FC2ブログ

プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
30位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
会社員・OL
4位
アクセスランキングを見る>>

最新記事


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


カテゴリ


カレンダー

12 | 2021/01 | 02
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

検索フォーム


チルノ時計


_convert_20200703202928.jpg

日本の拍子木

最近では自治会とか町内会に加入している世帯も減少傾向ですし、以前ほど町会における個人同士の交流が
見られない中において、町内会や自治会が主催する夜回りというのもあまり実施されていないような気もしますし、
聞いた話では、夜回りでの「火の用心!」と言った掛け声すらも騒音という事でクレームが上がる事も決して珍しくはない
という事でなんだか本当に世知辛い世の中になったものだ・・と感じてしまいます。
特に最近では新型コロナの自粛モードによるイライラやストレスがそうした世知辛いクレームにも繋がっているのかも
しれないです。

さてさて、そうした町会・自治会での夜回りの小道具として欠かせないのが「火の用心!」という掛け声とともに
カチカチ!と小気味よいリズムを響かせてくれる拍子木なのだと思います。

拍子木とは、拍子を取るための木の音具です。
両手に持って打ち合わせると、カンカンとかカチカチいったと高い澄んだ音が出るのがリズム的には大変心地よいです。

この拍子木は日本においては古来様々な用途に用いられてきた経緯があります。

それでは具体的にどのような時にこの拍子木が使用されていたのかを簡単に列記してみたいと思います。

1.楽器として​使用

雅楽、祭りのお囃子などのリズム楽器として使用されていたのが本来的な使われ方ですけど、現代音楽でも
稀に使用される事もあったりします。
後述しますけど吹奏楽コンクールの課題曲において打楽器の一つとして使用されていた事もあります。

クラシック音楽で拍子木が最も効果的に使用される楽曲として大変名高いのが外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」だと
思いますし、この曲において拍子木は冒頭からいきなりソロ的に使用されていたりもします。
吹奏楽コンクールとしては、1980年の課題曲A/ 吹奏楽のための花祭りと同じく80年の課題曲C/ 北海の大漁歌などで
使用されていたりもします。

2.相撲の呼び出し

呼出しが拍子木を打って、士の名を呼ぶ際に使用されます。

大相撲の呼出しが使う拍子木は、桜の木が使われているそうです。

3.歌舞伎等の舞台で​の使用

歌舞伎の世界においては芝居の開始時の合図として使用される時もありますし、
役者の足取りに合わせて打たれたる等動作や物音を強調する為にも用いられる事もあります。

4.紙芝居での使用​

昭和初期から30年代にかけて下町で人気のあった紙芝居屋は、自転車で町々を回って拍子木を打ち鳴らし、
子供を集めて飴を売り紙芝居を見せた時代もあったりしました。

5.夜回り、夜警​での使用

上記で記したとおり、自治会・消防団などが夜回りを実施する際に「戸締り用心、火の用心」と声をあげながら、
拍子木をカチカチッと打ち鳴らして歩く姿は昭和の頃はお馴染みの光景でもありました。

6.格闘技で​の使用

プロボクシングでは、ラウンド終了10秒前を知らせるためにタイムキーパーが拍子木を打ちますけど、
これは日本のみならず世界共通のルールなそうですけど、
実際に拍子木を使うのは日本だけで、アメリカ等では機械で打っているそうです。

7.宗教行事​での使用

祭礼 山車の運行に拍子木の音によって、止まれ、ススメ、回れ、などの合図をする事もあります。

仏教など 宗派によっては、読経の折などに拍子木で拍子をとる宗派もあるそうです。

また拍子木は、天理教のおつとめに使う鳴物のひとつでもあり、お歌の拍子をとるために使われています。

そう言えば、1975年の天理高校の吹奏楽コンクールの自由曲が天理教の始祖の中山みきを題材にした
交響詩「おやさま」~第二楽章でしたけど、この曲の展開部において拍子木がカチカチと他の楽器を先導していったのは、
天理教のおつとめの様子を示唆したものなのかもしれないです。


41WQMibAg1L_convert_20160304172306.jpg

西洋の打楽器のクラベス

拍子木は日本の和の鳴り物ですけど、西洋における似たような楽器というと「クラベス」といえそうです。

クラベスは2本の棒状の木片を打ち合わせることで明るいカチカチとした音を出しますけど、
日本の楽器の「拍子木」と極めて近いものがあると思います。

そしてこのクラベスが効果的に使用された吹奏楽オリジナル作品として極めて名高いのは、J.B.チャンスの「呪文と踊り」
なのだと思います。

「呪文と踊り」は実に単純明快な二部構成でフルートソロから開始される神秘的な「呪文」の部分と
打楽器のエキゾチックな響きが実に印象的な「踊り」の部分から構成されていますけど、
この二つの部分の明確な相違性によるドラマ性とか打楽器の効果的使用といった巧みな楽器構成とか
実によく考えられた作品だと思います。
こうしたシンプルさと分かりやすさというのが、この曲を作曲から40年近く経過しても演奏され続けている大きな要因にも
なっていると思いますし、この曲を吹奏楽オリジナル曲の名作としていまだに名を馳せている理由にも
なっているような気がします。
曲が単純明快なだけに、飽きが来やすいとも思うのですが、長期間多くのチームによって演奏され続けているという事は
演奏するごとに新しい発」があるような曲と言えるのかもしれません。

この曲の「踊り」の部分では打楽器が大活躍します。
冒頭の「呪文」の部分は、かなり長いフロートソロから開始され、序盤はゆったりとした展開がかなり長く続き
かなり不気味な雰囲気を演出しています。
この不気味さはおどろおどろしい感じでもあり、いかにも「呪文」という雰囲気に満ち溢れ、聴き方によっては
呪文は呪文でも人を呪い殺すような呪文のようにも感じたりもします。
そして前半の呪文の部分が閉じられると、いよいよ「踊り」の部分が開始されます。
この踊りの部分なのですけど、マラカスから始まって、打楽器が一つずつ加わっていく感じで曲が展開されていきます。
その打楽器の順番は、マラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレスの順に加わっていきます。
この部分はパーカッション奏者にとっては大変プレッシャーが掛る大変な部分ですけど同時に大変な腕の見せ所だと思います。
全体的にこの曲はかなりの数の打楽器を使用しますし、
奏者は、フルスコアを見れば一目瞭然なのですけど、ティンパニが1名・残りの打楽器に6名、合計7人は絶対に必要です!
というのも、7人が同時に音を出す箇所もあるので、打楽器奏者の数を減らす事は、何らかの楽器の音を
削除することになってしまい、この曲の魅力が明らかに薄れてしまうのであまりやっては欲しくないですね。


_convert_20200527202215.jpg


打楽器パートは一般的には、ティンパニ奏者を頂点に、大太鼓・小太鼓(スネアドラム)・トムトム・ドラムセット等の太鼓系、
シンバル・サスペンダーシンバル・ドラなどの鳴り物系、
グロッケンシュピール・シロフォーン・ヴィヴラフォン・マリンバ・コンサートチャイム等の鍵盤打楽器系、
そしてタンバリン・トライアングル・カスタネット・マラカス・拍子木などの小物打楽器系、
そして場合によっては和太鼓といった特殊楽器やはたまたピアノなど、
打楽器奏者はマスターすべき楽器が大変多いというのが大きな特徴なのだと思います。

基本的にティンパニ奏者が他の打楽器と掛け持ちする事はほとんどないのですけど、吹奏楽コンクールにおいては、
打楽器奏者が少ない割にはかなりたくさんの打楽器を使用する楽曲において、たまにティンパニ奏者もそうした小物打楽器と
掛け持ちする事もあったりします。
そのいい例が1987年の武蔵村山第四中学校の自由曲のレスピーギの交響詩「ローマの祭り」なのだと思います。
ローマの祭りはプロの管弦楽団の演奏会でも打楽器奏者を11人近く使用するほど複数の打楽器が大活躍する曲ですし、
吹奏楽コンクールでは1987年当時の規定では50名以内の人数に抑えないといけないため、ローマの祭りを自由曲にすると
打楽器奏者にそれでも7~8人程度は当てる必要はあるのですけど、武蔵村山第四中の当時の打楽器パートの人数は
私の記憶では確か6人という事もあり、主顕祭においては部分的にティンパニ奏者がタンバリンを掛け持ちしていたりも
していたものでした。

異なる打楽器の掛け持ちは基本的には打楽器パート内でやりくりするものですけど、
私の出身中学校のような田舎のポンコツ吹奏楽部ですと、打楽器のやりくりの調整が付かない場合は、場合によっては
チューバ・コントラバス・ファゴットなどがたまに部分的に打楽器を兼任する事もありました。
私が中学3年の時の課題曲がCの「北海の大漁歌」でしたけど、この時には前半のソーラン節のフレーズの際の合いの手を
入れる打楽器として拍子木を小気味よくコーンコーンと鳴らしていましたけど、あの場面においては
うちの中学校の打楽器パートの人数が少なくてソーラン節の場面において拍子木を叩く人がいないという事で、
ファゴット奏者がファゴットの位置から拍子木を掛け持ちしてコーンコーンと打ち鳴らしていたのが大変印象的でした。
当時のファゴット奏者の女の子は、練習中はその拍子木を譜面台に置いていたのですけど、ある時の練習で
譜面をめくる時にうっかり拍子木の一片を床に落としてしまい、咄嗟の判断で残りの一片の拍子木を自らの楽器の
ファゴットに打ち付けてコーンコーンと鳴らしていて、問答無用で指揮者の先生から
「拍子木を落すな!」とか「ファゴットみたいな高価な楽器を打楽器として使用するな!」などうるさく叱られていましたけど、
ファゴット奏者の隣の席にいて当時はアルトサックス奏者だった私は「なるほどね~!咄嗟の判断でそうした事ができるのは
むしろ尊い事なのかもしれない・・」とむしろ感動したものでした~♪
あのファゴットの女の子もアルトサックスやテナーサックスの後輩の女の子たちも当時は私同様かなりの頻度で
指揮者の先生から連日連日「へたくそ」などと怒鳴られ怒られてばかりでしたけど、こういう時って意外と
精神的に強さを発揮して「怒られてもしゃーないじゃん!」と凹まず次の瞬間には立ち直ってしまうのがむしろ女の子の方で、
男性奏者はむしろそういう時ほど案外ポッキリと心の支えが折れてしまいがちで、危機に強いのはむしろ男よりも
女の子の方なのかもしれない・・という事を当時は感じていたものでした。

そしてそれに近い話が同年・・、1980年の吹奏楽コンクール・全国大会にて当時は「5年連続金賞」という偉業に王手を
掛けていた秋田南高校の課題曲でも起きていました。

このブログでは何度も何度も1980年の秋田南高校の精神的に研ぎ澄まされた小宇宙を形成している様な
ピーンと張りつめた劇的緊張感と重度の精神的緊張感をほぼ完璧に吹奏楽として表現した秋田南高校吹奏楽部の事を
語り尽くしていますので詳細はここでは省力しますけど、その自由曲の三善晃/ 交響三章~第三楽章の前に
演奏されていたのが課題曲Aの吹奏楽のための「花祭り」でした。
課題曲A/花祭りも、素朴な味わいが伝わってきて、見事だと思いますし、ソロも含めて各楽器の透明感は
群を抜いていると思います。
その課題曲の終結部近くでちょっとした事件が起きていたものでした。
その事は後日のBP(バンドピープル)の記事の中に書かれていましたけど、課題曲の終結部近くでオーボエが朗々と
ソロを吹く手前で、 拍子木が二回ほどカチッカチッとソロとして音を立てる場面があるのですけど、
この拍子木を担当する打楽器奏者が、ソロの直前で片方の拍子木を落としてしまうというハプニングに直面したとの事です。
拍子木を拾う時間がないため、咄嗟のその打楽器奏者の判断で片方の拍子木を急遽確か譜面台だったと思いましたが。
打ち付けたけどスカッとした音で不発に終わったものの、
二発目をまたまた咄嗟の判断で二回目は課題曲で使用していた和太鼓の側面部分に叩き付けた所、二回目は見事に成功し、
結果的に音が何も入らない空」を回避できたという経緯もあったとの事です。

普門館のドラマは色々と興味深いものがありそうですね・・・

そうしたちょっとした動揺を誘う事件があったにも関わらず、自由曲でのあの研ぎ澄まされた歴史的名演は驚愕以外の
何者でもないです!

拍子木を落してしまったものの、うちの中学校はファゴットに打ち付け、秋田南高校は和太鼓の側面に打ち付けるとは
咄嗟の対応の違いも興味津々でもあります。

最後に・・・1980年の課題曲C/ 北海の大漁歌は上記で触れた通り、前半のソーラン節の合いの手として拍子木を効果的に
使用していましたけど、面白い演出は青森県信用組合だと思います。
青森県信用組合はステージ内に大きな「丸太」を持ち込み、
譜面上では、拍子木指定の部分をこの丸太でコーンコーンと打ち鳴らし、一定の効果を得ていたのは大変ユニークでした!
(1980年のBPのコンクール写真の中に確か青森県信用組合の「北海の大漁歌」で使用した丸太が掲載されていたと
記憶しています・・)
スポンサーサイト



本日、12月21日は「冬至」です。

冬至は毎年同じ日という訳ではなくて、12月21日と12月22日の2パターンがあるようです。
(稀に1920年のように12月23日が冬至ということもあったようです)

ちなみに昨年の冬至は12月22日でした。

冬至が過ぎてしまうと、クリスマス~お正月の準備~大晦日とあっという間に一年が駆け足で 過ぎていきそうな気がして
ならないです。

冬至とは一年で昼が最も短い日で、北半球において太陽の位置が1年で最も低くなる日で、日照時間が最も短くなります。
太陽の位置が1年で最も高くなる夏至と日照時間を比べると、
北海道の根室で約6時間半、東京で約4時間40分もの差があるとの事です。
そして冬至とは具体的にもっとわかりやすく言うと、一年の中でもっとも日照時間が短い日の事を指します。
感覚的には、一年で最も寒い時期が2月だから一年で最も日照時間が短そうな時期って1~2月というイメージも
ありそうなのですけど、実際は12月というのも子供の頃には意外に感じていたものです。

さてさて、冬至とか夜明けというワードを耳にすると、思い出してしまう吹奏楽オリジナル作品が一つあったりします。
それがホヘアー作曲交響曲第1番「ストーンヘンジ」です。
この曲以前は「ストーンヘンジ交響曲」と表記されていましたけど、
ストーンヘンジの作曲以降、交響曲第2~4番が作曲されて、
交響曲第1番「ストーンヘンジ」というタイトルに変更されたという経緯があったりもします。

ホエアーという作曲家は、もう日本の吹奏楽界では忘れられた作曲家になってしまうのかもしれないです。
この作曲家の曲が吹奏楽コンクールでは、もうほとんど聴かれなくなったのは少し寂しい気持ちもあったりします。
私が中学~高校の頃は、ホヘアーというと、このストーンヘンジ交響曲以外においては、

〇ペレロフォン序曲

〇セレブレーション21
 →1981年の都大会で瑞穂青少年吹奏楽団の超名演があったりもします。
  ちなみにあの年の演奏が結果的に瑞穂青少年吹奏楽団最後の普門館での支部大会・全国大会の演奏になりました。 
  余談ですけど、1989年の都大会一般の部予選会は霊友会小谷ホールで開催され、あの時の瑞穂はワーグナーの
  歌劇「タンホイザー」序曲で出場し銀賞を獲得しましたが、もしかしたらあの演奏が2020年現在で瑞穂の最後のコンクール
  演奏になっているのかもしれないです。

〇エルシノア城序曲

といった曲が大変記憶に残っています。1970年代の頃ですとエルシノア城序曲は支部大会でもかなり演奏されていたと
思います。

ストーンヘンジ交響曲は、 イギリスの平原の中にあるサークル上の巨石遺跡をテーマにした交響曲なのですけど、
どちらかというと、具体的なイメージに基づく音楽的風景と言うものではなくて、
イメージとか雰囲気に基づいた曲と言えます。
ストーンヘンジ遺跡は、夏至の日の太陽がまっすぐに祭壇石を照らすと言われていますけど、
そうした太古の昔の人達の儀式とかを抽象的に描いた作品とも言えます。

過大評価すれば、吹奏楽版「春の祭典」と言ってもいいのかもしれませんね。
私の感覚としては、ストーンヘンジ交響曲の第三曲の「いけにえ」とストラヴィンスキーの「春の祭典」第Ⅱ部~いけにえは
もちろん作風も表現スタイルも全然異なるのですけど、伝えたい事はどちらの曲も「なんか似ているよね・・」と
感じてしまいます。

このホヘアーの交響曲第1番「ストーンヘンジ」は、以下の三つの楽章から構成されます。

Ⅰ.冬至の日の夜明け

 コンクールのプログラムや文献では、「冬至」と書かれていたり、「夜明け」と表記されていたり、
 「冬至の日の夜明け」と記されていたり、不統一な感じもします。
 私の感覚的には「冬至の日の夜明け」という表題の方が厳格さ・冷たさ・自然と神への畏敬という雰囲気が
 よりイメージされやすいようにも感じます。
 導入部分は、ウインド・マシーンが荒涼とした平原を吹きわたる風を表現し、
 断片的 に加わる管楽器や打楽器が神秘的なムードを醸し出しています。
 途中、ややテンポを上 げたところで音楽は大きく盛り上がり、ホルン、そして木管楽器による叫びが聞こえ ます。
 その後、神秘的なムードが再現され、曲は静かに閉じられます。

Ⅱ.招魂

 第一楽章からのアタッカで始まり、打楽器が刻む行進曲風のリズムにホルンの ファンファーレ風のフレーズに
 呼応するようにトロンボーンとユーフォニアムの ユニゾンがテーマを歌いだしていきます。
 その後、少しテンポを上げ、トムトムの刻む リズムに乗って鼓動は高まりますけど、
 やがて速度を落とすと、オーボエがそれまでの雰囲気とは対照的に女神のような慈愛みたいな雰囲気の音楽が
 奏でられていきます。
 全体的には、古代の神や魂を呼び起こす情景を描いた音楽と言えると思います。

Ⅲ.いけにえ

 曲全体を一言で言うと、とにかく打楽器の数が多いだけではなくて打楽器が最初から最後まで大活躍をします。
 躍動感溢れるリズムの歯切れ良さと金管楽器の爆発は、大変迫力があります。
 ミステリアスな部分と金管楽器が咆哮する大変スケールの大きな部分の落差と言うか
 そのダイナミックスレンジの幅がかなり広いのが大変印象的です。
 全体的に躍動感が素晴らしい曲だと思います。
 私の個人的な感覚では、「非常にメカニックな曲」と感じています。
 抒情的な雰囲気はそれほど感じないのですけど、
 迫力と明暗の対比を音楽に求めるならば、これほどうってつけの交響曲はないと思います。
 機械的な精緻な雰囲気が極限にまで拡大しているという印象も感じられたりもします。
 第一楽章と第三楽章のラストでウインドマシーンが登場し、
 曲全体のラストもウインドマシーンによる風の音で静かに閉じられますけど
 この「寂寥感」が何とも言えないと思います。
 
本日のような冬至の日は、第一楽章前半とか第三楽章のラストの静粛さと荘厳さが雰囲気に相応しい感じもありそうです。

この曲は全国大会では一度しか演奏されていませんけど、この唯一の演奏がとてつもない名演だと思います。
それが1980年の天理高校なのですけど、
この時の天理は、珍しくも完全にあっちの世界にいっちゃっているような感じもあったりもします。
新子先生の天理高校というと大変知的で理性的という印象が強いのですけど、この年に限っては
「狂気」という側面がかなり濃厚に出されていると感じられます。
この年の天理の課題曲D/オーバー・ザ・ギャラクシーが大変理性的に精緻に表現しているのとは対照的に
自由曲のこの「ストーンヘンジ交響曲」は、感情や本能が命ずるままに自由に吹いているという印象が大変強いと思います。
ややヒステリックでクリスタルみたいな音質のトランペットセクションが気になりますが、
全体的には迫力満点の素晴らしい演奏です。
強いて難を言うと、ウィンドマシーンの効果は今一つのように感じるのですけど、後から聞いた話では、
天理はラストの場面ではあえてウインドマシーンを使用せず、楽器の口ではなくて楽器そのものに息を吹きかけて
「風」の音を表現したとの事ですけど、理性的と熱狂がうまくミックスしたと素晴らしい演奏だと思います。

全体的には、天理の「圧倒的な演奏技術の高さ」が一つの極限にまで達したようにすら感じられます。
全体を通して、「情緒」というものよりも、何となく「機械的表現」重視という感じもするのですが、
極めて冷静に知的に処理していたと思います。
技術的には一つの完成と言っても過言ではないと思います。
この曲は、前述の通り、吹奏楽版「春の祭典」といってもいい曲なのかもしれませんけど、
いかにも「いけにえの踊り」という感覚をよく表現していたと思います。
課題曲同様、金管の音が少々硬いものの、全体的に精密な設計図を寸分違わず施工しているという感じがします。
クライマックスのすさまじいfffもお見事!!
ラストの静粛も息を秘める緊張感が漲っていたと思います。

この交響曲、木村吉宏指揮/大阪音楽団の演奏で「吹奏楽・交響曲シリーズ」として発売された時は、
本当に私は狂喜乱舞したものです。
こうした知る人ぞ知る埋もれたマイナー名曲シンフォニーをああやって「陽の目」を当ててくれた功績は
かなり大きいと言えると思います。
天理の選曲はどちらかというと、スタンダードで正統派の曲を真正面から正攻法で捉えるパターンが多いと思うのですけど、
そうした天理の歴史の中でも、こういうマイナーなんだけど「埋もれた名作」を取り上げてくれることは
今にして思うと大変貴重だったのではないかと思います。


_convert_20191111180635.jpg


参考までに、上記画像は「ウインドマシーン」という人口風製造機みたいな特殊打楽器です。

円形のドラムを回転させ布を接触させ、その摩擦音を風の効果音として人工的に作り上げています。
ドラムの回転速度によって音に強弱がつけられたりもします。

このウインドマシーンが効果的に使用された事例としては、ストーンヘンジ交響曲以外では、管弦楽作品においては、
R.シュトラウスのアルプス交響曲とグローフェの組曲「グランドキャニオン」、ヴォーン・ウィリアムズの南極交響曲が
挙げられ、吹奏楽ではスパークの「宇宙の音楽」において効果的に使用されています。

こうした冬至の日には、天理高校か大阪音楽団の交響曲第1番「ストーンヘンジ」でも聴いて、祖先の魂とか自然への畏敬を
感じてみたいものですね~♪
当ブログでは何度かホルストの吹奏楽のための第一組曲、ヴォーン・ウィリアムズのイギリス民謡組曲、そしてグレインジャーの
リンカンシャーの花束やリードのアルメニアンダンスパートⅠやオセロ、シュミットのディオニソスの祭りなどといった
吹奏楽オリジナル作品を語る上では絶対に外すことのできない後世に永遠に受け継がれていってほしいオリジナル曲を
レビューさせて頂きましたけど、ホルストの第一組曲と同じくらい名作オリジナル作品でもあるホルストの吹奏楽のための
第二組曲はこれまであまり取り上げることもなかった事に気が付きまして、
本記事においては少しばかり第二組曲の方にも取り上げてみたいと思います。
ちなみに私自身、高校1年の時の吹奏楽コンクールの自由曲がホルストの第一組曲であり、この時に初めて
音楽の構成美や統一形式の素晴らしさというものに気が付き、私自身が吹奏楽オリジナル作品の魅力に気が付き始めた
原点の一曲という事もあり第一組曲の方は何度かレビューした事はあったのですけど、第二組曲の方は実は演奏経験が
なかったという事で、第一組曲よりは少しばかり私にとっては馴染みがうすいということになるのかもしれないです。
ただ第一組曲も第二組曲も吹奏楽オリジナル作品の原点であり源流であり、吹奏楽オリジナル作品の歴史を語る上では
絶対に外すことのできない不滅の名曲であることは間違いないと思います。

ホルストの第一組曲(第二組曲)のタイトルは「吹奏楽のための第一組曲(第二組曲)」なのですけど、
原題は「ミリタリーバンドのための」と記されています。
この辺りは現在の日本とイギリスの違いと言うのもあると思いますが、イギリスでは金管のみの編成を「ブラスバンド」と呼び、
金管+木管+打楽器の編成、いわゆる日本のスクールバンドで見られる「吹奏楽」の編成の事を
「ミリタリーバンド」と呼ぶそうです。

ホルストはこうした「ミリタリーバンド」のための作品を吹奏楽のための第一組曲を含めて生涯に4曲残していますけど、
第一組曲はそうした作品の先駆けとも言えるものです。
ちなみに他の三曲とは、第二組曲・ムーアサイド組曲・ハンマースミスです。
たまに、サマーセット狂詩曲やセントポール組曲は吹奏楽作品と勘違いされる方もいますけど、
この二つの曲は管弦楽曲または弦楽合奏曲ですので注意が必要です。

サマーセット狂詩曲というと思い起こすのはヴォーン・ウィリアムズだと思います。

ホルストとヴォーン・ウィリアムズは友人関係だったという事ですが、そのせいなのかわかりませんけども、
イギリス民謡組曲の第三曲「サマーセットからの歌」のメロディーがホルストの「サマーセット狂詩曲」にも使用されています。
これは民謡をベースにしているのだから、どちらかがどちらかの作風に影響を与えたとか、主題を拝借したという訳では
ないのですが、両者の親交振りが垣間見えるような気もします。

ホルストの第一組曲は、吹奏楽の分野における古典的な演奏会用作品としてきわめて重要な位置を占めると断言しても
差支えはないと思います。
第一組曲は第Ⅰ曲のシャコンヌで提示された主題が第Ⅱ曲の間奏曲でも第Ⅲ曲のマーチでも提示されていて、
曲全体を一つの主題で統一されていて、どちらかというとチャイコフスキーやフランクが交響曲で提示していた循環主題の
形式美にもつながるものがあるように感じられます。
全体的にはその構成がしっかりと構築されていて、スキのない楽曲だけど同時にとてつもなくわかりやすくて気品に
溢れているという奇跡のような名作吹奏楽オリジナル作品と言えると思います。
ホルストの第二組曲の方は各楽章の統一主題は無くて、各楽章にイギリスの民謡を使用しているのが第一組曲との
大きな違いであり、むしろ第一組曲よりも自由度が高いようにも感じられたりもします。

最近こうした古典的名曲が吹奏楽コンクールで演奏される事は少なくなりつつありますね・・

こういう古典的な曲だからこそ「古きを訪ねて新しきを知る」という言葉がお似合いだと思いますし、
たまにはこうした「シンプル イズ ベスト」の曲を演奏する事で自分達の「原点」を意外と発見できるのかもしれないです。

最近の吹奏楽オリジナル作品、特にその中でも邦人作品は、演奏効果が大変高そうではあるのですが、
技術的には大変難しそうなものばかりが多く、華麗な音楽の連続で確かに耳には心地よいのですけど、
「果たして流行の移り変わりが激しい日本の吹奏楽コンクールの中において
10年後でも変らず演奏され続けていく邦人作品って一体どれだけあるのかな・・?」と考えると
考え込んでしまう作品が結構多いようにも感じたりもします。
一時期あれだけ大ブレイクした田中賢のメトセラⅡやR.スミスの「海の男達の歌」などが最近ではサッパリ演奏されて
いない現実を目にすると「歌謡曲も芸人さんのネタもそうだけど、吹奏楽オリジナル作品の旬は短いからね・・」と痛感する
ばかりであったりもします。
確かにそういう華麗な邦人オリジナル作品もいいけど、吹奏楽のバイブルというのか原典とも言える
吹奏楽オリジナルの古典中の古典たるべき絶対に忘れてはいけないオリジナル作品もたまには目を向けて欲しいなぁ・・と
思う時もあります。

私自身が高校生時代にその曲を実際に演奏した経験があるという背景も大きいのですけど、
特にそうした「吹奏楽オリジナル作品」を語る上では、絶対に忘れてはいけない曲の一つが
リードの「アルメニアンダンス パートⅠ」や「オセロ」であり、
またまたスゥエアリンジェンの「インヴィクタ」序曲とか「チェスフォード・ポートレイト」であり、
私自身が演奏した曲ではないですけど、ヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエ―ション」(原典版)であり、
ネリベルの「二つの交響的断章」などなどであるのですけど、
その中でも特に特に、ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」変ホ長調作品28-1だけは
絶対に忘れないで欲しいと思います!
否!! この素晴らしき組曲だけは、未来永劫ず―――っと後世に受け継がれていって欲しい曲だと思います!

話がそれました・・それでは下記にほんの少しばかりホルストの第二組曲について触れたいと思います。

第一組曲は三楽章構成でしたが、第二組曲は四楽章構成で、各楽章はそれぞれイギリスの民謡や舞曲がモチーフに
されています。
ホルストの吹奏楽のための第二組曲は下記の4曲から構成されています。

Ⅰ.マーチ

Ⅱ.無言歌

Ⅲ.鍛冶屋の歌

Ⅳ.ダーガソンによる幻想曲

上昇和音から開始されるⅠのマーチの楽しさは冒頭からさわやかさと気品と清潔な明るさに溢れていると思います。
第一組曲の冒頭がゆったりとした高まりから開始されていたのとは対照的ですけど、冒頭から曲に引き込まれていくという
印象もあります。
Ⅱの無言歌はしっとりとした美しいメロディーが抒情的に流れていきます。
Ⅲの鍛冶屋の歌はとても威勢がよくて粋だと思いますし、曲の中で何度か出てくるグロッケンまたは鉄琴によるコーンコーン
という甲高い響きは鍛冶の職人さんたちが熱い鉄を叩きつけている雰囲気がすてきに伝わっていると思います。
単純だけどとても域で楽しい描写だと思いますが、鍛冶の雰囲気を小編成の吹奏楽の響きで再現しているホルストの管楽器の
扱いの巧みさはまさに職人レベルだと思います。
ホルストは若いころはオーケストラでトロンボーンを吹いていたこともあり、管楽器の扱いはお手の物だったのかも
しれないです。
Ⅳの「ダーガソンによる幻想曲」も単純な一つのメロディーが延々と繰り返される曲なのですけど、
これが素朴で実に楽しい曲です。
ダーガソンと呼ばれる8小節の循環旋律が冒頭から終結まで奏されていて、途中に「グリーンスリーブス」が対旋律に
あらわれていたりもします。
曲の中でタンバリンの響きが実に小気味よくチャーミングに響いているのが大変印象的です。
ホルスト組曲「惑星」~木星のなかでも大変巧みなタンバリンの使い方を私たちに聴かせてくれていますけど、
タンバリンの響きが曲全体のリズム感に華を添えているという印象があったりもします。
ダーガソンによる幻想曲は、後日ホルスト自身によって弦楽合奏版としてアレンジ・改訂されていまして、それが
「セントポール組曲」の終楽章です。
1905年から亡くなる1934年までセント・ポール女学校の音楽の教員として務めていたホルストは、
1912年に防音装置を備えた専用の部屋を与えられ、そのことに対してホルストが感謝の意を表して作曲したのが
セントポール組曲という弦楽合奏曲です。
管弦楽曲を吹奏楽にアレンジすることはよくある普通の話ですけど、もともとが吹奏楽オリジナル作品を管弦楽にアレンジした
という珍しい位置づけでもありそうです。
ちなみに吹奏楽オリジナル楽曲を作曲者自らが管弦楽にアレンジした事例としては、
ヴォーン・ウィリアムズのイギリス民謡組曲やフーサの「プラハのための音楽1968年」や伊藤康秀の「ぐるりよざ」などが
挙げられると思います。

参考までに、セントポール組曲は下記の4曲から構成されています。

Ⅰ.ジッグ

Ⅱ.オスティナート

Ⅲ.間奏曲

Ⅳ.ダーガソン

ダーガソンに関しては、オリジナルの吹奏楽も弦楽合奏版もどちらも大変優雅な雰囲気ですけど、弦楽合奏版は響きが
いうまでもなく室内管弦楽そのもので、編成的には拡大されているものの少し上品すぎる感じもしなくはないので、
私的には吹奏楽版の方がより魅力的のようにも感じられます。

ホルストの第二組曲を自由曲にして、全国大会まで駒を進めたチームもありました。

1994年の中村学園ウインドアンサンブル(前身は中村学園OB吹奏楽団だったかな・・?)がそうです。
94年は、課題曲が異常に長いものばかりでしたので、課題曲に「雲のコラージュ」を選んだこのチームの自由曲は、
このホルストの第二組曲の中から、Ⅲ・鍛冶屋の歌 Ⅰ・マーチという選曲で臨んでいました。
感想としては、正直特にないけど「フィナーレは、ダーガソンの方が良かったのかも・・」という感じです。
中村学園は、1983年にも、吹奏楽オリジナルの正統派・王道ともいえるヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」で
全国大会にも出場し、この年は、課題曲がカドリーユという事もあり、長めに自由曲を取れたせいか、
イギリス民謡組曲も第一・第三楽章はほぼノーカット、第二楽章も楽章の途中からの演奏となりますけど
第二組曲と言いこの曲と言いとにかくこうした古典的名曲を全国大会で演奏した意義は大変大きいものが
あるのかなと思ったりもします。







ホルストの第二組曲の「ダーガソンによる幻想曲」はタンバリンが大変いい味を出しているのですけど、
ららマジでタンバリンを担当してるのは3年生の島村珠樹です。

東奏学園器楽部のパーカッションセクションは30人という限られた人数の中でも、ドラムス・カスタネット・トライアングル・
シンバル・グロッケンシュピール・和太鼓とかなり充実した人数でありまして、
その中でのタンバリン担当奏者がららマジ屈指のネコ娘とも言うべき島村珠樹でして、
猫と共に育ったハイテンションなネコ娘で、その語尾も「・・にゃ」という事で、時に
「おまえは、艦これの多摩ちゃんなのかっ!?」とツッコミを入れたくなってしまいそうです。
器楽部創立メンバーの一人の三年生でもありましても戦闘時は両手に持ったタンバリンで引っ掻くように猫パンチを
放ったりもします。

島村珠樹によるダーガソンの幻想曲の楽しいタンバリンのリズムの響きを味わってみたいものですにゃ~(^^♪
「海」をモチーフにした管弦楽曲と言うと誰がなんといってもC.ドビュッシーの管弦楽のための三つの交響的素描「海」に
尽きると思いますし、ドビュッシーの「海」は全人類の宝物であり後世に絶対に受け継がれてほしい音楽だと思います。
吹奏楽オリジナル作品で「海」というと、私よりも一回り上の世代の皆様ですとラ・ガッシーの「海の肖像」を推される方も
多いとは思いますし、逆に私よりも一回り下の世代の皆様ですとR.スミスの「海の男たちの歌」を推される方は
多いのかもしれないです。
そして私の世代で海をモチーフにした吹奏楽オリジナル作品というとR.ミッチェルの「海のうた」を推される方は多いと
思いますし、事実私自身も高校2年の定期演奏会の吹奏楽オリジナル作品ステージの2曲目で演奏したのがこのミッチェルの
「海のうた」でもありました。
(ちなもにこの時のオリジナル作品ステージで演奏した曲はリードの「ジュビラント序曲」と同じくリードの第二組曲でした!)
余談ですけど、これまで支部大会でわずか2チームだけですけど、トーマス・ノックスという方の「海の歌」という曲を
聴いた事があるのですけど、
(具体的には1986年の関西大会の奈良コンサートファミリーの演奏のカスタムテープと1989年の都大会での創価大学の演奏)
ノックスの海の歌は構成が大変しっかりしていて聴き応えもありましたけど、誰もこの曲の事を取り上げないし
私もこの曲に関しては何一つ情報がないです。
ノックスの「海の歌」について誰が詳しく知っている人がいらっしゃれば教えて頂ければ幸いです。

R.ミッチェルの吹奏楽オリジナル作品というのは全体的に派手さは無いけどしっとりとした歌心を感じ、
メロディーラインが単純なのだけと「どこかで聴いたことがある音楽」といったようななんとなく懐かしい部分があり、
そのしっとりとした歌にしんみりとさせられるものが多々あると思います。
日本の高齢者の方たちが「日本の演歌」を好むのと同じような感覚と言うのか、
ミッチェルのあのメロディーにはどこか演歌っぽい「お涙ちょうだい・・」みたいなメロディーラインがあるように思え、
あの演歌っぽいノリの音楽にはどこか共感を覚えます。
そして似たような傾向の曲として推したいのがジェイガーの「シンフォニアノビリシマ」だと思います。

私、実はミッチェルの作品とはかなり深い縁がありまして、
ミッチェルの曲は、高校~大学時代に何と4曲も吹いています。
高校時代の定期演奏会で、2年の時に「海のうた」を吹き、そして翌年の3年の時には「コンサート・ミニアチュア」を演奏し、
大学時代の定期演奏会とチャリティーコンサートで、「大草原の歌」と「序奏とファンタジア」を演奏した事があります。
ミッチェルの吹奏楽作品と言うと、上記の他には
序曲「スターフライト」・「祝典讃歌」ぐらいしか私は知りませんので、私は、ミッチェルのメジャーな作品はほとんど過去に
吹いていると言えるのかもしれないです!
一人の作曲家の曲を複数曲吹いた経験があるというのは他の作曲家としては
リードの「アルメニアンダンスパートⅠ」・「ジュビラント序曲」・第二組曲・序曲「インペラトリクス」 ぐらいだと思います。
(リードというとオセロとエルサレム讃歌は一度ぐらいは吹いてみたかったです!)

ミッチェルというと最も有名で演奏頻度が高い吹奏楽オリジナル作品というと「海のうた」だと思います。

吹奏楽コンクール的にはこの曲は2019年時点でこれまで4回全国大会で演奏されていて、1981年の逗子開成高校の
演奏で一気に注目が集まったという感じですけど、残念ながらこれまでの4回の全国大会での演奏はあまり印象に残る
名演も無く、の曲自体支部大会でも2006年を最後に一チームも自由曲に選んでいないという事で「忘却のオリジナル曲」に
なりつつありますけど、どこかうまいチームがこの曲の新しい魅力を発掘して欲しいです!
ちなみにですけど、中澤忠雄先生が野庭高校時代に一番最初に関東大会出場を果たした時の自由曲はこの海のうたです。
演奏自体は中間部が異様に速くて違和感を感じますけど、前半部分は後年の中澤節を感じさせるロマンティックな歌い廻しが
聴かれます。

「海のうた」は、吹奏楽オリジナル作品って吹いていて自然に涙が出そうな曲は少ないと感じられる中で、
前半のあのしみじみとするメロディーラインをクラリネットで吹いている時は何回か
唐突に何か胸にこみ上げてくる不思議な感情が自然に湧いてきて、決して涙が出るとかそういう訳ではないのですけど、
自分の感情の中に「言葉にならない感情の高ぶり」みたいなものを自然に感じる曲だったと思います。
ラストの静かに回想する終わらせ方も実に秀逸だと思います。
この曲構成的にも少し珍しいものがあり、一般的に平易な吹奏楽オリジナル曲の傾向としてリードやスウェアリンジェン等に
代表される通りA-B-Aという速い-遅い-速いの三部構成が一般的だと思うのですけど
コンサートでチャイムで開始される序奏→ゆったりとした抒情性が伝わってくる前半の展開部→激しく動く中間部→
しっとりと静かに回想しながら終わらせる終結部という吹奏楽作品としては珍しく、
前半とラストで「静のドラマ」を盛り込んだ曲と言えるのかもしれないです。
そして私が感じた事はどうやら私以外の方もそのように感じていたようでして、先程も触れましたけど、
野庭高校吹奏楽部をテーマにした「ブラバン・キッズ・ラプソディー」とい本の中でも、中澤先生が初めて野庭高校を指導して
吹奏楽コンクールに臨んだ年の自由曲がこのミッチェルの「海のうた」だったのですけど、
あの本の中でもクラリネット奏者の皆様たちが
「吹いている内に自然と涙が流れそうな不思議な感覚の曲」と評されていましたけど、この言葉は私自身も同感ですね~!
私的には、前半のヴィヴラフォーンのソロ・中間部の盛り上がりの一つの頂点のティンパニソロや、
ラスト近くのホルンのソロにも大変共感を感じます。
後半のゆったりとした歌は、海の描写というものではなくて、「個人の心の動き」を示唆しているようにも感じたりもします。
何か重大な出来事が起きて、それから10数年後にその事件をゆっくりと振り返るみたいな回顧的な感情を
私的には感じ取ってしまいます。
意外な事かもしれませんが、ミッチェルの「海の歌」にはベースギターが使用されています。
上記で書いた通り高校2年の時の定期演奏会でこの曲を演奏したのですが、パーカッションパートが
「あれ~この曲にベースが入っている」とか言っていたので総譜を見てみると確かにベースが打楽器として入っていました。
こうしたしっとりとした抒情的な曲にベースの指定があるとはかなり意外な感じもしたものです。

ミッチェルの「海のうた」をクラリネット奏者の視点で述べると、吹奏楽において最もメロディーラインを担当する事が多いパートが
クラリネットパートであるのですけど、「海のうた」は冒頭から最後まで意外とメロディーラインを吹く事が少なかったのは
ある意味印象的でした。
前半のしっとりとした部分のクラリネットはもごもごとゆったりとした上下の音階を繰り返している伴奏が大変多かったですし、
ソロ箇所の裏メロなどどちらかというと裏方という印象が強かったです。
それでもそうした上下の音階部分でも前述の通り「吹いていて自然と涙が落ちてきそう・・」といった不思議な感情の高ぶりを
感じるから面白いものです。
中間部の盛り上がり部分もクラリネットはリズムを刻んでいたり裏メロを担当したり、速いパッセージをリズム的に支えていたりと
ここでもあまりメロディーラインを担当させてもらえなかった事は吹奏楽オリジナル曲としては珍しい部類に入るのかも
しれないです。
そしてこの曲は随所にすてきなソロが用意されていて、冒頭はコンサートチャイムの清楚な響きで開始され、
前半の展開部に移る前にはヴィヴラフォーンの完全ソロもあったりします。前半のアルトサックスの美しいソロもすてきです!
そして盛り上がる中間部に入る直前にはオーボエの美しいひそやかなソロがありますし、
中間部の頂点の直前にはティンパニのかっこよすぎるソロもあり、ラスト近くにはホルンのソロも聴く事ができます。

_convert_20200527202215.jpg

先程、海のうたの中間部の頂点の直前にはティンパニのかっこよすぎるソロがあると記しましたけど、
2小節程度の短いソロですけど、あの部分は打点が決まるとさらに締まると思います。

当ブログで何度か語った通り、私自身、中学に入学する前には小学校の管楽器クラブというスクールバンドで担当していた
楽器はティンパニを中心とする打楽器でしたけど、今更ながら
「どうして中学に入る時に吹奏楽部の楽器振り分けとしてそのまま打楽器を選択しなかったのかな・・?」と感じることもあります。
ただ当時は「メロディーラインを自分の息を吹き込む事で感じ取りたい」という意識の方が強かったからなのかもしれないです。

でも今更ながら、例えば吹奏楽オリジナル曲だったらネリベルの「二つの交響的断章」とか
チャンスの管楽器と打楽器のための交響曲第2番~第三楽章とかはたまたこのミッチェルの「海のうた」のティンパニソロも
叩いてみたかった気もしますね~♪
1981年の全日本吹奏楽コンクール課題曲は

A イリュージョン

B 東北地方の民謡によるコラージュ

C シンフォニックマーチ

D 行進曲「青空の下で」

という4曲でしたけど、私の感覚としてはこの四曲の中で圧倒的に優れていた作品は、
課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュだったと思います。
私自身、今でもこのコラージュは大好きでして、この曲は「私自身が選ぶマイベスト課題曲ベスト10」に間違いなく
入る曲の一つだと思います。
そこには私自身の東北生れ・東北育ちとしての血というのか、
この曲のベースとなっている東北の民謡を聴くと郷愁を感じ、血が騒ぐみたいな感覚があるようにも感じられます。
この年のコンクールは全国的な傾向なのですけど、課題曲の傾向としては
課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュに人気が集中し、
例えば東北大会においても高校A部門では、13チーム中、課題曲Bを選んだチームが実に9チームにも達していましたし、
全国大会でも高校の部では出場25チームのうち、課題曲Bを選んでいたのは15チームにものぼっていました。
この課題曲は今も昔も私も大好きな曲なので、県大会や支部大会で他校の演奏を聴く際も
一日に何度も同じ課題曲を聴いたとしても全然飽き無かったしむしろとても楽しかったです!
演奏団体によって全然異なる解釈や多種多様な表現を非常に興味深く聴くことが出来たと思っています。
(櫛田さん作曲の課題曲として1994年の「雲のコラージュ」がありましたけど、残念ながらこの曲は私は大嫌いなものでして、
94年の吹奏楽コンクールは繰り返し何度もこの雲のコラージュを聴かされることはとてつもない苦痛でした・・)

「東北地方の民話によるコラージュ」は、作曲者が同じという事で、後年の1994年の課題曲Ⅳ/雲のコラージュと同様に
元々の譜面で指定されている楽器は使用しなくても構わないし、他の楽器で自由に代用しても構わないし、
基本的にはどんな楽器で演奏してもOKという非常におおらかなものでした。
ほとんどのチームは、譜面の指定通りの楽器を使用していましたけど、中には後縦しますけど
青森県信用組合のように、アルトサックスのソロの部分を本物の「尺八」で代用したり
弘前南高校のようにラストのトランペットの二重奏をフルート二重奏で置き換えたケースもあり
色々興味深い演奏は聴けることが出来ました。
面白い事にこの課題曲は、例えばトランペット二重奏部分の前とか
前半の幽玄な部分が静かに閉じられアレグロに入る手前にちょっとしたフレーズが出てくるのですけど、
この部分は指揮者の判断によりカットしても構わないといった作曲者公認の「カットOK」という珍しい要素も含まれていました。
実際の演奏ではほとんどのチームはその二か所についてはカットしていたと思います。

この課題曲はタイトル通り東北地方に伝わる民謡をベースに構成されていて。
具体的には「南部牛追い歌」「津軽じょんがら節」「庄内おばこ」「南部二下り甚句」といった東北の人ならば
一度くらいは耳にした事がある懐かしいフレーズが次から次へと出てくるのですけど、
私的に一番「このメロディーは胸にしみるね・・」と感じるのは南部牛追い歌と津軽じょんから節だったと思います。
打楽器編成の中に和太鼓・締太鼓といった日本の伝統楽器が登場するのも大変興味深いものが
ありましたし、部分的に「ガラガラ」みたいな打楽器も登場していました。
序奏は大変幽玄的で、後半のアレグロの展開部分は大変ヴァイタリティーがあり、ラストのトランペット二重奏で
しんみりと閉じられるといった構成でした。
トランペットの二重奏は二人の奏者にとっては大変プレッシャーが掛かると同時に精神力との戦いみたいな部分でも
あったと思います。不思議な事にこの箇所はそれほど大崩する事も少なく、目立ったソロミスは少なかったようにも
感じられます。

この課題曲Bは、全国大会・高校の部においては、九州・四国・中国・関西といった西エリアのチームは
課題曲としてはあまり選ばれておりません。
実際に演奏された事例の中でも、福岡工大付属のように異常に前半が遅くて時間を掛けているとか
就実のように後半、やたらと和太鼓を叩き鳴らすなどのように「それはどうなのかな・・?」といった表現は多かったと思います。
これは曲に出てくるメロディーへの共感度の大きさの違いなのかもしれないですね。
例えばですけど「大阪俗謡による幻想曲」は、関西より西のチームに偏ってどちらかという演奏されるようにも感じられますし、
この大阪俗謡による幻想曲をかつて札幌白石高校が演奏した際は、曲に対する共感度がなんとなく低めに感じられ
例年よりも今一つも今二つもノリが大変悪かったというのも何となく理解できるような気もします。
だって東北出身の私があの曲を聴いても「あー、このメロディーどこかで昔聴いたことがあるある!」というのは皆無ですし、
そうした意味では関西のチームがあの曲を演奏すると、一つの郷愁というのか血が騒ぐ感覚というのに
通ずるものがあるのかもしれないですよね。
それと同様な事が「東北地方の民謡によるコラージュ」にも起きていたと言えるのかもしれないです。
この課題曲は全国大会でもたくさんのチームが演奏していて、とにかく個性溢れる素晴らしい演奏が続出していたと
思うのですけど、音楽的解釈で大変面白かったのは埼玉県の市立川口高校だったと思います。
このチームはとにかく前半が長い長い・・異常にスローテンポで、参考音源の演奏時間は4分35秒なのに、
市立川口は5分38秒でした! このチームはアレグロに入って以降はかなりの快活・快速テンポでしたので、
序奏のあの息の長い歌い廻しは大変印象的でもありました。
音の美しさ・洗練さ・幽玄的な雰囲気という観点で大変印象的な演奏は、花輪高校と習志野高校だったと思います。

「東北地方の民謡によるコラージュ」を語る上で私的に絶対に外せない演奏が二つあります。
その二つの演奏は私自身が1981年の山形市で開催された東北大会の第一日目で生演奏として聴かせて頂いたもので、
あの当時は私自身がまだ吹奏楽とか音楽の事など何も知らない時代でもありましたので、余計に当時の私の胸に
響いていたのかもしれないですね。

その一つは「青森県信用組合」です。

このチームは、1980年に全国大会初出場を果たし、
課題曲C/北海の大漁歌と自由曲として交響詩「フィンランディア」を演奏し、この時は銅賞の評価を得ています。
この時の課題曲の演出は大変ユニークで、ステージ内に大きな丸太を持ち込み、
譜面上では拍子木指定の部分をこの丸太でコーンコーンと打ち鳴らし、一定の演奏効果を得ていたと思います。
青森県信用組合は翌年、指揮者に箕輪響氏を迎え、櫛田作品路線で臨んで以降は
更に素晴らしい進化を見せてくれることになりました。

「東北地方の民謡によるコラージュ」は前半の幽玄的な部分でアルトサックスのヴィヴラートかけまくりのソロを
かなり大胆に取り入れていて、このソロの部分は大変寂しげでもあり哀しくもあり同時にほのかな情熱すらも感じさせる
大変大きな見せ場でもあるのですけど、
青森県信用組合はこのアルトサックスの部分をなんと・・!! 本物の「尺八」を使用していて、
しかもこの尺八がうまいのなんのって、とにかくこぶしをノリノリで聴かせてくれていて、
あのノリはいかにも山の虚無僧みたいな雰囲気が見事に醸し出していたと思います。
日本古来の楽器である尺八をもって東北民謡を朗々とたっぷりと情感を込めて歌い上げていたのも素晴らしかったし、
何よりも「尺八を大胆に使用する」というそのアィディアが「お見事!!」以外の言葉しか出てこないですね。
青森県信用組合は東北大会代表として選出され全国大会でも金賞を受賞されていましたけど、全国大会のBJの講評でも
「全部門を通して最高の演奏」と大絶賛されていたと思います。
1981年の青森県信用組合の自由曲は「飛鳥」でしたけど、こちらも素晴らしい演奏でした。
前年度の1980年に、粟野中学校が同じ飛鳥を演奏していましたが、
粟野中の場合は、ドラをとにかく打ち鳴らし積極果敢に攻める飛鳥という印象なのですが、
青森県信用組合の方は、しっとりと落ち着いて聴かせる大人の飛鳥という印象でした。

二つ目のチームは、残念ながら東北大会ダメ金で終わってしまい全国大会に進む事は出来なかったのですけど、
高校A部門に出場していた大曲高校です。
ちなみに大曲高校のこの年の自由曲は三善晃の交響三章~第二楽章です。
(交響三章は第三楽章が演奏されることが多いだけに第二楽章というのも大変珍しいと思います)
この大曲高校ですけど、当時の東北大会を聴いた人ならば多分同じ事を言うと思うのですけど
この年の全国大会、支部大会を通して「最高の課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュ」だったのではないかと
思います。
私自身大曲高校のコラージュを聴いて背中が凍りつくほどゾクゾクさせられるものがありました!
奏者と指揮者が完全に内面的に燃焼し尽くした大変緊張感が強い演奏は、多分ですけど他には存在しないだろうとすら
思えますし、聴いていて曲の冒頭からピーーンと異常に張りつめた空気が流れていましたし、
息をする事や咳払いする事すら許されないようなとてつもない緊張感が会場内にあった事は間違いないです。
これは当日、あの日あの時会場にいてあの演奏を生で聴いていて会場でその雰囲気を肌で敏感に感じ取っていた
私がストレートにその感想を述べているものであり、決してこの言葉に大袈裟なものや誇張はない事だけは
お断りさせて頂きたいと思います。
これまで聴いた事がない張りつめた空気の「コラージュ」でしたし、
聴いているだけで体の底からゾクゾクしてくる凄まじい内省的な張りつめた空気がビシビシと伝わってくる演奏でした。
アレグロに入って以降の土俗的なヴァイタリティ―も素晴らしく、前半の緊張感と後半のエネルギーの対比が
とてつもなく鮮やかだったと思います。

当時の私は、吹奏楽の名門校とか前年の代表校など何も知らない真っ白の状態でこの年の東北大会を聴いていて、
この時の私の率直な感想は、1981年の東北大会の全国大会代表校3校は、花輪・磐城・大曲だと思っていたほどでした。
ちなみにこの年は弘前南高校が全国大会5年連続金賞に大手を掛けていた年でもあるのですけど、
当時の私の印象・率直な感想としては「弘前南は感銘度がうすい・・」という感じでした・・
ちなみに弘前南高校は全国大会では大変感銘度と内省的充実感を見せてくれた演奏を聴かせてくれていて、
堂々たる全国大会・金賞を受賞し、全国大会5年連続金賞を達成していました!

あの時の大曲高校の実況演奏のの音源はどこかに残っていないものでしょうか・・
当時の東北大会の演奏はレコード化されてはいるのですけど、その音源がどこかに残っていないものか、
今でもちょっと気になったりもします。





東北地方の民謡によるコラージュの中盤のアレグロ以降の展開は、和太鼓が大活躍をしていて
曲全体のリズムをリードしていますけど、
ららマジの器楽部の打楽器パートの中で和太鼓を担当しているのは、実はJKさんではなくて、JCさんの中学3年の
神田茜という元気はつらつとした下町娘というのもとてもすてきですね~♪

神田茜は粋でいなせな下町少女で、とにかく祭りが大好きで落ち着きがない性格というのも
なんだかやたらと喧嘩早そうな粋な江戸っ子みたいなものなのかもしれないです。
だけどそうした元気溌剌で落ち着きがなく常に何かを絶えず精一杯表現しようとするその姿勢に相応しい楽器こそが
日本の伝統的和楽器の一つの「和太鼓」と言えるのかもしれないです!
お祭りや神社の奉納の舞の際の櫓の上には、いつも神田茜が元気一杯和太鼓を叩き鳴らしているのだと思いますね~♪
中学生と言う事でまだ小柄な体格ですけど、小さ目な体をダイナミックに躍動させるそのエネルギーに見ている人たちを
感動させるのかもしれないですし、神田茜はポニーテール娘と言う事で、叩くたびに髪の束が揺れるのもとてもかわいくて
粋なのだと思います。

ららマジ器楽部による東北地方の民謡によるコラージユの演奏も聴いてみたいですし、
神田茜による和太鼓の演奏にも興味津々であったりもしますね~♪
吹奏楽コンクールの課題曲が全部門共通で4~5曲の中から一曲を選択するというスタイルが完全に確立されたのは
1978年以降の話でして、1977年は現在のスタイルが確立される一年前の課題曲ということになると思います。
1977年は少し変則スタイルとなっていて、
中学の部→ドリアンラプソディー 高校の部以上→バーレスク 全部門共通→ディスコ・キッドとなっています。
※課題曲Dの「若人の心」は小編成部門ですのでここでは割愛します

この年の課題曲は、実によく出来ていると思います。
ドリアンラプソディーは大変不思議な感覚の曲ですし、妙な哀愁感もありますしお茶目な部分もあったりします。
私の高校の定期演奏会において、私が卒業した3年後になぜかこの曲を演奏していましたが、
改めて聴いても「不思議」としかいいようがない曲だったと思います。
1977年の中学の部というとほとんどの皆様は、今津中の「運命の力」序曲という大変な歴史的超名演を推される方は
多いと思いますし、私もそれに関しては全く異存はないのですけど、それにしてもあの金管セクションの響きは、
とてもじゃないけど公立学校の中学生の演奏とは到底信じられないハイレヴェルのものがありますし、
指揮者の得津先生としては前年度のマイスタージンガーの銅賞がよほど口惜しかったと言えるのかもしれないです。
(76年の演奏はよく音量過剰と批判を受けていますけど、私的には同じ自由曲の73年の演奏とほぼ近いものがあると
感じていますし、人が言うほど76年の今津がそれほど汚い音の音量過剰とは感じられないです・・
ただ、鳴らし過ぎというのは事実だと思います)
今津も素晴らしいのですけど、それと同じくらいの素晴らしい名演で特に課題曲のドリアンラプソディーの演奏が
この年の中学の部の最高のドリアンラプソディーといえるのが三木中なのだと思います。
三木中は自由曲の「天地創造」~ノアの箱舟・メインテーマも音楽が大変自由自在で、あののびのびとした高揚感は
いつ聴いてもうっとりとさせられるものはあると思います。
そしてポップス系課題曲のひとつの大きな頂点とも言える記念碑的な名曲が課題曲Cの「ディスコ・キッド」なのだと思います!
ディスコ・キッドはいま改めて聴くと本当に奇跡のような課題曲だと思いますし、こんなにもポップスの香りがバリバリの
楽しさあふれるこの曲は何度聴いても全く飽きることは無いと思いますし、あの佐渡裕さんが何度も取り上げているのは
この曲の普遍的名曲を立証しているのだと感じます。
とにかくこの曲を課題曲に選んだ当時の吹連の勇気と見識の高さに敬意を表したいと思います。

1977年の高校・大学・職場・一般の部の課題曲がBの大栗裕作曲の「吹奏楽のためのバーレスク」です。

バーレスクというのはフランス語で、本来の意味としては、とある作品に対する風刺・カリカチュア・パロディーと
言えると思います。19世紀のアメリカにおいてはキャバレーのストリップショーといった意味合いもあるそうです。
大栗裕はこの課題曲を作曲当時において、
「バーレスクというタイトルや風刺という意味にそれほどこだわらずに曲の根底にある土俗的な匂いを表現してほしい」という事を
述べられていたと思いますけど、私自身が最初に大栗裕の「仮面幻想」と「巫女の謳えるうた」を聴いた時の印象が
「なんだか77年の課題曲のバーレスクの世界観に近いものがあるのかも・・」と感じたものですが、
土俗的な雰囲気という意味においては、私のそうした感想もあながちとんちんかんなものではなかったと思います。

大栗裕の作品は「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸物語による」・「大阪俗謡による幻想曲」などに
代表されるとおり、土俗的な日本の香りとかおぞましさ、ドロドロとした怨念とかおどろおどろしい土の香りを
感じさせる作曲家なのかもしれないです。
吹奏楽のためのバーレスクはもしかしたら日本人にしかわからないリズムと感性の曲なのかもしれないです。
おぞましいのだけど、舞踏の感覚というのか神社の奉納音楽のようにも聴こえますし、仮面劇のBGMのようにも
聴こえたりもします。
おどろおどろしさの中にもどことなくユーモラスな側面と土俗的なねばっこさも持ち合わせているような気がしますし、
それを3分半程度の短い曲の中に凝縮した作品が、この「吹奏楽のためのバーレスク」という吹奏楽コンクールの課題曲だけと
いう評価に留めておくにはあまりにももったいない作品なのだと思います。

実際このバーレスクは、2008年の全国大会・中学の部で西関東代表の芝東中学校が自由曲として
取り上げていた事もあったりします。
吹奏楽コンクールの課題曲は「コンクールが終わると二度と譜面を見たくもないし聴きたくもない」といわれたりもしますけど、
たとえばこのバーレスクとか88年の三善晃の「吹奏楽のための深層の祭り」とか87年の保科洋の「風紋」とか
76年の後藤洋の「即興曲」とか大栗裕の「吹奏楽のための小狂詩曲」などのように吹奏楽コンクールの課題曲が
その後自由曲として演奏される事例も稀にですけどあったりしますが、それはやはりその課題曲の時代を超えた名曲と
いうことになるのかもしれないです。

2008年の川口市立芝東中学校は、私の住んでいる川口市内の学校でもありますので、当時の全国大会出場は
私自身もとってもうれしいものがありました。
演奏も31人編成という小編成ということで、
編成が少ない分、1人1人の責任は重くなりますけど、各奏者が積極的に表現しようとする意図は十分に感じられたと
思います。
バーレスクは77年に多くのチームが演奏した際の演奏時間は概ね3分半~長くても4分以内だっと思いますが、
芝東中の演奏は約5分ぐらいのもので、ひとつの曲をじっくりと丁寧に濃密に表現しようとする意図も十分に
伝わっていたと思います。
1993年前後の関東大会、中学校B部門において、新潟県代表のチームが1986年の課題曲A/吹奏楽のための変容を
原曲の演奏時間は3分半程度ですけど、関東大会の演奏ではとにかくひっぱるひっぱるひっぱる・・という感じで
テンポルバート・音のための曲解とも言えそうなほどの大胆な解釈はとても新鮮で感動的なものがありました。
審査結果は銀賞でしたけどあの演奏の価値は金賞以上のものがあったとすら感じています。

とにかく過去の吹奏楽コンクール課題曲には今現在は埋もれているけど、素晴らしい名曲も実はたくさんあるという
事なのだと思います。

1977年当時のこの課題曲の名演はたくさんあると思います。

私的には秋田南高校を推したいのですけど(どうしても自由曲の「春の祭典」の印象が強いのですよね~!)
新鮮な感覚という観点では、弘前南を推したいと思います。
この学校は、この年が全国初出場なのですが、それを全く感じさせない生き生きとした演奏です。
自由曲の「エル・サロン・メヒコ」も今聴くと結構荒っぽい演奏ですけど、演奏が実に初々しい感覚に溢れていますし、
聴いていてとても楽しいと思います。
弘前南は、結果的に初出場のこの年で初金賞を受賞し5年間金賞を取り続け、1982年に特別演奏を披露しています。
そして、この特別演奏の後は全国には一度も出場していません。
つまり、全国での演奏の全てが金賞という珍しいチームなのです。
当初は女性指揮者が3年間振っていましたが、4年目のドリーから男性指揮者に交代となったものの
五年連続金賞の中で指揮者が交代した事例はレアなケースだと思います。
(他には、天理高校と1984~88年の神奈川大くらいかな・・・)

バーレスクの演奏に限って話をすると、おどろおどろしい演奏になりがちなこの曲を弘前南高校が演奏すると
道化とか仮面の遊びみたいなお茶目さを感じさせてくれていると思います。
秋田南高校のバーレスクは、聴き方によっては「固い」と思わせるほど端正で理性的で正攻法で真面目な演奏です。
対照的に自由曲の「春の祭典」は、大胆不敵で豪快で自由自在さは際立っていました!

最後にもうひとつ・・

首里高校の演奏も素晴らしかったです!

バーレスクは、ともすると単調な演奏になりがちで不気味な要素を前面に出しがちの傾向が多かったようにも
感じるのですけど、首里高はむしろこの点をかなり「カラっ!!」と明るい感じにうまくまとめていて、
私としてはこうした不気味でおどろおどろしくないこうした「仮面の踊り」も大いにありだと思います。
自由曲のワーグナーの楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲も
朗々とたっぷりと歌い上げているという感じで、「ワーグナーの歌心」というか「陶酔感」をしみじみと感じたものです。
74年もそうでしたけど77年の演奏も、木管を主体にして構成し、「たっぷりと歌いあげる事」に主眼を置いていて、
聴いていて「とにかく気持ちいいほどたっぷりと歌いこんでいるな・・・」という印象が大変強いです。
ただ一つ難点を言うと、原曲よりキーを下げての編曲とクラリネットセクションのまるで鶏の首をひねるような
つんざくような高音のヒステリーっぽい響きが少し感じられたのは惜しいと思いましたが、審査結果は銀賞だけど
私的には金賞の評価に近いものがあると感じています。

吹奏楽のためのバーレスクは大栗裕という関西の作曲家の作品なのですけど、今現在も傾向として
例えば「大阪俗謡による幻想曲」は淀川工科をはじめどちららかというと西日本のチームの方が「土着の血が騒ぐ」
みたいな感じで共感性の強い名演が多いように感じられるのですけど、
吹奏楽のためのバーレスクに関しては、高校の部においては大栗裕の地元に近い西日本のチームよりは、
関東・東北のチームの方がより共感度の強い思い入れのある演奏を聴く事ができたのは意外だけど興味深いものは
感じたものでした。
F.シュミットの「ディオニソスの祭り」という古典中の古典の名作吹奏楽オリジナル作品の人気は全く色褪せることなく
現在にまで至っていますよね~!
高校A部門や一般の部あたりですと、県大会や支部大会では飽きられる事なくこの難曲中の難曲を1チームぐらいは
大抵演奏している事が多いですし、この曲は既に1970年代から全国大会で演奏されている事を考えると、
この曲がずっと自由曲として選ばれ続けることは大変尊い事だと思いますし、それだけ名曲としての評価が定着している
事だと思いますし、なによりも指揮者にとっても奏者にとってもチャレンジし甲斐がある曲という事なのだと
思います。
今年の吹奏楽コンクールは地区・県・支部・全国とほぼ全てのコンクールが中止となり、この「ディオニソスの祭り」を
今年に関しては生演奏で聴く事はできなかったのはとても残念ですけど、来年以降もしも通常通り吹奏楽コンクールが無事に
開催された時には、この「ディオニソスの祭り」も新しい感覚でもって新たな伝説の名演が生まれることを
期待させて頂きたいと思います!
吹奏楽コンクールの自由曲の人気というのも結構水物というのか飽きっぽい所も多々あり、
前年度にとてつもない人気自由曲となって支部大会や全国大会で複数ものチームが演奏されたとしても、翌年以降は
きれいさっぱり忘れられているという事例もかなりありましたよね~
例えば1980年代後半から90年代初めにあれだけ大ブレイクした田中賢の「メトセラⅡ」なんて、今現在ではほとんど
忘却の彼方の曲にすらなっていると思いますし、一時あれだけ人気のあったR.Wスミスの「海の男たちの歌」とか
メリッロの「アメリカの騎士~選ばれし者」とか天野正道の交響組曲第2番「GR」なども以前に比べるとあまり演奏されなく
なってきましたよね・・

そうした意味においてはこの「ディオニソスの祭り」は凄いと思います。

この曲が初めて全国大会に登場したのは1973年の関西学院大学なのですけど、それ以降2019年時点で
なんと48チームがこの曲を自由曲に選曲して全国大会に出場して演奏されています。
2019年においても中学の部で1チームが演奏していましたけど、大体平均して2年に一度程度の割合で
この曲が自由曲として選ばれ続けている事は何を意味するのかと言うと、
時代や指導者が変わっても不変的に愛され続けているし、吹奏楽オリジナル作品としては異例とも感じられるほど
人気が長期に渡って維持されているというのは素晴らしいという事なのだと思います。
上記で書いた通り、一時的に演奏されたとか短期的に人気はあったけどその後はサッパリ・・という吹奏楽オリジナル作品が
山のようにある中で、「人気が衰えないでずっと維持され続けている」この曲はやはり「本物」なのだと思います!

