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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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前々回あたりから、キングジコチューの娘のレジーナが登場してきましたが、
今後どういう方向性に行くのでしょう?
何かしばらくは、マナ達を色々と探りに行くために接近していく展開に
なりそうなのですが・・・
考えられるのは、
中間回まではジコチュー3幹部をこき使いながら、力を蓄え、中間回もしくは最終決戦時に
最終形態へ変容した上でプリキュア達と戦うという方向性と
SSの満と薫、フレッシュのイースのように、
プリキュアの偵察と言う目的でプリキュア達に接近したら、本当に友達になってしまい、
妖精達の力を借りてプリキュアとして覚醒するという方向性なのですが、
巷でやたら五人目のプリキュアとかキュアエースとかいう怪(?)情報が
出回っている事を考えると、後者のパターンに落ち着くのかな・・・??




でもレジーナは敵キャラなのですが可愛いですよね。
特に頭の赤いリボンが何かマナではないけど「キュンキュン」きたりします。
レジーナがプリキュアになってしまうと、これは単なる組織からの離反にとどまらず
親子関係の断絶という事にもなってしまいますので、本当にそうした展開になった場合は、
レジーナにも相当の葛藤があるのかもしれませんよね。
そういう時の理論武装として、キュアピーチがカオルちゃんから提示された
「罪を憎んで人を憎まず」が適しているのかも・・・
敵キャラの間で兄弟とか親子と言うのは珍しいパターンだと思います。
過去においては、
初代無印のポイズニーとキリヤの姉弟関係
ハートキャッチのサバーク博士とダークプリキュアくらいしか例がありませんけどね・・・
もっともダークプリキュアは人工キャラですが・・・
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この頃の吹奏楽コンクールは、ピアノ・ハープ・弦楽器・ベースを編成に加える事は基本的には
OKの時代でしたが、ピアノを加えているチーム自体比較的珍しい部類に入り、
ハープなんて市立川口以外は皆無という時代だったと思います。
この頃のサウンドは改めて聴くと「管楽器」のダイナミックな響きがストレートに伝わってくるようにも
思えます。
別の観点では、管楽器だけの生臭さも、この時代は解消しきれていなかったようにも
思えます。

〇東海大学第一高校

 前年は「呪文とトッカータ」で東海大会スカ金でしたが、この年は全国に戻ってきました。
 自由曲の「シンフォニア・フェスティーヴァ」はこの年のこのチームが全国初演です。
 演奏は一言で言うと、「積極的な攻めの演奏」に尽きると思います。
 管楽器のダイナミックな響きが特にトランペットを中心にガンガンストレートに伝わってきますが、
 反面詰めが甘いというか、ミスが多く、音が非常に粗いため、「管楽器独特の生臭さ」も
 伝わってくるような演奏でした。
 トランペットが終始大活躍する曲ですが、第三曲のラストで息切れを起こしたのは
 少し残念な所です。
 全体的に音楽は生き生きとして、特に第三楽章なんかは、木管の跳ね上がるような感じが
 とても楽しいです。
 もう少し肩の力を抜いてフワッと演奏していれば、もっと良かったかもしれませんよね。
 後年指揮者の先生は、生徒に対するセクハラで逮捕され、吹奏楽界を永久追放みたいな感じに
 なったようです。この頃からそうした兆候があったとの事ですが、それが事実なら
 何か悲しい気はします・・・・

〇福岡工大付属

 前年の「春の猟犬」が正攻法の演奏とすると、この年は「王道を行く」ような
 圧巻の演奏だったと思います。
 課題曲B「白鳳狂詩曲」は全部門を通じて中々満足出来る演奏に巡り合えなかったのですが、
 このチームの演奏は、自分が知る限りでは最高の演奏だと思います。
 ピッコロとクラリネットの掛け合いから徐々に気持ちが高潮していくあたりとか、ドラの響かせ方、
 金管楽器の高揚感、どれをとっても申し分ない所です。
 どちらかというと前半は高ぶる感情を抑制しようとしているのが伝わってきますが、後半に一気に
 気持ちを高揚させていった指揮者の解釈に同感するところ大です。
 自由曲は、一転して「神秘」の世界に入り込んでしまったような錯覚に陥るほど
 不思議な感覚をうまく表現しています。
 同時にワイルドな部分も金管楽器を中心に豪快に響かせていますから、静と動、強弱の
 コントラストが非常に鮮やかに表現されていて、実に気持ちが良い感じがします。
 不協和音の音のぶつかりも、全然濁りや居心地の悪さも皆無で、かえって斬新な響きのようにも
 感じられます。
 
 このチームの演奏は、東邦から秋田南まで8曲の自由曲が収録されたレコードに入っていますが、
 東邦・花輪・関東一・仁賀保の陰鬱で暗い世界を経て、兵庫の開放感⇒東海一の躍動感
 ⇒福岡工大付属の神秘の世界⇒秋田南のファンタジーへと続いていきますので、全体的に
 暗から明へというストーリーがあるみたいで、聴いていてとてもヴァラエティーに富んでいますので
 とても楽しい一枚だと思いました。
ここ一年ほど、歴代プリキュアの中の声の人達は、結構おめでたい話が続いていますね。
シャイニールミナス・ドリーム・アクア・ピーチ・・・
そして、ブルーム役の方は二人目のお子様が生まれたようで何よりです。

でもそんな中、アクア役の前田愛さんとムカーディア役の置鮎さんが結婚したという話には
少し驚かされました。
だって、プリキュア5GoGoの中で、激しくバトルを散らしたプリキュアと敵幹部が
結ばれたという事になったのですから・・・



ムカーディアというと、りんちゃんとのデートの回が極めて印象的ですが、
(しかもウェイターとしてお茶とケーキを運んできたのが、バイト中のブンビーさんというのも
何か笑ってしまいます・・・)
かれんさんとも並々ならぬ因縁があるというか、
一番最初にムカーディアが登場し、かれんさんとりんちゃんを相手にテニスバトルをしていたのも
印象的ですが、何と言っても「ファイブ DE チャンス」という偽クイズ番組の回が
圧巻でしたよね。
あの回は、まさしくかれんさんとムカーディアの為にあったようなものです・・・
特にコイントスのシーン、特にコインが床に転がって最終的にかれんさんが勝つシーンは
爽快でした・・・

そして、その5年後に本当に、正義と悪・敵と味方の関係を飛び越えて
結ばれた訳ですから、何か笑ってしまうのだけど、心から祝福したい気持ちですよね。

ムカーディアはそう言えば、オールスターズDX2にも出演していましたね・・・

最近「ドキドキ」のキュアハートの「ハートシュート」の格好よさとウインクをした時の可愛らしさは
素晴らしいと書きましたけど、
ハートシュートの原点は、まさしくアクアの「サフィアアロー」なのです。
そしてサフィアアローを受け継いだのが、ビューティさんのビューティブリザードアローなのですけど、
それを更に発展進化させたのが、現役のハートの技なのですよね。

うーーん、やはりプリキュアも年々進化していくものですよね。
自分が仙台から上京してきたのは1984年(厳密には都内ではなく埼玉県大宮市でしたが・・)
当時の演奏会ホールというと、東京文化会館とNHKホールぐらいしかめぼしいものはなく、
現在のように、サントリーホールとか東京芸術劇場とかオーチャードホールとか文京シビックとか
オペラシティーなどのような立派なホールで演奏会が開催される訳ではありませんでした。
必然的に、ほとんどの都内のオケは、東京文化会館で演奏会を開催する事が多く、
東京文化会館に一極集中しているような時代が長く続いていたと思います。
まれに、読売日本が新宿厚生年金会館で名曲コンサートを、東京交響楽団が五反田の簡易保険ホールで
演奏会を開催する事があった程度だったと思います。

そんな訳で自分自身も上京して初めて生の演奏会を聴いた時のホールは東京文化会館でした。

この時のオケは読売日本で、指揮はハインツ=レークナーでした。
前半のプログラムは全然記憶にないのですけど、後半のベートーヴェンの交響曲第7番が
これがまた素晴らしい演奏でしたので、今でも印象に残っています。
実はこの交響曲は、この時初めて聴いたのでした。
ベートーヴェンの交響曲と言うと、運命とか田園くらいしか聴いた事が無く、この2曲は当時は
正直それほど好きという訳ではなかつたので、第7番を聴く際は、あまり大きな期待もせず
聴いたのですが、第一楽章のオーボエの甘い伸ばしの音から始まる「とろけるような音楽」に
すっかり魅了されてしまい、第二楽章の重々しいけど美しい世界、第三楽章のホルンの雄叫びに
メロメロとなり、そして圧巻の第四楽章のリズム感にすっかり圧倒され、
一発でこの交響曲が大好きになったものです。

あの第四楽章は、現在の「ダンスミュージック」にも匹敵するような躍動感・リズムの鋭さが
あると思います。
同時に自然と体が揺れるというか、思わず踊りたくなってしまうような「ノリノリ感」がたまらない
魅力だと思います。
クラシック音楽というと、しかもベートーヴェンというと、どうしても深刻・重厚長大・真面目という
イメージがあるのですが、こんな「ノリノリ」の曲を書けてしまう所が、さすが偉大なる作曲家という
感じですよね。
あの第四楽章は、ディスコとかクラブのダンスミュージックに勝るとも劣らない「熱気」が
あると思います。
もしかして、ベートーヴェン自身も一杯ワインをひっかけながら、悪酔い気分でこの交響曲を
書いたのかも・・・??

この曲は色々な名演を聴いたものですが、特に印象に残っている演奏は
プロムシュテット指揮のN響とデブリースト指揮の都響の演奏ですね。
前者の端正な響き、後者のリズム感の切れが極めて印象的です。
番外編として、沼尻竜典指揮の日本フィルかな・・・
指揮者のオケをあおってあおってあおりまくる強引なドライヴが豪快で聴いていて極めて
楽しかったです。
本日は仕事でした・・・
世間は連休モードだというのに、結構朝からバタバタ忙しく、先程ようやく
家に戻ってきて、早速録画してあった「ドキドキプリキュア」を見る事が
出来ました。

相変わらず4人全員聡明と言うかレヴェルが高いですし、
面白いですね。
何か疲れが吹っ飛んでしまいます。




今回の第13話は、ありすがメインの回でした。
改めて感じた事ですが、ドキドキの4人のメンバーは全員「出来る子」という感じですよね。
前作「スマイル」がれいかさん以外は、基本的には「アホの子」であるのと全く対照的で
面白い所です。
でも、れいかさんだって、天然ボケの傾向濃厚だし、頭はいいけども時折「残念な美少女」振りを
見せていましたからね・・・(笑)
スマイルは、アホに突っ込みに、泣き虫じゃんけん娘に一直線ガールと
マヌケ担当のオンパレードという感じ濃厚でしたけど、
現役の「ドキドキ」との違いが鮮明に出ていてとても面白い感じがします。

ありすのライバルの麗奈という娘ですけど、その名前は個人的には勘弁して欲しいなーという
感じです。
私は、そんなに女優とかアイドルとか興味がないのですけど、そんな中、一番好きな女優さんが
田中麗奈ですから、どうもその名前を気安く使用されることに
何か抵抗があります・・・
ま、それはどうでもいいのですけど、スマイルのれいかさんから見ても、名前が何か似ているから
嫌ではないのかな・・・??

前回の話を見てわかる通り、マナも相当すごい娘ですけど、ありすも相当すごいものが
ありますよね。
聡明だし、経営者としての実務経験も現在進行中みたいだし、武闘も芸術も何でも出来る所が
すごいですよね。
「ドキドキ」は、マナというウルトラ級に出来る娘のワンマンチームに構成しないで、
マナと同様に出来る娘である六花さんやありす、真琴をマナと同等の立場から描き、
マナを単にサポートするという役割だけでなく、この3人にも一定の個性と役割を明確に
持たせている所が素晴らしいと思います。

当初、ありすはドキドキの中の「ボケ役」みたいな役割なのかなと思っていたら、そういう訳でもなくて、
マナと同等かそれ以上の素質を有していて、なおかつありす自身も
「マナを尊敬しているけど、マナ以上のものを目指したい」という何か向上心みたいなものも
十分感じ取れるところがすごいと思います。
今回、最後に真琴もありすの事を初めて「ありす」と呼び捨てで呼んでいましたけど、
真琴は真琴で、3人の事を眺めながら、この異世界の事や「友達とは何か」みたいな事を色々と
吸収していっているのだと思われます。

それにしても、審査員という役割で、まさか「ドキドキ」の制作者と監督がアニメ本編に
登場してくるとは予想外でした・・・
これも一つの「遊び心」という感じですよね。

レジーナはいつごろから本格的に絡んでくるのでしょうか・・・
あのキャラは、たまらなく魅力的です。
まさか「キングジコチュー」の娘という設定とは夢にも思いませんでしたが・・・・
前から何度も書いている通り、プリキュアシリーズの中では「プリキュア5」が
そして歴代プリキュアの中では圧倒的に「キュアドリーム」が大好きです。

だけど、現実的に考えると、
もしも歴代プリキュア32人の中からお嫁さんを選ぶ事が出来るとすると、
(なんて現実感のない問いだ・・・??)
自分だったら誰を選ぶんだろうと妄想する事もたまにあります。

だけど、毎回結論は同じで、結婚相手となると「りんちゃん」というか、「キュアルージュ」が
一番理想的なのかなーとなってしまいます。





りんちゃんの魅力は色々あるけど・・・

〇常識的

〇情に厚く面倒見が非常に良い

〇頭の回転が速い

〇家庭的

〇一度惚れた人に対しては、生涯愛を貫きそう・・

〇仕事が出来るし、家事も大得意だし家庭的

〇勉強も運動も両方できる

でもやはり家庭的な面と情に厚い所と面倒見が良くて、愛を一途に貫くところが
一番の魅力かな・・・
「守ってあげたい」と思わせるタイプではないけど、
「共に一緒に成長していけるパートナー」という感じが何かとても強い感じがします。

似たようなタイプとしては、他には「なおちゃん」とか「あかね」あたりなのかな・・・

ルージュは、歴代プリキュアの中では、比較的人気が薄いプリキュアとして知られている
みたいですが、
何か自分的には、「のぞりん」の一角というか、
のぞみの大事なパートナーという意味でも、大好きなプリキュアです。

「気が強そう」とか「喧嘩早い」という先入観や
うららに対する有名な(?)暴言
「口を開けばのぞみ、のぞみって、アンタ、他に友達以いないの?」のせいで
今一つ人気の点では気の毒な感じもしますが、
自分の中では、ドリームやハッピーに次いで何かとても大切なプリキュアのようにも
思えてしまいます。

住宅展示場

本日より世間では「ゴールデンウィーク」という事で、人によっては10連休と言う事も
あるみたいですね。
土曜~月曜、水曜と仕事が控えて身としては、少しうらやましい話ではあります・・・
最近は、景気回復とか来年四月以降の消費税増税を前にしての駆け込み需要をにらんでいるせいか、
「住宅展示場」が昨年よりは活気があるみたいです。
さいたま市内もカタクラをはじめ複数の総合住宅展示場があるのに、緑区中尾にも
新たに住宅展示場がつい先日オープンしました。
こうした住宅展示場なんてのは、
子供を連れてどこか遊びに行きたいのだけど、お金はないしあまり遠くにも行けないという
特に若い世帯にはうってつけのスポットなのかもしれません。
だって、仮面ライダーショーとか、動物とのふれあい祭りとか、乗馬体験とかお菓子作りとか
スタンプラリーとか色々タタで楽しめるイベントが盛りだくさんだし、
各住宅メーカーの展示場を例え冷やかしでもアンケートに協力さえすれば、
GW中はほとんどの住宅メーカーは、何かしらの「お土産」は用意していますから、
まさに至れり尽くせりという感じですよね。

中尾の展示場には、5/3には「キュアハッピー」が、
川口・鳩ヶ谷展示場には、5/6には「ドキドキ」が登場するようですので、
「プリキュア」大好きの自分としては、どれかには行ってみたいなーと思っています。
(しかし、いい年こいて何いっているのでしょうね・・・??)

15年間勤めていた金融機関が破綻して以降、2001年から2006年にかけて、
住宅メーカーの営業担当として、所沢のある住宅展示場にいた経験があります。
だけど、正直言って、例えばお正月とかGWとか9月の三連休等の
展示場としてのイベントがある時は、営業担当としては「うんざり・・・」というのが
本音でした。
だって、来場者のほとんどが「冷やかし客」とか子供との暇つぶしとか
土地(家を建てる場所)がない若い世帯とか
土地なし・金なし・やる気なしの3無し顧客ばかりがイベント時に押しかけ、
アンケート記名に協力したらタダでもらえるグッズを貰う事に楽しみを見い出している人がほとんどの
「意味なし接客」だけにバタバタ追われてしまうという感じでした。

正直、住宅展示場に詰めている営業担当としては、
普通の土日、特にイベントも何もない土日とか平日に夫婦二人だけで来る方とか
二世帯住宅を検討されているシルバー層の平日来場の方が
いわゆる「ホット」なお客様でしたので、
こうした何もない時の方がかえって仕事に集中できていたような気がしますし、
事実、自分の印象としては、GWとか正月の大型イベント時の来場者から契約になった方は
皆無のような気がしています。
例外は、夏休み明けのイベントかな・・・??
この時期は、若い世帯が一度帰省し、両親との二世帯住宅の相談とか親の資金援助に目途が立ったとかで
子供連れの若い世帯でも結構ホットなお客様がいたりしたものです。

住宅メーカーに勤めていると分るのですが、
ホント、総合展示場には、いわゆる「土地なし顧客」、建てる場所すら決まっていないし
資金計画も何も考えていない人の来場がとても多く、
最初の頃は意外に感じていたものでした・・・
その頃は、「何で土地も金もない人が見学にくるのだろう・・・こっちはいい迷惑・・・」と
思っていたものです。
事実、そうした方は結局はマンション・建売に流れてしまうのですけどね・・・
だけど、住宅を売る仕事と言うのは
見方を変えると「長期的には夢を売る仕事」と言えなくもないので、
少し冷めた視線で捉えた方がいい面もあります。
そうでないと、所詮は営業職と言うのは「売れてナンボ」ですから、
土地なし金なし顧客の「夢」や「わがまま」に振り回されては、
全然自分の業績は上がらないし、いいように利用されるだけという事にもなってしまいます。

だから、住宅営業の仕事は、
一番効率が良いのは、二世帯住宅を検討されている方と
定年退職間もない方の建て替えという数少ない「パイ」を狙う事です。
だけどそうした層は「数少ないおいしいパイ」なのだから、そうしたパイ獲得の為に
各メーカー共に熾烈な競争になってしまうのです。

一見華やかな住宅展示場も実態はこんなものなのでしょうね・・・

今は別に住宅展示場の営業担当でもないし、既に家を建ててしまった身ですので
冷やかしは冷やかしらしく、さりげなーく
「キュアハッピー」でも見に行くとしますか・・・???
「ハートシュート」は初登場時に、キュアハートは矢を射る寸前に
それまでの凛々しい表情から一転して、ウィンクして微笑んでいました。
だけど、前回は特にウィンクとしかしなかったけど、
あのウィンクは毎回するものではないのかな・・・?
出来れば、あのウィンクはホント、キュートで可愛いから毎回してほしいものです・・・




全然関係ない話ですけど、
80年後半~90年前半に「ウィンク」という二人組アイドルがいましたけど、
この二人は二人とも「天然さん」というか、
営業用の笑顔をしない人で結構有名だったと思います。
歌う時も、振り付け時にもどちらかというと無表情でいる事が多かったような気がします。
昔、職場で社内旅行に行った時、
何人かの社内の女の子の写真を撮る羽目になったのですけど、
その際「はーい、それでは皆さん表情が硬いから、ウインクして・・」と声を掛けたら、
なぜか全員無表情になったのは、
やはりあの二人組アイドルのせいなのかな・・・??

