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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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ショスタコーヴィッチの交響曲第10番は結構好きな曲です。

だけど、曲自体は長くて陰気な曲で、決して楽しく聴けるタイプの音楽では
ありません。全体的に重苦しく閉塞感の強い曲だと思います。

ショスタコは、第二次世界大戦終結後に作曲された交響曲第9番が、世間や
当時のソ連の指導者スターリンの「戦いに勝利した歓喜の交響曲」という期待を見事に
裏切り、比較的軽いノリの曲だった為、スターリン達の逆鱗に触れてしまいます。
(私自身は、この交響曲第9番は、大好きな曲です。全体を通して、おもちゃ箱をひっくり返した
 ような聴き所満載の曲です。特にファゴットの悲壮なソロから一転して、「なーーんちゃって」
 とアッカンベーするような第五楽章への転換部分は、気分爽快です・・)

その結果なのかどうかは分かりませんが、ショスタコ自身は、スターリンが死亡するまで
約8年間、交響曲の筆を断絶し、スターリンが死亡したと同時に、この謎めいた交響曲第10番を
発表するのです。

でもこの曲明らかにバランスが悪い・・・

というか、重苦しくて陰鬱な第一楽章が長過ぎるからそう感じるのかもしれません。
そして、逆に第一楽章とは対照的に明らかに短すぎる第二楽章・・
作曲者自身の言葉では、この楽章は「スターリンの肖像」と記されていますが、
暴力的で粗暴な曲の雰囲気は、確かにそうなのかもしれません。
そして、第三楽章は、一番謎めいています。
何となく、脱力めいた部分もあります。
曲が盛り上がってくると、ホルンのファンファーレみたいなメロディーの断片が
それを遮るという感じで、
何かこの楽章を聴くと、疲れる反面、ヒザカックンを唐突にくらったみたいな
脱力感があります。

第四楽章がこれまた面白い。

悲壮感漂う前半に対して、クラリネットのソロ以降の展開部では、幸福感さえ感じる
疾風のアレグロとなります。
それにしてもこの楽章のラスト10小節前辺りのティンパニーのソロは格好いいですね。
奏者冥利に尽きるでしょう・・・
それにしても第四楽章前半のオーボエとかファゴットの不安・寂寥感漂うソロに象徴される
寂しさは独特の雰囲気がありますね。
だからこそ後半が生きてくるのかも・・・

でも全体を眺めてみると、第一楽章の重苦しさが印象に残りすぎ、
第四楽章後半のアレグロだけでは、何の解決にもならないという
印象は残ってしまいます・・・
(これは、生で聴いてもほぼ同じような印象でした)

結局、この曲でショスタコは何を言いたかったのでしょう?

本来「人の死」というものは、悲しいもののはず。
だけど、この国(旧、ソ連)では、指導者スターリンが死なない限り
国民全体の開放感や幸福は訪れない・・・
そうした矛盾を皮肉を込めて作曲したのかもしれません。

といってもショスタコ自身も交響曲第13番・第4番に対して、11番~12番という御用作曲家という
面もあり、内在した矛盾を抱え込んでいるのかもしれません。
だけど、人間自体が、その感情が一定しないというか、その時の心情によって変容し、
ある時は「スターリンや国を発揚させる曲を書いてみよう。自分も国家の一員として
貢献したい」という気持ちもあったかもしれませんし、逆に「スターリンのタコ!!少しは
自分にも自由に作曲できる場を与えて欲しい。てめーなんか死んでしまえ」と思う場面も
あったのかもしれません。

この交響曲第10番は、「雪解け」という小説にも登場するそうです。
この曲をラジオで聴いた小説の主人公が、
「数字だ・・・無限の数字だ」とつぶやくシーンがあるそうですが、
この曲のどこに数字を感じる所があるのでしょうかね・・・

やはり人によって感じ方は様々なのですね。
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今年の「スマイルプリキュア」は分かりやすい・シンプルな構成・キャラクターが可愛い
という事で、小さなお友達にも大きなお友達にも好評みたいで、
何よりです。
昨年ですと、食玩フィギュアも結構売れ残りが目立っていたりしたのですが、
(メロディーが可哀想・・・)
今年は、逆に早い時期での売り切れもあちこちで見られ、
「スマイルプリキュア恐るべし・・・」と実感したものでした。

一般的に、5人のプリキュアの場合、ピンク:黄色:青:赤:緑の食玩フィギュアの
売上構成というか、出荷比率は、3:3:2:1:1 なそうです。
スーパーでも、比較的、ハッピーはよく見かけたのですが、
マーチが意外と入手しにくかったのは、これが原因なのかもしれません。
事実、プリンセスフォームの食玩フィギュアは、
マーチを入手するのに結構苦労しました・・・
発売は7月頃だったと思うのですが、入手出来たのが10月に入ってからですから・・

でも、プリンセスフォームのハッピーは、これまた可愛い!!

現在では、プリキュア5関係のグッズは中々手に入りにくいですね・・・

ドリームなんかは、それでも市場に出回っているようですが、
ルージュなんかは、商品自体見かけることが稀有ですので、尚更です。

でも、以前プリキュア5の目覚まし時計というか、ブック型の時計が
ゲット出来ましたので、
朝は、毎朝これに叩き起こされて、出勤しているようなものです・・・




これは、ミルキーローズも入っていますので、GoGo版です。

さすがドリームは主人公というか、中心人物なので、片方には一人で登場しています。
昨日と本日は、久し振りに二日間の休みでした。

9月と10月は仕事で忙しく、日中はいい意味でてんぱってばかりいて
緊張と集中状態が続き、首と肩が痛くて体が悲鳴をあげている中での休み
でしたので、ゆっくりとリフレッシュする事が出来ました。

もっとも二日間といっても、どちらかの一方は、妻との買物につき合わされ
(買物なんて、イトーヨーカドーとかイオンとか大型店一つで済ませればいいのに、
 うちの奥様は、事前にちらし等を色々と見て、大体平均して6~7箇所のスーパーやら
 ドラッグストアに行きたがるので、毎回毎回つまらない喧嘩になってしまいます・・・)
だから実質的にゆっくりと自分のために有意義に過ごせる時間は、結局一日だけと
いう事になってしまいます。

その一日を、プリキュア5を見て過ごすなんて、我ながら
ひどいもんだと思います・・・
(だけど好きなものは仕方が無い・・)

プリキュア5を見てみると、改めて現在のスマイルとの違いに気が付きます。

プリキュア5の場合、のぞみという中心人物が物語の核となり、
のぞみが他のメンバーをぐいぐいと惹きつけていくという感じですが、
スマイルの場合、前にも書きましたが、中心人物は存在しません。
スマイルの場合、みゆきという主人公も存在しますが、あかねもやよいもなおもれいかも
皆が主役という印象がします。
(それを象徴しているのが、文化祭の回かな・・?)

プリキュア5の場合、のぞみが物語の軸となっています。
尤も、りんちゃんもうららもこまちもかれんさんも主体性が無いという訳では
全然無く、彼女達にはそれぞれ目指すべき目標や夢があり、それに向かって日々
突き進んでいくという点では、のぞみと変わりはありません。

のぞみの場合、メンバー皆のために笑って、皆のために泣いて、皆のために叱咤激励する
という側面が強く、そうしたのぞみのために、各メンバーも心一つに集うというのが
プリキュア5のストーリーだと思います。

でも、自分の場合、細かい話は正直どうでもいいのです。
プリキュアシリーズを見ていると、何だか元気になる、可愛いものを見ていると
何だか「明日も頑張ろう」という気持ちになってくる・・
それだけで充分だと思います。

それにしても、スマイルに目が慣れてしまうと、プリキュア5が大人っぽく見える時も
あります。
特にかれんさんは、とても中三とは思えません・・・
(そんな事を書くと、アクアさんからサファイアアローで射止められそう・・)
でも自分にとっては、ドリームもハッピーも、りんちゃんもあかねも、アクアもビューティも
皆大好きです。

プリキュア5のフィギュアは、中々入手し難いですし、価格も高くて中々手が出ません・・

そんな中、UFOキャッチャーの景品のキュアドリームは
中々完成度が高くて、気に入っています。



これは、ドリームのへそが出ていますので、GoGo版ではなくて、
プリキュア5の方だと思います。

こうしてみると、ドリームも本当に可愛くて魅力的なキャラですね。
1982年の全国大会・高校の部も相当ハイレベルな年だったと思います。

この年は、前年と前々年の大会では一団体も出なかった銅賞受賞団体が、かなりの数
出ています。
思うのですが、確かに80年と81年は、相当ハイレベルの年なのですが、この年でも
「えー、これで銀賞とは少し評価が甘いのではないの?」と思えるチームも数多く存在するのは
事実だと思います。
(例/80→出雲・明治など 81→早稲田・駒沢・高松第一など)
金賞があまりに大量に出たので、銀賞の評価も甘くなり、銅賞が結果的にゼロになって
しまったのかな・・・?

75年~76年のように、銅賞が出場チームの半数以上というのも
どーかとは思いますが・・・

1982年大会の銅賞チームでも
印象に残っているチームはかなりあります。

○帯広三条

 プログラム1番という事もあり、初出場という事もあり大変な緊張状態だったと
 思います。
 だけどそれを感じさせない爽やかな感覚はとても好感が持てます。
 駒沢大学とか、99年の愛工大名電のように、ハーリ=ヤーノシュはついつい
 音量過多の力んだ演奏になりがちなのですが、このチームは
 それがほとんど感じられない。
 木管と金管のバランスがとれた良い演奏だと思います。
 トロンボーンのグリッサンドやアルトサックスの少しモノ哀しいソロも良かったと
 思います。
 第6曲の前半部分のトランペットのテーマ提示が終わった後のトロンボーンの
 爽やかな感じは、いかにも「青い空が一面に広がっている」というような
 気持ちの良さも伝わってきます。

○観音寺第一

 自由曲は「フィンガルの洞窟」という古典系を持ってきましたが、
 クラシック古典系を吹奏楽に置き換える難しさは充分に克服できていたと
 思います。
 演奏も終始控えめな感じでしたが、それが逆に新鮮に感じます。
 全体的にクラリネットの健闘が光っていました。

○首里

 それまでのエルザとかマイスタージンガーの名演の際は、木管楽器をベースに
 金管を組立てていく感じがしていますが、今回は
 ショスタコの5番という事もあり、これまでのパターンを変えて、
 金管を主体にしたせいもあり、色々とポロが出ていました。
 しかし、熱気は充分にありました。
 最後のホルンの音の外しというか、妙な和音の響きは何なんだ・・・?

○錦城

 下手です。
 だけど日本人にしか分からない感覚で演奏されていて、親近感はありました。
 音に独特の粘りがあって、それも面白い。

本当は一番印象に残っている銅賞チームは、屋代高校ですけど、以前書いたので
今回は省略します。
キュアハッピーは、歴代プリキュアの中でも群を抜いて可愛いと
思います。
勿論、シャイニールミナスとかドリームとか、ブロッサムとか
うざ可愛いジャンルのマリンとか色々いましたけど、本当に
可愛いと思います。

スマイルプリキュアの場合、歴代シリーズと比較して圧倒的に違う点が
あると思います。
それはメンバーの中に「核となる中心人物」が存在しないことだと
思います。

初代の場合は、ブラック
プリキュア5の場合は、ドリーム
フレッシュの場合は、ピーチ
というように各シリーズでは、中心となる主人公が明確に設定されていたと
思います。

スマイルの場合、どちらかというと、一人のメンバーが他のメンバーの精神的支柱と
なったり、一人が他のメンバーをグイグイと引っ張るパターンではないと
思います。
一人一人の個性がかなり明確に出ているので、誰か一人がまとめるというのではなくて、
以心伝心ではありませんが、各々が今自分が何をすべきなのか、何が出来るのかを
把握しているからこそ、中心人物がいちいち指示を出さなくても、分かっているという
事なのかもしれません。

それ故、ハッピーは、ドリームのようなカリスマ性は全く無い代わりに、
神が(製作者が)あの可愛さを与えてくれたのかもしれません・・・

バンダイのキュアドールのハッピーも可愛いのですが、
UFOキャッチャーの景品の「キュアハッピー」のフィギュアは本当に出来が良いと
思います。
キュアドールの場合、サニーとビューティさんは、ハッピーに比べると
少し完成度は低いかなーとも感じるのですが、
このUFOキャッチャーの景品シリーズの場合、サニーもピースもマーチもビューティも
皆完成度が高いので、本当に感心しています。111+002_convert_20121029221456.jpg