よく偉い音楽評論家の皆様が「吹奏楽オリジナル作品として高く評価できる古典的作品として三つ挙げると、
ホルストの吹奏楽のための第一組曲、シェーンベルクの主題と変奏、そしてシュミットのディオニソスの祭りを推したい」
と書かれている記事を目にする事もあるのですけど、
ホルストとシェーンベルクの曲が全国大会で今後演奏される可能性は極めて低いと予想される中、
ディオニソスの祭りは、単なる「音楽資料的に素晴らしい」とか「歴史的に素晴らしい」という事ではなくて、
昔も今もこうやって実際に現場で演奏され続けている事が凄いと思います!

改めてですけど、「ディオニソスの祭り」は、フランスの作曲家フローラン・シュミットが
1913年にギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団のために作曲した古典中の古典の吹奏楽オリジナル作品です。
こんな20世紀初期の頃に作曲された吹奏楽オリジナル作品が今現在の吹奏楽コンクールでも演奏され続けている事自体、
改めて驚き以外の何物でもないです。

現在の吹奏楽コンクールの高校の部でしたら、55人編成の限られた奏者での演奏となりますけど、
後述しますけど原曲の今現在では使用されないとてつもない特殊楽器が奏でる響きはとてつもなく幻想的であり、
とてつもない大人数の編成で織り成す壮大なスケール感は圧巻で、
吹奏楽オリジナルの最高傑作の一つと今現在でも大変評価を受け続けているのはごく当然だと思います。

「ディオニソス」とは、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神で、
ゼウスの浮気相手セメレーの子がディオニソスですので、
ディオニソスは、ゼウスの正妻ヘラから大変に憎まれていたというのが神話の基本設定です。
どちらかというと酔っ払いの陽気な神様みたいなイメージもあるのかとは思うのですけど、
「ディオニソスの祭り」で描かれているディオニソスは、
エーゲ文明における狂乱と陶酔を象徴する神様というイメージの方が近いような気もします。
(あの曲の陶酔感と狂乱感は少なくとも単なる陽気な酔っぱらいのおじさん・・みたいな感じではないですよね・・)
余談ですけど、私、大学の第二外国語選択がドイツ語だったのですけど、そのドイツ語講義の際に使用された
テキストがギリシア神話でありますけど、ドイツ語というのは大変文法が難解で、習得は大変困難を極める言語の一つだと
思います。
ドイツ語には名詞に男性名詞・女性名詞があったりして、男性名詞と女性名詞によって定冠詞が異なるというのも
面倒な点の一つでしたけど、逆に定冠詞によってその固定名詞が男性なのか女性なのかはある程度分かるのですが、
そのドイツ語講義の際に、とあるポンコツ学生が、ディオニソスは男性名詞という事が分かっているにもかかわらず
「ディオニソスが創造した」というワードを
「ディオニソスが赤ん坊を妊娠した」と誤訳をしてしまい、教官からため息交じりに
「君たちは本当にバカだな・・」と言っていたのが大変印象的でした。今現在の視点で言うと「君たちは本当にバカだな・・」と
いうと「おまえは東方のナズーリンなのかっ!?」とツッコミを入れたい気持ちはあったりもします。

冒頭部分に象徴されるように低音金管楽器に高度な表現力が要求されますし、序盤のユーフォニアムのソロは
奏者にとってはあの音の揺れと高音域をしっとりと表現するのは大変難しいものがあると思います。
全体を通じて木管楽器中心にソリスティックな速いパッセージがたびたび登場しますし、
各パートの入りのタイミングの噛み合わせも難しく、要求される音域の幅広さとあいまって
難曲中の難曲の吹奏楽オリジナル作品として名高い曲と言えると思います。
ラスト近くのあのすさまじい熱狂と陶酔感は何度聴いても飽きることは無いですね!
熱に浮かされたようなあの怒涛のクライマックスはまさに「圧巻!」の一言に尽きると思います。

この「ディオニソスの祭り」ですけど、最大の特徴は、サクソルン属の金管楽器を大量に採用した巨大編成という
事が挙げられると思います。
とりわけ、総勢12名にも及ぶバスおよびコントラバス・サクソルンは圧巻です!
スコアに記載された編成で演奏しようとすると、最低でも約88名もの演奏者が必要となりますし、
オプション楽器を加えると総勢120名すらも超える超・巨大編成となってしまいます!
この曲に使用されているサクソルン属の金管楽器というのは、換言すると金属管のダブルリード楽器であり、
野外演奏を念頭に1850年代に発明されたダブルリード版サクソフォーンと言ったほうがわかりやすいと思います。
だけど、このサクソルン属の金管楽器というのは、コントラバスサリュソフォーンを含めて現在では全く演奏されることも
使用されることも無いある意味「絶滅楽器」でもありますので、
現在この曲を作曲時の作曲者による指定のオリジナル通りに演奏できる団体は存在しておりませんし、
原曲通りに指定された楽器をそのまんま吹くことはほぼ不可能と思われます。
現在の吹奏楽コンクールで吹かれているものは、現在の吹奏楽編成に見合った楽器使用を前提に
アレンジされた楽譜が使用されていることがほとんどです。
1960年代に来日公演&録音をしていたパリギャルド吹奏楽団は、サクソルン属の金管楽器をかなりの部分で使用し、
この曲の原曲の響きに近いものを再現しています。
また1993年の全日本吹奏楽コンクールの東京支部代表の乗泉寺吹奏楽団の自由曲の「ディオニソスの祭り」は、
部分的にサックスセクションがこのサクソルン属の金管楽器に持ち替え、
この曲本来の響きを都大会や全国大会でも高らかに響かせてくれていて、あれは音響的にも視覚的にも
絶大な効果があったと思います!


_convert_20200721232424.jpg


ちなみに上記の楽器が現在では誰も見たこともないしその音を聴いた事も無いかもしれない幻の楽器とも
いえそうなコントラバスサリュソフォーンです。

金属製でダブルリードを用いるという事で、サックスとファゴットの合成楽器みたいな感じもしますけど、
誰も見た事すら無い楽器という事で「吹く事ができる生きた化石みたいな楽器」とも言えそうです。

少しマニアックな話ですけど、このディスオニソスの祭りは、実はシュミットの2作目の吹奏楽作品でして、
1作目の交響詩「セラムリク」は、演奏されることも全く皆無ですし、だれもこの曲を聴いたことはないと思いますし、
私も聴いたことすらあれません・・
 
1980年代初めの頃のBJ(バンドジャーナル)を読み返してみると、かなりの数の先生方や投稿者の皆様が
「1977年の銚子商業のディオニソスの祭りの演奏は、高校の部の飛躍を示唆する演奏」と言われてはいるのですけど、
これはあくまで私の感じ方なのですけど、
「えーー、それって違うじゃん・・高校の部の飛躍を示唆した演奏って、1976年の秋田南のペトルーシュカじゃん!」
とも思ってしまいます。
秋田南のペトルーシュカについてはこのブログでは過去に何度も何度も執拗に書いていますので、ここでは
割愛をさせて頂きますが、あの演奏こそが当時は「充実した中学の部に比べると今一つ」などと
今現在では絶対にあり得ない事を指摘されていた「高校の部」において、
1980年代から現在に至るまでの「高校の部の素晴らしき充実」の一つのきっかけになったのではないのかな
とすら感じています。

結果論になりますが、銚子商業は1980年の全国大会でも再度この「ディオニソスの祭り」を自由曲として演奏していますけど、
銚子商業による二つのこの「ディオニソスの祭り」に関しては1980年の方が断然素晴らしいと思います。
77年の演奏は、確かに上手いのだけど、なんか部分的に消化不良とか迷っているみたいな印象も
受けたりするのですけど、1980年の演奏には、そうした「迷い」は全く無いと思います。
77年の演奏は、難曲をよく音にしているという印象はあるのですけど、聴衆に「何か」は伝えきれていなかったようにも
感じられます。
指揮者の小澤先生としても77年の経験をベースにされて80年に再チャレンジをされて、この時はほぼ完璧に
この難曲を自分達のものとして完成させ、普門館の聴衆に「何か」を間違いなく伝えていたと思います。

あくまで個人的な趣味ですけど、この「ディオニソスの祭り」で、銚子商業以外で大好きな演奏を列記すると、

1.1985年の兵庫県の御影高校

2.1993年の東京の乗泉寺吹奏楽団

3.1982年と1993年と2011年の神奈川大学

4.1988年の天理高校

などがあげられると思います。

1985年の楊先生指揮の御影高校の「すさまじくアクが漲った演奏」は素晴らしかったです!!
当時の私の周辺では「兵庫高校の吉永陽一先生の再来!!」と話題になっていました。
こういうアクの強い演奏は往々にして好き嫌いというか評価は分かれると思いますが、
私はこういう強い攻めの演奏、隅からすみまでコンクールを意識した演奏は決して嫌いではありません。
積極的で自意識過剰の演奏で大好きです。
よく「甲子園には魔物が棲んでいる」とか言われますけど、
同様に音楽にも魔物が住みつく時もあります。
御影高校のアクの強い演奏には、「魔物」が住みついていたと思いますし、
演奏者も、そうした魔的な感覚ももしかして吹いている最中にも感じていたかもしれませんよね。
1993年の乗泉寺吹奏楽団の演奏は上記で書いた通り、今現在では使用されていない筈のサクソルン属の楽器を
サックスセクションが部分的に持ち替えて演奏していたのは、視聴覚的にも大変インパクトがあったと思います。
演奏も指揮者の時任先生の情熱的で熱い指揮が印象的で、両足をかなり大胆に開けたとにかく凄まじい大振りの指揮が
今でも鮮明に記憶に残っています。
演奏自体もとにかく細かい所にまでよく配慮されているだけでなく、感情の高揚感が素晴らしかったです。
神奈川大学は銚子商業での演奏実績をベースによりスケールの大きな演奏をしていて、特に1982年と2011年の
完成度の高さはこの曲の模範的演奏の一つだと思います。
1988年の天理高校は、金管セクションが少し強烈過ぎた印象もあるのですけど、
あのサウンドの透明感と絶対的威圧感は申し分ない演奏だったと思います。

このブログでは何度か書いている通り、私自身の高校は男子高校で、当時は絶対的で慢性的な
クラリネット奏者不足に泣かされ続けて、毎年一定以上の演奏レヴェルはキープ出来ていたものの、
指導者が不在で毎年生徒の中から指揮者を選出してコンクールに出場し続けていたのですけど、
そうした男子高校時代は残念ながら一度も県大会を突破できず支部大会出場は果たせていなかったのですが、
少子高齢化の波を受ける形で「学校統廃合」という事で周辺の女子高と学校統合を行い、男子校から男女共学校に
なったと同時に、若くて大変有能な吹奏楽顧問の先生が赴任され、
2012年の創部50周年という一つの節目の時に念願の支部大会出場を果たし、結果は銅賞でしたが、
OB一同感涙ものでした・・!
そして、2017年にまたまた県大会を突破し、上記で散々書いた「ディオニソスの祭り」でもって支部大会に
二回目の出場を果たし、銀賞を受賞し着実なステップアップを図っているようです!
奏者は現在の吹奏楽事情の通り、8割以上は女の子という事で、必然的にクラリネット奏者不足も解消されていますけど、
男子校時代のOBとしては、嬉しいけど「ちょっと気分は複雑・・」みたいなものもあったりします・・
可能性的に全国大会初出場も決して夢ではないだけに、一人のOBとして母校の吹奏楽部の更なる発展を
心より祈願させて頂きたいと思います。


b6529b84-s_convert_20180724125750.jpg

_convert_20191110022255.jpg


管弦楽で使用されて吹奏楽で使用されない楽器は、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロの弦楽器です。
(コントラバスだけは吹奏楽でも使用されています)
逆に吹奏楽で使用される楽器なのに、管弦楽ではほとんど使用されない楽器の代表格はユーフォニアムとサックスなのだと
思います。

サックス、特にアルトサックスは吹奏楽部の中では大人気パートであり、新入部員の楽器振り分けの際には
アルトサックス希望の人はとても多いと思うのですけど、
慢性的クラリネット奏者不足の男子高校出身の私としては、「それだったらクラリネットに来てよ~!
一応クラリネットもサックスも同じ木管楽器なのだからさー・・」と大人気のサックスに焼きもちメラメラだったのかも
しれないです・・

「響け! ユーフォニアム」でも「ららマジ」でもさすがにあの超ウルトラ級マイナー楽器のコントラバスサリュソフォーンは
さすがに登場する事はないですね~


_convert_20200723170334.jpg


そうそう、シュミットの「ディオニソスの祭り」というとフリューゲルホルンという珍しい金管楽器も使用されています。
(吹奏楽コンクールにおいては特殊楽器ということもあり、この楽器を使用することは極めて稀だと思います)

フリューゲルホルンはコルネットまたはポストホルンに形状がよく似ていて、
マーラーの交響曲第3番「夏の朝の歌」~第三楽章で舞台裏から朗々と長大なソロを担当する楽器がポストホルンでも
ありますけど、稀に指揮者の意向や楽団内にポストホルンがない場合などポストホルンに代わってフリューゲルホルンが
このソロを担当することもあるそうです。
フリューゲルホルンの管長はトランペットやコルネットと等しく音域も同様でありますけど、
コルネットよりも円錐部分が多く、またその部分の口径も大きいことがより太く柔らかく深みに富んだ音色を生んでいます。

フリューゲルホルンは形状としてはトランペットに似ているのに、どうしてホルンという名前がついているのでしょうか? 
それはイングリッシュホルン(コールアングレ)と同様に、管体が円すい状に広がっている部分が多い楽器の総称として
ホルンが使われていると考えられるそうです。
全長・音域や、使うマウスピースのリムやカップの大きさなど、トランペットと共通する点が多いことからトランペット奏者が
持ち替えて使うことも多いそうです。
もしもですけど「響け! ユーフォニアム」において北宇治高校吹奏楽部が「ディオニソスの祭り」を自由曲として演奏した場合、
トランペット奏者の高坂麗奈がフリューゲルホルンを掛け持ちする可能性もあるかもしれないですね~♪


hibike-yu-huloniamu-reina_convert_20180613165611_convert_20180620162540.png


上記で高坂麗奈の名前が出てきましたので、ここはdream fantasy2 のアミグリさんが描かれた高坂麗奈を改めて皆様に見て貰いたいです!
アミグリさんが描かれた高坂麗奈は最近も転載をさせて頂きましたけど、素晴らしい絵は毎日でも転載&ご紹介を
させて頂きたいです!

上記の作品はアミグリさんが2018年6月に描かれた「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です。

この高坂麗奈は、2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~!

高坂麗奈というと孤高のトランペット奏者という印象もありますけど、フリューゲルホルンやコルネットやポストホルンといった
トランペットの類似楽器を吹いてもとても絵になると思いますね~♪
カレル・フーサというと私の中で最も印象深くてインパクトのある曲というと「この地球を神と崇める」だと思いますし、
それ以外では「プラハのための音楽1968」という政治的メッセージ色が大変強い吹奏楽オリジナル曲も、
吹奏楽がお好きな方にとっては馴染みの深い曲だと思いますし、
この2曲は、21世紀も22世紀に入ったとしても「素晴らしい吹奏楽オリジナル名曲」として永久に後世の皆様たちに
受け継がれていって欲しい曲の一つだと思います。
確かにこの2曲は、人によって好みとか評価が分かれる曲だというのは当然だと思いますし、
聴く人によっては「こんな陰鬱な曲は嫌だ! 聴きたくない!」という方も相当多いと思いますが、それは当然だと思います。
音楽は別に絶対的なものではないし、
「この曲は〇〇という感じ方をしないとダメだ!!」みたいな事は絶対にありえませんし、
その音楽を聴いて、嫌いになるも好きになるのも何かを感じるのも、聴いた人一人一人の自由なのだと思います。

フーサは好みがはっきりと分かれる作曲家だと思います。
1983年に愛工大名電が演奏した「プラハのための音楽1968」は、当時高校生だった私の脳に衝撃的な破壊力を頂きましたし、
翌々年の1985年の普門館で同じく愛工大名電の「プラハ」の生演奏を初めて聴いて、
演奏自体の衝撃度もそうでしたけど、心の底から「何か」を伝えられ、大変な感銘を受けた事は今でもよく覚えています。

フーサというと、他の吹奏楽曲では、「アル・フレスコ」みたいな大作もありますけど、実は今一つ共感できないというか
よくわからない曲であったりもします。
そうしたフーサなのですけど、上記の曲以外でもかなり魅力的な曲は幾つかあったりもします。
そうした曲の一つが、演奏時間4分程度の大変短い曲ですけど、「スメタナ・ファンファーレ」という曲は大変印象的です。

この曲は、1984年にサンディエゴ州立大学の委嘱で作曲され、
スメタナの交響詩「ヴァレンシュタインの陣営」の旋律が引用され、
9部に分かれるBbクラリネットや8部に分かれるトランペットなど、大きな編成で書かれた迫力あるファンファーレです。
出だしは、ワーグナーの歌劇「リエンチ」序曲冒頭のトランペットのように
管弦楽団のチューニング音の「伸ばし」みたいな感じの曲想から開始されていくのですけど、 この部分がどんどん拡大・分裂し、
最初は小さい音の塊が数分のうちにとてつもなく巨大化していく爽快感があります。
この曲は、元々がスメタナを記念する音楽祭のイベントの一環として委嘱された経緯があるせいもありますが、
スメタナの「ヴァレンシュタインの陣営」のテーマが部分的に引用され、
決して効果的な使用ではありませんけど「わかる人には分かる」みたいな構造になっています。

こうした引用と言うと、同じフーサの曲の「プラハのための音楽1968」においても、
やはり同じくスメタナの交響詩「わが祖国」の第5曲・ターボルと第6曲・ブラニークのメロディーがかなりはっきりと分かるように
引用をされています。
特に第Ⅳ曲の「トッカータとコラール」の終結部分におけるスメタナの曲を引用した部分の効果的使用は、
「自分たちは決して(ソ連には)屈しない!」みたいな高らかな気持ちを謳い上げていて、とてつもなく印象に残るメロディーです。
ちなみにそのフーサの曲が引用したスメタナの「わが祖国」の第5曲と第6曲で出てきたメロディーの元ネタというのは、
世界史の授業でお馴染みなのかもしれないですけど、
15世紀のチェコ(ボヘミア)で勃発した腐敗しきったカトリック勢力VS腐敗したカトリックに異を唱えたフス教徒の
全面戦争とも言える「フス戦争」における
フス教徒の讃美歌「汝ら神の戦士」でもあるのです!!
そしてこの讃美歌のメロディーは「希望に満ちた未来を暗示している」みたいな雰囲気も確かに感じられ、
フス戦争もそうでしたし、1968年のいわゆる「チェコ動乱」もそうでしたけど、
「今は一時的に強い勢力に屈するのかもしれないけど、そうした時代は長くは続かない!
必ず自分たちの自由が謳歌できる時代が間違いなくやってくる!」みたいな「希望」を示唆していると言えるのかも
しれないですよね。

話を「スメタナ・ファンファーレ」に戻しますと、この曲は大変豪快に鳴る曲ですし、
フーサの他の作品みたいな深刻さ・晦渋さはあまり無く、その意味では大変分かり易い曲だと思います。
そしてこの曲はトランペット奏者は大変だと思います!
あんなハイトーンを冒頭からぶっ続けて吹いたら、とても息が続きそうにもないですね・・
全体的にこの曲はシロフォーンが大活躍をします。
終始ヒステリックに叩きまくっていますので、かなり効果的にも感じられます。

でもこの曲、全く演奏されないのですよね・・
実をいうと、吹奏楽コンクールにおいては、過去も現在も全国はおろか支部大会でも演奏された事は一度もありません。
演奏時間約4分という事が大きいのでしょうけど、1994年のように課題曲がどれも6~7分程度と異常に長い年は、
「もしかしたら一団体くらい選んでくれないかな? 名電が選曲してくれたら最高なんだけど・・」と淡い期待を持っていましたけど
やはり誰も取り上げてくれませんでした・・

この曲は一度だけ生の演奏会で聴いたことがあります。
1989年の国立音楽大学ブラスオルケスターの定期演奏会の第一曲目として演奏されていました。
この曲は、イリノイ州立大学ウィンド・シンフォニーのCDもありますけど
1988年の近畿大学の定期演奏会を収録したCDにもこの曲が収録されていて大変気合の入った演奏を聴かせてくれています。
(音源があまり良くないのが少し残念です)


_convert_20200715164114.jpg

_convert_20200715164244.png


フーサの「スメタナファンファーレ」は、タイトルに「ファンファーレ」という言葉が付いているのですけど、
ウィリアムズの「リバティーファンファーレ」のように「本日快晴・気分爽快!!」みたいな明るく健康的な曲では決してないですが、
優秀な金管セクション、特にトランペットセクションが秀でているチームでこの曲本来の響きを聴く事が出来たら
最高と言えそうです。

トランペットセクションが秀でているというとららマジのトランペットの亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガードと
コルネットの浅野葉月という大変優秀な二人の奏者も大変印象的ですけど、
「響け! ユーフォニアム」にて久美子たちが1年生の時のトランペットパートの優秀さはオールスタークラスなのだと
思います。
一年生に高坂麗奈がいて、二年生に優子、そして最上級性の3年生に香織先輩がいたのですから、
この時にトランペットパートは北宇治高校吹奏楽部最強パートといえるのかもしれないですね~♪

香織先輩のように楽器技術も最高レヴェルで、かわいくて下級生からは慕われていて、上からも下からも同期からも
くまなく愛される先輩というのは大変貴重なものがありますし、優子が慕っているのもわかる気はしますね~
フランスの作曲家・音楽教育家のシャルル・ケクランをご存知の方はかなり少ないのかもしれないです。
というか・・私自身も後述する「民衆の祭りのためのコラール」以外の曲は聴いた事がありません。
ケクランは、その名前の表示自体、ケックランとかケシュランとか表記されることもあったりしますけど、本記事では
ケクランという表記に統一をさせて頂きたいと思います。ケクランはマスネ・フォーレの弟子でもあり、音楽的功績としては、
ドビュッシーのバレエ音楽「カンマ」やフォーレの劇音楽「ペレアスとメリザンド」のオーケストレーションを担当していた事が
挙げられると思います。

ケクランの曲が吹奏楽コンクールで演奏された事は全国大会・支部大会においては2019年現在で、今の所1回だけに
留まっているのですけど、その唯一演奏された曲が「民衆の祭りのためのコラール」という曲で、
1981年の全国大会・高校の部にて福岡工大付属高校(現・福岡工大城東高校)が歴史的名演を残していた事でも
知られていると思います。
あの演奏は本当に素晴らしく内省的共感度が高く、当時日曜の朝のFMで放送されていた「ブラスのひびき」という番組にて、
そのオープニングを一時期飾っていた事もありました。
確か私の記憶では、1981年の天理高校の「オセロ」と福岡工大付属の「民衆の祭りのためのコラール」や
川本高校の81年課題曲C / シンフォニックマーチを交代交代で
「ブラスの響き」のオープニングとエンディングで流されていたような記憶があります・・

「民衆の祭りのためのコラール」は、ケクランが1936年に作曲した吹奏楽のためのオリジナル曲であり、
野外での演奏も多少は頭の片隅にあったのではないのか・・?とも言われている曲であったりもします。

民衆の祭りのためのコラールは下記の四曲から構成されています。
演奏時間は各曲が2~3分程度ですので、合計10分程度の曲です。

I..遊戯  

II..勝利  

III..戸外の祭りのためのコラール  

IV..民衆の祭りのためのプレリュード  

曲の特徴としては、ファンファーレ的なメロディーラインがどの曲にも提示されている事が挙げられると思います。
Ⅰは冒頭から金管セクションが大活躍していて、その躍動的で祭礼的な雰囲気は冒頭から惹きつけられるものが
あると感じられます。Ⅱの荘厳さ、Ⅲの気品さと洗練さ、Ⅳの内省的充実感とどの部分もそれぞれ光り輝いているものが
多々あり、この曲がほとんど演奏もされなければ後述しますけど音源も少ないことは本当に勿体無いと感じております。

「民衆の祭りのためのコラール」は、この曲を全曲収録した音源というものがドンディーヌ指揮のパリ警視庁吹奏楽団でしか
存在していなかったのですけど、
残念ながらこのパリ警視庁吹奏楽団の演奏は正直あまり芳しいものではないと思います。
冒頭の金管の華やかさの部分は「お・・これはいけるのかも・・」と感じさせてくれるのですけど、曲が進むにつれて
どんどん粗さが目立ってしまい、特に木管セクションの音の悪さと音程の悪さにはガッカリさせられるものが
あると思います。

だけどこの「民衆の祭りのためのコラール」には、吹奏楽コンクールのカットヴァージョンなのですけど、
1981年の全国大会で演奏された九州代表の福岡工大付属高校のあまりにも素晴らしい演奏が存在していますので、
私にとっては「この福岡工大付属高校の演奏さえあれば十分・・」とすら感じさせてくれるものは間違いなくあると思います。

福岡工大付属高校は、屋比久先生時代も現在の武田先生指揮の演奏もそれぞれ素晴らしいと思いますが、
その中でも福岡工大付属の基礎を作り上げられた鈴木先生時代の福岡工大付属はその中でも特に光り輝くものが
あると思いますし、1981年の「民衆の祭りのためのコラール」は、1981年~84年の全国大会4年連続金賞を達成した
最初の年の演奏という意義もありますけど、やはりあの演奏の内面的掘り下げが大変素晴らしいものがあったと思いますし、
ああした演奏は現在の吹奏楽コンクールでは絶対に表現出来ないような気さえします。
本当に数少ない伝説の名演の一つである事は間違いないと感じます。
特に自由曲のケクランの「民衆の祭りのためのコラール」という上記で書いた通り、
知る人ぞ知るあの吹奏楽オリジナル作品をあここまで内面的に掘り下げた演奏は非常に稀有な事だと 思っています。
驚くべきことに、この年のこのチームは演奏人数は41名でしたし、打楽器奏者も4人だけです。
この年、1981年から規定が変更となり、中学と高校のA部門は従来の45名から最大50名まで可となり、
ほんどとのチームは定員一杯の50名で出場しているのに
他のチームよりも10人程度も少ないハンティを全然ものともせず、これだけ堂々とした正攻法の演奏を
内省的に聴かせてくれたこのチームの「音楽的完成度の高さ」には本当に頭が下がる思いです。
そうした小編成を全く感じさせない音楽的に充実した素晴らしい演奏を後世に残してくれたと思います。

課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュは、
少々丁寧過ぎたことが裏目になり、前半がかなり間延びして聴こえた感じはあります。
序奏から前半の「幽玄的」な部分が「たっぷり歌おう、うたおう・・・」みたいな意識が強すぎたせいなのか、
歌い方が丁寧過ぎというのかヘンに理屈っぽいという感じがして、
東北出身の私が聴いても、なんか「これは東方の民謡とはちょっと違うね・・」と感じたものでした。
中間部のアレグロやラストのトランペット二重奏が大変素晴らしい出来であっただけに前半の幽玄な部分が
少し勿体無いなと感じたものです。
この課題曲Bは、全国大会・高校の部においては、九州・四国・中国・関西といった西エリアのチームは
ほとんど演奏していません。
「大阪俗謡による幻想曲」が関西のチームばかり演奏する事が多いという事実と似た側面があるのかもしれないですし、
一つの郷愁というのか血が騒ぐ感覚というのに通ずるものがあるのかもしれないです。

自由曲の「民衆の祭りのためのコラール」は前述の通り曲自体は4曲から構成されているのですけど、
福岡工大付属高校は、ⅠとⅡをカットし、ⅢとⅣの部分だけを演奏しているのですけど、
これは当時の指揮者の鈴木先生の作戦勝ちという側面も大変強いとは思うのですけど、ⅢとⅣの演奏順を入替え、
Ⅳのたいへんしんみりとした内省的な部分から開始させ、Ⅲのトランペットのファンファーレから開始される部分へと
繋げている大変斬新な構成を取られているのが大変印象的です。
そうした訳で二つの楽曲を取り上げているのですけど、どちらの部分も終始ゆったりとした音楽から成り立っています。
Ⅳの部分は木管楽器のコラールが非常に清らかで心にしみます。
Ⅲは、トランペットのファンファーレから開始されこのファンファーレに少しばかりミスはあるのですけど、
ミスがありながらも、大変内省的な響きであり心にじんわりと染み込んでくるものは間違いなくあると思います。
演奏自体、もう少し内声部の和音に配慮して欲しい部分とかサウンドが少しモヤッとしている部分もあったりして、
もう少しサウンドの整理が必要ではないのかなと感じさせる部分も確かにあったりするのですけど、
内省的充実感は本当に賞賛に値すると思います。
あのゆったりとした高まりの音楽は、聴いているだけで聴く者に何か安らぎや優しさみたいなものを伝えていると思います。
こうした演奏を聴くと、別に音楽というものは、強弱の変化とかテンポの速い・遅いの対比がなくても
ゆったりとしたテンポの単調な音楽にでも
聴かせ方によっては間違いなく人に「何か」を伝えることが出来るという事を改めて教わったような思いすらあります。
本当に「心がこもった」素晴らしい音楽だと思います。
この感覚は1994年の関東第一高校の「カンタベリーコラール」に近いものがあると思います。
 
確かに当時の天理みたいな完璧な演奏ではありません。
現在のコンクールの感覚なら、間違いなく金賞は無理だと感じます。
だけど、そうした細かい点を全て帳消しにするような
丁寧な音楽つくり・内面的表情・豊かな表現力・力任せではない温かいサウンドがそこには確実にあると思いますし、
ミスやマイナスがあってもそれを補完できる素晴らしいものがそこにはあるのです。


繧ゅ¥繧・convert_20180523162842


民衆祭りのためのコラールの音源は、上記でも既に書いた通り、最近までは
ドンディーヌ指揮のパリ警視庁吹奏楽団と1981年の福岡工大付属高校の演奏だけしかありませんでした。
パリ警視庁吹奏楽団の音源には、ベルリオーズの「葬送と勝利の交響曲」、F.シュミット/ディオニソスの祭り、
G.フォーレ/挽歌も含まれているのですけど、私自身このCDを聴いた印象としては
「曲が冗長だし演奏もあまりいいものではない・・」という感じでしたので、ケクランの「民衆祭りのためのコラール」の
全曲版のCDは今後はもう出る事はないだろうなぁ・・と感じていました。

しかし・・! 2016年に全く思いもよらないところからこのケクランの「民衆の祭りのためのコラール」の全曲版が
CD化されました!

それが何かと言うと「もし陸上自衛隊中央音楽隊がコンクールの人気自由曲を演奏したら」というキングから発売された
CDなのですけど、要は最近の吹奏楽コンクールの人気自由曲を陸上自衛隊中央音楽隊が演奏して企画された
ものですけど、なんと・・!
このCDの中に「民衆の祭りのためのコラール」が4曲ともノーカットで収録されていました!

1.科戸の鵲巣―吹奏楽のための祝典序曲

2.ウインドオーケストラのためのマインドスケープ

3.復興

4.鐘の歌~フリードリヒ・シラーの詩にもとづく

5.エンジェルズ・イン・ジ・アーキテクチャー

6.民衆の祭りのためのコラール

3曲目までは確かに最近の吹奏楽の人気自由曲なのですけど、4曲目以降は知る人ぞ知る曲ばかりでして、
私も4と5の曲は聴いた事すらありません・・

「どこが人気自由曲何じゃん!」とツッコミを入れたくもなってしまいそうですけど、特にケクランのこの曲を
日本の国内盤としてCD化された意義は大変大きいと思いますし、
このCDがきっかけで現在の若い奏者の皆様がこの「民衆の祭りのためのコラール」の素晴らしさを認識して頂ければ幸いです!
今年の春と夏の甲子園大会は中止となりましたけど、春の選抜出場予定チームを一堂に集めての甲子園での
交流戦的な試合の実現や県予選としての高校野球の開催はたとえ無観客試合と言えども大変意義があるものだと思いますし、
選手やその父兄の皆様にとっても大変尊いものがあったと感じられます。

そうした中、屋内ホールでの三密状態を誘発しかねない吹奏楽コンクールの県・支部・全国大会の中止はやむを得ないものが
あったとしてもやはり奏者・・特に現役の3年生にとってはぽっかりと埋める事の出来ない穴が心にあいたまま卒業してしまう事に
鳴ってしまう事を考えるとやはりとてつもなく胸が痛いです・・
(そうした中、マーチングコンテストの開催が色々と条件はあるにせよ開催の予定というのは一つの救いがありそうです・・)

吹奏楽コンクール(特に高校の部)を聴く楽しみ方は色々ありますし、もちろんその最大の魅力はとてもじゃないけど
アマチュアのスクールバンドとは思えない完成度の高さだと思うのですけど、それ以外にも
コンクールゆえの何が起きるかわからない一発勝負のスリルや
特にアレンジ作品における大胆なカットと解釈の味わいとか吹奏楽独特のあの色彩感豊かな華やかな響きの充実感など
一言では書き記せない程の魅力が特に全国大会における各チーム12分間の制限時間の中の課題曲と自由曲に
ギャギュ~っと密集して詰まっているのだと思います。

そしてそれ以外においても高校の部のJKさんたちのとってもすてきでかわいいステージ衣装をお目にかかれる事なのかも
しれないです~♪
最近のJKさんたちの学校指定制服自体がまるでデザイン系制服のようにみなとってもかわいらしいものばかりですけど、
最近の吹奏楽コンクールのステージ衣装はそうした学校指定の制服とはまた異なる吹奏楽部独自のステージ衣装を
身に纏っている事も多々あり、それがまたまたとってもかわいくて魅力的なステージ衣装なので、見ているだけでも
前々飽きないですし、耳では音楽の内容そのものの感動を味わい、目的にはJKさんたちのかわいいステージ衣装を
楽しむという事で、やっぱりいくつになっても私は吹奏楽コンクールを聴きに行く事だけはやめられそうもないですね・・
(普門館の解体以降は以前は毎年のように聴いていた東京都大会や全国大会は聴きに行く事はないものの、
埼玉県大会や西関東大会はほぼ毎年聴いていますね~)
もっとも男子高生のステージ衣装など興味のきの字もないですけどね・・

それだけに今年の吹奏楽コンクールの中止は残念以外の何者でもないです・・


CIMG9902_convert_20160816193053.jpg


吹奏楽コンクール【高校の部】においては、多分ですけど1970年代あたりまでのスデージ衣装のほとんどは学校指定の制服
であり、男は学ラン、女性はセーラー服またはブレザー制服が主流だったと思います。
そうした風潮に一石を投じたのが1979年に「二つの交響的断章」の歴史的超名演によってコンクールの歴史に
その名を残すことになった埼玉県の市立川口高校吹奏楽部の赤ブレザー&白のスカート・ズボンだと思います。

そして学校指定の制服とは異なるステージ衣装での演奏というと大変印象的だったのは、
1983年の関西大会での明石北高校音楽部のステージ衣装だと思います。

1983年の明石北高校というと歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りのあまりにも完璧でかつ個性的な演奏の超ウルトラ名演
でもお馴染みですし、その後兵庫高校吹奏楽部を指揮され、松井節とも絶賛されていた松井先生が
兵庫高校の前に指導されていた学校としても名高いのですけど、
1983年の関西大会における女性奏者の制服が、まるで宝塚を彷彿とさせるようなとっても可愛い水色のワンピースの制服!で、
まるで天女みたいなステージ衣裳として今現在でも一部で「伝説のステージ衣装」として語り継がれているくらい
とても可憐でかわいいユニフォームでもあり、あれは現在の吹奏楽コンクールのとってもかわいくて魅力的なステージ衣装の
先駆けとすら言えるのかもしれないです。
本当にあの水色の制服は可愛くて可憐で素晴らしいです~♪

確か聞いた話では、あの水色の宝塚みたいな衣装は夏用のステージ衣装であり、
秋に開催された普門館の全国大会のステージでは 女性奏者は普通のブレザー制服で演奏されていたと記憶しています。

1991年と1997年にも明石北高校は全国大会に出場しているのですけど、
残念ながら、女性奏者のステージユニフォームは、1983年の水色のあの天女みたいなユニフォームでなかったのは
少し惜しまれます・・・
全国大会は既に秋の季節だから、夏用制服のあの水色の天女みたいな制服でステージに立つことは
多分ありえない話だと思うのですけど、一度ぐらいは全国大会というか普門館で是非生で見てみたかったような気もします。

私が1984年に都内の大学に進学し、そこの吹奏楽団に入団した際に関西出身の女の子がいましたので
明石北高校のステージ衣装について聞いてみたのですけど、
「え・・? 明石北の女子生徒の制服は普通のブレザーやねん・・・、あの水色衣装は制服ちゃうで・・・
あれはあくまで夏限定のコンクールのステージ衣装ちゃうねんか・・?」とか言っていましたので、
多分そうなのでしょう・・
松井先生指揮での明石北の普門館再登場も当時とてつもなく期待していたのですけど、
松井先生はその後兵庫高校に異動されましたので、
あの天女みたいな水色の制服も松井先生指揮での演奏もお目にかかる事はありませんでした。

ちなみにですけど、明石北高校のその水色ワンピースのステージユニフォームは、「バンドピープル」のバックナンバーに
何度か登場していますけど、
やっぱりあれは、今改めて見ても斬新なデザインですね~♪

最近の高校生、特にJKさんの皆様の制服って本当に可愛くて素敵なものばかりが多いですよね~♪
いわゆる「デザイン系制服」みたいなものを指定制服とする学校も随分と増えてきたと思うのですけど、
私が高校~大学の学生さんだった頃って、こうしたデザイン系制服自体がまだまだ珍しい時代でもありましたので、
こうした明石北みたいなデザイン系みたいな可愛い制服自体が大変貴重だったと言えると思います。
バンドジャーナル・バンドピープルといった吹奏楽月刊雑誌の毎年11~1月号の「吹奏楽コンクール特集記事」において、
出場チームの写真が掲載される事もかなりあり、
私が田舎の県立男子高校の時に、既にこうした吹奏楽雑誌にて明石北高校のあの天女さんみたいなステージ衣装は
既に掲載されていて、 よく他の男子部員と共に「あー、こんな可愛い制服の女子高生と同じステージで演奏したいよなぁ・・」とか
「それにしてもこの制服可愛いよな・・」
「あんな可愛い制服の女の子と××したいよなぁ・・」
などとよからぬ(?)妄想ネタで盛り上がっていたものでした・・

ちなみにですけど、上記画像は、1988年11月号の「バンドピープルにおける明石北高校の掲載写真です。

今現在の感覚・視点で見てみると、 「別に大したことないじゃん・・」と思われる方が多いのかもしれないですけど、
私が現役奏者の頃は、珍しかったですし、とっても貴重だったのです!
ちなみにですけど、当時の明石北のあのすてきな夏用ステージ衣装はは1990年代に入ると廃止になったとの事で
「なんか勿体ないなぁ・・」とも思ったりもしますね・・
確か私の記憶では90年代に一度だけ明石北が「復刻版シリーズ」とかであの天女みたいな制服を一年限定で
着用されて吹奏楽コンクールに臨んでいたと聞いたことがありましたけど、
そうした復刻シリーズは是非是非来年以降のコンクールでもお披露目して頂きたいものですね~♪
本記事の一つ後の記事がグラズノフのバレエ音楽「四季」~秋に関する記事でもありますので、ここはテーマを「秋」に
統一する意味で、秋をモチーフとした吹奏楽オリジナル作品の中では、私的には保科洋の「愁映」と並んで最も印象的な
作品でもあり、1998年の吹奏楽コンクールのすてきな課題曲でもありました福島弘和の「稲穂の波」について
少しばかり触れさせて頂きたいと思います。

日本の国土の美しさの一つとして四季がはっきりしていた事が挙げられたとも
思うのですけど、何となくですけど今年がそうした日本の美しい四季が崩壊し、
極端に寒い冬と極端に暑い夏の二季しかない国に変容するはじまりとして記憶されるのかもしれないですし、
四季の崩壊という観点では「明確な四季が見られる終わりの始まり・・」と言えるのかもしれないです。
そして今年に関しては四季を愛する心の余裕を喪失しかねない新型コロナウイルスの感染蔓延という事もありましたし、
秋を探して小さな一人旅とか秋のおいしい食材を求めての小旅行というのもなかなかできにくいなんだか例年になく
寂しい秋になりかねないのかもしれないですけど、そうした時は自分が住んでいるエリアの中で「それぞれの自分だけの秋」
といものを探してみるのも秋の楽しみ方なのかもしれないです。


_convert_20200709235015.jpg


季節が秋に向かっているのかもしれないな・・と感じた瞬間は、
水田の稲の色が今までの青っぽい感じから幾分黄色というのか、黄金色みたいに色が変化しているのを
見た瞬間なのかなとも思ったりもします。

暑い、暑いと言っていても、水田一つとっても着実に季節は秋に向かっています。

そんな事をふと思ってたら、頭の中を不意にある一つの曲が駆け巡ってきました。

それが何かと言うと、1998年全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅱ/稲穂の波でした。

吹奏楽コンクールの課題曲の変遷の歴史を簡単に見ていくと、
1970年代後半から1992年までは書下ろしオリジナル作品とマーチの混合、
1993年から2000年代初期の頃は、奇数年がマーチの年で偶数年が幾分長めの書下ろしオリジナル作品の年と分離させ、
そして最近は、中学の部限定とか小編成用とか色々と興味深い工夫もある中、
基本的には昔のような書下ろし作品とマーチの混合というパターンに戻ったような感じもあります。
(全体的には試行錯誤の末、結局は元の鞘におさまったという感じですね・・)
1998年は、偶数年でしたから、オリジナル書下ろし作品の年でしたけど、
まだこの年は、1994年の例えば、饗応夫人とか雲のコラージュのように課題曲だけで6~7分程度の
長い課題曲という余韻がまだ幾分残っているような感じもあり、
4曲ともいずれも演奏時間は4~5分程度の曲でした。
この年は何となくですけど、Ⅰの童夢とⅡの稲穂の波に人気が集中していたような印象もあるのですけど
私は、何と言ってもこの課題曲Ⅱ/稲穂の波が大好きでしたね!!
この曲はもイメージがしやすいというのか、黙って目を閉じてこの曲を聴いていると自然に
目の前に広大な田んぼが広がっていて、「秋の収穫」を目前に控えた頃の黄金色に輝く一面の田んぼというのか、
そうした何か「日本人の心のふるさと」みたいな情景が 勝手に入り込んできたりもしていたものでした。
風でさーーーっと黄金色の穂がゆらゆらと揺れ動くみたいなイメージが私の中にはあったものです。
とっても分かりやすい曲で、難しいメロディーも変拍子も特になく、不協和音も無く
頭の中にすーーーっとメロディーラインが入り込んでくるとっても優しい曲だったと思います。
この曲、何度も支部大会・全国大会で耳にしたのですけど
どのチームも曲のイメージがしやすいせいか、課題曲にありがちな「無味乾燥な演奏」というのは
比較的少なかったようにも思えます。
稲穂の波の演奏で私がいっちば~ん!に好感を感じる演奏は秋田県の新屋高校の演奏だったと思います。
(二番目は神奈川大学の正攻法の演奏だと思います。この課題曲でいっちば~ん!個性的な演奏をしたのは、
間違いなくあの吉永陽一先生指揮の西宮高校なのだと思います!)
そして結果的に新屋高校は念願の全国大会初金賞を受賞すると同時に、1984年の花輪高校以来途絶えていた
高校の部における東北代表のチームが久しぶりに金賞を受賞するという快挙も見せてくれていたものでした。
私自身、いっちば~ん!最初に聴いた全国大会・高校の部が1984年だったのですけど、意識としては、まさかその年の
花輪高校以降14年間も高校の部の東北代表のチームが金賞ゼロを続けるなんて全く夢にも想像していなかった
ものでした・・(泣)
1998年の新屋高校の自由曲は矢代秋雄の交響曲~第四楽章でしたけど、指揮者の高野先生にとっても
1982年に仁賀保高校を指揮して同校を全国大会初出場・初金賞の快挙をもたらした時の自由曲も矢代秋雄の交響曲
でしたので、高野先生としても感慨深いものがあったと言えるのかもしれないですね。
(私自身の個人的感想ですけど、82年の仁賀保と98年の新屋は82年の方が感銘度・音のスピード感と切れ味と霊感は
はるかに勝っていたように感じられます・・)

「稲穂の波」の作曲者の福島弘和は、最近では、「ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶」とか
シンフォニエッタ第2番「祈りの鐘」で吹奏楽コンクールでもお馴染みの方なのですけど
私としては、祈りの鐘もかなり大好きな曲なのですけど
「稲穂の波」と2000年課題曲Ⅰ/道祖神の詩の方に強く魅かれるものがあるように感じられます。
福島弘和は日本の「古き良き情緒」をイメージさせる曲の方が、私にとってはよりしっくりくるような気もあります。

「稲穂の波」ですけど、 出だしはゆったりと開始され木管楽器のたっぷりとした歌に最初から心打たれるものがあります。
金管がコラール風に瞬間的に盛り上がった後からの中間部はアレグロ的に展開され、
キビキビと進行していく雰囲気が何となくですけど私的には「風」をイメージしたりもします。
中間部の速い部分は、ホルンの雄叫びみたいな感じとタンバリンがシャリシャリ鳴っている部分が結構気に入っています。
中間部のラスト近くで一旦テンポを少し落とし、コラール風に展開していく部分は、この課題曲の最大の聴かせどころと
言えると思うのですけど、
ああいう感覚は、多分ですけど、日本人の「伝統的美意識・わびさびの世界」の琴線に触れる部分のようにも感じられますし、
日本人にしかわからない音楽なのかな・・?とも思ったりもします。
静かに閉じられるラストも実に秀逸だと思います!!

これはなんていうのかな・・? 「郷愁」の世界なのかもしれませんね。

この曲の雰囲気からは黄金色の稲も感じますし、赤とんぼといったイメージも伝わってきているようにも感じられます。

赤とんぼというと、既に彼岸の彼方の義父が生前によくその娘(つまりうちの奥様の事です・・)に
「うちの窓によく赤とんぼが飛んでくるのを目にするけど、なんだかあの赤とんぼを見ていると、
(その当時は既に逝去していた)うちの妻の事を思い出してしまい、あの赤とんぼに生まれ変わった妻が
自分に対して早くあなたもこっちの彼岸の世界にやってきなさいよと自分に囁いているような気がしてとてもせつない」と
とてもモノ哀しそうな眼をして話していたみたいな事を思い出してしまいます。

「稲穂の波」は聴き方によってはそうしたこの世とあの世を繋ぐような不思議な魅力を持った曲と言えるのかも
しれないという事なのかもしれないです。
A.リードの「エルサレム讃歌!」や「ロシアのクリスマス音楽」は神への荘厳な祈りをイメージさせる曲だとも感じるのですけど、
神への祈りとか荘厳さといった雰囲気は、同じくリードの比較的初期の頃の作品でもある
「アレルヤ! ラウダムス・テ」という宗教音楽みたいな雰囲気の曲とも実は繋がっているものがあるのかな・・?とも思ったりもします。

リードの「アレルヤ! ラウダムス・テ」という吹奏楽オリジナル曲は、最近の現役奏者の皆様にとっては
馴染みが無いというか、「曲名すら聞いたことが無い・・」みたいな感じの曲になってしまうのかもしれないですよね。
私が現役奏者の頃は、よく県大会とか定期演奏会で耳にしましたけど
最近は、コンクールでもこの曲が自由曲として演奏されることはまずないです。

この曲はなんといっても出だしが最高に格好いいと思います。
金管セクションは冒頭からいきなり高音が続きますのでフレーズ的にはかなり苦しいと思うのですけど、
出だしのファンファーレ的な讃歌は、神への讃歌をイメージさせるにはこれほど相応しい音楽はないと感じさせてくれますし、
この冒頭部分に続く木管の響きは、神への清廉な祈りみたいなものを感じさせてくれていると思います。
この曲はかなりシンプルな構成で、このファンファーレ的な部分と神への祈りみたいなフレーズが交互に繰り返され、
ラストは全奏者にての冒頭のファンファーレが高らかに再現されていきます。
この曲は、正直聴く人によって好き嫌いはあるかもしれないですね。
嫌いな人はくどすぎるとか単調とか変化に乏しいと言うかもしれません。そのしつこさを感じる原因と言うのは
曲の単調な構成とか繰り返されるメロディーが嫌というのが理由なのかもしれないです。
繰り返される事であの荘厳なメロディーすらも後日鼻歌でふんふんと歌って見たくなってしまいたくなるのも
この曲の魅力なのかもしれないです。
打楽器は、ティンパニ・大太鼓・小太鼓・シンバル・シロフォーン・ヴィヴラフォーンだけですが、
バスドラムとシンバルがズドーンと叩き付けられる箇所が何度かあるのですけど、
この重低音のどっしりとした響きは私は結構好きです。

このアレルヤ!はリードしてはかなり初期の頃の作品なのですけど、
何かこの雰囲気は、後年の大変な名作「エルサレム讃歌」に繋がるような気がします。
エルサレム讃歌はアレルヤ!のようにシンプルな曲ではなくて、大変精密で複雑な大作なのですけど、
雰囲気は、この両曲はどこかで繋がっているようにも感じられます。

大変古い話で恐縮なのですけど、
1981年の北海道大会の中学校C部門(25名編成)は出場チームが20以上あったにも拘らず、
評価が大変厳しく、金賞受賞チームはただ一団体のみという事もありましたが、
その唯一の金賞チームである明苑中の自由曲がこのリードのアレルヤ!・ラウダムス・テでした!
この曲は、吹奏楽コンクールで演奏する場合、結構難しい要素はあると思います。
あまりにも曲が単調なので、聴く方としてはかなりしつこいという印象はあるのかなとも感じられます。
(神への祈りに通ずる雰囲気を少しでも発見できさえすれば、この曲の魅力が分かると思います)
意外かもしれませんが、全国大会でも実は過去に二回も演奏されていますので(佐賀大学と川崎製鉄千葉)
分かる人には分かるという感じなのかもしけないです。

この曲は、中々素晴らしい演奏・録音が無いなと思っていたら、数年前にやっと決定打が出ました。
金聖響指揮によるシエナ・ウィンドなのですけど、 この演奏は素晴らしいですね~♪
この「アレルヤ!ラウダムス・テ」はオプション扱いですが、楽譜の指定ではパイプオルガンも入ります。
金聖響の演奏では、この曲のラストというか、冒頭のファンファーレの再現部分あたりから
このパイプオルガンを使用し、かなりの効果を上げていますし、 この演奏を聴くと
「あー、やっぱりこの曲は神への讃歌・祈り」の曲なんだな~」と感じてしまいます。

最近の吹奏楽コンクールではめったに聴く事はできない曲と思われますけど、小編成チームが挑戦しても決して
無駄ではない曲である事は間違いないと思います。


_convert_20191225175231.png


ららマジの東奏学園器楽部の部員は30人ですけど、
「ららマジ」は吹奏楽部ではなくて器楽部と言う事で、楽器仕様に制約が無いと言う事で、出てくる楽器も
吹奏楽ではありえない編成のワーグナーチューバ・箏・胡弓・ピアニカ・リコーダー・エレキベース・シンセサイザー・
ウクレレなども登場しているのは自由さがあってとてもすてきだと思います。

器楽部創立メンバーの一人で、部長であり指揮者でもある草薙百花がそうしたメチャクチャな楽器編成を
無理やりどうにかこうにかまとめてしまっているのですけど、
ららマジの器楽部の楽器編成は「各楽器に奏者が1名」ということですので、部員が30人ということで、つまりは
30の楽器で音楽が奏でられるという事になると思います。

それにしても改めてららマジ器楽部の編成はツッコミどころが満載ですね~♪

チューバは無いけどワーグナーチューバはあったり、オーボエは無いけどなぜかコールアングレはあったり、
ファゴットもコントラファゴットはあるけどなぜかバスクラがなかったり、
ベース・エレキ・ウクレレとギター系の楽器が三本もあったり、ユーフォニアムが管弦楽と同様に配置されていなかったり、
胡弓・箏といった邦楽器があったり、
30人編成なのに、ドラムス・グロッケンシュピール・和太鼓・トライアングル・タンバリン・カスタネット・シンバルの
打楽器セクションはかなり充実していたり、
なぜかシンセサイザーまであったり、基本的には吹奏楽の編成に近いけどなぜかヴァイオリンやチェロ・ハープも配置される
など現実ではあまりありえない編成ゆえにその自由さは素晴らしいものがあると思います。

奏者はドラムスとハープと箏と弦楽器を除くと基本的には全員スタンドアップして演奏していますけど、
コントラファゴットは基本的には立って演奏をする事が出来ないので、椅子に腰かけて演奏しているのは、
「わかっているね~」という感じでもあります。

こうした自由な編成による神への荘厳なる祈りの意味を有する曲というのもぜひ聴いてみたいな~とも思ったりもします。
1985年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は、課題曲B/波の見える風景の印象が大変強いですし、
私もあの課題曲は大学の吹奏楽団時代に吹いた曲としては風紋と並んでとてつもなく大好きな曲でもありました!
(特に習志野高校のあの洗練された響きとストーリー性を感じさせる抒情的な音楽は素晴らしかったです!)
85年の課題曲は波の見える風景というイメージも確かにあるのですけど、
課題曲C / シンフォニックファンファーレとマーチも大変魅力溢れ、曲の隅々にまで工夫と仕掛けが施された曲でしたし、
課題曲D / ポップ・ステップ・マーチも演奏しやすさと親しみやすさという意味では屈指の人気曲だったと思います。

課題曲A / Overture FIVE RINGS(オーヴァーチュア ファイヴリングス)も強烈さとスピード感と言う意味では
大変優れた曲であると思います。
そしてこの課題曲の作曲者が相当の大御所作曲家というのか三枝成彰というオペラ作曲の重鎮の大先生というのも
当時は驚きでした~!
そして三枝さんは当時「11PM」という深夜の大人のトーク番組の司会も務められていて、あの軽妙なトークも
大変印象的でしたので
「まさかこうした先生が吹奏楽コンクールの課題曲の作曲を受けるなんて意外なのかも・・」と感じていたものでした。
(だけど、後年、三善晃が「深層の祭り」という吹奏楽コンクールの課題曲を作曲された時の方がもっと衝撃はありました)
そしてこの課題曲が特筆されるべき点は、この曲はいわゆる吹奏楽コンクール用として最初から構想されたものではなくて、
確かに全日本吹奏楽連盟の委嘱により作曲されたものではあるのですけど、
1984年にNHKで放送されていたNHKの大型時代劇「宮本武蔵」のための音楽を再構成し吹奏楽編成に編曲したもの
という作曲の経緯も当時としては異色というのか珍しいものがあったと思います。
余談ですけど、北陸の根上中学校吹奏楽部は、「利家とまつ」という当時NHKの大河ドラマからの音楽を自由曲として
選曲し全国大会に出場していた事もあったりもします。
この「宮本武蔵」は日曜日の大河ドラマではなくて平日の夜のドラマという放映時間でもありました。
タイトルの「Five Rings」は宮本武蔵が記した兵法書「五輪書」にちなんで付けられているのですけど、
最初にこの課題曲のタイトルを耳にした際は「え・・? 五輪・・?? と言う事はこの曲はオリンピックに関連したものなのかな・・?」と
私は完璧に誤解をしていたものでした・・

最初にこの課題曲を聴いた時、金管セクションの堂々たる分厚い響きも木管セクションの細かいリズムとうねりと高音域の
切迫感にゾクゾクとさせられたものでしたけど、この課題曲の最大の聴き所は誰が何と言っても
ティンパニの連打に次ぐ連打のかっこうよさなのだと思います!
最初にこの課題曲を耳にしたのは言うまでもなく課題曲を決める際の試演だったのですけど、
あの時に見たティンパニ奏者はとにかくめちゃくちゃかっこうよくて、あの時のティンパニ奏者は3年生のお姉さま奏者でしたが、
「キャー! お姉さま、すてき~ かっこいい~♪」という感想しか出てこなかったほどあのお姉さまの狂気と気迫に溢れた
叩きっぷりには私も惚れ惚れとさせられるものがあったと思います~!!
この課題曲Aのティンパニ奏者は大変技術と体力がいる曲なので、本当に演奏は大変だったと思いますが、
あの怒涛の連打は、今でも惚れ惚れするものがあります。
ただこの課題曲の名演は意外と少ないようにも思えます。
強いてあげると、尼崎吹奏楽団と花輪高校と御影高校くらいかもしれないです。
この課題曲は中学校の部でも何チームか取り上げていましたけど、やはり中学生だとあの課題曲のエネルギーを
完璧に表現するには体力的にちょいときついのかな・・?とも感じたものでした。

Overture FIVE RINGSですけど、冒頭からしてとてつもなくかっこいいです! そしてそこから導かれる金管セクションの
堂々とした分厚い響きは艦これで例えると軽巡というものではなくて戦艦や空母艦なのだと思えます!

「宮本武蔵」のヒロインお通が吹く篠笛を模したピッコロのソロを中心とした短い序奏から曲は開始され、
金管楽器による「武蔵のテーマ」がクラリネットのスケールなどが彩る中、力強く分厚い響きで展開されるのが
大変印象的です!
だけど実際の吹奏楽コンクールにおいてはこの冒頭の金管の分厚く重厚な響きを理想通りに響かすことが出来たチームは
実は意外と少なく、全国大会・高校の部では花輪高校と御影高校ぐらいしかなかったと思います。
この事は以前の過去記事の中でも散々ブーたれていますけど、秋田県立花輪高校の課題曲A / Overture FIVE RINGS の
冒頭の金管のあの分厚い重厚で決然とした響きは全部門を通して最高の演奏の一つだと私は今でも確信しているのですけど、
どうしてあの演奏が自由曲のガジベコフの交響曲第2番と合せて銅賞と言う評価で終ってしまったのかは
今でも全く理解も納得も出来ていないですね~!
あの演奏のどこが良くないのか私には全く思い当たる節はないです!
1985年の花輪高校はプログラム一番というハンデもあったのですけど、当時の普門館の朝一番の眠りを完全に
醒めさせる完璧な演奏でしたし、導入部を経て金管セクションの重厚で堂々とした響きとそれに続く木管セクションの
素晴らしいうねりの表現と演奏技術に感動し、あの部分だけで「今年も花輪高校は金賞確定」と確信しましたし、
自由曲のガジペコフのやはり堂々とした重厚感とキビキビとしたスピード感溢れる演奏にさらに感銘を深めましたけど、
審査結果の発表で銅賞と告げられた時は「ありえない・・」という想いしかなかったですし、
後日花輪高校の課題曲と自由曲のカスタムテープの演奏を何度聴き直してもとてもじゃないけどあの演奏のどこが銅賞なのか
実は今日に至るまで全然納得できないですね~!

話がまたまたそれました・・、話をOverture FIVE RINGSに戻しますと、トランペットの短い導入でメロディを木管楽器に受け渡し、
テンポを少し落として「お通のテーマ」が木管楽器とトランペットで歌われていき、
短い休止の後、速いテンポでティンパニの弱音の導入からクレッシェンドしていき、
音量が頂点に達するとティンパニが和太鼓の乱れ打ちのように三連符のパターンを叩き続けていきます!
そして激しい展開を経て一気呵成に曲は閉じられます!
余談ですけど、この課題曲が作曲された頃に4人の作曲家による連作ともいえる交響組曲「東京」の第二曲・summerを
三枝氏が担当されていましたけど、このサマーの雰囲気はどう聴いてもOverture FIVE RINGSに近いものが
あったようにも感じられます。

とにかくあのティンパニの連打というのか乱れ打ちは聴衆の視線を釘付けにすると思います。

そしてパーカッションセクションのパート譜をよく眺めてみると、実はあのティンパニも一見連打とか乱れ打ちとか
高度な技術のように聴こえたりもするのですけど、
ティンパニは、基本的には実は2小節単位の同じ旋律を繰り返しているだけ・・というのも凄いものがあると思います。
ああいう単純な繰り返しをとてつもなく難解なように感じさせるのも立派な作曲上のテクニックのような気もしますね・・
ティンパニ奏者のテクニックは相当難しいものが溢れていると思いますし、
両手の交差が入るなど、二刀流で暴れ放題に暴れているという印象もありますし、あの豪快な暴れっぷりは
今現在で言うとエンゼルスの大谷選手が二刀流でもって大暴れしているのに少しと雰囲気が似ている様なものも
あるのかもしれないです。

ティンパニ以外の楽器も、16分音符系と3連符系が混ざったリズムを全員で揃えたり、
トランペットのハイトーンがあるなどかなり高度な内容で課題曲としてはかなりの難曲だと思います。
この曲で何が一番難しいのかと言うと、瞬間的にこの曲の流れに乗り遅れてしまうと、
1拍とか半拍間違えて入ってしまうプレッシャーがあったりして、特にあのティンパニ連打以降は、一人たりとも
全体の流れから脱落者が出てくると、曲全体が崩壊しかねない危険性も秘めていて、
あの課題曲はティンパニ奏者も大変だったけどそれ以上に全体をコントロールする指揮者がもっと大変・・と
言えるのかもしれないですね~!


_convert_20200527202215.jpg

_convert_20200527202358.jpg


打楽器パートは一般的には、ティンパニ奏者を頂点に、大太鼓・小太鼓(スネアドラム)・トムトム・ドラムセット等の太鼓系、
シンバル・サスペンダーシンバル・ドラなどの鳴り物系、
グロッケンシュピール・シロフォーン・ヴィヴラフォン・マリンバ・コンサートチャイム等の鍵盤打楽器系、
そしてタンバリン・トライアングル・カスタネット・マラカス・拍子木などの小物打楽器系、
そして場合によっては和太鼓といった特殊楽器やはたまたピアノなど、
打楽器奏者はマスターすべき楽器が大変多いというのが大きな特徴なのだと思います。

そして曲が静粛な場面とか弱奏の場面では打楽器は全員お休みという事も多々あり、そういう時にうっかり居眠りして
指揮者にばれると「例え休みの場合でも音楽に参加しているという気持ちをキープしていろ!」と怒られてしまうというのが
一つのお約束であったような感じもします。

Overture FIVE RINGSのティンパニ奏者は音楽の流れに乗るという事が特に求められ、ティンパニ奏者の奏でるリズムのノリに
よって他の金管セクション・木管セクションも音楽の流れに乗る事が初めて可能になる曲のようにも感じられますので、
Overture FIVE RINGSのティンパニ奏者は大変だけど、同時に大変な奏者冥利に尽きる曲であるともいえそうです。

1985年の全国大会でも何人かの女性ティンパニ奏者がこのOverture FIVE RINGSを叩いていましたけど、
個人的に特に印象的だったのは、全体の評価は銅賞でしたけど出雲高校のティンパニ奏者でした。
あの雰囲気はなんとなくですけど「お通に近いのかな・・?」とも感じたものでした。

「響け! ユーフォニアム」の劇場版においては一年生のティンパニ奏者も登場していましたけど、あの一年生は
とってもかわいかったですね~♪

アニメの第一期と第二期でティンパニを担当していた上級生はマーチングではシロフォンを担当していて、
普段のティンパニとは違う魅力を感じさせてくれていたと思います!


