プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「プリキュア」がメインになってしまいました・・・
最近は「東方Project」も大好きです!!
吹奏楽もプリキュアも何か自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在は・・・・ラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です・・・
裏の顔は・・・プリキュアと吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは・・・とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に特に・・・さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さんはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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私自身、生まれて初めて購入したクラシック音楽のレコードは、ショスタコ―ヴィッチの交響曲第5番「革命」でした!
そして2番目に購入したレコードがオーマンディ指揮・フィラデルフィア管弦楽団の「ロシア名曲シリーズ」で、
ダッタン人の踊り・スペイン奇想曲などが収録されていました。
3番目に購入したレコードがシベリウスの交響曲第1番だったと思います。

それでは吹奏楽関連において私が「いっちば~ん!」最初に購入したレコードにはどんな曲目が収録されていたのでしょうか・・?

そのレコードは「東京佼成ウインドオーケストラ 第1集と第2集」でして、

・演奏団体:東京佼成ウインドオーケストラ
・指揮者:秋山和慶
・発売元:(株)佼成出版社
・出版年:1979年3月

という内容だったと記憶しています。このレコードはフェネルが東京佼成の常任指揮者に就任する前の収録されたものであり、
フェネルの華やかさとは別にいかにも秋山さんらしい真面目で端正な仕上がりの曲ばかりだったと思います。
2集の方に収録されていたのがいわゆるロシアものの吹奏楽アレンジ作品でして、確か収録されていた曲が
1.歌劇「コラ・ブルニヨン」序曲 2.組曲「道化師」 3.バレエ音楽「ガイーヌ」~剣の舞・子守歌・レスギンカ舞曲
4.バレエ音楽「スバルタカス」~スリーダンスエピソード
という大変充実していまして、特に組曲「道化師」は、私自身が1982年の時の高校の定期演奏会で演奏した曲で、
かなりの部分参考にした記憶があります。
ガイーヌは、この当時はまだあの名アレンジの誉れ高い林紀人先生の版ではなくて、藤田玄播または稲垣卓三による
アレンジが主流だったのは今現在との大きな違いかもですね。

そしてこのシリーズの第一集に収録されていた曲目は、大変メジャーな曲目と超マイナーな曲目の吹奏楽オリジナル作品の
組合せという事で、当時からかなり注目度は高いレコードだったような記憶があります。
この第一集の収録曲目は、

【Side A】

1.交響曲第2番「三法印」/ロバート・ジェイガー
 1楽章 諸行無常 
 2楽章 諸法無我 
 3楽章 涅槃寂静 

2.天使ミカエルの嘆き/藤田玄播 

【Side B】

1.シンフォニア・ノビリッシマ/ロバート・ジェイガー 

2.管楽器のための組曲/稲垣卓三
 1楽章 プロローグ 
 2楽章 仏前にて 
 3楽章 影 
 4楽章 夢 
 5楽章 行進曲 

という内容でしたけど、ジェイガーのシンフォニアノビリッシマと藤田さんの天使ミカエルの曲は今現在でも
時折ですけど吹奏楽コンクール等でも演奏され続けている息の長い作品ですけど、
ジェイガーの三法印と稲垣卓三の組曲は知る人ぞ知る曲という扱いになっているのは否定できないと思います・・
ジェイガーの吹奏楽のための交響曲(第1番) は大変な人気作品であったのに対して、2番の三法印に不人気ぶりは
ある意味際立っていたとも思えます。
私もこの三法印は何度も聴いてみましたけど、この曲のどこに魅力があるのかいまだにさっぱり分かりません・・(汗)
1980年に京華学園が自由曲とした以外は、どのチームも吹奏楽コンクールでは演奏されていない事実こそが
その不人気ぶりを見事に象徴しているとも言えます。
同じく稲垣卓三の「管楽器のための組曲」も三法印以上に人気がない曲でありまして(汗・・)
この曲は吹奏楽コンクールにおいては支部大会以上ではなんと一度も演奏された事すらありません。

稲垣卓三というとどちらかというと東京佼成のコントラバス奏者または吹奏楽作品のアレンジャーというイメージの方が
強いと思います。
上記でもちらっと書いていますけど、ガイーヌ・歌劇「運命の力」序曲、歌劇「ウィリアム・テル」序曲の稲垣さんのアレンジは
かなり優れていると思いますし、ガイーヌも林紀人アレンジ版が出るまではかなり演奏されていたような気がします。
稲垣さんは指揮者としても東京佼成の地方公演を何度かされていて、そこで管楽器のための組曲・三つの日本民謡といった
自作自演もされていたような記憶もあります。

そしてこれは後日の話なのですけど、1980年代後半以降急速にレコードからCD化が普及した際に、
秋山さんが指揮された東京佼成ウインドオーケストラ のレコードがCD化されて再販売されていた頃、
稲垣卓三の「管楽器のための組曲」は割愛されてしまい、CDとしては未収録のまま今現在に至っていますので、
この東京佼成ウインドオーケストラ 第1集のレコードはかなり貴重なものがあるといえそうです。

以前当ブログで兼田敏の「ウインドオーケストラのためのファイブイメージス」という曲は、まるで新ウィーン楽派みたいな
抽象的で難解な作品と記したことがありますけど、
稲垣卓三の「管楽器のための組曲」もその抽象的な内容と曲の難解さは、兼田敏のファイブイメージスに決して
見劣りしないと思います。
私もこの組曲は何度か耳にしましたけど、やはり三法印・ファイブイメージス以上にさっぱりわからないです・・(汗・・)
ファイブイメージスの方はまだどこなくカラっ・・としたあっけらかんさみたいなものもなくはないと思うのですけど、
稲垣卓三の組曲は、和の陰々滅々みたいな雰囲気が濃厚で、全体的に「死と夢」をテーマにしたようにも感じられなくも
ないように感じられたりもします。
特に第Ⅴ曲の「行進曲」は、「この陰鬱な雰囲気のどこがマーチなの~!?」という感じなのだと思いますけど、
あの陰気な世界は、新ウィーン楽派のベルクの初期作品でもある「三つの管弦楽曲~Ⅲ.行進曲」の雰囲気と
かなりの点で被るようにも聴こえたりもします。
その中で唯一イメージしやすい楽章がありまして、それが第二曲の「仏前にて」だと思います。
(というか曲のタイトルに仏前というワードが入っている事自体すごい話なのかも・・?)
この「仏前にて」は黙って目を閉じて聴いていると、いかにもご逝去した方をしのんでその御仏壇に、
チーンチーンと鐘を鳴らしたり焼香をしたり、お線香をつけたりといった「死者への弔い」が日本的なお線香・手を合わせるという
動作として表現されているようにも聴こえたりして、
全体的には大変抽象的でわかりにくい音楽なのですけど、仏壇の前にて手を合わせるという具体的なイメージが
なぜか必然的に湧いてくるという意味では大変面白いものを感じたりもします。

先日もとある顧客がご逝去され、葬式後と言う事でご自宅にお悔やみ訪問とお線香をあげにお伺いさせて頂きましたが、
遺影を前にお線香をつけて手を合わせた瞬間に、改めてですけど
「人が亡くなるという事とはこうした雰囲気なのだ・・」という事を感じたものですし、
同時に正座をしてお線香をつけて仏壇に手を合わせるという日本的な作法みたいな事をわかりにくい音楽で抽象的に
表現したのがこの「仏前にて」という曲なのかな・・?とふと感じたものでした。

日本のお葬式とか仏壇を表現した曲って多分ですけどそんなにはないと思いますので、そうした意味では大変貴重なものが
ありそうなのかもしれないですね。
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R.シェルダンというと現在の吹奏楽コンクールの位置づけで言うと「スクールバンドの小編成部門」においては
自由曲のレパートリーとして欠かす事の出来ない存在と言えるのだと思います。

シェルドンは私が現役の高校生あたりの1980年代前半において、
その作品がぼちぼちと自由曲として取り上げられていましたけど、最初にシェルダンの名前を世に知らせしめた曲が
1982年のソニーの「自由曲集82」のレコードにも収録されていたフォールリバー序曲では
ないのかなと思ったりもします。

シェルドンと言うと私の中では、

〇南西部の伝説

〇マナティー・リリック序曲

〇フォールリヴァー序曲

〇飛行の幻想

〇入り江の風景

〇ウエストハイランドの想い出

といったオリジナル作品を思い浮かべます。

私が高校3年の時の高校最後の吹奏楽コンクールの時には、前年と前々年が県大会・金賞を飾っていて
「高校生活最後の年も出来れば金賞で締めたいし県代表として東北大会に出場出来ればもっと嬉しい~!」と思っていましたけど
結果はダメ金どころか銀賞で終わってしまい、その際に私の高校を抑えて金賞・東北大会代表に輝いていた学校の自由曲が
ストラヴゥイスキーのバレエ組曲「火の鳥」とシェルドンのフォールリバー序曲でもありましたので、
シェルドンの名前を聞くと当時の悔しかった記憶が何か今でも鮮やかに思い出してしまいます・・(汗)

R.シェルドンは生まれは1954年で現在でも現役の作曲家です。
シェルドンは吹奏楽コンクールやコンサートでは今現在も演奏され続けている作曲家であり、確かに大編成・A部門や
支部大会・全国大会では演奏される頻度はそれほど多くは無いと言えるのかもしれないですけど、
前述の通り、今現在においてもスクールバンドの小編成部門においては欠かす事の出来ない作曲家の一人だと思います。

ここ最近の吹奏楽コンクールの小編成部門・B部門で演奏されたシェルドンの曲としては、

〇 メトロプレックス〜マンハッタンからの3枚の絵葉書〜

〇 アート・イン・ザ・パーク

〇 ヒル・カントリーの休日

〇 パイアサの飛翔

あたりが大変印象的ですし、あくまで私個人としては「メトロプレックス〜マンハッタンからの3枚の絵葉書〜 」は
素晴らしい作品だと思いますし、この曲は中学校A部門として全国大会で演奏されても
かなりの演奏効果はあるように感じられます。

シェルドンと言うと、私にとってはなんといっても「ダンス・セレスティアーレ」です!
この曲とっても大好きです!
技術的にもそれほど難しくないですし、曲の構成はリードやスウェアリンジェンの序曲のように
A-B-Aの三部構成と大変シンブルな構造と大変分かりやすく、
メロディーが実にかっこよくて親しみがあってすんなりと頭に入ってきます。
冒頭の金管セクションり高らかな感じ」がとても素晴らしいですし、中間部のうっとりするようなロマンチックさも素晴らしいです!
ラストも華麗に楽しく閉じられますし、演奏時間は7分半程度なのですけど、全く飽きる事はなく
あっという間に終わるような感じもします。

そしてこの「ダンス・セレスティアーレ」が特筆されるべき点は、シェルドンの曲の中で2017年現在で唯一全国大会で
演奏された曲であったりもします。
それは1990年の一般の部の春日市民吹奏楽団でしたけど、単純で技術的に平易なこの曲で
全国大会にまで駒を進めてきたことは当時正直驚きましたし、私の吹奏楽仲間でも結構話題になっていました。
演奏自体は意外と単調で淡々と曲が進行しているようにも感じられ、中間部も少しだれてしまったのですけど、
全体的には音色が洗練されていて音楽自体は生き生きと躍動していたと思います。
春日市民吹奏楽団は、1986年と89年にタルの「アコラーデ」・「儀式のための音楽」という
正直あまりよく分からないし大して面白くも無い曲を演奏した際は無味乾燥な印象を与えるのですけど、
90年のダンス・セレスティアーレとか87年のジェイガーの「ヒロイック・サガ」みたいに
メロディーラインがしっかりとした曲の際は大変生き生きと躍動的な演奏を聴かせてくれていたと思います。
ちなみに90年の春日市民吹奏楽団のダンス・セレスティアーレは私的には銀と銅のボーダーかなと思っていたら、
なんとかスレスレで銀賞にすべりこんでくれましたのでホッ・・としたものでした。

「ダンス・セレスTアーレ」は、1990年の都大会で品川女子学院が演奏していましたけど、
当日の土砂降り天候の大雨のように惨憺たる事故みたいな演奏でした・・(汗)
ただ品川女学院というと都内ではひときわ目立っている正統派のセーラー服の制服でもありましたので、
普門館のステージにああいう純白のセーラー服のJKさんが演奏している光景は見ているだけで大変気持ちがいいですし、
心情的には「コールド金賞!」とコールしたい気持ちで一杯だったりします・・(汗)
「ダンス・セレスティアーレ」で一つ忘れられない演奏がありまして、それが何かと言うと
1994年の関東大会・大学の部の中央学院大学でした。
この年は課題曲がどれも長いものばかりで
中央学院大学もダンス・セレスティアーレをかなり強引にカットして演奏し少し興ざめみたいな感じも
確かにあるのですけど、
サックスセクションの輝かしい音色とか、少々とちりながらも勢いと輝きのある音色で魅了させてくれたトランペットの活躍もあり、
私は結構好きな演奏でした。
94年の各代表校は自由曲を4~5分程度にまとめないといけないから大変なものはあったと思いますけど、
この中では筑波大学のアイヴズの「カントリーバンドマーチ」や文教大学のミシシッピ組曲~Ⅳ.マナディ・グラの選曲は
大変センスが優れていたと思います。

「ダンス・セレスティアーレ」は、CDでは「吹奏楽ベストセレクション90」にも収録されています。

出来ればこの曲、もう一度生で聴いてみたいものです。
コンサートのオープニング曲にはもってこいの曲だとは思いますけどね~!
すぐ上の記事が「京都アニメーション」と言う事で、京都奈良に関連する吹奏楽作品について
取り上げさせて頂きたいと思います・・

櫛田胅之扶は私が高校生の頃ですと、「数学の先生」とか「石の庭・飛鳥・斑鳩の空等で吹奏楽界にもブレイクしてきた・・」
といった印象があったのですけど、既に80歳を超えられているのですね~
逆に言うとそれだけ私も順当に加齢してきたという事なのでしょうけど(汗・・)
櫛田胅之扶は80歳を超えられても新しい挑戦をされ続けていて、最近では
ジャズ楽曲を吹奏楽用に編曲した作品にも意欲的に取り組まれるなど、その精力さには敬意を表させて頂きたいと思います。

櫛田胅之扶というと最初に出てくるイメージは「伝統的な和のイメージ」ですね~!
邦楽の家に生まれ育ったという環境も大きいと思われますが、
作風は伝統的な邦楽を基調にした日本的あるいは民族主義的な路線を追及し続けていると感じられます。

櫛田胅之扶の作品は若い頃の作品も最近の作品もとにかく「古代の美しき日本の姿」を徹底的に追及しているようにも
思えます。
櫛田さんの音楽の作品はほとんどが吹奏楽作品といっても過言でもないのですけど、
1981年の「東北地方の民謡によるコラージュ」と94年の「雲のコラージュ」という吹奏楽コンクール課題曲以外では、

〇吹奏楽のための序曲「飛天」

〇吹奏楽のための序曲「火の伝説」

〇斑鳩の空

〇秋の平安京

〇嵯峨野

〇雅風断章

〇元禄

といった作品を思い出しますけど、タイトルからして「日本・・というか古都のイメージを大切にしている」という
のが見事に伝わっていると思います。
そして櫛田さんの曲の中でいっちば~ん!私にとって馴染み深くてインパクトが強い作品というと
吹奏楽のための序曲「飛鳥」だと思います!

1969年に作曲された「飛鳥」は、現在の奈良県高市郡明日香村周辺にあたる飛鳥地方の6世紀後半から7世紀にかけて
繁栄した栄華を吹奏楽作品として立派に表現したオリジナル作品と言えると思います。
吹奏楽コンクール全国大会での初演は、後述しますけど1980年の粟野中学校です。
飛鳥は、1994年に府立淀川工業高等学校吹奏楽部のグリーン・コンサートのために改訂されています。
原典版と改訂版の違いなのですけど、改訂版にはハープが追加され、
金管及びサクソフォーンが部分的に加筆されているのが目立つ違いなのだと思います。
吹奏楽オリジナル作品の原典版に対する改訂版は、これはあくまで私自身の感じ方なのかもしれないですけど、
風紋・波の見える風景などに象徴されるように「原典版の方が全然いいじゃん!」という印象があるのですけど、櫛田さんの飛鳥に
関しては「原典版も改訂版もどちらもいいかも・・」と感じさせてくれていると思います。

吹奏楽のための序曲「飛鳥」は前述の通り1969年に作曲され、JBAの作曲賞に入賞しています。

櫛田さんの解説によると、

「ゆるやかに流れる飛鳥川のほとりで、かつては壮麗さを誇ったであろう宮殿や寺院が荒廃している姿を見たとき、
何ともいいがたい感情の高まりを覚えました。
この曲を書くことにより、私自身の心のよりどころを知ろうと思いました」との事ですけど。
確かにこの曲からは飛鳥時代の朝廷の雰囲気がそこはかとなく滲み出ているように感じられます。
曲の冒頭はフルートソロから開始されるのですけど、そこにいきなりシロフォーンの鋭い響きが入り、トロンボーンの
幽玄なグリッサンドが入ってくるなど前半部分だけで既に気分は奈良時代なのだと思います!
そしてこの曲の最大の聴かせどころでもあり、奏者にとっては最大の鬼門というのがラスト寸前のホルンによる
とてつもない高音の雄叫びだと思います。
あの雄叫びの部分をコンクールやコンサートで外してしまった事故を何度か聴いたことがありますけど、あの部分を外されると
「終わりよければすべてよし」ではなくて「終わり悪ければ全て悪し・・」みたいな印象を与えてしまうと言う事の
典型例なのかもしれないですね・・(汗・・)

吹奏楽のための序曲「飛鳥」の演奏の代表的なCDというと、1980年録音の秋山和慶指揮/東京佼成ウインド・オーケストラが
名高いですけど、演奏はいかにも秋山さんらしい真面目で端正な響きだと思います。
「飛鳥」はこれはあくまで私自身の感想なのですけど、前述のラスト近くのホルンの雄叫びの壮絶さは素晴らしいのですが、
閉じられ方がティンパニのトレモロのデクレッシェンドと言う事で、なんか「ヘンな終わらせ方」とか「貧弱な閉じられた方」という
不満も実はあったりもします。
秋山和慶指揮の演奏も閉じられ方がなんか唐突に閉じられるみたいな感じもあり、「やっぱりこの終わらせ方は違和感がある」
という感じでもありましたが、そうした私の不満を全て解消させてくれたのが上記でも記した改訂版なのだと感じます。
改訂版の編成にハープが加わったことで、
一番最後における原典版のティンパニのみのデクレッシェンドでは唐突でヘンな感じだったのに、
ここにティンパニだけではなくてハープのグリッサンドが加わった事で随分と印象が違ってくるようにも感じられ、
少なくても原典版で感じた「違和感」は全て解消されているようにも私的には感じたりもします。
原典版ではホルンの雄叫びから先の全奏者による連続的な打音は、徐々にテンポがアップされていくのですけど、
改訂版では、テンポアップをするもしないも指揮者の裁量に任せられているというのも
面白い変更点だとも思えます。

吹奏楽のための序曲「飛鳥」は、曲自体はそれほど「派手」とか「ため息が出そうなほど鮮やかさ」がある曲では
無いと思います。どちらかというと「地味」な曲とすら感じてしまいます。
そうした地味と言う印象の「飛鳥」を根本からひっくり返したようなイメージの演奏というと・・
そう! 言うまでもなく1980年の粟野中学校の演奏だと思います。
本来地味な曲のはずの「飛鳥」をとにかく打楽器の強弱のコントラストをあそこまで極端に付けて更に、
テンポ設定を時に大胆に遅くしたり、テンポルバートを掛ける事で曲の雰囲気というか印象は、
随分と変わってしまうと言う事を改めて立証した演奏とも言えると思います。 
1980年の粟野中の「飛鳥」はどちらかというと曲の内容そのものよりも、
演奏解釈と言うのか過度とも思える強弱と明暗のコントラストを鮮やかにつけたその表現方法が吹奏楽コンクールとしては
高く評価されたという事なのかもしれませんよね。
1980年当時、中学3年生だった私自身が、後日学校が購入した「日本の吹奏楽」という粟野中の演奏が
収録されたLPレコードを聴いた際は「本当に彼らは自分達と同じ中学生なのか・・・あまりにも自分達とは格が違い過ぎる・・」と
当時は本当に自己嫌悪に陥ったものですし、とにかく粟野中の生徒達はすごいとしか言いようがないと思いますし、
こんなにも音楽一つだけで、こんなにも聴く者に「何か」を伝える事が出来るのだ!と感じ取ったのは紛れも無い事実です。
だけど今現在の視点で聴いてしまうと、粟野中学校の演奏は、演奏効果重視で、金管セクションの音量過剰と
打楽器セクション・・特にドラの鳴らし過ぎは「ちょっと情緒に欠けるのかも・・」と感じさせるものはあると思います。

飛鳥の演奏というと粟野中学以外では1981年の青森県信用組合の飛鳥も大変印象的ですね。
こちらの飛鳥は大人のしっとりとした風情のある飛鳥だと思いますし、こちらの方が古代日本の情緒が漂い、
飛鳥としては正攻法のアプローチと言えるのだと思います。
粟野中の場合は、ドラをとにかく打ち鳴らし積極果敢に「攻める」飛鳥という印象なのですが、
青森県信用組合の方は、しっとりと落ち着いて聴かせる「大人の」飛鳥という印象でした。

「飛鳥」というとコンクールでも比較的お馴染みの曲なのかもしれませんが、
今の所、粟野中と青森県信用組合を超える演奏は聴いた事がありません。
技術的にはそれ程難しくはないと思うのですが、
あの情緒を吹奏楽で表現するのは意外と難しいのかもしれませんし、ほとんどの演奏は
打楽器だけで情緒を出そうとするから、何か乱暴な感じだけが印象として残ってしまうので表現的な難しさは
間違いなくあるのだと思います。
青森県信用組合は、82年~83年も同じ櫛田さんの曲を自由曲として全国大会に出ていますが、
「飛鳥」を超える演奏は再現できませんでしたね・・・
82年の福島で開催された東北大会も聴いたのですが、この年の自由曲「飛天」は同じく
尺八を効果的に使用した曲ですが、何か「二匹目のどじょう」を狙ったのが見え見えでしたし、
尺八という特殊楽器に頼りっきりという感じの演奏でしたので81年ほどの感銘性はありませんでした。
83年の「斑鳩の空」も以下同文という印象です。

櫛田さんの飛鳥以外で好きな曲は、私としては「火の伝説」だと思います。
飛鳥がどちらかというと「勢いのある曲」なのに対して、
「火の伝説」は、日本のほのかに暗い情緒を静かに粘り強く歌い上げた感じがします。
この曲は言葉にするのは大変難しいのですけど、多分「日本人」にしか分からない感覚なのだと思います。
遠い祖先から脈々と受け継がれてきた「地」の匂いがするような曲で、おそらく外国人の吹奏楽団がこの曲を吹いても、
「言語明瞭意味不明」みたいな演奏になるような気がします・・・

吹奏楽のための序曲「火の伝説」は中々「これぞ火の伝説の本質!!」みたいに完全に納得できる演奏に
お目にかかれませんね・・・
この曲は、1982年に錦城学園が、1997年に伊丹北が全国大会の自由曲に選んではいますけど
どちらも今一つというか今二つだと思います。
錦城高校のあの独特の「音の粘り」というか「日本人らしいわび・さび」の世界はかなり本質に迫っていたとは思います。
錦城のあのもっさりとした響き、妙に粘りっこい音は
「日本人として忘れていた何か」を思い起こさせてくれる演奏なのかもしれないですね。
アニメ「響け! ユーフォニアム」の舞台は京都府なのですけど、
京都の学校が火の伝説のようなああいう「日本人の心の原点」みたいな曲を現代のシャープな感覚で吹いたら
意外と面白いのかもと思ったりもします。
R.ミッチェルの吹奏楽オリジナル作品というのは全体的に派手さは無いけどしっとりとした歌心を感じ、
メロディーラインが単純なのだけと「どこかで聴いたことがある音楽」といったようなどこか懐かしい部分があり、
そのしっとりとした歌にしんみりとさせられるものが多々あると思います。
何て言うのかな、日本の高齢者の方たちが「日本の演歌」を好むのと同じような感覚と言うのか、
ミッチェルのあのメロディーにはどこか演歌っぽい「お涙ちょうだい・・」みたいなメロディーラインがあるように思え、
あの演歌っぽいノリの音楽にはどこか共感を覚えます。

私、実はミッチェルの作品とはかなり深い縁がありまして、
ミッチェルの曲は、高校~大学時代に何と4曲も吹いています。
高校時代の定期演奏会で、「海の歌」と今回取り上げる「コンサート・ミニアチュア」を、
大学時代の定期演奏会とチャリティーコンサートで、「大草原の歌」と「序奏とファンタジア」を演奏した事があります。
ミッチェルの吹奏楽作品と言うと、上記の他には
序曲「スターフライト」・「祝典讃歌」ぐらいしか私は知りませんので、
何と私は、ミッチェルのメジャーな作品はほとんど過去に吹いていると言えるのかもしれないです!
一人の作曲家の曲を複数曲吹いた経験があるというのは他の作曲家としては
リードの「アルメニアンダンスパートⅠ」・「ジュビラント序曲」・第二組曲・序曲「インペラトリクス」
ぐらいだと思います。

ミッチェルというと真っ先に思い浮かぶのは「海の歌」ですよね!

吹いていて、「自然に涙が出そうな曲」って少ないと思うのですけど
前半のあのしみじみとするメロディーラインをクラリネットで吹いている時は何回か
唐突に何か胸にこみ上げてくる不思議な感情が自然に湧いてきて、決して涙が出るとかそういう訳ではないのですけど、
自分の感情の中に「言葉にならない感情の高ぶり」みたいなものを自然に感じる曲だったと思います。
ラストの静かに回想する終わらせ方も実に秀逸だと思います。
「海の歌」は構成的にも少し珍しいものがあり、コンサートでチャイムで開始される序奏→ゆったりとした展開部
→激しく動く中間部→しっとりと静かに回想しながら終わらせる終結部という吹奏楽作品としては珍しく、
前半とラストで「静のドラマ」を盛り込んだ曲と言えるのかもしれないです。
そして私が感じた事はどうやら私以外の方もそのように感じていたようでして、野庭高校吹奏楽部をテーマにした
「ブラバン・キッズ・ラプソディー」とい本の中でも、中澤先生が初めて野庭高校を指導して吹奏楽コンクールに臨んだ年の
自由曲がこのミッチェルの「海の歌」だったのですけど、あの本の中でもクラリネット奏者の皆様たちが
「吹いている内に自然と涙が流れそうな不思議な感覚の曲」と評されていましたけど、この言葉は私自身も同感ですね~!
私的には、前半のヴィヴラフォーンのソロ・中間部の盛り上がりの一つの頂点のティンパニソロや、
ラスト近くのホルンのソロにも大変共感を感じます。
後半のゆったりとした歌は、海の描写というものではなくて、「個人の心の動き」を示唆しているようにも感じたりもします。
何か重大な出来事が起きて、それから10数年後にその事件をゆっくりと振り返るみたいな回顧的な感情を
私的には感じ取ってしまいます。
意外な事かもしれませんが、ミッチェルの「海の歌」にもベースが使用されています。
上記で書いた通り高校2年の時の定期演奏会でこの曲を演奏したのですが、パーカッションパートが
「あれ、この曲にベースが入っている」とか言っていたので総譜を見てみると確かにベースが打楽器として入っていました。
こうしたしっとりとした抒情的な曲にベースの指定があるとはかなり意外な感じもしたものです。
演奏会ではベースは使用しませんでしたし、海の歌の他の演奏でもベースが入っているのは見た事は無いですね・・

「海の歌」の翌年の定期演奏会、私にとっては高校最後の定期演奏会でも
再びミッチェルを取り上げたのですけどその時の曲が「コンサート・ミニアチュア」でした!
この曲は「海の歌」のようにしっとりと聴かせる曲ではなくて、
いかにも「胡散臭いアメリカ・・!!」みたいにとにかく能天気で明るい曲です。
傾向としては「大草原の歌」に近いような感じもあると思います。
だけどこういう能天気な時のミッチェルもとてもすてきだと思います。全体的にはミュージカルのような雰囲気にも
近いものがあるのかもしれないですね。

実はなのですけど、「コンサート・ミニアチュア」という曲は
吹奏楽コンクールではA編成(大編成)におていは、まだ一度も全国大会はおろか支部大会でも演奏された事はありません!
最初にこれを知った時は、「実はそんなにマイナーな曲だったんだと少し驚いたものです。

「コンサート・ミニアチュア」は確かに海の歌や大草原の歌に比べると知名度は全然低いと思うのですけど、
こんなすてきな曲が全く知られていない事は大変勿体ないと感じます。
ゆったりとした序奏から開始され、典型的なA-B-Aの三部形式の曲なのですけど、
Bの中間部が実に素晴らしいと思います。
あのノリは、「ミュージカル」みたいな歌わせ方のようにも感じられます。
海の歌の前半は抒情的な歌い方なのですけど、コンサートミニチュアの中間部は「コーラスライン」みたいなノリだと思います。
ラストはAの部分が短く再現され、華麗に曲を閉じていきます。
演奏時間も6分程度の短いものですので、コンサートの一曲目にはうってつけのようにも思えます。
実際私の高校もファーストステージの一曲目がコンサート・ミニアチュアでした!

コンクールで演奏したチームが皆無ですので、この曲の音源は私が知る限りでは東京佼成のみです。
そしてこの東京佼成の音源以外に私が知っている音源は、
私自身の高校生時代の定期演奏会のライブ音源しか知らないというのも「知る人ぞ知る曲というのは気分いいのかも~」と
感じさせてくれるものがあるのかもしれないですね(笑)

東京佼成のこの曲を収録したCDも確か現在では廃盤扱いですので
現役奏者の皆様にとっては 「コンサート・ミニアチュア」は聴きたくとも聴くことが出来ない曲になってしまうのですよね・・・

どこかのプロの吹奏楽団とか上手いアマチュアチームが この曲を再録音し、
改めてこの曲の魅力を後世の人達にも伝えて欲しいなとも思いますね・・・
最近の現役中学生や高校生で吹奏楽をされている現役奏者の皆様に「オリヴァドーティという作曲家知っている?」と聞いても
ほとんどの人は、「誰、それ?」というような扱いなのかもしれないですね。
私が中学生・高校生の頃の1970年代後半から80年代前半の場合ですと、
奏者が25人足らずの小さな吹奏楽部や技術的にあまり上手くないメンバーが多いチームが吹奏楽コンクールに
出てみようと思った場合は、
①「吹奏楽のための民話」でお馴染みのコーディル
②「クィーンシティ組曲」でお馴染みのカーター
③序曲「バラの謝肉祭」でお馴染みのオリヴァドーティ

あたりから始めようというのが基本的な流れだったような感じもあります。
当時の吹奏楽コンクールにおいては、C部門(人数が25名以下の部門)・B部門(35人以下の編成)においては、
コーティル・オリヴァドーティは大人気だったような記憶があります。
あ・・C編成やB編成といっても最近の現役奏者の皆様にとっては「なんじゃそれ・・?」という死語の世界と化しているのかも
しれないですね。
支部や県によって言い回しは微妙に異なっていたりもしていますけど、基本的には大編成と小編成という部門に統一
されているのが実情だと思います。
1990年代の頃で言うと、スウェアリンジェンみたいな位置づけとも言えると思うのですけど、逆に言うと
吹奏楽コンクールの流行り廃りという歴史の中で、小編成のスクールバンドにおいて、コーディルやオリヴァドーティに
少し飽きてしまったところにスウェアリンジェンという作曲家が彗星の如く現れ、オリヴァドーティに代って
スウェアリンジェンがその役割を奪取したという表現も出来るのかなぁ・・と思ったりもします・・(汗)

J・オリヴァドーティは実は生粋のアメリカ育ちではなくて、生まれ自体はイタリアです。
18歳のときアメリカに移住し当初はオーボエ奏者としてシカゴのミリオン・ダラー・バンド、
第二次大戦中は海軍軍楽隊に所属し奏者としての生活を送る事になります。
戦後はカリフォルニアに移り、スクールバンドのための多数のオリジナル作品や音楽理論の教本等を残すことになります。
元々がイタリア生まれでイタリアで基礎的な音楽教育を受けた方でもありますので、
「バラの謝肉祭」が何となく演歌っぽいとか歌曲の世界みたい・・と時に揶揄されるのは、オリヴァドーティのイタリア人としての
血がそのような曲を書かせていたのかもしれないですね。
バラの謝肉祭は1947年に作曲され吹奏楽の歴史を語る上ではずせない古典的名曲のひとつであるのは間違いないと思います!

オリヴァドーティの曲って色々とあります。

一例を挙げてみると・・

〇序曲「バラの謝肉祭」

〇イシターの凱旋

〇「大洋の偉観」序曲

〇ポンセ・デ・レオン

〇序曲「りんごの谷」

〇「美しき剣士」序曲

〇「桂冠詩人」序曲

などなどがありますけど、全ての曲に共通して言えることは、難しい表現とか不協和音等はほとんどなく
親しみやすくシンプルなメロディーラインが、全ての人の心の中にまっすぐとすんなりと入り込んでいけるようにも思えます。
素朴を絵に描いたような作品だと思いますし、コーディルの「吹奏楽のための民話」と同様に
シンプル・イズ・ベストを音楽的に立証した作品と言えるのだと思います。

こうした親しみやすく平易な作品が、オリヴァドーティの名前と共々消えていきそうな雰囲気は
1970年代~80年代の吹奏楽に関わった者としては少々寂しいものはありますね。
こうした曲が後世の時代にも受け継がれていって欲しいなとも思えてならないです。

序曲「バラの謝肉祭」なのですけど、
コラール風の序奏の後に続く、クラリネットのメロディーラインが本当に美しく素晴らしいのです!!
この後金管セクションが加わり一度盛り上がり、
中間部でしっとりと歌い上げ、ラストで再び盛り上がるという感じの曲ですけど、
こういう「シンプルさ・素朴さ」満点の曲は素晴らしいとしみじみと感じます。

クロード・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」とかバーンズの交響曲第3番とかスパークの「宇宙の音楽」といった
華麗で技術的な難易度が極めて高い吹奏楽オリジナル作品も素晴らしいですけど、
時にはこういう素朴で楽しい曲もいいものだと思います。

昭和の頃にソニーから「オリヴァドーテイ作品集」というレコードも出ていましたけど、
何とかあれ、復刻版CDが出て欲しいです!
バラの謝肉祭だけなら、フェネル指揮/東京佼成や渡辺渡邊 一正指揮の東京佼成WOの演奏が素晴らしいと思います。

だけどたまにはこういう懐かしい曲も吹奏楽コンクールで聴いてみたいものですね・・
名取吾郎氏が永眠されて、もう既に二十数年が経過しているのを見ると「時の流れって早いよね・・」としみじみ
感じたりもします。
名取先生のの吹奏楽作品はどちらかというと陰気で劇的要素が強く、
ネリベルのように強弱と明暗のコントラストが激しい作曲家という印象があったりもします。
私自身、名取氏はその生前に例えば都大会・山梨県大会・関東大会等の吹奏楽コンクールの審査員として
お見かけした記憶はありますし、どこかの大会で、審査員代表として講評を述べていたのを耳にしたことがありますが、
作品の印象とは全然異なる柔和なお人柄という印象を受けたりもしたものです。
聞いた話によると、名取先生の陰鬱な音楽の背景には、名取氏ご自身の辛くて悲惨な戦争体験、特に南島での
兵士としての辛い体験がベースにあったとの事です。
そのあたりの背景は水木しげる先生と共通するものがあるのかもしれないです。

名取氏の吹奏楽曲と言うとどんな作品があるのでしょうか・・?

〇アラベスク(1973年課題曲B)

〇風の黙示録(1990年課題曲B)

〇交響的幻想曲「ポンドック街道の黄昏」

〇永訣の詩

〇アトモスフェア

何となくですけど、名取吾朗氏の作風と市立川口高校と愛工大名電の演奏は大変相性が良かったようにも感じられます。
ポンドック街道の黄昏は、関東大会銅賞ですけど真岡高校の演奏が私的には大変強く印象に残っていますし、あの演奏に
おける前半のソプラノサックスのかなり長大なソロはキラリと光るものがあったと思います。
「永訣の詩」は、全国大会においては市立川口高校と花輪高校が演奏していました。
川口は金、花輪は銅という評価にはなっているのですけど、花輪高校は銅賞だから川口よりも劣るという事は
全く無いと思います。
両校どちらの演奏もそれぞれ素晴らしい演奏を残していますし捨てがたい魅力があります。
両校の演奏には一つ面白い違いがあります。
冒頭の「慟哭」みたいな表情の部分てすけど、
市立川口高校は、この部分はユーフォニウムがソロに近い間隔で朗々と吹き上げていますけど、
花輪高校は、この部分はトランペットセクションが高らかにややヒステリックに響かせています。
私自身この曲の総譜は見た事がないもので、原曲における作曲者指定の楽器はどの楽器なのかというのは今でも
よく分からないのですけど、あくまで私個人の感じ方としては花輪高校のアプローチの方が「死者への弔い」という意味では
曲に合っているようにも感じたものでした。
(市立川口はどちらかというと幽玄さを演出しているようにも感じられます)

さてさて、そうした名取吾朗の吹奏楽作品の中で、吹奏楽コンクール課題曲として採用された曲は2曲ありまして、
一つが1990年の課題曲B/風の黙示録なのですけど、この曲は名取先生の「戦争は悲惨なもの・・繰り返してはならない」
という事を曲の中にメッセージとして盛り込んだようにも感じられ、
結果的にこの課題曲の数年後に名取先生は彼岸の方となられましたので、先生にとってはこの「風の黙示録」は
「この世の私たちに対するラストメッセージ」という意味合いがもしかしたらあったのかもしれないですね。
この曲の名演としては、市立柏高校を強く推したいです!
(この年の関東大会は私も聴いていましたけど、前年にダフクロで関東ダメ金だった市立柏の気迫溢れる演奏が
大変印象的でしたし、全国でも関東大会での気迫をそのまま持ち込んでいたという雰囲気があったと思います)
そしてもう一つの曲は1973年の中学の部以外の課題曲の「吹奏楽のためのアラベスク」です。

この頃の吹奏楽コンクールの課題曲は、1970年~73年の4年間においては、中学の部は一つの課題曲のみ与えられ、
中学の部以外の部門にも一つのみの課題曲が与えられるという感じであり、今現在のように
「選択する自由」というものは何も無かったのだと思います。
1973年の高校の部の出場チームはわずか11チームのみで、関西・関東・東北の代表枠が1校のみというのも
今では信じられない話でもあったりします。
そしてこの年は意外にも評価としてはかなり甘めで、結果として銅賞なしの11チームのうち6チームが金賞受賞という
結果になっています。

「吹奏楽のためのアラベスク」なのですけど、比較的短い曲ですけど、名取さんらしさがギュギュッと凝縮されているようにも
感じられます。
冒頭はゆったりとしたちょっとおどろおどろしい雰囲気か前半はこのドロドロした雰囲気が支配的でもあるのですけど、
中盤でテンポアップしてからは
終始スピード感とキレの良さを保ったまま駆け抜けていき、ラスト近くで一旦スピードと音量が落ちたと思った次の瞬間に
最後に盛大に曲が盛り上がり、華麗に曲が閉じられていくという感じの課題曲であったりもします。
名取吾朗の後年の作品から見ると、陰気ではないし暗さはあまり感じないし、むしろ爽快さと走り抜けていく感じの方が
より伝わってくるようでもあり、名取氏の曲としてはむしろ異例の(?)明るさが漂っている曲とも
言えるような感じがあったりもします。
どちらかというと同じリズムとメロディーの反復が多く、聴き方によってはしつこいとか執拗とも感じさせ、
打楽器のリズムに特徴がある感じは、この時代に流行っていたマクベス・ネリベルのサウンドに近いような雰囲気すら
あると思います。
ネリベルとの違いは前半のおどろおどろしい雰囲気は「和」の「うらめしやぁ~」みたいな世界みたいなものであるという事に
あるのかもしれないですね。

この年の全国大会は名取先生も名古屋での会場で聴いたいたようです。

そしてその際の感想として、

1.課題曲よりも自由曲に力点を置いた演奏が多く、自由曲の方がけた違いにうまいチームが多い

2.この課題曲は序奏部の良しあしが全体の演奏に大きな影響を与えるのだが、冒頭の低音五度の響きが美しくない
  チームが多い

3.金管から木管へ、木管から金管へメロディーラインが移行する際のバランスに難があるチームが多い

4.全体的に、関西学院大学・瑞穂青少年・天理・花輪・名電・銚子商業の演奏が特に良かった

5.花輪高校の演奏はサラリとしていて好感を持てた

といった事を後日のBJで書いてあったような記憶があります。

私自身、全てのチームのアラベスクを聴いた訳ではないので、必ずしも完全なものではないとは思いますが、
私が知る限りにおいて「吹奏楽のためのアラベスク」が全部門を通して「いっちば~ん!」といえる演奏は、私的には
文句なく一般の部の瑞穂青少年吹奏楽団だと思います。
ところどころ不安定な箇所も散見され、序盤のトロンボーンの弱奏でのはもりは貧弱にすら聴こえてしまう部分も
あったりしましたけど、アップテンポして以降の展開はスピード感溢れる展開で、そのリズムの切れの良さと躍動感は、
この曲の良さを見事に聴衆に伝えていたと思います。
前半のおどろおどろしい部分もそれほど和のドロドロっとした雰囲気ではなく、むしろ西洋的にサラッと流していたように
聴こえたのも面白い解釈だと思います。
自由曲のジェイガーの交響曲~第四楽章と合せて、いかにもアメリカンみたいな雰囲気の演奏で、そのドライでカラッとした
サウンドが自由曲にはどんぴしゃで、課題曲のアラベスクも和の要素はうすくなったけど、
その分ドライで「華麗さ」をより強く全面に出していたようにも感じたものでした。
余談ですけど、ジェイガーの交響曲第四楽章に関しては1973年の瑞穂青少年吹奏楽団の演奏が一番好きです。
他にも1970年の天理とか、少し荒っぽいけど個性的な1984年の東邦高校とか色々演奏はされていますが、
瑞穂のスピード感にはかなわないと思います。

1973年の瑞穂の演奏をカスタムテープで聴いてみると少し面白い発見があります・・・・
普通はアナウンスが流れて指揮者が一礼をして拍手が起きて、そこから演奏が開始されるのですけど
この時はアナウンスが流れて、いきなり課題曲が始まります。
あれって日本ワールドレコード社の編集かな・・?(多分、それは無いと思いますけど・・)
その当時のコンクールは、指揮者が一礼をしないで演奏を開始するのが普通だったのかな・・??
ハワード・ハンソンという作曲家も作品も日本では残念ながらあまり馴染みがない作曲家なのかもしれないですね・・(泣)
このアメリカの作曲家はバーバーと並んでアメリカ保守系クラシック音楽作曲家の大御所の一人で
「イーストマン音楽学校」の校長を長い間勤めていた事でも知られています。
作曲家としては、どちらかと言うと「交響曲の作曲家」としてアメリカでは高い評価を受けているようでもあります。
ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」は実は「20世紀の隠れた名曲」と私自身はかなり以前から高く評価しています!
この素晴らしい交響曲は、「私自身のためだけに聴きたい。他人にはその存在を教えたくない」とも思うのですけど(汗・・)
「この素晴らしい交響曲は是非一人でも多くの皆様に聴いて欲しい」という気持ちもあったりもしますので、
本記事の後半で触れさせて頂きたいと思います。

ハンソンは、吹奏楽オリジナル曲も決して数多くありませんけど幾つかの作品を残しています。
私が生演奏で聴いたことがある範囲では、

〇ラウデ

〇ディエス・ナタリス

程度に留まっています。

ディエス・ナタリスは元々は管弦楽曲なのですけど、吹奏楽版は以前東芝EMIからCDが出ていましたけど
さすがに現在では廃盤なのかな・・?
そうなるとこの曲は、国内盤で聴く事は出来ないというのももったいない気はします。
この曲は、1980年に文教大学が全国大会で演奏し銀賞を受賞しています。
現在大学の吹奏楽を牽引する文教大学も実はこの年が初めての全国出場でもありました。

私にとって、ハワード・ハンソンの吹奏楽オリジナル作品というと、「コラールとアレルヤ」が大好きです!
5分半程度の短い曲なのですけど、前半の祈りのような荘厳さと後半のたたみかけるような重厚な響きなど
聴きどころは満載だと思います。
冒頭は金管楽器のアンサンブルで開始され教会での祈りみたいな雰囲気です。
後半は打楽器が活躍し、特にティンパニの圧倒的なロールは迫力満点です。
最後は、高らかな讃美歌で終わり、非常にすっきりとしたシンプルな終わり方で閉じられます。

吹奏楽オリジナル曲としては大変短い作品なのですけど、保守系シンフォニストらしいエッセンスが凝縮された作品であり、
無駄な部分が一つもなく、実にすっきりと音楽的に充実した作品だと思います。
祈りと讃歌と迫力の三要素が曲の中に溢れていて、短い中にもその音楽的充実感と構成美には目を見張るものが
あると感じずにはいられないです。

「コラールとアレルヤ」し日本の吹奏楽コンクールではほとんど演奏されないのが大変勿体ないと感じます。
1979年の高岡商業が全国大会でこの曲を自由曲にし、銀賞を得ているのが
この名作の唯一の演奏事例と言うのも何か少し寂しい気がいたします。
高岡商業のこの年の演奏は素晴らしく、課題曲B/プレリュードも静と動の対比が素晴らしかったし
課題曲で抑制された感情を自由曲の「コラールとアレルヤ」の後半で爆発させたのも
いかにも若き高校生らしい快演だと思います。
翌年に高岡商業は、ニクソンの「パシフィックセレブレーション組曲」の歴史的名演を残すことになります。

高岡商業の「コラールとアレルヤ」は現在は音源が何も無い状態で、ソニーの「日本の吹奏楽79」という廃盤レコードにしか
音源がありませんので、ブレーン社あたりから復刻版として出てくれるとうれしいですね。
私はレコードという形でこの演奏の音源は持っていますけど、最近レコード自体ほとんど聴く機会はないですね・・(汗)

ハンソンの「コラールとアレルヤ」は、実は支部大会レベルでは演奏の歴史は非常に古く
昭和36年に三井造船が既に自由曲として演奏されてはいるみたいです。
支部大会でこの曲が最後に演奏されたのは、1984年の福岡工業大学が最後というのも少し寂しいものは感じます。

「コラールとアレルヤ」は技術的にはそれほど難易度は高くはないと思いますので、中学校・高校の小編成部門で
チャレンジする事は全然悪くないと思いますし、音楽的教育の観点からも演奏効果という点からも
大変申し分のない吹奏楽オリジナル作品と一つと言えると思います。

さてさて、ここから下はこのハンソンが作曲した20世紀の隠れた名曲であると私自身は確信している
交響曲第2番「ロマンティック」について少しばかり触れさせて頂きたいと思います。

ハンソンは元々がスウェーデン系移民の子孫で、交響曲第1番には「北欧風」のタイトルが付けられています。

ハンソンの交響曲と言えば、交響曲第2番「ロマンティック」が圧倒的に素晴らしいと思います。
この交響曲第2番は、私的には20世紀の「影の隠れた名曲」とか「埋もれた名曲」だと考えていますし、
本当にこんなに抒情的で美しく、同時に「希望」にも溢れ、優しくせつなくて
聴いているだけで「自分も頑張ってみよう・・!!」と思わせる曲は20世紀の交響曲の中では珍しいものがあるような気さえします。
極論ですけど、このハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」を一度も聴かないで、その生涯を閉じられるのは
とっても勿体無いような気さえします。
(あれ・・このセリフは最近、ウィリアム=シューマンのヴァイオリン協奏曲や
ハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」でも同じ事を言っていましたよね・・・汗・・・)

ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」は、交響曲第1番に興味と可能性を感じた当時の大指揮者クーセヴィッキーより
ボストン交響楽団創立50周年記念作品の委嘱を受けて作曲されたものです。
この時、他に委嘱を受けた作曲家は、ストラヴィンスキーやルーセルなど当時の大御所達なのですけど、
作曲当時は特に実績もない新人作曲家にこうした委嘱する方も勇気が必要だったと思われますが、
ハンソンはその期待に応えて素晴らしい曲を後世に残すことになります。

この交響曲が作曲された当時は、ストラヴィンスキーの原始主義と新古典主義やドビュッシーやラヴェルの印象派的音楽や
シェーンベルクの無調音楽が闊歩する時代でしたけど、そうした当時最先端の音楽に全く影響を受けずに
「分かり易くて美しくて抒情的な」音楽を残したハンセンは素晴らしいと思いますし、
ほぼ同時代を生き、時代に流されずにロシアの香りが漂うセンチメンタルな音楽を作り続けた
ラフマニノフとも重なるものはありそうな気はします。

交響曲第2番「ロマンティック」は、三楽章構成で演奏時間も25分程度で非常に分かり易い音楽です。
第一楽章は静かに開始されますが、すぐに快活なメロディーが展開されていきます。
この第一楽章のメロディーが第三楽章でも再現される事となります。
第二楽章は、「美しい!」としか言いようがない甘い旋律が続きます。冒頭のフルートが実にすてきですね~!
第二楽章中間部の木管楽器の使い方が実に巧みだと思いますし、抒情的に流れていた音楽に
瞬間的な緊張感をもたらす効果もあると思います。
抒情的というよりは、
「昔の出来事を静かに振り返りながら余韻を楽しむ」みたいな感覚の音楽です。
第三楽章は、上記の要素に加えて
「未来への楽観的希望」みたいに明るい要素が加わっていきます。
冒頭のあのメロディーは、ハンソン自身がこの曲を「精神においては若い」と評していましたけど
その「若さ」が見事に溌剌とした曲想として表現されているのだと思います。
第三楽章のラスト前で一旦静かになる部分があるのですが、「昔をしみじみと懐かしむ感じ」が漂いうっとりさせられ、
最後は肯定的希望を持って明るく閉じられるようにも感じられます。

2013年9月に逝去された作曲家&音楽評論家の諸井誠氏の著書に 「現代音楽は怖くない」というものがあり、この著作の中で
この中で諸井氏はハンソンの交響曲第2番にも触れていますが、
「クーセヴィッキーが委嘱した数々の作品の中で一番新鮮味が無く最も後ろ向きな作品」とかなり酷評しています。
私はそれは全然違うと思っています。
第一にこの音楽は全く後ろ向きではないと私は感じております。
一体この音楽をどうひねくれて聴けば「後ろ向き」に聴こえてしまうのか逆に教えて頂きたいほどです。
特に第三楽章の冒頭の第一楽章再現の部分とか第三楽章のホルンの展開部とかラスト近くの高揚感は、
「ひたすらに前向きに一生懸命生きていれば、そのうちきっと何かいい事が待っているはず!!」みたいな
「希望のメッセージ」を私はこの曲から感じてしまいます。
間違ってもこの曲は「後ろ向き」というものではないと思っています。
100歩譲って、仮に諸井氏が言うとおり「後ろ向き」であったとしても、私の考えとしては、
「別に全ての音楽が前向きでないといけないとか何かメッセージ性とか革新性を有しなくてもいいじゃん・・・」という事なのです。
音楽とは常に前向きでないといけないとか、高尚な内容のものでないといけないとか、
常に新しい感覚を持ち、新しい技術と表現力を提示しないといけないというのではないと思います。

別に後ろ向きだっていいと思います。
作風が「懐古的」だったり「新鮮味に欠けていても」いいじゃないかと思います。
その音楽によって、聴く人の心に「何か」を伝えることが出来ればそれでいいのではないのかな・・?と思っています。
音楽全ての作品が進歩的なものを目指す必要性なんか全然ないと思いますし、
音楽の中には、後世とか自分の過去を見つめ直したり、「美しいもの」を自分なりに探究したり
そうした方向性の音楽が現代にもあって然るべきものだと思います。
前述のボストン交響楽団創立50周年記念の委嘱作品ですけど、このハンソンの交響曲第2番以外には、
例えば、プロコフィエフの交響曲第4番とかルーセルの交響曲第3番などがありましたけど、
そうした革新的で実験的な曲と同系列でこの曲論じる事自体がナンセンスのようにも感じられます。
そもそも目指している方向性が全く違っていますし、
別にハンソン自身は、そんな音楽に「革新性」を求めるタイプではありませんからね。
それに何よりも私自身はこの曲から「生きる希望」を感じ取っています!!

ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」は甘くせつないし、あまりに美しすぎるのだけど、何か妙に「芯」がガッチリとある作品
のようにも感じられたりもします。
この曲の生演奏は一度も聴いたことがないのはとても残念です!
一度だけ吹奏楽アレンジ版としい聴いたことがありますし、それも悪くは無いのですけど、出来るならば、
この交響曲を管弦楽版として是個是非一度生演奏で聴いてみたいのですよね・・・

ちなみにこの曲、アメリカ映画「エイリアン」のラストシーンで使用されています。

この曲をCDで聴く場合、
スラットキン指揮/セントルイス交響楽団が素晴らしい演奏を残しています。
カップリングは、バーバーのヴァイオリン協奏曲ですから
アメリカの音楽を聴くには、まさしくうってつけの一枚だと思います。

最後に余談ですけど、この交響曲の第三楽章をかつて関東第一高校を指揮されていた塩谷晋平先生が
青森山田高校を指揮されて東北大会に出場されていた事もありましたけど、あの演奏は出来れば
当時の普門館でも聴いてみたかったです!
1993年の課題曲は「課題曲改革」の一年目ということで、課題曲として出題されていた4曲は全てマーチという年でもありました。
一日丸ごとコンクールを聴いている身としては負担が減るというか、
難解な課題曲を聴かずに済むというリラックス感があったりして従来よりは、随分と「聴きやすい大会」という感覚もありました。
特に課題曲Ⅳ/マーチ「エイプリル・メイ」は大変親しみやすくメロディーラインが実に躍動的かつ美しい
という感じで、聴くだけで何か「ハッピー」な気持ちにさせてくれていたと思います。
もしもですけど、私自身が1993年にスクールバンドの指揮者であったと仮定したら、この年に選ぶ課題曲は
迷うことなくこの課題曲Ⅳだったと思います!
マーチと3月を掛けているのも作曲者の粋さを感じさせてくれますし、演奏しても聴くだけでも底抜けに楽しい曲だとも思います!
課題曲Ⅱのスターパズルマーチについては先週の土曜日に散々語っていますので今回は省略いたします。
課題曲Ⅰ/ターンブルマーチは、いかにも古典的マーチというかマーチの正統派という感じがあり、
悪くは無かったのに、あまり人気が無かったのは気の毒のように感じたりもします。

課題曲Ⅲ/マーチ「潮煙」はとっても大好きな課題曲です!

どちらかというと「行進曲」という感じではなくて、「ポップス+リズム」という感じですし、
この年の課題曲4曲の中では群を抜いて技術的には大変難しいものがあったと思いますし、後述しますけど、
その難しさの中でも圧倒的に難しいパートはトランペットセクションだったと思います。
県大会や支部大会でこの課題曲Ⅲを選び、最初から最後までリズムがぎくしゃくしてしまうチームとか
冒頭から大活躍するトランペットソロがしくじってしまいミストーン連発の演奏になってしまうとか
マーチ「潮煙」の「悲惨な事故」(?)は当時かなり続出していたような印象があります。
全国大会でも、袋原中学とか職場の部のNTT中国とかトランペットが外しまくってしまい、結果的に
自由曲で好演を見せても課題曲の印象度が悪いせいもあったのか、銅賞と言う評価になっていたのは、
これは客観的に聴いても「仕方がないのかも・・」という感じでもあったと思います。

あの「潮煙」のリズムがどんちゃん鳴る感じとか粋な感じとかあのノリは当時も今も大好きです~!

このマーチ「潮煙」なのですけど、最初にこの課題曲を聴いた時の印象は
「これってなんだか刑事ドラマのテーマ曲みたいな雰囲気なのかも・・」と感じたものですけど、そうした印象は
決して的外れでは無いと今でも感じていますね。
余談ですけど、刑事ドラマのテーマ曲と聞いて、
昭和育ちの世代の皆様ですと、太陽にほえろ・西部警察を連想されると思うのですけど、
平成育ちの皆様ですと、踊る大捜査線・相棒・古畑任三郎を連想されるのかもしれないですね。
そして昭和の頃ですと海外版の刑事ドラマのテーマ曲と聞いて真っ先に思い出すのは「刑事コロンボ」なのかもしれないですね!
あの口笛みたいな電子音の楽器は何だったのだろう・・?と当時は思っていたのですけど、
あれってどうやらメシアンのトゥーランガリア交響曲でお馴染みのシンセサイザーの遠い先祖でもありそうなオンド・マルトノと
知ったのはずいぶん後の話でした・・

1999年6月のサントリーホールでの東京交響楽団の定期演奏会の話ですけど、前半が矢代秋雄のピアノ協奏曲で、
後半がメシアンのトゥーランガリア交響曲でした。
プログラム全体の副題として「師弟の絆」とありましたけど、メシアンと矢代秋雄はフランス留学時代の師弟関係がありましたし、
ピアノ協奏曲第三楽章の後半の展開に悩んだ矢代秋雄が中村紘子に
「何かいい方法があったらぜひ教えて・・・」と懇願したエピソードから考えると確かにぴったりのタイトルかもしれませんよね。
この日の演奏は、中村紘子も東京交響楽団も指揮者の秋山和慶も大変素晴らしい名演を聴かせてくれ、
とにかく素晴らしい前半の矢代秋雄のピアノ協奏曲でしたけど、後半のメシアンはあまりにも曲が難解すぎたせいか、
曲の途中なのに席を立つ人が続出というのは、演奏者にとっては気の毒な話でしたけど、
あの難解さと十楽章構成という曲のあまりの長さを考えると仕方がないのかもしれないですね。
あまりにも前半の矢代秋雄のピアノ協奏曲が素晴らしすぎたゆえに、メシアンを同時に聴いてしまうと
矢代秋雄ですら優しく平易に聴こえてしまうのは、何か面白い感覚ではありました。
そういう私自身もトゥーランガリア交響曲に関しては、第5楽章「星の血の喜び」・第6楽章「愛の園」くらいしか分らないです(汗)

あれれ・・なんで私このカテゴリでメシアンの話をしているのでしょうか・・??

