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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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本記事の一つ後の記事がC.ドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」とそれと全く同名の曲であるW.H.ヒル の
吹奏楽オリジナル作品について触れさせて頂きましたので、
本記事においては、 W.H.ヒル の音響の黙示(ソノ・レベロ)という知る人ぞ知る超ウルトラマイナー曲について
ほんの少しだけレビューさせて頂きたいと思います。
この曲について触れている書籍は全くゼロですので、この曲について専門的に掘下げたくても資料も楽譜も何も無いという事で
あくまでこの曲の全体的な印象についてチラッ・・とした触れられないのは書いている私としても歯がゆい感じでもあります。

W.H.ヒル と言うと吹奏楽的には「セント・アンソニー・ヴァリエーション」があまりにも有名ですし、この
あまりにも素晴らしき吹奏楽オリジナル作品は、この曲が天理高校の1985年の奇蹟的超ウルトラ名演によって
世に知られて既に34年以上も経過しているのですけど、
忘れ去られる事なく支部大会・全国大会・プロアマ問わず定期演奏会等で演奏され続けている事は
この曲自体の素晴らしき普遍性を示唆しているのだと思います。
確かにヒル自体の原典版と後日日本の吹奏楽関係者がヒルの了承のもとに改訂版というのかアレンジ版(特に終結部)との
間に結構な違いというか印象度の違いもあったりもするのですけど、それも含めて
このヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエーション」が後世に間違いなく残りそうな吹奏楽オリジナル作品であるのは
間違いないと思いますし、この曲も後世でもずっと演奏され続けて欲しいと思います。
(今更言うまでもない話ですけど、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」もヒルのこの曲も元歌のメロディーは
同一のものに由来し、こうした変奏形式の曲を聴いてみると、管弦楽版も吹奏楽版も素材の調理法によって
聴く人に与える印象は随分と違うものである事は痛感させられたものです)

ヒルというと「セント・アンソニー・ヴァリエーション」以外では他にはそれほど印象に残る曲が無いと言うのも
少しばかり不思議な感じもあったりもします。
ヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエーション」以外の吹奏楽オリジナル作品というと、
「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」や「スー族の変奏曲」が挙げられるとは思いますが、この2曲とも既に忘却の彼方
なのかもしれないですね・・
余談ですけど、高校の頃の私ってヒルの「スー族の変奏曲」とプロイアーの「スー族の旋律による変奏曲」は
同じもの・・と勘違いをしていた時期もありました・・(汗・・)
そして「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」という作品は全国大会で一度だけですけど演奏された事もありました。
それが1980年のニクソンの「パシフィック・セレブレーション組曲」という歴史的名演を残してくれた一年後の高岡商業の
演奏でした。
高岡商業はは全国初出場から1981年あたりまでは比較的吹奏楽オリジナル曲、しかも少し珍しい部類の
吹奏楽オリジナル曲を演奏するパターンがあったりして
後年の「ローマの祭り」・「ベルキス」・「展覧会の絵」などのように豪快でとにかく鳴らしまくる華麗な演奏とは
一味もふた味も違う演奏&方向性を見せているのは大変面白いものがあります。
その中でも79年のハンソンの「コラールとアレルヤ」とか80年の「パシフィックセレブレーション組曲」は
吹奏楽オリジナル作品の醍醐味を後世に残してくれた貴重な演奏だと思います。
1981年の高岡商業は既に記したとおり、ヒルの「神聖なる舞曲と世俗的な舞曲」という極めて珍しいオリジナル曲を
プログラム一番で吹いていましたけど、印象としては音が普門館の会場にストレートに響かず、
音が普門館の広い空間を彷徨っているみたいな印象すら感じたものでした。
そして音が硬いせいかサウンドも表現もぎこちない感じがするのです。
あ・・それは既に一つ後の記事でも書いた事でしたね・・(汗)

吹奏楽コンクールというものは、ある団体が取り上げた以外はほとんど演奏されない埋もれた曲というのも
実は結構あると思います。
ほとんど知られていない吹奏楽オリジナル作品だけど、実はすてきな名曲ではないのか・・?という曲も結構多いと
思いますし、そうした「自分だけの名曲、自分ひとりの為だけのお気に入りの吹奏楽オリジナル作品」を発掘してみると言うのも
吹奏楽作品を聴く上ではひとつのすてきな楽しみ方と言えるのかもしれないですね・・(笑)
そしてセント・アンソニー・ヴァリエーション・神聖な舞曲と世俗的な舞曲でお馴染みのヒル限定で考えた時、
「ほとんど知られていないし、全く演奏されないオリジナル作品だけど私にとって大変インパクトを残してくれていて
今でも普通に聴いていて、私自身にとっては隠れた影の名曲」と思っている作品こそが
ヒルの「音響の黙示」(ソノ・レベロ)というウルトラ級にレアで超マイナーな曲と言えると思います!
そしてこの「音響の黙示」は2019年末時点の吹奏楽コンクールにおいては、この曲が自由曲として演奏された事は
後にも先にもわずか一度だけです!
しかもその唯一演奏したチームと言うのが文教大学というのもある意味凄い話なのかもしれないですね~!
文教大学というと、現在では元東京交響楽団のクラリネット奏者の佐川先生が 率いる全国大会の金賞常連チームです。
そして、W・ヒルというと「セント・アンソニー・ヴァリエーション」で有名な作曲家です。
この両者が融合したのが、1982年の関東大会における 文教大学の演奏なのです。

この頃の文教大学は佐川先生が指導される以前の時代なのですけど、
1981年度は、「セント・アンソニー・ヴァリエーション」を全国大会で初演しています。
(よく誤解されているのですけど、セント・アンソニー・ヴァリエーションの全国大会初演は天理高校ではなくて
1981年の文教大学です!)
そして驚くべき事に、1981年の関東大会では、小澤先生率いる神奈川大学(81年の自由曲はシュトラウスの「英雄の生涯」)を
関東大会にて、まさかのダメ金に追いやる大金星をあげています!!

そしてその翌年の1982年に文教大学が自由曲として取り上げたのが 「音響の黙示~ソノ・レベロ」という謎めいた曲なのです!!

「音響の黙示」という曲をご存じの方ってほとんどいないと思います・・
私自身も知っている限りでは、この曲を演奏したのは82年の文教大学以外見当たらず、
この曲のプロの演奏というものは聴いた事がありません。

「音響の黙示」は私的には大好きな曲です。
出だしの金管楽器の強烈なファンファーレも相当インパクトがありますが、 全体を通じて曲の内容というよりも
音の絶対的な響き、和音の面白さを徹底的に突き詰めたのがこの曲の魅力ではないかと感じております。
かっこよく言うと「音楽の無限の可能性」を純粋に音の響きという点一点のみでとことん突き詰めたのがこの曲ではないのかなと
感じたりもします。
メロディーもあまりはっきりしないし無調的というか、機械的というか、
モザイクがかかったような曲なのですが、そのドライな響きは結構好きです。
1982年に登場した市立川口の自作自演の自由曲の「無言の変革」~そこに人の影は無かったの世界に
近いような印象もあったりします。
曲のラスト近くで、何と発音しているのかよく分りませんですが、
人のコーラスというのかヴォカリーズというのか呟きというのか歌声らしきものも登場してきます。
英語なのかうなっているだけなのか本当によく分りませんが、無機質な感じが大変面白いと思います。

この文教大学の演奏は、私が知る限りにおいては「トラヤ」という会社のカスタムテープによる音源しかないのですが、
トラヤもとっくに倒産していますので、今この演奏を聴きたくても、その音源を探す事自体困難を極めるのかもしれないです。
私は、幸いなことにこのトラヤのカスタムテープを持っていますので、 「音響の黙示」の演奏を未だに聴く事が
出来るのは大変幸せな事と思っていますし、もしかしたら本当に
「自分だけの名曲、私ひとりの為だけのお気に入りの吹奏楽オリジナル作品」と言えるのかもしれないです。

出来れば、どこかのチームがこの曲を改めて取り上げ、 「音響の黙示」の面白さを伝えて頂ければいいなぁ・・と思います。

この曲は技術的には金管楽器の高音が大変だったと思います。
特に出だしは、冒頭からあんなハイテンションのファンファーレみたいな凄まじい高音が続いたら
奏者は気が狂ってしまいそうですね・・

ヒルにとってはどちらの曲が「自分らしい曲・・」と感じているのかはヒルだけにしかわからないと思うのですけど、
「セント・アンソニー・ヴァリエーション」が真昼の聖なるものとしたら
「音響の黙示」は真夜中の狂気に溢れた世界と言えるのかもしれないですし、同じ作曲家の曲とは到底思えない
このすてきなギャップが堪らないものがあると思えますね~!
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箏(そう)は日本の和楽器の一つです。

一般的に「琴」(こと)という呼び名の方が浸透しているのかもしれないのですけど、厳密にいうと、
「箏」と「琴」は別の楽器であったりもします。
両者の最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で
音程を決めるという点が挙げられると思います。
琴は弦が7本であり柱は存在しませんし、音の目印となる「徽(き)」がはめ込まれており、
この目印をたよりに奏者は左手で弦をおさえ右手で弾きます。

それではどうして箏と琴が混同されているのかと言うと、その背景として、箏の字が常用漢字に含まれず、
しかも箏という文字が書きにくく馴染みがうすいと言う事で、箏と琴が同一視され混同をされている事情もあったりします。
ふたつの文字は混同されていることが少なくありません
そして箏というともう一つ誤解をされている点は、「箏は日本が発祥の伝統楽器であり、箏は日本古来の伝統楽器」と
認識されがちなのかもしれないですけど、実は箏自体は、奈良時代に中国(唐)から雅楽が輸入された時、
その中の楽器のひとつとして日本にもたらされたものです。
17世紀に近世箏曲の祖と称される八橋検校が、ほぼ現在のかたちの箏曲を完成させ、江戸時代以降の箏の世界は、
胡弓に代る新しい楽器でもある三味線とも結びついてたいへん発展し、
関西では生田検校が生田流をおこし、関東では山田検校が山田流をおこし、現在に至っています。
そして生田流でも山田流でも箏は桐の木で作った中空横長の箱状の胴に、十三本の弦が張られています。
弦の下に柱(象牙またはプラスチックまたは木製)を置き、その位置によって音の高さを合わせます。
(そうした音の高さ調整の事を「調子を合わせる」とも言うそうです)
奏者は自分の前に横に置いた楽器の右端に座り、右手の親指、人さし指、中指に琴爪をはめて演奏します。


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上記で触れたとおり、箏は生田流も山田流も基本的には弦の本数は13本なのですけど、
合奏曲の低音部を受け持つ箏として、1921年に宮城道雄が考案した十七絃の箏もあったりもします。
これは普通の箏と同じような形態ですが、全体的に幅、長さ、厚み があり、十七本の弦が張られています。

上記の画像は幻の楽器とも呼ばれる八十絃です。

八十絃は、十七絃の箏と同様に宮城道雄が考案した80本の弦を持つ大型の箏でして、
13本の弦を持つ通常の箏、あるいは同じく宮城道雄の考案による低音の拡張された十七絃に比べ、
はるかに幅広い音量と音高を発することができ、その大きさと形状はグランドピアノの本体部分を彷彿とさせます。
天才と称される宮城道雄をしても演奏自体が非常に難しく高度な技術を求められ、
演奏不可能の烙印を押されほとんど日の目を見ることなく姿を消し太平洋戦争で焼失しています。
現在は復元された楽器が宮城道雄記念館に展示されていますけど、実際に演奏される場面はまずないそうです。
似たような話として、78本の弦を有するハープがあるのしれないです。
一般的にハープは47本の弦を張り、左足用と右足用の計7個のペダルで音高を変えるタイプが主流ですけど、
奏者のペダル操作軽減の策として78本の弦を有するペダル無しのハープが考案されたことがあるそうですけど、
かえってハーブ奏者の負担をとてつもなく増大するというトホホ・・な結果で終わってしまい、
結果的に八十絃と同様に「幻の楽器」とよばれる事もあるようです。

箏は、クラシック音楽との交流も盛んにおこなわれていて、箏と管弦楽のための協奏曲的な作品もいくつか作曲されています。

一例を挙げてみると・・

湯浅譲二 / (八面の)箏とオーケストラのためのプロジェクション「花鳥風月」

伊福部昭 / 二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ

西村朗 / 樹海-二十絃箏とオーケストラのための協奏曲

坂本龍一 / 箏とオーケストラのための協奏曲

この中では、元・YMOのあの坂本龍一さんの楽曲の意義はかなり大きいように感じられます。

箏ではないのですけど、日本の雅楽の楽器が管弦楽と協奏的に構成された作品として大変名高いのが、
武満徹が1967年に作曲した「ノヴェンバー・ステップ」という 琵琶、尺八とオーケストラのための音楽作品だと思います。

吹奏楽と箏(琴)の共演作品としては 櫛田胅之扶の箏と吹奏楽のための組曲「嵯峨野」や
小山清茂の吹奏楽のための「琴瑟」が挙げられると思います。
琴瑟は日中国交回復を記念して航空自衛隊航空中央音楽隊より委嘱された曲で、
瑟という中国雅楽におけるチター属絃鳴楽器 と日本の琴は必ず使用するようにという指示があるそうです。
この二つの曲は、私自身生の演奏会で接した事がないものでして、申し訳ないのですけど、実は私もあまりよく知らない曲で
あったりもします。

琴(箏)・尺八・琵琶等の雅楽の楽器と吹奏楽の競演として私的に大変印象に残っている演奏があります。

それが何かと言うと、1981年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会において、1976~80年の全国大会において
5年連続金賞を受賞し、その偉業をたたえる一つの記念演奏としてコンクールの評価とは全く切り離された形での演奏の
お披露目がなされた秋田南高校吹奏楽部による招待演奏です。
(全国大会においては特別演奏と呼ばれています)

振り返ってみると、この5年連続金賞と言うのは大変難しいもので、過去においても
淀川工業・尼崎吹奏楽団・愛工大名電高校・中央大学・福岡工大付属・天理などが4年連続全国大会金賞を
成し遂げたのに、5年目で支部大会落ちとか全国大会で銀賞等の理由要因で5年連続金賞を逃すという事も起きています。
特に気の毒なのは尼崎吹奏楽団でして、4年連続金賞という偉業を計2回も達成していながら、いずれも5年目に
全国大会銀賞に留まり、結果的に「5年連続金賞→翌年の特別演奏」という栄誉が実現出来なかったのは
「勿体無いなぁ・・・あれだけの高い技術を持ちながらもやはりコンクールと言うものは難しいものだ・・」という事を
改めて実感させられる結果になっていたのは大変興味深いです。
あの名門・天理ですら1974年の「5年連続金賞」が掛った年においても「ハムレットへの音楽」で
まさかの銀賞に留まっていましたし、1985年の福岡工大付属も、まさかの九州大会ダメ金という事で全国に進めませんでしたし
コンクールは確かに実力が大半なのでしょうけど、女神様の「運」というのもあるものなのかもしれないです。
1985年の福岡工大付属の場合は、自由曲の選曲がラッセンの「マンハッタン交響曲」という地味すぎる渋い選曲
というのも一因があったのかもしれないです。

1990年代後半から、3年連続金賞の後は翌年休みというルールに変更されたばかりか、
特別演奏という特典も廃止されてしまい、いつの間にか3年連続全国大会出場チームは翌年のコンクール参加は不可と言う
不可解なルールに変更された時期もありました。
最近になって、さすがに三年連続出場の翌年不可は可哀想という事でこのルールは撤廃されたようです。

1981年の東北大会の秋田南高校の招待演奏の曲目は

〇JEUXⅢ(天野正道)

〇童謡によるファンタジー~茶つみ歌、あの町この町、エピローグ(野田暉行)

〇吹奏楽と三味線のための「津軽じょんがら節」(青森県民謡)というものでした。

JEUXⅢは天野正道氏の曲が初めて吹奏楽コンクールで(評価対象外ですけど)演奏されたのは、
もしかしたらJEUXⅢが初めてだったのかもしれないです。
天野正道という名前が、アレンジャーの側面以外で作曲家として吹奏楽の世界で浸透し始めたのは、
玉川学園中等部の「抑圧から解放へ・・・」という曲と新屋高校の「エクスピエィション」あたりからなのかもしれないですし、
それを決定づけたのは交響組曲第2番「GR」と交響組曲第7番「BR」なのだと思います。

JEUXⅢは曲自体、何かもやもやしたもので、感覚としては、三つの冗談というよりは妄想する散歩道というイメージです。
童謡によるファンタジーは、あまりにも美しすぎて逆に印象がうすい演奏なのかもしれないですけど、
野田暉行のこの原曲は実は元々は二管の管弦楽作品でバレエ音楽として構想されていたそうでして、それが
幻想的な美しさに繋がっていたのかもしれないです。
後年ですけど、秋田南・天理・弘前南・ブリジストン久留米・駒澤大学の全国大会での特別演奏を収録したレコードが
発売されていて、秋田南はJEUXⅢと津軽じょんがら節が収録されていましたけど、私的にはJEUXⅢよりは
野田さんの童謡によるファンタジーの方を収録して欲しかったですね~
ちなみにこの年の秋田県大会での秋田南の招待演奏の曲目は、スメタナの交響詩「モルダウ」と童謡によるファンタジーだった
そうです。

ちなみに1981年の東北大会初日は、とてつもない過密スケジュールでして、
大学の部が6チーム、職場の部が4チーム、高校B部門が9チーム、高校A部門が13チームの演奏が朝9時から開始されていて、
秋田南の招待演奏が開始された時間も確か19時近い時間帯だった記憶があります。
それでも初めて聴く吹奏楽コンクールの支部大会は私にとっても大変刺激的で、ゾクゾクさせられたものがありました。
そして結果的に翌年の1982年の東北大会における花輪高校吹奏楽部によるウォルトンの交響曲第1番~第四楽章の演奏で
私自身は、今現在に至る吹奏楽とクラシック音楽という深い森の中に迷い込むきっかけを作って頂けた事になります。
1981年の私自身は、当時の吹奏楽コンクールの事はイロハのイの字も何も知らない全く白紙の状態で聴いていて、
当時の私の率直な感想は、高校A部門は、1位・磐城 2位・花輪 3位・大曲高校 4位・仁賀保 5位・弘前南という事で、
当時は「1981年の弘前南はそれまで4年連続して全国で金賞を受賞していて、今年は5年金賞がかかった節目の年」という
事すら何も知らない全く純粋で余計な情報なしであくまで純然たる私の感想が上記の私自身のコンクール評でも
ありました。
弘前南は正直東北大会ではあまり芳しくない演奏だったような印象ですけど、普門館の全国大会では大化けした
迫真の演奏を聴かせてくれていたのはさすがでもありました。
ちなみにですけど、1981年の仁賀保高校の自由曲のスキタイ組曲は、従来のⅠとⅡの組合せではなくて、今にして思うと
ⅠとⅣの組合せというのが大変斬新でした!

話がそれました・・

話を秋田南の招待演奏に戻すと、「津軽じょんがら節」は最高に面白かったです!
ドラムスがとてもノリノリで、全体と三味線を上手くリードし、とてもファンキーな演奏だったと思います。
津軽じょんがら節のアレンジャーとプログラムで表記されていた佐川氏は、
1989年に二ツ井高校を指揮され、D/寄港地で、東北大会でB部門ながら大変素晴らしい演奏の指揮をされていて、
1999年以降は、新屋高校で高野先生の後任として、全国大会にも何度か出場されています。

箏と管弦楽の共演もすてきですけど、吹奏楽をバックに三味線もあんなにも生き生きとした演奏が出来ると言う事は、
当時の私にとってはまさしく目からうろこが落ちるという感じでもありました。


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ここから下記は「ららマジ」の話です~♪

橋本ひかりは、琴を担当している高校3年生のJKさんです。

公式では橋本ひかりの担当楽器は「琴」と記されていますけど、厳密に書くと上記で触れたように橋本ひかりが
奏でているのは琴ではなくて「箏」の方です。

橋本ひかりは、身長が高くスタイルがよい美少女というよりは、ララマジ屈指の正統派美人さんだと思います!

同じ和楽器担当という有栖川翼とは対照的に、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な性格で、
特に男性に関して強い苦手意識を持っているというのも、アニメ・ゲームにおける美少女キャラのこれまたすてきなお約束の
一つなのかもしれないです。

面倒見がよく器楽部の後輩からは大変慕われているそうです。

上記で触れたとおり、
稀にですけど、吹奏楽団の演奏会等で、箏や胡弓、和太鼓等の和楽器と吹奏楽をコラボした曲目が演奏されることも
ありますけど、ららマジでも橋本ひかりや有栖川翼をソリストにした協奏的な曲目を演奏するのも
すてきな事なのかもしれないですね~♪


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水着の橋本ひかりは、本当にスラッとしたスレンダー美人さんですね~♪


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そしてららマジでの制服姿で、少しきょとん・・とされた橋本ひかりお姉さまは、やっぱりららマジ屈指の正統派美少女だと
思います。


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バトル時の武器は箏の形をした長弓で貫通力が高そうですけど、こういう戦うお姉さまとしての橋本ひかりの雰囲気は
艦橋っぽい武器としての箏を手にされているという事で、なんだか艦娘っぽいですね~♪

管弦楽で使用されて吹奏楽で使用されない楽器は、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロの弦楽器です。
(コントラバスだけは吹奏楽でも使用されています)
逆に吹奏楽で使用される楽器なのに、管弦楽ではほとんど使用されない楽器の代表格はユーフォニアムとサックスなのだと
思います。

ユーフォニアムという楽器は、チューバを2/3程度の大きさにした楽器みたいなもので音域は中音域を担当しています。
このユーフォニアムを管弦楽曲として使用した事例として具体的に下記に少しばかり挙げてみたいと思います。

〇マーラー/交響曲第7番「夜の歌」第一楽章

 短い弦楽器の序奏の後にいきなりユーフォニアムの高音域でのソロが始まります。
 不気味さとプカプカ音が溢れだす妙な世界が展開されていきます。
 ユーフォニアムの出番は冒頭のソロと同じく第一楽章内での再現部分のみで、
 この第一楽章以外は全てお休みと言う事で、ユーフォ奏者はその後の第二~第五楽章の一時間近くをステージ内にて
 ヒマ死にしそうな状態と化しています。

〇ホルスト/組曲「惑星」~Ⅰ.火星

 弦楽器がリズムを刻んでいる中、朗々とユーフォニアムがソロを奏でています。
 ホルストの場合、不気味さは全くなく、生き生きとした行進」みたいな感じでソロが展開されていきます。

指揮者によってはムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」のヴィドロの部分をチューバではなくて、
ユーフォニアムに吹かせることもあったりします。
この部分は、チューバ奏者ではプロ奏者であっても大変難しいのだと思います。
事実、1997年の東京交響楽団の定期演奏会では、この部分をチューバ奏者が完全に外し、演奏崩壊の一歩手前に
すらなっていたと思います。

そしてユーフォニアム同様に、吹奏楽ではなくてはならない中音域楽器の位置づけにいるのに、管弦楽の世界では
なぜかあまり使用されない楽器としてサックス(サクソフォーン)が挙げられます。
サックスはジャズや吹奏楽、ポップスやバンド、軽音楽等では大変馴染みがある楽器ですし、管弦楽で使用される
ファゴットやコールアングレなど以上に世間一般では知名度と認知度が高い楽器なのに、管弦楽の世界ではなぜか
冷遇??されていたりもします。
というのもサックスという楽器自体、音楽の世界に登場してきたのは19世紀後半の話でして、
ハイドン・モーツアルト・ベートーヴェンといったいわゆるクラシック音楽界の大御所先生たちがご活躍されていた時代には
サックスと言う楽器自体が存在していなかったという事情もそこにはあったりもします。

サックス(サクソフォーン)という楽器は、1840年代にベルギーの管楽器製作者アドルフ・サックスによって考案されています。
見た目は輝かしい黄金色のメタリックで、「どうしてこの楽器が木管楽器に分類されるの~!?」という疑問は
当たり前なのかもしれないですけど、クラリネットやファゴット・オーボエと同様に竹製のリードを振動させて音を奏でると言う事で
木管楽器として楽器上は位置づけられています。
楽器本体はマウスピースを別にすると真鍮を主とした金属で作られています。
現在、アルトサックス、テナーサックス、バリトンサックス、ソプラノサックスの4種類が恒常的に使用され、
吹奏楽コンクールのA編成ではアルトサックスが3本、テナーサックスが1本、バリトンサックスが1本で構成されることが
多いですけど、ソプラニーノサックスやバスサックスという楽器もサクソフォン属として存在していますけど、私自身実は
この二つの楽器はいまだに見た事はありません。
サックスは、クラシック音楽からポップス、ロック、ジャズに至るまで、様々な分野の音楽で用いられていて、
特に吹奏楽やビッグバンドには欠かせない存在であるのですけど、
管弦楽では使用されることは少ないが、曲によってはソロ楽器的に管弦楽にスパイス的調味料として
用いられる事も稀にあったりします。

その代表例として下記に幾つか列記いたしますと・・

〇ビゼー / 組曲「アルルの女」第一組曲

 もの哀しさをアルトサックスが大変せつなく醸し出していると思います。

〇ムソルグスキー=ラヴェル編曲 / 組曲「展覧会の絵」

 ムソルグスキーの原曲をラヴェルがアレンジした作品ですが、古城の部分にて使用しています、
 哀愁・せつなさがサックスのものかなしそうなメロディーから伝わってきます。
 ムソルグスキーの原曲ピアノ版ではそれほど哀愁要素は感じないのですけど、ラヴェルの手によるアレンジ版では
 そのせつなさは本物だと思います。
 やっぱりラヴェルは「オーケストラの魔術師」といえるのかもしれないですね~

〇ラヴェル / ボレロ

 アルトサックスではなくてソプラノサックスとテナーサックスがソロとして使用されます。
ソプラノサックスの甲高い響きはファンタジーそのものですし、テナーサックスは少しユーモラス的な雰囲気が
 感じられそうです。

上記はフランス系作曲家ですけど、ロシアの作曲家もかなり自作に用いています。

プロコフィエフの交響組曲「キージェ中尉」・バレエ音楽「ロメオとジュリエット」でも効果的に使用されています。
キージェ中尉では、その第四曲・トロイカでテナーサックスがコミカルにソロを演じています。
小澤指揮のようにこのトロイカの部分にバリトンの声を充てる演奏も稀にありますけど、この部分はテナーサックスでないと
コミカルな楽しさがあまり発揮されないような印象もあります。
ハチャトゥーリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」でも使用されていますけど、特に目立った楽曲では「剣の舞」の中間部です
意外ですが、ラフマニノフもアルトサックスを使用した曲があります。
その曲は、交響的舞曲というかなり晩年の作品ですが、第一楽章の中間部で延々と約1分30秒以上長々と哀愁とメラリコリーに
満ちた哀しいソロが朗々と展開されます。その哀愁に溢れた部分は郷愁そのものですね。

他にも・・

〇バルトーク / バレエ音楽「かかし王子」

〇コダーイ / 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」

〇イベール / 祝典序曲という楽曲もありますし、ドビュッシーは、アルトサクソフォーンと管弦楽の為のラプソディーという
大変不思議なバラードみたいな作品も残されています。

現代では、バーンスタインのウエストサイドストーリーの「シンフォニックダンス」においてサックスが効果的に用いられ。
こちらはスゥイング感一杯のノリノリです!
意外な所では、黛敏郎がバレエ音楽「饗宴」(バッカナール)にて、5本のサックス系を使用しています。

作曲家によってもの哀しい部分を奏でたり、現代風なドライな感覚で奏でる事も出来るし
サックスの表現力は幅が広いとも思います。
ただ全体的には管弦楽の世界においては、サックスの音があまり求められていないから需要が無いという事なのかも
しれないです。
吹奏楽においては、サックスは昔も今も大人気楽器ですし、新入部員の楽器振り分けの際には、サックスを希望する
部員が大変多くて、中にはやむなく他の楽器に振り分けられてしまう可能性が高い
大人気楽器だというのに、管弦楽の分野では実はそれほど需要が無いというのもなんだか大変皮肉な話でもありそうです。
上記で記した通りサックスは比較的新しい楽器と言う事で、管弦楽のサウンドに、新たなパートとしてサックスは
場所を必要とされていなかったと言えるのかもしれないです。
換言すると従来の管弦楽の概念に囚われない新進気鋭の若手作曲家の皆様がサックスを管弦楽曲に効果的に取り入れる
可能性もありそうですし、それを邦人作品として示唆しているのが吉松隆の作品なのかもしれないです。
吉松隆のソプラノ・サクソフォン協奏曲「アルビレオ・モード」やサイバーバード協奏曲は、サックスの面白さが大変躍動的に
表現されていて、聴くだけで大変爽快な気分になれます。

それではサックスの居場所はどこにあるのでしょうか・・?

サックスは元々は、吹奏楽の木管楽器と金管楽器の橋渡し的存在の楽器として発明された経緯もあり、
木管楽器の運動性能の高さと金管楽器のダイナミックレンジの広さを兼ね備えた、操作し易く、
そして野外でも自由に演奏できる丈夫さを持った究極の新発明の楽器と言えます。
後発楽器という事で残念ながら管弦楽でこそ居場所はありませんでしたが、軍楽隊、吹奏楽団、金管バンド、
小編成アンサンブル、ポピュラー、ジャズ、バンドなどの分野において、サックスはあっというまにその存在を確立しましたし、
求められたところには、しっかりと腰を据えたわけです。
特に現代の日本の吹奏楽コンクールにおいては、必要不可欠な楽器と吹奏楽団の木管セクションの華という立ち位置は
既に立派に確立されていますし、サックスを抜きにした吹奏楽の世界自体そもそもあり得ないという事なのだと感じます。
そしてそこにあるのはサックスの楽器や音としての抜群の安定感があるのかもしれないです。

吹奏楽の世界では、あまりにも不安定で神経質でデリケートで扱いが難しく、時に吹奏楽コンクール本番ですら
ギ―――ッ!という絶叫音のリードミスを発するクラリネットを吹奏楽の楽器構成のメインにすえるのではなくて、
安定しているサックスセクションをメインにした方がいいのでは・・?という意見が時折おこったりもしますし、実際
1990年代前半の関東大会B部門においては、埼玉県代表の一つの越谷西高校吹奏楽部の木管セクションはその主体は
サックスから構成されていて、当時は35名編成においてクラリネットパートはわずか1名のみという大変意欲的で
興味深い実験を先駆的に試みていたチームもありました。
越谷西高校の演奏は、私自身もマーラーの交響曲第1番「巨人」第二楽章とメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲を
聴いたことがありますけど、あのようなメタリックでモダンな演奏も吹奏楽の無限の可能性を示唆した演奏の一つと
思っていたりもします。
ただ大変興味深い試みですけど、サックスを主体とした木管セクションの音自体がメタリック一色になってしまう危険性も
ありますので、吹奏楽の多彩な響きの実現という観点では、ウィンドアンサンブルという形式のクラリネットメインの方が
サウンドにしっとり感と平穏をもたらすような感じもあります。

上記でちらっと触れましたけど、サックスの特質の一つとして初心者でも吹きやすいしすぐに音が出るし、
ヴィヴラートがかけやすいので楽器入門編としてはむしろ最適楽器なのかもしれないです。

私自身、このブログでは何度も語っている通り、10年間の奏者時代において、9年間は神経質で繊細でやっかい極まりない
クラリネットを担当し、中学3年の1年間のみアルトサックスを担当していました。

年が明けて早々なぜかしりませんけど、指揮者の教師から「お前は今日からアルトサックスにうつれ~!」と
まさかのクラリネットからアルトサックスへのコンバート命令が下ったのですけど、私自身も大変意外でもあったのですけど、
クラリネットに比べてアルトサックスはとても簡単に音が鳴らせてとても簡単にヴィヴラートをかけられ、
思った以上に容易に美しい音色を出せる事に正直驚いたものですし、コンバート初日でも普通に全体合奏に参加する事が
出来ていました~! それまではクラリネットという楽器の大変さ、音の出し方の難しさ、リード調整の難しさ等に
毎日頭を抱えていたものですけど、あの時は「世の中にこんなに簡単な楽器があったんだぁ~」とヘンな誤解を生ずることに
なってしまったものでした・・(汗・・)
もちろん、サックスは決して簡単な楽器ではありませんので、こんな妙な記事読んでヘンな誤解はしないで下さいね・・(汗)
一つ言えることは、クラリネットに比べてアルトサックスはマウスピースが大きいのですので、
それが当時2年間小さいマウスピースのクラリネットを吹いていた人間の感覚からしてみると「吹きやすい~」という
感覚になっていたのかもしれないです。
それとクラリネットは木製ですけど、サックスは金属でもありますし、その日の湿度や温度といった外部環境に
あまり影響を受けにくいというのもあったと思いますし、クラリネットは直接指で穴をふさぎますけど、
サックスは構造的には金属製の蓋で穴を開閉させるという事で、やはり音が出しやすいという事もあると思います。
そして大変ありがたいことは、サックス系の楽器はクラリネットと違ってほとんどリードミスが発生しないと言う事も相当
大きかったような気がします。
コンバート初日には「一体今までのクラリネット奏者としての二年間は何だったんだろう・・・」と思ってしまったものでした。
ちなみにですけど、私がアルトサックスへのコンバート初日に真っ先に吹いた曲は何かと言うと、
1979年の課題曲A/フェリスタスのあのとてつもなくかっこいいアルトサックスの朗々としたソロでした~♪
高校で再度吹奏楽部に入部した際、男子校ゆえに圧倒的にクラリネット奏者不足のため、問答無用で再度クラリネットに
戻ったのですけど、そこから以降7年間は改めてクラリネットという楽器の厄介さと向き合う日々が続いていきました・・


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「ららマジ」の中でサックスを担当されるJKさんは橘アンナというボーイッシュ美少女です~♪

学園内に多数の橘アンナファンを持つ学園きっての王子様キャラの人気者です。

ファゴット担当のレイナの双子の姉で、趣味は妹のレイナとのデートと演劇鑑賞でもあったりします。

バトル時にはバリトンサックス型の片手剣を華麗に操って戦うのですけど、バリトンサックスというと、大きさはテナーサックスの
2倍近くありそれなりの重量もありますので、それをブンブン投げまわすとはららマジ屈指の怪力キャラともいえそうです。

見た目がボーイシュという事で、女の子から見れば「すてきなお兄様~」みたいな憧れの対象なのかもしれないですけど、
確かに橘アンナのボーイシュな美少女ぶりは、
プリキュアでいうならばキラキラ☆プリキュアアラモードの男装麗人ともいえそなキュアショコラ=剣城あきらといえそうですし、
「女子高生の無駄づかい」的には一奏なのかもしれないです。


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橘アンナはショートカットなのですけど、「女子高生の無駄づかい」の一奏がリリィに
「今度、私・・実は髪を伸ばして女の子らしい容姿にしようと思っているのだけど・・」と相談をしているシーンもあったり
しましたけど、橘アンナがもしも長髪キャラになったとしてもとてもすてきな美少女になりそうな予感もありそうですね~♪
本記事の一つ後の記事が「ららマジ」のシンバル奏者である伊藤萌に関する記事なのですけど、
その際に伊藤萌の師匠にあたり、結果的に伊藤萌にシンバル奏者の地位を譲ったのが小田桐アミであるという事を
記させて頂きましたので、本記事はそれに関連して、小田桐アミとアミの担当楽器であるピッコロについて
触れさせて頂きたいと思います。

「ピッコロ」と聞くとほとんどの方は「ドラゴンボール」のピッコロの方を思い起こすのかもしれないですけど(汗・・)
吹奏楽経験者の皆様ですと「あー、あのとんでもない超高音域を発するフルートの妹みたいな楽器ね・・」と
言われるのかもしれないです。

ピッコロはフルートの派生楽器であり、フルートと同じ指使いでちょうど1オクターヴ高い音が出るという事で、
この関係性はクラリネットで言うと、B♭クラリネットとE♭クラリネット(小クラリネット、通称・エスクラ)の関係性に
近いものがありそうです。
ちなみにですけど、ラヴェルのバレエ音風「ダフニスとクロエ」第二組曲~Ⅲ.全員の踊りにて、すさまじい超高音域で
人間業とは思えない超速スピードで駆け抜けていくソロ楽器は実はあれはクラリネットではなくてエスクラです。

ピッコロは上記で触れた通り、構造はフルートとほぼ同じであり、同じ指使いでちょうど1オクターヴ高い音を出せるように
基本的にはフルートの長さを半分にしたような構造となっています。
管弦楽団でも吹奏楽団でも基本的にはフルート奏者とピッコロ奏者は別である事が多いですけど、作曲者の指定により
フルート奏者がピッコロを兼任して、フルートからピッコロに演奏中に楽器を持ち替える場合もありますし、
吹奏楽コンクールの小編成部門では、フルート奏者が必要に応じてやはり演奏中にピッコロに持ち替える事が多いような
印象もあります。

フルートに比べ発音に速い息が必要であり、楽器自体が小さいため細かなアンブシュアのコントロールがフルートより難しい
といった点がフルートとの違いであり、特に高音域の弱奏は至難の業と言えそうです。
反面激しく盛り上がっている場面等で、金管セクションや打楽器がジャンスカ派手に鳴らしても、ピッコロの高音伸ばしは
はっきりくっきりと明快に響く事がほとんどてあり、聴衆にとってもあれだけ金管楽器が咆哮してもピッコロの高音域は
完全に聴き取れる事がほとんどであり、一例を挙げると、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番~終楽章にて、
ドラの轟音が響き渡る10秒前あたりのtuttiによる全体和音の伸ばしの際でもピッコロの超高音は、金管セクションに
埋もれることなく明確に音として伝わっています。
音域が異常に高いため音程を揃えてコントロールする事が大変難しいので、通常の管弦楽曲や吹奏楽曲においては、
複数本用いられることは極めて少ないです。
ピッコロを複数個指定されている場合は、作曲者の何らかの意図があると思われます。そうした複数個ピッコロを使用する
楽曲の代表的事例が、松村禎三の「管弦楽のための前奏曲」であり、その意図とはアジア的エネルギーの放出と
私的には推察いたします。

さてさて、それでは古今東西、ピッコロを効果的に使用した楽曲にどのような事例があるのでしょうか・・?

一例を挙げてみると・・

〇ヴィヴァルディ / ピッコロ協奏曲 → 四季でお馴染みのヴィヴァルディ―の時代から既にピッコロは使用されています!

〇チャイコフスキー / バレエ音楽「くるみ割り人形」~中国の踊り

〇ビゼー/ 歌劇「カルメン」組曲~衛兵の交代 → ピッコロの二重奏があります!

〇グリーグ / 劇付随音楽「ペール・ギュント」第二組曲~アラビアの踊り

〇ラヴェル / ボレロ → 9回目の反復時で、ピッコロがホルンの上にチェレスタとともに重ねられています。

〇アーノルド / 組曲「第六の幸運をもたらす宿」~Ⅲ.ハッピーエンディング → あの執拗な反復はピッコロから開始されます!

〇矢代秋雄 / 交響曲~第四楽章 → ファゴットとピッコロのデュエットは素晴らしいです!

さてさて・・それでは吹奏楽作品ですとどのような事例があるでしょうか・・?

〇池上敏 / 瞑と舞 → 冒頭にピッコロの長大なソロが待ち受けています。そしてピッコロ奏者はすぐにフルートソロのために
               フルートへと楽器を持ち替えます
(楽譜の指定では確か楽器の持ち替えは記されていないと思いますが、吹奏楽コンクールでは1981年の神居中のように
一人の奏者が持ち替えることが多いです。そしてラストはピッコロの静粛な一音で閉じられます・・)

〇クロード・スミス / フェスティヴァル・ヴァリエーション → ピッコロとファゴットのデュエットは感涙ものです!

〇1985年全日本吹奏楽コンクール課題曲A / Overture FIVE RINGS → 冒頭はピッコロソロより開始されます!

吹奏楽作品はピッコロが活躍する曲は多数あるものでとてもじゃないけど全部は書き切れないのですけど、
その中でもトドメを刺すというとやっぱりスーザの行進曲「星条旗よ永遠なれ!」で決まりだと思います!

「星条旗よ永遠なれ!」は、第二のアメリカ国歌と呼ばれるぐらい
アメリカの国民にとっては大変馴染み深い曲でありこの曲を耳にするとアメリカの方は自国の事をとてつもなく「誇り」に
感じられるのだと思います。

私は言うまでもなく生粋の日本人なのですけど、「星条旗よ永遠なれ!」を演奏するときはとても気分がよかったですね!
事実この曲は吹奏楽コンクールや定期演奏会の練習が入っていない部内のオフ期においては、部員一同
息抜きと基礎練習を兼ねてよく演奏した曲ですし、学校の体育館等での全体朝礼の入退場行進曲としてもよく吹いていましたし
私が高校2年の時の定期演奏会のアンコール曲として演奏したマーチでもあります。

スーザの行進曲「星条旗よ、永遠なれ!」は前述のとおりアメリカ人にとっては第二の国歌と言われていますけど、
確かにそれは分かるような気がします。
とにかく吹いていて実に気持ちが良いというのかのびやかな気持ちになれたものでした。
このマーチに関しては作曲者のスーザ自身は「この部分は北部を表し、この部分は南部」という風に
アメリカという国家全体をシンボリックに表現したかった曲との事です。
(作曲当時はもしかして、今では考えられないほどの「南北戦争による心の傷跡」というもの
が生々しく残っていたのかもしれないですね・・)
このマーチの聴かせどころの一つに、中盤のトリオが終わってから、少し静かになった所での
ピッコロのソロが入るところだと思います。
演奏会でこのマーチを演奏する場合、大抵ピッコロ奏者は立ち上がって演奏しますので
結構見栄えはいいしピッコロ奏者の腕の見せ所だと思います。
ちなみに私の学校の定期演奏会では、
本来この部分はピッコロソロ→全体での再現という感じで同じメロディーラインが2回ほど続くのですけど、
このピッコロソロに加えて、チューバ奏者がこのピッコロのソロを吹くという荒業という隠し芸をお披露目していて、
実際の演奏会では、
チューバ奏者が立ち上がって必死でピストンを動かし死に物狂いで吹きまくっていたのが会場でも大うけとなり
大変好評でした。
ですのでうちの学校はピッコロ→チューバ→全体での再現という事で同じメロディーを3回連続させたという事になります。
そして慣例では、どの学校も本場アメリカの演奏でも2回目の全体での合奏の際は
全員立ち上がって演奏をする事が多いです。

やっぱりこうしたのびやかで楽しい「星条旗よ永遠なれ!」を演奏したり聴いたりすると
「アメリカの皆様がこの曲を聴くと自国をとてつもなく誇りに感じる」というのはよくわかる気もしますね。

上記で「星条旗は永遠なれ!」は第二のアメリカ国歌みたいなものと記しましたけど、
いうまでもなく我が国、日本の国歌は「君が代」です。
私もこの国歌は吹奏楽アレンジ版で何度も何度も式典や体育会等のイベントで演奏したものですけど、
全体的な印象はとにかくスローで重厚という感じです。
そして「盛り上がり」をどのように演出するのか意外と難しいという曲であったりもすると思います。

実を言うと日本では残念ながらほとんど知名度は低いと思われるのですけど、日本固有のこの国歌「君が代」のメロディーを
ほぼそっくりそのまま行進曲にしてしまった「君が代行進曲」というのも実は存在していたりもします!

この曲は吹奏楽アレンジ版の楽譜が存在し、自衛隊制定の行進曲として今現在も演奏され続けています。
ちなみにですけど、昭和27年の第24回選抜高等学校野球大会の入場行進曲として演奏もされていたりもします。
私が中学生のころは、この君が代行進曲は時折朝礼の入退場のマーチとして演奏した記憶はありますけど、
高校以降では演奏した記憶はありません。
私の右系の母校の大学ですらこの「君が代行進曲」は演奏したことはないと思います。
というか、平成に入って以降ですけど、このマーチ自体、日本のスクールバンドではほとんど演奏されていないようにも
感じられます。

日本の国歌をメインメロディーとして使っているのにどうして今一つウケが悪いというのか浸透しないのでしょうかね・・?

それはやはり「君が代」のあのゆったりとしたスローで重厚なイメージが定着していて
重厚な君が代のメロディーをテンポよく軽快にマーチとしてノリノリで吹くこのマーチには奏者としては多少違和感を
感じるのかもしれないです。
言うまでもなくこの君が代行進曲は自衛隊においては盛んに演奏されています。

この曲の素晴らしいところは、マーチであるのに原曲の国歌「君が代」の雰囲気を崩していないところだと思います。

艦これのBGMとして使用したら、この曲の再評価とか演奏頻度が上がる・・みたいな可能性もあるのかもしれないですね・・





「ららマジ」でのピッコロ奏者はうざかわいい先輩の小田桐アミです~♪

小田切アミはピッコロを担当している3年生のJKさんで、部内ではダンサーも兼任しています。

一つ後の記事でも書いている通り、入部当初はシンバル担当だったものの、シンバルは普段はヒマだけど、
曲によってはシンバルの一つのバシャーン!という打撃音の効果で曲の雰囲気を劇的に一変させる事も多々あり、
しかもそれは曲の途中で・・という事で曲の開始から自分の出番がくるまでのあの独特なプレッシャーに耐えきれず、
楽器を途中からピッコロに変え、シンバルの後任として自分の後輩でもあり弟子でもある伊藤萌に受け継がさせています。

小田桐アミはとにかくおしゃべり大好きのJKさんで、部内では一つのトラブルメーカーみたいな位置づけなのかもしれないです。
あらゆることを楽しむための発想力と行動力は抜群で、常に物事を前向きに楽しもうという発想が行動の基軸となっています。
婿養子の父親以外は家族全員おしゃべりという家庭で生まれ育った事もあり、
周囲からはうざかわいい~♪といわれる事も多いようです。

器楽部創立メンバーのひとりで、上記の通り当初はシンバル担当だったものの、ここ一番での勝負に弱く、
本番の緊張で倒れてしまったことからピッコロに転向した経緯がありますけど、
スーザの行進曲「星条旗よ永遠なれ!」をもしも器楽部の演奏会で演奏したとしたら、あのスタンディングプレーでのソロは
もしかしたらプレッシャーでヘロヘロになってしまうのかもしれないですね~

喜怒哀楽に富み、普段の言動からもかなりの自信家と思われますけど、意外と小心者だったりするなどのギャップも
垣間見せるあたりは萌え要素といえそうですし、最上級生だけどそうは見えない所もポイント高そうですね・・

髪型は黒髪ツインテールで、制服は上着なし、ネクタイはリボンにアレンジしていて、
ふともも側に赤い二本線の入ったニーハイを着用していたりもします。


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伊藤萌とは師弟関係にあり、伊藤萌からは大変慕われ尊敬されていますけど、
活発だけど小心者なアミと大人しいけど強心臓な萌という対比もまたららマジの一つの魅力と言えそうですね~♪

そしてこのツインテールもまたまたかわいいですね~



吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中でポップス系の課題曲らしきものが登場したのは、
1972年のシンコペーテッドマーチ「明日に向かって」だと思うのですけど、真の意味での本格的なポップス系課題曲が
登場したのが1974年の課題曲B/河辺公一の「高度な技術への指標」なのだと思います。
1970~73年の期間の課題曲はAとBの二つしか無くて、しかもAは中学の部限定の
課題曲でありBは中学の部以外の部門の課題曲でしたから事実上この頃の課題曲は一つしか無かったという事なのだと
思います。
そしてそうした事が少しずつ変化していったのが1974年で、この年はAとBの二つの課題曲が出され、部門に関係なく
どちらの課題曲を選んでも構わないというスタイルが採用されています。
しかもAの「吹奏楽のためのシンフォニア」はかなりクラシカルで高尚な雰囲気に溢れていたのに対して
課題曲B/高度な技術への指標は本格的なポップス系課題曲という事でAとBの二つの課題曲のあまりの違いに
逆に当時の課題曲選曲はやりやすかったのかもしれないですね。
「ポップス系がうちには合わない」と思ったらAのシンフォニアを選ぶしかなかったのですけど、それはそれで
大変分かり易かったとも思えます。

1975年の課題曲はちょっと面白い構成になっていて、AとBは中学の部限定で、Aがシンフォニック系でBがポップス系と
定められていて、
一方CとDが中学の部以外の部門での課題曲と定められていて、Cがシンフォニック系でDがポップス系という感じです。
ちなみにですけど、1975年の高校の部において全国大会においては、出場団体全てがCを選曲していて、ポップス系のDを
選んだチームはゼロというのはちょっと意外な感じもしたものでした。
1976年の課題曲は今現在のスタイルに近い構成となっていて、この年初めて全部門共通の四曲の課題曲から
自由に一つを選んでいいという構成になっていて、それが完全に定着したのが1978年以降からなのだと思います。
私自身が初めて吹奏楽コンクールに参加したのが1978年でしたので、考えてみると当時は課題曲の構成すらも
完全に定着していなかった時代と言えそうですし、そういう私はオールド吹奏楽世代という位置づけになりそうですね・・(汗・・)

「高度な技術への指標」は、コンクール課題曲として初めてドラムセットが編成の中に入った曲としても知られています。
高度な技術への指標のあとにドラムセットが登場した課題曲と言うと
未来への展開・メイン・ストリートで・ディスコ・キッド・かぞえうた・オーバー・ザ・ギャラクシー・ムービングオン・すてきな日々
などが挙げられますけど、そうした意味においてこの「高度な技術への指標」はドラムセットが楽器編成として
組み込まれた課題曲の素晴らしき先駆けと言えると思います。
そして同時に本格的なポップス系課題曲のとてつもない先駆けと言えると思います。
最初にこの曲を聴いた時は私もびっくり仰天と言うかこういうのを「目から鱗」というのだと思います!
だって吹奏楽コンクール課題曲と言うとどちらかというとお堅い曲が目立つ中、この曲は一つの歌謡ショーみたいな雰囲気すら
有していて、冒頭の華麗なファンファーレで開始されたと思ったら、次の瞬間にはトランペットによる
急速な上昇・下降音型の繰り返しが展開され、ブルース・ビギン・ジャズ・サンバ・スウィングといった要素の音楽が
次から次へと繰り出され、最後は怒涛のアップテンポのクライマックスになだれ込んでいきます!

河辺公一の「高度な技術への指標」も素晴らしいとしかいいようがないポップス系課題曲なのですけど、
それと同じぐらい大変な歴史的意義が感じられそうなポップス系課題曲と言うと岩井直溥先生を外す訳にはいかないですね!

岩井直溥先生のポップス系課題曲と言うと、河辺公一の「高度な技術への指標」と東海林修の「ディスコ・キッド」と合わせて
ポップス系の吹奏楽コンクール課題曲を語る上で100%その存在を抜きにして語る事は出来ないほど
吹奏楽コンクール課題曲の上ではとてつもない貢献度とあまりにも素晴らしい名作課題曲の数々を残されたと
言えるのだと思います。
1976年のポップス描写曲「メイン・ストリートで」は、
1972年「シンコペーテッド・マーチ”明日に向かって”」、1975年「ポップスオーバーチュア”未来への展開”」に続く
岩井先生作曲によるポップス系課題曲なのですけど、ここから後に
1978年「ポップス変奏曲”かぞえうた”」、1989年「ポップス・マーチ”すてきな日々”」と続いていく事を考えると、
「メインストリートで」は、岩井先生のポップス系課題曲の原点にして一つの大きな頂点と言えるのだと思います。
大変残念なことに吹奏楽連盟は、89年の「すてきな日々」を最後に
2013年に至るまでポップス系課題曲を復活する事が無かったのは大きな損失と言えるのかもしれないです。
確かにオリジナル書下ろし作品もマーチも大切なのですけど、
吹奏楽をもっと心の底から楽しんで演奏するという観点からポップス系課題曲を取り上げていれば、
もう少し今現在のような技術一辺倒の吹奏楽コンクールから多少の変化はあったのかもしれないです。
2013年に一度ポップス系課題曲が復活したけど、それは1972年~78年のような長期的なウェーブに至っていないのは、
日本における「ポップス系がどちらかというと軽視されている」という潮流の表れなのかもしれないです。

コンクールの課題曲でドラムセットが必要な曲というとどんな曲があったのでしょうか・・?
思いつくところで言うと・・

〇1974年/高度な技術への指標

〇1975年/ ポップス・オーバーチュア「未来への展開」

〇1976年/ 吹奏楽のための「シンフォニック・ポップスへの指標」

〇1976年/ポップス描写曲「メインストリートで」

〇1977年/ディスコ・キッド

〇1978年/ポップス変奏曲「かぞえうた」

〇1980年/行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」

〇1982年/アイヌの輪舞

〇1987年/ムービング・オン

結構あるものですよね。

その中でも「すてきな日々」ほどドラムセットが全面に出た課題曲はかなり珍しいようにも思えます。
この課題曲の場合、打楽器奏者は、ティンパニ・ドラムセット・大太鼓・サスペンダーシンバル・ グロッケン・シロフォーンを
6人の奏者で担当する事が多かったと思いますが、
ドラムセットを使うと、あえて大太鼓・サスペンダーシンバルの奏者を配置しなくても済むような感じもあります。
例えば、34人の少人数ではありましたが、関東代表の大月東中は打楽器奏者4人でこの課題曲を演奏していたのが
大変印象的です。
(大月東中の打楽器は、課題曲においては、ティンパニ・ドラムセット・グロッケン・シロフォンの4人だけでした!)

ポップスマーチ「すてきな日々」は、歩くながら吹く事を想定した「行進曲」ではないのですけど、
室内でのコンサートマーチとしても、素晴らしく完成度が高いと思います。
全体的にジャズっぽい雰囲気もあるし、ミュージカルみたいな雰囲気もあります。
最大の特徴は、「マーチ」なのに本格的なドラムセットを使用し、冒頭からハイハットシンバルの強烈な後打ちが炸裂したり、
全体のサウンドを牽引する非常に重要な役割を持っている点だと思います。
この曲、コンクールで何度も見ましたけど、ドラム奏者はかなり目立っていましたし奏者としての腕の見せ所でもありました!
「すてきな日々」は意外とテンポの変化がめまぐるしく、場面転換に応じてテンポもかなり変化していきます。
途中、トロンボーンによるスウィングみたいな奏法もあったりするし、グリッサンド奏法も入っていたりもしまして、
当時のトロンボーン奏者はかなりご苦労されたのかもしれないです。

この課題曲は全国大会でも支部大会でもすてきな名演が多々ありましたけど、私が聴いてきた県・支部・全国の演奏の中で
「この演奏が文句なしに圧倒的にいっちば~ん!」と感じさせる演奏は、
東海大学第四高校(現・東海大学札幌高校)だったと思います!
東海大学第四高校の「すてきな日々」は全部門を通じて最高の名演だったと思います。
この年は、結構あちこちの県大会・支部大会、そして普門館開催の全国大会と色々聴いていましたけど、
東海大学第四高校を超越する演奏は結局存在しなかったのかも・・というのが一応私自身の感想でもあります。
このチームの「すてきな日々」は、とにかく「巧い!」としか言いようがない大変高度なテクニックが随所に
顔を見せていたと思います。どのあたりが特に印象に残っているのかと言うと、
部分的にまるで「ジャズ」を聴いているかのように演奏が「スィング」しているようにも聴こえ、
特にトロンボーンの洒落っ気たっぷりのグリッサンド気味の演奏は素晴らしいとしか言いようが無かったです!
木管も金管も音色が大変美しい上に、こうしたジャズっぽい粋な雰囲気を巧みに醸し出していましたので、
聴いていて「向かうところ敵なし!」という感じでしたし、私の中では、課題曲の段階から既に金賞は当確が
出ていたような気がするほど完成度は大変高かったと思いますし、前述の通り、この年の全部門を通して
最高の課題曲Dの演奏であったと思います
あのリズムの切れの良さとトロンボーンのスイング感は、中々他では聴く事ができないものがあったと思います。
この「すてきな日々」をもしもですけど、全盛期の瑞穂青少年吹奏楽団が牟田先生の指揮のもとで演奏したら、
多分ですけどドツボにはいりそうな予感もあったりもします。


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最近の当ブログ記事の中ではかなり頻繁に登場している「ららマジ」ですけど、
ララマジの中でドラムセットを担当しているのは、洲崎麻衣というボーイシュなJKさんです~♪

身体を動かすことが大好きなボーイッシュ娘で、趣味はスポーツとスニーカー集めであったりもします。

戦闘時においては、ドラムスティック型の2本のナイフを使用していたりもします。


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JKさんのドラムス担当というと最近ではバンドリ等ガールズバンドのイメージも強いですけど、
吹奏楽コンクールで軽快にかっこよくドラムスを叩くJCさんやJKさんは惚れ惚れするくらいかわいくすてきなものがあります!

ららマジのメイン舞台の器楽部に在籍しているJCさん・JKさんは30人なのですけど、
そのうちドラムスの洲崎麻衣を筆頭に、カスタネット・トライアングル・シンバル・グロッケンシュピール・和太鼓と
計6人の打楽器奏者が在籍していますので、
ららマジの器楽部のサウンドは打楽器奏者多めということで、リズミカルでノリノリな演奏が期待できそうですね~♪

特に冒頭で出てきた「高度な技術への指標」やポップスマーチ「すてきな日々」を洲崎麻衣のドラムスと共に
演奏すれば真骨頂なのかもしれないです!

そして洲崎麻衣はスポーツ大好きJKさんでもありますので、校内の部対抗の運動会等があれば、大活躍を見せて
くれそうでもありますね~♪
私自身、中学校の吹奏楽部に入部し初めて吹奏楽コンクールに臨んだ年というのは1978年なのですけど、
1978年の課題曲は76年に続いて二回目のマーチと書下ろし作品が混在した4曲の中から選曲するというスタイルなのですが、
改めて振り返ってみると、私自身が吹奏楽部への門を叩いた頃って課題曲のスタイルすらもまだ確立されていない時代でも
あったのですね~
吹奏楽コンクールの課題曲の変遷の歴史を簡単に見ていくと、
1970年代後半から1992年までは書下ろしオリジナル作品とマーチの混合、
1993年から2000年代初期の頃は、奇数年がマーチの年で偶数年が幾分長めの書下ろしオリジナル作品の年と
マーチとオリジナル書下ろしの曲を分離させ、
そして最近は、中学の部限定とか小編成用とか色々と興味深い工夫もある中、
基本的には1970年代後半~90年代初めの頃ののような書下ろし作品とマーチの混合というパターンに
戻ったような感じなのだと思います。

本記事は岩井先生の素晴らしきポップス系課題曲「メイン・ストリートで」の記事なのですけど、
岩井直溥先生のポップス系課題曲と言うと、河辺公一の「高度な技術への指標」と東海林修の「ディスコ・キッド」と合わせて
ポップス系の吹奏楽コンクール課題曲を語る上で100%その存在を抜きにして語る事は出来ないほど
吹奏楽コンクール課題曲の上ではとてつもない貢献度とあまりにも素晴らしい名作課題曲の数々を残されたと
言えるのだと思います。
1976年のポップス描写曲「メイン・ストリートで」は、
1972年「シンコペーテッド・マーチ”明日に向かって”」、1975年「ポップスオーバーチュア”未来への展開”」に続く
岩井先生作曲によるポップス系課題曲なのですけど、ここから後に
1978年「ポップス変奏曲”かぞえうた”」、1989年「ポップス・マーチ”すてきな日々”」と続いていく事を考えると、
「メインストリートで」は、岩井先生のポップス系課題曲の原点にして一つの大きな頂点と言えるのだと思います。
大変残念なことに吹奏楽連盟は、89年の「すてきな日々」を最後に
2013年に至るまでポップス系課題曲を復活する事が無かったのは私としては「大きな損失」と言えるのかもしれないです。
確かにオリジナル書下ろし作品もマーチも大切なのですけど、
吹奏楽をもっと心の底から楽しんで演奏するという観点からポップス系課題曲を取り上げていれば、
もう少し今現在のような技術一辺倒の吹奏楽コンクールから多少の変化はあったのかもしれないです。
2013年に一度ポップス系課題曲が復活したけど、それは1972年~78年のような長期的なウェーブに至っていないのは、
日本における「ポップス系がどちらかというと軽視されている」という潮流の表れなのかもしれないです。

冒頭からいきなり話がそれました・・

1976年の課題曲は下記の四曲です。

A / 即興曲

B / 吹奏楽のための協奏的序曲

C / カンティレーナ

D / ポップス描写曲「メイン・ストリートで」

こうやって振り返ってみると76年の課題曲は名曲揃いですね!
そして演奏技術的にはどの課題曲も決して易しくは無く、特にBの協奏的序曲の難しさは、最近のコンクール課題曲の
難しさに匹敵するようなものさえあると思います。
(特にラスト近くのホルンのあの勇壮な高音の雄叫びはかなりの難易度があると思います)
課題曲Aの「即興曲」の作曲者の後藤洋さんは作曲当時は秋田県の高校生という事で、当時はかなり話題になって
いたと思いますし、高校生がこんな渋くて表現するのが大変難しい曲を書けてしまう事自体
凄い事なのだと思います。
後藤洋さんの課題曲というと私自身が高校3年の時に実際に演奏した「カドリーユ」の方が私的には大変馴染みが
あるのですけど、即興曲の表現の難しさは正直今現在の視点でも「よくわからない・・」という感覚はあるように思えます。
後藤洋さんというと最近の若い世代の皆様ですと、激辛評論家というイメージもあるのかもしれないですけど、
私にとってはカドリーユという大変かわいらしくてエレガントで粋な曲の作曲家で、
例えば組曲「動物の謝肉祭」・歌劇「トゥーランドット」等のすてきなアレンジャーという印象の方が強いですね。
課題曲C/カンティレーナの作曲者の保科洋先生は、1976年当時既にカプリス・カタストロフィー・交響的断章等で
大御所作曲家というイメージすらあったのに、あれから40年以上近くの歳月が流れているのに、
いまだに現役で作曲・指揮・教職活動をされている事には本当に頭が下がる思いで一杯ですし、保科先生の盟友の
兼田敏がとうの昔にご逝去されている事を思うと、保科先生にはまだまだ現役で頑張って頂きたいです!
そして保科先生の最近のあの素晴らしき名作「復興」もこの先もずっとずっと演奏され続けて欲しい気持ちで一杯です!
カンティレーナは、当時の保科先生と言うと陰気で暗い雰囲気な曲が多いというイメージの中、
この課題曲はまるで「カドリーユ」みたいにかわいく粋でチャーミングな曲であり、
私自身このカンティレーナとカタストロフィーが同じ作曲家の曲とは今でも信じられないです・・
そしてカンティレーナは全国大会でかなりのチームが演奏していましたけど、そのほとんどがちょっと力んでしまって
本来は軽い雰囲気の曲なのにまるで大歌劇のグランドマーチでも聴いているかのような雰囲気の演奏が多かったのは
ちょっともったいなかったです。

さてさてそうした名曲揃いの1976年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲の中でも、
課題曲Dのポップス描写曲「メイン・ストリートで」はポップス系課題曲という歴史的意義においても、曲の楽しさ・親しみやすさ
という意味においてもこの課題曲が世に登場してから既に42年の歳月が経過していますけど、その普遍的価値は
色褪せる事も無く光り続けていると思います。

このポップス描写曲「メイン・ストリートで」は、とある街のメインストリートの一日の様子を表した曲であるそうでして、
夜明け〜朝〜昼〜夜という場面展開が4分程度の曲の中に潜んでいたりもします。
一般的にポップス系課題曲というのは、高度な技術への指標やすてきな日々に代表される通り、
冒頭からどっか~ん!とエネルギー炸裂という印象があるのですけど、この「メイン・ストリートで」の冒頭は
そうしたどっか~ん!という感じではなくて、むしろ落ち着いた雰囲気で爽快な気分のままゆったりと展開されている
印象があるのは、この曲に元々朝・昼・晩という場面展開があるからであり、冒頭が朝の街の風景をイメージ
しているからなのだと思います。
ちなみにこの曲の原曲の編成にはエレキベースやドラムセットが入っていたりもします。
最近の吹奏楽連盟の規定では、エレキベースは使用禁止となっていますので、ポップス系の曲にはドラムセットとベースは
不可欠と考えていた直井先生にとって、もしも先生がご存命だったとしたら吹連に文句と抗議を
されていたのかもしれないですね~!
「メイン・ストリート」は上記で書いた通り冒頭はゆっくりとした、落ち着いたテンポでメロディーが歌われ、
その次にドラムセットなどが加わったゆっくりとしたポップスになり、
そしてここからテンポが加速し速いポップスとして展開されていきます。
クラクションの音をトランペットで表現するなどメイン・ストリートの様子を音で表した表現もあったりします。
陽が落ちると静かになり人気がいなくなった大通りを色っぽく表してクライマックスを迎え、
最後はヴィヴラートを利かせながらしっとりと曲が閉じられていきます。

そうそうこの課題曲のタイトルの「メインストリート」とは、
岩井先生が作曲当時住んでいた中野駅近くにあるブロードウェイ商店街との事ですけど、
岩井先生のインタビュー記事を読んでみると、実際はブロードウェイ商店街というよりはその手前に位置している
中野駅北口の「サンモール商店街」をイメージしているらしいです。
ちなみにですけど、サンモール商店街は、昔は「中野美観商店街」(「北口美観商店街」とも)という名称だったそうです。

実はなのですけど、私自身1985~87年の3年間は中野周辺に住んでいて、当然ながらサンモール商店街や
中野ブロードウェイは当時は頻繁に通行・利用していたものです。
ブロードウェイは、今でこそ「おたくの聖地」とか「まんだらけ」でかなり有名になっていますが、
私が当時中野に住んでいた頃は、まんだらけは、明屋(はるや)という大きな書店とゲーム店に挟まれた小さな店舗という
印象でした。
当時は、ゲーム店や雑貨店とか古銭とかの店などがある階の一つの店に過ぎないという
印象しかありませんでしたが、まさかあそこまで大きく発展するとは夢にも思いませんでした。
まんだらけは現在はマザーズ上場企業ですからね!
本店が入っている中野ブロードウェイ内のまんだらけは、
ビル内の大半がまんだらけ関連のお店というのも凄いですし、あれはいつ見ても壮観ですね!
1987年当時には少なくてもブロードウェイ内には1店舗しかなかった頃のまんだらけを知っている私にとっては、
「時代も変化したね・・」と感じずにはいられないですし、
私以上に驚いているのは岩井先生なのかもしれないです!
jまんだらけは中野ブロードウェイを日本屈指のおたくビルへと変貌させるきっかけを作ったと言っても
過言ではないのかもしれないですね!