レコード

今日お客様の家にお伺いした時に、ご主人よりダンボール3箱以上分の
クラシック音楽のレコードを見せられた時は、さすがにびっくりしました。
聞くと、今ではぜんぜん聴いていないとの事・・・
「聴いていないならばスペースの無駄ではないの・・」とツッコミを入れたくも
なりましたが、無下にそう言うのも気が引けましたので、
神田神保町の古レコード屋に郵送で送って査定してもらって引取ってもらったらいかがと
アドバイスはしておきました。

レコードも、ベームとかカラヤンとかフルトヴェングラーとか
ドイツ系を中心としたいわゆる「名曲」系が多かったので、ゲテモノ(?)好きの
自分としては、あまり興味も無く、
自分が欲しいと思える盤もほとんどありませんので、
あえて「これちょーだい」みたいなおねだりはしませんでした。

でも改めて感じたのですが、昭和の時代の音楽愛好家の人達って
音源はレコードが相当多いと思うのですが、
ひうした人達も高齢を迎えて、
今の日本には、こうした聴かれることのない古レコードが各家庭に
相当埋れているような気がします・・・

なんか、こうしたものを現役世代で、現在音楽に飢えているけど、
聴くお金が中々ないという人達に廻せる術は何かないのかなーとも
感じてしまいます。

レコードとしての音源は残っているけど、CD化されていない名演も
かなりあると思います。

そういえば、旧ソ連のメロディアで録音されたレコード時代の音源で

意外とCD化されていないものも数多くあるような気がします。
例えば、シチェドリンとかフレンニコフとかね・・・

でもいずれCDにとって代わるソフトが出現すれば、CDにもレコードのような
状況が待っているのかもしれませんけどね。
スマイルプリキュアを見ていて、あかねちゃんが登場すると
無性にお好み焼きが食べたくなる瞬間があります。

こういう時、本当にコンビニって便利ですよね。
イトーヨーカドーで冷凍食品のお好み焼きが100円で販売されていて、
意外と結構これが美味しかったりするものですが、
ヨーカドーが締まっていたり、行くのが面倒な場合、
この冷凍食品のお好み焼きはセブンイレブンでも販売されていますので、
たまに夜食とかに頬張ったりします。

だけど、やはりあかねちゃんのお好み焼きには敵わないのかな・・・

初代でも、なぎさ・ほのか・ひかり達のたまり場として、タコカフェというたこ焼き屋が
頻繁に登場しますが、
ここの店主の名前は、同じく「あかね」ですので、製作者として何か意図するものが
あるのかもしれませんね。
初代のあかねさんも、スマイルのあかねちゃんも両方とも面倒見の良い姉御肌系ですからね。
でもシャイニールミナスというか、九条ひかりは一体どうやって、あかねさんを
操作して、あかねさんの従兄弟という事で、あかねさんの家に居候したのでしょうね・・・?
でもクィーンの分身だからそれ位簡単なのかも・・・

たこ焼きというと、もう一つ思い起こすのが、フレッシュでの
美希とせつなが初めてお互いが通じ合った回ですかね。
この回は、それまでほとんど接点が少なかったこの両者が信頼関係を築く
名シーンでもあるのですが、
ウェスターのアホっぷりが最高潮に達した回とも言えるのかもしれません。
(せつなが初めてラブの中学校に通った回の、野球対決の回も相当マヌケでしたが・・・)
たこ焼きを全部平らげた挙句、
「こんな美味いものを人間どもに食わせるわけにはいかん。そして残ったたこ焼きは
 みーんな俺が平らげるのだ」と高らかに宣言する辺りは、何度見ても失笑してしまいます・・・
というか、最終回の5話前でようやく、ウェスターは、メビウス様より粛清されてしまうのですが、
それまでのうのうと幹部として生き残っていた方が、もはや奇跡なのかも
しれません・・・

でもサウラーはともかく、ウェスターが最終的に改心して復活した時は
何かホッとするものはありました・・
(さすが、愛すべきアホ幹部・・・)

この回は、タコがナキワメーケとして暴れるのですが、
「たこちゅーーう」と叫んでプリキュア達と戦うのも何だか間が抜けていますし、
ベリー達にやっつけられて、ウェスターに「こら、このタコ、しっかりせい」と怒られている時も
「たこです」と弁解しているのは何か笑っちゃいますね。

あかねちゃんの個人回はもうないかな・・・

今度の日曜はれいかさんで、来週はなおの回かな・・・?
バレエ音楽「火の鳥」がとにかく大好きです。

原曲を聴くならば、組曲版としてではなくて、出来れば全曲版を
聴くことを強くお勧めします。

吹奏楽コンクールでのこの曲の初演というと、
一般的には駒澤大学を思い起こす人が多いかもしれませんが、
実はこの曲の全国大会初演は、職場の場、しかも新日鉄釜石なのです。

通常コンクールでは、魔王カスチェイの凶悪な踊りと終曲を演奏することが多いのですが、
中には、
御影高・今津中→王女たちのロンドと終曲
兵庫→魔王カスチェイの凶悪な踊り~子守歌~終曲という
パターンもありました。
兵庫の子守歌は、ファゴットが大活躍のアレンジでしたが、見事でした!!

ガッカリなのは、82年の出雲一中かな・・・?

序奏を加えた余計なアレンジのためか、魔王カスチェイも終曲も強引なカットだらけで、
正直これがあの名門出雲一中?と目を覆ってしまう演奏でした・・・
評価も銅賞でした。
(当時の出雲一中の錦織先生のアレンジは、正直ひどいものが多いですね・・・
 この火の鳥もひどいけど、出雲高校が80年に演奏した「海」も
 ひどすぎますね・・・大体どうして後半のトランペットが原曲ではオプションになっている部分に
 スネアドラムのロールを考え付くのだ・・・?意味が分からん・・)

個人的に「火の鳥」のコンクールで一番好きな演奏は、
83年の秋田南高校です。
もっとも、秋田南は、ぺトルーシューカ・春の祭典で金賞を受賞し、
ストラヴィンスキー三大バレエの残り一曲のこの火の鳥で金賞を逃したのは
何だか気の毒な感じがします。
結局現時点で、前年の「パロディー的四楽章」を最後に、30年近くも秋田南は
金賞から遠ざかっています。
確か現在の指揮者は阿部先生だったと思いますが、何とか頑張って
秋田南の復活を実現させて欲しいものです・・・
(勿論金賞だけが全てではありませんが・・・)

83年の秋田南は、天野正道氏の名アレンジもあると思いますが、
とにかく音のファンタジー感が素晴らしい!!

この学校の欠点である金管楽器(トランペット)の音の硬さは全く解決されていませんが、
木管楽器のしなやかな響きと清涼感は素晴らしいと思います。
打楽器の扱いも上手いと思います。
特に終曲でのクラリネット群の音色の清らかさと自然な盛り上がりは
特筆すべきものがあると思います。

残念ながら課題曲が少々平板な運びで、硬さも随所に目立っていましたので、
それが銀賞に留まった原因なのかもしれません。

1980年

1980年は、何か不思議な年でした。

当時は中学三年生で、高校受験を控え、何かピリピリしたものは常に感じていた
日々だったと思います。
当時は、吹奏楽部に所属し、この頃はクラリネットからアルトサックスに
コンバートされ、アルトサックスがクラリネットと比べると簡単に音が出せ、
指遣いもそれ程難しくなく、ビブラートも簡単にかけられるので、
音楽というものを初めて楽しむ事が出来た時期でもありました。
(その前は、クラリネットが吹くのが大変だったし面倒だったし、顧問の先生は
 ギャーギャー煩いし、上級生はうざいし・・・本当に音楽が嫌になる寸前の
 状況でした・・・)

受験は不安だけど、音楽を初めて楽しめたという妙なギャップの時期でした。

この年の課題曲はC(北海の大漁歌)、自由曲はエリクソンの序曲「祝典」でした。

課題曲に四小節ほどソロもあったりしたのですが、両曲共にアルトサックスにとっては
それ程難しい曲ではなく、練習中もサックスパートは指揮者の先生からクラリネット時代ほどは
責められず、周囲のパートがギャースカギャースカ責めたてられている時は、
余裕をもって他人の振りをして眺めていたものでした・・・

でもこの年は、冷夏で夏は前々暑くなかったし、当時の大平総理が急死したり、
王貞治選手や山口百恵が引退したり、ピンクレディーが解散を予告したり、
何か時代が変わっていくのかなーと中学生ながら漠然とした不安を感じていたのも
事実なのかもしれません。

吹奏楽コンクール県大会の時は、何か複雑なものを感じていました。

もしも万が一県代表に選出されたら、またもう一ヶ月指揮者から連日怒鳴られる
憂鬱な日々が続くし、
一方県代表に選出されず、この日をもって吹奏楽部を引退する事となったら、
明日から受験勉強が待っている・・・・
どちらに転んでもいいことが無いなーという何かモヤモヤしたものはありました。

それがいけなかったのかなー

演奏の際、出だしの低音がスカスカの状態で始まり、焦ってしまったというせいも
ありますが、普段の練習時のような余裕をもっての演奏が出来ず、ソロは失敗は
しませんでしたが、何かのびのびと吹けなかったなーという後悔は
ありました。

結果は銀賞にとどまり、これをもって中学時代の吹奏楽は終了してしまいました・・・

序曲「祝典」なんか普段はもう少しエンディング付近は、高揚感をもって演奏できたはず
だったのですけどね・・・

演奏全体でも、課題曲は、アルトサックス以外にも、トランペット・オーボエ・フルートに
各々ソロがあったのですが、本番はことこどく外していましたしね・・・

当時の自分としては、これをもって吹奏楽を卒業し、音楽から遠ざかっていくはず
だったのですが、
田舎の県立男子高校に入学してしまったのが、
自分が更に吹奏楽というか、音楽というか、クラシック音楽の深い森の中に
迷い込むきっかけとなってしまったのでした・・・

そーいえば、この年は、モスクワオリンピックを欧米にならって日本もボイコットした
年でしたね・・・
今となっては懐かしい・・・米ソ対立という時代だったのですね。
マラソンの瀬古選手は本当に気の毒でした・・・
歴代プリキュア達は、シリーズを通してチームワーク良好というメンバーばかり
なので、深刻な喧嘩話というのは、あまり出てきていないと思います。
スイートプリキュアの場合、初期の頃の響と奏がケンカばかりしているのですが、
二人の場合、幼馴染という事もありますが、文字通り「仲良く喧嘩してね・・・」という
感じのシリーズを通じて最大のバカップルとも言えますので、二人は
無視しても差し支えはないと思います。

ハートキャッチでも第四話でそんな話がありましたが、あれは単なるブロッサムのへタレと
マリンの図々しさが原因・・・

スプラッシュスターとフレッシュと現在のスマイルでは、ほとんどメンバー間のいざこざは
出てきません。
(スブラッシュスターの場合、本編では本当に仲の良い二人がいきなの映画版では
 喧嘩を始めたので正直驚いた・・・)

プリキュアの深刻なメンバー間の亀裂騒ぎは、やはり初代プリキュアの第8話と
プリキュア5の第23~24話という事なのでしょう。
でもどちらも、プリキュアの中でも5本の指に確実に入る名シーンだと
思います。

でもやはり初代プリキュアの第8話は、名作の誉れ高いと感じます。
前にも書いたと思いますが、全てのプリキュアの道は、この初代の第8話に通じるといっても
決して過言ではないと思います。

ほとんどのプリキュア達は、初対面同士でも1~2回目でお互いを名前で呼び合えるように
打ち解けています。
初代の場合、7話に至っても、お互いの事を姓で呼び合うなど心から打ち解けていない点が
歴代プリキュア達と大きく異なる点だと思います。

確かに第8話は名作なのだけど、そこにたどり着くまでの「布石」というか「仕掛け」の演出が
今改めて見てみると、綿密に仕掛けられているのが本当に上手いと思います。
ラクロスの試合前に、ほのかと藤Pが仲良くしている所をなぎさが目撃してしまい、
疑心暗鬼に陥ったこと、第6話で、石の番人から「プリキュア手帳」を手渡されている事、
なぎさが、ほのかとの違いに気付いていた事、ほのかは「恋」を経験したことがなく、
「微妙な乙女心」には疎いことなど
そこにたどり着くまでの演出の気配りには感心させられるものがあります。

なぎさがほのかに対して、
「あなたなんてプリキュアというだけで友達でも何でもないんだからーー」と
発した一言が原因で、二人の関係は一瞬で崩壊していった訳ですが、
そこから、ゲキドラーゴとのバトルの最中でも言い争いをしたり、戦闘が原因で
鞄の中身が散らばり、それが原因でお互いのプリキュア手帳が入替り、それを
お互いがお互いの手帳を読むことで相手の真意を理解し、和解、そして初めて
お互いの名前を呼び捨てできる関係になっていった訳なのですが、
やはり今見ても、何かこのシーンは胸が熱くなるものを感じます・・・

