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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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前回1982年の亜細亜大学の課題曲D「サンライズマーチ」は圧巻の一言で超名演と記しましたが、
サンライズマーチというと、亜細亜とは全く別のアプローチでの素晴らしい演奏を残してくれた
チームがあります。

それは就実高校だと思います。(でも好みは分かれるかなー)

亜細亜が金管を主体にテンポとリズムがドンピシャで、大太鼓の強めのリズムをベースに
金管が突き進んでいくイメージです。
一方就実は、全く逆で、金管楽器は終始控えめで、ほとんど目立っていません。
全体をクラリネットを中心とした木管楽器のメロディーで曲が進行していきます。

大人しいとか控えめとか味気ないとか評価は正直分かれると思いますが、
この演奏はある意味個性的というか、面白い解釈だと思います。

でも就実のこの年の自由曲の「幻想舞曲集」は歴史的名演だと私は思っています。
けだるさと色気が見事に醸しだされています。
特に第二曲「酒宴」のコールアングレのソロは陶酔という感じで、
ほのかな情熱が漂っています。

この「幻想舞曲集」は指揮者の村松勲氏は相当お気に入りだったようで、
この年の他に、1985年 92年に自由曲として取り上げています。
(残念ながら支部大会・スカ金で、幻想舞曲集としての出場は82年だけです。
 だけどそれでいいのかも。だからこそ82年の演奏が自分にとっては「伝説」になるのだから・・)
村松氏は、95年のキューバ舞曲を最後に勇退したはずなのですが、
理由は不明ですが、後継者の熱田氏が就実を去って以降、確か一度村松氏が指揮者として
復活し、幻想舞曲集を性懲りもなく(?)振っていたような気がします。

82年の前年は、就実は、アルベニスのスペイン組曲よりアラゴンを自由曲として
取り上げています。
正直この年は、課題曲(東北地方の民謡によるコラージュ)は
あまり良い出来とは思えません。
このチームにしては珍しく打楽器の扱い方が雑で、
和太鼓がドンドン響きすぎているのが、曲の流れを阻害し、印象を悪くしています。
一方自由曲のアラゴンは、魅力的な演奏です。
何が素晴らしいかと言うと、抒情部分、ゆったりとした部分の歌い方が極めて自然に
盛り上がっていき、情緒たっぷりに歌い上げていきます。
あまり聴く事のないこの曲の魅力を、充分伝えることが出来たと思います。

アラゴンというと、実はもう一団体、別のアプローチで取組んだチームが
あります。

それはヤマハ吹奏楽団浜松でして、1994年の演奏です。
この年の課題曲は、ほとんど6分前後の長く難解な曲調のものが多かったのが特徴で、
ヤマハが取り上げた課題曲Ⅲ「饗応夫人」は、恐らくコンクール史上最高に技術的に
難しい曲だと思います。
ヤマハもこの難解で長大な課題曲と対照的な自由曲になるように
こうした自由曲を選んだのかなとも思います。
(ヤマハ浜松がクラシックのアレンジものを取り上げること自体極めて珍しい)

だけど転んでもヤマハ浜松。さすが普通のアレンジは行いません。

曲のラストは、編曲の枠を完全に超え、確かにテーマを再現するだけなのですが、
金管楽器を高らかにコラールを響かせ、ドラを中心に打楽器を響かせるあたりは
さすがという感じです。
というか、あれはアルベニス作曲塩崎氏編曲というよりは、
完全に塩崎氏作曲という感じですね。

1994年のヤマハ浜松の東海大会での演奏は生で聴きましたが、
生で聴くと確かにインパクトはありました・・・
確か会場が富士宮市だったかな・・・
当時私は甲府在住でしたので、身延線一本で行けましたけどね。
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1982年の全日本吹奏楽コンクールは、第30回大会という事もあり本来は記念すべき回
のはずなのですが、この年は大学の部において前代未聞の妙な事件が
起きたりします。

何かと言うと、大学の部において金賞団体がゼロという妙な事件でした。

でも元々変なのですよね。吹奏楽連盟の内規にも「得点上位の団体に金賞を与える」と
明記しているのに、金賞ゼロというのも妙な話ですよね。

この年は、生で聴いていないのでレコードや復刻版CDを聴いた印象なのですが、
亜細亜・神奈川・近畿は文句のつけようがない金賞というか、近年稀に見る名演だったと
思います。
(逆に関西学院・三重は明らかに甘い金賞だと思います。関西学院も前半の木管のパッセージは
 ホント、素晴らしいのに後半のショスタコの金管はヘロヘロというか息も絶え絶えでしたね・・・)
神奈川の「ディオニソスの祭り」は本当に今聴いても色褪せない名演だと思います。個人的には
ディオニソスというと、この年の神奈川、1980年の銚子商業、85年の御影、90年の埼玉栄
91年の乗泉寺が印象的です。
特に乗泉寺は、東京大会で聴いた時の記憶では、ホルン・トロンボーン奏者が部分的に
ユーフォ(バリトン)に持ち替え、サックス類を含めて中音域の扱いが極めて特異だったので
かなり強く印象に残っています。
この点、82年の神奈川は、スタンダードな名演だと思います。

亜細亜も素晴らしいの一言!!
サンライズマーチの輝かしいファンファーレは、このチームがNo.1だと思います。
ボロディンの交響曲第2番も地味な曲をあそこまで聴かせたのは素晴らしい。
このチームの演奏を聴くと、この曲のタイトルに「大地」とネーミングしたくなります。
あえて難を言うと、課題曲を含めて少々音量過剰かな・・・?
亜細亜と一般の部の上尾の2団体を指揮した小長谷氏が、
「本日の両団体の出来は指揮をした私が1番良く知っている。それなのに、私の考えと
全く正反対の評価をもらった」と後日述べられていましたが、全くの同感です。
なんで上尾は、あの演奏が金賞なのでしょうね?
(リード/第三組曲のフルートソロはあまりにもお粗末・・・)

でもこの大会の白眉は近畿の「アンティフォナーレ」だと思います。
ネリベルのこの曲は、全体的に無機質で硬い感じの曲で、不協和音むき出しの
決して聴きやすい曲ではないのに、なぜか魅かれます。
「二つの交響的断章」の思いっきりの段差とは別の意味のインパクトがそこにはあります。
うーーん、何と言うのかな。
曲の持っている「叫び」というか、形式美を重視している一方で、
何かとてつもなく大きなものに無我夢中で挑んでいくみたいな印象があります。

この曲は、全国大会でも、この近畿の他に、小牧中・北海道教育旭川・大曲など忘れた頃に
演奏されています。
だけど、この曲は個人的に全国でも支部大会でも一度も聴いたことがなく、
歯がゆく思っています。
1981年の川越高校の演奏写真を見ると、トランペットとトロンボーンのバンダが
ステージ横にいましたし、ネリベルの指定では確かに別編成の金管部隊が指定されていますが、
近畿や大曲などの実際の演奏はどうだったのでしょうかね。

近畿の演奏は、全般的に早いテンポで進んでいきますが、不協和音が「雑音」には全く
聴こえず、むしろ美しく聴こえるのが素晴らしい。
叫び的に木管が高音を響かせている点も申し分なし。
ラストの小太鼓のリズム感・追い込みも圧巻。
中間部のフルートソロが唯一ホッとするような演出にも感じます。

やや硬い金属的な音のサウンドのこの回の近畿の音質がこの曲に非常にマッチしていたと
思います。
個人的には、近畿の1986年の「ルイ=ブルジョワの賛美歌による変奏曲」も
素晴らしいと思います。
全盛期のこのチームが、スミスの「ダンス=フォラトゥーラ」を演奏したら
一体どうなるのでしょうか?

イギリスの作曲家、サー・ウィリアム=ウォルトンは、日本では無名な存在かも
しれませんが、自分にとっては、この交響曲第1番だけでお腹一杯な存在です。

他のカテゴリで書いたので、細かくは書きませんが、この曲を知るきっかけとなったのが
1982年全日本吹奏楽コンクールの花輪高校の吹奏楽アレンジよる素晴らしい演奏でした。

当時宮城県の辺境に住んでいましたので、中々この曲のレコードが見当たらず
初めて全曲を聴いたのは、上京してからでした。
確か、プレヴィン指揮のロイヤルフィルだったと思います。

でもこの交響曲は今聴いても新しい発見がその都度ある位、自分にとっては宝石箱みたいな
存在です。

出だしから何か焦燥感・危機感を感じる第一楽章
作曲者自身が「悪意を込めて」と名づけた第二楽章
ホルンの雄叫びと何となく「春の祭典」を想起させるメロディーが印象的です。
メランコラリックな第三楽章を経て、
圧巻のフィナーレへ突き進みます。
この楽章からティンパニー奏者が2名となり、中間からラストにかけてのティンパニー奏者の
活躍には目を見張るものがあります。

この曲は第二次世界大戦開始前夜に作曲された事情もあると思いますが、
全編を通通じて「不安」・「危機感」を痛切に感じずにはいられません。
断っておきますが、この曲は決して「挫折→勝利」・「悲劇→歓喜」という単純な
ストーリーではありません。
というか、フィナーレを聴いても全然解決出来た!!と感じさせないところがミソだと
思います。
作曲者自身も、戦争が終わったとしても次から次へと世界的に難題が降りかかり
結局は安息の場所はこの世にはないんだよという事をメッセージとして
伝えたかったのかもしれません。 
不安感には、「不安」を感じさせる曲でもって対処するしかないという
感じなのかもしれません。

バーンスタインにも戦後間もない頃の作品に、交響曲第2番「不安の時代」という作品が
ありますが、この曲のテキストにかったのが、確かオーデンという詩人の「不安の時代」という
詩だったと思いますが、この詩自体は、現代人の抱える不安を解決策を提示することなく綴っていく
ものだったと思いますが、
バーンスタイン自身は、その辺りを自分なりに拡大解釈したのか、自分の交響曲としては
フィナーレをハッピーエンド風に仕上げています。
この辺り、不安には不安を持って対処するしかないと解釈したウォルトンとえらい違いが
あるような気がします。

