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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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「スマイルプリキュア」は、最終回が放映されてまだ一ヶ月足らずなのに、
何だかもう次のプリキュアにドキドキしっぱなしというのも何だか節操がない話なのかも
しれませんが、毎年毎年新しいプリキュアが登場する度に
この繰り返しなのだから、これは「年中行事」みたいなものなのでしょうね。

だけど「スマイルプリキュア」は本当に大好きなシリーズでした。
個人的には「プリキュア5」シリーズに次いで好きなシリーズと言っても過言ではないと
思います。

スマイルには数々の名シーンやマヌケシーンがあり、色々と印象に残っているシーンも
数多くあるのですが、
初期の初期の頃の話では、サニーが登場した回で
ハッピーが自分の仲間が出来た嬉しさのあまり
ハッピーがサニーに抱き着いて抱擁したシーンが結構好きでしたね。




現在の「ドキドキ」のメンバーは、ソードを除く三人は、小学校時代からの仲間であり
気心がしれている友人同士なのですが、
スマイルの場合は、みゆきが転校生という設定の為、
初期の頃は、みゆきを中心に「プリキュア」のメンバーを探しながら
お互いの親交を深めていくというスタイルのために、
「仲間が出来て嬉しい」という気持ちがああした抱き着きシーンになったのでしょうね。

何となく、ここが「スマイル」の原点なのかなーと
第一話から最終回までずっと見ていた者にとっては感じる今日この頃です。

仲間をつくっていくのが「スマイル」の初期テーマなのに対して、
「ドキドキ」は、当初から絆が固くて聡明な三人が、いかに外様出身(異次元出身者)のソードと
絆を作っていくのか、いかにソードのココロが解けていくのかが
初期の頃の見どころなのでしょうね。
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社会人になりたての頃は、本当に冗談抜きに朝起きるのが辛かったです・・・
学生時代にいかに「怠惰を貪っていたか」の証明ですけどね・・・
当時は、船橋の寮に入っていて、そこから毎朝京成電鉄で京成うすいまで出勤していましたので
朝は6:30頃には出ないといけないしで結構慣れるまでは大変でした。

寮なんて集団生活は初めての経験でしたし、今まで好き勝手やりたい放題の一人暮らしに
慣れてしまうと、結構大変な感じはしましたね。
何というか、会社が終わって家に戻ってみても、また会社のメンバーがいるというだけでも
何か気分的に重たいものはありました。

しかも、寮といっても現在のように「冷暖房完備」という訳でもなく、
クーラーは無し、暖房はスチームヒーターでしかも午後9時には強制的に切られてしまうしで
決して「快適」という感じはありませんでした。
夏場はクーラーかせ無いために「寮内は地獄」という話でしたが、幸い1988年は
「冷夏」でしたので、その点では助かりました。

〇向山高校

 この高校は少々思い入れがあります。
 なぜなら、1970年代後半から80年代前半は、この向山高校と自分の学校は
 仙台市内予選で、毎年B部門(35名編成)で県大会出場をかけて激突していたからです。
 だけど、荒井富雄先生が、確か1981年に向山に赴任して以降は、向山と差がつく一方で
 向山の年々の成長が眩しく感じられたものです。
 向山は、1979年は、組曲「惑星」より木星で県大会に出場し、
 翌1980年はなんと仙台市内大会予選落ち
 1981年に荒井先生赴任の最初の年は、チャイコフスキーの交響曲第五番終楽章で県大会銀賞
 そして、82年に初めてB部門の県代表となり、85年からはA部門に進出し、
 この1988年に悲願の全国大会出場を成し遂げる事となるのです。
 ちなみに1982年に仙台第一高校の指揮者の荒井弘氏は富雄氏の実兄で、宮城県内では
 荒井ブラザーズと言えば、結構有名な存在でした。

 1988年は、「ティルオィレンシュピゲールの愉快ないたずら」で全国初出場を果たし
 プログラム三番ながらも、素晴らしい演奏を展開し、ホルンの難しいソロも難なく決め
 何となく同じ宮城県出身者としては、嬉しい思いで聴いていました。
 実は、1984年にB部門で出場した時も自由曲はこの「ティル・・」でしたけど、
 その時の演奏も素晴らしかったけど、全国のあのティルも良かったと思います。

 1982年の東北大会初出場(自由曲はアルメニアンダンスパートⅠ)の際は、BJの講評で
 上野大先生からも「今一度細部の再検討を要す」とか「威勢はよいが音自体どこかひ弱い」と
 酷評されていた頃を思うと、このチームの日々の精進には
 頭が下がる思いです。
埼玉県浦和近辺には、穴場的スポットも幾つかあります。

その内の一つが「見沼ヘルシーランド」と言って大崎公園という春は桜が見どころという
自然公園の中に併設されている
健康ランドです。
但し、天然温泉ではなく普通の沸かし湯です。

確か入場料が1050円だったかな・・・?
実は最近とんとご無沙汰しているので、暖かくなって、丁度桜の季節にまた行ってみたいなーと
思います。
ここは、お風呂(以前はラドン湯・露天・打たせ湯も名物だったのに、それも無くなり
今はサウナと沸かし湯だけかな・・・)の他に、
温水プールとアスレチックジムが併設されていて、
誰でも自由に利用できて、別に丸一日滞在しても料金は1050円だから、
何か相当お得に感じます。
アスレチックジムには親切なインストラクターも常駐していますから、色々と指導してくれますし、
何よりも運動不足の解消になったりします。

国道463号を東浦和方面へ向けて走り、東浦和の住宅街を過ぎると大崎公園が見えてきます。

別にこのヘルシーランドに行かなくても、この公園内の自然を散策するだけでも
何かハッピーな気持ちにもなれたりします。

お金があるのに越したことはないけど、
お金がないにはないなりの楽しみ方もあるものですよね。

だけどこのヘルシーランド内は、とにかく高齢者ばっかりです・・・
何か現在の日本の縮図みたい・・・
温水フールには若い女の子は皆無だし・・・
株価が上昇傾向にあり瞬間的に「景気回復も近い」と幻想を抱く人も多いと思いますが、
正直そういうものではないと思います。
株価が上がって喜ぶのは一部の投資家・富裕層だけで、
大部分の庶民には、全然関係ない話だと思います。

やはり、一般庶民(ちゃんと働く一般世帯層)にお金が廻って
「少し財布に余裕があるから、今度これを買おう」などと思えない限り
真の「景気回復」はないと思います。

その為にはどうすれば良いのでしょうか・・・・?

方策として、

1.企業の内部留保の強制的取り崩し

2.富裕層への強化と相続税の課税強化

3.現時点での「年金制度」を全て廃止にし、現役層の初任給から今日まで掛けていた
  年金保険料を全額還付する。
 (但し、利息・配当は一切なし
  同時に、将来の年金支給もなしとする。

4.高齢層の年金・社会的弱者等の生活保護・寡婦年金などは全て
 「ベーシックインカム」として一元化する。
 同時に、例えば年収1000万円以下の人に対しては、月額一人10万程度を一律支給する。
 そして、それ以外の勤労収入に対しては、30%程度を所得税として徴収する。

5.住民票を登録する自治体に、月額一人1万程度の、住民税とは別の「CP税」を課税し、
  各自治体を定期的にチェック&パトロールする人達の人件費に充当させる。
  この「CP活動従事者」には、民事介入も原則可とする等のある程度の権限を付与させる。

要は、働いても働かなくても、ある程度の「収入」を保証する事で安心感を持ってお金を使ってもらう事や
確かに働かなくても一定の収入はあるけど、それ以上に「良い生活」を享受するには、更に勤労する
事が必要である事の周知、及び幼年期からの「働かざる者食うべからず」の教育の徹底が
求められる事となります。

確かに上記は「極論」なのでしょう。

だけど、今後の日本社会の未来を占う意味でも、

強制的な方法でもなんでも構わないから、安心感を持って不安感無く「お金」を社会に廻せる
システムが必要なのだと思います。
なぜなら、お金は天下の廻りものだし、お金はあの世にはもっていけないものだから・・・
相続は、単に子孫に「楽」を覚えさせるだけの「愚」以外の何物でもないから・・・
R・シュトラウスの「アルプス交響曲」は結構以前から好きな曲の一つです。

一般的な「交響曲」のように内面的葛藤とか、起承転結とか序破急のストーリーがある訳でもなく
どちらかと言うと「描写」に限りなく近い「交響詩」のようにも聴こえますが、
作曲本人が交響曲という位置づけをしているのだから、特に文句を言う必要もないでしょう。

R・シュトラウスの場合、比較的「交響詩」の分野に傑作を残しています。
「ドン・キホーテ」・「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」・「マクベス」・
「ドン・ファン」・「死と変容」などがその代表例ですが、
一方で、アルプス交響曲とか家庭交響曲のように「交響曲」のジャンルもあります。

R・シュトラウスの場合、結局「交響詩」と「交響曲」に境界線はないのではないかと
思います。
だって、別に交響詩「アルプス」とかドンキホーテ交響曲というタイトルにしても特段違和感は
感じません。
結局、作曲家本人が「これは誰が何と言っても交響曲」てと定義づけてしまえばそれでOKという
感じなのでしょうね。

実際「アルプス交響曲」は、別に楽章なんて存在しませんし、
この部分はスケルツォに相当とかそういう定義はないと思います。
要は、R・シュトラウス字自身、相当な自由な感覚の人だったのかもしれませんよね。

「アルプス交響曲」は何回か生で聴いた事がありますが、
生で聴くと相当迫力がありますし、部分的にホルンを舞台裏から吹かせて「遠くから聴こえている」風に
演出したり、
ウィンドマシーンが登場し、暴風のシーンをそのまんま表現したりと、
視覚的にも聴覚的にも楽しいです。
個人的には、「雷」の部分の表現を、鉄柵にアルミホイールを吊るして、手でアルミをガタガタ揺すって
「ゴワワーン」という音を模倣する部分が結構好きだったりします。

よく似たような曲で、グローフェの組曲「グランド・キャニオン」と対比させられたりもしますが、
グローフェが特に小細工もなく、客観的に自然を模写している手法なのに対し、
シュトラウスは、見た人がどのようにアルプスの山々を感じているのかという主観的印象に
立っている事が大きな違いなのかなーとも思います。

アルプス交響曲を最初に聴いた時、ホルンに部分的に「ウルトラセブン」にそっくりな
テーマが出てくることに気が付き、驚いた事があります。
ホント、あれは、ウルトラセブンの音楽制作者がアルプス交響曲から一部テーマを拝借したと
抗議されても「ごもっとも・・・」としか言えないような
気もします・・・
「ドキドキプリキュア」の第四話ではなくて、第三話になってしまうのですが、
改めて六花さんとジョー岡田の会話を聞いていると、
噛み合っているようでいて、実は全然噛み合っていない会話を聞いているみたいで
とても楽しいです。
各人がそれぞれジョー岡田からキュアラピースを貰っているのですが、
各人にその受け取り方に違いがあり、三人の個性の違いが際立っていると思います。
ありすは、明確に受け取り場面の描写がありませんので、大体の予想ですが、
恐らく何の抵抗もなく素直に受け取ったと思います。
まなは、一応は断りますが、「頼まれると断れない」まなの性格がここでも表れます。
(というか、最後は六花さんに無理やり引っ張られたようなものだけど・・)
六花さんだけは、明らかに警戒心むき出しに、かなり論理的に理知的に断りを入れます。
見方によっては、悪い虫がマナに付かないように、マナの浮気相手を監視するような
「正妻感」あふれるような感じですが・・・・





これからどのような展開を経ていくのかとても楽しみなのですが、
今後の方向を予測する時、気になる点も幾つかあります。

〇マナ

 自分の正義感や困っている人がいると自分よりもその相手を助ける事に夢中になってしまい、
 その行為が見方によっては、「自己中心」とどこが違うのか、敵方の怪物のジコチューとの
 境界はどこにあるのか、
 第四話でも示唆されたように、「自分を犠牲にしてまで相手に関わる行為」が「おせっかい・うざい」に
 リンクしないのか、その辺りをマナが気が付くのか、六花さんに指摘されるのか、
 そうした場合、いかにマナの正義感との間に整合性を保つのか・・・

〇六花さん

 マナと二人ならば、「色々な可能性に挑戦出来る」という事でプリキュアになってはみたものの、
 相変わらずマナは、他人への世話焼きとプリキュアとしての戦いに夢中で、
 「自分がいなくくたってマナは大丈夫ではないのか」・「自分なんか必要とされていないのではないか」
 という猜疑心が芽生える可能性・・・

〇ありす

 当初プリキュアになる事を拒否したのも、「プリキュアとしての圧倒的な力」を自分が
 保持しても本当に良いのか、その力が結果的に昔のように誰かを傷つける事になるのではないか
 という恐怖心の存在・・・

〇キュアソード

 今後、3人のプリキュアとの出会いが確定していますが、
 やはり「自分一人で十分、自分には仲間なんていらない。
 トランプ王国の事は、自分達の問題であってマナ達には本来関係のない事。
 だから彼女達を巻き込みたくないし、自分一人の力で王国復活を果たしたいという気持ちと
 どうやって折り合いをつけていくのか・・・

確かに色々と見所は満載だと思いますし、
まさに「ドキドキ」の展開が待っていそうです。
イタリア総選挙の結果もそうですし、今年の7月に予定される日本の参議院選挙もそうなのですが、
現状では、「二院制」の意味が喪失されているような感じがします。
これではただの足の引っ張り合いというか、
一方の院がもう一方の院からの賛成を得るために妥協とか政治的駆け引きを図ったり、
政治日程が止まったりするここ数年の政治情勢に多大なる疑問を感じます。

本来、「二院制」の意味って何なのでしょうか・・・?
議会が二つあれば、一方の院の暴走を食い止められるとかチェック機能とか
確かに本来的側面ではそうした良い効果も本来はあったのかもしれません。
だけど現状のように、別に取り立てて「目立った違い」がない二つの議会が存在しても
特にチェック機能に意味があるとは思えません。
例えば、一方の院が一般大衆代表 一方の院が学識経験者で、どちらかの院に優先権があるのならば
それなりに意味があると思うのですが、
特に違いがない二つの議会の場合、その存在に特に大きな意味があるとは感じられません。

それならば「一院制」にした方が余程政治決断は早いし、複雑な昨今の国際情勢の変化に
即断即決できるし、
何よりも一方の議会がもう一方の議会と妙な駆け引きをする事もなくなり、それなりに
メリットはあると感じています。
それに「一院制」と言っても元々国民の意思を反映している事に変わりはないのですし・・・

「一院制」にしたとしても問題解決が図れる訳ではありません。

現在の政党のように、選挙の際に、自分が当選できるようにするために選挙活動中に
様々な団体と妙な約束事ばかりをするから、いざ当選後に主体的活動をしたくても
その約束事に縛られたり、支援団体からのプレッシャーにさらされるから、
大局的観点から物事を見る事ができないのです。
結局は、議会制民主主義ってものは、いつまでも物事が決まらない、大局的観点から
物事を見られない、国民全体の利益の為に「何を優先すべきで、何をやむなく切り捨てるのか」
「国家全体的観点から、国全体をどのような方向に導いていくべきなのか」などという事が
いつまでたっても何も決まらない制度なのです。

確かに、第二次世界大戦の悲惨さ、戦後の荒廃から考えると、民主主義が一定の効果を果たしたのは
間違いのない事実です。
だけど、そうした「古い民主主義」をいつまでも維持するのはいかがなものなのでしょうか?

そろそろ国民全体で、「民主主義とは何?、自分達一人一人はいかにして自分達の意思を代表者に
託すべきなのか? 代表者とはどうやって選ばれるべきものなのか?
その代表者にどのような権限を与えるべきなのか、又そのチェック&抑制機能はどうすれば良いのか」
などを真剣に考える必要が来ていると
感じます。

主観的な考え方ですが、
基本的には、議会は一院制度で十分、その構成員は「システムマシーン的くじ」により公正に
選出された30人程度の委員程度。彼らの役割は、あくまで「行政」に対する意見具申とチェック機能、及び
その時点での問題点の精査と調査と行政機関への報告と改善事項の提案です。
そして「行政機関」とは、これも少数精鋭の「8人程度の行政官」で十分と考えます。
この行政官にほぼ全ての決裁権限を与え、何が国益に適い、国民全体の幸福を実感させられるか
国家全体が良い方向に向かうにはどうすれば良いのか、どの産業に重点を置き、どの分野を
整理撤退させるべきなのか、国家予算をどのように組み立て、どうすれば無駄のない効率化を図れるのか、
財政問題をどうやって解決し、膨大な債務をいかにゼロに持っていくのか、
未来のこの国をどういう方向に持っていくべきなのかを徹底的に考えて欲しいと
思うのです。
この行政官中からトップを選出するのですが、そのトップだけは、10年に一度、国民投票として
選出するべきなのです。
そして、トップを含めた行政官に対する抑制機能として、「50%以上の不支持」の国民投票が成立すれば
問答無用で退陣というルールを制定するのも
一つの方策ではないかと思います。

道程

「スマイルプリキュア」の第16話「れいかの悩み~どうして勉強するの」は
結構好きな回です。
れいかさんを除くみゆき達4人のアホが実証されたギャグ回的要素もあるのですが、
歴代プリキュアの中でもしばしば出てきた「人はなせ勉強するのか」というテーマに
挑んだ回でもあり、見どころは満載だと思います。




そうですね、この「問い」に対しては、自分自身も含めて結論を出せる人は
そうそういないと思います。
別に難しい方程式を解いたとか、歴史の重要事件の起きた年を丸暗記したからといって
そけが社会でそのまんま役立つことは皆無に近いと思います。
要は、社会人となって、何か壁にぶち当たっときに、何か「ヒント」となるべき事柄が
勉強と言う「過程」の中から一つでも見当たればこれに越したことはないと思える程度で
十分なのではないかと思います。
生きる方向性を見出す中での「何か一つの方向性」を勉強を通じて何か一つでも得る事が
出来れば、それで十分だと思うのです。
「人はなぜ勉強するのか」
これに対する一つの答えは、
「生きていく上で色々迷いが生じた時に、答えを見出すためには、引き出しの中身が多いほど
 判断材料のヒントが多くなる。引き出しの中身を作り出す一つの過程が勉強」という
事なのではないでしょうか?

