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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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独身の頃は、自由に使えるお金が結構あったせいか、
週に一度のペースでクラシックの生の演奏会を聴きにいく事が出来ていました。

だけど最近、というかここ10年程は、年に一回聴くことが出来るか出来ないかという
感じです。
最近、サントリーホールとか東京芸術劇場とかもホント、とんとご無沙汰しています。

たまには生の演奏会を聴いて
音楽と何かしら対話をしたいなーとも思っています。

うちの最寄りの音楽ホールと言えば「川口リリア」だと思いますが、
このリリアは結構素敵なホールだと思います。
音響も悪くはないし、何よりも本格的なパイプオルガンが設置されているのが
素晴らしい。
以前はよくこのホールで井上圭子さんもコンサートを開いていましたね。
以前はこのリリアでの「ニュー・イヤー・コンサート」もよく聴きに行っていましたが
最近はご無沙汰ですね。
最近もこのリリアの二ューイヤーで三大ピアノ協奏曲の競演とかで演奏会があったようですけど
当日も仕事でしたからね。

あーあ、最近はホント、生の演奏に飢えている感じがしてなりません。
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不安・・・

仕事柄、自分以外の家庭の様子を見る機会がかなりあります。

最近ホント、多いなーと感じるのは

①高齢者の一人暮らし

②中高齢夫婦の内、どちらか一方が病気又は痴呆

です。

今日自分がお伺いした家も、ご主人がいわゆる若年性アルツハイマー又は何かしらの精神的疾患を
患い、簡単な浴室暖房乾燥機設置の見積もりを持って行っても
例えばも一つの項目について同じ事を7~8回尋ねてきたり
1分前に聞いてきた事と全く同じ質問をしてくるなど
相当な「異常さ」を感じました。
横にいた奥様も困ったような感じでした・・・

こうした方と商行為を行うこと自体、何かあった場合正直怖いので、本日は
早々に引き上げざるを得ない感じでした。

だけど、これは本当に他人事ではないのかもしれません。

自分自身もいつ倒れてしまうのか、ボケてしまうのか
正直自信がありません。
万が一、自分自身が倒れたり、ほんの瞬間前の事も思い出せない程痴呆が進んでしまったとしたら
だれがうちのボーーッとした妻の面倒を見るのか、
誰が彼女の面倒を見るのか、
はたまた自分自身の面倒は・・・最後は誰が見てくれるのか・・・

自分自身も最近ようやく「若くはない」・「昔とは違う」という事を自覚してきましたので
実に見えない「不安」は感じずにはいられません。

ショスタコーヴイッチの生涯最後のシンフォニーである
交響曲第15番は本当に謎めいた曲です。
結局この人は、最後の最後に何を言いたかったのだろう・・・・?
政治体制と戦争に振り回された生涯でしたが、最後の最後で、
自分自身が本当に書きたかったものを書いたのかもしれませんし、
純粋に「音楽」というものを楽しみたかったのかもしれません。

音楽解説書なんかでは、ショスタコーヴィッチの交響曲は、第一番と第15番だけが
音の絶対性だけを追求できた純粋音楽でありねその間の13の交響曲は様々な要因か重なり
曲によっては当時の政治権力者や音楽官僚に迎合した曲を書かざるを得なかったし、曲によっては
その反動としての反体制的側面を有する曲もあるとか記されています。

だけど、この第15番は本当に謎めいた曲で、
曲全体を何度聴いても、曲自体に何か「メッセージ性」がある訳でもないし
作曲者の「遺言」みたいな香りもしないし、
曲の至る所に、ワーグナーやグリンカの引用が散らばっているし、
特に第一楽章の歌劇「ウィリアム=テル」のあの有名な旋律の引用は
かなりの意外感があります。

うーーーん、でもホント最後に何を言いたかったのだろう・・・
別に「死」の香りも全然ないし、
ラストメッセージという匂いも皆無
何となく、おもちゃ箱を部屋中にわざと放り投げてグチヤグチャにして
「アッカンベー」とベロッと舌を出しているような感じもします。

この曲は一度だけ生で聴いた事があります。
確か井上道義指揮の東京交響楽団でした。
だけど、生で聴いても正直印象は「?」という感じで、生の演奏を聴いても
この人は最後に何を考えていたのだろう・・・という謎だけが残る結果と
なってしまいました。

プロコフィエフは、若い頃はあんなに過激だったのにロシア復帰後の最晩年の
最後のシンフォニーは、あんな懐古趣味に走りました。
チャイコフスキーは、最後のシンフォニーの「悲愴」では嫌でも「死」を感じずには
いられない内容です。
マーラーの第9も然りです。
だけどショスタコだけは違うのですよね。

特に第四楽章の終わらせ方は、
トムトムとシロフォーンがコトコトコトコトと妙な響かせ方で静かに曲を閉じているのですよね。
あの終わらせ方は、チェロ協奏曲第二番と大体似たような終わらせ方ですが、
こちらの交響曲の方が何となく明るさも感じられます。
というか、屈折した明るさですけどね・・・
今の大学生は、就活が大学三年から事実上スタートし、早い人達は二年生辺りから意識している
との事ですが、本当に気の毒のような感じがします。
思うのですが、大学生というのは、
「社会人になるまでの最後のモラトリアム期間」なのかなーと思う事もあります。
理系の人は別かもしれませんが、文系の人達は、社会人になるまでの最後の「プレリュード」
なのかもしれません。
自分自身、大学生の時は、どちらかというとボーーッとしていました。
ようやく親元を離れる事が出来て「自由」を満喫していた期間でもあったと思いますし、
色々な事を思索できた期間だったとも思いますし、
生の音楽色々と聴くことが出来たり、上野の文化会館の五階音楽資料室で膨大な
レコードを視聴し、種々の音楽を自分なりに消化していった時期でもあります。

本当にゆつたりとした時間であったと思います。
当たり前ですが、社会に出てからは本当に時の経つのが早い・・自分自身がその流れに
ついていけていないのかもしれません。
特に2001年以降、14年間勤務していた金融機関の破綻以降は特に変化が速い・・・

今にして思うと、その学生自体はゆつたりとした時間は今となっては貴重な財産だったのですが
もう少しやっておくべきだったのは、
種々の本をよんでおくべきだったという事です。
確かに「音楽」とは様々な対話が出来た四年間でしたが、
自分という存在に磨きをかけるための努力が足りなかったのかもしれません。

〇就実高校

 これまでこのチームの素晴らしい演奏、特に82年の「幻想舞曲集」の素晴らしさには
 何度もふれてきましたが、実は上京後、就実は84年~85年は支部大会のダメ金で
 全国に駒を進められず、就実の生の演奏をやっと聴けたのは前年度なのでした。
 就実は基本的にブレザー服での制服で演奏をしているのですが、なぜか86年だけは、
 アンサンブルコンテストだけで着用している赤のチェックのブレザーの衣装でこの年の
 演奏を披露し、なおかつ驚いた事は、
 演奏終了後にスタンドアップした際に、一瞬全員横を向き、前を向いたので
 その赤チェックのスカートがひらひらと瞬間的にひらめいたのには、何か「ドキッ」とするものを
 感じたものでした。
 86年の演奏(テイクオフ/コッペリア)は比較的優等生的なおとなしめの演奏でした。
 87年の演奏は一転して、「攻める演奏」でした。
 重厚感あるサウンドにリズム感溢れる「ルーマニア狂詩曲第一番」でした。
 個人的にはキュアメロディではありませんが、「荒ぶる調べ」というような感じの演奏で
 それまでの就実の内面性重視の演奏とは少し変容したのだなーと感じました。

 就実は、1978年にもこのルーマニア狂詩曲を演奏しています。
 その際にBJの講評で「かつての林兼産業女子吹奏楽団を彷彿とさせる」と書かれていましたが、
 いまの人達は、「林兼産業女子吹奏楽団」といっても全くピンとこないと思います。
 コンクールにおける女子チームバンドの先駆けというと、中村学園とか就実を想起する人が
 多いと思いますが、実は1960年代後半の職場の部に、中国地方代表として
 「林兼産業女子吹奏楽団」が何回か出場し、
 確か1969年には職場の部・第三位を受賞していたと思います。
 (70年代以降、現在の金銀銅評価に変わり、それまでは一位から三位までの順位確定方式)
 林兼は、はやしかねとよびます。りんけんではありません・・・
 組曲「リチャード三世」とかエルザの大聖堂への行列を自由曲として演奏しています。

 就実は、88年・90年にも全国に駒を進めていますが、どちらも技術的につたないものがあり
 銅賞にとどまつています。
 88年は、急にサウンドが軽量化し、表現が子供っぽくなり
 90年は、課題曲C「カタロニアの栄光」のトロンボーンの極端な音程不良に
 驚かされます・・・
「スマイルプリキュア」の爽やかな最終回の余韻に浸っている今日この頃です。

最終回の回ですら、ハッピー達を一時絶望に追いやるなど戦闘バトルとしては
最終回にしては激しかったと思う反面、ボスキャラが意外とあっけなくやられてしまいましたね・・
てっきり、最後の最期で、ジョーカーが何か最後の悪巧みでもしてくるのではないかと
気をもんでいたのですかけど、杞憂で良かったです。

やはり見れば見るほど「オールスターDX3」と似ているなーとも思います。
敵を撃破する為には、パートナーの妖精との別れが待っている・・・
妖精と離ればなれになるのは嫌だけど、自分達の世界は守らないといけない・・・
最終的には、「妖精達と過ごした日々の思い出は自分達の中で今後も生きていく」という決意の中、
敵を撃破し、一時的に妖精と別れる事になり、プリキュア達全員が大泣き
だけどある日突然妖精たちがまい戻ってきて、ハッピーエンディング・・・
この映画版の構図が全面的に今回のスマイルの最終回に応用されているとも感じました。
両者共に、エンディングの歌の背景が、これまでのハイライトシーンの画像を流している所も
同じでしたしね。

だけど、きれいにまとまっていればそれで宜しい。

今回のスマイルで一つ印象的だったハッピーのセリフがあります。

それは何かというと、
「幸せとは、探し出すものではない。感じ取るものだ」というものですが、
最後の最後で、さすが主人公、いい事を言うなーと思いました。
確かに「幸せ」なんてものは、上限を求めていくと切りがありません。
あれも欲しい、これも欲しい。あの人はいい人なのだけど、こんな所は全然ダメとか、
うちの奥さんのここは絶対に許せない部分とか、
あとこの位は月収が増えないと困るなとなど
結果として「ハッピー」を掴み取るまでの方法論を模索するだけで疲弊してしまうのが
私達一人一人だとも思うのです。
だけど、どんなに貧乏だって、
仕事がうまくいかなくても、奥さんと喧嘩が絶えなくても、
「こんなに頑張っているのになぜ報われないのだ・・」という気持ちが強くなったとしても
不平不満が積もり積もったとしても、
些細な事でも「幸せ」を何か感じ取れる要素はあると思うのです。
そうしたハッピーを感じ取るココロを私達一人一人が持っている限りは、
私たち人間もまだまだ捨てたものではないという事を最後に言っているのでは?
とも思える最終回でした。

こんなハッピー達に来週から会えなくなるのは寂しいけど、
それこそ、ハッピー達と過ごした一年間は、自分のココロに生涯とどまっていくと思います。
現に、5年前に終了した「プリキュア5」、特にキュアドリームは
いまだに大好きですからね。





プリキュアシリーズは今年で10年目に突入ですが、
この9年間で最も印象的なシーンは何かというと、やはり
「大ピンチ、悪夢の招待状→新しい5人の力」の回だと思っています。
あの5人での手つなぎシーン→和解→ファイヴエクスプローション発動の流れは
シリーズ屈指の名シーンだと思います。
あの時の、のぞみの意思の強さは勿論の事、
全員が「謝る事」、「過去からの自分からの告発に対してどのように再生を決意したか」を
戦いを通じて語りかけていくシーンは、本当に名脚本だと思います。

のぞみが魅力は、ドジでアホ娘である反面、明確な意思を持っていて
それが少しもぶれない点であったのかなーとも思います。
(パルミエ王国復活という夢がかなった瞬間に大好きなココとの別れが待っている事に
 気が付いた瞬間に、少しぶれたというのはありますが、これはご愛嬌ですね。
 というか、りんちゃんから指摘されるまで気が付かないのものぞみらしい・・・)
今日の埼玉方面は朝はうっすらと雪が積もっていました。
(何かこう書くと、スマイルプリキュアのビューティさんの
 「しんしんと降り積もる清き心」というセリフがなつかしく感じる・・・
  昨日最終回を迎えたばかりだけど・・・)

積もらなかったのは幸いでしたが、やはり朝は冷え込んでいました。
こういう日に限って朝からクソ忙しいから、人生は誠に皮肉なものです。

最近の自分で嫌な事は、年と共に元々「寒がり」だったのが
特に最近ひどくなってきた事ですかね。
「冷え性」なのかもしれません。
朝は、足先が本当に冷えていて、布団からくるまっている状態から出勤するために
起き上がるのは、毎日のことながら、
一定の決意が必要です・・・

最近お客様から「冷え性には生姜と黒豆が良い」と教わり、試しています。
確かに効果はありました。
試す前は、寝る時に靴下二枚だったのが、今では一枚で済んでいます。
だけど、ホント、年と共に寒がりがひどくなっていきます。

今はまだいいけど、10年後くらいにはどうなっているのでしょうか・・・

漫画というかアニメに「咲 Saki~阿智賀編」というのがあり、
第一期は2009年 第二期は2012年に深夜放映されていて、これは結構好きでした。
麻雀のルールはさっぱりわかりませんが、これは麻雀のルールなど分らなくても
楽しめる所がすごいと思います。
個人的には、東横桃子とゆみちん先輩、竹井久、池田かな、僕っ娘の国広一が大好きです。

第二期の阿智賀編の主要登場人物の中で
松実姉妹が出てきますが、姉の方が極度に寒がりで
夏でもマフラーをまいて「さ、寒い」を連発していますが、
この娘の気持ちは本当によく分ります。
松実姉は、やはり自分と同じように冷え性なのかな・・・?

待望の春、4月の到来まであと二か月余り・・
何とか「さ、寒い・・」を連発しながらも耐え忍んで生き抜くしかないですね・・・
1987年というと、最後の学生生活という事で、就職活動のわずかな時期を除くと
本当に穏やかでだらーーーっとした日々でした。
今にして振り返ると、ホントうらやましい・・・

だけど、さすがに社会人になってから免許取得では遅すぎるので、しぶしぶ免許取得のため
教習所通いもいたしました。
当時私は中野区に住んでいましたが、意外かもしれませんが、当時は(今は分りませんが)
中野区内に自動車教習所は一つもなく、恐らく当時の中野区民は
練馬区の中村橋か渋谷区の京王自動車学校に行くしかなかったのではと
思います。
そして、当時は勿論都営大江戸線なんて地下鉄はありませんでしたので、
中野から中村橋は意外と交通の便が悪く、やむなく明大前の京王に通ったものです。

だけど、ここの教習所は特にガラが悪かった・・・
というか、教習所の待合室とか至る所に組合の「賃上げ」・「スト決行」といったポスターが
ベタベタ掲示されていて、あまり気分の良いものではありませんでした。
どこの教習所もそうだとは思いますが、ここの教官はホント「悪意の塊」みたいな
いじわるじいさんばかりでした・・・
一度あまりにも陰険なため、さすがにカチーーンときてしまい、
三か月ほど登校拒否になったこともあります。
さすがに講習期間には一定の制約があり、免許が取れなくなるギリギリの頃に慌てて
教習所に通い、何とかスレスレセーフで無事に免許を取ることが出来ました。

ホント、けったくそ悪い教習所でしたが、現在はこの京王は閉鎖となって
存在していません・・・

〇秋田南

 この年からこれまでの指揮者の高橋紘一先生が勇退され、秋田南のOBの佐藤氏が
 就任いたしました。
 だけど佐藤先生の苦労とプレッシャーは並大抵のものではなかったと思います。
 その意味では前任者があまりにも偉大過ぎるゆえに気の毒な感じもいたしました。
 だけどこの佐藤先生は、1981年の東北大会B部門で、秋田西高校を率いて
 ショスタコーヴイッチの交響曲第10番終楽章を驚異的な名演で私の心をわしつがみにした方でも
 あります。
 この秋田西の演奏は本当に戦慄を感じさせるほどインパクトがありました。前半の寂しさ・不安
 後半のアレグロの圧倒的スピード感、本当にお見事としかいいようがない名演でした。
 佐藤先生が秋田南で最初に選曲した自由曲は「ローマの噴水」であり、これまでとは全く違う路線に
 戸惑ったのは事実ですが、この年の秋田南の演奏は決して悪くはなかったと思います。
 高橋先生時代の秋田南は、固い金管の音とか難解なうねるような表現といった面も気になる人は
 気になったとは思いますが、この年の秋田南は、分り易いクラシックの音楽を素直に表現し、
 これまでの難解さから解放された「安堵感」みたいなものも何となく感じるものはあり、
 むしろ音楽が自由になった感もありました。
 この演奏が銅賞とは・・・
 これは気の毒な銅賞の一つだと思います。
 だけど翌年と翌々年の秋田南は、「迷っている秋田南」になってしまい、
 1990年~92年は県大会で消えてしまうほど低迷期に入ってしまいます・・・

〇土佐女子

 このチームを初めて聴いたのが1984年の「ディオニソスの祭り」
 だけどこれは本当にひどい演奏でした、というか技術的に全然未消化で
 聴く価値にも値しない演奏でした・・・
 だけどこの3年後には指揮者が変わったというのもあるでしょうけど
 見違えるようなチームに成長して普門館に戻ってきました。
 自由曲の「サロメ」がこれまた色っぽくてあでやか。
 この頃は「サロメ」は収録不可でしたので、今となってはこの演奏を聴きたくても音源がないので
 聴くことが出来ないのが本当に残念です。
 前半が少しテンポが遅すぎ、少し音楽がたるんだ面もあったかもしれませんが、
 後半の追い込みは素晴らしい。
 なんでこのあでやかなサロメが銅賞なんでしょう・・・
 これもまた気の毒な銅賞の一つ
「スマイルプリキュア」の最終回でした。

歴代プリキュア最終回の中でも、何か「すがすがしい」フィナーレで
気持ちの良い感じで一年間を終える事が出来たという感じです。

でもピエーロがホントあっけなく消滅してしまったのは何だか拍子抜けという感じも
ありましたが、そんな事はどうでもいいと思います。
それにしても前半部分の地球が崩壊寸前というのも、こうした展開は
スプラッシュスター以来で、もしかして最後の最後までバトルなのかな・・・?とも一瞬
思ったのですが、予想通り戦闘シーンよりもエピソード重視という終わらせ方でした。
まさかピエーロをハッピーが包み込んで戦闘終了というのも少し意外な感じもしましたけど、
ハッピーの笑顔が本当に「天使」みたいなので
全部許せてしまいます・・・

ああやってエンディングテーマに乗って、過去のエピソードを振り返る手法も
スプラッシュスター以来なのかな・・・?