このウォルトンの交響曲第1番を初めて生で聴いたのが、確か1995年の
大友直人指揮の東京交響楽団の定期演奏会だったと思います。
だけど、この演奏は本当に名演でした。
前半に演奏した前橋汀子の協奏曲の記憶が全く残らないほど強烈な
インパクトを残してくれました。
ティンパニー奏者が二人とも打点が気持ち良いくらい決まっていたので、
ティンパニーの轟音が本当に快感に感じられました。
だけど全体の印象としては、「やはりこの曲には何の安住もないな。ホント、危機感の固まりの
ような曲だな」と改めて感じました。
数年後、尾高忠明/東京フィルも聴きましたが、指揮者の解釈もあったと思いますが
大友直人に比べると随分と温和な解釈をするもんだなーとは
感じました。

CDでは、ラトル指揮/バーミンガム響が気に入っています。

ウォルトンは、実は難解な曲というのは意外と少ないような気がして、
例えば、グランドマーチ「クラウン・インペリアル」とか「ファサード」とか
「バトル・オブ・ブリテン」・「ウォータイムスケッチブック」のように
いかにも映画音楽のBGMという感じの曲調が多いような気もします。
反面、ヴィオラ協奏曲のように渋い曲もあったりして、
結局は何だかよく分からないけど、イギリスではやたら敬愛されている人なんでしょう。

最近、この交響曲第1番から約25年後に作曲された交響曲第2番を聴いてみたのですが、
「ナンじゃこれ、本当に同じ作曲家?」と思う位、不安感・危機感のない
ゆるい曲でした。
プリキュア5って、初登場時に印象があまり良くない、というか悪いキャラクターの人が
結構いたりして、
例/
キュアアクア
ナッツ
ミルク
シロップ
それでいていまだにシリーズ全体でも人気が高く、自分自身も大好きと言うのは
結構不思議な気もします。

特にアクアは、初登場時は本当に「孤高の人」という感じで、
「結局は私がやるしかない」というセリフに象徴される通り、
仲間に心を開くとか、弱みを含めて自分自身をさらけ出すとか、
相手を心から信用して、仕事を任せるとかそういう意識には乏しい人というのが
最初の印象です。

そこから見ていくと、Go!Go!の頃には、随分とアクアさん自身精神的成長が
著しいみたいで、
特に第5話「かれんへの手紙」の回では、それが顕著に表れた回だったと
思います。
初期のかれんだったら、一切合切を全部自分一人で決済・決定し、周りの人達の協力なんて
仰がなかっただけに、この成長にはホント、うるうるします・・・
話は違いますが、生徒会長の後輩の一人の中の人の声は、後のラブなので、
この回は、目をつぶってセリフだけを聞いてみると、アクアとピーチの会話みたいな
感じもします。

全く話はそれますが、「りんちゃんVS大江戸妖怪」の回において、
(りんのタイトルとなっていますが、この回の主人公はこまちです!!
ある意味、こまちの暴発キャラがクライマックスにまで達した名シーンです。)
髪をアップしたかれんさんと、お面を付けたうららが二人並んで登場しますが、
このシーンは、とても中学校の先輩・後輩の関係には見えません。
本当に、かれんさんが大人っぽ過ぎて親子のようにしか見えません・・・

なーんて書いたら、アクアさんから「サフィアアロー」を背後から喰らいそう・・・

一方スマイルのビューティさんは、歴代プリキュアでは五本の指に入りそうな
美人プリキュアで、且つ初期アクアさんと異なり協調性も高く、仲間との連帯感も
初期の頃から強く、品行方正な優等生で、本当に文句がつけようがない
プリキュアです。

だけど、反面第7話「秘密基地」回で象徴されるように
パイン・レモネード・ピースを軽く上回る「天然ボケ」要素も持っていて、
まさしく「我が道を行くプリキュア」に他ならないと
思います。

ハッピーの可愛さも大いに魅力的だけど、ビューティさんの正統派美人さも
捨てがたい・・・
うーーん、本当に出来れば来年も「スマイルプリキュア」を継続して欲しいなーと
痛切に感じます。

アクアさんは意外と怒りっぽい所もあるのだけど、
ビューティさんはどこまでいっても冷静で知的。
オールスターにて、もしもアクアとビューティが同じチームに
入ったとしたら、
「知性の青き泉」にしては、武闘派のアクアさんを、後輩として
知的にサポートするのがビューティさんの役割なのかも・・・
9/23のスマイルプリキュアは、シリーズ全体としては珍しい中盤での
シリアスミニクライマックス回でした。
変身シーンもハッピーだけで、他の4人は省略されて少し気の毒・・・
ぴかりんじゃんけんもありませんでしたね。
(サザエさんとのじゃんけん対決は、9/23時点でピースの9勝7敗12分との事、ピースにしては善戦かな?)
でも、ハッピーが変身完了後に微笑むカットは、通常カットされる事が多い中、
今回はノーカットで放映され、ハッピーの素晴らしい笑顔が見れたことは嬉しい限りです。
(ハッピーのこの笑顔は、第1~2回、本の扉を使用しての世界の旅の回、そして今回と4回程度かな)

仲間を連れ去られたピンク主人公が仲間を連れ戻しに敵方に乗り組むのは、
プリキュア5にもありましたが、やはりのぞみとみゆきの違いが少し現れていたなーとも
感じます。

のぞみの場合、のぞみの失敗により仲間との間が気まずい雰囲気となり、それをナイトメアに
付け込まれ、のぞみの強い意志で仲間を救いに行き、幻想の世界に浸っていた4人の仲間に
語りかける形で、のぞみ自身が皆に誤り、のぞみの強い意志が伝わる形で、元の世界に戻るという
形になっています。
だけどプリキュア5の場合、5人の手繋ぎシーン→メンバー間の心の氷解という事よりも
その当時各メンバーが抱えていた問題・課題を、このシーンをきっかけに各自が自分なりに
答えを出していく事に意味があったと感じます。

りん

のぞみなんかいない方がいい→どんな目にあってものぞみといたい。

うらら

自分ひとり女優を目指していけばいい→女優もプリキュアも仲間も大切

かれん

自分は孤独→仲間がいて、仲間が助けてくれるから自分がいる

この場面があったからこそ、プリキュア5は真の意味でのプリキュアになれたのだと
思います。

一方、みゆきは、のぞみの様な強いカリスマ、不思議なリーダー性、強い意志は
それ程有していないと思います。
それ故、一度は仲間の救出に向かったものの、己自身が「怠惰な世界」に
取組まれてしまいます。
自分の強い意志で、相手に何かをするという訳ではなく、
他人とのコミュニケーションやその場その場の出来事の中から、
柔軟に解決策を見出していくのが、みゆきなのかなーとも感じ取れます。
(今回は、キャンディーの言葉が自分を取戻すきっかけでしたけどね)

今回のスマイルの「メインテーマ」は何かと言うと、
ハッピーというのは、嫌なことがあるから、辛い現実があったり、目を背けたい過去が
あったりするから、それが一層際立ってくるという事、
つまり、幸せと不幸は相反するものではなくて、表裏一体というものだと
思います。
確かに、自分自身も「遊んで暮らしたい」とか「仕事なんかしたくない」とか
「他人と関るのはもう嫌」という風にも思ったりもします。
だけど、実際、休日が楽しいのは、普段は仕事をしているからなのだと
思います。
毎日毎日が休日だったら、たまの休日で感じる「ハッピー」はそれ程意識しないのでは
と思います。
だから、不幸も幸福も全てを受け入れて、確かに毎日は思うようにはいかないかも
しれないけど、腐らずに生きていこうというのが
スマイルプリキュアのメッセージなのかもしれません。

ただそれは、前作「スイートプリキュア」にも表現されていた事なのですが、
スイートは意外と奥が深いというか、とっつきにくいというか、その辺りが
最終回まではっきりと見えていなかったので、
プリキュアシリーズの中では少し影が薄いような印象もあります。
(だけど、最後のシーンで敵方の親分のぴーちゃんをも響達が受け入れているシーン
 はそれを象徴しているとも思います)

だけど、スマイルのみゆき達に慣れると、プリキュア5の、のぞみやりんちゃん、かれんさん達が
やたら大人っぽく見えるのはなぜなんでしょう?
うららですら、やよいに慣れてしまうと、本当に大人っぽく見えてしまう・・・
(うららは中一なのに・・・)

西山温泉

昨日の続きになると思いますが、南巨摩郡早川町(住民全員を町のホームページに
掲載していた時期がありましたね。今も続けているのかな? 
その位人口が少ない町、面積はすごく広いのですけどね・・・)のある温泉旅館には
月に最低一回は集金等の業務で行く事になっていました。

鄙びたいい所でしたが、何分遠かったですね・・・

甲府から車で2時間 鰍沢辺りからも車で1時間はかかりましたね。
本当にこの温泉旅館に行く時は、そこに行って一日の業務完了と言う感じでした。
でも、ドライブとか楽しめましたし、それはそれで大好きな業務でした。
11月頃の秋の紅葉は、本当に絶景でした。
あんなに自然の美しさを感じたポイントは、過去にも先にもないと思います。

山梨県には「信玄公の隠し湯」というものが幾つかあり(有名な所では下部温泉)
この西山温泉もその一つと言われています。
だけど、道路が整備されていない戦国時代は、どうやってあそこまで
たどり着いたのでしょうかね・・・?
自分がここに通っていた頃も決して道路事情は良くなく、
例えば、確か300メートル以上あるトンネル内は、電球みたいなものが数個ぶら下がっている
だけの暗い内部で、しかも車二台のすれ違いができない為、一台が通行中は、トンネルの一方で
その車が通過するまで待機していないといけないという
恐ろしいポイントもありました。

だけど、日中はほとんど車なんて通らない所ですから、支障はないのですけどね。

その温泉旅館は、基本的に「きちん宿」と呼ばれる自炊可能・食材持込OKの所でしたが、
料理も出してくれます。
名物は「猪鍋」でしたが、これは美味しかったですよ。
欠点は匂いがややきつい事と、服に付いた匂いの跡が中々とれない事かな・・
温泉自体も、透明感があるのに肌になじんでくるいいお湯でした。