ポップス描写曲「メイン・ストリートで」は1976年の全国大会においては計21チームが演奏をしています。
結果的に中学・高校・大学においては金賞チームはゼロで、正直言ってスクール部門においては
「これは素晴らしい演奏!」と感じる演奏は少なかったように思えますし、この当時も今現在も
スクールバンドの指導者も奏者たちも「ポップスを演奏するにあたっての基本的な注意事項」等知らない人が
ほとんどであったという事なのかもしれないです。
特に高校の部においてはそうした傾向がありましたけど、あたかもクラシック音楽のアレンジ版を演奏するかのように
ちょっと硬質な響きで堅苦しい演奏をしているような雰囲気もあったと思います。
中学の部においては「あ、この演奏いいかも~」と唯一感じさせてくれたのは四国代表の富田中ぐらいだったと思います。
(富田中の自由曲の交響的詩曲「地底」もあのおどろおどろしさは素晴らしかったです!)
ポップス描写曲「メイン・ストリートで」は一般と職場の部で3チームが金賞していますけど、こうしたポップス系の課題曲を
正しく理解して正しいポップスとしての奏法で楽しくのびのびと演奏できるのは、やはり一般・職場といった
大人の部門でないと中々適切に表現できないという事なのかもしれないです。
金賞チームの中で、よく吹奏楽評論家の皆様から高い評価を得ているのはブリジストン久留米だと思うのですけど、
私的にはあの演奏はちょっと堅苦しくて、確かに技術的には最高峰なのかもしれないですけど、
もう少し吹っ切れた感じで思い切った表現をしてほしかったようにも思えますし、もう少し弾ける感じは欲しかったようにも
感じられます。
そうした意味においては、やはりこの課題曲の全部門を通して最大の名演は誰が何と言っても牟田先生率いる
瑞穂青少年吹奏楽団なのだと思います。
あの演奏は今現在の視点で聴いてもプロ顔負けの演奏だと思いますし、とにかく奏者一人一人が実にのびのびと楽しんで
吹いている雰囲気が隅々に感じられ、まるでミュージカルを聴いている様な気分にすらなれると思います。
そしてこの年の瑞穂は自由曲のリードの「ジュビラント序曲」も本当に素晴らしい演奏を聴かせてくれていたと思います!

瑞穂のジュビラント序曲は 5分10秒で完奏し一気に畳み掛けるスピード感溢れる素晴らしい名演だと思いますし、
とにかくソロクラリネットが本当にめちゃくちゃ上手いと思います。
この曲は作曲者のリードが東京佼成を指揮して自作自演の演奏もCDとして残していますが、
テンポが意外とゆっくりで演奏時間は6分半程度です。
瑞穂みたいな「若々しい」感じではなくて「大人としての演奏」を聴かせてくれています。

あの年の瑞穂は課題曲で大人の演奏をのびのびと伝えてくれていて、自由曲でやんちゃな少年みたいな演奏を
おおらかに聴かせてくれていて、最近の吹奏楽コンクールでは多分味わえないような自然な高揚感を聴かせてくれているのは
本当に素晴らしいと思いますし、ああいうチームが今後出現する事はもうないのかな・・?と
感じてしまう事もあったりもしますね。


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ポップス描写曲「メイン・ストリートで」の本来の原曲においては、本格的なドラムセットの他に、楽譜の上では
指定楽器の一つとして「エレキベース」もちゃんとあったりもします。
上記で触れたとおり、現在の吹奏楽連盟のコンクール既定ではエレキベース・エレキギターの使用は禁止となっている
のですけど、例えばメリッロのアメリカの騎士とかラムのイーゴル・ファンタジーにおいてエレキベースはかなり効果的に
使用されていますので、エレキベースが使用できないこれらの曲を吹奏楽コンクールにおいては、
本来の響きを味わえないのは少し勿体ない感じもありそうです。

「ららマジ」においてこのエレキベースを担当している女の子は楓智美という高校1年生の女の子です!

楓智美は義理人情に厚いやんちゃな性格で、後輩の面倒見も良い情熱的なJKさんでもあります。


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楓智美は器楽部員で構成されたバンド「フロウライン」ではベースを担当していて、器楽部・吹奏楽部としての
大規模編成での合奏ももちろんすてきですけど、けいおん!やバンドリ!を彷彿とさせるガールズバンドでベースを担当
しているというのもとても素晴らしいです~♪

バンドリを見ていると、ドラムやギター・キーボードといった楽器はむさくるしい男どもが演奏するよりは、ららマジ等の
美少女の皆様やJKさんの方が断然見映えがしていると思いますね~



管弦楽や吹奏楽の木管楽器とは、フルート・クラリネット・オーボエ・ファゴットが主要楽器であり
(サックスは管弦楽ではほとんど使用されないのに対して、吹奏楽ではその役割の大きさはかなり重要なポジションです)
フルートはリードを使用しないメタル系楽器であるのに対して、クラリネット・サックス・オーボエ・ファゴットは
リードを使用する木管楽器でもあります。
そのうち、クラリネット・バスクラ・コントラバスクラ・サックス系はマウスピースに一枚のリードを装着させて吹く
一枚のリード楽器でもあるのに対して、
ダブルリードとは、オーボエ・コールアングレ・ファゴット・コントラファゴットに使用されるリードのことであり、上下の2枚のリードの
振動によって音を鳴らすというのが基本原理です。

クラリネットやサックスなどシングルリード楽器とは違い、ダブルリード楽器であるオーボエとファゴットは
リード自体が発音体なのでマウスピースが必要ありません。
リードから直接息を楽器本体に吹き込み、リードと楽器本体の一体感はむしろクラリネットよりも強いといえると思います。
マウスピースが無いということで、クラリネットで大問題とされるあの例のキーーーッ!という大絶叫音のリードミスもほぼ皆無で
音程が大変安定している上に、その音色は大変デリケートで繊細で美しいというのがダブルリード楽器の特質とも
言えると思いますし、特にオーボエはクラリネットパートと違い指揮者から目の敵にされることも少なく、
フルートと共に指揮者からは愛されやすい優遇パートといえるのかもとれないです。
このあたりのやっかみとひがみ根性は、当ブログの管理人が現役奏者時代の9/10がクラリネットパートに所属していたことも
大きいのかもしれないですね~(汗・・)

クラリネットという楽器は、約9年間この楽器を吹いていた私から言わさせて頂くと神経質で扱いにくいデリケートな楽器なのだと
言えると思います。
デリケートというと「オーボエ」ほどではないと思うのですけど、それでもクラリネットの扱いにくさは折り紙つきだと感じます。

そしてその中でも一番頭が痛かったのは「リードミス」のあのキ―ッというこの世のものとは思えない楽器の操作ミスによる
絶叫音ですね・・
練習中ならば周りも「またか・・」という雰囲気で見てくれるのですけど、万一あのリードミスをコンサートや
吹奏楽コンクールの本番でやらかしてしまった時の周りからの「冷たい視線」はかなり堪えるものがあると いえそうですね・・

「リードミス」っていう言葉は考えてみるとあまり適切でないのかもしれないです。
クラリネットの演奏中のあの甲高い「キー――ッ!!」というミスった音は色々原因があり
別に「リード」だけが原因ではないと思われます。

勿論リードの調整の悪さと言うのが大きな理由かもしれませんけど、他に主な原因はどこにあるかというと、思いつくのは

1.アンブシュアの問題(唇の締め方・マウスピースをくわえる深さなど)

2.マウスピースとリードの調整が悪い、バランスが悪い

3.運指の問題

  運指の切り替え時に、穴をふさぎ切れていない時や
  下あごの力加減の切り替えや息の入れ方の切り替えタイミングが合わなかった時に
  よく発生します・・・・

4.タンギングのタイミングが悪い

5.楽器自体の調整不良

そう言った事が挙げられると思います。

特に「リード」の調整は本当に日々苦労させられたものです。

本当は、市販のリードをそのまんま使用するのが一番理想だと思うのです。

だけど、マウスピースとの相性や自分自身のアンブシュアに合わせるとやはり市販のものを少し調整した方が
より音が出易いとかいい音が出るという事も多いため、ついつい「余計な事」をしたくなってしまいます。
その「余計な事」とはすなわち「リードを削って調整する事」ということです。

オーボエ・ファゴットのダブルリード楽器のリード削り・リード調整は確かに大変で厄介なのですけど、
シングルリードのクラリネット奏者の当時の私の感覚としては、
「オーボエやファゴットも大変だけど、同じくらいクラリネットのリード調整も大変なのかも・・」という感じだったと思います。
当時は毎日毎日リードの調整というか、リードをト草を使って削る事が日課でもありました。
(大学の吹奏楽団でトグサでリードを削ろうとしたら、「トグサを使うなんていかにも田舎者らしい話だね~くすっ・・」と
鼻で当時の上級生のお姉さまたちに笑われたものでした・・
当時は既にリードはトグサではなくてサウンドペーパーを使用する事が主流だった模様です・・)
中学の時に一年間アルトサックスを吹いていた時は、リードは既製品をそのまま使用すれば特に何の問題もなく、
苦労した記憶はないのですが、クラリネット奏者時代は、毎日毎日リードを削って調整ばかりしていた感じもします。
アルトサックスの時は、リコーの2.5程度の薄さの方がヴィヴラートもかけやすく、抵抗感なく音が出せる状態が好きだったため、
比較的薄いリードを好んで使用していました。
クラリネットは神経質な楽器でもありますので、その点は本当に苦労させられました。
アルトサックス時代と異なり、当時の私的には吹く時に抵抗感があった方がより良い音色を出せる感覚が非常に強かったため、
バンドレンやセルマーの4~4.5前後の比較的厚めのリードを好んで使用し、その微調整のために
リードを慎重に削るのが朝の日課という感じでした。
アルトサックス時代はそんな事を全く考えもしなかったのですが、
クラリネットを吹くようになってから、気温・湿度・乾燥度合いによってリードの状態も微妙に変化する事がよく分り、
大体常に5~6本程度の調整済みのリードを準備しておき、その日の外気状態によってリードを変えるという事はしばしばでした。

「ららマジ」のクラリネット担当は高校2年の綾瀬凛ですけど、優雅で真面目で完全主義者の綾瀬凛も
陰ではそうしたクラリネット特有のリード調整の難しさとかリードミスによる絶叫音に意外と苦労しているのかも
しれないです。


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ららマジのクラリネット担当の綾瀬凜は真面目な優等生で後輩からはちょっぴり怖い先輩としても知られています。

真面目な厳格な性格で後輩からは少し怖がられている事を綾瀬凜本人はかなり気にしており、
後輩にやさしく接しようと心掛けていたりもするそうです。

私自身、吹奏楽部に入部しクラリネットを始めた中学一年の時には、綾瀬凜みたいにやさしく接してくれそうなお姉さま先輩は
ほぼ皆無でしたので(汗・・)
ららマジの綾瀬凛みたいなお姉さまに教わればもう少し上達したのかもしれないですね~


ベラ・バルトークの「中国の不思議な役人」は、現在も世界のオーケストラの主要レパートリー曲の一つですし、
吹奏楽コンクールの自由曲でも既に定番中の定番の曲の一つです。
この曲は特に吹奏楽コンクールのプログラム上の表記ではバレエ音楽「中国の不思議な役人」と表示されることが
多いのですけど、一時期バレエとしての上演が企画された事もありますが、この作品は一般的なバレエではありません。
一幕ものの無言劇(パントマイム)です。

無言劇の内容はその内容は極めて過激です。
あまりに過激過ぎて、ブタペストでの初演が中々果たされず、初演後も多くの劇場から内容があまりにも不謹慎であり
宗教的モラルにも反すると言う事で上演禁止処分を食らい、
中々陽の目を見ることが出来なかったいわくつきの作品でもあります。

ストーリーを簡単に述べると・・・

ある荒廃した都市のスラム街で、3人のならず者達に売春を強要されていた美少女が今日も言われるがままに
客を取らされていました。
少女はあえて窓側に立っているように命じられ、道路を歩く通行人から美少女の姿が丸見え状態になって
少女に興味を持った男たちにそのならず者たちが声を掛けまくっていた事で、いわばその少女はならず者たちの
日銭を稼ぐ道具みたいなものでした。
ある日の事、 最初の客は金のない若者 二人目の客はとぼけた老人であり、
(とぼけた老人のオーボエ・コールアグレ等による描写が大変巧みです!)
そして最後に来たのは謎の官吏でして、その官吏は少女にひらたく言うと「やらせろ、やらせろ」と迫り
そのあまりの必死さに少女は恐怖を感じ、ならず者たちはその官吏をしばり首にして殺害を企みます。
「その少女とやるまでは死んでも死にきれない」とその官吏は首を宙吊りにされても、体内にまるで蛍光管が入ったかの如く
白く不気味に輝き始め、その目はまるで「自分の欲望を満たすまでは死んでも死にきれない」といわんばかりの
欲望むき出しの様相を呈しています。
怖くなったならず者たちは更に首を締め上げようとします。
少女はこの官吏をさすがに不憫に感じ、宙からおろし優しく抱きしめて、自らの体を官吏の自由になすがままにさせてあげ、
その官吏は満足したのか、安堵と恍惚の快感の表情を浮かびながらようやくあの世へと旅立っていった・・

そうした感じのストーリーです。

バレエというと一般的には洗練され華やかで美しくて幻想的というイメージがあると思うのですけど、このパントマイムには
バレエ特有の華やかなステップも踊りもありませんし、声もセリフも何もありませんし、
登場人物たちによる素の演技力が如実に曝け出されると言う作品でもあったりします。
そこにあるのはスラム街という底辺社会でもしぶとく生き続ける底辺の人達の生きるたくましさとスラム街の妖しさと
民衆の生きる力が全体的に大変ドロドロとしたストーリーの中で 貫かれていると思います。

最初にこの音楽を聴いたのは1987年の東京文化会館の日本フィルの定期演奏会で、この時点では既に
吹奏楽コンクールのカット版の演奏やドホナーニとアバドのレコードの演奏で概要は把握していたものの、やはり生演奏で
聴いてみると、そのあまりの過激な内容と音楽のヴァイタリティーに唖然とさせられたものであり、
後述しますけど、この曲の最大の聴き所の一つと思っていた組曲版のクライマックス近くのトロンボーンのソロと思われていた
激しく細かい動きの箇所は実はソロではなくて二人の奏者によって演奏されていたなど新しい発見が多々あり、
とてつもなく感動してしまった事がなつかしく感じたりもします。
ちなみにこの時の定期演奏会の曲目は、中国の不思議な役人の組曲版とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番と
矢代秋雄の交響曲と言う大変意欲的なプログラムでした!
この演奏から10年後の1997年のやはり日本フィルの「20世紀シリーズ」の中で、この中国の不思議な役人が
吉松隆のピアノ協奏曲「メモ・フローラ」(※ソリストは田部京子さんでした~) とプロコフィエフの交響曲第5番と共に演奏
されていて、こちらの演奏も強烈なヴァイタリティーと生きる意欲に溢れた野性味溢れる素晴らしい名演だったと記憶
しています。

無言劇「中国の不思議な役人」は、冒頭から弦楽器による細かい動きから開始され、ここに管楽器の荒々しいタッチが加わり、
言葉では表現できにくい程のダイナミックスで激しい音楽で開始され、この物語の舞台が都会の片隅の底辺で生きる人たちを
暗示させてくれているように聴こえます。
多分ですけど、モデルは19世紀の世紀末から20世紀初期の頃の上海を想定しているのかもしれないですが、
洗練された巨大な経済都市の中でひっそりと且つ大胆不敵に生きる民衆のたくましさをイメージされているのかもしれないです。
そしてこの曲は冒頭部分とラスト近くの激しいクライマックスの部分も含めて全体的に変拍子ととてつもない不協和音が
炸裂しており、指揮者にとっては大変な難曲と言う事もあり、音楽大学の指揮科のクラスにおいては、この曲がテキストとして
使用されることが大変多いそうです。
私自身、森田一浩編曲による吹奏楽アレンジ版のミニスコアを見た事がありますけど、変拍子が大変厄介だと思いますし、
この曲を自由曲に選んだチームの指揮者が結構こねくりまわすような大変見づらい指揮の動きをされている傾向が強いのも
無理もないと思ったりもします。
冒頭の激しい場面が終わるとクラリネット奏者による大変長大なソロが続いていくのですけど、あのクラリネットの高音の響きは
悲鳴のようにも聴こえますし絶叫音のようにも聴こえます。
感覚的には、ならず者たちによって不本意ながら客を取らせられ続け、自らの体が日に日に汚されていくばかりの美少女の
心の苦しみ・嘆きが示唆されているのかもしれないです。
コールアングレで演奏されるとぼけた老人の表現も魅力的です。
官吏が少女に「やらせろ、やらせろ・・」とばかりに執拗に追い掛け回し、美少女の体を求める場面は、
トロンボーン奏者によるソロ的場面とそれに続く激しい行き詰る管楽器の響きで荒々しく表現されています。
(全体的にソロとしての管楽器の使い方が非常に巧みで、それぞれの楽器に感情の表現を見事に託されていると感じられます)
一幕のパントマイムと言う事で全体の演奏時間としては30分程度で元々コンパクトさはあるのですけど、上記で書いた通り、
この曲自体の内容の不健全さとローマ・カトリック教会からの悪評という事もあり、なかなか上演機会に恵まれなかったという事で
バルトークは30分の原曲版を更に凝縮した20分の組曲版も編成していて、この組曲版の方が現在でもプロの管弦楽団の
レパートリー曲の一つとしてほぼ完全に定着していると思います。
組曲版はトロンボーン奏者二人による激しく細かい動きの後のドロドロとした激しい部分でもって派手に終わらせていますけど、
原曲のノーカット版のパントマイム版では、ラスト近くに合唱(といってもウーウーとハミングするだけですが・・)が不気味に
入り込んでいて、最後は絶命するように不気味に静粛に閉じられていきます。
この不気味な静かさというのは、官吏が生涯の最後に美少女と生々しくベットを共にした後の達成感・満足感を遂げることが
出来て、自身の性の欲望という人間の本能を最後に満足させることで何の未練もなく浄化された想いで
あの世に旅立っていった・・という事を示唆しているのかもしれないです。

それにしてもこの曲のトロンボーンの激しさは際立っていますね~

あの雰囲気はなんとなくですけど、大体同じような時期に作曲されたD.ショスタコーヴィッチの
歌劇「ムチェンスク郡のマクベス夫人」における不倫相手との強烈なベッドシーンにおけるトロンボーンの激しい動きに
近いものがありそうですけど、人によってはあのトロンボーンの動きは「〇〇のピストン運動ではないのか・・?」と
言う人もいるようですけど、なんにせよロシアとか東欧の作曲家の脳内妄想の濃厚なドスケベさの激しさは、
すさまじいものがありそうですね・・(汗)

この曲をCDで聴く場合、色々と名演が多く選ぶのに困るのですが、アバドやドホナーニ指揮による演奏や
1971年のブーレーズの指揮の演奏もいいのですけど
個人的には、ショルティー/シカゴ響が圧倒的に素晴らしい演奏を残していると思います。

この一幕のパントマイムを現代社会に置き換えてリバイバル上演できないものか・・?と思う事も多々あります。
原作は19世紀末の上海をモデルにしているのかもしれないですけど、例えば舞台を近未来のA.Iによる管理が徹底され、
格差社会が極端に広がり、社会が上流階級と底辺階級にはっきりと分かれ、
底辺社会の売春ビルを舞台に、ふらりと上流階級の世間知らずの若き官僚がふらりとやってきて
売春宿のとある美少女がなぜか気になってしまい、若き二人はたちまち恋に陥るものの、
それを心配した若者の親が二人の仲を切り裂いてしまいますが、若き官僚はどうしてもその美少女の事が諦めきれず、
結果的に全てを投げ打って自らを底辺社会に身を落とす事を選択したとか、
一方その美少女も実は元々は上流階級出身だったのだが、そのうわべだけ取り繕う生活に嫌気がさし、
自分探しをしていたらいつの間にか底辺社会の売春宿で暮らすようになっていた・・
果たして二人の恋の行方は・・?
そういった事を格差社会とA.Iによる管理を背景にしながら、脚本化していっても案外面白いものがありそうですね。

この曲は吹奏楽コンクールの自由曲においても定番中の定番の大人気自由曲の一つです~♪

バルトークの「中国の不思議な役人」と言うと、神奈川大学・都立片倉高校・伊奈学園総合高校・天理高校・創価学会関西・
龍谷大学・東海大学高輪台高校・湯本高校など素晴らしい名演が続出していますけど、
オールド吹奏楽コンクールファンの私にとっては、この曲の全国大会初演の1979年の駒澤大学と
磐城高校による1981年の演奏と2001年のウルトラ名演がとてつもなく印象的です。
(この曲は中学生による演奏も多いのですけど、この曲に関しては曲自体の濃厚なエロさや過激さと難解なリズム処理を
考慮すると、さすがに中学生では難しいと感じますし、事実全国大会でもかなり未消化の演奏が多いのは大変勿体ないと
感じたりもします)
磐城高校の場合、1981年と2001年の演奏の間には20年間というかなりの時間的空間があるのですけど、
1981年の演奏も2001年の演奏も指揮者はどちらも根本先生なのですが、
磐城高校吹奏楽部にとっても根本先生にとっても20年ぶりの金賞を取れたという事で
とてつもなく思い入れがある曲なのかな?とふと思ったりもします。
指揮者の根本先生にとっては、 1981年の全国大会で金賞を受賞したこの「中国の不思議な役人」という曲でもって
2001年度に、20年振りに磐城高校に金賞をもたらすことが出来たというのは
やはり感慨深いものかあるのかな・・?と思ったりもしますね。

バルトークの「中国の不思議な役人」は今現在は吹奏楽コンクールでは定番の大人気曲の一つとなっています。
この曲は1979年に駒澤大学が全国大会で金賞を受賞し、81年に磐城高校が全国で金賞を受賞し、
この曲の人気に火が付くのかな・・?と当時予想していたのですけど、その後は全く演奏されない状態が15年程度続きます。
多分ですけど著作権の問題があったのかもしれないですね。
この曲が再び脚光を浴びたのが、1996年の小林久仁郎先生指揮の秋田南の演奏だったのかな・・・と思います。
この1996年ですけど、全国大会で初めて前半・後半の総入替えという訳のわからんシステムが施行された年でも
あるのですけど、前半に登場した秋田南の演奏はとっても素晴らしかったです。
この時の課題曲がⅤの交響的譚詩と言う事で長めということもあり、
自由曲は6分以内に収める必要があったせいもあり、この時はかなり面白いカットを採用しています。
(あの独特なカットとアレンジは小林先生の編曲なのかなと思っていたら実は天野正道アレンジ版でした)
序奏のあの凄まじい喧騒の後、原曲通りクラリネットのとてつもなく長いソロに繋げていき、
クラリネットの妖しいソロが終わったと同時にいきなり、トロンボーンの部分に繋げていき
そこから先は、ヴァイタリティーとエネルギー炸裂!!みたいな感じで一気にラストまでなだれ込んでいくのですけど、
秋田南の女の子のトロンボーン奏者がとにかくめちゃくちゃ上手くて、その事も大変強く印象に残っています。
あの女の子のやや猫背気味で足をしっかりとステージに付けたような感じの独特な吹き方が今でも目に焼き付いています。
そしてこの秋田南の演奏以降、この曲が一気にブレイクし今現在に至っているみたいな印象もあります。

2001年の磐城高校の演奏は本当に素晴らしかったと思います。
課題曲Ⅳ/SLが行くのあののどかな雰囲気がとてもチャーミングでしたし、一転して自由曲の
「中国の不思議な役人」の激しさとヴァイタリティーは、私の中ではこの年のNo.1の仕上がりとすら思っています。
この年の磐城のカットは、1981年の同校の演奏とほぼ同じなのですけど、部分的に少しだけ
81年の演奏に付け加えがあったりもしています。

吹奏楽コンクールでの「中国の不思議な役人」の演奏を聴くと、どのチームも例のあのクライマックス部分でのトロンボーンは
とても巧いですね~♪
あの部分はCDで聴くとソロのように聴こえますけど、実際はトロンボーン奏者二人によって演奏されます。
(全体的にはファースト奏者の負担が相当大きいです)
あのトロンボーンの箇所はトロンボーンとは到底思えないような細かい動きの続出ですので、スライドで音程を操作する
トロンボーン奏者にとってはあの場面は本当に大変だと思いますけど、現在の奏者の皆様は楽々とこなしているように
感じられるのは「素晴らしい!」としか言いようがないと思います。

最近の中学・高校のスクールバンドとしての吹奏楽部は男子校を別にすると、部員の8割以上はJCさん・JKさんですので、
必然的に「中国の不思議な役人」のトロンボーンの例の箇所もJKさんたちによって奏でられる事が大変多いのですけど、
改めてトロンボーンは男よりも美少女のほうがよく合っているよね~と感じたりもしますね~♪




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「響け!ユーフォニアム」においてもトロンボーンパートの美少女JKさんの皆様はとてもかわいくすてきでしたね~♪

塚本 秀一については「お前はどうでもいいから、吹奏楽コンクールはおまえじゃなくてJKさんを出場させろ~」と
文句の一つも言いたくなってしまいます・・(汗・・)
「響け! ユーフォニアム」の1と2のコンクールでもレギュラーに選ばれていた巻髪ツインテの女の子はとってもかわいかったです!

こんなかわいい美少女による「中国の不思議な役人」のトロンボーンの例の箇所の演奏を聴いてみたいですね~♪

トロンボーンは小編成でも大編成でもたいていの場合3人一組で構成される事が多いですね。
その構成は、ファースト・セカンド・バストロという感じなのですけど、バストロンボーンは楽器自体が
ファーストとセカンドと管の構造自体が違っているという感じです。

トロンボーンの爆発的なあの推進力とか大音量の迫力は見ていても大変気持ちがいいものです!


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美少女とトロンボーンというと印象的なのは「響け!ユーフォニアム」以外では、アニメ作品ではないのですけど、
2017年1月にリリースされた音と魔法の学園RPG「ららマジ」が大変印象的です~♪

ららマジはゲーム作品でアニメ化はされていないのですけど、私的には今後アニメ化が実現されて欲しい作品候補の
一つでもあります。
他にアニメ化して欲しい作品というと原作が漫画である「無能なナナ」もひそかに期待したりもしています。

ららマジのストーリーは、とある呪いにより廃部寸前となってしまった東奏学園器楽部を舞台に、
プレイヤーは器楽部員として登場する30人のヒロイン達を呪いから救い出し、彼女たちが再び演奏できるようにすることを
目指すように頑張るという内容です。

そして30人のJKさんのメンバーの中で、トロンボーン奏者兼コンサートマスターの地位にいるのが3年生のお姉さまの
星崎梨花です。


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星崎梨花(ほしざき りか)のゲーム上での声優さんは赤崎千夏さんと言う事で、赤崎さんは本年度の夏アニメの一つである
「女子高生の無駄づかい」にてバカ役(田中望役)を怪演された御方であり、あのバカの「なー、今からすげー事言ってもいい?」の
フレーズを聞くだけで田中の尋常でないバカ振りが見事に伝わってきたものですけど。
「ららマジ」ではそんな雰囲気を微塵も感じさせない声の演技はさすがとしかいいようがないです。

星崎梨花の担当楽器はトロンボーンで、器楽部のコンミスを務める完璧超人で、
器楽部創立メンバーの一人であつたりもします。
武器のトロンボーン型の槍は突いたり切りつけたりするだけでなく小規模な爆風を放つこともできるそうです。

「ららマジ」は吹奏楽部ではなくて器楽部と言う事で、楽器仕様に制約が無いと言う事で、出てくる楽器も
吹奏楽ではありえない編成のワーグナーチューバ・琴・胡弓・グラスハーモニカ・リコーダー・エレキベース・シンセサイザー・
ウクレレなども登場しているのは自由さがあってとてもすてきだと思います。

それにしても美少女がトロンボーンを奏でているシーンはとても素晴らしいと思いますし、星崎梨花のトロンボーンによる
「中国の不思議な役人」の爆演も聴いてみたいですね~♪
昨日は全日本吹奏楽コンクール・全国大会の高校の部が開催され、東北代表の秋田県立秋田南高校が2015年以来
4年ぶりに全国大会の舞台に戻って来てくれていて、結果も銀賞受賞と言う事でとっても嬉しく感じています。
奥山先生や出場者の皆様、OBの皆様など関係者の皆様のこれまでのご苦労振りに埼玉の地よりより心より敬意を表させて
頂きたいと思います。

秋田南高校吹奏楽部は、1982年の「パロディー的四楽章」での金賞受賞以降は37年以上全国大会金賞から遠ざかっていて、
私自身の正直な感想ですけど、小林先生時代の1995年の「舞楽~第二部」と阿部先生時代の2001年の「クープランの墓」の
銀賞は絶対に納得いかないですね~
あの演奏は十分すぎるほど金賞にランクインされて然るべき演奏だと今現在も確信しています。
かつての全盛期の頃のように出場すれば必ず全国大会出場と言う訳でもなく、最近は全国大会でそのお姿がお目に
掛かれないことも多々あったりする関係で、もしかしたら今現在の現役奏者の皆様に
偉大なる秋田南高校吹奏楽部の話をしたとしても
「秋田南・・? 何年かに一度は全国大会には出場しているけど銀と銅の繰り返しで今一つ実績がない学校ですよね~」と
言われるのがオチなのかもしれないです。(汗)

だけど私はここで声を大にして叫びたいです!

「秋田南高校は、とにかく高橋紘一先生時代、特に特に・・1970年代後半から80年代前半にかけては
今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色がない・・・否!! むしろそれ以上と言うか 今現在でもあの演奏から
学ぶべきことは多々あるとてつもなく素晴らしい演奏をたくさん後世の私たちにこんなにも残してくれていたのですよ~」と
伝えたい気持ちで一杯です!
(同様な事は小林久仁郎先生が指導されていた花輪高校にも言えると思います)

高橋紘一先生時代の中でも特に5年連続金賞を達成した1976年~1980年の演奏はどの年の演奏も本当に
素晴らしいものでしたし、どの年の演奏もキラリと光っていました。
76年~77年のストラヴィンスキーの難解極まりない複雑なリズムの精緻とも言えるあのバレエ音楽を
とにかく新鮮で瑞々しい感覚で斬新に聴かせてくれたと思ったら
1978年は一転して三善晃の「管弦楽のための協奏曲」というこれまた大変な難曲を斬新に鮮やかに聴かせてくれ、
そして、1979年~80年代にかけては、矢代秋雄・三善晃のこれまた難解極まりない邦人作品を
あそこまで内省的に深く深く表現してくれていて「内面の小宇宙」を大胆かつ精密に表現してくれていたのが大変印象的です。
あの頃の秋田南と同じ秋田県内の花輪高校の両校は、当時の日本のスクールバンドのまさに「生きるお手本」であり、
同時に両校ともに、後世の私たちをいまだに感動させ続ける素晴らしい演奏を残してくれていたと思います。

秋田南高校と花輪高校の過去のそうした素晴らしい演奏は、
あの素晴らしい数々の名演から30年以上も経過してしまうと、私たちの記憶から消えてしまいがちですし、
当時の演奏全てがCDとして記録されている訳ではありませんし、
両校のあの素晴らしい名演を「知らないし聴いたことが無い・・・」みたいな方も結構いらっしゃると思いますし、
誰か一人ぐらいは、多少執拗であっても
「過去のこうした秋田県勢の素晴らしい名演をブログという形態であっても、文章という目に見える形で
何か残しておきたい」という人がいてもいいのではないか」という強い信念から、私自身もこうやって定期的に
秋田南高校と花輪高校の演奏の素晴らしさはブログという形で後世に文章という形で今後も残していきたいと思っています。
普段は東方Projectと艦娘まみれのブログではあるのですけど「未来への継承の記録」として何かを残しておきたいと言う事で、
秋田南と花輪の演奏の事は今後とも、手を変え品を変え
色々な形でこうした「自分の思いを後世に受け継がれていければいいのかな・・」とも思っています。

今回秋田南高校は久しぶりに全国大会の場に戻ってくれていましたけど、当時の偉大な伝統は伝統として過去の先輩たちの
想いを受け継ぎながらも、今現在の指揮者の先生と現役奏者の皆様の感性も大切にし、現在の秋田南高校の
ありのままの姿を今後も聴衆の皆様に伝えていって欲しいと切に願っていますし、今後とも埼玉後よりエールを送らさせて
頂きたいと思います。

大変誤解がある表現かもしれませんけど、気持ちが入っていないプロの醒めた演奏よりは、
秋田南高校や花輪高校の当時のあま演奏には間違いなく「魂」が宿っていると確信しています。
そのくらい当時の秋田南と花輪は神がかっていたと思います。
たまたま使用していた楽器が「管楽器+打楽器」にすぎなかったという感じの演奏でもあります。
「所詮は吹奏楽アレンジ演奏でしょ・・」とか「所詮は、無謀なイロモノ演奏だね・・」みたいな批判は全くの的外れである事だけは
間違いなく言えると思います。

さてさて、本記事においては、1983年の秋田南高校の自由曲はストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」について
少しばかり触れさせて頂きたいと思います。
秋田南のストラヴィンスキーと言うと、1976年のペトルーシュカ、そして77年の春の祭典という
まさに高校生、否! 吹奏楽の限界というか既存の殻を軽く超越したまさに歴史的名演に相応しい
素晴らしい演奏だと思いますし、その辺りは当ブログの過去記事でも散々書かせて頂きました。
(ちなみにですけど、当ブログにおいては、1982年の花輪高校のウォルトンの交響曲第1番の圧巻のあの演奏の事も
これでもかっ!というくらい記事にさせて頂いております! )

ストラヴィンスキーの「三大バレエ」と言うと、火の鳥・ペトルーシュカ・春の祭典なのですけど、
秋田南は1970年代でペトルーシュカと春の祭典で前述の通り稀有な歴史的名演を後世の私たちに残してくれましたが、
コンクールの評価としては、三大バレエの残り一つの「火の鳥」で金賞を取れなかったことは
大変勿体ない感じはありますし、高橋紘一先生としても心残りの一つだったのではないのかな・・と思ったりもします。
秋田南高校の1983年の火の鳥は、単に「全国で銀賞で残念・・」の一言で済ませられる演奏では絶対にないと思います。
火の鳥というと1990年代から21世紀に入っても素晴らしい演奏は色々と出ているのですけど、
私個人の感覚としては、この年の秋田南の演奏を超越する演奏は実はいまだに出てこないというのが私の正直な感想です。
火の鳥の吹奏楽コンクール・全国大会の名演としては、ブリジストン久留米・習志野高校・龍谷大学・今津中学校・御影高校・
土気中学校・駒澤大学・福岡工業大学の演奏を挙げられる方も多いとは思うのですけど、
すいません・・私にっては上記の演奏は「確かに素晴らしいのだけど、これぞ決定的名演ではない・・」と感じてしまいますし、
その数少ない例外は1990年の兵庫高校と91年の都立永山高校と83年の秋田南高校だと感じています。
この三つの演奏はいずれも金賞ではないのですけど、どの演奏も私は金賞の演奏だと思っていますけど、その中でも
83年の秋田南の火の鳥は素晴らしい演奏だったと思いますし、
秋田南高校の火の鳥の演奏は、吹奏楽コンクールの中では「埋もれがちで忘れられがちな演奏」になっていますけど、
決してそんな事は無いと思いますし、知る人ぞ知る隠れた奇蹟的名演と私は確信していますし、
あの秋田南の火の鳥は、まさにファンタジーそのもので、そこには「不思議なおとぎ話の世界」が実際の音として
具現化されているとだと思います。

吹奏楽コンクールでは、バレエ組曲「火の鳥」を演奏する場合、魔王カスチェイの凶悪な踊りと終曲を演奏することが
多いのですが、中には、
御影高・今津中→王女たちのロンドと終曲
兵庫高校→魔王カスチェイの凶悪な踊り~子守歌~終曲というパターンもありました。
兵庫高校の子守歌は、ファゴットが大活躍していて、あの歌心は大変素晴らしかったと思います。

ちなみにこの曲の全国大会初演は駒澤大学ではなくて実はもっと古くて1966年の川本高校です。
参考までに川本高校は魔王カスチェイの凶悪な踊りのみを演奏しています。

83年の秋田南高校の火の鳥は天野正道氏の名アレンジもあると思いますが、音のファンタジー感が際立っていると思います。
この曲には色々と名演がありますが、どちらかというと凶暴さが前面に出る演奏が多いと思います。
そうした中、秋田南の火の鳥は、木管のしっとり感を前面に出し、夢見るようなあのうっとりとしたファンタジー感を
うまく出していたと思いますし、おとぎ話」音楽にしたような感じもします。

秋田南の欠点であるかもしれない金管楽器(特にトランペット)の音の硬さは部分的に出てしまい、
特に終曲におけるあのトランペットのカチコチした感じは、もう少しやわらかい感じを演出出来ていれば
より強くファンタジー感を普門館の聴衆に伝えていたと感じられるのが大変惜しまれます。
木管楽器のしなやかな響きと清涼感は素晴らしいと思いますし、打楽器の扱いも上手いと思います。
火の鳥の原曲版もピアノが大変効果的に使用されていて、現在の吹奏楽コンクールの演奏で火の鳥の演奏で
ハープやピアノを使用しないことはまずありえないのんもしれないです。
1983年当時の秋田南高校は、ピアノもハープも使用していないのですけど、それを天野氏のマリンバとヴィヴラフォーンを
大変効果的に使用する事で十分すぎるほどカバーされていると感じられます。
同様な事は前年の82年の「パロディー的四楽章~Ⅳ.ルーセルにも言えると思います。
あのルーセルは原曲を聴くとよくわかるのですけど「この曲はピアノ協奏曲なの・・?」と部分的に感じさせるくらい
とにかくピアノが巧みに効果的に使用されているのですけども天野正道氏のアレンジは、シロフォーン・マリンバ・
ヴィヴラフォーン・ドラをチャイニース風な響きに用いていて、ピアノ代わりにこうした鍵盤打楽器に異国的響きを
出させることでピアノ未使用の穴を十分すぎるほど埋めていたようにも感じられます。
火の鳥の演奏においては、終曲でのクラリネット群の音色の清らかさと自然な盛り上がりは特筆すべきものがあると思います。
それと90年代と最近の演奏の傾向として「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の部分は、木管の動きが極度に細かい部分を
カットしている演奏が多いようにも感じるのですけど、
秋田南はそうしたカットは一切しないで、優秀な木管がそうした細かい動きも全てほぼ完璧に音楽として消化し、
技術的にも全く弱みを見せていないのは凄いと思います。

残念ながら課題曲のカドリーユが少々平板な運びで、硬さも随所に目立っていましたので、
それが銀賞に留まった原因のようにも思えます。

この銀賞は今でも納得いかないものはあります。

逆に言うと、これだけの演奏をしても金賞を受賞出来るという保証が無い時代に既に入ったと言えるのかもしれないですね。

この年の銀賞チームには、秋田南をはじめ、茨城・東海大学第一・兵庫などは、金賞との差はほとんど無いと
思いますし、この時代の金と銀の明確な差は付いていない時代に入っていたと思います。

とにかくこの年の高校の部を締めくくるのに相応しい演素晴らしい演奏だったと今でも感じています。

余談ですけど、この年の朝日新聞における紙面講評では、
「ストラヴィンスキーの音楽をセーラー服をまとった女の子たちは涼しい顔で吹いていた」と秋田南高校を評していましたけど、
秋田南高校の女の子の制服は当時も今現在もブレザー制服ですので、その講評を書いた方は多分何も分かっていないのかも
しれないです・・

最後に・・下記に少しばかりスストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」について触れておきたいと思います。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽というと「春の祭典」のあの強烈なバーバリズムやとてつもない大音量というイメージも
ありそうなのですけど、「火の鳥」の全曲盤を聴いてみるとよくわかるのですが、ロシアの野蛮極まる音の暴力という感じよりは、
むしろフランスの繊細な音楽というのかドビュッシーの繊細なエコーを聴いているかのような錯覚すらも感じますし、
特に序奏や王女たちのロンドの繊細で神経質な面すらも感じさせるようなデリケートな響きは、
ストラヴィンスキーの師匠でもあるリムスキー・コルサコフの異国情緒的趣味すらも彷彿させるようなものがありそうです。

バレエ「火の鳥」のあらすじはロシアのお伽話に由来をしています。

そのあらすじをごく大雑把に書くと、
イワン王子は火の鳥を追って、魔法の国に迷い込みます。
そこでツァレーヴナ王女に恋をしますが、王女は「カスチェイの魔法」よって捕らわれの身でもありました。
イワン王子は火の鳥の羽を使って、カスチェイの弱点を見つけ退治します。
カスチェイの魔法は解け石になっていた国民・騎士たちは解放され、ラストシーンは王子と王女が結ばれ
大団円で閉じられるという大変分かりやすいストーリーになっています。

このバレエ「火の鳥」はディアギレフ率いるロシア・バレエ団によって初演が果たされるのですけど、
ロシア・バレエ団は1900年代初頭~1910年頃のパリにおいて、大変な人気を誇るバレエ団であり、評論家やバレエファンは
惜しみの無い賛辞と高い評価を与えていたものの、一つだけこのバレエ団に足りないものがあったとすると、
ロシア・バレエ団のためだけのオリジナルレパートリーが無い事が指摘されていたりもしたものでした。
この弱点を誰よりも認識していたディアギレフはオリジナル作品としての「火の鳥」のバレエ化を企画化し、その音楽を
リャードフに依頼したものの、リャードフは5~10分程度の短い交響詩を作曲する実績はあったものの、
長時間のバレエ音楽を作曲する事はどてやら苦手だったみたいですし、生来の怠け癖もあり、ディアギレフの依頼にも関わらず
リャードフは全く作曲する気が無く、「火の鳥」の公演は近づくばかりでした。
こうした事態をやばいと感じたディアギレフは、やけくその気持ちもあったのかもしれないですけど、当時は全く無名の新人で
以前作曲した幻想曲「花火」の雰囲気にディアギレフがどこか引っ掛かるものがあり、
一種の賭けみたいな感じで思い切って音楽界では無名の新人作曲家のストラヴィンスキーにバレエ音楽「火の鳥」の作曲を
依頼した所、瓢箪から駒のように思いもよらない大ヒットをもたらし、この成功からディアギレフはストラヴィンスキーに
次から次へと新作バレエ音楽の依頼を行い、これがその後ペトルーシュカや春の祭典へと開花していきます。

火の鳥は、オリジナルのバレエ音楽と3種類の組曲があり、3種類の組曲版はオーケストレーションが大幅に異なりますし、
中には魔王カスチェイの凶悪な踊りで閉じられる版もあったりします。
一般的には1919年版の組曲が最も完成度が高く、現在の管弦楽団の演奏会で演奏される火の鳥の組曲版は、
ほとんどの場合1919年版です。

バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)は下記の五曲より構成をされています。

Ⅰ.序奏

Ⅱ.火の鳥とその踊りと火の鳥のヴァリエーション

Ⅲ.王女たちのロンド

Ⅳ.魔王カスチェイの凶悪な踊り

Ⅴ.こもり歌

Ⅵ.終曲

上記で既に触れた通り。
ストラヴィンスキーというとバレエ音楽「春の祭典」のあの野蛮極まりない強烈なリズム感と大音響というイメージが
強いのかもしれないですけど、火の鳥は全体的にはファンタジー感漂う曲想で、ロシアの荒々しい曲というよりは、
ドビュッシーのエコーを漂わせる繊細で大変洗練されているバレエ音楽であったりもします。
序奏のいかにも魔法の国のような音楽や王女たちのロンドでのうっとりするほど繊細で美しい音楽でもあったりします。
だけどこのバレエ組曲「火の鳥」は、ウトウトとしていた聴衆を叩き起こすとすら言われているとてつもない大音響の
荒々しい個所もあったりします。それが「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の部分です。

音楽のダイナミックスと言うのは決して「音量」だけではないと思うのです。
要は、静かな部分と壮大に豪快に咆哮して鳴り響く部分の「静と動の対比の落差」なのだと思います。
ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」もそうした傾向があると思います。
この組曲は冒頭の序奏から王女たちのロンドあたりまでは、とにかくミステリアスで静かで美しい音楽が
延々と展開されていくのですけど、
「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の場面に入ると、唐突に金管セクションのとてつもない大音量と
バスドラム・ティンパニ・シンバルによる打楽器の凶暴ですさまじい「ドスン!!」という打撃音から開始され、
それまでの王女たちのロンドとの静けさとのあまりにも違いが前述の「とてつもないダイナミックスレンジの落差を
呼び込んでいるのだと思います。
あの場面は、それまでの静かで美しい音楽を耳にしてウトウトし始めた聴衆のまさに眠りを覚ます
とてつもなく激しく暴力的な音楽であり、
あの落差はとにかくいつあの場面が始まってもゾクゾクさせられるものがあると思います。

魔王カスチェイの凶悪な踊りのインパクトの強さは、まさしく聴衆を眠りから覚ますのに相応しいと思いますし、
同様な事はよく言われる話でもありますけどハイドンの交響曲第94番「驚愕」~第二楽章にも共通する話なのだと思います。
魔王カスチェイの凶悪な踊りが終わった後に展開される子守歌の気高さ、フィナーレの高揚感も素晴らしいです!
特にフィナーレが始まる際のホルンソロの部分は、いつ聴いてもなんだかホッとするものはあります。
(魔法の国から現実へ帰還出来る安堵感のようにも聴こえます)

そしてそうした幻想的で美しい音楽に「魔王カスチェイの凶悪な踊り」を挟んで展開される吹奏楽コンクール用の
カットヴァージョンもこの組曲の魅力をあますところなく伝えているのですけど、それを見事に具現化されている演奏こそが
1983年の秋田南高校の演奏だと改めて感じますね~♪
ジョン・ウィリアムズのアメリカ映画音楽上の貢献度は素晴らしいものがあると思います。
アカデミー賞を5回受賞と言うのも凄いと思いますけど、ノミネート止まり42回と言うのも ある意味一つの記録だと思います。

ジョン・ウィリアムズがが映画音楽として作曲した曲は思いつくだけでも

〇ジョーズ

〇スターウォーズ

〇未知との遭遇

〇スーパーマン

〇インディージョーンズ

〇ホームアローン

〇シンドラーのリスト

〇ジュラシックパーク

〇ハリー・ポッター

など多数の作品が出てきますね。
個人的には、吹奏楽アレンジ版で私自身演奏経験がありますけど「スターウォーズ」がとても 印象深いです。
やはりあの音楽の「メインテーマ」を聴くだけで、映画の名シーンが色々と思い出してしまいますね。
それと知名度はいま一つですけど「11人のカウボーイ」のホルンの雄叫びも極めて印象深いものがあります。
(吹奏楽アレンジ版の演奏としては1987年の福岡工大付属高校の圧倒的名演が大変印象的です)

ジョン・ウィリアムズ方は、ボストン・ポップスの指揮者として自作自演の他に、
例えば、スッペの喜歌劇「ボッカチオ」序曲とかカバレフスキーの歌劇「コラブルニヨン」序曲など
親しみやすい小品の演奏もすてきな演奏がとても多くて指揮者としても傑出した才能をお持ちなのだと思います。

ジョン・ウィリアムズの作品で、映画音楽以外なのですけど、忘れられない作品として
「リバティー・ファンファーレ」という大変スケールの大きな小品があります。
式典関係のファンファーレと言うと、 この曲以外でも、
1984年の「ロサンジェルスオリンピック」のテーマ曲であるファンファーレも大変素晴らしい曲も残されています。

この「リバティー・ファンファーレ」ですけど、
自由の女神像の建設100周年を記念して元々作曲された経緯があります。
自由の女神の前での発表は、7月4日にマンハッタンの南西端のバッテリー公園で夕方から夜にかけて盛大に行われました。
当日はウイリアムズの指揮によるオール・アメリカン・マーチング・バンドと合唱団が
自由の女神をバックに、野外ステージで演奏されました。

金管楽器の壮麗なファンファーレに続き、打楽器や鐘(カリヨン)が打ち鳴らされ、
ホルン等が厳かな第1主題を提示し、トランペットの華やかな旋律が高鳴り興奮が増し、
最後にもう一度第1主題も現れ、効果的に曲を閉じます。
冒頭の金管セクションによるファンファーレは、本当に豪快で気持ち良く鳴り響き、その後続く「鐘」は、チャイムというよりは
本格的な教会の鐘というかカリヨンがゴーンと荘厳に鳴り響くのが極めて印象的です。

この曲残念ながら生で聴いたことは一度もないのですけど
コンサートのオープニングとしては実に相応しい曲だと思います。
夏の野外コンサートにも何か最適の曲ですね。

この曲は、吹奏楽にも編曲され、
1994年の関西大会で、洛南高校がこの曲を自由曲に選び素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
惜しまれることに、この年の洛南は関西大会ダメ金という事で全国大会に進めず、関西大会で散ってしまったのですけど
あの華麗な演奏は是非普門館でも聴きたかったです!
あの年の関西代表は淀川工業・兵庫・天理でしたけど、淀川工業はこの学校にしては珍しいくらい不調で銀賞に留まり、
天理はあまりにも抑制され過ぎた演奏は理性的という意味では申し分ないのかもしれないけど少し欲求不満気味で、
兵庫は松井節全開の名演でしたけど、自由曲のカットがかなり強引かな・・?とも感じていただけに、あの年の関西代表には
洛南の「リバティーファンファーレ」は絶対不可欠だったと今更ながらに感じたりもします。
あの年の洛南の演奏はとてつもなく生き生きとしていて、演奏終了後の会場全体がざわつくあのとてつもないブラボーコールの
大声援は、洛南の演奏の素晴らしさを物語っているように感じられます。
洛南の冒頭の金管ファンファーレの激しさと高揚感は圧巻でしたし、それに続くカリヨンの響きがとても壮麗でしたし、
ラストの自然な盛り上がりも圧巻の仕上がりだと思います。
この曲は、吹奏楽版では「交響的三章」・「よろこびの翼」・「オーストラリア民謡変奏組曲」でお馴染みのカーナウが
アレンジしていますけど、 吹奏楽オリジナル作品を主に活動対象にされている方がこうやって
管弦楽作品をアレンジしているのも何か興味深いものがあります。
ちなみにカーナウは、ホルストの組曲「惑星」~天王星も吹奏楽に編曲されていました。

リバティー・ファンファーレの吹奏楽版としてはこの洛南高校を超越する演奏は今後も多分不世出だと思うのですけど、
それ以外としては中澤忠雄先生指揮の野庭高校の定期演奏を収録したCDにこの曲も含まれていましたけど、
確かに見事な演奏ではあるものの、少し洗練され過ぎて自発性と高揚感に欠ける演奏であったのはかなり勿体無いな・・と
感じたものでした。

あの年の洛南高校のリバティーファンファーレの演奏は、ハリソンの夢・アメリカの騎士・ダンスフォラトゥーラと
同じくらい宮本先生のアクの強さが漲り渡り、「宮本先生=洛南高校」というとてつもなく強烈なサウンドが
確立された瞬間じゃないのかな・・・とも感じさせてくれました!
ああいう演奏が出来てしまう演奏団体は、今現在の吹奏楽コンクールの高校の部では皆無と言えるのかも
しれないですね・・
あの「宮本先生=洛南高校」という組合せは、「吉永陽一先生=兵庫高校」に匹敵するとてつもなく個性的なものだったと
感じていますし、個性がギラギラ漲っているみたいな言い方がこれほどしっくりくるチームは少ないとすら思えます。

宮本先生も既に彼岸の彼方に旅立たれていますけど、宮本先生の個性とアクが漲るあの名演の数々は間違いなく
私たちの胸の中に受け継がれていくものと思います!
スパークというと最近の現役奏者の皆様にとっては「宇宙の音楽」が一番馴染みがあるのかもしれないです。
「宇宙の音楽」は技術的には大変難しいけど、演奏効果は高いしスケールは大きいし、素晴らしい名曲だと
思いますし、これだけ全国大会で多くのチームが自由曲として演奏しているのもよく分かります。

だけど、私のようなオールド吹奏楽ファンですと、スパークというと、
スパークの日本での出世作というか、この曲でもって日本での知名度がググッ!とあがることになった
「ドラゴンの年」が大変印象的です。
否! 私にとってはスパークと言うと「ドラゴンの年」であったりもします。

スパークの「ドラゴンの年」は、吹奏楽オリジナル曲として極めて完成度の高い作品であり、
内容も深く、演奏効果も迫力も十分で大好きな曲の一つです。
私個人の趣味ですけど、「私が大好きな吹奏楽オリジナル曲ベスト10」には
間違いなくベスト10にランクインされる曲の一つです。

この曲が日本で広まりだしたのは1988年の頃で、
1988年は、星野監督率いる中日ドラゴンズがセントラルリーグを制覇しましたけど、
当然ながら、そんな事とこの曲には何の因果関係もありません。
(1988年の日本シリーズでは、中日は西武に1勝4敗で完膚なきまでに叩きのめされていました・・
ちなみに、この年はあの伝説の近鉄VSロッテの10.19が行われた年でもあります!
近鉄が連勝すれば近鉄のパ・リーグ優勝が決定し、近鉄が1つでも敗れるか引き分けるかで西武の優勝が
決定するという状況のもと、近鉄が第2試合で引き分けて、西武のリーグ優勝となったあの激闘は
いまだに忘れられないですね~!
あの試合の当日は私は新入行員の研修の一環で御殿場の自衛隊体験入隊の研修真っ盛りでしたけど、
布団の中でゾクゾクしながらラジオで聴いていたのも懐かしい思い出です~!)

冒頭から話がそれてしまいました・・・(汗・・)

この曲の作曲者、スパークはイギリスの方ですけど、「ドラゴンの年」を聴くと
「あー、やはりホルストとエルガーを生んだ国の人らしい作品だな」と改めて認識したりもします。
イギリスでは、金管楽器のみで編成された楽団を「ブラスバンド」と呼び
ブラスバンドに木管楽器と打楽器を加えた編成を「ミリタリーバンド」と呼ぶそうです。
この点、金管+木管+打楽器のいわゆる「吹奏楽」を「ウインドアンサンブル」と呼ぶアメリカとは
多少の違いがあるみたいです。
ホルストのあの有名な「吹奏楽のための第一組曲」もそう言えば
原題は「ミリタリーバンドのための第一組曲」という表記でもありました。

ドラゴンの年は元々は、ブラスバンドという金管バンドのために作曲された曲であり、
後に吹奏楽作品用としてアレンジしたものが 今日の日本でもしばしば演奏されるドラゴンの年なのです。
吹奏楽版としてのドラゴンの年のあの迫力ある分厚い響きの金管セクションの堂々とした響きは、原曲の
金管セクションのみの編成に由来している事は第一楽章の前半部分だけを聴いただけでも
なるほどね~と感じさせるものはあると思います。

この曲は三つの楽章から構成されます。

Ⅰ.トッカータ

Ⅱ.間奏曲

Ⅲ.フィナーレ

Ⅰの出だしからして非常にインパクトがある作品です。
小太鼓と金管楽器のダダダダダダダダという鋭い響きから開始され、
大太鼓のズドンという一撃が極めて印象的ですし、出だしの10秒を聴いただけでノックアウトされそうです。
ラストは静かに閉じられるのも意表を突かれます。

Ⅱの間奏曲は全体の白眉です。
Ⅱの出だしのコールアングレの長大なソロは、本当に美しくしみじみとした高貴なものが感じ取れます。
こういう王道的な音楽を聴くと、
「あー、やはりエルガーの威風堂々としたイギリスの王道的旋律は現代にも
受け継がれているんだなー」と思わず感じてしまいます。
Ⅱの中間部は、ゆっくりとじわじわと徐々に徐々にクライマックスに向けて
メロディーが歌われ続け盛り上がっていきます! この高みに達するまでの臨場感と感動は本当に半端ないものがあります。
Ⅱの中間部を聴くと、いつも感動で何か泣けてしまいそうというか胸にジーンとくるものがあります。
ああした高貴でせつないメロディーがゆったりとじんわりと何度も繰り返しながら頂点に達する構成はよくある話なのですけど、
「ドラゴンの年」はとにかくあのメロディー自体が泣けてくるものが多々ありますし、そこで醸し出される音楽が
上品で気品があり凛としたものか「これでもかっ!」と伝わってきますので、
あの音楽を聴いて何も感じない人というのは、極端な意見かもしれないですけど人としての感性がちょっと鈍いのではないか・・?
とすら感じてしまいます! (汗・・)
私自身は人前でも一人っきりになったとしても泣く事はほとんどないですし、私自身人前で涙を流して泣いたという事は
多分ですけどこの数十年無いと思うのですけど、ドラゴンの年のこの間奏曲のあのゆったりとした高まりだけは
例外化なのかもしれないです・・
あの音楽を真夜中に一人っきりで聴いた場合、私も案外感極まって涙ボロボロになってしまいうのかもしれないです。
この感動的な高まりの後、 ヴィヴラフォーンによるモヤモヤとした場面転換がなされ、最後は再びコールアングレのソロで
もって静かに閉じられていきます。

そしてⅡが終わると同時に、Ⅲのフィナーレが開始されるのですけど、
このⅢの快速感がまた素晴らしいですね~♪
圧倒的な躍動感とスピード感についついメロメロになってしまいます。
中間部で、チャイム・鍵盤楽器による息抜きの箇所があったりするのも少し意表をつかれます。
そしてラストは圧倒的な高揚感でエキサイトに華麗に閉じられます。
昼間に何か嫌な事があったり気分が落ち込んでいる時にこのフィナーレを聴くと、途端に元気とパワーを貰えそうに
なるのは間違いないと思います!