_convert_20191124020512.jpg


ホルンという金管楽器は歴史的にはかなり早い段階から登場していて、モーツアルトの頃には既にホルン協奏曲が
作曲されていましたし、トランペット・トロンボーンと共にオーケストラの中では早い段階から定着が果たされていた楽器です。
ホルンはカタツムリのような形状に巻かれた円錐状の管と、3つから5つのロータリー式のバルブを持つのが基本構造で、
他の金管楽器よりも多くの倍音を出すことができる特徴もあり、
金管楽器であるものの、その音色のやわらかさから金管楽器のみならず木管楽器ともよく調和する楽器としても
馴染みがあり、木管五重奏曲なのにホルンが入っている室内楽曲もあったりします。
プロの管弦楽団の演奏会や吹奏楽コンクール等でのホルン奏者の手の動きを見ると一目瞭然なのですが、
手をベルの内部に突っ込むという独特の演奏法を用いることで、ベル内に反響する共鳴の度合いを微調整することが可能
でもあったりします。そしてベル内の手の動きの微調整で豊かな音の変化を生むことができたりもします。

但し、ホルンと言う楽器の難しさは生半可なものではないと思います。

例えば吹奏楽部における新入部員の楽器振り分けの際に、例えばトロンボーンやユーフォニアムやサックスに
配属された初心者の皆様は多分ですけど初日でも音ぐらいはある程度容易に出せると思うのですけど、音自体が中々
出せなくて最初から大苦戦を強いられる楽器の代表格は、金管だとホルン、そして木管だとクラリネットと実感したりもします。

2007年のギネスブックで世界で一番難しい金管楽器であるとして認定されたほど、ホルンは金管楽器の中では
大変デリケートで扱いが大変難しく、特に高音域で音を外すというのかプルンとひっくりかえる事が大変多くて、
吹奏楽の中でも、クラリネット・トランペットと共に指揮者から怒られてばかりで目の敵にされやすい傾向があったりもします。
勇壮な曲調から甘美でロマンティックなメロディーもこなせ、その表現力の幅広さはかなり広いのですけど、
とにかく音が決まりにくい楽器と言えます。
プロの管弦楽団でも、指揮者はホルンのソロに差し掛かると、そのきっかけの瞬間だけチラリと目配りして後は目を
そらす傾向にあるそうです。指揮者が睨んだり視線があったりすると、余計に音を外すことが多々あるそうです。

管弦楽曲の中でホルンの目立つソロで印象的な曲をいくつか挙げてみると・・

〇R.シュトラウス / 交響詩「ティル・オイレンシュピゲールの愉快ないたずら」  アルプス交響曲 

アルプス交響曲のホルンはとにかく勇壮な響きでかっこいいです~♪
特に嵐や頂上の部分のホルンの強奏はほれぼれとさせられる爽快さがあります。そして場面によっては
複数奏者による舞台裏からのホルンの響きが演出されることもあり、これは音の遠近感という意味で大変効果的です。

〇P.チャイコフスキー / 交響曲第5番第二楽章

〇D.ショスタコーヴィッチ / 交響曲第5番第四楽章  交響曲第10番第三楽章

交響曲第10番第三楽章においては、曲が盛り上がってくると、ホルンのファンファーレみたいなメロディーの断片が
それまでのメロディーラインを遮るという感じがします。
そのホルンによる音楽の流れの遮断こそがショスタコーヴィッチ自身のドイツ式の綴りのイニシャルから取ったDSCH音型という
四つの音型パターンであり、 第三楽章の中で、かなり乱暴で粗野な強奏の部分が登場し、「とてつもなく盛り上がってきた」と
聴衆に思わせておいて 、次の瞬間に前述のDSCH音型がその流れを断ち切り、それが何度か繰り返されると
聴いている方としても「またかよ・・」みたいな妙な脱力感を感じてしまいますし、
唐突に背後の人間から膝かっくんを食らった様な感覚にすらなってしまいます。

〇I.ストラヴィンスキー / バレエ組曲「火の鳥」~終曲

魔王カスチェイの凶悪な踊りの激しさと子守歌の美しさが終わった後ホルンソロによるあのメロディーが流れると
どことなくホッ・・とさせられるものがありますし、物語の大団円を示唆しているようにも感じられますし、
魔法の世界から現実の世界に帰還したような感覚を味わったりもします。

〇M.ウェーバー / 歌劇「魔弾の射手」序曲

〇G.マーラー / 交響曲第1番「巨人」第二・第四楽章  交響曲第5番第三楽章

マーラーの巨人の第四楽章は、楽譜上での指示ではエンディング部分のホルン奏者は全員起立してベルアップ奏法を
要求され、あのスタンディングとベルアップのホルンは視覚的にもサウンド的にも大きな効果を上げていると思います。

だけど、ホルン奏者にとっては心底おそろしい・・とプレッシャーを感じる曲の一つはR.シュトラウスの
交響詩「ティル・オイレンシュピゲールのゆかいないたずら」だと感じます。

ティル・オイレンシュピーゲルというのは、14世紀頃のドイツに実在したとも言われるし単なる架空の人物とも
言われる事もあるし、要は、その正体については定かでない伝説の奇人なのですけど、
その生涯の数奇な伝説を音楽の物語として交響詩という形で単一楽章として18分前後の曲として発表したのが
このR.シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」という曲なのです。
R.シュトラウスの交響詩の中では屈指の人気を誇り、「ドン・ファン」・「ツァラトゥストラかく語りき」と並んで
大変演奏頻度も高い曲だと思いますし、
今現在も日本各地のオーケストラのレパートリーとして完全に定着している曲の一つだと思います。
吹奏楽コンクールのアレンジものとしても昔から大変人気が高く、今現在もよく自由曲として選ばれる事の多い曲の一つです。

この曲の最大の聴かせどころでもあり最難関の部分は、曲開始早々のホルン奏者によるソロだと思います。
以前、NHK交響楽団のホルン奏者へのインタビューの中で、
「今まで吹いた曲の中で一番プレッシャーが掛った曲は?」という質問と
「今まで吹いた曲の中で技術的に大変しんどくて難しかった曲は・・?」という質問に対して、
R.シュトラウスのティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずらを挙げていたのは当然だと思いますし、
奏者にとっても大変な曲だと思います。

交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」の冒頭の温和で柔らかい感じは、
「これからおとぎ話が始まりますよ」みたいなプロローグみたいな感じがして実に素晴らしいと思います。
この交響詩が作曲された頃に、それまでの手締め式ではなくてペダルを足で踏む事で音程をコントロールする
ペダルティンパニが発明され世に出ていますけど、
そうしたペダルティンパニを最初に効果的に使用した曲の一つとして
この交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずらを」や同じくR.シュトラウスの歌劇「エレクトラ」・「バラの騎士」を
指摘する見解が多いようです。

ティル・オイレンシュピーゲが行ったいたずらを具体的に挙げてみると・・

1.市場で牛馬を解き放ち、市場を大混乱に陥れる。

2.空飛ぶ靴でトンズラを図る

3.お坊さんの姿に化けてテキトーでいい加減な説法をして廻る。

4.美女を口説くがあっさりと振られる・・

5.学者たちにテキトー論争を吹っかけ、学者たちを煙に巻きそのまま逃走・・・

それほど社会に大きな迷惑は掛けてはいないのかもしれないですけど、そうやって各地をいたずら放浪して
散々悪態ついたところで逮捕され、裁判に掛けられ絞首刑の判決が下り、そのまま息絶えるというストーリーを
大変巧みな構成力&楽器配分で表現したのがこの交響詩と言えると思います。
絞首刑シーンにおけるクラリネットの高音の絶叫音というのは、絞首台でのティルの悲鳴を示唆しているそうです。
曲のラストでは、冒頭のあの親しみやすく温和なメロディーが再現されていて、
「ティル・オイレンシュピゲールは確かに死んだけど、ティルのイタズラ魂は今でも生きている」とか
「ティルは永遠に不滅ですよ、みなさんの心の中に伝説として今後も生き続けていく」みたいな事を暗示しているようにも
感じられたりもします。

この曲は昔から吹奏楽コンクールにおいても人気が高い曲の一つですけど、この曲をコンクールで演奏すると、
時間制約の関係上、どうしても大胆にカットせざるを得なくなり、聴き方によっては、
ティルはまだ2つか3つしかイタズラをしていないのに処刑されてしまった・・みたいな印象もあったりもします。
だけど吹奏楽コンクールでのホルン奏者は冒頭ソロはたいていの場合外す事なく堂々と吹いていますので、「凄すぎる・・」と
感激させられてしまいそうです。

ホルンが大活躍をしたりホルンに目立つソロがある吹奏楽オリジナル曲ですと、
W.スミスの海の男たちの歌や真島さんの富士山〜北斎の版画に触発されてとか
チェザリーニのアルプスの詩、伊藤康英の交響詩「ぐるりよざ」、ホルジンガーの春になって王たちが戦いに出向くに及んで、
などたくさんありますし、そうしたホルンが大活躍する吹奏楽オリジナル作品の中でも、群を抜いて難解で
「ホルン殺しの名曲」として名高いのがクロード・スミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」に尽きると思います!
同じくスミスの「ルイ・ブルジョワの讃美歌の主題による変奏曲」のホルンはラストのとんでもない高音を含めて
相当大変だと思いますし、またまたスミスですけど「ダンス・フォラトゥーラ」はトランペット殺しの名曲だと思います。

この「フェスティヴァル・ヴァリエーション」について一応専門的に少しだけ書いてみると、
アメリカ空軍ワシントンバンドと当時の隊長アーナルド・D・ゲイブリエル大佐の委嘱で作曲され、
1982年2月10日、ゲイブリエル大佐指揮のワシントンバンドで初演され、大反響を起こし、
翌年に日本でもヤマハ浜松が自由曲として演奏し、一気に日本でもブレイクしました。
とにかくこの曲の難易度は高く、あまりにも有名な冒頭のホルンの超難関の高音とか
コーダにおけるホルンのウルトラ高音域は、アマチュアでは演奏困難とも思えます。
これは当時のワシントンバンドの首席ホルン奏者が大学時代のスミスのライバルであったことから、
わざと難しく書いたという有名なエピソードが残されています。

この曲を一言で書くと・・・

「労多くして実りが少ない曲」と言えるかもしれないです。
勿論上手なチームがノーミスで吹きこなせば、元々の曲自体があまりにも素晴らしいので
すさまじい名曲に聴こえ大変な感動を生むのですけど、並以下のチームが無謀にもこの曲に挑んでしまうと
私の母校のように外しまくり玉砕するケースを コンクール・コンサートで何度耳にしたか分かりませんし、
それほど大変な難曲ですし、ホルンセクションは気の毒なくらい難易度の高い技が要求されていると思います。
「ダンス・フォラトゥーラ」は華麗なるトランペット殺しの曲と言えるのに対して、この「フェスティヴァル・ヴァリエーション」は
とてつもないホルン殺しの曲と言えると思います。
大学時代、同期のホルン奏者がこの曲のホルンのパート譜を見た瞬間に「自分には絶対に吹けない・・」とぼやいていたのは
大変印象的でもありました。
この曲はともすると「ホルンの難しさ」がやたらと強調されがちですけど、全てのパートが大変難しいとも間違いなく
言えると思います。
そして例えば中間部のゆったりとした部分のホルン、チューバ・ファゴット・ユーフォニアムのソロも奏者にとっては
腕の見せ所ではありますけど大変なプレッシャーを感じる箇所だと思います。
この曲の構成は、序奏-展開部-二度にわたって同じメロディーが繰り返される中間部-展開部の再現と華麗なる終結部から
なっていると思いますけど、中間部がほぼ同質メロディーが二度にわたって繰り返されるのも大変面白いものが
あると思いますし、あの部分はとにかく「感情」が高ぶりがちになりがちで、どうやって先走る奏者の感情を抑えるかというのも
指揮者の腕の見せ所の一つだったようにも感じられます。
ヤマハ浜松や天理は、中間部を最初の方の比較的おとなしめの部分のみを演奏していましたけど、
1997年の愛工大名電は中間部をほぼノーカットで演奏し、二回目の中間部の盛り上がりでは壮大なクライマックスを
作り上げ熱狂的な雰囲気を中間部でも作り上げていたのは大変印象的ではありました。
精華女子はそのあたりはもっと精緻な構成を取っていて、上手いし圧倒的な技術もあるけど「冷静さ」も保っていたのは
「さすが~!」という感じでもありました。
そしてこの曲の最後の最後のトロンボーンセクションによる壮絶なグリッサンドもこの曲の聴きどころの一つだと思います!

1984年の全国大会の高校の部のプログラム一番であの超名門校の天理高校がこの曲を自由曲として臨み、
課題曲の「変容-断章」を見事に決めていたのに、自由曲の「フェスティヴァル・ヴァリエーション」の冒頭は少し外し気味でも
ありましたので、当時は「あの天理をもってしても完璧には決まらない難曲なんだなぁ・・」と改めて実感させられたものでも
ありました。
天理の展開部でのアルトサックスセクションのリズムの刻みの音色の洗練さと美しさと完璧なリズム感には
生で聴いていた瞬間から感動しまくりでしたし、
(ピッコロとファゴットによるデュエットも素晴らしいし、それを支えるアルトサックスのリズムの刻みの美しさと小気味よさは
鳥肌が立つ想いで一杯でした・・)
中間部のチューバ・ファゴットのソロも完璧に決まっていましたし、
ラストのホルンはパーフェクトに決まっていてその追込みも圧巻だったと思いますし、堂々たる金賞に輝いていたと
思います。
そして21世紀に入ってからは既に皆様ご存じの通り、福岡県の精華女子高校による歴史的超名演が
2008年と2013年の2回に渡ってお披露目されていて、天理やヤマハ浜松なんて正直目じゃない圧倒的な超絶技術が
ほぼノーミスで完璧に決まっていたのは「吹奏楽コンクールの進化は止まらないし凄いものがあるね~」♪と
実感したものでした。
私が高校の頃にこの曲は日本でも演奏され始めるようになっていて、当時はその技術的難解さから
演奏の苦労とか個々の奏者の苦労は絶えない・・と感じさせるものは多々あったと思うのですけど、
精華女子とかたとえば2012年の東海大学高輪台高校のように今現在の優秀な奏者の皆様たちはこんな難曲であっても
やすやすとこなして難曲を消化してしまっていますから、私のような元・ポンコツ奏者の視点から見てみると
現在の奏者の皆様の技術的進化には脱帽せざるを得ないですし、その圧倒的技術には敬意を表せさて頂くしかないです!

最後に・・ この「フェスティヴァル・ヴァリエーション」の過去の演奏では、一度面白い事がありました。
当時私も普門館の客席にいて「えっ・・!?」と思ったのですけど
1997年の愛工大名電の演奏時に、中間部をほぼノーカットで演奏しバスクラのソロをはさんで
後半展開部に一気に飛ぶという豪快なカットを聴かせてくれましたが
この中間部があまりにも感動的に高らかに鳴り響き、 聴衆の中でかなりの人が
「あ、これで演奏終了したか・・」と勘違いし、何を思ったか、その中間部の高まりが鳴り収まった瞬間に
フライングの拍手をしてしまったのです! しかも少数ではなくてかなりの人数でした!
(CDにはその様子がしっかりと収録されています・・・)
「この素晴らしい曲を知らない人も結構多いんだ」と当時思ったものですけど
おかげで、バスクラの弱奏のソロがまったくかき消されてしまい、バスクラ奏者が気の毒に感じたものでした。
名電の奏者も驚いたかどうかは分かりませんが、後半の展開部のトランペットがヘロヘロ状態になったのは惜しまれます。
冒頭とラストのコーダのホルンはほぼ完璧に決まり 、トロンボーンのラストの強烈なグリッサンドも見事に決まり
演奏終了後は凄まじいブラボーコールを受けていました。

それにしてもああしたフライング拍手というものはちょっと残念ではありますよね・・


_convert_20200526233534.jpg


ららマジでのホルン奏者は3年生の三嶋蒼です。
文化部所属の天才科学者と言う設定でいつも何かの実験をしており、帽子の中には新しいアィディアと実験器具で溢れていて、
戦闘時は巨大な分銅などを敵にぶつけて攻撃するそうです。

帽子の中に限らずポケットやかばんやリュックサックの中にもさまさまな実験器具が入っていそうですし、なんだか東方の
河童のにとりの帽子・ポケット・リュックサックの中には道具で溢れかえっているのと似ていそうな感じでもありそうです。

三嶋蒼という理系奏者によるスミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」のホルン殺しのソロと高音をどのように
処理されるのか・・というのもなんだか興味津々ですね~♪
私が吹奏楽の現役奏者だった頃、スミスと言うと「フェスティヴァルヴァリエーション」で有名なクロード=スミスを
意味していましたけど、1990年代後半に吹奏楽に携わった人にとっては、
「海の男達の歌」とか「伝説のアイルランド」などでお馴染みのロバート=スミスをあげる人も多いかと思います。

最近は、ロバート=スミスの人気は下降気味なのかもしれないです。
最近では20世紀の後半あたりにあれだけ大流行した「海の男たちの歌」はコンクールでもあまり聴かれなくなりました。
同時期にやはりあれだけブレイクしたメリッロの「アメリカの騎士~選ばれしものも最近では演奏頻度は下がりましたね。
(アメリカの騎士は吹奏楽連盟の規約改定で、コンクール時のエレキベースの使用不可というのも演奏頻度低下の要因に
なっているのかもしれないです)
とにかく、「吹奏楽オリジナル作品」の人気というものは、流行歌みたいな感じがして、
今現在コンクールやコンサートで演奏される機会が多くても、
「20年後にこうした曲は忘れられずに演奏され続けているのか・・?」というと
疑問点が付きそうな曲ばかり・・・みたいな感じも昨今の吹奏楽コンクールを聴いた感じではあったりもします。

クロード・スミスというと、吹奏楽コンクールの全国大会で初登場したのは、1983年のヤマハ浜松が
演奏した「フェスティヴァルヴァリエーション」だと思うのですけど、
いや――――、あの時の衝撃は凄まじかったですね!!

「えーー、こんなに素敵な曲があったんだ!」

「なにこのウルトラ超難曲!! まさに金管奏者泣かせ! そして同時に・・・ホルン殺し!!の曲!!」

「出だしからホルン奏者は確実に死んでしまう・・・」

「とにかくかっこいい素晴らしい曲!! 聴くだけでテンションが思いっきり上がりそう!」

そんなような声が私の周りでも数多く聞かれたものです。

そしてこの曲は、全国初演は1983年なのですけど、その後も天理・愛工大名電・東海大高輪台・東京隆生などが
全国大会でも自由曲として取り上げ、
そしてこの曲の素晴らしさを私達に再認識させてくれたのが、
そう! あの福岡の精華女子高校の素晴らしい名演なのです!
そして今年・・・2016年の全国大会でも、既に岡山学芸館高校がこの曲でもって全国大会出場を
既に決めています。

これって凄い事だと思います。

前述のように一時「大人気自由曲」としてブレイクしてもその後は忘れ去られてしまう事が多い中、
このC.T.スミスの「フェスティヴァルヴァリエーション」は、1983年の全国初演から
忘れられる事なく、今日に至るまでずーーーっと全国大会の自由曲として選ばれ続けているという事実にこそ、
このC.T.スミスの「偉大さ」が示唆されていると思います。

クロード・スミスというと、

〇フェスティヴァルヴァリエーション

〇ルイ=ブルジョワの讃美歌による変奏曲

〇ダンス・フォラトゥーラ

〇ファンファーレ、バラード&ジュビリー

といった作品が有名で技術的にも大変高度なものを要求されます。
特にダンス・フォラトゥーラの技術的難易度の高さは半端ないものがあると思います。
先ほども名前を出しましたけども精華女子のあの素晴らしい演奏を聴いてしまうと
「すごいな・・・こんな難曲中の難曲を聴いている者に少しも疲労感を与えないでこんなに楽に聴かせちゃうなんて!」と
毎回感心させられちゃいますね!
それにしてもあの「ダンス・フォラトゥーラ」の超絶技巧の炸裂振り・金管殺し・トランペット奏者殺しは
一度聴いてしまうと、完璧にはまってしまいますね~♪
吹奏楽を知らない方でも是非この「ダンス・フォラトゥーラ」だけは精華女子高校の演奏を聴いて欲しいです!!
この曲、そしてあの素晴らしき名演を知らないまま一生を終えるなんて勿体無いかもしれないです!

クロード・スミスの作品の中には「これって本当にあのスミスの作品なの・・・?」と疑ってしまうような
平易でシンプルな曲もあったりします。
その代表例が「祝典のための序曲」なのかなと思います。
この曲、私が高校二年の定期演奏会で吹いた曲でもあるのですけど、
確かに技術的には何の難しい部分もなく、たまーに4分の2+2+3みたいな変拍子が出てくる以外は
技術的には楽勝みたいな印象で、吹いていても本当に楽しい曲でした。
確かに「ダンス・フォラトゥーラ」みたいな高度な曲がスミスの代表作というか本質なのでしょうけど
「祝典のための序曲」みたいな万人受けするような曲も意外と本質だったのかもしれません。
この「祝典のための序曲」と「ダンス・フォラトゥーラ」を単純比較してみると、
とても同じ作曲家が書いたとは思えないほどの違いはありますけど、
目指していた方向性は、「聴く人みんなに楽しんで貰おうじゃないか!!」という事だったのかもしれません。

埼玉県の職場一般の部を代表する名門チームというと「川越奏和吹奏楽団」の名前が挙がると思いますが、
だこの川越奏和が初めて県代表として関東大会に臨んだ際の自由曲は
実はこの「祝典のための序曲」だったのです。
当時の編成も確か30名近くの小編成で、
現在の大人びた雰囲気とはえらい違いの「素朴でのびのびとした」雰囲気を漂わせていた演奏でした。
吹奏楽の名門チームの原点と言える曲なのかもしれませんよね。
ちなみにですけど、川越奏和のこの時の課題曲は、C/シンフォニックファンファーレとマーチでしたけど、
この課題曲も知る人ぞ知る隠れた名演ですし、とても小編成とは思えない大変優れた演奏を聴かせてくれています。

「祝典のための序曲」は、むしろ現在の中学生にも是非演奏して欲しいなとも思います。
技術的に平易で、親しみやすいメロディーがてんこ盛りで
ラストの自然な盛り上がり方なんかも、音楽の楽しさを伝えて体感するには
もってこいの素材のような気もします。

難解な交響曲ばかり書いていたショスタコーヴィッチも、たまーにひょいと肩の力を抜いて
「二人でお茶を」とか「祝典序曲」みたいな軽くて底抜けに楽しい曲を書いていた事もありますので、
C.T.スミスなんかも
「たまには技術的に簡単な曲を・・」と肩の力を抜いて作曲したのがこの「祝典のための序曲」と言えるのかもしれないです。


_convert_20191225175231.png


ららマジの東奏学園器楽部の部員は30人ですけど、
「ららマジ」は吹奏楽部ではなくて器楽部と言う事で、楽器仕様に制約が無いと言う事で、出てくる楽器も
吹奏楽ではありえない編成のワーグナーチューバ・箏・胡弓・ピアニカ・リコーダー・エレキベース・シンセサイザー・
ウクレレなども登場しているのは自由さがあってとてもすてきだと思います。

器楽部創立メンバーの一人で、部長であり指揮者でもある草薙百花がそうしたメチャクチャな楽器編成を
無理やりどうにかこうにかまとめてしまっているのですけど、
ららマジの器楽部の楽器編成は「各楽器に奏者が1名」ということですので、部員が30人ということで、つまりは
30の楽器で音楽が奏でられるという事になると思います。

それにしても改めてららマジ器楽部の編成はツッコミどころが満載ですね~♪

チューバは無いけどワーグナーチューバはあったり、オーボエは無いけどなぜかコールアングレはあったり、
ファゴットもコントラファゴットはあるけどなぜかバスクラがなかったり、
ベース・エレキ・ウクレレとギター系の楽器が三本もあったり、ユーフォニアムが管弦楽と同様に配置されていなかったり、
胡弓・箏といった邦楽器があったり、
30人編成なのに、ドラムス・グロッケンシュピール・和太鼓・トライアングル・タンバリン・カスタネット・シンバルの
打楽器セクションはかなり充実していたり、
なぜかシンセサイザーまであったり、基本的には吹奏楽の編成に近いけどなぜかヴァイオリンやチェロ・ハープも配置される
など現実ではあまりありえない編成ゆえにその自由さは素晴らしいものがあると思います。

奏者はドラムスとハープと箏と弦楽器を除くと基本的には全員スタンドアップして演奏していますけど、
コントラファゴットは基本的には立って演奏をする事が出来ないので、椅子に腰かけて演奏しているのは、
「わかっているね~」という感じでもあります。

こうした自由な編成による自由な音楽は是非ぜひ聴いてみたいものですし、スミスの「祝典のための序曲」のシンプルな楽しさを
ららマジ器楽部として聴いてみたいものがありますね~♪
四反田素幸は東京藝術大学で黛敏郎や浦田健次郎に作曲を師事された日本の作曲家であり、
現在は秋田大学教育文化学部教授を務められています。
といってもこのお名前は正直ほとんど知られていないのかもしれないですし、作曲の先生と言われてもその作品自体極めて
少ないというか、曲自体はもしかしたら相当数作られているのかもしれないですけど、対外的にはほとんど知られていない
という事なのかもしれないです。

そうした四反田素幸ですけど、マニアックでコアな吹奏楽ファンの皆さまですと、もしかしたら何人かは
「あー、花輪高校の平成元年の自由曲の作曲者の方ね・・」と反応されるのかもしれないです。
そして1989年に花輪高校が吹奏楽コンクールの自由曲で演奏していたのが、四反田素幸の吹奏楽のための幻想曲「壁画」で
あったりもします。
壁画は全国大会では花輪高校以外の演奏実績もありませんし、支部大会でも2019年時点で確か5~6チームぐらいしか
演奏されていません。
つまり本当に「知る人ぞ知る吹奏楽邦人オリジナル作品」といえそうです。

吹奏楽のための幻想曲「壁画」は前述のとおり、1989年、秋田県立花輪高等学校吹奏楽部の全日本吹奏楽コンクールの
自由曲として委嘱を受け作曲され、
2015年に花輪高校吹奏楽部が再びコンクールの自由曲としてこの作品を取り上げることになり、全面的に改訂が
なされた経緯もあります。
このときは残念ながら秋田県大会でダメ金に留まり、東北大会出場は果たせませんでしたけど、1989年当時の指揮者の
小林久仁郎先生のこの曲への想いを26年後に再現された2015年当時の花輪高校指揮者の阿部先生に
心から賛辞の言葉を埼玉の地から送らさせて頂きたいと思います。
阿部先生は2009年に小林先生最後の花輪高校での吹奏楽コンクール出場時の自由曲のブリスのバレエ音楽「チェックメイト」を
自由曲に選ばれて、この時は花輪高校をA部門として1992年以来の東北大会出場に導かれていましたので、
おそらくは関係者の皆様にとっても相当感慨深いものがあったのかもしれないです。

吹奏楽のための幻想曲「壁画」 については作曲者の四反田素幸は
「インドのアジャンター石窟や中国の敦煌莫高窟など、アジアに広く点在する多くの仏教遺跡は私を魅了して止まないが、
それらの造営に携わった往時の人々の情念に思いを馳せる時、私は計り知れない人間のエネルギーをいつも感じる。
吹奏楽のための幻想曲「壁画」は、ある特定の遺跡の壁画を描写しようとしたのではなく、
圧倒するような、強烈な存在感を放つ巨大壁画を目の当たりにした時の衝撃を描こうとした作品である」と述べられていますが、
確かに曲のいたるところからアジアの民衆のエネルギーの推進を感じたりもします。
なんとなくですけど私自身の勝手なイメージでは、松村禎三の交響曲にあける圧倒的なアジアパワーみたいなものを
彷彿とさせられてしまいそうです。

吹奏楽のための幻想曲「壁画」 が全国大会で初演された1989年の
前年の88年は、小林先生にとっても初めてとも言える東北大会での金賞以外の賞を受賞という事で
小林先生にとっても部員にとっても大変残念な思いが強かったと思いますし、
小林先生としても1989年のコンクールは雪辱に燃えるものもあったのではないかと推察されます。
前述の通りこの頃の花輪高校は、85年・87年と相当気の毒としか言いようが無い全国大会銅賞という評価も
受けていましたので小林先生にとっても部員にとっても「よーし、今年はなにかやってやろう!」みたいな
心機一転の気持ちもあったのかもしれません。

そうした想いがもしかしたら多少力みにつながったせいなのか、課題曲B/WISHは少しやりすぎというのか
花輪高校にしては珍しい粗さの方が目立っていたような気もします。
音が幾分粗削りで、既にこの頃の吹奏楽コンクールは、習志野・常総学院に代表されるような「洗練された響き」が
高く評価される傾向にもありそれが時代の最先端という雰囲気もあった中で、こうした花輪高校の少し粗野な響きは
審査員・聴衆にとっては「少し時代遅れじゃないの・・??」みたいな印象をもたらしたのかもしれないです。
私としては、確かに常総学院みたいなとてつもなく洗練された響きも大好きですけど、
それと同じくらい花輪高校みたいな個性的で大地に根をおろしたような素朴なサウンドも大好きです!
自由曲は、87年に続いてこの年も邦人作品を取り上げていましたけど、
その演奏も大変気持ちが入ったもので、確かに少し粗削りで武骨な響きもあり、
曲自体が「どこかおぞましい・・あまりにもドロドロしすぎている」みたいな印象も与えかねない曲でしたので、
そうした泥臭さが吹奏楽コンクールの評価としては、結果的にマイナスに作用したといえるのが
この年の花輪高校吹奏楽部の銅賞という評価ではなかったのかな・・と今更ながらに感じたりもします。
四反田素幸の吹奏楽のための幻想曲「壁画」は
あの不気味な感じは確かに「おどろおどろしい」と思われても仕方がない曲&演奏だとは思うのですけど、
あそこまで邦人作品を内面深く掘り下げて演奏した事例が当時は少なかっただけに
「影の名曲&知る人ぞ知る隠れた名演」と私としてはかなり高く評価しています。
小林先生自身、1993年以降の秋田南への異動後は、三善晃・黛敏郎といった邦人作品をこれまた魅力的に
斬新に斬り込まれていましたので、
一般的には小林先生というと「ロシア系マイナーシンフォニー」というイメージが大変強いのですけど、
こうした邦人作品との相性もよかったと言えるのかもしれないです。
「壁画」の演奏は、何を言いたいのか今一つ伝わってこないみたいなもどかしさはあったと思いますし、
一言で言うと、名取吾郎の詩曲「地底」みたいな暗い怨念のこもったおぞましい曲というせいも
あるとは思いますが、花輪らしい個性が少し強すぎて、 この泥臭さが当時既に洗練さがコンクールの
評価基準になりつつあった時代に今一つそぐわなかったと 言えるのかもしれないですけど、
私は花輪高校の邦人路線は、ロシアマイナー路線と同じくらい大好きです!
それが人の好みによって評価が真っ二つに割れがちなのはこれはある意味当然な事ではないのかな・・?と思ったりも
しますけど、それは一つの立派な個性なのだと思います。

花輪高校は、翌年の1990年は「三角帽子」で東北大会ダメ金だったのですが、
翌年の「バッカスとアリアーヌ」・翌々年の「チェックメイト」は生まれ変わったような
洗練されたサウンドに生まれ変わり、当時私も大変驚いたものですが、
これは小林先生自身ももしかして、「さすがに今までの表現スタイルは時代にそぐわないから、自分たちも
チェンジを図る必要がある」と思われて、小林先生としての変化」示した演奏と言えるのかもしれないです。
1992年を最後に小林先生は秋田南高校へ転任され、それ以降花輪高校は、
現在に至るまで吹奏楽コンクールの全国大会の表舞台から姿を消してしまいますけど、
別に吹奏楽コンクールだけが全てではありませんし、何よりも花輪高校吹奏楽部の偉大なる歴史は永遠に不滅ですし、
少なくとも私の心の中では私が生きている間はずっと継承され続けていくと思います。

上記の補足ですけど、1992年の小林先生として最後の花輪高校での自由曲は
ブリスのバレエ音楽「チェックメイト」というまさに小林先生らしいマイナーだけど音楽的魅力が満載の曲を
最後に普門館でお披露目出来た事は、本当にありがたいものがありました。
1992年の演奏を聴くと誰もがそう感じるかもしれないのですけど、
花輪の1992年のサウンド・音色は、究極の繊細さ・洗練さの域に達しているように感じられます。
小林先生が初めて花輪高校を引き連れて普門館にやってきた1978年の音色・サウンドと単純に比較すると、
雲泥の差があるようにも感じたりもするのですが、これは別にだから78年の演奏はダメ・・と言っている
訳ではありません。78年のラフマニノフには、当時なりの美点もたくさんあります!
そうしたサウンドの違いと言うのは、小林先生が1978年→1992年にかけて花輪高校で 育んできた「一つの進化」としての
結果なのだと思います。
毎年、真夏の時期が到来すると自分が出場する訳でもないのに、
「さー、夏だ! 野球は高校野球の夏の甲子園での筋書きのないあのドラマと熱戦が楽しみだし、
吹奏楽コンクールでのとてもアマチュアとは思えないあの素晴らしい名演の続出が毎年とっても楽しみ~♪」と
感じていましたので、今年に関しては夏の甲子園も吹奏楽コンクールの中止も残念とか無念という一言では割り切れない
無慈悲なものを感じたりもします。
特に「今年が最後・・」との思いを秘めていた3年生の気持ちを考えると本当にいたたまれないものがあります。
誰が悪い訳でもない・・憎むべきはあの新型ウイルス・・という事で、今現在は心の整理もつかない皆様も多いとは
思いますが、下級生たちは悔しい思いをした3年生の気持ちを受け継ぎながら、来年度の活動を頑張って頂きたいと
思いますし、3年生は心の整理がつき少し吹っ切れた状態になったら、試合とかコンクールは一旦置いておいて
純粋に野球や音楽そのものを楽しんで頂きたいと思います。

昨年の埼玉県代表の花咲徳栄高校は残念ながら一回戦で明石商業に惜敗してしまいましたけど、
私自身、埼玉県に通算して23年以上在住していますので、小学から高校まで過ごした宮城県の学校が甲子園に出場しても
「あっ、そ・・」みたいな感じになってしまい、
「どうせいつもの仙台育英と東北の二大私立高校しか出場しないから・・」というかなり醒めた感覚で見ているのに対して、
なぜか埼玉の学校は思いっきりエールを送りたくもなってしまいます。
これは私自身、「自分にとっていっちば~ん!ゆかりがある県は埼玉だし、埼玉に愛着を感じている証」という事なのかも
しれないですし、私自身の埼玉愛なのかもしれないですね~ ♪
埼玉もこの10年間において、春の選抜で浦和学院が全国制覇を成し遂げ、花咲徳栄も3年前に全国制覇を実現していますので
来年以降の頑張りに期待をさせて頂きたいと思います。

吹奏楽コンクールにおける埼玉のレヴェルの高さは昔も今も驚異的だと思いますし、
私自身、普門館が解体されて以降は全国大会・都大会を聴く事はなくなりましたけど、それでも毎年埼玉県大会または
地区予選が開催される南浦和のさいたま文化センターが自宅から歩いてでも行ける距離という事で、
毎年県大会または地区予選は必ず聴きにいくようにしていますけど、とにかく埼玉県の吹奏楽のレヴェルの高さは
誇りうるべきものがあると思いますし、西関東大会の埼玉以外の県の皆様には大変申し訳ないですけど、
「埼玉県大会が事実上の西関東大会」といっても過言ではない程のレヴェルの高さがありますし、
埼玉栄・伊奈学園総合・春日部共栄といった現在の名門校の他にも、与野・川口・松伏・秋草学園・狭山ヶ丘といった
古豪もありますし、小編成部門も大変レヴェルが高いと思います。
関東大会が西関東と東関東に分離したのが1995年ですので、分離から今年でちょうど25年目にあたります。
東関東の場合、茨城・千葉・神奈川の3県が毎年熾烈な全国への代表権争いにしのぎを削っていますけど、
西関東の場合は、昔も今も「代表はほぼ例外なく埼玉」という事で、率直に言って埼玉と新潟・山梨・群馬の間には
超えられそうもない壁は確実にありそうです・・
(あ・・、上記の話は高校の部の話ですので・・・)

野球と吹奏楽というと忘れていけないキーワードは甲子園での応援ですね~♪

最近の吹奏楽部による甲子園の応援演奏というと習志野高校の例のあの美爆音サウンドが有名になっていますけど、
習志野高校吹奏楽部は、新妻先生時代の洗練された美しい響きも素晴らしかったですけど、現在の石津谷先生の
自由自在なあのサウンドと表現も素晴らしいと思います。
そして吹奏楽コンクールでのあの美しいサウンドを活かした習志野高校の美爆音による演奏は、テレビの画面からも
その迫力と美しい音がよく伝わってきていると思います。
習志野高校の美爆音も素晴らしいけど、それ以上に私の中で大変インパクトが強い甲子園での吹奏楽部による応援というと、
新子先生が指揮されていた頃の天理高校吹奏楽部によるサウンドだと思います!
特に金管セクションのかなりメタリックなサウンドだけど、どんなに強烈なfffでも決して音が割れないあのサウンドの
クリアさは今現在の習志野高校の美爆音にも決して引けをとらないものだったと思いますし、そうした天理の強烈で
シャープで洗練された金管セクションのサウンドが最大限発揮された名演が、
84年のフェスティヴァル・ヴァリエーションであり、85年のセント・アンソニー・ヴァリエーションであり、はたまた
1988年のディオニソスの祭りなのだと思います。

時期は忘れてしまいましたけど、たしか1980年代中盤から後半にかけて、とある年の夏の甲子園にて
関東一高と天理高校が対戦をしていました。
天理高校は最近は関西大会で大阪代表の強豪チームによって代表を逃す事が大変多くて、しばらく全国大会でも
その名を耳にしなくなりましたけど、1980年代中盤から後半にかけての天理高校の名演の連続は今現在でも
伝説になっていると思います。
関東一高も1993~95年の3年連続全国大会金賞という事もあり、90年代以降は一気にサウンドがよくなっていたと
思います。
だけど80年代は「都大会を突破しても全国では冴えない演奏ばかりで銅賞の常連校」というイメージもあった中、
実は1985年においては、名称は忘れましたけどとある吹奏楽の世界コンテストでグランプリを取った事もあります。
もっとも日本からの出場チームは関東一高だけでしたし、そのコンテストもレヴェルが高いとは思えませんでしたし、
あの当時は「関東一高がグランプリ取れるのだから、支部大会銀賞クラスの演奏でも余裕でグランプリ取れるんじゃないの?」と
やっかみすらありましたけど、それはその当時の吹奏楽事情からはある意味妥当だったのかもしれないです。
関東一高は夏の甲子園にも出場し天理高校と対戦していた際に、
あまり吹奏楽事情に詳しくもなさそうなアナウンサーが「応援紹介コーナー」にて、
天理と関東一高の二人の奏者を並べて音を出させ、
「日本一の天理高校吹奏楽部と世界一の関東一高の吹奏楽対決はいかに?」とか何とか言っていましたけど
知っている人から言わせるとあれは「おいおい・・」という感じのモノもありました・・





昨年の事ですけど、昨年夏の甲子園大会出場した立命館宇治高校の吹奏楽部は、星稜高校との2回戦で、
放火殺人事件の被害に遭った京都アニメーションが制作した「響け!ユーフォニアム」の主題歌を応援曲として演奏されていて
野球部とと京アニへの思いを込めたメロディーがアルプススタンドに鳴り響いた光景には胸を打たれるものがありました。

残念ながら立命館宇治高校は試合には敗れてしまいましたけど、
放火事件の関係者の皆様たちを励ます意味も込めて「響け!-」の主題歌「DREAM SOLISTER」を応援曲とされていて、
堂々と立派に演奏されていた光景は素晴らしいものがあると感じたものでした。

新型コロナウイルスは来年にはなんとか治療薬・ワクチンの開発が進み、終息して欲しいですし、
収束したら今までのように夏には甲子園と吹奏楽コンクールを楽しむ事ができる日々が戻ってきてほしいと
願わずにはいられないです!
人間には「あまり触れてほしくない部分」というものは誰にでも一つや二つは間違いなくあると思いますし、それを換言すると
トラウマという事になるのかもしれないです。
そうしたあまり触れてほしくない部分にズカズカと土足で他人に踏み込まれてしまうと、人は感情を害したり嫌悪感を
抱いてしまうのだと思いますし、それが怒りの気分として表出された場合は、故事で例えると「逆鱗に触れる」という事なのかも
しれないです。

え・・? 私ですかぁ~? そりゃたくさんありますよ・・

人間というものを数十年やっていると「あの事だけは絶対に触れないでほしい!」という事はたくさんありますし、
このブログで公開するなんてとてもじゃないですけど出来そうにもないことなど多々ありますし、
「この事は生涯口に触れることは絶対にないし、全てを自分の胸に秘めたままあの世に旅立とう・・」というトラウマは
幾つかあったりもします・・
仕事上でのトラウマというと、金融機関での取り立てというか不良債権回収にあたっての顧客との交渉時のあのストレスが
最大だったのかもしれないです。
あの時のトラウマに比べたら今現在の顧客管理において時折発生するクレーム対応なんてかわいいものとしかいいようが
ないという感じでもあったりします。

音楽上のトラウマも現役奏者時代は色々あったものです・・

そうしたトラウマの中でもやはり一番大きかったことは、10年間出場した吹奏楽コンクールにおいて、結局ただの一度も
支部大会以上の大会に出場出来なかった事だと思います。
毎回県大会または都大会予選で消えてしまい、特に「生涯に一度ぐらいは普門館という高校野球で例えると甲子園の
ような舞台で吹奏楽コンクールに出場したい」と思っていた私は、その目的成就のためだけに
東北の田舎から上京して都内のとあるポンコツ大学に進学し、吹奏楽コンクール都大会の大学の部の予選会を通過し
都大会本選の会場でもある普門館のステージに立つことを夢見ていましたけど、結局はその夢は叶わず、
10年間の奏者生活から足を洗った訳であったりします。
もちろんその過程で得るものは相当大きかったと思いますし、吹奏楽をやることで自分自身の音楽への興味関心が
とてつもなく増大し、それが今現在でも生きる上での大きな力になっていることも大きいですし、
なによりも上京できること=親元を離れられるという事でも
ありましたので、「親元を合法的に離れる」という最大の目標は達成できたわけですので、決して10年間の吹奏楽コンクール
への参加は無駄ではなくて意義は極めて大きかったのですけど、それでも
「一度ぐらいは都大会銅賞でもなんでもいいから普門館開催の都大会に出場したかった! それができなかったのは
やっぱりなんだかんだいっても今でもすごく悔いがあるし、無念だし、それが自分の音楽上のトラウマなのかも・・」と
感じることは今でもあったりはします。

音楽上のトラウマを一番最初に実感したのは、合奏をすることがとにかく楽しくて楽しくて仕方がなかった小学校の
管楽器クラブでの体験から比べると「どうして音楽ってこんなにつまらなくて苦しくて嫌な事ばかりなの~!?」と感じずには
いられなかった中学校における吹奏楽部入部したあたりの頃なのかもしれないです。
結果的に以前はあんなに合奏をすることが楽しくて楽しくて仕方がなかった全体練習が、指揮者から罵倒され続けることで
苦痛以外の何物でもなかった事もありますけど、その後吹奏楽部部長という嫌な役割を押し付けられ、丁度そのころに
当時の吹奏楽部指揮者=顧問の先生に対する全体の不満が爆発した事に起因する吹奏楽部部員の大量退部騒動の
全責任を当時の部長と副部長にすべて押し付けられてしまい、何かあるごとに顧問の先生やOBOGから執拗に責め立てられ、
中学校卒業の頃には、「音楽も吹奏楽も大嫌い! 高校に入ったら金輪際吹奏楽なんてやるもんか!」と固く心に誓っていた
ものでした。
(結果的に高校入学の頃にたまたま耳にした吹奏楽部が練習していた定期演奏会の曲目の一つの
歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りの哀愁溢れるメロディーに魅了され、何気なく練習見学会を覗いていたら
強引に勧誘されてしぶしぶ入部したら、結果的にその3年間で自分自身の音楽嫌いは完全に治癒されたばかりでなく、
上記で触れた通り「なんとか一度ぐらいは普門館のステージに立ちたい」と本気で考えるようになっていたものでした)

自分自身の音楽上のトラウマを初めて体感したのは中学の吹奏楽部入部時の事でしたけど、あの年の夏って
楽しい思い出はほぽ皆無でした・・
小学校の頃までは夏休みというと、プールで遊んだり野球したり、管楽器クラブでのびのび楽しく練習したり全体合奏したり、
印象としてはあっという間の楽しいお休み期間という感じでしたけど、中学以降、本格的に吹奏楽部に入部してみたら、
夏休みは無いも同然というのか毎日毎日練習ばかりというありさまでした。
夏休みが始まって、朝9時から午後4時近くまで吹奏楽コンクールに向けた練習三昧で、練習中もひたすら指揮者の先生から
「ピッチが合わないから死ね!」
「下手くそ!!」
「おまえらやる気あるのか!?」
「どうしてこんなに汚い音色でしか響かせられないのか!?」
「こんな簡単なフレーズもこなせないとは、お前らには音楽を語る資格は一切ないし、お前たちは俺の言う通りにだけ
吹いていればそれでいいんだ!」
「リズム音痴に鈍感すぎる音感・・おまえたちには才能なんてひとかけらもない」
「どうしてそこで息継ぎするんだ! ちゃんとフレーズを保って堪えろ!! え、なに呼吸が苦しい・・?、じゃー息するな!」などなど
毎日罵詈雑言浴びせられ続けケチョンケチョンに朝から晩までボロくそに怒られてばかりでした。
(今現在だったらパワハラ問題になりかねないですし、間違いなく教育委員会や校長・PTAにチクりがはいると思います・・)
しかも肝心の吹奏楽コンクールはと言うと、県大会の前段階の地区予選にてまさかのタイムオーバー失格という
消化不良の結果で終わってしまい、
当時の最上級性の3年生たちは茫然自失状態となっていましたし、
「まさか県大会にも進めないでこんな段階で3年間の部活が終わってしまうなんて・・」という無力感でいっぱいになって様子が
今でも記憶に残っています。
私自身は、なぜかしりませんけどコンクールメンバーに1年生ながらも選ばれていましたので、失格という結果は残念でしたが、
当時は吹奏楽コンクールのこと自体よくわかりませんでしたし、金賞とか銅賞とかダメ金とか地区予選落ちとか
タイムオーバー失格といわれても「なんじゃそれ・・?」という感じでもありました。
そんなことよりも、県大会に進めなかったという事でその後残り少ない夏休み期間も確かに練習はありましたけど、
既に全員の目的意識もやる気もなくなっていましたので、残りの夏休みの練習はほぼ個人練習となっていたのは
ある意味救いでもありました・・
(中二と中三の時は地区予選を突破し県大会出場が決まっていましたので、地区予選以降も夏休み期間はほぼフルで
練習三昧でもありました・・)
当時のコンクールは今とは開催時期が違っていて、地区予選は8月のお盆前後、県大会は9月中旬でしたから、
夏休みはどうしてもコンクールに向けての猛練習ばかりになってしまいがちでもありました。
前年までは夏休みと言うととにかく遊び呆けていた中一にとっては、最初の夏休みとはつらい試練ともいえそうでもありました。

たまにですけど、練習が終わった後で顧問の先生の配慮で、学校のプールを吹奏楽部員用に貸切で開放して貰い、
プールでで思いっきり泳ぐとか女の子の先輩とか同級生のスクール水着を拝められるのはすてきな思い出でした・・
私自身の担当パートがクラリネットで私以外は女の子ばかりでしたので、こういうブールでのお遊びの際も
何の違和感もなく女の子たちとキャッキャッと遊べる事は、クラリネットパートの唯一の男子部員の特権でもありました。
(この点だけはトラウマではなくて「昔に戻って体感したい・・」という事なのかもしれないです)

この年・・私自身が初めて吹奏楽コンクールに出場した際の課題曲は、1978年課題曲Aのジュピラーテで、自由曲は
チャイコフスキーの「スラブ行進曲」でした。
ちなみにスラブ行進曲というと、最近よくCMで流れていた「Chrome book」のBGMでも使用されていました。
課題曲表記がA~Eというのは現役奏者の皆様の視点では「どうしてⅠ~Ⅴという表記じゃないの?」と感じられるのかも
しれないですし、課題曲4曲の中から自由に一曲を選べるスタイルが確立したのは1978年以降の話であるみたいな事を
書いてしまうと「さすが昭和レトロ世代は古いね~」と失笑されるのかもしれないです。

それにしても自由曲がチャイコフスキーのスラブ行進曲というのは管楽器初心者にとってはつらい選曲だったと思います。

当時はまだ奏法の基礎すらもできていないのに、クラリネットでいうとあんな16分音符の細かい動きが炸裂する曲をいきなり
譜面通り正確に吹けと言われても困惑してしまうのは当然だと思います。
冒頭で触れた通り、人には一つや二つ触れてほしくはないトラウマはあると思うのですけど、上記のさまざまな要因によって
私にとって「スラブ行進曲」とは当時の様々な嫌な事や振り返りたくない事を思い起こさせる曲でもあり、トラウマの曲の一つと
いっても決して過言ではないと思います。
今現在でも冒頭の低音セクションによる陰鬱なメロディーが流れてくると、「こんな曲は聴きたくもない!」とついつい感じてしまう
のはそれもまた一つのトラウマなのかもしれないです。

チャイコフスキーのスラブ行進曲は、19世紀後半にロシアと民族的同胞でもあったセルビアのキリスト教徒が
オスマン=トルコ帝国の軍隊に虐殺されるという事件が起き、チャイコフスキーはロシア人と同胞のスラブ民族の痛ましい事件に
心を痛め、犠牲者の追悼演奏会で演奏される曲を委嘱されたのがこの曲の原型でもあります。
チャイコフスキーはなんと5日程度でこの曲の原型の「セルビア=ロシア行進曲」を作曲し、後年曲の改訂を行い
タイトルも現在の「スラブ行進曲」と改められます。
チャイコフスキーはこの曲の中にセルビアの民謡と帝政ロシア国歌を盛り込み、特に後半部分にトロンポーンによって
盛大に華々しくこのロシア国歌が響き渡り、ロシアの輝かしい勝利とロシア民族の不滅の輝きを示唆するような形で
堂々と閉じられます。
ちなみにチャイコフスキーは荘厳序曲「1812年」でもこの帝政ロシア国歌を曲の中で引用しています。

スラブ行進曲は1960年代~70年代における吹奏楽コンクールの自由曲としては人気自由曲の一つでしたし、
特に1972年の今津中学校による演奏はこの曲の代表的な名演です。
但し、最近では自由曲として演奏される機会は激減していて、全国大会では1977年を最後に演奏されていませんし、
支部大会以上でも2001年を最後に20年近くもコンクール自由曲としては演奏されていません。

この曲は後半のティンパニソロ以降最後の追い込みが図られ華々しく盛り上がっていくのですけど、その大きなクライマックスが
前述のトロンボーンによるロシア国歌のメロディーであり、そのあとすぐにドラ・大太鼓・シンバルといった打楽器による
効果的な打撃音を背景にトランペットを中心とする金管セクションによる咆哮なのだと思います。
私の中一の吹奏楽アレンジ版による演奏では、その個所に差し掛かると練習中はたいていの場合指揮者の先生は
大太鼓奏者の石川先輩という3年生奏者に対して、石川先輩は女性奏者なのに石川という名前だけで勝手に連想したのか
「ごーえーもーん!!」とか「五右衛門もっとしっかり叩いて轟かせろ!!」とやたらとごえもんごえもんと連呼しまくっていましたので、
私自身も実は今現在でもスラブ行進曲の演奏を聴いて、そのクライマックスの部分に差し掛かると
「ごーえーもーん!!」という連呼の声を思い出してしまいますし、それもまた私自身の一つのトラウマなのかもしれないです。


_convert_20200226161630.jpg

_convert_20200226161722.jpg


チャイコフスキーのスラブ行進曲や荘厳序曲「1812年」のクライマックスでのトロンボーによるロシア国歌の吹奏は
奏者にとっては気分爽快と言えそうです~♪
あの個所は吹奏楽アレンジ版でも管弦楽の原曲版でもどのトロンボーンパートも気持ちよく豪快に鳴らすことがほとんど
ですので、トロンボーン奏者にとっても難しいことは何も考えないで気分に任せて吹くことができる曲の一つといえそうです!

ららマジ器楽部のトロンボーン奏者は星崎梨花という3年生のお姉さまですけど、奏者としての立場とは別に
コンサートマスターという重責も担っていて、指揮者とは別の意味で音楽づくりに細かく関わっていて、星崎梨花としての
気苦労も多々あるのかもしれないですが、こういう難しいことは何も考えずに気分に任せて吹くことができる曲というのは
梨花にとっても一つの気分転換にもなりそうな曲ともいえそうです。


mini-koisicyan-02_convert_20190205173817_convert_20190206182731.png


ここから下記はdream fantasy2
アミグリさんが過去に描かれた絵のご紹介コーナーです。

上記において「人の過去のトラウマ」について少しばかり触れさせて頂きましたけど、そうした人のトラウマという心の深層部分を
読み取り、そのトラウマを材料に精神攻撃されるとという結構ヤバい能力をお持ちなのが、妖怪「覚」という事で
東方では古明地姉妹なのだと思います。
ただこいしちゃんの方は自らの意思でサードアイを閉じてしまっていますので、人の心を読み取ったりトラウマを抉る事が
できるのはお姉さまのさとり様のほうです。

そんなわけで本記事においてはアミグリさんが描かれた古明地姉妹をデフォルメ作品として表現した2枚の絵を
転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。

上記のデフォルメこいしちゃんは2019年2月にアミグリさんが描かれた作品です。

このデフォルメこいしちゃんは全体のデフォルメ作品としてのゆるかわいらしさとスカートの薔薇模様のきめ細かさに代表される
精緻さが絶妙に融合しているのが素晴らしいです!

キラキラもすてきに飛ばされていますけど、背景が大きなハートマークというのは、
アミグリさんのビッグなこいしちゃん愛を見事に物語っていると言えるのだと思います。

こいしちゃんはよく「心が空っぽ」と言われたりもするのですけど、それは換言すると「無の境地」に達したともいえそうですし、
無の境地というのは換言すると「開き直ったような明るさ」ともいえるのかもしれないのですけど、
アミグリさんの描かれたデフォルメこいしちゃんからは、余計な事を何も考えずに純粋に自分自身の存在を達観しながらも
楽しんでいるという安らぎ・楽しさは存分に伝わってきていると思います。


dehulorume-satorisama-02_convert_20190215152906_convert_20190216060007.png


続きまして、アミグリさんが2019年2月に描かれたデフォルメ作品のさとり様です。

さとり様のやっかいな所は、対面している相手の現在の心の深層だけではなくて、その人の過去のトラウマや
過去の嫌な経験を現在心の奥底に秘めてなんとか心のバランスを図ろうとしている人達に対しても
容赦なくそうした過去の古傷を抉り出し精神攻撃を繰り広げたり、はたまた幻想郷内の妖怪さんたちに対しては、
妖怪たちが過去に使用した固有の能力に基づく攻撃アイテムや戦い方を完全コピーしてさとり様自らがそれを使用する事も
可能という事で、萃香・星熊勇儀・八坂神奈子といった東方の強者と言われる皆様からも強い警戒心を持たれて
いるようでもあります。
具体的には、EXステージで使用してくるパチュリーさんの「賢者の石」やPhステージにしか出てこないゆかりんの「二重黒死蝶」を
4面で使用してきたりとそのコピー能力の応用能力は幻想郷でも脅威の能力と言えそうです。

こんなさとり様のコピー能力やトラウマ抉りだし能力を駆使されたら、私なんぞ過去のさまざまなトラウマによって
人格否定&人格破壊すらされてしまいそうです。
だけどさとり様にそんなえげつないことされても「さとり様にそうしたことされるのだったらむしろ本望・・」と感じるのかも
しれないです。

上記のデフォルメこいしちゃんは明るさ・ゆるかわいらしさ・妹キャラらしい少しきゃぴきゃぴした雰囲気が
すてきに伝わっていましたけど、このさとり様はこいしちゃんと同じポーズ・同じデフォルメ・同じハート型の背景・
同じスカートの薔薇の模様というかなりの共通性はあるのに、
「同じ姉妹でもなんだか伝わってくるものが違うのかも」と感じさせるのは、
アミグリさんの表現の使い分けと東方キャラの差別化を立派に実現されている証しなのだと思われます。
このデフォルメさとり様は、ゆるくてかわいらしい雰囲気に溢れているのですけど、
やはりどことなくせつないとか儚いとか心ここにあらず・・と伝わってくるのは、さとり様のあのちょっと哀しそうな表情と
サードアイがこいしちゃんと違って少し不気味に開けられているせいなのかもしれないですね。

東方姉妹の中で依神姉妹・スカーレット姉妹は姉妹の見た目の雰囲気はかなり異なっているのですけど、
古明地姉妹はなんとなく似ている感じもあると思います。
そうした似ているような雰囲気の古明地姉妹をデフォルメ作品としてもその違いを単に衣装や色の違いとしてだけではなくて、
そこから内面的に伝わってくるものを大変立派に表現されているようにも感じられます。

上記のアミグリさんが描かれたデフォルメの古明地姉妹は、さとり様こいしちゃんの絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいデフォルメさとり様を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと
興味がある方は、 是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2 を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2 に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

音楽上もそうですし、なにかと生きる上でのトラウマは多々あるものだと思いますが、さとり様の能力によって
過去のトラウマを喚起させられ、過去の自分自身の傷と改めて正面から向き合うのも悪くはないことなのかもしれないです。
_convert_20200331121435.jpg

本記事の一つ前の記事が「邪神ちゃんドロップキック」に付随したゆりねの超名言の「ロックだわ!・・」のあの強烈な一言に
関連した記事とアミグリさんの描かれたとってもかわいいプリパラの北条そふぃでしたけど、
「ロックだわ!・・」の「ロック」というワードが出てくる全日本吹奏楽コンクールの課題曲も実は過去にあったりもします。

それが1991年の課題曲Cの藤掛廣幸作曲の「ロックン・マーチ」であったりもします。

タイトルから創造するとゆりねの「ロックだわ・・!」の強烈な一言みたいなバリバリのハードロックな曲想とかポップス系の曲想を
イメージしそうですけど、実際はメタル系の派手な曲想という訳では全然無いですし、かといって例えば
1989年のポップスマーチ「すてきな日々」のようなポップスバリバリの楽しさ溢れた曲想と言う訳でも実は全然無くて、
どちらかというとクラシカルでスタンダードな曲想であり、私自身この課題曲を初めて聴いた時には
「これのどこが一体ロックなの~!?」と素朴な疑問を感じたものでした。
ちなみに私自身が初めてロックン・マーチを耳にしたのは吹奏楽コンクールではなくて、コンクールに先立つ事四ヶ月前の
フェネル指揮の東京佼成WOの定期演奏会で聴いた時のものでした。

1991年の課題曲ですけど、実はこの年の課題曲は外れ年なのかもしれないというのが私自身の率直な感想です。

前年の1990年の課題曲4曲がどれも素晴らしすぎたのだと思いますし、翌年の1992年のまたまたとてつもない高水準の
課題曲4曲の存在感も光る中では、91年の課題曲はちょっと狙いすぎ・・みたいな雰囲気もあったのかもしれないです。
90年度の課題曲り完成度の高さに比べると91年は、力作揃いだけど、ちょっとね・・・という感じの曲が多かったという印象です。

課題曲Aの「斜影の遺跡」は、今現在の感覚で聴いてみてもやっぱり全然わからないです・・・
あの曲、結局何を言いたいのでしょう・・??
そうした中でも埼玉栄高校と土気中学校の演奏は断然光るものがあったと思います。
意外な所では福岡県の中間東中の演奏が相当ユニークだったのが今でもよく覚えています。
坊主頭のトランペットセクションが盛り上がる部分で何度か全員ベルアップをして演奏効果をあげていたのも面白かったです。
課題曲Bの「コーラルブルー」はとにかく「鳴る曲」という印象が強かったです。
あの課題曲の打楽器の複数楽器持ち替えは見ているだけでもとにかくせわしそうでした。
大抵のチームはあの課題曲を吹くと音量過剰になってしまう傾向が強く、 私としてはもう少しゆったりとした南国情緒が
聴きたかったです。
コーラルプルーと85年の課題曲Bの「波の見える風景」の作曲者は同じという事もあり、この二つの課題曲は
どちらも大変よく鳴るという共通項はあるものの、コーラルブルーはあまりにも意図がみえみえすぎて、波の見える風景ほどの
内省的なしっとりとした抒情感には今一つ欠けていたような印象もあったりします。
課題曲Cのロックン・マーチは、前述の通り、一体あれのとこがロックなのかな・・という印象は当時も今も変わりがないです。
課題曲Dの「そよ風のマーチ」は、演奏するチームによっては音量過剰になってしまい、
そよ風ではなくて台風襲来みたいな感じの演奏が結構多かったような感じもありました。

この年の全国大会では、この課題曲を聴くのが例年に比べて結構苦痛だった印象があります。
Bを選んだチームのオーバーヒートの演奏には、結構耳が痛かったですし、
Aの技術的な完成度の低さに頭を抱え込む演奏も結構多かったような気もします。
課題曲Dが流れるとなんとなくホッ・・としたものです。
課題曲Cのロックン・マーチは実は全然人気がなくて、全部門を通してこの課題曲を選んでいたのはわずか7チームに
留まっていて、高校の部でこの課題曲Cを選んでいたのは習志野高校のみでもありました。

ロックン・マーチは、作曲者の藤掛さんがシンセサイザープレイヤーという事もあって、リズムの刻み方が機械的な事や、
普段はマンドリン音楽も手掛けているので譜面上にはマンドリン音楽特有のピッチカート的な要素を数多く取り入れたフレーズが散見されていたのも大変興味深いものがありました、
曲の中間部では、ユーフォニアムパートに中低音の支えとメロディーラインの構成という役割を与えていたのも面白い試みで
あったようにも感じられます。
ロックン。マーチの作曲者の藤掛廣幸さんは1976年の吹奏楽のための協奏的序曲の公募入選以降
1983年の課題曲B/白鳳狂詩曲、1991年の課題曲C/ロックン・マーチとこれまでに計3作品が課題曲として
演奏されていますけど、1976年の課題曲B/吹奏楽のための協奏的序曲が一番難易度が高いようにも感じられます。
協奏的序曲も白鳳狂詩曲もピッコロのソロからそれにクラリネットが加わり、やがて全体での主題提示という曲想に
なっていくのですけど、言われてみるとそうした協奏的な雰囲気もあったように思えます。
そして両曲の共通点はそうした掛け合いのリズムが意外とギクシャクしてしまう事も多く、リズムをきっちり揃えて統一して
吹く事の難しさを感じた楽曲でもありましたけど、そうしたリズムがついついギクシャクしてしまう事は、このロックン・マーチにも
共通するものはあったと今更ながら感じたりもします。

でもやっぱりロックン・マーチのぎくしゃくしたような雰囲気の一体どこが「ロック」なのかな・・??とついつい感じてしまいます。
全国大会で演奏された7チームの中では習志野高校と中央大学が頭一つ見二つ抜けていた素晴らしい演奏でしたけど、
習志野高校の演奏は、音自体がいつもながら大変洗練され美しいものでしたし、音楽が大変整理されていますので、
他校の演奏だとなんか妙にギクシャク・カチコチ感じられがちなリズムも習志野が演奏すると
大変スムーズに聴こえていたのは素晴らしかったと思います。
ラストの小太鼓による「強烈な叩きつけの一音での閉じ方」も大変お見事でした!

琴似中学校のロックン・マーチは無難なものでしたけど、ウッドブロックを叩いていたツィンテールのパーカッションの女の子が
とてもかわいかったことはなぜかよく覚えていたりもします・・



4月6日記事の続きです!

その①でも記したとおり、赤毛のアンのOPやEDを作曲されていたのは、当時は既に邦人クラシック音楽作曲界の大御所にして
桐朋学園大学の学長を務められていた故・三善晃です!
三善晃というと当ブログでもこれまで何度も何度も秋田南高校・大曲高校・新屋高校・習志野高校・神奈川大学・常総学院等の
名演でお馴染みの「交響三章」の孤高の世界を作曲された偉大な先生とか
吹奏楽コンクールの世界でも深層の祭、クロス・バイ・マーチといった不朽の名作課題曲を後世に残された事で
その御名前が登場していましたけど、実は「赤毛のアン」のOPやEDの曲も残されていました!

赤毛のアンの音楽担当は毛利蔵人なのですけど、毛利蔵人は三善晃の弟子に相当し、三善晃自身が赤毛のアンの
アニメ内のBGM担当作曲家として毛利蔵人を推薦し、結果的に一つのアニメ作品としてクラシック音楽作曲家の師弟コンビが
担当するという凄い結果になりました。
三善晃も毛利蔵人も純粋なクラシック音楽作曲の先生ですので、TVアニメの音楽を手掛けたご経験が実は無かったというのも
今にして思うと凄い話ですけど、それゆえ従来のアニソンに全く囚われない新鮮なアニソンが世に登場したという事に
なると思います。
三善晃は大河ドラマ「春の坂道」や映画「翼は心に」などで劇中音楽を担当され、子どものための合唱曲をはじめとする
多くの歌曲作品があり、その音楽に注目して三善晃に赤毛のアンの音楽を依頼したところ、
多忙のためBGMまでは手が回らないとのことで、アニメ本編のBGMに関しては三善晃に師事した若手作曲家の毛利蔵人が
推薦された経緯もあったとの事です。
それが結果としてそれまでのTVアニメの音楽の型やスタイルにとらわれない独特の雰囲気を持つ音楽が生まれた訳ですが、
世界名作劇場の前作の「ペリーヌ物語」、次作の「トムソーヤの冒険」と比べてみるとその音楽の違いは誰の目にも一目瞭然
と言えると思います。

三善晃自身は「赤毛のアン」の中では、オープニングテーマ「きこえるかしら」とエンディングテーマ「さめないゆめ」、
挿入歌「あしたはどんな日」と同じく挿入歌の「森のとびらをあけて」・「花と花とは」を作曲しています。
挿入歌の「涙がこぼれても」と「忘れないで」と「ちょうちょみたいに」は毛利さんの作曲となっています。
1979年当時は既にたくさんの大胆で前衛的な作品を数多く発表されていた三善晃ですけど、「赤毛のアン」においては、
夢見る少女・アンにふさわしいロマンチックなアニソンを書かれています。
子供向けの単純な音楽に終わることはなく、他のアニソンとは一線を画する卓越した手法が用いらていて、
特に衝撃だったのは、アニソンなのにそのOP楽曲においては、小休止をはさんでいたり、アルトサックスという管楽器に
間奏中のソロの役割を与えていたことが挙げられると思います。
(OPの「きこえるかしら、きこえるかしら~」のフレーズの後にいきなりアルトサックスのソロが表れるのも斬新ですね!)
当ブログにおいて、私自身10年間の吹奏楽生活において中三の一年間のみアルトサックスを吹いていたと記しましたけど、
そのアルトサックス時代にはいうまでもなく「赤毛のアン」のOPの間奏のアルトサックスのソロを吹きましたけど、
吹いていても「なんという壮大でロマンチックな曲!」と感じていた反面、
従来のアニソンというと例えば宇宙戦艦ヤマトやマジンガーZ等の勇壮なイメージとは全く逆の面も有していて
「なんという個性的な曲!」と感じていたものでした。
但し、当時の私には赤毛のアンの作曲者の三善晃がどういう御方でどれだけ偉大な御方であるかという認識は微塵も
有していなくて、私自身が三善晃の偉大さを初めて知る事になったのは、その2年後の吹奏楽コンクール・東北大会で
大曲高校吹奏楽部が自由曲として演奏していた三善晃の「交響三章」がきっかけでもありました。
(「交響三章」の特に第一・第三楽章における「亡びの美学」のわびさびの響きは何度聴いても飽きることは全く無いです!)