機会があれば、ホント、是非行きたい温泉の一つですね。

山梨県時代

私自身は、大学卒業と同時に、今は亡き地方銀行に就職し(1999年に破綻し、その銀行は
この世にありません・・・)
1990年7月~95年11月まで山梨の支店の営業担当として勤務してました。

時代はバブルの絶頂期からバブルの崩壊へ、融資量の拡大競争から抑制、そして貸し剥しへ
シフトしていった丁度金融機関の方向性が変わろうとしていた時代でした。

当時自分が在籍していた銀行の支店の大半は首都圏に集中し、なぜ山梨にも支店を出すんじゃ?
という感じでした。
ただ、どうでしょう?結果的に振り返ってみると90年代前半の異常な各金融機関の融資拡大競争の
中で、生き馬の目を射抜く都内の支店に在籍していたら、自分なんかは、正直心身ともに
持たなかったと思います。あの異常なノルマをこなす事は到底不可能だったと
思います。

山梨県は、東京の隣の県で、たかだか特急で新宿から一時間半の所なのですが、
「何でこんなに山梨は田舎なの? 本当にここは関東?」と感じる位後進性が顕著な地域
でした。
住んでいる人の言葉がまず全然違うことに、当時は違和感どころか
カルチャーショックを感じました。
山梨の言葉の基本的な語尾は、「・・・ずら」なのです。
(ずらという言葉は静岡方言かと思っていたら山梨にも息づいていたのですね。
 ドカベンの殿馬と毎日話しているような感覚です。)
肯定形の場合の語尾は「・・・・し」で、否定形の場合の語尾は「・・・ちょし」
なのです。
例えば、標準語で「行け」は、山梨では「行けし」
「行くな」は、「行っちょし」という風な感じです。
他にも、標準語で「せわしい」→「やせったい」
「奥様・家内」→「おんなし」などなど例を挙げれば切りがありません。

戦国時代から甲州の伝統的な近隣内のお金の貸し借り制度である「無尽」というシステムが
現代においても(飲み会という交流的側面が強い面もあるものの)いまだに
定着していることは、金融機関に勤める者にとっては、カルチャーショックでした。
バブルの崩壊時はどこもそうだったと思いますが、
お金を借りても期日に適切に返済しない延滞者が、他の支店に比べて異常に多く、
債権管理・督促に本当に手を焼いていたのも今となってはいい思い出です。

だけど、人間的には(言葉は荒っぽくきつくても)温かい人が多かったのも事実で、
自分自身、当時は、田富・玉穂・甲西・若草・白根・増穂・鰍沢・八田・下部・六郷・
市川大門・身延・早川・豊富・中道・境川などの甲府からの遠隔先を担当し、
お客様の中にも農家の方も数多くいて、
当時保険ローンとかアパートローンとか大口預金とかのお願いによく通ったものでしたが、
結果的に、ダメな場合でもお土産にブドウとか桃をよく貰ったものでした。

そして帰店後に、
支店長などから、「おー、今日はどうだった、何か獲れたか?」と聞かれ、
「すいません、取れませんでした。だけど預金は貰えなくても、ブドウは
貰ってきました!!」と報告して、店内が爆笑に包まれるなど、
都内の店舗では少し考えられない、少し「のんびりとした雰囲気」が
あった事は救いでした。

山梨の定番的なお土産と言うと、信玄餅・ほうとう・煮貝・印鑑・宝石などが有名ですが、
個人的には、信玄桃というお饅頭や山梨ロマンロールケーキの方が好きです。
ワインも当然美味しかったです。

富士山と言うと静岡というイメージがありますが、実は富士山の半分程度は山梨県に位置し、
毎朝甲府からも、俗に言う「裏富士」の光景は拝めました。
だけど、夏は本当に暑かったですね。
感覚としては、八王子・埼玉県熊谷市と変わらない感じがします。
夏場は、毎年夏バテして、ざるそば・枝豆程度しか喉に入らなかった記憶もあります。

山梨県の吹奏楽は、1980年代中盤までは、中学の部が比較的検討していて、
明見中・大月東中・甲府南西中が、全国大会にもしばし出場していました。
だけど、自分が山梨にいた頃はねこれらの学校の指導者の転任などにより
没落し、全体的にも非常にレベルが低くて、山梨県大会を初めて聴いた時は、
その低レベル・お粗末さに愕然としたものでした・・・
(山梨の復活は、21世紀以降の敷島中まで待たなくてはいけない・・・)
ちなみに、敷島中の指揮者の大島氏が、かつてB部門で出場していた頃、
学校名は組合立なんとか中学校(名前は覚えていません・・・)でしたが、
その飛鳥・火の伝説・斑鳩の空・ぐるりよざは、音楽的にも相当高い水準で、
この演奏だけは今でも印象に残っています。
確か、火の伝説では、最後に金属タライをゴーーンと響かせていたアイディアは面白かったと
思います。

7年程前、妻と石和温泉旅行に行ったのですが、駅前が少しさびれていましたね。
その際、武田神社にもお参りに行ったのですが、考えてみると5年以上山梨に
住んでいたのに、武田神社は初めてでした。
地元に住んでいると、案外こんなものですね。
全日本吹奏楽コンクール東北大会を初めて聴いたのは、1981年の山形県で開催された時
でした。
だけど、当時の東北大会高校の部の異常なレベルの高さに圧倒され
(磐城高校の中国の不思議な役人、仁賀保のスキタイ組曲、
 特に大曲の交響三章第2楽章の内面的緊張性に感銘を受けました。何で大曲はこれで
 代表になれないのだ・・・?)
当時は本当に聴くだけで精一杯でした。

翌年は福島で開催され、これも聴きに行ってきました。

当時の自分の心身状態なのですが、
東北大会の一ヶ月前までは、自分自身も何とか県代表になれるように
夏の間中コンクールに向けて練習を重ねた一人でありましたし、
(残念ながら県大会のダメ金でした・・・)
当時吹奏楽部の第19代部長としてプレッシャーと戦う日々でもありました。
東北大会の一週間前までは、高校の一学期末テストで一夜漬けの日々でしたし、
東北大会の前日まで北海道への修学旅行(5泊6日)で、苫小牧から仙台まで
フェリーで約16時間位揺られ、家に帰った時は、三半規管を少しやられた後遺症で
何となく足元が常時ゆらゆらしているような錯覚の状態でした。

つまり東北大会高校の部を聴いていた時の精神状態は、心身共に疲れ果てた状態で
異常にハイテンションな状態で、音や音楽に対する感性が異常なまでに高ぶっていた
状態でした。

以前にも書いたことがありますが、この東北大会で、自分の大好きな三大シンフォニー
(ウォルトン1番・矢代秋雄・プロコフィエフ5番)と出会うのですが、
それは、この当時の心理状態とも関係しているのかもしれません。

余談ですが、この翌日、自分の高校が何を間違えたのか、
野球部が秋季大会の決勝戦に駒を進め、この応援に駆けつけ、演奏を色々と
しました。
だけど、女神様がどう間違えたのか知りませんが、何とあの東北高校に
1-0のすみいちで勝利し、何と初優勝してしまったのです。
(野球部は東北大会に臨んだのですが、一回戦で敗退し甲子園出場は逃しました・・)
野球部の試合が終わった後でも、フェリーの後遺症の足元ガクガクは全然治らず
相変わらずハイテンションの状態でしたが、
「あー、生きているだけで素晴らしい!!」と何の脈絡もなく頭を駆け巡り、
今にして思うと、「あまーい青春の一瞬」という感じでしたね。

話を1982年東北大会に戻しますと、
前述の3大交響曲の演奏の他にも、
双葉高校(その29年後にああいう悲劇が起きるとは・・・)のアンティフォナーレの
荘厳さ、山形南の交響的断章の機械的圧倒、仙台のローマの祭りの喧騒さと華やかさ、
秋田南の知的さが印象に残っています。

当日5年連続全国金賞の弘前南が、招待演奏にて
何とフォーレの「ぺリアスとメリザント」組曲全部を吹奏楽で繊細に表現し、
度肝を抜かされました。
(ああいう管弦楽の繊細な曲を吹奏楽で表現しようとする事自体すごい勇気だし奇跡に
 近い)
プログラムでは、何と「テレアスとメリザント」と誤表記されていました・・・

ぺリアスの他に熊蜂の飛行も演奏されていましたけど、さすがにこれは無茶だったかな・・・

招待演奏終了後、まさかのアンコールがかかり、
指揮者も演奏者も何も用意をしておらず、困り果てていた感じが舞台から
伝わってきました。
(結局、熊蜂の飛行をもう一回演奏していましたが・・・)


1982年の全日本吹奏楽コンクールは、残念ながら生で聴くことはありませんでしたが、
レコード(当時はCDがまだ普及していなかった・・・)で高校の部は、何度も何度も聴き
感銘を受けていた記憶があります。

以前にも書いたと思いますが、この年最も印象深い見事な名演を聴かせてくれたので
仁賀保高校の矢代秋雄/交響曲だと思います。このチームの演奏は東北大会で生で聴く機会に
恵まれましたが、全国では午前中という事もあり、初出場という事もあり、
惜しいミス(トランペットとファゴットの目立つ音外し・クラのリードミスなど)もありましたが、
そのアレグロでのスピード感と緊張感、隙のない演奏はお見事の一言に尽きると思います。
同じ指揮者にて、98年に新屋高校が矢代秋雄の交響曲を演奏しましたが、
カットの問題・アレンジの違い(82年は指揮者自身のアレンジ 98年は天野正道版)
の理由により、私は断然仁賀保の方が大好きです。

この年、銅賞でしたが、非常に印象に残る演奏をしてくれた学校があります。

それが、東海代表/屋代高校の松村禎三の交響曲より第三楽章です。

東海地区は、当時名電・浜松工業・東海第一の三大巨人がしのぎを削っていましたが、浜工と東海を
蹴落としての全国出場はお見事だと思います。
というか、現時点で屋代高校は全国出場はこの年の一回だけ・・・