スマイルを見てみると、まだ16回当時のれいかさんには色々と「迷い」があったりするものです。
だけど改めて全話を振り返ってみると、れいかさんは、例えばプリキュア5の大先輩かれんさんのように
「最終的には医者になりたい」というファイナルアンサーが出た訳ではありません。
まだ「これから自分の可能性を探っていく」という「過程」の段階で最終回を迎えてしまいます。
だけど、実はこれはいかにもれいかさんらしい話であって、
「自分を高める一つの道が勉強」、同時に「自分を高める別の道がプリキュアであり、みゆき・なお
などのような友達との交流」という経過的側面で一旦完了させて、
番組終了後も日々精進し、自分の「道」を探求していくという感じなのでしょう。

それを示唆したのがこの第16話だったのかなーと今にして思うと感じる所であります。

プリキュア5では、勉強が苦手で「なぜ勉強するのか」という問いにも答えられなかったのぞみが
5GoGoにおいて、りんちゃん弟妹に「勉強の楽しさ」を教えるまでに成長したその姿に感動を感じたのは
自分だけかもしれませんが、
今後更なる「道」を極めていくであろうれいかさんにも温かい視線で応援したいものです。

だけど今にして思うと、スマイルの面々のアホ振り・・・ボンクラ振り・・・
現役の「ドキドキメンバー」の視線から見ると
「先輩、大丈夫ですか・・・」と何か突っ込みを入れられそうですが、
確かにオールスターズでも、ハッピーやピースなんかは普通にハート・ソードにお姫様抱っこを
されながら助けられそうなイメージすらありますけどね。

第16話には、高村光太郎の「道程」の一節が出てきます。

僕の前に道はない
僕の後に道ができる

この部分は確かに何か「訴える」ものがありますよね。

れいかさん自身も(他の歴代プリキュアも含めて)、プリキュアとして戦っている最中には
見えない事であっても、戦いが終わった後に、
改めて「プリキュアとは自分とって何だったのか、どういう足跡が残せて、何が自分を高めて
くれたのか」等を考えさせてくれる言葉でも
あるような気もします。
1988年と言うと、自分自身が社会人になった年でもあり、実質的に昭和最後の年でもあり、
何か印象に残る一年でした。
世相的には、バブルが膨らみ続け、不動産投資・地上げ・株価の連日連夜の高騰・リクルート事件が
新聞を賑わせていたと思います。
本来ならば相当好景気に沸いていた年という風に認知されても良いと思うのですが、
昭和天皇の病状悪化による「自粛ブーム」が世間一般でも広く浸透し、
本当の意味でのバブル狂乱と好景気に沸いたのは、翌年の事だったのかなーとも思います。

ただ、自分自身は初めての社会人生活でもあり、右も左もよく分らない状態で
新しい生活が始まったので、戸惑う日々の連続だったと思います。
入行式が終わって、一週間程度は導入研修かなと思っていたら、問答無用に即支店配属という事になり、
「細かい事とか業務の実務は現場で覚えろ」という事だったのでしょうね・・・
だけど支店内は、誰もが忙しそうにしていましたので、とても誰かに聞くという雰囲気ではなく、
最初の頃は、「拾われてきたネコ」みたいな居心地でした・・・

〇嘉穂高校

 プログラム一番で何か気の毒な演奏でしたね。
 何か「乗っていない」というのが手に取るように伝わってくる演奏でした。
 午後なら銀ぐらいは取れたと思うだけに残念な結果でした。
 嘉穂の「オセロ」は、Ⅰ・Ⅱ・Ⅳという構成で、
 天理高校以降は一般的に、Ⅰ・Ⅲ・Ⅳという構成が多い中、Ⅱの「ギブロス~朝の音楽」を
 取り上げたのは珍しいので、その意味では印象に残っています。
 確か「オセロ」を全国初演した長野工専も嘉穂と同じ構成でしたよね。
 だけど、「オセロ」は、Ⅲ「オセロとデスデモーナ」の哀しい心理葛藤のドラマがあるからこそ
 Ⅳが生きてくるわけだから、嘉穂みたいな構成は、少し抵抗感があります・・・

〇土佐女子

 84年の悲惨な「ディオニソスの祭り」を知っている人間から言わせてもらうと、
 87年の「サロメ」と言い、この年の「寄港地」と言い、たかだか4~5年程度なのに
 この「飛躍度」は類を見ないと思います。
 それ程素晴らしい「寄港地」でした。
 あの難曲の課題曲、深層の祭りを軽くさばいた後で、自由曲が始まりましたが、
 Ⅱのオーボエの「音のうねり」を十分醸し出した演奏 Ⅲの開放感は本当にジーンと
 くるものがありました。
 音楽が非常に生き生きとし、大変印象的です。
 評価は銀賞にとどまりましたが、個人的には88年の中で「ベスト3」に入れたいほどの好演です。
 (ちなみに、ベスト1は、野庭の「春の猟犬」です)
 淀川工業は、この年も金賞で、五年連続金賞に王手を掛けました。
 淀工は、78年と84年に「寄港地」を取り上げ、5年連続金賞をかけた1989年は、
 自由曲の候補として、もしかしてこの「寄港地」も多少は考えたのかもしれません。
 だけどもしかして丸谷先生も、
 「いやいや、土佐女子の寄港地のあの仕上がりですら銀賞・・・
 アカン、アカン、やっぱ「寄港地」はアカン・・アホ共には大阪俗謡が
 ピッタリやねん」とでも考えていたのかもしれませんよね。
1986年にサントリーホールでこけら落とし公演が連日行われている時、
確かその最後の演奏会が、当時「ニューヨーク・フィラデルフィア等数々の名門オケを
抑えて、堂々全米第二位にランキング」とか言って騒がれた
「スラットキン指揮/セントルイス交響楽団」だったと思います。

曲目が
バレエ組曲「ロデオ」
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲(独奏/五嶋みどり)
ショスタコの交響曲第5番
だったのですが、

ロデオの一番最初の出だしの音があまりにも強烈だったりと
サントリーホールの残響音があまりにも素晴らしいため、
この第一音だけで心身ともにメロメロになってしまった事は懐かしい思い出です。

「ロデオ」は、正直それほど高級なバレエ音楽ではありません。
何かいかにもアメリカっぽい「大らかさ・うさん臭さ・大衆迎合的商業主義」の香りが
プンプンと感じられ、
どちらかと言うと、リズム感がやたら強いイージーリスニングや映画音楽のようにも
聴こえてしまいます。
だけど、結局はそれがいいと思うのです。
ホント、この曲は聴いていて楽しいし、第一曲「カウボーイの休日」のけたたましさ・
第二曲「牧場のノクターン」みたいな抒情性
第三曲「サタデーナイトワルツ」のスローバラード
ラストの「ホーダウン」のけたたましさの再現など
魅力は尽きない曲だと思います。

特に第一曲のトロンボーンのソロは、珍しい楽器のソロだけに聴きどころ満載です。
でも第四曲のシロフォーンを担当する打楽器奏者は大変そうですよね・・・

この曲は、セントルイス響は、けたたましさ+抒情性をうまく表現していて
「大人の香り」という感じもしましたが、
確か1999年頃に聴いた井上道義指揮の日本フィルは、「やりたい放題」のとんでもない爆演を
聴かせてくれました。
プロのくせに、完全な音量過剰気味のヒートアップ演奏で、
指揮者の気合完全空回りという印象がありました。

個人的な感想なのですが、
20世紀のクラシック音楽の「知名度・どこかで聴いた事がある」ランキング第一位は
ハチャトゥーリアンの「剣の舞」(バレエ音楽「ガイーヌ」)だと思うのです。
第二位は、カバレフスキーの「コメディアンギャロップ」(組曲「道化師」)あたりかな・・・
第30位あたりに、ロデオの作曲家のコープランドの「市民のためのファンファーレ」が入ってくると
思うのですが、
この「市民のためのファンファーレ」もいかにもアメリカの映画音楽みたいな感じですよね。
輝かしい金管楽器のファンファーレにティンパニー・ドラが響き渡る雄大なスケールの音楽だと
思います。
「努力すればできない事は何もない、いつかはその夢が叶う」というキャッチフレーズが
似合いそうな音楽だと思います。
コープランドの交響曲第三番の第四楽章の冒頭は、何とこの「市民のためのファンファーレ」が
そのまんま転用されています。
最初聴いた時は正直驚きました。
「そのまんまやねん」と関西弁で突っ込みを入れたくなるような感じなのですが、
ま、同じ作曲家なので仕方がないのでしょう・・・
この交響曲第三番は、何と一だけ生で聴いた事があります。
スラットキンが指揮したNHK交響楽団の定演でしたが、中々見事な演奏でした。

ウィリアム=シューマンも「アメリカ」を溺愛した作曲家だと思いますが、コープランドも
それ以上に「アメリカ」を愛していた作曲家なのかもしれませんよね。
2/24の「ドキドキプリキュア」はついにキュアロゼッタが登場しましたね。
だけどなんですか? あの突っ込み所満載の黄色プリキュアは・・・・???
第一話~第三話のマナと六花さんの「二人のつながり」を構築したシリアスムードの序盤の雰囲気を
さすが伝統の黄色プリキュアは、ものの見事に打開して新しい展開を切り開いてくれました。



伝統的に黄色系プリキュアは、スタッフから愛され手厚い保護を受けるが「少々弱い」という傾向が
ありました。
(追加戦士のサンシャインと妖精側のミューズは別とします・・・)
その典型例はやはりパインとピースなのかな・・・?
だけど今回のロゼッタは、さすがに「文武両道」だけあって初回変身時からやたら強かったですよね。
昨年のピースの初回変身時の「へたれ」を考えると、この違いに愕然とします・・・
歴代プリキュアの中では、ハートキャッチとスイートの変身がやたら綺麗で可愛くて
強烈な印象を残してくれたのに対して、
今回の「ドキドキ」のハートとダイヤモンドの変身シーンは、あまりにも普通と言うか
オーソドックス過ぎて、特に何の印象もありませんでしたが、
何ですか、あのロゼッタの変身シーンは・・・
他の二人とはエライ力の入れよう・・・
すごい手間と技術が要しているのでしょうね・・・
さすが黄色系のプリキュアは、スタッフに愛される子・・・

でも「ひだまりぽかぽか」とかいう台詞は、何か「スマイル」路線を彷彿とさせてしまいますね。

他にも何か色々と印象に残るシーンのオンパレードでしたが、
執事のセバスチャン氏は、「さすが」という感じですよね。
プリキュアの世界では、それほど「大人」が介入してくることは少ないのですが、
たまに介入してくる場合は、「温かく諭す大人」という役割を担う事も多いのですが、
その意味でも、セバスチャン氏は「大人」の対応と雰囲気ですね。
何か、プリキュア5のかれんさんのじいやさん、というか坂本さんを彷彿させます。
(坂本さんも何気にすごいスーパー老人ですよね・・・大人だし・・・
 そしてあの「かれんさん大好き」オーラがたまらなく魅力的です。)

防犯カメラと言い、ジコチューがi-popであったりするのも「時代」を感じさせます。
又「ラジカセ」をハートが「何あれ」という辺りも何だか妙に時代を感じさせます。
確かに現在の中学生辺りは、「カセットテープ」なんて知らない子が多いのかも・・・
MDやダウンロードの前までは、自分もカセットテープを使用していましたけど、今回のジコチューのように
あれはテープが中でからまってしまうと、その処理が大変なんですよね。
しかも音楽テープに歪みが生じてしまい、録音された音楽の再生はひどくなってしまうし・・・

こうして考えるとカセットテープは今にして思うと不便なアイテムですよね。

でも今回のプリキュアは、まな・六花さん・ありす・まこピー全員が「聡明」というのは
すごいことですよね。
賢く理知的な子がたくさんいるだけに、今後の方向性・展開が本当に楽しみです。

次週はいよいよキュアソードの登場ですよね。
急がないと、「オールスターズDX2」で観客から「あの子、だれ」なんて言われかねません・・
というか、放送開始から第三話~第四話で全く出番がないというのも
極めて珍しい展開・・・

ちなみに、スイートでは、大震災の影響だと思いますが、
本編に先駆けて、何と映画の中で、リズムが「ベルティエ」をお披露目したという珍事があったのも
今にして思うと懐かしいですよね。

前にも書いたと思いますが、1987年は学生生活最後の年で「来年からはいよいよ社会人・・・」という
気負いの不安の気持ちが交錯し、もしかしたら吹奏楽コンクールを聴けるのもこれで最後かも
という思いから、前日の高校の部の晩や高校の部が終わった日の晩は
何か妙に「ドキドキ」と「ワクワク」と「不安」が入りまじり、ほとんど寝つけない感じでした。
だから、中学の部は相当眠かったとは思うのですが、
体は疲れていても意識が、頭の中が妙に冴えまくり、全然眠くならずに
相当集中して「音楽」を楽しんでいた感じがします。

だけど、後半はさすがに疲れたかな・・・
前半ほど記憶に残る演奏が少なかったような感じもします・・・

〇当麻中学校

 サウンドが整然としているのが印象に残っています。
 よく言うと、大人の演奏、悪く言うと「面白みに欠ける演奏・・・」
 ホント、技術的にはほとんど文句のつけようのない演奏なのですけど、聴いていて
 日本人の感覚と言うか、踊ってみたいとか、鄙びているとかそうした感情はほとんど
 伝わってきませんでした。
 演奏がうまいだけに何か無機質・無表情な香りがプンプンとする演奏で
 何か釈然としないものは感じました・・
 全く同じ自由曲を1982年にこの中学校が同じ指揮者で演奏していましたけど、
 82年の方が感覚としては面白かったような気がします。

〇宝梅中学校

 このチームが初めて全国に駒を進めたのが82年の「ダッタン人の踊り」ですが、正直
 この演奏はホントひどかったですよね、よくあの激戦の関西大会を勝ち進んできたなーというのが
 正直な感想でした。
 だけど逆に言うと、当時の関西大会の審査員が、このチームの「将来性」や「何かピンと来るもの」を
 感じていたとすると、それはそれですごいと思います。
 このチームが化けたのは1986年の「トッカータとフーガ」かな・・
 BJの講評で「霧の中を朝日がさーーっと差し込む印象」と書かれていましたが、まさにそんな感じの
 演奏です。
 87年も前年以上に進化と飛躍がはっきりと確認された年でした。
 本大会唯一の課題曲B(渚スコープ)でしたが、やはり音色が美しい楽団は、どんな曲を
 演奏してもそれなりに説得力がある事を証明した演奏でした。
 自由曲の「ハンガリー狂詩曲第二番」も前半の重々しい歌い方は、渋さも加わり
 中々魅力的でした。音色がどこまでも透明なため、瑞々しい感触も十分です。
 後半の速いテンポは、少し前半ほど余裕がなかったものの、スピード感で補っていたと思います。
 ラストはもう少し「追い込み」が欲しかったかな・・・

〇宇品中学校

 本当に可愛らしい「ハロー!サンシャイン」でした。
 こじんまりとまとまつている印象なのですが愛くるしさがあり、これはこれで素敵なマーチです。
 自由曲の「海」もほぼノーカットで演奏され、印象に残りました。
 日本海の荒々しい海という感じではなくて、
 海は海でも「瀬戸内海」ののんびりとした感じの「海」という感じでしたが、
 課題曲同様、「愛くるしさ」・「チャーミングさ」が随所に感じられ、私個人としては
 高く評価したい演奏です。
 これは実に惜しい銀賞

はげ山の一夜

中学生の時、音楽の授業ではよく「音楽鑑賞」とかいって
名曲と呼ばれるクラシック音楽を全員でレコード鑑賞するという事もしばしば
行われていた記憶があります。
ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」とか、シューベルトの「ます」とか
ヴィヴァルディの「四季~春」とかドヴォルザークの「新世界」とか色々聞かされていました。
だけど、私は、ど田舎のアホ中学校出身で、生徒も「アホ」ばかりでしたので
(当時、恥ずかしいけど自分の中学校は、宮城県内で二番目に模擬試験の学校偏差値が
 低い学校として有名な田舎のマヌケ中学でした・・・
 だけど、この学校生徒数は非常に多く、自分なんか二年生の時は、2年14組でしたから
 平均点・偏差値から考えると恐ろしいものはありますよね・・・)
音楽の時間に、こんなウルトラメジャーなクラシックの名曲を聴かされても
ほとんどの生徒達は「爆睡」状態でした・・・

だけど、そんな中、生徒全員が目を輝かせてというか、それ程爆睡しないで
真剣に聴いていた曲が二つほどありました。
一つがシューベルトの「魔王」
もう一つがムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」でした。
「魔王」は、当時の中学生として「魔王」というタイトルが斬新だった事とドイツ語の発音が
新鮮だったためと考えられますが
(中には、「ハクション大魔王とこの曲を混合しているタワケも数名いましたが・・・)
「はげ山の一夜」は少し意外な感じもします。今にして思うと・・
やはり「分り易さ」がその原因なのかな・・・・??
精霊・妖怪・化物達が一晩だけ踊り狂うという曲が一般の生徒達にも受け入れやすかったし
各テーマがはっきりとその場面を明確に表現しているので、
音楽として「非常に伝わりやすかった」のだと思います。
そして最後のフルートソロの美しい音楽もそれを支えるハープの伴奏も
「夜明け」を確実に提示していましたので、
それもまた分り易かったのだと思います。

だけど数年後とんでもない事実を知ることになります。

というか、この曲は、ムソルグスキー作曲となっていますが、
私は、この今知られている形としての真の作曲家は、リムスキー=コルサコフだと
思います。
この曲の原曲を初めて聴いた時は、正直驚きました。
だって、確かに主要メロディの残骸は曲として残っているものの
世間一般に知られている「はげ山の一夜」とは全く異なるものでしたから・・・
おまけに、夜明け部分のフルートソロ部分も原曲には存在せず、あの部分は完全に
リムスキー=コルサコフの「創作」でしたから・・・
原曲は、「おどろおどろしさ」満載の曲で、
あれは、どちらかというとストラヴィンスキーの「春の祭典」に近いような感覚を
覚えます。
結局世間一般にムソルグスキー作曲と知られる「はげ山の一夜」はコルサコフの「編曲」という
名の下の「創作」だったのですよね。

今でも正直この原曲版はどうもしっくりきません。

やはりあの夜明けのフルートソロが入らないと何か違うなーという感覚があります。

中学の音楽鑑賞の際に、この「原曲版」をあの生徒達に聴かせたら一体どういう
反応を示すのでしょうか・・・?
現在だったら「キモい」とか言われるのがオチかな・・・??