とにかく全楽章全てが素晴らしい名曲だと思いますね~♪

この曲、残念ながらコンクールやコンサートの生演奏でいまだに一度も心から納得できる演奏にお目にかかれていません。
一度武蔵野音楽大学の定期演奏会でこの曲を聴いたことがあるのですが、
音大生たちの手抜き演奏というか、気持ちが全くこもっていない演奏にガッカリしたものです。
全国大会でも、北教大・習志野ウインド・名取交響などが自由曲として演奏しているのですけど、
私個人としては「どれも少し決め手に欠けるな・・」という印象です。
カット方法があまり良くない演奏が多く、全楽章演奏するのではなくて、Ⅱの中間部の高まりをメインにし
Ⅲでもって豪快に閉じればいいのに・・と思う事もあるのですけど、吹奏楽コンクールの演奏はいいとこだけを抜粋という
感じの強引なカットが目立ちいつも興醒めしてしまいます・・
本年度・・2019年の全国大会・一般の部でドラゴンの年を札幌ブラスバンドが自由曲として演奏されるようですけど、
当日の名演を期待させて頂きたいと思います。

この曲にはCDで二つ名演があります。
一つがエリック・バンクス指揮/東京佼成で、二つ目が本場ものというか、イギリスのロイヤル・エア・フォースバンドであり、
特に後者のⅡのテンポを極度に落とし、テンポルバート気味に演奏した部分は本当に泣けてきます。

金管楽器が極めて優秀な吹奏楽団で、この曲の生演奏を聴いて
Ⅱでうっとりと感動し、Ⅲのスピード感に巡り会って失神してみたいものですね~♪
パリ生まれのフランスの作曲家であり音楽教授であり、教会オルガにストでもあったポール・フォーシェは、
管弦楽の分野ではほとんど知られていませんし、現在でも演奏される作品はほぼ皆無と言っても過言ではないと
思います。
作曲活動の時期としては、ラヴェルやドビュッシーといった印象派の大御所や第一次世界大戦前後に
フランス楽壇を牽引したミヨーやプーランク・オネゲル等のフランス五人組の活動が真っ盛りという事で、少しと言うかかなり
時代遅れな古風で厳格で形式美を重視するフォーシェの音楽は、当時としては既に時代遅れだったのかも
しれないです。
音楽院の教授としては大変優秀だったとの事で、弟子として、池内友次郎や吹奏楽のアレンジャーとしても日本ではかなり
認知度が高いデュポン(→イベールの交響組曲「寄港地」の編曲で有名です)などがいたりもします。
フォーシェが著した和声法の課題集は戦前の日本の音楽教育でも使用されていた事もあったようです。

そうした知る人ぞ知るフランスの作曲家のポール・フォーシェが残した作品の中で、多分ですけど今でもかろうじて
多少は認知度がありたまに演奏される曲と言うと、それは管弦楽作品でも宗教音楽でもなくて、
実は吹奏楽オリジナル作品であったりもします。
その曲が何かというと、1926年に作曲されギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団によって初演を果たした
吹奏楽のための交響曲です。
ギャルドというと「ディオニソスの祭り」などでも知られる通り、サクソルン属の金管楽器など現在ではほとんど使用されない
楽器を使用している事も多々あり、フォーシェが作曲したこの交響曲も、原曲は今現在の日本の吹奏楽コンクールで
使用されている楽器とはかなりの部分で違いも見られたりもします。
そのため、J.ジレットとF.キャンベル=ワトソンがアメリカ式編成用に編曲して出版した際の交響曲 変ロ長調という
タイトルが現在日本で使用される事が多いです。

フォーシェの交響曲変ロ長調は、一言で言うと実に通好みのマニアックな渋い曲だと思います。

とてもじゃないけど、ラヴェルやミヨー等の洒落っ気溢れる才気煥発で自由自在でエレガントな作風とほぼ同じ時代を
歩んできたとは思えない程、時代遅れというのか厳格で古風で正攻法そのものの音楽という印象が大きいです。
似たような作風というと、ギャルドの歴代指揮者も務めたパレのリシルド序曲のあの渋さというのか、まるで「するめ」のように
噛めば噛むほど味合いが出てきそうな雰囲気に近いものがあると思います。
ただ、リシルド序曲もフォーシェの交響曲変ロ長調も曲としては相当地味であるため、現在の吹奏楽コンクールでは
敬遠されてしまうというのもなんとなくわかる気はします。
フォーシェの交響曲変ロ長調は、例えば「プロが選ぶ後世に残したい吹奏楽オリジナル作品ベスト100」という特集記事や
吹奏楽オリジナル作品紹介の専門書等では多くの場合、選出される事が多いのに、実際に吹奏楽コンクールや
演奏会等で演奏される頻度は限りなく低いというイメージもありそうです。
音楽の形式や内容としてはかなり高い評価を受けるものの、内容の地味さ・難しさからなかなか演奏されないという意味では、
例えばシェーンベルクの「主題と変奏」とかヒンデミットの「コンサートバンドのための交響曲」とか
ミヤスコフスキーの交響曲第19番とかホルストの「ハンマースミス」とかジェイコブの「ウィリアムバード組曲」などに
近いものがあるのかもしれないです。

この交響曲は下記のオーソドックスな四楽章構成です。

Ⅰ.序曲

Ⅱ.ノクターン

Ⅲ.スケルツォ

Ⅳ.フィナーレ

この交響曲は正直第二~第四楽章は大変きれいにスタンダードにまとまっているとは思いますが、それほど強く印象には
残りません。
古典派のシンフォニー概念で言うところの、第二楽章・アンダンテ 第三楽章・スケルツォ・第四楽章のアレグロのフィナーレが
フォーシェのこの作品においてはほぼ忠実に再現されていて、この形式美とか全体的な古臭い雰囲気は
とてもじゃないけどこの交響曲が既にマーラーが10曲の交響曲を作曲していた時代とは思えない程の時代遅れを
感じるのですけど、そうした時代錯誤的な形式美を吹奏楽作品として味合うのがこの曲の魅力と言えるのかもしれないです。
第一楽章の完成度があまりにも高いので、残りの第二~第四楽章がとても物足りなくも聴こえてしまい、
第三楽章のスケルツォや第四楽章の溌剌とした雰囲気も正直あまり耳に残るようなメロディーラインではないようにも
感じられます。
そしてなによりもとても20世紀に書かれたとは思えない曲の地味さがそれに拍車を掛けているのだと思うのですけど、
地味というと同時期に作曲されたパレの吹奏楽オリジナル作品のリシルド序曲も考えてみるとフォーシェのこの交響曲の
地味さに極めて近いものがあるようにも感じられます。
このシンフォニーは圧倒的に第一楽章が素晴らしいと思いますし、実際、吹奏楽コンクールで演奏されるのも
第一楽章・序曲のみです。
第一楽章自体が一つのミニシンフォニーみたいな雰囲気にもなっていて、冒頭の木管セクションによる弱奏でのトレモロに
のる形でのホルンの朗々とした歌い出しから開始され、途中で少し盛り上がったかと思えば静粛になるを何度か繰り返し、
ラストは朗々とした高らかな響きの中で閉じられます。
全体的にはふわっとした中に一筋のしっかりとしたひそやかな決意が秘められている様な感じの曲と言えるのかもしれない
ですし、第一楽章だけでこの曲全体を閉じたとしても全く違和感がないほど、完成度の高い第一楽章と感じられます。

P.フォーシェの交響曲変ロ長調~第一楽章・序曲は地味な内容のためなのか、現在では全く演奏されませんし、
知る人ぞ知る曲という扱いになっているとは思いますが、2018年末時点で全国大会ではこれまで2回演奏されています。
最近では、ここの所九州大会でメキメキと力を付けてきていて、最近では3年連続全国大会にも出場している
福岡県の西区市民吹奏楽団が2011年にこの曲でもって九州大会に臨んでいたのが大変印象的です。

P.フォーシェの交響曲変ロ長調~第一楽章・序曲は全国大会では、1977年の関西学院大学と1979年の函館北高校が
自由曲として演奏されています。
函館北高校は全国初出場のせいもあると思いますが、演奏は一言で言うと課題曲も自由曲も何か萎縮して、
普段の実力を半分も出せないで終わってしまったという感じですし、
サウンドがなぜか全体的にくすんだ印象を受けますし、霧がかかったような雰囲気の演奏です。
別にサウンドが濁っているとかそういう訳ではないのですけど、森を散策中に霧で道を見失って迷子になってしまった
みたいな感じの演奏でした。

1977年の関西学院大学の演奏は地味ですけど、大変優れた演奏であり、地味なこの曲をよくここまで音楽的に
まとめあげたという大変秀逸な影の名演だと思います。
関西学院大学というと、例えば、1979年のローマの松や82年のショスタコの5番や88年のロデオなどのように
バカでかい音量過剰の演奏という印象も強い中で、金管セクションをギリギリまで抑制し、木管とのバランスも大変充実した
調和のとれた演奏をされていると思います。
特にフルート等の木管セクションの柔らかい洗練された響きが素晴らしいと思います。
但し、当時のBJの講評では有賀誠門氏より「リズムが甘い事このうえない」・「砂糖菓子をまぶしたようなリズム感の悪い演奏」
などと酷評されていましたけど、私から言わせて頂くと
「お前の耳の方がよっぽとどうかしているし、リズム感は全然甘くないばかりか逆に締まっているし、統制のとれた演奏じゃん!」と
文句を言ってやりたい気持ちで一杯であったりもします・・(汗・・)

この曲は1990年代の終わり頃までは全く音源が無く、演奏音源は上記の函館北と関西学院大学の第一楽章のみの
演奏しか音源がありませんでしたけど、
木村吉宏指揮・大阪市音楽団によって全楽章がCD化され、実は私はこのCDによって初めてフォーシェの交響曲の
全楽章を聴いた事になるのですけど、あの時は嬉しかったですけど、感想はやはり・・
「この交響曲は第一楽章だけ聴けば十分なのかもしれない・・」という感じでもありました。
現在の吹奏楽コンクールにおけるB部門・小編成部門においては、県大会や地区予選においても時折ですけど、
今でもコーディルの「吹奏楽のための民話」が演奏される事が多々あり懐かしくも感じますし
「こういう平易なんだけど吹奏楽名オリジナル曲は忘れることなくずっと演奏され続けていてほしい」と常日頃から
感じている私にとっては大変嬉しいことなのだと思います。

私が高校生の頃までは、作曲者の表記は、カウディルと表記されることが多かったのですけど
いつの間にかコーディルという風に表記が変更になっていました。
(「シンフォニア・ノビリシマ」でお馴染みのジェイガーも1970年代初めの頃までは、ジャガーとかイェイガーと呼ばれることも
ありましたので、それに近いことなのかもしれないですね・・)

この「吹奏楽のための民話」は実に平易に易しくに書かれていて、演奏する上で難しい箇所は多分一か所もないと思いますし、
「初見演奏でこの曲を吹きなさい」と言われてもほとんどの方は普通に吹けてしほうほど技術的には大変簡単ですし、
吹奏楽初心者とかそれほど合奏経験がない方とか中学生の小編成部門にはこれほどうってつけの曲は無いとすら
思っていたりもします。
シンプルで分かり易く、技術的には難しい部分はほとんど無いのになぜか演奏効果が大変高く、
序盤のクラリネットの透明感溢れるあのユニゾンのメロディーは一度聴いたら忘れられないものがあると思います。
メロディーラインが、非常に素朴でシンプルでとても懐かしい香りがする曲だと思います。

タイトルには「民話」とありますが、特定の民話のメロディを使ったわけではなく、
コーディル自身が創作したものであると思われます。
民謡風の表情豊かなメロディが美しく、特に冒頭のクラリネットが印象的です。
「クラリネットが低音域でメロディを吹く曲」と言えば、まずこの曲が挙がるのかもしれないですね。
アメリカの古い民謡とか俗謡とか黒人の霊歌とか子守歌とかそうしたアメリカ国内で馴染みのあるメロディーを特に
引用したわけではないのですけど、なぜかこの曲を聴いてしまうとしんみりとしてしまい、
まるでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とか交響的舞曲とかドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」~第二楽章を
聴いているかのような「郷愁」とかどこかメランコリーみたいなものを感じさせてしまう
本当に不思議な曲であるとも思えます。
日本でこの曲が演奏され始めたのは1960年代なのですけど、それから50年以上に渡って
このコーディルの「吹奏楽のための民話」が忘れることなく演奏され続けていたのは、この「なつかしさ」にも
あるのかもしれないですね。

私が中学生・高校生辺りの時代ですと、よその学校がこの曲を吹奏楽コンクールの自由曲として選ぶと
「このは学校よほど腕に自信が無く、仕方なくあの曲を選んだのかな・・?」といらぬ邪推をし、半分バカにしたものですが、
現在改めて聴くと、曲自体の構成が大変しっかりしているし三部構成で非常に理解しやすく、
冒頭の堂々とした雰囲気とか序盤のクラリネットによる透明感あふれる溌剌としたリズムが面白いと感じますし、
決してバカにすることは出来ない素晴らしい名曲だと感じます。

初見演奏も全然可能な曲だからこそ、特にジュニアバンドには一度は演奏して欲しい曲です。
同じことは、オリバードーティーの序曲「バラの謝肉祭」・「美しき剣士」とか
カーターの交響的序曲・「ラブソディックエピソード」・クイーンシティ組曲などにも言えるのかもしれないです。

コーディルというと・・当時の私たちは

〇吹奏楽のための民話

〇ランドマーク序曲

〇オデッセイ序曲

以上の三曲を「簡単すぎる三部作」とか陰口を叩いていましたが、今改めてこの三曲を聴いても
構成はしっかりしているし、メロディーラインがはっきりと浮き出ていて分かり易いという意味では
現役奏者の皆様にも「一曲ぐらいはコーディルを吹いてほしいよね・・」と感じてほしいですし、この素晴らしき
吹奏楽オリジナル名曲は絶対に後世に受け継がれてほしい曲の一つです!

コーディルの上記以外の曲と言うとへりテージ序曲や序曲「フォーク・レジェンド」も大変印象的です。
序曲「フォーク・レジェンド」は吹奏楽のための民話と英語表記が大変よく似ているため、混合される事もかつては
あったようですけど両曲は全く別の作品です。
ちなみにヘリテージ序曲は、私の高校の定期演奏会で私の代の8代前の先輩たちが演奏されていて、
当時の先輩たちの回顧録をながめてみると「決して簡単な曲ではない」とか「バカにして掛ると大変な目に遭う」とか
記されていたのが大変印象的でもありました。

「吹奏楽のための民話」は何と全国大会では5回も演奏されています。
と言っても内4回は、昭和45年以前の金銀銅のグループ表彰制度以前の順位表彰の時代ですけどね・・・
1970年代でも福井銀行がこの曲を自由曲として演奏し、確か銀賞を受賞していました。
福井銀行の場合、当時の頭取が「これからの銀行マンは軟弱ではいかん! 行員たちも吹奏楽を経験し、
タフな気持ちで仕事も吹奏楽も臨んでほしい」という鶴の一声で吹奏楽団が結成されたみたいなエピソードが
当時のBJで紹介されていたのが印象的です。

さてさて、コーディルの民話以外の曲で印象に残っている曲と言うとオデッセイ序曲が挙げられると思います。

この曲は今現在ではすっかり忘却の彼方のようですけど、1970~80年代の中学・小編成部門の貴重なレパートリー曲の
一つだったと思います。
オデッセイ序曲は記録の上では支部大会以上の演奏はわずか7チームしか演奏されていませんけど、
1970~80年代の中学校のC編成またはB編成部門においては、地区予選や県大会レヴェルでは、この曲を聴かない日は
あまりないのかも・・?と感じさせるくらい一時期盛んに演奏されていたと思います。

コーディルのオデッセイ序曲は、ギリシア神話の英雄でホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」の主人公でもある
オデュッセウスをモチーフにした作品で、演奏時間は6分程度で、吹奏楽のための民話同様に技術的には難しい個所は
ほぼ皆無であり、中学校の初心者向きの曲としては大変演奏効果が高い上に音楽の構成がしっかりと図られているので
ジュニア向けの素材としては大変優れた楽曲の一つだと思います。
オデュッセウスというと一般的にはトロイア戦争への貢献とかトロイの木馬の考案者というイメージもありますけど、
この曲で主にモチーフにされているのは、トロイア戦争に勝利したオデュッセウスの、
故国イタケーを目指して航海を開始したもののトロイア戦争よりも長く辛い苦難の帰還に向けての旅路であったりもします。

オデッセイ序曲で大変印象的な箇所は冒頭なのかもしれないです。

この曲は上記で書いた通り難しい個所は皆無なのですけど、唯一の難所は冒頭なのだと思います。

どうして冒頭が難所なのかというと、冒頭がファーストトランペットソロによる「タッタッター」という勇壮な部分から開始され、
このトランペットのタッタッターの部分は全然高音域でもなんでもないのですけど、吹奏楽コンクールで私が聴いてきた
この曲の演奏では大抵の場合、冒頭のトランペットを思いっきり外してスカスカ状態で開始される事が多かったのは
今でも大変印象的であったりもします。
曲自体も勇壮な部分とリズミカルな部分と美しい部分の対比がとても抒情的に表現されていて、聴いているだでも
主人公の苦難の海路の旅が伝わってきていると思います。
ラスト近くの冒頭のトランペットソロの部分を再現したメロディーが全楽器で再現され、あのリズミカルな悲壮感と勇猛な感じは
聴いているだけで「冒険者」の気分にさせられてしまいそうですし、ラスト数小節前のティンパニソロも大変かっこいいものも
あったりします。

それにしてもオデッセイ序曲を自由曲に選んだチームは、なぜかしりませんけど冒頭のトランペットソロを思いっきり
外すことが多かったですね・・(汗)
音域が高くもないし、臨時記号もないし、簡単なフレーズなのにあそこまで盛大に外してしまうという事は、
技術的問題というよりは吹奏楽コンクールの独特なあの緊張感がそうさせるのかもしれないですし、そうした緊張感というのは
オデッセイ序曲のモチーフとなっているオデュッセウスの悲壮さがもたらしたものなのかもしれないです。
ちなみにあの冒頭のトランペットソロ箇所は、うちの高校の口の悪い先輩に言わせると
「黄桜のCMのカッパっパーに大変よく似ている」そうですけど、確かにそれも一理あるのかもしれないです。
大学のクラリネットのお姉さま先輩は「オデッセイ序曲の冒頭はヴォーン・ウィリアムズのイギリス民謡組曲の第一曲の冒頭に
なんだか似ている」と言われていましたけど、確かにそれもなるほど~という感じもありそうです。


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オデッセイ序曲の元になったオデュッセイアをベースにした吹奏楽オリジナル作品と言うと、
R.W.スミスの交響曲第2番「オデッセイ」も挙げられると思うのですけど、一時期交響曲第1番「ダンテ」や伝説のアイルランド・
海の男たちのうた等で一時期大ブレイクしたスミスも最近ではあまり演奏されなくなっているようにも感じられます。
やはり吹奏楽オリジナル作品の流行り廃りは年々加速するばかりだと思いますし、だからこそ、コーディル等の作品を通して
「古きを訪ねて新しきを知る」が分かって頂ければありがたいです。

最後に・・オデュッセイアをベースにしたアニメ作品と言うと、「宇宙伝説ユリシーズ31」という
1981年制作の日仏合作テレビアニメがありましたけど、あれ・・私も何度かちらっと見たことがありましたけど、
登場している女の子が全然かわいくなかったので見なくなってしまった・・という事もあったものでした・・(汗)
モートン・グールドというアメリカの作曲家は、どちらかと言うと私のような吹奏楽経験者の方が馴染みがあるのかも
しれないです。
グールドというとどこかで聴いたことがあるようなメロディ・・というと「アメリカン・サリュート」がそうなのしれないですけど、
日本で実はいっちば~ん!親しまれているグールドの音楽というのは
テレビ朝日系の「日曜洋画劇場」のエンディングテーマ曲として放送開始(1966年10月)から
2003年9月まで長らく流され続けていたグールド自身の編曲・ピアノ・指揮による「ソー・イン・ラヴ」のような気もします。
モートン・グールドは、クラシック音楽の作曲家という位置づけなのかもしれないですけど、多彩な才能があり、
映画音楽・バレエ音楽・ジャズ・ミュージカルなど多くの分野で作品を残されていて、
作曲家としての顔を有しながらも指揮者としての顔も有しており、RCAレコードに膨大な録音が残されています。
モートン・グールドはコープランドとほぼ同じ時期に活動されていましたけど、
かなり長生きされていて亡くなったのは1996年です。
しかも現役バリバリだったようで、亡くなる翌日すらも元々ディズニーのイベントの指揮を振る予定だったとの事です。

私が高校生ぐらいの頃、吹奏楽やクラシック音楽等について全然何も知らず詳しくも無かった頃、
モートン・グールドとピアノ奏者としてあまりにも著名なグレン・グールドと完璧に混同していて
「ジェリコの作曲者って有名なピアノ奏者の人でもあるの・・?」ととんちんかんな質問をしては
先輩から「おまえ、バッカじゃないの・・!?」と言われていたものです・・(汗)

吹奏楽経験者に限って言うと、モートン・グールドの知名度はグンと跳ね上がるように思えます。
グールドの吹奏楽作品というと、どんな曲が挙げられるのかと言うと、

〇サンタ・フェ・サガ

〇狂詩曲「ジェリコ」

〇吹奏楽のためのバラード

〇ウエストポイント交響曲

〇カウボーイ・ラプソディ

〇アメリカンサリュート~ジョニーが凱旋する時のテーマによる

あたりが有名でしょうし、狂詩曲「ジェリコ」は現在でも吹奏楽コンクールで時折耳にすることもありますし、
根強い人気はあるのかもしれません。

モートン・グールドの吹奏楽曲というと、特に強い人気があるのはアメリカンサリュート・ジェリコ・サンタ・フェ・サガだと
思われますけど、その中でも特に狂詩曲「ジェリコ」は群を抜いていると言えるのかもしれないです。
現役奏者の皆様ですと、「ジェリコ」というとアッペルモント作曲の作品を思い出される方も多いとは思うのですけど、
私みたいな昭和の頃に現役奏者だったオールド吹奏楽世代ですと、
「ジェリコというとグールドじゃん!」とついつい力んでしまいそうです・・(汗)

狂詩曲「ジェリコ」の元ネタは実は旧約聖書です。

「モーセの後継者ヨシュアはジェリコの街を占領しようとしたが、ジェリコの人々は城門を堅く閉ざし、
誰も出入りすることができなかった。主の言葉に従い、イスラエルの民が契約の箱を担いで7日間城壁の周りを廻り、
角笛を吹くと、その巨大なジェリコの城壁が崩れた」というヨシュア記6章のお話が曲のベースになっていると
思われます。

狂詩曲「ジェリコ」はとにかく壮大なスケールの音楽です!
木管セクションによるとてつもなく甲高い響きから開始されるという雄大なプロローグに始まり、
ラッパ作戦・ジェリコの城壁崩壊へと展開され、最後は圧倒的な賛歌で終わるのですけど、
ここにあるのは大変イメージがしやすくて分かりやすい音楽と言う事なのだと思います。
一番分かりやすいのは言うまでもなくこの曲の最大の白眉で聴かせどころの城壁崩壊シーンなのですけど、
あのとてつもない爆音の打楽器と金管セクションによる音楽物語は、旧約聖書のストーリーを全然知らなくても
「なにかとてつもなく巨大なものが壊れていく・・」という具体的なイメージを間違いなく聴いている人の脳に伝えている事が
出来ていると思われます。
最初に私自身、とある市の音楽祭の合同バンドによるジェリコの全曲を初めて生演奏で聴いた時は、あの城壁崩壊シーンの
音楽的迫力と打楽器セクションの視覚的効果と空間の振動には、あまりの衝撃に呆気にとられて
完全に言葉を失ったほどでもありました。
城壁の周囲で角笛を吹くまくるというラッパ作戦におけるトランペットセクションによる凄まじい進軍ファンファーレ的なものも
あまりにもそのものズバリというのか
「音楽というものはこんなにも分かりやすく具体的な場面をイメージさせることも出来るものなのだ!」という事を
見事に聴衆に伝えていると感じられます。
(そうした場面場面を具体的に音楽としてストーリー的に表現している曲の一つがアーノルドの序曲「ピータールー」
なのだと思えます)

狂詩曲「ジェリコ」というと、私よりも一廻り上以上のベリーオールドファンの皆様ですと、真っ先に
1969年の出雲一中を挙げられると思います。
そしてもっと上の世代の皆様ですと泉庄右衛門先生指揮の天王寺商業を挙げられるのかもしれないですね・・
出雲一中のジェリコは、中学生とは到底思えないあまりにも素晴らしすぎる演奏でしたけど、
あの演奏って、当時は、今現在の金銀銅のグループ表彰ではなくて一位~三位といった順位制度を採用していますが、
出雲一中の演奏が3位というのは、「そりゃないでしょ! あれは誰がどう聴いても1位であり、
今津のローマの謝肉祭や豊島のエルザより順位が低いなんて絶対にあり得ない!
ありゃ・・絶対審査員は居眠りしていたか、よっぼど耳がポンコツなのかどちらか一つだね・・・」
と私は今でも確信しています。
この年の今津・豊島第十・出雲第一の演奏は幸いな事にレコード化されていますので、
私の言うことが「本当かよ・・」と思われる方は是非あのレコードを聴いて欲しいなと思ったりもします。

だけど出雲一中のジェリコは、城壁崩壊の前の場面のトランペットによる勇壮な部分が全てカットされていて、
あのシーンも是非聴いてみたかったな・・と思ったりもしますけど、あの年の課題曲は「ふるさとの情景」というどちらかというと
長い課題曲の年でもありましたので、時間制約上難しかったのと、いくら巧いといっても中学生には
あのトランペットの勇壮な部分は技術的にも体力的にも厳しいものはあったのかもしれないですね。

そういう意味においては、プロの演奏も含めて、過去の吹奏楽コンクールの演奏でも
意外と狂詩曲「ジェリコ」の「これが決定的名演」といういわゆる名演が未だに出てこないみたいな感じもあったりします。
多くの皆様はジェリコの名演というとイーストマン・広島ウインド・1969年の出雲第一中学校などを挙げられると
思うのですけど、私にとっての現時点でのジェリコの史上最強の名演というと
1977年の神奈川大学の演奏が今の所、私にとってはいっちば~ん!なのだと思います!
残念ながら、この年の神奈川大学の演奏は、レコード音源がありませんし、
知る人ぞ知る幻の名演みたいになっているのは極めて残念なのですけど、
金管セクションの強烈なリズム感や例の城壁が壊れるシーンの打楽器の大活躍ぶりとか
埋もれてしまうにはあまりにも惜しまれる隠れた名演です。
特に神奈川大学のトランペットセクションとスネアドラム奏者の技術力の高さは素晴らしいと思います。
この時の演奏は、まだ小澤先生が赴任される前の演奏なのですけど、
小澤先生が赴任される前に既に神奈川大学吹奏楽部は
相当のレベルに達していたものと推察されるような演奏なのだと思います。
神奈川大学吹奏楽部は、大学部門においては古今東西圧倒的にNo.1みたいな立ち位置にいると
思いますし、それを実現化した小澤先生の功績はあまりにも偉大過ぎると思いますが、
小澤先生が来られる前においても、77年のジェリコとか
1973年のパーシケッティーの「吹奏楽のための仮面舞踏会」といった歴史に完全に埋もれてしまってはいるけど、
すっかり忘れられてしまった影の名演も実はこんなにもあるんだなぁと改めて感じたものでした。

冒頭で「アメリカン・サリュート」の話が出ましたので、最後にこの曲についても触れさせて頂きたいと思います。

アメリカン・サリュートとは直訳でアメリカ式の敬礼とかアメリカの挨拶という意味なのだと思います。
全体的には大変力強いアメリカの軍隊をイメージしたであろう活発な行進曲となっています。
作曲された当時のアメリカは第二次世界大戦の真っ只中のアメリカという事もありますので、雰囲気的には
アメリカ軍兵士の士気を鼓舞し「日本軍を叩きのめしてしまえ~!」という感じなのかもしれないですけど、
日本人としてはちょっと複雑なのかもしれないですね・・
でもこの曲は演奏会や吹奏楽コンクールでも時折聴く事がありますし、例えば1994年の課題曲があまりにも異様に長い年の
自由曲として、4分程度の曲ということで制限時間内に収まりやすいということで例年よりは多く取り上げられているような
年もありました。

サブタイトルには「ジョニーが凱旋するとき」とありますが、
これはアイルランド出身のアメリカ人パトリック・ギルモアという人が南北戦争時代に北軍の帰還を迎えるために作られた曲で、
現在のアメリカでも大変人気の曲だそうです。
アメリカンサリュートはマーチですが、奏した意味では、「ジョニーが凱旋するとき」のメロディの変奏曲ともいえそうです。
グールドのアメリカン・サリュートは映画でも時折BGMとして効果的に使用されていて、
多分それが「どこかで聴いたことがあるような・・」という感覚に繋がっているのかもしれないです。
例えば、「第十七捕虜収容所」(1953)や「西部開拓史」(1962)、「博士の異常な愛情」(1964)などで使用され、
近年では「ダイ・ハード3」でも使用されていました。

曲は、8分の12拍子の激しい前奏から始まり、最初にファゴットで主題が提示された後に各種変奏が華麗に鳴り響き、
ラストの最終変奏~コーダに至るまで心地よい緊張感と圧倒的なスピーディーぶりで駆け抜けていきます。

アメリカの挨拶というとなんとなく行進曲「星条旗よ、永遠なれ」という感じもありそうですけど、グールドの
「アメリカン・サリュート~ジョニーが凱旋するときのテーマによる」も一つのアメリカ式挨拶なのかもしれないですね~♪

A・リードの「組曲シリーズ」としては計7曲残されています。

吹奏楽のための第1組曲 (1974)
吹奏楽のための第2組曲「ラティーノ・メキシカーナ」 (1979)
吹奏楽のための第3組曲「バレエの情景」 (1981)
吹奏楽のための第4組曲「シティ・オブ・ミュージック」 (1992)
吹奏楽のための第5組曲「インターナショナル・ダンス」 (1995)
吹奏楽のための第6組曲 (1998)
吹奏楽のための第7組曲「センチュリー・オブ・フライト」 (2003)

上記7曲がリードの組曲シリーズなのですけど、この七つの組曲の中では私がいっちば~ん!大好きな曲は
誰がなんといっても吹奏楽のための第2組曲「ラティーノ・メキシカーナ」に尽きると思います!
そしてこの第二組曲は私自身がリードの組曲シリーズの中で唯一演奏した事がある曲ですし、
私自身、高校2年の時にこのリードの第二組曲を吹いて、吹奏楽の面白さや合奏をする事の楽しさ、音楽の躍動感に
覚醒したという想いもあり、私個人としても大変思い入れが強い吹奏楽オリジナル作品の一つです。

リードの組曲シリーズなのですけど、これはあくまで私の個人的感想ではありますが、内容的に優れていると
感じられるのは第四組曲までで、第五組曲以降は
「ちょっと外見的効果に頼りがちなのかも・・」という印象があり、第二組曲・第三組曲のような感銘性までには
至っていないのかな・・?と感じたりもしています・・(汗)
そうしたリードの組曲シリーズに含めてもいいんじゃないのかな・・?と感じられる作品として
吹奏楽のための組曲「ハムレットへの音楽」とか交響的ポートレイト「オセロ」もあるのですけど、これらの作品は
組曲シリーズとしての分類ではなくてリードのシェークスピアシリーズとしての分類の方が宜しいようにも
感じられます。
そして厳密に言うと組曲シリーズには含まれていないのですけど、「小組曲」という作品も組曲シリーズとして分類されても
いいのかな・・?と思ったりもします。
この「小組曲」はリードにしては珍しく地味な作品かもしれないですけど、とっても可憐でチャーミングで
全ての楽章が宝石箱みたいなすてきなメロディーラインが一杯詰められているとても魅力的な作品だと思います。

A.リードの吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」 はラテンのノリが極限にまで昇華され、聴いている方も
そうですけど演奏している方も徐々にエキサイトしていき血が騒ぐ曲そのものだと感じられます。
似たような雰囲気の曲として、管弦楽曲としてはモートン・グールドの「ラテン・アメリカシ・ンフォニエッタ」という曲が挙げられ、
吹奏楽オリジナル作品としては同じくリードの「エル・カミーノ・レアル」が挙げられるのではないかと思います。
モートン・グールドの「ラテン・アメリカシ・ンフォニエッタ」は、ルンバ・タンゴ・グラーチャ・コンガの四曲から構成され、
熱狂あり、スローなだるさあり、ダンスあり、リズム感の切れ抜群であり、曲の構成もリードの第二組曲に結構近いものが
ありそうです。
管弦楽曲なのに、サックスが5本も入り(アルト2 テナー2 バリトン1)とギターも入る点は吹奏楽っぽい雰囲気もあります。
リードの「エル・カミーノ・レアル」は、感覚的には吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」の姉妹作みたいな
ラテン系ノリノリの、まさに「ラテンの血が騒ぐ!」みたいな曲だと思います。
特に冒頭のガツンというインパクトある出だしは、それだけでノックアウトされそうですね~!

そして「エル・カミーノ・レアル」以上にノリノリなラテンの血が騒ぐ曲が同じくA.リードの
吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」だと思います。
吹奏楽のための第三組曲「バレエの情景」が大変上品で洗練された音楽で、第三組曲に相応しいアルコールは
フランスのワインなのかもしれないですけど、第二組曲に相応しいアルコールはテキーラなのかもしれないです。

吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」は下記の四曲から構成されています。

Ⅰ.ソン・モントゥーノ

Ⅱ.タンゴ

Ⅲ.グワラチャ

Ⅳ.パソ・ドブレ!

上記で既に記した通、構成がグールドの「ラテン・アメリカ・シンフォニエッタ」と大体似ているようにも感じられます。
Ⅰがリズム感抜群 Ⅱがだるくて Ⅲがスケルツォ風 Ⅳが豪快に決めるという感じは両曲ともよく似ていますね~♪

吹奏楽のための第二組曲は、キューバやブラジル、アルゼンチン、メキシコなどのラテンアメリカ諸国のそれぞれに根付く、
独自の歌やダンスなどを題材にした一風変わった作品とも言えます。
計4つの楽章から構成されている組曲は、楽章ごとにモチーフとなった音楽が異なるため
同じラテンミュージックの雰囲気ではありながら、それぞれで全く違った曲想を味わうことが出来ます。
一つの組曲で四つ美味しいものが味わえるとも言える事が出来ると思います。
Ⅰ.ソン・モントゥーノ は、冒頭のガッツーン!というパンチの効いた雰囲気が瞬時にラテンの世界へ引き込んでしまうようにも
感じられます。
リズムのノリの良さも素晴らしいですね!
中間部あたりの少しけだるい雰囲気もスローなダンスミュージックみたいですし、
その部分のミュートを付けたトランペットのリズムの支えがエキゾティックであり、ここにマラカス・クラヴェス・ティンバレスと
いったラテン・パーカッションのリズミカルなノリも加わり、曲全体が最高潮に達した所で曲が一気に閉じられます。
Ⅱ.タンゴ は、サスペンダーシンバルの響きをバックに優雅なクラリネットソロから開始され、
ファンタジーな雰囲気を終始キープしたままスローな音楽がけだるけに展開されていき、
ラテン・アメリカのロマンティックな夜の情景が見事に描かれていると思います。
感覚としてはサバンナの熱帯夜という雰囲気もありそうですけど、抒情性がより強く感じ取れるというのがサバンナとの
違いなのかもしれないです。
Ⅲ.グワラチャ は、序盤からクラリネットセクションの細かい動きが大変面白いのですけど、クラリネットにとっては
背後のラテンリズムのパーカッション(特にマラカス)の細かい動きに時に惑わされつつも、一定のテンポをキープするには
かなり厄介なものがありそうです。
Ⅳ.パソ・ドブレ! はとにかく高揚感溢れる音楽です!
高らかなファンファーレによって開始されそれに続くトランペットのソロによってあっという間に闘牛場での牛同士の決闘を
間近で見ているような錯覚に陥りそうです。
中間部の3拍子はおおらかさを感じますし、ラスト近くは5/4拍子と3/4拍子のリズミカルさが交錯する中で、
スケールの大きな音楽となってクライマックスまで一気に突撃していきます!

私自身、この第二組曲は高校2年の定期演奏会で吹いたのですけど、とにかくこの曲ほど
「楽しいなぁ~」とか「吹くのが楽しいし気持ちがいい!!」と感じさせる曲は無いと思います。
技術的には、決して簡単な曲ではないし、特にⅢのクラリネットの細かい動きは結構大変だし、
Ⅳの四分の3+2拍子という日本人には中々そのノリが表現しづらいやっかいさというのもありましたけど、
とにかく「音楽ってこんなに楽しいんだーーー!!」という事を心の底から実感出来た曲ですし
気持ちの良い高揚感溢れる音楽だったと思います。
特にⅣのパソ・ドブレの中間部の木管セクションによる流れるようなメロディーラインの展開とラスト近くの
終結部まで一気になだれこむあのノリのよさは指揮者にとっても演奏者にとっても聴衆にとっても一つの快楽と
いえるのかもしれないです。
私自身、Ⅳのパソ・ドブレ!は、中間部の三拍子ののびやかな雰囲気と終結部の高揚感は、
演奏会の本番中でも「音楽ってこんなにいいもんなんだ!!」と半分涙ぐみながら(?)のびのび楽しく吹いていたのが
私自身とっても印象的でした。
Ⅳのパソ・ドブレで使用されるタンバリンとカスタネットの響きは、ラテンのノリでもありましたし、スペインのノリとも
言えそうでした。
リードの第二組曲の前に演奏した曲がミッチェルの「海のうた」でしたけど、この曲の前半の歌い廻しが
クラリネット奏者にとっては感情が自然とこみあげてくるもの以外の何物でもありませんでしたけど、
海のうたとリードの第二組曲は、練習中も演奏会の本番でもとにかくこみあげてくる感情に吹いている本人がじーんとくる
曲でもあったと思います。

リードの第二組曲はソロ部分がかなりあり、各ソロ担当は腕の見せ所と言えそうです。

Ⅱのオーボエ・クラリネット
Ⅲのクラリネット
Ⅳのクラリネット・オーボエ・フルート・トランペット
特にⅣのトランペットソロは本当に恰好がいいです~♪
あの部分はいかにも闘牛士の入場!みたいな雰囲気に溢れていると思います。
この曲は最低でも7人の打楽器奏者は必要とするのですけど、男子高校の慢性的部員不足の中では、打楽器パートだけに
そんな人員は充当できる余裕はなかったもので、そうなると必然的に第二組曲だけは、
他パートから部員をレンタルせざるを得なくなってしまいます。
その場合誰が打楽器パートに左遷(栄転?)させられたかと言うと、チューバパートとユーフォニアムパートの1年生であり、
「えーーー、なんで俺が!!」と終始文句たらたら言っていたせいもあり、本人も結局最後まで第二組曲だけ
打楽器に振り分けられるのが納得いかなかったようでして、練習もテキトーにやっていたら見事に天誅が下ってしまい、
本番中のⅢにおいて担当楽器のマラカスが廻りとリズムが狂いまくってこの楽章はぼ崩壊状態になってしまい、
演奏会時のアンケートにおいて、かなりの皆様から
「第二組曲のマラカス奏者、打楽器やる気あるのかよ~」みたいな事を書かれていたり
「マラカス奏者のリズム音痴振りは言語道断」とかなり酷評されていましたけど、当の本人たちは
「自分は打楽器じゃなくてチューバ(ユーフォ)なんだけどなぁ・・」と思いっきり凹んでいましたが、
それはむしろ自業自得なのかもしれないです・・

最後に、この年の定期演奏会の選曲時のエピソードについて触れたいと思います。

私たちの高校は音楽を指導できる教師が当時誰もいなかったこともあり、毎年生徒の中から指揮者を選び、
吹奏楽コンクールも定期演奏会等も生徒が自主的に運営すると言う事もあり、定期演奏会の選曲も全て部員たちによって
自主的に絵ラバれていました。

ファーストステージは吹奏楽オリジナル曲から構成し、 セカンドステージがポップスのみで、
サードステージがクラシックアレンジという構成で、サードステージの曲目は簡単に決まったものの
ファーストステージは難産を極めました。
当初の話し合いでは、部員全員の投票で上位三曲で決定という流れでした。
一応経緯を簡単に書くと、事前に全部員が自分がやりたい曲を2曲まで候補曲として提出し、
そうした曲をパートリーダー会議で全部の候補曲を聴きスコアの審査を行った上で
ファーストステージ候補曲として10曲まで絞り込み、その曲の参考演奏を実際に全員で聴き、スコアを簡単に見た上で、
部員全員による投票を行うというものでした。

そして投票が始まりました。

その結果なのですけど、

第一位 海のうた
第二位 吹奏楽のための第二組曲(リード)
第三位 吹奏楽のための第三組曲(ジエィガー)
というものでした。

実はこの結果は、私自身が投票した曲とピタリと一致するもので、我ながら「あー、すごーい」と
自分自身でも驚いたものですが、その後、部員の中には色々と面倒くさい人がいたり超理屈っぽい人もいたりと
結構大変なのですけど、
「同一ステージで組曲を二つ演奏するとはおかしくないか・・」という意見が相次ぎ
色々と話し合いの結果、第三位のジェイガー/第三組曲と第四位から第八位までの曲を再度投票して
決めようという事となりました。
その結果出てきたのが、部員誰もが予想外の曲/兼田敏「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」でした。
だけど、上位一位のパッサカリアと第二位のリード/ジュビラント序曲の差がわずか一票差であり
再度喧々諤々の討論の末、パッサカリアとジュビラントを決選投票にかけ、多い方を文句なく
選出するという事で落ち着き、その結果、ジュビラント序曲が選ばれたものでした。

話し合い開始から決着がつくまで5時間程度かかったと思います。
難産の末の決定でしたが、
全員「こりゃ、しゃーないな」という雰囲気だったのが本当に印象的でした。

こういう事は、指揮者の先生が一方的にコンクールやコンサートの曲を決めることが多いのが一般的な中、
顧問の先生がいなくて生徒のみの運営という
いかにも自分達の高校らしい曲の決め方ではあったと思いますけど、こういう経緯があったりすると、
練習中においても。多少難しい個所があったとしも、練習時に中々アンサンブルの整理が出来ていなくても
「みんなで決めたのだから・・」みたいな部員全員の「想い」は大変強かったと思いますし、
結果的に、「一つの音楽」としてまとまったのだと思いました。

私自身、A.リード / 吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」を吹奏楽コンクールで初めて聴いたのは、
1981年の東北大会の日大山形高校でしたけど、
あの年の現代音楽など難しい選曲が多い中、日大山形の第二組曲~Ⅳ.パソ・ドブレののびやかな演奏は
大変印象的でもありました。
この曲は現時点で3回全国大会で演奏されていますけど、正直どの演奏も決定打になっていませんので、この曲を
令和の時代として新しい感覚で素晴らしい名演が今後出てくる事を大いに期待させて頂きたいと思います。
連日連日暑いですね~

この暑さも多分ですけどあと一か月程度も残暑として我慢すれば、いつの間にか季節は秋へと移っていくと思いますので、
後しばらくの辛抱なのかもしれないです。

そうした夏の暑さがどうにもこうにも我慢の限界を超えた際には、気分だけでもひんやりとした涼しげな音楽でも
聴いてみたいものです。
そうした夏の暑さを瞬間的に忘れさせてくれる吹奏楽オリジナル作品の一つが、V.パーシケッティーの「ああ、涼しい谷間」だと
思いますが、吹奏楽コンクールの課題曲としては1987年の課題曲Bの「渚スコープ」と言えるのかもしれないです。

風紋が課題曲となった1987年とその前年の1986年は課題曲の当たり年だったと思います!。

特に1986年の課題曲、変容・嗚呼!・序曲・テイクオフはどれも全て名曲揃いなので
選ぶ方も大変でしょうし、こういうのを「嬉しい悲鳴」と言うのかもしれませんよね。
私の大学の吹奏楽団は、B/嗚呼!を選曲しましたけど、
私自身としては、A/吹奏楽のための変容かC/吹奏楽のための序曲を演奏したかったというのが偽らざる本音で
あったりもします・・(汗・・)

そして1987年も負けず劣らずの名曲揃いの当たり年でした!

この年はA/風紋とE/マーチ「ハロー!サンシャイン」に人気が集中し、
結果として、B/渚スコープ C/コンサートマーチ87 D/ムービング・オンの演奏頻度がかなり低かったのは
何か気の毒なような気がします。
渚スコープとかムービング・オンは、もっともっと色々なチームが取り上げて演奏して欲しかったような気がしてならないです。

吹奏楽コンクール史上不滅の名曲で今でも名作の誉れ高いといった評価を受け続けている
「風紋」のおかけで、1987年の課題曲B/渚スコープの印象は薄いように感じるのは実はもったいない感じもあったりします。
全国大会でもこの課題曲を選曲したのは、中学1 高校4 大学1のわずか6チームだけでしたし、
興味深い事に、高校の部で「渚スコープ」を選んだのは全て関東代表のチームというのも面白いものがあると思います。
確かに人気はいま一歩だったかもしれませんけど課題曲Bの「渚スコープ」は、素晴らしい名曲だと思います。
コンクールの課題曲の中で、初めから終わりまで終始ゆったりとしたテンポで演奏され、アレグロの部分も無く
激しいffの部分がほぼ皆無という物静かな課題曲は極めて珍しいので その意味でも画期的だったと思います。

渚スコープの印象は、とにかく繊細なフランス風という感じです。

言葉にするのは難しいのだけど、ドビュッシーの「海」の世界に通ずるような世界観を持った曲のような気がします。
タイトルは「渚スコープ」となっているのですけど、私がこの曲に勝手に副題を付けるとすると、
「ある夏の日の思い出」みたいな感じになるのかもしれないです。
具体的な「渚」を描写したような曲でないのは間違いはないのですけど、
「ある夏の日に、自分が目の前で見た風景」についてそれを自分の心がどのようにそれを
感じ取ったのかを描いたような曲と言えるのかもしれないです。

とにかく全体的に繊細でもろくてガラス細工みたいに
何かちょっと強く抱きしめただけで脆く崩れ去りそうな曲だと感じます。
全体的にあやうさ、脆さ、「砂上の楼閣」みたいな雰囲気が感じられ、
そうしたガラス細工のような脆さと繊細さと儚さと美しさがこの曲の持つ最大の魅力だと思います。

この曲は出だしから大変モヤモヤした感じで開始されます。
うっかりしていると、どこがメロディーラインなのかよく分からない内にトロンボーンソロが始まってしまう事もありそうです。
吹奏楽コンクールの課題曲でゆったりとした部分でトロンボーンソロを使う例は
あまり聞いたことがないだけに、この部分はかなり意表を突かれますけど、大胆かつ新鮮な表現のようにも感じられます。
今にして思うと出だしのクラリネットのモヤモヤワサワサとした感じは、波打ち際をイメージしているのかもしれないです。

全体的には物静かな印象があり、出だしから中間部のトランペットソロあたりまではもの悲しさ・哀愁が全体の雰囲気をリード
しているのですけど、このトランペットのソロあたりからは多少盛り上がり
この部分はどことなくホッ・・とするような」感じもあったりはします。
後はゆったりと静かに閉じられ、やはりこの曲は「何かもの哀しい曲なんだな・・」というものも感じさせてくれます。

先程この曲の副題は「ある夏の日の思い出」がぴったりとか書きましたけど
そういう「もの悲しい思い出」とは何なのかな・・?
ひと夏のi苦くて痛い経験とか海岸を背景にした失恋物語とかそういうものなのかな・・??

この曲はスコア的にはそれほど難しい技術は必要としないのですけど、表現方法は大変難しいと思います。
何よりもこの課題曲をされなりに仕上げるためには相当の洗練された音色が必要なのですけど、
こうした音色作りの難しさと終始ゆったりとした構成が、
この曲が内容的には大変素晴らしいものを持っているのに、今一つ人気が出なかった理由なのかもしれないです。
この曲で使用される打楽器の中ではタンバリンが意外といい味を出していて、
タンバリンの鈴を利用したサラサラという音色はいかにも砂浜をイメージさせてくれていると思います。

この課題曲を語る上で絶対に外すことが出来ない演奏が一つあります。

それが何かと言うと市立習志野高校の演奏なのですけど、
このチームのあまりにも高校生離れした透明感溢れる音の清潔さはまさにため息ものだと思います。
そして何よりもとにかく表現が自由自在というのか、瞬間的に「間」をとったり、テンポルバートといって音を自在に揺らしてみたり
音楽が「自由」そのものです。
そして音色とサウンドがどこまでも洗練され透明感に溢れているので、敵無しという感じの演奏だったと思います。
この年の自由曲「ダフニスとクローエ」第二組曲~パントマイム・全員の踊りの
圧倒的な音の透明感・洗練さと合せてサウンドの清潔さが印象に残る演奏でした。

他には習志野と同様に音色の清潔感が印象的な市立柏も素晴らしい演奏を聴かせてくれていましたし、
個性的な演奏なのだけど、トランペットミスが惜しまれ全体的に細部の詰めが甘い市立川口が
印象的な演奏を聴かせてくれました。
埼玉栄は金賞なのだけど、全体にモヤモヤした演奏で、何を言いたいのかその意図は全く伝わってきませんでした。
(BPの講評では、埼玉栄の生徒さん達は、この日の演奏は√2のようなもので何か割り切らない演奏と
 言っていましたけど、まさにその通り・・・!!という感じだったと思います)

知る人ぞ知る演奏ですけど、関西大会の洛南高校も音色の洗練度は今一つながら、
「ある夏の日の思い出」みたいな音楽のストーリー性は不思議とよくイメージできる演奏であり
私は自由曲の「ダンス・フォラトゥーラ」と共に結構好きな演奏です。

こういう繊細なガラス細工のような不思議な課題曲もたまにはあってもいいのかもしれないですし、間もなく終わりを迎える
夏のイメージにはうってつけの課題曲と言えそうです。

V.パーシケッティーの吹奏楽オリジナル作品の「吹奏楽のための仮面舞踏会」は当ブログでも過去に何度か
語らさせて頂いた事はあるのですけど、ブログというものは過去記事に埋もれてしまうという事は実はあったりしまして、
古い記事と言うのはどうしても中々現在の当ブログをご覧になっている方にはなかなか見て頂けないという事もありますので、
改めてなのですけど、パーシケッティーの吹奏楽のための仮面舞踏会について再度語らさせて頂きたいと思います。





本記事の一つ後の記事が東方Projectの秦こころという66種類の仮面を自由自在に操り、
喜怒哀楽を含めた多種多様な感情を描いた仮面を 自分の周囲に浮かべ、実際にこころが被った仮面によって性格が
多様に変化するといった付喪神についての記事でもありますので、「仮面」が持つ妖しさ・多種多様なうつろゆく心情の表現
という意味においては、このパーシケッティーの仮面舞踏会が本日のセカンド記事というのも
カップリングとしては決して悪くは無いと思っています。

「仮面舞踏会」というと、日本人にはあまり馴染みがない分野なのかもしれませんけど、
クラシック音楽の上ではヴェルディーの歌劇「仮面舞踏会」が多少は知られているのかもしれませんし、最近では
女子フィギュアスケートのBGMに選ばれたという事でハチャトゥーリアンの組曲「仮面舞踏会」~Ⅰ.ワルツの知名度も
そこそこあるのかもしれないです。

「仮面」といいますと、私にとってはとてつもなく魅力に感じる部分が多々あったりもしまして、
普段なかなか表現できない本来内省的に自分が有しているはずだけどそれを表にすんなりと出せないキャラクターを
仮面というものをあえて身に付ける事で表面的な自分を一旦表面上隠蔽した上で演じられるという事に
何か不思議な魅力を感じたりもします。
仮面と言うものは換言すると変身願望の一種なのかもしれませんよね。
私自身の勝手な感覚なのですけど、仮面というと、
本来自分が有しているキャラを隠して本来自分が有していないキャラを意図的に演じる事が出来るアイテムという
感覚があったりもします。
自分が元々有しているキャラを隠蔽し、別のキャラを演じる事で
何か「今までの自分とは違ったもの」を見出してみたいという意図が多少はあるのかもしれないですし、
これがどことなく妖しさ・ミステリアスさを感じさせてくれているのかもしれないです。
そして「仮面舞踏会」というと、どことなく妖しげな男女の出会いの場という雰囲気も感じたりもします。
私自身は今まで生涯でお見合いという経験をした事が一度もないのですけど、
男女の最初の出会いの場が「仮面舞踏会」みたいに、お互いの顔・身分・素性を全て
隠した上で、演じたキャラの上でお互いの最初の出会いの場に臨むというのも面白い感じはあったりもします。

パーシケッティーというと日本ではほとんど忘れられた作曲家かもしれませんが、私はとにかく大好きな作曲家の一人で
「吹奏楽オリジナル曲で好きな曲を10曲挙げなさい」という質問をされたら、
「吹奏楽のための仮面舞踏会」と交響曲第6番「吹奏楽のシンフォニー」は確実にランクインするくらい
大好きな作曲家の一人です。

パーシケッティーの吹奏楽のための「仮面舞踏会」は、正直とても難解な曲だと思います。
どこがメロディーラインで、何を言いたい曲なのか、それを明確に伝える事は大変難しいようにも思えます。
例えばこの曲をご存知ない方100人にこの曲をいきなり聴いてもらったら 、恐らく98~99人の方は
「よく分からない」・「訳がわからない」という印象を持たれそうな気がします。
私はこの曲は昔も今もとっても大好きです! 最初にこの曲を聴いたのが1986年頃でしたので、もう30年以上も
「大好き!」という感情を有しているのだと思います。
この曲の魅力って何なのかな・・?と考えた時、素性を隠すとか妖しげな雰囲気と言えるのかもしれないです。
拍子は変拍子ばかりだし、不協和音が多いし、メロディーラインがよく分からないし
一見聴くと確かに「訳がわからん曲」なのかもしれません。
くどいようですけど、その妖しげな感覚が私にとってはたまらない魅力なのです!
妖しいは妖しいでもつかみどころがなく正体不明の不気味な感じで、聴くだけでそうした謎めいたミステリアスさの虜に
なってしまうという感じてもありますし、東方Projectの登場キャラに例えると私が愛してやまないミステリアスで胡散臭い
ゆかりん=八雲紫様の雰囲気に限りなく近いようなものも感じ取ってしまいます。
この曲の変奏形式の次から次へとメロディーラインが変化していく様子は、東方に例えると、確かにゆかりんでもあるのですが、
本人が仮面の付喪神でもあり、多種多様な感情を操りながらも本人自体の表情は常にポーカーフェイスという
秦こころにもよく合っているようにも感じられます。

この曲は、6小節程度の短い「主題」の提示とそれに続く10の変奏、そしてラストの劇的なコーダによって構成されていますので
見方によっては一つの変奏曲と言えるのかもしれません。
出だしの劇的で不協和音に満ちた短い序奏にはじまり、
不安げなトランペットと低音セクションが何やら不気味な感じを演出する第一変奏、
細かく動く打楽器をベースに不気味に激しく展開されていく第二・第三変奏を経て
妖しげなオーボエのソロから開始される第四変奏へと展開し、一旦激しく盛り上がる第五変奏へと
続いていきます。
そしてユーフォニウムのやはり不安げなソロとかミュートを付けたトランペットの哀愁溢れるソロへと
つながる第六変奏になるのですけど、この部分のアルトサックスの何やら本当に妖しいリズムの支えと
清涼感とヒンヤリ感溢れる木管セクションの美しい響きは背筋がぞっとするほどの「美的限界」があるのだと思います。
そして第七~第十変奏は、打楽器・金管楽器が大活躍し、特にシロフォン・トムトムの響きが極めて印象的です。
そしてこの激しく盛り上がる変奏を経てラストのコーダまで一気に曲が展開していき 華麗に曲が閉じられていきます。

全体的には、難解・訳が分からないという印象が強いのですけど、
言葉にできないほどなにやら妖しい雰囲気とソロ楽器の扱い方の巧みさは本当に上手いと思います。

確かに分かりにくい曲なのですけど 、分かる人にはたまらない!という感じの曲なのだと思います。

最近ではコンクールの自由曲でも演奏会でもこの曲は全く取り上げられていませんよね・・・(泣)
プロの演奏会やプロチームのCDには結構取り上げられているのはこの曲の持つ通好みというのはありそうな気もします。
最近でもないけど、広島ウインドオーケストラの定期演奏会でこの曲が演奏されていました。
また、東京佼成とか武蔵野音大とか結構CD化もされているので
「わかる人にはわかる音楽」という事なのかもしれないですね。

吹奏楽のための仮面舞踏会は、吹奏楽コンクールではこれまでに三回全国大会で演奏されています。
一番最初が1973年の神奈川大学、二度目が1980年の名古屋電気高校、三度目が同年のヤマハ東京、
神奈川大学は小澤先生着任前の時代の演奏ですけど、悪くはありませんし曲は無難に消化できています。
ただ音楽的な感銘度と言う意味ではかなり低いと私的には感じられます。
名古屋電気は非常にサウンドが美しいし、トランペットのソロが素晴らしいと思います。
カットが強引なせいもあるけど、「何を言いたいのか」はあまりよく伝わらない勿体ない感じは否定できないと思います。
この三つの中ではヤマハ東京が一番よい仕上がりだと思います。
当時の職場の部は、金賞以外はレコード化されない為
仕方が無いので、私はわざわざトラヤ(1990年に倒産・・・)にカスタムテープを発注し
カセットテープにてこのチームの課題曲・自由曲を聴くことが出来ました。
名古屋電気に比べてカットの頻度が短いせいもあり、この曲本来の魅力がかなりよく発揮されていると思います。
特にアルトサックスの響きが実に秀逸だと思いますし、トランペットのソロも巧いと思います。

この曲は、フェネル指揮/東京佼成の素晴らしい録音も大変素晴らしいと思うのですけど、
私にとってのこの曲の決定盤は、ハンスバーガー指揮/イーストマンウインドに尽きると思います!
ハンスバーガー指揮の演奏は残念ながらいまだにCD化されていません・・・
1987年にパーシケッティーが逝去された際、
日曜の朝のFMで放送された「ブラスのひびき」にて「追悼 パーシケッティー」の特集があり
ここでハンスバーガー指揮での「仮面舞踏会」が放送されていましたが、その際にカセットテープにて録音出来た
事は今にして思うと大変ありがたい事でした。
この演奏はテープが擦り切れるまで何度も聴いたものですけど、
その演奏レベルの高さ・何かを確実に伝える感銘度の高さ・音楽的表現の高さは本当に素晴らしいものがありました。
何とかこの演奏、作品全集という形でもいいから、ハンスバーガー指揮版をCD化・発売をして頂きたいです!
あの演奏がこのまま埋もれてしまうには、私にとっては世界遺産の喪失といっても過言では無いような気がします。

最後に少しばかり余談を・・
パーシケッティーの他の作品というと交響曲第6番「吹奏楽のシンフォニー」も絶対に忘れてはいけない素晴らしい不滅の名曲
だと思います。

交響曲第6番は、音楽解説書風に書くと「新古典主義」的な作風です。
四楽章構成で、各楽章が短めながらも、全て引き締まって書かれていて、音楽に全く無駄がないと感じる作品でもあります。
曲自体、全ての楽章に何か霊感的なもの・インスピレーションを感じるほど
独創的なアィディアが詰まっていて、音楽のおもちゃ箱、宝石箱みたいな楽しさもそこにはあると思います。
第一楽章の小太鼓・トムトムで表現される何かせわしい感じの一方で大らかな空気も感じ、
第二楽章の一転してゆったりとした祈りのような歌の世界も美しさの極みですし、
第三楽章の「民謡」を思い出させるようなしみじみとした歌はどこか何か懐かしい感じもします。
第四楽章のメカニック的にアレグロなのですけど、突進する中にもスピード感や清涼感も
感じ取ることが出来、一気にクライマックスまで駆け上がります。

作風としては、確かに新古典主義時代のストラヴィンスキーにも何となく近いような印象もあるのですが、
やはり全編を通じてのあの霊感はさすがとしか言いようがないです。
打楽器も、目立ってはいるのですが決して派手と言う訳でもなく、
ティンパニ・大太鼓・小太鼓・シンバル・タンバリン・シロフォーン・トムトム程度しか使用していないのに
管楽器を引き立たせる香辛料としての役割もさりげなく果たしている所が心憎いです。

この交響曲のCDは、断然何と言ってもハンスバーガー指揮/イーストマンが圧倒的お勧めです!!
ライヴ録音とは思えない精密な作りに加えて、ライブ独特の高揚感も出ています。
ハンスバーガー指揮/イーストマンの組合せにおいて、交響曲第6番の方は初期の頃からCDがされているのに、
「仮面舞踏会」の方はCD化がされていないのはちょっと寂しいものはありますね~!
長い吹奏楽コンクールの歴史においてはどうしても忘れられてしまう演奏とか
「そんな曲が吹奏楽にアレンジされて吹奏楽コンクールで演奏されていた事もあるんだ・・知らなかった・・」などのように
知る人ぞ知る幻みたいな演奏が出てきてしまうのは仕方がない事だとも思っています。
そうした「忘れられた演奏」の一つなのですけど、どうしても忘れられない演奏であり、私自身が
その演奏に多大な影響を受けたという事もあり、
絶対に「歴史に埋もれてはいけない演奏」というのも幾つかあるとは思うのですが、
その中の一つが、1982年に東海地区代表として全国大会に出場し、松村禎三の交響曲より第三楽章を演奏した
長野県の屋代高校だと私自身感じております。

過去の当ブログにおいて、屋代高校吹奏楽部による松村禎三の交響曲については何度か語らさせて頂いた事は
あるのですけど、ブログというものは過去記事に埋もれてしまうという事は実はあったりしまして、
古い記事と言うのはどうしても中々現在の当ブログをご覧になっている方にはなかなか見て頂けないという事もありますので、
改めてなのですけど、屋代高校吹奏楽部と松村禎三の交響曲(第一番)について再度語らさせて頂きたいと思います。

1982年の仁賀保高校の矢代秋雄/交響曲とか、屋代高校の松村禎三/交響曲の
演奏によって、私自身が邦人現代音楽に興味を持つようになった経緯もあるため、
この屋代高校の演奏は、仁賀保高校の演奏と共に私にとっては大変思い入れのある曲の一つです。
(厳密に言うと私自身が邦人作品に関心を抱く大きなきっかけは、1981年の東北大会の大曲高校による
三善晃の交響三章~第二楽章の劇的な緊張感なのだと思います)

以前何かの本で読んだのですけど
(立ち読みだったため、本のタイトルは忘れましたけど確か邦人作曲家に関する著作だったような記憶があります)
松村禎三氏自身、1982年の全日本吹奏楽コンクールの高校の部を聴きに 普門館の会場に自ら足を運び、
屋代高校の演奏を聴き、大変満足されたとの記述が確かあったように記憶しています。
これって結構すごい事かもしれないですね・・・
もしも演奏する立場だったら・・・、もしも事前に作曲者自ら普門館まで足を運ぶという事を
知っていたとしたら、とてつもなくプレッシャーが掛るかもしれませんよね・・・・(汗・・)

松村禎三の交響曲自体、吹奏楽コンクールで演奏される事は・・・・うーーん、ほとんどありません・・・・
過去の吹奏楽コンクールにおいて松村禎三の交響曲が演奏されたことは2回に留まっています。

しかし、その2回とも支部大会を通過し全国大会で演奏されています。
一つが屋代高校で、もう一つは1983年の東海大学です。
ちなみに東海大学は第一楽章の方を演奏しています。
私は個人的には、屋代高校の演奏も東海大学の演奏も両方大好きですし、両チームとも
松村禎三の「すさまじい破壊的エネルギーのパワー」の世界を見事に表現していると思います。

1982年当時の東海地区の高校の部は、名電・浜松工業・東海第一の三大巨人がしのぎを削っていましたが、
浜工と東海第一を蹴落としての全国出場はお見事だと思います。
というか、長野県の普通の県立高校で、特に音楽的教育を日常的に受けていない生徒の皆さん方が
ああやって松村禎三の交響曲の世界を見事に表現されただけではなく、
結果的に吹奏楽コンクールの名門校を撃破しての全国大会出場は大変立派な事だと思います。
この事実は、同じく田舎の県立高校の楽器も予算も実績も何もない吹奏楽部員に対して
どれだけ「希望」を与えてくれたものか!!
そういう意味でも、この屋代高校や仁賀保高校の演奏は私は大好きですね。

さてさて、1982年のその屋代高校の演奏なのですけど、改めてはっきりと申し上げますと、
正直言って技術的には決して超高校級の怒涛の名演ではありません。
1982年の高校の部の圧倒的な第一位と感じている仁賀保高校の超絶的技術と音楽的解釈の
素晴らしさ・透明感に高校生離れした卓抜したスピード感と切れの良さみたいな技術の高さはほぼ皆無だと思います。
結果的に屋代高校はこの年の高校の部において銅賞を受賞し、私個人の客観的評価としては、出来としては、
そうですね・・下から2~3番目ぐらいの演奏なのかなぁ・・というのが本当に正直な意見です。
というか、よくこの技術であんな激戦の東海大会を突破できたのか不思議なくらいです。

屋代高校の演奏は確かに難もあります。
木管楽器、特にクラリネットセクションがあまりにも貧弱というか、音が薄過ぎというのが最初から最後まで
かなり引っかかってしまいます。
(課題曲の序奏とアレグロも音楽的解釈とあの無機質的なスピード感はこの課題曲の本質を理解している数少ない
演奏の一つだと私は思っているのですけど、そうした素晴らしい解釈を木管・・特にクラリネットセクションが少々もたつくことに
よって台無しにしているような箇所が幾つもあるのは大変勿体ないと感じております)
特に冒頭部分なんか、あまりにも貧弱すぎて
「サウンドがうすべったく貧相で平板・・」みたいな印象を与えてしまいます。

だけどffでのパワーは原曲に迫るものもあります。
アレンジは素晴らしいですね! 原曲を再現しながらも、独自の吹奏楽としての色彩感も出しています。
いい例がコンサートチャイムの使い方だと思います。
中間部での強奏において、原曲では、ピアノがそのリズムを支える役割がありますが、
屋代高校では、ピアノの代わりにコンサートチャイムを何と二台も使用し、斬新な響きを展開させていきます。
チューバなどの低音楽器も比較的大胆に使用し、重圧感も醸し出していたと思います。
「ヒヒーン」とも聞こえる馬の悲鳴みたいなトランペットの音の響かせ方とか
ラスト近くの小太鼓の凄まじいロールとかラストのコンサートチャイムの2台の荘厳な響きとか
打楽器セクションの圧倒的存在感とか(特にトムトムの響きが圧巻ですね!)
一旦静粛になった部分でのオーボエのつぶやくようなメロディーの歌わせ方とか
大胆不敵とも感じられるチューバセクションの低音の響かせ方などなど随所に燦然と光り輝くものがあると思います。
そして何よりもあの松村禎三らしい「すさまじいエネルギーのかたまり」をダイナミックスレンジを幅広く駆使しながら
流れるように表現できていたのは素晴らしいものがあると思いますし、
この点は、吹奏楽コンクールにおける「表現」という評価ポイントにおいては、満点に近い評価があっても当然ではないのかな
とも感じたものでした。
たった一つの音の塊が時の経過とともに「巨大な音のうねり」と変容化していく様子が「音の絵巻」として
的確に表現されているようにも私には感じられたりもします。

この屋代高校の演奏が特に秀でている点は、奏者全員がこの難解な曲をよく理解したうえで
「自分たちはこのように吹きたい!」という意思と主張が明確に伝わっている点と
弱奏と強奏のダイナミックスレンジの幅が驚異的に高いという事なのだと思います。
それゆえに冒頭とか弱奏部分の木管セクションの「サウンドの貧弱さ」が大変勿体ないですし惜しまれます!!
その点をもう少しきちんと整理されて演奏されていたならば、もう少し高い評価は出ていたような気さえします。
中間部とか終結部のffの表現・雰囲気が実に素晴らしかっただけに
音の薄い部分に対して、もうひと工夫はほしかったですし、この点は大変惜しまれます。

だけど、松村禎三の「和の圧倒的エネルギーの世界」をあそこまで的確に表現し、
確実に聴衆に対して「何か」を伝え、あの演奏から既に35年以上経過した現在においても
「私」という存在に今でも「感銘」を残しているのは、あの屋代高校の演奏なのです。
私自身は、「松村禎三の世界」は屋代高校のあの素晴らしい演奏を通して初めて知ることになったのですから、
やはりその意味でも大変意義の大きい演奏だといえると思います。
そうした意味では、昨年・・2017年にご逝去された花輪高校の小林久仁郎先生が指揮された
ウォルトンの交響曲第一番の演奏を東北大会で聴くことで一気にクラシック音楽の深い森の中に迷い込んでしまった
構図と似ているものがあると思います。

とにかく屋代高校は、普通の先生と生徒たちが夏の間に手作りで自分達の音楽を作り上げ
自分達なりに表現できたと言う意味で本当に素晴らしいと思いますし、
1982年の全国大会で見事に松村禎三の世界を表現された屋代高校の指揮者と生徒の皆様に
あの演奏から36年経過後の私から心の底から敬意を表したいと思います。

本当にありがとうございました!!

