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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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「tutti」というワードを耳にすると、アニメ「響け! ユーフォニアム」好きの皆様でしたら、
「あー、それは第一期のEDの曲だよね~」と言われるのかもしれないですけど、音楽用語的には
演奏している全ての奏者が同時に演奏する事であり、換言すると「総奏」であり、ソロの対義語ともいえそうです。

ソロ楽器でもって美しいメロディーラインを奏でるのも相当うっとりとさせられるものがありますけど、
中には、複数の同一楽器が同一メロディーを同じオクターブ(音域の高さ)で合せて奏でる場合があり、
これは音楽用語的には「ユニゾン」と呼ばれたりもします。

ユニゾンとは何かと言うと、音の高さが全く同一またはオクターブが一つ上かはたまた一つ下の音を複数の楽器で
演奏された状態の事を示します。
管弦楽団のヴァイオリンパートが全員で同一メロディ・同一の高さで揃えて演奏される事は、オーケストラの要とも
いえるのだと思います。
曲がソロ楽器の完全ソロで開始される場合も多々ありますけど、中には
例えばシューベルトの交響曲第8番(9番)「ザ・グレイト」のホルンやチャイコフスキーの交響曲第5番のクラリネットのように
ソロではなくて二本の管楽器による同一メロディ・同一の音域の高さでもって・・、つまり前述のユニゾンの状態から
ひそやかに開始される事例もあったりします。
それでは単独ソロで開始される場合と、二本の楽器によるユニゾンでの開始とではどのような違いがあるのでしょうか・・?
勿論人によって感じ方の違いは多少はあるかもしれないですけど、一本のソロ楽器として感じる響き方よりも
2本のユニゾンで吹いた方が響きがより幅広く深く感じられますし、演奏効果が高くなるようにも感じられます。
そしてなんとなくですけどソロよりもユニゾン状態で吹いた方が表現の自由度に制約が課される一方で、
例えばチャイコフスキーの交響曲第5番の冒頭の二本のクラリネットのメロディーは、そのメロディー自体が
交響曲全体を貫く循環主題ともなっているほど重要なモチーフにもなっていますので、そうしたモチーフの印象度が
ソロよりもユニゾンの方がはるかに強く感じられるという効果もありそうだと感じたりもします。

マーラーの交響曲はなんとなくイメージ的には複雑怪奇とか病んだ精神状態で書かれた錯綜・錯乱した曲というものが
あるのかもしれないですけど、実はマーラーの交響曲は臨時記号や極度な不協和音というものは意外と少なくて、
メロディーラインも複数の旋律を重なり合わせる感じではなくて、一つの旋律をシンプルに構成しているという事が
ほとんどなのかもしれないです。
そのせいなのか、マーラーの交響曲は初期作品においては結構ユニゾンを効果的に使用した楽曲もかなり多く、その最も
有名で音響効果が高い事例としては、交響曲第3番「夏の朝の夢」~第一楽章冒頭の8人のホルン奏者による
堂々としたユニゾンによる開始のインパクトはかなり強烈なものがありそうです。
冒頭でホルン奏者全員がややベルアップ気味に全員で同じ旋律を堂々と吹き鳴らす場あのユニゾンは、曲の開始早々
ノックアウトを食らったような強烈なインパクトは秘めていると思います。
第一楽章だけで35分程度もかかり、フィナーレの第六楽章も30分程度の演奏時間を要し、
曲全体の演奏時間も軽く100分を超えますけど、全体的には、朝=夜 人間界=自然界 現実=夢
現実=過去の記憶 生=死という相反するテーマを全て一つにまとめ上げたというか、
過去の記憶と現在の印象の全てを巻き込み直進していく巨大な「マーチ」という考え方も出来るのかもしれません。
人間が元々有している相反する矛盾する要素を「音楽」として反映させる意図があるんじゃないのかな・・とも感じたりもします。

マーラーの交響曲におけるユニゾンと言うと、3番の8本のホルンに比べると地味かもしれないですけど、
交響曲第4番「大いなる喜びへの讃歌」~第一楽章の6分前後に登場する4本のフルートによる超高音域の繊細な
ユニゾンも大変印象的です。
4人のフルート奏者が高音域でpp~fまでディミニエンドを繰り返すまるで妖精のダンスみたいなニュアンスは、多分あれは
フルートソロだけでは表現しにくいと思いますし、あれは4本のユニゾンであるからこそ可能なニュアンスなのかもしれないです。

ユニゾンというと冒頭でも記したとおり、チャイコフスキーの交響曲第5番~第一楽章冒頭の2本のクラリネットによるユニゾンも
大変印象的ではありますが、同じくチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」の9分~10分目前後に延々と
展開される各2本ずつのフルートとオーボエの計4本による「愛のテーマ」のユニゾンもとても感傷的で胸にじーんと響きます。
同一楽器のユニゾンよりもはるかに難易度が上がるのが異なる楽器でのユニゾンなのですけど、そうした異なる楽器での
ユニゾンにおいて「実は最も音のニュアンス・音域・音量の微妙な調整が難しい」とされるのがオーボエとフルートでも
ありますので、あの長大なユニゾンの箇所に差し掛かると奏者もそうですけど指揮者もかなり大変なのだと思います。
しかもあのフルートとオーボエのユニゾンの最後には、なんとクラリネット2本までがそのユニゾンに加わり、計6本の
管楽器によって延々と感傷的で甘美なユニゾンが展開されますので、聴き応えは十分だと思います。

チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」は「序曲」というタイトルが付いているのですけど、
印象としては「交響詩」みたいな雰囲気も濃厚です。
演奏時間が20分程度ですし、曲としてはかなり長いという印象もあります。
この20分の曲の中に、荘厳なコラール・愛のテーマ・諍い・人間の死・甘美さ・せつなさ・激しさなど
とにかく色々な要素が「これでもかっ!」とばかりに盛り込まれていて、聴いていて飽きる事はありません。
20分の曲の中に「出会い→喧騒→愛の逃避行→死」のストーリーがギュギュッ・・と詰め込まれていて、
目を閉じてこの曲を聴いているとシェークスピアのあの誇り高き戯曲の様々な名場面が浮かんでくるような感じすらあります。
特に素晴らしいのが冒頭のクラリネットをメインとする荘厳なコラールと中間部の「愛のテーマ」だと思います。
そしてその愛のテーマに上記のオーボエ・フルート・クラリネット、計6本の管楽器によるユニゾンが高らかにしっとりと
鳴り響いていきます。
その中間部の愛のテーマの盛り上がりの最後にはしっりとしたコールアングレのソロで締めてくれるのも素晴らしいです。
曲のラスト30秒前当たりのティンパニのロールをバックに金管を中心としたコラール風なエンディングも
哀しい死ではなくて「天国で二人は幸せに結ばれる・・」といった一つの「救い」が示唆されているようにも
感じられとっても素敵だと思います。
それと個人的な印象ですけど、前半や後半の展開部で登場するシンバルの凄まじい連打に次ぐ連打のあの迫力は
圧倒されるものもあったりします。

この幻想序曲なのですけど、シェイクスピアの原作から主に3つのテーマに絞って書かれています。

1.ローレンス修道士を表す宗教的で荘厳な序奏部
2.モンタギュー家とキュピレット家の争いを描写する第一主題
3.バルコニーのシーンに代表されるロメオとジュリエットの愛の場面を美しくまた悲しく歌う第二主題

前述の通り、1の冒頭場面のクラリネットをメインとする木管のコラールは神々しいですし、
2の激しさ・・特にシンバルの連打は大変印象的ですし、3の「愛のテーマ」の美しさ・ロマンティックは
この世のものとは思えない美しさがあると思います。

専門的な事を一言書くと、標題音楽でありながらソナタ形式を取っていて、
構成面でもひきしまった作品になっている点は「すごいな・・」と感心してしまいます。

この曲をCDで聴く場合、私が特に特にお勧めしたいのは、バーンスタイン指揮/ニューヨークフィルの演奏です!
この演奏はすごい・・すごすぎると思います。
(特に冒頭のクラリネットの音色はこの世のものとは思えないです・・中間部も大変美しいですし、聴き方によっては
退廃的なものすら感じさせています)


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吹奏楽オリジナル作品でもそうしたユニゾンを多用した楽曲は無数にありますけど、私的にはなぜかしりませんけど、
バーンズの交響曲第2番~第二楽章・中断された変奏曲における清楚なクラリネットのユニゾンとそれに続く
トランペットの(はもりがあるので厳密にはユニゾンではありませんけど)神々しいコラールのような響きが大変
印象的であったりもします。
(スパークの「ドラゴンの年」~Ⅱ.間奏曲の荘厳なユニゾンもすてきです・・)

バーンズの交響曲第2番~第二楽章・中断された変奏曲の出だしはオーボエのソロから開始され、それが
クラリネットからアルトサックスへと引き継がれます。
静かな部分が終わると、少し賑やかな部分が変奏されていきますが、それが一旦静まると
クラリネットのユニゾンをメインとする木管合奏による静粛なバッハみたいなコラールというか聖歌が奏でられます。
そして木管コラールがトランペットのユニゾンをメインとする金管コラールにバトンタッチされていきます。
とにかくこのユニゾンのコラールが美しくて何度聴いてもうっとりとさせられます。
この木管と金管によるコラールが終わると、 再びどんちゃん騒ぎが再開されますが、最後は冒頭のオーボエソロが再現され、
静かに閉じられます。

トランペットというと明るさ・華やかさ・喧噪を象徴する楽器でもあるのですけど、こうやってたまに静粛で神々しい祈りのような
コラール的なトランペットのユニゾンを耳にすると、普段がああいう響きだけに余計にしんみりとした情感を
楽しめそうです。

ここから下記はdream fantasy2
アミグリさんが過去に描かれた絵の転載&ご紹介コーナーです。

上記でトランペットのユニゾンについても触れさせて頂きましたので、ここはアニメ「響け! ユーフォニアム」のトランペット奏者
であり孤高で気高い高坂麗奈を取り上げない訳にはいかないです!
アミグリさんが描かれたこの高坂麗奈は当ブログでも何度も何度も転載の掲載をさせて頂いていますけど、
大好きなキャラを尊敬している絵師様に描いて頂いたお気に入りの絵は、何度でも転載&ご紹介をさせて
頂きたいと思っていますし、それくらいお気に入りの麗奈です~♪

上記の絵は、アミグリさんが2018年6月に描かれた「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です!

麗奈はトランペット奏者なのですけど、あの凛とした雰囲気はもしも麗奈が金管楽器ではなくて木管楽器を選んだ場合は
オーボエが最もお似合いといえるのかもしれないです。

そしてこの高坂麗奈は、2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!
ちなみに描かれた時期は2018年6月です!

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~!

上記のアミグリさんが描かれたノースリープの高坂麗奈の権利は、
全て上記作品の絵師様であられるアミグリさんに帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全て
アミグリさんからご了解を頂いたものであり、アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにも気高く美しい高坂麗奈を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

高坂麗奈のトランペットには独特の影と華麗さが秘められていますけど、ゆったりとしたコラール的なユニゾンを
他のトランペットパートの人たちとうまく合せながら奏でるのもとてもすてきだと思いますね~♪
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アニメ「響け!ユーフォニアム」は第一期が2015年、第二期が2016年に放映され、その後も何度か劇場版も公開され、
吹奏楽経験者だけに留まらず幅広いファン層から支持されていますし、
どちらかというとマイナー楽器というか吹奏楽経験者の私にとっても「あってもなくてもいいどうでもいい楽器」という
認識を有していた人達の認識をチェンジさせるのに一役買っていたと思いますし、
なによりも中学校で初めて吹奏楽部の門戸を叩いた新入部員の最初の関門でもある「楽器振り分け」の際にも
以前は(男子高ではクラリネットが断然不人気楽器であるのと同様に)不人気楽器の一つでもあったユーフォニアムが
俄然人気楽器になっていった大きな転機をもたらしたアニメとも言えそうです。
ちなみに私自身、この作品の一押しキャラは主人公のユーフォ奏者の久美子でも無くて、サファイアでも加藤ちゃんでも無くて
トランペット奏者の高坂麗奈に尽きると思います。

そうしたアニメ「響け!ユーフォニアム」なのですけど、本年度におきまてアニメ「響け!ユーフォニアム」の5周年を記念して
日本を代表する時計メーカー・セイコーがコラボした腕時計が登場していました~♪
これは、久美子の楽器ケースをイメージしたスペシャル記念ボックスに収めたアニバーサリーモデルです。

腕時計のデザイン的には五線譜をデザインした文字盤がすてきだと思います。
終わりなく繋がる五線譜をデザインを背景に、久美子のユーフォニアムや麗奈のトランペット、サファイアのコントラバス、
チューバ、みぞれのオーボエなど北宇治高校吹奏楽部のメンバーの楽器が配置され、
その上を秒針の音符が軽やかに時を刻んでいます。
裏蓋には、5周年記念の作品ロゴと限定2500点のエディションナンバーが刻印されていて、
久美子の楽器ケースをイメージしたスペシャル記念ボックスに収められています。

このコラボ腕時計の商品情報は下記の通りです。

商品名:響け!ユーフォニアム×セイコー 5周年記念コラボウオッチ
価格 :29,800円(税込32,780円)
限定数:2500
発売日:2021年4月19日
お届け:2021年8月中旬発送予定
発売元:インペリアル・エンタープライズ株式会社 PREMICO(プレミコ)

材質:ケース・裏蓋=ステンレススチール 風防=ハードレックス バンド=牛革、合成皮革(裏側) 
ケースサイズ(約):縦44×横38×厚さ7mm
手首回り(約):13.5~18.5cm
ムーブメント:クオーツ(平均月差±15秒以内)
防水性能:10気圧防水

生産国が日本というのが素晴らしいですね~♪

アニメ「響け!ユーフォニアム」ファンの皆様だったら喉から手が出るほど欲しい商品なのかもしれないですけど、
私的にはちょっと価格が高い事と久美子の担当楽器のユーフォニアムがメインになっていて
ボックスがアニメ「響け!ユーフォニアム」の4人のメインキャラになってることがネックとなりそうですけど、
これがもしも高坂麗奈とその担当楽器のトランペットがメインとなっていたら即効で予約をしていたのかもしれないです。

それにしても最近は腕時計自体は私的にはほとんどしなくなりました。

私が中学・高校の頃はなんとなくですけど中学・高校に入学した時の身内等から頂く入学祝いのプレゼントとしては
(現在の図書カードではなくて)紙の図書券とか腕時計が定番だったような印象もあります。

私が腕時計をしなくなくなったのは、携帯電話を持つようになって以降、つまり1996年ぐらいからなのだと思います。
というのも携帯があれば時刻はすぐわかるし、 アラーム機能・計算機機能・ストップウォッチ機能・カレンダー機能は
普通に携帯に 付いていますからね・・
それゆえ腕時計を付ける必要が無くなったという事なのだと思います。

それも何か小さなことですが、時代の変化の一つなのかもしれないです。

私自身初めて腕時計を持ったのは、高校入学の時でした。
腕時計を付けることで、何となく少しだけ大人っぽくなったような気がしたのも多少はあるのかもしれませんね・・・
当時は、腕時計が何か大人の象徴みたいなところもあったのかもしれなかったです。
というか、現在は100円ショップに行けば普通に100円で腕時計が購入できてしまう時代です。
その意味では腕時計自体に大人のシンボル感が喪失しているのかもしれないです。
高校の頃は、私自身は私服の県立男子高校で、周囲に女の子がいませんでしたので、
当時の大半の生徒は、夏場は、ジーンズにスニーカー、Tシャツ、そしてカシオのデジタル腕時計というのが
一般的でしたけど、社会人になってみると、営業系の仕事ばかりやっていたせいか。
腕時計をはめているとスーツの袖が切れてしまいそうになったり、夏場に半袖シャツで歩いていると
腕時計部分のみ日焼けしないで真っ白なので、 日焼けしている部分との差が歴然というのも何か嫌・・というのも 、
携帯・スマホの普及と合せる形で腕時計をしなくなった要因となったのかもしれないです。

本記事はアニメ「響け!ユーフォニアム」の5周年を記念して セイコーとコラボした腕時計でしたけど、
実は私自身、東方・プリキュア・艦これなどのグッズとしての腕時計はいくつか持っていますけど、これらはなんだか
勿体無くて腕につけて外出する事はまずないですけど、たまには腕時計を付けてレトロ感覚的にお出かけというのも
悪くは無いのかもしれないですね~♪
全日本吹奏楽コンクールは、1970年を境にしてその評価方法と言うのか表彰方法は大きく変わる事になりました。

1969年以前は順位制度と言いまして、全出場チームの中から、得点順に、1位・2位・3位と順位をつけ
1位を「優勝」という扱いとしていました。
順位制の頃は、1位=優勝というと関西支部の学校の独断場という雰囲気もあったようにも思えます。
高校の部は、福岡電波高専(福岡工業大学付属、現・福岡工大付属城東)が頑張っていた時期もありましたけど、
基本的には天理高校の独断場という感じでしたし
(一度、泉庄衛門先生による天王寺商業の優勝みたいな回もありました!)
中学の部は、兵庫県の今津中学校が、昭和34~37年、39~40年、43~44年に1位=優勝をもぎ取るみたいな
偉業も達成し、それを追っていたのが、豊島第十と出雲第一という感じでした。

1970年以降はこの順位制度を廃止し、出場チーム全てを金賞・銀賞・銅賞に振り分けるというグループ表彰となりました。
最近のコンクールは、比較的相対評価が厳格に行われているような印象もあり、
毎年、金・銀・銅の比率はある程度バランスよく一定に保たれていて、金賞受賞チームも前半・後半合わせて
大体8~9程度に絞り込まれているような印象があります。
全体として、金の数・銀の数・銅の数が事前に決まっていた方が、わかり易いみたいな感じになると思います。
むしろ現行体制の方が審査の一貫性が保たれているようにも感じられ、私にとっては
こうした評価の方が好ましいし、年度や審査員による評価のぶれを防止できているようにも感じられるような気もします。
絶対評価のような年も中にはあって、
1980~81年の中学・高校の部のように銅賞が一つも無くて、全出場チームの半分程度が金賞という年もあったかと思えば、
中には1976年のように金賞受賞チームがわずか3チームという年もありましたし、
1975~76年のように出場チームの半数程度が銅賞という大変シビアな年もありましたから、
私個人としては相対評価のほうがスッキリしているような感じがあります。

県大会レヴェルになると、県によってコンクール規定に微妙な違いもあるせいもあり、
県によっては、優秀賞・優良賞・県知事賞・きらめき賞・努力賞みたいな名称で表彰している事もあったり、
一応、金銀銅の評価はするけど、1位=優勝という賞を設けたりなど色々と違いがあったりします。
(今現在の規定はさすがに細かくは分かりませんので、上記のような名称がまだあるかどうかは分かりませんけどね・・)
例えばですけど、
私が現役奏者だった頃の東北大会の福島県大会では、大編成部門において1位~3位を
県代表として選出するものの、1~2位をA部門として推薦し、3位をB部門(35人編成)の代表として選出する
みたいな選出方法を取っていたと記憶しています。
実際、1990年代において阿部裕治先生率いる原町第二中学校が、突如、A部門ではなくてB部門に出場し
ローマの祭を演奏していたのは、多分当時のそうした事情があったせいなのかもしれないです。
(確かあのローマの祭はチルチェンセス・五月祭・十月祭・主顕祭全ての楽章を取り上げていて、あの演奏は全国でも
聴いてみたかったです!)

当ブログで何度か語っている通り、私自身は1990年~95年の6年間、仕事の異動のため山梨県に
居住していたのですけど、その6年間は毎年のように(当時は)すさまじくレヴェルの低い山梨の吹奏楽コンクールを
聴きに行ったものですけど、その山梨県大会においては、そうしたローカルルールがあり面白いものがありました。
その一つが中学校のC編成部門は、出場人数に一切の制約が無い代わりに関東大会への選出枠もなく
県大会で終了と言う部門もありました。
これは県大会で3年生の部活は終了ということで受験生に対する一つの配慮だったのかもしれないです。
このC編成部門においては、50名での「アルルの女~前奏曲・メヌエット・ファランドーレ」をすてきな演奏をしていたのに
関東大会への出場を自ら辞退していたのはなんだかとても勿体無く感じたものですし、
なかにはこのC編成部門にて坂下中学校のようにわずか7名の編成で出場し、シューベルトの「軍隊行進曲」を
全員起立して演奏していたのは大変興味深いものもありました。
また、中学の部門のB部門・A部門においては、金銀銅の他に銅賞よりもレヴェルが低い「奨励賞」という賞が
設けられていた事もそうしたローカルルールの一つでした。。
この二つの部門は関東大会への出場という代表枠を掛けたものであり、
結果として、当時の山梨県大会の評価としては、代表金賞・ダメ金・銀賞・銅賞・奨励賞と5段階評価といえそうです。
それと年度によっては奨励賞よりもさらに低い評価の「努力賞」というのも確かあったと記憶しています。
私の記憶の中では奨励賞や努力賞というのは、本当にひどい演奏が多かったです・・・
というか・・音程が悪いとかピッチが狂っているとかそれ以前の話という感じで、
音楽以前に「音」として成立していなかったという印象が強いです!
この奨励賞というのは換言すると参加賞みたいなものでした。
当時の山梨のレベルは驚異的に低かったものですから、銅賞以下の賞も必要だったと言えると思います。

そうそう、上記で「参加賞みたいなもの」と記しましたけど、全日本吹奏楽コンクールの全国大会において、
タイムオーバー失格が残念ながら発生した場合、表彰式で授与される表彰状には「参加賞」と表記されるそうです。
2019年時点でグループ表彰式が開始されて以降、今まで計10回タイムオーバー失格が発生し、いずれの場合も
表彰式においてはタイムオーバー失格の告知と参加賞という表彰状は授与されたりもします。
2003年の小高中、94年の広島大学、79年の札幌市民交響、2007年の春日井市民などがそのタイムオーバー失格の
事例ですけど、個人的に大変惜しまれるタイムオーバー失格と言うと1987年の足立第十四中学校のタイムオーバー失格は、
もしも時間超過がなかったとしたら確実に金賞という高い評価が予想されただけに残念では割り切れないものは
確実にあると思います。
(あの課題曲Aの風紋は全部門の中でも最高の風紋の一つでしたし、自由曲の「サロメ~七つのヴェールの踊りの完成度の
高さは圧巻でした!)
参考までに記すと2003年の中学の部は小高中を含めて計2チームがタイムオーバー失格という大変珍しいというか
あってはならないことが起きていたりもします。
タイムオーバー失格が発生する要因として色々あるとは思いますが、①元々課題曲と自由曲の演奏時間が長かった、
②当日の演奏において、指揮者が普段の練習と大きく異なる指揮と音楽の流れを作り、普段以上にゆったりとしたテンポ設定を
してしまった ③課題曲と自由曲の間になんらかのトラブルが発生した など色々あるとは思いますが、出場者にとっても
指揮者にとってもタイムオーバー失格というのは後味が悪いということなのだと思います。

ほとんどの県では、県大会の前に地区予選という大会があり、この地区予選で
県大会で演奏する出場するチームを絞り込んでいるのですけど、
山梨県のように人口自体が少ない県では、この地区予選すら存在しなくて、いきなり県大会で関東代表を選出する
みたいな事をやっています。
地区予選がなくていきなり県大会スタートという県は、他には、関東では栃木県もそうでしたし、
意外な所では、「響け! ユーフォニアム」の舞台となっている京都府もそうです!



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「響け! ユーフォニアム」第二期の第12話は全国大会での話となっていましたけど、北宇治高校の全国大会での評価は
銅賞ということで、表彰状にも銅賞の文字がはっきりと写っていたものです。
というか・・、滝先生赴任当時の北宇治高校吹奏楽部は、簡単なマーチの海兵隊も満足に吹けず、滝先生から
「なんですか・・これ・・」と冷たく言われてしまうほどお粗末のレヴェルだっただけに、確かにあすか・麗奈・香織・サファイア
など優秀な一部の奏者に優秀な指導者はいたものの、全体のレヴェルがああした低レヴェルの状態でわずか数か月で
関西大会を突破して全国大会に進めるほど吹奏楽コンクールは甘くはありませんし、アニメ版で北宇治の全国出場が
決まった時は「これって現実には絶対にありえないじゃん・・! この回を見て吹奏楽初心者やこれから始めようとする人たちが
吹奏楽って楽勝じゃん・・」と妙な誤解をされるのは心外であると感じたものでした。

ま、それはアニメだからいいとして、全国のスクールバンドに所属して全国大会という檜舞台に立てる方はわんのわずか
一握りの人たちに限られていますので、ああやって全国大会のステージに立てて大勢の聴衆の前で自分たちの演奏を
お披露目できることは本当に幸せな事だと思いますし奏者冥利に尽きると思います。
たとえ評価が銀賞・銅賞であったとしても、コンクールの評価は水物だし自分たちがある程度満足のいく演奏が
できればそれでOKなのだと思います。

そうした意味では全国大会でのタイムオーバー失格、そして表彰式で授与される「参加賞」という表彰状は
残念と言う一言では済まないなにか割り切れないほどの不本意さともどかしさはあるのかもしれないです。

私自身は中学・高校・大学で計10回吹奏楽コンクールに出場しましたけど、地区予選・県大会・都大会予選の最終評価の
内訳はタイムオーバー失格1回、金賞2回、銀賞5回、銅賞2回ということで、本当に冴えない結果だと自分でも
わかってはいます・・
自分自身のコンクール初出場は地区予選でタイムオーバー失格でしたけど、当時はコンクールの規定とか全然知らなくて
コンクールで課題曲と自由曲合せて12分間という時間制限があることや12分という制限を1秒でも超過した場合は失格と
なってしまうことは全然知らなくて、表彰式と審査結果発表の場でタイムオーバー失格と告げられても
「なにそれ・・!?」という感じできょとん・・としていたと思いますが、その瞬間に3年間のコンクールに幕がおろされた3年生は
多くの上級生が大泣きをしていましたので、あの時に「なにかこれはとんでもない事態になったものだ・・」と感じたものでした。
そして私自身のコンクール最後の出場の時も結果的に都大会予選銅賞という不甲斐ない成績で幕を閉じたときはさすがに
ガクッ・・と落ち込んだものでした・・

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上記で京都府は地区予選がないエリアとか「響け! ユーフォニアム」の全国大会銅賞の話が出てきましたので、
ここはdream fantasy2
アミグリさんが描かれた北宇治高校吹奏楽部のトランペット奏者の高坂麗奈を改めて皆様に見て貰いたいと思います。

上記の作品はアミグリさんが2018年6月に描かれた「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です。

この高坂麗奈は、2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~♪

高坂麗奈というと全国大会の表彰式の前で行われる指揮者賞贈呈の場面で、北宇治高校指揮者の滝先生の名前が
アナウンスされると、会場に響き渡る声で「滝先生、好きです!」というまさかまさかの愛の告白?をされていたのも
大変印象的でした。
ちなみにリアルの閉会式の指揮者賞贈呈の際には、指揮者が盾を手渡された際に、コンクール演奏メンバーから
「〇〇先生!」とか愛称などで声援が飛ぶというのも一つのお約束になっているようですけど、
麗奈の愛の告白?シーンはとてもインパクトがあったものでした~♪

アミグリさんの描かれた麗奈からもそうしたちょっとお茶目で意外性のあるキャラと言う要素もすてきに伝わっていると
思えてならないですね~(^^♪
A.ドヴォルザークという作曲家は日本人好みのメロディーを多く作曲した屈指のメロディーメーカーという印象があります。

一例を挙げると・・

〇交響曲第9番「新世界より」~第二楽章

〇ユーモレスク

〇弦楽四重奏曲「アメリカ」(弦楽四重奏曲第12番)

〇チェロ協奏曲

など色々あると思います。

私の高校時代の吹奏楽部の定期演奏会において、一年生の時のサードステージ(クラシック音楽吹奏楽アレンジステージ)
において、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りと共に演奏した曲目が
ドヴォルザークの交響曲第8番第一楽章でしたけど、あの曲は中間部にトロンボーンの雄叫びみたいな箇所を含めて
少し盛り上がる面はあるものの全体的には鄙びた雰囲気の洗練された音楽という感じです。
私が入部する一年前の定期演奏会のサードステージでは、2曲目がストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」で、
1曲目がなぜか・・・?? モーツアルトの交響曲第40番~第一楽章ということで、当時の部全体の雰囲気として
一曲目は打楽器・金管セクションが目立たない曲を内省的に奏で二曲目にその有り余ったエネルギーを爆発させる
というものがあったのかもしれないです。
ドヴォルザークの8番はクラリネットパートは細かい動きが結構大変だったような記憶がありますけど、吹いていても
どこかのんびりとした心地の良さは感じたものですし、この交響曲自体特に郷愁を意識させるものはないですけど、
それでもどこか田舎とか自然ののどかさみたいなものは感じていたものでした。
後から振り返ると「第一楽章を選ぶのだったら、トランペットのファンファーレで開始されどこかマーチ風な感じでもある
第四楽章を演奏すればよかったのに・・」と感じたものですけど、その辺りを後日当時の指揮者の先輩に聞いてみたら
「第四楽章の吹奏楽アレンジ版が(当時は)なかった・・、第一楽章だけブレディ編曲のモノがあったから・・」という
簡単な理由だけだったようです。

ドヴォルザークというと、ユーモレスクという小品も好きなのですけど、スラブ舞曲集、その中でも特に第10番の美しさと郷愁は
素晴らしいと思います。
あの10番の哀愁溢れるメロディーラインは相当日本人好みだと思いますし、不思議な郷愁の感情を感じてしまいます。
4分前後の大変短い曲なのですけど、日本人好みの哀愁・秋みたいな感覚・しっとり感が全て詰まっていて
どことなく田園地帯の静かな秋みたいな色彩が濃厚な感じの曲だと思います。

ドヴォルザークは、新世界の第二楽章と言い、スラブ舞曲集といいどうしてこんなにも素晴らしいメロディーラインを
書けるのだろう?と感じずにはいられない魅力的な曲だと改めて感じたりもします。

ドヴォルザークの「スラブ舞曲集」なのですけど、ジムロックと言う音楽出版社が、
ブラームスの「ハンガリー舞曲集」の出版でかなりのクリーンヒットをかっとばし相当大儲けした事に味をしめ(?)
二匹目のドジョウを意図して、「似たような傾向の音楽を作曲して下さい」とドヴォルザークを強引に口説き落とし
スラブ舞曲集を出版したところ、これまたクリーンヒット、しかもブラームス大先生をしのぐ人気と売り上げがあったため、
そして8年後に「スラブ舞曲集第Ⅱ集」を作曲する事になります。
ちなみに、第Ⅱ集の作曲報酬は最初の第Ⅰ集の10倍近くにも跳ね上がったそうです。

俗にドヴォルザークの「スラブ舞曲第10番」と呼ばれる作品は、Ⅰ番とⅡ番の通し番号として呼ばれるものであり、
厳密に言うと、この曲のタイトルは、スラヴ舞曲集第Ⅱ集作品72第2番 と呼ばれるべきものなのかもしれないです。
この曲は10番と言うⅠ集とⅡ集の通し番号で呼ばれる事もありますし、第Ⅱ集の作品としての第2番として呼ばれる事もあるし、
その辺りは少し混乱しているのかもしれないです。
大抵の場合、10番という通し番号で呼ばれる事の方が多いのかもしれないです。

この曲は本当に哀愁と郷愁が漂っていると思います。

曲は、A-B-C-A-Bという二部形式と三部形式を混合した形式をとっています。
第1ヴァイオリンの憂愁この上ない旋律で始まり、フルートが重なった第2ヴァイオリンでフォローされます。
やがてホ長調で活気が出ますが、すぐにホ短調に戻って中間終止をします。
中間部はハ長調で明るいゆったりとした旋律を奏で、やがてチェロで最初のテーマが戻ってきて曲は静かに閉じられます。

この曲は、日本フィルを振っていた頃の小林研一郎(コバケンさん)がよくアンコール曲として演奏されていました。

この曲、たまにですけど、吹奏楽コンクールでも自由曲として演奏される事があり、
その場合は、(通し番号で言うと)9番~10番~15番という組合せで演奏される事が多いです。

ドヴォルザークの吹奏楽コンクール全国大会で自由曲として選ばれた楽曲は、1960年代~70年代初めは
新世界の第四楽章が多かったですけど、その後、スラブ舞曲集、スケルツォカプリツィオーネ、交響曲第8番~第四楽章も
演奏されるようになっています。

ドヴォルザークの新世界と言うと、アニメ「響け! ユーフォニアム」第一期の前半の回にて高坂麗奈が第二楽章の家路の
メロディーを寂しそうに吹いていたシーンがとても印象的でもありました~♪

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ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」~第二楽章の家路のあのメロディーは、「響け! ユーフォニアム」【第一期】の第3話
にも登場していました。

中学の特に県大会でダメ金を取り関西大会に勧めず悔しい気持ちで北宇治高校吹奏楽部に入部した高坂麗奈でしたけど、
麗奈のように高い技術と高い目的意識を持った人間の視線で言うと、第3話当時の北宇治高校吹奏楽部の雰囲気は
「ありえない・・」という感じだったのだと思います。

孤高な麗奈としては「やるせない」という気持ちであり、「いたたまれない」という気持ちだったのだと思います。
麗奈本人は、滝先生が赴任したと言う事で北宇治高校吹奏楽部で本気で全国大会を狙っているのに対して、
周囲のテンションは極めて低く、「海兵隊」という簡単なマーチすらもまともに吹けず、滝先生より「なんですか、これ・・」と
罵倒される始末・・それでも部員たちは一向に目覚めず練習も手を抜きがちで、そこに追い打ちを掛けるように
「パートリーダー会議が終わって方針決定するまでは練習も休み」と知らされては、麗奈の「やるせない気持ち」は
本当に痛いほど分かります。

そうしたやるせない気持ちをぶつけるように校庭の隅から麗奈自身がトランペットで奏でる
ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」~第二楽章のあのメロディーは本当に心に沁みたものです。
半分泣き出しそうな麗奈の表情もすてきでしたけど、
最後の「うわぁぁぁぁぁぁーーーーー」という叫びが本当にいたたまれないものがありました。

あの場面でどうして麗奈が「新世界より」の第二楽章のメロディを吹いているのかな?とリアルタイムで見た時は感じた
ものですけど、久美子が適切に解説を加えていました。

これ…

新世界より…。

故郷を想って作った曲なんだって。まだ何もない、新しい世界で・・・・・

久美子自身も、中学時代の久美子をほとんど知らない新しい高校で、再度スタートさせたかったし、
麗奈自身も滝先生に憧れて、そして滝先生を信じてついていけば、
もしかして本当に全国大会も夢ではないと信じて、立華高校への推薦を蹴ってまで
北宇治高校という「新しい世界」に飛び込んだのに、現実はああした体たらくの状態・・
そうしたやるせない気持ちが「新世界より」のあのせつないメロディーに繋がっていったのかもしれないです。



2019年の「スター☆トゥインクルプリキュア」の宇宙人プリキュアのララちゃんは、故郷の星の惑星サマーンを離れて
見知らぬ異世界の地球で暮らしていたことを考えると、もしもララちゃんが新世界の家路のメロディーやユーモレスクや
スラヴ舞曲の哀愁溢れるメロディーを聴いたとしたら、「およー」と言いながらも
「なんだか胸を打つメロディーなのルン・・」としんみりされるのかもしれないですね~♪


ユーフォニアム

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マーラーの交響曲第7番「夜の歌」でお馴染みのテノールホルン

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吹奏楽でも現在はほとんど使用されないバリトン



アニメ「響け! ユーフォニアム」のメインヒロインの久美子が手にしている楽器こそが「ユーフォニアム」です!

吹奏楽経験者ならばお馴染みの金管楽器である「ユーフォニアム」なのですけど、
世間一般の認知度はと言うと、ユーフォ奏者の方には申し訳ないのですけど、まだまだ低いのかもしれないですし、
ご年配の方に「ユーフォニアムってなんですか?」と聞いてもおそらく大半の方は「なにそれ・・??」という反応なのかも
しれないですし、「え・・? アルミニウム・・?」と聞き返されたり、はたまた「日清のカップ焼きそばのUFOの新商品・・??」と
答える方もいるのかもしれないです。
もっとも吹奏楽自体も必ずしもメジャーな音楽形態とは言い切れない面もあるのは私も否定はしませんけど、
アニメ「響け! ユーフォニアム」の効果によって以前よりは格段にその認知度が高まってきたのは、大きなアニメ効果と
いえるのかもしれないです。

ユーフォニアムというと、私が中学~大学の吹奏楽部に所属していた1970年代末~80年後半にかけては
新入部員の楽器振り分けの際は、とにかく不人気楽器の一つだったような印象もありましたし、
フルート・アルトサックス・トランペット・トロンボーン等の人気楽器には希望者が殺到し、
ユーフォニアム・打楽器等の不人気楽器は、誰も希望者が現れないなんていう光景は決して珍しくはなかったと思います。
特にその中でもユーフォニアムの不人気ぶりは惨憺たるものが当時はあったように思えます。
ちなみに私は高校時代は男子高校でしたけど、男子高校におけるクラリネット奏者の絶対的奏者不足と凄まじい不人気ぶりも
惨憺たるものがあったと思います。
高校の時は、トランペット5  トロンボーン3  ホルン6みたいな堂々たる分厚く充実した金管セクションに対して、
クラリネットパートは私を含めて毎年毎年・・4~5人程度の少数精鋭部隊となりがちで、
本来ですと上記の充実した金管セクションに見合うクラリネットの人数は最低でも10本程度は欲しいのですけど、
毎年毎年クラリネット経験者やクラリネット希望者は皆無に等しく、とにかくクラリネット奏者を集めるのには本当に
苦労させられたものでした。
私自身も本音を書くと、「高校入学してもしも吹奏楽部に入部したとしたらアルトサックスを吹きたい」と思っていたのですけど、
事前練習見学会にて、「君、中学の頃の担当楽器は・・?」と質問されて「クラリネット」と事実を答えてしまったら
廻りの先輩たちの目の色が急に輝きだし
「そっか――、それじゃー君は三年間は問答無用でクラリネット担当ね!」となってしまい、
泣く泣く(?)高校時代もクラリネットを吹く事になったものでした。
それと同様に男子校のクラリネットに勝るとも劣らないくらい、当時のユーフォニアムの不人気ぶりもひどかったですね・・

アニメであんなにもユーフォニアムが人気楽器になるのだったら、是非ぜひアニメ作品で吹奏楽やクラリネットを吹くJKさんを
メインにした作品が制作されることを願わずにはいられないです~♪

吹奏楽における「ユーフォニアム」は中音域を支え、メロディーラインも担当できるし裏メロも担当できるし、
器用貧乏という印象もあったりしますけど
(アニメ「響け! ユーフォニアム」においてはユーフォは低音楽器と言われていますけど、それは間違いですからね~
ユーフォニアムは中音楽器という立ち位置です!)
ユーフォニアムという楽器は、管弦楽団の世界では極めてマイナーな楽器です。
というか、この楽器は管弦楽で使用される事自体、極めて珍しいと言わざるを得ないですし、使用されている実例として

〇R.シュトラウス/ 交響詩「ドン・キホーテ」

〇ホルスト/ 組曲「惑星」~Ⅰ.火星

〇ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲「展覧会の絵」~ビードロ

〇マーラー / 交響曲第7番「夜の歌」~第一楽章

などがある程度です。

こんな事書くと、ユーフォ奏者の方からブーイングを浴びそうなのですけど、
吹奏楽の中でも、ユーフォニアムは比較的地味な立ち位置という印象もありますし、正直中途半端で微妙という感じもあります。
音色自体、トロンボーンと大変よく似ているし
(確か、ユーフォとトロンボーンのマウスピースはほぼ同じだったと思います)
中音域という意味では、ホルンとアルトサックスと被ってしまうし、低音はチューバにその役割を譲らざるを得ないし、
確かにリズムと後打ちもメロディーラインも裏メロも何でも担当できる吹奏楽の便利屋さんみたいな
側面もあるのですけど、それが器用貧乏みたいな印象も与えてしまうようにも思えます。

このユーフォニアムですけど、世界各国的には、ユーフォニアムの類似系楽器も色々とあるようですね。
その一例が、バリトンとかテノールホルンなのだと思います。
確かに見た目は、ユーフォニアムによく似ていますね。
ちなみに、このテノールホルンは、マーラーの交響曲第7番「夜の歌」第一楽章冒頭で朗々とソロを吹いていますけど、
あの音はまさしくユーフォニアム以外の何者でも無いです。
ちなみに、日本の大作曲家、柴田南雄先生は、その「グスタフ・マーラー」という著作の中で
この楽器について
「容易にプカプカと音が出てしまう楽器、上品さと深みに欠ける」みたいな事を述べられていました。

ユーフォニアムと音域が近い楽器として上記でも触れた通り、バリトンとテノールホルンが挙げられると思います。

バリトンは1960~70年代の日本の吹奏楽部においてユーフォニアムよりは廉価ということで一時期使用されたことが
あったと聞いていますけど、現在の日本のスクールバンドにおいてはこのバリトンが使用されることは
まずないと思います。
私が中学生の頃には部室にこのバリトンやメロフォンという楽器もあったような記憶もあります。

バリトンはベルギー人のアドルフ・サックスがパリで1840年代に開発したソプラノからバスまでの
金管楽器群(サクソルン属)の一つで、名前は担当する音域のバリトン(テナーとバスの中間)に由来します。
ユーフォニアムと同じようにピストンで音を変えるB♭楽器ですけど、管がユーフォニアムより細く音が明るいのが
特徴です。
ユーフォニアムとは別物の楽器ですが、この楽器自体プロでもアマチュアでも日本ではほとんど使用されていないと思います。

テノールホルンはロータリー・バルブを備えていて、ユーフォニアムよりもやや管の形状は細く、見た目的には
ユーフォニアムというよりはワーグナーチューバに似ていると思われます。
もともとはトランペット型でテノール音域の楽器でしたけど、次第にトランペット型から卵形やチューバ型に移行したよう
ですが、バリトン同様この楽器がオーケストラや吹奏楽団で使用される事例は極めてまれです。
そしてその極めて稀な事例がマーラーの交響曲第7番「夜の歌」~第一楽章ですけど、私が実際に聴いた演奏会の中には、
テノールホルンを使用せずユーフォニアムで代用していたケースもありました。
ちなみにですけど、プロの管弦楽団がマーラーの7番を演奏する場合、ユーフォニアムで代用されるケースもありますし、
トロンボーン奏者がテノールホルンを持ち替えする場合もあります。
どうしてトロンボーン奏者なのかというと、テノールホルンにはトロンボーンのマウスピースを使用するので、
指遣いさえわかればトロンボーン奏者でも演奏可能なそうです。
参考までに、ワーグナー・テューバにはホルンのマウスピースを使用するのでホルン奏者が持ち替えることが多いそうです。

ユーフォニアムは確かに地味で器用貧乏みたいな楽器かもしれないですけど、時に素晴らしいサウンドを聴かせてくれます!
例えば・・シュミットの「ディオニソスの祭り」とかホルストの「吹奏楽のための第二組曲」とか
2000年吹奏楽コンクール課題曲Ⅰ/道祖神の詩のように、ユーフォニアムという楽器が
素晴らしいソロを聴かせてくれる曲も数多く存在しています。
最近では、樽屋氏「の民衆を導く自由の女神」のユーフォニアムのソロは惚れ惚れするほど素晴らしいものがあると思います!
私が過去の吹奏楽コンクールで感銘を受けたユーフォの使用例としては、
1987年の福岡工大付属の課題曲E/マーチ「ハロー! サンシャイン」の中間部のユーフォの裏メロの素晴らしさとか
1988年の札幌市民の「タンホイザー」の2分近いユーフォの朗々とした素晴らしい歌い廻しとか
同じく札幌市民の1992年の「カルミナ=プラーナ」の圧倒的存在感とか 実に素晴らしかったですね~♪
「ライディーン」と聞いて真っ先に「勇者ライディーン」を連想された方は昭和レトロなロボットアニメ好きと言えそうですし、
「YMOの楽曲」と真っ先に思い浮かべた方は世代的に私と大体同世代といえるのかもしれないです。

ライディーン(雷電、RYDEEN)は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の2枚目のシングル曲であり、
「テクノポリス」と並ぶYMOの代表曲の一つです。
テクノポリスはどちらかというと未来音楽そのものというか聴き方によってはなんとなくですけどウェーベルンやシェーンベルクの
無調音楽っぽい感じもなくはないのかもしれないですし、あえて無機質的に抑制された音楽という印象もある中、
ライディーンは確かにシンセサイザーを多用したコンピューター未来音楽そのものではあるのですけど、テクノポリスのように
抑制と言うかコントロールされた音楽ではなくて、特に後半にかけて後年のJ-POPのノリのようにグイグイと盛り上げて
いく要素が強く感じられ、テクノポリスよりはむしろ親しみやすい楽曲といえるのかもしれないです。
テクノポリスを吹奏楽アレンジ版で演奏した事例は私は聴いた事がないですし、あのコンピューター音楽を
吹奏楽で表現してみろと言われてもかなり難しいような感じもするのですけど、ライディーンは前述の通り、
比較的メロディーラインがはっきりとしていて後半にかけての盛り上がりもあるせいもあり、吹奏楽アレンジ版による演奏は
他校の文化祭や演奏会で何度か聴いた事があります。
そして後述しますけど「響け! ユーフォニアム」【第一期】第5話でも北宇治高校のサンフェスでのマーチング楽曲としても
登場していたものでした~♪

私自身・・というか私の世代前後の皆様ですと、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の
あのサウンドを聴いて「これが未来の音楽なのか・・」と感じた方は相当多いのかもしれないです。
当時中学生だった私は、最初にあれを聴いた時は「これが未来の音・・」と感動したのを覚えています。
例えるならば、「ラブライブ! サンシャイン!!」のずら丸ちゃんがウォッシュレットを初めて体感した時に
「未来ずら・・」と感動していたのと同じなのかもしれないです。
シンセサイザー等の電子楽器を活用し、日本における「テクノポップ」と呼ばれるジャンルを確立した意義はとてつもなく
大きいと思いますし、日本にシンセミュージックを根付かせたのは間違いなくYMOの3人なのだと思います。
そしてこのYMOの構成メンバーは凄過ぎますね~
YMOは細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一の3人によって結成された音楽ユニットなのですけど、この3人は今現在も
ジャンルは異なるにせよ日本の音楽界で活躍をされ続けておられますし、特に坂本龍一はクラシック音楽界でも
既に邦人作品の重鎮の一人と言えるのかもしれないです。
細野晴臣さんはエレクトリックベース・シンセベース・コーラスを担当し、高橋幸宏さんはドラムス・ボーカルを担当し、
坂本龍一さんはキーボード・シンセサイザー・コーラスを担当され、
たまに坂本さんはドラムスを担当されるなど3人それぞれが楽器に関しては自由自在という感じでもありました。
坂本龍一さんは元々はクラシック音楽をベースにされ、東京芸術大学大学院にて作曲科を修了されていて、
そのせいもあり周りからは「教授」というあだ名で呼ばれていた事もあるそうですけど、現在の坂本さんはまさに
教授そのものの雰囲気と実績を有しておられるのだと思います。
最初にYMOのテクノポリスを聴いた時は目が点状態になっていたと思いますし、一種のカルチャーショックを感じたくらい
あの近未来のサウンドを予感させる音楽は素晴らしかったですし、私自身「シンセサイザー」という楽器は、実は
YMO以前からシンセサイザーを使っていた冨田勲や喜多郎ではなくて、YMOであったりもします。

「ライディーン」のメロディはバーで高橋ユキヒロが鼻歌で歌っていたところを、坂本龍一がメモに書き起こして作られたと
されているそうです。
元々のタイトルは江戸後期の伝説的な力士「雷電爲右エ門」からイメージされた「雷電」と表記されたのですけど、
江戸時代の浮世絵には当時の人気力士が描かれる事も多々あり、
浮世絵が世界に影響を与えたようにYMOの音楽も世界に影響を与えられるようにという意図や願いもあったとの事です。

YMOの音楽というと私の中ではシンセサイザーという印象が大変強いです。
シンセサイザーは、昔も今も聴いている人に「無限の可能性と未来」を感じさせる楽器だと思います。

そしてシンセサイザーは言うならば究極の人工的なオーケストラといえるのかもしれないです。

シンセサイザーの語源は「合成する者」なのですけど、それに相応しいくらいヴァイオリン・コールアングレといった管弦楽の音や
ドラムスといったリズムセクションや、風や雷の音に動物の声すらも合成できるという事で、音に関しては
その表現能力はほぼ万能といえそうです。
以前とある高校の吹奏楽の演奏会で、グローフェの組曲「グランド・キャニオン」で第三曲の山道を行くで冒頭に現れる
ヴァイオリンのソロをシンセサイザーで代用していた音やサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付」~終楽章において、
パイプオルガンの音をシンセサイザーで代用していたのを聴いた時は
「これってなんでもありじゃん!」と驚いた事があったりもします。
多彩な音色に現実の弦楽器・管楽器・打楽器の音すらも超越したファンタステックかつ創造的でエキサイティングな音を
こんなキーボードみたいな電子楽器が創造出来てしまう事は、実はいまだに私自身驚きであったりもします。

シンセサイザーは音の合成装置であり、電気的な波形を合成して出力する機械であり、同時にそれは楽器なのだと思います。

入力装置の形は様々で、ギター型・ドラム型・ラック型などさまざまな形のものが存在しますけど、
一般的にシンセサイザーというと鍵盤型のものかソフトウェアシンセを指すと思われます。
シンセサイザーの理論とか要素・フィルター・波状・自動演奏とか言われても文系の?私には何が何だかよくわかりませんが、
とにかく言えることはシンセサイザーとは昔も今も進化し続ける未知の領域の楽器なのかもしれないです。
最近はむしろヤマハが開発した「ボーカルシンセサイザーの一種」としてのボーカロイドが馴染み深いのかもしれないです。
けいおん!やバンドリで登場しているギター型のキーボードは、どちらかというとむしろシンセサイザーに近いものが
あるのかもしれないです。




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「ライディーン」なのですけど、2015年放映の「響け! ユーフォニアム」第一期第5話でも登場していました!

それはサンフェスと呼ばれる他校もたくさん参加する野外マーチングのイベントで北宇治高校吹奏楽部が演奏していた
ものですけど、アニメの第5話と原作では、少し違いがありました。
原作におけるサンフェスの演奏曲目は、ビートルズの「キャント・バイ・ミー・ラヴ」ですけど
アニメ版では、上記で触れさせて頂きました「ライディーン」でした!
滝先生の選曲は渋すぎますね~♪
久美子や麗奈たちは平成生まれで、もしかしたらYMOやテクノポリス自体知らない可能性が高いと思われますけど、
滝先生はお若さそうに見えて実はご年齢的には私と同世代なのかもしれないですね・・
ちなみに、立華高校は、アニメ版では「フニクリ・フニクラ」でしたけど
原作版では、王道中の王道とも言える行進曲「錨を上げて」が演奏されています。
余談ですけど、立華高校のコンクールの自由曲は、
スパークの「宇宙の音楽」と、現在の吹奏楽コンクールでは大人気を誇る曲が選ばれています。

第5話では主にマーチングが描かれていましたけど、マーチングは確かに見た目は華やかですけど、プレイヤーは
実はかなりしんどいです。
メンバー全員の歩幅をある程度統一して行進しないと見た目がバラバラになってしまい見苦しいですし、
アニメでは「1歩85㎝」という表現がされていましたけど、
そんなに厳密に歩幅を示されても中々全員が統一して歩幅を揃えての行進と言うのはかなり至難の業だと思います。
マーチングに普段から力を入れている学校とかマーチングフェスティヴァルクラスになると
歩幅を揃えての行進は基本中の基本と思うのですけど、普段はあまり野外でのマーチングをやらない学校は、
歩幅を揃える事よりは、とにかく 楽しんで吹く事の方が大切なような気もします。

アニメでもそうした描写がありましたけど
こうしたマーチングの練習は、運動部が練習していない時間帯でのグラウンドが最適なのですけど
吹奏楽部のためだけに運動部がグラウンドを明け渡してくれる訳は無くて、
運動部の練習が終わり、日没までの15分程度とか学校の屋上を使用する等で行進の練習をすることはよくある話なのだと
思います。
最初は楽器を持たない状態で均衡な歩幅を保つ練習とか他の奏者との間隔を保つ訓練とかフォーメーションの確認とか
ベルアップ時の持ち上げ方の統一性の訓練というのはマーチング練習のイロハのイなのかもしれないです。


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それにしてもマーチング衣装はとてもかわいいですよね~♪
(男の衣装はどうでもいいです・・)

アニメ内でも大人体型のあすか先輩や香織先輩や高坂麗奈のプロポーションが素晴らしいという事もあり、
マーチング衣装が体にジャストフィットしている印象があり大人のお色気すら漂わせていましたけど、
幼児体型??の久美子やサファイアちゃんたちはおこちゃまそのものでした・・


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ここから下記はdream fantasy2
アミグリさんが描かれた絵の転載・ご紹介コーナーです。
上記でもちらっと・・出ていましたけど、
けいおん!やバンドリで登場しているギター型のキーボードは、どちらかというとむしろシンセサイザーに近いものが
あるのかもしれないです。

YMOは男性3人のバンドでもあるのですけど、けいおんは5人のゆるいJKさんたちによるガールズバンドです。

けいおんもバンドリもモチーフは「ガールズバンド」ですけど、バンドリは女の子たちの真剣な成長物語を熱く描き、
けいおんはJKさんたちのゆるい日常をとてつもなくゆるく描いている事が大きな違いなのだと思います。
「けいおん!」って一番下の後輩のあずにゃんを除くとみんな揃いもそろってゆるくてヘンな人たちの
集合体という感じもありました。
唯や律ちゃんのあのとてつもないゆるさとポンコツさの前では秋山澪と紬ちゃんですらまともに見えてしまうのですけど、
澪も紬も結構ヘンな人たちでもありました。
その中でも唯のゆるさは際立っていたと思います~♪
唯は天然さんでおバカさん系なのですけど、単なるおバカさんという訳では全然なくて、
飲み込みは早いけど忘れるのも早く、そこから復帰するのも早いというスキルの起伏が激しいというのが
唯の特質なのだと思います。
勉強に関しても、赤点かと思ったら追試で100点取ってしまうような極端な子でもあり、早い話が
一度集中したら高い能力を発揮できるが、それ以外のことについては残念な子という感じなのかもしれないですね・・
良くも悪くも天才肌みたいな雰囲気もあり、「バカと天才は紙一重」を地で行くキャラクターと言えるのかもしれないです。

上記のけいおんの平沢唯は、アミグリさんが2010年5月に描かれた作品です。

2010年と言うとアミグリさんにとっては初期作品の頃に相当すると思うのですけど、初期作品でありながらも
こんなにかわいくて唯らしい溌剌さと弾けっぷりをきちんと描き切っているのは「すごいな~!」と感心するばかりです!
今現在のキラキラ作風も私は大好きですけど、こうした初期作品の力強い感じもどちらにも私は魅力を感じるばかりです!

アミグリさんの描かれたこの唯はとってもかわいいなぁ~と思います。

全体的にのびのびと描かれているように感じられますし、他の絵師様が描きがちなように「アホの子みたいな唯」
という感じではなくて、
唯なりに一生懸命前向きに「私だって一応頑張っているじゃん!」みたいな雰囲気を私達に伝えているようにも
感じられます。
唯の瞳のくりくりっとした感じとか夏の制服の爽やかな感じとかプロポーションのよさとか随所にキラリと光るものが
溢れていると思います。

けいおん!のメンバーの皆様たちはなぜか知りませんけど、各自の愛用の楽器にそれぞれ愛称を付けているのも
大変面白いものがありました。

唯のギブソン・レスポールスタンダードの愛称はギー太でしたし、

秋山澪のフェンダー・ジャズベースの愛称はエリザベスでした!

唯と澪のネーミングセンスの違いに二人の違いが表れているのかもしれないですね・・


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続きまして、アミグリさんが2012年7月に描かれた「けいおん!」の5人全員の集合絵です!

この作品は面白いですね~!

この5人の集合絵を描かれる以前に一度アミグリさんは白黒での5人の集合絵を描かれているのですけど、
確かに上記の集合絵は単色モノトーン絵に近いのですが、カラーが一つ加わるだけで随分と印象が異なるものだと
感じたものでした。
同時にアミグリさんが描かれた唯・律・紬・澪・梓の5人のすてきな女の子たちの「違い」もきちんと一枚の絵を通して
立派に表現されているのは、アミグリさんの絵師として「立派な仕事」と言えるのだと思います!
あずにゃんのツインテの可愛らしさ、律ちゃんの元気溢れるいたずらっぽい雰囲気などが特に際立って
魅力的に感じられます!
全体的に5人のメンバーたちをまんまるにあたたかいふんわりとしたタッチで描かれているので、
見ているだけで「けいおん!」のあのゆるくてポンコツな雰囲気を思い出してしまい、なんだかくすっ・・と微笑みが
自然に湧いてきそうなすてきな作品だと感じたものでした!

けいおん!の放課後ティーパーティの5人のガールズバンドのメンバーたちにはYMOの音楽を理解する事すら
難しい感じはありそうですけど、意外とあのゆるさと何を仕出かすかわからない雰囲気は
YMOの新しい解釈を呼び込むのかもしれないです。
紬は多分シンセサイザーも演奏できると思いますので、紬をメインにライディーンに即興歌詞をつけて演奏しても
楽しいのかもしれないですね~♪

上記のアミグリさんが描かれたけいおん!キャラたちの権利は、
全て上記作品の絵師様であられるアミグリさんに帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全て
アミグリさんからご了解を頂いたものであり、アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい唯ちゃんたちを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

温故知新ではないですけど、1970年代末期~80年代初頭で一世を風靡したYMOの音楽を改めて聴いてみて、
現在の音楽との違いとかこれからの音楽の何かヒントづくりになるようなことを模索してみるのも
たまにはいい事なのかもしれないです。
本日で10月も終わり明日より11月です!

新型コロナウイルスではじまり新型コロナウイルスで終りそうな2020年もなんだかんだ言ってもあと2ヶ月で
終わりを迎えようとしています。
3月頃ですとよくコメンテーターの皆様が「新型コロナウイルスといっても所詮はインフルエンザの一つなのだから、
暑くなればウイルスの活動も弱くなり夏と同時に流行は治まるのではないか・・?」と言われていましたけど、
その結果は皆様ご存知の通り、夏までに収束どころか7月にあのような感染第二波到来といった結果になりましたし、
そしてこれから寒さと乾燥が本格的になる晩秋~冬の季節にはむしろ感染リスクは高まるのかもしれないです。

皆様方におかれましてはどうか風邪などひかれずに
心身とも完全で健やかな状態で年末年始を迎えて頂きたいものです(さすがにまだ早いのかな・・?)
というか今年に関しては、風邪を発症して熱や咳が出てしまうと病院に行っても「当院では新型コロナの疑いのある
患者様の診察はお断りしております」という医院も結構ありますので、
普通の風邪でもなかなか病院にすら行きづらいというのは結構つらいものはありそうです。


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10月というと本来は全日本吹奏楽コンクールの全国大会開催月でもあり、吹奏楽コンクールファンの皆様も私自身も
一年で最もテンションが高くなる時期でもあるのですけど、今年は残念ながらほぼ全ての吹奏楽コンクールの開催が
中止なってしまったのは本当に残念な事ですし、特に最上級生の3年生の気持ちを考えると
残念という一言では割り切れない無念さは痛いほど伝わってきそうで、本当に胸が痛みます・・

来年は(正直、東京オリンピックはどうでもいいとして)、春や夏の甲子園や吹奏楽コンクールはなんとか開催できるように
新型コロナウイルスも早く収束してほしいものです・・

それでは10月も当ブログにお立ち寄り頂きありがとうございました。残り少ない2020年ですけど、まずは11月も
しっかりと頑張っていきましょう!



時の流れは本当に早いもので、昨日で9月も終わり本日より10月です!
皆様方におかれましては、新型コロナウイルスへの感染ももちろんそうですけど、普通の?風邪などひかれずに
心身とも完全で健やかな状態で年末年始を迎えて頂きたいものです!(さすがにまだ早いのかな・・?)
というか、今年は1月の開始早々から新型コロナに振り回され、これからの寒い季節の開始と共に第二波・第三波への
警戒の日々も高まりそうですし、むしろこれからが年末に向けての感染リスクの脅威への警戒の日々が
続くのかもしれないです。
そして今年一年に関しては、「新しい生活様式の確立」が求められた一年でもありますし、その影響もあり、
手洗い・マスク着用・アルコール消毒・ソーシャルディスタンス・デリバリー・在宅勤務・リモート会議というこれまでの
生活様式とは全く異なる新しい習慣が日本でも根付こうとしている感じでもありますので、新型コロナの感染リスクが
続く限りは不本意ながらもそうした習慣はむしろスタンダードなものになっていくのかもしれないです。

最近は寒いの落差も多々あり、廻りでも風邪気味の人も散見されますので、皆様方におかれましても体調管理には
十分お気を付け頂きたいと思います。

東方のチルノではないのですけど、 「おバカさんは風邪をひかない」という言葉をよく耳にします通り、
その言葉は当たっているのかもしれないです。
実は私自身は意外なことにこれまでの生涯で実はインフルエンザと診断されたことは一度もありませんし、
(多分ですけど新型コロナウイルスに掛っていないと予想されますのでその免疫抗体も有していないのかもしれないです)
風邪自体も大体ペースで言うと5~6年に一度程度の割合で発症する程度に留まっております。
ちょっと「風邪ひいったっぽい・・やばいっぽい・・」(こういう言い方は艦これの夕立っぽいですね・・)という時は
市販のルルアタックEXで何とかなってしまうのが大変ありがたいものがあります。
私自身、別に日常的な運動とかトレーニングとかなんとか健康法なんてのは全くやっていなくて、
特に「健康づくり」とか「病気知らずの体作り」なんてものは全くやっていないのですけど、
むしろそうした「自然体」が一番の健康法なのかもしれないです。

私、見た目が弱そうというか、いかにも「線が細い、体が弱そう」という印象を持たれがちなのかもしれないですし
高校辺りのころは、「女の子みたいな体型」とかよく言われていたのですけど、意外と体は頑丈なのかもしれないです。
会社の「健康保険証を10年以上一度も使用せず、健康保険組合から表彰&記念品贈呈をされた」とか
中学・高校で「皆勤賞」を受賞したとか意外と健康な側面もあったりします・・
風邪をひかないというのは、その辺りも一因なのかもしれませんけど、
こうやって「自分は風邪ひかない」などと得意げに自慢しているとロクな事になりませんので、この辺りでやめておきます・・

私自身は、高校は田舎の県立男子高校でして、
この高校の所在地がある山の上の住宅地の中に立地していて、私自身は、ほぼ毎日片道14キロ程度の通学路を
自転車通学していました。
(自転車だと30分程度で着くのですけど、バスや電車を利用すると90分程度掛かる辺鄙な所でした)
自分で言うのもなんですけど、こんな結構距離のある通学路を3年間自転車で通学していたというのに、
3年間、無遅刻無欠席無早退の「皆勤賞」で表彰されたのはまさに奇跡だと思います。
こうした皆勤賞で一番難関なのは「無遅刻」だと思うのですが、吹奏楽部の「朝練習」のおかげで嫌でも
朝早く毎日登校せざるを得なかったというのが大きかったですね!
そんな訳で、私の高校時代は自転車通学で、朝の登校時は、言うならば「山登り」という感じでした!
今現在ですと、間違いなくあんな急な坂道を自転車で登るなんてまず無理です・・!
だけど当時は、体力が有り余っていましたし、何よりも、坂道を自転車と共に歩いて登ると、
間違いなく時間のロスで、朝練には間に合わなかったと思います。
だから、当時は、とにかく必死の形相で朝から「山登り自転車登校」していたと思います。

体が意外と頑丈でこれまでのところ、大きな大病とか入院経験がないというのも若かりし日の自転車通学ということも
多少はあるのかもしれないですね。

とにかく1年のうち無事に3/4が終了します。

あと三ヶ月で一年が終わり、すっきりとしたフィナーレ!を飾るためにも、私も十分健康管理や不測の事故等ないように
十分留意したいと思いますので、
今後とも当ブログを温かい目で見守って頂ければ大変ありがたく思っていますし、そしてなによりもこれ以上
新型コロナウイルスの感染が日本でも世界でも拡散されない事を日々を願うばかりです。

上記で吹奏楽の話がちらっと出てきましたけど、例年ですと10月というのは吹奏楽コンクールの頂点でもある全国大会が
開催される時期でもあったのですけど、今年は残念ながらコンクールそのものが中止という大変残念な事態にも
なりましたが、来年に関しては、本音を書くと別に東京オリンピックは中止になっても全然構わないですけど、
甲子園大会と吹奏楽コンクールは例え結果的に無観客という状態であってもなんとか開催はして頂けると大変
ありがたいものがあります。

それでは10月も何卒宜しくお願いいたします。



先週末にたとえ無観客試合と言えどもプロ野球が開幕出来た事は大変喜ばしい話ですし、春の選抜の高校野球は中止と
なったものの、8月に選抜に出場予定だった全チームを甲子園に招待し、無観客試合とは言えども甲子園の地を球児たちに
踏んでもらい各チーム1試合ずつ甲子園で試合を開催するというのは大変粋な計らいであり、これで球児たちの無念さが
少しでも晴れてくれると救われる想いがあったりもします。

それに対して現況厳しい状況なのは合唱部もそうかもしれないですけど、吹奏楽部も同様だと思います。

中学・高校での運動部の部活もボチボチ再開されているのもありがたい話ですけど、それは屋外での練習という事で
三密回避が実現出来そうな環境だからこそなのだし思いますが、
吹奏楽部に関しては、個人練習・5~8名程度のパート練習はなんとか出来るとしても、全体合奏は現況難しいのかも
しれないです。

先日、母校の後輩たちの情報に触れてみると、そもそも論として学校は現在分散登校を実施中という事で、
全学年・全クラスが一斉に登校する事は現状していないという事で、全部員が一堂に揃うという事自体が現況無理との
事なそうです。
しかも、教室内においてはソーシャルディスタンスの確保という事で、文科省が指導する2m間隔を空けるという事は
さすがに無理としても
(一つの教室で生徒同士の間隔を2m話すとその教室には生徒は15名ぐらいしかはいれないそうです)
1m程度の間隔を取ったとしても、一つの教室に収容できる生徒数は22名ぐらいしか無理なそうです。
そんな訳で一つのクラスでも午前と午後で登校する生徒を分けたり、出席番号の偶数と奇数とによって出席曜日を
分けるといった措置が取られ、上記の通り部活において全部員が揃う事自体が現況不可能との事です。

吹奏楽部のパート練習は普通は隣同士の間隔はあまり取りませんし、私自身の経験から言っても隣のメンバーと
音を合せるためにはその距離は短いほど宜しいと思います。
三密回避やソーシャルディスタンスを遵守すると、パート練習の際も同じ楽器同士でも隣との間隔を1mまたは2m開けてしまうと
「音を合せる」という感覚は大変取りにくいと思います。

それが全体合奏になってしまうと更に難しいですね・・

一般的に吹奏楽部は音楽室で全体合奏をしますけど、三密回避やソーシャルディスタンスを遵守すると、
音楽室には20人程度しかはいれないと思いますし、同一パートで距離を空けると音を合せる難しさも一気にUPしますし、
それ以上に難しいのは他パートの音を聴いて音を合せることはかなり至難の業になってしまいそうです。
他の文化部でしたらマスク着用での練習はできなくもないのかもしれないですけど、口で管楽器を吹く事が多い吹奏楽部では
マスク着用はありえないですし、空気換気のために窓を開けて練習をしたとしたら、只でさえビリビリしている
近隣住民からの騒音クレームも更にマシマシになるのかもしれないです。

吹奏楽コンクールでの演奏風景を見ると一目瞭然ですけど、奏者同士の距離はかなり短いですし、仮に1m程度
空けただけでメンバー全員が舞台で演奏できないという事にもなりかねないですし、
本年度の吹奏楽コンクールの中止は苦渋の決断なのかもしれないですけど、ある意味やむを得ない決断だったのかも
しれないです。

とにかく早い時期にワクチン開発→ワクチン接種が実現出来るようになり、高校野球もそうですけど、吹奏楽コンクールの
開催や普段の練習が以前のように出来る状態になるように願うばかりです・・
新型コロナウイルスの感染者数は日を追うごとに減少の傾向が顕著になっていて、既に緊急事態宣言が
解除されたエリアも34県でありますし、これも4~5月のあの長期の異例とも言えるホームスティ週間と位置付けされた
GW期間中の日本国民の自粛効果がようやく目に見える結果となって表れたとも言えると感じられます。

ただ管理人の在住の埼玉は今回の解除からは外され、東京都・千葉・神奈川・大阪等と同様に引き続き緊急事態は
まだまだ続きそうですし、
少なくともあと数週間程度はこれまで通りの自粛と行動制限と閉塞感漂う雰囲気は続きそうです。

ただそれでも依然として特定警戒の対象エリアを中心にまだまだ予断は許されませんし、今後は自粛解除と再度の自粛を
交互に繰り返していき、第三波・第四波を最大限警戒する日々はまだまだ続きそうですし、
このような状況においては劇的にワクチンや治療薬が急ピッチで開発されない限りは、2021年に多数の外国人が
訪れる東京五輪の開催は夢のまた夢・・という可能性だって強いのかもしれないです。

そうした中、大変哀しくて残念なニュースが飛び込んできました。

全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社は、10月に予定していた第68回全日本吹奏楽コンクールの中止を正式に決定し、
「合奏形式で練習や発表を行うのは難しい環境で、演奏者の感染リスクは拭えない」というのが中止の最大の理由な
そうです。
11月の全日本小学生バンドフェスティバル、第33回全日本マーチングコンテストも中止が正式に決定されました。
(2020年のコンクール課題曲はそのまま2021年用に引き継がれるそうです)

プロ野球の大幅な開幕ずれ込みにオールスターや交流戦の中止も既に決定されていて、大相撲の5月場所も中止も
決まっていて、春の選抜すら中止となっていた状況下においては、
実は4月あたりから「今年は吹奏楽コンクールの中止も覚悟しないといけない」と感じてはいましたけど、実際にこうやって
正式に中止が決まると予想通りとは言え、哀しくて残念な気持ちで一杯です。
吹奏楽の練習はソーシャルデステンスを保っての練習はかなり無理がありますし、なによりも奏者がマスク装着した上で
管楽器を吹く事自体無理な話でもありますし、支部大会・全国大会の会場では1500~2000人前後の聴衆がいますので、
そうした状況下においてはコンクール開催の中止は妥当なのかもしれないです。

だけど、現役奏者の皆様・・、特に「今年は最後のコンクール・・」と感じていた3年生の気持ちを考えると
「残念」という一言では到底割り切る事の出来ない無念さ・理不尽さは間違いなくあると思いますし、私自身もとにかく
いたたまれないというかやるせない気持ちで一杯です。


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慰めにもなんにもならないですけど、支部大会・全国大会に出場できる人って、ごくごく少数なのです!