次回のドキドキは久しぶりにありすの回のようです。
また「友達をバカにされると何をするか分らない」お嬢様の事だから、
今回は、ありすぶち切れの予感がします・・・
それにしても、今回のプリキュアは、優秀な暴走するピンク、焼きもちを妬く青系
たまにぶち切れる黄色系と、見所はホント満載ですよね。
敵幹部が一人追加されそうですけど、
あんな可愛いツンデレ系敵キャラは、いずれ本当に5人目のプリキュアに
なってしまうのでしょうか・・・??
そうなると色は何色になるのでしょうかね・・・?
今の所、空きは緑とオレンジ・赤ですけど・・・・
テレビ埼玉の木曜日PM18:30~は「ハートキャッチプリキュア」が再放送されています。
テレたまのこの時間帯は、アルプスの少女ハイジ・巨人の星・天才バカボン・らんま1/2など
懐かしいアニメが再放送されていますが、ハートキャッチだけ、比較的最近のアニメとして
放映されています。




先週は、ダークプリキュアと月影ゆりの登場でしたが、
ここで興味深いのは、歴代プリキュアとの明確な相違点になるのですが、
まだ序盤の段階で、ブロッサムとマリンは、幹部クラスとは言え敵キャラに二度に渡って
完膚なきまでに叩きのめされ敗北をこうむっています。
一度だけならまだしも第10話と第14話の計二度に渡ってダークプリキュアに叩き潰されているのは
珍しい展開でしたよね。
やはりダークプリキュアに正面から勝てそうなのは、ムーンライトぐらいしかいないのでしょうね。

本日の第15話は、前回とは対照的に「母の日」絡みの泣かせる回でした。
最後はマリンももらい泣きというか号泣していましたしね。
エンディングの歌の時の声優さんを見てみると、
なみなみのお母さん役は、今井由香さんだから、現役の「ドキドキ」のアイちゃん役の人だったのですね。
この方は確か奏の母親も演じていましたから、
本当に赤ん坊から母親まで色々と大変ですよね。

歴代プリキュアでも、母と娘をテーマにした話は色々ありました。

なぎさと母親の喧嘩の回、咲と母親のソフトボールをテーマにした話、
のぞみやみゆきのドジでアホなお手伝い回とか
響とまりあさんの泣かせる話とか
色々と名場面はありました。
だけど、ハートキャッチの今回のなみなみの話は、歴代の中でも「泣かせる話」としては、
スマイルのなおの「リレー」の話と同じくらい
うるうるくるような話だったと思います。

なみなみの「心の花」が鳥かごに入れられ鍵が掛けられた状態と言うのも
妹や父親のために自分の心の本音とか自分自身がやりたい事を抑圧されていたという事を
象徴するものであり、何か印象的です。
なみなみがデザトリアンに変容させられ、そこで吐露したココロの本音とは、
「自分だって遊びたい」
「自分はまだ中学生、亡くなった母親の代わりなんて出来ない」
「皆と同じように部活をしたい」なとせというものでしたが、
ここでの本音とは「心の叫び」という事なのだと思います。
以前、現役の「ドキドキ」のジコチューとハートキャッチのデザトリアンは似ていると書いた事が
ありましたが、厳密にいうと、多少のニュアンスの違いがあり、
ハートキャッチの場合は、心の本音や叫びであるのに対して
ドキドキの場合は、心の負の部分という事なのだと思いました。

なみなみが言っていた「笑顔が一番」「スマイルが大切」というのは、
生前母親がなみなみに語りかけていた言葉という事が判明したのですが、そうした精神は
実は後年「スマイルプリキュア」に受け継がれていたのですね。
1983年の頃ってコンビニはどんな感じでしたっけ?
当時仙台の高校三年生でしたけど、正直セブンイレブン自体まだまだ珍しいという感じで
見ていたような記憶があります。
この頃は、文字通り朝七時開店、夜11時に閉店という店が主体で、24時間営業はまだ
少ない方だったと思います。
この時代、まだローソン・サンクス・ファミリーマートはまだなかったのかな・・・?
当時の記憶では、コンビニと言うと「サンチェーン」が主流だったような気もします。
確か、サンチェーンは、どこかのコンビニに後年統合されていったと思います。
でも、この頃のコンビニは、現在のように弁当は美味しくないし、
今では信じられない話かもしれませんが、冷たい飲み物売り場の飲み物がほとんど冷えていないとか、
デザートはアイスクリーム程度しか販売されていないとか、
今の感覚で言うと「まだまだ黎明期」という感じなのでしょうね・・・

〇仁賀保高校

 前年の矢代秋雄の交響曲の歴史的名演の演奏があまりにも素晴らしすぎたせいか、
 この年の三善晃の「交響三章」は正直今一つです・・・
 というか、サウンドがあまりにも暗くて陰鬱なのが残念な所でした。
 ミスも少々目立っていましたしね・・・
 テーマが暗示され膨らんでいく展開が、何か説得力に欠けるというか
 訴えるものがないというか、
 何となく数式の羅列・楽譜を正確に音に変えただけという印象が強いです。
 指揮者の高野先生は、前年とこの年は自らアレンジした譜面を使用していますが、
 後年新屋高校に転任されて、91年の交響三章、98年の矢代秋雄は天野正道編曲版を使用していますが、
 やはり編曲許可の問題が絡んでいたのかな・・・?


〇兵庫高校

 このチームの自由曲の「タラス=ブーリバ」は素晴らしい演奏だったと思います。
 以前この曲を全国で演奏した福岡工大付属とか長岡吹なんかは、重量級・金管の咆哮という
 印象が強かったのですが、兵庫高校の演奏は、それらの方向性とは全く異なり
 カラッと澄み渡るような明るさ、開放感、どこまでいっても明るい響きで演奏していたのが
 非常に印象に残っています。
 原曲のオケ版の演奏は、例えばノイマンなどのようにどちらかというと福岡工大付属みたいな
 粗削り・骨太みたいな演奏が多いのですが、
 中にはガーディナー指揮の演奏のように、天空を舞うようなカラッと日本晴れみたいな爽やかな
 演奏もたまにあったりするものですが、兵庫の演奏は、ガーディナーに近いような
 印象がありました。
 原曲の打楽器は、ティンパニー・チャイム・シンバル・小太鼓程度なのですが、
 このチームの編曲は吉永先生によるもののせいか、色々といじくりまわしているのが
 興味深い所で、打楽器も原曲以外にシロフォーンをかなり効果的に使用しているのが
 面白い所です。
天理高校と言えば、野球・吹奏楽などの超名門校だと思いますが、
吹奏楽部指揮者の新子先生は凄いと思います。
今は後任に道を譲られ第一線からは退いているようですが、
1979年に前任者からバトンタッチされてすぐに「ハムレットへの音楽」で全国大会金賞を
受賞されてから、退任までの間、全国大会では金賞以外受賞した事がありません。
銀賞・銅賞が一つもないというのは、
これだけレベルが上がり、各代表の演奏に大差がない中で、これだけの実績を維持し続ける事は
並大抵の事ではありませんし、
本当に頭が下がる思いです。

新子先生のように、複数回以上出場で全国大会で金賞以外受賞した事がない方って、
せいぜいブリジストン久留米の小山氏とヤマハ浜松の原田氏くらいなのかも・・・
だけど両氏とも80年代前半には既に第一線を退いているから、つい最近まで現役だった
新子先生は凄すぎる・・・
ホント、心から敬意を表したいと思います。

興味をそそられるのは、新子先生といえども万能ではないというか神ではないというか
結構厳しい時代も経験しているという事です。
例えば、1983年と1991年には、関西大会でまさかの予選落ちを経験していますし、
何よりも1996年~2001年の約5年間は「冬の時代」というか、
毎年関西大会で代表を逃し、関西大会でも金賞を取れない時期もあったようです。
だけどそれを乗り越え、2002年以降は、再度「天理の栄光」を取り戻し、
普門館に戻って全国での金を奪還したのはさすがとしか言いようがないです。
あ、勿論全国大会というかコンクールでの金賞が全てではありませんけどね。

栄光の時代と不遇の時代の両方を経験している指導者なんてのは、そうざらにいるものではありませんけど、
だからこそ「天理」の栄光と伝説は不滅のものなのだと思います。

新子先生の凄い所は、オリジナル曲・アレンジもの、両方に対応できている所です。
オリジナル曲では、オセロ、フェスティヴァル・ヴァリエーション、セント・アンソニー・ヴァリエーション、
ディオニソスの祭りに名演を残し、
アレンジものでは、海・ダフニスとクロエ・中国の不思議な役人・スペイン狂詩曲などに名演を残しています。
個人的には、やはり81年の「オセロ」が大好きです。
80年の「ストーンヘンジ交響曲」なんてマイナーな曲にも光を当ててくれた事も嬉しい限りです。

でも何かこのまま勇退なんてのも勿体ない気もしますね。
どこか関西の一般の部とか大学の部の指揮者に就任されれば、色々と面白いとは
思うのですが・・・

ツタヤTカード

ツタヤカードを持ったのは結構古くて、15年以上前の事だと思います。
昔はツタヤでしか使えず、それ程レンタルをする訳ではなかったから、ポイントなんて
全然貯まらなかったような気がします。

最近のTカードは提携先が増えたせいか、どんどんポイントが貯まりますね。
一番貢献しているのはファミリーマートで、その次がマルエツとウェルシアかな・・
以前はウェルシアもマルエツも独自にカードを発行していたようですけど、
こうして提携先を増やした方がむしろ相乗効果が期待できるのかもしれませんね。

昨年は、Tカードは5500ポイント貯まって年末に全部使用してしまいましたけど、
今年は4月下旬の段階で既に4500ポイント貯まっていますので、年末までには相当貯まっていそうで
それも何かささやかな楽しみという感じです。
なぜTカードはこんなに効率よく貯まるかと言うと、
ファミリーマートの効用が大きいと思います。
例えば、特定商品のペットボトルのお茶を購入すると、20ポイント加算されたり、
最近では、きのこの森やたけのこの里を一つ購入するだけで40ポイント加算されたりしていましたので、
塵も積もれば山となるというような感じです。
同様な事はウェルシアにも言えますけどね。
最近もかぜをひいたようだったので、風邪薬と解熱剤を購入したら、ポイントが付く商品だったみたいで
それだけで100ポイントも加算されていました。

やはり企業も「消費者の囲い込み」ではありませんが、色々とあの手この手を使っているものですよね。
初代プリキュアのなぎさとほのかの残した功績は極めて大きいものがあります。
本人達ですら、まさか自分達の後輩が10年近くに渡って日曜日の朝八時半枠で頑張り続けるとは
夢にも思わなかった事でしょう。
なぎさ・ほのかの魂は、現役の「ドキドキ」にも深く受け継がれていると思います。

だけど、率直に言うと、なぎさとほのかは変身前は非常に可愛いと思うのですけど(特になぎさ)
変身後は、それ程可愛いとは感じなくなってしまうから何か不思議なものです。
(どうしてもブラックなんかは、荒ぶる乱暴者とか、拳のパンチだけで二年間戦ってきた武闘派という
 イメージが強すぎるのかもしれませんよね・・)

そうした意味で、なぎさ・ほのかに加えて、変身後の「可愛らしさ」を新たに出そうとしたのが
シャイニールミナスの登場なのかもしれません。




最初に九条ひかりやルミナスを見た時、率直に「可愛い」とか「無骨な乱暴者軍団に
可愛らしいシャイな子が加入してグンと見栄えが良くなった」と感じたものです。
だけど終始、ルミナスがブラック&ホワイトに加担してパンチやキックを振り回すというシーンが
本当に一度もなかった事は非常に斬新な取り組みだったと思います。
回によっては変身しただけでほぼ何もしないという回すらありましたから・・・
だけど、ルミナスの必殺技はいずれも強烈で、
敵の動きを完全に止めたり、ブラック&ホワイトにパワーを与えたり、
バリアを張って二人を防御したりと、それなりに戦闘面でも、あくまでサポート的な役割ですが
貢献しています。
ちなみにルミナスのバリアは、本編でも映画のオールスターでも一度も破られたことは
ありません。
プリキュア5のミントのミントプロテクトが年がら年中敵に撃破されていた事を考えると
これは大したものです。

初代MHで極めて印象に残っている回があります。
それが第25回の「さなえの思い出」という回なのですが、
ここでは、いつもなぎさとほのかに助けられているばかりで自分は無力だと不安に思っているひかりを
ほのかの祖母であるさなえがボートに乗りながら優しく諭していくという話なのです。
初代無印の場合、なぎさとほのか(特にほのか)が
「本当に自分達が戦って大丈夫なの? これでいいの? これからどうやって敵に対処すれば良いのか
分らない」という目に見えない不安に怯えている様子が何度か描かれています。
二年目のMHに入ると、さすがに二年目の貫録というか、少々の不安や出来事には動揺しなくなった
なぎさとほのかに対して、ひかりが色々と不安を感じるシーンが目立つようになります。
それを良い方向に導いたのが第25話なのですが、
本当によく練り上げた脚本だと感心してしまいます。

池の爽やかで静粛な雰囲気も非常に良かったし、さなえさんの若き日の後姿も本当に
素晴らしかったです。

余談ですが、プリキュアオールスターの場合、ピンク系プリキュアには、キュアブラックも入るのですが、
色彩的には、シャイニールミナスの方が相応しい感じもしますね。
もっとも、ルミナスはリーダーシップの要素は皆無ですし、何よりも戦闘には一切参加
しませんけどね・・・
だから、黄色系の方がやはり合っているのかな・・・??
現役プリキュアのマナは本当に出来る子だし、歴代のピンク系の中では驚異的に
オールマイティーな娘だと思います。
強いて弱点を見出すと、音痴な事と少々鈍い事くらいかな・・・?