だけど、この曲程「音楽の三要素~メロディ・リズム・ビート」を体内時計として
感じる曲を他にあまり知りません。
構造がシンプルな分だけ、やはり受け入れやすい事なのでしょうね。
1986年の衆参同時選挙で歴史的大勝利を収めた自民党は、翌年に中曽根総理から
竹下総理へと禅譲がなされました。
その際、当時「ニューリーダー」と称された、竹下・宮沢・安部の三氏は既にこの世の人間ではなく、
(現総理はその息子ですからね・・)
中曽根さんがいまだにこの世に生を受けているのも何か不思議な感じもします。
だけど、最近90歳を超えた中曽根氏のインタビューを拝見しましたが、
年をとっても全然ボケていないし、自分なりの世界観や歴史認識・自分の果たすべき役割を
きちんと把握されている様子には、正直感服いたしました・・・
ああいう年の取り方はまさに理想的ですね・・・

〇野田中学校

 佐藤先生の初出場の年です。
 だけど、野田中の演奏って全体的に何か印象が薄いのですよね・・・
 洗練され、演奏が柔和なのだけど、何かインパクトに欠けるのですよね。
 そう、何か自己出張があまり感じられないのです。
 この年の「バッカスとアリアーヌ」も何か官能的な曲をやんわりと仕上げ
 何となく印象もないまま終わってしまったという感じなのです。
 「もやもやしている」ような霞のような感覚の音楽なのです。
 指揮者の佐藤先生は、確かBJの1981年の「川越高校吹奏楽部」を一年間ドキュメンタリーとして
 追いかけていた時に、「鬼コーチ」として登場していた人でして、野田中の指揮者としてよりも
 何となく川越高校の鬼コーチとしての印象が何となく強いのですが、
 その割には、この年も含めて佐藤先生の演奏は、88年のダフクロも92年のシンフォニーポエムも
 何か印象が薄いのは、妙なギャップを感じてしまいます。
 ちなみに、川越高校と言うのは、埼玉県では大変な進学校として知られていますが、
 吹奏楽部は、佐藤先生が指揮して一度だけ1981年に「アンティフォナーレ」を自由曲として
 関東大会にまで駒を進めています。
 だけど、関東大会は確か別のコーチがタクトを振っていたようですが・・・

〇武蔵村山第四

 1987年の中学の部の銅賞団体は4団体だけです。金賞も少なくわずか6団体のみです。
 その銅賞4団体の内の一つですが、これは正直気の毒な感じがします。
 他にも「銅賞候補?」の学校がいくつかあっただけに、かなり意外な評価のような気がします。
 演奏は、少々粗削りだけど、
 とにかくのびのび楽しんでいるハロー!サンシャインとローマの祭りです。
 12分と限られた時間の中で、「持てるものを全部ステージで出してしまおう」とか
 「今できる精一杯の力をこの瞬間瞬間に出し切ろう」とか
 「絶えず何かを精一杯表現しようとする姿勢」が演奏に前面に出ていて、とにかく
 聴いていて気持ちの良い演奏でした。
 例えるなら、1986年の伊予高校の「ローマの祭り」に近い感覚の演奏だったと思います。
 このチームの演奏は、都大会の時も聴き、「素晴らしい」と感じましたが、全国でも都大会の
 再現、いやそれ以上のものが出来ていたと思います。
 初出場とは思えないのびのびとした演奏で本当に好感が持てました。
 余談ですが、確かこのチームは打楽器奏者が5人しかいなかったと思います。
 5人でローマの祭りは大変だったと思いますが、部分的にティンパニー奏者がタンバリンに持ち替えたり
 5人で多種多様な打楽器を大忙しで扱っている光景は、バタバタ感濃厚ですが、
 非常に微笑ましいものがありました。

〇永山南

 ステージ衣装のインパクトがすごかったです・・・
 一見どう見ても「マーチングコンテスト」にしか見えない白のズボン・スカートの衣装は
 かなり目立っていました。
 女の子のスカートは、白なのだけど、ひらひらの部分が確か青色だったと思いますが、
 その衣装は、現在放映中の「ドキドキプリキュア」の大貝第一中学校の女子の制服と似ている
 面があり、何かわくわくします。
 演奏は、一言で言うと「大らか」
 だけどこのチームは不思議なチームですよね。
 この年は、かなり大らかなのだけど、翌年の「オセロ」はクラシカルな正攻法
 89年の「シェエラザード」は音量控えめな端正な演奏 91年の「ローマの祭り」は爆演と
 年ごとのチームのメンバーの個性によって
 演奏スタイルも変えていっているのが、面白い所です。
 だけど、それはメンバーを「伝統的な〇〇サウンド」と型にはめないで
 毎年のチーム事情によってスタイルを変えているのは、非常に好ましい事だと思いますし
 理想的な運営方法だと思います。

浄化

2/24はやっと日曜日です。(私は仕事ですが・・・)
「ドキドキプリキュア」は、2/24でまだ四回目なのですが、既にもう楽しみで仕方がないという
展開です。
でも昨年の今頃も同じでしたね・・・
「スマイル」が待ち遠しくてたまらず、仕事から戻るや否や、録画をすぐに再生という
感じでした。
昨年の第四回目というと、「キュアマーチ」登場の回でしたが、
初登場時のなおちゃん&キュアマーチは、ホント格好いいアニキという感じでしたからね。

いよいよ黄色のプリキュアが登場します。

歴代プリキュアを見てみると、サンシャインとミューズは別にすると
黄色系はどちらかというと、戦闘⇒弱い ボケ要因 あざといというイメージが既に
出来つつありますが
(スマイルのピースは、まさしくその典型例ですよね・・・)
ロゼッタに関しては、どうなのでしょう・・・??
財閥系お嬢様という設定ではありますが、一方で文武両道という設定でもありますので
歴代のような「単なるボケ要因で戦闘力が低い」プリキュアという感じには
ならないような予感があります。

だけど、それよりもありすも何か「マナちゃん好き好き」オーラを発揮していますが、
正妻の「六花さん」といかに調和していくのでしょうか?
それも今後の楽しみです。
今回のプリキュアは、全員「聡明な」プリキュアですので、その点では安心して
見れそうですよね。




前回「まこピー」のコンサートがどうたらこうたら言っていましたので、
展開としては、剣崎真琴のコンサート時に、「ソード」と「ハート・ダイヤモンド・ロゼッタ」の
初接触があるのかもしれません。
頭が固いというか、クールで何でも自分で解決しようとするソードがいかに
チームとして融合していくのか、その辺りが前半のメインテーマになりそうですよね。

ところで、敵の怪物を倒す際「浄化」というワードが今回も用いられましたが、
「浄化」というのは、ハートキャッチ辺りから登場してきたワードですよね。
フレッシュ以前では敵の怪物を倒すという事に主眼が置かれ、
その怪物までもを「救済」するという発想はなかったと思いますが、
ハートキャッチで、「怪物イコールその人の持っているココロの弱さ・コンプレックス」という設定が
登場してから、比較的、敵を倒すという単純な構図ではなくて、
怪物までもを「浄化」させるという方向性に変容したのではないかと
思う事もあります。
今度の「ドキドキ」の怪物も、人の心の暗部を象徴したものですので、「浄化」というワードは
非常に分り易いと思います。
だけど、ハートキャッチにおいては、ココロの弱さ・コンプレックスが「魔物」になった際
大抵の場合、その魔物はそのコンプレックス等をはっきりと言葉にして、戦っていましたので
何かあれは、放置プレイみたいな気もします。
というか、大声で自分の弱点を叫び、自分の抱えている悩みを世間に大声で叫ぶことで
かえって「自分のココロをオープンにしている」という印象さえあります。

そして、「自分のココロをオープン」にする事が、既に「浄化」ということなのかもしれませんよね。

マリンは、何と二回も浄化されています。
一回目は、ブロッサムの初変身時 二回目は、確か恋人同士のプロポーズ回の水のデザトリアン
登場時に、なぜかその水のデザトリアンの体内に取り込まれたマリンが、ブロッサムによって
デザトリアンごと浄化されてしまいます・・・
そうですね、二回も浄化されたから、結果的にえりか様も
初期段階の「相手の気持ちも考えないでズケズケ喋る」子から
ある程度周囲との調和が出来る子になっていったのも
もしかして「浄化」が一つの要因なのかも・・・・??
ショスタコーヴイッチの交響曲第五番「革命」は20世紀を代表する交響曲の一つだと
思います。
20世紀に作曲された交響曲の中では群を抜いて演奏頻度も高いと思いますし、
作曲経緯とか作曲者の本音は別として、
クラシック音楽というジャンルでは「不滅の交響曲の一つ」だと間違いなく思います。

だけど、この偉大なる交響曲第五番の一つ前の
交響曲第4番は実にヘンな交響曲です。
以前このブログでショスタコの交響曲第14番は「不思議なシンフォニー」と記しましたが、
この第4番は、不思議という概念を超越した「謎のシンフォニー」という感じです。

交響曲第5番が(例え作曲者の真意がどうであれ)暗⇒明 絶望⇒希望
問題提起⇒過去の振り返り⇒瞑想⇒勝利という非常に分り易い明確な構成を取るのに対して
この交響曲第4番は、そうした「分り易さ」は全くなく、
「結局、この人何を言いたいの?」という謎だけが残ってしまう、
ホント、ヘンな曲なのです。
この交響曲第4番だけを聴いてしまうと、
「実はショスタコはマーラーの直弟子なの?」とか
「ショスタコって実はバリバリの現代音楽作曲家なの?」とか
「実は精神分裂病の患者さんだったの?」などなどの
疑問を持たれてしまうのかもしれません。

この交響曲を作曲している頃は、実はショスタコ自身は人生最大の危機と言っても過言ではない
「プラウダ批判」のさらしもの状態になっている最中であり、
正直「逮捕⇒収容所送り」という可能性もなくはない状態だったのです。
この当時の作風がソ連の求める「音楽の分り易さ」とは明らかに違うものだったためなのでしょう。
だからこそ、こうしたヤバい時期に、こんな抽象的な訳の分からない交響曲第4番なんて
世間に発表したら、それこそ「お前、ソビエト政府をなめとんのか」という事で
逮捕という可能性も濃厚になっていたかもしれません。
だからこそ、一旦曲の発表と作曲そのものの事実を撤回したのは、当時としては
正解だったのかもしれません。

だけど、この曲を改めて聴いてみると、
本当に一つ後の不滅の名曲の「交響曲第5番」とは全く次元が異なる作風ですね。
確かにショスタコとしては、人生の危機の時期に「一発逆転の名誉回復」的な意味でこの第5番を
作ったのかもしれませんが、両者のあまりの違いに愕然としてしまいます。
「極端から極端へ移りやすい」というのがロシア人の一つの特徴という話を聞いた事が
あるのですが、その点から捉えると
ショスタコーヴイッチは典型的なロシア人だったのかもしれませんよね。

番号が一つ違うだけでこんなに作風が異なる作曲家って結構いるのかも
しれませんが
(例/「悲歌のシンフォニー」のグレツキとか・・・)
ショスタコは、まさにその極端な例なのでしょうね。

日本でこの交響曲第4番が初演されたのは、実はそれ程古い話ではないのです。
自分が大学3年の時だから、確か1986年かな・・?
しかもこの初演は、プロではなくて芥川也寸志氏指揮の新交響楽団というアマチュアオケ
なのです。
確かプロ初演は、1989年のNHK響だったと思います。

それにしても交響曲第4番は、決して「前向き」な曲では100%ないと
思います。
というか、膨大なマイナスのエネルギーを感じる「負」の交響曲です。
この曲を聴いて「よーーし、明日から頑張るぞー」とか
「明日から昨日までの自分をチェンジさせよう」という気持ちには間違ってもならないと
思えます。
第3楽章なんて、前半が比較的盛り上がりますが、後半は静かに静かにつぶやくように
フェイドアウトしていきます。

第一楽章の冒頭は、確か1989年頃に、レディボーデンか東京モード学園のどちらかのCМで
使われていた記憶があります。
でもこの曲をテレビCМに使う勇気には感服いたします・・・
だけど1991年には、アリナミンVが同じくショスタコの交響曲第7番「レニングラード」を
CMとして使っています。
だけどこちらの場合、シュワルツネッガーを使い、「チチンプイプイ」と明るい調子のCМなので
4番ほどの驚きはありませんでしたけど・・・
まだ2月が終わった訳ではありませんが、
2月は本当に全然ダメダメな一ヶ月でした・・・
寒いという事もあり、気持ちがあまり前向きじゃなかったという事もありますが、
何か「気持ちが乗らない」まま終わってしまったという感じです。

そういう時、やはり「これまでの実績」はかなりモノを言うという事を逆に実感しました。
普段から真面目に物事に取り組んでいると、
周囲も「そういう時もある」みたいな感じの眼差しで見てくれている事は
痛いほど気が付いていますので、
逆にそうした配慮も「痛い」感じもします。

だけど間もなく「春」です。

暖かい春が到来します。

その時は、気分も切り替えて、「新しい気持ち」でまた一ヶ月をスタート
したいものです。

沈める寺

ドビュッシーの「前奏曲集」というと、
やはり「亜麻色の髪の乙女」が一番人気と思います。
(そう言えば何年か前に同名のJ-popもありましたね・・
 あの曲を歌っていた女の子は最近全然耳にしないけど、まだ頑張っているのかな・・??)