現在のスマイルに慣れてしまうと、改めて初代プリキュアを見ると、
なぎさもほのかも精神的成熟度は意外と高いというか、大人だったんだなーと
感じる事もあります。

今更なのですが、初代プリキュア達は、初登場からマックスハートまでの二年間、
基本的には、マーブルスクリューの必殺技一つとパンチキックだけで敵と戦ってきたのだから
本当にすごいなーと感心してしまいます。
基本的にフレッシュまでは、必殺技は一人一つで、全員での必殺技が一つだけという限られた
技しかなかった訳ですが、
ハートキャッチとスイートで色々なアイテムが増えすぎた事は、少しもったいない感じは
していました。

でも今回のスマイルは、それほど複雑なアイテムを使用せず、その意味ではシンプルな戦闘
という事は、何かホッとするものはあります。

初代プリキュアの場合、白と黒ですので、派手な戦闘シーンとは対照的に
イメージとしては地味に見える事もなくはないのですが、
プリキュア5以降は、色彩的にもピンクが登場したことで派手になり、
見栄えという意味では抜群に効果的だなーと思います。
1983年の全日本吹奏楽コンクール・高校の部で、花輪高校・ベルク/三つの管弦楽曲
以外で印象に残っているチームがもう一つあります。
それが野庭のアルメニアンダンスパートⅠです。

83年の高校の部というと、一般的には、高岡商業のローマの祭りとか、淀川の神話とか
習志野の矢代秋雄/交響曲が評価が高いのでしょうけど、
自分にとっては、この年は花輪と野庭がなぜか印象に
残っています。

野庭のアルメパートⅠは、正直個性的というか、クセのある演奏なので評価は
分かれるかもしれません。
課題曲C/カドリーユもダーダー吹きに近い、音をわざと押した様な感じのする
少し変わった演奏です。
だけど、両曲共に演奏が非常に新鮮で、全く違った方向から
アプローチをかけてきた若々しい楽しさが随所に散らばっています。
88年の春の猟犬もそうでしたけど、急激なPからffへのクレッシェンドとか、
わざとらしいPPからffへの駆け上り方とか妙な表現も確かにあるのですが、
それが少しも不自然に感じられない「爽やかさ」があるのも事実だと感じます。

「ブラバン・キッズ・ラプソディー」という本に、1981年から90年にかけての野庭高校と
指揮者の中澤先生の軌跡がまとめられていますが、この本には色々と
興味深いことが記されています。
例えば、90年の関東大会の前日の練習時の「コルネットを学校に忘れてきちゃって、
中澤先生の逆鱗に触れた事件」とか、興味深いエピソードが
満載です。
83年の初出場の時も、本番直前までアルトサックスのデュエットが中々きまらない
とか色々事件はあったようですが、それらを全て乗越えて
あの素晴らしい名演奏があったのだなーと改めて感じさせられました。

野庭にその後も、ハムレット・オセロ・春の猟犬などリード作品において
数々の素晴らしい名演を全国で残していますが、
正直92年のクラシックアレンジ選曲へ路線変更以降は、
あまり印象には残っていません。
(あ、でも93年のハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲は
 細かいところまで整理され、気持ちのこもった良い演奏でした。)
中澤先生逝去の前年の最後の演奏の「ベルキス」は残念ながら共感できる
演奏ではなかったのは少々残念でしたが・・・
あのベルキスは、生でも聴いたけど、去勢された演奏というか、不自然におとなしいベルキス
だったと思います。
課題曲のアップルマーチも単調だったしね・・・

ちなみに野庭高校という学校名も、神奈川県の学校統廃合により、現在では
消滅しているとの事です。

だけど、アルメニアンダンスパートⅠのあの名演は永遠に不滅だと思います。

中澤先生が健在で、もう一度リードに挑戦して貰えるのならば、
是非とも、第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」とかアルメニアンダンスパートⅡとか
エルサレム賛歌を演奏して欲しいものです。

リードのアルメニアンダンスパートⅠの野庭以外の素晴らしい演奏は
何でしょうかね・・・?

一般的には、86年の淀川とか、87年の創価学会あたりが有名でしょうけど、
個人的には、87年の下松のいかにも普通の先生と生徒が作り上げた素人っぽい感じの
丁寧な音楽作りとか、音がやたら透明感のある80年の間々田中とか、
最後のカット方法が悔やまれる91年の八戸二中あたりかな・・・・
10/21のスマイルプリキュアを見ていると、何だかプリキュア5のルージュを
思い起こしてしまいました。
サニーの場合、甘酸っぱい感じ(→何かアホのウェスターみたいな表現・・)というか
青春というか、爽やかな感じのする一瞬の恋のお話でしたが、
りんちゃんの場合、毎回毎回「悲恋」に終わってしまい、
何だか気の毒のような気がします・・・
りんちゃんの最後の悲恋は、ムカーディアとのデートなのですが、
結果的にのぞみが乱入し、ブンビーさんがウェイターとなって登場し、
最終的にはムカーディアの正体がバレバレとなった所で
完了してしまうのが、いかにもルージュらしい展開でした。

あかねちゃんの髪留めが外れ、髪型がストレートヘアになったのは初めてのような
気がしますが、プリンセスサニーのように、何か魅力的なものを感じました。
なおもポニーテールではなくて、ストレートヘアにした場合も結構可愛いのですが、
要は、スマイルプリキュアは全員が可愛いのだと思います。
でも個人的には、やはりハッピーの可愛さは尋常じゃない・・・

プリキュアシリーズも今年で9年目ですね。本当に月日のたつのは早いと思います。

ブルー系プリキュアが登場したのは、アクアさんが最初でしたが、
考えてみると、伝統的にプリキュアシリーズの場合、
青プリキュアは、ベリーを除くと、一度はプリキュアになる事を断る法則が
あるのだと気が付きました。
(今頃気が付いたのかいなーとサニーのツッコミが入りそうですが・・)
アクアに至っては、最初はのぞみ達4人からのスカウトを断り、
あげくの果てには、蝶々からもプリキュアになる事を当初は拒絶される始末なのですから・・・
マリンも最初はブロッサムからの勧誘を断り
(といっても、その間にプリキュアとしてのネーミングを考えていて、
 準備は万全という感じでしたが・・・)
ビートも断ったというか、プリキュアになった事自体に動揺していましたし、
ビューティさんも最初は、みゆき達4人から土下座(?)されても
断っていましたしね・・・

青プリキュアで唯一断っていないのは、ベリーだけですが、
この娘は、歴代プリキュアの中でも最も冷遇(?)されているプリキュアではないかと
思う位、何か製作者の冷たい扱いを受けていて、何だか少し気の毒に
感じる時もあります。

ピーチの次にプリキュアになったのに、パインよりもピックルンが登場したのは遅く
キュアスティックを三人の中で唯一持てない時期が結構続いたり、
寝不足気味のタルトの代わりにオルゴールを管理していると、
女の子にそれを紛失されたり、
ピーチが落ち込んでいるときに「喝」を入れる損な役割を持たされたりと
本当に何か気の毒のような気がします。

プリキュアの世界の場合、美人過ぎるとかえって扱いが冷たくなるのかな・・・?
1983年の全国大会・高校の部は興味深い演奏が多い大会だったと
思います。
後半に行くほど魅力的な演奏が多かったような気もします。

その中で、個人的には、花輪高校のベルク/三つの管弦楽曲より行進曲に
興味をひかれます。
(評価としては銅賞だったんですけどね・・・審査員に完璧に嫌われたのかな・・?)

前年度花輪高校は、グループ表彰開始以来初めて東北大会でダメ金で、全国に進むことが
出来ませんでした。
だから、その反動で、今までのような難曲路線から路線変更して、
いかにも吹奏楽らしい「楽しいマーチ」路線にしたのかなと当時は
思ったものでした。
(当時高校生の自分には、ベルクなどのような無調音楽は知る由もなかった。
 というか、勝手にタイトルから連想しただけです。)

まさか、ああいう無調音楽バリバリの路線とは知る由もありませんでした・・・

この演奏を初めて聴いた時は、「何じゃ、これ?」という感じでした。
だってメロディーは全くないし、喜怒哀楽のような表情が全くないし、
何となく音符を機械的に割振っただけのような感じもありました。
当初は、「これのどこがマーチやねん」とキュアサニーのように関西弁で
つっこみたくなるような印象でした。

ただ何となく曲に魅かれるものはあり、なんというか、全員うつむきながら
処刑される刑場まで無言でうなだれて重い足を引きずって歩いていくような漠然とした
イメージは感じておりました。

高校3年の大学受験の際、実は生まれて初めて上京し、
当時「受験生村」(東京オリンピックの選手村だったところ)に相部屋で寝泊りし
大学受験に挑んだことがあります。
頭が悪い自分としては、記念受験の明治、実力相応の日大、すべり止めの東洋という
感覚で三つの大学しか受験しませんでした。
(奇跡的にこの中の一つの学校に拾ってもらい、何とか親元を離れることに成功しました・・)
その中で、東洋大を受験する際に、なぜかこの「三つの管弦楽曲」より行進曲が鮮明に
頭に浮かんだものでした。
受験会場が東武東上線の朝霞台だったと思いますが、駅から学校までかなり歩き、
今は大分様子が変わったと思いますが、その当時は駅から学校まで
田んぼのそばの一本道しかなく、
受験生がうなだれて下を向いて全員ほぼ無言で歩く様子は、
まさにベルクの世界でした。

「日本の吹奏楽83」のレコードの裏ジャケットには、花輪高校の演奏写真が掲載されていて、
打楽器奏者の一人が、ハンマーを叩きつけているようにも見えますが、
それはまさにその通りなのです。
マーラーの交響曲第六番「悲劇的」と同じように、ベルクのこの曲も
ハンマーを鉄の棒らしきものに叩きつける箇所があります。

花輪の演奏は決して悪いものではなく、技術的には確実性があります。
同年の同じ銅賞でも、関東一高とか日大豊山みたいな演奏と同一レベルではとらえて
ほしくないと思います。
あの曲の難解さや鬱々とした感じが審査員に受け入れられなかったのでしょうね。

最近では秋田南が、ベルクの「ルル」を取り上げたこともありましたね。

ベルクと言えば、個人的には「ヴァイオリン協奏曲」が好きです。
よく言われることですが、第二楽章のバッハのコラールを引用した辺りが
何か「ホッとするもの」を感じ癒されます。
曲自体は、死の香りがぷんぷんしているのですが・・・
(この曲はアルマとその再婚相手との間に出来た娘へのレクイエムという形を取りながら、
 作曲者自身が、作曲直後に急逝した自分自身へのレクイエムという意味合いもあります)

この演奏で懲りたのか、花輪高は、翌年はいかにも花輪らしい
「ロシアのマイナーシンフォニー」路線へ戻り
ハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」で前年と前々年の鬱憤を
晴らしてくれます。

ジャン=フルネ

昔も今も比較的高齢者の方を相手にした仕事が多かったもので、
普通の人よりは高齢者の方と接する機会は多いと思います。

高齢者の方と色々お話しする事は結構ためになる事も多く、割と好きな方です。

困るのは、年を取っても生臭い方というか、とっくに現役を引退しているのに
いつまでも現役の感覚のまま、偉そうに意見ばかりする方とか、
自分の自慢話ばかりを延々とされる方ですね・・・

適度に枯れているというか、本当は若い世代に色々と意見をしたい所をぐっと
こらえて、「あー、そっか、そっか、君も大変だねー」と適度にすっとぼけられる
事が出来るのが、現代のご老人の一つの才能ではないのかなとも
思います。

クラシックの世界ですと、演奏者はやはり若い世代の方がパワーや元気があるし
感性も豊かで聴いていて面白い感じもします。
年配になると、評論家の先生達も高齢者に配慮してなのか(?)
「円熟の極み」とか「ベテランの芸」とか言ってお茶を濁しているような気も
するのですが、明らかに「年のせいで反射神経が落ちている」と感じる演奏にしばしば
お目にかかったのも事実ではないかと思います。

指揮者になると結構違ってくるのかなとも思います。

やはり指揮者にとって大切なのは「経験」なんでしょうかね。
若い頃は、自分一人の感性でグイグイ押してきたのが、年と経験を重ねてくると
バランス感覚とか、オーケストラのメンバーとの人間関係のありかたなどによって
大分変わってくるのかもしれませんね。