「赤毛のアン」のOPもEDもアニメ本編のBGMは、少女が主人公の作品にふさわしく古典的でロマンティックな曲調が
中心になっていて、子供っぽい表現のコミカルな曲やドタバタ曲はほぼ皆無で、優雅さと気品さを終始キープし
クラシカルにまとめられています。
大きな特徴は、楽器編成にポピュラー音楽のリズム隊(ドラムス、エレキベース、エレキギター)を含まず、
クラシック音楽で使用されるいわばオーケストラの弦楽器・管楽器・打楽器だけで構成されている事だと思います。
実はこれはアニメ音楽としては異例の編成であり、
当時のアニメ音楽は交響組曲と銘打たれた「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」や「交響組曲 宇宙海賊キャプテンハーロック」などの
ようにオーケストラにリズム隊が加わった編成をベースに作曲されている事が多くて、赤毛のアンのような
いわば純粋な管弦楽作品ともいえそうなクラシカルな作品は当時としては冒険であり異色であったと推察されます。
そうした純粋なクラシカルな楽器編成は赤毛のアンという作品の雰囲気を作るのに大きな役割を果たしていて、
100年前のプリンスエドワード島にタイムスリップしたような感覚すら感じてしまいそうです。
余談ですけど、赤毛のアンの原作者のモンゴメリはプリンスエドワード島ですけど、北杜夫の「酔いどれ船」という連作小説の
第4話にプリンスエドワード島の日本人の医者として過ごしたとある男性主人公の視点から描かれた話があり、
その中においては、意外にも?? プリンスエドワード島は大変閉鎖的でよそ者を排除する島民意識が大変強くて、
しまいには「赤毛のアン」すら大嫌いになってしまったと愚痴る場面があったりして、現実と小説のファンタジーの落差を
なんとなく感じ取ったものでもあります。

その①においてはOPの「きこえるかしら」について主に触れさせて頂きましたので、今回はほんの少しばかり
EDの「さめないゆめ」について取り上げてみたいと思います。

当時のアニメ主題歌&エンディング曲は、子供たちが口ずさみやすいような平易なメロディーと伴奏が用いられるのが
一般的でしたけど、さめない夢における三善晃が意図していた事は、子供向けアニメ番組という先入観に囚われない
むしろ万人向けの抒情性という事なのかもしれないです。
「さめない夢」においては特にチェレスタとピアノの二重協奏曲かと錯覚するほど16分音符がスコアの両パートを
埋め尽くしているのが大変印象的です。
冒頭のピアノの細かいメロディーからして既にアニソンらしくない雰囲気で一杯なのですけど、
前半部分のコロコロと愛らしく奏でられるピアノのアルペジオもそうですし、間奏に相当する部分でのオーケストラというか
特に打楽器セクションがまるで現代音楽と錯覚させられるほど異様に高揚した感覚を演出し
(その頂点の部分でドラがごわーんと響かせているのも大変印象的です)
間奏の異様な高ぶりが引いた後に大和田りつこの伸びのある歌声がむしろ大変清楚に響きます。
とにかくロマンチックで壮大な抒情性を感じさせるEDであり、当時赤毛のアンを毎週見ていた人たちに
感受性豊かな少女を彷彿とさせる曲を通じて、それぞれのアンのイメージ、アンへの思いが育まれていったと思われます。

「さめない夢」はなんとなくフルオーケストラの編成みたいな印象を与えがちですけど、よく聴いてみると
ホルン・チューバはおろかトランペットも聞こえず、意外とコンパクトな編成になっているのかもしれないです。
その代わりに間奏部分でのトロンボーンののびやかな雰囲気はとても魅力的な響きに感じられます。
三善晃の吹奏楽作品も管弦楽作品も打楽器がかなり効果的に使用されていて、そのあたりはさすが日本の現代音楽の
第一人者と感じられるのですけど、「さめない夢」の中でも打楽器はかなり効果的に使用されています。
前述の通り間奏部分でのドラの咆哮もそうですが、冒頭部分のピアノのアルペジオと一緒に奏でられるサスペンダーシンバルの
扱いも大変巧みだと思います。
ピアノのアルペジオと一緒に弦楽器群が上昇するフレーズにサスペンダーシンバルロールのクレッシェンドが合わさることで
「これからなにかすてきなファンタジーがはじまる」という少女の予感みたいなものを感じさせてくれていると思いますし、
施設であまりいい思い出がなかったアンが、マシューたちの家に引き取られていく際に
「これから私にもなにかいい事が起きるのかも・・」というアンの淡い期待と夢がここにも感じられそうです。
「はしっても はしっても」と歌い始まってからはマリンバのアルペジオも重なり、一層少女の夢が伝わってきそうです。
全体的にティンパニのリズムの支えも巧いと思いますし、終盤でシンコペーションリズムをティンパニが巧みにサポート
していると思います。
ラスト近くのグロッケンも面白いですし、最後に少しグロテスク気味にテンプルブロックがカタカタ・・と音を鳴らしているのは、
現代音楽らしい不気味さもありそうですし、少しシュールですけど、少女の夢に対する「現実」というものも示唆しているようにも
感じられます。

クラシック音楽作曲家がアニソンも手掛けるというのは今現在は珍しくもなんともない話であり、例えば和田薫や
天野正道などでもお馴染みだと思います。
ちなみに天野正道はまだ無名時代に実は映画「うる星やつら1 オンリーユー」の音楽を担当されていますし、
「犬夜叉」の音楽等でもお馴染みの和田薫の奥様は「フレッシュプリキュア」のキュアパインでお馴染みの中川亜希子さんで
あったりもしますルン~♪

三善晃が「赤毛のアン」というアニソンを作曲されていたのも当時は意外だったのかもしれないですけど、私的にもっと
ぴっくりしたのは、三善晃が1988年に全日本吹奏楽コンクールの課題曲を作曲されていた事でもありましたし、
88年の深層の祭だけでなく、その4年後の1992年に「クロス・バイ・マーチ」というまたまた吹奏楽コンクール課題曲の歴史に
残る名曲も残されていた事でもありました。

1988年~92年の吹奏楽コンクール課題曲マーチの中には、大物作曲家による従来の枠に囚われない素晴らしいマーチも
登場していて、その一つが88年の原博のマーチ「スタウト アンド シンプル」であり、
90年の間宮芳生の「カタロニアの栄光」であり、その集大成が三善晃の「クロス・バイ・マーチ」だったと思います。
大物作曲家と言うと89年の別宮さんの課題曲Cもありますけど、こらちは全く人気皆無というのもなんだか気の毒でもありました。

吹奏楽のための「クロス・バイ・マーチ」は形式的には確かに行進曲なのですけど、さすが深層の祭の作曲者は
そんな単純なマーチを作られず、
構成的に大変厄介な曲を課題曲として提供し、この課題曲を選んだチームの多くを
整理不足と練り込み不足という自体に追い込んでしまう大変な難解な曲でもあったと思います。
とにかく冒頭からして不協和音・とてつもない高音域・不規則なリズムに溢れていますけど、難解だけど
決して聴きにくい作品ではないという事も言えそうです。

タイトルの最初のイメージでは「音の交錯」という印象もありましたけど、当時のBJにおいては
「クロス・バイ」とはそばを通り過ぎるという意味で、仲間と一緒にやっていこうという意味合いだったというのも
面白い話だと思います。
2分の2拍子が基本で、例えば8分の3拍子、2分の2.5拍子というように、拍子が変わります。
使用楽器は、吹奏楽連盟の希望で小編成でも演奏可能な編成を・・という事で
ダブルリードや低音木管、コントラバスなどがオプションとなっていますけど、この課題曲の魅力を最大限発揮させるには
オプションを全ていれたフル編成で無いとあまり効果的ではないように感じられたりもします。

中間部のアルトサックスのソロの裏で音程の違う2つテンプルブロックが演奏する部分がありますけど、
あの部分を聴くと赤毛のアンのOPの間奏部のアルトサックスソロとEDのラスト近くのシュールな響きのテンプルブロックの響きを
ついつい思い出してしまいそうです!

最後に・・・、余談ですけど、三善晃の音楽で異色だけど大変インパクトが強い作品として「レクイエム」を挙げさせて
頂きたいと思います。
西洋の作曲家による「レクイエム」は、例えばモーツアルト・ヴェルディ・フォーレなどに代表されるように死者が安らかに
天国に旅立てるように・・という事を意識した生きる者から死者への鎮魂歌と言えるのだと思います。
そうした中にあって三善晃が残した「レクイエム」は、そうしたやすらぎの鎮魂歌と言う側面は全く無くて、
第二次世界大戦で命を落とした名もなき一般市民・兵士の手紙や残された言葉をベースに構築されていて、
あの世界観はやすらぎではなくて、むしろ死者から生きている者たちへの「怒りの告発」といえるのだと思います。

誰がドブネズミのように隠れたいか!

甚太郎おじさん、殺さんごとしなさい

それはそんなに古い話ではない。おとなしいゾウはどうして殺されたか?

顔をそむけなさるな、母よ。 あなたの息子が人殺しにされたことから

あきらめてください。泣かないでください。トキちゃん、ケイちゃん、さよなら。

お父さん。お父さんのひげは痛かったです。

ああ、あなたでしたね。あなたも死んだのでしたね。

人が死ぬ。その世界の火の中に私一人いる。そして、私も死ぬ。世界には誰もいない。
ただ火事が機械のようにもうもうと燃えていた。

こうしたフレーズがバックの合唱隊によって響いていきますけど、あの一連の言葉は大変重たいですし、
単なる反戦にとどまらず、むしろ死者からの「警告」というようにも聴こえたりもします。

反戦のレクイエムというとブリテンの「戦争レクイエム」の歴史的価値も相当高いのですけど、三善晃が残した「レクイエム」は
死者から生きる者たちへの警告・告発という点で大変重たく意義があるように感じたりもします。
020年4月~5月は後世の時代から振り返ってみても、多分ですけど、
「あの時ほど苦しい時期は無かった・・」とか「あんなにも息苦しくて閉塞感に溢れた時はなかった・・」とか
「ああした重苦しい雰囲気の世相は二度と味わいたくない」と思う方が多いと思いますし、
実際まだまだ新型コロナウイルスの感染終息に向けての光がまだ強くは無い中にあって、当面は自粛とか
「自分がやりたい事を出来ない」とか「自由に外に出るのも誰かと会う事にも制約が課せられる」という強いストレスが
皆様一人一人の中にも相当強いとは思われますけど、
「出口のないトンネルは無い」という言葉を信じて、一人一人が「今自分達に出来る事を誠実に実現していく」という事を
やればなんとかいい方向に動くと思いますし、そうなって欲しいものです。

それにしてもなにかと息苦しくてストレスが溜まる今日この頃です。

そうした重苦しい閉塞感にあって、気持ちだけでも癒されたい・・と感じる時に一つの救いとか癒しになりそうな吹奏楽
オリジナル作品というと、コンクール課題曲ではありますけど、1987年の課題曲Aの「風紋」を強烈に
推したいと思います。

1987年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲Aの風紋は本当に素晴らしい名作課題曲の一つだと思います!
私はこの課題曲、本当に大好きです。
吹奏楽コンクールの課題曲には素晴らしい曲がたくさんあるのですけど、
実際に私自身が吹いた課題曲というのは限りがありますし、
吹いた事は一度も無いけど「本当に素晴らしい曲! 一度こういう課題曲を吹いてみたかったな・・」
という課題曲はたくさんあると思います。
私自身が実際に奏者として出場した吹奏楽コンクールの中で、その時の課題曲として演奏した曲としては
「この曲いいな・・」と感じるのは意外と少なかったような気がしますし、「この課題曲を吹いてみたいな」と思っていたのに
実際には別の課題曲を演奏せざるを得なかったという事も多々ありましたけど、
そうした中で「この課題曲を演奏できてよかったぁー!!」と心の底から実感できた曲が二つほどありまして、
一つが1985年の課題曲B/波の見える風景ともう一つが1987年の「風紋」です。
偶然にも二曲とも大学時代に演奏した曲ですけど、高校時代の課題曲としては、82年の課題曲B / 序奏とアレグロと
81年の課題曲B / 東北地方の民謡によるコラージュは当時は是非演奏してみたかったです。
中学時代の課題曲としては、79年のフェリスタスと80年のオーバー・ザ・ギャラクシーも是非チャレンジしてみたかったです!

私自身の吹奏楽奏者としての稼働時期というのは1978年~1987年の10年間だけなのですけど、
10年間とも吹奏楽コンクールに奏者として出場できたことはたいへんありがたいものがありました。
中学の頃は在籍部員だけで軽く100名を超えていたと思いますし、大学時代も「響け! ユーフォニアム」の第一期では
ありませんけど、コンクール出場奏者を選抜するあの恐怖のオーディションを毎年どうにかこうにか乗り越えられていたのは
ラッキー以外の何者でもなかったと思いますし、一番大きいのは当時も今現在も珍しい部類に入る
「男性のクラリネット奏者」という事に助けられていた事はかなり大きいと自分でも自覚はしております・・
中学の頃と大学の頃ってクラリネットパートの中で男性奏者は私唯一人という感じでしたし、
私がどちらかというとキャラ的に中性化してしまったその背景には中学の頃と大学の頃の
「周りはみ~んなお姉さまたちだらけ・・!」という環境が大きかったのかもしれないです。
高校時代は男子校でしたので、そのギャップの大きさも相当なものがあったと思います・・
そうした10年間で演奏した課題曲は、1978年→ジュビラーテ 1979年→幼い日の思い出 1980年→北海の大漁歌
1981年→イリュージョン 1982年→アイヌの輪舞 1983年→カドリーユ 1984年→土俗的舞曲 1985年→波の見える風景
1986年→嗚呼! 1987年→風紋という事になります。
上記でもちらっと書いていますけど、79年はフェリスタスを吹いてみたかったし、
80年はオーバー・ザ・ギャラクシーが演奏したかったですし、
81年は何が何でも「東北地方の民謡によるコラージュ」を演奏したかったですし、
82年は出来れば「序奏とアレグロ」を吹きたかったですし、83年はインヴェンション第一番を吹いてみたかったです!
そして何よりもコンクール史上最大の当たり年と自分では思っている1986年は、
Aの「吹奏楽のための変容」またはCの「吹奏楽のための序曲」のいずれかを演奏したかったのですけど、
実際に吹いたのは私自身あまり好きではなかったBの「嗚呼!」というのも皮肉なものを感じます。

そうした中で「風紋」は初めてこの曲を参考音源として聴いた瞬間に
「Eのマーチ ハロー! サンシャインもすてきな曲だけどこの風紋のしっとりとした雰囲気は素晴らしいねっ!」とまさに
一目惚れ状態だったと思いますし、この課題曲を大学四年という事で生涯最後の現役奏者としての吹奏楽コンクールを
飾るのにこれほど相応しい曲は無いと当時から感じていたものでした。

「風紋」は大変思い入れがある課題曲です。

上記でちらっと書いた通り、1987年は私自身にとっては「最後のコンクール出場」となる事は分かっていました。
翌年以降は社会人になる事が確定していたので、私自身の決意としては、
「社会人になったらもう吹奏楽とは関わらないしコンクールにも出場しない、なぜなら社会人になったからには
仕事を優先すべきであり、こうした吹奏楽コンクールに出場と言うのは、学生時代の一つの余興なのかもしれない。
だけど音楽を聴く事や音楽に関わりを持つことは一生大切にしていきたい」と当時は頑なに思っていました。

当時はそれはそれで正解だったのかもしれませんけど、
今にして思うと多少頭が固かったのかもしれないですね。
「社会人になっても吹奏楽団とか楽器を続けている人はたくさんいるし、その両立は決して不可能な話ではない」という発想も
当時の私には欠けていたのかもしれないですし、当時はバブル絶頂という事もあり
「学校卒業したら、リゲインのCMではないけど24時間戦えますかぁ~という仕事優先の時代に否応なしに入ってしまう」
という想いが当時はやたらと強かったような感じがあります。
社会人としてどことなく余裕が出来た頃は、既に楽器(クラリネット)を昔のようには吹けなくなっていましたし、
何よりも当時は既に「奏者」の立場よりも既に「一人の聴衆」という立場に慣れていたのかもしれませんよね・・・

だけど1987年当時としては、私の意識の中では、「今年が生涯で最後のコンクール出場・・・・
思えば1978年の課題曲A(ジュビラーテ)/自由曲・スラブ行進曲から始まり、吹奏楽コンクールは10年間ずっと出ていたけど、
一度も支部大会は出場していない・・・・
何とか今年こそ都大会予選を突破し普門館で開催される都大会本選に出場し
何とか遅咲きでもいいから普門館デビューを果たし
有終の美を飾りたい!」というのが偽らざる本音でした。

そうした中で、この年の課題曲として演奏したのが「風紋」だったのです。

この課題曲は本当に優しいやさしい課題曲だと思います。

吹くだけで心が癒されるというのか心がすーーーーっと不思議と落ち着くのですよね。
この課題曲を吹く時は、前述のような「今年で最後・・・!!」みたいな焦りの気持ちは
不思議なほどすーーーーっと消えていたと思います。

出だしの低音からしてすごく魅力的だと思います。
そして木管によるとても何か懐かしくもあり心の傷を癒すかのような優しいメロディーが次から次へと展開されていくのですけど、
最初から最後まで魅力的なメロディーラインが続いています。
この曲の凄いところは、演奏技術的に極度に難易度が高い所がほぼ皆無な所だと思います。
難しい技術を使用しなくても、人の心にすーーーっと入り込んでいける音楽は絶対に存在するという事を立証した
作品と言えるのだと思います。
曲の後半で一旦静まりかえり、そこから展開される木管のやや甲高い響きがどことなく心の叫びのようにも聴こえ、
ラストは一気にスピード感をもって閉じられます。

話は全然違うのですけど
野庭高校吹奏楽部をモデルにした小説、「ブラバン・キッズ・ラプソディー」の中で
ミッチェル作曲/海の歌について
「演奏している最中に思わず感情がこみあげてきて、涙が出そうになる不思議な曲」といった記述がありましたけど、
これは実際に「海の歌」を演奏した事がある私にとっても「全く同感!!」という一言に尽きると思うのですけど、
「海の歌」と同様に「演奏中に何か感情がこみあげ、涙が出そうになる曲」というと
この「風紋」もそんな感じがあったような気がします。

この「風紋」を全体練習で吹いている際は、
「演奏中は余計な事を考えないで曲に集中しよう」と思っているのですが、
ついつい、
「今年で最後のコンクール、何とか都大会本選に出たい・・・」
「あと一か月後くらいには就職活動が始まる・・・果たして本当に内定がもらえるのかちょっと不安・・」
みたいな余計な事を考えてしまうものですけど
「風紋」を吹いているといつのまにか現実的なそうした不安とか懸案事項がいつのまにかすーーーーっと
消えてしまうのですよね・・・
何かあのメロディーラインを吹くだけで心がすーーっとなっていき、
時には「抑える事ができない感情の高まり」みたいなものを感じてしまう事もしばしばだったと思います。

その意味でも本当に不思議な曲でしたし、思い入れがある課題曲でした。
決して「哀愁溢れる」とか「もの哀しい」という感覚ではないのですけどついつい涙もろくなるような課題曲でした。

ヘンな話なのですけど
この課題曲を吹いていた時も聴衆として聴いていた時も、なぜかこの曲を聴くと
「私を忘れないで・・・・」みたいな「心の叫び」というのか「見えないメッセージ」が聴こえてしまうという感覚があったものです。
外部から聞こえるという感覚ではなくて
自分の内側から自分自身に向けて「忘れないで・・・」みたいな声が聞こえるのですよね。
「私を忘れないで・・・」と曲自体が私たち自分に向けて語りかけるという妙な事を当時感じていたものでした。

これってすごい不思議な感覚だと思います。

なんだろう、この内省的な感覚は・・

当時は意識の中では「今年で最後のコンクール」みたいなカチカチの意識があったから
その一つの反動として「そうは言っても音楽を楽しむ心は忘れないで」みたいな事を
一人の私自身がもう一人の私自身に語りかけていたのかもしれないですね。


鳥取


風紋というというまでもなく砂丘を思い出しますけど、日本の砂丘というと鳥取県を思い起こします。

鳥取銀行の行員さんをイメージしたポスターが数年前に掲載されていたことがあったようですけど、あのポスターの
女の子は鳥取銀行の行員さんをイメージしたとの事です。

ちなみにそのイメージのプロフィールとは・・

氏 名:鳥風 梨砂(とりかぜ りさ)

年 齢:24歳

出身地:鳥取県大山町

勤務先:鳥取銀行

身 長:158cm

血液型:A型

特 技:梨の皮むき

趣 味:旅行・料理

鳥取砂丘を背景に鳥取銀行の制服を着用した雰囲気はどことなく凛とした清楚なものを感じますし、なんとなく
「風紋」のイメージに近いものもありそうです。

まだしばらくは自粛等の重い雰囲気が漂いそうですけど、風紋のイメージのように
「つらい事も砂丘の砂が風で飛んでいくようにいつかは消えるもの・・だからあとしばらく頑張って!」という感じで
乗り切っていきたいものです。
クラシック音楽や吹奏楽で使用される打楽器の一つであるシンバルは、
楽曲のクライマックスや激しく盛り上がる部分でバシャーン!と派手に壮麗に鳴り響く事が多いのですけど
あれはかなりの演奏効果があると思います。

シンバルと言うと、種類としてはドラムセットで必ずセットされているハイハットシンバルやドビュッシーが好んで使用した
古代シンバルやロールの響きが大変印象的なサスペンダーシンバルといったものがありますけど、
管弦楽団の演奏会や吹奏楽コンクールにおいてシンバルのイメージというと
打楽器奏者が両手に約40㎝程度の黄銅色の円板を激しく打ち合わせるという感じがしますが、
これは一般的には「クラッシュ・シンバル」(または合わせシンバル)と呼ばれています。
(錫と銅の合金から構成されていて、その配分比率は音色にも微妙に影響するそうです)
クラッシュシンバルは基本的には、片方を上から下へ、もう片方を動かし、こすらせるようにして打ち合わせます。
非常に小さな音から一打ちでオーケストラや吹奏楽団全体をも制するほどの大きな音まで出すことができる表現力を
秘めています。

クラッシュシンバルは全般的には曲のクライマックスや「ここぞ!」と最大限盛り上がる際に派手に打ち鳴らされると
大変な視覚的効果と聴覚的効果があると思います。
(打楽器において最も絶大な視覚的効果がある曲の一つが、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」~第四楽章における
ハンマーの叩きつけが挙げられると思います)
そしてクラッシュシンバルは基本的には全体が派手に強奏で演奏されている時に、他の楽器と一緒に響くことがほとんど
なのですけど、稀にシンバルが単音というかソロに近いような状態で単独で打ち鳴らされることもあったりします。
そしてそれが曲の開始の冒頭でシンバル完全ソロで始まるとされると、シンバル奏者にとっては大変緊張とプレッシャーが
あるのだと思うのですけど同時に演奏し甲斐もあると思われます。

そして曲の冒頭部分でシンバルソロによる一音で開始される曲で大変印象的な曲として、吹奏楽コンクールの課題曲では
あるのですけど、1982年の課題曲D/サンライズマーチを挙げたいと思います。

サンライズマーチですけど、シンバル奏者にとってはかなりプレッシャーがかかる曲だったかもしれないです。

冒頭がいきなりシンバルのffで「バシャ―ン!!」という一撃から開始されるのですから
シンバル奏者にとっては大変神経を使う曲だったと思いますし相当緊張する課題曲だったと思います。
実際、地区予選とか県大会とかで下手くそなチームがこの課題曲Dを選曲し
シンバル奏者がミスったり、しょぼい音を出したり、スカッと空振りに近い音を出したこともありましたし、
ジャーン!!という豪快な音ではなくて「ぼしゃーん」というへんちくりんな音を出したりと当時は色々と珍演が
続出していたものてした。
別に擁護する訳ではないですけど、コンクール課題曲でにおいてソロで開始される曲とか
非常に音が薄く書かれた部分から開始される曲とか弱奏で開始される曲というのはかなり難しいと思いますし、
指揮者にとっても奏者にとっても「やりにくい・・」という感じなのだと思います。
強奏の出だしの場合、正直誰か一人ぐらいミスっても全然ごまかすことは可能なのですけど
ソロとか音が薄いと誤魔化す事自体が至難の業という課題曲もあったと思います。
その意味では、例えば1992年の課題曲A/ネレイデスとか1992年の課題曲B/フューチュリズムとか
1981年の課題曲A イリュージョンとか 1983年の課題曲C/カドリーユとか1988年の課題曲A/深層の祭りとか
1996年の課題曲Ⅰ/管楽器のためのソナタとか2000年の課題曲Ⅲ/胎動の時代の冒頭は
かなり指揮者泣かせでもありましたし奏者泣かせの課題曲の一つだったと思います。

1982年の課題曲D/サンライズマーチは演奏するチームによって表現は全然異なっていたと思います。
例えば亜細亜大学のように豪快で押して押して押しまくる「前進あるのみ!!」の演奏も大変印象深かったですし、
就実高校のように金管ではなくて木管主体の演奏として表現したチームもありましたし、
福岡工大付属高校のように「正統派マーチ路線」みたいなスタイルもありました。
どの演奏もすてきなな「サンライズ・マーチ」でしたけど
就実高校みたいに「爽やかで清楚なサンライズマーチ」も全く別の意味での「新しい可能性」を感じさせる演奏であり
私は今でもこの演奏は大好きです!
ちなみにですけど、就実高校の村松先生は練習時に、トリオの部分をより奏者にイメージさせるために
「青く光る空~ 輝く太陽」などみたいに歌詞を付けて奏者たちに歌わせていたというすてきなエピソードも残されています。

厳密に言うと曲の冒頭ではなくて第二楽章の冒頭のシンバル完全ソロ曲ではあるのですけど、芥川也寸志の
「交響管弦楽のための音楽」~第二楽章の冒頭も大変印象的です。
静粛で無機質なリズムの反復の多い第一楽章が終わって第二楽章が開始される際にさの冒頭で、
シンバルが単独でジャーンと打ち合わせられる所から開始され、金管楽器の大変印象的なファンファーレ風なメロディーへと
連なっていくのですけどあのシンバルは目立ちますしとてつもなくかっこういいです!
第一楽章の静粛さの中でほとんどの打楽器奏者は休止状態なのですけど、第二楽章で唐突にシンバルのジャーン!という
壮麗な一音から開始されますので、シンバル奏者は第一楽章の間も出番待ちという事で、相当な重圧が掛かっているのかも
しれないです。

曲や楽章の冒頭の完全ソロではないのですけど、天野正道/交響組曲第2番「GR」のラスト近くでシンバルがソロ的に
「ジャーン」という打ち鳴らしも大変印象的です。




_convert_20191104201818.jpg


「ららマジ」でシンバルを担当するのは強心臓中学生の伊藤萌です~♪
伊藤萌はシンバルを担当しているクールで小さな中学3年生の女の子で、中学生ですけど東奏学園の器楽部でJKのお姉さまと
一緒に音楽を楽しんでいます。
クールな性格の後輩で、「・・・くるしゅうない、です。」など変わった口調でしゃべるのが個性でもあります。また落語を聞くのが
趣味というJCさんにしては大変珍しく渋い趣味を持っていたりもします。

先輩の小田桐アミを師と仰ぎアミのことを「師匠」と呼び慕っているのですけど、実を言うと小田桐アミは元々は
器楽部のシンバル奏者だったのですけど、シンバル奏者は時に「ここで怒涛の一撃を決める!」みたいなプレッシャーを
時に伴いますので、その重圧に耐えきれず、シンバル奏者の地位を後輩の伊藤萌に譲ったという経緯もあったりします。
そして小田桐アミはその後シンバルからピッコロ奏者にパート変更をしています。

アミがいなくなったシンバルは伊藤萌に継承されていますけど、伊藤萌は見た目の少し控えめな雰囲気とは全く異なり、
大変な強心臓の持ち主でプレッシャーに大変強く、「ここでシンバルの強烈な一撃が必要」という時にはしっかりと確実に
決めてくれる頼もしいJCさんであったりもします。

活発だけど小心者なアミと大人しいけど強心臓な萌の対比もとても面白いですね~♪

サンライズマーチや交響管弦楽のための音楽などのような冒頭にシンバルの完全ソロがある曲は、小田桐アミよりは
プレッシャーに強い強心臓の持ち主の伊藤萌のほうが相応しいといえそうですね~♪
ディヴェルティメントというとクラシック音楽好きの皆様の感覚だと「モーツアルト」という事になるのかもしれないです。

ディヴェルティメントを邦訳すると喜遊曲または嬉遊曲という事になり、
要は楽しく軽妙に親しみやすく作られ、極力悲しい部分や深刻な部分は避けるという事がお約束になっていると思います。
よく「ディヴェルティメント」と「セレナーデ」との違いは何という事が問題になる事もありますけど、
正直特に違いはありません。
強いて言うと、室内用に作られたのがディヴェルティメント、屋外用がセレナーデという所なのかもしれないです。
このディヴェルティメントという音楽形式は、ハイドンやモーツァルトの頃に盛んに作曲されていたものの
19世紀以降は急速に廃れていったような気もします。
(20世紀の作品としてはイベールやバーンスタインの作品が今現在でも演奏されていると思います)

吹奏楽作品でディヴェルティメントというと思い浮かぶのはパーシケッティーだと私的には思うのですけど、
(皇帝への頌歌でおなじみのモリセイにも同名の作品があったりもします)
知る人ぞ知る作品で、全国大会はおろか支部大会でも1980年の福岡工大付属高校以外は演奏実績がない曲ではありますが、
増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は、どちらかというと「ディヴェルティメント」というと洋というイメージがある中、
和の鄙びたイメージを吹奏楽オリジナル作品として盛り込んだ楽曲が既に1980年代以前に作曲されていた事は
驚きでもあるように感じられます。
増田宏三という御方は、作曲家という側面も勿論あるのですけど、どちらかというと作曲理論とか国立音大の作曲理論の
先生というイメージが強く、踊る行列以外の作品や管弦楽作品を調べようと思っても全然検索に引っかからないというのが
実態でして、正直この喜遊曲「踊る行列」についての情報はほぼ皆無としか言いようが無いように感じられます。
増田宏三の吹奏楽作品というと、1976年の浜松工業の自由曲の「朝の歌」の作曲者でもあるのですけど、この朝の歌も
支部大会以上では浜松工業以外演奏実績もありませんので、増田宏三について語るにはあまりにも情報が無さすぎるという
事なのだと思われます。
強いて言うと、バンドジャーナル1984年の特別号の「今注目の邦人作品特集」の中にこの喜遊曲「踊る行列」も紹介されては
いますけど、内容的に特段新しい情報も書かれていませんし、この曲の作曲の経緯とか背景とか作曲の意図等については
何も書かれていませんので、私自身もこの曲に関しては、福岡工大付属高校の1980年の演奏のイメージでしか
書きようがないのが少し歯がゆい感じでもあります。
バンドジャーナル1984年の特別号のわずかな情報として、南国の熱狂的な数日間にわたる祭りをイメージして作曲
されたと記されていますけど、そういう意味では、例えば福岡の博多どんたくとか徳島の阿波踊りとか
はたまた沖縄の琉球舞踏をイメージして作られた音楽と言えるのかもしれないです。

喜遊曲「踊る行列」は上記で触れたとおり、2019年末時点では全国大会・支部大会での演奏実績は今のところは
1980年の福岡工大付属高校(現・福岡工大付属城東高校)のみに留まっています。
(県大会クラスではいくつか演奏実績はあるようです)
だけどその1980年の福岡工大付属の演奏が大変素晴らしくて、正直に書いてしまうと
「この演奏を超える演奏は多分だけど絶対に出てこないだろう・・」と感じさせるものは間違いなくあると思われます。
1980年の吹奏楽コンクールの全国大会の高校の部はとにかく驚異的なハイレヴェルの演奏が続出していて、
これは嘘偽りなく今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色ないものがあると感じられます。
勿論使用されている楽器や演奏技術は今現在の方が圧倒的に高いのは紛れもない事実ではあるのですけど、
音楽的感性というのか表現力の多様さや音楽的掘り下げの深さにおいては今現在の吹奏楽コンクールのレヴェルすらも
凌駕しているような感じすらあると私には感じられたりもします。
就実・東海大学第四・花輪・秋田南・市立川口・銚子商業・前橋商業・玉川学園・兵庫・天理・淀川工業・高岡商業といった
金賞チームの演奏は一つの音楽的限界の壁すらも超えた名演と言えると思いますし、
東海大学第一・名古屋電気・福岡工大付属等の銀賞チームも金賞チームに決してひけを取らない名演だったと思います。
そしてその中でも、秋田南の三善晃の交響三章、福岡工大付属の踊る行列、淀川工業の大阪俗謡による幻想曲の
3チーム続いた邦人作品による自由曲の演奏には、今現在改めて聴いても、その新鮮な音楽的な切り口に
ゾクゾクとさせられるものは確実にあると言えると思います。
1980年と言うと邦人作品が自由曲として選ばれる事自体が少し珍しいという時代でしたので、
3チーム連続邦人作品の演奏というのは当時としては奇蹟と言えるのかもしれないです。
邦人作品が大人気で全国大会の自由曲の半数近くが邦人作品という昨今のコンクール事情という視点で見ると
「そんなのは別に珍しくもなんともないよね~」という事になってしまうのは時代の変化と言えるのかもしれないです。

上記で書いた通りその邦人作品を選んだ3チームがそれぞれ全て素晴らしい演奏を後世に残してくれていて
この演奏は今現在の視点・感覚で聴いても全く色褪せてはいないと思います。
私の個人的な見解ですけど、三善晃の「交響三章~第三楽章」に関しては、
あれだけ多くのチームがその後この曲を自由曲に選びながらも1980年の秋田南を超える演奏はいまだに存在していないと
思いますし、あの秋田南の音楽的小宇宙空間ともいえる濃厚な世界は、あそこまで完璧に内面的に完全燃焼し尽くした演奏と
いうのは今後も不世出のような感じすらあるように思えますし、後日あの名演を作曲者の三善晃が絶賛されたという
エピソードも当然だと思われます。
(1978年の秋田南の三善晃の「管弦楽のための協奏曲」も高校生のレヴェルをとっくに超越していると思えます!)
大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」は、その後丸谷先生が「いい加減マンネリ!!」と言われ続けながらも
2年に一回はこの曲を自由曲に選んでいるにも関わらず
丸谷先生自身が1980年度の自身のこの演奏の壁をいまだに超えられていないような感じすらあります。
というかそろそろ淀川工科の丸谷先生もダフニスとクロエと大阪俗謡による幻想曲以外の自由曲で吹奏楽コンクールに
臨んでほしいと感じたりもしますし、丸谷先生のコンクールでの有終の美はこの2曲以外の曲でもって新鮮な感覚で
臨んで頂きたいと願ったりもしますけど、それは期待するほうがもう無理なのかもしれないですし、コンクールにそうした
あまりにも保守的で頑迷な考えで臨むというならばそもそも論として吹奏楽コンクールに出場しなければいいのに・・という
考えも部外者としては感じたりもします。

秋田南と淀川工業に挟まれる形になっているのですけど、福岡工大付属の演奏も大変素晴らしいものがあると思います。
審査結果としては、秋田南と淀川工業は金賞に輝いているのですけど、福岡工大付属は残念ながら銀賞に留まっています。
個人的な見解ですけど、福岡工大付属の銀賞は少し厳しすぎるようにも感じられます。

上記で書いた通り増田宏三の喜遊曲「踊る行列」はいかにもという感じの和風な喜遊曲だと思います。
感覚としては兼田敏の「シンフォニックバンドのための交響的音頭」の世界に近いものがあるようにも感じられます。
兼田敏のような泥臭さはあまり感じず、鄙びた情感は伝わるもののどちらかというと洗練されている感覚もあったりします。
兼田敏の世界は「辺境の地の田舎鄙びた盆踊り」という感じなのかもしれないです。
そうそう「踊る行列」というタイトルだけを見てしまうと、 團伊玖磨の「ブラスオーケストラのための行列幻想」の
Ⅰ.男の行列 Ⅱ.女の行列 Ⅲ.そして男と女の行列に近いものがありそうですけど、
團伊玖磨の曲は鄙びた感じとか和の雰囲気はあまり感じさせず、どちらかというとモダンとか都会的な洗練された雰囲気を
感じ取ってしまいそうです。

増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は、打楽器の遣い方も大変効果的で、チャンチキとか和太鼓等の和楽器を
曲の最初から最後までかなり巧みに使用されていて、曲としての面白さは十分アピール出来ていたと思いますし、
ユーフォニアム・クラリネット・オーボエ等の少しおどけたようなソロも大変ユニークなものがあったと思います。
ホルンの少しとぼけた雰囲気は合いの手という感じもありそうです。
そして曲のラスト近くに登場するチャンチキ・和太鼓・シンバル・ティンパニのみによる打楽器だけのアンサンブルは、
この曲の「熱狂さ」とか南国的雰囲気を遺憾なく伝えているようにも感じられます。
曲全体としては最初から最後まで和の打楽器という特殊楽器の音の響きに頼り過ぎているような感じもあり、
確かに全体的には熱狂と言う雰囲気も伝えつつも、テンポ設定の変化や曲全体の壮大なクライマックスが少なくて
福岡工大付属の演奏も確かに上手いし、聴かせどころも心得ているし、ソロも上手いし、
全体の響きも申し分ないしという印象はあるのだけど
ワンパターンとか変化に乏しいという印象も感じさせてしまうのは、演奏の良し悪しというよりは曲自体の構造的な課題点
だったのかもしれないですね。

そのあたりが福岡工大付属が1980年は銀賞に留まってしまった理由と言えるのかもしれませんし、
そうではないのかもしれないし、正直何とも言えません。
私個人としては、聴いていて大変面白いと思いますし、ラスト近くの打楽器のみの掛け合いの部分から曲のエンディングまでの
熱狂はこれがこの曲の壮大なクライマックスと言えるのかもしれないですし、
この曲は終結部と曲のクライマックスと最大の盛り上がりがイコールの曲と言えるのだとも今更ながら感じたりもします。

確かに評価は分かれる演奏かもしれないですけど私は大好きな演奏の一つですし、たまにはどこかのチームが
自由曲として演奏して欲しい気持ちは間違いなくあると思います。





増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は最初から最後までチャンチキや和太鼓が大活躍し、曲全体のリズムをリードしていますけど、
ららマジの器楽部の打楽器パートの中で和太鼓を担当しているのは、実はJKさんではなくて、JCさんの中学3年の
神田茜という元気はつらつとした下町娘というのもとてもすてきですね~♪

神田茜は粋でいなせな下町少女で、とにかく祭りが大好きで落ち着きがない性格というのも
なんだかやたらと喧嘩早そうな粋な江戸っ子みたいなものなのかもしれないです。
だけどそうした元気溌剌で落ち着きがなく常に何かを絶えず精一杯表現しようとするその姿勢に相応しい楽器こそが
日本の伝統的和楽器の一つの「和太鼓」と言えるのかもしれないです!
お祭りや神社の奉納の舞の際の櫓の上には、いつも神田茜が元気一杯和太鼓を叩き鳴らしているのだと思いますね~♪
中学生と言う事でまだ小柄な体格ですけど、小さ目な体をダイナミックに躍動させるそのエネルギーに見ている人たちを
感動させるのかもしれないですし、神田茜はポニーテール娘と言う事で、叩くたびに髪の束が揺れるのもとてもかわいくて
粋なのだと思います。

ららマジ器楽部による喜遊曲「踊る行列」の演奏も聴いてみたいですし、神田茜による和太鼓の演奏にも興味津々で
あったりもしますね~♪


_convert_20200125183701.jpg


神田茜は私服もとってもかわいいですね~♪

神社でお参りしている様子もいかにも和風少女という雰囲気があると思います。

埼玉の大宮駅の次の駅のさいたま新都心は、さいたまスーパーアリーナという全国的に著名な最大37,000席を使用できる
国内最大級の多目的アリーナがあるのですけど、
このさいたまスーパーアリーナ内には、「すわんど」という国内最大級の和太鼓スクールもあったりします。
そしてこのすわんどは、テレビ埼玉のローカルテレビCMとしては埼玉県内ではお馴染みなのかもしれないです。
すわんどでは通常の宮太鼓や締太鼓はもちろん、希少性の高い大太鼓も複数台完備し、どんなレッスンにも対応可能
という事で、様々な世代の皆様がレッスンに通われている和太鼓の専門スクールでもありますので、
ここにはもしかしたら・・? ららマジのすてきな和太鼓奏者の神田茜がレッスン生または講師として東大和市から
来ていただくという脳内妄想もアリなのかもしれないですね~♪
吉田公彦 の「吹奏楽のためのカプリチオ」は全日本吹奏楽コンクール1982年の課題曲Aで、
公募作品からの採用で、作曲者は当時早稲田大学の管弦楽団に所属されていたそうです。
この課題曲作曲家の情報は極めて少なく、多分ですけどこの課題曲以外に公での作品は極めて少ないのかもしれないですし、
後述しますけど、当時は「コンクール史上最大の駄作」という酷評が大半でしたので、作曲者としても嫌気が差されたのかも
しれないです。

最近の吹奏楽コンクール課題曲は、マーチの年と描き下ろし作品の年という区分を取りやめて以降急速に難曲化したという
印象がありますし、地区予選・県大会辺りで聴いても正直難しすぎてあまり印象に残らないという楽曲も大変多いような
気もしますし、何よりも曲の構造がひところに比べて数段複雑化しているうえに音色の構成がより洗練さを求められる楽曲が
大変多いような感じもあり、自分が現役奏者だった頃とは既に隔世の感という印象が極めて強いです。
そうした中で、先日青森県の弘前第三中学校の1982年の課題曲、吹奏楽のためのカプリチオを久しぶりに聴いてみたら
「あれ・・? 意外と面白いしわかりやすい曲だね~」と感じたものでした。
私自身、この課題曲に関しては1982年当時高校生だった当時の私の感覚で言わさせて頂くと「駄作」とか「くだらない曲」としか
当時は思わなかったですし、実際多くの方は「公募作品とは思えない内容の薄い駄作」とこきおろされていて、
当時の私の感覚と吹奏楽界一般の感覚は、この課題曲に関してはイコールだったのかもしれないです。

ではどうして「内容がうすい」と感じるのかというと、曲としては極めて単純な作品で最大でも4声部までしかなく、
メロディーに対する裏メロや副声部のメロディーすらあまりなく、ほぼ全員がメロディーラインを担当しているという
あまりのシンプルさが挙げられるのかもしれないです。
1982年の課題曲B / 序奏とアレグロのあまりにも難解な楽曲の構造と不協和音の炸裂に比べて課題曲Aのこの曲の
単純明白すぎる構成があまりにも目立っていたので、そうしたちょっと気の毒な評価に繋がっていたのかもしれないです。
上記で触れた通り最近の吹奏楽コンクールの課題曲の構造の難しさに辟易させられている状態で、
吹奏楽のためのカプリチオを改めて聴くと、そのあまりの単純さにむしろ新鮮さを感じてしまい、
最近の課題曲のメインメロディ・裏メロ・サブメロディー、リズム処理に副声部の裏メロとか音色の複雑怪奇な構成等に
耳が慣れてしまった状態で吹奏楽のためのカプリチオを聴いてみると
「この課題曲には裏メロすら存在していなくて、低音セクションを除くとほぼ全員がメロディーラインを担当しているじゃん!」と
感じてしまいますし、そうした単純で音声部がうすく書かれている楽曲の構成自体が当時としては
「作品がうすっぺらい」と酷評されていた要因にもなっているように今更ながら感じたものでした。
楽曲の構成がほぼメロディーラインのみである吹奏楽作品を奏者と指揮者が力んで演奏してしまうと、曲が意外と
厚ぼったく聴こえてしまい印象としては厚化粧のようにも聴こえてしまいます。
そのあたりが課題曲としては鳴らしやすくもあるのですけど、同時にこの課題曲は微妙に技術的に難しい面があり、
その一つがホルンのとんでもないハイトーンであり、二つ目がメインメロディーを奏でるクラリネットの指使いが大変面倒で
あったためかなりもたついてしまい、それが結果的に曲がついついぎくしゃくしてしまう事でもあり、
決して技術的に難解な曲ではないのに、実際の吹奏楽コンクールで演奏される場合は結構崩壊した演奏が多かったのも
むしろ当然なのかもしれないです。
全体的に曲としての面白みにはやや欠けますが、ノスタルジックな雰囲気はあるのかもしれないです。

1982年度の課題曲は長い吹奏楽コンクールの歴史の中でも課題曲不毛の年でもあり、課題曲B/序奏とアレグロ以外の
評判は今も昔も芳しくないものはありそうです。
音楽評論家の故・上野晃先生はかつてこの年の東北大会の審査員を務めていた時にBJ評にて
Dのサンライズマーチは並の普及品、Cのアイヌの輪舞を安っぽいと酷評されていましたけど、Aのカプリチオについては
「どうして公募作品にも関わらずこんな内容が無いうすべったい曲が採用されたのか全く理解できない」と
超ウルトラ激辛の酷評をれていましたけど、それは分かるような気もします。
だけど上記で書いた通り、2020年の感覚で今更ながら「吹奏楽のためのカプリチオ」を聴いてみると、その単純明快な
構造自体にむしろ曲の面白さを感じたりもします。
過去記事において、私自身もこの曲はこきおろしていましたけど、この変化はもしかしたら私自身の感じ方の劣化なのかも
しれないですけど、そうした年相応の感じ方の変化と言うのも決して悪い事ではないのかもしれないです。

「吹奏楽のためのカプリチオ」は私が高校2年の吹奏楽コンクールの課題曲でした。
以前も書いた通り、私の高校は当時は音楽の専門家の先生がいないため、毎年毎年部員の中から指揮者を選出し、
自分達で解釈し自分達で一から音楽づくりをし全て「手作り」でコンクールに臨んでいました。
必然的に課題曲も、部員全員の意見を聴いたうえで多数決で選曲していました。
個人的には、是非とも課題曲B/序奏とアレグロを演奏したかったのですけど
あまりにも無機質&変拍子&大変な難解なテクニックという事で「演奏不能」という結論に達し
自由曲が無謀にもショスタコーヴイッチを選んだという事情もあり、なるべく負担にならない課題曲をという指揮者からの
要望もあり、課題曲は最も無難なのC/アイヌの輪舞に落ち着きました。

課題曲A/吹奏楽のためのカプリチオは、私自身、何度か吹いた事はありますけど、
クラリネットパートを代表して意見を言わせて頂くと、こんな吹きにくい曲は無いという事でもあります。
クラリネットの主要メロディーは、シドーシドラレードシドラシソラソラーラソラシラーという感じのものでして、
字で表記するとクラリネット奏者以外には伝わりにくいのですけど、指使い的には
クラリネットの中音域の「ラ」は左手の人差し指のキー一本のみであるのに対して、中音域の「シ」は
両手の指を全て使う指使いという事で、こうしたラとシを交互に音符に書かれても正直大迷惑という感じでもありました。
替え指を駆使したり、新しい替え指を新たに発掘しないで、譜面通りにまともに吹いてしまうと、
多分相当もたつく演奏になるパタンーが多いと思います。
県大会や東北大会あたりでも、このクラリネットの指使いのやっかいさがそのまま音の不安定感と全体のリズムのぎくしゃく感に
繋がっている演奏もかなり散見されていたと思います。
そしてこの課題曲でやっかいなのは、上記で既に記したとおりホルンの高音域なのだと思います。
当時のBJの質問コーナーにおいてもプロの奏者の方すらも「これは少しやっかい」と言われていましたし、
内容もそれほど深くは無いし、技術的にはそんなに難しい曲ではないのだけど、一部のパートにとっては技術的やっかいさが
あるという労あって実りが極めて少ない曲と言えるのかもしれないです。

この課題曲にどうして「カプリチオ」=気まぐれというタイトルが付いているかと言うと、
オーボエのゆったりとしたソロで開始され、ゆったりとした序奏から突如、ティンパニの一撃から
アレグロに展開していくその音楽的自由さが由来との事です。
ハイドンが交響曲第94番「驚愕」第二楽章において、深い眠りにおちそうな聴衆を叩き起こすみたいな意図が
あったかどうかは定かではありませんけど、
第二楽章の静かな繰り返しの部分で、ティンパニの一撃と全楽器のffで聴衆を「夢の世界」から叩き起こした的な意図が
意外と「吹奏楽のためのカプリチオ」の意図にあるのかもしれないです。

それにしても、この課題曲Aは人気が無かったですね。
全国大会でもこの課題曲を選択したのは9チームに留まり、そのうち5チームが結果的に銅賞と言うのも
あの課題曲の不毛振りを象徴している感じがします。
この課題曲Aを選択して、全国大会で唯一金賞を受賞したのが弘前第三中です。
曲自体の内容の薄さがあまり伝わってこないほど、大変高い技術でまとめあげ、前述のクラリネットやホルンの問題も
難無くこなしていたという感じがあります。
この課題曲Aにおいて、隠れた名演というのが実は一つだけありまして、それは間々田中学校なのだと思います。
ものすごいダーダー吹きというかすさまじいレガート奏法なのですけど、
とてつもなく美しいサウンドにあのベタベタ奏法が意外と合っていて、私は結構この間々田の課題曲Aは好きだったりもします。





ららマジにおけるクラリネット奏者は綾瀬凛という後輩からは怖がられている少し気難しくて、自分にも他人にも厳しい
雰囲気があるJKさんです。
キリッ・・!としていて後輩に対して厳しく接する雰囲気の綾瀬凜お姉さまの上記のようなちょっと怒ったような表情も
とてもかわいらしいものがありますけど、
同じパートに自分に厳しすぎる子がいたりするとちょっとつらいものがありそうですけど、ららマジの綾瀬凜みたいな
JKさんだったら、私は喜んで同じパート内で頑張らさせて頂きたいものです~♪

現役奏者時代の10年間のうち9年間をクラリネットを担当し、たくさんのクラリネット奏者たちに接してきた私の経験では、
クラリネットを吹く女の子の不器用さ・頭の固さというものはもしかしたら全世界共通なのかも・・?といったら綾瀬凜に
怒られてしまいそうです・・
(そう言えば、とあるブログの管理人さんも元・クラリネット奏者でしたけど、あの融通の利かない頑迷さはクラリネット奏者
気質そのものだったと今にして思うと感じてしまいそうです・・)

綾瀬凛お姉さまだったら、吹奏楽のためのカプリチオにおけるクラリネットパートの妙にへんてこで難しい指使いの裏技も
後輩たちにいつも厳しく、そして時に優しく教えてくれるのかもしれないですね。



本記事の一つ後の記事がららマジのトランペット奏者でもある亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガードの記事ですので、
ここではトランペットと見た目は大変良く似ているけど、実際は楽器の構造も音色もトランペットとはちょっと異なる楽器の
コルネットとららマジでのコルネット奏者である浅野葉月について簡単にレビューをさせて頂きたいと思います。

ららマジの浅野葉月はコルネットを担当している高校2年生のJKさんで、トランペットも兼任しています。

後述しますけど、トランペットとコルネットは楽器の構造がまるで違うので、確かに見た目はよく似ているのですけど、
似て非なる楽器と言えそうです。
(ユーフォニアムとバリトンの違いも似たようなものなのかもしれないです)
そして吹奏楽コンクールやプロの管弦楽団の演奏会等でも、部分的にコルネットを使用する場合は、トランペット奏者が
曲の途中で楽器を持ち替えることがほとんどです。
そのため、浅野葉月がトランペット兼任という設定は当然という事なのだと思います。


_convert_20191119115248.png

_convert_20191119115556.jpg


そういう意味では、ららマジの器楽部におけるトランペットパートは実質的に浅野葉月と亜里砂・E.Bの二人と言えますけど、
浅野葉月は亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガード(略して亜里砂・E.B)の隠れファンらしいという事で、浅野葉月にとっては
「あこがれの子と実質的に同じパートなんて大感激・・♪」という感じなのかもしれないです。

それと考えてみると、浅野葉月と亜里砂・E.Bは小悪魔系、抜群のスタイル、トランペット奏者と共通点も多いというか、
設定はかなり被っているから、ある意味似た者同士といえるのかもしれないです。

似た者同士というとトランペットとコルネットもある意味似た者同士なのかもしれないですし、見た目は大変良く似ています。

実際、吹奏楽コンクール等においては、トランペット奏者が曲の途中でコルネットに持ち替えされるケースも大変多いですし、
プロの管弦楽団の演奏会でも、特段専任のコルネット奏者は置いていませんので、やはりトランペット奏者が
コルネットに持ち替えて兼任する事がほとんどです。
そしてコルネットはどちらかというと管弦楽の分野よりも吹奏楽の世界で多用される事が多い楽器です。

コルネットは柔らかい響きが特徴のトランペットに似た形状の高音の金管楽器の一つです。
アルトホルンやユーフォニアム等と同じく「サクソルン属」と呼ばれる楽器の一種で、そのグループのなかでも
特に高い音域を受け持っているのが特徴です。
トランペットに似た形状をしていますけど、トランペットの管の約半分が円筒管であるのに対し、
コルネットはその2/3が円錐管で、ベルに向かってだんだんと広がっていく構造で設計されていて、
トランペットと比較するとより柔らかな響きを出すことができます。そして高音域もトランペットのように鋭く窮屈な響きではなくて、
包み込むようなふんわりとした丸みを帯びた音が出せるというのもトランペットとの違いです。
トランペットの管は1回巻きですけど、コルネットの管は2回巻きなので、管長は同じでもコルネットの方が楽器が小型で、
トランペットよりも体の近くで楽器を構える形となります。
上記の画像で言うと、金色の短い楽器がコルネットで、シルバーの長めの楽器がトランペットです。

こうやって見てみると、トランペットとコルネットは似ているけど、似て非なる楽器といえそうです。
(管弦楽の分野ではコルネットが使用される事自体少ないです・・)

吹奏楽でコルネットにまつわる話というと、今現在は学校統廃合で既に消滅した学校なのですけど、1983~95年にかけて
とてつもない名演を数多く輩出した関東の野庭高校のエピソードを思い起こしてしまいます。
「ブラバン・キッズ・ラプソディー」を読むと、1990年の結果的にダメ金になった関東大会のエピソードとして
興味深いエピソードが紹介されていました。

関東大会の前日に、トランペット奏者が自由曲の「エル・カミーノ・レアル」で使用する掛け持ち用のコルネットを
学校に置き忘れ、部長もその奏者も指揮者の中澤先生に中々報告できずにいて、
ついに練習中にそれが発覚し、中澤先生が大激怒したというエピソードが語られていますけど、
当時は既に中澤先生は大御所だったので、生徒も中々悪い報告はしにくいという雰囲気はあったのかもしれません・・

実は、1990年の市川市で開催された関東大会は私も当時在住していた山梨から遠路はるばる駆けつけていたのですけど、
野庭高校のその時の演奏は、音色は綺麗で美しいけど抑制されたおとなしい演奏という印象でした。
それまでの野庭のリードの演奏というと、例えばアルメニアンダンスパートⅠやオセロ・ハムレット・春の猟犬のように
大変生き生きとした躍動感溢れる個性的で新鮮な演奏というイメージが大変強かったのですけど、あの演奏は
大変消極的でなんだか飼い馴らされた羊みたいな感覚もあったのですけど
もしかしたらですけど、前日のそうした事件がひきずられたままだったのかもしれませんよね・・・

あの演奏は、新鮮さ・音楽としての感動・躍動感はほぼ皆無で、おとなしめ系の何か去勢されたような演奏で、
当時としては「全然野庭らしくないじゃん・・」とガッカリした記憶があります。
結果もダメ金でした(当然の結果だと思いますし、私の評価としては銀と銅の中間だとすら感じたものです)

初期の頃の野庭高校は、中澤先生と生徒達の関係は一対一の対等なパートナーという感じもなくはなかったのですけど
段々と野庭高自体が「吹奏楽有名校」としてマークされ 他校の追い上げが段々ときつくなる中で、
徐々に対等な関係から、幾分上から目線の奏者対圧倒的なカリスマと実績を誇る指揮者みたいな弱者対強者みたいな関係に
変わっていったのかもしれませんよね。
初期のアルメニアンダンスとハムレットがとてつもない「新鮮で瑞々しい音楽」であったのに対して、
1992年以降のクラシック音楽アレンジ路線へ転向して以降は、どことなくですけど
「オレがこの通り指示しているんだから、その通りに吹け!」みたいな幾分ですけど奏者の自発性が
薄れていった演奏になっていったような気がするのも、もしかしたらその辺りに関係あるのかな・・・?と
部外者的な視線でふと感じたりもします。


_繧峨i繝槭ず_convert_20191119115507


ららマジの浅野葉月はららマジの中でもすてきな美少女の一人と言えそうです。

熱しやすくて冷めやすい上に、行動や発言が自由奔放な小悪魔タイプで、
その性格が周囲との軋轢を生むこともあるようですけど、本人はあまり気にしていないという独特のマイペースさを持っている
JKさんといえそうです。
器楽部には先輩のトロンボーン奏者の星崎梨花に誘われて何となく入部したのですけど、
次第に音楽やコルネットやトランペットに魅了されていき、真摯に音楽に向き合っていくようにもなります。
部や楽器のことを悪く言われると激高したり不機嫌になってしまうというのは、換言するとそれだけ音楽に目覚めたと
言えるのかもしれないです。

田舎の大きな旧家の長女なのですけど、後継ぎは弟と決まっているという設定も実はあったりするそうです。

一言で言うとクールなツンデレ系であり、旧家のお嬢様らしい気分屋ゆえに、ゲーム内ではプレイヤーに対して
冷たく接することが多いものの、それは決して本人が冷たい性格という訳ではなくて、「本当はもっと優しくしないと・・」と
分かっているのについついつれない態度を取りがちというのもツンデレさんの典型なのかもしれないです。
そうしたツンデレさんですけど、個性的な器楽部内では逆に周りから翻弄されることが多いというのも面白いですね~
バトル時においてはコルネットを模した二丁拳銃で戦う事が多いです。

器楽部でもかなりの美人でスタイルも見事なものがありそうですし、左目下には泣きぼくろがあるのも
すてきなチャームポイントだと思います~♪
髪型は三つ編みをアップにしていて制服は上着を着ずにシャツの第一ボタンを開けていて、そしてノーネクタイというのも
お嬢様らしい自由さに溢れているといえそうですね~
本日はクリスマスイブです!

