指揮/ボーンマス交響楽団でしたが、
曲全体の陰鬱な雰囲気の反面、何か民族的な香りとか、北欧の冬の厳しさを感じた反面、
曲全体を漂う「ほのかな情熱」みたいなものを感じとり、
何か一辺でこの曲が好きになってしまいました。
曲全体では、ティンパニーの打音が非常に効果的で、バルト海とか北海において、
岩に波が叩きつけられるような轟音を何か思い起こしてしまいそうな感じもします。
「自分はあの娘が好きだ・・・だけど告白できない・・・」みたいな
その人の心の奥に潜む「思い」や「情熱」を言葉にできず、そっと自分だけの心に
しまっておく・・何かそうした思いがこの交響曲から
感じ取る事もあります。

今改めて聴くと、チャイコフスキーの交響曲の影響は明らかなのですけどね・・・

クラリネットの長いソロで開始されるというのも異色ですし、面白い試みだと思います。
うっとりするような第二楽章、ゴツゴツした民族舞曲みたいな第三楽章を経て、
第四楽章に突入していきますが、第四楽章の出だしのメロディーは、第一楽章のクラリネットのソロと
ほぼ同じメロディーですので、
「あ、循環主題のチャイコフスキーの影響を受けているのだなー」と思わず
感じてしまいます。
第四楽章は、一番盛り上がる楽章で、朗々と歌い上げる中間部は、この次のシンフォニーである
第二番を先取りしているかのような印象すらあります。
だけど最後は、静かにピッチカートで閉じられ、
「陰鬱さ」というものからは開放されない交響曲なのです。

生の演奏会では、井上道義指揮の東京フィルの演奏が印象的でした。

CDは色々と聴いたのですが、やはり最初の印象が強いせいか、ベルクルンド指揮の演奏が
一番しっくりきます。

だけど何度聴いてもクラリネットの出だしは、自分にとっては「ほのかな情熱」のイメージ
です。
それがまた実にいいのですけどね。
この年の大会で印象的だったのは、中学の部も全く同じ傾向なのですが、
銅賞が前半に集中し、金賞は比較的午後の方が多く出た事かな・・・
高校の部より、中学の部にこうした傾向は強く出ていました。
やはり午前中の出場は、コンディション調整の面からも大変なのでしょうね・・・
だけどそれでも天理は午前中の出場でも、ああした歴史的名演を残すのだから
大したものです。さすがとしかいいようがありません。

それにしても、高校の部は、プログラム10番までで既に銅賞が6団体も出ています。
この年は生で聴いていましたが、午前中の自分の感想は
「うーーーん、今年は前年の1984年よりもレベルが低い・・・
 一体どうなっているのだ・・・」でしたけど、
午後に入ってこうした感想は少しずつ変化していきます。
この年の銅賞は8団体でしたけど、午後の銅賞は2団体だけというのも
何か午前と午後の出場で明暗をはっきりと分けてしまった大会だったような印象もあります。


〇下松

 初出場で少し緊張したのかな・・・
 聴いていて落ち着かない感じがし、終始浮ついた感じの演奏で終わってしまいました。
 何か普段の練習の10%の力も発揮しないうちに終わってしまったという感じです。
 課題曲「波の見える風景」も「穏やか」というよりは「貧相」という感じでしたし、
 自由曲の「幻想交響曲」もこれ程劇的要素を秘めているのだから、もうすこし吹っ切れた状態で
 果敢な表現をして欲しかった・・・
 だけど、このチームは翌年には実力の片鱗を見せ始め、
 89年~91年の素晴らしい名演につながっていくのです。

〇日大豊山

 付属高校は、規定によりメンバーが足りない時は付属中学のメンバーを出しても良い事に
 なっています。
 そのせいか、日大豊山の奏者の1/4近くは中学生だったような印象があります。
 それが影響したかは不明ですが、演奏は一言で述べると「素直」
 悪く言うと、パンチに欠けインパクトが弱い演奏・・・
 ただ演奏は楽に聴かせてくれ、ほのぼのした演奏だったと思います。

〇青森山田

 演奏は決して悪くないと思います。
 だけど評価は銅賞でした・・・
 うーーん、何が良くなかったのかな・・・
 技術・音色・サウンド・解釈・個性、全てが平均点という感じで何かアピールするものが
 あまりなかった事が印象薄につながったのかも・・・

〇出雲

 課題曲Aは全然悪くない演奏でした。
 自由曲の「エル・サロン・メヒコ」も導入部は爽やかさと強烈さがうまくミックスし良かったと
 思いますが、それに続くトランペットのソロが大崩し、外しまくり
 演奏の印象が極めて悪くなってしまいました。
 この曲の印象はこのトランペットの出来不出来で大分変って来るけど、
 このチームは見事なまでに大事な大事なソロをしくじってしまい、それが全体にも影響を
 及ぼしたのか、中盤から後半まで、その悪い流れを引きずってしまい、
 普段の力を出し切ることなく終わってしまったという感じです。

以上4団体は残念ながら全て銅賞・・・
 
 
交響詩「魔法使いの弟子」は、いかにも「交響詩」という感じの曲で、
標題を本当に巧みに音楽を通じて表現していると思います。

個人的な話なのですが、「魔法」とか「魔法少女」というと、
「魔法使いサリー」
「おじゃ魔女ドレミ」
「プリキュアシリーズ」を
連想してしまいます。
最近では、魔法少女というと「まどか マギカ」なのかもしれませんが、
最初にあのアニメを見た時は正直ショックというか、衝撃がありすぎました・・・
だって絵柄はプリキュア以上に可愛くて何かほのぼのしていのに、ストーリーは
悲劇を通り越して「残酷」としかいいようが話ですしね・・・
それにしても「キュウベエ」って一体・・・・
第三話でマミさんがあんな悲惨な死にかたをするなんて・・・

話がそれてしまいました・・・

交響詩「魔法使いの弟子」の作曲家のデュカスは、怖ろしいほどの寡作家です。
この交響詩以外では、交響曲・バレエ音楽「べり」くらいかな・・・
潔癖症に近い感じらしく、気に入らない作品はどんどん破棄してしまい、結果として
後世に楽譜として残された曲は極めて少なくなってしまったとの事です。
自分に相当厳しい人だったのかも・・・
マーラーが亡くなる寸前、パリで開催されたマーラーの演奏会で、
マーラーの交響曲第2番「復活」が演奏された際、デュカスは、ドビュッシー・ピエルネといった
当時のフランスの有名な楽壇と共に第一楽章終了と同時に憤然と席を立って
帰ってしまったというエピソードを残しています。
フランスの楽壇として、
「マーラー何かの音楽で音楽の都、パリを汚されてたまるか」という何かアピールを
したかつたのかもしれませんよね。

「魔法使いの弟子」は、
音楽を聴くだけでストーリーが頭に中に自然と浮かびますから、その描写力と想像力には
感服するものがあります。
この曲は、ディズニー映画「ファンタジア」のBGMでもありますが、
ミッキーマウスが、魔法をかけてバケツに水を持ってこさせたはいいいけど、魔法の止め方が
分らず、部屋に水が溢れ、おぼれそうになったところを師匠が駆けつけ、ギリギリセーフという
感じのストーリーを本当にうまく表現しています。
この曲は、ある二つの楽器を非常に効果的に使っています。
一つはファゴットなのですけど、ファゴットは曲によっては重厚で悲惨な雰囲気をもたらすと
同時に(例/チャイコフスキーの悲愴の冒頭)
曲によっては茶目っ気たっぷりになったり(例めショスタコの交響曲第9番)
また曲によっては異国情緒たっぷり(例/くるみ割り人形)と色々と表情を変える事が
出来る楽器なのですけど、
「魔法使いの弟子」の場合は、明らかに茶目っ気たっぷりという感じてすね。
もう一つの楽器は、グロッケンです。
グロッケンとは要は鉄琴なのですけど、この曲はかなりの部分で鉄琴を効果的に用い、
普段はあまり目立たないグロッケン奏者に活躍の場を与えます。
同時に、この曲は本当にグロッケン奏者泣かせというか、テクニックを非常に要し、
かなり難しいテクニックを要求しています。

全体に「楽しさ」と「魔法と言うミステリアスさ」を両方醸し出している曲といえると
思います。
反面指揮者の構成美・演出力も求められますので、なめてかかると痛い目に合う曲なのかも
しれません。
個人的には、デュトワ/モントリオール響の演奏が一番しっくりきます。
改めて初代プリキュアを見てみると、
現役の「ドキドキプリキュア」の原点はここにあったという感じがしますね。
なぎさとほのか、そしてMHから追加加入されたひかりという偉大なる先輩達から
咲・のぞみ・ラブ・つぼみ・響・みゆき・マナなどという後輩達へ、その「ハート」が
受け継がれていったと思ってしまいます。




初代プリキュア【無印】は、最近のプリキュアシリーズと若干異なり、
戦闘シーン・バトルはかなりやりたい放題展開しているというか、その弾けっぷりが半端ない所が
スゴイと感じます。
見方を変えると、少し「乱暴」という感じさえします。
特に最終回近辺は、悲愴感・重厚感はすさまじいものがあり、
とても子供向けアニメとは思えないような描写もあったりします。
でも意外かもしれませんが、無印の場合、ジャアクキングを倒した最大の功労者は
ブラックでもホワイトでもなく、実はボルンであったというのは、意外ではあるけど
何か一つの茶目っ気という感じもするし、何か安堵するものもありました。

続編の【MH】は、前作の乱暴さを中和するというかマイルドにする方向として
生み出されたのが九条ひかり=シャイニールミナスだったのではないかと思う時もあります。
ひかりの加入で、全体的にMH全体の話がより深みを増したようにも感じられますし、
何よりもルミナスは可愛いですからね・・・

無印では、部分的になぎさもほのかも
「何で普通の中学生の私達がこんな事に・・・」
「私達に地球を救うとか、そんな使命を言われても困る・・・」
「私達に何が出来るというの・・」などと
戸惑っている面も散見されましたし、
「プリキュアとは一体何なのか」という基本的な部分をクリア出来ていない面も
感じられました。
MHでは、なぎさとほのかも一年間プリキュアとして経験を積んだという自信と経験の裏付けが
あるからこそ、
「なんで私がシャイニールミナスに・・・?
「そもそもクイーンって何? 私は一体何者なの・・?」
「自分は何のために存在しているのか? 普通の中学生ではいけないのか・・・」などという
ひかりの「不安」に対して
「そのままのひかりでいいんだよ」と
応えられたのだと思われます。
要は、前作におげるなぎさとほのかの「不安」に対して
MHでのひかりの「不安」が受け継がれる構図となっています。
それに対して、先輩として、経験者として、あたたかくひかりを見守っていけるところに
なぎさとほのかの「成長」があったのだと思います。

初期のMHで印象的だったのは第八話かな・・・

あかねさんとひかりの関係
なぎさ・ほのかとひかりの関係
ひかりとボルンの関係
この三者の糸をうまく絡ませながら、ほどきながら物語が丁寧に作られている事に
感服させられます。
特に中盤以降で、
「このままタコカフェを続けていって本当に良いのか、OL生活に戻った方が
リスクがないのではないか」と悩んでいるあかねさんが
歩道橋にて、子供と一緒に談笑している母親とか普通のОLさんとすれ違う時に
「重いな・・」とつぶやくシーンや
(自分が抱えている課題と荷物をかけている事がミソ)
その帰りに、ひかりが店のお客さんと談笑しているのを横で見ていて
お客さんというか他者との触合い→お客さんが喜ぶ笑顔の大切さに改めて気が付き
「元々自分が何を目指しているのか、何をしたいのか」⇒「自分の為、自分の夢の為」という事を
再度認識していくシーンは
物語の本筋ではないのだけど、何かジーンとくるシーンです。
(プリキュア5第43話で、のぞみが「だって自分の夢だもん、自分で決めたんだもん、だから自分のため
 だもんという名セリフを彷彿とさせます・・・)

シャイニールミナスは、前作みたいな「戦闘」のヒロインではありませんが、
前作で無かった世界観を新たに構築する意味においては、
欠かせないヒロインなのでしょうね。

あくまで主観ですが、高校の部は1977年辺りから飛躍的にレヴェルが向上し、
その一つの頂点が1980年だったと思います。
そして、1983年までかなりの高水準を維持してきましたが、
1984年~85年は幾分レヴェルが低下していたような気もします。
現在の日本の株価ではありませんが、世の中にいつまでも右肩上がりのものはないと思います。
それは全国大会・高校の部も同じで、
1984年~85年は、右肩上がりのレベルの向上に対して、少しの「休息」を与える時期だったのではないか
とも思えます。
もっとも、85年は、天理・愛工大名電・習志野という後世に残る素晴らしい名演を残してくれた
チームも出ていますが、全体的には今一つ・・・
まだこの当時は、銀賞と銅賞には、素人にもはっきりとその良し悪しが分る時代だったと
思います。