話をマーチ「潮煙」に戻しますと、この課題曲Ⅲは決まるとトランペットがとてつもなくかっこよく思えましたけど、
私的にこの曲でいっちば~ん!カッコよく感じさせる楽器はトムトムだと思います!
この曲はCDで聴くと「楽譜の中にドラムセットが指定されているのかな・・?」と感じさせてくれるのですけど、
実際はドラムセットは使用されておらず、その代わり最初から最後までトムトムが小太鼓・ティンパニに変って
リズムセクションをリードしているような印象すらもたらしていると思います。
特にラスト近くのトムトムの叩きっぷりは聴いているだけで爽快でした~!

1993年の高校の部は、ⅡとⅣに人気が集中し、ⅠとⅢを演奏するチームは極めて少なかったですね。
Ⅰは基町高校のみで、Ⅲは埼玉栄と東海大学第四だけに留まっていたのは大変意外でもありました。
私的にはこの課題曲Ⅲの演奏の中でいっちば~ん! よかったのではないかと感じさせてくれた演奏の一つが
関東大会での常総学院だったのですけど、なぜか常総学院はまさかのダメ金で、全国に進めなかったのが当時
残念でしたし、川崎産業会館でのこの年の関東大会・高校の部を朝から聴いていた私にとっては
「どうして常総が代表になれないの~!? 市立柏みたいなスカスカ演奏を代表にするなら常総の方が全然代表に
相応しいじゃん!」と当時文句をぶーたれていたものでした・・(汗・・)
Ⅰが人気薄と言うのは何となくわかるのですけど、Ⅲ/潮煙が意外と人気が無かったのは少し意外でした。
上記で書いた通り、この年の課題曲Ⅳ/マーチ「エイプリル・メイ」が実に楽しい曲で
技術的に平易ながらも演奏効果が非常に高いというコンクール課題曲としては大変お手頃な曲でしたし、
課題曲Ⅱ/スターパズルマーチも、「きらきら星」という誰もが知っている曲を引用していますので
ⅡとⅣの人気が高いのは当然という感じでもありました。

マーチ「潮煙」の全国大会の演奏の中では断トツの圧倒的な名演は神奈川大学に尽きると思います!

トランペットの技術的難解さを全く感じさせずに大人の余裕みたいな感じで終始リラックスした雰囲気で演奏していましたし、
自由曲の「ディオニソスの祭り」も素晴らしい名演だったと思います!
流行の流行り廃りが歌謡曲・J-POP以上に激しいとも囁かれている日本の吹奏楽コンクールの自由曲の選曲事情とも
関わりが強いのですけど、最近の若い奏者の皆様にとってはジェイムス・カーナウというアメリカの作曲家自体
「誰、それ・・?」という感じなのかもしれないですね。
私が現役奏者だった頃は、フェニックス序曲・パルティータ・ダブリンスケッチ等でもある程度の知名度はあったと
思いますし、今回取り上げさせて頂くカーナウの代表曲でもある「交響的三章」のちょっとしたミニブレイク(?)によって
1980年代においては名前ぐらいは聞いたことがある作曲家という感じだったのかもしれないです。

最近はJ.カーナウの曲は支部大会でも県大会でもあまり見かけない感じでもあるのですけど、
そうした中でも21世紀に入っても時折ですけど中学の小編成部門を中心に、セレブレーション・動物園の一日・美術館の一日
といった作品が演奏され続けているのは大変嬉しいものもあったりします。
カーナウ自身、特に作風に目立つ個性がある訳でもないのですが、親しみやすい旋律・演奏効果のある曲の構成という点で
大変秀でているものが間違いなくあり、演奏しても聴くだけでもとても楽しい音楽を作られている方という
イメージが私の中ではあったりもします。

カーナウはまだご生存中の御方で、音楽活動以外にも楽譜出版の経営もされている御方というのはどこかで
聞いたような感じもあります、
初級向けから上級向けまで、幅広く作曲している印象があり、上級向きを代表する大作は「よろこびの翼」で、
ジュニア向けというのは、動物園の一日・日の出に向かって・サンドキャッスルズあたりなのかもしれないです。
カーナウ自身がユーフォニアム経験者と言う事もあり、ユーフォニアムと吹奏楽のための協奏的風な作品もあるとの事です。

カーナウの曲が全国で演奏されたのは、 81年のNECと83年の松山市民が取り上げた「交響的三章」と
86年のNECの「オーストラリア民謡変奏組曲」の三度に留まっていますけど、
天理高校が本邦初演を果たしたカーナウの大作でもある「よろこびの翼」は全国大会でも演奏された事が一度も無いというのは
ちょっと寂しい感じもあったりします・・(泣)

ジェームス・カーナウの吹奏楽オリジナル作品というとどんな曲が思い浮かぶのかと言うと、

歓喜~我らが神は固き砦による幻想曲
よろこびの翼
オーストラリア民謡変奏組曲
パルティータ
ダブリンスケッチ
伝説と太陽の踊り
フェニックス序曲

などが挙げられるとは思いますけど、私の中でカーナウの作品の中でいっちば~ん!と言うと誰が何と言っても
「交響的三章」です!
高校の頃に、三善晃の「交響三章」とこのカーナウの曲をしばし混同し周囲の失笑をかっていたのも懐かしい思い出です。(汗)
(それ以前に作風が全然違いますけどね・・・)

カーナウの「交響的三章」はかなり鳴る曲だと思いますし、金管楽器が主体となってメロディーを展開する曲だと思います。

この曲はタイトル通り短い三つの楽章より構成されていて、

Ⅰ.ファンファーレースケルツォ

Ⅱ.ソリロクイ

Ⅲ.マーチ

Ⅰの金管セクションを中心にした冒頭と展開部の堂々たる響きは大変魅力的ですし、曲の途中でテンポを速める箇所の
スピード感も素晴らしいものがあると思います。
Ⅱのしっとりとした歌や呟くようなオーボエのソロも魅力的ですが、
Ⅲの金管楽器を中心とした豪快でスピード感あふれる展開は、聴いていてしびれるものがあると思います。
各楽章が2分半~3分程度で全体としても8分以内に収まる曲でもありましたので、
その点が一時期吹奏楽コンクールの自由曲としてかなり選ばれていた理由の一つにもなっていると思います。
Ⅱの冒頭ではコンサートチャイムが静粛に鳴り響いているのですけど、その中でしっとりとソロを吹いているオーボエには
はっ・・とするほどの美しさがあると思います。

吹奏楽オリジナル作品のA-B-Aの三部構成の序曲の性格に近いとも言えると思いますし、抒情的な第二曲を真ん中に挟む
形で、最初と最後にスピード感と迫力に溢れた音楽が展開されていきますので
曲の構造としてもバランス感覚としても優れているものがあると思います。

この「交響的三章」は1981年のBJのコンクール評ではよく「内容が無い曲」とか「音量だけに毒されている」等
酷評をする審査員も見受けられましたけど、それは「ちょっと違うじゃん・・」と感じてしまいますね。
吹奏楽オリジナル作品のすべてが全て、内省的でメッセージを含む曲である必要はないと思いますし、
カーナウのように「そんな難しい事考えないで、そんな面倒くさい屁理屈は抜きにして、とにかく目の前の音楽を
みんなで楽しもう!」という作品があっても全然おかしくないと私は思います!
交響的三章のⅢは、何か嫌な事があった時にこうしたひたすら豪快で前向きな曲を聴いただけで何かしらの元気とパワーを
貰えそうな曲なのではないのかな・・と思ったりもしますね!
フランスの作曲家・音楽教育家のシャルル・ケクランをご存知の方はかなり少ないのかもしれないですね。
というか・・私自身も後述する「民衆の祭りのためのコラール」以外の曲は聴いた事がありません・・(汗)
ケクランは、その名前の表示自体、ケックランとかケシュランとか表記されることもあったりしますけど、本記事では
ケクランという表記に統一をさせて頂きたいと思います。
マスネ・フォーレの弟子でもあり、音楽的功績としては、
ドビュッシーのバレエ音楽「カンマ」やフォーレの劇音楽「ペレアスとメリザンド」のオーケストレーションを担当していた事が
挙げられると思います。

ケクランの曲が吹奏楽コンクールで演奏された事は全国大会・支部大会においては2017年現在で、今の所1回だけに
留まっているのですけど、その唯一演奏された曲が「民衆の祭りのためのコラール」という曲で、
1981年の全国大会・高校の部にて福岡工大付属高校(現・福岡工大城東高校)が歴史的名演を残していた事でも
知られていると思います。
あの演奏は本当に素晴らしく内省的共感度が高く、当時日曜の朝のFMで放送されていた「ブラスのひびき」という番組にて、
そのオープニングを一時期飾っていた事もありました。
(確か私の記憶では、1981年の天理高校の「オセロ」と福岡工大付属の「民衆の祭りのためのコラール」が交代交代で
「ブラスの響き」のオープニングとエンディングで流されていたような記憶があります・・
そのくらい、あの両校の演奏は共感度が高い演奏だったと思います。)

「民衆の祭りのためのコラール」は、ケクランが1936年に作曲した吹奏楽のためのオリジナル曲であり、
野外での演奏も多少は頭の片隅にあったのではないのか・・?とも言われている曲であったりもします。

民衆の祭りのためのコラールは下記の四曲から構成されています。
演奏時間は各曲が2~3分程度ですので、合計10分程度の曲です。

I..遊戯  

II..勝利  

III..戸外の祭りのためのコラール  

IV..民衆の祭りのためのプレリュード  

曲の特徴としては、ファンファーレ的なメロディーラインがどの曲にも提示されている事が挙げられると思います。
Ⅰは冒頭から金管セクションが大活躍していて、その躍動的で祭礼的な雰囲気は冒頭から惹きつけられるものが
あると感じられます。Ⅱの荘厳さ、Ⅲの気品さと洗練さ、Ⅳの内省的充実感とどの部分もそれぞれ光り輝いているものが
多々あり、この曲がほとんど演奏もされなければ後述しますけど音源も少ないことは
本当に勿体無いと感じております。

「民衆の祭りのためのコラール」は、この曲を全曲収録した音源というものがドンディーヌ指揮のパリ警視庁吹奏楽団でしか
存在していなかったのですけど、
残念ながらこのパリ警視庁吹奏楽団の演奏は正直あまり芳しいものではないと思います。
冒頭の金管の華やかさの部分は「お・・これはいけるのかも・・」と感じさせてくれるのですけど、曲が進むにつれて
どんどん粗さが目立ってしまい、特に木管セクションの音の悪さと音程の悪さにはガッカリさせられるものが
あると思います。

だけどこの「民衆の祭りのためのコラール」には、吹奏楽コンクールのカットヴァージョンなのですけど、
1981年の全国大会で演奏された九州代表の福岡工大付属高校のあまりにも素晴らしい演奏が存在していますので、
私にとっては「この福岡工大付属高校の演奏さえあれば十分・・」とすら感じさせてくれるものは間違いなくあると思います。

福岡工大付属高校は、屋比久先生時代も現在の武田先生指揮の演奏もそれぞれ素晴らしいと思いますが、
その中でも福岡工大付属の基礎を作り上げられた鈴木先生時代の福岡工大付属はその中でも特に光り輝くものが
あると思いますし、1981年の「民衆の祭りのためのコラール」は、1981年~84年の全国大会4年連続金賞を達成した
最初の年の演奏という意義もありますけど、やはりあの演奏の内面的掘り下げが大変素晴らしいものがあったと思いますし、
ああした演奏は現在の吹奏楽コンクールでは絶対に表現出来ないような気さえします。
本当に数少ない「伝説の名演」の一つである事は間違いないと感じます。
特に自由曲のケクランの「民衆の祭りのためのコラール」という上記で書いた通り、
知る人ぞ知るあの吹奏楽オリジナル作品をあここまで内面的に掘り下げた演奏は非常に稀有な事だと 思っています。
驚くべきことに、この年のこのチームは演奏人数は41名でしたし、打楽器奏者も4人だけです。
この年、1981年から規定が変更となり、中学と高校のA部門は従来の45名から最大50名まで可となり、
ほんどとのチームは定員一杯の50名で出場しているのに
他のチームよりも10人程度も少ないハンティを全然ものともせず、これだけ堂々とした正攻法の演奏を
内省的に聴かせてくれたこのチームの「音楽的完成度の高さ」には本当に頭が下がる思いです。
そうした小編成を全く感じさせない音楽的に充実した素晴らしい演奏を後世に残してくれたと思います。

課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュは、
少々丁寧過ぎたことが裏目になり、前半がかなり間延びして聴こえた感じはあります。
序奏から前半の「幽玄的」な部分が「たっぷり歌おう、うたおう・・・」みたいな意識が強すぎたせいなのか、
歌い方が丁寧過ぎというのかヘンに理屈っぽいという感じがして、
東北出身の私が聴いても、なんか「これは東方の民謡とはちょっと違うね・・」と感じたものでした。
中間部のアレグロやラストのトランペット二重奏が大変素晴らしい出来であっただけに前半の幽玄な部分が
少し勿体無いなと感じたものです。
この課題曲Bは、全国大会・高校の部においては、九州・四国・中国・関西といった西エリアのチームは
ほとんど演奏していません。
「大阪俗謡による幻想曲」が関西のチームばかり演奏する事が多いという事実と似た側面があるのかもしれないですし、
一つの「郷愁」というのか「血が騒ぐ感覚」というのに通ずるものがあるのかもしれないですよね。

自由曲の「民衆の祭りのためのコラール」は前述の通り曲自体は4曲から構成されているのですけど、
福岡工大付属高校は、ⅠとⅡをカットし、ⅢとⅣの部分だけを演奏しているのですけど、
これは当時の指揮者の鈴木先生の作戦勝ちという側面も大変強いとは思うのですけど、ⅢとⅣの演奏順を入替え、
Ⅳのたいへんしんみりとした内省的な部分から開始させ、Ⅲのトランペットのファンファーレから開始される部分へと
繋げている大変斬新な構成を取られているのが大変印象的です。
そうした訳で二つの楽曲を取り上げているのですけど、どちらの部分も終始ゆったりとした音楽から成り立っています。
Ⅳの部分は木管楽器のコラールが非常に清らかで心にしみます。
Ⅲは、トランペットのファンファーレから開始されこのファンファーレに少しばかりミスはあるのですけど、
ミスがありながらも、大変内省的な響きであり心にじんわりと染み込んでくるものは間違いなくあると思います。
演奏自体、もう少し内声部の和音に配慮して欲しい部分とかサウンドが少しモヤッとしている部分もあったりして、
もう少しサウンドの整理が必要ではないのかなと感じさせる部分も確かにあったりするのですけど、
あの「内省的充実感」は本当に賞賛に値すると思います。
あのゆったりとした高まりの音楽は、聴いているだけで聴く者に何か「安らぎ」とか「優しさ」みたいなものを
間違いなく与えていると思います。
こうした演奏を聴くと、別に音楽というものは、強弱の変化とかテンポの速い・遅いの対比がなくても
ゆったりとしたテンポの単調な音楽にでも
聴かせ方によっては間違いなく人に「何か」を伝えることが出来るという事を改めて教わったような思いすらあります。
本当に「心がこもった」素晴らしい音楽だと思います。
この感覚は1994年の関東第一高校の「カンタベリーコラール」に近いものがあると思います。
 
確かに当時の天理みたいな「完璧」な演奏ではありません。
現在のコンクールの感覚なら、間違いなく金賞は無理だと感じます。
だけど、そうした細かい点を全て帳消しにするような
「丁寧な音楽つくり」・「内面的表情」・「豊かな表現力」・「力任せではない温かいサウンド」がそこには確実にあるのです。
ミスやマイナスがあってもそれを補完できる素晴らしいものがそこにはあるのです。




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民衆祭りのためのコラールの音源は、上記でも既に書いた通り、最近までは
ドンディーヌ指揮のパリ警視庁吹奏楽団と1981年の福岡工大付属高校の演奏だけしかありませんでした。
パリ警視庁吹奏楽団の音源には、ベルリオーズの「葬送と勝利の交響曲」、F.シュミット/ディオニソスの祭り、
G.フォーレ/挽歌も含まれているのですけど、私自身このCDを聴いた印象としては
「曲が冗長だし演奏もあまりいいものではない・・」という感じでしたので、ケクランの「民衆祭りのためのコラール」の
全曲版のCDは今後はもう出る事はないだろうなぁ・・と感じていました。

しかし・・! 2016年に全く思いもよらないところからこのケクランの「民衆の祭りのためのコラール」の全曲版が
CD化されました!

それが何かと言うと「もし陸上自衛隊中央音楽隊がコンクールの人気自由曲を演奏したら」というキングから発売された
CDなのですけど、要は最近の吹奏楽コンクールの人気自由曲を陸上自衛隊中央音楽隊が演奏して企画された
ものですけど、なんと・・!
このCDの中に「民衆の祭りのためのコラール」が4曲ともノーカットで収録されていました!

1.科戸の鵲巣―吹奏楽のための祝典序曲

2.ウインドオーケストラのためのマインドスケープ

3.復興

4.鐘の歌~フリードリヒ・シラーの詩にもとづく

5.エンジェルズ・イン・ジ・アーキテクチャー

6.民衆の祭りのためのコラール

3曲目までは確かに最近の吹奏楽の人気自由曲なのですけど、4曲目以降は知る人ぞ知る曲ばかりでして、
私も4と5の曲は聴いた事すらありません・・

「どこが人気自由曲何じゃん!」とツッコミを入れたくもなってしまいそうですけど、特にケクランのこの曲を
日本の国内盤としてCD化された意義は大変大きいと思いますし、
このCDがきっかけで現在の若い奏者の皆様がこの「民衆の祭りのためのコラール」の素晴らしさを認識して頂ければ
幸いです!
本記事の一つ後の記事が「バンドリ!」と言う事で主人公の「キラキラドキドキするもの」探しから全てが始まったという事でも
ありますけど、この「きらきら」というワードから思い浮かぶ曲と言うと「きらきら星」を主なモチーフとする
1993年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅱの「スターパズルマーチ」と言えるのかもしれないです。

この曲は全日本吹奏楽コンクール課題曲の公募によって作曲された楽曲です。
小長谷さんの課題曲と言うと1989年の「風と炎の踊り」もあるのですけど、この曲が実はそんなに好きではない私にとっては
小長谷さんの吹奏楽コンクール課題曲というとこちらの「スターパズルマーチ」の方が大変印象的であったりもします。
どらちかというとアレンジャーという印象が強い先生でもあるのですけど、一時期吹奏楽コンクールにも指揮者として
出場され、特に1981~82年の亜細亜大学の超名演は未だに色褪せるものはないとすら思います。
83年以降は吹奏楽コンクールから遠ざかられているのは、もしかしたら82年の大学の部金賞ゼロ事件に
引っかかるものがあったのかもしれないですね・・

吹奏楽コンクールの長い歴史にとって一つの分岐点だったのがこの年、1993年だったと思います。
この年で何が変わったかと言うと、一番大きいのは、課題曲だと思います。
西暦で言うと奇数年がマーチの課題曲の年、偶数年がマーチ以外の書下ろし曲の年という事になり、
1993年はその結果として課題曲が4曲ともマーチになりました。
吹奏楽のある意味ひとつの基本はマーチだと思います。
全体的傾向として関吹奏楽の名門チームほどマーチを取上げず、難しい曲ばかり取り上げる傾向がありましたけど、
(特に関東はそうした傾向が強かったですね~)
吹奏楽連盟としては「基本・原点に回帰してみよう」という意図があったのかもしれないですね。

私的には、何となくですけど奇数年のマーチの年はコンクールを聴きに行きたくなるけど、
偶数年の時は足を運ぶのが億劫になるといった傾向が当時の私にはあったような気がしますね。
というのも、翌年の最初のマーチ以外の課題曲の中に「饗応夫人」というあの伝説のウルトラ難解な課題曲を
延々と聴かされ続け、更には私の本当に大嫌いな課題曲の「雲のコラージュ」も相当な数の聴かされる羽目になってしまい、
私が大好きでたまらない「ベリーを摘んだらダンスにしよう」を選ぶチームがあまりなかったという
トラウマがあったのかもしれないです。
それとこの年以降の変更点として挙げられるのは、従来までは5年連続・全国大会金賞の場合は翌年の全国大会は
「特別演奏でお休み」という規定でしたけど、
この年以降は「3年連続・全国大会金賞」の場合は特別演奏が廃止になり単にお休みだけという規定に変更になりました。
この規定は後に「三年連続全国大会出場の場合は、翌年は休み」という規定に改正され
学校によっては全国大会出場という素晴らしい経験が出来ないまま卒業を余儀なくされるという事もかなり多かったという
話は当時よく耳にしたものですし、あまりにも不満が強かったせいかこの規定は後日撤廃されることになります。
結果的に栄誉ある「特別演奏」は、1995年の札幌白石高校が最後という事になります。
(習志野・弘前南・秋田南のあの素晴らしい特別演奏を聴いたことがある私にとっては寂しい話でもあったりします・・泣)

そんな訳で1993年の吹奏楽コンクールの課題曲はマーチばかりでしたけど、
私的にはいっちば~ん!大好きな課題曲はⅣのマーチ「エイプリル・メイ」でした~!
もしも私がこの当時スクールバンドの指揮者をしていたと仮定したら、選曲していたのは間違いなくⅣだと思います。
そしてコンクールとしては予想通りⅡとⅣに人気が集中し、Ⅰはほとんど演奏されていなかったのは
少し気の毒のものがあったと思います。
Ⅲの潮煙はノリがたいへんよくて素晴らしい名曲だと思うのですけど、トランペットのソロがあまりにも難しいと言う事で
どちらかというと敬遠気味であったのは大変惜しまれるものがあったと思います。

課題曲Ⅱ / スターパズルマーチは、「きらきら星」のメロディをテーマにしたマーチですが、
ところどころに「星」にちなんだメロディがパズルのように混ぜ込まれているのが曲名の由来にもなっているようですね。
それではきらきら星以外でどんな曲が引用されていたのかと言うと、

〇星に願いを
〇星は何でも知っている
〇組曲「惑星」~Ⅰ.火星
〇スターウォーズ
〇Moon River
〇星のフラメンコ
〇7人の刑事

ちなみに「7人の刑事」は、星と刑事ドラマの犯人(ホシ)を画けている掛けているそうです。
これも小長谷先生らしい洒落っ気ですね・・(笑)

「きらきら星」という歌は、日本では童謡としてすっかりお馴染み&定番になっているメロディーだと思いますけど、
あれに出てくる歌詞は、実は原曲の歌詞とは似ても似つかぬものであったりもします。
ちなみに原曲はフランスのシャンソンです。

一般的な日本で歌われている歌詞は・・・

 きらきらひかる おそらのほしよ
 まばたきしては みんなをみてる
 きらきらひかる おそらのほしよ

 きらきらひかる おそらのほしよ
 みんなのうたが とどくといいな
 きらきらひかる おそらのほしよ

という歌詞が比較的ポピュラーだと思うのですけど、原曲の歌詞を訳したものだとどうなるかと言うと・・・・

 ああ、話したいのママ
 私の悩みのわけを
 パパは私にもっと大人らしく
 分別を持って欲しいみたいだけど
 そんなのよりキャンディの方がよっぽどいいわ

なんだか少しばかり大人っぽい歌詞になってしまい、一般的に日本で歌われている牧歌的な雰囲気とは少しばかり
異なっているようにも感じられますね~

スターパズルマーチは冒頭の金管セクションによる壮大なファンファーレ、打楽器のみのフレーズを経た後に
「きらきら星」のメロディーが華麗に登場し様々な形で変奏されていきます。
そしてきらきら星をメインにしながらも上記で書いた通り、星にまつわる曲の断片らしきものが
散りばめられています。
吹奏楽コンクールの課題曲ってたまにですけど、こうやって誰しもが知っていそうなメロディーラインを執拗に引用した
曲ってあったりもするものです。
そのいい例が・・・

1978年課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」→かぞえ唄を引用

1979年課題曲C/幻想曲「幼い日の思い出」→ずいずいずっころばしを引用

1980年課題曲C/北海の大漁歌→ソーラン節を終始引用

あたりなのかな・・?

「マーチ」でこうした執拗な引用というものは決して多い事例ではないので、当時は結構驚いたものです。
曲としても単なる「引用」に終わらず、随所に工夫がされていてとっても完成度が高い素晴らしい課題曲だったと
思います。
作曲者の小長谷先生はBJのインタビュー記事の中で
「あの課題曲には、実はとある有名な音楽のメロディーも盛り込んであるけど、あれはそのものズバリの引用では
ないからわかるかな・・?」みたいな事を述べられていたような記憶があるのですけど、
それも小長谷先生としての茶目っ気みたいなものがあったと思いますね~

全国大会ではかなりのチームがこの課題曲を演奏していましたけど、特に印象深いのは新屋高校でした!

新屋高校のスターパズルマーチは、他校とは明らかに違う表現がありました。

それは冒頭の金管のファンファーレの後の展開で、小太鼓はじめ打楽器セクションのみの部分でして、
ほとんどのチームは、楽譜通りリズムを切って演奏しているのに、新屋高校はなぜか小太鼓のリズムを連続して叩かせていて
聴いていて「楽譜と違う事しているのかな・・?」と感じたのですけど、面白い表現と感じたものです。
全般的に音が明るく大変シャープな切れを見せているので、とてもスピード感に溢れた課題曲でしたし、
自由曲の「ペトルーシュカ」の粗っぽいロシアの野性味の表現と合わせて大変素晴らしい演奏をされていたと思います!

現在の吹奏楽コンクールにおいては、課題曲の呼び方はⅠ~Ⅴという表記が既に定着をしていますけど、
1970年代末~1980年代後半に吹奏楽コンクールに出場していた私から言わせて頂くと、
実はいまだに課題曲Ⅱとか課題曲Ⅳという呼ばれ方がピンときていないというものがあったりもします。
頭の固い私にとっては吹奏楽コンクール課題曲の呼ばれ方は、課題曲Aとか課題曲Bといった呼ばれ方の方が
いまだにしっくりくるという感じもあるのだと思います。
課題曲の呼ばれ方が課題曲A~Eという風に呼ばれていたのは実は1992年のコンクールが最後でした。
1993年以降は、なぜか唐突にⅠ・Ⅱ・Ⅲという呼ばれ方に変更されています。
私自身そうした表記の変更という情報は当時何も入っていなかったものですので、1993年の吹奏楽コンクールの会場の
プログラムでそうした表記がなされていたのを見て
「あれれ・・いつの間に変ったの・・!?」といった浦島太郎状態だったと言えると思います。

そうした意味では1992年の吹奏楽コンクールは言うならば「最後の課題曲がアルファベット表記の年」と言えそうですね。

1992年の課題曲はかなりの当たり年だったと思います!
この充実ぶりは1986年と1990年の「課題曲の歴史的大当たり年」に匹敵するようなものがあったと思います。
1992年当時「メトセラⅡ」などで絶大の人気を誇っていた田中賢の課題曲A / ネレイデスと
日本のクラシック音楽の大変に重鎮で大御所の三善晃の課題曲C / クロス バイ マーチは
今現在の感覚で聴いても「なんという素晴らしい名曲!」と改めて惚れ惚れするものはありますし、
課題曲Dもその短さが長い自由曲を演奏したいチームとのニーズに合ったせいなのか(?)
意外と取り上げるチームも多かったですね。
ヤマハ浜松が、課題曲Aではなくて課題曲Dを選んだのは当時すごく意外に感じたものです。
前年度の全国大会までは、一日で大学・職場・一般の部の演奏・審査がなされていましたが、
さすがに大変という事で、この年から大学部門は職場・一般の部の開催日とは別の日に開催されるようになっていました。

この年の課題曲B/吹奏楽のためのフューチュリズムを課題曲として選ぶチームが大変少なかったのは
当時意外にも感じていましたし、「どうしてこんな素晴らしい課題曲を選ばないのだろう・・」と当時訝しく感じていたものです。
もしもなのですけど、私自身が1992年にスクールバンドの指揮者をしていて、この四つの課題曲から選ぶと仮定するならば、
私自身が選択する課題曲はこのBのフューチュリズム以外あり得ないのかも・・というぐらい私はこの課題曲Bが
とっても大好きでお気に入りでした!
この課題曲は全国大会においては、
中学で2チーム、高校と大学は1チームずつ 職場で1チームだけに留まっていましたけど、
演奏効果と曲の意外な短さという点で課題曲Aのネレイデスにかなり人気が集中してしまったという事情も大きいのかも
しれないですね。
例えば、常総学院とか習志野高校といった音色的に大変洗練されたチームがこのネレイデスを演奏すると
サウンド的にどんぴしゃ・・!だったと思います。

だけど私は誰がなんといっても課題曲B / 吹奏楽のためのフューチュリズムは大好きでした!

前半と後半のリズムの切れと躍動感も素晴らしかったですし、中間部のあの壮大な盛り上がりとロマンチックさは
本当に聴くだけでうっとりとさせられるものかあったと思います。
あの中間部の壮大なロマンチックさは、1989年の課題曲B / WISH を彷彿とさせるものがあったと思いますし、
WISHとフューチュリズムに共通する事は「聴いているだけで希望というのか生きるチカラが湧いてくる・・」といった
曲自体に内在する内面的パワーなのかな・・?と感じたりもします。
フューチュリズムはいかにもコンクールの課題曲という感じなのですけど、このベタな感じがとても大好きです。
この曲の出だしは大変神経を使うから、敬遠されたというのも多少はあるのかもしれませんね・・
冒頭がタンバリンとティンパニだけのリズムの掛け合いという大変うすい部分から開始されていますけど、
あの部分は打楽器セクションとしても指揮者としても大変やりにくいものはあったと思います。
タンバリンとティンパニだけのリズムの掛け合いに続くものがテナーサックスの刻みというこれまた大変うすい個所でも
ありましたので、指揮者泣かせの課題曲と言えるのかもしれないですね。
タンバリンとティンパニだけのリズムの掛け合いにテナーサックスの刻みはしかも弱奏指定なのですけど、
線が細いとひ弱く聴こえるし強めに吹くと曲のイメージを壊してしまうし、とにかく冒頭から神経使いまくりの課題曲であったとも
言えると思います。

阿部勇一の課題曲は、このフューチュリズムから3年後の課題曲Ⅰ/行進曲「ラメセスⅡ世」もそうでしたけど、
冒頭の難しさは過去課題曲でもトップクラスなのではないのかな・・?と思ったりもします。
そしてリズムをつかむのが大変難しいといえるとも思います。
ラメセスⅡ世のフルスコアを見た限りでは、冒頭のあのつんざくような高音の入りは特に金管・・特に特にトランペットとホルンは
「大変そう・・」としか言いようがないと思いますし、マーチなんだけどあのリズム感の難しさは半端無いものは
あったと思います。
フューチュリズムの出だしの打楽器が非常に難しいし、主部は4/4+3/4の7拍子でリズム感が狂いそう・・としか言いようが
ないです!
序盤から展開部は転調に転調を重ねていき唐突に臨時記号が現れたり、唐突に7拍子が乱入したりと
指揮者にとっては「気が狂いそう・・」としか言いようがない課題曲だったのかもしれないです。
奏者にとっても、序盤~展開部と終結部は、リズムの切れの良さとシャープさは求められるし、ちょっと油断すると
すぐにリズムがギクシャクしてしまいそうですし、難しさは相当なものがあると思います。
それに対して中間部は非常に美しいメロディーが「これでもかっ!」と言わんばかりに展開されていき、あの中間部は
奏者にとっても指揮者にとっても「感情に流されてしまいそう・・」みたいな錯覚に陥るのかもしれないです。

前述の通り、1992年の高校の部の課題曲は、AとCに比較的人気が集中し、
課題曲Bの「フューチュリズム」を選んだチームは新屋高校のみでした・・(泣)
だけど、新屋高校の課題曲Bは、全部門を通じて最高の演奏だと思いますし、支部大会・全国大会の中でも
トップクラスの理想的なフューチュリズムだったと思います。
テンポが冒頭少し早目だったけど、その分迫力もあったし、中間部もしっかりとたっぷりと歌いあげていました!
フューチュリズムは、ブリヂストン久留米という名門チームも演奏しているのですけど、ブリヂストンの名門をもってしても
「冒頭の問題がクリアされていないし、こんなにリズムがギクシャクしてしまうんだ!」と仙台での全国大会の生演奏を聴いていて
感じたものでした。
中学の部の上京中学校も新屋高校に一歩及ばないのかもしれないですけど、シャープなリズム感が際立っていた
素晴らしい演奏だと思います。
(上京中の自由曲の「セント・アンソニー・ヴァリエーションも大変素晴らしい演奏で、私個人は「絶対金賞じゃん!」と
思っていたらまさかの銀賞に留まっていましたので、意外に感じていたものでした)

秋田県の吹奏楽コンクールを語る上での二大巨匠と言えば、言うまでも無く高橋紘一先生と小林久仁郎先生だと
思うのですけど、ここで忘れちゃいけないのが、かつて仁賀保高校と新屋高校を指導された高野先生だと
思います!
私自身が初めて高野先生の音楽を聴いたのは、1981年の山形県で開催された東北大会で仁賀保高校を指揮された
「スキタイ組曲」の演奏でしたけど、
あの演奏のサウンドの洗練さと音楽のスピード感溢れる展開に驚いたものですし、表彰式にてあの演奏が
銀賞に留まった事に衝撃を受けたものでした!

そうした中、高野先生は少し気の毒な側面が特に仁賀保高校時代にはあったような気がしてなりません。

だってあれだけの優れた指導力&指揮能力をお持ちで、楽曲の解釈にも大変素晴らしいアプローチを毎年のように
見せてくれながらも、
秋田県内で、秋田南高校と花輪高校という「二大巨匠」がでーーんと構えていて、80年代中盤以降、この両校が
全国大会で金賞を取れない時代が長く続いた背景もあり、「秋田県の東北大会への代表枠」が二つに減らされ、
そのとばっちりで高野先生指揮の仁賀保があれだけ見事な演奏を秋田県大会で聴かせても
東北大会にすら進めないというある意味大変不遇な時代が相当続いていましたからね・・・
このブログで何度も書いている通り、私は大の秋田南と花輪の熱烈的な信者(?)でもあるのですけど、
結果的に秋田南が一時的に没落したというおかげで(?)
仁賀保から新屋に異動された高野先生に陽が当たる時代が来るというのも
なんかとてつもなく皮肉なお話でもあるのですが、
コンクールというものにそうした「悲哀」はある意味付き物ですから、これはこれで仕方が無いのかも
しれないですね・・

高野先生の音楽は、サウンドが美しく濁りが微塵も無いのが一つの特徴だと思います。
(それが最大限発揮していたのが1982年の矢代秋雄の交響曲だと思いますし、ダメ金で全国大会には進めなかったものの
85年の火の鳥なのだと思います!)
そして同時にサウンドが大変洗練され美しく響いてくるのですけど、同時に「音楽の切れ味」というのか「スピード感」が
実に充実しているというのがその大きな特徴だとも思います。
1983年に出版されたエイト社の「11人の吹奏楽の先生」という本の中で、高野先生はそのインタビュー記事の中で
「スピード感が無い音楽じゃ駄目だ!」とはっきり明言されていましたし、そのスピード感が最大限発揮されてたのが
この年1992年の課題曲のフューチュリズムと自由曲のガイーヌであり、
翌年のペトルーシュカじゃなかったのかなと今になって振り返ると感じることもあったりしますね。
A.コープランドと言うアメリカの作曲家は、日本では知名度は今一つなのかもしれないですね・・(泣)
1900年に生まれて1990年にご逝去されましたので20世紀を目一杯駆け抜けた作曲家と言えるのかもしれないです。

実はコープランドは、日本とも結構深い関係にあり、
武満徹の音楽をアメリカ本土で紹介したり、武満徹の「地平線のドーリア」という曲の世界初演の指揮を振ったり
来日した際には、日本の管弦楽団にてシューベルトの未完成の指揮を振ったりとかなりの貢献をされている御方だと思います。
日本の吹奏楽コンクールにおいては「エル・サロン・メヒコ」とバレエ音楽「ロデオ」が今現在でもよく自由曲として
演奏されていますね!

コープランドの音楽は、カウボーイがインディアンを追いかけまわすみたいな西部劇のBGMになりそうな
軽い感じの音楽が多いようにも感じますし、軽薄すぎて胡散臭く感じることもあったりもします。
時にアメリカ商業主義に毒された胡散臭い作曲家のような側面も感じなくはないのですけど(汗・・)
反面、晩年は無調音楽にも手を付けたり、難渋な作品を晩年近くに書いたりもしていますし、
バレエ音楽「アパラチアの春」のように神への祈りに通ずる清純な音楽を作曲されていたりもします。
アメリカというと、移民の国であらゆる価値観・文化・思想を拒絶することなく取り入れ
自分たちの文化として融合していった歴史がありますけど、コープランドの音楽にもそうした「多様性」が十分に感じられます。
そうした多様性の複合国家アメリカの象徴的存在の作曲家と言えるのかもしれないですし、そのあたりが
インチキ商業国家・アメリカの傲慢さ・胡散臭さをどこか代弁しているような作曲家にも感じられるのかもしれないですね。
コープランドが亡くなった年にバーンスタインも亡くなっていますけど、
コープランドの曲をよくレコード化していたバーンスタインにとっても盟友の友という感じだったのかもしれません。

コープランドの作品は、圧倒的に三大バレエ音楽が有名です。

〇ロデオ

〇ビリー・ザ・キッド

〇アパラチアの春

この中では、「ビリー・ザ・キッド」の銃撃戦とビリー逮捕の祝賀会という場面は目をつぶって聴いていると、
小太鼓と金管楽器で「ダダダダダダダ」と表現されている破裂音が、かなり実音に近い
ガンバトルを再現していて非常に面白いです。
「アパラチアの春」は逆に曲の中でほとんどffがない静かな内省的な曲なのですけど、
この曲の唯一の盛り上がりの部分「クエーカー教徒の讃美歌の主題による変奏曲」の部分の美しさと透明感は、
生で聴いても思わずハッと息を飲むほどの美しさがあります。

吹奏楽経験者にとっては、コープランドと言うとロデオやエル・サロン・メヒコ以外の作品では「戸外のための序曲」という作品を
思い浮かばれる方も多いのかもしれないです。
ちなみにこの曲は「野外序曲」と表記されることもありますし、元々は管弦楽曲として作曲されていましたけど、
コープランド自身によって後年吹奏楽アレンジ版として編曲された経緯があります。
日本においては、この曲は吹奏楽曲としてのイメージが強いのかもしれないですね。
戸外のための序曲は、序盤でトランペットの相当長いソロがありますけど、あの朗々と歌い上げられる長大なメロディーには
いつ聴いてもうっとりとさせられるものがあると思います。

私がこの曲を初めて聴いたのは、 1982年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会、高校B部門の
岩手県代表・盛岡一高の演奏でした!
演奏が大変素晴らしく、底抜けに明るいこの曲を溌剌と演奏していましたし、
序盤のトランペットのソロもほぼノーミスで吹きこなしたトランペット奏者に大変感銘を受けたものです。
この曲は、1988年の全国大会・職場の部にてNEC玉川も自由曲として演奏していましたけど、残念ながらこの演奏の
感銘度は私にとってはちょっと低いものでした・・

「戸外のための序曲」は8分程度で短いのですが、ファンファーレみたいな強奏で開始され、
トランペットの長いソロが延々と続きます。
展開部を経て一旦静まり、中間部でトランペットのソロの部分を全体で再現しラストで再び盛り上がり
華麗に曲が閉じられます。

最近の吹奏楽作品の派手な色彩に比べると確かに地味に感じるかもしれません。
だけど、人の心にストレートに「楽しさ」・「躍動感」を素直に感じさせる曲と言うのは最近は少ないのかもしれませんし、
こういう「シンプル イズ ベスト」を立証した作品が最近ではあまり演奏されない事は少し寂しい感じはします。

この曲のコンクールでのベスト演奏をあげると1979年の玉川学園に尽きると思います!
玉川学園は、この年の前年までは、ドビュッシー・ラヴェル・古典主義時代のストラヴィンスキーなど
どちらかというと繊細な曲を得意としていましたが、 この年から、いきなり「路線変更」を展開し、
これまでのおとなしい感じの演奏から一転してワイルドな感じに変容しています。
そしてこのワイルド路線は、翌年のリードのアルメニアンダンスパートⅡで
更に進化を遂げ、歴史的名演(爆演?)を残すことになります。

1979年の玉川学園で一つ面白かったのは、大太鼓は普通のバスドラムを使用せずに
マーチングバンドみたいな、比較的小さく皮が透明な感じのものを使用し、
重厚感を回避させていたような意図が感じられる点が挙げられると思います。
演奏自体もコープランドの野性味と玉川学園の都会的で垢抜けたサウンドが絶妙にマッチしていて、大変素晴らしい名演を
後世の私たちに残してくれていたと思います。

玉川学園高等部というと、この翌年に5年連続金賞を達成した当時の名門チームです。
このチームは一般的には、フランス音楽みたいな印象派の音楽を得意とし
特に1976年のドビュッシーの「三つの夜想曲」が特に名演として高い評価を受けていますが、
私自身の感想・印象としては、印象派・新古典主義の抽象的な音楽よりも、1979年のコープランドや
翌年のアルメニアンダンスパートⅡのように、都会の明るく洗練された響き・元気溢れる演奏の方が本領を発揮したと思います!
1979年の前年の「かるた遊び」は、あまりにも抽象的で何を言いたいのかよく分からないうちに
終わってしまった演奏よりは、むしろ1974年の組曲「惑星」~木星のようにサウンドに威勢がある方が
魅力的に聴こえるような印象があります。
1979年の「戸外の序曲」は、一言で述べると、実にカラッとした演奏で、
雲一つない青空の下で、天真爛漫に気持ちよく吹いたという印象があり、実に伸び伸びとしています。
前年までのどこか「去勢されたような演奏」・「指揮者に言われた通り吹く優等生みたいな演奏」とは
明らかにサウンドが異なっているように感じられます。

翌年の1980年の玉川学園は、「アルメニアンダンスパートⅡ~ロリの歌」をなんとノーカットで一気に駆け抜け、
圧倒的勢いでもって「5年連続全国大会金賞」を達成しますけど、あの輝かしいサウンドとスピード感は、
アルメのパートⅡの演奏としては最高クラスの歴史的名演だと思います!

話を「戸外の序曲」に戻しますと、プロの演奏では、フェネル指揮/東京佼成も素晴らしいと思うのですけど、
ハンスバーガー指揮/イーストマンのライブ演奏の圧倒的ドライブ感を聴いてしまうと他の演奏が皆物足りなく感じてしまいます。
バーンスタインが1986年のタングルウッド音楽祭における野外ライブ演奏も素晴らしかったですね~!
これは当時FMで聴いたものでしたが、演奏がライブ演奏という事で、
録音されたものではなく、CD化もされていないようですので、今となっては「幻の演奏」になっています。
ただ漠然と自分の記憶の中で生きているのですけど、
いかにもバーンスタインのライブ演奏らしい躍動感あふれる名演でした。
この演奏が実に素晴らしい!!
残念ながら未CD化ですけど、あの演奏がCD化されたらとてつもなくテンションが上がりそうですね~!
昨日の当ブログのセカンド記事が吹奏楽のエリクソンの序曲「祝典」でもありましたので、祝典を記事にしておいて
バーンズのアルヴァマー序曲のことを無視するわけには絶対にいかないと思いますので、本記事においては
バーンズのアルヴァマー序曲について触れさせて頂きたいと思います。

最近の吹奏楽コンクールの小編成の部等でも、バーンズのこの不滅の名序曲がいまだに演奏され続けている事は
とても嬉しく思います。
この曲は、本当に楽しく躍動感があり、実に分り易く親しみやすい曲だったと思いますし、特に後半部分のスピード感と爽快さは
聴いているほうも演奏しているほうもとてつもなくハッピーな気持ちになれることは間違いないと思います。

このアルヴァマー序曲が演奏されるようになったのは1982年ですけど、
実はこの年に、スゥェアリンジェンのインヴィクタ序曲とかリードの春の猟犬と第三組曲が
コンクールデビューを果たしています。
でもこの頃コンクール等で演奏され始めたこれらの吹奏楽オリジナル曲が 今日でも演奏されている事は、
本当にうれしい事であり、 名曲というものは、多少の年月が経過しても色褪せないで
受け継がれていくものなのだなと実感します。
1982年において、どうして吹奏楽コンクールであんなにもインヴィクタ序曲とかリードの春の猟犬と第三組曲が自由曲として
演奏されていたのかというと、もちろん曲自体の魅力が大きいのが第一の要因なのですが、
この年のソニーから発売されている「吹奏楽コンクール自由曲集’82」というLPの中において、
リードの春の猟犬と第3組曲、スウェアリンジェンのインヴィクタ序曲、シェルダンのフォール・リヴァー序曲等の名曲が
収録されていて、この当時の吹奏楽作品に関する情報とか音源というのは、今現在のように輸入盤CDとかユーチューブとか
ニコニコ動画等が何もない時代であり、ソニーのこうしたレコードぐらいしか情報がなく、この年のソニーのレコードに
収録されていた吹奏楽オリジナル作品がそうした宝物の宝庫みたいな曲ばかりということもあり、
1982年の吹奏楽コンクールにおいては、リードの春の猟犬と第3組曲、スウェアリンジェンのインヴィクタ序曲、
シェルダンのフォール・リヴァー序曲がかなり流行していたのだと今更ながら思えます。
私自身もあのレコードを部室からレンタルしてきて、家でカセットテープにダビングし、かなり何度も何度も聴いていて
「やっぱり春の猟犬やアルヴァマーはいい曲だよね~!」と一人悦に入っていたと思います!

アルヴァマー序曲はシンプルだけど素晴らしい名曲だと今更ながらしみじみと感じますね~!
吹奏楽の序曲にも色々ありますが、やはりこうした単純明快な A-B-Aの三部形式で
中間部が美しく、終結部が盛り上がって終わる曲は、 スカッとして気持ちは良いものです。
Aの部分の親しみやすくスピード感に溢れた爽快なメロディーラインとか
力いっぱい駆け抜けていくようなスピード感と切れの良さは格別だと思います。
ラスト近くのクラリネットの16分音符のめまぐるしさは、楽譜を見ていても
「これは金管の陰に隠れてごまかすしかないのかも~」と感じたものです・・(汗・・)
この曲のAの部分の本来のテンポは♩=132という比較的落ち着いたテンポでのアレグロなのですけど、
上記でもちらっと出てきたソニーの「吹奏楽コンクール自由曲集’82」の汐澤安彦指揮の演奏では♩=160前後となっているなど
テンポの解釈が二通りあり、バーンズの指定どおりのテンポで演奏するケースとそれよりも速いテンポで演奏するケースの
二通りの解釈が並立している感じになっています。
テンポが速い場合、Aの再現部のラスト近くの木管パートは阿鼻叫喚の大混乱状態の地獄と化してしまい、
私自身は「あんなめちゃくちゃ速い16分音符は自分のしょぼいテクニックではとてもじゃないけど演奏不能~!」と
感じていたものでした!
後年来日したバーンズが、日本の吹奏楽コンクール等で速いテンポで演奏されたアルヴァマー序曲を聴いて、
「なんじゃこれ・・!? 自分が指定したテンポよりも全然速すぎるじゃん!」とぼやかれ衝撃を受けたとのエピソードも
残されているそうです。
(一説では激怒してしまった・・という話もあるそうです・・汗・・)
だけどアルヴァマー序曲に関しては、作曲者指定のゆったりとしたテンポで演奏するよりは、ソニーのレコードのような
とてつもない快速テンポで演奏したほうがこの曲は断然光り輝くと思いますし、
事実、この曲はコンクール等で演奏される場合は♩=160以上の快速テンポがほとんどでありましたし、
♩=160以上のアレグロのテンポだからこそあの爽快感とスピード感が出てくるのであり、この曲が1982年当時
あんなにも大ブレイクした大きな要因になっているのだと思います。

後年、バーンズは東京佼成W.Оを自作自演のCDを録音していますけど、この時のバーンズ指揮のアルヴァマー序曲は
♩=120前後のとつもなく遅いテンポで演奏されていて、もちろん作曲者本人の指揮でありそれこそが一番正しい解釈とも
言えるのですけど、聴いていても間延びして聞こえるし、この曲の命ともいえる爽快感・切れの良さ・スピード感が
かなり後退していますので、私自身は正直今でもかなりの違和感を感じてしまいます・・(汗・・)
参考までにバーンズ指揮東京佼成W.Оのアルヴァマー序曲の演奏時間は8分30秒で、汐澤安彦時のソニーのレコードは、
6分45秒ですので、やはり印象は全然違ってますね~!
これはかなりマニアックな話ですけど、1994年の関東大会・B部門・高校の部で下妻第一 高校が、長髪の女性指揮者のもとで
このアルヴァマー序曲をまるでバーンズから直接指導を受けたようなとてつもなくゆったりとしたテンポで淡々とした演奏を
お披露目して銅賞の評価を受けていましたけど、当時は「なんて覇気のない演奏!」と感じたものですけど、
あれってもしかしたら、あの演奏こそがバーンズが望んでいた演奏なのかもしれないですね~・・

これもさらに余計な余談ですけど、アルヴァマー序曲はニコニコ動画においては最もアップされている数の多い吹奏楽曲であり、生演奏、打ち込み、果てはVOCALOIDによる口三味線など、多種多様な動画を楽しむことが出来る曲としても
一部で知られています。

そしてこれもまた余計な話かもしれないですけど(汗・・)、確か1996年~97年頃に雛形あき子主演のドラマで
(マラソンを題材にしていたスポ根ドラマで、主人公の女の子は実は男だっという大どんでん返しのトンデモドラマでしたが・・・)
主人公たちが走っている時のBGMで、このアルヴァマー序曲が流されていて驚いた記憶があります。

バーンズという作曲家は、日本においては、1982年のアルヴァマー序曲によってメジャーになっていったと思います。
同年に「呪文とトッカータ」というこれまた素晴らしい曲で、大いに当時の聴衆を魅了しています。
というかこの曲はいつの間にか「呪文とトッカータ」というタイトルが「祈りとトッカータ」に変更に
なっていますが、なぜ表記名が変わったのでしょうかね・・・?
習志野高校は、当時も現在も吹奏楽の名門校で、自由曲はほとんどアレンジもので出ていますが、
1982年は、なんとこの「呪文とトッカータ」というオリジナル曲で臨んでいます。
今となっては信じられない事かもしれませんし、「洗練」が売りの習志野とは思えないほどの豪快で強引なドライヴです!
習志野は、1984年にも邦人オリジナルの詩曲「地底」を選曲していますが、この頃は
随分サウンドも落ち着きを帯びています。
「呪文とトッカータ」の名演は、やはり1983年の福岡工大付属に尽きると思います。

バーンズの作品って考えてみると30年以上も日本の吹奏楽コンクールで演奏され続けているのですよね。
これって流行の浮き沈みが激しい日本の吹奏楽コンクールでは稀有な事だと思います。
だって最近では、あのA.リードすら全国大会はおろか支部大会ですら一曲も演奏されることが無かった
みたいな吹奏楽オールドファンの見地から見てみると
「ありえない・・」としか言いようがない時代に既に入っていますからね!!
だって、例えば1989年~90年代前半にあれだけ大流行した田中賢とか
21世紀初めに大流行したメリッロの「アメリカの騎士~選ばれし者」とか90年代終わりに大流行したスミスの「海の男達の歌」や
70年代に大流行したジェイガーやマクベスの曲は、最近では、耳にすること自体「珍しい」くらいですからね・・・
それでも30年以上に渡って吹奏楽コンクールのレパートリーに欠かせない存在となっている
バーンズは「やっぱり偉大な御方なんだなぁ・・」としみじみ感じてしまいます。

バーンズの作品と言うと、

〇アルヴァマー序曲

〇呪文とトッカータ(祈りとトッカータ)

〇アパラチアン序曲

〇パガニーニの主題による幻想変奏曲

〇イーグル・クレスト

〇百年祭祝典序曲

〇秋のひとりごと

〇ペーガンダンス

このあたりが主要作品なのかな・・・
だけどこの他にも「シンフォニスト」としての顔も持っていて、2016年時点で既に8つの吹奏楽の交響曲を発表しています。

バーンズの交響曲というと、やはり人気が高いのは
交響曲第3番なのかな・・・?
吹奏楽コンクールでも、最近自由曲として選ばれることが多いですよね。
この曲は大変感動性が高い曲としても知られていて、実は亡くなったお嬢さんの追悼を兼ねている交響曲との事です。

だけど、私にとって、バーンズの交響曲と言うと、実は交響曲第3番ではなくて
誰が何と言っても交響曲第2番です。

よく、この交響曲、「映画音楽みたいとか「安物のSF映画のBGMみたい」と悪口を言われることは多々あるようですけど、
「別に映画音楽っぽくても、曲が良ければそれでいいじゃん」という感じなのですけど、
やはり3番の人気には敵わないみたいですね・・・(泣)
私が「この曲大好き!!」って言うんだから、他の人の評価とか吹奏楽コンクールの演奏実績は関係は無いと思ってしまいます。

この交響曲第2番を一言で述べると、とにかく「エネルギッシュ」な曲だと思います。
というかそれに尽きると思います。
特に第3楽章の有無を言わせないあの圧倒的な存在感が光り輝くあの「エネルギー感」の前には
言葉なんて何にも要らないと思いますし、
とにかくとにかくあの「圧倒的なパワー」には全面降伏・脱帽しか無いです!
前進する躍動感とか炸裂するエネルギーの大噴火といった抽象的な形容詞ですら
ピタリとこの曲に当てはまるとすら思います。
でもそれでいて、実は非常に構成が綿密で、主題の提示⇒変奏⇒反復⇒再現みたいな
古典形式を見事に現在に花咲かせたとも言えると思うのです。
それでいて、例えば第一楽章でアラビアというか中東みたいな雰囲気を醸し出していたり、
第二楽章の中間部で、教会音楽みたいというか、バッハみたいなコラールを曲中に引用したりと
実は交響曲第3番以上に芸が細かかったりします。

この交響曲は、三つの楽章から構成されています。

Ⅰ.エレジア

 邦訳すると「悲歌」なのかな・・
 出だしは、非常にゆっくりとした部分から開始されます。
 段々エキサイトしてきますが、早い部分と遅い部分の対比が非常に面白いです。
 何かアラビアっぽい雰囲気を感じさせてくれているとも思えます。

Ⅱ.中断された変奏曲

 出だしはオーボエのソロから開始され、それがクラリネットからアルトサックスへと引き継がれます。
 静かな部分が終わると、少し賑やかな部分が変奏されていきますが、それが一旦静まると
 何と、ここで、木管合奏による静粛なバッハみたいなコラールというか聖歌が奏でられます。
 この部分は本当に美しくて心に染み入ります。
 そして木管コラールが金管コラールにバトンタッチされていきます。
 このコラールが終わるとどんちゃん騒ぎが再開されますが、最後は、冒頭のオーボエソロが再現され、静かに閉じられます。

Ⅲ.フィナーレ

 いや、この楽章は「すごい」としか言いようがないです! 「エネルギーの固まり」みたいなものを感じます。
 冒頭で大太鼓がドスンと響かせ、ホルンが高らかに歌い上げます。
 そして、ホルン⇒トランペット⇒トロンボーンと引き継がれていくのですが、この部分の迫力とエネルギーは圧巻です!
 中間部で一旦静まるのですが、
 ここから面白い仕掛けが用意されています。
 バリトンサックス⇒テナーサックス⇒アルトサックスと、何とサックスセクションによる
 ソロの受け渡しが展開されていくのです。
 この部分が実に斬新だと思います。
 そして、更にファゴットのソロへと引き継がれます。
 聴き方によっては、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」 Ⅱ.対の遊びのパロディーのようにも聴こえなくはないです。
 ラストは大変豪快に締めくくられ実にスッキリと終わります。

CDでこの曲を聴く場合、木村吉宏指揮/大阪市音楽団が圧倒的に素晴らしいと思います。

交響曲3番も素晴らしいし、どちらかというと3番の方が「お涙頂戴」でコンクール受けはするとは思うのですけど、
この交響曲第2番の方にも熱い視線を頂ければ、本当に嬉しく思います!!
F.エリクソンの序曲「祝典」は1980年代初頭の吹奏楽コンクールにおいては大ブレイクしていましたね~!
この曲は全国大会においてはこれまでのところわずか2チームしか演奏されていないのですけど、
県大会・地区予選という下部大会においては「この曲が登場しない大会は無い・・」と感じさせるほど
とにかく数多くのチームがこの曲を演奏されていたと思います。
凄い時は県大会の中学校のC~A編成と一般の部で一日で8~10チームがこの曲を演奏していた事すらあったと
思います。
エリクソンの序曲「祝典」が大ブレイクした1980年~81年から既に40年以上経過しているのに、
いまだにこの曲が稀にではありますけど、地区予選・県大会の吹奏楽コンクールの自由曲として演奏され続けていて
コンサート・定期演奏会でもたまに取り上げられたりもしていて、他の吹奏楽関連のブロガーの皆様が
この曲を取り上げられたりしているのを見ると、序曲「祝典」がたくさんの人たちの心の中にしっかりと受け継がれているのは
本当にうれしいものを感じます。
そして私自身にとってもこの曲は私が中学3年の時の吹奏楽コンクールの自由曲でもありましたので、やはり思い入れは
ある曲の一つですね~!
私自身、このブログでは何度も書いている通り、中学の頃までは「音楽大嫌い、吹奏楽はもっと嫌い」という感じの部員
でしたし、中学3年の時の吹奏楽コンクール県大会は「多分これが最後の吹奏楽コンクール参加だろう・・
高校に入ったら今度は運動部にはいりたい、それが無理ならば少なくとも吹奏楽部にだけは絶対入部しない」と
思っていましたので、「最後の自由曲になるのかも・・?」という事でなにか感じる所はあったのだと思います・・・
(この時点ではまさか累計10年間も吹き続けるとは夢にも思わなかったです・・)

序曲「祝典」は、ミズーリ大学の吹奏楽団創立50周年記念で委嘱されて作曲された経緯があります。
急―緩―急の典型的な三部形式で、
クライマックスにおける主題の再現部でのあの壮絶なスピード感と陶酔感は、聴いている方も演奏している方も
エキサイトするのは間違いないと思います!
演奏時間は7分半程度でしたので、コンクール自由曲としてカット不要の丁度いい尺というのも相当大きいと思いますけど、
曲自体の分かりやすさと、うっとりするような中間部と主題の再現に向けて全パートが突撃していくあの爽快感が
この曲の人気の大きな要因になっていたと思います。
そしてこの「わかりやすさ」とか曲の雰囲気と構成は、やはり同じく1980年代前半に大ブレイクした
バーンズの「アルヴァマー序曲」に近いものがあると思います。

序曲「祝典」は、奏者の視点から言うと冒頭から結構厄介でして、
特に木管セクションのかなりの高音による「タタタ・タタタ・タタタ・タタタタタタ」というリズミカルな響きは
聴いている人達にも「なんじゃこれは・・!?」と注目を惹きつけているようにも感じられます。
そうした高音楽器の8分音符できざまれるリズミカルな動きで開始され、すぐ低音楽器が喜ばしげな主題を歌いはじめ、
それが木管セクションに受け継がれていき、その木管のメロディーに対して、トランペットはかなり細かい装飾音符を
奏でないといけないから、指揮者にとっても奏者にとっても冒頭から30秒程度である程度の勝負が付いてしまうような
曲でもありましたので、とにかく冒頭から全奏者が集中しないと全く音楽にならないのでは・・?と
今更ながら感じてしまいます。
そしてこの冒頭部分がメロディー担当の楽器を変え、時にリズムパターンを変えつつ、
そして意外な事に「祝典」というタイトルが付けられた曲なのに、短調と長調が結構頻繁に交代し、
曲の雰囲気とサウンドの輝きを変え続ける様子には新鮮さが感じられますし、この新鮮さというのが
序曲「祝典」が例え短期間であったとしてもあんなにも全国的な大ブレイクを果たした大きな要因になっているようにも
感じられます。
そして中間部はかなり情感たっぷりにおおらかに歌いこまれていき、
はじめは金管楽器によりコラール風に歌い出され木管楽器にひきつがれます。中間部の最後のクライマックスは
まさに「感動の頂点」だとも思います!
あの中間部の頂点の部分は奏者としても「この時、私は命を落としても敵わないと思った・・」という
まるで「響け! ユーフォニアム」の久美子のようなセリフそのものだとすら思います!
そしてこの中間部が終わるとA-B-A-コーダの三部形式のAの部分の再現が開始され、そしてコーダにそのまんまなだれ込んで
いくのですけど、あのコーダの部分のすっちゃかめっちゃかさは壮絶なものがあると思います!
基本的にこの曲は2拍子のビートなのですけど、コーダに入ると一小節ごとに拍子は変わるし、
吹いている方としては小節も拍もビートもへったくれもない、とにかく「ノリと勢いで吹いちまえー!」という感じの世界に
突入していき、そのまんま壮絶なスピード感のまま華麗に曲が閉じられていきます!