だけど、個人的には「沈める寺」が大好きです。

ピアノはたまに「全能の楽器」・「神の楽器」と感じる時があります。
オーケストラが、金管・木管・弦・打楽器が必死にもがいてもがいて役割分担を明確にし
やっとの思いで「音楽」を奏でるのに対して
ピアノはたった一台の楽器で、ぜーんぶ表現できる事が多々ありますからね。

それを証明しているのがこの「沈める寺」だと思います。

ホント、黙ってこの曲を聴いていると、
湖に沈む街、寺院、静かな余韻、そういったものを何も言葉にしなくても
十分ピアノ一台の音だけで表現できていますから、
本当に感動ものです。

特に小川典子さんのピアノ演奏でのこの曲がいいと思います。

ホント、ピアノ一台だけで、あんな「音の断層」を奏でられるなんて
やはりピアノは全知全能の楽器です。
第35大会の中学の部は、自分にとって特筆すべき点が一つあり、
何かと言うと、自分にとって素晴らしいと感じる演奏や印象に残っている演奏が
ほぼ前半に集中していたという事なのです。
確かに、足立十四、今津、出雲第二、雄新・大塚・元吉原・城陽は午前中の出番でしたからね。
午後の部で印象に残ったのは、湊・宇品・宝梅ぐらいかな・・・

対照的に翌年の88年は、比較的午前中が低迷気味で
午後、特にダフクロのオンパレードのラスト近くに名演が続出していましたからね。

その意味では対照的な二年間だったと思います。

〇城陽

 確か「仮面幻想」はこの時の演奏が全国大会の初演だったと思います。
 この城陽の名演が、「仮面幻想」が80年代後半から90年代前半に全国的にブレークする
 きっかけを作ったのだと思います。
 前年度の「サムソンとデリラ」も良い出来の演奏だと思いますが、悪く言うと個性があまり
 感じられない。
 だけど城陽は、この年を持って前任者の指揮者を超える演奏が出来たと思います。
 「仮面幻想」は、出だしの「ひそやかさ」も申し分なかったし、何かヒョコヒョコしたものが
 可愛らしくもあり、少し不気味でもあり、
 何となく「座敷童」をイメージするような演奏でもありました。
 後半も、トムトムが活躍し、ともすると時代劇みたいというか、チャンバラ劇みたいな
 ドタバタ演奏になりがちな所をぐっとこらえて、かなり理性的に演奏していた様子が
 非常に印象的です。
 音楽的にもよくまとまっていたし、日本人のココロみたいな風情も十分醸し出していたし
 文句のない金賞だったと思います。

〇湊中学校

 前年の「ディオニソスの祭り」が比較的内省的な感覚を大事にしていたのとは対照的に
 この年の演奏は、外面的迫力重視と言う感じでした。
 (ローマの祭りだから仕方ないか・・・)
 あえてケチをつけると、自由曲がなる曲を選んだのだから、課題曲は
 風紋を選んだからには、もう少し課題曲ぐらいは「抒情性」を大事にして欲しかった気も
 します。
 結果的に課題曲も自由曲も同じ方向性の演奏・表現だったので、
 胃にもたれるような感じの演奏になってしまいました。
 それにしても「ローマの祭り」はやってくれましたね・・・
 あんなにテンポをいじくりまくって、豪快に音を鳴らして、ラストをわざとテンポをゆっくり目にして
 しつこくしつこく終わらせたのは、多分この学校が最初なのでは・・・?
迫力という意味では非常に印象に残ったチームです。
 自分の個人的採点は、「銀」で、実際の結果も銀でした。

花鳥風月

最近まで全然気が付かなかった事なのですが(お恥ずかしい・・・)
二代目プリキュアの「スプラッシュスター」というのは、「花鳥風月」を意識したもの
だったのですね。

確かに、
ブルーム⇒花
イーグレット⇒鷲=鳥
ウィンディ⇒風
ブライト⇒月

ですよね・・・

今更ホント、何を言っているのでしょうかね・・・

もしもスプラッシュスターが初代のように二年間継続されていたとしたら、
薫がキュアウィンディとなり、
満がキュアブライトとなっていたのでしょうね。
確かに、あの四人組でのプリキュアも見てみたかったですよね。

あ、そう言えば
スプラッシュスターの人間としての名前も花鳥風月を象徴していますよね。
花が咲き
鳥のように舞い
風が薫り
月が満ちていく

プリキュア5とかスマイルプリキュアのネーミングはほとんど一貫性はありませんけど、
フレッシュなら果物関係、スイートなら音楽関係、ドキドキならトランプというかタロットという風に
何か共通性があるものもありますよね。
その辺りも各プロデューサーの考え方が反映されていて興味深いものもあります。

うちの奥さんなんか、プリキュア5のルージュやミントやアクアとかレモネードなんて
何かトイレの芳香剤っぽいネーミングで何か安直とかいまだに言ってはいますが・・・

関係ないけど、
スプラッシュスターの薫役の中の人は、なぜか途中で交代しています。
改めてDVDを見てみると、唐突に声が変わったような感じがして、慣れるまでは
正直違和感もありました。
満と薫の声を演じた人は、なぜか知らないけど、
ムープとフープという妖精の声としても出ていますので、
場面によっては(特に後半部分)
満とフープが同時に同じ人の声で出ている事もあり、
それが何の違和感もなく聞けますので、その辺りはさすが「プロ魂」ですよね。



「年金問題」って2007年あたりの「消えた年金問題」の頃に比べるとそれ程
騒がれなくなった感がありますが、実は全然解決できていない
問題だと思います。
というか、現在の働いている現役世代とか、20~30代の若手世代は、本音は
「今の制度のままでいくと、現状の日本の年金制度は確実に崩壊する」という事に
尽きると思います。

現在年金を受給しているシルバー層は、現実に現在支給されているのだから
それ程心配には感じていないかもしれませんが、
やはり私達現役世代から視点を捉えると「不安」以外の表現しかないと
思います。

では、どうすれば良いのでしょうか・・・

年金支給と言うのは、財源問題と密接に絡む問題だと思います。

日本の財政をこれ以上悪化させないためにも、今の段階で年金制度自体を根本的に
見直す必要はあるものと考えます。
その為には、少し乱暴かもしれませんが、

①現在、年金保険料として毎月納められ国庫に貯められている資金を全て一旦おさめた分だけ
 返金する。
②今後、「年金」という形での支給はストップする。
③代わりに、「ベーシックインカム」の下、年金も生活保護も全てを一元支給する。
 これにより、相当部分の公務員削減効果も期待できる。

という策を考えるというか決断すべき時期に近づいているような
感じも致します。
うーーん、ドキドキプリキュアの第三回目ですが、
何度見てもやはり六花さん、というキュアダイヤモンドが素晴らしいですよね。
(勿論、マナも大好きなのですけど⇒というか、一か月前までハッピーが大好きと散々言っていたくせに・・
 やはり、プリキュアシリーズは、全員好き・・・!!)
「英知の光」とか「私があなたの頭を冷やしてあげる」とか
いちいち言う事が魅力的ですよね・・・
自分自身も、仕事や妻とのつまらない喧嘩で、頭に血が上った時には、是非六花さんに
頭を冷やして欲しいものです・・・




来週は、ついに待望のロゼッタが初登場しますね。
それも今から「ドキドキ」という感じです。
だけど、何でストレートに「キュアクローバー」としないのでしょうね・・?
調べてみても、クローバーとロゼッタの関連性が今一つはっきりしませんし・・
やはり「フレッシュ」で散々「クローバー」は使用してましたから、先輩プリキュア達に
遠慮したのでしょうね。

ありすの「ごきげんよう」なんて台詞を聞くと、何だかフレッシュのブッキーを思い出して
しまいます。
祈里は、優しい悪意のないプリキュアだから、本当に「祈りのプリキュア」という感じが
するのですけど、
何となくありすは、「ぼけている振りをして実は計算高そう・・・」とか
「弱そうに見えて、実は基礎体力・運動神経はマナを凌駕していそう・・・」とか何か
色々邪推をしたくなるようなプリキュアという勝手な予想もあったりします。

だけど、実際にどんなプリキュアなのかは、見てのお楽しみなので、今からホント楽しみです。
マナを巡る六花さんとありすの「正妻の座争い」も期待は高まるばかりです。
(のぞみを巡るりんちゃんさんとうららの正妻の座争いの再現かな・・・??)

ところで、「ハートキャッチ」の第一回目で、つぼみが初登校中にクローバーを発見して
「クローバーさん、私変わります」なんて語りかける所は、
フレッシュからハートキャッチへの引継ぎ完了を示唆するシーンで、結構好きな場面です。
「ドキドキ」は歴代プリキュアから捉えると、何となく「フレッシュ」に一番近そうな感じも
しますので、クローバー繋がりは面白いですよね。
前に何度か書いた事がありますが、ネリベルというと「二つの交響的断章」が大好きです。
特に市立川口高校の1979年の奇跡的名演が本当に死ぬほど好きです。
あのネリベルサウンドというか、シロフォーン・グロッケン・マリンバがテケテケテケと
執拗に反復する部分は、何回聴いてもゾクッとします。

二つの交響的断章やアンティフォナーレに比べると過激さは抑えられ
比較的「まっとうな」曲にも聴こえる同じ作曲家の「フェスティーヴォ」もなぜか知りませんが
昔から、というか高校時代から好きな曲です。
この曲は中間部が特に素晴らしいと思います。

二つの交響的断章の冒頭のように、シロフォーン・チャイム・グロッケンが執拗に同じリズムを
ひたすら反復していき、それに木管・金管が乗っかるような曲なのですが、
単純ゆえに「見事な構成美」を感じます。

自分が仙台を離れて大宮市にて一人暮らしを始めたのは、1984年、18歳の春でした。
さすがに親元を離れて最初の夜は、少しだけ「寂しさ」らしきものを感じたのも事実ですが、
その当時借りていたアパートは、ホント、おんぼろアパートで、風呂なし・トイレ(和式)共同・
三畳+四畳半でしたけど、親元を離れられて、一人暮らしをスタート出来ただけでも
当時の自分にとっては「ハッピー」な事でした。
初めて一人暮らしを始めた夜は、結構な風が吹いていて、おんぼろアパートの窓はやたら
カタカタカタカタざわめいていて、
その執拗な反復が、まさに「フェスティーヴォの中間部の世界」だと
感じたものでした。
それ以来、なぜか知らないのですけど、「フェスティーヴォ」を聴くと
「一人暮らしの最初の夜」・「少し寂しい、だけど嬉しい」というワードがいまだに
浮かんでくるから不思議なものです。

「フェスティーヴォ」というからには、何か「祭り」的な意味とか意図があるのでしょうけど、
最初の頃は、「この曲のどこが祭りやねん」とキュアサニーのように突っ込みを
入れたくなったものですが、
後にドビュッシーの「三つの夜想曲」のⅡ・祭りを聴くと分ったのですが、
あれは、「どこか遠い所から祭りの賑やかさが聞こえてきて、その物音が段々と近づいてくる」イメージ
という事に何となく気が付きました。
ドビュッシーの夜想曲も、フェスティーヴォも「ローマの祭り」とか「フェスティヴァルヴァリエーション」
みたいな華やかな祭りとは明らかに異なるものの
同じ「祭り」でもその人の感覚や受け取り方によってイメージは変わってくるという事に
改めて気が付かされた作品という意味では、
自分にとっては、やはり懐かしい作品でもあります。

うーーん、でもこの曲の「決定打」みたいな演奏はいまだにないのですよね。

強いて言うと汐澤安彦指揮の東京ブラスアカデミーくらいかな・・・
でもこの音源はレコードで、いまだにCD化されていませんからね・・・

矛盾・・・??

以前、「他人に迷惑をかけてまで、他人に自分の世話を委託しないと生活が出来ない位ならば
静かに自分と言う存在を消滅させたい」とか書きましたが、
その一方では、
「他者とつながつていたい」・「社会の中で一定の役割を担いたい」とか
「一人では生きていられない・・・自分は一人じゃない」という
気持ちもあります。

両者とも「本音」なのですが、
両者の間には矛盾もあります。

それを解決するのも自分自身
解決しないのも自分自身

結局矛盾を抱えながらも、生き続けないといけないという事なのかもしれません。
当時は水道橋にある学校に通っていて、大学四年時には、何と週休4日制が導入できていましたので
ホント1987年当時はのんびりとしていましたよね。
今では考えられない事です。
学校に通う三日間といっても、三日で計5コマ程度で、その内一時間はゼミでしたので
一体何しに学校に行っていたのでしょうかね・・・??

当時水道橋駅から歩いて10分ほどの神田神保町、いわゆる古本街を歩くのが結構好きでした。
専門書からサブカルチャー、アイドル写真集、H系の本とか色々ありましたよねー。
クラシック音楽専門の古本屋もありましたね、確か古賀書店という名前だったかな・・・
まだ今でも現存しているのかな・・・?

5年ほど前に仕事の関係で久しぶりに水道橋~神保町を散策する時間があったのですが、
結構街自体変化していましたね。
東京堂書店という大型書店がなくなっていたり、
文省堂というサブカルチャー系の古本屋も姿を消していましたし、
グランデという大型書店が、いつの間にかアイドル・同人漫画誌系のサブカルチャー専門書に
なっていた事にも驚きました。
当時好きだったカレー屋もキッチンレナという洋食屋もなくなっていましたし、
結構残念な感じはありました。
だけど、キッチン南海がまだ健在だったのは嬉しかったです。

〇元吉原中学校

 このチームの音は、サウンドはまさに「シルク」のようなものです。
 本当に柔らかいサウンドで、優しい音楽で驚きました。
 こんなに柔らかい絹のようなサウンドは、浜松商業以外他に聴いた事がありません。
 課題曲は、この部門唯一のC「コンサートマーチ87」で、コンクールで中々聴くことがなかった
 曲のせいか、とても新鮮に感じました。
 (曲自体悪くはないのに、ハロー!サンシャインがあまりにも出来が良かったから、そっちに
  人気が集中してしまいましたね・・)
 自由曲は、「ル・シッド」でした。確か80年の就実以来の演奏でしたので、すごく注目していました。
 やはり音色が柔らかく、気品に満ちた仕上がりでした。
 残念だったのは、カタルーニャの踊りとマドリッドの踊りの間に拍手が入ってしまった事です。
 あれ、何であのタイミングで拍手が入ってしまったのでしょうね・・・
 曲が終わるという雰囲気でもなかったのに・・・
 マドリッドは、冒頭のソロ部分は、就実は確かコールアングレを使用していましたが
 こちらはソプラノサックスを使用していました。
 ややリズム処理が甘く感じたのは、柔らかすぎる音色のせいでしょうか・・・?
全体的には申し分のない演奏であり、正直銀賞は納得がいきません。
 しつこいようですが、この大会の雄新・大塚・元吉原の銀賞は、ホント今でも合点が
 いかないものです。
 だけど、この大会の中学の部は、確か金賞が6団体と少なかったのはどうしてなんでしょうかね。

 余談ですが、このチームの打楽器奏者は5~6人程度いたのですが、
 坊主頭の子は、課題曲も自由曲もひたすら大太鼓を抑え付けるだけの役割で、プレイも
 何もしていなかったような記憶がありますが、
 一体どうしてなのかな・・・??
あくまで先輩の補佐としてだけの役割だったのかな・・
お金が社会に廻らない。
働いても働いても、収入が増えず生活するのに精一杯で、文化的な事・社会への奉仕・
他人を顧みる余裕がない・妻子とふれあう時間が持てないなどという結果になっているのだと
思います。

「お金は天下のまわりもの」と昔の人はうまい事を言ったものだと思いますが、実はこの格言こそが
日本を救う一つのキーワードになっている気がします。
貧困層は、本当に余裕がないから、必要最低限のモノしか買えないし、
富裕層は、将来どうなるか分らないから、信じられるのは結局は「お金」だからと言う理由で
お金を使わない
企業は、内部留保でしこたま貯め込んでも、やはり将来的な不安から社員に対する給与アップに
廻さない・・・
結局、お金は使わないと意味がないのに、
お金はあの世に持っていけないのに、
将来に対する裏付けがないばかりに、お金を使わないでとっておくというのが悪循環の理由なのだと
思います。

これを解決する手段は何かないものなのでしょうか・・・

アベノミクスとかで、確かに一時的に景気は良くなるでしょう。
しかし、それは一時的な短期的なものです。
結局円安+株高という効果があったとしても、それを享受出来るのは
一部の資本家と富裕層だけ・・・
日本社会を支える「一般人」にまでそれがうまく廻らないと予想できます。

結局は、「強い政府」の強制的権限でもって、お金を強制的に一般社会に循環させる
システムが必要だと思うのです。
そして、言葉は悪いのかもしれませんが、
「例え企業等に就職していなくても、自分で商売をしていなくても、生きているだけで
 一定の収入だけは保証させる」システムを構築させる必要があるのかも
しれません。
万一職を失っても、年金を掛けていなくても、病気になったとしても
最低限の収入だけは得られるシステムを考える必要があるのかもしれません。

その一つの解決策がベーシックインカムなのかもしれません。

この制度の問題点として、よく指摘されるのが ①財源 ②勤労意欲の低下です。
①については、例えば毎月一人10万円は確実に支給するから、それ以外の収入に対しては、
今よりも所得税を大幅アップさせるとか、相続税の徹底課税強化、富裕層に対する課税強化と
場合によっては元本自体に対する課税など色々方法論はあると思います。
②については、そこで考えられるアイディアというのが、CP社会の導入なのです。

CP社会とは何かと言うと、「チェック&パトロール」です。
失業者・勤労意欲はあるけど勤務先がないシニア世代・ベーシックインカム制度により
働かないで収入を得ている人達を対象に
担当地区内を二人一組又は三人一組になって巡回パトロールするシステムなのです。
そして、警察が原則民事不介入に対して、
このシステムは、積極的に民事に介入する事が出来るものとし、ある程度の決裁権限も
与えるものとするのです。
これにより、地域防犯・地域無関心・近隣トラブルにもある程度の効果はあるものと
考えます。
CP要員の給与は、各自治体に対して、住民税とは別に一ヶ月一人当たり数千円から1万円前後
聴衆できれば、対応可能とも
考えられます。

要は、強制的に社会にお金を廻し、同時に地域防犯とモラル維持に貢献させましょうという
考え方なのです。

今回の「ドキドキプリキュア」のハートのパートナー妖精であるシャルルの声を聞いて
「あれ、どこかで聞いた事がある声」と思っていたら、
プリキュア5GoGoのクレープ王女の声の人でしたね。
あの王女が初登場の時に、ココを追い詰めていったときは、いかにも「女王様!!」という
感じでしたよね・・・(笑)

だけどその声優さんは、
クレープ王女 ⇒ スイートでのクレッシェンドトーン ⇒ 今回の妖精シャルルと
三回目のプリキュア登場ですが、いずれも妖精系というのは極めて珍しいですよね。
プリキュアの主要人物で計3回出演した人の中に、
初代の敵キャラのジュナ ⇒ プリキュア5GoGoでのドーナッツ国王 ⇒ フレッシュのウエスターと
敵キャラと妖精系の両方を演じた人もいましたよね。

今回のマナの声の人は、
「オーディションでマナ役が落ちたら一年間のスケジュールは空白」という悲壮な決意で臨み
見事にマナ役を射止めましたが、この方は初代プリキュアにも登場していましたよね。
確か初代プリキュアのなぎさのラクロス部の先輩というか、先代キャプテン役だったと思います。
このキャプテンも出番は少ないけど、結構魅力的なキャラでしたよね。特に
リレー大会のシーンが印象的です。

だけど中の声の人というと、すごく印象に残っている人がいます。

それが、キュアビューティの中の人(西村ちなみさん)ですが、この方の演技力は
半端ないものがあると思います。
スマイルプリキュアにおいては、回によっては、子供の時の声とかバットエンドプリキュアの声とか
演じ分けるのが本当に大変だったと思わせるシーンもあります。
通常・子供・バットエンドの3種類をきちんと演じていたのは、5人の中では、マーチ(井上麻里奈)と
ビューティの二人だけだったと思いますが、その中で更に「うまさ」という点では、
ビューティさんが抜きんでていたと思います。