吹奏楽に携わった皆様の大半は多分私のように、地区予選・県大会で散ってしまった人たちばかりだと思います。
だからこそ、昨年や一昨年において支部大会・全国大会に出場出来た皆様たちは
そうした「過去の出場経験」を是非是非、「生涯の誇り」として感じ取って頂ければ幸いです。

そして何よりも音楽がそうした吹奏楽経験者の皆様に少しでも「生きるチカラ」になってくれていれば大変ありがたいです。
「音楽」とは決してコンクールだけの勝ち負けではありませんし、音楽とは、本来は、
音楽を聴いて、「あ・・・楽しいな・・・」などのように何かを感じる事の方が大切なはずだとは思います。
今年のコンクール中止で、結果的に楽器を吹く事が今年で最後という方もいるとは思いますが、そうした方は
音楽を楽しむ気持ちだけは忘れないでもってほしいですし、今後吹奏楽コンクールに参加してみようという気持ちが
少しでもある方は、来年以降、2020年のこの悔しい気持ちを改めて本番のステージでぶつけて頂きたいです!

吹奏楽コンクールに関してこうした哀しい知らせというのは普門館の使用中止と解体以来ですね・・

「普門館」は吹奏楽経験者の皆様全員にとって一つの聖地だったのかもしれないです。

それは高校野球の球児たちが「甲子園」に憧れ、甲子園で試合をする事を夢見て日々練習を頑張るという構図と
ほぼ同じなのだと思います。
普門館のステージでは、基本的には中学校・高校の部において1977年~2011年まで全日本吹奏楽コンクールの全国大会が
開催され、このステージでは長年に渡って多くのチームによる素晴らしき名演やドラマが生まれ、
現役奏者時代の私が「一度は普門館で演奏してみたい!」と感じていたように、多くの吹奏楽部員が
全国大会に出場し「普門館」の晴れ舞台で演奏する事を夢見ていたと思います。
私がどうして東北の地を離れて都内の大学に進学したのかと言うと、もちろん一刻も早く親元を離れたかったというのも
ありますけど、それに次ぐ大きな理由と言うのが、この当時の吹奏楽コンクール全国大会の大学の部は普門館以外で
開催されていたのですけど、
全国大会出場をかけてしのぎを削っている支部大会の「東京都大会」だけは、中学・高校・大学・職場・一般の部全部門が
普門館で開催されていて、
高校時代はいつも県大会で散っていて「全国大会=普門館のステージに立つ事なんて夢のまた夢」であったけど、
都大会本選の前段階の都大会の大学の部の予選会を突破して都大会本選に進めれば
あの夢の舞台である「普門館」で演奏する事が出来たからに他ならないからです!!

このブログで何度も語っているように結果的に私の夢は4年間で叶う事もなく、普門館のステージに立つことは出来なかったの
ですけど、とにかく「普門館」というものは現役奏者時代も今現在も「一つの憧れの存在」であるのは間違いないと思いますし、
私にとっては「大いなるモニュメント」でもありました!

そんな訳で普門館解体以降の吹奏楽コンクールの全国大会と都大会は実は一度も生では聴いていないし、
それだけ普門館は私にとっては生涯の憧れの聖地ではありましたけど、吹奏楽コンクール自体はまだまだ続きます!

今年はこうした状況になりましたけど、来年度以降、無事に吹奏楽コンクールが開催される場合は、奏者の皆様たちは
卒業していった先輩の無念さを胸に秘めつつすてきな演奏をしてほしいです!
今年の支部大会や県大会の開催は各支部の判断にゆだねるという事でもありますので、もしも可能ならば
例え無観客状態で実質的に審査なしのフェスティヴァル的なものでも構いませんので、なにか一つ「2020年度の演奏の軌跡」を
残して頂ける配慮が示されればありがたいです・・
(既にいくつかの支部が中止を決めているようですので、それも現実的には厳しそうですね・・)
皆様ご存知の通り、先週・・、東京・埼玉・千葉・神奈川・大阪・兵庫・福岡の7つの自治体に緊急事態宣言が発令されましたが、
あれ以降、正直明らかに人の往来が激減したとか日本政府が言うような「これまでの人と人との接触を8割減らしてほしい」という
要請が守られているようには到底感じられない面も多々あるかとは思います。
本気で政府が新型コロナウイルスの発症数を激減させ収束しようと考えているのだったら、自ら発した「人と人との接触を
8割減らすこと」を徹底させる必要があり、そのためにはこれらの対象自治体を欧米並みにロックダウンさせるしかないと
思ったりもしますし、現況のように「感染者を減らす事も大事だけど経済活動も大切」という中半端な事をしていると、
結果的に「二兎を追うものは一兎も得ることができず」という結果だけで終わってしまいそうな予感もあったりします。

現況のように企業の経済活動を継続させ、居酒屋・ゴルフ場すらの営業も容認されたり、通勤電車に依然としてたくさんの
乗客が利用しているとなると、とてもじゃないけど人と人との接触を8割減らすというのは
単なる机上の計算であり絵に描いた餅そのものだと思います。
本気で早期に新型コロナウイルスを収束させようという考えがあるならば、確かに経済的損失は莫大なものが
ありますけど、一ヶ月程度対象自治体を完全にロックダウンするのが最も効果的と考えますし、
このままあの中途半端なゆるゆるな自粛をダラダラ続けてもあまり意味がないような気がします。
ロックダウンを実施するには一定の一律保証が不可欠と考えますし、それをやるとまたまた財政赤字が増大してしまう
危険性は高いですけど、このままゆるゆるの自粛を続けて経済活動の停滞が1年以上続くのだったら、
短期間該当エリアでロックダウンを実施したほうが、むしろ感染減少と経済活動の復興という観点からは
効果的なのかもしれないです。

その一方で現況、ゆるゆるの自粛要請ではありますが、日本国始まって以来の緊急事態宣言であり、
街中にもいつもと多少違う閉塞感というのか空気の重たさも感じたりもします。
仕事で外に出ていても予想以上に「人が結構歩いているね・・」とか「コンビニや書店等にもいつもと変わらないお客さんの数も
一見ありそうだよね・・」とか「本当にここは国から緊急事態宣言が発令されている県なのかな・・?」と感じたりもするのですけど、
それでも普段とはどこか違う閉塞感の空気は感じたりもします。
特に最近は通勤電車内もそうですけど、街を歩く人の大体8割程度はマスクをつけている視覚的効果も大きいのかも
しれないです。
緊急事態宣言発令以降はマスクを着けている人が激増している印象もあり、マスクをしないで電車に乗っていると
「どうしてあなたはマスクを着けていないの・・?」みたいな車内の雰囲気も感じたりもします。

全体的にはやはり普段よりは重たい空気感を感じます。


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今年の春の選抜高校野球は中止と言う結果になり、夢の甲子園出場が決まっていた球児の皆様の無念を思うと、
本当にやるせないものがあると思います。
春の選抜出場校の中には、春夏通じて初出場という学校もありましたし、憧れの甲子園で試合ができる!という希望をもって
真冬の練習にも頑張っていた選手たちの想いを考えるといたたまれないものがありますし、
「まだ夏があるじゃん・・」の一言では割り切れないものもあると思います。
早い地区ですと6月に予選が開始されるところもありますので、もしかしたら現況厳しいものがあるのかもしれないですけど、
夏の高校野球予選が開始される頃には本当にこの新型コロナウイルスがある程度収束の方向に近づいてほしいものです。

そしてプロ野球も現況開幕日すらも決められない厳しい状況が続いていますけど、なんとか無事に開幕出来たら
私の愛してやまない千葉ロッテマリーンズの選手の皆様にはまずは野球そのものを純真に楽しんでいただきたいです!

私的に結構懸念していることは、このままもしも新型コロナウイルス感染が夏以降も収束しなかった場合、
今年の吹奏楽コンクールは一体どうなってしまうのかな・・?という不安もあったりします。
早い地区ですと、7月の夏休み前後から地区予選・県大会が開始されるのですけど、果たしてその頃には、
各地の1000~1500人程度収容可能な音楽ホールでコンクール自体が本当に開催できるのかな・・という懸念や不安も
感じたりもします。
最悪の場合、審査員のみの聴衆で一般の聴衆ゼロといういわば無観客状態でのコンクールというのも現段階では
可能性ゼロとは言い切れないものがあるのが恐ろしいものがありそうです。
音楽を聴く人がほぼ皆無で、ガラーンとしたホールで一音入魂の演奏をすること自体大変な精神力の強さが求められますし、
想像を絶する不安感と緊張はあるのかもしれないです。
それになによりも現時点ではほとんどの学校が休校状態になっていますので、コンクールのパート練習・全体練習が
まったくできない状態が続いているのは、奏者も指導者も不安以外の何物でもないと思います。

特にスクールバンドの部員の皆様は現在は不安しかないと思いますけど、なんとか無事に吹奏楽コンクールを
開催できた暁には、音楽を奏でることができる喜びの気持ちをコンクールという場でぶつけて頂きたいです!
95年の阪神淡路大震災の時の兵庫県代表のチームのように、そして2011年の東日本大震災時の福島県代表のチームのように
困難を乗り越えることができた!という気持ちのこもった演奏を期待させて頂きたいと願ってやまないです!
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「響け! ユーフォニアム」第一期と第二期のトランペットパートから、香織先輩・優子・麗奈


トランペットは管弦楽団でも吹奏楽団にとっても大変な華がある楽器の一つだと思います。

ポップス・アニソン・ジャズ・クラシック等の音楽番組だけに限らず、ニュースやバラエティー番組等のBGMや
各種イベントにおけるファンファーレなど、その華やかな音色は本日も引っ張りだこなのかもしれないです。

1970年代あたりの吹奏楽コンクールですと、トランペットに女性奏者がいるだけで珍しい・・と感じられた時代も一時期は
あったのかもしれないですけど、80年代以降今日にいたるまで、日本のスクールバンドにおいて新入部員として入部される
皆様の8~9割前後は女の子たちですので、現在においてはトランペット・トロンボーン・ホルン等の金管楽器を
JCさん・JKの皆様たちが担当されるのはごく当たり前の光景なのだと思います。
私自身が吹奏楽の現役奏者だった1970年代末期~80年代終わり頃は、既に吹奏楽団の構成メンバーは、
男子高を例外とすると男女の比率は大体2対8ぐらいでしたし、ましてや私のように担当楽器がクラリネットだと、
中学・大学の頃がそうであったように、パート内は自分以外は全員女の子という女の子の秘密の園に入り込めたのは
今にして思うと至福のひと時だったのかもしれないですね・・(汗)

吹奏楽コンクールの高校A編成ですと、5~7人で構成される事が多いと思いますが、他のパートと同様に
ファースト・セカンド・サードから構成をされています。
楽曲内に目立つソロがある場合は、ファーストからソロトランペットを選抜する場合もあります。
(「響け!ユーフォニアム」第一期における香織先輩と麗奈の二人による公開オーディション勃発になった背景でもあります)
ホルン同様に大変目立ち華があり、強奏時の迫力は目を見張るものがあるとは思うのですけど、外した場合は
相当目立つと思いますしミスが目立ちやすくボロが出やすい楽器と言えると思います。
吹奏楽あるあるネタの範疇ですけど、吹奏楽の練習で指揮者から毎回お小言食らって怒られる三大パートは、
トランペット・ホルン・クラリネットだと思うのですけど、クラリネットパートは指揮者の目の前に位置していて
どちらかというと怒られてしょぼん・・となってしまい後に引きずる傾向が強いのに対して、
トランペットは打楽器セクションの前列に位置し指揮者からは離れていて、怒られても「次、外さなければいいじゃん!」みたいに
引きずらない傾向が大変強いので、楽器としてのあっけらか~んといった明るさも、もしかしたらそうした気性に由来している
のかもしれないです。
一方、ホルンは指揮者も「ホルンは音程が狂いやすく高音も大変外しやすく、演奏中にホルンパートをグッと睨み付けたら
プレッシャーでますます外してしまう傾向が強い」という事がわかっていますので、
合奏中に怒られる事は少ないようにも感じられます。
(その分、パート練習で指揮者からたんまり嫌味をネチネチと言われたりもします・・)


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ららマジの亜里砂・E・B


トランペットは金管楽器の花形楽器で、大変人気の高い楽器です!

管の全長に対して円筒部分の割合が大きく、多くは長円状に巻かれ、の中ほどに3つほどのピストン、またはロータリー式の
バルブを備えられています。
構造の違いによって、ピッコロトランペット・トランペット・コルネットと主に三種類に分類できると思います。
管の円筒部が長く朝顔形の円錐部が短いのがトランペットであり、その音色は大変鋭く明るいです。
円錐部の深い方がコルネットで、その音色はトランペットに比べて丸みがありふくよかさ・柔らかさがあります。

一般的に西洋のクラシック音楽で使用されるトランペットの音色が示唆している事は、華やかさ・名声・絢爛豪華・喧噪・
称賛・楽しさといった要素の他に、圧政・威圧・宣言・戦い・恐怖という人間を屈服させてしまう要素もある一方で、
実は「死の宣告」を通達させる楽器でもあり、その多様性にはすごいものがあると思います。
ちなみに聖書等における最後の審判を告げる天使の楽器はトランペットでもあったりします。

そうした死の宣告・象徴または最後の審判の象徴としてのトランペットをイメージさせるようなフレーズが、
交響曲第一楽章の冒頭で、しかもその箇所は一切の伴奏無しのトランペットのソロだけによるフレーズで開始されているのが
マーラーの交響曲第5番です。
(マーラーの5番というと第四楽章・アダージェットはとてつもなく有名ですし「カラヤン・アダージョ」でもお馴染みの一曲です)
マーラーの交響曲第5番第一楽章冒頭は不吉で禍々しい葬送行進曲風の完全ソロのトランペットによる陰鬱なファンファーレ
から開始されるのですけど、この交響曲第5番はマーラーにとって20世紀に初めて作曲した交響曲でもありますし、
作曲した時期は20歳程度年下のアルマという美女と新婚間もない頃と重なるのですけど、そんな全体におめでたい時期の
シンフォニーの冒頭を不吉なトランペットの葬送行進曲風ファンファーレで開始させてしまうマーラーの頭は、
やっばりどこかヘンなのかもしれないです・・
(マーラーの交響曲第5番自体は、ベートーヴェンの運命のように、苦悩→歓喜、暗→明という構造が一目瞭然で分かりやすい
という事もあり、第四楽章のアダージェットの大人気という事もあり、マーラーの残した交響曲の中でも屈指の大人気交響曲
でもあったりします)
ちなみにマーラーの交響曲第5番第一楽章冒頭の不吉で禍々しい葬送行進曲風の完全ソロのトランペットのメロディーは
前作の交響曲第4番「大いなる喜びの讃歌」の第一楽章の中にも突如出現しています。
4番は全体に大変メルヘンチックで明るい交響曲なのに、そうした天使と子供をモチーフにしたかのような幻想的で優しい
曲想の中に突然そうした不吉なメロディーを乱入させてしまうマーラーの頭はやっぱりヘンだと思いますけど、
同時にスイートプリキュアのテーマのごとく「幸せと不幸は二つで一つ・・」みたいな事を示唆しているのかもしれないです。
上記で交響曲第4番「大いなる喜びの讃歌」が出てきたので関連して言うと、マーラーが残した交響曲の中に
交響曲第3番「夏の朝の夢」という全6楽章構成の100分を超える超・超大作があるのですけど、
(第一楽章だけで演奏時間が38分前後もかかってしまいます!)
その交響曲第3番「夏の朝の夢」は元々の構想段階では全7楽章構成を予定していたらしいのですけど、あまりにも長大過ぎる
という事で第七楽章を自作の交響曲第4番終楽章に移行させたという経緯もあり、そのため、
交響曲第4番「大いなる喜びの讃歌」第四楽章においては、交響曲第3番「夏の朝の夢」の調性が残存していたり、
同じく3番の残存メロディーが出てくるなど、曲の垣根を越えたものがあるのも大変面白いですし、
それだからこそ交響曲第5番第一楽章冒頭の不吉なトランペットによる葬送行進曲は、既に前作の4番で既に登場
している事を考えると、マーラーの頭の中では「自作のシンフォニーなのだから、曲同士の垣根をたまには超えてもいいじゃん」といった想いがあるのかもしれないです。

ちなみにですけど、1973年録音のカラヤン指揮/ベルリンフィルの演奏において、交響曲第5番第一楽章冒頭の
トランペットソロは、23歳にしてベルリンフィルトランペットの主席に抜擢されたマルティン・クレッツァーが担当していますけど、
カラヤンにとっては一つの冒険であったのかもしれないですけど、もしかしたら・・?
ベテラン奏者による手慣れた雰囲気よりも少年の面影をまだ残した若い奏者の柔らかい唇から生ずる若々しい感覚が
欲しかった・・みたいな事もあるのかもしれないです。
同様の話としては、マーラーの交響曲第4番「大いなる喜びの讃歌」~終楽章で出てくるソプラノソロは通常は
女性のソプラノが起用されますが、バーンスタインの指揮ではソプラノではなくてボーイソプラノが起用されているのは
大変ユニークな試みですけど、同時に意図としては、
「大人が歌う雰囲気よりは無邪気さ・若い感覚が欲しかった・・」という感じなのかもしれないです。
ちなみに生の演奏会では、マーラーの交響曲第4番「大いなる喜びの讃歌」~終楽章で出てくるソプラノソロは、
30~50代のおばさま・・(汗・・)ソプラノ歌手が妙に力んで歌われる事が多々あるのですけど、
あの部分に関してはそうしたBBAのお姉さまたちではなくて(汗・・)、純真さ・若さが漲っている美少女のソプラノ歌手が
担当された方が曲のイメージに合っているのかもしれないです。

さてさて、管弦楽の世界でトランペットが相当目立つ曲とかソロ的に使用されていたり、華麗なファンファーレとして
使用されている楽曲としてどんな曲が挙げられるのでしょうか・・?

少しばかり挙げさせて頂きますと・・

A.コープランド / エル・サロン・メヒコ

この曲の醍醐味というか聴きどころは序盤のトランペットのとてつもなく長いソロだと思います。
(しかも2回も繰り返されます)
技術的にもかなり大変で、プロでも奏者はかなり緊張すると思います。
全日本吹奏楽コンクールでこの曲を自由曲に選ぶチームもかなりありまして、
1985年の出雲高校のように、ソロが壊滅状態の場合もありますし、、95年の愛工大名電のように完璧に決まる場合もあります。
それとこの曲は指揮者泣かせのウルトラ変拍子ですし、クラリネット・ファゴットにも重要なソロがあったもします。

A.コープランド / 戸外のための序曲

この曲の序盤のトランペットソロはかなり長いけど、ゆったりとしたのびのびとした雰囲気がすてきです。

O.レスピーギ / 交響詩ローマ三部作の中でも特にローマの松とローマの祭り

特にローマの祭りの主顕祭のトランペットの喧噪は圧巻です!
ローマの祭りの冒頭のチルチェンセスのトランペットの音の掛け合いはまさに華麗なる音の絵巻ですね~
それとレスピーギというとバレエ組曲「シバの女王ベルキス」の狂騒の踊りの場面では、中間部において舞台袖から
ステージからは見えないように演奏されるトランペットのひそやかなソロも素晴らしいですし、ラストのバンダによる
アイーダトランペットを使用したファンファーレも圧巻の大迫力です!

G.マーラー / 交響曲第3番「夏の朝の夢」~第三楽章

厳密にいうとトランペットではなくてコルネットに近い「ポストホルン」が担当しているのですけど、この楽章の
交響曲としては相当異例な長いソロは陶酔感たっぷりのファンタジーに溢れています。
生の演奏会では、舞台裏から奏でられる事が多いです。
(東京芸術劇場での演奏会ではパイプオルガンの位置から朗々と奏でられていました)

ムソルグスキー(ラヴェル編曲) / 組曲「展覧会の絵」~プロムナード

冒頭のトランペットから開始されるメロディーは多分一度は耳にされたことがある音楽です。

ルロイ・アンダーソン / トランペット吹きの休日 トランペット吹きの子守り歌

トランペット吹きの休日は、原題は「ビューグル吹きの休日」です。
ビューグルとは、小型でバルブを持たないナチュラル・ホルンの一種で。いわゆる軍隊ラッパです、
実際の演奏ではトランペットが用いられる事が普通です。

スッペ / 喜歌劇「軽騎兵」序曲

冒頭のトランペットによるファンファーレが特に有名ですね~

G.ヴェルディ / 歌劇「アイーダ」~大行進曲

アイーダトランペットと呼ばれる特殊仕様のトランペットをバンダとして使用し、大変な演奏効果を挙げています。
吹奏楽コンクールにおいては、1990年の淀川工業の特別演奏でのバンダが大変印象的です。

D.ショスタコーヴィッチ / 祝典序曲

冒頭のトランペットによるファンファーレは爽快感いっぱいです~♪

A.ハチャトゥーリアン / 交響曲第3番「シンフォニーポエム」

冒頭のトランペットを中心とする大ファンファーレの大迫力は圧巻です!
吹奏楽コンクールでこの曲を初演した花輪高校の超名演はもはや伝説と化していると思います。

オネゲル / 交響曲第2番

陰鬱な全三楽章構成で、弦楽器のみで演奏されます。

終楽章の第三楽章のラスト1分30秒あたりから重々しい弦楽合奏の上に、
ソロトランペットによる「救い」のような明るいコラールが朗々と奏され、初めてこの曲を聴いた時の印象としては
「地獄で仏に会った」としかいいようがない感覚でした。
全体的に非常に重苦しい雰囲気の中、
最後の最後で何かホッとするものがあったという感じです。
このトランペットのソロは、楽譜上では「オプション扱い」となっていて、トランペットの部分を採用するか否かは指揮者に
委ねられています。
この交響曲、このラストのトランペットの朗々とした明るいコラールを取り外したら「陰気で救いが全くない交響曲」に
なってしまいそうです。
美味しい部分や救いの部分を最後の最後でトランペット一人が持っていってしまったという珍しい交響曲であったりもします。

C.アイヴズ / 答えのない質問

楽器の構成が、弦楽四重+フルート4本+トランペットという大変シンプルな構成で、
弦楽四重奏は終始、一定の弱奏をするだけで、フルートやトランペットにはほとんど絡んできませんし、
弦楽はトランペットやフルートをほぼ完璧に無視して自分達の世界に入り込んでいる印象すらあります。
こうした弦楽をバックに「トランペット」が浮かび上がる形で一人朗々とメロディーを吹く曲の構造はとてつもなくユニークですね。
この曲のトランペットの音って、勇壮とか華麗みたいな印象は全く無く
人間のの内面をせつなげそうにと語り上げる内省的な感じがするのが大変面白いなと思います。

この曲の意図する事ってなんなのかな・・?
「人が存在する事の意義とは何でしょう・・・?」みたいな大変難しい「問い」に対してその「問い」をトランペットが計7回行っていて
それに対する「回答」という形で4人のフルート奏者が提示しているというのが曲の構造なのですけど、
実際に曲を聴くとすぐに分かるのですけど、フルートの回答は、全然回答になっていないというか、
最終的には支離滅裂なメロディーとなっていつのまにか立ち消えになってしまい
結局トランペットからの「問い」には誰も答えられず不調・という結果で終ってしまい、
その間、弦楽四重奏はずっと一定の和音を鳴らし続けているだけで
トランペットとフルートの「高尚な対話」には全く絡まず、延々と自分達の役割にだけ専念しているという曲なのです。

そして吹奏楽におけるトランペットは、花形的役割を担っていて、どの曲も相当程度目立っているのですけど、
その中でも特に特に超人的テクニックで聴く者を唖然・・とさせてしまう曲がクロード・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」だと
思います。
「フェスティヴァル・ヴァリエーション」がホルン殺しの名曲とすると、「ダンス・フォラトゥーラ」はトランペット殺しの曲だと
思いますし、ソロトランペットのハイトーンは決まった際はとてつもなく爽快ですね~♪


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「ららマジ」のトランペット担当は、亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガードです。

フランス生まれのクォーターで高校2年生のJKさんで、金髪ツインテールがとてもよくお似合いだと思います。
担当楽器はトランペットで、腕前はプロ並で、自分のかわいさが分かっているかのような小悪魔チックな振る舞いをするような
性格もまたまたとってもかわいいですね~♪

公式では「亜里砂・E・B」と略される事が多いです、

バトル時においてはトランペット型のアサルトライフルを武器とします。


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こうした「不思議の国のアリス」を彷彿とさせる亜里砂・E・Bはとっても魅力的です!

白エプロンや白のリボンもとってもよくお似合いだと思います~♪


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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、dream fantasyのすてきな管理人のアミグリさんが描かれたイラストのご紹介コーナーです。

上記の作品は「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です!

霊奈はトランペット奏者なのですけど、あの凛とした雰囲気はもしも麗奈が金管楽器ではなくて木管楽器を選んだ場合は
オーボエが最もお似合いといえるのかもしれないです。

そしてこの高坂麗奈は、2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!
ちなみに描かれた時期は2018年6月です!

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~!

上記のアミグリさんが描かれた高坂麗奈は、 その権利は全てこの麗奈を描かれたアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなに美しい麗奈を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
さいたま市や川口市の小学校の中には、下校時の「気をつけて皆さん帰りましょう」のBGMとして流れる音楽として
ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」~第二楽章の「家路」のメロディーとも日本ではよく言われている
コールアングレの哀愁を帯びた美しいメロディーが流れることがよくあり、あの家路のメロディーを聞くと
小学生の頃の記憶とか「もうそんな時間なのか・・」とか「よいこのみんなは家に帰る時間だからあんまり寄り道しては
ダメだよ~」などと思ったりもしますね~

そうした小学校独自の下校時のBGMとは別にさいたま市の防災行政無線においては、夏休みや冬休み・春休みの期間を
除く平日の14時30分よりさいたま市内全域にて、子どもの見守り啓発放送として
「こちらは防災さいたまです。地域のみなさま、いつも学校帰りの私たちを見守ってくださり、ありがとうございます。
今日も、よろしくお願いします。以上、防災さいたまです」という放送が流されますけど、
あれを聞くたびに「もう午後2時半なのか・・」とアラームの代わりになったりもしますし、
ああした放送を継続的に定期的に流す事でさいたま市全体の子供を魔の手から防衛する抑止力効果みたいな効果も
もしかしたら多少は発揮しているのかもしれないです。
そしてさいたま市の防災行政無線は、上記の子どもの見守り啓発放送とは別に16時または17時の定時放送を流しています。
その内容は迷子の??高齢者の捜索願いとか振り込め詐欺に対する啓発や災害情報などが主に定期的に発信されています。
時折なのですけど・・・例えば
「「こちらは防災さいたまです。大宮西警察署から、緊急のお知らせをします。さいたま市内で、人に危害を加える恐れのある
女性が所在不明になっています」といった情報が流され、「なんじゃそれ・・!?」とか
「人に危害を加えのある女性の正体ってなんなの・・??」と思ったりもしますけど、幸いその該当者は無事に保護されたことが
翌日の新聞の県内版で掲載されていました。

さいたま市の防災行政無線の定時放送のBGMのメロディは、
3月~5月 →春の小川
6月~8月 →うみ
9月~11月 →夕やけこやけ
12月~2月 →ふるさと となっていて
今現在は夕方になると「うさぎおいしかのやま~」でお馴染みのふるさとが流れてきますので、あれを聞くたびに
「もうそんな時間なのか・・」と感じたりもしますし、仕事で移動中の時は「そろそろ戻らないと・・」という目安にもなったりもします。

このブログで何度か書いたことがありますが、私自身は小学校1~3年の時は長野県松本市の小学校に通っていましたが、
その小学校は当時長野県で2番目に古い学校と言う事で、とにかくとてつもないおんぼろの木造校舎でしたけど、
あのレトロな雰囲気は今だったら映画のワンシーンにも使えそうです。
(私が転校と同時にこの小学校が解体され、新築の鉄筋コンクリの学校に生まれ変わったそうです・・)
この学校は、放課後になるといつも下校を促す音楽が流れていました。
哀愁を帯び、聴いていると「あ、もうこんな時間・・そろそろ家に帰ろう」と感じたものです。
何か懐かしいのだけど、寂しい、でも音楽がとても温かい・・そんな感じのメロディーでした。
そしてその曲は今にして思うとドヴォルザークの「ユーモレスク」というヴァイオリンのための小品であり、
他にも同じくドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」~第二楽章の例の「家路」のメロディーだったと思います。

ドヴォルザークの音楽には「そろそろおうちに帰ろう・・」と感じさせるものがあるのかもしれないです。


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ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」~第二楽章の家路のあのメロディーは、「響け! ユーフォニアム」【第一期】の第3話
にも登場していました。

中学の特に県大会でダメ金を取り関西大会に勧めず悔しい気持ちで北宇治高校吹奏楽部に入部した高坂麗奈でしたけど、
麗奈のように高い技術と高い目的意識を持った人間の視線で言うと、第3話当時の北宇治高校吹奏楽部の雰囲気は
「ありえない・・」という感じだったのだと思います。

孤高な麗奈としては「やるせない」という気持ちであり、「いたたまれない」という気持ちだったのだと思います。
麗奈本人は、滝先生が赴任したと言う事で北宇治高校吹奏楽部で本気で全国大会を狙っているのに対して、
周囲のテンションは極めて低く、「海兵隊」という簡単なマーチすらもまともに吹けず、滝先生より「なんですか、これ・・」と
罵倒される始末・・それでも部員たちは一向に目覚めず練習も手を抜きがちで、そこに追い打ちを掛けるように
「パートリーダー会議が終わって方針決定するまでは練習も休み」と知らされては、麗奈の「やるせない気持ち」は
本当に痛いほど分かります。

そうしたやるせない気持ちをぶつけるように校庭の隅から麗奈自身がトランペットで奏でる
ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」~第二楽章のあのメロディーは本当に心に沁みたものです。
半分泣き出しそうな麗奈の表情もすてきでしたけど、
最後の「うわぁぁぁぁぁぁーーーーー」という叫びが本当にいたたまれないものがありました。

あの場面でどうして麗奈が「新世界より」の第二楽章のメロディを吹いているのかな?とリアルタイムで見た時は感じた
ものですけど、久美子が適切に解説を加えていました。

これ…

新世界より…。

故郷を想って作った曲なんだって。まだ何もない、新しい世界で・・・・・

久美子自身も、中学時代の久美子をほとんど知らない新しい高校で、再度スタートさせたかったし、
麗奈自身も滝先生に憧れて、そして滝先生を信じてついていけば、
もしかして本当に全国大会も夢ではないと信じて、立華高校への推薦を蹴ってまで
北宇治高校という「新しい世界」に飛び込んだのに、現実はああした体たらくの状態・・
そうしたやるせない気持ちが「新世界より」のあのせつないメロディーに繋がっていったのかもしれないです。


12/1の記事と被ってしまうのかもしれないですけど(汗・・)

小さな子供や中学生レベルの子供たち、特に音楽を初めて1~2年足らずのいわば初心者に
「自分達の頭で考えなさい」とか言われてもそれほどは分るはずはないと思うのです。
音楽の初心者とか習熟度が低い子供たちには、最初はとにかく優しく教えてあげて
「これこれ、こうした点が良くない」とか「こういう所をもう少し気を付けて」と
具体的なメッセージをその都度発信していかないと、恐らくは分からないと思うのです。
理解度がまだ未熟な者たちに 抽象的なメッセージを発信されても困惑してしまうだけではないかと思ったりもします。
音楽というものは、本来は楽しみながら同時に、何かを聴いている人達に伝える事だとも思うのですけど、
そうした次元はある程度音楽を理解し、自分のものに出来た人達にしか分からないような面もあると思うのです。
小さな子供や中学生レベルの子供たち、特に音楽を初めて1~2年足らずのいわば初心者に
「音楽を奏でていない・「お前たちが奏でる音は音楽では無い」」といった抽象的な事を叱咤されても、
言われた本人たちは戸惑うばかりだと思うのです。
要は、音楽のなんたるかをよく分かっていない子供たちは迷える子羊なのだと思います。
そうした迷える子羊たちには、具体的な不明点」題材に具体的に丁寧に一つ一つやさしく教えていくしかないと思うのです。

私自身、小学校時代に打楽器の経験はありましたけど、管楽器の経験はなく、中学の吹奏楽部に入部して初めて
管楽器に触れて同時に管楽器を吹く事の難しさを嫌というほど味わったものです。
吹奏楽部の新入部員は、楽器の初心者そのものですし、ある意味右も左もわからない迷える子羊ですので、
上級生や指導者たちは新入部員に不安感を持たせないように優しく接してあげるのが最適だと思いますし、むしろそれは
先輩や指導者としての基本的責務なのだと思います。
最初から上手に吹く事なんて出来やしませんし、新入部員にとっては上手く拭けないから余計に「自分は本当吹奏楽部で
やっていけるのだろうか・・?」という不安を感じてしまうものだと思いますし、
特に木管楽器の場合はリードの扱いやブレスの方法、指使いや楽器の手入れなどを含めて最初は
「何が分からないのかすらも分かっていない状態」だと思いますので、そうした新入生や初心者が感じる不安を
自分の経験談をベースにやさしく丁寧に少しずつ教えていくのが、新入部員や初心者の皆様を結果的に音楽嫌いにさせない
一番の方策といえるのかもとれないです。

そうした観点から考えるとたとえば吹奏楽部の場合、楽器振り分けといってどの子をどの楽器に配置させるかというのは
大変重要な問題と言えるのかもしれないです。

楽器振り分けは、各パートで不足する人員と新入生の希望楽器を色々と調整しながら、
新入生の楽器を決めていくと言うのが一つのパターンなのかな・・と思います。

理想を言うと、初心者の場合、希望楽器とか言われても自分の適性楽器とか言われても多分あまりピンとこない人が
多いかもしれないですので、一週間ぐらい時間を与えて木管・金管・打楽器・・と一通り楽器を触らせてあげて試しに
ちょっと吹かせてみて、その上で本人の希望と客観的に見た適正を公正に考慮して担当楽器を決めて上げるのが
理想なのかもしれないですね。
人によっては生来の唇の形状や歯並び等によって「この子は少なくともオーボエには向いていない」とか
「この唇の柔らかさはホルンやトランペットに向いている」など色々あるとは思いますし、
いくら奏者不足だからといってリズム感が欠如している子に打楽器を無理やりやらせてもすぐに嫌になってしまうのが
オチなのかもしれないですので、その辺りは本人の希望と適正をバランスよく考えて上げる必要がありそうですし、
万一楽器振り分けの際に希望楽器に配置できなかった子は、その後のなんらかのフォローをしてあげて、
「他の楽器もこんなに楽しいよ~」とか「この楽器は全体の中ではこんなにすてきな役割を有しているから面白いよ~」と
説明してあげることがスクールバンドの指導者には求められるのかもしれないです。

さてさて、そうした話が「響け! ユーフォニアム」第一期の話の中でもあったりしました。

久美子の小学校時代の回想・・・・

トランペット・ホルン・トロンボーンと次々と担当楽器の振り分けが決まっていくのに、ユーフォニアムだけは誰も見向きも
しないです。
先生も「ユーフォニアムを吹く人がいません、希望する人いませんか? 誰かやってくれる人はいないかな?」と声を掛けるものの
誰も手を挙げる人はいません。
結果的に久美子は流されるままなんとなくユーフォニアムを吹く事になってしまいます・
「ユーフォって希望者が少ないからなんとなく続けて来ちゃったんだよね」となし崩し的にユーフォを担当し続けた久美子が
愚痴ります。

でもその気持ち、よく分かりますね・・

私自身中学でクラリネットを2年、アルトサックスを一年間吹いていて、高校にあがって吹奏楽部に入部した際も
本音は「アルトサックスを吹きたい」というものでしたけど、男子高校は慢性的なクラリネット奏者不足と言う事で、
なし崩し的にクラリネットを引き続き担当する事になり、大学で吹奏楽団に入団した際も
「いまさらこの年で担当楽器替えてもね・・」という感じでやはりなし崩し的になんとなくクラリネットを吹く事になっていたと
思います。

「響け! ユーフォニアム第一期」第2話は、楽器の振り分けと滝先生の着任というのが大筋の話でしたけど、
高校で吹奏楽部に入部する際は、経験者は基本的には、以前経験した楽器をそのまま吹くという事が圧倒的に多いと
思いますけど中には高校時代の私のように、以前経験した楽器を新しい環境下では替えたいと思う人も
少なからずいると思いますし、中学までユーフォニアムを吹いていた久美子が「高校ではトロンボーンを吹きたい」と思う気持ちは
私もよくわかります。
吹奏楽部において人気が高い楽器は、フルート・アルトサックス・トランペット・トロンボーンあたりで、
特にトランペットとアルトサックスは吹奏楽の花形楽器という事もありますし、常に定員オーバーなのかもしれませんね。
逆に今一つ人気が無いのは「響け!ユーフォニアム」の主役とも言うべきユーフォニアムとかチューバとか打楽器や
バスクラ・クラリネットあたりなのかもしれないです。
(響け!ユーフォニアムの放映以降は逆にユーフォの人気が急上昇というのもアニメ効果といえそうですね~)

どうしても、新入生の希望が人気楽器に集中した場合は、実際に楽器を吹かせてみて、上手い下手とか適性を判断して
担当楽器を決めていく事になると思います。
残酷な言い方もしれないですけど、前述の通り、本人が希望しても生まれつきの唇の形や歯並び等で不向きと判断される事も
ありますけど、不向きな楽器をずっと続けていって上達しないことが続いて嫌な気分になるのだったら、適正と判断される
楽器で頑張った方が本人のためなのかもしれないので、そのあたりは新入部員や初心者たちが嫌な気持ちにならないように
先輩や指導者たちはきめ細かく見ていく必要があるのだと思います。


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アニメ「響け! ユーフォニアム」の久美子は、高校で吹奏楽部に入部した際はトロンボーン希望でした。

ユーフォニアム奏者のの田中あすか先輩に私は「トロンボーン希望ですので・・」とあらかじめ逃げを打っていましたけど、
運悪く子供の頃からの知り合いの年上の葵に「小学校の頃からユーフォだもんね、久美子ちゃん・と
あっさりユーフォニアム経験者である事をばらされ、
田中あすか先輩に「ちょっと向こうで話をしようか」と肩を抱かれていたのは思いっきり笑ってしまいました。





ここから下記は少しばかりららマジの話をさせて頂きたいと思います。

東奏学園の30人の器楽部においてメンバー最年少は卯月幸という中学1年生のウクレレ担当のJCさんです。

器楽部のエレキギター担当の真中華の妹で、ウクレレのほかにヴォーカルも担当することもあるそうです。
バトル時には愛用のウクレレに似た形の片手剣で戦う事もあります。

中学一年と言う事でららマジの中ではかなり幼い雰囲気があるのですけど、そうした初々しいかわいらしさが
とってもすてきですね~♪

卯月幸は一応ウクレレ担当なのですけど、「東奏学園に進学したらお姉さまたちのようにすてきな楽器奏者になりたい」という
あこがれの気持ちをもって日々練習に励んでいるその初々しさも素晴らしいです。
そして卯月幸も確かに今はウクレレ担当ですけど、
「高校に上がる頃までには色々な楽器を一通り吹いて、どんな楽器が自分にあっているのか試してみたい」と
思っているのかもしれないです。

ららマジカードの何にも卯月幸がホルンやクラリネットを各先輩から教わっているシーンを示唆するものがあったりして、
こういうシーンはとってもいいなぁ・・と感じたりもします。


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ホルン奏者の理系の三嶋蒼からホルンの手ほどきを受けている卯月幸です。

ホルンは金管楽器の中でも音程が決まりにくく大変難しい楽器ですけど、三嶋蒼から「どううしたらホルンをうまく鳴らすことが
できるのか」みたいな事を精緻な理論に基づき教えて貰えるのかもしれないですね~


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ららマジのクラリネット担当の綾瀬凜は真面目な優等生で後輩からはちょっぴり怖い先輩としても知られています。

真面目な厳格な性格で後輩からは少し怖がられている事を綾瀬凜本人はかなり気にしており、
後輩にやさしく接しようと心掛けていたりもするそうです。

私自身、吹奏楽部に入部しクラリネットを始めた中学一年の時には、綾瀬凜みたいにやさしく接してくれそうなお姉さま先輩は
ほぼ皆無でしたので(汗・・)
ららマジの綾瀬凛みたいなお姉さまに教わればもう少し上達したのかもしれないですね~

そしてそうしたやさしく接してあげようと意識している綾瀬凜から手ほどきを受けることができる卯月幸は幸せ者なのかも
しれないです。

卯月幸のような新入部員にとって一年生のうちからたくさんの楽器のレクチャーを受け、その中から
「この楽器が一番わたしにしっくりくるかも~」という楽器を発見できればとても素晴らしいと思いますね~♪
吹奏楽経験者ならばお馴染みの金管楽器である「ユーフォニアム」なのですけど、
世間一般の認知度はと言うと、ユーフォ奏者の方には申し訳ないのですけど、思ったよりは低いのかもしれませんよね。
吹奏楽自体も必ずしもメジャーな音楽形態とは言い切れない面もあるのは私も否定はしませんけど、
日本が世界に誇る大指揮者の一人、佐渡裕氏が、テレビや演奏会等で吹奏楽団を指揮・紹介されたりと
私が現役奏者時代に比べると、
大分世間的な認知度・評価も高まっているので、それはそれでとても嬉しいものがあります。

「ユーフォニアム」というと私が中学~大学の吹奏楽部に所属していた1970年代末~80年後半にかけては
新入部員の楽器振り分けの際は、とにかく不人気楽器の一つでありまして、
フルート・アルトサックス・トランペット・トロンボーン等の人気楽器には希望者が殺到し、
ユーフォニアム・打楽器等の不人気楽器は、誰も希望者が現れないなんていう光景は決して珍しくはなかったと思います。
特にその中でもユーフォニアムの不人気ぶりは惨憺たるものが当時はあったように思えます。
ちなみに私は高校時代は男子高校でしたけど、男子高校におけるクラリネット奏者の絶対的奏者不足と凄まじい不人気ぶりも
惨憺たるものがあったと思います。
高校の時は、トランペット5  トロンボーン3  ホルン6みたいな堂々たる分厚く充実した金管セクションに対して、
クラリネットパートは私を含めて毎年毎年・・4~5人程度の少数精鋭部隊となりがちで、
本来ですと上記の充実した金管セクションに見合うクラリネットの人数は最低でも10本程度は欲しいのですけど、
毎年毎年クラリネット経験者や希望者は皆無に等しく、とにかくクラリネット奏者を集めるのには本当に苦労させられた
ものでした。
私自身も本音を書くと、高校入学以降は「アルトサックスを吹きたい」と思っていたのですけど、
入部の事前練習見学会にて、「君、中学の頃の担当楽器は・・?」と質問されて「クラリネット」と事実を答えてしまったら
廻りの先輩たちの目の色が急に輝きだし
「そっか――、それじゃー君は三年間は問答無用でクラリネット担当ね!」となってしまい、
泣く泣く(?)高校時代もクラリネットを吹く事になったものでした。
だけど男子校のクラリネットに勝るとも劣らないくらい、とにか「ユーフォニアムの不人気ぶりはひどかったですね・・

そうした状況を一変させた一つの大きな要因が、2015~16年に放映されていたアニメ「響け! ユーフォニアム」
だったと思います。
あのアニメであの不人気楽器「ユーフォニアム」に光を当てた事で、最近の新入部員入部の際に
ユーフォニアムが一転して「人気楽器」になったという話はかなり耳にしていますし、ネット等でも随分と話題に
なっていましたけど、
やはりこうしたアニメの影響と言うのは大きいものがあると言えると思います。
それだけあの京アニ放火事件にて、未来ある若きアニメーターの皆様の尊い命が無数に失われた事は、
大変哀しい事ですし、あの犯人の自己勝手さには憎んでも憎み切れないほどの想いで一杯ですし、
本当に残念な想いで一杯です。
亡くなった方への哀悼を改めてここに表させて頂きたいと思います。




アニメ「響け! ユーフォニアム」は京都の北宇治高校という架空の学校を舞台にしていますけど
日本が誇る世界の大指揮者の佐渡氏も、無名の若かりし日には、京都のとある女子高の吹奏楽部を指揮・指導されていて
吹奏楽コンクールにてネリベルの「二つの交響的断章」で臨み、大変な熱演をしたものの
結果的に、コンクールとしては「銅賞」という評価を受けてしまい、
その「悔しさ」とか「聴く人によって音楽的な受け止め方は異なる」というものは若かりし日の佐渡氏に色々な意味で
影響を与えたとの事です。
佐渡氏は1986年に組曲「ハーリ・ヤーノシュ」でもって当時はまだ無名の存在であった龍谷大学を全国大会に導かれています。
後日、佐渡氏がシエナを振られて「二つの交響的断章」を指揮されその大熱演が大好評だった際に
「この演奏はあの時の京都の女子高を指揮した時のネリベルの感覚と全く同じ!
やっぱりあの時の自分は決して間違っていなかったんだ!」と確信されたとの事ですけど、その気持ちはとてもよく分かります!
吹奏楽コンクールというものは審査員の好き嫌いとかあくまで主観的な好みと言う要素も強いですので、
その時の吹奏楽コンクールの評価が必ずしも絶対的な評価ではないと私自身も改めて感じております。
ちなみにですけど、同じく日本が世界に誇る指揮者の下野竜也氏も若かりし日には、九州のJSB吹奏楽団を指揮・指導され
「天使ミカエルの嘆き」でもって全国大会に出場を果たされています。

さてさて、吹奏楽における「ユーフォニアム」は中音域を支え、メロディーラインも担当できるし裏メロも担当できるし、
器用貧乏という印象もあったりしますけど
(アニメ「響け! ユーフォニアム」においてはユーフォは低音楽器と言われていますけど、それは間違いですからね~
ユーフォニアムは中音楽器という立ち位置です!)
ユーフォニアムという楽器は、管弦楽団の世界では極めてマイナーな楽器です。
というか、この楽器は管弦楽で使用される事自体、極めて珍しいと言わざるを得ないですし、
使用されている実例としてせいぜい、

〇R.シュトラウス/ 交響詩「ドン・キホーテ」

〇ホルスト/ 組曲「惑星」~Ⅰ.火星

〇ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲「展覧会の絵」~ビードロ

などがある程度です。このユーフォニアムが交響曲の冒頭でいきなり朗々としたソロを吹き上げる事例として
マーラーの交響曲第7番「夜の歌」があるのですけど、
この交響曲については後述をさせて頂きたいと思います。

「ユーフォニアムという楽器なのですけど、私が現役奏者の頃は、ユーフォと省略されて呼ばれる事の方が多かったし、
ユーフォニウムと呼ばれる事の方が多かった気がーもするのですけど、
正式には、アニメのタイトルではないですけどユーフォニアムというのが正式名称です。

こんな事書くと、ユーフォ奏者の方からブーイングを浴びそうなのですけど、
吹奏楽の中でも、ユーフォニアムは比較的地味な立ち位置という印象もありますし、正直中途半端で微妙という感じもあります。
音色自体、トロンボーンと大変よく似ているし
(確か、ユーフォとトロンボーンのマウスピースはほぼ同じだったと思います)
中音域という意味では、ホルンとアルトサックスと被ってしまうし、低音はチューバにその役割を譲らざるを得ないし、
確かにリズムと後打ちもメロディーラインも裏メロも何でも担当できる「吹奏楽の便利屋さん」みたいな
側面もあるのですけど、それが「器用貧乏」みたいな印象も与えてしまうようにも思えます。

シュミットの「ディオニソスの祭り」とかホルストの「吹奏楽のための第二組曲」とか
2000年吹奏楽コンクール課題曲Ⅰ/道祖神の詩のように、ユーフォニアムという楽器が
素晴らしいソロを聴かせてくれる曲も数多く存在しています。
最近では、樽屋氏「の民衆を導く自由の女神」のユーフォニアムのソロは惚れ惚れするほど素晴らしいものがあると思います!
私が過去の吹奏楽コンクールで感銘を受けたユーフォの使用例としては、
1987年の福岡工大付属の課題曲E/マーチ「ハロー! サンシャイン」の中間部のユーフォの裏メロの素晴らしさとか
1988年の札幌市民の「タンホイザー」の2分近いユーフォの朗々とした素晴らしい歌い廻しとか
同じく札幌市民の1992年の「カルミナ=プラーナ」の圧倒的存在感とか
実に素晴らしかったですね!

私自身も高校時代の頃は、よくユーフォ奏者と喧嘩しては、
「ふんっ、こんなマイナーな楽器で別にいてもいなくてもどうでもいい楽器」とか
「ユーフォニウムかアルミニウムか何か知らないけど、こんな中途半端であってもなくてもいいポンコツ金管楽器」と
口走っては、ユーフォ奏者と見苦しいユーフォニアムとクラリネットの不人気楽器同士の足の引っ張り合いを
やらかしていたものでした・・(汗・・!)

このユーフォニアムですけど、世界各国的には、ユーフォニアムの類似系楽器も色々とあるようですね。
その一例が、バリトンとかテノールホルンなのだと思います。
確かに見た目は、ユーフォニアムによく似ていますね。
ちなみに、このテノールホルンは、マーラーの交響曲第7番「夜の歌」第一楽章冒頭で朗々とソロを吹いていますけど、
あの音はまさしくユーフォニアム以外の何者でも無いです。
ちなみに、日本の大作曲家、柴田南雄大先生は、その「グスタフ・マーラー」という著作の中で
この楽器について
「容易にプカプカと音が出てしまう楽器、上品さと深みに欠ける」みたいな事を述べられていました。





上記にてユーフォニアムと絡めてマーラーの交響曲第7番「夜の歌」の話が出てきましたので、
そのマーラーの交響曲について簡単に触れてみたいと思います。

一昔前まで吹奏楽部でのユーフォニアムの不人気ぶりは惨憺たるものがありましたけど、
マーラーの交響曲第7番「夜の歌」というと、一般的にはマーラーの交響曲の中では一番の失敗作とか
一番人気がない曲という評価がほぼ定着しているのかもしれないです。
私個人としても、「確かにそりゃそうだ・・・」という感想です。
だけどCDの録音枚数は、交響曲第8番「一千人の交響曲」を上回っているとの事です。
これは、7番は純交響曲なのに対して、8番は合唱・ソリストの経費を考えると中々容易に新しい録音が
できにくいという事情もあるかとは思います。

マーラーの交響曲7番は、これまで2回ほど生の演奏を聴く機会に恵まれました。
初めはインパル指揮の都響の定期演奏会で、
2度目は井上道義指揮の新日本フィルのマーラーチクルスの一環として 聴きました。
印象は、一言でいうと
「何を言いたいのか全然わからない謎の交響曲」という印象が強いです。
全体的に第一~第四楽章が「夜の闇」が支配する不気味な感覚なのに対して、第五楽章は一転して明るくカラフルな
昼の明るさが支配する音楽という事で、四楽章からフィナーレの第五楽章へ展開する際の唐突のどんちゃん騒ぎという
場面場面の変化の激しさに感覚がついていっていないのかもしれません。
第四楽章まで展開させた不気味な闇の感覚をどうせなら最後まで貫いてほしかったようにも 思えますし、
第五楽章があまりにもあっけらかーーんのバカ騒ぎですので、唐突過ぎる違和感が拭えない感じは、
生の演奏会で聴いてもCDで聴いても同じなのかもしれないです。
だけど、そうした突然の脈絡の無さとか唐突な感情の爆発がマーラーの持ち味でもありますので、
その意味では最もマーラーらしい交響曲と言えるのかもしれないですね。

この交響曲で印象的な場面が四つほどあります。

1.第一楽章の冒頭

 管弦楽曲では滅多に使用されない「ユーフォニアム」(又はバリトン又はテノールホルン)という楽器を
 冒頭から大胆なソロ楽器として使用しています。
 マーラーの楽譜では、テノールホルンと記されていますが、要はこの楽器はチューバを一回り小さくした
 吹奏楽でいう所のユーフォニアムなのです。
 ホルンではきつい高音をこの楽器は簡単にプカプカ吹けてしまう所が安っぽいという印象を与えるのかもしれないです。
 この交響曲においては、ユーフォニアムの出番はこの第一楽章冒頭のみで、残りは全てお休みです。
 生演奏で見た際も、ステージのユーフォ奏者も第一楽章冒頭以外はヒマそうに手持ちぶたさにされていました。

2.第三楽章

 この楽章は目をつぶって聴いていると幽霊の走り抜けみたいに聴こえなくもありません。
 相当グロテスクで不気味な楽章です。
 チューバの不気味で大胆な低音の使用やティンパニの二度の和音の叩きつけが極めて印象的です。
 とにかく全体的には悪趣味極まりない音楽です。

3.第四楽章

 一番安らぎのある楽章です。
 特徴は何といっても管弦楽の世界では滅多に取り入れられることの少ないギターとマンドリンを二本
 同時に使用している点です。
 ホルン以外の金管楽器は全て休みですので、10分程度のこの楽章の間に
 体力を取り戻しておくという作曲者の配慮なのかもしれません。
 マンドリンが非常に効果的に使用され、全体としては「 セレナーデ」 のようにも聴こえます。

5.第五楽章

 どんちゃん騒ぎの始まりですが、冒頭からいきなりクラリネット・オーボエ・フルートの木管楽器は
 全員楽器を高く持ち上げて吹くというベルアップという奏法が譜面にしっかりと指示されていますので
 奏者はかなり大変です。
 金管楽器のベルアップはたまにありますが、木管楽器でベルアップを指示している事例は極めて珍しいと思います。

全体的には昼と夜との対比 とか、人の心の「聖なる部分」と「俗なるもの」の対比をマーラーとしては表現したかったのかも
しれないです。
だけど、第四楽章までの夜の闇のイメージからフィナーレへの展開が雑というか唐突過ぎる点が
この交響曲を支離滅裂にしている原因なのかもしれないです。

ラスト近くのチャイムの乱打は、いかにも昼の眩しすぎる光景みたいなものもイメージさせてくれるのですけど、
第五楽章だけをもってそれまでの楽章の「夜のイメージ」を覆すのは 少し無理があったのかもしれないです。

この交響曲にはなんともいえない不思議な感覚があります。
特に第五楽章は、明らかに躁状態でもあるし分裂症みたいな感じもあるしひっちゃかめっちゃかのカオス状態です。
別にマーラーも例えば3番とか6番みたいな「明らかな狙っている事」みたいな事を特段意図しなくても
たまには、自分の交響曲の中には、こうやって何も難しい事を意図するとか意味深な表現ではなくても、
純粋に音の豪快さだけで聴衆を圧倒させてもいいんじゃないか?と考えた末に生まれたのが
この交響曲第7番「夜の歌」であったと解釈するのもありなのかもしれないです。

吹奏楽ではお馴染みの中音域の楽器のユーフォニアムの音が管弦楽ではどのように聴こえるのかという事を
知りたい方にとっては、こんなにうってつけの曲はないのかもしれないです。


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上記のマーラーの交響曲第7番「夜の歌」にて、唐突な場面転換は意表を突かれると記しましたけど、
ここから先の当記事も唐突に場面転換をさせて頂き、ここから下記は「東方Project」の音楽担当とも言える
プリズムリバー三姉妹と堀川雷鼓に触れさせて頂きたいと思います。

音楽というものはある意味「感情の芸術」と言えるのかもしれないです。
上記のマーラーの交響曲第7番「夜の歌」が1~4楽章のミステリアスな印象から唐突に第五楽章の喧騒極まりない音楽に
展開するのも一つの感情の爆発と言えそうですし、そうした人の心に内在する感情の変化を表現されたものなのかも
しれないです。

私自身、中学から大学の10年間の吹奏楽生活の中で数多くのコンクール・演奏会などを経験してきましたけど、
音楽というものは野球とかサッカーみたいな「予想外のまさか」というのは比較的起きにくく、
本番のステージでもどちらかというと普段の練習の成果はストレートに反映されやすいような感じもあると思います。
だけどそれはあくまで「譜面に書かれている音符を正確に音として演奏する」という意味であり、
コンクールや演奏会で「今日はうまくいった・・」とか「今回は全然ダメだった・・」みたいな事が起こりがちなのは、
やはりそこには「人間としての感情」というものが根底にありそうな気もします。
本番直前まで「頑張ろう!」という意識が全体的には大変強かったのに、なぜか本番のステージでは
気合が空回りする事は別に珍しい話でもなんでもないと思いますし、
「今日は気分がなんかのっている」とか「今回はちょっと気分が今一つのらない」というのはよくある話なのだと思います。
そして更にそこに絡んでくるのは指揮者や奏者の感情と言うのか気持ちなのかもしれないです。
アマチュアでもプロに限らず吹奏楽団や管弦楽団においても例えば指揮者と演奏者の間の気持ちが離反した場合など
聴いていても「上手いけど何かちょっと噛み合わないね・・」と感ずることも実は多々あったりもすると思いますし、
指揮者が普段の練習の時からやたらと上から目線であーしろこーしろと厳しい指示を繰り返し、
奏者たちは「いやいや、自分たちはこのように吹きたい・・」みたいな気持ちがあったとしてもそれをすべて無視し、
あくまで自分の考えや音楽上の解釈をごり押しして押し付けた場合、奏者にとってはやはり「なんだか面白くないよね・・」とか
「あんな指揮者の言うとおりの音楽なんかできるかっ!」みたいな感じで、奏者と指揮者の間にどこか見えない壁みたいなものが
あったりする事も実はよくある話であり、そうした演奏はなんとなくですけど「どこか醒めている演奏」に
聴こえたりもするものだと感じます。
そうした意味においては音楽とは人と人とのハーモニーという事なのかもしれないです。
吹奏楽団も管弦楽団もその本質は人と人とのつながりという面もありますし、そうした人間関係の難しさもあると思いますし、
同じパート内でも
「あいつ、大嫌い・・!」とか
「こいつとはどうも感性が合わない・・」ということだって間違いなくあると思います。
そうした人と人を音楽としてつなぎ合わせてハーモニーを形成していくのが指揮者の一番の役割なのかもしれないですし、
よく耳にする話ですけど、吹奏楽コンクールにおいて指揮者が
「演奏中、なんだか自然にみんなが自分のところに近づいてい来るような感覚があり、皆が一つにまとまろうと感じた時の
コンクールとしての評価は金賞ということが多く、逆に指揮している最中に皆がどんどん自分から遠ざかっていくような
感覚になったときは銅賞という結果になりやすかった」と言われていたりもするのも
音楽とはなんだかんだ言っても「人と人との感情がぶつかるもので、そこから奏でられる音楽というのは、
そうした違う感情のぶつかり合いとしてのハーモニー」ということなのかもしれないですね。

そしてそうした「ちょっと噛みあわないね・・」という音楽上のズレは東方の音楽娘ともいえるプリズムリバー三姉妹間でも
起きていた事は大変興味深いものがあったりもします。

その話が提示されていたのは2017年に東方公式書籍として発売されていた「東方文果真報」なのですけど、
この東方文果真報という文ちゃんが文々。新聞以外に発刊している一種のガセネタ(?)週刊誌において、
とある記事に「プリズムリバー三姉妹で構成されるプリズムリバー楽団解散!」という記事が掲載されていて、
その写真はこの三姉妹が深々とファンに対して「申し訳ない」と頭を下げているものでしたので、私も最初にあれを
詠んだ時は正直「え・・まさか・・!?」という想いで一杯でした。
上記の話ではないですけど、音楽はある意味感情から成り立っているものですし、奏者間の意見や考えや音楽観に
あまりにもズレが起きると音楽が音楽として機能しなくなる側面も多々ありますし、
鬱の音楽の長女のルナサと躁の音楽の二女のメルランの間にもしかして「埋まりそうもない音楽上の溝」がついに
三女のリリカの調整ですらも対応できないほどの確執になってしまったのかな・・?と懸念したものでしたけど、
音楽面では三姉妹の間の音楽観のズレがもしかしたら回復不可能な状態にまで深まっていたのかもしれないです。

そしてそこに登場したのが「東方輝夜城」でもお馴染みの堀川雷鼓という和太鼓の付喪神のお姉さまだったのでした!
(上記画像で左端のメルランの隣にいるお姉さまが堀川雷鼓です!)