私自身は、序曲「祝典」は1980年の中学3年の時の吸い差う学コンクールコンクール自由曲として演奏した曲でもありますので、
懐かしいというか思い入れは今でも相当あると思います・・(笑)
私の在籍中学は前年の1979年まではとにかく学校自体が今では信じられないマンモス校でして、吹奏楽部員も
確かに退部・入部の出入りはとてつもなく激しくいつも一定という感じではなかったものの、毎年100人は軽く在籍していたと
思います。(私自身も中学2年の時は、2年17組でして、しかも当時は1クラス50人近くいたと思います・・)
1980年に生徒数激増と教室不足のため (少子高齢化・学校統廃合の昨今の状況では考えられない事ですね・・)
そして1980年において、このブログでは何度も語っている通り、吹奏楽部内ではこれまでの吹奏楽部顧問=指揮者による
部員に対する厳しい上から目線による威圧的指導に対する反発がよりによって私が吹奏楽部部長に就任以降に
炸裂してしまい、結果的に当時の2年生の大量退部事件を招いてしまい、更に輪を掛けるように
そうしたマンモス中学校を二つの学校に分校してしまい、そうした経緯によって1980年の部員は79年時点に比べて
約6割近くも激減してしまいました・・
(もっとも1980年の春には例年通り新入部員もたくさん入ってきましたので、それでも部員は70名程度はいたかな・・?)
当時の中学の指揮者の音楽教師は大変アクの強い先生で、 自身の考え・ペース・音楽指導法・解釈については、
一切妥協しませんでしたし、そして一切他者の話に耳を傾けない頑固爺でもありまして、
従来まで選んでいた自由曲は、ワーグナー・チャイコフスキー・ヴェルディといった重厚なクラシック音楽のアレンジものとか
マクベス / カディッシュのような重厚な吹奏楽オリジナル作品といった重量級の作品ばかりを選んでいましたけど、
この年・・1980年に限っては
「学校分離もあったし、お前らはオレの言う事に逆らった挙句こんなに退部しやがって、お前たちの代の吹奏楽コンクールは
どうもやる気が出ない・・
お前たちの代の自由曲はエリクソンの祝典みたいな軽い曲で十分だぁ~!」なんてエリクソンと序曲「祝典」という
大変な名作に対して大変失礼な暴言を吐いていたのは、当時は「そんなものなのかなぁ・・」と感じていたものですけど、
今現在の視点ですと「わかっていないね・・」と感じになりそうです・・(汗・・)

そうそう、この年は私の10年間の奏者生活の中では唯一担当楽器がクラリネットではなくてアルトサックスを吹いていた年
でもありました~!
新年早々なぜかしりませんけど「お前は今日からアルトサックスにうつれ~!」とまさかのクラリネットからアルトサックスに
コンバートされたのですが、私自身も大変意外でもあったのですけど、
クラリネットに比べてアルトサックスはとても簡単に音が鳴らせてとても簡単にヴィヴラートをかけられ、
思った以上に容易に美しい音色を出せる事に正直驚いたものですし、コンバート初日でも普通に全体合奏に参加する事が
出来ていました~! それまではクラリネットという楽器の大変さ、音の出し方の難しさ、リード調整の難しさ等に
毎日頭を抱えていたものですけど、あの時は「世の中にこんなに簡単な楽器があったんだぁ~」とヘンな誤解を生ずることに
なってしまったものでした・・(汗・・)
もちろん、サックスは決して簡単な楽器ではありませんので、こんな妙な記事読んでヘンな誤解はしないで下さいね・・(汗)
一つ言えることは、クラリネットに比べてアルトサックスはマウスピースが大きいのですので、
それが当時2年間小さいマウスピースのクラリネットを吹いていた人間の感覚からしてみると「吹きやすい~」という
感覚になっていたのかもしれないです。
それとクラリネットは木製ですけど、サックスは金属でもありますし、その日の湿度や温度といった外部環境に
あまり影響を受けにくいというのもあったと思いますし、クラリネットは直接指で穴をふさぎますけど、
サックスは構造的には金属製の蓋で穴を開閉させるという事で、やはり音が出しやすいという事もあると思います。
そして大変ありがたいことは、サックス系の楽器はクラリネットと違ってほとんどリードミスが発生しないと言う事も相当
大きかったような気がします。
コンバート初日には「一体今までのクラリネット奏者としての二年間は何だったんだろう・・・」と思ってしまったものでした。
ちなみにですけど、私がアルトサックスへのコンバート初日に真っ先に吹いた曲は何かと言うと、
言うまでもなく1979年の課題曲A/フェリスタスのあのとてつもなくかっこいいアルトサックスの朗々としたソロでした~! (汗・・)
高校で再度吹奏楽部に入部した際、男子校ゆえに圧倒的にクラリネット奏者不足のため、問答無用で再度クラリネットに
戻ったのですけど、そこから7年間は改めてクラリネットという楽器の厄介さと向き合う日々が続いていきました・・

アルトサックス奏者として、序曲「祝典」の譜面を見た際の第一印象として、
「クラリネットパートと違って何て簡単なスコアだ」と感じたものでした。
序曲「祝典」の冒頭は、前述の通り木管セクションの高音域のタタタ・タタタ・タタタとスタッカートのリズムで開始されますが、
アクセントのつけ方が妙に難しく感じられ、クラリネット奏者としては大変苦手な部分でもありました。
だけどアルトサックスの場合、タッ・タッ・タッ・・という単純な後打ちだけでしたので、すごく楽でした~! (笑)
しかもクラリネットパートに比べて16分音符や速いパッセージが少なく美味しいメロディー部分が多く、
パート練習でも全体練習でも楽しく演奏できていたと思います。

これは意外と稀有な事だと思います。

クラリネット奏者の時は、年がら年中クラリネットパートは指揮者から
「全然消化出来ていない」・「下手くそ」・ 「リードミスばっかりしやがって」・ 「なんだ、そのヘンな音は・・!」などなど
文句ばかりタラタラ言われ続け、その時は練習や全体合奏が楽しいと感じたことはほとんど無かったと思います。

その意味では、序曲「祝典」は私にとって初めて合奏をする楽しさを教えてくれた曲なのではないかと思えます。

クラリネットパートも私以外は全員女の子でしたけど、サックスセクションも私以外は全員女の子でしたが、
クラリネットの時のようなギスギスした雰囲気ではなくてカラッとドライな雰囲気だったのも、サックスの音そのものが
為せる業だったのかもしれないですね~(笑)

この年は無事に地区予選を突破し県大会に出場したのですけど
当時の県大会は、現在のように受験を配慮して夏休み中に県大会を終わらせるというものではなくて、
9月の敬老の日前後が県大会だったように記憶しています。
本番前の当時の私の心境はどんな感じのものだったのかな・・?
「県大会が終わればやっとこれで吹奏楽部でのあの上から目線のおっかない音楽教師の指導から開放される・・」という
嬉しい気持ちと「県大会が終われば受験勉強に専念せざるを得なくなる」という不安な気持ちが交錯し
非常に不安定で揺れ動いていたのは間違いなくあったような記憶がありますね・・

県大会の演奏は私が言うのもなんですけど、本当にズタボロの演奏でした・・(汗)
せめて地区予選の時みたいな演奏が出来れば後悔はなかったと思うのですけど、練習でもあんなひどい演奏はあんまり
なかったのかも・・と感じさせるくらい本番では悪い面が全て出てしまったような感じするあります。
「万一この県大会を通過して県代表に選出されて支部大会に出場する事になったら、一か月近くまた怒られまくるのも
嫌なんだけど、本日の県大会で県代表に選出されなかったら、本日をもって引退となってしまい 
明日からは受験に専念せざるを得なくなる・・それも嫌だな・・・
あ~あ、どっちも嫌だな・・・一体どうすりゃいいんだろう・・」と気分としては「to be or not to be」のハムレット
みたいな心境だったと思います。
元々県代表になれるようなレヴェルの高い演奏は元々期待できなかった上、本番の演奏があそこまで見事に崩壊してしまう
という事の背景にあるのは、私自身を含めて部員全員のこの一年間のモヤモヤとした鬱積した気持ちとか
大量退部者を出してしまった後ろめたい気持ちとか指揮者の先生に対する反発の気持ち等色々あったとは思いますが
最後まで皆の気持ちが一つにまとまらなかったというモヤモヤとした鬱積した気持ちが、本番当日に部員全員の「本音」を
象徴させるような形となって、「音」になってしまったのかなと思う事は今でもあったりしますね・・・
当時、一応この部の部長でもあった私自身としては・・・
「こうなってしまったのも自分自身が一因」という自分のふがいなさを責める気持ちもありましたし、
やはり指揮者の先生に対する「恨みつらみ」はかなり大きいものがあったと思います。

課題曲C/北海の大漁歌の出だしから既に何かモヤモヤした開始で、演奏開始10秒から奏者全員に
「あれ・・今日はちょっとやばいのかも・・」という空気は間違いなく流れていたと思います。
この年は前述の通り私自身はアルトサックスでの出場でしたけど、課題曲冒頭の音がアルトサックスにとって鬼門というのか
大変音が出しにくい低音から開始されるという事情もあったのですけど、冒頭のホルンとアルトサックスのユニゾンも
練習の成果が発揮されないまま開始され、
「これはまずい」と思ったものの修正できずに曲がどんどん進行し、中間部のトランペット・オーボエ・フルートのソロの部分では、
3人の奏者が全員揃いも揃ってソロを外すという練習中でもなかった事態が発生し更に奏者の動揺を招き、
課題曲は崩壊状態で終了し、自由曲の序曲「祝典」も「あれれ・・いつもと調子が違う・・」みたいな違和感を最後まで吹っ切る事が出来ずに演奏終了となってしまい、全部員茫然とする中、中学最後のコンクールが幕を閉じたという感じでもありました。

当日全部門の審査が終了したのがPM19:00過ぎで、
部員全員を残しておくわけにもいかないという事で、部長・副部長、そして指揮者の先生以外は全員そのまま帰宅となり、
私が部を代表して閉会式と審査結果発表に臨みましたけど、結果はダメ金も撮れずに銀賞という結果で終りました。
(よくあんなポンコツ演奏が銅賞にならなかったものですね・・・)
閉会式で表彰状を貰ったのですけど、全然嬉しくなかったですし、当日の演奏やこれまでの部の活動状況に対する
「後悔」の感情ばかりが沸き立つ中で、
「これでやっと音楽というか吹奏楽部から解放されるじゃん! 明日からは受験のプレッシャーはあるけど一応自由の身だ・・!!」
といった開放感があったのも事実だったと思います。

今現在ですと、メールやラインで当日の審査結果なんかをリアルタイムで回覧できるのですけど
当時は携帯すらない時代ですから3年生には、直接電話を掛け結果を伝え、
下級生には審査結果は明日の朝刊を見ておいてというのもなんか時代を感じさせますよね・・・(汗・・)

帰りはその指揮者の先生の車で学校まで送って貰ったのですけど最後ぐらいは、
「お疲れ様!!」とか「今まで色々と酷い事ばっかり言ってすまなかった・・・」
「お前たちも本当によく頑張ってくれた!!」みたいな労いの言葉があるのかな・・・とか
「最後くらい、俺のおごりでなんかうまいものでも食わしてやる! 何でも好きなもの頼め!!」みたいな
嬉しいサプライズでもあるのかな・・・と淡い期待を持っていたら、その車での送迎中も一時間近く延々と部長・副部長に対して
「お前たちは、今までオレが面倒見てきた中で一最低最悪の代!!」
「お前たちぐらい俺の言う事を素直に聞かなかった奴らはいない」
「お前たちはだからダメなんだ!!」みたいにずーーーーーっと説教の連続でして、

マジであの瞬間は・・・・

 「コイツ、まじでくたばっちまぇーーーー!!」と心底願ったものでした!

そして、私は音楽、吹奏楽の事が大嫌いなまま卒業式を迎えたのですけど、そんな私が真の意味で「音楽」に覚醒したのは、
それから一年半後の事なのでした。
そしてそのきっかけというのは、何度もこの名前を出して大変恐縮なのてすけど、
1982年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会、A編成の高校の部のプログラム一番、秋田県代表 花輪高校吹奏楽部による
ウォルトン作曲/交響曲第1番終楽章の演奏だったのでした!

最近の吹奏楽オリジナル作品、特にその中でも邦人作品は、演奏効果が大変高そうではあるのですけど
技術的には大変難しそうなものばかりが多く、華麗な音楽の連続で確かに耳には心地よいのですけど、
「果たして流行の移り変わりが激しい日本の吹奏楽コンクールの中において
10年後でも変らず演奏され続けていく邦人作品って一体どれだけあるのかな・・?」と考えると
考え込んでしまう作品が結構多いようにも感じたりもします。
だって一時期あれだけ大ブレイクした田中賢のメトセラⅡやR.スミスの「海の男達の歌」などが最近ではサッパリ演奏されて
いない現実を目にすると「歌謡曲も芸人のネタもそうだけど、吹奏楽オリジナル作品の旬は短いからね・・」と痛感する
ばかりであったりもします。
邦人作品に関しては、少なくても保科洋の「復興」だけはずっと演奏され続けて欲しいなとも思ったりもします。
そういう意味では兼田敏の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」が全国大会初演から忘れることなく演奏され続けて
いる事は大変価値があると思います。

最近のあのような難易度の高い邦人作品をやすやすと吹きこなしてしまう最近の吹奏楽コンクールの驚異的な
レヴェルの高さは本当に素晴らしいものがあると思います。
これは本当に世界に誇っても全然差し支えはないと考えております。
振り返ってみると私が現役奏者の頃には、とてもとてもあんな難しい邦人作品を
アマチュアの中・高校生が吹きこなせるという発想すら無かったと思います。
例えばですけど、C.スミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」とかフーサの「プラハのための音楽1968」あたりが
一つの限界点だったようにも思えます。

本当に最近の中・高校生の皆様のレヴェルの高さには頭が下がる思いで一杯です。

同時に、確かにそういう華麗な邦人作品もいいけど、「吹奏楽のバイブル」というのか「原典」とも言える
吹奏楽オリジナルの古典中の古典・・・
絶対に忘れてはいけないオリジナル作品もたまには目を向けて欲しいなぁ・・と思う時もあります。

私自身が高校生時代にその曲を実際に演奏した経験があるという背景も大きいのですけど、
特にそうした「吹奏楽オリジナル作品」を語る上では、絶対に忘れてはいけない曲の一つが
リードの「アルメニアンダンス パートⅠ」や「オセロ」であり、
またまたスゥエアリンジェンの「インヴィクタ」序曲とか「チェスフォード・ポートレイト」であり、
私自身が演奏した曲ではないですけど、ヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエ―ション」(原典版)であり、
ネリベルの「二つの交響的断章」などなどであるのですけど、
その中でも特に特に、ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」変ホ長調作品28-1だけは
絶対に忘れないで欲しいと思います!
否!! この素晴らしき組曲だけは、未来永劫ず―――っと後世に受け継がれていって欲しい曲だと思います!!

ホルストの吹奏楽のための第一組曲ですけど、この不滅の吹奏楽名曲オリジナル作品が作曲されたのは
1909年ですので、ホルストを代表する20世紀のクラシック音楽の名曲の一つでもある組曲「惑星」が
作曲される5年前の作品と言える事も出来ます。
ちなみにですけど、ホルストは若かりし日は管弦楽団のトロンボーンを担当していて、
そうした管楽器を熟知していた経験を活かしたのがこの第一組曲と言えるのかもしれません。
ちなみにですけど、組曲「惑星」~Ⅰ.火星においては、通常のオーケストラでは滅多に使用されないけど
吹奏楽の世界では中音域担当として重要な役割を担っている「ユーフォニアム」という楽器が
かなり目立つソロを序盤から朗々と吹き上げているのですけど、
それはホルストの管楽器奏者の経験から来ているのかもしれないですよね。
更に余談ですけど、ホルストの組曲「惑星」が作曲されていた頃とほぼ同時期に作曲されていたのが知る人ぞ知る珍曲、
「日本組曲」であったりもします!
日本組曲は、日本の民謡・童謡等を特に変調・変奏することもなく「ぼうやー、よいこーだーねんねーしーなー」などと
そっくりそのまんま引用している箇所がかなり多く、聴くだけでなんか思わず「くすっ・・」となってしまいそうです。

ホルストの第一組曲のタイトルは「吹奏楽のための第一組曲」なのですが原題は「ミリタリーバンドのための」と記されています。
この辺りは現在の日本とイギリスの違いと言うのもあると思いますが、イギリスでは
金管のみの編成を「ブラスバンド」と呼び、
金管+木管+打楽器の編成、いわゆる日本のスクールバンドで見られる「吹奏楽」の編成の事を
「ミリタリーバンド」と呼ぶそうです。

ホルストはこうした「ミリタリーバンド」のための作品を吹奏楽のための第一組曲を含めて生涯に4曲残していますけど、
第一組曲はそうした作品の先駆けとも言えるものです。
ちなみに他の三曲とは、第二組曲・ムーアサイド組曲・ハンマースミスです。
たまに、サマーセット狂詩曲やセントポール組曲は吹奏楽作品と勘違いされる方もいますけど、
この二つの曲は管弦楽曲ですのでくれぐれもご注意を・・・

改めてですけど、このホルストの第一組曲は本当に古典中の古典! まさに王道的な名曲であり、
ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」とグレインジャーの「リンカンシャーの花束」と並んで
吹奏楽の分野における古典的な演奏会用作品としてきわめて重要な位置を占めると断言しても
決して間違ってはいないと私は思います。

だけど、最近こうした古典的名曲が吹奏楽コンクールで演奏される事はあんまりないのですよね・・・(泣)

こういう古典的な曲だからこそ「古きを訪ねて新しきを知る」という言葉がお似合いだと思いますし、
たまにはこうした「シンプル イズ ベスト」の曲を演奏する事で
自分達の「原点」なんかを意外と発見できちゃうのかもしれないですよね。





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吹奏楽のための第一組曲は下記の三曲から構成されています。

Ⅰ.シャコンヌ

Ⅱ.間奏曲

Ⅲ.行進曲

各楽章のすべての主題は第1楽章の冒頭動機から派生したものであり、一種の「循環主題」の形式と
言えると思います。
例えばチャイコフスキーの交響曲第5番とある意味構造的には似ているとすら言えると思います。
チャイコフスキーの交響曲第5番も「循環主題」の形式を採用し、冒頭の「テーマ」を他の楽章にも引用反復し
フィナーレで冒頭部分を高らかに再現している点は、まさに「似た者同士」とすら言えると思います。

Ⅰのシャコンヌですけど、冒頭はチューバ・ユーフォニアム・コントラバスによる8小節の低音のテーマが
提示されるのですけど、
それが前述の「循環主題」になっていて、このわずか8小節のテーマが全三楽章において
全ての楽章で反復されていて、まさに「全曲を貫く基本楽想」となっています。
そしてⅠはこの冒頭テーマと15の変奏から構成されていますけど、まさに「形式美」という誇り高き香りが
全体を貫く大変素晴らしい楽章だと思います。
クラリネットの高音域の伸ばしが実に素晴らしいと思います。
Ⅱの間奏曲(インテルメッツォ)ですけど、クラリネット等の刻みに乗っかる形でミュートを付けたトランペットが
とてもチャーミングで可愛らしいです。
冒頭は「ぽんっ・・」と全員弱奏でから開始されますけど、この冒頭の音だけを全員で伸ばした音でのロングトーンを
するとわかりますが、これが結構以外にも凄まじい不協和音で、楽章としてのチャーミングさと
相反する音の構造でもありますので、その辺りは大変興味深いものがあります。
クラリネットの2番や3番なんかは、譜面通り吹いてしまうと大変無機質で無味乾燥にも聴こえがちなのですけど、
周囲の音と合わせる形で「自分の役割とは何か」を自覚すると
とたんにそうした無機質な動きが大変意味がある事に気が付くと思います。
トランペット奏者は瞬間的にミュートを外してまた再度付けたりする個所もあり、結構大変だと思います。
Ⅲのマーチ(行進曲は)は序盤は金管セクションのみによる勇壮なマーチから開始され、
中間部の木管がとっても美しいです。
ⅢのメロディーラインはほとんどはⅠのシャコンヌの再現といっても過言ではなく
やはり組曲全体の「統一感」が見事に図られていると思います。

ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」は、私自身の高校一年の時のコンクール自由曲でもあります。
この曲でもって音楽の構成美とか全体とパートのバランスの難しさとか自分の担当する楽器が全体の中で
果たすべき役割等実は初めて気が付かされたという事も大変多く、
中学自体、とにかくおっかない指揮者の先生の指示されるがままに吹いていた自分が初めて
「自分のパートの全体合奏内で果たすべき役割と意義」を生れてはじめて心の底から思い知らされた曲でも
ありますので、私個人にとっても大変思い入れがある曲でもありますし、私自身の「原点」といっても差し支えは無いと思います。
こうした吹奏楽オリジナル作品を、吹奏楽とか音楽とかが何もわかっていない時期に
真っ白な状態から一から学習していった曲でもありますから、
そうした私自身の経験から即しても、是非是非現役の若い奏者の皆様にもこういた吹奏楽のバイブル的作品は
一度ぐらいは経験して欲しいな・と思ったりもしますね。

実際この曲は、あまりにもスタンダートすぎるのか、シンプルゆえに難しいのか
支部大会以上のコンクールではあまり聴いた事がありません。
記憶に残っている限りでは、1990年の関東大会・中学の部の甲府南西中学校くらいなのかな・・・
評価は銅賞でしたけど、私は好きな演奏です。実に中学生らしい素直で伸び伸びとした演奏
でしたし、第一曲・シャコンヌの盛り上げ方が実に自然で良かったと思います。
プロの演奏では何度か聴いた事がありますが、
フェネル指揮の東京佼成のオーチャードホールでの1991年の演奏が抜群に素晴らしい演奏で、強く印象に残っています。
シャコンヌの盛り上がり方も感動的でしたし、なぜかクラリネットセクションも一部ベルアップしていたのが印象的です。
マーチも自然な流れで大変素晴らしかったです!

ホルストには、「吹奏楽のための第二組曲」というこれまたすてきなな曲もあります。

第一組曲が三楽章構成でしたが、第二組曲は四楽章構成で、第一楽章がマーチから開始されます。
個人的には、第三楽章の「鍛冶屋の歌」が好きです。
途中打楽器奏者による鍛冶屋がコーンコーンと熱い鉄を叩く音がグロッケンによって
模写されていますが、この辺りは単純だけど面白さは感じます。
第四楽章の「ダーガソンによる幻想曲」も単純な一つのメロディーが延々と繰り返される曲
なのですけど、これが素朴で実に楽しい曲です。
この「ダーガソンによる幻想曲」は、後日ホルスト自身によって管弦楽化され、
「セントポール組曲」の終楽章が、まさにこの曲です。
吹奏楽も管弦楽版もとぢらも素晴らしいけど、管弦楽版はどちらかというと室内楽に近い響きですし、
少し上品すぎる感じもしなくはないので、個人的には吹奏楽版の方がより魅力的のようにも感じられます。

ホルストの第二組曲を自由曲にして、何と全国大会まで駒を進めたチームもかつてありました。
1994年の中村学園ウインドアンサンブル(前身は中村学園OB吹奏楽団だったかな・・?)がそうです。
94年は、課題曲が異常に長いものばかりでしたので、課題曲に「雲のコラージュ」を選んだこのチームの自由曲は、
このホルストの第二組曲の中から、Ⅲ・鍛冶屋の歌 Ⅰ・マーチという選曲で臨んでいました。
感想としては、正直特にないけど「フィナーレは、ダーガソンの方が良かったのかも・・」という感じです。
中村学園は、1983年にも、吹奏楽オリジナルの正統派・王道ともいえる
ヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」で全国大会にも出場し、
この年は、課題曲がカドリーユという事もあり、長めに自由曲を取れたせいか、
イギリス民謡組曲も第一・第三楽章はほぼノーカット、第二楽章も楽章の途中からの演奏となりますけど
第二組曲と言いこの曲と言いとにかくこうした古典的名曲を全国大会で演奏した意義は大変大きいものが
あるのかなと思ったりもします。

83年の方は分りませんが、94年の演奏には確か男性奏者もいたと記憶しています。
中村学園は女子高校だったと思いますが、大学は共学なのかな・・・?

とにかくなのですけど、ホルストの第一・第二組曲
ヴォーン=ウィリアムズのイギリス民謡組曲、グレンジャーの「リンカンシャーの花束」みたいな
古典的名曲は忘れられずに後世に受け継がれていってほしいと思います。
長くて伝統ある「吹奏楽コンクール」の歴史においても時折なのですけど「ちょっとこれおかしくないの・・?」みたいな
妙な事件もあったりするものですけど、その中でも最たるものが1982年全日本吹奏楽コンクール・全国大会【大学の部】での
金賞ゼロ事件と言えるのかもしれないです。

1982年の全日本吹奏楽コンクールは、第30回大会という本来は節目を迎えた一つの大きなイベントという事もあり、
吹奏楽連盟はアメリカからとある大学の吹奏楽団を招聘させて特別演奏をお披露目する等かなり力は炒れていた
記念大会だったと思います。
本来は記念大会という事で「大成功のうちに幕を閉じた~!」という事になるべきところのはずが、
大学の部において前代未聞の妙な事件が起きてしまいます。

それが何かと言うと、大学の部においてのみ金賞団体がゼロという妙な事件でした。
(中学・高校・職場・一般の部においては、きちんと規定通り、金賞・銀賞・銅賞の評価が公平に出されています)

でも元々変なのですよね。吹奏楽連盟の審査内規では、
評価基準は、技術と表現の二項目をA~Eの五段階評価とし、合計点の多い順から得点上位の団体に金賞を与え、
金賞・銀賞・銅賞という三つの賞に振り分ける」と明確に定められています。
いわば吹奏楽連盟の審査規定は「絶対評価」を採用せず、上位得点チームから公平に金・銀・銅を振り分けるという
「相対評価」を採用しているはずなのに、
なぜかこの年の大学の部に限っては、金賞チームを一つも出さずに当初の審査発表では銀賞と銅賞のみを
評価として発表していたのでした。
相対評価を内規で明記しているのに、金賞ゼロというのも妙な話だと思います。

そうした審査結果に大学の部の関係者は「納得いかない・・絶対におかしい」と憤慨し、
一部のチームは表彰式をボイコットする事態にまでなってしまいます。
このボイコットに対して、作曲家の藤田玄播先生は
「これはよくない・・大学の部の得点はもともと低いし、そんなに素晴らしい演奏が出ていた訳でもないし、
駄々っ子がごねて泣き喚いているとしか思えない」と激辛反論をしていましたけど、
私から言わせて頂くと、故人である藤田玄播先生には大変申し訳ないですけど、
「おいおい・・それはちょっと全然違うじゃん!」と文句&抗議の声を申し上げたいですね!

吹奏楽コンクールの審査は水物とか審査員の好みによって色濃く反映されるとか、年によって賞の振り分けが
全然異なる(高校の部の一例/ 1976年は20チーム中、銅賞は14チーム 1981年は25チーム中、金賞は15チームで銅賞はゼロ)
といった不満の声は以前から強かった事もあり、1982年の審査内規では上記のような審査方法を採用し、
得点順に金・銀・銅わ振り分けると明記しているのにも関わらず
吹奏楽連盟が大学の部だけ金賞を1チームも出さないという事の方がよほどどうかしていると思わざるを得ないです。
それに藤田先生とか当時の主催者側の代表の秋山紀夫氏が「大学の部は元々全体的に得点が低いし、素晴らしい演奏は
出ていない」と戯けた妄言を述べられているのですけど、
亜細亜・神奈川・近畿は文句のつけようがない金賞というか、近年稀に見る素晴らしい名演だったと私は思います。

神奈川の「ディオニソスの祭り」は、今現在の視点・感覚で聴いても色褪せない名演だと思います。
私的には「ディオニソスの祭り」というと、1982年の神奈川大学、1980年の銚子商業、85年の御影高校、90年の埼玉栄高校
91年の乗泉寺吹奏楽団が印象的ですけど、その中でも1982年の神奈川大学のあの名演を超える演奏は
実はいまだに表れていないのかも!?と感じさせる歴史的な名演だと思います。
あの演奏を一体どう悪意をもって聴けばあの演奏に銀賞という評価が下せるのか、審査員の耳の悪さと感性の鈍さこそ
糾弾されて然るべきものだと思います。

亜細亜大学も素晴らしいの一言に尽きると思います!
サンライズマーチの輝かしいファンファーレも見事でしたけど、金管セクションのあの堂々とした光沢溢れる輝かしい
サウンドのマーチは全部門を通して最高のサンライズマーチだと思います。
自由曲のボロディンの交響曲第2番も地味な曲をあそこまで音楽的に聴かせたのはお見事に一言に尽きると思います。
第三楽章のしっとり感と第四楽章の溌剌とした雰囲気の対比は圧巻でした!
亜細亜大学と一般の部の上尾市民吹奏楽団の2チームを同日同会場で指揮した小長谷宗一先生が、
「本日の両団体の出来は、指揮をした私が一番良く知っている。それなのに、私の考えと全く正反対の評価をもらった」と
後日述べられていましたが、私も全くの同感です。
(というか上尾市民の演奏がどうして金賞という高評価になってしまうのか、私もいまだに理解できません・・)

この年の全国大会の大学の部の白眉は近畿の「アンティフォナーレ」だと思います。
ネリベルのアンティフォナーレは、全体的に無機質で硬い感じの曲で不協和音むき出しの
決して聴きやすい曲ではないですけど、近畿大学の演奏は無機質とは全然異なるモノを聴かせてくれていたと思います。
「二つの交響的断章」以上のすさまじい落差やダイナミックスレンジの幅が遺憾なく発揮されていたと思いますし、
あの演奏からは曲の持っている「叫び」というか、形式美を重視している一方で、
何かとてつもなく大きなものに無我夢中で挑んでいくみたいな印象を感じたものでした、
瞬発力溢れる打楽器セクションに中間部のあまりにも美しいフルートソロ、亜細亜大学以上の輝き溢れる金管セクションなど
全てが満点に近い演奏だと私はいまでも思っています。

だけどそうした素晴らしい演奏が最初の審査発表では銀賞なんですよね~!

しかもくどいようですけど審査内規では「上位チームから金・銀・銅を振り分ける」と明記されているにも拘らずですよ!!

さてさて一方吹奏楽連盟の言い分はどうなのでしょうか・・?

ここでこの人たちはまさかの驚くべき事を口にしています!

「確かに上位から金・銀・銅を振り分ける評価方式だが、その前提として、全部門とも、満点の85%以上を金賞の絶対的基準と
している。大学の部にはこれを満たすチームが一つも無かった」

というか・・この時点において全出場チームのほぼ全員だと思うのですけど、そうした「満点の85%以上を金賞の絶対的基準」
という突如現れてきた絶対評価方式については「一度も聞いた事が無いし吹奏楽連盟からなんの通達・連絡・説明も
なかった」という事なのだと思います。
そもそも論なのですけど、前述の82年からの審査規定変更には「満点の85%以上を金賞の絶対的基準」という
絶対評価基準みたいな話は一言も出されていませんし、それでは百歩譲ってこの内規があるとするならば、
「いつどのように誰によって指示がなされ決まったのか?」という事は関係者の誰にも伝わっていません・・

こんな曖昧な規定や運営方法のまま、吹奏楽コンクールに出場し、結果として「金賞ゼロ」というある意味被害を蒙った
当時の出場チームの関係者の皆様には同情の気持ちしかないですし、
吹奏楽連盟に関しては「この件に関してはちょっと酷いよね・・」と実は未だに感じていたりもします。

満点の85%以上を金賞の絶対的基準という規定が本当に存在するのならば、正式に吹奏楽コンクールの審査基準として
審査内規に明確に記しておくべきだと思いますし、事前に関係者に告知する義務が吹奏楽連盟には当然あったのだと
思います。
結果として1982年の審査規定に明記されていた評価方法と明らかに異なる評価が一度は出されてしまったという事は
改めて当時の吹奏楽連盟の迷走ぶりと合せて苦言を呈したいと思います。

そして更にもう一つ問題が発生してしまいます・・

この記念大会なのに思いっきり後味の悪さが残ってしまった大学の部において、実は後日吹奏楽連盟から
「判定基準の適用に誤りがあった」として一度出した審査結果を自ら覆し、再度審査結果と評価を変更し、
結果的に金賞ゼロから一転して、亜細亜・神奈川・関西学院・近畿・三重の5チームに金賞を与える事をやらかしてしまいます。

これも少しヘンな話ですよね・・

確かに亜細亜・神奈川・近畿の演奏が金賞ではないというのは審査員の耳と感性がどうかしているの何者でも
ないのですけど、そうした一度出した評価をこんなにもあっさりと覆す事もおかしいような気もします・・。
これでは自ら審査とか吹奏楽連盟の「権威」を貶める行為に等しいようにも感じられたものでした・・

結果的に棚からぼたもちのように関西学院・三重はおこぼれ的な金賞になるのですけど明らかに甘い金賞だと思います。
関西学院も前半の木管のパッセージは素晴らしいのに後半のショスタコの金管はヘロヘロというか息も絶え絶えでしたね・・・)
三重大に至っては論外・・!という感じでもありました・・

「大学の部の得点はもともと低いし、そんなに素晴らしい演奏が出ていた訳でもない」という藤田先生のお言葉に
少しばかりフォローを入れますと、
この年の大学の部は確かに上位チームの演奏は名演続出なんだけど、
銅賞レヴェルの香川・琉球・千葉商科・北教大函館の演奏は「たしかにねぇ・・」となってしまうちょっと酷い演奏ばかり
でしたからね・・(汗・・)
逆に言うとこの年ほど銅と金の格差が開いてい年も珍しいようにも思えます。
この中では、当初の審査発表では「銅賞」と評されていたのに後日の審査変更で銀賞になっていた岩手大学は、
ホッ・・とした同時にちょっと複雑なものもあったのかもしれないですね。

最後に・・審査結果の後日変更という点で、あまり知られてはいないようですけど、1992年の全国大会・大学の部では、
亜細亜大学が当日の審査結果発表では銀賞となっていたのに、後日の発表で
「すいません・・あれは審査集計が間違っていましたぁ~」と金賞に変更されていましたけど、なんかあれも気の毒な
話でもありました・・
(私も亜細亜大学の「海」は生演奏で聴いていましたけど、地味で印象の薄い演奏で、金賞と後日聞いた際は
「え・・あの演奏が金賞なの・・?」と驚いたものでした・・)
ジョン・バーンズ・チャンスのあまりにも早すぎる突然の事故死は、チャンス自身も無念の極みだと思いますし、
アメリカや日本の吹奏楽界にとっても哀しむべき大変な損失なのだと思います。
全日本吹奏楽コンクールにおいては朝鮮民謡の主題による変奏曲・交響曲第2番・呪文と踊りの3曲が全国大会でも
演奏された事があり、最近でも時折全国大会でも「朝鮮民謡の主題による変奏曲」と「呪文の踊り」も演奏されていて、
チャンスの作品は支部大会でも忘れることなく演奏され続けていますので、チャンスの早逝は本当に勿体ない事なのだと
改めて感じたりもします。
ちなみに1984年の全国大会の一般の部はチャンスが大人気で、なんと・・!
朝鮮民謡の主題による変奏曲・交響曲第2番・呪文と踊りの3曲が同一部門同一日に演奏されるという快挙も成し遂げています!

上記の3曲以外のチャンスと言うと、コンクールではまず演奏されないのですけど、「エレジー」という曲が大変心にしみます。
チャンスはフェンス接触による感電死という事で30代の若さで突然の早逝をされます。
作曲家としては「これから先が大変楽しみ」と大変期待をされていた方でもありますので、本人としても無念の極みと
思うのですけど、自分の「死」に対してもしかしたら予感めいたものがあったのかどうかは定かではありませんけど、
この「エレジー」という悲歌がチャンスにとっては遺作の一つになってしまいます
結果的に「自分自身に対するレクイエム」になってしまった事は本当に惜しまれます。 
決して直感的な曲とか霊感漂う曲という雰囲気ではないのですけど、そうしたエピソードを耳にすると
どことなくですけど、予感的なもの・死の香り・この世への未練と諦観といった感情は不思議と痛いほど伝わってきます。
この「エレジー」に雰囲気的近い作品としては、リードの「イン・メモリアム」やC・ウィリアムスの「カッチャとコラール」が
挙げられるのかもしれないです。

チャンスと言うと吹奏楽コンクール的に大人気というと文句なく「朝鮮民謡の主題による変奏曲」だと思うのですけど、
実は私的にはチャンスの作品の中で、艦これの白露お姉ちゃんではないですけど「いっちば~ん!」に大好きな曲と言うと
管楽器と打楽器のための交響曲第2番に尽きると思います!
この曲、タイトルに打楽器と記されている割には打楽器の種類は意外と少なく、
ティンパニ・小太鼓・大太鼓・ドラ・グロッケン・シンバル・ヴィブラフォン程度しか使用されていないのですけど、
そうした雰囲気はむしろ簡明さ・新古典主義みたいなシンプルなわかりやすさが見事に伝わってきているようにも感じられます。
(新古典主義みたいな雰囲気と言うとパーシケッティーの交響曲第6番ともどこかで相通ずるものがあるようにも思えます)
パーシケッティーの交響曲第番は、知的さ・霊感・インスプレーションといったものを感じさせ、過度に派手なエネルギー爆発
という感じの曲ではないと思うのですけど、チャンスの管楽器と打楽器のための交響曲第2番は、
全体的には機能的でメカニック的でもあり、聴き方によってはアジア的なエネルギーのうねりというのか「カオスみたいな響き」
のようにも聴こえるのがパーシケッティーとの明瞭な違いなのかもしれないです。

チャンスのこのシンフォニーは吹奏楽コンクールにおいて、時間制約の関係上、第二・第三楽章に部分的にカットを入れながら
演奏されることも多いものでして、昭和の頃に
「このシンフォニーの全楽章のノーカット版を聴いてみたい!」と思っていたのですけど、なかなかこの交響曲の全曲版は
なかなか国内盤でも発売されず、海外盤もあることにはありましたけど、今現在のようにダウンロードとかアマゾンが
存在していたわけではありませんので、そうした海外盤を入手したくてもなかなか入手できないし、何よりも
当時の銀座ヤマハでも秋葉原の石丸電気等でもチャンスの交響曲第2番を購入する事は出来ませんでしたし、
この曲が演奏会等においてノーカット版の全楽章演奏というのもほとんど無かったように思えます。
私自身も結構な長い期間、チャンスの交響曲第2番は、
コンクールで聴いた第二・第三楽章しか聴いたことがないし知らない・・、第一楽章ってどういう音楽なのだろう・・という事は
実はずっと気になっていました。
(最近では全曲版のCDも色々な盤が出ていて入手も容易です)
輸入盤の全曲版を聴いて、 「こういう曲だったのか・・、実はこの交響曲自体、循環主題をモチーフにしたような曲であり、
第一楽章のテーマが第三楽章でも華麗に再現されている」という事を初めて知ったものでした。
フランクとかチャイコフスキーの交響曲ではないけど 一種の「循環主題」みたいな交響曲なのかもしれませんね。
チャイコフスキーのようにメロディーラインが「泣かせる」という感じては無くて現代的なドライな感じのメカニックな感じの
循環主題というのが違いと言えるのだと思います。

ちなみにですけど、私自身がこの交響曲の全曲版を初めて生演奏で聴いたのは、1989年の板橋区吹奏楽団の
定期演奏会でした。当時の板橋区吹奏楽団の音楽監督は、元・豊島第十中学校の酒井正幸先生です!
(板橋区吹奏楽団は、吹奏楽コンクール初出場においてこのチャンスの交響曲第2番を自由曲とし、都大会予選会を突破し、
都大会本選でも、葛飾吹奏楽団を抑えて銀賞入賞を果たしていたのは大変立派だったと思います!)

チャンスの管楽器と打楽器のための交響曲第2番は、「エレジー」同様にチャンスの遺作の一つと言っても
過言ではないと思います。
死の直前の曲という訳ではないのですけど、最晩年の曲の一つと言えると思います。
だけど最晩年といっても30台後半というのがやはりせつない話ですよね・・(泣・・)
チャンスは1961年に「管楽器のためのシンフォニー」を作曲していましたが、
1972年にノース・ダコタ州ノースウェスト音楽センターから新しい吹奏楽のための交響曲作曲の委嘱を受け、
その機会に古い第1番の交響曲を元に改作して、この第3楽章からなる
「管楽器と打楽器のための交響曲第2番」を作曲したというのが作曲の経緯です。
第一楽章は、どちらかというと、「静かなエネルギーを秘めている」というような印象です。
第一楽章の冒頭はささやくようにひそやかに開始されるのですけど、主部はファンファーレ風に金管がユニゾンでモチーフを
全音符で高らかに奏すあたりからエネルギー放出みたいな曲としての爆発的な音のうねりも感じさせてくれていると
思います。
そうそう・・この第一楽章はなんとなく雰囲気的には、バーンズの交響曲第2番~第二楽章の中東的な雰囲気にも
どことなくうっすらと近いような印象も感じたりもします。
第一楽章の主要メロディーは、第二楽章・第三楽章のメロディーと被る部分は多いのですけど、特にそれが「しつこい」と
感じる事も無く、その静かな内面的エネルギーには、思わず勝手に「予感」というタイトルを付けたくもなってしまいました~
第二楽章は大変短いけど荘厳でミステリアスな雰囲気が終始醸し出されていると思います。
そして、この交響曲の最大の聴きどころは、第三楽章のティンパニのかなり長大でかっこいいソロにあると思います!
あのソロはティンパニ奏者にとって相当の腕の見せ所でありますし、ティンパニ奏者冥利につくと思います!
もしも私がティンパニー奏者で第三楽章のあの長大なソロをピシっと決める事が出来たとしたら
「もう死んでもいいかも~!?」と瞬間的に頭を過るのかもしれないですね。
ラスト近くの木管セクションのヘビのようにうねるような感じの掛け合いも見事だと思います。
(この部分の小太鼓やグロッケンも実に渋くていい働きを見せてくれていると思います)
最後の全奏者による和音の伸ばしも、中東的な色彩も感じられ圧巻です!
そしてラストは第一楽章のはじめのファンファーレが再現され華麗にエネルギッシュに曲が閉じられます!
そして閉じられ方のティンパニの打点の決まり具合には惚れ惚れさせられるものがあります。

チャンスの「管楽器と打楽器のための交響曲第2番」は、吹奏楽コンクールの全国大会では、
1991年の東海大学第一中学校の演奏を最後に30年近く演奏されていないのはちょっと寂しいです・・
他にこの交響曲を演奏したチームとして、1984年の大曲吹奏楽団も比較的印象に残っている演奏ではありますけど、
少しもっさりしているのがもったいないですし、1984年の関東一高も1979年の拓南中も正直今一つかな・・と
感じたりもします。
だけどこの曲は、支部大会では関東を中心に今現在でも演奏され続けているのは大変嬉しいですね。
そしてこの曲はなぜか知りませんけど、傾向として西日本ではほとんど演奏されないのに、東日本では
演奏頻度が多いというのもちょいと面白いものも感じております。

コンクールの演奏もプロによる演奏も、この交響曲に関しては 「これで決まり!!」みたいな決定打の演奏が無いと思います。
この曲が再評価される事も期待していますし、
何かとてつもない名演が登場しないものかなと実は密かに期待もしています。

これはとてつもなくマイナーな話ですけど、個人的な見解としては、吹奏楽コンクールにおけるこの曲の最大の名演は
1982年の関東大会の法政大学第二高校の演奏だと思います。
惜しくもダメ金で全国大会には行けませんでしたけど、あの演奏は、 神秘的で、奏者の気迫」が隅々まで伝わってきて、背
筋が凍るような緊張感漂う素晴らしい名演だと思います!
メカニックだけど、とにかく「鮮やか!!」という印象です。
ラストの和音をわざとゆっくりと異常に引き延ばした終わり方が大変個性的ですけど、見事だと思います!!
毎年CBSソニーから「吹奏楽レパートリー集」というレコード・CDが発売されていますけど
1982年の盤は、今から思うとかなり当たり年だったと思います。
その収録曲目の中には

〇バーンズ/アルヴァマー序曲

〇リード/序曲「春の猟犬」

〇スウェアリンジェン/インヴィクタ序曲

〇リード/第三組曲などが確か収録されていたと思います。

これらの曲は今現在でもしっかりと生き残っていますし、
新作の吹奏楽曲のほとんどが翌年以降はあまり演奏されることなく埋もれていく現状では
極めて珍しいと思いますし、「名曲というものは後世にもしっかりと受け継がれていく」と言う事なのだと思います。
アルヴァマー序曲や春の猟犬は確かに以前よりは演奏頻度は低くなりましたけど、それでも初めて世に出て以降
35年以上演奏され続けている事は名曲としての吹奏楽オリジナル作品として認知・定着しているという事なのだと
思います。

「春の猟犬」は今でも忘れることなく演奏され続けているのに対して、どちらかというと
最近はリードの吹奏楽のための第三組曲「バレエの情景」がコンサートでも吹奏楽コンクールでも耳にする機会がググッと
減ってきたことは寂しい気もしますけど、それが「音楽の歴史の流れ」という事なのかもしれないです。

A.リードの吹奏楽のための第三組曲「バレエの情景」は下記の4曲から構成されています。

Ⅰ.ファンファーレと序奏

Ⅱ.パ・ドゥ・ドゥ

Ⅲ.風変わりなポルカ

Ⅳ.全員の踊り

特にⅡとⅣがバレエの雰囲気を色濃く反映させています。

私自身は「バレエ」自体はあまり興味はなかったけどバレエ音楽は昔から大好きだったせいもあり、
20代の頃によく東京文化会館とか神奈川県民センターとか五反田の簡易保険ホールとかに行き、
「くるみ割り人形」・「眠りの森の美女」などを聴いたことも何度かあります。
バレエ上演の場合、バックの音楽は実は録音テープを使用することはあまりなく
実際にオーケストラが生の演奏をすることがほとんどです。
そして観客席の最前席とか端の方のオーケストラビットと言われる狭い場所で
弦楽器・管楽器・そして打楽器が密集して演奏をしています。
打楽器奏者は大抵3~5人程度はいるのですが、ほとんどの場合複数の楽器を掛け持ちし
狭い場所を行ったり来たりして結構大変そうでした。
指揮者も演奏の指揮をとりながら、時には舞台のバレエの方にも目を配り
大変な配慮が求められ、本当に大変だと思いました。
世界的な指揮者の中には、若い頃にこうしたバレエのオーケストラピットでの経験を積み、
生きたバレエとしての生きたリズム感・躍動感を体に叩き込んだ上で、演奏会ホールでの実演に活かしている指揮者も
多いと聞いていますけど、バレエ場歌劇場の指揮経験の有無というのは指揮者の成長と経験の蓄積の上では
必要不可欠と言えるのかもしれないですね。
五反田簡易保険ホール(今現在は、メルパークホールという名称だったかな・・?)は
音響が最悪に近いし音が全然前に響かないゆえに音楽が実に生々しく聴こえるのは面白いものがあります。

バレエの上演を生で見るとよくわかるのですが、
バレエというものは、基本的にはソロダンサーが中心であり、ソロをその他大勢の「全員」がサポートする面も
あるような感じがあります。

その辺りの雰囲気をリードの第三組曲「バレエの情景」においてどのように描いていたのかと言うと、
Ⅱの「パ・ドゥ・ドゥ」ではソロダンサーをフルート奏者に見立てて表現していましたし、
(Ⅱの冒頭のフルートソロはバレエにおいての第一幕からのソロとしてのダンスをイメージさせていると思います)
Ⅳの「全員の踊り」では、代わる代わるにソロと多数メンバーがメロディーラインが交代していく事で
ソロダンサーとその他大勢の踊りの対比を明確に表現していると思います。
全員の踊りの切迫感と劇的な緊張感はいつ聴いても手に汗握るような感覚もあったりしますし、この楽章の
ティンパニとシロフォンと使い方は大変巧みだとも感じられます。

吹奏楽のための第三組曲「バレエの情景」は2017年現在の吹奏楽コンクール・全国大会において

82年/上尾市民吹奏楽団

83年/大塚中

84年/重信中・電電東京

85年/NEC玉川

が演奏していましたけど、私にとっては残念ながら納得できる演奏にはお目にかかれていません。
上尾市民は、なぜかあの演奏が金賞受賞という結果になっていて、私自身も意外以外の何物でもないのですけど
(指揮者の小長谷氏も、あんな素晴らしい演奏をした私が指揮した亜細亜大学は最初の評価は銀賞で、
必ずしも満足いく演奏をしていない上尾が金賞と言うのもおかしな話であると1982年の大学の部金賞ゼロ事件を
批判していましたけど、それは「その通り!」としか言いようがないのだと思います・・)
上尾市民吹奏楽団のⅡのフルートソロがボロボロに崩壊しているし、Ⅳの唐突で強引なカットも完全に
音楽の流れに水を差していると思います。
大塚中は、ⅠとⅢとⅣという珍しい組み合わせです。
(面白い組合せなのですけど、この組曲の最大の聞かせどころのパ・ドゥ・ドゥが省略されると思いっきり肩すかしを
食らったような気分にもなったりします)
この曲で唯一納得できる演奏は、指揮者名・演奏団体はド忘れしましたけど(汗・・)
フーサの「この地球を神と崇める」・ショスタコーヴイッチの交響曲第9番などが収録されている
2枚組輸入盤CDの中で、この第三組曲が収録されていてライヴ演奏というせいもありますが、冷静さと熱気が伝わる
ホットな演奏を聴かせてくれています。

この曲の新しい感覚・視点としての吹奏楽コンクールでの名演とか新しい録音が登場する事を願うばかりだけど、
実際にはこの曲の生演奏の名演を聴く事はもう無理なのかもしれないですね・・(泣)
フランスのG.シャルパンティエ という作曲家は忘れられつつある作曲家なのかもしれないですね。

G.シャルパンティエ はかなり長生きをされた方で、生まれたのは1860年で亡くなったのは第二次世界大戦後の1956年です。
1860年代というと世界史的にはどんなことが起きていたのかというと、アメリカ南北戦争とか太平天国の乱とか
イタリア統一戦争とか、はたまた日本では桜田門外の変とか池田屋事件等が起きていた頃でもあります。
太平天国の乱とか桜田門外の変とかいうとなんだかとてつもない大昔のように感じたりもするのですけど、
その時代前後に生まれた方の没年が、その年の日本の経済自書の「もはや戦後ではない」という言葉が流行語大賞を
受賞した年と同じというのは、「歴史というものは案外あっという間なのかもしれないよねぇ~」という事を示唆しているようにも
感じられます。

G.シャルパンティエ は元々がJ.マスネの弟子という事もあり、若くしてその当時のクラシック音楽作曲の登竜門ともいわれる
ローマ大賞を受賞したり、フランスロマン派音楽の最後を飾る人とも一時期言われていたりもしました。
そしてその頃にG.シャルパンティエ が作曲した歌劇「ルイーズ」が大当りし、作曲家としては最高のスタートを切り、
順風満帆な作曲家生活と思われていたのですけど、実はその後は鳴かず飛ばずの状態が続き、
女性を対象とした音楽院の開設に乗り出すもこれも鳴かず飛ばず・・・
第一世界大戦後はほとんど作曲することもなくなってしまいます。
晩年頃にフランス政府より勲章を授かったり再評価の論評がわずかに起きたりしていたのは、せめてものの救いだったのかも
しれないです。

そんなG.シャルパンティエ がクラシック音楽に残した作品で後世に残っている作品というと上記の歌劇「ルイーズ」、そして
今回取り上げる組曲「イタリアの印象」の2作品のみといっても決して過言ではないと思います。
だけど世界のクラシック音楽の作品として作曲された作品というのは有名無名を問わなれけれぱ、それこそ星の数ほど
あると思われる中、その生涯に一つでも後世に残る作品が作曲されたというのは作曲家にとっては
たとえ「一発屋」と酷評されようがそれはそれで名誉ある事なのかもしれないです。

シャルパンティエ がローマ大賞を受賞し、留学と賞金の見返りとして一つの作品を作曲して
提出することが義務付けられていたのですが、そこで作曲されたのが交響詩「ナポリ」という曲です。
この作品がかなりの好評という事で、気をよくしたシャルパンティエ が交響詩「ナポリ」を終曲とする五楽章形式の組曲を
後日作曲することとなり、これが組曲「イタリアの印象」という事になるのです。
この組曲は第二次世界大戦前後は結構な人気曲でオーケストラの演奏会でもかなりの頻度で演奏される人気曲だった
とのことです。しかし最近においてこの組曲が演奏されることはほぼ皆無で、新しい録音も最近ではほとんど無いように
思います。
そしてこの組曲を聴くとほとんどの方が感じられると思うのですけど、第一楽章から第四楽章までの4曲は静かで内省的で
抒情的なメロディーなのに、突然第五楽章で陽気なバカ騒ぎになってしまうという違和感みたいなものは
ありそうな気はします。
それは第五曲のナポリが一番最初に作られ残りの楽章は後から継ぎ足したという作曲の経緯とタイムラグが
そのように感じさせるのかもしれないです。
第一~第四楽章は静かな音楽なのに第五楽章で唐突にバカ騒ぎとどんちゃん騒ぎが開始される点は、
マーラーの交響曲第7番「夜の歌」の構成に近いものがありそうな感じもあったりします。
(マーラーの7番は1~4楽章が夜と幽霊の音楽なのに、第五楽章で一転して眩しい昼の音楽になってしまい、
第5楽章ラスト近くの3~4人の奏者でかき鳴らすチャイムの響きは、あまりにも明るすぎで、第四楽章までのあの陰気さは
いったい何だったの~!?と感じる方は相当多いと思います・・)

組曲「イタリアの印象」は下記の5曲から構成されています。

Ⅰ.セレナード

Ⅱ.泉のほとりで

Ⅲ.ラバに乗って

Ⅳ.山の頂にて

Ⅴ.ナポリ

Ⅰのセレナードは、ゴンドラに揺られながらゆっくりと海を眺めているみたいな雰囲気です。
68小節にも及ぶチェロによる主題が延々と語られていきます・・
Ⅱの泉のほとりは谷間の清流と羊飼いの笛を彷彿とさせる音楽です。
Ⅲのラバに乗っては、ラバのトロットと鈴の音の描写が大変印象的で、フルートの甘いメロディーとそれに合の手を入れる
ホルンの響きが印象的です。
Ⅳはアルペン・ホルンが爽快に響くような壮大な音楽です。
山の高さを感じさせる大胆な上昇音型などスケールの大きな部分もありますけど素朴さという印象のほうが強いようにも
感じられます。
Ⅴは前述のとおりバカ騒ぎが響き渡ります! そしてこの楽章のリズム感はナポリの舞踊(サルタレロ)に基づいた独特のリズムを
取り入れたものであり、そうした前例の曲としてベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」が挙げられると思います。

この曲をCDで聴く場合、お勧めの演奏は 東芝EMIから出ている、ルイ・フレモー指揮/バーミンガム市響のマスネのル・シッドと
カップリングとして収録されているP.デルモー指揮のパリ・オペラ座コミューンだと思います。
他にもマスネの絵のような風景も収録されていますから、マスネとシャルパンティエという師弟関係の作品が揃っていますので、
曲の相性も申し分ないと思います。

さてさて、組曲「イタリアの印象」というと私にとって忘れられないのは吹奏楽コンクールの吹奏楽アレンジ版としての演奏
なのですけど、1981年の弘前南高校の演奏に尽きると思います!