一つ後の記事で、dream fantasyのアミグリさんが
描かれたとても美しくて素晴らしいクリスマス絵を転載&お披露目させて頂いておりますので、そちらの記事の方も
ご覧頂けるととても嬉しいです。

クラシック音楽・吹奏楽の分野で「クリスマス」を眺めてみると、宗教音楽とか教会音楽を別にすると
意外と思い浮かぶ曲がないです。
一番メジャーな曲はチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」なのかもしれないですし、特にその中でも
「花のワルツ」はクリスマス音楽の定番の曲なのかもしれないです。
その他には、G.F.ヘンデル作曲のオラトリオ「メサイア」よりハレルヤコーラスとか
ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」とかシューベルトのアヴェ・マリア とか
コレルリの合奏協奏曲第8番ト短調「クリスマス協奏曲」あたりが思い浮かびます。

そして吹奏楽オリジナル作品の世界では、真っ先に思い浮かぶのは、リードの「ロシアのクリスマス音楽」だと思います。

リードの初期作品というと、サスカッチアンの山・音楽祭のプレリュード・インペラトリクス・ジュビラント序曲といった曲を
思い出しますが、これらの曲は実は全て第二次世界大戦後に作曲されたものばかりです。
私自身「ロシアのクリスマス音楽」というとあの重厚長大な荘厳で厳粛な大曲というイメージがあり
「アルメニアンダンス以降の中期以降の作品なのかな・・?」と思っていたのですけど、実はこの曲は、
第二次世界大戦前に作曲されたリードとしては初期も初期・・最初期といっても過言ではないある意味若書きの曲だと
言えると思います。

第二次世界大戦中の1944年に、コロラド州デンバーでの市の主催によって「アメリカとロシアの音楽の夕べ」が開催され、
このコンサートのためにリードがロシアの主題を用いた曲を作曲する事を委嘱され、ロシア系教会からコラール集を借り、
その中から幾つかの主題を用いて作曲されたのが「ロシアのクリスマス音楽」です。
そしてコロラド州の空軍バンド・陸軍バンドの選抜チームによって構成されたチームによって初演が果たされています。
とてつもない大曲なのにわずか11日間で作曲されたというエピソードも残されているのですけど、
曲自体は後年の「エルサレム讃歌」に匹敵する名曲の大作だと思います。
(私自身、リードの四大名曲は、アルメニアンダンスパートⅠ・オセロ・第二組曲・エルサレム讃歌だと思っています・・)
「ロシアの教会音楽」は続けて演奏される4つの部分から構成されていて、
ロシア正教のクリスマスのコラール「Carol of the Little Russian Children」と、
東方正教の奉神礼音楽にヒントを得たと思われるようなリード自身のオリジナルのメロディーから主に着想されています。
子供のキャロル・交誦歌・村の歌・教会の合唱といったロシアの伝統的なメロディーが取り入れられ、ここにリード自身の
若き頃の鋭い感性が加わり、特に終盤においては劇的な感動をもたらしてくれています。

この曲、冒頭がチャイムの静粛な音から開始されゆったりとしたうねりの雰囲気から曲が始まっていくのですけど、
そのうねりの部分はいかにも「ロシアの寒くて厳しい冬の空」みたいな空気感が漂っていると思いますし、
このもっさりとした部分はいかにも「ロシアの憂鬱」という雰囲気なのだと思います。
(印象としてはチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」に近いものがあるのかもしれないです・・)
そしてそこから曲がかなり盛り上がっていき一旦壮大なクライマックスが構築されていきます。
そして曲が一旦静粛な雰囲気に戻り、最後は壮大な盛り上がりを見せていき、クライマックスのあの壮大な頂点の響きは
感動の極みだと思います!
しっとりとした静粛な部分のコールアングレのソロは素晴らしいですね!
私的にはあのクライマックスが展開される直前にチャイムが連打され厳粛に鳴り響いている中のトロンボーンセクションによる
音のはもりと重なりの部分は大好きです!
あのトロンボーンのはもりを聴くたびに続々とさせられるものがあります。
美しさと静けさ、おおらかさと激しさが見事に調和した大作と言えると思います。

全体的には「少ししつこいのかも・・?」と感じられなくもないです。
要はクライマックスが曲の中に2回登場するのですけど、2回とも主旋律がほぼ同じですので聴き方によっては
「同じことの繰り返し」みたいに聴こえるのかもしれないですけど、
ロシアというとそうした野暮ったさも一つのイメージだとも思えますので、そうしたくどさは聴いている分には大して影響は
ないと思います。
吹奏楽コンクール的には「反復部分をカットできるから尺的にはちょうどいい」という感じになるのかもしれないです。
むしろ指揮者の解釈でそうしたくどさは逆に面白い表現もできるのではないのかなとも思ったりもします。

この曲の全国大会初演は確か郡山吹奏楽団だったと思います。
初期の頃、この曲はなぜか「ロシアの教会音楽」と表記されていたと思います。
(ソニーのレコードの中に入っている出場チームの課題曲自由曲と評価を記した資料には「ロシアの教会音楽」と
表記されていたと思います)
この曲は、札幌交響吹奏楽団が全国大会で三回も取り上げていますが、失格1 銀1 銅1とあまり良い成績を出していません。
個人的には、1991年の広島での演奏は渋くて良い出来だと感じています。
札幌交響吹奏楽団には、1988年~94年前後に素晴らしいユーフォにアム奏者が在籍されていて
88年のタンホイザーとか、92年のカルミナ・プラーナで素晴らしいソロを披露してくれていますけど、91年はリードのオリジナル曲
ということで大してユーフォが目立つ場面もなく「もったいないなぁ・・」と感じたものでした。
全般的にこのチームは、サウンドがぼやけているというか切れ味が鋭くないというか
よく言うと「おっとり」しているのが特徴なのかな・・?と感じます。

札幌交響以外では88年の神戸中も比較的良い演奏だったと思います。
知る人はあまりいないと思いますが、1985年の東海大会での光が丘女子もスケールの大きな素晴らしい演奏でした。

この曲は、全国大会で金賞を受賞したチームはゼロです。
81年の札幌交響と初演の郡山以外は全て銅賞という評価だったと思います。

それだけ奥が深いというべきなのか、表現が意外と難しいというのか、
作曲者のリードが東京佼成を指揮した自作自演の演奏のような感動的なクライマックスがなかなかコンクール本番で
発揮しにくいというのか思ったほどは演奏効果が上がりにくい曲といえるのかもしれないですね。
リードが1981年に東京佼成を自作自演した録音は、当時としてはこの曲のプロの吹奏楽団によるノーカット全曲録音が
なかっただけに極めて貴重だっと思います。
当時同時に収録されていた曲がリードの第二組曲でしたので、当時としては満を持して登場したレコードと言えそうです。

リードの宗教関連を題材にした音楽というと「法華経からの三つの啓示」という曲がメジャーだとも思われるのですけど、
あれはなんとなくですけど、リード自身が東京佼成WOにお世話になっている・・」みたいなちょとスケベ心も
あるんじゃないの・・?何てことを言われる方もいたりもしますけど(汗・・)
私自身はリードの宗教関連に題材を求めたオリジナル作品というと、派手な外面的効果という意味では「エルサレム讃歌」を、
そして内省的な効果を求めたい方にはこの「ロシアのクリスマス音楽」をお勧めさせて頂きたいと思います。

こうしたクリスマスイヴの日にこうしたちょっと渋い音楽を聴いて身も心も浄化させるのも悪くはないと思います。


_convert_20191029235154.jpg


「ロシアのクリスマス音楽」の聴きどころは私的には二つほどありまして、一つが中間部のしっとりとしたコールアングレのソロ、
そして二つ目は終盤の壮大なクライマックスへと導くグロッケンシュピールとコンサートチャイムによる教会の鐘の音を
イメージさせた清楚で美しい可憐な響きだと思います。
特に終盤のグロッケンシュピールとコンサートチャイムの二人の奏者は部分的にソロにも近いような響きを奏でていますので、
腕の見せ所といえそうです。

ららマジで、グロッケンシュピール(鉄琴)を担当している高校3年生の女の子は、神代結菜お姉さまです~♪
神代結菜は器楽部創立メンバーの一人でもあります。

余裕たっぷりの柔らかな物腰、豊満なスタイルと、まさしくお姉さまといったタイプのすてきなJKさんですけど、
その醸し出される大人の魅力は、主人公のプレイヤーすらも惑わせてしまう魅力なのだと思います。
だけど昔から優雅ですてきなお姉さまだったという訳ではなくて、実は昔は孤独にさい悩まされ、心も荒んで荒れていた時期も
あったとの事で、その意味では酸いも甘いもわかるすてきなお姉さまという事なのだと思います。

誰にでも分け隔てなく優しく接しますけど、以前の孤独の反動からなのか好意を抱いた相手には
少々暴走気味な愛情表現を見せることもあるそうでして、
マイペースすぎるあまり、時に理由なく学校をサボるという悪癖もあるそうです。

意外にも実は器楽部の部内でトップクラスの怪力の持ち主であったりもしまして、林檎を片手で握り潰せる七瀬沙希を
圧倒するほどの怪力でもあるそうです。

そうした神代結菜お姉さまが奏でるグロッケンとチャイムの清楚な響きを聴いて、クリスマス気分を清らかな気持ちで
楽しむ事ができたら最高ですね~♪



私が中学校の吹奏楽部に入部したのは1978年(年がバレバレですね・・汗・・)
この年の課題曲は圧倒的にA/ジュビラーテに集中し、私たちのの学校も吹奏楽コンクール出場の際はジュビラーテを
選んでいました。
当時の感覚としては、私もそうでしたしまわりの諸先輩たちも課題曲のジュビラーテを吹く時も、自由曲のチャイコフスキーの
「スラブ行進曲」を吹く時も全員、つまらなそうな顔でいやいや吹いていたような印象もあったりします。
(というか、年中指揮者の先生に「下手くそ!」等罵倒され続けていましたからね・・汗)
時折息抜きを兼ねて78年の課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」とか
当時大流行していた映画「スターウォーズ」~メインテーマとか1977年の課題曲C/ディスコ・キッドを吹く時は
全員ノリノリでとっても楽しく演奏出来ていたと思います。
あのような純粋に音楽を心から楽しむ気持ちで課題曲も自由曲も楽しい気持ちで吹く事ができればよかったのですけど、
それが出来ないのは昔も今も吹奏楽コンクールの一つの功罪なのかもしれないです。

1977年課題曲C/ディスコ・キッドは、私が中学に入学する一年前の課題曲でしたので
この課題曲でコンクールに臨んだことはないのですけど、練習の息抜きとか文化祭等でたびたびこの課題曲を演奏する事が
出来た経験は今にして思うととても貴重なものがあると思います。
(でもさすがに私の世代ですと、74年の「高度な技術への指標」というバリバリポップス系課題曲は吹いた事はないですね~)

「ディスコ・キッド」が本当に吹奏楽コンクールの課題曲であったとは今でも信じられないほど楽しい楽しい曲だと思います。
吹奏楽コンクール課題曲なのですけど、楽譜の指定楽器の中にもドラムスとE.bass(エレキベース)が含まれていて、
当時の規定の上ではコンクール演奏中でもこの課題曲に限ってはエレキベースの使用がOKという凄い曲でもありますし、
エレキベースの使用が完全に禁止となっている現在のコンクール規定ではありえないほどの柔軟性が
ここにもあるように感じられます。
ドラムスの8ビート、エレキベースら低音楽器のリズム隊に支えられ、曲全体を通して軽快で小気味よいリズムと明るく楽しく
華やかなメロディーが4分近く続いていき、最初から最後まで飽きることは全く無いと断言できます!
テレビ番組「題名のない音楽会」が行った視聴者アンケートでは、吹奏楽の人気曲としてこの曲が第1位に選ばれているのも
極めて当然の話だと思いますし、2007年6月には、東京のめぐろパーシモンホールにおいて作曲者の東海林修が招かれ、
この曲の誕生30周年を祝う催しが開催されるなど、とにかくいまだに根強い人気を誇っている吹奏楽コンクール名課題曲です。
ちなみに東海林修は、NHKの「ステージ101」のアレンジャー兼音楽監修でも有名な先生です。
(2018年に御永眠され彼岸の彼方に旅立たれましたけど、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます)

「ディスコ・キッド」は時代的に映画「サタデー・ナイト・フィ―バー」の時期とほぼ同じ頃だと思いますが、
当時のディスコミュージックそのまんまのノリの曲だと思います。
この曲は吹いている方もそうですけど聴いている方も、あまりの楽しさについつい鼻歌や足でのリズム取りを自然にして
してしまいそうなほどの楽しさがあると思います。
この曲を吹奏楽コンクールというお堅い音楽コンクールの課題曲の一つとして認定した当時の吹奏楽連盟の皆様の
ご英断と頭の柔軟さには心から敬意を表したいと思いますし、最近の頭の固い吹奏楽連盟の理事・役員の皆様にも
見習ってほしいものがあると感じてしまいます。

ポップス系課題曲という事でバカにされる方や内容が無いなんという的外れすぎる事をいまだに言われる方もいるようですが、
ポップスを分かっていらっしゃる大御所先生が書かれた作品だからこそ、「ポップスとはなんなのか・・?」という事を
追求した作品だと思いますし、課題曲としてはかなり難度が高く、当時の全国大会で中学、高校の部で
この課題曲を演奏して金賞を受賞した団体は1つもない事がそれを実証していると思います。
換言すると中・高校生ではこの曲の生き生きとした表現が難しかったといえるのかもしれないですし、この曲の金賞チームは
大学・一般の部に多く、ある程度の経験を重ねてきた大人のプレイヤーでないと意外と表現が難しい曲と
いえるのかもしれないです。

ディスコキッドはとにかく冒頭が難しかったですね・・・

冒頭からドラムスが大活躍し、ドラムスのハイハットシンバルが刻むアップテンポなリズムに乗せてピッコロがソロを奏でる
スタートは当時の課題曲としては斬新なものがあったと思います。
序盤の楽しい雰囲気が展開された後にソロクラリネット奏者にとって大変な試練が待ち受けていて、
曲が一旦静かになり、ドラムスがリズムを刻むだけのバックでクラリネットのかなり大変なソロが展開されていきます。
あの部分は現在のポップス系コンサートですと、クラリネット奏者はスタンドプレイをする事が多いようです。
終盤近くのオーボエののびやかなソロが大変美しいのですけど、そのオーボエのソロの裏メロを担当している
ユーフォニアムのとんでもない高音域は奏者にとっては鬼門なのかもしれないです。
ユーフォと言うと、この「ディスコ・キッド」は「響け!ユーフォニアム」の原作にも登場しています。
原作小説の公式ガイドブック「北宇治高校の吹奏楽部日誌」収録の短編「冬色ラプソディー~北宇治高校 定期演奏会~」に
登場し、久美子が定期演奏会の希望曲のひとつに挙げ、定期演奏会の第3部のプログラム最後の曲として演奏することになる
シーンも実はあったりもします。

ディスコ・キッドの1977年当時の全国大会の音源を聴いてみると、前奏からメインテーマに入る直前に、
本来楽譜上には存在しない「ディスコ!」というかけ声を入れた演奏をたまにあったりしますけど、
(全国大会演奏でディスコ!という掛け声が入っているのは、亜細亜大学・駒澤大学・ブリジストンタイや久留米だったと思います)
あれは、作曲者の指定とか作曲者のオプションの一つという訳では全然無いようでして、
なんとなく誰かが自発的にやりだしたらそれが広まっていったという感じだと思いますし、
現在ポップスコンサートやシエナ等の演奏会等では、演奏者と観客が一体となってこのかけ声を入れることが一般化している
ようでもあったりします。
当時の西部大会(現・九州大会)では、演奏中に「ディスコ!」と掛け声を入れたことが規定違反という事で失格になったチームも
あるらしいのですけど、全国大会ではあの掛け声を入れて規定違反という事で失格になった事例はありませんし、
そうした意味では全国大会の審査員・当時の吹連の役員の皆様の見識の高さには敬意を表さざるを得ないです。
ちなみに亜細亜大学の失格はタイムオーバーが理由です。

吹奏楽コンクール全国大会で「ディスコ・キッド」を演奏して素晴らしい演奏を残してくれたチームはたくさんありますけど、
私個人のベスト演奏は、瑞穂青少年吹奏楽団といえそうです。
王道中の王道の演奏で、正統派のポップスを真正面から正攻法で演奏しています。
(この演奏においてはディスコ!の掛け声はありません)
欠点をあげると終盤の弱奏部分でメロディーラインを担当するオーボエがあまりにも非力すぎなのですけど、裏メロの
ユーフォの高音は見事に決まっていてたっぷりと歌いこまれています。
ブリジストンタイヤ久留米は瑞穂と同様に正統派の演奏ですけど、
イメージとしては大人の演奏というか節度ある真面目な演奏というのかクラシカルな演奏を聴かせてくれます。
ディスコ!の掛け声も入ってはいますけど、少し照れがあるのか(?)あまり大きな声量ではないです。
やんちゃな演奏例の代表は駒澤大学だと思います。
ちょっと乱暴で強奏がかなり粗いのですけど、あのやりたい放題はむしろ爽快です!
自由曲のストラヴィンスキーの「春の祭典」で示してくれた正統派クラシカルの雰囲気とは似ても似つかぬあの対照性が
見事だと思います。
コンクール演奏での一番ノリがよい演奏は亜細亜大学かもしれないです。
前述の通り、この年の亜細亜大学は自由曲のラヴェルの「ラ・ヴァルス」をかなり執拗に表現したせいか
タイムオーバーになってしまい審査対象外という事で当時は全然話題にすらならないのですけど
亜細亜のディスコ・キッドの演奏は、作曲者の東海林修先生が聴いたとしても太鼓判を押しそうな切れ味と楽しさに溢れた
素晴らしいものがありました。
ノリはいいし楽しいし切れ味抜群だし、リズム感はいいしドラムスは完璧だし、
例の「ディスコ!!」の掛け声も亜細亜大学を上回る声量は多分無いと思います。
だけどこの亜細亜大学の演奏で一つ謎があります。
クラリネットのソロが終わった後に、男性の声で「オーオーオー」みたいな奇声と言うか掛け声みたいな声がしっかり収録されて
いますけどあれはいったい何なのでしょうか・・・?
アドリブ・・?? 単なるウケ狙い・・? 本当に感極まった声・・・?
今となっては知る由もありませんけど、CDで聴いた感じではとても自然体だと感じます。

最後にこの課題曲の知る人ぞ知る隠れた名演を一つだけ挙げたいと思います。

それは北陸代表の金津中学の演奏です。
この演奏、とても中学生らしいチャーミングな可愛い演奏ですし、大人の演奏とはちょっと違う
もう一つの「ディスコ・キッド」みたいな可能性も秘めている素敵な演奏なのかもしれないです。


_convert_20191126100534.jpg


吹奏楽コンクールの課題曲の「ディスコ・キッド」の中にはエレキギターは含まれていないのですけど、
ドラムスとエレキベースは終始リズムの支えとして大活躍を果たしています。
コンクールでエレキギターを入れるのは昔も今も禁止なのですけど、ポップスコンサートや文化祭等で
ディスコキッドに少しばかりアレンジを施しエレキギターを入れても更にポップな表現になるのかもしれないです。

卯月真中華(うづきまなか)は、東奏学園器楽部でエレキギターを担当している中学3年生の女の子です。

東奏学園器楽部のメンバーにはこの卯月真中華を含めて何人かの中等部のJCさんも入っていて、
そうした中学生組をリードするエレキギターを扱う中学3年生の女の子が卯月真中華でもあれます。
東奏学園器楽部のメンバー最年少の中一の卯月幸は真中華の妹です。
器楽部員で構成されたバンド「フロウライン」のギター担当で地元のライブハウスでは有名人との事です。

フロウラインにはエレキベース担当の高校一年の楓智美がいたりもします。

楓智美はサイドテールがとってもかわいいですけど、卯月真中華はツインテールがとってもかわいいです~♪


_convert_20191126100630.jpg


1978年前後のポップスコンサートや学校での文化祭等では、例えば当時の自由曲のスラブ行進曲とか
バッハの小フーガ等を演奏しても聴衆の皆様はみんな眠たそうでしたけど、
楽器編成にドラムスやエレキベースが入ったディスコキッドや78年の課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」や
ピンクレディメドレー~サウスポー・UFO・SOS・渚のシンドバット・ウォンテッド・モンスターや
当時大人気刑事ドラマの「太陽にほえろ」とか当時はまだデビュー間もないサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」などの
曲目だけは聴衆がノリノリだったと思いますし、吹いている方もとても気持ちがよかったと思います。

吹奏楽コンクールでの演奏ももちろん素晴らしくて私も大好きですけど、音楽の本質はやっぱり「みんなで楽しむ」と
いう事なのかもしれないですね~♪


_譎コ鄒酸convert_20191101162431


「ららマジ」においてエレキベースを担当している女の子は楓智美という高校1年生の女の子です!

楓智美は義理人情に厚いやんちゃな性格で、後輩の面倒見も良い情熱的なJKさんでもあります。

吹奏楽コンクールのポップス系課題曲としては、ディスコ・キッドやかぞえうたの他に
ポップス描写曲「メイン・ストリートで」においても、本格的なドラムセットの他に、楽譜の上では
指定楽器の一つとして「エレキベース」もちゃんとあったりもします。
上記で触れたとおり、現在の吹奏楽連盟のコンクール既定ではエレキベース・エレキギターの使用は禁止となっている
のですけど、例えばメリッロのアメリカの騎士とかラムのイーゴル・ファンタジーにおいてエレキベースはかなり効果的に
使用されていますので、エレキベースが使用できないこれらの曲を吹奏楽コンクールにおいては、
本来の響きを味わえないのは少し勿体ない感じもありそうです。





ララマジの中でドラムセットを担当しているのは、洲崎麻衣というボーイシュなJKさんです~♪

身体を動かすことが大好きなボーイッシュ娘で、趣味はスポーツとスニーカー集めであったりもします。

戦闘時においては、ドラムスティック型の2本のナイフを使用していたりもします。

JKさんのドラムス担当というと最近ではバンドリ等ガールズバンドのイメージも強いですけど、
吹奏楽コンクールで軽快にかっこよくドラムスを叩くJCさんやJKさんは惚れ惚れするくらいかわいくすてきなものがあります!

ららマジのメイン舞台の器楽部に在籍しているJCさん・JKさんは30人なのですけど、
そのうちドラムスの洲崎麻衣を筆頭に、カスタネット・トライアングル・シンバル・グロッケンシュピール・和太鼓と
計6人の打楽器奏者が在籍していますので、
ららマジの器楽部のサウンドは打楽器奏者多めということで、リズミカルでノリノリな演奏が期待できそうですね~♪

冒頭で出てきた「ディスコ・キッド」やポップスマーチ「すてきな日々」を洲崎麻衣のドラムスと共に
演奏すれば真骨頂なのかもしれないです!
当ブログの吹奏楽カテゴリにおいては何度となく、元クラリネット奏者の経験に基づいて
「クラリネットはデリケートで大変神経質な楽器で大変扱いも奏でる事も難しい楽器」と記させて頂きました。

オーボエ・ファゴットのダブルリード楽器のリード削り・リード調整は確かに大変で厄介なのですけど、
シングルリードのクラリネット奏者の当時の私の感覚としては、
「オーボエやファゴットも大変だけど、同じくらいクラリネットのリード調整も大変なのかも・・」という感じだったと思います。
当時は毎日毎日リードの調整というか、リードをト草を使って削る事が日課でもありました。
(大学の吹奏楽団でトグサでリードを削ろうとしたら、「トグサを使うなんていかにも田舎者らしい話だね~くすっ・・」と
鼻で当時の上級生のお姉さまたちに笑われたものでした・・
当時は既にリードはトグサではなくてサウンドペーパーを使用する事が主流だった模様です・・)


縺ィ闕雲convert_20141102224811

リードを削る場合、一番良い方法って何なのでしょう・・?
これはケースバイケースだと思いますし人によってやり方は異なりますので「これが正解!」というのはないと思います。
私の場合、中学から高校あたりまでは「トグサ」を使用していました。
上記で触れたとおり、都内の大学に入って以降は
「そんなトグサみたいな田舎のやり方じゃなくてサウンドペーパーを使ってよね~」と先輩お姉さまたちからご指導を受け、
紙やすりを使用する事になりましたけど、私の感覚的にはトグサの方がやりやすかった印象があったりもします。

そもそも「トグサ」って何でしょうか?

北半球の温帯に広く分布する植物でスギナ(つくし)の親戚で、日本では中部地方より北の山間などに自生しています。
地中には地下茎があり、そこから地上に向けて茎を直立させます。
茎は濃い緑色で表面がザラザラして硬くて中は空洞です。
表面のザラザラを活かして、煮込んで乾燥させた物を薄板などに貼り付け、
ツゲ櫛などの木工品を磨くヤスリとして利用されやすく、天然素材の紙やすりとも言えるのかもしれないです。

私の場合、わざと硬いリードを使用し、吹いている時に
「少し高音が出しにくいというか、音に抵抗感があり引っかかりがあるな」という感覚で吹いた方が
何となくきれいな音が出やすいみたいな感覚がありました。
だから当時、よくバンドレンの4~4.5の硬いリードを購入しそれをトグサや紙やすりで調整するのが
日常のお仕事でもあり息抜きだったような感じもあります。

クラリネット奏者の中には、全体練習中に指揮者から「下手くそ!」などと個人攻撃をされ、
むくれて練習場から憤然と席を立ち隣の楽器置場で「リード削り」をやって時間稼ぎ&自分を鎮めて落ちつかせ
ある程度冷静さを取り戻してから再び練習場に戻ってくるというパターンも結構多かったような記憶もあります。
クラリネットはそうした逃げ道があったのかもしれません。
中にはそのまんま半日以上ずーーーっと無言でリード削りに精を出し、挙句の果てには
そのまんま家に帰った奏者もいたりはしましたけどね・・(汗・・)
それはどちらかというとクラリネット奏者ではなくてオーボエ奏者の方にそうした傾向が強かったような印象も あったりします・・




クラリネットという楽器は5つのパーツから構成されています。

オーケストラの演奏会で、トロンボーン奏者がスライドからツバを抜いている姿が目撃されますけど
管楽器の場合、楽器に唾が溜まってしまいこれを放置しておくと音外し・音の濁りの原因にもなったりしますので
演奏会の本番でも唾を抜くことは仕方が無い事なのです。

クラリネットはそういう訳にはいかないです。

唾を抜くためにマウスピースを一旦外してしまうとピッチ(音程)が狂ってしまい、再度チューニングをやり直す必要がありますし、
本番中にまさかマウスピースを外す訳にもいきませんからね・・
クラリネットの場合、ツバのほとんどは楽器の一番下のベルから、別に何もしなくしてもポタポタと垂れていきますから
演奏中に唾を抜く必要が無いのはありがたいことでもありました。

クラリネットの場合、練習が終わると、楽器のメンテナンスは避けては通れない日課でして、
タンポにティッシュを挟み水分を吸収したり分解した各パーツに対して、
スワブという重しが先端についた紐が付いている厚めのハンカチみたいなもので楽器の内部の管のツバを吹いたりします。
これを怠ったりすると管の中に湿気が発生したり楽器不調を招いたりしますのでこれはサボってはいけないです。

たまにポンコツ奏者が、楽器の中にこのスワブを詰まらせてしまい、抜くに抜けなくなり困っている姿を見た事があります。
クラリネットの内部の管内をよーく覗いてみるとレジスター・テューブが突き出ています。
非常に強い力で引っ張ったり棒のようなもので突き戻そうとすると、このテューブを痛めてしまいますので、
そういう時は楽器屋に持て行かざるを得ないのですけど大抵修理代・メンテナンス代に5000円程度掛ってしまい、
これをやってしまうと、部内の会計担当が
「たたでさえ予算が無いのに・・・これはおまえのミスなのだから自己負担しろ!」
「仕方ないじゃん! そのくらい部費で面倒見てよ・・!」みたいなバトルが勃発していた事もあったものです。





ららマジのクラリネット担当の綾瀬凜は真面目な優等生で後輩からはちょっぴり怖い先輩としても知られています。

真面目な厳格な性格で後輩からは少し怖がられている事を綾瀬凜本人はかなり気にしており、
後輩にやさしく接しようと心掛けていたりもするそうです。

優雅で真面目で完全主義者の綾瀬凛も、その優雅な姿とは異なり、
陰ではそうしたクラリネット特有のリード調整の難しさとかリードミスによる絶叫音に意外と苦労しているのかも
しれないです。

私自身、吹奏楽部に入部しクラリネットを始めた中学一年の時には、綾瀬凜みたいにやさしく接してくれそうなお姉さま先輩は
ほぼ皆無でしたので(汗・・)
ららマジの綾瀬凛みたいなお姉さまに教わればもう少し上達したのかもしれないですね~

あくまで私の一般的イメージですけど、吹奏楽部におけるクラリネット奏者と言うのは、どちらかというと融通が利かない
頭の固い人が多かったような感じもあり、それは男女問わず同じだったような印象もあります。
綾瀬凜のちょっと怖いお姉さま設定と言うのは、むしろクラリネット奏者の気質という感じなのかもしれないですね~♪





キリッ・・!としていて後輩に対して厳しく接する雰囲気の綾瀬凜お姉さまの上記のようなちょっと怒ったような表情も
とてもかわいらしいものがありますけど、
同じパートに自分に厳しすぎる子がいたりするとちょっとつらいものがありそうですけど、ららマジの綾瀬凜みたいな
JKさんだったら、私は喜んで同じパート内で頑張らさせて頂きたいものです~♪

クラリネットを吹く女の子の不器用さ・頭の固さというものはもしかしたら全世界共通なのかも・・?といったら綾瀬凜に
怒られてしまいそうです・・
本記事の一つ後の記事がC.ドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」とそれと全く同名の曲であるW.H.ヒル の
吹奏楽オリジナル作品について触れさせて頂きましたので、
本記事においては、 W.H.ヒル の音響の黙示(ソノ・レベロ)という知る人ぞ知る超ウルトラマイナー曲について
ほんの少しだけレビューさせて頂きたいと思います。
この曲について触れている書籍は全くゼロですので、この曲について専門的に掘下げたくても資料も楽譜も何も無いという事で
あくまでこの曲の全体的な印象についてチラッ・・とした触れられないのは書いている私としても歯がゆい感じでもあります。

W.H.ヒル と言うと吹奏楽的には「セント・アンソニー・ヴァリエーション」があまりにも有名ですし、この
あまりにも素晴らしき吹奏楽オリジナル作品は、この曲が天理高校の1985年の奇蹟的超ウルトラ名演によって
世に知られて既に34年以上も経過しているのですけど、
忘れ去られる事なく支部大会・全国大会・プロアマ問わず定期演奏会等で演奏され続けている事は
この曲自体の素晴らしき普遍性を示唆しているのだと思います。
確かにヒル自体の原典版と後日日本の吹奏楽関係者がヒルの了承のもとに改訂版というのかアレンジ版(特に終結部)との
間に結構な違いというか印象度の違いもあったりもするのですけど、それも含めて
このヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエーション」が後世に間違いなく残りそうな吹奏楽オリジナル作品であるのは
間違いないと思いますし、この曲も後世でもずっと演奏され続けて欲しいと思います。
(今更言うまでもない話ですけど、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」もヒルのこの曲も元歌のメロディーは
同一のものに由来し、こうした変奏形式の曲を聴いてみると、管弦楽版も吹奏楽版も素材の調理法によって
聴く人に与える印象は随分と違うものである事は痛感させられたものです)

ヒルというと「セント・アンソニー・ヴァリエーション」以外では他にはそれほど印象に残る曲が無いと言うのも
少しばかり不思議な感じもあったりもします。
ヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエーション」以外の吹奏楽オリジナル作品というと、
「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」や「スー族の変奏曲」が挙げられるとは思いますが、この2曲とも既に忘却の彼方
なのかもしれないですね・・
余談ですけど、高校の頃の私ってヒルの「スー族の変奏曲」とプロイアーの「スー族の旋律による変奏曲」は
同じもの・・と勘違いをしていた時期もありました・・(汗・・)
そして「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」という作品は全国大会で一度だけですけど演奏された事もありました。
それが1980年のニクソンの「パシフィック・セレブレーション組曲」という歴史的名演を残してくれた一年後の高岡商業の
演奏でした。
高岡商業はは全国初出場から1981年あたりまでは比較的吹奏楽オリジナル曲、しかも少し珍しい部類の
吹奏楽オリジナル曲を演奏するパターンがあったりして
後年の「ローマの祭り」・「ベルキス」・「展覧会の絵」などのように豪快でとにかく鳴らしまくる華麗な演奏とは
一味もふた味も違う演奏&方向性を見せているのは大変面白いものがあります。
その中でも79年のハンソンの「コラールとアレルヤ」とか80年の「パシフィックセレブレーション組曲」は
吹奏楽オリジナル作品の醍醐味を後世に残してくれた貴重な演奏だと思います。
1981年の高岡商業は既に記したとおり、ヒルの「神聖なる舞曲と世俗的な舞曲」という極めて珍しいオリジナル曲を
プログラム一番で吹いていましたけど、印象としては音が普門館の会場にストレートに響かず、
音が普門館の広い空間を彷徨っているみたいな印象すら感じたものでした。
そして音が硬いせいかサウンドも表現もぎこちない感じがするのです。
あ・・それは既に一つ後の記事でも書いた事でしたね・・(汗)

吹奏楽コンクールというものは、ある団体が取り上げた以外はほとんど演奏されない埋もれた曲というのも
実は結構あると思います。
ほとんど知られていない吹奏楽オリジナル作品だけど、実はすてきな名曲ではないのか・・?という曲も結構多いと
思いますし、そうした「自分だけの名曲、自分ひとりの為だけのお気に入りの吹奏楽オリジナル作品」を発掘してみると言うのも
吹奏楽作品を聴く上ではひとつのすてきな楽しみ方と言えるのかもしれないですね・・(笑)
そしてセント・アンソニー・ヴァリエーション・神聖な舞曲と世俗的な舞曲でお馴染みのヒル限定で考えた時、
「ほとんど知られていないし、全く演奏されないオリジナル作品だけど私にとって大変インパクトを残してくれていて
今でも普通に聴いていて、私自身にとっては隠れた影の名曲」と思っている作品こそが
ヒルの「音響の黙示」(ソノ・レベロ)というウルトラ級にレアで超マイナーな曲と言えると思います!
そしてこの「音響の黙示」は2019年末時点の吹奏楽コンクールにおいては、この曲が自由曲として演奏された事は
後にも先にもわずか一度だけです!
しかもその唯一演奏したチームと言うのが文教大学というのもある意味凄い話なのかもしれないですね~!
文教大学というと、現在では元東京交響楽団のクラリネット奏者の佐川先生が 率いる全国大会の金賞常連チームです。
そして、W・ヒルというと「セント・アンソニー・ヴァリエーション」で有名な作曲家です。
この両者が融合したのが、1982年の関東大会における 文教大学の演奏なのです。

この頃の文教大学は佐川先生が指導される以前の時代なのですけど、
1981年度は、「セント・アンソニー・ヴァリエーション」を全国大会で初演しています。
(よく誤解されているのですけど、セント・アンソニー・ヴァリエーションの全国大会初演は天理高校ではなくて
1981年の文教大学です!)
そして驚くべき事に、1981年の関東大会では、小澤先生率いる神奈川大学(81年の自由曲はシュトラウスの「英雄の生涯」)を
関東大会にて、まさかのダメ金に追いやる大金星をあげています!!

そしてその翌年の1982年に文教大学が自由曲として取り上げたのが 「音響の黙示~ソノ・レベロ」という謎めいた曲なのです!!

「音響の黙示」という曲をご存じの方ってほとんどいないと思います・・
私自身も知っている限りでは、この曲を演奏したのは82年の文教大学以外見当たらず、
この曲のプロの演奏というものは聴いた事がありません。

「音響の黙示」は私的には大好きな曲です。
出だしの金管楽器の強烈なファンファーレも相当インパクトがありますが、 全体を通じて曲の内容というよりも
音の絶対的な響き、和音の面白さを徹底的に突き詰めたのがこの曲の魅力ではないかと感じております。
かっこよく言うと「音楽の無限の可能性」を純粋に音の響きという点一点のみでとことん突き詰めたのがこの曲ではないのかなと
感じたりもします。
メロディーもあまりはっきりしないし無調的というか、機械的というか、
モザイクがかかったような曲なのですが、そのドライな響きは結構好きです。
1982年に登場した市立川口の自作自演の自由曲の「無言の変革」~そこに人の影は無かったの世界に
近いような印象もあったりします。
曲のラスト近くで、何と発音しているのかよく分りませんですが、
人のコーラスというのかヴォカリーズというのか呟きというのか歌声らしきものも登場してきます。
英語なのかうなっているだけなのか本当によく分りませんが、無機質な感じが大変面白いと思います。

この文教大学の演奏は、私が知る限りにおいては「トラヤ」という会社のカスタムテープによる音源しかないのですが、
トラヤもとっくに倒産していますので、今この演奏を聴きたくても、その音源を探す事自体困難を極めるのかもしれないです。
私は、幸いなことにこのトラヤのカスタムテープを持っていますので、 「音響の黙示」の演奏を未だに聴く事が
出来るのは大変幸せな事と思っていますし、もしかしたら本当に
「自分だけの名曲、私ひとりの為だけのお気に入りの吹奏楽オリジナル作品」と言えるのかもしれないです。

出来れば、どこかのチームがこの曲を改めて取り上げ、 「音響の黙示」の面白さを伝えて頂ければいいなぁ・・と思います。

この曲は技術的には金管楽器の高音が大変だったと思います。
特に出だしは、冒頭からあんなハイテンションのファンファーレみたいな凄まじい高音が続いたら
奏者は気が狂ってしまいそうですね・・

ヒルにとってはどちらの曲が「自分らしい曲・・」と感じているのかはヒルだけにしかわからないと思うのですけど、
「セント・アンソニー・ヴァリエーション」が真昼の聖なるものとしたら
「音響の黙示」は真夜中の狂気に溢れた世界と言えるのかもしれないですし、同じ作曲家の曲とは到底思えない
このすてきなギャップが堪らないものがあると思えますね~!
箏(そう)は日本の和楽器の一つです。

一般的に「琴」(こと)という呼び名の方が浸透しているのかもしれないのですけど、厳密にいうと、
「箏」と「琴」は別の楽器であったりもします。
両者の最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で
音程を決めるという点が挙げられると思います。
琴は弦が7本であり柱は存在しませんし、音の目印となる「徽(き)」がはめ込まれており、
この目印をたよりに奏者は左手で弦をおさえ右手で弾きます。

それではどうして箏と琴が混同されているのかと言うと、その背景として、箏の字が常用漢字に含まれず、
しかも箏という文字が書きにくく馴染みがうすいと言う事で、箏と琴が同一視され混同をされている事情もあったりします。
ふたつの文字は混同されていることが少なくありません
そして箏というともう一つ誤解をされている点は、「箏は日本が発祥の伝統楽器であり、箏は日本古来の伝統楽器」と
認識されがちなのかもしれないですけど、実は箏自体は、奈良時代に中国(唐)から雅楽が輸入された時、
その中の楽器のひとつとして日本にもたらされたものです。
17世紀に近世箏曲の祖と称される八橋検校が、ほぼ現在のかたちの箏曲を完成させ、江戸時代以降の箏の世界は、
胡弓に代る新しい楽器でもある三味線とも結びついてたいへん発展し、
関西では生田検校が生田流をおこし、関東では山田検校が山田流をおこし、現在に至っています。
そして生田流でも山田流でも箏は桐の木で作った中空横長の箱状の胴に、十三本の弦が張られています。
弦の下に柱(象牙またはプラスチックまたは木製)を置き、その位置によって音の高さを合わせます。
(そうした音の高さ調整の事を「調子を合わせる」とも言うそうです)
奏者は自分の前に横に置いた楽器の右端に座り、右手の親指、人さし指、中指に琴爪をはめて演奏します。


_convert_20191107024128.jpg


上記で触れたとおり、箏は生田流も山田流も基本的には弦の本数は13本なのですけど、
合奏曲の低音部を受け持つ箏として、1921年に宮城道雄が考案した十七絃の箏もあったりもします。
これは普通の箏と同じような形態ですが、全体的に幅、長さ、厚み があり、十七本の弦が張られています。

上記の画像は幻の楽器とも呼ばれる八十絃です。

八十絃は、十七絃の箏と同様に宮城道雄が考案した80本の弦を持つ大型の箏でして、
13本の弦を持つ通常の箏、あるいは同じく宮城道雄の考案による低音の拡張された十七絃に比べ、
はるかに幅広い音量と音高を発することができ、その大きさと形状はグランドピアノの本体部分を彷彿とさせます。
天才と称される宮城道雄をしても演奏自体が非常に難しく高度な技術を求められ、
演奏不可能の烙印を押されほとんど日の目を見ることなく姿を消し太平洋戦争で焼失しています。
現在は復元された楽器が宮城道雄記念館に展示されていますけど、実際に演奏される場面はまずないそうです。
似たような話として、78本の弦を有するハープがあるのしれないです。
一般的にハープは47本の弦を張り、左足用と右足用の計7個のペダルで音高を変えるタイプが主流ですけど、
奏者のペダル操作軽減の策として78本の弦を有するペダル無しのハープが考案されたことがあるそうですけど、
かえってハーブ奏者の負担をとてつもなく増大するというトホホ・・な結果で終わってしまい、
結果的に八十絃と同様に「幻の楽器」とよばれる事もあるようです。

箏は、クラシック音楽との交流も盛んにおこなわれていて、箏と管弦楽のための協奏曲的な作品もいくつか作曲されています。

一例を挙げてみると・・

湯浅譲二 / (八面の)箏とオーケストラのためのプロジェクション「花鳥風月」

伊福部昭 / 二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ

西村朗 / 樹海-二十絃箏とオーケストラのための協奏曲

坂本龍一 / 箏とオーケストラのための協奏曲

この中では、元・YMOのあの坂本龍一さんの楽曲の意義はかなり大きいように感じられます。

箏ではないのですけど、日本の雅楽の楽器が管弦楽と協奏的に構成された作品として大変名高いのが、
武満徹が1967年に作曲した「ノヴェンバー・ステップ」という 琵琶、尺八とオーケストラのための音楽作品だと思います。

吹奏楽と箏(琴)の共演作品としては 櫛田胅之扶の箏と吹奏楽のための組曲「嵯峨野」や
小山清茂の吹奏楽のための「琴瑟」が挙げられると思います。
琴瑟は日中国交回復を記念して航空自衛隊航空中央音楽隊より委嘱された曲で、
瑟という中国雅楽におけるチター属絃鳴楽器 と日本の琴は必ず使用するようにという指示があるそうです。
この二つの曲は、私自身生の演奏会で接した事がないものでして、申し訳ないのですけど、実は私もあまりよく知らない曲で
あったりもします。

琴(箏)・尺八・琵琶等の雅楽の楽器と吹奏楽の競演として私的に大変印象に残っている演奏があります。

それが何かと言うと、1981年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会において、1976~80年の全国大会において
5年連続金賞を受賞し、その偉業をたたえる一つの記念演奏としてコンクールの評価とは全く切り離された形での演奏の
お披露目がなされた秋田南高校吹奏楽部による招待演奏です。
(全国大会においては特別演奏と呼ばれています)

振り返ってみると、この5年連続金賞と言うのは大変難しいもので、過去においても
淀川工業・尼崎吹奏楽団・愛工大名電高校・中央大学・福岡工大付属・天理などが4年連続全国大会金賞を
成し遂げたのに、5年目で支部大会落ちとか全国大会で銀賞等の理由要因で5年連続金賞を逃すという事も起きています。
特に気の毒なのは尼崎吹奏楽団でして、4年連続金賞という偉業を計2回も達成していながら、いずれも5年目に
全国大会銀賞に留まり、結果的に「5年連続金賞→翌年の特別演奏」という栄誉が実現出来なかったのは
「勿体無いなぁ・・・あれだけの高い技術を持ちながらもやはりコンクールと言うものは難しいものだ・・」という事を
改めて実感させられる結果になっていたのは大変興味深いです。
あの名門・天理ですら1974年の「5年連続金賞」が掛った年においても「ハムレットへの音楽」で
まさかの銀賞に留まっていましたし、1985年の福岡工大付属も、まさかの九州大会ダメ金という事で全国に進めませんでしたし
コンクールは確かに実力が大半なのでしょうけど、女神様の「運」というのもあるものなのかもしれないです。
1985年の福岡工大付属の場合は、自由曲の選曲がラッセンの「マンハッタン交響曲」という地味すぎる渋い選曲
というのも一因があったのかもしれないです。

1990年代後半から、3年連続金賞の後は翌年休みというルールに変更されたばかりか、
特別演奏という特典も廃止されてしまい、いつの間にか3年連続全国大会出場チームは翌年のコンクール参加は不可と言う
不可解なルールに変更された時期もありました。
最近になって、さすがに三年連続出場の翌年不可は可哀想という事でこのルールは撤廃されたようです。

1981年の東北大会の秋田南高校の招待演奏の曲目は

〇JEUXⅢ(天野正道)

〇童謡によるファンタジー~茶つみ歌、あの町この町、エピローグ(野田暉行)

〇吹奏楽と三味線のための「津軽じょんがら節」(青森県民謡)というものでした。

JEUXⅢは天野正道氏の曲が初めて吹奏楽コンクールで(評価対象外ですけど)演奏されたのは、
もしかしたらJEUXⅢが初めてだったのかもしれないです。
天野正道という名前が、アレンジャーの側面以外で作曲家として吹奏楽の世界で浸透し始めたのは、
玉川学園中等部の「抑圧から解放へ・・・」という曲と新屋高校の「エクスピエィション」あたりからなのかもしれないですし、
それを決定づけたのは交響組曲第2番「GR」と交響組曲第7番「BR」なのだと思います。

JEUXⅢは曲自体、何かもやもやしたもので、感覚としては、三つの冗談というよりは妄想する散歩道というイメージです。
童謡によるファンタジーは、あまりにも美しすぎて逆に印象がうすい演奏なのかもしれないですけど、
野田暉行のこの原曲は実は元々は二管の管弦楽作品でバレエ音楽として構想されていたそうでして、それが
幻想的な美しさに繋がっていたのかもしれないです。
後年ですけど、秋田南・天理・弘前南・ブリジストン久留米・駒澤大学の全国大会での特別演奏を収録したレコードが
発売されていて、秋田南はJEUXⅢと津軽じょんがら節が収録されていましたけど、私的にはJEUXⅢよりは
野田さんの童謡によるファンタジーの方を収録して欲しかったですね~
ちなみにこの年の秋田県大会での秋田南の招待演奏の曲目は、スメタナの交響詩「モルダウ」と童謡によるファンタジーだった
そうです。

ちなみに1981年の東北大会初日は、とてつもない過密スケジュールでして、
大学の部が6チーム、職場の部が4チーム、高校B部門が9チーム、高校A部門が13チームの演奏が朝9時から開始されていて、
秋田南の招待演奏が開始された時間も確か19時近い時間帯だった記憶があります。
それでも初めて聴く吹奏楽コンクールの支部大会は私にとっても大変刺激的で、ゾクゾクさせられたものがありました。
そして結果的に翌年の1982年の東北大会における花輪高校吹奏楽部によるウォルトンの交響曲第1番~第四楽章の演奏で
私自身は、今現在に至る吹奏楽とクラシック音楽という深い森の中に迷い込むきっかけを作って頂けた事になります。
1981年の私自身は、当時の吹奏楽コンクールの事はイロハのイの字も何も知らない全く白紙の状態で聴いていて、
当時の私の率直な感想は、高校A部門は、1位・磐城 2位・花輪 3位・大曲高校 4位・仁賀保 5位・弘前南という事で、
当時は「1981年の弘前南はそれまで4年連続して全国で金賞を受賞していて、今年は5年金賞がかかった節目の年」という
事すら何も知らない全く純粋で余計な情報なしであくまで純然たる私の感想が上記の私自身のコンクール評でも
ありました。
弘前南は正直東北大会ではあまり芳しくない演奏だったような印象ですけど、普門館の全国大会では大化けした
迫真の演奏を聴かせてくれていたのはさすがでもありました。
ちなみにですけど、1981年の仁賀保高校の自由曲のスキタイ組曲は、従来のⅠとⅡの組合せではなくて、今にして思うと
ⅠとⅣの組合せというのが大変斬新でした!

話がそれました・・

話を秋田南の招待演奏に戻すと、「津軽じょんがら節」は最高に面白かったです!
ドラムスがとてもノリノリで、全体と三味線を上手くリードし、とてもファンキーな演奏だったと思います。
津軽じょんがら節のアレンジャーとプログラムで表記されていた佐川氏は、
1989年に二ツ井高校を指揮され、D/寄港地で、東北大会でB部門ながら大変素晴らしい演奏の指揮をされていて、
1999年以降は、新屋高校で高野先生の後任として、全国大会にも何度か出場されています。

箏と管弦楽の共演もすてきですけど、吹奏楽をバックに三味線もあんなにも生き生きとした演奏が出来ると言う事は、
当時の私にとってはまさしく目からうろこが落ちるという感じでもありました。


_convert_20191107003319.jpg


ここから下記は「ららマジ」の話です~♪

橋本ひかりは、琴を担当している高校3年生のJKさんです。

公式では橋本ひかりの担当楽器は「琴」と記されていますけど、厳密に書くと上記で触れたように橋本ひかりが
奏でているのは琴ではなくて「箏」の方です。

橋本ひかりは、身長が高くスタイルがよい美少女というよりは、ララマジ屈指の正統派美人さんだと思います!

同じ和楽器担当という有栖川翼とは対照的に、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な性格で、
特に男性に関して強い苦手意識を持っているというのも、アニメ・ゲームにおける美少女キャラのこれまたすてきなお約束の
一つなのかもしれないです。

面倒見がよく器楽部の後輩からは大変慕われているそうです。

上記で触れたとおり、
稀にですけど、吹奏楽団の演奏会等で、箏や胡弓、和太鼓等の和楽器と吹奏楽をコラボした曲目が演奏されることも
ありますけど、ららマジでも橋本ひかりや有栖川翼をソリストにした協奏的な曲目を演奏するのも
すてきな事なのかもしれないですね~♪


_convert_20191106164754.png


水着の橋本ひかりは、本当にスラッとしたスレンダー美人さんですね~♪


_convert_20191107150349.jpg


そしてららマジでの制服姿で、少しきょとん・・とされた橋本ひかりお姉さまは、やっぱりららマジ屈指の正統派美少女だと
思います。


_convert_20191107150318.jpg


バトル時の武器は箏の形をした長弓で貫通力が高そうですけど、こういう戦うお姉さまとしての橋本ひかりの雰囲気は
艦橋っぽい武器としての箏を手にされているという事で、なんだか艦娘っぽいですね~♪

管弦楽で使用されて吹奏楽で使用されない楽器は、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロの弦楽器です。
(コントラバスだけは吹奏楽でも使用されています)
逆に吹奏楽で使用される楽器なのに、管弦楽ではほとんど使用されない楽器の代表格はユーフォニアムとサックスなのだと
思います。

ユーフォニアムという楽器は、チューバを2/3程度の大きさにした楽器みたいなもので音域は中音域を担当しています。
このユーフォニアムを管弦楽曲として使用した事例として具体的に下記に少しばかり挙げてみたいと思います。

〇マーラー/交響曲第7番「夜の歌」第一楽章

 短い弦楽器の序奏の後にいきなりユーフォニアムの高音域でのソロが始まります。
 不気味さとプカプカ音が溢れだす妙な世界が展開されていきます。
 ユーフォニアムの出番は冒頭のソロと同じく第一楽章内での再現部分のみで、
 この第一楽章以外は全てお休みと言う事で、ユーフォ奏者はその後の第二~第五楽章の一時間近くをステージ内にて
 ヒマ死にしそうな状態と化しています。

〇ホルスト/組曲「惑星」~Ⅰ.火星

 弦楽器がリズムを刻んでいる中、朗々とユーフォニアムがソロを奏でています。
 ホルストの場合、不気味さは全くなく、生き生きとした行進」みたいな感じでソロが展開されていきます。

指揮者によってはムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」のヴィドロの部分をチューバではなくて、
ユーフォニアムに吹かせることもあったりします。
この部分は、チューバ奏者ではプロ奏者であっても大変難しいのだと思います。
事実、1997年の東京交響楽団の定期演奏会では、この部分をチューバ奏者が完全に外し、演奏崩壊の一歩手前に
すらなっていたと思います。

そしてユーフォニアム同様に、吹奏楽ではなくてはならない中音域楽器の位置づけにいるのに、管弦楽の世界では
なぜかあまり使用されない楽器としてサックス(サクソフォーン)が挙げられます。
サックスはジャズや吹奏楽、ポップスやバンド、軽音楽等では大変馴染みがある楽器ですし、管弦楽で使用される
ファゴットやコールアングレなど以上に世間一般では知名度と認知度が高い楽器なのに、管弦楽の世界ではなぜか
冷遇??されていたりもします。
というのもサックスという楽器自体、音楽の世界に登場してきたのは19世紀後半の話でして、
ハイドン・モーツアルト・ベートーヴェンといったいわゆるクラシック音楽界の大御所先生たちがご活躍されていた時代には
サックスと言う楽器自体が存在していなかったという事情もそこにはあったりもします。

サックス(サクソフォーン)という楽器は、1840年代にベルギーの管楽器製作者アドルフ・サックスによって考案されています。
見た目は輝かしい黄金色のメタリックで、「どうしてこの楽器が木管楽器に分類されるの~!?」という疑問は
当たり前なのかもしれないですけど、クラリネットやファゴット・オーボエと同様に竹製のリードを振動させて音を奏でると言う事で
木管楽器として楽器上は位置づけられています。
楽器本体はマウスピースを別にすると真鍮を主とした金属で作られています。
現在、アルトサックス、テナーサックス、バリトンサックス、ソプラノサックスの4種類が恒常的に使用され、
吹奏楽コンクールのA編成ではアルトサックスが3本、テナーサックスが1本、バリトンサックスが1本で構成されることが
多いですけど、ソプラニーノサックスやバスサックスという楽器もサクソフォン属として存在していますけど、私自身実は
この二つの楽器はいまだに見た事はありません。
サックスは、クラシック音楽からポップス、ロック、ジャズに至るまで、様々な分野の音楽で用いられていて、
特に吹奏楽やビッグバンドには欠かせない存在であるのですけど、
管弦楽では使用されることは少ないが、曲によってはソロ楽器的に管弦楽にスパイス的調味料として
用いられる事も稀にあったりします。

その代表例として下記に幾つか列記いたしますと・・

〇ビゼー / 組曲「アルルの女」第一組曲

 もの哀しさをアルトサックスが大変せつなく醸し出していると思います。

〇ムソルグスキー=ラヴェル編曲 / 組曲「展覧会の絵」

 ムソルグスキーの原曲をラヴェルがアレンジした作品ですが、古城の部分にて使用しています、
 哀愁・せつなさがサックスのものかなしそうなメロディーから伝わってきます。
 ムソルグスキーの原曲ピアノ版ではそれほど哀愁要素は感じないのですけど、ラヴェルの手によるアレンジ版では
 そのせつなさは本物だと思います。
 やっぱりラヴェルは「オーケストラの魔術師」といえるのかもしれないですね~

〇ラヴェル / ボレロ

 アルトサックスではなくてソプラノサックスとテナーサックスがソロとして使用されます。
ソプラノサックスの甲高い響きはファンタジーそのものですし、テナーサックスは少しユーモラス的な雰囲気が
 感じられそうです。

上記はフランス系作曲家ですけど、ロシアの作曲家もかなり自作に用いています。

プロコフィエフの交響組曲「キージェ中尉」・バレエ音楽「ロメオとジュリエット」でも効果的に使用されています。
キージェ中尉では、その第四曲・トロイカでテナーサックスがコミカルにソロを演じています。
小澤指揮のようにこのトロイカの部分にバリトンの声を充てる演奏も稀にありますけど、この部分はテナーサックスでないと
コミカルな楽しさがあまり発揮されないような印象もあります。
ハチャトゥーリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」でも使用されていますけど、特に目立った楽曲では「剣の舞」の中間部です
意外ですが、ラフマニノフもアルトサックスを使用した曲があります。
その曲は、交響的舞曲というかなり晩年の作品ですが、第一楽章の中間部で延々と約1分30秒以上長々と哀愁とメラリコリーに
満ちた哀しいソロが朗々と展開されます。その哀愁に溢れた部分は郷愁そのものですね。

他にも・・

〇バルトーク / バレエ音楽「かかし王子」

〇コダーイ / 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」

〇イベール / 祝典序曲という楽曲もありますし、ドビュッシーは、アルトサクソフォーンと管弦楽の為のラプソディーという
大変不思議なバラードみたいな作品も残されています。

現代では、バーンスタインのウエストサイドストーリーの「シンフォニックダンス」においてサックスが効果的に用いられ。
こちらはスゥイング感一杯のノリノリです!
意外な所では、黛敏郎がバレエ音楽「饗宴」(バッカナール)にて、5本のサックス系を使用しています。

作曲家によってもの哀しい部分を奏でたり、現代風なドライな感覚で奏でる事も出来るし
サックスの表現力は幅が広いとも思います。
ただ全体的には管弦楽の世界においては、サックスの音があまり求められていないから需要が無いという事なのかも
しれないです。
吹奏楽においては、サックスは昔も今も大人気楽器ですし、新入部員の楽器振り分けの際には、サックスを希望する
部員が大変多くて、中にはやむなく他の楽器に振り分けられてしまう可能性が高い
大人気楽器だというのに、管弦楽の分野では実はそれほど需要が無いというのもなんだか大変皮肉な話でもありそうです。
上記で記した通りサックスは比較的新しい楽器と言う事で、管弦楽のサウンドに、新たなパートとしてサックスは
場所を必要とされていなかったと言えるのかもしれないです。
換言すると従来の管弦楽の概念に囚われない新進気鋭の若手作曲家の皆様がサックスを管弦楽曲に効果的に取り入れる
可能性もありそうですし、それを邦人作品として示唆しているのが吉松隆の作品なのかもしれないです。
吉松隆のソプラノ・サクソフォン協奏曲「アルビレオ・モード」やサイバーバード協奏曲は、サックスの面白さが大変躍動的に
表現されていて、聴くだけで大変爽快な気分になれます。

それではサックスの居場所はどこにあるのでしょうか・・?

サックスは元々は、吹奏楽の木管楽器と金管楽器の橋渡し的存在の楽器として発明された経緯もあり、
木管楽器の運動性能の高さと金管楽器のダイナミックレンジの広さを兼ね備えた、操作し易く、
そして野外でも自由に演奏できる丈夫さを持った究極の新発明の楽器と言えます。
後発楽器という事で残念ながら管弦楽でこそ居場所はありませんでしたが、軍楽隊、吹奏楽団、金管バンド、
小編成アンサンブル、ポピュラー、ジャズ、バンドなどの分野において、サックスはあっというまにその存在を確立しましたし、
求められたところには、しっかりと腰を据えたわけです。
特に現代の日本の吹奏楽コンクールにおいては、必要不可欠な楽器と吹奏楽団の木管セクションの華という立ち位置は
既に立派に確立されていますし、サックスを抜きにした吹奏楽の世界自体そもそもあり得ないという事なのだと感じます。
そしてそこにあるのはサックスの楽器や音としての抜群の安定感があるのかもしれないです。

吹奏楽の世界では、あまりにも不安定で神経質でデリケートで扱いが難しく、時に吹奏楽コンクール本番ですら
ギ―――ッ!という絶叫音のリードミスを発するクラリネットを吹奏楽の楽器構成のメインにすえるのではなくて、
安定しているサックスセクションをメインにした方がいいのでは・・?という意見が時折おこったりもしますし、実際
1990年代前半の関東大会B部門においては、埼玉県代表の一つの越谷西高校吹奏楽部の木管セクションはその主体は
サックスから構成されていて、当時は35名編成においてクラリネットパートはわずか1名のみという大変意欲的で
興味深い実験を先駆的に試みていたチームもありました。
越谷西高校の演奏は、私自身もマーラーの交響曲第1番「巨人」第二楽章とメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲を
聴いたことがありますけど、あのようなメタリックでモダンな演奏も吹奏楽の無限の可能性を示唆した演奏の一つと
思っていたりもします。
ただ大変興味深い試みですけど、サックスを主体とした木管セクションの音自体がメタリック一色になってしまう危険性も
ありますので、吹奏楽の多彩な響きの実現という観点では、ウィンドアンサンブルという形式のクラリネットメインの方が
サウンドにしっとり感と平穏をもたらすような感じもあります。

上記でちらっと触れましたけど、サックスの特質の一つとして初心者でも吹きやすいしすぐに音が出るし、
ヴィヴラートがかけやすいので楽器入門編としてはむしろ最適楽器なのかもしれないです。

私自身、このブログでは何度も語っている通り、10年間の奏者時代において、9年間は神経質で繊細でやっかい極まりない
クラリネットを担当し、中学3年の1年間のみアルトサックスを担当していました。

年が明けて早々なぜかしりませんけど、指揮者の教師から「お前は今日からアルトサックスにうつれ~!」と
まさかのクラリネットからアルトサックスへのコンバート命令が下ったのですけど、私自身も大変意外でもあったのですけど、
クラリネットに比べてアルトサックスはとても簡単に音が鳴らせてとても簡単にヴィヴラートをかけられ、
思った以上に容易に美しい音色を出せる事に正直驚いたものですし、コンバート初日でも普通に全体合奏に参加する事が
出来ていました~! それまではクラリネットという楽器の大変さ、音の出し方の難しさ、リード調整の難しさ等に
毎日頭を抱えていたものですけど、あの時は「世の中にこんなに簡単な楽器があったんだぁ~」とヘンな誤解を生ずることに
なってしまったものでした・・(汗・・)
もちろん、サックスは決して簡単な楽器ではありませんので、こんな妙な記事読んでヘンな誤解はしないで下さいね・・(汗)
一つ言えることは、クラリネットに比べてアルトサックスはマウスピースが大きいのですので、
それが当時2年間小さいマウスピースのクラリネットを吹いていた人間の感覚からしてみると「吹きやすい~」という
感覚になっていたのかもしれないです。
それとクラリネットは木製ですけど、サックスは金属でもありますし、その日の湿度や温度といった外部環境に
あまり影響を受けにくいというのもあったと思いますし、クラリネットは直接指で穴をふさぎますけど、
サックスは構造的には金属製の蓋で穴を開閉させるという事で、やはり音が出しやすいという事もあると思います。
そして大変ありがたいことは、サックス系の楽器はクラリネットと違ってほとんどリードミスが発生しないと言う事も相当
大きかったような気がします。
コンバート初日には「一体今までのクラリネット奏者としての二年間は何だったんだろう・・・」と思ってしまったものでした。
ちなみにですけど、私がアルトサックスへのコンバート初日に真っ先に吹いた曲は何かと言うと、
1979年の課題曲A/フェリスタスのあのとてつもなくかっこいいアルトサックスの朗々としたソロでした~♪
高校で再度吹奏楽部に入部した際、男子校ゆえに圧倒的にクラリネット奏者不足のため、問答無用で再度クラリネットに
戻ったのですけど、そこから以降7年間は改めてクラリネットという楽器の厄介さと向き合う日々が続いていきました・・


_convert_20191110022255.jpg


「ららマジ」の中でサックスを担当されるJKさんは橘アンナというボーイッシュ美少女です~♪

学園内に多数の橘アンナファンを持つ学園きっての王子様キャラの人気者です。

ファゴット担当のレイナの双子の姉で、趣味は妹のレイナとのデートと演劇鑑賞でもあったりします。

バトル時にはバリトンサックス型の片手剣を華麗に操って戦うのですけど、バリトンサックスというと、大きさはテナーサックスの
2倍近くありそれなりの重量もありますので、それをブンブン投げまわすとはららマジ屈指の怪力キャラともいえそうです。

見た目がボーイシュという事で、女の子から見れば「すてきなお兄様~」みたいな憧れの対象なのかもしれないですけど、
確かに橘アンナのボーイシュな美少女ぶりは、
プリキュアでいうならばキラキラ☆プリキュアアラモードの男装麗人ともいえそなキュアショコラ=剣城あきらといえそうですし、
「女子高生の無駄づかい」的には一奏なのかもしれないです。


_convert_20191110022335.jpg


橘アンナはショートカットなのですけど、「女子高生の無駄づかい」の一奏がリリィに
「今度、私・・実は髪を伸ばして女の子らしい容姿にしようと思っているのだけど・・」と相談をしているシーンもあったり
しましたけど、橘アンナがもしも長髪キャラになったとしてもとてもすてきな美少女になりそうな予感もありそうですね~♪
本記事の一つ後の記事が「ららマジ」のシンバル奏者である伊藤萌に関する記事なのですけど、
その際に伊藤萌の師匠にあたり、結果的に伊藤萌にシンバル奏者の地位を譲ったのが小田桐アミであるという事を
記させて頂きましたので、本記事はそれに関連して、小田桐アミとアミの担当楽器であるピッコロについて
触れさせて頂きたいと思います。

「ピッコロ」と聞くとほとんどの方は「ドラゴンボール」のピッコロの方を思い起こすのかもしれないですけど(汗・・)
吹奏楽経験者の皆様ですと「あー、あのとんでもない超高音域を発するフルートの妹みたいな楽器ね・・」と
言われるのかもしれないです。

ピッコロはフルートの派生楽器であり、フルートと同じ指使いでちょうど1オクターヴ高い音が出るという事で、
この関係性はクラリネットで言うと、B♭クラリネットとE♭クラリネット(小クラリネット、通称・エスクラ)の関係性に
近いものがありそうです。
ちなみにですけど、ラヴェルのバレエ音風「ダフニスとクロエ」第二組曲~Ⅲ.全員の踊りにて、すさまじい超高音域で
人間業とは思えない超速スピードで駆け抜けていくソロ楽器は実はあれはクラリネットではなくてエスクラです。

ピッコロは上記で触れた通り、構造はフルートとほぼ同じであり、同じ指使いでちょうど1オクターヴ高い音を出せるように
基本的にはフルートの長さを半分にしたような構造となっています。
管弦楽団でも吹奏楽団でも基本的にはフルート奏者とピッコロ奏者は別である事が多いですけど、作曲者の指定により
フルート奏者がピッコロを兼任して、フルートからピッコロに演奏中に楽器を持ち替える場合もありますし、
吹奏楽コンクールの小編成部門では、フルート奏者が必要に応じてやはり演奏中にピッコロに持ち替える事が多いような
印象もあります。

フルートに比べ発音に速い息が必要であり、楽器自体が小さいため細かなアンブシュアのコントロールがフルートより難しい
といった点がフルートとの違いであり、特に高音域の弱奏は至難の業と言えそうです。
反面激しく盛り上がっている場面等で、金管セクションや打楽器がジャンスカ派手に鳴らしても、ピッコロの高音伸ばしは
はっきりくっきりと明快に響く事がほとんどてあり、聴衆にとってもあれだけ金管楽器が咆哮してもピッコロの高音域は
完全に聴き取れる事がほとんどであり、一例を挙げると、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番~終楽章にて、
ドラの轟音が響き渡る10秒前あたりのtuttiによる全体和音の伸ばしの際でもピッコロの超高音は、金管セクションに
埋もれることなく明確に音として伝わっています。
音域が異常に高いため音程を揃えてコントロールする事が大変難しいので、通常の管弦楽曲や吹奏楽曲においては、
複数本用いられることは極めて少ないです。
ピッコロを複数個指定されている場合は、作曲者の何らかの意図があると思われます。そうした複数個ピッコロを使用する
楽曲の代表的事例が、松村禎三の「管弦楽のための前奏曲」であり、その意図とはアジア的エネルギーの放出と
私的には推察いたします。

さてさて、それでは古今東西、ピッコロを効果的に使用した楽曲にどのような事例があるのでしょうか・・?

一例を挙げてみると・・

〇ヴィヴァルディ / ピッコロ協奏曲 → 四季でお馴染みのヴィヴァルディ―の時代から既にピッコロは使用されています!

〇チャイコフスキー / バレエ音楽「くるみ割り人形」~中国の踊り

〇ビゼー/ 歌劇「カルメン」組曲~衛兵の交代 → ピッコロの二重奏があります!

〇グリーグ / 劇付随音楽「ペール・ギュント」第二組曲~アラビアの踊り

〇ラヴェル / ボレロ → 9回目の反復時で、ピッコロがホルンの上にチェレスタとともに重ねられています。

〇アーノルド / 組曲「第六の幸運をもたらす宿」~Ⅲ.ハッピーエンディング → あの執拗な反復はピッコロから開始されます!

〇矢代秋雄 / 交響曲~第四楽章 → ファゴットとピッコロのデュエットは素晴らしいです!

さてさて・・それでは吹奏楽作品ですとどのような事例があるでしょうか・・?

〇池上敏 / 瞑と舞 → 冒頭にピッコロの長大なソロが待ち受けています。そしてピッコロ奏者はすぐにフルートソロのために
               フルートへと楽器を持ち替えます
(楽譜の指定では確か楽器の持ち替えは記されていないと思いますが、吹奏楽コンクールでは1981年の神居中のように
一人の奏者が持ち替えることが多いです。そしてラストはピッコロの静粛な一音で閉じられます・・)

〇クロード・スミス / フェスティヴァル・ヴァリエーション → ピッコロとファゴットのデュエットは感涙ものです!

〇1985年全日本吹奏楽コンクール課題曲A / Overture FIVE RINGS → 冒頭はピッコロソロより開始されます!

吹奏楽作品はピッコロが活躍する曲は多数あるものでとてもじゃないけど全部は書き切れないのですけど、
その中でもトドメを刺すというとやっぱりスーザの行進曲「星条旗よ永遠なれ!」で決まりだと思います!

「星条旗よ永遠なれ!」は、第二のアメリカ国歌と呼ばれるぐらい
アメリカの国民にとっては大変馴染み深い曲でありこの曲を耳にするとアメリカの方は自国の事をとてつもなく「誇り」に
感じられるのだと思います。

私は言うまでもなく生粋の日本人なのですけど、「星条旗よ永遠なれ!」を演奏するときはとても気分がよかったですね!
事実この曲は吹奏楽コンクールや定期演奏会の練習が入っていない部内のオフ期においては、部員一同
息抜きと基礎練習を兼ねてよく演奏した曲ですし、学校の体育館等での全体朝礼の入退場行進曲としてもよく吹いていましたし
私が高校2年の時の定期演奏会のアンコール曲として演奏したマーチでもあります。

スーザの行進曲「星条旗よ、永遠なれ!」は前述のとおりアメリカ人にとっては第二の国歌と言われていますけど、
確かにそれは分かるような気がします。
とにかく吹いていて実に気持ちが良いというのかのびやかな気持ちになれたものでした。
このマーチに関しては作曲者のスーザ自身は「この部分は北部を表し、この部分は南部」という風に
アメリカという国家全体をシンボリックに表現したかった曲との事です。
(作曲当時はもしかして、今では考えられないほどの「南北戦争による心の傷跡」というもの
が生々しく残っていたのかもしれないですね・・)
このマーチの聴かせどころの一つに、中盤のトリオが終わってから、少し静かになった所での
ピッコロのソロが入るところだと思います。
演奏会でこのマーチを演奏する場合、大抵ピッコロ奏者は立ち上がって演奏しますので
結構見栄えはいいしピッコロ奏者の腕の見せ所だと思います。
ちなみに私の学校の定期演奏会では、
本来この部分はピッコロソロ→全体での再現という感じで同じメロディーラインが2回ほど続くのですけど、
このピッコロソロに加えて、チューバ奏者がこのピッコロのソロを吹くという荒業という隠し芸をお披露目していて、
実際の演奏会では、
チューバ奏者が立ち上がって必死でピストンを動かし死に物狂いで吹きまくっていたのが会場でも大うけとなり
大変好評でした。
ですのでうちの学校はピッコロ→チューバ→全体での再現という事で同じメロディーを3回連続させたという事になります。
そして慣例では、どの学校も本場アメリカの演奏でも2回目の全体での合奏の際は
全員立ち上がって演奏をする事が多いです。

やっぱりこうしたのびやかで楽しい「星条旗よ永遠なれ!」を演奏したり聴いたりすると
「アメリカの皆様がこの曲を聴くと自国をとてつもなく誇りに感じる」というのはよくわかる気もしますね。

上記で「星条旗は永遠なれ!」は第二のアメリカ国歌みたいなものと記しましたけど、
いうまでもなく我が国、日本の国歌は「君が代」です。
私もこの国歌は吹奏楽アレンジ版で何度も何度も式典や体育会等のイベントで演奏したものですけど、
全体的な印象はとにかくスローで重厚という感じです。
そして「盛り上がり」をどのように演出するのか意外と難しいという曲であったりもすると思います。

実を言うと日本では残念ながらほとんど知名度は低いと思われるのですけど、日本固有のこの国歌「君が代」のメロディーを
ほぼそっくりそのまま行進曲にしてしまった「君が代行進曲」というのも実は存在していたりもします!

この曲は吹奏楽アレンジ版の楽譜が存在し、自衛隊制定の行進曲として今現在も演奏され続けています。
ちなみにですけど、昭和27年の第24回選抜高等学校野球大会の入場行進曲として演奏もされていたりもします。
私が中学生のころは、この君が代行進曲は時折朝礼の入退場のマーチとして演奏した記憶はありますけど、
高校以降では演奏した記憶はありません。
私の右系の母校の大学ですらこの「君が代行進曲」は演奏したことはないと思います。
というか、平成に入って以降ですけど、このマーチ自体、日本のスクールバンドではほとんど演奏されていないようにも
感じられます。

日本の国歌をメインメロディーとして使っているのにどうして今一つウケが悪いというのか浸透しないのでしょうかね・・?