松村禎三の交響曲は、個人的に大好きな曲の一つです。
残念ながら生で聴く機会は極めて少ないのですが、唯一回だけ、都響の定期演奏会で
松村禎三の作品シリーズを聴く機会に恵まれ、このシンフォニーと前奏曲・ピアノ協奏曲第二番を
聴くことが出来ました。

この交響曲は生で聴くとすごいエネルギー感を感じますね。
熱気というか、内面的な充実感をものすごく感じる曲です。
第一楽章と第三楽章の激しさに閉ざされた静粛感の漂う第二楽章も短いのですが
印象的です。
圧巻は第三楽章に尽きると思います。
クラリネットのつぶやくようなソロから始まり、
段々と盛り上がっていき、戦場での馬の悲鳴・雄叫びのような展開を経て
少し静かになって突然和音を叩きつけて終わるという感じなのですが、
本当にこのエネルギーにはただただ脱帽するしかないです。


屋代高校の演奏は確かに難もあります。
まず木管楽器があまりにもか細い。そして音が薄い。貧弱で濁りもある。
だけどffでのパワーは原曲に迫るものもあります。
アレンジも原曲を再現しながらも、独自のカラーも出しています。
いい例がコンサートチャイムの使い方だと思います。
中間部での強奏において、ピアノがそのリズムを支える役割がありますが、
屋代高校では、ピアノの代わりにコンサートチャイムを何と二台も使用し、斬新な響きを
展開させていきます。
チューバなどの低音楽器も比較的大胆に使用し、重圧感も醸し出していたと思います。

とにかく屋代高校は、普通の先生と生徒たちが夏の間に手作りで自分達の音楽を作り上げ
自分達なりに表現できたと言う意味で本当に素晴らしいと思いますし、敬意を表したいと
思います。

松村禎三の交響曲は、その翌年に東海大学が大学の部で、第一楽章を自由曲として
取り上げています。
こちらも見事な演奏だと思います。
但し、残念な事に当時のレコードは、大学の部は金賞意外収録されないし、
大学の部の演奏会場が、宮城県民会館という音響上最悪な場所でしたからね・・・
当時は、日本ワールドレコード社という所に、
カスタムテープの製作を個別に依頼するしか、この演奏を聴く事は出来ませんでした。
あっ、というか、日本ワールドレコード社ってまだ存在しているのでしょうか?

レコードの裏ジャケットの演奏団体の演奏写真を見てみると、
屋代高校は、半袖の制服姿でしたけど、確かこの日は10月の終わり、
寒くはなかったのでしょうか・・・?

それにしても1982年は、仁賀保・屋代の他にも色々と印象に残る演奏をしてくれた
学校は多かったです。

サウンドのスピード感は抜群だったものの、スペイン奇想曲でのクラリネットの
リードミス(これ位見事に失敗するとかえって気持ちが良い)が痛すぎる尼崎西・
古典的情緒を楽しませてくれた観音寺第一・正統派という言葉がぴったりの福岡工大付属
有無を言わせない圧倒的迫力の名電・甘美さと清潔感が同居している就実・
ほのかに暗い日本的情緒を醸しだした錦城などなど
当時の皆様の演奏に、30年後の私から敬意を表したいと思います。
テレビ埼玉では、木曜日の夕方六時半より「フレッシュプリキュア」が
再放送されています。
生での視聴が不可能なので(クビになってしまう・・・)
録画して見ているのですが、来週でいよいよイースがキュアパッションに
覚醒します。最大の見所といっても過言ではないと思います。

でもその一週前のシーン、例えば、
ピーチが暴走したナキワメーケを飛び越えてイースを抱きしめたシーンは
キュアピーチは「母性のシンボル→聖母マリアのイメージ」なんだなーと感じましたし、
名シーンだと思います。
(その点、のぞみは人間を超越した女神様みたいな存在なのかも・・・褒めすぎかな・・?)

パッションは、「情熱」という意味だと思いますが、
(ルージュの熱血的情熱とは少し意味が違うかも・・)
実は「パッション」という言葉には、贖罪とか、罪ほろぼしという意味も
あるそうです。

イースからパッションに覚醒した後は、しばしば、ウェスターやサウラーの挑発もあり
過去のイーストしての悪行の数々を思い出しては、
「本当に自分はプリキュアとして戦う資格があるのか」とか
「本当にラブと友達として接して良いのか」という事をしばしば悩んでしまいます。

でも、過去は過去として、悪行を重ねた自分を見つめ直しながらも
プリキュアとして戦いながら、
ラブ達と日常生活を楽しみ、幸せを自分なりにゲットしていくというのが
フレッシュプリキュアのメインテーマだと感じます。

過去においても、(あまり目立っていませんが)
スブラッシュスターの満と薫もそういう位置付けでした。
もっとも満と薫の場合、イースに比べて悪行を重ねたという印象はほとんどなく、
復活後は、どちらかというと仲間達を裏切ったことへの罪悪感に悩まされる点が
パッションとの違いかなと思います。

イース・満と薫の共通点は、
プリキュアを倒す目的のためにプリキュアに近づき、友人関係を構築する振りを
していたら、プリキュア達の優しさ・まっすぐな気持ちに触れ合っているうちに
本当に友達になつてしまったという事、
つまりミイラ取りが本当にミイラになってしまったという事
でしょうかね。

何となくですけど、満と東せつなの眼はそっくりだと感じます。
満が髪の毛を伸ばしたら東せつなになってしまいそう・・・
東京芸術劇場がいつ完成し、いつ頃オープニング公演をしたのかは
正直全然記憶にというか、印象に残っていません。
というか、池袋西口って、東京芸術劇場が完成する前って、どんな建物が
ありましたっけ・・・・?

東京芸術劇場に初めて聴きに行ったのは1992年6月頃だったと思います。
確か当時の日本は、PKO派遣がどーたらこーたら、国会で牛歩戦術が慢性的に
使用されていた時期だったような記憶があります。
指揮は秋山和慶、演奏は東京交響楽団
演奏曲目は、
前半がウェストサイドストーリー~シンフォニックダンスとバーバーのヴァイオリン協奏曲
後半がアイヴズの交響曲第4番でした。

この公演は、前半の曲は正直どうでも良く
とにかくアイヴズの交響曲第4番がお目当てでした。
この機会を逃したら、この曲は生涯聴くことが出来ないかも・・・という
気持ちもあったと思います。
(事実、この曲は今まででこの日の演奏しか生で聴いた事がない・・・)

東京芸術劇場は、やたら空間が広いような印象がありました。
初めてオケの実際の音を聴いた時は、サントリーホールの時の様な
インパクトはありませんでしたが、サントリーホールよりも残響音が長いような
印象は受けました。だけどぬくもり感は今ひとつだと思います。
響きも決して悪くありませんし、今でも大好きなホールの一つです。
最上階に行くまでは、エレベーターと階段を使用しますが、かなり時間がかかりますよね。
今では池袋駅とホールが地下で直結していますけど、それでも駅を降りてから席に座れるまで
15~20分程度かかるのは少し欠点かな・・・?

アイヴズという作曲家は大分以前から興味は持っていました。
初めて聴いたのは、確か小泉和裕指揮/東京都交響楽団
1988年の定期演奏会だったと思います。
曲は前半が、コープランドの静かな都市 とアイヴズの交響曲第2番
後半がラフマニノフ/交響的舞曲で、ラフマニノフを楽しみに聴きに行ったところ、
思いがけずアイヴズの魅力にひっかかってしまったという所です。
この2番も面白い曲で、例えば第5楽章なんて、フォスターの草競馬などの
比較的有名な曲がどんどん乱入してくるし、聴いていて楽しいと言うか、
日常風景の中に音楽が入り込んでくる楽しさも感じられました。
終楽章の最後の一音は、強烈な不協和音の塊ですが、とにかく斬新です。

アイヴズの4番は本当に難曲中の難曲だと思います。
あまりにも複雑過ぎて正指揮者の他に、第二と第四楽章は副指揮者も舞台上で
指揮をとります。
だから、一つの曲で、同時に二人の指揮者が指揮をするという非常に珍しい
スタイルをとります。
だけど、これはCDで聴いても絶対に分からないと思います。
生の実演で聴いてみて、本当に一つの楽章の中で、全く違ったメロディーが
鳴り響くというか、ホンキートンク状態に近いと言うか、音楽のカオスである事が
よーーく分かりました。
一人の指揮者が弦楽器に指示を送り、弦楽器は一つのメロディーを奏で
もう一人の指揮者は金管楽器群に指示を出し、マーチをぶっ放すという状態で
「混沌」を見事に表現していたと思います。

そんな中、第三楽章だけは、本当に美しいメロディーが全編を貫き、
何だか泣けてくるような音楽になっています。
これはこれで「あざとい」という感じもします。
というか、混沌と混沌の間に挟まれた楽章だから余計に美しく
聴こえるのかもしれません。

東京芸術劇場も最近は中々聴きに行く機会が激減してしまいましたが、
過去においても、

佐渡裕・新星日響/チャイコフスキー 交響曲第5番
小林研一郎・チェコフィル/マーラー 交響曲第1番「巨人」
テルミカーノフ・レニングラードフィル/ストラヴィンスキー 春の祭典
小泉和裕・都響/ローマの祭り
尾高忠明・読響=ピアノ=小山美稚恵 ショパン ピアノ協奏曲第一番

などなど多数の名演と印象に残る演奏を聴かせてくれたホールです。

これからも自分達に数多くの音楽との出会いをもたらせてくれれば
いいなーと思います。
「スマイルプリキュア」も本当に早いもので全体の2/3近くを終了した事になります。
プリキュアシリーズは、10年間・500話を一つの区切りにするという噂もチラホラ耳に
しますが、もしも本当ならば来年でプリキュアシリーズは見納めと
なってしまいます。
これは本当に悲しいですよね。

毎年、大体8月頃に来年のプリキュアの企画が始まり、キャラクター設定とかデザインが
構想されると言いますから、もう動き出しているのでしょうね。
個人的希望としては、プリキュア5と同じように、来年もこのままスマイルプリキュアを
もう一年継続して欲しいなーと思います。

その位、今回のプリキュア、特にキュアハッピー・サニー・ビューティには
はまりました・・・。
ハッピーの可愛さは歴代No.1と断言したいです。
でも、歴代で最も大好きなプリキュアは、ドリームである事は
不変だと思います。