話は違いますが、自分自身も四捨五入をすると五十代に差し掛かる年齢が近くなると、
さすがに「若い頃とは違うなー」と感じる場面が色々出てきます。
最近思うことは、
「年はとりたくないけど、年は取ってしまう。
 自分の事を自分で出来る内はいいけど、自分の事を自分自身で出来なくなり、
 他人の力を借りなきゃ生きられないようでは、嫌だなー。
 そうまでして生きていたいとは思わない」
 という事です。
(賛否両論はあるとは思いますが・・・)

自分が生の演奏会を色々と聴いていた中で、都響や日本フィルでしばしば
ジャン=フルネの指揮による演奏を聴いた事があります。
(フランクの交響曲やイベールの寄港地、
 ダフニスとクロエ第二組曲の演奏は印象的です。)

最後にこの人の演奏を聴いたのは確か、2000年頃の都響のプロムナードコンサートで
確か曲目は、ラロの歌劇「イスの王様」序曲、幻想交響曲などでした。
でも正直驚きました。
当時フルネは既に90歳を少し超えていましたが、指揮振りは年をほとんど
感じさせないもので、2時間近い演奏会をこなすだけの体力も気力も充実していたと
思います。
何よりも演奏の感覚が若いことに驚かされました。
ベルリオーズの幻想交響曲も、どちららかというと、猟奇的な解釈を取り
「おめーら、このまま地獄に堕ちてしまえ」と壇上から喚いているような
感覚さえもありました。

ホント、ああいう年の取り方が出来ればいいなーと思う今日この頃です。

余談ですが、当日のアンコール曲は、
「ウィリアム=テル」序曲のスイス軍の行進でしたが、
この曲は、昔「俺たち、ひょうきん族」のオープニング曲だったせいもあると
思うのですが、なぜか聴衆から失笑が出ていたのが印象的です。

フルネも、もしかして、「なぜトランペットのファンファーレが始まった瞬間に
会場から笑い声が起きるのだ?」と思っていたかも
しれません・・・・
1988年~2001年の勤務していた銀行が破綻するまで、地方銀行の営業職を
長い間勤めていました。

2001年以降現在まで、住宅・建築業関係に身をおいていますが、金融機関を
離れてみて、金融機関に勤めて良かった事や本当に嫌だった事が
浮き彫りになってきたような感じもします。

自分が在籍した銀行は、第二地方銀行あがりの本当にろくでもないところであり、
(だから破綻してしまうのですよね・・)
今思うと日常業務で妙な事ばかりやっていたと思います。

まず何と言っても「集金業務」が本当にくだらないというか、意味がないと言うか、
面倒というか、利益に全然貢献していないムダの塊という
感じでした。

信用金庫とか信用組合が、「地域密着」とか「フェイストゥーフェイス」とか何とかいって
地域の商店街や町工場などの売上等の集金をしたり、積み立て預金を勧誘するのは
分かります。
(今でもああいう事をやっているのかな・・?)
でも一応地方銀行が、集金業務を日常的に行うというのは
どんなものなんでしょう?

確かに「積立定期」というのは、使い方によっては金融機関にとって
面白い商品です。
というか、積立なんか額もしれているし、経費の無駄遣い以外の何者でも
ないんだけど、
各家庭や各中小零細企業に、毎月積立を集めに行くことで、
主婦や社長と面談し、預金・融資情報を仕入れるという意味では
面白いとは思います。
各家庭や企業に入り込める「きっかけ」商品なのだと思います。

確かに振り返ってみると、毎月最低一回は顔を出すことで、雑談・馬鹿話を含めて
色々な話をしていく中で、人間関係が出来、その中で信頼関係が得られれば
「今度、あの銀行の定期が満期を迎える」とか「子供の進学資金が大変」とか
色々情報を得られていたと思います。

だけど、「きっかけ作り」という本来の目的を完全に忘れて
積立定期の数だけを目標にひたすら拡大路線に突っ走っていったのは
アホとしかいいようがなかったと思います。
何か、結果的に一時期、集金の為の集金に追われて、本来の情報獲得という目的を
完全に置き去ったのは本当にマヌケ以外のなにものでもないと
思います。

本当に時間のムダだった・・・・

ああいう時間を富裕層の開拓とか優良貸出先の開拓に使っていたら
破綻なんかしなかったのにね・・・
(勿論、破綻の原因はそこだけにあるという訳ではありませんけどね・・・)

でも本当に無駄だなーと感じたのは、融資金の返済金までも行員が自ら
集金に行かされた体質なのかもしれません。

だって、本来借りたお金は期日までに、その銀行に入金に行くのが
当たり前の姿だと思うのですが、それすらも行員がわざわざ集金に行くのだから
本当にアホでしたね・・・

借りたお金を自ら入金しない債務者は、借りたお金を返さない(返せない)債務者は
最終的には、保証会社からの代位弁済や抵当権の行使によって
強制返済させるしかないのにね・・・・
10/14のスマイルプリキュアは、予想通りのしょーもないギャグ回というか、
やよいの独壇場みたいな感じでしたね。

今週はやよい、来週はあかね、再来週になおかれいかの各々個人回を持ってきて、
何回かのシリアス回やギャグ回、イベント回を経て、1月の最終決戦へと
なだれこんでいくのが予想できます。

正直、昨年のスイートは、ストーリー自体は決して悪くはなく、キャラクター設定も
悪くはないのに、何だか見ていて疲れるというか、痛いという感じもあり、
決して見るのが楽しみという訳ではありませんでした。
(初期の奏のヒステリー性や怒りっぽさが最後まで足を引っ張った感じ・・・)

その点、スマイルは見ていて本当に楽しくて、みゆきじゃないけど
「ウルトラハッピー」な気持ちに毎週させてくれた事は、本当に感謝感激という
所です。
全体的に確かにプリキュア5と似ている面もあるのだけど、
プリキュア5は、のぞみ以外は全員基本的には出来る子。
スマイルは、れいか以外は、基本的にはアホの子。
(そう断言するとなおちゃんが可哀想かな・・・・?)

スマイルの場合、ピンク×黄色は本当に鉄板でしたね。
まさにボケのはまり役という感じです。
一方、オレンジ×グリーンは、ツッコミ役+脳筋+ムードメーカー的な
役割を担い、
ブルーは、数少ない知性の役割を担当するという点では、本当にスマイルは
役割分担というか、各人のカラーがはっきりと出ていた点が
本当に素晴らしいと思います。

一方、ブルーも少し天然系が入っているのはご愛嬌という感じかな・・・
(その点が同じブルー系でも、お嬢様の真剣な世間知らず系ボケのかれんさんと
 異なる点かな・・)

最近よく妄想してしまうのは、ブルーチームをアクア隊長が統率し、
ベリー・マリン・ビートに
「敵を倒すまで技を撃って撃って撃ちまくるのよ!」と絶叫するアクアさんに
ビューティが、
「アクア先輩、技の無駄撃ちは敵の思うツボです」と諌めるシーン。

何となくあり得る展開と思いません?

それにしても、10/14のビューティさんがハッピーロボを無表情にというか
クールにマジ顔で操縦しているシーンは、思いっきり笑ってしまいました。

ビューティさんは、以前にも「道」関係で色々と楽しまさせて貰いましたが、
今回は、あのマジ顔でクールに決められると
本当に「我が道を行く」を越えて、「やられた!!」という
感じがします。

だけど、あの分厚い解説書をあれだけ短時間で吸収し、実戦にも応用できる点は
さすがビューティ様という感じですね。

話は違いますが、2013年のスマイルプリキュアのカレンダーを見てみましたが、
なんですか、あれは・・・・
ハッピー・サニー・ピース・マーチは普通に可愛いのに、
ビューティさんだけ、なぜあんなに色気があるのでしょうか?

あれはどう見ても、人妻れいかのようなノリです・・・・
最近、仕事が忙しく疲れていたのかもしれませんし、
夏バテが最近になって出てきたのかもしれませんし、単なる年のせいも
あるかもしれませんが、とにかく「疲れてヘトヘト」状態でしたので、
久し振りに近くの日帰り天然温泉で、ゆったーーーりとお湯につかって
首・肩のセルフマッサージを行い、おかげさまで少しは体が軽くなってきたような
気もします。

自分が住んでいる周辺には、なぜか天然温泉の日帰り温泉施設が多く、
昔からよく通っています。
埼玉南部には、そうした天然温泉が良く出るエリアなのかもしれません。
自宅から半径5キロ圏内に、知っているだけでも五箇所の日帰り天然温泉が
あります。

温泉というと、無色透明とか草津の硫黄の香りぷんぷんの温泉とか
山代のような青白いお湯をついつい想像してしまうのですが、
随分前に、後楽園の「ラクーア」に行った時、その入場料の高さに
驚いたのもありましたが、お湯が塩辛い茶色のお湯だったことに
びっくりした事があります。

正直、そうした茶とか黒いお湯というのは、入った事がなかったもので
「へーー、都内にもこんな茶色の温泉があるんだ」と思ったものです。

その後仕事の関係で何度か大田区に行く機会があったのですが、
この大田区の銭湯には、天然温泉としての銭湯が数多く存在し、
そのお湯が真っ黒という事を知り、すごく驚いたものです。

ラクーアのようにお湯が茶色のものは、ほとんどが舐めると塩辛いので、
現在の文京区とか北区も古代は海だったのかなーとも
思ってしまいます。

本日行った天然温泉は、国道17号からすぐ近くにあり、イトーヨーカドー錦町店が
すぐ近くにある「やまとの湯、わらび店」です。
このお湯は、大田区の銭湯のようにお湯が真っ黒で、
お湯がぬるーーーっとしていて、
お湯につかると、肌がじわーーーっとなじんでくる
素晴らしい温泉だと思います。

但し、欠点はこの黒湯は内湯にはなく、露天にしかありません。
露天のこの黒湯も決して広くはない(というか、狭い・・・5人入ると満員状態)
ので休日に行くと、芋洗い状態です。
だから平日の午前中がいちばんゆったりと入れます。
(というか、今は平日休みの会社勤めなので、これは助かります・・・)
効能には、肝臓に効果ありとありますが、どうなんでしょうか・・・?

やまとの湯で黒湯が出るのは珍しいせいなのか、
ここでくみ上げられた黒湯は、やまとの湯・草加店にも運ばれ、
そこの黒湯として提供されているとの事です。

お湯がぬめっているというと、気色悪く感じるかもしれませんが、
そういう訳ではなくて、じわーーっと馴染んでくるという表現の方が
あっているのかとも思います。

近くの戸田には、彩香の湯とか七福の湯というのもありますが、
いずれも塩辛い茶色の温泉です。
やまとの湯に比べると料金は少し高めですが、
これらの温泉もいいところだと思います。
フェネル指揮/東京佼成のCDに収録されていた曲ですが、
ベネットの「シンフォニックソング」は、今聴いてみると決して華やかさや派手さは
ない曲ですけど、曲の構成もしっかりしているし、聴いていて楽しいし、
個人的には吹奏楽の数少ない古典曲だと認識しています。
吹奏楽の古典というと、ホルストの第一組曲・第二組曲やグレンジャーの
リンカンシャーの花束、リードのアルメニアンダンス辺りなのかな・・・?