だけど、最終回全体の流れを見てみると、
構成・展開が映画「プリキュアオールスターDX3」と何だか似ているなーと思ったら
確かにディレクターと監督が同じ人だから
仕方がありませんね。
スマイルの最終回が何だかDX3へのオマージュなのかなーとも感じたのは事実です。

でもプリキュア達が最終回にあんなに終始大泣きしていたのは極めて珍しいなーとも
思いました。
最後の最後の「お別れは笑顔で」の約束通りキャンディとみゆき達のスマイルもシリーズテーマを
そのまんま象徴するようで印象的です。

ホント、シリーズを通して、一年間を通して
「笑顔」・「ハッピー」・「優しさをみんなにわけてあげる」というテーマが
一貫して貫かれ、
私としては、このスマイルプリキュアがあったからこそ、2012年~13年初めを
乗り切ることが出来たと思っています。

だから「スマイル」が最終回を迎える事は本当は悲しいのですが、それでも心の底から
ハッピー・サニー・ピース・マーチ・ビューティさんに
「ありがとう」と感謝したい気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。

でも来週からは(毎年の恒例だけど)
「新しいプリキュア」にまたまたはまっていくのでしょうね。
だけど、のぞみやスマイルプリキュア、そして歴代プリキュアは
自分にとっては永遠に「ココロのふるさと」という感じなのかもしれません。
この年の吹奏楽コンクール・全国大会を聴いたいた頃は、既にある金融機関から内定を貰い、
ある程度ゆったりとした気持ちで聴いていたと思います。
だけど実はこの大会の三日前程に内定企業の人事部から
「先日の健康診断の結果、異常が確認されたので再検査を受けて」と通知され、
内心では、
「あ、これで内定取り消されたらやばい・・・」とか
「何の異常だろう・・・」と
少々不安が内在していたのは事実です。
もっとも、プログラム3番の習志野あたりから、こうした現実の不安は何か
綺麗さっぱり忘れていましたけど・・・

後日談になりますが、再検査の結果「異状なし」となり
内心ホッとしたものでした・・・

でも現在の大学生は気の毒な感じがします。
だって、大学三年の秋から事実上就職活動が始まり、中々内定も取れない、面接は厳しいでは
ポテンシャルを維持するだけでも大変だと思います。
それに学生時代の半分程度を就職活動に費やすのでは、
何のための4年間なのか、分らなくなるのではと危惧します。
これではじっくりと腰をすえて、自分のやりたい事探しとか、生きがいつくりとか
自分なりのテーマを見つけての探求なんかやる時間もなくなってしまうような
気がします。
その意味では現在の学生さんは大変だと思います。
自分達の頃は、一応形式的に「企業の採用活動解禁日」というものが存在し、
それも大学四年の9/5スタートでしたから、随分とのんびりしていたものですね。
その解禁日は、ほとんどの内定者は、その解禁日の他の会社に行かせないようにとの理由で
「拘束」という事もなされていました。
つまり、9/5は内定企業に一日カンヅメ状態となり、一日どこにも出られないような
状態にされていました。
もっとも、豪華な弁当あり、帰りにはテレカ(もはや死語?)等のお土産あり
交通費ありといたれりつくせりでした。

〇佐賀商業

 全体的に丁寧な音楽づくりだったと思います。
 演奏団体によっては、ライブの時が良い演奏に聴こえる場合と
 レコード化された音源を後で聴いて、生の演奏では気づかなかった良い面に気が付くという
 パターンがあると思いますが、このチームは典型的な後者のパターンだと
 思います。
 正直生の演奏では、丁寧さ以外あまりアピールポイントがなかったようにも感じましたが、
 後にレコードで聴いてみると相当洗練された演奏だったと思います。
 だけど一つ難を言うと、課題曲がAを選曲し、かなり丁寧に演奏したせいか、自由曲の
 「大阪俗謡による幻想曲」をかなり強引なカットにならざるをえなかったようにも
 感じられ、それが少し印象を弱くしたというか、散漫にしたような感じもいたします。

〇市立川口

 前年度の「オセロ」の何かモヤモヤした印象を吹っ飛ばす川口らしい演奏でした。
 課題曲Bの渚スコープのトランペットのミスは痛かったですが、
 (そう言えば翌年の「ハムレット」のトランペットのミスは半端なかったな・・・)
 「神話」の踊りの部分の躍動感で思いっきり帳消しにしてくれました。
 かなりクセのある解釈かもしれませんが、泥臭い感じは逆に「日本の香り」も感じられ
 私は大好きです。
 だけど、この年の川口はアレグロだけではなくて、静かな部分の説得力が素晴らしかったと
 思います。
 静かな部分のクラリネットのソロ、それを裏で支えるパーカッションの息遣いは
 本当にお見事でした。
 ドラ奏者がドラをマレットでこすりつけるような感じで、「モヤーーーッとした感じ」を
 うまく出していました。
 だけど「神話」ってシロフォーンを使う曲でしたっけ?
信国先生の指示なのかな・・?

〇高岡商業

 高岡商業といえば個人的には「ローマの祭り」の豪快さをイメージしてしまいます。
 とにかく「鳴る」というイメージが強いチームです。
 だけど、この年は単なる鳴るだけという感じではなく
 「力強く美しく鳴る」という印象でした。
 自由曲の「展覧会の絵」のキエフの大門の金管楽器のコラールが見事にそれを証明しています。
 会場で聴いていて、バスドラムとシンバルのズドンという打ち込みも相当な迫力が
 ありましたが、金管セクションは、あんなに鳴らしても音が全く割れないし、響きも濁らないし
 音程のぶら下がりも全くないというほぼ完璧の演奏でした。
 この演奏が銀賞とは少々意外でもあり、1987年大会のレベルの高さを実証したとも
 言えると思います。
今日の埼玉は気温が13℃近くもあり、暖かかったのだと思います。
(夕方六時過ぎは5度前後まで冷え込み寒かったっす・・・)
土曜日は今年最高の冷え込みとかで先が思いやられます。
だけど年と共に段々と寒がりになり、いくら本日の昼間のように多少気温が上がったとしても
寒く感じるのはやはり年のせいなのでしょうかね・・

元々東北生まれ・東北育ちで寒さは免疫があり、
金融機関の営業時代には、バイクでの外回りのせいも寒いとはほとんど感じずに
外を駆けずり回っていたものです。
「暑い時こそ、寒い時こそ凛として・・・」をモットーにしていたような感じもします。

だけど、ここ数年ホント、寒さにはめっきり弱くなってしまいました。
夜寝る時も、恥ずかしい話しながら、靴下をはかないと足元が冷えてすぐには寝られないような
気もします。
先日年配のお客様より「黒豆茶と生姜が冷え性には効果的」と教えて頂き、試してみた所、
なるほど多少は効果はあったように思えます。
だけど、最近朝起きるのが辛い・・・
というか、眠くてだるくて起きるのが辛いというのではなくて、
単に寒くて布団から抜け出せずにいるという表現の方が妥当なのかもしれません。

これは年をとった証拠なのでしょうね・・・

それと最近気になるのは、以前と異なり、記憶力が落ちたという事なのです。
むしろこちらの方が少々やばいような気もします。
20代~30代の頃は、お客様の情報とか履歴なんか、特に記録を見なくてもほぼ頭の中に
インプットされていたのですが、今はさっぱりダメ・・・
というか、最近では人の名前が覚えにくくなったというよりは、思い出せない事が多々あり、
結構自己嫌悪になる時もあります。

やはり人間は永遠に「青年」という訳にはいかないものですね。

年を取ったら、年を取ったなりの自分との付き合い方もあるのかもしれませんよね。

これで、歴代プリキュアの名前と変身前の名前コロッと忘れるようになったら
それこそ重症なのかもしれませんね。
この年の3年前の32回大会の時は、土曜日のせいもあったかとは思いますが、
当日券も全然並ばないで余裕で購入できたものですが、
前年度辺りから、高校の部の人気が上がったせいなのか、当日券の購入はほぼ不可能に
近くなり、前売り券を購入できなかった人の中には、当日券を何とか買えればと思いつつ
足を運んだものの、断念した人も相当いたと思います。

確か1993年前後から、前売り券はチケットぴあからも購入できるようになり
その辺りから当日券自体販売をしなくなったと思います。

1987年の大会は、自分自身は大学4年生で、
「もしかしたら全日本吹奏楽コンクールを聴けるのもこれで最後かもしれない・・・」と
何か妙な悲愴感をもって、聴いていたような気もします。
だけど演奏が進むにつれて、そんな事はきれいさっぱり忘れて
心から音楽を楽しんでいたと思います。

実際には、コンクールは2000年までは毎年聴けていました。
だけど、何度も書いているように2001年に勤務していた銀行が破綻し、
その後は主に住宅関連の仕事に変わり、それ以降は土日出勤・平日休みのシフトに
激変してしまつたので、吹奏楽コンクールは聴けていません・・・・(泣)
ま、それは老後の楽しみなのかな・・・?
だけど、前半・後半の入れ替わりはいまだにすごーーく抵抗があるな・・・
何とか元のように戻らないものですかね。

〇東海大学第四高校

 ひとつ前の演奏の習志野と同じ自由曲なのでやりにくかったと思います。
 習志野は、パントマイム・全員の踊り
 東海大四は、夜明け・全員の踊り
 だけど、この頃は前年度の埼玉栄もそうなのですが、ハープが加わっていない事の方が
 一般的でした。
 確か翌年の88年は「ダフニスとクロエ」が大流行し、この頃からハープが加えられるように
 なっていました。
 だから夜明けの部分は、木管だけで表現していたので結構大変だったと思います。
 東海大四の演奏は、気品と洗練さが漲った習志野の演奏とはかなり異なり、
 どちらかというと、一直線で無骨な演奏です。気品さとはかけ離れた演奏なのですが、
 そのスピード感や躍動感は逆に習志野にはなかったものです。
 夜明けの頂点の部分も、いかにも太陽がのぼってきたというようなイメージ全開の演奏で
 個人的には大変な感銘を受けました。
 習志野とは対照的なアプローチですが、とても素晴らしい演奏だったと思います。
 なぜこの演奏が銅賞なのか、正直いまだに理解できません。
 演奏者にはかなり気の毒な結果でした。

〇福岡工大付属

 このチームは1981年から84年にかけて4年連続金賞を受賞し
 民衆の祭りのためのコラール・春の猟犬・呪文とトッカータ・シャマリータ、いずれも最後の
 音の響きのffが強烈なのがこのチームの全盛期を象徴するものと思いますが、
 なぜか85年は支部大会で消えたのが残念でした。
 そのせいか前年の86年の演奏は(バーンスタインのディヴェルティメント)は正直冴えない演奏で、
 最後の和音の強烈なffもなく少し寂しく感じていました。
 この年の「カウボーイ」は前年度までの鬱憤をはらすような気持ちの良い豪快な演奏で
 特にホルンセクションの獅子奮迅の活躍には目を見張るものがありました。
 ホント、この年は金管が良く鳴っていました。
 だけど、冷静に聴いてみると色々と注文はしたくなるような演奏です。
 第一に曲自体がすごく単調なのです。
 主題はすごく印象的なのですが、曲自体に発展性が乏しく、正直最初から最後まで
 同じメロディーの繰り返しという印象なので、少し飽きがきてしまいます。
 音色・音量も終始ワンパターンでしたので、その意味でも少し変化に乏しい演奏だったのかも
 しれません。
 だけど技術的には大変難しい曲をも簡単そうに聴かせる辺りは大したものなのですけどね。
 第二に、金管群の素晴らしさに対比すると、木管セクションはかなり脆弱です。
 というか、中間部のクラリネットはリードミスのオンパレードなのが正直痛い所です。
 この年のこのチームは「カウボーイ」ばかり目立っていますが、実は課題曲の方が
 はるかに良い出来だったと思います。
 ハロー!サンシャインの中間部のユーフォニウムのソロの素晴らしさは全団体中No.1だったと
 思います。

〇山形南

 このチームを初めて聴いたのは、81年の東北大会でしたが、
 81年の二つの交響的断章、翌年の交響的断章は、本当に素晴らしい見事な演奏を
 聴かせてくれました。
 85年の「フェスティヴァル・ヴァリエーション」もかなり良い出来だったと思います。
 だから、1986年にこのチームがついに全国大会初出場を果たした時、
 「おー、ついにやったか!!」と期待感大で「タラス=ブーリバ」を聴いたのですが、
 見事なまでに期待を裏切られた、本当に本当に惨憺たるひどい演奏を聴かせてくれました・・・
 ホント、あれはひどい演奏でしたね。初出場という事を差し引いても、ありゃひどすぎましたね・・
 だからこのチームが前年に続いて全国に駒を進めても
 全く期待しないで聴いていました。
 印象としては「前年よりは相当の進歩」というか、これが本来の力という感じでした。
 自由曲は「ローマの松」でしたが、正直な感想としては、Ⅲのジャニコロの松は、ソロの
 クラリネットに歌って欲しかったし、部分的に弱いというか痛い部分もありました。
 だけどⅣのアッピア街道の松は、たっぷりと歌っていましたし、迫力もありました。
 この2年後に同じ男子高校の洛南が「ローマの松」を演奏するのですが、洛南は、
 全楽章を強引なカットを交えて展開し、冒頭部分はトロンボーン奏者がフルートに持ち替えるという
 「トンデモはったり演出」をかますなど、変化球の演奏でしたが、
 山形南は、変化球なしの「直球勝負」の演奏でした。
 全体的には、細かい点よりも「大らかさ」が特徴のいかにも昭和の頃の男子校という
 イメージの演奏だったと思います。
本日仕事の関係でさいたま市岩槻方面をほぼ一日廻っていました。

社有車が一台も空いていなくてもバイクで外を廻っていましたが、この時期のバイクでの移動は
本当に辛いものがあります・・・
昼食は大抵コンビニで済ませる事が多いのですが、暖かいお茶が
こうした寒い日では「救い」になりますね。というか一瞬の憩いの場という感じです。

帰り際、国道16号線沿いに、「古本屋」という看板が目につき
「フィギュア店内に大量に在庫あり」とか宣伝していましたので、思わず寄ってしまいました。
というか驚きましたね。
フィギュア関係が本当に様々なキャラクターのものが大量に陳列されていました。
だけど、ワンピース・けいおん・まどか・マギカ、僕は友達が少ない関連のフィギュアが
圧倒的に充実しているのに対して、プリキュア関連はほほ皆無でした・・・
唯一置いてあったのが、ハートキャッチの「ダークプリキュア」だけでしたので、
正直トホホ・・・という感じでした。

店内をよく見てみると、
「買い取り強化商品」というリストが壁中に貼られていましたが、
「ハートキャッチ」関連もその中に含まれていましたので、
やはりプリキュアシリーズでは、ハートキャッチの人気が根強いのでしょうね。
さすがマリンの人気は、フィギュアの世界でもそのままつながっているのですね。
マリン、恐るべし・・・

カード類を覗いてみると、さすがにプリキュア関連のカードは色々と置いていました。
自分自身カード関係の事は全然わからないのですが、
随分と値段に開きがあるものですね。
ブルームとかミントあたりだと一枚100円で売られているのに、
例えば、れいか+かれん、みゆき+なお、ピーチ+ハッピーなんかは一枚1000円というのも
ありました。
のぞみ、ドリームが一枚300円というのも、
少し低評価のような気もして、何だか「うーーーん」という
感じでした。

たまにこうした店を覗いてみるのも何だか楽しいものですね。
1987年というと、もう既に26年前の事なのですね。
ホント、月日の経つのは早いものです。
1987年というと、昭和62年。事実上昭和は63年で終わっているから、昭和の最期の輝きという
時代だったのだと思います。

「バブル」というと、平成初期の時代というイメージがありますが、実際にはこの1987年頃から
既に始まっていたのだと思います。
この時代は、日本も1985年のプラザ合意による円高不況を乗り越え、景気が大変良い時代であり、
世相も非常に安定していたと思います。
この頃、既に「土地の地上げ」が社会問題になりつつあり、「土地価格は永遠に上がり続ける」という
土地神話が生きていた時代であり、
土地という資産を持っている「ニューリッチ」と土地という資産を持たない「ニュープア」なんて
流行言葉が生まれていた時代でした。
確かに、この当時、土地という「担保」があれば銀行はいくらでもほぼ無条件で融資を
していましたし、一旦商品物件としての土地を銀行融資で購入しても、すぐに購入価格を
はるかに上回る金額で転売でき、まさに「左団扇」の時代だったと思います。
株もこの頃は、上昇気流一直線でしたからね・・・
でもこの年の夏ごろに「タテホ化学事件」というものがあり、当時の部長職程度の人が
会社の資金を財テクとして株に運用し、大損を出した事件がありました。
当時としては、「えー、何で?」という感覚でしたが、
その3~5年後には、それが「当たり前の光景」になるとは当時の人は誰も思っていなかったものでした・・

1987年は、現在のAKB48の前身とも言える「おニャン子クラブ」なるものがいて、
これが解散をした年でもありましたが、当時のプロデューサーが秋元康であり、今のAKBを見ると
何だか「歴史は繰り返す」というものなんだなーと
考えてしまいます。

当時の自分は、大学四年生でしたが、今の学生さんには本当に申し訳ないのですが、
この時代の就職は「楽」でした。
というか、就活の始まりは、大体7月頃で、当時はエントリーシートも何もなく
リクルート発行雑誌の資料請求の葉書を色々な企業に出していれば、企業側から勝手に
アプローチしてきて、いつの間にか、面接→内定という感じでしたので、
賞味三週間程度の就活でも、こんなボンクラ学生の自分でも、
伊藤園とかダイドードリンコとか伊藤ハムとか大塚商会とか内定は5社程度頂いていました・・・

ホント、最近の学生さんを見ていると、「あー、当時は楽だったなー。今の学生さんの
死に物狂いの活動から比べると、自分達の世代はその点は楽だったのだなー」と
思ってしまいます。
だけど、自分が入社した企業→地方銀行は、2001年に破綻してしまったのですから、
やはり「天罰」というものなのかもしれませんね。

1987年の全日本吹奏楽コンクールは、歴史的に見ても客観的に聴いても
非常にレベルの高い年だったと思います。
自分の個人的感想ですが、1980年の大会とほぼ肩を並べる程度の水準だったと
思います。
この年の課題曲E/マーチ「ハロー!サンシャイン」は短いながらも魅力的なマーチであり、
課題曲Aの風紋も、課題曲の中では名曲の部類に入ると思います。
だから、この年は課題曲はAとEに集中してしまい、Bの渚スコープは関東の4団体だけ
DとCは一団体だけという結果になってしまいます。

〇明徳義塾

 この年の五年後に、野球部が松井五連続敬遠という事で世間の大非難を浴びる事で
 名を上げた(?)学校ですが、
 吹奏楽部は、真正面から突撃する直球勝負のチームでした。
 というか、当時は既に珍しくなりつつあった「音量バリバリ」の演奏で、
 自由曲の「シンフォニアフェスティーヴァ」は、パートバランスという細かい事は抜きにして
 我も我も音量の最大化だけを目的にがなりたてている男気溢れる豪快な演奏を展開し、
 大いに笑わせて(楽しませて)もらいました。
 プログラム二番のこのチームと一番の東京朝鮮だけを聴くと、「なんてレベルの低い年」と
 誤解されてしまいますが、ひどい演奏は、プログラム一番と二番だけで、
 後は素晴らしい演奏が朝から続出する事となるのです。

〇習志野

 個人的には、この日最高の名演を聴かせてくれました。
 サウンド・音色が透き通り、美的限界を通り越したような演奏を展開しています。
 自分の一つの持論として、「サウンドとは何か? 楽しさも哀愁も強さも弱さも
 感動させる事も圧倒させる事も、まずは音色から生まれる」というものがありますが、
 このチームの美的限界を通り越した神がかり的に美しく洗練され透き通った輝かしい音色から
 「感動」を生んでいると思います。
 ブレーン社から出ている習志野高校の吹奏楽コンクールの演奏を聴くと、この年の
 恐ろしいぐらいのレベルの高さを感じ取って貰えると思います。
 課題曲B「渚スコープ」は、薄い出だしから始まり、特に盛り上がりもなく淡々とした曲なのですが、
 何となく「夏の暑い日の思い出を遠い未来から振り返る」というようなストーリーを
 見事に描いていたと思います。
 自由曲のダフクロで、パントマイムからスタートさせたのは、この年の習志野が最初だったと
 思います。
 フルートソロも申し分のない演奏でしたし、やはりどこまでいっても透き通るような透明感溢れる
 サウンドに本当に魅了されてしまいました。

 ホント、これ高校生の演奏なのでしょうか?
いよいよ「スマイルプリキュア」の大団円が近づいてきました。
こんな可愛い「キュアハッピー」ともあと一回でお別れかと思うと
少し残念な感じもします・・・・




だけど、あと一ヶ月もしないうちに、どーせ、
「キュアハートが可愛い」だの「キュアソードとは何者・・・?」と言うのは
目に見えていますし、毎年の恒例なのでそんなに気にもしていません。
というか、オールスターもありますからね。
それよりも、今日は休みなので近くのマルエツに買い物に行ったら
(マルエツもマルエツカードがいつの間にか廃止となり、今後Tカードに変更になるとの事でした。
 Tカードは最近色々な所で提携しているので、ファミリーマート・ウェルシアでも結構ポイントが
 貯まるのに、また便利になりそうです)
マルエツの2階がトイザラスなので、眺めに行ったら
何と、1/20~24の期間限定で、スマイルプリキュア関連商品がオール30%割引セールを
やっていました。
うーーん、さすが商魂たくましいというか、新しいプリキュアが始まるまでに
現役プリキュアの在庫を減らしたいというのでしょうね・・・

1/20のスマイルプリキュアは、ボスキャラ・ピエーロ登場でしたが、
何か思いのほか弱かった・・というのが正直な感想です。
1/6の対三幹部 1/13の対バットエンドプリキュアだけで自分としては大満足で
お腹一杯状態ですので、対ピエーロ戦は、消化試合という感じかな・・・?
当初の勝手な予想では、
スプラッシュスターの時と同じように、
アクダイカーンはただのお飾り、真の敵は、側用人的役割だったゴーヤーンみたいに、
ピエーロは単なる張子の虎で、真の敵はジョーカーと思っていただけに
まともな直球勝負の展開に少々面食らった印象もあります。

ハートキャッチ以降は、最終回は最終決戦モードというよりも、その後のエピソードを綴る場面が
多いような感じもしますので、
今回も、近年のそうした傾向を踏襲するのかな・・・?