1981年の弘前南高校というと栄光の「全国大会5年連続金賞」達成の最後の5年目という事で、関係者皆様のプレッシャーは
相当なものがあったと推察されます。
その重圧の頂点は全国大会ではなくて東北大会の場であったのかもしれないです。
そしてその年の東北大会を生で聴く機会に恵まれた私は今にして思うと大変貴重な経験をしたのだと思います。

その当時の私は吹奏楽もクラシック音楽もまだ何も知らない白紙の状態でしたし、
吹奏楽コンクールにおいてどのチームが名門校であるとか過去にどういう名演を残してきたか等の
情報は何もなく、1981年の東北大会の時点では、
当時の花輪高校・秋田南高校の偉大さは知る由もありませんでしたし、
弘前南高校が実はこの時点では、4年連続全国大会金賞を達成し、1981年が「5年連続金賞→翌年は名誉ある特別演奏」 への
王手が掛かっている年という認識は全くありませんでした。
そうやって全くの白紙の状態で何の先入観も予備知識もない状態で聴いた弘前南高校に対する率直な私の感想とは・・

〇とにかくサウンドが上品で洗練されている

〇演奏もff時に決して大音量を出さないし音が割れない

〇表現がおとなしすぎるのが気になるし少し抑揚に欠ける印象があり、どこに曲の盛り上がり箇所があるのか不明

〇男性的でも女性的でもなく中性的な印象

〇自由曲の魅力が今一つよく伝わってこない

〇ホルンなど音が薄くなった部分の音程が少し芳しくない点があり、全体的にモヤモヤしている・・・

という感じで、良い部分も多々あるけど、マイナスポイントも目立つ演奏だなと感じていました。

率直に書くとその当時の私自身の嘘偽りのない感想としては、銀賞レベルの演奏という印象で、
この年の東北代表は「花輪・磐城・大曲で決まりじゃん! 次点が仁賀保高校かな・・?」という認識でした・・(汗)
成績発表で弘前南高校が全国大会代表・金賞と発表された際は少し驚いたものです。

だけど、結果的に弘前南高校は約一か月後の普門館での全国大会では大化けしたと思います!

東北大会のもモヤモヤした印象は無くなり、洗練されたサウンド+「内面的感情の高ぶり」の静かなエネルギーを
全国大会では聴かせてくれたと思います。
全国大会の演奏は、「おおらかな気持ちの高まり」も十分感じさせてくれ、
5年連続金賞の最後を飾るのに相応しい本当に素晴らしい演奏を後世の私達に残してくれたと思います。

1981年の全国大会での弘前南高校吹奏楽部は一言で言うと上品の極みなのだと思います。
同じ年の東北代表の花輪と・磐城みたいな「毒」はまったくありません!!
音楽が終始ゆったりと流れていき、それが実に自然にすーーーっと胸にしみこむ感じです。
課題曲は、とにかく前半の幽玄さが素晴らしかったし、アレグロ以降もサウンドが荒れることなく
終始美しく流れていました。
ラストのトランペット二重奏をフルートデュエットに置き換えていたアイディアも面白かったと思います。
そして圧巻は自由曲・・・
シャルパンティエの組曲「イタリアの印象」を自由曲にする場合、ほとんどのチームは賑やかなⅴのナポリを
選曲する事が多いのですけど、ⅤではなくてⅢとⅣの静かで内省的な部分を取り上げたのは
内省的な演奏を得意とする弘前南らしいと思いますし、むしろそれは大正解だったと思います。
ラスト近くのホルンのように音程が少し怪しいとか音がかすれているみたいな
現在の視点で見てしまうと難点もあるのですけど、そうしたミスを感じさせない「自然な音楽的な高まり」が
とても素晴らしかったと思います。
Ⅲのラバに乗っての鈴を使っての表現がとてもユニークで楽しかったけど、ウキウキ感としっとりとした感じの
両方の感情を適度にバランスよく表現していたと思います。
圧巻はⅣの山の頂きですね!
この部分は本当に素晴らしかったです!
高揚感とやはり情感溢れる感じのバランスが大変素晴らしく、
聴いていて「なんかホッとするし安心感がある」みたいな普段着のままの自然な演奏をのびのびと
聴かせてくれていたと思います。
ⅢとⅣも特に大きく派手に盛り上がるという箇所は少ないのですけど、
そうした曲でもあんなにも自然な音楽的盛り上がりとか気持ちの高揚感を示すことが出来るものなのだと
本当に感心したものです。
「ゆったりとした中にも前進する気持ちを忘れない、だけど音楽自体はとってもナイーブ」という
大変矛盾した感覚を見事に両立してしまった演奏とも言えるのですけど
とにかくあのナチュラルな感じとかのびのびとした感じはお見事ですね!!
緊張感・プレッシャーは全部東北大会で捨ててきて、全国大会では自分達が持っているものをほぼ100%
出し切った演奏なのだと思います。

当時の弘前南のティンパニはこの時代でもいまだに手締め式を使用していたりとか、チューバもロータリー式ではなくて
古めかしいピストン式を使っていたりと、公立校らしい「予算の無い中頑張っている」みたいな雰囲気もあり、
予算がなくても自分達の音楽を手作りで作っていこうみたいな「温かい雰囲気」も伝わってきて
とにかくとても温かい演奏を聴かせてくれましたし、
結果的に少し危なかったかもしれないけど、無事に「5年連続金賞」を達成できて本当によかったと思います!!

こういうしっとりとした「イタリアの印象」を吹奏楽で味合うことができるというのは多分今後はありえないといえるのかも
しれないだけに本当に貴重な経験を感じさせてくれた当時の弘前南高校吹奏楽部の皆様には、
あの演奏から37年後の埼玉の地から敬意を表させて頂きたい気持ちでいっぱいです!

そしてこの一年後の東北大会では、私の音楽上の運命を変えることになった花輪高校吹奏楽部の
ウォルトン作曲 交響曲第1番終楽章との出会いが待ち構えていたとは、この当時の私には知る由もありませんでした・・
そしてその1982年の東北大会では、弘前南高校はもはや伝説と化しているあのフォーレの組曲「ぺリアスとメリザント」を
ノーカットで吹奏楽アレンジ版としての演奏を後世の私たちに貴重な音楽的財産として
残してくれていたのでした!
アメリカの20世紀の作曲家の「ウィリアム=シューマン」を知っている人って
ほとんどいないのかもしれませんよね。
シューマンと言うと、世間一般ではあの楽聖 ロベルト・シューマンを連想される方が多いと思いますけど
ロベルトとウィリアムでは時代も国も全然違います。
ちなみに、ロベルト=シューマンの場合の最後のnは二文字、ウィリアム=シューマンの場合のnは一文字という
違いもあったりします。
吹奏楽経験者の皆様でしたら、チェスター序曲とかジョージワシントンブリッジ・サーカス序曲などで
名前程度なら聞いたことがあるのかなという人は多少はいるのかな・・・?とも思います。
大変古い話ですけど、吹奏楽コンクールがまだ「順位制」であった頃、天理高校も自由曲にシューマンの
組曲「ニュース映画」を取り上げています。
この「ニュース映画」という曲もバカバカしいほど(?)わかり易い内容で、
「商業主義国家アメリカ」とか「胡散臭いインチキ国家アメリカ」みたいな安っぽい香りが
ぷんぷんと漂い、これはこれで大変な音楽的価値がある「裏の名曲」ではないのかと私は思ったりもしています。
この「ニュース映画」ですけど、1988年にミヨーの「フランス組曲」というあまりにも渋い曲で全国大会出場を
果たした鹿児島県の谷山中学校が翌年の89年に選んだのがこの「ニュース映画」で、
「久しぶりにシューマンの曲が普門館で聴けるのかも・・」と思ったのですけど、残念ながら
九州大会で散ってしまい、その夢は叶いませんでした・・(泣)

最近の吹奏楽コンクールにおいては、ウィリアム・シューマンという名前すらもほとんど聞かない名前になってしまいました。
実際、県大会の小編成部門でもウィリアム・シューマンの曲自体ほとんどというか全く演奏されていないようで、
吹奏楽コンクールにおいてはもすっかりと「忘れられた作曲家」の一人になったと言えるのかもしれないです(泣・・)

ウィリアム=シューマンなのですけど、意外な所でその名前が登場していたりもします。
その真偽がいまだにネタとなっている「ショスタコーヴィッチの証言」の中にシューマンの名前が登場します。
最初にあのくだりを読んだ時は正直驚きました。
あのショスタコーヴィッチの証言という本もすさまじく長いて実はいまだにあの本を完読出来ていません。
大変興味深い部分とどうでもいい部分が混在し、全体としては大変散漫な印象です。
この本の中で、ではどういう箇所でウィリアム・シューマンの名前が出てきたかと言うと、これが結構とんでもない話であり、
とあるソ連の作曲家の一人が、
「どうせウィリアム・シューマンなんてアメリカの作曲家はソ連内では誰も知らないし、シューマンの曲をソ連内で
自分が作った曲として発表してもどうせバレないだろう」 という著作権もへったくれも何も無い話がここで語られていたのが
大変印象的でもありました。

ウィリアム・シューマンは、実は交響曲だけでも10曲も残したある意味シンフォニストです。
(第一番と第一交響曲を改作した第二番は、後に撤回・破棄されましたので実質的に残した交響曲は計8つです。)
個人的には、二楽章構成ながらも実に分り易い作風でクライマックスまでエキサィティングに展開する交響曲第3番と
(この3番は、亡くなる数年前のバーンスタインのライブ録音が発売されています・・)
最後の交響曲の第10番「アメリカのミューズ」が非常に気に入っています。

ウィリアム=シューマンの作品を聴いてみると、
本当にこの人は、「母国のアメリカを愛していたんだなぁ」と感じずにはいられません。
交響曲第10番「アメリカのミューズ」
ニューイングランド三部作(第一曲は、「輝かしきアメリカ」)
アメリカ祝典序曲
アメリカの主題による変奏曲(原曲はアイヴズのオルガン曲ですけどシューマンのアレンジ版の方が有名だと思います)
などに代表されるように、アメリカと名が付いた作品だけでもこれだけあります。
ウィリアム・シューマンの曲は部分的には難解ですけど、暗いとか陰鬱という作風の曲はほぼ皆無だと思います。
大抵の場合エンディング近くは、トランペットによる超高音域によるけたたましい響きと共に
怒涛のように一気にあおって終わらせるという感じの曲が 多いのが特徴なのかもしれません。
そして全体的に胡散臭いというのかなんかインチキ臭い感じがいかにも「アメリカ!!」という感じが漂っていて、
私はそうした胡散臭い安っぽい感じがとっても大好きです!
方向性としては、コープランドの路線に近いものがありそうですね。
「自分はいつの日にか成功する!と信じ続けていれば、いつかその夢は必ず叶う!」みたいな胡散臭いアメリカらしさが
クラシック音楽の中にも十分発揮している曲と言えるのかもしれません。

ウィリアム・シューマンの交響曲の領域は、分かりやすくて大衆のウケがよさそうな曲というと交響曲第3番くらいなもので、
番号が後になるほど難解になっていくような気がします。
特に第10番は、「パズル」というか、「無限の記号の墓標」みたいな曲なのですが、
アメリカの伝統的開放性と実験的革新性が妙にマッチしているような感覚があり、私はこの交響曲第10番は大好きです。
都会的な洗練さと難解なパズルがかなりうまく融合した曲だと思います。
(スラットキン指揮/セントルイス響がおすすめです)
一般的な話をすると、例えばプロコフィエフが典型例なのですけど、
若い頃は例えば交響曲第2番とか交響曲第3番「炎の天使」のように過激で不協和音炸裂の
危険な香りがプンプン漂う曲を書いていたのに、晩年の交響曲第7番「青春」のように
児童音楽みたいな感じもするしハリウッドの映画音楽みたいな香りもするあまりにも分かり易すぎる曲を残した事が
示唆するように
年を重ねると晩年は平易で分かり易い曲に落ち着いていくというのが何か一つのパターンみたいな感じもあります。
ウィリアム・シューマンの交響曲の場合、晩年になればなるほど難解で曲が複雑になっていく傾向にあるのは
大変興味深いものがありそうです。

ウィリアム・シューマンは、何曲か吹奏楽作品も残しています。
純粋な意味でシューマンの吹奏楽オリジナル作品というと「ジョージ・ワシントン・ブリッジ」が一番馴染みがあるのかなとも
思うのですけど、
シューマン自身が作曲した管弦楽曲を自ら吹奏楽作品としてアレンジした作品も幾つかあり、
この中で最も馴染みが深く、日本の吹奏楽コンクールでも人気&演奏実績がある曲というのが、
「ニューイングランド三部作」という曲なのだと思います。

この曲は下記の三曲で構成されています。

Ⅰ.輝きあれ! アメリカ

Ⅱ.イエス、涙を流す時

Ⅲ.チェスター

Ⅰは、出だしの弱奏のティンパニソロが格好いいです! 金管セクションの輝きが素晴らしいです。
Ⅱの冒頭のテナードラムが実に渋いです。
Ⅲは、冒頭の木管で展開されるコラールがとっても美しくて清楚なものを感じさせてくれます。木管の後に続けて
展開される金管のコラールはとても厳粛で神聖な雰囲気に満ち溢れていると思います。
管弦楽版では、Ⅲのチェスターは3分程度の曲なのですけど
作曲者による吹奏楽版では、なぜか倍以上の7分程度の長さにまで拡大されています。
このⅢの部分を独立させて 「チェスター序曲」として演奏される事もあり、実際に吹奏楽コンクール全国大会においては、
1979年の出雲吹奏楽団や1984年の松下電工がこの曲を自由曲として演奏をしています。
出雲吹奏楽団は、こうしたシンプルな曲であっても大変丁寧な演奏をされていて、全国大会で見事に金賞を
受賞しているのですけど、 この時代はこうした技術的な難易度が低い曲でも全国大会に出場できるような時代で
あったんだなぁ・・となんか今現在の視点からあの演奏を聴くと、そのように感じる事もあったりもします。
やはり、時代と言うものは、確実に「変化」を続けているものなんですね!

ちなみにですけど、この「ニューイングランド三部作」の管弦楽の原曲は、
アンドレ・コステラネッツによる委嘱を受け、1956年に作曲され、初演ではないものの、
同年の11月3日には、なんとあの泣く子も黙る名門オーケストラのニューヨーク・フィルハーモニックでも
演奏されていたのでした!!
コステラネッツの要望は、「アメリカ風の背景による、標題的な性格を持つ」「明るく、聴衆にすばやくアピールする」
というものでしたけど、この二点に関しては、ほぼ満点に近い感じで曲を仕上げているようにも
感じられます。
そうそう、第3曲の「チェスター」のあのコラールは、実はシューマン自身の作曲ではなくて、
ビリングスという方の聖歌を題材にしたものです。
一つの「引用」と言えるのかもしれないですね。

前述の通り、第3曲の「チェスター」は、原曲の管弦楽版は3分程度の大変短い曲で
冒頭のコラールも短めで、その後の展開部も、大変さくさくと進展していくみたいな印象もあるのですけど、
シューマン自身が編曲した吹奏楽アレンジ版においては、原曲には無い個所を相当追加し、メロディーラインにも変化を加え、
結果的に6分半~7分程度の原曲のほぼ倍近い長さで再構成をしているのですけど、
これは多分ですけど、誰が聴いても吹奏楽版の方が説得力があると思います。
もしかして、シューマン自身も原曲のチェスターにおけるさくさく進行しすぎたあっけない展開が納得いっていなかったのかも
しれないです。
自分が納得いくように曲を再構成・加筆していったら、いつの間にか自分の元の原曲すらも凌駕してしまったと
いえるのかもしれないですよね。

この「チェスター序曲」ですけど、技術的には大変平易に書かれているのですけど、前半のコラールを含めて
大変わかり易く書かれていて、 確かに安っぽい感じはあるのですけど、
全体的には人の心にすーーーっと入り込むような「安心感」も漂う曲でもありますので、
コンクール自由曲というよりは、普段の「練習曲」の一つとしてこの曲を題材にされるのも決して時代遅れではないと
思いますし、 こうした名曲は、やはり誰かには聴いてもらいたいですし、
曲自体「吹奏楽オリジナル作品の名曲」の一つとして永遠に受け継がれていってほしいものですね。

最後に余談ですけど、ウィリアム・シューマンを語る上で絶対に外せない曲が一つあります。
何かと言うと、「ヴァイオリン協奏曲」です。
私は、ズーコフスキー独奏の演奏しか聴いた事がありませんが、この曲の無限のエネルギー感には
ただただ脱帽するしかありません。
第一楽章冒頭も相当のインパクトですが、
第二楽章のバックの金管楽器の怒涛の響かせ方、激しい不協和音、バックに屈しない独奏ヴァイオリンの快進撃、
これは、「生きるエネルギーの源」といっても差し支えの無いほどの「無限の力」・「眩しすぎる明るさ」を
痛いほどに感じてしまいます。
ウィリアム=シューマンは、音楽史的には「新古典主義」に分類されているようですけど、それは少し違うような気もします。
原始主義とも言えるし、前衛音楽の要素もあるし、アメリカと言う国民楽派みたいな側面もあるし、
色々な顔がある作曲家という感じもあります。
そんな中、このヴァイオリン協奏曲は何だろうな・・・・・
一見訳の分からん前衛っぽくも聴こえたりもするのですけど、前衛的退廃さとか分かりにくさは微塵も無く
そこにあるのは、「どんな事があっても自分は生きて生きて生き抜こう!!」ととてつもなく前向きな生命力なのだと思います!

興味がある方は是非是非この「ヴァイオリン協奏曲」を聴いて頂ければと思います。
この曲を聴かないで死んでしまうのは何か勿体無いような気さえします・・・
W.H.ヒル と言うと吹奏楽的には「セント・アンソニー・ヴァリエーション」があまりにも有名ですし、この
あまりにも素晴らしき吹奏楽オリジナル作品は、この曲が世に知られて既に30年以上も経過しているのですけど、
忘れ去られる事なく支部大会・全国大会・プロアマ問わず定期演奏会等で演奏され続けている事は
この曲自体の「素晴らしき普遍性」を提示しているのだと思います。
確かにヒル自体の原典版と後日日本の吹奏楽関係者がヒルの了承のもとに改訂版というのかアレンジ版(特に終結部)との
間に結構な違いというか印象度の違いもあったりもするのですけど、それも含めて
このヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエーション」が後世に間違いなく残りそうな吹奏楽オリジナル作品であるのは
間違いないと思いますし、この曲も後世でもずっと演奏され続けて欲しいと思います。
(今更言うまでもない話ですけど、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」もヒルのこの曲も元歌のメロディーは
同一のものに由来し、こうした変奏形式の曲を聴いてみると、管弦楽版も吹奏楽版も素材の調理法によって
聴く人に与える印象は随分と違うものである事は痛感させられたものです)

ヒルというと「セント・アンソニー・ヴァリエーション」以外では他にはそれほど印象に残る曲が無いと言うのも
少しばかり不思議な感じもあったりもします。
ヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエーション」以外の吹奏楽オリジナル作品というと、
「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」や「スー族の変奏曲」が挙げられるとは思いますが、この2曲とも既に忘却の彼方
なのかもしれないですね・・
余談ですけど、高校の頃の私ってヒルの「スー族の変奏曲」とプロイアーの「スー族の旋律による変奏曲」は
同じもの・・と勘違いをしていた時期もありました・・(汗・・)
そして「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」という作品は全国大会で一度だけですけど演奏された事もありました。
それが1980年のニクソンの「パシフィック・セレブレーション組曲」という歴史的名演を残してくれた一年後の高岡商業の
演奏でした。
高岡商業はは全国初出場から1981年あたりまでは比較的吹奏楽オリジナル曲、しかも少し珍しい部類の
吹奏楽オリジナル曲を演奏するパターンがあったりして
後年の「ローマの祭り」・「ベルキス」・「展覧会の絵」などのように豪快でとにかく鳴らしまくる華麗な演奏とは
一味もふた味も違う演奏&方向性を見せているのは大変面白いものがあります。
その中でも79年のハンソンの「コラールとアレルヤ」とか80年の「パシフィックセレブレーション組曲」は
吹奏楽オリジナル作品の醍醐味を後世に残してくれた貴重な演奏だと思います。
1981年の高岡商業は既に記したとおり、ヒルの「神聖なる舞曲と世俗的な舞曲」という極めて珍しいオリジナル曲を
プログラム一番で吹いていましたけど、印象としては音が普門館の会場にストレートに響かず、
音が普門館の広い空間を彷徨っているみたいな印象すら感じたものでした。
そして音が硬いせいかサウンドも表現もぎこちない感じがするのです。

「セント・アンソニー・ヴァリエーション」は大変分かり易くラストにとてつもない感動と興奮が待ち構えているのですけど、
「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」は音楽自体が大変地味で抽象的で何を意図しているのかよく分からないという
感じ曲だったと思います。
全般的に、ティンパニのゴツゴツした叩き方が何か印象を悪くしているようにも感じられましたし、
課題曲B「コラージュ」も和太鼓が叩き過ぎという印象もありました。
一つ強く印象に残っている点は、自由曲のラストが意外な終わり方というか、
曲が一旦盛り上がったところで静かになり、ラストはシロフォーンの弱々しいソロで終わるというあたりは
何か意表をつかれるものもありその点は印象に残っています。
全く想定外の閉じられ方で、あれは「あ・・なんかヘンだけど面白い閉じ方」と感じます。

吹奏楽コンクールというものは、ある団体が取り上げた以外はほとんど演奏されない埋もれた曲というのも
実は結構あると思います。
ほとんど知られていない吹奏楽オリジナル作品だけど、実はすてきな名曲ではないのか・・?という曲も結構多いと
思いますし、そうした「自分だけの名曲、自分ひとりの為だけのお気に入りの吹奏楽オリジナル作品」を発掘してみると言うのも
吹奏楽作品を聴く上ではひとつのすてきな楽しみ方と言えるのかもしれないですね・・(笑)
そしてセント・アンソニー・ヴァリエーション・神聖な舞曲と世俗的な舞曲でお馴染みのヒル限定で考えた時、
「ほとんど知られていないし、全く演奏されないオリジナル作品だけど私にとって大変インパクトを残してくれていて
今でも普通に聴いていて、私自身にとっては隠れた影の名曲」と思っている作品こそが
ヒルの「音響の黙示」(ソノ・レベロ)というウルトラ級にレアで超マイナーな曲と言えると思います!
そしてこの「音響の黙示」は2017年末時点の吹奏楽コンクールにおいては、この曲が自由曲として演奏された事は
後にも先にもわずか一度だけです!
しかもその唯一演奏したチームと言うのが文教大学というのもある意味凄い話なのかもしれないですね~!
文教大学というと、現在では元東京交響楽団のクラリネット奏者の佐川先生が 率いる全国大会の金賞常連チームです。
そして、W・ヒルというと「セント・アンソニー・ヴァリエーション」で有名な作曲家です。
この両者が融合したのが、1982年の関東大会における 文教大学の演奏なのです。

この頃の文教大学は佐川先生が指導される以前の時代なのですけど、
1981年度は、「セント・アンソニー・ヴァリエーション」を全国大会で初演しています。
(よく誤解されているのですけど、セント・アンソニー・ヴァリエーションの全国大会初演は天理高校ではなくて
1981年の文教大学です!)
そして驚くべき事に、1981年の関東大会では、小澤先生率いる神奈川大学(81年の自由曲はシュトラウスの「英雄の生涯」)を
関東大会にて、まさかのダメ金に追いやる大金星をあげています!!

そしてその翌年の1982年に文教大学が自由曲として取り上げたのが 「音響の黙示~ソノ・レベロ」という謎めいた曲なのです!!

「音響の黙示」という曲をご存じの方ってほとんどいないと思います・・
私自身も知っている限りでは、この曲を演奏したのは82年の文教大学以外見当たらず、
この曲のプロの演奏というものは聴いた事がありません。

「音響の黙示」は私的には大好きな曲です。
出だしの金管楽器の強烈なファンファーレも相当インパクトがありますが、 全体を通じて曲の内容というよりも
音の絶対的な響き、和音の面白さを徹底的に突き詰めたのがこの曲の魅力ではないかと感じております。
かっこよく言うと「音楽の無限の可能性」を純粋に音の響きという点一点のみでとことん突き詰めたのがこの曲ではないのかなと
感じたりもします。
メロディーもあまりはっきりしないし無調的というか、機械的というか、
モザイクがかかったような曲なのですが、そのドライな響きは結構好きです。
1982年に登場した市立川口の自作自演の自由曲の「無言の変革」~そこに人の影は無かったの世界に
近いような印象もあったりします。
曲のラスト近くで、何と発音しているのかよく分りませんですが、
人のコーラスというのかヴォカリーズというのか呟きというのか歌声らしきものも登場してきます。
英語なのかうなっているだけなのか本当によく分りませんが、無機質な感じが大変面白いと思います。

この文教大学の演奏は、私が知る限りにおいては「トラヤ」という会社のカスタムテープによる音源しかないのですが、
トラヤもとっくに倒産していますので、今この演奏を聴きたくても、その音源を探す事自体困難を極めるのかもしれないです。
私は、幸いなことにこのトラヤのカスタムテープを持っていますので、 「音響の黙示」の演奏を未だに聴く事が
出来るのは大変幸せな事と思っていますし、もしかしたら本当に
「自分だけの名曲、私ひとりの為だけのお気に入りの吹奏楽オリジナル作品」と言えるのかもしれないです。

出来れば、どこかのチームがこの曲を改めて取り上げ、 「音響の黙示」の面白さを伝えて頂ければいいなぁ・・と思います。

この曲は技術的には金管楽器の高音が大変だったと思います。
特に出だしは、冒頭からあんなハイテンションのファンファーレみたいな凄まじい高音が続いたら
奏者は気が狂ってしまいそうですね・・

ヒルにとってはどちらの曲が「自分らしい曲・・」と感じているのかはヒルだけにしかわからないと思うのですけど、
「セント・アンソニー・ヴァリエーション」が真昼の聖なるものとしたら
「音響の黙示」は真夜中の狂気に溢れた世界と言えるのかもしれないですし、同じ作曲家の曲とは到底思えない
このすてきなギャップが堪らないものがあると思えますね~!
現在の若い現役奏者の皆様に「マクベスの曲もたまにはいいよね~」と投げかけてみても大半の皆様たちは
「え・・? 誰それ・・・??」みたいな反応になるのかもしれないですね・・(泣)

私が現役の吹奏楽の奏者だった1970年~80年代中盤の頃において、「吹奏楽オリジナル作曲家三羽ガラス」と言うと
リード・ジェイガー・マクベスという感じだった頃を考えると、既に隔世の感は漂いますね。

フランシス・マクベスというと、「陰気」・「暗い」・「ピラミッド理論の音楽様式」・「透明なサウンド感」・「絶望的」など
色々なイメージはあるかとは思います。
私のイメージしては、「陰気で吹いているだけで息が詰まりそう・・・」みたいな重圧感は感じざるを得ないです。
マクベスの作品って何となく宗教関連の香りが濃厚で、陰鬱で重厚で暗い曲が大変多くて
全体的に精神的緊張感が高い曲が多いため、聴いているだけで胃がギリギリと痛む曲が多かったような印象もあります。
同じような印象の作曲家としてはV.ネリベルという存在もいるのですけど、
ネリベルの場合、聴き方によっては「色彩感・派手な雰囲気」とか「美しいオルガンの響きみたいな不協和音」という
外見的効果といった印象も感じられるのに対して
マクベスは、どこまでも陰鬱に精神的に追い詰めてくるような「厭世的な側面」もあるような気もします。

マクベスの代表作と言うと、

〇マスク

〇ディーヴァージェンツ(小交響曲)

〇ドラマティーコ

〇第七の封印

〇神の恵みを受けて

〇カッチャ

〇カヴァタ

〇カディッシュ~ユダヤ人の死者のための葬送音楽

〇水夫と白鯨

〇聖歌と祭り

〇カプリチオ・コンチェルタンテ

といった曲が挙げられると思います。1970年代前後ですと、聖歌と祭り・マスク・カディッシュあたりは吹奏楽コンクールでも
耳にする機会は大変多かったような印象もあります。

私自身のマクベスとの思いでというと一つ陰鬱な記憶がありまして、私が中学二年の時のコンクールの自由曲が
マクベスの「カディッシュ」でありまして、
真夏の暑い日に、太陽がサンサンと照り付け、エアコンと言う当時は贅沢品であったものも何もなくひたすら蒸し暑い部室で
約4か月近く、この陰気で絶望的な曲と付き合ったのは当時としては、「勘弁してよ~」という気持ち以外の何物でも
なかったですね・・(汗)
カディッシュは重苦しくて陰気でしたし、ラスト近くはクラリネットはひたすらレガート気味にトリルするだけだし、
その背後では金管セクションの高音が咆哮し、パーカッションはまるで心臓の鼓動のような執拗なリズムを叩き続けていて
当時は「この曲の一体どこがおもしろいのかよく分からない・・」という印象しか持っていなかったです。
クラリネット奏者にとっては、後半以降の展開は「一体、どこでブレスをすればいいのですか・・!?」という雰囲気でしたし
あの息の長いフレーズの連続は、それがマクベスの魅力なのかもしれないですけど、奏者にとっては苦痛そのものでした・・

マクベスに対する私自身の考えが変化するきっかけとなったのは、
高校に入って以降、同期のメンバーに「マスク」を聴かされたのがきっかけだったかもしれません。
(その演奏は多分ですけど1972年の嘉穂高校の演奏だと記憶しています)
「マスク」は、マクベスの代表作と言っても過言ではありませんし、
全国大会でマクベスの曲の中で、最も自由曲として演奏された曲です。
「カディッシユ」で感じたような「陰気さ」はそれほどありませんし、かなり豪快に鳴る曲で演奏効果も高いのですけど
この曲の特徴でもあり持ち味でもあり魅力でもあるのですけど、とにかくひたすら「執拗」である事は特筆に値するものは
あると思います。
最初の導入部から中間部は以外は小太鼓が終始一貫して同じリズムを執拗に反復繰り返し叩き続け、それに乗っかる形で
様々な楽器が加わっていきます。
中間部も響かせ方によっては大変美的にもなると思いますし特にフルートソロが印象的です。
ラストがこれまた大変しつこく展開され、たたみかけるようにくどくどと執拗に同一メロディー・同一リズムが
響き渡っていきます。

聴き方によっては、あのくどさは「ストーカー」みたいに聴こえるかもしれないです。
この曲の魅力はそうしたしつこさ・執拗な雰囲気によって気持ち的に追い込まれていくというM的な感情にあるのかも
しれないです・・(汗・・)
マスク=仮面というと妖しさとか幽玄といった雰囲気もあるのではないのかと思うのですけど、マクベスの世界では
仮面によって内省的雰囲気を醸し出すというのではなくて、追い詰められていく感情を被害者の側面からひしひしと訴えかけて
いるような雰囲気もあるのではないのかな・・?と感じたりもします。
ま・・そうした精神的に追い込まれていくといった感情が、最近ではマクベスがあまり吹奏楽コンクールでは敬遠されている
理由にもなっているような気もしますし、最近の美少女JCやJKの吹奏楽奏者の皆様にとっては
「こんな重たい曲は嫌なのかも~」と感じてしまうのかもしれないですね・・(汗・・)

マスクの圧倒的名演と言うと1972年の嘉穂高校に尽きると思いますし、全国大会の演奏でこのチームの名演を超えた演奏は
いまだに無いと思います。
とにかくリズムの切れが抜群で「執拗さ」も申し分ないです。
1983年の都大会の中学の部では、出場チーム6団体中、実に3チームがこの「マスク」を自由曲にした
例もありましたね。
前述の通り、最近ではマスクはほとんど演奏されませんし、
事実1985年の山形第三中学校を最後にこの曲は全国大会では演奏されていませんし、
1997年のツヅキボウを最後に、マクベス自体全国大会では取り上げられていません。
というか、支部大会でも最近マクベスの名前は全然ほとんど耳にしませんけどね・・(汗)

マクベスは、フーサやネリベル以上に好き嫌いというか好みは人によってはっきりと分かれると思いますけど
少なくとも「マスク」だけは
後世にもしっかりと受け継がれて欲しい名曲だと思います。

ここから先は少し余談になってしまいますけど、私が一番大好きなマクベスの作品というと、
実はマスクでも聖歌と祭りでもなく、私自身がコンクールで演奏したカディッシュでもなくて、「神の恵みを受けて」です!
この曲はマクベスにしては大変珍しくわかりやすく外見的な演奏効果が伝わりやすく、打楽器と金管セクションの
豪快過ぎる響きは聴き方によってはいかにも「アメリカンな吹奏楽オリジナル曲」そのものだと思います。
「神の恵みを受けて」は二楽章構成で、
ネリベルの「二つの交響的断章」ほどの明快なダイナミックスの落差の対比ほどではないにせよ
第一楽章の厳粛で祈りに満ちた感じと 第二楽章の凄まじい爆発的なエネルギーの対比は圧巻だと思います。
冒頭のチャイム・ドラ・低音セクションのズドン・・!!といった低音ボイスで開始され、
神秘的で幻想的な音のうねりが展開されていきます。
ラストのヴィヴラフォーンが実にいい味を出していると思います。
第二楽章のトランペットの咆哮、エキサィティングなスピード感、ダイナミックスさ
打楽器セクションの自由自在な暴れぶりは見事だと思います!
ラストは打楽器セクションによる「壮絶な音の絵巻」と金管の咆哮と木管のヒステリーっぽい響きで
「エネルギーの塊り」みたいな状態で陶酔感に溢れたまま派手に豪快に閉じられます。

この曲は、これだけ劇的側面があり演奏効果が狙えるし 音楽的内容が充実しているのに、
過去において全国大会で演奏されたのはたった一度だけなのですけど、
その唯一の演奏が、多分このチームを超える演奏をするチームは二度と出ないであろうと思われるほどの
圧倒的な名演を残してくれた1980年の市立川口高校なのです。
市立川口は前年度の1979年に全国大会初出場&普門館でのプログラム一番という大変なハンデを全く気にもせずに
圧倒的&斬新な演奏で 「二つの交響的断章」の歴史的圧倒的名演を後世の私たちに残してくれましたけど、
翌年のこのマクベスの「神の恵みを受けて」も前年度に劣らない圧倒的な名演を聴かせてくれ
この曲の「決定版」みたいな演奏を後世に残してくれました。

市立川口の 二つの交響的断章・神の恵みを受けて・無言の変革シリーズ・(1985年の方の)アトモスフェア・神話は
神がかりの奇跡的としか言いようがない「不滅の演奏」を 後世に残してくれています。
私自身が、今現在こうやって「川口市」に住んでいるのもこれもまた何かの「ご縁」なのかもしれませんよね。
市立川口高校は学校統廃合により既にその校名は存在していないのは大変残念ですけど、新しい歴史が
また刻まれる事を大いに期待したいとも思っています。

話は全然変わるのですけど、私自身、川口市に居住する前は足立区の北千住に住んでいた時期があり、
当時は日光街道沿いに住んでいました。
この日光街道沿いに「潤徳女子高校」という学校があり、この学校の吹奏楽部は昔も今現在も
とにかく個性的な演奏を聴かせてくれていて、最近では珍しい個性派の学校の一つだと思います。
90年代~00代の初めはグリーンのステージ衣装がとても魅力的でしたし、
今の所は一度だけですけど、全国大会にも出場されていた事もありました!
(全国大会の切符を手に入れた時の都大会は私も聴いていましたけど、
 私の母校が東北大会初出場を決めた時以上に嬉しかったですね! )
潤徳女子高校は、毎年毎年自由曲に吹奏楽オリジナル作品を持ってきて
その選曲がマクベスとかネリベルとかバーンズとか実に通好みの選曲であり、こういうチームが一つでも関東に存在している
という事実が私にとってはとても嬉しいです!
演奏自体はどちらかというと粗雑な傾向もあり大音量の傾向が強いのですけど(汗・・)
ダイナミックスレンジが広く 表情の幅が広いチームだと思います。
潤徳女子高校が2008年にこのマクベスの「神の恵みを受けて」を自由曲に選んでくれ
そのあまりの通好みの選曲に、当時の私は狂喜乱舞したものでした・・(笑)
その時の都大会での評価は銅賞でしたけど、演奏自体は静と動の落差がダイナミックスに描かれ
私は大変高く評価しています。

この潤徳女子は、過去において 「神の恵みを受けて」以外には

〇ネリベル/二つの交響的断章

〇シュミット/ディオニソスの祭り

〇ロースト/スパルタカス

〇リード/春の猟犬

〇バーンズ/トーチダンス

〇リード/ オセロ

〇バーンズ / 交響曲第3番

などといった貴重なオリジナル曲を演奏されていますけどこうした姿勢とあの積極果敢な表現力は
今後も是非ぜひ貫いて頂きたいと思いますし、応援させて頂きたいチームの一つです!
以前もちらっと記事にしたことがあつたと思いますが、 私自身はいわゆる転勤族世帯の子供と言う事で
小学校の頃は転校の連続で、東北・関東・信州など色々と各地を転々とさせて頂きましたけど、
生まれ自体は青森県八戸市」なのです。
残念なことに青森在住時の当時の記憶はほとんどなく(4歳過ぎには八戸を去っていました)
大変漠然とした記憶なのですけど、冬の海辺・カモメかウミネコか分かりませんが海浜の膨大な鳥の数々・
漁師さんが砂浜に放り投げたと思われるイカのはらわた、そして何よりも真冬の頃の想像を絶する大雪、
2月頃は家の出入りは一階ではなくて二階からの出入りをせざるを得なかったほどの降り積もった雪の事は
うっすらとではありますけど、「そんな事がもしかしたらあったのかも・・?」程度に私のこのポンコツ脳内に留まっております。
そしてどちらかというと大雪よりは海岸の冬の景色という事の方が記憶に留まっているのはなんか面白いものが
あると思います。

人の歴史に「もしも・・」とか「if・・」という仮定の話は通用しない事は分かり切っているのですが、
当時住んでいた中学校の学区は「八戸市立湊中学校」だったと予想されるのですけど、もしも私があのまま青森県八戸市に
住み続けていたと仮定したら何が起きていたのかと言うと
吹奏楽コンクールに詳しい方でしたらすぐにピーンとくるのかもしれないですけど、
この湊中は1970年代~90年代初め頃までは吹奏楽コンクールの名門中の名門チームで、
全国大会に何度も出場し何度も金賞を受賞し、例えば、海・寄港地・ディオニソスの祭り・幻想交響曲等の名演を
残してきた学校です!
もしかしたら、私自身も全国大会出場、あこがれの「普門館」での演奏という可能性も あったのかもしれないと考えると
「ちょっと悔しいのかも~」と思ってしまいそうですね~(汗)

以前当ブログにおいて、外山雄三氏の「管弦楽のためのラプソディー」という 日本の全国各地の「民謡」を題材にした曲の事
を取り上げさせて頂いた事もありましたけど、吹奏楽の邦人オリジナル作品でも
そうした「日本の民謡」をモチーフにした作品はかなりあると思われますが、その中でもかなり印象に残る曲の一つに
伊藤康英の吹奏楽のための抒情的「祭」を是非挙げさせて頂きたいと思います。
(伊藤康英と言うと吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」が大変名高いと思いますが、この曲の中にも長崎ぶらぶら節などの
民謡のフレーズが引用されていますし、「北海変奏曲」でもソーラン節等がかなり執拗に引用されていたのも
大変印象的です!
伊藤康英というとあまり知名度は高いとは言えないと思われる曲ですけど「台湾狂詩曲」も大変魅力的な曲だと思います!)

吹奏楽のため抒情的「祭」は7分程度の短い曲なのですけど
「管弦楽のためのラプソディー」同様に日本人でないと多分理解できないような
郷愁とか心のふるさとみたいなメロディーがしみじみと伝わってきますし、ああした音楽を聴くと日本人としての血が騒ぐ
というのか、「日本に生まれてきてよかったぁ~!」と心から叫びたくなってしまいそうです!
抒情的「祭」は日本の全国各地の「民謡」のメドレーではなくて青森県の民謡に特化した曲と言うのが
外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」との大きな違いと言えるのかもしれないです。
上記で書いた通り、私自身の出生が青森県という事もあり、この抒情的「祭」を聴くと、私自身は東北生まれ・東北育ちとしての
血がとてつもなく騒ぎ出しそうですし、この曲を聴くと「青森県っていいよなぁ・・」としみじみ感じてしまいます!
曲は青森の民謡をベースに構成されていますけど不思議な事にそれほど「泥臭い」とは感じません。
私的にはむしろ「大変洗練されたスマートな作品」という印象すらあります。
それでも冒頭ですとか、後半の金管楽器のリズム感とかティンパニ乱打を聴くと
やはりそこにあるのは、「日本人としての土俗の血」または青森県民のDNAが騒ぎ立てるという事なのかもしれないです。

この曲は元々は、海上自衛隊大湊音楽隊(青森県)が地元民謡を素材にと委嘱した作品でありまして、
青森県の代表的な民謡などをモティーフに作曲されており、「津軽じょんがら三味線」の精力的な響き、
情感豊かな「ホーハイ節」・「津軽あいや節」、そして「ねぷた」の勇壮なリズムと囃子が次々と表情を変えて現れます。
青森の気候や風土、情景が思い浮かべられる大変魅力的な曲と言えると思います。

管弦楽のためのラプソディー同様、単純なA-B-Aの三部構成で、
両端のAの土俗的な躍動感、そして中間部のBのしっとりとした歌で構成されていますけど、
Bの盛り上がりの頂点の部分でタムタムがドーンと鳴り響いたり、盛り上がりの要素も相当あると思います。
後半の壮絶なリズムのクロスの場面では、金管セクションと打楽器セクションのぶつかり合いの華麗なる響きは
この曲最大の聴かせ所だと思います。
ラストは大太鼓の「ドスン」という一撃で閉じられますけど、この部分はかなり強烈なインパクトがあります。

この曲は過去に6回全国大会で演奏されていますが、申し訳ありませんがどれも決め手に欠く演奏で
吹奏楽コンクールにおいて私が知る限りにおいては決定的名演はまだ表れていないような気もします。
抒情的「祭」というと、ほとんどの方は1989年の宝梅中学校の金賞の演奏を挙げられるとは思うのですけど、
あの演奏を実際にリアルタイムで普門館で聴いた私から言わせて頂くと、
「後半の金管がヘロヘロ状態で細部ぶっ潰れ・・・」という印象で、私的にはあまり共感できる演奏ではありません。
私としては、一番共感できる演奏は、うーーん、何だろう・・・・
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラあたりが一番好きな演奏なのかな・・?
(洗練され過ぎてこの演奏も決定的名演ではないのかな・・?というのが私の見解なのかもしれないです)

吹奏楽のための抒情的「祭」を語る上で絶対に忘れる事が出来ない演奏が一つあります。

どこかと言うと、

1994年の関東大会、高校の部B部門の千葉県代表・県立八千代高校の演奏です!

この演奏は実際あらゆる意味で「すごい」演奏ですし
伝説の名演(迷演?  珍演?)であると思いますし、とてつもなくエネルギッシュな快演(怪演・・!?)だと思います。

私がこれまでに聴いてきたコンクール演奏の中でも異色中の異色の演奏だと思います。
冒頭からパワー全開の指揮者と演奏だったと思いますし、中間部をたっぷりと歌いこんで
「さて・・これから追込みの部分だ・・」と思っていたら、なんと・・! 奏者が次から次へと全体の1/3程度の奏者たちは舞台裏に
演奏中であるにも関わらず姿を消していくので、「あれっ?」と思っていたら
中間部が終わってアレグロの部分に戻る辺りから、舞台裏に消えたメンバーが
ハッピ姿に着替えて、「ラッセー、ラッセー、ラッセーラー」の掛け声と共に半分踊りながら
舞台狭しと練り歩いて踊りまくっていました!!
この掛け声シーンは大体1分程度続きましたけど
この間は確か演奏も止まっていたと記憶しています。
舞台上の座席で楽器を持っている奏者も舞台上でハッピを纏って掛け声を上げている奏者も
この部分は全員が「ラッセー、ラッセー、ラッセーラー」の掛け声で叫んでいました。
会場で聴いていた聴衆たちはとにかく唖然・・茫然として開いた口がふさがらない状態に陥り
とてつもないカオス状態が発生していました!
悪い感じは全くしませんでしたし、演出過剰とは微塵も思いませんでしたし、
むしろ「自発的」とか「エネルギッシュ」というプラスの印象が大変強かったです。
指揮者のあまりの大振りも前時代的で逆に印象的でした。
音楽の方向としては、「野性的・ワイルド・エネルギー」を感じさせるものでしたけど、
あまりにもそれを支える技術がかなり拙いものはあったものの、そこにあるのは、強い表現意欲と
ダイナミックスな血の騒がせ方であり、技術的なマイナスを十分にカヴァーし、
結果として銀賞となりホッと安堵するものはあったと思います。

八千代高校の演奏評をその後BJで上野晃先生と言ってプロのクラシック音楽評論でもとてつもない激辛批評で
お馴染みの先生が担当されていましたので、
当時としては「上野先生はあの演奏の事をけちょんけちょんにこき下ろして酷評するのだろうなぁ・・」と予想していましたが、
実際には「力感溢れる演奏」と高い評価をしていたのは極めて意外でした!
だって上野先生は、 例えば、吹奏楽コンクールの本番にて奏者が誰もいない椅子の上にぬいぐるみを置いただけでも
BJ評では、「好ましくない、不真面目」と辛辣な事を言うかなり真面目な先生でしたので
「ああいう厳しい先生にも八千代高校のエネルギッシュな雰囲気は十分伝わっていたのだな・・」と感じていたものでした!

1991年に全国大会初出場でリードのオセロで全国大会初金賞を受賞した
川口ブラスソサエティーが1981年の関東大会で自由曲に選んだ曲は「最後の誓約」です。
そしてこの「最後の誓約」という曲は、BJ等でもフィッシャートゥール作曲と提示されていましたので、
私自身も長い間、フィッシャトゥールという作曲家がこの「最後の誓約」という知る人ぞ知るウルトラマイナーな
吹奏楽オリジナル曲を作曲したものだと長い間思い込んでいました。

だけど最近判明したのですけど、フィッシャトゥールという作曲家は、実は、アコラーデ・儀式のための音楽で
少しは名が知れた「タル」という作曲家の名前でもあったのですね!
というか・・・1981年の関東大会のプログラムとBJの誤表記だと思うのですけど、
タルという名前は、Tull, Fisherというのが正式の名前で、これがなせかしらないけど、
本当は、タル・フィーシャーというのが正解の表記と思われる中、勘違い等によりなぜかフィッシャトゥールという
「架空の作曲家」(?)という名前か生み出されてしまったのだと思われます・・(笑)
だけどこれでなんとなく納得・・「最後の誓約」のあのミステリアスな雰囲気とアコラーデとか儀式のための音楽の
なんかヘンな雰囲気の作風は、見事に(?)合致するような印象もあったりします。
タルのアコラーデとか儀式のための音楽は、九州の春日市民吹奏楽団が自由曲に選び、全国大会で演奏し
2回とも銀賞を受賞していますけど、演奏自体の印象は淡泊であまり鮮烈な印象はないのですけど、
曲自体が「なんか変っている・・」みたいな印象は今でも私の中にはあったりもします。

それにしてもタル・フィッシャーと言う名前がいつの間にかコンクールプログラムの誤表記でフィッシャトゥールという
架空の名前になってしまった事は、タルには大変気の毒な話ではあるのですけどなんかくすっ・・となってしまいそうな
話しだとも思います。

この話はなんだかプロコフィエフ作曲の交響組曲「キージェ中尉」のストーリーをなんだか彷彿とさせてくれていると思います。

「キージェ中尉」は元々は映画音楽なのですけど、この映画のストーリーを簡単に言うと、
帝政ロシア時代のある皇帝の「勘違い」から始まった物語とも言えます。

皇帝が昼寝をしてうとうとしていると、突然女官の悲鳴が聞こえてくる・・・
皇帝は、廷臣達に「本日の見回り当番は誰なのか」と尋ねると、
「ポルーチキ……ジェ(中尉……です)」と答えたのを,
皇帝は「ポルーチク・キージェ(キージェ中尉)」と聞き違え、
その結果、「そうかキージェ中尉が、自分の睡眠を妨害した奴なのか」と憤慨し、
ここに架空の人物「キージェ中尉」が誕生してしまうのです。

そして、皇帝の命令でキージェ中尉は、シベリア流刑になってしまったのです・・

ある日、皇帝は「もしかしてキージェ中尉は、暗殺者の存在に気が付き、女官に悲鳴をあげさせたのではないか?
案外とキージェ中尉は、忠義心に厚いイイ奴ではないのか」と勝手に自分の頭の中で妄想してしまい、
「キージェ中尉をシベリアから呼び戻せ」
「キージェ中尉を昇進させよ」
「キージェ中尉にお似合いの花嫁さんを探せ」とか
廷臣達に色々と無茶難題を押し付けてくるので、廷臣達もしまいには面倒くさくなり
「キージェ中尉殿は、急死しました・・・」という事にしておき、
映画のラストは、キージェ中尉の葬式のシーンで終わります。

皇帝の勘違い一つで国中がドタバタしてしまう「皮肉」を描いたものともいえるかもしれません。
ま・・日本だって、総理とかのヘンな思い込みや勘違い等で国全体の方向性が随分と妙な方向に走る可能性だって
十分ありますから、そうした警鐘という点でも案外「キージェ中尉」のお話は、示唆的な話なのかもしれないですね。

話がそれました・・フィッシャトゥールじゃない・・タルの「最後の誓約」に話を戻しますと、

この「最後の誓約」という曲は、終始アダージョでゆったりとした感じの音楽です。
曲全体を通して不思議な緊張感と、静と動の対比が強く感じられる曲のように 思えます。
「最後の誓約」を吹奏楽コンクールの支部大会以上で演奏したチームは、2017時点では、
1981年の関東大会・一般の部に出場した川口ブラスソサエティーが今の所唯一の演奏事例です。
そして私自身は、今現在では会社倒産により会社自体が消滅しているトラヤという音楽テープ制作会社へのオーダーによる
カスタムテープという形でこの貴重な演奏をいまだに聴く事が出来ています。
1981年当時のバンドジャーナルのこの川口ブラスソサエティーの演奏の講評にて、
「吹奏楽曲として十分計算された曲で 曲の途中で大胆なffが出てくる」とか書かれていましたが、
まさにその通りの曲だと思います。
前半の静かさに対して、曲の中盤ですさまじい打楽器等による強音が響き渡り、
聴くものを思わず圧倒させます。
そして、ラストは再び静かになって静寂のうちに閉じられます。

何とも不思議な曲ですが、吹奏楽曲としては極めて珍しい終始ゆったりとした曲なので
妙に印象に残っています。
アレグロの部分は皆無で、アダージョ的展開なのに、途中ですさまじい盛り上がりを見せ、ラストは静粛のうちに終わるという
構成が当時としては少し珍しかったせいもあり、印象度としては強かったですね。

川口ブラスソサイェティーは、判明している限りでは、この演奏を含めて三回しか関東大会に
出ていません。
その内一度は、1991年に「オセロ」で全国金賞を果たしています。
但し、正直この年のオセロはカットだらけの演奏で、印象としては極めて散漫です。
むしろ翌年の信国先生の指揮での「ハムレット」の方が大人の演奏で しっくりときます。
92年の関東大会・一般の部は山梨県民ホールで開催され、その頃私は仕事の関係で
山梨在住でしたので、喜んで聴きに行きました。
信国先生は、88年の市立川口高校でこのハムレットへの音楽を自由曲として演奏していますが、
その際は、残念ながらトランペットをはじめ惜しいミスの連続で
印象としてはあまり良くものではありません。
終盤のチャイムの響きも正直鳴り過ぎてやかましいというレベルで、第一楽章アダージョの歌い方は素晴らしかったでけに
惜しまれる演奏です。
その点、92年の川口ブラスソサィェティーは、ほぼノーミスで、第一楽章もしっとりと 聴かせてくれ、
終盤の盛り上がりも極めて自然で 素晴らしい演奏だったと思います。
結果はダメ金で、全国大会に進めなかったのは大変残念でした。
1992年の関東大会・一般の部は、アンサンブルリベルテすらもダメ金でしたから、かなりレベルの高い大会
だったと思います。
アンサンブルリベルテは、今や日本のアマチュアの吹奏楽においてもトップクラスの演奏団体の一つで、
全国大会の金賞の常連チームではありますけど、
この当時は、まだそこまでは至っていなかった・・という感じでもあるのですが、
ダメ金なのですけど、アンサンブルリベルテの1992年の「せむしの仔馬 Ⅱ」とか91年の「アンカラ」なんかは
私は今でも大好きな演奏ですよ!

話を81年の川口ブラスソサィェティーに戻しますと、 この年の課題曲はB「東北地方の民謡によるコラージュ」でしたが、
同じ課題曲を「無言の変革」の市立川口も同じ指揮者の信国先生が振っています。
しかし、随分と両者は違いがあるものですね。
市立川口は、前半はかなり遅めのテンポで演奏しているのに対し、 川口ブラスは、普通のテンポに近い形で演奏しています。
市立川口がかなりひねった解釈をしているのに、 川口ブラスは、オーソドックス表現をしています。

その辺りの解釈の違いというのも面白いものがあると思えますし、そうした事も吹奏楽コンクールを楽しむ
一つの方法とも言えるのかなとも思いますね!
スパークというと最近の現役奏者の皆様にとっては「宇宙の音楽」が一番馴染みがあるのかな・・?
「宇宙の音楽」は技術的には大変難しいけど、演奏効果は高いしスケールは大きいし、素晴らしい名曲だと
思いますし、これだけ全国大会で多くのチームが自由曲として演奏しているのもよく分かりますね!

だけど、私のようなオールド吹奏楽ファンですと、スパークというと、
スパークの日本での出世作というか、この曲でもって日本での知名度がググッ!とあがることになった
「ドラゴンの年」が大変印象的です。
否! 私にとってはスパークと言うと「ドラゴンの年」なんですよね!

スパークの「ドラゴンの年」は、吹奏楽オリジナル曲として極めて完成度の高い作品であり、
内容も深く、演奏効果も迫力も十分で大好きな曲の一つです。
私個人の趣味ですけど、「私が大好きな吹奏楽オリジナル曲ベスト10」には
間違いなくベスト10にランクインされる曲の一つです。

この曲が日本で広まりだしたのは1988年の頃で、
この年は、星野監督率いる中日ドラゴンズがセントラルリーグを制覇しましたけど、
当然ながら、そんな事とこの曲には何の因果関係もありません・・(笑)
(1988年の日本シリーズでは、中日は西武に1勝4敗で完膚なきまでに叩きのめされていましたけどね・・・
ちなみに、あの伝説の近鉄VSロッテの10.19が行われた年でもあります!
近鉄が連勝すれば近鉄のパ・リーグ優勝が決定し、近鉄が1つでも敗れるか引き分けるかで西武の優勝が
決定するという状況のもと、近鉄が第2試合で引き分けて、西武のリーグ優勝となったあの激闘は
いまだに忘れられないですね~!
あの試合の当日は私は新入行員の研修の一環で御殿場の自衛隊体験入隊の研修真っ盛りでしたけど、
布団の中でゾクゾクしながらラジオで聴いていたのも懐かしい思い出です~!)

