プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「プリキュア」がメインになってしまいました・・・
最近は「東方Project」も大好きです!!
吹奏楽もプリキュアも何か自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在は・・・・ラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です・・・
裏の顔は・・・プリキュアと吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは・・・とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に特に・・・さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さんはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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本記事は過去記事の再編集&再構成記事です。
たまにこうした事をさせて頂くのは、もちろん単に管理人のネタ切れという事もあるのですけど(汗・・)
過去記事の中で、管理人が結構気合を込めて無い脳みそを振り絞って書かせて頂いた記事なのだけど、
とてつもなく反応がうすかったりスルーされてしまった記事もあったりして、そのままにしておくのもなんか元の記事が
ちょっと気の毒・・という事もあったりしますので、部分的に加筆修正をさせて頂き、改めて掲載をさせて頂きたいと
思いますので宜しくお願いいたします。


日本においては古今東西より「かぞえうた」みたいなものが民謡・流行歌のような形で庶民を中心に
歌われてきたと思うのですけど、私的には「ひとつとせぇ~」といったフレーズのかぞえうたを聞くと、何となくですけど
この親しみやすさのゆえに「なつかしいなぁ・・」と感じますし郷愁みたいなメランコリーみたいなものを
感じたりもします。

日本における「かぞえうた」とは、古くは降神の儀式の際の呪言として用いられたと言われていますけど、
東方Projectの世界でも博麗神社のすてきな巫女さんでもある霊夢がたま~にですけどそうした降神の術を使っていたりも
しましたけど、同じく降神の術を使っていた綿月依姫と合わせても、そうした「かぞえうた」のような祝詞・呪言は
使っていなかったと思います。
そうした降神の儀式での呪言自体、幻想郷でも外界でも既に使用されなくなりつつあるという事なのかもしれないですね。

日本における「かぞえうた」は、言葉遊び的な要素もある思います。
たとえば一をひとつと読むのを人という言葉に置き換え押韻し、歌詞を紡いでいくという手法もありますし、
そうした韻を踏むような高度なものではなくて、数をリズムよく数え上げるための歌として親しまれている手法もありますし、
後者の場合は童歌として歌われた場合、手毬・御手玉・羽根突と組み合わされて日本各地に広まっていったようにも
思われます。
そしてこうしたかぞえうたは時代と地域を超えて庶民を中心に歌われ継がれていき現在に至っていると思いますし、
そして現代では現代に合わせた形のこうしたかぞえうたがあるのかなぁ・・とも思ったりもします。

こうした「かぞえうた」の一例として幾つか記させて頂きますと・・・

1.いちじくにんじん

「いちじくにんじん」は、手まり歌、羽子突き唄、おはじき歌などとして古くから親しまれてきた日本のかぞえうたです。
1はイチジク、2はニンジン、3はサンショウ(山椒)、4はシイタケ(椎茸)といったように、
数字の読みと語頭が一致する名前の食材や植物などが順番に歌い込まれていく典型的なかぞえうただと思うのですけど、
この中で歌われる食材や植物の中には、普段あまり聞きなれないものもいくつか登場するのが大変興味深いものが
あると思います。
例えばですけど「むくろじゅ(無患子)」とは何なのかと言うと
ムクロジ科の落葉樹で、果皮には多量のサポニンが含まれ、かつては石鹸として洗濯などに珍重されていたそうですけど、
現在ではあまり馴染みがないですよね・・
「はつたけ(初茸)」は、特に関東圏で親しまれていた食用キノコの一つで、
炊き込みご飯にしたり、味噌焼き・しょうゆ焼き、吸い物や煮物など、幅広い料理法で食されるそうですけど、
私もこの食材見た事も聞いた事もないですね・・

2.いっぽんでもにんじん

これは昭和の頃にかなり流行りましたね!
このかぞえうたをご存知の方は立派な昭和育ちと言えるのかもしれないですね・・(笑)
歌っている方は今現在も大活躍中であの「胡散臭さ」がいい味を出しているはなぎら健壱でしたね!
ちなみにこの歌は、昭和の頃の一大流行歌となった子門真人の「およげ!たいやきくん」のB面の曲でもありました!
というか、レコードだのB面だの言われても平成世代の皆様は「なにそれ・・!?」という感覚なのかも
しれないですね・・(汗・・)