それから考えると、初代~スプラッシュスターの最終決戦は、結構放送終了ギリギリまで
戦闘を展開しいてたという印象が強いです。
特に、スプラッシュスターは、最後の最後まで迫力ある戦闘モードでしたので、
その後のエピソードは、確かエンディングテーマのバックにて、スライド式に流していましたからね。
セリフはなかったけど、卒業後に母校観戦に訪れた泉田先輩が何か存在感がありました・・・

二代目以降のプリキュアは、サザエさんみたいに進級も卒業もしません。
二年続いたプリキュア5ですら、学年はそのまんまです。
(当初は、かれんとこまちを卒業させて、新メンバー2人を招こうという意見もあったそうですが、
 プリキュア5は、のぞみ・りん・うらら・こまち・かれんでプリキュア5という意見の方が強く
 そのままのメンバーになったそうです。うん、それは大正解だと思います)

だけど初代プリキュアだけは唯一進級&卒業したプリキュアなのです。
初代の無印は、最終決戦前の緊迫感・悲壮感は相当なものがありました。
クラスでの合唱コンクールが終わった後からのシリアスな戦闘モードは、現在のプリキュアとは
少し違う雰囲気はあったと思います。
スマイルの女王様は、既にお亡くなりになっているようですが、
初代プリキュアのクイーンは、エライですよね。
だって、なぎさ・ほのか達は二年間で計三度ジャアクキングと戦っていますが、いずれの戦いにも
クイーンも戦闘に加わっていますし、なぎさ達に手を差し伸べています。
無印の最終決戦は、意外でしたが、ボルンという伏兵が大活躍という展開になり、
びっくりしたものですが、
とにかくあの迫力は相当なものがありました。
この戦闘の後、なぎほのは三年生になり進級しています。
MHでも、最終決戦も大変な迫力がありましたが、無印と異なり、この時には、ひかりという
癒しの人がいましたので、それ程悲壮感はなく、見やすかったと思います。
MHは、最終的には、美味しい所は「シャイニールミナス」が持って行ったなーという感じの
最終決戦でした。
だけど、MHは、エンディングテーマが「ワンダー、ウィンター、ヤッター」に変わってから
最終決戦に至る辺りの話の完成度の高さ、ストーリーの面白さは
素晴らしいものがあります。
特にラクロス決勝戦と藤Pとのスケートの回は、抜群の面白さがありました。

MHは、最終決戦後のエピソードは、なぎほのの卒業式で締めくくられています。

こうして振り返ってみると、プリキュアの中で唯一高校生になれたのは、なぎほのの二人だけなのですね。
(現役女子高生のゆりさんは除きます・・・)
芥川也寸志さんの「交響管弦楽のための音楽」は、少し思い出のある音楽です。

以前書いた事がありますが、高校時代は、部員不足に悩む二つの男子高校が毎年
合同で吹奏楽の定期演奏会を開催し、自分が高校三年の時の最期の定期演奏会において、
芥川さんの「交響管弦楽のための音楽」を演奏した事があります。

勿論、原曲はあくまでオケですので、吹奏楽用にアレンジした楽譜を使用していました。
(宮城県内のある吹奏楽団から楽譜の貸借を受けていました)
確か、著作権協会か日本音楽連盟か団体名は記憶にありませんが、演奏許可について
確認した所、所定の著作権料を支払い、作曲者本人の了解を得られれば演奏可との内容で
確か回答を得たと思います。
確かその流れで、芥川也寸志氏に電話連絡をする事になったのだと思います。
その辺りの経緯は忘れちゃったな・・・年ですね・・・
ちなみに当時は、私は一方の高校の吹奏楽部の「部長」でした・・・
(雇われマダムみたいな存在でしたが・・・)

でも芥川先生は、本当に謙虚で温厚な方でした。
音楽の専門校でもなんでもなく、田舎の高校生がこの曲を演奏する事に対して、
何も言わないで、暖かく了承して頂けました。
確か、恐る恐る「この曲を演奏するにあたって何か注意点はありますか?」と質問しても
「この曲は、当時の朝鮮動乱を背景にしてあるので、その辺りを吟味して演奏してみては
いかがでしょうか」とアドバイスも頂きました。

この当時芥川氏は、確か時期宮城フィル(後の仙台フィル)の音楽監督に内定し、
宮城県内の高校生からの要望を無下に断れないという事情があったのかもしれませんが、
芥川先生の暖かいアドバイスには、当時本当に心を打たれたものでした。

でもこの「交響管弦楽のための音楽」は、中々面白い曲ですよ。
対照的な二つの楽章によって構成されています。
第一楽章は、少しおとせろおとらろしい感じがするゆったりとした楽章で、
第二楽章は対照的に生き生きとした躍動的な音楽です。
第二楽章は、シンバルのジャーンというソロの後にトロンボーン三本によるファンファーレから
開始され、金管楽器を中心に大変豪快に鳴り響きます。
吹奏楽のアレンジ版で、第一楽章の冒頭は、クラリネットのセカンド・サード、フルート、マリンバ
だけの薄い「タ・タ・タ・タ・タ」というリズムの刻みで始まるのですが、
薄い部分だけに、本番でも相当の緊張感を持って臨んでいたのが、
今でも印象的です。
第二楽章は、スネアドラムのリズムと金管の華麗な響きは、やはり演奏する方も
スカッとするものです。

この曲の演奏は、CDでも色々と出ていますが、
自作自演の新交響楽団による演奏が一番すっきりします。

吹奏楽では、意外かもしれませんが、ほとんど演奏されません。
自分が知る限りでも、
81年の舟入高校と94年の駒澤大学くらいです。
確か全国大会では一度も演奏されていないのじゃないのかな・・・?

94年の駒澤大学は都大会で金賞を受賞し、全国大会代表となったのですが、
理由は不明ですが、全国大会は「辞退」という事となり、
この曲の全国大会での初演は幻となったのでした・・・
ホント、残念。
最近でもコンクールの小編成の部でも、バーンズのこの不滅の名序曲を聴くこともあり
嬉しく思います。

この曲は、本当に楽しく躍動感があり、実に分り易く親しみやすい曲ですよね。

このアルヴァマー序曲が演奏されるようになったのは1982年ですが、
この年は丁度自分が高校二年の時であり、この年から翌年は県大会辺りでも色々な団体が
この序曲を演奏していました。
以前、自分達の高校は部員が少ないため、仙台市内の別の学校と合同定期演奏会を開催していたと
書きましたが、その学校もコンクールの自由曲にこの曲を選曲し、
県大会金賞を受賞していました。

この年に、スゥェアリンジェンのインヴィクタ序曲とかリードの春の猟犬が
コンクールデビューを果たしています。
でもこの頃コンクール等で演奏され始めたこれらの吹奏楽オリジナル曲が
今日でも演奏されている事は、本当にうれしい事であり、
やはり名曲というものは、多少の年月が経過しても色褪せないで
受け継がれていくものなのだなーと実感します。

かなり昔の話になりますが、確か1996年~97年頃に、
雛形あき子主演のドラマで
(スポ根ドラマで、確かマラソンを題材にしていたかな・・・?
 主人公の女の子は実は男だっという大どんでん返しのトンデモドラマでしたが・・・)
主人公たちが走っている時のBGMで、このアルヴァマー序曲が流されていて
驚いた記憶があります。

吹奏楽の序曲にも色々ありますが、やはりこうした単純明快な A-B-Aの形式で
中間部が美しく、終結部が盛り上がって終わる曲は、
スカッとして気持ちは良いものです。

バーンズという作曲家は、日本においては、1982年のこの序曲を持って認知され始めたという
所なのでしょう。
同年に「呪文とトッカータ」というこれまた素晴らしい曲で、大いに当時の聴衆を魅了しています。
というか、いつの間にか「呪文とトッカータ」というタイトルが「祈りとトッカータ」に変更に
なっていますが、なぜ表記名が変わったのでしょうかね・・・?
習志野高校は、吹奏楽の名門校で、自由曲はほとんどアレンジもので出ていますが、
1982年は、なんとこの「呪文とトッカータ」というオリジナル曲で臨んでいます。
これは、今となっては信じられない事かもしれませんがね・・・
だけど、正直演奏は粗い・・・
「洗練」が売りの習志野とは思えないほどの豪快で強引なドライヴです。
習志野は、1984年にも邦人オリジナルの詩曲「地底」を選曲していますが、この頃は
随分サウンドも落ち着きを帯びています。
だけど「呪文とトッカータ」の名演は、やはり1983年の福岡工大付属に尽きると思います。

バーンズは、他にもペーガンダンスとかパガニーニの主題による幻想変奏曲とか
色々素晴らしい曲を残していますが、個人的には
交響曲第二番が大好きです。
よく交響曲第三番の方が抒情性やドラマがある分秀でているという評価を受けていますが、
(事実、第三番はバーンズの子供の死という悲劇とそれを乗り越えたドラマがあるみたいですが・・)
私は、無限のエネルギーを秘めている第二番の方が好きです。
第二楽章「中断された変奏曲」のオーボエのつぶやくようなソロもいいですし、第一楽章冒頭の
中東のアラブの音楽みたいな雰囲気もいいですが、第三楽章の「とてつもない荒々しいエネルギー」
には適わないと思います。

バーンズは依然東京佼成の客演指揮を務め、自作自演の演奏会もしていましたので、
またもう一度見てみたいですよね。
先日、テレビ埼玉の「フレッシュプリキュア」の再放送が最終回を迎えました。

やはり面白かった!!

最終回近くのキュアピーチは「エンジェルピーチ」に変容しましたが、
まさに「女神降臨」という印象です。
キュアドリームの映画版で「シャイニングドリーム」に変容し、こちらも「女神」と言いたい所ですが、
あのエンジェルピーチの神々しさには適いませんね・・・
さすがに、歴代プリキュアの中では美人プリキュアNo.1と個人的に思っているピーチです。

だけどしつこいようですが、個人的に一番好きなプリキュアは、ドリームですけどね・・
(その次は、ハッピーかアクアさんかビューティさんあたりかな・・?)

最終決戦仕様というと、ハートキャッチのブロッサムもマリンも
スイートのメロディも、羽の生えた白いプリキュアに変容していますが、
うーーーーん、やはりエンジェルピーチの素晴らしさには足元にも及ばないという
所です・・・

「フレッシュ」を改めて見てみると、やはりこのシリーズの影の主人公は、パッションなんなのだと
感じます。
一度悪事に手を染めて改心したものの、その過去の償いにどうやって決着をつけるのか・・・
そうした元・悪い子達も幸せになっても良いのか・・・
周囲は、どのように接していけば良いのか
等の見方によっては「重たい課題」に対して、
「そんなの簡単じゃん、皆が幸せになればそれでいいじゃない」と明快且つ前向きな回答を
提示したのが、このフレッシュの物語ではなかったのかなーとも
感じます。

さて、テレビ埼玉の「フレッシュ」の後継番組は、まさかと思っていましたが、
「ハートキャッチプリキュア」でした。

これで毎週またまたつぼみやうざ可愛いえりかを毎週見られるかと思うと、
それだけでハッピーな気分になれそうです。





3年前にこのハートキャッチを最初に見た時は、正直ぶったまげました・・・
前作の大人のプリキュアに対して、その子供っぽいタッチに当初は面食らったものの
すぐに慣れてしまいました。
先日、プリキュアオールスター ニューステージ2の告知を見た際、
キュアピースやマリンは、小学生のキュアミューズよりもはるかに子供っぽいという事に
気が付き、改めて驚いたものです。

改めてハートキャッチを見てみると、改めて色々感じる事もあるかと思いますが、
それもまた楽しみです。

関係ありませんが、何となく美翔舞の髪型は、サソリーナに似てなくもない・・・
ような気が・・・?
最近、ロバート=ジェイガーの曲ってあんまり演奏されないような気がします。

自分達が中学生~大学生の頃は、「シンフォニア・ノビリッシマ」という
ジェイガー夫妻の婚約記念を祝祭した抒情性豊かでハッピーな曲がよーく、
コンクールやコンサートで取り上げられたものですが、
最近は、とんと聴かなくなりましたね・・・
何か少々寂しいものはあります。
確かジェイガー作曲の曲が全国大会の自由曲で取り上げられたのは、
1991年の福井大学の「ヒロイック・サガ」が最後なのかも・・・

ジェイガーの曲って、例えば第二組曲・第三組曲といった古典的な王道を行く作品もありますし、
「黙示録」みたいに、リズム感重視で比較的耳をつんざくような響きの曲もありますし、
「タブロウ」みたいにわけのわからん曲もあったりして、結構楽しいです。
個人的には、多分知る人ぞ知るという範疇なのかもしれませんが、
「ダイヤモンド変奏曲」が大好きです。
この曲、意外と奥が深いというか、主題→テーマ変奏→反復→変奏という風に曲が進展していき
決して派手な響きの曲ではないのですが、
「地味ながら心にしみる」曲という感じです。
低音から始まる序奏とか、タッタカタッタカという感じに駆け上がっていく終わり方は
結構好きです。
確か、1975年前後に、北海道代表の高校が、この曲を自由曲として
取り上げています。
留萌高校だったかな・・・函館中部だったかな・・・?

でもジェイガーというとやはり「吹奏楽のための交響曲」が一番素敵な曲なのかな・・・

この曲はずっとこのタイトルで呼ばれていましたが、
交響曲第二番「三法印」という曲が発表されてからは、
交響曲第一番と表記される事もありました。
だけど第二番は全然いい曲ではないし、演奏機会もほとんどないので、やはりジェイガーの交響曲は
この曲で決まりなのでしょう。

古い演奏なのですが、1973年の瑞穂青少年吹奏楽団の演奏が一番好きです。
他にも1970年の天理とか、少し荒っぽいけど1984年の東邦とか色々演奏はされていますが、
やはり瑞穂の推進力にはかなわないと思います。

でもジェイガーの「吹奏楽のための交響曲」はコンクール史上である意味画期的な要素が
あります。
何かというと、実は全楽章、全国での自由曲として取り上げられています。

第一楽章は、1980年に北海道教育大大学函館分校が・・
第二・第三楽章は、確か70年代に中国代表の一般の部が・・
そしてフィナーレは色々な団体が取り上げています。
この曲は、第二楽章がスケルツォ 第三楽章が抒情楽章という位置づけなのですが、
そのチームは、第三楽章・第二楽章という順序でコンクールで演奏しています。

これって結構珍しい事なのかなーと思います。

そうそう、確か中国の一般の部つて確か舟入吹奏楽団ではなかったかな・・・?

でもジェイガーのこのシンフォニーもよーく聴いてみると「循環形式」なのですよね。
第一楽章冒頭のテーマが第四楽章で見事に再現されていますし、
このフィナーレのキビキビと小気味よく進むテンポ感や躍動感はホントいいですね。

現在では吹奏楽のための交響曲というジャンルは全然珍しくないのですが、
吹奏楽におけるこのジャンルでのパイオニアは、
ジェイガーのこの曲とか、フォーシェの「交響曲変ロ長調」なのかもしれませんよね。

やはり偉大な名曲だなーとつくづく感じてしまいます。
現在ローソンで、プリキュアのスタンプラリーを展開していますが、あのスタンプの
対象プリキュアは、次回プリキュアである「ドキドキ」のメンバー3人と、歴代プリキュアの中の
いわゆる「ブラック家族」というか、ピンク系プリキュアだけなのですね。

おかげさまで最近やっと一枚無事にシールとの交換が終わりましたが、
集まったスタンプは、ハッピー・ブロッサム・ハート・メロディの最近のプリキュアだけでして、
ドリームとかブルームは、今の所、これが対象となっている
ローソンにお目にかかっていませんので、
まだ集まっておりません。

スタンプラリーも確か2月初めには終了してしまいますので、せめて「ドリーム」だけは
集めたいなーと思っています。

でも今度のプリキュアなのですが、まだ実際に4人で動いている姿をお目にかけた訳では
ありませんので何とも言えませんが、
正直、ブルーのダイヤモンドとパープルのソードがあまりにも似ているように
感じるので、まだ区別がつかない感じです。
ソードは、比較的クールな謎のプリキュア、しかも妖精がプリキュアに変容したと
聞くと、何だかどうしても「ミルキーローズ」を思い出してしまいます・・・

うーーーん、ミルキーローズだけは正直苦手なんですよねー。

やはりあの正体が「ミルク」という点がいまだにひっかかっているせいなのかな・・

うーーーん、でもミルクの初期の頃の印象の悪さと、何かと私の愛する「のぞみ」に
突っかかるあの性格の悪さが何か引っかかるのですよね。

ミルキーローズの正体がミルクでなければ、正直特段好きでも苦手でもないプリキュアと言う
位置づけになるのですが、
やはりどうしてもね・・・・

うちの妻は、なぜかミルキーローズが一番好きと言います。
その次がパッション、その次がビートとか言っていますので、
あちの奥さまは、プリキュアの中でも「外様系」が好きなのでしょうね・・・

私は、断然、ドリームとハッピー、アクアさんとビューティさん、マリンが
特に大好きですけどね。
ま、ミルキーローズ以外は皆好きなのですけど・・・
秋に全日本吹奏楽コンクールが終わると、しばらくはコンクールの季節から
遠ざかる事となるのでしょうが、
実は「アンサンブルコンテスト」というものもあります。
フルート四重奏とか金管八重奏とか色々と編成はあるかと思いますが、
一度だけ、このアンサンブルコンテストに出場したことがあります。

といっても今にして思うとかなりの変則編成でした・・・
「木管五重奏」と銘打ってはいますが、
フルート1 クラリネット3 バスクラ1という相当変な編成でした。

しかも選曲した曲は、あの超有名なバッフェルベルの「カノン」・・・
これを自分達生徒だけで勝手にアレンジし、
コンサートに臨んだわけですから、
無知とはある意味恐ろしいものですね・・・

結果は地区大会銅賞という散々なものでしたが、
何か妙に印象に残っています。
丁度真冬のこの頃が、そのコンテストの大会でしたので、
「寒い」というと、
何か、妙に「このさむーーい思い出」が頭をかすめる時があります。

でもこの銅賞メンバーの一人は、この3年後に
大学の部のアンサンブルコンテストにて、何と全国大会に出場し銀賞を得ていますので
やはり「選曲ミス」という感じなのかもしれませんよね・・・

何とも「トホホ」な話です。
今年の景気はどうなるのでしょうか?