なんか冒頭から話がそれてしまいました・・・(汗・・)

この曲の作曲者、スパークはイギリスの方ですけど、「ドラゴンの年」を聴くと
「あー、やはりホルストとエルガーを生んだ国の人らしい作品だな」と感じますね!!
イギリスでは、金管楽器のみで編成された楽団を「ブラスバンド」と呼び
ブラスバンドに木管楽器と打楽器を加えた編成を「ミリタリーバンド」と呼ぶそうです。
この点、金管+木管+打楽器のいわゆる「吹奏楽」を「ウインドアンサンブル」と呼ぶアメリカとは
多少の違いがあるみたいです。
ホルストのあの有名な「吹奏楽のための第一組曲」もそう言えば
原題は「ミリタリーバンドのための第一組曲」という表記でしたね。

「ドラゴンの年」は元々は、「ブラスバンド」のために作曲された曲であり、
後に吹奏楽作品用としてアレンジしたものが 今日の日本でもしばしば演奏される「ドラゴンの年」なのです。
吹奏楽版としての「ドラゴンの年」のあの迫力ある分厚い響きの金管セクションの堂々とした響きは、原曲の
金管セクションのみの編成に由来している事は第一楽章の前半部分だけを聴いただけでも
「なるほどね~」と感じさせるものはあると思います。

この曲は三つの楽章から構成されます。

Ⅰ.トッカータ

Ⅱ.間奏曲

Ⅲ.フィナーレ

Ⅰの出だしからして非常にインパクトがある作品です。
小太鼓と金管楽器のダダダダダダダダという鋭い響きから開始され、
大太鼓のズドンという一撃が極めて印象的ですし、出だしの10秒を聴いただけでノックアウトされそうです。
ラストは静かに閉じられるのも何か意表を突かれます。

Ⅱの「間奏曲」は全体の白眉です。
Ⅱの出だしのコールアングレの長大なソロは、本当に美しくしみじみとした高貴なものが感じ取れます。
こういう王道的な音楽を聴くと、
「あー、やはりエルガーの威風堂々としたイギリスの王道的旋律は現代にも
受け継がれているんだなー」と思わず感じてしまいます。
Ⅱの中間部は、ゆっくりとじわじわと徐々に徐々にクライマックスに向けて
メロディーが歌われ続け盛り上がっていきます! この高みに達するまでの臨場感と感動は本当に半端ないものがあります。
Ⅱの中間部を聴くと、いつも感動で何か泣けてしまいそうというか胸にジーンとくるものがあります。
ああした高貴でせつないメロディーがゆったりとじんわりと何度も繰り返しながら頂点に達する構成はよくある話なのですけど、
「ドラゴンの年」はとにかくあのメロディー自体が泣けてくるものが多々ありますし、そこで醸し出される音楽が
上品で気品があり凛としたものか「これでもかっ!」と伝わってきますので、
あの音楽を聴いて何も感じない人というのは、極端な意見かもしれないですけど人としての感性がちょっと鈍いのではないか・・?
とすら感じてしまいます! (汗・・)
私自身は人前でも一人っきりになったとしても泣く事はほとんどないですし、私自身人前で涙を流して泣いたという事は
多分ですけどこの数十年(汗・・)無いと思うのですけど、ドラゴンの年のこの間奏曲のあのゆったりとした高まりだけは
例外化なのかもしれないです・・
あの音楽を真夜中に一人っきりで聴いた場合、私も案外感極まって涙ボロボロになってしまいうのかも・・!?
この感動的な高まりの後、 ヴィヴラフォーンによるモヤモヤとした場面転換がなされ、最後は再びコールアングレのソロで
もって静かに閉じられていきます。

そしてⅡが終わると同時に、Ⅲのフィナーレが開始されるのですけど、
このⅢの快速感がまた素晴らしいのです!!!
圧倒的な躍動感とスピード感についついメロメロになってしまいます。
中間部で、チャイム・鍵盤楽器による息抜きの箇所があったりするのも少し意表をつかれます。
そしてラストは圧倒的な高揚感でエキサイトに華麗に閉じられます。
昼間に何か嫌な事があったり気分が落ち込んでいる時にこのフィナーレを聴くと、途端に元気とパワーを貰えそうに
なるのは間違いないと思います!

とにかく全楽章全てが素晴らしい名曲だと思いますね~!!

この曲、残念ながらコンクールやコンサートの生演奏でいまだに一度も
心から納得できる演奏にお目にかかれていません。
一度武蔵野音楽大学の定期演奏会でこの曲を聴いたことがあるのですが、
音大生たちの手抜き演奏というか、気持ちが全くこもっていない演奏にガッカリしたものです。
全国大会でも、北教大・習志野ウインド・名取交響などが自由曲として演奏しているのですけど、
私個人としては「どれも少し決め手に欠けるな・・」という印象です。
カット方法があまり良くない演奏が多く、全楽章演奏するのではなくて、Ⅱの中間部の高まりをメインにし
Ⅲでもって豪快に閉じればいいのに・・と思う事もあるのですけど、吹奏楽コンクールの演奏はいいとこだけを抜粋という
感じの強引なカットが目立ちいつも興醒めしてしまいます・・

この曲にはCDで二つ名演があります。
一つがフェネル指揮/東京佼成で、二つ目が本場ものというか、イギリスのロイヤル・エア・フォースバンドであり、
特に後者のⅡのテンポを極度に落とし、テンポルバート気味に演奏した部分は本当に泣けてきます・・・

金管楽器が極めて優秀な吹奏楽団で、この曲の生演奏を聴いて
Ⅱでうっとりと感動し、Ⅲのスピード感に巡り会って失神してみたいものですっ!
黛敏郎と言うと、イメージとしては・・「タカ派」・「日本の楽壇では極めて珍しい右派みたなお方」・「愛国主義者」
みたいなものもあったりしますけど、私的には「題名のない音楽会」の司会者振りがとても印象的でした。
このお方は、右寄りの御方なんですけど、大変柔軟な発想をお持ちで
日本のクラシック音楽作曲界の大変に重鎮でありながら、時に番組内で
例えばバフィーの「アジアの純真」を音楽的に解説したり、バフィーの事を高く評価したりと
決して上から目線とか頭ごなしに否定とかするお方ではなく、
「いいものはいい!!」みたいな発想をするその柔らかさに共感をする事も多々あったものです!

黛敏郎と言うと吹奏楽作品もいくつか残してはいるのですけど、映画音楽もかなり手がけられていました。
例えば、「カルメン、故郷に帰る」とか「裸の大将」とか「東京オリンピック」などその作品数はかなりの数になります。
そうした中、映画音楽と吹奏楽絡みの黛敏郎の作品で一つ大変印象に残っている曲があります。

それが何かと言うと、映画音楽「天地創造」の中から抜粋された、ノアの方舟とメインテーマという部分を後日
ウイットカムが吹奏楽用にアレンジしたものですけど、この曲、私、結構大好きです!!

最近の人達に、黛敏郎の映画音楽「天地創造」と聞いてもあまりピンとこないのかもしれませんよね(汗・・)
映画「天地創造」は文字通り、旧約聖書の物語をダイナミックに描いた大規模な長編作品です。
一度レンタルで見たことがあるけど、あまりにも長すぎてかえって印象がありません。
黛敏郎はこの映画音楽を担当し、アカデミー賞にノミネートもされた事があります。
(残念ながら、受賞ならずという感じでした・・)





ノア



方舟






映画音楽「天地創造」~ノアの方舟・メインテーマですけど
1970年代後半~80年代前半の吹奏楽コンクールでは、結構取り上げるチームもあったと記憶しています。
私自身、中学三年の時に、当時の宮城県大会・高校の部【B部門】で石巻高校がこの曲を自由曲に取り上げ
「なんという広大なスケールのすてきな曲!」と少しうっとりとさせられた記憶があります。
1990年代でも、土気中が、サントリーホールでの「吹楽」と銘打たれた邦人演奏会でこの曲を取り上げていました。
吹奏楽アレンジ版では、ほとんどの場合、ノアの方舟とメインテーマの部分のみ取り上げられています。
吹奏楽コンクールにおいては、1977年に兵庫県の三木中学校が、自由曲として取り上げ
見事に全国大会にて初金賞を受賞しています。
この曲は「ノアの方舟」の出だしのトロンボーンのグリッサンドがかなり難しいと思います。
「ノアの方舟」で展開されるあの印象的な牧歌的なエキゾチックなメロディーは、
三木中の場合、ソプラノサックスで演奏されていますが、
映画を見る限り、この部分はノアがたて笛を吹いて、対の動物たちを集めている部分として描かれています。
「ノアの方舟」はよく聴いてみると随所に不協和音とか複雑な和音が散見されますが、
難しさを全く感じさせずに、かえって「のどかさ」をうまく醸し出している作曲者というかアレンジャーの
手法は素晴らしいと思います。
ホルンののデュエットから始まる「メインテーマ」は一転してスケールの大きな演奏となります。
全体的に、同じメロディーの繰り返しが多いような印象なのですが、使用する楽器の変化・メロディーの変奏をうまく駆使して
飽きがこないような作りになっています。
トランペットのどことなく寂寥感を感じさせる雰囲気のソロもとても印象的です。
(CDで聴く限り、土気中の演奏は、このトランペットソロの部分を思いっきり外しているので
 前半が良かった分興醒めな印象もあったりします・・)

三木中は、1977年以前にも何度か全国に出てはいますが、銀と銅を交互にとっているかのような感じでしたが、
(シンフォニア・ノビリッシマの中間部の熱い表現は天地創造のメインテーマを彷彿とさせるものがあると思います)
1977年は、突然何の前触れもなくとてつもない飛躍を成し遂げ大化けした素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
ちなみに当時の三木中の指揮者は、当時では珍しかった女性指揮者です。
この年、今津も歴史的名演として誉れ高い「運命の力」序曲を残していますが、同様に関西代表の三木中も
素晴らしい演奏を残してくれました。
だけど三木中は、この年を最後に全国大会には出場していません・・・
翌年1978年の自由曲は、いきなりグレードを思いっきり下げて
エリクソンの「吹奏楽のためのトッカータ」というまるで田舎の県大会のC編成みたいな曲を自由曲として演奏し、
当時の聴衆からは「え・・? なんで・・?」みたいな雰囲気だったいう話は風の便りで聞いた事はあります・・

ここから先は余談になりますけど、黛敏郎というと私にとって忘れられない曲と言うと「舞楽」(BUGAKU)です!

この曲ですけど、そもそもはニューヨークのバレエ団から委嘱を受けて作曲された作品なのですけど
提示された条件が、
「出来る限りバレエ音楽らしくなく」
「演奏会用みたいな純音楽つもりで書いて欲しい」
「雅楽のようなデリケートな響き・音の絡みを重視して欲しい」
という少し変わったものであり、
その委嘱から生み出されたのがこの「BUGAKU」なのです。
このバレエ音楽は日本の伝統的な楽器は一切使用していません。全て西洋の管弦楽用の楽器を使用しています。
ピアノ・ハーブも普通にも使用されていますし、
使用されている打楽器も、ティンパニ・シロフォン・グロッケン・ドラ・大太鼓・シンバルのみで
「橋鈴」というものだけが唯一日本的なものを感じさせる楽器だと思われます。

このバレエ音楽、使っている楽器は西洋の楽器なのに、響いてくる音楽は「雅楽」そのものなのだと思います!
この感覚、本当に不思議としかいいようがないです・・・
なんで西洋楽器の音だけでこうした「和の響き」を演出できるのか不思議ですし、
雅楽の楽器で西洋音楽を奏でた場合のとてつもない違和感とは全く異なるものがあると思います。
ヘンな例えですけど、金髪の西洋人が日本の能・歌舞伎を演じても違和感があるのに対して、日本人が
シェークスピアの舞台劇を演じてもほとんど違和感を感じないというのと似たような感覚があるようにも感じられます。
ちなみに、この「BUGAKU」は第一部と第二部の二部構成なのですけど、
これは「左方の舞と右方の舞」が一対になって上演される「舞楽」の伝統的な上演スタイルをそのまんま踏襲したものと
思われます。

圧巻は第二部の方ですね!

全般的に打楽器を主体として進行していくという印象があり、
出だしはティンパニと大太鼓の反復から開始され、それに乗っかる形でのオーボエ、そしてピッコロが奏でる
「音のうねり」には大変ぞくぞくとさせられるものがあり、
そして徐々に曲が高潮していき、怒涛のラストのコーダへとなだれ込んでいきます。

この曲は本当にバレエ音楽なの・・?? この曲でどうやってダンサーは踊るのだろう・・・?とか
振付師はこの曲の振り付けを考えるのは至難の業だっただろうな・・とも思ってしまうのですけど
聴いていて大変面白いモノを感じます。
曲自体、特に難解な響きもありませんし、出てくる音は「和の感覚」そのものだと思いますし、
どこかなつかしいみたいな感覚もあったりします。
とにかく西洋楽器のみで「舞楽」みたいな日本の伝統芸を再現出来る事が何よりも驚きですし、
それを実現させてしまった黛敏郎には本当に「驚き」の一言しかないです・・・!!

最後に・・・・

こうした背景から作曲された「BUGAKU」なのですけど、それを更に吹奏楽にアレンジして、
ただでさえ「西洋楽器のみで和の感覚を演奏する」という制約が課されているのに
更にそうした制約の上に弦楽器を使用しないで、管楽器と打楽器のみでこの曲をやってのけたチームが
かつて日本の吹奏楽コンクールで一度だけ登場していました!
そのチームこそが、このブログでも散々登場させて頂いてる秋田県立秋田南高校吹奏楽部なのですっ!!
1992年まで花輪高校に在籍され、1993年以降は秋田南高校に赴任されていた小林久仁郎先生が
1995年の秋田南高校の自由曲として選んだのがこの「BUGAKU」だったのです。
あの演奏、私も1995年に普門館の全国大会で聴かさせて頂きましたが、あの演奏は凄いです・・・!!
前述の通り、あんな制約が課され、指揮者としても奏者としても多分やりにくい曲だったと思うのですけど
前述のそうした「制約のやっかいさ」を感じさせなかったばかりか 、むしろ音楽に「自由さ」が溢れていて
なんか小林先生がいい意味で思いっきり吹っ切れて弾けたような感覚も伝わってきますし、
「管打楽器だけでもこうした曲も自由自在に表現できる・・・
今回はたまたまこうした少し特殊な曲を自由曲に選んだのだけど、
本当に満足いく演奏ができた・・
たまたま使用していた楽器が管楽器と打楽器だけという吹奏楽編成だったに過ぎない・・」みたいな
「心の叫び」(→ドヤ顔みたいな感じ・??)が聞こえてきそうな素晴らしい快演だったと思います!

この「BUGAKU」ですけど、昔はこの曲を収録したレコードやCDが中々見つからなかったのですけど
現在は、湯浅卓雄指揮/ニュージーランド交響楽団の素晴らしい演奏がナクソスよりCD化されていますので
興味がある方は是非是非聴いて頂ければ幸いです!!
最近、吹奏楽コンクールでもコンサートでも田中賢の名前を聴く機会が全然減ってきたように感じられます。
1988年のヤマハ浜松の「メトセラⅡ」の初演以降、1990年代前半においては 田中賢と言えば邦人作品の中では
人気No.1という時期もありましたけど、
何か最近は飽きられたせいもあるのかとんとご無沙汰という感じもあったりします。

田中賢というと、やはり

〇メトセラⅡ

〇南の空のトーテムポール

〇紅炎の鳥

以上の三曲が人気三部作と言えるのかもしれないですね。

ヤマハ浜松は吹奏楽コンクールコンクールにおいては、田中賢の上記の作品以外ではエオリア・始原Ⅰ~大地の踊り
といった曲も演奏していますけど、正直あまり印象に残る曲でもないですし、メトセラに比べるとどうしても
曲のインパクトや新鮮さ・派手さと言う意味では数段見劣りするようにも感じられます。

個人的な見解としては、メトセラや紅炎の鳥は、確かに初めて聴く時のインパクトは
凄まじいものは間違いなくあると思うのですけど、打楽器等の特殊楽器の外面的効果に頼り過ぎて
内面からの感性とか内面からの感動には少々欠けるような気もします。
でもメトセラⅡを一番最初に大宮ソニックの全国大会で聴いた時の感銘度は絶対に忘れる事ができないものがありますし、
メトセラⅡの演奏終了後の会場が割れんばかりのあの凄まじい拍手と声援とプラボーコールは
当時としては想像を絶するものがあったと思います。

これはあくまで私の個人的な感想ですけど、田中賢の作品で音楽的にも視聴覚的にもインパクトがあり内容的に
優れた作品というと1986年の全国大会で初演された「南の空のトーテムポール」とその改訂版で
1991年に演奏された「南の空のトーテムポールⅡ リラ」なのではないかと思ってしまいます。
「南の空のトーテムポール」は構成的にも感覚的にも効果的にも大変優れた曲だと思います。

田中賢の名前が一躍有名になったのは、「メトセラⅡ」の二年前の同じくヤマハ浜松で初演された
「南の空のトーテムポール」なのかもしれません。
この曲は非常に分かり易くて大好きですし、曲のタイトルが全てを物語っているような気さえします。
いかにも「南国の暖かい雰囲気」をそのまんま音楽にしたような感じすらあります。
とてもおおらかで楽天的で「ほんわりとぬくぬくと温かい・・・・そういったイメージが私の中にはありますね。

「トーテムポール」という一見得体のしれないもの・・・・
それを崇拝する人間達・・・
その光景を温かく見つめる南国の豊かな自然と森の生き物たち・・・・
そうした得体のしれない神・人・自然の調和、そして最終的には人間賛美を意図したような曲にも感じられます。

この曲は大体8分程度の演奏時間なのですけど、下記の三つの部分から構成されています。

Ⅰ.夜明けと早朝のトーテムポールの踊り

Ⅱ.儀式

Ⅲ.光の中のトーテムポール


出だしが比較的ゆったりと始まって徐々に盛り上がっていき、
途中のクラリネットセクションによるソロ的な高音の響きが、神秘的なミステリアスな儀式を巧みに演出していると思います。
打楽器アンサンブルから管楽器の掛け合い辺りで最高潮に達し興奮と熱狂のうちに終了する感じなのですが、
そこには「南国の空」という音楽的イメージがストレートに伝わってきて、そのシンプルさが抜群に素晴らしいと思います。

「エオリア」とか「始原Ⅰ~大地の踊り」は、申し訳ないのですけど何を言いたいのかあまりよくわからないという
雰囲気はあるのだと思うのですが、
「南の空のトーテムポール」・「華」は、構造がシンプルな分 、ストレートに面白さが伝わってくるようにも感じられます。

この曲がコンクールで初演されたのは1986年なのですけど、その5年後にヤマハ浜松は、
「南の空のトーテムポールⅡ~リラ」という曲を自由曲に選びます。
実は、1991年の東海大会は、愛知県常滑市で開催されたのですが、当時はまだ20代で体力も有り余っていたせいなのか
当時甲府に住んでいたにも関わらず、車で駆けつけ、このヤマハ浜松の演奏を生で聴く機会に恵まれました。
あの東海大会の演奏は正直驚きました!
だって、86年の「南の空のトーテムポール」にハープが入ったぐらいで、特に目立つ変化がなかったからです。
あの時は思わず
「この曲のどこがⅡなんじゃー!、南の空のトーテムポールと全然変わらないじゃん!」と感じたものですけど、
ハープを一台加えただけで 全体が更に「天国的な色彩感」・「優しさ」みたいな意図は何か不思議と伝わってきたものです。

東海大会の会場も、ヤマハ浜松は確か最後から二番目のプログラムでしたけど、
ヤマハの演奏終了と同時に聴衆も半分以上席を立ったのには当時本当に驚いたものです。
(気持ちは分ります・・・・)
一番最後の出演順のトヨタ自動車が何か少し気の毒にも感じたものです・・(汗)
だって自分達の演奏順になる直前に会場内の聴衆がぞろぞろと席を立って帰り支度を始めたら
演奏者としてはあんまりいい気持ちはしないでしょうね・・
ま・・トヨタの自由曲のリムスキー・コルサコフの序曲「ロシアの復活祭」は選曲ミスに近く明らかに凡演でしたから、
それは仕方が無かったですし、いかに聴衆のお目当てが「ヤマハ浜松」である事を 立証するようなエピソードだと思います。

1989年に「メトセラⅡ」で全国大会金賞に輝いた新潟県の三条市吹奏楽団は、翌年は自由曲に
南の空のトーテムポールを選曲していましたが、
県大会の前段階の支部予選大会でスカ金に終わり、実は県大会にすら進めなかったという事実は
あまり知られていないですけど、これは余計な話の領域なのかもしれないですね・・(汗)

最後に・・

「南の空のトーテムボールⅡ リラ」は「南の空のトーテムポール」の一つの改訂版と言えるのかもしれないですけど、
保科洋の古祀・愁映・風紋、真島俊夫の波の見える風景にはいずれも原典版と改訂版が存在していますが、
私はいずれも改訂版が実は好きではなくて元の原典版の方が好きと言えるのですけど、
田中賢の作品に関しては、メトセラも南の空のトーテムポールは原典版もその改訂版としてのⅡもどちらも好きというのは
私にとってはちょっと珍しいと言えるのかもしれないです。
メトセラⅡはいかにもコンクールカット版という感じもあり、後半の打楽器のみのアンサンブルの展開から
いかにも竹をつないだような展開になっていき、少し強引過ぎたみたいな雰囲気も多少はあるかもしれないですけど、
1990年代の「吹楽」という邦人作品企画において、ヤマハ浜松がサントリーホールで演奏した「メトセラ」という
「メトセラⅡ」のいわばカットなしヴァージョンを初めて耳にした際は
「なるほどっ! この曲の本来の響きはこんな感じで、これだと後半の展開が更に説得力が増してくる!」と
感じたものですし、改めて吹奏楽コンクールの演奏時間制約とか曲のカットの是非や功罪について感じるものは
多々あったようにも思えます。
「仮面舞踏会」というと、日本人にはあまり馴染みがない分野なのかもしれませんけど、
クラシック音楽の上ではヴェルディーの歌劇「仮面舞踏会」が多少は知られているのかもしれませんね。

「仮面」といいますと、私にとってはとてつもなく魅力に感じる部分が多々あったりもしまして、
普段なかなか表現できない「本来内省的に自分が有しているはずだけどそれを表にすんなりと出せないキャラクター」を
仮面というものをあえて身に付ける事で「表面的な自分」を一旦表面上隠蔽した上で演じられるという事に
何か不思議な魅力を感じたりもします。
仮面と言うものは換言すると「変身願望」の一種なのかもしれませんよね。
私自身の勝手な感覚なのですけど、「仮面」というと、
本来自分が有しているキャラを隠して本来自分が有していないキャラを意図的に演じる事が出来るアイテムという
感覚があったりもします。
自分が元々有しているキャラを隠蔽し、別のキャラを演じる事で
何か「今までの自分とは違ったもの」を見出してみたいという意図が多少はあるのかもしれないですし、
これがどことなく妖しさ・ミステリアスさを感じさせてくれているのかもしれないです。
そして「仮面舞踏会」というと、少年隊の歌ではなくて(汗・・)
どことなく妖しげな男女の出会いの場という雰囲気も感じたりもします。
私自身は今まで生涯で「お見合い」という経験をした事が一度もないのですけど、
男女の最初の出会いの場が「仮面舞踏会」みたいに、お互いの顔・身分・素性を全て
隠した上で、「演じたキャラ」の上でお互いの最初の出会いの場に臨むというのも面白い感じはあったりもします。

吹奏楽の中で、邦人作品を含めてみると「仮面」を取り扱った作品と言うとどんな作品があるのでしょうか・・?
それ程数が多い訳ではありませんが、

〇F.マクベス/マスク

〇V.パーシケッティー / 吹奏楽のための仮面舞踏会

〇大栗裕/仮面幻想

〇小山清茂/交響組曲「能面」といった作品が思い当ります。

この中で大栗裕の「仮面幻想」なのですけど、マクベスの「マスク」のような内面的緊張感、
パーシケッティーの「仮面舞踏会」のような「妖しさ」という感じはこの曲からは感じられません。
どちらかというと、「和」の感覚です。
「神話」とか「バーレスク」の世界のようにドロドロした感じはあまり感じられず
小さい子供が神社の境内でふざけてお祭りで使用する際の「お面」をかぶってひょこひょこ遊ぶというような
イメージが私の中ではあったりもします。
冒頭部分のサスペンダーシンバルとタムタムがドラムスティックでチンチン叩く感じから始まり
フルートが何か鄙びた素朴なメロディーを展開していくのですけど、この部分がいかにも「可愛い」というのか、
子供と言うよりも何か「ひよこ」がびょこびょこ遊んでいるような感覚もあり、とても好きな部分です。
後半はトムトム等の打楽器が大活躍しますけど、
何かその感じがいかにも時代劇のチャンバラ活」みたいな感じもあり、視覚的にも音楽の雰囲気的にも楽しいものがあります。

だけど私にとって、「仮面」というと誰が何と言ってもパーシケッティー作曲の吹奏楽のための「仮面舞踏会」が
やはり一番大好きな曲ですね。
パーシケッティーと言うと、以前このブログの中で
交響曲第6番「吹奏楽のシンフォニー」や「ああ、涼しい谷間」や「ディヴェルティメント」を取り上げさせて頂きましたけど
「仮面舞踏会」の妖しい魅力が私にとっては艦これの白露お姉ちゃんではないけど「いっちば~ん!」なのだと思います。

パーシケッティーというと日本ではほとんど忘れられた作曲家かもしれませんが(汗・・)
私はとにかく大好きな作曲家の一人で
またまた「吹奏楽オリジナル曲で好きな曲を10曲挙げなさい」という質問をされたら、
「吹奏楽のための仮面舞踏会」と交響曲第6番「吹奏楽のシンフォニー」は確実にランクインするくらい
大好きな作曲家の一人です。
(こういう事を書くとたまに頂くコメントの中で「毎回好きな曲ランキングが違うじゃん」みたいな余計な(?)ツッコミを
頂く事もあるのですけど、それに関しては
「うるさいなー、そんなのここは私のブログなんだし管理人が気まぐれで書いているのだから、その日の気分によって
変るのは当たり前じゃん・・」と申し上げたい気持ちもあったりもします
当ブログは以前から申し上げている通り、別にブログをやる事によって自分自身を高めようとか他人と切磋琢磨しようという
気持ちは初めから微塵もありませんので、その辺りはご配慮を宜しくお願いいたします)

パーシケッティーというと、交響曲第6番と仮面舞踏会の他には、

〇吹奏楽のためのディヴェルティメント

〇ページェント

〇吹奏楽のための聖歌

〇コラール前奏曲「汝、振り向くなかれ・・・」

〇吹奏楽のためのパラブル

〇ああ、涼しい谷間

などが素晴らしい作品だと思います、

パーシケッティーの吹奏楽のための「仮面舞踏会」は、正直とても難解な曲だと思います。
どこがメロディーラインで、何を言いたい曲なのか、それを明確に伝える事は大変難しいようにも思えます。
例えばこの曲をご存知ない方100人にこの曲をいきなり聴いてもらったら 、恐らく98~99人の方は
「よく分からない」・「訳がわからない」という印象を持たれそうな気がします。
私はこの曲は昔も今もとっても大好きです! 最初にこの曲を聴いたのが1986年頃でしたので、もう30年以上も
「大好き!」という感情を有しているのだと思います。
この曲の魅力って何なのかな・・?と考えた時、その「素性を隠す」とか「妖しげな雰囲気」と言えるのかもしれないです。
拍子は変拍子ばかりだし、不協和音が多いし、メロディーラインがよく分からないし
一見聴くと確かに「訳がわからん曲」なのかもしれません。
だけど、くどいようですけど、その「妖しげな感覚」が私にとってはたまらない魅力なのです!
妖しいは妖しいでもつかみどころがなく正体不明の不気味な感じで、聴くだけでそうした謎めいたミステリアスさの虜に
なってしまうという感じてもありますし、東方Projectの登場キャラに例えると私が愛してやまないミステリアスで胡散臭い
ゆかりん=八雲紫様の雰囲気に限りなく近いようなものも感じ取ってしまいます。

この曲は、6小節程度の短い「主題」の提示とそれに続く10の変奏、そしてラストの劇的なコーダによって構成されていますので
見方によっては一つの変奏曲と言えるのかもしれません。
出だしの劇的で不協和音に満ちた短い序奏にはじまり、
不安げなトランペットと低音セクションが何やら不気味な感じを演出する第一変奏、
細かく動く打楽器をベースに不気味に激しく展開されていく第二・第三変奏を経て
妖しげなオーボエのソロから開始される第四変奏へと展開し、一旦激しく盛り上がる第五変奏へと
続いていきます。
そしてユーフォニウムのやはり不安げなソロとかミュートを付けたトランペットの哀愁溢れるソロへと
つながる第六変奏になるのですけど、この部分のアルトサックスの何やら本当に妖しいリズムの支えと
清涼感とヒンヤリ感溢れる木管セクションの美しい響きは背筋がぞっとするほどの「美的限界」があるのだと思います。
そして第七~第十変奏は、打楽器・金管楽器が大活躍し、特にシロフォン・トムトムの響きが極めて印象的です。
そしてこの激しく盛り上がる変奏を経てラストのコーダまで一気に曲が展開していき 華麗に曲が閉じられていきます。

全体的には、「難解」・「訳が分からない」という印象が強いのですけど、
言葉にできないほどなにやら「妖しい雰囲気」とソロ楽器の扱い方の巧みさは本当に上手いと思います。

確かに分かりにくい曲なのですけど 、分かる人にはたまらない!という感じの曲なのだと思います。

最近ではコンクールの自由曲でも演奏会でも全く取り上げられていませんよね・・・(泣)
プロの演奏会やプロチームのCDには結構取り上げられているのはこの曲の持つ「通好み」というのはありそうな気もします。
最近でもないけど、広島ウインドオーケストラの定期演奏会でこの曲が演奏されていました。
また、東京佼成とか武蔵野音大とか結構CD化もされているので
「わかる人にはわかる音楽」という事なのかもしれないですね。

「吹奏楽のための仮面舞踏会」は、吹奏楽コンクールではこれまでに三回全国大会で演奏されています。
一番最初が1973年の神奈川大学、二度目が1980年の名古屋電気高校、三度目が同年のヤマハ東京、
神奈川大学は小澤先生着任前の時代の演奏ですけど、悪くはありませんし曲は無難に消化できています。
ただ音楽的な感銘度と言う意味ではかなり低いと私的には感じられます。
名古屋電気は非常にサウンドが美しいし、トランペットのソロが素晴らしいと思います。
カットが強引なせいもあるけど、「何を言いたいのか」はあまりよく伝わらない勿体ない感じは否定できないと思います。
この三つの中ではヤマハ東京が一番よい仕上がりだと思います。
当時の職場の部は、金賞以外はレコード化されない為
仕方が無いので、私はわざわざトラヤ(1990年に倒産・・・)にカスタムテープを発注し
カセットテープにてこのチームの課題曲・自由曲を聴くことが出来ました。
名古屋電気に比べてカットの頻度が短いせいもあり、この曲本来の魅力がかなりよく発揮されていると思います。
特にアルトサックスの響きが実に秀逸だと思いますし、トランペットのソロも巧いと思います。

この曲は、フェネル指揮/東京佼成の素晴らしい録音も大変素晴らしいと思うのですけど、
私にとってのこの曲の決定盤は、ハンスバーガー指揮/イーストマンウインドに尽きると思います!
ハンスバーガー指揮の演奏は残念ながらいまだにCD化されていません・・・
1987年にパーシケッティーが逝去された際、
日曜の朝のFMで放送された「ブラスのひびき」にて「追悼 パーシケッティー」の特集があり
ここでハンスバーガー指揮での「仮面舞踏会」が放送されていましたが、その際にカセットテープにて録音出来た
事は今にして思うと大変ありがたい事でした。
この演奏はテープが擦り切れるまで何度も聴いたものですけど、
その演奏レベルの高さ・何かを確実に伝える感銘度の高さ・音楽的表現の高さは本当に素晴らしいものがありました。
何とかこの演奏、作品全集という形でもいいから、ハンスバーガー指揮版をCD化・発売をして頂きたいです!
あの演奏がこのまま埋もれてしまうには、私にとっては「世界遺産の喪失」といっても過言では無いような気がします。

最後に少しばかり余談を・・
パーシケッティーの他の作品というと交響曲第6番「吹奏楽のシンフォニー」も絶対に忘れてはいけない素晴らしい不滅の名曲
だと思います。

交響曲第6番は、音楽解説書風に書くと「新古典主義」的な作風です。
四楽章構成で、各楽章が短めながらも、全て引き締まって書かれていて、音楽に全く無駄がないと感じる作品でもあります。
曲自体、全ての楽章に何か「霊感的なもの」・「インスピレーション」を感じるほど
独創的なアィディアが詰まっていて、音楽のおもちゃ箱、宝石箱みたいな楽しさもそこにはあると思います。
第一楽章の小太鼓・トムトムで表現される何かせわしい感じの一方で大らかな空気も感じ、
第二楽章の一転してゆったりとした祈りのような歌の世界
第三楽章の「民謡」を思い出させるようなしみじみとした歌⇒何か懐かしい感じもします・・
第四楽章のメカニック的にアレグロなのですけど、突進する中にもスピード感や清涼感も
感じ取ることが出来、一気にクライマックスまで駆け上がります。

作風としては、確かに新古典主義時代のストラヴィンスキーにも何となく近いような印象もあるのですが、
やはり全編を通じてのあの「霊感」はさすがとしか言いようがないです。
打楽器も、目立ってはいるのですが決して派手と言う訳でもなく、
ティンパニ・大太鼓・小太鼓・シンバル・タンバリン・シロフォーン・トムトム程度しか使用していないのに
管楽器を引き立たせる香辛料としての役割もさりげなく果たしている所が心憎いです。

この交響曲のCDは、断然何と言ってもハンスバーガー指揮/イーストマンが圧倒的お勧めです!!
ライヴ録音とは思えない精密な作りに加えて、ライブ独特の高揚感も出ています。
ハンスバーガー指揮/イーストマンの組合せにおいて、交響曲第6番の方は初期の頃からCDがされているのに、
「仮面舞踏会」の方はCD化がされていないのはちょっと寂しいものはありますね~!
私が中学生あたりの頃の保科洋の吹奏楽作品と言うと

〇交響的断章

〇吹奏楽のためのカプリス

〇吹奏楽のためのカタストロフィー

などのように陰鬱で暗い曲というイメージがあったものです。

高校から大学の頃になると、例えば

〇 古祀

〇 愁映

〇風紋(1987年度課題曲A)

〇バストラーレ(牧歌)

などの作品のようにどちらかというと「和の心」というか日本人の心のわびさびに触れるような
作品にシフトしていったような印象もあります。
保科洋の作品としては正直知る人ぞ知るマイナーな作品ですけど
「吹奏楽のための交響的変容「澪明」という隠れた名曲が実はあったりするのですけど、
この作品は何となくですけど、陰鬱さと和の心の中間的な雰囲気を持っているような気もします。
「祝典舞曲」は、保科洋の作品としては珍しいほど「明るさ」が感じられる作品のようにも聴こえます。

保科洋の作品は、吹奏楽コンクール全国大会においては、
1970年代から80年代前半まではかなりの人気邦人作曲家だったと思いますし、何となくですけど
兼田敏と人気を二分するような雰囲気も無くは無かったと感じるのですが、
1990年代以降はバタッと演奏されなくなってしまい、確かに「風紋」という1987年の名課題曲の作曲家という名声は
既に確立されていたと思うのですけど、自由曲ではほとんど演奏されない作曲家という印象も一時期
あったようにも感じられます。
1991年にヤマハ東京が演奏した「祝典舞曲」を最後になんと20年近くも全国大会で保科洋の名前を耳にする事は
なかったのですけど、
2010年にヤマハ浜松が、委嘱作品である「復興」を演奏して以来、 この曲は大変な人気曲となり
2010年度の全国大会初演から昨年・・2017年の全国大会までのわずか7年間の間になんと・・! 計22チームが
全国大会にて保科洋の「復興」を自由曲として選び、ここに保科洋の再ブレイクが見事に果たされました!
(私の吹奏楽仲間で極めて口の悪い奴は、保科洋の復興について「本人もこの曲によって吹奏楽界に復興を果たした・・」
なんて大変失礼な事を言っている奴もいたりもします・・汗・・)
だけど「復興」はとてつもない名曲だと思いますし、この曲の不変的価値は多分ですけど後世にまでずっと受け継がれていく
のだと思われます。
20年近くも全国大会はおろか支部大会でその作品が中々演奏されていなかった保科洋の
作品が例え一曲集中であっても21世紀に入っても演奏され続けている事実は大変嬉しいものがありますし、
オールド吹奏楽ファンとしては嬉しい気持ちを感じずにはいられないです!
「復興」というと、どうしても東日本大震災を連想しがちですけど、実際は震災前に既に作曲&初演は果たされています。
単純に曲だけを聴くと、確かに「大震災後の復興」みたいなイメージは伝わる部分もあったりします。
ちなみに「復興」は管弦楽にアレンジもされています。

さてさて、保科洋の作品というと「風紋」と「復興」が2大名曲と言えるのかもしれないですけど、
私としては、古祀 や愁映 といった日本人の心のわびさびに訴えかけるような渋い作品もとっても大好きなのですけど、
初期作品の「吹奏楽のためのカタストロフィー」という陰鬱極まりない曲も実は大好きだったりもします。

「カタストロフィー」とは邦訳すると「悲劇的結末」という意味でもあり、このタイトルが示唆するように曲自体は陰鬱で
決して楽しい曲ではありませんし、 金管・打楽器が咆哮しどんちゃん騒ぎするような曲ではなくて
どちらかというと心の葛藤とか動揺をてーまにしたような内省的な曲とも言えると思います。
この曲をBGMとして聴くと確かに「悲劇性」みたいなストーリーは伝わってきます。
だけどこの曲、前述のように決して派手な曲ではありません。
むしろ相当地味な曲です。
打楽器も、ティンパニ・大太鼓・小太鼓・シンバル・サスペンダーシンバル・シロフォーン・タムタム・チャイム程度です。
タムタムもチャイムも静かな部分で使用されるため ほとんど目立ちません。
静粛で陰気な序奏、そして展開部、静かに揺れ動く中間部、クライマックスで一時盛り上がるものの
終結部は静かに陰鬱に閉じられるという構成を取っています。
ラストも決して「すっきり」と終わるような感じではなくて、微妙に後味の悪さを感じさせてくれます。
気分が乗っていない時にこの曲を聴いてしまうと、
「ああ、何のために自分はこの世に生を受けたのだろう・・?」と「原罪」みたいなものを思わず考えてしまうような曲でもあります。
この曲の唯一の見せ場というのは、後半のクライマックスにかけてのティンパニの乱打なのかな・・?
あの部分はかなりインパクトがあったりします。
「カプリス」ほど陰気ではないけどこの「カタストロフィー」も相当に陰鬱な世界だと思います。
「厭世的」なものを陰々鬱々に、そして淡々と地味に語られているような錯覚も覚えたりもします。
カタストロフィーが吹奏楽コンクールで演奏されていた1970年代後半~80年後半は、例のあのインチキ預言書(汗・・) を
かなり勝手に拡大解釈させた五島 勉の「ノストラダムスの大予言シリーズ」によって
一部の学校のクラス内の雰囲気等にも厭世観とか悲劇的解釈とか世紀末の滅亡観みたいな雰囲気も
決してなくは無かったと思うのですけど
(そう言えばあの当時に学校で流布されていた都市伝説は例のあの「口裂け女」でしたね・・汗・・)
そうした世紀末的厭世観を象徴していたのが保科洋の「カタストロフィー」と言えるのかもしれないですね・・

「風紋」・「復興」と同じ作曲家という感じはあまりしないというのが率直な感想です。
保科洋の初期の頃の厭世的な感覚を堪能されたい方にはむしろうってつけの作品のような気もします。

演奏は大変地味ですけど、1981年の東海大学第一高校、1977年のヤマハ浜松がそれなりの演奏を聴かせてくれていると
思います。
81年の東海大学第一は、あの個性の塊と奇抜な解釈でお馴染みの榊原達先生の指揮とは思えないほどの
枯れた淡々とした演奏を聴かせてくれています。
83年の日大豊山と84年の浜松商業は ・・すいません・・完璧に演奏が崩壊していましたね・・(汗)
特に84年の浜松商業の演奏は、奏者と遠山先生にとっては不本意極まりない悲劇的結末の演奏と評価に
なってしまったと思います・・(汗・・)
だけど遠山先生の偉大な所は翌年にしっかりとチームを立て直され、85年には同じく保科洋の「古祀 」と
86年の「トッカータとフーガ ニ短調」の圧倒的名演を聴かせてくれていたのは大変印象的でした!

70年代の保科洋の作風は「陰鬱な世界」そのものでしたけど、「古祀」とか87年の課題曲にもなった「風紋」のように
「和」のイメージを曲に取り入れ始め 特に「古祀」は日本の古代の儀式みたいなイメージを曲に大胆に取り入れ
その「鄙びた感じ」と「躍動する静のリズム感」がまた独特の世界を生み出し、一時かなりの人気曲だった
時もあったような気がします。

最後に・・「カタストロフィー」みたいな厭世的な曲だけを保科洋の記事として書くのも、管理人の私も実は
極めて不本意なものがありますので、簡単ではありますけど、「愁映」というとてもすてきな曲も取り上げてみたいと思います。

「愁映」は、元々関西学院大学吹奏楽団からの委嘱作品であり、1984年の同校の全国大会自由曲としても演奏されています。

この「愁映」という曲は実は私の大のお気に入りの一曲でもあったりします。
カタストロフィーの破滅的世界とか古祀の和風の鄙びた世界も素晴らしいですし、「復興」の後世に受け継いでいってほしい
名曲なのですけど、私にとって「保科洋」というと一番のお気に入りは「愁映」でもあったりします。
この曲のどこがいいかと言うと、やはりあの独特の「孤独さ」・「寂しさ」・「憂い」なのだと思います。
この曲は、それ程大胆に盛り上がる曲ではありませんし、金管・打楽器が咆哮する曲ではありません。
どちらかというと、ゆったりとした部分が多く、ffの部分もほとんどありません。
この独特の「寂しさ」・「ゆったりとした内面的な高まり」は分かる人にしかわからない領域なのかもしれないですけど、
中間部のチャイムが静かにコーン・・と響く感じも大好きです。

愁映の私の勝手なイメージとしては、晩秋の少し風が冷たい時期に、京都の神社仏閣詣りとか伊勢神社に参拝した帰りに
紅葉がひらひらと舞い降り、 道を紅葉が真っ赤に染め、その真っ赤な道を静かにしゃりしゃりと紅葉を踏みながら
ゆっくりと散策を楽しむ・・・そういうイメージがあるのですよね。

「日本人の忘れた何か」を呼び覚ましてくれる哀愁と寂寥感溢れる不思議な曲です。

だけど、この曲はほとんどというか全く演奏されないですね・・(泣)

1984年に関西学院大学が全国大会で一度演奏した以外は一度も全国大会では演奏されていません。
この年の関西学院大学は、本当に素晴らしい演奏を残してくれました。
関西学院大学は、例えば79年の「ローマの松」とか82年のショスタコの5番とか88年の「ロデオ」のように
金管打楽器がガンガン咆哮乱打するような演奏を好む傾向にあるのに
例えば、1977年のフォーシェ/交響曲とかこの年の「愁映」のようにたまにですけど内省的な曲を控えめにしっとりと
演奏する時もあったりして
そのギャップが私にとっては実はツボ要素にもなってしまいそうですね・・

愁映は、1984年の関西学院大学の演奏時は、ラストはffで少し鳴らして閉じられるのですけど
1999年に改訂版も発表され、ラストが静かに終わるように修正されていました。
というか、静かに終わるパターンと改訂前のようにffで終わるパターンの二つから自由に選択できるようになっています。
このパターンは、プロコフィエフの交響曲第7番「青春」と全く同じパターンですね。
プロコフィエフの場合も、静かに回想的に静かに閉じられる版と華麗に鳴り響いて終わるパターンの二つを用意し
指揮者の判断でどちらかを選ぶようにされています。

私自身の個人的好みでは、プロコフィエフの「青春」は華麗に鳴り響く終わらせ方が好きですし、
保科洋の「愁映」は静かに閉じられるパターンの方が好きだったりもします。

贅沢な注文なのかもしれないですけど、確かに「復興」も素晴らしい名曲である事は間違いないのですが、
どこかのしぶいチームが「古祀」・「愁映」・「バストラーレ」をしんみりと内省的に演奏してくれる事を期待したりもしますね・・
最近の吹奏楽コンクールとか演奏会では、ロバート・ジェイガーの曲を聴くことはむしろ珍しい部類に
入ってきたような気さえします。
私が中学から高校時代の1970年代後半から80年代前半は、
ジェイガーは、リード・マクベスと並んで吹奏楽界の三羽烏という風格さえあった事を考えると
まさに「諸行無常の世界」のような感じすらあります。
逆に言うと、今現在大流行している「邦人吹奏楽オリジナル曲」が20~30年後に引き続き演奏されているかと言うと、
その答えは誰にも分からないというのと同じ事だと思います。
つまり、歌謡曲でも吹奏楽コンクールでも「流行」というものに「永遠」という言葉はあんまり相応しくないのかも
しれないですよね。
昨今の邦人作品・スパークの「宇宙の音楽」、バーンズの交響曲第3番、クロード・スミスの一連の作品群といった
今現在の吹奏楽オリジナル作品の大人気作品も本当に素晴らしくて私自身も大好きなのですけど、
これらの曲が果たして20~30年後も演奏され続けているのかと言うと正直私にも全く予想できませんし、
逆にリード・ジェイガー・マクベス・オリヴァドーティ・コーディル等古い時代の吹奏楽オリジナル作品を聴く事で
今現在の吹奏楽オリジナル曲の「良さ」と「進化」を改めて再認識という事もあるのかもしれないですね。

温故知新・・・古きを訪ねて新しきを知るじゃないけど、
1970年代~80年代に流行し、今ではすっかり「忘却の彼方」の作品の中にも、本当に素晴らしい価値のある作品だって
一杯ある訳ですから、
たまには、そうしたかつて流行した吹奏楽オリジナル作品でも耳にされて、
今現在の指導とか解釈とか、何か「新しい発見」だってもしかしたらあるかもしれないですから、
そうした古い作品も、たまには聴いて頂いたり、演奏して頂けると
私のようなオールド吹奏楽ファンからすると、とっても嬉しいものがあったりもします。

ロバート・ジェイガーもそういう作曲家の一人・・・、つまり、絶対に忘れてはいけない作曲家の一人だと
思います!
ジェイガーの「ヒロイック・サガ」が1991年の全国大会で演奏されて以降、 約20年近くジェイガーの曲は全国大会で演奏されず、
2011年に高知大学が「シンフォニア・ノビリッシマ」を久々に演奏されていたのは「懐かしいなぁ・・」と当時感じたものでした。
シンフォニア・ノビリッシマが全国大会で演奏されるのは、1978年の天理中以来でしたから実に34年振りということでした!
そのくらいジェイガーという作曲家は最近の若い現役奏者の皆様にとっては「誰それ・・?」という感じなのかも
しれないですね・・(汗・・)
ジェイガーというとやはり世間的には誰が何と言っても「シンフォニア・ノビリッシマ」だと思いますが、
私が個人的に強く推したい曲は「ダイヤモンド・ヴァリエーション」です。
この曲は、絢爛豪華でキラキラとした派手な色彩感に溢れた最近の吹奏楽オリジナル曲と比べてしまうと
「いかにも地味~」といった印象を抱かれてしまうと思うのですけど、冒頭のチューバ等の低音セクションで開始され、
一つの主題が地味に特に華麗さも無い代わりに、いかにも職人芸みたいな煉りに練った音楽的変奏が展開されていき、
ラストの追込みはかなり爽快感があったりもします!
地味なのですけど、この曲は是非現役奏者の皆様にも一度くらいは聴いて欲しいなぁ・・と思っていたりもします。

ジェイガーというと、上記の二曲以外でお勧めしたいというか、吹奏楽に今現在関わっている皆様や過去に少しでも
吹奏楽を経験した皆様に是非是非聴いて頂きたい曲が 吹奏楽のための第二組曲&吹奏楽のための第三組曲です!
特に第三組曲の短い曲だけど宝の山!のような音楽的魅力に溢れた素晴らしさは未来永劫、
後世の皆様に受け継がれ演奏され続けて欲しい名作吹奏楽オリジナル曲の一つだと思います。

とてつもなく古い「バンドジャーナル」の記事を読んでみると 1960年代~70年代にかけては、
しばしばジェイガーが登場していますし、 ジェイガーへの単独インタビュー記事も特集として組まれています。
この記事の中で、
「よくコンクールの作曲者名表記で、イェーガーとかジャガーとかジェイガーとか色々な表記が
されているけど、本当に正しいのはどれ?」みたいな質問もあったりして興味深いものもあったりします。
記事では、恩師の教授も「ジャガー」と呼んでいたので、一時期本気で改名を検討されていたというのも
何か面白いものがありそうですね。

まずはじめに「吹奏楽のための第二組曲」について語らさせて頂きますと、

この第二組曲は、以下の三つの楽章より構成されています。

Ⅰ.ファンファーレ

Ⅱ.バラード

Ⅲ.スケルツォ

Ⅰの「ファンファーレ」は、金管楽器が華麗に奏でるものではなくて、木管主体の涼しげな
ファンファーレというのが実に意表をついていると思います。
全体的には、荘重さと冷静なコントロールが際立っている面白い楽章だと思います。
組曲の「華麗な幕開け」という雰囲気ではないのかもしれないのですけど、その少しクールな感じが
とってもユニークだと思います。
Ⅱのコールアングレのソロがとってもひそやかさな雰囲気を感じさせられ、思わずうっとりとさせられそうです。
このⅡなのですけど、各楽器の取り扱い方がいかにも「吹奏楽をよくわかっているねぇーー」みたいな感じで書かれているのが
大変印象的ですし、
コールアングレの長大でリリカルなソロをメインとしつつも、
クラリネット・フルート・ホルン・アルトサックス・オーボエと次々にソロが出てくるのですけど、
それがまた前述の通り、各楽器の音色や特性を存分に生かしたものであり、まさに「巧みの技」だと
思います。
Ⅲのスケルツォは、ⅠとⅡが比較的抑制されたのに対し、初めて音量的にもサウンド的にも
華やかな要素が出てきて、曲を盛り上げていきます。
スケルツォの特徴は、打楽器セクションのリズム感の強調とマリンバのしっとりとした響きですね。
ラスト近くにⅠのファンファーレが再現され、華麗に曲を閉じていきます。
この第二組曲は、まさに「芸術作品」と言えると思いますし、ⅠとⅡの厳格で知的なコントロールに対する
Ⅲのリズム感の面白さというその「対照さ」がとっても面白いと思います。

後述する第三組曲の「可愛らしさ・チャーミングさ」に対して
第二組曲は、「曲の構成美・楽章間の対比・リズム感」が売りなのだと思います。

この第二組曲は、実はこれまでの全国大会でも、あまり良い演奏が残されていないのがもったいないです。
(実はなのですけど、私の出身大学の吹奏楽部が、私が生まれた年の翌年に全国大会で、
この第二組曲を自由曲として全国大会にも出場しています!
私自身が在籍時には、うちの学校の吹奏楽団は既に没落していて、都大会すら夢のまた夢という感じでした・・泣・・・)

この第二組曲の名演というと、誰が何と言っても朝比奈隆大巨匠が若かりし日に録音した
大阪市音楽団の演奏がまさに圧巻です!
あの演奏はとにかく「素晴らしい名演」の一言に尽きると思います!!
朝比奈先生以外では実は「これぞ名演!」という演奏もあまりないものでして、出来れば現代風の感覚で
今一度この隠れた名作を聴いてみたい気もしますね。
ブルックナーの演奏で有名なあの朝比奈大先生が、若かりし日にこうした吹奏楽オリジナル作品を録音されていた事も
驚きだと思います。
朝比奈先生の第二組曲のⅢのリズム感はとにかく「お見事!!」の一言に尽きると思います。

続きまして、吹奏楽のための第三組曲です。

この曲は、とても可愛らしく全体でも7分程度の小品です。この曲は下記の三曲から構成されています。

Ⅰ.マーチ

Ⅱ.ワルツ

Ⅲ.ロンド

という三つの楽章から構成されていますが、どの楽章も2分から2分30秒程度と
非常にコンパクトにまとめられ、とてもチャーミングなメロディーの宝庫ですので
聴いていて全く飽きません!!
第二組曲は、比較的「構成美」とか「古典形式」にこだわりがあるような感じもし、冷静で緻密なコントロールが感じられ
少し型にはまったような印象もあるのに対して
第三組曲は、終始のびのびとしていて「自由自在」の音楽を聴かせてくれています。
各楽章それぞれに「個性」が感じられますよね! まさに「キラキラ個性」の三つの楽章が集結していると思います。
というか、こんな短い曲によくあれだけ「音楽的魅力」を詰め込んだと感じられるほど、その充実感は
素晴らしいものがあると思います。
曲全体がとっても楽しいのですけど、無駄な箇所が一つもないというのはまさに「音楽的奇跡」だと 私は思っています。
最初から終最後まで明朗快活な音楽の愉しみに溢れているのがとにかく魅力だと思います!!

Ⅰのマーチの木管の軽い出だしも曲全体を象徴していますし、Ⅱのワルツのフルートソロは絶品です!
Ⅲのロンドののんびりとした中にも躍動感が感じられる推進力も素晴らしい!!
ロンドで突然ドラが鳴り響くのも極めて面白いと思います。
あっという間に7分が過ぎ去ってしまいます。
4拍子と3拍子が組み合わされたマーチ、3拍子と2拍子が組み合わされたワルツの「リズムの面白さ」も
素敵だと思います。
そしてⅢのロンドがまさにダイナミックスで迫力満点で、フィナーレを締めくくるのにこんなに適した楽章も
ないのではないのか・・と感じさせてくれるとっても推進力に溢れたⅢのロンドだと思います!

これは、ジュニアバンドの「テキスト」として用いられても宜しいのではないかと思います。
技術的にもそれ程難しくはないと思いますし、とにかく音楽の内容が大変充実していますし、
何よりも聴いていてとっても楽しいです!

この曲は中々生演奏で聴けないのがもったいないですね!

今のところ唯一生の演奏を聴く機会に恵まれたのは
1994年の所沢アークミューズホールで開催された関東大会・中学B部門だけです。

ちなみに全国大会では1979年に電電中国が自由曲として演奏しています。
但し音源はありません。
当時の職場の部は、金賞以外レコード収録されませんでしたね・・・(泣)
ちなみになのですけど、1979年の職場の部の自由曲は、
ジェイガーの第二組曲&第三組曲、エリクソンの序曲「祝典」、保科洋の交響的断章が演奏され、
同年の一般の部では、
シューマンのチェスター、リードのロシアの教会音楽、マクベスのマスク、フリードマンのスラヴ狂詩曲
C.ウィリアムズの交響的舞曲第3番が自由曲として演奏されていて
今現在の感覚で見てみると「懐メロの山!」と感じさせるものがありそうですね・・(笑)

たまにはジェイガーの作品でも聴いてみて、温故知新を感じるのもすてきな事なのかもしれないですね。

冒頭で私信で申し訳ありませんが、昨日の当ブログの「ガジペコフという作曲家って結局、誰・・?」という記事について

CLA aka なはとむじーく  様よりガジペコフ作曲の交響曲第2番の貴重な音源のご紹介とか
花輪高校が吹奏楽コンクールで演奏した部分は、果たして40分近い原曲交響曲のどの部分を抜粋したかなど
私が長年知りたくてたまらなかった事をほぼ全て教えて頂く事ができました!

CLA aka なはとむじーく 様、大変貴重な情報を教えて頂きありがとうございました!