一本でも 人参
ニ足でも サンダル
三そうでも ヨット

一本・二足・三艘…と物の数が1つずつ上がると共に単位も変わる巧妙な歌詞は、子供だけでなく大人にも
大うけだったと思います。
およげ! たいやきくんと山口さんちのツトムくんとかいっぽんでもにんじんは、当時小学校の管楽器クラブに所属し
パーカッションを担当していた私も、発表会とか学芸会で何度か演奏した記憶があります。







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3.大ちゃん数え唄

これはアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌でして、
軽快なアレンジのかぞえうたとして、アニメソングとしては今も不動の人気曲だと思いますし、この曲は今現在でも
カラオケ店の曲のメニューの中にもごく普通に入っています。
当時これを謳われていた吉田よしみとは現在の天童よしみです!
天童よしみは当時16歳で、この歌がデビュー曲とのことです。

一つ人より力持ち
二つふるさとあとにして
花の東京で~腕試し~
三つ未来の大物だ
大ちゃんどばっと丸裸~、てんてん、てんーかのーい~なかっぺ~

この歌詞はかぞえうた形式になっていてとっても親しみやすかったですね!

いなかっぺ大将に出てくるニャンコ先生もとてもすてきな味を出されていたと思います! (笑)

「ニャンコ先生」というと、現在では「夏目友人帳」に登場するあのブタネコ先生の方がはるかに知名度はありそうなですね!

ニャンコ先生」なのですけど、風 大左衛門(通称、大ちゃん)に「キャット空中三回転」を伝授し、
大ちゃんの夢である一流の柔道家になる事に向けて日々奮闘するというのが「いなかっぺ大将」の大まかな方向でしたけど、
大ちゃんの「ずっこけな日々」に毎回毎回付き合わされるのだけどニャンコ先生自体もノリノリというのが楽しかったですね。

このアニメには、菊ちゃん・花ちゃんという美少女も登場していましたけど、大ちゃんに一方的に恋心を示す
トンマルキという女の子もいたりして、この娘もいい味出していましたよね!
だけどトンマルキ以上に強烈な個性を出していたのは西一でした!
西一(にしはじめ)は大阪出身の関西弁で喋るドケチで嫌味ったらしくて性格が極悪で
いつも意地の悪い事ばかりたくらんでいるという印象でしたけど、
何か、このアニメと西一のせいで、子供の頃は
「関西人=ドケチで性格が悪くて意地悪」みたいな妙なイメージがあったものです・・(汗・・)
関西方面の皆様、どうもすいませんです・・(滝汗・・)


4.ハゲの歌

埼玉県の某・元国会議員先生のあの「このハゲーー!」によってハゲという言葉は随分と昨年は光が
当たったものですね・・(苦笑・・)
だけどそうしたハゲに関する数え歌が、なんとあのボーカロイド楽曲にあったりもします。

初音ミクが歌っている「ハゲの歌」がそうなのですけど、三つ、三日月ハゲがある~というように
ハゲに特化した歌詞のこのボーカロイド楽曲も、よく考えれば数え歌なのでした(笑)


5.1970年代に流れていたパロマの炊飯器のCM

1970年代の日曜の昼間の時間帯に放映されていた「家族そろって歌合戦」という番組の中で
頻繁にパロマ炊飯器のCMとして流れていて、これがかなり長大な「かぞえうた」みたいな感じだったと思います。
一番最後の歌詞が「十でおしまい、鶏のメシ~」となっていて、ここでアニメのニワトリがぐわっぐわっと大騒ぎし、
「やっぱりやめてぇ~、とろろめし」というオチで終っていたと思います。

八はやっぱり パロマのご飯
九でクリクリ 栗の飯~
十でおしまい 鶏の飯~~
 
やっぱりやめて とろろ飯~~~
ご飯炊くなら パロマだよ~~~♪

うーーむ、このほのぼの感はやっぱり「昭和のCM」そのものであり、昭和レトロですね! (笑)

「やっぱりやめて」でホッ・・としてニコニコするニワトリがとっても可愛かったのが大変印象的でした! (笑)


さてさて、こうした「かぞえうた」ですけど、これがなんと全日本吹奏楽コンクールの課題曲でも
このすてきな素材が使われていた事もありましたね!