結果として、評価としては銅賞なのですけど、
そんなのこの演奏の前では全く無意味に感じます。
だって、コンクールの評価とは、絶対的なものではなくて、あくまで複数の審査員の点数を集計した数値を
相対的に評価しただけのものに過ぎません!
少なくとも、「私」には、銅賞以上の何か大切なものを間違いなく伝えてくれました。

私自身、松村禎三の交響曲(第一番)を管弦楽の原曲版を全楽章ノーカットで一度だけなのですけど
プロの演奏を聴くことができたのは本当に幸いなことでした!

松村禎三の交響曲は、個人的に大好きな曲の一つです。
残念ながら生で聴く機会は極めて少ないのですが、これまでの私の生涯の中でたった一度だけ
この曲を聴く機会に恵まれました。
確か1992年の冬だったと思いますが、
都響のサントリーホールにおける定期演奏会にて、「オール松村禎三プログラム」が組まれていました。

曲目は・・・・

〇管弦楽のための前奏曲

〇ピアノ協奏曲第二番

〇交響曲

という構成で、確か指揮者は岩城宏之だったと記憶しています。

松村禎三は、後に交響曲第2番を発表していますけど、
この都響の演奏会の頃とか1982年の屋代高校の演奏時においては、2番はまだ未発表でしたので、
この時点では「交響曲」という表示になってしまいます。

私、この松村禎三の作品展を聴きに行くため、1992年は山梨県在住でしたけど、
「都内の叔母が危篤状態・・・」と大嘘をつき、有給を取得し、わざわざこの演奏会を聴くためだけに
上京したのは今となっては大変懐かしい思い出です・・(汗・・)

松村禎三の「交響曲」は生で聴くとすごいエネルギー感を感じますね。
熱気というか、内面的な充実感をものすごく感じる曲です。
第一楽章と第三楽章の「和のすさまじい破壊力・パワー」もいいけど、
両楽章の間に挟まれた静粛感の漂う第二楽章も短いのですが大変印象的です。
でも圧巻は第三楽章ですね!
第二楽章から休む間もなく続けて演奏されるのですけど、クラリネットのつぶやくようなソロから始まり、
段々と盛り上がっていき、戦場での馬の悲鳴・雄叫びのような展開を経て
少し静かになって突然和音を叩きつけて終わるという感じなのですが、このエネルギーにはただただ脱帽するしかないです!
打楽器的に使用されるピアノや二台も使用されるコンサートチャイムとや
トムトムと小太鼓のロックみたいな響きは、確実に聴衆に「何か」を伝えているのだと思います。

この交響曲の魅力は、上記の屋代高校の演奏ではないのですけど、あの「圧倒的なエネルギー」なのだと思います。

この曲の音楽専門書における書き方としてよく「アジア的エネルギー」と表記されていることが多いのですけど、
私的には「少し違うんじゃないの・・?」という感覚があったりもします。
この交響曲は、あの圧倒的エネルギーによって「すべて」を飲み込んでしまう曲なのだと思います。

聖も俗も、善も悪も、昼も夜も、現実と幻想も、とにかくこの世のありとあらゆるものを飲み込んで
すべてをごった煮させる事で、混沌から「一筋の光」を見出していこう・・みたいな問答無用的なパワーとエネルギーが
ある曲なのだと思ってしまいます。

最後に・・・

繰り返しになりますが、そうしたすべてを飲み込んでしまうこんなとてつもない大変難解な管弦楽曲を吹奏楽版にアレンジし、
それを立派に消化したうえで、自分たちの「ここはこのように表現したい!」という個性をきちんと踏まえながらも
原曲のこうした圧倒的エルネギーを見事に普門館の聴衆に提示することができた
1982年の屋代高校吹奏楽部の皆様に敬意と感謝の気持ちを改めて表させて頂きたいと思います。
1979年の吹奏楽コンクール課題曲D/行進曲「青春は限りなく」というちょとマイナーな課題曲をご存じの皆さまって
少ないと言うのか、私みたいなオールド吹奏楽ファンだけなのかもしれないですね・・(汗)
吹奏楽に相当お詳しい方でも「あれ~、過去にそんな課題曲あったっけ?」みたいに思われても仕方が無いほど
人気がうすく演奏される頻度もちょと弱くて、マーチなんだけちょっと地味なおとなしめの曲だったと思います。
だけどこの課題曲は後述しますけど、79年の課題曲には「フェリスタス」という今現在に至るまで語り継がれるほどの
不滅の大人気名曲課題曲があったり、はたまた「プレリュード」という吹奏楽コンクールの課題曲の転換点をもたらしたような
素晴らしい課題曲のビッグ2がそびえたっている関係で、どうしても「青春は限りなく」のインパクトは弱くなってしまいますね・・

1979年の吹奏楽コンクールの課題曲は、A/フェリスタスが圧倒的に大人気の曲で
全部門を通しても屈指の大人気課題曲だったと思います。
というか、このフェリスタスは今現在でもたまにですけど定期演奏会の演奏会で「懐メロ」として演奏される事例も多々ありますし
私自身の母校でも「OBメモリアル演奏会」が開催された時でも、
アルメニアンダンスパートⅠ・エルザの大聖堂への厳かな行列などと共に演奏された曲でもあったりします。
前述の通り、1979年の全国大会での課題曲の人気はこのフェリスタスとB/プレリュードに二分されてしまい、
結果的に課題曲D/青春は限りなくは全国大会ではわずか3チームしか演奏されていませんでした。

「青春は限りなく」の前に少しだけ同年の課題曲A/フェリスタスについて語らさせて頂きますと・・

フェリスタスの冒頭から曲の大半は短調で進行するのですけど
曲のクライマックスにかけては急に短調から長調へと変わり、それが何かとてつもない幸福感みたいな印象を
与えているような気もします。
フェリスタスの冒頭のファンファーレ的な曲想からして素晴らしさにジーンときてしまいますけど、
あの極めて印象的な冒頭が終わると、続けてアルトサックスのソロが展開されますが、
あのアルトサックスのソロが極めて素晴らしいメロディーラインであったりもします。
哀愁溢れる感じもあるし決然とした感じもあるし、何よりもあの高音域をヴィヴラートかけまくりのあのオーラが
なんともいえない高貴さとかっこよさを当時中学生の私も感じていたものです。
あのアルトサックスのあのソロは、当時吹奏楽部に所属しコンクールで課題曲Aを選曲していたチームのアルトサックス奏者は、
「俺が吹きたい!」「いやいやオレが・・・」「いやいや、私だって吹きたい」みたいな感じだったのかもしれないです。
そしてこのアルトサックスソロのメロディーが様々な形で変奏され曲が進行していきますけど、
曲が一旦静まりかえった後で、ミュートを付けたトランペットの短いスタカット風な刻みとされに呼応するシロフォンが
実に格好良かったと思います。
そしてクラリネットによるアルトサックスソロ部分の回想が高音域でしみじみと展開され
曲がじわじわと盛り上がっていき、最後は感動的なコラール風に閉じられるのですけど
その閉じられ方は、これ、当時よく言われていましたけど
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」~終曲の終わり方に本当にそっくりだと思います。
当時から「ニセモノ火の鳥」なんて言われていましたけど、とにかくあの閉じられ方はとてつもなくかっこよかったですし、
フェリスタスが未だに課題曲人気ランキング上位に食い込むのも当然なのだと改めて感じさせてくれていると思います。
ちなみに私の在籍中学校は、当時の課題曲はCの「幼い日の思い出」であり、当時の私は
「どうしてこんなずいずいずっころばしみたいな童謡を毎日演奏しないといけないんだよ~」とブーたれていたものてしたけど、
翌年・・1980年の課題曲はCの「北海の大漁歌」を顧問が選曲していましたので
当時の部内では「どうして2年連続して童謡と民謡の課題曲を演奏しないといけないんだよ~」という不満の声が
相当鬱積していたと記憶しています・・

話を「青春は限りなく」にもどしますと、
この行進曲「青春は限りなく」は地味なのですけど独特のチャーミングな雰囲気も感じられ、
「青春万歳!!」みたいな華やかさは全くないのですけど、大変「爽やかさ」を持った曲だと思います。
この課題曲はマーチングの練習曲として、私自身も何度か吹いた事はありますし指揮をした事もありますけど、
全体的にはピッコロの装飾音符とメロディーに対するいわゆる裏メロがとってもすてきな旋律が展開されていて、
私自身実はなのですけど、
メロディーラインに対する裏メロの存在というものを中学生ながら認識したのは、この「青春は限りなく」と
実際に私自身がコンクール課題曲として演奏した79年の課題曲C/幼い日の想い出の中間部のユーフォニアムの
あの壮大な裏メロだったと思います。
この課題曲Dは、コンクールの課題曲としては吹きませんでしたけどマーチングの練習用として何度か吹いた事があります。
その際に顧問の指揮者の先生から
「この曲には、メロディーライン・リズム的な側面を持つ裏メロ担当・後打ちのビートセクションから
構成され、単純な曲なのだけど、同一小節内に、第一メロディーと裏メロとも言える第二メロディーが
同時に存在し、第二は第一メロディーを侵食してはいけないけど、同時に自らの存在感も伝えないといけない。
音楽は、各奏者に役割分担があり、各自が自分はこの曲においてどういう役割を担っているか
よーく考えながら吹け!!」と中学生に対する指導としては結構な無茶振りみたいな事を言っていました。
勿論当時は何を言っているのかさっぱり分かりませんでしたけど、今にして思うと言いたい事はよく分かります。
クラリネットとしてこの曲を吹いた時はメロディーライン担当というか第一メロディーを主に吹いていましたけど
アルトサックスとしてこの曲を吹いた際は、役割としては裏メロ担当というか第二メロディーラインを
吹いていたと思いますけど、今にして思うと、この曲を通して上記で書いた通り、
楽器の役割分担とか曲の構成とか、裏メロの存在というものを教えられたような気もします。

余談ですけど、私の中学の1980年度の「文化祭」の統一テーマが「青春よ、限りなく」というものでしたけど、
これを学校側に投降し採用されたのが吹奏楽部の部員でしたので(そんなパクリ投稿したのは私ではないですよ・・汗・・)
間違いなく79年の課題曲Dの「青春は限りなく」の「は」と「よ」の一文字だけを変えただけのパクリだったと思います。
というかこんなパクリが正々堂々と採用されるのが田舎らしいおおらかさだったのかもしれないですね・・

私の中学校は、毎週月曜日の全体朝礼は真冬でも校庭と言う屋外でやっていましたけど、
全校生徒の入退場のマーチを演奏していたのは当然吹奏楽部の役割でした。
顧問の先生は当時は担任教師としての顔も持っていましたので、全体朝礼の際は担任クラスに付きっ切りと言う事も多々あり、
私自身もよく代役として、こうした入退場マーチの指揮者を務めていましたけど
この「青春は限りなく」とか1979年課題曲E/朝をたたえては結構指揮を担当していたものでした!
そういう意味でもこの「青春は限りなく」は個人的にも地味だけどなんか妙に思い入れがある課題曲の一つでもあったりします。

余談になりますけど、1979年の課題曲E/「朝をたたえて」は、
大阪のフェスティバルホールで朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団、
大阪フィルハーモニー合唱団により、吹奏楽編成ではなくてなぜか管弦楽編成として初演が行われているそうです。
合唱部分は 「ひーろがる。ひろがる」、「かーがやく。かがやく」、「うーたおう。歌おう」の
歌詞の繰り返しを3回を経て、オーケストラによるコーダで終わるのですけど、
その関係で、初演の演奏時間は、合唱の繰り返しを含む都合上約6分30秒を要したとの事です。

大指揮者、朝比奈大先生もこうしたイベントに当時は駆り出されていたなんてちょっと意外な感じもありますね・・

奥村一は青春は限りなくの他に1971年にも吹奏楽コンクール課題曲として行進曲「太陽の下に」というマーチも
作曲されています。
この「太陽の下に」なのですけど、当時の一般の部の実況録音のカスタムテープを聴いてみると、例えば公苑会などのように
課題曲と自由曲の間になんと、拍手が入っている演奏チームもあったりします!
当時はそういう基本マナーすらも聴衆には徹底されていない時代だったのかもしれないですね・・

最後に、行進曲「青春は限りなく」の作曲者の奥村一は、埼玉のご出身で、そのせいなのか1976年に
組曲「秩父夜祭り」 という吹奏楽作品も作曲されています。

秩父夜祭は、ユネスコ無形文化遺産に登録されている埼玉県秩父市にある秩父神社の例祭であり、
12月2日が宵宮、12月3日が大祭であり、提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、
冬の花火大会はテレビ映像でもおなじみの方も多いのかもしれないです。
秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられるそうです。
秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられているそうで、
金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれるほど豪華絢爛で、
国の重要有形民俗文化財に指定されているとのことです。
仮面(お面)というと東方ファンの皆様ですと私も含めて秦こころを思い起こす人も多いとは思いますが、
一般的にお面・仮面というと、
本来内省的に自分が有しているはずだけどそれを表にすんなりと出せない自分自身の隠れた側面を
仮面をあえて身に付ける事で表面的な自分を一旦表面上隠蔽した上で本来の自分を演じる事が出来ると言う事に
どことなく不思議な魅力を感じたりもします。
仮面と言うものは換言すると「変身願望」の一種なのかもしれないです。
自分が元々有している個性を隠蔽し、仮面を被り別の個性を演じる事で
「今までの自分とは違ったもの」を見出してみたいという意図が多少はあるのかもしれないですし、
この点が仮面自体にどことなく妖しさ・ミステリアスさを感じさせてくれているのかもしれないです。

そうした仮面・お面をモチーフにした古今東西の音楽というと、
ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」、ハチャトゥーリアンのバレエ組曲「仮面舞踏会」や
吹奏楽関連では大栗裕の「仮面幻想」、パーシケッティーの吹奏楽のための仮面舞踏会を思い起こしますけど、
日本の和の鄙びた感覚とか奥ゆかしさ・恥じらい等に繋がる音楽として名高いのは小山清茂作曲の交響組曲「能面」と
言えるのかもしれないです。

小山清茂が現代日本のクラシック音楽界と吹奏楽界において最も大きな貢献を残された作品と言うと
管弦楽のための(吹奏楽のための)木挽歌なのではないかと私的には感じていますし、この木挽歌という作品は
外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」と並んで日本人の心のふるさとともいえる作品ではないのかな?と思ったりもします。
この2曲は大変分かりやすい音楽から構成されていて、日本人であるならば間違いなくどこかで聴いたことがあるメロディーが
次から次へと登場してきますし、この曲を聴いてしまうと普段は自分が日本人である事を意識しないような人でも
多少は日本」意識させてくれる郷愁に溢れた作品と言えるのだと思います。
実際、小山清茂の管弦楽のための木挽歌は、外山雄三の管弦楽のためのラプソディーと並んで、
和をモチーフにした邦人作品としてはメかなりジャーな作品だと思いますし、現在でも演奏会で取り上げられる
頻度は比較的高い方だと思います。

小山清茂は管弦楽の分野でもそうですけど、吹奏楽の発展のために尽力し、吹奏楽のための木挽歌のように
そのいくつかの吹奏楽作品は今でもコンサートや吹奏楽コンクール等でも演奏され続けています。
1914年に長野県で生まれた小山清茂は幼い頃から民俗芸能の響きに囲まれて育ち、
日本の伝統的な響きを最も濃厚に受け止めた作曲家のひとりです
西洋楽器のための作品だけでなく、和楽器のためにも数多くの作品を残している事でも知られています。
主要作品に、管弦楽のための木挽歌、管弦楽のための鄙歌第1~4番、管弦楽のための信濃囃子、交響組曲「能面」、
管弦楽のための「もぐら追い」なとが挙げられると思いますし、
吹奏楽作品としては、1980年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Aの吹奏楽のための「花祭り」、
吹奏楽のための「おてもやん」、 吹奏楽のための「琴瑟」などが知られていると思います。

そして小山清茂の作品の中で木挽歌と同様に絶対にに忘れてはいけない作品の一つとして交響組曲「能面」が
挙げられると思います。
大栗裕の「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による」などのような凄まじい大音響とか劇的なドラマ性や
動と静の凄まじいダイナミックスレンジの落差による表現という感じではなくて、どちらかというと日本人の心の奥底に潜む
和の鄙びた雰囲気という感じの曲と言う事で、最近の若い奏者の皆様にとっては今一つ演奏効果があがりにくい曲と
捉えられても仕方がないのかもしれないですけど、木挽歌以上にこの曲は後世の日本人に絶対に受け継がれていって欲しい
曲の一つだと思います。

小山清茂の交響組曲「能面」は、1959年に作曲されています。
渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団により1959年11月5日に放送初演されています。
;この曲の音源として、渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団によるビクターのレコードがあるのですけど、
多分この音源はCD化されていないと思いますので、あの素晴らしい名演を是非CDでも聴いてみたいです。
この曲の原曲の管弦楽版の生演奏は一度だけ聴いたことがありまして、1998年の都響の邦人作品シリーズとして
日本の作曲家シリーズ23<小山清茂作品集> というプログラムでこの能面のプロの管弦楽団によるライヴ演奏を聴く事が
出来たのは大変貴重な経験だったと思いますし、多分ですけど能面の管弦楽の生演奏としてはあの演奏が私にとっては
最初で最後のものになる可能性が高いくらい大変意義のある演奏会だったと思います。
あの時の指揮者は矢崎彦太郎で、曲目はオール小山清茂プログラムで、当日演奏していた曲目は、
管弦楽のための信濃囃子・管弦楽のための鄙歌第1番・管弦楽のための鄙歌第2番・交響組曲「能面」・管弦楽のための木挽歌
と言うものでした。
私自身日本フィルで鄙歌と木挽歌は聴いたことがありますけど、能面を聴く事ができるなんて生涯二度とないかもしれないと
思い、あの時はかつてやはり都響の「オール松村禎三プログラム」の時と同じように
「(存在しない)叔母が危篤」のため早退というガセネタで上野の東京文化会館まで聴きに行った事は今となっては
なつかしい思い出ですね~

小山清茂の交響組曲「能面」は下記の三楽章から構成されています。

Ⅰ.頼政 (よりまさ) 
 
Ⅱ.増女 (ぞうおんな)
 
Ⅲ.大癋見 (おおべしみ)

ちなみに吹奏楽コンクールにおいては、Ⅲをベースに構成されている事が多いです。 

この交響組曲「能面」を作曲していた頃の小山清茂は、能の面だけを眺めていてもなんだかイメージが掴めないと言う事で
実際に頼政の舞台を観て能の雰囲気を知った上で、
謡曲本を購入されそれを歌詞として歌曲の要領で作曲するなど試行錯誤しながら作曲の筆を進めたようです。
交響組曲「能面」は鄙歌・木挽歌・花祭りなどに見られたように曲自体に民謡や神楽囃子など日本の伝統音楽の
メロディとして使用している場面はほとんどないです。
能楽はよく「無駄を一切そぎ落とした究極のシンプルな音楽」と言われたりもするのですけど、
交響組曲「能面」はそうした能楽自体をかなり強くイメージさせる音楽であり、和の響きを大切にしながらも
仮面の下に隠された人間の感情の起伏の激しさを西洋の楽器を使いつつダイナミックスレンジの幅を音楽上の強弱というよりも
感情の起伏の激しさという意味で表現されている事は特筆に値しているのかもしれないです。
オーボエのグリッサンドは能管や謡いのイントネーションを意図し、
木管とヴィオラのグリッサンドを伴うピチカートは鼓の音をイメージし、
低弦楽器が靴べらで弦を弾く事によって生ずる音は薩摩琵琶の響きを彷彿とさせている点は、
曲自体は西洋楽器そのものを使用しながらも随所に日本的な和の響きを大切にしている事を強く意識していると
言えそうです。
Ⅰの頼政において、冒頭にオーボエ独奏により無伴奏で出る幽玄な第1主題は謡曲本をベースに作曲されたもので、
続いて弦楽器で出る第2主題は和歌の朗詠のイントネーションを思わせるものであり、
最後には2つの主題が同時に演奏されます。
Ⅱの増女は、気高く神聖なイメージの女性を表現した楽曲です。
2つの主題のうち、1つはⅠの頼政の主題に似せ、2つ目はⅢの大癋見の主題に似せることにより
両端楽章をつなぐ役割を果たしています。
Ⅲの大癋見は、天狗の怒った表情を表す面で、瞬間表情の面であるため、主題も荒々しいもの1つのみとなっています。
最後には、低弦のピチカートとティンパニによる特徴的なリズムに乗っかる形でクライマックスが形成されていきます。
ラスト近くのティンパニの幽玄な連打が大変印象的です。

この交響組曲「能面」は吹奏楽コンクールの全国大会では2018年時点で今の所2回ほど全国大会で演奏されています。

そのうちの一つが1978年の前橋商業なのですけど、大木隆明先生時代の前橋商業というと小山清茂の自由曲が
大変印象的ですし、特に1978年の能面、79年の木挽歌、80年の鄙歌第2番の三年間は鄙びた和の世界を吹奏楽として
見事に表現された名演だと思います。
特に1980年の課題曲A / 吹奏楽のための花祭りは小山清茂作曲の作品でもありますので、この年は課題曲も自由曲も
小山清茂の和の鄙びた世界を完璧に表現された演奏として私もあの「枯れた感覚」の演奏はとっても大好きですし、
かなり強い共感を感じます。

CDが普及する以前の吹奏楽コンクールの音源はレコードでしたけど、
ソニーの「日本の吹奏楽」というLP盤において、このレコードジャケットの裏ページの1978年~81年前後は
出場チームの部長等のコメントが記されていました。
そのコメントの中で大変印象的なコメントが1979年の前橋商業でして、その中に
「私達も年に何度かアメリカのオリジナル作品を演奏する事もあります。だけど、吹いていると
何かこれは自分達が目指している音楽ではないみたいな雰囲気になり、練習するのを止めてしまいます。
こうやって毎年毎年泥臭い邦人作品を演奏し続けるチームが全国に一つくらいあってもいいのではないでしょうか」
といった事が記されていましたけど
この言葉にこそ「前橋商業高校吹奏楽部」が象徴されているのだと思います。
1978年の前橋商業の自由曲が能面で、課題曲がAのジュビラーテでしたけど、
この年の課題曲Aは上記のコメントではないですけど、アメリカのオリジナル作品を絵に描いたようなジェイガーの作品
でしたので、当時の前橋商業とアメリカ作品の相性の悪さは言うまでもないという感じの演奏だったと思います。
私自身は78年の前橋商業の課題曲と自由曲はカスタムテープとして聴いたのですけど、
奏者達はジュビラーテという課題曲はあまり好きではないと言う事が手に取るように伝わってきています。
勿論、技術的にはとっても上手くて技術的な問題は全くありません。
巧いけど伝わってくる音楽からは「私達はこの課題曲が好き!」という気持ちは全く伝わってこないです。
というか、かなり無機質にさくさく進行しています。
中間部の表情も確かにユーフォニアムの裏メロとかたっぷりと歌っているし、トランペットとフルートの掛け合いも
ほぼ完璧に決まってはいるのですけど、演奏自体にすきま風が吹いていて音楽に違和感を感じてしまいます。
だけど自由曲の小山清茂の能面に入るとこの雰囲気が劇的に変ります。
サウンドが粘っこい音に変り、情感たっぷりの音楽に変容します。
一言で言うととってもおぞましい音楽という形容なのかもしれないですし、
見てはいけないものを見てしまったみたいな感じの音楽を怨念たっぷりに歌い上げた雰囲気に満ち溢れています。
そこから感じ取れるのは、人間の嫉妬・焼きもち・ねたみ・隠してしまいたい心の本音・恨みつらみ・怨念等のマイナスの感情を
能面という一つの仮面に隠すことで、自分の心の奥底の心の闇を隠して建前で生きることでどうにかこうにか現世を
生きていくという人間の裏の感情・心の奥の怨念といったものをとにかく粘っこい音色で歌い上げています。
私自身、この前歯商業の能面を一番最初に私が聴いた時の感想は、おどろおどろしいとかおぞましいという感情しか
無かったのですけど、今現在の視点で聴き直してみると禁断の愛とか秘密といった言葉がしっくりきそうな感じがあります。
幽玄な雰囲気を情感たっぷりに表現しているけど、あのおどろおどろしい雰囲気をここまで吹奏楽として表現出来ている事は
当時としては特筆に値するものがありそうです。
出だしのフルートソロから既にこの曲の幽玄さというのか心の奥底の怨念が炸裂しています。
序盤はとにかく不思議な静けさにも溢れているのですけど、展開部に入って更に驚くことになります。
何かと言うと、原曲にも存在していない男声コーラスで「おー」みたいなハミングの響きが更に
幽玄さを醸し出していきます。
あの部分を聴くと、何となくですけど人の心に潜む妬みみたいな暗黒なものをついつい妄想してしまいます。
そして後半部分はティンパニが大活躍をします。
前橋商業の生演奏を見た訳ではないので、実際何人で叩いたかはわからないのですけど、
1984年に東海大学吹奏楽研究会が都大会と全国大会でこの小山清茂の「能面」を演奏していて、
私自身は都大会の演奏を生で聴いたのですが、この際は5台のティンパニを4人の奏者で演奏していたと記憶しています。
多分ですけど前橋商業も3~4人でティンパニを叩いていたと思うのですけど、
あのティンパニの響きがとっても印象的ですし、とてつもなく幽玄な香りがしますし、
おぞましい香りに溢れていたと思います。
あの迫力はとにかく凄まじいものがありますし負のエネルギー」に満ち溢れていたと思います。
一つ残念だったのは演奏終了後の間髪を入れないブラボーでしたね・・あれは少し興醒めでもありました・・

そしてもう一つの「能面」の演奏は1984年の東海大学吹奏楽研究会です。

東海大学というと今現在では2011年以降にアンサンブルリベルテの福本信太郎先生を招聘されて以降は
全国大会金賞の常連というイメージが既に現在の現役奏者の皆様の間では定着していると思うのですけど、
東海大学と言うと、個人的な話で申し訳ないのですけど、私的には上原圭詞先生というイメージが大変強いです!

1984~1987年当時は自分の大学が都大会予選会を突破し、普門館で開催される都大会本選に進むためには
東海大学・創価大学・東洋大学・明治大学などの都大会本選銀賞~銅賞チームを超える演奏をしないと到底不可能という事で
私も当時はかなり東海大学の存在は意識したものですし、私自身の「普門館での演奏」という夢の実現のためには、
東海大学などには負けられないという気持ちの方が強かったです。
反面個人的には、当時の東海大学は上原圭詞先生という大変マニアックな選曲を独特の世界観で演奏される
大変個性の強いチームでもありまして、私自身は、自分自身のコンクールという事は抜きにして
上原先生在籍当時の東海大学のサウンドは大好きでしたし、上原先生の大ファンでもありました。

当時の上原先生=東海大学は、
どちらかというと、花輪高校の小林久仁郎先生の路線と少し被るような側面もあり、
当時の私としては、花輪の小林先生、東海の上原先生という吹奏楽界の二大偉人という独特の世界観&解釈をされる
お二人の先生を深く深く尊敬していたという事は間違いないと思います。
上原先生は今でも現役で指揮をされ続けていますし、その後活躍ぶりには本当に頭が下がる思いです。
(2017年のコンクールは出場されていましたけど2018年は欠場という事で実は少しばかり心配もしていたりもします・・)

東海大学時代の上原先生の選曲は素晴らしくマニアックだったと思います。

1979年  B/ローマの祭り

1980年  C/交響曲第四楽章(矢代秋雄)

1981年  B/バッカナール(黛敏郎)

1982年  B/交響曲第2番「鐘」第一楽章(ハチャトゥーリアン)

1983年  B/交響曲第一楽章(松村禎三)

1984年  B/交響組曲「能面」

1985年  B/第七の封印

1986年  B/神の恵みを受けて

1987年  B/ローマの祭り

1990年  A/バレエ音楽「まりも」(石井歓)

1991年  B/舞踏曲「サロメ」(伊福部昭)

どれもこれも素晴らしい選曲&演奏だったと思います。

私、これらの東海大学の過去の演奏を聴くために、
当時世田谷区にあった「トラヤ」というカスタムテープ制作会社(既に倒産)に大人買いというか、
「東海大学のみの演奏を収録したカスタムオリジナルテープ作成」を依頼したくらいでもあります。

1981年のバッカナールは課題曲のコラージユと合せて大変高いレヴェルとテンションが高い名演でありまして、
当時の東京支部は、亜細亜&駒沢という超名門チームが闊歩していましたので、
あの名演が全国でも聴けなかったのはとても勿体ない気がします。
黛敏郎の「バッカナール」というと吹奏楽に詳しい方ですと「初演は秋田南高校」と言われるのかもしれないですけど、
実際は秋田南の全国大会での演奏よりも既に4年前に東海大学が演奏をしていたりもするのです。
ハチャトゥーリアンの「鐘」は花輪高校の1980年のカットをそのまま使用した感じで、
第一楽章をメインに演奏し、ラストは第四楽章の「咆哮」を使用するというパターンです。
上原先生はもしかしたら花輪の小林先生からの何かしらの影響は多少はあったのかもしれないです。
圧巻は松村禎三の交響曲でして、とにかく内面的緊張感の持続は戦慄さえ感じます・・・・
前年に屋代高校がこの交響曲の第三楽章を全国で演奏していますけど、
東海大学の第一楽章も前半とラストの静粛さと中間部の緊迫感の壮大な対比が極めて素晴らしいです!
84年の「能面」は、78年の前橋商業とほぼ同じカット&男性コーラスを用いていましたけど
前橋商業に比べて、サウンドの透明感・洗練さを感じさせるため
おどろおどろしい印象よりは都会的なスマートさという印象があります。
1987年の都大会の「ローマの祭り」は気持ちよいほど豪快に鳴らしてくれていて、あの爆演は聴いている方も大変心地よい
ものがありましたけど、実際は指揮者と奏者は快感の極致といえるのかもしれないですね~♪
90年のまりもも本当に素晴らしい演奏だったと思います。
前半の内面的緊張感、中盤の踊り、ラストのたっぷりとした歌い方は、全国大会代表・金でも全然おかしくない演奏でしたけど、
なぜか都大会の評価としては銅賞で私は客席でぶーたれていたものでした。

小林先生が指導されていた花輪高校と上原先生が指揮されていた東海大学は、そのあまりにも強い個性と
アクの強い演奏のためなのか、吹奏楽コンクールという審査の場では多分ですけど、審査員の好みもはっきりと分かれていた
ような気もしますし、それが結果的に「少しばかり不当に低く評価されている」ような印象に繋がっているのかもしれないです。

最後に話を小山清茂の能面に戻しますと、1984年の東海大学の演奏は、課題曲B / 土俗的舞曲のエネルギッシュな明るさと
自由曲の能面という緊張感・人の心に奥深く潜んだ恥じらい・奥ゆかしさに満ち溢れた曲を
内在的エネルギーを内に秘めながらも、比較的カラッとした都会的洗練さを感じさせる表現に仕上げられていて、
78年の前橋商業とは少しばかり全体的な構成や指揮者が意図している点は被る点はあるのかもしれないですけど、
その目指している方向性はむしろ真逆というのも大変面白いものがあると思いますし、同じ素材を用いながらも
全く違った解釈・方向性を楽しむ事ができる吹奏楽コンクールというものは、やはりとてつもなく興味深い場であるのは
間違いないと言えるのだと思います。
チャイコフスキーの交響曲は、マンフレッド交響曲を含めると計7曲あるのですけど、
1番~3番とマンフレッドは人気の上でも実演回数の上でも今一つなのかもしれないです。
(私自身は交響曲第1番「冬の日の幻想」はとても好きな曲です)
最後の交響曲第6番「悲愴」の人気がずば抜けて高く、次に人気なのが5番、そして4番という人気順なのかもしれないです。
実際、チャイコフスキーの交響曲は、生演奏会では6番と5番の演奏頻度はずば抜けて多く、
古今東西の人気ランキング・CD発売枚数・演奏会での演奏頻度は6番「悲愴」が頭一つ抜けているというイメージがあります。

私自身はチャイコフスキーの交響曲はいっちば~ん!大好きな曲は交響曲第5番です!

個人的な感覚なのですけど、チャイコフスキーの音楽は何となく「死」を漂わせる何かがあるような気もします。
それを最後の最後で究極の名曲にまで昇華させたのが交響曲第6番「悲愴」なのだと思います。
チャイコフスキーの音楽からは、「愛する二人は現世ではその愛を育むことが出来ないし、その愛を具現化させるためには
あの世へと旅立つしかない」とか
「この世では結局理想を語る事も実現化させる事は何もできない、理想を具現化出来るのは幻想の世界と死後の世界だけ」
といった「死のエコー」を感じさせるのものがあるのかもしれないです。
それを強烈に感じさせる部分は、バレエ音楽「白鳥の湖」~終曲であるとかピアノ協奏曲第一番第一楽章であったりとか
交響曲第5番第二楽章、そしていっちば~ん!に具現化させたのが交響曲第6番「悲愴」~第四楽章と
言えるのかもしれないですね。

チャイコフスキーの交響曲第5番は、音楽史的に大事なキーワードは循環主題なのかもしれないです。

第一楽章冒頭でいきなりクラリネットがこの交響曲の基本テーマとも言うべき主題を陰鬱に奏しますけど、
この基本テーマは、その後第二楽章でも表れ第四楽章でも冒頭やラストのコーダの大団円部分でも再現されています。
一つのテーマが曲全体を循環するように貫き、全楽章を統一する要素になっているから循環主題とも言われています。
この循環主題が顕著に表れている曲の代表例は、フランクの交響曲だと思いますし、邦人作品としては
矢代秋雄の交響曲なのだと思います。
チャイコフスキーの交響曲第5番の一つの聴きどころは第二楽章のホルンの長大なソロと言えそうです。
あの美しさと陶酔感とはかなさは、チャイコフスキーが残したメロディーの中でも
特に群を抜いた素晴らしい部分だと思います。
第二楽章では木管楽器も全般的に素晴らしい働きぶりを見せているのですけど
特にオーボエの美しさは絶品だと感じます。
ホルンとオーボエの掛け合いの部分は何度聴いても背中がゾクゾクとします!
美しくはかない第二楽章も、結構唐突に金管楽器の咆哮の中に打ち消されてしまう部分もあったりします。
(あれは結局は「人の美しく楽しい想いでは長続きしないという事を示唆しているのかもしれないです)
第三楽章は、第一楽章と第二楽章の暗い感じをうちはらうかのようなすがすがしいワルツが唐突に開始されます。
最初にチャイコの5番を聴いた時、この第三楽章の唐突なワルツに随分と戸惑ったものですけど
あの部分は「人生には深刻さと甘さが同居している」みたいな事を多少は意図しているのかもしれないです。
第二楽章までの陰鬱な雰囲気は第三楽章によって霧が晴れるように打ち消され
そしていよいよ第四楽章の行進曲的な大団円へと流れ込んでいきます!
第四楽章は一旦終わるような感じになるのですけど、
瞬間的な間があって次の瞬間にコーダの部分で力強く華麗で生きる喜びに溢れた大団円的行進曲が開始され、
第一楽章冒頭の陰鬱なテーマを終楽章では力強く明るく華麗に再現させていきます。

この交響曲第5番いっちば~ん!の聴きどころはどこにあるのかな・・?

やっぱり第一~第二楽章と第三~第四楽章の対比なのかもしれないです。
循環主題と言う事で同一の基本主題を扱いながらも片方は陰鬱に、そしてもう片方は明るく華麗に力強くという風に
使い分けている事がとても面白いと思います。
それは「幸せと不幸は縄目のごとく交互に訪れる」とか「幸せと不幸は二つで一つ」とか
「人生、悪い事ばかりではないし、いい事もたまには起きる」といった事を
メッセージとして伝えたかったかのようにも私には聴こえたりもします。

それにしても第四楽章は大団円ですね!
曲全体をとてつもない幸福感が貫いていると思いますし、この楽章だけを聴くと生きる活力や明るい希望を感じます!

この曲は、CDよりも生の演奏会で聴いた方が理解が早いような気もします。
私が過去に聴いた実演の中で大変印象に残っている演奏というと、佐渡裕指揮/新星日本交響楽団と
小林研一郎/日本フィルの演奏だと思います。
特に1996年の佐渡さんの演奏はまさに「神がかり」の感動的な演奏だったと思います。
CDで聴く場合お勧めの盤は二つほどあります。
一つは、バーンスタインのニューヨークフィル
(このCDはカップリングの幻想序曲「ロメオとジュリエット」も素晴らしい出来だと思います!)
もう一つが1990年のサントリーホールでのライヴ演奏を収録したスヴェトラーノフ指揮/ソ連国立交響楽団です。
スヴェトラーノフの演奏では、特にオーボエの音色はまさに奇跡的としか言いようがない素晴らしい音色ですし
ライブ感満載の「生命力とスピード感の切れ」は最高ですね!!
ちなみにですけど、スヴェトラーノフ指揮/ソ連国立交響楽団の演奏は終始ずっとなにかぶ~んという異音が収録されて
いますけど、この音は指揮台の前に設置された扇風機の音との事です。

ここから下記は吹奏楽の話になります。

今現在ではほとんど演奏されないのですけど、1970年代においては全日本吹奏楽コンクールの全国大会においても
チャイコフスキーの交響曲第5番~第四楽章は吹奏楽にアレンジされて演奏されたことが何度かありました。
山王中学校・横手吹奏楽団・秋田南高校と秋田県に集中しているのも興味がもてそうな話でもありますね。
(1975年の秋田南高校の演奏は、山王中の木内先生のアレンジによるものだったとは実は最近知りました・・)

秋田南高校の1975年の二度目の全国大会出場において、課題曲C/吹奏楽のための練習曲と
自由曲はそのチャイコフスキーの交響曲第5番~第四楽章を演奏していたのですけど、
結果的に「銅賞」という事になっていますが、私的にはこの「銅賞」は全然納得いかないですね!!
課題曲は正攻法の演奏で実にスタンダードな名演を聴かせてくれ
自由曲も翌年の「ペトルーシュカ」を彷彿させるような屈折した明るさ+生きる生命感+躍動感に満ち溢れていると思います。
特にコーダ以降の展開は大団円に相応しい終わらせ方だと思いますし、
聴いていて本当に「生きるチカラ・生きる歓び」に溢れていると感じます。
「よーーし、今は大変だけどもう少し頑張ってみよう!!」みたいな勇気みたいなものも貰えるような感じすらあります。
1975年の全国大会・高校の部は19チーム中10団体が銅賞という1976年に匹敵する激辛審査だったのですけど
「いくらなんでもこの演奏が銅賞はないでしょ・・」と文句を言ってやりたい気持ちはいまだにあったりもします。

チャイコフスキーの交響曲第5番のアレンジャーは当時の山王中の大御所の木内先生ですけど、
そのアレンジはかなり面白いもはあると思います。
例えば、コーダの部分に原曲には存在しない「小太鼓」を終始ロールとして入れたり
原曲には配置されていない大太鼓・シンバルを結構派手に鳴らしたりとか
中間部でグロッケンを装飾音符的に流暢に響かせてくれていたりと色々やらかしてはくれているのですけど、
それはそれで面白いアレンジ&解釈という事にここでは留めておきたいと思います。
ちなみにですけど、1977年に同じくチャイコフスキー/交響曲第5番~第四楽章で全国大会に出場した阪急百貨店は
原曲に近いアレンジと言えると思います。
(原曲の打楽器はティンパニのみですけど、秋田南は小太鼓・大太鼓・シンバル・グロッケンを追加したアレンジであるのに
対して阪急百貨店は曲のラスト近くでシンバルを一回だけ鳴らすという事に留めています)
余談ですけど、77年のBJの講評で
「今回の阪急百貨店の演奏の不調は、阪急ブレーブスが日本シリーズに進み、その応援等で多忙を極め
思うように練習が出来なかったことが原因である」と
当事者でもない人が勝手に主観で決めつけていたのも何か面白かったです・・(汗)

ベルリオーズ前後の管弦楽曲・交響曲ですと、打楽器はティンパニのみしか使用しない事例が多いですので
そうした曲を吹奏楽用にアレンジする際
「打楽器セクションを練習中にヒマ死にさせる訳にもいかないし、演奏効果は確かにあるし・・」という事で
原曲のスコアには無い、小太鼓・大太鼓・グロッケン等を登場させる事も多々ありますけど
1975年の秋田南はそうした演奏効果を意図したのかもしれないです。
結果的にそうした打楽器の使用による効果以外の金管セクションの輝かしい躍動感によって
生命力溢れる演奏が実現できたと思います。
これは私の感じ方かもしれないのですけど、例えばドヴォルザークならば、
豊島十中の交響曲第9番「新世界から」でいうと、シロフォン・シンバル・太太鼓などを入れてきましたけど
正直違和感を感じます。
だけど石田中・阪急などの交響曲第8番を聴くと
原曲には入っていないシンバル・大太鼓・小太鼓が意外と曲に合っているような感じもあり
私はあの演奏結構大好きだったりもします。

1975年の秋田南高校の演奏は、ストラヴィンスキーと邦人作品路線が見事に花開き全国大会5年連続金賞に輝いた
1976~80年の演奏の一年前の演奏ということになるのですけど、
あのチャイコフスキーの生きる力に溢れた躍動的な明るさは換言すると「屈折した明るさ」ということになると思いますし、
そうした屈折した明るさは1976年のペトルーシュカの演奏を先駆けるものであり、
秋田南高校吹奏楽部は1976年に突然の飛躍的な覚醒を果たした訳ではなくて、その飛躍は既に前年度から示唆されていた
ということになるのだと思います。
秋田南の全国大会初出場は1974年の交響組曲「シェエラザート」~Ⅱ.カレンダー王子の物語なのですけど、
この時はどちらかというと特に個性も秋田南らしい点もまだ少なく感じられ、演奏としては無難という感じにまとまっているのは
少し意外でもありました。
秋田南は確か1973年の東北大会だったと思いますが、自由曲にショスタコーヴィッチの交響曲第5番「革命」から
吹奏楽コンクールでおなじみの定番レパートリーになっている終楽章ではなくて第一楽章を選んでいるのも実に
高橋紘一先生らしい話だと思いますし、16分程度のあの第一楽章のどの部分をカットし、どの部分を演奏したかというのは
この演奏の音源が全くない事もあり大変興味津々です!

最後に余談ですけど、上記でショスタコーヴィッチの話が出てきましたけど、
私がショスタコーヴイッチの曲を聴いたのは、実はあのあまりにも有名な交響曲第5番「革命」ではなくて
交響曲第10番というのも、いかにも私らしい話なのかもしれないです。
しかも、それは管弦楽としてではなくて吹奏楽アレンジ版という変化球として聴いています。

それが何かと言うと、1981年の山形県で開催された全日本吹奏楽コンクール・東北大会の
高校B部門の秋田西高校の素晴らしい演奏だったのです。
でもあの演奏は本当に素晴らしかったです!!
わずか35人の編成とは思えない重厚感漂う演奏であり、特に後半のアレグロのスピード感溢れる展開は
小編成の限界を超越した演奏だとも思えます。
BJの演奏評では「孤独・不安・寂しさの雰囲気はうまく出せていたけど、ソロがプレッシャーのため緊張感を持続
出来なかったのは惜しい。アレグロも素晴らしかったが、もう少し重厚感が欲しい、どちらかというと祝典序曲みたいな
キャラクターの演奏になってしまった」と記されていましたけど、
うーーん、ちょっと違うのかも・・・?
私の印象では、ソロの雰囲気も寂寥感と不安を見事にキープしていたと思いますし、アレグロ以降の展開も
悲壮感と明るさが混在した洒落っ気と重さを両立した素晴らしい演奏だったと感じたものでした。
後年、佐藤滋先生は母校のあの吹奏楽の超名門・秋田南に赴任されましたけど、
高橋紘一先生という存在は大きかったみたいで、結果的に秋田西高の時のような名演を残せないまま
秋田南を静かに去られていたのはなんか気の毒・・みたいな感じもありました。

考えてみると、この秋田西高校の演奏をきっかけに、
「あれ、ショスタコーヴィッチという作曲家はどんな背景があり、他にどんな曲を作曲したのだろう・・?」
「何か交響曲第5番がやたら有名みたいだけど、どんな曲なのかな・・」
「丁度スターリン体制化のソ連時代と生涯が被っているけど、どんな背景がこの曲にあったのかな・・」などと
ショスタコ―ヴィッチについていろいろ興味を持つようになり、
私がショスタコ―ヴィッチを聴くようになった大きなきっかけを作ってくれたようにも思えてなりません。

その意味では、この秋田西高校の演奏と指揮者の佐藤滋先生には、「感謝」の言葉しかないです
本当にありがとうございました。
佐藤滋先生が普門館で指揮された1987年の秋田南高校の風紋と交響詩「ローマの噴水」は、それまでの秋田南の
硬さ・陰鬱さを打破したそれまでにないカラーを追及した演奏のようにも感じますし、
私個人はあの演奏を生で聴いていてもあのカラッとした演奏はすてきだと思いましたし、結果的にこの年の銅賞は
かなりの激辛評価といえそうです。
私がこのストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」を知るきっかけとなったのが、
1976年の全日本吹奏楽コンクールでの秋田南高校の吹奏楽アレンジ版による第四場の超名演なのですけど、
秋田南高校の吹奏楽アレンジ版ペトルーシュカの演奏は、今現在聴いても凄いと思いますし全く色褪せてはいないと感じます。
バレエ音楽「ペトルーシュカ」の管弦楽での生演奏を聴くと一目瞭然なのですけど、このバレエ音楽は
ピアノを協奏曲風にも使っていて独奏ピアノをかなり効果的に用いています。
全日本吹奏楽コンクールは今現在の規定では、ピアノ・ハープを使用する事は自由ではありますけど、
1981年にピアノとハープの使用が解禁になる以前の1970年代の吹奏楽コンクールの高校の部の編成は45人以内の編成
という制約がありましたし、楽器編成の中に、ハープ・ピアノを入れることは禁じられていました。
秋田南高校の当時のティンパニはペダル式ではなくボロボロの手締め式と言う事で何かとシビアな条件下での演奏でしたし、
本来の原曲で効果的に用いられているピアノは使用していませんし、
管楽器の響きだけで、よくペトルーシュカの世界をよくここまで再現出来たものと今聴いてみても感動ものです!
ペトルーシュカというと春の祭典の影響もあり、バーバリズムバリバリの荒ぶる作品という印象もありそうですけど、
実際は火の鳥と同様にかなり繊細で、どちらかというとチャイコフスキーの伝統的ロシアバレエの影響を受けつつも、
ドピュッシー等フランス印象派のようなエコーの響きも感じられ、
そうした繊細でデリケートな音色が求められそうなこの曲を吹奏楽アレンジ版として演奏する事自体当時としては
大変な冒険であり貴重なチャレンジだったと思うのですけど、決して無謀なチャレンジだけに終わらせずに、
吹奏楽としての無限の可能性や秋田南高校の飛躍を示唆する演奏である事は間違いない評価といえるのだと思います。
評論家の皆様の意見として、高校の部の進化を示唆する演奏が1977年の銚子商業のディオニソスの祭りであると
述べられている方も多々おられるのですけど、私の意見としては、
「確かにそれもそうなのだけど、現在の高校の部の大変なレヴェルの高さの一つの先駆的な演奏の一つが
1976~77年の秋田南高校のストラヴィンスキーシリーズではないのかな」と感じたりもします。

1976年の秋田南のバレエ音楽「ペトルーシュカ」の演奏なのですけど、部分的に音は荒いし、
トランペットの音は硬いし、ラストのトランペットソロは外しまくっているし、
今現在の価値基準では判断に迷う個所もあるのではないかと思っています。
しかしそうしたマイナス点を差し引いても秋田南高校吹奏楽部のあの演奏の躍動感と生命感は大変充実していますし、
リズムセクションのビートが大変躍動的であるため全体的に飛んで跳ねるような感覚が非常にシャープです。
そこから感じられるのは、「コンクールの評価は私たちは別に気にしないし、自分たちの演奏ができればそれで満足」といった
一つのいい意味での開き直りの雰囲気が感じられ、そこには屈折した明るさが滲み出ている素晴らしい演奏だと思います。
吹奏楽アレンジ版ペトルーシュカの演奏と言うと、1990年の高岡商業や92年の西宮吹奏楽団の演奏や、
関東大会ダメ金でしたけど88年の埼玉栄の演奏も大変印象的ではあるのですけど、これらの演奏は全体の雰囲気は
とてもスマートで洗練され、音色自体は大変繊細であったりもします。
秋田南のペトルーシュカは、開放感と自由さを感じるのですけど、それは原曲のペトルーシュカにおいても
魔法使いの人形に生命が吹きこまれ、人形を操作している人間から自由になったという開放感をむき出しの感情と共に
見事に表現しているといえるのかもしれないです。
ビートの後打ちパートのリズムだけで立派に音楽を表現しているようにも感じられます。

このペトルーシュカの演奏と翌年の春の祭典の演奏は、著作権絡みの問題もあるせいなのか、ブレーンから発売されていた
レジェンダリーシリーズにも収録されていませんし、その当時ソニーから演奏音源としてのレコードが発売されているものの
このレコードは現在は超入手困難ですし、今のところCD化されていませんので、
今現在の若い世代の奏者の皆様があの素晴らしき名演に触れられる機会が無い事はかなりもったいない感じがあります。
あの演奏は今現在の視点で聴いても間違いなく、新鮮さ・感銘さはあると思いますし、
現役奏者の皆様があの演奏をどのようにお感じになるのかは実は私も興味津々であったりもします。
秋田南のペトルーシュカのアレンジャーは不明なのですけど、春の祭典・火の鳥・交響三章・バッカナール・
管弦楽のための協奏曲・パロディ的四楽章・矢代秋雄の交響曲などと同様に天野正道さんなのかな?と思われますけど、
ペトルーシュカのアレンジャーが天野さんだとすると、それ以降の練に練られたアレンジと少し異なり
若さと情熱がむき出しの編曲と言えるのかもしれないです。

1976年のペトルーシュカを引き継ぐ形で翌年、1977年の秋田南高校が自由曲として選んだ曲目が
プロでも演奏が大変難しいとされるストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」だったのです。
当時から「アマチュアの高校生が春の祭典、しかも吹奏楽アレンジ版として演奏するのはいかがなものか」といった批判の声は
相当あったと聞いていますし、
当時のBJのバックナンバーを読んでみても「春の祭典論争」といった吹奏楽アレンジによる春の祭典の演奏は果たして
是か非かといった賛否両論入り乱れる論争みたいなものもあった事はむしろなつかしい話なのかもしれないです。
(最近の吹奏楽コンクールにおいては、ベルクといった新ウィーン楽派の無調音楽やブルックナー・マーラーの交響曲が
ごく普通に自由曲として演奏されていたりもしますけど、当時としてはストラヴィンスキーのペトルーシュカや春の祭典を
吹奏楽アレンジ版として自由曲に選ぶこと自体が大変勇気ある事だったといえそうです)
秋田南の春の祭典の演奏は、そうしたつまらない批判を完全に吹っ飛ばす壮絶かつ理性的な演奏だったと思います。
(課題曲の「バーレスク」がとてつもなく理性的・端正に演奏していたのに、自由曲の春の祭典の自由で大胆不敵な演奏の
見事な対比には圧倒されます)
上記で壮絶と理性的というワードを用いましたけど、壮絶と理性的は言葉としては全く矛盾しているというか相反する要素だと
思うのですけど、この演奏を聴いて貰えば、私が何を言いたいかはすぐに分かって頂けると思います。
時に大胆不敵に、そして全体的には大変端正に理性的に乱れることなく進行していきます。
プロのオケでも難しいとされるホルンの高音域も全然無理なく自然に聴こえているのが特に素晴らしいと思います。
言葉は悪いのですけど、ある意味やりたい放題の演奏でもあり、演奏は確かに豪快ではありますが、
とてつもなく精密であり、聴いていても音楽の細かい所の隅から隅まで仕上げられているという印象が濃厚です。

1977年の全日本吹奏楽コンクールの全国大会では、実を言うと「春の祭典」は秋田南高校以外で駒澤大学も自由曲として
演奏がされています。
駒澤大学は、第二部「いけにえの儀式」から抜粋しているのに対して
(駒澤大学も素晴らしい演奏でした! だけど、後半のバスクラのソロの部分で凄まじいリードミスを発生させてしまい、
ほんの瞬間・・演奏が止まる寸前だったのに何事もなくバスクラがソロを続け、その後は無難に曲を展開させていったのは
さすがとしか言いようがないです)
秋田南高校は、第一部「大地礼讃」から抜粋させているのが大変興味深いところがあります。
「春の祭典」というと、第一部冒頭のファゴットの超高音域によるソロ開始が大変印象的なのですが、
秋田南は、このファゴットのソロから曲を開始させるのではなくて、木管楽器による不協和音のリズムの刻みから開始されます。
序奏からではなくて、春のきざし(乙女達の踊り) の部分から曲を開始させています。
そして全体的には、リズムが複雑すぎる場面やあまりにも超絶技術の場面や過剰に音量が鳴り響く部分を意図的に避け、
曲の構成・カットも無理な場面は選ばず比較的ゆったりとした部分をメインに構成していたのも大正解だったような気がします。
春のきざし→誘拐→春のロンドと曲を展開させてそして最後は唐突に第二部のエンディングの一音で終結というあまりにも
強引で大胆なカットをしていたのも面白い試みだったのかもしれないです。

秋田南のペトルーシュカも素晴らしかったですけど春の祭典も圧倒的名演だと思います。
ミスらしいミスはほとんどありませんし、アマチュアの高校生の吹奏楽アレンジとは全く思えない演奏だと思います。
大変誤解がある表現かもしれませんけど、気持ちが入っていないプロの管弦楽団の醒めた演奏よりは、
吹奏楽版ですけど秋田南の演奏の方が魂がこもっている気さえします。
そのくらいこの年の秋田南は神がかっていたと思います。
たまたま使用していた楽器が「管楽器+打楽器」にすぎなかったという感じの演奏でもありそうです。
所詮は吹奏楽アレンジ演奏でしょとか所詮は無謀なイロモノ演奏といった批判は全くの的外れと言う事だけは間違いなく言える
演奏だと思います。

秋田南というと後年の管弦楽のための協奏曲・矢代秋雄の交響曲・交響三章といった邦人作品の演奏も
素晴らしいのですけどそれに負けないくらい、ストラヴィンスキーを演奏した秋田南も素晴らしいと思います。
秋田南高校は1983年に同じくストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」を自由曲に演奏していますけど、
結果的にこの年はまさかの銀賞という評価になってはいるものの、私の中では
「過去に演奏された火の鳥の演奏としては83年の秋田南が最高の名演」と感じていますし、
秋田南は、2018年時点で、全国大会でストラヴィンスキーの三大バレエ音楽を全て自由曲として演奏した唯一のチームで
あったりもします。
ちなみに駒澤大学も全国大会で火の鳥と春の祭典を演奏していまけど、ペトルーシュカは1990年に自由曲として選んで
いるものの、90年の中央大学の気合溢れるガイーヌに代表の座を譲り、全国大会出場が叶わなかったのは少し
勿体無い感じもあります。
余談ですけど、春の祭典は1979年の東北大会・中学の部で高清水中学校が演奏した事もあるのですけど、この中学校は
1978~80年の自由曲は、ペトルーシュカ・春の祭典・火の鳥というとてつもない選曲をしていたりもします。

秋田南高校吹奏楽部は、高橋紘一先生時代、特に1970年代後半から80年代前半にかけては
今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色がない・・・否!! むしろそれ以上と言うか
今現在でもあの演奏から学ぶべきことは多々あるとてつもなく素晴らしい演奏を
一杯いっぱい・・・後世の私たちにこんなにも残してくれていたんだよ~!と伝えたい気持ちで一杯です!
(同様な事はロシアマイナーシンフォニー路線・邦人作品・イギリスの作品を取り上げた花輪高校吹奏楽部も
言えると思います)
あの頃の秋田南と同じ秋田県内の花輪高校の両校は当時の日本のスクールバンドの生きるお手本であり、
同時に両校ともに、後世の私たちをいまだに感動させ続ける素晴らしい演奏を残してくれていたと思います。

秋田南高校と花輪高校の過去のそうした素晴らしい演奏は、あの名演から40年以上も経過してしまうと、
私たちの記憶から消えてしまいがちですし、
当時の演奏全てがCDとして記録されている訳ではありませんし、
両校のあの素晴らしい名演を聴いたことが無いという方も結構いらっしゃると思いますし、
奏した意味において、誰か一人ぐらいは
「過去のこうした秋田県勢の素晴らしい名演をブログという形態であっても、文章という目に見える形で
何か残しておきたい」という人がいてもいいのではないかという事で、当ブログの管理人の私は、
未来への記録として秋田南と花輪の演奏の事は今後とも語り続けていきたいと思いますし、あの素晴らしい名演は
間違いなく後世に受け継がれていって欲しいものです。
1984年と言うと、私が親元を離れて初めて一人暮らしを始めた年でもあり、
東北の田舎を脱出し実家を離れる事が出来て、その開放感(?)に浸りきった年でもあり、
個人的には大変記憶に鮮明に残っている年でもあります。
あの頃の日本は、いかにも「古き良き時代」という感じでしたし、世間の雰囲気が「まっ、いっか・・」みたいなおおらかな空気が
まだまだ支配的でどこかのんびりとした雰囲気だったような印象があります。
今現在のような閉塞感とか常にピリピリと殺伐としているような空気では無かったと思います。
当時は今みたいに人間関係が無味乾燥という感じではありませんでしたし、
携帯もLINEもメールもパソコンも何にも無いない時代でしたし、
他人とのコミュニケーションは基本的には「直接会話」以外あんまり方法がなかったし、
何て言うのかな・・・まだ日本人らしい(?)「恥の文化」とか「奥ゆかしさ」とか
「そんなに言語明瞭にはっきり言わなくてもいいじゃん! そんなの行間を読み取ってよ」みたいな空気があったと思いますし、
少なくとも今現在よりは生きやすい時代だったような記憶があります。
むしろそうした時代に実家を離れて一人暮らしをスタートしたというのは、むしろ恵まれていたような感じもありました。

当時の私は、埼玉県大宮市(現、さいたま市大宮区)のぼろアパート【4畳半+3畳 風呂無し・トイレ共同 家賃2.2万円】に
居住していましたけど、あの頃ってお金は全然無い典型的な貧乏学生でしたし、
仕送り+毎月のバイト代で大体毎月8万程度で全てをやりくりしていたのですけど
(家賃→2.2万 光熱費→8千円未満 通信費→携帯はあの頃は存在していないし、固定電話は無いから0円
 銭湯代→4000円前後 吹奏楽団の部費・楽器消耗品・部の飲み代→1万円前後
 食費→3万未満 本→5000円ぐらい・・・)
別にお金が無くてもそれはそれでいいじゃん!、日々こうやって何とか生きていっているし、
学校は毎日通って、週に何度かは都内の吹奏楽団の練習に参加し、バイトもし、
お金が無くてレコードも聴けないけど、そういう時は・・上野の東京文化会館5階の音楽資料室で
丸一日レコードを借りまくってひたすら音楽漬みたいな事もしているし、
他に何か望む事ってあるのかな・・??