ここに深く感謝のお言葉をお伝えさせて頂きたいと思いますし、長年の謎がやっと解明できたというすっきり感で
一杯です!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


1985年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は、課題曲B/波の見える風景の印象が大変強いですし、
私もあの課題曲は大学の吹奏楽団時代に吹いた曲としては風紋と並んでとてつもなく大好きな曲でもありました!
(特に習志野高校のあの洗練された響きとストーリー性を感じさせる抒情的な音楽は素晴らしかったです!)
85年の課題曲は波の見える風景というイメージも確かにあるのですけど、最近でも当ブログの記事に登場していた
課題曲C / シンフォニックファンファーレとマーチも大変魅力溢れ、曲の隅々にまで工夫と仕掛けが施された曲でしたし、
課題曲D / ポップ・ステップ・マーチも演奏しやすさと親しみやすさという意味では屈指の人気曲だったと思います。

だけど課題曲A / Overture FIVE RINGS(オーヴァーチュア ファイヴリングス)も強烈さとスピード感と言う意味では
大変優れた曲であると思います。
そしてこの課題曲の作曲者が相当の大御所作曲家というのか三枝成彰というオペラ作曲の重鎮の大先生というのも
当時は驚きでした~!
そして三枝さんは当時「11PM」という深夜の大人のトーク番組の司会も務められていて、あの軽妙なトークも
大変印象的でしたので
「まさかこうした先生が吹奏楽コンクールの課題曲の作曲を受けるなんて意外なのかも・・」と感じていたものでした。
(だけど、後年、三善晃が「深層の祭り」という吹奏楽コンクールの課題曲を作曲された時の方がもっと衝撃はありました~!)
そしてこの課題曲が特筆されるべき点は、この曲はいわゆる吹奏楽コンクール用として最初から構想されたものではなくて、
確かに全日本吹奏楽連盟の委嘱により作曲されたものではあるのですけど、
1984年にNHKで放送されていたNHKの大型時代劇「宮本武蔵」のための音楽を再構成し吹奏楽編成に編曲したもの
という作曲の経緯も当時としては異色というのか珍しいものがあったと思います。
余談ですけど、北陸の根上中学校吹奏楽部は、「利家とまつ」という当時NHKの大河ドラマからの音楽を自由曲として
選曲し全国大会に出場していた事もあったりもします。
ちなみにこの「宮本武蔵」は日曜日の大河ドラマではなくて平日の夜のドラマという放映時間でもありました。
タイトルの「Five Rings」は宮本武蔵が記した兵法書「五輪書」にちなんで付けられているのですけど、
最初にこの課題曲のタイトルを耳にした際は「え・・? 五輪・・?? と言う事はこの曲はオリンピックに関連したものなのかな・・?」と
私は完璧に誤解をしていたものでした・・(汗)

最初にこの課題曲を聴いた時、金管セクションの堂々たる分厚い響きも木管セクションの細かいリズムとうねりと高音域の
切迫感にゾクゾクとさせられたものでしたけど、この課題曲の最大の聴き所は誰が何と言っても
ティンパニの連打に次ぐ連打のかっこうよさなのだと思います!
最初にこの課題曲を耳にしたのは言うまでもなく私の母校の吹奏楽団の課題曲を決める際の試演だったのですけど、
あの時に見たティンパニ奏者はとにかくめちゃくちゃかっこうよくて、あの時のティンパニ奏者は3年生のお姉さま奏者でしたが、
「キャー! お姉さま、すてき~ かっこいい~!!」という感想しか出てこなかったほどあのお姉さまの狂気と気迫に溢れた
叩きっぷりには私も惚れ惚れとさせられるものがあったと思います~!!
この課題曲Aのティンパニ奏者は大変技術と体力がいる曲なので、本当に演奏は大変だったと思いますが、
あの怒涛の連打は、今でも惚れ惚れするものがあります。
ただこの課題曲の名演は少ないですね・・・
強いてあげると、尼崎吹奏楽団と花輪高校と御影高校くらいかな・・・
この課題曲は中学校の部でも何チームか取り上げていましたけど、やはり中学生だとあの課題曲のエネルギーを
完璧に表現するには体力的にちょいときついのかな・・?とも感じたものでした。

Overture FIVE RINGSですけど、冒頭からしてとてつもなくかっこいいです! そしてそこから導かれる金管セクションの
堂々とした分厚い響きは艦これで例えると軽巡というものではなくて戦艦や空母艦なのだと思えます!

「宮本武蔵』のヒロインお通が吹く篠笛を模したピッコロのソロを中心とした短い序奏から曲は開始され、
金管楽器による「武蔵のテーマ」がクラリネットのスケールなどが彩る中、力強く分厚い響きで展開されるのが
大変印象的です!
だけど実際の吹奏楽コンクールにおいてはこの冒頭の金管の分厚く重厚な響きを理想通りに響かすことが出来たチームは
実は意外と少なく、全国大会・高校の部では花輪高校と御影高校ぐらいしかなかったと思います。
この事は既に昨日の記事の中でも散々ブーたれていますけど、秋田県立花輪高校の課題曲A / Overture FIVE RINGS の
冒頭の金管のあの分厚い重厚で決然とした響きは全部門を通して最高の演奏の一つだと私は今でも確信しているのですけど、
どうしてあの演奏が自由曲のガジペコフの交響曲第2番と合せて銅賞と言う評価で終ってしまったのかは
今でも全く理解も納得も出来ていないですね~!
あの演奏のどこが良くないのか私には全く思い当たる節はないです!

話がまたまたそれました・・(汗) 話をOverture FIVE RINGSに戻しますと、
トランペットの短い導入でメロディを木管楽器に受け渡し、
テンポを少し落として「お通のテーマ」が木管楽器とトランペットで歌われていき、
短い休止の後、速いテンポでティンパニの弱音の導入からクレッシェンドしていき、
音量が頂点に達するとティンパニが和太鼓の乱れ打ちのように三連符のパターンを叩き続けていきます!
そして激しい展開を経て一気呵成に曲は閉じられます!
余談ですけど、この課題曲が作曲された頃に4人の作曲家による連作ともいえる交響組曲「東京」の第二曲・summerを
三枝氏が担当されていましたけど、このサマーの雰囲気はどう聴いてもOverture FIVE RINGSに近いものが
あったようにも感じられます。

とにかくあのティンパニの連打というのか乱れ打ちは聴衆の視線を釘付けにすると思います。

そしてパーカッションセクションのパート譜をよく眺めてみると、実はあのティンパニも一見連打とか乱れ打ちとか
高度な技術のように聴こえたりもするのですけど、
ティンパニは、基本的には実は2小節単位の同じ旋律を繰り返しているだけ・・というのも凄いものがあると思います。
ああいう単純な繰り返しをとてつもなく難解なように感じさせるのも立派な作曲上のテクニックのような気もしますね・・
あ・・だけどやはりティンパニ奏者のテクニックは相当難しいものが溢れていると思いますし、
両手の交差が入るなど、二刀流で暴れ放題に暴れているという印象もありますし、あの豪快な暴れっぷりは
今現在で言うとエンゼルスの大谷選手が二刀流でもって大暴れしているのとちょいと雰囲気が似ている様なものも
あるのかもしれないですね・・(笑)

ティンパニ以外の楽器も、16分音符系と3連符系が混ざったリズムを全員で揃えたり、
トランペットのハイトーンがあるなどかなり高度な内容で課題曲としてはかなりの難曲だと思います。
この曲で何が一番難しいのかと言うと、瞬間的にこの曲の流れに乗り遅れてしまうと、
1拍とか半拍間違えて入ってしまうプレッシャーがあったりして、特にあのティンパニ連打以降は、一人たりとも
全体の流れから脱落者が出てくると、曲全体が崩壊しかねない危険性も秘めていて、
あの課題曲はティンパニ奏者も大変だったけどそれ以上に全体をコントロールする指揮者がもっと大変・・と
言えるのかもしれないですね~!








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私自身の吹奏楽における現役奏者は10年だけであり、社会人になって以降は吹奏楽からも楽器からも
足を洗っていますけど、この10年間は結果的にクラリネットを9年間とアルトサックスを1年間吹いていました。
だけど当ブログでは何度も語っている通り、実はその10年間の前の時期・・小学校の管楽器クラブという課外活動に
おいての私の担当パートは実は主にティンパニを担当した打楽器奏者でもありましたので、
1985年の課題曲A / Overture FIVE RINGS におけるティンパニ奏者のあの素晴らしい連打に次ぐ連打の叩きっぷりを
見てしまうと、やはり昔の血が騒ぐというのか
「こういう曲は自分も一度でいいから挑戦してみたかったな・・」とたまに脳裏をかすめていたのも
なんだか懐かしい記憶ですね・・(笑)
2015年~16年にかけて放映されていた「響け! ユーフォニアム」は私にとっては懐かしくて甘酸っぱいアニメなのですけど、
同時に見ているだけで「現役奏者時代にはアニメでネタにされていたような話も色々あったよね・・」と
思い出す事も多々あり、なつかしいけど決して100%楽しいという作品ではなかったような気もしますね・・(汗・・)

こういう「吹奏楽コンクール」を真正面から取り上げたアニメって、今まであるようでいて
実はあんまり無かった・という感じもありますので、
中学1年から大学4年まで計10年間も「吹奏楽」に関わり、10年間「吹奏楽コンクール」に出場し続けた私にとっては、
あまりにも懐かしいし、あまりにも自分の「興味関心・趣味」に直球を放り込まれた感じなので
とにかく嬉しくて仕方が無いという感じですね。
第一期放映開始の際はとにかくめちゃくちゃ嬉しかったですね!

原作のライトノベルが、まさかアニメ化されるなんて夢にも思わなかったですし、
そのアニメ製作会社が、
「氷菓」・「らき☆すた」・「日常」・「けいおん」等でそのクオリティーの高さで大変高い評価を受けている
京都アニメーションですから、いやでも期待は高まっていましたね。
実はこのライトノベルは読んだことがあり、あまりにも共感度が高い作品でしたので、
「出来ればアニメ化されないかな・・・、でも所詮は、吹奏楽はまだまだマイナーな領域だし、多分無理だろうな・・」と
思っていただけに、第一期放映開始の頃は本当に嬉しい誤算でした!

このライトノベルの簡単な概要を記すと・・・・

北宇治高校吹奏楽部は、過去には全国大会に出場したこともある強豪校だったのですけど、
ここ数年は関西大会にも進めていない・・・・トホホな状況・・・
しかも演奏技術は低下の一途をたどり、部員の士気も決して高くは無い・・・・
しかし、新しく赴任した滝昇の厳しい指導のもと、生徒たちは着実に力をつけていく・・・
実際はソロを巡っての争いや、勉強を優先し部活を辞める生徒も出てくるなど、波瀾万丈の毎日。
そんな中、いよいよコンクールの日がやってくる・・・・・

そんな感じなのですけど、原作者が吹奏楽経験者という事もあるのですけど、
さすが、よく分かっていらっしゃいますよね・・・!!
吹奏楽の世界では、指揮者の先生が異動・転任等で変わると、とたんにその学校は弱体化し
翌年以降はコンクールでは良い成績を取る事が出来なくなり、
それまでは全国大会の常連チームだったのが、途端に支部大会や県大会で消えてしまう事はよくある事なのです。
「響け! ユーフォニアム」は京都府ほ背景にしているのですけど、
京都ならば、最近では、そうした事例は「洛南高校」なのかな・・??
そう言えば、洛南高校は宮本先生の勇退以降は、とんと全国大会でも見かけなくなりましたし、最近では
関西大会で銅賞とか京都府大会でダメ金で関西大会に進めないというパターンも珍しくないようですからね・・(泣・・)

第一期は、全日本吹奏楽コンクール京都府大会で見事に「県代表の座」を勝ち取り、関西大会出場を決めたという
大変いい所で終わったのですけど、
第二期は関西大会と全国大会の話をベースにしています。

ネタバレになる事は避けたいという気持ちもあるのですけど、
この「響け! ユーフォニアム」は結果として、京都府大会を無事に突破し関西大会に進むのですけど
原作のライトノベル版においてはヘスの「イーストコーストの風景」という曲が自由曲として取り上げられています。
アニメ版ではなぜかしりませんけど「イーストコーストの風景」ではなくて、アニメオリジナルの「三日月の舞」という曲に
変更されています。

最初にライトノベルでこの「イーストコーストの風景」の曲名が自由曲に出てきた際には、
本音を言うと微妙・というのか、
「何で今一つコンクールの自由曲としてはそれ程お馴染みで無いこの曲を持ってきたのだろう・・・」と
思ったものです。
アニメではありませんけど、小説で最近で映画化もされた中沢けいの「楽隊のうさぎ」の中で
コンクールの自由曲として登場した曲は、
①コダーイ/ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲
②レスピーギ/バレエ組曲「シバの女王ベルキス」という大変馴染み&知名度&演奏頻度&人気が高い作品
だっただけに、
「え・・・・、なんで響け! ユーフォニアムはこんな微妙な曲を持ってきたのだ・・・・」と
正直思いましたし、
現在の視点としては、人気曲としては、
スパーク/宇宙の音楽 保科洋/復興 
ウインドオーケストラのためのマインドスケープとかラッキードラゴンみたいな曲の方が旬だし、
滝先生のような「音楽としての正統派」みたいな雰囲気の方としては、
リード/「オセロ」~Ⅰ・Ⅲ・Ⅳ
吹奏楽のための神話~天岩屋戸の物語による
などみたいな正統派路線を真っ向から取り上げる方が合っているんじゃないのかな・・・とも思っただけに
少し意外な感じもしたものです。

さてさて、このヘスの「イーストコーストの風景」ですけど、
全然人気が無いかと言うとそういう事は全く無く、1998年の山形大学による全国大会初演から
昨年の2014年の全国大会まで計5チームもこの曲を自由曲として選んでいます。

この「イーストコーストの風景」ですけど、
作曲者のヘスが、アメリカの東海岸を訪れたときの印象をもとに、
ニューヨークとその近郊の地名・地形・地域を題材にした3曲からなる吹奏楽のための組曲として
まとめたものです。

この曲は下記の三曲から構成されています。

Ⅰ.シェルターアイランド

Ⅱ.キャッツキル山地

Ⅲ.ニューヨーク

全体的には、いかにも「胡散臭いけど素晴らしきアメリカ!!」みたいな感覚だと思います。
Ⅰは軽快でとても爽やかな雰囲気があります。
Ⅱは、静かで内省的な音楽なのですけど、何となくですけど「自然への賛美」みたいなものも感じられ、
「自然の偉大さ」とか荘厳さがひしひしと伝わってくる感じがあります。
この楽章で大変印象的なのは、コルネット(トランペットの一種)のかなり長いソロですね。
あれは・・・、結構心に響く美しいメロディーですね。
ⅢはⅡの雰囲気とは一転して華やかで騒々しい街の雰囲気が生き生きと描かれていますが
同時に「胡散くさい・・・」ともなぜか感じてしまいます。
要は、Ⅱの美しさ・聖なる世界とⅢの喧騒さ・俗なる世界の壮絶な対比というのがこの曲の醍醐味なのかなとも思います。
このⅢ.ニューヨークの打楽器、特にトムトムの叩きっぷりは見ていて本当に惚れ惚れする程の
豪快な響きがありますね。

そして・・・・

この曲の最大の聴かせどころというか見せ場は・・・・

Ⅲ.ニューヨークの終盤で訪れます。

何かと言うと、消防車なのかパトカーなのかはよく分かりませんが、緊急車両のサイレンが
高らかに「ウォォォォォォぉー―――ン」と鳴り響きます!!
最初にあれを聴いた時は驚きましたし、
あのサイレンの音はとにかく凄まじい鳴りっぷりですね。
多分聴いている方、寝ていた方は恐らく驚かれると思いますし、寝ていた方は100%目が覚めると思います。

ヘスにとっては、あの「サイレンの音」こそがニューヨークの象徴なのかもしれませんよね。
20世紀初めにアメリカの作曲家、ガーシュインがパリに行った際に
タクシー・バスの「警笛」に驚き、その印象を自作「バリのアメリカ人」として作曲した際に
警笛の音をそのまんま曲の中に入れてしまったのと全く同じような感覚なのかもしれませんよね。

この「イーストコーストの風景」なのですけど、コンクール初演は、1998年の全国大会での山形大学なのですけど、
よくあんな少ない人数でこの曲を消化出来たものだと改めて驚きます。
打楽器セクションのノリも素晴らしいものがあり、
確かに全体的には少し粗いのですけど、大変生き生きと躍動した音楽を聴かせてくれたと思います。
あの時の山形大学の演奏ですけど、当時の聴衆にとっては、
ほとんどの皆様はヘスという作曲者やヘスの作品は「聴いた事も無い」という方がほとんどだったと思いますので、
仕方が無いとは思うのですけど、
Ⅲの途中で、曲がまだ終わってもいないのに、何と二度にわたって!
「演奏終ったんだ・・」みたいなフライング拍手が入ってしまいます・・・
そのフライング拍手の後で前述の「サイレン」が高らかに唸りをあげて響いたから、
ほとんどの聴衆は色々な意味で度胆を抜かれたかもしれないですね。

たまーにですけど、全国大会でも、曲が終わっていないのにフライング拍手が起きる事もあります。
その顕著で有名な事例が1997年の愛工大名電の「フェスティヴァル・ヴァリエーション」なのだと思います。
ついでに書くと、たまにですけど、課題曲と自由曲の間に拍手を入れてしまう、ポンコツな聴衆もいたりして
驚かされる事があります・・・
その例が、1988年の都大会のプログラム一番の関東一高の課題曲B/交響的舞曲が終わった後に
なぜか拍手をする人が続出し、
指揮者の塩谷先生が困ったように後ろを振り向き、「しーーーっ」という動作をされていたのがなぜか
鮮明に私の記憶の中に残っています。
恐ろしく古い話ですけど、1971年の全国大会・一般の部のカスタムテープを聴くと、
課題曲のマーチの後に普通に拍手が流れていますけど
あの当時は課題曲と自由曲に拍手を入れる習慣でもあったのかな・・・・??
(それは多分ないとは思いますけど・・)

クラシックのプロの演奏会でも、曲が終わっていないのに拍手をしてしまう、ポンコツ聴衆もたまにですけど
いたりします。
以前目撃した事例では、
ウェーバー(ベルリオーズ編曲)の「舞踏への勧誘」のラスト近くで曲が終わったと勘違いして盛大に拍手を
していた方を目撃した事があります。
相当昔の話ですけど、20世紀の大指揮者、フルトヴェングラーがイタリア公演時に
チャイコフスキー/交響曲第5番の演奏時、終楽章のコーダのあの華麗なる大団円というか
主題の再現部に入る直前に、観客が拍手を入れてしまい、
フルトヴェングラーもついつい驚いてしまい、ラストの大団円がメロメロになってしまったという逸話も
あるそうですから、そういうのは古今東西よくある話なのかもしれませんよね。















最後に・・・・

アニメ版の「響け! ユーフォニアム」では、自由曲の「三日月の舞」におけるトランペットのソロを巡って
三年生で部内での人気も高い香織先輩ではなくて、
一年生の高坂麗奈(第三話のラストでいたたまれない気持ちから新世界のメロディーを朗々と哀愁たっぷりに吹いていた子)が
担当する事になります。

それを巡っては香織先輩をとても慕っていた2年生の吉川優子が反発したりと色々とあったりもしたものですけど、

本当にスクールバンドの「人間模様」は複雑で難しいものがあるのだと思います。

それを束ねる部長とか指揮者の先生の苦労は本当に大変なものがありそうです。

アニメ版の「三日月の舞」のトランペットのソロも確かに華麗に幻想的に鳴り響いていましたけど、
トランペット(コルネット)の本来の持ち味の一つでもある「朗々とした歌い廻し」を考えると、
原作ライトノベル版の「イーストコーストの風景」の方が方が合っていたのかもと思ったりもします。
イーストコーストの風景自体そんなにメジャーな作品ではないから、曲の内容はともかくとして曲自体がとにかく壮麗で流麗な
「三日月の舞」というこのアニメのために書き下ろされた作品の方が見栄えはするのかも
しれないですね・・(汗・・)
A.リードの「エルサレム讃歌!」や「ロシアのクリスマス音楽」は神への荘厳な祈りをイメージさせる曲だとも
感じるのですけど、
「神への祈り」とか「荘厳さ」といった雰囲気は、同じくリードの比較的初期の頃の作品でもある
「アレルヤ! ラウダムス・テ」という宗教音楽みたいな雰囲気の曲とも実は繋がっているものがあるのかな・・とも
思ったりもします。

リードの「アレルヤ! ラウダムス・テ」という吹奏楽オリジナル曲は、最近の現役奏者の皆様にとっては
馴染みが無いというか、「曲名すら聞いたことが無い・・」みたいな感じの曲になってしまうのかもしれないですよね。
私が現役奏者の頃は、よく県大会とか定期演奏会で耳にしましたけど
最近は、コンクールでもこの曲が自由曲として演奏されることはまずないですね。

「アレルヤ!」はなんといっても出だしが最高に格好いいと思います。
金管セクションは冒頭からいきなり高音が続きますのでフレーズ的にはかなり苦しいと思うのですけど、
出だしのファンファーレ的な讃歌は、「神への讃歌」をイメージさせるにはこれほど相応しい音楽はないと感じさせてくれますし、
この冒頭部分に続く木管の響きは、「神への清廉な祈り」みたいなものを感じさせてくれていると思います。
この曲はかなりシンプルな構成で、このファンファーレ的な部分と神への祈りみたいなフレーズが交互に繰り返され、
ラストは全奏者にての冒頭の「ファンファーレ」が高らかに再現されていきます。
この曲は、正直聴く人によって好き嫌いはあるかもしれないですね。
嫌いな人は「くどすぎる」とか「単調」とか「変化に乏しい」と言うかもしれません。そのしつこさを感じる原因と言うのは
曲の単調な構成とか繰り返されるメロディーが嫌というのが理由なのかもしれませんよね。
だけど繰り返される事であの荘厳なメロディーすらも後日鼻歌でふんふんと歌って見たくなってしまいたくなるのも
この曲の魅力なのかもしれないです。
打楽器は、ティンパニ・大太鼓・小太鼓・シンバル・シロフォーン・ヴィヴラフォーンだけですが、
何回か、バスドラムとシンバルがズドーンと叩き付けられる箇所があるのですけど、
この重低音のどっしりとした響きは、私は結構好きですね。

このアレルヤ!はリードしてはかなり初期の頃の作品なのですけど、
何かこの雰囲気は、後年の大変な名作「エルサレム讃歌」に繋がるような気がします。
「エルサレム讃歌」はアレルヤ!みたいにシンプルな曲ではなくて、大変精密で複雑な大作なのですけど、
雰囲気は、この両曲はどこかで繋がっているようにも感じられますね。

大変古い話で恐縮なのですけど、
1981年の北海道大会の中学校C部門(25名編成)は出場チームが20以上あったにも拘らず、
評価が大変厳しく、金賞受賞チームはただ一団体のみという事もありましたが、
その唯一の金賞チームである明苑中の自由曲がこのリードの「アレルヤ!」でした!
この曲は、吹奏楽コンクールで演奏する場合、
コンクールの曲としては結構難しい要素はあると思いますね。
あまりにも曲が単調なので、聴く方としてはかなり「しつこい」という印象はあるのかなとも感じられます。
(だけど、神への祈りに通ずる雰囲気を少しでも発見できさえすれば、この曲の魅力が分かると思います)
意外かもしれませんが、全国大会でも実は過去に二回も演奏されていますので(佐賀大学と川崎製鉄千葉)
分かる人には分かるという感じなのかもしけないですね・・・(笑)

この曲は、中々素晴らしい演奏・録音が無いなと思っていたら、数年前にやっと決定打が出ました。
金聖響/シエナ・ウィンドなのですけど、 この演奏は素晴らしいですね。
この「アレルヤ!ラウダムス・テ」はオプション扱いですが、楽譜の指定では「パイプオルガン」も入ります。
金聖響の演奏では、この曲のラストというか、冒頭のファンファーレの再現部分あたりから
このパイプオルガンを使用し、かなりの効果を上げていますし、
この演奏を聴くと
「あー、やっぱりこの曲は神への讃歌・祈り」の曲なんだな」と感じてしまいますね。

コンクールでは多分中々聴く事はできない曲なんでしょうけど、小編成チームが「挑戦」しても決して
無駄ではない曲である事は間違いないと思います。
吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中で最難関の課題曲は私も含めて多くの皆様は
1994年の課題曲Ⅲ/饗応夫人を推されると思います。
「饗応夫人」に関しては正直評価は思いっきり別れる曲だと思いますし、私自身はこの課題曲はどちらかというと苦手な
部類で、この課題曲を通して作曲者が何を意図したいのかいまだにほとんどわからないです・・(汗・・)
ソロ楽器の扱いも含めて演奏する上での技術があまりにも高すぎて、この課題曲をアマチュア向けのコンクールとして
出題した意義は正直疑問を感じざるを得ないという印象がありますし、
1994年の吹奏楽コンクール全国大会・中学の部でこの難解課題曲をまともに消化できていたチームは、
総社東・土気・野田ぐらいだったと思いますし、中学生にこんな難解課題曲を吹かせる事自体がなんだか気の毒という
印象を当時は感じていたものでした。
1994年の課題曲は今現在でも相当の賛否両論の声は耳にしますけど、私もどちらかというと否定論者側です。
だけどこの年の課題曲Ⅰ.ベリーを摘んだらダンスにしようだけは後世に絶対に受け継がれて欲しい不滅の名曲だと
確信していますし、この課題曲は吹奏楽コンクールという枠を離れて、演奏会等でも是非是非演奏して欲しい曲の一つだと
私は思っています。

1994年の課題曲Ⅲ/饗応夫人は技術的に大変難解だけど、音楽の内容としては私個人としてはかなり疑問点が付く曲
ではあるのですけど、技術的に難解であると同時に音楽の内容の点で大変優れている課題曲の一つとして
大いに推したい課題曲が三善晃作曲1988年の課題曲A/吹奏楽のための「深層の祭り」です!

最初に三善晃が吹奏楽コンクールの課題曲を書き下ろしたと耳にした際は「え~、すごーい!」と感じたものでした。
(それは間宮芳生も全く同じでしたけどね・・)
三善晃というと1988年時点では既に日本のクラシック音楽作曲家の重鎮の一人であり、とてつもない大物先生であり、
交響三章・響紋・夏の錯乱・レクイエム・協奏的決闘・変容抒情短詩・管弦楽のための協奏曲や数多くの合唱曲を既に
作曲されていて、「そんな恐れ多くてこんなアマチュアを対象にした吹奏楽コンクールの課題曲を委嘱するなんて怖いかも・・」
といった雰囲気もあったと思いますけど、逆に言うとそれだけこの当時の吹奏楽コンクールは既に
大変なレヴェルの高さを有していましたので、こうした大御所の作曲家の先生に課題曲作品を委嘱しても
全然問題ないという感じだったのかもしれないです。

それにしてもこの吹奏楽のための「深層の祭り」はあまりにも奥が深くて音楽的内容が充実した素晴らしい名課題曲だと
思います。
演奏時間4分程度の決して長くは無い曲なのですけど、この4分程度の時間にはぎゅ~っと凝縮した
音楽的緊張感と張りつめた内省的充実感が漲っていると思いますし、
確かに聴いていて「楽しい」と感じる部類の曲では全然ないのですけど、あの精神的にピンと張りつめた空気が醸し出ている
曲だと思いますし、発表した場がたまたま吹奏楽コンクールの課題曲だったという感じでもあり、
この曲はブロの管弦楽団の定期演奏会の一曲目として(管弦楽と打楽器だけで)演奏しても全然遜色のない曲
なのだと思います。
「祭り」というと「ローマの祭り」とか「フェスティヴァル・ヴァリエーション」などのように「華やかさ」というイメージがありますが、
三善晃の「深層の祭り」は内面の葛藤とか精神的緊張感を高らかに謳い上げた曲のようにも感じられます。
吹奏楽コンクール課題曲には、楽器編成・難易度・演奏時間といった制約が色々と課せられるのですけど、
そうした足かせを感じさせない完成度の高い内容を持つ曲であると言えるのだと思います。

「深層の祭り」は技術的にも表現するにも難しいと思います。
この課題曲は、私が大学を卒業し社会人としてスタートを切った年の課題曲のため、私自身は演奏した事はありませんが、
大学の吹奏楽団の後輩のクラリネットのパート譜を見た時はあまりの難解さに思わず絶句してしまいました!
そのくらい技術的にも表現する上でも難解極まりないやっかいな課題曲だと思うのですけど、
作曲者の故・三善晃氏は、この課題曲をきっかけとしてその後何曲か吹奏楽オリジナル作品を残してくれましたので、
その意味でもこの課題曲の功績は大きいと思います。

吹奏楽のための「深層の祭り」ですけど、曲の冒頭はファゴットのソロで開始されます。
曲がファゴットのソロで始まる事や曲の最後の一音前に前打音的にタンブリンが奏される点や
タンバリンのリズム感が大変面白い点は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」と少しばかり近いようなものが
あると思います。
深層の祭りの最後は全体合奏でのffで閉じられるのですけど、あの部分を注意深く聴いてみると
実はタンバリンだけ、全体のバン!!というffの閉じられ方よりもほんの0.1秒程度瞬間的に早く前打音的に叩かれていますので、
この課題曲の事を何も知らない人が聴いてしまうと
「あれ、このタンバリン奏者間違ってフライングしてしまい、全体が閉じられるより0.5拍早く叩いてしまったのかも・・!?」と
誤解される可能性が高いようにも感じられます。
ラストの一音のタンバリン奏者はとてつもなく神経を使ったと思いますし、かなりのプレッシャーがあったと思います。
全体で閉じられるよりほんの0.1秒早く叩かないといけないその緊張感と技術的な難しさは、
この課題曲のフルスコアを事前に読みこんでしまうと、何も知らないで聴くよりは数倍難しさを感じると思われます。

中には、ヤマハ浜松の全国大会とか都大会での乗泉寺吹奏楽団のように
タンバリン奏者がついついうっかり間違えてしまったのかどうかは定かではありませんけど、
全体が閉じられるのと同時にタンバリンも叩いてしまい、タンバリンの前打音効果が発揮されない事例も中には
ありましたけどね・・(汗)

この「深層の祭り」は木管セクションも金管セクションも、そしてなによりも指揮者が一番大変だったと思うのですけど、
打楽器セクションの一人一人も大変だったのは間違いないと思います。

基本的には、ティンパニ・トムトム・小太鼓・大太鼓を4人の奏者が担当し
残りのサスペンダーシンバル・タムタム・トライアングル・タンバリン・コンサートチャイム・マラカスを一人の奏者が担当している
ケースがかなり多かったような気もします。








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吹奏楽コンクールは一般的にはティンパニ奏者を別にすると、打楽器奏者が複数の打楽器を掛け持ちというのは
よくある光景ですし、全然珍しくないです。

上記の吹奏楽のための「深層の祭り」ですけど、実際のコンクールにおいては6人程度使っているチームもたくさん
ありましたけど、中には5人の打楽器奏者で演奏する場合、中盤以降の展開は結構大変な事になってしまう事も
散見されていたと思います。

中盤以降は、5人の打楽器奏者のうち4人の奏者は
打楽器奏者その1→ティンパニ
打楽器奏者その2→大太鼓
打楽器奏者その3→トムトム
打楽器奏者その4→スネアドラム

といった自分の担当楽器にほぼ掛りっきり状態になってしまうので、
残った打楽器奏者その5が残りの打楽器を一人で掛け持ちするという事態になるのも全然珍しい話では
なかったように思えます。
確か都大会だったかな・・?私が目撃したとある演奏においては、
打楽器奏者その5が、左手にタンバリンを持ち右手にドラのマレットを持ちながら、タンバリンを6回叩いて
その直後にドラを鳴らし、これを何度か繰り返し、
右手と左手で同時にドラのマレットを握り、二台のドラを鳴らすという離れ業を見せた次の瞬間に
マラカスに持ち替え、マラカスを小刻みに鳴らし、そして次の瞬間に
トライアングルを数秒鳴らし、そしてまたまた数秒後にコンサートチャイムの位置までダッシュし、チャイムを4音響かせ、
そしてまたまたサスペンダーシンバルの位置に戻ってサスペンダーシンバルをロール奏法で響かせ、
ラストは上記で書いた通りの前打音的に
タンバリンを強烈に全体とは半拍わざとずらして叩き付けるという荒業までお披露目してくれていたのは
大変印象的でした!

パーカッションセクションはティンパニ奏者が全体の華と言えるのかもしれないですけど、こうした小物打楽器を
掛け持ちして「見せる=魅せるパーカッション」を華麗にみせてくれる奏者は本当にすてきなものが
あったと思います!

吹奏楽のための「深層の祭り」は1988年の全国大会・高校の部と大学の部で素晴らしい名演が続出していましたけど、
個人的には、神奈川大学・天理高校・洛南・習志野の演奏が大変素晴らしかったと思います。
中学の部では後半に、課題曲がこの深層の祭り、自由曲にダフニスとクロエ第二組曲という組合せが
4チームほぼ連続していましたけど、あの競演は圧巻のものがありました!
(表面的には4チームとも共通してブートゥリーのダフクロのアレンジ譜面を使用しているはずなのに、4チームとも
そこから出てくる音は全て違っているというのもなんだか面白いものがあったと思います)
C.T.スミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」は、数ある吹奏楽オリジナル曲の中でも
一際輝く不滅の名曲だと思います。
もしも「あなたが大好きな吹奏楽オリジナル作品をあげなさい」と質問されたら
私の中では確実にベスト10に入ると思います。
(三つだけ挙げろと言われたら、ネリベルの「二つの交響的断章」とリードの「オセロ」とスパークの「ドラゴンの年」だと思いますし
あと三つだけ追加してと言われたら、パーシケッティーの「吹奏楽のための仮面舞踏会」とリードの第二組曲と
スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」になるんじゃないのかな・・? )

そしてスミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」は大変な難曲中の難曲としても知られていますけど、同時に
現役奏者時代に「一度は挑戦して吹いてみたかった曲の一つ」というのは間違いないと思います。
後述しますけど、私が高校を卒業した翌年の定期演奏会で後輩たちが無謀にもこの曲に果敢に挑戦し、
見事に玉砕をしていまいましたが(汗・・)
「また身分不相応の無謀な曲に挑戦してアホだな・・」と感じたものですけど、心の底では「うらやましい・・」と感じていたのは
疑いようもない心の本音だったと思います。

この「フェスティヴァル・ヴァリエーション」について一応専門的に少しだけ書いてみると、

アメリカ空軍ワシントンバンドと当時の隊長アーナルド・D・ゲイブリエル大佐の委嘱で作曲され、
1982年2月10日、ゲイブリエル大佐指揮のワシントンバンドで初演され、大反響を起こし、
翌年に日本でもヤマハ浜松が自由曲として演奏し、一気に日本でもブレイクしました。
とにかくこの曲の難易度は高く、あまりにも有名な冒頭のホルンの超難関の高音とか
コーダにおけるホルンのウルトラ高音域は、アマチュアでは演奏困難とも思えます。
これは当時のワシントンバンドの首席ホルン奏者が大学時代のスミスのライバルであったことから、
わざと難しく書いたという有名なエピソードが残されています。

この曲を一言で書くと・・・

「労多くして実りが少ない曲」と言えるかもしれません・・・
勿論上手なチームがノーミスで吹きこなせば、元々の曲自体があまりにも素晴らしいので
「すさまじい名曲」に聴こえ大変な感動を生むのですけど、並以下のチームが無謀にもこの曲に挑んでしまうと
私の母校のように外しまくり玉砕するケースを コンクール・コンサートで何度耳にしたか分かりませんし、
それほど大変な「難曲」ですし、ホルンセクションは気の毒なくらい難易度の高い技が要求されていると思います。
「ダンス・フォラトゥーラ」は華麗なるトランペット殺しの曲と言えるのに対して、この「フェスティヴァル・ヴァリエーション」は
とてつもないホルン殺しの曲と言えると思います。
大学時代、同期のホルン奏者がこの曲のホルンのパート譜を見た瞬間に「自分には絶対に吹けない・・」とぼやいていたのは
大変印象的でもありました。
この曲はともすると「ホルンの難しさ」がやたらと強調されがちですけど、全てのパートが大変難しいとも間違いなく
言えると思います。
そして例えば中間部のゆったりとした部分のチューバ・ファゴット・ユーフォニアムのソロも奏者にとっては
腕の見せ所ではありますけど大変なプレッシャーを感じる箇所だと思います。
この曲の構成は、序奏-展開部-二度にわたって同じメロディーが繰り返される中間部-展開部の再現と華麗なる終結部から
なっていると思いますけど、中間部がほぼ同質メロディーが二度にわたって繰り返されるのも大変面白いものが
あると思いますし、あの部分はとにかく「感情」が高ぶりがちになりがちで、どうやって先走る奏者の感情を抑えるかというのも
指揮者の腕の見せ所の一つだったようにも感じられます。
ヤマハ浜松や天理は、中間部を最初の方の比較的おとなしめの部分のみを演奏していましたけど、
1997年の愛工大名電はあの中間部をほぼノーカットで演奏し、二回目の中間部の盛り上がりでは壮大なクライマックスを
作り上げ熱狂的な雰囲気を中間部でも作り上げていたのは大変印象的ではありました。
精華女子はそのあたりはもっと精緻な構成を取っていて、上手いし圧倒的な技術もあるけど「冷静さ」も保っていたのは
「さすが~!」という感じでもありました。
そしてこの曲の最後の最後のトロンボーンセクションによる壮絶なグリッサンドもこの曲の聴きどころの一つだと思います!

1984年の全国大会の高校の部のプログラム一番であの超名門校の天理高校がこの曲を自由曲として臨み、
課題曲の「変容-断章」を見事に決めていたのに、自由曲の「ダンス・フォラトゥーラ」の冒頭はちょいと外し気味でも
ありましたので、当時は「あの天理をもってしても完璧には決まらない難曲なんだなぁ・・」と改めて実感させられたものでも
ありました。
だけど天理の展開部でのアルトサックスセクションのリズムの刻みの音色の洗練さと美しさと完璧なリズム感には
生で聴いていた瞬間から感動しまくりでしたし、中間部のチューバ・ファゴットのソロも完璧に決まっていましたし、
ラストのホルンはパーフェクトに決まっていてその追込みも圧巻だったと思いますし、堂々たる金賞に輝いていたと
思います。
そして21世紀に入ってからは既に皆様ご存じの通り、福岡県の精華女子高校による歴史的超名演が
2008年と2013年の2回に渡ってお披露目されていて、天理やヤマハ浜松なんて正直目じゃない圧倒的な超絶技術が
ほぼノーミスで完璧に決まっていたのは「吹奏楽コンクールの進化は止まらないし凄いものがあるね~」と
実感したものでした。
私が高校の頃にこの曲は日本でも演奏され始めるようになっていて、当時はその技術的難解さから
演奏の苦労とか個々の奏者の苦労は絶えない・・と感じさせるものは多々あったと思うのですけど、
精華女子とかたとえば2012年の東海大学高輪台高校のように今現在の優秀な奏者の皆様たちはこんな難曲であっても
やすやすとこなして難曲を消化してしまっていますから、私のような元・ポンコツ奏者の視点から見てみると
現在の奏者の皆様の技術的進化には脱帽せざるを得ないですし、その圧倒的技術には敬意を表せさて頂くしかないです!

この曲は吹奏楽コンクール全国大会においては、1983年に宮城県民会館で開催された第31回全国大会で
ヤマハ浜松が初演し 、その素晴らしい名演に感化された翌年以降色々なチームがこの曲に挑んだものです。
ちなみに1983年、大学の部で神奈川大学もこの曲を自由曲として選んでいるのですけど
この演奏についてはほとんど誰も語っていませんね・・・ (私も聴いた事はありません・・・)
この年の神奈川大学は小澤先生の指揮ではないし、銀賞だから、あまり注目されなかったのかも しれませんよね。
この当時私は宮城というと地元でもありましたので本音を言うと、
「せっかく地元開催なんだから、何が何でもこの年の全国大会の大学・職場・一般の部は絶対に聴きに行きたかった」
というのはありましたけど、あいにく当時は受験生・・・
ましてや当時の私は、9月まで県大会に出場し受験勉強なんて本当に全くしていませんでしたし
非常に立場がやばい上に、
その日の全国大会は日曜だったのですけど、あいにくうちの高校の「統一模擬試験」の日と重なり、
その模擬試験の結果を重視して、志望校を決定するという事になっていたため
さすがにこれをサボる度胸は私には無かったです・・(汗)
だけど、チューバ奏者の三年生の部員は、「腹痛」とかテキトーな理由を付けてその模擬試験をさぼり
全国大会を聴きに行き(後日バレて、何か顧問に怒られていたみたいですけど・・・)
そいつが、翌日得意げに
「いやーーー、近畿大学の「大阪俗謡による幻想曲」とヤマハの「フェスティヴァルヴァリエーション」は
素晴らしかった!! あれを聴けて自分は幸せ! もう来年の受験落ちても全然後悔しない・・
あれ、君達はこの素晴らしい演奏聴いていないの・・・残念だねーー」とかなんとか自慢げに嫌味たっぷりに吹聴
していましたので、 当時は内心では「こんちくしょー」と思ったものです・・・
ま、後日談ですけど、そのチューバ奏者は見事に第一志望をすべり翌年浪人していましたので
全部員心の中で「ざまーみろ・・・」状態でしたけどね・・・ (汗)

だけどこの近畿大学とヤマハ浜松の怒涛の名演を当時の2年生部員も聴いていて
「これはすごい! 何とか自分らも演奏してみようじゃないか!!」と何を血迷ったか 、この2曲を翌年の定期演奏会で取り上げ、
見事に本番では外しまくり「玉砕」していました・・・ (汗)
「フェスティヴァルヴァリエーション」のホルンセクションは本番はまったくいいところがなく、ほぼ全て外しまくり、
この時は既に卒業しOBとなっていた私達に「あーあ、やっちゃったぁ・・だから実力相応の曲を選ぶべきと
あの時いったじゃないか・・」と思っていたものです・・

とにかくこの曲はそれほどホルンセクションは難しいのです!!

この曲は過去の全国大会では2017年現在計10回自由曲として演奏されていますけど、
「意外と演奏されていないんだなぁ・・」と感じたものですけど、
余程腕に自信がないと指揮者にとってもとても選曲出来ないし、
本番の特にホルン奏者のプレッシャーは大変なものがあると思います。
だって曲の冒頭からあんなハイトーンで開始されますからね・・・
最近も精華女子とか東海大学高輪台が素晴らしい演奏を聴かせてくれ、
「こんな30年以上前の吹奏楽作品も、こうやって現在にまで受け継がれて素晴らしい演奏を聴かせてくれた事」に
何かとても深い感銘を受けたものです。

最後に・・
この「フェスティヴァル・ヴァリエーション」の過去の演奏では、一度面白い事がありましたね。
上記でその校名は既に出ていますけど、当時私も普門館の客席にいて「えっ・・」と思ったのですけど
1997年の愛工大名電の演奏時に、中間部をほぼノーカットで演奏しバスクラのソロをはさんで
後半展開部に一気に飛ぶという豪快なカットを聴かせてくれましたが
この中間部があまりにも感動的に高らかに鳴り響き、 聴衆の中でかなりの人が
「あ、これで演奏終了したか・・」と勘違いし、何を思ったか、その中間部の高まりが鳴り収まった瞬間に
フライングの拍手をしてしまったのです! しかも少数ではなくてかなりの人数でした!
(CDにはその様子がしっかりと収録されています・・・)
「あれ、この素晴らしい曲を知らない人も結構多いんだ」と当時思ったものですけど
おかげで、バスクラの弱奏のソロがまったくかき消されてしまい、バスクラ奏者が気の毒に感じたものでした。
名電のプレイヤーも驚いたかどうかは分かりませんが、後半の展開部のトランペットが
ヘロヘロ状態になったのは少し惜しまれます。
だけど冒頭とラストのコーダのホルンはほぼ完璧に決まり 、トロンボーンのラストの強烈なグリッサンドも見事に決まり
演奏終了後は凄まじいブラボーコールを受けていました。

だけどああいうフライング拍手というものはちょっと残念ではありますよね・・
二日連続の兼田敏関連記事です!

兼田敏の吹奏楽作品と言うと、誰が何といっても「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」でほぼ決定という
感じもあります。
兼田敏の作品で演奏される頻度と言うと吹奏楽コンクールでもコンサートでも圧倒的にパッサカリアなのだと感じますし、
他にもバラード・序曲・エレジー・交響的瞬間・交響曲などの優れた作品も多々あるのだとは思いますが、
やはり代表作と言うとパッサカリアという事になってしまうのだと思います。
兼田敏は吹奏楽コンクールの課題曲も幾つか作品を残していて、私の世代よりも一回り上の世代の皆様ですと
1967年の課題曲の「ディヴェルティメント」を思い出されるのかもしれないですし、
私の年代ですと1986年の課題曲B「嗚呼!」を思い出されるのだと思います。
(私自身は大学の吹奏楽団で嗚呼!を演奏しましたけど、あの課題曲はあの焦燥感と重たさが私にとってはちょっと嫌でして、
この課題曲を吹くのだったら、変容・序曲・テイクオフを演奏してみたかったです! 汗・・)
ちなみに私のようなオールド吹奏楽ファンで兼田敏というとパッサカリアと嗚呼!以外では、
日本民謡組曲「わらべ唄」~Ⅰ.あんたがたどこさ Ⅱ.子守歌 Ⅲ.山寺のお尚さん を思い出される方も
多いような気もします。

それにしても兼田敏の死はあまりにも早過ぎたと思います!
享年67歳だったと思いますが、まだまだこれからが円熟期という感じでしたし、これからも日本の吹奏楽の発展のためには
絶対に欠かすことは出来ない貴重な人材と誰しもが思っていた御方でしたので、その早過ぎる死には心より
お悔やみを申し上げたいと思いますし故人のご冥福を祈るばかりです。
盟友の保科洋が、現在、吹奏楽コンクールでは大人気となっている「復興」を作曲され保科洋自身が再ブレイクを
果たしているような感じでもありますので、「波の見える風景」の真島氏共々「惜しい方を亡くしたものだ・・」と
無念に感じるばかりです。

兼田敏の吹奏楽作品についてそのタイトルの表記なのですけど、
ある時は、「吹奏楽のための・・・・」、ある時は・・「シンフォニックバンドのための・・・」
そしてまたある時はウィンドオーケストラのための・・」と微妙に変化しています。
これは兼田敏の「吹奏楽」について年を重ねるごとになにか「意識の変化」みたいなものがあったという事なのでしょうか・・?

兼田敏の作品って全体的には例えばバラード・エレジー・交響的瞬間・嗚呼!に代表されるように大変内省的な印象が強く、
「心の風景」とか「その人の心の中の本音」を恥じらいを込めてひそやかにあぶりだしていくといった「奥ゆかしさ」みたいな
作風という印象が私の中であったりもします。
そうした意味において、パッサカリアは珍しくエネルギーを外に向けて思いっきり発散させているようにも感じられますし、
シンフォニックバンドのための序曲や交響的音頭や日本民謡組曲は「日本人でないとなかなかわからないわびさびの世界」を
表現しているように感じたりもしています。
そうした作風の中で「これって本当に兼田敏の作品なの・・?」と実は以前から一つ気になっている作品があったりもしまして、
兼田敏にしてはちょいと異質というか奇妙に感じてしまう作品が一つあり、それが何かと言うと
「ウインドオーケストラのためのファイヴ・イメージズ」という五楽章構成の8分くらいの曲なのです。

この曲って、パッサカリアみたいな分かりやすいエネルギーの放出+形式美といった雰囲気は微塵もありませんし、
「シンフォニックバンドのための序曲」みたいに「日本人で良かった・・・」みたいな「和のわびさびの世界」でもありませんし、
それまでの作風とは明らかに性質を異にしているし、今現在でも例えば静岡大の演奏や東京佼成の演奏を聴いても
何を言いたいのかさっぱり分からない言語不明瞭意味不明みたいな曲にしか聴こえてこないです。

5楽章構成の曲なのですけど、全体も8分程度の決して長くは無い曲ですので一つの楽章の演奏時間も極めて短いです。
Ⅰ・Ⅱがゆったりとした楽章、Ⅲが早い楽章、Ⅳがゆったり、Ⅴが早い楽章となってはいますけど
各楽章ごとの緊密性とか繋がりはほぼ皆無で、楽章ごとにバラバラな印象があります。
「心象」というのか「各自の心の風景」を描いた曲なのかもしれませんけど、
この曲で作曲者が私達に何を伝えたかったのかは、今でも私にはまるで理解できませんし、
この曲から「何かを感じ取れ・・」と無茶振りされても多分無理なような気がします。
こうやって書いてしまうと、いかにも私がこの曲が大嫌いなようにも聞こえてしまうのかもしれないですけど(汗・・)
確かにそれは否定はしませんけど、なにか妙に引っかかる曲でもあったりもします。
推理小説を読んでいて、ラスト1ページまで来ているのに何一つ謎が解明されず、
唐突に小説が閉じられるみたいな何とも言えない「すっきりしない感」が何かこの曲の持ち味なのかなとすら感じてしまいます。
曲自体別に激しく盛り上がる部分や泣かせる箇所は皆無ですし、聴かせどころも無いですし、ドラマも葛藤もありません。
あるのは「モヤモヤ感」のみと言っても過言ではないと思います。
だけど、この曲を聴いていると「別にストーリー性や劇的緊張感だけが音楽ではないじゃん」と思う時もありますし、
その妙なモヤモヤ感自体を楽しむというのがこの曲の一つの魅力と言えるのかもしれないですね。

ヘンな曲であるのは言うまでも無いのですし、兼田敏の曲としてはかなり異色な曲だとは思うのですけど、
もしかして兼田敏は「今までの路線」とは違う「何か」をこの曲でもって表現したかったのかもしれないですし、
路線変更みたいなものももしかしたら狙っていたのかもしれないと邪推してみたくもなってしまいそうです。
パッサカリアのような分かりやすさとは異なる何かを演出したかったのかな?とも思ったりもします。
この曲って何となくですけど 、あの無調音楽バリバリのシェーンベルクの「管弦楽のための五つの小品」と
どこかしら雰囲気と感覚が似ているような感じもあったりするように感じる事もあったりもします。
すこーーーしだけ似ているような感じもあったりします。
兼田敏とシェーンベルクやウェ―ベルン等の新ウィーン楽派との類似性を唱えている方も一部で既にいらっしゃるようですけど、
「さすがにそれは少しほめ過ぎだし、そこまではさすがに兼田敏も意識していないでしょ・・」と感じるのですけど、
確かにウェーベルンやシェーンベルクといったドライで無機質な音楽とモヤモヤ感と
この「ウインドオーケストラのためのファイブ・イメージズ」のモヤモヤ感はほんの少しだけ接点がありそうな感じも
実はあるようにも感じたりもします。

この曲は過去の吹奏楽コンクールでもほとんど演奏される事も無く、元々の委嘱団体である静岡大学吹奏楽団
による1988年の東海大会の演奏ぐらいにしかコンクールの演奏記録としての音源は残されていません。
静岡大学の演奏は、この捉えどころの無いモヤモヤ感をかなり適切に表現出来ているとは感じられるのですけど、
こういう曲を自由曲にされたら、奏者も困ってしまうのかもしれないですね・・(汗)

東京佼成ウインドオーケストラというプロの吹奏楽団からもこの曲はCD化されていますので、
あまりお勧めはしませんが、興味がある方は是非聴いて頂きたいと思います。
(多分、第一~第二楽章を聴いただけで退屈で嫌になってしまうと思いますけどね・・汗・・)

兼田敏についての記事なんて滅多に書く事も無いと思いますので(汗・・)少しばかり序曲と交響的音頭についても
少しばかり触れさせて頂きたいと思います。

「シンフォニックバンドのための序曲」の出だしはいかにも牧歌的な雰囲気で始まり、
オーボエのソロが実にパストラーレな雰囲気を醸し出していると思います。
昔のバンドジャーナルを見てみますと、
1970年代に前橋商業を指導し、邦人作品、特に小山清茂の作品を広めた大木隆明先生が
「私が取り上げたい邦人作品特集」の中で、真っ先にこの兼田敏の「シンフォニックバンドのための序曲」を挙げられていて、
「当部に上手なオーボエ奏者が入部してきたら今すぐにでも演奏してみたい曲」と相当高い評価をされていたのが
大変印象的です。
この序曲はゆったりとした出だしから開始され、展開部に入ると唐突にメロディーラインが変わり
音楽が躍動していったかのように感じたらすぐに静かな部分となり、終始静と動が静かに繰り返されるような感じでもあります。
こうした「ゆったりとした感覚」って何となくですけど日本人の心にドンピシャという感じがあり、
日本人にしかわからない感覚を覚えたりもします。
「郷愁」とは違うとは思いますけど、「心のふるさと」みたいにどこかなつかしい感じがすてきですし、
終わり方も実にあっさりと終わるのが実にこの曲らしい感じもあります。
盛り上がる部分もあまり無いし、確かに地味な曲なのですけど、こういう内省的な雰囲気はわびさびの世界にも
つながるようなものがあるのだと思います。

「シンフォニックバンドのための交響的音頭」はある意味異色な曲なのかもしれないです・・

交響的音頭は、人によっては「日本版ボレロ」と言われることもあります。

「ボレロ」はラヴェル作曲の大変メジャーな曲で、曲の開始から小太鼓が一定のリズムを最後まで叩き、
メロディーは終始変わらないものの、ロ楽器を変えることで曲に変化を付けて延々15分程度繰り返していくという曲です。
(ラスト3分前あたりから小太鼓がもう一台追加され計二台で叩き、
 ラスト1分前辺りでティンパニが変調した所でメロディーラインに初めて変化をつけるという構成も素晴らしいです!)

「交響的音頭」はボレロと同じように終始打楽器が一定のリズムを叩き、
(ボレロのように小太鼓だけというのではなくて、ティンパニ・小太鼓・大太鼓・シンバルという
 打楽器セクションとしてリズムを終始刻む事がボレロとの大きな相違点と言えると思います)
そのリズムに乗っかる形で、様々な管楽器の組合せが、同じような素朴なメロディーを延々と8分近くつないでいくという
ある意味単調でモノトーンのかたまりみたいな曲です。
この曲誰もが感じると思うのですけど 、一言で言うと、非常に泥臭い曲と言えると思います。
悪く言うと、「何の突っ込みもボケもなく、淡々と鄙びた旋律を打楽器の一定のリズムに乗っけた
何のオチもない曲」とも言えます。
この鄙びた感覚、素朴な村祭りの行列みたいな感覚は、西洋の感覚では理解しにくいものがあるかもしれません。
日本人だから「何となく理解できる・・・」みたいな感覚の曲と言えるのかもしれないです。

この「交響的音頭」は技術的にヘタなチームが何の工夫も無く気持ちを込めないで演奏されると、とてつもなく退屈で
冗長に聴こえるのですけど、うまいチームが演奏し「日本人のわびさびの感情」を込めて演奏されると
とてつもなくツボにはまってしまう曲と言えると思います。
泥臭い日本的な吹奏楽作品というと、例えば渡辺浦人の交響組曲「野人」とか小山清茂の太神楽など色々と
あるとは思うのですけど、この交響的音頭の泥臭さを超える邦人作品は
多分これから先も出てこないような予感もありますね・・ この曲自体に「洗練」のせの字もないというのも大変面白いですし、
この曲がパッサカリアの兼田敏と同じ作曲者というのもすてきな多様性と言えるのかもしれないですね~!


当ブログの吹奏楽カテゴリにおいては、
ホルストの第一組曲とかヴォーン=ウィリアムズのイギリス民謡組曲とかグレンジャーのリンカンシャーの花束とか
C.ウィリアムズの交響組曲とか リードのパンチネルロなどたまにですけど「古きを訪ねて新しきを知る」みたいな
古典的な吹奏楽オリジナル作品を取り上げさせて頂くことも多々あるのですけど、
当然ながら、こうした優れた内容の吹奏楽オリジナル曲は別に欧米の作曲家だけが全てという事は絶対にありません。
邦人作品にだって優れた内容のオリジナル曲は一杯ありますし、
今現在の吹奏楽コンクールにおける「邦人作品の隆盛」というものは、別に最近始まった事ではなくて
実は1970年代から既に脈々と受け継がれてきていて、その一つのピークがここ数年の邦人作品ラッシュという事
なのだと思います。
そしてその邦人作品の一つの頂点は私的には保科洋の「復興」なのだと思います。

そして、その1970年代に作曲・初演された邦人作品を代表する曲の一つが
兼田敏の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」という大変優れた作品なのだと私は思います。

このパッサカリアなのですけど、
音楽之友社の創立30周年を記念して委嘱され、1971年の9月から10月にかけて作曲されました。
初演は1972年5月30日に、東京音楽大学シンフォニック・ウィンド・アンサンブルによって行われていますけど、
その年、1972年の吹奏楽コンクール・全国大会にて、浜松工業が自由曲として取り上げ見事にこの曲でもって
金賞を受賞しています。
そしてこの曲なのですけど、浜松工業の全国初演から2017年末時点において全国大会で13回も演奏されています。
邦人作品としては異例とも言える人気の高さですし、この曲が忘れられずに演奏され続けている事は
本当に凄い事だと思いますし、
この曲の「普遍的な価値」を立証していると思います。
まもっとも2004年の福岡工業大学のあの素晴らしい演奏以降、全国大会では10年以上自由曲として
演奏されていないのは「ちょっとさびしいな・・」と思う事はあったりもします。
だけど支部大会でアマチュア吹奏楽団の演奏会等で引き続きこの素晴らしき邦人オリジナル作品が今現在も
演奏され続けている事は本当に素晴らしい事なのだと思いますし、
曲自体に「何か」を有している曲は初演から何年経過しても忘れ去られる事なく演奏され続ける事をすてきに立証している
のだと思います。
(この曲が2017年末時点で支部大会で通算145回も自由曲として選ばれている事も賞賛に値するものがあると思います)

シンフォニックバンドのためのパッサカリアは構成美に優れていると思います!
冒頭に十二半音階の音を全て用いた10小節の主題がチューバ等の低音楽器によって提示され、
古典的な「パッサカリア」の形式により18の変奏がその後に展開されていくのですけど、
その展開がとってもわかり易いというのが実に秀逸だと思います。
演奏時間も6分半~7分程度と適度に短いのもポイントが高いと思いますし、飽きさせない一つの要因になっている
とも思ったりもします。
冒頭で提示された主題は、終始反復されるのですけど、
第4変奏で急速にテンポを上げたかと思えば(この部分のホルンがとてもかっこいいです!!)
第12変奏は軽快なワルツになるなど、テンポや曲調を変えながら、多彩な変奏を展開させていきます。
ラストの力強い終わらせ方も大変エキサイトさせてくれます!!