1978年の吹奏楽コンクールの課題曲は4曲ありましたけど、
極端なほど課題曲A/ジュビラーテに人気が集中していました。
あまりにもAに人気が集中し過ぎるせいでA以外の課題曲Cとか課題曲D/行進曲「砂丘の曙」を選ぶチームも少なく
何か気の毒な感じもしました。
(課題曲B/カントにいたってはなんと全国大会では演奏団体ゼロです!)
課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、もしも他の年ならばもう少し取り上げるチームも
増えただろう事を考えると何か勿体無い気はしますね・・・

この課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、日本の古き民謡というか童謡の「かぞえうた」をベースにしています。
最近では、ミスチルとかポンキッキーとかみんなの歌とか色々とアレンジされているみたいですね。
何か私は、「かぞえうた」というと、やはり
「ひとつとーせー」みたいな歌詞が思い浮かびますし、上記で書いたようないなかっぺ大将とか
いっぽんでもにんじんの方がより親しみやすさを感じたりもします。

この課題曲は、楽譜の指定上では、エレキベースとかドラムセットが使われていますけど
実際のコンクールでは、エレキベースは使用されたのかな・・・??
自衛隊の演奏では、この曲を聴くとバンバンエレキベースが響いていますけど
当時のコンクールの実況録音を聴いても、ベースの音は感じないのですね。
この課題曲はポップス調なのですけど、出だしは意外にゆったりとした感じから開始されます。
コルネットのソロが実に渋いのが大変ポイントが高いと思います。
全体として「かぞえうた」の「ひーとつとーせー」のフレーズが結構頻繁に引用されますし
ドラムがかなり活躍しているのが印象的です。
とてもコンクール課題曲とは思えないほど楽しさが溢れていますし、
楽しいだけではなくて、何か大人の風格と言うか「大人の洒落っ気」みたいな要素も感じたりします。
作曲者の岩井氏は、この課題曲以外にも
1972年の「明日に向かって」とか76年の「メインストリートで」とか89年の「すてきな日々」みたいな
楽しい課題曲を後世に残してくれていますが、
このポップス変奏曲「かぞえうた」ほど洒落っ気というのかお茶目な要素を感じる曲はないですね。
本当に素晴らしい課題曲だと思いますし、後世に受け継がれていき演奏され続けて欲しい曲の一つだと思います。

1978年というと、私自身、中学に入学し吹奏楽部に入部し、
少しは楽器が吹けるようになった6月頃、初めて全体合奏に参加した曲が
実はこのポップス変奏曲「かぞえうた」だったのです。
だからその意味でも、なつかしい曲ですし、この曲を聴くたびに
楽器を初めて間もない頃の不安感とか楽しさとか当時の事が頭に思い浮かびますね・・・
だけど、結局当時の吹奏楽部の顧問が、
「いやいやコンクールの課題曲にこうしたふざけた曲は相応しくない・・・」と洒落が分からない事を
言い出し、結局課題曲はAのジュビラーテに変更したため
この素敵な課題曲でのコンクールデビューは幻となってしまいました・・・
この年の自由曲は、チャイコフスキーの「スラブ行進曲」でしたので
ジュビラーテと合わせて、初心者には辛いつらい選曲だったと思います。

このポップス変奏曲「かぞえうた」には、素晴らしい名演が残されていますね。
断トツなのは、やはり瑞穂青少年吹奏楽団だと思います。
この演奏は、正直プロ顔負けの演奏ですし、今聴いても色褪せることがない素晴らしい歴史的名演です。
だけど瑞穂にとってはこれが最後の全国大会になってしまい、とても惜しまれるものがあります。
他にはブリジストン久留米の大人っぽい演奏も印象的ですね。
中村学園もこの年全国初出場でしたけど、課題曲はこのかぞえうたでした。
この中村学園の課題曲の演奏を聴くと分かるのですけど、
前半部分のゆったりとした長いフレーズで、ブレスごとに奏者全員の「すーーーっ」という呼吸音が
はっきりと録音にも残っています。
なるほど、「腹式呼吸」の大切さを説いていた中村学園の松澤先生らしい演奏ですね・・・(笑)
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最近の吹奏楽コンクール全国大会の高校の部・大学の部・一般の部のレヴェルは驚異的な高く、
これはどう聴いてもとてもじゃないけどアマチュアの大会とは到底思えない世界的に見てもトップクラスの水準に
あると思います。
確かにコンクールというものには光と影とか功罪というものは付物ではあるのですけど、
私自身も計10年間の奏者時代は「吹奏楽コンクールが自分にとってすべて・・」みたいな感じでもありましたし、
日本の吹奏楽のレヴェルが世界最高水準にあるのも間違いなくその第一の功労者は「吹奏楽コンクール」にあると
思いますし、
最近では世界に通用する指揮者・管楽器奏者にかなりの数の吹奏楽経験者が多く含まれているのも
その功績の一つであると思います。