結果的にプリズムリバー楽団解散の発表の三日後に、この三姉妹に新メンバーとして堀川雷鼓を追加メンバーとして発表し
ホリズムリバー楽団という4人で構成される楽団が幻想郷に誕生したのでした!
堀川雷鼓という新しい血を入れることで、更に音楽上の進化を遂げようという意図がそこにはあったのだと言えるのかも
しれないです。
義理とは言え姉妹関係ですので、普段は言いたくても言えない事を堀川雷鼓お姉さまという第三者をリーダーに
据えることによって第三者としての中立公平な観点から三姉妹が奏でる音楽に色々とアドバイスをする事も可能なのだと
思いますし、従来までのルナサ=弦楽器・メルラン=金管楽器・リリカ=鍵盤楽器に加えて、掘川雷鼓のパワフルで情熱的な
パーカッションを加えることでこれまでの方向性とは異なる新しい音楽としての方向性を更に高めていけるという事で、
プリズムリバー三姉妹にとっても新しい居場所を見つけられた堀川雷鼓にとっても
ウインウインの関係が構築出来て、この合流話はとてつもないプラスが両者の間にはあったものと思われます。

堀川雷鼓は元々は和太鼓の付喪神であるのですけど、「東方輝針城」の異変において、
鬼の魔力(打ち出の小槌)の影響により和太鼓等の楽器に魔力が宿り凶暴な感情も芽生え始めるだけでなく、
この魔力によって楽器やその奏者の自我が魔力に乗っ取られる事を強く懸念し、和太鼓と奏者を一旦切り離して考え、
幻想郷ではなくて外界の楽器・・ここでは吹奏楽とか管弦楽ではお馴染みの楽器であるバスドラム(大太鼓)を入手し、
和太鼓と魔力の源である太鼓奏者を切り捨て、その異変による魔力の支配から逃れることに成功し、そうした事を
九十九姉妹等他の楽器の付喪神たちにも教え、魔力からの楽器への支配を排除し、楽器としての「個」の自我の確立に
成功します。
そして異変の解決後、掘川雷鼓は、今後の自身の音楽活動とか生きる道について色々と熟慮した中で
ついに一つの方向性と可能性に辿り着き、それこそがプリズムリバー三姉妹への合流という道なのでした!

正邪もろくでもない黒幕でありましたけど、幻想郷の音楽事情の上ではとてつもない貢献を結果的に
果たしてくれたと言えるのかもしれないですね~!




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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないですけど、
dream fantasy の管理人様のアミグリさんの
素敵なイラストのご紹介コーナーです!

本記事は音楽関連でしたので、今回はアミグリさんが描かれた東方音楽娘の代表格とも言える
プリズムリバー3姉妹とその3姉妹の次女でもありトランペット奏者でもあるメルランをご紹介させて頂きたいと思います。
(上の3姉妹のイラストは、右からルナサ、真ん中にリリカ、左にメルランです)

プリズムリバー3姉妹は実は生きている人間ではなくて幽霊と言うのか「騒霊」ともいわれるポルターガイストみたいな
位置付けです。
ちなみに3姉妹といってもこの3人には血縁関係はありません。
長女のルナサが弦楽器担当、侍女のメルランが管楽器担当、そして三女のリリカが鍵盤楽器担当という事で
これはこれでもう立派な弦+管+打の「ミニオーケストラ」として成立していると思います。
三姉妹一人一人が複数の楽器を同時に鳴らせる訳ですから、指揮者無しの管弦楽団として
十分機能的に成立していると思います。
長女のルナサが奏でる楽器は「ヴァイオリン」なのですけど、このヴァイオリンを通して
弦楽器全般の音をたった一人で奏でているという事なのだと思います。
ルナサは、「長女」というイメージ通り、落ち着いた感じで「鬱」の音楽を担当しています。
明るい感じのメルラン、少し暗い感じのルナサ、そして二人の姉の音を中和させるのリリカという事で、
この楽団はかなりバランスが取れているのだと思います。
ルナサは、楽団内の事務方・外部折衝窓口担当というマネージャーの役割も担い、同時に
楽団内においては、リーダーとして選曲とか曲順とかライヴ中の全体の音楽へ注意を払ったりと
オーケストラでいう所の「コンサートマスター」みたいな役割も担っていると言えるのかもしれませんね。

上記のメルラン・プリズムリバーはアミグリさんがpixivにて2013年11月に描かれた作品です。

次女のメルランのこの明るく元気な雰囲気がとても溌剌と伝わっていて担当楽器のトランペットの華やかさと同じように
その華麗さが見事に伝わっていると思います!
この青のウエーブの髪もとてもふんわり可愛いものが伝わってきていると思います。
ルナサのいかにも長女らしい真面目な雰囲気とはちょっと雰囲気が異なっていて、自由さ・明るさ・溌剌さが
とてもよく表現されていると思います。
メルランのこの笑顔もとってもかわいいですね~!

上記のアミグリさんが描かれたプリズムリバー3姉妹と二女のメルランは、
その権利は全てこのプリズムリバー3姉妹を描かれたアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいメルランを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
夏の甲子園もベスト8も間もなく出揃い、いよいよ佳境に入ってきました!

埼玉県代表の花咲徳栄高校は残念ながら一回戦で明石商業に惜敗してしまい、あの時は艦これの明石お姉さまですら
瞬間的に大嫌いになってしまったほど、悔しい想いはあったものでした・・(汗)
私自身、埼玉県に通算して23年以上在住していますので、小学から高校まで過ごした宮城県の学校が甲子園に出場しても
「あっ、そ・・」みたいな感じになってしまい、
「どうせいつもの仙台育英と東北の二大私立高校しか出場しないから・・」というかなり醒めた感覚で見ているのに対して、
なぜか埼玉の学校は思いっきりエールを送りたくもなってしまいます。
これは私自身、「自分にとっていっちば~ん!ゆかりがある県は埼玉だし、埼玉に愛着を感じている証」という事なのかも
しれないですし、私自身の埼玉愛なのかもしれないですね~
埼玉もこの10年間において、春の選抜で浦和学院が全国制覇を成し遂げ、花咲徳栄も2年前に全国制覇を実現していますので
来年以降の頑張りに期待をさせて頂きたいと思います。

夏の甲子園の熱戦が繰り広げられている阪神甲子園球場においては、そのテレビ中継・ラジオ中継で聴こえてくるのは
吹奏楽部による様々な応援歌でもあったりします。
あのメロディーは私にとっても「懐かし!!、自分も高校生の頃はよくああやって野球部を応援していたよなぁ・・・」という
何とも甘酸っぱいメランコリーのようにも感じられますね・・

高校野球の応援ソングの中で今でも耳にする曲を幾つか挙げさせて頂きますと・・

〇タッチ

〇さくらんぼ

〇ルパン三世のテーマ

〇サウスポー

〇狙い撃ち

〇ポパイ ・ザ・セーラーマン

〇銀河パラダイス

〇君の瞳に恋している

〇スカイ・ハイ

〇エル・クンバンチェロ

〇We will rock you

あたりかな・・・?

考えてみると、さくらんぼ以外は全て昭和の頃に作曲された作品ですし
(銀河パラダイスは平成の曲かな・・?と思っていたら、昭和63年に大ヒットした曲でもありました)
いかに高校野球の吹奏楽部による応援ソングには定番応援ソングが存在し続けていて、
それが30年以上もずーーっと代々受け継がれている事にはすごいものがあると思いますし、
逆に言うと最近の歌謡曲・J-POPというものには「誰の耳にもすーーっと入ってくる曲」が少なくなっているのかを
立証しているのかもしれないですね。
というか、最近のJ-POPはあまりにもキーとか転調とかメロディーラインとか難しいものが多すぎて
カラオケに行っても歌えそうもない曲ばかりですね・・・(汗・・)
その点、アニソンというのは昔も今もやっぱり親しみやすいというのか歌いやすい曲が多いという印象もありそうです。

私自身が高校生の頃は、7月下旬というと吹奏楽部の吹奏楽コンクールの毎日のハードな練習に加えて、
野球部の試合がある際はほぼ全試合応援団と共に駆けつけ、上記の曲も含めて吹いて拭いて吹きまくっていた記憶が
今でも強いですね~♪
真夏という事で陽射しが強いという事で、さすがにオーボエ・ファゴットといった繊細な木管楽器は持ち込めなかったですし、
クラリネットも基本的には木の楽器ですので、あまり強い日差しに晒され続けると、湿気と乾燥によるひび割れという
危険性もあったので、野外の野球応援時には学校備品のとてつもなく激安のおんぼろのプラスチック製を使用していたと
思いますし、チューバはそうした際にはスーザフォンに切り替えて応援演奏をしていたと思います。
当時のうちの学校は男子校という事で(今現在は学校統廃合という事で男女共学校になっています)
応援も結構荒っぽくて、うちの学校は制服が無くて私服OKの学校なのに、応援団は学ラン・高下駄・無精髭での
汚い野次を飛ばしてのもので、例えば相手校が農業高校の場合は
「ヘボバッター、バットを持たずに鍬を持て~」と結構ひどい野次ばかり飛ばしていたものでした・・(汗)

あ・・、でも吹奏楽部はその辺りは意外とエレガントでして、通常応援の際はコンバットマーチとかサウスポーとか狙い撃ちなどを
吹き続けていましたけど、回が進むにつれて暑くて大変になっていき、頭に氷が入った袋を乗せるとか
頭から水をぶっかけあう等ひどい恰好になっていったものでした・・
現在においてもアニメ「タッチ」の主題歌はアニソンとしても高校野球の応援ソングとしても定番中の定番の曲の一つですけど、
私自身が大学の吹奏楽団に所属し、六大学ではなくて東都リーグの応援の際に、既にタッチは演奏していた記憶が
ありますので、タッチというと平成以降の応援ソングと思われがちですけど、実は昭和末期の頃にも既に
応援ソングとして定着していたのかもしれないです。

最近の吹奏楽部による甲子園演奏というと習志野高校の例のあの美爆音サウンドが有名になっていますけど、
習志野高校吹奏楽部は、新妻先生時代の洗練された美しい響きも素晴らしかったですけど、現在の石津谷先生の
自由自在なあのサウンドと表現も素晴らしいと思います。
そして吹奏楽コンクールでのあの美しいサウンドを活かした習志野高校の美爆音による演奏は、テレビの画面からも
その迫力と美しい音がよく伝わってきていると思います。
習志野高校の美爆音も素晴らしいけど、それ以上に私の中で大変インパクトが強い甲子園での吹奏楽部による応援というと、
新子先生が指揮されていた頃の天理高校吹奏楽部によるサウンドだと思います!
特に金管セクションのかなりメタリックなサウンドなのだけど、どんなに強烈なfffでも決して音が割れないあのサウンドの
クリアさは今現在の習志野高校の美爆音にも決して引けをとらないものだったと思いますし、そうした天理の強烈で
シャープで洗練された金管セクションのサウンドが最大限発揮された名演が、
84年のフェスティヴァル・ヴァリエーションであり、85年のセント・アンソニー・ヴァリエーションであり、はたまた
1988年のディオニソスの祭りなのだと思います。

さてさて、先日なのですけど、休みの際に何気なくテレビで甲子園大会を見ていたら、なんだかどこかで聴いたような
メロディーが流れてきます。
しかもそのメロディーは明らかに最近の歌謡曲やJ-POPやアニソン等とは明らかに異なる作風です。
そして数秒後に気が付きました・・

あ・・! この曲って1970年代の頃の吹奏楽オリジナル作品としてはかなり高い頻度で演奏されていたものの、最近では
どちらかというと忘れられつつある吹奏楽オリジナル作品の一つであるV.ネリベルのフェスティーヴォじゃん!!と
気が付いた時は、大変なつかしいと同時に、吹奏楽オリジナル作品としては不朽の名作の一つでもあるフェスディーヴォを
吹奏楽コンクールではなくて高校野球の応援ソングとして使用して頂けたことに大変感激をいたしましたし、
このフェスティーヴォを応援ソングのメインに据えられた青森県の八戸学院光星高校吹奏楽部の皆様と指導者の方に
敬意を表させて頂きたいと思います。

吹奏楽オリジナル作品としてのフェスティーヴォは決して明るく華やかな曲ではないだけに、こうした曲を吹奏楽の応援ソング
として演奏された事はネリベル大好きの私にとっても大変嬉しい事でしたし、天にも昇る想いでもありました~♪
ネリベルのフェスティーヴォは、忘れることなく吹奏楽コンクールでも演奏はされ続けていますけど、21世紀以降は
傾向として中学小編成部門とか小学校部門で演奏される傾向が強かっただけに、甲子園という晴れの舞台で
応援ソングとして使用されていた事は本当に素晴らしい事だと思いますし、吹奏楽オリジナル作品は、こういう形での
後世への受け継がれ方もあるものだと感心したものでした。

ネリベルの「フェスティーヴォ」の大きな特徴のひとつとして執拗な打楽器の繰り返しが挙げられると思います。
スネアドラムの執拗なビートの反復もそうですし、シロフォン・グロッケン・コンサートチャイムによる鍵盤打楽器の中間部に
おける執拗な繰り返しもそうなのですけど、こうした打楽器セクションの繰り返しが伴う曲というと
オールド吹奏楽ファンの皆様ですと、マクベスの「マスク」を挙げられるのかもしれないですけど、
マスクは精神的重圧感が半端なく陰気で重苦しい曲であるのに対して、ネリベルのフェスティーヴォは、確かに執拗な反復は
目立つのですけど、マスクみたいな重厚感・精神的圧迫感はほぼ皆無で、どちらかというとドビュッシー等の印象派の音楽の
ように聴こえたりもしますし、爽やかな空気も意外にも感じたりもしますし、
特にあの中間部はみずみずしさというのかたとえると日本の夏の夕べのような雰囲気すらあるのかもしれないです。

フェスティーヴォの冒頭部分は、華やかでテンポの速い打楽器群の16分音符のビートに乗っかる形で
全合奏による8分音符の打込みが作り出すリズム・パターンによって開始されます。
そしてこの打楽器群のビートのパターンは冒頭~導入部分、そして後半の再現部と終結部に至るまで終始変わらず
刻まれ続けていき、ここに中間部における前述の鍵盤打楽器の執拗な反復がありますので、
曲全体が打楽器のビートの繰り返しという印象は非常に強いです。
但し、繰り返しますがマクベスのマスクのような悲壮感・圧迫感は皆無ですので、どちらかというとポール・モーリアの音楽でも
聴いているかのような軽妙さはあるといえるのかもしれないです。
終始、打楽器、低音セクション、木管群が入れ替り立ち代り対比的な動きを見せ、ここに打楽器の執拗な反復も加わり、
ネリベルの腕に冴えを感じさせてくれます。
終結部の重厚で濃厚なコーダも圧巻で、うねる打楽器群とともにff の分厚いサウンドとして聴いている人たちのハートを
直撃していると感じられます。





最後に・・・

例のあの京アニ放火事件の犯人の自己勝手さと無慈悲さを断じて許す訳にはいきませんし、道半ばでご逝去された
関係者の皆様やご遺族の皆様の気持ちを考えると本当に残念な想いで一杯です。

そうした中、夏の甲子園大会出場した立命館宇治高校の吹奏楽部は、星稜高校との2回戦で、
放火殺人事件の被害に遭った京都アニメーションが制作した「響け!ユーフォニアム」の主題歌を応援曲として演奏されていて
野球部とと京アニへの思いを込めたメロディーがアルプススタンドに鳴り響いた光景には胸を打たれるものがありました。

残念ながら試合には敗れてしまいましたけど、
放火事件の関係者の皆様たちを励ます意味も込めて「響け!-」の主題歌「DREAM SOLISTER」を応援曲とされていて、
堂々と立派に演奏されていた光景は素晴らしいものがあると感じたものでした。
管弦楽や吹奏楽の木管楽器とは、フルート・クラリネット・オーボエ・ファゴットが主要楽器であり
(サックスは管弦楽ではほとんど使用されないのに対して、吹奏楽ではその役割の大きさはかなり重要なポジションです)
フルートはリードを使用しないメタル系楽器であるのに対して、クラリネット・サックス・オーボエ・ファゴットは
リードを使用する木管楽器でもあります。
そのうち、クラリネット・バスクラ・コントラバスクラ・サックス系はマウスピースに一枚のリードを装着させて吹く
一枚のリード楽器でもあるのに対して、
ダブルリードとは、オーボエ・コールアングレ・ファゴット・コントラファゴットに使用されるリードのことであり、上下の2枚のリードの
振動によって音を鳴らすというのが基本原理といえると思います。
余談ですけど、私自身中学と高校は地方の貧乏公立校ということで、コールアングレ・コントラバスクス・コントラファゴット等は
間近で見たことすらなかったのですけど(汗・・)
都内のとあるポンコツ大学の吹奏楽団に入団した際に、部内に普通に、コールアングレ・コントラバスクス・コントラファゴット・
アルトクラリネット・ソプラノサックス・コンサートチャイム・ロータリー式チューバ・ヤマハではなくてパール社の
ペダルティンパニ四台一組などが備品として置かれているのを発見した際は
「やっぱり都内の学校は全然違うね~」と田舎もの感覚丸出しで感激していたものでした・・

クラリネットやサックスなどシングルリード楽器とは違い、ダブルリード楽器であるオーボエとファゴットは
リード自体が発音体なのでマウスピースが必要ありません。
リードから直接息を楽器本体に吹き込み、リードと楽器本体の一体感はむしろクラリネットよりも強いといえると思います。
マウスピースが無いということで、クラリネットで大問題とされるあの例のキーーーッ!という大絶叫音のリードミスもほぼ皆無で
音程が大変安定している上に、その音色は大変デリケートで繊細で美しいというのがダブルリード楽器の特質とも
言えると思いますし、特にオーボエはクラリネットパートと違い指揮者から目の敵にされることも少なく、
フルートと共に指揮者からは愛されやすい優遇パートといえるのかもとれないです。
このあたりのやっかみとひがみ根性は、当ブログの管理人が現役奏者時代の9/10がクラリネットパートに所属していたことも
大きいのかもしれないですね~(汗・・)

オーボエ・ファゴットのダブルリード楽器の音が鳴る原理は、どちらかというと草笛に近く、
薄く削った上下2枚の繊細なリードを振動させることによって音を鳴らすのですけど、ここで大切なことは
ダブルリードはマウスピースを使用せずリードだけで音を鳴らすこともあり、
リードが含む水分量が吹いた感触し音色に与える影響がかなり大きいという事なのだと思います。
ダブルリード楽器を吹く際には適量水分を与えて湿らせておく必要がありますけど、
水分量が適切でないと音色に濁りが生じたり、音程不良を起こしたり、はたまたまともに音が出ない場合も多々ありますので、
水に浸けておく時間などリードのコンディションの管理も奏者にとっては大事な仕事といえると思います。
「管楽器あるある話」として定番の話のひとつとして、オーボエ・ファゴット奏者は常に片手にコップを持っているか
足元にコップを置いていることが多いというその背景として、ダブルリード楽器のリードの水分確保と調整のために
常に水が必要ということがあるのだと思います。
あれは決して奏者が喉が渇いたから水分補給という訳ではなくて、あくまでデリケートな音色確保という崇高な目的が
あったりもします。
また楽器を使用しない時にはカビが生えるのを防ぐためリードを乾かしておく必要もあり、
吹く際には常に水分が必要などその管理はかなり大変なものがあるといえると思います。
後述しますけど、クラリネットにはクラリネット特有のリード調整というのかリード削りという事も自らする必要が
ありますが、ダブルリード楽器はリードの先の合わせに高い精度が求められ、
ただ削って成形すればいいだけのクラリネット等のシングルリードに比べ、微調整の求められる精度のレヴェルが違うと
いう事なのだと思います。
しかもダブルリードは一本一本が高価な傾向にあります。
相場的にはダブルリード一本で2~3,000円程度とクラリネットやサックス用のリードであれば10枚入りの一箱が買える
レベルの金額になります。
オーボエもファゴットも楽器本体が相当高額なのに、一番の消耗品のリードまで高いのでは奏者も大変ですよね・・
振り返ってみると、貧乏男子高校時代、吹奏楽部の年間の活動部費は学校から支給される金額はせいぜい20万ぐらいでしが、
木管楽器の場合、部費が全然足りないという事で、基本的にはクラリネットとサックスのリードは自腹でした。
それに対してオーボエとファゴットのリードは部費から補助が出るというのもこれは当然至極の話なのだと思います。
そのせいなのか、オーボエ奏者やファゴット奏者はリードを自作する人が多く、
ケーンやチューブ、ワイヤーなどの材料や専用の工具も各自が所持されている事も多かったような印象があります。
そのため、オーボエ奏者やファゴット奏者はクラリネット・サックスなどシングルリード楽器の奏者に比べ
リードを大切にする傾向が大変強いとも言えそうです。
そしてオーボエ奏者はそうした事情もあり、練習している時間よりもリードを調整している時間の方がはるかに長いと
揶揄されるのも吹奏楽あるある話としては鉄板ネタなのかもしれないです。

上記はダブルリード楽器の話ですけど、シングルリードのクラリネット奏者の当時の私の感覚としては、
「オーボエやファゴットも大変だけど、同じくらいクラリネットのリード調整も大変なのかも・・」という感じだったと思います。
当時は毎日毎日リードの調整というか、リードをト草を使って削る事が日課でもありました。
(大学の吹奏楽団でトグサでリードを削ろうとしたら、「トグサを使うなんていかにも田舎者らしい話だね~くすっ・・」と
鼻で当時の上級生のお姉さまたちに笑われたものでした・・
当時は既にリードはトグサではなくてサウンドペーパーを使用する事が主流だった模様です・・)
中学の時に一年間アルトサックスを吹いていた時は、リードは既製品をそのまま使用すれば特に何の問題もなく、
苦労した記憶はないのですが、クラリネット奏者時代は、毎日毎日リードを削って調整ばかりしていた感じもします。
アルトサックスの時は、リコーの2.5程度の薄さの方がヴィヴラートもかけやすく、抵抗感なく音が出せる状態が好きだったため、
比較的薄いリードを好んで使用していました。
クラリネットは神経質な楽器でもありますので、その点は本当に苦労させられました。
アルトサックス時代と異なり、当時の私的には吹く時に抵抗感があった方がより良い音色を出せる感覚が非常に強かったため、
バンドレンやセルマーの4~4.5前後の比較的厚めのリードを好んで使用し、その微調整のために
リードを慎重に削るのが朝の日課という感じでした。
アルトサックス時代はそんな事を全く考えもしなかったのですが、
クラリネットを吹くようになってから、気温・湿度・乾燥度合いによってリードの状態も微妙に変化する事がよく分り、
大体常に5~6本程度の調整済みのリードを準備しておき、その日の外気状態によってリードを変えるという事はしばしばでした。

オーボエ・ファゴットといったダブルリード奏者も共通の悩みがあったようで、
彼らも毎日毎日水を溜めたコップにリードをつけ込み、少し削ってはピーピー鳴らし
又少し削っていくという微調整の作業を延々としていた事は今でも鮮明な印象がありますね。

要はダブルリード゛楽器もシングルリード楽器もリードの管理と微調整は大変だという事に尽きると思います。


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冒頭から話がなんだかそれまくっていますけど、本記事のメインはオーボエとファゴットというダブルリード楽器です。

まず初めにオーボエです。

「響け! ユーフォニアム」ではオーボエ奏者はみぞれ一人だけでしたけど、実際の吹奏楽コンクールでは2人奏者が
いる事がほとんどだと思います。
曲によっては一人の奏者がコールアングレ(イングリッシュホルン)を持ち替えする事も多々あったりします。

私的にはオーボエという楽器は人間の声に一番近くて、その音色は素晴らしい癒しの効果があると思いますし、
例えばボロディンの歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りやイベールの交響組曲「寄港地」~Ⅱ.チュニスからネフタへや
チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」~第一幕への情景などの
あのオーボエのソロを聴くととてつもなくうっとりとさせられるものがあると思います。
そしてコールアングレというと、私の中で最も心に刺さる曲の一つが小山清茂作曲で、前橋商業の大木隆明先生が
吹奏楽用にアレンジされた管弦楽のための(吹奏楽のための)木挽歌です。
第一曲の主題は管弦楽版ではチェロがあの朗々としたメロディを担当するのですけど、大木先生の吹奏楽版では
コールアングレがこれまた大変鄙びた朗々とした歌を展開していきます。
あのコールアングレの音を聴くと「日本人に生まれて本当に良かった~」と心の底から感じますが、
最近ではあの部分をコールアングレではなくてテナーサックスを使用しているアレンジが主流となっていて
私としては大変残念に感じています。
あの場面をテナーサックスが奏でるとなんだかジャズっぽく聴こえてしまい、かつてシベリウスの「悲しきワルツ」という曲を
テナーサックスでジャズ風に異様に熱く奏でた演奏の違和感と同じくらいのヘンな感じを持ってしまいます。

「響け! ユーフォニアム(第二期)」第1話の中の挿入曲として使われたのが、
チャイコフスキーの交響曲第4番終楽章とボロディンの歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りでしたけど、
改めてこの「ダッタン人の踊り」を聴いてみると、あのオーボエとコールアングレによる哀愁溢れるメロディーは
本当に胸にジ――ンと染み込んできますし、あの音楽を聴くだけでとつもなくせつなくて哀しくて、何かとっても
うっとりとさせられる気分になったりもします。
あれはまさに名メロディーの極みだと思います。
あの部分はどちらかと言うとオーボエのソロの方ばかりクローズアップされる傾向が無きにしもあらずなのですけが、
哀愁漂う名旋律が奏でられたオーボエの後を引き継ぐ楽器がコールアングレなのですけど、
私としてはあのオーボエよりも音域が低くて幾分ハスキーな響きでもあるコールアングレの美しく儚く哀愁溢れるメロディーも
本当にうっとりさせられます。

オーボエ&コールアングレの哀愁溢れるソロというのは、イーゴリ公の故国を思っての寂しさと自らのふがいなさを
嘆いた歌の部分で、ティンバニのソロで開始される勇猛果敢な部分は、
敵の将軍が落ち込むイーゴリ公を慰めようと、部下に命じダッタン人の民族舞踊をお披露目させる場面です。
後半にかけてのイーゴリ公の敵地脱出を示唆する部分の音楽も、スピード感と迫力があり
大変申し分ない躍動感があります。

だけどやっぱり「ダッタン人の踊り」は、あのオーボエとコールアングレのあの哀愁溢れるソロの部分に尽きると思います!!
あのメロディーを創造したボロディンは、本当に素晴らしい仕事を後世に残してくれたと思います!
あの不思議な哀愁溢れるメロディーは、間違いなく人の心を打つ「何か」を秘めていると思います。
普段日常的にクラシック音楽を聴かない方であっても、あのメロディーラインは是非一度は聴いて頂きたいものがあります!
まさに「これぞ名曲!!」というオーラに溢れていると思いますし、あの名旋律には人の心に間違いなく「何か」は
伝えてくれていると思います。

これまで当ブログで何度も書いた通り、私自身高校に入学した際は、中学の吹奏楽部時代のトラウマから
「音楽大嫌い! 吹奏楽はもっと大嫌い!!」という感じだったのですけど、
高校入学時に当時の吹奏楽部が定期演奏会用に練習していた曲の一つが、この「ダッタン人の踊り」でして、
音楽室から流れてきたあの「ダッタン人の踊り」の例の哀愁溢れるメロディーについつい心が動き、
オーボエのソロの美しさとか全体的に武骨なんだけどとてつもない躍動感に何か魅了され、
入学当時は「高校に入ったら絶対に運動部に入る! 吹奏楽だけは絶対に御免こうむりたい!!」と固く決意していたはずでしたが、
「吹奏楽部に入ってもいいんじゃないの・・?」と気持ちが揺らいでいた時に、
新入生に対する「部活紹介」での吹奏楽部の
「うちの部には、音楽を指揮する先生はいない、生徒の中から指揮者を選出し、自主的に音楽を
創り出していくスタイル」という説明に何か興味を惹かれ
ついつい、練習見学会に顔を出したのが、私が高校でも「吹奏楽部」に入部するきっかけになったものでした。
そうした意味では、この「ダッタン人の踊り」に私自身が魅力を感じていなかったら、
もしも、高校入学当初に音楽室からあの曲が流れていなかったら、
私の吹奏楽部生活は中学だけで終わってしまい、このブログで吹奏楽やクラシック音楽の事を全く語っていなかった
可能性も大ですので、こうした「一つの音楽の出会い」で、人生そのものが劇的に変るという事もあるものなのだと
思いますし、その一つの事例が、繰り返し述べていて大変恐縮なのですけど、私自身が1982年の東北大会で
花輪高校吹奏楽部によるウォルトン/交響曲第1番終楽章の演奏を聴いて、とてつもない感銘と衝撃を受けて、
結果として私自身がクラシック音楽の深い森の中に彷徨いこむ大きな要因にもなった事だと思います。

歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りは、上記で触れた通り、2016年に放映された「響け! ユーフォニアム」【第二期】の
第一話でも登場しています。

楽器の音…♪【→ みぞれが奏でるオーボエの音です】

久美子 : …ん?

       いい音…

       だけど…

       なんか淡白……あっ!

この辺りの久美子のうっかり失言とか言わなくてもいい事ばかりついポロっと出てしまう失言女王振りは
第一期から既にお馴染みでもありましたね・・

久美子自身はオーボエについて

「その音色は美しい女性の声と形容されるオーボエ。
チューニングが難しい上に、一番細い所の内径が4mmしか無く、息の調整に技術を要する」と評していましたけど、
まさに「その通り!」なのだと思います。

鎧塚みぞれはなんと・・一期ではセリフすらありません! だけど二期に入ると途端に最重要人物としてクローズアップされ、
映画においてもメインヒロインとして大抜擢を果たしています!

みぞれと同じく第二期の最重要人物のフルート奏者で元部員でその時点では退部者扱いの希美が
屋上で奏でていたメロディーこそが、そう・・! 歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りだったのでした!
そしてこの曲は、みぞれと希美の中学最後の吹奏楽コンクールの自由曲であり、二人にとっては県代表を目指して
日々頑張っていたのに、結果はダメ金すら取れずに銀賞でもって県大会にて散ってしまったという曲でもありますし、
みぞれにとっては、この曲こそがトラウマにもなっていた・・という背景も実はあったりしたものでした。

みぞれは確かに北宇治高校吹奏楽部に所属していますけど、いまだに中学校時代のトラウマを
引きずっているような感じが濃厚で、「心ここにあらず・・、気分はいまだにあの時の中学の吹奏楽コンクールのまま」という
感じなのだと思います。
みぞれ自身は、元々は中学の時に希美から「一緒に吹奏楽やろうよ!」と積極的に声を掛けられ、
そしてそうした強いリーダーシップを発揮している希美に一つの「あこがれ」みたいな気持を持って共に
吹奏楽部の門戸を叩いた経緯があります。
だけどその希美は、高校では色々あったりして既に退部状態で、みぞれの本音としては
「どうして私一人おいて退部しちゃうの!?」みたいな感じで、もしかしたら一人梯子を外されたまま
どこか上の空状態で北宇治高校吹奏楽部に留まり続けているだけなのかもしれません。
そう! 言うならばみぞれには麗奈みたいに「全国大会に行く!」とか久美子みたいな「うまくなりたい、うまくなりたい!」
みたいな明確な意識というのか「目標」をすっかり見失っている状態だったというのが二期の序盤の頃の話でも
ありました。

みぞれとしては、

「希美が既に退部しているのだし、別に私が北宇治の吹奏楽部に留まり続ける必然性も理由も無い」

「オーボエ奏者は自分一人だけだし、今私が退部をしてしまったら、せっかくコンクールに向けて
必死で頑張っている他のメンバーたちにさすがに申し訳がない」

「そうね・・・とりあえずは、吹奏楽部を続けようか・・結局は何のためかよく分からないけど・・・」

みたいな心境なのかなとも思います。

だからこそ、別に大好きで吹奏楽部を続けている訳ではないので、音楽が大好きで仕方が無いからという訳ではなくて
「なんとなく・・」みたいな漠然とした気持ちで楽器を吹いているので、
コーチの言葉じゃないけど、まるで「ロボット」が吹いているような感情がこもっていない音になってしまうのかも
しれないですね。

結局、みぞれ自身の「トラウマ」って何なのかな・・?

その答えの一つがやはり「吹奏楽コンクール」なのだと思います。

みぞれ自身は、いまだに中学時代の吹奏楽コンクールの事を引きずっていますし、それが解決できていないからこそ、
本当の意味でいまだに「音楽」と向き合っていないと言えると思いますし、
別の解釈をするとそうしたコンクールにおける「心の痛み」をヘンな意味で希美に転化させてしまい、それがひいては
本当は大好きなはずの希美までが「生理的に受け付けない・・」みたいな感じになっているのだとも思われます。

そこにあるのは「吹奏楽コンクールにおける光と影」なのだと思いますし、その影の部分をまともに食らっているのが
当時のみぞれの姿なのだとも思えますし、
その辺りの解決、つまり「吹奏楽コンクールと私はどのように向き合っていくのか・・」というのが
「響け! ユーフォニアム」第二期の一つの大きなテーマだったようにも当時感じていたものでした。


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続きましてファゴット(バスーン)です。

ファゴットもオーボエ同様にリードが上下2枚から構成されているという事で「ダブルリード楽器」という位置づけです。

現在の吹奏楽コンクールの高校の部でしたら、ファゴット奏者が二人いてもむしろそれは普通なのだと思いますし、
お金持ち学校の場合ですと、一人の奏者がコントラファゴットという一台80万~100万近くする事もある高価な超・重低音楽器を
掛け持ちしている事例も多々あると思います。

ファゴットの音は基本的には低音楽器という位置づけなのですけど、あの独特のユーモラスな音は、
時に陰鬱に時にユーモラスに時にモノ哀しくと様々な表情を見せてくれる事が出来るのが素晴らしいと思います。

ファゴットで私が個人的にいっちば~ん!と感じる効果的な使用事例として、
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の冒頭のファゴットの超高音域ソロで開始される場面を挙げたいです。
作曲者としては、「鳴らない音を必死で出そうとする感覚」が欲しかったとの事ですが、
奏者にとっては迷惑千万という感覚もあるのかもしれないですけど、作曲当時の事情はどうか分かりませんけど、
今現在のファゴット奏者はあのような超高音域でも楽々と音を出してしまいますから、ストラヴィンスキーが求めた
「悲壮感」はあまり感じられない感じもあったりします。
だけどあの春の祭典の冒頭ファゴットソロの感覚はいつ聴いてもミステリアスさは伝わっていますね~!
大変面白い使用事例としては、ショスタコーヴィッチの交響曲第9番を推したいです。
第四楽章の金管の重苦しい導入部に続くファゴットの悲痛で長大なソロは、
聴いていて魅力もありますし、いたたまれない・・みたいな哀しさ・憂鬱・メランコリーに溢れているのですけど
第五楽章に入ると、先程まで悲痛なソロを展開していたファゴットが唐突に何の脈絡も必然性も無く
軽いノリのひょうひょうとしたメロディーを展開していく構成になっています。
あの唐突な変化を醸し出せる事が出来るというのもファゴットの一つの魅力なのかもしれないですね。

ショスタコ―ヴィッチは交響曲第9番を作曲している頃は、丁度第二次世界大戦がソ連の勝利のうちに終結し、
嫌でも国家的祝典交響曲を書かないとまずいのではないかという目に見えないプレッシャーを各作曲家が感じていた
時期に符合するのかもしれないです。

初演当時、恐らく聴衆は、ショスタコーヴィッチの新しい交響曲は、ソ連の勝利を祝う大国家的祝典交響曲 みたいなもの
(合唱付き? 別働ファンファーレ隊あり? 演奏時間120分?)を予想していたのかもしれません。
少なくとも当時のソ連の絶対的独裁者のスターリンのご機嫌を損ねるような曲だけは書いてはヤバいのかも・・という雰囲気は
あったと思われます。

それを見事にすっぽかして出来た曲が、この25分程度の軽量級の交響曲第9番だったのです!

第一楽章のいかにも軽いノリやトロンボーンのダメだしみたいな展開
第二・三楽章の可愛らしい展開もいいのですが、
前述の通り、第四楽章の金管の重苦しい導入部に続くファゴットの悲痛で長大なソロは、
これはこれで聴いていて魅力もありますし「少しいたたまれない・・」みたいな哀しさ・憂鬱・メランコリーに溢れているのですけど
第五楽章に入ると、先程まで悲痛なソロを展開していたファゴットが唐突に何の脈絡も必然性も無く
軽いノリのメロディーを展開していく構成になっています。

この唐突な展開は、これは完全に昭和ネタなのですけど、「なんちゃっておじさん」みたいな雰囲気のように
私には思えてならないのです。

「なんちゃっておじさん」とは何なのかというと、やくざ風の怖いお兄さんにからまれたおじさんが急にわんわん泣き出し、
周囲の視線に困り果てた怖いお兄さんが「おい、泣くのを止めろよ」と困惑して慌てだすと、
おじさんがニッコリ笑って「なーーんちゃって!!」というのが主な概要です。
それはほんの直前までさめざめと泣いていた人が急にニッコリして「バーーーカ!!、だまされてんじゃーねーよ!!」とかいって
ケタケタ笑い出すような感覚に近いのかもしれないです。

そしてショスタコーヴィッチの交響曲第9番の第四楽章から第五楽章への展開は、そのなんちゃっておじさんの落差に
近いものがあるように思えてならないのですけど、それを演出しているのがファゴットでもあるのです!

ショスタコーヴィッチ自身も戦争に疲れ果てて、とても面倒くさくて国家を讃える大交響曲なんて
作曲する気になれなくて、こうした脱力系というか、おもちゃ箱みたいな曲を思わず書いてしまったのかもしれないですけど、
この交響曲第9番は確かに重厚長大な深刻な内容の曲ではなくて曲の隅から隅まで
才気煥発みたいな冗談とウィットと楽しさに溢れていて洒落っ気溢れるとてもすてきな交響曲だと思います。
だけど後日この交響曲第9番は大変な批判を浴びてしまい、ショスタコーヴィッチはその後9年近くも交響曲を作曲する
事から遠ざかってもしまいます。
(ショスタコーヴィッチはスターリンの死後、直ちにスターリンをテーマにしたようにも思える交響曲第10番を発表しています)

この「なんちゃって」という言葉自体は「死語の世界」とは必ずしもなっておらず今現在も会話としては結構普通に
未だに使われているような気さえします。
例えばですけど、とっくの昔に高校を卒業しているのに、セーラー服とかブレザー制服をこっそりと着用して
女子高生コスプレ気分を味合う事を「なんちゃって女子高生」とか「なんちゃってJK」みたいな言葉も一部では
あるみたいですね・・(笑)
そのなんちゃってJKですけど、面白いものでして現役女子高生さんが自分の通う学校とは違う制服を着たとしても
その雰囲気はいかにも現役JKみたいな雰囲気を醸し出しているのに、
女子大生さんとか社会人になったばかりのOLさんがJK制服を着たとしても
廻りからの雰囲気としては「あれれ・・この人なんでこんなコスプレしているのだろう・・」みたいに感じてしまうのは、
どうしてなんでしょうかね・・? (汗・・)
10代後半の女の子と10代スレスレの女の子または20代前半の女の子の見た目の雰囲気の壁というものは
もしかしたら結構あるのかもしれないですね・・(汗・・)
私が男子高校生の頃は、吹奏楽部の部室によくエッチな本や雑誌が転がっていたものですけど(汗・・)
あの頃のモデルさんって今風に言うと「おばさんモデル」とか「いかにも年齢詐称みたいなモデルさん」が結構多かったような
印象もあり、当時のちょぃとエッチな雑誌に登場するセーラー服のJKさんらしき皆様は
どうみても高校を卒業して5~7年程度みたいな雰囲気の方たちばかりで
中には「こらこら・・おまえ・・どうみたって30代のおばさんじゃん!」と部員同士でツッコミを入れていたお姉さまたちも
結構多かったような印象もありますね・・(汗・・)
今現在の「なんちゃって女子高生」は高校生との実年齢差はせいぜい1~3歳程度だと思われるのですけど、
昭和の頃のその手の本の女子高生さんモデルは明らかに「なんちゃって女子高生」そのもので
どうみても20代後半~30代のお姉さまたちが相当無理して(滝汗・・)セーラー服とかブレザー制服を着ていたみたいな
印象があったりもしますね・・・

話がヘンな方向に動きそうなのでこの辺にしておきます・・


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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、dream fantasyのすてきな管理人のアミグリさんが描かれたイラストのご紹介コーナーです。

上記の作品は言うまでもなく「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です!

霊奈はトランペット奏者なのですけど、あの凛とした雰囲気はもしも麗奈が金管楽器ではなくて木管楽器を選んだ場合は
オーボエが最もお似合いといえるのかもしれないです。

そしてこの高坂麗奈は、昨年・・2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!
ちなみに描かれた時期は2018年6月です!

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~!

ちなみにですけど、アミグリさんが描かれた上記の高坂麗奈は、ヤフーで
「響けユーフォニアム 高坂麗奈 トランペット」と検索を掛けるとかなりの上位でヒットしますので、
FC2以外でも多くの皆様がアミグリさんが描かれた麗奈をご覧になっていたという事なのだと思います。

上記のアミグリさんが描かれた高坂麗奈は、
その権利は全てこの霊奈を描かれたアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなに美しい麗奈を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
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チューバは管弦楽の世界でもそうですけど、吹奏楽の世界でも本当に地味で「縁の下の力持ち」というイメージが強いです!

チューバは、ひたすら、ボンボンボンボンボンボンボンと低音のリズムをテンポよく刻み続けているという
イメージがあったりもします。
合奏の中では、全体の土台と言うのか全体の支えと言うのかリズムセクションの要という
地味ながら大変重要な役割を担っていると思います。
大抵の場合、指揮者から「全体の基礎を支えるチューバがしっかりしていないから全体が不安定になるんだ!!」と
しったようなことを言われて、
為す術も無く虚ろな表情で指揮者を見つめているチューバ奏者みたいな勝手なイメージもあったりします。

スクールバンドのA編成(55人以内)ではチューバの2名というのは絶対的に必要な人数ですけど、
30名前後の小編成部門でも、チューバが1名と2名では低音の支えというか土台そのものが全然違ってくるようにも
感じられます。
私が中学の時、最初に出場した吹奏楽コンクールは当時のA部門という事で45名編成でしたけど
なぜかチューバは1名でした。
というのも、他にチューバ奏者は2人程度いたと思うのですけど、当時の3年生の先輩の音量がとてつもなくバカでかくて、
当時の吹奏楽部の全体合奏室は校舎とは別棟の理科実験室の2階でもあり、その別棟の建物は木造で
窓枠も木の枠にうすい曇りガラスをはめ込んだ程度だったのですけど、その3年生のチューバ奏者がチューバを吹くと
とにかくビンビンに木の枠が振動しガラスがガタガタと音を立てるくらいのとてつもない音量を叩き出していましたので、
当時の顧問も「チューバは1名でいいか~」と考えたのかもしれないです。
(代りにコントラバス奏者をなぜか3人もコンクールメンバーとして配置していました)
余談ですけど、1981年の東海支部の蒲郡中学校は、自由曲のドビュッシーの「三つの夜想曲」~Ⅱ.祭りの効果を意図したか
どうかは不明ですけど、50人編成に対してチューバ奏者1名・コントラバス奏者6名という変則編成で構成していたのが
大変印象的です。
そしてその3年生が卒業した年に、そのチューバ奏者の弟が吹奏楽部に入部し、楽器振り分けも当然のようにチューバに
配置されていました。
でもさすが兄弟は血が繋がっていますよね~!
音楽室内の窓枠をチューバの音だけでビシビシ振動させたその先輩は、五分刈りのほぼ坊主頭にまんまるお顔に黒縁眼鏡が
外見的特徴でもあったのですけど、私が2年生の時に入部してきたその弟の方も兄とその時点で身長・体重がほぼ同じ体型
でしたし、髪型も坊主頭でしたし、まんまるお顔に黒縁眼鏡というのも同じでしたし、なによりもまるで双子のように
ほぼ同じような顔と体型をしていましたし、声もとてもよく似ていましたし、私にとっては・・というか当時の2~3年生たちは
「卒業していったあの先輩がまるで中学校に逆戻りして戻ってきた・・」みたいな既視感も感じていたものでした・・
当時から「あの兄弟は確かに学年で3つ違いはあるけど本当は双子じゃないのか??」とか
「いやいや、実はあの二人は同一人物でしょ・・!?」みたいなガセネタも盛んに飛び交っていたものでした・・(汗)
私自身もその新しく入ってきたチューバの1年生の事は正直まったく後輩とか新入生みたいな感覚は皆無であり、
その1年生と話す時はこちらがなぜか思わず敬語を使ってしまうほどでもありました。
その兄と弟の外見的違いは、兄が五分刈りの坊主頭だったけど弟の方は三分刈りに近い本物のお坊さんのような坊主頭
ぐらいしかなかったようにも思えます。
今現在のゲーム用語でいうと「2Pカラー」に近い二人のキャラとも言えそうでした・・
(2Pカラーといってもマリオとルイージ、はたまた東方の霊夢と早苗さんみたいな明確な違いがほぼ無かったですね~)
実際、吹奏楽部の顧問の先生もその1年生については、かなりの頻度で「おい、たかし!」と卒業して既に部内にはいない
兄の方の名前で呼んで、その弟の方を「俺は兄貴とは違うのに・・」といじけさせておりました・・
ちなみにその弟の方も兄とほぼ同じように豪快に音を鳴らしていて、やはり兄と同じように窓枠をビンビンと振動させて
いたものでした・・

私が現役奏者の頃は、既に吹奏楽部は男子部員があまり入部してこない女の子の園という雰囲気もありましたし、
全部員の中で女の子が占める割合は7~8割近くだったと思います、
そうした中でも数少ない「男だけの世界」というものが吹奏楽部にも存在し、それがチューバパートだったと思います。
私が、中・高校生の頃は女の子のチューバ奏者は珍しかったようにも思えます。
(今現在はJCさん・JKさんのチューバ奏者はごく当たり前の光景ですし、「響け! ユーフォニアム」においても小柄で華奢で
幼児体型のJKの加藤ちゃんがチューバに楽器振り分けされていたのも普通の事なのかもしれないです)
私が実際に目撃したとある吹奏楽コンクールにおいて、とある女子高が35名編成で、チューバ奏者0人、コントラバス3人という
ある意味変則編成という事例もありましたけど、
私が現役奏者の頃はホルン・トランペット・トロンボーン・ユーフォの女の子の奏者は別に珍しくも何ともなかったけど
女の子のチューバ吹きはまだ「すごい・・・!!」という時代でもありました。
最近の吹奏楽コンクールを聴きに行けば一目瞭然ですけど、普通の公立高校でも女の子のチューバ奏者は全然珍しくも
何ともないてすし、私の現役時代よりももっと男子部員は少なくなっていて
改めて「最近の吹奏楽部の男性奏者は肩身が狭いのかも・・」と感じる反面
「他の文化部でこんなに女の子に囲まれている嬉しい部は他にないじゃん!」と思ったりもしますね~(汗)
昨年も全日本吹奏楽コンクール・埼玉県大会・高校A編成の部と中学A編成の部を聴きに行ったのですけど
当時の私のような男性クラリネット奏者はほぼ皆無ですね~
たまにその存在を確認すると・・・・
「分かる、その居心地の悪い気持ちわかるよね~」と横に行って励ましたくもなります(汗・・)

アニメ「響け! ユーフォニアム」第一期において、チューバ奏者の後藤先輩や梨子先輩の「対チューバ観」がとても適切で、
当時は「うまい表現しているよね~」と妙に感心したものです。

大きくて重い!!

地味で目立たないとこ吹くわりに息が苦しい。

なぜかチューバのせいってよく怒られる・・

良いとこがなくても一生懸命頑張る…でもそれが良いんだよ!

この言葉は本当にチューバの本質を鮮やかに突いていると思います。
「自分たちが合奏全体の土台を支えている」というプライドを胸に秘めて地道に科目に縁の下の力持ち存在として
支えているのがチューバの役割という事になるのだと思います。

ちなみに「響け! ユーフォニアム」の後藤先輩と梨子先輩は既にお付き合いをされていて部内公認のカップルという立ち位置でも
あったりします。
梨子先輩はどちらかというと関西のおかんみたいな安心感すらある人でもありあまり萌え要素は無かったのですけど、
リアルの吹奏楽コンクールにおいて、JKさんが今風の短めスカートの制服着用でチューバを抱きかかえたまま演奏している
風景を見たりすると「なんだか萌えるよね~」と感じてしまいそうです~♪
ただ最近のコンクールにおいては、チューバ・打楽器担当のJCさん・JKさんはスカートではなくてスラックス着用という学校も
大分増えてきているように感じるのは少し勿体ない感じもしますね~(汗・・)

言うまでも無い事ですけど、吹奏楽におけるチューバの役割は本当に大切だと思いますよ~!

私が、チューバの底力を実感したのは、高校一年の時です。
1981年の吹奏楽コンクールの課題曲Aが「イリュージョン」という曲だったのですけど、
当初は3年生のチューバ奏者が受験に専念という事でコンクール不出場と言っていたのですけど
課題曲の全体練習では、何か今一つしっくりこないという感じで、何が足りないのかと色々議論になったのですけど、
チューバ1本では土台不足と言う事で、何とか3年生に頭を下げてコンクールに出て貰おうという事になり
チューバが2本になったのですけど、チューバ1本と2本では低音の重厚感とリズムの支えが全然違うのは一目瞭然でした!
メロディーを担当するクラリネットとしては、低音がボンボンボンと確実にしっかりと決まるだけで
吹き易いというのか微妙にノリが違うと言う事で、この時に初めてチューバの真の実力を実感したものでした。
他にも大学1年の自由曲、ベルリオーズの幻想交響曲~終楽章 魔女の夜宴-魔女のロンドにおいて弔いの鐘が
荘厳に鳴り響く次の展開で当時の4人の奏者によるチューバの「怒りの日」のメロディーは大変な迫力を感じたものですし、
はたまた大学4年の時の課題曲A / 風紋も冒頭はチューバによるメロディーラインから開始されるのですけど、
チューバの朗々とした低音の響きにクラリネットが乗っかる形でメロディーラインを展開していき、あの時もチューバの
安定感を心より実感したものでした。

現実的には、チューバが目立つ曲というのは管弦楽曲でも吹奏楽作品でもそれほどはないのかもしれないです。
管弦楽作品では、ヴォーン・ウィリアムズが「チューバ協奏曲」という素晴らしい曲を残していたり、
前述のベルリオーズの「幻想交響曲」終楽章でチューバを2本も使用し、チャイムの後の「怒りの日」のメロディーを
朗々と吹き上げる場面も大変印象的ですし、
ムソルグスキー作曲と言うのかラヴェル編曲の「展覧会の絵」のビードロのチューバの長い朗々としたソロも音域は高音域
で大変ですけど奏者にとってはやりがいがありそうだと思います。

吹奏楽オリジナル作品としては、ホルストの吹奏楽のための第二組曲の第Ⅰ曲 マーチはチューバの上昇和音から
開始されますし第Ⅳ曲 ダーガソンの幻想曲ではチューパソロもあったりします。
他には、ジェイガーの「ダイヤモンドヴァリエーション」冒頭のチューバのソロ的扱いは職人芸の域に達していると思いますし、
大栗裕の「巫女の詠えるうた」の冒頭のチューバの低音の支え方も巧いと思います。
バーンズの「呪文とトッカータ」(祈りとトッカータ)のラスト近くのチューバの爆発的低音の支えも圧巻だと思いますし、
そしてトドメはクロード・スミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」の中間部のしっとりとした長大なソロだと思います。
精華女子高校というとスミスの「ダンス・フォラトゥーラ」は既に伝説の名演として高い評価を得ていますけど、
それと同じくらい2013年の「フェスティヴァル・ヴァリエーション」も素晴らしい名演だと思います。
吹奏楽コンクールにおいてチューバの底力を実感させた演奏としては、
アレンジものの演奏でしたけど、1992年の全国大会で兵庫高校が演奏したプロコフィエフの
「ロメオとジュリエット」~タイボルトの死のチューバの圧倒的重低音戦車部隊の威力は私の脳と耳の神経を破壊してくれるほど
素晴らしい迫力があったと思いますし、翌年の「シンデレラ」のチューバの低音の威力もお見事でした!

最後に・・吹奏楽コンクール課題曲の中では大変珍しいチューバにソロが登場する1985年の課題曲C /
シンフォニックファンファーレとマーチについて触れさせて頂きたいと思います。

この課題曲は、冒頭の金管によるファンファーレが完璧に決まったチームは、ほとんど記憶にないと思います。
それほど高音域のファンファーレではないのですけど、この課題曲のスコアを見るとなんとなくわかるように
意外と不協和音が調性とメロディーを曲全体が支配していて、ファンファーレと言うと一般的には華麗・壮麗さ・洗練さという
イメージがあるものなのに対して、この課題曲のファンファーレ部分は華麗と言う感じではなくて曲の雰囲気に
少しばかり不協和音の要素が感じられるからあまり華やかな感じがしないという違和感が
この課題曲が敬遠気味だった理由なのかもしれないです。
そしてファンファーレ部分が終了しマーチの部分が展開されても 意外とリズムが決めにくいというか、
何か吹いていると妙にギクシャクしてしまう錯覚があったりもします。
全体的にあまり「行進曲」という感じはしませんし、歩きながら吹くマーチという感じはほとんどしません。
どちらかというと野外用というよりは屋内用のコンサートマーチと言えるのだと思います。
そう言えばこの年の課題曲D/ポップ・ステップ・マーチも意外とリズムがギクシャクしやすい雰囲気もあったりして、
この年の課題曲にマーチを選んだチームは意外とリズムをそろえる事は大変だったと言えるのかもしれないです。

「シンフォニックファンファーレとマーチ」は冒頭の少しばかり風変わりで不協和音要素がある所も珍しいのですけど、
マーチの展開部分に入っても、中間部にチューバの重々しいソロが入ったり、 打楽器の「トムトム」にソロ部分を与えたりと
曲の中に従来の課題曲ではほとんど見られなかった面白い要素が仕掛けられているのは大変面白いものが
あると思います。
マーチというと展開部はffの連続で一直線に終結部に向けて突進していくという感じもあるのですけど、この課題曲は
終結部の前に曲を一旦静粛な雰囲気にさせた上で、マーチの展開部としてソロ楽器自体を使用する事自体異例とも
言えるのですけど、その異例な展開の中で
吹奏楽コンクールの課題曲やオリジナル曲としては大変珍しい「チューバ」という縁の下の力持ち的楽器に
光を当てているのは大変素晴らしいものがあると思いますし、
当時のチューバ奏者にとっては「大変だけどやりがいはありそう!」と意気に感じる課題曲だったようにも感じられます。
実際、吹奏楽コンクールの自由曲もそうですけど課題曲においてチューバにソロが登場する事自体極めて珍しく異例な
ものですので、当時のチューバ奏者の皆様にとっては
「そんな普段ボンボンボン・・とひたすらリズムを刻み全体の合奏の土台を支えている役割の自分たちがこんなソロなんて・・」と
思われたのかもしれないですけど、同時に「こんな機会は滅多にないし是非チャレンジしたい!」と思わせる
ものがあったと思いますし、チューバ奏者にとっては腕の見せところと言えるのかもしれないですね。
吹奏楽部経験者の皆様ですと吹奏楽あるある話の一つとして思い浮かぶことのひとつは、
指揮者から目の敵にされがちで集中砲火浴びせられまくりのパートはクラリネット・トランペット・ホルンなのだと思います。
吹奏楽部の全体合奏に参加すると一目瞭然なのですけど
管弦楽のヴァイオリン部分を担当しているクラリネットは四苦八苦状態でまるで余裕なしだと思いますし、
指揮者からは「おまえたちの指がもたついているから合奏全体がいつまでたっても余裕なしの透明度無しの
スカスカ演奏になってしまうんだよ!
とにかく透明な音でクリアに楽譜通りに吹いてくれよ~!」とか
「そのつんざくようなリードミスと高音域でのニワトリがクビを締められるかのような絶叫音なんとかならないの~」とか
「クラリネットセクションが全体のメロディーラインを担当する事が多いのだから、そのクラリネットが崩壊したら
全体が崩壊するのは当たり前じゃん!」とか
「もういい、もういい・・とにかく明日の合奏までに今言われたことを完璧に仕上げておけ!」と指揮者から怒られまくりのパートで
あるのは吹奏楽あるある話としては定番中の定番の話ですよね~!
そういう私自身も10年間の現役奏者生活の中で、クラリネットを担当していた9年間は指揮者から連日怒られまくりの日々を
過ごしていたのに対して、一年間だけ担当していたアルトサックス時代は指揮者から個別に怒られる事はほぼ皆無であった
事を考えるとなんだか吹奏楽部の木管セクションにおける楽器格差を感じてしまいますよね~(泣)
指揮者から「明日まで完璧に仕上げておけ!」なんて厳命されると、完璧に仕上げるためには、全体練習が終わった後に
遅い時間帯まで個人練習するとか、早朝に登校し、皆が早朝練習に来る前に個人練習するとか、
はたまた自宅に楽器を持ち帰り自室で練習するしかないのですけど、
自宅で楽器吹いていると一回り以上年の離れた兄・姉から「うるさい! 家で楽器吹くな!」と怒鳴られ、
しぶしぶ押し入れに懐中電灯と消音として楽器に巻きつけるためのバスタオルを持ち込んだり、
ひどい場合ですと、住宅地から遠く離れた山林近辺の公園で練習したりと、自分で言うのもなんですけど当時は
結構真面目に楽器や音楽に取り組んでいたと思いますよ~
だけどそうした努力がほとんど報われないのが当時の吹奏楽部のクラリネットパートだったと言えるのかもしれないです。

そして指揮者からあまり怒られないというイメージがありそうなのが、フルート・サックスセクションとも言えそうですし、
特にフルートとアルトサックスはひがみ根性まる出しのクラリネット奏者からみると「優遇されている~」という感じもありそう
なのですけど、両楽器は指揮者から見てみると「音程も安定しているし安心して任せられるパート」という意識も多少は
あるのかもしれないです。
オーボエとファゴットに関しては、指揮者から何か言われても「今日はダブルリードの具合が悪いので別室でリード調整します」
という逃げが打てるのはやはりひがみ根性まる出しのクラリネット奏者からは
「またまたうまいことしちゃって~」と言われがちでもあるのですけど、管弦楽・吹奏楽の世界ではオーボエの存在は別格と
いうのかあの妖しく美しい音で朗々とメロディーを吹かれてしまうと文句が誰も言えない・・という感じでもあったのかも
しれないです。

そして吹奏楽の全体練習においてクラリネット共々怒られ役というか罵声を浴びせられる役割を一身に担っているのが
トランペットだと思います。
トランペットは何かと目立つので色々な意味で指揮者からお小言を頂戴する役割ですし、
高音域を思いっきり外した際にはその度に指揮者から「このへたくそーー!!」と怒鳴られるけど、指揮者から怒られるたびに
パート全体がどんどん凹んでいくクラリネットセクションとは異なり、トランペットは
「しょうがないじゃん!」とか「次、外さないように頑張ればいいじゃん!」とかとにかく前向きでミスを引きずらないというのが、
クラリネットとトランペットの奏者の気質の違いはなんとなくですけどありそうな気もします。
チューバとクラリネットは吹奏楽の土台を支えていて「頑張ってもあまり報われない・・」みたいな感じも無くも無いのですけど、
トランペットやトロンボーンはとにかく吹奏楽や管弦楽団の華でもありますし、
とにかく迫力と大音量を求められる場合のトランペットの火事場のバカ力的なあの圧倒的な迫力と華やかさは、
見ていても聴いていても爽快感一杯だと思いますね~!
例えばなのですけど、レスピーギの交響詩「ローマの松」~Ⅳ.アッピア街道の松とか同じくレスピーギの
交響詩「ローマの祭り」~Ⅳ.主顕祭におけるトランペットのあの圧倒的な大音響と迫力と華やかさが交錯した
きらびかな様子はまさに「管弦楽・吹奏楽の華」と言えそうですし、
あの「アッピア街道の松」におけるトランペットの大音響は、ヘビーメタルやロック音楽すらも凌駕するのかもしれないと
感じさせるものがあるくらい圧倒的な存在感を放っているのだと思います。
そしてそうしたトランペットの華やかさを吹奏楽オリジナル曲として最大限その魅力を追求した曲こそが
福岡の精華女子高校吹奏楽部でお馴染みのクロード・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」なのだと思います!!

吹奏楽部の最大の華ともいえそうなトランペットパートなのだと思うのですけど、
高校A編成ですと、5~7人で構成される事が多いと思いますが、クラリネットと同様にファースト・セカンド・サードから
構成をされています。
ホルン同様に大変目立ち華があり、強奏時の迫力は目を見張るものがあるとは思うのですけど、外した場合は
相当目立つと思いますし、同時にミスが目立ちやすくボロが出やすい楽器と言えると思います。
高音域の強奏の場面の迫力は圧巻ですけど、例えばコープランドの「静かな都市」のように弱奏で朗々と奏でる場面の
美しさも格別なものがあると思います。
コープランドというと「エル・サロン・メヒコ」の2度に渡るトランペットの朗々とした長いソロもトランペット奏者にとっては
プレッシャーとの戦いでもありそうですし、あのソロを完璧に決めた際のトランペット奏者は、演奏終了後には
多分ほとんどの奏者の方がドヤ顔になるのかもしれないですね~
レスピーギの「アッピア街道の松」におけるトランペットの華やかさと大音響は既に述べた通りですけど、
同じようなタイプの他の曲というと、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番~第四楽章や
ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」~プロムナード・キエフの大門や
マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」~第三楽章などを推したいと思いますし、
単純にトランペットの大音量と大迫力を楽しみたいという方にとっては、ハチャトゥーリアンの
交響曲第3番「シンフォニーポエム」という吹奏楽経験者以外にはほとんど知られていない偉大過ぎるマイナーシンフォニーを
お勧めしたいと思います。
現世に対する厭世観や自殺願望をお持ちの方はとにかく一度このシンフォニーポエムを聴いて頂きたいと思います!!
あの圧倒的迫力のトランペットの大音響を聴いて脳を一度ヘロヘロに溶解させた上で、この曲から
「そうだ! 全てが明るい!」といったような前向きな希望を感じ取って頂ければとても嬉しいです!






先日なのですけどとある商業施設のガチャコーナーにてエポック社から発売されている「キラメッキ楽器♯10」というガチャを
発見しました!
この「キラメッキ楽器」シリーズは既に9シリーズ出ていて、今回は第10弾です!

「キラメッキ楽器♯10」の内訳を下記に列記いたしますと・・

ソプラノサックス(ゴールド)+フラットブラックケース
チューバ(ロータリー/ローズゴールド)+フラットブラックケース
フルート(ゴールド)+フラットブラックケース
トロンボーン(ゴールド)+フラットブラックケース
チューバ(トップアクション/ゴール)
トランペット(ゴールド)+フラットブラックケース
フルート(シルバー)+ポピーイエローケース
トロンボーン(シルバー)+ポピーイエローケース
チューバ(トップアクション/シルバー)+ポピーイエローケース
トランペット(シルバー)+ポピーイエローケース

この金と銀のキラキラ感がとってもすてきだと思います!

このラインナップを見てみると、金のトランペットか金のトロンボーンか金のソプラノサックスが欲しいな~!と
感じたのですけど、このガチャは1回200円と手頃な価格でもありましたので、
一回まずはやってみることにしました。

さてさて、どの楽器が当たったのでしょうか・・??


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なんと一発で第一希望の金色のトランペットが当たりました!

シルバーのトランペットもあるのですけど、やはり吹奏楽コンクール経験者としては
シルバー銀賞よりもゴールド金賞の方がいいですよね~!

ガチャポンなのですけどよく見てみると楽器自体の造型の精度も意外と高くて、ピストン・管・つば抜き等のパーツも
しっかり作り込まれている印象もあり、200円といっても安かろう悪かろうではないというのも
日本のモノづくりのレヴェルの高さを物語っているといえると思います。

そして各楽器に黒の楽器ケースも付いているのも楽しいですね~!


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そしてトランペットというと真っ先にいっちば~ん!に思い浮かぶキャラというと「響け! ユーフォニアム」の
一年生トランペット奏者の高坂麗奈に尽きると思います!

当ブログでもアニメ「響け! ユーフォニアム」の第一期が放映された2015年と第二期が放映されていた2016年においても
この麗奈は頻繁に登場していました!
「響け! ユーフォニアム」の主人公はユーフォニアムパートの久美子なのだとは思うのですけど、
特に第一期においては最終回とその一つ前の回以外では「主人公なのに影がうすいキャラ・・」と当ブログでも散々揶揄されて
いた久美子に対して、第一期の真の主役は誰がなんといっても高坂麗奈だと思いますし、
私自身「響け! ユーフォニアム」の中で圧倒的に大好きなキャラは麗奈です!!