もしも来年スマイルが継続される場合、玩具販売の観点からも、マンネリ化防止の
観点からも、追加戦士が出てくるでしょうけど、過去にミルクがミルキーローズに
覚醒した時と同じように、キャンディーがプリキュアに昇格する可能性も
否定できないと思います。
だけどもしもキャンディーがプリキュアになったら、ミルクの時と異なり
歴代最大のドジでマヌケなプリキュアが誕生するかも
しれませんね。

9/16のスマイルは新展開を予感させる終わり方でした。
恐らく次回で再度新しい力を得て、何回かお気楽回があって、最終決戦へと
なだれこんでいくのでしょう。

プリキュア5の時は、のぞみのドジが一つのきっかけとなり、メンバーの不和・疑心暗鬼を
招き、それをカワリーノにつけこまれ、のぞみ以外の4人がナイトメアに拉致され、
のぞみ(厳密にはのぞみとココ)が単身助けに行くという神がかり的な名シーンが
ありました。
その時は、現況の己自身の課題を、己自身から突きつけられ、
それを「のぞみとの手つなぎシーン」を経て、自分たちなりに解決策を見つけ出していく
という副題もありました。
単純に、悪から仲間を救い出すというだけで終わらない名シーンだったと
思います。

今回のスマイルはどうなるのでしょうね。

みゆき以外のメンバーがバッドエンドに拉致され、どういう展開を経るのか・・・

でもスマイルの場合、プリキュア5のメンバーが初期の頃にメンバー間に残っていた
わだかまり・協調性の低さ・意見対立などは、当初から全く持っておらず
初めから同じクラスというせいもありますが、優等生的な仲良しメンバーでも
ありますので、プリキュア5との違いをどのように表現するのか、
楽しみでもあります。

20歳から3年間中野、というか中野と東中野の間の早稲田通り沿いの
アパートに住んでいました。
二年生から大学が水道橋キャンパスに移った為、総武線一本で行けるのが助かるという
単純な理由だけです。

当時、六畳一間・トイレ共同・風呂なしでしたけど、家賃は23000円で相場と比べても
相当安かったと思います。
銭湯が周辺に二箇所もあり、コンビにも多いし、近くにイイダがあったので買物も便利で
住みやすい街でした。
銀行の営業時代に、中野区松ヶ丘~上高田~沼袋一帯を偶然にも担当することなり、昔住んでいた
周辺を歩いてみると、当時の銭湯は全て高層マンションに建替えられていて、時代の変遷を
感じずにはいられのせんでした。

普段は東中野駅を利用していましたが、東中野は何もない所でしたので、
買物とかぶらぶら散歩には、よく中野駅を利用していました。
中野は、(今は撤退していますが)当時は丸井もあったりして、洗練されているのだけど
庶民的な感覚も持ち合わせた街であり、面白い街でした。
美味しい食べ物屋さんも一杯ありましたしね。

そういえば、昔、長井秀和という芸人がいて(現在、塾講師をしているという噂は本当・・・?)
長井さんが東中野に住んでいた時、早稲田通り沿いに、中華店があり、そこの豚の焼肉に
ケチャップをからめた定食が美味しかったと、確かテレビ東京のアド街で言っていたような
記憶がありましたが、自分自身もその店には何度も食べに行っていました。
店の名前は全然覚えていないけど・・・
そこの店員さんに「塩ラーメン」をオーダーすると、ほぼ100%「えっ、味噌ラーメン?」と
聞き返されたのはなぜなんでしょう?

中野北口には、ブロードウェイという商店街があります。
確か地下一階は西友だったと思いますが、今でも存続しているのかな・・・?
ブロードウェイは、今でこそ「おたくの聖地」とか「まんだらけ」でかなり有名に
なっていますが、私が当時中野に住んでいた頃は、まんだらけは
明屋という大きな書店とゲーム店に挟まれた小さな店舗という印象でした。
当時は、ゲーム店とか雑貨店とか古銭とかの店などがある階の一つの店に過ぎないという
印象しかありませんでしたが、まさかあそこまで大きく発展するとは
夢にも思いませんでした。

今のまんだらけは、漫画も扱っていますが、それ以上に同人誌とかフィギュア関係に
力を入れているのかなーと何年か前に寄った際に感じました。

ブロードウェイの確か二階に飲食店が集中していたと思いますが、店名は全く
記憶にありませんが、美味しいパスタ屋さんとか洋食屋さんがあり、
お金がある時には、よくそこで外食していました。

基本的に貧乏学生でしたので、自炊も結構していたのですが、学年が上に行くほど
面倒くさくなり、大学の学食が大幅に改装され美味しくなったこともあるのですが、
ひどい時は、朝昼晩すべてそこで食べていました。
うちの学校は夜間部もあったので結構遅い時間まで空いていましたし、何よりも安くて
美味しかったもので・・・

ブロードウェイもいいのですが、少し北に歩くと「新井薬師」という鄙びたスポットもあり、
新井薬師駅に向かう途中に、鄙びた商店街もあり、和菓子屋さん・古本屋さんと結構
楽しい場所もあり、たまに散歩していたものでした。

今はどうなっているのかな。
最近サントリーホールは、とんとご無沙汰しておりまして
たまには生の演奏会にも行きたいなーと実感しています。

結婚していない頃、月に4~5回程度生の演奏会を聴きに行き、サントリーホールや
東京芸術劇場・オーチャードホール・オペラシティーなとによく通ったものです。
結婚してからは、うちの奥様はクラシック音楽とは全然縁がない人というのもありますけど、
自由に使えるお金がごっそり減って、今では年に数回程度聴ければ御の字という
感じです。

私が学生の頃は、クラシック音楽の演奏会場と言うと「東京文化会館」で決まりという
感じでした。
外国からのオケは、東京文化会館や昭和女子大学記念講堂というパターンが多く、
こんな音響の悪い所で、遠路はるばる着たのに気の毒という感じもしました。
都内のオケの定期演奏会も当時はほとんどが東京文化会館で行っておりましたので、
当時は本当に毎日どこかのオケが演奏会を開催しているという状況でした。

当時は典型的な貧乏学生でしたので、東京文化会館の場合、ほとんどのオーケストラが
「学生券」を出していましたので、4階や5階の右の位置が学生券の位置であり、
コントラバス奏者の顔がよく見えない席でよーーく聴いていたものです。
そう言えば、N響もNHKホールの最上階が学生券の指定席でしたが、確かここは
一枚1050円位だったような記憶があります。

当時読売日本交響楽団も定期演奏会は東京文化会館、名曲シリーズは
新宿の厚生年金会館でしたが、両方共に音響は最悪でしたので、当時の
プレイヤーは今にして思うと、気の毒な感じもします。

そんな中、1986年についに溜池に「サントリーホール」がオープンしたのです。

自分自身も、サントリーホールオープニングシリーズの最終公演である
スラットキン指揮/セントルイス交響楽団
(当時、シカゴ響に次いで全米2位のランキングを得て話題になったオケ)
を聴きに行ったのですが、
正直たまげました・・・

音響と言うか、残響音がこんなに違うなんて・・・という
衝撃が今でも鮮明に頭に残っています。

公演曲の第一曲が、コープランド/バレエ組曲「ロデオ」でしたので、
その第一曲の「カウボーイの休日」はタイトル通り、けたたましい音で始まるので
そのせいもあったと思うのですが、
音がこんなに斬新だったなんて・・・音楽会場という器が違うだけで
こんなに音楽は躍動するものなのかと、
当時は本当に新鮮な感動で一杯でした・・・

正直今サントリーホールで聴いても、耳がもう慣れてしまっているので
当時のような残響だけで感動することはありません。
だけど、サントリーホールはオープンしてから26年以上経過しても
独特の生命感溢れる響きや木の優しさは伝わってきますね。

大好きな演奏ホールの一つです。

セントルイス響の後半の曲は、ショスタコの5番でしたが、
バーンスタインのような熱気溢れる演奏を予想していましたが、意外と
クールな感じがし、何かメッセージを伝えたいという事が感じられた演奏だったような
印象があります。
終結部は、「権力者に迎合して自由を得た振りをするのか、逆らって己自身を抹殺されても
内面の自由を得るかは、お前たち一人一人の選択だ」という
メッセージが何となく感じられた瞬間もありました。
この曲を聴いてそう感じることはあまりないのですけどね・・・

セントルイスのアンコールは、フィガロの結婚でしたが、
指先一つで自由に表現しているような感じがしましたし、もう一つのアンコールの
キャンディードは、まさにアメリカ!!という感じでした。

正直、当時はサントリーホールを使用するのは主に海外オケの日本公演の時程度かなと
思ったのですが、今みたいに都内のオケが日常的にサントリーホールを使用するとは
予想もしていませんでした。
「波の見える風景」というと1985年の課題曲Bですが、この曲は色々と名作が多い
全日本吹奏楽コンクール課題曲の中でも大好きな曲の一つです。
私としては、好きな課題曲として、ディスコ・キッド、ポップス変奏曲「かぞえうた」、
東北地方の民謡によるコラージュ、序奏とアレグロ・インヴェンション第一番、テイクオフ、
吹奏楽のための序曲(00年ではなくて、1986年の方)、ハロー!サンシャイン、フューチュリズム、
ベリーを摘んだらダンスにしよう、稲穂の波あたりがいいなーと思います。

波の見える風景は改定版も出ているのですが、課題曲としての曲の方がはるかに
良いと思います。

1985年のコンクールは、印象として、前年度より技術的なレヴェルは上がったけど、
レベルの高いブロックとそうでもないブロックの差が開いてきたなというのが率直な
感想です。
この年は、何と言っても
天理高校の「セント・アンソニー・ヴァリエーション」と
愛工大名電の「プラハのための音楽1968」の二つの歴史的名演を生で聴けたという事に
尽きると思います。
セント・アンソニー・ヴァリエーションは、よく天理高校が全国初演と勘違いされる方も
いるのですが、実際は1980年の文教大学が実は全国初演なのです。
天理の演奏は、ラスト近辺でテーマが再現され華々しく終えるのですが、
原曲は実は、天理版のような終わり方ではなくて、テーマがオルガンのように重奏されるような
感じで終わり、何だか別の曲のようにも聴こえます。実際、天理の演奏の際の
コンクールパンフレットを見てみると、ヒル作曲・中谷編曲となっています。
だけど、天理版の方がはるかに見栄えがするのは事実です。
初演の文教はどうだったのでしょうかね・・・?
この頃の収録は、大学の部は金賞以外収録されていない・・・・