この曲の魅力を一言で述べると、
構成美に優れていると同時に音楽的にも非常に分り易く、且つサウンド的な迫力も十分という事で
邦人作品としてはわかりやすさと音楽的魅力の両面を十分に両立させた草分け的存在の曲だと思いますし、
そしてその魅力は作曲から50年近く経過した今現在でも全く色褪せている事は無い事でも立証されていると思います。

この曲は全国大会でも支部大会でも色々なチームが演奏し名演を残しています。

全国大会の演奏では1978年の石田中学校の演奏がとっても素晴らしいと思いますし名曲の名演だと思います。
石田中の演奏は、サウンドが絹のように柔らかくとても洗練されているのですけど、同時に
力強さも備わっていて、同時に迫力という点でも十分に及第点に達していると思います。
最近の演奏では、福岡工業大学の演奏も「温故知新」を絵に描いたような素晴らしい演奏だったと思います。
それとこの曲をあのヤマハ浜松も1976年の全国大会で自由曲として選んでいる点も特筆されるべきものがあると思います。
(76年のヤマハ浜松の課題曲はカンティレーナなのですけど、ヤマハみたいな大御所チームが演奏すると、
ああした可憐な曲もグランドマーチ風に聴こえてしまうのは大変面白いものがあるように思えます・・笑)

兼田敏の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」は一度すごい事をやってくれています!

何かと言うと、1981年の吹奏楽コンクールにおいて、全国大会・支部大会で演奏されたオリジナル・邦人・クラシックアレンジ
全ジャンルの中で一番演奏された曲が、実はこの兼田敏の「パッサカリア」だったのです!
いや、これはすごい事だと思います。
なぜかというと、当時、1970年代後半から80年代の吹奏楽コンクールにおける邦人作品の扱いは正直思いっきり低くて、
自由曲に「邦人作品」を選んだだけで「珍しい!!」と言われてしまう時代でもありましたから、
これはまさに「快挙」と言えたのかもしれませんよね。
ここ数年の「邦人オリジナル作品の大人気」を一つの先駆けと言える曲だと思います。
私が現役奏者だった頃って、邦人オリジナル作品と言うと、兼田敏・保科洋・小山清茂・大栗裕あたりしか思い浮かばなかった
ですからね・・
邦人作品が吹奏楽コンクールで注目され始めるきっかけとなったのが田中賢のメトセラⅡ・南の空のトーテムポール・紅炎の鳥
なのだと思いますし、その意味では田中賢の吹奏楽における貢献は高く評価されて然るべきなのだと思います!

吹奏楽コンクールの人気自由曲には廃り流行というものは当然あるものですし、
今現在ならば、ローマの祭り・ダフニスとクロエ、サロメ、ウインドオーケストラのためのマインドスケープ、中国の不思議な役人、
歌劇「トスカ」、宇宙の音楽、吹奏楽のための交響曲「ワインダーク・シー」などが人気なのかもしれないですけど、
1981年という一年間限定ですけど当時最も自由曲として演奏された曲がパッサカリアというのもちょいと意外な感じも
ありますし、やはり「時代は着実に変ったよね~」と感じさせるエピソードなのだと思います。
もっとも1981年あたりは、ローマの祭りを取り上げるチーム自体少なかったしですし、
(ローマの祭りがブレイクしたのは82年の弘前第三中と83年の高岡商業の貢献が極めて大きいと思います!)
「ダフニスとクロエ」第二組曲とかスペイン狂詩曲は、アレンジの問題でコンクールで演奏する事自体難しい時代であった
というのも吹奏楽コンクールの歴史を示唆する話なのだと思います。
1981年の四国大会で「ダフニスとクロエ」を選曲した観音寺一高が著作権の問題で全国出場を辞退する羽目となり、
千葉県大会を「スペイン狂詩曲」で勝ち抜いた市川交響吹奏楽団が、自由曲変更を吹連から指示され
関東大会では急遽自由曲を「寄港地」に変更し、それでも関東大会で金賞を取れてしまう時代であったというのも
今ではありえない話なのかもしれないですね・・

最後に、これは思いっきり私自身のの思い出話になってしまうのですけど(汗・・)
私自身は極めて残念なことにこの「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」は演奏した事はありません・・・(泣)
一度ぐらいは絶対に吹いてみたかった曲の一つでもありました。
だけどこの「パッサカリア」は一度演奏できるチャンスは実はあったのでした。

私が高校2年の時の定期演奏会のファーストステージ(吹奏楽オリジナル作品のみを演奏するステージ)において、
この兼田敏のパッサカリアが演奏曲の一つの候補になっていたのでした。

ファーストステージは吹奏楽オリジナル セカンドステージがポップス サードステージが
クラシックアレンジという構成で、サードステージの曲目は簡単に決まったものの、
ファーストステージの曲目の決定は難産を極めました。
当初の話し合いでは、部員全員の投票で上位三曲をファーストステージの曲目にするという段取りではあったのですけど、
実際の投票においては、

第1位 海のうた(ミッチェル)
第2位 吹奏楽のための第二組曲(リード)
第3位 吹奏楽のための第三組曲(ジエィガー)
という投票結果でした。

この結果は、実は私自身が投票した曲とピタリと一致するもので、「こりゃすごい・・!」と
自分自身でも驚いたものですが、その後、理屈っぽい先輩たちから
「同一ステージで組曲を二つ演奏するのはおかしくないか・・?」という異論が相次ぎ
色々と話し合いの結果、第3位のジェイガー/第三組曲と第4位から第8位までの曲を再度投票して
決めようという事となりました。
その結果出てきたのが、部員誰もが予想外の曲、兼田敏「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」だったのでした!!
だけど、上位1位のパッサカリアと第2位のリード/ジュビラント序曲の差がわずか一票差であり
再度喧々諤々の討論の末、パッサカリアとジュビラントを決選投票にかけ、多い方を文句なく
選出するという事で落ち着き、その結果、ジュビラント序曲が選ばれたのでした。

当時その決選投票で私自身が入れたのはジュビラント序曲でしたけど、
今現在の感覚ならば、絶対にパッサカリアに一票入れたと思います!!  (笑)
だけど結果的にこの「ジュビラント序曲」のクラリネットファーストパートを任せられたことが一つのきっかけとなり
私自身がクラリネットという楽器に対して「もっと真剣に向き合って練習しないとダメだ・・」と自覚する原因を作ってくれた
曲でもありますので、これはこれで結果オーライなのかもしれないです。
打楽器(パーカッション)の場合、管弦楽での呼ばれ方と吹奏楽での呼ばれ方が異なるみたいな楽器もあったりします。
例えば、吹奏楽においては「ドラ」と呼ばれる楽器は、管弦楽の世界では「タムタム」と呼ばれる事もあります。
音楽専門書とか名曲解説ではほとんど「タムタム」という表記の方が多い気がします。
ちなみにですが、打楽器の「トムトム」なのですけどジャズの世界ではなぜかそれが「タムタム」と呼ばれる事もあるみたいです。

「テューブラーベル」と聞いても普通の方は「なにそれ・・・?」みたいな感じになるかもしれませんけど、
これは早い話が、あのNHKののど自慢の鐘の事です。
教会などで見られるような鐘を、演奏会の舞台で演奏しやすいように、ひとつひとつの鐘を管状(チューブラー)にして、
ピアノの鍵盤の順番と同様に並べて吊るした打楽器の一種なのです。








chimes-Mus.jpg








この楽器ですけども通常は木製or プラスチック製 or 皮製の「ハンマー」を使用して管(チューブラー)を叩く事で
壮麗な音が出ます。
専用スタンドの下部にはペダル式のダンパーがあり、これを操作することで余韻を調節することが出ますし、
音を止める事も出来ます。
指揮者の指示により、音の余韻を一瞬で止めたい時には手で管を抑え付け止める方法もあったりします。

この楽器は、管弦楽の世界では「チューブラーベル」と呼ばれる事が多いのですけど、
吹奏楽の世界では、「コンサートチャイム」と呼ばれる事が多いです。

この「チューブラーベル」ですけど、管弦楽の世界では19世紀後半頃から楽譜に登場するようになります。
この楽器を一番最初に効果的に使用したのは、チャイコフスキーの荘厳序曲「1812年」ではないのかな?と思ったりもします。
そうした事を書くと、一部のクラシックマニアの方たちなどから
「それって違うじゃん・・・この楽器を最初に効果的に使用したメジャーな事例ってベルリオーズの幻想交響曲が
最初ではないの・・?」とツッコみが入りそうではあるのですけど。
幻想交響曲は、作曲者の指定はあくまで「カリヨン」、つまり、本物の鐘ですので、ここでは一応除外させて頂きたいと思います。

この「チューブラーベル」(コンサートチャイム)を効果的に使用したオーケストラの曲って何があるのかな・・?

色々ありますけど、ざっと思い当ったところでは・・・

〇マーラー/ 交響曲第2番「復活」

〇マーラー/ 交響曲第3番「夏の朝の夢」~第五楽章

〇ハチャトゥーリアン/ 交響曲第2番「鐘」

〇コダーイ/ 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」~Ⅱ.ウィーンの音楽時計

〇レスピーギ /交響詩「ローマの祭り」~Ⅲ.五月祭

〇松村貞三 / 交響曲~第三楽章→2台のチャイムを駆使しています!

〇ビゼー/シチェドリン編曲版 /カルメン組曲 →冒頭がチャイムのみの「ハパネラ」で開始されます・・・

〇M.アーノルド/ 組曲「第六の幸運をもたらす宿」→特にハッピーエンディングでの連打はすてきですね~!

〇ブリテン/ 歌劇ピーター・グライムズ」四つの海の間奏曲~Ⅱ.日曜日の朝

などがあると思います。
他にも色々とあるはずだと思うのですけど、こういうのって一旦記事にした後で
「あっ、いけない! あの曲を入れておくの忘れていた・・!」という事が往々にしてあるのですよね・・・(汗・・)
ちなみにですけど、私自身が管弦楽における交響曲において、
「コンサートチャイムってこんなに効果的に静粛に荘厳に響くんだ・・」と初めて実感したのは矢代秋雄の交響曲~第四楽章
において、アレグロに展開する直前に曲が一旦静粛となった際に、コンサートチャイムがかなり効果的に響いているのを
耳にした瞬間でもありました。
(1982年の全日本吹奏楽コンクール全国大会・高校の部における仁賀保高校の矢代秋雄の交響曲の演奏でも
あの部分はかなり効果的にコンサートチャイムが響いていました!)

そしてここからがやっと本題なのですけど、吹奏楽オリジナル作品においては管弦楽作品以上に
「コンサートチャイム」が活躍する曲ってたくさんあると思います。
一例を挙げると、ヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエーション」とか
スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」・「ルイ・ブルジョアの讃歌による変奏曲」・「フェスティヴァルヴァリエーション」とか、
ネリベルのアンティフォナーレや二つの交響的断章、
ヤン・バン=デル=ローストのオリンピカ、
そして懐かしいところでは、スゥエアリンジェンの狂詩曲「ノヴェナ」など色々とあると思います。
そうそう、A.リードの吹奏楽のための組曲「ハムレットへの音楽」のⅠの終結部のコンサートチャイムの壮麗な連打も
大変印象的でしたし、あの部分は1988年の市立川口高校が「これでもかっ!」と言わんばかりに2台のカリヨンを
とてつもない強奏で鳴らし普門館の隅々にまで鐘の音を鳴り響かせていたのは大変印象的でした!
A.リードというとエルサレム讃歌のチャイムも壮麗な響きでしたし、それに比べると地味かもしれないですけど、
バーンズの交響曲第2番~第二楽章の静粛な場面で静かに荘厳に鳴り響くコンサートチャイムは個人的には
大好きな箇所であったりもします。
吹奏楽コンクールの課題曲において一番最初にコンサートチャイムを使用した曲ってなんなのかな・・?
1985年の課題曲Bの「波の見える風景」なのかな・・?
あの課題曲の冒頭からコンサートチャイムが鳴り響いていたのもすてきでしたね~!
これは確証はないのですけど、私が中二の時の課題曲C/幼い日の思い出のラストにおいて、確かフルスコアでは
コンサートチャイムも入っていたような記憶もあるのですけど、実際の演奏であの課題曲でチャイムを使用していた事例は
見た事も聞いた事もないので、あれは私の勘違いかはたまたオプション扱いなのだったのかもしれないですね。

だけど私的には、吹奏楽オリジナル作品で「コンサートチャイム」が大活躍する曲というと、オーエン・リードの
交響曲「メキシコの祭り」に尽きると思います!!
だってこの曲、第一楽章の冒頭がいきなり、コンサートチャイムの目覚めの乱打から開始されますし、
第二楽章の冒頭もやはりチャイムの響きから開始されます。

この交響曲は、下記の三つの楽章から構成されています。

Ⅰ.前奏曲とアスティックダンス

Ⅱ.ミサ

Ⅲ.カーニヴァル

Ⅰ.前奏曲とアスティックダンス

冒頭がいきなりチャイムの乱打・ホルンの雄叫びと
ティンパニ・大太鼓・スネアドラムの強打から開始され、この部分だけでも相当のインパクトがあります。
前半部分は、祭りが始まる前夜~夜明けをイメージしたものと思われますが、
結構夜が明けるまで長いような感じもします。
この第一楽章は10分程度の曲なのですけど、冒頭から夜が明けるのに6分程度も掛かっていますので、
「なかなか夜明けがやってこない・・」みたいな雰囲気もあるのですけど、後述しますがバンダによって夜明けのイメージの
部分が開始され、祭りが始まるとあとはクライマックスに向けての熱狂的な踊りが展開されていきます。

夜明け、そして太陽が昇り、祭りが始まるシーンは、
舞台裏から「バンダ」(別働隊)として奏でられるトランペット・トロンボーン・クラリネット・大太鼓・シンバル・小太鼓の
ミニ楽団によって演奏され、舞台裏から聴こえてくるという事で、
遠くから祭りのざわめきが聴こえてくるというイメージなのかもしれません。
このバンダ演奏部分の際は、舞台の本隊の楽団の方は奏者は全員お休み状態です。
後半は、エキサイトなダンスシーンです。
ティンパニとトムトムの掛け合いが非常に面白いし、ティンパニーのソロが実に決まっていて格好いいと思います。
あの部分のティンパニ奏者は気分爽快だと思います。
曲は一気に駆け上がって終わるのですが、その終わり方もffで終わるのではなくて、
最後にドラがゴーーーンと壮大に鳴り響き、その余韻と共に静かにとじられていきます。
こうした曲のラストでドラがゴワワワー―――ンと鳴り響き、その余韻で閉じられていくというパターンは、
管弦楽曲ですけど、レスピーギの交響的印象「境界のステンドグラス」~聖天使・大ミカエルでも使用されていたりもします。

Ⅱ.ミサ

この楽章は「祈り」と記されるプログラムもありますが、私としてはミサと言う方がなんとなくミステリアスな雰囲気が
ありそうで好きです。
この楽章は、第一楽章の興奮をそのまま引きずったように、冒頭からチャイムが鳴り響き、
金管楽器の大音量的コラールで始まります。
だけど盛り上がるのはこの部分だけで、あとは終始ゆったりとした音楽が展開されていきます。

メキシコというとカトリック教徒が多い国でもあったかとは思うのですけど、そうした教会での厳粛なミサを挙行し、
信者たちが荘厳な祈りを捧げているみたいな厳粛な雰囲気は感じられます。
そしてこのⅡの「ミサ」を人間の「聖なるもの」とすると、続くⅢの「カーニヴァル」はまさに人間の「俗なるもの」なのだと
思います。
Ⅱの静粛で厳粛な雰囲気で、少しストレスが溜まったものが、次のⅢのカーニヴァルで一気に爆発し、
人間の欲・快楽・バカ騒ぎが炸裂しまくります!

Ⅲ.カーニヴァル

この交響曲のラストを飾るのに相応しい楽しさ満載のノリノリな楽章です。
冒頭は、何となくストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」第四場の冒頭に
何となく雰囲気が似ているような気がするのは多分気のせいなのでしょうね・・・(汗・・!)
だけどこの楽章は、奏者も指揮者も大変だと思います。
このリズム感をどう正確かつエキサイトに演奏するかは非常に難しいものがあると思います。
終始三拍子系なのですけど、ビートの躍動をどう表現するか指揮者の技量がストレートに出そうな気もします。
結構マリンバが終始大活躍していますけど、マリンバ奏者も相当のハイテクニックが求められそうです。
トロンボーンの粋な感じで半分酔っぱらったような勢いあるソロも実に巧みだと思います。

このⅢの総譜を一度読んだことがあるのですけど、曲自体はどことなくのんびりとした雰囲気があるのに、
指揮者にとってはとにかく「全体を合わせる事」が大変難しいようにも感じられますし、
奏者の視点で見てみると、指揮者をよく見て全体の流れに自分をうまく乗せていかないと、いつの間にか
全体の流れに一人取り残されてしまう・・みたいな危険性を感じたりもしたものでした。

全三楽章の曲なのですけど、多分ですけど技術的に一番大変なのはこのⅢのカーニヴァルのような気もします。

吹奏楽コンクールのこの曲の名演ですけど、一つ素晴らしい演奏があります。

1988年の一般の部に東北代表として演奏していた米沢吹奏楽愛好会の第一楽章・前奏曲とアズティックダンスの
演奏は大変素晴らしいものがありました!
夜の長さも全然冗長に感じませんでしたし、踊りの部分の躍動感が素晴らしかったですし、ラストへ向かう追込みが
圧巻でした!
私としては「当然の金賞」と思っていたのですけど、結果はまさかの銀賞・・
うーーん、あの素晴らしい演奏のどこが銀賞なのか、私にはいまだにさっぱり理解できません・・

全国大会では、他には天理高校とか長岡吹奏楽団とかが第一楽章を取り上げていますが、
神奈川大学も、こんなバリバリの正統派オリジナル曲を選曲しています。
(神大は小澤先生が来る前は、メキシコの祭りとか、仮面舞踏会とか、ジェリコといった
正統派古典オリジナル曲を取り上げています)

面白いのは、1977年に電電中国(現・NTT西日本)が第一楽章を取り上げ、
翌年の1978年に第二楽章「ミサ」を演奏している事です。
いかにも吹奏楽に自分なりのこだわりをお持ちの佐藤先生らしい選曲だと思います。
でもコンクールでほとんど盛り上がり要素が少ないミサだけを演奏してもインパクトは弱いし、アピールは大変だったでしょうね。

Ⅲのカーニヴァルを自由曲にしたチームでは「これぞ名演!」という決定打に欠ける感じはあります。
強いて言うと、1976年の函館中部高校なのびのびとした雰囲気は見事なものがあると思うのですけど、
部分的にリズムがかなりギクシャクしているのは惜しいです・・

考えてみるとこの「メキシコの祭り」は、吹奏楽コンクールにおいては、全楽章・・つまりすべての楽章が
自由曲として演奏されている事になりますね!
一般的に吹奏楽でも管弦楽でも「交響曲」という形式においては、静粛な抒情楽章というものがある関係で
全ての楽章が自由曲になる事は極めて稀なのですけど
(かなり昔の話ですけど、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のあの全てがアダージョで悲しげに演奏される
第四楽章が自由曲として演奏されていた事は驚きでした!!)
この「メキシコの祭り」は、三楽章全てが単独ではありますけど、全て全国大会で演奏されていたというのは
大変興味深いものがあると思います。
ちなみにですけど、そうした全楽章全て自由曲として演奏された珍しい交響曲の事例としては、
ジェイガーの「吹奏楽のための交響曲」というケースもあったりします。
ジェイガーの交響曲は、ほとんどは第四楽章が演奏されているのですけど、
1980年の北海道教育大学函館分校のように第一楽章を自由曲として演奏された事もありますし、
はたまた1977年の舟入高校OB吹奏楽団のように、第二・第三楽章を自由曲として演奏されていた事もありますので、
ジェイガーも全楽章演奏の数少ない事例と言えそうですね。
そうそう・・参考までに舟入の場合は、第三楽章がゆったりとした抒情楽章で、第二楽章が活発なスケルツォ楽章ですので、
実際に演奏したのは、第三楽章を先に演奏し、その後に第二楽章が演奏されています。

どちらにしてもオーエン・リードのメキシコの祭りもジェイガーの吹奏楽のための交響曲も
忘れることなく演奏され続けてほしいオリジナル曲の一つだと思います!!

この古典的吹奏楽オリジナル作品の名作も、現在ではほとんど演奏されていません・・・(泣・・)

この曲は「コンサートチャイム」の大活躍だけでも聴く価値があると思いますし、名作の名に恥じない
素晴らしい曲でありますので
是非是非どこかのチームでも忘れずに演奏し続けて頂きたいと切に願っています!!
私自身がまだそれほど「クラシック音楽」の概念とか諸作品を知らない頃としては、
イメージとしては「協奏曲」と言うと、ヴァイオリン・ピアノ等のソロ楽器とバックの管弦楽団との
掛け合いみたいなものを想像しており、
例えば、バルトーク/管弦楽のための協奏曲 三善晃/管弦楽のための協奏曲などのような
タイトルに「協奏」というワードが入っているにも関わらずソロ楽器がオーケストラを伴奏にして曲を展開していかないことに
違和感を感じ「これはタイトルに反する曲じゃん・・」と一人でブツクサ言っていたものです・・(汗)
要はあの「協奏」とは別にソロ楽器対全体という意味ではなくて
管楽器・弦楽器・打楽器等がオーケストラと対話をすると言うのか、各楽器を独奏楽器のように扱いつつ
全合奏とパートアンサンブルを巧みに交錯させる曲みたいなもので、
この辺りは厳格な定義というものは特にある訳ではないという事は当時はまだ全然知らなかったという事なのだと思います。
クラシック音楽の場合、こうした事例はよくある事で、例えば、R.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」は
タイトルは交響詩となっていますけどこれはどう聴いても交響曲という形式にしか聴こえないようにも感じられますし、
同じくR.シュトラウスのアルプス交響曲は、古典的な交響曲の形式から言うと
「これは交響曲という形式は何もなされていないし、どう聴いても長大な交響詩じゃん・・」という風に聴こえますし、
またまたR.シュトラウスネタなんですけど「家庭交響曲」は、
「交響曲の中に子育てのシーンとか夫婦喧嘩の場面を盛り込むなっちゅーに! これは誰がどう聴いても交響詩じゃん!」と
私なんかは感じてしまいますし、
他の事例としては、ラロの「スペイン交響曲」は、誰がどう聴いても生の演奏光景を見てもヴァイオリン協奏曲にしか
思えない曲もありますし、同様な事例としてベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」が挙げられると思います。
またそれでは、連作交響詩と交響組曲は一体どこが違うの・・?とか
マーラーの交響曲「大地の歌」が交響曲と呼ばれるのにどうしてマーラーの「少年の魔法の角笛」は歌曲集とか
管弦楽伴奏付歌曲としか呼ばれないの?とか
サン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付」はオルガン協奏曲とどうして呼ばないの・・?などなど細かく言うと
たくさん出てくると思います。
他には・・・
メシアンの「トゥーランガリア交響曲」もその辺が少し曖昧かもしれませんよね。
この交響曲自体大変長いです第10楽章まであるし、おまけに曲自体大変難解で結局何が言いたいのか私も
正直いまだによく分かりませんし(汗・・)
何よりもピアノをソロ楽器として用いる他に「オンド・マルトノ」という特殊楽器とのダブル協奏曲という解釈もできるのかなと
思ったりもします。

要は、早し話それは「作曲者の気分次第」という事であり、作曲者が自ら「この曲は交響曲である!」と自筆譜に書き込めば
たとえその曲が協奏曲とか交響詩みたいな形式で書かれていたとしても、それは音楽史上は交響曲となってしまいますから、
やはり作曲家の先生の権威はなかなか大したものがあるのだと思います・・(汗・・)

あ・・なんだか冒頭から話がそれてしまいましたね・・(汗・・)

1976年の全日本吹奏楽コンクール・課題曲B/吹奏楽のための協奏的序曲もタイトルに「協奏的」と記されていますので、
タイトルだけを見てしまうとソロ楽器と全体の掛け合いを意識した曲なのかな・・?とも感じさせてくれるのですけど、
確かにオーボエ・フルート等のソロ楽器の場面も出てきますけど、それほどソロ楽器と全体の掛け合いというイメージも
ないように感じられます。
曲のおおまかな構成として、ファンファーレ風の序奏→主部→緩徐部分→コーダから成り立っていると
思うのですけど、その主部の展開に関しては、
各パートが順番に同じフレーズをソロ的に演奏していくという、いわゆるフーガ形式を取っているので
そうした感じが「協奏的」というタイトルにピッタリなのかな・・とも思ったりもします。
あくまで私の感覚ですけどこの「吹奏楽のための協奏的序曲」のフーガ形式による管楽器による同じフレーズの反復というのは
バルトークの「管弦楽のための協奏曲」~Ⅱ.対の遊びの感覚に大変近いようなものがあるような感じもします。
バルトークの「対の遊び」は
ファゴット・クラリネット・フルート・オーボエ・トランペットの各楽器が2本ずつ対となって繊細なメロディーラインを
吹き、それが全体と鮮やかな「対比」を示しているような感じがありますし、
音の薄い部分又はソロ対トゥッティ(全奏)の対比が「協奏的」という感じに近いと言えるのかもしれないですね。

この課題曲、当時から言われていましたけど技術的には大変難しいものがあると思います。
各パートもそうですし奏者一人一人の確かな技術が求められますし
一つでも崩壊パートが出てしまうと曲全体が破綻・・という可能性も秘めた大変難しい曲だと思います。
作曲者の藤掛廣幸氏ですけど、この課題曲の公募入選以降
1983年の課題曲B/白鳳狂詩曲、1991年の課題曲C/ロックンマーチとこれまでに計3作品が課題曲として
演奏されていますけど
1976年の課題曲B/吹奏楽のための協奏的序曲が一番難易度が高いようにも感じられます。
そういえば「白鳳狂詩曲」もピッコロのソロからそれにクラリネットが加わり、やがて全体での主題提示という曲想に
なっていくのですけど、言われてみるとそうした協奏的な雰囲気もあったように思えます。

このかなりの難曲の課題曲に結構多くのチームが挑んでいましたけど、レコード・カスタムテープ・You tubeで聴いた限りでは、
大半のチームは演奏崩壊という印象もありました。
当時の中学校の部でもこの課題曲に挑んだチームが幾つかありましたけど、相当苦戦した痕跡が窺われますね。
当時の名門・豊島第十中学校もこの課題曲に挑み、後日のBJ評でもかなり高い評価を受けてはいるようですけど、
あくまで私が感じた限りでは、前半はよかったけど部分的にかなり不安定な箇所が見受けられましたし
ラストのホルンはかろうじて外しはしなかったものの息も絶え絶えという感じだったと思います。

この課題曲ですけど、とにかく冒頭からかっこうよかったですよね!!
この曲、ラスト近くもホルンが雄叫びをあげて大活躍をするのですけど、出だしも
ホルンのユニゾンから開始され、あの勇壮な感じは中世の十字軍とか騎士団みたいな雰囲気もあり、とにかく素敵でした!!
そして展開部なのですけど
ピッコロから開始され、クラリネット→サックスへとメロディーラインが展開されていくのですけど
この曲、高校の部室にもスコアが残されていたので一度クラリネットのパート譜を見ましたけど、やはりかなりの難曲でした!
正直に言うと私の下手くそなテクニックでは演奏不可能という感じもありましたし、
とにかくリズム感を掴むのが難しいし周りと合わせるタイミングの取り方が難しいという印象を当時持ったものでした。
よくこの課題曲はホルンパートが大変難関という話を耳にしますけど、実際は全てのパートが大変だったと思います。
中でもクラリネットパートの指使いの難しさはとにかく半端無いものがあるとしか言いようがないと思います。
中間部はアルトサックスの美しいソロが大変魅力的ですね・・!!
そしてこのうっとりするような中間部が終わりコーダに入り、終結部に入ると
指揮者・全奏者、そして・・特にホルンパートにとっては緊張の瞬間が待ち受けます!
そう! あのホルンの勇壮な雄叫びが待ち構えているのですけど、
あの部分は決まると大変爽快ですけど外すととてつもなく印象が悪くなると思いますし、あの部分をホルンが外した演奏は
何度も聴いたことがありますけど、「かっこわる~い! みっともなーい!」という感想になりがちですね・・
全国大会でもあのホルンの雄叫びを外すチームはかなりありましたし、
そして曲のエンディングは金管楽器はとにかく大変だったと思います。
この課題曲の終結部は本当に息も絶え絶えで討死寸前というなんかある意味切迫感も多くの演奏から感じたものです。

この吹奏楽のための協奏的序曲はビシッ!と決まると本当に爽快ですよね!!

さてさて、この課題曲の名演ってどこなんでしょう・・?

正直「これで決まり!!」という決め手に欠く感じがありますけど
私が知っている限りにおいては秋田南高校の演奏が一番素晴らしいと思いますし、この曲の名演はやはり
秋田南高校なのだと思います。
秋田南は、前述のホルンの部分も含めて、ほぼノーミスに近い演奏ですし、
なによりもあの躍動感とダイナミックさが本当に素晴らしいと思います。
1976年の秋田南と言うと、あの「ペトルーシュカ」の不滅の名演の印象が大変強いのですけど、
実は課題曲も大変素晴らしい演奏を聴かせてくれていたのでした。

この年、1976年の高校の部ですけど、とにかく今では信じられないほど審査結果は大変激辛というのか
大変厳しい結果になってしまいました!
高校の部の出場チームは20チームなのですけど、金賞はわずか3チーム、そして銀賞も金と同じく3チーム、
そしてなんと残りの14チームは全て銅賞と言うすさまじい激辛審査結果となってしまいました!!
この年の銅賞チームの中には、
天理・浜松工業・嘉穂・名古屋電気・尼崎東・前橋商業・富山商業なとのような素晴らしい実績を残してくれた
チームが軒並み銅賞という結果でしたからね。
銅賞チームの名誉のためにあえて書いておきますけど、銅賞だからと言って全然ひどい演奏はしていません。
浜松工業・名古屋電気・前橋商業あたりは他の年ならばもしかして金賞という評価もありえたと思いますし、
それ以外の銅賞でも、函館中部の「メキシコの祭り」とか逗子開成の「ロデオ」は大変個性的な快演であり、
私は結構好きな演奏です。

当時のBJでは、銚子商業の課題曲B/協奏的序曲と自由曲の「寄港地」が大変高い評価を受けているのですけど
私が聴いた限りでは、「凡演に近いし、寄港地のオーボエソロも並以下じゃん・・」という感想になってしまいます。

やはりこの年の高校の部では秋田南が課題曲も自由曲も頭一つ飛び抜けていたと思います。

昔から、コンクールの審査結果というものは、別に絶対的な「価値基準」はないんだなという事を
改めて痛感させられたような大会だったようにも今更ながらに感じられますね。
そして「私」にとっての感想は「私が感じた事」が、艦これの白露お姉ちゃんではないですけど「いっちば~ん!」なのだと
思いますね!!
風紋が課題曲となった1987年とその前年の1986年は課題曲の当たり年だったと思います!

特に1986年の課題曲、変容・嗚呼!・序曲・テイクオフはどれも全て名曲揃いなので
選ぶ方も大変でしょうし、こういうのを「嬉しい悲鳴」と言うのかもしれませんよね。
私の大学の吹奏楽団は、B/嗚呼!を選曲しましたけど、
私自身としては、A/吹奏楽のための変容かC/吹奏楽のための序曲を演奏したかったというのが偽らざる本音で
あったりもします・・(汗・・)

だけど1987年も負けず劣らずの名曲揃いの当たり年でした!
この年はA/風紋とE/マーチ「ハロー!サンシャイン」に人気が集中し、
結果として、B/渚スコープ C/コンサートマーチ87 D/ムービング・オンの演奏頻度は
かなり低かったのは何か気の毒なような気がします。
渚スコープとかムービング・オンなんかもっともっと色々なチームが取り上げて演奏して欲しかったような気がしてならないです。

吹奏楽コンクール史上不滅の名曲で今でも名作の誉れ高いといった評価を受け続けている
「風紋」のおかけで、1987年の課題曲B/渚スコープの印象は薄いように感じるのは実はもったいない感じもあったりします。
全国大会でもこの課題曲を選曲したのは、中学1 高校4 大学1のわずか6チームだけでしたし、
興味深い事に、高校の部で「渚スコープ」を選んだのは全て関東代表のチームというのも面白いものがあると思います。
確かに人気はいま一歩だったかもしれませんけど課題曲Bの「渚スコープ」は、素晴らしい名曲だと思います。
コンクールの課題曲の中で、初めから終わりまで終始ゆったりとしたテンポで演奏され、アレグロの部分も無く
激しいffの部分がほぼ皆無という「物静かな課題曲」は極めて珍しいので
その意味でもこの課題曲はある意味画期的だったと思います。

この曲の印象は、とにかく繊細な「フランス風」という感じですね。

言葉にするのは難しいのだけど、ドビュッシーの「海」の世界に通ずるような世界観を持った曲のような気がします。
タイトルは「渚スコープ」となっているのですけど、私がこの曲に勝手に副題を付けるとすると、
「ある夏の日の思い出」みたいな感じになるのかもしれないです。
具体的な「渚」を描写したような曲でないのは間違いはないのですけど、
何というのかな・・・・
「ある夏の日に、自分が目の前で見た風景」についてそれを自分の心がどのようにそれを
感じ取ったのかを描いたような曲と言えるのかもしれないです。

とにかく全体的に繊細でもろくてガラス細工みたいに
何かちょっと強く抱きしめただけで脆く崩れ去りそうな曲だと感じます。
全体的にあやうさ、脆さ、「砂上の楼閣」みたいな雰囲気が感じられ、
そうしたガラス細工のような脆さと繊細さがこの曲の持つ最大の魅力なのかもしれないです。

この曲は出だしから大変モヤモヤした感じで開始されます。
うっかりしていると、どこがメロディーラインなのかよく分からない内に
トロンボーンソロが始まってしまう事もありそうです。
吹奏楽コンクールの課題曲でゆったりとした部分でトロンボーンソロを使う例って
あまり聞いたことがないだけに、この部分はかなり意表を突かれますけど
かなり大胆かつ新鮮な表現のようにも感じられます。
今にして思うと出だしのクラリネットのモヤモヤワサワサとした感じは「波打ち際」をイメージしているのかもしれないです。
全体的には物静かな印象があり、
出だしから中間部のトランペットソロあたりまでは「もの悲しさ」とか「哀愁」が全体の雰囲気をリード
しているのですけど、このトランペットのソロあたりからは多少盛り上がり
この部分は何か「ほっとするような」感じもあったりはします。
だけど最後はゆったりと静かに閉じられ、
やはりこの曲は「何かもの哀しい曲なんだな・・・」というものも感じさせてくれます。

先程この曲の副題は「ある夏の日の思い出」がぴったりとか書きましたけど
そういう「もの悲しい思い出」とは何なのかな・・・
何かひと夏の痛い経験とか、海岸を背景にした失恋物語とか
そういうものなのかな・・・・??

この曲はスコア的にはそれほど難しい技術は必要としないのですけど
表現方法は難しいと思います。
何よりもこの課題曲をされなりに仕上げるためには相当の「洗練された音色」が必要なのですけど、
こうした音色作りの難しさと終始ゆったりとした構成が、
この曲が内容的には大変素晴らしいものを持っているのに、今一つ人気が出なかった理由なのかもしれないです。
この曲で使用される打楽器の中では「タンバリン」が意外といい味を出していて、
タンバリンの鈴を利用したサラサラという音色はいかにも「砂浜」をイメージさせてくれていると思います。

この課題曲を語る上で絶対に外すことが出来ない演奏が一つあります。

それが何かと言うと市立習志野高校の演奏なのですけど、
このチームのあまりにも高校生離れした透明感溢れる「音の清潔さ」はまさにため息ものですね・・・・
そして何よりもとにかく表現が自由自在というのか、
瞬間的に「間」をとったり、テンポルバートといって音を自在に揺らしてみたり
音楽が「自由」そのものです。
そして音色とサウンドがどこまでも洗練され透明感に溢れているから
まさに「敵無し・・・」という感じの演奏でしたね。
この年の自由曲「ダフニスとクローエ」第二組曲~パントマイム・全員の踊りの
やはり圧倒的な音の「透明感・洗練さ」と合せてサウンドの清潔さが印象に残る演奏でした。

他には習志野と同様に「音色の清潔感」が印象的な市立柏も素晴らしい演奏を聴かせてくれていましたし、
個性的な演奏なのだけど、トランペットミスが惜しまれ、全体的に細部の詰めが甘い市立川口が
印象的な演奏を聴かせてくれました。
埼玉栄は金賞なのだけど、全体にモヤモヤした演奏で、
何を言いたいのかその意図は全く伝わってきませんでした。
(BPの講評では、埼玉栄の生徒さん達は、この日の演奏は√2のようなもの・・何か割り切らない演奏と
 言っていましたけど、まさにその通り・・・!!という感じでしたね・・・)

知る人ぞ知る演奏ですけど
関西大会の洛南高校も「音色の洗練度」は今一つながら、
「ある夏の日の思い出・・」みたいな音楽のストーリー性は不思議とよくイメージできる演奏であり
私は自由曲の「ダンス・フォラトゥーラ」と共に結構好きな演奏です。

こういう繊細なガラス細工のような不思議な課題曲もたまにはあってもいいのかもしれないですね・・
ゾルダン・コダーイというハンガリーの作曲家には、組曲「ハーリ・ヤーノシュ」という大変親しみやすくてわかり易い
素晴らしい20世紀の名曲がありますけど、クラシック音楽に精通した皆様の感覚で言うと
コダーイは合唱の作曲の分野にも多大な貢献があり、ハンガリーの民謡を世界に広めようとした貢献度と
学校の音楽教育に熱心であった御方という印象も実はあったりもします。
ちなみにですけど、ハンガリーは東欧圏なのですけど日本と少しだけ似ている点もあったりして、その一つが温泉文化が
定着している事や学校の数学の授業としてそろばんが採用されている点もありますし、
氏名表記が共通しているというのも面白い点だとも思います。
例えば日本において、鈴木一郎というと姓は鈴木で名前は一郎なのですけど、欧米の場合ですと、例えば
マイク・スミスの場合、マイクは名前でスミスが姓です。
要は日本と欧米は氏名の表記が全く真逆なのです。
その中でハンガリーの氏名表記は日本と同じであり、例えば上記のハーリ・ヤーノシュの場合、
ハーリが姓でヤーノシュが名前という事になります。
ちなみにですけどコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」はハンガリーで親しまれているお伽噺の主人公であり、
要は、若い頃の武勇伝を大ぼらを交えつつ語りかけるというのがお話の概要でもあったりします。
(合戦でナポレオン皇帝を打ち負かしたり、ナポレオンの奥様のジョセフィーヌ皇后より
「今すぐ私と結婚して私とどこから駆け落ちして!」と誘惑された・・等の大嘘話がかなり出てくる楽しいお話でもあったりします・・)

吹奏楽コンクールではやたらと有名で自由曲として取り上げられる回数は多いのだけど、
原曲の管弦楽版は実はあまり演奏される回数が少ないという曲も実はあったりもします。
その典型的事例は、レスピーギのバレエ音楽「シバの女王ベルキス」なのだと思いますが、
コダーイのハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲もそうした曲の一つではないのかなと思ったりもします。
(コダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」は管弦楽でも吹奏楽アレンジ版でもどちらも盛んに演奏されていますけど、
「くじゃく」の方は日本においては圧倒的に吹奏楽アレンジ版として耳にする機会の方が多いです・・)
この曲は吹奏楽コンクールにおいては、1993年の野庭高校と土気中学校の素晴らしい名演によって
翌年以降一気に全国的にブレイクしたという印象があります。
私は、両校の演奏も普門館の生演奏で聴く事が出来ましたけど、私の印象としては、野庭高校の
あの音楽的感銘度は大変素晴らしかったですし、聴いていて本当に「ジ―――ン・・」と胸を打つものがありました!
そしてこのコダーイの「くじゃく」は今現在も忘れられることなく吹奏楽コンクールの自由曲として選ばれ続けている事を
考えると、やはりあの不思議な独特の「哀愁」に惹き付けられているような感じもあったりもします。

改めてですけどこのコダーイのハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲は本当に素晴らしい名曲だと思います。
この曲が世間的にはあまり知られていなくて、生の演奏会でも実は演奏頻度は必ずしも高くはない事が
不思議に感じられるくらい「隠れた20世紀の名曲」だと私は確信しています!
曲全体を貫く「哀愁」みたいなものは、本当に泣けるものがあります。
外国の軍隊とか国内の圧政者からの無茶難題や威圧にも屈せず、自分達の自由を取り戻そうとし
自分達の自由を阻害するものと戦った民衆のエネルギーと悲哀さが曲のすみずみまで
感じ取れる不思議な哀愁漂う曲なのですけど、やはり根底にあるのは「民衆の怒り」なのかもしれないですね。
それでいて、何か「大地に根をおろす」巨木のような安定感と
民謡をモチーフにしているせいもあるのですが、曲全体の素朴感とも重なり
魅力が尽きない一曲です。

「飛べよ、飛べ、くじゃくよ飛べ、牢獄の上に。哀れな囚人を解放するために」という
非常に短い民謡(確か大体8小節だったかな・・・?)を主題として、ここから16の変奏に
結びつけるコダーイの手腕にも敬意を表したいと思います。
その変奏部分も皆2~3分程度で短いものばかりですが、
歌あり、哀愁あり、泣かせる部分あり、踊りありとバラエティーに富んでいて
聴いていて飽きるという事はあまりありません。

曲は弱奏のティンパニのトレモロの上に乗っかって低音楽器のハンガリー民謡の主題から
開始されるのですが、
このイントロ部分は聴くだけで哀愁を感じてしまいます。
やはり代々語り継がれる「民謡」というものは、人の心に訴えかける何かを持っているのかも
しれませんよね。
(J.B.チャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」も似たような面が多々あると思われます・・)

曲自体は、オランダのアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団創立50周年記念に委嘱されたものです。
主題となったハンガリー民謡「くじゃく」は、歴史的にオスマン=トルコ帝国の支配下に置かれていたハンガリーに住む人たちを
囚人として例え、ハンガリー人の自由への情熱を高らかに謳い上げたとも解釈できます。
そして同時に・・・
この曲が作曲された事態背景は、まさにあのヒトラー=ナチスがヨーロッパを征服しようと虎視眈々とし、
チェコはナチスによって国家自体が一時期分割をされ、領土の略奪を受けてしまっています。
作曲当時に勢力を強めていたファシズムに対して、コダーイとしては、コダーイとしての「反抗」を意図し
自由と人間性の擁護を訴えることを意味したある意味意味深で確信犯的な曲を作り上げるのです!

とにかく冒頭の低音で奏でられる「ミーレ シラシー」というメロディラインが本当に胸を打ちます。
この素朴なメロディーラインがこんなにも素敵に変奏されていき、
後半の壮大なスケールへと発展していきます。
冒頭のあの「ミーレ シラシー」というメロディラインは、序盤は「民衆の呻き」にしか聴こえないのですけど、
徐々に転調を重ね、ハープが入る頃には天上の音楽みたいな清楚で明るい雰囲気に変化していくのが
とても素敵です。

中沢けいの小説に「楽隊のうさぎ」という吹奏楽部に所属する少年をモチーフにした素敵な小説が
あるのですが、
1996年~97年の吹奏楽コンクールが主な舞台になっています。
96年のコンクール自由曲が、コダーイのハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲なのですが、
主人公の克久という少年のパートは、打楽器セクションなのでした。
原曲は、ティンパニとグロッケン・シンバル・トライアングルだけしか打楽器はないのですけど、
読んでみると、
「あれれ、この曲にそんなに打楽器を使っていたっけ?」と思わず感じてしまいますけど、
ま、それは管弦楽から吹奏楽へのアレンジではよくある話ですので・・(汗・・)














小説としての「楽隊のうさぎ」は、私自身は実は早くからこの小説を読んでいまして、
2000年暮れ頃には購入し読んでいたと思います。
この小説、吹奏楽部に一度でも在籍したことがある人とかその関係者、父兄の方が読むと
大変共感する部分が多いと思うのですが、
吹奏楽部に関わりが無い人が読んでも十分に楽しめるお話だと思います。
勿論、吹奏楽コンクールの話とか課題曲とか音楽用語も出てきたりはしますけど、
専門的な話とか高度な音楽内容の会話が出てくるという事はほぼ皆無ですので
大変分かり易い話だと思います。
文章全体の感じが、作者の中沢さんが「ジュニア向け」という事も多少は意識されているような
書き方をされていますので、その意味でも安心感はあります。

ストーリーは特に複雑なものはなく、
掻い摘んで書くと・・・
小学校時代の、いじめなどの嫌な思い出から、なるべく学校にいる時間は短くしたいと思っていた克久は、
なりゆきで最も学校にいる時間が長い「吹奏楽部」に入り打楽器を担当する事になる。
先輩や仲間たちとの交流を深め、しだいに音楽の世界にのめり込んでいき、
最後は普門館の全国大会の「シバの女王ベルキス」の演奏シーン、そしてブラボーコールで終わる・・
という感じのものです。

この小説は単なる吹奏楽の話ではなくて、
吹奏楽部に在籍している「克久」という10代前半の男の子が吹奏楽部の活動を通して
成長を遂げていく、同時に反抗期とか親との関わり方みたいに
いかに子供が親離れをしていくのかといった側面のお話も色々と興味深いものがあると思います。

克久の家は父親が単身赴任中なのですけど、
母親から「お母さんに恋人がいたらどうする・・・」みたいなギクッとする質問を唐突に受けたり、
単身赴任から帰ってきていた父親と母親が自分の留守中に熱いキスを交わしている場面を目撃したりとか、
二年生の夏休み中に、
「この時期を逃したら、永遠に子供らしい克久を連れて旅行に行くことは出来ない」と考えた母親が
無理矢理九州の兄の家への旅行に克久を連れ出そうとした際、
吹奏楽コンクールの練習と中々進歩しない打楽器セクションの音に苛立ちをつのらせる克久と母親の会話も
中々この多感な時期らしい子供の反抗期と「自立への芽生え」も象徴されていて
大変興味深かったです。

少し転記してみると・・・・

百合子(母親):「九州旅行の概略を説明」

克久(息子) :「休める訳ないじゃないか」

百合子:「あなたが来ないのならば、ベビーシッターに来てもらうしかない、
      あんた、その年でまだベビーシッターにお世話になるつもり・・・!?」

百合子:「来年は受験なのよ」

克久:「(ベビーシッターという言葉にカチンと来て)受験勉強はちゃんとするよ」

百合子:「そんな事言ってないでしょ!!」

百合子:「地区予選はシードなんでしょ、だったら夏休みの初めは少しぐらい練習を休んでも  
      いいじゃないのっ!?」

克久:「そういう問題じゃないだろ!」

克久:「シードだから俺が練習にいなくっていいって、それって嫌味で言ってるんですか!?」

後日、この瞬間に百合子は、「克久が既に自分の手に届かないところまで育ってきている・・・」という
事を自覚したみたいなモノローグも出てきています。

何かとても興味深いシーンだと思いますし、
中学から高校まで吹奏楽部に浸かりまくっていた私なんかも大変共感できる場面でもあると思います。

この「楽隊のうさぎ」は、小学生の頃みたいなまだ「自分」というものを持っていなくて
そして自分というものに確固たる意義と役割と自信が持てなかった克久という少年が
「吹奏楽部」という音楽組織の中で、「全体とパーカッション」・「パーカッションの中でのティンパニの役割」
みたいな事を日々体験しているうちに
「自分」という存在に気が付いていき、「自我」を確立していく・・・・
そんなお話の側面もかなり強いと思いますし、
「母親からの自立」・「親離れ」みたいなテーマも絡めていたと思います。
単なる「吹奏楽小説」ではなくて、親子の自立という側面も同時並行で進めている点が
大変素晴らしいと思います。

克久の同学年の同じく打楽器担当の「祥子ちゃん⇒しょうちゃん」が全体にホント、いい味を出してくれていました。
ああいう少し風変わりな女の子が周辺にいるだけで何か面白いものはありそうですね。

この小説は、中学1年のコンクールと2年の時のコンクールを背景にしていますけど、
これが実在の課題曲だというのが実にいいですね。

中一の課題曲は、Ⅴ/吹奏楽のための交響的譚詩
中二の課題曲は、Ⅳ/行進曲「ラ・マルシュ」なのですけど、
これって1996年~1997年の課題曲でしたね。

中一の時の自由曲は、コダーイ作曲、ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲
中二の時の自由曲は、レスピーギのバレエ音楽「シバの女王ベルキス」~Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ
となっています。
作者の言葉によると「ベルキス」は、1991年の千葉県・土気中学の演奏を大いに参考にしたと
ありますけど、
土気中の演奏も私も生で聴いていましたけど、気迫に溢れた豪快な演奏でしたよね。
作者の中沢さんは千葉出身だから、やはり当時は名門の土気中を意識されたのかも
しれませんよね。
ちなみに土気中の1993年の自由曲は、上記の「くじゃく」です。

克久のこの「くじゃく」のコンクールでの演奏の描写の中に
「克久の(大太鼓の)一発に続いて、マアさんのシンバルが華やかに響く・・・
くじゃくがその羽を震わせながら開く時そのものが、マアさんのシンバルの音だった。
すかさず金管が高らかにくじゃくの羽の輝きを繰り広げる・・・」
といったものがありますけど、
これは実に上手い表現だと思いました。
打楽器奏者の視点に立ちながらも、ラストのこの曲の閉じ方がよーく伝わってきます。

ちなみにこの小説の続編という訳ではないけど「うさぎとトランペット」という作品もありますけど、
こちらは小学生の視点から描いた作品で、
間接的に克久・祥子ちゃんも登場しています。

こちらも中々素敵な作品だと思いますよ!

ちなみにですけどこの「楽隊のうさぎ」は、映画化もされています!
「シンフォニックファンファーレ」という吹奏楽コンクール課題曲のタイトルを聞いて1972年の課題曲を思い浮かばれた方は
相当な吹奏楽マニアで同時にオールド吹奏楽ファンなのだと思います。
シンフォニックファンファーレはマーチなんですけどドラが豪快に鳴り響く曲でもあったりして、あの豪快な雰囲気は
最近の吹奏楽コンクール課題曲では「ありえないのかも~」という感じの課題曲だとも思いますし、ここにも吹奏楽コンクールの
進化というものも窺えると思われます。

シンフォニックファンファーレというタイトルで似たような課題曲というと1985年の課題曲C/シンフォニックファンファーレとマーチ
なのだと思います。
この課題曲はある意味大変分かり易い課題曲でもありまして、タイトル通りの曲そのものだとも思いますし、
冒頭の金管セクションによるファンファーレとそれに続くマーチの二つの要素から構成されています。

最近当ブログでは、1985年の課題曲B/波の見える風景という歴史に残る素晴らしい名曲課題曲があったせいもありますし、
課題曲Dとして「ポップ・ステップ・マーチ」という大変分かり易くて技術的にそれ程大変では無い課題曲もあったせいも
あるのですけど、1985年の吹奏楽コンクールの課題曲C/シンフォニックファンファーレとマーチは
気の毒なほど人気が無い課題曲だったと思います。
曲の構成はファンファーレとマーチから構成されて大変分かり易い曲であるのは間違いないのですけど、
難易度が高い割には演奏効果が得にくいこの課題曲Cの不人気ぶりは作曲者の仲本政国氏には大変申し訳ないのですが、
「ちょっと仕方がないのかな・・」と思わせるものはありそうな気もします。

全国大会でも、この課題曲を選択するチームは少なく、
職場・高校・大学で各1チームのみ、中学では4チームが取り上げていましたけど 一般の部はゼロです。
しかもこの課題曲Cで金賞をゲットしたチームは一つもありません。
あの九州の名門、ブリジストン久留米ですら銀賞に留まっています。

この課題曲意外と難しいです!

冒頭の金管によるファンファーレが完璧に決まったチームは、ほとんど記憶にないと思います。
それほど高音域のファンファーレではないのですけど、この課題曲のスコアを見るとなんとなくわかるように
意外と不協和音が調性とメロディーを曲全体が支配していて、ファンファーレと言うと一般的には華麗・壮麗さ・洗練さという
イメージがあるものなのに対して、この課題曲のファンファーレ部分は華麗と言う感じではなくて曲の雰囲気に
少しばかり不協和音の要素が感じられるからあまり華やかな感じがしないという違和感が
この課題曲が敬遠気味だった理由なのかもしれないです。
そしてファンファーレ部分が終了しマーチの部分が展開されても 意外とリズムが決めにくいというか、
何か吹いていると妙にギクシャクしてしまう錯覚があったりもします。
全体的にあまり「行進曲」という感じはしませんし、歩きながら吹くマーチという感じはほとんどしません。
どちらかというと野外用というよりは屋内用のコンサートマーチと言えるのだと思います。
そう言えばこの年の課題曲D/ポップ・ステップ・マーチも意外とリズムがギクシャクしやすい雰囲気もあったりして、
この年の課題曲にマーチを選んだチームは意外とリズムをそろえる事は大変だったと言えるのかもしれないです。

「シンフォニックファンファーレとマーチ」は冒頭の少しばかり風変わりで不協和音要素がある所も珍しいのですけど、
マーチの展開部分に入っても、中間部にチューバの重々しいソロが入ったり、 打楽器の「トムトム」にソロ部分を与えたりと
曲の中に従来の課題曲ではほとんど見られなかった面白い要素が仕掛けられているのは大変面白いものが
あると思います。
マーチというと展開部はffの連続で一直線に終結部に向けて突進していくという感じもあるのですけど、この課題曲は
終結部の前に曲を一旦静粛な雰囲気にさせた上で、マーチの展開部としてソロ楽器自体を使用する事自体異例とも
言えるのですけど、その異例な展開の中で
吹奏楽コンクールの課題曲やオリジナル曲としては大変珍しい「チューバ」という縁の下の力持ち的楽器の「チューバ」に
光を当てているのは大変素晴らしいものがあると思いますし、
当時のチューバ奏者にとっては「大変だけどやりがいはありそう!」と意気に感じる課題曲だったようにも感じられます。
実際、吹奏楽コンクールの自由曲もそうですけど課題曲においてチューバにソロが登場する事自体極めて珍しく異例な
ものですので、当時のチューバ奏者の皆様にとっては
「そんな普段ボンボンボン・・とひたすらリズムを刻み全体の合奏の土台を支えている役割の自分たちがこんなソロなんて・・」と
思われたのかもしれないですけど、同時に「こんな機械は滅多にないし、是非チャレンジしたい!」と思わせる
ものがあったと思いますし、チューバ奏者にとっては腕の見せところと言えるのかもしれないですね。

確かに課題曲としては不向きかもしれませんけど、 コンサート用の曲としてはかなり面白いものがあると思います。
冒頭のファンファーレに対して、チューバのソロがファンファーレを変奏するような感じでもありますし、
最終的には再度冒頭のファンファーレが全楽器で再現され、華々しく閉じられます。
今改めて聴くと、「あ、意外と面白い曲だったんだな・・・」と思ったりもします。
マーチなのに、華麗な部分と静かな部分の対比の要素がある面白いものがある曲なのだと思います。

この「シンフォニックファンファーレとマーチ」には、「これが決定的名演!」という名演も少ないように思えるのですけど、
この中で素敵な名演が残されています。
中学の部でこの課題曲を取り上げた四国代表の雄新中学校の演奏が素晴らしい演奏だと思います。
演奏がキビキビしている上に、愛くるしいほどキュートな表情を見せてくれます。
冒頭の不協和音的ファンファーレのバランス感覚も申し分ないと思いますし、マーチとしての展開部も躍動感と若々しさに
溢れていたと思います。
チューバのソロはさすがに中学生では荷が重かったとも思えるくらい部分的にたどたどしい感じもありましたけど、
全体的には清らかさと華々しさが感じられました!
自由曲の「こうもり」序曲も素晴らしい演奏だったのですけど、 なぜかこの年は銀賞なんですよね・・・
(いまだに、1985年~87年の雄新の銀賞は納得いきませんね!
 あの3年間の演奏は全て金賞に相応しい演奏だったと私的には感じております!!)

埼玉県の職場一般の部を代表する名門チームというと「川越奏和吹奏楽団」の名前が挙がると思いますが、
この川越奏和が初めて県代表として関東大会に臨んだ際の自由曲は、あの「ダンス・フォラトゥーラ」でお馴染みの
クロード・スミスの 「祝典のための序曲」でしたし、
課題曲が「シンフォニックファンファーレとマーチ」だったのでした!
当時の編成は30名近くの小編成で、現在のプロみたいな雰囲気とはえらい違いの素朴でのびのびとした雰囲気を
漂わせていた演奏でした。 吹奏楽の名門チームの原点と言える演奏なのかもしれませんよね。
そしてあの「シンフォニックファンファーレとマーチ」の演奏は、とてつもなく正攻法のアプローチで曲の隅々まで
才気煥発みたいな雰囲気に溢れていました。
あの演奏はトラヤのカスタムテープで聴いたことがありましたけど、そのテープの存在が現在行方不明となっていて、
あの演奏をもう一度聴いてみたいなぁ・・と感じたりもしますね。

この「シンフォニックファンファーレとマーチ」の演奏として東京佼成の参考音源もありましたけど、あの演奏も
結構ワイルドであり野性味みたいな雰囲気もありまして、ああいう解釈も面白いものか
あると思っています。
都内、杉並区にある「普門館」は私にとって・・否! つい最近までは吹奏楽経験者の皆様全員にとって
「普門館」とは一つの聖地なのだと思います。
それは高校野球の球児たちが「甲子園」に憧れ、甲子園で試合をする事を夢見て日々練習を頑張るという構図と
ほぼ同じなのだと思います。
普門館のステージでは、基本的には中学校・高校の部において1977年~2011年まで全日本吹奏楽コンクールの全国大会が
開催され、このステージでは長年に渡って多くのチームによる素晴らしき名演やドラマが生まれ、
現役奏者時代の私が「一度は普門館で演奏してみたい!」と感じていたように、多くの吹奏楽部員が
全国大会に出場し「普門館」の晴れ舞台で演奏する事を夢見ていたと思います。
私がどうして東北の地を離れて都内の大学に進学したのかと言うと、もちろん一刻も早く親元を離れたかったというのも
ありますけど、それに次ぐ大きな理由と言うのが、この当時の吹奏楽コンクール全国大会の大学の部は普門館以外で
開催されていたのですけど、
全国大会出場をかけてしのぎを削っている支部大会の「東京都大会」だけは、中学・高校・大学・職場・一般の部全部門が
普門館で開催されていて、
高校時代はいつも県大会で散っていて「全国大会=普門館のステージに立つ事なんて夢のまた夢」であったけど、
都大会本選の前段階の都大会の大学の部の予選会を突破して都大会本選に進めれば
あの夢の舞台である「普門館」で演奏する事が出来たからに他ならないからです!!