対照的にプリキュア5の夢原のぞみは、歴代アホプリキュアの中でも
ハッピーと並んで、アホで勉強もスポーツも苦手で、ドジなおっちょこちょいという
いかにも伝統的なアホピンク系の娘です。

だけどマナものぞみも両方共私は大好きなキャラですし、それぞれ素晴らしいものを
持ち合わせていると思います。
マナの場合、元々持っているものが高次元のものなので、六花さんの「幸せの王子」理論に対して、
いかに他人への奉仕と他人の成長に対する指導が両立できるのかが今後のポイントという風に
見る事が出来ると思います。

のぞみの場合は、何もかも出来ない「のび太くん」みたいな女の子がいかに
自分のやりたい事や夢を見つけていって、2年間のプリキュアと共に羽ばたき成長していったのかの
物語だったような気もします。




のぞみの一生懸命さ・ひたむきさが周囲の人達を優しく包み込み、周囲の人達ものぞみに
引き込まれるかのように自身も大きく成長を図った物語だったと思います。

プリキュア5【無印】の第44話でそれを示唆するというか、他のメンバーがのぞみをどう見ているのかを
ミルクの視線から描いた回がありましたが、
その中で

〇うらら⇒一番肝心な時にいつもそばにいて、叱ったり励ましたりしてくれる人

〇りん ⇒皆の為に笑って、皆の為に泣いて、皆の為に怒る事が出来る人

〇こまち⇒強い意志を持った人

〇かれん⇒逆境に強く、いつでも信じる事を忘れない子

と各々がのぞみを評していました。

のぞみの場合、マナと違って万能タイプではないし、少なくとも出来る子ではない。
だけど、出来ない子が出来ない子なりに頑張って、その姿勢や態度が周囲の人達の心をつかみ、
周りの人達をぐいぐいと巻き込んでいくというストーリーだったのだと思います。

マナが
「私も頑張るけどあなた達も努力を忘れず頑張って」というタイプならば、
のぞみは、
「自分は何もできない。だけど皆がいてくれるから私も頑張れる」というタイプなのでしよう。
マナが典型的なリーダータイプとすると、
のぞみは、他者への共鳴型という感じなのかもしれません。

歴代プリキュアをずっと見ていて、やはりドリームに一番の共感を覚えるのは、
何もかもダメな子でも夢を持つ事によって、他人を巻き込みながらも成長できる事を
自分達に提示出来たからなのだとも思います。

ま、何よりものぞみもドリームも可愛いから、それだけで何もかも許せちゃいますけどね。

それにしても「プリキュア5」の場合、メンバーの中で一番成長したのは実はかれんさんだと
思っています。
マナと同じ生徒会長という立場なのですが、マナがおせっかい焼きの中にも他者への成長を促す側面を
持っているのとは極めて対照的に、初期の頃は
「結局は私がやるしかない・・・頼れるのは結局自分だけ・・・」という
後年デザトリアンとジコチューに強制的に変容させられかねない言動を吐いていたかれんさんが
あそこまで協調性と自己犠牲を図れる女の子に変身するとは・・・

一番喜んだのは、じいやの坂本さんだったりして・・・
うーーん、マナはやはり大物と言うか、歴代プリキュアのピンク系の中でも
群を抜いて優秀としか言いようがない活躍ぶりですね。
4/21の放映だけでも、偉大なる大物伝説を作ってくれたような気がします。

例/

〇何十冊もの本を両手に持っても全然平気

〇聖徳太子のように一度に何人もの人の注文リクエストを聞き分け、瞬時に計算して正確に
 おつりまで手渡せる。

〇移動の最中に怪我人の保健室までの搬送・けんかの仲裁を軽々とこなす

〇前回のソフトボールのピッチャーに引き続き、テニスも軽々とこなし、対戦相手のサーブの癖までも
 簡単に模倣できる

〇相談事項の参考の為とはいえ、複数の本を読破しようとする

などなどですが、
本当に歴代プリキュアのアホ担当であったピンク系の諸先輩達から見ると
ホント「ため息が出そうな」優秀振りですよね。
特に何の特技も取り柄もないドリームしハッピーからは深々としたため息が聞こえてきそうです。

前回は、そうしたマナの他人への無条件での奉仕振りやおせっかいについて、
「いつまでも他人に頼ってばかりでは何の解決にもならない。
 いつの日か自分に頼らなくてもいいように、あなた達自身も努力を忘れないで。
 その為には、今は自分もあなた達にヘルプはするけど、あなた達もいつの日にか
 一人立ち出来るように頑張って!!」というメッセージをマナ自身が発信した回でも
ありましたが、今回はそれを更に発展させて、
「あなたは、全部が全部私のようにする必要はない。
 それではあなたは私のコピーになってしまうだけ。
 大切な事は、私にあこがれて私の模倣をする事ではなくて、
 自分が出来るベストな事は何だろうと真剣に考えて、それを実行に移す事じゃないの?」という
メッセージを発信させた回だとも思います。

今回の登場人物の純も当初は、ただ漠然とマナにあこがれてマナのマネをしただけだったから
最初は疲労困憊に終わったのだと思われます。
マナのように「他人に喜んで貰おう」という気持からではなくて、マナのマネをしたに過ぎないから
ジコチューに心のスキを与える結果になってしまったのだと思われます。
だからこそ、最後で「自分でできる事=園芸」を見つける事で、
他人に何らかの形で貢献するという風に収まったのは、大変素晴らしい展開だったと
思います。

そんな中でも、六花さんの「マナ好き好き」オーラが至る所に出ていたのが楽しい所です。
六花さんも相手が男の子で、そんなに大した子でなければ、「焼きもち」の対象に
ならないのかな・・・?
前々回は、まこぴーがマナの対象だったから、「焼きもち」が炸裂したのかな・・??

それにしてもありすは、3人と唯一学校が異なるから、どうしても埋没しがちなのですが、
前々回六花さんに「自分だって焼きもちを焼くことがある」と本心を伝えたり、
一人浮いてしまった純のフォローに入るなど、
歴代プリキュアの「天然ボケ・自由奔放」という黄色系の諸先輩達とは異なり、
色々な面で大人だし、調整役がしっかりと出来る子という印象が強いですね。
ホント、キュアピースも少しはロゼッタの爪の垢でも煎じて飲んで欲しい気がします・・・(笑)

最後に出てきたレジーナというツンデレっぽい敵幹部が何だか次回以降楽しみですね。
(初代無印後半に出てきた女性幹部は、レギーネという名前だったかな・・・?)
中の声の人はケロロ軍曹の人みたいですね。
思い起こすと、プリキュアの敵幹部の中でも女性幹部は、
ミズシタターレ・アラクネア・ハデーニャ・ノーザ・サソリーナみたいなおばさん系とか
シビレッタ・マジョリーナみたいな婆や風の魔女ばかりでしたれど、
今回のレジーナは一見可愛らしいし、性格は悪そうだし、何かこれも「ドキドキ」という感じです。
だけど、満と薫、せつな・エレンのように可愛い女の子の敵幹部は皆最後はプリキュアに
なってしまうから、
まさか今回も・・・???



こうやって、四人が両手でハートの形を作っていると
ホント、「フレッシュ」みたいで何かとてもなつかしいです。


うちの妻が「一度食べたいので買ってきて!!」とうるさいので
すき家の「焼きそば牛丼」を食べてみました。
(店内で一つ食べ、一つを持ち帰り用という事で・・・)

正直、焼きそばと牛丼なんて今一つ組合せの意図がよく分らないという感じでした。
すき家というと、チーズ牛丼とかキムチ牛丼なんていうのは最早定番だと思いますし、
例えばチーズと牛丼と言うのは、相当相性は宜しいかと思いますし、事実美味しいと思います。
焼きそばと牛丼なんて聞いても、牛丼の上に単に焼きそばが乗っかっているというイメージしか
ありませんでしたし、
マルハニチロの牛丼の具をご飯の上に乗せたものに、ぺヤングソース焼きそばを乗っけたような
感覚しかありませんでした。

だけど食べてみると意外と「合っているなー」という印象でした。
実際に食べてみると分るのですが、麺はかなりの太麺で、味は比較的こってりとしたソースが
特徴だと思います。
関西人が良く言う「炭水化物のダブル」という感覚なのだと思います。
関西の方は、たこ焼きをおかずにご飯を食べたり、焼きそばを食べるのは全然OKと言いますが
その感覚に近いと思います。
要は、焼きそばという炭水化物に牛丼というこれまた炭水化物を組み合わせても
全然いけるという事なのだと思います。
別の見方で言うと、肉入り具だくさん焼きそばがご飯の上に乗っかったものといっても
宜しいかとは思います。
味も濃厚なのだけど、何となくフルーティな味もあり、悪くはないと感じました。

現在吉野家が280円に値下げをしたばかりか、味も更に美味しくなり、すき家としては、
大変な脅威になると思います。
吉野家の上品な味付けに対して、すき家の関西風の
「下品でどこが悪いねん」的な対抗策も決して悪くはないアイディアだなーと
何か妙に感動してしまいました。

うーーん、そうなると松屋も何かアイディアを出さないといけないかもしれませんよね。
確か最近のコンクールは、吹奏楽連盟の通達によりベースは使用不可になったのでしたね。

ベース使用の曲と言うと、最近では

〇アメリカの騎士~選ばれし者

〇コンサートバンドとジャズバンドのためのラプソディー

あたりが有名ですよね。
アメリカの騎士は、2001年の市立柏高校のベースをギンギンに鳴らした演奏が
印象に残ります。

ベースを全国で一番最初に使用したチームはどこなんでしょうか?
自分の聴いた限りでは、1986年の東海大学第一高校なのかなと思っています。
自由曲は、ラム/イーゴリファンタジーという曲でしたが、
導入部で最初にベースがなった時は、すごいインパクトを感じたものでした。
だけど、この演奏録音で聴くと、すごく面白いものがあります。
生で実際に聴いた時は、正直「全然盛り上がらないし、この曲のどこが面白いのか
よく分らない」という感じでした。
指揮棒もノリノリなのですけど、今一つ盛り上げに欠ける曲と感じたのも事実です。
曲が終始ジャズ風に鳴っているのだけど、曲自体の緩急の差とか強弱の差が弱く、
何となく騒がしい曲だなーという印象だけで終わってしまったような気もしました。
だけど後日改めて聴いてみると、
別タイトル名が「ストラヴィンスキーの主題による幻想曲」となっている通り、
幻想曲「花火」とか「春の祭典」のモチーフを部分的に取り入れたり、
クラシック風とジャズ風な要素をミックスさせたりと色々面白い試みはあったと思います。
終わり方も「春の祭典」のパロディーみたいで、それもまた面白いと思います。
何か、この曲はライヴで聴かせるよりは、CD等の録音でじっくり聴いた方が楽しめる曲の
部類に入る曲のようにも思えました。
だけど途中でベースの相当大胆なソロもあるし、やはり面白い曲だと思います。

意外な事かもしれませんが、
ミッチェルの「海の歌」にもベースが使用されています。
高校二年の時、定期演奏会でこの曲を演奏したのですが、確かパーカッションパートが
「あれ、この曲にベースが入っている」とか言っていたので総譜を見てみると確かに
ベースが打楽器として入っていました。
あんな抒情的な曲にベースの指定があるとはかなり意外な感じもしたものです。
演奏会では、ベースは使用しませんでしたが・・・

吹奏楽コンクールは、確か1981年にピアノを用いる事が解禁となり、
それから弦楽器・ハープもOKとなり、その流れで確かベースも可となっていったような気がします。
ハープを最初に使用したチームは、恐らくは
1981年の市立川口高校の「無言の変革~問い」だと思います。
ヴァイオリンを実際にソロ楽器として使用した初めての例は、1982年の仙台第一高校の
組曲「グランドキャニオン」だと思います。
チェロを使用した例は、96年の伊奈学園の「英雄の生涯むだつたかな・・?

だけど確かにチェロとヴァイオリンの使用は何か反則的な感じもするので、現在の使用不可と言う規定は
まあ仕方がないとは思います。
この年の高校の部で、「あれっ?」と感じた事が一つありまして、なぜか知りませんが
東北代表三団体はいずれもプログラム20番台に演奏している事です。
現在は、そうした不均衡が生じないように、ブロックと演奏順は一定の配慮がされている節は
窺えますが、その当時は恐らくは「くじ引き」かなんかで、アットランダムに演奏順が
決められていたのかもしれませんよね。
当時はまだCDというものは存在せず、全国大会の実況音源はレコードでした。
(CDが初めて吹奏楽コンクールに登場するのは1985年以降)
後半の演奏を収録した、東邦高校から秋田南高校まで8団体を収録したレコードは、
バラエティーに富んでいてとても面白かった事が印象的です。
花輪・仁賀保の暗い世界、東海大一・兵庫の明るい世界、福岡工大付属・秋田南のファンタジー感の世界
色々と楽しむことが出来た貴重な音源だったと思います。

〇花輪高校

 このチームは前年度はウォルトンの交響曲第一番を圧倒的名演を成し遂げながらも
 東北大会で涙をのみ、全国には進めませんでした。
 その雪辱を誓ってのこの年にコンクールに臨んだと思うのですが、
 大変な路線変更を行っています。
 だって、自由曲は、無調音楽バリバリのベルクの「三つの管弦楽曲~Ⅲ.行進曲」ですから・・・
 ベルクは、21世紀に入って秋田南が「ルル」を演奏した事がありましたが、この時代に
 こうした無謀な選曲をする事がいかにも花輪というか、小林先生らしいと思います。
 課題曲/カドリーユは、少しというか相当ヘンな演奏です。軽快さ・リズム感は皆無のかなり
 個性的な演奏です・・・
 自由曲のベルクは、最初この自由曲を聴いた時、当時は無調音楽とかベルクとか知る由もなかったので、
 「あー、花輪も前年のスカ金に懲りて、今年は行進曲みたいな爽やか路線で行くのかな」と
 思っていたら、ああいう無調音楽バリバリの路線でしたからね・・・
 だけど、この曲、本当に陰鬱な曲で聴いていて生きているのが嫌になってしまいそうな曲ですね。
 途中でハンマーの叩きつけというすごいインパクトのある部分が出てきますが、
 もしかしてマーラーの交響曲第六番「悲劇的」の第四楽章と同じ効果を意図したものかも
 しれませんよね。マーラーとベルクは交流があったようですし・・・
 演奏は、正直評価するのに悩む演奏です。
 課題曲のヘンな印象が響いて銅賞になったのかなとも思えます。
 曲のラスト近くで一旦静粛な世界になったと思ったら、突然ドラと金管が咆哮して絶叫していくような
 終わらせ方は、やはりマーラーの交響曲第六番の終わらせ方と似ているとも
 思えます。

 何かこの曲を聴くと、いつも思い浮かぶ場面があります。
 この曲は「全員うつむいてトボトボと暗い顔で歩く」というイメージがあるのですが、
 1984年に大学受験で、朝霞台駅からキャンパスまでの長い田圃道を歩いている時、
 ハッと後ろを振り帰ると、全員暗い表情でトボトボと歩いていました。
 その際、なぜかこの花輪高校のベルクの陰鬱な世界が頭をよぎったものです。
 ちなみに朝霞台駅やその周辺も現在は随分とおしゃれな感じになっています。

〇関東第一高校

 このチームはこれが初めての全国出場でした。
 だけど一言で言うと、「陰気なオセロ」という感じですね。
 男子高校なのだけど、豪快さとか気迫と言うものが全然感じられない暗い表情のある
 演奏でした。
 オセロの第三曲「オセロとデスデモーナ」を不自然にカットしていたのも何か印象が
 悪かったです。
 関東一高は、どちらかと言うと「渋み」が特徴なのだと後年分りましたが、その渋みが
 いい方向で発揮されていったのが、1990年の「華」や91年の「トッカータとフーガ」なのだと
 思いますし、開花したのが94年の「カンタベリーコラール」と翌年の「ベトナムの回顧」なのだと
 思います。
 だけど、なぜか塩谷先生は97年以降は青森山田に移籍していまうのですよね・・・
 (何かあったのかな・・??)
以前、交響詩と交響曲の境界線って何だろう?と書いた事がありましたが、
結局良く分らないというか、曖昧と言うか、
作曲家が「これは交響詩」と言えば、どう見ても交響曲の体裁であっても、それは交響詩になってしまうし、
逆も然りとか何とか書いた事がありますが、
同様な事は、協奏曲と交響曲にも言えるのかなーと思います。

その典型的な例が、ラロの「スペイン交響曲」でしょうかね。
この曲は誰がどう聴いても形式的には「ヴァイオリン協奏曲」以外の何物でも無いと
思います。
だけど作曲者本人が頑なに交響曲と言っている以上、それはどうしても交響曲に
なってしまいますよね。
だけど、まあ形式はどうでもいいのですけど、この曲は魅力たっぷりの曲ですよね。
第三楽章のいかにもサラサーテを連想させるようなメロディーとか
第五楽章のスピード感あふれる展開、名曲に恥じる事はない曲だと思います。
この曲を聴くと毎回感じてしまうのですが、
第四楽章は、どう聴いても第五楽章の導入部というか序奏にしか聴こえないのですが、
なぜ単独楽章にしたのでしょうかね・・・?
第四と第五楽章は一つにまとめた方が、四楽章の交響曲としてかえってすっきりとした形式にも
なるような気がするのですが・・・
ラロのスペイン交響曲は、上京後間もない頃に、堀米ゆず子ソロの読響定期で初めて聴いて
一発で好きになりました。
その後も千住真理子とか色々な名演を聴く機会もありましたが、
個人的には、神尾真由子独奏/ヤルヴィ指揮の日本フィルのサンデーコンサートが極めて
印象に残っています。
あの時の神尾さんは、まだ高校生ぐらいだったと思いますが、神かがりのような奇跡的名演奏でした。

同じようなケースとしてベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」があると思います。
この曲も誰がどうきいても「ヴィオラ協奏曲」としか聴こえないのですが、
スペイン交響曲との決定的な違いはどこにあるかと言うと、
生の演奏会に行けば分ると思うのですけど、
独奏楽器の見せ場が圧倒的に少ないというか、独奏楽器が活躍する時間が短いのが
イタリアのハロルドだと思います。
嘘か本当かよく分りませんが、ベルリオーズの回顧録では、
当初パガニーニにこの曲の総譜を見せた所、独奏楽器が活躍する場が少ない事に難色を示した・・・
と書かれていますが、曲を聴く限りでは、何となく「それは分る・・・」と
言いたくはなります。
この曲を生の演奏会で聴いた事は一度しかありません。
1997年頃に今井信子独奏の読響のサントリーホールでの演奏会だったのですが、
この演奏で二つほど面白い試みがありました。
一つは、ハープを左右二か所設置し、楽章によってハープ奏者の位置を変更させていた事
及び二つ目は、独奏者の今井さんを、指揮者の目の前ではなくて、チェロとコントラバス奏者の中間に
位置させ、しかも高さ1m程度の台の上に今井さんを乗せ、比較的高い目線に独奏者を
配置させたという事が行われていました。
正直「それ程効果はあったのかな?」と感じさせる程度の演奏的と言うか、音響的効果しかなかった
ようにも感じましたが、配置を目立たせるという視覚的効果は多少はあったかなと思います。
今井さんがもしも高所恐怖症だったとすると、かなりひびったかもしれません・・・

メシアンの「トゥーランガリア交響曲」もその辺が少し曖昧かもしれませんよね。
曲自体長いし、第10楽章まであるし、
何よりもピアノにオンド・マルトノという特殊楽器のダブル協奏曲という解釈もできるのかなーと
思います。
だけど、この曲は何度聴いても自分には理解不能・・・
せいぜい、第五楽章「星の血の喜び」・第六楽章「愛の園」くらいしか分らないです・・・
1999年のサントリーホールの東京交響楽団の定期では、
前半の矢代秋雄のピアノ協奏曲の受けは非常に良かったのに、
後半のメシアンのトゥーランガリアは、あまりにも長すぎるためか
途中で席を立つ人が続出していたので、すごく印象に残っています。
だけど、その気持ちはすごく分りますね・・・
何気なくローソンに寄ってみたら、エルチキが20円割引セールをやっていましたので
思わず久し振りでしたが買ってしまいました。
でも美味しかったですね。少々油がベタベタしていたのが気になりましたが、
味はとても100円程度のものとは思えないものでした。

