昨年「スイートプリキュア」のメロディーのフィギュアをUFOキャッチャーにて入手出来ました。
スマイル同様、完成度はやはり高いですね。
(というか、ハッピーとビューティさんの完成度の高さは特筆に値します・・・)
響って「明るい・活発」というイメージをついつい持ってしまうのですが、
プリキュアシリーズを通して屈指の「寂しがり屋+何らかのコンプレックスの持主」という
側面もあると思います。
何となくですが、このフィギュアからもメロディーの「物悲しさ」が微妙に伝わっている
ような気もします・・・
(錯覚かな・・・?)

スイートの響は、当初は奏との様々な誤解やすれ違い 同様に父親との誤解やすれ違いが
発生している事から物語が始まっています。
スマイルのみゆきと違って、必ずしも響は「充たされている女の子ではない事」が
ストーリー全体の大きな鍵となっているのだと思います。
振り返ってみると、プリキュアシリーズ全体を通しても、プリキュア5以降に
プロデューサーが交代してからは、これまでの勧善懲悪的要素・一人の主人公の絶対的エース的存在から
少し内容的に変容していった感じがします。
だけど、これはシリーズ全体のマンネリ化を防ぐと同時に、物語に何か「テーマ」を持たせることで
更に作品の質・面白さを向上させていった点で本当に素晴らしい事だと
思います。
(ま、だけど個人的にはプリキュア5、特にのぞみが一番好きなのですけどね・・・)
フレッシュの場合は、せつなのプリキュアとしての覚醒以降、どうやってせつなの罪悪感を
解放させ、幸せをゲットできるようにさせていくのか「再生」の物語
ハートキャッチは、各個人個人が持っている「弱さ・コンプレックス」とどう向き合っていくのか
その心の解放をテーマにした物語
そして、スイートは、各個人が成長に伴い発生してしまう「他者とのすれ違い・誤解」を
どうやって埋めていくのかを初期の頃はテーマにした物語
と言えるのかもしれません。
現在の「スマイル」はどうなのかな・・・?
色々と思いつくことはあるのだけど、最終的な解釈は最終回まで待ってみる事に
してみましょう。
(だけど、スマイルの世界はホント、大好きです。プリキュア5の水準にまで達したかも・・・)
スイートの初期の頃、響が音楽嫌いになってしまった理由として
父親からの「いまの演奏は音楽を奏でていない」という何気ない一言があったというのが
ありましたが、その気持ちは何かよく分るような気もします。
自分自身も学生時代はずっと吹奏楽部に所属し、アルトサックスやクラリネットを吹いていました。
中学生の頃、よく指揮者の先生から
「お前たちの演奏は音楽ではない」と、響が言われたように「抽象的」な事をよく言われたものです。
「下手くそ」とか「ピッチ・リズムが合わないから死んじまえ」みたいな罵詈雑言は日常茶飯事
だったのですが、その一方で
「音楽になっていない」とか「音楽が死んでいる」とかそうした抽象的な言葉もよく
言われたものです。
今にして思うと、要は「気持ちが入っていない」という事なんだと思います。
だけど、それを小さな子供や中学生レベルの子供に話しても分らないと思います。
理解度が低い者たちには、「自分達の頭で考えなさい」とか言われても
一部のもの以外は分るはずはないと思うのです。
やはり、「これこれ、こうした点が良くない」とか「こういう所をもう少し気を付けて」と
具体的なメッセージをその都度発信していかないと、理解度がまだ未熟な者たちに
抽象的なメッセージを発信されても困惑してしまうだけではないかと思うのです。
スイートの響もその点が発起点となって、父親とのすれ違い・音楽嫌いになっていったのかも
しれませんよね。
その点は、ホント、響の気持ちも何となくわかります。
でもそれは、大きくなって社会人になってからも同じだと思います。
自分自身も20代後半、山梨にてそりの全く合わない上司から連日連日今で言う「パワハラ」を受け
「お前は、お客の気持ちが何もわかっていない」みたいな事をよく言われていました。
ただ、そのお客というのも、「借りたお金を返さない延滞不良債権顧客」だったのですが・・
当時、自分は銀行の営業担当で、債権管理・延滞金管理も行っていました。
その嫌な上司が言っていたお客というのも、債務条件変更・借入資金の一本化・債務期限延長と
それまでの間色々な話し合いを経て、その時点に至っていたのです。
それに対して、「お客の事を何も考えていない」とか「冷たい奴」とか言われても
「えっ?」という感じだったです。
そして、私が「じゃーどうすれば良いのですか」と聞いても何もアドバイスもなく
「そんなのは自分で考えろ」しか言いません。
当時の自分は、自分に非があったとは思えませんし、分らないからアドバイスを求めていたと
思うのです。
「自分で考えろ」というのは、一見便利な言葉ですが、
案外これこそ「思いやりのない言葉」だと思うのです。
分っている人間に対して、こうした言葉を使うのは全然OKだと思うのです。
分らない人間に対しては、具体的なアプローチを提示させないと、お互いに不信感を
招くだけなのかもしれません。
何かスイートの第三話を見ていると、こんな事が急に思い出してしまいました。
話が脱線してしまいました・・・
「音楽を奏でる」って何なのでしょう・・・
その答えは、中学時代にはとうとう見つける事が出来ませんでした。
高校に入ってやっとわかったという感じでした。
うちの高校は、田舎の男子校で、何と一般的な学校には必ずいる「顧問の先生=指揮者の先生」が
開校以来誰もいないという学校でした。
毎年、現役の部員の生徒の中から、指揮者を選出し、自分達自身で音楽を作り上げていくという
学校だったのです。
これは、正直当初の頃はやりにくかったものの、
自分達で音楽を作り上げていく難しさと楽しさの両方を体験できました。
結局、自分自身が「音楽」を好きになっていったきっかけは、この高校三年間が全ての
原点だったのかもしれません。