〇旭川東高校

 当時常連になりつつあった札幌白石を北海道大会で撃破しての全国初出場ですから
 大したものだと思います。
 しかもこのチーム何がすごいかと言うと、生徒指揮による全国出場と言う点です。
 生徒指揮で全国出場を果たした高校の部って、他には78年~79年の遠軽高校くらいしか
 思いつかないな・・・
 自分の高校も創立から1980年代中盤までは、生徒指揮でした。
 毎年指揮能力とトレーナー性が高い生徒を学生指揮に選んで、コンクールには臨んでいました。
 だけど生徒指揮の場合、リスクがあって、
 優秀な生徒が指揮する年は上手いけど、そうでもない生徒だと上手くなくなるというのが
 露骨に出てしまう点で、上手さが長続きしない事なのです。
 だから、うちの高校も80年代後半以降は、OB指揮になり、90年以降は吹奏楽経験のある
 先生が指揮を振るようになりました。
 だから生徒指揮で全国出場を果たしたこのチームはすごいと思いますし、心から敬意を表したいと
 思います。
 演奏は、正直練習の力の半分も出ていないような感じもしました。
 「ローマの祭り」はもっともっと華やかささとあでやかさが欲しかったけど、何か固い感じが
 終始まとわりついていました。

〇東海大学第一高校

 このチームは、1980年に「二つの交響的断章」で全国初出場を果たし、この年で4回目の出場。
 そして4回目で初めての金賞をゲットします。
 だけど私見ですが、この金賞はすごく意外であり、甘い感じもします。
 演奏は緻密ではないし、曲があまり面白くないせいか(ジェイガーのタブロー)
 ただ粗いだけで、あまりまとまりがない印象がします。
 正直、この曲の何が面白いのか今一つ魅力が感じられません。
 それが演奏にも反映したのかもしれません。
 このチームは、しばらくは銀賞と銅賞の境をうろつき、自由曲の選曲の面白さ以外特段個性を
 あまり発揮していないような時期が長く続いていましたが、90年代後半に突然覚醒し、
 スミス・ギリングハム・ネリベルの曲との相性の良さもあってか、名演が続出していきます。
 と思っていたら、まさか指揮者があんな事になろうとは・・・
 あんな事がなければ、まだ榊原氏も全国金賞の常連として君臨していたかもしれませんよね・・・

〇中村学園

 このチームは、この年に覚醒します。
 「コッペリア」を全国で初めて演奏し、その選曲の素晴らしさ・演奏の素晴らしさが
 受け入れられて、翌年から「コッペリア」は吹奏楽コンクールの重要な
 レパートリー曲となっていきます。
 このチームの演奏を聴いて感じた事が二つあります。
 一つは演奏の歯切れがとても良い事
 二つ目は、コッペリアのバレエ音楽から三つの曲を抜粋していましたが、
 三つの曲の間が非常に良い事をあげたいと思います。
 どうしても組曲の場合、曲と曲が打楽器のセッティングの関係で少し感覚が空いてしまうと
 何か微妙に緊張感がなくなってしまうこともありますが、このチームはどちらかというと
 すばやく曲と曲をつないていきましたので、
 演奏に連続感と切れを感じ、良かったと思います。
 ワルツの歌い方も良かったと思いますし、最後の追い込みもお見事!!
家には、掛け時計・置時計があったりなんかします。
うちの奥様が、「一時間毎に音楽が鳴る時計でないと嫌」とか当初言っていましたので、
リビングには、一時間ごとに多種多様なメロディーが鳴る時計が掛けられています。
でもこれって、真夜中ですと、
結構うるさく感じる事もあります。
子供の時は「お化けが怖い」とか別なそんな訳ではなかったけど、
あまりに真っ暗だったり、何も音がしない部屋で一人で寝るというのも何か苦手の方だったので、
ま、多少うるさくても何か音がする時計の方が安心なのかも・・・という感覚は
今でもあります。
また別の機会に書こうかと思っていますが、高校生ぐらいの時から、たまーに
金縛りにある事があり(実は今でもまれになる時があります・・)
そうした事からも、何か「夜が怖い」とか「音が何もしないのは少し嫌・・・」という感覚が
未だに残っているのかもしれません・・・



そんな訳で、自室にプリキュア関連の時計もあったりなんかします。
「スマイル」の掛け時計に、初代【MH】のシャイニールミナスの置時計、
プリキュア5の置時計が置いてあり、いずれも針がコチコチ動くタイプなので、深夜なんかは
三つもあると何か三つとも共鳴し合う様に感じる事もあり、
たまにこれはこれで不気味に感じる事もあります。

だけど「スマイルプリキュア」の掛け時計は、可愛いし、ハッピーがやはり群を抜いて
可愛く収まっているから
ま、仕方ないかなーとも思っています。

昔は目覚まし時計を三つ程度枕元に置かないと、中々目覚めなかったのですが、
最近は年を取ったせいか、目覚まし時計でなくても、携帯のアラームが一度鳴れば
もうそれで十分目が覚めてしまうという感じです。
年寄りは朝が早いというのは、よく言われますが、自分も段々年寄りの領域に
近づいた証拠なのかも・・・
帰宅途中、自宅から一番近いスーパーである「マミーマート」に寄ったところ、
「チキンとチーズたっぷりの焼きカレー」が30%割引で販売されていましたので、
何か美味しそうだったから買ってみました。

確かにチキンがたっぷり具材として入っていて、チーズのバランスも良く
かなり美味しかった、というか相当美味しかったと思いました。



これで280円だから結構安いし、ボリュームたっぷりだし、美味しいしで、
文句は付けようがないと思いました。
味は比較的マイルドな感じで、それ程辛さは感じません。
実は「焼きカレー」自体初めて食べたのですが、こうして表面をうっすらと焼くだけでも
香味は出てくるものですね。
何か感心しました。
CoCo1のチーズカレーを食べてみると、何かチーズの風味が強すぎて
カレーとの相性と言うかバランスがそれ程絶妙とは感じなかったのですが、
こうした普通のスーパーでも、美味しいカレーは出来るものなのですね。

もっともマミーマート自体、弁当やお惣菜は元々レベルは高いと思います。
特にから揚げとか鳥関係の惣菜が中々美味しいと思います。
埼玉では「マミーマート」はよく見かけるのですけど、他県ではどうなのかな・・・?
1985年の課題曲B「波の見える風景」は大好きな課題曲の一つです。
全日本吹奏楽コンクール課題曲でベスト3をあげろと言われれれば、
①1981年/東北地方の民謡によるコラージュ
②1985年/波の見える風景
③1994年/べりーをつんだらダンスにしよう
を現時点では挙げたいと思います。

「波の見える風景」は、その光景が容易に想像できますし、同時にイメージを頭の中で
膨らませることが出来ます。
導入部のゆったりとした二拍子の部分から始まり、フルート・オーボエ・クラリネットのソロも
魅力的ですし、鳴る部分はしっかり鳴る。
それでいて全体的にしっとりと聴かせてくれるから
本当に魅力が尽きる事が無い曲だと思います。
尚、この曲は後に改訂版も出ていますが、かえって煩雑になった印象があり、正直あまり好きでは
ありません。
改訂版のいらない部分を削ったら、この1985年の課題曲版になってしまった・・・という
印象すらあります。

〇那覇高校

 プログラム一番の花輪高校に比べると、各段と技術が落ち、パワーもサウンドの重厚さも
 ガクンと下がります。
 いわば普通の高校生の演奏そのまんまという感じの演奏です。
 音も濁り気味だし、少々ぎこちない硬さもあります。
 だけど良かった点は、演奏者と指揮者が一体となって手作りの音楽をしている点かな・・・
 自由曲の「幻想交響曲」ももう少し劇的な雰囲気を出して欲しかったし、
 薄気味悪さの雰囲気を表現して欲しかったけど、
 どことなくのんびりしているようにも感じられました。
 自由曲において、打楽器の女の子が、基本的には二人いるティンパニー奏者をメインにしているけど、
 部分的にマリンバで素晴らしい撥さばきを見せたり、
 ティンパニーとマリンバの掛け持ちと言う珍しいスタイルを見せてくれたのは何か印象に
 残っています。
 原曲で、弦がピッチカート的に奏する箇所を三人のマリンバ奏者が、マレットを上下逆さまに持ち
 木の部分にマレットの撥の部分を叩きつけ、弦のピッチカートとして代用していたのは、
 違和感はあったけど、面白い発想と感じました。

〇浜松商業

 前年は「カタストロフィー」で本当に演奏が破綻してしまったのですけど、翌年は
 見事に立ち直っていました。
 課題曲・自由曲を通じてサウンドが絹のように柔らかい響きだったのは
 印象的です。
 自由曲の「古祀」も変拍子を全く変拍子と感じさせない程、楽に聴かせてくれた技術には
 脱帽です。
 たった一年でここまで進歩するなんてまさに驚きです。
 だけどこのチームが本格的に化けるのは、翌年の「トッカータとフーガ」からです。
 指揮者の遠山先生は、81年にも浜松工業で「古祀」を演奏していますが、こちらは比較的
 アレグロの部分を重視、終結部の静かな部分をバサッと切る解釈をしていましたが、
 浜松商業では、ゆるやかな部分も終結部分もカットを抑え、歌を重視していた点は
 良かったと思います。
キュアアクアこと、かれんさんのミニフィギュアです。




アニメ版だけですと、どうしても実年齢以上に大人っぽく見えてしまうかれんさんですが、
(ま、確かにあの大人っぽい言動やミルクを諭す時のかれんさんは、ホントまじに大人・・・)
こうしてミニフィギュアになると、
結構可愛いものはあります。

キュアアクアのS・H版フィギュアも持っているのですが、こちらのアクアさんは、
かなり大人っぽい雰囲気に仕上がっています。
全体的に悪くはない作りなのですが、強いて文句を付けたくなるとすると、
首が少し長い感じがして、悪く言うと「ろくろ首」みたいに見えなくもない事と
手足の関節が自由に曲がる事は良いとして、それゆえ放っておくと自然に前のめり状態になってしまう
事なのかな・・・

プリキュア5シリーズは、ドリーム・アクア・ミルキーローズは意外と入手しやすい感じも
するのですが、
ミント、そして特にルージュはあまりお目にかかった事はありません。

よくルージュは人気薄プリキュアとして語られることもあるのですが、
「のぞりん」の名前通り、ドリームとルージュは「二人でプリキュア」という感じもしなくは
ないし、個人的にキュアルージュというか、りんちゃん大好きの私としては、少々歯がゆい感じも
いたします・・・
キュアドリームのフィギュアの箱です。



実物も箱の写真とほぼ変わりがありません。

やはりアニメ版も可愛いけど、フィギュアとしてのキュアドリームもやはり可愛い。
歴代プリキュアは、皆それぞれ可愛いのだけど
(ムーンライトは除く・・・)
やはりその中でも、ハッピーとドリームの可愛さは際立っていると思います。

プリキュア5とプリキュア5GoGoでは、微妙にフォームチェンジをします。
プリキュア5では、ドリームだけヘソ出しでしたけど、続編では全員ヘソ出しなしになってしまいました。
レモネードは、前作は唯一モコモコ着用でしたけど、続編では全員同様スパッツ着用に
なりました。
だけど、基本的には、5GoGo版の方がフォームは断然格好いいと思います。
後姿が何となく燕尾服っぽいのもなかなか・・・
だけど、ドリームに関してだけは、前作の方がやはりいいかな・・・
やはりヘソ出しフォームの方が可愛らしい感じがします。

特に、キュアアクアは、明らかに続編の方が格好いいですね。
あのフォームだからこそ、サフィアアローが更に見栄えがするような気もします。
現役の「ドキドキ」のキュアハートの「ハートシュート」もサフィアアローと同系列の技なのですけど、
やはりアクアさんの方が見栄えがするのは、
アクアさんが全体的に大人っぽい感じがするせいなのかも・・・

だからといって、某掲示板の悪口のように、
キュアアクアをキュアババアという悪口を言ってはいけません・・・
かれんさんのアクアリボンでシバかれてしまいますよ・・・
マーラーの交響曲の中で、
交響曲第7番「夜の歌」と奇妙な作品があります。
一般的にはマーラーの交響曲の中で最も人気がない曲と言われ続けています。
確かに、この交響曲は陰気なのかバカ陽気なのかも今一つよく分りません。
第一から第四楽章までの「夜」が支配的な音楽が第五楽章で一転して、冒頭から打楽器が
ドンドコやり出す「真昼」みたいなカーニヴァルみたいな音楽が展開されていき、
終わってみると、「あれ、この曲結局何が言いたいのだ・・・??」と毎回思ってしまう曲なのです。

この曲、第一楽章の冒頭からテノールホルンという特殊楽器がブカブカとソロを奏でます。
テノールホルンと表示されていますが、ホルンというよりは、チューバの小型化という感じの楽器で、
吹奏楽で言う所の「ユーフォニウム」という楽器です。
第一楽章で二回ほど結構長めのソロを吹いた後は「お役御免」というか、曲が終わるまで一度も
出番はありません。
だから奏者も自分のソロの出番が終わった後は、約80分近くもひたすら待機状態が続くという
テノールホルン奏者にとっては何か気の毒な曲なのです。
このテノールホルンと言うか、ユーフォニウムは、ホルストの組曲「惑星」の第一曲火星のソロでも
大胆に使用されていますが、ホルストの場合、ユーフォニウムは全曲を通して終始出番が
あるので、マーラーの「夜の歌」みたいにひたすら曲が集結するまで待機という事は
ありません。

同じマーラーの交響曲第四番「大いなる喜びへの讃歌」では、第四楽章にソプラノが登場します、
このソリストをいつ舞台に出すかと言うのは、指揮者によってまちまちです。
自分が初めてこの交響曲を聴いた時(シュワルツ指揮/東京フィル)、
ソプラノを第一楽章からずっと舞台上で待機させていましたので、
ソプラノの人は、約45分程度ひたすら自分の出番を舞台上で待機している状態でしたので、
こちらも何か気の毒な感じはしました。
ほとんどの指揮者の場合、大抵第三楽章からソプラノを舞台上に待機させるというパターンが
多いのですけどね。
スラットキン指揮/N響の場合、第三楽章の終わりをゆったりとやや引き延ばし気味に終わらせている
状態で、ゆっくりとソプラノを舞台の端から歩かせて、歩きながら歌うという演出を
させていました。
これは結構効果はあったように思えます。