比較して申し訳ないけど、ファミリーマートのファミチキとかプレミアムチキンには
一歩及ばない感じもします。
何が違うんだろう・・・?
チキン自体は大差がないような気がします。
ファミリーマートの場合、衣がサクサクッというのが特徴だと思いますし、
何よりも香辛料というか香りの違いなのかなーと感じました。
ローソンの場合、味がやや濃い感じで、ズバッと「チキン」一色の直球勝負という感じもします。
一方、ファミリーマートの場合、複数ものスパイスを使用しているせいか、
味が何か複雑で、口の中で色々な味が楽しめるという感じがしました。

だけど、最近のコンビニの進化には目を見張るものがあります。

自分が大学生あたりというと、チキンは「ケンタッキーフライドチキン」というイメージが
ありましたが、コンビニでこうしたハイレベルの味を出してしまうと、
ケンタッキーとの差はどこにあるのかという気さえします。
それでいて、ケンタッキーの方が倍近く価格が高いですからね。

何か今後のケンタッキーの生き残り作戦は大変なのだなーとも感じてしまいました。
現役プリキュアの「ドキドキ」は、メンバー全員がほぼ優等生である設定の為、
より高度な感覚が今後も期待できそうで楽しみなのですが、
こうした事は歴代の中では非常にまれな現象で、
ほとんどのピンクプリキュアは、勉強が苦手でアホでドジっ娘というパターンです。
だけど、どんなにアホでも、皆それぞれ「無限の可能性」を秘めている点では
同じだと思いますし、
それが人間にとって一番大切なものだと思います。

それが一番顕著だったのは、やはり「のぞみ」でしたよね。




かなり初期の話で、「のぞみとココの夢気球」という大変素敵な回がありましたが、
ここでのポイントは、

1.勉強が苦手な子にいくら勉強を強要しても、益々嫌いになるだけ

2.「どうして勉強する必要があるのか」という問いに自分なりの研究テーマというか、興味を
  持たせる分野を一つでも持たせることで、
 それをきっかけにして「学ぶ」事の必要性が分ってくることもある。

3.この時点のかれんさんは、まだ他人との協調性や自分の信念や価値観を相手にも同じように強
  させる面が目立ち、現役プリキュアの「ジコチュー」と対して変わりがなかった事。
 それから見てみると、かれんさんの成長性は目を見張るものがある。

という事だったと思います。

結果論になりますが、この回と次作「プリキュア5GoGo」の「のぞみ先生、大いに頑張る」の回は
シリーズをまたいだ姉妹作と言えるのかもしれません。
当初「勉強する必然性や動機」を見いだせなかったのぞみが、自作では
りんちゃんの弟妹に
「人はなぜ勉強をしなくてはいけないのか」をのぞみ自身の経験に基づいて自分の言葉で
語っている姿勢は素晴らしいと思いますし、
それがのびみの成長性の証なのかもしれません。

ココとかシロップが言っているように、
本当に、のぞみは将来「素敵な先生」になるのでしょうね。
自分の会社の代表は、大変な講話好きというか、他人への説教大好き人種の部類に入ると
思われます。

ま、だけど冷静に聞いてみると

当たっている事・・・大体20%

とんちんかんな事・・大体80%

大抵朝礼の際に朝からグタグタ吠えているので、あまり耳には届きませんけどね・・

今日も色々と朝から説教大魔王と化してしまっていて、
「現在の日本は、貧乏人と金持ちの二極分化が進行している。
吉野家の牛丼が280円になったからといって喜んでいる下流人種と
今年のGWは、海外渡航者が例年に比べて増えているが、そうした海外旅行でお金が自由に使える
上流の人間と君たちはどちらに入りたいのか」などの旨の事を
グタグタ言っていましたが、
世間の一部の人間だけにお金が廻っている事と、
当社のような下流企業では、いくら働いても給料なんて上がりやしないという
諦めのような事実の間には
どうしても矛盾というか、差異が生じてしまいます。

だからそれは比較する事自体ナンセンスですし、
朝からバカバカしくてやってられなくなってしまいました・・

そんな事よりも、「吉野家の牛丼」をそんな下らない比喩に使うなどして
バカにすることは止めて欲しいものです。

美味しいものは、美味しい。
大好きなものは大好きとしてかいいようがない。
上流(?)クラスに例え入れたとしても、吉野家の牛丼は美味しく感じるだろうし、
それが280円になった事は大変喜ばしい事であって、
比較する事自体アホらしいという感じです。

そんな訳で、今日も吉野家の牛丼を食べてしまいました。

やはり美味しい・・・

店内もかなり混んでいて、今まですき家等に押されまくっていた吉野家にも
やっと活気が戻ってきた感じです。

ビゼー/交響曲

ビゼーと言うと、歌劇「カルメン」とか「アルルの女」で音楽史に歴史を残した
偉大な作曲家だと思うのですが、残念ながら37歳と言う若さで世を去っています。
以前、クラシック界で最大の「あ、これ聴いた事があるメロディー」の第一位は
ハチャトゥーリアンの「剣の舞」(バレエ音楽「ガイーヌ」より)なのかもと書いた事がありますが、
上位にランクされる曲の一つとして、このカルメンの第一幕への前奏曲「トレアドール」は
絶対にランクされる曲だと思います。

昔、確か1999年のN響のGW中の特別公演として、チョン=ミョン=フンを招いて
前半にソリストにスミー=ジョーを招いての歌曲を
後半にマーラーの交響曲第一番「巨人」の演奏を行ったことがあります。
確か、この時は、実況生放送だったと思います。
この時自分も生の演奏を聴いていましたが、
演奏自体よりも、スミー=ジョーの歌の前に、カルメンの前奏曲を演奏したのですが、
指揮者が舞台袖から指揮台までダッシュするかのように走り抜け、演奏をしようとする意図が
あったと思うのですが、
指揮台の寸前の所で、つまづきそうになり、あやうくこける寸前までいったのは
何か笑ってしまいました・・・

ビゼーの「カルメン」はファンの人も多く、ブラームスやニーチェなんかは何度も何度も
このオペラを聴きに来たそうですね。

ビゼーというと、どうしてもカルメン・アルルの女ばかりが有名ですが、
実は交響曲も残しています。
本当は3曲程作曲したらしいのですが、今回取り上げる「交響曲」以外の2曲は
いまだに発見がされていません。
というか、紛失・焼失したらしいとの事です。
ビゼーの交響曲自体、作曲者没後80年以上経過してからようやく陽の目を見たという感じで
すっかり忘れられていたみたいです。
だけど、ビゼーの交響曲は、とても愛くるしい可愛らしい曲調で
聴いているととてもウキウキワクワクしてきます。
特に第四楽章のフィナーレは、曲全体を可愛らしいハッピーが曲を貫き、
とても楽しいです。

この曲は一度だけ読響の定期演奏会で聴いた事がありますが
25分程度の短い曲ながらも、曲の至る所に「ドキドキ」が用意されていて、
ホント、ハッピーな曲です。

CDでは、デュトワの演奏が素晴らしいと思います。
あの東日本大震災から早2年が経過しましたが、仙台出身の自分としては心痛むものがあります。
知人関係で亡くなった人も多数おりますし・・・
関係者各位のご冥福を改めてお祈り申し上げます。
宮城県は、実は1978年にも大地震を経験しております。
今となっては東日本大震災の影に隠れてしまっていますし、記憶が薄れていっているとは
思いますが・・・
1978年の宮城県沖地震の際も、中学の同級生の弟がブロック塀の下敷きになって
亡くなっています。
思えばあの時以来、建築基準法というか耐震基準が厳しくなり、ブロック塀を建てる際は
その時までは特に規定等がなかったのが、鉄柱を必ず入れる事が義務化されるなど
あの大地震がもたらした影響はそれなりにあったのではないかと思っています。
当時中学生の自分なんかも、確か大地震から半年程度は学校給食が全て中止になった事は
何か妙に印象に残っています。

1983年も秋田県沖で大地震が発生し、確か修学旅行中の小学生が津波に呑み込まれた事故が
発生したような記憶があります。
秋田県沖地震が発生した時、確か模擬試験の最中だったような気がしますが、
あの時は宮城県内も結構揺れ、試験どころではなくなったような感じがありました。


〇明石北高校

 このチームの指揮者は、後日兵庫高校の指揮者も務めた松井隆司氏で、
 この時は、兵庫高校のような「強烈な個性・インパクトのある表現」は抑え気味で
 課題曲・自由曲共にスタンダードで可愛らしい解釈をしていました。
 女の子の制服がとても可愛らしく、ブルーのセーラー服に近い感じもあり、
 とても印象に残っています。
 課題曲カドリーユも、非常に軽快で可愛らしいのですが、
 リズムセクションのトロンボーンがかなりダーダー吹きに、後押し気味に吹いていたのが
 なぜか印象に残っています。
 自由曲の「ダッタン人の踊り」も難曲を全然難曲に感じさせない程自然に楽に吹いていたのが
 印象的です。
 この曲は、昔からよく自由曲として取り上げられていましたが(最近はあまり演奏されなくなりましたが・・)
 金賞を取るのが意外と難しく、半数以上のチームは銅賞を受賞しています。金賞は、記憶に残る限りでは
 この明石北と今津中くらいかな・・・?
 このチームの「ダッタン人の踊り」は、課題曲度同様に、ややダーダー吹きというか、レガート気味に
 吹いていたのがかえって良かったような気もします。
 全体に音に切れと躍動感が漲っていて、スピード感と軽快さが両立している演奏です。

〇東邦高校

 1950年代~60年代に吹奏楽界をリードしたこのチームも80年代以降になると、東海地区の
 御三家(名電・浜松工業と商業・東海大学第一)に代表の座を明け渡すことが多くなり、
 中々全国に出る事も厳しい感じになっていました。
 たまーに、白子高校なんかも全国に出ていましたしね・・
 ま、要は東海大一がスカ金の時に、この東邦が代表になるというパターンがこの当時はあったようにも
 思えます。
 この年は、確か78年の「カディッシュ」以来だから5年ぶりの出場でしたね。
 この当時は、まだ男子高校でしたが、サウンドが意外と柔らかく、クラリネットの音色が
 非常に美しかったのが印象的です。
 よく言えば、非常によく統率されている
 悪く言うと、指揮者の棒の通り吹いている
 という感じの演奏でした。
 少しこじんまりとまとまり過ぎているというか、若干スケールに欠けるとか
 「盆栽」みたいな演奏になっていたのは惜しまれます。
 サウンドは透明感があり良かったと思うのですけどね・・・
 翌年のジェイガーの交響曲の際は、83年とは逆に幾分「荒っぽいドライヴ」の演奏になってしまうから
 面白いものです。
 東邦は確か、1985年以降から男女共学になったのかな・・・
聞いた話なのですけど、山崎の「プリキュアパン」というのは最近では
すっすりお馴染みになっていますけど、初代からSSの「ふたりはプリキュア」時代には
この「プリキュアパン」というものはまだ販売されていなかったそうですね。
これが世に出てくるのは「プリキュア5」以降との話です。
このプリキュアパンは、おまけにシールが入っているのが楽しくて、
前作「スマイル」時は、個別シールが5人全員揃うまではしぶとく買い続けていた事も
ありました。
だけど、なぜかマーチばかり当たってしまい、一番欲しかったハッピーとビューティさんが
中々当たらず、結構困っていた事もありました・・・

なぜか知らないのですけど、埼玉では、プリキュアパンは
イオン系の店でしか置いていない事が多く、イトーヨーカドーや西友やマルエツに置いてあることは
まずないので、これを買うには少し家から遠いイオンダイヤモンドキャラシティーモールに行かなくては
いけないので、少し困っています・・・

プリキュア5時代のプリキュアパンは、ミルキーローズが大好きのうちの奥様が
よく買っていましたので、何度か目にしたことがあります。
だけど当時はまだそれ程プリキュアシリーズを真剣に見ていなかったので、
いくらうちの奥様が買っているのを見ても「どうでもいい・・・」と内心「しょーもねーな」と
舌打ちをしたものですが、現在から見てみると
何か勿体ない話です。
だけどあの頃の記憶として、やたらこまちというか、キュアミントが可愛く見えていました。

最近うちの奥様との間で取引が成立し、
フィリップス社の「ノンフライヤー」を買ってあげる代わりに、当時彼女が集めていた
プリキュアパンのシールを(但しミルキーローズは除く・・・)全部貰う事に
なりましたので、やっとキュアドリームのシールをゲットする事が
出来ました・・・

しかし、いい年こいてうちの夫婦は何しているのでしょうね・・・・




だけど、夢原のぞみ、というかキュアドリームは可愛いから
それでいいのですけどね・・・

パンとお菓子以外に、プリキュアが使われている食品というと、丸美屋のふりかけとカレーでしょうかね。
ちなみにふりかけは、初代からそのデザインが使われているとの事です。
だけど丸実屋のプリキュアカレーは一度食べた事があるのですけど、
いかにも離乳食みたいな味で、甘いのかマイルドなのかよく分らないヘンな味でした・・・
ふりかけは美味しいのですけどね。
本日は埼玉県も暑かったです。
でもこんな日に限って朝からバタバタ忙しく、朝から午後21時まで何か一日ドタバタ
していました。
結局お昼ご飯を食べそこなってしまいました・・・

会社に戻って何気なくニュースを見てみると、またまたマクドナルドが迷走状態みたいですね。
今度は、従来の100円マックを値上げするみたいですね。
高級化路線だの値下げだの、カウンターからメニュー表撤去だの
1分以内に提供できなければ無料バーガー券支給だの
何かどっかの中小企業みたいな「朝令暮改」という感じですね。
これでは何か長期的には消費者にそっぽを向かれそうな気もします。

だけどマックは年に二回ほどプリキュアの「ハッピーセット」があったり
クーポン券付きチラシが配られたりと
これはこれで魅力的な面があるから、「ま、いいか・・」の世界ですね。

帰りにお腹が空いたので、吉野家を見てみると
そう、そう、本日から100円値引きの280円になっていましたね。
そして同時に味も昔風の味に改良したとの事で少し期待して入ってみると、
確かに美味しくなっていましたね。
何か「昔食べた味」という感じもして、懐かしく感じられ、
「ホントにこれ280円でいいの?」という感じでした。
知らなかったのですけど、吉野家は4/24までは「牛丼専念」とかで
店内は、牛丼・牛皿・牛鮭定食しか販売しないとの事です。

だけど、例の狂牛病騒動以前は、今のように牛すき定食だの焼き鳥丼だの豚丼だの
生姜焼き定食だの多種なメニューがあった訳でなく、
単純にどの店に行っても「牛丼専門店」というブランドが成立していましたので、
かえってこのようにシンプルな方が「吉野家」らしいと思いますし、
こうした単一メニュー路線の方が余計なコストもかからず
宜しいかと思われます。

だけど何で吉野家の牛丼は松屋・すき家と比べると味が「上品」に感じるのかな・・?
プリキュアシリーズを見てみると、
初代からプリキュア5までは、敵を撃破する際は、単純明快に敵を打ち砕くという感じが
濃厚でしたが、
フレッシュ辺りから、プロデューサーが交替した事情もあると思いますが
撃破から「浄化」へ変容していったような気がします。
フレッシュの場合、ナキワメーケを容赦なく撃破していましたが、その際は
「シュワーシュワー」と消滅していきましたが、何となく「浄化」っぽい雰囲気も感じ取れます。
ハートキャッチから現役のドキドキからは、完全に「浄化」という言葉に置き換えられるように
なりましたが、
人のココロから怪物を作り出すハートキャッチのデザトリアンとドキドキのジコチューは
本当に「浄化」という言葉はしっくりとくるような感じもします。

初代プリキュア(ふたりはプリキュア無印)の場合、なぎさもほのかも容赦なく敵を粉砕していましたが、
ただほんの初期の頃には、現在の「浄化」を先取りするかのような
「レインボーセラピー」という悪の心に乗っ取られた人間や動物を元に戻すという必殺技を放った時期も
ありました。
だけど、これはわすが二回しか登場していません。
ゲキドラーゴの時の森のクマさんと
ポイズニー姉さんの時の公園内の群集のわずか二回だけです。
そしてその後は一度も使用されていません。
結局初代プリキュアは、ほぼ二年間にわたって基本的には「マーブルスクリュー」という必殺技だけで
戦い切った事になります。
これはすごいですよね。
初代の偉大なる二人から見てみると、最近のプリキュアの後輩たちは
「少し回が進んだり、少しピンチがくるだけで、新しいアイテムや必殺技が出てくるなんて
楽なもんね・・・」というボヤキの言葉が出てきそうですよね。






だけど、初代無印の第6話で既にハートキャッチやドキドキを予見させるような事も
起きています。
それは、嫌味でゴマすりの教頭が、
(プリキュアの世界では、「大人」ポジションの人は、ほとんど優しく諭すようにプリキュア達に適切な
 アドバイスを送っているのに、ここまで嫌味な大人も逆に珍しい・・・)
ゲキドラーゴによって、怪物ザケンナーに変容させられ、
ハートキャッチのデザトリアンのように、心の中の本音を洗いざらいぶちまけているシーンも
あったりします。
あの教頭の心の叫び、普段言いたいのだけど中々言えない心の本音は
まさに「デザトリアン」そのまんまですよね。
だけど面白いのは、この時はブラックもホワイトも
「レインボーセラピー」を使用せずに、何と「マーブルスクリュー」を出してしまいます。
もっとも教頭に対して放つというのではなくて、命令者のゲキドラーゴに対してですけどね。
こうした場合、怪物対象者ではなくて、命令者に対してマーブルスクリューを放つと
怪物対象者からザケンナーが解放され、元に戻るという事が判明しましたが、
結果的にこうした現象が発動されたのは、この回が最初で最後です。

そう言えば、初代無印は、よーく見ると第二話で何かバリアらしきものを一瞬張っていましたが、
結局無印版ではバリアはその後一度も出てきませんでした。
バリアーは、シャイニールミナス登場まで待たなくてはいけませんでした・・・
まったくもう・・・
本日は、週に一度の各部代表による統一ミーティングがあり、毎回毎回
俗にいう「小田原評定」の繰り返しばかりの「何も決められない」会議をやっているのですが、
本日もくだらない会議で、時間の無駄というばかりで
ホント、嫌になってしまいました。
おかけで、たたでさえ毎日帰りが遅いのに、本日はもっと輪をかけて遅くなってしまいました。

私の場合、妙な事なのですが
仕事がある日の昼は全然お腹がすきません。
忙しくバタバタ駆けずり回っているというせいもあるのですが、
空腹と言う意識はほとんどありません。
だから、コンビニでペットボトルお茶とおにぎり二個程度で十分という感じなのです。
だけど、なぜか休みの日は、異常にお腹が減ります。
何か知らないけど、飢餓状態になってしまいます・・・
何か自分の場合、環境が変わると空腹になりやすい傾向があるみたいで、
例えば初めて社会人になった年、最初の一ヶ月は定時で帰れたのですが、当時は寮に入っていて
寮の夕食まで時間がある時は、駅前のイトーヨーカドーかなんかで惣菜を買ってきては
ボリボリ食べていました。そして普通に夕食も食べていました。
だけど一ヶ月が過ぎて定時で帰れなくなると、異常にお腹が減るという事は
なくなりました。
という事は、自分にとって平時とは仕事がある時で、
休日にお腹が空くという事は、休日は平時ではなくて環境が変わるという事なのかな・・・??