高坂麗奈というと原作者の設定によると、
艶のある長い黒髪とこぼれ落ちんばかりの大きな瞳が目を引く自信にあふれた美しい容姿の少女とされていて、
アニメ版としても、容姿端麗・頭脳明晰な黒髪の美少女で、そのクールな印象とは裏腹に胸の内ではトランペットに対して
熱い想いを抱いていて一見して他を寄せ付けぬような雰囲気を放つというのが基本設定になっています。
原作のライトノベルを読んで頂けると分かる通り、麗奈の基本パーソナリティとして、
周囲と同じであることを良しとせず、「特別な存在になりたい」と願うストイックな性格の持ち主で、
当初は他人との間に距離を取り、特定の誰かと一緒にいることを嫌う「孤高の存在」でもあるのが大きな特徴なのだと
思います。
麗奈の不屈の精神やトランペットに対するプライドは半端ではない強さであり、
いかなる周囲の状況も我関せずといった具合で周囲から孤立しようがお構いなしで、孤高の存在と言えそうです。

第一期においては自由曲の「三日月の舞」で登場するトランペットのソロを巡って、3年生の香織先輩と
部員全員を巻き込むあのギスギスのオーディションをやってでも
「私が一番だし、私は絶対に他の人には負けたくないし、私は特別な存在である」という事を立証するために
そのオーディションを勝ち抜き、結果的に関西大会と全国大会でも立派にソロを務めあげていました!
それにしてもあのオーディションに際しても、言いがかりを付ける2年生の優子に対しても
「だったら何だっていうの? 滝先生を侮辱するのはやめてください。なぜ私が選ばれたか、そんなのわかってるでしょ? 
香織先輩より、私の方が上手いからです!」と毅然として言ってのけ
優子が「アンタねえ! 香織先輩がどれだけ気を遣ったと思ってるのよ!?」と詰め寄っても麗奈は
「ケチつけるなら、私より上手くなってからにしてください」と 優子をはじめ周りの部員に対して決然と言い放っていた光景は
確かにとんでもないギスギス場面なのだけど、「響け! ユーフォニアム」屈指の名場面の一つだったと思います!


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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、dream fantasyのすてきな管理人のアミグリさんが描かれたイラストのご紹介コーナーです。

上記の作品は言うまでもなく「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です!

そしてこの高坂麗奈は、昨年・・2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!
ちなみに描かれた時期は2018年6月です!

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~!

ちなみにですけど、アミグリさんが描かれた上記の高坂麗奈は、なんと・・!
ヤフーで「響けユーフォニアム 高坂麗奈 トランペット」と検索を掛けるとかなりの上位でヒットしますので、
FC2以外でも多くの皆様がアミグリさんが描かれた麗奈をご覧になっていたという事なのだと思います。

改めてアミグリさんには「こんなにも素晴らしい麗奈を描いて頂きありがとうございました!」と感謝の言葉を申し上げたい
気持ちで一杯ですし、
「アミグリさんに記念イラストをリクエストさせて頂いて本当によかった!」と心の底から感じたものですし、
アミグリさんにリクエストさせて頂けるだけでなくて、こんなにも素晴らしい作品を描いて頂けている事に
私自身とっても「誇り」を感じております。

皆様の中で「こんなに美しい麗奈を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
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今年の夏アニメも随分と充実している印象がありましたけど、秋アニメも「更に充実している!」という印象が
大変強いものがあると思っています。
今現在放映されている2018年秋アニメとしては、
「あかねさす少女」・「うちのメイドがウザすぎる!」・「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」
「ソラとウミのアイダ」・「やがて君になる」・「アニマエール!」・「RELEASE THE SPYCE」・「となりの吸血鬼さん」は
その中でも特にお気に入りのアニメ作品であり、上記の作品は第一話から毎週欠かさず視聴しております。
(今年の秋は寝不足気味というのもそうした理由がありそうですね・・)

冒頭画像は「アニマエール!」というチアガールをテーマにした作品なのですけど、この作品も大のお気に入りです。

このアニメ作品は東京MXにおいては、日曜深夜のAM00:00~の放映となっているのですけど
「こんな健全なアニメがどうしてこんな深夜放映枠なのかな・・?」とも感じていたのですが、
実はこの作品は東京MXとしても力が入っているせいなのか、翌日の月曜のPM19:00~というゴールデン枠にも
再放送されていて「優遇されているね~」とも感じてしまいます。

このチアガールをテーマにした「アニマエール!」は原作はまんがタイムきららキャラットにて現在も連載中の
4コマ漫画ですけど、今年の10月に待望のアニメ化が実現されています。
この作品の概要を簡単に記すと・・・

人の力になることが大好きな鳩谷こはねは、中学の卒業間際に、後に同じ高校に入学する有馬ひづめたちの
元気一杯に野球部を応援しているチアリーディングを偶然目撃し
「人をこんなにも元気づけられるスポーツがあるなんて素晴らしい!」と大感激し、
女子高の神ノ木高校に入学したこはねは早速チア部への入部を決め込むも、チア部が存在しない事を知り落胆してしまいます。
そこで「無いのだったら自分達で創ればいい!」とぱかりに
経験者の有馬ひづめ、幼馴染の猿渡宇希を誘ってチア同好会を立ち上げ、
更にはクラスメイトの舘島虎徹を続けて迎え入れ、ついに念願のチア同好会を創設する事にこぎつけます。
こはねたちチア同好会は部活動の中で一丸となり、応援を求める人々にエールを送り届けていくという
見ているだけで元気を貰えそうなひたすら明るく前向きな物語と言えると思います。

そしてこのこはねは、プリキュアに例えると典型的な「おバカさん元気なピンク系」という立ち位置にも感じられ、
確かに頭はポンコツで勉強も運動も苦手で体も硬く高所恐怖症であったりもするのですけど、
底抜けに明るい性格であり、人助けのためなら己を顧みずに突っ走り尽力することができるというとてつもない
ポジティヴシンキングの持ち主と言えそうです。

本記事は「響け! ユーフォニアム」カテゴリ記事なのですけど、実は吹奏楽とチアリーディングは
切っても切れないような深い縁が元々ありますし、
特に吹奏楽による室内・野外問わずマーチングのイベントや「アニマエール!」でもそうしたシーンもありましたけど
野球やアメフトでの応援とか
駅コンや商業施設等でのイベントにおいて、吹奏楽とチアリーディングの両者によるコラボイベントというものは
大変よくみられる事でもありますし、
吹奏楽による明るくカラフルで元気あふれる音楽にチアガールの皆様たちによる更に華麗で元気溢れる姿が
融合したら、それを見ている皆様だって間違いなくニッコニッコの笑顔になれることは
間違いないと思います!
そして野外マーチングの場合、チアリーディングのチア衣装と吹奏楽における女の子たちが着るマーチング衣装は
結構共通する点が多々あり、あの衣装はとてもカラフルですてきなものですし、
特に男性視点で見てしまうと「眩しくてたまらない!」ものであるのは間違いないと思います! (笑)



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「アニマエール!」の5人のメインヒロインの皆様は、鳩谷 こはね 有馬 ひづめ 猿渡 宇希 舘島 虎徹の4名ですけど、 
現時点では未登場ですが、後に5人目の部員として登場する、ひづめの中学時代のチアチームのメンバーの一人でもある
牛久花和がいたりもします。
ちなみに花和の名前の呼び方は「かな」なのですけど、こはねたちからは「はなわちゃん」と呼ばれています。
関係ないですけど、私にとって「はなわ」というと吹奏楽でお馴染みの秋田県立花輪高校なのかもですね~

ポンコツだけど皆をぐいぐい引っ張っていくこはね、経験者で知性的で真面目で自分にも他人にも厳しいひづめ、
こはねの幼馴染でこはねのすてきな保護者兼ツッコミ担当といえる宇希、
そしておとなしくて内省的で引っ込み思案な虎徹、そしてひづめラブ!の花和と
5人のメンバーたちの個性がかなりバラバラだけど、一つのチームとしては案外見事にまとまっているのが、
神ノ木高校チア同好会といえそうですね~
5人全員がみんなそれぞれとってもかわいいですし、チア衣裳もとてもよくお似合いですので、毎回毎回
あっという間に30分が経過してしまうという印象でもあったりします。



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アニマエール!は5人のメインヒロインの皆様はみんな大好きですけど、
この中では私的にいっちば~ん! ツボにはまったキャラと言うと虎徹(こてつ)ちゃんだと思います!

虎徹なんてなんだか男の子みたいな名前で豪快で荒々しい性格っぽい先入観も持たれがちですけど、
この5人の中では最も乙女っぽくておとなしくて控えめで内向的な女の子と言えると思います。
本人はこの「虎徹」という名前が「名前負けしている・・」と少しばかりお気に召していない様子ですけど、
そうした名前と実際のギャップに萌え・・みたいな要素を感じたりもします。

温厚で大人しい性格で、自分にあまり自信が無く「私には無理」と否定から入ってしまうなど悲観的な面もありますけど、
思ったことはすぐ口に出てしまい意外と意思が強い面もあったりもします。
そして意外な大食いキャラでもあり、内気なのだけど時にとてつもなく大胆不敵な事をポロッ・・と口にしてしまい、
虎徹ちゃん本人も周囲も「え・・?」みたいな雰囲気になる事も多々ある事はとても面白いと思います。

ちょっと弱い自分をすてきにチェンジしてみたい!という気持ちがチアリーディングをこはねたちと一緒に
やっていきたい!という気持ちに繋がっていて、少しずつ自信を付けているという側面もあるのかとは思います。
前述の通り自分の名前に少しばかりコンプレックスを抱いていて、「虎徹(こてつ)」と名前で呼ばれるのに抵抗があるため、
こはねたちからは「こてっちゃん」とも呼ばれていますけど、「こてっちゃん」なんていうとスタミナ食品の「甲子園の味」を
ついつい思い出してしまいそうですね~(笑)



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ひづめの真面目な性格でやや天然ボケな面も見せるところも楽しいものがあると思います。
普段はクールであまり表情を変えないですけど、チアを始めると人が変わったかのように明るく笑顔になる
あのギャップもひづめの魅力だと思いますし、さすが中学からの経験者だけあって踊りやフォーメーションは
一番上手いと思いますし、特にラインダンスにおいては一人だけぴーんと足が高く上がっている様子は
素晴らしいものがあると思います。

そうしたチアリーディングのチアの皆様と吹奏楽の中でも特に野外マーチングでのコラボは、相性としては
最高のものがあると思います。
もちろん吹奏楽団員が楽器を吹きながら時に決めポーズを取りながら一糸乱れぬ行進をする様子も
すてきなものがあるのですけど、そこにチアの皆様が吹奏楽団の行進の前後や横にいて
ポンポンやバトンを手に持って踊っている姿が加わると、これはもはや「鬼に金棒」という領域になってしまうのかも
しれないです。

私自身、小学校の管楽器クラブで打楽器奏者としての経験は既に積んでいましたけど、
それではどうして改めて中学校で吹奏楽部に入部したのかと言うと、この話は以前も書いたと思いますけど、
私の出身小学校と中学校は隣接していまして、小学校の窓から見える中学校の校庭にて吹奏楽部が
かわいくて格好いいユニフォームをまとって「マーチング」をしている光景に惚れ惚れしてしまったからという
極めて単純な理由でもありました。
その中学校は私が在校していた3年間は既に瓦解していましたけど、その少し前までは
吹奏楽部の名門で、昭和40年前半~昭和50年代初期の頃までは県代表として東北大会に駒を進めていたというのも
当時小学生の私としては、「雲の上の存在」とか「憧れ」という気持ち以外ありませんでした。
だけど現実とは本当に残酷なもので、
実際に吹奏楽部に入部してみると、上から目線で怒鳴るばかりの音楽教師の指揮者、
礼儀ばかりこだわりやたら威張り散らす上級生に
私が入部した頃は既に東北大会にも進めない状況が続いていて、かつての名門も既に没落過程に入っていたという
感じでもありましたし、これまで何度も書いた通り、同期で30人前後入部したのに、中二の県大会を契機に
20名前後の大量退部事件が起きてしまい、私自身も中学卒業時には大の音楽嫌い&大の吹奏楽嫌いになっていた
ものでした。

今にして振り返ると12歳程度の子供の視線としては、
中学校の校庭でマーチング衣装に身を包み、一心不乱に楽器を吹きながら行進する中学生は
本当に眩しく輝いて見えたものです。

そしてマーチングの際のあのユニフォーム・・、特に女性奏者たちのマーチングユニフォームってチアリーディングの衣装に
似ているせいもあり、とにかくやたらと眩しく感じていたものです。

吹奏楽の「マーチング」は本当に大変です!!
楽器を吹く事と歩きながら歩幅を揃え、同時にフォーメーションを決めたり、ベルアップを図ったり
ライトフェイス(右向け右!! )とかレフトフェイス(左向け左!!)等を遵守しないといけないですし、
見ている方は「かっこいい!」と感じられるとは思うのですけど、実際の奏者はとてもじゃないけどそんな余裕は
全く無いと思います。
一般的にマーチングは中学・高校で行うべきもので大学の吹奏楽団でマーチングをやるのはどちらかというと
少ないようにも感じられます。
だけど私が在校していた大学の吹奏楽団は定期演奏会の中に、室内用の「マーチングドリルステージ」もあったりして、
まさか大学に入ってからも歩幅を揃える訓練をやらされるとは夢にも思わなかったですね~

「響け! ユーフォニアム」【第一期】においても描かれていましたけど、
メンバー全員の「歩幅」をある程度統一して更新しないと見た目がバラバラになってしまい見苦しいと思います。
アニメでは「1歩85㎝」という表現がされていましたけど、全員が統一して歩幅を揃えて更新と言うのは
かなり至難の業だと思います。
まマーチングに普段から力を入れている学校やマーチングフェスティヴァルクラスになると
「歩幅を揃えての行進」は基本中の基本と思うのですけど 普段は野外でのマーチングをやらない学校は、
歩幅を揃える事よりは、とにかく 「楽しんで吹く事」の方が大切なような気もします。
それに、マーチングのコンクールや大きな大会で無い限りは、見ている人もその辺りを極度に気にするされる人も
それほどはいないような気もします。
それよりも私自身は「周りとの歩幅を揃える事」よりももっと大変だったのは三つほどあり、
一つは、ごく当たり前の事ですけど、歩きながら楽器を吹くのは本当にやっかいである事、
二つ目はこうしたマーチングは目の前に譜面台とか楽譜を置けないので、当日演奏する曲はある程度事前に
暗譜をする必要があった事であり、
三つ目は、行進吹くだけならまだ何とかなるのですけど、これに「フォーメーション」という全体の演出や
途中の「ベルアップ」等の決め技やジグザグ行進が加わると修羅場と化していたような気もします。
冒頭の「アニマエール!」においても笑顔を忘れてしまいチアダンス中に顔がひきつってしまいがちな虎徹に
メンバーが「笑顔、笑顔!」と言っていましたけど、
マーチングやっている最中は楽器を吹きながら同時に行進も行い、時にフォーメーションという演出が入ると
虎徹じゃないけど顔は引きつり気味でとてもじゃないけど笑顔何て出来る余裕がなかったような感じでしたね~(汗)
マーチングの場合、基本は「フォワードマーチ」という「前進」がベースになるのですけど、
たまにですけど、 通常4拍かけて右を向く「ライトフェイス」とか
「スライドステップ」と言って、前を向いたまま足を交差する「カニ歩き」のような特有な歩き方での横方向への行進とか
行進途中の演出が本当にやっかいに感じていたものです。
マーチングは30分程度吹くだけで前進汗だくで死にそうになるほど体力を消耗します。

だけどチアリーディングのチアの皆様もそれは全く同じだと思いますし、吹奏楽団と違ってそこに華麗なバトンテクニックや
ダンスを披露しながら行進をしなければいけないチアの皆様のご苦労は本当に大変なものがあったと
今更ながら感じたりもしますね。



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「響け! ユーフォニアム!」のマーチングシーンは、男性奏者も女性奏者も本格的なマーチング衣装を身に纏っていたのが
大変印象的でした!
幼児体型の久美子・葉月・さふぁいあに比べて、
香織先輩は大人の魅力でしたし、そして高坂麗奈ももっとすてきな大人の魅力に溢れていたと思います!

こうしたマーチング」の練習は、体育祭とか文化祭とか大きなイベントの前に限られていて
年にそう何度も練習するものではありませんけど、楽器を吹きながら歩幅を保つというのは本当にやっかいでした。
中学の頃は女の子たちのマーチング衣装は、白ワイシャツにチョッキ、テニス服みたいなミニスカートという感じでしたけど
よくそのミニスカートが風で煽られてひらひらという感じになっていましたけど、
ま、スカートの下は当然(?)ブルマでしたので(ブルマと言うのは現在では死語の世界でしたね~汗・・)
当時の男子生徒たちは「別にブルマなんかちらっと見えてもしゃーないじゃん!」という反応でしたけど
なぜか皆、嬉しそうでした(汗・・・)
大学の吹奏楽団では、定期演奏会時に「ステージドリル」があったり、学園祭での沿道行進の際に
マーチングはしたものですけど、 当時の吹奏楽団は、女の子がメンバーの80~85%を占めていて
男性奏者は肩身が狭かったです・・
うちの大学の吹奏楽団は一応形式的には当時は
「応援団」の下部組織という位置付けで、応援団の下にチアリーディング部と吹奏楽団がいるという組織でもありましたので、
女子大生のお姉さまたちのマーチング衣装はチアリーディング部と同じ衣装でもありましたので、
高校時代は男子校であった私としては、チア衣装のお姉さまたちがとにかく女神様のように
見えていたものでした~(汗・・)
本年度・・2018年の全日本吹奏楽コンクールも無事に全国大会も終了しましたけど、
出場者・指揮者・関係者の皆様は本当にお疲れ様でした!
来年も今年以上にすてきな名演が出てくる事を期待させて頂きたいと思います。
そしてこうした吹奏楽コンクールという本番一発勝負というほんのわずかな時間のために、
たくさんの練習時間と部外者の私達には想像もつかないようなご苦労とか困難とか場合によっては
「響け! ユーフォニアム」でも散々登場していたギスギスしまくった修羅場とか意見対立とか
とにかく特にスクールバンドの指導者や部長・副部長等の皆様のご苦労は尽きないものがあったと推察されます。

改めて感じるのですけど、音楽関連の学校では無い普通のスクールバンドにおける吹奏楽指導者の先生方の
日々のご苦労は本当に大変なものがあると思いますし、
今現在も問題になっている通り「文化部・運動部のブラック部活化」からもわかる通り、部活の顧問・指導者の皆様は、
場合によっては土日祝日の練習にも朝から晩まで付き合い、先生自身のプライヴェートの時間が少なくなったり
はたまた自腹を切るという事すら日常茶飯事である事を考えると、
こうした普通の公立校における先生方の負担軽減というのもそろそろ本気で議論をすべき時期に入ったと言えるのかも
しれないです。

「響け! ユーフォニアム」は、滝先生赴任前はだらけまくっていた北宇治高校吹奏楽部でしたけど、滝先生が
指導を開始すると劇的にサウンドや部員たちの意識改革が変化していったのは、このアニメ・原作の見どころの
一つだったと言えるのかもしれないです。
滝先生の指導は一言で言うと「適格で全てが理屈に適っている!!」としか言いようが無かったようにも感じられます。
吹奏楽でよくありがちな
「一音入魂」・「気合だ、気合だ!!」・「皆の気持ちを一つにすればよいハーモニーが生まれる」という
精神論ではなくて、
「どのように練習すれば正しい奏法で楽器を吹くことが出来るのか、どうすれば美しい音を出せるのか」という
適格な練習理論に基づいての指導をされていた事はとても理に適っていたと思います。
ランニング・正しい呼吸法・ロングトーン・ソルフェージュなどは、正しい奏法で美しい音を出すための一つの訓練
でありまして、それらをきちんと正しく消化した上で
私の持論の一つでもあります「優しさ・甘美さ・厳しさ・冷たさ・楽しさなどの感情は音色から生まれる」という事を
アニメ作品でも滝先生はきちんと具現化されていたという印象すら感じさせるものがあったと思います。




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吹奏楽に限らずオーケストラの管楽器セクションにおいても「どうすれば美しい音を出せるのか」というのは永遠のテーマ
だとも思います。
その具体的な方法論は色々とあると思いますし、それを厳密に細かく書いてしまうととてもキリが無いので
手短に書いてしまうと、
要は、正しい奏法でお腹からたっぷりと息を吸い吐き出すという正しいプレス、呼吸法を実践する事と言えるのかもしれません。
だからこそ第4話でも、ランニングをした後に直ちに楽器を吹いたりロングトーンを行ったり
お腹を使ってたっぷりと息を吸い、息を吐く事を実践させるために
両手を挙げて自分の息が雲に届くようにまっすぐ吹く事をイメージさせたり等の指導を
滝先生は実践されていたのだと思われます。

よく吹奏楽部は「走る文化部」と揶揄される事はありますし、
私自身の経験ですけど「自分達、本当に文化部なの?」と思えるほど、日々のランニングとか
うつ伏せになって足を少し上げてテンポよく呼吸を合わせたり、腹筋などは確かに私自身もよくやったと思います。
これは別に単に「体力をつける」という事だけではなくて、どちらかというと「正しい腹式呼吸」を身に付けるための
基礎訓練と言えるのだと思います。

第4話の中で、チューバ担当の初心者の加藤葉月が「ロングトーン」という同じ音を長時間連続して
吹き続ける練習をしてかなり弱音を吐いていましたけど、
ロングトーンは吹奏楽部の練習の本当の基本中の基本ですからね~!
ロングトーンは吹奏楽部に所属し金管・木管楽器を担当している限りは絶対にやらないといけない練習であり、
避けては通れない事なのだと思います。
だけど、ロングトーンは大変地味で単調な練習であり、
正直、何の目的意識もなくただ漫然と音をボ―――――――ッと吹き続けているだけでは
ほとんど意味がありませんし時間の無駄という感じになってしまいます。

ロングトーンの目的と成果は何なのでしょうか?
どういう事に気を付けて音を伸ばせばよいのでしょうか・・?
思いついた事を列挙してみますと、

1.音の吹き始めから終わりまで音量を変えないように気をつける
2.音の吹き始めから終わりまで音色が変わらないように気をつける
3.自分の思ったタイミングで音が出るように気をつける
4.呼吸法を意識する(腹式呼吸)
5.出来るだけリラックスして吹く

つまりウォーミングアップの役割と
体に不必要な力が入ったまま演奏する癖を付けないようにするという側面もあると思います。

私が中学の吹奏楽部の頃は、このロングトーンは本当に拷問で単調でつまらない練習以外の何者でも無かったです。
あの当時は、朝7:15からの早朝練習の大半はロングトーンに費やされていましたけど
私を含めてほとんどの部員は
「それではなんでこんな朝も早くからこんな単調な練習をしなくちゃいけないんだ~!」と
全く目的意識も無く漫然と文句ばかり言いながら吹いていたと思います。
だからあれだけロングトーンに時間を割いても、ほとんど上達していなかったのは、
部員の「目的意識の欠如」以外の何者でもなかったように思えます。

高校の吹奏楽部に入部してまず驚いたのは、この「ロングトーン」に対する目的意識が全然違っていて、
ロングトーン中は、「自分の音」だけでなく「他の楽器の音」も聴く事をとにかく徹底されられました。
具体的には、
中学の時は全員が、ドーレーミーファーと同じ音を同じ音量で漫然と吹いていましたけど
高校の吹奏楽部では、
35~40人の部員をA~Eグループに分けてグループ毎にそれぞれ違った音を吹かせていて、
うまく和音的に調和するように配列されていたので、
自分の音を出しながら、全体の「ハモリ」を確認するという一石二鳥の効果が発揮されていたと思います。
時にはそれが不協和音みたいな和音構成になっていましたけど、
その時に初めて、「不協和音も響かせ方によっては美しく響く事もある」という事を意識したような感じもありました。
全員で単一音を漫然と吹くというとどうしても単調になってしまいますけど、
グループ間で違った音を出す事で、「個人」対「全体」の音の響かせ方の違いとか
和音のハモリ方とかそうした事をこのロングトーンを通じて改めて気が付かされたという感じもありました。
それと音量についても色々と細かい指示がなされ、
最初の5分間はffで、次の5分間は一転してpppで、次の5分間はその中間のmfで、ラスト5分間は盛大にfffでと
色々と変化もあったりして、「ロングトーン」といえども全く気が抜けない感じになっていて
中学時代の漫然としたロングトーンとはエライ違いになっていましたけど結果的に大変良かったと思います。
だけど当時のロングトーン最中の部員達は私も含めて相当大変だったと思いますし、神経を使っていたと思います。

第4話で「倍音」という理論が登場していました。

倍音って何なのかというと
簡単に言うと、正しく調律された音をずっと吹き伸ばしていると
それが別の音として聴こえてくるという感じなのですけど、
この「倍音」っていう言葉自体、実は私自身は大学の吹奏楽団に入団するまでは全然知らなかったです(汗・・)
大学の吹奏楽団の初めてのクラリネットのパート練習に参加した際、
高校の時もそうでしたけど、初めてのパート練習ってすごーくドキドキなのですよね~
だってその時に初めて自分以外のメンバーの実力とか上手い下手が分かってしまいますし
同時に自分の実力も他のメンバーに分かってしまうものですから、
もしも自分よりも上手い人ばかりだったらどうしようと結構プレッシャーはかかるものがあったと思います。
初めてパートリーダーから「倍音」という言葉を聞かされて
「それではB♭クラ・バスクラ・コントラバスクラでAの音を伸ばしてみよう、全員の音が正確に
調音されていれば、天使の声が聞こえる」とか何とか言われていましたので、
「倍音とか調音とかなんじゃそれ・・?」と思い「倍音ってなんですか~?」と聞いてみた所、
「あなた、クラリネットを6年も吹いていて倍音すら知らないの!?
5の和音とは・・・? 7の和音とは・・・? 分散和音とは・・・・?」と色々質問されたのですけど
全然ちんぶんかんぷんでした・・(汗)
練習が終わった後で、「楽典」の本を渡され、「これでも読んで改めて勉強し直しなさい」と半分あきれられたのは、
なつかしい思い出ですね。
パートリーダーのあのすてきなお姉さまは「なんじゃこの倍音すら知らないこの東北の田舎の山猿は・・!?」と
感じられていたのかもしれないですね~(笑)
今年の夏はとにかく暑かったですね!

今までの感覚ですと「9月に入ると昼間も8月ほどは暑くないし、夜になると涼しい風が入ってきて、窓を全開に
して寝ていると風邪をひいてしまうのかも・・?」という感じだったのかもしれないですけど、
今年は昼間も夜も「まだまだ暑い・・!」という感じですし、
冷たい飲み物やアイスクリームはまだまだ手放せそうにもない・・という感じですね。

だけどそうは言ってもあと一か月ほどすると10月中旬という事で、さすがにいくらなんでもあの酷過ぎる猛暑は終わっていると
思いますし、少しは「秋」らしきものを実感できる日が多少はあるのかもしれないです。
それにしても近未来の日本の四季は、夏と冬ばかり連続し春と秋はあまり感じられない二季の国になってしまう可能性すら
あると思いますし、そうなった場合、東方の春告精のリリー・ホワイトや秋姉妹のお二人は肩身が狭くなってしまうのかも
しれないですね・・(泣)

秋もあと少しで多少は実感できる日々が間もなく到来するのかもしれないですけど、
秋や冬になると温かい飲み物とか温かい食べ物を飲んだり食べたりすると、
それだけで「なんか生き返ったぁ――――!!」みたいな雰囲気にもなったりしますし、
冬の時期の明け方とか晩に心身をポカポカと温めてくれる「飲み物」というと、
熱いお茶とかココアとかおしることか甘酒とかコーンポタージュもいいのですけど
私としては、「熱い紅茶」、特に特にミルクティーにとてつもなく癒されるものがあったりもします!
あれを寒い晩に飲むとホッとするものがありますし、どことなく癒されるものがあったりもするから不思議なものですね・・(笑)

季節が秋から冬に向かっていくと、温かいおしることか肉まんとか熱いスープとか温かいお蕎麦やラーメンもいいのですけど
「焼き芋もいいよなぁ~」と言った事を感じたりもします。
焼き芋は美味しいし栄養はあるし、焼き立てのものを食べると、ま・・・確かに熱いのですけど
体の底から温まるような感じになってしまいます。
冬の温かい食べ物というと鍋とかおでんとかたこ焼きなんかも素敵だと思いますが、この「焼き芋」も私は大好きですよ!!
子供の頃よく街中で見かけた屋台とか軽トラで移動巡回している「焼き芋屋さん」を
見かけることがめっきり減ったような印象があります。
ここ最近は「焼き芋」を買う場合ってスーパーで購入と言うパターンが増えているような感じがあります。
スーパーで焼き芋を買う場合って、焼き立てのものが多いし、値段はかなり安いし結構ついつい買ってしまうのですよね。
普段よく仕事帰りの際に立ち寄るスーパーでも新聞紙にくるんだ焼き芋丸々一個とか
パックに入った半切れとかよく売っているのですけどこれかなり安いと思います!
丸々一個でも大抵140円くらいで、半切れだと70円ぐらいだったと思いますが、
閉店間際ですと30%引きのシールとか半額シールが張られている事も多々あったりするのがいいですね! (笑)

焼き芋というと「たき火」のお伴というか、たき火をしながらお芋を焼いて、それを「熱い熱い、アチチチ・・・」
とフーフーしなか゜ら食べるというのも子供の頃は時にしていたような記憶もあるのですけど、
最近はそうした「たき火」という光景自体ほとんど目にしないですね。
というか、最近の市町村等での条例においては、「たき火」自体を禁止とか規制しているエリアが相当多いとの事
ですので、たき火をしたくても出来ない、それゆえにたき火で焼き芋を温めてフーフー言いながら食べるという行為自体が
今現在においては「夢物語」に近いような感じになっているのかもしれないです。
なんかそれはもったいない話ですね・・・

余談ですけど、最近の「戸建て住宅」の解体は、産業廃棄物処理とかリサイクルとかマニュフェスト作成等で細かく規制を
されていて、解体後に出た廃材は「どういう廃棄物をどのくらいの量でどの業者に廃棄手続を依頼したのか」という
流れがある程度把握されるように求められていて、そうした事務手続きの面倒くささとか業者の手間賃高騰もあり、
昔と比べて家の解体に関する費用はこの15年近くで5~7割程度上がっていると感じます。
私が住宅営業をしている頃の「木造住宅の解体」って、結構どんぶり勘定にやっていて
「え・・木造で35坪程度の家・・? そんじゃー、大体原価で60万、客出し価格で78万ぐらいだ!」みたいな感覚で
やっていましたけど、最近はそうしたテキトーな計算も通用しないのが実情だと思います。
更にいうと、解体業者のオヤジから聞いた話では、昭和40~50年代前半の頃って、今みたいに煩い時代ではなくて
どことなくのんびりしいたから、解体した家をどっかの広場に集めて、そこで「野焼き」みたいな感じで、
ちょっと(?)規模の大きいたき火みたいな事もやっていた・・とも言っていましたけど、
そんなの今の時代にやったら、近隣住民からのチクリ・・いや通報で一発で行政処分食らってしまいそうですね・・・
その解体屋のオヤジの話では、そうした家の「野焼き」の際に、よーく芋やとうもろこしやシシャモを焼いて食べていた・・
との事ですけど、当時はどこかそういう「のんびり」とした感じもまだ残っていたのでしょうね。
最近の世知辛い世相とはエライ違いですね・・・

私の自宅の三軒先の家も、そこに住んでいた老夫婦が「高齢化でとても自分達だけで生活は出来ないし介護が必要不可欠」
という事で、自宅を売却し遠方の介護付き老人ホームに入居するという事で転居されていましたけど、
その解体工事が先日より始まっていました。
私が現役の住宅営業をしていた頃の解体は上記で書いた通りまだ大雑把でテキトーな時代で、
解体に着手したら、まずは重機を家の前に付けて1日程度で重機とユンボでドッカンドッカン、ガラガラガッシャーン!!と
家一棟を丸ごと短期間で叩きつぶし、そこで出た廃材を次から次へとトラックに積み込み産廃所に持ち込むという感じでしたが、
最近の解体はそうした短期間の叩きつぶしは出来ないというのか、資材ごとに一つ一つ基本的には手作業でバラしていく
という感じが主流のようでもありますので、大体一日2人の職人が入って2週間程度は掛ってしまうのが
一般的という感じでもあるようですね。





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そうそう「焼き芋」と言うと、2015年年4月~6月に放映されていた「響け! ユーフォニアム【第一期】」の第7話のワンシーンが
とっても印象的でした!!

「響け! ユーフォニアム」は、吹奏楽経験者にとっては
「そんな事昔あった、あった!!」といった吹奏楽あるあるみたいな要素がてんこ盛りの作品だと思うのですけど
見方によっては、とてつもなく懐かしかったり甘酸っぱい雰囲気を感じたりもするのですが、
このアニメの晴香部長ではないけど
(私自身のように)頼りなくて威厳がないポンコツ吹奏楽部部長経験者にとっては
とてつもなく「胃がギリギリ痛い」ようなアニメなのかな・・?とも思ったりもしますね。

第7話においても、とにかく色々とあって
「誰にも会いたくない!!」状態にまでなってしまい学校を休んでしまった晴香部長を、晴香の家にお見舞いに行き、
「焼き芋」の差し入れをした香織が、本当に天使に思えます!!

第7話の晴香と香織の「焼き芋」を巡るガールズトークが大変印象的でした!

なんで芋なの?

食べたかったの芋。牛乳で

一応吹奏楽部のマドンナだよ?

マドンナだって芋が好きなの  はぁむ・・・・・ もぐもぐ・・・・

うーーーん、あれは・・・「女の子の園」でしたね!!・・・(笑)

やっぱり香織先輩は素敵な芋マドンナですね

香織のあの「はぁむ・・・・・ もぐもぐ・・・・」はとてつもなくかわいかったですね~!!

晴香部長と言うと全般的には「頼りない部長」という印象が大変強かったりもしましたけど、
第二期ではそれなりの成長と逞しさも垣間見せてくれてもいましたし、第一期の最終回の京都府大会のシーンにおいての、
「今日の本番を迎えるまで、いろんなことがありました」
「でも今日できることは、今までの頑張りを…思いを、全て演奏にぶつけることだけです」というのは
少し安っぽいけど、いかにも誠実な晴香らしい言葉でした。
御守りを作ってくれた部員に対する労いの言葉も決して忘れないのはやはり晴香部長らしい相手への気遣いですね。

これは完全な余談になってしまうのですけど、
私自身、中学と高校で吹奏楽部の部長をしていて、いい事はあんまりなかったけど
数少ない嬉しかった事は、吹奏楽コンクールの閉会式の審査結果発表&表彰式の際に、部を代表してステージ壇上に
他校の部長たちと共に立ち表彰状を手渡された事かもしれないです。
あれって照れるものはあるものの「部を代表している」といった「誇り」は感じていたものです。
高校の時はダメ金でも金賞だったから、とにかく舞台上でも嬉しくて感動しまくりでしたけど、
中学の時は金賞も取れずに銀賞で終ってしまいましたので、
銀賞の表彰状を貰った際は全然嬉しくも何ともなかったし、
「これで部長職と大嫌いな吹奏楽から解放される・・・」という嬉しさ半分、
中学最後のコンクールもやはりダメだった・・・という「後悔」の気持ちが半分と「微妙な寂寥感」という感じだったと思います。
ああいう大観衆を前に、部を代表して表彰状を受け取るという感覚は今でも忘れられないものがあったりもしますね。

そして晴香部長も第二期において、全国大会の表彰式においては表彰状を部を代表して受け取っていたのも
大変印象的でもありました!
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本記事は「響け! ユーフォニアム」第二期の第5話のレビュー記事でもあるのですけど、「響け! ユーフォニアム」というと
私的にいっちば~ん!のキャラは誰かと言うとそれは言うまでもなくトランペットの高坂麗奈なのですので、
まずは冒頭でいっちば~ん!にdream fantasyのすてきな管理人さんのアミグリさんが描かれた麗奈を転載させて頂きたいと思います。
ちなみに上記の麗奈は、7月7日の当ブログの「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」という節目記事の際に
アミグリさんにリクエストさせて頂き描いて頂けた記念イラストでもあります。
この麗奈は私自身とっても大のお気に入りの一枚ですし、麗奈自身、アニメ作品や原作ライトノベルにて
「私は一番になりたい!」と何度も言っていますので、艦これの白露お姉ちゃん同様に、私もいっちば~ん!冒頭に
この麗奈をお披露目させて頂きたいと思います!

アニメ「響け! ユーフォニアム」なのですけど、第一期の最終回は京都府大会の演奏をベースに構成されていましたが、
第二期の第5話は、関西大会での演奏をベースに構成されていました。
この第5話はなんと! アニメとしての放映時間25分のうち、丸々半分程度の12分間を
吹奏楽コンクールの課題曲と自由曲の演奏シーンとして放映していたのは当時は驚きでした!!
「のだめカンタービレ」などのようなクラシック音楽をモチーフにしたアニメでも、
演奏シーンが頻繁に出てくるアニメも色々とあったと思いますけど
「響け! ユーフォニアム」のようにこんなにも長時間、一つの回において演奏シーンとして展開されるのは異例中の異例だと
思いますし、とてつもなく前代未聞な事だと思いますけど、
ああいう演出は、吹奏楽コンクール経験者としては本当に嬉しいシーンであり
私としては「京都アニメーション、よくやってくれた!!」と称賛の声をお伝えしたい気持ちで一杯です!!
演奏シーンの中には、回想シーンや写真の一コマを挟むなどエピソードとしての役割も十分果たせていたと思います。

上記で丸々12分間と書きましたけど、厳密には違うのかな・・

課題曲の「プロヴァンスの風」は抜粋でしたね・・だけど自由曲の「三日月の舞」はノーカットでした!

第5話は前半のAパートが極端に短かったものですので「これは何かあるかも・・」と予感させるものがあったのですけど、
まさか「三日月の舞」をノーカットで放映するとは思わなかっただけに驚きでした!

「吹奏楽コンクール」の本番は、とにかく独特な雰囲気があります!!
あの雰囲気は、大変申し訳ないですけど、吹奏楽コンクールを経験した方で無いと中々分かって貰えないかもしれないですね。
コンクールの前日は、大抵あまりよく眠れずにもんもんと過ごすことが多いとは思うのですけど、
コンクール当日の朝になっていると、意外と頭はシャキッ!!としているというか何か凛としたものが
自分の中に内在しているような感覚が私の中ではあったような気もします。
本番の演奏開始一時間前に会場入りし、30分前にチューニング室に入り、最終的な音程合せを行います。
そして、15分前に舞台袖に通され、ここで自分達の一つ前の出演チームの演奏を聴く事になります。
この際他校の演奏が自分達と全く同じ課題曲でしたら結構嫌なものはあったりもしますね。
(コンクールの場合、他校の演奏はとにかくなんでも上手に聴こえてしまいがちですからね・・)

そうした本番前のシーンも第5話の中で大変丁寧に描かれていたのも大変好感が持てました。

さてさて、本記事においては、「吹奏楽に出てくる楽器ってどんなものがあるのですか・・?」とお感じになっている方も
いらっしゃるのではないか・・?と以前から感じてはおりましたので、
この「響け! ユーフォニアム」第二期の第5話の吹奏楽コンクールの演奏シーンを借りる形でごく簡単に吹奏楽で
使用される楽器について触れさせて頂きたいと思います。



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まずはフルート&ピッコロです。

吹奏楽部に入部希望をしてくる皆様たちの中での人気楽器は、トランペット・トロンボーン・アルトサックスだと思いますけど、
女の子にとって一番人気のパートはフルートと言えるのかもしれないですね。

フルートの楽器の素材はサックスと同じように金属系なのですけど、扱いは木管楽器です。

フルートのイメージは優雅で華麗であり、全体合奏の中では目立たない方なのかもしれないですけど、随所においしいソロが
用意されている事も多々あり、音程が安定している事もありますし、万一ミストーンをしても元々の音量が弱いという事もあり、
あまり目立つことも無く、指揮者からはどちらかというと優等生扱いされる事が多いのかもしれないです。

フルートパートは現在の高校A部門の55名編成という制約においては、3人一組でパートを構成される事が多いと思いますが、
そのうち一人はピッコロという超音域楽器との持ち替えというパターンが多いと思います。

そうそう。フルートというと奏者は常に腕を上げ続けていますので、全部員の中で実はいっちば~ん!肩凝りさんが多いのかも
しれないですね・・(笑)




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続きましてダブルリード楽器という位置づけのオーボエです。

「響け! ユーフォニアム」ではオーボエ奏者はみぞれ一人だけでしたけど、実際の吹奏楽コンクールでは2人奏者が
いる事がほとんどだと思います。
曲によっては一人の奏者がコールアングレ(イングリッシュホルン)を持ち替えする事も多々あったりします。

私的にはオーボエという楽器は人間の声に一番近くて、その音色は素晴らしい癒しの効果があると思いますし、
例えばボロディンの歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りやイベールの交響組曲「寄港地」~Ⅱ.チュニスからネフタへや
チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」~第一幕への情景などの
あのオーボエのソロを聴くととてつもなくうっとりとさせられるものがあると思います。

だけどオーボエという楽器はクラリネットほどではないにせよ、大変神経質な楽器であるとも言えると思います、
神経質というか大変デリケートと言った方がいいのかもしれないです。
そこにあるのはダブルリードの調整というものだと思いますし、前日まであんなに調子よく吹けていたのに翌日になったら
全然不調で音さえロクに出ない・・という大変好不調の波が激しい楽器とも言えると思います。

だからオーボエ奏者は練習する時間よりもリードを削ったり調整している時間の方が長いとよく揶揄されたりもするのです・・



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続きまして私自身が約10年間の奏者生活のうち9年間苦楽を共にしたクラリネットです。

クラリネットパートはA編成・55人でしたら、9~11人程度は必要だと思われます。
このブログでも過去記事で散々愚痴っているように、吹奏楽部員の約8割以上は女性で元々男性奏者が少ないという事情
もあり、高校時代の私のように男子高校だとクラリネット奏者は本当にやばいぐらいなり手がいなくて毎年毎年
常に慢性的で絶対的なクラリネット奏者不足に泣かさせていたものです。
逆に中学とか大学の時のように共学の場合ですと、吹奏楽部のクラリネットパートはほぼ100%女の子ばかりで、
私も中学と大学の時はクラリネットパートに私以外の男性奏者は一人もいなかったので、私は常に女の子だけの秘密の花園に
いたものでした~!(笑)

そうそう、クラリネットパートといっても厳密には曲によって高音域メロディー担当のファースト、中音域メロディー担当のセカンド、
そして低音域メロディー担当のサードと三つに分かれていて、ファーストの中にソロを担当するソロクラもいましたし、
ファーストが場合によってはエスクラ(スモールクラリネット)という超高音域楽器を持ち替えするケースも多々あったと思います。

クラリネットという楽器は、約9年間この楽器を吹いていた私から言わさせて頂くと神経質で扱いにくいデリケートな楽器なのだと
言えると思います。
デリケートというと「オーボエ」ほどではないと思うのですけど、それでもクラリネットの扱いにくさは、現役奏者当時は
何度も「こいつ、しばいたろか・・」と関西弁でツッコミを入れたくもなったものです・・(汗・・)

そしてその中でも一番頭が痛かったのは「リードミス」のあのキ―ッというこの世のものとは思えない楽器の操作ミスによる
絶叫音ですね・・
練習中ならば周りも「またか・・」という雰囲気で見てくれるのですけど、万一あのリードミスをコンサートや
吹奏楽コンクールの本番でやらかしてしまった時の周りからの「冷たい視線」はかなり堪えるものがあると いえそうですね・・

「リードミス」っていう言葉は考えてみるとあまり適切でないのかもしれないです。
クラリネットの演奏中のあの甲高い「キー――ッ!!」というミスった音は色々原因があり
別に「リード」だけが原因ではないと思われます。

ま、勿論リードの調整の悪さと言うのが大きな理由かもしれませんけど、他に主な原因はどこにあるかというと、思いつくのは

1.アンブシュアの問題(唇の締め方・マウスピースをくわえる深さなど)

2.マウスピースとリードの調整が悪い、バランスが悪い

3.運指の問題

  運指の切り替え時に、穴をふさぎ切れていない時や
  下あごの力加減の切り替えや息の入れ方の切り替えタイミングが合わなかった時に
  よく発生します・・・・

4.タンギングのタイミングが悪い

5.楽器自体の調整不良

そう言った事が挙げられると思います。

特に「リード」の調整は本当に日々苦労させられたものです。

本当は、市販のリードをそのまんま使用するのが一番理想だと思うのです。

だけど、マウスピースとの相性や自分自身のアンブシュアに合わせるとやはり市販のものを少し調整した方が
より音が出易いとかいい音が出るという事も多いため、ついつい「余計な事」をしたくなってしまいます。
その「余計な事」とはすなわち「リードを削って調整する事」ということです。




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続きましてファゴット(バスーン)です。

ファゴットもオーボエ同様にリードが上下2枚から構成されているという事で「ダブルリード楽器」という位置づけです。

現在の吹奏楽コンクールの高校の部でしたら、ファゴット奏者が二人いてもむしろそれは普通なのだと思いますし、
お金持ち学校の場合ですと、一人の奏者がコントラファゴットという一台80万~100万近くする事もある高価な超・重低音楽器を
掛け持ちしている事例も多々あると思います。

ファゴットの音は基本的には低音楽器という位置づけなのですけど、あの独特のユーモラスな音は、
時に陰鬱に時にユーモラスに時にモノ哀しくと様々な表情を見せてくれる事が出来るのが素晴らしいと思います。

ファゴットで私が個人的にいっちば~ん!と感じる効果的な使用事例として、
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の冒頭のファゴットの超高音域ソロで開始される場面を挙げたいです。
作曲者としては、「鳴らない音を必死で出そうとする感覚」が欲しかったとの事ですが、
奏者にとっては迷惑千万という感覚もあるのかもしれないですけど、作曲当時の事情はどうか分かりませんけど、
今現在のファゴット奏者はあのような超高音域でも楽々と音を出してしまいますから、ストラヴィンスキーが求めた
「悲壮感」はあまり感じられない感じもあったりします。
だけどあの春の祭典の冒頭ファゴットソロの感覚はいつ聴いてもミステリアスさは伝わっていますね~!
それと大変面白い使用事例としてショスタコーヴィッチの交響曲第9番を推したいです。
第四楽章の金管の重苦しい導入部に続くファゴットの悲痛で長大なソロは、
聴いていて魅力もありますし「少しいたたまれない・・」みたいな哀しさ・憂鬱・メランコリーに溢れているのですけど
第五楽章に入ると、先程まで悲痛なソロを展開していたファゴットが唐突に何の脈絡も必然性も無く
軽いノリのメロディーを展開していく構成になっています。
あの唐突な変化を醸し出せる事が出来るというのもファゴットの一つの魅力なのかもしれないですね。




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続きまして大人気のサックスパートです。

サックスは男子校であっても共学校であってもその人気の高さはトランペットと並んで群を抜いているのかもしれないですね!

ちなみに私自身は10年間の吹奏楽生活の中で中学3年の一年間だけアルトサックスを吹いていて、結果的に
あの一年間が奏者としてはいっちば~ん!楽しかった一年間と言えるのかもしれないです。

中学2年の冬休みの頃に「お前は今日からアルトサックスにうつれ~!」とまさかのクラリネットからアルトサックスに
コンバートされたのですが、私自身も大変意外でもあったのですけど、
クラリネットに比べてアルトサックスはとても簡単に音が鳴らせてとても簡単にヴィヴラートをかけられ、
思った以上に容易に美しい音色を出せる事に正直驚いたものですし、コンバート初日でも普通に全体合奏に参加する事が
出来ていました~! それまではクラリネットという楽器の大変さ、音の出し方の難しさ、リード調整の難しさ等に
毎日頭を抱えていたものですけど、あの時は「世の中にこんなに簡単な楽器があったんだぁ~」とヘンな誤解を生ずることに
なってしまったものでした・・(汗・・)
もちろん、サックスは決して簡単な楽器ではありませんので、こんな妙な記事読んでヘンな誤解はしないで下さいね・・(汗)
一つ言えることは、クラリネットに比べてアルトサックスはマウスピースが大きいのですので、
それが当時2年間小さいマウスピースのクラリネットを吹いていた人間の感覚からしてみると「吹きやすい~」という
感覚になっていたのかもしれないです。
それとクラリネットは木製ですけど、サックスは金属でもありますし、その日の湿度や温度といった外部環境に
あまり影響を受けにくいというのもあったと思いますし、クラリネットは直接指で穴をふさぎますけど、
サックスは構造的には金属製の蓋で穴を開閉させるという事で、やはり音が出しやすいという事もあると思います。
そして大変ありがたいことは、サックス系の楽器はクラリネットと違ってほとんどリードミスが発生しないと言う事も相当
大きかったような気がします。
コンバート初日には「一体今までのクラリネット奏者としての二年間は何だったんだろう・・・」と思ってしまったものでした。
ちなみにですけど、私がアルトサックスへのコンバート初日に真っ先に吹いた曲は何かと言うと、
言うまでもなく1979年の課題曲A/フェリスタスのあのとてつもなくかっこいいアルトサックスの朗々としたソロでした~! (汗・・)

サックスパートは、アルトサックス・テナーサックス・バリトンサックスから構成されています。
稀にですけど曲によってはアアルトサックス奏者がソロがある場合にソプラノサックスに持ち替えする事もたまにあったりします。
アルトサックスはおいしいメロディーばかり担当する事が多いですしかっこいいソロも多いし、何よりも見た目がかっこいいから
それが人気の所以なのかもしれないですね。
テナーサックスはアルトサックスの裏メロ担当で、バリトンサックスはひたすら地味な後打ちとビート刻みという立ち位置なのかも
しれないです。
そしてサックスパートは全員そうですけど首にストラップをかけ、このストラップと楽器を結びつけますので、
楽器が床に落ちることはありえませんけど、その代わり首が凝ります・・




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続きまして木管低音セクションです!

その構成はバスクラ・コントラバスクラ・ファゴット・コントラファゴットでして、要は吹奏楽部の合奏の土台を支える
低音のリズム担当の皆様です。

「響け! ユーフォニアム」の中で私がちょいと疑問に感じる点は、主人公の久美子もそうなのですが、
ユーフォニアム・チューバ・コントラバスを「低音パート」と呼んでいる点なのですけど、
ユーフォニアムは中音域を担当する楽器であり、少なくともチューバやバスクラみたいな低音のリズムセクションではないと
思うのですけどね・・・



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ここから先は金管・打楽器セクションです。

続きましてホルンパートです。高校A編成ですと、最低でも5人、出来るならば7人程度は欲しいなぁ・・と感じるパートです。

ホルンの素晴らしい点は、強奏になった時のあのとてつもない大迫力の音量と壮大なスケールの大きさと
雄叫びの爽快感だと思います。
反面この楽器は大変技術的な難しさがあり、音を大きく外しやすいし、音を外した場合とてつもなく目立ってしまうという事が
挙げられると思います。
吹奏楽部の全体練習でいっちば~ん!指揮者から怒られるのは金管ではトランペット、木管では圧倒的にクラリネットで
その次に指揮者から目の敵にされるのはやはりホルンだと思います。
ホルンがミスった時は目立つからやはり指揮者の目に留まりやすいのかもしれないですね。
そしてホルンと言うとマーチにおいては、ンパンパンパ・・となぜか後打ちばかりで、気の毒なくらい単調な役割に
なってしまうのは不思議なものがあったりもします。

だけどホルンは強奏の際に決めるべき時はちゃんと決まる楽器でもあるから、あれはとてもうらやましいと思いますし、
例えばバレエ音楽「ガイーヌ」~収穫祭とかバレエ音楽「シバの女王ベルキス」~狂宴の踊りの場面とか
矢代秋雄の交響曲とか、交響詩「ぐるりよざ」~Ⅲ.祭りとかリードのアルメニアンダンスパートⅡ~Ⅲ.ロリからの歌の
あの雄叫びの凄まじさは他パートから見ても惚れ惚れとするものが間違いなくあると思います!




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続きましてやはり人気楽器の一つでもあるトロンボーンパートです。

トロンボーンは小編成でも大編成でもたいていの場合3人一組で構成される事が多いですね。
その構成は、ファースト・セカンド・バストロという感じなのですけど、バストロンボーンは楽器自体が
ファーストとセカンドと管の構造自体が違っているという感じです。

トロンボーンの爆発的なあの推進力とか大音量の迫力は見ていても大変気持ちがいいものです!

トロンボーンが他の楽器と大きく異なる点はスライド操作があるという事なのですけど、滅多にないけど
トロンボーン奏者が稀に本番中にスライドを落してしまい、ステージ内にガシャーン!と壮絶な音を響かせる事も
たまにあったりもします・・




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続きまして低音セクションの重要な要のチューバです。

チューバは、ひたすら、ボンボンボンボンボンボンボンと低音のリズムをテンポよく刻み続けているという
イメージがあったりもします。
合奏の中では、全体の土台と言うのか全体の支えと言うのかリズムセクションの要という
地味ながら大変重要な役割を担っていると思います。
大抵の場合、指揮者から「全体の基礎を支えるチューバがしっかりしていないから全体が不安定になるんだ!!」と
しったようなことを言われて、
為す術も無く虚ろな表情で指揮者を見つめているチューバ奏者みたいな勝手なイメージもあったりします。



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続きまして打楽器パート(パーカッション)です。

打楽器は高校A編成の部ですと5人~7人前後で構成される事が多いようですね。

例えば「ローマの祭り」~主顕祭とかバレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲~Ⅲ.全員の踊りなどのように
最低でも打楽器奏者を8人程度は求められる場合もあったりします。
さすがに全国大会ではそうした事例は皆無ですけど、一昔前の県大会レヴェルですと、場合によっては
クラリネット・ファゴット奏者が自由曲のみ打楽器奏者としてプレイさせられる事もありましたし、
私の中学もファゴット奏者は自由曲のラスト近くでは、シンバル奏者と兼務もさせられていました・・(汗)
管楽器奏者が打楽器パートの人数不足を理由に打楽器に一時的にコンバートされる事を私たちの世代では
「左遷」と呼ぶこともあったように記憶しています・・(汗)

打楽器パートは一般的には、ティンパニ奏者を頂点に、大太鼓・小太鼓(スネアドラム)・トムトム・ドラムセット等の太鼓系、
シンバル・サスペンダーシンバル・ドラなどの鳴り物系、
グロッケンシュピール・シロフォーン・ヴィヴラフォン・マリンバ・コンサートチャイム等の鍵盤打楽器系、
そしてタンバリン・トライアングル・カスタネット・マラカス・拍子木などの小物打楽器系、
そして場合によっては和太鼓といった特殊楽器やはたまたピアノなど、
打楽器奏者はマスターすべき楽器が大変多いというのが大きな特徴なのだと思います。

そして曲が静粛な場面とか弱奏の場面では打楽器は全員お休みという事も多々あり、そういう時にうっかり居眠りして
指揮者にばれると「例え休みの場合でも音楽に参加しているという気持ちをキープしていろ!」と怒られてしまうというのが
一つのお約束であったような感じもします。



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続きまして吹奏楽部の最大の華ともいえそうなトランペットパートです。

高校A編成ですと、5~7人で構成される事が多いと思いますが、クラリネットと同様にファースト・セカンド・サードから
構成をされています。

ホルン同様に大変目立ち華があり、強奏時の迫力は目を見張るものがあるとは思うのですけど、外した場合は
相当目立つと思いますし、同時にミスが目立ちやすくボロが出やすい楽器と言えると思います。

高音域の強奏の場面の迫力は圧巻ですけど、例えばコープランドの「静かな都市」のように弱奏で朗々と奏でる場面の
美しさも格別なものがあると思います。

そして「響け! ユーフォニアム」第一期では高坂麗奈と香織先輩のソロを巡る争いというかオーディションが
大きな見所であったとも思えます!



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本記事のフィナーレを務めさせて頂く楽器は言うまでもなくユーフォニアムです!
(「響け! ユーフォニアム」の主人公の久美子は基本的には主人公なのに今一つ影がうすい・・という感じでもありましたね・・)

こんな事書くと、ユーフォ奏者の方からブーイングを浴びそうなのですけど、
吹奏楽の中でもユーフォニアムは比較的「地味」な立ち位置という印象もあります。
音色自体、トロンボーンと大変よく似ているし
(ユーフォとトロンボーンのマウスピースはほぼ同じだったと思います)
中音域という意味では、ホルンとアルトサックスと被ってしまうし、低音はチューバにその役割を譲らざるを得ないし、
確かにリズムと後打ちもメロディーラインも裏メロも何でも担当できる「吹奏楽の便利屋さん」みたいな
側面もあるのですけど、それが「器用貧乏」みたいな印象も与えてしまうようにも思えます。

シュミットの「ディオニソスの祭り」とかホルストの「吹奏楽のための第二組曲」とか
2000年吹奏楽コンクール課題曲Ⅰ/道祖神の詩のように、ユーフォニアムという楽器が
素晴らしいソロを聴かせてくれる曲も数多く存在しています。
最近では、「民衆を導く自由の女神」のユーフォニアムのソロは惚れ惚れするほど素晴らしいものがあると思います!
私が過去の吹奏楽コンクールで感銘を受けたユーフォの使用例としては、
1987年の福岡工大付属の課題曲E/マーチ「ハロー! サンシャイン」の中間部のユーフォの裏メロの素晴らしさとか
1988年の札幌市民の「タンホイザー」の2分近いユーフォの朗々とした素晴らしい歌い廻しとか
同じく札幌市民の1992年の「カルミナ=プラーナ」の圧倒的存在感とか
実に素晴らしかったですね!

だけど、私自身も高校時代の頃は、よくユーフォ奏者と喧嘩しては、
「ふんっ、こんなマイナーな楽器で別にいてもいなくてもどうでもいい楽器」とか
「ユーフォニウムかアルミニウムか何か知らないけど、こんなポンコツ金管楽器・・」とか
口走っては、ユーフォ奏者と見苦しい(汗・・)ユーフォニアムとクラリネットの不人気楽器同士の足の引っ張り合いを
やらかしていたものでした・・(滝汗・・!)



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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、当ブログがいつも大変お世話になっている
dream fantasyのすてきな管理人の
アミグリさんが描かれたイラストのご紹介コーナーです。

というか・・冒頭と同じく「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です!

どうして冒頭に続いてまたまた同じ麗奈をここに持ってきたのかと言うと、それは言うまでもなく、管理人の私が
大の麗奈好きであり、アミグリさんが描かれたこの麗奈がとてもお気に入りの大好き作品で、
「こんなに素晴らしい麗奈は是非ぜひ何度でも皆様に見て頂きたい!」という気持ちの表れでもあります!

高坂麗奈というと原作者の設定によると、
艶のある長い黒髪とこぼれ落ちんばかりの大きな瞳が目を引く自信にあふれた美しい容姿の少女とされていて、
アニメ版としても、容姿端麗・頭脳明晰な黒髪の美少女で、そのクールな印象とは裏腹に胸の内ではトランペットに対して
熱い想いを抱いていて一見して他を寄せ付けぬような雰囲気を放つというのが基本設定になっています。
原作のライトノベルを読んで頂けると分かる通り、麗奈の基本パーソナリティとして、
周囲と同じであることを良しとせず、「特別な存在になりたい」と願うストイックな性格の持ち主で、
当初は他人との間に距離を取り、特定の誰かと一緒にいることを嫌う「孤高の存在」でもあるのが大きな特徴なのだと
思います。

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~!

改めてアミグリさんには「こんなにも素晴らしい麗奈を描いて頂きありがとうございました!」と感謝の言葉を申し上げたい
気持ちで一杯ですし、
「アミグリさんに記念イラストをリクエストさせて頂いて本当によかった!」と心の底から感じたものですし、
アミグリさんにリクエストさせて頂けるだけでなくて、こんなにも素晴らしい作品を描いて頂けている事に
私自身とっても「誇り」を感じております。

上記のアミグリさんが描かれた麗奈は、その権利は全て麗奈の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

本記事が9月のいっちば~ん! 最初の記事という事でもありますけど、9月の当ブログも何卒宜しくお願いいたします!
最近なのですけど、実は頭から出血をしちゃいました~! (汗)

頭からの出血と言うと転倒とか事故とかやばいような雰囲気もありそうですけど、そんな事故とかそんなものではなくて
ましてやもっとやばそうな脳内出血とか全然そんなものではなくて、
先日の3連休の出勤時に連日の35℃越えという酷暑の中で車で移動中に、あまりの暑さのせいか一時的に
車内のエアコンが全然効かない状態になってしまい、その際にやむを得ず窓を全開にして仕事をこなしていたら、
いつの間にか髪が汗まみれになっていて、それが少し乾燥してくるとなんだか無性に髪が痒くなってしまい、
髪をポリポリと掻きむしっていたら、いつの間にか頭皮に出来ていたかさぶたを引っ掻いてしまい
そこから出血をしてしまった・・という実はたわいのないものであったりもします・・(笑)

こういう時便利なのは、アルコール除菌が可能なウェットティッシュ(フェイシャルペーパー)ですね~!

アルコールが入っているから消毒もできるし血も拭き去る事ができるし、頭皮に乗せると出血した所は痛いのだけど
結構じんわりとクールさが伝わってくるし、頭皮の怪我とは別に暑い時にはこうしたクールアルコール除菌タオルというのも
重宝しそうですね~!

かわいい少年みたいな男の子であっても見苦しい(?)中年オヤジでも、男の子が頭ポリポリと髪の毛を掻き毟っても
「なんかちょっと汚いよね・・」みたいな印象しかないのですけど(汗・・)
かわいい美少女が頭をポリポリとかいたり、髪の毛を掻き上げたりすると
「わぁーー、なんかとっても可愛い!」と心から共感してしまうのは、別に不公平でも何でもないですよね・・(笑)

頭がなんだかかゆくなって頭をポリポリしていると爪に引っかかるものがあったりするものですけど、
それが「頭皮にできたかさぶた」なのだと思います。
上記で私が書いた頭皮からの出血の原因がまさにこのかさぶたであったのだと思われます。
そんなかさぶたは剥がさないほうがいいんだろうな・・とか何も触らないでそのまんま放置して自然治癒するのが
ベストなんだろうな・・と分かってはいるのですけど、なんか気になってついつい剥がしてしまう事が多いと思います。

別に頭がフケ症という訳では無いのですけど、高校生くらいの時から
「あれれ・・自分の頭皮にはかさぶたができやすいのかな・・?」という自覚はあって、
つまらない(?)退屈な理系科目の授業の際には、
ついつい退屈しのぎの一環として(?)自分の頭のかさぶた剥がしなんてやっていたものです・・(汗・・!)
たまにですけど、剥がす際に出血してしまい、ティッシュで自分の頭皮を拭いてみると、結構血まみれ・・みたいな事もあり、
「決していい事ではないんだよなぁ・・」と分かってはいるのですけど、
なんだか自分の頭にそうした引っかかり物があるとついつい気になって剥がしてしまうのですよね。

頭皮に出来たかさぶたは気付かなければ気付かないままで済むはずなんでしょうけど、
一度気付けば気になって気になって仕方がない・・・そんなものなのかもしれないですね・・
そうなんです! 頭のかさぶたをペリペリと剥がすあの感覚が妙に「快感」になってしまうのかもしれないですよね・・(笑)
そしてそのかさぶたを綺麗に剥がした時のあの「達成感」(?)がまた格別なのかもしれないですね・・・(汗・・!)

改めてですけどこの「頭皮のかさぶた」というものは、決して無害という訳では無くて、
頭皮に細菌やカビが繁殖したり、紫外線の影響を受け皮脂酸を作り出した結果、炎症となり最終的にかさぶたとなるのです。

え・・? という事は私が調子こいて剥がすかさぶたは、剥がす際は快感であっても その原因は細菌やカビが原因なのです!

かさぶたは剥がしてもしばらくすればまた出来ますし、放っておいてすぐに問題があるかというとそうではありません。
ただ、だからといて放置するのも問題です。
頭皮にかさぶたができる → 気になって剥がす → 頭皮が傷つく → かさぶたができる
結局はこの繰り返しになってしまうのだと思います。
かさぶたは傷が治る手前の状態です。
なので、剥がして傷つけてしまうと、またかさぶたができてしまい、このまんまずっと「かさぶた」が出続ける事の繰り返しに
なってしまい、かさぶたを剥がす事とまた同じ場所にかさぶたが出来る事の連鎖になってしまい、
頭皮の同一場所で同じことの繰り返しという事になってしまうのだと思います。

こうしたかさぶたで怖いことは、傷口から雑菌が入ってしまう恐れもあるという事で、
頭皮で炎症がおこり、さらに頭皮の状態が悪化するということにもつながる可能性も決してなくはないと思われますので、
やはり頭皮のかさぶたを恒常的に剥がすという事は、確かに瞬間的な快感はあったとしても
決してよくないという事なのでしょうね。

更に・・かさぶたをはがす行為を続けているとずっと治らず、頭皮の状態は一向に改善しませんし、
場合によっては、フケの多発→抜け毛→円形脱毛症の可能性すらあるとの事です! (汗・・)

うーーん、やっぱりハゲは抵抗がありますよねぇ・・・(滝汗・・!)