そういう楽観的な雰囲気が私の中に内在していたような感じがあったものでした。

当時はいわゆるバブルの発生の前の時代でしたし、まだ就職とか社会人生活なんてまだまだ先の話と思っていましたし、
日本全体がどことなく牧歌的な雰囲気が漂っていたのがそうした私自身「楽観さに繋がっていたのかもしれないです。
今振り返ってみると、この時代の日本は、「バブルの絶頂・日本経済の絶好調→バブルの崩壊・失われた10年」の
直前のお話という訳でして、なんとなくですけど私としては「滅亡前の微かな幸せの時代」という感じだったのかもしれないです。

冒頭から話が全然ヘンな方向にそれてしまいました(汗)

1984年と言うと、都内のとあるポンコツ大学に滑り込み大学の吹奏楽団に入団し、
無事にコンクールメンバーのオーディションを通過し、初めて大学の部として吹奏楽コンクールに臨んだ年でもあります。
結果論なのですけど、うちの学校は1982~83年に都大会にも出場していて、かつては全国大会にも出場していた実績は
あったもので、私としても「この4年間で一度ぐらいは普門館で開催される都大会には出場できるのかな・・?」と淡い期待を
抱いていましたけど、現実とは残酷なものでして私が在籍していた4年間は全て都大会予選で散ってしまい、
都大会本選に出場できず、結果的に普門館のステージに立つことは出来ませんでした・・(泣・・)

1984年の吹奏楽コンクール課題曲は、かなり粒が揃っていてかなり充実していたと思います。
前年の1983年の課題曲も、カドリーユとかインヴェンション第一番・白鳳狂詩曲などとこちらもかなり名作揃いでしたが、
一つ難を言うと、Dのマーチが「キューピットのマーチ」と言う吹奏楽コンクールの中でも
「歴史的な不人気作品」・「典型的な駄作」と酷評され、事実、吹奏楽コンクールでもこの課題曲を選曲するチームは
ほぼ皆無でした。
そうした中、1984年の課題曲は、AからDまで4曲全てが大変充実していたと思います。

この年の課題曲は下記の四曲でした。

課題曲A 池上敏 変容-断章

課題曲B 和田薫 土俗的舞曲

課題曲C 三上次郎 シンフォニエッタ

課題曲D 浦田健次郎 マーチ「オーパス・ワン」

課題曲4曲が全て充実しているなんて実は珍しい事なのかもしれません。
大抵一つぐらい不人気作品がある傾向にあるのですけど、どの課題曲を選んでも遜色ないという感じでしたし、
1984年の全国大会・大学の部の金賞受賞の4チームの課題曲は、それぞれA~Dと分散していたのは、
その課題曲の人気が平均して優れていたという事なのだと思います。
1986年も1990年の課題曲はA~Dの4曲とも大変内容が優れていたと思います。

Aの「変容-断章」は、現代的なメカニックな響きの中にも「和」の雰囲気を漂わせていたと思いますし、
Bの「土俗的舞曲」は、うちの学校のコンクール課題曲でもありましたし、
結果的にこの曲は後日、作曲者自身によって
「オーケストラのための民舞組曲」の第一楽章として管弦楽化もされていましたし、
(和田薫の奥様はフレッシュプリキュアのキュアパイン役の声優さんの中川亜希子さんです)
Cの「シンフォニエッタ」は、まさに急-緩-急の三楽章からなるミニシンフォニーみたいに大変中身が濃い優れた作品でしたし、
Dの「マーチ・オーバス・ワン」も短い曲ながらも大変親しみやすく、平易な技術で書かれている割には
充実感さえ感じさせる堂々とした響きというのが大変印象的でした。

マーチ・「オーパス・ワン」の際立った特徴として一つ指摘したいのは、
この課題曲以前のコンクール課題曲のマーチは、基本的には出だしから最後まで終始テンポが一定に保たれている
パターンが多かったと思いますが、この課題曲の場合、
冒頭のトランペットによるゆったりとしたテンポから開始されるファンファーレ的部分とその後に展開されるマーチの
部分を明白に分離されている事は大変興味深いものはあります。
そうしたファンファーレとマーチを区分している曲として
このオーバス・ワン以降、例えば1985年の「シンフォニックファンファーレとマーチ」とか2001年の「栄光を讃えて」などが
あると思いますけど
今にして思うとそうした曲の先駆者的な役割も担っていたような気もします。

冒頭のゆったりとしたファンファーレに続いて軽快なマーチの部分に展開されていくのですけど
このマーチのメロディーがとてもかわいらしくてキュートでしたし、同時に流麗みたいな勢いもありましたし、
スコアを見る限りではそれほど難しい個所も無く、
指揮者にとっても奏者にとっても吹き易くて演奏するのが大変楽しい本当に素敵な作品だったと思います。
シロフォーン奏者だけは「こんな速いパッセージ難しい・・」と言っていたのは印象的でした。
私達の学校の課題曲はBを選曲していましたけど、
気分転換の曲としてたまに、この「オーバス・ワン」も演奏しましたけど、クラリネットパートとしても
難しい指使いとか過度な高音は皆無でしたし、大変伸び伸びと吹ける曲だったと思います。
中間部のトリオのメロディーラインが大変美しくて、あの部分ではクラリネットが低音でメロディーを奏でているのですけど、
吹くだけでうっとりしそうですね。
そしてこの美しいトリオに比較的唐突な印象で金管が入り込み
そこから一気にラストまで駆け上っていくのですけど、あの追い込み方も 聴かせるツボを分かっているような印象もありました。

演奏時間は3分程度の短い曲なのですけど、内容的にはかなり充実していますし、
スコア上の平易さが少しも「手抜き」とは感じさせず、
むしろ、「シンプル イズ ベスト」を立証しているようにも感じられます。

この課題曲Dは、全国大会でも結構演奏されていて、この年の高校の部でも11チーム演奏していました。
そして意外な事に、関東代表の市立川口・習志野・野庭といった実績のある学校がこの課題曲を選んでいたのは
少し意外な感じもしたのですけど、
その分自由曲にエネルギーと練習時間を廻せるという点では作戦勝ちだったのかもしれません。

さてさて、このマーチ「オーパス・ワン」なのですけど、実はこの曲の作曲者は、
1979年のあのウルトラ超難解現代作品の「プレリュード」(1979年 課題曲B)を作曲された浦田健次郎と同一人物です!
最初にマーチ「オーパスワン」の作曲者が浦田健次郎と聞いた時には
「うそでしょ・・!? あの難解なプレリュードを作曲した人がこんな平易で親しみやすい曲も書けるなんて!」と
当時一部で話題にもなっていました。

あの「プレリュード」の世界を聞いてしまった後にこの「オーバス・ワン」を聴くと確かに同一人物による曲とは思えないですね。

吹奏楽コンクールの課題曲を振り返る時、一つの節目というか転換点になった曲があるようにも思えます。
私の世代よりも二世代ぐらい上のオールド吹奏楽ファンの方ですと、1964年の課題曲/序曲「廣野を行く」を
推されるのかもしれないです。
序曲「廣野を行く」以前の課題曲は、マーチがほとんどであったのに対して、マーチ以外の曲想の課題曲が
登場した初めての年と言えるのかもしれません。
当時、序曲「廣野を行く」は「難しい」と敬遠気味だったそうですけど、
現在の視点から聴くと一体どこが難しいのかな・・・?とも感じてしまうのですけど
それは吹奏楽コンクールの進化と奏者の技術力の圧倒的向上という事があると思います。
転換点と言うと、1974年の課題曲B/高度な技術への指標は今現在の視点から聴いても革新的だと思います、
こんなバリバリのポップスの曲をよく吹奏楽連盟が課題曲として認めたものだとある意味感心してしまいますし、
当時の吹連の役員さんの「太っ腹」には敬意を表したいです。

そして真の意味で大きな転換点になった課題曲はも1979年の課題曲B「プレリュード」ではないかと思います。
なぜ転換点かというと、吹奏楽コンクール課題曲の歴史の中で初めて、無調音楽のような現代音楽の感覚と形式を
初めてコンクール課題曲として成立させたのが、プレリュードだと思うのです。
この曲の譜面を初めて見た際に驚いたのは、冒頭50小節近くは、全ての管楽器奏者は全員休止状態で、
この部分はティンパニの完全一人ソロが静粛に緊張感をもって展開されていきます。
ティンパニソロ以降も変拍子に次ぐ変拍子で、メロディーラインが全然分からない現代音楽の要素を吹奏楽コンクールに初めて
本格的に持ち込んだ記念碑的な曲とも言えます。

この課題曲B/プレリュードを現在の視点から聴いてみると、とてつもなく面白いし斬新だと思います。

技術的には極度に難しくは無いようにも思えなくもないというか、曲全体が終始ゆったりとした曲なので、
アレグロのような早い部分はほぼ皆無ですけど、この曲を通して聴く人に「何か」を伝えることは大変難しいようにも感じられます。
楽譜に書いてある事だけをそのま魔音にしても、プレリュードは全くの無味乾燥になってしまうと思います。
この課題曲は後年CDやカスタムテープ等で様々なチームの演奏を聴いたのですけど、
演奏するチームによって、ここまで音楽の表現方法は変わるものなのかと愕然とするくらい
色々な表現スタイルがあったと思います。
そしてその中でも断トツに際立っている素晴らしい名演は誰が何と言っても市立川口高校の演奏に尽きるのではないかと
思います。
市立川口のプレリュードは、自由曲のネリベルの「二つの交響的断章」と合せて
神がかりな演奏以外の何者でも無いとさえ思います。
出だしのティンパニソロは緊張感漲る演奏が本当に素晴らしかったし、
後半のヴィヴラフォーン以降の木管セクションのひさやかさ、打楽器セクションの鼓動な文句のつけようがない演奏でした!
市立川口のあの演奏は、全国大会初出場でしかもプログラム一番と言う事で、そうしたハンディーを全く感じさせない
圧倒的な名演だったと思います。

課題曲B/プレリュードの特徴は大きく分けて二つあります。
一つは、小節ごとに拍子がコロコロと変わりまくるすさまじい変拍子の連続で、
そして二つ目は、これは最大の特徴とも言えるのですけど、曲の冒頭はィンパニの完全単独ソロから開始されます。
本当にティンパニだけのソロのみで展開され、この間は他の楽器は一つの音も入りません。
冒頭から約1分近く、ティンパニのソロ(しかも他の楽器なしの完全ソロ・)という
おそらく課題曲としては私が知る限りにおいて、唯一の快挙を成し遂げています。
さてさて、このティンパニのソロですけど、
38秒までが手で、それから52秒までが普通のマレット(バチ)、それ以降は木琴などのバチの柄の部分、
という3種類の演奏法により、音色の変化も出すようにスコア上で指示が出されています。
曲のエンディングは、冒頭同様に手で奏でるように指示されて、静粛に静粛に・・閉じられていきます。

浦田健次郎は、後年、ヤマハ吹奏楽団浜松から委嘱を受けて、
シンフォニックバンドのための「Ode」というこれまた素晴らしい作品を私達に提示してくれるのですけど、
この作品もプレリュードと同様に劇的な雰囲気、凄まじい静と動の落差に満ち溢れていて
聴く者に間違いなく「何か」を伝えてはいると思います。

名取吾朗先生が永眠されて、もう既に二十数年が経過しているのを見ると「時の流れって早いよね・・」としみじみ
感じたりもします。
名取先生の吹奏楽作品はどちらかというと陰気で劇的要素が強く、
ネリベルのように強弱と明暗のコントラストが激しい作曲家という印象があったりもします。
私自身、名取先生はその生前に例えば都大会・山梨県大会・関東大会等の吹奏楽コンクールの審査員として
お見かけした記憶はありますし、どこかの大会で、審査員代表として講評を述べていたのを耳にしたことがありますが、
作品の印象とは全然異なる柔和なお人柄という印象を受けたりもしたものです。
聞いた話によると、名取先生の陰鬱な音楽の背景には、名取先生ご自身の辛くて悲惨な戦争体験、特に南島での
兵士としての辛い体験がベースにあったとの事です。
そのあたりの背景は水木しげる先生と共通するものがあるのかもしれないです。

名取吾朗先生の吹奏楽曲と言うとどんな作品があるのでしょうか・・?

〇アラベスク(1973年課題曲B)

〇風の黙示録(1990年課題曲B)

○吹奏楽のための交響的詩曲「地底」

〇交響的幻想曲「ポンドック街道の黄昏」

〇吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」

〇吹奏楽のための詩曲「アトモスフェア」

何となくですけど、名取吾朗氏の作風と市立川口高校と愛工大名電の演奏は大変相性が良かったようにも感じられます。
ポンドック街道の黄昏は、関東大会銅賞ですけど真岡高校の演奏が私的には大変強く印象に残っていますし、あの演奏に
おける前半のソプラノサックスのかなり長大なソロはキラリと光るものがあったと思います。

吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」に関しては、詳細な資料がほぼ皆無でその作曲の経緯や初演を含めて
私自身実はあまりよく知らないという事でもあるのですけど(汗・・)
一言で感想を述べると「慟哭」であり、抑えきれない悲しみとせつなさの感情のあまり涙が自然と流れてきそうという
感じの曲だと思います。
永訣の詩と似たような感じの曲としてよく挙げられるのが吹奏楽のための詩曲「アトモスフェア」なのですけど、
両者は似て非なるものがあるような印象を私自身は感じております。
永訣の詩はその人に内在する感情をひそやかに歌い上げたものであり、対してアトモスフェアの方はどちらかというと
ダイナミックスレンジの幅の落差を音楽の外面的効果として強調しているという印象もあったりします。

永訣の詩の「永訣」というと宮沢賢治の「永訣の朝」という小説を思い起こす方もいるかとは思いますが、永訣の本来の意味は
永遠に別れること、死別、永別との事で、
自分が本当に大好きで愛した人との最期のお別れに当たっての「なんであなたは私をおいて一人逝ってしまうのだ・・」という
別れの辛さ・哀しさを内省的に表現した曲というのが本来的なこの曲の解釈なのでしょうけど、
私的には、この曲からは、人生の最後で何かやり残したものも多々あり、死んでも死にきれないのだけど、
最後は諦念という感情の中で未練を抱えつつも静かに最後を迎え、消滅していく・・・
そんな感じが漂う不思議な曲のようにも感じたりもします。
例えは悪いかもしれないですけど、矢代秋雄/交響曲~第三楽章の世界観が漂っているような感じもします。

吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」は全国大会においては、これまでの所、市立川口と花輪高校が自由曲として
演奏がされています。
コンクールの評価としては市立川口は金賞で花輪高校は銅賞なのですけど、これに関しては私的には大いに異存があります!
花輪高校の演奏は銅賞なのだから市立川口高校より劣るという事は100%ないですし、両校の演奏を実際に
普門館の生演奏を聴いている私としては両校ともそれぞれ素晴らしい演奏を残していますし、
それぞれ大変個性豊かな演奏&解釈を新鮮な感覚で聴かせてくれていますし、どちらにも捨てがたい魅力があります。
両校の演奏には一つ面白い違いがあります。
冒頭の慟哭みたいな表情の部分てすけど、
市立川口は、この部分はユーフォニウムがソロに近い感覚で朗々と吹き上げているのに対して、
花輪高校は、この部分はトランペットセクションが高らかにややヒステリックに響かせています。
個人的には、この部分は、花輪高校の方が好きですけどね。

花輪高校は、1987年のこの永訣の詩以前の自由曲はロシアのマイナーシンフォニーを主に演奏していましたけど、
この年は突然の「邦人路線」への変更と言う事で正直驚きましたけど、
1987年の演奏は、慟哭のやりきれない響きの中に優しさが垣間見え、私は結構好きでした。
この年の演奏が全国では銅賞という評価なのですけど、1989年の「壁画」同様、この評価は今でも納得できないですね~!
後で聞いた話では、
当初花輪高校は全く別の曲を自由曲候補として考えられていたそうですけど、
秋田県内のある中学の「永訣の詩」の演奏を聴いて小林先生が、「うちでもやってみよう」という事になり、
カットと時間の制約上、課題曲もEのマーチ「ハロー! サンシャイン」に変更した経緯があるとの事です。

1984年の市立川口高校の演奏は花輪高校と同様に内省的な響きを大切にしながらも、花輪高校がどちらかというと
少しドロドロとした泥臭さの表現を感じさせるのに対して、市立川口は音色自体が大変都会的で明るい響きで
かなり洗練された音楽としてこの永訣の詩にアプローチされていた印象があります。
市立川口は翌年にも名取吾朗先生のアトモスフェアを自由曲に選び、音楽の強弱と変化をかなり大胆に表現され
ダイナミックスレンジの幅広さを強く聴衆に意識させた外面的効果の強調を感じさせるのですけど、
1984年の永訣の詩もどちらかというとそれに近いアプローチを見せてくれていると思います。
まとめると同じ「永訣の詩」という素材を選びながらも、花輪高校は泥臭い人間の悲しみの慟哭の感情をドロドロに表現され、
市立川口は内省的な雰囲気を大切にしながらも音楽の外見的効果も重視しているというのが
違いと言えるのかもしれないです。

市立川口と言うと、二つの交響的断章の爆演とか1980年の神の恵みを受けてといういかにもアメリカオリジナル作品らしい
都会的洗練さと過剰過ぎるとも思えなくもないダイナミックスさ、あの2年間に渡る「無言の変革シリーズ」のように
表面的な華やかさ、多才な楽器の使用、あまりにも鮮やか過ぎるffとppの落差の激しさ、静と動の極端な落差などといった
「外見的な派手さ」が目立つ印象にあったのですけど、
1984年の市立川口の演奏は上記で述べてきた外見的効果とダイナミックスレンジの幅広さの他に、
音楽の内面にぐぐっと踏み込んだ内省的な演奏の世界に入り込んできたというような印象を当時は感じたものでした。

市立川口のように技術的に高い水準をもった学校が技術的には易しい課題曲D/マーチ「オーバス・ワン」を取り上げた
事自体極めて意外でした。
(この年の関東4代表のうち、3チームが課題曲Dを選んでいました)
信国先生のそれまでの選曲パターンで言うと
「課題曲B/土俗的舞曲のような日本的情緒が漂う曲を選ぶのかな」と思っていたら簡単なマーチを選ぶとは少し意外
という感じもしましたけど
課題曲は実にオーソドックスに普通に演奏していましたので、当時は「市立川口も普通のマーチを普通に演奏する事も
出来るのだ」とヘンな感覚も感じたものでした。
自由曲の「永訣の詩」ですけど、内省的な深みのある曲を一音一音よく考え抜いて吹いていて、
じっくりと練りに練った解釈の下、曲の内省的な緊張感を終始キープしたまま演奏を展開し、
最初から最後までウトウトする事も許されないような有無を言わせぬ圧迫感というか劇的な緊張感をずーーっと
客席に与え続けていたような印象があります。
この演奏で何がすごいかと言うと、どうしてもアマチュアの吹奏楽の場合、全体での勢いがある場面は華やかでいいのですけど
ソロになったりサウンドが薄くなったり、奏でる楽器の数が少なくなってくると
とたんにサウンドが貧弱になったり表現が消極的になるような傾向も決して無くは無い中、市立川口は、ソロの場面でも
大変うすく書かれている場面でも奏者が臆することなく自信たっぷりに堂々と吹いていて
音楽としての表現力が消極的になる事は全く無く、逆ppの熱演や静の場面の音楽的熱狂とか劇的な息が詰まりそうな
緊張感を演奏開始から静かに曲が閉じられるまでの間ずっと保っていたのは圧巻だったと思います。

静かに曲が閉じられ、演奏が終わっても客席にはピンと張りつめた緊張感が漂いつづけ
「一体今のはなんだったんだ・・!?」みたいな空気が流れていたせいか
私の記憶の中では、演奏終了後の拍手は意外と少ないという感じはありましたけど、客席が市立川口の演奏に
のみこまれていたと思います。

最後に・・

先日の当ブログの渡邉ポポ先生のコミック「埼玉の女子高生ってどう思いますか?」の記事の中で、
埼玉の大宮開成高校について少し触れさせて頂きましたが、この大宮開成高校は2015年以降、埼玉県大会でも
急速にレヴェルアップを果たされていて、ここ4年近くは全て高校B部門の中で金賞・県代表に選出されていますけど、
2015年の自由曲が名取吾朗先生の吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」でした。
あの演奏は私自身は県大会で聴きましたけど、1984年の市立川口を彷彿とさせる外見的効果と内省的な雰囲気が
絶妙に融合した素晴らしい演奏でした!

アトモスフェアも地底もこの永訣の詩も令和の時代でも忘れることなく演奏されてほしいです!
吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中で最難関の課題曲は私も含めて多くの皆様は
1994年の課題曲Ⅲ/饗応夫人を推されると思います。
「饗応夫人」に関しては正直評価は思いっきり別れる曲だと思いますし、私自身はこの課題曲はどちらかというと苦手な
部類で、この課題曲を通して作曲者が何を意図したいのかいまだにほとんどわからないです・・(汗・・)
ソロ楽器の扱いも含めて演奏する上での技術があまりにも高すぎて、この課題曲をアマチュア向けのコンクールとして
出題した意義は正直疑問を感じざるを得ないという印象がありますし、
1994年の吹奏楽コンクール全国大会・中学の部でこの難解課題曲をまともに消化できていたチームは、
総社東・土気・野田ぐらいだったと思いますし、中学生にこんな難解課題曲を吹かせる事自体がなんだか気の毒という
印象を当時は感じていたものでした。
1994年の課題曲は今現在でも相当の賛否両論の声は耳にしますけど、私もどちらかというと否定論者側です。
だけどこの年の課題曲Ⅰ.ベリーを摘んだらダンスにしようだけは後世に絶対に受け継がれて欲しい不滅の名曲だと
確信していますし、この課題曲は吹奏楽コンクールという枠を離れて、演奏会等でも是非是非演奏して欲しい曲の一つだと
私は思っています。

1994年の課題曲Ⅲ/饗応夫人は技術的に大変難解だけど、音楽の内容としては私個人としてはかなり疑問点が付く曲
ではあるのですけど、技術的に難解であると同時に音楽の内容の点で大変優れている課題曲の一つとして
大いに推したい課題曲が三善晃作曲1988年の課題曲A/吹奏楽のための「深層の祭り」です!

最初に三善晃が吹奏楽コンクールの課題曲を書き下ろしたと耳にした際は「え~、すごーい!」と感じたものでした。
(それは間宮芳生も全く同じでしたけどね・・)
三善晃というと1988年時点では既に日本のクラシック音楽作曲家の重鎮の一人であり、とてつもない大物先生であり、
交響三章・響紋・夏の錯乱・レクイエム・協奏的決闘・変容抒情短詩・管弦楽のための協奏曲や数多くの合唱曲を既に
作曲されていて、「そんな恐れ多くてこんなアマチュアを対象にした吹奏楽コンクールの課題曲を委嘱するなんて怖いかも・・」
といった雰囲気もあったと思いますけど、逆に言うとそれだけこの当時の吹奏楽コンクールは既に
大変なレヴェルの高さを有していましたので、こうした大御所の作曲家の先生に課題曲作品を委嘱しても
全然問題ないという感じだったのかもしれないです。

それにしてもこの吹奏楽のための「深層の祭り」はあまりにも奥が深くて音楽的内容が充実した素晴らしい名課題曲だと
思います。
演奏時間4分程度の決して長くは無い曲なのですけど、この4分程度の時間にはぎゅ~っと凝縮した
音楽的緊張感と張りつめた内省的充実感が漲っていると思いますし、
確かに聴いていて「楽しい」と感じる部類の曲では全然ないのですけど、あの精神的にピンと張りつめた空気が醸し出ている
曲だと思いますし、発表した場がたまたま吹奏楽コンクールの課題曲だったという感じでもあり、
この曲はブロの管弦楽団の定期演奏会の一曲目として(管弦楽と打楽器だけで)演奏しても全然遜色のない曲
なのだと思います。
「祭り」というと「ローマの祭り」とか「フェスティヴァル・ヴァリエーション」などのように「華やかさ」というイメージがありますが、
三善晃の「深層の祭り」は内面の葛藤とか精神的緊張感を高らかに謳い上げた曲のようにも感じられます。
吹奏楽コンクール課題曲には、楽器編成・難易度・演奏時間といった制約が色々と課せられるのですけど、
そうした足かせを感じさせない完成度の高い内容を持つ曲であると言えるのだと思います。

「深層の祭り」は技術的にも表現するにも難しいと思います。
この課題曲は、私が大学を卒業し社会人としてスタートを切った年の課題曲のため、私自身は演奏した事はありませんが、
大学の吹奏楽団の後輩のクラリネットのパート譜を見た時はあまりの難解さに思わず絶句してしまいました!
そのくらい技術的にも表現する上でも難解極まりないやっかいな課題曲だと思うのですけど、
作曲者の故・三善晃氏は、この課題曲をきっかけとしてその後何曲か吹奏楽オリジナル作品を残してくれましたので、
その意味でもこの課題曲の功績は大きいと思います。


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吹奏楽のための「深層の祭り」ですけど、曲の冒頭はファゴットのソロで開始されます。
曲がファゴットのソロで始まる事や曲の最後の一音前に前打音的にタンブリンが奏される点や
タンバリンのリズム感が大変面白い点は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」と少しばかり近いようなものが
あると思います。
深層の祭りの最後は全体合奏でのffで閉じられるのですけど、あの部分を注意深く聴いてみると
実はタンバリンだけ、全体のバン!!というffの閉じられ方よりもほんの0.1秒程度瞬間的に早く前打音的に叩かれていますので、
この課題曲の事を何も知らない人が聴いてしまうと
「あれ、このタンバリン奏者間違ってフライングしてしまい、全体が閉じられるより0.5拍早く叩いてしまったのかも・・!?」と
誤解される可能性が高いようにも感じられます。
ラストの一音のタンバリン奏者はとてつもなく神経を使ったと思いますし、かなりのプレッシャーがあったと思います。
全体で閉じられるよりほんの0.1秒早く叩かないといけないその緊張感と技術的な難しさは、
この課題曲のフルスコアを事前に読みこんでしまうと、何も知らないで聴くよりは数倍難しさを感じると思われます。

中には、都大会での乗泉寺吹奏楽団のようにタンバリン奏者が間違えてしまったのかどうかは定かではありませんけど、
全体が閉じられるのと同時にタンバリンも叩いてしまい、タンバリンの前打音効果が発揮されない事例も中には
あったものです・・(汗)

この「深層の祭り」は木管セクションも金管セクションも、そしてなによりも指揮者が一番大変だったと思うのですけど、
打楽器セクションの一人一人も大変だったのは間違いないと思います。

基本的には、ティンパニ・トムトム・小太鼓・大太鼓を4人の奏者が担当し
残りのサスペンダーシンバル・タムタム・トライアングル・タンバリン・コンサートチャイム・マラカスを一人の奏者が担当している
ケースがかなり多かったような気もします。


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吹奏楽コンクールは一般的にはティンパニ奏者を別にすると、打楽器奏者が複数の打楽器を掛け持ちというのは
よくある光景ですし、全然珍しくないです。

上記の吹奏楽のための「深層の祭り」ですけど、実際のコンクールにおいては6人程度使っているチームもたくさん
ありましたけど、中には5人の打楽器奏者で演奏する場合、中盤以降の展開は結構大変な事になってしまう事も
散見されていたと思います。

中盤以降は、5人の打楽器奏者のうち4人の奏者は
打楽器奏者その1→ティンパニ
打楽器奏者その2→大太鼓
打楽器奏者その3→トムトム
打楽器奏者その4→スネアドラム

といった自分の担当楽器にほぼ掛りっきり状態になってしまうので、
残った打楽器奏者その5が残りの打楽器を一人で掛け持ちするという事態になるのも全然珍しい話では
なかったように思えます。
確か都大会だったかな・・?私が目撃したとある演奏においては、
打楽器奏者その5が、左手にタンバリンを持ち右手にドラのマレットを持ちながら、タンバリンを6回叩いて
その直後にドラを鳴らし、これを何度か繰り返し、
右手と左手で同時にドラのマレットを握り、二台のドラを鳴らすという離れ業を見せた次の瞬間に
マラカスに持ち替え、マラカスを小刻みに鳴らし、そして次の瞬間に
トライアングルを数秒鳴らし、そしてまたまた数秒後にコンサートチャイムの位置までダッシュし、チャイムを4音響かせ、
そしてまたまたサスペンダーシンバルの位置に戻ってサスペンダーシンバルをロール奏法で響かせ、
ラストは上記で書いた通りの前打音的に
タンバリンを強烈に全体とは半拍わざとずらして叩き付けるという荒業までお披露目してくれていたのは
大変印象的でした!

パーカッションセクションはティンパニ奏者が全体の華と言えるのかもしれないですけど、こうした小物打楽器を
掛け持ちして「見せる=魅せるパーカッション」を華麗にみせてくれる奏者は本当にすてきなものが
あったと思います!

吹奏楽のための「深層の祭り」は1988年の全国大会・高校の部と大学の部で素晴らしい名演が続出していましたけど、
個人的には、神奈川大学・天理高校・洛南・習志野の演奏が大変素晴らしかったと思います。
中学の部では後半に、課題曲がこの深層の祭り、自由曲にダフニスとクロエ第二組曲という組合せが
4チームほぼ連続していましたけど、あの競演は圧巻のものがありました!
(表面的には4チームとも共通してブートゥリーのダフクロのアレンジ譜面を使用しているはずなのに、4チームとも
そこから出てくる音は全て違っているというのもなんだか面白いものがあったと思います)
1970年代終わりから80年代初期の頃の吹奏楽コンクールにおいて、モーツアルト・ベートーヴェンと大体活動時期を同じくし、
「ガヴォット」という大変愛くるしいヴァイオリン曲でクラシック音楽史にその名を残したゴセックという作曲家の
「古典序曲」という吹奏楽曲は吹奏楽コンクールにおいても何度か演奏されていて、広島の基町高校吹奏楽部が
全国大会で自由曲として演奏されていた事も実はあったりもします。
私自身は古典序曲を演奏した事は一度もありませんが、部室内にそのスコアがあり、
クラリネットのパート譜を吹いた記憶があります。
この「古典序曲」は私が知る限りCDの音源を聴いたことがないものでして、私の中では
「聴きたくても聴くことが出来ない幻の吹奏楽曲」の一つのようになっています。
考えてみると、モーツアルトが生きている頃に既に
軍楽隊用ではありますけど、いわゆる「吹奏楽オリジナル曲」の先駆けみたいな曲があったなんて少し驚きです。

このゴセックの門下生の一人がカテルという方であり、
フランス革命直後に創設されたパリ防衛軍軍楽隊の指揮者であったゴセックの下、
カテルは、なんと弱冠17才にして同軍楽隊の副指揮者に就任してます。
パリ防衛軍軍楽隊自体は、18世紀末に解散ということになっていますが、
その源流は、現在も名門パリ警視庁音楽隊に受け継がれています。
カテルがこの軍楽隊在籍中に書き残した曲の一つが、序曲ハ調という曲でありまして、
前述のゴセックの「古典序曲」と共に吹奏楽オリジナル作品の古典中の古典作品として
古典的吹奏楽作品という面では大変重要な位置づけにあるとさえ思われます。

前述のモーツアルト・ゴセック・カテルの活躍時期は18世紀~19世紀前半の頃の話なのですけど、
19世紀中盤においてもクラシック音楽の中でもかなり有名な作曲家の大家の中にもいわゆる吹奏楽オリジナル曲の源流
といえるような曲もいくつか既に作曲されていて、
その代表的な作曲家と曲がF.メンデルスゾーンの「吹奏楽のための序曲」という作品でもあったりします。

メンデルスゾーンと言うと、劇付随音楽「真夏の夜の夢」や交響曲第3番「スコットランド」とか交響曲第4番「イタリア」とか
「メンコン」の略称で親しまれる「ヴァイオリン協奏曲」などで有名な作曲家ですが、
実は吹奏楽のための作品も残していたというのは少し意外な感じもあったりします。
メンデルスゾーンが生きたのは、19世紀前半から中盤なのですけど、
こんな古い時代にもいわゆる「吹奏楽オリジナル作品」も存在していたのは意外でもあるのですけど、前述の通り
実はその時点でゴセック・カテルといった作曲家の存在もいたりします。
そのメンデルスゾーンの吹奏楽オリジナル作品というのが上記で書いた通り「吹奏楽のための序曲」なのですけど、
この曲を作曲した当時のメンデルスゾーンは、わすが15歳との事です!
当時15歳のメンデルスゾーンは、家族一同バルト海沿岸にあるバート・ドベラーンへ避暑旅行した際に
同地の吹奏楽団のため作曲したのが、この「吹奏楽のための序曲の原型であり、ちなみにこの原型の編成は
管楽器のみの11名編成です。
そしてこの原型となった曲のスコアは後日紛失してしまったとの事なのですけど、後年にメンデルスゾーン自身の記憶によって
復元され更に改訂がなされ今現在の形となっています。
その改訂版は23本の管楽器と打楽器のための作品であり、打楽器も、シンバル・大太鼓・小太鼓・トライアングルも
使用されていて、色彩感覚も十分です。
ちなみにクラリネットは6本使用されています。
この当時で打楽器をこれだけ使用している曲は異例とも言えると思います。
23人編成という事で、昔の地方の吹奏楽コンクール県大会で言う所の「C編成」(25人編成)を意識したような
曲と言えるのかもしれないですね。

この「吹奏楽のための序曲」ですけど、その原型が当時15歳の少年が書いたとは思えないほど本格的なものであり、
吹奏楽コンクールの自由曲や定期演奏会等で演奏しても全然遜色ない曲だと思いますし、
特に序奏部分の木管セクションの美しい響きは極めて印象的です。

その2年後に、劇付随音楽「真夏の夜の夢」序曲を17歳時点で作曲している実績を考えると
メンデルスゾーンは、モーツアルトと同様に「神童」だったのかもしれないです。

このメンデルスゾーンの吹奏楽のための序曲は、滅多にありませんけど、たま~に吹奏楽コンクールでも
演奏されることがあったりもします。
全国大会では東邦高校と乗泉寺吹奏楽団が演奏しています。

実を言うと大変恥ずかしい事に、私自身はメンデルスゾーンの「吹奏楽のための序曲」と
同じくメンデルスゾーン作曲の序曲「ルイ・ブラス」を同一曲と勘違いしていた時期があり、
少なくとも20歳あたりまではそのように勘違いしていました・・・(汗・・)
「ルイ・ブラス」の「ブラス」を吹奏楽の金管楽器と勝手に勘違いしていたのが原因であったりもします・・(汗・・)

これは今にして思うととてつもなくこっ恥ずかしい話ですね・・

昔、ネヴィル・マリナーが都響に客演指揮をした際、「オールメンデルスゾーンプログラム」を組み、
前半に、「ルイ・ブラス」とヴァイオリン協奏曲を演奏し、後半に交響曲第三番「スコットランド」を演奏していましたけど、
この時の演奏は、3曲どれもが素晴らしい名演だったと思います。

ここから先は少し余談ですけど、メンデルスゾーンという作曲家はクラシック音楽上は古典派とロマン派の中間的存在
という立ち位置でもあると思うのですけど、
メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」という古典派のような佇まいの曲を吹奏楽コンクールで自由曲として選曲すると
いうある意味大変リスクの高い冒険にチャレンジしただけではなく、大変音楽的表現に優れた素晴らしい演奏を
残してくれたチームも存在しています。
序曲「フィンガルの洞窟」という古典的名曲を吹奏楽にアレンジして演奏すること自体大変勇気がいりますし、
過去においても何度も何度もそうした古典的名曲に無謀にも挑戦し玉砕した事例は数多く知っていますけど、
序曲「フィンガルの洞窟」を自由曲に選んだ1982年の四国代表の観音寺第一高校吹奏楽部のように
大変優れた「隠れた知る人ぞ知る名演」を残してくれたチームも実は過去に存在したりもしています。
観音寺第一は、「クラシック音楽の古典的名曲を吹奏楽にアレンジするだけでなくて、更にそれを現代的感覚で
もって演奏する」という難点を特に違和感なく現代風にしっとりと聴かせてくれたのは大変ポイントが高いと思います。

原曲は、金管にトロンボーン、そして当然ながらユーフォニウムも入らないのですけど、
この両金管楽器とかサックスセクションを加算しても、決して「厚化粧」みたいな響きにならずに
古典的な「控えめでかれんな演奏」をしっとりと聴かせることが出来たのは大変素晴らしい事だと思います。
原曲は打楽器はティンパニのみなのですけど、観音寺第一の吹奏楽アレンジは小太鼓・大太鼓・シンバルも加わていて
それでいて原曲を損なうような響きにはなっておらず、さほど違和感は感じさせず、
むしろ原曲に元々そうした打楽器が入っているかのような雰囲気さえ感じさせてくれました。

これはどこが成功要因なのかな・・?

元々このチーム自体が持つ「控えめな感じ」がプラスに出たとも思えますし、
指揮者のバランス感覚の良さもあるとは思います。
とにかく吹奏楽で、こうした古典的名曲を表現出来る事は吹奏楽の「無限の可能性」みたいなものも
感じさせてくれていたと思います。
特に木管、特に特にクラリネットセクションの「ひそやかさ」は素晴らしい響きでしたし、
ラスト近くのクラリネットだけのうねりみたいな部分も特に際立っていたと思います。

結果は残念ながら銅賞でしたけど、私個人としては銅賞以上の価値がある演奏だと思います。

前年度の1981年に「ダフニスとクロエ」第二組曲を四国大会で演奏し、支部代表に選出されたにも関わらず、
ブートゥリー編曲ではない渡部修明先生編曲版を使用した事が著作権上問題となり
全国大会代表を後日辞退した「鬱憤」を晴らす見事な演奏だったと思います。
アメリカの吹奏楽オリジナル曲というとクロード・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などに代表されるように
輝かしく明るい華麗なるサウンドという印象もあったりはするのですけど、
中には内省的な名曲も色々あったりしてその多様性に感銘を受けたりもします。

そうしたしっとりとした内省的な曲の一つが、R.プレスティの「あるアメリカ青年へのエレジー」だと思います。

この曲のタイトルの「あるアメリカ青年」とは、実は暗殺されたジョン=F・ケネディの事であり
ケネディ大統領の暗殺による非業の死に対しての追悼の曲は、管弦楽・吹奏楽などジャンルを問わず色々と作曲されました。

一例を挙げると・・

〇バーンスタイン/交響曲第3番「カディッシュ」

〇ロイ・ハリス/勇気ある人、J.F.ケネディへのエピローグ

〇ストラヴィンスキー/ケネディのための悲歌

などがありますが、吹奏楽オリジナル作品で名高いのは、R.プレスティ のあるアメリカ青年へのエレジー だと
思います。
ただ曲の内容が大変内省的でおとなしい曲想ですので、吹奏楽コンクールで演奏されることはほとんどありません。
(フェネルが東京佼成と録音したCD集の中にこの曲やグールドの吹奏楽のためのバラード、チャンスのエレジーが
収録されているのはフェネルの見識の高さを示唆するものだと思います)

R.プレスティのあるアメリカ青年へのエレジーは、冒頭のクラリネットによるゆったりとした祈るような悲しいメロディーが
実に印象的で、既にこの部分だけで全体の哀しさ・祈りを雄弁に物語っていると感じられます。
アレグロに入っても終始悲しい感じが維持され続け時折感情が爆発しています。
そしてラストは静かに閉じられ、
全体的に難しい要素は特になく、イメージがしやすい悲歌と言えますし、追悼の音楽に相応しい吹奏楽オリジナル作品と
言えると思います。
そしてその分かりやすさ・シンプルさが一層この曲「悲しいイメージ一色にさせていると感じられます。

この曲は、フェネル指揮/東京佼成の「シンフォニックソング」のCDに収録されていますけど
他のアメリカの古典的オリジナル曲と合わせて
是非現在の若いスクールバンドの皆様にも聴いて欲しい一枚だと思います。

アメリカの吹奏楽オリジナル曲の中には、地味ながらも内省的にしっとりと歌い上げている作品も多々見られ、
中にはこのまま誰にも演奏されず埋もれてしまうのが勿体ないと感じさせる曲も多々あったりします。

一例をあげると・・・

〇チャンス/エレジー

〇モルトン・グールド/吹奏楽のためのバラード

〇クリフトン・ウィリアムズ/パストラーレ

〇  同上 / カッチアとコラール

〇A・リード/イン・メモリアム

上記に挙げた曲の中で、かなり心に響いてくるのが、J.B.チャンスの「エレジー」です。

チャンスと言うと、吹奏楽コンクールでも既にお馴染みの、呪文と踊り・朝鮮民謡の主題による変奏曲・
管楽器と打楽器のための交響曲第2番が断トツに有名なのですけど、エレジーは吹奏楽コンクールではまず演奏されない曲
ではあるのですけど、あの不思議な響きには心打たれるものがあります。
チャンスはフェンス接触による感電死という事で30代の若さで突然の早逝をされます。
そしてその死の直前に完成した作品こそが「エレジー」なのです。
作曲家としては「これから先が大変楽しみ」と大変期待をされていた方でもありますので、本人としても無念の極みと
思うのですけど、自分の「死」に対してもしかしたら予感めいたものがあったのかどうかは定かではありませんけど、
この「エレジー」という悲歌がチャンスにとっては遺作の一つになってしまいます
結果的に「自分自身に対するレクイエム」になってしまった事は本当に惜しまれます。 
決して直感的な曲とか霊感漂う曲という雰囲気ではないのですけど、そうしたエピソードを耳にすると
どことなくですけど、予感的なもの・死の香り・この世への未練と諦観といった感情は不思議と痛いほど伝わってきます。

最後に・・そうした死への予感という感じで大変印象的な吹奏楽オリジナル作品は、C.ウィリアムズの「カッチアとコラール」だと
思います。
ウィリアムズの作品は、交響組曲・交響的舞曲第3番「フィエスタ」・ファンファーレとアレグロ・ザ・シンフォニアンズ等で
日本の吹奏楽コンクールでもかなりお馴染みの作曲家なのですけど、この「カッチアとコラール」はコンクールでも演奏会等でも
ほとんど演奏されないのは大変勿体ないです。
(私自身は、1994年の関東大会・中学B部門で聴いたのがこれまで唯一の生演奏です)
「カッチアとコラール」は、もともと単一楽章のカッチアという楽曲として構想されていたらしいのですけど、
作曲途上でコラールが書き加えられた経緯があるそうです。
カッチアは大変明るく華やかでエキサィティングな曲であるのに対して、コラールの部分は大変重厚で重苦しく
カッチアとコラールの対照性はかなり際立っていると思います。
ウィリアムズの意図としては対照的な二つの楽章の提示という事も多少はあるのかもしれないですけど、
この曲が作曲された頃にウィリアムズ自身に肺ガンが発見され手術を受けたものの術後の経過が芳しくなく
自らの死期を悟ったウィリアムが一旦書き上げたカッチアの部分にコラールを追加させたと言う事は、
「死を目前にして何かを後世に自分のメッセージとして残しておきたい」という意図の方が強いようにも感じられます。
前述の通り華麗なカッチアの部分が終結した頃に、コンサートチャイムの鐘の音が静粛に響き渡り、
金管楽器で祈りの音楽が重厚に響き、フルート・コールアングレ等のソロを挟み、荘厳且つ安らかな音楽が展開されて
いくのですけど、最後の方で突然心臓の鼓動のリズムがずんずんとビートを刻み、これはかなりインパクトがありますし、
不安感を感じさせます。
そしてこの心臓のピートは、F.マクベスの「カディッシュ~ユダヤ人の死者のための葬送音楽」のラスト近くの
壮絶な心臓のビート音に極めて近いものを感じさせていると思います。
そしてエンディングはそうした未練・不安を吹っ切ったかのように静粛でやすらかに閉じられていきます。

この「カッチアとコラール」は肺ガンで余命わずかなウィリアムズが人類に対する警鐘の意味も兼ねて作曲したと
言われていたりもしますけど、それよりはむしろ「一人の人間としての人生の閉じられ方」についての葛藤と祈りを提示した
作品と言った方が良いようにも感じられます。
とにかく胸にじーーんとくる不思議な曲です。

日本でも「カッチアとコラール」の魅力が少しでも広まればいいなぁと感じたりもします。
1986年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は4つの課題曲がそれぞれ全て内容的にも音楽的にも大変優れていて
課題曲としては類稀なる当たり年だったと思います。
課題曲が全て当たりと言う事は大変貴重であり、例えば1983年の課題曲はA~Cのいずれもが大変素晴らしい内容の曲で
あったのですけど、Dの「キューピッドのマーチ」が吹奏楽コンクール史上最悪の駄作の一つと大変悪名高く、
もしもあの年の課題曲Dが普通程度のマーチだったら、後世の評価としては「1983年の課題曲は全曲全て当たり年」と
言われていたのかもしれないです。
そして全ての課題曲が当たり年というのは、1986年以外では、1984年と1990年、そして1992年や2000年も大変名高いものが
あると思います。

1986年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は下記の4曲から構成されています。

A/吹奏楽のための変容

B/嗚呼!

C/吹奏楽のための序曲

D/コンサートマーチ「テイク・オフ」

とにかくこの年の課題曲はいずれの曲を選曲してもどの課題曲も一様に全て名曲揃いなので、どの課題曲を選曲するのかは、
選ぶ方も相当迷いはあったのかもしれないですし、この事態はむしろ嬉しい悲鳴と言えるのかもしれないです。
そのくらい、どの課題曲を選んでも文句なしという感じだったと思います。
ただ当時の私としては「課題曲Aの変容か課題曲Cの序曲のどちらかは演奏したい・・それがダメならせめてDのテイク・オフを
演奏したい」と感じていて、
Bの嗚呼!は胃がギリギリと痛みそうなあの精神的圧迫感を伴う劇的すぎる緊張感が、ちょっと苦手なのかも・・と感じていて
「Bの嗚呼!だけは出来れば回避したい」と思っていたものの、
私の大学の吹奏楽団は、結果的にB/嗚呼!を選曲してしまい、
私自身としては、A/吹奏楽のための変容かC/吹奏楽のための序曲を演奏したかったというのが偽らざる本音で
あったりもしますし、本音を書くと「正直一番吹きたくない課題曲が選曲されてしまった・・」という感じでもありました。

課題曲Aの吹奏楽のための変容ですけど、この曲出だしはクラリネットのソロから開始され、
そのソロから複数のメロディーが暗示され曲が展開されていく一種の変奏形式でもあるのですけど、
冒頭からしてミステリーみたいなものを感じさせますし、 曲自体が躁と鬱の起伏が非常に激しく
決して聴いていて楽しいという類の曲ではありませんし、むしろ少し悪趣味的要素の方が強いのかもしれないです。
この吹奏楽のための変容は、少々悪魔的な音楽が展開される瞬間瞬間の中で、時折なのですけどどこかホッと安らぎのある
場面も あったりするもので、 その妙な優しさと悪趣味的要素の両面性を楽しめる曲と言うことなのかも しれません。
アニメ風に表現すると、ツンデレみたいな曲でもあり、
主人公の女の子が普段はツンツンして面倒な言動ばかり見せているのに二人っきりになったりすると急にベタベタ甘えてくると
いった雰囲気もありそうです。

そして課題曲Cの間宮芳生先生の「吹奏楽のための序曲」も吹奏楽コンクール課題曲の歴史の中でも
大変な名曲の一つと言えると思います。
私自身、「マイベストコンクール課題曲を三つ挙げなさい」と言われると、現時点では
1981年課題曲B/ 東北地方の民謡によるコラージュ 1985年課題曲B / 波の見える風景 1987年課題曲A / 風紋と
言えるのだと思いますけど、このマイベストコンクール課題曲を15にまで増やすと、ここに入ってくるのは、
例えばフェリスタス・ディスコキッド・稲穂の波・胎動の時代など色々とありそうですけど、確実に入ってくるのは、
1986年課題曲Cの吹奏楽のための序曲と1990年の課題曲Cのマーチ「カタロニアの栄光」と
1994年の課題曲Ⅰの「ベリーを摘んだらダンスにしよう」だと思います。
そして上記の3曲はいずれも間宮芳生作曲ですので、私のマイベスト課題曲ベスト15にはなんと・・! 間宮先生の作品が
3曲もランクインすると言う事になります。
それだけ間宮先生の吹奏楽コンクール課題曲は名曲揃いで奥が深くて大変内容があるという事なのだと思います。

間宮芳生先生は日本のクラシック音楽界の重鎮の作曲家の先生で、世間一般的には
映画「火垂るの墓」の映画音楽も担当されていた事で名高いと思われます。
クラシック音楽作品としては、管弦楽のための二つのタブロー・チェロ協奏曲が代表作と思いますが、
吹奏楽作品として名高いのは、マーチ「カタロニアの栄光」と1986年の課題曲C/吹奏楽のための序曲と
1994年の課題曲Ⅰ/ ベリーを摘んだらダンスにしようの3つのコンクール課題曲だと思います。

「吹奏楽のための序曲」の演奏時間は5分~5分半程度のコンクール課題曲としては長めの曲と言えそうです。
この課題曲を自由曲との兼ね合いでタイムオーバー失格を恐れてなのか4分半程度に収めてしまう演奏も何度か
耳にしましたけど、どうしても違和感を感じてしまいます。
この曲にむしろ西洋的時間というか一分一秒といった正確な時を刻む感覚を求める方に無理がありそうで、
どちちらかというと和の感覚の時間というのか、間の取り方の不思議な感覚とか微妙に音楽的感覚をわざと取るとか
瞬間的にふっと・・音楽の流れを止めてしまうとか「ゆっとりとした時間の感覚」の方が求められているようにも感じられます。
それゆえこの曲はテンポを速めて演奏するよりは、どちらかというと枯れた感覚で終始ゆったりとした気分で演奏した方が
宜しいのかもしれないです。
冒頭から一分あたりまでが幾分活気あるアレグロである以外、残りほとんどは
ゆったりとした鄙びた音楽がたっぷりと日本情緒たっぷりに歌い上げられていきます。
こうした枯れた感覚とかゆったりとした鄙びた音楽というと、1980年の課題曲A / 吹奏楽のための花祭りもそうした傾向に
あるのかとは思うのですけど、花祭りの方は具体的な日本古来の地方のお祭りを具体的な感覚で表現した曲で
あるのに対して、1986年の「吹奏楽のための序曲」の方は、具体的な場面を描くというよりは。
「日本人にしかわからないわびさびの枯れた感覚」という抽象的というのか精神世界的な曲と言えるのかもしれないです。
この課題曲は、正直日本人以外には理解するのが少し難しいかもしれないです。
多分ですけど外国人の方がこの曲を聴いても「なんじゃ、このかったるい曲は・・」とお感じになるのかもしれないですし、
この曲を日本人以外の指揮者と奏者で演奏したとしたら、なんとなく無味乾燥な表情になるのかもしれないですし、
例えて言うと日本の伝統芸の「能」を西洋人が舞うという感覚に近いものがあるのかもしれないです。
日本人で無いとわからない何か独特の間、というのか郷愁」いうのか、鄙びた情景が感じられますし、この曲はそうした意味では
日本古来の文化の「雅楽」に近いものがあるのかもしれないです。

間宮先生の吹奏楽のための序曲は、冒頭から1分半程度アレグロというか活気のある音楽が展開され、一旦そこで
音楽の流れが止まり、ここから後は終始ゆったりとした音楽が展開されていきます。
そのゆったりとした部分はエスクラ(E♭クラリネット)とアルトサックスによる大変魅力的な鄙びたデュエットが展開され、
これにトランペットが加わっていきます。
途中鄙びたフルートソロが加わり、再度アルトサックスセクションによる歌が再現され、ラストは打楽器の一撃で終わりますが、
エスクラ+サックスのフレーズが終わるときなどに入ってくる雅楽の鈴が日本的と言うか鄙びた雰囲気を醸し出して
いると思います。
打楽器も決して華麗さは無いけど、シロフォーンの扱い方や雅楽の鈴の扱いは大変巧みで、これは名人芸の領域に
達しているのかもしれないです。
エスクラのあの高音域をヒステリックにならずにたっぷりと歌い上げる事は正直大変難しいと思われますけど、
当時の私はこの課題曲のクラリネットパートのパート譜をこっそりと持ち出しては、あのソロ的部分を
吹いていたものですけど、あの鄙びた感じ・枯れた感覚をしっとりと吹く事はかなり大変だった記憶があります。
大変なのだけど、コンクールに参加するならば吹いてみたい課題曲でもありました。

鈴というと、 マーラーの交響曲第4番「大いなる喜びへの賛歌」第一楽章の冒頭が大変有名で、マーラーの交響曲の方は
感覚的には天国・子供の無邪気さをイメージさせてくれますけど、 間宮先生の吹奏楽のための序曲の雅楽の鈴は
そうした西洋的な感覚ではなくて 昔の日本の村祭りみたいな素朴で鄙びた感じを感じさせてくれていると思います。
同じような楽器を使用しても、そこから感じられる違いというものは西洋人と日本人の感覚の違いなのかもしれないです。

この課題曲の名演としてよく挙げられているのが埼玉栄高校と神奈川大学であり、私もそれに関しては全く異論は
ないですけど、その他に挙げたいチームとしては習志野高校も推したいと思います。
翌年の「ダフニスとクロエ」第二組曲の時で感じたような恐ろしいほど洗練されたサウンドがこの課題曲でも十分発揮され、
美しさの幽玄の美学を存分に発揮した名演だと思います。
また変化球的な演奏かもしれないですけど、御影高校の隅から隅までコンクールを意識したような全てが誇張された表現
というのもこの曲本来の枯れた感覚からするとむしろ真逆の解釈かもしれないですけど、
ああした枯れてはいない演奏もまた一つのすてきな個性と感じたものでした。


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ちなみに上記が雅楽の鈴です。

現在でも、神社のお祭りの際に舞楽を上演する時など見かけることもあります。
響きはシャリシャリと涼しい音というか、どこかで聴いたような懐かしい響きがあります。

この雅楽の鈴をクラシック音楽、または吹奏楽で用いた例としては吹奏楽のための序曲以外では

〇1980年全日本吹奏楽コンクール課題曲A/吹奏楽のための「花祭り」

〇舞楽(黛敏郎)

などがあると思います・

今現在は既に解体されていてそうしたホール自体存在しないのですけど、かつて全国大会のステージでもあった普門館は
とてつもなく広かったと思います。
確かに5000人を収容できるホールなのですけど、普門館自体は立正佼成会の施設であり、決して音楽ホールではありません。
(カラヤンがベルリンフィルを引き連れて来日公演をされた際に使用したホールの一つでもあったりします)

5000人収容できるホールですのでとてつもない広さがあり、
私自身が初めて全国大会を聴くために普門館に来た時の最初の印象は、とにかくその広さに驚いたものです・
よく普門館フォルテという言葉を耳にしましたけど、あれだけ会場が広いと
ものすごい大音量で無いと会場の隅々まで音が届かないという勝手な誤解を生んでしまうのも分かるような気がします。
だけど実際はかなり小さい音でもホールの隅までよく響き渡り、
間宮先生の吹奏楽のための序曲で使用された雅楽の鈴もそれほど大きな音が出る楽器でないにも関わらずあのシャリシャリとした幽玄な音は一階後部座席までよく届いていたのが大変印象的でもありました。
私自身が中学・高校の頃って結果的に「この課題曲いいよね~、こんなすてきな課題曲をぜひ吹いてみたいよね~」と
思っていても大抵の場合、そうした課題曲ではなくて別の課題曲が選ばれてしまうことが多々あり、
具体的には、1979年は課題曲Aのフェリスタスを吹いてみたかったですし、80年だったら、
課題曲Dの行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」を演奏してみたかったですし、はたまた1981年でしたら
課題曲Bの「東北地方の民謡によるコラージュ」はぜひ演奏してみたかったです!
(あの当時は東北在住でしたので、東北の民謡をベースにした課題曲というと地元民の血が騒ぐ~という感覚はありました)
そして1983年の課題曲A/吹奏楽のためのインヴェンション第一番もそうした曲の一つでした。
この課題曲が演奏された年は、私にとっては高校生活最後のコンクールという事もあり、
「大学に落ちたらこれがラストのコンクール」と思うと何だか気合が入っていたとも思いますけど、同時に高校3年というと
言うまでもなく受験生でもありましたので、
「本当は吹奏楽コンクールになんか出ている場合じゃないのに」と思う気持ちもありましたので、
二律背反みたいな感じでもありました。
私の高校は田舎の県立男子高校という事もあり、吹奏楽部では常にクラリネットは慢性的奏者不足であり、
「3年生といえどもクラリネットパートに属している限りは吹奏楽コンクールに出ないなんて絶対にありえない!」という雰囲気
でしたし、一応はその年の4月までは部長も務めていましたので、いつものように放課後はほぼ毎日練習に参加していた
ものでした。
結果的に9月の県大会が終わるまでは吹奏楽にどっぷりと浸かり切っていましたし、
受験勉強らしき事を始めたのは10月以降なのかもしれないです・・(汗)
当時の田舎の県立高校生らしいのんびりとした話なのかもしれないですし、当時のうちの高校は卒業しても卒業生の5~6割は
浪人するような雰囲気で、
当時から「浪人しないと勉学に目覚めない学校」として予備校からは熱い眼差しで注がれていたものでした・・

冒頭から話がそれてしまいました・・・・

この年、結局私達の高校は課題曲にC/カドリーユを選曲してしまいました。
私としては、課題曲は「絶対にAのインヴェンション第一番がいい!!」と主張したのですけど
結局通らずCになってしまいました・・・
というか、この課題曲C/カドリーユは演奏する方としては気苦労の連続だったと思います。
カドリーユは客観的にみると、吹奏楽コンクール史上でも屈指の名曲課題曲だと思いますし、
小編成でも大編成でも対応できるし、極度に難しいスコアでもなく普通のスクールバンドでも十分に演奏できる曲ですし、
何よりもあの親しみやすさ・軽妙さ・明るさ・透明感は本当に素晴らしかったと思います。
それでは何が大変で気苦労が多いのかというと、カドリーユは意図的に音がうすく書かれているし
全体的に軽量感・清涼感・透明感・爽やかさを表現しないと曲にならないし、
そうした透明感・軽妙さを演出する要素は金管ではなくて木管のセクションにウェイトがおかれ、特にクラリネットパートに
その役割を求められている曲でもありましたので、前述のとおり当時の私は男子高校という事でクラリネット奏者が極端に
少ない中において、あのカドリーユの洗練さ・軽さを作曲者が求めているような意図できちんと表現するという事は
本当に大変だったと今でも感じております。
うちの高校は男子高校という事もあり、元々金管奏者の爆発的エネルギーには定評がありましたので、そうした男子校としての
特性を活かすならば課題曲Aのインヴェンション第一番の方がはるかに演奏効果が高いと誰しもが感じたはずなのですけど、
自由曲がかなり鳴る曲を選んだという事もあり、自由曲との対象性という意味から課題曲はカドリーユになってしまったという
経緯もあったりしました。
それにしても慢性的なクラリネット奏者不足に泣かされる男子高校としては非常に荷が重い曲でした。
クラリネットの音が穢かったりクラリネットセクションのサウンドに濁りがあるとすぐにばれてしまうほど音がうすく
書かれているのでクラリネット奏者としては「ごまかしようがない課題曲」といえるのかもしれないです。
技術的には全然難しくないのだけど透明感を演出するには相当泣かされましたし、
時折出てくる6/8拍子をこなすのに結構苦労させられたものでした。
カドリーユは聴く分にはすごく楽しく聴けるのですけど、クラリネット奏者にとっては厄介な曲でもありました・・

ちなみにですけど、カドリーユとは元々は4組の男女のカップルが四角い形を作って踊るダンスから派生し、
18世紀末から 19世紀にかけてフランスで流行した舞曲でもあります。
8分の6拍子と4分の2拍子が交互に用いられる優雅な踊りで男女が組になってダンスを展開していきます。
それゆえ後藤洋さんのカドリーユもリズム的には8分の6拍子と4分の2拍子が交互に登場してきます。
スコアの作曲者からのコメントの冒頭に「技術的にやさしく、音楽的にも分かりやすい作品になるように」と書かれていますけど、
各楽器の音域の幅もあまり広くないし技術的に過度な難しさがないもので初見では「これは楽勝じゃん」と思っても
上記で書いたとおり木管主体のこの曲の透明感・軽妙さをきちんと表現することは相当大変ですし、
トリオのリズム(6/8+3/4)をきちんとそろえたり、
この課題曲は意外と転調が多く
(序奏:ハ長調→イ長調→変イ長調 舞曲前半:へ長調→ハ長調→変イ長調→ヘ長調→ト長調
 舞曲後半:変ホ長調→ハ長調→ヘ長調)
その転調をナチュラルに表現することは結構しんどかったですし、とにかくあの洗練された優雅さを男子校吹奏楽部として
表現することはかなり難しい側面があったと思います。

今更なんですけど、やはりこの年の課題曲はA/吹奏楽のためのインヴェンション第一番を演奏すべきだったと思います。
(結果的にこの年は県大会銀賞で終わってしまい、県大会連続金賞の歴史が止まった瞬間でもありました・・)
吹奏楽のためのインヴェンション第一番は、序奏-A-B-Aのシンプルな構造を取っていて
出だしの健康的なファンファーレに続いて展開されるフーガ的な部分が実にノリが良いし
メロディーラインも聴くだけでもわくわくさせられるし中間部のBのしっとりとした歌も魅力的ですし、
ラストもいかにも吹奏楽らしい豪快な感じですっきりと終わります。
中間部のアルトサックスのしっとりとしたソロが極めて印象的です。
吹奏楽のためのインヴェンション第一番は、出だしのインパクトが結構大事で、この部分を外すとそれを取り戻すのは
至難の業とすら感じます。
感覚としては、この課題曲は出だしで大体方向性が決まるという感じもあり、
冒頭で「キラリと光る何か」を表現出来たチームは中間部もラストもスムーズに展開できていたような印象もありました。

課題曲Bの白鳳狂詩曲も大変な難曲ながら素晴らしい曲だと思います。
ピッコロのソロからそれにクラリネットが加わり、やがて全体での主題提示という曲想が素敵でしたし、
ラスト近くの全奏者によるコラールと音のうねりは聴く者に間違いなく「何か」は伝えていると思います。

課題曲Dの「キュビッドのマーチ」は大変申し訳ない言い方になってしまいますけど、
作曲者の川崎優先生には気の毒なのですけど、
吹奏楽コンクール史上屈指の「不人気課題曲&コンクールで全く演奏されない不遇な曲」の代表例になったと思います。
あの「キューピッドのマーチ」は、駄作としか言いようがない酷過ぎる課題曲だと思いますし、
過去の課題曲「ふるさとの情景」とか吹奏楽オリジナル曲の「わらべうた」を作曲された先生とは
思えない程の酷い曲だったと思います。
この年、もしも課題曲Dも素敵な曲だったら、1986年とか1990年みたいな
「全ての課題曲が名曲揃い!」みたいに位置付になっていたと思うのですけど、
あのキューピットのマーチが台無しにしてしまったとも言えるのかな・・とも感じます。
この課題曲D/キューピットのマーチは、気の毒なほどその年の吹奏楽コンクールでは全く演奏されなかったですね。
例外なくコンクールの画題曲ではマーチを選ぶ傾向の阪急百貨店とか福岡の嘉穂高校ですら、
課題曲はマーチ以外から選んでいましたので、余計に目立っていましたね・・・
一つ救いがあったのは、あんな歴史的不人気課題曲も全国大会では長岡吹と青森県信用組合の2チームが
課題曲として選んでいましたので、
1978年のマクベスの課題曲B/カントみたいに、全国大会での演奏がゼロという事態を回避できただけでも幸いだった
のかもしれないです。

この年の全国大会では数多くのチームがこのカドリーユを選び、かなりの名演が生まれていたと思います。
多くの皆様は、野庭高校・習志野高校・尼崎吹奏楽団・白子ウインドなどを推されるのかもしれないですけど、
私にとってこのカドリーユの最高の名演は明石北高校だと思います!
明石北のカドリーユにおけるレガート奏法を少し強調したようなダーダー吹きの感じは他校とは違う個性を瑞々しく
感じさせてくれていたと思います。
リズムセクションのトロンボーンがかなりダーダー吹きに、後押し気味に吹いていたのも印象に残っています。
どらちかというと野庭高校みたいな解釈に近いような感じもありましたけど、習志野高校のようなチャーミングなJKさん的な
雰囲気も私たちに伝えていたと思います。
私自身実はここ数年は「全日本吹奏楽コンクール」の支部大会・全国大会はライヴ演奏としては全然聴いていません・・(泣・・)

2005年頃までの私自身、埼玉の地区予選・県大会・西関東大会・都大会・全国大会などはほぼ毎年欠かさず
聴きに行ったものですけど、金融機関から住宅業界に転籍以降は土日出勤が普通という感じでもありますし、
支部大会と全国大会の開催は通常土日開催で、土日祝日が出勤シフトの私にとっては、
吹奏楽コンクールを聴きに行くために有給休暇申請するのがなんか面倒くさいというのもありますし、
私にとって吹奏楽コンクールの聖地というと「普門館」というのが定着していて、同時に現役奏者の頃は
「支部大会または全国大会のステージにおいて普門館で演奏する」というのが私の夢でもありましたし、
野球部の皆様が甲子園に憧れるのと全く同じように私にとっては憧れの地でもありましたけど、
その普門館が耐震上の理由からホール使用が不可能になってしまい、そして普門館自体が昨年解体されてしまったため、
「東京都大会や全国大会が普門館で開催されない吹奏楽コンクールは私にとっては吹奏楽コンクールじゃない・・」
みたいな妙な思い入れもあったりしますし、
全国大会のチケットがここ数年はほぼプラチナチケット化し入手困難であるし、1996年以降の全国大会の前半・後半入替え制に
ずっと不満を感じていたという事もありますし、
何よりも最近は出不精とか一日だけで30チーム程度の課題曲と自由曲を延々と聴き続けるという体力はあるけど
その気力と音楽的緊張感と感性を一日キープし続けられる自信があまりないということで
ここ数年ほどは「吹奏楽コンクールを聴きに行く」ということから遠ざかってはいます・・

だけどそうは言っても、年に一度ぐらいは「吹奏楽コンクール」を地区予選・県大会クラスの演奏を聴いておかないと
現在の吹奏楽コンクールのレヴェルというものを肌で実感できないという事もありますので、
毎年埼玉県吹奏楽コンクールと地区大会と県大会は聴くようにしております。
埼玉の吹奏楽コンクールは、私自身が夏休みの時期に開催されることが多く、
しかも私の自宅から歩いて行ける距離に会場(南浦和の文化ホール)がありますので大変ありがたいものがあります。
県大会ですと、埼玉栄・伊奈学園総合・春日部共栄・松伏・与野等の全国大会に出場実績のある強豪チームの演奏も
聴けますし、それほど上手くないチームの演奏も聴けますし、
「あと一歩頑張ればもしかして将来的に西関東大会に出場できるのかも・・?」みたいな将来の有望校候補の演奏も
聴けますし、とにかくこうしたヴァラエティーに富んだ演奏を楽しむことができるのは
やはり嬉しいものはありますね!
以前ですと、全出場チームが演奏する多様な自由曲については「知らない曲は一つもない!」と豪語出来ていたのですけど、
最近というか・・ここ数年の吹奏楽邦人オリジナル曲については
「聴いたことがない・・知らない・・」という曲ばかりになってしまい、
さすがに私自身も「いつの間にか私も吹奏楽に関しても時代遅れになってしまったのかも・・!?」とぼやいております(汗・・)

さてさて、そうした現在の吹奏楽コンクールり県大会・地区予選の演奏を聴いて感じることは、当たり前の話ですけど、
「自分たちの頃とは比べ物にならないほど演奏技術も表現力の幅も高くなっていて、
今現在の奏者の皆様のレヴェルはとてつもなく高いものがあるし全く文句のつけようがないところまで進化していると感じます。
同時に現在の奏者の皆様が使用されている楽器の価格の高さ・性能の素晴らしさは、
1970年代終わり~80年代終わりにかけて私が現役奏者だった頃とは全然違う!」というものでした!