Ⅰのうきうきした感じ、Ⅱの歌い方の素晴らしさ(ユーフォの腕の見せ所)
Ⅲのリズム感と躍動感、思いがけず途中でホイッスルが入る辺りのお茶目さ
地味かもしれないけど、好きな曲の一つです。

でも、この曲は当然ながらコンクールではあまり演奏されません。
というか、最近のコンクールでは、ベネットという名前さえほとんど
お目にかかりません。
出来れば、今のスクールバンドで吹いている生徒たちにも是非聴いて欲しい曲の
一つです。

この曲の全国大会で演奏されて、印象的だったのは、1975年の函館中部高校の演奏です。
評価は銅賞でしたが(というか、この年と翌年は極めて審査結果が厳しく、
出場校の半数近くが銅賞だったと思います・・・)
正直、この評価は少し気の毒のような感じもします。
課題曲も爽やかだったし、ベネットもⅠ・Ⅲ楽章を取り上げていましたが、
技術的には変拍子も無難にこなし、楽しい雰囲気も十分出ていたし、
どこに問題があるのか分からないという感じです。
(こうした地味な曲は、曲の盛り上がり方が難しいし、聴衆へのアピールは
 確かに難しいかも・・・)

シンフォニックソングを最後に生で聴いたのは、関東大会の中学校B部門の
埼玉栄東中だったと思います。
学校名から察しがつく通り、吹奏楽の名門の「埼玉栄高校」と同系列の学校なので、
思いっきり期待していたのですが、思いっきり期待を裏切った演奏でした・・・
あ、でも確かこの前後に、94年の東海大会の一般の部で、どっかの団体が
この曲の第三曲を自由曲にしていたような気もします・・・・

最近年のせいか、年々頭が悪くなり、記憶力も悪くなってきましたので、
この辺りはどーにも思い出せません・・・

94年の課題曲は、饗応夫人のように長く難解な課題曲だらけの年でしたので、
自由曲は、3~5分程度の短い曲ばかりでしたね。
だからこの年に限り、「キャンディード序曲」は大人気でしたね。

東海大会一般の部もそうでしたが、94年の場合、課題曲Ⅳの「雲のコラージュ」を
取り上げる団体が圧倒的に多かったのですが、
自分はこの曲が大の苦手の上に、下手なチームがこの曲を演奏すると拷問以外なにものでも
なかったので、本当に苦痛でした・・・
でも浜松交響とか、札幌白石、福岡工大付属のように、上手で曲の構成をよく
考えたチームが演奏すると、本当に魅力的になってしまう曲なのですが・・・
「スマイルプリキュア」も残り1/4程度となり、あと2ヵ月程度で
もう最終決戦が控えているかと思うと、
何だか寂しくなります。
(というか、毎年そう感じているけど、スマイルがホント気に入っているから
 尚更そう感じます・・)

開始前、一人関西弁の子がいると聞き、最初は「えっ、マジ・・・」と思ったものです。
正直、個人的には関西弁はあまり好きでないというか、苦手。
自分が東北で生まれて東北で育ち、東北独特の「ズーズー弁」が
耳に慣れているせいもあると思います。

さんまのようなお笑い系のトークなら特に違和感は感じないのですが、
仕事上の付き合いとか、社内に関西出身とかがいると、あの独特の早口の言い回しや
たたみかけるような口調は正直ついていけないものがありました。

それゆえ、当初は「えっ、プリキュアにも関西の波がくるのかいな」と
抵抗感があったのですが、
あかねちゃんの登場時からキュアサニー誕生の時も
危惧したような違和感とかは全くありませんでした。
むしろ、「関西弁もええもんやわな」と感じたものです。

中の声の人が関西出身という事もあるのかもしれません。

でもああやって毎回毎回あかねちゃんのツッコミを聞いていると、
ルージュのツッコミが物足りなく感じてしまいますね。
それ位、毎回毎回ボケをかましているみゆき・れいか・やよいに対して
あかねちゃんは非常に適切でタイミングが心地良いツッコミを入れてくれるので
それを聞くだけで楽しくなります。

あかねという名前を聞くと、条件反射的に、初代プリキュア達のたまり場の
たこカフェの店主のあかねさんをどうしても思い出してしまいます。
向こうはたこ焼きで、あかねちゃんはお好み焼きというのも
何だか面白いものですね。

それにしても、スマイルの各メンバーは、個性が明確でそれがまたたまらないです。
というか、座り方一つとっても各自の違いが明確に出ていると
思います。

みゆきとやよい→女の子座り
あかねとなお→あぐら
れいか→正座

れいかさんがおじい様の部屋を訪ねる際の襖の開け閉めがいかにもお嬢様育ちらしい
上品さが出ているのも又興味深いと思います。

10/14のスマイルは、やよいの特撮おたく回だと思いますが、
そのはじけっぷりが今から楽しみです。
最終決戦が近づくと、こうした脱力マヌケ回が少なくなっていくのは
仕方がないのでしょうね。

10/14のピースのぴかりんじゃんけんは「ピース」なんでしょうね・・・・
最近は聴きに行っていないけど、1984年~2000年頃まで、
秋の今頃に普門館で開催される全日本吹奏楽コンクールは毎年
聴きに行っていました。

でも、この10月頃の暑くもなく寒くもなく「あれっ、少し寒いかな」という感じの気温が
一番好きです。

普門館での演奏が終了し、審査発表が終わり、帰る頃には大体六時半を
廻っています。

10月のその時間は、既に周囲は真っ暗になっていて、上着がないと少し
寒い感じもします。

でも、そうして毎年毎年、この時期に普門館での全国大会を聴いて
帰るときに「あ、少し寒くなってきたなー」と感じた時が
自分にとって「秋」を感じる瞬間なのです。

そして、毎年毎年、それから二ヶ月ほど経過すると
もう一年が終わってしまうのですから、
本当に一年は早いものだと実感してしまいます・・・

でも最近は、普門館での全国大会開催も行われなくなったようで、
何か往年の一ファンとしては、少し寂しい感じもいたします。

話は違いますが、東京都大会の一般・職場の部の予選会は、
1995年頃までは、霊友会小谷ホールという、何と宗教団体のホールで
開催されていました。
入場料が無料で、当時葛飾・豊島・乗泉寺・ヤマハ東京・NTT東京などの
演奏をただで聴けましたので、これも何だかんだ言っても毎年のように
聴きに行っていました。
でも座席が固いので、長時間座るのは結構しんどかったです。
音響も最悪に近いですからね・・
ま、宗教団体のホールだから仕方ないか・・・
場所は、東京タワーの近くだから、昼の休憩時間は、よく東京タワーの一階の
お土産コーナーをうろちょろしたものです。

ある年、演奏日時を間違えて霊友会小谷ホールに行ってしまい、
当然ながら朝九時頃の小谷ホールには人影はありません。
小谷ホールの周囲をうろちょろしていたら、余程人生に疲れた人にみえたのでしょう・・
霊友会の関係者らしい人から、「あなた様は、何か悩みでもおありなのですか・・・?
宜しければお話しだけでも・・・」と言われた事も
今となっては懐かしい感じがいたします。
フーサの「プラハのための音楽1968」を生で聴いたのは、1985年の愛工大名電の演奏
でした。
この学校は1983年にも同じ曲を自由曲に選んでいますが、
完成度は85年の方が全然上です。
(名電は、この後87年と92年も同じ曲を自由曲として選んでいますが、余程学校の
 カラーに合っていたのでしょうね。
 個人的には、名電は、交響的断章や吹奏楽のための仮面舞踏会、道化師の朝の歌の
 演奏が好きです。
 同じ曲を何度も自由曲に選ぶのは、あまり好みませんが、名電は何となく許せます。
 あまり合点がいかないのは、淀川工業かな・・・
 俗謡・ダフクロ・スペイン狂詩曲の三曲の中からしか選ばないのは、ちょっと反則じゃないの・・?)

フーサのプラハの初演は実は名電ではありません。
1978年の総社東中学校なのです。
この演奏を聴いたときは、少し驚きました・・・
決してあなどれない演奏です。トロンボーンのグリッサンドは驚異的・・

一般的にプラハのカット方法は、第三曲の打楽器アンサンブルからスネアドラムのロールを経て
第四曲「トッカータとコラール」に入るのがセオリーなのかもしれませんが、
第1曲と第4曲をうまく構成したのが、1988年の東海大第四高校
変なカットをしたのが89年の下松かな・・

それにしても名電のプラハの完成度の高さは相当なものですし、衝撃度は
相当なものがあると思います。
特に85年と87年の「聴衆に何かを伝えることが出来た」重みは大きいと思います。
というか、自分自身もこの曲をきっかけとして、
プラハ事件の悲劇や、
第四曲のコラールは、スメタナの「わが祖国」からの引用である事を
知ったのです。

でも「プラハのための音楽」の自分にとってのNo.1の演奏は、名電ではなくて
1990年の東京都大会の永山高校です。
この演奏は、本当に殺人級のインパクトでした。
この日の東京は台風の悪天候で外は大荒れの天候で、普門館もガラガラでした。
(当時は山梨に住んでいたもので、帰りのあずさも運休で大変でした・・・)
そんなガラガラの普門館で熱い、ホントにあつーーーーーい演奏をしてくれたのが
都立永山高校でした。
吹奏楽コンクールで涙が出そうなほど感動したという記憶はあまりないのですが、
この日の永山の演奏は、本当に心の底から胸を打つものがありました。
曲の中の「メッセージ性」も充分伝わり、本当に何か大切なものがしんしんと
伝わってくるかのようなまさに「神がかり」のような奇跡の演奏だったと
思います。
特に、打楽器、特にヴィプラフォーンの鉄琴というよりは、熱い鉄のかたまりのような
響きには心を動かされました。

永山が代表に決まった時は、本当にうれしかったです。
(この3年後にも「この地球を神と崇める」で爆演を聴かせてくれます)
だけど、全国大会では緊張したせいか、都大会ほどの感動性は希薄だっのは
少々残念でした。

プラハは、実は管弦楽曲版も存在しますし、実際にCDも出ています。
珍しい吹奏楽曲から管弦楽へのアレンジ例です。
(他には、伊藤康英のぐるりよざ、大栗裕の神話くらいかな・・?)
マルコポーロというレーベルから出ていましたが、演奏は正直何の感動性もメッセージも
ないですね。
オケの技術も下手だし、つまらない演奏です。

やはりこの曲は、吹奏楽の色彩性と甲高い響きがよい方向で用いられたことに
意義があるのかも・・・
マーラーの交響曲第5番第四楽章「アダージェット」ですが、何だか最近
よく耳にします。
と思っていたら、JR東日本の東京駅改装のCMのBGMが、この曲なんですね。
このCMは、やたらTBSラジオのCMで聴くような気がします。
(仕事で結構車を使う機会が多いもので、その際はなぜかTBSラジオが気に入っていて、
 ゆうゆうワイドとか、たまむすびなんかよく聴いています。
 小島慶子の時は、ああいうタイプは苦手であまり聞かなかったけど、赤江さんとか
 ストリームの頃の松本知子は良いと思います。)

このアダージェットは本当に不思議な空間です。

第一~三楽章と歓喜に包まれるフィナーレの間に挟まれた楽章なのですが、
安らぎという訳でもなく、繋ぎ役という感じでもなく、
独特の雰囲気を持った楽章です。
(この楽章は弦楽器とハープだけですので、それまでの楽章で疲弊した管楽器を
 休ませる意図もあったのかもしれません・・)

生の演奏会でもこの交響曲は何度か聴きました。
孤独な第一楽章
一瞬の勝利をつかんだものの、静かに終わる第二楽章
次から次へと難題がふりかかり、綱渡りのような第三楽章
を経てのこの楽章なのですが、
最初聴いた頃は、動と動の間に突然癒し系の音楽が乱入した感じもして
正直作曲者の意図があまりよく分かりませんでした。
でも、要はフーガのようなフィナーレへの間奏曲なのでしょう。

何となく個人の印象として、この楽章は、
生きている一人の人間が、過去を回顧し、過去において関り現在は亡くなっている人達に
語りかけているようなシーン、死者たちと生者一人の晩餐会のような
感覚もあります。

この楽章は、指揮者によって本当に解釈に差が出ますよね。

ワルターのように9分程度でさくさく終わらせる人もいれば、
ハイティンクのように14分もゆったりと進める人もいれば
多様な解釈があります。

この曲の作曲当時マーラーは、確か新婚ホヤホヤだったと思いますが、
第一楽章を葬送行進曲で開始する辺りは、何を考えているのでしょうかねという
所でしょうか・・・
でもフィナーレの古典形式のような歓喜さは、そのウキウキ振りが少しは
反映したものなのでしょうか?