確かに新年早々比較的景気の良い話は聞こえてきます。

だけど、現状の景気回復政策というのは、新たに国家として債務を増やし、一時的に
景気促進のカンフル剤を注入するに過ぎないのですよね。
確かに短期的には一瞬景気が良くなったような幻想が起きる可能性は濃厚なのですが、
それがいつまで持続するかというと、かなり懐疑的な結論を下さないと
いけないのかもしれません。
その結果、国家としての借金だけが増額し、
国としての信用低下→金利上昇→新たな国債の発行が出来ない→国家破綻という
最悪の結果を招く「序奏」にもなりかねません。

その点を非常に危惧しています。

世界的には「グローバル化」というのがスタンダートとなっていますが、
これについても少々懐疑的です。
「世界の工場」がやれ中国だ、インドネシアだ、ベトナムだ、ミャンマーだと最近色々と
生産拠点移転だのの話が出ていますが、
これって結局はいずれは「生産過剰→在庫過多→モノが売れなくなる→不景気」の連鎖に
なっていくのではないのでしょうか?
又、現在だけの人件費の安さだけで生産拠点を海外に移転したとしても、
いずれ人件費の向上がはじまり、移転のメリットが薄れていくのは、これまでの歴史の流れから
みても、それは当然の事だと思うのです。

思うのですが、なぜもう少し「日本国内」に目を向けないのでしょうか?

日本国内だけで、問題が解決できる方策というのは、見方を少し変えるだけで
色々とあると思うのです。
それについても今後順次問題提示→解決の方策提示をしていきたいなーと
思っています。
ホルストもヴォーン=ウィリアムスも20世紀を代表するイギリスの作曲家です。

両者共に吹奏楽とは並々ならぬ関係を持っている面もあります。

ホルストは、吹奏楽オリジナル曲として、第一組曲・第二組曲・ハンマースミス・
ムーアサイド組曲・サマーセット狂詩曲などを残していますし、
ヴォーン=ウィリアムズもトッカータ=マルチィアーレなどの小品も残しています。

ヴォーン=ウィリアムズの可愛らしい組曲として、「イギリス民謡組曲」という愛すべき
小品があります。
この曲は、原曲を生で聴いた事は一度もありませんが、作曲家自身が吹奏楽用に
アレンジした版は何度かコンクール等で聴いた事があります。

第一曲 行進曲「今度の日曜日で私は17才」
第二曲 間奏曲「私の素敵な人」
第三曲 行進曲「サマーセットからの歌」

全体的に生き生きとした可愛らしい小品なのですが、民謡をベースにしてあるせいか
何だかとても「懐かしい」という香りもします。
特に第二曲の後半からのしみじみとしたメロディーは少し泣けてくる感じもします。
第三曲のマーチも本当に気品さと愛くるしい感じがマッチしていて
素晴らしいと思います。

ホルストとヴォーン=ウィリアムズは友人関係だったという事ですが、
そのせいなのかわかりませんが、
イギリス民謡組曲の第三曲「サマーセットからの歌」のメロディーが
ホルストの「サマーセット狂詩曲」にも使用されていたりします。
ま、これは民謡をベースにしているのだから、どちらかがどちらかの作風に
影響を与えたとか、主題を拝借したという訳ではないのですが、
何となく両者の親交振りが垣間見えるような気もします。

ところで、ヴォーン=ウィリアムズって作曲家は
若い頃は、ラヴェルにも師事したことがあるそうですね。
これは少々意外でした。
だって作風が全く異なる人同士ですし・・・
事実ラヴェル自身、ヴォーン=ウィリアムズを評して
「自分の弟子の中で唯一自分の作風の影響を受けなかった人」としていますが、
これはまさに「そのまんまやねん・・・」という感じですね。
最もヴォーン=ウィリアムス自身は、「ラヴェルのように書きたくとも、そんなセンスも才能も
無かった・・・」と「トホホ」なコメントを残していますが・・・

結果的に後日ヴォーン=ウィリアムズは、自分の生きる道として「民謡」をテーマに
していますが、これは正解だったと思いますし、その選択こそが
ヴォーン=ウィリアムスを後世に残る作曲家としたのでしょうね。

この作曲家の交響曲は、正直あまり演奏会では聴いた事がないのですが、
交響曲第一番「海の交響曲」は日本フィルで聴いた事があります。
出だしの合唱のインパクトが強すぎて、後の展開は正直あまり印象にないです。
個人的には、晩年の作品となりますが、南極交響曲の次の
交響曲第8番が、分り易さとパズルを解くような感覚が混ざったような感覚の曲であり
結構好きです。

ホルストといえば、組曲「惑星」でほぼ決まりなのですが、
この惑星のオケでの名演は色々と聴いていますが、
都響/小泉和裕さんの1985年の東京文化会館での演奏が印象的でした。
ホルストといえば、この組曲「惑星」を作曲している頃に
知る人ぞ知る「日本組曲」という珍曲を作曲しています。
ホルストは、日本とは全然縁も縁もない人なのですが、日本民謡を誰に教えてもらったのかは
わかりませんが、
「ぼーや、よいこだねんねしな」というフレーズをまさにそのまんま、特にアレンジすることも
変奏する事もなく、ただ流している曲調が
何となく笑ってしまうし、正直不気味です・・・

あれは一体何なのだろう・・・?
ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」は、かつて高校一年の時の
コンクール自由曲で、この曲の構成美について以前書いた事があります。
実際この曲は、あまりにもスタンダートすぎるのか、シンプルゆえに難しいのか
支部大会以上のコンクールではあまり聴いた事がありません。
記憶に残っている限りでは、1990年の関東大会・中学の部の甲府南西中学校くらい
なのかな・・・
評価は銅賞でしたけど、私は好きな演奏です。実に中学生らしい素直で伸び伸びとした演奏
でしたし、第一曲・シャコンヌの盛り上げ方が実に自然で良かったと思います。
プロの演奏では何度か聴いた事がありますが、
やはりフェネル指揮の東京佼成のオーチャードホールでの1991年の演奏が
抜群に素晴らしい演奏で、本当に良く印象に残っています。
シャコンヌの盛り上がり方も感動的でしたし、なぜかクラリネットセクションも一部
ベルアップしていたのが印象的です。
マーチも自然な流れで感銘を受けました。

ホルストには、「吹奏楽のための第二組曲」というこれまた素敵な曲もあります。
(第一組曲ほどスタンダードさはないかな・・)
第一組曲が三楽章構成でしたが、第二組曲は四楽章構成で、第一楽章がマーチから
開始されます。
個人的には、第三楽章の「鍛冶屋の歌」が好きです。
途中打楽器奏者による鍛冶屋がコーンコーンと熱い鉄を叩く音がグロッケンによって
模写されていますが、この辺りは単純だけど面白さは感じます。
第四楽章の「ダーガソンによる幻想曲」も単純な一つのメロディーが延々と繰り返される曲
なのですけど、これが素朴で実に楽しい曲です。
この「ダーガソンによる幻想曲」は、後日ホルスト自身によって管弦楽化され、
「セントポール組曲」の終楽章が、まさにこの曲です。
吹奏楽も管弦楽版もとぢらも素晴らしいけど、管弦楽版はどちらかというと室内楽に近い響きですし、
少し上品すぎる感じもしなくはないので、
個人的には吹奏楽版の方がいいと思います。

ホルストの第二組曲を自由曲にして、何と全国大会まで駒を進めたチームもかつて
ありました。
1994年の中村学園ウインドアンサンブル(前身は中村学園OB吹奏楽団だったかな・・?)が
そうです。
94年は、課題曲が異常に長いものばかりでしたので、課題曲に「雲のコラージュ」を選んだ
このチームの自由曲は、
このホルストの第二組曲の中から、Ⅲ・鍛冶屋の歌 Ⅰ・マーチという選曲で
臨んでいました。
感想としては、正直特にないけど「短すぎ・・・フィナーレは、ダーガソンの方が
良かったかも・・」という感じです。
中村は、83年にも、吹奏楽オリジナルの正統派・王道ともいえる
ヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」で全国にも出ていますが、
この年は、課題曲がカドリーユという事もあり、長めに自由曲を取れたせいか、
イギリス民謡組曲も第一・第三楽章はほぼノーカット、第二楽章も楽章の途中からの演奏となりますが、
取り上げる事ができ、良かったかなーと思います。

83年の方は分りませんが、94年の演奏には、確か男性奏者もいたと思います。
確か中村学園は女子高校だったと思いますが、大学は共学なのかな・・・?

だけど、たまーには、
ホルストの第一・第二組曲
ヴォーン=ウィリアムズのイギリス民謡組曲
ウォルトンのグランドマーチ「クラウンインペリアル」みたいな正統派の曲、特にマーチを聴いて
ココロを生き生きとさせたいものです。

雪の思い出

本日は、さいたま市内~川口市内も大体5~7cm程度の積雪で
色々と大変だったと思います。
第一、京浜東北線も埼京線も武蔵野線も皆止まってしまいましたからね・・・

本日は仕事のある日でしたので一応出勤はしていませんでしたけど、
朝の気温や雲行から判断して
「あ、間違いなく雪が積もり、上から仕事切り上げ→帰宅の指示が出るな」と確信していたら
案の定そうした結果となりました。
だけど、電車が全て止まっていましたので、帰るに帰れずでいたら
幸い午後4時半過ぎにやっと電車が動き出しましたので、何とか家には戻れました。

私自身は元々東北生まれ・東北育ちですので、正直雪道には免疫があります。
だから、周辺で雪道で転倒する人を見ると、
「あ、慣れていないのだなー」と感じてしまいます。
自分自身は、中学・高校時代は自転車通学で、他に通学方法がないのでたとえ雪が20cm程度
積もったとしても、結構平気で自転車に乗って、雪とわだちをかきわれかきわけ通学していましたからね。

何か雪を見ると、そうした中学・高校の頃を思い出します。
部活の帰りに、たい焼きや大判焼きを買い食いしたり、自動販売機のカップラーメンをすすったりして
温まったものです。
というか、当時は今ほどコンビニも普及しておらず、仙台市内では
せいぜい「サンチェーン」というコンビニがある位でした・・・
セブンイレブンは仙台周辺でも数点程度だつたのかな・・
そういえば、「サンチェーン」ってコンビニはどこに統合されたのでしょう・・?
忘れてしまったな・・・

高校三年の時に大学受験の時に上京し、昔の東京オリンピックの選手村でもあった
代々木にある「受験生村」という所に、5人程度の相部屋でしたけど
受験の一週間前後はここに寝泊まりしていました。
その最終日に、総武線の水道橋にある大学を受験した際、たまたまその日の東京は
歴史的な大雪の日で、結構受験生村は早く出たものの、
市ヶ谷~飯田橋付近で電車が止まってしまい、水道橋に着いたのは受験開始の結構ギリギリ
だったという苦い思い出もあります。
駅から会場まで結構ダッシュし、試験開始時の時でから
息がゼーゼーでしたので、試験は散々な出来だったようにも思えます。

だけど、結果的にここの学校しか合格しなかったので、
この学校に四年間お世話になるのですけどね・・
だから、結果的には「懐かしい思い出」です。
本日の「スマイルプリキュア」は、いよいよ最終決戦モードに本格的突入という感じです。

えっ、というか、いきなり急展開・・・
キャンディーがロイヤルクイーンの娘? ロイヤルクイーンは既に死亡?
本当に「えっ!?」という展開でした。
という事は、ホップは、ロイヤルクイーンの息子さんって事かな・・・?

ま、それは正直どうでもいいのですけど、やはり「バッドエナジープリキュア」ですね。
マジで、プリキュア5の映画の「ダークプリキュア5」の再現かと
思ったほどでした。

バットエナジーピースは、やはり本家同様に「あざとい」のが、全体的にシリアスモードの中で
唯一笑かしてくれる場面でしたね。
プリキュア5の場合、ダークドリームが一番印象的でしたし、事実いまだに高い人気を誇っているようにも
思えます。
正直、ダークルージュ・ダークレモネード・ダークアクアはそれ程印象が強いとは
思えません。
ダークレモネードは、まさに声が釘宮理恵していたのは妙に印象的でしたけど・・・
そんな中、ダークミントが突出して悪役振りを発揮していたのは極めて印象的です。
「キュアミント」は安らぎのプリキュアですし、元々おっとりしている優しいお姉さんなのですが、
「ダークミント」の性格の悪さはかなり際立っていたと思います。
でもミント自体、よーく見てみるとたまに「何気ない顔をして悪意が垣間見える部分」も決して
なくはないので(?)
案外ダークミント自体、キュアミントのオマージュなのかもしれませんよね。
映画の中では、かれんさんが「過去の自分に対する反省」をしみじみと語っていらっしゃっていたのは
何か印象的です。
(本編ではそうしたシーンが少ないだけに・・・)

スマイルの「バットエナジープリキュア」の中では、緑系のミント同様に
緑系の「バットエナジー・マーチ」が一番悪役というか、凶暴だったのは
まさに歴史は繰り返すという事なのかもしれません。

中の人つながりの話なのかもしれませんが、
ダークドリームの中の人が、現在こうやって「正規のプリキュア」となっているのは
何か因縁を感じずにはいられません。
何だか、
「のぞみー、私も本物のプリキュアになれたよー」とかいって
ドリームに抱き着くキュアビューティさんを妄想してしまいます。

世間では三連休ですが、本日も仕事です。
土日は社用車を使える事が多いので、本日も車を使用してのお客様廻りです。
だけど、今週の水~金のように、本当に寒い時はバイクでの移動で、
本日のようにかなり暖かい日に車とは少々皮肉なものを感じます。

車内はラジオを付けることが多いのですが、比較的TBSを聞くことが多いです。
土曜日のPM15:00からの「パカパカ行進曲」は聴衆者からのバカエピソードを2時間近く
披露する内容なのですが、これが毎回実にバカバカしくて面白い!!
結構昔から、この番組が好きで聞くことが多いです。
やはり素人からのネタは、思いがけない展開が多く、毎回大爆笑です・・

本日の番組での最初のバカ話は、「プリキュア」という単語がいきなり出てきましたので
結構食いついてしまいました。
内容は、娘さんがプリキュアのファンとかで、ある時ゲームセンターにて
プリキュアの可愛いフィギュアがあったので、娘さんの為に張り切ってUFOキャッチャーにて
そのプリキュアフィギュアをゲット出来るように頑張ったものの、中々うまくいかず
所持金を使い果たし、カバンの中にあったポチ袋の中にあったお金を使ってようやくゲットしたものの、
そのお金は、その娘さんのお年玉として用意しておいたもので、それを使い果たし、奥さんや娘さんに
泣きつかれた・・・というネタでした。

でも、その気持ちはよく分りますね。

その投稿者は娘さんのためでしょうけど、
自分自身は、まさしく「自分」のためでしたからね。

UFOキャッチャーでのプリキュアフィギュアは、皆非売品です。
だけど相当完成度は高く出来もいいので、自分自身も結構これをゲットするのには
大変でした。
ヤフーオークションの相場では一体1500~2000円が相場のようですが、最初から
オークションで入手した方が良かったのでは・・・?と思う時も
あります。

だけど、「スマイル」のフィギュアシリーズの中では
ハッピーとビューティさんの完成度が特に高いと思います。
ハッピーはバンダイ以上に可愛いですし、
ビューティさんは、文字通り「マジ、ビューティ」です。




ピースとマーチもゲット出来ましたけど、
サニーだけまだ入手できていません。

サニーのヤフーオークションは、先日除いてみたら3000円の価格が付いていました。

でも間もなく「ドキドキ」が始まるので、今度はそっちのグッズで
又いろいろと大変になりそうなのかな・・・?
自分の現在の仕事は、住宅・建築関係のクレーム処理係みたいな側面が強い感じです。
だけど、営業的側面の仕事や企画開発みたいな事もやっていますし、
場合によってはちらし配布をやる事もあります。
それ程大きな会社ではありませんし、いわゆるベンチャー企業みたいなものですので、
社員一人一人が何でもやるみたいな感じです。

よく「住宅地図」だけを頼りに行く事も多いのですが、
(社用車にいまだにナビが付いていません・・・)
土地勘のある所ならいいものの、全然聞いた事もない地名ですと、そこへ行くのも
一苦労という事も多々あります。

先日も「東大宮」という地名を聞いて、
「あー、大宮の東方面だから、武蔵の湯方面かな」と何となく想像していたら
まさか見沼区内、しかもほとんど上尾市のすぐ近くなんて正直想像もしていませんでした。

全然土地勘がない人ですと、例えば西川口と東川口なんてすぐ近くの地名同士にも
聞こえますかもしれませんが、
実際は、西川口は、ほとんど蕨市内であり
東川口は、一歩間違えると草加市や越谷市にまで入ってしまうという所です。

やはり地名だけでは中々判断がつかないものですよね。

例えば、さいたま市でも「浦和」という名称がつく駅一つとっても、
浦和・東浦和・北浦和・南浦和・西浦和・武蔵浦和と5個もありますからね。
北浦和・南浦和・浦和は京浜東北線ですが、
東浦和と武蔵浦和は武蔵野線ですし、
西浦和と東浦和は、正直車で移動したら40分程度かかる程度相当の距離は
あると思います。

でも、このテの話は全国に多々あるでしようけど、
やはり「地名」に先入観を持つと土地勘のない所では、ロクな目に合わないという
事なのでしょうね。
やはり「ナビ」は必要です!!

早く社用車につけて欲しいです。
でも、自家用車にすらいまだに付いていません・・・
遠出する時は、いつも妻の「自分勝手適当ナビ」に翻弄されています・・・

第一話

どんなアニメもドラマもそうだと思いますが、第一話というのは、
背景や設定の説明、各キャラの紹介などで大抵説明で完了してしまう事も多いと思います。
プリキュアシリーズも当然第一話というのは、
各プリキュア達のキャラクター紹介・妖精と敵キャラの背景などで
バタバタする内に終わってしまう事が多いと思います。
だけど、ふたりはプリキュアのMHやプリキュア5GoGoは、2シーズン目という事で
キャラクターや背景の説明をそれほどしなくても良いせいか、比較的余裕を持った作りと
なっています。
だけど、改めて思ったことは、のぞみに「機密保持」を求めても
無駄という事ですね・・・・(笑)

そんな中、「ハートキャッチプリキュア」だけは少し例外的だと思います。
ハートキャッチの第一話は、本当に「深い」ものを感じます。

冒頭から、ムーンライトとダークプリキュアのガチバトルから始まり、しかもまさかの
プリキュアが敗北する展開・・・
正直最初にこのシーンを見た時は、そのあまりの予想外の展開に
衝撃と新鮮さを感じました。
つぼみの登校シーンで、「四つ葉のクローバー」を見つけるシーンは、
前作「フレッシュ」からの無事引継ぎ完了を示唆するシーンでもあり、何か妙に印象に
残っています。

だけどハートキャッチの第一話で優れている点は、
つぼみとえりかのその時点での弱点・ココロの痛み・コンプレックスに感じている点を
容赦なくさらけ出し、

例/

つぼみ→人見知り・内気・気弱さ
えりか→図々しさ・姉へのコンプレックス・他人への思いやりの欠如

結果的にこの段階から、最終回に至るまで、この二人の成長を描くという点では
本当に面白い試みだったと思いますし、
成功したと思います。
その意味では、マリンが「うざ可愛い」とか一部で行われているプリキュア総選挙で
ぶっちぎりの一位獲得というのも何となく分る気がします。

そうした二人の弱さをさらけ出した後も、
妖精二匹とつぼみの出会い・敵幹部の登場・キュアブロッサム誕生など
唐突な展開にも左程違和感を感じることなく物語が進展していく演出には
本当に感服してしまいます。

だけど、第一回目の放送で、変身シーンで終わったのは
ブロッサムが第一号でしたけどね。
次回作のスイートもそうでしたね。
あと考えてみると、第一回目の変身で敵キャラを撃破できなかったのは、
結局ブロッサムとメロディー・リズムだけなんですよね。

パイン・ピースでさえ、第一回目の変身で撃破出来たのにね・・・

でも確かに初期のブロッサムでは仕方がないのかも・・・

昨年の年末以来、株価上昇・円安基調が続き、何となく新年早々は久しぶりに
「活気」とか「夢の再現」とか明るさが戻ったようにも感じられます。
何か、13億円程度の補正予算を組むとか、公共事業で地方を潤すとか色々と景気の良い言葉も
出てきます。
ここ数年があまりにも悲観的なニュースばかりでしたので、たまにはこうした強気の話題が
出る事は喜ばしい事だと思います。

だけど心配なことがあります。

つまり日本の危機的な財政状況が何の解決もしていないどころか、その解決の方向性も
明示されていない。むしろ逆に債務が増える方向ばかり話が進展している事に
何か危機感を感じています。

確かに短期的に見てみると、大型補正予算を組み、赤字国債を目一杯発行し、その結果短期的に
景気が良くなったとしても、それはあくまで「一時しのぎ」に過ぎないのです。
その結果、一時的な景気回復の為に、未来の日本の債務が右肩上がりに増えていき、
最後には、本当に「国家破綻」という最悪の結果を迎えてしまう可能性が高い事になぜ私達は
目が向かないのでしょうか?