そんな訳で、4/16の昼は何かお腹が異常に空いたので、
こういう時は、安くてお腹いっぱい食べられる「さくら水産」に行く事がよくあります。

「さくら水産」はホントに庶民の味方ですよね。
夜は居酒屋に変身するのですが、昼間の時間帯は「ランチ」をやっています。
ランチは500円ランチというものが定番で
(価格は少し上がるけど、刺身定食・サバの味噌煮定食なんてのもあります)
Aランチは魚系(刺身や焼き魚)B定食は肉系と言う感じです。
私は行くと大抵魚系になってしまいます。
だけどさくら水産の良い所は、価格は500円なのに、
ご飯とみそ汁のお替りは自由で、なおかつ味付け海苔・卵・ふりかけ・漬物は食べ放題なのです。
4/15は、鮭の西京焼きを、4/16はマグロの刺身定食を美味しくご飯三杯も頂いてしまいました。

確か4/19(金)は大好きなさんまの塩焼き定食だったかな・・・
お腹が空いて時間があれば行ってみようかな・・・?

さくら水産は、まだ全国展開をしていなくて、東京・千葉・埼玉・神奈川が中心です。
だけど、これぞ「庶民の味方」ですし、夜は夜で美味しく安いおつまみを色々提供してくれていますから
ホント、心強いものです。

トリティーコ

ネリベルと言うと、どうしても交響的断章・二つの交響的断章・フェスティーヴォ・
アンティフォナーレといった作品が有名なのですが、
比較的初期の作品に「トリティーコ」という作品もあります。
これを一番最近全国大会で演奏したのは、94年の東海大学第一高校なのかな。
というか、この曲はコンクールで演奏されることは極めて珍しい部類に入る曲なのかも
しれません。
「トリティーコ」は確か、「三つの宗教的絵画」という副題があったような気が・・・
(詳細は不明です)
確か三枚の絵画にインスピレーションを得たネリベルが三楽章の曲を書いたというのがこの曲らしい
のです。楽章ごとに特にタイトルはありません。
比較的初期の作品のせいか、
後年の作品のような、恐ろしいまでのダイナミックスの落差・静と動の極端な対比・壮絶だけど
響きが美しい不協和音というのは、それ程ありません。
どちらかというと、第一・第三楽章のスピード感が持ち味のような感じもします。
第二楽章のティンパニーの轟音みたいな感じも悪くはないです。
第二楽章はアルトサックス・テナーサックスのソロが大活躍します。
94年の東海大学第一は、第二・第三楽章の抜粋なのですけど、第二楽章のティンパニーの轟音的ソロから
金管セクションの咆哮で曲を終結し、そのまま第三楽章になだれこんでいますので、サックス系のソロが
無残にもカットされ少々残念です。
サウンドも粗いしかなり強引なドライヴです。
曲が終わると同時にやらせのブラボーコールは明らかにやり過ぎだし興醒め・・・

トリティーコは、確か1960年代にも確か大学の部で一度全国で演奏されています。
(演奏団体はど忘れしました・・・)
トリティーコの演奏で忘れられないのが、1983年の大曲吹奏楽団です。
このチームは、指揮者に小塚類氏を招聘後にぐーんと力を伸ばし、
何と1996年~98年は3年連続全国金賞の偉業を成し遂げています。
個人的には93年のテンポがやたら遅いけど、濃密なアダージョを演出した「ハムレットへの音楽」も
大好きです。
だけど大曲のトリティーコは小塚氏ではなくて、田村忍氏の指揮によるものです。
演奏は、「どん臭い」感じがプンプンします。
特に技術的に秀でているものもないし、斬新な解釈もしていない。
だけど作りが非常に丁寧と言うか誠実で、ネリベルの「冷たい容赦ない」音楽なのだけど
何か妙に手作り感のある温かい演奏のようにも聴こえました。
それが印象的です。
機能性・音の迫力一辺倒の東海大学第一よりは、相当ましな演奏だと思います。
大曲は翌年もチャンスの交響曲第二番で全国大会出場を果たしていますが、この年の方が
技術的にはしっかりしていますし、前年程「もさっとした感じ」はしませんでした。

でも「トリティーコ」を聴く上で両者の演奏とも決定打にはなりません。

プロの演奏では、フェネル指揮/ダラスウィンドがありますが、こちらもよく整理されている演奏だけど
今一つ「何か」が伝わってきません。

この曲の名演なんて、もう出てこないのかな・・・??
月から火の間、久しぶりに仕事が連休で、家の中でも
うちの奥様がぎっくり輿とかで二日間外出できない状態でしたので、
これ幸いな事と(?)二日間のんびりと家の中でぶらぶらとリフレッシュ出来たと
思います。
改めて4/14の「ドキドキ」を見てみると、
やはりマナの「ハートシュート」が断然格好良くて素敵!!
アクアさんの「サファイアアロー」とかビューティさんの「ビューティブリザードアロー」も
凛々しくて素晴らしかったのですけど、
今回のハートの場合、構えた時の凛々しい表情と放つ瞬間の一瞬ニヤッとしたようなウインクが
マジにキュート過ぎる!!
嫉妬する六花さんもいいけど、ハートシュートを放つハートもいいですね。

そう言えば「焼きもちを焼くプリキュア」と言えば、アニメ版ではないのですけど
上北ふたごの「なかよし」の漫画版においては、少々意外でしたが、
初代プリキュアにおいて、九条ひかりが登場した際には、雪城ほのかが
「うーん、何か複雑な気持ち・・・これって嫉妬・・・?」なーんて言うシーンがあったと
思いますが、プリキュアの世界では優等生ほど嫉妬に陥り易い伝統があるのかな・・・??

この休みの間、スマイルとかスプラッシュスターとかプリキュア5とか色々歴代プリキュアを
見ていましたけど、
「スマイルプリキュア」の場合、歴代シリーズの中でもメンバーが少し幼いのかなとも
感じる事もありました。
だけど、その分「スマイル」は自分達にある一つの明確なメッセージを一年に渡って
送り続けていた事に改めて気が付きました。
それは何かと言うと、
「大事な事は、ちゃんと自分自身の頭の中で考えなさい」という事なのです。
「スマイルプリキュア」は、「プリキュア5」のように元々メンバー一人一人は聡明で自発性が高い中で、
のぞみという傑出した妙なカリスマ性のあるリーダーの下でチームが一つとなって結束する話では
ありません。
現役プリキュアの「ドキドキ」のように元々メンバー全員の自発性と知性が高い訳でもありません。
どちらかと言うと、歴代の中でも珍しい部類に入る程の「ボンクラ集団」といっても過言では
ありません。

特にハッピー・・・・??




だけど、例えば第22話・第31話・最終回のように節目節目の所で、
何か大切な決断を迫られている場面で目立つのは、
大切な事はまず自分達一人一人で考えよう。
そして、何が今自分達に出来る事なのか考えよう。
そして考えた上でチームとして行動を起こそう。そして最終的にウルトラハッピーを自分達一人一人だけでなく
皆で共有していこう。
という事だったと思います。

そして一人一人が自分の頭で考えた事の積み重ねが、
「幸せとは、他人に探してもらう事でも無くて、探し求めるものでもない。
 自分達一人一人が考えた結果、どう感じるのか」という事なのだと
思います。
その意味では、「スマイルプリキュア」というのは、少々自発性に欠けていたボンクラな子達が
いかに自立していったのかというストーリーだったのかなーとも
改めて思います。

だけど「ドキドキ」の凛々しい感じや聡明性に慣れてしまうと、逆に「スマイル」のアホ振りが
非常に新鮮に感じます。
そして少し頭の悪いハッピーがホント、マジで可愛く感じてしまいます。

4/14のドキドキは、こうした流れを踏まえたものなのかは知りませんけど、
マナの「いつまでも他人に頼ってばかりではダメ。本当に自分達が強くなりたいと願うのならば、
他人に頼る前にやるべき事はない? まず自分達が努力を積み重ね、やるべきことをきちんと
やった上で、他人を頼ってみたら?」という
スマイル路線を一歩突き進めたメッセージ性を発信しているのは、
さすがというか、歴代プリキュアシリーズの「進化」なのでしょうね。
サン=サーンスと言うと交響曲第三番「オルガン付」とか歌劇「サムソンとデリラ」・死の舞踏あたりが
代表作で有名なのでしょうけど、
誰もが聴いた事があるメロディーと言うと、
組曲「動物の謝肉祭」の中の白鳥とかガイコツが群を抜いているのではないでしょうか?

それにしてもサン=サーンスという作曲家は、クラシック音楽の作曲家のイメージとは異なり
随分と長生きしたみたいですね。
それにしてもこの作曲家、若い頃の作品と晩年の作品にそれ程目立つ変化は感じられず
終始「フランス的な粋な感じ」・「優雅さ」をモットーにしたような感じもします。
サン=サーンスは、19世紀と20世紀の両世紀で活躍した方ですが、
晩年の頃は、ドビュッシーやラヴェルが活躍した時代も終焉を迎え、ミヨー・プーランク・オネゲルといった
新・6人組がフランス音楽界を席巻しようとした時代であり、ストラヴィンスキーも活躍の拠点を欧米に移し
それまでの原始主義を乗り越え新古典主義に移ろうとしていた、そんな環境下でも
頑なに「古き良き伝統」を固く死守したサン=サーンスの頑固一徹さには敬意を表したくなります。

そんなサン=サーンスも中には可愛らしい作品もあったりします。
それが組曲「動物の謝肉祭」であり、かなりおふざけ要素もあったりもします。
そのせいかこの曲だけ、生前唯一作曲者自自身が出版を許可しなかったとのことです。

編成は、ピアノ二台と小規模の管弦楽の編成で、打楽器はガイコツで出てくるシロフォーンくらい
だったかな・・ 管楽器もフルート・ピッコロ・クラリネットだけだったと思います。
ライオン・カッコー・ロバ・雌鶏・水族館の魚・象などの身近な動物がユーモラスに描かれていますが、
その中でも際立っているのが、
サン=サーンスの嫌味と言うか毒も加わっていると思うのですが、
カメとピアニストだと思うのです。

「カメ」は、オッフェンバックの「天国と地獄」のカンカン踊りの部分をわざとスローテンポにした
音楽で表現され、「自分から見ればオッフェンバックなんて作曲家はどん臭いカメみたいな
存在だ」という事を暗に仄めかしているようにも思われます。
「ピアニスト」は、なぜかこの組曲で唯一「ヒト」が登場しますが、
練習曲らしい単調な旋律をつまらなそうに演奏しています。
このピアニストの部分は、自分もこの曲の演奏は色々と聴きましたが、解釈としては二通りあるようで、
一つは、つまらなそうに機械的に単調にガチャガチャ弾く感じと、二つ目は
いかにも素人っぽく、わざと間違えたり、二人のピアノ奏者のタイミングを微妙にずらしたりするなど
「下手さ」をアピールする解釈なのだと思います。
自分が持っているシャンドス盤のCD(モントリオールミュージックみたいな演奏団体だったかな・・?)
は明らかに後者のタイプで、これはその間違え方やずれ方が半端じゃない位面白く
極めて印象に残っています。
ただ、生で聴く演奏会では前者の解釈が多いような気がします。

「白鳥」は一転して清楚な音楽です。この曲のメロディーは誰しも一度は聴いた事があるに違いないほど
かなり有名なメロディーです。
「ガイコツ」はシロフォーンが終始大活躍しますが、よく聴くとこの曲の主題は
自分の作品でもある交響詩「死の舞踏」のパクリですよね。
終曲は、全員大集合みたいなオールスターのような雰囲気で、盛大に盛り上がって曲は閉じられます。

「動物の謝肉祭」の生の演奏で印象的だったのは、
サントリーホールでのこどもの日用のプログラムでした。
この中のメインプログラムはこの「動物の謝肉祭」でしたが、
子供に音楽の楽しさを感じてもらうには、うってつけの曲だと思いました。
演奏者も、例えば「カッコー」のクラリネット奏者は、立ち上がって頭上にカッコーの絵が描かれた
帽子を被るなど色々と細かい演出があったのは印象的です。
この日のラストは、なぜかストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」で、
前半はファンタジー溢れる曲調のせいか、大半の小さい子供たちは爆睡状態でしたけど
「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の金管と大太鼓の「ズドン」というとてつもない破壊音が鳴り響くと
一斉に子供たちがピクンと跳ね起きた光景は、結構印象的でした。
指揮者の沼尻さんは、それを意図していたのかな・・・??

しょーもない話ですが、部屋の至る所に
プリキュアグッズが置かれています。
ただほとんどが、プリキュア5とスマイルプリキュア、特にドリームとハッピー、アクアにビューティ
ばかりなのですけど・・・
(たまにメロディとかピーチがあったりするかな・・?)



以前は、壁をくり抜いて作ってもらった飾り棚の中に納まる程度だったのですけど、
最近は、満杯状態でして・・・

うーん、さすがに置き場所がない。
吹奏楽とクラシックのCD関係だけで既にゴチャゴチャ状態なのに、これにプリキュアグッズが加わってしまうと
さすがに部屋が狭くて敵わないという様相を呈しています。

いずれは整理統合と言う意味で、少し大きめの飾り棚か整理棚を購入しないとダメかもしれませんよね・・(笑)

1983年の大学・職場・一般の部の全国大会は宮城県で開催されました。
だけど申し訳ないのですけど、出場者の方には気の毒な事をしたと思います。
だって、会場の宮城県民ホールは音響的には最悪なホールで、
その理由は当時の実況盤レコードを聴けば一目瞭然だと思います。
80年の名古屋、81年の北陸の会場の音響の悪さはひどかったけど、やはり宮城県民会館は
最悪の会場の一つだと思います。
でもそういう自分達も県大会とか、定期演奏会の会場は宮城県民会館でしたからね・・・
ちなみに県大会の前段階の仙台地区予選は、仙台市民会館だったのですけど、こちらは音響的には
普通なのですけど、いかんせん収容人数が少なすぎ・・・

この年は、ヤマハ浜松の「フェスティヴァルヴァリエーション」だの
近畿大学の「大阪俗謡による幻想曲」だの出雲吹奏楽団のリシルド序曲だの色々と素晴らしい演奏が
あったのですけど、レコードで聴いてもその良さが中々伝わりにくいのはホント、気の毒でしたね。
大学の部で宮城教育大学が「幻想交響曲」にてまさかの金賞を受賞していましたけど、
あれはご当地のご祝儀なのかな・・??
だけど当時の指揮者は、山王中学校で大活躍の細谷氏でしたので、さすが先見の明という
所ですかね・・・

この時の全国大会は是非何としても地元だし聴きに行きたかったのですけど、当日は
絶対にさぼれない全国統一模擬試験の日でしたので、泣く泣く断念しました。
だけど、吹奏楽部員の中には、模擬試験をさぼって全国を聴きに行ったものもいて、後でそれが
ばれて大目玉を食らった部員もいました。

宮城県では、1992年にも大学・職場・一般の部の全国大会を開催していますが、この時は
宮城県民ホールではなかったものの、確か榴ヶ岡近辺の体育館みたいなホールだったと
思います。
あれも宮城県民ホール以上に音響は最悪でしたね・・・
当時の勤務先の山梨県甲府から駆け付けたものの、あの音響の悪さには閉口しましたね・・・
あそこで全国開催するから、まだ「イズミティ」の方がましだったたかも・・・


〇愛知工業大学名電高校

 この年から「名古屋電気高校」から今の校名に変わったみたいです。
 又この年あたりから女子生徒がちらほら混ざるようになり、82年の「交響的断章」の
 圧倒的威圧的サウンドから徐々にではありますが、よりマイルドなものへと変化をしていったような
 感じもします。
 ま、全体的に伝統的に愛工大名電のサウンドは、緻密さ・緊迫感が魅力なのですけどね。
 この年初めて「プラハのための音楽1968」を取り上げました。
 松井先生は、この曲を広めるのがライフワークと思ったかどうかは定かではありませんが、
 この後も、85年・87年・92年と計4回もプラハを取り上げていきます。
 余程相性が良かったのでしょうね。
 個人的には、87年の演奏が一番良かったと思います。
 この年は、85年の演奏と比べても何か「未消化」のものを感じてしまいます。
 楽譜を適切に音にしているものの、85年のあの感動的な演奏に比べて、聴衆に向けて
 何かを伝えるという事には至っていないような感じもします。
 何となく切れ味も鋭くなくて、モサーッとしているのが気になるところです。
 課題曲の「白鴎狂詩曲」もピッコロとクラリネットのソロの掛け合いが決まっていないせいか
 何かちぐはぐしたような印象もありました。

〇中村学園

 1982年はなぜかコンクール不出場でしたので、2年ぶりということになります。
 81年の「スペイン奇想曲」でも気になった事ですが、このチームはサウンドがすごくベタベタしているのが
 当時は気になりました。
 リズムが甘いというか、スタッカートを全部わざとスラート気味にというか、押して吹いているような
 感じがあって、この年は正直あまり良い印象は持っていません。
 中村学園が化けるのは、1985年あたりかな・・・
 BJ1月号で審査員の一人が、
 「トランペット奏者が少々ガニ股気味に足を開き気味にどーんと構えていたのは、勇ましくもあり
 中々見事な演奏スタイル。立ち上がってそのまま椅子に座る感覚だとああいう演奏フォームになり、
 理に適っている」みたいな事を書いていましたが、当時のレコードジャケット写真を
 見てみると確かにそんな感じでしたね。
うーーーーん、部屋中歴代プリキュア関連のグッズ(フィギュア・時計関係が多いのかな・・)で
一杯になってしまいそう・・・




結婚する前って、趣味はもっぱら吹奏楽・クラシック音楽だのどちらかというと
「固い感じの音楽」だったのですけど、うちの奥様が漫画・アニメが大好きで、どちらかというと
その影響をもろに受けてしまったという感じですね・・・(笑)
うちの奥様は、グッズと言うと、キティちゃん、リラックマ・スヌーピー・ひこにゃんやくまもんなどの
ご当地ゆるキャラ、キッコロやモリゾーなどの非アニメグッズばかり収集する傾向にあるのですが、
自分の場合は、ほとんどというか、ほぼ全て「プリキュア」一色ですね。
あまり萌え系とか可愛すぎるのは好きではなくて、
プリキュアみたいに「強くて優しくて適度に可愛い」のがいいと思うのです。

やはり、男というのは「結婚」によって嗜好が変化するというのは
ホントなのかもしれませんよね・・・
もっともうちの奥様は、プリキュアは、ミルキーローズとキュアパッションとキュアサンシャインだけが
好きで、残りはどーでもいいという感じなのですけど・・・
ドキドキの六花さんの正妻振りがホント興味深くてたまらないです・・
歴代プリキュアの中にも色々とカップリングと言うか「百合キュア」が存在していましたが、
「マナりつ」は歴代の諸先輩方の百合キュアをはるかにしのぐ濃密な関係振りを
序盤から提示してくれています。
うーん、この濃密さは「ひびかな」と同じレベルか最終的にはそれすらも超越するかも・・??