それはやはり「君が代」のあのゆったりとしたスローで重厚なイメージが定着していて
重厚な君が代のメロディーをテンポよく軽快にマーチとしてノリノリで吹くこのマーチには奏者としては多少違和感を
感じるのかもしれないです。
言うまでもなくこの君が代行進曲は自衛隊においては盛んに演奏されています。

この曲の素晴らしいところは、マーチであるのに原曲の国歌「君が代」の雰囲気を崩していないところだと思います。

艦これのBGMとして使用したら、この曲の再評価とか演奏頻度が上がる・・みたいな可能性もあるのかもしれないですね・・





「ららマジ」でのピッコロ奏者はうざかわいい先輩の小田桐アミです~♪

小田切アミはピッコロを担当している3年生のJKさんで、部内ではダンサーも兼任しています。

一つ後の記事でも書いている通り、入部当初はシンバル担当だったものの、シンバルは普段はヒマだけど、
曲によってはシンバルの一つのバシャーン!という打撃音の効果で曲の雰囲気を劇的に一変させる事も多々あり、
しかもそれは曲の途中で・・という事で曲の開始から自分の出番がくるまでのあの独特なプレッシャーに耐えきれず、
楽器を途中からピッコロに変え、シンバルの後任として自分の後輩でもあり弟子でもある伊藤萌に受け継がさせています。

小田桐アミはとにかくおしゃべり大好きのJKさんで、部内では一つのトラブルメーカーみたいな位置づけなのかもしれないです。
あらゆることを楽しむための発想力と行動力は抜群で、常に物事を前向きに楽しもうという発想が行動の基軸となっています。
婿養子の父親以外は家族全員おしゃべりという家庭で生まれ育った事もあり、
周囲からはうざかわいい~♪といわれる事も多いようです。

器楽部創立メンバーのひとりで、上記の通り当初はシンバル担当だったものの、ここ一番での勝負に弱く、
本番の緊張で倒れてしまったことからピッコロに転向した経緯がありますけど、
スーザの行進曲「星条旗よ永遠なれ!」をもしも器楽部の演奏会で演奏したとしたら、あのスタンディングプレーでのソロは
もしかしたらプレッシャーでヘロヘロになってしまうのかもしれないですね~

喜怒哀楽に富み、普段の言動からもかなりの自信家と思われますけど、意外と小心者だったりするなどのギャップも
垣間見せるあたりは萌え要素といえそうですし、最上級生だけどそうは見えない所もポイント高そうですね・・

髪型は黒髪ツインテールで、制服は上着なし、ネクタイはリボンにアレンジしていて、
ふともも側に赤い二本線の入ったニーハイを着用していたりもします。


_繧峨i繝槭ず_convert_20191105024247


伊藤萌とは師弟関係にあり、伊藤萌からは大変慕われ尊敬されていますけど、
活発だけど小心者なアミと大人しいけど強心臓な萌という対比もまたららマジの一つの魅力と言えそうですね~♪

そしてこのツインテールもまたまたかわいいですね~



吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中でポップス系の課題曲らしきものが登場したのは、
1972年のシンコペーテッドマーチ「明日に向かって」だと思うのですけど、真の意味での本格的なポップス系課題曲が
登場したのが1974年の課題曲B/河辺公一の「高度な技術への指標」なのだと思います。
1970~73年の期間の課題曲はAとBの二つしか無くて、しかもAは中学の部限定の
課題曲でありBは中学の部以外の部門の課題曲でしたから事実上この頃の課題曲は一つしか無かったという事なのだと
思います。
そしてそうした事が少しずつ変化していったのが1974年で、この年はAとBの二つの課題曲が出され、部門に関係なく
どちらの課題曲を選んでも構わないというスタイルが採用されています。
しかもAの「吹奏楽のためのシンフォニア」はかなりクラシカルで高尚な雰囲気に溢れていたのに対して
課題曲B/高度な技術への指標は本格的なポップス系課題曲という事でAとBの二つの課題曲のあまりの違いに
逆に当時の課題曲選曲はやりやすかったのかもしれないですね。
「ポップス系がうちには合わない」と思ったらAのシンフォニアを選ぶしかなかったのですけど、それはそれで
大変分かり易かったとも思えます。

1975年の課題曲はちょっと面白い構成になっていて、AとBは中学の部限定で、Aがシンフォニック系でBがポップス系と
定められていて、
一方CとDが中学の部以外の部門での課題曲と定められていて、Cがシンフォニック系でDがポップス系という感じです。
ちなみにですけど、1975年の高校の部において全国大会においては、出場団体全てがCを選曲していて、ポップス系のDを
選んだチームはゼロというのはちょっと意外な感じもしたものでした。
1976年の課題曲は今現在のスタイルに近い構成となっていて、この年初めて全部門共通の四曲の課題曲から
自由に一つを選んでいいという構成になっていて、それが完全に定着したのが1978年以降からなのだと思います。
私自身が初めて吹奏楽コンクールに参加したのが1978年でしたので、考えてみると当時は課題曲の構成すらも
完全に定着していなかった時代と言えそうですし、そういう私はオールド吹奏楽世代という位置づけになりそうですね・・(汗・・)

「高度な技術への指標」は、コンクール課題曲として初めてドラムセットが編成の中に入った曲としても知られています。
高度な技術への指標のあとにドラムセットが登場した課題曲と言うと
未来への展開・メイン・ストリートで・ディスコ・キッド・かぞえうた・オーバー・ザ・ギャラクシー・ムービングオン・すてきな日々
などが挙げられますけど、そうした意味においてこの「高度な技術への指標」はドラムセットが楽器編成として
組み込まれた課題曲の素晴らしき先駆けと言えると思います。
そして同時に本格的なポップス系課題曲のとてつもない先駆けと言えると思います。
最初にこの曲を聴いた時は私もびっくり仰天と言うかこういうのを「目から鱗」というのだと思います!
だって吹奏楽コンクール課題曲と言うとどちらかというとお堅い曲が目立つ中、この曲は一つの歌謡ショーみたいな雰囲気すら
有していて、冒頭の華麗なファンファーレで開始されたと思ったら、次の瞬間にはトランペットによる
急速な上昇・下降音型の繰り返しが展開され、ブルース・ビギン・ジャズ・サンバ・スウィングといった要素の音楽が
次から次へと繰り出され、最後は怒涛のアップテンポのクライマックスになだれ込んでいきます!

河辺公一の「高度な技術への指標」も素晴らしいとしかいいようがないポップス系課題曲なのですけど、
それと同じぐらい大変な歴史的意義が感じられそうなポップス系課題曲と言うと岩井直溥先生を外す訳にはいかないですね!

岩井直溥先生のポップス系課題曲と言うと、河辺公一の「高度な技術への指標」と東海林修の「ディスコ・キッド」と合わせて
ポップス系の吹奏楽コンクール課題曲を語る上で100%その存在を抜きにして語る事は出来ないほど
吹奏楽コンクール課題曲の上ではとてつもない貢献度とあまりにも素晴らしい名作課題曲の数々を残されたと
言えるのだと思います。
1976年のポップス描写曲「メイン・ストリートで」は、
1972年「シンコペーテッド・マーチ”明日に向かって”」、1975年「ポップスオーバーチュア”未来への展開”」に続く
岩井先生作曲によるポップス系課題曲なのですけど、ここから後に
1978年「ポップス変奏曲”かぞえうた”」、1989年「ポップス・マーチ”すてきな日々”」と続いていく事を考えると、
「メインストリートで」は、岩井先生のポップス系課題曲の原点にして一つの大きな頂点と言えるのだと思います。
大変残念なことに吹奏楽連盟は、89年の「すてきな日々」を最後に
2013年に至るまでポップス系課題曲を復活する事が無かったのは大きな損失と言えるのかもしれないです。
確かにオリジナル書下ろし作品もマーチも大切なのですけど、
吹奏楽をもっと心の底から楽しんで演奏するという観点からポップス系課題曲を取り上げていれば、
もう少し今現在のような技術一辺倒の吹奏楽コンクールから多少の変化はあったのかもしれないです。
2013年に一度ポップス系課題曲が復活したけど、それは1972年~78年のような長期的なウェーブに至っていないのは、
日本における「ポップス系がどちらかというと軽視されている」という潮流の表れなのかもしれないです。

コンクールの課題曲でドラムセットが必要な曲というとどんな曲があったのでしょうか・・?
思いつくところで言うと・・

〇1974年/高度な技術への指標

〇1975年/ ポップス・オーバーチュア「未来への展開」

〇1976年/ 吹奏楽のための「シンフォニック・ポップスへの指標」

〇1976年/ポップス描写曲「メインストリートで」

〇1977年/ディスコ・キッド

〇1978年/ポップス変奏曲「かぞえうた」

〇1980年/行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」

〇1982年/アイヌの輪舞

〇1987年/ムービング・オン

結構あるものですよね。

その中でも「すてきな日々」ほどドラムセットが全面に出た課題曲はかなり珍しいようにも思えます。
この課題曲の場合、打楽器奏者は、ティンパニ・ドラムセット・大太鼓・サスペンダーシンバル・ グロッケン・シロフォーンを
6人の奏者で担当する事が多かったと思いますが、
ドラムセットを使うと、あえて大太鼓・サスペンダーシンバルの奏者を配置しなくても済むような感じもあります。
例えば、34人の少人数ではありましたが、関東代表の大月東中は打楽器奏者4人でこの課題曲を演奏していたのが
大変印象的です。
(大月東中の打楽器は、課題曲においては、ティンパニ・ドラムセット・グロッケン・シロフォンの4人だけでした!)

ポップスマーチ「すてきな日々」は、歩くながら吹く事を想定した「行進曲」ではないのですけど、
室内でのコンサートマーチとしても、素晴らしく完成度が高いと思います。
全体的にジャズっぽい雰囲気もあるし、ミュージカルみたいな雰囲気もあります。
最大の特徴は、「マーチ」なのに本格的なドラムセットを使用し、冒頭からハイハットシンバルの強烈な後打ちが炸裂したり、
全体のサウンドを牽引する非常に重要な役割を持っている点だと思います。
この曲、コンクールで何度も見ましたけど、ドラム奏者はかなり目立っていましたし奏者としての腕の見せ所でもありました!
「すてきな日々」は意外とテンポの変化がめまぐるしく、場面転換に応じてテンポもかなり変化していきます。
途中、トロンボーンによるスウィングみたいな奏法もあったりするし、グリッサンド奏法も入っていたりもしまして、
当時のトロンボーン奏者はかなりご苦労されたのかもしれないです。

この課題曲は全国大会でも支部大会でもすてきな名演が多々ありましたけど、私が聴いてきた県・支部・全国の演奏の中で
「この演奏が文句なしに圧倒的にいっちば~ん!」と感じさせる演奏は、
東海大学第四高校(現・東海大学札幌高校)だったと思います!
東海大学第四高校の「すてきな日々」は全部門を通じて最高の名演だったと思います。
この年は、結構あちこちの県大会・支部大会、そして普門館開催の全国大会と色々聴いていましたけど、
東海大学第四高校を超越する演奏は結局存在しなかったのかも・・というのが一応私自身の感想でもあります。
このチームの「すてきな日々」は、とにかく「巧い!」としか言いようがない大変高度なテクニックが随所に
顔を見せていたと思います。どのあたりが特に印象に残っているのかと言うと、
部分的にまるで「ジャズ」を聴いているかのように演奏が「スィング」しているようにも聴こえ、
特にトロンボーンの洒落っ気たっぷりのグリッサンド気味の演奏は素晴らしいとしか言いようが無かったです!
木管も金管も音色が大変美しい上に、こうしたジャズっぽい粋な雰囲気を巧みに醸し出していましたので、
聴いていて「向かうところ敵なし!」という感じでしたし、私の中では、課題曲の段階から既に金賞は当確が
出ていたような気がするほど完成度は大変高かったと思いますし、前述の通り、この年の全部門を通して
最高の課題曲Dの演奏であったと思います
あのリズムの切れの良さとトロンボーンのスイング感は、中々他では聴く事ができないものがあったと思います。
この「すてきな日々」をもしもですけど、全盛期の瑞穂青少年吹奏楽団が牟田先生の指揮のもとで演奏したら、
多分ですけどドツボにはいりそうな予感もあったりもします。


_convert_20191031022048.jpg


最近の当ブログ記事の中ではかなり頻繁に登場している「ららマジ」ですけど、
ララマジの中でドラムセットを担当しているのは、洲崎麻衣というボーイシュなJKさんです~♪

身体を動かすことが大好きなボーイッシュ娘で、趣味はスポーツとスニーカー集めであったりもします。

戦闘時においては、ドラムスティック型の2本のナイフを使用していたりもします。


_convert_20191031022131.jpg


JKさんのドラムス担当というと最近ではバンドリ等ガールズバンドのイメージも強いですけど、
吹奏楽コンクールで軽快にかっこよくドラムスを叩くJCさんやJKさんは惚れ惚れするくらいかわいくすてきなものがあります!

ららマジのメイン舞台の器楽部に在籍しているJCさん・JKさんは30人なのですけど、
そのうちドラムスの洲崎麻衣を筆頭に、カスタネット・トライアングル・シンバル・グロッケンシュピール・和太鼓と
計6人の打楽器奏者が在籍していますので、
ららマジの器楽部のサウンドは打楽器奏者多めということで、リズミカルでノリノリな演奏が期待できそうですね~♪

特に冒頭で出てきた「高度な技術への指標」やポップスマーチ「すてきな日々」を洲崎麻衣のドラムスと共に
演奏すれば真骨頂なのかもしれないです!

そして洲崎麻衣はスポーツ大好きJKさんでもありますので、校内の部対抗の運動会等があれば、大活躍を見せて
くれそうでもありますね~♪



管弦楽や吹奏楽の木管楽器とは、フルート・クラリネット・オーボエ・ファゴットが主要楽器であり
(サックスは管弦楽ではほとんど使用されないのに対して、吹奏楽ではその役割の大きさはかなり重要なポジションです)
フルートはリードを使用しないメタル系楽器であるのに対して、クラリネット・サックス・オーボエ・ファゴットは
リードを使用する木管楽器でもあります。
そのうち、クラリネット・バスクラ・コントラバスクラ・サックス系はマウスピースに一枚のリードを装着させて吹く
一枚のリード楽器でもあるのに対して、
ダブルリードとは、オーボエ・コールアングレ・ファゴット・コントラファゴットに使用されるリードのことであり、上下の2枚のリードの
振動によって音を鳴らすというのが基本原理です。

クラリネットやサックスなどシングルリード楽器とは違い、ダブルリード楽器であるオーボエとファゴットは
リード自体が発音体なのでマウスピースが必要ありません。
リードから直接息を楽器本体に吹き込み、リードと楽器本体の一体感はむしろクラリネットよりも強いといえると思います。
マウスピースが無いということで、クラリネットで大問題とされるあの例のキーーーッ!という大絶叫音のリードミスもほぼ皆無で
音程が大変安定している上に、その音色は大変デリケートで繊細で美しいというのがダブルリード楽器の特質とも
言えると思いますし、特にオーボエはクラリネットパートと違い指揮者から目の敵にされることも少なく、
フルートと共に指揮者からは愛されやすい優遇パートといえるのかもとれないです。
このあたりのやっかみとひがみ根性は、当ブログの管理人が現役奏者時代の9/10がクラリネットパートに所属していたことも
大きいのかもしれないですね~(汗・・)

クラリネットという楽器は、約9年間この楽器を吹いていた私から言わさせて頂くと神経質で扱いにくいデリケートな楽器なのだと
言えると思います。
デリケートというと「オーボエ」ほどではないと思うのですけど、それでもクラリネットの扱いにくさは折り紙つきだと感じます。

そしてその中でも一番頭が痛かったのは「リードミス」のあのキ―ッというこの世のものとは思えない楽器の操作ミスによる
絶叫音ですね・・
練習中ならば周りも「またか・・」という雰囲気で見てくれるのですけど、万一あのリードミスをコンサートや
吹奏楽コンクールの本番でやらかしてしまった時の周りからの「冷たい視線」はかなり堪えるものがあると いえそうですね・・

「リードミス」っていう言葉は考えてみるとあまり適切でないのかもしれないです。
クラリネットの演奏中のあの甲高い「キー――ッ!!」というミスった音は色々原因があり
別に「リード」だけが原因ではないと思われます。

勿論リードの調整の悪さと言うのが大きな理由かもしれませんけど、他に主な原因はどこにあるかというと、思いつくのは

1.アンブシュアの問題(唇の締め方・マウスピースをくわえる深さなど)

2.マウスピースとリードの調整が悪い、バランスが悪い

3.運指の問題

  運指の切り替え時に、穴をふさぎ切れていない時や
  下あごの力加減の切り替えや息の入れ方の切り替えタイミングが合わなかった時に
  よく発生します・・・・

4.タンギングのタイミングが悪い

5.楽器自体の調整不良

そう言った事が挙げられると思います。

特に「リード」の調整は本当に日々苦労させられたものです。

本当は、市販のリードをそのまんま使用するのが一番理想だと思うのです。

だけど、マウスピースとの相性や自分自身のアンブシュアに合わせるとやはり市販のものを少し調整した方が
より音が出易いとかいい音が出るという事も多いため、ついつい「余計な事」をしたくなってしまいます。
その「余計な事」とはすなわち「リードを削って調整する事」ということです。

オーボエ・ファゴットのダブルリード楽器のリード削り・リード調整は確かに大変で厄介なのですけど、
シングルリードのクラリネット奏者の当時の私の感覚としては、
「オーボエやファゴットも大変だけど、同じくらいクラリネットのリード調整も大変なのかも・・」という感じだったと思います。
当時は毎日毎日リードの調整というか、リードをト草を使って削る事が日課でもありました。
(大学の吹奏楽団でトグサでリードを削ろうとしたら、「トグサを使うなんていかにも田舎者らしい話だね~くすっ・・」と
鼻で当時の上級生のお姉さまたちに笑われたものでした・・
当時は既にリードはトグサではなくてサウンドペーパーを使用する事が主流だった模様です・・)
中学の時に一年間アルトサックスを吹いていた時は、リードは既製品をそのまま使用すれば特に何の問題もなく、
苦労した記憶はないのですが、クラリネット奏者時代は、毎日毎日リードを削って調整ばかりしていた感じもします。
アルトサックスの時は、リコーの2.5程度の薄さの方がヴィヴラートもかけやすく、抵抗感なく音が出せる状態が好きだったため、
比較的薄いリードを好んで使用していました。
クラリネットは神経質な楽器でもありますので、その点は本当に苦労させられました。
アルトサックス時代と異なり、当時の私的には吹く時に抵抗感があった方がより良い音色を出せる感覚が非常に強かったため、
バンドレンやセルマーの4~4.5前後の比較的厚めのリードを好んで使用し、その微調整のために
リードを慎重に削るのが朝の日課という感じでした。
アルトサックス時代はそんな事を全く考えもしなかったのですが、
クラリネットを吹くようになってから、気温・湿度・乾燥度合いによってリードの状態も微妙に変化する事がよく分り、
大体常に5~6本程度の調整済みのリードを準備しておき、その日の外気状態によってリードを変えるという事はしばしばでした。

「ららマジ」のクラリネット担当は高校2年の綾瀬凛ですけど、優雅で真面目で完全主義者の綾瀬凛も
陰ではそうしたクラリネット特有のリード調整の難しさとかリードミスによる絶叫音に意外と苦労しているのかも
しれないです。


_繧ッ繝ゥ_convert_20191030002934


ららマジのクラリネット担当の綾瀬凜は真面目な優等生で後輩からはちょっぴり怖い先輩としても知られています。

真面目な厳格な性格で後輩からは少し怖がられている事を綾瀬凜本人はかなり気にしており、
後輩にやさしく接しようと心掛けていたりもするそうです。

私自身、吹奏楽部に入部しクラリネットを始めた中学一年の時には、綾瀬凜みたいにやさしく接してくれそうなお姉さま先輩は
ほぼ皆無でしたので(汗・・)
ららマジの綾瀬凛みたいなお姉さまに教わればもう少し上達したのかもしれないですね~


昨日は全日本吹奏楽コンクール・全国大会の高校の部が開催され、東北代表の秋田県立秋田南高校が2015年以来
4年ぶりに全国大会の舞台に戻って来てくれていて、結果も銀賞受賞と言う事でとっても嬉しく感じています。
奥山先生や出場者の皆様、OBの皆様など関係者の皆様のこれまでのご苦労振りに埼玉の地よりより心より敬意を表させて
頂きたいと思います。

秋田南高校吹奏楽部は、1982年の「パロディー的四楽章」での金賞受賞以降は37年以上全国大会金賞から遠ざかっていて、
私自身の正直な感想ですけど、小林先生時代の1995年の「舞楽~第二部」と阿部先生時代の2001年の「クープランの墓」の
銀賞は絶対に納得いかないですね~
あの演奏は十分すぎるほど金賞にランクインされて然るべき演奏だと今現在も確信しています。
かつての全盛期の頃のように出場すれば必ず全国大会出場と言う訳でもなく、最近は全国大会でそのお姿がお目に
掛かれないことも多々あったりする関係で、もしかしたら今現在の現役奏者の皆様に
偉大なる秋田南高校吹奏楽部の話をしたとしても
「秋田南・・? 何年かに一度は全国大会には出場しているけど銀と銅の繰り返しで今一つ実績がない学校ですよね~」と
言われるのがオチなのかもしれないです。(汗)

だけど私はここで声を大にして叫びたいです!

「秋田南高校は、とにかく高橋紘一先生時代、特に特に・・1970年代後半から80年代前半にかけては
今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色がない・・・否!! むしろそれ以上と言うか 今現在でもあの演奏から
学ぶべきことは多々あるとてつもなく素晴らしい演奏をたくさん後世の私たちにこんなにも残してくれていたのですよ~」と
伝えたい気持ちで一杯です!
(同様な事は小林久仁郎先生が指導されていた花輪高校にも言えると思います)

高橋紘一先生時代の中でも特に5年連続金賞を達成した1976年~1980年の演奏はどの年の演奏も本当に
素晴らしいものでしたし、どの年の演奏もキラリと光っていました。
76年~77年のストラヴィンスキーの難解極まりない複雑なリズムの精緻とも言えるあのバレエ音楽を
とにかく新鮮で瑞々しい感覚で斬新に聴かせてくれたと思ったら
1978年は一転して三善晃の「管弦楽のための協奏曲」というこれまた大変な難曲を斬新に鮮やかに聴かせてくれ、
そして、1979年~80年代にかけては、矢代秋雄・三善晃のこれまた難解極まりない邦人作品を
あそこまで内省的に深く深く表現してくれていて「内面の小宇宙」を大胆かつ精密に表現してくれていたのが大変印象的です。
あの頃の秋田南と同じ秋田県内の花輪高校の両校は、当時の日本のスクールバンドのまさに「生きるお手本」であり、
同時に両校ともに、後世の私たちをいまだに感動させ続ける素晴らしい演奏を残してくれていたと思います。

秋田南高校と花輪高校の過去のそうした素晴らしい演奏は、
あの素晴らしい数々の名演から30年以上も経過してしまうと、私たちの記憶から消えてしまいがちですし、
当時の演奏全てがCDとして記録されている訳ではありませんし、
両校のあの素晴らしい名演を「知らないし聴いたことが無い・・・」みたいな方も結構いらっしゃると思いますし、
誰か一人ぐらいは、多少執拗であっても
「過去のこうした秋田県勢の素晴らしい名演をブログという形態であっても、文章という目に見える形で
何か残しておきたい」という人がいてもいいのではないか」という強い信念から、私自身もこうやって定期的に
秋田南高校と花輪高校の演奏の素晴らしさはブログという形で後世に文章という形で今後も残していきたいと思っています。
普段は東方Projectと艦娘まみれのブログではあるのですけど「未来への継承の記録」として何かを残しておきたいと言う事で、
秋田南と花輪の演奏の事は今後とも、手を変え品を変え
色々な形でこうした「自分の思いを後世に受け継がれていければいいのかな・・」とも思っています。

今回秋田南高校は久しぶりに全国大会の場に戻ってくれていましたけど、当時の偉大な伝統は伝統として過去の先輩たちの
想いを受け継ぎながらも、今現在の指揮者の先生と現役奏者の皆様の感性も大切にし、現在の秋田南高校の
ありのままの姿を今後も聴衆の皆様に伝えていって欲しいと切に願っていますし、今後とも埼玉後よりエールを送らさせて
頂きたいと思います。

大変誤解がある表現かもしれませんけど、気持ちが入っていないプロの醒めた演奏よりは、
秋田南高校や花輪高校の当時のあま演奏には間違いなく「魂」が宿っていると確信しています。
そのくらい当時の秋田南と花輪は神がかっていたと思います。
たまたま使用していた楽器が「管楽器+打楽器」にすぎなかったという感じの演奏でもあります。
「所詮は吹奏楽アレンジ演奏でしょ・・」とか「所詮は、無謀なイロモノ演奏だね・・」みたいな批判は全くの的外れである事だけは
間違いなく言えると思います。

さてさて、本記事においては、1983年の秋田南高校の自由曲はストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」について
少しばかり触れさせて頂きたいと思います。
秋田南のストラヴィンスキーと言うと、1976年のペトルーシュカ、そして77年の春の祭典という
まさに高校生、否! 吹奏楽の限界というか既存の殻を軽く超越したまさに歴史的名演に相応しい
素晴らしい演奏だと思いますし、その辺りは当ブログの過去記事でも散々書かせて頂きました。
(ちなみにですけど、当ブログにおいては、1982年の花輪高校のウォルトンの交響曲第1番の圧巻のあの演奏の事も
これでもかっ!というくらい記事にさせて頂いております! )

ストラヴィンスキーの「三大バレエ」と言うと、火の鳥・ペトルーシュカ・春の祭典なのですけど、
秋田南は1970年代でペトルーシュカと春の祭典で前述の通り稀有な歴史的名演を後世の私たちに残してくれましたが、
コンクールの評価としては、三大バレエの残り一つの「火の鳥」で金賞を取れなかったことは
大変勿体ない感じはありますし、高橋紘一先生としても心残りの一つだったのではないのかな・・と思ったりもします。
秋田南高校の1983年の火の鳥は、単に「全国で銀賞で残念・・」の一言で済ませられる演奏では絶対にないと思います。
火の鳥というと1990年代から21世紀に入っても素晴らしい演奏は色々と出ているのですけど、
私個人の感覚としては、この年の秋田南の演奏を超越する演奏は実はいまだに出てこないというのが私の正直な感想です。
火の鳥の吹奏楽コンクール・全国大会の名演としては、ブリジストン久留米・習志野高校・龍谷大学・今津中学校・御影高校・
土気中学校・駒澤大学・福岡工業大学の演奏を挙げられる方も多いとは思うのですけど、
すいません・・私にっては上記の演奏は「確かに素晴らしいのだけど、これぞ決定的名演ではない・・」と感じてしまいますし、
その数少ない例外は1990年の兵庫高校と91年の都立永山高校と83年の秋田南高校だと感じています。
この三つの演奏はいずれも金賞ではないのですけど、どの演奏も私は金賞の演奏だと思っていますけど、その中でも
83年の秋田南の火の鳥は素晴らしい演奏だったと思いますし、
秋田南高校の火の鳥の演奏は、吹奏楽コンクールの中では「埋もれがちで忘れられがちな演奏」になっていますけど、
決してそんな事は無いと思いますし、知る人ぞ知る隠れた奇蹟的名演と私は確信していますし、
あの秋田南の火の鳥は、まさにファンタジーそのもので、そこには「不思議なおとぎ話の世界」が実際の音として
具現化されているとだと思います。

吹奏楽コンクールでは、バレエ組曲「火の鳥」を演奏する場合、魔王カスチェイの凶悪な踊りと終曲を演奏することが
多いのですが、中には、
御影高・今津中→王女たちのロンドと終曲
兵庫高校→火の鳥の出現~子守歌~魔王カスチェイの凶悪な踊りというパターンもありました。
兵庫高校の子守歌は、ファゴットが大活躍していて、あの歌心は大変素晴らしかったと思います。

ちなみにこの曲の全国大会初演は駒澤大学ではなくて実はもっと古くて1966年の川本高校です。
参考までに川本高校は魔王カスチェイの凶悪な踊りのみを演奏しています。

83年の秋田南高校の火の鳥は天野正道氏の名アレンジもあると思いますが、音のファンタジー感が際立っていると思います。
この曲には色々と名演がありますが、どちらかというと凶暴さが前面に出る演奏が多いと思います。
そうした中、秋田南の火の鳥は、木管のしっとり感を前面に出し、夢見るようなあのうっとりとしたファンタジー感を
うまく出していたと思いますし、おとぎ話」音楽にしたような感じもします。

秋田南の欠点であるかもしれない金管楽器(特にトランペット)の音の硬さは部分的に出てしまい、
特に終曲におけるあのトランペットのカチコチした感じは、もう少しやわらかい感じを演出出来ていれば
より強くファンタジー感を普門館の聴衆に伝えていたと感じられるのが大変惜しまれます。
木管楽器のしなやかな響きと清涼感は素晴らしいと思いますし、打楽器の扱いも上手いと思います。
火の鳥の原曲版もピアノが大変効果的に使用されていて、現在の吹奏楽コンクールの演奏で火の鳥の演奏で
ハープやピアノを使用しないことはまずありえないのんもしれないです。
1983年当時の秋田南高校は、ピアノもハープも使用していないのですけど、それを天野氏のマリンバとヴィヴラフォーンを
大変効果的に使用する事で十分すぎるほどカバーされていると感じられます。
同様な事は前年の82年の「パロディー的四楽章~Ⅳ.ルーセルにも言えると思います。
あのルーセルは原曲を聴くとよくわかるのですけど「この曲はピアノ協奏曲なの・・?」と部分的に感じさせるくらい
とにかくピアノが巧みに効果的に使用されているのですけども天野正道氏のアレンジは、シロフォーン・マリンバ・
ヴィヴラフォーン・ドラをチャイニース風な響きに用いていて、ピアノ代わりにこうした鍵盤打楽器に異国的響きを
出させることでピアノ未使用の穴を十分すぎるほど埋めていたようにも感じられます。
火の鳥の演奏においては、終曲でのクラリネット群の音色の清らかさと自然な盛り上がりは特筆すべきものがあると思います。
それと90年代と最近の演奏の傾向として「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の部分は、木管の動きが極度に細かい部分を
カットしている演奏が多いようにも感じるのですけど、
秋田南はそうしたカットは一切しないで、優秀な木管がそうした細かい動きも全てほぼ完璧に音楽として消化し、
技術的にも全く弱みを見せていないのは凄いと思います。

残念ながら課題曲のカドリーユが少々平板な運びで、硬さも随所に目立っていましたので、
それが銀賞に留まった原因のようにも思えます。

この銀賞は今でも納得いかないものはあります。

逆に言うと、これだけの演奏をしても金賞を受賞出来るという保証が無い時代に既に入ったと言えるのかもしれないですね。

この年の銀賞チームには、秋田南をはじめ、茨城・東海大学第一・兵庫などは、金賞との差はほとんど無いと
思いますし、この時代の金と銀の明確な差は付いていない時代に入っていたと思います。

とにかくこの年の高校の部を締めくくるのに相応しい演素晴らしい演奏だったと今でも感じています。

余談ですけど、この年の朝日新聞における紙面講評では、
「ストラヴィンスキーの音楽をセーラー服をまとった女の子たちは涼しい顔で吹いていた」と秋田南高校を評していましたけど、
秋田南高校の女の子の制服は当時も今現在もブレザー制服ですので、その講評を書いた方は多分何も分かっていないのかも
しれないです・・

最後に・・下記に少しばかりスストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」について触れておきたいと思います。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽というと「春の祭典」のあの強烈なバーバリズムやとてつもない大音量というイメージも
ありそうなのですけど、「火の鳥」の全曲盤を聴いてみるとよくわかるのですが、ロシアの野蛮極まる音の暴力という感じよりは、
むしろフランスの繊細な音楽というのかドビュッシーの繊細なエコーを聴いているかのような錯覚すらも感じますし、
特に序奏や王女たちのロンドの繊細で神経質な面すらも感じさせるようなデリケートな響きは、
ストラヴィンスキーの師匠でもあるリムスキー・コルサコフの異国情緒的趣味すらも彷彿させるようなものがありそうです。

バレエ「火の鳥」のあらすじはロシアのお伽話に由来をしています。

そのあらすじをごく大雑把に書くと、
イワン王子は火の鳥を追って、魔法の国に迷い込みます。
そこでツァレーヴナ王女に恋をしますが、王女は「カスチェイの魔法」よって捕らわれの身でもありました。
イワン王子は火の鳥の羽を使って、カスチェイの弱点を見つけ退治します。
カスチェイの魔法は解け石になっていた国民・騎士たちは解放され、ラストシーンは王子と王女が結ばれ
大団円で閉じられるという大変分かりやすいストーリーになっています。

このバレエ「火の鳥」はディアギレフ率いるロシア・バレエ団によって初演が果たされるのですけど、
ロシア・バレエ団は1900年代初頭~1910年頃のパリにおいて、大変な人気を誇るバレエ団であり、評論家やバレエファンは
惜しみの無い賛辞と高い評価を与えていたものの、一つだけこのバレエ団に足りないものがあったとすると、
ロシア・バレエ団のためだけのオリジナルレパートリーが無い事が指摘されていたりもしたものでした。
この弱点を誰よりも認識していたディアギレフはオリジナル作品としての「火の鳥」のバレエ化を企画化し、その音楽を
リャードフに依頼したものの、リャードフは5~10分程度の短い交響詩を作曲する実績はあったものの、
長時間のバレエ音楽を作曲する事はどてやら苦手だったみたいですし、生来の怠け癖もあり、ディアギレフの依頼にも関わらず
リャードフは全く作曲する気が無く、「火の鳥」の公演は近づくばかりでした。
こうした事態をやばいと感じたディアギレフは、やけくその気持ちもあったのかもしれないですけど、当時は全く無名の新人で
以前作曲した幻想曲「花火」の雰囲気にディアギレフがどこか引っ掛かるものがあり、
一種の賭けみたいな感じで思い切って音楽界では無名の新人作曲家のストラヴィンスキーにバレエ音楽「火の鳥」の作曲を
依頼した所、瓢箪から駒のように思いもよらない大ヒットをもたらし、この成功からディアギレフはストラヴィンスキーに
次から次へと新作バレエ音楽の依頼を行い、これがその後ペトルーシュカや春の祭典へと開花していきます。

火の鳥は、オリジナルのバレエ音楽と3種類の組曲があり、3種類の組曲版はオーケストレーションが大幅に異なりますし、
中には魔王カスチェイの凶悪な踊りで閉じられる版もあったりします。
一般的には1919年版の組曲が最も完成度が高く、現在の管弦楽団の演奏会で演奏される火の鳥の組曲版は、
ほとんどの場合1919年版です。

バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)は下記の五曲より構成をされています。

Ⅰ.序奏

Ⅱ.火の鳥とその踊りと火の鳥のヴァリエーション

Ⅲ.王女たちのロンド

Ⅳ.魔王カスチェイの凶悪な踊り

Ⅴ.こもり歌

Ⅵ.終曲

上記で既に触れた通り。
ストラヴィンスキーというとバレエ音楽「春の祭典」のあの野蛮極まりない強烈なリズム感と大音響というイメージが
強いのかもしれないですけど、火の鳥は全体的にはファンタジー感漂う曲想で、ロシアの荒々しい曲というよりは、
ドビュッシーのエコーを漂わせる繊細で大変洗練されているバレエ音楽であったりもします。
序奏のいかにも魔法の国のような音楽や王女たちのロンドでのうっとりするほど繊細で美しい音楽でもあったりします。
だけどこのバレエ組曲「火の鳥」は、ウトウトとしていた聴衆を叩き起こすとすら言われているとてつもない大音響の
荒々しい個所もあったりします。それが「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の部分です。

音楽のダイナミックスと言うのは決して「音量」だけではないと思うのです。
要は、静かな部分と壮大に豪快に咆哮して鳴り響く部分の「静と動の対比の落差」なのだと思います。
ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」もそうした傾向があると思います。
この組曲は冒頭の序奏から王女たちのロンドあたりまでは、とにかくミステリアスで静かで美しい音楽が
延々と展開されていくのですけど、
「魔王カスチェイの凶悪な踊り」の場面に入ると、唐突に金管セクションのとてつもない大音量と
バスドラム・ティンパニ・シンバルによる打楽器の凶暴ですさまじい「ドスン!!」という打撃音から開始され、
それまでの王女たちのロンドとの静けさとのあまりにも違いが前述の「とてつもないダイナミックスレンジの落差を
呼び込んでいるのだと思います。
あの場面は、それまでの静かで美しい音楽を耳にしてウトウトし始めた聴衆のまさに眠りを覚ます
とてつもなく激しく暴力的な音楽であり、
あの落差はとにかくいつあの場面が始まってもゾクゾクさせられるものがあると思います。

魔王カスチェイの凶悪な踊りのインパクトの強さは、まさしく聴衆を眠りから覚ますのに相応しいと思いますし、
同様な事はよく言われる話でもありますけどハイドンの交響曲第94番「驚愕」~第二楽章にも共通する話なのだと思います。
魔王カスチェイの凶悪な踊りが終わった後に展開される子守歌の気高さ、フィナーレの高揚感も素晴らしいです!
特にフィナーレが始まる際のホルンソロの部分は、いつ聴いてもなんだかホッとするものはあります。
(魔法の国から現実へ帰還出来る安堵感のようにも聴こえます)

そしてそうした幻想的で美しい音楽に「魔王カスチェイの凶悪な踊り」を挟んで展開される吹奏楽コンクール用の
カットヴァージョンもこの組曲の魅力をあますところなく伝えているのですけど、それを見事に具現化されている演奏こそが
1983年の秋田南高校の演奏だと改めて感じますね~♪
スパークというと最近の現役奏者の皆様にとっては「宇宙の音楽」が一番馴染みがあるのかもしれないです。
「宇宙の音楽」は技術的には大変難しいけど、演奏効果は高いしスケールは大きいし、素晴らしい名曲だと
思いますし、これだけ全国大会で多くのチームが自由曲として演奏しているのもよく分かります。

だけど、私のようなオールド吹奏楽ファンですと、スパークというと、
スパークの日本での出世作というか、この曲でもって日本での知名度がググッ!とあがることになった
「ドラゴンの年」が大変印象的です。
否! 私にとってはスパークと言うと「ドラゴンの年」であったりもします。

スパークの「ドラゴンの年」は、吹奏楽オリジナル曲として極めて完成度の高い作品であり、
内容も深く、演奏効果も迫力も十分で大好きな曲の一つです。
私個人の趣味ですけど、「私が大好きな吹奏楽オリジナル曲ベスト10」には
間違いなくベスト10にランクインされる曲の一つです。

この曲が日本で広まりだしたのは1988年の頃で、
1988年は、星野監督率いる中日ドラゴンズがセントラルリーグを制覇しましたけど、
当然ながら、そんな事とこの曲には何の因果関係もありません。
(1988年の日本シリーズでは、中日は西武に1勝4敗で完膚なきまでに叩きのめされていました・・
ちなみに、この年はあの伝説の近鉄VSロッテの10.19が行われた年でもあります!
近鉄が連勝すれば近鉄のパ・リーグ優勝が決定し、近鉄が1つでも敗れるか引き分けるかで西武の優勝が
決定するという状況のもと、近鉄が第2試合で引き分けて、西武のリーグ優勝となったあの激闘は
いまだに忘れられないですね~!
あの試合の当日は私は新入行員の研修の一環で御殿場の自衛隊体験入隊の研修真っ盛りでしたけど、
布団の中でゾクゾクしながらラジオで聴いていたのも懐かしい思い出です~!)

冒頭から話がそれてしまいました・・・(汗・・)

この曲の作曲者、スパークはイギリスの方ですけど、「ドラゴンの年」を聴くと
「あー、やはりホルストとエルガーを生んだ国の人らしい作品だな」と改めて認識したりもします。
イギリスでは、金管楽器のみで編成された楽団を「ブラスバンド」と呼び
ブラスバンドに木管楽器と打楽器を加えた編成を「ミリタリーバンド」と呼ぶそうです。
この点、金管+木管+打楽器のいわゆる「吹奏楽」を「ウインドアンサンブル」と呼ぶアメリカとは
多少の違いがあるみたいです。
ホルストのあの有名な「吹奏楽のための第一組曲」もそう言えば
原題は「ミリタリーバンドのための第一組曲」という表記でもありました。

ドラゴンの年は元々は、ブラスバンドという金管バンドのために作曲された曲であり、
後に吹奏楽作品用としてアレンジしたものが 今日の日本でもしばしば演奏されるドラゴンの年なのです。
吹奏楽版としてのドラゴンの年のあの迫力ある分厚い響きの金管セクションの堂々とした響きは、原曲の
金管セクションのみの編成に由来している事は第一楽章の前半部分だけを聴いただけでも
なるほどね~と感じさせるものはあると思います。

この曲は三つの楽章から構成されます。

Ⅰ.トッカータ

Ⅱ.間奏曲

Ⅲ.フィナーレ

Ⅰの出だしからして非常にインパクトがある作品です。
小太鼓と金管楽器のダダダダダダダダという鋭い響きから開始され、
大太鼓のズドンという一撃が極めて印象的ですし、出だしの10秒を聴いただけでノックアウトされそうです。
ラストは静かに閉じられるのも意表を突かれます。

Ⅱの間奏曲は全体の白眉です。
Ⅱの出だしのコールアングレの長大なソロは、本当に美しくしみじみとした高貴なものが感じ取れます。
こういう王道的な音楽を聴くと、
「あー、やはりエルガーの威風堂々としたイギリスの王道的旋律は現代にも
受け継がれているんだなー」と思わず感じてしまいます。
Ⅱの中間部は、ゆっくりとじわじわと徐々に徐々にクライマックスに向けて
メロディーが歌われ続け盛り上がっていきます! この高みに達するまでの臨場感と感動は本当に半端ないものがあります。
Ⅱの中間部を聴くと、いつも感動で何か泣けてしまいそうというか胸にジーンとくるものがあります。
ああした高貴でせつないメロディーがゆったりとじんわりと何度も繰り返しながら頂点に達する構成はよくある話なのですけど、
「ドラゴンの年」はとにかくあのメロディー自体が泣けてくるものが多々ありますし、そこで醸し出される音楽が
上品で気品があり凛としたものか「これでもかっ!」と伝わってきますので、
あの音楽を聴いて何も感じない人というのは、極端な意見かもしれないですけど人としての感性がちょっと鈍いのではないか・・?
とすら感じてしまいます! (汗・・)
私自身は人前でも一人っきりになったとしても泣く事はほとんどないですし、私自身人前で涙を流して泣いたという事は
多分ですけどこの数十年無いと思うのですけど、ドラゴンの年のこの間奏曲のあのゆったりとした高まりだけは
例外化なのかもしれないです・・
あの音楽を真夜中に一人っきりで聴いた場合、私も案外感極まって涙ボロボロになってしまいうのかもしれないです。
この感動的な高まりの後、 ヴィヴラフォーンによるモヤモヤとした場面転換がなされ、最後は再びコールアングレのソロで
もって静かに閉じられていきます。

そしてⅡが終わると同時に、Ⅲのフィナーレが開始されるのですけど、
このⅢの快速感がまた素晴らしいですね~♪
圧倒的な躍動感とスピード感についついメロメロになってしまいます。
中間部で、チャイム・鍵盤楽器による息抜きの箇所があったりするのも少し意表をつかれます。
そしてラストは圧倒的な高揚感でエキサイトに華麗に閉じられます。
昼間に何か嫌な事があったり気分が落ち込んでいる時にこのフィナーレを聴くと、途端に元気とパワーを貰えそうに
なるのは間違いないと思います!

とにかく全楽章全てが素晴らしい名曲だと思いますね~♪

この曲、残念ながらコンクールやコンサートの生演奏でいまだに一度も心から納得できる演奏にお目にかかれていません。
一度武蔵野音楽大学の定期演奏会でこの曲を聴いたことがあるのですが、
音大生たちの手抜き演奏というか、気持ちが全くこもっていない演奏にガッカリしたものです。
全国大会でも、北教大・習志野ウインド・名取交響などが自由曲として演奏しているのですけど、
私個人としては「どれも少し決め手に欠けるな・・」という印象です。
カット方法があまり良くない演奏が多く、全楽章演奏するのではなくて、Ⅱの中間部の高まりをメインにし
Ⅲでもって豪快に閉じればいいのに・・と思う事もあるのですけど、吹奏楽コンクールの演奏はいいとこだけを抜粋という
感じの強引なカットが目立ちいつも興醒めしてしまいます・・
本年度・・2019年の全国大会・一般の部でドラゴンの年を札幌ブラスバンドが自由曲として演奏されるようですけど、
当日の名演を期待させて頂きたいと思います。

この曲にはCDで二つ名演があります。
一つがエリック・バンクス指揮/東京佼成で、二つ目が本場ものというか、イギリスのロイヤル・エア・フォースバンドであり、
特に後者のⅡのテンポを極度に落とし、テンポルバート気味に演奏した部分は本当に泣けてきます。

金管楽器が極めて優秀な吹奏楽団で、この曲の生演奏を聴いて
Ⅱでうっとりと感動し、Ⅲのスピード感に巡り会って失神してみたいものですね~♪
パリ生まれのフランスの作曲家であり音楽教授であり、教会オルガにストでもあったポール・フォーシェは、
管弦楽の分野ではほとんど知られていませんし、現在でも演奏される作品はほぼ皆無と言っても過言ではないと
思います。
作曲活動の時期としては、ラヴェルやドビュッシーといった印象派の大御所や第一次世界大戦前後に
フランス楽壇を牽引したミヨーやプーランク・オネゲル等のフランス五人組の活動が真っ盛りという事で、少しと言うかかなり
時代遅れな古風で厳格で形式美を重視するフォーシェの音楽は、当時としては既に時代遅れだったのかも
しれないです。
音楽院の教授としては大変優秀だったとの事で、弟子として、池内友次郎や吹奏楽のアレンジャーとしても日本ではかなり
認知度が高いデュポン(→イベールの交響組曲「寄港地」の編曲で有名です)などがいたりもします。
フォーシェが著した和声法の課題集は戦前の日本の音楽教育でも使用されていた事もあったようです。

そうした知る人ぞ知るフランスの作曲家のポール・フォーシェが残した作品の中で、多分ですけど今でもかろうじて
多少は認知度がありたまに演奏される曲と言うと、それは管弦楽作品でも宗教音楽でもなくて、
実は吹奏楽オリジナル作品であったりもします。
その曲が何かというと、1926年に作曲されギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団によって初演を果たした
吹奏楽のための交響曲です。
ギャルドというと「ディオニソスの祭り」などでも知られる通り、サクソルン属の金管楽器など現在ではほとんど使用されない
楽器を使用している事も多々あり、フォーシェが作曲したこの交響曲も、原曲は今現在の日本の吹奏楽コンクールで
使用されている楽器とはかなりの部分で違いも見られたりもします。
そのため、J.ジレットとF.キャンベル=ワトソンがアメリカ式編成用に編曲して出版した際の交響曲 変ロ長調という
タイトルが現在日本で使用される事が多いです。

フォーシェの交響曲変ロ長調は、一言で言うと実に通好みのマニアックな渋い曲だと思います。

とてもじゃないけど、ラヴェルやミヨー等の洒落っ気溢れる才気煥発で自由自在でエレガントな作風とほぼ同じ時代を
歩んできたとは思えない程、時代遅れというのか厳格で古風で正攻法そのものの音楽という印象が大きいです。
似たような作風というと、ギャルドの歴代指揮者も務めたパレのリシルド序曲のあの渋さというのか、まるで「するめ」のように
噛めば噛むほど味合いが出てきそうな雰囲気に近いものがあると思います。
ただ、リシルド序曲もフォーシェの交響曲変ロ長調も曲としては相当地味であるため、現在の吹奏楽コンクールでは
敬遠されてしまうというのもなんとなくわかる気はします。
フォーシェの交響曲変ロ長調は、例えば「プロが選ぶ後世に残したい吹奏楽オリジナル作品ベスト100」という特集記事や
吹奏楽オリジナル作品紹介の専門書等では多くの場合、選出される事が多いのに、実際に吹奏楽コンクールや
演奏会等で演奏される頻度は限りなく低いというイメージもありそうです。
音楽の形式や内容としてはかなり高い評価を受けるものの、内容の地味さ・難しさからなかなか演奏されないという意味では、
例えばシェーンベルクの「主題と変奏」とかヒンデミットの「コンサートバンドのための交響曲」とか
ミヤスコフスキーの交響曲第19番とかホルストの「ハンマースミス」とかジェイコブの「ウィリアムバード組曲」などに
近いものがあるのかもしれないです。

この交響曲は下記のオーソドックスな四楽章構成です。

Ⅰ.序曲

Ⅱ.ノクターン

Ⅲ.スケルツォ

Ⅳ.フィナーレ

この交響曲は正直第二~第四楽章は大変きれいにスタンダードにまとまっているとは思いますが、それほど強く印象には
残りません。
古典派のシンフォニー概念で言うところの、第二楽章・アンダンテ 第三楽章・スケルツォ・第四楽章のアレグロのフィナーレが
フォーシェのこの作品においてはほぼ忠実に再現されていて、この形式美とか全体的な古臭い雰囲気は
とてもじゃないけどこの交響曲が既にマーラーが10曲の交響曲を作曲していた時代とは思えない程の時代遅れを
感じるのですけど、そうした時代錯誤的な形式美を吹奏楽作品として味合うのがこの曲の魅力と言えるのかもしれないです。
第一楽章の完成度があまりにも高いので、残りの第二~第四楽章がとても物足りなくも聴こえてしまい、
第三楽章のスケルツォや第四楽章の溌剌とした雰囲気も正直あまり耳に残るようなメロディーラインではないようにも
感じられます。
そしてなによりもとても20世紀に書かれたとは思えない曲の地味さがそれに拍車を掛けているのだと思うのですけど、
地味というと同時期に作曲されたパレの吹奏楽オリジナル作品のリシルド序曲も考えてみるとフォーシェのこの交響曲の
地味さに極めて近いものがあるようにも感じられます。
このシンフォニーは圧倒的に第一楽章が素晴らしいと思いますし、実際、吹奏楽コンクールで演奏されるのも
第一楽章・序曲のみです。
第一楽章自体が一つのミニシンフォニーみたいな雰囲気にもなっていて、冒頭の木管セクションによる弱奏でのトレモロに
のる形でのホルンの朗々とした歌い出しから開始され、途中で少し盛り上がったかと思えば静粛になるを何度か繰り返し、
ラストは朗々とした高らかな響きの中で閉じられます。
全体的にはふわっとした中に一筋のしっかりとしたひそやかな決意が秘められている様な感じの曲と言えるのかもしれない
ですし、第一楽章だけでこの曲全体を閉じたとしても全く違和感がないほど、完成度の高い第一楽章と感じられます。

P.フォーシェの交響曲変ロ長調~第一楽章・序曲は地味な内容のためなのか、現在では全く演奏されませんし、
知る人ぞ知る曲という扱いになっているとは思いますが、2018年末時点で全国大会ではこれまで2回演奏されています。
最近では、ここの所九州大会でメキメキと力を付けてきていて、最近では3年連続全国大会にも出場している
福岡県の西区市民吹奏楽団が2011年にこの曲でもって九州大会に臨んでいたのが大変印象的です。

P.フォーシェの交響曲変ロ長調~第一楽章・序曲は全国大会では、1977年の関西学院大学と1979年の函館北高校が
自由曲として演奏されています。
函館北高校は全国初出場のせいもあると思いますが、演奏は一言で言うと課題曲も自由曲も何か萎縮して、
普段の実力を半分も出せないで終わってしまったという感じですし、
サウンドがなぜか全体的にくすんだ印象を受けますし、霧がかかったような雰囲気の演奏です。
別にサウンドが濁っているとかそういう訳ではないのですけど、森を散策中に霧で道を見失って迷子になってしまった
みたいな感じの演奏でした。

1977年の関西学院大学の演奏は地味ですけど、大変優れた演奏であり、地味なこの曲をよくここまで音楽的に
まとめあげたという大変秀逸な影の名演だと思います。
関西学院大学というと、例えば、1979年のローマの松や82年のショスタコの5番や88年のロデオなどのように
バカでかい音量過剰の演奏という印象も強い中で、金管セクションをギリギリまで抑制し、木管とのバランスも大変充実した
調和のとれた演奏をされていると思います。
特にフルート等の木管セクションの柔らかい洗練された響きが素晴らしいと思います。
但し、当時のBJの講評では有賀誠門氏より「リズムが甘い事このうえない」・「砂糖菓子をまぶしたようなリズム感の悪い演奏」
などと酷評されていましたけど、私から言わせて頂くと
「お前の耳の方がよっぽとどうかしているし、リズム感は全然甘くないばかりか逆に締まっているし、統制のとれた演奏じゃん!」と
文句を言ってやりたい気持ちで一杯であったりもします・・(汗・・)

この曲は1990年代の終わり頃までは全く音源が無く、演奏音源は上記の函館北と関西学院大学の第一楽章のみの
演奏しか音源がありませんでしたけど、
木村吉宏指揮・大阪市音楽団によって全楽章がCD化され、実は私はこのCDによって初めてフォーシェの交響曲の
全楽章を聴いた事になるのですけど、あの時は嬉しかったですけど、感想はやはり・・
「この交響曲は第一楽章だけ聴けば十分なのかもしれない・・」という感じでもありました。
現在の吹奏楽コンクールにおけるB部門・小編成部門においては、県大会や地区予選においても時折ですけど、
今でもコーディルの「吹奏楽のための民話」が演奏される事が多々あり懐かしくも感じますし
「こういう平易なんだけど吹奏楽名オリジナル曲は忘れることなくずっと演奏され続けていてほしい」と常日頃から
感じている私にとっては大変嬉しいことなのだと思います。

私が高校生の頃までは、作曲者の表記は、カウディルと表記されることが多かったのですけど
いつの間にかコーディルという風に表記が変更になっていました。
(「シンフォニア・ノビリシマ」でお馴染みのジェイガーも1970年代初めの頃までは、ジャガーとかイェイガーと呼ばれることも
ありましたので、それに近いことなのかもしれないですね・・)

この「吹奏楽のための民話」は実に平易に易しくに書かれていて、演奏する上で難しい箇所は多分一か所もないと思いますし、
「初見演奏でこの曲を吹きなさい」と言われてもほとんどの方は普通に吹けてしほうほど技術的には大変簡単ですし、
吹奏楽初心者とかそれほど合奏経験がない方とか中学生の小編成部門にはこれほどうってつけの曲は無いとすら
思っていたりもします。
シンプルで分かり易く、技術的には難しい部分はほとんど無いのになぜか演奏効果が大変高く、
序盤のクラリネットの透明感溢れるあのユニゾンのメロディーは一度聴いたら忘れられないものがあると思います。
メロディーラインが、非常に素朴でシンプルでとても懐かしい香りがする曲だと思います。

タイトルには「民話」とありますが、特定の民話のメロディを使ったわけではなく、
コーディル自身が創作したものであると思われます。
民謡風の表情豊かなメロディが美しく、特に冒頭のクラリネットが印象的です。
「クラリネットが低音域でメロディを吹く曲」と言えば、まずこの曲が挙がるのかもしれないですね。
アメリカの古い民謡とか俗謡とか黒人の霊歌とか子守歌とかそうしたアメリカ国内で馴染みのあるメロディーを特に
引用したわけではないのですけど、なぜかこの曲を聴いてしまうとしんみりとしてしまい、
まるでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とか交響的舞曲とかドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」~第二楽章を
聴いているかのような「郷愁」とかどこかメランコリーみたいなものを感じさせてしまう
本当に不思議な曲であるとも思えます。
日本でこの曲が演奏され始めたのは1960年代なのですけど、それから50年以上に渡って
このコーディルの「吹奏楽のための民話」が忘れることなく演奏され続けていたのは、この「なつかしさ」にも
あるのかもしれないですね。

私が中学生・高校生辺りの時代ですと、よその学校がこの曲を吹奏楽コンクールの自由曲として選ぶと
「このは学校よほど腕に自信が無く、仕方なくあの曲を選んだのかな・・?」といらぬ邪推をし、半分バカにしたものですが、
現在改めて聴くと、曲自体の構成が大変しっかりしているし三部構成で非常に理解しやすく、
冒頭の堂々とした雰囲気とか序盤のクラリネットによる透明感あふれる溌剌としたリズムが面白いと感じますし、
決してバカにすることは出来ない素晴らしい名曲だと感じます。

初見演奏も全然可能な曲だからこそ、特にジュニアバンドには一度は演奏して欲しい曲です。
同じことは、オリバードーティーの序曲「バラの謝肉祭」・「美しき剣士」とか
カーターの交響的序曲・「ラブソディックエピソード」・クイーンシティ組曲などにも言えるのかもしれないです。

コーディルというと・・当時の私たちは

〇吹奏楽のための民話

〇ランドマーク序曲

〇オデッセイ序曲

以上の三曲を「簡単すぎる三部作」とか陰口を叩いていましたが、今改めてこの三曲を聴いても
構成はしっかりしているし、メロディーラインがはっきりと浮き出ていて分かり易いという意味では
現役奏者の皆様にも「一曲ぐらいはコーディルを吹いてほしいよね・・」と感じてほしいですし、この素晴らしき
吹奏楽オリジナル名曲は絶対に後世に受け継がれてほしい曲の一つです!

コーディルの上記以外の曲と言うとへりテージ序曲や序曲「フォーク・レジェンド」も大変印象的です。
序曲「フォーク・レジェンド」は吹奏楽のための民話と英語表記が大変よく似ているため、混合される事もかつては
あったようですけど両曲は全く別の作品です。
ちなみにヘリテージ序曲は、私の高校の定期演奏会で私の代の8代前の先輩たちが演奏されていて、
当時の先輩たちの回顧録をながめてみると「決して簡単な曲ではない」とか「バカにして掛ると大変な目に遭う」とか
記されていたのが大変印象的でもありました。

「吹奏楽のための民話」は何と全国大会では5回も演奏されています。
と言っても内4回は、昭和45年以前の金銀銅のグループ表彰制度以前の順位表彰の時代ですけどね・・・
1970年代でも福井銀行がこの曲を自由曲として演奏し、確か銀賞を受賞していました。
福井銀行の場合、当時の頭取が「これからの銀行マンは軟弱ではいかん! 行員たちも吹奏楽を経験し、
タフな気持ちで仕事も吹奏楽も臨んでほしい」という鶴の一声で吹奏楽団が結成されたみたいなエピソードが
当時のBJで紹介されていたのが印象的です。

さてさて、コーディルの民話以外の曲で印象に残っている曲と言うとオデッセイ序曲が挙げられると思います。

この曲は今現在ではすっかり忘却の彼方のようですけど、1970~80年代の中学・小編成部門の貴重なレパートリー曲の
一つだったと思います。
オデッセイ序曲は記録の上では支部大会以上の演奏はわずか7チームしか演奏されていませんけど、
1970~80年代の中学校のC編成またはB編成部門においては、地区予選や県大会レヴェルでは、この曲を聴かない日は
あまりないのかも・・?と感じさせるくらい一時期盛んに演奏されていたと思います。

コーディルのオデッセイ序曲は、ギリシア神話の英雄でホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」の主人公でもある
オデュッセウスをモチーフにした作品で、演奏時間は6分程度で、吹奏楽のための民話同様に技術的には難しい個所は
ほぼ皆無であり、中学校の初心者向きの曲としては大変演奏効果が高い上に音楽の構成がしっかりと図られているので
ジュニア向けの素材としては大変優れた楽曲の一つだと思います。
オデュッセウスというと一般的にはトロイア戦争への貢献とかトロイの木馬の考案者というイメージもありますけど、
この曲で主にモチーフにされているのは、トロイア戦争に勝利したオデュッセウスの、
故国イタケーを目指して航海を開始したもののトロイア戦争よりも長く辛い苦難の帰還に向けての旅路であったりもします。

オデッセイ序曲で大変印象的な箇所は冒頭なのかもしれないです。

この曲は上記で書いた通り難しい個所は皆無なのですけど、唯一の難所は冒頭なのだと思います。

どうして冒頭が難所なのかというと、冒頭がファーストトランペットソロによる「タッタッター」という勇壮な部分から開始され、
このトランペットのタッタッターの部分は全然高音域でもなんでもないのですけど、吹奏楽コンクールで私が聴いてきた
この曲の演奏では大抵の場合、冒頭のトランペットを思いっきり外してスカスカ状態で開始される事が多かったのは
今でも大変印象的であったりもします。
曲自体も勇壮な部分とリズミカルな部分と美しい部分の対比がとても抒情的に表現されていて、聴いているだでも
主人公の苦難の海路の旅が伝わってきていると思います。
ラスト近くの冒頭のトランペットソロの部分を再現したメロディーが全楽器で再現され、あのリズミカルな悲壮感と勇猛な感じは
聴いているだけで「冒険者」の気分にさせられてしまいそうですし、ラスト数小節前のティンパニソロも大変かっこいいものも
あったりします。

それにしてもオデッセイ序曲を自由曲に選んだチームは、なぜかしりませんけど冒頭のトランペットソロを思いっきり
外すことが多かったですね・・(汗)
音域が高くもないし、臨時記号もないし、簡単なフレーズなのにあそこまで盛大に外してしまうという事は、
技術的問題というよりは吹奏楽コンクールの独特なあの緊張感がそうさせるのかもしれないですし、そうした緊張感というのは
オデッセイ序曲のモチーフとなっているオデュッセウスの悲壮さがもたらしたものなのかもしれないです。
ちなみにあの冒頭のトランペットソロ箇所は、うちの高校の口の悪い先輩に言わせると
「黄桜のCMのカッパっパーに大変よく似ている」そうですけど、確かにそれも一理あるのかもしれないです。
大学のクラリネットのお姉さま先輩は「オデッセイ序曲の冒頭はヴォーン・ウィリアムズのイギリス民謡組曲の第一曲の冒頭に
なんだか似ている」と言われていましたけど、確かにそれもなるほど~という感じもありそうです。


_convert_20190910200251.jpg


オデッセイ序曲の元になったオデュッセイアをベースにした吹奏楽オリジナル作品と言うと、
R.W.スミスの交響曲第2番「オデッセイ」も挙げられると思うのですけど、一時期交響曲第1番「ダンテ」や伝説のアイルランド・
海の男たちのうた等で一時期大ブレイクしたスミスも最近ではあまり演奏されなくなっているようにも感じられます。
やはり吹奏楽オリジナル作品の流行り廃りは年々加速するばかりだと思いますし、だからこそ、コーディル等の作品を通して
「古きを訪ねて新しきを知る」が分かって頂ければありがたいです。

最後に・・オデュッセイアをベースにしたアニメ作品と言うと、「宇宙伝説ユリシーズ31」という
1981年制作の日仏合作テレビアニメがありましたけど、あれ・・私も何度かちらっと見たことがありましたけど、
登場している女の子が全然かわいくなかったので見なくなってしまった・・という事もあったものでした・・(汗)
モートン・グールドというアメリカの作曲家は、どちらかと言うと私のような吹奏楽経験者の方が馴染みがあるのかも
しれないです。
グールドというとどこかで聴いたことがあるようなメロディ・・というと「アメリカン・サリュート」がそうなのしれないですけど、
日本で実はいっちば~ん!親しまれているグールドの音楽というのは
テレビ朝日系の「日曜洋画劇場」のエンディングテーマ曲として放送開始(1966年10月)から
2003年9月まで長らく流され続けていたグールド自身の編曲・ピアノ・指揮による「ソー・イン・ラヴ」のような気もします。
モートン・グールドは、クラシック音楽の作曲家という位置づけなのかもしれないですけど、多彩な才能があり、
映画音楽・バレエ音楽・ジャズ・ミュージカルなど多くの分野で作品を残されていて、
作曲家としての顔を有しながらも指揮者としての顔も有しており、RCAレコードに膨大な録音が残されています。
モートン・グールドはコープランドとほぼ同じ時期に活動されていましたけど、
かなり長生きされていて亡くなったのは1996年です。
しかも現役バリバリだったようで、亡くなる翌日すらも元々ディズニーのイベントの指揮を振る予定だったとの事です。

私が高校生ぐらいの頃、吹奏楽やクラシック音楽等について全然何も知らず詳しくも無かった頃、
モートン・グールドとピアノ奏者としてあまりにも著名なグレン・グールドと完璧に混同していて
「ジェリコの作曲者って有名なピアノ奏者の人でもあるの・・?」ととんちんかんな質問をしては
先輩から「おまえ、バッカじゃないの・・!?」と言われていたものです・・(汗)

吹奏楽経験者に限って言うと、モートン・グールドの知名度はグンと跳ね上がるように思えます。
グールドの吹奏楽作品というと、どんな曲が挙げられるのかと言うと、

〇サンタ・フェ・サガ

〇狂詩曲「ジェリコ」

〇吹奏楽のためのバラード

〇ウエストポイント交響曲

〇カウボーイ・ラプソディ

〇アメリカンサリュート~ジョニーが凱旋する時のテーマによる

あたりが有名でしょうし、狂詩曲「ジェリコ」は現在でも吹奏楽コンクールで時折耳にすることもありますし、
根強い人気はあるのかもしれません。

モートン・グールドの吹奏楽曲というと、特に強い人気があるのはアメリカンサリュート・ジェリコ・サンタ・フェ・サガだと
思われますけど、その中でも特に狂詩曲「ジェリコ」は群を抜いていると言えるのかもしれないです。
現役奏者の皆様ですと、「ジェリコ」というとアッペルモント作曲の作品を思い出される方も多いとは思うのですけど、
私みたいな昭和の頃に現役奏者だったオールド吹奏楽世代ですと、
「ジェリコというとグールドじゃん!」とついつい力んでしまいそうです・・(汗)

狂詩曲「ジェリコ」の元ネタは実は旧約聖書です。

「モーセの後継者ヨシュアはジェリコの街を占領しようとしたが、ジェリコの人々は城門を堅く閉ざし、
誰も出入りすることができなかった。主の言葉に従い、イスラエルの民が契約の箱を担いで7日間城壁の周りを廻り、
角笛を吹くと、その巨大なジェリコの城壁が崩れた」というヨシュア記6章のお話が曲のベースになっていると
思われます。

狂詩曲「ジェリコ」はとにかく壮大なスケールの音楽です!
木管セクションによるとてつもなく甲高い響きから開始されるという雄大なプロローグに始まり、
ラッパ作戦・ジェリコの城壁崩壊へと展開され、最後は圧倒的な賛歌で終わるのですけど、
ここにあるのは大変イメージがしやすくて分かりやすい音楽と言う事なのだと思います。
一番分かりやすいのは言うまでもなくこの曲の最大の白眉で聴かせどころの城壁崩壊シーンなのですけど、
あのとてつもない爆音の打楽器と金管セクションによる音楽物語は、旧約聖書のストーリーを全然知らなくても
「なにかとてつもなく巨大なものが壊れていく・・」という具体的なイメージを間違いなく聴いている人の脳に伝えている事が
出来ていると思われます。
最初に私自身、とある市の音楽祭の合同バンドによるジェリコの全曲を初めて生演奏で聴いた時は、あの城壁崩壊シーンの
音楽的迫力と打楽器セクションの視覚的効果と空間の振動には、あまりの衝撃に呆気にとられて
完全に言葉を失ったほどでもありました。
城壁の周囲で角笛を吹くまくるというラッパ作戦におけるトランペットセクションによる凄まじい進軍ファンファーレ的なものも
あまりにもそのものズバリというのか
「音楽というものはこんなにも分かりやすく具体的な場面をイメージさせることも出来るものなのだ!」という事を
見事に聴衆に伝えていると感じられます。
(そうした場面場面を具体的に音楽としてストーリー的に表現している曲の一つがアーノルドの序曲「ピータールー」
なのだと思えます)

狂詩曲「ジェリコ」というと、私よりも一廻り上以上のベリーオールドファンの皆様ですと、真っ先に
1969年の出雲一中を挙げられると思います。
そしてもっと上の世代の皆様ですと泉庄右衛門先生指揮の天王寺商業を挙げられるのかもしれないですね・・
出雲一中のジェリコは、中学生とは到底思えないあまりにも素晴らしすぎる演奏でしたけど、
あの演奏って、当時は、今現在の金銀銅のグループ表彰ではなくて一位~三位といった順位制度を採用していますが、
出雲一中の演奏が3位というのは、「そりゃないでしょ! あれは誰がどう聴いても1位であり、
今津のローマの謝肉祭や豊島のエルザより順位が低いなんて絶対にあり得ない!
ありゃ・・絶対審査員は居眠りしていたか、よっぼど耳がポンコツなのかどちらか一つだね・・・」
と私は今でも確信しています。
この年の今津・豊島第十・出雲第一の演奏は幸いな事にレコード化されていますので、
私の言うことが「本当かよ・・」と思われる方は是非あのレコードを聴いて欲しいなと思ったりもします。

だけど出雲一中のジェリコは、城壁崩壊の前の場面のトランペットによる勇壮な部分が全てカットされていて、
あのシーンも是非聴いてみたかったな・・と思ったりもしますけど、あの年の課題曲は「ふるさとの情景」というどちらかというと
長い課題曲の年でもありましたので、時間制約上難しかったのと、いくら巧いといっても中学生には
あのトランペットの勇壮な部分は技術的にも体力的にも厳しいものはあったのかもしれないですね。

そういう意味においては、プロの演奏も含めて、過去の吹奏楽コンクールの演奏でも
意外と狂詩曲「ジェリコ」の「これが決定的名演」といういわゆる名演が未だに出てこないみたいな感じもあったりします。
多くの皆様はジェリコの名演というとイーストマン・広島ウインド・1969年の出雲第一中学校などを挙げられると
思うのですけど、私にとっての現時点でのジェリコの史上最強の名演というと
1977年の神奈川大学の演奏が今の所、私にとってはいっちば~ん!なのだと思います!
残念ながら、この年の神奈川大学の演奏は、レコード音源がありませんし、
知る人ぞ知る幻の名演みたいになっているのは極めて残念なのですけど、
金管セクションの強烈なリズム感や例の城壁が壊れるシーンの打楽器の大活躍ぶりとか
埋もれてしまうにはあまりにも惜しまれる隠れた名演です。
特に神奈川大学のトランペットセクションとスネアドラム奏者の技術力の高さは素晴らしいと思います。
この時の演奏は、まだ小澤先生が赴任される前の演奏なのですけど、
小澤先生が赴任される前に既に神奈川大学吹奏楽部は
相当のレベルに達していたものと推察されるような演奏なのだと思います。
神奈川大学吹奏楽部は、大学部門においては古今東西圧倒的にNo.1みたいな立ち位置にいると
思いますし、それを実現化した小澤先生の功績はあまりにも偉大過ぎると思いますが、
小澤先生が来られる前においても、77年のジェリコとか
1973年のパーシケッティーの「吹奏楽のための仮面舞踏会」といった歴史に完全に埋もれてしまってはいるけど、
すっかり忘れられてしまった影の名演も実はこんなにもあるんだなぁと改めて感じたものでした。

冒頭で「アメリカン・サリュート」の話が出ましたので、最後にこの曲についても触れさせて頂きたいと思います。

アメリカン・サリュートとは直訳でアメリカ式の敬礼とかアメリカの挨拶という意味なのだと思います。
全体的には大変力強いアメリカの軍隊をイメージしたであろう活発な行進曲となっています。
作曲された当時のアメリカは第二次世界大戦の真っ只中のアメリカという事もありますので、雰囲気的には
アメリカ軍兵士の士気を鼓舞し「日本軍を叩きのめしてしまえ~!」という感じなのかもしれないですけど、
日本人としてはちょっと複雑なのかもしれないですね・・
でもこの曲は演奏会や吹奏楽コンクールでも時折聴く事がありますし、例えば1994年の課題曲があまりにも異様に長い年の
自由曲として、4分程度の曲ということで制限時間内に収まりやすいということで例年よりは多く取り上げられているような
年もありました。

サブタイトルには「ジョニーが凱旋するとき」とありますが、
これはアイルランド出身のアメリカ人パトリック・ギルモアという人が南北戦争時代に北軍の帰還を迎えるために作られた曲で、
現在のアメリカでも大変人気の曲だそうです。
アメリカンサリュートはマーチですが、奏した意味では、「ジョニーが凱旋するとき」のメロディの変奏曲ともいえそうです。
グールドのアメリカン・サリュートは映画でも時折BGMとして効果的に使用されていて、
多分それが「どこかで聴いたことがあるような・・」という感覚に繋がっているのかもしれないです。
例えば、「第十七捕虜収容所」(1953)や「西部開拓史」(1962)、「博士の異常な愛情」(1964)などで使用され、
近年では「ダイ・ハード3」でも使用されていました。

曲は、8分の12拍子の激しい前奏から始まり、最初にファゴットで主題が提示された後に各種変奏が華麗に鳴り響き、
ラストの最終変奏~コーダに至るまで心地よい緊張感と圧倒的なスピーディーぶりで駆け抜けていきます。

アメリカの挨拶というとなんとなく行進曲「星条旗よ、永遠なれ」という感じもありそうですけど、グールドの
「アメリカン・サリュート~ジョニーが凱旋するときのテーマによる」も一つのアメリカ式挨拶なのかもしれないですね~♪

A・リードの「組曲シリーズ」としては計7曲残されています。

吹奏楽のための第1組曲 (1974)
吹奏楽のための第2組曲「ラティーノ・メキシカーナ」 (1979)
吹奏楽のための第3組曲「バレエの情景」 (1981)
吹奏楽のための第4組曲「シティ・オブ・ミュージック」 (1992)
吹奏楽のための第5組曲「インターナショナル・ダンス」 (1995)
吹奏楽のための第6組曲 (1998)
吹奏楽のための第7組曲「センチュリー・オブ・フライト」 (2003)

上記7曲がリードの組曲シリーズなのですけど、この七つの組曲の中では私がいっちば~ん!大好きな曲は
誰がなんといっても吹奏楽のための第2組曲「ラティーノ・メキシカーナ」に尽きると思います!
そしてこの第二組曲は私自身がリードの組曲シリーズの中で唯一演奏した事がある曲ですし、
私自身、高校2年の時にこのリードの第二組曲を吹いて、吹奏楽の面白さや合奏をする事の楽しさ、音楽の躍動感に
覚醒したという想いもあり、私個人としても大変思い入れが強い吹奏楽オリジナル作品の一つです。

リードの組曲シリーズなのですけど、これはあくまで私の個人的感想ではありますが、内容的に優れていると
感じられるのは第四組曲までで、第五組曲以降は
「ちょっと外見的効果に頼りがちなのかも・・」という印象があり、第二組曲・第三組曲のような感銘性までには
至っていないのかな・・?と感じたりもしています・・(汗)
そうしたリードの組曲シリーズに含めてもいいんじゃないのかな・・?と感じられる作品として
吹奏楽のための組曲「ハムレットへの音楽」とか交響的ポートレイト「オセロ」もあるのですけど、これらの作品は
組曲シリーズとしての分類ではなくてリードのシェークスピアシリーズとしての分類の方が宜しいようにも
感じられます。
そして厳密に言うと組曲シリーズには含まれていないのですけど、「小組曲」という作品も組曲シリーズとして分類されても
いいのかな・・?と思ったりもします。
この「小組曲」はリードにしては珍しく地味な作品かもしれないですけど、とっても可憐でチャーミングで
全ての楽章が宝石箱みたいなすてきなメロディーラインが一杯詰められているとても魅力的な作品だと思います。

A.リードの吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」 はラテンのノリが極限にまで昇華され、聴いている方も
そうですけど演奏している方も徐々にエキサイトしていき血が騒ぐ曲そのものだと感じられます。
似たような雰囲気の曲として、管弦楽曲としてはモートン・グールドの「ラテン・アメリカシ・ンフォニエッタ」という曲が挙げられ、
吹奏楽オリジナル作品としては同じくリードの「エル・カミーノ・レアル」が挙げられるのではないかと思います。
モートン・グールドの「ラテン・アメリカシ・ンフォニエッタ」は、ルンバ・タンゴ・グラーチャ・コンガの四曲から構成され、
熱狂あり、スローなだるさあり、ダンスあり、リズム感の切れ抜群であり、曲の構成もリードの第二組曲に結構近いものが
ありそうです。
管弦楽曲なのに、サックスが5本も入り(アルト2 テナー2 バリトン1)とギターも入る点は吹奏楽っぽい雰囲気もあります。
リードの「エル・カミーノ・レアル」は、感覚的には吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」の姉妹作みたいな
ラテン系ノリノリの、まさに「ラテンの血が騒ぐ!」みたいな曲だと思います。
特に冒頭のガツンというインパクトある出だしは、それだけでノックアウトされそうですね~!