この第一楽章の葬送行進曲のテーマは、前作第4番「大いなる喜びへの賛歌」の
第一楽章でも使用されているのは面白いと思います。
ああした穏やかな4番でも、天国にも悪魔はいるのだよという事を
描きたかったのかもしれませんね。
今の「スマイルプリキュア」に慣れてしまうと、「フレッシュプリキュア」のメンバーが
本当に大人っぽく見えてしまいます。
メンバーの中でも比較的幼く見えるブッキーもスマイルの弥生と比べると
月とすっぽんのような気がします。
(あっ、この例えは昔ミルクがのぞみに対して使用していましたね・・・)
ピースは、後輩の中一のレモネード・シャイニールミナスはもとより、小学生プリキュアの
ミューズよりもある意味子供っぽいのはある意味怖いものがあるかも・・・

ブッキーは、歴代プリキュアの中でも比較的珍しいおっとりとしたプリキュアですよね。
まさに「癒し系プリキュア」にぴったりだと思いますし、
彼女におとされたファンを「ブッキョウト」と呼ぶのも何となくわかるような気が
します。

フレッシュは、全体的にはラブとせつなの物語という感じが濃厚なのですが、その中でも
ブッキーは色々な意味で検討していますし、ベリーと異なり必ずしも空気になっていないところは
すごいと思います。
例えば、タルトとの入替りや(男がプリキュアに変身し戦ったのはタルトが最初で最後・・・?)
シフォンへの浣腸シーンもすごいと思いますし、
一方、四人がダンスチームを初めて結成した回にて、最初は「笑う事に自信が持てず、ダンスの
経験が無い」せつなに対して、優しく接していたのは、他ならぬブッキーなのです。

全体を通して、パインは優しいキャラであり、やすらぎのプリキュアだと思います。

勿論、やすらぎのプリキュアは先輩に「ミント」がいるのですが、ミントの場合、
確かに癒し系のおとなしめのプリキュアなのですが、何となく笑顔の裏に悪意が少々
潜んでいそうなところが、ミントの面白いところです。
特に、5GoGoの名探偵こまちや、りんちゃんVS大江戸妖怪のミントのはじけっぷりと数々の悪意(?)は
歴代シリーズの中でも相当異色の回だと思います。

パインの中の声の人は、中川亜希子さんですが、彼女はスプラッシュスターの
安藤さんの役でも出ていますが、安藤さんも優等生の癒し系の反面、相当ボケも出来る
面白いキャラでしたね。
少しパインとかぷりそう・・・

中川さんのご主人は、作曲家の和田薫です。
この方は、全日本吹奏楽コンクール1984年課題曲B「土俗的舞曲」の作曲家
でもあります。
この曲は、吹奏楽曲でもあり、実は管弦楽曲でもあります。
管弦楽のための民舞組曲の中の第四曲でもあるのです。
吹奏楽として作曲されたのが先なのか、管弦楽曲としての方が先なのかは
分かりません。

広上淳一指揮/マルメ交響楽団の邦人作品集のCDにも収録されていますので、
興味のある方は是非一度聴いて欲しいと思います。
このCDに外山雄三の交響詩「まつら」も収録されていますが、
これが本当に素晴らしい演奏です。
まつらは以前一度だけ、新星日響の1996年サントリーホール定期で聴いた事がありますが、
外人指揮・邦人演奏というせいもあったかもしれませんが、完成度はいまいちでした。
ホルンの非力さもガッカリものでした・・・
広上/マルメは、邦人指揮・外国人演奏でしたが、こちらはいかにも日本の感覚溢れる
鄙びた演奏でした。

天野正道氏は、色々なアニメの音楽をも担当されていましたが、もしかすると和田氏も
何かアニメの音楽との関わりがあったのかな・・・?
それで中川さんと出会いの場があったのかな・・?
(余計なお世話です)

ちなみに、パインのプリキュアとしての武器のスティックは、「パインフルート」です。
前回の続きになってしまうかもしれませんが、1979年全国大会・高校の部の
追加を少々・・・
(今から33年前の事など何を今更・・・我ながら何を考えているのやら・・・)

○浜松工業

 課題曲のフェリスタスも文句の付けようがない素晴らしい演奏でしたが、
 (でもあの課題曲の終わり方は、良く言われることですが、本当に「火の鳥」の
  終曲とよく似ていますよね。高校の頃、自分達はよくこの課題曲を「ニセ火の鳥」と
  呼んでいましたっけ・・・)
 自由曲のアルメニアンダンスパートⅡは素晴らしい演奏でしたね。
 まさに正統派、オーソドックスな演奏でした。
 比較的テンポ設定が遅いせいか、後半はかなり強引なカットになってしまったのが、
 本当に残念な所です。
 その点、翌年の玉川は、早いスピードで第3曲「ロリの歌」をノーカットで
 駆け抜けたのは「圧巻!!」の一言です。それでいてサウンドが洗練されているのだから、
 化け物級ですよね。
 このアルメパートⅡは、後半にホルンの雄叫びが一つの聴き所なのですが、浜松は
 それがカットされていたのは、本当に残念です。
 でも全体的には、洗練された正統派のリードの演奏です。
 余談ですが、玉川学園のアルメパートⅡのエンディング近くで、トロンボーン3本による
 不協和音的ユニゾンがあるのですが、玉川はこれが完璧にはまっていて、素晴らしい・お見事!!
 としか言いようがありません。

○玉川学園

 アルメニアンダンスの前年の演奏ですが、翌年の爆演と同じチームなのかな?と
 思えるくらい、洗練された知性的な演奏です。
 コープランドの「戸外のための序曲」だから、野性的な演奏になってもおかしくは
 ないのですが、都会的な演奏です。
 奏者ものびのび楽しんでいるようにも聴こえます。

○淀川工業

 このチームは、1975年に「トッカータとフーガ」で初金賞を果たしているのですが、
 その辺りから、この年までは正直あまり特徴も個性も感じられない普通の印象です。
 淀川工業が化けるのは、翌年の「大阪俗謡による幻想曲」からだと
 思います。
 でもねー、淀川工は、1990年代後半からずーーーっと、
 自由曲は、ダフニスとクロエ・スペイン狂詩曲・大阪俗謡たった三曲の
 使い回しですよね。
 あれって、反則のような気がすると思うのですが・・・
 マンネリ化、ワンパターンにも程があると思うし、ある意味コンクールに出る
 資格はないと思います。
 淀川の最高の演奏は、1980年の俗謡と1983年の神話と86年のアルメニアンダンスパートⅠ
 なのかな。
シベリウスの「カレリア組曲」よりⅢ.行進曲は本当に可愛らしい素敵な小品ですよね。
よくオケの演奏会のアンコールでも、しばしば演奏される機会があります。

だけど、この曲一つだけで、全国大会に出場したチームも過去にはあります。
確か1978年の基町高校と翌年の高松一高です。
(高松一高は、1994年にも同じ曲で全国に出ていますが、この年は、課題曲全てが
 異常に長大な曲だから、時間の制約上ありなのかも・・・)

基町の演奏はあまり記憶にないけど、高松一高は意外と印象に残っています。
トランペットのユニゾンの部分で、見事に音を外しているから
覚えているのかもしれません。
(全体的には決して悪い演奏ではなく、銅賞は少し気の毒・・・)
高松の課題曲は、フェリスタスだから、課題曲と自由曲を合せても8分足らずの
演奏だったのでしょう。
コンクールでのこの短さは、結構特殊なのかもしれませんね。
コンクールでの短い演奏というと、記憶に残っている所では、
1982年の甲府南西中かな・・・?
サンライズマーチに自由曲が、ガイーヌより、バラの少女の踊り・レスギンカだから
これは7分程度なのかな・・

1979年の高校の部は、1980年と81年の異常なレベルの高さには少し一歩及ばないかも
しれないけど、結構レベルの高い大会だったと思います。

○花輪

 ショスタコの交響曲で、5番ではなくて、1番を取り上げたのはいかにも花輪らしい
 選曲だと思います。
 ショスタコの1番は、1991年のインパル=東京都交響楽団の素晴らしい名演が
 今でも印象に残っています。抽象的な表現ですが、「無限の数字の遊び、自由な音楽」という
 雰囲気が漂う演奏だったと思います。
 花輪は、少しミスもあって完全な演奏ではありませんでしたが、インパルのような遊び心は
 何となく伝わってきました。

○秋田南
 
 矢代秋雄の「交響曲」の全国初演は、このチームでした。編曲は若き日の天野正道氏です。
 というと、天野氏はもしかして10代後半辺りで、この曲をアレンジしたのかな・・・
 それはすごい話なのかも・・・
 演奏は、正統派の気品溢れる演奏です。
 というか、レコードの裏ジャケットには、当時は各出場チームの生徒による感想・コメントが
 書かれていましたが、秋田南は「前年(三善晃/管弦楽のための協奏曲)の自由曲より
 技術的に大変ではなく・・・・」といった記載がありましたが、矢代秋雄を軽くこなす辺りは
 さすが全盛期の秋田南はすごいっすよね・・・

○銚子商業

 小沢氏がまだ指揮を務めていた頃の演奏ですが、超高校級としかいいようのない「サロメ」です。
 色っぽいし、あでやかだし、はかないし・・・
 とてつもない演奏。
 難をいうと、アレンジかな・・
 オーボエのソロのリズムがテナーサックスだから、何か安っぽく聴こえてしまう・・・
 最近の演奏は、この部分はファゴットが演奏するケースが多いですね。

○前橋商業

 うーーん、何だこの純日本調の演奏は・・・
 やはり木挽き歌の第一曲のソロは、前橋商業のようにコールアングレでないと
 締まらないと思います。
 最近は、テナーサックスで演奏されることが多いから、前商の方が全然いいと
 思います。
 盆踊りも鄙びているし、フィナーレも極めて自然な盛り上がりを見せてくれています。

○天理高校

 この年から新子先生が天理を振るようになりましたが、このハムレットは
 実にオーソドックスで素晴らしい。
 第三曲の「役者たちの入場」の木管の響きは、まさに管弦楽の響きがする・・・
 ハムレットといえば、個人的にはこの天理と野庭が双璧だと思います。

○尼崎西

 何だこのアルメパートⅡのテンポの速さと乗りノリノリの荒っぽい演奏は・・・
 翌年の玉川学園もこの演奏に近いけど、玉川は都会的な洗練さもあったけど、
 こちらの演奏は、いかにも関西系の「下品でどこが悪いねん」の世界なのかも・・・

○福岡工大付属

 1960年代に電波工専時代に名をあけだ学校ですが、一時学校が倒産し大変な時期も
 あったようです。
 その復活の最初の演奏です。
 演奏は、かなり荒っぽいけど、タラス=プーリバの金管楽器の燃えるような彷徨は
 すさまじいものを感じます。
 何か「魂の叫び」を表現しているみたい・・・

でもこの年の圧倒的名演は、誰が何と言っても、プログラム1番の市立川口の
プレリュード/二つの交響的断章ですけどね。
10/7のスマイルプリキュアは、抜群に素晴らしかったと思います。
(日曜日は仕事なので、リアルタイムで見る事は殆どなく、毎回録画したものを
 後から見る羽目になっています・・・)

「スマイルプリキュア」には、初期の頃から貫かれる大きなテーマがあるのかなーと
思います。
それは、主人公みゆきの決めゼリフとも言うべき「ウルトラハッピー」なのですが、
そのウルトラハッピーも、自分一人で楽しむのではなくて、皆で全員で楽しむから
ハッピーになれるという事なのでしょう。
皆がいるから、自分も頑張れるという事や、
自分、友達、家族がいるからハッピーになれるという事にも
繋がっていくのでしょう。

だけど、今週のスマイルの登場人物は、コスプレをしていたせいもあると思いますが、
女子生徒、特にみゆきとなお、れいかさん、その中でも特にみゆきの可愛らしさは
殺人級だったかなーと思います。
番組後半にはいって、ようやく主人公の面目躍如という所なのでしょう。

プリキュアシリーズの中で結構「文化祭」は出てきます。

スブラッシュスターの、モニュメントテーマのデザインに悩む舞
フレッシュでの、アホのウェスター曰く「あまずっぺえー」ラブと大輔
ハートキャッチでのえりかの推進力
振り返ってみると印象的なシーンは色々出てきますね。

その中でもやはりスプラッシュスターが一番印象に残っています。

スブラッシュスターでもクラスメイト全員が文化祭を作り上げていく過程が
丁寧に描かれていて、一人一人の役割分担や大道具小道具の製作などの裏方がいるから
文化祭全体が成り立っていく事が描かれていたと思います。
その点は、今回のスマイルとも重なっているなーとも感じましたし、プリキュアシリーズ
としての首尾一貫性も伝わりました。

舞が「一人で書いていたときは自由に書けていたのに、文化祭のテーマ全体の
デザインという重責を担うと考えると中々手が進まない」と悩む舞に対して、
「自由に楽しく書けば?」とアドバイスし、自分が舞の絵が好きなのは、
その絵を通して、舞が楽しんで書いているのが伝わってくるから」と
ストレートに励ます咲の言葉が何かとても印象的でした。

話は違いますが、初代に比べてスブラッシュの二人はやや幼く見えないこともないの
ですが、それでも今のスマイルとメンバーと比べると大人っぽく見えますよね。
その分、スマイルのメンバーは、本当に全員が可愛いい所が本当に
素晴らしいのですが・・・・

文化祭の準備に追われている生徒達を横目に見ながら、咲舞たちをストーカーしている
キントレスキーのマヌケっぷりが又最高に面白い!!
仮面を作っている咲を、教室の外側からじーーっと見つめているキントレスキーが
ある意味お茶目、でもこの人ストーカーをしながら、同時にバーベルを動かして
体を鍛えているのもある意味すご過ぎる・・・・

「みんなでジャンプ」というモニュメントは、本当に素晴らしい出来栄えだったと
思いますし、今のプリキュアにも繋がっているテーマだと思いました。

カディッシュ

「カディッシュ」とは、ユダヤ人の死者の為の葬送音楽との事です。

このタイトルの吹奏楽曲というと、F.マクベスの曲が有名かと思いますが、
この曲は、自分自身が吹奏楽コンクールで吹いた初めての曲になるかと
思います。

正直技術的にはそれ程難しい曲ではありません。
当時自分はクラリネットでしたが、吹奏楽曲につきものの恐怖の16分音符や36分音符はほぼ皆無で、
終始ゆったりとした曲なので、苦労したという記憶はほとんどありません。
だけど、金管楽器(特にトランペット)の後半の高音は結構大変だったみたいです。