なんかゴチャゴチャと書いてしまいましたけど、まとめてみると、

頭皮のかさぶたを自然離脱する前に無理に剥がす事により、その部分はまだ治癒していないために
また新しいかさぶたが出来る事になります。
そして、その新しいかさぶたをまた同じように剥がす事により、堂々巡りになるのです。
何度もこれを繰り返す事により部位の変形、最悪の場合、ハゲを誘発する可能性もありますので、
結論から言うと、これは自分自身を律して「頭皮を剥がすことは極力やったらダメ!」と自覚するしかないですね・・

だって、やっぱり男の子は将来誰だって「ツルピカはげ丸くん」にはなりたくはないですからね・・・(汗・・)

そして、確かに「剥がしちゃダメ!」と自覚して意識的に剥がさないように心掛ける事も大切ですし、
それ以上に規則正しい生活のキープとか十分な睡眠時間の確保とか油っこい食べ物の過剰摂取の抑制とか
こまめに枕カバーを取り換えるとか汗をこまめに拭き取るとか
洗浄力のあまり強くないシャンプーを選ぶとか栄養と睡眠等の免疫力UPを普段より意識するとか
そうした対応策も必要と言えるのかもしれないですね。




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改めてですけど、少なくても男が髪の毛をポリポリ掻いても髪の毛を掻き上げても見苦しいだけなのかもしれないですけど、
アニメ等でたまに散見されるすてきな美少女の皆様たちによる「髪の毛の掻き上げ」は
とってもかわいく美しいものがあると思います。

最近では・・上記画像のように「ラブライブ!」での真姫の髪の毛掻き上げのシーンは素晴らしいものがあったと思いますし、
あのシーンの真姫の美しさはまさに女神様だったと思います!



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そうそう・・! 髪の毛掻き上げというと忘れてはいけないキャラは私にとっては「響け! ユーフォニアム」の高坂麗奈です!

麗奈のあの美しいロング黒髪を掻き上げらるシーンは何度かありましたけど、あれを見ているだけで
とってもうっとりするものはありました~!

最後に・・

麗奈というと、、「dream fantasy 」のすてきな管理人さんの
アミグリさんが当ブログの7/7の「吹奏楽カテゴリ1000記事到達」という節目記念記事の際に
リクエストさせて頂き描いて頂けた「響け! ユーフォニアム」の 高坂麗奈 は本当に素晴らしかったです!

改めてあの時は本当にありがとうこございました!

あの素晴らしい麗奈を改めてご覧になりたい方は是非 高坂麗奈 からご覧頂ければ幸いです!

→ 高坂麗奈
「響け! ユーフォニアム(第二期)」第1話の中の挿入曲として使われたのが、
チャイコフスキーの交響曲第4番終楽章とボロディンの歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りでしたけど、
改めてこの「ダッタン人の踊り」を聴いてみると、あのオーボエとコールアングレによる哀愁溢れるメロディーは
本当に胸にジ――ンと染み込んできますし、あの音楽を聴くだけでとつもなくせつなくて哀しくて、何かとっても
うっとりとさせられる気分になったりもします。
あれはまさに名メロディーの極みだと思います。
あの部分はどちらかと言うとオーボエのソロの方ばかりクローズアップされる傾向が無きにしもあらずなのですけが、
哀愁漂う名旋律が奏でられたオーボエの後を引き継ぐ楽器がコールアングレなのですけど、
私としてはあのオーボエよりも音域が低くて幾分ハスキーな響きでもあるコールアングレの美しく儚く哀愁溢れるメロディーも
本当にうっとりさせられます。

ボロディンの歌劇「イーゴリ公」なのですけど、ごく簡潔にあらすじを書くと、
イーゴリ公は、領土であるルーシの町へのダッタン人の侵攻を防ぎ、領民たちを防御するために、
先手を打つ形で、敵地に向けて遠征を開始しますが、結果的に戦闘にも負け自らも囚われの身になってしまいます。
その後何とか脱出を図る事に成功し、故国に戻り、民からの大歓声を受けるという形で歌劇としての
幕が下ろされます。
前述のオーボエ&コールアングレの哀愁溢れるソロというのは、イーゴリ公の故国を思っての寂しさと自らのふがいなさを
嘆いた歌の部分で、ティンバニのソロで開始される勇猛果敢な部分は、
敵の将軍が落ち込むイーゴリ公を慰めようと、部下に命じダッタン人の民族舞踊をお披露目させる場面です。
後半にかけてのイーゴリ公の敵地脱出を示唆する部分の音楽も、スピード感と迫力があり
大変申し分ない躍動感があります。

だけどやっぱり「ダッタン人の踊り」は、あのオーボエとコールアングレのあの哀愁溢れるソロの部分に尽きると思います!!
あのメロディーを創造したボロディンは、本当に素晴らしい仕事を後世に残してくれたと思います!
あの不思議な哀愁溢れるメロディーは、間違いなく人の心を打つ「何か」を秘めていると思います。
普段日常的にクラシック音楽を聴かない方であっても、あのメロディーラインは是非一度は聴いて頂きたいものがあります!
まさに「これぞ名曲!!」というオーラに溢れていると思いますし、あの名旋律には人の心に間違いなく「何か」は
伝えてくれていると思います。

この歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りは、高校に入学して間もない頃に、当時の吹奏楽部の上級生たちが
定期演奏会で演奏する曲目の一つでもありまして、この時がこの「ダッタン人の踊り」を知るきっかけに
なったものでした。
吹奏楽アレンジ版ではなくて、管弦楽版として初めて聴いたレコードは、
オーマンディー指揮/フィラデルフィア管弦楽団の演奏でした。
この「ダッタンの踊り」ですけど、あまりにも有名な通俗名曲のせいか、意外と生の演奏会では
耳にする機会が少なかったようにも思えます。
この曲は、「クラシック音楽入門編」としてはまさにうってつけの曲だと思いますし、
前半のオーボエとコールアングレのソロの哀愁溢れるメロディーライン、クラリネットソロ以降の民族舞曲みたいな雰囲気とか
踊りの激しさなどどれをとっても「名曲」の名に相応しい曲だと思います。
私の記憶としては、この曲は、外山雄三指揮/日本フィルとスヴェトラーノフ指揮/N響くらいしか生で聴いた記憶は
ないのですね、例えば、「親子連れファミリーコンサート」みたいな初心者用演奏会で取り上げたら
小さいお子さんなんかにも案外とウケはいいんじゃないのかな・・?と思いますね。

私自身が吹奏楽コンクールでこの「ダッタン人の踊り」を初めて生で聴いたのは、
1984年の全日本吹奏楽コンクール・全国大会で嘉穂高校の自由曲だと思います。
あの演奏は、正直演奏の出来は芳しくないですけど、オーボエのはかなく哀愁漂うあのメロディーラインは
何か胸を打たれるものがありましたし、演奏は決して上手くはないですけど、じーーんとこみあげるものがありました。
吹奏楽コンクールでの「ダッタン人の踊り」は、全国大会でも何度も演奏されています。
古い方ですと、1978年の今津中学校の演奏を推されると思いますし、最近の方ですと、
2001年の福岡工大付属城東高校や昨年・・2017年の習志野高校の演奏を推されるのかな・・とも思ったりしますけど、
私から言わさせて頂くと、歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りというと、1983年の明石北高校に尽きるのではないのかなと
思います。
明石北のあの「ダッタン人の踊り」は歴史的名演!!だと思います。
演奏のどこにも弱みがありませんし、フルート・オーボエ・コールアングレ・クラリネット等のソロもほぼ完璧で、
何よりもあのしっとりとした「情緒」は、聴く者に「感涙」を与えさせてしまうほどの感動性に溢れた素晴らしい名演だったと
思います。
後に兵庫高校で指導をされた松井先生のかなり個性的な解釈や音の響かせ方も大変印象が強いですし、
あの明石北高校のダッタン人の踊りは、今現在の感覚で聴いても全然色褪せるものはないと思います。
(この年の課題曲C/カドリーユというと野庭・花輪高校の解釈もかなり個性的でしたけど、明石北のダーダー吹きを
思わせるあの独特なリズムは斬新でしたし、特にトロンボーンのビートの刻みがかなり個性的でもありました。)

これまで当ブログで何度も書いた通り、私自身高校に入学した際は、中学の吹奏楽部時代のトラウマから
「音楽大嫌い! 吹奏楽はもっと大嫌い!!」という感じだったのですけど、
前出の通り、高校入学時に当時の吹奏楽部が練習していた曲の一つが、実はこの「ダッタン人の踊り」でして、
音楽室から流れてきたあの「ダッタン人の踊り」の例の哀愁溢れるメロディーについつい心が動き、
オーボエのソロの美しさとか全体的に武骨なんだけどとてつもない躍動感に何か魅了され、
入学当時は「高校に入ったら絶対に運動部に入る! 吹奏楽だけは絶対に御免こうむりたい!!」と固く決意していたはずでしたが、
「うーーん、吹奏楽部に入ってもいいんじゃないの・・?」とすこーーし気持ちが揺らいでいた時に、
新入生に対する「部活紹介」での吹奏楽部の
「うちの部には、音楽を指揮する先生はいない、生徒の中から指揮者を選出し、自主的に音楽を
創り出していくスタイル」という説明に何か興味を惹かれ
ついつい、練習見学会に顔を出したのが、私が高校でも「吹奏楽部」に入部するきっかけになったものでした。
そうした意味では、この「ダッタン人の踊り」に私自身が魅力を感じていなかったら、
もしも、高校入学当初に音楽室からあの曲が流れていなかったら、
私の吹奏楽部生活は中学だけで終わってしまい、このブログで吹奏楽やクラシック音楽の事を全く語っていなかった
可能性も大ですので、こうした「一つの音楽の出会い」で、人生そのものが劇的に変るという事もあるものなのだと
思いますし、その一つの事例が、繰り返し述べていて大変恐縮なのですけど、私自身が1982年の東北大会で
花輪高校吹奏楽部によるウォルトン/交響曲第1番終楽章の演奏を聴いて、とてつもない感銘と衝撃を受けて、
結果として私自身がクラシック音楽の深い森の中に彷徨いこむ大きな要因にもなった事だと思います。

前述の通り、私自身の高校1年の定期演奏会で演奏した曲の一つがこの「ダッタン人の踊り」でして、
とこの曲は技術的に大変難しかったですし、クラリネット奏者泣かせの曲だったと思います。
とにかく指揮者から連日怒られまくり、
打楽器は「なんでそんなに無神経にぶっ叩くんだ!お前らはどっかの応援団か!」とか
トランペットは「その高音の破裂音何とかしろ!」とか
低音セクションは「音楽の土台がそうやって不安定だから全体が不安定になるんだ」とか色々怒られまくりでしたけど、
クラリネットパートは男子校ゆえ、致命的な奏者不足という事情もありましたけど、毎日のように
「論外!!」とか「下手くそ!」とか「なんでいつまでたっても曲を消化できないし、運指が追い付かないんだ~!」と
怒られまくりで、当時のクラリネットの上級生は、結構遅い時間帯でも体育館とか教室で必死の形相で
練習しまくっていた光景は今でも忘れられないですね。

この曲は、練習中でも定期演奏会の本番でも、あのオーボエ&コールアングレのソロを聴くと、とてつもなくうっとりと
させられましたし、大変哀しくせつない気持ちにもさせられたものでしたし、
ラスト近くのイーゴリ公の無事の帰還による歓喜のシーンは、吹いていても「よかった、よかった・・」と安堵するものが
あったものでした。
この年の定期演奏会で演奏した曲の中には、リードの「アルメニアンダンスパートⅠ」もあったのですけど、
ダッタン人の踊りとアルメニアンダンスの二曲のおかげで「オーボエってなんてすてきな楽器! こんなにも美しいメロディーを
吹ける楽器なんだ・・!」という事を思いっきり再認識させられたものでした。

余談ですけど、 クラシック音楽には「裏名曲」というものもあると思います。知名度的には今一つなのですけど、
「隠れた名曲」というか、 知る人ぞ知る名曲と言うのも意外とあるんじゃないのかな・・とも思えます。
「ダッタン人の踊り」でお馴染みのボロディンには、実は「交響曲第2番」という知る人ぞ素晴らしい名曲があったりもします。
そんなに派手な曲ではありませんし、内容的には地味な曲だと思いますが、
タイトルに「大地」と名付けたくなるほど、ロシアの広大な大地に根差す人々の息吹とか
自然の営みとか大地の恵みとか、そうしたものを何か意識したくなるような曲だと思います。
どちらかというと無骨な曲であり、構成とか技巧的に優れている曲ではないので決して印象度が強い曲ではありません。
だけどこの曲を聴くと不思議に何か「自然への感謝」とか「大地への感謝」とかそうした言葉が自然に出てくるのです。
何か不思議と愛着のある曲です。
第三楽章のクラリネットの素朴なソロとそれに続くホルンののどかなソロがそれを象徴していると思います。
この第三楽章だけでも、この交響曲を聴く価値があると思える位、この曲の自然な雄大さが伝わってきます。
第四楽章に入ると、それまでの楽章の打楽器はティンパニだけでしたが、それに
シンバル・タンバリン・トライアングルが入ってきて色彩的効果をもたらします。
この第四楽章は、大地に生きる人達の素朴な祭りとか踊りとかそうしたものが何か感じられます。
途中のトロンボーンによる圧倒的なコラールも聴きどころの一つです。

このボロディンの交響曲第2番は日本で演奏されることは滅多にないですね。
私自身は、日本の管弦楽団でこの曲を演奏した事は一度も聴いた事はありません。
1997年11月に国際フォーラムで、フェドセーエフ指揮/モスクワ放送響の演奏が私がこれまで生で聴いた唯一の演奏です。
だ国際フォーラムのホールCは、正直音響が最悪に近く、とても音楽会を開催する場所ではないと
思いますので、その意味では少々勿体ない気もしました。
前半がこのボロディンの2番、後半がショスタコーヴィッチの交響曲第5番という重量級プログラムでしたけど、
残響音が全くないホールでの演奏は、正直「今一つ・・・」という感しでもありました。
ボロディンの交響曲第2番で圧倒的に凄い・・と感じさせてくれる演奏は、吹奏楽アレンジ版ですけど、
1982年の亜細亜大学だと思います。

ボロディンには実は交響曲第3番という未完成の曲もあったりします。
この3番は生前にわずかにスケッチが残されていた程度に過ぎず、生前ピアノでこの交響曲第3番のピアノ版を
ボロディンが弾いているのを聴きとめたグラズノフが、その時の記憶を頼りに
第一楽章を仕上げ、別の小品を編曲して第二楽章に充てたという事なので、
実質的にはグラズノフ作曲と言えるのかもしれませんね・・








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歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りは、2016年に放映された「響け! ユーフォニアム」【第二期】の第一話でも
登場しています。

楽器の音…♪【→ みぞれが奏でるオーボエの音です・・】

久美子 : …ん?

       いい音…

       だけど…

       なんか淡白……あっ!

この辺りの久美子のうっかり失言とか言わなくてもいい事ばかりついポロっと出てしまう失言女王振りは
第一期から既にお馴染みでもありましたね・・

久美子自身はオーボエについて

「その音色は美しい女性の声と形容されるオーボエ。

チューニングが難しい上に、一番細い所の内径が4mmしか無く、息の調整に技術を要する」と評していましたけど、
まさに「その通り!」なのだと思います。

鎧塚みぞれはなんと・・一期ではセリフすらありません! だけど二期に入ると途端に最重要人物としてクローズアップされ、
最新の映画においてもメインヒロインとして大抜擢を果たしています!

みぞれと同じく第二期の最重要人物のフルート奏者で元部員でその時点では退部者扱いの希美が
屋上で奏でていたメロディーこそが、そう・・! 歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りだったのでした!
そしてこの曲は、みぞれと希美の中学最後の吹奏楽コンクールの自由曲であり、二人にとっては県代表を目指して
日々頑張っていたのに、結果はダメ金すら取れずに銀賞でもって県大会にて散ってしまったという曲でもありますし、
みぞれにとっては、この曲こそがトラウマにもなっていた・・という背景も実はあったりしたものでした。

みぞれは確かに北宇治高校吹奏楽部に所属していますけど、いまだに中学校時代のトラウマを
引きずっているような感じが濃厚で、「心ここにあらず・・、気分はいまだにあの時の中学の吹奏楽コンクールのまんま」という
感じなのだと思います。
みぞれ自身は、元々は中学の時に希美から「一緒に吹奏楽やろうよ!」と積極的に声を掛けられ、
そしてそうした強いリーダーシップを発揮している希美に一つの「あこがれ」みたいな気持を持って共に
吹奏楽部の門戸を叩いた経緯があります。
だけどその希美は、高校では色々あったりして既に退部状態で、みぞれの本音としては
「なんで私を置いて退部しちゃうの・・・」みたいな感じで、もしかしたら一人梯子を外されたまんま
どこか上の空状態で北宇治高校吹奏楽部に留まり続けているだけなのかもしれません。
そう! 言うならばみぞれには麗奈みたいに「全国大会に行く!」とか久美子みたいな「うまくなりたい、うまくなりたい!」
みたいな明確な意識というのか「目標」をすっかり見失っている状態だったというのが二期の序盤の頃の話でも
ありました。

みぞれとしては、

「希美が既に退部しているのだし、別に私が北宇治の吹奏楽部に留まり続ける必然性も理由も無い」

「オーボエ奏者は自分一人だけだし、今私が退部をしてしまったら、せっかくコンクールに向けて
必死で頑張っている他のメンバーたちにさすがに申し訳がない」

「そうね・・・とりあえずは、吹奏楽部を続けようか・・結局は何のためかよく分からないけど・・・」

みたいな心境なのかなとも思います。

だからこそ、別に大好きで吹奏楽部を続けている訳ではないので、音楽が大好きで仕方が無いからという訳ではなくて
「なんとなく・・」みたいな漠然とした気持ちで楽器を吹いているので、
コーチの言葉じゃないけど、まるで「ロボット」が吹いているような感情がこもっていない音になってしまうのかも
しれないですね。

結局、みぞれ自身の「トラウマ」って何なのかな・・?

その答えの一つがやはり「吹奏楽コンクール」なのだと思います。

みぞれ自身は、いまだに中学時代の吹奏楽コンクールの事を引きずっていますし、それが解決できていないからこそ、
本当の意味でいまだに「音楽」と向き合っていないと言えると思いますし、
別の解釈をするとそうしたコンクールにおける「心の痛み」をヘンな意味で希美に転化させてしまい、それがひいては
本当は大好きなはずの希美までが「生理的に受け付けない・・」みたいな感じになっているのだとも思われます。

そこにあるのは「吹奏楽コンクールにおける光と影」なのだと思いますし、その影の部分をまともに食らっているのが
当時のみぞれの姿なのだとも思えますし、
その辺りの解決、つまり「吹奏楽コンクールと私はどのように向き合っていくのか・・」というのが
「響け! ユーフォニアム」第二期の一つの大きなテーマだったようにも当時感じていたものでした。

あれれ・・ダッタン人の踊りがいつのまにか「響け! ユーフォニアム」第二期の話に転化してしまいました・・(汗・・)
本記事は実は最近一度掲載をさせて頂きましたけど、あまりにも反響が低く、管理人がかなり力を込めた書いた記事にも
関わらずとてつもない反応がうすい記事になっていて、あまりにも不憫なので
部分的に加筆修正を施した上で再編集して再度掲載をさせて頂きたいと思います!

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1981年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲A/イリュージョンは「幻想」という副題が付けられていますけど
聴いていても実際に演奏しても「幻想」という感じはほとんど無いと思います。
「幻想」というと「ファンタジー」という言葉の方が何かしっくりくる気はしますけど、
一応「イリュージョン」も幻想と言う意味です。
ちなみにですけど「ファンタジー」というワードを耳にして真っ先に本記事の一つ後の「dream fantasy」のアミグリさんを
思い浮かばれた方は、私と同じように大のdream fantasyとアミグリさんファンという事なのだと思います・・(笑)
作曲者の当時は音大生であった鵜沢正晴氏の言葉によると、この曲のイメージは、
「ある夢に向かって力いっぱい駆け抜けていく」という意味があるそうですけど、
この曲を実際に吹奏楽コンクール課題曲として演奏しコンクールに出場した経験がある私から言わせて頂くと
夢とか幻想とかファンタジーというイメージは全く無いです! (汗・・)
この曲はとにかく「しつこい・・!」とか「同じメロディーの反復が多い」というイメージがあります。
「ミラドミソファソファミレミドミレドドシラソシラ」というあのメロディーが終始一貫して繰り返されているという
感じが非常に濃厚です。
あまりにもあのメロディーを繰り返し繰り返し当時の音楽室から合奏練習していたらなんと・・!
吹奏楽部とは全く関係のない校庭で練習をしていた野球部・サッカー部・ラグビー部等の部員が
例のミラドミソファソファミレミドミレドドシラソシラ」というあのメロディーを自然に口ずさんでいるのを目撃もしましたので、
人と言うものは全然知らない曲でも繰り返し何度も聴かされると嫌でもそのメロディーを覚えるだけでなくて自然に
口ずさんでしまうという事をすてきに立証していたと思います・・(笑)
そうですね・・これは東方ネタではあるのですけど、幽谷響子が命蓮寺にてお掃除の修行をしている過程で、
白蓮さんたちが唱えているお経をいつの間にか響子も覚えてしまい「門前の小僧、習わぬ経を読む」の格言通り
響子が妖怪の山でお経を唱えていて、それを人里の人間達が怖がっているというエピソードに
近いような気もしますね・・(笑)

序奏-A-B-Aという単純な三部形式ですけど、
Aのアレグロの部分もBの中間部の歌の部分も上記のメロディーの反復がやたらと多いという印象です。

この課題曲は私が高校に入学して吹奏楽部に入部し、一番最初の年に課題曲として吹いた曲なのですけど、
この年は本音としてはコンクール課題曲は課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュを演奏したかったですね!!
Bは大変抒情的な曲であり、曲に感情が大変入りこみやすかったですし、高校時代はまだ東北在住という事で
南部牛追い歌・津軽じょんがら節・庄内おばこ・南部二下り甚句など親しみのあるメロディーが随所に出てくる
課題曲Bのコラージュの方が音楽的共感度は大変高かったですし、何よりもクラリネットパートのバート譜はそれほど
技術的難易度はそれほど高くは無かったという事もあったと思います。
この課題曲A/イリュージョンなのですけど、クラリネットは意外と厄介ですしてこずりました・・
特に練習番号Gの部分とか4分の3+2拍子みたいな不規則的な変拍子の部分は合せるのが本当に大変でしたし、
「あんなハイトーンでこんな細かいスタッカートを一体どうやって吹けばいいの!?」みたいに頭を抱える部分が多い曲であり、
殊に木管奏者泣かせの曲だったと思います。
作曲者は夢・幻想という事をかなり意識されていたようですけど、中間部も含めて叙情的な部分が少なく、
私的には繰り返しの多いメカニックな曲という印象が大変強くて表現はしにくい曲だったと思います。
演奏者にとっても指揮者にとってもかなりやりにくい曲だったと思います・
「それならば課題曲B/コラージュを演奏すればいいじゃん」と当時思っていたのですけど
田舎の貧乏県立高校には課題曲Bで使用する和太鼓・締め太鼓なとのような特殊楽器がなく
しぶしぶ課題曲Aを選んだというのが実態だったのかもしれないですし、一番大きかったのは当時の上級生たちは
「前年度の1980年は北海の大漁歌という民謡をベースにした曲が課題曲で民謡は昨年散々やったから、
2年連続で民謡は勘弁してくれよ~」という意識が強かったという事なのだと思います。

「イリュージョン」という英語は、「幻想」という意味なのですけど、辞書で調べてみると
「悪夢、忘れてしまいたい嫌な事」という意味もありました。
私にとってはこの課題曲A/イリュージョンの年の1981年と言う年はもしかしたら忘れてしまいたい嫌な年だったのかも
しれないです。
中学の頃の私は、田舎の頭の悪い公立中にいまして、その中では比較的「頭はいい方」という位置づけで過ごしていましたが、
高校に入学したと同時に
「自分はどうしてこんなにも頭が悪いんだ・・!、世の中には頭のよい人が一杯いる・・・」
「自分は勉強もダメ、クラリネットも全然うまく吹けない・・・」
「自分の存在意義とは・・・一体何・・・!?」みたいに
色々と思い悩んでしまう結果になってしまい、
この課題曲を聴くと当時の色々な挫折感とか甘酸っぱい思いとか「忘れてしまいたい嫌な事」は
色々と脳の中に入り込んできますね。
ちなみに私自身がクラリネットについて真剣に取り組んでみよう!とか吹奏楽やクラシック音楽の事をもっと深く知りたい!と
思えるようになったのは、この年の一年後の話であり、
当時の私の「全て」を変えてしまった出来事とは、当ブログでは何度も何度も書いて恐縮なのですけど、
1982年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会で聴いた秋田県代表・秋田県立花輪高校吹奏楽部による
ウォルトン作曲/交響曲第一番変ロ短調~第四楽章の神がかりの演奏だったのでした!!

イリュージョンは課題曲としては決して好きな曲ではありませんしむしろ嫌いな曲なのですけど、
色々な意味で「思い入れ」がある課題曲だと思いますし、
この曲を聴くだけで当時の様々な想いがフラッシュバックされる不思議な曲だと思います。
その色々な想いというのが作曲者が言われる「夢」という事なのかもしれないですね。

イリュージョンは冒頭が本当に嫌な部分であり、指揮者にとっても演奏者にとっても「やりにくいねぇ・・」という感じの曲
だったと思います。
出だしがああいう非常にうすく書かれると指揮者にとっては「嫌な箇所が冒頭から登場してくる」という感じなのかも
しれないですね。
冒頭はユーフォニアムとチューバの二人だけのユニゾンで開始され、続いてトロンボーンが加わるのですけど
冒頭部分のユーフォニアム奏者のミストーンはコンクールでも何度も何度も耳にしたものです。
あの出だしをカッチリとまともに決まった方がむしろ少ないような感じもありました。

この課題曲の名演は実は支部大会でも全国大会でもあまり印象にないですね。
強いてあげると淀川工業・関西学院大学が「結構いいかも・・」と思える程度です。
そのくらい表現しにくい課題曲だったのだと思います。
繰り返しが多いという事は「世の中において悪いことは二度ある事は三度ある」という事を示唆しているのかもしれないです。
一つ面白いのは、高松第一高校の演奏なのかもしれないです。
中間部をあんなにたっぷりと執拗に歌いこんだ演奏は珍しいのでとても印象的です。
あ、そうそう一つだけこの課題曲の名演がありました!
それは何かと言うと知る人ぞ知る演奏の範疇に入ってしまいますけど、1981年の都大会の瑞穂青少年吹奏楽団です。
あの瑞穂の演奏は快演だと思います!
アレグロの部分のスピード感と爽快感と切れ味は素晴らしいものがありましたし、自由曲の「セレブレーション21」と合せて
陰の隠れた名演と言えるのかもしれないです。

吹奏楽部で全体合奏に参加すると一目瞭然なのですけど
管弦楽のヴァイオリン部分を担当しているクラリネットは四苦八苦状態でまるで余裕なしだと思います。
トランペットは何かと目立つので色々な意味で指揮者からお小言を頂戴する役割ですし、
音を外してばかりで、その度に指揮者から「バカー――ッ」と罵声を浴びせられるホルンもある意味お約束でしたし、
静粛な部分で出番が無くてヒマそうにしているパーカッションに対しては、
「休みであっても常に気持ちは合奏に参加している気持でいろ!」と大抵怒られたりしているのは
吹奏楽部の定番の「お約束」のようなものですね。
ま私から言わせて頂くと、合奏で指揮者にそんなに怒られず比較的おいしいパートはサックスとフルートだと思います。
そうした中、チューバは、ひたすら、ボンボンボンボンボンボンボンと低音のリズムをテンポよく刻み続けているという
イメージがあったりもします。
合奏の中では、全体の土台と言うのか全体の支えと言うのかリズムセクションの要という
地味ながら大変重要な役割を担っていると思います。
大抵の場合、指揮者から「全体の基礎を支えるチューバがしっかりしていないから全体が不安定になるんだ!!」と
しったようなことを言われて、
為す術も無く虚ろな表情で指揮者を見つめているチューバ奏者みたいな勝手なイメージもあったりします。

私が、チューバの底力を実感したのは、上記で書いた「イリュージョン」という課題曲でした!
当時3年生のチューバ奏者が「受験に専念」という事でコンクール不出場と言っていたのですけど、
課題曲の全体練習では、何か今一つしっくりこなくて「何か」が足りないような感じがありました。
色々と検証してみるとチューバが1本だけでは低音の支え不足が原因なのかもしれないという事で
その3年生に頭を下げてなんとかコンクールに出て貰おうという事になりチューバが2本になったのですけど、
チューバ1本と2本では低音の重厚感とリズムの支えが全然違うという実感は間違いなくありました!!
メロディーを担当するクラリネットとしては、低音がボンボンボンと確実にしっかりと決まるだけで
何か吹き易いというのか何か微妙にノリが違う事を思い知らされましたし、
この時に初めて、「チューバの真の実力」というものを実感したものでした。









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上記にてイリュージョンの冒頭はユーフォニアムとチューバのうすいユニゾンで開始されて大変やりにくいと書きましたけど、
当時のユーフォニアム奏者は、その嫌な部分をきっちりと消化するために、
全体練習終了後も必死で個人練習している場面も見られたものでした。

こういうユーフォニアム奏者が必死で練習しているシーンというと思い出すのは・・
そう! 言うまでもなく2015年と2016年に放映されていたアニメ「響け! ユーフォニアム」だと思います!
「響け! ユーフォニアム」のシーンにおいて、自由曲の158小節目辺りから指揮者の滝先生から
「この部分はユーフォニアムがコントラバスと重ねて吹くように」と指示された箇所がありまして、
ああいう速いパッセージをユーフォニアムが吹くのは至難の業です。
ユーフォニアムは、基本的にはピストンの上下とブレスの強弱によって音を奏でるのですけど、
ああした速いテンポでの演奏は、素早いピストン上下の操作とか息遣いの強弱とかかなり難易度は高いと思います。

アニメの中でユーフォニアム奏者の久美子は、その自由曲の158小節目あたりの弦バスとのユニゾンを
相当苦戦していましたけど、苦戦する気持ちはよく分かりますね。
ああいう速いパッセージを練習する場合、第一期第12話で久美子が野外の個人練習でやっていたように、
指定テンポよりかなりゆったりとした遅めのテンポでまずは指使いとか息遣いを慣らしていき、
そして徐々にテンポを上げていくというのがアマチュア吹奏楽の基本的な練習方法なのですけど、
第12話の頃の久美子の気合は相当なものがあったと思います。
結果的に久美子のこの努力は実らず、指揮者の滝先生から後日
「この部分はあなたは吹かなくて結構です」と言われてしまい、それが久美子にとっては大変な屈辱という事で
それが「響け! ユーフォニアム」屈指の名シーンの一つである「うまくなりたい、うまくなりたい・・!」と夜の京都の街を
泣きながら駆け抜けていくシーンに繋がる訳なのでした。

そっか・・ああやって久美子が泣きながら夜の京都の街を駆け抜けていくというイメージこそが
「イリュージョン」の「夢の中を力一杯駆け抜けていく」というイメージに近いのかもしれないですね。

またまた「イリュージョン」の話に戻りますけど、冒頭のユーフォニアムとチューバのうすいユニゾンの部分を
当時のユーフォニアム奏者は、練習時に5回の一回の割合でこの冒頭の薄い部分を外し、
指揮者から毎回毎回お小言を頂戴していて、
そのユーフォニアム奏者も朝練や放課後の練習終了後、よく一人音楽室に居残り、あの部分を何度も何度も繰り返し
一人孤独に個人練習していたのが、久美子とついつい被って見えてしまいます。
だけど当時の私はそのあたりのデリカシーが全く無くて、
そのユーフォニアム奏者に向かって、よく、「よ!! 下手くそユーフォ!! 今日の全体練習も冒頭から外しまくりか・・・!!」と
からかって、ユーフォニアム奏者から
怒りのパート譜を挟んだ厚めのスクラップ帳の頭部直撃叩き付けを食らって
脳がフラフラ状態になっていましたけど、それは私自身の自業自得だったと思いますね・・(汗・・)
三月も下旬に差し掛かり、すでに桜の開花宣言も出されたエリアもあるようですね~

そして「春」というのは「スタート」の季節であるとの同時に「お別れ」の季節でもあったりします。
余談ですけど、私は昔も今も卒業とか異動とか引っ越し等によるお別れという事には大して感慨がある訳では
ありませんでした。
というのも、卒業は確かに仲間とか気が合った人とのお別れでもあるのですけど同時に顔も見たくもない大嫌いな奴との
お別れでもあったりしましたので、大嫌いな奴の顔を見なくて済むといったメリットの方が私にとっては大きかったような
気もしますね・・(汗・・)
仲間とか気がよく合う人とは別に卒業してからも連絡を取り合っていつでも会って話をする事は可能ですからね・・

最近、電車に乗っていたり街を歩いていると、卒業式を迎えた女子高生の皆様とか女子大生の皆様の美しいお姿を
拝見させて頂く機会が大変多くて、
JKの皆様とっては、恐らくはセーラー服やブレザー制服といった高校生の制服を着るラストチャンスと言えると思いますし、
JDのお姉さまたちの袴姿を拝見させて頂くたびに
「もう卒業式の季節なんだなぁ・・」としみじみ感じてしまう事もありますね。

個人的な感想ですけど、大学の卒業式はそれほど嬉しくはなかったですね・・
「これからいよいよ社会人になってしまう・・こんな私が社会に出て果たしてうまく適応できるのか・・・」
といった不安感の方が大きかったですね。

そうですねぇ・・こうした不安に関しては既に社会人デビューを果たして数十年(!?)の私が言うのもなんですけど(汗・・)
卒業して「社会」に出てしまえば、あとはなんとかなってしまうものだと思います!
一度社会に出てしまうと、あとはそのまんま何となくですけど、会社とか社会の「波」の中に入ってしまって
時にあっぷあっぷしながら時に悩み迷いながらも
「時間の経過」が色々な事を自然に解決していくという感じなのかもしれないですよね。

そう・・!!

「不安」と言うものに対しては、結局は「慣れる」事しかないと思うのです!!

そしてそうした「慣れ」・「習慣化」が新社会人の皆様の今現在抱えている「不安」というものを自然に
消し去っていくものと思われます。
とにかく皆様が慣れるまでの間は、くれぐれも無理をしないで欲しいなとも思ったりもしますね・・

私自身が、1988年のとある金融機関に新入行員として入行した当初とか
1990年に事務方→営業に本格的に異動する際に避けて通れないのが、アポなし新規開拓訪問、
すなわち「飛び込み営業」なのでした!
ああした飛び込み営業は今現在でも多分普通にやれると思うのですけど、
社会人経験が全く無い中、大人相手に初めて「ビジネス」としての会話をする中においては、
慣れないうちは、こんな「飛び込み訪問営業」というのは苦痛というのか拷問以外の何者でもなかったですね・・・(汗)
あれが結果的に社会人としての第一歩だったという事なのかもしれないです。
最初のうちは「恥ずかしい」とか「連続して断られるのがとにかく屈辱的で苦痛」と感じているうちは
「まだまだじゃん・・!」という感じですね。
何度もダメだし食らっていると、そのうちに感覚が麻痺してきて、
相手から何言われようと何百軒断られてもぜーんぜん何とも感じなくなってしまうのが怖ろしいものは当時あったものです。
そうしている間に、この与えられた課題をクリアするためには「質より量」とか
「一軒でも多く廻って一人でも多くの顧客と会わないと契約のチャンスを逸してしまう・・・」
「とにかく数多く廻れば、どこかにチャンスが転がっている・・」を合言葉に
ひたすら数をこなしていた時代もあったものでした。
飛び込み新規開拓営業というものは、基本的に金融機関の場合、正式に営業担当として配属されると
「そんな時間なんてありゃしない・・」という感じで日々のノルマに追われてしまいそれほどやらなくはなってしまう傾向が
ありますけど、結果的にああした新規開拓の飛び込み営業なんてロクなもんじゃなかったと思うのですけど、
結果的に社会人として慣れるためには一つの方法だったのかな・・?と思ったりもしますし、
とにかく慣れるためにはひたすら数をこなすというのも一つの方策と言えるのかもしれないです。

そうした社会人当初の「質より量」という経験が、当ブログの「基本毎日更新 一日2記事」という量路線へと
繋がっているのかもしれないですね・・(笑)

新しい学校に新入生として入学するとか新社会人としてデビューする一つの通過儀式と言えるのが「卒業式」と
言えるのかもしれないです。
小学校~中学校の頃の卒業式って在校生にとっては卒業時の前に何度かリハーサルとかをさせられるのは
大変苦痛でしたし、何よりも真冬の暖房が何も入っていない体育館であんなつまらないリハーサルを何度かさせられるのは
苦痛以外の何物でも無かったですね。
在校生はそうした感情があるのかもしれないですけど、やはり卒業を迎える当事者にとってはある程度どこかしら
感慨深いものはあると思いますし、やはりそこにあるのは「これが一つの節目・・」という想いなのかもしれないですね。

私が中学生・高校生の頃の「卒業式」で登場する歌というと、
校歌以外では、「蛍の光」と「仰げば尊し」しかなかったような記憶があります。
最近の卒業式における「卒業ソング」というと蛍の光・仰げば尊しという昭和の頃の定番ソングは
それほど歌われていないような話も耳にしますし、最近の主流は「旅立ちの日に」のようですね。
2年前の話ですけど、ツタヤが「あなたにとっての卒業ソングとはどんな曲ですか?」というアンケートを取ったそうですが、
結果はやはり見事に世代間の違いが出ていましたね!
18~29歳の世代の皆様ですと、1位 旅立ちの日に 2位 3月9日(レミオロメン) 3位 さくら(森山直太朗)
30~49歳の世代の皆様ですと、1位 贈る言葉(海援隊) 2位 卒業写真(荒井由美) 3位 卒業(斎藤由貴)
50~69際の世代の皆様ですと、1位 卒業写真(荒井由美) 2位 贈る言葉 3位 仰げば尊し
という結果になったそうです。
ちなみに私だったら初音ミクの「桜ノ雨」を推したいです!

私自身の印象ですけど、中学の時の卒業生による「記念斉唱」として「大地讃頌」を歌ったのはとっても印象深かったです!
やっぱりあの「讃えよ、大地よ、あ――――!!」のラストは素晴らしいものがありますよね!!
中学の卒業式って今では多分ありえない事なのですけど、私の在籍中学は、
計17クラスの卒業生一人一人に卒業式で卒業証書を授与していましたので、とにかく式の時間は
2時間半程度のとてつもなく長いものでした!
しかも、その卒業証書授与の際って、体育館の横手に位置していた吹奏楽部は、
吹奏楽部顧問の音楽の先生がパイプオルガンでバッハ・ヘンデル等の荘厳なを奏でている中で
メロディーを奏でるオルガンの「通奏低音による伴奏」をずーーーーっと弱音でしないといけないから、
寒いし通奏低音の伴奏はつまらないし、とにかくシャレにならないほどの苦痛がそこにはありましたね・・
卒業生入退場の「ラデッキー行進曲」の演奏時の指揮は、顧問の先生はパイプオルガンの連続演奏で
疲労困憊状態で振れないため、 当時吹奏楽部・部長の私が指揮を担当していましたけど、
ああいう荘厳な場での指揮というのは緊張はするけどとてつもなく爽快な気持ちがあったものです!
ちなみに高校の卒業式の際も吹奏楽部は体育館後部で校歌・仰げば尊しの伴奏を奏でていましたけど、
卒業生入退場のマーチのエルガーの行進曲「威風堂々第一番」は指揮をしていても演奏をしていても、とてつもなく
高貴な感情がこみ上げてきましたし、
私自身が高校を卒業する際の卒業式において、後輩たちが奏でる行進曲「威風堂々第一番」を耳にすると
「これで自分も卒業なんだ・・」と胸にこみ上げてくるものがありましたし、ちょいと泣けてくるものがありましたし、
同時に後輩たちには「後を託すよ・・」という気持ちにもなったものでした。
だから私にとって最大の卒業ソングは何かと言うとエルガーの行進曲「威風堂々第一番」と言えるのかもしれないです。

上記で書いた通り「蛍の光」は卒業式では死語の世界になりつつあるのかもしれないですね・・(汗)
「蛍の光」をスーパー等の閉店で聞くと、「もう閉店の時間か」と思うと同時に 卒業式も連想してしまいますけど
今から10年後あたりのスーパーでは、閉店のお知らせのBG」が「旅立ちの日に」に変るのかもしれないですね。
そして店内のお客様は「旅立ちの日に」が流れると「もう閉店時間か・・」と感じるのかもしれないですね。









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私にとって「卒業式」というと学校全体の卒業式という思い出もあったりしますけど、卒業式の数日前辺りに
開催されていたいわゆる「追いコン」・・追い出しコンパというのもなんだか懐かしい思い出もあったりしますね。
そう言えば、2016年に放映されていた「響け! ユーフォニアム2」における最終回は追いコンと卒業式のシーンでした!

一般的な文化部・運動部の追いコンというと、食べ物・飲み物がずらーっと並んだテーブルを囲んで歓談し、
後輩たちがつまらん(?)宴会芸をお披露目するというのが一つの定番光景なのかもしれないですけど、
吹奏楽部の場合は、ちょっと他の部とは様相が違うというのもあり、追いコンのメインは、
卒業生たちが久しぶりに楽器を握りしめ、在校当時の吹奏楽コンクールの自由曲とか定期演奏会で吹いた曲を
後輩たちと合同演奏したり、
はたまた後輩たちだけの演奏を聴いて、
「まだまだダメだね・・」とダメだしを食らわせたり「後は頼むぞー!」みたいな感じで後を託したりと
想いは部員それぞれなのかもしれないですね。

そしてそうした想いを胸に秘めて数日後に本番の卒業式を迎えていたものでした・・
本記事は昨日の記事、1984年全日本吹奏楽コンクール課題曲C / シンフォニエッタの姉妹記事なのかもしれないです。

昨日も書いた通り、1984年と言うと、都内の大学に滑り込み大学の吹奏楽団に入団し、
無事にコンクールメンバーのオーディションを通過し、初めて大学の部として吹奏楽コンクールに臨んだ年でもあります。
結果論なのですけど、うちの学校は1982~83年に都大会にも出場していて、かつては全国大会にも出場していた実績は
あったもので、私としても「この4年間で一度ぐらいは普門館で開催される都大会には出場できるのかな・・?」と淡い期待を
抱いていましたけど、現実とは残酷なものでして私が在籍していた4年間は全て都大会予選で散ってしまい、
都大会本選に出場できず、結果的に普門館のステージに立つことは出来ませんでした・・(泣・・)

結果論になるのかもしれないですけど、1984年という年は、この4年間の中では最も都大会本選に出場できる
可能性があり、技術的には一番充実していた年でもあったと思われるだけに、この年の都大会予選で散ってしまい
都大会本選を逃したことは大変痛かった・・と言えるのかもしれないです。

そしてこの年の課題曲はB / 土俗的舞曲で、私が初めて大学の部に出場した年の課題曲でもありますので、
私にとっても大変思い出深く懐かしくもあり印象に残っている課題曲でもあります。
昨日の記事において、この年の課題曲C/シンフォニエッタは急-緩-急の典型的な三部構成の課題曲であると
記しましたけど、この「土俗的舞曲」もアレグロ-アンダンテ-アレグロという三部構成であり、
前半と後半のエネルギッシュな展開とゆったりとした歌の繰り返しで構成されるという点では、大変分かり易くて
親しみやすい課題曲であったと思います。
序盤に出てくるクラリネットのピーヒャラ~みたいなメロディーは聴いている分にはとても楽しいものがあると思うのですけど、
あれ・・奏者としては結構大変だったのが大変印象的でした。
中間部は、ゆったりとした歌い廻しで同じメロディーを反復して徐々に音量が大きくなり盛り上がっていくスタイルなのですけど、
これはかなり素朴で鄙びていて、この部分をどうやって気持ちをこめて朗々と歌い上げていくのかというのが
この課題曲の一つのポイントだったような感じもあります。
後半も前半部分の再現に近いような雰囲気もあり、全体としては「同じメロディーの繰り返しがちょっと多いのかも・・?」とも
感じなくもないのですけど、そうした反復は聴いている方としても吹いている方としてもそんなにしつこいとかくどいという
印象を与えないのは、確かに泥臭い素朴な曲ではあるのだけど曲自体の雰囲気がどことなく洗練されているとかすっきり
しているというせいもあるのかもしれないです。

この課題曲B / 土俗的舞曲はなぜか高校の部では3チームしか演奏されていなかったですけど、中学の部では
半数近くのチームがこの課題曲を選択していたのは、やはりあの「わかりやすさ」があったといえるのかもしれないですね。
高校の部では、東邦高校のちょっと粗っぽくて雑な響きでノリは軽いのだけど、(当時の)男子校らしい豪快な響きは
評価としては銅賞という事になっていますけど、決して悪い演奏ではないと思いますし、川本高校の
あのエネルギッシュなアレグロとたっぷりと歌い上げたアンダンテの対比は大変素晴らしいものがありましたし、
関西学院大学の抒情的な響きも大変味わいものがありましたし、
東海大学のいかにも「和」を意識したような響きが自由曲の「能面」との雰囲気にも大変マッチしていて
大変素晴らしい演奏だったと思います。

この「土俗的舞曲」なのですけど、一番最初は二楽章構成のピアノ曲として音大生時代に作曲された経緯があり、
周囲から「この第二楽章のスピード感は吹奏楽コンクールの課題曲に合っているんじゃないの・・?」と勧められ
吹奏楽コンクール課題曲公募に応募したら、見事に入選を果たしたという経緯があります。
そしてこの曲は更に後日「オーケストラのための民舞組曲」というタイトル名の第5曲として管弦楽化もされています。
ちなみにこの曲はマルメ交響楽団、広上淳一指揮の演奏で、輸入盤ですけどCD化もされています。
吹奏楽から管弦楽曲としてアレンジされているのですけど両者の原型はほぼ一緒です。
目立つところではオリジナルよりやや長尺になっていたり、
後半の盛り上がる部分でのホルン等によるオブリガートを4度高くしてより演奏効果を上がるようになっている程度しか
変更点は無いと思います。
弦の響きも日本の風合いを引き出す役割に徹し、基本的には吹奏楽版と管弦楽版の違いはあまりないと思います。
使用している楽器がたまたま管楽器+打楽器なのか管楽器+弦楽器+打楽器なのかの違いだけなのかもしれないですね。
「オーケストラのための民舞組曲」は下記の5曲から構成されています。

Ⅰ.囃子

Ⅱ.馬子唄

Ⅲ.踊り

Ⅳ.追分

Ⅴ.土俗的舞曲

囃子は和太鼓のトントントンという響きに、掛け声「ハッ!ハッ!」という合いの手が大変印象的です。
馬子は、コールアングレとチェロの哀愁を帯びたメロディーが大変印象的ですけど、チェロのメロディーは
土俗的舞曲の中でも再現されています。
踊りは太鼓の饗宴と言えると思います!
追分は、哀愁漂うチェロのフレーズが馬子同様に胸を打つ美しさがあると思います。

さてさて・・冒頭にて「コンクールメンバーのオーディション」というワードが出てきましたけど、
吹奏楽コンクールの現実というものはある意味大変厳しいものがあるようにも感じられます。

吹奏楽コンクールは、人数制約という規定があり、例えば現在の高校の部なら「55名以内」というように
部員全員がコンクールに出場できるとは限らないのです。
男子高校時代の私のように、部員自体がギリギリの場合、部員全員がコンクールメンバーになるのですけど、
吹奏楽名門校ですと、部員だけで100人以上在籍している場合に
「コンクールメンバー」をどう選抜するのかという問題は必然的におきると思います。
スクールバンドの場合ほとんどは、顧問=指揮者の先生がメンバーを人選するという事なのだと思いますけど、
そうした人選は難しいものがあるのかもしれないですよね。

市立柏・精華女子・淀川工科などのようないわゆる吹奏楽名門校ですと、毎年毎年部員は100人を超えているでしょうし、
コンクールメンバーはどうしても「上級生」が優先という事もあるのかもしれないですね。
2015年に第一期が、2016年に第二期が放映されていたアニメ「響け! ユーフォニアム」においてもそうしたオーディションという
コンクールメンバー選抜をかなり細かく描いていたのは大変印象的でもありました。
滝先生赴任前の北宇治高校吹奏楽部のように、コンクールメンバーは上級生優先で、
例え下手でも普段それほど練習していなくても、練習態度があまりよくなくても、上級生というだけで
コンクールメンバーを決めてしまうと、 確かに下級生の「不満」は大きいものがあると思います。

アニメの「響け! ユーフォニアム」の北宇治高校のように、コンクールメンバーを「オーディション」で決めてしまいますと、
確かに部員間の切磋琢磨とか 「あいつにだけは負けたくない」みたいな感情もあるでしょうし、
それが刺激となって部全体の「技術向上」に 繋がる事もあると思います。
でも、それをあんまり露骨にやってしまうと逆に部全体の雰囲気を悪くしてしまう事もありますし、
お互いの足の引っ張り合いとか部員同士の妬みや嫉妬とか色々とギスギスした空気にもなりかねない危険性も
孕んでいると思います。
そうしたオーディション後には、「なんであいつが選ばれるの!?」とか
「どうして自分は外されてしまうの・・!?」といった恨みつらみ・怨念・やっかみ・焼きもちは出てきがちなのだと思います。

これは意外と難しい問題なのかもしれないです。

日本の古き良き高度成長期の頃の日本社会のように「年功序列」というものは、
年数と経験をそれなりに積んでいれば自動的に昇進もするし給料も上がるという事で
社員全体の「安定感」にはつながるのだけど、同時に「緊張感」に欠け、「もっとよくなろう!」という向上心のある人には
必ずしも向かないシステムとも言えます。
逆に平成以降、急激に日本社会でも浸透しつつある「成果主義」は一部の人のやる気には繋がるのかもしれないですけど、
大多数の「凡人」のやる気と意欲はそいでしまうという事と根は同じなのかもしれないです。
いわば吹奏楽コンクールの「オーディション」というのは、そうした「成果主義」にも似ている側面はあるのかもしれないです。

だけど、アニメ「響け! ユーフォニアム」においては、滝先生はこの「オーディション」を断行しました!
それは、それまでの「ぬるま湯体質の打破」と滝先生自身の「本気度」を全部員に対して提示したと言えるのだと思います。

そうは言ってもオーディションに落ちた奏者の気持ちを考えるとせつないものはありますよね・・











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吹奏楽コンクールの演奏メンバーを選抜する「オーディション」と言うのは 一つの「劇薬」みたいな要素もあると思います。
使用方法を間違えると、部員間の相互不信とか嫉妬の感情とか恨みつらみにも繋がってしまうのですけど
同時に、メンバーの緊張感の維持とか「あいつにだけは絶対に負けたくない!!」みたいな雰囲気は、
メンバーの技術向上に かなり結びついてしまう事もありますし、
何よりも下級生にとっては「自分達も努力していい演奏が出来れば、もしかして上級生を追い落として
コンクールメンバーに選ばれる可能性があるかも!?」というやる気を生む可能性もあると思います。
要は、落選したメンバーに対しては、その後のメンタルケアを行い、
運よくオーディションを通過した者には更なる高度な音楽的要求を求めていく事で
何とか部員間の「信頼関係」は維持できるのかなとも思います。

改めてですけど、この「オーディション」はとにかく緊張します!!
この怖いとか緊張と言う感覚はオーディションを経験した人間でないとなかなか分かりにくいものはあるのかもしれないです。
私自身の経験で言うと、オーディションにて、指揮者・コーチ・立会人の3~5人の目の前でたった一人だけ吹くというのは、
就活や転職時の最終面接・役員面接と同じくらいの「緊張感」があると思います。

私自身、こうした吹奏楽コンクールのレギュラーメンバーの「オーディション」は大学の吹奏楽団在籍時に
2度ほど受けたと思います。
1~2年生の時に受けたけど、3年生以降はクラリネットパートの人数が減ってしまい、
一転して人手不足パートになってしまったので
金管・フルート・サックスの各パートは例年通りオーディションは開催されていたけど、クラリネットと打楽器のみ
オーディションは免除されていたと思います。

以前も書いたと思いますけど、全体練習の際、よく指揮者から一旦合奏を中断し、
「うん・・、ちょっとヘンだな・・・ハイ、練習番号Fのところからクラリネットパートのみで吹いて・・
うーーん、それでは一人ずつ吹いて」と俗にいう「さらし者練習」という事は結構あったりします。
これって全奏者が見ている目の前で、一人ずつ指定された個所を吹き、指揮者から場合によっては
「ハイ、もう一回」・「うーーん、もう一回」とか
「なんだ、全然出来てないじゃん!、少し外に出て、その箇所吹けるようになったら戻ってきて」とか
言われる場合も多々あり「他人の目というのもありますので結構凹む事はあります。
だけど、こうした全体練習での「一人さらし者状態」より、「オーディション」は緊張するものです!!
指揮者・コーチ・OBがでーんと目の前で座っている状態で
指定された個所を吹くのはとにかく「冷や汗が止まらない・・・」という感じですね。
アニメの北宇治高校の場合、あらかじめ指定された個所を吹いて、
次に指揮者からその場で指定された個所を吹くという感じでしたけど、
私の場合は、オーディションの場で、指揮者からその場でいきなり
「それでは・・・練習番号Cから私が止めるまで吹いて下さい」と言われますので
オーディション前は、課題曲も自由曲もとにかく出来ない個所が無いように「広く浅く」練習しておく必要はあると思います。
そして私が大学1年の時に生涯で初めて挑んだオーディションは私自身、全く意外な方向になってしまったのですけど、
自由曲の「幻想交響曲」からの指定箇所は無くて、課題曲の土俗的舞曲の練習番号Aから吹く事になってしまいました。
この部分はtuttiの開始からホルンの勇壮なメロディーラインから続く箇所で、
クラリネットは、何か「お祭り」のピーヒャラララーみたいな大変リズミカルでやっかいな箇所でもありましたので、
いきなり、こんな面倒な所から吹かせられて何か嫌な展開だな・・と思っていたら、次は中間部のアンダンテの
ゆったりとした繰り返しの箇所を指定され、大体5分程度で終了したと思います。

そうした意味において、「土俗的舞曲」という課題曲は私にとっては「緊張」というキーワードがついつい出てしまいますね・・(汗)
















最後にちょいと余計な話ですけど、土俗的舞曲の作曲者の和田薫の奥様は、「フレッシュプリキュア」で
山吹祈里=キュアパイン役の声優さんを担当された中川亜希子さんです!

和田薫は、1984年の課題曲B/土俗的舞曲とか交響的印象「海響」とか交響曲「天地人」とか
管弦楽のための民舞組曲等の作品もありますけど、アニメやゲームの作品の音楽もかなり作品を残されています。
アニメの音楽では、「ゲゲゲの鬼太郎」・「犬夜叉」が特に名高いですね!

中川亜希子さんというと、何となく失礼かもしれませんが
歴代プリキュアの声優さんとしては最年長のお方なのかなというイメージがあったのですが、
中川さんよりも年上の方と言うと「キュアムーンライト」の久川綾さんという大ベテランさんもいらっしゃいましたね!
大変失礼をいたしました・・

吹奏楽作品・クラシック音楽作品の他にゲーム音楽やアニメ作品の音楽を作曲されている先生というと、
和田薫も名高いですけど、天野正道という方もいらっしゃいました。

アニメと吹奏楽というのは、これからそうした結びつきがもっともっと深くなっていければいいかなぁ・・とも思います!

本記事は、吹奏楽の話なのか管弦楽の話なのか「響け! ユーフォニアム」の話なのかプリキュアネタなのか
それとも単なる管理人の思い出話なのかよくわからない記事になってしまいましたけど、まとまりがないのはいつもの事ですので
とにかく最後まで読んて頂きありがとうございました!


吹奏楽経験者ならばお馴染みの金管楽器である「ユーフォニアム」なのですけど、
世間一般の認知度はと言うと、うーーん、ユーフォ奏者の方には申し訳ないのですけど、極めて低いのかもしれませんよね。
「吹奏楽」自体も必ずしもメジャーな音楽形態とは言い切れない面もあるのは私も否定はしません・・(汗・・!)
日本が世界に誇る大指揮者の一人、佐渡裕氏が、テレビや演奏会等で吹奏楽団を指揮・紹介されたりと
私が現役奏者時代に比べると、
大分世間的な認知度・評価も高まっているので、それはとても嬉しいですね!!

「ユーフォニアム」というと私が中学~大学の吹奏楽部に所属していた1970年代末~80年後半にかけては
新入部員の楽器振り分けの際は、とにかく「不人気楽器」の一つでありまして、
フルート・アルトサックス・トランペット等の人気楽器には希望者が殺到し、
ユーフォニアム・打楽器等の不人気楽器は、誰も希望者が現れない・・なんていう光景は決して珍しくはなかったと思います。
あくまで一般的な話ですけど、吹奏楽部の新入部員の人気パートは、フルート・オーボエ・アルトサックス・トランペット・
トロンボーンあたりで、逆に不人気楽器は、ファゴット・ホルン・打楽器あたりなのかもしれないですけど、
特にその中でも「ユーフォニアム」の不人気ぶりは惨憺たるものが当時はあったように思えます。
ちなみに私は高校時代は男子高校でしたけど、男子高校におけるクラリネット奏者の絶対的奏者不足と凄まじい不人気ぶりも
惨憺たるものがあったと思います。
高校の時は、トランペット5  トロンボーン3  ホルン6みたいな堂々たる分厚く充実した金管セクションに対して、
クラリネットパートは私を含めて毎年毎年・・4~5人程度の少数精鋭部隊となりがちで、
本来ですと上記の充実した金管セクションに見合うクラリネットの人数は最低でも10本程度は欲しいのですけど、
毎年毎年クラリネット経験者や希望者は皆無に等しく、とにかくクラリネット奏者を集めるのには本当に苦労させられた
ものでした・・
私自身も本音を書くと、高校入学以降は「なんとかアルトサックスを担当したい・・」と思っていたのですけど、
入部の事前練習見学会にて、「君、中学の頃の担当楽器は・・?」と質問されて「クラリネット」と事実を答えてしまったら
廻りの先輩たちの目の色が急に輝きだし
「そっか――、それじゃー君は三年間は問答無用でクラリネット担当ね!」となってしまい、
泣く泣く(?)高校時代もクラリネットを吹く事になったものでした。
だけど男子校のクラリネットに勝るとも劣らないくらい、とにかく「ユーフォニアム」の不人気ぶりはひどかったですね・・

そうした状況を一変させた一つの大きな要因が、2015~16年に放映されていたアニメ「響け! ユーフォニアム」
だったと思います。
あのアニメであの不人気楽器「ユーフォニアム」に光を当てた事で、昨年とか今年の新入部員入部の際に
ユーフォニアムが一転して「人気楽器」になったという話はかなり耳にしていますし、ネット等でも随分と話題に
なっていましたけど、
やはりこうしたアニメの影響と言うのは大きいものがあると言えそうですね!











アニメ「響け! ユーフォニアム」は京都の北宇治高校という架空の学校を舞台にしていますけど
日本が誇る世界の大指揮者の佐渡氏も、無名の若かりし日には、京都のとある女子高の吹奏楽部を指揮・指導されていて
吹奏楽コンクールにてネリベルの「二つの交響的断章」で臨み、大変な熱演をしたものの
結果的に、コンクールとしては「銅賞」という評価を受けてしまい、
その「悔しさ」とか「聴く人で音楽的な受け止め方は異なる」というものは若かりし日の佐渡氏に色々な意味で
影響を与えたとの事です。
佐渡氏は1986年に組曲「ハーリ・ヤーノシュ」でもって当時はまだ無名の存在であった龍谷大学を全国大会に導かれています。
ちなみにですけど、同じく日本が世界に誇る指揮者の下野竜也氏も若かりし日には、九州のJSB吹奏楽団を指揮・指導され
「天使ミカエルの嘆き」でもって全国大会に出場を果たされています。

吹奏楽では、中音域を支え、メロディーラインも担当できるし裏メロも担当できるし、
色々と器用貧乏な香りが漂うこの「ユーフォニアム」という楽器は、残念ながら管弦楽団の世界では極めてマイナーな楽器です。
というか、この楽器は管弦楽で使用される事自体、極めて珍しいと言わざるを得ないですし、
使用されている実例としてせいぜい、

〇R.シュトラウス/ 交響詩「ドン・キホーテ」

〇ホルスト/ 組曲「惑星」~Ⅰ.火星

〇ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲「展覧会の絵」~ビードロ

などがある程度です。あ・・このユーフォニアムが交響曲の冒頭でいきなり朗々としたソロを吹き上げる事例として
マーラーの交響曲第7番「夜の歌」があるのですけど、
この交響曲については後述をさせて頂きたいと思います。

この「ユーフォニアム」という楽器なのですけど、私が現役奏者の頃は、「ユーフォ」と省略されて呼ばれる事の方が多かったし、
「ユーフォニウム」と呼ばれる事の方が多かった気がーもするのですけど、
正式には、アニメのタイトルではないですけど「ユーフォニアム」というのが正式名称です。

こんな事書くと、ユーフォ奏者の方からブーイングを浴びそうなのですけど、
吹奏楽の中でも、この楽器は比較的「地味」な立ち位置という印象もあります。
音色自体、トロンボーンと大変よく似ているし
(確か、ユーフォとトロンボーンのマウスピースはほぼ同じだったと思います)
「中音域」という意味では、ホルンとアルトサックスと被ってしまうし、
「低音」はチューバにその役割を譲らざるを得ないし、
ま確かにリズムと後打ちもメロディーラインも裏メロも何でも担当できる「吹奏楽の便利屋さん」みたいな
側面もあるのですけど、それが「器用貧乏」みたいな印象も与えてしまうようにも思えます。

シュミットの「ディオニソスの祭り」とかホルストの「吹奏楽のための第二組曲」とか
2000年吹奏楽コンクール課題曲Ⅰ/道祖神の詩のように、ユーフォニアムという楽器が
素晴らしいソロを聴かせてくれる曲も数多く存在しています。
最近では、樽屋氏「の民衆を導く自由の女神」のユーフォニアムのソロは惚れ惚れするほど素晴らしいものがあると思います!
私が過去の吹奏楽コンクールで感銘を受けたユーフォの使用例としては、
1987年の福岡工大付属の課題曲E/マーチ「ハロー! サンシャイン」の中間部のユーフォの裏メロの素晴らしさとか
1988年の札幌市民の「タンホイザー」の2分近いユーフォの朗々とした素晴らしい歌い廻しとか
同じく札幌市民の1992年の「カルミナ=プラーナ」の圧倒的存在感とか
実に素晴らしかったですね!

だけど、私自身も高校時代の頃は、よくユーフォ奏者と喧嘩しては、
「ふんっ、こんなマイナーな楽器で別にいてもいなくてもどうでもいい楽器」とか
「ユーフォニウムかアルミニウムか何か知らないけど、こんなポンコツ金管楽器・・」とか
口走っては、ユーフォ奏者と見苦しい(汗・・)ユーフォニアムとクラリネットの不人気楽器同士の足の引っ張り合いを
やらかしていたものでした・・(滝汗・・!)