ヒル作曲の原曲通りに演奏した学校は、私が思いつく限りでは、
1996年の出雲高校と1986年の向山高校の東北大会での演奏位ですかね。

話を波の見える風景に戻しますと、

天理の波の見える風景はかなり豪快に鳴らしている印象があります。
曲のエンディング近くでは、ドラが相当の音量でゴーーーーンと鳴り響いていたのは
相当のインパクトがありました。

波の見える風景の高校の部での最優秀演奏は、私は習志野高校だと思います。
とにかく音色がデリケートだし、それ程豪快に鳴らしている訳ではないのに
力強さも感じました。
何よりも、目を閉じて聴いていると、何か自分だけの海のストーリーが出来てしまうような
感受性豊かな演奏でもありました。

フルート・オーボエ・クラリネットのソロが全体に華を添える曲でもありますが、
後半のたたみかけるような展開も大好きな曲でした。

1985年のコンクールでは、他に印象に残った学校は何と言っても花輪高校です。
ガジベコフという全然聞いた事がない作曲家の曲の交響曲第2番を、分厚い金管の響きが
ダイナミックに表現し、「これがプログラム一番?」と感じた程生き生きとした演奏なのに、
なぜか評価は銅賞でした。隅から隅までコンクールを意識した野心むき出しの「ディオニソスの祭り」の
御影や対照的にいかにも高校生らしい可愛らしい「こうもり」の基町、ティンパニーとマリンバを
一人二役こなした打楽器奏者が印象的な那覇なども忘れがたい演奏の一つです。
「プリキュア5」と続編の「プリキュア5 GoGo」ではメンバーの成長が
はっきりと感じる瞬間が多々あります。

キュアドリームは、シリーズを通して「アホの子」という位置付けはほとんど変わりませんし、
その類稀なる「カリスマ性・リーダーシップ」は不変です。
プリキュア5の「のぞみとココの夢気球」で描かれたように、のぞみは勉強嫌いの子、
なぜ人は勉強する必要があるのかをほとんど理解していない子としてスタート
しますが、それが5GoGoでは、りんちゃんの弟・妹に「なぜ人は勉強しないといけないか」を
のぞみ自身の言葉で語っています。

それはのぞみ自身の成長でもありますし、ココやかれんさん達の影響もあるのでしょうし、
のぞみ自身の「将来は先生になりたい」という夢の実現性への過程というのも
あるのかもしれません。

現在のスマイルプリキュアでも優等生のれいかさんですら、
「なぜ人は勉強しないといけないのか」という人間の永遠の課題の壁に
ぶち当たっていた位ですから、のぞみが迷うのも当然かもしれません。
でもれいかさんが、シリーズの中でどういう「自分のやりたいこと」を見つけていくのか
は非常に楽しみです。

りんちゃんは、元々賢い子ですし、周りへの気配りが出来る子ですし、
それ程大きな成長を遂げたという感じはしませんが、「協調性」はより一層
磨かれたと思います。プリキュア5の第23話で、あんなにのぞみの失敗を責めたて、
うららに「口を開けば、のぞみ・のぞみって・・あんた、他に友達いないの?」
というプリキュアシリーズの中でも屈指の暴言を吐いていたりんちゃんも
5GoGoの「りんちゃんと豆の木」の中では、のぞみのちょんぼに一度は匙を投げた
りんちゃんも「どんな時ものぞみを必ずフォローするよ」と泣かせるセリフを
投げかけます。
でも初期のころのりんちゃんとかれんさんの中の悪さには少々ハラハラしましたけど・・

かれんさん程、成長を遂げた人はいないと思います。
プリキュアシリーズ全体の中でも、ここまで大きく人間的に大きく飛躍し
変化をした人はいないと思います。
(強いて言うと、へタレだったブロッサムが逞しくなった位かな・・?)
大体、初めてプリキュアに変身する回に、プリキュアになる資質を問われ
プリキュアになる事を拒否された人は後にも先にもかれんさん位なものでしょう。
元々こまちという親友はいたものの、仲間がいるという事の安心感、
「自分は孤独ではない。楽しい時も辛いときにも支えてくれる仲間がいる」という
共感がかれんさんを大きく成長させたのかもしれません。

うららとこまちは、天然さん系だから、基本的に変わらず・・・・

でも、プリキュア5で見られた「のぞみとココ」・「こまちとナッツ」のロマンスは
5GoGoではあまり見られなくなったのはなぜなんでしょう?

プリキュア5第45話は、シリーズ全体でも大好きな回なのですが、
ベンチで泣きじゃくるこまちをナッツが優しく語りかけるシーンは
すごく印象に残っています。
「無理に元気を出せとはいわないが、もう少し肩の力を抜いたらどうか、
つまり脳天気でも良いのではないか? のぞみみたいに」とナッツが語りかけたときに
シーンが変わって、のぞみが
「へーークション」となるのは、ある意味なごやかさを感じます。
戦闘シーンの中で、こまちが「そう、これはどんなラストシーンを迎えても
私がちゃんとしていられるために、私にちゃんと接してくれている人達のために、
そう、私のために!!」と内面で語りかけ、ミント砲をぶっ放すのは
本当に衝撃的です。

というか、ドリームの
「だって、自分の夢だもん、自分で決めたんだもん、だから自分の為だもん」という
名セリフがあってこその、このこまちのワンシーンなのですけどね。
私は生まれも育ちは基本的には東北ですが、
中学生辺りから、とにかく一日も早く田舎を離れて上京したくて
たまらない子供でした。
高校生になって進路を決める時期になると、「地元には自分の行きたい学校がない」
(頭が悪くて入れる学校がないとも言えるかな・・)という
大義名分の下、実際には「とにかく一日も早く親元を離れたい」一心で
都内の大学に進学する道を選びました。

三人兄弟の一番下で、上の兄・姉と比較的年が離れていたという事情もあったと
思いますし、
子供の時から上二人とそりが合わないというのもあったと思いますし(生理的に苦手・・・)
父親が自分ばかりをちやほや可愛がり、二番目の姉に父親が冷淡に当り散らす光景に
どうしても我慢できなかったと言うのも
あると思います。

自分がこうした年齢になっても自分の身内に対しては「苦手」という
感情しかないのは、こうした背景というか心理的トラウマがいまだに克服できていない
からだと感じています。

結局は、自分と言う存在は、大人になりきれない「マージナルマン」(周辺人)
なのだと思います。

初めて一人暮らしをしたのは、埼玉県大宮市でしたが、当時は4.5畳+3畳のトイレ共同・風呂なし
でしたが、本当に毎日が新鮮で楽しかったのが
今でも鮮明に覚えています。
自炊するのも洗濯するのも、買物に行くのも、掃除するのも
アルバイトするのも、自分で家計のやり繰りをするのも何もかも
生き生きとしていて感じがします。

当時のアパートは、一階に大家さんが住んでいましたが、あれから28年後どうなっていたかというと、
アパートは取り壊されていましたが、その大家さんの二世帯住宅になっていて、その大家の婆さんも
いまだに存命だったのは、びっくりでした。
当時ですら婆さんだったのに、今はどんだけ婆さんなんだよと自分で
突っ込みを入れたくなりました。

その家から自転車で15分位の所に大学があったのですが、
今現在仕事で、さいたま市南区~緑区~浦和区~大宮区~見沼区を
拠点としています。
その学校や基元のアパートの前を通る際は、
何だかいつも「照れくさい懐かしい香り」が感じられます。
この曲は、吹奏楽の世界ではやたら有名な作品ですが、クラシックのジャンルでは、
この曲のみが単独で取り上げられることはまずありません。
というか、この曲はあくまで歌劇「ローエングリン」の第2幕の最後の部分であるという事を
吹奏楽でこの曲を知っている人はどれだけ分かっているかは正直不明です。

私自身、最初にこの曲を聴いた時は「あー、なんて荘厳な曲」と聞き惚れてしまいましたが、
実際にこの歌劇をCDで聴いた時(非常に長い!!)
吹奏楽で俗に言う「エルザの大聖堂への行列」はオペラでは大して
インパクトがないというか、それよりも
吹奏楽アレンジ版(カイリエ編曲版)では、ホルンが堂々と吹き鳴らす以降の展開は、
歌劇には元々存在しない部分であり、カイリエの創作に近いという事を初めて知り、
愕然としたものでした。

でも吹奏楽の単体として聴く曲では、非常に名曲だと思います。

昔、花輪高校がプロコフィエフの交響曲第3番第一楽章をコンクールで取り上げた際、
その楽章の終わり方に非常にインパクトを感じ、数年後、「では原曲はどんなものだろう」
と聴いた時のインパクトに近いものがあったと思います。
プロコの3番第一楽章は、静かに閉じられるのに、花輪の吹奏楽アレンジ版では、
劇的且つオカルト的迫力で終わりますが、確かめてみると、原曲の終楽章のエンディング部分を
第一楽章にちやっかり付け加えたという感じです。
全く同じことは、前年のハチャトゥーリアン/交響曲第2番「鐘」にも
言えるのですが・・・

話を元に戻します。

エルザの大聖堂への厳かな行列は、1966年の豊島第十中学校とか首里高校が名演とか
言われますが、
(豊島は、1969年にも同じ演奏をしていますが、66年と比べてこちらは伴奏にマリンバが追加され
 これが非常にうるさく感じる・・・)
エルザの歴史的名演は、1987年の雄新中学校に尽きると思います。

私自身、雄新の演奏を生で聴きましたが、本当に「感動」で一杯でした。
奏者が36人程度しかいなかったと思いますが、
音楽が本当にダイナミックかつ感動に満ちていました。
途中で、テンポルバートしたり、音楽の流れを意図的に一時止めたりと作為的な面も
確かに感じられるのですが、それがまたはまっていて素晴らしい。
課題曲の「マーチ ハロー!サンシャイン」との元気一杯溌剌さとは対照的だったのも
極めて印象的です。