最近の吹奏楽コンクールの自由曲はどれもこれも皆大変難易度が高く、派手で華麗で演奏効果が高いものばかりで
その絢爛豪華さには目を見張るものがあると思います。
一連の最近の邦人オリジナル作品もそうですし、スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」とかスパークの「宇宙の音楽」とか
バーンズの交響曲第3番などはとにかく聴いているだけでも爽快なものがあると思います。

だけどそうした難解なオリジナル作品ももちろんすてきなのですけど、普段の練習とか演奏会とか
ちょっとしたステージの際には、例えばコーディルとかオリヴァドーティとかチャンスとかリードとかジェイガーなどといった
オールド吹奏楽ファンの皆さまでしたら感涙もののこうしたちょっと古い時代の吹奏楽オリジナル作品にも
たまには耳を傾けてほしいなぁ・・と感じることもありますし、
こうした古い時代のシンプルな曲を演奏することで「温故知新」じゃないけど、なにか「新しい発見」が出てくるのかも
しれないですね。

さてさて、C.ウィリアムズの曲も最近ではほとんど耳にすることも少なくなりましたけど、
このクリフトン・ウィリアムズの吹奏楽オリジナル作品も決して忘れてはいけない曲だと思いますし、今後も演奏
され続けてほしい曲の一つであると思います。

クリフトン・ウィリアムズというと、1960年代~70年代にかけて日本の吹奏楽コンクールにおいては、
ほぼ毎年取り上げられるかなりの人気作曲家だったと思います。
その中でも特に、

○献呈序曲

〇ファンファーレとアレグロ

〇交響組曲

〇ザ・シンフォニアンズ

○交響的舞曲第3番「フィエスタ!」

以上の曲は古典的名曲だと思いますけど、最近のコンクールではほとんど演奏されないのはとっても残念ですね。
「ファンファーレとアレグロ」の冒頭のサウンドの鮮烈さはまさに「あざやか!」とか「とてつもないインパクト!」としか
言いようが無い強烈さはあると思いますし、パンチが効いたという言葉がぴったりだと思います。

個人的には、C・ウィリアムスというと、やはり忘れちゃいけない作品は交響的舞曲第3番「フィエスタ!」だと思います。
この曲、今現在の感覚で聴いても新鮮な感覚に溢れていて、
躍動感・リズムの切れ・楽しさは「名曲」の名に恥じないと思います。
前述の通り「ファンファーレとアレグロ」の冒頭もそうでしたけど、
いきなり金管楽器のファンファーレ的コラールで開始され、
その後打楽器(マラカス)だけの演奏になったかと思うと、
突然展開部が開始され、ラテン系リズムがゆるやかに楽しく展開されていきます。
コルネットのソロも素晴らしい・・・!! あのラテン系のノリの良さは、リードの「エル・カミーノ・レアル」の世界を
彷彿とさせてくれていると感じます。
曲としては、リズミカルな部分と情緒たっぷりの歌の部分が交互に繰り返され、ラストになだれ込んでいきます。
ラストのトロンボーン奏者によるグリッサンドがこれまた圧巻でした!!