やはり同じマーラーの交響曲第二番「復活」において、アルトは第四楽章から
混声合唱とソプラノは第五楽章から出番が発生します。
この交響曲は、第一楽章がやたら長く
(もっともマーラーの三番に比べるとどんな曲でも短く感じる・・・)
作曲者マーラーの指定では、泰一楽章が終了後は、最低でも5分以上の休憩と言うか間を取る事が
記されているせいもあるかもしれませんが、
第一楽章が終わった後に、ソリストと混声合唱隊を舞台に上げる事が多く、その移動時間とセッティングで
結果的にマーラー指定の「5分以上の休憩」を果たす事になります。

ま、音楽には色々とあるものですし、ソリストはホント多くの面で大変ですよね。
先日の「ドキドキプリキュア」第16話を見て改めて感じた事は、
「自己中」というのは、人間誰しもが持っている本能的なものであり、誰しもが
「自分が一番可愛い」
「世の中は自分を中心に回っている」
「自分の思い通りに物事が動けば、全てがうまくいく」
なんていう風には思っているはずだと思うのです。
それは、歴代プリキュア達も事情は違えこそ、同じだと思うのです。
要は程度の問題だと思うのです。
他人に迷惑とか災いをもたらしてまで、己の自己満足を達成させたいなのか、それとも
他人に迷惑や不快な思いをさせる位なら、自分はここは他人に譲るとか妥協するべきなのか、
それを決めるのは一人一人の自由な判断に委ねられるべきだと思うのです。

そうなると、一体「自己中」と「自己中ではない」の境界はどこにあるのか、
自分達はどのように線引きをすれば良いのか・・・
正直それに対する「回答」なんてないと思います。
ホント、要はさじ加減なのだと思います。
「自己中」とはすなわち「自己愛」と言い換えても良いとさえ思います。
自分達一人一人が生きている限り、その人の人生の主役はその人自身なのですから、
結局は自分が一番可愛いという事になると思うのです。
反面、人間には「良心」・「自制心」というものもあり、
どこかで自分自身をコントロールしなくてはいけない局面もあります。
いつまでも自分中心で考えるべきではなく、他人と向き合い、他人と妥協しあい、最終的に
自己の欲するものを全てとはいかなくても、幾つか適度に手に入れば上々の仕上がり・・・
要は、くどいようですが、バランスというか
その人その人の心の良心に基づくさじ加減だと思うのです。

今回のドキドキのレジーナの場合、上記の事が頭に入っているかと言うと、必ずしもそこまで
成熟はしていないというか、子供の「これ欲しい、あれ欲しい、これはいや、あれもいや」の
単純な自己欲求の領域だと思うのです。
どちらかというと、プリキュア5の映画の「ダークドリーム」に近いような存在だと思うのです。
(極悪性がないゆえにのぞみは、ダークドリームに手を差し伸べた・・・)
そうした子供のような「自己中」のレジーナに対して、
他人に迷惑を掛けてまで自己の欲するものを無理やり奪うという父親のキングジコチューとは
明らかに相違点はあると思うのです。

本当にレジーナが、キュアソードのトランプ王国壊滅に関わっていないとすると、
一体マナ達、とくに真琴なんかはどうレジーナに接すれば良いのか、
本当に敵とは友達になれないのか・・・
色々な問題・矛盾点をはらみながらも物語は中盤へと進もうとしています。



過去にも、敵からプリキュア側に寝返った者たちも存在します。
満と薫、イース、エレンなのですが、彼女たちの場合、
プリキュアを倒すために、まずはプリキュア達を知るために近づいて行ったら、いつの間にやら
プリキュア達の暖かい心に共感し始め、
同時に自分達が行っていた事、行おうとしていた事に対する後悔の念から
プリキュアに変容したり、プリキュアと最終決戦に向かったりします。
いわば彼女達は、自分達の過去の悪行に対する罪滅ぼし的要素というのか、改心の象徴として
プリキュアに変容した訳なのです。
だけど、レジーナの場合、そうした改心とか罪滅ぼし的要素はほぼ皆無・・・

それではレジーナとプリキュアを結びつけるものとは一体何なのか・・・
真琴とレジーナという相反するものに対して、マナは一体どのような折り合いをつけるのか・・・

興味は尽きない所です。
本日は、本来休みなのですけど、どうしても顧客関係で外せない仕事があった都合上、
14時~17時まで出勤と言う何か妙に変則的なサービス出勤となってしまいました。
これではいつまでたっても疲れが中々取れない・・・

だけど、帰り道、何気なくリサイクルショップを覗いてみると、
「ふたりはプリキュア スプラッシュ・スター」という今から7年前に放送されていた
プリキュアシリーズ二代目のSSグッズが、店頭に置かれていました。
ほとんど使用されていない状態と言うか、新品に近い状態なので、思わず買ってしまいました。
ちなみに100円でした・・・
ゴミ入れというよりは、何か身近なモノの物入れとして使ってみたいなーと思いました。




SSシリーズのグッズは中々お目にかかる事も少ないもので、
これはこれで貴重なのかなーと思っています。
だけど、いい年こいたおっさんが、脇にプリキュアグッズを抱えて電車に乗り、帰宅するというのも
何か我ながら、シュールな光景・・・
最近は、袋麺やカップヌードルでも美味しいというか、下手すりゃその辺の街のラーメン店よりも
美味しいインスタントラーメンがあるというのも驚きです。

個人的には、一番大好きな即席めんは、関東ではあまり販売されておらず非常に残念なのですが
「うまかっちゃん」です。あのとんこつ味はシャレにならない程クセになる味だと思います。
あと最近美味しかったのは、明星食品の「バリカタ極細麺・とんこつ味」かな・・・
お湯を入れて一分後には食べられるというのもいいと思います。

最近食べて美味しいと思ったりのは二つありまして、
一つは、まるちゃんの」おそば屋さんのカレーそば南蛮」、もう一つは明星の「黒いぜ!一平ちゃん」
です。



カレーうどんというジャンルは結構あると思うのですが、
即席めんでカレー南蛮そばというのは珍しいと思いますし、味も昔中野に住んでいた頃に
よく食べた近所のそば屋のカレーセットの味を彷彿とさせる何か懐かしい感じがして、
結構好きです。
「和」のだしもスパイスも適度に効いているのが素晴らしい・・・
「黒いぜ!一平ちゃん」は対照的にワイルドな味です。
今食べても美味しいけど、夏のくそ暑い時に、汗をかきながら食べるのも何か粋な感じも
します。
5/19の「ドキドキプリキュア」はストーリーが濃厚過ぎて、
ホント見ている方のドキドキも止まらないものです。
大人のありすに正妻焼きもち妬きの六花さんで既にお腹一杯状態なのに、
これで更にレジーナまで入ってしまうと、一体この先どうなってしまうのでしょうね・・・?





マナの「敵とは友達になれないのかな・・・」の一言はかなり重たいものを含んでいると
思います。
これまでの歴代プリキュアは、
ほとんどの場合、妖精達から「自分達の国を助けて」と頼まれて、プリキュアになり、
妖精の国を滅ぼした敵方と戦うという構図がほとんどでした。
ですから、正直「妖精達の国を復活させる」という目的が自分達の利害と一致するという事ではなく、
悪く言うと妖精達の国を復活させるというのは、本来プリキュア達には全然関係のない遠い国の
出来事だったのです。
自分達の国を復活させたいという当事者プリキュアは厳密に言うと
せいぜいキュアミューズ位だったと思います。
(ミルキーローズは、パルミエ王国復活後の登場だし、パッションとビートは後述しますけど
 組織からの裏切りキャラという位置づけ・・)
そんな中、今回のドキドキは当初からトランプ王国を滅亡させられた被害者の一人が
キュアソードとして登場しています。
そうした中で、敵方トップであるキングジコチューの娘であるレジーナが、
「マナと友達になりたい」と言って近づいてきたとしても、
一般人の感覚としては、「あんた、何を言っているの!! ふざけないで!! 私はあなたを絶対に
許さない」というのは当然の感覚と思われます。

ここでよく吟味すべきなのは、
レジーナ自体、トランプ王国を滅ぼした行為には全く関わっておらず、
レジーナの「滅ぼしたのは自分の父親、だから自分は関係がない」という理屈も一応は筋が
とおっている事なのです。

「敵のトップの娘だからという理由で、その娘までも敵対視して良いのか」
「罪を憎んで人を憎まずという理論は、レジーナの場合どうなのか・・」
「汝の敵を愛せよという理屈と現実のソードの憎しみの感情の調和をどう図るべきなのか」
「敵と友達になる事は可能なのか」
「仮にレジーナと友達になれた場合でも、一方の当事者のソードの立場や気持ちは
 どう汲んであげればよいのか・・・」なとせという
今後の色々な面で難しい課題をしょい込んだものだなーと思っています。
だけど、10年目のシリーズで、単なる娯楽的作品にとどまらず、こうした問題のなげかけを
する事で、新しい挑戦をしてみようとする番組自体の心意気にも
本当に心から敬意を表したいと感じています。

現時点で、マナ自体が「信念を持って心の底からレジーナと友達になりたい」と確信している訳でも
無い所がミソだと思います。
当然、真琴の気持ちも痛いほどわかるし、真琴とのこれまで培ってきた友情を壊したくはない。
だけど、レジーナ自体確かに自己中で、敵トップの娘なのだけど、何か敵と割り切るには
割り切れないものがある。
それほどの悪人とも思えないし、直感で「この娘とは友達になるべき」という感覚が働いている・・・
マナ自体がまだ迷っているというのが、
今後どのような展開になるかを含めて、マナの決断と成長を含めて
色々な観点から期待しながら見ていきたいと思います。

「汝の敵を愛する事が出来るのか・・・」
難しいテーマですよね。
これを扱った前例として「フレッシュプリキュア」のイーストピーチと言うケースがありました。
この時は、
「罪を憎んで人を憎まず」
「悪いのは、イースという個人ではない」
「だけど悪い事をしている友達を悪い事から脱却させるのが自分の使命」という理論づけで
物語を展開していきました。
だけど、今回は
被害者当事者VS加害者の娘というややこしい一筋縄ではいかない構図が見えています。
なおやっかいな事にレジーナ自体、子供っぽいというか、
「自分がやりたい事だけをやりたい」という自己保存の要求が非常に強い子・・・
自分が良ければそれで良いと言い子供のように純粋なジコチュー娘ですので、
必ずしもイースとエレンのような心理的葛藤が出来る大人ではない事が非常にやっかいな所。

どちらにしても物語は、中盤に向けて一気に動き出しました。
1985年というと私的に色々な事があった年なので、今から振り返るとかなり記憶に残る年です。
この年は、もう既に今から28年も前の時代なのですよね・・・
何か感慨深いものがあります。
この年は成人式を迎え、二十歳になったという事で、特段内面の変化とか成長とかは
なかったと思いますが、何となく、
「あと2~3年で、いよいよ社会人になってしまうのか・・・」と
学生と言う社会人になるまでのモラトリアム期間をどうすれば有意義に過ごせるのか、
どうすれば良いのか、何かぐじぐじ悩んでいたようにも思えます。

この年から大学のキャンパスが大宮市から水道橋に変わり、自宅アパートも
大宮から中野に移ったもので、
正直当初は、大宮の「田舎でもないし都会でもない」中間的な雰囲気にすごく自分自身が慣れ親しんだものの
中野に移ってくると、何か「都会的な孤独感」とか「空虚感」をすごく意識するようになり、
中々街自体に馴染めなかったような印象があります。
当時の中野は、現在のような「サブカルチャーの街」という感じは全然なくて、
中野ブロードウェイの「まんだらけ」にしても当時はわずか一店舗だけでしたしね。
当時の中野は、北口の飲み屋街に代表されるように、どちらかというと「オヤジ達の街」という
感じでした。
だから、そんなに「都会の孤独感」とかそういう感じの街ではなかったと思うのですけどね。
上京して二年目だったので、緊張していた心の糸が少しゆるんでいた時期だったのかもしれません。


〇花輪高校

 前年度、交響曲第三番「シンフォニーポエム」というハチャトゥーリアンのマイナーシンフォニーで
 久しぶりの金賞を受賞し、この年もガジベコフの交響曲第二番という
 誰も聴いた事がない曲をひっさげて、プログラム一番で登場しました。
 ガジベコフという作曲家は、正直今でもよくわかりません。というか資料が全然ない・・・
 当然ガジベコフという作曲家の交響曲第二番というレコードをいろいろ探しましたたが、
 全然該当するものもなく、上野の東京文化会館音楽資料室にも該当資料はありませんでした。
 よくこんなマイナーシンフォニーを小林先生は見つけ出したものですよね。
 感心します・・・
 課題曲Aの「ファイブリングス」は出だしの金管の分厚い響きは、大変印象的で、
 朝一番にも関わらず音楽が大変生き生きとして躍動感がありました。
 ティンパニーの終始堂々としたソロもお見事!!
 自由曲のガジベコフも、緊張感と重量感に包まれ、なおかつアレグロのスピード感が大変切れている
 という具合で、全く文句のつけようがない演奏だったと思いますが、
 審査発表の際、銅賞と聞き、耳を疑った記憶があります。
 この演奏は今でもブレーン社のCDで聴くことができますが、今聴いても素晴らしい演奏であり、
 「何でこれが銅賞なの??」という気持ちは今でも全く変わりがありません。
マーラーの交響曲第三番は、自分が知る限りにおいてというか、自分が過去に聴いた曲としては
最も長い交響曲だと思います。
演奏時間は約100分です。
第一楽章だけで、35分程度の演奏時間を要し、フィナーレの第六楽章も30分前後の
演奏時間を必要とします。
モーツアルトやハイドンの交響曲全曲すらも、この第一楽章の時間内に収まってしまうと
思います。
タイトルは「夏の朝の夢」としてありますけど、他にも「夏の詩」とか「夏の夢」とか「牧神」なんて
言われることもありますけど、最終的には楽章のタイトルや全体の標題も全て作曲者自身によって
消去されています。
個人的には第六楽章が大好きなものでして、その印象が「夏の朝の夢」というイメージを感じるので
自分自身は「夏の朝の夢」と呼んでいます。
大友直人指揮の東京交響楽団の定期でも、この表記がなされていました。