世界には、誰にもその実態・本質が分らない「市場原理」という魔物が牙をむいています。

仮に、その魔物達が
「いずれ日本という国自体が債務超過に陥る。彼らの国は人口減少が止まらないし、
これ以上国家の産業が発展しそうにもないし、むしろ縮小傾向になる。そんな中、債務だけが
増えていく。次のターゲットは日本」と牙をむけた瞬間に、
日本は、株安・金利高という集中砲火を受け、立ち直ることが出来ないほどのダメージを受ける
可能性が高いと思います。

今は確かに短期的には、「景気回復への道筋を付ける」というのは全員の共通認識で
構わないと思います。
ただ、その先をどうすれば良いのか、という「道筋」はそろそろ全員が冷静になって
考える時期に来ているのではないかと
思います。

それではどうすれば良いのでしょうか?

これは色々と難しい複雑な理屈はあるのかもしれませんが、それを全て無視して
単純に考えるべきだと思います。
つまり、債務を減らす方法は、ただ一つしかない。
単純に支出を減らし、収入を増やす。それしかないのです。

支出を減らすとは、「国家予算」を減らす事。
現在の日本の社会は、正直、国家も民間も「過剰サービス」の傾向にあると思います。
年金→高齢者に配慮しすぎ、というか支給額が多過ぎ⇒これではいつか「破綻」するのは当然
医療→今後は「予防医学」に重点を置くべき
失業保険→働けるのに働こうとする人達に配慮しすぎ
行政サービス→民間との重複が多過ぎ、しかも過剰サービス

収入を増やすとは、「国家としての収入」を増やす事
税収を増やす事とは?→富裕層の課税強化・消費税アップ・相続税の税率の格段の引き上げ・
          企業の極端な内部留保への課税
          各個人の一定金額の金融資産への元本に対する課税

                   +
          国家として、直接「事業」を行い、ここから利益を出し、国家予算に
          計上する。

でも、その為にも「個人情報の一元管理→国民背番号制度」は前提条件となるかも
しれませんけど・・・
先日「ドキドキプリキュア」の声優陣も発表されていましたね。
いよいよ新しいシリーズが始まるという感じです。
(スマイルはまだ終わっていないのに・・・)

ローソンのスタンプラリーのちらしを見てみると、
確かに「プリキュアオールスターズ」になるとドキドキのメンバーを加えると
32名になってしまうのですね・・・
これは、さすがに映画になったとしても、各プリキュアの見せ場やセリフを丁寧に
与える事は難しいかも・・・

その点オールスターズ3の時点では、21名でしたが、この辺の人数が見せ場を作るギリギリの
限界なのかもしれませんね。
オールスターズ3は、その点非常に上手に作られていたと思います。

ローソンのちらしを何気なく見てみると、ドキドキの新メンバーを除く28名の歴代プリキュア達の
横顔が掲載されていますが、
よーく見てみると、マリンだけ一人正面を向いてニヤッとしています。
さすが、「周りの空気を全く読めない(?)」マリンらしい役割ですね。

プリキュアオールスターズは、part.1では、初代・スプラッシュスター・プリキュア5・フレッシュの
初期メンバーで始まっていますが、
実はその実験的試みとして、確かプリキュア5の映画の時に
「ちょー短編」という形で、
ブラック・ホワイト・シャイニールミナス・ブルーム・イーグレット・ドリーム・ルージュ・
レモネード・ミント・アクア・ミルキーローズの11名だけの「歴史的出会い」のショート短編が
5分程度上映されたそうです。
これは、今見てもあまり何とも思いませんけど、最初に見たときは
「よくぞここまで各シリーズの枠を飛び越えて制作してくれた!!」と何か妙に
感動したものです。

オールスターズを見てみると、開始早々に毎回、先輩プリキュアと現役プリキュアの出会いのシーンが
ありますが、
つぼみと響が出会うシーンでは、
「つぼみの三つ編みは本当に可愛い。響は大人すぎる・・」と思い、
響とみゆきが出会うシーンでは、
「響が超格好いい、みゆきは子供すぎ・・?」と思ったものですが
それは今となってはご愛嬌ですね。
確か昨年の夏でしたっけ?
ローソンのキャンペーンとかで、ローソンの店舗内に1種類のスタンプ設置台が置かれていて、
合計4店舗から4種類のスタンプを集めてくると、スマイルプリキュアのシールが
貰える事がありましたよね。
そういう自分も初日でクリアしていましたけど・・・
(全くいい年こいて何しているのでしょうね・・・)
それが新年早々再度始まるみたいです。
前回のキャンペーン時は、スマイルのメンバーだけのスタンプでしたが、
今回は、初代からスマイルまでのピンク主人公7名とキャンディと新しい「ドキドキプリキュア」の
メンバー4人の計12名のスタンプのようです。

自宅から半径1キロ以内のローソンは3店舗しかないので、あと一つは、今度妻との買い物の時にでも
産業道路近辺のローソンにでも立ち寄ってみる事にしましょう。
現況、ハッピー・ハート・メロディの比較的最近の3人が集まっています・・
果たして「ドリーム」はどこの店舗にいるのやら・・・

だけどこうして見てみると既に新しいプリキュアは実質的にスタートしているみたいですね。
1/6も「新番組案内」という形でキュアハートが声を出して動いていましたが、
ああやっていざ動いている姿を見てしまうと、何だか次のプリキュアが妙に気になって
しまいます。
現役のスマイル達が最終決戦に臨んでいるのに・・・(?)

でも毎年毎年1月はこうした風景が繰り返されている気がします。
何だか12月のクリスマスを過ぎると、現役プリキュア達は「御用済み」となっていき
1月の新年を迎えた頃には、次のプリキュアの
「商戦」が始まっているという感じです。

暮れになって、やっとスマイルの食玩フィギュアを箱から出してみました。




こうして見てみると、
やはり「ハッピー」の可愛さは尋常じゃない・・・
マーチは、特殊な髪型のせいか、組み立てるのに妙に時間がかかってしましました・・・

だけど、既に次のプリキュアの食玩とかおもちゃ関係は、2月スタートに向けて
フル稼働しているのかもしれませんよね。
自分自身の高校は男子高校ですし、
コンクールが終わった後に、11月~翌年5月上旬までは別の男子高校と合同で演奏会を
開催していましたので、
私の高校時代は、本当に文字通り女っ気は「ゼロ」でした。
だけど、それはそれで本当に気楽でよかったですよ。
ホント、気を使うことが全くありませんでしたし、変に自分を飾る必要はありませんでしたので、
周りの人間とは、全てが「本音」でぶつかっていたことは本当に良かったと
思います。

だけど、男子校の部室なんて本当に訳のわからんものが山積し、
食べかけのお菓子だのカップラーメンの残り汁だのエッチな雑誌とか
どっから入手したかはしらないけど「女子高の制服」だの
ガラクタの山という感じでした。
だけどその一方で、音楽関係の書物や雑誌とか、吹奏楽・クラシックのレコードとか
それらをダビングしたテープとか色々転がっていて、
結構役立てていました・・・
たまーに、エッチな本とかもこっそり持ち帰っていましたしね・・・

自分の高校は、私服で、いわゆる「校則」というものは一切存在しない
のびのびとした学校でもありました。
だけど、一教科でも赤点教科があれば、追試の点数が一定の点数に達しない場合
問答無用で「留年」という厳しい側面はありました。
毎年一学年2~3人程度の留年者が出ていましたしね・・・
「自由を与えられている時ほど怖いものはない」「自由がある時ほど、自分を厳しく律さないと
いけない」という当たり前の事に気が付いたのもこの頃でした。
そういう自分自身も、毎年毎年、数学・物理・科学といった理系教科に苦しめられ、
特に高校1年から2年に上がる時に、
数学が、最後の期末試験で、200点中116点以上取らないと「留年」という本当にやばい状況に
なっていましたので、確かあの頃は冗談抜きに、約55時間不眠不休の「一夜漬け」を決行
したものです。
結果はギリギリセーフでした・・・

丁度その頃に、1/6に書いたリード/第二組曲等の定期演奏の練習の追い込みの時期でも
ありました。
進級が決定した後は、何もかも忘れて練習に取り組んでいたのは、ホント、懐かしい
思い出です。

だけど、男子高校は本当に木管楽器の経験者はいなかったですよね。
特にクラリネット経験者は珍しがられました。
自分自身も入部したころは、中学3年の時の「アルトサックス」を希望したものの
中一~中二の時のクラリネット経験がばれて、問答無用でクラリネットパートに
配属されてしまいました。
又、中学時代に楽器経験がない人は、ほぼ問答無用でフルート・クラリネットなどの
木管楽器に配属されていました。

確かに今現在見てみると、男女共学の中学や高校でも
男子生徒の数は本当に少ないですよね。
50人編成の中で、男子生徒は5~10人程度という学校がホント多いですよね。
自分達の頃は、まだ「女子だけのメンバー」・「女子高吹奏楽部」というとまだ「珍しい」という
感覚が残っていましたが、
今現在は、そんな事珍しくもなんともないし、むしろ普通なのでしょう。
むしろ「男子高校」の方が珍しいかも・・・
自分達が高校生の頃は、中村学園とか就実とかが頑張っている時代でしたが、確かに
女子だけのチームはまだ少ない時代でもありました。

だけど、あの頃は既に男の子が吹奏楽部に入部する人数が減少の一途をたどる時代に
既に入っていて、ただでさえ男子部員が少ないのに、単なる公立の男子高校には
木管楽器奏者は、ホント中々いなかつたですよね。

だから、たまーーに、高校時代の自分達の演奏を聴いてみると、
まー、金管セクションのパワー炸裂に対して、自分達木管セクションのかぼそいこと・・・
でもそれは仕方がないかもしれませんよね・・・
二週間ぶりの「スマイルプリキュア」でした。
久しぶりにハッピーとかビューティさんを見られて嬉しいです。
と思っていたら、いきなり風雲急を告げるという感じの展開でした・・・
(最終決戦モードだから仕方がない・・・)

え、というか・・・

キャンディーそのものが「ミラクルジュエル」だったとは・・・
これは正直予想外の展開・・・
ウルフルン達3幹部が最終的に救済されたのは、予想通りとはいえ
何かホッとするものでした。
ハッピー達が、ウルフルン達三幹部がお伽噺の世界の中では、「虐げられ存在自体が忌み嫌われる」事に
心を痛め、彼らの存在そのものを否定せず受け入れてくれた事は本当に心暖まる展開だったと
思います。
ハッピーが、3幹部を受け入れるシーンは、
まさに「ハッピー=菩薩観音様」という感じでしたし、
歴代プリキュア達の中で、ドリーム=女神様 ピーチ=聖母マリア様のような印象と
同じように非常に慈愛深い存在なのだなーと改めて実感いたしました。

やはり、さすがハッピーは主人公!!



そして本当に可愛くて、優しくて 強い戦士!!

残り3話だから、残りは、ピエーロ、そして真の敵と思われる「ジョーカー」との
最終決戦かなーと軽い感じでラストを見ていたら
まさかの「バットエンドプリキュア」の登場でしたからね・・・

さすがにプリキュアシリーズは最後までドキドキさせてくれる・・・
(もう次回プリキュアが気になっているのかな・・・?)

でもあの五人のバットエンドプリキュアは、誰もがそう思うでしょうが
プリキュア5の映画「鏡の国」の話を想起してしまいますね・・・
まさか、またあの名物キャラクター「ダークドリーム」が別の形で再現されるとは・・・
考えてみると、ダークドリームの中の人が
現在のスマイルのキュアビューティさんなのですから、これも一つの因縁かな・・・?
あの当時、ダークドリームが消滅する際に
「私、今まで笑顔が分らなかった、どうすれば笑顔になるのか分らなかった」みたいな事を
言っていましたけど、その数年後に(中の人つながりですが)
笑顔のプリキュアの一人として生まれ変わったのは、
本当にプリキュアシリーズを象徴する「人事」(?)なのかもしれませんね。

あの時、ダークレモネードの声が釘宮理恵でしたが、
当時うちの妻が「とらドラ」というアニメにはまり、その影響でとらドラを見ていましたが
(でもこのアニメも非常に面白い!! 前半のドタバタ、後半に行くほど繊細な展開になってったのが
 印象的)
ダークレモネードの声を聴く度に、とらドラの逢坂大河の声を連想してしまいました・・・
(だって、声質がほぼ同じなんだもん・・・)
実は自分のいた高校は、部員数が25人程度の為、この頃は毎年毎年仙台市内の別の学校と
合同で定期演奏会を開催していました。
だから大体50~55人程度の奏者を確保出来ましたので、大抵の曲にチャレンジする事は
出来ました。
その相手の学校も指揮者の先生がいないという共通の事情を抱えていましたので、
毎年生徒の中から、定期演奏会用の指揮者を選出し、コンクール同様生徒達手作りの音楽を
創り上げていました。

だけど、この相手校は、宮城県内では屈指の進学校で
(うちの学校は、卒業進路の50%以上が予備校という単なる受験校・・・)
とにかく理屈っぽいという感じもなくはありませんでした。
というか、うちの学校の部員達の喧嘩の原因は、
「昼休みに人の弁当のおかずを勝手に食べた」だの「一口カップラーメンのつゆを飲ませてと
頼まれたので仕方なく飲ませたら、全部飲まれた」だの毎回しょーもない事ばかりでした・・・
でも相手校は、さすがに喧嘩の理由もハイレベルで、コンサートの曲目を選出する方法についての
意見の相違だとそうしたものばかりでしたので、
こちらとしては「トホホ・・・」とう感じでした。

そう言えば、定期演奏会の曲目を決める際も結構ひと悶着ありました。
ファーストステージは吹奏楽オリジナル セカンドステージがポップス サードステージが
クラシックアレンジという構成で、サードステージの曲目は簡単に決まったものの
ファーストステージは難産を極めました。
当初の話し合いでは、部員全員の投票で上位三曲で決定という流れでした。
いざ投票では、
第一位 海のうた
第二位 吹奏楽のための第二組曲(リード)
第三位 吹奏楽のための第三組曲(ジエィガー)
という決着でした。
この結果は、自分自身が投票した曲とピタリと一致するもので、「あー、すごーい」と
自分自身でも驚いたものですが、その後、例によって理屈っぽい人達から
「同一ステージで組曲を二つ演奏するとは、これ如何に」という意見が相次ぎ
色々と話し合いの結果、第三位のジェイガー/第三組曲と第四位から第八位までの曲を再度投票して
決めようという事となりました。
その結果出てきたのが、部員誰もが予想外の曲/兼田敏「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」
でした。
だけど、上位一位のパッサカリアと第二位のリード/ジュビラント序曲の差がわずか一票差であり
再度喧々諤々の討論の末、パッサカリアとジュビラントを決選投票にかけ、多い方を文句なく
選出するという事で落ち着き、その結果、ジュビラント序曲が選ばれたのでした・・・

確か、話し合い開始から決着がつくまで5時間程度かかったと思います。
難産の末の決定でしたが、
全員「こりゃ、しゃーないな」という雰囲気だったのが本当に印象的でした。
リードの第二組曲は、自分にとってはものすごーーーく思い入れのある曲です。
技術的には決して難解な曲ではないのだけど、決して平易な曲ではない。次から次へと
「やり残し」が出てくるような曲です。
だけど、演奏していてこんなに楽しい曲、わくわくするような曲って
これまでにほとんど吹いた事が無かったので、この曲を演奏する時は、本当に
楽しかったし、ハッピーでした。

これまで何回か書いている通り、中学時代の自分は、指揮者の先生から言われた通りに吹くだけで
音楽というものを心から楽しんで向き合っていなかったのだと思います。
高校に入学して、たまたまその学校が伝統的に生徒の中から指揮者を選出し、自発的に音楽を
創り上げていく学校なので、そこで初めて全体と各パートの役割、パートの中の自分の役割というものに
自覚し、音楽というものは、一人一人が作り上げていくもの、決してソロプレーヤーや指揮者だけが
リードしていくものではないという事に改めて気が付いたものでした。

その事を初めて自覚したのは、この年(1981年)のコンクールの自由曲である
ホルストの吹奏楽のための第一組曲を演奏した時でした。
このホルストの曲は、吹奏楽界の古典的名曲の一つだと思います。
というか、全体を統一主題で繋いでいる事が面白いし、
メロディー・裏メロディー・伴奏・リズム・ビートと各演奏者の役割が明確に求められますので
演奏する方としてもも一刻もボーッとしていられない曲でもあります。
(何かこう書いていると「スイートプリキュア」の世界みたい・・・、あれ、前にも書いたっけ・・
例えば、第二曲「インテルメッツオ」でも、クラリネットセクションの中でも、
ファースト・セカンド・サードの各奏者にファーストの主題提示に対して、セカンド・サードが
裏伴奏みたいな形でそれをサポートしたり、
第三曲「マーチ」においても、金管セクションの勇猛な主題提示に対して、木管セクションの
裏メロディーがあったりと、
それを同じ高校生同士で創り上げていくのですから、
音楽を生み出していく「手作り感」・「インヴェンション=創造」に気持ちが新たになったものでした。

中学時代にも、同級生・先輩に本当に嫌な奴がいたものですが、
勿論高校時代にも嫌な先輩とかはいました。(しかも同じパート内ですけど・・)
だけど、その頃初めて、「嫌な奴も苦手な人も一旦は受け入れてみよう」という
人生の中で初めて前向きな気持ちが目覚めたのも、思えばこの時が初めてだったのかも
しれません。
話はそれますが、生きていく中で「嫌な奴」というのはホント避けられないと思います。
だけど自分自身のこれまでの結論を言うと、
「世の中に嫌な奴は一杯いるけど、本当に心底から嫌な奴も稀に存在する」という事です。
ま、それに気が付いたのは社会人になってしばらくたって、甲府での銀行員時代の上司の
話ですが・・・

何だか全然話がリード/第二組曲とそれてしまいました。

リードの第二組曲は、コンクールでもたまーに演奏されたりしますが、
個人的には「これぞ名演!」という演奏にはまだお目にかかっていません。
82年の富山ウインドとか、84年の福井とかありますが、印象は正直「・・・」という感じです。
93年の高知工専は、ホント技術的に拙くて木管のパワー不足にやきもちするのだけど
方向性はいいと思いますし、勢いはありました。
やはり、この曲の素晴らしい演奏は。自作自演版のリード/東京佼成が一番かな・・・?
昔、武蔵野音大のこの曲の演奏を聴いた事がありますが、あまりにもせせこましくて正直
良い印象はありませんでした。
武蔵野音大のオセロは逆にテンポが恐ろしく遅い演奏なのに・・・

この曲は、パーカッションに相当の人数がいるみたいで、元々打楽器の人数が5人しかいなかったので、
当時チューバ奏者が多すぎるという理由で、チューバ奏者の何人かは、この曲を演奏する時だけ
打楽器に回されていたのはご愛嬌です。
ま、当時他のパートは、それを「左遷」とか呼んでいましたけど・・・
誰しもが感じている「不安」の一つだと思うのですが、
果たしてこのまま世界は、というか地球上の全人類は100年後も存在しているのか
という事は、誰の頭にも一度はかすかにでもよぎった事はあると思うのです。

これはもう近未来の事かもしれませんが、仮に私達人間社会の現在のシステムが破綻する
原因はどこにあったのでしょうか・・・?