れいかさんのシーンで特に印象的だったのは、
生徒会長選挙の終盤の演説シーンです。
2分近いしゃべりだけのシーンで、演じる人もその抑揚とか感情表現とか相当の難易度が
要求されるシーンでしたが、あんなに長大な長回しのセリフを
実に印象的に朗々と語りかけていたのは本当に驚きですし、西村さんのプロ意識を強く感じさせる
シーンでもありました。

関係ないのですけど、
「ウルフルン太郎」なる転校生が生徒会長に立候補しても何とも怪しいと感じないのが
スマイルのメンバーのスマイルたるゆえんですよね・・・(笑)
これが六花さんだったら、一発で正体発覚ですよね。

ジョー岡田に理屈で詰め寄る六花さんを見ていると、
「マナに悪い虫を付け差す訳にいかない」と力む正妻さんを見ているようで
楽しいものがあります。
それにしても、ドキドキのメンバー全員の何たる聡明な事・・・
改めてスマイルを見てみると、その違いに愕然とする時もありますが、心配ご無用・・・!!
だって、スマイル組よりも更にさらに上を行く「のぞみ先輩」と「なぎさ先輩」が控えて
いますから・・・
シューマンと言っても、前回書いたアメリカの作曲家のウィリアム=シューマンではなく、
あまりにもメジャーな楽聖ロベルト=シューマンの方です。

この名だたるピアノ協奏曲は、なぜかしらないけどグリーグのピアノ協奏曲とのカップリングで
発売されることが多いです。
なぜなんでしょうね??
雰囲気が似ている訳でもないし、
音楽の方向性は全然バラバラだし、あまり共通性はないと思うのですがね・・
似ていると感じるのは、強いて言うと出だしなのかな・・?
グリーグは、ティンバニーのクレッシェンドからピアノは入らないといけないし、
シューマンは、オケのジャンという第一音の次の瞬間には演奏がスタートしなくてはいけないし、
出だしはかにり神経を使う協奏曲なのかもしれませんよね。

グリーグのピアノ協奏曲は、一言で言うと「抒情性の高い、誇り高き協奏曲」という感じなのですけど、
シューマンの方は、どちらかと言うと協奏曲というよりは、シンフォニーのようにも
聴こえるくらい、管弦楽との融合性が高く感じられる曲です。
そうですね、協奏曲というよりは、ピアノと管弦楽のためのファンタジーとも言えるような
構成に近いと思います。
グリーグの場合、ピアノが完全に主役で、オケはピアノの引き立て役という感じ濃厚です。
シューマンの場合、ピアノとオケが完全に一体化しているような錯覚もありますし、
特に第三楽章の、ピアノとオケのかけあいの場面は、完全に一つの楽器として融合しているような
感じさえします。

話は違いますが、グリーグのピアノ協奏曲を日本のオケで聴く場合、なぜか知らないけど
大体50%の確率でソリストは仲道郁代さんというパターンが多いです。
仲道さんは、自分が休みの間も終始指揮者の方向に顔を向け、
「自分が休みの時こそ、音楽が動いている」を本番でも実践しているすごい人だと思います。
古い話で恐縮ですが、阪神淡路大震災の頃、たまたま東京交響楽団の定期演奏会で
ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴く機会があったのですが、その時のソリストが仲道さん
でした。
「綺麗な人だなー」というのが第一印象だったのですが、演奏も誠実さと清楚さがあふれた
自然体な演奏で素晴らしかったと思います。実は、この演奏会の時は、仲道さんは、
あと数か月後には出産という事だったらしいのですが、そうした事情は感じさせない所が
いかにもプロらしいと思います。
その時のお子さんは、女の子で確か名前が「まこと⇒真琴」だったと思いますが、
ドキドキプリキュアのキュアソードと同じ名前というのは、単なる偶然??
ま、それはどうでもいいお話・・・

話をシューマンのピアノ協奏曲に戻します。

それにしても第三楽章は、本当に難しいと思います。
オーケストラとの掛け合いの難しさ・次から次へと出てくる転調の切り替えの難しさ
まさにソリストと指揮者泣かせの曲だと思います。
第三楽章は、その転調があまりにもお見事なので、次から次へと場面が変わっていき、
終わりそうで中々終わらないこの楽章も、全然長いとは感じさせません。
オケとピアノが完全に音楽の中で溶け合っていますので、聴いている方も「うっとり」としか
言いようがない曲だと思います。

シューマンのピアノ協奏曲は生で聴く機会も多かった曲ですが、
新星日響の仲道さんソロの演奏が一番印象に残っています。
変わったところでは、
同じく新星日響の定期で、指揮が確か、パスカル=ヴェロ、ソリストは記憶にないのですが、
比較的著名な人だったと思います。
指揮者がタクトを振りおろす直前の所で、ソリストがストップをかけて
ソリストはなぜか舞台から下がってしまいました。
会場がざわつく中、指揮者のヴェロが、
両手を左右に分けて「まいったねー」ポーズをしたり、ウィンクポーズをしたりと
会場をなごませていたのは、さすがにプロという感じでした。
5分くらいたって、何事もなかったかのようにソリストも現れ、普通に演奏していました・・・

今にして思うと、あれは一体何が起きたのでしょうかね・・・??
何回か書いていますが、自分自身エリクソンのこの序曲「祝典」を
中学三年の時にコンクール自由曲として吹いている思い入れのある曲です。

当時、クラリネットからアルトサックスにコンバートされたのですが、
クラリネットに比べてアルトサックスがいかに簡単に音が出て、ウルトラ簡単にヴィヴラートを
かけられ、普通に綺麗な音が出せる事に驚き、
「一体今までのクラリネット奏者としての二年間は何だったんだろう・・・」と
思ってしまったものでした。

高校進学後に、男子校で圧倒的にクラリネット奏者不足の為問答無用で再度クラリネットに
させられ、そこから三年間中学での挫折の体験と再度向かい合う事になります・・・

アルトサックス奏者として、序曲「祝典」の譜面を見た際に
「えー、クラリネットパートと違って何て簡単な譜面だ」と感じたものでした。
この曲の冒頭は、タタタ・タタタ・タタタとスタッカートのリズムで開始されますが、
アクセントのつけ方が何か妙に難しく感じられ、苦手な部分でした。
だけどアルトサックスの場合、単純な後打ちだけでしたので、すごーく助かりました。
しかもクラリネットパートに比べて16分音符や速いパッセージが少なく、
美味しいメロディー部分が多く、
練習中でも結構「楽しく」演奏できていたと思います。

だけどこれは意外と稀有な事だと思います。

クラリネット奏者の際は、年がら年中クラリネットパートは指揮者から
「全然消化出来ていない」
「リードミスばっかりしやがって」
「なんだ、そのけったいな音は・・」などなど
文句ばかりタラタラ言われ続け、音楽なんて「楽しい」と感じた事はほぼ皆無でした。

その意味では、序曲「祝典」は自分にとって初めて音楽をする楽しさを教えてくれた曲なのではないかと
思えます。

「スイートプリキュア」の中で、音吉さんが
「音楽を構成するもの、それは、メロディー・リズム・そして鼓動のビート。三つが融合して
初めて音楽が生まれる」なんて言っていましたが、
序曲「祝典」の場合、まさにこの三つの要素から成っていると今更ながら
思います。
出だしのタタタというリズム、チューバ等の低音楽器にサックスセクションのビート
そして金管群のメロディー
まさに三つの要素から出来ていますよね。

単純だけど「シンプルイズベスト」を証明した作品だと思います。

この曲は、1980年~81年の各地のコンクールでは、相当な人気曲でしたよね。
現在でもたまーに、B部門なんかで聴くときがありますが、その度に何か当時の思い出が蘇って
少し甘酸っぱい気持ちになります。
コンクールの演奏では、長岡南中学校が、
人数が少ないためパワー不足を感じたり、中間部の歌いこみ不足があったりとやや難はあるものの
アレグロ部分の「一直線さ」は素晴らしいと思います。
長岡南は、1981年にもホルストの第一組曲で関東大会に臨み素晴らしい演奏を残していますが
全国に進めなかったのが残念でした。

ちなみにうちの中学校は、序曲「祝典」は最低打楽器奏者は5~6人が必要なのに
3人しか配置せず、ラスト近くは、ファゴット奏者がシンバル掛け持ちという荒業まで
やってくれちゃっています・・・
「プリキュア5GoGo」の第38話を見ました。(一体何回目かな・・・??)

イソーギン&ヤドカーンが倒される回でもあり、いよいよ最終回に近づいている局面でも
あります。
この回は、ドリームとミルキーローズのコンビネーションに尽きると言っても
過言ではないと思います。
前から書いている通り、ミルキーローズだけは歴代プリキュアの中では唯一苦手という
感じもしているのですが、この回だけは何か例外と言う感じもしなくはありません。

だけど振り返ってみると、キュアドリームとミルキーローズのコンビネーションの
合体技が発動した回ってこの回だけなんですよね。
少し意外な感じもしますけど・・・
当初この回を見た時は、最終回に向けてしばらくは、このドリーム&ローズの合体技で
切り抜けていくのかなと思っていたら、本当にこの回だけの特別バージョンという感じ
でした。
だからこそ、赤いバラと青いバラの力は「伝説」なのかな・・・?



この回から三回後に敵幹部の一人、シビレッタ婆さんも倒され、
実質的にエターナルの敵幹部はムカーディア一人という事になってしまいます。
考えてみると、ナイトメアは会社形態、エターナルは財団法人形態みたいだから、
こうした企業みたいな組織は、「人切り」・「使えなかったらポイ」という感覚なのでしょうね。
歴代プリキュアの中で、プリキュア5シリーズだけ、可哀そうな位敵幹部の使い捨てが
際立っていましたが、それはこうした事情があったのかもしれません。

最終回にて、ブンビーさんが人間社会にて「便利屋さん」みたいなものを立ち上げて
自分の力で自分の夢をかなえていく姿が描かれていましたが、
これはある意味後味の良い終わり方だったし、
のぞみ達の優しさが結果的にブンビーさんにも最後に希望の光を与えたという事なのでしょう。

プリキュア5の裏読みとしては、二年間のサラリーマン社会の中間管理職の悲哀と中小企業の
使い捨て人事に苦悩したブンビーさんが、
いかに「自分」を取り戻し、再生していったかというストーリーも秘めているのかも
しれませんよね。

仲間たちだけでなく、
ダークドリーム・ブンビーさんみたいな敵幹部にも「愛」を与えるのぞみは
やはりすごい・・・
「うーーーーーん」と絶叫したい感じです・・・

今月は公私ともに全然ダメな一ヶ月でした。
(まだ2月は終わっていないけど・・・)

昨年秋から今年の1月までは仕事も順調だっただけに、2月の低調は我ながら
嫌になります。
というか、12月あたりからこうなる事は自分でもわかっていたし、予想通りなのですけど
現実になつてみると、気持ちは落ち込みますよね・・・
3月以降暖かくなったら、気持ちを切り替えて
「新しい気持ち」で臨んでいきたいものです。

輪をかけているのが、うちの奥さんとの冷戦状態かな・・・

2月に色々喧嘩ばっかりして、少々彼女の顔を見るのも嫌な状態ですし、
彼女の我儘に振り回されるのも、「もう嫌」という感じです。
ま、こちらの方も何とかしないと、家に帰ってくるのが嫌という感じでは
心身ともに健康な状態ではいられませんからね・・・

とにかく3月以降は「出直し」の季節です。

全然関係ないけど、
「スマイルプリキュア」が放送終了して少しガッカリしていたら、早速次のプリキュア達に
はまってしまいましたので、
2月の不調は、スマイル達からの「呪い」なのかな・・・??

だけど大丈夫!!

スマイルもプリキュア5も要は、歴代プリキュアシリーズは皆大好きなのですから・・・
この曲のタイトルですが、コンサートでのプログラム表記は色々あります。
「荘厳序曲」という場合もありますし、「大序曲」と表記される場合もありますし、
「祝典序曲」という場合もあります。
何か自分にとっては、「荘厳序曲」という方が何となくしっくりくるので今回はこの表記に
したいと思います。

ご存知の通り、この曲は、ナポレオン率いるフランス軍がロシア侵攻を図ったものの
冬将軍到来と各地での火攻めにさらされ、退却を余儀なくされたという歴史的事実を音楽で
表現したものです。

聴きどころは下記の二点かな

1.フランス国歌が、最初は勢いよくテーマとして表れ、フランス軍優勢を示唆しているのだけど
 ロシア軍が優勢となり、フランス軍が撤退する際の場面は、徐々にフランス国歌が
 消え去っていく非常に分かりやすい構成を取っている事。
 あまりにもシンプルすぎて、その辺が万人に受け入れられた。
 だけど当然ながらこの曲はフランス国内で演奏されることは皆無に近いそうです。

2.ラスト近くで、ロシア軍勝利を讃える際に、大砲がぶっ放たれますが、初演でも実際に
 大砲を打ち鳴らしたそうですで、CDや演奏会でも大砲が数発派手にドカーンと打ち鳴らされ、
 聴く方としては気分爽快・迫力満点という感じです。

実際にこの曲は都響と日本フィルで聴いた事があります。

曲がシンプルすぎる分、大砲の部分まで正直「冗長」に感じられます。
大砲の部分は、都響は、空気を送り込んで音を発生させる装置みたいなものを持ち込み
大砲に近い音を模写していました。
日本フィルは、確かシンセサイザーで代用していたような記憶があります。
確かに生で聴くと、この部分だけは迫力満点ですよね。
大砲に隠れがちですが、大砲の部分のメロディーは、ロシア国歌ですが、これはいかにも
勝利にぴったりのメロディーですよね。
ちなみに、同じチャイコフスキーの「スラブ行進曲」もラスト近くにロシア国歌が堂々と吹奏
されます。

CDの演奏では、個人的にはマゼール指揮の演奏が好きです。
演出を色々ゴチャゴチャ取り入れて、かえって訳のわからない仕上がりとなったのが
デュトワ=モントリオールかな・・・
序奏は合唱なんか入っちゃうし、後半の大砲の部分からシンセサイザーが乱入し、
メカニック的にガチャガチャ鳴らして、肝心の大砲が全然聴き取れないし、
正直よく分らない演奏です。
指揮者・演奏団体は忘れましたが、最後の和音が響いた後、協会の鐘の音がゴーンゴーンと
鳴り響いてフェイドアウトしていく演出の演奏もありました。

実は、吹奏楽編曲ですが、自分自身もこの曲を高校二年の定期演奏会で演奏した事があります。
正直クラリネットパートは16分音符の連続で、あまりに速いパッセージの連続に
ヒーヒー言っていました。
冬休み・春休みの誰もいないがらーんとした校舎の中、ストーブも暖房も何もない寒い状況で
一生懸命音符を追いかけていたさむーーい記憶があります。
原曲は、チェロを中心とした弦楽器が朗々と少しさみしげにテーマを語りかけていきますが、
元々の吹奏楽アレンジ版は何とこの部分をトランペット五重奏にしちゃっています・・・
いくらなんでもこれでは雰囲気ぶち怖しという事で、指揮者の判断でこの部分は
トロンボーン6本が吹奏しましたが、意外とトロンボーンの音色とこのさみしげな部分が
妙にマッチし、トロンボーン奏者もヴィヴラートかけまくっていたせいもあり、
結構良い評判でした・・・
肝心の大砲の部分は、指揮者は色々と悩んでいました。
その頃、仙台市内の一般吹奏楽団がいくつか集まってウィンターコンサートを開催し、
ラストの曲をこの曲で臨んでいました。
参考の為に聴きに行ったのですが、冒頭はトランペットのへなちょこアンサンブルだし、
大砲は、バスドラムが一台ヘロヘロと鳴るだけだし、あまり良い印象はありませんでした。
この演奏を反面教師にし、仕上がったアイディアが、冒頭のトロンボーン使用と
大砲部分を何と、計六台の大太鼓と二台のドラを同時に打ち鳴らし、大砲の部分を模写してみよう
というものでした。
大砲だけで打楽器奏者を8人も使用するので、実際にこの部分の練習が始まったのが、
新入生入部以降でした・・・しかも定期演奏会まで3週間を切っているのに・・・
最初は打楽器セクションの後ろで演奏していると、耳の鼓膜が冗談抜きで破られそうになる程の
強烈な破壊音に全員ドン引き状態でしたが、
練習の成果が見事に発揮され、本番ではうまくまとまり迫力満点の演奏が出来たと
思います。

ちなみに、本当の話ですが、この1812年の演奏は、
あのバンドジャーナル1983年5月号にも取り上げられています。
記事には「ホットな演奏」と好意的に書いてもらったのが幸いでした。

今となってはホント、良い思い出ですし、生涯の一つの「誇り」です。
1987年当時、マクドナルドで「サンキューセット」が初登場し、
あの価格でこの内容という事で結構話題になっていましたよね。
すぐにロッテリアも「サンパチセット」とかいって追従していましたけど・・・

今マックでセットものを注文すると、確か価格は400~500円前後でしたっけ?
「ハッピーセット」なんて、ちらしのクーポンを利用すると何と280円で購入できる場合も
あります。
そう考えると、87年から25年以上経過しても、物価がそれ程変化していない事実に
たまに驚くことがあります。
だからこそ世間では「アベノミクス」なんて言葉が躍っているのでしょうけどね。
(日々の生活と住宅ローンに追われている自分には少々無縁の話・・・)