でもこの演奏、なぜか銀賞なのですよね。

これは今でも納得いかないですね。

9/9のスマイルプリキュアは楽しかったです。
でもお気楽モードは今回あたりまでで、次回辺りからは少しシリアスシーンも
あるのかも・・・
というか、デコルが一応全て揃って、女王復活?と思わせておいて、クロックが登場し、
みゆき達が「これ何?」と言って番組が終了。
間髪をおかずにCMで商品説明が始まる辺りは、さすがに抜け目ない感じですね(笑)

でもスマイルのメンバーは本当に仲がいいですね。
さすが同学年でしかも同じクラスメイトというのは、その意味でもまとまりが良い。

この辺り歴代プリキュアの初期モードを振り返ってみると・・・

①初代→二人とも面識なし MHで後輩のひかりが登場
②スプラッシュスター→子供の頃一度出会っているが、基本的には面識なし
③プリキュア5→のぞみとりん、こまちとかれんの組合せのみ面識あり
④フレッシュ→初期の3人は幼馴染
⑤ハートキャッチ→二人とも面識なし
⑥スイート→二人とも幼馴染

初代がお互いを名前で呼び合うのに実に8話もかかったのに
(その分第8話の感動性は極めて大きい)
スプラッシュスターは既に2話でお互い名前で呼び合い打ち解けています。
ハートキャッチは、2話でお互いを名前で呼び合い、
スマイルは、各主人公が登場回から名前で呼び合っている。
フレッシュとスイートは最初から知り合いという設定。

こうした設定は、各ストーリーに微妙な影響を表していると思います。

それにしても幼馴染という割には、スイートの初期の頃の響と奏は、
すれ違いが多かったものですね。
単なる痴話喧嘩・バカップル同士のじゃれあいでもあるのですが、
最初は結構ヒヤヒヤしながら見ていたというか、若干違和感も感じていました。

響は、ボーイッシュな感じがあり、一方奏はおとなしそうな印象があるのですが、
実際は・・・
響→相当の寂しがり屋・意外と涙もろい
奏→意外と気が強い・頑固・芯が強くて涙を見せることはない
そんな感じの展開に、初期の頃は「これで一年持つのかな」と
思ったほどでした。

実際、スイートはプリキュアシリーズの中では、意外と取っ付き難い面も
あると思います。
反面、最終局面では、敵との和解というか、「幸せと不幸は表裏一体のような関係。
今幸せを感じていても、不幸がすぐそばまできているかもしれない。だけど、
不幸も全て受け入れて、他人の嫌な所も全てを受け入れて、前向きに生きて
いこう」の気持ちで完了しているなど、これまでとは少し違った解釈を取っている所も
面白いと思います。

その分かりにくさが逆に今の「スマイル」の単純明快さ・分かりやすさを
醸しだしているのかもしれませんけど・・・

郷愁

ラフマニノフの曲を聴くとなぜかいつも「郷愁」とか「メランコラリック」という
言葉が思い浮かびます。

でも、ラフマニノフは1900年代の中盤まで生きていた方なのに、その作風は恐ろしいまでに
「革新性」は全く無く、とても同年代にストラヴィンスキーとかプロコフィエフとかラヴェルとか
ウェーベルンがいたとは本当に信じられないです。
きっと「伝統」とか「自分のスタイル」をきっちりと生涯守り続け、頑なまでに自分のカラーというか
信念を曲げずに生きていた方なのでしょう。

でもこの人もストラヴィンスキーやプロコフィエフと同じように「亡命」という祖国を離れる道を
選択します。
プロコフィエフは一時的にソ連を離れて自由なヨーロッパの空気を吸った事で、当初のスキタイ組曲の
ような過激な道から「適度な洗練」というお土産を貰ったような感じもしなくはないのですが、
ラフマニノフは、亡命以前も以降も作風的にはほとんど進化はしませんでした。
出世作のピアノ協奏曲第2番で、「自分の進むべき路線はこれしかない」と決意し、
それをアメリカに亡命以降も頑なに貫いたのでしょう。

といってもアメリカに亡命以降の主要作品は、交響曲第3番・ピアノ協奏曲第3番・交響的舞曲
位なのですが(ピアニストとしての仕事が忙しかった為)
自分としては、交響的舞曲がラフマニノフの作品としては一番好きな曲なのです。

この曲は実質的に交響曲第4番と銘打っても良い位の大作で、晩年の名作といっても良い
作品です。
この曲を初めて聴いたのは確か1994年のNHK交響楽団、指揮は確かプロムシュテットだったような・・・
(うーん、思い出せない・・・)
曲を初めて生で聴いて確信しました。
この曲は「郷愁」に満ちていると。
戻りたくても戻れなかった祖国ロシアへのラフマニノフなりの「愛」を表現したかったようにも
聴こえます。
実際、第一楽章中間部のモノ哀しいソロはアルトサックスで、ラフマニノフなりにアメリカとの
融合を言いたかったのかも・・・?
第三楽章は、やはり中間部が大好きです。
なんだか「人生とははかない夢」とか「浜辺を漂う波」みたいな香りが漂います。
この中間部を聴くと、本当に泣けてきちゃいそうな気もします。

この曲の名盤として、個人的には、マゼール指揮/ベルリンフィルを推したいと思います。

この曲のラストは、タムタム(ドラ)がごわーーんと鳴り響くのですが、指揮者によっては余韻を
楽しむ方もいれば、オケの音と一緒に止める人もいて、
解釈が分かれる所です。

ラフマニノフの交響曲第2番の第三楽章も本当に泣ける素敵な音楽です。

交響曲第3番はほとんど実演では聴かれませんけど、何となく「お茶目」な所も
感じられなくもありません。
交響曲第1番は・・・・
うーーん、正直評価に迷います。
さすが、この曲の初演の失敗が原因で作曲者本人がノイローゼに追い込まれたことも
分かるような気もします。
何となくムソルグスキーの禿山の一夜【原点版】を想起させるような香りもします。

理想と現実

人間が全て「相手を思いやる心と自制心」を持ち合わせて実践できれば
何も苦労はしないと思います。
人類が誕生して以来、それが全く全然身に付かず、折角先祖が得てきた「教訓や経験」も
生かされない場面の方が多く
(先祖の教訓や経験が元々遺伝子として生誕時から備わっていれば問題ないのですけどね・・)
自分達のその時点での利益しか考えないから、いつまでたっても理想的な社会が構築されない
のだと思います。

「相手を思いやる心と自制心」を人間に学ばせる一つの教材が「宗教」だったのかも
しれません。
キリスト教もイスラム教も、その教え自体は素晴らしいはずなのです。
だけどそれを運用する方法に問題があるから、宗教自体が民族や国家での紛争原因の一つに
なっているのは本当に悲しい事だと思います。

人類は本当に進化しているのでしょうか?

否、道具は進化しても「内面・心」はほとんど進化していないと断言せざるを
得ません。
その証拠に誰もが、「心の平安」も得ていませんし、紛争が生じていないエリアを
探す方が難しい。
これまでの歴史の簡単な流れは、絶対的王政→民主主義の流れだったと思いますが、
民主主義を完全に使いこなせるだけの一人一人の内面の進化を経ないで、
民主主義の政治を具現化させようとしても、うまくいく訳はないと思うのです。

自分達は、民主主義を上手に活用出来るほど進化はまだしていないのです。

そうした状況の中で、一見国民から正当に選出されたと思われる立法府の方々も
結局は、自分だけの為、自分の地元の為、特定の団体の為だけにしか考えず、
「国家全体」という大局的見地に基づいて考え、行動できないから民主主義が機能しない
のです。

どうすればよいのでしょうか?

取り急ぎ提言出来る事は、とりあえず国民から選出された議員たちは、一人一人が
国家全体の立場から考え、党・地元・組織に拘束されずに、一つ一つの事案に対して
賛成・反対をしていくしかないと思います。
そして、求められることは「スピード」と「決める時には決める決断力」なのです。
これだけ価値観が多様化した現代では、一つの事案に対して複数もの考え方は
存在しますし、全部の顔を立てれば機能不全に陥ることは自明です。
「最大多数の最大幸福」ではありませんが、自分の内面の良心及び相手への思いやりの心を
頼りに、一人一人の議員が自分の頭で考え、最終決定した事項は、例え51対49であったにせよ
決めた事項は死ぬ気で実行していくべきなのです。

上記の事は一つの過程だとも考えます。

そして、ゆくゆくは、国民から直接選出された「統治者」による行政と
それに対する提言・調査・監督を担う国民から抽選で選出された「議員」達による
共同統治の流れになっていき、

その間に人類の覚醒(進化)→モラルへの目覚め・相手への思いやりの自然的取得
を待つしかないのかな・・・?