だけどこの交響曲、異常に長いのですけど、CDで聴いても生の演奏会で聴いても
「長い」という印象は感じません。むしろ「心地良い」という感じさえします。
一番「巨人」・二番「復活」みたいな人間としての葛藤とか劇的なドラマという要素が少ない代わりに
自然の要素を盛り込んでいる為と思われますが、全体的には穏やかな印象を
自分自身は感じとります。
確かに、第一楽章とか第三楽章は少しとっつきにくい面もあると思います。
曲全体が混乱しているというのか、作曲者の意図が見えないとか色々と苦情がきそうな要素も
秘めているのかもしれません。
だけど、よーく聴いてみると、この二つの楽章は、朝=夜 人間界=自然界 現実=夢
現実=過去の記憶 生=死という相反するテーマを全て一つにまとめ上げたというか、
過去の記憶と現在の印象の全てを巻き込み直進していく巨大な「マーチ」という考え方も
出来るのかもしれません。
事実、この曲を初めて生で聴いたのは1997年の大友直人指揮の東京交響楽楽団でしたけど、
第一楽章の混沌・混乱の中で自分が抱いたイメージと言うのは、
こうした過去と現実の全てを巻き込んだ「行進曲」というものでした。
それにしても、第一楽章の出だしは本当に強烈なインパクトがありますよね。
だって、ホルンが8本でユニゾンを高らかに鳴らしているのですから・・・・

第三楽章は、夢と現実の対比が音楽として生き生きと表現されていると感じます。
この第三楽章も、生きるものと死者、神聖さと世俗さ、夢と現実を対比させつつその全てを
巻き込んだ巨大なマーチとして進軍していきます。
途中で、ポストホルンという限りなくトランペットに似た特殊楽器が舞台袖で夢見るような
ファンタジーを独奏しますが、こうした夢の感覚も長続きせず、夢から覚めて現実に引き戻されるような
感覚で、気象ラッパが突然鳴り響き、ドラ等の打楽器が咆哮する中で、曲が閉じられ
現実に舞い戻ってしまいます。

第四楽章は、アルトのソロが、第五楽章はアルトの独唱と女声コーラスと児童合唱が入りますが、
この二つの楽章はせいぜい12分程度です。
アルトの独唱者は、100分程度の長大な曲でも見せ場は1/10もありません。
大抵の指揮者は、第三楽章が終わる時に、アルトと女声コーラスと児童合唱を入場させますが、
これは第三楽章が終わるころで既に一時間の演奏時間を超えている為、オケのメンバーにしばしの
休憩を与える意味もあると思います。

第六楽章は、終始ゆったりとした音楽が展開されていきます。
この部分は、何か「夏の朝の夢」というか、これから現実としての一日が開始される前の
つかの間の幻影みたいな感覚がなんか自分の中にはあります。
20代後半から30代前半にかけて、出勤する時間は大抵朝7時頃だったのですけど、
毎回朝五時半頃に一回起きてシャワーを浴び、この第六楽章を聴いて、夢から現実に舞い戻るような
感覚で家を出ていた時期もあり、
これが特に夏場なんかは、妙に自分の気持ちとマッチするものがあり、
それが特に第六楽章が好きという背景なのかなーとも思っています。
特に第六楽章の終わり方は、かなりの特徴があって、一言で言うと「終わりそうで中々終わらない」
ラストの二台のティンパニーによる巨神がのっしのっしと行進するような壮大さは
一聴に値します。

だけど、いずれにしてもこの曲はやはりすごいとしかいいようがないと思います。
何か「人類の遺産」という感じさえする交響曲だと思います。

この曲は、演奏時間も長いし、リハーサルは大変そうだし、指揮者の力量がストレートに出てくるし、
アルト・女声合唱・児童合唱は要するしで、費用は相当掛かると思います。
そのせいか、一番や五番と比べると演奏頻度は確実に下がると思われますが、そのせいか
この曲は中々生で聴く機会はありませんでした。
1996年のN響の特別演奏会にて、ズービン=メーター指揮で、この第三番を演奏するとの予告が
結構前からあり、期待を込めてサントリーホールでの前売り券を購入したのですが、
いざ当日行ってみると
「諸般の事情により、演奏曲目を巨人に変更する」との告知がされていて、
ものすごーーーーくガッカリした記憶があります。
払い戻し可とあったので、当然前売り券の代金は全額払い戻しされましたが、
かなりの数の人が払い戻しを受けていましたので、皆気持ちは私と同じだったのではないでしょうか?

結局この一年後にやっと大友直人指揮/東京交響楽団の東京芸術劇場での定期で
初めて聴くことが出来ました。
もっとも、アルトの当初予定されていた伊原直子さんが急病の為、急遽代役が
立てられていましたが・・・・

この曲の生の演奏会で最も強烈な印象を残してくれたのが、
ベルティーニ指揮の東京都交響楽団でした。
この演奏、いつかCD化にならないかと今でも思うほど鬼気迫る演奏でした。

交響曲第三番は、当初第七楽章も予定され、いくらなんでも長すぎるし、印象が散漫になってしまうと
判断されたかどうかは不明ですが、この第七楽章は、次の交響曲第四番「大いなる喜びへの讃歌」の
第四楽章として使用される事になります。
だけどこれは賢明な判断だったと思います。
だって、あの巨神が歩くような壮大な終わり方をした第六楽章の後で、あの「天国」のような響きの
第七楽章が続いてしまうと、
これはすごーく印象が散漫になってしまいますし、結果として「よく分らん交響曲」みたいな
扱いになっていたかもしれません。
マーラーの交響曲第四番第四楽章では、これまでの第一から第三楽章の調性と少し
バランスを崩しているように感じる箇所もあるのは、上記の理由と言うか、
無理やり交響曲第三番第七楽章に予定されたものを第四楽章にひっぱってきたからなのでしょう。
何かこれはこれで面白いものですよね。
先日初めて知ったのですけど、藤田玄播氏って最近お亡くなりになっていたのですね。
知らなかった・・・
氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

藤田氏の代表作と言えば、言うまでもなく「天使ミカエルの嘆き」
これは兼田敏の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」・保科洋の「カタストロフィー」と
同様に1970年代の吹奏楽邦人作品の代表的名作だと思いますし、
永遠に後世に受け継がれていくべき作品だと思います。
確かヤマハ浜松からの委嘱作品であり、全国大会初演が1981年でしたけど、
翌年以降結構各地で演奏されていましたし、何回か色々なチームで全国大会で演奏されていました。

私は、この曲を初めて生で聴いたのは、
1981年の宮城県大会の仙台地区予選で仙台第一高校が演奏したものでした。
仙台第一高校は、その年以前はB部門での東北大会常連チームでしたけど、この年からA部門に
上がっていました。
この年は、演奏も悪くはなかったのですけど、県大会で姿を消しましたが、
翌年に「グランドキャニオン」で、ヴァイオリンソロとピアノの効果的使用を含めて
全国大会に初出場しています。
(現時点では全国はこの年一回限りの出場のようです
この1981年の演奏で何が印象に残っているかと言うと、
チューバの大胆な使用というか、チューバ奏者が部分的に楽器を上下逆さまに持ち
音を天井に向けて出すというのではなくて、
床に向けて出すという事をやっていました。
確かに低音がかなり効果的に鳴っていたのは覚えています。
この演奏がきっかけで「天使ミカエルの嘆き」という曲を知ったのです。

ヴィヴラフォーンの響きで開始され、徐々に気持ちが高潮していき、
演奏開始から2分辺りで一つのクライマックスに到達します。この部分でのシロフォーンの
無茶苦茶な乱打が視覚的にも聴覚的にもかなりの効果を発揮します。
曲は一旦静まり、オーボエの呟くようなソロからトランペットの生き生きとしたソロへと展開し、
一旦静かになり、
メンデルスゾーンの「結婚行進曲」のパロディーみたいなファンファーレが高らかに鳴り響き
曲は静かにうめくように閉じられていきます。
タイトルが暗示する通り、非常に分り易い曲であり、
吹奏楽の色彩的効果が魅力的に発揮されていると思います。

藤田氏の他の曲と言うと、カンツォーネ・バルナバの生涯・切支丹の時代と色々ありますが、
正直ミカエル以外はあまり印象に残っていません。

「天使ミカエルの嘆き」の演奏で一番印象に残っているのは
1984年の東海大学第四高校です。
このチームは1982年にもミカエルを取り上げ、82年は金、84年は銀賞ですが、断然84年の方が
素晴らしい演奏と思います。
何が素晴らしいかと言うと、弱奏部分の説得力、いかにも泣き崩れそうな表情、
PPの部分の間の取り方の巧さがあげられます。
91年にJBS吹奏楽団がこの曲を自由曲として全国に臨んでいますが、この時の指揮者の下地氏は、
現在でも読響など世界各地のオケでタクトを振るっています。

藤田氏は、実は吹奏楽の指揮者としても頑張っていた方で、
90年代には、都留文科大学、三和銀行コンサートバンドでもタクトを振られ、
都大会で何回か聴いた事があります。
自作自演はではなくて、エル・サロン・メヒコとかウェーバーの主題による交響的変容といった
アレンジものを振っていました。
正直、指揮はあまり上手くはなかったですね・・・
コチコチの硬い感じの指揮でした。

「天使ミカエルの嘆き」は、特に中学生・高校生の小編成で演奏して欲しい曲です。
ある程度の人数がいれば、無理なく消化できる内容の曲ですし、
名曲は語り継がれていくべきだと思います。

みなぎる愛


5/19の「ドキドキプリキュア」はホント、マジで面白かったです。
いよいよ物語も中盤に差し掛かり、
レジーナという新しいキャラの登場で俄然物語が面白くなってきました。
元から面白いのですけど、
「どうして敵と友達になってはいけないのか」
「仲間って何?」
「罪を憎んで人を憎まず」
「自己中って本質はどういうもの・・?」
「愛する対象を選別できるのか・・・??」
「親が敵と言うか、悪事を働いていたとしても、悪行とは直接関係のないその娘までも
 最初から問答無用で敵対視するのは適切なのか?
その娘とは本当に友達になれないのか・・・」
などなどというテーマを中盤で提示する事で、更に物語が深くなっていくような気がします。

ホント、これからがますます楽しみになってきました。

振り返ってみると前作「スマイル」の場合、どちらかというと娯楽的要素の方が強く
ハッピーやピースといった可愛い可愛いアホ娘質のおかげて、すっかり一年を通じて
楽しませてもらったという感じがします。
(私は、スマイルはプリキュア5に次いで好きな作品です)
「ドキドキ」の場合、楽しさの要素の他に何か考えさせられるテーマも提示しているので、
今後のレジーナの展開、マナの更なる成長、六花さんの正妻度合いなどを含めて
今後が本当に楽しみです。



「みなぎる愛」はハートの決め台詞なのですけど、
これが敵にもどのようにハートを射止めていくのやら・・・
そして本当にレジーナはキュアエースになってしまうのか・・・・???