おせっかい好きバカ旦那とそれを支える古女房とというパターンに「マナりつ」も該当しそうですが、
そのパターンには「のぞりん」という大先輩が控えています。




のぞみとりんちゃんの場合、マナと六花さんがどちらも聡明であるのとは対照的に、
のぞみは、ひたすらアホでドジでおっちょこちょいで勉強もスポーツも全然ダメという
ある意味ピンクプリキュアの王道をいっています。
それを支えフォローしているのがりんちゃんなのですが、
六花さんはどこまでもマナを「幸せの王子」理論の下、心配し追い求めているのに対し、
りんちゃんは、時にそんなのぞみに愛想を尽かし、何度か険悪な状態に陥っている所が
明確な違いですよね。
のぞりんもマナりつもどちらも幼馴染設定で、りんちゃんも六花さんも歴代プリキュアでは
数少ない常識派+突っ込み系なのですけど、
時にりんちゃんが「のぞみなんていなければいいのに」と思ってしまう所が
逆に自然な展開なのかもしれませんよね。
「ドキドキ」はその点、歴代プリキュアでも珍しくメンバー全員が聡明という明確な相違点を
有しているため、今後可能性的に、六花さんが
マナの「幸せの王子」振りに嫌気を差した時とか、第10話の時のように自分とマナの関係に
土足で入りこまれた時に、何か「ドキドキ」としての明確な危機が訪れるのかも
しれませんよね。
そうした展開になるかどうかは、正直予想もできませんけど、それはそれで一つの楽しみ方でも
あります。

それにしても、プリキュア間で「焼きもちを焼く」プリキュアが登場するとは
夢にも思いませんでした。
ひびかなの場合は、「夫婦喧嘩は犬も食わない」の世界でしたけど、ドキドキの場合は
高次元の感覚の嫉妬の問題も何かありそうで興味津々です。

プリキュア5の場合シリーズが二年間続いたというせいもあるのですが、
のぞみの成長が実に素晴らしい!!
「のぞみとココの夢気球」の回で「なぜ勉強しないといけないのか」という問いに明確な答えを
提示出来なかったのぞみが、翌年のGoGoでは、りんちゃんの弟妹に応える形で
「人はなぜ勉強する必要があるのか」について、のぞみ自身の言葉で語りかけている所が
素晴らしいと思いますし、また影でそれを見守るりんちゃんもまた偉いと思います。
アホなのぞみを表に裏に支え続けたりんちゃんがあってこそののぞみの成長があったのですが、
両者とも聡明で信頼関係は構築できているマナりつが、果たしてどこまで「のぞりん」の域にまで
達する事が出来るのかは、今後の楽しみです。
4/14の「ドキドキプリキュア」は、第11回でやっと新アイテムが登場しましたね。
「スマイル」は第12回目で「レインボーヒーリング」が登場しましたので、ペースとしては
大体同じようなものですね。
だけど、CMで既に新アイテムが登場してしまったのは何か笑ってしまいましたね。
だけど前作「スマイル」でも第30話あたりで新アイテムが登場し、みゆき達が「これは何?}と
言いかけた所で放送が終了し、すかさずCMで新アイテム「ロイヤルクロック」を紹介していた事も
ありましたから、仕方がないですよね・・・

オープニングもオールスターモードから久しぶりに通常モードに戻りましたので何か懐かしい感じも
しました。
(改めて見てみると、まこぴーが可愛い・・)

「ドキドキ」は歴代シリーズと異なり、全員聡明で理解力が早いという事もあり、
必ずしも一人の強烈なリーダーシップの下、そのリーダーの指示に基づいて一致団結して行動する
ストーリーではないと思います。
その点が、「のぞみ」という不思議なカリスマ性のあるリーダーの下で、チームワークを最大の武器として
2年間戦い抜いたプリキュア5との最大の違いかなーと改めて感じさせてしまいます。
「ドキドキ」の場合、全員が主体的に自分の頭で考えて行動できるメンバーなので、
現段階では、マナという強烈なリーダーがいたとしても、マナ一人だけの指示で動いている訳では
ありません。
真琴は、トランプ王国崩壊の被害者的な視点から物事を見ており、
(マナがソフトボールの試合開始に間に合わず、「一番必要とされる人がいないのでは、もう無理」と
 やや懐疑的な視点に立っているのはこの辺りに原因があるのかもしれません)
六花さんとありすは、マナの協力者という共通点はあるものの、六花さんは暴走しがちなマナに対する
ブレーキ役、ありすはマナと六花の間の調整役という役割を担っていて、
一人の強いリーダーに引っ張られて動くというチームではないように思えます。

ま、その辺りも「トランプ王国復活」という真琴の願いに対して、他の3人がどのような共通認識を
持って臨んでいくかと言うのが、今後の当面の課題なのかもしれません。
マナは、その点「困っている人がいれば助けたいと願うのが当然でしょう」という
例の「幸福の王子」理論そのままみたいな人なのですが、
暴走しがちなマナを正妻的側面からサポートする六花と
心の本音では「自分もマナにもっと深く入り込みたい」と感じているありすが、自分の感情を
セーブしてまでも、マナと六花の調整役に徹するありすが最終的にどのような「理論」で
真琴・マナをヘルプしていくのかと言うのは、今後1年間の課題なのでしょうね。

それにしても、マナのソフトボールのピッチャーとしての素質は相当高そうですね。
SSの咲もピッチャーとしては、中々のものでしたし、SS第一話自体も咲が10人連続三振を取る
シーンから始まっていましたが、どうみてもピッチャーとしての素質はマナに軍配が
上がりそうですよね。
だけど、今回の話は結果的にマナが全然「助っ人」として役に立たなかったことが最大のポイントであり、
マナ自身が序盤で言っていたように
「いつまでも誰かに頼ってばかりじゃダメ」というのがミソだったと思います。
もしかして、自分達の「予選突破」ばかりにこだわっていたソフト部の上級生達の発想そのものが
「ジコチュー」だったのかもしれません。

でも改めてマナはすごい・・・
「困っている人を助けるのに理屈なんていらない」というのが一つの発想の根幹なのに対して
その一方で「だけどいつまでも他人に助けてもらってばかりじゃダメ!! その間に己を鍛錬し
磨いて、いつかは他人の力なんか借りなくても対処できるような自活力を身につけなさい」という
メッセージも持っています。
その辺りが六花さんの言う「幸福の王子」だけで終わらせない+アルファがあるのだと思います。
ただ単純に「自己犠牲」・「他人を助けるために自分の身をポロポロにする」というのは
「幸福の王子の童話」とか太宰治の「饗応夫人」の世界なのだと思いますが、
それに加えて、
「自分も取り急ぎ今は、あなた達を全力でサポートするけど、サポート中にあなた達も
 自分の技を盗み取り、自分達自身で学習し、自分を飛び越えていきなさい。そして更なる進化を
目指しなさい」というのが
マナの発想の根幹なのかもしれません。
「自分も精一杯頑張るけど、あなた達もそれ以上に努力をしなさい。最終的には
自立・自活出来るようにしなさい」というのが
「ドキドキ」の「幸福の王子」理論に対する反論なのかもしれませんよね。

最終的には賢いメンバーだから、その事に気が付くのかもしれませんよね。

同時にトランプ王国の事でも、
まこぴーに対しては、「自分達も精一杯のお手伝いをするけど、最後に頑張るのはあなた」というスタンスで
臨み、一方六花さんとありすに対しても
「あなた達の力が必要なの、お願い私に力を貸して」という感じになるのでしょうね。

だけどそれにしても新アイテムは格好いいですよね。
皆それぞれいいのだけど、今回はデザイン的にはロゼッタが断然見栄えが良いし、
アクアさんとビューティさんを彷彿とさせるハートの「ハートシュート」という弓矢は
群を抜いて格好いいですよね。
弓を構えている時のハートの凛とした顔とウインクをした時の可愛さの落差が
これまた素敵・・・





だけど、今回は、4人全員新アイテムをゲット出来て良かったです。
フレッシュのベリーやスイートのリズムのように
「どうして私だけ・・・」というのが無くて何か安心しました・・・
というか、あの時のベリーはホント、気の毒でしたよね・・・
自分よりもプリキュアとしての覚醒が遅く、当時は戦闘でもどんくさかったパインにすら
先を越されていましたからね・・・

だけど、次週は、またまた六花さんのライバル登場??
しかも今度は男の子??
またまた六花さんの「焼きもちモード」が炸裂??
ついでに新たな敵幹部の登場の予感・・・?
まだまだ「ドキドキ」は続きそうですね。
4/14(日)夜九時台に何気なくチャンネルを回していたら、
どこかで聴いた事がある旋律が流れてきたので、気になって聴いていたら
何とバーンスタインの交響曲第二番「不安の時代」でした。
番組名は、Eテレの「クラシック音楽館」でした。
まさかこんなマイナーな曲をテレビで視聴出来るとは思わなかったので
思わず見入ってしまいました。
この曲は、以前から生で聴きたいなーと思っていたものの、曲がマイナーなせいか演奏頻度も
少ないので、一度も生で聴いた事はありません。
バーンスタインの交響曲は、生で聴いたのとは、
1991年の新星日響の交響曲第3番「カディッシュ」だけです。

というか、バーンスタインの交響曲は、3曲共に、合唱・ソロピアノが入るなど
普通の形式の交響曲は一つもありません。

〇交響曲第1番「エレミア」⇒ソプラノソロが終楽章に入る。

〇交響曲第2番「不安の時代」⇒ソロピアノが終始大活躍!! 特に第二楽章第2部「仮面舞踏会」は
              ピアノと打楽器だけしか登場しない

〇交響曲第3番「カディッシュ」⇒朗読アナウンサー・ソプラノソロ・児童合唱・混成四部合唱が入る。

交響曲第2番が作曲された当時は、第二次世界大戦のアメリカの勝利に沸いたいた頃であり
まだ「現代人の不安・孤独」というものは、それ程クローズアップされていない時代にも関わらず
バーンスタインは、オーデンという詩人が残した「詩」に相当霊感を刺激されたのかも
しれませんよね。
詩の内容は、男女7人の孤独をうたったものですが、
酒を飲み語らってもダンスをしても、各々の不安感・孤独感は解消されず
夜明けと共に各々の家に戻るという灰色がかったストーリーなのですけど、
そうした感じを交響曲で表現したものなのです。

原作の詩は、「不安感」一杯で終わるのですが
バーンスタインの交響曲は、最後に「救い」を提示したのが決定的な違いだと
思います。
第2楽章第2部「仮面舞踏会」は、トランペットソロの寂しそうな感じで閉じられ
第2楽章第3部「エピローグ」になだれ込んでいくのですが、ここでは最後は
何か「希望」を暗示して、幸福感をもって華々しく曲が終わります。

何かいかにもバーンスタインらしい解決方法なのだなーとも思ってしまいます。

ウォルトンの交響曲第一番のように「不安」には「不安」を持って対処するしかないという事を
提示した人もいる一方で、
無理やりでも「希望」・「明るさ」を信じて原作を多少アレンジしてまでも「いや、人生そう満更でもないよ」
と言いたい人もいるし、人それぞれの感じ方なのでしょね。

N響の演奏も悪くはなかったし、ピアノも協奏曲みたいな扱いで、指揮者の目の前に位置し
やはりこの曲は、ピアノ伴奏付き交響曲なんだなーと改めて
実感させられました。
自分の高校は大らかな男子高校だったため
(校則規則はほとんどなし、制服なし、服装髪型は自由、授業開始終了のチャイムもなし
 その代わり、最終的に一教科でも赤点科目があり、追試の結果が悪ければ問答無用で留年
 それ以外はほぼ自由)
どちらかというと、うるさい教師・厳しい校則・うざい先輩・生徒の事を全然理解しない吹奏楽部顧問に
悩まされた中学時代とは一転し、
のびのびとした学校生活だったと思います。
この時代に読んだ本とか、友達関係とか、音楽への関心とか、
「合法的に家を出よう」という上京への強い気持ちとか、
この3年間は本当に自分の「原点」だったのかなーと今更ながらに感じます。

この高校は、学校統廃合により現在では男女共学高校となり、一段と進学校になったみたいで、
何だか自分が在籍していた頃の雰囲気ではないと思われますが、
それも時代の変化ですし、単に自分の「ノスタルジー」だと思います。
そんな中、自分が卒業した学校が、創部以来初めて県大会の壁を突破して
昨年東北大会に進めたのは、OBとしても、第19代目部長としても感慨深い思いです。
東北大会は一歩及ばず銅賞に終わりましたが、それでも後輩達の活躍には
胸にくるものがありますし、今年も頑張ってほしいものですし、敬意を表したいと思います。
埼玉から、30年前の元アホ部長からエールを送りたいものです。

当時4月中旬の桜が満開の頃に、卒業アルバムのクラス集合写真を撮ったのですが、
どのクラスの写真撮影時にも、別のクラスの奴とか、二年生とか、果てには近くの肉屋のオヤジまで
写真撮影時に紛れ込み、確か一クラス45人だったと思うのですが、どのクラスも60人近く
写っており、たまにアルバムを見てみても
「あれ、誰だっけ、この人・・・?」みたいな人も結構いたりします・・・

何かしょーもない田舎の大らかな一コマですよね。


〇習志野高校

 このチームは81年に「寄港地」で初出場を成し遂げ(オーボエのソロはプロ並み!!)
 翌年は、何とバーンズの「呪文とトッカータ」というバリバリのオリジナル曲で連続出場を
 果たしています。後年の洗練されたアレンジ路線の習志野とは想像が出来ない演奏を
 この時は聴かせてくれています。
 習志野の真の個性が開花したのは、1983年の演奏からと思います。
 この年の課題曲カドリーユも本当に「愛らしい」感じで、女子高生の舞みたいな
 感じの演奏でした。
 一転して自由曲の矢代秋雄の交響曲は、内容的な深さを感じさせる素晴らしい演奏を
 聴かせてくれています。
 前年の仁賀保高校の場合、「快速的アレグロ」が魅力の一つでしたが、習志野はどちらかというと
 「和」の感覚を重視した少しドロドロした演奏です。
 前半のホルンの雄叫びをあそこまで強調して音を伸ばした表現も、このチームが初めてだったと
 思います。
 矢代秋雄の交響曲は、原曲を聴くとよく理解できるのですが、形式は完全に「循環主題」なのです。
 第一楽章のテーマが第三楽章の終盤で提示され、第四楽章の清らかな金管楽器のコラールで再現
 されますが、習志野の演奏は、この循環形式をよく理解した演奏だとも思います。
 前半のゆったりとした静の感じと後半の動の感じの対比も良く出来ていたと思います。
 文句のつけようがない金賞だったと思います。
 
 この頃、NHKの番組に「歴史への招待」というものがありましたが、一度だけ、この習志野高校の
 矢代交響曲のコンクールでの演奏がBGMとしてかかり、驚いた事があります。

 習志野は、1991年のサントリーポールでの「邦人・吹奏楽作品集」コンサートにて、
 演奏をしたチームの一つですが、この時もこの矢代交響曲の第四楽章を演奏していました。
 演奏は素晴らしかったけど、コンサートなのだから、コンクール時の演奏の時のように
 カットするのだけは止めて欲しかったな・・・
 あれは少し興醒めでした・・・

〇高岡商業

 1983年のコンクール・高校の部で、昭和45年以前のような順位制を付けるとすると、
 一位は、淀川工業と高岡商業のレベルの高い争いになっていたかもしれません。
 (個人的には、野庭のアルメニアンダンスパートⅠが最優秀ですが・・・)
 また「ローマの祭り」と言うと、色々な名演・爆演がありますが、
 どうしても個人的には、1983年の高岡商業と1996年の愛工大名電を思い出してしまうのですよね。
 だけど、この年の高岡商業は、本当に素晴らしいローマの祭りを聴かせてくれました。
 87年の柏のような「爽やかさ」は皆無で代わりに、「ドッカーーン」という爆発的重厚感の
 漂う迫力満点の演奏です。
 だけど聴いていて、「うるさい」とか「やかましい」という感じはあまりなくて、
 よく鳴っているけど心地良いという感覚なのです。
 特にトランペットセクションが素晴らしい!!
実は、このチームは前年度に同じ自由曲を当時N響のチューバ奏者多戸氏に振ってもらったにも関わらず
 北陸大会でスカ金でしたので、
 この学校の正指揮者の土合先生も、この年は相当気合が入っていたと思いますし、
 そうした気持ちが演奏にもよーく出ていたと思います。
そう言えば最近「田中賢」の名前をコンクール等で聴く機会が相当減ったような気もします。
田中賢と言えばやはり「メトセラⅡ」が圧倒的に有名なのでしょうね。この曲が1988年に
ヤマハ浜松で初演されると、翌年から翌々年はかなりこの曲が人気曲になっていましたよね。
だけど吹奏楽オリジナル曲は、「目新しいもの好き」が多いせいか、
一度ブレークして飽きられると、その後はグッと演奏頻度が下がるというのは
毎年毎年の恒例ですよね・・・
そのいい例が、

〇アメリカの騎士

〇交響組曲第二番「GR」

〇ゴーストトレイン

あたりなのかな・・・??