確かに色々とあると思います。

例えば・・・

1.人口の増加

2.資源の枯渇

3.現在の民主主義・資本主義が抱えている問題点の未解決

4.公平な分配制度の破綻

5.モラル意識の低下~拝金主義の横行
 →自分さえよければ、自分の国さえよければそれで良い
  この世の中は「お金」さえあれば何でも出来る

色々種々あると思います。

21世紀になっても国家間の紛争は何一つ解決出来ず、国家間の経済競争は過酷になるばかり・・
現在騒がれているTPPにせよ、仮に発行したとしても、いずれ現在のユーロ圏の問題のように
各国家間のシステムや意識の違いを結局は埋めろ事が出来ずに、
最終的には破綻することは目に見えています。

確かに現代の世界観では、国際化だのボーダーレス化などと言われていますが、
自分の予想としては、いずれ国連も何も機能しないような時代、というか
江戸時代のような鎖国下社会→他国との過剰な折衝を避け、自国の問題は自国だけで解決する
ような単一国家社会に変質するような世界にいずれはなるのではないかと
思っています。

そうした世界では、自給自足体制が主流となり、
足りない物質だけを二国間の貿易というか物々交換で充足していくというシステムになっていく
のではないかと予想します。
別にこれは歴史の後退という意味ではなくて、「一歩後退二歩前進」の前奏曲だと思います。
要は、現代の資本主義+民主主義体制の完全な行き詰まりから発生したものであり、
国家間の紛争を回避させるための一つの方策として、各国家内での完結を目指していく方向なのです。

だけど、いずれは、段々と本当に協調できる二国家間の部分連合、地域連合という形で
単一国家完結主義を脱していき、
最終的には、世界共通政府という管理体制というシステムに
未来は変容していくのではないのかなーと
漠然と考える時があります。
あまり取り上げられる事はないのですが、プリキュア5の夢原のぞみは
実は吹奏楽部に在籍していたことがあり、三日でクビになってしまったとの事です。
きっとアホののぞみのことだから、楽譜を全て風に飛ばされて紛失したとか
楽器の移動中に派手にこけて転倒し、楽器を壊してしまったとかの類なのかもしれませんよね。
だけど、のぞみが吹奏楽部にいたら、自分なんか率先して朝練習に参加しちゃうかも・・・

以前スイートの響の父親の「音楽を奏でていない」との話を展開しましたが、
要は「気持ちが入っているか」「楽しんで演奏しているか」「聴衆に何かを伝える事が出来たのか」
という事なのだと思います。
中学の頃の自分自身は、「気持ちは入っていない」「楽しんで演奏していない」
「聴衆に何も伝わらない」のオンパレードだったと思います。
ホント冗談抜きに北条団先生から「君達は音楽を奏でていない」と真顔で言われていそうな
感じだったと思います。

それが一変したのは高校に入ってからだと思います。

自分の高校は、教師が指揮者を務めるという事ではなく、生徒の中から毎年指揮者を選出し
自分達の手作り音楽で、コンクールやコンサートの臨むというかなり珍しい吹奏楽部だったのです。
これまでは、指揮者の先生から言われたとおりに演奏し、決められたプログラムに従って
日々の練習を惰性で行っていたのに対し、
この高校は、課題曲・自由曲・コンサートの演奏曲目等全てを自分達で話し合って決め
指揮者も素人の生徒、音楽づくりも曲の解釈も全て手作りで進めていくというものでした。
これまで全く与えられていなかった「自主性」をある日突然もらったようなものでした。

だけど、言われたまま演奏するのと
自分達が手作りで作り上げていく音楽では、質が全く異なると思います。
高校一年の時のコンクール自由曲は、ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」という
古典的名曲だったのですが、これは今から思うと本当に良い曲を選んでくれたと
思います。
この曲で初めて、全体の中でクラリネットセクションの役割とかクラリネット6本の中で
ファースト・セカンド・サードの役割・全体のメロディーとリズムの役割など
全体の中での「自分の役割」という意味合いが初めて理解できたと思うのです。

「楽しんで演奏する」という事は、自分自身の全体の中での役割をきちんと認識し、その中で
どれだけ全体に個々として貢献できるのか、その満足感なのではないかという事に
初めて気が付いた瞬間でもありました。

またまた話がそれました・・・

スイートの中でも、響と奏のピアノ連弾がバラバラとか合っているとかそういう話がよく
出てきましたけど、やはり「二人」という全体の中で、どれだけ自分の果たすべき役割を認識し
お互いの音をよく聴きながら、自分の仕事をしていき、全体の調和を図っていく、それが
ハーモニーという事だったのではないでしょうか・・・?




プリキュア同志の喧嘩というと、
初代無印の感動的第8話、プリキュア5の第23~24話を連想してしまいますが、
歴代プリキュア達は、それ程メンバー間の喧嘩・仲違いは数が多くないと思います。
スマイルに至ってはゼロ回です。
だけど、スイートを除く歴代プリキュア達の喧嘩回数をはるかに上回る数の喧嘩を
このスイートだけで達成しているのはさすがという感じですね。
だけど、響と奏の場合、よく言われる通り「バカップル」とか「夫婦の痴話喧嘩」という表現が
ほんとよく似合っていますね。

個人的には後半の展開で、響と奏のピアノ連弾の練習過程とか
ピート・ミューズを加えた何か四重奏とか、
音楽的側面が加わると、もう少し別の展開になっていたのではと思う時もあります。
地区予選を無事に突破し、県大会に臨むことになったのですが、
正直気分は微妙でした。
県大会が終わればやっと吹奏楽部の練習から解放される、嫌な音楽と向き合わなくて済む
という気持ちの反面、
この大会が終われば、いよいよ受験勉強に専念しないといけない、それはそれで憂鬱
という相反する気持ちが交錯していたと思います。 

この頃の県大会の日程は、9月中旬、東北大会は10月初旬、全国大会は10月下旬と
地区予選・県大会レベルは、現在よりもかなり日程が遅かったのだと思います。
恐らく、PTAあたりから、「うちの子供をそんな遅い時期まで練習につき合わさせて、子供の
受験はどうするの」というクレームに配慮した結果なのかもしれませんよね。
そう言えば、2000年の吹奏楽コンクールは、日程がやたり早く
9月初旬が東京都大会 9月下旬が全国なんていう事もありましたね。
さすがにそれは早過ぎるのかも・・・・

ただ演奏は、正直悔いの残る結果となってしまいました。
アルトサックスのソロはうまくいったものの、課題曲の出だしの低音部がスカスカで、
まさかのリードミスまでやってしまい、
全体的にも、課題曲c/北海の大漁歌の後半の、トランペット・オーボエ・フルート全員が
外すという痛恨のミスまでやってしまい、多少自由曲の序曲「祝典」で盛り返せたものの
散々な出来という感じでした。
賞も「銀賞」にとどまり、何だかすごく中途半端な感じでした。
何だか最後の最後まで「楽しくなかったなー」という感じでした。その当時は・・・
「楽器」を蒸ける事に希望を抱いて入部したのに、いつの間にやら、
大嫌いな仲間、陰湿な上級生、指揮者の先生の上から目線に段々と音楽自体が大嫌いになり
高校に入ったら、絶対音楽なんか関わらないと、この時は決意していたのでした。

だけど、いずれ別の機会でふれますけど、高校に入って
全てが変わってしまったのです・・・

またまた話が脱線しました・・・

〇東海大学第一高校

 課題曲は正直ほとんど印象に残らない感じです。ドライな響きのこのチームのカラーに曲が
 全く合わないという感じです。人間に例えると「相性が悪い」という所です。
 一方自由曲の「二つの交響的断章」は、群を抜く素晴らしい演奏です。
 この曲は、前年度に市立川口が怒涛のウルトラ名演を残してくれたことは何度も記していますが、
 川口を西の正横綱とすると、この東海第一は、東の正横綱といってもいいと思います。
 市立川口と比較して良い点は、
 ①カットが自然 演奏時間が川口より2分程度長いので、この曲のダイナミックスを一層楽しめる
 ②シロフォーン・マリンバ・グロッケンの鍵盤打楽器の響きが川口よりも一段とシャープ
 ③第二曲のティンパニのソロ以降の金管セクションの不協和音の響きが、モヤッとした中にも
  オルガン的な響きがあり、思わずはっとさせられる。
 という事があげられると思います。
 全体的にかな個性的な演奏です。指揮者のアクの強さが全体に漲っていて非常に面白いです。
 川口もかなりのイケイケですが、この演奏は、終始「攻める演奏」を貫いています。
 全体的にリズム感が非常にシャープで鮮烈。
 残念なのは、トランペットが途中で大きく外してしまった事かな・・・
 ティンパニーが、理由は分りませんが、他の打楽器がステージ左手に位置していたのに
 ステージ右手の弦バスの横に位置していたのは、何か意味があったのでしょうかね・・

 それにしても、市立川口のネリベルの前年の自由曲は「ローマの謝肉祭」
 東海第一は「三つの夜想曲」といったクラシックアレンジの王道ものから一転して
 ダイナミックなオリジナル曲に転向したものですね。
 両校とも、そうした正統派アレンジ路線よりも、少し毒のあるオリジナル路線の方が
 合っているから、この転向は大正解だったと思います。

 だけど、近年でも中々この両校を超える「二つの交響的断章」の名演が出てこないのは
 少し寂しい気がします。
自分自身の事です。

まずはっきりと事実を記すますと、自分自身は、ここ10年以上ある事情から
仙台の両親との関係を断絶しています。
ここに至るまでには、確かに色々とありました。
自分自身に相当非がある事は誰よりも自覚しているつもりです。

だけど、今更どうにもならないという事情もあります。

それがはっきりと出てしまったのが、10年ほど前の自分自身の結婚の時に
なるのでしょう。
だけど振り返ってみると、そうした事態はなるべくしてなってしまった・・・と言えるような
感じもします。

そう、子供の時から、自分自身は家族とうまくいっていなかったという事なのでしょう・・・

何となくですが、中学生辺りから
1.家族がうっとうしい
2.一人になりたい。早く自分一人で生活が出来るようになりたい。自活したい
3.自分自身が一番好き

という事がありました。

家族と折り合いが悪かったというのは、上記の中では1の要因が強いと思うのですが、
なぜ自分は、家族がうっとうしかったかというと、
色々な要因があったのではと考えます。

一つに、自分自身は三人兄弟(上に兄と姉)の一番下なのですが、
上の二人が頭脳が比較的優秀で、仙台では進学校とされる仙台第一高校と一女のいわゆる
ナンバースクールに通っていて、昔からあまり頭は良くなかった自分は、必ずしも家の居心地が
よくなかった事が大きいのかなーと思います。
結果的に甘えなのかもしれませんが、誰か家族の中で一人でいいから
「あなたはあなたなのよ。自分の道をお行きなさい」と道を提示していれば、
子供の時からもっと楽な気持ちで生きていけたのかもしれません。
上二人との間に年齢差が結構あり、兄や姉と心から打ち解けて遊んだ記憶がないというのも
一つの要因なのかもしれません。

二つ目に、これが一番大きいのですが、父親と本当に相性が悪かった・・・
というか、自分の父親は、「自分」という存在の長所・短所・今何を考えているのか等を
全く把握していないし、知ろうともしないのに、自分だけをやたら表面上可愛がる事が
本当に嫌だったのです。
そう、丁度人間がペットを可愛がるようなものだと思います。
「可愛がっていれば、自分にへいへい従うだろう」という安易な考えがあったのかどうかは
よく分りませんが、やたらペットを可愛がるように
自分だけを表面上可愛がる事が本当に心の底から嫌でした。
かといって、
「上二人がいい学校に行っているのに、どうして自分だけ・・・」とか
「吹奏楽部で、こんな嫌な奴がいる」等の本音の相談が出来るような
感じでも雰囲気でもありませんでした。
要は、あまり「存在を認知されていないなー」という感じでした。
それで輪をかけて嫌だったのが、父親が、理由はよく分りませんが、姉を忌み嫌い
父と姉が鉢合わせれば、喧嘩になってしまい、家の中がギスギスしてしまうという事
でした。
自分としては、自分だけではなくて、姉の事をもう少し(表面上でも構わないから)
愛してあげて欲しいという気持ちが強かったのですが、
父親と姉の確執が深まるほど、父親の一方的な好意が自分自身にくることが
自分自身としては、我慢できない事であり、
非常に納得がいかないものでした。
高校生の頃には、既に我慢の限界を超えていたと思います。

そして、高校卒業と同時に
「仙台には自分の行きたい学校がない」という妙な理屈の下に
18歳で親元を離れ、上京をしてしまったのです。

普通でしたら、親元を数年離れていたら、親の気持ちもわかったり
自分自身が色々と成長したりして、
お互いに歩み寄るのでしょうけど、
前述の3が強すぎたのもあるのでしょうが、その気持ちは今現在でも
何ら変わりがないというのは、自分自身でも恐ろしく感じる時があります。

自分自身は高校二年辺りで身長・体重の成長がピタリと止まり、現在に至っていますが、
精神というか、中身も結局は17歳~18歳辺りで成長が止まっているのかも
しれませんよね。
大晦日の東急ジルヴェスターコンサートのカウントダウン演奏曲は
エルガーの行進曲「威風堂々」第一番でしたね。
ここ数年、紅白は見る事はないものの、23:45からの「行く年来る年」と11:30から放映される
テレビ東京の「東急ジルヴェスターコンサート」は何か見てしまいます。

今回の威風堂々第一番はいかにも新春に相応しい曲ですし、曲も7分前後ですから
丁度いいという感じですよね。

以前確か、このカウントダウン曲が、マーラーの交響曲第二番「復活」終楽章という
とんでもない年もありましたが、確か途中から始めたにせよ、指揮者にとっては
やりにくかったと思います。

この威風堂々第一番は大好きな曲の一つです。

むかーし、「もしも自分が死ぬまで一時間しか残り時間がなく、この時間内で
最後に聴きたい曲は何なのだろう」と妙な事を考えたことがあるのですが、
その時は、
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
マーラー/交響曲第9番第四楽章
とある意味無難な(?)曲を思いついたものですが、
現時点では、死ぬ間際は、明るく笑って次の世界へステップしてみようという思いから
オルフ/世俗カンタータ「カルミナ=プラーナ」
マーラー/交響曲第1番「巨人」
あたりがいいかなっと思ったりもします。

もしも残り時間が20分以内なら

チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」かな・・・?

もしも時間が7分以内ならば、
やっぱりエルガーの威風堂々第一番になってしまうのかな・・・?

威風堂々第一番は、個人的には「卒業式」を連想してしまいます。
中学の頃、卒業式は毎回毎回、吹奏楽部は体育館の最後部に位置し、入場行進とか
退場行進の演奏とか、校歌斉唱の伴奏の役目を担っていました。
中二の時だったのですが、その入退場の行進曲がこの威風堂々第一番でした。
あの当時としては、大嫌いな大半の上級生が卒業していくのですから
心身共に嬉しくて嬉しくてどうしようもない気持ちだったのですが、
いざこの曲で送り出してしまうと、何となく一抹の寂しさも意外なほど感じてしまったというのが
何か自分自身印象的です。
何となくこの曲を聴くと当時の「甘酸っぱい感情」を思い出してしまいます・・・

いざ自分が卒業する時は、
威風堂々ではなく、ラデッキー行進曲でしたので、今だったら
「おいおい、卒業式はウィーンフィルのニューイヤーコンサートかーい」と突っ込みたく
なります。

中二の時、なぜか卒業式の場で、
吹奏楽部による「記念演奏」を行われることになったのですが、
なぜかこの時の曲目が、
マスカーニ/歌劇「カヴァレリヤ=レスカーニャ」(→正確な曲名を忘れた・・・)の間奏曲
でしたけど、
あの曲って、そんなに卒業式に向いていましたっけ・・・??

威風堂々は、90年代後半の日本フィルが3月に開催する「オルガン名曲コンサート」で
よく演奏されていました。
毎年オルガン奏者は、若き日の井上圭子さんでした。
毎回毎回、曲目は
サン=サーンス/交響曲第三番「オルガン付」
エルガー/威風堂々第一番
レスピーギ/交響詩「ローマの松」がメインでしたが、
それでも毎回飽きなかったですね。

威風堂々は、原曲にパイプオルガンが入るのですが、
やはりあの荘厳な響きが、このマーチに入ると気分は爽快ですよね。
東京芸術劇場のパイプオルガンは、実は裏表二層式の珍しいタイプで、
表面がクラシカルタイプの茶系の木目調
裏面がモダンタイプの白
と曲に応じて、タイプを反転できるのが面白い所です。
クラシカルタイプからモダンタイプに反転が完了するのに確か2分程度かかっていたような
気がします。
昨年「スイートプリキュア」のメロディーのフィギュアをUFOキャッチャーにて入手出来ました。
スマイル同様、完成度はやはり高いですね。
(というか、ハッピーとビューティさんの完成度の高さは特筆に値します・・・)
響って「明るい・活発」というイメージをついつい持ってしまうのですが、
プリキュアシリーズを通して屈指の「寂しがり屋+何らかのコンプレックスの持主」という
側面もあると思います。

何となくですが、このフィギュアからもメロディーの「物悲しさ」が微妙に伝わっている
ような気もします・・・
(錯覚かな・・・?)




スイートの響は、当初は奏との様々な誤解やすれ違い 同様に父親との誤解やすれ違いが
発生している事から物語が始まっています。
スマイルのみゆきと違って、必ずしも響は「充たされている女の子ではない事」が
ストーリー全体の大きな鍵となっているのだと思います。

振り返ってみると、プリキュアシリーズ全体を通しても、プリキュア5以降に
プロデューサーが交代してからは、これまでの勧善懲悪的要素・一人の主人公の絶対的エース的存在から
少し内容的に変容していった感じがします。
だけど、これはシリーズ全体のマンネリ化を防ぐと同時に、物語に何か「テーマ」を持たせることで
更に作品の質・面白さを向上させていった点で本当に素晴らしい事だと
思います。
(ま、だけど個人的にはプリキュア5、特にのぞみが一番好きなのですけどね・・・)

フレッシュの場合は、せつなのプリキュアとしての覚醒以降、どうやってせつなの罪悪感を
解放させ、幸せをゲットできるようにさせていくのか「再生」の物語

ハートキャッチは、各個人個人が持っている「弱さ・コンプレックス」とどう向き合っていくのか
その心の解放をテーマにした物語

そして、スイートは、各個人が成長に伴い発生してしまう「他者とのすれ違い・誤解」を
どうやって埋めていくのかを初期の頃はテーマにした物語

と言えるのかもしれません。

現在の「スマイル」はどうなのかな・・・?
色々と思いつくことはあるのだけど、最終的な解釈は最終回まで待ってみる事に
してみましょう。
(だけど、スマイルの世界はホント、大好きです。プリキュア5の水準にまで達したかも・・・)

スイートの初期の頃、響が音楽嫌いになってしまった理由として
父親からの「いまの演奏は音楽を奏でていない」という何気ない一言があったというのが
ありましたが、その気持ちは何かよく分るような気もします。

自分自身も学生時代はずっと吹奏楽部に所属し、アルトサックスやクラリネットを吹いていました。
中学生の頃、よく指揮者の先生から
「お前たちの演奏は音楽ではない」と、響が言われたように「抽象的」な事をよく言われたものです。
「下手くそ」とか「ピッチ・リズムが合わないから死んじまえ」みたいな罵詈雑言は日常茶飯事
だったのですが、その一方で
「音楽になっていない」とか「音楽が死んでいる」とかそうした抽象的な言葉もよく
言われたものです。

今にして思うと、要は「気持ちが入っていない」という事なんだと思います。
だけど、それを小さな子供や中学生レベルの子供に話しても分らないと思います。
理解度が低い者たちには、「自分達の頭で考えなさい」とか言われても
一部のもの以外は分るはずはないと思うのです。
やはり、「これこれ、こうした点が良くない」とか「こういう所をもう少し気を付けて」と
具体的なメッセージをその都度発信していかないと、理解度がまだ未熟な者たちに
抽象的なメッセージを発信されても困惑してしまうだけではないかと思うのです。