私が中学~高校の頃は、一学年14クラスとか高校受験の競争率が1.8倍程度というのは普通の事でしたし、
生徒数が多いという事で、学校自体一つの部に対してそれほど予算が回らないので、
吹奏楽部が使用する楽器っておんぼろの使い古し楽器という感じでしたけど、
最近の少子高齢化とか学校の統廃合という事情においては、生徒数も少ないから一つの部に対する予算も回しやすいし、
吹奏楽部としても高価な楽器を以前よりは購入しやすいみたいな事情がもしかしたらあるのかもしれないですね。
一例を挙げると、例えばティンパニの場合、今現在はどんな貧乏公立学校でも4台一組のペダル式ティンパニを兼ね揃えて
いるのがほとんどだと思うのですけど、私の母校の中学校と高校は田舎の公立校という事もあり、
ティンパニは全て銅製ケトルの手締め式ティンパニでしたし、コンクール直前に吹奏楽コンクールに出場しないチームに
お願いしてペダル式ティンパニのレンタルをさせて貰うという事は日常茶飯事だったように思えます。

そんな訳で私が現役奏者の頃の普通の公立学校が使用している吹奏楽部の楽器は、今現在の視点で見てみると
「ちょっとこれは相当ひどいね・・」という感じのものが結構多かったように感じられますね・・
例えばですけど、貧乏公立学校の吹奏楽部で特に実績とか無い学校においては、
クラリネットの材質が木ではなくてプラスチックであったりとか、
ファゴット・オーボエ・コントラバスクラ・コントラファゴット・コントラバス等の特段高価な楽器が元々吹奏楽部に存在しないとか
チューバがロータリー式ではなくて昔ながらのピストン式であったりとか
色々とあったとは思います。
そしてその中でも特に印象的だったのは、ホルンという金管楽器を所有せずその代用品としてホルンより価格が安い
メロフォンという楽器を使用したり、更に酷い場合ですと、チューバすらも所有していなくて代用品として
チューバよりもはるかに金額が安いマーチング用のスーザフォンを使用している事例もあったものでした。
吹奏楽部の部員が極端に少ない場合は、フルート奏者が突然ステージ最後列の打楽器セクションに移動し大太鼓を叩くとか、
上記で出てきたメロフォン奏者がトランペットと一人二役で持ち替えをしたり、
そういった苦肉の策みたいな事例もあったりしたものでした。
高校卒業後、都内の大学に進学しそこの吹奏楽団に入団して、コントラファゴット・コントラバスクラ・コンサートチャイム・
タムタム・パール社のペダルティンパニ4台のワンセット・ロータリー式トランペット・和太鼓・締太鼓・アルトクラリネット等が
学校の所有物として元々部内にあったのを発見した際には
「やっぱり東京の学校はすごいよね~」といかにも田舎者らしい感動があったものでした・・(汗)





上記が「メロフォン」なのですけど、普通の(フレンチ)ホルンが、ロータリー式のバルブを左手で操作するのに対して
メロフォンは、トランペットみたいなピストンを右手で操作するのが最大の違いだと思います。
右手操作という事でメロフォンは構えるとベルがホルンとは逆向きになります。
メロフォンはピストンを右手で操作できるのと軽量なことから、
ホルンを始めて間もない小中学生の負担を軽くするために重宝されたと思われますし、特にマーチングバンドには
重宝されていた時期もあったのかもしれないです。
価格もホルンより安いので、学校の備品としてもありがたられたのかもしれないですね。
メロフォンの音色はフレンチホルンに比べてやや明るくあっさりとした感じで、
吹奏楽・マーチングバンドで好んで演奏されるポップスやマーチに向いているのかな・・?みたいな印象もあります。
反面、ホルン特有の重厚な響きはないので管弦楽曲には向かず、
プロアマ問わずオーケストラで使用されることは100%無いと思います。

それと上記で書いた通り右手使用という事でマーチングの際には大変重宝された楽器だったような印象もあります。

メロフォンとホルン更なる違いとして違いは、バルブを操作しない方の手の使い方にありまして、
ホルンの場合、右手はベルの中に深く入れ音程や音色の調節に使います。
楽器も手を深く入れた状態で正しい音程が取れるように設計されています。
一方メロフォンの場合、左手はベルの中に入れず、ベルのふちを持ち、
楽器もベルに手を入れない状態で正しい音程が取れるように設計されているのがホルンとの違いなのだと思います。

だけど1980年以降、このメロフォンはほとんど見かけなくなりました。
吹奏楽コンクールにおいては、ホルンだけを使用し、メロフォンを使用するチームもほとんど見かけなくなり、
メロフォン自体が既に「絶滅楽器」の様相を呈しているような気もします。
今現在稀に使用されている数少ない例としてはマーチング程度だけだと思われます。

私の記憶違いかもしれないですけど、1970年代~80年代初頭の全日本吹奏楽コンクール東北大会の職場の部では、
呉羽化学吹奏楽団と天童市役所音楽隊が自由曲の演奏中にトランペットとホルンの持ち替えをしていたような記憶も
ありますし、もしかしたらそのホルンと言うのがメロフォンだったかもしれないです。


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上記の通り、現在ではメロフォンが使用される事もいわゆる(フレンチ)ホルンの代用品としてメロフォンが使用される事は
ほぼ皆無ですけど、マーチングブラスにおいて、稀にマーチングメロフォンと言う楽器が使用される事もあります。
マーチングメロフォンは上記画像の通り、見た目はトランペットにそっくりなのですけど、
音を特定の方向に遠くまで響かせるためにフロントベル仕様にしてあります。
マーチングメロフォンは、特にマーチング用に開発されたもので、
トランペット用マウスピースをつけた際は輝かしい音色が響き渡り、
ホルンのマウスピースをつけた場合はメロウな響きが魅力であったりもします。

最後に・・メロフォンというとなんだか響きがサンリオに出てきそうなかわいらしいキャラっぽい語感があったりもしますし、
うちの奥様はメロフォンと聞いて、サンリオのマイメロと勘違いを起こしていたものでした・・(汗・・)

数日前の記事にてネリベルの「アンティフォナーレ」について取り上げさせて頂きましたので、ここは同じくネリベルの
「フェスティーヴォ」についても触れないわけにはいかないです!

ネリベルというと「二つの交響的断章」・「アンティフォナーレ」に代表されるとおり、
静と動の対比というのか、強奏と弱奏の極端すぎるダイナミックスレンジの凄まじい幅広さは
ネリベルの魅力そのものだと思います。
アンティフォナーレの耳をつんざくようなとてつもない不協和音の連続なのですけど
「不協和音でも響かせ方によってはパイプオルガンのような透明で神秘的な響きにもなり得る」と言う事を
見事に実証した作品も実に素晴らしいと思いますし、木管のヒステリックな高音は「叫び以外の何者でもないとすら感じます。

そうしたネリベルの代表曲の中でも絶対に忘れてはいけない作品のひとつが初期作品に位置する「フェスティーヴォ」だと
思います。
この曲は二つの交響的断章やアンティフォナーレに比べると過激さ・不協和音・ダイナミックスレンジの極端な落差は抑えられ
ネリベル作品としてはかなり聴きやすくわかりやすく、この曲をもってネリベルは日本の吹奏楽コンクールにおいて
広く知れ渡るようになったといえると思います。

フェスティーヴォの大きな特徴のひとつとして「執拗な打楽器の繰り返し」が挙げられると思います。
スネアドラムの執拗なビートの反復もそうですし、シロフォン・グロッケン・コンサートチャイムによる鍵盤打楽器の中間部に
おける執拗な繰り返しもそうなのですけど、こうした打楽器セクションの繰り返しが伴う曲というと
オールド吹奏楽ファンの皆様ですと、マクベスの「マスク」を挙げられるのかもしれないですけど、
マスクは精神的重圧感が半端なく陰気で重苦しい曲であるのに対して、ネリベルのフェスティーヴォは、確かに執拗な反復は
目立つのですけど、マスクみたいな重厚感・精神的圧迫感はほぼ皆無で、どちらかというとドビュッシー等の印象派の音楽の
ように聴こえたりもしますし、爽やかな空気も意外にも感じたりもしますし、
特にあの中間部はみずみずしさというのかたとえると日本の夏の夕べのような雰囲気すらあるのかもしれないです。

フェスティーヴォの冒頭部分は、華やかでテンポの速い打楽器群の16分音符のビートに乗っかる形で
全合奏による8分音符の打込みが作り出すリズム・パターンによって開始されます。
そしてこの打楽器群のビートのパターンは冒頭~導入部分、そして後半の再現部と終結部に至るまで終始変わらず
刻まれ続けていき、ここに中間部における前述の鍵盤打楽器の執拗な反復がありますので、
曲全体が打楽器のビートの繰り返しという印象は非常に強いです。
但し、繰り返しますがマクベスのマスクのような悲壮感・圧迫感は皆無ですので、どちらかというとポール・モーリアの音楽でも
聴いているかのような軽妙さはあるといえるのかもしれないです。
終始、打楽器、低音セクション、木管群が入れ替り立ち代り対比的な動きを見せ、ここに打楽器の執拗な反復も加わり、
ネリベルの腕に冴えを感じさせてくれます。
終結部の重厚で濃厚なコーダも圧巻で、うねる打楽器群とともにff の分厚いサウンドとして聴いている人たちのハートを
直撃していると感じられます。

改めてですけど「フェスティーヴォ」は中間部が特に素晴らしいと思います。

二つの交響的断章の冒頭のように、シロフォーン・チャイム・グロッケンが執拗に同じリズムを
ひたすら反復していき、それに木管・金管が乗っかるような曲なのですが、単純ゆえに見事な構成美を感じます。

私が高校まで過ごした仙台の地を離れて大宮市(現・さいたま市大宮区)にて一人暮らしを始めたのは1984年の春でした。
さすがに親元を離れて最初の夜だけは、少しだけ寂しさみたいなものを感じたのも事実ですけど、
その当時借りていたアパートは、おんぼろアパートで、風呂なし・トイレ(和式)共同・三畳+四畳半でしたけど、
親元を離れられて、一人暮らしをスタート出来ただけでも当時の私にとってはハッピーな事でした。
初めて一人暮らしを始めた夜は、結構な風が吹いていて、おんぼろアパートの窓はやたらカタカタカタカタざわめいていて、
その執拗な反復が、まさに「フェスティーヴォの中間部の世界」だと当時は感じたものでした。
それ以来、なぜか知らないのですけど、「フェスティーヴォ」を聴くと
あの一人暮らしの最初の夜の気持ちとか「少し寂しい、だけど同時にとってもハッピーみたいな気持」という気持ちが
いまだに浮かび上がってくるのは少し不思議な感じがしますね・・

曲のタイトルの「フェスティーヴォ」というからには、祭りみたいな意味とか意図があるのでしょうけど、
最初にこの曲を聴いた時は
「一体この曲のどこに祭りみたいな要素があるのかな??」と多少疑問にも感じたものです。
後にドビュッシー作曲「三つの夜想曲」~Ⅱ・祭りを聴いてよく分かったのですけど、
(この曲は大学2年の時のコンクール自由曲でもありました・・ちなみにこの時の課題曲は「波の見える風景」です)
あれは、「どこか遠い所から祭りの賑やかさが聞こえてきて、その物音が段々と近づいてくる」イメージ
という事に何となく気が付きました。
ドビュッシーの夜想曲も、ネリベルのフェスティーヴォも、「ローマの祭り」とか「フェスティヴァルヴァリエーション」
といった華やかな祭りとは明らかに異なるものの
同じ祭りをモチーフにした曲でも、その人の感覚や受け取り方によってイメージは変わってくるという事に
改めて気が付かされた作品という意味では私にとってはやはり懐かしい作品でもあります。

うーーん、でもこの曲の「決定打」みたいな演奏はいまだにないのですよね。

強いて言うと汐澤安彦指揮の東京ブラスアカデミーくらいかな・・・
でもこの音源はレコードで、いまだにCD化されていませんからね・・・(泣)

ネリベルと言うと、私は、交響的断章・二つの交響的断章・アンティフォナーレを勝手に「ネリベル三部作」とか
呼んでいますけど、
エスタンピーとかコラールとか吹奏楽のための序曲とかトリティコとか地味にいい曲もあったりします。
コラールも祈りというよりは圧迫感みたいな印象の方が強いのですけど
やはりあの独特な世界はネリベルそのものだと思います。
他には「プレリュードとフーガ」という曲もあまり知られてはいませんけどかなりの名曲だと思います。
この曲、ネリベルにしては珍しく、過度な不協和音とか強奏は少なく
出だしの感じとか、何か小粋というかチャーミングな部分もあったりして
ネリベルにしては珍しく少し茶目っ気みたいなものもあると思います。
似たような感じの曲として「ヤマハコンチェルト」と何か相通ずるものがあるような気もします。

この「フェスティーヴォ」とか「プレリュードとフーガ」とか最近はまず演奏されないですよね~(泣)
このまま歴史に埋もれてしまうには大変勿体無い曲だと思います。
中学校の小編成で自由曲として選曲されても、大変意義があるようにも感じられますし、フェスティーヴォの令和の時代としての
新しい感覚での名演を今後大いに期待したいと思います。
当ブログのプロフィー」でも書いている通り、私の大好きな吹奏楽オリジナル曲の一つがネリベルの「アンティフォナーレ」です。
このアンティフォナーレという曲は、凄まじい不協和音の連続の曲だと思います。
この曲を全然知らない方が、ネリベルの作風等の情報を何も知らない状態で聴いてしまうと、
ほとんどの方は「なにこの訳の分からない曲・・何言いたいのかさっぱりわからないし、陰気だし
暗いし、あんまり好きになれない・・」と言われるのは間違いないと思います。

ネリベルには色々と素晴らしい名曲が数多くあり、
私自身がネリベルで一番大好きな曲と言うと、言うまでもなく「二つの交響的断章」なのですけど、
不協和音の壮絶さという観点から言うと、「交響的断章」と「アンティフォナーレ」はまさに双璧だと思います。
私自身がこのネリベルの曲を初めて聴き初めて「ネリベルの世界」に足を踏み込んだのは高校生の頃でしたけど、
「不協和音も響かせ方によっては、こんなに美しい響きにもなるしルガンみたいな重厚感溢れるサウンドになるものだ」
という事に生まれて初めて気が付いたものでした。
不協和音というと、全体合奏の時にも、そうした響きの箇所は当然出てくるのですけど、
吹いている立場で言うと不協和音は耳に不快な響きみたいな印象も持っていたものでした。
耳に不快というよりは、何か人間を不愉快な感情にさせる音楽が不協和音の響きではないのかな・・?と
感じていた時期もあったものでした。

そういう意味では、「不協和音=不快」という当時のイメージを完全に吹き飛ばしてくれたのが
ネリベルの交響的断章であり、それを決定づけたのがアンティフォナーレなのだと思います。
交響的断章は、そのテンションの落差の大きさには、毎回ゾクゾクするものはありますし、
中間部のシロフォーンのソロリズムには感動してしまいます。
こういう不協和音の塊のような曲でも、響かせ方によっては、パイプオルガンを彷彿とさせる「美しい響き」に
なるもんだ・・と感じたものでした。
アンティフォナーレの、木管楽器の前半のすさまじい不協和音の響きは、叫び以外の何物でもないと感じます。
ムンクの「叫び」ではありませんが、何か正体がわからないものに対する不安やおののき、それに立ち向かっていく絶望感を
醸し出した曲のようにも感じます。
アンティフォナーレは、木管のあの壮絶な不協和音の響きは「歯ぎしりのようにも確かに聴こえるのですけど、
間違いなく美しいとしか言いようがないというのが本当に不思議だと思います。

まとめてみると、ネリベルの魅力というものは、
静と動の対比というのか、強奏と弱奏の極端すぎるダイナミックスレンジの凄まじい幅広さだと思いますし、同時に前述の通り
不協和音でも響かせ方によってはパイプオルガンのような透明で神秘的な響きにもなり得ると言う事を実証した事なのだと
思います。

「アンティフォナーレ」とはラテン語で、ローマ・カトリック教会の聖務日課のための聖歌集という意味です。
そして同時に、二つの楽器以上の楽器群がそれぞれ別の場所から交互に「音を交し合う」という意味もあるとの事ですけど、
私自身のイメージとしては、
何かヨーロッパの中世の荘厳なお城における建築美みたいなイメージもあったりもします。
この曲の特徴の一つでもある「バンダ」(金管別働隊)なのですけど、これは、
トランペットとトロンボーン各3本の金管6重奏と吹奏楽本体の響きの掛け合いが大変効果的で、
同時に、管楽器と打楽器の応酬も随所に見ることができます。
(バンダは、確かスコアの上では客席から吹く事が求められていたと記憶していますが、
実際の吹奏楽コンクールでは、バンダ自体を配置しないか、バンダを配置する場合もステージ袖に
配置されている事が多いです。
バンダが配置されていると、確かに音が二方向から聴こえますし、視覚的にもかなりのインパクトは残していると思います)

「アンティフォナーレ」は、空間を縦に割るかのようなティンパニの4音から開始されます。
あのダ・ダ・ダ・ダン!という無機質な4音は、それだけで何か「荘厳さ」を感じさせてくれます!
その後は波を打ったような静けさの中神秘的な語法で曲は進みますが
前述の通り、前半部分の木管セクションの鋭いあの不協和音の響きは、まさに美の限界だと思いますし、
あの響きは、何度聴いても私には「叫び」にしか聞こえないです!
中間部の静粛さは、まさに神秘的な響きです。
特にフルートのソロは、寂寥感みたいな響きだと思います。
前半部分があまりにも木管もそうでしたけど、金管の凄まじく荒れ狂った不協和音のオンパレードでしたから、
この中間部の静けさが逆にひそやかさを感じさせてくれます!
あの雰囲気は、たとえて言うと、魑魅魍魎・百鬼夜行の行列の中に、天使が紛れ込んでいた
みたいなイメージが私の中にもあったりします。
鍵盤打楽器やチャイムを伴った金管楽器により静寂は再び破られ、
再度金管セクションによる壮絶な不協和音の展開が再現され、そこにバンダの効果が加わり、
まさに曲自体が収拾のつかない状態になりそうな雰囲気の中、
再びトランペット、トロンボーンそして吹奏楽団全体との掛け合いが長短に達し、
ドライブをかけてコラールのような神聖な歌を伴いつつ感動的なクライマックスへ一気呵成に曲は閉じられていきます。

アンティフォナーレは大変な難曲ですし、必ずしもコンクール向きの曲ではありませんので、
吹奏楽コンクール全国大会では、2018年末時点で6チームぐらいしか演奏されていません。
だけど、この曲の演奏には、一つとてつもない歴史的名演があります!
もちろん、小牧中・大曲吹奏楽団・北教大旭川分校・福岡工業大学などの演奏もそれぞれ一長一短があり、
部分的には素晴らしいところも確かにあるのですけど、
1982年の近畿大学のあのアンティフォナーレのウルトラ歴史的名演を超える演奏にはいまだにお目にかかっていません。
否! あの1982年の近大の名演を超越する演奏は、多分ですけど未来永劫現れないとすら私は思っています。

1982年の全日本吹奏楽コンクールは、第30回大会という事もあり本来は記念すべき回のはずなのですが、
この年は大学の部において前代未聞の妙な事件が起きてしまい、
結果的に後味が大変悪い年になってしまいました。

何かと言うと、大学の部において金賞団体がゼロという妙な事件でした。

元々変なのですよね。吹奏楽連盟の内規にも「得点上位の団体に金賞を与える」とはっきりと
明記しているのに、金賞ゼロというのも妙な話ですよね。

この年は、生で聴いていないのでレコードや復刻版CDを聴いた印象なのですが、
亜細亜・神奈川・近畿は文句のつけようがない金賞というか、近年稀に見る名演だったと思います。
(逆に関西学院・三重は明らかに甘い金賞だと思います。関西学院も前半の木管のパッセージは
 ホント、素晴らしいのに後半のショスタコの金管はヘロヘロというか息も絶え絶えでしたね・・・)
神奈川の「ディオニソスの祭り」は本当に今聴いても色褪せない名演だと思います。

亜細亜も素晴らしいの一言!!
課題曲のサンライズマーチは、冒頭のファンファーレも含めて、全出場チームの中で圧倒的に文句なしNo.1の
演奏だったと思いますし、あれを金賞と評価できない審査員のポンコツ耳はどうかしているとさえ思います。
ボロディンの交響曲第2番も地味な曲をあそこまで聴かせたのは素晴らしいと思います!
亜細亜と一般の部の上尾の2団体を指揮した小長谷氏が、
「本日の両団体の出来は指揮をした私が1番良く知っている。それなのに、私の考えと
全く正反対の評価をもらった」と後日述べられていましたが、全くの同感です。
なんで上尾は、あの演奏が金賞なのでしょうね?
(リード/第三組曲のフルートソロはあまりにもお粗末・・・)

でもこの大会の白眉は近畿の「アンティフォナーレ」に尽きると思います!!

曲の持っている「叫び」というか、形式美を重視している一方で、
何かとてつもなく大きなものに無我夢中で挑んでいくみたいな印象があります。

近畿大学の演奏は、全般的に早いテンポで進んでいきますが、不協和音が「雑音」には全く
聴こえず、むしろ美しく聴こえるのが素晴らしいです!
前半の壮絶な木管セクションの不協和音による「叫び」はまさに素晴らしいです!
ラストの小太鼓のリズム感・追い込みも圧巻です!
中間部のフルートソロも大変美しいし、そこには「もののあはれ」みたいな寂寥感すら感じさせてくれています。

やや硬い金属的な音のサウンド近畿大学の音質がこの曲に非常にマッチしていたと思います。
近畿大学というと、1986年の「ルイ=ブルジョワの賛美歌による変奏曲」も大変素晴らしかったですね!

この「アンティフォナーレ」も21世紀に入っても全然色褪せる事のない名曲だと思うのですけど、
2008年を最後にこの曲は全国大会では演奏されていないのですが、
どこかのチームが、今現在の感覚でシャープに美しく素晴らしい演奏を聴かせてくれることを今後大いに期待したいと思います。
ロジャー・ベネットという作曲家の名前やその作品を知っているという現役の吹奏楽奏者の方は
皆無に等しいのかもしれないですね(汗・・)
私が現役奏者の頃ですら「ベネット??誰それ・・?」みたいな感じも否定はできなかったと思いますので、
それから数十年後の現在においては、尚更「誰、それ・・?」みたいな感覚なのかもしれないです。
ベネットという作曲家は、リードとかジェイガーとかチャンスとかC.ウィリアムズなどのようなバリバリの管弦楽&吹奏楽の
作曲家という訳ではなくて、どちらかというとベネットのライフワークは、ブロードウェイミュージカルの編曲家という
印象の方が強いように思えます。
ちなみにですけど、「南太平洋」とか「マイ・フェア・レディ」・「王様と私」といった歴史に残る名ミュージカルの楽曲のアレンジを
ベネットは担当しています。
1955年には映画「オクラホマ」の音楽にて、ベネットは!アカデミー賞も受賞されています!

ベネットの吹奏楽作品はそれほど数が多い訳ではないのですけど、
例えばリードのインペラトリクスとかワルターズの西部の人々などがいかにも「古き良きアメリカ」を象徴としているとすると、
その言葉はベネットの「シンフォニック・ソング」もより相応しいと言えるのかもしれないです。
この「シンフォニック・ソング」や「古いアメリカ舞曲による組曲」を聴くと
今現在のインチキ国家アメリカとか商業主義の胡散臭さとか自国と自分の利益ばかり露骨に追及し
「自分さえよければ他国・他者の事などどうでもいい・・」というアメリカの風潮がなんだか恥ずかしくなってしまいそうですし、
ベネットがシンフォニック・ソングを作曲した頃の1950年代の「努力を重ねていればいつかは報われる事があるのかもしれない」
というアメリカの当時の美しい理想主義がそこはかとなく感じられますし、
やはりそこには良心的で他人の痛みも分かるという「古き良きアメリカ」の理想的な姿を思わず感じ取ってしまいそうな
曲なのだと思います。
それにしてもベネットの「シンフォニック・ソング」のこのほのぼのとした雰囲気とか
「みんなと一緒に自分も頑張るし、とにかく出来る限りのマイベストを尽くそう!」みたいな健全さが至る所から
伝わっているようにも感じられます。
いいですねぇ~! この古き良きアメリカへのオマージュ!
もしかしてですけど、この曲の考えと対極にありそうな吹奏楽作品というと、メリッロの「アメリカの騎士~選ばれし者」
なのかもしれないですね・・(笑)
1950年代~70年代初めの頃のアメリカの吹奏楽オリジナル作品って、とにかく親しみやすくて分かりやすくて
人の心にすーーっと入り込んでくる感じがとても素敵だったと思いますし、
やはりそこには
「頑張って努力を重ねていけばいつかは必ず報われるのかもしれない」みたいな健全で前向きな風潮と言うのか空気感が
あったのかもしれないですね。
今現在の「汗をかかないでひたすら株式のちょっとしたタイムラグとか他人よりもいち早く知り得た情報をとことん利用して
瞬間的にかつぼろ儲けをする」とか「社会や国民の間に格差が生じても仕方がないことだ・・! 自分だけが
儲けて何が悪い! 自分のように情報や知識を得ようともしない奴らがそんな事ほざいても所詮は負け犬の遠吠え・・」
みたいなアメリカの風潮とはエライ違いがあるようにも感じられます。
こうした古き良き時代のアメリカの吹奏楽オリジナル作品って、前述のリードの第一組曲とかベネットの曲以外では、
ジェイガーの第三組曲とかコープランドの戸外のための序曲とかグールドのサンタ・フェ・サガとか
オリヴァドーティのバラの謝肉祭とか、クレストンの祝典序曲とかC.ウィリアムズの交響的舞曲第三番や交響組曲とか、
ワルターズのジャマイカ民謡組曲とかシューマンのチェスターとかジャンニー二の交響曲第3番とか
モリセイの組曲「百年祭」とかカーターのクイーンシティ組曲とかニクソンの「平和の祭り」など、とにかく素敵な名曲が
目白押しだと思います。
もちろん今現在の吹奏楽コンクールで大人気のスミスの「ダンス・フォラトゥーラ」みたいな豪華絢爛な曲も
私自身とっても大好きなのですけど、こうした古き良きアメリカを彷彿とさせる50~70年代のアメリカの吹奏楽オリジナル作品も
絶対に忘れて欲しくないと思いますし、演奏され続けて欲しいと思っています。

ベネットの「シンフォニック・ソング」は、今聴いてみると決して華やかさや派手さはない曲ですけど、
曲の構成もしっかりしているし、聴いていて楽しいし、
私的には吹奏楽の数少ない名作古典曲の一つだと認識しています。
吹奏楽の古典というと、ホルストの第一組曲・第二組曲やグレンジャーのリンカンシャーの花束、
リードのアルメニアンダンス辺りなのかもしれないですけど、そうした曲に肩を並ばせても全然遜色ない曲だと思います。

この「シンフォニック・ソング」は下記の三楽章から構成される組曲でもあります。

Ⅰ.セレナーデ

Ⅱ.スピリチュアル

Ⅲ.セレヴレーション

Ⅰのうきうきした感じは聴いているだけでなんかホッ・・とするというか心がリフレッシュされるようなおおらかさが
あると思います。
スコア上では3/8拍子なのですけど、2拍子と3拍子が混在しているようにも聴こえるリズムの面白さがあると思います。
全体的にはゆったりとした牧歌的な曲です。
ちなみにですけど、フェネル指揮の東京佼成のこの曲を収録したCDをよく聴いてみると、このⅠが終わった際に
フェネルの「OK・・」みたいな声が微かに収録されているのがなんとも楽しいです。
Ⅱの「スピリチュアル」とは精神とかそういう事ではなくて、黒人の「霊歌」という側面が大変強いように
感じられます。
そしてこのⅡにおいてはユーフォニアムが朗々としたソロを情感たっぷりに歌い上げています。
このユーフォニアムのたっぷりとした歌は大変素晴らしいと思いますし、ユーフォ奏者にとっては腕の見せ所だと思います。
そしてこのユーフォからオーボエ・トランペットへとメロディーラインが継承されていく様子は見事なものがあると思います。
全体的には大変しっとりとした抒情的な楽章だと思います。
Ⅲのリズム感と躍動感は素晴らしいです! ラストを飾るのに相応しい楽しさに溢れていると思いますけど、
決して羽目は外さず、その上品さ・洗練さもお見事だと思います。
トロンボーンのグリッサンドを交えた序奏はとっても楽しいし、あのウキウキ感は聴いているだけで
心ぴょんぴょんしそうです・・(笑)
その後に出てくるトランペット、トロンボーンの旋律では意図的に半音ずらして書かれていて
賑やかさと滑稽さを感じさせると同時にベネットの「巧さ」を感じさせていると思います。
このⅢの途中で思いがけず入り込んでくるホイッスルの音も実に意表をついていると思います。

この曲は吹奏楽コンクールではほとんど演奏されません。
というか、最近のコンクールでは、ベネットという名前さえほとんどお目にかかれないのは大変残念なものがあります。
出来れば、今現在ののスクールバンドで吹いている生徒たちにも是非聴いて欲しい曲の一つです。

この曲の全国大会の演奏で印象的だったのは、1975年の函館中部高校の演奏です。
(函館中部以外にこの曲を演奏したのは1960年代の神奈川大学だけです・・)
評価は銅賞でしたが、私はこの銅賞はちょっと納得いかないですね・・
1975年と翌年は極めて審査結果が厳しく、出場チームの半数程度が銅賞とい激辛審査という背景もあったかとは思うのですが
この銅賞はちょっと厳しすぎますね・・
(ちなみにですけど、1975年の北海道代表は3チームもありました!)
函館中部高校は、課題曲の「吹奏楽のための練習曲」も大変爽やかでしたし、
自由曲の「シンフォニック・ソング」はⅠ・Ⅲ楽章を取り上げていましたが、
技術的には変拍子も無難にこなし、楽しい雰囲気も十分出ていたし、どこに問題があるのか分からないという感じです。
(こうした地味な曲は、曲の盛り上がり方が難しいし、聴衆へのアピールは確かに難しいかもしれないですね)

シンフォニックソングを吹奏楽コンクールで最後に生で聴いたのは、関東大会の中学校B部門の
埼玉栄東中だったと思います。
学校名から察しがつく通り、吹奏楽の名門の「埼玉栄高校」と同系列の学校なので、
思いっきり期待していたのですが、思いっきり期待を裏切った演奏でした・・・(汗・・)

1994年の東海支部の支部大会で、飯田市民吹奏楽団がこのベネットの「シンフォニック・ソング」のⅢを自由曲として
演奏していたのは、よく覚えています。
この年の東海大会の一般の部の開催は静岡県富士宮市でしたので、当時住んでいた山梨から身延線を利用して
富士宮まで遠路はるばるやってきたという記憶があったりもします。
94年の課題曲は、饗応夫人のように長く難解な課題曲だらけの年でしたので、
自由曲は、3~5分程度の短い曲ばかりでしたので、シンフォニック・ソングのⅢはうってつけの自由曲の一つだったのかも
しれないですね。 
兼田敏の吹奏楽作品と言うと、やはり最も知名度と演奏頻度が高いのは「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」なのだと
思います。
(大変古い話ですけど、1981年の支部大会で演奏された曲目の中で全部門を通して最も演奏された曲目が
パッサカリアであったりもします)
兼田敏の作品で演奏される頻度と言うと吹奏楽コンクールでもコンサートでも圧倒的にパッサカリアなのだと感じますし、
他にもバラード・序曲・エレジー・交響的瞬間・交響曲などの優れた作品も多々あるのだとは思いますが、
やはり代表作と言うとパッサカリアという事になってしまうのだと思います。
兼田敏は吹奏楽コンクールの課題曲も幾つか作品を残していて、私の世代よりも一回り上の世代の皆様ですと
1967年の課題曲の「ディヴェルティメント」を思い出されるのかもしれないですし、
私の年代ですと1986年の課題曲B「嗚呼!」を思い出されるのだと思います。
(私自身は大学の吹奏楽団で嗚呼!を演奏しましたけど、あの課題曲はあの焦燥感と重たさが私にとってはちょっと嫌でして、
この課題曲を吹くのだったら、変容・序曲・テイクオフを演奏してみたかったです! 汗・・)
ちなみに私の世代においては、兼田敏というとパッサカリアと嗚呼!以外では、
日本民謡組曲「わらべ唄」~Ⅰ.あんたがたどこさ Ⅱ.子守歌 Ⅲ.山寺のお尚さん を思い出される方も
多いような気もします。

それにしても兼田敏の死はあまりにも早過ぎたと思います!
享年67歳だったと思いますが、まだまだこれからが円熟期という感じでしたし、これからも日本の吹奏楽の発展のためには
絶対に欠かすことは出来ない貴重な人材と誰しもが思っていた御方でしたので、その早過ぎる死には心より
お悔やみを申し上げたいと思いますし、故人のご冥福を祈るばかりです。
盟友の保科洋が、現在、吹奏楽コンクールでは大人気となっている「復興」を作曲され保科洋自身が再ブレイクを
果たしているような感じでもありますので、「波の見える風景」の真島氏共々「惜しい方を亡くしたものだ・・」と
無念に感じるばかりです。

兼田敏の吹奏楽作品についてそのタイトルの表記なのですけど、
ある時は、「吹奏楽のための」と表記され、ある時は「シンフォニックバンドのための」と表記され、
そしてまたある時はウィンドオーケストラのための」と微妙に変化しています。
これは兼田敏の吹奏楽について年を重ねるごとになにか意識の変化みたいなものがあったという事なのかもしれないですし、
晩年の作品の「ウィンドオーケストラのための五つのシンフォニックイメージス」というまるでウェーベルンみたいな作品を
耳にすると、「兼田敏はパッサカリアや序曲で見せたような吹奏楽に対する一つの方向性とは別になにか
他に考えがあったのかもしれないし、なにかやり残した感じがあるのではないのか・・?」といった事をついつい詮索
してみたくもなってしまいます。

兼田敏の作品って全体的には例えばバラード・エレジー・交響的瞬間・嗚呼!に代表されるように大変内省的な印象が強く、
心の風景とかその人の心の中の本音を恥じらいを込めてひそやかにあぶりだしていくといった奥ゆかし」みたいな
作風という印象が私の中であったりもします。
そうした意味において、パッサカリアは珍しくエネルギーを外に向けて思いっきり発散させているようにも感じられますし、
シンフォニックバンドのための序曲や交響的音頭や日本民謡組曲は「日本人でないとなかなかわからないわびさびの世界」を
表現しているように感じたりもしています。

「吹奏楽のための交響的音頭」はある意味異色な曲なのかもしれないです。

交響的音頭は、人によっては日本版ボレロと言われることもあります。

「ボレロ」はラヴェル作曲の大変メジャーな曲で、曲の開始から小太鼓が一定のリズムを最後まで叩き、
メロディーは終始変わらないものの、楽器を変えることで曲に変化を付けて延々15分程度繰り返していくという曲です。
(ラスト3分前あたりから小太鼓がもう一台追加され計二台で叩き、
 ラスト1分前辺りでティンパニが変調した所でメロディーラインに初めて変化をつけるという構成も素晴らしいです!)
「交響的音頭」はボレロと同じように終始打楽器が一定のリズムを叩き、
(ボレロのように小太鼓だけというのではなくて、ティンパニ・小太鼓・大太鼓・シンバルという
 打楽器セクションとしてリズムを終始刻む事がボレロとの大きな相違点と言えると思います)
そのリズムに乗っかる形で、様々な管楽器の組合せが、同じような素朴なメロディーを延々と8分近くつないでいくという
ある意味単調でモノトーンのかたまりみたいな曲です。
一定のリズムを繰り返し反復という意味においてのみボレロとこの交響的音頭の類似性はあるのですけど、
ボレロはそれでも楽器とサウンドの変化という側面が感じられるのに対して、兼田敏の交響的音頭は
ひたすら素朴に執拗に同じようなメロディーを延々と語り継いでいきます。
この曲のリズムの要であるチューバの「ボン・ボン」という素朴な後打ちもそうした印象を一層引き立てていると思います。

この曲誰もが感じると思うのですけど 、一言で言うと、非常に泥臭い曲と言えると思います。
悪く言うと、「何の突っ込みもボケもなく淡々と鄙びた旋律を打楽器の一定のリズムに乗っけた何のオチもない曲」とも言えます。
この鄙びた感覚、素朴な村祭りの行列みたいな感覚は、西洋の感覚では理解しにくいものがあるかもしれませんし、
日本人だから「何となく気持ちで理解できる」みたいな感覚の曲と言えるのかもしれないです。

この「交響的音頭」は技術的にヘタなチームが何の工夫も無く気持ちを込めないで演奏されると、とてつもなく退屈で
冗長に聴こえるのですけど、うまいチームが演奏し日本人のわびさびの感情を込めて演奏されると
とてつもなくツボにはまってしまう曲と言えると思います。
泥臭い日本的な吹奏楽作品というと、例えば渡辺浦人の交響組曲「野人」とか小山清茂の太神楽や木挽歌など色々と
あるとは思うのですけど、この交響的音頭の泥臭さを超える邦人作品は
多分これから先も出てこないような予感すらあります、
この曲自体に洗練のせの字もないというのも大変面白いですし、
この曲がパッサカリアの兼田敏と同じ作曲者というのもすてきな多様性と言えるのかもしれないです。

だけどこの曲自体が有している泥臭さと単調さは、吹奏楽コンクールではウケが悪いと思われます。
練習過程において、多分ですけど指揮者もその単調さにイライラするのかもしれないですし、奏者もこの曲の素朴な情感に
心の底から共感できる事も少ないのかもしれないです。

吹奏楽コンクールにおいて、全国大会で演奏されたのは1984年の金津中学校の一団体のみに留まっています。
1984年の金津中の演奏は私も普門館で生演奏を聴いていましたけど、ちょっと残念な演奏で結果も当然の銅賞でした。
金津中は、他の兼田敏の作品(パッサカリア・序曲)とかチャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」は
情感たっぷりの見事な演奏を聴かせてくれているのに、この年の不調はやっぱり曲自体の単調さにあるのかもしれないです。

小太鼓がある一定のリズムを刻み、これに管楽器・弦楽器が絡んでいき盛り上がっていくという
「ボレロ」の手法を用いた曲としては、交響的音頭以外においても古今東西で散見されたりもしています。
その具体的事例として、

〇橋本國彦/交響曲第1番第二楽章

〇アーノルド/組曲「第六の幸福をもたらす宿」~Ⅲ.ハッピーエンディング

〇ショスタコーヴィッチ / 交響曲第7番「レニングラード」~第一楽章

〇ヨハン・デ・メイ / 交響曲第1番「指輪物語」~Ⅴ.ホビットたち

などか挙げられるのかもしれないです。

この中でも特に優れた作品として挙げたいのはショスタコーヴィッチ / 交響曲第7番「レニングラード」~第一楽章です。
レニングラードも小太鼓が終始一定のリズムを叩く中で、オーボエ・ファゴット・フルート・クラリネット等の管楽器のソロを
交えながら徐々に高潮していくスタイルを取っていて、
第一楽章のこボレロの部分が終わった後のドラのゴワワーーーンというとてつもない響きや
金管セクションの咆哮など全体的に凄まじい迫力があると思います。
ラストは、小太鼓のボレロのような繰り返しのリズムが弱奏で刻まれる中、
ミュートを付けたトランペットの幾分寂しそうな感じというのか、
「まだまだ戦争は続いている」といった暗示のような感じで静かに閉じられるというのが
ショスタコーヴィッチとしてのリアルティー表現と言えるのかもしれないですね。

ボレロの場合、優雅に静かにゆったりと徐々に徐々に盛り上がっていくのですけど、
交響曲第7番「レニングラード」の場合、かなり早い段階から金管セクションが咆哮し、
小太鼓もいつの間にか、2台目、そして3台目と加わっていき、
そしてテンポもどんどんヒートアップしていき、最後は破綻するかのように全音で爆発していき
このボレロの部分は終焉を迎えます。
ラヴェルのボレロの場合は最後の最後で、それまで保っていた形式美を崩壊させるといった
ラヴェルの悪趣味みたいなものを感じさせてくれます。
(ラヴェルの最後の最後での形式美の崩壊という楽曲として、左手のためのピアノ協奏曲や舞踏詩「ラ・ヴァルス」も大変
印象的であったりもします)
ショスタコーヴィッチの場合はそうした悪趣味というよりは、戦時中でないと書けないみたいなリアルティーの方が強いと
感じられそうですね~。
私が初めてスウェアリンジェンの名前を耳にしたのは意外と古く、確か1979年の県大会で
とある中学校が自由曲として「エグザルテーション」を演奏していました。
当時のコンクールのプログラムの表記では、スウェアリンジェンではなくて「スエーリンゲル」となっていましたので、
この二つの表記の方が同一人物と気が付くのは数年後の事でした(汗・・)

スウェアリンジェンの曲って本当に分かりやすくて単純明快で明るく楽しく実にいですよね!
構成もA-B-Aという実にシンプルなものだし、「シンプル イズ ベスト」をまさに実証していると思います。
私自身、スゥエアリンジェンの曲は、インヴィクタ序曲しか吹いたことが無いのですけど、
この曲は高校3年の時の定期演奏会の一曲でしたが、
他の曲がスペイン奇想曲とか組曲「絵のような風景」とか芥川也寸志/交響管弦楽の音楽などとにかく難曲ばかりでしたので、
この曲を吹くときだけは実にのびのびと楽しく吹くことができていたと思います。
インヴィクタは、クラリネットのパート譜も難しい箇所はほぼ皆無で、極端な高音もないし指使いは平易だし、
曲は実にのびやかで楽しいし、吹いていて大変気持ち良かったです。
やはりプレイヤーをこうした気持ちにさせる事とか技術的な易しさとか親しみやすいメロディーが
スウェアリンジェンを長期間日本の吹奏楽界で(特に中学校の小編成部門で)「不動の地位」を保てた
一つの理由と言えるのかもしれないですね。
冒頭が多くの場合打楽器セクションを伴う強奏から開始され、コンサートチャイムがやたらとカンコン華麗に鳴り響き、
中間部のあまりにも美しいのびのびとしたロマンチックなメロディーが展開され、
ラストは前半部分が再現され楽しく曲が閉じられるというのがスウェアリンジェンの一般的なパターンだと思うのですけど、
時に「どの曲もノヴェナやチェスフォード・ポートレイトに似ている・・」と言われがちでもありますが、
スウェアリンジェンの曲が実に40年近くも日本の吹奏楽コンクールで根強い支持を得られ続けているのも
よくわかる気がします。

私も大学でも一応吹奏楽部に所属し、毎年全日本吹奏楽コンクール・都大会大学部門に出場していましたけど、
大学時代も高校時代と同様に学生指揮でしたが、
自由曲に、ドビュッシーの「三つの夜想曲」~Ⅱ.祭りを選曲した際も全体とし中々うまくまとまらず
あの繊細なイメージがつかみきれなくて全体合奏をしていてもモヤモヤがかなり奏者の間でも指揮者にも募っていたと
思います、
大学の部の都予選まであと一週間を切った際、指揮者がついポロッと
「うーーん、やはりドビュッシーは君たちの技術では無理なのかもね・・・今から自由曲を
 スゥエアリンジェンのチェスフォードポートレイトに変えてみる?
大丈夫、この曲簡単だから、君達でも三日でマスターできるよ・・・」
なんていう屈辱的な事を言われてしまったのは何か懐かしい思い出ですね。
だけど実際問題、ある程度の技術を持っているチームでしたら、極端な事を言うとコンクール本番前日に自由曲を
スウェアリンジェンに変更したとしてもコンクールの本番では案外なんとかなりそうな雰囲気を有しているというのは
間違いないのかもしれないです。
内容がスカスカでくだらない曲だからなんとかなるという訳ではなくて、
「シンプル イズ ベスト」のような内容の深さも秘めながらも技術的にはやさしいというのがスウェアリンジェンの最大の
魅力といえるのかもしれないです。

コンクール直前の自由曲の変更というと、例えば東北大会と県大会の自由曲はチャイコフスキーの
幻想序曲「ロミオとジュリエット」だったものの、地区予選の段階ではレスピーギの交響詩「ローマの松」~アッピア街道の松で、
びっくりさせられた事もありましたけど、他にも驚いた事としては、
ラヴェルの「スペイン狂詩曲」を自由曲に選び千葉県大会を突破した市川交響吹奏楽団が吹奏楽連盟から
「スペイン狂詩曲は吹奏楽に編曲不可であり演奏不可である」との指摘を受け、関東大会への辞退はせずに、
自由曲そのものをスペイン狂詩曲からイベールの交響組曲「寄港地」へと変更し、
県大会から関東大会まで一か月も無いのに、この変更した自由曲でもって関東大会に臨み、ダメ金ではありましたけど、
金賞受賞という驚きの離れ業までお披露目していたのは大変印象的でもありました。

スウェアリンジェンがブレイクするきっかけとなったのは1981年の狂詩曲「ノヴェナ」ではないかと思います。
支部大会でこの簡単な曲をやるチームは少なかったですけど、この年の県大会では、このノヴェナが大流行したような
記憶があります。
出だしのピッコロと木管ののんびりとした素朴な感じで始まり、コンサートチャイムがカンコン鳴り響いたり
いかにもスゥエアリンジェンらしい曲だったと思います。
スゥエアリンジェンの曲って大抵の場合、威勢のいい打楽器のリズムとか金管の咆哮から開始される事が
多かったような気もするのですけど、こういうしっとりとした出だしと言うのは案外珍しい部類だったのかもしれないですね。

スウェアリンジェンの曲と言うと・・・

〇狂詩曲「ノヴェナ」

〇インヴィクタ序曲

〇チェスフォードポートレイト

〇コヴィントン広場

〇アヴェンチューラ

〇マジェスティア

〇栄光の全てに

〇センチュリア

〇誇りと祝典

〇シーゲート序曲

あたりが私は好きですね。 だっていかにもスゥエアリンジェンらしい響きの曲ばかりですからね~

スウェアリンジェンと言うと、中には少し不思議な曲もあり、
例えば「ロマネスク」とか「リフレクションズ」みたいに少し哀愁溢れる曲もあったりして
特に「リフレクションズ」の少し物悲しい感じは、スウェアリンジェンの別の表情みたいな感じもあり、
これはこれで悪くはないし私は大好きです!
アーロン・コープランドの「市民のためのファンファーレ」は、クラシック音楽の解説書や楽典の上での分類は
管弦楽曲となっているのですけど、実際の楽器編成は、
ホルン(ヘ調) 4、トランペット(変ロ調) 3、トロンボーン 3、チューバ 1、ティンパニ、バスドラム、タムタムという
金管楽器と打楽器のみの編成という事で、見方によってはこの楽曲は管弦楽曲ではなくて吹奏楽曲と言えるのかも
しれないです。
1分半程度の短いファンファーレなのですけど、金管セクションの豪快で洗練された響きに加えて
ティンパニのリズム感とドラの轟音がとてつもなく爽快さを感じます!
全体的にはとてつもなくスケールの大きさを伝えてくれていると思います。

「市民のためのファンファーレ」の作曲の経緯としては、
シンシナティ交響楽団の指揮者ユージン・グーセンスが、「ファンファーレから構成される作品集」的な楽曲を
イギリスの作曲家の皆様に依頼したもののうまくいかず、
アメリカ人の作曲家に同じことを頼んでみようと考え、その結果として18人の作曲家のファンファーレから構成される
作品が完成しています。
但し、全部で18のファンファーレのうち今現在も演奏され続けているのはコープランドの「市民のためのファンファーレ」だけです!

オリンピックの開会式等においてオリンピックテーマ曲とも言えるファンファーレとしては、私的には
1984年のロス・オリンピックのジョン・ウィリアムズ作曲のテーマ曲とファンファーレが大変印象的なのですけど、
そうした戦後オリンピックのファンファーレの類型を作り出したとも言われているのが、このコープランドの
「市民のためのファンファーレ」であるというのは既に定着した評価と言えるのは間違いないと思います。

以前というか・・既に昭和の頃の話なのですけど(汗・・)
(私自身、小さい頃、明治・大正・昭和の三つの年号を生きていた人は年輪の重さを感じる・・と思ったものですけど、
そういう私自身も来月からは、昭和・平成・令和の三つの年号を生きてきたという事になりますので、
私もなんだかすっかり年を取ったものだとしみじみ感じております・・汗・・)
黒柳徹子と芥川さんが司会をされていたNHKの「徹子のおしゃべりコンチェルト」という番組の中で、
とある会の中でせんだみつおがゲストとして登場していた時に、このコープランドの「市民のためのファンファーレ」を
「庶民のためのファンファーレ」というタイトルで紹介していて、あの時は
「なんだかスーパーの安売りとか、大阪のたこやき・お好み焼きみたいな庶民の味という感じで安っぽい響きがしている~」と
感じたものでした。

私の出身高校も間もなく創立60周年・吹奏楽部の記念すべき節目の回ともいえる第50回定期演奏会も迫っているようですが、
吹奏楽部の定期演奏会のプログラム構成は、
第一部・吹奏楽オリジナル作品 第二部・ポップス 第三部・クラシック音楽アレンジものという構成はここ何十年ずっと
同じのようですけど、そうした構成が固まっていったのは私が卒業して以降の話のようでもありまして、
私の代とか先輩たちの代では色々と試行錯誤があったと思われます。
その一つに例えば「童謡・文部省唱歌ステージ」をやってみるとか
アンサンブルステージをやってみるとか、はたまた「古典シリーズ」といってバロック時代の金管アンサンブル曲ステージを
やってみるとか色々とチャレンジはしていた形跡があったりもします。
ただ、そうした童謡・アンサンブル・古典楽曲は客席からのウケが大変悪くていずれも一年で打ち切りになってしまい、
今現在の、オリジナル・ポップス・クラシックアレンジものというオーソドックスな構成になったのは道理と言えるのかも
しれないです。
(私の2つ代前の先輩たちがやっていたモーツアルトの交響曲第40番~第一楽章はアレンジの悪さもあるのですけど、
その時の演奏テープを聴いてみても「これは酷い・・」としか言いようがない感じでもありましたからね~・・汗・・)

そうした大変評判の悪いアンサンブルステージでありましたけど、その中で唯一好評だったのが
ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」~第一楽章とコープランドの「市民のためのファンファーレ」でしたので、
こうした金管アンサンブルというのは、聴く方にとってもああした爽快さは心地良いともいえるのだと思います。

この「市民のためのファンファーレ」なのですけど、作曲者のコープランドもお気に入りだったのかもしれないです。

というのも、コープランドの交響曲第3番第四楽章の冒頭は、何とこの「市民のためのファンファーレ」がそっくりそのまま丸ごと
転用されています。
他の作曲家の曲を部分引用とか転用というのはよくある話なのですけど、
(有名な事例としては、べリオの「シンフォニア」ですし、他にも例えばショスタコーヴィッチの交響曲第15番第一楽章は
ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」のスイス軍隊の行進がハロディー風に引用されています・・)
コープランドの交響曲第3番第四楽章のように自作作品をそっくりそのまま丸ごと転用という事例はかなり珍しいようにも
感じられます。
(自作作品の自作への引用は他にはR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」もあったりします・・)
コープランドの交響曲第3番は、知る人ぞ知る隠れた名」だと思うのですけど、全然演奏されないのが大変勿体ないです・・
この交響曲は一度だけスラットキン指揮のNHK交響楽団の生演奏を聴いたことがあるのですけど、
あの演奏は本当に素晴らしかったです!!
いかにも「胡散臭いインチキ国家アメリカ」っぽい曲という俗っぽさがぶんぷんと漂っていますけど
「努力すればいつの日にかその夢が叶う」といった古き良きアメリカンドリームを象徴したような響きも感じ取れます。
コープランドの交響曲第3番には特にタイトルは無いのですけど、「アメリカ」とタイトルを付けたくなってしまうくらい
「アメリカンドリーム」としての「希望溢れるアメリカ」が実に堅実に表現されていると思います。
「努力すればできない事は何もない、いつかはその夢が叶う」というキャッチフレーズが似合いそうな音楽だと思います。

当ブログでもたまにですけど、アメリカの歴史に埋もれてしまった作曲家のウィリアム・シューマンの事を記す事もありますが、
ウィリアム・シューマンもアメリカを溺愛した作曲家だと思いますが、コープランドも
同じくらいアメリカを愛していた作曲家といえるのかもしれないです。

コープランドと言うアメリカの作曲家は、日本での知名度は今一つなのかもしれないです。
(吹奏楽コンクールでは、ロデオやエル・サロン・メヒコ等で今も演奏され続けています!)
1900年に生まれて1990年に亡くなったので、丁度20世紀を駆け抜けた作曲家の一人です。
コープランドは、日本とも結構深い関係にあり、
武満徹の音楽をアメリカ本土で紹介したり、武満徹の「地平線のドーリア」という曲の世界初演の指揮をされたり
来日した際には、日本のオーケストラでシューベルトの「未完成」の指揮をされたりと色々と貢献をして頂いております。

コープランドの音楽は、
カウボーイがインディアンを追いかけまわすみたいな映画音楽のBGMになりそうな軽い感じの音楽が多いようにも感じますし、
実に軽薄すぎて胡散臭く感じることもあったりもします。
反面、晩年は無調音楽にも手を付けたり、難渋な作品を晩年近くに書いたりもしていますし、
バレエ音楽「アパラチアの春」のように神への祈りに通ずる清純な音楽を
書いたりもしています。
アメリカというと、移民の国で、あらゆる価値観・文化・思想を拒絶することなく取り入れ
自分たちの文化として融合していった歴史がありますけど、
コープランドの音楽にもそうした「多様性」が感じられます。
要は、いかにも多様性の複合国家アメリカの象徴的存在の作曲家なのかもしれませんよね。
コープランドが亡くなった年にバーンスタインも亡くなっていますけど、
コープランドの曲をよくレコード化していたバーンスタインにとっても
盟友の友という感じだったのかもしれないですね。

今現在のアメリカには残念ながらアメリカンドリームとか多様性国家という概念自体消滅し、
格差社会や価値観の相違を埋められないギスギスした社会へと変貌を遂げつつあるようですけど、そうした今現在の
アメリカの姿をあの世から眺めたコープランドやシューマンやバーンスタインは
哀しそうな顔をされるのかもしれないです・・
ロシアの作曲家の作風ってプロコフィエフ・ショスタコーヴィッチ・チャイコフスキー等に代表されるように
「極端から極端へ」と作品の幅の広さは底なし沼のように深い気もします。
当ブログでもよく書いている事ですけど、例えばプロコフィエフも若い頃は例えば、交響曲第2~3番、スキタイ組曲、道化師等
かなりグロテスクで悪趣味極まりない曲を作曲したのかと思えば、ロシア復帰以降は、シンデレラ・ロメオとジュリエット・
ピーターと狼、交響曲第7番・戦争ソナタなどのように大変分かりやすくて親しみやすい曲を作曲していますし、
その最晩年は交響曲第7番「青春」というまるで幼少期を回顧するかのような甘いメロドラマのような曲を残し、
特に交響曲第2番と5番と7番が同じ作曲者であるとは到底思えないようなほどの違いというのか、
その作風の落差の大きさには唖然とさせられるものがあったりもします。
それはショスタコーヴィッチも似たような側面があり、「20世紀最大の名作交響曲」と誉れ高い交響曲第5番「革命」も
その一つ前のシンフォニーの交響曲第4番のまるでマーラーとシェーンベルクを足して二で割ったとした言いようがない
とてつもなく難解で抽象的な作品であった事を考えると、やはりその振り子の幅の大きさには呆然とするしかない・・という
感じなのだと思います。

だけどそうしたロシア人作曲の作風のとてつもない変化という観点ではストラヴィンスキーの右に出る者はいないのかも
しれないです。
ストラヴィンスキーは、火の鳥・ペトルーシュカ・春の祭典という三大バレエ作品でもって音楽史に名を残すことになり、
特にペトルーシュカの複調と春の祭典の野蛮極まりない原始主義(バーバリズム)は音楽史の上でも
光り輝くものが間違いなくあると思われます。

バレエ音楽「春の祭典」の初演時には、音楽史上最大級とも言える賛否両論の怒号が飛び交う大スキャンダルが
発生したと伝えられますが、確かに20世紀初頭のパリの聴衆の皆様にとっては、この精緻なリズムと音色ととてつもなく野蛮な
大音響が交錯する記念碑的な作品と初めて接した時には、確かに困惑と衝撃以外の何物でもなかったのかもしれないです。
21世紀の感覚で聴くと、インパクトという意味では今現在聴くと、「それほど驚くべきほどの音楽では無い」等色々な意見は
あると思いますし、当時ほどの新鮮さはないかもしれませんが、
後世に何かメモリアル的なものを残したという意味ではその意義は大きなものがあると言えるのだと思います。

ファゴットの最高音域の音で始まる出だしからして新鮮と異端さが混在したものもないのかもしれないです。
この曲は、「リズム感・躍動感・人間の本能としての生への意識というものが曲の隅から隅まで伝わってきていると思います。
CDで聴いても生で聴いても、その迫力・躍動感にはただただ脱帽するしかないと思います。
生で聴いてみると分るのですが、春の祭典はそれ程多種多様な打楽器を使用している訳ではありません。
ティンバニ・大太鼓・シンバル・ドラ・タンバリン・ギロ程度です。
管楽器も確かに大規模編成ですが、特に目立つ特殊楽器は使用していません。
それでもあれほどの圧倒的サウンドを出せるのですから、オーケストラは究極のシンセサイザーと言えるのかもしれないです。

この「春の祭典」は、もしかしたら、ハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」と同じように、人生に対して
暗さ・厭世観・絶望しか感じ取れない人たちには是非一度は聴いて欲しい曲なのかもしれないです。
春の祭典は、人間の本能から「とにかくどんなことがあっても生きろ!」というメッセージが伝わってきそうですし、
シンフォニーポエムは「明るい! そうだ! 全てが明るい!!」というウルトラ超前向きなメッセージとか伝わってきませんし、
とにかくあの大音響をボリュームいっぱい聴きまくれば、
「そのうちなにかいい事が起きるのかも・・それまでは出来る限りしっかりと生き抜こう!」という意欲が自然と湧き起こるのかも
しれないです。

そうした大音響と複雑で精緻極まりない「春の祭典」なのですけど、ストラヴィンスキー自体は、もしかしたらなのですけど
「こうした春の祭典みたいな路線は聴衆からもすぐに飽きられてしまうと予想されるし、二番煎じの曲もたくさん
出てくるだろう・・
その前に自分自身も春の祭典とは異なる路線をスタートさせないと、すぐにクラシック音楽界からは飽きられてしまう」という
想いもあったのかもしれないですし、
「春の祭典はあれはあれで一つの頂点なのだけど、ああいう路線を生涯貫き通すのは無理かもしれないし、
そろそろ何か新しい作風で新しい作曲家人生をスタートさせてみたい」という気持ちもあつたのかもしれないです。

そして春の祭典からわずか7年後の1920年に作曲されたバレエ音楽「プルチネルラ」でもってストラヴィンスキーは、
春の祭典に代表される原始主義路線から一転して新古典主義音楽へと転換を果たします。
ちなみに新古典主義とは、簡潔に言うと、18世紀の音楽の旋律と形式をそのまま使いながら、
新しい管弦楽法で音楽に新しい命を吹き込んだ音楽的路線を指すものであり、
従来のドイツの正統派の形式を重視した重厚な音楽でもないし、過度なロマンでもないし、
ドビュッシーやラヴェル等の印象派とも少し違うし、ストラヴィンスキーの原始主義とはかなりかけ離れたものでもありました。
ストラヴィンスキーの新古典主義は第二次世界大戦後の1950年代まで長期間続いていくのですけど、
晩年にはそうした新古典主義すらも超越したストラヴィンスキー独自の十二音技法に辿りついたりと、
その生涯においての作風の変化は凄まじいものがあり、ストラヴィンスキーがよく100の顔を持つ作曲家とかカメレオンと揶揄
されるのも作風の変化の唐突さと激しさがあるのかもしれないです。

ストラヴィンスキーが春の祭典という原始主義を乗り越えて新古典主義という新しい作風に突入していったのは
上記で書いた通り1920年頃のバレエ音楽「プルチネルラ」なのですけど、
原始主義と新古典主義の橋渡しという点で注目したい曲がストラヴィンスキーが1920年に作曲した
管楽器のためのシンフォニーズです。
ストラヴィンスキーの交響曲と言うと詩編交響曲と3楽章の交響曲が双璧ともいえる名作なのかもしれないですし、
管楽器のためのシンフォニーズは曲が短いせいもありますし、後述しますけど楽器編成が極めて特殊であるため、
この曲の認知度も評価も決して高いものではないのかもしれないです。

管楽器のためのシンフォニーズはタイトルでも示されている通り、楽器編成にヴァイオリン等の弦楽器は含まれて
おりません。
打楽器も使用されていませんし、木管楽器と金管楽器からのみで構成されている9分程度の単一楽章の曲です。
使用楽器は、フルート:3 ピッコロ:1(3番フルート持ち替え)、アルトフルート:1、オーボエ:2、コールアングレ:1
クラリネット:2、アルトクラリネット:1、ファゴット:3 コントラファゴット:1(3番ファゴット持ち替え)
ホルン:4、トランペット:3、トロンボーン:3、テューバ:1 となっていて
スコアの上では管楽器奏者は26名です。
この編成にはサックスセクションやユーフォニアムといった吹奏楽固有の楽器は入っていませんけど、
理屈の上ではこの編成でもって吹奏楽コンクールの小編成部門(昔ながらの表現ではB編成)に出場する事も
可能と言えば可能なのかもしれないですね。
(もちろん、この曲を自由曲にしての吹奏楽コンクール参加の事例は私がしる限りにおいてはゼロです)
こうした管楽器のみの編成は一般的には、色彩感・華やかさ・明るさ・派手な雰囲気に溢れるとは思いますけど、
この「管楽器のためのシンフォニーズ」にはそうした要素はほぼ皆無です。
全体的に難解な響きで渋くて「結局、何をいいたいのだろう・・?」という謎要素の多い曲のようにも感じられたりもします。
一度この曲は確か東京佼成の定期演奏会で耳にした事がありましたけど、そうした印象は生演奏で聴いても
同じだったと思います。
余談ですけどストラヴィンスキーのピアノ協奏曲の編成もやはり吹奏楽的で、編成に弦楽器奏者はいなくて、
ソロピアノと管楽器とティンパニとコントラバスのみで構成されています。

この曲は元々はC.ドビュッシーへの追悼音楽として作曲された経緯があります。

上記にて原始主義と新古典主義の橋渡し的な役割も担っていると書きましたけど、
春の祭典でも見られたロシアの民族音楽を連想させる不規則なリズム構造と
厳粛で規則正しい雰囲気という相矛盾する要素が一つの短いシンフォニーの中に盛り込まれ、この二つの要素は
それほど融合はしていなくてむしろ衝突しあっているようにも感じられ、
そうした事が原始主義路線から新古典主義路線へま橋渡しと感じさせる要因なのかもしれないです。
ファンファーレと厳粛なコラールの交替で曲は進行していきますけど、冒頭のつんざくような木管楽器の響きと
後半の渋いコラールが音楽の共鳴・響きという点では大変面白いと感じます。
冒頭の木管のつんざくようなファンファーレ的なもの、小コラール、民謡風のもの等小さなシンフォニアの構成なのですけど、
構成がしっかりしている点は古典的であり、時に見られる激しい和音のぶつかりあいは原始主義に近い感じもあり、
やはりこの曲は橋渡し的な曲と言えるのだと思います。
そしてどちらかというと「音の響き」そのものを楽しむというのか、管楽器同士の繊細な響きを感じ取ってほしいという
ストラヴィンスキーの意図も多少はあるのかもしれないです。

ただやっぱりこの手の曲は聴衆のウケはよくないようですね~

この曲の初演の前に演奏された曲がリムスキー・コルサコフの歌劇「金鶏」~行進曲という派でな曲であったのも
よくなかったのかもしれないですし、
前述の通り、この曲には弦楽器奏者はいませんので、金鶏の演奏が終わったと同時に弦楽器奏者は舞台裏に退出し、
通常は弦楽器の後方に配置されている管楽器奏者たちが指揮者の位置からはそのまま遠い位置に配置されたままの状態で
初演時の指揮者のクーセヴィッキーがむきになって指揮者から遠く離れた管楽器奏者たちに指示を出し続けてしまい、
結果的に指揮者と演奏者が少し乖離したような演奏になってしまい、
元々曲自体盛大に盛り上がる箇所もないせいもあり、演奏終了後の聴衆の反応は冷淡極まりないものがあったそうで、
ストラヴィンスキーはガッカリ・・したそうです・・

この曲をCDで聴く場合、お勧めしたいのは、ストラヴィンスキーの火の鳥(全曲版)とバルトークの舞踏組曲がカップリングされた
フランツ・ ウェルザー=メスト指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽が素晴らしいと思います。
リムスキー・コルサコフの「スペイン奇想曲」はプロの管弦楽団の演奏会でもよく耳にする曲のひとつだと思いますし、
吹奏楽コンクールにおいても1970年代から今日に至るまでずっと自由曲として選ばれ続けている昔からの定番曲のひとつ
という評価は既に定着しているといえるのかもしれないです。
そして後述しますけど私自身にとっても大変思い入れがある曲でもありまして、高校最後の定期演奏会で演奏した曲目の
一つでもありますし、そこで部分的にソロも担当したという事は貴重な経験だったと思っています。

スペイン奇想曲と言っても別に南ヨーロッパの方が作曲したものではありません。
極寒の北方のロシアで、当時ロシア5人組として一世を風靡したリムスキー=コルサコフの作曲によるものです。
寒い国の方にとっては南欧の「太陽サンサン」の暖かい気候は何か一つのあこがれだったのかもしれないです。
同時代のロシアの作曲家、チャイコフスキーも交響曲第四番を作曲していた頃は、
押しかけ女房の元・教え子の一方的な愛に困り果て苦悩の離婚の末、逃避行みたいな形でイタリアに傷心旅行に赴き
そこで交響曲第四番の終楽章を書き上げたとの事ですが、
ロシアで第一~第三楽章を書き上げた頃は、離婚を巡るドロドロの愛憎劇の真っ只中と言うこともあり、
特に第二楽章の陰鬱で哀愁溢れる曲を書いていたのに対して、
南欧で書き上げた第四楽章では、南欧のイタリアの太陽サンサンの力で蘇ったせいなのかはよく分かりませんけど、
楽天的でパワー炸裂の生きる喜びに溢れた歓喜のフィナーレを仕上げたものです。
最初にこの交響曲を聴いた時、前半の第二楽章までの陰鬱な世界と
ピッチカートの不思議な第三楽章、そして歓喜のフィナーレのギャップに「なんなのこのギャップは・・」と違和感を感じましたが、
作曲者の当時の心境を考えるとうなずけるものがあります。

リムスキー=コルサコフは海軍に在籍した事もあり、恐らくは南欧の太陽サンサンの風土は肌で実感されていたのかも
しれないです。
だからこそ、寒い国の人の感性から書き上げたスペイン奇想曲という素晴らしい名曲を残せたのかもしれません。
スペイン系のアルベニスとかファリアだったら、カスタネットにフラメンコに闘牛みたいなイメージで
リズム感溢れる「スペイン奇想曲」になっていたかもしれませんけど、
ロシア人のリムスキー・コルサコフがイメージというのか半分憧れみたいな気持ちで作曲したからこそあのような
南欧の独特の開放感とロシアのファンタジーが融合した曲が出来たといえるのかもしれないです。

リムスキー=コルサコフは、このスペイン奇想曲を書いた頃、作曲家としての一つの頂点を極めています。
スペイン奇想曲の次の作品がシェエラザード、その次がロシアの復活祭ですので脂が乗りきっていた時代だったのでしょう。
スペイン~シェエラザード~ロシアの復活祭で共通しているのは、
ヴァイオリンを部分的に協奏曲風に扱い、ヴァイオリンソロを大胆に活用している事だと思います。
スペイン奇想曲は、第一曲と第三曲はほぼ同じメロディーと構成なのですけど
ソロ楽器に関しては、第一曲はクラリネット 第三曲はヴァイオリンと楽器を変えることで曲想にも変化を付けています。
(厳密にいうと、第一曲は静かに閉じられるけど、第三曲は派手なffで終わります)
第四曲では、前半はソロ楽器の競演でして、トランペット・ヴァイオリン・クラリネット・ハープ・フルート・オーボエが大活躍します。
そしてハープの夢見るようなファンタジー感溢れるソロも聴きどころの一つだと思います。
第五曲は、カスタネットのリズムの刻みが南欧らしさを一層際立たせていると思います。
そしてラストのコーダもグイグイ奏者を煽りながら、曲をクライマックスに向けて燃え立つように突進していき、
絢爛豪華な音の絵巻として華麗に曲が閉じられます。

14~15分程度の曲なのですけどソロ楽器の活躍あり、第二曲のようにアンニュイな雰囲気でけだるさ全開という場面も
ありますし、第三から第五曲の楽しいリズム感などと聴きどころ満載の曲です。

この曲をCDで聴く場合、この曲の名盤は山のようにありますけどお勧めは、
オーマンディー指揮のフィラデルフィア管弦楽団とデュトワ指揮のモントリオール管弦楽団が素晴らしいと思います。

そしてこのスペイン奇想曲は吹奏楽コンクールでもお馴染みの曲でして、古くは山王中学校の名演にはじまり、
最近では2015年の習志野高校によるこの曲の魅力再発見ともいえそうな新しい感覚と現代のサウンドによる
21世紀のスペイン奇想曲の魅力を引き出している超名演が生み出されています。

スペイン奇想曲の全国大会での名演というと、オールド吹奏楽ファンの皆様ですと「文句なしに1974年の山王中学校」と
いわれると思いますし、現役世代の皆様だったら「いやいや、2015年の習志野高校で決まりでしょ!」と
言われるのかもしれないですけど、私の現役時代の感覚としては
1981年の中村学園のサウンドは少しベタベタしているけど、木管セクション、特にソロクラリネットの技術は超絶としか
いいようがない! 特に第三曲のクラリネットと第四曲のオーボエ・フルート・クラリネットには惚れ惚れしてしまいそうだし、
第五曲の駆け抜けるような一直線みたいな響きはさすが中村学園!としか言いようがないし
おねーさまーー!!すてきーーー!という感想しか出てこないと感じたものですし、
1982年の尼崎西高校は、全体的にアクの強さが漲り、爽快なスピード感が溢れる生き生きとした演奏を聴かせてくれていたと
思います。
大変惜しまれるのは、第四曲でもったいないクラリネットのリードミスがあった事なのかもしれないです。
だけど大変立派なのはあのミスに動揺することもなく奏者全員がその後の展開も一体感を見せながら、最後まで
切れ味とスピード感を保ったままエンディングまで駆け抜かれていったことは賞賛に値すると思いますし、
大変惜しい銀賞だと感じたものでした。
1982年の雄新中学校の演奏も大変新鮮な感覚で瑞々しく聴かせてくれていたと思いますし、ソロの安定感にプラスして
極めて人の心にまっすぐと伝わる素直で伸び伸びとした演奏は素晴らしかったと思います。
そしてこの演奏がいったいどういう感覚で聴けば銅賞という審査結果になってしまうのか、私にはいまだにわからないですし、
その後の1985~87年の雄新中学校の銀賞という結果とあわせて、いまだに「納得いかない感満載」でもあったりします。

1986年の中学校の部においては、このスペイン奇想曲が4チームから自由曲として選ばれるという大人気ぶりでしたけど、
結果的に4者4様の演奏となり、 各演奏団体の違いが一目瞭然と言う感じで、中々そのあたりは逆に興味深かったと思います。
一直線に鋭角的に駆け抜ける当麻、ふんわりと柔らかい響きの首里、正統派の王者の貫録の柏原
全く普段の練習の成果を発揮出来ずに終わった東金と
全く異なるスペイン奇想曲を4通り聴くことが出来たと思います。
個人的には柏原の演奏が一番素晴らしかったと思いますし、安定感は群を抜いていたと思います。
同じ曲目を同じ日に3つも4つも聴くと飽きがくるのかもしれないですけど、各チームの違いを感じるのも吹奏楽コンクールの
醍醐味の一つなのかもしれないです。
1986年の中学の部のスペイン奇想曲を自由曲にした4チームのアレンジはすべてウィンターボトムなのですけど、
それでもあんなに明瞭な違いが出てしまうのは大変興味深いものもあります。
余談ですけど、この年の高校の部でもドビュッシーの海~第三楽章が計3チーム演奏していましたけど、
こちらの方はアレンジャーが全員異なっていたという違いも大きいですけど、中学の部以上に演奏団体の個性が出ていて
大変面白かったです。
八田先生アレンジ版の習志野は繊細で美しいファンタジー感溢れる海を聴かせてくれ、
上埜先生アレンジ版の高岡商業は大変鋭角的でメカニックな雰囲気の海を聴かせてくれ、
藤田玄播アレンジの神戸高校はガッチリとしたドイツ的な重厚感溢れる海を聴かせてくれていて、こちらも三者三様
どの演奏も素晴らしかったと思います!