だけど、うちの中学校は本当に楽器が何もない田舎の貧乏中学校なので、
パーカッションに、コンサートチャイムがないのは仕方がないにしても、
ティンパニーはペダル式ではないし、手締め式だし、
おまけにドラ(タムタム)すらない有様でしたので、出だしのチャイムはグロッケンで代用し、
ラスト近くのドラはなしという惨憺たる状況でした・・・

もしもタイムマシーンがあって、当時の演奏を生で聴いたとしたら、
トホホな感想になってしまうでしょうね。

それにしても陰鬱な曲でしたね。
生きているのが嫌になってしまう位、絶望的な曲だったと思います。

同じタイトルでも、バーンスタインにかかると全く違った印象になってしまいます。
バーンスタインにも交響曲第3番「カディッシュ」というものがありますが、
どちらかというと、死者のためというよりも、現在生きている人間のために書かれた
生々しい曲という印象があります。

この曲を生で聴く機会は極めて少ないと思いますが、
一度だけ生で聴いた事があります。
1991年の新星日響(大友直人指揮)でしたが、ステージにずらりと並んだ人の数の多さに
圧倒されました。
だって、この曲は、ソプラノ、語り手、混声四部合唱、児童合唱を使用していますので、
サントリーホールのステージがこの時は狭く感じたほどでした。

英語なので何を言っているかはさっぱりわかりませんが、
やたら「アーメン」とか「オー、マイ、ファーザー」という語句が出ていたのはよく
覚えています。
この曲のCDを幾つか聴いてみると、語り手が女性である場合もありますし、男性である場合も
ありました。この日の演奏は、男性でしたので、
作曲者からの指定はないのかもしれません。
個人的には、女性の方が曲に合っている様な気もします。

確か、当初予定されていた語り手が交通事故に遭遇し、急遽代役を立てるとか
当時のプログラムに書いてありましたけど、
交通事故にあった人はその後一体どうなってしまったのでしょうね・・・?
本当に死者のための葬送音楽になってしまったのかな?

今となっては知る由もないけど・・・
本日は、ホント久し振りに警察のネズミ捕りに捕まってしまい、はみ出し走行とかで、
マイナス1点に罰金5000円と非常にけったくその悪い一日となってしまいました・・・
秋の交通安全週間だから、ノルマが大変なのかも・・・
でもすごく胸くそが悪い。
またこれでゴールド免許取得が遠のいてしまった・・・

話は全然違いますが、
日曜日の朝8時半のテレビ朝日といえば、プリキュアシリーズですが、
何気に見ていますと、CMに「フルタ製菓」が出ていて、
あーー、この会社まで頑張っているのだと少し懐かしく感じました。

というか、何でフルタ製菓まで、キュアピースVSサザエさんのじゃんけん戦争に
巻き込まれているのでしょうね・・・?
フルタ製菓の場合、自ら巻き込んでいった「自爆」かもしれませんが・・・

それにしてもキュアピースが最初に登場した時は、本当に驚きでしたね。
だってスマイルの他のプリキュアの変身時の口上は、
ハッピー→きらきら輝く未来の光
サニー→太陽さんさん熱血パワー
マーチ→勇気りんりん直球勝負
ビューティ→しんしんと降り積もる清き心

といかにもプリキュアらしい言葉なのに、
ピースだけ「ぴかぴかぴかりんじゃんけんぽん」ですものね。
それで毎回じゃんけんが変わるというのも何か新鮮でした。

話は再度変わりますが、
フルタ製菓は、自分が学生の時、確か会社説明会に参加した記憶があります。
当時、でっぷりと太った社長が、両手をチョップみたいに「前へならえ」するかのように
やたら振り回して説明していたのは明確に覚えています。
説明会が終了して、一人5分程度の面談会というのがありましたが、
自己PRとかする以前に、担当者の方が
「フルタ製菓の製品は美味しいのですよー」と自社商品のPRばかりして、
面談・会社説明会というよりは、消費者モニター会みたいな
雰囲気でした。
(でも不採用通知はしっかりと届きましたけどね・・・)

帰りに、フルタ製菓の商品詰め合わせセットに交通費まで支給されて
まさにいたれりつくせりという感じでした。

というか、1980年代中盤から後半にかけて就職活動をしていた学生は、本当に
ラッキーだと思います。
今の超氷河期と言われる学生さん達の厳しい就職活動に比べたら
本当に天国と地獄ですよね。

だって、あの頃は、リクルートの雑誌の各企業への資料請求の葉書を
何枚か出していれば、企業側から勝手にアプローチしてきて、自動的に
面接日を設定され、いつの間にか「内定」という感じでしたから・・・
自分のような無能なボンクラ学生でも、たかだか三週間程度の就職活動で
計4社から内定を貰えた時代でしたからね。
(その報いというか、天罰というか、2001年と2005年に会社破綻・解散した際、35歳を過ぎてからの
 転職活動の難しさや厳しさは嫌という程体験しましたけどね・・・)

でもバブル前の就職活動は、説明会や面接に行くだけで交通費だのお茶代だの
テレホンカード(→もはや死語ですね)だのその企業の商品詰め合わせだの
本当にお土産三昧でしたからね。

当時はいい時代とは別に思いませんけど、後から見るといい時代だったのでしょうね。

マヌケ妖精

歴代のプリキュアシリーズでは、ウェスターやアカオーニ、ミズシタターレ姉さん、
クモジャキーなどのような「マヌケ幹部」は必然的にうじゃうじゃいるのですが、
プリキュア側の妖精・精霊にも結構マヌケ妖精はいたりします。
というか、最近の要請のアホ化にはすさまじいものがありますね・・・

初代~SSの妖精達【メップルとミップル、フラッピとチョッピ、ムーブとフープ】は
どちらかというとなぎほの・咲舞のパートナーというよりは、お互いに支えあう側面が
強かったりします。

プリキュア5の場合、これは結構特殊なのかもしれませんが、
「パルミエ王国復活の手助けをして欲しいココ」という依頼者の立場でありながら、
実はプリキュア達を精神面からサポートする大人としての役割も担っています。
(ココナツは戦力的には本当に役立たずだけど・・・)

フレッシュの場合、
シフォンは、歴代プリキュアの妖精でもある意味「最強」なのかもしれません。
タルトくんは、残念ながら「役立たず」妖精なのかもしれませんが、
プリキュア達を影で色々と心配して、気遣いをする
苦労型妖精なのかもしれません。
(ブッキーと入れ替わった回はある意味シリーズ最高傑作の一つかも・・・)

ハートキャッチの妖精は、可もなく不可もない感じ

やはりスイートから様子は変わってきましたね。

ハミィは、プリキュアの妖精の中でも一番アホでマヌケで役立たず妖精と
言えるかもしれません。
マヌケ度は、のぞみの比ではないと思います。
でも、ハミィの場合、どこからどうみてもただの「ネコ」にしか
見えないのが面白い所ですよね。

スマイルのキャンディは、基本的に小さな子供だから仕方がないのかな・・・?

ハミィは歌姫という設定だけど、中の声の人(三石さん)があまり歌が得意でない
という事情もあったのか、本気モードで歌う時だけは、別の声の人(→本職の歌手の人)を
使用していましたよね。

ハミィがアホすぎて、同僚のセイレーン(→後のキュアビート)の存在が
何かかすんでしまったのは気のせいでしょうか?

そのせいか、キュアビートは、パッション程のドラマ性や感動性が今ひとつ低く、
何となく「影の薄い子」・「不幸な子」というイメージがいまだにあるのは
なぜなんでしょう?
ドビュッシーの管弦楽のための三つの交響的素描「海」は本当に
素晴らしい名曲だと思います。
単純な海の描写曲という訳では勿論なく、聴く人にとっての「自分にとっての海とは?」を
音楽でイメージしたものだと感じます。

この曲はオケの演奏でも色々と素晴らしい演奏を聴く機会もありましたが、
個人的には、1997年の大友直人指揮 東京交響楽団のぴーーーんと張り詰めた
「海」の超名演が忘れがたいです。

古い話ですが、海の第一楽章「海上の夜明けから真昼まで」は1989年頃の富士通のCMの
BGMで流され、何となく富士通のイメージと合っているような気もしていました。

吹奏楽コンクールでの海の名演・珍演は色々あると思います。

珍演の最たるものは、89年の柳町中のトランペットがしくじりまくりのヘボい海と
90年の中間東中あたりかな・・・(→指揮者の珍解釈が爆笑もの・・・)
95年の玉川学園もひどかったな・・・

そんな中、1986年の高校の部は本当に充実した大会だったと思います。

野庭のロマンティックなオセロ ミステリアスな札幌シ白石 圧倒的サウンドの埼玉栄
ラフだけど楽しい淀工 歴史的名演といっても過言ではない中村学園
ポップスとクラシックがうまく融合した東海大学第一 重厚なサウンドの浜松商業
赤のチェックり制服が可愛かった就実 絶えず何かを精一杯表現した伊予 

聴いていて本当に楽しめる大会だったと思います。

そんな中、この大会では「海」が3団体取り上げ、3団体共にアレンジャーが異なるという
非常に興味深いものでした。

○高岡商業【上埜孝編曲】

 いかにも高性能・高機能といった感じのサウンドでした。
 何となくメカニックすぎるのかなーという印象も持ちました。
 中間部のオーボエのソロの背景で、グロッケンを弦の弓でこすりつけるようにして
 キーーンという弦楽器の高音を代用していたのにはド肝を抜かされました・・・

○習志野【八田奏一編曲】

 3団体の中では、一番しっくりくる素晴らしい演奏でした。
 サウンドに気品があり、前半を相当抑えて演奏していて、後半にいくほど
 高ぶった気持ちをうまく柔軟に表現していました。
 というか、音楽が自由自在という感じでした。
 生で聴くと一見冴えない演奏にも聴こえてしまうかもしれませんが、その真価は
 CDで聴くとよく分かると思います。

○神戸【藤田玄播編曲】

 サウンドが重厚でした。
 分厚い響きでしたので、繊細な表現の「海」には少し合わなかったかも・・・

番外編として、1993年の関西大会の洛南高校を推したいと思います。
洛南は、この年は関西スカ金で全国には行けなかったのですが、演奏は非常にユニーク
第二楽章と第三楽章を取り上げるとは恐れ入りました・・・・
カットは痛々しいけど、何を言いたいかとか、曲のニュアンスは充分伝わってきました。
第二楽章に、ソプラノサックスをソロとして使用していたのは、意外とあっていたと思います。
このチームは、翌年の「リバティーファンファーレ」も素晴らしかったけど、この年も
スカ金でしたよね。

コンクールは本当に難しいものです・・・

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」は大好きな曲の一つです。

この曲を知るきっかけとなったのは、やはりというか例によって
吹奏楽コンクールでして、B部門(→この用語自体既に死語かも・・・)の
ある高校の演奏です。
貧弱な編成でトランペットは2本しかなかったのに
(作曲者自身、組曲版は何度か改訂を実施し、確かある版では2管編成だったから
 それはそれで正解だったかも・・・)
重厚で迫力ある演奏を聴かせてくれ、特に「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の出だしの
強烈なインパクトには、興味深々でしたので、
早速翌日には、レコード店に行き、レコードを買ってきました。
確か、小沢/パリ管だったと思います。

聴いてみて少し意外だったのは今でもよく覚えています。

曲全体として、ファンタジー感漂う曲想で、どちらかというと、
いかにもロシアの荒々しい曲というよりは、
ドビュッシーのエコーを漂わせる曲だなーという印象でした。
出だしのいかにも魔法の国のような音楽、「王女たちのロンド」の幻想さ
意外と繊細な曲であったのは正直意外な感じもしました。

だけど「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の部分は、心地良い音楽にウトウトしていた聴衆の眠りを
吹っ飛ばすだけのインパクトは充分あると思います。
激しいリズムにゾクゾクしたものです。
一方子守歌の気高さ、フィナーレの高揚感は素晴らしいと思います。
特にフィナーレが始まる際のホルンソロの部分は、何時聴いてもなんだか
ホッとするものはあります。
(魔法の国から現実へ帰還出来る安堵感のようにも聴こえます。)

この曲はオケの演奏会では定番中の定番の曲なので何度か聴いた事が
ありますが、個人的には、1989年のサントリーホールでの日本フィルの定期が
一番印象に残っています。
だけど、この曲は組曲として聴くよりは、全曲版を聴くことをお勧めします。
正直、組曲版では、美しい部分が軒並みカットされていて正直歯がゆい・・・
組曲版の中には、カスチェイで終わる版も存在していますしね。