田中賢の名前が一躍有名になったのは、メトセラⅡの二年前の同じくヤマハ浜松で初演された
「南の空のトーテムポール」なのかもしれません。
個人的には、少々作為的で演奏効果を狙いすぎた「メトセラⅡ」や「紅炎の鳥」よりは
この曲の方が大好きです。
ま、確かにメトセラⅡもダイナミックスで躍動感があり嫌いではないのですけどね・・・

出だしが比較的ゆったりと始まって徐々に盛り上がっていき、
打楽器アンサンブルから管楽器の掛け合い辺りで最高潮に達し
興奮の内に終了する感じなのですが、
ホント、いかにも「南洋の空」という音楽的イメージがストレートに伝わってきて、
そのシンプルさが抜群に素晴らしいと思います。

「エオリア」とか「始原Ⅰ~大地の踊り」何かは何を言いたいのかさっぱりわからないのですけど、
この「南の空のトーテムポール」とか「華」なんかは、構造がシンプルな分
ストレートに面白さが伝わってくるのだと思います。

この曲がコンクールで初演されたのは1986年なのですけど、その五年後にヤマハ浜松は、
「南の空のトーテムポールⅡ~リラ」という曲を自由曲に選びます。
実は、1991年の東海大会は、常滑市で開催されたのですが、当時20台後半で体力もヒマもあったせいか
当時甲府に住んでいたにも関わらず、車で駆けつけ、このヤマハ浜松の演奏を生で聴く機会に
恵まれました。
だけど、正直驚きました・・・
だって、86年の「南の空のトーテムポール」にハープが入ったぐらいで、あとはほとんど
変化がなかったからです。
あの時は思わず
「何やねん、この曲のどこがⅡやねん・・・南の空のトーテムポールと全然変わらない曲やないけ」と
突っ込みたくなりました・・

だけど改めて聴いても、この曲独特ののびやかな感じ・大らかさは素敵でしたね。

東海大会の会場も、ヤマハ浜松は確か最後から二番目のプログラムでしたが、
ヤマハの演奏終了と同時に聴衆も半分以上席を立ったのには
本当に驚いたものです。
(気持ちは分ります・・・・)

1989年に「メトセラⅡ」で全国大会金賞に輝いた新潟県の三条市吹奏楽団は、翌年は自由曲に
この「南の空のトーテムポールⅡ~リラ」を選曲していましたが、実は
県大会の前段階の支部予選大会でスカ金に終わり、実は県大会にすら進めなかったという事実は
あまり知られていません・・・

でも、たまには全国でも田中賢の曲も聴きたくなりますよね。
早いもので4/7の六花さんの「焼きもち」回からもう一週間・・
4/14の放送は、マナが新しいアイテム&パワーを得る回みたいなので、期待大という所ですね。
マナは生徒会所属という事で、あれだけ運動神経が良くても、
過去の歴代プリキュア
(例/あかね⇒バレー部 なお⇒サッカー部 れいか⇒弓道 咲⇒ソフトボール部 なぎさ⇒ラクロス部)の
ように特定の運動部に所属せずに、助っ人専門というのも
何だか「スイート」の響を思い出してしまいますよね。





響も相当運動神経は良さそうですし、何よりも第4話のテニス服姿がかなり可愛かったのは
すごく印象に残っています。
そういえばりんちゃんも、フットサル部入部以前は助っ人専門でしたけど、
こちらはこちらで相当ハイレベルの助っ人のようですね・・・

マナは、今回はソフトボール部のピッチャーの援軍のようですが、
ソフトボールと言うと、やはり咲を思い出してしまいます。
SS第一話の冒頭シーンは、咲が10人連続三振を取るシーンから始まっていますので、
かなりの実力派ピッチャーなのでしょうけど、何だかマナとのシリーズを超えた
ソフトボール対決を見てみたい感じもします。

ドキドキを見ていると、何か妙に一つ気になっている事があるのですが、
マナ達の通う学校が、いかにも昭和レトロ風の木造校舎で、学校の至る所に
木のぬくもりが伝わってきそうなところが何か面白いと思います。
それに今時、机が木製というのもありえないと思うのですが・・・

もしかして、大貝第一中学校は、予算が少ない「貧乏中学校」だったりして・・・??

木製の机なんて、自分なんかも小学2年生あたりまでしか使った記憶がないのですが、
高校の音楽室だけは、木の机でした・・・・

マナ達の学校の校舎は、何か曲線型というか、カーブをかけたみたいな作りがユニークですね。
そう言えば、咲達の中学校も、何となく「ピラミッド」を彷彿とさせるような作りで
こちらも結構ユニークだったと思います。

振り返ってみると、歴代プリキュアの通う学校は、咲・ラブ・みゆき・マナが公立で
残りは、私立でしたね。
でもフレッシュの場合、美希の祈里の学校はやはり私立でしたから、
全体の率としては、私立に通うパターンの方が多いのかな・・?
あ、でも現役のドキドキもありすだけは私立でしたね・・
やっぱりお嬢様には、貧乏公立校は似合わないのかな・・・???
以前にも書いた事がありますが、イギリスの作曲家ウィリアム=ウォルトンの
交響曲第1番は、ホント、大好きな曲です。
曲の圧倒的な重厚感には、いつ聴いても毎回違う発見があります。
この曲自体、「暗⇒明」「絶望⇒希望」「敗北⇒勝利」という曲ではありません。
第四楽章のティンパニー二台による轟音も決して「勝利の嘶き」ではありません。
曲が終わっても何か「不安感」は付きまといます。
結局は、「不安」には「不安」を持って臨むしかないという事を暗に示唆しているのかもしれません。
だけど、曲の圧倒的なスケールの大きさと真摯な逼迫感は、聴くだけでゾクゾクします。

だけどこうした重厚感ある曲というのは、ウォルトンにとっては意外と少ないジャンルの作品であり、
ほとんどが軽い感じの曲、映画音楽、ユーモア感たっぷりの茶目っ気のある曲が多いというのが
ウォルトンの作品群なのです。
最初は、その軽さと交響曲第1番の重厚感のギャップに驚いたものです・・・
ウォルトンの中で、例外的に深刻な曲というと他には、ヴィオラ協奏曲あたりかな・・・

組曲「ア・ウォータイム・スケッチブック」
喜劇的序曲「スピカーノ」
ファサード
映画音楽「バトル・オブ・ブリテン」なとが深刻じゃない比較的ライトな曲の例だと
思いますが、
他にも管弦楽用の戴冠式マーチにも素晴らしいものがあります。

それが
グランドマーチ「クラウン・インペリアル」
グランドマーチ「宝石と国王の杖」なのですけど、この二曲、特にクラウンインペリアルは
聴いていて気品はあるし、楽しいし、重厚感はあるし、エレガントな風格が漂います。
エルガーの行進曲「威風堂々」の世界につながる部分も多いと思います。

クラウンインペリアルは、威風堂々のように気品のある中間部が素晴らしいですし、
威風堂々以上に重厚感が漂います。
曲ラストの追い込みも見事だし、パイプオルガンの響きが更に曲にスパイスを利かせてくれています。

個人的には、プレヴィン指揮が断然良いと思います。
このプレヴィン盤には交響曲第一番も収録されていますので、ウォルトンの世界を知るには
もってこいの一枚にも思えます。

ただこのマーチは、演奏会ではあまり聴いた事がありません。
唯一聴いたのは、新星日響の定期演奏会でした。
前半が、このマーチとヴォーン=ウィリアムズのロマンス「あげひばり」
後半がホルストの「惑星」でしたので
オールイギリスプログラムを意識したのでしょうね。
世間は、株高・円安効果により「脱インフレ」だの「景気回復」だの威勢の良い言葉が
並んでいますが、正直どんなものなんでしょう・・・?
これらに恩恵を受けるのはほんの一部の富裕層に大企業の社員程度で、
一般庶民にまでお金が循環する事なんてあるのでしょうか?
あったにしても、まだまだ当分先でしょうし、
その頃には消費税や電気代だの諸々値上がりの後だから、
景気回復を実感できる日々は永遠にないものと思った方が良いのかもしれません。

それを見込んだのかどうかは分りませんが、まだまだ普通のサラリーマンの財布のひもは固いと
睨んだのが牛丼業界なのかもしれませんよね。
先日先陣を切って、すき家が牛丼一杯250円、続いて松屋、そして驚いたのが
吉野家でしたね。
だって狂牛病以前の水準にまで値下げ、しかもすき家・松屋のように期間限定ではないそうですから
びっくりしましたよね。
確かにありがたい事はありがたいのですけど・・・

私は中学・高校の頃は仙台の片隅にいましたけど、当時は仙台周辺に
吉野家自体店舗数は少なく、学校の近くに吉野家が開店した際は、ちょっとした大騒ぎに
なったものです。
「だれそれの姉ちゃんが、吉野家でバイトしている」
「あそこの店長は自分の親せきで、頼めばおしんこ程度はサービスしてくれる」等々
ヘンな噂が飛び交ったものです・・・
(田舎だから仕方がない・・・)

大学生になって上京し、最初の一年間は大宮に住んでいたのですが、大宮駅前だけでも
二軒吉野家があり、
「さすが都会じゃん・・!!」と妙にあの時は感動したものです。

だけどその当時、1984年頃の吉野家の牛丼は確か並盛一杯400円だったから、あれから30年近く経過
しても値段が変わらないというか、値下がり後の280円という価格を考えると、
これは「奇跡」としか言いようがない感じですよね。
当時銭湯は、確か230円で、現在は440円だったから、ほぼ倍近くまで値上がりしている事を
考えると、企業努力には本当に頭が下がる思いです。

話は変わりますが、牛丼チェーン店って「マニュアル」はあるはずだと思うのですが、
店舗によってというか、人によって何か微妙に作り方・味に差があると感じるのは
果たして私だけなのでしょうか・・・?
何かよーく煮詰まったもの、固い感じがするもの、赤身ばかりの生臭い感じがする時、
微妙なレア感が非常に素晴らしい時など
その時その時、店舗によっても、人によっても
何か微妙な温度差を感じてしまいます。

個人的には、国道17号線沿いのマルエツ蕨店の近くというか、デニーズの隣の
「松屋」は、毎回レアな食感がGood!!と感じてしまいます。
毎年2月と8月頃に「プリキュア丸ごとブック」というものが出るのですが、
ここ4年程は、毎回「プリキュア5GoGo」の上北ふたごの漫画版が収録されていました。
「えー、何で今頃プリキュア5が・・・??」とも思ったのですが、
それほどプリキュア5の人気はいまだに高いという解釈で良いのかな・・・?
でもアニメ版の「夢原のぞみ」は本当に魅力尽きないアホ娘で、
しつこいようですが、私は歴代プリキュア32人の中では、
圧倒的にのぞみ大好き人間なのです。






一方、上北ふたごの漫画版も意外といい味を出していて、
アニメ版では「妙なカリスマ性とリーダーシップを持ち、ドジでアホな優しい女の子」という
感じののぞみも
漫画版では更に「繊細な」という別の特性も垣間見せてくれます。
ココとの愛やくるみとの微妙な関係もうまくオブラートにくるんで
表現されているのが上手い所です。
でも漫画版では、たまーにりんちゃんが突っ込みを入れる程度で、
かれんさん・こまち・うららはほぼ完全に「空気」みたいな存在で少し気の毒です。
漫画版は、ほぼのぞみとくるみのダブルキャスト言う感じです。

ホント、この漫画版ののぞみは「夢見る少女」という感じなのです。

以前、のぞみの後継者はラブであり、ラブの後継者はマナと書いた事がありますが、その意味では
マナはのぞみの後継者とも言えます。
マナものぞみもさすが正統派のピンクプリキュアであり、
優しく強く、おせっかい焼きで、頭で考えるよりも体が先に動くという点は
ほぼ同じですよね。
違いは、マナは頭が良くてスポーツ万能である事・・・
だけど基本形態は二人とも「アホ」なのは、同じですよね。

当初マナは万能タイプかなーとも思ったのですが、音痴であり、アホっぽい所も十分
ありそうなのでその点では妙に安心もしました。
やはりピンクプリキュアはこうでないと・・・
吹奏楽オリジナル曲なのですけど、演奏音源を探しているものの
中々見つからない曲も結構あったりします。
中には、マクベス「第七の封印」のように、以前コンクールで名古屋電気高校が演奏した
カット版は手元にあるものの
全曲版は一度も聴いた事が無いというのもあります。

その中で代表的なものを二つばかり・・・

1.ジェイガー/ダイヤモンドヴァリエーション

 この曲は、以前ワールドレコード社のカスタムテープにて確か北海道代表の
 函館中部高校又は留萌高校の確か1975年頃の演奏を持っていたのですが、
 何回かの引っ越しのドタバタで紛失してしまいました・・・
 銅賞だったのですけど、チューバなどの低音楽器で開始され、
 決して派手に盛り上がる曲ではないし、中間部も結構地味な印象も
 あったのですが、結構しっとりする部分もありますし、ラストの追い込み方が
 結構好きでした。
 この演奏は確かカット版だったのですけど、その全曲ノーカット版は聴いた事が
 ありません。
 ジェイガー作品集というCDでもあればもしかしたら収録されているかもしれませんが
 よく分りません。
 出来ればもう一度この曲を聴いてみたいものです。

2.ネリベル/シンフォニックレクイエム

 実はこの曲は自分にとっては「謎」の曲であり、
 知っているのはタイトルと確か第三楽章に男声ソロが入るという事くらい・・・
 相当の大作と見ているのですが、この曲の音源が全く見当たりません。
 何かCD化されていれば良いのですけど、
 全く詳細は不明です。
 だけどネリベルの脂が乗り切った時期に書かれているようですので、
 どんな曲なのか興味津々という所です。
私自身、実は名古屋より西へは行った事がないので、一度九州とか四国は
行ってみたいなーと思っています。
特に四国は何か魅力を感じます。
だって四つの県それぞれに名産と言うか特徴があっていいと思います。
イメージで言うと・・・
香川⇒うどん
愛媛⇒伊予かん
徳島⇒阿波踊り
高知⇒カツオのたたき

特にカツオのたたきは一度本場のものを食べてみたいですよね。

映画「死国」を見てから、何か「四国88箇所巡り」なんてのも全部は無理でも
10箇所くらいは見てみたいものです。

うどんというと、何か知らないのですけど、ここ埼玉県でもこの数年間で急速に
うどんのチェーン店が増えたような気がします。
仕事でよく通る道の産業道路とか第二産業道路沿いだけでも最低でもこの一年間で4店舗程度
開店したような印象があります。
昔、金融機関の営業をしていた頃、よく上司から
「普通に商売をしていれば、余程の事がない限り潰れない商売の店が三つある。
 質屋・葬儀屋・そば屋」と教わったものですが、
確かに日本人のそば好きを象徴しているのかもしれませんよね。
それでは「うどん店」はどうなのでしょうかね。
関西・四国といった西の方は正直よく分りませんが、少なくとも関東・東北では
正直西程「うどん屋」の知名度は浸透していないような気もするので、
そば屋ほど、この格言は適用されにくいのかも・・・??