プリキュアショーの際もキュアハートは、「みなぎる愛」と叫んでいました。

だけどもこの時は、敵のジコチュー怪物が「ジャンケン」であり、その決め技も
「後出しじゃんけん」という少々せこいものだったのは、
ご愛嬌と言う感じですよね。
吹奏楽コンクールって、県レベルで微妙に規定とか運営が異なっている場合もあります。
例えば、自分は1990年~95年まで転勤で山梨県に在住していましたが、
山梨県の規定では、中学の部に限り「C部門」を設け、ここの部では人数制約一切なしで
県大会で終了するものでした。
だから場合によっては、ある学校は45名でコンクールに臨んだかと思えば
わずか7名で臨んだチームもありました。
この7名の演奏は、正直アンサンブルコンテストと対して変わりがないような気がしますが、
確か記憶では、小太鼓 クラリネット・フルート・サックス・トランペット・ホルン チューバの
特殊編成で、シューベルトの「軍隊行進曲」を演奏してと思います。
現在も山梨には、こうした人数制約なしのC部門ってまだあるのかな・・・

千葉県にも面白い規定がありました。
記憶で申し訳ないのですが、1987年の千葉県大会では、確か小編成において、
当時は課題曲はA~Eまでの5曲しかなかったのに、課題曲F「なのはなマーチ」という独自の
課題曲を設けていたような気がします。
「なのはな」というのは千葉県の県花なのですけど、なんか可愛らしい小品でしたよね。
何団体のこの課題曲Fを演奏していましたけど、現在残されている録音や記録がないため、
自分の記憶しか媒体がないのは何か少し残念な感じがします。
なのはなマーチ、結構愛らしくて楽しい曲でしたけどね。

千葉県大会というのは、1987年以外一度も聴いた事が無いもので、その後も千葉県吹連が
独自に課題曲の番外編というシステムを設けているか分りません。
だけど、こうした県独自のシステムやアイディアは素晴らしいと思います。
本日は日曜日ながら、いつものように仕事です。
2001年以降、平日休み・土日出勤の会社に在籍しているため、最近は日曜イコール休みという感覚は
皆無です。
だから、「プリキュア」もリアルタイムで見る事はほとんどなく、
大抵録画したものを帰宅後見るというパターンです。

さて、本日は朝から埼玉県内を飛び越し、板橋区内のお客様宅に行く事になってしまいました。
さいたま市から板橋区常盤方面と言うと、国道17号をひたすら真っ直ぐ直進し、環八を右に曲がると到着
という感じです。
平日は、国道17号とか環八は都内でも激混み道路なのですけど、日曜の午前中の時間帯何て
道路はガラガラでした。平日なら70分程度はかかる所、今回は40分程度で到着してしまいました。

川口市を通り越して戸田橋を渡ると、そこは東京都なのですけど、
考えてみると、今年初めて東京都内に入ったという事に気が付きました。
昔は、出かけるなら都内、遊びに行くなら都内、買い物するのも都内という
いかにも地方出身の田舎者らしい発想なのでしたけど、最近は休みの日は出かけるのも面倒・・・
どうしても出かけるなら埼玉県内、出来れば近場の川口市とさいたま市内という
グータラになってしまいました・・・

だけど、埼玉県民ならば分ると思うのですけど、
別に都内に行かなくても、川口駅周辺とか浦和・大宮で大抵用が足りてしまうから
別に都内に足を延ばす必要はないのですよね。
独身の頃は、クラシックの生の演奏会を聴きにいく事が大好きだったので、
赤坂・池袋・錦糸町・幡ヶ谷・王子・渋谷・上野・御茶ノ水などよく行ったものでしたが、
最近はホント、我ながら出不精になってしまいました。
これも年を取った証拠なのかもしれませんよね。

それに都内に入るだけで少し感慨深いのも、いかにも埼玉県民らしい発想ですよね・・・
我ながら昔とは異なる心境の変化に少し驚いたりもします。
あと10日後に健康診断が控えています。

30代とか40台前半の際は、健康診断なんて言っても全然気にならないというのか
毎回「異常なし」のオールAという感じだったのですけど、
ここ数年は正直結果を聞くのが恐ろしい・・・という感じになってしまいました。

自分自身、身長167cm 体重53キロと比較的小柄な方で、決してブーちゃんではないと
思っていたのでけど、
まさか高脂血症体質・高コレステロール体質とは思いもしませんでした・・・
おまけに高血圧予備軍なんて嬉しくない呼び方まで昨年は貰ってしまいましたし・・・

うーーーん、正直結果を聞くのが怖いなーという感じです。

前回は「観察経過」という所に踏みとどまりましたが、
今回はいよいよ「要精密検査」とか「再検査」という所まで行ってしまうのかな・・・

タバコは吸わないし酒はほとんど飲まない、
だけど結婚後はうちの奥様の影響など甘党になってしまったというのが
元々の原因なのでしょうね。
体は日々動かしているつもりなので、やはり食生活の改善、なかんずく
減塩・バター類の抑制・甘い物の抑制が求められるのは自分でもわかっています・・
だけどついつい食べてしまうのですよね。

最近は、テレビやラジオのコマーシャルに感化され、日本サプリメントの「ペプチドエース」を
毎日飲んでいます。
まずは本当に高血圧に効果があるのか、二週間のお試しの最中です。

ホント、魚と野菜・豆類・食物繊維はもっとしかりと摂取しないといけないですよね。
やはり「和食」はその点よく考えられたメニューですし、
伝統と言うか先祖代々受け継がれた知恵ですよね。
最近の吹奏楽コンクールは、難易度の高いアレンジもの・邦人作品が目立ち、
オリジナル曲を自由曲に選ぶ事は少なくなってきたと思いますが、
これはここ数年というか、1980年代中盤以降はそうした現象はずっと続いていると思います。
勿論、それが決して悪い事とは思っていませんし、
時代の流れと言うか流行もあると思います。
最終的にもう一度原点である「吹奏楽オリジナル作品」にも光が当てられる時代が
来て欲しいなーと感じています。

そんな中、振り返ってみると1984年の全国大会・一般の部は、かなり特異的というか、
この年は吹奏楽オリジナル曲、その中でも古典的な名作品が色々と自由曲として実際に
演奏されていた事は、何か今にして思うととても嬉しい感じがします。

例をあげると・・・

〇札幌市民/朝鮮民謡の主題による変奏曲

〇大曲/管楽器と打楽器のための交響曲第二番

〇米沢/古いアメリカ舞曲による組曲

〇からす川/呪文と踊り

〇蒲郡/交響的断章

〇福井/吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」

〇尼崎/大阪俗謡による幻想曲

〇出雲/シンフォニックバンドのための序曲

〇高松/天使ミカエルの嘆き

アレンジものは、葛飾のローマの祭り 長岡のカルミナ=プラーナ 佐賀の絵のような風景の
3団体だけで、吹奏楽オリジナル曲を選んだチームは、出場12チーム中9チームと言う
高い比率を占めています。

また、偶然かもしれませんがチャンスの曲が3つも出ているのは、何かとても嬉しい感じがします。

現在の視点からプログラムを見てみても、吹奏楽の王道を行く選曲ばかりで
まさに正攻法の選曲と言えると思います。

現在はどうしても選曲が難曲系 知る人ぞ知るマニア系 演奏効果ばかりを狙った邦人もの
ばかりが選ばれてしまいがちですが、
たまにはこうした王道を行く選曲もありなのでは?と思ってしまいます。
イッポリトフ-イヴァーノフの組曲「コーカサスの風景」は、第四曲「酋長の行列」が
結構有名なような気もしますが、それ以外の三つの楽章はあまり知られていないと思います。
又、作曲者のこれ以外の曲というのも正直聞いた事もありません。
典型的な「一発屋作曲家」なのかもしれません・・・
だけど、こうして後世に受け継がれていく曲を何か一つだけでも残せることは
本当にハッピーな事だと思います。

この曲というか、「酋長の行列」は、昔子供の頃に実家のレコードボックスの中に
「オーマンディ指揮/フィラデルフィア管弦楽団 世界名曲ライブラリー」みたいなタイトルで
ハンガリー舞曲とか、アルルの女とかフィンランディアとかスケターズワルツとか
ペルシャの市場にて等々の世界各国の小品名曲が収録されているレコードがあり、
「酋長の行列」は、このレコードの中に収録され、
何か子供の頃から、この曲は耳に慣れ親しんでいたような気もします。

「酋長」というと、何となくアメリカのインディアンの部族長とか、頭の飾りがすごい部族長みたいな
イメージがあるのですが、このイヴァーノフの曲のおかげて、
何か個人的には「酋長」というと、アメリカ西部劇のインディアンの親方というよりも
中央アジアの騎馬民族の親方みたいなイメージが
今でもあります・・・
子供の頃の印象って、結構後々まで引き継がれるものです・・・

組曲「コーカサスの風景」は残念ながら生で聴いた事は一度もありません。
強いて言うと、全日本吹奏楽コンクールの確か1997年頃の中学の部で、ある九州代表のチームが
この曲を演奏したのを聴いた事があるぐらいです。
この組曲は意外と長いです。全体で25分程度の曲なのですが、
第一曲「峡谷にて」だけで10分以上かかります。この第一曲はホルンののびのびとしたソロで
開始されるのですが、何か雄大な自然を感じさせます。
第二曲「村々にて」 第三曲「たそがれ」は比較的静かな楽章で、第二曲のコールアングレのソロは
結構ジーンとくるものはありますし、郷愁を感じさせます。
そして第四曲が「酋長の行列」なのですが、この楽章だけは俄然盛り上がります。
メロディーラインが恐ろしいほどに単調で、何のひねりも変化もなく「素朴」そのまんまな曲なのですけど、
それがまた「シンプルイズベスト」を立証している感じもします。
全体的にピッコロの中央アジア的な響きが極めて印象的です。

この曲が作曲されたのは1890年代中盤ですが、ドビュッシーみたいな印象派がいたり、
マーラーが交響曲第三番「夏の朝の夢」で100分を超える曲が作られていたり、
R・シュトラウスのような構築美のような音楽が世界各地で作られている中で、こうした素朴な曲が
ひっそりと作られていた事も何か興味深いものもあります。

イヴァーノフ自身は、1935年まで存命でしたので、ロシア革命・スターリンの独裁など色々大変な
時代を生きていたと思いますが、
この曲の後は、どういう人生を過ごしていたのかはよく分りませんが、
何か興味があるところです。

組曲「コーカサスの風景」は、昔ならばフェドセーエフ指揮/モスクワ放送響
現在ならば、グルシェンコ指揮/BBCフィルの素晴らしい演奏が
出ています。
「酋長の行列」だけなら6分程度ですので、これだけでもお勧めです。
我ながらまたまたワンパターンかと思ってしまいますが、
GW中の住宅展示場のイベントの「キュアハッピー」です。
やはり可愛いものは可愛い!!!



司会者と一緒にいるイベント時間はせいぜい20分くらいだったかな・・・
だって「ドキドキプリキュア」のショーの場合は、4人全員揃って、敵幹部に化物まで全ていて
役者が揃っていた上に、東映が事前に用意していた台本をアニメの声優さんが前もってアフレコしていたものを
使用していましたから、時間はいくらでも持たせられたと思います。
一方、ハッピーの場合、単体での出演でしたし、
被り物に喋らせる訳にもいかないので、
「じゃんけん大会」で時間を繋ぎ、残りは握手会&撮影会という感じでした。

でも、じゃんけん大会をやるのならば、
せめてサプライズゲストとして、「びかびかぴかりんじゃんけんぽん」のフレーズの
キュアピースを呼ばないといけませんよね・・・(笑)
最近、吹奏楽コンクールとか演奏会では、ジェイガーの曲を聴くことはむしろ珍しい部類に
入ってきたような気がします。
自分が中学から高校時代の1970年代から80年代前半は、
ジェイガーは、リードと並んで吹奏楽界の二大巨匠という感じもしたのですが、
最近の人気薄は少々気の毒な感じもします。


ジェイガーの曲の中で好きなものをあげろと言われると、

〇吹奏楽のための交響曲

〇第二組曲

〇第三組曲

〇ダイヤモンドヴァリエーション

をあげたいのですが、やはりジェイガーの代表作は「シンフォニア・ノビリッシマ」なのでしょう。

この曲は、ジェイガー夫妻の結婚を祝した曲で、いわば婚約時代から新婚にかけての
初々しいイメージを表現したものなのですが、
曲を聴くとすぐ分る通り、「まさにその通り!!」という非常に初々しくハッピーで気品のある曲だと
思います。
昔、富山商業がこの曲を全国で演奏した時、タイトルはなぜか
「吹奏楽のための高貴なる楽章」というものでしたが、翌年以降は、「シンフォニア・ノビリッシマ」と
表記されるようになります。
ちなみに、ジェイガーの名前も、1970年代初め頃までは
「ジャガー」と表記されていたこともあります。

吹奏楽コンクールにおける「シンフォニア・ノビリッシマ」の名演というと、正直思いつきません。
嘉穂高校・阪急・三木中・天理中など確かに色々なチームが取り上げ、
最近も2011年に高知大学が取り上げているものの
意外と納得できる演奏にお目にかかれていません。
強いて言うと、1974年の瑞穂青少年くらいかな・・・
でもこの演奏、荒っぽいの限度を通り越して「粗雑」と言えるのかもしれません・・・
だけど、不思議と気持ちは伝わってくる演奏です。
この年の課題曲B「高度な技術への指標」が抜群に良かっただけに、自由曲のこちらは
少しというか相当不満が残ります・・・
オーボエのソロの部分をトランペットが代役し、しかも突然オクターブを下げている箇所が出てきて
相当違和感は感じます。

実は、瑞穂青少年は、この2年前の都大会でもこの「シンフォニア・ノビリッシマ」を演奏しています。
そしてこの時は、74年と全く異なり、かなり洗練された演奏を展開し、
少なくとも74年のような荒っぽさはそれ程感じません。
一体この落差は何なのでしょうか・・・

やはりこの曲は、中間部のロマンチックな気持ちの高まりと清らかさが魅力ですよね。

出来れば、どこかうまいチームが「ダイヤモンドヴァリエーション」を演奏してくらないものかな・・・
この渋い曲を大人の魅力で音楽的に聴いてみたい気もします。
いやー、何か今でもGW最後の日のある住宅展示場で開催された
「ドキドキプリキュアショー」が何か印象に残っています。
前回5/12はまこぴー回でしたけど、この被り物ヒロイン達もこの日は、
キュアソードがメインという感じもしましたけどね・・・



この日、ふと感じた事なのですけど、
相田マナは変身前の髪はピンク色なのに、変身後はいつの間にやら金髪になっているのですよね。
歴代プリキュアってほとんど変身前と変身後の髪型は激変するのに、色はほぼ同じだったけど
髪の色が変わるというのも珍しいのかな・・・??