むかーし(1997年頃かな・・?)5月の連休中に
サントリーホールをブラブラしていたら(→何ていう所を散策しているのでしょうね・・)
「当日券あります」の札があったので、曲目を見てみたら、
サン=サーンスの「動物の謝肉祭」・「火の鳥」とか書いてあったから、
思わず当日券を買って入ってしまいました。

沼尻竜典さん指揮/新星日響だったと思いますが、
会場に入ってのけぞりました・・・・
というか、この日は「こどもの日、特別演奏会」という事で、小さな子供とその親たちばかりで
30過ぎの男が一人でノコノコ入れる雰囲気は全くありませんでした。
むしろ「こっ恥ずかしい」感一杯でした・・・

仕方ないのですが、演奏中も子供のはしゃぐ声が終始止まらない感じでしたが、
それはそれで仕方ないのかも・・・
何か貴重な経験でしたね。
沼尻さんと司会者の女の人の会話が何か面白かったのは今でも
覚えています。

動物の謝肉祭の「カッコー」では、クラリネット奏者が
カッコーのお面を付けて、舞台脇でライトアップされた状態で吹いていたのは
何か印象に残っています。

でもこの日一番「なるほど」と思ったのは火の鳥でした。

前半は子供たちも退屈そうにしていましたが、例の魔王カスチェイの出だしのジャンという音が
鳴った瞬間に、今まではしゃいでいた子供達が急にシーーンとなり、
ビクッとのけぞっていたようになったのは、さすが「ストラヴィンスキーのインパクト」と
思いました。

帰りに、他の子供たちと同様にお土産のお菓子を係りの人から配られたのは、
さすがに「トホホ」という感じでしたね。
今年のスマイルプリキュアを見ていて思ったのですが、
プリキュア5がかなりの場面で各人の単独変身シーンがあったのですが、
スマイルは意外と単独での変身シーンは極めて少ないと思います。
第1~5話までの各キャラクターの誕生場面は別として、それ以外では、
みゆきとキャンディーが入れ替わった回と怠け玉に囚われた4人の仲間を助けに行く回と
ビューティさんがなぜ勉強する必要があるのか悩んだ回
程度ですかね・・・
(単独変身回の場合、パフをポンポンと顔につけハッピーが微笑んだ時が抜群に
 可愛いのだけど、これが中々お目にかかれない・・・)

プリキュア5の場合、個人回というか、特定の個人に焦点を合わせた回がしばしば見られ、
その際はほとんど単独変身でしたけど、
スマイルの場合、プリキュア5ほど個人回が少ない。
変身シーンも全員一斉変身シーンが多く、単独での変身シーンが
少ないのも「自分も大切、仲間も家族も大切。仲間がそばにいてくれるおかげで
力を発揮できるし、楽しいし、ハッピーになれる」というスマイルプリキュアシリーズでの
一貫した考え方に背景があるのでしょう。

歴代プリキュアを振り返ってみると各シリーズでその辺りも異なり
面白いものがあります。

○初代~MH

 二人が揃って、パートナーの妖精も揃わないと変身が出来ない
 非常にシビアな状況
 単独変身は出来ず、二人同時変身でないと駄目

○スプラッシュスター

 初代と全く同じ

○プリキュア5

 単独変身可能 妖精は変身には全く関らない

○フレッシュプリキュア

 単独変身可能 妖精は変身には全く関与しない

○ハートキャッチ

 単独変身可能 但しパートナーの妖精がいないと変身が出来ない

○スイート

 単独変身は不可 初期の頃は、二人同時でしかも二人の息が揃わないと
 変身が出来ない。→ある意味一番シビアかも・・・?
だけど、パートナーの妖精は、変身には全く関与しない

○スマイル

 プリキュア5と同じ設定

こうしてみてみると、初代と二代目はホント、大変な苦労をされていたのですよね・・・
しかも初代の二人は、基本的には2年に渡って、必殺技が「マーブルスクリュー」一本で
乗り切った訳だから、本当に対したものです。
(シャイニールミナスは基本的に全く戦うことはしないし・・・回によっては変身するだけで
 ほとんど何もしない時もありましたよね。
 だけど、ルミナスは可愛いから全部許せてしまう・・・)
スプラッシュスターの時も、フラッピ・チョッピがゴーヤーンに拉致された際や
舞がシタターレ姉さんに連れ去られた時は、
結構大変でしたからね・・・

二人の絆を大切にした初代とスプラッシュスター、自由な発想のプリキュア5とフレッシュ
やはり歴代プリキュアも各シリーズのディレクターの考え方などでその辺も少しずつ変化が
あるのかもしれませんし、その辺りを読み解いていくのも一つの楽しみ方
なのかもしれませんね。

吹奏楽コンクールの一般の部を聴いたのは、実は1988年が初めてです。
というか、一般の部は、この年と1992年の仙台だけです。
元々金融機関に勤めていたものの、勤めていた銀行が破綻し、建築関係の仕事に
転職して以降は、土日が出勤(→かきいれ時)のため、
2001年以降は、ほーんと、吹奏楽コンクールとは縁が薄くなってしまいましたね・・・
(だから、ノスタルテイックに80年代の事を書いているのですけどね・・・
 だけど結婚して以降は、自由に使えるお金が皆無なので、生のクラシックの
 演奏会に行く機会も激減してしまいましたけど・・・
 だけど、妻の影響もあってか、なぜか「プリキュアシリーズ」にはまり
 テレビとかツタヤの100円レンタルで楽しんでいます・・・
 やはり、趣味とか生きがいは時代時代において変化もしていくのでしょうね。
 お金や時間に余裕が出てきたら、また吹奏楽やクラシックに戻っていくのかも・・・)

なんか全然関係ない話になりましたので、話を元に戻します。

1988年当時は、大学・職場・一般の部はまとめて開催され、少々疲れるけど
3部門それぞれを楽しむ事ができて、自分としては今のように大学の部を単独で開催したり
一般と職場をなぜか統合したりする時代ではなかったので、
存分に、それぞれの部門の演奏を楽しむ事が出来たと思います。
勿論、職場の部内に、ヤマハ浜松と天童市役所みたいに天と地ほどレベルの差が生ずる
問題点はわかってはいますが・・・

会場は大宮ソニックでしたが、響きは決して悪いホールではないと思います。
現在も日本フィルが、さいたまシリーズの舞台で使用している程ですし・・

まずこの年の歴史的名演は、ヤマハ浜松の「メトセラⅡ」でしょうね。
この曲の全国初演に自分も聴衆の一人として立ち会えたことは嬉しいことだと思います。
当時は、あの打楽器のきらびかやさ・原始主義のようなワイルドさ・曲の高揚感に
本当に圧倒されました。
(今改めて聴くと、意外とシンプルな曲の構成で、それ程中身がある曲では
 ないのだけど・・・)
関西学院大学の「ロデオ」は本当に驚かされました。
というか、耳の鼓膜が破れそうな程の大音量。
当時は確か1988年だったのですが、1960年代の吹奏楽といっても良いほど
音量とパワーだけを目標に「応援団」みたいにガンガン鳴らしている古典的な演奏
でした。
(確かに名称も関西学院大学応援団総務吹奏楽部ですけど・・・)
控えめな中央、5年連続金賞のプレッシャーなのか、サロメのオーボエソロの不調を
はじめ意外と本来の実力を発揮出来なかった神奈川
ベルキスの全国初演を果たした東北学院
ま、色々ありましたね。

だけど正直一般の部が聴いていて一番心から楽しめました。

豊島・市川・コンツェルトエロイカの金賞団体よりも、自分としては、
自分としては、札幌市民・米沢・松山の銀賞受賞団体の方に深く共感を
覚えました。
(創価学会関西は、金賞だけど、あれは別格、すごすぎてコメント不能・・・
 4年後の同じガイーヌの収穫祭はまさに衝撃的演奏・・・)

○札幌市民

 タンホイザーの中間部のユーフォのソロ→すごく長大。一人で悠々2分近く吹いていた。
 このソロが本当にうっとりするくらい素晴らしく魅力的でした。
 曲全体も、ユーフォのソロを軸にしっとりとまとめ、フィナーレも壮大に
 結んでいました。
 課題曲も出だしは少し硬かったけど、華やかさは充分でした。
 このチームは、いかにも「大人」の演奏という感じ

○米沢

 O・リードの「メキシコの祭り」の第一楽章「前奏曲とアステカ部族の踊り」を
 取り上げていましたが、個人的には、この日のNo.1と評価したい素晴らしい演奏だったと
 思います。
 メキシコの祭りは、70年代にも色々なチームが取り上げていましたが、この米沢には
 遠く及ばないと思います。
 前奏曲の部分のホルンの雄叫びや鋭い瞬発力ある打楽器のパンチ力、しっとりとした木管も
 良かったと思いますが、後半の意外と曲全体の整理整頓が難しく、リズムの処理がやっかいな
 この曲をすんなりと聴かせ、且つ迫力満点に仕上げた指揮者の能力は素晴らしいものがあると
 思います。
 確か記憶では、トランペット・トロンボーンのバンダの部分は、ステージ袖ではなく
 舞台裏から奏でていたと思いましたが、いかにも「夜明けから、遠く彼方から祭りの活気が
 聞こえてくる」みたいな感じで、とても合点がいきました。
 フィナーレ近くのティンパニーソロから一気にクライマックスまで駆け上がり
 ドラのゴーーーンという余韻を残しての演奏終了でしたが、
 ヤマハ浜松と同じ位、自分に強烈なインパクトを残してくれた
 演奏でした。

 なーんで、この演奏が銀賞なんだろう・・・?

9/30の「スマイルプリキュア」は久し振りにドタバタギャグ回でした。
(最終決戦が近づくクリスマス以降は、毎年シリアスモードに突入していくので、
 今が個人回とかドタバタを演じられる機会ですよね)

でもそれにしてもプリキュアシリーズは「映画村」が好きですよね。
確か今回で三回目の登場かな・・?
一回目が初代のMHで、二回目がプリキュア5、そして今回という事になります。

初代の時は、修学旅行のワンシーンでしたが、はからずもここで
なぎさのオヤジ趣味が露呈されちゃいましたけど・・・・
2回目は、のぞみの面倒見の良さと意外な手際の良さとアホさが全開でした。

先程美墨なぎさの名前が出ましたが、なぎさはもしかするとプリキュアシリーズの中で
最も勉強が苦手なキャラなのかもしれません。
(咲ものぞみも後半は勉強も少しは「絶好調ナリ・・」だったかな・・?)
反面、なぎさは「決める時には必ず決める」というタイプみたいで、
咲がソフトボールの決勝戦で惜敗したり、なおがリレーのアンカーで一時トップに
追いつきながらも転倒したり、意外とプリキュアシリーズのスポーツ少女は
勝負に負けたりする事が多かったりするのですが、
なぎさは、シリーズを通して2年間、ほぼ負け知らずです。
リレー・ラクロスなど「ここぞ!」という時にはほぼ100%勝っています。
これはすごい事かも・・・

なぎさって、キュアブラックの時の乱暴さ・強さが印象に強いのですが、
(そういえば、ラクロスの試合を妨害されて怒り狂い、パンチで校庭に大穴を
 あけた事もありましたね。これは、オールスターのミルキーローズのパンチと
 同等くらいかも・・・)
人間体としてのなぎさは、好きな異性に対してヘロへロだったり、
キャプテンとして悩んだり、意外とドロ臭い人間臭さも感じる事が
多いような気がします。
のぞみやラブがある意味不思議なカリスマ性やリーダーシップで
ぐいぐいと人を引っ張っていくのに対して、なぎさは超人的要素は少なく
「普通の中学生」がプリキュアを何かの縁でやっているような
感じもします。

それにしても、プリキュアとしての戦闘を終わらせた直後に、リレーのアンカーとして、
ラクロスのエースとして、決める時には決めるなぎさは、
やはり只者ではないと思います。

話をスマイルに戻しますと、9/30の「映画村」の回では、
あかね以外は、皆時代劇のコスチュームが本当に似合っていましたね。
みゆきとやよいの町娘は本当に可愛かったです。
れいかさんのお姫様もまさにはまり役。
なおの忍者はもっとはまり役でしたね。
(あかねだけ少々気の毒・・・)

そう言えば、監督役の中の声の人は、ブンビーさんでしたね。
何か懐かしい・・・
あかねの蜘蛛女は、何だかプリキュア5の「アラクネア」みたいでした・・・
細かい話ですが、映画村のポスターに「ふたりはくのいち」なんてのも
ありましたけど、これは初代に対するオマージュかな・・・?




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