〇安芸中学校

 確かこのチームのメンバーの写真がバンドジャーナル88年1月号の全国大会特集に
 掲載されていて、「真面目な姿が好印象」とかのコメントが記されていましたけど
 演奏もいかにもそんな感じでした。
 正直、全国大会のレベルの演奏とは程遠いレベルの演奏で、
 技術的な高さはほとんど感じられない演奏です。
 だけど聴いていて「普通の中学生が素直な気持ち」で普段通り演奏したという感じで
 一言で言うと「清楚」な演奏です。
 奏者と指揮者の誠実さ・真面目さがよく伝わってくる演奏です。
 だけど「風紋」の後にミッチェルの「海の歌」を演奏したためか、海の歌が結構ズタズタに
 カットされ、水を差されたような印象があったのも事実です。
 支部大会時に、奇跡的に良い出来で、他の演奏があまり良くなかった際に、
 たまに思ってもいない予想外のチームが全国に駒を進めるという事もあったりしますが、
 この学校はその典型例だと思います。
 でも出場者はいい思い出になったでしょうね。

〇出雲第二中学校

 錦織先生が転任2年目で初金賞を受賞した演奏です。
 錦織先生は、オリジナル曲は演奏せず、クラシックの曲を必ず自らの手でアレンジする方
 なのですが、この先生のアレンジの特徴は、①決して上手くはない ②分厚い音の重なり
 ③厚化粧 ④原曲に小太鼓がなくても平気で小太鼓わ入れてしまう⇒例/海・ローマの謝肉祭・
 運命の力なのですが、
 87年の「運命の力」はその中でも比較的まともな方だと思います。
 課題曲の「ムービングオン」も、まさかこの名門中がこの曲を取り上げるとは予想外でしたが、
 リズムがかっちりと決まっているせいか、ポップスでも決して安易に崩さない演奏で
 中々良かったと思います。
 自由曲も、劇的要素が十分伝わり、感動を聴衆に伝える事が出来ていたと思います。
 マリンバを低音パートのビートの補佐的役割として使っていましたが、
 結構これは効果があったと思います。

〇大塚中学校

 いやー、このチームの銀賞は本当に残念です、というか
 成績発表の際、雄新・元吉原と並んで「えー、何でこの演奏が銀賞なの??」と心の中で
 絶叫したものです。
 自由曲の「ジークフリートの葬送行進曲」は本当に素晴らしい名演です。
 同じワーグナーを取りあげた雄新も素晴らしいけど、大塚中も本当に素晴らしい演奏を
 後世に残してくれたと思います。
 何が素晴らしいかと言うと、弱音の部分の説得力だと思います。
 PPの場面は、どうしても吹奏楽コンクールの場合、貧弱で説得力の弱い演奏に
 なりがちなのですが、大塚中のジークフリートは、PPの歌わせ方が群を抜いていたと
 思います。音質も比較的分厚いものをもっているせいか、ワーグナーによく合っていたと
 思います。
 終わりの方のクライマックスの金管楽器の和音の響かせ方の美しさは、正直中学生レベルでは
 ないと思います。
 最後の最後の消え行くような終わらせ方も大変説得力がありました。
 「静かな熱い名演」だと思います。
 このチームは、81~83年は、オーエン=リードのメキシコの祭り、サンタ・フェ・サガ・A・リードの
 第三組曲のように、比較的オリジナル曲を取り上事が多かったのですが、
 84年からアレンジ路線に方向転換をしました。
 正直、85年まではも可もなく不可もなく特に魅力も特徴もない演奏だったのですけど、
 86年の「ハンガリー狂詩曲第二番」で思いっきり「化けた」と思います。

 やはりスクールバンドは、何か一つのきっかけで「変化」するから
 これもコンクールを聴く楽しみの一つですよね。
1987年当時って確か吉野家の牛丼は一杯400だったような記憶があります。
現在の日本では、「アベノミクス」とかで年間2%以上の物価上昇というインフレ目標を
設定していますが、当時の日本は「バブルに向けて一直線!!」という感じで、
株価・土地・マンションなどがグイグイ値上がりしていった状況ですから
どちらかというと「物価」わいかに抑制するか、いかに普通のサラリーマンでも
何とか持家を購入できるようにするかかが一つのテーマになっていたような気がします。

その意味では時代は本当に目まぐるしく変わるものですよね。

経済政策とか財政等の問題は、目先の状況だけでコロコロ変えていくのではなくて
何か何があっても変化しない政策とか、時代に変化にも決してぶれない普遍的な政策を
取り込んだ方がかえって長期的には、経済的にも社会的にも「安定」するのではないのかと
思えるような1987年以降の約25年間の教訓だったのではないかと
思える事もあります。

吉野家の牛丼は、一時確か240円になっていた時代もありましたよね。
狂牛病の問題がなかったとしたら、あの価格は今でも維持されていたのでしょうか・・・?

そうなると「適正な価格」って一体なんだろうと思う時もあります。

確かに消費者としては、安いに越したことはないのだけど、それでは企業にとって利益が出ない。
利益が出ないから従業員の給与も上がらない、そして売り上げの低下、挙句の果てに
更なる価格の低下
この繰り返しだったのかもしれません。

現在の日本においては、まず為すべき事は全体的な給与水準の強制的な引き上げなのかも
しれません。
というか、無駄にため込んでいる企業内の「内部留保」をいかに社会に中に潤滑させるのか
設備投資に廻すか従業員の賃金に廻すか、
どちらかを決断させるのが一番の近道ではないかとも思います。

個人レベルの話かもしれませんが、
昔からよく言われる言葉
①お金は天下のまわりもの ②お金はあの世に持っていけない

この事は単に個人レベルの話ではなくて、社会的レベルの話なのだとも
感じます。
②については、相続関係の法整備が色々と再検討されるべきなのかもしれません。
子孫にお金を残すという発想ではなくて、
生きている間に使う、それがひいては社会貢献に役立つという事を
私達は再認識しないといけないのかもしれませんよね。
2/17の「ドキドキプリキュア」はついに待望のキュアダイヤモンドの登場でした。

六花さんもそうなのですが、歴代プリキュアでは珍しい「吊り目」のプリキュアだなーと
最初に感じました。
歴代プリキュア達は、ブルーム・パイン・ハッピーに代表されるように
比較的「タレ目」系が多く、
(ブルームなんかは、タヌタヌの愛称がある通り、タレ目のタヌキという感じもしますよね)
可愛らしさの一つの要因にもなっていると思います。
吊り目というと、美翔舞というかイーグレットくらいしか思いつかなかったのですが、
ダイヤモンドは、その意味では珍しいタイプなのかもしれません。





というか、六花さんの意外と気が強いというか、どストレートな場面も登場し
(謎のジョー岡田へ疑惑の目を向ける場面)
単に頭が良いとか、マナに頼り切っているとかそう単純な娘ではない事もよく分り
ホント、今後の展開がますます楽しみになってきたという感じです。
怒った時の六花さんの目は、まさに「吊り目」そのものでしたしね・・・

だけど、マナと六花の関係って興味深いですよね。
一見見てみると、優等生同士の関係にも見えますし、
人望が厚く頼まれると嫌と言えないマナを上手にサポートしている関係にも
見えます。
歴代プリキュアって、例えばなぎほの・咲舞・のぞりん・ラブみき・ひびかなの関係のように
活発なアホの子を世話焼きの賢い子が色々と面倒を見るというのが主流だったのかも
しれませんけど、
ドキドキの場合、そうした要素はあまり感じられません。
マナも六花さんもどちらかというと、精神的にも自立できている子で
自分の頭でちゃんと理屈を組み立てられる子だと思います。
だけど、マナは六花のサポートを色々と必要としている事をはっきりと自覚しているし、
六花さんは、自分にはマナは絶対的に不可欠な存在なのだけど、同時にマナみたいな存在に
なりたいと願う事で更に自分を高めていきたいと思っているなど
どちらかというと、相互依存の形ではなくて、お互いの存在を認め合う事で自分を更に
高めていきたいという、歴代プリキュアの中でも、比較的高レベルの関係なのだと
思います。
もしかして、こうした関係は、プリキュア5のかれんさんとこまちの関係以来なのかも・・・??

話は違いますが、何となくマナの両親がスイートの響の両親の団さん・まりあさんに雰囲気が
似ているのも、同じキャラデザイナーのせいなのかな・・・?

携帯電話がさりげなくでていましたが、これはフレッシュ以来かな
というか、次週、何とプリキュアが防犯カメラに撮られていたという展開になるみたいですが
「防犯カメラ」なんていかにも、先日の遠隔操作事件じゃないけど、世相を反映していますね。
そんな事よりも、次週は満を持してついに黄色系というか、ありすが登場してきます。
今回、「青は一度は断る」というプリキュア伝統の青の法則はしっかりと遵守されましたが、
何と黄色も一度は断るみたいですね。

黄色のプリキュアが断るのは史上初の快挙(?)なのでしょうね。
1987年当時は、学校のあった水道橋と間借りしていたアパートがあった中野を電車で
往復する事が多かったのですが、総武線というか中央線から眺める外の風景は結構
好きでした。
一枚だけ確か市ヶ谷駅周辺、というか釣堀あたりから撮った写真が残っているのですが、
基本的にはあまり変わっていない印象もあるのですが、
釣堀周辺の大きな道路に面している会社の看板は、激変していますね。
やはり時代の変化は大きいものですね。

当時の「あんな大きな会社」が現在では既に無くなっていたりなんていうのは
時代の宿命ですが、
変化にどのように適応できるのかが、人間にとってというか、サラリーマンにとっては
永遠の課題なのかもしれませんよね。
というか、市ヶ谷駅前にあんな「日高屋」なんてありましたっけ・・・?
1987年当時は、日高屋なんて存在していたのかな・・・?

〇足立第十四中学校

 実に惜しい事をしました・・・
 課題曲風紋も自由曲のサロメも個人的には相当高い評価と印象度を出している演奏でしたので、
 タイムオーバー失格とは本当に残念です。
 土気とか津幡も同じ自由曲を選んでいましたが、足立十四の立体的な構成や色彩には
 遠く及ばなかったと思います。
 色気の他に中学生らしい「愛くるしさ」も伝わる演奏でしたので
 悔やんでも悔やみきれなかったと思います。
 確か中学の部でのタイムオーバーは、このチームが初めてだったと思います。
 足立十四は、前年とこの年がピークだったかな・・
 翌年はダフクロで金賞を受賞しますが、正直甘い金賞のような気がしますし、88年の時点で
 結構部員数は減っていたような気がします。
 91年の「火の鳥」は少数精鋭という感じの演奏と言いたい所ですが、詰めの甘さは
 いかんともし難い感じになっていました。

〇今津

 中学の部では様々な風紋を聴きましたが、大人っぽい演奏でした。
 個人的には中学の部では最高の風紋だったと思います。
 今津と言うと、どうしても(古い話しれませんが)得津先生を思い出してしまいます。
どちらかというと知性派という感じの演奏ではなくて、
 例えば、74年の課題曲「高度な技術への指標」 79年の「エル・サロン・メヒコ」
 72年の「スラブ行進曲」に代表されるように、活発な印象という感じがします。
 何となく昔の「わんぱく小僧」みたいな演奏というイメージがあります。
 得津先生の後を継いだ先生も大変だったと推察しますが、得津先生のカラーではなくて
 自分のカラーでもって今津を一時的に再興した手腕は高く評価されるべきだと思います。
 85年の「トッカータとフーガ」は音色があまりにも美しすぎて当時は、今津の変貌ぶりに
 驚いたものですが
 (今津は74年にも同じトッカータとフーガを得津先生の指揮で演奏していますが、
  正直74年と85年では全然別の次元の演奏・・・)
 87年の「火の鳥」も音色のデリケートさを最優先に考えた演奏だったと思います。
 正直、迫力に欠ける感じもしましたし、もう少し野蛮さ・ワイルドな感じも欲しかったと
 思いますが、繊細さ・気品さは十分に伝わりました。
 でも風紋の完成度の高さに比べると少し見劣りがするかも・・・
 しかも火の鳥は、王女達のロンド→魔王カスチェイの凶悪な踊りで構成され、
 「フェリスタス」みたいな終曲で終わらず、カスチェイで終わってしまったから、
 何かヘンな感じもしました。
 確か前年の御影高校もこの構成・選曲だったと思います。
 
今日は本当に寒くて寒くて、
冷え性の自分にとっては最悪の日です。

特に風が冷たいのがこたえます。

ホント、早く春になってくれないと・・・・
ふと思ったのですが、

歴代プリキュア達って、変身前の姿に戻る時ってどうしているのでしたっけ・・・?
第二回目放映の「ドキドキ」を見ていて、マナがそう言っているのを聴いて
改めてそのように感じました。

確かにプリキュア達が変身前の姿に自発的に戻るシーンって
あまり見たことがないのですが、

数少ない例では・・・

プリキュア5⇒デスパライアとの最終決戦時に、動揺し心を開きだしたデスパライアに対して
      最初にのぞみが自発的に変身を解き、残り4人が同じように解除したシーン
      いわば素手と素顔で向かい合った感じ

フレッシュ⇒ラビリンスでの最終決戦時、市民たちの行列に紛れ込むために自発的に解除

初変身時の際は、毎回どうやって変身を解除していたのでしょうかね・・?

やはり歴代妖精達にその都度教わっていたのかな・・・??
テレビ埼玉で再放送中の「ハートキャッチ」も本日で第四回目です。
プムッサムもマリンも登場し、やっとエンジン全開と言う感じです。

「プリキュア解散」というと、やはり初代プリキュアの歴史的名作シーン、伝説の「第8話」が
想起されますけど、ハートキャッチでも第四回目にして、似たようなタイトルが登場します。
だけど本質は全く異なっているのが改めてよく分ります。

なぎさとほのかの場合、本当に性格も価値観も全く異なる二人が融解する回なのでもありますが、
ハートキャッチの場合、そこまで話が深刻化しておらず、
お互いの誤解を埋めあうという感じですね。

だけど、印象的なシーンもありました。

えりかとその姉のももかの会話のシーンなのですが、

ももか : 「あんた、他人の気持ちも考えないでズバズバ言っちゃう癖があるのだから気を付けないと」
えりか : 「私はただアドバイスしただけ」
ももか : 「それが他人を傷つける事もある。皆が皆、えりかのようではないのだから・・」
えりか : 「分っているよ」

この辺りは、えりかの本質と欠陥を見事に表現していると思います。

ハートキャッチは、見方によっては、一年間かけて、つぼみ・えりか双方の弱さ・コンプレックスを
素直に見つめ、心をオープンにし、自分と自分の対話を重ねた結果、最後に大きな心の花を咲かせたという
物語という解釈もあり得ますが、
当初のこの会話から推察されるように、
えりかは、良い所もたくさんある反面、弱点も相当にあるように思えます。
つほみだけでなく、えりかも一年間を通して、ココロの成長が図られていったのだなーと
最終回までのストーリーを既に知っている立場から改めて見てみると
こんな風にも感じられます。

でも面白い表現がありました。

マリンが、「私達は、二人でプリキュア」と言ったところです。

初代・スプラッシュスターは「ふたりはプリキュア」というタイトルなのですが、
これは逆に言うと、なぎさ・ほのか・咲・舞がある程度完成された人格で、
「ふたり」の中の一人一人が相手の人格を認め合うという事なのでしょうけど、
マリンの言う「ふたりで」とは、
ダークプリキュア風に言うと「未熟」なプリキュアで、人格的にも弱さを色々と抱えている二人だからこそ
「二人でお互いを支えあう」という意味なのかもしれません。

そうした当初の弱さ・コンプレックスを抱えた二人が、プリキュアとして、人として、いかに成長
していったかのストーリーが「ハートキャッチ」だったのではないかとも
思います。





ハートキャッチは、どうしてもえりかのうざ可愛らしさにばかり注目が集まってしまいますが
つぼみも、頭は良いのだけど、弱々しさも初期の頃の魅力なのではないかと
思います。
第四話の「寝起きシーン」や髪を結わえていない姿も相当可愛いものがありました。
全然関係ないのですけど、1987年のテレビ界の主要メンバーを見てみると・・・

タモリ・ビートたけし・さんま・所ジョージ・とんねるずなどなのですけど
考えてみると、それから26年後の現在とほとんど変わっていないのですよね。
これって、勿論彼らの話術なり面白さが変わらない人気の秘密なのでしょうけど、
変化をあまり求めたがらない日本人の特質を象徴しているのかな・・・?