改めてこの日のプリキュアショーの写真を眺めてみると、
ここは埼玉県の川口市から旧鳩ヶ谷市の国道122号沿線で、
プリキュアショーの目の前に何かガソリンスタンドがあったり、Tカードののぼりが立っているのも
何か現実とファンタジーが交錯しているみたいで
何か面白いです。

埼玉県には、「むさしの村」という体験型施設があるのですが、
ここではずっと以前から夏休みの間は、プリキュアショーが開催されています。
自分が知る限りでは「プリキュア5」の頃から開催されているようです。
初代とSSの頃はあったのかな・・・??

こうしたプリキュアショーというのは、傾向として親子連れを主なターゲットにした集客効果を
期待していると思われますが、そのせいかイオン系のショッピングモールとか
総合住宅展示場というイベントに駆り出される傾向にありますね。
パターンとして、現役プリキュアが来るという事よりも
先代プリキュアが来ることの方が多いので、昨年の今頃は、
スマイルの先代のスイート、特にキュアメロディ単独来場という事が多かったような気がします。

今年に入って知る限りでも現役のドキドキの出場回数が多いのは、もしかして
被り物の個数が増えたのかな・・・??
GW中に部屋の片づけをしていたら、自分の中学から大学時代の吹奏楽部所属時の楽譜が
色々保管されているのを発見しました。
1983年は、自分が高校三年生の時で、最後の定期演奏会に臨んだ時代のものですが、
基本的に自分達の高校の定期演奏会は、ファーストステージは吹奏楽オリジナル サードステージは
クラシックアレンジもの そしてセカンドステージにポップスを演奏するのですが、
その時のポップスステージの楽譜が丸々出てきました。

見てみると、すごーく懐かしかったです。

だって、その曲目が

〇ハッスル

〇君の瞳に恋している

〇う・ふ・ふ

〇ミンキーモモのテーマ

〇映画音楽「E・T」

〇サタデーナイトフィーバーメドレー

〇宇宙のファンタジー

〇うる星やつら~ラムのラブソング


という感じでしたから・・・

なーんか、ホント時代を感じてしまう選曲ですよね。
E・T何かは確かこの演奏会直前に封切られたもので、当時としては最新という感じでしたし、
エポの「う・ふ・ふ」はリアルタイムのヒットソングという印象があります。

何か楽譜からも「時代」を感じてしまいますね・・・・

ファミチキ

せこい話ですが、お昼ご飯は極力ケチっています。
大抵コンビニでペットボトルお茶1本・おにぎりとパンを一個ずつというパターンが多いです。
(貧乏だから仕方が無い・・・)
でも、それでも色々趣向を変えて、
今日はセブンイレブンのから揚げ棒を買ってみるとか
パンではなくて肉まんにするとか、
ローソンのからあげくんをたまに買ってみるとか、
日常にささいな変化を付けてみるのも何だか楽しいものです。
だから、たまにセブンイレブンやサンクスでのおにぎり全品100円セールと言うのは、
普段食べられない具材を食する事が出来、なかなか楽しいものです。

でもそんな中、ファミリーマートの「ファミチキ」は何か別格のような
感じもします。




最近では、コンビニにこうしたからあげとかフライドチキンを置くのも全然珍しい事ではなく
むしろ当たり前の光景になっていますが、
10年ほど前までは、おでん・肉まん以外のジャンクフードをレジ前に置いているのは
ファミリーマートくらいだったような気がします。
ファミマはずっと以前から「フライドチキン」には力を入れていたような感じもしますけど、
自分なんかも仕事の帰り道に結構ファミマのチキン系は色々買い食いしていたような
気もします。
でも思うのですけど、ファミマのフライドチキンは昔も今もかなりレベルは高いと思います。
スパイスの配分とか香辛料の使い方なんて、コンビニの領域を超越していると思えますし、
正直「ケンタッキーフライドチキン」と大して変わりがないような気もします。
ケンタッキーは専門店だし、価格もそれなりに高いのだけど、ファミマとそれほど相違点が
ないように思えるのも何か不思議な話です。

最近、ファミマでは「プレミアムチキン」なんてのも販売しますけど、こちらも美味しいですよね。
ファミチキとの相違点として、元々の素材の違いと香りがあるのかなーとも
思います。

何か庶民の味方という感じですよね。
現在、サーティワンでは、「アイスクリームドリンクキャンペーン」を展開していて、
期間中にアイスクリームドリンクを購入すると、もれなく
スヌーピーボールペン6色の中から、好きな色のボールペンが一本付いてくる
キャンペーンを行っています。




私は、正直アイスとかこうした甘い飲み物はあまり好きではないのですけど、
うちの奥様がスヌーピーグッズを集めていて、前回のキャンペーン同様、今回もスヌーピーの
ボールペンを欲しがっていたので、
サーティワンのアイスクリームドリンクを購入してみました。
滅多にこうしたものは買わないのですけどね・・・

 
感想は一言で言うと「高い!!」
だって、一番安いもので430円でモノによっては600円近いものもありましたから・・・
自分が購入したものは「ポッピングソーダ」と言うもので、
ブルーソーダに何か寒天らしきものが入り、サーティワンのアイスが乗っかるという感じ
でしたが、
正直ソーダは甘いし、何か自動販売機で普通に売られているメロンソーダと対して変わりがないという
印象でした。
だけど、良かった点は、サーティワンの種々多様なアイスから自由に好きなアイスをチョイスできるのは
いいなーと思いました。
自分は、定番ともいえるマスクメロンを選択しましたけど、久しぶりに食べると
これがまたホント、美味しく感じました。

何か、飲み物の方にもう一工夫欲しいなーとも思いました。

以前食べた「フローズンフロートマンゴー」は、同様にスヌーピーボールペンキャンペーン商品の
一つでしたが、こちらはマンゴーと氷の感触が中々楽しく、味わい深く良かったと思えるだけに
炭酸形はやはりもうひと手間あっても良いのでは?とも思えました。

ただ、スヌーピーのボールペンは可愛かったです。

これがプリキュア系なら尚良いと思うのは私一人だけでしょうか・・・・??
前にも書きましたが、この時代は携帯電話メールが無い時代で、
女の子への連絡なんて、自宅の固定電話にするしかありませんでした。
その子が一人暮らしならば全然問題ないのですけど、親と同居していると
少しやっかいでした・・・
「もしも母親とか親父が出てきたら何て言おう・・」
「妹がいるっていったよな・・声の見分け付くかな・・」など
電話する以前にあれこれ考えてしまって、何かドキドキしたものです。

こうした何かまだしも「恥じらい」があった時代から現在を眺めてみると、
何か用があったり、アプローチする場合は、メールすればいい事を考えると
何か手軽になったというか、味気なくなったものだと思う事もあります。

自分が高校から大学時代にかけては、「めぞん一刻」という漫画が人気を誇っていましたが、
あのある意味純愛漫画には当然携帯とかメールなんてツールは出てきません。
出てこないアナログな時代だったからこそ、ああしたアナログな純愛も存在していたのかも
しれませんよね。
めぞん一刻は、結構前でしたが、伊東美咲が音無響子さん役で出ていましたが、
結構役に合っていたと思います。
少なくとも映画版の石原真理子よりは全然いいと思います。

1989年~90年頃にスピリッツで連載されていた山本直樹の「あさってDANCE」は結構大好きな漫画
でしたが、その中で携帯電話らしきものを使用するシーンがあります。
だけど、あれは携帯と言うよりは、回線が付いていない固定電話という感じで、
肩掛け電話とか当時呼ばれていたモノだと思いますが、
こうした漫画を今見てみると、やはりそれなりに時代を感じてしまいますね。

〇富山商業

 このチームは1983年の「海」以来金賞からは遠ざかっていました。
 84年の「ハーリ=ヤーノシュ」なんて「何であれが銀賞なの?」と思うハイレベルな演奏ですし、
 88年のロメジュリも相当劇的で高水準な演奏です。
 この年は、ショスタコの「祝典序曲」なんて、70年代の中学の部を連想させるような選曲ですが、
 かえって「名門校が原点に立ち戻る」という感じの演奏で、
 大変素晴らしかったと思います。
 クラリネットのパッセージは大変だと思いますが、吹いていて楽しい曲ですし
 分り易い曲ですので、
 単純な曲を大人の技術でゆとりを持って吹きこなすという感じの演奏だったと思います。
 ある意味、王道の演奏です。
 しかし、この年を最後に指揮者の先生は勇退され、しばらくの間富山商業は全国の舞台から
 姿を消すことになります。

〇中村学園

 黄金時代の時の指揮者から交替があり、指揮者が変わって初めての全国となりますが、
 「分り易い音楽づくり」という路線は引き継がれていたと思います。
 だけど技術と言うか詰めが甘いというか、サウンドが濁り気味というか、
 86年の「バリの喜び」みたいな名演時のサウンドは影を潜め
 何か普通の指揮者と普通の高校生による「普通の演奏」みたいな感じになってしまい、
 少しガッカリした印象があります。

〇兵庫高校

 明石南で「ダッタン人の踊り」の名演を残した松井先生が兵庫に移り、初めての全国出場を
 果たした演奏です。
 「ディオニソスの祭り」は、正直インパクトに欠ける演奏・・・
 後年の兵庫のアクの強さは、まだこの時は姿を見せず、
 オーソドックスな演奏を展開しています。
プリキュア5GoGo第六話「ドーナッツ国王現る」の回を見ていたら、
この回で、りんちゃんというか、キュアルージュの「ファイヤーストライク」が登場していたのですね。
第二話で早くものぞみの「シューティングスター」が登場していましたので、
こまち→うらら→かれんさんの順番で、新しい必殺技のお披露目が行われていましたので、
りんちゃんが一番最後という事になります。



だけど、改めて見てみるとルージュの「ファイヤーストライク」は格好いいですよね。
やはり「炎」を扱うプリキュアは、スマイルのサニーもそうなのですけど
非常に見栄えはいいと思います。
りんちゃんもあかねも基本的には情熱系の人だから、やはりこの二人には「炎」が似合うのかな・・?
それに二人に共通するのは、ボケの多いプリキュアの中で、
りんちゃん・あかねの強烈なツッコミ役はかなり貴重な存在・・・
二人に迫る突っ込み役と言うと、
他には、せいぜいベリー・ミューズ・マーチ、現役ではダイヤモンドくらいしか
いませんからね・・・

ルージュのファイヤーストライクなのですけど、
スマイルのマーチも同系列のサッカー系の技を使用しますが、
二人の違いは、マーチは怒りが頂点に達すると、
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる・・・」の言葉通り、複数のシュートをほぼ同時に
怒りに任せて放つのに対して
ルージュの場合「一撃」というか、
一つの技に全ての気持ちをぶつけているという感じがします。
ルージュとマーチを比べると、何となくルージュの方が賢くて冷静な気持ちも有しているというような
感じもします。

ルージュについて、5GoGoとか、映画とか、オールスターになると
ほとんどドリームと二人での連携攻撃が目につくようになります。
そのきっかけとなつたのが、「りんちゃんと豆の木」の回あたりかな・・
あの回で、現役の「ドキドキ」の六花さんのマナに対する正妻宣言のように
「いつだってどこでだって、ドリームをフォローするよ」とのセリフが登場します。
まるで、前半の「のぞみの面倒何て金輪際見ない」の言葉とはうらはらに・・・

「ドキドキ」は、5/12の回で4人全員での弓矢を放つ必殺技が披露されましたけど
(4人揃ってのウィンクシーンはやはり可愛い・・出来れば次回からは、個別のウィンクも
 披露して欲しいものです・・・)
アクアさんやビューティさんのように、元々は知的な青系の必殺技だったと思います。
やはり弓矢というと、何か知的とか和の雰囲気というものを感じさせるから、青系には
うってつけなのかもしれません。
本来、本日はお休みなのですけど休日出勤でした・・
結果的に5/7の連休明けから休みが無い状態なので、体は結構疲れています・・・

家を出る時、うちの奥様から
「すき家のやきそばセット買ってきて」と頼まれましたので、
焼きそば牛丼の何かセットかなーと思って店に入ったところ、該当するセットはなく
仕方が無いので、焼きそば牛丼を買ってきたら、
「ちがーーう!!」と怒られてしまいました・・・

正解は、「子供用すきすき焼きそばセット」というのみたいで、
焼きそば・ひじきの炒り煮・ジュース・おもちゃというセットみたいです。

どうでもいいのですけど、何ですき家のくせに、子供用とはいえ、焼きそばが置いてあるのでしょうかね?
やはり、焼きそば牛丼のせいんのかな・・??
しかも、なぜ子供セットなのに「ひじきの炒り煮」が入っているのだ・・・??

うーーん、今一つ正体不明・・・

ちなみに自分用の通常の「すき家の牛丼弁当」は、吉野家に比べるとかなり濃い味付けでしたが、
たまに食べると何か妙に懐かしい味がするのも
何か不思議です。
1989年は平成元年、
年が明けて間もない頃に昭和天皇が逝去されて、時代は平成へと入ります。
結果論になるのですけど、平成は、全体的に景気が良かったのは、平成元年と二年くらいで、
あとは今日に至るまでずーーっと不景気みたいなものですよね・・

昭和天皇が逝去されるという事は、銀行内の上層部ではとっくの昔に想定内だったようで、
支店長の机の中には
「昭和天皇逝去後の支店内外対応マニュアル」なんてものが準備されていて、
例えば、逝去発表の日は、全行員は五時に退行(当時はPM22:00以降の退行が平均的だったかな・・)
一週間は顧客宅訪問といった営業活動は全面自粛
(だけど、電話営業を活用し、ノルマは達成しろ・・・)
半旗の掲揚とか全行員黒ネクタイ着用とか
色々細かい指示は出ていました。

逝去後3日前後は、どのテレビをつけても昭和天皇の事ばかり取り上げていましたので
聴いた話では、レンタルビデオ店のレンタル数は、この時は異常な増大になったみたいです。

〇高岡商業

 1983年の圧倒的歴史的名演の「ローマの祭り」の再演でした。
 印象としては、83年もすごいけど、この年もすごい。
 「良く鳴っている」・「豪快」という印象は変わりがありません。
 83年はトランペットに惜しいミスがあったけど、この年は聴いた限りでは目立つミスもなく
 よくまとめられていました。
 「気持ち良いほど鳴り響く」の典型的な演奏でした。
 強いて言うと、83年の演奏のコピーではなくて、
 それを超えるような何か相違点と言うか、変化も欲しかったような気もしますけど、
 これは贅沢な望みかな・・・?