自分もたまにチェーン店ですが、「はなまるうどん」にいく事もありますが
499円のカレーセットは確かに安くて美味しいですよね。
うどんも5種類から選ばれるのも嬉しいです。
(大抵とろろ昆布うどんを選択してしまいますが・・)

埼玉って元々「山田うどん」なーんていう地元民しか知らない
知る人ぞ知るチェーン店もあるのですが、
個人的には「イマイチ」です。
だってある店舗なんか行ったら、「ざるうどん・餃子・鶏のから揚げ」を注文しても
30分以上待たされてもまだ出来なかった位ですから・・・
あれは何か待っている人全員イライラという感じでしたね。
この年の課題曲A「吹奏楽のためのインヴェンション第一番」は本当に素敵な曲ですよね。
出だしのファンファーレに始まり、サックスとオーボエのうっとりするような掛け合いに
木管が絡まり、アレグロの躍動感、しっとりした中間部、そしてラストの一気呵成・・・
3分30秒足らずの小品なのですが、音楽の構成がしっかりとしているし、メロディーラインが
たまらなく魅力的だし、
大好きな課題曲の一つです。

作曲者の内藤淳一氏は、白石工業⇒泉高校⇒仙台向山と指揮者としては
今一つの実績ですが、作曲家としての素描は素晴らしいものがあると思います。
このインヴェンションも良かったけど、97年と99年の課題曲のマーチも素敵でしたよね。
99年の仙台向山高校の水口先生は、課題曲の選曲に結構困惑したかもしれませんよね。
だって、課題曲Ⅰは、自分の前任者の作曲だし、
課題曲Ⅳは、自分の仙台第二高校時代の後輩の作曲だし、
どちらを取るか多少は迷いがあったのかもしれませんよね。
(結局は課題曲Ⅰを選んだようですが・・・)

1983年の高校の部は、正直前半はあまり魅力に残るチームは少ないです。
野庭の名演の印象が強すぎるせいもあるのですが・・・
この年は、後半の方に素晴らしい演奏が多かったようにも思えます。
ちなみにプログラム1番から10番までで、銅賞は既に5団体・・・

〇東海大学第四高校

 このチームは、80年代後半から急激にサウンドが華麗になった印象があるのですが、
 初出場の「ジークフリートの葬送行進曲」とか80年の「リエンチ」とか
 82年と84年の「天使ミカエルの嘆き」、85年の「バストラーレ」
 そして、83年の「古祠」はどちらかというと演奏が内省的で、どちらかというと「地味」な
 印象がありました。
 この年のサウンドが実に渋くて暗い表情を持ち、とても後年の「ローマの祭り」の爆発的サウンドと
 同じチームとは思えない程です。
 だけど、この年はしっとりと仕上げ、サウンドも柔らかく、
 何よりも渋いこの曲を情緒たっぷりに歌いこんでいる姿勢が素晴らしいと思います。
 地味ながらも印象的な演奏です。

〇茨城高校

 このチームの課題曲Aはかなり風変わりな作りです。オーボエ奏者が上手という事もあるのですが、
 課題曲前半は、オーボエがしっとりと歌い込み、それをうまく木管楽器につなげています。
 金管楽器が意外ともっさりとしているので、鋭角的なサウンドには至らず、何かどよーんとした
 感じになっているのが惜しまれます。
 だけど自由曲の「エルザの大聖堂への厳かな行列」は、考え込まれ練りに練った「知性的な演奏」とも
 言えると思います。
 一般的に、オーボエのソロからクラリネットのソロへとカイリエ編曲の場合はつないでいくのですが、
 このチームの場合、カイリエ編曲でありながらも、オーボエがクラリネットへとつなぐことなく
 一人でソロを奏でていますから、余程オーボエに自信があったのかもしれません。
 全体的に知性的で構成がしっかりしている印象がある中で、矛盾しているのかもしれませんが
 同時に「感受性」が強い演奏のようにも感じられます。
 ラスト近くのホルンの雄叫び以降の展開は、金管楽器と打楽器が、これまで抑えに抑えていた
 感情の高ぶりを一気に爆発させているような感じもしました。
 音が多少硬いのが多少の欠点なのかな・・・
 金賞には至らなかったけど、惜しまれる銀賞の一つです。
改めて「ドキドキプリキュア」第10話を見てみました。

ポイントは、「焼きもち・嫉妬・他人を抜け駆けして自分だけいい思いをしたい・
他人が不幸になっても自分だけが楽しめればそれでいい・相手の事なんてどうでも良い」という
ジコチューな心は誰にでもあるという事なのでしょう。
今回の主人公の六花さんにだって、影の主役のありすにだって
プリキュアと言えでもそうした「心の負の部分」は誰にでもあるという事なのです。
それとどう向き合うのか、その負の部分を抱え込みながらもどうやって他人と関わって生きていくのか
というのは、全員が抱える課題なのでしょう。

問題は、そうした「負の課題」を無理やり「ジコチュー」という怪物に仕立て上げる敵方のやり方
なのでしょう。
誰しもが持っている「心の負の部分」は別に批判されるべきものではありません。
それとどうやって向き合っていくのかが一人一人の課題でもあるのです。
そうした心の負の部分を巧みにつけこみ利用する敵に対して、プリキュア達が
いかに奪われた心を取り戻させていくのかというのが
今後のテーマとして明確に提示されたのだと思います。

そうしたテーマを扱っているという意味では、
「ハートキャッチプリキュア」と目指すべき方向性は似ているのかなーとも思いました。
確かに基本設定とか周りの環境なんかは「フレッシュ」との類似性が多いドキドキなのですが
目指すべき方向性、そして「何のためにプリキュアとして戦うのか」という目的性は
ハートキャッチと重なる部分は多いと思います。



前回、「焼きもち・嫉妬」について触れましたけど、
思い起こしてみると、プリキュアのメンバー同士という訳ではないのだけど、
ハートキャッチのえりかが第一話にてデザトリアンにされてしまったきっかけは
まさしく「姉への嫉妬」が原因でしたね。
ハートキャッチの第8話は、それを踏まえての話でしたが、
えりかの姉、ももかが妹であるえりかに対して抱いていたうらやましさを
クモジャキーにつけ込まれる話で、第一話とは逆の話として展開されていきます。

ハートキャッチも守ろうとしていたものは、「敵に奪われ利用されつけこまれた心」だったのです。

その意味では、ドキドキもハートキャッチも目指すべき方向性は同じなのだなーと
改めて感じました。
だけどデザトリアンの場合、
人間体では絶対に言えない「心の本音」を容赦なくストレートに言葉として吐露していきますので、
心を奪われた方としては、何か恥ずかしいものがありますよね。
現在進行形ですが、最近の行き過ぎとも感じられる株高・円安基調には危惧の念を持って
見ています。
今はいいけど、これは後で強烈な副作用が待っていそうな予感が漂います。
それに大体、これだけ訳の分からん「マネー」とか「市場メカニズム」とか「ファンド」が
国際金融を牛耳っている中で、日本一国だけが恩恵を受けるという今の体制がどれだけ世界各国が
認めてくれるかと言うと、甚だ疑問の余地があります。
金融部門で打てる手は打っておいたから、後は二の矢・三の矢をうまく的中させて
成長産業をどうやって育成していくのか、規制緩和をどう進めていくのか、日本の経済と社会が
うまくいく方法をどうやって確立させていくのか、
株高・円安基調が続き、瞬間的に経済が持ち直したように思える1~2年程度の短期間の間に
政府がうまく考えておけというのが、現在の場当たり的な取り急ぎの施策なのかもしれません。

しかし、その「それから後の政策」がまるで見えていないのは不思議な事です。
恐らくは、これまでと何ら変わらず
「それでは日本社会の未来をどのような方向に進めていくのか」という事を誰しもが決められず
国民に提示させる事が出来ないような状況が今後も続いていくと
予想されます。

今後の日本の社会をどうした方向に進めていくのかというのはとても大事な事で、勿論目先の景気回復も
必要なのかもしれませんが、今後どうするべきなのかという方向性を示さない限りは
いつまでたっても日本は停滞が続くと思っています。

それではどのような方向に進めていくべきなのでしょうか?

私自身、社会人になって最初の15年間は金融機関に勤め、破綻後は住宅メーカーに勤め、その解散後は
中小企業に3社在籍していました。
(あくまで個人的な事ですが、在籍企業が全て破綻・解散しているのが自分でも恐ろしい・・)
この間に感じた事は、今現在在籍している会社も含めて、大中小に関わらず、ほとんどの経営者というものは、
ひたすら企業の規模拡大と売り上げ拡大だけを考えているのだなーという事です。
勿論資本社会主義下において、これはごく当たり前の考え方なのかもしれませんが、
これほど成熟社会・高齢化社会・人口減少を考えると、こうした考え方時代
とうの昔に時代遅れになっているのかもしれません。
むしろ、現在は量よりも質の問題、
「どうやって現状を維持していくのか」
「どうすれば売上を伸ばさなくても利益を出せるのか」を
考えた方が良いのかもしれません。
日本社会は完全に成熟社会で、これ以上の成長性や発展はあまり期待しない方が良いのかもしれません。
よく学者やテレビコメンテーターの中には、
「それならば外国からの移民を積極的に受け入れれればいいじゃん」とか言う人がいますが、
ここは各種の国家と国境を接していて歴史的に他国と日常的に接触があったヨーロッパではありません。
あくまで島国日本なのです。
残念ながら、日本には他国民を受け入れるという伝統や許容性はないと思った方がいいと思うのです。
だから下手に移民を受け入れてしまうと、
かえって国内の紛争を招く危険性すらあります。

だから量の拡大という時代は既に終わっているのだと思います。
今後は、成熟した社会の中で、特定の富裕層・大企業だけにお金が廻るシステムを
根本から変える必要がどうしてもあると思うのです。
派手に「金融緩和」なんて行っても、結局は特定の資本・特定の大企業・特定の富裕層に
メリットがあるだけで結局は、国民全体に恩恵がある訳でもなんでもない・・・
そうした愚策をやるならば、
余程、大企業が抱えている100兆円とも言われる「内部留保」を社会に吐き出させたり、
富裕層への資産課税を強化した方が余程いいと思います。

昔からのことわざが示唆する通り、
「お金は天下の廻りもの」
「お金はあの世に持っていけない」なのです。

特定の大企業・富裕層だけにお金が廻るシステムは何とかしないといけない。
同時にこれだけ「社会保障費」にお金がかかり過ぎる社会も改めないといけない。
そして、誰しもがある程度納得する「配分と負担」を実施しなければいけない。
ホント、難しいかじ取りが求められます。
だからこそ、
一定の年収以下の人達には一律に月間10万円程度の給付を行う代わりに
それ以外の収入には30~50%程度の課税を課すとか
年金制度・失業保険・生活保護等は全廃とか、
消費税を20%程度にするとか
CP社会【失業者・高齢者に地域パトロールをして貰い、彼らの報酬は、税金とは別の
    地方税を財源とする】
「働かざる者食うべからず」を徹底すべく、一律10万円の給付があったとしても社会に奉仕する為の
労働という考え方を幼児期から学校で教え込むなどの道徳・規律・社会マナーの徹底を狙った学校教育の見直し
などの
公正な配分と負担を今から真剣に考える必要があるのではないかと
思います。
組曲「第六の幸福をもたらす宿」は、吹奏楽に関わった人ならば結構知名度は高いと思われますが、
純粋に管弦楽の作品としては、知名度はゼロに等しいのかな・・・
元々が映画音楽として作られた音楽を組曲版としてオーケストレーションされた訳なのですが、
演奏効果も高いし、非常に分り易いし、明るいし、何よりもメロディーが親しみやすいから
オケの演奏会曲目になっても決して遜色はない曲だと思います。

この曲を広めるきっかけとなったのが、1996年の文教大学の演奏なのですが、
この演奏は改めて聴くとかなりユニークですよね。
後半の展開は、異常とも思える位テンポを落として、たっぷりと気持ちを込めるようにゆったりと
歌いこんでいる所が特徴だと思います。
だけど少しサウンドが濁っていたせいもあったのか、この年は銀賞にとどまっています。

最初にこのタイトルを耳にした時、
何となくイメージとして、
何もかも幸せを手にした男がいたのだけど、何か満ち足りない日を過ごしていた。
「幸せ」って何だっけ?と自問自答し、自分探しの旅をしている時に、ある旅館で起きた出来事みたいな
ストーリーなのかなと思っていたら、そういう話ではなくて、
中国の概念である五福(1.長寿、2.富、3.健康、4.徳、5.悔いなき末期)に加える第六の福をそれぞれが見つける、という意味で劇中登場する宿につけられた名前というのがタイトルの意味であり、
映画としても、この話は前半にさらっと出ている程度だけとの事です。
映画自体私は見た事がありませんが、戦時中の中国を舞台とし、主演女優は、イングリット=バークマンとの
事です。

この組曲は、

Ⅰ.ロンドン=プレリュード
Ⅱ.ロマンティックな間奏曲
Ⅲ.ハッピーエンディングから成り立っていますが、
Ⅲのハッピーエンドが一番聴き応えがあります。

Ⅲの中間部のピッコロから開始される単純なメロディーの元歌は、イギリスの童謡「Old Man」との
事です。
あのメロディーは何かとても親しみやすく、何か耳に残り易い楽しいメロディーです。

アーノルドの曲は、吹奏楽に編曲してもあまり違和感はありませんが、
管弦楽の演奏のCDはシャンドス版しか持っていませんので
吹奏楽版では、コンクール演奏なのですけど
1999年の狭山ヶ丘高校の素晴らしい名演がお勧めです。
この学校、最近では関東大会でもあまり耳にしないけど、まだ元気で頑張っているのかな・・・?
いやーー、4/7の「ドキドキプリキュア」第10話は最高の面白さでした。
改めてプリキュアの世界の奥深さを堪能させて頂きました。
その位見ていて興味深くて楽しかったです。
というか、先週からの懸念であった「六花さんがジコチューに変容?」が現実のものに
ならずに済んでホント、良かったです。
マジに六花さんから出た「ジコチュー」なんて、
ジャアクキング・ゴーヤーン・カワリーノ・総統メビウス・デューン・ノイズなど歴代プリキュアの
最終決戦時の敵クラスの強さになってしまいそうで怖い・・・

冒頭から「六花さん⇒マナの正妻」モードが全開だったのが面白いし、
これがストーリー全体の伏線になっているのも興味深い。
オープニングの歌の「オールスター」モードも今週で最後でしょうね。
改めて見てみると、初代のキュアブラックの貫録はさすがという感じですね。
さすが決める所はビシッと決める「なぎさ」という感じですね。
今回も前々回も、現役のドキドキメンバーとハッピーが揃って登場するシーンがありますが、
どう見ても、今の現役プリキュア達の方がハッピーよりもはるか「先輩」という感じがするのは
私だけでしょうか・・・??

今回の話は「嫉妬・焼きもち」が絡んでいます。
歴代プリキュアシリーズでもメンバー間の嫉妬の感情と言う話はほとんど出てこなかっただけに
興味深いものはあります。
スイートの場合、焼きもちがらみの話もありましたが、あれはバカップルとしての痴話喧嘩の
領域を出ないたわいないもの・・・、今回は少し事情が異なる・・・
「ドキドキ」は序盤から非常に丁寧に心理描写がなされていると思います。
真琴にしても、当初の「仲間なんていらない」から前々回あたりから、仲間としての意識が芽生え始めていく
様子が非常に丁寧に描かれています。
今回もマナを巡る他の三人の関係が、丁寧に描かれてていて、
真琴の視線から見た「マナと六花の関係」
六花の視線から見た「マナと真琴の関係」が
各々の立場から心理描写がされている点はかなり芸が細かいと思いますし、
歴代プリキュアシリーズでもこうした心理描写的側面が少なかっただけに非常に興味がありました。

要は、古くからの友達同士である「マナ=六花」の関係に
新しく入ってきた「真琴」の存在に対して六花さんが「焼きもち」の感情を抱いてしまったという事
なのですが、
これは「友情」をテーマにしたアニメ・漫画では比較的よく出てくるパターンなのですけど、
プリキュアシリーズではありそうでなかった事なので、何か新鮮にも感じます。
六花さんとしては、「マナは自分の大切な友達、おせっかい焼きで周りのトラブルに平気で首を
突っ込んでいくマナのフォロー役が務まるのは、今も今後も自分だけ」と思っていただけに
真琴が突然二人の間に割り込んでくるという事は、例えプリキュアとしての仲間が増えたにしても
マナが以前から「まこぴー」のファンである事を考慮しても何か面白くないという感情が湧いてくるのも
仕方がない事なのかもしれません。






まこぴーの応援団長がジコチューに変容した後の展開もかなり説得力のある展開だったと思います。
応援団長の「自分だけのまこぴーにしたい」という気持ちがジコチューとなった訳なのですが、
要はこれは応援団長に限った話ではなくて、
当然六花さんの心の中にも存在している気持ちなのです。
要は、嫉妬や焼きもちといった感情は人間誰しもが持つ感情であり、決してそれ自体が悪と言うものでは
ありません。
六花さん自身も、応援団長と自分自身の心の中はそれほど変わらない、同じなんだという事に
気が付いた事、そしてそうした人間誰しもが持っている「負の感情」を化物に変容させる敵のやり方が
間違っている事に全員が気が付いた事が
今回の話のミソなのかなーとも思います。
「ドキドキ」の場合、敵とは何なのか、自分達がプリキュアとして戦う意義はどこにあるのかが
はっきりと提示されたのが今回の大きなポイントなのだと
思います。

それと今回のドキドキを語る上で外せない存在が「四葉ありす」だったのです。

ありすは、歴代の黄色プリキュアみたいに簡単なボケ役という訳ではない事が
今回でより一層鮮明になったと思います。
考えてみると、現在の「マナ=六花」の関係に新たに入り込んできたのが真琴だったのですが、
そのずっと以前に同じ感情を抱いていたのが「ありす」だったのです。
ありす自身も「本当は、もっとマナと六花の間に割って入りこんでいきたい。だけど無理にそうして
しまうと、六花自身に悲しい思いをさせてしまう・・・そうなるのであるならば、自分は
一歩引いたところで、マナと六花の関係を眺めていて、三人での友達関係を維持したい」と
思っていたのかもしれません。
というか、きっとそうなのでしょう。
車中での六花の様子から、既にありすは全てを悟っていたのでしょう・・・

ありす自身も以前は、「マナ=六花」の関係性に嫉妬の気持ちを抱いていた時期があったのかも
しれません。
だけどありす自身はそうした感情をうまくコントロールしていたのかもしれません。

こうやって見てみると、
ありすは中々の策士、というかこれまでの歴代プリキュアの黄色ポジションとは
明らかに異なり、「知性・冷静さ・賢さ」も有しているプリキュアなのでしょう。
前作の先輩の「キュアピース」と事なり、かなりの大人プリキュアなのかもしれませんよね。
正直、こうしたありすの立ち位置は、自分にとってもノーマークだったというか、
これほどありすが大人だったとは想像していなかっただけに
ますます今後の展開が楽しみになってきました。

今回の話は六花さんの視線から描かれ、六花さんが主人公なのですが、ありすの方が
一枚も二枚も役者が上でした。

第10話が終わり、4人の結束がこれで最終的に固まったところで、
次回からは何か新しい展開になりそうですね。
これまでの話は四人の人間関係構築に焦点がおかれ、戦闘シーンは何か単調な感じもしましたが、
次週はついにハートに新しいアイテムが登場しそうです。
だけど新しいアイテムというと、ベリーとかリズムのように
「どうして私だけ・・・」というぼやきの声が聞こえてきそうですが、
今回はどうなるのでしょうか・・・?

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