勿論小粒・中粒のタレントの入れ替わりは激しいけど、主要どころに対しては、
「現状維持」を求める日本人の感覚とマッチしているのかも・・・

〇雄新中学校

 雄新の指揮者の鈴木先生は、1978年に菊間中学校を指揮して全国大会デビューを果たしていますが、
 菊間中のメンバーは全員女の子です。
 中学の部で、全員ガールズというのも、もしかしてこの学校が初めてなのかもしれません・・・
 (現在は珍しくも何ともないけど・・・)
 この時の自由曲の「展覧会の絵」も隠れた名演だと思います。
 (あまり世に知られていないのが残念です)
 それから間もなく鈴木先生は、雄新に転任されますが、1981年には全国に出場するなど
 その指導力は高く評価されて然るべきだと思います。
 雄新の演奏は、皆素晴らしいけど、
 82年のA/スペイン奇想曲も本当に生き生きとした素晴らしい演奏です。ソロも素晴らしい。
 この演奏のどこが銅賞なのか私にはよく分りません・・・
 83年のA/どろぼうかささぎ序曲は、いかにも中学生らしい「愛くるしい」演奏です。
 この年は特に木管群の技術が群を抜いています。
 84年は、正直今一つ・・・(でも評価は金賞なのですよね・・・)
 85~87年の三年間の雄新の演奏は、どれも素晴らしい演奏の数々です。
 でもなぜか三年間共に「銀賞」にとどまつています。
 ホント、コンクールにおける「評価」って分らない時がありますよね。
 雄新なんか、この典型例ではないかと感じる時もあります。
 
 85年の課題曲C「シンフォニックファンファーレとマーチ」は、圧倒的に不人気な課題曲で、
 この課題曲で、全国金賞のチームは一つもありません。
 ブリジストン久留米もこの課題曲を選んでいますが、出だしがスカスカな上、このチームには珍しい位
 サウンドの濁りが気になってしまいます。
 当時のレコードは、全部門からピックアップした課題曲を中心に編集した盤もあったのですが、
 1985年の課題曲Cは、銀賞ながらも雄新が選ばれていました。
 85年の自由曲、こうもり序曲も、ワルツが実に躍動感たっぷりで素晴らしいし、難曲を難曲と全く
 感じさせない自然な歌い方が実にお見事!!
 86年も、「ローマの謝肉祭」を実に熱く歌っていました。
 この年の欠点は、タイムオーバーを恐れたあまり、課題曲「嗚呼!」の余韻を楽しむ間もなく
 自由曲に移り、比較的テンポが速すぎた事かな・・・

 やっと本題の1987年雄新に入りますが、
 この年(結果的に鈴木先生にとって最後の雄新)は、課題曲がハロー!サンシャイン
 自由曲は、エルザの大聖堂への厳かな行列です。
 課題曲も抜群に良かったですけど(中間部のユーフォの裏メロの歌い方は、福岡工大付属に匹敵!!)
圧巻はエルザだと思います。

 一般的には「エルザ」というと、1961年の豊島第十中学校とか、74年の首里高校が有名だと
 思いますが、自分にとっての「エルザ」は、
 1987年の雄新以外考えられません。
 それほど素晴らしい感動的なエルザなのです。

 ちなみに、以前は「エルザの大聖堂への行列」という標題でしたけど、この年の雄新から
 「エルザの大聖堂への厳かな行列」という風に「厳かな」という文言が追加されるようになったのは
 なぜなんでしょう??

 1987年の雄新は、何と恐るべきことに36人編成です。
 当時、私は生でこの演奏を聴いていましたけど、生で聴いても録音で聴いても
 とても少人数とは思えません。
 とにかくサウンドは豊かです。
 そして何よりも表情は極めて豊かです。
 鈴木先生の解釈では、ところどころにテンポルバートをかけたり、音を微妙に揺らしたり
 音楽を大胆にも途中で静止寸前までテンポを落としたりと色々と「やりたい放題」という感じも
 するのですけど、それがちっとも作為的でないというか、自然体な所が
 本当に素晴らしいです。

 ラスト近くのホルンの雄叫びも良かったし、終わらせ方も一旦音量を落としてから盛大にフォルテ
 していくのもむしろ自然体なような感じもします。
 音楽が本当にワーグナーの求める「重厚さろ・「神秘さ」・「透明な清涼感」を見事に醸し出していたと
 思います。

 この演奏から既に26年も経過しているのですが、
 この雄新の素晴らしさは、今後も引き続き語りかけていきたいと願う今日この頃です。
 そして、この演奏の素晴らしさは、後世にも「受け継がれていくべきもの」と
 確信しています。


今更言うまでもないことだと思いますが、
歴代プリキュア達は、第22~24話辺りが中盤のヤマ、というか一つのクライマックスなのだと
思います。

〇初代【無印】⇒クイーンを巻き込んだ第一回ジャアクキングとの対決、ボルンの登場

〇初代【MH】 ⇒ひょうたん池を舞台にした新しい力のゲット

〇スプラッシュスター ⇒満と薫の消滅、アクダイカーンとの初対決 ムーブとフープの登場

〇プリキュア5 ⇒ 5人の分裂と再結成、そしてファイブエクスプローションの発動

〇プリキュア5GoGo ⇒ シロップをエターナルから取り戻す事と新しい5つの剣の登場

〇フレッシュ ⇒ キュアパッション登場

〇ハートキャッチ ⇒キュアサンシャイン登場

〇スイート ⇒ キュアビート登場

〇スマイル ⇒ キャンディの奪還とプリンセスフォームのお披露目

こうして振り返ってみると、初代からプリキュア5における中間地点の盛り上げ方は、主に
敵方の親分との対決が主な内容であるのに対して、フレッシュ以降は、新しいプリキュアの誕生というか
追加戦士の投入で中間部を盛り上げていくという構成だったのが
分ります。
プリキュア5とフレッシュ以降で少し構成が異なるのは、プロデューサーの交代に伴うプリキュア観の相違
という所でしょうね。

そんな中、スマイルは追加戦士・追加敵キャラは一切設定せず、初期のメンバーを最終回まで
使っていた事は、追加戦士で新鮮さを取り戻すという安易な方法ではなく、
中核人物を更に深く掘り下げていくという観点から、非常に良いアプローチだったと
思います。

スマイルプリキュアは、歴代に比べて比較的「ギャグ回」も多かったのですが、
シリアス回や泣ける回において、結構印象的な名場面が数多くあると思います。
勿論、ロボになーるとか、見えなくなーるとか、あかねのお好み焼き人生とか、
ゲームに吸い込まれーるみたいなギャグ回もホント大好きですけど、
なおのリレーの話・やよいの父親との話、みゆきの子供の頃の人見知りの話とか、
あかねちゃんとブライアンの話などのようなシリアスモードの回の話には、色々と心を打たれるシーンも
数多くあったのは紛れもない事実ですし、本当に一年間スマイルを見て良かったなーと感じる所です。

だけど、そんな中、第22話の「一番大切なものってなぁに」の回は個人的にかなり思い入れの
ある回です。




勿論翌日回の23話の激烈な戦闘シーンとかプリンセスフォームも素晴らしいのですが、
一度はジョーカーに完膚なきまでに叩きのめされ、絶望を味わった5人がいかにキャンディーを取り戻すための
決意をするのかその心理的過程が丁寧に描かれたこの第22話が
今でも相当印象的なシーンとして残っています。

歴代プリキュアの中では、プリキュア5に象徴されるように、チーム全員が一つの方向を目指して
再結成するというパターンが多かったと思うのですが、
スマイルの場合は、全員一致というのではなくて、各個人個人が一人一人よーーく考え抜き、
結論を出していったというのが非常に面白い所だと思います。
決して一人の強いリーダーに誘導されたとか、周りの雰囲気にあおられたとかそういうのではなくて、
一人一人が、これまでの自分達との歩みを振り返り、
「今、自分が何をしたいのか」という観点から一つの結論に達したというのは、中々面白い試みだったと
思います。
その中で、最後に「五つの光が導く未来、輝けスマイルプリキュア」と五人全員で手を重ねるシーンは、
数多いプリキュアの名シーンの中でも屈指の名シーンだったと思います。
スマイルの場合、ハッピーが全員を引き付けたというのではなくて、個人個人が自分なりに考えた末に
チーム全体として一つの方向に向かっていったという事なのだと思います。

話は違いますが、ギャグとシリアスがうまく融合した回の代表例として、
第16話のれいかさんの「どうして勉強するの」の回も中々だったと思います。
(ビューティさん以外の4人のアホ振りが証明された回でもありますが・・・)
最近スイートプリキュアのキュアビート誕生辺りの回を見ていたのですけど、
結構面白く見る事が出来ました。
何となくエレンって、気の毒な子・天然ボケ+腹黒の黒猫・影の薄い子という
妙な先入観というかイメージがあったのですけど、
全部のストーリーを知っている今現在の視点で見てみると、
キュアビートは、「魂の叫びの子」という印象を持つようになりました。
ま、それでもスイートは、メロディとミューズという二人のヒロインがでーーんと座っていますので
少し印象は薄いと言えば、うすいのですけどね・・・

フレッシュのパッションとプリキュア誕生の経緯とか似ている側面も多いのだと思います。
両者ともプリキュア覚醒後に、敵幹部時代の自分自身の行ってきた罪について悩み苦しむ点も
非常に似ていると思います。
だけどよーく見てみると少し背景が違うのかなとも感じました。

パッションの場合、
ラビリンスから人間社会へと異世界へ来た過程の中、
異世界のラブ達のぬくもり・温かさに気が付き、徐々に心の変容が展開していった背景がありますが、
ビートの場合は、
①元々妖精の世界にいたのに、「嫉妬・妬み・絶望」から反妖精陣営に寝返った。
 だけど、本来は妖精出身なので、根本は妖精のハミィを守りたいという気持ちがあくまで主であり
 異世界の人間との交流から心の変容が起きた訳ではない。
②マイナーランドからもメジャーランドからも「裏切り者」という側面があり、
 いわば二重の裏切り者
③裏切り以上に、マイナーランド時代の自らの悪行に対する贖罪意識がパッション以上に強い
という点が相違点なのかなーとも感じました。

いわば、ビートは、パッション以上に「自分は本当にプリキュアになってよいのか。
プリキュアになれる資格が本当にあるのか」という自問自答に苦しんでいたのだと思います。

フレッシュの場合、
ラブ達の回答は、
「そんなの皆で幸せをゲットすればいいじゃない」という実にシンプルかつ前向きなものでした。
スイートの場合、
エレンの過去の罪を認めた上で、
「ごめんなさい」と大声で泣き叫ぶ事で、
過去に対する思いを全て吐き出すことで、過去を清算させるという実に王道を歩む展開だったと
思います。





フレッシュにしろ、スイートにしろ、この「王道」というかストレートな直球勝負(⇒キュアマーチみたい・・)
が本当に素晴らしい所です。

エレンが懺悔していた事ですが、
歌姫に選出されなかった事でハミィに対する嫉妬の芽生え⇒音楽を憎むようになる⇒人との絆を
壊す悪行の数々というものですが、
これは正直自分を含めて誰にでもあるような「ココロの弱さ」なのだと思います。
その弱さを認めた上で、自分の過去の清算として、
どうすれば良いのか、という事を追求したのがビート誕生の一つの意図だったのではないかと
感じます。
その「ココロの弱さ」というのも、現在の「ドキドキ」の中のジコチューとして登場しますが、
自己中心的な心は誰にでも普通に持っている側面もあるので、これとどう対峙していくのか、
興味は尽きない所です。
全国大会の中学の部は、正直あまり関心はありませんでした。
正直な印象で書くと、1984年~85年の中学の部のレベルがそれほど高いとは思えず
「さすがに技術的にも表現的にも、もう伸びる余地はないかな」と感じていました。
だけど、1987年の大会を聴いて、
「あ、まだまだ期待が持てる部門だ、聴いていて本当に楽しかった」と思える
第35回大会だったと思います。

高校の部と同様に課題曲は、AとEに集中していましたね。

確か、BとCは一団体のみ
Dは二団体でしたかね。
全般的に、クセの無い素直な表現の課題曲が多かったと思います。
やはりコンクールの課題曲は、「聴いていて分り易い事・楽しい事」が必要なのかも
しれませんよね。

余談ですが、北海道代表の永山南中学校のステージユニフォームは極めて
印象的でした。
何か、あのユニフォームは、現在放映中の「ドキドキプリキュア」の大貝第一中学校の
制服と似ていたような気がします。
女の子のスカートのひだの部分の色が違うとかなんか、特にそう感じます。

何となくですが、金賞受賞団体よりも
雄新・大塚・元吉原なとのような銀賞受賞団体の方が印象が強いです。
タイムオーバーで残念ながら失格となった足立第十四中は、本当に気の毒でした。
時間内に収まれば、相当高い評価が出ていただけに非常に悔やまれます。
その位素晴らしいサロメでした。

〇大社

 1985年の初出場時もプログラム一番でしたが、二回目の出場のこの年も
 プログラム一番。何か少し気の毒だったと思います。
 普段の技術は相当高いものを持っていると推察されるチームですが、
 やはり朝一番はきついのかな・・・
 音楽が本当に正真正銘寝ていました・・・
 恐らく、午後の演奏だったら、もう少し目覚めた演奏が出来たと思います。
 ディオニソスの音のうねりは悪くはなかったと思います。

〇加木屋

 大社と以下同文みたいな感じです。

〇前橋第一

 この辺りからようやく音楽が目覚めてきたという印象です。
 それにしてもこの年の群馬県の活躍は目覚ましかったと思います。
 だってあの激戦の関東大会を勝ち抜いて代表5団体の内、3団体を前橋市内の学校
 (第一・第三・第四)が占めたのですから。
 前橋第二は以前何度か全国にも出ていますので、
 前橋一~四の学校は全て全国を経験しています。
 これはある意味凄い快挙ですよね。
 前橋第一も、味付けは薄目の印象の演奏ですが、可愛らしい寄港地で
 自分としては、好きな演奏です。

饗応夫人

1994年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲Ⅲは、「饗応夫人」~太宰治作「饗応夫人」のための音楽
というウルトラ超難解の課題曲でした。
この曲は非常に技術的にも表現的にも厄介この上ない曲で難曲中の難曲です。
というか、この曲で初めて「饗応夫人」という短編を知ることになりました。
実際に読んでみると、「??」というか、太宰さんは、この短編で一体何を伝えたかったのかいな・・・
という感覚のお話です。
戦後間もないころの、何でもかんでも頼まれれば嫌と言えない未亡人の
「照れ・恥ずかしさ・奥ゆかしさ」を扱った話なのですが、
2/10のドキドキ第二話の六花さんの「幸せの王子」・「金箔を運ぶツバメ」の話を聞いていると
何だか妙にこの「饗応夫人」の話が蘇ってきました・・・
作品自体、ほとんどリンクするものはないのですけどね・・・

六花さんのマナに対する
「マナは愛を与え過ぎ・・・」とか
「他人にあまり与え過ぎると自分自身がどんどん擦り減っていく」という言葉は
今後の「ドキドキプリキュア」が展開していく中で
一つの象徴的なワードにもなっていきそうな感じもします。
日常的におせっかいなマナに対して六花さんは日々お疲れモードの日々・・・
いつかは「なんでそんなに他人の事ばかり構うのか」とマナに愛想を尽かしてしまう可能性も
あるのかもしれません。
そして、マナは六花と言う最大の理解者を失ってしまう・・・
そうした危険性も決してないとは言い切れません。
マナの「他人のために自分の身をすり減らす」という行為が「自己中」との間にどんな差異があるのか
マナの行為が本当に正しいのかなどなど
色々な課題が今後出てきそうな予感もなくはありません。
場合によっては、プリキュア5ののぞみとりんの関係のように
「いつもそう、のぞみに関わると大変な事に巻き込まれてしまって・・・のぞみなんていない方が
いいのに」というりんちゃんがりんちゃん自身から告発を受けるような事態の再現という事も
ないとは言えません。

その辺りをソード・ロゼッタを絡ませながらどのような展開を経て
四人の絆が深まっていくのか、
楽しみは尽きない所です。






それにしてもスマイルの後輩たちの優秀なこと・・・
なんか、プリキュアオールスターで
ハッピーがハートに助けられる場面があったり、
(ハートがブロッサムを救出するという展開も含めて・・)
又は、ダイヤモンドがちびっ娘のマリンをお姫様抱っこをしながら救出したりと
色々な妄想が出てきそうで怖い・・・
なぜ、1987年というと、こんなに思い入れがあるのでしょう?
多分きっと、生涯最後のモラトリアム(執行猶予)の年だったから・・・?
この年の全国大会を聴いたいた時は、
「こんなにゆったりとした気持ちで聴けるのは、もしかしたら生涯最後かもしれない。
だから音楽自身をとにかく楽しもう」という意識が非常に自分自身の中で
強かったような気がします。
確かに、その通りだったかもしれません。
1988年以降は、社会人となっていて、
仕事とプライベートは別物と理屈は分かっているものの
コンクールを聴きながらも心のどこかで
「明日からの仕事が憂鬱・・」とか
「〇〇さんとの契約がうまくいくのかな・・」など
色々引っかかるものは沢山あったと思います。
それが結果として、音楽と自分自身が完全に一心同体となるという事はこの年以降のコンクールでは
あまりなかったような感覚もあります。
不思議な事に、二時間程度のオケの演奏会では、そうした事は全くなく
二時間音楽を聴いている間は世俗の嫌な事は全て忘れられるという感じなのですけどね。
やはり朝9時から夕方6時までの長丁場には、色々と雑念は入るのかも・・・

〇淀川工業

 自由曲の「トッカータとフーガ」は正直ほとんど印象にありません。
 この部門で唯一の課題曲D「ムービング・オン」の完成度が抜群で、自分としては
 課題曲だけで金賞受賞というイメージがあります。
 出だしの後の金管のバラード部分で、突如金管群がスタンドアップしたのも面白い演出でした。
 演奏も上品な香りが漂う中でも、ポップスらしいスィング感も十分で
 非常に申し分のない演奏です。
 いかにも「シンフォニックジャズ」という感じです。
 淀川工業も、この年とか前年のアルメニアンダンスパートⅠは、音楽に「遊び」があった良いのだけど
 翌年以降の自由曲は、俗謡・ダフクロ・スペイン狂詩曲の使い回しの世界に突入してしまい、
 「惰性」・「マンネリ化」・「新鮮味ゼロ」になってしまうからなー・・・

〇埼玉栄

 聴いていて評価に迷った演奏です。
 正直聴いていて、全然つまらない「海」でした。
 聴衆に何も伝わってこない海でした。
 だけど技術的にはそこそこだから困ったものです・・・
 自分の個人的評価は、銅に限りなくちかい銀でしたけど、実際の結果は金でした。
 えー、でもこのチームに金賞をあげるのならば、
 東海大四・花輪・高岡商業・市立柏・下松・土佐女子の評価はもっと高くても良かったのでは・・・?
 バンドピープルの出場校インタービューの中でも、このチームは
 「√3みたいに、割り切れない演奏」とコメントしていましたが、
 演奏者自身も自分と似たような感覚を持って演奏していたのかもしれません。
 少し悔いが残る演奏でした。

〇中村学園

 これは、評価が分かれる演奏だと思います。
 良い評価をする方としては、情熱的・ダイナミック・迫力漲る演奏と言うでしょうけど、
 悪い評価をする方としては、音量過剰・オーバーヒートし過ぎ・・ 音の暴力
 と言うのかもしれません。
 自由曲は「眠りの森の美女」から、バラのアダージョ・長靴をはいたネコ・ワルツを
 選んでいましたが、バラのアダージョが少し冗漫すぎたのかもしれません。
 このチームのカラーから言うと、バラのアダージョよりは
 「序奏とリラの精」を選んだ方が良かったのかもしれません。
 
うーーん、今度の新しいプリキュアのレベルが高い・・・
一年間「スマイル」のビューティさん以外のボンクラ振りに慣れてしまうと、
新しいプリキュアに戸惑ってしまう・・・
(もう慣れてしまったけど・・・)

予想通り、キュアソードは
「私は仲間なんていらない・・・」という展開となりましたが、
これからどのような展開を経て、キュアハートやダイヤモンドと交わっていくのか、
仲間としての絆を深めていくのか、
興味は尽きない所です。
でも本日はロゼッタはお休みでしたね・・・ボケ役という毒薬は後のお楽しみなのかな・・・??