この「ユーフォニアム」ですけど、世界各国的には、「ユーフォニアム」の類似系楽器も色々とあるようですね。
その一例が、バリトンとかテノールホルンなのだと思います。
確かに見た目は、ユーフォニアムによく似ていますね。
ちなみに、この「テノールホルン」は、マーラーの交響曲第7番「夜の歌」第一楽章冒頭で朗々とソロを吹いていますけど、
あの音はまさしく「ユーフォ」以外の何者でも無いです!
ちなみに、日本の大作曲家、柴田南雄大先生は、その「グスタフ・マーラー」という著作の中で
この楽器について
「容易にプカプカと音が出てしまう楽器、上品さと深みに欠ける・・・」みたいな事を述べられていました。








上記にてユーフォニアムと絡めてマーラーの交響曲第7番「夜の歌」の話が出てきましたので、
最後にこのマーラーの交響曲について簡単に触れてみたいと思います。

一昔前まで吹奏楽部でのユーフォニアムの不人気ぶりは惨憺たるものがありましたけど、
マーラーの交響曲第7番「夜の歌」というと、一般的には「マーラーの交響曲の中では一番の失敗作」とか
「一番人気がない曲」という評価がほぼ定着しているのかもしれないです。
私個人としても、「確かにそりゃそうだ・・・」という感想です。
だけどCDの録音枚数は、交響曲第8番「一千人の交響曲」を上回っているとの事です。
これは、7番は純交響曲なのに対して、8番は合唱・ソリストの経費を考えると中々容易に新しい録音が
できにくいという事情もあるかとは思います。

マーラーの交響曲7番は、これまで2回ほど生の演奏を聴く機会に恵まれました。
初めはインパル指揮の都響の定期演奏会で、
2度目は井上道義指揮の新日本フィルのマーラーチクルスの一環として 聴きました。
印象は、一言でいうと
「何を言いたいのか全然わからない謎の交響曲」という感じですね・・・
全体的に第一~第四楽章が「夜の闇」が支配する不気味な感覚
第五楽章は一転して明るくカラフルな「昼の明るさ」が支配する音楽
四楽章からフィナーレの第五楽章へ展開する際の「突然のどんちゃん騒ぎ」という
場面場面の変化の激しさに感覚がついていっていないのかもしれません。
第四楽章まで展開させた不気味な闇の感覚をどうせなら最後まで貫いてほしかったようにも
思えますし、第五楽章があまりにも
「あっけらかーーん」のバカ騒ぎだから
どうにもこうにも違和感が拭えない感じは、生の演奏会で聴いても感じました。
だけど、その「突然の脈絡の無さ」がマーラーの持ち味でもあるから
その意味では最もマーラーらしい交響曲と言えるのかもしれないですね。

この交響曲で印象的な場面が四つほどあります。

1.第一楽章の冒頭

 管弦楽曲では滅多に使用されない「ユーフォニアム」(又はバリトン又はテノールホルン)という楽器を
 冒頭から大胆なソロ楽器として使用しています。
 マーラーの楽譜では、「テノールホルン」と記されていますが、要はこの楽器はチューバを一回り小さくした
 吹奏楽でいう所の「ユーフォニアム」なのです。
 ホルンではきつい高音をこの楽器は簡単にプカプカ吹けてしまう所が
 安っぽい印象を与えがちなのかな・・・という感じもあります。
 「響け! ユーフォニアム」というアニメでは主役であっても、管弦楽の世界では限りなくマイナーな楽器である
 ユーフォニアム奏者にとっては、ホルストの「惑星」~火星とかムソルグスキー=ラヴェルの「展覧会の絵」~ヴィドロなどと
 並んで珍しくソロを担当できるマーラーの交響曲7番は
 まさに「ありがたや、ありがたや・・・」の世界なのかもしれませんよね(汗・・)

 だけど、ユーフォニアムの出番はこの第一楽章冒頭のみで、残りは全て「お休み」です。
 舞台のユーフォ奏者も暇そうにしていました・・

2.第三楽章

 この楽章は目をつぶって聴いていると「幽霊の走り抜け」みたいに聴こえなくもありません。
 相当グロテスクで不気味な楽章です。
 チューバの不気味で大胆な低音の使用やティンパニの二度の和音の叩きつけが極めて印象的です。
 とにかく全体的には悪趣味極まりない音楽です。

3.第四楽章

 一番安らぎのある楽章です。
 特徴は何といっても管弦楽の世界では滅多に取り入れられることの少ないギターとマンドリンを二本
 同時に使用している点です。
 ホルン以外の金管楽器は全て休みですので、10分程度のこの楽章の間に
 体力を取り戻しておくという作曲者の配慮なのかもしれません。
 マンドリンが非常に効果的に使用され、全体としては「セレナーデ」のようにも聴こえます。

5.第五楽章

 どんちゃん騒ぎの始まりですが、冒頭からいきなりクラリネット・オーボエ・フルートの木管楽器は
 全員楽器を高く持ち上げて吹くという「ベルアップ」という奏法が譜面にしっかりと指示されていますので
 奏者はかなり大変です。
 金管楽器のベルアップはたまにありますが、木管楽器でベルアップを指示している事例は極めて珍しいと思います。

全体的には昼と夜との対比 とか、人の心の「聖なる部分」と「俗なるもの」の対比をマーラーとしては表現したかったのかな・・??
だけど、第四楽章までの夜の闇のイメージからフィナーレへの展開が雑というか唐突過ぎる点が
この交響曲を支離滅裂にしている原因なのかもしれないです。

ラスト近くのチャイムの乱打は、いかにも「昼の眩しすぎる光景」みたいなものもイメージさせてくれるのですけど、
第五楽章のみで、それまでの楽章の「夜のイメージ」を覆すのは 少し無理があったのかもしれないですね。

でもなんだろう・・この交響曲の不思議な感覚・・・・
特に第五楽章は、明らかに躁状態でもあるし分裂症みたいな感じもあるし・・・・とにかくひっちゃかめっちゃかです! (笑)
何て言うのかな・・・
別にマーラーも例えば3番とか6番みたいな「明らかな意味深」みたいな事を特段意図しなくても
たまには、自分の交響曲の中には、こうやって何も難しい事を意図するとか意味深な表現ではなくても、
純粋に「音の豪快さ」だけで聴衆を圧倒させてもいいんじゃないか・・・?と考えた末に生まれたのが
この交響曲第7番「夜の歌」であったと解釈するのはさすがに無理があるのかな・・?

だけど、ユーフォニアムの音が管弦楽ではどのように聴こえるのかという事を知りたい方にとっては、こんなにうってつけの曲は
ないんじゃないのかな・・?とも思ったりするのも事実です。

昨年10月~12月にかけて放映されていた「響け! ユーフォ二アム」【第二期】の第7話においては
吹奏楽コンクールとかマーチングコンテストとか定期演奏会みたいにちょっとお堅いようなコンサートではなくて、
歌謡曲とか映画音楽とかアニソンとかポップスみたいな楽しく親しみやすい曲から構成された「えきびるコンサート」みたいな
イベントが最後に登場していましたけど、
そうした「ポップスコンサート」は私も現役奏者の頃は何度か出演したことがありましたが、
定期演奏会とかコンクールみたいな緊張しまくりのステージという訳ではなくて、確かに目の前にはたくさんの観客が
いるのですけど、のびのびと楽しんで吹くことができる「ポップスコンサート」は私も吹いていて
とにかく楽しくて楽しくて仕方がなく、自由に難しいことをあまり考えずにごく自然体で演奏できていたようにも
感じたものでした。
こういうのって、市のイベントとか駅ビル・スーパー・娯楽施設等におけるイベントの一環として行われ、
別に出演料とか謝礼が出る訳でもなんでもないのですけど、学校から現地までの移動手段としてのバスが無償でチャーター
されることが多く、「人前で演奏する経験」を数多く重ねることで、コンクールや定期演奏会という大事な本番で
緊張のあまりポーっとして普段の練習の成果があまり発揮されないで終わってしまうということへの対策ということでも
大きな意義があり、高校・大学の頃はこうしたイベントの依頼が舞い込んで来たら、出来る限り参加させて
頂いたものです。

こうした野外のポップスコンサートで演奏する曲目にはもちろん定番の曲もあるのですけど、やはり時代によって
その演奏される曲目にも「時代」は感じさせるものがあると思います。
例えばなのですけど、1980年代前半の場合は
(もーー、管理人の年がバレバレっすね・・)
「この曲を演奏すれば、間違いなく客席からの反応も良く、ハズレはほぼ無い」という曲は、
ルパン三世のテーマ・西部警察・松田聖子メドレー・ピンクパンサーのテーマ・宇宙戦艦ヤマトあたりだったと思います。
そして少し時代が進んで、1980年代中盤に入ると、
チェッカーズメドレー・おにゃんこクラブの「セーラー服を脱がさないで」とかドラゴンボールあたりが
比較的ウケが良い曲の一つだったような印象があります。

今現在の現役奏者の皆様に「西部警察のテーマ曲」と言っても「なにそれ・・?」みたいな反応になるのかもしれないですけど、
やはり時代によって、コンサートで演奏される曲目の流行り廃りがあるのはこれはやむを得ないことですよね・・
昭和の頃の曲って特に歌謡曲とかアニソンがそうなのですけど、メロディーが大変シンブルなのにとってもわかりやすくて
親しみやすくて一度聴いたらなんか耳に残ってしまい忘れられない・・そんな雰囲気があったようにも感じるのですけど、
最近のJ-POPやアニソンってメロディーが複雑ですしやたらと転調が多く、確かに完成度と仕上がり自体は大変高く
感じるものの、親しみやすさとか普遍的に後世に残る曲という感じはあんまりしなくて、
その点は「昭和と平成の歌はちょっと違うんだよなぁ・・・」と時に感じてしまうのは、それは私が昭和育ちであるゆえ
なのかもしれないですね・・・(汗・・!)

ちなみにですけど・・・私自身が高校生の頃の1981年におけるこうした地元スーパーのイベントとか学校の文化祭で
演奏した曲目は、なぜか今でも記憶に残っています・・・(笑)


〇Dr.スランプあられちゃん

〇スニーカーブルース

〇トップ・オブ・ザ・ワールド

〇明日にかける橋

〇ルビーの指輪

〇スマイル・フォー・ミー

〇1981年課題曲A/イリュージョン

〇吹奏楽のための第一組曲(ホルスト)

〇お嫁サンバ

といったものでした・・・
うーーん、これは何だか懐かしすぎる・・・というかこれはすでに懐メロの領域ですね・・・(滝汗・・)
「スニーカーブルース」は、当時たのきんトリオで一世を風靡したマッチの曲で、
「スマイル・フォー・ミー」は河合奈保子の曲でしたし、「お嫁サンバ」は郷ひろみの曲でもあります。
「イリュージョン」とホルストの第一組曲は、この年のコンクールの課題曲と自由曲でした。
今の若い人たちに寺尾聡は昔は歌手もやっていて「ルビーの指輪」はその代表曲といっても、あんまりピンとこないのかな・・?








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アニメの「響け! ユーフォ二アム」第7話の駅コンの演奏シーンも素敵でした!

晴香が担当する「バリトンサックス」は吹奏楽的には「縁の下の力持ち」みたいな役割を担っていて
普段はこうした華やかなソロを担当する事はあんまりないのに、
本来アルトサックスのソロをバリトンに代用させて晴香のソロとしての見せ場を作ってあげた
滝先生も素晴らしかったと思いますし、それに応える形で
堂々としたソロを聴かせてくれた晴香も素敵だったと思います!!

前半の修羅場とラスト近くのこうしたのびのびとした雰囲気の落差がいかにも「響け! ユーフォニアム」らしくて
いい味出しているなぁ・・と感じたものでした!!

最後に、余談ですけど、私自身は演奏したことはないのですけど、1990年代中盤になると
「ど演歌えきすぷれす」シリーズといって昭和の頃に流行った日本の演歌のメドレーを吹奏楽にアレンジし、
時にしっとり、時に激しく、時に抒情的に懐かしいメロディーが次から次へと出てきた作品もありましたけど、
普段ほとんど演歌とかを聴かない私であっても
「なんかこういう日本の演歌っていかにも古き良き時代の歌だね・・」となぜか心にしみるものがありましたし、
この「ど演歌えきすぷれす」はこうした駅ビルコンサートとか母校の演奏会でも何度か耳にしたことがありますけど
「あー、こういうメドレーも吹いてみたかったなぁー」としみじみ感じたものでした・・・

参考までにこの「ど演歌えきすぶれす」第一番の曲を列記してみると、
兄弟仁義 、涙の連絡船 、天城越え 、与作 、青い山脈 、旅の夜風 、リンゴの唄 、あの娘たずねて 、函館の女
いつでも夢を 、津軽海峡冬景色 、氷雨 、霧の摩周湖 、雪のふるまちを
となっています!
そしてこの第三番の曲は、
箱根八里の半次郎 、大井追っかけ音次郎 、浪花恋しぐれ 、道頓堀人情 、浪花節だよ人生は 、旅姿三人男
潮来笠 、中の島ブルース 、宗右衛門町ブルース
となっていますけど、一部平成の曲が入っているのもなかなかお見事な選曲だと思います。
うーーーん、難しいなぁ・・・
こんな事書いてしまうとまたまた皆様からのご批判を浴びてしまうのは百も承知なのですけど、
「響け! ユーフォニアム」に関しましては、私は圧倒的に第二期よりは第一期の方が好きというか、
感銘度が強いと感じます。
正直に書くと、私自身は決してこの原作もアニメも好きではありません。
はっきり言うと見たくないです!
なぜかと言うと、第一期の感想記事書いている時に述べている通りなのですけど、
このアニメを見ていると、私自身の10年間に及ぶ「吹奏楽との関わり」のトラウマや嫌だったことが
まるで走馬灯のように鮮明に思い出され、
私自身としては「忘れてしまいたい嫌な事」として封印してきた「過去の記憶」がこのアニメを見てしまうと
まるで昨日の出来事みたいに蘇ってきてしまい、
正直このアニメを見ること自体苦痛でした。
それでもどうして見ていたかというと、やはり「懐かしい・・」という感情と
「自分にもそうやって何か一つの事に集中して取り組んでいた時期もあったし、普門館で一度は吹いてみたい!という
夢を純粋に追いかけていた時期もあったし、それはやはり私としても大変尊いものがあるし
確かにその過程は嫌な事の連続だったのかもしれないけど、そこで得たものは私の生涯の誇りである」という事を
改めて第一期で認識したからなのでした。
特に第一期第12話における久美子の「うまくなりたい、うまくなりたい・・!」と泣きながら夜の京都の町を
駆け抜けていくシーンは、まさに当時の「私」そのものだったと言えるのかもしれないです。

そうですね・・・「大好き」なゆえに、その大好きな事を改めてああやってアニメで見せつけられるという事に
今でも幾分抵抗があるといっても宜しいのではないのかな・・?とも思っています。
換言すると・・・・
大切な事は「そっと自分の秘めた心にだけ封印しておきたい・・」
そんな事なのかもしれないですね。
それでもこの原作&アニメは、私の中で「封印してきたもの」を改めてそっ・・・と見つめ直すいい機会でも
あったのかなぁ・・とも思っています。
以前の自分でしたら、吹奏楽生活の中で特に「最悪の思い出」しかない中学の吹奏楽部なんか
元部長として顔を出す事自体「絶対嫌!」という感じだったのかもしれないですけど、
一昨年や昨年末の記事で述べた通り、
一応は・・・先輩として母校の後輩達にささやかではあるのですけどああしたお土産みたいな差し入れをする事が
出来るようになったというのは、
この「響け・・」を見て、改めて私自身の「私にとって吹奏楽とは何だったのか・・」という事を見つめ直す一つの機会でも
ありましたし、
同時に「何かわだかまり」みたいなものが一つ吹っ切れたという事でもあるのかなぁ・・と思ったりもしています。
とにかく、私にとって「吹奏楽」=「普門館で一度吹いてみたい」という事であったのですし、
結果的にその夢は実現はできなかったのですけど、
巡り巡って「クラシック音楽に興味を持つようになった」という
「音楽」の深い森の中に迷い込むきっかけを作ってくれたのがまさにこの「吹奏楽」である事を考えると、
やはり「吹奏楽」には「感謝」とか「ありがとう!」という気持ちしかないです!

だから二期に渡るこの「響け! ユーフォニアム」は、私にとってトラウマの蘇りでもあると同時に
「やはり自分にとって吹奏楽とは私自身が音楽に目覚める一つのきっかけだったんだぁー!」みたいな事を
改めて再認識させてくれたアニメなのだと思います。
ただ・・・吹奏楽経験者にとっては見方にとっては「相当痛いアニメ」である事は間違いないと思います!









「響け! ユーフォニアム」第二期は、序盤と第8~9話あたりが大変素晴らしかったと思います。
第二話での希美のあのけしからん水着姿で、あのような深刻な話をさせちゃうあの粋な演出とか
あすかの母親の毒親ぶりとかあすかの例のあの「香織が靴ひもを結んであげる時の嫌悪感」あたりの話は
親兄弟と必ずしも(というか全然・・!)うまくいっていなかった私自身の感情を直撃させられちゃいましたし、
第10話の久美子が泣きながらあすかにストレートな気持ちをぶつけたシーンあたりし
第二期の白眉だったと思います。

だけど・・・これはあくまで私の感覚ですけど、第二期はやはり第一期には遠く及ばない・・・

色々と理由はあるのですけど、第11話以降がエピローグ化してしまい、番外編みたいな展開になってしまったのは
勿体無い気はしますし、
第13話の最終回はやはり「全国大会」で終わらせて欲しかったと思っています。
第12話で課題曲も自由曲も全部カットというのもなんか私的にはドン引き状態でした・・・
(最終回の練習風景であの「三日月の舞」を今更流されてもねぇ・・という想いは強かったですね・・・)

それと・・・やはり繰り返しになりますが、
5月の段階で「海兵隊」すらまともに吹けなかったチームが、いくら優秀な指導者を迎えたとしても
わずか四か月程度の練習で「全国大会」に行けてしまうあの無茶振り設定が
どうしても私的には納得いきません!
ま・・これはフィクションですし、アニメでしょ・・と言われればそれまでなんですけど、
やはり「全国大会」とか「普門館」を本気で目指していた私の視点で見てしまうと、
「こんなの絶対にありえないね・・! 百歩譲って四国や中国支部なら分かるとしても
あの激戦の関西大会を突破して全国大会出場何てありえない!
吹奏楽コンクールは決してそんな甘いものではない!
それは「吹奏楽コンクールなんてちょびっと練習さえすれば全国に出れちゃうんだ!」みたいなヘンな誤解を
持たれてしまうのも、なんか・・・逆に現役奏者とか吹奏楽経験者に対して大変失礼な話じゃないのかな・・・」と
やはりどうしてもこの点は違和感を感じてしまいます。
それに、リアル的には関西代表チームが銅賞を受賞する事は多分ありえない展開だと思います・・・
関西は、大阪にあんな強豪校が揃い、最近では確かに以前ほどの勢いはないのですけど、奈良・京都・兵庫県には
古豪の名門校が揃っていますので、現実的には北宇治みたいな学校が関西大会を突破するなんてことは
120%あり得ませんし、どうしても私としてはその点が合点がいかないというのも大きかったのかもしれないです。

そしてやっぱり・・・関西大会終了後、部内であんなにゴタゴタが続きすぎ、
私としては、
「おまえら、せっかく掴んだ全国の切符なのに、そんなにぶったるんだ状態で練習してどうするの?
全国大会で演奏できるなんて、出来ない人たちの視点で見てみると羨ましい限り・・・
そんな人たちの想いは一体どうなるの・・?
少しは集中して音楽に向き合えよ!!」みたいな気持の方が終始強くて、
やはりその点が第二期が私にとって今一つしっくりこなかった一番の理由じゃないのかな・・とも感じています。

そして・・・原作もそうですけどアニメで万一、全国大会で北宇治が「金賞」なんか受賞したら
私としてはこのアニメ自体が「クソアニメ化」していたのは間違いないんじゃないのかな・・とすら感じております。

だから・・・

私としては原作もアニメも北宇治の全国大会の結果が「銅賞」である事は大満足なのです!

というか・・・そうでないと整合性取れないし、
私としても銅賞以外の賞だったら「こんなの違うじゃん!」と感じてしまっていたと思います。
だから今回は銅賞でよかったのです!
今回は北宇治の音が全国で響いたというだけでいいのだと思います。
そして・・・次回以降・・・久美子たちが2年生になって、更に自分達の音楽に磨きを掛けて
吹奏楽部としてのチームとしてのまとまりが出来て初めてその時に本気で「全国大会金賞」を目指せばいいのだと
私は思います。




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出番待ちシーンで
「あ!栄高校です!関東の雄 指揮者は小滝先生」とかサファイアちゃんが言うシーンがありましたけど、
あれは埼玉栄高校の大滝先生をモデルにしたと思われますね・・・(笑)
ちなみに現在は大滝先生は勇退されて、現在の埼玉栄は奥先生が指導されています。
そして「あ、セイラ・・」とか言っているシーンは、
あれは間違いなく福岡の名門、精華女子の事ですね! (笑)

指揮者賞贈呈の際って、結構生徒達が「先生への呼びかけ」という事でパフォーマンスをする事も
見受けられますよね・・・(笑)
生徒全員で「○○せんせーい」と呼びかけしたり
あだなで呼びかけしたり、中々微笑ましいものがありますよね。

そんな中、高坂麗奈はまさかの「滝先生への告白」をやらかしてくれましたけど、
さすがにああいうのは私も見た事はないですね・・・(苦笑・・)
ま、当たり前の話ですけど・・

なんかこのアニメの感想記事は第一期も第二期も言いたい事ばかり書いてしまいましたけど
とにかく「私の忘れていた原点」みたいなものを思い起こさせてくれる素晴らしいアニメである事は間違いないですし、
こんなハイクオリティーのアニメを制作して頂けた京都アニメーションには
感謝の気持ちで一杯です。

本当に2年間に渡って素敵なアニメを見させて頂きありがとうございました!!
「響け! ユーフォニアム」もあと2回で最終回になります!

最終回はやはり「全国大会での演奏」がメインという事になるのかな・・?

そうですね・・・ユーフォの第二期も前回、第10話をもって久美子の周りの人たちを巡るゴタゴタに一定の決着が
図られたという経緯もありますし、
第9話と第10話のあまりにも充実した内容から比べてしまうと、この第11話は、どことなく番外編というか
エピソード回のようにも感じられ、見ている方としては大変気持ち的に「楽・・」という感じもあったものでした! (笑)

そうですね・・・・・

こんな事書くと「これはアニメ作品なんだからそんなヘンに現実的な事言わないでよ・・」みたいなお叱りを
受けそうなのですけど、
北宇治高校吹奏楽部があの激戦の関西大会を突破して全国大会代表の座を掴みとったのですから、
「こらこら・・・君達、せっかく全国大会への出場が決まったのだから、そんな身内のゴタゴタに動揺していないで
もっと本番に向けての練習に集中しろよっ!」と文句を言いたい感じもあったりします。
ま・・・・どうしてもそこには、
「私だって全国大会はさすがに無理としても一度ぐらいは都大会でもいいから普門館で吹いてみたかった!」とか
「全国大会に出場できる奏者たちは本当に限られた人たちのみ・・そうした人たちが羨ましい・・」
みたいな私自身のやっかみとか嫉妬心みたいな「黒い感情」があるのは間違いはないのですが、
私のように全国大会・支部大会で演奏したくても結局その「夢」を一度も実現できなかった人間の観点から
申し上げると
「全国大会に向けてもっと真剣な気持ちで練習しろよ!!」みたいについつい余計な感情を持ってしまいますよね・・・(汗・・)
響け・・は、関西大会突破以降は、あすかの退部問題とか麗奈の滝先生への「想い」等で
なんか「なかなか部員全員の想いが一つにまとまらないな・・」みたいなもどかしさを感じてしまいますし、
「全国大会出場を逃した他校とかそれ以前に県大会で消えてしまった学校のメンバーの想いもちゃんと
考えてあげてよ!!」みたいな想いも私の中には間違いなくあったりもしますね。

だけど、そうした「不安定さ」というのがまさに「スクールバンド」の一つの魅力でもあり楽しさでもあるのかな・・とも
思ったりもしますね。
以前も書いたことがあるのですけど、現実的な話をしてしまうと、いくら優秀な顧問が赴任したとしても
わずか数か月足らずで、5月の段階で「海兵隊」すらまともに演奏できなかった吹奏楽部が、支部大会を突破して
全国大会に進めるなんてことは、まず100%ありえません!
このアニメをご覧になって、「吹奏楽」に興味を持たれる方が増えられるのは大変ありがたい事であると思うのですけど、
同時に・・・
「なんだ! 吹奏楽コンクールってちょろいんだ・・・あんなに実力が無くても短期間で練習すれば全国にも行けちゃうんだ!」
見たい誤ったイメージを持たれてしまうのは
「ちょっと勘弁してよ・・」みたいな想いもあったりはしますね。

この「響け! ユーフォニアム」の舞台は京都なのですけど、
1990年代~2000年代初めの頃まで「京都」を代表する吹奏楽の名門チームというと洛南高校という素晴らしいチームが
ありましたけど、洛南を長年指導されていた宮本先生が勇退され
(宮本先生も最近でもないですが、ご逝去されておりました。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます)
それ以降の洛南高校は、全国大会はおろか時には関西大会出場すら果たせない年もありまして、
「響け・・」が提示しているように
「新鋭校が一つ出てくるとそれ以前の常連校の出場枠が一つ減る」という事でもあり、
改めてですけど、こうしたコンクールの厳しさとか競争の激しさを感じさせられる瞬間もあったりします。
その競争の激しさが「コンクールの絶え間ないレヴェルアップ」の大きな要因にもなっているのですけど、
同時にそこには「審査は水物」とか「審査員の好き嫌い」とかも絡んできますし、
改めてですけどこうしたコンクールは大変だなぁ・・と実感させられますね。

関西大会と言うと、ここ最近は大阪府ばかりが突出していますね。
つい最近まで、天理の奈良県とか上記の洛南の京都府とか兵庫県の県立高校も関西大会のあの激戦を突破して
全国大会に出場していましたけど、
やはり「大阪の私立はお金を持っているよなぁ・・」みたいなやっかみも多少はあるかもですね・・・(汗・・)
このブログでは、兵庫県の県立高校の素晴らしさは何度も書かせて頂きましたが、
兵庫・明石北・明石南・尼崎東・尼崎西・御影・神戸・西宮などのような「公立高校」が
あの激戦の関西大会を突破して全国大会に何度も出場し、あのような素晴らしい名演をいくつも幾つも残して
いたのは本当に驚異的な事ですし、
公立高校出身の私としてはまさに「憧れ」みたいなエリアですね!!







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前回の話で懸案の「あすか問題」に目途が立ちましたので、さてさて残った問題は、
「滝先生には実は奥様がいて、その方は既に亡くなってはいるけど滝先生は、その奥様の事をいまだに引きずっている」
という事に気が付いた麗奈の「心理的ショック」という問題ですけど、
こらこら・・・久美子! そういう時こそ、麗奈の百合要点のあなたの出番でしょ・・!?と言いたくもなってしまいますが、
実際にそんな展開になってしまいました。
というか、今回の展開はまさに第一期のあの伝説的神回と言えるあの第8話の再現でしたね!

ここで少しばかり第一期のあの場面を少しばかり再現すると・・・

麗奈:痛い・・・・でも、痛いの嫌いじゃないし・・・

久美子:なんかエロい・・・・

麗奈:変態・・・・

「中3のコンクールの時、本気で全国行けると思ってたの?って聞いたんだよ?性格悪いでしょ・・」

「それって悪口・・・??」

「これは愛の告白」

「良い子の顔して、でも本当はどこか冷めてて。だから良い子ちゃんの皮…ペリペリってめくりたいなって」

「久美子ならわかってくれると思って…私、興味ない人とは仲良くなろうと思わない!」

「当たり前に出来上がってる流れに、抵抗したいの」

「私、特別になりたいの。他の奴らと、同じになりたくない!!」

「だから私は、トランペットやってるの。他の人と同じにならないために・・・・」

第一期のあのシーンはまさに「濃厚な百合回」でしたね!

そして第二期もほぼ似たような展開になっていましたが、
麗奈のあの「叫び声」は、第一期の第三話のあの「新世界」における
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!!」という叫びと重なるものがあったと思います。

今回の第二期の11話における麗奈と久美子の会話は、第一期の「百合」に麗奈の滝先生への「想い」も加わり、
更に意味深なものになっていたと思います。

私さ、自分の弱さにビックリした。

奥さんがいたって聞いた時、ヤバイくらい動揺して…

もう奥さん、いないんだよ

うーーむ・・この辺りの麗奈はまさに「恋する乙女の憧れ」みたいな甘酸っぱい面もあったかとは思いますが、
同時に「麗奈、こわい・・」みたいな雰囲気もあったと思います。

そんな中での久美子の「私、応援してるよ」は、久美子らしい一言でもあり、
久美子の麗奈に対する「想い」も伝わってくるかのようなシーンでもあったと思います。

余談ですけど、夏紀のポニーテールは本当に可愛いですね!



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北宇治高校吹奏楽部は、滝先生の父親がかつて吹奏楽部顧問を務め全国大会にも出場した事があるのですけど、
滝先生にしてみれば「父親がかつて指導していた学校を息子の自分が受け継ぐ」という事で
心のどこかには「静かな熱い想い」が間違いなくあると思います。
そして滝先生にはもう一つ「受け継がれた想い」があるのです。
それが何かと言うと、滝先生の若くしてご逝去された奥様というのは、実は北宇治吹奏楽部の卒業生で
在籍時には全国大会に出場したものの金賞は取れなかったという事で
「未練」はあったと思いますし、
同時に滝先生の奥様としては「私もいつかは北宇治高校吹奏楽部の顧問としてこの部を指導し、
全国大会に導き、全国で金賞を取りたい!」という想いは間違いなくあったと思います。
だけどその奥様は不幸な事に若くして世を去られた・・・
奥様の「この世への未練」は相当あったと思いますし、それが分かっている滝先生の「喪失感」は相当なものが
あったと思います。
だから現在の滝先生は、父親からの想いと亡き妻からの想いという「二つの想い」を胸に秘めているのだと
思います。

そして麗奈自身は、幼少のロリの頃に既に滝先生と出会っていて、
実はその頃に既に滝先生にひそかな「想い」を秘めていたのですね!
そして中学生に成長した麗奈に滝先生が掛けた「もっと上手くなりたい。もっと遠くに行きたい。そんな音です」という言葉は
本当に素敵なものがありましたし、
麗奈が滝先生に憧れ・・または「恋に恋する」みたいな甘酸っぱい感情を有するのも当然かもしれないですね。

だけど私は、ロリ麗奈の可愛らしさに一撃でノックアウト!という感じでした!

あのロリ麗奈は本当にとっても可愛かったです。

ラストの麗奈と久美子の滝先生のお墓参りと麗奈の「誓い」のシーンはとても美しかったと思います!

最後に余談ですけど、滝先生はいわば「吹奏楽の親子鷹」みたいなものですけど、
現実の吹奏楽コンクールでもそうした実例が最近ありましたね!
吹奏楽ファンの皆様ですと秋田県の「山王中学校」と言うとすぐに「ああ・・木内博先生ね・・」みたいにピンとくると思いますが、
1970年代に一世を風靡した木内博先生時代の幻想交響曲・スペイン奇想曲・三角帽子・スペイン狂詩曲などのような
名演を後世の私たちに残して頂いた大変立派な先生でしたけど、
その木内博先生の後を受け継いだ羽川先生・細谷先生も大変立派な実績を残され、
そして2007年以降は、木内博先生のご子息の木内恒先生がその山王中に赴任され、
父親の木内博先生時代以上の素晴らしい演奏を既に聴かせてくれていますので、
まさに素敵な親から子へと「伝統」というバトンが受け継がれたまさに「見本」みたいな実例だったと思います。

まさに滝先生の素敵な実例と言えると思いますね。
そうですね・・・・前回の第9話のあすかと久美子の「心理モノローグ」があまりにも濃厚でお見事で、
見ている人が100人いれば100通りの解釈・感じ方が出来るようなとてつもなく奥深くて繊細なつくりで
素晴らしかっただけに、
それから比べてしまうと、この第10話は、久美子の「ストレートな感情」を何の小細工もなしにド直球に放り込んだという
印象が大変強く、
第9話のデリケートさに比べてこの第10話は、おおらかさの方がより強調され、
確かに見ている方としてはとてつもなくわかり易い構造になってはいるのですけど、
第一期からこの「響け・・」を見ていて
この「響け・・」の持ち味でもある「胃がギリギリ痛くなるような重たさ」の魅力にはまってしまっている人間の観点から
見てしまうと「感動はあるけど逆に響け・・らしくないシンプルなわかり易さがあるな・・」と
なんか妙に捻くれた見方をしてしまったものでした・・(笑・・)

確かにユーフォの第二期はまだ続きますけど、
私の感覚で書いてしまうと、このアニメの絶対的な「神回」というのは、第一期は第12話、第二期は前回の第9話
じゃないのかな・・?とも思ったりもします。
(あくまで私個人の感想です・・・)







第10話ですけど、やはり構成がなかなか巧みですね。相変わらずこのあたりの構成・演出の
京都アニメーションのレヴェルは作画と合せて驚異的に高いと思います。

久美子のお姉ちゃんは、実は現況のあすかに繋がっているのだと思います。
久美子のお姉ちゃんは
「自分の道を行きたい…そう素直に言えばよかった」
「文句言いながら、ずっとお母さんたちの言う通りにしてきた」
「それが頑張ることだって勘違いしてた。我慢して、親の言うこと聞いて堪える…それが大人だって」
というセリフから示唆される通り、本音は「吹奏楽を続けたかった! だけど親の意向もあり、それが出来なかった・・・
それを今ではすごく後悔している」という事なのだと思われます。
だからこそ本音としては、妹の久美子が全国大会出場を決めたという事は、
もしかして・・・お姉ちゃんなとっては「うらやましい・・眩しい・・」と感じる事でもあるでしょうし、
心の深層としては久美子に対するやきもちみたいなものとか
「この子は次女なんだし、私と違って長女じゃないから自由にやりたいようにできる」みたいな感情も
あるのかもしれないです。
だけどそんな事よりもここで重要な事は
「親の意向に沿う形で結果的に吹奏楽と楽器を続ける事を断念した事を後悔している」という事に
お姉ちゃんが気がついた事であり、
同時に、
「私はもう親の意向に沿うばかりの操り人形じゃない! 私は私のしたい事を今後歩んでいく!
たとえそれが今はイバラの道であったとしても後悔はしない!
親が決めた路線をいい子ちゃんぶって歩く事はもう嫌だ!!」というお姉ちゃん自身の「心の叫び」が伝わってくるような
感じは間違いなくあったと思います。

そう! そうなるとここでリンクしてくる御方と言うと・・・いうまでもなく、前回の話の中で
「親の意向・・」とか「あんなのでも親は親」とか
「吹奏楽と大好きなユーフォを人質に取られる形で吹奏楽を続けてこられた」とか
「母親の幸せの中に吹奏楽は入っていない」とやっと「本音」を吐露してくれたあすかなのだと思います。

あすかは、「親は大切にしないといけない」という世間体と「母親と私は違う! 私はあなたの操り人形ではない!」
という心の本音で揺れ動いているのだと思うのですけど、
もしもですけど、あすかが自分の本音と反する形で親の意向に従い、
せっかくつかんだ「全国大会での演奏」という貴重な経験を積む事が出来なかった場合の数年後のあすかは
間違いなく久美子のお姉ちゃんと同じ状態に陥るのだと思います!
そう・・! 結果的に今現在の久美子のお姉ちゃんというのは、可能性的にあすかの近未来図だと思うのです。

今回結果的に久美子のお姉ちゃんは大学を中退し、自分が本当になりたい職業=美容師という夢の実現のために
「自活」そして家を出るという選択を取りましたけど、
それは必ずしも楽な道ではないですし、むしろ「イバラの道」だとも思えます。
それを示唆していたのが、味噌汁を作っていた鍋を焦がしてしまい、必死になってそのコゲを取るシーンなのだと
感じます。
その「焦げ」が象徴しているものが「親の意向に沿う事で我慢してきた鬱積」なのだと思いますし、
その焦げを必死になって磨いて結果的に焦げは取れたものの鍋自体は傷付いてしまったという事は、
自分の道を進もうとする事で「失うもの」は一杯あるけど、その覚悟はあなたなも果たしてあるのか・・!という事を
暗示しているシーンじゃないのかな・・とも思ったりもしたものでした。
そうですね・・・どうしてもこういうシーンを見てしまうと、私自身も、
親元を早期で離れて自活をする事で得たものと結果的に失ってしまった事を感じざるを得ないですね・・・
だけど・・・
久美子のお姉ちゃんもそうだと思いますし、私自身も結論から言うと・・・
後悔はしていない!という事なのだと思います。
否!!
意地でも・・例えそこに無理があったとしても「私はどんな事があっても後悔という言葉は発しない!」という事なのだと思います。

そして・・・

結果的にですけど、多分・・・あすかもそうした「イバラの道」を辿っていく事になるのだと思いますけど、
私個人としては、あすかに対しては
「親からの自立」というのは確かに失うものもあるけど、
問題は・・・
「あなた自身の今後の生き方の方を優先した方がいいんじゃないの・・・?」という事なのだと私は感じます。

ちなみにですけど・・・あすかの毒親みたいな話と言うと
思い出すのは、実の母親を告発する本を出版された女優の遠野なぎ子さんの事なのですけど、
この遠野さんと毒親と家族の在り方についての当ブログでの記事は  系図(Family Tree)~若い人たちのための音楽詩 で
語らさせて頂いております。
興味がある方は是非ご覧頂ければ幸いです。

うーーむ、私もたまにはこうしたまともで優れた内容の記事を書く事もあるものなのですね・・・

思いっきり余談になってしまいますが、
当ブログにおいて、全記事を書いているこの管理人が「過去最高記事!! こんな神がかった記事は今後絶対に書けない!」と
自画自賛している記事は響け! ユーフォニアム【第一期】 第12話なのですけど、
こんなに優れた内容の記事なのに、いまだに誰一人からもコメントを頂けていないのは
本当に書いた方としては、不本意・・の一言に尽きます・・・
誰でもいいから・・・この記事に相応しいコメントを頂く事が出来たら本当に嬉しいですね!
(たぶん永遠にないと思いますけど・・・)

響け! ユーフォニアム【第一期】 第12話

そうですね・・・これは吹奏楽コンクール全国大会において、例えばなのですけど・・・
1985年の花輪高校があんな素晴らしい名演を聴かせてもコンクールの評価としては銅賞を受けたとか
1987年の雄新中学校があんなにも心に響く素晴らしい演奏を聴かせてくれても、コンクールの評価としては
銀賞に留まっているのと、もしかして次元は同じと言ったらさすがに語弊はあるでしょうね・・・(笑)
要は・・・
それを創りだした者とそれを見た方・聴いた方との「見解の相違」という事なのかもしれないですし、
その辺りは「コンクールの審査は水物・・」と言われるのと感覚は近いのかもしれないです。

最後にこれも思いっきり余談になってしまいますが、
当ブログにおいて「この記事が今年最高の記事!!」と自負する記事と言うのは、
早苗さんと現代資本主義
だと思います!
それと・・この記事もいまだにコメントゼロというのも・・・
書いている方としてはとてつもなくテンション下がりまくりという感じでもあります・・・(泣・・)

→ 早苗さんと現代資本主義

そうですね・・・管理人が「こんな手抜き記事みたいな・・」という記事に意外なほどの反応を頂いたり、
前述のユーフォとか早苗さんみたいな大変優れた内容の記事が反応皆無というのは、
吹奏楽コンクールにおける聴衆の感じ方と審査員の評価の「ズレ」という事にも多少は被るものはあるのかな・・・??




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話がそれまくりで大変失礼しました・・・

あ・・・Aパートで久美子のお姉ちゃんが「全国聴きに行くから・・」と言っていましたけど、
いやいや、お姉ちゃん!
今現在の全国大会のチケットは完璧に「プラチナチケット化」していて、入手は極めて困難です・・・
1984年に私が初めて普門館開催の高校の部を聴いた時なんて、余裕で並ばずに当日券を購入でき、
プログラム一番があの天理だというのに会場は7割も入っていなかった時代から見ると
信じられない現在の光景でもあります。

そして運命のBパート・・・

ここで久美子は泣きながら・・・

あすかに対して「私はあなたと一緒に吹きたい! あなたと一緒に全国大会のステージで吹きたい!!」という
想いをあすかにぶつける事になります!

あすかは最初は「教室まで来て緊張したでしょ。飴ちゃん食べる?」みたいな
「おまえは関西のおかんかっ!?」とツッコミを入れたくもなってしまういつもの飄々とした感じでしたし
(「飴ちゃん食べる?」というセリフは、スマイルプリキュアの第14話の関西のおばちゃんたちみたいでした・・・)
最初の久美子の説得工作に対しては
みぞれの一件をあえて持ち出し、「理論武装では私には絶対にあなたは私に勝てない!」みたいなものを
見せつけていましたけど、
ここで久美子は主人公らしい本領を発揮します。

電車のシーンの涙は「姉に対する自然な感情」という事でしたし、
あすかの説得シーンは、まさに久美子の自然な感情の爆発でしたし、
まさに「私はあなたと一緒に吹きたい!」という気持ちがストレートにぶつけたものでした。
だけどこういう場合の人間の説得というのは「理屈」じゃないんですよね・・・
それが「気持ち」なのだと思いますし、
久美子のストレートな感情が結果的にあすかの「心」を動かしたのだと思います。

あのシーンは確かに見ていて「みえみえの展開」という事で私的には必ずしも完璧な共感はできなかったですけど、
久美子役の声優さんの
あの感極まったような迫真の泣き方・・・が大変印象的で
まさにあれは「泣いている女の子が感極まった様子」が見事に演じられ、素晴らしい!と感じたものでした!

久美子役の黒沢さんは、正直・・初期の頃の「セリフ棒読み」とか淡々とした感じが
いかにも久美子らし過ぎてあまり共感しなかったですけど、
今回のあの感極まった迫真の演技は、まさに声優魂炸裂!!だと思いました!!

10話では、基本的には何も考えていない久美子が、自分が傷つくことも恐れず、あすかの心に飛び込んだ結果、
あすかの分厚い仮面を剥がし、あすかの「心の闇」をこじ開けたのだと思います。
そしてあすかは・・・全国大会のためでも、北宇治のためでもなく、そして審査員の父親のためでもなく、
久美子のために吹く覚悟を決めて、「ただいま」と言い、
そしてあのタイトル「ほうかごオブリガード(ありがとう)」につながる展開は本当に素晴らしいものがあると思います。

さてさて・・・そうなると残った問題は・・・麗奈なのでしょうね・・・

「響け! ユーフォニアム」は、アニメ本編が終わってEDの歌が終わっても次回予告はありません。
見ている方はお分かりの通り、次回予告はその翌週の月曜日にユーフォのHPでupされています。
そんな訳で、月曜日に第9話のタイトルは見た際は、思わず・・・
「え・・!? ユーフォって今回がもう最終回なの!?」と思わずぼやいてしまったものでした! (笑・・)

あすかは・・・そうですね・・・正直第一期の頃から「何を考えているのか皆目見当もつかない御方」とか
「絶対に自分の本心を他人に見せない人」とか「心の深層のガードがとにかく硬い人」みたいなイメージが大変強く、
それを私なんかは「あすかの心の闇」と呼んでもいたものです。
だけどあすかがどうして「自分の本音を他人に明かさないか」とか「あすかが本当にやりたい事ってなんなの・・?」
みたいな事にも大変丁寧に心理描写がされていて、
従来までの「あすか=なんか正直煙たい御方・・」みたいなちょっとダークな印象を完全にではないけど
ある程度はその霧を晴らしてくれていて、見ていて大変好感が持てる回だったと思いました。
あすかが、ここまで自分の過去の話とか家庭環境の話を素直に話し、
自分の心情をここまで吐露するなんて予想もしていなかっただけにこの展開は正直嬉しい誤算みたいなものも
あった感じがします。
アニメタイトルをそのままタイトルに持ってくるユーフォパート同士の信頼による繊細なやり取りが
心に響く素晴らしい回だったと思います。

さてさてこの第9話ですけど、とにかくBパートのとてつもなく濃密な心理モノローグみたいな展開がとてつもなく
印象的でした!
Bパートは、あすかと久美子のほぼ二人っきり状態でしたけど、ああいう久美子を見てしまうと
「やっぱり久美子は響け! ユーフォニアムの主役なんだぁ―!」と実感したものでした(笑)
よかった・・久美子は麗奈との百合要員とか失言女王のためだけの存在ではなかったようですね!

このBパートについては正直、ツッコミどころが満載ではあるのですけど、うちのブログでは二点に絞って
語らさせて頂きたいと思います。
一つはあすかは母親の事を「あの人」と呼んでいる事と
二つ目は香織があすかの靴ひもを結び直している祭のあすかの不穏な雰囲気が意味するもの・・
この点に特化して簡単に下記に記させて頂きたいと思います。


1.あすかは母親の事を「あの人」と呼んでいる

久美子があすかの家に勉強を教わりに行く事を口実に、夏紀・香織たちから
「なんとかあすかが部に復帰して一緒に全国大会のステージに立てるように説得してきて!」みたいなとてつもない無茶振りを
されてしまいますが、あすかの家でいきなりあすかは母親の事を「あの人」と呼んでいる事が判明し、
親子なんだけど「とてつもなく遠い心理的距離感」を感じさせてくれていました。

ユーフォ、持って帰ってるんですね!

あの人には内緒だけどね~

うーーむ、この時点で「なるほどねぇ・・」と感じていたものでした。

そして、前回の久美子と麗奈が感じていた「このCDのユーフォ奏者の音、あすか先輩によく似ている・・」という
暗示はまさに「その通りでした!」という展開になっていました。
そう! 、あの進藤正和というユーフォ奏者こそがあすかの実の父親であり、あすかの母親とは既に離婚が成立している事が
判明します。
そうですね・・ここにきて、どうしてあすかの母親があんなに頑なに「あすかの退部」を強硬に申し出てくるのかが
わかります。
ま・・母親としては、別れた元・旦那の事なんか思い出したくもないし、口にするのも嫌だし、
ましてや娘が元・旦那と同じ楽器を吹く事自体、許せないものがあるというか「嫌悪感」があったのでしょうね。

「あぁでも私、あの人のこと嫌いってわけじゃないの。
 ここまで育ててくれたわけだし、その借りは返さなきゃって気持ちはちゃんとある」

「好きとか嫌いとかじゃない。だって母親はどこまでいっても母親だから。
 どうあがいてもその人から生まれたという事実は動かない。枷ね。一生外せない枷」

「あの人の中には明確な幸せの理想像があって、そこに吹奏楽は入っていない」

そうですね・・・あすかの上記のセリフが全てを物語っていると思います。
あすかの母親は親としての想いもあるでしょうし、自分の別れた旦那に関わる領域にあすかが関わる事を
忌み嫌うというのも心情として・・一人の人間としては分かる気もします。
だけど前回の感想で既に書いた通り、
「私が嫌いなんだから吹奏楽するな! そのユーフォという楽器は吹くな!」というのはあくまでも「親のエゴ」に
過ぎませんし、親の権威を盾にあすかに退部を迫る事自体言語道断と言えるのは間違いないと思います。
だけどあすかの視点で見ると・・・
「あんなんでも親は親だからねぇ・・・」という事なのでしょう。

そうですね・・・それに関しては、私自身もあすかに実は共感する想いはあります。

なぜ共感できるのかと言うと、それは既に前回私自身が「自分の言葉」で記したとおりですので、ここで
蒸し返すつもりもありませんし、既に他界している人を論評するのも嫌なものでして、
ここでは再度書くつもりはありません。

だけど一つ言える事は、あすかの気持ちは私も分かるという事なのです。

聡明で賢いあすかは母親に対して「私自身が大好きな事をしてなにがいけないの!」みたいな母親と同じような感情的な理屈で
反抗しないで
「私の成績が少しでも落ちたらユーフォも吹奏楽部もやめる」という理論武装を展開してここまで吹奏楽を続けていたのだと
思われますし、あすかにとっては
いわばあすかが大好きな吹奏楽とユーフォを母親に対して「人質」として差し出したと言ってもいいのかもしれません。

逆に言うと、それだけあすかにとって「ユーフォニアム」というのは大事な存在だったと言えるのかもしれないですね。

あすかの母親は職員室であすかをひっぱたいてまで内心を吐露し、自分の感情をぶちまけていました。
改めてですけど、あれは親のわがままでありエゴであり、いくら親とはいえあそこまで子供を束縛出来る資格は
無いとすら私には思えます。
あすかの心の深層としては二律背反なのかな・・?
「親は大切にしないといけない」という世間体と「母親と私は違う! 私はあなたの操り人形ではない!」という心の本音で
動いてはいると思うのですけど、
あすかの本音としては、私の解釈としては・・・というか親と必ずしもと言うか全くうまくいっていなかった私自身の感覚としては
「親元から一日も早く巣立って自活したい!」という気持ちなのかもしれません。
そしてそうした想いと言うか本音が、あすかをして母親の事を「あの人」と呼んでしまう背景といえるのかもしれません。
あすかとしては、「親」というのは、血縁的には近くても心情的には「遠い存在」と言えるのかもしれませんね。
そして・・・あすかは「あれでも親だから」と、無機質に母親を許容しているに過ぎませんから、
ああした危うい親子関係をとりあえずはキープ出来ているのだと思います。

そしてその関係性はまさに「脆い関係」なのだと思います。


2.香織があすかの靴ひもを結び直している祭のあすかの不穏な雰囲気が意味するもの


あのシーンは正直・・リアルタイムで見ていた時、私は怖かったです・・・・

確かに深夜の放映時間なのですけど、背中が凍りつくような寒さを感じたものです。

香織の家庭環境は正直よく分かりませんけど、あの雰囲気から察すると恵まれた環境にいるのは間違いないと
思われます。
香織は、優しくて可愛くて美人で、トランペットも上手いし非の打ち所がないまさに「天使」みたいな御方です!

上記で記した通り、あすかは、常に自分のやりたいことを人質に取られていて、
あすか自身はまだ「自活」出来ている状態ではなくて母親の「保護」に置かれている状態であるので、
にっちもさっちもいかない八方塞りの状態でもあると思われます。
そういう意味では、「嫉妬」というレヴェルではないにせよ、もしかして・・・あすかにとって香織は
存在が眩しすぎて「妬ましい存在・・」という立ち位置になるんじゃないのかな・・・とも思ったりもします。
妬ましく感じるその思いは、あまりにも自分勝手だから誰にもぶつけられないし
あすか自身がどうやってコントロールすればいいのかわかっていないのかもしれないです。
聡明なあすかだって、一応はまだ高校生ですし、「そんな嫉妬の感情なんて抱くな!」という方が無理があるようにも
思えます。

だからこそ、香織が何気なくですけど(香織自身には、邪心とかそうした感情が無いのは自明な事です!)
あすかの靴ひもがほどけているから結び直してあげるシーンの
あのあすかの冷たい表情と言うのは、
もしかしてですけど・・・・香織のそうした「優しさ」を「母性の象徴」とあすか自身が解釈し、
あすかも無意識のうちに、そうした香織の優しさに母親を重ね合せてしまい、母親を拒絶するという意味で
ああした冷たい表情・・不穏な空気を生み出したと言えるような感じもあります。

要は・・・・

「私のお気に入りの新しい靴に気安く触るんじゃねぇーー!」というあすかの心の底辺にあるものは、
やはり「自分を拘束する母親への嫌悪感」を示唆していると思いますし、
香織の「靴ひもを結んであげる」という香りの優しさは、あすかにとっては
「母親が小さい子供に余計なおせっかい・世話焼きをしている」という行動に見えたのかもしれません。

あすかの香織に対する視線は母性に対する拒絶と言えるのかもしれません。
「〜してあげてる」という香織の態度が、あすかにとっては「逆撫で」されるものだったのかもしれません・・

靴ひもは香織の行き過ぎたおせっかいが母親の束縛を思い起こさせてしまったという解釈を
私は採用したいと思います。
それにしてもあのシーンは何度見ても私はこわいです・・・




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以前からこのブログでは何度も書いている通り、私は大のポニーテール好きです。

「響け・・」においては、夏紀といい希美といい、
そしてコンクール当日限定でポニーテールになる久美子・あすか・麗奈を含めて
ポニーテールキャラが多いこのアニメは、本当に大好きです!!

あれれ・・もしも本当にあすかが全国大会で吹かないでその代役として夏紀がコンクールメンバーに出場したとすると
ユーフォパートのファーストとかソロは久美子があすかに代って吹くのかな・・・?
県・支部とそうした経験が無い久美子が全国大会の本番でそうした重責を担うというのも
一年生にとってはまさにシビアな事になりそうですね・・

あ・・私はこの「響け・・」の原作を既に読んでいますので、久美子の隣でユーフォを吹く人が誰なのかは知っていますけど、
それが誰になるかは、ここでは重大なネタバレになるので今は書けません・・・(笑・・)




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改めてですけど・・あすか怖すぎ・・・



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あすかの家での久美子は、ある意味いつも通りの失言女王そのものだったのかも・・・??

「嫌いなんですよね…お母さんのこと?」

うーーむ、こういうド直球をあすかに放り込める人って、久美子以外はいないのかもしれないですね・・・(苦笑・・)

それとあのシーンで久美子は「漫画みたいな話ですね」とか何とか言っていましたけど、
こらこら久美子・・君だってアニメキャラでしょ・・・とツッコみたい気持ちで一杯でした・・・

あすかは最初から久美子が実は「大好き」だったのかもしれないですね!

あすか自身が言っているように
久美子はあすかにとっては「まさにユーフォそのまんまの子」というイメージだったのかもしれないですね・・
さてさて・・その「ユーフォそのまんま」というのは
「絆」という意味なのかな・・??

父親と自分を繋げる唯一の楽器のイメージを具現化させたような子が、まさに入部してきた!という感じだったのかな・・?

それにしてもラストシーンで川辺でユーフォを吹くあすかは、やっと本音というか・・素に近いあすかが
ようやく垣間見えて大変好感度が高かったです!

最後に・・・・

あすかは「全国大会の審査員の一人が実は自分の父親」という事で
「全国に進めば父親に自分たちの・・否! 私の音を聴いて貰える」という私利私欲で吹いてしまった・・
だから今の私は天罰が当たったと言っていましたけど、
それは違うと思います!
あすかの心情はまさに自然そのものだと思いますし、
私自身だって・・・・
「どうして吹奏楽を続けたか」という問いに対しては「普門館で一度吹きたかった!」という事ですし、
これはまさに私の私利私欲だったと思います!
そうですね・・・話としては第7話のあすかママによる子供の意志を無視した押し付けは、
その時はそれで収まるのかもしれないけど、必ず後でそのツケを払う時期が到来するし、
子供の意志を尊重しない強引な押し付けをする事で逆にとてつもない「子供からの思いがけない反乱」を食らう事が
あるものという事を今度は久美子の家庭にも及んできたという話なのだと思います。

そうですね・・親が子供に対して干渉が許されるのは小学生辺りまで・・・それが無理と言うのならば
中学生辺りが一つの限界ではないのかな・・とも感じます。
子供が高校生ぐらいにまで成長すると、確かに難しいお年頃ではあるのかもしれないですけど、
干渉とかごり押しとか何か強制的にやらせるというのは限界があると思いますし、子供とのその後の良好な関係性を
維持したいと願うのでしたら、高校生以降あたりからは、基本的には「放任」というのか
本人のやりたいようにさせるのが一番なのだと思います。
子供がどこかで道を誤っていたりとかとんでもなく間違った道へ進みそうな場合には、それに対して指導・修正を掛けるのは
そけは親として当然な事であり道理なのだと思いますけど、
基本的には日常的にはあまり干渉せずに「温かく見守ってあげる」とか
「何か困ったことがあればいつでも遠慮なく相談してね!」と常に「気にかけてあげる事」が
このお年頃の親に求められている事じゃないのかな・・・とも思っています。
なんかそうした事を「響け・・」なりに提示をした回であったような気もします。

そうですね・・・最近の記事ではあんまり書いたことがないですけど、開設初期の頃の記事では
たまに私自身の古い昔話をグチグチと書いていた事もありましたけど、要は私の場合は、
子供の頃から、特に中学から高校以降現在至るまで「親との関係性」はあんまりよくはなかったものです・・
(というか既に他界しているもので、その辺りは正直なんともいえない面もあったりもします・・・)
原因は色々とあるのですけど、私自身は三人兄弟(上に兄と姉)の一番下なのですが、
上の二人が頭脳が大変優秀で地元でも大変な進学校に通い、しかもバリバリの体育系で
まさに文武両道を絵に描いたような御方・・
対して私自身はずっと吹奏楽をやっていて典型的な文化系でしかも上二人に比べて頭の悪さと学業成績の
悪さは一目瞭然・・・・
必ずしも家の居心地がよくなかった事が大きいのかな・・と思います。
それで何かと言うと上二人との比較を常にされ続けていて、
「おまえはだからだめなんだ・・少しは上二人を見習え」という事ばかり言われ続けていたし、
その上二人からも「お前はオレのいう事さえ聞いてしたがってさえいればいいんだ!」みたいな上から目線が
とてつもなく大嫌いで、中学当時の吹奏楽部の顧問の先生の強烈な上から目線的指導と
家でのそうした問答無用みたいな言われ方がとてつもなく大嫌いで、その結果として
「こんな雰囲気はもう嫌! とにかく高校を卒業したら、どんな理屈を付けても構わないからとにかくこの家を出て、
一人暮らしをして、いずれ自活していきたい!」みたいな方向になったのは
むしろ普通じゃないのかな・・・とも今更ながらに感じています。
結果的に甘えなのかもしれませんが、誰か家族の中で一人でいいから
「あなたはあなたなのよ。自分の道をお行きなさい」みたいな「あなたの事を常に心配して目を掛けてあげている」
みたいな事をきちんと言葉で伝えていれば、もう少し違った方向になっていたのかもしれないのかな・・と
今更思う時もありますし、そうした言葉だけでも、もっと楽な気持ちで生きていけたのかもしれませんし
救われたのかもしれないです。
上二人との間に年齢差が結構あり、兄や姉と心から打ち解けて遊んだ記憶がないというのも
一つの要因なのかもしれませんね・・・
当時の私の感覚としては、
「親なんてのは所詮は世間体でしか子供を見ていない・・」という感じでしたし、
当時の自分としては「自分の事をもう少し心配して! もう少し自分のことをきちんと見て分かって欲しい!」みたいな
感覚があったとも思えますけど、それが結局は終始ボタンの掛け違いの繰り返しで、
そのまんま私は上京してしまった・・・という感じなのかもしれないです。
(それは私自身の未熟さでもありますし、いつまでたっても大人になれない精神的未熟さがそこにあるのは
十分理解していますし認識していますので、この親絡みでのコメントは絶対にご遠慮くださいね・・・
 正直、その辺りは他人に触れてほしくない部分ですので・・・・)








なんか冒頭からへんな方向に話がそれてしまいすみませんでした・・・

あすかママはあすかに対して
「今すぐ退部届を提出しなさい!」と娘の意向無視の事を言っていましたけど、
結果的にそれがどういう事になるのかを示唆したのが久美子のお姉ちゃんの話なのだと思います。

だけどあれは要は・・長女はつらいよね・・という事なのかもしれないですよね。

長女ゆえに言いたい事も本当は一杯あったけど言えなかったとか
本当はやめてほしかった事も本当は絶対にやりたかった事とかもあるんだけど、「お姉ちゃんなんだから・・・」みたいな
いわゆる「長男長女に対するプレッシャー」みたいな力が久美子のお姉ちゃんの肩にも重くのしかかってしまい、
「本音」を口にする事ができなかったのだけど、
ここにきて爆発してしまったというのが今回の久美子の家庭の中の出来事だったと思えます。

そっか・・・久美子のお姉ちゃんも本当は「吹奏楽」を続けたかったのですね!
本音ではトロンボーンを吹き続けたかったのでしょうけど、長女としてのプレッシャーという事もあり、
「いい大学へ入っていい会社に入って・・」みたいな日本的な幻想に惑わされてしまった結果、
お姉ちゃんとしての「個」よりも「世間体」みたいなものを優先させてしまったのかな・・とも思ったりもしますね。
その結果、本当は大好きで大好きで仕方がない吹奏楽を不本意ながらやめる事になってしまい、
妹の久美子がまさかの関西大会突破→全国大会出場を果たし、本当はお姉ちゃんの夢であったかもしれない
「全国大会のステージでみんなと一緒に高らかに合奏する事」を実現することになってしまい、
それがお姉ちゃんとしては、「こんちくしょう!」みたいな焼きもちの気持ちもあると思いますし
純粋に「久美子がうらやましい・・」みたいな感情になっているとも思われますし、
「夢を実現している人たちがまさに眩しくて仕方が無い・・それに比べて自分は一体何をやっているんだろう・・」とか
「別に私はこういう事をしたい!みたいな強い意志があって大学に進学した訳じゃない・・・
漠然と親が勧めるから・・とか周囲が行くから私も何となく・・・みたいな感じだったし、
私が本当にやりたい事ってなんなのだろう・・?」
みたいな気持ちがお姉ちゃんの心の中で渦巻いていて、それが爆発してしまったのがこの回だったのだと
思います。

今まで私はお母さんの言う通りにしてきた…全部我慢して…お姉ちゃんだからってずっと!

転校だって、受験だって…本当は全部嫌だった。
私だって、久美子みたいに部活を続けたかった。トロンボーンだってやめたくなかった!!

そこまで思っていたなら、(本当は美容師になりたいという事を)大学入る前に言うべきだったんじゃないか?

…言えない空気作ったのは誰よ!!

もし本当に(大学を)やめるならこの家から出て行きなさい。生活費も、美容師になる費用も自分で何とかしろ!!


うーーむ、久美子の家も全国大会を前に色々と大変ですね・・・・

改めてですけど、あすかの件もそうですし、このお姉ちゃんの件もそうですし、
人間と言うものは「自分がやりたい!」と感じている事を素直にやり続ける事が結果的に「人としての幸せ」に
繋がっていくんじゃないのかな・・・?とも感じたものでした。
他人が・・親兄弟に「こんな事を指示されたから」と言うだけで、自分の気持ちをそこに反映しないで
他人の気持ちを優先して決めた事項というものは、たとえそれは一時的に丸く収まっても
結果として思いがけないしっぺ返しを食らってしまうという事なのかもしれないですよね。

そうそう・・・そんな久美子のお姉ちゃんに対して、後のシーンでしたけど
「久美子、一度くらい麻美子さんに聞いて貰いたいんじゃないかって思って…
ほら、あいつ、麻美子さんに憧れて吹奏楽始めたんだし…」と
久美子のお姉ちゃんにナイスフォローを入れている秀一はもしかして今回のMVPと言えるのかな・・・??



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全国大会を決めた!というのに相変わらず「響け! ユーフォニアム」の世界は重たいですよね・・・!

特に前回の話と今回の話はとてつもなく重たかったです。

というか・・・久美子も影の薄い主人公とか麗奈の百合要員とか色々言われていますし、
講師からも合奏中に
「ユーフォ、全然音聴こえてなかったけど、本当に吹いてた?…いつもの上手い先輩は?」なーんて言われていましたけど、
こらこら・・・それを言われちゃうとさすがに久美子の立場もないでしょ・・という感じになってしまいそうですね。

というかあすかの件もあるし家の事もあるし、久美子も精神状態をキープするのは中々大変なものが
あるのかも・・と思っていたら、
案の定、熱を出してしまい風邪をひいてしまい、家で寝込むことになってしまいます。

そういう展開でのお約束は・・・、そう! 言うまでもなく「お見舞い」です!

そしてそのお相手は・・言うまでもなく麗奈でした!

お見舞いの品物は「抹茶プリン」ではなくて「普通のプリンが好き!」という久美子は、
やっぱり京都人ではなくて関東人らしい発言でしたね! (笑・・)

ちなみにですけど、私もプリンは抹茶プリンではなくて普通のプリンの方が好きです! (笑・・)

麗奈が持ってきたお見舞い品は、ユーフォのCDでしたけど、そのユーフォの音があすかの音に似ているという事に
気がついたのですけど、
その音源の男性ってもしかして・・あすかの・・・・??

うーーむ、この辺りのあすかの家庭の事情とかどうしてあすかママが吹奏楽部を退部させたがっているかの
一つのカギになってくるのかな・・・?



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そして今回はラストにまたまた素敵な展開が待ち受けていました!

もしかして・・・

あすかは全国大会に出場しない・・・?? そしてそのあすかの代役は、夏紀・・・!?

滝先生の
「田中さんが今週末までに部活を続けらいられる確証が得らえなかった場合、
全国大会の本番は、中川さんに出てもらうことにします」のお言葉は色々な意味で重たいものがありそうです。

そしてまた・・次の曲じゃない、次の修羅場が始まるのです!!

最後に、余談ですけど、
あすかが全国に出ない場合の代役として滝先生は夏紀を指名していましたけど、
これって吹奏楽連盟の規定ではどうなのかな・・・?
これは既に数十年前の(?)とある県の規定では、
5月頃に吹奏楽連盟の県支部に、課題曲と自由曲、出場人数とかその出場メンバーを登録するのですけど、
当時の規定では一度登録したメンバーを変更する事は不可みたいな規定があったような記憶があります。
ま、吹連の規定は県や支部によっても違う事が多々ありますし、その県の規定も今現在では変更になっている
可能性がありますので何とも言えないのですけど、
もしもその規定が「響け・・」で適用されたら、夏紀は残念ながら全国では吹けないという事になってしまいます。
(もしもその学校が大編成部門と小編成部門にエントリーしていて、小編成に一度でも出場した奏者は、
いかなる理由があってもその年は大編成でコンクールに出場する事は出来ません・・)

そうそう・・吹連の規定では、課題曲と自由曲で指揮者が異なるのは不可なそうです。

そして指揮者が楽器を奏でる事は禁止という規定もあるのですけど、
そうなると1988年の職場の部の「天童市役所音楽隊」はどうなんでしょ・・・?
指揮者の阿部氏は、課題曲も自由曲も冒頭部分だけ指揮を振り、その後は奏者として演奏に参加されていましたけど、
規定違反で失格にならなかったことから判断して、
指揮をしながら同時に楽器を吹く事はNG」という解釈なのかもしれないですね。
ちなみに天童市役所の場合は、冒頭以外は指揮者無しの状態で課題曲も自由曲も演奏していました!
「響け! ユーフォニアム」は第一期も第二期もラストのセリフは久美子の「そして次の曲が始まるのです!」という言葉で
閉じられるのですけど、やっぱりこれは何度見ても「そして次の修羅場が始まるのです!」という言葉の方が
しっくりときそうな雰囲気があったりもします。
そして今回の第7話はまさにそうした「修羅場」というイメージに相応しい回だったと思います。
何よりも「素晴らしいな! さすが京都アニメーションは違うよな!」と感じさせてくれたのは、
Aパートのあすかママのそのモンスターさの後味の悪さとBパートの駅ビルコンサートの爽快さとまさかの晴香のソロという
見せ場が用意されていて、
そのあまりにも「対比の大胆さ」に深く共鳴を感じたものでした!
ちなみにですけど、冒頭の晴香部長の「駅ビルコンサートには、セイラ女子高校も出演します」というお言葉ですが、
そのセイラって誰がどうみても福岡の吹奏楽の超名門チーム・精華女子をイメージさせてくれますよね! (笑・・)
精華女子は2015年に唐突に藤重先生が去られてこの年は九州大会・ダメ金に終わってしまいましたが、
今年は無事に全国出場を果たししかも金賞受賞ですから、やはりその辺りは「さすがだな・・!」と感じさせてくれますね!
(精華女子の現顧問の櫻内先生は、確か出雲第一中も一時期指導されていた時期がありましたね!)