〇東海大学第四高校

 全部門を通じて最高の課題曲D「すてきな日々」でした。
 文字通り、演奏が「スィング」している感じで、特にトロンボーンの洒落っ気たっぷりの
 グリッサンド気味の演奏は素晴らしいとしか言いようがありません。
 サウンドが美しい上に、音楽が常に前進しているので、まさに怖いものなしと言う印象です。
 自由曲の「神話」も文句のつけようがない演奏です。
 踊りの部分の変拍子も、「変拍子を全く変拍子と感じさせない」楽に聴かせる演奏で、
 非常に安定感がありました。
 課題曲と異なり、幾分音色がねっとりしていたようにも感じられましたが、逆にそれは
 神話の世界にマッチしていたと思います。
 踊りの部分の後の静粛な部分以降、フルートとクラリネットのソロは大変美しく緊張感を
 持続しての演奏でしたが、
 残念だったのは、その後のクラリネットの二重奏の部分があっさりカットされていた事・・・
 あの部分は、曲の中でもかなり重要な部分なので、
 出来れば演奏して欲しかったなーと思います。実に惜しい・・・
改めて第15回の「ドキドキ」を見てみると
ありすの大人っぽさが際立っています。
通常のパターンですと、ダビィのように「真琴に辛く当たる大人のベテラン女優が憎たらしい」
みたいな展開⇒そのままジコチューへと変容という事になってしまうものですが、
やはりこの若さで企業の役員会にてテキパキと指示を出すありすは違います。
大人の視線から、真琴の問題点やどうするべきなのかを提示しているのは
さすがとしかいいようがありません。
一体何なのだ・・
この優秀な黄色プリキュアは・・・
昨年までのじゃんけんをする泣き虫黄色プリキュアとはエラい違いだ・・・

プリキュア6の場合、個人的見解ですが、
メンバーの中で最も大きな成長を果たしたのは、実はのぞみではなくてかれんさんだと思っています。
同様に、今回のドキドキの場合、
主人公は言うまでもなくマナなのですけど、
物語の中で、最も大きな成長と大きな果実を示してくれそうなのは、真琴のような気がします。

まこぴーの場合、異次元出身という事で、確かに色々と学ぶ事は多いのでしょうけど、
それ以上に、
仲間との信頼関係・今回の女優さんからの「厳しい中にも愛が満ち溢れている」アドバイスと交流
など多くの経験と出会いが、更にまこぴー自身の成長が期待できるような気がします。
真琴の視線から物語を見てみると、確かに「成長」というキーワードが見出せそうな気が
します。





さてさて問題はレジーナです。
恐らくは「5人目のプリキュア」になるのかもしれませんけど、
問題はその動機です。
満と薫、イースの場合
「友達と偽ってプリキュアに接近したら、本当に友達になってしまい
 今更プリキュアと戦うことが出来ないし、自分自身の本当の気持ちをこれ以上偽る事が
 出来ない」というのが動機でしたし、
エレンの場合は、元々の位置づけが妖精系でしたので、変遷の末、元の鞘に収まったというのが
動機なのでしょう。
そうなると、レジーナがプリキュアになる動機と必然性はどこにあるのか・・・??
現時点ではまだ材料に乏しいし、不明な点が多いので
まずはじっくりとみていくしかないと思います。
そうなると、親父との関係とか葛藤とかそうした問題は出てくるのかな・・・?

まずはレジーナは次回はマナに接近するみたいですが、
そうなると六花さんの立場はどうなるのかな・・???
真琴の時のように、またまた「焼きもち妬き六花さん」の登場・・??
それとも正妻の座争いの激化・・??
最終的には、マナハーレム状態の出現??

真琴の成長性と合わせて、こちらもしばらくは目が離せそうもありません。
「シンフォニエッタ」とは、通常は「小交響曲」とか「ミニシンフォニー」という意味が
あるとの事です。
ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は、視覚的にも聴く限りでも、正直小交響曲という感じは
しません。
どちらかというと、交響曲というジャンルよりは管弦楽曲に近いような気もします。

この曲の最大の特徴は、トランペット11本・ユーフォニウム2本の計13本のバンダ(別働隊)が
管弦楽団とは別に配置されているという事だと思います。
第一楽章は、このパンダとティンパニーだけによる「ファンファーレ」として高らかに
演奏されます。
そして、第五楽章の後半で、再度このバンダが演奏に加わり、第一楽章のファンファーレが
管弦楽団と共に再現されていき「華麗なる音の絵巻」を展開していきます。
第一と第五楽章を挟む第二~第四楽章もかなり面白く、
第二楽章は、民族舞曲的な要素も感じられ、
第三楽章は、自由な発想で音楽が展開されていきます。第三楽章の出だしはゆったりと始まるのですが、
途中でトロンボーンの相当難易度の高いソロが展開され、ここの部分は非常に聴き応えがあります。
又第三楽章ではチャイムも使用され、演奏効果を上げています。
第四楽章は、何か懐かしい響きが感じ取れます。
第五楽章は、前半は何かモヤモヤとしているのですが、後半から第一楽章のファンファーレが
再現され、バンダと管弦楽団とティンパニーが本当に「華麗なる音の絵巻」みたいな風景画のような
音作りを展開していきます。
第五楽章のティンパニー奏者は、見ていて本当に格好いいです。打点をピシっと決めて、要所要所の
リズムを決め打ちする様子はホレボレするものがあります。

第一楽章と第五楽章のバンダは、立ち上がっての「スタンドプレイ」をします。
さすがに金管楽器13本の響きは華麗であり、迫力満点です。
だけど第五楽章の華麗さは、第二~第四楽章があるから、余計に引き立っているような
感じもします。

全体的に、テーマの提示⇒生成⇒分裂⇒展開⇒テーマの再現を「交響曲」という形式で
表現したようにも思えますが、
個人的には20世紀の傑作交響曲の一つと思っています。

バンダ使用という制約があるせいか、この曲の生演奏は中々お目にかかる事がありませんでしたが、
1999年の都響の定期演奏会でやっと聴くことが出来ました。
生で聴くと、テーマの提示⇒再現の過程がよーく分ります。
第五楽章のバンダは、相当高音域ですので、全員苦しそうでしたが、
その華麗な響きはよく伝わってきました。
この日の演奏会は、シンフォニエッタの印象が強すぎて、他の曲とか指揮者とか全然
記憶にありません・・・
他にどんな曲を演奏していたのかな・・・??
当たり前の話ですが、この時代はパソコン・スマートフォンは勿論の事、
携帯電話すら世に出ていない時代でした。
自分の印象としては、携帯が普及し始めたのは1995年頃だったような気がします。
大体1994年頃までは、会社への定時連絡は、公衆電話を利用してという感じでしたし、
場合によってはポケベルを持たされる程度でした。
今にして思うとこの時代は良かったですよね。
だって、一旦朝会社を出てしまうと、顧客とかクレーマーとかうるさい上司からは
とりあえず夕方までは解放されますから・・・
現在何て、何かあるとすぐ携帯が鳴ったり、メールが入りますからね・・
ホント、おちおち息抜きもできない何か「せわしい時代」という感じです。
その点、この当時はバブルの絶頂期という事で、確かに死ぬほど働かされましたけど、
どこかのんびりしていたのは、携帯やメールがないからなのかもしれませんよね。

だけど、当時女の子に連絡する場合、どうしていたのかな・・・
高校時代もそうでしたけど、相手の女の子の実家の固定電話に電話するのは
結構「ドキドキ」でしたよね・・・
それがまた古典的で良いのかもしれませんけどね・・・


〇習志野高校

 前にも書いた事がありますが、個人的には課題曲A「風と炎の踊り」は好きな曲では
 ありません。むしろ嫌いな曲です。
 だけど、この習志野高校の課題曲Aを聴くと、そうした印象はかなり変化します。
 何て言うのかな、音色を最優先に考え、美しいサウンドを日常的に作ろうとしているチームは、
 音楽自体もそれなりに説得力を持つ事のお手本となるような素晴らしい演奏でした。
 同じ事は、1987年の課題曲B「渚スコープ」にも言えるのかもしれませんけどね。
 とにかく出だしの「ひそやかさ」はこのチームならではの気品さに満ち溢れ、
 出だしを聴いただけでゾクゾクッとしたものです。
 ffになっても全然音が割れず、美しい響きが継続されているのは驚異の一言です。
 自由曲の「交響三章」第三楽章も圧倒的歴史的名演だと思います。
 この曲は、自分にとってのNO.1の名演は、1980年の秋田南高校なのですが、
 (96年の常総学院も悪くはない・・)
 この年の習志野も勝るとも劣らない素晴らしい演奏を聴かせてくれています。
 秋田南との相違点として、前半のチューバのリズムの低音の充実感、後半のアレグロの
 トムトムの甲高いややヒステリックな響きなどが感じ取れます。
 秋田南は、これは一つの「宇宙」という感じもするくらい鬼気迫る演奏なのですけど、
 習志野は、幾分感情をセーブした知的な演奏と言う雰囲気もあります。
 前半と後半の対比とか、サウンドの透明感と美しさ、とにかく素晴らしい演奏を聴かせてくれ、
 無事に淀川工業と並んで五年連続金賞の偉業を成し遂げてくれました。
GWが明けて以降、何か妙に仕事が忙しく、このままだと恐らく
5/7~5/19まで連続出勤になってしまいそう・・・
うーん、さすがに体力の限界かな・・・

5月末に健康診断が予定されているから、
またまた今回も「再検査」になってしまいそうでビクビクです。

どこで良い意味での「息抜き・手抜き」は必要かも・・・
本日5/12の「ドキドキプリキュア」は相当レベルの高い回だったなーと
思います。
まこぴー回だから当然なのですけど、真琴=ソードが本当に可愛く魅力的でした。




改めて感じた事は、「ドキドキ」の4人は全員聡明なプリキュアなのですけど、
考え方やスタンスに個性と言うか違いが明瞭に表れているという事です。
元々ソードは妖精系というか、トランプ王国出身という事で、マナ・六花さん・ありすと異なり
トランプ王国崩壊の当事者であり、その復活は当事者意識を持って臨んでいます。
対して、それ以外の3人は、言葉は悪いけど
トランプ王国崩壊は3人にとって遠い異次元の世界の出来事であり、
アイドル・普通の中学生の生活をこなしながら、トランプ王国の王女探しを深夜行っているまこぴーと異なり
当事者意識は低いと思われます。
その辺りが、今後の展開として、マナの
「人助けをするのに理由なんていらない」
「いつまでも他人を頼ってばかりいてもダメ、自分も自分で出来る限りのことはしなくてはいけないし
 そうでないと成長できない」
という意識とどのように結びついていくのか楽しみな所です。

六花さんは、どちらかというと、真琴を助けたいというよりは
マナ大好き・マナをフォローしたいという意識が働いていますし、
ありすは、今回の話であった女優さんの当初の真琴に対する厳しい態度にいち早くその真意を見抜いた点など
大人の事情というか大人の視線から物事を見れる娘ですし、
そうした各人の違いが、最終的に真琴の「トランプ王国復活」という目的に対して
どのように4人全員としての統一見解・共通意識・共通の目標が構築できるのか
中盤以降のメインテーマとして、
興味深く、且つ楽しく見ていきたいと思います。

それと大きなテーマとして、キュアソードの成長があるのかなーとも思います。
ソードは異次元出身という事で、元々「仲間」とか「人助け」とか「思いやり」に少し欠けていた面も
あったようにも思えますが、
マナ達3人とプリキュアする事で、いかにソードの成長があるのか、
それもまた物語全体の大きなテーマだとも思えます。
時折、真琴の視線から物語を描いているのは、それを象徴していると思います。

それにしても、ありすは黄色系プリキュアなのに、本当に大人・・・

前回から気になっていた事なのですけど、
ロイヤルジュエリーでしたっけ? あれは5個で一組みたいですね。
色をよーく見てみると、ピンク・赤・紫・黄・青ですので、現時点のドキドキにないのは
赤という事になります。
という事は、いずれ5人目のプリキュア登場という事なのでしょうかね・・・??
そうなると色は赤プリキュアなのでしょうか・・・??
今の段階では、5人目の候補者はレジーナなんでしょうかね・・・??