話をスペイン奇想曲に戻しますと、この曲は高校三年の時に吹奏楽部時代の高校三年時の最後の定期演奏会の曲の
一つでもあり、大変懐かしい曲でもあります。
スペイン奇想曲のあのクラリネットのソロを是非挑戦してみたいという気持ちとソロに対するプレッシャーの二律背反も
あったといえるのかもしれないです。
原曲のスペイン奇想曲は主にヴァイオリンがソロパートを担当するのですけど
吹奏楽アレンジ版の場合、どうしてもヴァイオリンパートはクラリネットが担当する事が多いので、クラリネットパートに過度な
負担が掛かりがちな曲でもあったりします。

私達の高校は、スペイン奇想曲から第三~第五曲のいわゆるコンクールバージョンを演奏したのですけど、
問題は「クラリネットのソロ」をどうするかという事でした。
田舎の県立男子高校で、元々クラリネット奏者は慢性的に絶対的不足でしたし、
とても一人であの難解で華麗なソロを吹ける力量の奏者はいなかったので、
指揮者とも話し合った末に、結局は3人の3年生が、「一人ずつ一つの楽章のソロを担当する」という事になり、
あみだくじで誰がどの楽章を担当するか決めたものでした。
私としては、超絶的テクニックを要求される第三曲だけは絶対無理無理~
やるならば、パックに一つの楽器も存在しない、正真正銘のカデンツァみたいなソロがある第四曲がいいのかも~と
思っていたのですけど結果として一番無難な第五曲を引き当て内心ホッ・・としていたものでした。
それでも第五曲のソロは数か所もあるし、結構大変でした・・

練習中とかリハーサルでもよく指摘されたのですけど、
3人の音色が異なる奏者がそれぞれの考えや美感をもってソロにあたるのですから、楽章ごとに違った音色のソロが展開され、
聴き方によっては全然統一感が無いと思われますし、後にその定期演奏会の録音を聴いてみると
「確かに、三者三様というかバラバラ」みたいな感じはあっ他と思います。
よくOBからも「一人の奏者が担当した方がいいんじゃないの?」とも言われたものでしたけど
当時としては3人とも「一人であのソロを担当するのは正直荷が重い」という気持ちしか無かったですね。
結果として「一人が一つの楽章を責任もって担当する」という方針がうまく機能し
本番では3人ともノーミスだったというのは一つの救いでした・・
あれって今振り返って見ても、
第三曲は、とにかくひたすら前向きに前へ!という一直線の駆け抜けるソロ
第四曲は、やや武骨で不器用な感じのするソロ
第五楽章(→一応、私です・・・)の中村学園みたいにダーダー吹きというかふわっとした感じの音色と
確かに統一感はほぼ皆無でした・・
それも今となってはいい思い出です。

この時のアレンジは確かハインズレー版でしたけど、この編曲版では二つほど問題があって、
一つは第四曲にて、原曲でハープが華麗にカデンツァしている部分はハープがそのまま指定されているのですけど、
あんな高級楽器は田舎の貧乏公立男子高校にある訳もなく仕方ないので、この部分は、そっくりヴィヴラフォーンで代用
していたものです。
二つ目ですけど第三曲においてハインズレーの編曲の楽譜をそのまま演奏すると、
メロディーラインはソロを担当する1stクラリネットの3人のみという事で、残り全員は、リズム担当という何ともバランスの
悪いものでした。
そこで、第三曲は(本当は著作権上ダメですけど・・汗)結構自分たち自身でいじくりまわし、
第三曲のメロディーラインはクラリネットとサックスセクション全員とフルートとオーボエも部分的に加え、
金管セクションは第三曲のみ演奏するのは3年生のみとしたり、バランスつくりにはかなり苦労した記憶がありますね~!

だけどそれも今となってはいい思い出といえそうです。
2000年の吹奏楽コンクール課題曲は名曲揃いだと思います!
書下ろし作品が4~5曲あるとどうしても1曲ぐらいはあまり演奏されない不人気課題曲も多々あるかとは思うのですけど、
この年は全般的な傾向として、支部大会でもそうでしたし全国大会においても全部門共通的にどの課題曲もまんべんなく
演奏されていたという印象が強いです。

この年の課題曲は以下の四曲でした。

Ⅰ 道祖神の詩(福島弘和)
Ⅱ をどり唄(柏崎真一)
Ⅲ 胎動の時代-吹奏楽のために(池辺晋一郎)
Ⅳ 吹奏楽の為の序曲(坂田雅弘)

その四曲の中ではⅠとⅢの人気が特に高く全国大会でもどちらかというとこの二曲を選ぶチームが多かった印象もあります。

私自身は現役奏者時代は主にクラリネット吹きでしたが、木管奏者の視点ではⅠの道祖神の詩を吹いてみたいと
感じたものですし、もしも私自身がスクールバンドの指揮者でしたら間違いなくⅢを選んでいたと感じますし、
はたまたもしも私が金管奏者だったら迷うことなくⅣを選んでいたと思います。

課題曲Ⅲ / 胎動の時代-吹奏楽のために(池辺晋一郎)は、当時の世相としては
「来年から21世紀という新しい世紀も迎えるし、不景気と閉塞感が漂う時代の中で何か新しい変化があってもいいのかも」と
いう雰囲気があったのかもしれないですけど、そうした世相を吹奏楽作品として最大限盛り込んだようにも
私としては感じていたものでした。
この課題曲の作曲家は、むかーし「N響アワー」の名物司会者でもあり、日本を代表する作曲家の一人でもある
池辺晋一郎先生です。
この方の作風はかなりバラエティーに富んでいて、オペラ「死神」などのように現代音楽風に難しいものもあれば、
「未来少年コナン」の主題歌とか、1987年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」のテーマ音楽のように分かり易いものもあります。
池辺先生は日本の邦人管弦楽作品の重鎮という大御所感漂う大物という印象もある中、実はかなり面白い先生でも
ありまして、それを見事に実証されていたのが当時放映されていた「N響アワー」でした。
当時、別名「オヤジギャグアワー」なんて一部で陰口を叩かれたほど池辺先生のとてつもない駄洒落が炸裂していました。

そのくだらないダジャレの一例を記してみると、

〇ハ短調だけあって演奏は破綻していた

〇四重奏団は、「始終相談」ばかりしていた

〇ベートーヴェンの「大公」に対抗できるピアノ三重奏曲は存在しない

〇「白鳥」を演奏した後は、もうタバコは「スワン」

当時のパートナーの壇ふみさんの時に困惑しまくっていた表情も大変印象的でしたけど、池辺先生は真面目な解説を
されている最中に普通の顔をしてさりげなく自然にあのオヤジギャグを炸裂されていましたので、
あれはあれで池辺先生の立派な芸といえるのかもしれないです。

池辺先生は実は一度だけ生で見た事がありまして、
2001年4月のNHKホールで開催されたNHK交響楽団の定期演奏会だったと思いますが、
(曲目は、マーラーの交響曲第4番がメインだったと思います)
当時の番組のパートナーの壇ふみさんと共にN響アワーの収録風景のたるに渋谷のNHKホール内におられたのを拝見した
事があります。
見た感じ終始ニコニコされていて、いかにも「穏やかな紳士」という風格でした。

池辺先生の吹奏楽作品というと2000年の課題曲Ⅲの胎動の時代も大変素晴らしい名曲だと思いますが、それ以上に
今でも吹奏楽ファンからの絶賛の声が高い作品として1990年の吹奏楽コンクール課題曲A / ランドスケイブ~吹奏楽のために
があると思います。

ランドスケイブは第一にメロディーラインが大変美しいし、第二にスピード感溢れる展開、第三に中間部の
「鳥のさえずり」を思わせる音の揺れ具合の素晴らしさなど名曲の誉れ高いのも当然だと思いますし、
私も大好きな課題曲の一つです。ランドスケイブが課題曲だった頃は既に現役奏者からは引退していましたけど、
当時は「こんな素晴らしい課題曲は是非ぜひ演奏してみたかった!」と感じていたものです。
構成もA-B-Aと大変分かり易いし、前半と後半のAの部分は、都会の喧騒的なイメージ、中間部のBの部分は自然の営みという
イメージもあり、AとBの対比が極めて分かり易く、分かり易さがこの課題曲にはあったと思います。
出だしのあのスピード感あふれるリズム感抜群の切れ味はとてもインパクトがありましたし、
序盤のトロンボーンとホルンの細かい刻みは結構大変そうだけど抜群の切れ味を感じたものでした。
中間部の感覚も黙って目を閉じていると自然と勝手に色々な風景が頭の中を駆け巡るという感覚もありましたし、
現在の視点から「過去のさまざまな自分」を瞬間的に振り返るといったイメージもあったと思います。
ラストの冒頭の再現が、実にこれまたシャープで素晴らしかったです!

池辺先生にとって「ランドスケイブ」は初めての吹奏楽作品ではなくて、「アマデウスのピアノが聞こえる」という
作品も作曲されています。
1982年に亜細亜大学+駒澤大学+当時のプロのトップ奏者を集めた吹奏楽の祭典企画があり、
NHKのAM放送でも実況中継されていました。
(あの放送の中でリードの第二組曲~Ⅳ.パソ・ドブレ!も演奏されていた記憶があります)
この時の指揮者は、現在も東京交響楽団の指揮者を務めている大友直人だったと思います。
この時に委嘱作品として演奏されたのが「アマデウスのピアノが聞こえる」という池辺先生の作品でした。
だけど後にこの演奏会の模様をレポートしたBJの記事の中で
「このアマデウスは、何かモザイク作品みたいな印象であまりピンとこない」と書いた記者がいて
この事が池辺先生の逆鱗に触れてしまい「他の記事は客観的に書いているのに自分の曲だけ主観的に書かれている」と
かなり激しく咬みついたようでして、後日池辺先生からの抗議並びにBJの謝罪記事が掲載されていました。

ダジャレ先生も、自分の作品への不当な評価については厳しい側面も見せられていたのだと推察されます。

話が思いっきりそれてしまいました・・

話を2000年課題曲Ⅳ / 吹奏楽の為の序曲に戻しますと、この課題曲は金管優先の大変迫力あるサウンドが
大きな特徴で、とにかくあのかっこよさは大きな魅力だと思います。
金管セクションに優秀なメンバーがいるチームとか金管セクションがよく鳴るチームの課題曲としてはうってつけと
言えるのは間違いないと思います。
タイトルの「吹奏楽の為の序曲」ですけど、このタイトルは1986年の間宮芳生の名作中の名作課題曲でもある
「吹奏楽のための序曲」という作品が既にありますので、もしかしたら「ため」を「為」という漢字にされていたのは
間宮先生に対する配慮なのかもしれないです。
間宮先生の吹奏楽のための序曲は鄙びた和の雰囲気の終始ゆったりとした内省的で叙情的でとてもしっとりとした作品で
あるのに対して、坂田雅弘の方の吹奏楽の為の序曲は、内省的な雰囲気ではなくて見た目の華々しさや高揚感を
誰もがわかりやすく感じられるように作られた曲というのが両曲の大きな違いと言えるのかもしれないです。

坂田雅弘の「吹奏楽の為の序曲」は、金管の華やかさ、木管の美しい響き、打楽器の盛り上げに、疾走感溢れるメロディーに
ゆったりとしたメロディーととにかく聴いていて全く飽きない5分間がそこにはありそうです。
聴いていても冒頭から「なにこれ、このわくわくする雰囲気!」とか「未来には素晴らしいバラ色の展開があるのかも!」と
感じさせる素晴らしい高揚感と幸福感に溢れているようにも感じられます。
この課題曲は前述の通りとにかくはじめから終わりまで金管セクションが優先でかなり目立っていて
「木管セクションっていたっけ・・!?」とすら感じさせてしまう金管セクションの優遇ぶりが際立っているようにも感じられそうですし、
見方によっては木管奏者にとっては「おいしい所を全て金管に持っていかれた・・」と感じるのかもしれないです。
古い方ですと吹奏楽の事をウインドアンサンブルと呼ばずにブラバンとかブラスバンドと言う方もいらっしゃるのですけど、
この課題曲はブラバンの魅力を余すところなく伝えているようにも感じられます。

冒頭のトロンボーンのパワフルなメロディーに導かれてトランペットが加わりスネアドラムも合流し、
開始早々から疾走感溢れるメロディーが展開されていきます。
あの冒頭の部分だけでも「すてきな予感」というものが既に漂っていると思います。
序盤は6/8のリズムがメインなのですけど、この6/8のリズムを金管セクションがカッチリと決めるか否かでこの曲の
演奏評価も序盤で決着が付くとすら言えそうでもあります。
テンポを維持したまま木管の流れるようなメロディーに展開され、そのメロディーはトランペット→木管tuttiと移り変わり、
冒頭のファンファーレが再現され、ゆったりとした中間部に移ります。
通常こうした曲の中間部は「金管セクションを休ませる」という観点から木管セクションがメインを務め、ソロがある場合は
木管楽器が務めることが多々ありますけど、この曲はやはり最初から最後まで金管が優先で、
この課題曲の最大の聴かせどころなのかもしれない中間部のたっぷりとした朗々としたソロもトランペットが担当しています!
クラリネットとホルンのソロリレーを経て中間部は終わりを告げ、
再び疾走感あふれる冒頭のファンファーレが再現され、
前半部を再度繰り返し疾走感と勢いを保ったまま華麗にエンディングを迎えます。

とにかく今現在改めて聴いても「かっこいい!」としか言いようが無い曲でSF映画のBGMとしても十分すぎるほど
成立しそうです。

この課題曲は、中学・高校の部よりも一般・職場・大学の部に名演が多かった印象があります。
特に東京の創価グロリアと文教大学の演奏は際立っていたと思いますし、
創価グロリアの自由曲のアーノルドの交響曲第2番の爽快さとあの課題曲の組合せは「これぞ吹奏楽の醍醐味!」という
雰囲気に溢れていたと思います。
この年の大学・職場・一般の部の全国大会は上野の東京文化会館で開催されていましたけど、
「あんな音響効果が悪い文化会館でやらないで普門館で開催すればいいのに~」と当時はブーたれていたものでした・・

ロバート・ジェイガーの吹奏楽オリジナル曲でもある「タブロウ」は、今現在の吹奏楽コンクールや演奏会等でも
全く演奏されていませんし、1985年の全国大会・高校の部で2チームが演奏した経歴以外はほとんど目立つことも無い中、
1985年の演奏から既に34年近くの歳月の経過とともに、既に忘却の彼方の吹奏楽オリジナル曲であるという評価は
ほぼ間違いではないと思います。

実は私自身もジェイガーの「タブロウ」という曲はあまり好きではないです・・(汗・・)

ジェイガーの曲にしては珍しく荒っぽい響きですし、メロディーラインが混沌とし過ぎていて、結局何を言いたいのか
私には全く理解できない曲であったりもします。
タイトルの「タブロウ」は多分ですけど絵画用語に由来する完成された絵・キャンバス画なのだと思うのですけど、
例えばマスネの組曲「絵のような風景」とかネリベルの「トリティコ」(三枚の宗教的絵画)とか
チェザリーニの「ビザンティンのモザイク画」などのようにその音楽を聴いてなんとなくだけどその背景や雰囲気が
伝わってくるという感じはほぼ皆無だと言えそうです。
冒頭からつんざくような金管セクションの荒っぽい響きから開始され、そこにはドラマ性とかストーリー性といった要素は
あまり感じられず、むしろ音の響き・構成をメカニカルに追及しているようにも感じられます。
この曲で最も負担がかかりそうなパートはホルンとトランペットと感じさせるくらい、金管セクションの爆音ぶりは、
どちらかというとやさしい曲想が多くてメロディーラインがわかりやすくて明確というジェイガーの作品の中では極めて
異色に位置しているようにも感じられます。
人に耳にすんなりと入る旋律や音楽構成があまり感じられない中、曲自体はかなり強引な展開を見せ、
途中でフルートをメインとする牧歌的な響きの箇所もありますけど、すぐに金管セクションに打ち消されているような印象も
あったりします。
そしてこの曲が面白いと感じさせる点は終結部なのかもしれないです。
乱暴な響きの中、突如としてそこに一筋の光が差し込むような感じを私自身は感じてしまうのですけど、
唐突にホルンパートによるコラール的な音の伸ばしが展開され、そこに他の金管セクションが巻き込まれていき、
ラストはティンパニの和音の叩きつけと共に全体が高らかで荘厳な響きの中、感動的に閉じられていきます。
なんとなく感覚としては、冒頭からラスト1分前までゴチャゴチャとした混沌さ・荒ぶる響きが展開されるのだけど、
ラストだけは感動的に高らかにかっこよく決まって爽快さをもって曲が閉じられるという
典型的な「終わりよければすべてよし」みたいな曲のようにも感じられそうです。
そう言えばジェイガーの終わりよければすべてよしというパターンの曲として、これも知る人ぞ知るという曲になって
しまいそうですけど「シヴァリー」という曲もそんな感じの曲と言えるのかもしれないです。

ジェイガーのタブロウは1985年の全国大会・高校の部で意外にも2チームが自由曲として取り上げ、
一つは東海大学第一高校(現・東海大学翔洋高校)で、この年に初めての全国大会・金賞を重受賞しています。
タブロウのよくわからないけどなんだか聴く人を威圧するような雰囲気は当時の東海大学第一の路線にぴったりだったとも
感じるのですけど、私的にはあのメカニックで乾燥した響きにあまり共感は感じず
「どうしてあの演奏が金賞で、花輪高校のような重厚感と繊細さを持ち合わせたあの名演が銅賞なんだ!!」と
当時は普門館客席でブーたれていたものです・・
そしてもう一つのチームが高松第一高校なのですけど、高松第一はこうした乱暴で金管優位の吹奏楽オリジナル曲を
自由曲にする事自体が極めて異例なチームでありましたし、1985年以前の演奏もどちらかというと木管優位の
少しもやもや&もごもごとしたぼやけたサウンドのチームという印象があったせいか、
「あの高松第一がタブロウみたいな金管優位の曲を選ぶなんて・・」と驚きの方が大きかったような記憶もあります。
東海大学第一と高松第一の演奏は、比較するとどちらも演奏はかなり危なっかしくて粗っぽい響きなのですけど、
東海大学第一は金管主体、高松第一は木管主体という違いがあったようにも感じられます。
そして前者の表現は変幻自在でトリッキーという感じもあったのに対して、後者の音楽的表現は固くて融通があまり効かない
真面目な演奏という違いもあったように感じます。
ただ私の中の好みでは、どちらかというと高松第一のタブロウの方が聴きやすくてコンクール的にはこちらの方が
勝っているのかなと感じたのですけど(当時の私のメモの採点ではどちらも銀賞という評価でした・・)
東海大学第一は金で高松第一は銀賞という評価になっていました。
高松第一の課題曲B / 波の見える風景は、フルートソロをはじめとする木管セクションの優秀さが光っていましたので、
タブロウではなくて、例えばドビュッシーの「小組曲」みたいな木管優位の曲を選曲していた方がよかったようにも
感じたものでした。

ジェイガーは、シンフォニア・ノビリッシマ、ヒロイック・サガ、第二組曲、第三組曲、コラールとトッカータなどのように
メロディーラインが大変分かりやすくて人の心にすーーっと入り込んでいく曲想が多く、
(1978年の課題曲A / ジュビラーテもそうした曲の一つだと思います)
他にもダイヤモンドヴァリエーション・吹奏楽のための交響曲(第1番)・シューマンの主題による変奏曲、シンフォニエッタ
などのように音楽的構成・構成美がしっかりと練に練られている作品も多いのですけど、
時に例えば、本記事のメインでもあった「タブロウ」や近畿大学や小禄中学校が自由曲として演奏した「黙示録」みたいな
悪趣味的でよくわからない・・という感じの曲もあったりするのは人間の多様性に由来しているのかもしれないです。

最後に・・悪趣味と言うとジェイガーには交響曲第2番「三法印」という謎めいたシンフォニーもあったりします。
ジェイガーの吹奏楽のための交響曲(第1番) は大変な人気作品であったのに対して、2番の三法印に不人気ぶりは
ある意味際立っていたとも思えます。
私もこの三法印は東京佼成のレコードで何度か聴いてみましたけど、
この曲のどこに魅力があるのかいまだにさっぱり分かりません・・(汗)
1980年に京華学園が自由曲とした以外は、どのチームも吹奏楽コンクールでは演奏されていない事実こそが
その不人気ぶりを見事に象徴しているとも言えます。
同じ仏教をモチーフにしたA.リードの「法華経からの三つの啓示」のコンクールでのある程度の人気から比較すると
対照的な感じは拭えないですね~
本記事の一つ後の記事が日暮里舎人ライナーの路娘のNT・リリー繋がりから東方の春告精のリリーホワイトの記事
という事で、リリーホワイトというと思い出されるのは「春ですよー」でありますし、
リリーホワイトが到来した後には桜が満開に咲き誇るという事でもありますので、ここは話を「桜」に統一させると言う事で、
「桜」にまつわる吹奏楽曲についてほんの少しばかり書かせて頂きたいと思います。

これは前宣伝でもありますけど、来月・・4月13日の当ブログでは、「桜」関連のボーカロイド楽曲とも言える「VOCALOID桜曲」を
少しばかり触れさせて頂きたいと思います。
VOCALOID桜曲とは、名曲が数多く揃っているボカロ楽曲の中で、春や桜をイメージした楽曲であり、
桜といえば春、卒業、出会いや別れというワードも連想されますけど、明るい曲にもせつない曲にもなってしまう
大変情緒溢れる曲が数多く揃っていますので、そうしたVOCALOID桜曲 に触れつつも、VOCALOID桜曲というと桜ミクという
イメージもありそうですので、冬の季節に相応しい雪ミクとは対照的な桜ミクフィギュアについてのレビューも
させて頂く予定です。
そして桜というと東方では「西行妖」というイメージもありそうですので、桜ミクから強引に(?)ゆゆ様に話を展開させる予定でも
あったりします。

本日は3月19日ですけど、多分ですけどあと一週間もしないうちに南関東でも桜の開花宣言が出そうな感じでもあります。
今年は本当に暖冬の連続で、東北育ちのくせに実は大の寒さが苦手な私にとっては大変ありがたいのですけど、
振り返ってみると20世紀頃の桜の開花宣言というと3月末頃~4月初旬という印象もあったように思えますし、
わずか数十年で10日程度も桜の開花時期が早くなるというのは、
地球の温暖化を示唆しているのかもしれないですし、はたまた東方の世界ではないですけど外界でも幻想郷でも
天候異変というものは間違いなく起きていそうな感じもありそうですね。

「桜」に関連がありそうなクラシック音楽というと、ハワード・ハンソンの交響曲第5番「シンフォニア・サクラ」というタイトルを
初めて耳にした時、「日本の桜となにか関連があるのかな・・?」と思ったのですけど、実は全然関係が無くて、
この交響曲は宗教的な色彩が濃厚な曲であったりもします。
桜にまつわる吹奏楽作品というと色々とあったりもします。
少しばかり挙げさせて頂きますと・・

1.福島弘和 / 桜華幻想

福島弘和というと、ラッキードラゴン 〜第五福竜丸の記憶 や吹奏楽コンクール課題曲の稲穂の波や道祖神の詩でも
既に馴染み深い方だと思います。
そしてこの桜華幻想は、2005年3月に群馬県立前橋東高校の委嘱を受けて作曲されました。
「和風な曲」という委嘱に当たってのリクエストがあったそうで、この和風から「桜」をイメージしてこの曲を作られたとの事です。
作曲当初は桜そのものを表現するつもりだったそうですが、桜を眺める人の心を描いてみようという意図も加わったとの
事です。

「花開く桜の姿が生きる力を呼び起こす」と作曲者は述べられていますけど、この「生きる力」というのは、
桜がひらひら散っているイメージの序奏から力強いテーマが続いていくことからも窺えると思います。

この曲は前橋東高校も吹奏楽コンクールの自由曲として演奏し西関東大会にも出場していますし、既にたくさんのチームが
この曲を自由曲として演奏しています。
2018年末時点で桜華幻想を自由曲にしての全国大会出場チームはありませんので、今後が楽しみでもあります。

2.A.リード / 交響曲第5番「さくら」

洗足学園大学創立70周年記念委嘱作品で、1995年に浜松で開催された第7回世界吹奏楽大会で初演されています。

3楽章からなる交響曲で、第2楽章では日本の童謡とも言える「さくら、さくら」の旋律がゆったりと情緒たっぷりに
展開されていきます。

この交響曲はリード自身が洗足学園大学を指揮した自作自演CDにも収録されていて、他の収録曲としては
アルメニアンダンスパートⅠとミュージックメーカーズが見事な演奏を聴かせてくれています。

リードの組曲は、第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」・第三組曲「バレエの情景・第四組曲「シティ・オブ・ミュージック」・
第五組曲「インターナショナル・ダンス」などは演奏頻度も高く、馴染み深い感じはあるのですけど、
リードの交響曲は、計5曲作曲されているもののいずれも組曲ほどの認知度と人気は無いような印象もあります。
リードの交響曲の最大の特徴はどのシンフォニーも基本的には三楽章構成で、例えば交響曲第2番のように12音技法を
曲に取り入れている事もあったりして、組曲や序曲のような誰が聴いてもわかりやすいという感じではなくて、
むしろかなりシリアスさを感じさせてくれていると思います。
私的にはこの5曲の交響曲の中で特に技術的に巧みと感じられるのは交響曲第3番だと思います。
緊張感に溢れる第一楽章と楽しさ満開で映画音楽っぽくもある第三楽章に挟まれた第二楽章は、
ワーグナーの「ポラッツィの主題」に基づいた変奏曲と題されてもいますけど終始ゆったりとした響きになっています。
1989年の東北大会でダメ金になった秋田南高校の自由曲はリードの「パルシファルヴァリエーション」とプログラムでは
表記されているようですけど、このパルシファルヴァリエーションというのは交響曲第3番第二楽章の事なのでしょうか・・?
秋田南の1989年の演奏は私も一度も聴いたことが無いもので、その点は未確認です。
誰かそのあたりをご存知の方がいらっしゃれば教えて頂ければ幸いです。

3.さくらのうた(2012年全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅰ)

2012年の全国大会の高校の部において「さくらのうた」を課題曲に選んだチームは習志野高校だけであり、
全部門としてもこの「さくらのうた」を課題曲に選んだチームはわずか7チームに留まっています。
課題曲としては珍しい終始ゆったりとしたテンポの上に、わかりやすいハーモニーが展開されるという事で
ポロが出やすいし、この年は他に課題曲として演奏効果が出しやすい曲が多かったという事が
不人気だったような理由になっている気感じがあります。

作曲者の福田洋介は2004年の課題曲Ⅰ吹奏楽のための「風之舞」でも有名ですけど、この年はちょっと不遇でした。

この「さくらのうた」から感じ取れるのは桜の華やかさだけでなく、桜の散り際の儚さもかなり伝わってきていると思います。

他に吹奏楽作品で「桜」がモチーフとなっている作品として、

中橋愛生/閾下の桜樹~吹奏楽のための

高昌帥/桜花の光跡

天野正道/花の香 桜~桂花~薔薇が挙げられますけど、上記の三曲は私的にはあまりピンと心にくる曲ではないので、
今回は割愛させて頂きたいと思います。

最後に余談ですけど、リードの交響曲第5番「さくら」~第二楽章では「さくら、さくら」のメロディーが朗々と響き渡りますけど、
この「さくら、さくら」の旋律を課題曲として執拗に引用した曲も実はあったりもします。
上記で2012年の課題曲Ⅰ/ さくらのうたは不人気課題曲と記しましたけど、7チームも全国で選曲してくれるチームがあったのは
幸いなのだと思います。
だけど中には吹奏楽コンクールの全国大会において全部門を通して1チームも演奏されることが無かった曲も実は
あったりもします。
しかもこの課題曲は「さくら、さくら」がかなり執拗に引用され、曲の中に手拍子も入っていたりもします。

長い吹奏楽コンクールの歴史の中で「これぞ最大かつ究極の不人気課題曲」といえるのが
1978年の課題曲B/カントです。

1978年の課題曲は、極端に課題曲Aにばかり人気が集中する結果になってしまいました。
吹奏楽連盟は、当時の吹奏楽オリジナル曲としてはかなりの人気を誇っていたジェイガーとマクベスという
二人の巨匠に吹奏楽コンクール課題曲を委嘱したものの、その結果は、
なんと、マクベスの課題曲B/カントは、全国大会で演奏したチームは全部門を通して0チームという結果になってしまい、
「歴史に残る人気の無い課題曲」となってしまいました! (汗・・!)
支部予選でもカントはほとんど演奏されませんでしたし、
聴いていても「さくら、さくら」がやたら引用される何を言いたのかさっぱり分からん曲・・・という感じでしたから
人気が無いのは仕方が無かったですね・・・・
当時の吹奏楽連盟としては、
「マクベスという大先生に恥をかかせてしまった!」みたいな「やっちまった感」はかなりあったのかもしれないですね。

この年の高校の部は、22団体中、実に18チームがこの「ジュビラーテ」を選んでいました!

あまりにもAのジュビラーテに人気が集中し過ぎるせいで
A以外の課題曲Cとか課題曲D/行進曲「砂丘の曙」を選ぶチームも少なくとても気の毒な感じもしました。
課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、もしも他の年ならばもう少し取り上げるチームも増えただろう事を考えると
勿体無い気はいまだに感じたりもします。

ちなみにですけど、1978年の全国大会にはジェイガーとマクベスも招待されていたと聞いたことがありますが、
ジェイガーは「してやった顔!」という感じで、
マクベスは「ジェイガーにこんなにも差を付けられてしまった・・」みたいな不本意感はあったのかもしれないですね・・
今年は昨年に比べるととても暖かいので大変助かっています。
通勤の際もコート・オーバーを着る事も少なくなっている感じがしますし、南浦和界隈のJKの皆様たちの通学姿を見ても、
制服の上にマフラーやコートを身に付けているJKさんも減りつつあるように感じられます。
季節はもしかしたら既に春に入っているのかもしれないですし、東方式に表現すると春告精のリリーホワイトは既に
到来してきているのかもしれないです。

季節が春になってくると自然と脳裏をかすめる曲が幾つかありますけど、その一つがマーチ・エイプリル・メイだと思います。
この楽しい行進曲は、1993年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲Ⅳでした。
当初は全然気が付かなかったのですけど(汗・・!)この曲のタイトルは、「行進曲」としてのマーチと
「3月」としてのマーチの二つを掛けているというか、何か洒落っ気のあるネーミングだったのですね~
タイトル通り、3月~5月の何か春らしいウキウキした感じがよく出ていて、3分半程度の曲なのですけど、
非常に洗練されていて、楽しく明るく、生き生きとして躍動感がある行進曲なので大好きなコンクール課題曲の一つです。
この課題曲が吹奏楽コンクールとして演奏されてた時は、既に現役奏者を引退済ではありましたけど、
こんな楽しい課題曲は是非演奏してみたかったものです!
(こうしたすてきな春をイメージさせる吹奏楽コンクール課題曲は他には、1995年の「スプリングマーチ」と
1997年の「五月の風」が大変印象的です!)

1993年の吹奏楽コンクール全国大会・高校の部は、ⅡとⅣに課題曲の人気が集中し、
ⅠとⅢを演奏するチームは極めて少なかったですね。
Ⅰは基町のみ、Ⅲは埼玉栄と東海大学第四のみだったと思いますが、
Ⅰが人気薄と言うのは何となくわかるのですけど 、Ⅲ/潮煙が意外と人気が無かったのは少し意外な感じもしたものでした。
1993年の関東大会で常総学院がこの潮煙を課題曲に選び、自由曲の交響詩「魔法使いの弟子」も私的には
関東代表としては一抜けの好演と感じていただけに当時の審査発表を生で聴いていて、常総学院がダメ金と分かった時は
「納得いかない~」と感じたものですし、
「あんなスカスカ外しまくりの市立柏が代表になるよりは常総学院の方が全然代表に相応しいじゃん!」と
文句ぶーたれていたものですけど、審査結果というものは昔も今も水物なのだと思います。
だけど出来れば常総学院の潮煙は是非普門館でもお披露目して欲しかったと今でも思っていたりもします。

この年の課題曲Ⅳ/マーチ「エイプリル・メイ」が実に楽しい曲で 、技術的に平易ながらも演奏効果が非常に高いという
コンクール課題曲としては大変お手頃な曲でしたし、
課題曲Ⅱ/スターパズルマーチも、「きらきら星」という誰もが知っている曲を引用していますので
ⅡとⅣの人気が高いのは「全く同感」という感じなのかもしれないです。
課題曲Ⅰ/ ターンブルマーチも正攻法の正統派の王道的マーチと言えますし、あの音楽的構成美は素晴らしいとも
思うのですけど、人気が今一つと言うのも少し勿体ない感じはあります。
ターンブルマーチは、1993年に花輪高校から秋田南高校に異動された小林先生も秋田南の一年目で
課題曲として選ばれていましたけど、演奏は小林先生らしい解釈を随所に見せながらも正攻法のマーチというスタイルが
大変印象的でしたし、93年の秋田南がダメ金で終わり普門館であの課題曲Ⅰをお披露目できなかったのは
常総学院同様少し残念ではありました。
課題曲Ⅲ/潮煙は、技術的には相当難易度が高く、 トランペット(コルネット)のソロがかなり難しいという感じもありましたし、
粋な感じと楽しさを「楽に聴かせる」というのが意外と難しく あたりが高校の部で少し敬遠された理由なのかもしれないです。
潮煙を選んだ職場の部のNTT中国も中学の部の袋原中もトランペットが外しまくって、両チームとも銅賞に留まっていたのは
自由曲がよかっただけに大変惜しまれるものがありました。

冒頭から話がそれました・・

スターパズルマーチは1993年の課題曲Ⅱなのですけど、
この曲は全日本吹奏楽コンクール課題曲の公募によって作曲された楽曲です。
小長谷さんの課題曲と言うと1989年の「風と炎の踊り」もあるのですけど、この曲が実はそんなに好きではない私にとっては
小長谷さんの吹奏楽コンクール課題曲というとむしろスターパズルマーチの方が大変印象的であったりもします。
どらちかというと作曲家・アレンジャーという印象が強い先生でもあるのですけど、一時期吹奏楽コンクールにも指揮者として
出場され、特に1981~82年の亜細亜大学の超名演は未だに色褪せるものはないとすら思います。
84年以降は吹奏楽コンクールから遠ざかられているのは、もしかしたら82年の大学の部金賞ゼロ事件にどこか
引っかかるものがあったのかもしれないです。
(1982年の亜細亜大学のサンライズマーチとボロディンの2番に銀賞という採点を付ける審査員の耳がどうかしているとしか
私も思えないですし、一旦銀賞として審査結果を出しているのに後日金賞と評価し直しているのは、
吹奏楽コンクール史上の一つの汚点とも言えそうです・・)

吹奏楽コンクールの長い歴史にとって一つの分岐点だったのがこの年、1993年だったと思います。
この年で何が変わったかと言うと一番大きいの、課題曲だと思います。
西暦で言うと奇数年がマーチの課題曲の年、偶数年がマーチ以外の書下ろし曲の年という事になり、
1993年はその結果として課題曲が4曲ともマーチになりました。
吹奏楽のある意味ひとつの基本はマーチだと思います。
全体的傾向として関吹奏楽の名門チームほどマーチを取上げず、難しい曲ばかり取り上げる傾向がありましたけど、
(特に関東はそうした傾向が強かったですね~)
吹奏楽連盟としては「基本・原点に回帰してみよう」という意図があったのかもしれないですね。

私的には、何となくですけど奇数年のマーチの年はコンクールを聴きに行きたくなるけど、
偶数年の時は足を運ぶのが億劫になるといった傾向が当時の私にはあったような気がしますね。
というのも、翌年の最初のマーチ以外の課題曲の中に「饗応夫人」というあの伝説のウルトラ難解な課題曲を
延々と聴かされ続け、更には私の本当に大嫌いな課題曲の「雲のコラージュ」も相当な数の聴かされる羽目になってしまい、
私が大好きでたまらない「ベリーを摘んだらダンスにしよう」を選ぶチームがあまりなかったという
トラウマがあったのかもしれないです。
それとこの年以降の変更点として挙げられるのは、従来までは5年連続・全国大会金賞の場合は翌年の全国大会は
「特別演奏でお休み」という規定でしたけど、
この年以降は「3年連続・全国大会金賞」の場合は特別演奏が廃止になり単にお休みだけという規定に変更になりました。
この規定は後に「三年連続全国大会出場の場合は、翌年は休み」という規定に改正され
学校によっては全国大会出場という素晴らしい経験が出来ないまま卒業を余儀なくされるという事もかなり多かったという
話は当時よく耳にしたものですし、あまりにも不満が強かったせいかこの規定は後日撤廃されることになります。
結果的に栄誉ある「特別演奏」は、1995年の札幌白石高校が最後という事になります。
(習志野・弘前南・秋田南のあの素晴らしい特別演奏を聴いたことがある私にとっては寂しい話でもあったりします・・泣)

そんな訳で1993年の吹奏楽コンクールの課題曲はマーチばかりでしたけど、
私的にはいっちば~ん!大好きな課題曲はⅣのマーチ「エイプリル・メイ」でした~!
もしも私がこの当時スクールバンドの指揮者をしていたと仮定したら、選曲していたのは間違いなくⅣだと思います。
そしてコンクールとしては予想通りⅡとⅣに人気が集中し、Ⅰはほとんど演奏されていなかったのは
少し気の毒のものがあったと思います。
Ⅲの潮煙はノリがたいへんよくて素晴らしい名曲だと思うのですけど、トランペットのソロがあまりにも難しいと言う事で
どちらかというと敬遠気味であったのは大変惜しまれるものがあったと思います。

課題曲Ⅱ / スターパズルマーチは、「きらきら星」のメロディをテーマにしたマーチですが、
ところどころに「星」にちなんだメロディがパズルのように混ぜ込まれているのが曲名の由来にもなっているようですね。
それではきらきら星以外でどんな曲が引用されていたのかと言うと、

〇星に願いを
〇星は何でも知っている
〇組曲「惑星」~Ⅰ.火星
〇スターウォーズ
〇Moon River
〇星のフラメンコ
〇7人の刑事

ちなみに「7人の刑事」は、星と刑事ドラマの犯人(ホシ)を画けている掛けているそうです。
これも小長谷先生らしい洒落っ気ですね・・(笑)

「きらきら星」という歌は、日本では童謡としてすっかりお馴染み&定番になっているメロディーだと思いますけど、
あれに出てくる歌詞は、実は原曲の歌詞とは似ても似つかぬものであったりもします。
ちなみに原曲はフランスのシャンソンです。

一般的な日本で歌われている歌詞は・・・

 きらきらひかる おそらのほしよ
 まばたきしては みんなをみてる
 きらきらひかる おそらのほしよ

 きらきらひかる おそらのほしよ
 みんなのうたが とどくといいな
 きらきらひかる おそらのほしよ

という歌詞が比較的ポピュラーだと思うのですけど、原曲の歌詞を訳したものだとどうなるかと言うと・・・・

 ああ、話したいのママ
 私の悩みのわけを
 パパは私にもっと大人らしく
 分別を持って欲しいみたいだけど
 そんなのよりキャンディの方がよっぽどいいわ

なんだか少しばかり大人っぽい歌詞になってしまい、一般的に日本で歌われている牧歌的な雰囲気とは少しばかり
異なっているようにも感じられますね~

スターパズルマーチは冒頭の金管セクションによる壮大なファンファーレ、打楽器のみのフレーズを経た後に
きらきら星のメロディーが華麗に登場し様々な形で変奏されていきます。
そしてきらきら星をメインにしながらも上記で書いた通り、星にまつわる曲の断片らしきものが散りばめられています。
吹奏楽コンクールの課題曲ってたまにですけど、こうやって誰しもが知っていそうなメロディーラインを執拗に引用した
曲も幾つかあったりします。

そのいい例が・・・

1978年課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」→かぞえ唄を終始引用

1979年課題曲C/幻想曲「幼い日の思い出」→ずいずいずっころばしを執拗に引用

1980年課題曲C/北海の大漁歌→ソーラン節を終始引用

あたりなのかな・・?

マーチでこうした執拗な引用というものは決して多い事例ではないので、当時は結構驚いたものです。
曲としても単なる引用に終わらず、随所に工夫がされていてとっても完成度が高い素晴らしい課題曲だったと思います。
作曲者の小長谷先生はBJのインタビュー記事の中で
「あの課題曲には、実はとある有名な音楽のメロディーも盛り込んであるけど、あれはそのものズバリの引用では
ないからわかるかな・・?」みたいな事を述べられていたような記憶があるのですけど、
それも小長谷先生としての茶目っ気みたいなものがあったと思いますね~

全国大会ではかなりのチームがこの課題曲を演奏していましたけど、特に印象深いのは新屋高校でした!

新屋高校のスターパズルマーチは、他校とは明らかに違う表現がありました。

それは冒頭の金管のファンファーレの後の展開で、小太鼓はじめ打楽器セクションのみの部分でして、
ほとんどのチームは、楽譜通りリズムを切って演奏しているのに、新屋高校はなぜか小太鼓のリズムを連続して叩かせていて
聴いていて「楽譜と違う事しているのかな・・?」と感じたのですけど、面白い表現と感じたものです。
全般的に音が明るく大変シャープな切れを見せているので、とてもスピード感に溢れた課題曲でしたし、
自由曲の「ペトルーシュカ」の粗っぽいロシアの野性味の表現と合わせて大変素晴らしい演奏をされていたと思います!
吹奏楽コンクールの課題曲が全部門共通で4~5曲の中から一曲を選択するというスタイルが完全に確立されたのは
1978年以降の話でして、1977年は現在のスタイルが確立される一年前の課題曲ということになると思います。
1977年は少し変則スタイルとなっていて、
中学の部→ドリアンラプソディー 高校の部以上→バーレスク 全部門共通→ディスコ・キッドとなっています。
※課題曲Dの「若人の心」は小編成部門ですのでここでは割愛します

この年の課題曲は、実によく出来ていると思います。
ドリアンラプソディーは大変不思議な感覚の曲ですし、妙な哀愁感もありますしお茶目な部分もあったりします。
私の高校の定期演奏会において、私が卒業した3年後になぜかこの曲を演奏していましたが、
改めて聴いても「不思議」としかいいようがない曲だったと思います。
1977年の中学の部というとほとんどの皆様は、今津中の「運命の力」序曲という大変な歴史的超名演を推される方は
多いと思いますし、私もそれに関しては全く異存はないのですけど、それにしてもあの金管セクションの響きは、
とてもじゃないけど公立学校の中学生の演奏とは到底信じられないハイレヴェルのものがありますし、
指揮者の得津先生としては前年度のマイスタージンガーの銅賞がよほど口惜しかったと言えるのかもしれないですね。
(76年の演奏はよく音量過剰と批判を受けていますけど、私的には同じ自由曲の73年の演奏とほぼ近いものがあると
感じていますし、人が言うほど76年の今津がそんなに汚い音の音量過剰とは感じられないです・・)
そして今津も素晴らしいのですけど、それと同じくらいの素晴らしい名演で特に課題曲のドリアンラプソディーの演奏が
この年の中学の部の最高のドリアンラプソディーといえるのが三木中なのだと思います。
三木中は自由曲の「天地創造」~ノアの箱舟・メインテーマも音楽が大変自由自在で、あののびのびとした高揚感は
いつ聴いてもうっとりとさせられるものはあると思います。
そしてポップス系課題曲のひとつの大きな頂点とも言える記念碑的な名曲が課題曲Cの「ディスコ・キッド」なのだと思います!
ディスコ・キッドはいま改めて聴くと本当に奇跡のような課題曲だと思いますし、こんなにもポップスの香りがバリバリの
楽しさあふれるこの曲は何度聴いても全く飽きることは無いと思いますし、あの佐渡裕さんが何度も取り上げているのは
この曲の普遍的名曲を立証しているのだと感じます。
とにかくこの曲を課題曲に選んだ当時の吹連の勇気と見識の高さに敬意を表したいと思います。

冒頭から話が思いっきりそれました・・(汗)

1977年の高校・大学・職場・一般の部の課題曲がBの大栗裕作曲の「吹奏楽のためのバーレスク」です。

バーレスクというのはフランス語で、本来の意味としては、とある作品に対する風刺・カリカチュア・パロディーと
言えると思います。19世紀のアメリカにおいてはキャバレーのストリップショーといった意味合いもあるそうです。
大栗裕はこの課題曲を作曲当時において、
「バーレスクというタイトルや風刺という意味にそれほどこだわらずに曲の根底にある土俗的な匂いを表現してほしい」という事を
述べられていたと思いますけど、私自身が最初に大栗裕の「仮面幻想」と「巫女の謳えるうた」を聴いた時の印象が
「なんだか77年の課題曲のバーレスクの世界観に近いものがあるのかも・・」と感じたものですが、
土俗的な雰囲気という意味においては、私のそうした感想もあながちとんちんかんなものではなかったと思います。
あ・・、ちなみに「仮面幻想」については最近の吹奏楽カテゴリ記事でも書かせて頂きましたので、仮面幻想について
興味がある方はその記事をご覧頂ければ幸いです。

大栗裕の作品は「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸物語による」・「大阪俗謡による幻想曲」などに
代表されるとおり、土俗的な日本の香りとかおぞましさ、ドロドロとした怨念とかおどろおどろしい土の香りを
感じさせる作曲家なのかもしれないです。
吹奏楽のためのバーレスクはもしかしたら日本人にしかわからないリズムと感性の曲なのかもしれないです。
おぞましいのだけど、舞踏の感覚というのか神社の奉納音楽のようにも聴こえますし、仮面劇のBGMのようにも
聴こえたりもします。
おどろおどろしさの中にもどことなくユーモラスな側面と土俗的なねばっこさも持ち合わせているような気がしますし、
それを3分半程度の短い曲の中に凝縮した作品が、この「吹奏楽のためのバーレスク」という吹奏楽コンクールの課題曲だけと
いう評価に留めておくにはあまりにももったいない作品なのだと思います。

実際このバーレスクは、2008年の全国大会・中学の部で西関東代表の芝東中学校が自由曲として
取り上げていた事もあったりします。
吹奏楽コンクールの課題曲は「コンクールが終わると二度と譜面を見たくもないし聴きたくもない」といわれたりもしますけど、
たとえばこのバーレスクとか88年の三善晃の「吹奏楽のための深層の祭り」とか87年の保科洋の「風紋」とか
76年の後藤洋の「即興曲」とか大栗裕の「吹奏楽のための小狂詩曲」などのように吹奏楽コンクールの課題曲が
その後自由曲として演奏される事例も稀にですけどあったりしますが、それはやはりその課題曲の時代を超えた名曲と
いうことになるのかもしれないです。

2008年の川口市立芝東中学校は、私の住んでいる川口市内の学校でもありますので、当時の全国大会出場は
私自身もとってもうれしいものがありました。
演奏も31人編成という小編成ということで、
編成が少ない分、1人1人の責任は重くなりますけど、各奏者が積極的に表現しようとする意図は十分に感じられたと
思います。
バーレスクは77年に多くのチームが演奏した際の演奏時間は概ね3分半~長くても4分以内だっと思いますが、
芝東中の演奏は約5分ぐらいのもので、ひとつの曲をじっくりと丁寧に濃密に表現しようとする意図も十分に
伝わっていたと思います。
1993年前後の関東大会、中学校B部門において、新潟県代表のチームが1986年の課題曲A/吹奏楽のための変容を
原曲の演奏時間は3分半程度ですけど、関東大会の演奏ではとにかくひっぱるひっぱるひっぱる・・という感じで
テンポルバート・音のための曲解とも言えそうなほどの大胆な解釈はとても新鮮で感動的なものがありました。
審査結果は銀賞でしたけどあの演奏の価値は金賞以上のものがあったとすら感じています。

とにかく過去の吹奏楽コンクール課題曲には今現在は埋もれているけど、素晴らしい名曲も実はたくさんあるという
事なのだと思います。

1977年当時のこの課題曲の名演はたくさんあると思います。

私的には秋田南高校を推したいのですけど(どうしても自由曲の「春の祭典」の印象が強いのですよね~!)
新鮮な感覚という観点では、弘前南を推したいと思います。
この学校は、この年が全国初出場なのですが、それを全く感じさせない生き生きとした演奏です。
自由曲の「エル・サロン・メヒコ」も今聴くと結構荒っぽい演奏ですけど、演奏が実に初々しい感覚に溢れていますし、
聴いていてとても楽しいと思います。
弘前南は、結果的に初出場のこの年で初金賞を受賞し5年間金賞を取り続け、1982年に特別演奏を披露しています。
そして、この特別演奏の後は全国には一度も出場していません。
つまり、全国での演奏の全てが金賞という珍しいチームなのです。
当初は女性指揮者が3年間振っていましたが、4年目のドリーから男性指揮者に交代となったものの
五年連続金賞の中で指揮者が交代した事例はレアなケースだと思います。
(他には、天理高校と1984~88年の神奈川大くらいかな・・・)

バーレスクの演奏に限って話をすると、おどろおどろしい演奏になりがちなこの曲を弘前南高校が演奏すると
道化とか仮面の遊びみたいなお茶目さを感じさせてくれていると思います。
秋田南高校のバーレスクは、聴き方によっては「固い」と思わせるほど端正で理性的で正攻法で真面目な演奏です。
対照的に自由曲の「春の祭典」は、大胆不敵で豪快で自由自在さは際立っていました!

最後にもうひとつ・・

首里高校の演奏も素晴らしかったです!

バーレスクは、ともすると単調な演奏になりがちで不気味な要素を前面に出しがちの傾向が多かったようにも
感じるのですけど、首里高はむしろこの点をかなり「カラっ!!」と明るい感じにうまくまとめていて、
私としてはこうした不気味でおどろおどろしくないこうした「仮面の踊り」も大いにありだと思います。
自由曲のワーグナーの楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲も
朗々とたっぷりと歌い上げているという感じで、「ワーグナーの歌心」というか「陶酔感」をしみじみと感じたものです。
74年もそうでしたけど77年の演奏も、木管を主体にして構成し、「たっぷりと歌いあげる事」に主眼を置いていて、
聴いていて「とにかく気持ちいいほどたっぷりと歌いこんでいるな・・・」という印象が大変強いです。
ただ一つ難点を言うと、原曲よりキーを下げての編曲とクラリネットセクションのまるで鶏の首をひねるような
つんざくような高音のヒステリーっぽい響きが少し感じられたのは惜しいと思いましたが、審査結果は銀賞だけど
私的には金賞の評価に近いものがあると感じています。

吹奏楽のためのバーレスクは大栗裕という関西の作曲家の作品なのですけど、今現在も傾向として
例えば「大阪俗謡による幻想曲」は淀川工科をはじめどちららかというと西日本のチームの方が「土着の血が騒ぐ」
みたいな感じで共感性の強い名演が多いように感じられるのですけど、
吹奏楽のためのバーレスクに関しては、高校の部に関しては大栗裕の地元に近い西日本のチームよりは、
関東・東北のチームの方がより共感度の強い思い入れのある演奏を聴く事ができたのは意外だけど興味深いものは
感じたものでした。
吹奏楽コンクールの課題曲を語る上で、これはあくまで私自身の感想ですけど1994~96年の3年間は
私にとって苦手と言うのか大嫌いな課題曲がその年の一番人気と言う事でもあり、この3年間は聴くのが少しばかり
しんどい感じもあったものでした。
94年の課題曲はⅣの「雲のコラージュ」がなぜか大嫌いというのも、櫛田さんの他の曲・・例えば飛鳥・火の伝説・コラージュ等は
大好きなのになぜかこの曲だけとは相性が悪かったです。
そして長い吹奏楽コンクール上、多分ですけど私が最も苦手で大嫌いな曲というと1996年の課題曲Ⅴの交響的譚詩が
ありますけど、とにかくこの課題曲は聴くだけで虫唾が走るほど生理的に受け入れらない曲で、
このブログの吹奏楽コンクール語りにおいて1996年の話が全く出てこないのはそれがほぼ全ての理由なのだと思います。
96年の吹奏楽コンクールというと愛工大名電の松井郁夫先生がご勇退される最後の年の演奏でしたけど、
あの「ローマの祭り」の一歩間違えると演奏が破綻という大変スリリングな演奏が大変印象的でしたし、
常総学院の自由曲の三善晃の交響三章~第三楽章の緻密で内省的なサウンドが圧巻でしたし、
淀川工業(現・淀川工科)の自由曲がスペイン狂詩曲~祭りというフランスものの大変洗練された曲と言う事で
「あの淀工がこんな繊細な曲を演奏するなんて・・」と当時はびっくりしたものでしたけど、まさかあれから何度も
スペイン狂詩曲を自由曲に選び続けることは予想外でしたし、まさかまさか・・2005年以降の自由曲が
大阪俗謡による幻想曲とダフニスとクロエ第二組曲以外は選ばないなんて、毎年のように違った自由曲を
選ぶ他校から見ると「そんなの反則じゃん!」という事態が起こり続けるなんて想定外もいいところでした。
あれってもちろん規定違反ではないのですけど、他校からすると「淀工ぐらい実績がある学校がそうまでして
金賞取り続けたいの~?」とか「道義的にはちょっとおかしい・・」と感じずにはいられないですし、
「丸谷先生にはあの二曲以外を演奏するというチャレンジ精神すらも残っていないの・・」と感じずにはいられないです。
ま・・もちろん、一つの曲をとことん深く掘り下げたいとか生徒さんが俗謡やりたい!と言っているからなど理由は
色々とあるのかもしれないですので部外者の私がこんな事言う事自体とても失礼な話なのかもしれないです。

冒頭から話がそれました・・(汗)

とにかく1996年の課題曲は交響的譚詩もそうですし、Ⅰのソナタ、Ⅱの般若も苦手な曲でしたので、
96年の吹奏楽コンクールは多分最初で最後だと思うのですけどありえないぐらい聴くこと自体が苦痛と言う印象が
大変強かったです。
そして実はなのですけど1996年の高校の部は実は全チーム聴いていなくて、後半のプログラム10番あたりで
途中退席してしまうという私にとっては前代未聞の年でもありました。
それほどまで交響的譚詩が大嫌いだったという事なのだと思います。
コンクールを最後まで聴かなかったというのは、今の所後にも先にもこの年の高校の部だけです・・

交響譚詩とまではいかなくても、1995年の課題曲ⅠのラメセスII世もどちらかというと苦手な部類の課題曲でした。
もっとも95年はオールマーチの年でしたので、どの課題曲も演奏時間が3分程度のものでしたし、基本はマーチですので、
途中退席とまではさすがにいかなくても、高校の部は課題曲Ⅰに極端に人気が集中してしまっていたので、
一日普門館で聴き続けるのはさすがに結構大変でした。
(その点、例えば1986年・1987年・1990年・1992年・1993年・1997年・1998年・2000年などのように素晴らしい課題曲が
揃っているとコンクール自体を心の底から楽しめるという側面もあるのかもしれないです)

1995年はマーチの年の2年目でしたけど、傾向としてはⅠのラメセスII世は高校の部で大人気で、
Ⅰ以外のマーチを選ぶチームが極端に少なかったのはとても勿体ない感じもしたものでした。
反面翌日の中学の部では、中学生にとってあの課題曲Ⅰは技術的にも体力的に大変という事情があるせいなのか、
Ⅱ~Ⅳも高校の部よりは演奏されていたという印象もあり、私としてはこの年の吹奏楽コンクールは中学の部の方が
聴きやすかったとすら感じています。 

1995年の課題曲Ⅲ / 第1行進曲「ジャンダルム」は私も大好きな課題曲で、高校の部でかなりの頻度で演奏されていた
ラメセスII世ではなくて、このジャンダルムや最近の記事でも取り上げさせて頂きましたスプリング・マーチが演奏されると
どことなくホッ・・とするものはあったと思います。
ただこの第1行進曲「ジャンダルム」は高校の部ではわずか2チームしか演奏されていなかったのは少し勿体なかった
ですけど、翌日の中学の部では第1行進曲「ジャンダルム」はなんと計10チームが演奏してくれていて、
とても嬉しかった事を今でもよく覚えています。

1995年全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅲ / 第1行進曲「ジャンダルム」ですけど、
タイトルのジャンダルムとはフランス語で衛兵を意味し、登山家の間では飛騨山脈(北アルプス)穂高連峰・奥穂高岳の
西南西にあるドーム型の岩稜を意味するそうです。
このマーチは山登りをイメージした曲なので意味としては後の方の意味ですけど、普通の「歩く行進曲」とは
明らかに一線を画していますし、そうかといってコンサートマーチという感じでもないし、
マーチとしてはかなり変わった曲と言うのは間違いではないと感じます。
場面展開の多い曲でメロディーラインが結構唐突に変ってしまうという変化の要素は十分感じたりもします。
グレイド的にはそれ程難しいマーチではないと思いますし、例えば後年の「あの丘を越えて」等の技術的に難解なマーチに
比べると奏者としては楽な面はありそうですけど、全体を統括する指揮者にとっては、
親しみやすいメロディーライン・少しだけ哀しそうなメロディー・楽しそうなメロディー・達成感をイメージさせるようなメロディーと
次から次へと複数の表情が変化していきますので、振る方としては決して楽な曲ではないのかもしれないです。
私の勝手な印象としては、音楽教育用マーチという感じもあり、なんとなくですけど吹奏楽をはじめて間もない人たちに対して
「音楽とはこういう構成をしているのだよ~、これが主旋律でここが伴奏・・」というような事を分かりやすく
伝えているような感じもあったりしますし、こうした要素がもしかしたら、この年の全国大会・中学の部で課題曲Ⅲが
大人気だった要因でもあるような感じもします。

第1行進曲「ジャンダルム」は冒頭からして少し変わっていてクラリネットセクションによる弱奏でのメロディーラインが
提示されここにトランペットが加わっていきます。ここから全体がかなり盛り上がっていくのですけど、
この間に叩かれるタンバリンの響きが色彩的にはとてもすてきな仕事をしていると感じます。
そして曲自体は盛り上がりと弱奏、クレッシェンドとデクレッシェンドが交錯していき、
静かな雰囲気・哀愁・達成感といった山登りの間に感じる多くの感情を音楽として表現しているようにも感じられます。
この間の小鳥のさえずりを思わせるフルートの刻みも大変印象的です。
そしてラストは頂上到達の高揚感と達成感をイメージするかのごとく、音楽は壮大なクライマックスをむかえ、
ラストはティンパニの和音の叩きつけも加わり華々しく曲が閉じられていきます。

この課題曲は全国大会においてはなんとなくですけど、高校・大学・一般の部での演奏よりは、中学・職場の部で
すてきな演奏が多かったような印象もあったりもします。
その中では高校の部では、村松先生ご勇退の年でもあり1990年以来久しぶりの普門館ともなっていた就実高校の
とてもかわいらしいチャーミングな演奏はとてもよかったと思います。
自由曲のキューバ序曲も圧巻の雰囲気づくりと音楽構成で、審査結果発表で「どうしてあの演奏が銀なの~!?」と
ブーたれていたものです。
大学の部では中央大学の巧さが光っていました。
そして職場の部ではヤマハ浜松とNEC玉川の丁寧な音楽づくりがとても好感を感じたものでした。

だけどジャンダルムの演奏として私の中で全部門を通して最高の演奏といえるのが辰口中学校ではないのかな~と
感じたりもします。
辰口中学校の演奏はとてもキビキビ生き生きと音楽が躍動していて、指揮者も奏者一人一人がのびのびと楽しんで
演奏しているのがよく伝わっていましたし、冒頭のクラリネットもギクシャクする事も無くすんなりとトランペットへの展開に
繋がっていましたし、ラスト近くの高揚感の表現も実に自然でよかったと思います。
そして自由曲のサン・サーンスの組曲「動物の謝肉祭」もとてもよかったですね~!!