だけど、マナと六花さんの関係がホント、興味が尽きません。
「幸福の王子の話」とか「金箔を貧しい民に運ぶツバメ」の話とか、
今後のマナと六花さんの展開を示唆する話が早くも提示され、今後の展開が本当に
楽しみです。
マナ自身は勉強もスポーツも得意で人望も厚い反面、
「幸福の王子」ではないけど、自分すらも犠牲にしてついつい他人の事にも首を突っ込んでしまう
ある意味「暴走キャラ」なのですが、それをコントロールしてきたのが六花さんの役割だったのでしょう。
今後の展開としてマナは嫌でも六花さんを「プリキュア」として巻き込んでいくのでしょう。
マナの気持ちの一つとして、「六花をこんな危険で面倒なことに関わって欲しくない」という
気持ちの一方で
「プリキュアとして一緒に戦っていこう。一緒にいるから厄介な事にも対応できる」という気持ちが
あるとは思うのです。
結果として、マナは六花を巻き込んでいのでしょうけど、今後二人はどのような歩みと成長を
一年かけて見せてくれるのか
非常に楽しみです。

本日の流れから見て、六花は「マナを助けたい」という気持ちからプリキュアに覚醒するという
歴代プリキュア達の王道をたどっていくのかなーと思っていたら、
六花の変身は来週のお楽しみになってしまいましたね。

だけど、ホントマナと六花は「最高のパートナー」になる可能性を秘めています。
エンジンとブレーキ、行動派と知性派、アィディアマンと調整役、色々な形容があるとは
思いますが、
まずは暴走しがちなマナをどのように六花がコントロールしていくのか
楽しみが尽きない感じです。

それにしても、早くもマナと六花は百合キュアというか、夫婦という感じですね。




マナという魅力尽きない娘に対して、
正妻たる六花がでーーんと構えていますが、
これにソードとありすがどのように絡んでいくのか、
その正妻の座争いも今後の楽しみの一つです。
(何だか、のぞみを巡るりんちゃんとうららの正妻の座争いみたい・・・)

伝統的に青プリキュアは、アクア・マリン・ビート・ビューティさんのように
一度は「プリキュアになる事を断る法則」があるようですが、
果たしてダイヤモンドはどうなのでしょうかね・・・?

結局青系プリキュアで断らなかったのは、ベリーだけなのですが、
ベリーもアイテムゲットが、自分よりもプリキュアになるのが遅かったパインに先を越されたり
オルゴールを紛失したり、歴代プリキュアの中でも冷遇系なのですが、
果たしてダイヤモンドの運命はいかに・・・??
でもベリーも、ピーチのブレーキ役だったし、ピーチがへこんだ時に喝を入れる損な役割だったから
もしかして歴史は繰り返すのかも・・・・
1992年に池袋の東京芸術劇場がオープンした際や
文京シビックホールを最初に見た時は、
「随分デカい音楽ホール」と感心したものですが、
それでもせいぜい2000人程度の収容人数ですからね。

その点、普門館はスケールが違います。だって、5000人は楽に収容できますからね。
普門館に、以前、カラヤン=ベルリンフィルが演奏会を開催したと聞いていますが、
一体どういう経緯で普門館になったのでしょうかね・・・
吹奏楽コンクールなら分りますが、繊細な響きを求められるオケの演奏会には
少し無理があるような気もするのですが・・・
しかも、普門館は立正佼成会系の宗教がらみのホールですからね・・・

考えてみると、普門館の隣は「佼成高校」ですからね・・・

1987年頃の普門館周辺は、本当に閑静な住宅街という感じでした。
主催者注意事項として、普門館周辺でのチューニングとか賞発表後の校歌斉唱等は
遠慮してほしいとよく言われていましたが、確かにその通りですよね。
バブル崩壊以降、あの辺りの土地はどのくらい下落したのでしょう。
そして現在は、1987年当時と比べてあの周辺は変化はあったのでしょうか・・・
少し気になるところです。

〇富山商業

 うーん、この年の風紋とローマの祭りは、あまり出来は良くない印象でした。
 何かドライヴしてこない演奏と言うか、スカッとこない演奏なのですよね。
 81~83年は三年連続金賞、84年の「ハーリ=ヤーノシュ」も素晴らしい演奏でしたが、
 85年の「火の鳥」あたりから、このチームは急速に迷いだした印象があります。
 というか、分厚い金管楽器の響きに比べて、木管の動きが不鮮明という感じが、87年あたりまで
 つきまといます。
 結果的に85年~87年あたりの「モヤモヤ」をサッーーーと吹き飛ばす名演を残してくれたのが
 89年の「祝典序曲」だったと思います。
 87年の演奏とは全然関係ないのですが、
 85年のレコード収録について、この年は「火の鳥」は収録不可になっていました。
 そのためソニーの配慮のためなのでしょうが、自由曲が収録不可曲の場合は課題曲のみを
 収録していましたが、課題曲が終わると同時に、自由曲の後の拍手もなぜか収録されていましたので、
 一見すると、課題曲の後にすぐ拍手と歓声が聞こえてきましたので、
 当時ものすごい違和感を感じたことがあります。

〇花輪

 花輪が課題曲にマーチを選んだ事がすごく意外に感じました。
 (慣れないせいか、非常に重たい感じのハローサンシャイン)
 自由曲も花輪として初めての邦人演奏でした(永訣の詩)
 永訣の詩は、84年に市立川口も取り上げていますが、川口が比較的明るい響き・モダンな感じ
 なのに対して、花輪はもっさりとした陰気な感じです。
 何となく「死の香り」も感じられる演奏です。
 個人的にはこうした邦人演奏としての花輪も決して悪くはないと思いますが、
 やはり花輪は、ロシアマイナーシンフォニーの花輪の方が好きです。
 やはり審査員の受けは非常に悪かったのか、銅賞にとどまっています。
 だけど、技術的にも表現的にも決して銅賞に値する演奏ではないと思います。
 この銅賞は少し気の毒な感じもします。
 花輪の演奏を聴いて、なぜか矢代秋雄の交響曲第三楽章を想起してしまいました。

2/3より「ドキドキプリキュア」が始まっていますが、
テレビ埼玉では、「ハートキャッチプリキュア」の再放送も始まっています。

ホント、改めて感じだのですが、ハッピー達「スマイルプリキュア」にもやっと後輩が出来たと思ったら
先輩たちなんかあっという間に追い越しそうな優秀な後輩達ばかりなので、
何だかハッピー達も立場がないかもしれませんね(笑)
しかもオープニングテーマの歌詞には
「ドキドキだけがプリキュアなの」とか
「可愛いだけじゃダメなの」とか歌われちゃいますしね・・・(笑)

でもスマイルは歴代プリキュアの中でも屈指のギャグ回数を誇りました一方で
今回のドキドキは、比較的真面目・正攻法路線でいきそうな感じもしますので、
これは仕方がないのかもしれませんね。
だけどドキドキは二回目が早くも楽しみ・・・
早く六花さんの変身シーンが見てみたいし、ハートとソードの交流も見てみたいです。

ハートキャッチなのですけど、
あれって一見キャラ設定や画像を幼くしているのですごく子供っぽく見えるし
デザインをあえて崩したり、デフォルメしているから「遊んでいる」ようにも見えるのですけど
扱っているテーマはも結構深刻なような気もします。
だって、各個人の心の葛藤とか、弱い部分とか、コンプレックスが容赦なくさらされてしまうし、
味方によっては、その人が抱え込んでいるコンプレックスをデザトリアンを通して一般大衆に
向かってさらけ出すという要素もありますからね・・・
意外とテーマは重いような感じを改めて印象付けられました。

だけど、マリンはやはりうざ可愛い!!!




ああいうキャラは、歴代プリキュアの中でもマリン以外いないでしょうし、
あのキャラは不世出だと思います。

スイートプリキュアの初期の二人変身のシーンも見栄えが非常に良く素敵でしたが
ハートキャッチも、つぼみとえりかの二人変身のシーンは、本当に可愛くてブラボーという
感じですね。
特に、マリンの単独変身時の、頭をグリグリやるシーンとか変身時のいかにもいたずらっ娘らしい
笑顔は本当にキュート以外の何物でもないと思います。
改めて見てみるとさすが、えりか様!!という所ですね。

ブロッサムが初回変身の時に大苦戦したのとは対照的に、マリンは初変身時でも
即戦力全開で、何の苦労も迷いもなく、デザトリアンを倒していたのはさすがという感じですし、
初期の段階では、
出来る子⇒マリン
出来ない子⇒ブロッサム
という構図が見えてきます。

そして、ここからがブロッサムの「成長」が始まっていくのです。
アメリカの20世紀の作曲家の「ウィリアム=シューマン」を知っている人って
それ程いないのかもしれませんよね。
自分のように吹奏楽を経験した人間ですと、チェスター序曲とかジョージワシントンブリッジで
名前程度なら聴いた事があるという人もいるかもしれません。

ウィリアム=シューマンは、交響曲だけでも第10番も残した、ある意味シンフォニストです。
(だけど、第一番と第一交響曲を改作した第二番は、後に撤回・破棄されましたので
 残っている交響曲は実質的に8つです。)
個人的には、二楽章構成ながらも実に分り易い作風でクライマックスまで
エキサィティングに展開する交響曲第三番と
(何と、亡くなる数年前のバーンスタインのライブ録音が発売されています・・)
最後の交響曲の第10番「アメリカのミューズ」が非常に気に入っています。

ウィリアム=シューマンの場合、交響曲の領域は、正直分り易いのは第三番くらいなもので、
番号が後になるほど難解になっていくような気がします。
特に第10番は、「パズル」というか、「無限の記号の墓標」みたいな曲なのですが、
アメリカの伝統的開放性と実験的革新性が妙にマッチしているような感覚で、なぜか
この第10番は好きなのです。
(スラットキン指揮/セントルイス響がおすすめです)

ウィリアム=シューマンの作品を聴いてみると、
本当にこの人は、自分の母国のアメリカを愛していたんだなーと感じずにはいられません。
交響曲第10番「アメリカのミューズ」
ニューイングランド三部作(第一曲は、「輝かしきアメリカ」)
アメリカ祝典序曲
などに代表されるように、アメリカと名が付いた作品だけでもこれだけあります。
ウィリアム=シューマンの曲は、部分的に難解だけど、暗いとか陰鬱という作風の曲は
ほぼ皆無だと思います。
そして大抵、エンディング近くは、怒涛のように一気にあおって終わらせるという感じの曲が
多いのが特徴なのかもしれません。

ウィリアム=シューマンを語る上で絶対に外せない曲が一つあります。
何かと言うと、「ヴァイオリン協奏曲」です。
自分は、ズーコフスキー独奏の演奏しか聴いた事がありませんが、この曲の無限のエネルギー感には
ただただ脱帽するしかありません。
第一楽章の出たしも相当のインパクトですが、
第二楽章のバックの金管楽器の怒涛の響かせ方、激しい不協和音、バックに屈しない
独奏ヴァイオリンの快進撃、
これは、「生きるエネルギーの源」といっても差し支えの無いほどの「無限の力」・「眩しすぎる明るさ」を
痛いほどに感じてしまいます・・・

自分自身、オケの演奏でウィリアム=シューマンの曲はただ一度しか聴いた事がありません。

確か1998年頃の沼尻竜典指揮/日本フィルの神奈川県民ホールでの演奏会の最初の曲の
「アメリカ祝典序曲」です。
いやはやさすがに生の演奏はすさまじかったです。
この後の二曲は、ベートーヴェンの皇帝と第七交響曲と実にオーソドックスだったたげに
なぜこのシューマンの曲を選んだのでしょう・・・???
(私は嬉しいけど・・)

でもウィリアム=シューマンの知名度はいま一つなんですよね・・
うーーん、これでは歴史に埋もれてしまう・・

最後に、ニューイングランド三部作は、管弦楽版では、第三曲「チェスター」は
3分程度の短い曲なのに、吹奏楽版だと6分程度の曲に膨らんでしまうのは
なぜなんでしょうかね・・・・??
1987年というと今から26年前の事ですが、当時と現在は、特に人間全体の驚異的な変化とか
進歩とかは特段感じられません。
というか、人としての情とか、人間と人間のつながりとか、モラルとかは逆に大きく後退したと
思っています。

やはり一度バブルの絶頂を体感し、「すべてはカネだ!!」の発想から
バブルの崩壊に伴って日本人全体が自信をなくしていき、誇りとか良き伝統をなくしていったのが
1990年代後半から2000代前半なのかなーと思います。

昭和の時代の頂点って、気のせいかもしれませんが、昭和57年~63年あたりなのではないかと
思います。その時代を生きていた実感として・・・
その時代に高校~大学時代を過ごした自分達の世代(お笑いでいうと、爆笑問題の二人の世代と
ほぼリンク)は
ある意味幸せだったのではないかと思う時もあります。

この頃は、まだ携帯もパソコンもありませんでしたしね・・・

女の子の家に連絡する際は、固定電話でしたからね・・・
「相手の親が出ませんように・・・」の祈りながら電話したものですが、
今の時代は個別につながる「携帯」の時代ですからね・・・

〇愛工大名電高校

 「プラハのための音楽1968」はこの年で既に三回目の演奏となりましたが、
 個人的には、この年の演奏が一番ベストかなーと思っています。
 勿論1985年の「緊迫感みなぎる演奏」もいいと思うのですが、やはりラスト近くの
 ティンパニーソロのチューニング不調がどうしても気になってしまいます・・・
 その点、この年の演奏はその意味では完全です。
 あえて難を言うと、課題曲が風紋のため、85年に比べてカットが多かったのが
 少し残念な感じです。
 だけど、だからといって無理なテンポ設定はしていませんし、比較的節度を保っての
 テンポ設定と解釈でしたので、安心して聴けます。
 その点で、全く同じ課題曲と自由曲を取り上げた西宮は、両曲共にテンポが速すぎて
 「セカセカ」という印象しかありません。
 その意味で名電の方が、緊張感を維持しながらも落ち着きのある演奏で
 完成度は非常に高いと思いますし、金賞はごく当然だと思います。

〇下松高校

 あっ、私、この学校実は大好きなのですよ。
 いかにも普通の先生と生徒が普段一生懸命練習して、手作りの音楽で全国に臨みましたという
 雰囲気が伝わってきて、いいと思います。
 このチームは、85年に全国初出場を果たし、この時は幻想交響曲を取り上げていましたが
 正直「下手くそ」・「全然未消化」・「サウンドがぼやけておっとりし過ぎている」・「無個性」と
 自分の評価は最低ラインだったと思います。
 だけど翌年のチャイコの幻想序曲「ロメオとジュリエット」を聴いて評価は一変しました。
 指揮者の「厳しい中にも温かいものが」伝わってくるような実に誠実な演奏で、何か妙に
 ジーンとくる演奏でした。ラストの響かせ方は、カラヤン/ベルリンフィルのチャイコのロメジュリを
 思わせるようなサウンドで、これにも実に感銘を受けたものです。
 この年は一変してリードの「アルメニアンダンスパートⅠ」という正統派オリジナル曲を取り上げていましたが
 実に歌い方が自然でのびのびしていたと思います。課題曲もこの部門唯一のCで、これも何か新鮮に
 感じたものです。
 初出場の時のぼやけたサウンドは影をひそめていたものの、学校全体のおっとりさ・自然さは
 この時も健在で、これが更に良い相乗効果を高めていたと思います。
 確かにリードのこの曲は、過去に何度も名演があり、中々個性を出すのは難しい選曲なのかも
 しれません。
 事実、特筆すべき大胆な解釈とか珍解釈とは皆無の演奏ですが、一言で言うと誠実でのびのびとした演奏。
 これが実に高校生らしい演奏で、私は大好きです。
 この年も銅賞でしたが、翌年は初出場以来4年目でやっと銀賞を受賞します。
 その成績発表の際、「下松高校、銀賞」と発表されると、この学校の生徒さんの
 「わー、やったー」という嬉しそうな声が声が届いたのも何か新鮮でした。

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