敵幹部からプリキュア又はプリキュアの仲間になった先例として
満と薫、イース・エレンがいますが、
彼女らの場合、
友達と偽ってプリキュア達に近づいたら、本当にプリキュア達と友達になってしまって
プリキュアを倒すという目的を見失ってしまったという共通性があります。
だけどレジーナはどうなんでしょう・・・
その辺りは何かイースとかエレン何かとは少し感覚が違うような気もします。
彼女達には心の奥底に「人を思いやる温かいハート」があったけど、
なーんかレジーナの場合、
①悪意
②ダークドリームのような無邪気な邪悪・知らないゆえの悲劇
どちらかなのだと思いますけど、どっちなのかはまだ正直何とも言えない所です・・・

本当に巷でウワサの「キュアエース」に変容してしまうのかな・・・
この当時の昼間は、千葉県佐倉市の京成臼井が勤務先だったため、
駅前のそば屋とかココスとかケンタッキーとかで昼ごはんを食べる事が多かったような気がします。
当時は「臼井」という表記でしたが、いつのまにか京成うすい駅という表記に変わっていましたが、
読みにくいせいなのかな・・・?
当時の臼井周辺は、都内近郊ベッドタウンとしてのベッドタウン的新興住宅地という側面と
古くからの農家という二つの側面が混在する街という印象がありました。
現在は、八街・印西・冨里という所もどんどん開発が進みましたので、
臼井だけが新興住宅地という事もないと思いますが、
当時自分が勤務していた頃の臼井と現在のうすいはどのように変わったのか、
どの点が変わりがないのか、一度見てみたいなーと思います。
というか、臼井周辺は、1990年以降一度も行った事がありませんので、大分変ったのでしようけどね・・・

〇福岡工大付属高校

 前年「ダンスフォラトゥーラ」で九州大会で圧倒的な名演を残しながらも
 まさかのスカ金で全国に駒を進めなかったこのチームですが、この年は前年の鬱憤を
 晴らすように素晴らしい名演を残しています。
 そして、1984年以来久しぶりの金賞を受賞しています。
 そう言えば、このチームは1981~年まで4年連続金賞を成し遂げながら、85年に九州大会で
 スカ金に終わり、全国5年連続金賞という栄冠を取り逃がしています。
 結果的に指揮者の鈴木先生は、この年で福岡工大付属から勇退されてしまいます。
 最後に大輪の花を咲かせてくれたような気がします。
 課題曲Aは悪い演奏ではありませんが、最後のトランペットのソロがスカスカにかすれてしまい、
 思わずヒヤヒヤしたものです。
 自由曲「シバの女王ベルキス」は前年度に東北学院大学が全国初演を行い、指揮者&編曲者の淀氏は
 ベルキスを世に広めたという大きな功績を残す事となりました。
 東北学院大学は、ⅠとⅣを繋ぎ合せた演奏ですが、
 福岡工大付属の演奏は、小長谷氏のアレンジによるもので、
 Ⅱ.戦いの踊り~Ⅲ.暁のベルキスの踊り~Ⅳ.狂宴の踊りを選曲しています。
 戦いの踊りは、このチームが全国初演ですが、出だしのティンパニーのソロと金管の咆哮は
 本当にインパクトがありました。
 続いての大太鼓二台による太鼓連打も迫力がありましたし、続くクラリネットのソロもいかにも
 アラビアンナイトみたいな音の世界であり、とても興味深く聴いたものです。
 ⅡとⅣ間に挟まった暁のベルキスは、しっとりと聴かせてくれました。
 1992年の常泉寺吹奏楽団は、この「暁のベルキス」の部分をメインにしっとりと聴かせてくれましたが、
 ベルキス=よく鳴る曲というイメージが定着した中で、これ程内省的なベルキスも珍しいので
 印象に残っています。
 福岡工大付属のベルキスは、豪快さと細やかな部分が融合した素晴らしい演奏でしたし、
 鈴木先生への餞別だったのかもしれません・・・
 翌年から指揮者が石田中・那覇中等でお馴染みの屋比久先生へと変わり、福岡工大サウンドも
 一変する事となります。
 
 余談ですが、ベルキスのⅡの大太鼓連打の部分で太鼓の撥に鈴をつけて太鼓と鈴の音が同時に鳴る
 演出は印象に残っています。
やはり「キュアハッピー」可愛くて大好きです。
フィギュアとして再現されてもやはり可愛いものですよね。




このハッピーのフィギュアは、昨年夏頃にUFOキャッチャーでゲットしたものですが、
確かハッピー・サニー・ピース・マーチ・ビューティの内、二種出たのはハッピーだけだったと
思います。
結局昨年は、どうしてもサニーだけはゲット出来ず、
今でもサニー以外の4人とか揃っていません・・・
先日ヤフオクで見てみたら、サニーの単体が5000円という価格で設定されていて
ドン引きしたものです・・・
このシリーズ、ハッピーとピースとビューティの完成度は非常に高いのですが
(ビューティさんの少し憂いのある感じと気品は、ほぼ完璧に再現されていて、すごいと思います)
マーチの出来は、あと一歩と言う感じ・・・
サニーは実物を見ていないので何とも言えないのですが、画像で見る限りは
「うーーーん」という出来にも感じます。
やはり、日産コンビは、フィギュアの領域だと少し不遇なのかな・・・??
5/10は結構暑かったです。
さいたま市内は、28℃前後だし、秩父方面では30℃を超えた地点もあるようです。
季節は徐々に夏に向かっています。
寒がりの自分としては、やっと本領発揮の季節と言う感じです。

そんな訳で事も早1/3が終わってしまいました。

だけど、カレンダーなのですけど、
何か勿体なくて「スマイルプリキュア」というかキュアハッピーのカレンダーボックスを
未だに開封していません・・・





何か可愛すぎて、開封するのが勿体ないのです。

多分このまま開封しないで、箱の状態のまま保管してしまうのかも・・・・

何かこのハッピー、うっすらと頬が紅くなっているのも何かキュートな感じがします。

「ドキドキ」のハート・ダイヤモンドの凛々しくて賢明なプリキュアも魅力だけど、
やはり「ハッピー」はのぞみ程度にアホっぽいのが魅力ですよね。
アホな子ほど可愛いとも言いますし・・・
標題の「ベリーを摘んだらダンスにしよう」は1994年の吹奏楽コンクール課題曲Ⅰです。
思えばこの年を境に、マーチの課題曲の年とマーチ以外の書下ろしの年に分かれるようになり、
従来のような、マーチとそれ以外のオリジナル曲が混在した課題曲は無くなってしまいました。
そして、この年以前は、課題曲の表記はA~Eでしたけど、この年以降はなぜかⅠ~Ⅴと表記方法が
変わってしまいました。

「ベリーを摘んだらダンスにしよう」は結構好きな課題曲です。
もっともこの年の課題曲は、史上最難関の課題曲と誉れ高い(?)饗応夫人に
自分が大の苦手の「雲のコラージュ」に単調でくだらないパルスモーションⅡと
どちらかと言えば敬遠したくなる課題曲ばかりでしたので、
この課題曲Ⅰがくると何かホッとしたものでした。

間宮芳夫氏の吹奏楽コンクール課題曲は、他にも最近取り上げた「カタロニアの栄光」とか
86年の吹奏楽のための序曲とか、どれも魅力的な素晴らしい曲ばかりです。
間宮氏の課題曲は、吹奏楽のための序曲を除くと、打楽器にティンパニーが入らないというのが
顕著な特徴なような気もします。
それだけ重低音感を回避し、特に「ベリーをつんだら・・」は、
天国的な色彩と言うか、フワッとした感じとか、のんびりとした感じを出したかったような
気もします。

「ベリーをつんだらダンスにしよう」は、構成的に三部構成です。
一部の比較的テンポの速い部分、二部のしっとりと聴かせる部分、三部の再度のアレグロ部分
そして最後は、あっさりと弱奏で閉じられます。
全般的に、マリンバ・シロフォーンといった鍵盤打楽器の使用方法が実に巧みで
印象的です。
また、二部のクラリネットのソロとアルトサックスとトランペットのソロも実に
「のんびりとした感じ」・「おっとりとした感じ」が出ていて、この部分は何回聴いても
爽やかな感じはします。
全般的に、何となく漠然とした印象ですが、
マーラーの交響曲第四番「大いなる喜びへの讃歌」の世界につながっているような感じがします。
曲全体を貫く「子供たちが語りかれるような感覚」とか「汚れを知らない子供たちの純粋な感覚」
みたいなものをなぜかこの曲から感じ取ってしまいます。
個人的には、二部のクラリネットとかトランペットのソロは、あまりテクニックの上手さは
求めたくない感じがします。
少々たどたどしくても構わないから、子供のような「素直さ」が出ていた方が何かこの曲が求めている感覚には
近いような気もします。

そうした事を上手く表現した数少ない私のお気に入りの演奏は、
池袋中学校の演奏です。
「よくこれで金賞に入賞したな・・」と思えるほど、たどたどしい心細い演奏なのですけど、
その素人っぽい感じが実にこの曲にマッチしていると思います。
だけど、このチーム、自由曲の「ハーリ=ヤーノシュ」では、トランペットが思いっきりスカってしまい
一瞬全音が止まるという珍プレーも起こしています・・・
だけどそれがまた実に自然に思えます・・・・
阪急もこの課題曲を演奏しているのですが、池袋中との音楽のアプローチは全然異なっているのが
一目瞭然で、正直上手過ぎて「何かスカしている」演奏という感じで、
あまり好きではありません・・・
どちらかというと、銅賞なのですけど、一般の部の習志野ウインドの演奏が、池袋中の世界に
近いような気もします。

三部で、シンバル奏者が終始連打していますが、この部分は結構神経を使うと思いますし、
難しい部分だと思います。

全体的にホント、「間宮ワールド炸裂」という感じで、この曲を聴くと何とも「不思議な感覚」に
支配されてしまいます。
また今回も先日5/6の住宅展示場の「ドキドキプリキュア」ショーの一場面です。
我ながら、しょーもねーなーと思ってしまいます。
だけど、「プリキュア」は見ていて可愛いし楽しいし、何か生きる希望を与えてくれますので
仕方ないかも・・・と勝手に思っています。




振り返ってみると、昨年の今頃は「スマイルプリキュア」放映中でしたけど、
現役のスマイルが地方ドサ廻り営業の一角を担う事はなかったように思えます。
だって、昨年の今頃は、スイートプリキュアを飛び越えて、ハートキャッチのブロッサムが単独で
住宅展示場の来ていましたからね・・・
「プリキュア総選挙」では、ぶっちぎりみたいな感じで、毎回ハートキャッチ組の上位独占が
見られていますけど、
その中でも、マリンは圧倒的な強さを誇っています。
だから、地方のしょぼい営業では、マリンは出さずに、もっと集客が求められるイベントに出させて、
適度に人気がある優しいやさしいブロッサムが
駆り出されていたのでしようかね・・・??

だけど、今回はドキドキのフルメンバーを被り物と言えども見ることが出来て、
それだけでも感謝感激雨あられという所です。
マーチ「カタロニアの栄光」は1990年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Cです。
1990年の課題曲は、個人的な見解ですが、1986年と並んで史上最高の課題曲の当り年という気が
します。
ランドスケイプは、N響アワーでもかつてお馴染みだった、池辺晋一郎氏の素晴らしい名作ですし、
風の黙示録は、名取吾郎氏の「遺言」みたいな作品です。
「マリーンシティー」も2分程度の極めて短い曲ながらも、メロディーラインがとても魅力的な
マーチです。
要はA~D全てが名作揃いと言うのは、中々無い事だと思います。
(自分が高校二年の時の1982年課題曲が史上最低の外れ年と言われたのとはエライ対照的だ・・・)

その中でも、マーチ「カタロニアの栄光」は大好きな曲です。
この曲は「マーチ」となっていますが、行進するような楽しい快活な行進曲ではありませんし、
正直この曲で行進する事は結構大変なのでは・・・??
この曲は、何となくですが、スペインというよりは、何か中央アジアとかアラビア半島の辺境地
みたいな香りが感じられるのです。
勿論、曲自体、イスラムの香りのような雰囲気も漂わせているのですが、
何か、遠いはるか昔、ヨーロッパ出身の兵士が、戦争に駆り出され、遠い中央アジアの砂漠が
延々と続く辺境の地で、故郷に早く戻りたいと願いながらも、
異郷の地で孤軍奮闘しているような香りを感じてしまうのです。

この曲が課題曲として演奏されている頃、自分自身はある地方銀行の営業職に従事していましたが、
6月頃、突然支店長に呼び出され、
「何だろう、何かヘマしたかな・・」とビクビクしながら行ってみたら
「はい、君、一週間後に甲府に転勤ね。三日で引継ぎし、荷物をまとめてすぐ甲府に行ってね。
なーに、君は独身で次男だから、特段困る事もないだろう。大丈夫、2年ぐらいしたらすぐに都内店舗に
戻れるはずだから・・・」と
いきなり人事異動通知書を提示されたからです。
そして一週間後に炎天下の盆地のくそ暑い甲府に飛ばされたのですが、
自分は山梨とは縁も縁もない人間なので、
「えー、何で自分が甲府に・・・、だけどこの異郷の地で孤軍奮闘して頑張ってみよう」と
思ったものです。
そんな時、この「カタロニアの栄光」を聴くと、縁も縁もない見知らぬ土地で孤軍奮闘している曲の
自分自身のイメージと自分自身の当時の心境がピタリと符合し、
何か結構この課題曲は好きになったものです。

だけど、この課題曲、演奏する方としては結構難しそうですね。
木管の甲高い響きとか不協和音、変拍子に近い拍子感・・・
結構奏者の方は大変だったと思います。

この曲、90年に来日したハンスバーガー/イーストマンウィンドアンサンブルのコンサートの
アンコールで演奏されていましたが、あまりのテンポの速さに驚いたものです。
やはり色々な解釈があるものですよね。

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