この「動物の謝肉祭」は後藤洋(カンティレーナやカドリーユの課題曲作曲者でもあります・・)によって吹奏楽に
アレンジもされていて、確かに賛否両論ありそうなアレンジだと思うのですけども
私は見事な編曲だと思いますし、吹奏楽の「新しい可能性」を示唆したようなアレンジのようにも感じられます。
原曲には金管楽器は一切登場しませんし、オーボエ・ファゴットも原曲にはありませんし、
打楽器もシロフォンのみしか使用されていませんし、何よりもあの曲のメインは2台のピアノでもありますので
相当苦労したのかもしれないですけど、あの斬新なアィディアはお見事!の一言に尽きると思いますし、後藤洋の意図を
素晴らしく音楽として立派に表現されていた辰口中学校の当時の奏者の皆様には敬意を表したい想いは
今でもあります。
動物の謝肉祭の最大の聴かせどころは原曲はチェロで奏でられる「白鳥」の美しい響きだと思うのですけど、
辰口中学校は白鳥を演奏しないで、前半に序奏とライオンや鳥かご等で楽しく聴かせ、後半に掛けて
化石の楽しくも少しグロテスクな響きを楽しんだ後に、一番最後に終曲を華麗に演奏していて、聴いていてとてつもなく
楽しく新鮮に感じたものでした。
化石が終わったと同時に突然チャイムがまるでのど自慢の鐘のようにキンコンカンコン壮麗に鳴り響き、
後藤洋のアレンジもかなり強引な展開は感じさせつつも、吹奏楽のアレンジの在り方について新しい可能性の
一石を投じていたようにも感じられます。

動物の謝肉祭の話が出てきましたので、最後に少しばかり動物の謝肉祭の原曲版について触れさせて頂きたいと思います。

サン・サーンスという作曲家は、クラシック音楽の作曲家のイメージとは異なりかなり長生きをされた御方でもあります。
サン・サーンスは若い頃の作品と晩年の作品にそれ程目立つ変化は感じられず
若い頃から晩年の作品まで終始フランス的な粋な感じ・優雅さ」をモットーにしたような感じもします。
サン・サーンスは、19世紀と20世紀の両世紀で活躍した方ですが、
晩年の頃は、ドビュッシーやラヴェルが活躍した時代も終焉を迎え、ミヨー・プーランク・オネゲルといった
新・6人組がフランス音楽界を席巻しようとした時代であり、ストラヴィンスキーも活躍の拠点を欧米に移し
それまでの原始主義を乗り越え新古典主義に移ろうとしていた、そんな環境下でも
頑なに「古き良き伝統」を固く死守したサン=サーンスの頑固一徹さには敬意を表したくなります。

そうしたサン=サーンスも中には可愛らしい作品もあったりしますし、その代表的作品が上記の
組曲「動物の謝肉祭」でもあり、かなりおふざけ要素もあったりもします。
そうした事情があるせいなのか、この曲だけは生前唯一作曲者自自身が出版を許可しなかったとのことです。

この「動物の謝肉祭」は下記の14曲から構成をされています。

1 .序奏と堂々たるライオンの行進
2 .雌鳥と雄鶏
3 .らば
4 .亀
5 .象
6 .カンガルー
7. 水族館
8 .耳の長い登場人物
9 .森の奥のかっこう
10 .大きな鳥籠
11 .ピアニスト
12 .化石
13 .白鳥
14. 終曲

編成は、ピアノ2台と弦5部、クラリネット・フルート・ピッコロ・シロフォーンのみに留まっていて
上記で書いた通り金管楽器・ティンパニ・オーボエ・ファゴット等は未登場です。
楽章の中でライオン・カッコー・ロバ・雌鶏・水族館の魚・象などの身近な動物がユーモラスに描かれています。
グラスハーモニカの入った幻想的なメロディーに、分散和音のピアノ伴奏が添えられている水族館も大変美しいですね~!
森の奥のかっこう はクラリネットがかっこうの鳴き声を模写しているのですけど、あれもとても涼しい雰囲気が伝わっていると
思います。
大きな鳥かごで用いられるフルードの響きも爽やかだと思います。
この組曲の中で特に際立っているのが、サン・サーンスの嫌味と言うか毒も加わっていると思うのですが、
カメとピアニストだと思います。

「カメ」は、オッフェンバックの「天国と地獄」のカンカン踊りの部分をわざとスローテンポにした
音楽で表現され、「自分から見ればオッフェンバックなんて作曲家はどん臭いカメみたいな存在だ」という事を
暗に仄めかしているようにも思われます。
この組曲で唯一「ヒト」が登場しますが、それが「ピアニスト」というのもサン・サーンスの嫌味みたいなものも感じたりもします。
ピアニストは練習曲らしい単調な旋律をつまらなそうに演奏するというのが演奏上の解釈と思われますけど、
解釈としては二通りあるようで、
一つは、つまらなそうに機械的に単調に弾く感じと、二つ目は
いかにも素人っぽく、わざと間違えたり、二人のピアノ奏者のタイミングを微妙にずらしたりするなど
「下手さ」をアピールする解釈なのだと思います。
私が持っているシャンドス盤のCDは(モントリオールミュージックみたいな演奏団体だったかな・・?)
明らかに後者のタイプで、これはその間違え方やずれ方が半端じゃない位面白く極めて印象に残っています。
ただ、生で聴く演奏会では前者の解釈が多いような気がします。
白鳥は一転して清楚な音楽です。この曲のメロディーは誰しも一度は聴いた事があるに違いないほど
かなり有名なメロディーです。
化石はシロフォーンが終始大活躍しますが、よく聴くとこの曲の主題は交響詩「死の舞踏」の転用ですね。
終曲は、全員大集合みたいなオールスターのような雰囲気で、盛大に盛り上がって曲は閉じられます。

それにしてもこうした変則的な管弦楽編成をあんなにも斬新で新鮮な感覚で吹奏楽アレンジ作品として表現する事も
可能だなんて、やっぱり音楽には素晴らしき無限の可能性があると言えるのは間違いないと思います!
最近の現役中学生や高校生で吹奏楽部に所属されている現役奏者の皆様に「オリヴァドーティやカーターという作曲家って
聞いたことありますか? または演奏したことがありますか?」という質問をしたとしても、
ほとんどの人は、「誰、それ?」というような扱いなのかもしれないですね。
私が現役奏者の頃は、奏者が25人足らずの小さな吹奏楽部や技術的にあまり上手くないメンバーが多いチームが
吹奏楽コンクールに出場しようとした場合に想定される自由曲の作曲家として、
①「吹奏楽のための民話」でお馴染みのコーディル
②「クィーン・シティ組曲」でお馴染みのカーター
③序曲「バラの謝肉祭」でお馴染みのオリヴァドーティ
あたりから始めようというのが基本的な流れだったような感じもあります。
当時の吹奏楽コンクールにおいては、C部門(人数が25名以下の部門)・B部門(35人以下の編成)においては、
コーティル・オリヴァドーティ・カーターは大人気だったような記憶があります。
C編成やB編成といっても最近の現役奏者の皆様にとっては「なんじゃそれ・・?」という死語の世界と化しているのかも
しれないですね。
支部や県によって言い回しは微妙に異なっていたりもしていますけど、現在は基本的には大編成と小編成という部門に統一
されているのが実情だと思います。
カーターやコーディルやオリヴァドーティやスピアーズ・ワルターズ・タジェンホーストという作曲家の皆様は、
1990年代の頃の感覚でたとえるとスウェアリンジェンみたいな位置づけとも言えると思うのですけど、逆に言うと
吹奏楽コンクールの流行り廃りという歴史の中で、小編成のスクールバンドにおいて、カーター・コーディル等に
少し飽きてしまったところにスウェアリンジェンという作曲家が彗星の如く現れ、これらの作曲家に代って
スウェアリンジェンがその役割を奪取したという表現も出来るのかなぁ・・と思ったりもします。

チャールズ・カーターというと

〇クィーン・シティ組曲

〇交響的序曲

〇管楽器のための序曲

〇ラブソディック・エピソード

〇勇気ある町(ボールドシティ序曲)

〇序奏とカプリス

といった曲が思い浮かびます。特に私の世代的には、交響的序曲とクイーン・シティ組曲は「なつかしい~!」という
感じなのかもしれないです。
カーターやコーディルやオリヴァドーティというと「小編成の下手くそなチームが演奏する自由曲」とか「中身がうすい曲」のような
変な誤解や偏見があるのかもしれないですけど、実際はそんな事は全くなくて、
メロディーラインは大変美しいし音楽的構成は緻密でしっかりとしたものであるし、シンプル・イズ・ベストを音楽で立証した
作曲家の皆様であることは間違いなく断言できると思います。
事実、とてつもなく昔の話ではありますけど、あの神奈川大学すらもかつてはカーターのクイーン・シティ組曲を自由曲に選んで
全国大会出場を果たした年だってありましたし、かつての名門・阪急百貨店だって全国大会でカーターの「ダンスと間奏曲」で
全国大会に出場したこともありますし、阪急は1964年の特別演奏の曲目のひとつにカーターの組曲「スペイド・フェア」を
選んだことだってあるのです!
この話は以前書いたこともあるのですけど、高校のときにパレのリシルド序曲やシールマンのチェルシー組曲といった
渋い吹奏楽オリジナル作品が大好きな先輩がいて、何かあると「リシルド序曲やチェルシー組曲のよさがわからん奴には
音楽を語る資格がない」とか「カーターの曲を小ばかにする奴はカーターに泣く」とか何とかいって後輩たちに説教ばかり
して煙たがられていましたし、実際私たちの代が自由曲にショスタコーヴィッチやチャイコフスキーの作品を選ぶと、
露骨にいやな顔をして「おまえたちはなんにも分かっていないね~」と憎まれ口を叩きながら卒業していったものでした。
私が高校3年の最後の吹奏楽コンクールは自由曲にチャイコフスキーの作品で臨み、地区予選を突破し県大会に進み、
本番当日に自分たちの学校の前に演奏していたチームが県北部の冴えない女子高で(→失礼な話ですよね~汗・・)
自由曲がカーターの「交響的序曲」でしたので、ステージ袖でカーターの演奏を聴きながら、
メンバーたちと「高校の部の自由曲にカーターなんて選ぶんじゃないよ、バーカ!!」と陰口を叩いていましたけど(汗・・)
その交響的序曲のJKの皆様の演奏がうまいのなんのって・・という感じで、
確かに演奏グレードはそんなに高くはないのかもしれないですけど、素朴で分かりやすくて構成がしっかりとした音楽を
自分たちの音楽として消化し立派に表現しているという印象で、
あのカーターの交響的序曲を聴いていたら、カーターのことを小ばかにしていた自分自身が急にさもしく恥ずかしく感じた
ものでした。
あの時のカーターの交響的序曲のラスト近くのトロンボーンのグリッサンドと金管セクションのベルアップも見事に決まっていて
ステージ袖にいた当時の私たちは「こりゃ負けた・・」と感じたものでした。
審査結果もうちの高校はダメ金も取れず銀賞に留まり、その女子高は県大会初出場ながらダメ金で東北大会には
進めませんでしたけど立派な金賞を受賞していました。
やっぱり当時の先輩が言っていたように、カーターを小ばかにするものはカーターで泣きを見た・・という事なのだと
思います。
あの時はその女子高もうちの高校も課題曲はカドリーユ(1983年全日本吹奏楽コンクール・課題曲C)でしたけど、
男子校のクラリネット奏者不足による金管優位のゴツゴツとした流れが悪い演奏に対してのあの女子高の優雅で洗練された
かわいらしいキュートな響きの時点で勝負あり~という感じだったのかもしれないです・・(汗・・)

さてさてカーターを代表する曲のひとつが「クィーンシティー組曲」なのですけど、この組曲はいかにも古きよき時代のアメリカを
象徴したような曲といえるのかもしれないです。
聴いていてそこから感じられるのは前向きさと「頑張ればその先の未来には明るい事か待ち受けているはず」という希望
なのだと思います。

この組曲は下記の3曲から構成されています。

Ⅰ.ファンファーレとプロセッショナル

Ⅱ.草の道

Ⅲ.収穫祭(ハーヴェスト・ジュビリー)

Ⅰは、警笛のように緊張感のあるファンファーレから開始され勇壮なマーチへと展開していきます。
全体的には儀式かお祭りの始まりを感じさせる曲でもあります。
Ⅱのしみじみとした鼻歌のようなメロディーがすてきです。
日本人にとってはどこで聴いたことがあるかのような哀愁のあるメロディーが次々と展開され、たとえていうと
「三丁目の夕日」という感じでもありますし、曲をとことんどこまでもとこまでもひっぱる・・という感じもあり、このひっぱるという
感覚は日本の演歌に近いものがあるのかもしれないです。
Ⅲのどんちゃん騒ぎはこの組曲の白眉だと思います。
軽快でいかにもアメリカらしい陽気な踊りのような曲で、収穫作業の忙しさ・どたばたぶりや収穫が無事に終わった高揚感が
金管セクションをメインにのびのびと表現されています。
全体的にはトロンボーンの合いの手が面白いというのか巧いと感じます。

交響的序曲とクイーン・シティ序曲以外のカーターの吹奏楽オリジナル曲としては「序奏とカプリス」も素晴らしいと思います!

序奏とカブリスは、五音音階の民謡風メロディを持つ序奏部と、
ホルストの吹奏楽のための第二組曲第1楽章「行進曲」と同じテーマで開始されゆったりとした美しい中間部を持つカプリスから
構成されていて、この曲はとにかくこの構成美と曲の巧さが大変印象的です。

カーターは最近の吹奏楽コンクールでは時折小編成部門で演奏される程度なのかもしれないですけど、
こうした「シンプル イズ ベスト」の吹奏楽オリジナル作品も忘れずに継続的に演奏され続けて欲しいものです。
管弦楽曲で「春」のタイトルが付く曲というと、
やはりストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」が一番有名なのかもしれませんけど、
春の祭典は真夏の狂乱みたいなものかもしれないです。
他にも、シューマンの交響曲第1番「春」・コープランドのバレエ音楽「アパラチアの春」・ドビュッシーの交響組曲「春」とか
色々とあるのですけど、少し決め手に欠くのかもしれないです。

上記の曲を聴いても少なくとも「楽しい」という気持ちにはなりにくいのかもしれないです。

そういう時はやっぱり吹奏楽ですよね~!

例えば、ホールジンガーの「春になって、王達が戦いに出向くに及んで・・・」とか
リードの序曲「春の猟犬」とか1993年の課題曲Ⅳ/マーチ「エイプリル・メイ」などは
本当に聴いていてウキウキとした気持ちになれますし、「春が来た!!」という感じにもなれそうです。
昨日ご紹介させて頂きましたリードの「春の猟犬」もそうした春に相応しい曲です!

吹奏楽コンクールの過去の課題曲の中にも「春」をイメージさせるすてきな曲がありましたね。

何かと言うと1995年の課題曲Ⅱ/スプリングマーチです!
(確か作曲者の大石美香さんは作曲当時はまるでJDさんのような雰囲気でとてもかわいらしい雰囲気の方でしたね~)

1995年の課題曲は、Ⅰ/ラメセスⅡ世に人気が一点集中してしまい、課題曲Ⅱ~Ⅳは高校の部では
あまり演奏されていなかったのは少し勿体無かった気はします。
Ⅰは確かにコンクール向きで演奏効果が大変得やすい反面、
クラリネットの技術は高度なものが要求されるし、ホルンの高音域はすさまじいものがあるし、
冒頭のつんざくような高音の入り方はかなり難易度が高かったと思います。
その点、この年の課題曲Ⅱ~Ⅳは、技術的にそれほど難しくなく
皆、なぜか愛くるしくてチャーミングな可愛い曲ばかりだったと思います。
特に、Ⅱ/スプリングマーチとⅣ/アップルマーチは、聴いていて本当にハッピーになれそうな楽しい曲でした。

課題曲Ⅱ/スプリングマーチは、本当に「春」を予感させる聴いていて何か妙に「ウキウキ」としてしまいそうな曲でしたね。
この曲、本当にメロディーラインが滑らかで聴き易いし、
出だしからすぐに曲の「楽しさ」にメロメロになってしまいそうな曲でしたね。
中間部も木管の響きが大変美しかったし、
その木管に交じる形で加わる「ミュート」を付けたトランペットの音色がとても素敵でした。
ラストも少しテンポアップし一気にたたみかけるように終わり、大変スッキリとした終わり方を展開していましたので
印象としてもとても爽やかな感じがしたものです。

この曲、色々と素晴らしい演奏は多かったけど
特に印象に残っているのは、与野高校・福岡工大付属高校・近畿大学あたりだと思います。
特に近畿大学は、一点の濁りも無い透明感とスッキリ感がとても魅力的でしたし
与野高校の「若々しい躍動感」も素晴らしかったです。
福岡工大付属も課題曲は愛くるしく、自由曲は荘厳にと対照的な色彩がとても印象的でした。

先日、車に乗った際にこの「スプリングマーチ」しリードの「春の猟犬」をBGMにしたら
ハンドルを持つ手も、とってもノリノリになったほどでした。

まだ3月初旬ですけど、案外春は目の前まで到来しているのかもしれないです。
本日からいよいよ3月到来という事で、東方で言うとリリーホワイトが満面の笑顔で「春ですよー」と到来してくる季節に
なりましたし、あと3週間程度で桜の開花宣言も出てきそうですし、
何よりも最近は昼間もそうですけど朝晩の冷え込みも少しずつ緩和されている感じもあります。
季節は着実に春に向かっていると思います。

春に関連したクラシック音楽というとストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」とかシューマンの交響曲第1番「春」とか
ドビュッシーの交響組曲「春」といった曲を思い出しますけど、吹奏楽オリジナル作品の上でも
ホルジンガーの「春になって、王たちが戦いに出かけるに及んで」とかバレンジャーの序曲「スプリング・レイク」とか
コンクール課題曲の「スプリングマーチ」などといった曲を連想します。
そして吹奏楽オリジナル作品で多分ですけど、吹奏楽経験者の皆様にとって最も馴染みがある曲と言うと
A.リードの序曲「春の猟犬」と言えるのかもしれないです。
ちなみにこの曲の正式タイトルはスゥインバーンの詩に基づく管楽器のための序曲「春の猟犬」という結構長めのもので
あったりもします。

改めて言うまでもないのですけど、A.リードの吹奏楽オリジナル作品って素晴らしい名曲が揃っていると思います。
例えば、アルメニアンダンス【パートⅠ バートⅡ】、オセロ・ハムレットへの音楽、エルサレム讃歌、
パンチネルロ序曲、エル・カミーノ・レアル、第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」なとなど、そこにあるのは音楽の宝石箱
なのだと思います。

そうしたすてきな名曲で「春」にふさわしい曲と言うと8分半程度の曲なのですけど
序曲「春の猟犬」も決して忘れる事が出来ない素晴らしい作品だと思います。
曲の形式はA-B-Aのオーソドックスな三部構成となっていて、
Aの部分は猟犬が雪の原っぱを駆け回る明るく元気な様子を表現し中間部Bは大変しっとりとロマンティックに
美しいメロディーラインを歌い上げていて、再度Aの部分へと展開した際のトロンボーンのアンサンブルが素敵ですし、
ラスト近くのティンパニソロを経てラストの全合奏のffで閉じる感じもまた実に魅力的です。

「春の猟犬」の基本ビートは8分の6拍子であり、この拍子自体が日本の楽曲にはあまり見られないリズムであり、
曲の中にも変拍子もいくつか散見されるので、この独特なビートに慣れるまでは指揮者も演奏者もそのリズム感を
着実につかむまでは少し大変なのかもしれないです。
後述しますけど、この「春の猟犬」は私が高校を卒業した年に後輩たちが定期演奏会で取り上げていて、
クラリネットのパート練習を私がまだ在学時に何度か覗いたことがあるのですけど、やはり冒頭の
ターンタタン(符点8分音符+16分音符+8分音符)のリズム感はちょっと独特のクセがあり、あのちょっとリズム感が
取りにくい変拍子を体内に染み込ませるのは少し大変なのかもしれないです。
ちなみに「春の猟犬」は私自身も大学の定期演奏会で演奏する機会に恵まれましたけど、やはり冒頭からAの部分の
独特の8分の6拍子のビートは慣れるまでには少し時間がかかったものでした。
(日本人が元々有しているかもしれない拍子の感覚と春の猟犬の拍子の感覚の違いは、まさしく和と洋の違いと
いえるのかもしれないです・・)

全体的には、厳しい冬の寒さの後の躍動感や春の喜びを存分にたっぷりと歌いあげた曲で、聴くだけでわくわくと
させられるものは間違いなくあると思います。

この曲が日本の吹奏楽コンクールで演奏され始めたのは1982年だと思いますけど、この時のプログラム表記は
序曲「春の猟犬」となっていたものの、
1984年の全国大会・高校の部でこの曲を演奏した札幌白石高校のプログラム表記を見てみると
スゥイバーンの詩に基づく管楽器のための序曲「春の猟犬」となっていましたけど、実際はこちらの方が正式タイトルのようです。
春の猟犬は19世紀の詩人A.スウィンバーンが1865年に出版した詩の印象に基づいて作曲されたのですけど、

その詩とは・・・・

春の猟犬が冬の足音をたどる頃
月の女神が牧場で草原で
暗がりを、風吹く場所を
葉音、雨音で満たす
微笑み隠す唇ほど柔らかな
木々の茂みを陽気に分け入り
追い求める神々の目を逃れ
かの乙女は身を隠す

という内容です。

リードは、この詩から「若さ溢れる快活さ」と「甘美さ・優雅さ」の二つをこの序曲に託したのかもしれないです。
6/8拍子を中心とした軽やかな明るいリズムは快活さを表現し、中間部の4/4拍子の甘いメロディは、
恋という青春の優美さ・甘さをそれぞれイメージしたものなのかもしれないです。
春の猟犬は何度聴いても「こんなに分かり易い曲無いよね~」と思わず頷いてしまうくらい実にシンブルな曲ですけど、
分かり易いメロディーに躍動感と甘さが加わり、形式もA-B-Aと非常にシンプルで分かり易さを絵に描いたような序曲と
言えるのは間違いないと思います。
リードはたくさんの演奏会用序曲を残していて分かり易くてメロディーラインが魅力的な曲をたくさん残していますけど、
私的には、春の猟犬・ジュビラント序曲・パンチネルロが特に抜きんでた傑作序曲なのかな・・?と思っています。
パンチネルロの中間部も実にしっとりとした歌がありましたけど、
パンチネルロの場合、多少哀愁みたいなものがあったのに対して春の猟犬は抒情的でロマンチックというのが
二つの序曲の違いなのかもしれないです。

私の高校も定期演奏会で一時期よくリードを演奏していました。
高校一年の時は、アルメニアンダンスパートⅠとパンチネルロを演奏させて頂き、
高校二年の時に、第二組曲とジュビラント序曲を演奏する機会に恵まれ。
そして高校3年の、私にとって最後の定期演奏会では、リードの春の猟犬とハムレットは是非演奏したいと思っていたものの
あえなく「パートリーダー選曲会議」でボツとなってしまい、結果的になにかやり残した想いはあったものでした。
アルメニアンダンスパートⅠと第二組曲という私にとってのリードの大本命を演奏出来たのだから、これ以上望むのは
確かに高望みだったかもしれないけど「春の猟犬」は演奏してみたかった気持ちは当時ありました。
「春の猟犬」は大学の定期演奏会で演奏できたからよかったですけど、ハムレットとオセロを演奏できなかったのは
今となっても少々心残り・・という想いも実はあったりもしそうです。

「春の猟犬」は1980年代~90年代前半までは、吹奏楽コンクールでもかなりの人気曲でしたけど
最近はあまり聴かれなくなったのはとても勿体ないと思います。
全国大会では1993年を最後に演奏されてはいませんけど、支部大会においては現在もスクールバンドの小編成部門の
貴重なレパートリーとして演奏され続けているのはとてもありがたいことだと感じています。
大変ローカルな話ですけど、埼玉県大会の高校の部・小編成部門にて桶川高校がこの春の猟犬を大変生き生きと
演奏していて「なんとか代表になれないかな・・」と思っていたら本当に埼玉県代表の一校として西関東大会に
出場されていたのが大変印象的であったりもします。
春の猟犬といった素晴らしい名曲は是非ぜひ今後も演奏され続けてほしいと感じております。
「春の猟犬」の全国大会での名演は、1982年の福岡工大付属高校と88年の野庭高校の演奏が双璧の二大名演だと思います。

野庭高校の1988年の「春の猟犬」は、ホルンパートなどにネリベルの「二つの交響的断章」を彷彿させるぐらいの
強烈な音の落差をつけていて、好き嫌いと言うか評価の分かれる演奏だったのではないかと思います。
1988年の全国大会の高校の部は、結果的に課題曲AとDを選んだチームしか金賞を受賞していませんけど、
Aの「深層の祭り」を選択したチームは、ダフクロ・海・サロメといった官能的な曲を音楽的にかっちりと聴かせてくれるチームが
多く、Dの「カーニバルのマーチ」を選んだチームは、「あっ」と唸らせる技術力の高さで金賞をもぎ取ったという印象があります。
そうした中で音楽を自分達のものとして聴衆にも「音楽をする楽しみ」を感じさせたのは、この野庭高校だったと思います。
野庭高校の「春の猟犬」は、聴いていてとてもワクワクとさせられるものがあり、確かにクセはあるのだけど
奏者も普門館の聴衆もみんな一丸となって楽しくこの楽しさを味わっていたと思います。
中間部の歌もたっぷりと抒情性豊かにロマンチックに歌い込み、後半のアレグロもラストに向けての追い込みも
見事としか言いようがなく、文句のつけようがない金賞だったと思います。
野庭高校のリードを演奏しての全国大会出場は結果的にこの年が最後となります。
アルメニアンダンスパートⅠ→ハムレット→オセロ→春の猟犬という「黄金の流れ」となっていたのですが、
翌年から3年間は伸び悩みの時期に入り、1992年から全国大会に復帰するのですが
それ以降はアレンジ路線になってしまい、リードを演奏していた頃の野庭の自由奔放さ・躍動感がすっかり影をひそめて
しまった印象も感じられ、指揮者の中澤先生の厳格なコントロールの下でどことなく窮屈な音楽の展開になっていったのは
少々残念な感じもいたします。
(その例外の奇蹟の名演といえるのが1993年の「くじゃく」だと思います)

1982年の福岡工大付属は、冒頭から溌剌さ・生き生きとした感じがとても良く出ていて、テンポをヘンにいじる事もせずに
素直で伸び伸びとした演奏を聴かせてくれていて、この演奏こそが春の猟犬の歴代の演奏の中では最もオーソドックスな
正攻法の正統派の名演だと思います。
多少金管セクション、特にトランペットの音がつぶれる傾向にあった事と、最後の最後でわずか数小節をカットしてしまい
原曲を知っている人間から見ると「唐突に終わってしまった」みたいな感じもあったように感じられます。
あの微妙なカットは、タイムオーバーを恐れたというよりは、指揮者の鈴木先生の「一気にスパートをかけて終わらせよう・・・」と
いった解釈なのかもしれないです。
全体的には大変生き生きとした名演だと思います。

とにかく「春の猟犬」はコンサートでもコンクールでも絶対に忘れてはいけない不滅の名曲だと改めて感じますし、
この曲の春の雰囲気と躍動感と中間部のロマンチックは是非皆様に一度ぐらいは聴いて欲しいな~と
改めて感じたりもします。
私自身の勝手な感覚なのですけど、「仮面」というと、本来自分が有している属性を隠して、
本来自分が有していないキャラを意図的に演じる事が出来るというような感じもあったりします。
自分が元々有しているキャラを隠蔽し、別のキャラを演じる事で「今までの自分とは違ったもの」を見出してみたいという意図が
そこには多少はあるのかもしれないです。
そこには何やら「怪しい→妖しい」領域と言う感覚もあったりしますし、これが「仮面舞踏会」というと、
何か妖しげな男女の出会いの場という感じもあったりもします。
男女の最初の出会いの場がたとえば「ロメオとジュリエット」のように仮面舞踏会みたいに、お互いの顔・身分・素性を全て
隠した上で、演じたキャラとして出会いの場に臨むというのも大変面白そうなものもあったりもします。

そうした意味では「仮面」というのは、「本来自分が有していないはずの属性」を「仮面」というものをあえて身に付ける事で
表面的な自分を一旦表面上隠蔽した上で演じられるという事に不思議な魅力を感じたりもします。
そうした意味では仮面というワードが示唆するものとは変身願望といえるのかもしれないです。

吹奏楽作品でそうした仮面というワードを用いてそうした変身願望みたいなものを提示した作品のひとつが
マクベスの「マスク」やパーシケッティーの「吹奏楽のための仮面舞踏会」といえると思うのですけど、
邦人作品としての仮面をモチーフにした作品で思い出すのは小山清茂の交響組曲「能面」と大栗裕の「仮面幻想」と
言えそうです。
能面は大変どろどろとしたおどろおどろしい日本の情念が曲の中の至る所から感じ取られるのですけど、その本質は
やはり変身願望に近いものがあるのかな・・?と私的に感じたりもするのですけど、
大栗裕の仮面幻想はそうしたおどろおどろしさとか幽霊がヒュードロドロ・・と出てくるような感覚とは異なるものがあると
思いますし、変身願望という側面よりはむしろ純粋に子供の遊びとか茶目っ気たっぷりの神社での奉納の舞をイメージ
したように聴こえるのが「能面」との違いのように感じたりもします。

大栗裕の吹奏楽作品は、昔も今も人気が高く、全国大会でも「神話」・「大阪俗謡による幻想曲」が40年以上も継続的に
演奏され続けているその事実が全てを物語っていると思います。
特に「神話」の作品としての完成度の高さ・音楽としての魅力は本当に尽きないものがあると思います。
神話と大阪俗謡による幻想曲は元々は管弦楽曲で、後日それを吹奏楽にアレンジした経緯があるのですけど、
ナクソス盤から出ているその管弦楽版のCDを購入し聴いてみたのですけど、率直に言ってくどいです・・
あまりにも冗長でドロドロとし過ぎていて、長すぎであまりピンとこなかったです・・
これは私自身が吹奏楽コンクールの吹奏楽カット版に耳が慣れてしまった事が原因でもあり、むしろ大栗先生に
大変失礼な話であるのはよく自覚しているのですけど、これも吹奏楽コンクールの一つの功罪なのかもしれないです。
但し「神話」に関しては、吹奏楽コンクール用のカット版の方が音楽的密度の面からもストーリーのわかりやすさという
意味でも、私個人としてはこの曲は8分程度にコンパクトにまとめた吹奏楽カット版の方に大きく魅力を感じたりもします。

大栗裕というと、ほとんと゜の皆様は大阪俗謡と神話のみを推されるとは思うのですけど、このブログでも実はかなり
頻繁に登場している「巫女の詠えるうた」とか吹奏楽コンクール課題曲でもあった小狂詩曲やバーレスクも
大変内容が充実した作品とも思いますし、他には全国大会では最近全く演奏されなくなっていますけど「仮面幻想」という作品も
捨てがたい魅力があります。
仮面幻想が全国的に知られるきっかけを作ったのが1987年の城陽中学校と1988年の札幌白石高校の素晴らしい名演だったと
思いますけど1995年を最後にこのすてきな名曲が全国大会では演奏されていないのが少しさみしく感じたりもします。

仮面幻想の初演は国立音楽大学 第10回シンフォニック ウインド アンサンブル定期演奏会(1981年11月18日日本青年館)
なのですけど、初演の演奏会のプログラムの曲目解説には、大栗裕の言葉として
「新鳥蘇という大陸から伝わった舞楽の面。卵形の輪郭、下がった目尻、鯰ひげをつけた道化の面。この面から
イマジネーションをかきたてられ仮面幻想を作曲しました」と記されています。
仮面幻想は国立音楽大学からの委嘱作品なのですけど、この曲を作曲されていた頃の大栗先生は既に病魔に侵されていて、
病床のベッドの上からも作曲をされていた事もあったとの事です。
結果的に「仮面幻想」は大栗裕が吹奏楽のために書いた最後の作品となってしまい、最晩年の作品の一つと言えそうです。
国立音大の初演の演奏会からちょうど5ヵ月後の1982年4月18日に大栗先生は彼岸の彼方に旅立たれてしまいます。
享年は63歳で、作曲家としてはまだまだこれからという時でもありましたので、その早すぎる死は日本の吹奏楽界の
大きな損失と言えるのかもしれないです。

仮面幻想には、仮面というタイトルが付けられていますけど、マクベスの「マスク」のような内面的緊張感や
パーシケッティーの「仮面舞踏会」の「妖しさ」という感じはこの曲からはあまり感じられません。
どちらかというと和の感覚に近いものがあると思います。
神話・バーレスクの世界のようにドロドロした感じはあまり感じられず、
小さい子供が神社の境内でふざけてお祭りで使用する際の「お面」をかぶってひょこひょこ遊ぶというようなイメージが
漂いそうな曲と言えるのかもしれないです。
カテゴリ違いなのかもしれないですけど、東方Projectに登場するお面の付喪神の秦こころが霊夢の博麗神社で
奉納していた舞を音楽として表現しているようにも聴こえたりもします。
どちらかというと、子供のお遊びとか神社のお祭りで余興として披露される少しずっこけておどけた感じの仮面芝居といった
雰囲気をこの曲から感じ取ったりもします。
決して難しい音楽ではありませんし、どちらかというと指揮者にしても奏者にとっても演奏していて楽しいと感じさせる何かは
秘めていると思います。

出だしの、サスペンダーシンバルとタムタムがドラムスティックでチンチン叩く感じから始まり
フルートが何か鄙びた素朴なメロディーを展開していくのですけど、この部分がいかにも素朴でかわいいというのか、
子供と言うよりもひよこがぴょこぴょこと遊んでいるような感覚もあり、冒頭からして曲の魅力に惹きつけられそうです。
後半はトムトム等の打楽器が大活躍しますけど、その感じが時代劇のチャンバラ活劇みたいな感じもして
視覚的にも音楽の雰囲気的にもとても楽しいものがあります。

私がこの曲を最初に聴いたのは、1987年の全国大会・中学の部の城陽中学校ですけど、本当に素晴らしい名演ですよね。
課題曲の「風紋」も見事な演奏でしたけど、仮面幻想の前半と後半の対比が極めて鮮やかでとても印象に残っています。
翌年の札幌白石も素晴らしい演奏でしたし特に前半の緊張感がとても良かったと思います。
仮面幻想の全国大会での演奏と言うと大半の人はこの両校を推されるとは思うのですけど、私的には
もちろんこの両校も素晴らしい名演であるのは間違いないのですけど、音楽の個性や独創性という観点では
銀賞なのですけど1989年の市立川口高校も私は大好きな演奏です。
市立川口高校の場合、少しアンサンブルが粗雑というのかメロディーラインの受け渡しなど技術的に少し不満が感じる箇所も
無い訳ではないと思いますし、この当時の市立川口は既に全盛期をもしかしたら過ぎていたのかもしれないですけど(汗・・)
部分的にテンポルバートをかけたり、わざと演奏に間をとったり、速い部分と遅い部分の落差を強調したりと
そのユニークな表現と個性的な演奏は中々見事なものがありました。
評価は分かれる演奏だと思いますけど、私は大好きです。
市立川口高校というと吹奏楽好きの皆様にとっては、例えば二つの交響的断章・神の恵みを受けて・無言の変革シリーズなど
その豪快で切れ味の鋭いサウンドに目がいきがちと思われますけど、私的には市立川口高校の本質は、むしろ
弱奏の部分のソロパートの強さや弱奏部分やアンダンテ部分での大変説得力のある歌い廻しの方にあるのかなと
感じたりもしますし、やはり市立川口の最大の強みは、弱奏ととんでもない荒ぶる強奏のそのダイナミックスレンジの
とてつもない広さと極端さなのだと思ったりもします。
例えば、1987年の大栗裕の「吹奏楽のための神話」においては、踊りの部分が終結しフルート・クラリネットによる大変
静粛で緊張感漲る部分が続いている際の、ソロパートのバックで不気味にドラのロールやサスペンダーシンバルの撥打ちを
している打楽器パートのあの緊張感の維持は、当時普門館の客席であの演奏を固唾をのむ思いで聴いていた
私の心を鷲掴みにしてしまったものでしたし、あの静粛さがあったからこそ踊りとエンディングでのあのとんでもない大音響が
活きてきたと思ったりもします。

1989年の市立川口も結構信国先生はやりたい放題の自由な解釈を楽しまれていて、神話の踊りの時と同じように
後半の例のあのチャンバラ活劇みたいな部分の追い込みは圧巻でしたし、
中間部の瞬間的に間をかなり取っていて、部分的に尋常ではないテンポルバートをかけまくっていて、
あの少しやり過ぎとも思えるテンポの揺れとダイナミックスレンジの落差のすさまじさとか音楽的な「ひそやかさ」の充実とか
神話同様に聴いていてゾクゾクさせられるものがあったと思います。
(翌年の90年もそうでしたけど、課題曲の前半の不調が大変惜しまれます・・・)

上記で既に書いた通り「仮面幻想」は全国大会では2018年時点で1995年以降演奏されていませんけど、
実は支部大会ではほぼ毎年忘れることなくこの曲が演奏され続けている事は大変嬉しく思ったりもします。
1994年の関東大会B部門は、関東8県で開催される大会としてはこの年がフィナーレで翌年から東関東と西関東に
分離してしまうのですけど、この年の関東大会の高校の部は、仮面幻想が大人気で計5団体が取り上げ、
朝早い時間帯から3団体が連続してこの曲を演奏していたのはかなり印象に残っています。
そしてこの曲は今現在はどちらかというと中学校の小編成の部でレパートリーとして定着しているようにも感じたりもします。

もちろん全国大会のような晴れの大舞台での演奏も素晴らしいですけど、県大会・支部大会の小編成で忘れることなく
今後も演奏され続けて欲しい曲の一つだと思います。


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ここから下記は少しばかり東方の余談です。

上記で「仮面幻想」は東方のお面の付喪神の秦こころのテーマ音楽みたいと記しましたので、最後にほんの少しだけ
秦こころについて触れさせて頂きたいと思います。

秦こころは元々は穏やかで物静かな傾向がある付喪神なのですけど、「希望の面」一つ失くした事で
普段のポーカーフェイスもどこへやら、あれほどまで暴走をしてしまうキャラでもありました。
秦こころは感情を司る感情豊かな付喪神なのですけど、お面に表情を頼り表情を作ることができない欠点があったりもします。
仮面幻想の激しい部分は、そうした意味では秦こころの感情の暴走をイメージしているようにも聴こえますし、
静粛でひそやかな部分は、秦こころの感情を制御できないもどかしさやとまどいみたいなものを表現しているようにも
聴こえたりもしたものでした。

「東方鈴奈庵」の一コマで、秦こころが博麗神社での奉納神楽を演じているシーンがありましたけど、あの奉納の神楽の
イメージが私的には仮面幻想の世界に近いのかもとついつい感じてしまいそうですね。
ディヴェルティメントというとクラシック音楽好きの皆様の感覚だと「モーツアルト」という事になるのかもしれないですね。

「ディヴェルティメント」を邦訳すると「喜遊曲」または「嬉遊曲」という事になり、
要は楽しく軽妙に親しみやすく作られ、極力悲しい部分や深刻な部分は避けるという事が
お約束になっていると思います。
よく「ディヴェルティメント」と「セレナーデ」との違いは何という事が問題になる事もありますけど、
正直特に違いはありません。
ま、強いて言うと、室内用に作られたのがディヴェルティメント、屋外用がセレナーデという所なのかもしれないです。
この「ディヴェルティメント」という音楽形式は、ハイドンやモーツァルトの頃に盛んに作曲されていたものの
19世紀以降は急速に廃れていったような気もします。
しかし20世紀に入ると、
ストラヴィンスキー・イベール・バルトーク・ルーセル等の大作曲家がこの「ディヴェルティメント」という
ジャンルに曲を残すようになり、特にイベールの「ディヴェルティメント」が実に軽妙で洒落っ気があり素晴らしいと思います。
終曲で登場する笛とか鈴はとても楽しいものがあると思いますし、佐渡裕さんが以前司会をされていた題名のない音楽会でも
たまに取り上げられていたのも頷けるものがあると思います。

そして20世紀の終盤に「ディヴェルティメント」のジャンルにまた一つすてきな作品が登場する事になるのですけど、
それがバーンスタイン作曲の管弦楽のためのディヴェルティメントなのです。

1980年4月、ボストン交響楽団(BSO)はその創立100周年を記念する作品をバーンスタインに委嘱し、
その時に書かれた作品が「管弦楽のためのディヴェルティメント」なのです。
当初は「ファンファーレ」と発表されていましたけど、最終的には短い8つの楽章から成る
「管弦楽のためのディヴェルティメント」となり、バーンスタインの愛弟子、小沢征爾が9月25日に
ボストンでシーズンの開幕曲として華々しく初演されました。
第8曲「行進曲」の副題が「BSOよ、永遠なれ」となっているのはそうした初演の経緯によるものと思われます。

この曲は以下の8曲より構成されています。

Ⅰ.ラッパの合図とファンファーレ

Ⅱ.ワルツ

Ⅲ.マズルカ

Ⅳ.サンバ

Ⅴ.ターキートロット

Ⅵ.スフィンクス

Ⅶ.ブルース

Ⅷ.マーチ「BSOよ、永遠なれ」

第一曲はいきなり冒頭から全金管楽器が咆哮し、燃え上がるように開始されます。
第二曲は第一曲とは対照的に弦楽器のみで演奏され、とてもチャーミングな感じがします。
第三曲は、決して陽気なマズルカではなくて、何かどこか思いつめたような感じがします。ラストの
オーボエの何か寂しくつぶやくようなソロが印象的です。
第四曲はいかにもバーンスタインらしい楽しさ溢れる曲ですけど、いかにもブルジルのサンバっぽい
情熱も伝わってきます。
第五曲は、木魚など打楽器の使い方が巧みで、実に粋で洒落っ気たっぷりの音楽です。
第六曲は全曲の中でも異色のすこし物悲しい音楽です・・・
タイトルの「スフィンクス」は正直、このタイトルとこの悲しげな音楽を結ぶものは何も無いようにも
感じられるのですけど、
バーンスタインによると「私がスフィンクスを笑っているジョーク」とのことですけど、実際は意図不明の音楽です・・(笑)
第七曲は、いかにも「ウエスト・サイド・ストーリー」の作曲者らしい音楽です。
ジャズっぽい感覚と、ドラムセットとソロトランペットのくすんだような感じが実にいい味を出しています。
第八曲は、いきなりドラが不気味に静かに鳴り、静かに開始されたと思ったら
サスペンダーシンバルの長いロールに乗っかる形で
金管楽器がどんちゃん騒ぎを開始し、祝祭的な雰囲気のまま楽しく曲は閉じられます。
楽譜上の指定がそうなっているのかは私もよく分かりませんけど、曲のエンディング近くで金管奏者が起立して演奏する
生の演奏シーンは何度かプロの管弦楽団で見かけた事がありますし、吹奏楽コンクールの全国大会でも
1996年の駒澤大学の演奏では確かに終曲の金管奏者はスタンドアップしていたと記憶しています。
演奏時間も14分程度で短く、使用される打楽器も、
木魚・ボンゴ・コンガ・ウッドブロック・シロフォーンなど多種多様なものを使用しますので視覚的効果も十分です。

さてさて、吹奏楽のジャンルでも、この「ディヴェルティメント」というタイトルの曲もたまにですけどあったりもします。

一例を出すと・・・・

〇パーシケッティー/吹奏楽のためのディヴェルティメント

〇兼田敏/吹奏楽のためのディヴェルティメント(1967年吹奏楽コンクール課題曲)

〇増田宏三/喜遊曲「踊る行列」

〇大栗裕 / 吹奏楽のためのディヴェルティメント

〇J.モリセイ / バンドのためのディヴェルティメント

この中ではパーシケッティーのディヴェルティメントの作品としての完成度の高さは際立っているものがあると思います。
この曲は、ヴィンセント・パーシケッティが実は最初に作曲した吹奏楽曲でもあります。
ゴールドマンの依頼により、1950年から1951年にかけて作曲され、
初演はニューヨークのセントラル・パークにある野外音楽堂「ザ・モール」で、
ゴールドマン指揮のゴールドマン・バンドによって行われています。
このディヴェルティメントの初演は大成功になり大変な反響と好評を呼び込み、そしてこの作品の成功により、
ページェント・交響曲第6番・仮面舞踏会・ああ涼しい谷間・詩編など数多くの吹奏楽曲を作曲するようになりました。

この吹奏楽のためのディヴェルティメントは下記の6曲から構成されています。

Ⅰ.プロローグ 

Ⅱ.ソング 

Ⅲ.ダンス

Ⅳ.バーレスク

Ⅴ.ソリロクイ

Ⅵ.マーチ

Ⅰのプロローグはとっても快活な曲で開幕に相応しい生き生きとした音楽が展開されます。
Ⅱのソングは優美な旋律が心に残る曲で、Ⅲのダンスは印象派風の楽しげな雰囲気があり、
Ⅳのバーレスクは冒頭から低音セクションがメロディを担当するおどけた感じの曲です。
Ⅴのソリロクイはトランペットのソロが大変印象的です。
Ⅵのマーチは終曲に相応しい曲で冒頭は打楽器のみの響きから開始され、華麗に曲が展開されていきます。
各曲とも全て3分以内の曲で全体の演奏時間も11分程度でかなり短めです。
この曲は吹奏楽コンクールでは正直あまり演奏されないのはちょっとさびしいですけど、
1993年の大学の部で奏者30名程度でクラリネット奏者が4人という小編成&特殊編成の悪条件の中、
輝かしい音色と見事なアンサンブルでこの曲を演奏していた徳山大学の演奏は素晴らしいものがあったと思います。
結果として銅賞なのですけど、私的にはこの銅賞は少し気の毒という感じです。
徳山大学の演奏は各人の技術が大変高く、特にⅠのソプラノサックスの音色が大変印象的で見事でした!

さてさて、ここからようやく本記事の本題に入ります・・(汗)

吹奏楽作品でディヴェルティメントというと思い浮かぶのはパーシケッティーだと私的には思うのですけど、
知る人ぞ知る作品で、全国大会はおろか支部大会でも1980年の福岡工大付属高校以外は演奏実績がない曲ではありますが、
増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は、どちらかというと「ディヴェルティメント」というと洋というイメージがある中、
和の鄙びたイメージを吹奏楽オリジナル作品として盛り込んだ楽曲が既に1980年代以前に作曲されていた事は
驚きでもあるように感じられます。
増田宏三という御方は、作曲家という側面も勿論あるのですけど、どちらかというと作曲理論とか国立音大の作曲理論の
先生というイメージが強く、踊る行列以外の作品や管弦楽作品を調べようと思っても全然検索に引っかからないというのが
実態でして、正直この喜遊曲「踊る行列」についての情報はほぼ皆無としか言いようが無いように感じられます。
増田宏三の吹奏楽作品というと、1976年の浜松工業の自由曲の「朝の歌」の作曲者でもあるのですけど、この朝の歌も
支部大会以上では浜松工業以外演奏実績もありませんので、増田宏三について語るにはあまりにも情報が無さすぎるという
事なのだと思われます。
強いて言うと、バンドジャーナル1984年の特別号の「今注目の邦人作品特集」の中にこの喜遊曲「踊る行列」も紹介されては
いますけど、内容的に特段新しい情報も書かれていませんし、この曲の作曲の経緯とか背景とか作曲の意図等については
何も書かれていませんので、私自身もこの曲に関しては、福岡工大付属高校の1980年の演奏のイメージでしか
書きようがないのが少し歯がゆい感じでもあります。
バンドジャーナル1984年の特別号のわずかな情報として、南国の熱狂的な数日間にわたる祭りをイメージして作曲
されたと記されていますけど、そういう意味では、例えば福岡の博多どんたくとか徳島の阿波踊りとか
はたまた沖縄の琉球舞踏をイメージして作られた音楽と言えるのかもしれないです。

喜遊曲「踊る行列」は上記で触れたとおり、2018年末時点では全国大会・支部大会での演奏実績は今のところは
1980年の福岡工大付属高校(現・福岡工大付属城東高校)のみに留まっています。
(県大会クラスではいくつか演奏実績はあるようです)
だけどその1980年の福岡工大付属の演奏が大変素晴らしくて、正直に書いてしまうと
「この演奏を超える演奏は多分だけど絶対に出てこないだろうな~」と感じさせるものは間違いなくあると思われます。
1980年の吹奏楽コンクールの全国大会の高校の部はとにかく驚異的なハイレヴェルの演奏が続出していて、
これは嘘偽りなく今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色ないものがあると感じられます。
勿論使用されている楽器や演奏技術は今現在の方が圧倒的に高いのは紛れもない事実ではあるのですけど、
音楽的感性というのか表現力の多様さや音楽的掘り下げの深さにおいては今現在の吹奏楽コンクールのレヴェルすらも
凌駕しているような感じすらあると私には感じられたりもします。
就実・東海大学第四・花輪・秋田南・市立川口・銚子商業・前橋商業・玉川学園・兵庫・天理・淀川工業・高岡商業といった
金賞チームの演奏は一つの音楽的限界の壁すらも超えた名演と言えると思いますし、
東海大学第一・名古屋電気・福岡工大付属等の銀賞チームも金賞チームに決してひけを取らない名演だったと思います。
そしてその中でも、秋田南の三善晃の交響三章、福岡工大付属の踊る行列、淀川工業の大阪俗謡による幻想曲の
3チーム続いた邦人作品による自由曲の演奏には、今現在改めて聴いても、その新鮮な音楽的な切り口に
ゾクゾクとさせられるものは確実にあると言えると思います。
1980年と言うと邦人作品が自由曲として選ばれる事自体が少し珍しいという時代でしたので、
3チーム連続邦人作品の演奏というのは当時としては奇蹟と言えるのかもしれないです。
邦人作品が大人気で全国大会の自由曲の半数近くが邦人作品という昨今のコンクール事情という視点で見ると
「そんなのは別に珍しくもなんともないよね~」という事になってしまうのは時代の変化と言えるのかもしれないです。

上記で書いた通りその邦人作品を選んだ3チームがそれぞれ全て素晴らしい演奏を後世に残してくれていて
この演奏は今現在の視点・感覚で聴いても全く色褪せてはいないと思います。
私の個人的な見解ですけど、三善晃の「交響三章~第三楽章」に関しては、
あれだけ多くのチームがその後この曲を自由曲に選びながらも1980年の秋田南を超える演奏はいまだに存在していないと
思いますし、あの秋田南の音楽的小宇宙空間ともいえる濃厚な世界は、あそこまで完璧に内面的に完全燃焼し尽くした演奏と
いうのは今後も不世出のような感じすらあるように思えますし、後日あの名演を作曲者の三善晃が絶賛されたという
エピソードも当然だと思われます。
(1978年の秋田南の三善晃の「管弦楽のための協奏曲」も高校生のレヴェルをとっくに超越していると思えます!)
大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」は、その後丸谷先生が「いい加減マンネリ!!」と言われ続けながらも
2年に一回はこの曲を自由曲に選んでいるにも関わらず
丸谷先生自身が1980年度の自身のこの演奏の壁をいまだに超えられていないような感じすらあります。

この秋田南と淀川工業に挟まれる形になっているのですけど、福岡工大付属の演奏も大変素晴らしいものがあると思います。
審査結果としては、秋田南と淀川工業は金賞に輝いているのですけど、福岡工大付属は残念ながら銀賞に留まっています。
あくまで個人的な見解ですけど、福岡工大付属の銀賞は少し厳しすぎるようにも感じられます。

上記で書いた通り増田宏三の喜遊曲「踊る行列」はいかにもという感じの和風な喜遊曲だと思います。
感覚としては兼田敏の「シンフォニックバンドのための交響的音頭」の世界に近いものがあるようにも感じられます。
兼田敏のような泥臭さはあまり感じず、鄙びた情感は伝わるもののどちらかというと洗練されている感覚もあったりします。
兼田敏の世界は「辺境の地の田舎鄙びた盆踊り」という感じなのかもしれないです。
そうそう「踊る行列」というタイトルだけを見てしまうと、 團伊玖磨の「ブラスオーケストラのための行列幻想」の
Ⅰ.男の行列 Ⅱ.女の行列 Ⅲ.そして男と女の行列に近いものがありそうですけど、
團伊玖磨の曲は鄙びた感じとか和の雰囲気はあまり感じさせず、どちらかというとモダンとか都会的な洗練された雰囲気を
感じ取ってしまいそうです。

増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は、打楽器の遣い方も大変効果的で、チャンチキとか和太鼓等の和楽器を
曲の最初から最後までかなり巧みに使用されていて、曲としての面白さは十分アピール出来ていたと思いますし、
ユーフォニアム・クラリネット・オーボエ等の少しおどけたようなソロも大変ユニークなものがあったと思います。
ホルンの少しとぼけた雰囲気は合いの手という感じもありそうです。
そして曲のラスト近くに登場するチャンチキ・和太鼓・シンバル・ティンパニのみによる打楽器だけのアンサンブルは、
この曲の「熱狂さ」とか南国的雰囲気を遺憾なく伝えているようにも感じられます。
曲全体としては最初から最後まで和の打楽器という特殊楽器の音の響きに頼り過ぎているような感じもあり、
確かに全体的には熱狂と言う雰囲気も伝えつつも、テンポ設定の変化や曲全体の壮大なクライマックスが少なくて
福岡工大付属の演奏も確かに上手いし、聴かせどころも心得ているし、ソロも上手いし、
全体の響きも申し分ないしという印象はあるのだけど
ワンパターンとか変化に乏しいという印象も感じさせてしまうのは、演奏の良し悪しというよりは曲自体の構造的な課題点
だったのかもしれないですね。

そのあたりが福岡工大付属が1980年は銀賞に留まってしまった理由と言えるのかもしれませんし、
そうではないのかもしれないし、正直何とも言えません。
私個人としては、聴いていて大変面白いと思いますし、ラスト近くの打楽器のみの掛け合いの部分から曲のエンディングまでの
エキサイトはこれがこの曲の壮大なクライマックスと言えるのかもしれないですし、
この曲は終結部と曲のクライマックスと最大の盛り上がりがイコールと曲と言えるのだとも今更ながら感じたりもします。

確かに評価は分かれる演奏かもしれないですけど私は大好きな演奏の一つですし、たまにはどこかのチームが
自由曲として演奏して欲しい気持ちは間違いなくあると思います。
本記事の一つ後の記事が東方Projectの「天子ちゃん、マジ天使」でお馴染みの天子記事であり、
更に前日の記事が「Angel Beats !」で周囲から天使と呼ばれ、アニメファンからも「天使ちゃん、マジ天使!」の呼び声で
名高い天使こと、立花かなでに関する記事でしたので、
ここは吹奏楽カテゴリてはあるのですけど「天使」に関連した吹奏楽オリジナル作品を一つ取り上げさせて
頂きたいと思います。


藤田玄播の代表作と言えば、言うまでもなく「天使ミカエルの嘆き」だと思います。
兼田敏の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」・保科洋の「カタストロフィー」と並び1970年代の
吹奏楽邦人作品の代表的名作だと思いますし永遠に後世に受け継がれていくべき作品だと思います。
そしてこれらの作品を経て田中賢の作品を経た後に、
現在の吹奏楽コンクールにおける邦人作品の一大ムーブメントが起きている事を考えると、
天使ミカエルの嘆きやパッサカリアが今日の邦人作品大ブレイクの礎を築いてきたと言っても決して過言ではないと
思います。
この曲はヤマハ浜松からの委嘱作品であり、1978年にヤマハ浜松はこの曲を自由曲に選び金賞を受賞し、
この時が吹奏楽コンクール全国大会初演であり、2018年末時点でこれまでこの曲は全国大会で8回演奏されています。
私自身が「天使ミカエルの嘆き」を初めて生演奏で聴いたのは、
1981年の宮城県大会の仙台地区予選で仙台第一高校が演奏したものでした。
仙台第一高校は、その年以前はB部門での東北大会常連チームでしたけど、この年からA部門へと格上げしていました。
この年の演奏も悪くはなかったのですけど、県大会ダメ金で終ってしまいましたけど、
翌年に組曲「グランドキャニオン」でもって当時の最難関ブロックの東北大会を突破し、全国大会初出場を遂げています。
ちなみにこのグランドキャニオンでは、ヴァイオリン・ピアノ・ウインドマシーンも駆使し色彩的効果をかなり高めています。
1981年の仙台第一高校の「天使ミカエルの嘆き」の演奏で何が印象に残っているかと言うと、
チューバの大胆な使用というか、チューバ奏者が部分的に楽器を上下逆さまに持ち、音を天井に向けて出さずに、
床に向けて出すという事をやっていました。
低音の効果的使用という点でかなりのインパクトと視覚的効果があった演奏だと思います。

天使ミカエルの嘆きですけど、曲自体は大変スケールの大きい一つのファンタジーだとも感じられます。

ヨハネ黙示録に描かれている悪と闘う天使の長のミカエルの苦難と嘆きを題材として描かれていて、地球上に存在する
様々な邪悪が駆逐され、平和で豊かな美しい世界が到来する事を祈って作曲された経緯があります。
本記事の一つ後の記事が東方の天子語りなのですけど、この中で天子は
「新しい世界を一から構築し、そこには貧しさも生きる上での悲しみや不公平も無い理想の社会を作ろう!」と
提言しているのですけど、そうした意味においては藤田玄播の「天使ミカエルの嘆き」での作曲者の祈りと願いは
東方の天子と大体似ていると言えるのかもしれないです。
藤田玄播が生前残された曲の中には、例えば「切支丹の時代」とか劇的序曲「バルナバの生涯」などのように、
宗教に関連した曲が幾つか含まれているという事は、藤田玄播の父親がプロテスタントの牧師さんであり、
藤田玄播が小さい頃から教会音楽やオルガン曲に触れる機会が多かった事とも決して無関係ではないと思えますし、
「天使ミカエルの嘆き」もそうした関連性のある曲と言えるのだと思います。
ちなみにですけど藤田玄播は、比護洵というペンネームでの作詞作曲・編曲の作品も数多く残されているという事な
そうですけど、私自身は比護洵ネームでの曲は一つも知らないです・・

「天使ミカエルの嘆き」は、ヴィヴラフォーンの響きで開始され、ユーフォニアムの朗々としたソロを経て
徐々に音楽が高潮していき、演奏開始から2分辺りで一つのクライマックスに到達します。
この部分でのシロフォーンの無茶苦茶な乱打が視覚的にも聴覚的にもかなりの効果を発揮します。
曲は一旦静まり、オーボエの呟くようなソロからトランペットの生き生きとしたソロへと展開し、一旦静かになり、
メンデルスゾーンの「結婚行進曲」のパロディーみたいなファンファーレが高らかに鳴り響き
曲は静かにうめくように閉じられていきます。
タイトルが示す通り、この部分はこういう場面を想定しているのかも・・というのが大変分かり易く作られていて、
演奏効果は大変高いし曲の内省的充実感は素晴らしいものがあると思いますし、
吹奏楽の色彩的効果が魅力的に発揮されていると思います。

「天使ミカエルの嘆き」の演奏で一番印象に残っているのは、1984年の東海大学第四高校(現、東海大学札幌高校)です。
このチームは1982年にも同じ自由曲を取り上げ、82年は金賞、84年は銀賞という結果になっていますけど、
私自身はこの評価には不満があり、私としては断然84年の演奏の方が素晴らしい演奏と思います。
何が素晴らしいかと言うと、弱奏部分の説得力、いかにも泣き崩れそうな表情、ppの部分の間の取り方の巧さがあげられます。

1984年の東海大学第四高校は、課題曲のマーチも爽やかで申し分なく、課題曲の時点で
「今年も金賞確定じゃん!」と感じていたのですけど、圧巻は自由曲の方で訪れ、特にラストの静粛さが
大変素晴らしかったです!
前半の激しい盛り上がりと高揚感と後半から終盤の静粛さの静と動の対比がとにかく鮮やかでした!
前半の盛り上がり箇所で、シロフォーンが激しく乱打する部分があるのですけど、
奏者が何かに憑りつかれたかのような「狂気さ」が感じられ、金管セクションの鳴らし方も豪快だけど音自体は
大変洗練さが感じられ、そうした前半の高揚感があったからこそ後半からラストでの静粛さが活きてきていたと
感じたものでした。
あのラストの部分は、聴いていても、とてつもなく哀しいし胸が締め付けられる思いで一杯だし、
泣きたいのをぐっとこらえているような雰囲気があり、全てがはかなくてせつなくて、
繊細な砂糖菓子をスプーンで壊していくといったような儚さともろさが表現されていて、とても胸が打たれたものです。
ああいう演奏を「ピアニッシモの熱演」というのかもしれないです。

だけどこの年の東海大学第四高校は銀賞に落ち着き、私としては今一つ説得力が感じられないと思っている82年の
天使ミカエルが金賞というのは実はいまだに納得いかないものはあったりもします。

こうしたコンクールの上で審査は水物であるという事なのかもしれないです。

1991年にJBS吹奏楽団が「天使ミカエルの嘆き」を自由曲として全国大会に臨んでいますが、この時の指揮者の下地氏は、
現在では日本をはじめ世界の若手の超有望指揮者の一人でもあり、
私も読響で何度か下地さんの指揮で演奏を聴きましたけど、あのハートの熱さは素晴らしかったですね~!

藤田玄播は実は吹奏楽の指揮者としても頑張っていた方で、90年代には、都留文科大学、
三和銀行コンサートバンドでもタクトを指揮をされていて、私自身、関東大会や都大会で何度も藤田玄播の指揮を
見たことがあります。
自作自演はではなくて、エル・サロン・メヒコとかウェーバーの主題による交響的変容といったアレンジものを振っていました。
故人の悪口はあまり書きたくないですけど(汗・・)正直、指揮はあまり上手くはなかったですね・・・
棒の振り方が大変ギクシャクしていて硬い表現の指揮振りで、どちらかというと指揮者向きでは無かったようにも思えます・・

「天使ミカエルの嘆き」は、特に中学生・高校生の小編成で演奏して欲しい曲です。
ある程度の人数がいれば、無理なく消化できる内容の曲ですし、語り継がれていくべき名曲だと思います!

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