ま・・共鳴といってもあすかママのその主張には一言も共感するものはありませんでしたけどね・・・

関西大会を突破して全国大会出場を決めたこの大事な時期にわざわざあすかママがクレームをつけに
高校まで乗り込んできたという事は、もしかして・・・?
あすかは関西大会の本番演奏直前に部員に「全国行くぞ!」と檄を飛ばしていた一方で
家では母親に対しては
「いやいやお母さん! うちの部が関西を突破して全国に行ける訳ないから、関西大会が終わったら
吹奏楽とは縁を切って受験勉強に専念するから安心して!」みたいないわゆる「二枚舌」を使っていたという事なのかな・・?
あすかの本音としては「吹奏楽を続けたい!」とか「このメンバーみんなと名古屋国際会議場の全国のステージに立ちたい!」という
思いは間違いなくあると思います。
だけどそうしたあすかの強い願いを無視する形での母親の一方的な娘の気持ちをまるで無視の
母親提出による退部届提出というものはひと゜いものがあると思いますね!
もちろん母親の気持ちも分かります。
どういう家庭内事情があるのかは・・ま、それについてはどうか皆様が「原作」を読んで頂ければと思うのですけど、
あすかママはあすかが小さい頃から女手一つで育てていたもので、
ママとしては「あすかは自分のような苦労はさせたくない、出来れば吹奏楽なんて余計な事をしないで
受験に専念し、いい大学に入っていい会社に就職して、いい出会いに恵まれて幸せになって欲しい・・」という想いが
相当強いものと思われます。
だけど・・・
小学生の子供ならともかくとして、既に自分の意志とか主体性とか自我が芽生え始めている高校生の娘に
そうした親の一方的な思いを強制させ、結果的に娘が「こうしたい!」と強く願っている夢を断念させるというものは
「違うんじゃないのかな・・」と間違いなく感じさせてくれる話だったと思います。
元々あすか自体が大変聡明な女の子ですので、母親の言いたい事なんか百も承知だと思いますし、
別に母親がギャーギャー言わなくても全国大会が無事に終了さえすれば、頼まれなくたって勝手にどんどん一人で
受験勉強すると思います。
万一なのですけど、あすかが母親の意向に従う形で全国大会を前にして吹奏楽部を退部したって、
あすかはとてもじゃないけど受験勉強に専念できる精神状態をキープできる訳ないし、
「全国のステージで吹く事が出来るはずだったのに母親のせいでそのステージに立つこと自体が出来なかった」というのは、
間違いなく未来永劫ずっと忘れられない嫌な出来事になり、
あすかは母親をずっと恨み続けるという方向になると思います。
そうですね・・・あのモンスタークレーマー母親に対して申し上げたい事は、
「全国までどうせ一か月足らずなんだから、その期間はあすかのやりたいようにやせせてあげればいいじゃん!
退部して時間が空いたからと言ってまともな神経な人が普通に受験勉強に専念できる訳ないでしょ!」という事なのだと
思いますし、多分それは、この回を見ていた方の95%近くはそのようにお感じになるのかも
しれないですよね。
それと・・・部活続けることが親への当てつけという解釈ももしかしたらありなのかもしれないですよね・・・
あすか自身も親への感謝の気持ちは間違いなくあるのかもしれないのですけど、同時に
「チッ! うるせーな!」という気持ちを有する事の方が自然なようにも思えます。

要は・・・子供なんてのは、高校生ぐらいになったら親がギャーギャーと口出しすべきじゃないし、
こういう時期の子供に対しては「温かい気持ちでその子を信じてそっと見守ってあげる」という方が
大切じゃないのかな・・?と思いますね。

吹奏楽コンクールと3年生と受験というのは、その両立と言うのはある意味永遠のテーマと言えるのかも
しれないですよね。
私自身、中3の時も高校3年も9月頃までは、普通に吹奏楽コンクールメンバーとして練習していましたけど、
ま、私自身決して両立出来ていたとは口が裂けても言えないのですが、
練習の時は受験の事を考えずに過ごし、勉強している祭はコンクールの事は考えないようにするしか
ないのだと思うのですけど、これは中々簡単に出来る事ではないですよね。
ここで対比される御方っと言うと、第一期で登場していた葵ですよね!
受験に専念するという事で吹奏楽部を退部した葵でしたけど、あれは間違いなく本心ではないと思いますし、
北宇治が全国を決めた事を知った葵には間違いなく「動揺」はあるものだと思います。
葵は・・多分ですけどあすか同様「親の意向」というものも相当あったんじゃないのかな・・・?
それと・・・・久美子の家でも、何か知らないけどお姉ちゃん絡みというのか大分家庭内がゴタゴタしてきましたけど、
あれももしかして・・?
久美子のお姉ちゃんが「本当は吹奏楽を続けたかったのだけど、あの当時は受験とか長女という親からの
プレッシャーもあり、とてもじゃないけど続けられる状況では無かった・・
今の久美子は全国を決めてとても生き生きとしている・・
それに比べて今の私はなんていう目的意識の無い生活をしているのか!
吹奏楽を止めたその代償がこんな怠惰な生活なの・・!?」という事も多少はあるんじゃないのかな・・・・??

部活とか親とか顧問の先生というと、ま・・この話は既に何度か書いてはいますけど、
私自身も決していい話は無かったのかもしれないですね・・・

私自身の中学の時の吹奏楽部の先生は、ま・・・確かに短気で上から目線ですぐ怒鳴り散らすおっかない人でしたけど
確かに、音楽的才能もそうですし、過去の実績もそうですし、
人としての「魅力」も確かにあったかもしれません・・・
何て言うのかな、「緩急の差」が巧いというのか、怒っている時と面白い話をしている時のギャップがとても激しく
面白い話をする時は、例えば・・・「白鳥の湖」のバレリーナの格好で踊りながら色々とギャグを飛ばしたり
その「落差」が持ち味だったかもしれないです。
音楽的には、元々声楽出身というせいもあったと思いますが、
とにかく「腹式呼吸」というかお腹から息を吸う・吐く事にこだわり、
同時に「歌い廻し」というか感情を込めてたっぷりと歌う事に主体を置いていたような記憶もありますね。
バリトン独特の高い音域で楽譜に書いてある音符を歌い上げ、
「歌う事と同じような感覚で楽器を吹いてみろ・・・」と言っていた事は・・、ま、間違ってはいないと
思うのだけど
その指導方法が当時としては既に時代錯誤だったのかもしれませんよね。
音楽概念とか音楽指導と言うものをあんなにも一方的に「お前たちは黙って俺の言う事さえ聞いてりゃいいんだ!」と言うんじゃ
誰もついてこないと思いますし、間違いなく「心服」はしないと思います。

それと一つ嫌だったのは・・・・

この先生、音楽の授業なんかもそうした緩急の差が巧いから一般の生徒からの人気はとてつもなく高かったし、
年に数回開催する父兄を交えての「公開練習」では、
普段の短気・怒りんぼはどこへやら・・・大変理性的で知的な指導をするから、
部員の父兄どもは・・・・コロッと騙されてしまうのですよね・・・・
部員たちは内心醒めていて、
「おいおい、おっさん、普段と全然違うじゃんかよ・・・、父兄の前だといい恰好しやがって、
この猫被り音楽教師が!!」と私は「不信感」しか無かったですね!
何か・・・・13~15歳にして
「大人ってずるい・・・」と妙にメランコラリックになったのも事実ですし、そうした顧問の言う事ばかり信用し、
私の言う事なんかまるで耳を傾けてくれなかった親に対する不信感も
今にして思うとこの当時から既に始まっていたのかもしれないです。








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それにしても今回の話の滝先生とあすかママの会話はなかなか壮絶なものがあったと思います!!


先生なら、子供にとって今何が大切かわかりますよね? すぐ退部届を受理してください!

私は何があっても、その退部届を受け取るつもりはありません!!

サックスの3年生の退部は認めたと聞きましたけど?

斎藤さんは、自分の意志で退部すると言ってきました。だから認めたのです。
しかし、その退部届はお母さんの意志で書かれたものではないですか?

この子は、私がここまで一人で育ててきたんです!!

だから、娘の将来は私が決めます。部活動はこの子にとって枷でしかありません!!

私は本人の意思を尊重します。田中さんが望まない以上、その届は受け取りません!

あすか。この場で、退部すると言いなさい。今ずく辞めなさい!!

お母さん、私部活辞めたく…

うーーむ、この辺りの滝先生・母親との会話は本当に痺れるものがありました!!
だけど何回見てもこのシーンは、あすかママに「いやいや、それは絶対に違うって!」と申し上げたい気持ちで
一杯ですね!
上記でも書いたけども、確かに高校時代はそれでいいかもしれないけど、結果的にあなたは未来永劫あすかから
恨まれて、まともな老後なんておくれないし、この先ずっと「娘との確執」を抱えて生きていくかもしれないけど
それでも本当にいいの・・?とあすかママに伝えたいですね。

あすかの「お母さん、私部活辞めたく…」と言った瞬間のあすかママのあすかに対する平手打ちは・・・
あれは親のエゴですね。
同時にあすかの「心の闇」の本質とは、母娘関係の中に潜んでいるのかな・・とも思います。

そうですね・・・私としては、あすかママが一方的に退部届を持ってきた際に
「なんですか・・これ・・?」のあの名言をあすかママに対して発してあげた上で、退部届をビリビリに破いて欲しかったなぁ・・とも
思ったりもしたものでした! (笑・・)




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そんなこんなであすかが全国大会に向けた練習に参加しなくなってからの練習風景において、
あすかがいないという事実に動揺し気の抜けた演奏ばかりしている部員に対しての
滝先生の「なんですか・・これ・・?」はなつかしかったですね!

滝先生の「そのような事実はありません。
皆さんはこれからも、そんな噂話が1つ出るたびに集中力を切らして、こんな気の抜けた演奏をするつもりですか?」
というお言葉は吹奏楽指導者としては理想的なものがあると思いました。



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晴香部長の言葉も素敵でした!

皆不安になるのは当然だと思う。でもこのままあすかに頼ってたらだめだと思うの!

私は自分よりあすかの方が優秀だと思ってる。皆もあすかがなんでもできるから頼ってた。
でもあすかは特別だからそれで良いんだって・・・

でもあすかは特別なんかじゃなかった。私達が勝手にあの子を特別にしていた。
副部長にパートリーダーにドラムメジャーとか…完璧にこなすのが当たり前で、弱
みを見せないから平気なんだろうって思ってた。

今度は私達があすかを支える番だと思う。あの子がいつ戻ってきても良いように!

あすか以外、頼りない先輩ばっかって感じてる子もいるかもしれない。
それでもついてきてほしい…。お願いします!!

この辺りは第一期では「頼りない部長」だった晴香の「成長」が感じられますね!!

そして同時に・・・晴香が発言している祭に他の部員に「シ――ッ」と制している香織はとても素敵でしたし、
まさに「天使」でした!!



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駅コンの演奏シーンも素敵でした!

晴香が担当する「バリトンサックス」は吹奏楽的には「縁の下の力持ち」みたいな役割を担っていて
普段はこうした華やかなソロを担当する事はあんまりないのに、
本来アルトサックスのソロをバリトンに代用させて晴香のソロとしての見せ場を作ってあげた
滝先生も素晴らしかったと思いますし、それに応える形で
堂々としたソロを聴かせてくれた晴香も素敵だったと思います!!

前半の修羅場とラスト近くのこうしたのびのびとした雰囲気の落差がいかにも「響け! ユーフォニアム」らしくて
いい味出しているなぁ・・と感じたものでした!!
改めてですけど、北宇治高校吹奏楽部、全国大会出場おめでとう!!

一応、10年間同じく一応は「全国大会」を目指していた私にとっては、まさに感涙ものの展開でもありました!
(改めてですけど・・5月の段階で「海兵隊」から満足に吹けなかったチームがこんな短期間で全国大会に進める事は
現実的にはほぼ100%ありえませんけどね・・)

とにかく前回の第5話の関西大会とあの12分間ほぼノーカット演奏シーンが素晴らしすぎて、
あの第5話はも―――、録画しておいたものを既に何度見たかわかりゃしないほどです・・・!!
自分達の演奏が終わって、審査結果発表のシーンとか表彰式の場面なんかもかなりリアルなものかあり、
不肖・・この私も中学・高校で吹奏楽部・部長として表彰式で表彰状を授与された者としては
「なつかしいな・・・!!」という想いで一杯でした!!

確かに「吹奏楽コンクール」は賛否両論あるのは分かりますし、みぞれの言葉が示唆するように
全員が合点がいくものではないのですけど、
私はなんだかんだいって吹奏楽コンクールは、自分が審査を受ける立場でも
純粋に一人の聴衆として音楽そのものを楽しむ立場でも両方とも大好きです!!

さてさて・・・そんな素敵な第5話の後で「果たしてどんな展開を持ってくるのかな・・」と思っていたら
「文化祭」というイベントが高校にはありましたよね!
振り返ってみると、私自身も高校や大学の場合、吹奏楽コンクールが終わった頃に丁度、文化祭とか学園祭の
タイミングでもあり、
こうした文化祭における吹奏楽部のステージというのは、どちらかというとやりたい放題に好き勝手に
吹きまくるという感じが濃厚で、
普段のピッチがどうたらこうたらとかアンサンブルがどうしたこうしたみたいな堅苦しい話は無しにして
どちらかというと歌謡曲とか流行曲とかポップスを会場と一体となって楽しんでのびのびと吹くという感じでしたね!
ああいう雰囲気はたまには悪くは無いものです!!

余談ですけど、この北宇治の文化祭の指揮者は滝先生ではなくてあすかでした!

あすかが聴衆に対する挨拶の中で、「今度名古屋で開催される全国大会」という言い方をしていましたけど、
そっか・・・
今現在の現役奏者にとっての全国大会は、名古屋の国際会議場なのですね!
うーーむ、やはり私にとっての吹奏楽コンクールの聖地は「普門館」以外ありえない!!という感覚なのですけど、
耐震性の問題で使用不可、いずれ解体というんじゃ仕方ないですね・・・とっても寂しいものがありますけど・・・(泣・・)








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北宇治高校吹奏楽部のメイドさんはみんなとっても可愛いですね!

久美子・夏紀・みぞれ・・・みんなとっても可愛いしメイド服がよく似合っていますね!

麗奈の「雪女」も素晴らしいけど、香織の着ぐるみは最高に可愛かったです!!

ちなみにですけど・・・・私が初めて高校の文化祭に吹奏楽部員として参加した頃って、なんかいかにも男子校らしい
妙な事ばかりさせられていたものです・・・(苦笑・・)

うちの高校は田舎の男子高校という事もあり、
文化祭はひたすら「女の子たちに来てもらうツール」という感覚しかなく、
とにかく目立ってナンボという雰囲気は至る所にありました。
文化祭の前日には、「市中行進」といって宣伝を兼ねて各部共に「自由な発想の下」というコンセプトの下、
市内のアーケード街や買物公園などを仮装行進するという妙なイベントがあったりしたものです。
例えば、柔道部なんかは畳を背負ったり、ラクビー部はなぜか河童の仮装をしたり、全身金粉まみれとか海水パンツ一丁とか
各部ともとにかく色々と妙な恰好で行進をしていたものでした・・・
うちの吹奏楽部はというと・・・
毎年毎年性懲りもなく、「女装」というのが伝統になっていて、
なぜかうちの高校の部室には、どこから調達したのかは不明なのですけど、
各種女子高の制服が揃っていて、
特に可愛い(?)系の男子生徒に、そうした制服を着用させるのが毎年の恒例となっていました・・
当時の自分は、今もそうかもしれないですけど体系的にはかなり華奢な方でしたので、
その制服の餌食となってしまいました・・・
そうして市内を女装して歩いたものですが、
ホント、正直恥ずかしかったです・・・
今では絶対に出来ませんけどね!!(苦笑・・)

文化祭では、吹奏楽部のステージは午前と午後で計2回開催しましたけど、
入場者は子供たちと周辺の中学生ばかりでしたね・・・

当時どんな曲を演奏したかというと、

〇Dr.スランプ あられちゃん

〇ハイティーン・ブギ

〇愛のコリーダ

〇スマイル・フォー・ミー(河合奈保子)

〇ピンクパンサーのテーマ

〇明日にかける橋

〇トップ・オブ・ザ・ワールド

などでした。何か今となっては時代を感じますね・・・(苦笑・・)




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そうした文化祭回の楽しい雰囲気が支配的な今回でしたけど、
さりげなく滝先生の「重たい過去」も静かに提示されていたのは大変印象的でした!

滝先生の第一期におけるあの「なんですか?これ」のインパクトはとにかく大きかったですけど、
あのシーンが第二期でも再現されていて嬉しかったです!
滝先生の「なんですか、これ・・」という言葉の裏側には、実は「亡き妻の意志を引き継いで、北宇治を
再度全国大会に連れて行き、自分の亡き妻や父親の想いを現実のものにしていく!」という強い決意が
潜んでいたのだと思います!

車中での久美子との会話・・・・

そこに写っているのは私の妻です。
大学の同級生で、橋本先生と私の妻は北宇治高校の生徒でもあったんですよ

その頃は私の父が顧問で、全国大会にも行っていたらしいです

妻の話だと、高校3年間、全国大会には出ても金賞は取れなかったって…

だから、自分が先生になって、母校を金賞に導くんだって…病気になってからもよく言っていました・・・


滝先生自身も父親に対する反発とか「妻を亡くした喪失感」とか
色々な個人としての事情があるにも関わらず、そうした「私情」を出さず指導者として吹奏楽部をここまで
立派に飛躍させたのはとにかく素晴らしいものがあると思います!
吹奏楽部指揮者&顧問として厳しく部員達を指導してたのは、やはり「奥様の意志を受け継ぐ事の重さ」というものが
あったのでしょうね!
そして滝先生の願いとしては「全国大会でのゴールド金賞」!!・・・!!
滝先生の父親も何度か北宇治を引き連れて全国大会に臨んでいるのですけど金賞には届かなかった様子ですし、
なによりも亡き妻の意志はかなり重たいものがありそうですね。

ラストシーンにおいて、あすかに近づく女性は誰・・・?
たぶんあすかの母親なんでしょうけど、原作でも提示されているあすかの「複雑な家庭の事情」が次回以降
明らかになりそうです。
そしてここから「あすかの心の闇」にもメスが入っていくのかな・・・

そして・・・次の曲じゃない、次の修羅場がはじまるのです!!
今回の第5話については・・・・
そうですね・・・・
第一期の最終回みたいな演出なのだと思います。
第一期の最終回は「県大会」での演奏をベースに構成されていましたが、今回の第5話は、
「関西大会での演奏」をベースに構成されていました。
否! 違いますね・・この第5話はなんと・・・! アニメとしての放映時間25分のうち、丸々半分程度の12分間を
なんと! 吹奏楽コンクールの課題曲と自由曲の演奏シーンとして放映していたのは
驚きでした!!
例えば「のだめカンタービレ」などのように演奏シーンが頻繁に出てくるアニメも色々とあったと思いますけど
こんなにも長時間、一つの回において「演奏シーン」として展開されるのはまさに前代未聞だと思いますし、
極めて異例だとは思うのですけど、
ああいう演出も私としては・・吹奏楽コンクール経験者としては、本当に嬉しいシーンであり
私としては「京都アニメーション、よくやってくれた!!」と称賛の声をお伝えしたい気持ちで一杯です!!
その演奏シーンの中にも時折ですけど、回想シーンとか写真の一コマを挟むなど
「エピソード」としての役割も十分果たせていたと思います。

ま・・・ストーリーとしては「何もない・・」という感じですので、感想記事を書く方としてはこれほど
楽な回は無い!!というのが正直な感想でもあります・・・(笑)
だってほとんどのシーンが演奏シーンて、この12分間の演奏シーンの最中は当然ながら一言も「セリフ」は
ありませんでしたからね!!

改めてこの場でゴチャゴチャと言葉で感想等を記すつもりは毛頭ありません!!
チャイコフスキーが交響曲第4番を書き上げた際にパトロンのメック夫人宛に記した手紙の結びの言葉では
ありませんけど、まさしく・・・・
言葉の終わるところから音楽が始まる・・・・という感じですね。

sとにかくこの第5話の素敵すぎる演奏シーンに心から敬意と称賛を送らさせて頂きたいと思います!







上記で丸々12分間と書きましたけど、厳密には違うのかな・・

課題曲の「プロヴァンスの風」は抜粋でしたね・・だけど自由曲の「三日月の舞」はノーカットでした!

第5話は前半のAパートが極端に短かったものですので「あ・・これは何かあるな・・」と予感させるものがあったのですけど、
まさか「三日月の舞」をノーカットで放映するとは思わなかっただけに驚きでした!

第四話での感想記事でも書いたのですけど、自分達の前の出演順のチームが自分達と同じ課題曲とか
滅多にないけど同じ自由曲と言うのは嫌ですね・・・
どうしても「隣の芝生はよく見えてしまう」ものですし、他校の演奏がどうしても上手に聴こえてしまうというのは、
ある意味仕方が無い事なのですけどね・・・
北宇治の関西大会の前のチームの自由曲は、みぞれにとっては因縁の曲・・・
歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りだったのですけど、この曲を聴いて動揺するみぞれではもはやない・・というのが
前回の素晴らしき百合回で得た成果だったと言えますよね。
ちなみにですけど県大会での北宇治の前の出演チームの自由曲は、交響組曲「シェエラザード」~Ⅳでした。

自分達の一つ前のチームの演奏の最中でも「百合」している麗奈と久美子は、まさに「女の子の素敵な花園」でした!!


久美子はこのアニメの主人公のはずなんですけど、そうですね・・・・
失言女王と余計な事に巻き込まれていく事と麗奈の百合要員という印象の方が強いですね・・・(笑)

私も久美子のために吹こうかな

滝先生のほうが良いんじゃない?

いいの?暑くて息苦しいバラードになっちゃうけど

あぁ…それは困る…

でしょ?だから久美子のために吹く

はいはい、「もーごちそうさまでした!!」としか言いようがないですね・・・(苦笑・・)



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第二期において、第一期ではあまり抉られる事がなかった田中あすか先輩の「心の闇」にメスを入れて
欲しいと切に切に希望しています。
あすかの「心の闇」は、第一期の最終回においてもある場面がそれを象徴していましたね・・・・
晴香部長の「北宇治、ファイト―!!」の掛け声に唯一応じなかったのは、実はあすかだけでした。

だけど、関西大会は、あすかの「本音」が少しだけ垣間見えていました。というか、あすかの「本気モード」が
示唆されていたと思います、
県大会ではまさに無関心モードだったのに、
「もしかしたら全国に行ける可能性がある・・」と悟ったあすかは、珍しくも部員たちを鼓舞していたのは
印象的でした。

去年の今頃、私達が今日この場にいることを想像できた人は一人もいないと思う。
それが、半年足らずでここまで来ることができた。

今の私の気持ちを正直に言うと…私はここで負けたくない

ここまで来た以上、何としてでも北宇治の音を全国に響かせたい!!

そうですね・・・普段「自分の本音」を隠している人がたまーにこういう熱い事を言うと、周りの人の気持ちも動かすことが
出来るというお手本みたいな感じの鼓舞でしたね!

それは、あすかとしての「計算」があったのかな・・・??




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「吹奏楽コンクール」の本番は、とにかく独特な雰囲気があります!!
あの雰囲気は・・・・
これは申し訳ないですけど、吹奏楽コンクールを経験した方で無いと中々分かって貰えないかもしれないですね。
コンクールの前日は、大抵あまりよく眠れずにもんもんと過ごすことが多かったのですけど、
コンクール当日の朝になっていると、意外と頭は・・・シャキッ!!としている・・・・
というか何か凛としたものが自分の中に内在しているような感覚が自分の中ではあったような気がします。
中学・高校の時の県大会の会場はほとんどが宮城県民会館でしたけど、
演奏開始の3時間前辺りでは、県民会館近くの勾当台公園という比較的大きな公園で
音出し&ウォーミングアップをするというのが恒例でした。
他の学校も普通に勾当台公園で音出しをあの頃はしていましたけど、
当時の公園来場者は、県大会開催時は、煩くてうるさくてとてものんびり出来る雰囲気では無かったでしょうね・・・・(苦笑・・)
多分1980年代のようにのんびりとした時代だったからそんな公園内での音出しも大目に見て貰えたのでしょうね・・・
今の時代は多分そうした事は無理だと思います。
本番の演奏開始一時間前に会場入りし、30分前にチューニング室に入り、最終的な音程合せを行います。
そして、15分前に舞台袖に通され、ここで自分達の一つ前の出演チームの演奏を聴く事になります。
この際他校の演奏が自分達と全く同じ課題曲でしたら・・・結構嫌なものはあったりもしますね・・・・
(コンクールの場合、他校の演奏はとにかくなんでも上手に聴こえてしまいがちですからね)

ま、そうした私自身の事はどうでもいいとして、この第5話でもって
ついに北宇治高校吹奏楽部は、あの激戦の関西大会を見事に突破し、全国大会に進むことになりました!

改めてですけど、北宇治高校吹奏楽部、久しぶりの全国大会出場おめでとう!!

そして次回以降は、あすか先輩の「心の闇」にも迫って欲しいものです!
その時こそが、まさに「そして次の修羅場が始まるのです!」という展開になっていくものだと思います!
まず冒頭で申し上げたい事があります!!

私は、優子に謝罪したいです!!

第一期であまりにもド直球を放り込んできた挙句に、私がとにかく大好きで仕方が無い麗奈に
咬みついただけでなく、滝先生にまで「みんなが言っているんですよ! 先生が麗奈を贔屓したんじゃないかって!!」と
根拠のない流言を流し、優子の「香織先輩大好き!」という気持ちが逆に香織にみじめな思いをさせる結果に
なってしまったり等あの頃の優子は、まさに「バカリボン」という言葉が大変よくお似合いだったようにも
思えたものです。

しかし!!

第一期の例のオーディション以降、夏紀が株を上げまくってまさに「ストップ高!!」状態にまで上り詰めたのと同様に
第二期における優子の活躍というのか、第一期では考えられないような
その大人っぷりとかツンデレ振りとか意外と「全体の事を考えていたり周囲への配慮」が出来る気配りの人振りとか
まさに第二期における優子の株は上がりっ放しで、
第一期の夏紀同様、その株は毎週ストップ高を更新し続けているような印象すらあります!

そうですね・・・そういう優子を見てしまうと、私としては、そりゃ嫌でも
「優子!! 第一期ではあなたの事を毎回毎回バカリボン!と批判し続けていて申し訳なかった! すまん!!」と
謝罪したい気持ちで一杯であります!

とにかく私はこのブログにおいては、優子の事は金輪際「バカリボン」と呼ばない事を、ここに皆様に
お誓い申し上げますっ!! (笑・・)
それに・・優子は原作の上では、コンクール終了後には晴香部長の後を受け継いで「吹奏楽部・部長」に
就任したりもしています!







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優子とみぞれの会話はまさに「圧巻」でした!!
とにかくあれはまさに「素晴らしき百合の世界」なのですけど、それ以上に優子の気持ちがストレートに描かれていて、
優子のこのまっすぐな気持ちが、みぞれの「固く閉ざされた心」をオープンにしたものだと思います!

私には希美しかいないから…拒絶されたら…

なんでそんな事言うの!? そしたら、みぞれにとって私は何なの!?

優子…私が可哀想だから優しくしてくれた。同情してくれた…

バカ!あんたマジでバカじゃないの!? 私でもいい加減キレるよ!! 何が好き好んで嫌いな奴と行動するのよ!!

部活だってそう!本当に希美の為だけに吹奏楽続けてきたの!? あれだけ練習して、コンクール目指して何もなかった!?

府大会で関西行きが決まって嬉しくなかった!?
私は嬉しかった!!頑張って良かった、努力は無駄じゃなかった!!
中学から引きずっていたものからやっと解放された気がした!みぞれは違う!?

嬉しかった…。でもそれと同じくらい、辞めていった子に申し訳なかった…喜んでいいのかなって・・

良いに決まってるじゃん。だから…笑って!!

今回の第4話は、この優子とみそせれのここの会話シーンだけでもう十分です! 正直他は何も必要ないかもです!!

これはまさに、優子の思いもよらぬファインプレーでみぞれの心がついに全面的に開放された!と言っても過言ではないと
思います!

さてさて、みぞれの「冷たい心」・「閉ざされた心」の原因と言うものは、中学の頃に遡り、そしてそれが決定的に
なったのは言うまでもなく「希美の退部」だったのです。
南中3年の時、部長だった希美を中心に頑張ったものの、結果的に県大会で銀賞に留まり、
お通夜状態の帰りのバスの中で、「みぞれ、高校では絶対に金取ろうね」と希美から言われたという背景があるのですけど、
そうした残念な審査結果だけでも、みぞりの心の傷になった上に、
バスの中で、高校でも一緒に金賞を目指そうと言ったのに、みぞれには何の相談も無く希美が部を辞めてしまったというのが
みそ゜れにとっては一番大きかったという事なのですね!
みぞれにしてみれば、自分を吹奏楽の世界に引きずり込んだ張本人が自分になんの一言の相談もなく
勝手に部を退部し、みぞれとしては、まさに「梯子を外されたような気持ち」だったのでしょうね。
そうした「なんで私に何にもいってくれないの・・?
希美は友達が一杯いるから、希美にとって私は大勢の中の一人なのかもしれないのに、
私にとっては・・希美こそが唯一絶対的な希望の灯だった!
だけど希美は私に何も言ってくれなかった・・
私は希美にとっては所詮はその他大勢みたいなものなの・・!?」という感覚だったのかもしれないですね!

なーーんだ! みぞれは実は寂しがり屋だったのですね!

そしてそこに希美が登場します!

私、何か気に障る事しちゃったかな? 私バカだからさぁ、なんか心当たりがないんだけど??

どうして話してくれなかったの…部活辞めた時…

だって必要なかったから

だって、みぞれ頑張ってたじゃん! 私が腐ってた時も…誰も練習してなくても1人で練習してた!

そんな人に、一緒に辞めようとか言える訳ないじゃん!

もしかして…仲間はずれにされたって思ってた?

違うよ!全然違うよ、そんなつもりじゃ!ごめんね…


そうですね・・・・「ごちそうさまでした!」としか言いようがないシーンでもあるのですけど、
希美は・・細かい事にこだわらない性格なのですね! 否! 違いますね・・・!
この鈍感さと廻りが見えないで突っ走る感じはまさに「愛乃めぐみ=キュアラブリー」そのものでしたね!! (笑)



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そうそう、この素晴らしき百合回の中で、実は「黒い」部分もあったりしたものでした・・・

何かと言うと、そう! 言うまでもなくあすかです!

みぞれが希美の姿を見たと同時に例のあのトラウマが蘇ってきて、みぞれはまさにパニック状態・・

それを見ていたあすかの「ちっ……最悪」という舌打ちはかなり強烈なものがありました!

ラスト近くのあすかのセリフもある意味怖すぎなのかも・・?

コンクール終わるまで引き離しておきたかったんだけどなぁ・・・

でもずるい性格してるよね、みぞれちゃんも。
みぞれちゃんが希美ちゃんに固執してるのって結局1人が怖いからでしょ?優子ちゃんは保険だね・・・

案外、人って打算的に動くものだと思うな・・・

うーーむ、私はあすか先輩に申し上げたいです!!

「いやいや、あなたが一番打算で動いていると思いますよっ!!」とね・・・

あすかは決して「本音」を語りません! その言動はまさに本音を建前でくるんだ「あいまいなもの」ばかり・・・

果たしてあすかの本音とは・・!?

そうですね・・その辺りは関西大会終了後に、あすかの「心の闇」として大きくクローズアップ
されていくのです。
そしてその時から、ま「次の曲、じゃない・・次の修羅場が始まっていくのです!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここから先は少し余談です・・・

さてさて、この回の冒頭で北宇治高校吹奏楽部の関西大会での出演順が発表されていましたけど、
いや―ー、後半の出番で本当に良かったですね!
吹奏楽コンクールにおいてはよく言われることなのですけど「朝一番のプログラム一番の演奏は不利」とか
「どうしても朝一番の演奏だと、音楽が十分に覚醒することなく終わってしまい、普段の練習の成果が
あまり発揮されないまま終わってしまう事がありがち」とか
「プログラム一番の演奏は傾向として審査が厳しくなりがち」とは
色々な人たちが色々な所で愚痴ったりもしていますよね・・

私自身はどうだったかな・・?

幸いにして、10年間の吹奏楽コンクールの中で、「朝一番のプログラム一番」の経験は高校2年の地区予選
だけでした!
朝一番の演奏というと、普門館開催の頃は、AM9:05スタートなのですけど、
午前9時の本番は、やはり奏者にとっても指揮者にとっても結構シビアな条件だと思いますよ!
私の高校の地区予選も確か午前9時半頃スタートだったと思いますが、
午前9時半開始と言うと、早朝5時頃に学校に集合して色々と準備をするものですけど、
やはり何か今一つ気分が乗らないままいつの間にか本番が終わっていた・・みたいな記憶しか無かったですね・・・
実際にステージで演奏しても、本番中なんだけど、
「あれれ・・なんかいつもと違うよなぁ・・」みたいなヘンな違和感しか無かったようにも感じられました。
地区予選を突破して県大会に進めたのはある意味不幸中の幸いだったのかもしれないですね。

今まで全国大会でも朝一番という外れクジを引いて、気の毒だった演奏も色々と聴いてきましたが、
(一番ひどかったと感じたのは、1995年の玉川学園中等部の「海」かな・・?)
でも振り返ってみると、1970年代の終わりから1980年代の初期の頃って、
プログラム一番のチームでも普通に金賞を取っていたりします。

1978年 天理高校 A/スパルタカス
1979年 川口高校 B/二つの交響的断章
1980年 就実高校 A/ル=シッドのバレエ音楽
1984年 天理高校 A/フェスティヴァル・ヴァリエーション

ところがこれ以降は、プログラム一番のチームは、金賞から遠ざかる時代が
長く続く事になります。
でも、例えば、1985年の花輪高校(A/ガジベコフ・交響曲第2番)のように
朝一番でも重量感たっぷりに且つ生き生きと演奏していた学校もあったのですが
なぜか評価は銅賞でした・・・
あの銅賞は、個人的には今でも納得できない銅賞の一つです。
1986年のプログラム一番の川本高校の「シェェラザート」も決して悪い演奏では
無かったと思います。
だけど、87年の東京朝鮮と88年の嘉穂、89年の関東第一は結構ひどい演奏でした・・・
92年の精華女子は、爽やかなダフニスとクロエで、夜明けは本当に朝一番に相応しい
演奏でしたね。93年の柏と94年の名電は、いかにも寝起きという感じの演奏で
気の毒でした。

10年以上プログラム一番が金賞から遠ざかっていたのを打破したのが
96年の柏でした。(Ⅳ/三つの夜想曲)
この演奏は結構素晴らしかったと思います。
この年から前半の部と後半の部の聴衆の入替えが始まり、混雑を回避させるためなのか、
比較的早い時間から開場した記憶があるのですが、
そのせいか会場の雰囲気が早い時間帯から暖まっているという感覚が
あったのは、果たして自分だけでしょうか・・・?
そのせいか、音が遠くに飛ぶという印象も無く、音がうまくブレンドしているような
印象もありました。

でも全体的に言えるのですが、遠くの支部から来たチームは、朝早い時間帯の演奏は
やはり不利というか、
本来の実力が中々発揮しにくいのかもしれませんよね。

そんな中、やはり79年の市立川口のあの演奏はやはり驚異的だと思います。
だって、あのチームはあの年が初出場なんですよねっ!
さすが私が「神」と崇める伝説の学校のあのとてつもない伝説の名演は格が違うっ!!という感じですね!
前回の第二話におきましては、あのけしからん水着とあまりにもシリアスで重たい久美子と希美の会話の
とてつもないギャップに私はテンションあがりまくり&希美の素晴らしき水着に萌え萌え・・という印象でしたけど、
第3話は第一話~第二話におけるそうしたけしからん百合話とけしからん水着という可愛い要素系とは別に
第一期を含めての北宇治の問題要素を抉り出してきたという感じもあり、
その辺りは見ていて「演出・構成が巧いなぁ・・」と感じたものでした!






第二話があのけしからん水着回であったのに対して今回は・・・・まさかの入浴シーン!

しかも・・・主人公・久美子のブラひもがちらっと見えているのは・・・よかったのですけど、
久美子は幼児体型のおこちゃまですので、ここはやっぱり麗奈に・・!と思っていたら、まさかまさかの麗奈の
上半身下着姿がお披露目されていました! (感涙・・!)
ですけど、うちのブログは基本的にはエロネタ無しの健全路線を建前にしておりますので、麗奈のあのシーンは
ここでは自主規制をさせて頂きたいと思います・・(笑)



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第三話にて早速ですけど現状の北宇治の問題点が浮き彫りになっていました。

その一つが鎧塚みぞれの「心の闇」の問題・・・

みぞれは確かに現時点では北宇治高校吹奏楽部に所属していますけど、いまだに中学校時代のトラウマを
引きずっているような感じが濃厚で、「心ここにあらず・・、気分はいまだにあの時の中学の吹奏楽コンクールのまんま」という
感じなのだと思います。
みぞれ自身は、元々は中学の時に希美から「一緒に吹奏楽やろうよ!」と積極的に声を掛けられ、
そしてそうした強いリーダーシップを発揮している希美に一つの「あこがれ」みたいな気持を持って共に
吹奏楽部の門戸を叩いた経緯があります。
だけどその希美は、高校では既に退部状態で、みぞれの本音としては
「なんで私を置いて退部しちゃうの・・・」みたいな感じで、もしかしたら一人梯子を外されたまんま
どこか上の空状態で北宇治高校吹奏楽部に留まり続けているだけなのかもしれません。
そう! 言うならばみぞれには麗奈みたいに「全国大会に行く!」とか久美子みたいな「うまくなりたい、うまくなりたい!」
みたいな明確な意識というのか「目標」をすっかり見失っている状態なのだと思います。
それじゃ、なんでみぞれは吹奏楽部に居続けているのか・・・?
たぶん「響け!・・・」を見ていた人はそのようにお感じになるのかもしれません。
そうですね・・・それについて少し補足をさせて頂きますと、それは「希少楽器における奏者の希少価値」というのが
あるのかもしれません。
吹奏楽部というのは、人気パート・不人気パートというのも勿論あり、一般的な傾向として、
フルート・アルトサックス・トランペットは常に人気パートで「その楽器を吹きたい!」という人は一杯いますし、
第一期でも話が出ていた「吹奏楽コンクールオーディション」なんかでも競争率の面ではかなり熾烈なものが
ありそうなパートなのだと思います。
希美の担当楽器はフルートですので、そうですね・・・大変酷な言い方になってしまうのですけど
「別に希美一人抜けても大勢に影響ないじゃん・・!」みたいなものだと思います。
だけど、みぞれのオーボエとか、ファゴットのような「ダブルリード楽器」は、楽器自体がとてつもなく高いという事情も
あるのですけど、どちらかというとフルートみたいな人気楽器に比べると奏者のなり手が少ないというのが
一般的な傾向なのだと思います。
ちなみにですけど、チューバ・打楽器・ホルンなんかもどちらかというと奏者に人気が無くて希少パートと言えるのかも
しれないですね。
そして、これは既にこのブログでも散々語っているように男子高校の場合の「クラリネット奏者」はとてつもない希少価値が
あると思います!
(だからこそ、高校の練習見学会にて、当時の上級生から「おまえの中学の時の担当パートは?」と聞かれ
「クラリネット」と言ったら、上級生たちの目の色が変わりだし、雰囲気的には、「ここでおまえに土下座しても全然
構わないから是非是非うちの部に入部して頼むからクラリネットを吹いてくれぇ―!」みたいな感じになったものですね! 笑・・)
話がそれましたけど、みぞれの場合、担当楽器がオーボエで元々希少価値傾向がある楽器の上、
北宇治においては、オーボエ奏者はみぞれ一人、しかもみぞれ自身はそこそこのテクニックはあり、
コンクールメンバーとしては絶対に外すことが出来ない奏者の一人たという背景があるのだと思います。
そしてこの事はあとで触れますけど、久美子とあすかの会話において一つのキーポイントとなってきます。

みぞれとしては・・・

「希美が既に退部しているのだし、別に私が北宇治の吹奏楽部に留まり続ける必然性も理由も無い」

「だけど確かにオーボエ奏者は自分一人だけだし、今私が退部をしてしまったら、せっかくコンクールに向けて
必死で頑張っている他のメンバーたちにさすがに申し訳がない」

「そうね・・・とりあえずは、吹奏楽部を続けようか・・結局は何のためかよく分からないけど・・・」

みたいな心境なのかなとも思います。

だからこそ、別に大好きで吹奏楽部を続けている訳ではないので、音楽が大好きで仕方が無いからという訳ではなくて
「なんとなく・・」みたいな漠然とした気持ちで楽器を吹いているので、
コーチの言葉じゃないけど、まるで「ロボット」が吹いているような感情がこもっていない音になってしまうのかも
しれないですね。

そうなんですよ! 最近ではさすがにそうした事例は少ないですけど、全国大会あたりでも
「え・・・なんでこのチーム、こんなにつまらなそうに音楽を演奏しているの・・・!? なんなのこの無機質で
能面みたいな無表情の音楽は・・・!
聴いていて全然楽しいとか哀しいみたいな感情が伝わってこないじゃん・・」みたいな演奏も多々ありましたけど、
そうしたチームの場合、何か色々と「事情」はあったのかもしれないですよね。
例えば・・・1990年の全国大会で金賞は受賞したけど、尼崎吹奏楽団のイベールの「寄港地」なんて、
奏者からあんまり楽しさ・自発性は伝わってこなかったし、何よりも楽器を揺らす事も無く、規律正しく乱れることなく
楽器を無表情に吹いていたのは、ある意味印象的でしたし、
同じ事は2000年の近畿大学もそんな感じの「うまいのだけど聴いていて感情が一つも伝わってこない優等生過ぎる演奏」
だったと思います。



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第3話における最大の問題シーンというか、あすかと久美子の会話を再現してみると・・・

オーボエの鎧塚みぞれちゃん、いるでしょ?

あの子、希美ちゃんのことダメなのよ。顔見ただけで気持ち悪くなるくらいのトラウマがあるらしくて・・・

でも希美ちゃんは、自分がそう思われてることに全く気付いていない。
未だに仲良しの幼馴染だと思ってるみたいでね・・・

アンタが戻ってくるとみぞれちゃんがオーボエ吹けなくなる。とはさすがに言えないでしょ?私もそこまで鬼じゃないよ・・

うちの部には、オーボエ1人しかいないからねぇ

今みぞれちゃんが潰れたら、関西どころじゃなくなる・・・

2人を天秤にかけたら、どっちを優先すべきかくらい分かるでしょ?

そうですね・・・このシーンなのですけど、見ているだけでとてつもなく辛くなってしまいます・・・

本音を書くとこのシーンの事は書きたくもありません。なぜなら、あすかの立場も分かるし希美の立場も分かるし、
このシーンを振り返るだけでなんだかとてつもなく痛々しく感じられて
あまり言葉が出てきません。
実はなのですけど、この第3話の記事を書いているのは10/26(水)と第三話のリアルタイムでの放映から
一週間も経過した後なのですけど、
正直・・・今回の第三話の事はあまりにも痛々しすぎて、見ているだけでなんか胸がきゅーっと締め付けられそうで
感想記事も本当は書きたくも無かったので一週間近くも放置してしまったというのが実情です。

結局、みぞれ自身の「トラウマ」って何なのかな・・?

その答えの一つがやはり「吹奏楽コンクール」なのだと思います。

みぞれ自身は、いまだに中学時代の吹奏楽コンクールの事を引きずっていますし、それが解決できていないからこそ、
本当の意味でいまだに「音楽」と向き合っていないと言えると思いますし、
別の味方をするとそうしたコンクールにおける「心の痛み」をヘンな意味で希美に転化させてしまい、それがひいては
本当は大好きなはずの希美までが「生理的に受け付けない・・」みたいな感じになっているのだとも
思われます。

そこにあるのは「吹奏楽コンクールにおける光と影」なのだと思いますし、その影の部分をまともに食らっているのが
今現在のみぞれの姿なのだとも思えますし、
その辺りの解決・・つまり「吹奏楽コンクールと私はどのうよに向き合っていくのか・・」というのが
「響け! ユーフォニアム」第二期の一つの大きなテーマなのだとも思えます。



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確かに別に吹奏楽コンクールに限った話ではないのですけどこうした「コンクールの功罪」というのは
間違いなくあるのだと思います。
例えば・・・
指揮者=指導者が「とにかくよい賞を取りたい」という気持ちが強すぎて、もしかしたら一番大切なのかもしれない
「音楽を楽しむ心」というものを奏者から剥奪してしてしまったり
コンクールに向けて過度な練習を奏者に課したり、奏者に無茶振りをするあまり、奏者に罵詈雑言を吐いてしまい、
奏者の心に生涯拭い去る事の出来ない深い心の傷を負わせてしまったり、
はたまたコンクールと言っても、審査員の理不尽な音楽上の好き嫌いがあったり、
審査そのものが実は水物であり、審査員によって評価そのものに違いが生じたり、
本当は「表現」とか「その曲をどのくらい好きでどのくらい理解しているのか」という方が大切なのかもしれないのに、
まさに揚げ足取りみたいにほんのちょっとしたミスとかで評価自体に差が付いたりなど
とにかくコンクールは「理不尽な事ばかり」だと思います!
ま・・・私自身、このブログの吹奏楽カテゴリでは、いまだに
「1985年の花輪高校の銅賞だけは絶対に納得できない」とか
「1987年の雄新中の銀賞という結果は絶対におかしい、あれは審査員の耳が絶対にどうかしている」とか
「1982年の東北大会の花輪高校が全国大会に進めなかったのは絶対に絶対に理解できない」なとと言っている通り、
こうした「コンクール」と「理不尽さ」は、ある意味、もしかしたら表裏一体と言えるのかもしれないですね。

「響け・・」の第三話においてもバカリボン・・じゃない・・・優子が
(優子は第一期に比べると随分と精神的に進化したような気も・・・? そうですね・・第二期以降は、もう優子の事を
「バカリボン」と言うのはやめておきましようね・・・
しかも優子は原作の上では、コンクール終了後は、吹奏楽部部長に任命されていますからね!)
吹奏楽コンクールについて色々と言及していたのは大変興味深かったです。

ふざけてやっている訳じゃない。皆、夏休みを潰して練習している・・・

けどコンクールは優劣をつける。
この曲を自由曲に選んだ時点で難しいとか、演奏以前の話を平気で評価シートに書かれたりする事さえある・・・

努力が足りなかった、劣っていたという事にされちゃう。超理不尽でしょ?

結局好き嫌いじゃなく、コンクールに出る以上は金が良いっていう事なんじゃない?

そして麗奈もコンクールについてこの第三話で言及をしていました。

よく音楽は金銀銅とか、そんな簡単に評価できないっていう人がいるけど…
あれを言っていいのは勝者だけだと思う。下手な人が言っても負け惜しみでしかないと思うし・・・

だから結局、上手くなるしかないと思ってる。

それにたくさんの人に聴いてもらえる機会ってそんなにないから…私は好き!!

私は優子の言う事も麗奈の言う事もどちらも「素敵な正解」の一つだと思います。

そして私自身は・・・・

私は吹奏楽コンクールは大好きです!
確かに奏者時代は結局「10年間で10連敗で一度もいい事はなかった」という結果に過ぎないのですけど、
私は吹奏楽コンクールに私自身が10年間出続けた事に「誇り」を感じていますし、
現役奏者を引退した後は、一人のただの聴衆として「吹奏楽コンクール」を聴いてあーだこーだ好きな事を言い続けることは
大好きです!
つまり、奏者としても聴衆としても「吹奏楽コンクール」は大好きです!!

なぜなら、そこにはライヴ感覚としてのドラマがあるからなのです!

課題曲と自由曲を通して「わずか12分間の演奏時間」に過ぎないのですけど、その12分のために
奏者も指揮者もそして関係者全員、客席で聴いている一般聴衆や審査員には到底わからない事情や背景やドラマや
葛藤とか練習過程を背負って真剣勝負の「12分間のはったりのない演奏」を聴かせてくれているのです!
そこにはどうしたって聴く者に「何か」を感じさせてくれるものが間違いなくあるのだと思います。
聴衆の立場では、そうした奏者の熱い想いを客席で感じながら・・・・
そして奏者として出場している際には「今年こそ普門館で吹きたい!」みたいな気持を背負ってとにかく「邪心無き心」で
吹いていたと思います。
例えば・・・・1986年の夏・・・
私は既に大学3年で、当時の感覚としては、
「普通は4回生になると就職活動が控えているのでコンクールには出ない人が多いので、もしかしたら
これが最後の吹奏楽コンクールになるのかもしれない・・・
今年の大学・職場・一般の部の全国大会は尼崎のアルカイックホールで開催されるけど、
出来ればなんとか、この西の吹奏楽コンクールの聖地と呼ばれるアルカイックホールで吹いてみたい!
それが無理ならばせめて都大会本選が開催される東の聖地と呼ばれる普門館で演奏したい!」と心から願って日々
練習してきましたけど、結果は・・・・アルカイックホールはもちろん、普門館はおろか、
都大会予選の「江戸川区民ホール」で散ってしまいましたけど、
あの時の感情としては「審査員うんぬん」以前に「自分達がまだまだ下手だから・・・」みたいな気持ちしかありませんでしたし、
確かに「たかが12分聴いただけで何が分かる!」と審査員に負け犬の遠吠えをぶちまけるのは簡単なのですけど、
なんかそれじゃ、自分達がみじめだよね・・という気持ちしかなかったです。当時は・・・

とにかく・・・確かに色々とその功罪はあるのは分かりますけど
「やっぱりコンクールってついつい頑張ってみたくなっちゃうよね・・」というのがその本質なのだと思います!

みぞれは・・・そうですね・・まだそうしたコンクールの本質が自分で分かっていないし、
「自分がなにをしたいのか・・」という事すら分かっていないのが最大の問題点なのかな・・とも感じるのですけど
単純にそう割り切れないのがこの「響け・・・」の凄い点なのだと思います。

そして・・・次の曲が始まるのです! じゃない・・次の修羅場が始まっていくのですっ!!
冒頭で私信で申し訳ないのですけど、
当ブログの大切なブロとも様のお一人の五航戦の愛鷹様!!

今回はホークスのセカンドステージ敗退は、本当に残念でした・・・
そして今シーズンの応援、本当にお疲れ様でした!

「響け! ユーフォニアム」で鎧塚さんが「コンクールなんて大嫌い・・」と吐露されていたようにこうしたある意味勝負事は
勝者もいれば敗者も当然生じてしまいます。
北宇治が関西大会代表になった事は同時に、中学時代の鎧塚さん・麗奈が味わったような「県大会敗退」みたいに
代表校として選出されなかった学校が出る事を意味する事であり、
これは同時にプロ野球のこうしたCSでも同じことは言えるのだと思います。

今年の日本シリーズは、黒田投手が引退し実に25年ぶりに出場を果たしたカープにも頑張って欲しいし、
ホークスや私が愛するマリーンズが所属するパ・リーグの代表の日本ハムにも頑張って欲しいですし、
とにかく両チームとも「素晴らしい試合」をして頂きたいと思っています!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


いかんなぁ・・・! 第一期の浴衣姿と夏服セーラー服とか夏紀先輩のボニーテールですっかりメロメロ状態なのに、
第二期では早くも第2話で「水着」が登場!
久美子はともかくとして(?)あの麗奈・香織先輩、そして希美の水着姿を見ることができるなんて!
そうですね・・・まさに第一期第8話ネタじゃないですけど
「その時、私は命を落としても構わないと思った・・」の世界ですよね!

それと第二期は、麗奈のデレた顔とか変顔とか今回の話のように茫然自失のお顔とか、
第一期のあの「孤高な雰囲気」ではない、「普通の女子高生」みたいなお姿を見ることが出来るのはとっても素敵な事だと
思います!

だけど・・・

第2話は見方によってはとてつもなく内容的に大変シリアスで重たい回だったと思います。

そうですね・・・あのけしからん水着と中身の重さ・・・うーーん、このギャップがやはり第一期同様
京都アニメーションのクオリティの高さだと思いますし、「響け・・」の魅力だと思います!








前半の水着の華やかさと後半の内容的シリアスさのこの対比が素晴らしいけど、
水着と内容のシリアスさというある意味相矛盾する要素を演出として大変巧妙に醸し出しているこの「響け!・・」の制作者は
本当に素晴らしいクオリティーがあると思います。
ま・・・同時に・・水着とか希美の胸についつい視線がいってしまって・・・・(苦笑・・)
希美と久美子の会話に集中できなかった自分がいたりもします・・(苦笑・・)
というか・・・・昨年も今年も「プリキュア」に「水着」が登場し、あの時は私自身もとてつもなくテンション上りまくり
でしたけど(笑・・)
この「響け!・・」の第二話の貴重な「水着回」でもこれほどテンションが上がらないのは、やはり希美の話の重たさが
原因なんでしょうね。

一言で言うと「部員と元部員を絡めた複雑な展開」なんですけど、
そうですね・・・私としては色々と言いたい所はあるのですけど、希美はなんか「とてつもなく運が悪い子・・気の毒な子」
という感じもいたします。
希美とみぞれが中学時代に歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りで県大会でダメ金も取れず銀賞で終り
「高校に入ったら絶対、金賞を取ろう! そして関西大会代表になろう!」と希美は心に固く誓ったのですけど、
ま・・それ以前にそんなに「金賞」とか「代表」にこだわっているのなら京都府内の吹奏楽の強豪校に進学すればいいじゃん!
みたいなツッコミは一旦置いておいて、
中学時代のこの「辛い思い」を是非高校でリベンジしたい!と勇んで北宇治高校吹奏楽部に入部したはいいけど、
そこで待っていたのは、やる気のない部員、特に3年生、そして・・・「年功序列」でコンクールメンバーを選出し、
やる気が全く無くて練習もろくすっぽしない3年生がコンクールに出場し、
やる気とか実力があるのにコンクールメンバーから外される希美自身とか晴香とか香織とか優子の存在みたいな
「悲惨な現実」だったのでした。
原作通り、希美は中学の時は吹奏楽部部長であり、練習熱心でモチベーションも大変高い子で、
「目的意識」をきちんと有して入部してきた子ゆえに、こうした当時の北宇治の状態には我慢の限界が来たという事
だったのでしょう・・・
3年生との壮絶なぶつかり合いの末、希美は真面目な部員を何人か誘って退部をしてしまい、それが
第一期でも暗い影を落としていた「部員大量退部事件」だったのですけど、
そうですね・・・この件に関しては、私自身はあすかの言葉に同感します。
あすかは「そのくだらない3年生はほっとけば卒業して、来年は私らだけになるんだけど?それまで待てない?」と
当時の希美を諭すのでけど、これはまさにその通りなのだと思います!
希美は「私、吹奏楽好きなんだよ。練習して、強豪校に負けない強い部になりたかった!!」という前向きな気持ちしか
無かったのだと思います。
だけどそれは1年の時は果たせなかったのです。
そうですね・・・・「別に1年待てばいいじゃん・・」みたいな感じですし、
武田信玄の言葉じゃないけど「待てば海路の日和あり」だと思うのです。
事実・・・3年は卒業し、そして久美子たちが入部してきた年に、そう! あの滝先生が北宇治の吹奏楽部顧問として
赴任してきたのです。
そして・・・北宇治は見事県大会を突破し関西大会に進んだのです!
これって、希美にしてはまさに「受け入れられない現実」というのかまさに悪夢なのだと思います。
希美にしてみれば・・・
「あの時・・あすかのアドバイスに耳を傾け退部さえしなければ・・・」とか
「私ってなんてバカ! あの時我慢して吹奏楽部に居続けていたら、自分だって、あのオーディションを突破して
みぞれと一緒に関西大会に進むことができた!」
「私って・・なんて間が悪くて運に見放された子・・」みたいな意識なのだと思います。

ま・・人生とはそうやって「皮肉」なことばかりなんでしょうけど、根が生真面目な希美にしては、
まさに「不本意・・・」としか言いようがないのだと思います。
前回、その①でも語ったけどタイミングが今は悪すぎではないのかな・・・?
せめて関西大会が終わった後とか、あすかたち3年生が引退した後にこっそり「復部」を願い出た方が
もっとすっきりといくような気もするのですけど、それが出来ないのが真面目なんだけど不器用な生き方しかできない
希美の「生き方」そのものなんでしょうね。
希美は純粋に「あの時退部する私を引きとめてくれたあすかのために何かサポートしたい」という目的のために
復部を希望したのでしょうけど、
あすかにとっては実はそれは「いい迷惑」という話なのかもしれません。
ま、そりゃそうでしょう・・あすかも3年生ですし、高校生としては最後のコンクールであり、
とにかく目前に迫った「関西大会」に自分の全てを集中させたい!という事なんでしようね・・・

現実的な話をしてしまうと、一応中学~高校と吹奏楽部のポンコツ部長を務めた私の感覚から言わせて頂くと・・・

「え・・復部・・? いいけどコンクールが終わってからにしてよね・・・今はとにかく部員の練習の
支障になる言動を取らないで!
それが出来ないというのからコンクール終了後の復部すら認めない!」という感じで対応するんじゃないのかな・・・?

だけど同時に希美の「いたたまれない気持ち」も十分わかりますね!

昨年のあの時点ならば「退部」はベストな選択だったのかもしれない・・だけど一年後は関西大会出場・・・
希美の悔しさ・いたたまれないせつなさは気持ちとしては十分わかります。
それゆえ・・希美が久美子に対して涙ながらに
「明日香先輩にね、私が戻ってもプラスにはならないって言われたんだ…」とか
「何が…私何がダメなんだろう…」と言っていたシーンはとても胸をうつものがありました。
だけど・・・あのシーンは希美が水着姿で胸元を手で隠しながら言っていましたので、私は・・・
リアルタイムで見ていた時はあのシーンは全く耳に入っていませんでした・・・(苦笑・・・)

いや――――もいいですね! 水着とシリアスな内容のこの対比!!

そして・・・この時、久美子は・・・またまた例によって余計な事を言って自分で自分の首を絞めてしまいます・・・

「明日香先輩に…戻っちゃダメな理由、私が聞いてみます!」

そして第二話のラストは、久美子があすかに対して
「少しお時間を頂けますか?」で終るのですけど、それは何を意味するのかと言うと、
そう! 第3話は「次の修羅場が待っているのです!」の始まりなのですよね!

久美子とみぞれの二人きりの会話も素敵でした!

久美子がBGMで聴いていたのは、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りですけど
(この「ダッタン人の踊り」についてはこの一つ後の記事で詳細に語らさせて頂きたいと思います!)
この曲にトラウマがあるみぞれは「この曲、嫌い・・」となってしまいます。

みぞれは久美子に「コンクールは嫌い」とか「私は苦しい…コンクールなんて無ければいいのに…」とか
言いますけど、
そうですね・・・私は・・みぞれに対して
「じゃーコンクール出なけりゃいいじゃん・・それ以前に吹奏楽部に入部しなけりゃいいじゃん・・!」と
ツッコみたい気持ちはあるのですけど、
そうですね・・・ここにもあすかみたいな「心の闇」があるのかも・・・
このみぞれの「心の闇」にも今後迫って頂きたいと思います!

久美子の「じゃあその…鎧塚先輩はどうして続けてるんですか?」は珍しく正鵠を得た質問なのですけど
それに対するみぞれの答えは「わからない・・もう何もわからない・・」というものでした。
このシーンの際にみぞれが手にしていたリズムゲーム機の画面が
「ゲームを 続ける やめる」の画面を映す演出がありましたけど、あれは巧かったですね!

みぞれの部活続ける意味とか希美に対しての本当の思いはみそ゜れ本人でも分かってないような感じなのかも
しれないですね。
みぞれを吹奏楽の世界に引き入れたのは希美自身でもありますし、
みぞれ自身はまだまだ本当の意味で「音楽」に向き合っていない・・と言えるのかもしれませんよね。




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今回は後半は「合宿」に入っていました。

だけど羨ましいですね・・・こんなリゾートみたいな場所でこんなに綺麗で整った練習場で合宿できるなんて
うらやましすぎます!
私なんて・・・中学と高校の吹奏楽部の合宿なんて、「学校内」でしたからね・・・(泣・・・)

私自身、高校の吹奏楽部時代は、そうですね・・・夏休みは平均すると2~3回程度毎年毎年
吹奏楽コンクールのための強化合宿なんてやっていました。
夏休みですと、ほとんどの運動部はこうした合宿を行う事が多く、
(文化部系で合宿をするなんて多分・・・・吹奏楽部くらいなのかな・・・)
学校内に一応「合宿所」はあるのですけど、ここはせいぜい・・100人ぐらいが限界なのかな・・・
どの運動部も合宿をする時期は一つの時期に集中してしまう傾向があるものでして、
ひどい時は・・・学校内に総勢200人近くも合宿をする事になってしまいます。
そうなると、当然ながら合宿所だけでは足りず、「体育館」に布団を敷いて寝泊まりしていた事もたまにありましたね。
そして・・・更にひどいときは・・・剣道部や柔道部が使用している「武道講道館」の硬い畳の上に
同じく布団を敷いて寝泊まりなんて事もありましたね・・・・
そうそう・・
武道講道館には当然剣道部の防具が置いてあるのですけど、この防具が多分・・・
5年~10年程度は多分・・ほぼ洗濯なんてしていないから
とにかく普段から汗臭くて皆から大変嫌われている場所なのですけど
こうした汗臭い場所に夏合宿なんてやると・・・
とにかく・・・「暑い」以上にとにかく男臭いあの独特の汗のぷ~~んとした香りが漂い
とにかく・・・・気持ち悪かったですね・・・・(苦笑・・・)

私の高校の場合、フェンシング・弓道・テニス・ハンドボール・ラクビ―などのようにインターハイや花園などの
出場実績があるとOBからのカンパも多分半端無いものがあるのかな・・
郊外の練習場を伴った宿泊施設で優雅に合宿というパターンも多かったと思いますが
それ以外の大して実績もない部なんかは・・・
こうやって学校内の合宿所、ひどい時はこうした体育館や武道講道館を使用せざるを得ないのですよね・・・
合宿所・体育館・武道講道館のどこで寝泊まりできるか・・・
これについては、事前に「公平を期すために」あみだくじで決めていましたけど
体育館を当ててしまうと・・・
まーー、どの部も部員たちの「ブーイング」はすさまじかったようですね・・・・(苦笑・・)

実際に体育館の硬い床の上に薄い敷布団を敷いても・・・・正直・・・寝心地はあんまりよくないです・・・
感覚としてはコンクリートの上に直に雑魚寝しているようなもんでしたね!
それと・・・いくら夜とはいえ・・・窓を全開に開けたとしても・・・
体育館で大人数で寝泊まりすると・・・結構と言うかかなり暑苦しいです・・・(苦笑・・)

ご飯は、学食のおばちゃんたちが作ってくれましたけど
片づけ等はどの部もほとんどは・・1年生の役割でしたね・・・
お風呂は、一つの部の制限時間が15分と決められていて
15分で・・・例えば野球部が40人前後・・・吹奏楽部で30~35人前後が一気に入るのですから・・・
そりゃ・・・すさまじい「カラスの行水」状態でしたね・・・(苦笑・・)

以前も書いた通り、私の高校は男子校でしたので
男子校の合宿なんて・・・そりゃ・・皆様想像つきますよね・・・(苦笑・・)

昼間は結構ハードな練習漬け・・・・

夜は昼間の疲れで爆睡・・・・といきたいところですけど、
夜は大抵・・・どの部も室内にエロい本を大量に持ち込んでいますので・・・(苦笑・・・)
そりゃ・・・ま・・・その・・・エロ話満開ですよね・・・(苦笑・・・)
ま・・・うちの高校は「自由・おおらかさ」がある意味売り・伝統でしたので、
教師たちも夜の巡廻とか昼間の部屋の抜き打ち点検みたいな野暮な事はしませんでしたね・・・
だから・・・
昼間の合宿所の室内は・・・・
万年床とエロい本が・・・山高く積もる結果になっていましたね・・・(苦笑・・)

一年生の時なんか、夜寝ていて朝起きると驚くことがあったりします・・・

何かと言うと・・・・

上級生たちが爆睡している一年生の顔にマジックで色々といたずら書きをするのですよね・・・(苦笑・・)

顔中、「松田聖子・命!!」とかへのへのモヘジとか星飛雄馬みたいな目から炎が飛び出ている感じとか
少女漫画のような目が3倍とか・・・
とにかく・・・・
色々と書かれまくられましたね・・

あれ・・マジックペンだから、中々落ちないのですよね・・・

だから・・・落とすのを一旦諦めてその顔のまんま、朝食を食べるために学食に行くと・・・
結構な数の一年生がそうやって顔に落書きされたまんまの状態で
朝ごはんを食べていましたね・・・・
でもあれ・・ある意味壮観だったかも・・・・
だって・・・
顔面が目が三倍だったり星飛雄馬だったり、へのへのもへじだったり
はたまた・・・
アントニオ猪木とかジャイアント馬場みたいな似顔絵を書かれたまんまの顔で
普通に皆・・・朝ご飯食べていましたからね・・・・
うーーん、なんというシュールな光景・・・(苦笑・・)

いやいや、これはひどいポンコツ高校ですね・・・(苦笑・・・)

ちなみに・・・・

顔面に書かれたマジックは、シャンプーの泡で何とか落とせます・・・




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今回から木管楽器のコーチとして新山さんというとてつもない美人さんが登場してきました!

そうですね・・・もしもしですけど私が男子高校時代にこんな美人さんが突然コーチとしてやってきたら・・・

とにかく授業が終わったと同時に音楽室にやってきて、深夜まで真面目に練習しちゃうと思いますっ!!(苦笑・・・)

うーーむ、私もこんな美人さんからクラリネットを手取り足取り教えて頂きたいものです!



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1年当時の夏紀が素敵!

当時の3年に対して「希美、やめときな! こいつら性格ブスだからっ!」と啖呵を切る夏紀は最高です!