このブログで何度も語っているように結果的に私の夢は4年間で叶う事もなく、普門館のステージに立つことは出来なかったの
ですけど、とにかく「普門館」というものは現役奏者時代も今現在も「一つの憧れの存在」であるのは間違いないと思いますし、
私にとっては「大いなるモニュメント」なのです!

だけど、大変哀しいことに、先日とあるニュースを聞いて「ついにこの日がやってきたか・・」と感じたものでした・・
(以前からそうした話は既に耳に入っていましたので覚悟はしていましたけど、それにしても辛い知らせですね・・)

「吹奏楽の聖地」として長年親しまれた普門館が今年の冬にも解体される事が正式に決定したようです。
普門館を所有する宗教法人「立正佼成会」が22日午後発表していました。
2012年に耐震性の問題から普門館の使用を中止し、既に6年の歳月が流れていましたし、
結果的に2011年の全国大会が最後の普門館での全国大会になってしまいました・・
このニュースを高校野球に例えると「老朽化により甲子園球場での高校野球開催を断念する」というものに近いとすら
感じられます。

今後の吹奏楽部員にとっての憧れの聖地は、普門館ではなくて名古屋国際会議場になっていくのかもしれないですね・・

解体される事が既に決まった普門館ですけど、とにかく「ありがとうございます!」と感謝の言葉は伝えたいと思います!

普門館で演奏するという憧れの気持ちが無ければ、私は10年間もクラリネット奏者を続けることは出来なかったし、
今現在もこうしてブログで吹奏楽やクラシック音楽の事を語る事も多分無かったと思います。
普門館は解体されますけど、私の心の中には私が死ぬ瞬間まで「普門館」は私の心の中でずっとずっと
受け継がれていくのだと思います!









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上記で書いている通り、私自身は結局10年間の吹奏楽生活において一度も「普門館で演奏する」という夢は実現する事が
出来ずに幕を閉じてしまい、今でも「響け!ユーフォニアム」の麗奈ではありませんけど
「悔しい・・・悔しくて死にそう・・」という感情がいまだに心を霞める事さえあります。
それだけ夢中になれるものがあったという事ですし、結果的に吹奏楽を通して「クラシック音楽」という深い森の中に
迷い込むことが出来た訳ですし、確かに負け惜しみなのかもしれませんけど、
10年間の吹奏楽生活は、私にとっては本当に「誇り高き10年間だったな」と思ったりもしています。

当時なんであんなに「普門館」で吹く事にこだわっていたのだろう・・・・?

あの当時の心境としては、別に都大会でも全国大会でも何でもいい、とにかく一度でいいから「普門館」で吹いてみたい!!
普門館でコンクールに出場出来さえすれば別に賞は銅賞でもタイムオーバー失格でも何だった構わない・・
一度でいいから、普門館のステージの上で演奏してみたい・・・
そして舞台の上から客席がどのように見えるのか自分の目でしかと確かめたいといったそんな気持ちでしたね。
当時としては、花輪高校・秋田南高校・就実高校などの全国大会での素晴らしい演奏を聴いている内に
「自分もいつかは同じ舞台で演奏してみたい」みたいな「純粋な憧れの気持ち」だったのだと思います。

そうした意味において、普門館の取り壊しというものは、私にとっては10代から20代の頃の「聖地」・「憧れの場所」が
この世から姿を消すという事でもあり、寂寥感だけでは拭い去る事ができないほどの心にポッカリと穴があいたような
気分になってしまいそうです。

だけど、これは仕方がない事だと思います。

SSの中で咲・舞が言っているように・・・
「形あるものはいつかは無くなってしまうものであり、それを嘆いても仕方がない・・・
形は変わっても私達の心の中にずっと生き続けていくもの」という事なのだと思います。
全国大会は今現在は、名古屋国際会議場センチュリーホール等で開催され都大会も府中の森芸術劇場等で
行われていますけど、今現在の現役奏者の視点で見てみると、
「吹奏楽コンクールの聖地は名古屋国際会議場センチュリーホール」という事になるかと思いますし、
そういう「憧れの気持ち」だけは
時代やコンクール開催の場所が変わっても永遠に受け継がれていってほしいなとも思ったりもしますね。

普門館は大変大きなホールで5000人程度収容できました。
(名古屋国際会議場センチュリーホールは3000人程度です)
結果として、5000人の聴衆の存在という事で俗に言う「普門館フォルテ」という爆音系の演奏がここ数年減ってきているようにも
感じられるのは普門館から会場が変更になって良かった点なのかなとも思います。

物事は、失うものもあればそれによって得るものもある・・

世の中は、バランスが取れるようになっているものなのかもしれませんよね。








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私自身、このブログの吹奏楽カテゴリの中で、過去の吹奏楽コンクールの全国大会・支部大会の
感想をあくまで「私的感想」として書かさせて頂く事も多いのですけど、たまにですけど、
「私自身、全国大会はおろか支部大会にも一度も出場した事が無い私自身がこんなエラソーな事を
書いていていいのだろうか・・?」と自責の念にかられる事もあったりします。

あんなエラソーなコンクール批評記事を書いている当の本人は、
1978年の中学1年のコンクールから1987年の東京都大会予選までの10年間で10回「吹奏楽コンクール」に出場しているものの、
結果は、いわゆるダメ金(上位大会代表に選出されない金賞)が高校の時の2回のみ
タイムオーバー失格 1回
銀賞 5回
銅賞 2回
ほとんど良い成績は取っていません・・(汗)
大学の4年間も無慈悲な都大会予選落ちの連続で、ダメ金すらも取れず、4年間のうち、銀2回 銅2回という結果で幕を閉じ、
毎年毎年江戸川区民ホールでの都大会大学の部予選の成績発表の際はとにかく悔しくて仕方がなかったです。
(中学の時も、県大会銀賞ばかりだったのですけど、あの時は、
 とにかく音楽を無理やりやらされている・・・
 おっかねー指揮者の先生に「こう吹け!!」と言われたから言われたまま吹くという感覚しかなかったから
 成績発表の際に、銀と発表されても、
 「やっと終わった・・」という開放感しか無かったです。
 高校の時は、さすがに「ダメ金」だったから、とてつもなく悔しかったですね)

2015年の4月から6月で放映されていた「響け! ユーフォニアム」第一話の
麗奈の「なんでダメ金で喜べるの? 私達、全国大会目指していたんじゃないの・・・!?」というセリフは・・・
その当時の自分の心の声、
「何で都大会予選銀賞で喜んでいるの? 私達、都大会本選出場を目指していたんじゃないの・・・!?」という
と見事に重なるものがありますね。
(久美子の「本気で全国で行けると思っていたの?」という反応は、さすがユーフォの失言女王・久美子に相応しい言葉でも
あったのかもしれないですね・・汗・・)

勿論、「音楽」とは決してコンクールだけの勝ち負けではありませんし、「音楽」とは、本来は、
音楽を聴いて、「あ・・・楽しいな・・・」などのように何かを感じる事の方が大切なはずだとは思います。
だけど、当時の私は、そうした事すらも中々気が付いていなかったと思います、
「音楽」を純粋に楽しめるようになったのは、むしろ現役奏者を引退して社会人になって以降というのも
何か少し皮肉な感じもするのですけど、「普門館」を目指していた自分もすてきだけど
「音楽」を「聴く楽しさ」を味わっている自分もすてき・・
そんなように自己愛みたくも感じたりもしますね・・(汗・・)








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考えてみると、支部大会・全国大会に出場できる人って、ごくごく少数なのです!

吹奏楽に携わった皆様の大半は多分私のように、地区予選・県大会で散ってしまった人たちばかりだと思います。
だからこそ、支部大会・全国大会に出場出来た皆様たちは
そうした「過去の出場経験」を是非是非、「生涯の誇り」として感じ取って頂ければ幸いですね。

そして何よりも音楽がそうした吹奏楽経験者の皆様に少しでも「生きるチカラ」になってくれていれば
それはそれで素晴らしい事なのだと思います!
1985年の全日本吹奏楽コンクール課題曲B「波の見える風景」は本当に素晴らしい名課題曲だと思います!
1985年当時のプログラム表記では「波の見える風景」と記されることが多かったと思うのですけど、この曲の
正式タイトルは、吹奏楽のための交響詩「波の見える風景」です。

私は、本当にこの課題曲は大好きでした!!
冒頭のゆっとりとした二拍子の感じとか、「海」というよりは「心象」に近いような揺れ動く雰囲気から後半の大変な迫力や
音楽にストーリー性も感じさせる音楽的表現の幅広さとか、一つの音楽に喜怒哀楽が全て詰めこまれたあの雰囲気は
交響詩というのか4分半程度の短い曲ながらも音楽的物語という要素に満ち溢れていたと思います。
この課題曲は私自身の大学2年の時の吹奏楽コンクール課題曲でしたけど、この波の見える風景と87年の風紋を
コンクールに演奏した曲として吹く事が出来たのは大変幸せな事だと思っています。
この年の自由曲はドビュッシーの「三つの夜想曲」~Ⅱ.祭りだったのですけど、
ドビュッシーというと管弦楽曲でも吹奏楽アレンジ作品でも大人気な曲というのが管弦楽のための三つの交響的素描「海」だと
思われますが、
同じ「海」をモチーフにしながらもドビュッシーの海は、あくまで見た人が「私はこのように感じた」という海の感じ方であり、
真島俊夫の「波の見える風景」は、心象風景に近いながらも、ベースはあくまで「一つの景色」という事が
両者の違いなのかなとも思ったりもします。
波の見える風景は、そうした意味ではどちらかというと具体的な場面とか具体的な箇所を描写しながらも、そこに見ている人の
感じ方も取り入れたという曲のようにも感じられます。

私自身の総括でもあるのですけど、1978~84年までの吹奏楽コンクールで私自身が吹いた課題曲の中では、
自分自身が素直に感情移入出来てしまう課題曲はほとんど無かったように感じられます。
たとえば、ジュビラーテ・・幼い日の思い出・北海の大漁歌・イリュージョン・アイヌの輪舞あたりは
吹いていて「楽しい」とはあまり思わなかったですし、コンクールが終わってしまうと聴くのも吹くのも
「もうコリゴリ・・」という感じの曲が大変多かったように感じられます。
唯一の例外が1983年の課題曲C/カドリーユだったと思います。
カドリーユは曲自体大変薄く書かれていて、クラリネット奏者にとってはあの「軽快感」を出すのは大変難しい曲でしたけど、
やりがいはある曲でした!
そんな中、この真島俊夫の「波の見える風景」は、コンクールが終わった後でも
「ずっと聴き続けていたい」と思わせる本当に素晴らしい課題曲のひとつだと思います。
私自身、都大会予選・大学の部で自ら出場した上で、都大会や全国大会を聴かさせて頂きましたけど、
私自身が吹いた土俗的舞曲・嗚呼!は都大会や全国大会で聴くと「ちょっと勘弁してよ・・」という感じでもあったのですけど、
波の見える風景と風紋は、たとえ自らがあんなに練習した曲であっても
「もっと聴いてみたい!」とか「他校の演奏ももっと聴いてみたい!」と感じさせる課題曲であったと思います。

私の中ではこの「波の見える風景」は、一歩抜きん出ている存在ともいえる課題曲の一つだと思います。

「波の見える風景」は少し不思議な感じもする曲で、私個人の感覚なのかもしれないですけど、
吹いているだけで無性に感情がこみ上げてくるような曲だったと思います。
別に涙は出ないけど、吹いているだけでなんか「泣きたい気持ち」にさせられてしまう雰囲気すら持っていた曲だと思います。
この感覚は、ミッチェルの「海のうた」をかつて吹いていた時の同じようなものがあったと思うのですけど、
もしかしたら人間にとって「海」という風景そのものが人の感情を揺り動かす何かを持っているのかもしれないですね。
冒頭はチャイムから開始されゆっとりとした二拍子から開始されるのですけど、この二拍子から徐々に音のうなりが
積み重ねられていき、フルート・クラリネット・オーボエの木管ソロ楽器に美しいハーモニーが引き継がれていき、
段々盛り上がっていき、ラスト近くの壮大なクライマックスへとなだれこんでいきます。

1985年の全日本吹奏楽コンクールの高校の部においては、天理高校の「セント・アンソニー・ヴァリエーション」と
愛工大名電の「プラハのための音楽1968」の二つの歴史的名演が登場したという事に尽きると思うのですけど、
天理の「波の見える風景」はかなり豪快に鳴らしている印象があります。
曲のエンディング近くでは、ドラが相当の音量でゴーーーーンと鳴り響いていたのは相当のインパクトがありました。

「波の見える風景」の高校の部での最優秀演奏は、私は習志野高校だと思います。
とにかく音色がデリケートだし、それ程豪快に鳴らしている訳ではないのに力強さも感じました。
何よりも、目を閉じて聴いていると、何か自分だけの海のストーリーが出来てしまうような
感受性豊かな演奏でもありました。
習志野高校の場合、特に秀でていたのはあまりにも美しい洗練されたサウンドであり、
フルート・オーボエ・クラリネットのソロの完成された音色の美しさだったと思います。
そして更にいうと目を黙ってあの演奏を聴いてみるとそこには音楽としての物語が展開されていたようにも感じられます。

私が初めて真島俊夫の名前を耳にした際は「これからの活躍が期待される若手作曲家」というフレーズが
結構多かったものですので、3年前の真島氏のあの早すぎる死はとても残念でしたし、「まだこれからの作曲家なのに・・」という
言葉しか出てこなかったです。
とにかく真島氏のご冥福を改めてお祈り申し上げたいと思います。

「波の見える風景は」1988年に改定新版も出ているのですが、
大変申し訳ないのですけど、私はこの改訂新版はあんまり好きではありません。
改訂新版の演奏時間は大体7分程度の曲なのですけど、これはあくまで私の感じ方なのですが、
改訂新版の余計な箇所を削ったら、元の課題曲Bに戻ってしまうみたいな印象すら感じたものでした。

こうした事って実はクラシック音楽でもたまにあったりするものでして、例えばプロコフィエフの交響曲第4番という大変
マイナーな曲があるのですけど
(プロコフィエフの交響曲第2~4番は悪趣味でグロテスクな曲という印象が大変強くて、交響曲第5番のあの瑞々しい清らかな
雰囲気と同じ作曲家とは到底思えないです・・
そしてプロコフィエフの生涯最後の交響曲の交響曲第7番「青春」のあの童心とわかりやすさも、やはり第2~4番と
同じ作曲家には全く思えないです!)
実はプロコフィエフの交響曲第4番にはやはり「改訂版」が存在していて、元の原典版の演奏時間は26分なのに
改訂版は42分前後になっています。
そしてこの改訂版の余計な部分とか分かりにくい部分をバッサリと注ぎ落としたら、原典版の交響曲第4番になってしまった
と感じさせる点は、私にとっては真島俊夫の「波の見える風景」の原典版と改訂新版の印象の違いと
もしかしたら同じなのかなぁ・・と感じさせるものがありました。
余談ですけど、吹奏楽コンクールで頻繁に演奏される大栗裕の「吹奏楽のための神話」は、20分近い原曲を
コンクール用に8分前後にカットしたものなのですけど、
あれに関しては、作曲者の大栗先生には大変失礼な話なのかもしれないですが、
吹奏楽のための神話または管弦楽のための神話の原曲版は私にとっては結構贅肉的に聴こえる箇所も多々あったりして、
その贅肉部分を見事にカットしてストーリー性をググッと凝縮したのがコンクールのカット版と思えてなりません。

吹奏楽コンクールにおいては原曲のカットというのは昔から指摘され続けている問題なのですけど、
「吹奏楽のための神話」に関してだけは
「カットというのも音楽の濃縮という意味では悪くは無いのかも・・」と感じてしまいますね・・(汗・・)
最近、R.ニクソンの吹奏楽曲を聴く事はあまりないですね・・・
私が現役奏者の頃は、 パシフィック・セレブレーション組曲とか天理高校の名演でお馴染みの「平和の祭り」とか
福岡工大付属の名演でお馴染みの「シャマリータ」とか 色々耳にする機会も多かったのですけど、
何か最近は、めっきりと耳にすることもなくなりました。
や高度なテクニックが要する事が敬遠されているのかもしれないですし、最近では「華麗さ」というとスミスとかスパークとか
マッキーとか高昌帥とかチェザリーニなどという作曲家の方がより演奏効果が求められやすいという事なのかも
しれないですね。

私にとっては、ニクソンと言えば 「パシフィックセレブレーション組曲」に尽きると思います!
そして、この曲と言えば、1980年の高岡商業高校の歴史に残る圧倒的ウルトラ名演が極めて印象的です。
この組曲は「サンフランシスコ生誕200周年記念」という副題も付いていますので、
詳しい事はよくわかりませんですけど、 そうした記念祝典のイベントの際の記念曲とか委嘱作品だったのかもしれないですね。

この曲は、高岡商業の演奏の印象が私にとっては相当強い印象があり、特にパレードのあの鮮やかさは強烈でしたね~!
1980年の吹奏楽コンクール全国大会において高岡商業は祈り・パレードという部分を取り上げ、
祈りという楽章を先に演奏した後でパレードという楽章を演奏していたのですけど、
前半の荘厳さ、後半の熱狂的活気から勝手に判断して、実は結構最近までこの組曲の構成は
Ⅰ.祈り Ⅱ.パレード Ⅲ.ページェントという構成だと誤解していたのですけど
最近になって、この曲の輸入盤を聴いて初めてこの組曲は、

Ⅰ.パレード
Ⅱ.祈り
Ⅲ.ページェント
から構成されている事を知りました。

あ~何だか恥ずかしいですね~(汗)

組曲としては、華やかに開始し、中間でしっとりと歌い上げ、ラストで再度盛り上げるという事を意図したのかもしれないですが、
あまりに高岡商業のコンクールでの名演の印象が強すぎ、しかもパレードの鮮やかさが強烈でしたので
ⅠとⅡの順番を逆に考えていたのでした。

この輸入盤の中に、メイの「ネス湖」も含まれていたのですけど
そう言えば、最近メイの交響曲第一番「指輪物語」もコンクールではあまり聞かなくなったような気もしますね。
とにかく吹奏楽コンクールにおける人気曲の浮き沈みは激しいものがありますし、つい数年前まであんなに
自由曲で演奏されていたあの曲が最近ではサッパリ演奏されないという事もよくある話ですからね・・

第三楽章ページェントは、高岡商業と同じく1980年に関西学院大学が自由曲として演奏されていました。
こちらは銀賞でしたので、残念ながらレコード化も録音されていませんので、
音源が残されていませんので、関西学院大学の演奏は聴いたことがないのがちょっと残念です。
(当時のソニーの「日本の吹奏楽」というレコードは、大学・一般・職場の部は金賞以外は収録されていませんでした)

それにしても高岡商業の「パシフィックセレブレーション組曲」は凄過ぎると思います!
今現在聴いても「素晴らしい!!」の一言に尽きます!!
特にパレードは「鮮やか」という言葉以外思いつきませんし実に圧倒的な演奏だと思います。
この年の高岡商業は課題曲に、A/花祭りを選択し、 この日本的情緒漂う感じの曲を比較的ドライに直線的に表現し、
「鄙びた日本的感覚」漂う前橋商業の課題曲Aと際立った違い・解釈の違いを見せてくれましたが、
課題曲も実に土合先生=高岡商業らしい演奏を聴かせてくれていてすてきな解釈の一つだったと思います。

結果論になるかもしれないですけど、土合先生=高岡商業というとてつもなく高度な組み合わせが最高潮に機能したのは、
1983年と89年のローマの祭りと90年のペトルーシュカと、91年のシンフォニエッタだったと思います!
3月も中旬に入り南関東も随分と暖かくなってきて、2月までのあのとてつもない寒さがウソみたいな雰囲気にも
なっていますけど、こうも暖かくなってくると桜の満開宣言も案外近いのかもしれないですね。
そして東方式に表現すると春告精のかわいいリリーホワイトが満面の笑顔で「春ですよー」と春の到来を告知に
やってくる日も間もなくという感じになりそうですね~(笑)

管弦楽曲で「春」のタイトルが付く曲というと、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」が一番有名なのかもしれませんが、
「春」というよりは「真夏の狂乱」みたいなイメージもあったりします・・
他にも、シューマンの交響曲第1番「春」とか コープランドのバレエ音楽「アパラチアの春」とか ドビュッシーの交響組曲「春」とか
色々とあるのですけど、どこか決め手」に欠くような印象もあったりします。
上記の曲を聴いても決して楽しいとか東方のリリーホワイトの「春ですよー」みたいな気持ちにはちょっとなれないですね・・

そういう時はやっぱり元気が溢れる「吹奏楽」なのかな・・?

例えば・・・・

ホールジンガーの「春になって、王達が戦いに出向くに及んで・・・」とか
リードの序曲「春の猟犬」といった吹奏楽オリジナル作品は聴いていてウキウキとした気持ちになれますし、
いかにも「春が来た!!」という感じにもなれますね~!
そう言えば、吹奏楽コンクールの過去の課題曲の中にも 「春」をイメージさせるすてきな曲もいくつかあったと思います。

その一つが1995年の課題曲Ⅱ/スプリングマーチだと思います。
この年の課題曲は、Ⅰ/ラメセスⅡ世に人気が一点集中してしまい 課題曲Ⅱ~Ⅳは高校の部では
あまり演奏されていなかったのは少しもったいない感じがありました。
Ⅰは確かにコンクール向きで演奏効果が大変得やすい反面、
クラリネットの技術は高度なものが要求されるし、ホルンの高音域はすさまじいものがありましたし、
冒頭のつんざくような高音の入り方はかなり難易度が高かったと思います。
その点、この年の課題曲Ⅱ~Ⅳは、技術的にそれほど難しくなく
皆、なぜか愛くるしくてチャーミングな可愛い曲ばかりだったのが大変印象的です!
(Ⅳの「アップルマーチ」もとっても可憐な曲の雰囲気が素晴らしかったと思います)

課題曲Ⅱ/スプリングマーチは、「春」を予感させる 聴いていて何か妙に「ウキウキ」としてしまいそうな曲でしたね。
この曲、メロディーラインが滑らかで聴き易く出だしからすぐに曲の「楽しさ」にメロメロになってしまいそうな曲
だったと思います。
中間部も木管の響きが大変美しかったし、 その木管に交じる形で加わる「ミュート」を付けたトランペットの音色が
とてもチャーミングでお茶目でしたし、ラストも少しテンポアップし 一気にたたみかけるように終わり
大変スッキリとした終わり方を展開していましたので 印象としてもとても「爽やか」な感じがしたものです。

この「スプリングマーチ」ですけど、色々と素晴らしい演奏は多かった中で
特に印象に残っているのは、与野高校・福岡工大付属高校・近畿大学だと思います。
特に近畿大学は、一点の濁りも無い「透明感とスッキリ感」がとても魅力的でしたし
与野高校の「若々しい躍動感」も素晴らしかったですけど、この年の与野高校は全国大会初出場とは思えない
堂々とした演奏が大変印象的でしたし、自由曲の交響詩「ティル・オイレンシュピゲールの愉快ないたずら」もホルンの
見事にソロを含めて堂々の圧巻の初出場初金賞だったと思います。
与野高校は埼玉県内でも公立高校としては大変な進学校としても知られていますし、最近はちょっとご無沙汰していますけど、
いずれ近い将来に名門が復活してくれる事を期待したいです!
(埼玉と言うと、市立川口も学校統廃合により新たに生まれ変わりますし、最近は低迷気味ですけど狭山ヶ丘高校にも
頑張って欲しいものですね~!)
福岡工大付属も課題曲は愛くるしく、自由曲の「トッカータとフーガニ短調」は荘厳にと対照的な色彩がとても印象的でした。

「スプリングマーチ」以外で「春」をイメージさせるすてきな吹奏楽コンクール課題曲マーチというと他には
マーチ・エイプリル・メイもすてきでしたね~!
この楽しい行進曲は、1993年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲Ⅳでした。
最初は全然気が付かなかったのですけど(汗・・!)この曲のタイトルは、「行進曲」としてのマーチと
「3月」としてのマーチの二つを掛けているというか、何か洒落っ気のあるネーミングだったのですね・・(笑)
タイトル通り、3月~5月の何か春らしいウキウキした感じがよく出ていて、 3分半程度の曲なのですけど、
非常に洗練されていて、楽しく明るく、生き生きとして躍動感がある行進曲なので大好きなコンクール課題曲の一つです。
この課題曲が吹奏楽コンクールとして演奏されてた時は、既に現役奏者を引退済ではありましたけど、
こんな楽しい課題曲は是非演奏してみたかったです!
(こうした「すてきな春」をイメージさせる吹奏楽コンクール課題曲は他には1997年の「五月の風」も大変印象的です!)

1992年度までの課題曲はパターンとしては、書下ろしの作品が2曲にマーチが2曲という感じだったのですけど、
1993年以降、全日本吹奏楽連盟は、課題曲に関してはかなり大胆な改革を行い、
西暦の偶数年は、マーチ以外の書下ろしの曲、西暦の奇数年は全てマーチという事に改められました。
1993年は、この改革がスタートした最初の年で課題曲は全て行進曲でした。
やはりマーチは聴きやすいから、聴衆としては奇数年の方がありがたいですね。
個人的には、行進曲だけの年とかマーチ以外の年というように一つの方向性だけを押し付けるのではなくて、
92年以前のように行進曲・難解な曲・日本的情緒の曲・ポップス系など色々なタイプの曲をミックスしたほうが
バラエティーに富んでいて面白いと思いますし、
課題曲として何を選択するかという事でそのチームの個性も見えてくるようにも感じられます。
ちなみにですけど今現在の吹奏楽コンクール課題曲は、こうしたマーチだけとか書下ろし作品だけというのは廃止になり、
以前のようなミックス型に戻ったのはむしろ大正解のような気もします。

1993年の吹奏楽コンクール全国大会・高校の部は、ⅡとⅣに課題曲の人気が集中し、
ⅠとⅢを演奏するチームは極めて少なかったですね。
確かⅠは基町のみ、Ⅲは埼玉栄と東海大学第四のみでしたね。
Ⅰが人気薄と言うのは何となくわかるのですけど 、Ⅲ/潮煙が意外と人気が無かったのは少し意外な感じもしたものでした。

この年の課題曲Ⅳ/マーチ「エイプリル・メイ」が実に楽しい曲で 、技術的に平易ながらも演奏効果が非常に高いという
コンクール課題曲としては大変お手頃な曲でしたし、
課題曲Ⅱ/スターパズルマーチも、「きらきら星」という誰もが知っている曲を引用していますので
ⅡとⅣの人気が高いのは「全く同感」という感じでしたね。

課題曲Ⅲ/潮煙は、技術的には相当難易度が高く、 トランペット(コルネット)のソロがかなり難しいという感じもありましたし、
粋な感じと楽しさを「楽に聴かせる」というのが意外と難しく あたりが高校の部で少し敬遠された理由なのかな・・・??
確かに職場の部のNTT中国も中学の部の袋原中はも
この課題曲Ⅲを選び、トランペットが外しまくって、両チームとも銅賞に留まっていました。

マーチ・エイプリル・メイは全国大会でも多くのチームが取り上げ、素晴らしい演奏を聴かせてくれていましたけど、
野庭・習志野・札幌白石の演奏が、その中でも特に素晴らしかったと思います。
特に習志野の木管の高音の透き通った響き、
強奏でも決して音が割れないし荒れない金管セクションの安定感は群を抜いていたと思いますし、
聴いていて、大変「すっきり感」の強い感じでした。
中間部の木管セクションの透明感・清涼感は、本当に素敵なものがありましたね。
札幌白石高校の「溌剌さ」も素晴らしいものがあったと思います!

やはり、こうしたすてきなコンクール課題曲マーチを改めて聴くと 「あー、春到来!!」という感覚になってしまいますね!!
1979年の吹奏楽コンクール課題曲D/行進曲「青春は限りなく」というちょとマイナーな課題曲をご存じの皆さまって
少ないと言うのか、私みたいなオールド吹奏楽ファンだけなのかもしれないですね・・(汗)
吹奏楽に相当お詳しい方でも「あれ~、過去にそんな課題曲あったっけ?」みたいに思われても仕方が無いほど
人気がうすく演奏される頻度もちょと弱くて、マーチなんだけちょっと地味なおとなしめの曲だったと思います。
だけどこの課題曲は後述しますけど、79年の課題曲には「フェリスタス」という今現在に至るまで語り継がれるほどの
不滅の大人気名曲課題曲があったり、はたまた「プレリュード」という吹奏楽コンクールの課題曲の転換点をもたらしたような
素晴らしい課題曲のビッグ2がそびえたっている関係で、どうしても「青春は限りなく」のインパクトは弱くなってしまいますね・・

1979年の吹奏楽コンクールの課題曲は、A/フェリスタスが圧倒的に大人気の曲で
全部門を通しても屈指の大人気課題曲だったと思います。
というか、このフェリスタスは今現在でもたまにですけど定期演奏会の演奏会で「懐メロ」として演奏される事例も多々ありますし
私自身の母校でも「OBメモリアル演奏会」が開催された時でも、
アルメニアンダンスパートⅠ・エルザの大聖堂への厳かな行列などと共に演奏された曲でもあったりします。
前述の通り、1979年の全国大会での課題曲の人気はこのフェリスタスとB/プレリュードに二分されてしまい、
結果的に課題曲D/青春は限りなくは全国大会ではわずか3チームしか演奏されていませんでした。

この行進曲「青春は限りなく」は地味なのですけど独特のチャーミングな雰囲気も感じられ、
「青春万歳!!」みたいな華やかさは全くないのですけど、大変「爽やかさ」を持った曲だと思います。
この課題曲はマーチングの練習曲として、私自身も何度か吹いた事はありますし指揮をした事もありますけど、
全体的にはピッコロの装飾音符とメロディーに対するいわゆる「裏メロ」がとってもすてきな旋律が展開されていて、
私自身実はなのですけど、
メロディーラインに対する「裏メロ」の存在というものを中学生ながら認識したのは、この「青春は限りなく」と
実際に私自身がコンクール課題曲として演奏した79年の課題曲C/幼い日の想い出の中間部のユーフォニアムの
あの壮大な裏メロだったと思います。
この課題曲Dは、コンクールの課題曲としては吹きませんでしたけどマーチングの練習用として何度か吹いた事があります。
その際に顧問の指揮者の先生から
「この曲には、メロディーライン・リズム的な側面を持つ裏メロ担当・後打ちのビートセクションから
構成され、単純な曲なのだけど、同一小節内に、第一メロディーと裏メロとも言える第二メロディーが
同時に存在し、第二は第一メロディーを侵食してはいけないけど、同時に自らの存在感も伝えないといけない。
音楽は、各奏者に役割分担があり、各自が自分はこの曲においてどういう役割を担っているか
よーく考えながら吹け!!」と中学生に対する指導としてはかなり「無茶振り」みたいな事を言っていました。
勿論当時は何を言っているのかさっぱり分かりませんでしたけど、今にして思うと言いたい事はよく分かります。
クラリネットとしてこの曲を吹いた時はメロディーライン担当というか第一メロディーを主に吹いていましたけど
アルトサックスとしてこの曲を吹いた際は、役割としては裏メロ担当というか第二メロディーラインを
吹いていたと思いますけど、今にして思うと、この曲を通して上記で書いた通り、
楽器の役割分担とか曲の構成とか、裏メロの存在というものを教えられたような気もします。

余談ですけど、私の中学の1980年度の「文化祭」の統一テーマが「青春よ、限りなく」というものでしたけど、
これを学校側に投降し採用されたのが吹奏楽部の部員でしたので(そんなパクリ投稿したのは私ではないですよ・・汗・・)
間違いなく79年の課題曲Dの「青春は限りなく」の「は」と「よ」の一文字だけを変えただけのパクリだったと思います。
というかこんなパクリが正々堂々と採用されるのが田舎らしいおおらかさだったのかもしれないですね・・

私の中学校は、毎週月曜日の全体朝礼は真冬でも校庭と言う屋外でやっていましたけど、
全校生徒の入退場のマーチを演奏していたのは当然吹奏楽部の役割でした。
顧問の先生は当時は担任教師としての顔も持っていましたので、全体朝礼の際は担任クラスに付きっ切りと言う事も多々あり、
私自身もよく代役として、こうした入退場マーチの指揮者を務めていましたけど
この「青春は限りなく」とか1979年課題曲E/朝をたたえては結構指揮を担当していたものでした!
そういう意味でもこの「青春は限りなく」は個人的にも地味だけどなんか妙に思い入れがある課題曲の一つですね・・(笑)

余談になりますけど、1979年の課題曲E/「朝をたたえて」は、
大阪のフェスティバルホールで朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団、
大阪フィルハーモニー合唱団により、吹奏楽編成ではなくてなぜか管弦楽編成として初演が行われているそうです。
合唱部分は 「ひーろがる。ひろがる」、「かーがやく。かがやく」、「うーたおう。歌おう」の
歌詞の繰り返しを3回を経て、オーケストラによるコーダで終わるのですけど、
その関係で、初演の演奏時間は、合唱の繰り返しを含む都合上約6分30秒を要したとの事です。

大指揮者、朝比奈大先生もこうしたイベントに当時は駆り出されていたなんてちょっと意外な感じもありますね・・

奥村一は青春は限りなくの他に1971年にも吹奏楽コンクール課題曲として行進曲「太陽の下に」というマーチも
作曲されています。
この「太陽の下に」なのですけど、当時の一般の部の実況録音のカスタムテープを聴いてみると、例えば公苑会などのように
課題曲と自由曲の間になんと、拍手が入っている演奏チームもあったりします!
当時はそういう基本マナーすらも聴衆には徹底されていない時代だったのかもしれないですね・・(笑)

最後に、行進曲「青春は限りなく」の作曲者の奥村一は、埼玉のご出身で、そのせいなのか1976年に
組曲「秩父夜祭り」 という吹奏楽作品も作曲されています。

秩父夜祭は、ユネスコ無形文化遺産に登録されている埼玉県秩父市にある秩父神社の例祭であり、
12月2日が宵宮、12月3日が大祭であり、提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、
冬の花火大会はテレビ映像でもおなじみの方も多いのかもしれないです。
秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられるそうです。
秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられているそうで、
金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれるほど豪華絢爛で、
国の重要有形民俗文化財に指定されているとのことです。
1981年の全日本吹奏楽コンクール課題曲は

A イリュージョン

B 東北地方の民謡によるコラージュ

C シンフォニックマーチ

D 行進曲「青空の下で」

という4曲でしたけど、私の感覚としてはこの四曲の中で圧倒的に優れていた作品は、
課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュだったと思います。
私自身、今でもこの「コラージュ」は大好きでして、この曲は「私自身が選ぶマイベスト課題曲ベスト10」に間違いなく
入る曲の一つだと思います。
やはりそこには私自身の「東北生れ・東北育ち」としての「血」というのか、
この曲のベースとなっている「民謡」を聴くと、「郷愁」みたいなものを感じ、血が騒ぐみたいな感覚があるようにも感じられます。
この年のコンクールは全国的な傾向なのですけど、課題曲の傾向としては
課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュに人気が集中し、
例えば東北大会においても高校A部門では、13チーム中、課題曲Bを選んだチームが実に9チームにも達していましたし、
全国大会でも高校の部では出場25チームのうち、課題曲Bを選んでいたのは15チームにものぼっていました。
この課題曲は今も昔も私も大好きな曲なので、県大会や支部大会で他校の演奏を聴く際も
一日に何度も同じ課題曲を聴いたとしても全然飽き無かったしむしろとても楽しかったです!
演奏団体によって全然異なる解釈や多種多様な表現を非常に興味深く聴くことが出来たと思っています。
(櫛田さん作曲の課題曲として1994年の「雲のコラージュ」がありましたけど、残念ながらこの曲は私は大嫌いなものでして、
94年の吹奏楽コンクールは繰り返し何度もこの雲のコラージュを聴かされることはとてつもない苦痛でした・・汗・・)

「東北地方の民話によるコラージュ」は、作曲者が同じという事で、後年の1994年の課題曲Ⅳ/雲のコラージュと同様に
元々の譜面で指定されている楽器は使用しなくても構わないし、他の楽器で自由に代用しても構わないし、
基本的にはどんな楽器で演奏してもOKという非常におおらかなものでした。
ほとんどのチームは、譜面の指定通りの楽器を使用していましたけど、中には後縦しますけど
青森県信用組合のように、アルトサックスのソロの部分を本物の「尺八」で代用したり
弘前南高校のようにラストのトランペットの二重奏をフルート二重奏で置き換えたケースもあり
色々興味深い演奏は聴けることが出来ました。
面白い事にこの課題曲は、例えばトランペット二重奏部分の前とか
前半の幽玄な部分が静かに閉じられアレグロに入る手前にちょっとしたフレーズが出てくるのですけど、
この部分は指揮者の判断によりカットしても構わないといった作曲者公認の「カットOK」という珍しい要素も含まれていました。
実際の演奏ではほとんどのチームはその二か所についてはカットしていたと思います。

この課題曲はタイトル通り「東北地方に伝わる民謡」をベースにし、
具体的には「南部牛追い歌」「津軽じょんがら節」「庄内おばこ」「南部二下り甚句」といった東北の人ならば
一度くらいは耳にした事がある懐かしいフレーズが次から次へと出てくるのですけど、
私的に一番「このメロディーは胸にしみるね・・」と感じるのは南部牛追い歌と津軽じょんから節だったと思います。
打楽器編成の中に和太鼓・締太鼓といった日本の伝統楽器が登場するのも大変興味深いものが
ありましたし、部分的に「ガラガラ」みたいな打楽器も登場していました。
序奏は大変幽玄的で、後半のアレグロの展開部分は大変ヴァイタリティーがあり、ラストのトランペット二重奏で
しんみりと閉じられるといった構成でした。
トランペットの二重奏は二人の奏者にとっては大変プレッシャーが掛かると同時に精神力との戦いみたいな部分でも
あったと思います。不思議な事にこの箇所はそれほど大崩する事も少なく、目立ったソロミスは少なかったようにも
感じられます。

この課題曲Bは、全国大会・高校の部においては、九州・四国・中国・関西といった西エリアのチームは
課題曲としてはあまり選ばれておりません。
実際に演奏された事例の中でも、福岡工大付属のように異常に前半が遅くて時間を掛けているとか
就実のように後半、やたらと和太鼓を叩き鳴らすなどのように「それはどうなのかな・・?」といった表現は多かったと思います。
これは曲に出てくるメロディーへの共感度の大きさの違いなのかもしれないですね。
例えばですけど「大阪俗謡による幻想曲」は、関西より西のチームに偏ってどちらかという演奏されるようにも感じられますし、
この大阪俗謡による幻想曲をかつて札幌白石高校が演奏した際は、曲に対する共感度がなんとなく低めに感じられ
例年よりも今一つも今二つもノリが大変悪かったというのも何となく理解できるような気もします。
だって東北出身の私があの曲を聴いても「あー、このメロディーどこかで昔聴いたことがあるある!」というのは皆無ですし、
そうした意味では関西のチームがあの曲を演奏すると、一つの「郷愁」というのか「血が騒ぐ感覚」というのに
通ずるものがあるのかもしれないですよね。
それと同様な事が「東北地方の民謡によるコラージュ」にも起きていたと言えるのかもしれないです。
この課題曲は全国大会でもたくさんのチームが演奏していて、とにかく個性溢れる素晴らしい演奏が続出していたと
思うのですけど、音楽的解釈で大変面白かったのは埼玉県の市立川口高校だったと思います。
このチームはとにかく前半が長い長い・・異常にスローテンポで、参考音源の演奏時間は4分35秒なのに、
市立川口は5分38秒でした! このチームはアレグロに入って以降はかなりの快活・快速テンポでしたので、
序奏のあの息の長い歌い廻しは大変印象的でもありました。
音の美しさ・洗練さ・幽玄的な雰囲気という観点で大変印象的な演奏は、駒澤大学と習志野高校だったと思います。

「東北地方の民謡によるコラージュ」を語る上で私的に絶対に外せない演奏が二つあります。
その二つの演奏は私自身が1981年の山形市で開催された東北大会の第一日目で生演奏として聴かせて頂いたもので、
あの当時は私自身がまだ吹奏楽とか音楽の事など何も知らない時代でもありましたので、余計に当時の私の胸に
響いていたのかもしれないですね。

その一つは「青森県信用組合」です。

このチームは、1980年に全国大会初出場を果たし、
課題曲C/北海の大漁歌と自由曲として交響詩「フィンランディア」を演奏し、この時は銅賞の評価を得ています。
この時の課題曲の演出は大変ユニークで、ステージ内に大きな「丸太」を持ち込み、
譜面上では拍子木指定の部分をこの丸太でコーンコーンと打ち鳴らし、一定の演奏効果を得ていたと思います。
青森県信用組合は翌年、指揮者に箕輪響氏を迎え、櫛田作品路線で臨んで以降は
更に素晴らしい進化を見せてくれることになりました。

「東北地方の民謡によるコラージュ」は前半の幽玄的な部分でアルトサックスのヴィヴラートかけまくりのソロを
かなり大胆に取り入れていて、このソロの部分は大変寂しげでもあり哀しくもあり同時にほのかな情熱すらも感じさせる
大変大きな見せ場でもあるのですけど、
青森県信用組合はこのアルトサックスの部分をなんと・・!! 本物の「尺八」を使用していて、
しかもこの尺八がうまいのなんのって、とにかくこぶしをノリノリで聴かせてくれていて、
あのノリはいかにも山の虚無僧みたいな雰囲気が見事に醸し出していたと思います。
日本古来の楽器である尺八をもって東北民謡を朗々とたっぷりと情感を込めて歌い上げていたのも素晴らしかったし、
何よりも「尺八を大胆に使用する」というそのアィディアが「お見事!!」以外の言葉しか出てこないですね。
青森県信用組合は東北大会代表として選出され全国大会でも金賞を受賞されていましたけど、全国大会のBJの講評でも
「全部門を通して最高の演奏」と大絶賛されていたと思います。
1981年の青森県信用組合の自由曲は「飛鳥」でしたけど、こちらも素晴らしい演奏でした。
前年度の1980年に、粟野中学校が同じ「飛鳥」を演奏していましたが、
粟野中の場合は、ドラをとにかく打ち鳴らし積極果敢に「攻める」飛鳥という印象なのですが、
青森県信用組合の方は、しっとりと落ち着いて聴かせる「大人の」飛鳥という印象でした。

二つ目のチームは、残念ながら東北大会ダメ金で終わってしまい全国大会に進む事は出来なかったのですけど、
高校A部門に出場していた大曲高校です。
ちなみに大曲高校のこの年の自由曲は三善晃の交響三章~第二楽章です。
(交響三章は第三楽章が演奏されることが多いだけに第二楽章というのも大変珍しいと思います)
この大曲高校ですけど、当時の東北大会を聴いた人ならば多分同じ事を言うと思うのですけど
この年の全国大会、支部大会を通して「最高の課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュ」だったのではないかと
思います。
私自身大曲高校のコラージュを聴いて背中が凍りつくほどゾクゾクさせられるものがありました!
奏者と指揮者が完全に内面的に燃焼し尽くした大変緊張感が強い演奏は、多分ですけど他には存在しないだろうとすら
思えますし、聴いていて曲の冒頭からピーーンと異常に張りつめた空気が流れていましたし、
息をする事や咳払いする事すら許されないようなとてつもない緊張感が会場内にあった事は間違いないです。
これは当日、あの日あの時会場にいてあの演奏を生で聴いていて会場でその雰囲気を肌で敏感に感じ取っていた
私がストレートにその感想を述べているものであり、決してこの言葉に大袈裟なものや誇張はない事だけは
お断りさせて頂きたいと思います。
これまで聴いた事がない張りつめた空気の「コラージュ」でしたし、
聴いているだけで体の底からゾクゾクしてくる凄まじい内省的な張りつめた空気がビシビシと伝わってくる演奏でした。
アレグロに入って以降の土俗的なヴァイタリティ―も素晴らしく、前半の緊張感と後半のエネルギーの対比が
とてつもなく鮮やかだったと思います。

当時の私は、吹奏楽の名門校とか前年の代表校など何も知らない真っ白の状態でこの年の東北大会を聴いていて、
この時の私の率直な感想は、1981年の東北大会の全国大会代表校3校は、花輪・磐城・大曲だと思っていたほどでした。
ちなみにこの年は弘前南高校が全国大会5年連続金賞に大手を掛けていた年でもあるのですけど、
当時の私の印象・率直な感想としては「弘前南は感銘度がうすい・・」という感じでした・・(汗・・)
ちなみに弘前南高校は全国大会では大変感銘度と内省的充実感を見せてくれた演奏を聴かせてくれていて、
堂々たる全国大会・金賞を受賞し、全国大会5年連続金賞を達成していました!

あの時の大曲高校の実況演奏のの音源はどこかに残っていないものでしょうか・・
当時の東北大会の演奏はレコード化されてはいるのですけど、その音源がどこかに残っていないものか、
今でもちょっと気になったりもします。
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吹奏楽コンクールの課題曲は年々演奏難易度は高くなっているような気もしますし、その音楽的充実度には
目を見張るものがあると思います。
反面、ちょっと内容的に難しすぎて後世まで演奏され続けられるような課題曲が以前よりは少なくなっているような気もします。
例えば、バーレスク・風紋・波の見える風景・稲穂の波などと言った課題曲なんだけど自由曲としても
十分演奏効果があり内容がある曲が減ってきているのかな・・とも感じたりもします。

吹奏楽コンクールの課題曲を振り返る時、一つの節目というか転換点になった曲があるように思えます。

私自身は「オールド吹奏楽ファン」と言えるのかもしれないですけど(汗・・)、私の世代よりも一回り~二回り上の皆様ですと、
1964年の課題曲/序曲「廣野を行く」あたりを一つの転換点として推されるのかもしれないですね。
この年以前の課題曲は、マーチがほとんどであったのに対して、マーチ以外の曲想の課題曲が
登場した初めての年と言えるのかもしれません。
当時、序曲「廣野を行く」は「難しい」と敬遠気味だったそうですけど、
現在の視点から聴くと、「この曲の一体どこが難しいのかな・・・?」とも感じてしまうのですけど
それは「吹奏楽コンクールの進化」という事にしておきましょうね・・
別の意味の転換点と言うと、先日の記事でも触れさせて頂きました1974年の課題曲B/高度な技術への指標を
挙げたいと思いますし、あの課題曲は「革新的」というか極めて斬新だと改めて感心したりもします。

話が冒頭からそれてしまいましたけど、そうした課題曲の転換点として挙げたい曲の一つが
1979年の課題曲B「プレリュード」だと思ったりもします。
どうして節目なのかというと、課題曲の歴史の中で初めて、
「無調音楽」のような現代音楽の感覚と形式を初めてコンクール課題曲として成立させたのが「プレリュード」だと思います。
プレリュードの譜面を初めて見たのが、1979年の中学2年の時でしたけど、最初に見た時はびっくり仰天でした。
というのも、打楽器のティンパニ以外のパートのパート譜は冒頭部分から1分程度あたりまでの50小節あたりまでは、
全パートが完全休止状態だったからです!(この部分はティンパニの完全ソロです!!)
それ以降も変拍子に次ぐ変拍子でメロディーラインが全然分からないという俗にいう「歌」の無い曲でしたし、
当時は「訳のわからんヘンな曲・・・」というのが当時の吹奏楽部員全員の感想だったと思います。
私が在籍していた中学はこんな課題曲を消化できる技術も感性も全くありませんでしたので
課題曲はC/幼い日の想い出でしたけど、私個人は課題曲A/フェリスタスを吹いてみたかったです! (笑)
とにかく「プレリュード」が吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中で果たした意義は大変大きいように感じたりもします。

それから3年後に「序奏とアレグロ」と、こちらは無調音楽バリバリの課題曲が登場しました。
「プレリュード」は無調音楽らしきものという事で、厳密に言うとメロディーらしきものと言うのか聴き方によっては
「鄙びた和の世界」は伝わっていると思います。
だけど「序奏とアレグロ」の世界は本当に無機質な無調音楽そのものだと思いますし、
そうした意味においては、プレリュードと序奏とアレグロが後世の吹奏楽コンクールに与えた影響度ははかりしれないものがあり
それが最高の音楽に近い形で到達したのが、1988年の三善晃の「吹奏楽のための深層の祭り」なのだと思います。

そして序奏とアレグロの更に2年後に「変容-断章」というこれまでの課題曲の常識を破壊する
課題曲が登場する事になります。
この「変容-断章」は当時あまりの難しさゆえに序奏とアレグロほど演奏される今度は低くて、この課題曲を評価される方は
少ないようにも感じられるのですけど、私としては無調要素と和の融合を「プレリュード」以上に究めた作品として
高く評価させて頂きたいです!

「変容-断章」は、「瞑と舞」の作曲者の池上敏が作曲した作品ですけど、
技術的には課題曲の歴史の中でも最難関の一つだと思います。
(歴代最難関課題曲No.1は1994年の課題曲Ⅲ・饗応夫人であるのはほぼ間違いないようにも思えます)
この「変容-断章」の意義は単に技術的に難しいという事ではなくて、
難しさの中に日本的な「さび」とか「鄙びた感じ」・「枯れた感じ」・
能を想起させるような「幽玄さ」、そして能の世界のリズムみたいな打楽器の響きが曲の随所に感じさせ、
79年のプレリュードや82年の序奏とアレグロみたいな西洋音楽としての現代音楽ではなくて
日本の「和の心」・「和の響き」として課題曲を構築していることにその意義があるように私的には感じたりもします。

使用している打楽器は、トムトム・ティンパニ・マラカス・ドラ・サスペンダーシンバル等全て西洋楽器で、
いわゆる和太鼓系は一つも使用していません。
だけどトムトムのあの響かせ方は、何となく能の「間」の取り方を想起させますし、
前半の木管楽器のトレモロなんかは、日本の怪談の「ヒュードロドロ」みたいな感覚を思い出させてくれますし、
後半にティンパニ奏者が撥からマラカスに持ち替えて、マラカスでティンパニを叩くことによって
ティンパニーの和音に何かカラカラという音をmixさせる辺りは
日本の村祭りの盛り上がりみたいなものを何かイメージさせてくれます。

あまりの難しさゆえにこの課題曲を選ぶチームは極めて少ないのは残念でしたね。

現代音楽の形式に和の雰囲気を持ち込むような課題曲は、この課題曲を契機に例えば、
86年の吹奏楽のための序曲とか88年の深層の祭りとか96年の般若とか色々出てきますので、
そうしたパイオニアとしての要素ももう少し今となっては評価されても良いような感じはします。

1984年の全国大会では、この課題曲は6団体しか選びませんけど、
この内5団体が(ヤマハ浜松・神奈川大・天理・花輪・土気中)金賞を受賞し、出雲高校のみ銅賞でした。
神奈川大は正直良い出来ではありませんし、土気中の演奏を評価される方は当時も今も多いのですけど、私的には
やはり技術的未消化が気になってしまいます。
天理の知性的で切れのある演奏は素晴らしかったですし、花輪の小林先生の感性が和のドロドロ感をうまく表現されて
いたのも素晴らしかったですけど、技術的完成度の高さと和の極みという意味ではヤマハ浜松が最高の名演だと思います。
ちなみに1984年のヤマハ浜松は原田元吉氏の最後の全国大会での指揮となり、その意味でも大変意義がある演奏です。

ここから先は少し余談ですけど、池上敏の吹奏楽オリジナル作品として決して忘れていけない名曲として
「瞑と舞」が挙げられると思います。
そして全国大会・支部大会でも池上敏の「瞑と舞」という作品が細々とではありますけど、
いまだに演奏され続けていることを嬉しく感じます。
確かに少々とっつきにくく、陰気な邦人作品という感じも否定はできないのですけど
この「和の感覚」・「鄙びた感覚」は、日本人でないと絶対に分からないような「わびさび」みたいなものも感じたりもします。

「瞑と舞」を初めて聴いたのは、1981年の全国大会の中学の部の、旭川・神居中学校の
神がかりとしか言いようがない何かに「憑りつかれた様な」奇跡的なウルトラ名演なのですけど、
それから数年後に、チャンスの「呪文と踊り」を聴いた時、この曲の構成、何か瞑と舞に似ているのかも・・?」と感じたものです。
静かな序奏から、打楽器の絡みから徐々に盛り上がっていく構成がそのような印象を持たせたのかもしれませんけど、
実は意外とその印象は当たっていました。
後で色々と池上敏の事を調べていくうちに、「瞑と舞」はチャンスの「呪文と踊り」に色々な面で影響は受けたとの事です。
最初の感覚としては、「瞑と舞が呪文と踊りに何らかの影響を与えたのかな?」と思っていたら
実際は逆でして、作曲年としては「呪文と踊り」の方が早く作曲され
「呪文と踊り」が「瞑と舞」に多少の影響を与えたと言えるのだと思います。

この「瞑と舞」ですけど、サンベンダーシンバルに乗っかる形でピッコロのソロで開始され、
その後すぐにピッコロからバトンタッチされる形でフルートにメロディーラインが移っていくのですけど、
ピッコロ奏者がフルートを掛け持ちする事が多いような気がします。
神居中もそうした素晴らしい見事な持ち替えでした!
その後すぐに、クラリネット・オーボエにメロディーラインが受け継がれていき、一旦静かになった後、
打楽器セクションによるアンサンブルが静かに開始され、徐々に盛り上がっていき
ここから「舞」の部分が開始されていきます。
ちなみにこの曲の打楽器は、
ティンパニ、トライアングル、ボンゴ、タンバリン、サスペンデッドシンバル、合わせシンバル、タムタム、
大太鼓、スネアドラム、テナードラムを使用していますが、
「舞」の開始部分は上記の打楽器アンサンブルから開始されるのですけど
この部分のボンゴ・テナードラムの響きはかなりの効果があるように思えます。
「舞」が開始されて以降は、金管の響きに乗っかる形で大太鼓がズドンと要所で決めていますけど
この「ズドン」というのが実に気持ち良く決まるので、これだけでも爽快な感じになったりもします。
「舞」では部分的に静と動を対比させながら進展していき、
そのクライマックスでは、やはり大太鼓がズドンと締めてくれます。
その過程の中で、「バストロンボーン」が不気味な音を展開したり、ミュートを付けたトランペットが乱入したり、
同じくミュートを付けたトロンボーンの絡みがあったりと聴きどころも満載です。
そしてラストは、序盤の「瞑」と同じようにピッコロのソロで静かに閉じられていきます。

全体的には、やはり「日本的な」香りが濃厚だと思います。

イメージとしては、巫女さんの舞とか、龍の舞とか、民衆の土俗的祭礼とか、神官の祈りとか
そういったワードがこの曲を聴くだけで脳裏をかすめたりもします。

「瞑と舞」の吹奏楽コンクール・全国大会での素晴らしい演奏は三つほど挙げられると思います。

〇1977年/富田中学校

〇1981年/神居中学校

〇1986年/伊丹東中学校

あ、どれも全て中学生の演奏でしたね。

富田中の演奏は、一言で言うと非常に野暮ったい演奏で、洗練さはほぼ皆無です。
だけど民衆のエネルギーというか土俗的祭礼みたいな雰囲気は非常によく出ています。
全体的に「泥と土の香り」がします。
神居中の演奏は、非常に知的でスマートな演奏です。
音色の透明感が実に素晴らしいし、奏者と指揮者が完全に一体化し、
「自分達の音楽」としてこの曲をほぼ完璧に自分達のものにしている印象が強いです。
伊丹東中は、指揮者のアクの強さが漲っていて、正直好き嫌いははっきりと分かれる演奏だと思います。
少しやり過ぎというか演出過剰という感じもしますけどいかにも永澤先生らしい個性の強い演奏です。

最後に余談ですけど、結果的に神居中は、「瞑と舞」の素晴らしい名演を残していますが、
曲のラストのピッコロの弱奏で、普門館の会場内で赤ん坊が思いっきり泣いてしまい名演に水を差しています・・・(泣)
その鳴き声と喚き声はレコードにはっきりと収録されています。
同様に1986年の伊丹東の「瞑と舞」のラストの弱奏で、やはり赤ん坊が泣いてしまっています。
うーーん、赤ん坊には、「瞑と舞」の世界は不気味に恐怖に聴こえるのかな・・・??
この時代の普門館は、赤ちゃん・幼児同伴でも会場に入ることが出来たのですね!
今では信じられない話だと思います。

ついでに書くと、1981年の逗子開成高校の自由曲「海のうた」でも同様の事件が起こり、
前半のゆったりとした部分で、赤ん坊が演奏中に泣いてしまって、
その泣き声が更に演奏を興醒めにしているのは少し気の毒です。
(これも当時のレコードにしっかりと収録されています)

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