この曲の原曲は実は実は管弦楽曲でして、オーケストラのための交響的舞曲というタイトルらしいのですが、
吹奏楽による「交響的舞曲第3番 フィエスタ!」は、管弦楽版による原曲の第三曲を吹奏楽用にアレンジしたとの事です。
原曲版はどんな感じの曲なのか聴いてみたい感じもしますし、
合計5曲あるというこのシリーズの中で、他の四曲がどんな曲なのかという事も興味はありますね。
一度なのですけど、上野の東京文化会館の音楽資料室等でウィリアムズの管弦楽版の「交響的舞曲」の音源とかスコアが
無いかを調べに行った事がありましたけど、確かその際は「該当なし」という回答がなされていたような記憶があります。

C.ウィリアムズは弟子のチャンス同様に信じられないほどの若さでこの世を去り、
チャンスとこのC.ウィリアムズがせめてあと20年程度生きていたとしたら、他にどんな素晴らしい曲を残してくれていたのだろう
ということを考えるとたいへんせつないものがあったりもします。
チャンスは亡くなる直前に「エレジー」という一種の弔い音楽を作曲し、C.ウィリアムズも逝去の直前に
「カッチアとコラール」という「生と死」を予感させる素晴らしい曲を残していましたけど、
やはりなにか「予感」めたいものがあったのかもしれないですね・・・

そして、C.ウィリアムズというと忘れてはいけない古典的な名曲の一つとして「交響組曲」か挙げられると思います。

この曲は五楽章構成の組曲なのですけど、「楽章」という概念はほとんど無いと思います。
というのも、一つの楽章が終わっても切れ目なく次の楽章へと展開されていきますので、実際に聴いてみると
交響的物語という印象があるように感じられます。
演奏時間も11分程度で長くもありませんし、とにかくスピード感と切れ味に溢れるかっこいい曲ですので、
この11分間は飽きるという事は多分ないはずだと思います。
上記で書いた通り、ファンファーレとアレグロや交響的舞曲第3番の冒頭のファンファーレがとにかく惚れ惚れするほど
かっこいいのですけど、かっこいいとか切れ味鋭いという観点ではこの「交響組曲」も決して負けることはないと思います。

この「交響組曲」は下記の楽章から構成されています。

Ⅰ.イントラーダ

Ⅱ.コラール

Ⅲ.マーチ

Ⅳ.アンティークダンス

Ⅴ.ジュビリー

Ⅰの冒頭のトランペットによるファンファーレの印象は極めて強烈です! このファンファーレに他の楽器も絡んでいき
たいへん重厚なサウンドが展開されていき、ここに打楽器が加わり一種の騒乱状態と化していきます。
だけどその騒乱があらからこそⅡのコラールの「聖歌」が美しく静粛に心に響いてくるのだと思います。
そしてこの曲の白眉はⅢの「マーチ」にあるんじゃないのかな・・?と私は感じています。
印象としてはⅢで曲を終わらせたとしてもあまり違和感がないように感じるほどⅢのマーチの完成度が
とてつもなく高いように感じられます。
そしてⅢの後半において、トロンボーンセクションによる強烈なグリッサンドが大変効果的だと思います。
Ⅳはサスペンダーシンバルのチーンという響きから開始されるのですけど、この楽章は何んとなくですけど、
オーエン・リードの交響曲「メキシコの祭り」~Ⅱ.ミサを彷彿とさせるような「荘厳な祈り」の雰囲気があるように
感じられます。
そしてラストのジュビリーによって華麗に曲が閉じられていきます。

この曲は、かつてあの名門、豊島第十中学校が自由曲に演奏したこともありますし、故・八田先生が豊島区吹奏楽団の前に
指導されていた公苑会も演奏したことがありますし、
ちょっと個性的な(?)佐藤先生が指揮されたNTT中国もかつて演奏したこともあります。

だけどこの「交響組曲」には絶対的に不滅の名盤が残されています。

それが何かというと、いうまでもなくフェネル指揮の東京佼成W.Oですけど、あの演奏は本当に圧巻ですね~!

私も一度だけフェネル指揮の東京佼成の交響組曲を聴いたことがありましたけど、やはり「さすがっ!」という感じでした!!