そして「エル・カミーノ・レアル」以上にノリノリなラテンの血が騒ぐ曲が同じくA.リードの
吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」だと思います。
吹奏楽のための第三組曲「バレエの情景」が大変上品で洗練された音楽で、第三組曲に相応しいアルコールは
フランスのワインなのかもしれないですけど、第二組曲に相応しいアルコールはテキーラなのかもしれないです。

吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」は下記の四曲から構成されています。

Ⅰ.ソン・モントゥーノ

Ⅱ.タンゴ

Ⅲ.グワラチャ

Ⅳ.パソ・ドブレ!

上記で既に記した通、構成がグールドの「ラテン・アメリカ・シンフォニエッタ」と大体似ているようにも感じられます。
Ⅰがリズム感抜群 Ⅱがだるくて Ⅲがスケルツォ風 Ⅳが豪快に決めるという感じは両曲ともよく似ていますね~♪

吹奏楽のための第二組曲は、キューバやブラジル、アルゼンチン、メキシコなどのラテンアメリカ諸国のそれぞれに根付く、
独自の歌やダンスなどを題材にした一風変わった作品とも言えます。
計4つの楽章から構成されている組曲は、楽章ごとにモチーフとなった音楽が異なるため
同じラテンミュージックの雰囲気ではありながら、それぞれで全く違った曲想を味わうことが出来ます。
一つの組曲で四つ美味しいものが味わえるとも言える事が出来ると思います。
Ⅰ.ソン・モントゥーノ は、冒頭のガッツーン!というパンチの効いた雰囲気が瞬時にラテンの世界へ引き込んでしまうようにも
感じられます。
リズムのノリの良さも素晴らしいですね!
中間部あたりの少しけだるい雰囲気もスローなダンスミュージックみたいですし、
その部分のミュートを付けたトランペットのリズムの支えがエキゾティックであり、ここにマラカス・クラヴェス・ティンバレスと
いったラテン・パーカッションのリズミカルなノリも加わり、曲全体が最高潮に達した所で曲が一気に閉じられます。
Ⅱ.タンゴ は、サスペンダーシンバルの響きをバックに優雅なクラリネットソロから開始され、
ファンタジーな雰囲気を終始キープしたままスローな音楽がけだるけに展開されていき、
ラテン・アメリカのロマンティックな夜の情景が見事に描かれていると思います。
感覚としてはサバンナの熱帯夜という雰囲気もありそうですけど、抒情性がより強く感じ取れるというのがサバンナとの
違いなのかもしれないです。
Ⅲ.グワラチャ は、序盤からクラリネットセクションの細かい動きが大変面白いのですけど、クラリネットにとっては
背後のラテンリズムのパーカッション(特にマラカス)の細かい動きに時に惑わされつつも、一定のテンポをキープするには
かなり厄介なものがありそうです。
Ⅳ.パソ・ドブレ! はとにかく高揚感溢れる音楽です!
高らかなファンファーレによって開始されそれに続くトランペットのソロによってあっという間に闘牛場での牛同士の決闘を
間近で見ているような錯覚に陥りそうです。
中間部の3拍子はおおらかさを感じますし、ラスト近くは5/4拍子と3/4拍子のリズミカルさが交錯する中で、
スケールの大きな音楽となってクライマックスまで一気に突撃していきます!

私自身、この第二組曲は高校2年の定期演奏会で吹いたのですけど、とにかくこの曲ほど
「楽しいなぁ~」とか「吹くのが楽しいし気持ちがいい!!」と感じさせる曲は無いと思います。
技術的には、決して簡単な曲ではないし、特にⅢのクラリネットの細かい動きは結構大変だし、
Ⅳの四分の3+2拍子という日本人には中々そのノリが表現しづらいやっかいさというのもありましたけど、
とにかく「音楽ってこんなに楽しいんだーーー!!」という事を心の底から実感出来た曲ですし
気持ちの良い高揚感溢れる音楽だったと思います。
特にⅣのパソ・ドブレの中間部の木管セクションによる流れるようなメロディーラインの展開とラスト近くの
終結部まで一気になだれこむあのノリのよさは指揮者にとっても演奏者にとっても聴衆にとっても一つの快楽と
いえるのかもしれないです。
私自身、Ⅳのパソ・ドブレ!は、中間部の三拍子ののびやかな雰囲気と終結部の高揚感は、
演奏会の本番中でも「音楽ってこんなにいいもんなんだ!!」と半分涙ぐみながら(?)のびのび楽しく吹いていたのが
私自身とっても印象的でした。
Ⅳのパソ・ドブレで使用されるタンバリンとカスタネットの響きは、ラテンのノリでもありましたし、スペインのノリとも
言えそうでした。
リードの第二組曲の前に演奏した曲がミッチェルの「海のうた」でしたけど、この曲の前半の歌い廻しが
クラリネット奏者にとっては感情が自然とこみあげてくるもの以外の何物でもありませんでしたけど、
海のうたとリードの第二組曲は、練習中も演奏会の本番でもとにかくこみあげてくる感情に吹いている本人がじーんとくる
曲でもあったと思います。

リードの第二組曲はソロ部分がかなりあり、各ソロ担当は腕の見せ所と言えそうです。

Ⅱのオーボエ・クラリネット
Ⅲのクラリネット
Ⅳのクラリネット・オーボエ・フルート・トランペット
特にⅣのトランペットソロは本当に恰好がいいです~♪
あの部分はいかにも闘牛士の入場!みたいな雰囲気に溢れていると思います。
この曲は最低でも7人の打楽器奏者は必要とするのですけど、男子高校の慢性的部員不足の中では、打楽器パートだけに
そんな人員は充当できる余裕はなかったもので、そうなると必然的に第二組曲だけは、
他パートから部員をレンタルせざるを得なくなってしまいます。
その場合誰が打楽器パートに左遷(栄転?)させられたかと言うと、チューバパートとユーフォニアムパートの1年生であり、
「えーーー、なんで俺が!!」と終始文句たらたら言っていたせいもあり、本人も結局最後まで第二組曲だけ
打楽器に振り分けられるのが納得いかなかったようでして、練習もテキトーにやっていたら見事に天誅が下ってしまい、
本番中のⅢにおいて担当楽器のマラカスが廻りとリズムが狂いまくってこの楽章はぼ崩壊状態になってしまい、
演奏会時のアンケートにおいて、かなりの皆様から
「第二組曲のマラカス奏者、打楽器やる気あるのかよ~」みたいな事を書かれていたり
「マラカス奏者のリズム音痴振りは言語道断」とかなり酷評されていましたけど、当の本人たちは
「自分は打楽器じゃなくてチューバ(ユーフォ)なんだけどなぁ・・」と思いっきり凹んでいましたが、
それはむしろ自業自得なのかもしれないです・・

最後に、この年の定期演奏会の選曲時のエピソードについて触れたいと思います。

私たちの高校は音楽を指導できる教師が当時誰もいなかったこともあり、毎年生徒の中から指揮者を選び、
吹奏楽コンクールも定期演奏会等も生徒が自主的に運営すると言う事もあり、定期演奏会の選曲も全て部員たちによって
自主的に絵ラバれていました。

ファーストステージは吹奏楽オリジナル曲から構成し、 セカンドステージがポップスのみで、
サードステージがクラシックアレンジという構成で、サードステージの曲目は簡単に決まったものの
ファーストステージは難産を極めました。
当初の話し合いでは、部員全員の投票で上位三曲で決定という流れでした。
一応経緯を簡単に書くと、事前に全部員が自分がやりたい曲を2曲まで候補曲として提出し、
そうした曲をパートリーダー会議で全部の候補曲を聴きスコアの審査を行った上で
ファーストステージ候補曲として10曲まで絞り込み、その曲の参考演奏を実際に全員で聴き、スコアを簡単に見た上で、
部員全員による投票を行うというものでした。

そして投票が始まりました。

その結果なのですけど、

第一位 海のうた
第二位 吹奏楽のための第二組曲(リード)
第三位 吹奏楽のための第三組曲(ジエィガー)
というものでした。

実はこの結果は、私自身が投票した曲とピタリと一致するもので、我ながら「あー、すごーい」と
自分自身でも驚いたものですが、その後、部員の中には色々と面倒くさい人がいたり超理屈っぽい人もいたりと
結構大変なのですけど、
「同一ステージで組曲を二つ演奏するとはおかしくないか・・」という意見が相次ぎ
色々と話し合いの結果、第三位のジェイガー/第三組曲と第四位から第八位までの曲を再度投票して
決めようという事となりました。
その結果出てきたのが、部員誰もが予想外の曲/兼田敏「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」でした。
だけど、上位一位のパッサカリアと第二位のリード/ジュビラント序曲の差がわずか一票差であり
再度喧々諤々の討論の末、パッサカリアとジュビラントを決選投票にかけ、多い方を文句なく
選出するという事で落ち着き、その結果、ジュビラント序曲が選ばれたものでした。

話し合い開始から決着がつくまで5時間程度かかったと思います。
難産の末の決定でしたが、
全員「こりゃ、しゃーないな」という雰囲気だったのが本当に印象的でした。

こういう事は、指揮者の先生が一方的にコンクールやコンサートの曲を決めることが多いのが一般的な中、
顧問の先生がいなくて生徒のみの運営という
いかにも自分達の高校らしい曲の決め方ではあったと思いますけど、こういう経緯があったりすると、
練習中においても。多少難しい個所があったとしも、練習時に中々アンサンブルの整理が出来ていなくても
「みんなで決めたのだから・・」みたいな部員全員の「想い」は大変強かったと思いますし、
結果的に、「一つの音楽」としてまとまったのだと思いました。

私自身、A.リード / 吹奏楽のための第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」を吹奏楽コンクールで初めて聴いたのは、
1981年の東北大会の日大山形高校でしたけど、
あの年の現代音楽など難しい選曲が多い中、日大山形の第二組曲~Ⅳ.パソ・ドブレののびやかな演奏は
大変印象的でもありました。
この曲は現時点で3回全国大会で演奏されていますけど、正直どの演奏も決定打になっていませんので、この曲を
令和の時代として新しい感覚で素晴らしい名演が今後出てくる事を大いに期待させて頂きたいと思います。
連日連日暑いですね~

この暑さも多分ですけどあと一か月程度も残暑として我慢すれば、いつの間にか季節は秋へと移っていくと思いますので、
後しばらくの辛抱なのかもしれないです。

そうした夏の暑さがどうにもこうにも我慢の限界を超えた際には、気分だけでもひんやりとした涼しげな音楽でも
聴いてみたいものです。
そうした夏の暑さを瞬間的に忘れさせてくれる吹奏楽オリジナル作品の一つが、V.パーシケッティーの「ああ、涼しい谷間」だと
思いますが、吹奏楽コンクールの課題曲としては1987年の課題曲Bの「渚スコープ」と言えるのかもしれないです。

風紋が課題曲となった1987年とその前年の1986年は課題曲の当たり年だったと思います!。

特に1986年の課題曲、変容・嗚呼!・序曲・テイクオフはどれも全て名曲揃いなので
選ぶ方も大変でしょうし、こういうのを「嬉しい悲鳴」と言うのかもしれませんよね。
私の大学の吹奏楽団は、B/嗚呼!を選曲しましたけど、
私自身としては、A/吹奏楽のための変容かC/吹奏楽のための序曲を演奏したかったというのが偽らざる本音で
あったりもします・・(汗・・)

そして1987年も負けず劣らずの名曲揃いの当たり年でした!

この年はA/風紋とE/マーチ「ハロー!サンシャイン」に人気が集中し、
結果として、B/渚スコープ C/コンサートマーチ87 D/ムービング・オンの演奏頻度がかなり低かったのは
何か気の毒なような気がします。
渚スコープとかムービング・オンは、もっともっと色々なチームが取り上げて演奏して欲しかったような気がしてならないです。

吹奏楽コンクール史上不滅の名曲で今でも名作の誉れ高いといった評価を受け続けている
「風紋」のおかけで、1987年の課題曲B/渚スコープの印象は薄いように感じるのは実はもったいない感じもあったりします。
全国大会でもこの課題曲を選曲したのは、中学1 高校4 大学1のわずか6チームだけでしたし、
興味深い事に、高校の部で「渚スコープ」を選んだのは全て関東代表のチームというのも面白いものがあると思います。
確かに人気はいま一歩だったかもしれませんけど課題曲Bの「渚スコープ」は、素晴らしい名曲だと思います。
コンクールの課題曲の中で、初めから終わりまで終始ゆったりとしたテンポで演奏され、アレグロの部分も無く
激しいffの部分がほぼ皆無という物静かな課題曲は極めて珍しいので その意味でも画期的だったと思います。

渚スコープの印象は、とにかく繊細なフランス風という感じです。

言葉にするのは難しいのだけど、ドビュッシーの「海」の世界に通ずるような世界観を持った曲のような気がします。
タイトルは「渚スコープ」となっているのですけど、私がこの曲に勝手に副題を付けるとすると、
「ある夏の日の思い出」みたいな感じになるのかもしれないです。
具体的な「渚」を描写したような曲でないのは間違いはないのですけど、
「ある夏の日に、自分が目の前で見た風景」についてそれを自分の心がどのようにそれを
感じ取ったのかを描いたような曲と言えるのかもしれないです。

とにかく全体的に繊細でもろくてガラス細工みたいに
何かちょっと強く抱きしめただけで脆く崩れ去りそうな曲だと感じます。
全体的にあやうさ、脆さ、「砂上の楼閣」みたいな雰囲気が感じられ、
そうしたガラス細工のような脆さと繊細さと儚さと美しさがこの曲の持つ最大の魅力だと思います。

この曲は出だしから大変モヤモヤした感じで開始されます。
うっかりしていると、どこがメロディーラインなのかよく分からない内にトロンボーンソロが始まってしまう事もありそうです。
吹奏楽コンクールの課題曲でゆったりとした部分でトロンボーンソロを使う例は
あまり聞いたことがないだけに、この部分はかなり意表を突かれますけど、大胆かつ新鮮な表現のようにも感じられます。
今にして思うと出だしのクラリネットのモヤモヤワサワサとした感じは、波打ち際をイメージしているのかもしれないです。

全体的には物静かな印象があり、出だしから中間部のトランペットソロあたりまではもの悲しさ・哀愁が全体の雰囲気をリード
しているのですけど、このトランペットのソロあたりからは多少盛り上がり
この部分はどことなくホッ・・とするような」感じもあったりはします。
後はゆったりと静かに閉じられ、やはりこの曲は「何かもの哀しい曲なんだな・・」というものも感じさせてくれます。

先程この曲の副題は「ある夏の日の思い出」がぴったりとか書きましたけど
そういう「もの悲しい思い出」とは何なのかな・・?
ひと夏のi苦くて痛い経験とか海岸を背景にした失恋物語とかそういうものなのかな・・??

この曲はスコア的にはそれほど難しい技術は必要としないのですけど、表現方法は大変難しいと思います。
何よりもこの課題曲をされなりに仕上げるためには相当の洗練された音色が必要なのですけど、
こうした音色作りの難しさと終始ゆったりとした構成が、
この曲が内容的には大変素晴らしいものを持っているのに、今一つ人気が出なかった理由なのかもしれないです。
この曲で使用される打楽器の中ではタンバリンが意外といい味を出していて、
タンバリンの鈴を利用したサラサラという音色はいかにも砂浜をイメージさせてくれていると思います。

この課題曲を語る上で絶対に外すことが出来ない演奏が一つあります。

それが何かと言うと市立習志野高校の演奏なのですけど、
このチームのあまりにも高校生離れした透明感溢れる音の清潔さはまさにため息ものだと思います。
そして何よりもとにかく表現が自由自在というのか、瞬間的に「間」をとったり、テンポルバートといって音を自在に揺らしてみたり
音楽が「自由」そのものです。
そして音色とサウンドがどこまでも洗練され透明感に溢れているので、敵無しという感じの演奏だったと思います。
この年の自由曲「ダフニスとクローエ」第二組曲~パントマイム・全員の踊りの
圧倒的な音の透明感・洗練さと合せてサウンドの清潔さが印象に残る演奏でした。

他には習志野と同様に音色の清潔感が印象的な市立柏も素晴らしい演奏を聴かせてくれていましたし、
個性的な演奏なのだけど、トランペットミスが惜しまれ全体的に細部の詰めが甘い市立川口が
印象的な演奏を聴かせてくれました。
埼玉栄は金賞なのだけど、全体にモヤモヤした演奏で、何を言いたいのかその意図は全く伝わってきませんでした。
(BPの講評では、埼玉栄の生徒さん達は、この日の演奏は√2のようなもので何か割り切らない演奏と
 言っていましたけど、まさにその通り・・・!!という感じだったと思います)

知る人ぞ知る演奏ですけど、関西大会の洛南高校も音色の洗練度は今一つながら、
「ある夏の日の思い出」みたいな音楽のストーリー性は不思議とよくイメージできる演奏であり
私は自由曲の「ダンス・フォラトゥーラ」と共に結構好きな演奏です。

こういう繊細なガラス細工のような不思議な課題曲もたまにはあってもいいのかもしれないですし、間もなく終わりを迎える
夏のイメージにはうってつけの課題曲と言えそうです。

V.パーシケッティーの吹奏楽オリジナル作品の「吹奏楽のための仮面舞踏会」は当ブログでも過去に何度か
語らさせて頂いた事はあるのですけど、ブログというものは過去記事に埋もれてしまうという事は実はあったりしまして、
古い記事と言うのはどうしても中々現在の当ブログをご覧になっている方にはなかなか見て頂けないという事もありますので、
改めてなのですけど、パーシケッティーの吹奏楽のための仮面舞踏会について再度語らさせて頂きたいと思います。





本記事の一つ後の記事が東方Projectの秦こころという66種類の仮面を自由自在に操り、
喜怒哀楽を含めた多種多様な感情を描いた仮面を 自分の周囲に浮かべ、実際にこころが被った仮面によって性格が
多様に変化するといった付喪神についての記事でもありますので、「仮面」が持つ妖しさ・多種多様なうつろゆく心情の表現
という意味においては、このパーシケッティーの仮面舞踏会が本日のセカンド記事というのも
カップリングとしては決して悪くは無いと思っています。

「仮面舞踏会」というと、日本人にはあまり馴染みがない分野なのかもしれませんけど、
クラシック音楽の上ではヴェルディーの歌劇「仮面舞踏会」が多少は知られているのかもしれませんし、最近では
女子フィギュアスケートのBGMに選ばれたという事でハチャトゥーリアンの組曲「仮面舞踏会」~Ⅰ.ワルツの知名度も
そこそこあるのかもしれないです。

「仮面」といいますと、私にとってはとてつもなく魅力に感じる部分が多々あったりもしまして、
普段なかなか表現できない本来内省的に自分が有しているはずだけどそれを表にすんなりと出せないキャラクターを
仮面というものをあえて身に付ける事で表面的な自分を一旦表面上隠蔽した上で演じられるという事に
何か不思議な魅力を感じたりもします。
仮面と言うものは換言すると変身願望の一種なのかもしれませんよね。
私自身の勝手な感覚なのですけど、仮面というと、
本来自分が有しているキャラを隠して本来自分が有していないキャラを意図的に演じる事が出来るアイテムという
感覚があったりもします。
自分が元々有しているキャラを隠蔽し、別のキャラを演じる事で
何か「今までの自分とは違ったもの」を見出してみたいという意図が多少はあるのかもしれないですし、
これがどことなく妖しさ・ミステリアスさを感じさせてくれているのかもしれないです。
そして「仮面舞踏会」というと、どことなく妖しげな男女の出会いの場という雰囲気も感じたりもします。
私自身は今まで生涯でお見合いという経験をした事が一度もないのですけど、
男女の最初の出会いの場が「仮面舞踏会」みたいに、お互いの顔・身分・素性を全て
隠した上で、演じたキャラの上でお互いの最初の出会いの場に臨むというのも面白い感じはあったりもします。

パーシケッティーというと日本ではほとんど忘れられた作曲家かもしれませんが、私はとにかく大好きな作曲家の一人で
「吹奏楽オリジナル曲で好きな曲を10曲挙げなさい」という質問をされたら、
「吹奏楽のための仮面舞踏会」と交響曲第6番「吹奏楽のシンフォニー」は確実にランクインするくらい
大好きな作曲家の一人です。

パーシケッティーの吹奏楽のための「仮面舞踏会」は、正直とても難解な曲だと思います。
どこがメロディーラインで、何を言いたい曲なのか、それを明確に伝える事は大変難しいようにも思えます。
例えばこの曲をご存知ない方100人にこの曲をいきなり聴いてもらったら 、恐らく98~99人の方は
「よく分からない」・「訳がわからない」という印象を持たれそうな気がします。
私はこの曲は昔も今もとっても大好きです! 最初にこの曲を聴いたのが1986年頃でしたので、もう30年以上も
「大好き!」という感情を有しているのだと思います。
この曲の魅力って何なのかな・・?と考えた時、素性を隠すとか妖しげな雰囲気と言えるのかもしれないです。
拍子は変拍子ばかりだし、不協和音が多いし、メロディーラインがよく分からないし
一見聴くと確かに「訳がわからん曲」なのかもしれません。
くどいようですけど、その妖しげな感覚が私にとってはたまらない魅力なのです!
妖しいは妖しいでもつかみどころがなく正体不明の不気味な感じで、聴くだけでそうした謎めいたミステリアスさの虜に
なってしまうという感じてもありますし、東方Projectの登場キャラに例えると私が愛してやまないミステリアスで胡散臭い
ゆかりん=八雲紫様の雰囲気に限りなく近いようなものも感じ取ってしまいます。
この曲の変奏形式の次から次へとメロディーラインが変化していく様子は、東方に例えると、確かにゆかりんでもあるのですが、
本人が仮面の付喪神でもあり、多種多様な感情を操りながらも本人自体の表情は常にポーカーフェイスという
秦こころにもよく合っているようにも感じられます。

この曲は、6小節程度の短い「主題」の提示とそれに続く10の変奏、そしてラストの劇的なコーダによって構成されていますので
見方によっては一つの変奏曲と言えるのかもしれません。
出だしの劇的で不協和音に満ちた短い序奏にはじまり、
不安げなトランペットと低音セクションが何やら不気味な感じを演出する第一変奏、
細かく動く打楽器をベースに不気味に激しく展開されていく第二・第三変奏を経て
妖しげなオーボエのソロから開始される第四変奏へと展開し、一旦激しく盛り上がる第五変奏へと
続いていきます。
そしてユーフォニウムのやはり不安げなソロとかミュートを付けたトランペットの哀愁溢れるソロへと
つながる第六変奏になるのですけど、この部分のアルトサックスの何やら本当に妖しいリズムの支えと
清涼感とヒンヤリ感溢れる木管セクションの美しい響きは背筋がぞっとするほどの「美的限界」があるのだと思います。
そして第七~第十変奏は、打楽器・金管楽器が大活躍し、特にシロフォン・トムトムの響きが極めて印象的です。
そしてこの激しく盛り上がる変奏を経てラストのコーダまで一気に曲が展開していき 華麗に曲が閉じられていきます。

全体的には、難解・訳が分からないという印象が強いのですけど、
言葉にできないほどなにやら妖しい雰囲気とソロ楽器の扱い方の巧みさは本当に上手いと思います。

確かに分かりにくい曲なのですけど 、分かる人にはたまらない!という感じの曲なのだと思います。

最近ではコンクールの自由曲でも演奏会でもこの曲は全く取り上げられていませんよね・・・(泣)
プロの演奏会やプロチームのCDには結構取り上げられているのはこの曲の持つ通好みというのはありそうな気もします。
最近でもないけど、広島ウインドオーケストラの定期演奏会でこの曲が演奏されていました。
また、東京佼成とか武蔵野音大とか結構CD化もされているので
「わかる人にはわかる音楽」という事なのかもしれないですね。

吹奏楽のための仮面舞踏会は、吹奏楽コンクールではこれまでに三回全国大会で演奏されています。
一番最初が1973年の神奈川大学、二度目が1980年の名古屋電気高校、三度目が同年のヤマハ東京、
神奈川大学は小澤先生着任前の時代の演奏ですけど、悪くはありませんし曲は無難に消化できています。
ただ音楽的な感銘度と言う意味ではかなり低いと私的には感じられます。
名古屋電気は非常にサウンドが美しいし、トランペットのソロが素晴らしいと思います。
カットが強引なせいもあるけど、「何を言いたいのか」はあまりよく伝わらない勿体ない感じは否定できないと思います。
この三つの中ではヤマハ東京が一番よい仕上がりだと思います。
当時の職場の部は、金賞以外はレコード化されない為
仕方が無いので、私はわざわざトラヤ(1990年に倒産・・・)にカスタムテープを発注し
カセットテープにてこのチームの課題曲・自由曲を聴くことが出来ました。
名古屋電気に比べてカットの頻度が短いせいもあり、この曲本来の魅力がかなりよく発揮されていると思います。
特にアルトサックスの響きが実に秀逸だと思いますし、トランペットのソロも巧いと思います。

この曲は、フェネル指揮/東京佼成の素晴らしい録音も大変素晴らしいと思うのですけど、
私にとってのこの曲の決定盤は、ハンスバーガー指揮/イーストマンウインドに尽きると思います!
ハンスバーガー指揮の演奏は残念ながらいまだにCD化されていません・・・
1987年にパーシケッティーが逝去された際、
日曜の朝のFMで放送された「ブラスのひびき」にて「追悼 パーシケッティー」の特集があり
ここでハンスバーガー指揮での「仮面舞踏会」が放送されていましたが、その際にカセットテープにて録音出来た
事は今にして思うと大変ありがたい事でした。
この演奏はテープが擦り切れるまで何度も聴いたものですけど、
その演奏レベルの高さ・何かを確実に伝える感銘度の高さ・音楽的表現の高さは本当に素晴らしいものがありました。
何とかこの演奏、作品全集という形でもいいから、ハンスバーガー指揮版をCD化・発売をして頂きたいです!
あの演奏がこのまま埋もれてしまうには、私にとっては世界遺産の喪失といっても過言では無いような気がします。

最後に少しばかり余談を・・
パーシケッティーの他の作品というと交響曲第6番「吹奏楽のシンフォニー」も絶対に忘れてはいけない素晴らしい不滅の名曲
だと思います。

交響曲第6番は、音楽解説書風に書くと「新古典主義」的な作風です。
四楽章構成で、各楽章が短めながらも、全て引き締まって書かれていて、音楽に全く無駄がないと感じる作品でもあります。
曲自体、全ての楽章に何か霊感的なもの・インスピレーションを感じるほど
独創的なアィディアが詰まっていて、音楽のおもちゃ箱、宝石箱みたいな楽しさもそこにはあると思います。
第一楽章の小太鼓・トムトムで表現される何かせわしい感じの一方で大らかな空気も感じ、
第二楽章の一転してゆったりとした祈りのような歌の世界も美しさの極みですし、
第三楽章の「民謡」を思い出させるようなしみじみとした歌はどこか何か懐かしい感じもします。
第四楽章のメカニック的にアレグロなのですけど、突進する中にもスピード感や清涼感も
感じ取ることが出来、一気にクライマックスまで駆け上がります。

作風としては、確かに新古典主義時代のストラヴィンスキーにも何となく近いような印象もあるのですが、
やはり全編を通じてのあの霊感はさすがとしか言いようがないです。
打楽器も、目立ってはいるのですが決して派手と言う訳でもなく、
ティンパニ・大太鼓・小太鼓・シンバル・タンバリン・シロフォーン・トムトム程度しか使用していないのに
管楽器を引き立たせる香辛料としての役割もさりげなく果たしている所が心憎いです。

この交響曲のCDは、断然何と言ってもハンスバーガー指揮/イーストマンが圧倒的お勧めです!!
ライヴ録音とは思えない精密な作りに加えて、ライブ独特の高揚感も出ています。
ハンスバーガー指揮/イーストマンの組合せにおいて、交響曲第6番の方は初期の頃からCDがされているのに、
「仮面舞踏会」の方はCD化がされていないのはちょっと寂しいものはありますね~!
長い吹奏楽コンクールの歴史においてはどうしても忘れられてしまう演奏とか
「そんな曲が吹奏楽にアレンジされて吹奏楽コンクールで演奏されていた事もあるんだ・・知らなかった・・」などのように
知る人ぞ知る幻みたいな演奏が出てきてしまうのは仕方がない事だとも思っています。
そうした「忘れられた演奏」の一つなのですけど、どうしても忘れられない演奏であり、私自身が
その演奏に多大な影響を受けたという事もあり、
絶対に「歴史に埋もれてはいけない演奏」というのも幾つかあるとは思うのですが、
その中の一つが、1982年に東海地区代表として全国大会に出場し、松村禎三の交響曲より第三楽章を演奏した
長野県の屋代高校だと私自身感じております。

過去の当ブログにおいて、屋代高校吹奏楽部による松村禎三の交響曲については何度か語らさせて頂いた事は
あるのですけど、ブログというものは過去記事に埋もれてしまうという事は実はあったりしまして、
古い記事と言うのはどうしても中々現在の当ブログをご覧になっている方にはなかなか見て頂けないという事もありますので、
改めてなのですけど、屋代高校吹奏楽部と松村禎三の交響曲(第一番)について再度語らさせて頂きたいと思います。

1982年の仁賀保高校の矢代秋雄/交響曲とか、屋代高校の松村禎三/交響曲の
演奏によって、私自身が邦人現代音楽に興味を持つようになった経緯もあるため、
この屋代高校の演奏は、仁賀保高校の演奏と共に私にとっては大変思い入れのある曲の一つです。
(厳密に言うと私自身が邦人作品に関心を抱く大きなきっかけは、1981年の東北大会の大曲高校による
三善晃の交響三章~第二楽章の劇的な緊張感なのだと思います)

以前何かの本で読んだのですけど
(立ち読みだったため、本のタイトルは忘れましたけど確か邦人作曲家に関する著作だったような記憶があります)
松村禎三氏自身、1982年の全日本吹奏楽コンクールの高校の部を聴きに 普門館の会場に自ら足を運び、
屋代高校の演奏を聴き、大変満足されたとの記述が確かあったように記憶しています。
これって結構すごい事かもしれないですね・・・
もしも演奏する立場だったら・・・、もしも事前に作曲者自ら普門館まで足を運ぶという事を
知っていたとしたら、とてつもなくプレッシャーが掛るかもしれませんよね・・・・(汗・・)

松村禎三の交響曲自体、吹奏楽コンクールで演奏される事は・・・・うーーん、ほとんどありません・・・・
過去の吹奏楽コンクールにおいて松村禎三の交響曲が演奏されたことは2回に留まっています。

しかし、その2回とも支部大会を通過し全国大会で演奏されています。
一つが屋代高校で、もう一つは1983年の東海大学です。
ちなみに東海大学は第一楽章の方を演奏しています。
私は個人的には、屋代高校の演奏も東海大学の演奏も両方大好きですし、両チームとも
松村禎三の「すさまじい破壊的エネルギーのパワー」の世界を見事に表現していると思います。

1982年当時の東海地区の高校の部は、名電・浜松工業・東海第一の三大巨人がしのぎを削っていましたが、
浜工と東海第一を蹴落としての全国出場はお見事だと思います。
というか、長野県の普通の県立高校で、特に音楽的教育を日常的に受けていない生徒の皆さん方が
ああやって松村禎三の交響曲の世界を見事に表現されただけではなく、
結果的に吹奏楽コンクールの名門校を撃破しての全国大会出場は大変立派な事だと思います。
この事実は、同じく田舎の県立高校の楽器も予算も実績も何もない吹奏楽部員に対して
どれだけ「希望」を与えてくれたものか!!
そういう意味でも、この屋代高校や仁賀保高校の演奏は私は大好きですね。

さてさて、1982年のその屋代高校の演奏なのですけど、改めてはっきりと申し上げますと、
正直言って技術的には決して超高校級の怒涛の名演ではありません。
1982年の高校の部の圧倒的な第一位と感じている仁賀保高校の超絶的技術と音楽的解釈の
素晴らしさ・透明感に高校生離れした卓抜したスピード感と切れの良さみたいな技術の高さはほぼ皆無だと思います。
結果的に屋代高校はこの年の高校の部において銅賞を受賞し、私個人の客観的評価としては、出来としては、
そうですね・・下から2~3番目ぐらいの演奏なのかなぁ・・というのが本当に正直な意見です。
というか、よくこの技術であんな激戦の東海大会を突破できたのか不思議なくらいです。

屋代高校の演奏は確かに難もあります。
木管楽器、特にクラリネットセクションがあまりにも貧弱というか、音が薄過ぎというのが最初から最後まで
かなり引っかかってしまいます。
(課題曲の序奏とアレグロも音楽的解釈とあの無機質的なスピード感はこの課題曲の本質を理解している数少ない
演奏の一つだと私は思っているのですけど、そうした素晴らしい解釈を木管・・特にクラリネットセクションが少々もたつくことに
よって台無しにしているような箇所が幾つもあるのは大変勿体ないと感じております)
特に冒頭部分なんか、あまりにも貧弱すぎて
「サウンドがうすべったく貧相で平板・・」みたいな印象を与えてしまいます。

だけどffでのパワーは原曲に迫るものもあります。
アレンジは素晴らしいですね! 原曲を再現しながらも、独自の吹奏楽としての色彩感も出しています。
いい例がコンサートチャイムの使い方だと思います。
中間部での強奏において、原曲では、ピアノがそのリズムを支える役割がありますが、
屋代高校では、ピアノの代わりにコンサートチャイムを何と二台も使用し、斬新な響きを展開させていきます。
チューバなどの低音楽器も比較的大胆に使用し、重圧感も醸し出していたと思います。
「ヒヒーン」とも聞こえる馬の悲鳴みたいなトランペットの音の響かせ方とか
ラスト近くの小太鼓の凄まじいロールとかラストのコンサートチャイムの2台の荘厳な響きとか
打楽器セクションの圧倒的存在感とか(特にトムトムの響きが圧巻ですね!)
一旦静粛になった部分でのオーボエのつぶやくようなメロディーの歌わせ方とか
大胆不敵とも感じられるチューバセクションの低音の響かせ方などなど随所に燦然と光り輝くものがあると思います。
そして何よりもあの松村禎三らしい「すさまじいエネルギーのかたまり」をダイナミックスレンジを幅広く駆使しながら
流れるように表現できていたのは素晴らしいものがあると思いますし、
この点は、吹奏楽コンクールにおける「表現」という評価ポイントにおいては、満点に近い評価があっても当然ではないのかな
とも感じたものでした。
たった一つの音の塊が時の経過とともに「巨大な音のうねり」と変容化していく様子が「音の絵巻」として
的確に表現されているようにも私には感じられたりもします。

この屋代高校の演奏が特に秀でている点は、奏者全員がこの難解な曲をよく理解したうえで
「自分たちはこのように吹きたい!」という意思と主張が明確に伝わっている点と
弱奏と強奏のダイナミックスレンジの幅が驚異的に高いという事なのだと思います。
それゆえに冒頭とか弱奏部分の木管セクションの「サウンドの貧弱さ」が大変勿体ないですし惜しまれます!!
その点をもう少しきちんと整理されて演奏されていたならば、もう少し高い評価は出ていたような気さえします。
中間部とか終結部のffの表現・雰囲気が実に素晴らしかっただけに
音の薄い部分に対して、もうひと工夫はほしかったですし、この点は大変惜しまれます。

だけど、松村禎三の「和の圧倒的エネルギーの世界」をあそこまで的確に表現し、
確実に聴衆に対して「何か」を伝え、あの演奏から既に35年以上経過した現在においても
「私」という存在に今でも「感銘」を残しているのは、あの屋代高校の演奏なのです。
私自身は、「松村禎三の世界」は屋代高校のあの素晴らしい演奏を通して初めて知ることになったのですから、
やはりその意味でも大変意義の大きい演奏だといえると思います。
そうした意味では、昨年・・2017年にご逝去された花輪高校の小林久仁郎先生が指揮された
ウォルトンの交響曲第一番の演奏を東北大会で聴くことで一気にクラシック音楽の深い森の中に迷い込んでしまった
構図と似ているものがあると思います。

とにかく屋代高校は、普通の先生と生徒たちが夏の間に手作りで自分達の音楽を作り上げ
自分達なりに表現できたと言う意味で本当に素晴らしいと思いますし、
1982年の全国大会で見事に松村禎三の世界を表現された屋代高校の指揮者と生徒の皆様に
あの演奏から36年経過後の私から心の底から敬意を表したいと思います。

本当にありがとうございました!!

結果として、評価としては銅賞なのですけど、
そんなのこの演奏の前では全く無意味に感じます。
だって、コンクールの評価とは、絶対的なものではなくて、あくまで複数の審査員の点数を集計した数値を
相対的に評価しただけのものに過ぎません!
少なくとも、「私」には、銅賞以上の何か大切なものを間違いなく伝えてくれました。

私自身、松村禎三の交響曲(第一番)を管弦楽の原曲版を全楽章ノーカットで一度だけなのですけど
プロの演奏を聴くことができたのは本当に幸いなことでした!

松村禎三の交響曲は、個人的に大好きな曲の一つです。
残念ながら生で聴く機会は極めて少ないのですが、これまでの私の生涯の中でたった一度だけ
この曲を聴く機会に恵まれました。
確か1992年の冬だったと思いますが、
都響のサントリーホールにおける定期演奏会にて、「オール松村禎三プログラム」が組まれていました。

曲目は・・・・

〇管弦楽のための前奏曲

〇ピアノ協奏曲第二番

〇交響曲

という構成で、確か指揮者は岩城宏之だったと記憶しています。

松村禎三は、後に交響曲第2番を発表していますけど、
この都響の演奏会の頃とか1982年の屋代高校の演奏時においては、2番はまだ未発表でしたので、
この時点では「交響曲」という表示になってしまいます。

私、この松村禎三の作品展を聴きに行くため、1992年は山梨県在住でしたけど、
「都内の叔母が危篤状態・・・」と大嘘をつき、有給を取得し、わざわざこの演奏会を聴くためだけに
上京したのは今となっては大変懐かしい思い出です・・(汗・・)

松村禎三の「交響曲」は生で聴くとすごいエネルギー感を感じますね。
熱気というか、内面的な充実感をものすごく感じる曲です。
第一楽章と第三楽章の「和のすさまじい破壊力・パワー」もいいけど、
両楽章の間に挟まれた静粛感の漂う第二楽章も短いのですが大変印象的です。
でも圧巻は第三楽章ですね!
第二楽章から休む間もなく続けて演奏されるのですけど、クラリネットのつぶやくようなソロから始まり、
段々と盛り上がっていき、戦場での馬の悲鳴・雄叫びのような展開を経て
少し静かになって突然和音を叩きつけて終わるという感じなのですが、このエネルギーにはただただ脱帽するしかないです!
打楽器的に使用されるピアノや二台も使用されるコンサートチャイムとや
トムトムと小太鼓のロックみたいな響きは、確実に聴衆に「何か」を伝えているのだと思います。

この交響曲の魅力は、上記の屋代高校の演奏ではないのですけど、あの「圧倒的なエネルギー」なのだと思います。

この曲の音楽専門書における書き方としてよく「アジア的エネルギー」と表記されていることが多いのですけど、
私的には「少し違うんじゃないの・・?」という感覚があったりもします。
この交響曲は、あの圧倒的エネルギーによって「すべて」を飲み込んでしまう曲なのだと思います。

聖も俗も、善も悪も、昼も夜も、現実と幻想も、とにかくこの世のありとあらゆるものを飲み込んで
すべてをごった煮させる事で、混沌から「一筋の光」を見出していこう・・みたいな問答無用的なパワーとエネルギーが
ある曲なのだと思ってしまいます。

最後に・・・

繰り返しになりますが、そうしたすべてを飲み込んでしまうこんなとてつもない大変難解な管弦楽曲を吹奏楽版にアレンジし、
それを立派に消化したうえで、自分たちの「ここはこのように表現したい!」という個性をきちんと踏まえながらも
原曲のこうした圧倒的エルネギーを見事に普門館の聴衆に提示することができた
1982年の屋代高校吹奏楽部の皆様に敬意と感謝の気持ちを改めて表させて頂きたいと思います。
1979年の吹奏楽コンクール課題曲D/行進曲「青春は限りなく」というちょとマイナーな課題曲をご存じの皆さまって
少ないと言うのか、私みたいなオールド吹奏楽ファンだけなのかもしれないですね・・(汗)
吹奏楽に相当お詳しい方でも「あれ~、過去にそんな課題曲あったっけ?」みたいに思われても仕方が無いほど
人気がうすく演奏される頻度もちょと弱くて、マーチなんだけちょっと地味なおとなしめの曲だったと思います。
だけどこの課題曲は後述しますけど、79年の課題曲には「フェリスタス」という今現在に至るまで語り継がれるほどの
不滅の大人気名曲課題曲があったり、はたまた「プレリュード」という吹奏楽コンクールの課題曲の転換点をもたらしたような
素晴らしい課題曲のビッグ2がそびえたっている関係で、どうしても「青春は限りなく」のインパクトは弱くなってしまいますね・・

1979年の吹奏楽コンクールの課題曲は、A/フェリスタスが圧倒的に大人気の曲で
全部門を通しても屈指の大人気課題曲だったと思います。
というか、このフェリスタスは今現在でもたまにですけど定期演奏会の演奏会で「懐メロ」として演奏される事例も多々ありますし
私自身の母校でも「OBメモリアル演奏会」が開催された時でも、
アルメニアンダンスパートⅠ・エルザの大聖堂への厳かな行列などと共に演奏された曲でもあったりします。
前述の通り、1979年の全国大会での課題曲の人気はこのフェリスタスとB/プレリュードに二分されてしまい、
結果的に課題曲D/青春は限りなくは全国大会ではわずか3チームしか演奏されていませんでした。

「青春は限りなく」の前に少しだけ同年の課題曲A/フェリスタスについて語らさせて頂きますと・・

フェリスタスの冒頭から曲の大半は短調で進行するのですけど
曲のクライマックスにかけては急に短調から長調へと変わり、それが何かとてつもない幸福感みたいな印象を
与えているような気もします。
フェリスタスの冒頭のファンファーレ的な曲想からして素晴らしさにジーンときてしまいますけど、
あの極めて印象的な冒頭が終わると、続けてアルトサックスのソロが展開されますが、
あのアルトサックスのソロが極めて素晴らしいメロディーラインであったりもします。
哀愁溢れる感じもあるし決然とした感じもあるし、何よりもあの高音域をヴィヴラートかけまくりのあのオーラが
なんともいえない高貴さとかっこよさを当時中学生の私も感じていたものです。
あのアルトサックスのあのソロは、当時吹奏楽部に所属しコンクールで課題曲Aを選曲していたチームのアルトサックス奏者は、
「俺が吹きたい!」「いやいやオレが・・・」「いやいや、私だって吹きたい」みたいな感じだったのかもしれないです。
そしてこのアルトサックスソロのメロディーが様々な形で変奏され曲が進行していきますけど、
曲が一旦静まりかえった後で、ミュートを付けたトランペットの短いスタカット風な刻みとされに呼応するシロフォンが
実に格好良かったと思います。
そしてクラリネットによるアルトサックスソロ部分の回想が高音域でしみじみと展開され
曲がじわじわと盛り上がっていき、最後は感動的なコラール風に閉じられるのですけど
その閉じられ方は、これ、当時よく言われていましたけど
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」~終曲の終わり方に本当にそっくりだと思います。
当時から「ニセモノ火の鳥」なんて言われていましたけど、とにかくあの閉じられ方はとてつもなくかっこよかったですし、
フェリスタスが未だに課題曲人気ランキング上位に食い込むのも当然なのだと改めて感じさせてくれていると思います。
ちなみに私の在籍中学校は、当時の課題曲はCの「幼い日の思い出」であり、当時の私は
「どうしてこんなずいずいずっころばしみたいな童謡を毎日演奏しないといけないんだよ~」とブーたれていたものてしたけど、
翌年・・1980年の課題曲はCの「北海の大漁歌」を顧問が選曲していましたので
当時の部内では「どうして2年連続して童謡と民謡の課題曲を演奏しないといけないんだよ~」という不満の声が
相当鬱積していたと記憶しています・・

話を「青春は限りなく」にもどしますと、
この行進曲「青春は限りなく」は地味なのですけど独特のチャーミングな雰囲気も感じられ、
「青春万歳!!」みたいな華やかさは全くないのですけど、大変「爽やかさ」を持った曲だと思います。
この課題曲はマーチングの練習曲として、私自身も何度か吹いた事はありますし指揮をした事もありますけど、
全体的にはピッコロの装飾音符とメロディーに対するいわゆる裏メロがとってもすてきな旋律が展開されていて、
私自身実はなのですけど、
メロディーラインに対する裏メロの存在というものを中学生ながら認識したのは、この「青春は限りなく」と
実際に私自身がコンクール課題曲として演奏した79年の課題曲C/幼い日の想い出の中間部のユーフォニアムの
あの壮大な裏メロだったと思います。
この課題曲Dは、コンクールの課題曲としては吹きませんでしたけどマーチングの練習用として何度か吹いた事があります。
その際に顧問の指揮者の先生から
「この曲には、メロディーライン・リズム的な側面を持つ裏メロ担当・後打ちのビートセクションから
構成され、単純な曲なのだけど、同一小節内に、第一メロディーと裏メロとも言える第二メロディーが
同時に存在し、第二は第一メロディーを侵食してはいけないけど、同時に自らの存在感も伝えないといけない。
音楽は、各奏者に役割分担があり、各自が自分はこの曲においてどういう役割を担っているか
よーく考えながら吹け!!」と中学生に対する指導としては結構な無茶振りみたいな事を言っていました。
勿論当時は何を言っているのかさっぱり分かりませんでしたけど、今にして思うと言いたい事はよく分かります。
クラリネットとしてこの曲を吹いた時はメロディーライン担当というか第一メロディーを主に吹いていましたけど
アルトサックスとしてこの曲を吹いた際は、役割としては裏メロ担当というか第二メロディーラインを
吹いていたと思いますけど、今にして思うと、この曲を通して上記で書いた通り、
楽器の役割分担とか曲の構成とか、裏メロの存在というものを教えられたような気もします。

余談ですけど、私の中学の1980年度の「文化祭」の統一テーマが「青春よ、限りなく」というものでしたけど、
これを学校側に投降し採用されたのが吹奏楽部の部員でしたので(そんなパクリ投稿したのは私ではないですよ・・汗・・)
間違いなく79年の課題曲Dの「青春は限りなく」の「は」と「よ」の一文字だけを変えただけのパクリだったと思います。
というかこんなパクリが正々堂々と採用されるのが田舎らしいおおらかさだったのかもしれないですね・・

私の中学校は、毎週月曜日の全体朝礼は真冬でも校庭と言う屋外でやっていましたけど、
全校生徒の入退場のマーチを演奏していたのは当然吹奏楽部の役割でした。
顧問の先生は当時は担任教師としての顔も持っていましたので、全体朝礼の際は担任クラスに付きっ切りと言う事も多々あり、
私自身もよく代役として、こうした入退場マーチの指揮者を務めていましたけど
この「青春は限りなく」とか1979年課題曲E/朝をたたえては結構指揮を担当していたものでした!
そういう意味でもこの「青春は限りなく」は個人的にも地味だけどなんか妙に思い入れがある課題曲の一つでもあったりします。

余談になりますけど、1979年の課題曲E/「朝をたたえて」は、
大阪のフェスティバルホールで朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団、
大阪フィルハーモニー合唱団により、吹奏楽編成ではなくてなぜか管弦楽編成として初演が行われているそうです。
合唱部分は 「ひーろがる。ひろがる」、「かーがやく。かがやく」、「うーたおう。歌おう」の
歌詞の繰り返しを3回を経て、オーケストラによるコーダで終わるのですけど、
その関係で、初演の演奏時間は、合唱の繰り返しを含む都合上約6分30秒を要したとの事です。

大指揮者、朝比奈大先生もこうしたイベントに当時は駆り出されていたなんてちょっと意外な感じもありますね・・

奥村一は青春は限りなくの他に1971年にも吹奏楽コンクール課題曲として行進曲「太陽の下に」というマーチも
作曲されています。
この「太陽の下に」なのですけど、当時の一般の部の実況録音のカスタムテープを聴いてみると、例えば公苑会などのように
課題曲と自由曲の間になんと、拍手が入っている演奏チームもあったりします!
当時はそういう基本マナーすらも聴衆には徹底されていない時代だったのかもしれないですね・・

最後に、行進曲「青春は限りなく」の作曲者の奥村一は、埼玉のご出身で、そのせいなのか1976年に
組曲「秩父夜祭り」 という吹奏楽作品も作曲されています。

秩父夜祭は、ユネスコ無形文化遺産に登録されている埼玉県秩父市にある秩父神社の例祭であり、
12月2日が宵宮、12月3日が大祭であり、提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、
冬の花火大会はテレビ映像でもおなじみの方も多いのかもしれないです。
秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられるそうです。
秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられているそうで、
金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれるほど豪華絢爛で、
国の重要有形民俗文化財に指定されているとのことです。
仮面(お面)というと東方ファンの皆様ですと私も含めて秦こころを思い起こす人も多いとは思いますが、
一般的にお面・仮面というと、
本来内省的に自分が有しているはずだけどそれを表にすんなりと出せない自分自身の隠れた側面を
仮面をあえて身に付ける事で表面的な自分を一旦表面上隠蔽した上で本来の自分を演じる事が出来ると言う事に
どことなく不思議な魅力を感じたりもします。
仮面と言うものは換言すると「変身願望」の一種なのかもしれないです。
自分が元々有している個性を隠蔽し、仮面を被り別の個性を演じる事で
「今までの自分とは違ったもの」を見出してみたいという意図が多少はあるのかもしれないですし、
この点が仮面自体にどことなく妖しさ・ミステリアスさを感じさせてくれているのかもしれないです。

そうした仮面・お面をモチーフにした古今東西の音楽というと、
ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」、ハチャトゥーリアンのバレエ組曲「仮面舞踏会」や
吹奏楽関連では大栗裕の「仮面幻想」、パーシケッティーの吹奏楽のための仮面舞踏会を思い起こしますけど、
日本の和の鄙びた感覚とか奥ゆかしさ・恥じらい等に繋がる音楽として名高いのは小山清茂作曲の交響組曲「能面」と
言えるのかもしれないです。

小山清茂が現代日本のクラシック音楽界と吹奏楽界において最も大きな貢献を残された作品と言うと
管弦楽のための(吹奏楽のための)木挽歌なのではないかと私的には感じていますし、この木挽歌という作品は
外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」と並んで日本人の心のふるさとともいえる作品ではないのかな?と思ったりもします。
この2曲は大変分かりやすい音楽から構成されていて、日本人であるならば間違いなくどこかで聴いたことがあるメロディーが
次から次へと登場してきますし、この曲を聴いてしまうと普段は自分が日本人である事を意識しないような人でも
多少は日本」意識させてくれる郷愁に溢れた作品と言えるのだと思います。
実際、小山清茂の管弦楽のための木挽歌は、外山雄三の管弦楽のためのラプソディーと並んで、
和をモチーフにした邦人作品としてはメかなりジャーな作品だと思いますし、現在でも演奏会で取り上げられる
頻度は比較的高い方だと思います。

小山清茂は管弦楽の分野でもそうですけど、吹奏楽の発展のために尽力し、吹奏楽のための木挽歌のように
そのいくつかの吹奏楽作品は今でもコンサートや吹奏楽コンクール等でも演奏され続けています。
1914年に長野県で生まれた小山清茂は幼い頃から民俗芸能の響きに囲まれて育ち、
日本の伝統的な響きを最も濃厚に受け止めた作曲家のひとりです
西洋楽器のための作品だけでなく、和楽器のためにも数多くの作品を残している事でも知られています。
主要作品に、管弦楽のための木挽歌、管弦楽のための鄙歌第1~4番、管弦楽のための信濃囃子、交響組曲「能面」、
管弦楽のための「もぐら追い」なとが挙げられると思いますし、
吹奏楽作品としては、1980年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Aの吹奏楽のための「花祭り」、
吹奏楽のための「おてもやん」、 吹奏楽のための「琴瑟」などが知られていると思います。

そして小山清茂の作品の中で木挽歌と同様に絶対にに忘れてはいけない作品の一つとして交響組曲「能面」が
挙げられると思います。
大栗裕の「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による」などのような凄まじい大音響とか劇的なドラマ性や
動と静の凄まじいダイナミックスレンジの落差による表現という感じではなくて、どちらかというと日本人の心の奥底に潜む
和の鄙びた雰囲気という感じの曲と言う事で、最近の若い奏者の皆様にとっては今一つ演奏効果があがりにくい曲と
捉えられても仕方がないのかもしれないですけど、木挽歌以上にこの曲は後世の日本人に絶対に受け継がれていって欲しい
曲の一つだと思います。

小山清茂の交響組曲「能面」は、1959年に作曲されています。
渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団により1959年11月5日に放送初演されています。
;この曲の音源として、渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団によるビクターのレコードがあるのですけど、
多分この音源はCD化されていないと思いますので、あの素晴らしい名演を是非CDでも聴いてみたいです。
この曲の原曲の管弦楽版の生演奏は一度だけ聴いたことがありまして、1998年の都響の邦人作品シリーズとして
日本の作曲家シリーズ23<小山清茂作品集> というプログラムでこの能面のプロの管弦楽団によるライヴ演奏を聴く事が
出来たのは大変貴重な経験だったと思いますし、多分ですけど能面の管弦楽の生演奏としてはあの演奏が私にとっては
最初で最後のものになる可能性が高いくらい大変意義のある演奏会だったと思います。
あの時の指揮者は矢崎彦太郎で、曲目はオール小山清茂プログラムで、当日演奏していた曲目は、
管弦楽のための信濃囃子・管弦楽のための鄙歌第1番・管弦楽のための鄙歌第2番・交響組曲「能面」・管弦楽のための木挽歌
と言うものでした。
私自身日本フィルで鄙歌と木挽歌は聴いたことがありますけど、能面を聴く事ができるなんて生涯二度とないかもしれないと
思い、あの時はかつてやはり都響の「オール松村禎三プログラム」の時と同じように
「(存在しない)叔母が危篤」のため早退というガセネタで上野の東京文化会館まで聴きに行った事は今となっては
なつかしい思い出ですね~

小山清茂の交響組曲「能面」は下記の三楽章から構成されています。

Ⅰ.頼政 (よりまさ) 
 
Ⅱ.増女 (ぞうおんな)
 
Ⅲ.大癋見 (おおべしみ)

ちなみに吹奏楽コンクールにおいては、Ⅲをベースに構成されている事が多いです。 

この交響組曲「能面」を作曲していた頃の小山清茂は、能の面だけを眺めていてもなんだかイメージが掴めないと言う事で
実際に頼政の舞台を観て能の雰囲気を知った上で、
謡曲本を購入されそれを歌詞として歌曲の要領で作曲するなど試行錯誤しながら作曲の筆を進めたようです。
交響組曲「能面」は鄙歌・木挽歌・花祭りなどに見られたように曲自体に民謡や神楽囃子など日本の伝統音楽の
メロディとして使用している場面はほとんどないです。
能楽はよく「無駄を一切そぎ落とした究極のシンプルな音楽」と言われたりもするのですけど、
交響組曲「能面」はそうした能楽自体をかなり強くイメージさせる音楽であり、和の響きを大切にしながらも
仮面の下に隠された人間の感情の起伏の激しさを西洋の楽器を使いつつダイナミックスレンジの幅を音楽上の強弱というよりも
感情の起伏の激しさという意味で表現されている事は特筆に値しているのかもしれないです。
オーボエのグリッサンドは能管や謡いのイントネーションを意図し、
木管とヴィオラのグリッサンドを伴うピチカートは鼓の音をイメージし、
低弦楽器が靴べらで弦を弾く事によって生ずる音は薩摩琵琶の響きを彷彿とさせている点は、
曲自体は西洋楽器そのものを使用しながらも随所に日本的な和の響きを大切にしている事を強く意識していると
言えそうです。
Ⅰの頼政において、冒頭にオーボエ独奏により無伴奏で出る幽玄な第1主題は謡曲本をベースに作曲されたもので、
続いて弦楽器で出る第2主題は和歌の朗詠のイントネーションを思わせるものであり、
最後には2つの主題が同時に演奏されます。
Ⅱの増女は、気高く神聖なイメージの女性を表現した楽曲です。
2つの主題のうち、1つはⅠの頼政の主題に似せ、2つ目はⅢの大癋見の主題に似せることにより
両端楽章をつなぐ役割を果たしています。
Ⅲの大癋見は、天狗の怒った表情を表す面で、瞬間表情の面であるため、主題も荒々しいもの1つのみとなっています。
最後には、低弦のピチカートとティンパニによる特徴的なリズムに乗っかる形でクライマックスが形成されていきます。
ラスト近くのティンパニの幽玄な連打が大変印象的です。

この交響組曲「能面」は吹奏楽コンクールの全国大会では2018年時点で今の所2回ほど全国大会で演奏されています。

そのうちの一つが1978年の前橋商業なのですけど、大木隆明先生時代の前橋商業というと小山清茂の自由曲が
大変印象的ですし、特に1978年の能面、79年の木挽歌、80年の鄙歌第2番の三年間は鄙びた和の世界を吹奏楽として
見事に表現された名演だと思います。
特に1980年の課題曲A / 吹奏楽のための花祭りは小山清茂作曲の作品でもありますので、この年は課題曲も自由曲も
小山清茂の和の鄙びた世界を完璧に表現された演奏として私もあの「枯れた感覚」の演奏はとっても大好きですし、
かなり強い共感を感じます。

CDが普及する以前の吹奏楽コンクールの音源はレコードでしたけど、
ソニーの「日本の吹奏楽」というLP盤において、このレコードジャケットの裏ページの1978年~81年前後は
出場チームの部長等のコメントが記されていました。
そのコメントの中で大変印象的なコメントが1979年の前橋商業でして、その中に
「私達も年に何度かアメリカのオリジナル作品を演奏する事もあります。だけど、吹いていると
何かこれは自分達が目指している音楽ではないみたいな雰囲気になり、練習するのを止めてしまいます。
こうやって毎年毎年泥臭い邦人作品を演奏し続けるチームが全国に一つくらいあってもいいのではないでしょうか」
といった事が記されていましたけど
この言葉にこそ「前橋商業高校吹奏楽部」が象徴されているのだと思います。
1978年の前橋商業の自由曲が能面で、課題曲がAのジュビラーテでしたけど、
この年の課題曲Aは上記のコメントではないですけど、アメリカのオリジナル作品を絵に描いたようなジェイガーの作品
でしたので、当時の前橋商業とアメリカ作品の相性の悪さは言うまでもないという感じの演奏だったと思います。
私自身は78年の前橋商業の課題曲と自由曲はカスタムテープとして聴いたのですけど、
奏者達はジュビラーテという課題曲はあまり好きではないと言う事が手に取るように伝わってきています。
勿論、技術的にはとっても上手くて技術的な問題は全くありません。
巧いけど伝わってくる音楽からは「私達はこの課題曲が好き!」という気持ちは全く伝わってこないです。
というか、かなり無機質にさくさく進行しています。
中間部の表情も確かにユーフォニアムの裏メロとかたっぷりと歌っているし、トランペットとフルートの掛け合いも
ほぼ完璧に決まってはいるのですけど、演奏自体にすきま風が吹いていて音楽に違和感を感じてしまいます。
だけど自由曲の小山清茂の能面に入るとこの雰囲気が劇的に変ります。
サウンドが粘っこい音に変り、情感たっぷりの音楽に変容します。
一言で言うととってもおぞましい音楽という形容なのかもしれないですし、
見てはいけないものを見てしまったみたいな感じの音楽を怨念たっぷりに歌い上げた雰囲気に満ち溢れています。
そこから感じ取れるのは、人間の嫉妬・焼きもち・ねたみ・隠してしまいたい心の本音・恨みつらみ・怨念等のマイナスの感情を
能面という一つの仮面に隠すことで、自分の心の奥底の心の闇を隠して建前で生きることでどうにかこうにか現世を
生きていくという人間の裏の感情・心の奥の怨念といったものをとにかく粘っこい音色で歌い上げています。
私自身、この前歯商業の能面を一番最初に私が聴いた時の感想は、おどろおどろしいとかおぞましいという感情しか
無かったのですけど、今現在の視点で聴き直してみると禁断の愛とか秘密といった言葉がしっくりきそうな感じがあります。
幽玄な雰囲気を情感たっぷりに表現しているけど、あのおどろおどろしい雰囲気をここまで吹奏楽として表現出来ている事は
当時としては特筆に値するものがありそうです。
出だしのフルートソロから既にこの曲の幽玄さというのか心の奥底の怨念が炸裂しています。
序盤はとにかく不思議な静けさにも溢れているのですけど、展開部に入って更に驚くことになります。
何かと言うと、原曲にも存在していない男声コーラスで「おー」みたいなハミングの響きが更に
幽玄さを醸し出していきます。
あの部分を聴くと、何となくですけど人の心に潜む妬みみたいな暗黒なものをついつい妄想してしまいます。
そして後半部分はティンパニが大活躍をします。
前橋商業の生演奏を見た訳ではないので、実際何人で叩いたかはわからないのですけど、
1984年に東海大学吹奏楽研究会が都大会と全国大会でこの小山清茂の「能面」を演奏していて、
私自身は都大会の演奏を生で聴いたのですが、この際は5台のティンパニを4人の奏者で演奏していたと記憶しています。
多分ですけど前橋商業も3~4人でティンパニを叩いていたと思うのですけど、
あのティンパニの響きがとっても印象的ですし、とてつもなく幽玄な香りがしますし、
おぞましい香りに溢れていたと思います。
あの迫力はとにかく凄まじいものがありますし負のエネルギー」に満ち溢れていたと思います。
一つ残念だったのは演奏終了後の間髪を入れないブラボーでしたね・・あれは少し興醒めでもありました・・

そしてもう一つの「能面」の演奏は1984年の東海大学吹奏楽研究会です。

東海大学というと今現在では2011年以降にアンサンブルリベルテの福本信太郎先生を招聘されて以降は
全国大会金賞の常連というイメージが既に現在の現役奏者の皆様の間では定着していると思うのですけど、
東海大学と言うと、個人的な話で申し訳ないのですけど、私的には上原圭詞先生というイメージが大変強いです!