スイートの響もその点が発起点となって、父親とのすれ違い・音楽嫌いになっていったのかも
しれませんよね。
その点は、ホント、響の気持ちも何となくわかります。

でもそれは、大きくなって社会人になってからも同じだと思います。

自分自身も20代後半、山梨にてそりの全く合わない上司から連日連日今で言う「パワハラ」を受け
「お前は、お客の気持ちが何もわかっていない」みたいな事をよく言われていました。
ただ、そのお客というのも、「借りたお金を返さない延滞不良債権顧客」だったのですが・・
当時、自分は銀行の営業担当で、債権管理・延滞金管理も行っていました。
その嫌な上司が言っていたお客というのも、債務条件変更・借入資金の一本化・債務期限延長と
それまでの間色々な話し合いを経て、その時点に至っていたのです。
それに対して、「お客の事を何も考えていない」とか「冷たい奴」とか言われても
「えっ?」という感じだったです。
そして、私が「じゃーどうすれば良いのですか」と聞いても何もアドバイスもなく
「そんなのは自分で考えろ」しか言いません。

当時の自分は、自分に非があったとは思えませんし、分らないからアドバイスを求めていたと
思うのです。
「自分で考えろ」というのは、一見便利な言葉ですが、
案外これこそ「思いやりのない言葉」だと思うのです。
分っている人間に対して、こうした言葉を使うのは全然OKだと思うのです。
分らない人間に対しては、具体的なアプローチを提示させないと、お互いに不信感を
招くだけなのかもしれません。

何かスイートの第三話を見ていると、こんな事が急に思い出してしまいました。

話が脱線してしまいました・・・

「音楽を奏でる」って何なのでしょう・・・

その答えは、中学時代にはとうとう見つける事が出来ませんでした。

高校に入ってやっとわかったという感じでした。

うちの高校は、田舎の男子校で、何と一般的な学校には必ずいる「顧問の先生=指揮者の先生」が
開校以来誰もいないという学校でした。
毎年、現役の部員の生徒の中から、指揮者を選出し、自分達自身で音楽を作り上げていくという
学校だったのです。
これは、正直当初の頃はやりにくかったものの、
自分達で音楽を作り上げていく難しさと楽しさの両方を体験できました。
結局、自分自身が「音楽」を好きになっていったきっかけは、この高校三年間が全ての
原点だったのかもしれません。
1980年(昭和55年)って、今にして思うとこの頃が日本社会の一つの安定期の頂点
だったのではないかと思う時もあります。
確かに当時は、既に高度成長期に翳りも見え、第二次オイルショックもあり
政治状況は、航空機関連の汚職のオンパレードで必ずしも安定せず、
バブルという異常な好景気はこの数年後、携帯もパソコンもネット社会も何もない時代では
ありましたが、
現在のようなモラル低下、目立つ格差、ギスギスした社会の空気も
現在ほどひどくはなく、
何となく時代の空気としては「安定している」という感じだったと思います。

勿論当時は中学三年生のただの子供でしたので、実際の社会の感覚・空気は違っていたのかも
しれませんが、今ほど「殺伐としていない、空虚感がない」という感覚だったと思えます。
自分自身も前述した通り、この年に生徒の人数が増えすぎたために「向陽台中学校」へ生徒の
半分以上が分離・移行したため、当時の吹奏楽部員の中で、苦手だったメンバーのほぼ全てが
奇跡的に勝手にいなくなった為、確かに「受験」という目に見えない緊張感はあったものの
何か「自由にのびのび」と最後の学年を楽しんでいたという感覚が今でも
残っています。

でも当時はやはりのんびりしていましたよね。
だって、県大会の前の地区予選は、何と普通の中学校の体育館で開催されていましたから・・・
打楽器なんかも、いちいち演奏団体が変わるごとに
下手からステージまで担ぎ上げていましたしね・・・
審査の演奏中も窓は全開だから、校庭で普通に部活をしている生徒達の声や車の騒音が
自然に入ってきましたからね・・・
今では考えられないと思います。
当時の宮城県大会も一日で、中学校のC・B・Aの三部門、一般の部を強行していましたからね・・・
審査員もさぞかし大変だったことでしょう・・・

話がまたそれましたので、戻します。

〇中標津高校

 サウンドが何か「ふんわり」しているような印象がありました。
 オーボエ・コールアングレの音が課題曲・自由曲を通して「優しい」という感じです。
 課題曲も決して鄙びている訳ではないのだけど、「田舎のおっとりとした雰囲気」という
 感じの演奏だったと思います。
 自由曲のサロメも(前年の銚子商業とか、このチームとか82年の三重大あたりは、
 サロメのレコード収録は特に問題なかったみたいです。83年から急に厳しくなったように
 思えます。)
 悪く言えば、スピード感に切れがない・ぼんやりとしている
 良く言えば、洗練されている
 という感じですが、確かにあまり「色彩感・妖凄感」は伝わってこないけど
 手作りの演奏という丁寧さは十分に伝わってくるものでした。

〇名古屋電気

 まだ当時の校名が「愛工大名電」になる前の演奏です。
 名電というと、プラハとか交響的断章、破綻寸前のスピード感炸裂の96年「ローマの祭り」が 
 印象的ですが、個人的にはこの年の名電が大好きです。
 パーシケッティーという作曲家の演奏は、最近ではあまり耳にしなくなりましたが、
 交響曲第六番「吹奏楽のシンフォニー」とか「ああ、涼しい谷間」とか、ディヴェルティメントとか
 素晴らしい名曲を後世に残しています。
 名電はこのパーシケッティーの「吹奏楽のための仮面舞踏会」という素晴らしい名曲を名演という形で
 後世に残してくれたので、これは本当に感謝感激という事です。
 「仮面舞踏会」は本当に技術的にも表現的にも難しい曲だと思います。
 楽譜通り演奏しても、聴衆に何かを伝える事は本当に難しいと思いますし、
 恐らくメロディーラインがどこにあるのか伝えるのすら難しい面もあります。
 この曲は恐ろしいほど抽象的な曲で、具体的に標題で何かを伝えるというのではなく、
 「感覚」で伝える曲なのだと思います。
 この曲のCDは実は色々と出ていますが、個人的には、ハンスバーガー/イーストマンの演奏が
 一番好きです。名電はコンクール用のカット版ですが、イーストマンの全曲盤を聴くと
 改めて「憂い・わけのわからない面白さ・官能的雰囲気」が感じ取れます。

 名電の演奏は、かなり「知的」な感覚です。
 技術的にはほぼ完璧に仕上がっていると思います。サウンドに濁りが全くなく
 透明感ある仕上がりとなっています。
 聴衆には何かを伝えにくい曲でありますし、難しいのだけど
 少なくとも「私」には何かが伝わったと思います。

 参考までに、ヤマハ東京も実は1980年に同じ自由曲を選曲していますが、
 こちらも悪くはないと思います。
 名電よりもカットが少ない所がいいです。
 ヤマハ東京のレコード収録はないので、当時カスタムテープ制作の「トラヤ」にて
 このヤマハ東京の都大会の演奏をオーダーし、この演奏を今でも聴くことが出来るのは
 幸いです。
 ちなみになせ全国の演奏ではないかというと、80年の一般・職場・大学の演奏会場は
 愛知県の会場でしたが、音響は史上最悪といっても過言ではないひどい所だからです。

「スマイルプリキュア」は考えてみると、追加プリキュア・追加妖精は皆無でしたし、
なおかつ敵幹部の増減も無しというシリーズ初めての試みでしたが、それは大正解だったと
思います。
最近のプリキュアは、どうしても追加戦士に目が行きがちでしたが、
初期設定を最後まで貫き通した姿勢は立派だと思いますし、一年間を通じて5人の交流が
深められた描き方になっている所に好感が持てます。

この正月休みで改めて「スイートプリキュア」の第1話から前半部分を見ていたのですが、
改めて見てみると「意外と奥が深かった」というのが率直な感想です。
放映時は、正直二人のすれ違い・奏でのヒステリー・響の子供っぽさについていけず
表面的なこれらの現象に少しうんざり・・・という感じもしなくはなかったのですが、
最終回までの全体のストーリーを把握している現在、改めてスイートの初期を見てみると
かなり面白いというのが本音です。

スマイルのみゆきとスイートの響を比較してみると、
両方ともにアホでドジという伝統的共通性はあるものの、
みゆきは、両親にも友人達にも(そして製作者からも・・・?)愛されている子という印象があり、
その性格上・対人関係において何も問題点はないというか、欠落要素が皆無という
印象です。
だけど響は少々違うのかも・・・
両親(特に父親)・親友との関係において、様々な誤解やすれ違いによって
必ずしもみゆきのように「愛情」一杯を受けて成長した子ではないという感じもします。

子供の時は楽しかった・・・あの時は本当に良かった・・・と過去形の感じとなっています。

そして、現在はどうかというと、「楽しかったあの日には戻れない・・・」という所なのでしょう。

だけど、それは響に限った事ではありません。
自分達にだってそれは日常的な事柄なのかもしれません。
「お金に困らなかった独身時代が懐かしい」といった経済的な側面もあるでしょうし、
「結婚前や結婚後2年程の妻とは、口論もなく楽しかった」といった対人関係的な面も
あると思います。
経済的な側面は、自分の努力だけではどうしようもならない事もあるかもしれませんが、
対人的な側面は、その人との対話不足・様々な誤解やすれ違いの要因が強いと思います。
結局は、そうしたズレを修復しようとする努力もしないで、ただ口で
「あの頃は良かった。あの日にはもう戻れない」と愚痴ってしまうのは
珍しい事ではないと思います。
(自分自身も人の事は全く言える立場にはありませんが・・・)

そうした様々な誤解やすれ違いなどによって生じた「お互いの不信感」を埋めていく
ストーリーがスイートの初期のテーマだったのではないかと
改めて感じてしまいます。

それにしてもスイートの人物描写は面白いですよね。

奏は、一見おしとやかでおとなしいという印象があるのですが、実は
頑固で気が強く、一度決めたことは必ずやり貫く意思の強さを持っていますし、決して人前で
泣いたりしない「強さ」を持っています。
響は、一見明るく気が強そうなイメージを持たれがちですが、実は
繊細で寂しがり屋で、意外と涙もろい面があり、感受性が人一倍強い。

そうした二人の初期の段階でのすれ違いを埋めていくストーリーが
スイートの世界なのですよね。





「スイートプリキュア」の初期の頃の話で印象が強いのは、
第7話「音吉さんの秘密」の回かな・・・
奏での「足くじいた、おんぷして」のシーンだけでお腹一杯なのですが、
二人の子供の頃の回想シーン、
二人でピアノと鍵盤みたいな遊具で、手をつないで鍵盤を渡り歩いていくシーンは、
BGMの効果も含めて、
「あの楽しかった子供のころにはもう戻れない」を象徴する場面であり
結構好きなシーンです。

だけど子供の頃の感覚や友情に誰しもが戻れる訳でもないので、一定の成長後
その子供の頃と現在のギャップをどう埋めていくのかというのは、誰しもが経験する課題であり、
スイートの大きな主要テーマだと思います。
スイートの場合、響と奏の関係がある程度安定してからは、
ハミィとセイレーンのすれ違いの修復(もっともハミィは最後までマヌケ妖精だから、
そうしたズレ修復の意識は皆無だったし、ほとんどは、セイレーンの嫉妬・誤解から
発生したもの・・)や
ビートのプリキュアとしての苦悩(人々を困らせた事と組織への裏切りという二重の罪悪感)からの
解放、そして響と父親の関係修復
謎のプリキュアの存在など
見どころは結構多かったと思います。
最終的には、「妬み・嫉妬・相手への不信感」といったマイナー要素も全て受け入れよう、
明と暗 動と静 不安と希望 二つの要素があるから世界は成り立つ。相手の弱い部分も
受け入れてあげよう」という壮大なテーマ暗示で物語が結ばれていきます。

やはり「プリキュア」の世界は奥が深い・・・
久しぶりに「ふたりはプリキュア~スプラッシュスター」を見ましたが、
中々面白いですね。
何が面白いかというと、初代との明確な違いになるのですが、
敵幹部のマヌケさが群を抜いていますね。
初代の場合、敵幹部はウラガノス以外は、ほとんどがシリアスな敵幹部ばかりでしたが、
スプラッシュスターになると大分敵の描き方にも自由さが加わり、一段と面白くなっています。
正直、モエルンバ・ドロドロン・ミズシタターレだけで既にお腹一杯なのですが、
それに加えて後半では、「キントレスキー」という歴代プリキュアの世界でも
名物キャラの誉れ高い幹部が登場しますからね・・・

プリキュアオールスターズでも、初代からは一人だけ敵幹部が選出されている中、
スプラッシュスターからは、カレハーン・モエルンバ・ミズシタターレ・キントレスキーと
四人も選出されている事から分る通り、そのキャラの濃厚さは、歴代の中でもホント、群を
抜いていますよね。

さて、スプラッシュスター第六巻(21~24話が収録)を久しぶりに見てみましたが、
この巻は、満と薫がベースになっています。
アクダイカーンの「滅びの力」から生み出された二人が、命令により、咲と舞を倒すはずだったのに
二人の優しさ・包容力・生きる力に段々と魅了されていき、最後は、ダークフォールの戦士としての
運命を変えていく事を決意したという展開は、
後のフレッシュのパッション、スイートのビートを連想させますが、
三者は微妙に異なる部分があると思います。

〇満と薫の場合

 二人は、最終回の10話前辺りでようやく復活します。
 そして、組織を裏切る結果となった事に苦悩します。
 だけど、満と薫の場合、パッション・ビートと明確に異なる点は、
 ほとんどプリキュア達や人間社会に害を与えていない事です。
 満と薫は誰かを傷つけたり、被害を与えたという事は幸いにして皆無に近いです。
 それゆえ、あくまでダークフォールという自分達がかつて存在していた組織を裏切る事に
 なってしまった事だけを苦悩しています。

〇パッションの場合

 パッションは、三者の中では最も苦悩が大きいと思われます。
 第一に、ラビリンスという敵側組織を明確に裏切った事も大きいのですが、それ以上に
 人間社会に与えた被害やダメージは、パッションの場合半端ないものがあります。
 イース時代に他者を相当のダメージで傷つけてしまった「罪の大きさ」に
 パッションは大きな後悔と苦悩をしょい込む結果となってしまいます。
 だからこそ、初期の段階では「プリキュアに自分がなっても本当に良いのか」という
 自問自答を繰り返すことになってしまうのです。
 
 「パッション」という言葉には「贖罪」という意味もあるそうです。

 プリキュアとして蘇った事は、同時に罪滅ぼしをするという事だと思われます。
 
 フレッシュの場合、物語全体のテーマとして「再生」というものもあると感じます。
 パッションとして蘇り、これまでとは全く別の生き方をする事で、自分自身を
 生まれ変わらせていくという事なのだと思います。それがパッションの場合、贖罪という
 生き方にもつながっていきます。
 フレッシュの場合、単純に後悔→贖罪という図式だけではなく、
 一度罪を犯した者も「ラブと一緒にハッピーになっていこう!!」というメッセージもあるのも
 すごい事だと思います。

〇ビートの場合

 ビートの場合は、更に苦悩が深まる結果となります。
 元々在籍していた「メイジャーランド」をハミィへの嫉妬の気持ちから裏切り
 「マイナーランド」へと移り、キュアビートとして誕生した後に再度メイジャー側に戻るという
 事は二重の裏切りという事になってしまいます。
 合わせて、他者を傷つける数々の行為は、パッション以上です。
 
 ビートの場合、自分自身に内在する悪魔=嫉妬の感情から、結果的に元々いた組織を裏切る事に
 なったのですが、最終的にそれが「元のさや」におさまるという事なのですから、
 二重の裏切りという結果でも、ホッとする部分もあったかと思われます。
 
 だけどスイートの場合、厄介なのは「嫉妬」というマイナスの感情が存在している点なのだと
 思います。
 それゆえに、ビート自身も、パッション以上に苦悩し、大泣きする場面も
 ありましたしね。


話が脱線しました・・・スプラッシュスターに戻ります。

第24話は、相当密度の濃厚な回だと思います。見どころ満載です。
満と薫の消滅→落ち込む咲と舞→励ます妖精達→空の泉の復活とフィーリア王女との対面→
ムープとフープ登場→ミズシタターレの登場→戦闘→シタターレのプリキュア撃破→新しい力の登場
が主な内容ですが、
ミズシタターレのインパクトは相当のものがありました。あの高笑いは、結構好きです。
いかにも年季の入った「年増女」という感じなのですが、
それがまたいいですよね。
第24話では出てきませんが、これ以降毎回毎回咲に「ハナミズターレ」など名前を
間違えられるのは、名物シーンだと思います。

それにしても初登場時のミズシタターレは本当に強いですよね。

第24話は、「ムープとフープ登場」というタイトルですが
申し訳ありませんが、このタイトルはあまり相応しくないように思えます。
「ミズシタターレ登場、オー、ホッ、ホッ」という方が何か
合っているような気もします・・・

シタターレはスプラッシュスターの幹部の中では最も長寿で、計9話に渡って
プリキュア達とバトルを展開していきます。
確か記憶なのですが、1980年は結構記録的な冷夏だったと思います。
中学三年生の夏というと、一般的には受験勉強にそろそろ専念という時期だったと
思いますが、吹奏楽部の場合、コンクールは8月~9月に開催されますので、
夏休みもほとんど練習三昧だったと思います。
いつもの季節ですと、練習が終わると学校のプールで涼んでいくのが楽しみだったのですが、
この年は、本当に暑くなくて、プールなんて入る気にもなれなかった記憶が
あります。

理由は記憶にないのですが、いつもですと音楽室での全体練習が多かったのですが、
この年はやたらと体育館での練習が多かったような記憶があります。
体育館は、音の残響が半端でなかったもので、ヴィヴラートを少しかけただけで
何か一見素晴らしい音の響きのようにも聴こえたので
結構体育館での練習は好きでした。

課題曲の「北海の大漁歌」も自由曲の序曲「祝典」もアルトサックスにとっては
技術的にそう大変ではなかったので、
他のパートが指揮者に連日連日怒鳴られているのを横目に、結構余裕の気持ちで
練習をしていた気がします。
前年までのクラリネット時代は、そういう余裕は全くありませんでしたしね・・・

また話がそれてしまいました・・・

1977~81年の全国大会って、結構課題曲が一つの曲に集中していたと
思います。
77年→バーレスク
78年→ジュビラーテ
79年→フェリスタス
81年→コラージュ

そして、80年は、Aの「花祭り」に集中していました。

〇東海大学第四

 数少ない課題曲C/北海の大漁歌を演奏してくれたチームの一つですが、この演奏は
 お手本のような演奏ですね。ソーラン節もきっちりとしていました。チーム全体の
 キャラクターとして、「真面目さ・丁寧さ」というものがあり、表現としては少し窮屈だけど
 手堅い演奏だったと思います。
 自由曲の「リエンチ」も重厚な感じでまとめられていました。
 よく言うと、模範的 少し悪く言うと無難にまとめていました。
 このチームの個性が開花するのは、この演奏の数年先です。

〇高岡商業
 
 前述の通り、課題曲は前橋商業の枯れた感じとは全く対照的に、モダンな感覚で
 前進していくような演奏でした。よく言うと、リズム感がシャープ 悪く言うと
 少しサウンドがドライな感じ
 だけど、こうした感覚の表現も悪くないと思います。
 自由曲の「パシフィックセレブレーション」組曲は、ただただ「鮮やか」という言葉しか
 出てきません。どちらかというと、ドライでシャープなサウンドがこの自由曲に
 ピッタリとマッチしたと思います。
 小太鼓のリズム感もドンピシャ、金管楽器のどこまでも明るい音質は、自然な盛り上がりに
 貢献していたと思います。
 参考までに、この時の演奏は、祈り・パレードを取り上げていましたが、これだけを聴くと
 祈りが第二曲、パレードが第三曲という風に誤解されるかもしれませんが、
 本当は、第一曲がパレード 第二曲が祈り 第三曲がページェントです。
 だから高岡商業は、第二曲・第一曲の順で演奏したのだと思います。
 ちなみに、第三曲ページェントは、同年に関西学院大學が自由曲として取り上げています。
「yes!プリキュア5」のシリーズの中でも、第43話「こまちの決意とナッツの未来」はとても
好きな回の一つです。
(でもやはり一番好きな回はベタですが、神降臨の第24話の回かな・・・)