こうした吹奏楽オリジナルの古典中の古典の曲をたま~に聴くのもいいことだと思いますし、何かしらの発見は
ありそうな曲だと思いますね!
なんだか最近の当ブログの吹奏楽カテゴリは、風紋とかハロー! サンシャインとか高度な技術への指標とか
シンフォニックポップスへの指標とか「オールド吹奏楽ファン」のための懐メロ課題曲特集と化しているような気も
するのですけど(汗・・)
誰かがたまにはこうした懐かし課題曲のことも取り上げないと、こうした過去の名課題曲もどんどんの忘却の彼方という
事にもなりかねないですし、
素人の私ごときがたまにこうした昔の課題曲のことを書いた程度で全然大勢に影響しないことも百も承知ではありますが、
ま・・それでも「何か書かずにはいられない・・」という感じなのかもしれないですね。

今回取り上げさせて頂く課題曲は、1975年度全日本吹奏楽コンクール課題曲Cの小林徹作曲の「吹奏楽のための練習曲」です!

この課題曲なのですけど、ネットで検索してもYou tubeでヒットする程度で、あまり引っかからないですね。
というか、「吹奏楽のための練習曲」というワードで検索を掛けて上位に来たのが、私自身が過去に書いた記事という
感じでもありますので(汗・・)
この課題曲自体もしかしたら「忘れられつつある課題曲」の一つなのかもしれないですね・・(泣)

1975年と言うと、私はまだ小学生で、当時は管楽器クラブで打楽器を担当していた程度で
言うまでもなくこの当時は吹奏楽コンクールに出場したこともありませんし、何よりもこの当時はこうした課題曲があること自体
知る由もありませんでした。
それ故私自身はこの「吹奏楽のための練習曲」を吹いた事は一度もありませんけど、
「一度ぐらいは吹いてみたい」と思わせる内容の課題曲だと思います。

1975年の課題曲は計4曲ありますけど、現在のコンクールのように4~5曲全てが全部門共通という訳ではなく、
AとBが中学の部、CとDがそれ以外の部門というように部門によって選択できる課題曲に制約があるというのは
今ではありえない話なのかもしれないですね。
当時は「中学の部が一番上手く、それ以外は年齢が上に行くほどレベルが下がる」と
いう傾向があり(現在では絶対に考えられないし、ありえない話ですよね・・)
中学の部が一番優遇されていたのが、この課題曲の配分にも示唆されているような感じもあります。
1975年の課題曲B / ポップス・オーバーチュア「未来への展開」は中学の部のみで指定された課題曲なのですけど、
私、この課題曲大好きです!
作曲者は岩井直溥先生という事で、1989年の「すてきな日々」を彷彿とさせる楽しくて明るさ満開の曲で
当時は既に日本の高度成長期は終わりを告げてオイルショック等による暗い影も多少はあったとは思うのですけど、
「頑張って一生懸命生きていればそのうちいい事があるのかも~!」みたいな明るい楽観論が曲に溢れていて
この課題曲を聴くたびに「うん、頑張ろう!」と何か前向きな気持ちにもなったりしますね~!
ポップス・オーバーチュア「未来への展開」の名演奏は色々とあるのですけど、やはり秋田県の山王中学校のあの名演に
尽きると思いますね~!
それ以外では富田中や城南中学校、そして評価としては銅賞なのですけど糸魚川中学校も
すてきな演奏だったと思います。

さて、この年の課題曲C「吹奏楽のための練習曲」は、時間的に短く非常にシンプルな構成で、
メロディーラインも単調で変化があまりない曲なのですけど、
そのシンプルさが私的には気に入っていて、好きな課題曲の一つです。
この年の高校の部は、全ての出場団体が課題曲Cを選んでいました。
この年の課題曲D / 吹奏楽のためのシンフォニックポップスへの指標は、先日の記事でも散々書いたように
1974年の「高度な技術への指標」という不滅の名課題曲と同じ作曲家にも関わらず、
印象としては「後半の盛り上がりは悪くはないけど前年があまりにもインパクトがあり過ぎ、二匹目のドジョウはいなかった・・」
という印象の課題曲のせいなのか、高校の部では課題曲CとDのどちらかを選択できるにも関わらず
全国大会の高校の部では課題曲Dを選ぶチームが一つもないという結果になってしまいました。
そのため、この年の高校の部においては、出場全19チームの全てが同じ課題曲を選ぶという大変珍しい事態になり、
審査員の観点では「比較がしやすい」という意味で審査が例年の年よりは少しやりやすかったのかもしれないですね。
吹奏楽のための練習曲は、繰り返しが多い曲でもあるので、確かに「練習」という意味ではピッタリの曲だと思います。
技術的にそれ程難しい個所も少なく、指揮者も演奏者も比較的やり易い曲だったと思います。