1984~1987年当時は自分の大学が都大会予選会を突破し、普門館で開催される都大会本選に進むためには
東海大学・創価大学・東洋大学・明治大学などの都大会本選銀賞~銅賞チームを超える演奏をしないと到底不可能という事で
私も当時はかなり東海大学の存在は意識したものですし、私自身の「普門館での演奏」という夢の実現のためには、
東海大学などには負けられないという気持ちの方が強かったです。
反面個人的には、当時の東海大学は上原圭詞先生という大変マニアックな選曲を独特の世界観で演奏される
大変個性の強いチームでもありまして、私自身は、自分自身のコンクールという事は抜きにして
上原先生在籍当時の東海大学のサウンドは大好きでしたし、上原先生の大ファンでもありました。

当時の上原先生=東海大学は、
どちらかというと、花輪高校の小林久仁郎先生の路線と少し被るような側面もあり、
当時の私としては、花輪の小林先生、東海の上原先生という吹奏楽界の二大偉人という独特の世界観&解釈をされる
お二人の先生を深く深く尊敬していたという事は間違いないと思います。
上原先生は今でも現役で指揮をされ続けていますし、その後活躍ぶりには本当に頭が下がる思いです。
(2017年のコンクールは出場されていましたけど2018年は欠場という事で実は少しばかり心配もしていたりもします・・)

東海大学時代の上原先生の選曲は素晴らしくマニアックだったと思います。

1979年  B/ローマの祭り

1980年  C/交響曲第四楽章(矢代秋雄)

1981年  B/バッカナール(黛敏郎)

1982年  B/交響曲第2番「鐘」第一楽章(ハチャトゥーリアン)

1983年  B/交響曲第一楽章(松村禎三)

1984年  B/交響組曲「能面」

1985年  B/第七の封印

1986年  B/神の恵みを受けて

1987年  B/ローマの祭り

1990年  A/バレエ音楽「まりも」(石井歓)

1991年  B/舞踏曲「サロメ」(伊福部昭)

どれもこれも素晴らしい選曲&演奏だったと思います。

私、これらの東海大学の過去の演奏を聴くために、
当時世田谷区にあった「トラヤ」というカスタムテープ制作会社(既に倒産)に大人買いというか、
「東海大学のみの演奏を収録したカスタムオリジナルテープ作成」を依頼したくらいでもあります。

1981年のバッカナールは課題曲のコラージユと合せて大変高いレヴェルとテンションが高い名演でありまして、
当時の東京支部は、亜細亜&駒沢という超名門チームが闊歩していましたので、
あの名演が全国でも聴けなかったのはとても勿体ない気がします。
黛敏郎の「バッカナール」というと吹奏楽に詳しい方ですと「初演は秋田南高校」と言われるのかもしれないですけど、
実際は秋田南の全国大会での演奏よりも既に4年前に東海大学が演奏をしていたりもするのです。
ハチャトゥーリアンの「鐘」は花輪高校の1980年のカットをそのまま使用した感じで、
第一楽章をメインに演奏し、ラストは第四楽章の「咆哮」を使用するというパターンです。
上原先生はもしかしたら花輪の小林先生からの何かしらの影響は多少はあったのかもしれないです。
圧巻は松村禎三の交響曲でして、とにかく内面的緊張感の持続は戦慄さえ感じます・・・・
前年に屋代高校がこの交響曲の第三楽章を全国で演奏していますけど、
東海大学の第一楽章も前半とラストの静粛さと中間部の緊迫感の壮大な対比が極めて素晴らしいです!
84年の「能面」は、78年の前橋商業とほぼ同じカット&男性コーラスを用いていましたけど
前橋商業に比べて、サウンドの透明感・洗練さを感じさせるため
おどろおどろしい印象よりは都会的なスマートさという印象があります。
1987年の都大会の「ローマの祭り」は気持ちよいほど豪快に鳴らしてくれていて、あの爆演は聴いている方も大変心地よい
ものがありましたけど、実際は指揮者と奏者は快感の極致といえるのかもしれないですね~♪
90年のまりもも本当に素晴らしい演奏だったと思います。
前半の内面的緊張感、中盤の踊り、ラストのたっぷりとした歌い方は、全国大会代表・金でも全然おかしくない演奏でしたけど、
なぜか都大会の評価としては銅賞で私は客席でぶーたれていたものでした。

小林先生が指導されていた花輪高校と上原先生が指揮されていた東海大学は、そのあまりにも強い個性と
アクの強い演奏のためなのか、吹奏楽コンクールという審査の場では多分ですけど、審査員の好みもはっきりと分かれていた
ような気もしますし、それが結果的に「少しばかり不当に低く評価されている」ような印象に繋がっているのかもしれないです。

最後に話を小山清茂の能面に戻しますと、1984年の東海大学の演奏は、課題曲B / 土俗的舞曲のエネルギッシュな明るさと
自由曲の能面という緊張感・人の心に奥深く潜んだ恥じらい・奥ゆかしさに満ち溢れた曲を
内在的エネルギーを内に秘めながらも、比較的カラッとした都会的洗練さを感じさせる表現に仕上げられていて、
78年の前橋商業とは少しばかり全体的な構成や指揮者が意図している点は被る点はあるのかもしれないですけど、
その目指している方向性はむしろ真逆というのも大変面白いものがあると思いますし、同じ素材を用いながらも
全く違った解釈・方向性を楽しむ事ができる吹奏楽コンクールというものは、やはりとてつもなく興味深い場であるのは
間違いないと言えるのだと思います。
チャイコフスキーの交響曲は、マンフレッド交響曲を含めると計7曲あるのですけど、
1番~3番とマンフレッドは人気の上でも実演回数の上でも今一つなのかもしれないです。
(私自身は交響曲第1番「冬の日の幻想」はとても好きな曲です)
最後の交響曲第6番「悲愴」の人気がずば抜けて高く、次に人気なのが5番、そして4番という人気順なのかもしれないです。
実際、チャイコフスキーの交響曲は、生演奏会では6番と5番の演奏頻度はずば抜けて多く、
古今東西の人気ランキング・CD発売枚数・演奏会での演奏頻度は6番「悲愴」が頭一つ抜けているというイメージがあります。

私自身はチャイコフスキーの交響曲はいっちば~ん!大好きな曲は交響曲第5番です!

個人的な感覚なのですけど、チャイコフスキーの音楽は何となく「死」を漂わせる何かがあるような気もします。
それを最後の最後で究極の名曲にまで昇華させたのが交響曲第6番「悲愴」なのだと思います。
チャイコフスキーの音楽からは、「愛する二人は現世ではその愛を育むことが出来ないし、その愛を具現化させるためには
あの世へと旅立つしかない」とか
「この世では結局理想を語る事も実現化させる事は何もできない、理想を具現化出来るのは幻想の世界と死後の世界だけ」
といった「死のエコー」を感じさせるのものがあるのかもしれないです。
それを強烈に感じさせる部分は、バレエ音楽「白鳥の湖」~終曲であるとかピアノ協奏曲第一番第一楽章であったりとか
交響曲第5番第二楽章、そしていっちば~ん!に具現化させたのが交響曲第6番「悲愴」~第四楽章と
言えるのかもしれないですね。

チャイコフスキーの交響曲第5番は、音楽史的に大事なキーワードは循環主題なのかもしれないです。

第一楽章冒頭でいきなりクラリネットがこの交響曲の基本テーマとも言うべき主題を陰鬱に奏しますけど、
この基本テーマは、その後第二楽章でも表れ第四楽章でも冒頭やラストのコーダの大団円部分でも再現されています。
一つのテーマが曲全体を循環するように貫き、全楽章を統一する要素になっているから循環主題とも言われています。
この循環主題が顕著に表れている曲の代表例は、フランクの交響曲だと思いますし、邦人作品としては
矢代秋雄の交響曲なのだと思います。
チャイコフスキーの交響曲第5番の一つの聴きどころは第二楽章のホルンの長大なソロと言えそうです。
あの美しさと陶酔感とはかなさは、チャイコフスキーが残したメロディーの中でも
特に群を抜いた素晴らしい部分だと思います。
第二楽章では木管楽器も全般的に素晴らしい働きぶりを見せているのですけど
特にオーボエの美しさは絶品だと感じます。
ホルンとオーボエの掛け合いの部分は何度聴いても背中がゾクゾクとします!
美しくはかない第二楽章も、結構唐突に金管楽器の咆哮の中に打ち消されてしまう部分もあったりします。
(あれは結局は「人の美しく楽しい想いでは長続きしないという事を示唆しているのかもしれないです)
第三楽章は、第一楽章と第二楽章の暗い感じをうちはらうかのようなすがすがしいワルツが唐突に開始されます。
最初にチャイコの5番を聴いた時、この第三楽章の唐突なワルツに随分と戸惑ったものですけど
あの部分は「人生には深刻さと甘さが同居している」みたいな事を多少は意図しているのかもしれないです。
第二楽章までの陰鬱な雰囲気は第三楽章によって霧が晴れるように打ち消され
そしていよいよ第四楽章の行進曲的な大団円へと流れ込んでいきます!
第四楽章は一旦終わるような感じになるのですけど、
瞬間的な間があって次の瞬間にコーダの部分で力強く華麗で生きる喜びに溢れた大団円的行進曲が開始され、
第一楽章冒頭の陰鬱なテーマを終楽章では力強く明るく華麗に再現させていきます。

この交響曲第5番いっちば~ん!の聴きどころはどこにあるのかな・・?

やっぱり第一~第二楽章と第三~第四楽章の対比なのかもしれないです。
循環主題と言う事で同一の基本主題を扱いながらも片方は陰鬱に、そしてもう片方は明るく華麗に力強くという風に
使い分けている事がとても面白いと思います。
それは「幸せと不幸は縄目のごとく交互に訪れる」とか「幸せと不幸は二つで一つ」とか
「人生、悪い事ばかりではないし、いい事もたまには起きる」といった事を
メッセージとして伝えたかったかのようにも私には聴こえたりもします。

それにしても第四楽章は大団円ですね!
曲全体をとてつもない幸福感が貫いていると思いますし、この楽章だけを聴くと生きる活力や明るい希望を感じます!

この曲は、CDよりも生の演奏会で聴いた方が理解が早いような気もします。
私が過去に聴いた実演の中で大変印象に残っている演奏というと、佐渡裕指揮/新星日本交響楽団と
小林研一郎/日本フィルの演奏だと思います。
特に1996年の佐渡さんの演奏はまさに「神がかり」の感動的な演奏だったと思います。
CDで聴く場合お勧めの盤は二つほどあります。
一つは、バーンスタインのニューヨークフィル
(このCDはカップリングの幻想序曲「ロメオとジュリエット」も素晴らしい出来だと思います!)
もう一つが1990年のサントリーホールでのライヴ演奏を収録したスヴェトラーノフ指揮/ソ連国立交響楽団です。
スヴェトラーノフの演奏では、特にオーボエの音色はまさに奇跡的としか言いようがない素晴らしい音色ですし
ライブ感満載の「生命力とスピード感の切れ」は最高ですね!!
ちなみにですけど、スヴェトラーノフ指揮/ソ連国立交響楽団の演奏は終始ずっとなにかぶ~んという異音が収録されて
いますけど、この音は指揮台の前に設置された扇風機の音との事です。

ここから下記は吹奏楽の話になります。

今現在ではほとんど演奏されないのですけど、1970年代においては全日本吹奏楽コンクールの全国大会においても
チャイコフスキーの交響曲第5番~第四楽章は吹奏楽にアレンジされて演奏されたことが何度かありました。
山王中学校・横手吹奏楽団・秋田南高校と秋田県に集中しているのも興味がもてそうな話でもありますね。
(1975年の秋田南高校の演奏は、山王中の木内先生のアレンジによるものだったとは実は最近知りました・・)

秋田南高校の1975年の二度目の全国大会出場において、課題曲C/吹奏楽のための練習曲と
自由曲はそのチャイコフスキーの交響曲第5番~第四楽章を演奏していたのですけど、
結果的に「銅賞」という事になっていますが、私的にはこの「銅賞」は全然納得いかないですね!!
課題曲は正攻法の演奏で実にスタンダードな名演を聴かせてくれ
自由曲も翌年の「ペトルーシュカ」を彷彿させるような屈折した明るさ+生きる生命感+躍動感に満ち溢れていると思います。
特にコーダ以降の展開は大団円に相応しい終わらせ方だと思いますし、
聴いていて本当に「生きるチカラ・生きる歓び」に溢れていると感じます。
「よーーし、今は大変だけどもう少し頑張ってみよう!!」みたいな勇気みたいなものも貰えるような感じすらあります。
1975年の全国大会・高校の部は19チーム中10団体が銅賞という1976年に匹敵する激辛審査だったのですけど
「いくらなんでもこの演奏が銅賞はないでしょ・・」と文句を言ってやりたい気持ちはいまだにあったりもします。

チャイコフスキーの交響曲第5番のアレンジャーは当時の山王中の大御所の木内先生ですけど、
そのアレンジはかなり面白いもはあると思います。
例えば、コーダの部分に原曲には存在しない「小太鼓」を終始ロールとして入れたり
原曲には配置されていない大太鼓・シンバルを結構派手に鳴らしたりとか
中間部でグロッケンを装飾音符的に流暢に響かせてくれていたりと色々やらかしてはくれているのですけど、
それはそれで面白いアレンジ&解釈という事にここでは留めておきたいと思います。
ちなみにですけど、1977年に同じくチャイコフスキー/交響曲第5番~第四楽章で全国大会に出場した阪急百貨店は
原曲に近いアレンジと言えると思います。
(原曲の打楽器はティンパニのみですけど、秋田南は小太鼓・大太鼓・シンバル・グロッケンを追加したアレンジであるのに
対して阪急百貨店は曲のラスト近くでシンバルを一回だけ鳴らすという事に留めています)
余談ですけど、77年のBJの講評で
「今回の阪急百貨店の演奏の不調は、阪急ブレーブスが日本シリーズに進み、その応援等で多忙を極め
思うように練習が出来なかったことが原因である」と
当事者でもない人が勝手に主観で決めつけていたのも何か面白かったです・・(汗)

ベルリオーズ前後の管弦楽曲・交響曲ですと、打楽器はティンパニのみしか使用しない事例が多いですので
そうした曲を吹奏楽用にアレンジする際
「打楽器セクションを練習中にヒマ死にさせる訳にもいかないし、演奏効果は確かにあるし・・」という事で
原曲のスコアには無い、小太鼓・大太鼓・グロッケン等を登場させる事も多々ありますけど
1975年の秋田南はそうした演奏効果を意図したのかもしれないです。
結果的にそうした打楽器の使用による効果以外の金管セクションの輝かしい躍動感によって
生命力溢れる演奏が実現できたと思います。
これは私の感じ方かもしれないのですけど、例えばドヴォルザークならば、
豊島十中の交響曲第9番「新世界から」でいうと、シロフォン・シンバル・太太鼓などを入れてきましたけど
正直違和感を感じます。
だけど石田中・阪急などの交響曲第8番を聴くと
原曲には入っていないシンバル・大太鼓・小太鼓が意外と曲に合っているような感じもあり
私はあの演奏結構大好きだったりもします。

1975年の秋田南高校の演奏は、ストラヴィンスキーと邦人作品路線が見事に花開き全国大会5年連続金賞に輝いた
1976~80年の演奏の一年前の演奏ということになるのですけど、
あのチャイコフスキーの生きる力に溢れた躍動的な明るさは換言すると「屈折した明るさ」ということになると思いますし、
そうした屈折した明るさは1976年のペトルーシュカの演奏を先駆けるものであり、
秋田南高校吹奏楽部は1976年に突然の飛躍的な覚醒を果たした訳ではなくて、その飛躍は既に前年度から示唆されていた
ということになるのだと思います。
秋田南の全国大会初出場は1974年の交響組曲「シェエラザート」~Ⅱ.カレンダー王子の物語なのですけど、
この時はどちらかというと特に個性も秋田南らしい点もまだ少なく感じられ、演奏としては無難という感じにまとまっているのは
少し意外でもありました。
秋田南は確か1973年の東北大会だったと思いますが、自由曲にショスタコーヴィッチの交響曲第5番「革命」から
吹奏楽コンクールでおなじみの定番レパートリーになっている終楽章ではなくて第一楽章を選んでいるのも実に
高橋紘一先生らしい話だと思いますし、16分程度のあの第一楽章のどの部分をカットし、どの部分を演奏したかというのは
この演奏の音源が全くない事もあり大変興味津々です!

最後に余談ですけど、上記でショスタコーヴィッチの話が出てきましたけど、
私がショスタコーヴイッチの曲を聴いたのは、実はあのあまりにも有名な交響曲第5番「革命」ではなくて
交響曲第10番というのも、いかにも私らしい話なのかもしれないです。
しかも、それは管弦楽としてではなくて吹奏楽アレンジ版という変化球として聴いています。

それが何かと言うと、1981年の山形県で開催された全日本吹奏楽コンクール・東北大会の
高校B部門の秋田西高校の素晴らしい演奏だったのです。
でもあの演奏は本当に素晴らしかったです!!
わずか35人の編成とは思えない重厚感漂う演奏であり、特に後半のアレグロのスピード感溢れる展開は
小編成の限界を超越した演奏だとも思えます。
BJの演奏評では「孤独・不安・寂しさの雰囲気はうまく出せていたけど、ソロがプレッシャーのため緊張感を持続
出来なかったのは惜しい。アレグロも素晴らしかったが、もう少し重厚感が欲しい、どちらかというと祝典序曲みたいな
キャラクターの演奏になってしまった」と記されていましたけど、
うーーん、ちょっと違うのかも・・・?
私の印象では、ソロの雰囲気も寂寥感と不安を見事にキープしていたと思いますし、アレグロ以降の展開も
悲壮感と明るさが混在した洒落っ気と重さを両立した素晴らしい演奏だったと感じたものでした。
後年、佐藤滋先生は母校のあの吹奏楽の超名門・秋田南に赴任されましたけど、
高橋紘一先生という存在は大きかったみたいで、結果的に秋田西高の時のような名演を残せないまま
秋田南を静かに去られていたのはなんか気の毒・・みたいな感じもありました。

考えてみると、この秋田西高校の演奏をきっかけに、
「あれ、ショスタコーヴィッチという作曲家はどんな背景があり、他にどんな曲を作曲したのだろう・・?」
「何か交響曲第5番がやたら有名みたいだけど、どんな曲なのかな・・」
「丁度スターリン体制化のソ連時代と生涯が被っているけど、どんな背景がこの曲にあったのかな・・」などと
ショスタコ―ヴィッチについていろいろ興味を持つようになり、
私がショスタコ―ヴィッチを聴くようになった大きなきっかけを作ってくれたようにも思えてなりません。

その意味では、この秋田西高校の演奏と指揮者の佐藤滋先生には、「感謝」の言葉しかないです
本当にありがとうございました。
佐藤滋先生が普門館で指揮された1987年の秋田南高校の風紋と交響詩「ローマの噴水」は、それまでの秋田南の
硬さ・陰鬱さを打破したそれまでにないカラーを追及した演奏のようにも感じますし、
私個人はあの演奏を生で聴いていてもあのカラッとした演奏はすてきだと思いましたし、結果的にこの年の銅賞は
かなりの激辛評価といえそうです。
私がこのストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」を知るきっかけとなったのが、
1976年の全日本吹奏楽コンクールでの秋田南高校の吹奏楽アレンジ版による第四場の超名演なのですけど、
秋田南高校の吹奏楽アレンジ版ペトルーシュカの演奏は、今現在聴いても凄いと思いますし全く色褪せてはいないと感じます。
バレエ音楽「ペトルーシュカ」の管弦楽での生演奏を聴くと一目瞭然なのですけど、このバレエ音楽は
ピアノを協奏曲風にも使っていて独奏ピアノをかなり効果的に用いています。
全日本吹奏楽コンクールは今現在の規定では、ピアノ・ハープを使用する事は自由ではありますけど、
1981年にピアノとハープの使用が解禁になる以前の1970年代の吹奏楽コンクールの高校の部の編成は45人以内の編成
という制約がありましたし、楽器編成の中に、ハープ・ピアノを入れることは禁じられていました。
秋田南高校の当時のティンパニはペダル式ではなくボロボロの手締め式と言う事で何かとシビアな条件下での演奏でしたし、
本来の原曲で効果的に用いられているピアノは使用していませんし、
管楽器の響きだけで、よくペトルーシュカの世界をよくここまで再現出来たものと今聴いてみても感動ものです!
ペトルーシュカというと春の祭典の影響もあり、バーバリズムバリバリの荒ぶる作品という印象もありそうですけど、
実際は火の鳥と同様にかなり繊細で、どちらかというとチャイコフスキーの伝統的ロシアバレエの影響を受けつつも、
ドピュッシー等フランス印象派のようなエコーの響きも感じられ、
そうした繊細でデリケートな音色が求められそうなこの曲を吹奏楽アレンジ版として演奏する事自体当時としては
大変な冒険であり貴重なチャレンジだったと思うのですけど、決して無謀なチャレンジだけに終わらせずに、
吹奏楽としての無限の可能性や秋田南高校の飛躍を示唆する演奏である事は間違いない評価といえるのだと思います。
評論家の皆様の意見として、高校の部の進化を示唆する演奏が1977年の銚子商業のディオニソスの祭りであると
述べられている方も多々おられるのですけど、私の意見としては、
「確かにそれもそうなのだけど、現在の高校の部の大変なレヴェルの高さの一つの先駆的な演奏の一つが
1976~77年の秋田南高校のストラヴィンスキーシリーズではないのかな」と感じたりもします。

1976年の秋田南のバレエ音楽「ペトルーシュカ」の演奏なのですけど、部分的に音は荒いし、
トランペットの音は硬いし、ラストのトランペットソロは外しまくっているし、
今現在の価値基準では判断に迷う個所もあるのではないかと思っています。
しかしそうしたマイナス点を差し引いても秋田南高校吹奏楽部のあの演奏の躍動感と生命感は大変充実していますし、
リズムセクションのビートが大変躍動的であるため全体的に飛んで跳ねるような感覚が非常にシャープです。
そこから感じられるのは、「コンクールの評価は私たちは別に気にしないし、自分たちの演奏ができればそれで満足」といった
一つのいい意味での開き直りの雰囲気が感じられ、そこには屈折した明るさが滲み出ている素晴らしい演奏だと思います。
吹奏楽アレンジ版ペトルーシュカの演奏と言うと、1990年の高岡商業や92年の西宮吹奏楽団の演奏や、
関東大会ダメ金でしたけど88年の埼玉栄の演奏も大変印象的ではあるのですけど、これらの演奏は全体の雰囲気は
とてもスマートで洗練され、音色自体は大変繊細であったりもします。
秋田南のペトルーシュカは、開放感と自由さを感じるのですけど、それは原曲のペトルーシュカにおいても
魔法使いの人形に生命が吹きこまれ、人形を操作している人間から自由になったという開放感をむき出しの感情と共に
見事に表現しているといえるのかもしれないです。
ビートの後打ちパートのリズムだけで立派に音楽を表現しているようにも感じられます。

このペトルーシュカの演奏と翌年の春の祭典の演奏は、著作権絡みの問題もあるせいなのか、ブレーンから発売されていた
レジェンダリーシリーズにも収録されていませんし、その当時ソニーから演奏音源としてのレコードが発売されているものの
このレコードは現在は超入手困難ですし、今のところCD化されていませんので、
今現在の若い世代の奏者の皆様があの素晴らしき名演に触れられる機会が無い事はかなりもったいない感じがあります。
あの演奏は今現在の視点で聴いても間違いなく、新鮮さ・感銘さはあると思いますし、
現役奏者の皆様があの演奏をどのようにお感じになるのかは実は私も興味津々であったりもします。
秋田南のペトルーシュカのアレンジャーは不明なのですけど、春の祭典・火の鳥・交響三章・バッカナール・
管弦楽のための協奏曲・パロディ的四楽章・矢代秋雄の交響曲などと同様に天野正道さんなのかな?と思われますけど、
ペトルーシュカのアレンジャーが天野さんだとすると、それ以降の練に練られたアレンジと少し異なり
若さと情熱がむき出しの編曲と言えるのかもしれないです。

1976年のペトルーシュカを引き継ぐ形で翌年、1977年の秋田南高校が自由曲として選んだ曲目が
プロでも演奏が大変難しいとされるストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」だったのです。
当時から「アマチュアの高校生が春の祭典、しかも吹奏楽アレンジ版として演奏するのはいかがなものか」といった批判の声は
相当あったと聞いていますし、
当時のBJのバックナンバーを読んでみても「春の祭典論争」といった吹奏楽アレンジによる春の祭典の演奏は果たして
是か非かといった賛否両論入り乱れる論争みたいなものもあった事はむしろなつかしい話なのかもしれないです。
(最近の吹奏楽コンクールにおいては、ベルクといった新ウィーン楽派の無調音楽やブルックナー・マーラーの交響曲が
ごく普通に自由曲として演奏されていたりもしますけど、当時としてはストラヴィンスキーのペトルーシュカや春の祭典を
吹奏楽アレンジ版として自由曲に選ぶこと自体が大変勇気ある事だったといえそうです)
秋田南の春の祭典の演奏は、そうしたつまらない批判を完全に吹っ飛ばす壮絶かつ理性的な演奏だったと思います。
(課題曲の「バーレスク」がとてつもなく理性的・端正に演奏していたのに、自由曲の春の祭典の自由で大胆不敵な演奏の
見事な対比には圧倒されます)
上記で壮絶と理性的というワードを用いましたけど、壮絶と理性的は言葉としては全く矛盾しているというか相反する要素だと
思うのですけど、この演奏を聴いて貰えば、私が何を言いたいかはすぐに分かって頂けると思います。
時に大胆不敵に、そして全体的には大変端正に理性的に乱れることなく進行していきます。
プロのオケでも難しいとされるホルンの高音域も全然無理なく自然に聴こえているのが特に素晴らしいと思います。
言葉は悪いのですけど、ある意味やりたい放題の演奏でもあり、演奏は確かに豪快ではありますが、
とてつもなく精密であり、聴いていても音楽の細かい所の隅から隅まで仕上げられているという印象が濃厚です。

1977年の全日本吹奏楽コンクールの全国大会では、実を言うと「春の祭典」は秋田南高校以外で駒澤大学も自由曲として
演奏がされています。
駒澤大学は、第二部「いけにえの儀式」から抜粋しているのに対して
(駒澤大学も素晴らしい演奏でした! だけど、後半のバスクラのソロの部分で凄まじいリードミスを発生させてしまい、
ほんの瞬間・・演奏が止まる寸前だったのに何事もなくバスクラがソロを続け、その後は無難に曲を展開させていったのは
さすがとしか言いようがないです)
秋田南高校は、第一部「大地礼讃」から抜粋させているのが大変興味深いところがあります。
「春の祭典」というと、第一部冒頭のファゴットの超高音域によるソロ開始が大変印象的なのですが、
秋田南は、このファゴットのソロから曲を開始させるのではなくて、木管楽器による不協和音のリズムの刻みから開始されます。
序奏からではなくて、春のきざし(乙女達の踊り) の部分から曲を開始させています。
そして全体的には、リズムが複雑すぎる場面やあまりにも超絶技術の場面や過剰に音量が鳴り響く部分を意図的に避け、
曲の構成・カットも無理な場面は選ばず比較的ゆったりとした部分をメインに構成していたのも大正解だったような気がします。
春のきざし→誘拐→春のロンドと曲を展開させてそして最後は唐突に第二部のエンディングの一音で終結というあまりにも
強引で大胆なカットをしていたのも面白い試みだったのかもしれないです。

秋田南のペトルーシュカも素晴らしかったですけど春の祭典も圧倒的名演だと思います。
ミスらしいミスはほとんどありませんし、アマチュアの高校生の吹奏楽アレンジとは全く思えない演奏だと思います。
大変誤解がある表現かもしれませんけど、気持ちが入っていないプロの管弦楽団の醒めた演奏よりは、
吹奏楽版ですけど秋田南の演奏の方が魂がこもっている気さえします。
そのくらいこの年の秋田南は神がかっていたと思います。
たまたま使用していた楽器が「管楽器+打楽器」にすぎなかったという感じの演奏でもありそうです。
所詮は吹奏楽アレンジ演奏でしょとか所詮は無謀なイロモノ演奏といった批判は全くの的外れと言う事だけは間違いなく言える
演奏だと思います。

秋田南というと後年の管弦楽のための協奏曲・矢代秋雄の交響曲・交響三章といった邦人作品の演奏も
素晴らしいのですけどそれに負けないくらい、ストラヴィンスキーを演奏した秋田南も素晴らしいと思います。
秋田南高校は1983年に同じくストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」を自由曲に演奏していますけど、
結果的にこの年はまさかの銀賞という評価になってはいるものの、私の中では
「過去に演奏された火の鳥の演奏としては83年の秋田南が最高の名演」と感じていますし、
秋田南は、2018年時点で、全国大会でストラヴィンスキーの三大バレエ音楽を全て自由曲として演奏した唯一のチームで
あったりもします。
ちなみに駒澤大学も全国大会で火の鳥と春の祭典を演奏していまけど、ペトルーシュカは1990年に自由曲として選んで
いるものの、90年の中央大学の気合溢れるガイーヌに代表の座を譲り、全国大会出場が叶わなかったのは少し
勿体無い感じもあります。
余談ですけど、春の祭典は1979年の東北大会・中学の部で高清水中学校が演奏した事もあるのですけど、この中学校は
1978~80年の自由曲は、ペトルーシュカ・春の祭典・火の鳥というとてつもない選曲をしていたりもします。

秋田南高校吹奏楽部は、高橋紘一先生時代、特に1970年代後半から80年代前半にかけては
今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色がない・・・否!! むしろそれ以上と言うか
今現在でもあの演奏から学ぶべきことは多々あるとてつもなく素晴らしい演奏を
一杯いっぱい・・・後世の私たちにこんなにも残してくれていたんだよ~!と伝えたい気持ちで一杯です!
(同様な事はロシアマイナーシンフォニー路線・邦人作品・イギリスの作品を取り上げた花輪高校吹奏楽部も
言えると思います)
あの頃の秋田南と同じ秋田県内の花輪高校の両校は当時の日本のスクールバンドの生きるお手本であり、
同時に両校ともに、後世の私たちをいまだに感動させ続ける素晴らしい演奏を残してくれていたと思います。

秋田南高校と花輪高校の過去のそうした素晴らしい演奏は、あの名演から40年以上も経過してしまうと、
私たちの記憶から消えてしまいがちですし、
当時の演奏全てがCDとして記録されている訳ではありませんし、
両校のあの素晴らしい名演を聴いたことが無いという方も結構いらっしゃると思いますし、
奏した意味において、誰か一人ぐらいは
「過去のこうした秋田県勢の素晴らしい名演をブログという形態であっても、文章という目に見える形で
何か残しておきたい」という人がいてもいいのではないかという事で、当ブログの管理人の私は、
未来への記録として秋田南と花輪の演奏の事は今後とも語り続けていきたいと思いますし、あの素晴らしい名演は
間違いなく後世に受け継がれていって欲しいものです。
1984年と言うと、私が親元を離れて初めて一人暮らしを始めた年でもあり、
東北の田舎を脱出し実家を離れる事が出来て、その開放感(?)に浸りきった年でもあり、
個人的には大変記憶に鮮明に残っている年でもあります。
あの頃の日本は、いかにも「古き良き時代」という感じでしたし、世間の雰囲気が「まっ、いっか・・」みたいなおおらかな空気が
まだまだ支配的でどこかのんびりとした雰囲気だったような印象があります。
今現在のような閉塞感とか常にピリピリと殺伐としているような空気では無かったと思います。
当時は今みたいに人間関係が無味乾燥という感じではありませんでしたし、
携帯もLINEもメールもパソコンも何にも無いない時代でしたし、
他人とのコミュニケーションは基本的には「直接会話」以外あんまり方法がなかったし、
何て言うのかな・・・まだ日本人らしい(?)「恥の文化」とか「奥ゆかしさ」とか
「そんなに言語明瞭にはっきり言わなくてもいいじゃん! そんなの行間を読み取ってよ」みたいな空気があったと思いますし、
少なくとも今現在よりは生きやすい時代だったような記憶があります。
むしろそうした時代に実家を離れて一人暮らしをスタートしたというのは、むしろ恵まれていたような感じもありました。

当時の私は、埼玉県大宮市(現、さいたま市大宮区)のぼろアパート【4畳半+3畳 風呂無し・トイレ共同 家賃2.2万円】に
居住していましたけど、あの頃ってお金は全然無い典型的な貧乏学生でしたし、
仕送り+毎月のバイト代で大体毎月8万程度で全てをやりくりしていたのですけど
(家賃→2.2万 光熱費→8千円未満 通信費→携帯はあの頃は存在していないし、固定電話は無いから0円
 銭湯代→4000円前後 吹奏楽団の部費・楽器消耗品・部の飲み代→1万円前後
 食費→3万未満 本→5000円ぐらい・・・)
別にお金が無くてもそれはそれでいいじゃん!、日々こうやって何とか生きていっているし、
学校は毎日通って、週に何度かは都内の吹奏楽団の練習に参加し、バイトもし、
お金が無くてレコードも聴けないけど、そういう時は・・上野の東京文化会館5階の音楽資料室で
丸一日レコードを借りまくってひたすら音楽漬みたいな事もしているし、
他に何か望む事ってあるのかな・・??

そういう楽観的な雰囲気が私の中に内在していたような感じがあったものでした。

当時はいわゆるバブルの発生の前の時代でしたし、まだ就職とか社会人生活なんてまだまだ先の話と思っていましたし、
日本全体がどことなく牧歌的な雰囲気が漂っていたのがそうした私自身「楽観さに繋がっていたのかもしれないです。
今振り返ってみると、この時代の日本は、「バブルの絶頂・日本経済の絶好調→バブルの崩壊・失われた10年」の
直前のお話という訳でして、なんとなくですけど私としては「滅亡前の微かな幸せの時代」という感じだったのかもしれないです。

冒頭から話が全然ヘンな方向にそれてしまいました(汗)

1984年と言うと、都内のとあるポンコツ大学に滑り込み大学の吹奏楽団に入団し、
無事にコンクールメンバーのオーディションを通過し、初めて大学の部として吹奏楽コンクールに臨んだ年でもあります。
結果論なのですけど、うちの学校は1982~83年に都大会にも出場していて、かつては全国大会にも出場していた実績は
あったもので、私としても「この4年間で一度ぐらいは普門館で開催される都大会には出場できるのかな・・?」と淡い期待を
抱いていましたけど、現実とは残酷なものでして私が在籍していた4年間は全て都大会予選で散ってしまい、
都大会本選に出場できず、結果的に普門館のステージに立つことは出来ませんでした・・(泣・・)

1984年の吹奏楽コンクール課題曲は、かなり粒が揃っていてかなり充実していたと思います。
前年の1983年の課題曲も、カドリーユとかインヴェンション第一番・白鳳狂詩曲などとこちらもかなり名作揃いでしたが、
一つ難を言うと、Dのマーチが「キューピットのマーチ」と言う吹奏楽コンクールの中でも
「歴史的な不人気作品」・「典型的な駄作」と酷評され、事実、吹奏楽コンクールでもこの課題曲を選曲するチームは
ほぼ皆無でした。
そうした中、1984年の課題曲は、AからDまで4曲全てが大変充実していたと思います。

この年の課題曲は下記の四曲でした。

課題曲A 池上敏 変容-断章

課題曲B 和田薫 土俗的舞曲

課題曲C 三上次郎 シンフォニエッタ

課題曲D 浦田健次郎 マーチ「オーパス・ワン」

課題曲4曲が全て充実しているなんて実は珍しい事なのかもしれません。
大抵一つぐらい不人気作品がある傾向にあるのですけど、どの課題曲を選んでも遜色ないという感じでしたし、
1984年の全国大会・大学の部の金賞受賞の4チームの課題曲は、それぞれA~Dと分散していたのは、
その課題曲の人気が平均して優れていたという事なのだと思います。
1986年も1990年の課題曲はA~Dの4曲とも大変内容が優れていたと思います。

Aの「変容-断章」は、現代的なメカニックな響きの中にも「和」の雰囲気を漂わせていたと思いますし、
Bの「土俗的舞曲」は、うちの学校のコンクール課題曲でもありましたし、
結果的にこの曲は後日、作曲者自身によって
「オーケストラのための民舞組曲」の第一楽章として管弦楽化もされていましたし、
(和田薫の奥様はフレッシュプリキュアのキュアパイン役の声優さんの中川亜希子さんです)
Cの「シンフォニエッタ」は、まさに急-緩-急の三楽章からなるミニシンフォニーみたいに大変中身が濃い優れた作品でしたし、
Dの「マーチ・オーバス・ワン」も短い曲ながらも大変親しみやすく、平易な技術で書かれている割には
充実感さえ感じさせる堂々とした響きというのが大変印象的でした。

マーチ・「オーパス・ワン」の際立った特徴として一つ指摘したいのは、
この課題曲以前のコンクール課題曲のマーチは、基本的には出だしから最後まで終始テンポが一定に保たれている
パターンが多かったと思いますが、この課題曲の場合、
冒頭のトランペットによるゆったりとしたテンポから開始されるファンファーレ的部分とその後に展開されるマーチの
部分を明白に分離されている事は大変興味深いものはあります。
そうしたファンファーレとマーチを区分している曲として
このオーバス・ワン以降、例えば1985年の「シンフォニックファンファーレとマーチ」とか2001年の「栄光を讃えて」などが
あると思いますけど
今にして思うとそうした曲の先駆者的な役割も担っていたような気もします。

冒頭のゆったりとしたファンファーレに続いて軽快なマーチの部分に展開されていくのですけど
このマーチのメロディーがとてもかわいらしくてキュートでしたし、同時に流麗みたいな勢いもありましたし、
スコアを見る限りではそれほど難しい個所も無く、
指揮者にとっても奏者にとっても吹き易くて演奏するのが大変楽しい本当に素敵な作品だったと思います。
シロフォーン奏者だけは「こんな速いパッセージ難しい・・」と言っていたのは印象的でした。
私達の学校の課題曲はBを選曲していましたけど、
気分転換の曲としてたまに、この「オーバス・ワン」も演奏しましたけど、クラリネットパートとしても
難しい指使いとか過度な高音は皆無でしたし、大変伸び伸びと吹ける曲だったと思います。
中間部のトリオのメロディーラインが大変美しくて、あの部分ではクラリネットが低音でメロディーを奏でているのですけど、
吹くだけでうっとりしそうですね。
そしてこの美しいトリオに比較的唐突な印象で金管が入り込み
そこから一気にラストまで駆け上っていくのですけど、あの追い込み方も 聴かせるツボを分かっているような印象もありました。

演奏時間は3分程度の短い曲なのですけど、内容的にはかなり充実していますし、
スコア上の平易さが少しも「手抜き」とは感じさせず、
むしろ、「シンプル イズ ベスト」を立証しているようにも感じられます。

この課題曲Dは、全国大会でも結構演奏されていて、この年の高校の部でも11チーム演奏していました。
そして意外な事に、関東代表の市立川口・習志野・野庭といった実績のある学校がこの課題曲を選んでいたのは
少し意外な感じもしたのですけど、
その分自由曲にエネルギーと練習時間を廻せるという点では作戦勝ちだったのかもしれません。

さてさて、このマーチ「オーパス・ワン」なのですけど、実はこの曲の作曲者は、
1979年のあのウルトラ超難解現代作品の「プレリュード」(1979年 課題曲B)を作曲された浦田健次郎と同一人物です!
最初にマーチ「オーパスワン」の作曲者が浦田健次郎と聞いた時には
「うそでしょ・・!? あの難解なプレリュードを作曲した人がこんな平易で親しみやすい曲も書けるなんて!」と
当時一部で話題にもなっていました。

あの「プレリュード」の世界を聞いてしまった後にこの「オーバス・ワン」を聴くと確かに同一人物による曲とは思えないですね。

吹奏楽コンクールの課題曲を振り返る時、一つの節目というか転換点になった曲があるようにも思えます。
私の世代よりも二世代ぐらい上のオールド吹奏楽ファンの方ですと、1964年の課題曲/序曲「廣野を行く」を
推されるのかもしれないです。
序曲「廣野を行く」以前の課題曲は、マーチがほとんどであったのに対して、マーチ以外の曲想の課題曲が
登場した初めての年と言えるのかもしれません。
当時、序曲「廣野を行く」は「難しい」と敬遠気味だったそうですけど、
現在の視点から聴くと一体どこが難しいのかな・・・?とも感じてしまうのですけど
それは吹奏楽コンクールの進化と奏者の技術力の圧倒的向上という事があると思います。
転換点と言うと、1974年の課題曲B/高度な技術への指標は今現在の視点から聴いても革新的だと思います、
こんなバリバリのポップスの曲をよく吹奏楽連盟が課題曲として認めたものだとある意味感心してしまいますし、
当時の吹連の役員さんの「太っ腹」には敬意を表したいです。

そして真の意味で大きな転換点になった課題曲はも1979年の課題曲B「プレリュード」ではないかと思います。
なぜ転換点かというと、吹奏楽コンクール課題曲の歴史の中で初めて、無調音楽のような現代音楽の感覚と形式を
初めてコンクール課題曲として成立させたのが、プレリュードだと思うのです。
この曲の譜面を初めて見た際に驚いたのは、冒頭50小節近くは、全ての管楽器奏者は全員休止状態で、
この部分はティンパニの完全一人ソロが静粛に緊張感をもって展開されていきます。
ティンパニソロ以降も変拍子に次ぐ変拍子で、メロディーラインが全然分からない現代音楽の要素を吹奏楽コンクールに初めて
本格的に持ち込んだ記念碑的な曲とも言えます。

この課題曲B/プレリュードを現在の視点から聴いてみると、とてつもなく面白いし斬新だと思います。

技術的には極度に難しくは無いようにも思えなくもないというか、曲全体が終始ゆったりとした曲なので、
アレグロのような早い部分はほぼ皆無ですけど、この曲を通して聴く人に「何か」を伝えることは大変難しいようにも感じられます。
楽譜に書いてある事だけをそのま魔音にしても、プレリュードは全くの無味乾燥になってしまうと思います。
この課題曲は後年CDやカスタムテープ等で様々なチームの演奏を聴いたのですけど、
演奏するチームによって、ここまで音楽の表現方法は変わるものなのかと愕然とするくらい
色々な表現スタイルがあったと思います。
そしてその中でも断トツに際立っている素晴らしい名演は誰が何と言っても市立川口高校の演奏に尽きるのではないかと
思います。
市立川口のプレリュードは、自由曲のネリベルの「二つの交響的断章」と合せて
神がかりな演奏以外の何者でも無いとさえ思います。
出だしのティンパニソロは緊張感漲る演奏が本当に素晴らしかったし、
後半のヴィヴラフォーン以降の木管セクションのひさやかさ、打楽器セクションの鼓動な文句のつけようがない演奏でした!
市立川口のあの演奏は、全国大会初出場でしかもプログラム一番と言う事で、そうしたハンディーを全く感じさせない
圧倒的な名演だったと思います。

課題曲B/プレリュードの特徴は大きく分けて二つあります。
一つは、小節ごとに拍子がコロコロと変わりまくるすさまじい変拍子の連続で、
そして二つ目は、これは最大の特徴とも言えるのですけど、曲の冒頭はィンパニの完全単独ソロから開始されます。
本当にティンパニだけのソロのみで展開され、この間は他の楽器は一つの音も入りません。
冒頭から約1分近く、ティンパニのソロ(しかも他の楽器なしの完全ソロ・)という
おそらく課題曲としては私が知る限りにおいて、唯一の快挙を成し遂げています。
さてさて、このティンパニのソロですけど、
38秒までが手で、それから52秒までが普通のマレット(バチ)、それ以降は木琴などのバチの柄の部分、
という3種類の演奏法により、音色の変化も出すようにスコア上で指示が出されています。
曲のエンディングは、冒頭同様に手で奏でるように指示されて、静粛に静粛に・・閉じられていきます。

浦田健次郎は、後年、ヤマハ吹奏楽団浜松から委嘱を受けて、
シンフォニックバンドのための「Ode」というこれまた素晴らしい作品を私達に提示してくれるのですけど、
この作品もプレリュードと同様に劇的な雰囲気、凄まじい静と動の落差に満ち溢れていて
聴く者に間違いなく「何か」を伝えてはいると思います。

名取吾朗先生が永眠されて、もう既に二十数年が経過しているのを見ると「時の流れって早いよね・・」としみじみ
感じたりもします。
名取先生の吹奏楽作品はどちらかというと陰気で劇的要素が強く、
ネリベルのように強弱と明暗のコントラストが激しい作曲家という印象があったりもします。
私自身、名取先生はその生前に例えば都大会・山梨県大会・関東大会等の吹奏楽コンクールの審査員として
お見かけした記憶はありますし、どこかの大会で、審査員代表として講評を述べていたのを耳にしたことがありますが、
作品の印象とは全然異なる柔和なお人柄という印象を受けたりもしたものです。
聞いた話によると、名取先生の陰鬱な音楽の背景には、名取先生ご自身の辛くて悲惨な戦争体験、特に南島での
兵士としての辛い体験がベースにあったとの事です。
そのあたりの背景は水木しげる先生と共通するものがあるのかもしれないです。

名取吾朗先生の吹奏楽曲と言うとどんな作品があるのでしょうか・・?

〇アラベスク(1973年課題曲B)

〇風の黙示録(1990年課題曲B)

○吹奏楽のための交響的詩曲「地底」

〇交響的幻想曲「ポンドック街道の黄昏」

〇吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」

〇吹奏楽のための詩曲「アトモスフェア」

何となくですけど、名取吾朗氏の作風と市立川口高校と愛工大名電の演奏は大変相性が良かったようにも感じられます。
ポンドック街道の黄昏は、関東大会銅賞ですけど真岡高校の演奏が私的には大変強く印象に残っていますし、あの演奏に
おける前半のソプラノサックスのかなり長大なソロはキラリと光るものがあったと思います。

吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」に関しては、詳細な資料がほぼ皆無でその作曲の経緯や初演を含めて
私自身実はあまりよく知らないという事でもあるのですけど(汗・・)
一言で感想を述べると「慟哭」であり、抑えきれない悲しみとせつなさの感情のあまり涙が自然と流れてきそうという
感じの曲だと思います。
永訣の詩と似たような感じの曲としてよく挙げられるのが吹奏楽のための詩曲「アトモスフェア」なのですけど、
両者は似て非なるものがあるような印象を私自身は感じております。
永訣の詩はその人に内在する感情をひそやかに歌い上げたものであり、対してアトモスフェアの方はどちらかというと
ダイナミックスレンジの幅の落差を音楽の外面的効果として強調しているという印象もあったりします。

永訣の詩の「永訣」というと宮沢賢治の「永訣の朝」という小説を思い起こす方もいるかとは思いますが、永訣の本来の意味は
永遠に別れること、死別、永別との事で、
自分が本当に大好きで愛した人との最期のお別れに当たっての「なんであなたは私をおいて一人逝ってしまうのだ・・」という
別れの辛さ・哀しさを内省的に表現した曲というのが本来的なこの曲の解釈なのでしょうけど、
私的には、この曲からは、人生の最後で何かやり残したものも多々あり、死んでも死にきれないのだけど、
最後は諦念という感情の中で未練を抱えつつも静かに最後を迎え、消滅していく・・・
そんな感じが漂う不思議な曲のようにも感じたりもします。
例えは悪いかもしれないですけど、矢代秋雄/交響曲~第三楽章の世界観が漂っているような感じもします。

吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」は全国大会においては、これまでの所、市立川口と花輪高校が自由曲として
演奏がされています。
コンクールの評価としては市立川口は金賞で花輪高校は銅賞なのですけど、これに関しては私的には大いに異存があります!
花輪高校の演奏は銅賞なのだから市立川口高校より劣るという事は100%ないですし、両校の演奏を実際に
普門館の生演奏を聴いている私としては両校ともそれぞれ素晴らしい演奏を残していますし、
それぞれ大変個性豊かな演奏&解釈を新鮮な感覚で聴かせてくれていますし、どちらにも捨てがたい魅力があります。
両校の演奏には一つ面白い違いがあります。
冒頭の慟哭みたいな表情の部分てすけど、
市立川口は、この部分はユーフォニウムがソロに近い感覚で朗々と吹き上げているのに対して、
花輪高校は、この部分はトランペットセクションが高らかにややヒステリックに響かせています。
個人的には、この部分は、花輪高校の方が好きですけどね。

花輪高校は、1987年のこの永訣の詩以前の自由曲はロシアのマイナーシンフォニーを主に演奏していましたけど、
この年は突然の「邦人路線」への変更と言う事で正直驚きましたけど、
1987年の演奏は、慟哭のやりきれない響きの中に優しさが垣間見え、私は結構好きでした。
この年の演奏が全国では銅賞という評価なのですけど、1989年の「壁画」同様、この評価は今でも納得できないですね~!
後で聞いた話では、
当初花輪高校は全く別の曲を自由曲候補として考えられていたそうですけど、
秋田県内のある中学の「永訣の詩」の演奏を聴いて小林先生が、「うちでもやってみよう」という事になり、
カットと時間の制約上、課題曲もEのマーチ「ハロー! サンシャイン」に変更した経緯があるとの事です。

1984年の市立川口高校の演奏は花輪高校と同様に内省的な響きを大切にしながらも、花輪高校がどちらかというと
少しドロドロとした泥臭さの表現を感じさせるのに対して、市立川口は音色自体が大変都会的で明るい響きで
かなり洗練された音楽としてこの永訣の詩にアプローチされていた印象があります。
市立川口は翌年にも名取吾朗先生のアトモスフェアを自由曲に選び、音楽の強弱と変化をかなり大胆に表現され
ダイナミックスレンジの幅広さを強く聴衆に意識させた外面的効果の強調を感じさせるのですけど、
1984年の永訣の詩もどちらかというとそれに近いアプローチを見せてくれていると思います。
まとめると同じ「永訣の詩」という素材を選びながらも、花輪高校は泥臭い人間の悲しみの慟哭の感情をドロドロに表現され、
市立川口は内省的な雰囲気を大切にしながらも音楽の外見的効果も重視しているというのが
違いと言えるのかもしれないです。

市立川口と言うと、二つの交響的断章の爆演とか1980年の神の恵みを受けてといういかにもアメリカオリジナル作品らしい
都会的洗練さと過剰過ぎるとも思えなくもないダイナミックスさ、あの2年間に渡る「無言の変革シリーズ」のように
表面的な華やかさ、多才な楽器の使用、あまりにも鮮やか過ぎるffとppの落差の激しさ、静と動の極端な落差などといった
「外見的な派手さ」が目立つ印象にあったのですけど、
1984年の市立川口の演奏は上記で述べてきた外見的効果とダイナミックスレンジの幅広さの他に、
音楽の内面にぐぐっと踏み込んだ内省的な演奏の世界に入り込んできたというような印象を当時は感じたものでした。

市立川口のように技術的に高い水準をもった学校が技術的には易しい課題曲D/マーチ「オーバス・ワン」を取り上げた
事自体極めて意外でした。
(この年の関東4代表のうち、3チームが課題曲Dを選んでいました)
信国先生のそれまでの選曲パターンで言うと
「課題曲B/土俗的舞曲のような日本的情緒が漂う曲を選ぶのかな」と思っていたら簡単なマーチを選ぶとは少し意外
という感じもしましたけど
課題曲は実にオーソドックスに普通に演奏していましたので、当時は「市立川口も普通のマーチを普通に演奏する事も
出来るのだ」とヘンな感覚も感じたものでした。
自由曲の「永訣の詩」ですけど、内省的な深みのある曲を一音一音よく考え抜いて吹いていて、
じっくりと練りに練った解釈の下、曲の内省的な緊張感を終始キープしたまま演奏を展開し、
最初から最後までウトウトする事も許されないような有無を言わせぬ圧迫感というか劇的な緊張感をずーーっと
客席に与え続けていたような印象があります。
この演奏で何がすごいかと言うと、どうしてもアマチュアの吹奏楽の場合、全体での勢いがある場面は華やかでいいのですけど
ソロになったりサウンドが薄くなったり、奏でる楽器の数が少なくなってくると
とたんにサウンドが貧弱になったり表現が消極的になるような傾向も決して無くは無い中、市立川口は、ソロの場面でも
大変うすく書かれている場面でも奏者が臆することなく自信たっぷりに堂々と吹いていて
音楽としての表現力が消極的になる事は全く無く、逆ppの熱演や静の場面の音楽的熱狂とか劇的な息が詰まりそうな
緊張感を演奏開始から静かに曲が閉じられるまでの間ずっと保っていたのは圧巻だったと思います。

静かに曲が閉じられ、演奏が終わっても客席にはピンと張りつめた緊張感が漂いつづけ
「一体今のはなんだったんだ・・!?」みたいな空気が流れていたせいか
私の記憶の中では、演奏終了後の拍手は意外と少ないという感じはありましたけど、客席が市立川口の演奏に
のみこまれていたと思います。

最後に・・

先日の当ブログの渡邉ポポ先生のコミック「埼玉の女子高生ってどう思いますか?」の記事の中で、
埼玉の大宮開成高校について少し触れさせて頂きましたが、この大宮開成高校は2015年以降、埼玉県大会でも
急速にレヴェルアップを果たされていて、ここ4年近くは全て高校B部門の中で金賞・県代表に選出されていますけど、
2015年の自由曲が名取吾朗先生の吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」でした。
あの演奏は私自身は県大会で聴きましたけど、1984年の市立川口を彷彿とさせる外見的効果と内省的な雰囲気が
絶妙に融合した素晴らしい演奏でした!

アトモスフェアも地底もこの永訣の詩も令和の時代でも忘れることなく演奏されてほしいです!
吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中で最難関の課題曲は私も含めて多くの皆様は
1994年の課題曲Ⅲ/饗応夫人を推されると思います。
「饗応夫人」に関しては正直評価は思いっきり別れる曲だと思いますし、私自身はこの課題曲はどちらかというと苦手な
部類で、この課題曲を通して作曲者が何を意図したいのかいまだにほとんどわからないです・・(汗・・)
ソロ楽器の扱いも含めて演奏する上での技術があまりにも高すぎて、この課題曲をアマチュア向けのコンクールとして
出題した意義は正直疑問を感じざるを得ないという印象がありますし、
1994年の吹奏楽コンクール全国大会・中学の部でこの難解課題曲をまともに消化できていたチームは、
総社東・土気・野田ぐらいだったと思いますし、中学生にこんな難解課題曲を吹かせる事自体がなんだか気の毒という
印象を当時は感じていたものでした。
1994年の課題曲は今現在でも相当の賛否両論の声は耳にしますけど、私もどちらかというと否定論者側です。
だけどこの年の課題曲Ⅰ.ベリーを摘んだらダンスにしようだけは後世に絶対に受け継がれて欲しい不滅の名曲だと
確信していますし、この課題曲は吹奏楽コンクールという枠を離れて、演奏会等でも是非是非演奏して欲しい曲の一つだと
私は思っています。

1994年の課題曲Ⅲ/饗応夫人は技術的に大変難解だけど、音楽の内容としては私個人としてはかなり疑問点が付く曲
ではあるのですけど、技術的に難解であると同時に音楽の内容の点で大変優れている課題曲の一つとして
大いに推したい課題曲が三善晃作曲1988年の課題曲A/吹奏楽のための「深層の祭り」です!

最初に三善晃が吹奏楽コンクールの課題曲を書き下ろしたと耳にした際は「え~、すごーい!」と感じたものでした。
(それは間宮芳生も全く同じでしたけどね・・)
三善晃というと1988年時点では既に日本のクラシック音楽作曲家の重鎮の一人であり、とてつもない大物先生であり、
交響三章・響紋・夏の錯乱・レクイエム・協奏的決闘・変容抒情短詩・管弦楽のための協奏曲や数多くの合唱曲を既に
作曲されていて、「そんな恐れ多くてこんなアマチュアを対象にした吹奏楽コンクールの課題曲を委嘱するなんて怖いかも・・」
といった雰囲気もあったと思いますけど、逆に言うとそれだけこの当時の吹奏楽コンクールは既に
大変なレヴェルの高さを有していましたので、こうした大御所の作曲家の先生に課題曲作品を委嘱しても
全然問題ないという感じだったのかもしれないです。

それにしてもこの吹奏楽のための「深層の祭り」はあまりにも奥が深くて音楽的内容が充実した素晴らしい名課題曲だと
思います。
演奏時間4分程度の決して長くは無い曲なのですけど、この4分程度の時間にはぎゅ~っと凝縮した
音楽的緊張感と張りつめた内省的充実感が漲っていると思いますし、
確かに聴いていて「楽しい」と感じる部類の曲では全然ないのですけど、あの精神的にピンと張りつめた空気が醸し出ている
曲だと思いますし、発表した場がたまたま吹奏楽コンクールの課題曲だったという感じでもあり、
この曲はブロの管弦楽団の定期演奏会の一曲目として(管弦楽と打楽器だけで)演奏しても全然遜色のない曲
なのだと思います。
「祭り」というと「ローマの祭り」とか「フェスティヴァル・ヴァリエーション」などのように「華やかさ」というイメージがありますが、
三善晃の「深層の祭り」は内面の葛藤とか精神的緊張感を高らかに謳い上げた曲のようにも感じられます。
吹奏楽コンクール課題曲には、楽器編成・難易度・演奏時間といった制約が色々と課せられるのですけど、
そうした足かせを感じさせない完成度の高い内容を持つ曲であると言えるのだと思います。

「深層の祭り」は技術的にも表現するにも難しいと思います。
この課題曲は、私が大学を卒業し社会人としてスタートを切った年の課題曲のため、私自身は演奏した事はありませんが、
大学の吹奏楽団の後輩のクラリネットのパート譜を見た時はあまりの難解さに思わず絶句してしまいました!
そのくらい技術的にも表現する上でも難解極まりないやっかいな課題曲だと思うのですけど、
作曲者の故・三善晃氏は、この課題曲をきっかけとしてその後何曲か吹奏楽オリジナル作品を残してくれましたので、
その意味でもこの課題曲の功績は大きいと思います。


CwRFVvGVMAA6hP-_convert_20180724125716.jpg


吹奏楽のための「深層の祭り」ですけど、曲の冒頭はファゴットのソロで開始されます。
曲がファゴットのソロで始まる事や曲の最後の一音前に前打音的にタンブリンが奏される点や
タンバリンのリズム感が大変面白い点は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」と少しばかり近いようなものが
あると思います。
深層の祭りの最後は全体合奏でのffで閉じられるのですけど、あの部分を注意深く聴いてみると
実はタンバリンだけ、全体のバン!!というffの閉じられ方よりもほんの0.1秒程度瞬間的に早く前打音的に叩かれていますので、
この課題曲の事を何も知らない人が聴いてしまうと
「あれ、このタンバリン奏者間違ってフライングしてしまい、全体が閉じられるより0.5拍早く叩いてしまったのかも・・!?」と
誤解される可能性が高いようにも感じられます。
ラストの一音のタンバリン奏者はとてつもなく神経を使ったと思いますし、かなりのプレッシャーがあったと思います。
全体で閉じられるよりほんの0.1秒早く叩かないといけないその緊張感と技術的な難しさは、
この課題曲のフルスコアを事前に読みこんでしまうと、何も知らないで聴くよりは数倍難しさを感じると思われます。

中には、都大会での乗泉寺吹奏楽団のようにタンバリン奏者が間違えてしまったのかどうかは定かではありませんけど、
全体が閉じられるのと同時にタンバリンも叩いてしまい、タンバリンの前打音効果が発揮されない事例も中には
あったものです・・(汗)

この「深層の祭り」は木管セクションも金管セクションも、そしてなによりも指揮者が一番大変だったと思うのですけど、
打楽器セクションの一人一人も大変だったのは間違いないと思います。

基本的には、ティンパニ・トムトム・小太鼓・大太鼓を4人の奏者が担当し
残りのサスペンダーシンバル・タムタム・トライアングル・タンバリン・コンサートチャイム・マラカスを一人の奏者が担当している
ケースがかなり多かったような気もします。


髻ソ縺狙convert_20180301181916

453d23f1-s_convert_20180724125240.jpg


吹奏楽コンクールは一般的にはティンパニ奏者を別にすると、打楽器奏者が複数の打楽器を掛け持ちというのは
よくある光景ですし、全然珍しくないです。

上記の吹奏楽のための「深層の祭り」ですけど、実際のコンクールにおいては6人程度使っているチームもたくさん
ありましたけど、中には5人の打楽器奏者で演奏する場合、中盤以降の展開は結構大変な事になってしまう事も
散見されていたと思います。

中盤以降は、5人の打楽器奏者のうち4人の奏者は
打楽器奏者その1→ティンパニ
打楽器奏者その2→大太鼓
打楽器奏者その3→トムトム
打楽器奏者その4→スネアドラム

といった自分の担当楽器にほぼ掛りっきり状態になってしまうので、
残った打楽器奏者その5が残りの打楽器を一人で掛け持ちするという事態になるのも全然珍しい話では
なかったように思えます。
確か都大会だったかな・・?私が目撃したとある演奏においては、
打楽器奏者その5が、左手にタンバリンを持ち右手にドラのマレットを持ちながら、タンバリンを6回叩いて
その直後にドラを鳴らし、これを何度か繰り返し、
右手と左手で同時にドラのマレットを握り、二台のドラを鳴らすという離れ業を見せた次の瞬間に
マラカスに持ち替え、マラカスを小刻みに鳴らし、そして次の瞬間に
トライアングルを数秒鳴らし、そしてまたまた数秒後にコンサートチャイムの位置までダッシュし、チャイムを4音響かせ、
そしてまたまたサスペンダーシンバルの位置に戻ってサスペンダーシンバルをロール奏法で響かせ、
ラストは上記で書いた通りの前打音的に
タンバリンを強烈に全体とは半拍わざとずらして叩き付けるという荒業までお披露目してくれていたのは
大変印象的でした!

パーカッションセクションはティンパニ奏者が全体の華と言えるのかもしれないですけど、こうした小物打楽器を
掛け持ちして「見せる=魅せるパーカッション」を華麗にみせてくれる奏者は本当にすてきなものが
あったと思います!

吹奏楽のための「深層の祭り」は1988年の全国大会・高校の部と大学の部で素晴らしい名演が続出していましたけど、
個人的には、神奈川大学・天理高校・洛南・習志野の演奏が大変素晴らしかったと思います。
中学の部では後半に、課題曲がこの深層の祭り、自由曲にダフニスとクロエ第二組曲という組合せが
4チームほぼ連続していましたけど、あの競演は圧巻のものがありました!
(表面的には4チームとも共通してブートゥリーのダフクロのアレンジ譜面を使用しているはずなのに、4チームとも
そこから出てくる音は全て違っているというのもなんだか面白いものがあったと思います)

 | BLOG TOP |  NEXT»»