脚本と演出に秀でているせいもありますが、色々と印象的なセリフも数多くあります。

1.こまちが変わればラストも変わる

 のぞみは、この2話後の話でようやく、「パルミエ王国が復活する事≒大好きなココとの別れ」
 という事に気が付きますが、
 こまちは、既に気が付いています。当然かれんさんもお見通しです。
 こまちの気持ちは、自作の小説を通して、以下の二つの気持ちを揺れ動いていたと
 思うのです。
 
 ①プリキュア5のメンバーと誓った通り、パルミエ王国を復活させたい。
  だけど同時にそれは、ナッツとの別れを意味してしまう。
  だけど、メンバーとの約束も当然果たしたい。
 
 ②ナッツが永遠にこの自分達の世界にとどまっていて欲しい。だけど、それは逆に
  ナッツの夢がかなわない事を意味する。

 要は、本音は「ずっとこのままでいたい」という事なのでしょうけど、それは大好きな人の
 未来を奪ってしまうことになつてしまう。
 その二つの思いの間を彷徨っているという事なのだと思います。

 そうしたこまちの気持ちを分っているからこそ、かれんさんの上記のセリフが出たのだと
 思いますが、さすが分っている人は違うものですね・・・

2.大事なのは後悔しない事なんだろう? こまちに相応しいラストシーンが見つかるはずだ。

 これはナッツのこまちに対するセリフなのですが、少し解釈は分かれると思います。
 ナッツの立場からすると、確かにパルミエ王国の復活というのは、ココナッツだけでは
 到底出来る事ではありません。のぞみ達の力を借りないと出来る事ではありません。
 その他者依存ゆえに、ナッツ自身も未来に対しては、相当の不安を抱え込んでいるのだと思えます。
 うがった見方をすると、「万一パルミエ王国が復活出来なかった場合は、こまち達の心理的ダメージは
 相当なもので、必ず後悔するはず。だからこそ何とか自分達に力を貸して欲しい」という事
 なのかもしれません。
 一方こまちにとっても、難しい「問い」だったと思います。
 確かに当事者であるナッツに自分の本音をぶつける事自体難しい場面であったと思いますし、
 こまちの迷いの原因が当事者であるナッツなのですから・・・
 だけど一方で、「かれん達もこまちを心配しているし全員こまちを心から応援している」
 という事に改めて気が付き、
 自分一人の迷いだけで自分自身を追い込み、自分自身の事を考えるだけで精一杯で、周囲の人達の
 配慮や思いやりに全く気が付いていなかったことに大泣きしてしまいます。

 要は、「後悔しない事」=「メンバーとの約束を守る事、パルミエ王国の復活に全力を尽くす」という
 意味を改めて自覚したのだと思います。
 自分の事を常に気にかけ暖かく見守ってくれるメンバーとの約束を果たす事が「後悔しない事」であり
 仮に、パルミエが復活出来なかったら、恐らくは自己嫌悪が止まらないほどの後悔が生じてしまう
 という事への再認識だったと思います。

3.だって自分で決めたんだもん。自分の夢だもん。だから自分のためだもん。(のぞみ)
 
 これは私達一人一人のため。後で後悔しないためのね。(かれん)

 これは自分のため。自分にちゃんと接してくれる人達にちゃんと向き合うために。
 どんな未来になったとしても私がちゃんとしていられるために
 そう私のために
 (こまち)

 ホント、これらは熱い言葉ですよね。
 自分達が生きる上でも、毎日をいかに乗り切るか目の前の事を精一杯成し遂げる事は
 簡単なようで中々できない事です。
 それに加えて、何か一つでも良いから
 「自分の存在意義」・「この世で生きていた何かの証」・「自分の思いを後世に何かほんの
 少しでも良いからメッセージを残したい」を具現化させることは
 本当に難しいと思います。
 だけど、それは自分自身にとっても永遠の課題です。
 それは、現在の年齢は関係ないと思います。
 自分がこの世から消えるまでの間の永遠のテーマだと思います。
 
 だからこそ、上記3のプリキュア達の言葉は本当に心にしみます。

 今自分自身も将来、果たして何年先まであるかわかりませんが未来に対して
 「これだけはやっておこう。自分が生きてきた痕跡をほんの少しで良いから残したい」という
 夢もあります。
 決して、他人や社会の為でもない。
 自分自身の「夢」のために、のぞみ達の言葉はいつまでも胸に秘めておきたいと
 思います。
 それこそ、後で(死ぬ間際に)「後悔」が生じないためにも・・・・




それにしても、この第43話は、見どころが満載で
様々な「小ネタ」もあったりします。

りんちゃん 「出たな、ナイトメア」
ハデーニャ 「人を化物みたいに言うんじゃないよ。化物みたいなもんだけど」の
一人突っ込み

ハデーニャが「今日の私は覚悟が違うんだ。お前達のようなひよっこになめられて・・・」
のセリフを遮ってのプリキュアの変身シーンと
歴代プリキュアの敵幹部でお馴染みの「人の話は最後まで聞け」の名セリフの再現

ミント砲炸裂シーン

吹っ飛ばされたのぞみが、木にひっかかり「もうヤダ」というシーン
(珍しく胸元が妙に気になったりもします・・・)

1980年(昭和55年)ってどんな年だったんでしょうか・・・?

振り返ってみると、自分自身は当時中学三年生で、高校受験を控え重い気持ちの反面、
吹奏楽部の中では、(当時は)あまり好きではなかったクラリネットからアルトサックスに
コンバートされ、簡単に音が出て、簡単に綺麗な音を出せ、簡単にビブラートをかけることが出来
リードミスがまずないアルトサックスの魅力にとりつかれて
新しい気持ちで「楽器」を吹くことを楽しんでいたと思います。
学校自体、当時は(今では信じられないけど)一学年14クラスもあり、さすがにまずいという事で
向陽台地区を分離することとなり、
(その向陽台中学校は、昨年、一昨年は全国大会にまで駒を進めていますからね・・・
 時代は変わったものです。向陽台中学校は、開校一年目は、課題曲C/自由曲:吹奏楽のための民話で
 宮城県大会で銅賞を受賞しています・・・)
部員も半分以下に減ったのでした。
だけど、結果的に大嫌いだった部員達全てが、偶然にもラッキーにも分離してしまった地区の人間
でしたので、このラスト一年間は、本当にのびのびと吹いていた印象があります。
自分達自身も、部員が半減したので、これまで出場していた45人以上のA部門から一気に
25人編成のC部門に落ちましたが、これで妙なプレッシャーもなくなり、
課題曲C北海の大漁歌 自由曲/エリクソン・序曲「祝典」をとにかく楽しんで吹いたと
思います。
もっとも課題曲には、わずか4小節でしたが、アルトサックスのソロもあり、
地区予選・県大会では、生涯のコンクールで最初で最後のソロを無事に全うできたと
思います。

日本の政治経済状況は、第二次オイルショックで高度成長期が終焉を迎え、大平首相が急死し、
鈴木善幸内閣が登場し、「和の政治」を唱えていた時代でした。
この年に山口百恵とか王貞治も引退したと思います。
時代的には、携帯もパソコンも何もない時代でしたが、まだ日本社会には
モラルがそれなりに機能している時代だったなーと今にして振り返ると、そう感じます。

話がそれてしまいました・・・・

〇天理高校

 課題曲の「オーバー・ザ・ギャラクシー」は正統派の演奏です。だけど気になることは
 トランペットセクションのメロディーの中で、二番・三番ばかりの音が聴こえ
 一番の主旋律がかすんでしまっている事ですかね。
 リズムとビートがドンピシャという感じです。
(何かこう書くと、スイートプリキュアの世界みたい・・・)
 自由曲(ストーンヘンジ交響曲)は、メカニックな側面というか、機能的な側面が遺憾なく
 発揮された演奏です。
 曲自体「情緒」というものよりも、何となく「機械的表現」重視という感じもするのですが、
 そうした曲を極めて冷静に知性的に処理していたと思います。
 技術的には一つの完成と言っても過言ではないと思います。
 何となく吹奏楽版「春の祭典」といってもいい曲なのかもしれませんけど、
 いかにも「いけにえの踊り」という感覚をよく表現していたと思います。
 この時の天理のサウンドは、金管の音が少々硬いものの、全体的に精密な設計図を
 寸分違わず施工しているという感じがします。
 クライマックスのすさまじいfffもお見事!!
ラストの静粛、ウインドマシーンも効果的でした。

〇銚子商業

 「ディオニソスの祭り」のパイオニアは、77年の銚子商業という話はよく聞きますが、
 個人的には、この年の銚子商業のディオニソスの方が好きです。
 こんな難曲中の難曲を極めて理性的に処理している事に驚きを感じます。
 この曲を演奏する時にありがちな音のムラとか細かい音部の未消化とかは全く
 ありませんでした。
 一体普段どんな練習をしていれば、本番でもこうした緻密で知性的な演奏が出来るのか
 是非知りたいものです。
 後半の追い込みも素晴らしいです。

〇花輪高校

 ハチャトゥーリアンの交響曲第二番「鐘」第一楽章と表記されていますが、
 実態は、第一楽章のおいしい部分+第四楽章ラストの混成創作アレンジと言っても
 過言ではないと思います。
 実際、自分自身もこの演奏を聴いて、
 「えー、第一楽章でこんなに劇的に終わらせて、この後の展開はどうなってしまうのだろう・・」と
 感じたものですが、上京して、上野の東京文化会館五階の音楽資料室で
 原曲を聴いた時、ぶったまげたものです。
 「えーー、花輪の演奏は、小林先生の創作アレンジじゃん・・」と・・・
 だけど小林先生の編曲の素晴らしさ・構成の素晴らしさには、ある意味感服いたします。
 演奏は、本当に迫力十分です。
 作曲者も第二次世界大戦中にこの曲を仕上げていますが、こうした生々しい迫力や悲壮感は
 戦時中でないと中々出てこないと思います。
 小太鼓の素晴らしい撥さばき、金管セクションの重厚な咆哮、花輪の一つの頂点だと思います。
 でも花輪高校は、こうしたロシアのマイナーシンフォニーがよく合っていると思います。
 後年、「バッカスとアリアーヌ」とか「チェックメイト」・「三角帽子」を演奏していましたが、
 花輪にこうしたフランス音楽やメジャーな音楽はあまり似合わないような
 気もいたします・・・
 でも花輪のこの演奏のラストの高まりは、
 「さーて、この後自分達はどうなってしまうのだろう、どこへ向かっていくのだろう、
 誰にも分らない、不安だ、まずい・・・」という悲壮感・切迫感が本当によく
 出ていたと思います。
当時はまだCDが出ていませんので、コンクール実況の音源はレコードでした。
確か、Vol.7だったと思いますが、このレコードの中に
秋田南から東海大学第四までの計8団体が収録されていましたが、まー、この8団体のレベルは
恐ろしい位までに高いですね。
1980年大会は全体的にレベルは高いのですけど、特にこの8団体は、特筆すべきものが
ありました。

〇秋田南

 五年連続金賞がかかって大変なプレッシャーだったと思います。
 前述の玉川学園も同様に五年連続がかかっていましたが、こちらは実に伸び伸びと大胆に
 挑戦していました。
 秋田南は、相当の緊張があったと感じられます。それは特に課題曲において感じ取れます。
 楽譜通りにきちんと吹いているものの、何か内面的掘下げが不足しているようにも感じられます。
 前橋商業のように枯れた感じでもないし、高岡商業のようなリズム感でもないし・・・
 その辺りを象徴するのは、ラストのコールアングレのソロの前の拍子木だったかな・・?
確か一発目を外し、二本の拍子木のうち一本を確か床に落とし、反射的に締太鼓にもう一本を
 打ち付けたというようなエピソードがあったようなのちの後日談で聞いたような
 記憶があります。
 自由曲の三善晃の交響三章はまさにウルトラ級の超名演です。
 これは課題曲と対照的に内面的掘下げが素晴らしい!!
確実に聴衆に何かを伝えたと思います。
 出だしのフルートソロから段々とテーマが暗示され、深まっていく曲なのですが、
 静と動の対比が素晴らしい。
 途中、トランペットが本当に豪快に音を外す箇所があるのですが、それが全く気にならない程
 内面的に完全燃焼し尽くしている充実感がそこにはありました。
 (同様の演奏は、前にも書きましたが、その翌年の東北大会の大曲高校の
  交響三章の演奏にも見られました。もっとも大曲は第二楽章の演奏ですが・・・)
 交響三章の名演は、1989年の習志野とか、96年の常総学院など色々ありますが、
 やはりこの年の秋田南の内面的スケールの大きさを超える事はなかったと思います。
 とにかく演奏は「緻密」の一言に尽きます。
 6年後に指揮者の高橋先生は勇退されますが、その最後の演奏は、この交響三章でしたが、
 正直「うーーん」という何も伝わらない演奏でしたね・・・

〇福岡工大付属

 今にして聴くと驚きですが、このチームが何と邦人作品を演奏しています。
 「踊る喜遊曲」という自由曲なのですが、この曲を支部や全国で演奏したのは、
 自分が知る限りでもこのチームだけです。
 だけどこの曲は実に面白い。
 聴き方によっては、すごい単調に聴こえるかもしれませんけど、
 打楽器の扱い方がすごく面白い。
 奏者も楽しんで吹いているのがよく伝わってきています。
 鄙びたというわけでもないし、祭りというわけでもない・・
 チャンチキみたいなリズム楽器が終始曲をリードしているのは実にユニークだと
 思います。
 似たような感覚の曲として、兼田敏の「シンフォニックバンドのための交響的音頭」
 というものがありますが、兼田敏はいかにも「日本人の心のふるさと」という曲調なのに対し、
 こちらは、邦人作品というよりは、原始時代の人の集まり→踊りのような感じもします。
 曲のラスト近くで、打楽器だけの箇所がありますが、ここから更にラストスパートで盛り上がって
 いくのですが、この組み立ても実に自然で良かったと思います。
 だけど審査員には、この単調さがピンとこなかったのか銀賞にとどまっています。
 非常に惜しい銀賞の一つです。

〇淀川工業

 後にこのチームは、三年に一度はこの「大阪俗謡による幻想曲」を自由曲として選ぶ事に
 なるのですが、その記念すべき最初の演奏が実はこの1980年なのです。
 この曲自体、この時の演奏が確か全国初演じゃないのかな・・・?
 演奏は本当に惚れ惚れする位素晴らしいものです。
 淀川工業のこの後の「大阪俗謡」は、毎回それなりに素晴らしい演奏なのですけど、
 やはり今一感銘度が低いのは、この年の演奏のインパクトが強すぎるのかも
 しれませんよね・・・
 この曲を取り上げる団体は、前半の鈴を両手に高く持って、おろしながら鈴を鳴らしていく
 スタイルが多いのですが、それは、この年のこのチームが元祖なのでしょうね。
 チャンチキと締め太鼓のリズムのノリの良さは特筆すべきものがあります。
 オーボエの鄙びたソロの後の追い込みも実に自然でお見事。
 以前札幌白石がこの曲を演奏した時、「つまらないノリが悪い演奏だなー」と思ったことがあります。
 どこが違うのかなーと思ったら、やはり「ノリの良さ」なんでしょうね。
 この年の淀川の演奏は、「わてら、アホやねん。アホだけどどこが悪いやねん」という
 奏者の気持ちが十分伝わってくるものでした。
あくまで個人的主観ですが、これまでの全日本吹奏楽コンクール・高校の部における
一つの頂点は、1980年の第28回大会なのではないかと
思っています。

というか、この年のレベルの高さは尋常ではないと思います。
技術的という意味でも勿論ありますが、その表現力、音楽性の高さは
本当に一つの極みに達したと言っても過言ではないと思います。

特に、秋田南~交響三章 福岡工大付属~踊る喜遊曲 淀川工業~大阪俗謡による幻想曲の
三団体続いた邦人作品への切り込みは、
今聴いても斬新なものを感じます。

何でこんなにレベルが高いのでしょうか・・・?
前年度も相当にレベルが高かったと思いますが、この年になって
何の脈絡もなく、突然大きな飛躍が見られたような気がいたします。

〇就実

 課題曲のコールアングレの最後のソロは、本当に素晴らしいとしかいいようがありません。
 というか、このチームはプログラム一番で、朝9時近くの演奏開始なのに、
 音楽が課題曲の始まりから全く眠っていません。
 自由曲の「ル=シッド」のソプラノサックスとコールアングレとフルート(だったかな・・?)の
 木管群のソロは、お見事しか言いようがありませんし、サウンドに気品と色気の両方を
 感じさせます。
 早い部分でのリズム感も抜群。
 とにかく「鮮やか」としか言いようがない演奏で、私は大好きです。
 就実というと、このル=シッドと82年の幻想舞曲集が二大名演だと思いますが、
 幻想舞曲集が「静」とすると、
 この年は「動」ですね。

〇前橋商業

 個人的には、全部門を通じて最高の課題曲A(花祭り)と評価したいです。
 前橋商業は、この年の前から、木挽歌・雛歌第一番などで小山清茂作品と深いつながりが
 ありましたが、さすがこの課題曲を演奏させたら右に出るものはいないという感じです。
 全体的にテンポがゆっくりです。だけど、それが全体的に音楽を幽玄なものに
 していると思います。
 ラストのコールアングレのソロも就実と同様にお見事
 (わざとチューニングを上げているような気もしましたが・・空耳かな・・・?)
 自由曲の雛歌第二番も素晴らしい出来でした。
 第二曲(確か「うぽぽ」という楽章だったかな・・のトロンボーンの強烈なグリッサンドと
 ティンパニーのソロも見事に決まっていました。
 よくトロンボーンの高音域を外す事もなく吹けていたと思います。
 全体的に、この演奏は「枯れた」ような演奏です。
 だけど、よくここまで小山清茂の「日本人としての心」を鄙びたような感覚で
 演奏できたと思いますし、敬意を表したいと思います。
 この演奏を最後に指揮者の大木先生は引退し、前橋商業は全国に出ていません・・・
 余談ですが、1992年の山梨県大会の審査員として大木先生が来た時には、本当に
 嬉しかったです。
 
 追記
 
 課題曲Aの演奏において、このチームが枯れた演奏だとすると、
 高岡商業の課題曲Aは、全く対照的に現代感覚に溢れた、りずーむがシャープな
 実に若々しい演奏を披露し、面白く感じたものです。

〇玉川学園

 以前このチームのこの演奏を書いたので、深くは書きませんが、
 自由曲の「アルメニアンダンスパートⅡ~ロリからの歌」をノーカットで
 突進していった積極的な姿勢を高く評価したいと思います。
 重々しい序奏と中間部の歌をたっぷりと歌い上げ、
 アレグロの部分の「快走」は気持ちの良いものがあります。
 シロフォーンの音が強すぎるけど、これがまた気持ちよく響いてきます。
 後半のホルンの雄叫びもトロンボーンのはもりもほぼ完璧。
 五年連続金賞がかかった年ですが、全くプレッシャーを感じさせず、
 気持ちの良いまでに全力を出し切ったこのチームには本当に脱帽させられます。
 素晴らしい名演でした。
 (審査員は「音量過剰」とか言いそうだけど・・・)

〇市立川口

 前年度の「二つの交響的断章」の歴史的名演の翌年の演奏ですが、
 この年もいかにも「吹奏楽オリジナル」らしい曲のマクベスの「神の恵みを受けて」を
 引っさげて全国に臨みました。
 マクベスは、前半と後半が極めて対照的な曲ですが、その違いをうまく表現できていたと
 思います。
 かなり豪快に音は鳴らしていたと思いますが、サウンドが整理されているため
 音量過剰とは感じませんでした。
 ネリベル・マクベスの曲は、不協和音でも、鳴らし方によってはオルガンのように
 聴こえる事を、この演奏でも実証してくれました。
 演奏終了後の声援は、このチームが一番大きかったようにも思えます。
 (この頃の聴衆は、まだマナーというものがあったので、今ほどやかましいブラボーや
  演奏終了直後のやらせ的声援はあまり無いので、幸いです。)

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