夏紀自身は希美に対して「何もしてあげられなかった・・」という後悔の気持ちがあるからこそ、希美の復部を
色々とサポートしているのでしょうね。

うーーむ、第一期の夏紀も素敵でしたけど、第二期も素晴らしいです!

そして希美同様この「ポニーテール」は最高です!!!
冒頭で私信で申し訳ないのですけど、
当ブログの大切なブロとも様のお一人の五航戦の愛鷹様!!

ホークスのCSファーストステージ突破おめでとうございます!

マリーンズファンの私としては、悔しい気持ちもありますけど勝負は時の運でもありますので、
是非是非セカンドステージもマリーンズの代わりに頑張って頂きたいと思います!
とにかく・・共にパ・リーグファン同士、日本シリーズはどのチームが出てきても打倒・セ!に向けて
いい試合をして欲しいものですね!



ついに・・!! 2015年4~6月の第一期に続いて「響け! ユーフォニアム」の第二期が10/5より放映開始と
なりました!
とにかく「待ちに待った!」という感じでしたし、年内一杯はとにかく毎週水曜日が楽しみですね!
第一期と同様に、このアニメ・・吹奏楽経験者の皆様にとっては確かに共感度は高いと思われますし
「吹奏楽あるある」じゃないですけど
「あ、確かにこのシーン、うちの部でもこれに近い事あった、あった!」みたいな各人が「あ・・なんか懐かしいな・・」
みたいに感じられる場面も一杯あると思います。
だけど、反面・・・第一期で提示されていたように、やる気がある部員とそうでもない部員の温度差の問題とか
コンクールの自由曲での「ソロ」を巡る確執とか
滝先生赴任前の前顧問が行っていた年功序列というのか、コンクール出場メンバーを
普段の練習への取り組み具合とか熱意とかそうしたものを全く無視して単に「上級生だから・・」みたいな理由での選出を
巡って当時の1年生たち(つまり、現2年生)と上級生たちの確執による大量の部員退部事件が落している影とか
頼りない部長・晴香が部全体をコントロール出来ていないとか
本来「部長職」をするべきの田中あすかがそうした「面倒な人間関係」を嫌って、一歩引いた対応を恒常的に
しているとか
とにかく第一期は、確かに見ていて面白いしとてつもなく引き込まれていくのですけど、
中学~高校の時に晴香同様「頼りないポンコツ吹奏楽部・部長」でもあった私がこのアニメを見てしまうと、
とにかく・・「忘れていたあの嫌な記憶がよみがえる」とか「昔の自分を見ているみたいで、なんか胃が痛い・・」みたいな
ある意味「トラウマ」を感じていたのもまた事実です。
今回の第二期第一話を見ると、今後のそうした「ギスギスした部員の人間関係」なんかも早くも示唆されている場面が
多々ありましたし、
第一期も第二期も番組の一番最後のナレーションは「そして次の曲が始まるのです」で締めくくられるのですけど
いやいや違うでしょ・・
「そして次の修羅場が始まるのですっ」と言い換えた方がいいでしょ・・と毎回毎回感じてしまいます。

そうですね・・・

とにかく年内一杯の水曜深夜は、このアニメを見て、過去の自分自身の吹奏楽生活を懐かしがりながらも
「あー、自分も昔もこんなことあったよなぁ・・」と思ってしまう自分が間違いなくいるといると思うのですけど、
そうした「修羅場シーン」が今後多分ですけど、色々と展開されていくとは思うのですけど、
第一期同様楽しみながら、この「響け! ユーフォニアム」を見て、
そして・・・
あくまで自分としての「感想記事」というのか自分の過去の吹奏楽生活を振り返りながら
「私が吹奏楽というものをどのように考えていたのか・・」みたいな事もブログ内に記事として
第一期の時の同様に自由気ままに感じたまま書いていければいいなぁ・・と思っております。

そして改めてですけど、第一期の際は、このアニメのこんな私の半分愚痴まみれの感想記事でも
本当に多くの皆様たちより素敵なコメントを一杯頂戴いたしましたが、
この第二期感想記事も、多分愚痴とぼやきまみれみたいな内容になってしまうのは目に見えていますけど、
どうぞ第二期感想記事の方も宜しくお願いいたします!








第一期のラストは「京都府大会」の結果発表で終わってしまい、ま・・もちろん「関西大会代表・金賞」というのは示唆
されてはいたのですけど、
今回の第二期第一話でもって正式に「関西大会代表・金賞」が発表され、
北宇治高校吹奏楽部は、念願の関西大会出場を決めたのでした!

本当に・・・「おめでとうーーーっ!!」という感じですね!

ちなみにですけど京都府大会の会場のモデルとなっていた「京都会館」ですけど、
ここのホールは本当に音響が悪い事で有名な(?)音楽ホールですよね。
以前プロのオーケストラの京都市響の指揮者を務められていた井上道義氏が
「ここのホールの音響は最悪」といろんな所で愚痴っていたのが印象的です。
事実、以前私が通販でよく購入していた日本ワールドレコード社の「関西の吹奏楽シリーズ」という関西大会の
実況録音を収録したCDを聴く限りでは、
あまりにも素晴らしい響きの「尼崎アルカイックホール」と比べると京都会館の音響の貧相さは
まさに最悪としか言いようがなかったですね・・(苦笑・・)

これは以前も書いたことですけど、この京都府大会の三か月前に簡単なマーチの「海兵隊」すら満足に吹けなかった
吹奏楽団がいくら優秀な指導者がいたとしても正味三か月足らずで
支部大会に出場できるまでに劇的に上達するという事は、ほぼ100%近く現実的にはあり得ない話ではあるのですけど、
ま・・それはあくまで「フィクションとしてのアニメ・・」という事で大目に見てあげましょうね・・(笑)
滝先生の表現では
「元々、北宇治には伸びしろがあった、優子・香織という大変高い技術を持った奏者がいた上に、
サファイア・麗奈といった優秀な奏者が入部し、そうした上手い奏者が下手な奏者に刺激を与え、
全体のボトムアップを図る事が出来た」と分析されていましたけど、
いやいや・・! 現実的にはそれはあくまで半年から1年程度の長期ヴィジョンの話であり、こんな三か月でそれは
幾らなんでも無理でしょ・・というのが現実なのだと思われます。

今回、確かに北宇治高校吹奏楽部は「京都府代表」として関西大会を出場を果たしたのですけど、
逆に言うとそれは何を意味するのかと言うと・・・・
北宇治が「新しい代表枠」に入り込んだ分、前年までの代表校のどこかが代表に選出されずに
涙をのんだ・・・という事になると思うのです。
よく「吹奏楽部の全国大会は高校野球の甲子園」に例えられることは多いのですけど、
私自身も本当に本当に何度も経験していますけど、
こういう「コンクール」と言うものは、当事者にとっては時に「残酷な結果」をもたらすものなんですよね・・・・



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「響け! ユーフォニアム」第二期は、多分ですけど、オーボエの鎧塚みぞれと元部員で退部者の元フルートの希美が
一つの「軸」になるものと推察されます。
原作のライトノベルを既に読んだ者として、今後の展開について語ってしまうと、それはネタバレになってしまいますし、
反則行為になってしまいますので、
これ以上はここでは語りませんけど、
とある理由により、あすかは希美にとって「特別」な存在であるのです!
そして、退部者である希美が吹奏楽部への復部にあたって、どうしてここまで「あすか先輩」にこだわるのか・・
どうしてあそこまで頑なにあすかは希美の復部を冷たく拒絶するのか・・・
そうですね・・
ここにまさに「あすかの心の闇」が潜んでいると私は思っています。
果たして第二期において、私が考えている通り、あすかのこの「心の闇」を踏み込んでくれるのか・・・・
その辺りも大いに期待をさせて頂きたいものであります!

ここから先は多分ですけど長くなりそうですのでも一旦打ち切って、その②で続きを語らさせて
頂きたいと思います。

→下のその②記事へ続く・・・
その①の続きです。

今回の第一話は初回スペシャルという事で一時間でしたけど、そうですね・・・
正直に書くと、「響け・・」というアニメは一時間という長さは「長すぎる・・」と言うのが率直な感想です。
確かに私にとっては大変懐かしいテーマでもありますし、
京都アニメーションのクオリティーの高さは第一期同様とてつもなく高いものはありますし、
素晴らしい作品であることは間違いないのですけど、
吹奏楽経験者にとっては相変わらず懐かしい感覚はあるのかもしれないけど同時に
「自分の現役時代もこんな嫌な事があったよな・・」みたいな過去のトラウマが蘇ってくることもあるんじゃないのかな・・とも
思えますし、ましてや第一話からこのアニメはいきなりエンジン全開の
第一期同様にギスギス&重たい暗雲が立ち込めてくれていまして、
そうですね・・・私なんかは「も―――、このアニメをまともに集中してみるには30分が限界・・一時間を超えて
こんなギスギスドラマを見せつけられるとさすがに集中力が持たないし、胃が痛くて敵わん・・!」みたいな
感じもありました。
私の予想としては「第二期第一話というのは、第一期の振り返りとか過去のエピソードでまとめ、
第二期も第一期同様に宜しくお願いします!みたいな顔見せ話になるのかな・・?」みたいなものはありましたけど、
いやいや、この「修羅場吹奏楽アニメ」はそんな軟な事はしませんでしたね!
第一話から「ギスギスモード」炸裂!!という感じで展開してくれ、
「こりゃ第二期もギスギス&ドロドロ展開が続いていくのか・・」みたいな予感に満ち溢れていたと思います。

いや―――、こういう修羅場感覚はなつかしいですね! まさに第一期の流れをそのまんま受け継いだみたいな
ノリだったと思います。

この第二期ですけど、退部者の希美が復部を願い出た事で、「一度やめたものを取り戻す可能性」が生じ、
そうした動きが第一期の最後の最後でようやく「確固たる信頼関係」が生まれつつあった久美子と麗奈の二人の関係に
何らかの形で波風を立てていき、その二人を掻き立てることで、新たに「何か」が生まれていく話に
なっていくんじゃないのかな・・と思われます。
(一応原作は目を通していますけど、果たして原作通りの展開になるかはよく分かりませんし、
第一期も自由曲の曲目とか原作とアニメでは細かい事を言うとかなりの変更点もありましたので
その辺りは原作とアニメの違いを楽しみながら、年末までこの素敵なアニメを拝見させて頂きたいと思います)

改めてですけど、第一話からピリピリ&ギスギスモードが炸裂!!

京都府大会にて見事「関西大会代表・金賞」を掴みとり、
部内の空気も明るく前向きになり、新しい陽気でプロとして的確なアドバイスも出来るコーチも登場し、
「さあ! これで部員一丸となって関西大会に向けて頑張るぞぉ―――!!」という展開にならないのが
このアニメのいい所でもあります!
第一期の中で既に「北宇治高校吹奏楽部の中で今現在も暗い影を落としている主要因が
昨年の大量の部員の退部事件である」という事が示唆されていましたけど、これに関しては、真正面から
取り上げられることは第一期の中では少なかったように思えます。
だけど、そうした北宇治の「暗部」がいきなり第一話から陽の目を見てしまい、まさに「火種が炸裂! ドッカーーン!!」という
展開にいきなりなってしまったと思います。
退部組の希美の登場で、県大会前のようなギスギス状態にこれからなっていくんでしょうね・・

だけど第一期との明確な違いは、久美子と麗奈の間には、前述の通り第一期とは明らかに違う
百合関係・・じゃない・・信頼関係が確実に芽生え始めていて、花火大会とか電車の通学シーンなどにおける
二人の「心理的距離の縮まった感じ」は見ていて大変微笑ましいものがありました。
ま、それでも相変わらず久美子の失言壁は治っていないようでして(苦笑・・)
鎧塚みぞれのオーボエの音を「淡泊すぎる・・」とかなんとか言っていたのは、ま・・第一期における
麗奈に対する久美子の失言のオンパレードの延長みたいなものでしたね・・・

さてさて・・・「響け・・」の第一期における当ブログの感想記事にて、何度も私自身の中学時代の
「部員大量退部事件」のあれこれとかその後のエピソードの事をかなり愚痴っぽく書きましたけど、
私自身の経験をベースに語らさせて頂きますと、
これはどの部活もそうだと思いますし、ましてや部員数がそれなりに多い部だとよくある話の範疇なのですが、
こうした「部員の退部」といのは、退部者の数は一旦置いておいて、日常茶飯事ではないのかなと思います。
私が中学の頃は、部員が100名をはるかに超えていて、3年の時に部長であった私自身も正直・・
恥ずかしい話ではありますけど全部員の名前と顔が最後まで一致しなかったと思いますし、年柄年中、
部員が退部したり新たに新入部員が入ってくる事を日常的に繰り返していましたので、
「別に部員が退部してもねぇ・・」みたいな「またか・・」みたいな感覚は間違いなくあったと思います。
ましてや吹奏楽部は確かに「文化部」ではあるのですけど、文化部の中では間違いなく
上級生と下級生の上下関係とか礼儀とか挨拶とかとにかく煩く言われていましたし、
そこにOB・OGからのやかましい横やりとか指導に名を借りた「くだらないお説教」なんかも入ったりすると
「吹奏楽部って本当に面倒だよね・・」みたいな感覚にはなりがちなのだと思います。
それでもどうして吹奏楽部を続けられるのかと言うと、やはり・・コンクールとかコンサートとかマーチング等の
地域イベントへの参加などが終わった後のあの「達成感と充実感」と純粋に音楽が好きとか楽器を吹くのが好きという
事なのだと思います。

だけどそれでもどうしてもある程度の「退部者」が出るのは仕方がない事なのだと思います。

それはどんな優良企業にだって、辞表を叩きつけるものが一人や二人はいるのと同じ感覚なのだと思います。
(ま・・このアニメの舞台の北宇治高校とか私の中学時代のあの退部者の数は、常軌を逸していますけどね・・)

吹奏楽コンクールの課題曲・自由曲を演奏する上で、奏者全員が統一的な音楽解釈をベースに
一つの方向性に従って音楽を創り上げていくことは当たり前のことではありますが、
それは部員一人一人の考え方を拘束するものではありませんので、部員一人一人に個性とか考え方の違いが
出てくるのは当然の話です。
違っているから、部員同士の「対立」は起きるものですし、そうした対立・紛争を調整するのが
パートリーダー・部長等の役割でもあるのですけど、
それだって「どうしても納得いかない・・!」みたいな人間が出てくるのはある意味仕方が無いんじゃないのかな・・とか
そして・・そうした人たちを全員部に引き止めさせたり、退部する場合でも円満退部に持っていくことは
大変難しいというのが、一応、中学~高校でポンコツ吹奏楽部部長を務めていた私の「答え」なのだと
思います。

今回の第一話で一番ギスギスしていて見ていて少し「きついな・・」と感じたのは、
前年度に吹奏楽部を退部したフルートパートの希美がユーフォパートのあすかに吹奏楽部への復部をお願いしに行き、
あすかからとてつもなく冷淡な対応を取られ冷たく断られていた辺りだと思います。
そうですね・・あのシーンに関しては色々な解釈を取る事は出来るとは思いますが、元・ポンコツ部長の視点で
捉えてみると・・・

1.吹奏楽部が関西大会代表という結果を出したと同時に復部を願い出る事自体が、
 なんかいかにも「いいとこ取り」みたいに見えてしまい、決して気分がいいものではない。

2.タイミング悪すぎ・・! 関西大会代表という切符を掴みとり、メンバーの団結がやっと図る事が出来て
  「さあ、これから!! 関西大会に向けて全員で頑張っていこう!!」といい雰囲気になっているこの大事な時期に
  「過去の大量退部事件」という過去の悪夢を蘇らせないでほしい!
  せめて復部わ言うのなら、関西大会が終わった後に言って欲しい。

3.そういう大切な事は、あすかではなくて滝先生という顧問または吹奏楽部部長にまずは相談してほしい・・
  なんか自分の頭を飛び越えて話が進み、気分が悪い・・

そういう感じは間違いなくあると思います。

希美にとっては退部したとはいえ・・・そして現時点では市民吹奏楽団に所属していてフルートは続けているものの、
やはり高校でみんなと音楽を創りあげていきたい!みたいな思いは相当強いのだと思われます。
ま、そうでないと、あすかにあんなに冷たく断られても、校内にフルートを持ち込んで練習をするかたわら
あすかに復部懇願の直訴の機会を狙って居残るなど、部活への復帰を諦めた様子を見せてはいませんでした。

これはネタバレになってしまいますのでこれ以上はここでは語りませんけど、
とある理由により、あすかは希美にとって「特別」な存在であるのですけど、同時にあすかにとっても希美の復部を
冷たく拒絶するのにはとある特別な理由があるのです。
その理由とは何なのか・・・
それは、ここでは語りませんけど、そうですね・・・この点こそが「あすかの心の闇」に直結するものという解釈を
私は取っております。

第一話の中で、挿入曲として、チャイコフスキーの交響曲第4番終楽章が出てきましたね!
この曲なつかしい! 最近では全国大会でもあまり自由曲として選ばれませんけど、
1970年代においてはかなり自由曲として演奏されていましたね!
ちなみにですけど、このチャイコの4番は、私が卒業した翌年に後輩たちが定期演奏会で演奏していました・・
(オールド吹奏楽ファンの方ですと、福岡電波工専とかやはり九州の響南中学校と言われるのでしょね・・・笑・・)
そして・・その希美がフルートで奏でていて、鎧塚みぞれが、まるで「つわり」(?)を起こしたみたいに
希美のフルートで奏でていた曲を聴くと「吐きそう・・気分が悪い・・」みたいに言っていた曲こそが
ボロディンの歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りなのでした!
そして、この「ダッタン人の踊り」こそが、希美とみぞれが中学の時の県大会で自由曲として演奏し、
関西大会代表・金はおろかダメ金すら取れず、「県大会・銀賞」に留まった、いわば・・・みぞれにとっては、
まさに「トラウマの一曲」なのでした・・・
余談ですけど、私にとって、みぞれと全く同じような理由でトラウマとなっている曲は、
チャイコフスキー/スラブ行進曲・マクベス/カディッシュ・ベルリオーズ/幻想交響曲~ワルプルギスの夜の夢・
ムソルグスキー/交響詩「はげ山の一夜」あたりなのかも・・・?? (苦笑・・)

既にこの話は何度か書いてはいるのですけど、中学を卒業する頃の私は、
大の音楽嫌い&「高校に行ったら、金輪際、吹奏楽には関わらない!」という感じだったのですけど、
入学して、音楽室から聴こえてきた当時の吹奏楽部が練習していた定期演奏会で演奏する曲の一つの
歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りの美しい響きに魅了されて、結果的に高校・大学でも吹奏楽を続ける事に
なってしまいましたので、
私の場合は、みぞれとは異なり、この「ダッタン人の踊り」は、トラウマの曲ではなくて、
再度私自身を「吹奏楽の道」に引きずり込んだ曲と言えるのだと思います。

あ・・ちなみにですけど、みぞれの担当パートはオーボエです。
そしてこの「ダッタン人の踊り」の最大の聴きどころは、まさに・・・オーボエとコールアングレによる
あの哀愁溢れるソロなのです!!

そうそう…第二期の希美の登場でこのアニメの「ポニーテールキャラ」は、夏紀に続いて二人目!という事になります!!
久美子と麗奈もコンクール本番はポニーテールをしているのが素敵すぎます!!







早朝朝練のために登校する電車内での久美子と麗奈ですけど、もはやこの二人は「百合」を通り越して
既に「夫婦」ですよね・・! (笑)

第一期の二人のぎくしゃくした様子が、まるで「遠い幻」のように感じちゃいますね・・・(笑)

第二期は、この二人の確かな信頼関係をベースにして、みぞれと希美を巡る人間関係をメインテーマに
していくのかな・・と思います。



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第二期の背景としてあるのが「中学時代のトラウマ」というのが出てきましたね!


「去年やめた部員が沢山いるでしょ?その大半が南中の生徒だったの
希ちゃんも夏妃ちゃんも南中。だから色々大変なんだと思う・・」という晴香部長の言葉とか
「優子先輩と鎧塚先輩も南中って聞いたことある」という久美子の言葉に
第二期の「カギ」があるのだと思います。

これは高校でありがちな話ですけど、中学の吹奏楽経験者が高校でも吹奏楽を続ける場合、
進学した学校が、中学の時の先輩がその高校でもたくさんいたりすると、
中学時代の人間関係がそのまんま引き継がれてしまうとか、
中学時代に抱えていたさまざまな問題をそっくりそのまんま高校に持ち越してしまうという事は決して
珍しい話ではないと思います。

そして・・「響け・・」の第二期はその中学時代のトラウマが今現在にまで影響を及ぼしている点なんかも
一つの焦点として浮かんできそうな予感もあったりします。

だけど、その感触・・私個人としては大変共感しますね!

久美子は、中学の地元から近い高校で中学時代の仲間が大勢進学した南宇治ではなくて
あえて、地元から少し離れていて中学時代の仲間がほとんど進学しない北宇治をあえて選び、
その理由として・・・・

「スタートしたかったの。知ってる人があまりいない高校に行って、新しく最初から・・・」と言っていましたけど

私は・・・私は・・・・久美子に言いたい・・・!!

「その気持ち、よーーく分かる!! 私自身もそうだったよな・・」みたいな思いは私にもあったものです。

私自身も、中学の同級生が多く進学する地元の共学高校ではなくて、
自分を知っている人があんまりいない高校に行きたかった・・・・という気持ちがとにかく強かったですね・・・・
あ、別に、いじめられたからとか気まずいとかそんなんじゃないですよよ・・・(苦笑・・・)
中学の頃は、本当に頼りない吹奏楽部の部長&パートリーダー、そして指揮者の音楽教師からの
日々の罵詈雑言によるストレス・・・・
本当に何もかも嫌になっていましたし、
(中二の秋にクラリネットからアルトサックスにコンバートされて、そこで初めて吹く事の楽しさを実感できたことが
せめてもの救いだったかな・・・・)
高校に進学してからは、とにかく「新天地」で心機一転やり直したい気持ちの方が強かったですね・・・

だから、その意味では、久美子の心情は本当に心の底から理解出来ますね。

高校に入った頃は、基本的には音楽も吹奏楽もとにかく二度と関わりたくないという気持ちの方が
強かったのですけど
やはり心の片隅では、「音楽に対する未練」というか「やり残し」もあったのかもしれませんね・・・・
中学3年間の吹奏楽コンクールは、「屈辱」の連続でしたし・・・・
私が入った高校の吹奏楽部は、伝統的に、音楽の先生=指揮者がいなくて
生徒自身から指揮者を選出し自主的に部を運営し、音楽を創りだしていくスタイルに、やはり・・・・
口では「音楽はもうコリゴリ・・・」と言いながらも
やはりどこかには・・・・
「もう一度新天地で・・・・やり直したい・・・」という気持ちはあったのかもしれません・・・

私自身は幸い高校でやり直すことができたけど、希美は更に嫌な出来事か重なり、そして・・
「退部」という結果になったのです・・・


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あすかの「心の闇」には是非メスを入れてほしいけど、第一話のあすかは結構きつくて冷淡でしたね・・

お願いします!あすか先輩の許可が欲しいんです!!

悪いけど今、練習中なの。帰ってくれる?

ハッキリ言うよ?私は希美ちゃんの復帰に賛成しない。この部にプラスにならないからね。
だからもう来ないで欲しい!!

うーーむ、ここでは多くは語りません!

そして・・ここから第二期の修羅場が始まっていくのです!!
冒頭で私信で申し訳ないのですけど、
当ブログの大切なブロとも様のお一人の五航戦の愛鷹様!!

なんか「ご愁傷様でした・・・」としかいいようがない展開になってきて、
まさに胃が痛い憂鬱な日々なのかもしれないですね・・・
(間もなく、ブログタイトルも変更になりそうですね・・)

そうですね・・・是非是非、CS・ファーストステージでお待ちしています!と申し上げたい気持ちで一杯です! (笑)

私の愛するマリーンズと是非是非「打倒ファイタ―ス」への挑戦権を掛けてお互いに
しっかりと応援したいものですね!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「我ながらまたか・・」と思ってしまうのですけど、
とにかく10/5より放映開始の「響け! ユーフォニアム」の第二期スタートがとにかく嬉しくて嬉しくてたまらないですし、
1年三か月も待ちに待った上での第二期開始ですので、
またまた性懲りもなく、今回で三回目になってしまいますが、この「響け! ユーフォニアム」のコラボグッズについて
記事として掲載をさせて頂きたいと思います。

とにかく放映開始が今か今か・・・と楽しみで仕方がありません!

いや―――――! まさに「待ってましたぁ―!!」と言う感じです。

「吹奏楽」というまだ決してメジャーではない分野のアニメという事もあり、
「吹奏楽コンクール」の事なんかよく分からない・・という方も多いかと思いますので、前回も一度書かせて頂きましたが、
再度この原作とアニメの概要を簡単に記させて頂きますと・・・

北宇治高校吹奏楽部は、過去には全国大会に出場したこともある強豪校だったのですけど、
ここ数年は関西大会にも進めていない・・・・トホホな状況・・・
しかも演奏技術は低下の一途をたどり、部員の士気も決して高くは無い・・・・
しかし、新しく赴任した滝昇の厳しい指導のもと、生徒たちは着実に力をつけていく・・・
実際はソロを巡っての争いや、勉強を優先し部活を辞める生徒も出てくるなど、波瀾万丈の毎日。
そんな中、いよいよコンクールの日がやってくる・・・・・

そうした感じのお話です。



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第一期は、全日本吹奏楽コンクール京都府大会で見事に「県代表の座」を勝ち取り、関西大会出場を決めたという
大変いい所で終わったのですけど、
第二期ですけど、更なる修羅場が待ち受けています!!
そうですね・・・私としては、顧問の滝先生の過去とか、このアニメの実は最大の問題児でもある田中あすか先輩の
「心の闇」を第一期みたいな感じでぐいぐいと抉って欲しいです!
原作のライトノベルで、県大会以降登場してきた鎧塚さんも第二期で登場してきますし、
果たして原作通りの展開はアニメでもあるのか・・等を含めてこの御方には色々な意味で注目しています。

第一期は「修羅場」の連続で、あれ・・吹奏楽経験者の皆様の中には
「胃が痛い・・」みたいな人も多かったんじゃないのかな・・?
私自身も、第一期は晴香部長の視点で見てしまうと、元・ポンコツ吹奏楽部部長でもあった私のハートも
結構痛いものがありましたね・・

とにかく第二期の開始が今からとっても楽しみです!!







第二期「響け! ユーフォニアム」の放映開始とキリンの間で素敵なコラボ商品が出ていました!

9/9の記事にて、午後の紅茶・生茶等4本で一枚もらえる「ちりめん風風呂敷」を取り上げさせて頂き、
9/16の記事にて、 「ミニクリアファイル」の事を紹介させて頂きました。
このミニクリアファイルの 対象商品は、
① ファイア6缶パック ②「挽き立て微糖 深煎り」4本 ③「燻製珈琲 ブラック」4本 となっていて、
①から③のうち一つ以上購入すると、
三種類のミニクリアファイルから一つ選ぶことが出来ます。
メインの4人が見事にばらけていましたけど、私としては・・・・主人公の久美子やあすか先輩や
ポニーテールの夏紀先輩がいるAセットよりも、
高坂麗奈と香織先輩がいるBセットの方に魅かれてしまいました・・!
9/16の記事では、Bセットのクリアファイルを取り上げさせて頂きましたが、やはり、「響け! ユーフォニアム」の主人公は
久美子ですし、なつき先輩も第一期の例のオーディション以降は、まさに「うなぎ上りの評価」になっていましたし、
その上、夏紀先輩はポニーテールという事もあり、
やはり、久美子と夏紀先輩がいるAセットも「やっぱり欲しいなぁ・・・」という事で、またまたこのAセットも
ゲットしてしまいましたぁ――!!

あ・・・そうそう、前回も書いた通り、このアニメとキリンのコラボはイオン限定なのですけど、
私が購入したイオンにおいては、既にこのクリアファイルセットと風呂敷セットは完売済です!
意外とこのアニメ・・・隠れファンが多いのかも・・・?
というか・・・意外と「吹奏楽経験者」は多いのかもしれないですね・・・(笑)



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このクリアファイルは、「響け! ユーフォニアム」の影の薄い主人公(?)の久美子です!

久美子は・・正直・・うーーむ、第11話までは「なんて存在感の薄い主役・・」という雰囲気でしたし、
麗奈の百合要員という大事な(?)役割以外は担っていないのかな・・とも一時期感じたものですけど、
とにかく、第12話の久美子の存在感は素晴らしいものがありました!!
あの神がかりとしか思えない第12話は、
「私は! とにかく上手くなりたい!!」という久美子の強い思いが実に巧みに描かれていました!
久美子というと、緑輝(さふぁいあ)が言う通り、どちらかというと醒めている印象があり、
「なぜ、自分は吹奏楽部に所属しているのか」とか
「なぜ、自分は吹奏楽コンクールで上位入賞を果たし、県代表として支部大会で吹きたいのか」という「問い」に対して
必ずしも明確に自分自身でも分かっていないという印象が大変強く、
何となく・・・「姉が吹いていたから」とか「他にユーフォを吹く人がいなかったから」とか
皆がコンクールに向けて頑張っているから、つられて自分も何となく頑張っている振りをしているというような側面が
あったのも必ずしも否定できないと思います。
久美子の変化の兆しは・・・やはり第11話の麗奈のオーディションに触発されたという事なのかな・・・

久美子が、人ごみの中を・・・・
「上手くなりたい、上手くなりたい、上手くなりたい!!」と絶叫しながら・・・号泣しながら駆け抜けていくあの第12話のあのシーンは、
この「響け! ユーフォニアム」の中でも屈指の印象深いシーンだと思います。
今までは・・・・ただ漫然とのほほーんとユーフォを吹いていた久美子が、
麗奈のオーディションを契機に真剣にユーフォと向き合い、そして、滝先生からの「そこはあなたは吹かなくていい」という
まさに残酷な宣告もあり、
「もっと上手くなりたい!!」という気持ちに向かっていくその心理描写が実に巧みに描かれていて
本当に・・・京都アニメーションのクオリティーの高さには本当に脱帽した思いです。




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こちらは夏紀先輩のクリアファイル、やっぱり「ポニーテール」は最高ですよね!!

オーディション本番を直前にして、必死で練習を重ねている夏紀の姿はものすごく尊いな・・・と思います。
本当に・・・本当に・・・
せめて一か月早く心を入れ替えて普段からちゃんと練習さえしていれば・・・・
もしかしたら、ギリギリオーディションに通っていた可能性も無い事はなかっただけに、
やはり「一発勝負」の怖さと残酷さを感じてしまいますね。

そんな夏紀を目の当たりにした久美子は・・・・

「皆吹きたいんだ…コンクールに出たいんだ…」とか
「そんな当たり前のことを、私はやっと理解した。同時に、先輩達と競い合わないといけないことを怖いと思った・・・」

おいおい、久美子・・・お前そんなのとっくの昔に気付けよ・・・となんか無性にツッコミを入れたい気持ちで
一杯でしたね・・・
お前ね・・・・、吹奏楽部でコンクールに出場している人達は・・・ま、私も含めて・・・・ほとんどの人は恐らくは・・・
「自分もコンクールで演奏したい」とか
「どうせ出場するなら、支部大会など上のステータスで演奏したい」
と一度は思っているはずだし、
ましてや前もって「今年の北宇治はオーディションを開催する」と告知されているのだから
「自分がコンクールメンバーに選ばれるという事は、夏紀先輩が落ちるという事を意味し、
夏紀が選出されるという事は、自分がコンクールメンバーから外される」という大変シビアな世界である事を
本当に・・・・頭に思い描いたことはなかったのかな・・・・(苦笑・・)
この辺りを少し補足すると、55人編成の場合、ユーフォニアムが3人という事は通常ありえない・・大抵2人というのがセオリーで、
ましてやあすか先輩の上手さを考慮すると、
残り一枠は・・・久美子と夏紀の熾烈な争い・・・というのは目に見えているのですけどね・・・

あれれ・・・・もしかして久美子は・・・・鈍感なのかな・・・、否! 鈍感そのものでした・・(笑)

久美子のような下級生の立ち位置から見ると・・・
「残り1枠」を巡って上級生と争う事自体・・・確かに恐ろしい事なのかも・・・・
そして・・・
逆に上級生の立ち位置から考えると・・・
もっともっと恐ろしいほどの緊張感と、万一敗れた際の周囲の目と屈辱感を考えると・・・・
本当に・・・・
恐ろしいものがありますね・・・・

本当に・・・ある意味「オーディション」とは残酷なものです・・・・

久美子に敗れた夏紀の「寂しそうな悲しい目」は・・・本当に・・・見ていて痛かったです・・・

オーディション後の夏紀先輩は本当に「いい人」そのものでしたね!

「私は納得してる。だから、変な気遣わないでよ・・・」なーんていうセリフは・・・・
正直・・・オーディションに敗れた人間は中々言いにくいもの・・・
それをはっきりと久美子に伝え、しかも・・・・パート譜に「来年、一緒に吹くぞ!!」と書いてくれる夏紀先輩は・・・・
まさに天使そのもの・・・・

そうですね・・・・私の中では・・・・夏紀先輩の株は上がりっ放し・・・!! まさにストップ高の天井高です・・・・!!



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さてさて・・このアニメにおいては、一番最優秀に思えて、実は最大の問題児は・・田中あすか先輩だと
私は思います!

果たして第二期では、あすか先輩の「心の闇」にどこまで踏み込んでくるのでしょうか!?
9/9の記事に続いて二度目の番宣になってしまいますが、
ついに満を持して、10/5より東京MXにて「響け! ユーフォニアム」の第二期の放映が開始されます!

いや―――――! まさに「待ってましたぁ―!!」と言う感じです。

「吹奏楽」というまだ決してメジャーではない分野のアニメという事もあり、
「吹奏楽コンクール」の事なんかよく分からない・・という方も多いかと思いますので、前回も一度書かせて頂きましたが、
再度この原作とアニメの概要を簡単に記させて頂きますと・・・

北宇治高校吹奏楽部は、過去には全国大会に出場したこともある強豪校だったのですけど、
ここ数年は関西大会にも進めていない・・・・トホホな状況・・・
しかも演奏技術は低下の一途をたどり、部員の士気も決して高くは無い・・・・
しかし、新しく赴任した滝昇の厳しい指導のもと、生徒たちは着実に力をつけていく・・・
実際はソロを巡っての争いや、勉強を優先し部活を辞める生徒も出てくるなど、波瀾万丈の毎日。
そんな中、いよいよコンクールの日がやってくる・・・・・

そうした感じのお話です。


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そうですね・・・この「響け! ユーフォニアム」に関してなのですけど、
吹奏楽とか吹奏楽コンクールを全然ご存知ない方が見てしまうと、
「なんだ・・・吹奏楽コンクールというのは、ちょっと練習さえすれば、県大会ぐらいは突破できるんだ」とか
「管楽器を吹くという事はそんなに難しくないんだ! 少し練習さえすれば曲ぐらい吹く事は簡単なんだ!」
みたいな妙な誤解を持たれてしまう事もあるんじゃないのかな・・と余計な事を考えたりもします。

ここではっきりと書いてしまうと、

アニメ「響け! ユーフォニアム」第一期で描写されたような事、つまり・・・
滝先生が赴任された頃には、簡単なマーチ「海兵隊」ですら吹きこなすことが出来なかった吹奏楽部が
わずか三か月程度で、「三日月の舞」みたいな難曲を吹きこなして県大会を突破して支部大会に
出場するなんて事は、ほぼ100%ありえません!!
「全然実績も無い学校が突然飛躍的に上達し全国大会で見事な演奏を聴かせて全国大会で金賞を受賞した話」
というと、吹奏楽にお詳しい方ですとピンとくる事例が1983年の神奈川県立野庭高校だと思うのですけど、
あれ・・・「ブラバン・キッズ・ラプソディー」という本を読めばわかるのですけど、
中澤先生が取り急ぎ期間限定の吹奏楽部の指導嘱託員としてやって来たのが1981年12月頃の話でして、
中澤先生は、その後約10ヶ月に渡る熱血指導を展開し、なんとか県大会を突破し、
どうにかこうにか1982年9月に開催された関東大会において銀賞に滑りこむことが出来ています。
そしてあの伝説の「アルメニアンダンスパートⅠ」の歴史的名演によって全国大会初出場にていきなり金賞を受賞した
というのは、それから更に一年後の話という事になるのです。
ですから・・・
いかに「響け・・」において滝先生が優秀な指導者であったとしても、わずか三か月程度で
海兵隊すらまともに吹けなかったチームがあの激戦の関西大会に進む何ていう事は、
そうですね・・現実的にはほぼ100%ありえないと思います。

ま・・・だけどあれはあくまでアニメ上のお話・・という事にしておきましようね・・・(笑)

ちなみにですけど、野庭高校の1982年の関東大会の課題曲はDのサンライズマーチで、
自由曲はR.ミッチェルの「海の歌」なのですけど、
そうですね・・・・正直・・微妙な演奏です・・
課題曲はテンポが速すぎてあっちこっちで転びまくっているし、自由曲の中間部がなぜか唐突に
テンポが速くなって「荒れ狂う怒りの海」みたくなってしまうし、あんまりいい演奏とはお世辞にも言えないです。
但し、「海の歌」の前半とか終結部のしっとりとした場面の歌い方は大変素晴らしく、
「ブラバン・キッズ・ラプソディー」でも書かれていた通り、「なんか自然と涙が零れ落ちそうな」感じです。
あの前半の歌い廻しは、既に後年の中澤先生の「ロマンティックな歌い廻し」を示唆していますし、
それが翌年のあの伝説的名演の「アルメニアンダンスパートⅠ」の感受性たっぷりの歌い廻しに
繋がってたと思います。








第二期「響け! ユーフォニアム」の放映開始とキリンの間で素敵なコラボ商品が出ていました!

先日は、午後の紅茶・生茶等4本で一枚もらえる「ちりめん風風呂敷」を取り上げさせて頂きましたが、
実はもう一つコラボ企画も展開していて、今回は「ミニクリアファイル」の事を紹介させて頂きたいと思います。
対象商品は、① ファイア6缶パック ②「挽き立て微糖 深煎り」4本 ③「燻製珈琲 ブラック」4本 となっていて、
①から③のうち一つ以上購入すると、
三種類のミニクリアファイルから一つ選ぶことが出来ます。
メインの4人が見事にばらけていましたけど、私としては・・・・主人公の久美子やあすか先輩や
ポニーテールのなつき先輩がいるAセットよりも、
高坂麗奈と香織先輩がいるBセットの方が断然いいです!!
(なつき先輩も欲しいんですけどね・・・笑・・)
サファイアちゃん等のCセットは・・・うーーん・・・どうでもいいです・・・(笑)

そんな訳で今回は、麗奈がいるBセットをチョイスしました!

ま・・このBセットの中に、あの吉川優子・・私が第一期で思わず・・「バカリボン」と命名してしまった優子がいるのですけど、
あの吉川優子も第一期最後の方では・・・ほんのちょびっと改心したような雰囲気も
ありましたので、ま・・・よしとしておきましょう・・
ま・・あの赤リボンは、ドキドキプリキュアの「レジーナ」みたいで可愛いのですけどね・・(笑・・)
吉川優子もレジーナも改心キャラで赤リボンでとっても可愛い!という共通項はありそうですね!

そうそう・・・ドキドキのレジーナですけど、
当ブログがいつも大変お世話になっている五月雨日記<仮の宿>の管理人の風月時雨様が
またまたタイミングよくこのとっても素敵なレジーナを9月の初めの記事にて描かれていましたけど、
あのレジーナはとっても可愛かったです!
やっぱり「赤リボン」は、たとえ吉川優子が身に付けていたとしても可愛いですよね!
そしてやっぱり風月時雨さんが描かれる赤リボンのレジーナは、まさに「究極の可愛らしさ!」という雰囲気に
満ちていましたよね!

風月時雨さんのあのとっても可愛いレジーナをご覧になりたい方は是非是非こちらから・・・! → レジーナ

ちなみにですけど、風月時雨さんが描かれたこのレジーナには、マウスオン・オフトでイラストにとある変化が施される
素敵な仕掛けもご用意されています!
レジーナは改心前と改心後は、その雰囲気も変わってくるのですけど、そのマウスオン・オフにてレジーナの
「心の深層の変化」が見事に示唆されていて、
あれはとにかく「巧み」でしたし、ああやって「色」が変わるだけでレジーナの「心境」みたいなものを
的確に描き出しちゃう風月時雨さんは、まさに・・・「技あり! 一本!!」という感じでした!!

あ・・・・そうそう・・・、上記のミニクリアファイルとか先日の風呂敷のキリンと「響け! ユーフォニアム」のコラボ企画は
本州限定で、北海道と九州・沖縄は対象外で、しかもこの企画はイオン限定との事です。




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高坂麗奈は本当に素晴らしかったですね!

「響け! ユーフォニアム」は主人公のくせに影の薄い久美子だったのですけど
(だけど第12話の久美子はまさに主人公に相応しかったです!)
影の薄い久美子に対して、このアニメにおいては麗奈がおいしい所を一人でさらっていってしまったような感じすら
ありました!

第一話冒頭も大変印象的でしたけど、第三話も素晴らしかったです!

中学の特に県大会でダメ金を取り、悔しい気持ちで北宇治高校吹奏楽部に入部した麗奈でしたけど、
麗奈みたいに高い技術と高い目的意識を持った人間の視線で言うと・・・・
とにかく・・・・
「やるせない・・・・」という気持ちなんでしょうね・・・・
「いたたまれない・・・」という気持ちなんでしょうね・・・
自分は、この吹奏楽部で本気で全国大会を狙っている・・・・
だけど周囲のテンションは極めて低い・・・・
「パートリーダー会議が終わって方針決定するまでは練習も休み・・・」と知らされては・・・・
麗奈の「やるせない気持ち」は本当に痛いほど分かりますね・・・・
私自身も麗奈の気持ちを考えると・・・・・大変胸が痛くなります・・・

第三話のラストで、校庭の隅から麗奈自身が奏でる
ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」~第二楽章のあのメロディーは
本当に心に沁みますね・・・・・
半分泣き出しそうな麗奈の表情もよかったけど
最後の・・・・「うわぁぁぁぁぁぁーーーーー」という叫びが本当にいたたまれない・・・・

キリンとのコラボのクリアファイルは、みな「浴衣」ですけど、そう・・・! 浴衣と言うと誰が何と言っても
あの第8話を思い出してしまいますね!


「中3のコンクールの時、本気で全国行けると思ってたの?って聞いたんだよ?性格悪いでしょ・・」

「それって悪口・・・??」

「これは愛の告白」

「良い子の顔して、でも本当はどこか冷めてて。だから良い子ちゃんの皮…ペリペリってめくりたいなって」

「久美子ならわかってくれると思って…私、興味ない人とは仲良くなろうと思わない!」

「当たり前に出来上がってる流れに、抵抗したいの」

「私、特別になりたいの。他の奴らと、同じになりたくない!!」

「だから私は、トランペットやってるの。他の人と同じにならないために・・・・」

いやいや・・・・本当に・・・・高坂麗奈様・・・・ごちそうさまでした・・・・という感じですね・・・・

久美子の・・・「私は今この時なら、命を落としても構わないと思った」という心の叫びは・・・・
なんか深く深く・・・・共感できますね・・・・
まさに・・・あの時の麗奈と久美子の関係は・・・・
雪女にたぶらかされて雪山にノコノコついていった男の心境みたいなものですね!


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香織先輩も素敵でしたね!! 特に特に・・・第7話の例の「芋マドンナ」絡みのお話がとっても素晴らしかったです!

ま・・・この第7話においても、とにかく色々とあって
「誰にも会いたくない!!」状態にまでなってしまい学校を休んでしまった晴香部長を
晴香の家にお見舞いに行き、
「焼き芋」の差し入れをした香織が、本当に天使に思えます・・・・

第7話の晴香と香織の「焼き芋」を巡る会話がとっても印象的でした・・・

なんで芋なの?

食べたかったの芋。牛乳で

一応吹奏楽部のマドンナだよ?

マドンナだって芋が好きなの  はぁむ・・・・・ もぐもぐ・・・・

うーーーん、あれは・・・「女の子の園」ですね・・・(笑)



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バカリボンの吉川優子・・・

うーーーむ・・・、見た目はとっても可愛いんだけどなぁ・・・ 

「響け! ユーフォニアム」の第9~10話の修羅場は壮絶なものがありましたけど、
あれは・・吉川優子の存在が大きかったですよね・・・

それにしても、あのバカリボンは・・・・第10話においては
感情に為すがままの状態で、本当にド直球を放り込んできましたね・・・・(苦笑・・・)

「噂になってるんです!! 先生が贔屓したんじゃないかって!!」

うーーん、これを言ってしまうと・・・・
大好きな香織先輩自身がどれだけみじめになってしまうのか・・・という事を分かっているのかな・・・・

麗奈に対する「アンタ、自惚れるのもいい加減にしなさいよ!」は・・・・かなり強烈な一言でした!

ま・・・このバカリボンの吉川優子の「香織先輩大好き・・・そして香織先輩気の毒・・・」みたいな
気持ちも分からなくは無いのですけどね・・・
それにしても・・・・
私自身、中学の吹奏楽部時代でも経験したのですけど
どうして思春期の女の子は・・・・「百合」ではないのですけど、異性ではなくて時に同性の女の子に
「憧れ」の感情を抱くことがあるのかな・・??
ま・・・正直、そうした感覚は・・・・今でもよく分からないです・・・
時によっては、女子部員なんか、「○×先輩、命!!」みたいな言葉を掌や腕に油性ペンで書いていたり、
先輩後輩同士で「交換日記」をしていたり
年に一度発行される学校の「文集」のクラスごとの一人一言コーナーで、あえて・・・「○×先輩大好き!!」と
書いていたりしていましたけど、
吉川優子の感覚は、それに近いものがあるのかな・・・??

とにかく・・・10/5から放映開始となるこの「響け! ユーフォニアム」第二期の放映が今からとにかくとっても楽しみです!!

ついに満を持して、10/5より東京MXにて「響け! ユーフォニアム」の第二期の放映が開始されます!

いや―――――! まさに「待ってましたぁ―!!」と言う感じです。



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この深夜アニメの放映が開始されると、昨年の4~6月もそうでしたけど、うちのブログでも
多分ですけど一人で勝手に大盛り上がり大会になってしまって、
またまた凄まじく熱くて(暑苦しい?)とてつもなく長文の感想記事になる事は多分間違いないと思いますので、
とにかく私としても今秋のアニメとしては一番期待している作品です!

こういう「吹奏楽コンクール」を真正面から取り上げたアニメって、今まであるようでいて
実はあんまり無かった・・・・という感じもありますので、
中学1年から大学4年まで計10年間も「吹奏楽」に関わり、10年間「吹奏楽コンクール」に出場し続けた私にとっては、
あまりにも懐かしいし、あまりにも自分の「興味関心・趣味」に直球を放り込まれた感じなので
とにかく嬉しくて仕方が無いという感じですね。
第一期放映開始の際はとにかくめちゃくちゃ嬉しかったですね!

原作のライトノベルが、まさかアニメ化されるなんて夢にも思わなかったですし、
そのアニメ製作会社が、
「氷菓」・「らき☆すた」・「日常」・「けいおん」等でそのクオリティーの高さで大変高い評価を受けている
京都アニメーションですから、いやでも期待は高まっていましたね。
実は・・、これ、ライトノベルは読んだことがあり、あまりにも共感度が高い作品でしたので、
「出来ればアニメ化されないかな・・・、でも所詮は、吹奏楽はまだまだマイナーな領域だし、多分無理だろうな・・」と
思っていただけに、第一期放映開始の頃は本当に嬉しい誤算でした!

このライトノベルの簡単な概要を記すと・・・・

北宇治高校吹奏楽部は、過去には全国大会に出場したこともある強豪校だったのですけど、
ここ数年は関西大会にも進めていない・・・・トホホな状況・・・
しかも演奏技術は低下の一途をたどり、部員の士気も決して高くは無い・・・・
しかし、新しく赴任した滝昇の厳しい指導のもと、生徒たちは着実に力をつけていく・・・
実際はソロを巡っての争いや、勉強を優先し部活を辞める生徒も出てくるなど、波瀾万丈の毎日。
そんな中、いよいよコンクールの日がやってくる・・・・・

そんな感じなのですけど、
これ・・・、原作者が吹奏楽経験者という事もあるのですけど、
さすが、よく分かっていらっしゃいますよね・・・!!
吹奏楽の世界では、指揮者の先生が異動・転任等で変わると、とたんにその学校はダメになり
翌年以降はコンクールでは良い成績を取る事が出来なくなり、
それまでは全国大会の常連チームだったのが、途端に支部大会や県大会で消えてしまう事は
本当によくある事なのです。
このお話は、関西大会・京都府大会を背景にしているのですけど
京都ならば・・・・
最近では、そうした事例は「洛南高校」なのかな・・・??
そう言えば、洛南高校は・・・・
宮本先生の勇退以降は・・・・とんと全国大会でも見かけなくなりましたし、最近では・・・
関西大会で銅賞とか府大会落ちという事もあるようですね・・・・

第一期は、全日本吹奏楽コンクール京都府大会で見事に「県代表の座」を勝ち取り、関西大会出場を決めたという
大変いい所で終わったのですけど、
第二期ですけど、更なる修羅場が待ち受けています!!
そうですね・・・私としては、顧問の滝先生の過去とか、このアニメの実は最大の問題児でもある田中あすか先輩の
「心の闇」を第一期みたいな感じでぐいぐいと抉って欲しいです!

というか・・第一期は「修羅場」の連続で、あれ・・吹奏楽経験者の皆様の中には
「胃が痛い・・」みたいな人も多かったんじゃないのかな・・?

とにかく第二期の開始が今からとっても楽しみです!!







第二期「響け! ユーフォニアム」の放映開始とキリンの間で素敵なコラボ商品が出ていました!

これ、先日イオンで買い物をした際に偶然発見したのですけど、
あの時は速攻で買ってしまいました!
午後の紅茶・生茶等のキリンのソフトドリンクを4本買うごとに、
「ちりめん風 風呂敷」を一つ貰えます!
この風呂敷は計3種類ありまして、
1.久美子・サファイア・麗奈などの1年生  2.芋マドンナ・バカリボンの優子などの上級生組 3.主要メンバーが
あるのですけど、
今回私がチョイスしたのは当然、麗奈がいる1です!!



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この風呂敷は意外と大きいです!!

そしてこの浴衣姿というのが更に素敵ですね!

なんかこういう浴衣姿を見ると、第一期の第8話の久美子の不滅の名言で
うちのブログでも何度も何度も登場している「その時、私は命を落としても構わないと思った・・」というセリフを
思い出してしまいますね・・・(笑)

第一期ですけど、第一話の冒頭シーンから素晴らしかったですよね!

第一期第一話は中学時代の久美子と麗奈の回想シーンから開始されます。

主人公の久美子と麗奈が京都府大会に臨み、「金賞」は受賞できたけど、
いわゆる「ダメ金」で、上位大会の「関西大会代表」は逃した中学最後のコンクールの成績発表シーンから
開始されるのですけど、
久美子の「良かったね、金賞で・・・・」に対して
関西大会出場を逃した麗奈の言葉は・・・・
「悔しい。悔しくて死にそう・・・」
「なんでダメ金で喜べるの? 私達、全国大会目指していたんじゃないの・・・!?」
それに対する久美子の反応は・・・・
「本気で全国に行けると思っていたの・・・」というやや醒めた反応、
それに対しての麗奈の反応は・・・・
(涙ながらに・・・)「アンタは悔しくないの・・・!!」
そして・・・・久美子も麗奈も同じ北宇治高校に進学し、結果的に二人とも吹奏楽部に入部する事に
なるのですけど、久美子としては・・・・
中学時代最後のコンクールの審査結果発表の際に、ついついポロッと出てしまった本音を
後悔しているし、それが原因でいまだに麗奈とは「気まずい雰囲気」が続いている・・・・

そんな感じで第一話が始まります。

私としては、麗奈の方にかなりの「共感」を感じますね。
(もちろん、久美子に悪気はない事は自明なのですけど・・・)

私自身、このブログの吹奏楽カテゴリの中で、過去の吹奏楽コンクールの全国大会・支部大会の
感想なんかを、あくまで「私的感想」として書かさせて頂く事も多いのですけど、
ま・・・・、私なんかは・・・・
たまにですけど、
「自分自身、全国大会はおろか支部大会にも一度も出場した事が無い自分がこんなエラソーな事を
書いていていいのだろうか・・・」と
自責の念にかられる事もあります。

あんなエラソーなコンクール批評記事を書いている当の本人は・・・
1978年の中学1年のコンクールから1987年の東京都大会予選までの10年間で
10回「吹奏楽コンクール」に出場しているものの、
結果は・・・・
いわゆるダメ金(上位大会代表に選出されない金賞)が高校の時の2回のみ・・・・
タイムオーバー失格 1回
銀賞 5回
銅賞 2回
ま・・・・、ほとんど良い成績は取っていないのですよね・・・・
だけど当の本人は・・・・
「何とか一度でいいから、普門館で吹いてみたい!! 普門館で吹くという事は、中学と高校の部で
全国大会に出場するか
もしくは、東京都大会本選に出場出来れば、その夢を実現できる。
だから・・・・・大学に入ったら、再度、吹奏楽団に入団し、何とか都大会予選を突破し、
普門館で開催される東京都大会に何が何でも出場したい!!」という気持ちは人一倍強かったですね。
だけど結果は・・・・・
4年間、無慈悲な都大会予選落ち・・・・
ダメ金すらも取れず、4年間のうち、銀2回 銅2回
だから・・・・・
江戸川区民ホールでの都大会予選の成績発表の際は・・・・
毎回毎回・・・・
とにかく悔しくて仕方がなかったです・・・・
(ま、中学の時も・・・県大会銀賞ばかりだったのですけど、あの時は・・・・
とにかく音楽を無理やりやらされている・・・
おっかねー指揮者の先生に「こう吹け!!」と言われたから言われたまま吹く・・・という感覚しかなかったから
成績発表の際に、銀と発表されても、
「やっと終わった・・・・」という開放感しか無かったですね・・・・
高校の時は・・・・さすがに「ダメ金」だったから、とてつもなく悔しかったですね・・・・)

「響け! ユーフォニアム」の
麗奈の「なんでダメ金で喜べるの? 私達、全国大会目指していたんじゃないの・・・!?」というセリフは・・・
その当時の自分の心の声、
「何で都大会予選銀賞で喜んでいるの? 私達、都大会本選出場を目指していたんじゃないの・・・!?」という
と見事に重なるものがありますね・・・

ま、勿論、「音楽」とは決してコンクールだけの勝ち負けではありませんし、
「音楽」とは、本来は・・・・
音楽を聴いて、「あ・・・楽しいな・・・」などのように何かを感じる事の方が大切なはず・・・
だけど・・・・
当時の自分は、そうした事すらも中々気が付いていなかったのかな・・・・
「音楽」を純粋に楽しめるようになったのは、むしろ・・・・現役奏者を引退して社会人になって以降・・・・というのも
何か少し皮肉な感じもするのですけど、
何というのかな・・・・
「普門館」を目指していた自分もいいけど、
「音楽」を「聴く楽しさ」を味わっている自分も素敵・・・・
何かそんな感じですね・・・・

あ・・・、駄目だな・・・・

こんなアニメを見ていると、どうも・・・・当時の「甘酸っぱい感情」が色々と蘇ってしまいますね。

そんな感じで第二期もどんどんのめり込んでいってしまうのだろうなぁ・・・(苦笑・・)


最近なぜか知らないけど「焼き芋」ばっかり食べています・・・(笑)

だって・・・今週初めの積雪以降、ここ南関東は今までの暖冬はどこへやら、急激に「厳冬」に
なってしまい、
寒くて寒くて仕方がないです・・・
ま・・・南関東のこの程度の寒さで「寒い!!」と愚痴っているようじゃ、東北・北海道の方に
「なーに言ってんだ!!」と鼻で笑われてしまいそうですし、
寒がっている管理人本人が元々は東北生れ&育ちですので、本来は「寒さ」には免疫があってもいいような
ものだと思うのですけど・・・・(苦笑・・)

そうした寒い中・・、温かいおしることか肉まんとか熱いスープとか温かいお蕎麦もいいのですけど
なんか最近は「焼き芋」がいいなぁ~なーんて事をよく感じています。
だって・・これ美味しいし栄養はあるし、
何よりも・・・
焼き立てのものを食べると、ま・・・確かに熱いのですけど
体の底から温まるような感じになってしまいます。
まさしく気分は・・・キュアロゼッタではないけど「陽だまりポカポカ・・・」みたいな感じになってしまいます。

あ、そうそう・・・・「焼き芋」と言うと・・・・

いつも大変お世話になっている風月時雨様が管理運営されている「五月雨日記」<仮の宿>からの
借用ネタになってしまいますけど
以前風月時雨様が描かれた「スマイルプリキュア」のなおとれいかが二人仲良く「焼き芋」を食べていてる
イラストがとっても印象的です。
あれ・・・見るからに二人の「仲の良さ」+焼き芋の美味しさが伝わってくる素敵なイラストですよね!!

このなおれいの焼き芋イラストをご覧になりたい方は・・・・

是非是非こちらから!!

こちらをクリック

何か印象としては、子供の頃よく街中で見かけた屋台とか軽トラで移動巡回している「焼き芋屋さん」の車を
見かけることがめっきり減ったような印象があります。
そんな訳で、ここ最近は「焼き芋」を買う場合って
スーパーで購入と言うパターンが増えているような感じがあります。
そうなんですよね・・・
スーパーで焼き芋を買う場合って、焼き立てのものが多いし、値段はかなり安いし
結構ついつい・・買ってしまうのですよね。
普段よく仕事帰りの際に立ち寄るスーパーなんかでも新聞紙にくるんだ焼き芋丸々一個とか
パックに入った半切れとかよく売っているのですけど
これかなり安い・・・
丸々一個でも大抵140円くらいで、半切れだと70円ぐらい、
そして遅い時間ですと30%引きのシールが張られている事も多々あったりします。

先日も30%引きのシールにつられて(?)ついつい買ってしまったのですけど
表面がそんなに「熱い・・・」という感じではなかったもので
ついつい・・・・
勢いよくガブっ・・と口に入れてしまったら・・・・
中は熱いの・・・熱いの・・・・とにかく熱くてたまらん!!という感じでした・・・
これって・・・・
むかーーしですけど、今はすっかり大物俳優になってしまった片岡鶴太郎が若かりし日に
現在の若手お笑いさんたちがやっているような「リアクション芸」をやっていた時、
よーーく、「あつあつおでんの中の激熱ゆでたまご」を食べさせられて
思いっきり熱がっていましたけど
まさに・・・ああいう「熱さ」でした・・・(苦笑・・・)
おかげで・・・・あわてて家に帰って冷水を口に入れても時すでに遅し・・・
口のなかがやけど状態になってしまい、二日ほど喋る事自体がおっくう・・・という事にもなってしまいました・・・(苦笑・・)

ま・・・「焼き芋」は、あのアツアツ感が最高!!なのですけどね・・・・


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そうそう・・・「焼き芋」と言うと
最近のアニメの中では昨年4月~6月に放映されていた「響け! ユーフォニアム」の第7話のワンシーンが
とっても印象的でした!!

そうですね・・・・
「響け! ユーフォニアム」は、吹奏楽経験者にとっては
「あ・・・!! そんな事昔あった・・あった・・・!!」みたいな吹奏楽あるあるみたいな要素がてんこ盛りの作品だと
思うのですけど
見方によっては・・・
とてつもなく懐かしかったり甘酸っぱかったりするのですけど
やはり・・・
このアニメの晴香部長ではないけど
(私自身のように)頼りなくて威厳がないポンコツ吹奏楽部部長経験者にとっては
とてつもなく・・・「胃がギリギリ痛い」ようなアニメなのかな・・・とも思ったりもします。
特に第7話とか第10話あたりとか
初めての全体合奏の際の滝先生からの「なんですか・・これ・・」と言われた際なんかの
晴香部長は・・・
とにかく・・・見ていて「気の毒・・」としか言いようがないですし、
個人的には・・・・
スマイルプリキュアのあかねちゃんではないけど
「わかる、わかる、わかるでぇ~!」の感覚ですね。

ま・・・この第7話においても、とにかく色々とあって
「誰にも会いたくない!!」状態にまでなってしまい学校を休んでしまった晴香部長を
晴香の家にお見舞いに行き、
「焼き芋」の差し入れをした香織が、本当に天使に思えます・・・・

でも第7話の晴香と香織の「焼き芋」を巡る会話がとっても印象的でした・・・

なんで芋なの?

食べたかったの芋。牛乳で

一応吹奏楽部のマドンナだよ?

マドンナだって芋が好きなの  はぁむ・・・・・ もぐもぐ・・・・

うーーーん、あれは・・・「女の子の園」ですね・・・(笑)

先日改めてこの第7話を見てみて、改めて色々と感じる点もあり
ちょっとその辺りを書いてみようかな・・・と思ったのですけど
やーめーたーー!!
だって・・・
やっぱり・・・色々な意味で「痛い回」ですからね・・・・

ま・・・この第7話の私自身の感想記事は・・・そうですね・・・・
手前味噌になってしまいますけど
今時点の感覚で改めて読んでみても・・・
「あ・・・なんか鋭い事書いているな・・」なーーんて思ったりもします・・(苦笑・・)

そうですね・・・・

この第7話の感想記事に興味がある方は・・・・

是非是非・・・

こちらを・・・・→ここをクリック・・・

この「響け! ユーフォニアム」も第二期の制作開始が既に正式決定されていますので
とにかく・・・
第一期の続きが楽しみです!!

ま・・・結局は・・・・

「次の修羅場がはじまるのです・・」の世界になってしまうのですけどね・・・・
2015年度の自分自身のアニメのMVPは
間違いなく・・・
この「響け! ユーフォニアム」だと思います。
ま、この作品は・・・・
吹奏楽経験者でなくても十分に楽しめる内容になっていますし、
「吹奏楽」を全然ご存知ない人がご覧になっても
「ふーーん、吹奏楽部って大変なんだね・・・運動部と大して変わりが無いし、ああいう人間関係は
どこの部でも同じなんだね・・」という事は
多分・・・ご理解頂けるのではないのかな・・と思います。

ま・・・放映自体三ヵ月間のだけでしたけど、
あれを見ていた時は・・・・本当に楽しかったし
ま・・楽しいというよりは・・・このブログでも当時散々書いていましたけど
私自身の中学~大学までの10年間の吹奏楽部生活が鮮やかに蘇ってきて
とても懐かしく甘酸っぱく感じたものですけど、
同時に・・・・
当時の色々と「嫌な思い出」・「忘れてしまいたい嫌な事」といった自分の脳内に「封印」してきた「トラウマ」が
次から次へと思い出されてきて
そうですね・・・
この「響け! ユーフォニアム」の感想記事は・・・・
アニメ自体の感想と言うよりは、
「私」自体の吹奏楽部時代の事を綴った「モノローグ」みたいな内容になっています・・・
ま・・あれは・・・
いま読み返してみると・・・少しと言うか・・・かなりこっ恥ずかしいものがありますね・・・(苦笑・・・)
ま・・・自分で口にするのもアレですけど、
このブログにおける最優秀記事は、
7/13頃あたりに書いた
響け! ユーフォニアムの第12話の感想記事だと思います・・・・

ホント・・自分で言うのもなんですけど、あの記事を書いていた時の私は・・・・
なにかに・・・
間違いなく憑りつかれていた・・・

そうそう!

この「響け! ユーフォニアム」も先日第二期制作の発表がありましたので、
多分・・・来年4月頃あたりに第二期が始まると思いますが、
これはすごーーく楽しみですっ!!
新しい第11代目り「魔法つかいプリキュア」と同じくらいとても楽しみです!!
第二期に関しては・・・・
原作でも触れられている通り、
是非是非!!

1.滝先生の過去・・・・→若くして亡くなられた奥様を失ったショック・・・とその立ち直り

2.あすか先輩の「心の闇」

については是非是非深く深く掘り下げて欲しいな・・・とも思ってしまいます・・・

ま・・・・個人的には・・・・

もしもあすか先輩が自分と同じ楽器の先輩だったら・・・・
かなり・・・やりにくいというのか
扱いにくいのかも・・・・
むしろ・・・・バカリボン・・じゃなかった・・吉川優子の方が扱いは楽そうですね・・・





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そう思っていたら・・・

この「響け! ユーフォニアム」は来春映画化も既に決定されています。

だけど・・・・

残念ながらこの映画は、先日とにかく感動しまくった「ガールズ&パンツァー」とは異なり
劇場用オリジナルストーリーではないのですよね・・・(泣・・)
要は・・・
「まどか☆マギカ」のように
アニメ本編を総集編でまとめたようなものです・・・
ま・・それでもその中にアニメ本編では触れられなかった「エピソード」が何か含まれていれば
いいのですけどね・・

なんか・・・少し勿体無いな・・・とも思ったりもします。

最後に・・・

私自身は、楽器は、クラリネットが通算9年間、アルトサックスが1年間、パーカッションが小学時代に2年間
経験していますけど
ま・・・
私の中では、「自分の楽器はクラリネット」みたいな意識は強いです。
だけどそんな中・・・・
先日、本当にひょんなことで、アルトサックスを吹いてティンパニを叩く機会に恵まれ
自分自身・・・
「あーーーー、この感覚なつかしい!!」と感じてしまいました!!

ま・・・この話は後日・・・
なぜか・・・
「浦和の調ちゃん」カテゴリで語りたいな・・と思っています。