そうした過程を経て、ようやく「代議制民主主義」にたどりつくべきなのでしょうね。
残念ながら1980年代中盤以降は、吹奏楽コンクールの場では東北ブロックは
それ程良い評価や演奏を残していません。

1970年代中盤から後半の秋田県勢というか、花輪高校と秋田南高校の二大巨匠の名演の数々は
現在でも決して光を失っていないと思います。

秋田南高校は、70年代の初めの東北大会でもショスタコーヴィッチの交響曲第5番を
他校でも度々演奏される第四楽章ではなくて、何と第一楽章をコンクールで取り上げ
当時から他とは確実に違う何かを有していたと感じます。
(それにしてもこの楽章をどうカットしたのだろう・・・)

コンクール初出場のシェヘラザート第二楽章「カレンダー王子の物語」や
翌年のチャイコフスキー/交響曲第5番第四楽章も決して悪くはないと思いますが、
(何であの生き生きとしたチャイコが銅賞なんだろう・・・アレンジが悪いせいかな・・?)
本領発揮は何と言っても
76年/ぺトルーシュカ
77年/春の祭典
だと思います。

この二つの演奏は今聴いても新鮮な感動がありますね。
純粋に「すごい」と感じます。
ぺトルーシュカは、部分的に金管楽器にミスがあったりするのですが、
それを全くマイナスに感じさせない躍動感が全体を貫いています。
すごく明るいのだけど、何か鬱積したものも感じる、というか「屈折した明るさ」という
ものを感じてしまいます。
春の祭典も第一部を中心にまとめられていますが、この曲はプロで演奏しても
難曲中の難曲として知られていますが、聴いていて技術的な難しさは全く感じさせません。
それでいて、野性的な本能の香りも随所に感じ取られ、聴いていて飽きがきません。

二曲とも金管、特にトランペットの音の硬さが少々気に掛かる点です。
だけど、この頃はティンパニーもペダル式ではなくて、手締め式でしたので、特に春の祭典の
ティンパニー奏者は大変だったでしょうね。

78年の三善晃の「管弦楽のための協奏曲」はこの学校の頂点なのかもしれません。
個人的には、80年の三善晃/交響三章の密やかさが大好きなのですけどね・・・

秋田南を初めて生で聴いたのは、81年の東北大会の5年連続金賞の招待演奏(確か山形だったかな)
でした。
この時演奏された「津軽じょんがら節」の三味線とリズム感溢れる演奏は、
まさに目から鱗でした・・・
翌年にコンクールとしての秋田南を初めて聴きましたが、
自由曲の深井史郎/パロディー的四楽章は本当に面白かったです。
音楽の解説書ではこの第四楽章「ルーセル」はバルトークの舞踏組曲をモチーフにしたと
書かれていますが、生で聴いてみると日本の童謡「さくら、さくら」のパロディーとしか
聴こえない所がミソなのかなーと思います。
でもこの年もトランペットは音が硬かったですけどね・・・
プリキュアシリーズでは、ママ達の出番は多いようで少ないという感じてしょうか。

全般的にプリキュアシリーズの「大人」達は、真の意味の大人で
マヌケなプリキュア達を温かく見守り、時に励まし、時に正しい方向へ導く
という感じの役割を担っている気がします。

初代・スプラッシュスター・フレッシュ辺りは登場頻度も高かったような気もしますが、
プリキュア5・ハートキャッチ・スイート・スマイルはそれ程
ストーリー全体に大きな影響を与えていない感じもします。

その中で、印象に残るママ達は、個人的にはやはりプリキュア5ののぞみとりんのママですね。
(うららのママは亡くなっているし、かれんとこまちのママは登場すらしない・・・)

のぞみのママは、まさに「あの娘にしてあの親あり」という感じそのままですね。
というか、親子揃って、りんちゃん親子に足を向けて寝られないという
感じですね。
のぞみのママとりんママの中学生時代は、本当にのぞみとりんの関係そのまんまという
可能性すらありそうですね。

よく歴代プリキュアのママ達美人ランキングなんて聞きますけど、
その中では、みゆき・やよい・奏・美希・つぼみ辺りがベスト5という意見があります。

個人的には、りんちゃんママが好みというか、魅力を感じます。

気が強そうで、一方優しそうで、頭に被っているものを取ると、結構美人さんな
ような気もします。

スイートのまりあさんも結構気に入っていますが、設定上普段は外国の演奏旅行に
行っていて中々登場してこないのが、少々歯がゆい所です。
9/2のスマイルプリキュアは見ていて面白かったです。

内容は、オールスターDX3イエロープリキュアチームのゲーム対決
及びプリキュア5GOGOの「ファイブDEチャンス」へのオマージュかなーとも
感じましたけど・・・

オールスターのイエローチームは、メンバーの個性が一番バラバラで
バラエティーに富んでいると思います。

○防御に秀でる→シャイニールミナス
○攻撃に秀でる→サンシャイン・パッション
○ボケ担当→レモネード・パイン
○ツッコミ担当→ルージュ
○リーダー→ミルキーローズ・ムーンライト

これにスマイルからは、ツッコミ担当のサニーとボケ担当のピースが
加わるから意外とイエローチームは最強なのかも・・・

今回のスマイルを見ていて改めて思ったのですが、

プリキュア5の場合、勉強ができなかったり宿題を忘れるマヌケ担当は、
のぞみだけだったのですが、
スマイルの場合、出来る子はれいかさんだけで、
残り4人は、マヌケ担当というのが、プリキュア5との明確な差別化
ですね。
マーチなんかは、義理堅いし、しっかりしているからそれ程マヌケという感じは
しないのですが、お化けとか虫とか高いものとか歴史とか苦手なものが
少し多すぎるのかなーとも感じます。
でもそのギャップがまたいいと思います。
今のところ、なおは唯一回だけ髪をおろしたシーンがあるのですが、
ストレートヘアのなおちゃんは、相当の美人プリキュアに入ると
思います。

プリキュア5の場合、マヌケ担当ののぞみを核としてメンバーがまとまっていますが、
スマイルの場合、特に明確なリーダーとか精神的支えがいる訳ではなく、全員で
メンバーの足りないところをカバーしあっていくというのが物語全体の
中核なのだと思います。

話は違うけど、スマイルの場合、みゆき以外は皆一通り料理は出来るのだけど、
プリキュア5は、りんちゃん以外まともに料理が出来ないというのも
何だか面白いですね。
現在の日本はあらゆる意味で危機的な状況だと誰もが感じているとは
思います。

経済政策・大震災の復旧ヴィジョン・財政破綻の危機・外交問題→どの国と連携すべきか・・・
人口問題・超高齢化社会・教育現場の崩壊・社会のモラル低下などなど

しかし、今の制度では結局は何一つ変わらない気がします。

結局は、仮に選挙が行われたとしても、A党とB党とC党の組合せの問題だけに
終わってしまって、本質的な解決の対応策までは至らないという近未来の光景が
手に取るように予測できます。

なぜ、こうなってしまうのでしょうか?

結局は「代議制民主主義の限界」なのだと思います。

本来「民主主義」というのは、素晴らしいシステムであり、人類の最終的な理想政治スタイル
なのでしょう。
しかし、現時点の私達では、この制度を上手く活用できないレベルなのかもしれません。

今でももう少し上手に活用できれば、スピーディーな政治決断は出来るはずなのです。

例えば、国会議員一人一人が、所属する党に全く拘束されずに、一人一人の政治信念に
基づいて、立法府での議決賛否を行えば、案外うまくいくはずなのです。

それをやれ党の方針がとか、あいつは気に食わないからとかで
本来国のために、国民のためによーーく一人一人が考えて議決をすべきなのに
全然違うところでエネルギーが使われてしまう。

それは本当に悲しむべきことなのです。

その国会議員も結局は、自身の選挙区内での今後の当選しか頭にないから、
国全体と言う対極的な見地からではなく、自分の所属する党や地元の意見に
拘束されてしまい、
本来の立法府の役割とは全く異なる「政治ゲーム」の場にしか
過ぎないのが現状だと思います。

それを打破するにはどうすれば良いのでしょうか?

現時点は、最終的な理想形である「民主主義」への模索の過程と考え、
当面は、行政(国家)の役割強化と地方行政との役割分担を図っていき、
立法府は、現在のシステムのような「国民から選ばれた国会議員」というシステム
ではなくて、
公明正大な抽選で選出された約20人程度のメンバー(当然一院制機関)による
国へのアドバイス機関として考えても良いのかなとさえ思います。
プロコフィエフの交響曲は全部で7曲ありますが、1番「古典」と5番が圧倒的に
有名で、それ以外の曲は正直マイナーシンフォニーと言えるかもしれません。

自分自身もプロコの交響曲第5番は大好きな交響曲の一つで、
全編に漲っている霊感とインスプレーションの豊かさには本当に
驚かされます。
第一楽章のすがすがしい始まり方、ピアノの扱い方が印象的な第二楽章
やはり戦時中を繁栄させた感のある第三楽章
ホルンの刻みとウッドブロックのリズムが面白いフィナーレ

本当に何度聴いてもその都度違う発見があります。

第1番古典も非常にスマートで面白い曲なのですが、
その次に作曲された第二番は、
「本当にこれが同じ作曲家が作った曲なのかーい」と突っ込みを入れたくなるほど
印象度は全然異なります。
二番の激しい不協和音と意味不明な曲の展開は、本当にあれは何なのでしょう・・・
でも聴いてみると確かに迫力はありますよね。

次の「交響曲第3番」は、また別の意味ですごい曲です。

この曲を初めて聴いたのは、実は1981年の全日本吹奏楽コンクール東北大会にて
秋田県立花輪高校が演奏した時でした。
話は違いますが、この花輪高校はある意味すごい学校です。
コンクールの自由曲で、ハチャトゥーリアン/交響曲第2番「鐘」 第三番「シンフォニーポエム」
ショスタコーヴイッチ/交響曲第1番 ガジベコフ/交響曲第2番
シチェドリン/交響曲第2番 ラフマニノフ/交響曲第1番などロシアのマイナーシンフォニーを
取り上げたと思う一方
ベルク/三つの管弦楽曲という無調音楽を正面から掘り下げる
本当に今では考えられない斬新な選曲の学校でした。

花輪高校の演奏をきっかけにプロコの3番を聴く事になったのですが、
最初聴いた時は正直驚きましたね。
吹奏楽アレンジ版では、どちらかというとミステリー風な印象だったのですが、
改めて聴くと、この曲はロシアの風土と切っても切り離せないような
関係にあるのではないかと感じるほど、叙情的な香りのする曲でした。
(もっともかなり悪趣味的な匂いもプンプンしている部分も相当ありますけどね・・)

最後の第7番「青春」は上記とは趣が全く異なる曲です。

「ピーターと狼」に近いような感じもしますが、おじいさんが死ぬ間際に
童心に戻って作曲したとしか言いようのない曲かもしれません。
この曲はある意味ユニークな試みがあって、終楽章が静かに終わるバージョンと
主題が回想されて騒々しく終わる二つのパターンが用意され、どちらを選ぶかは指揮者に
委ねられています。
自分は、後者の方が好きですけどね。

生涯の間にさまざまな表情の交響曲を残したプロコでしたが、
まさしく「極端から極端へ」移るロシアの風土の申し子のような人だったの
かもしれませんね。

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