上記で「審査がやりやすかったのかも」と記しましたけど、私もこの年の高校の部に出場した複数ものチームの
「吹奏楽のための練習曲」をカスタムテープで聴いたことがありますが、
やはり微妙に違いは出ていたと思います。
決して難解な曲ではないのですけど、例えば部分的に音がうすくなったり弱奏の部分になると
途端にボロが出てくるチームもあったものですし、テンポの違いも若干出ていたと思います。
カスタムテープを聴く限り、極端に下手なチームはないようにも思えますけど、
天理・秋田南・花輪・留萌・逗子開成の演奏は、結構印象に残っています。
特に秋田南の「カラッ」とした明るい響きは、後年の秋田南の邦人作品シリーズの音色とは
明らかに異なるものでしたけど、秋田南の別の側面も垣間見ることができて面白いものはあったと思います。

作曲者の小林徹は、1988年にも課題曲B「交響的舞曲」がコンクール課題曲として採用されていますけど、
こちらの課題曲は私的には出来は正直「今一つ」という感想です。
バンドジャーナル1981年12月号を見てみると、「練習中おじゃまします」のコーナーで
小田原吹奏楽団が登場していますが、このチームの中にトランペット奏者として小林徹が在籍していたのが分ります。
記事内で「うちはコンクールには出場しない」とか言われていたのが大変印象的でして、
当時「へ~、こうやって定期演奏会のみを活動の場としている一般の部のチームもあるものなんだぁ~」と
感じていたものでした。

最後に余談ですけど、この「吹奏楽のための練習曲」が課題曲であった1975年の高校の部は、
出場全19チームのうち、銅賞が10チームという大変激辛審査の年でもあったのですけど、
銅賞の中でも、例えば函館中部高校の「シンフォニックソング」のあのカラっとした明るさしか
秋田南のチャイコフスキーの交響曲第5番終楽章の屈折した明るさの表現は「銅賞」という一言で終わらせるには
あまりにももったいないものがあると思います。

この年の金賞の一つが天理高校でしたけど、天理の課題曲C/吹奏楽のための練習曲は、私的には
全部門を通じて最高の課題曲の名演の一つと感じさせるくらい端正な響きだったと思います。
75年の自由曲の交響詩「おやさま」という曲は、ある意味、天理高校らしい選曲でありまして
天理教の教祖でもある中山みきの事を「おやさま」とも言うらしいのですけど、
その天理教の教祖でもある中山みきの生涯を音楽としてまとめた山田耕筰作曲の交響詩「おやさま」第二楽章を
吹奏楽にアレンジしてコンクールに臨んでいます。
この演奏ですけど、アレンジは相当ひどいです・・・(汗・・)正直センスが良くないというのか、ソロ楽器の扱いがひどいです・・
だけど、演奏自体は大変素晴らしいものがあり、鄙びた感じとか素朴さとか純朴さが大変うまく表現されていると思います。
中間部のゆったりとした反復される歌い廻しとか打楽器の扱い方とか表現としては中々魅力的です。

秋田南高校はこの年は残念ながら銅賞という結果で終わっていますが、
この演奏は金賞の天理と比較しても全然遜色ない演奏であり、
「いくらなんでもこの演奏が銅賞はないでしょ・・」と文句を言ってやりたい気分はいまだにありますね。
秋田南の「吹奏楽のための練習曲」も当時の秋田南の弱点でもあったトランペットの音の硬さは多少はあるものの、
天理同様大変端正な響きだったと思いますし、何よりも自由曲のチャイコフスキーの交響曲第5番終楽章の演奏は
大変素晴らしいものがあったと思います!
翌年の「ペトルーシュカ」を彷彿させるような屈折した明るさ+生きる生命感+躍動感に満ち溢れていると思います。
特にコーダ以降はいかにも・・「大団円」に相応しい終わらせ方だと思いますし、
聴いていて「生きるチカラ・生きる歓び」に溢れていると感じます。
「よーーし、今は大変だけどもう少し頑張ってみよう!!」みたいな「勇気」みたいなものも貰えるような
感じすらあります。

確かに編曲の上で例えば、コーダの部分に原曲には存在しない「小太鼓」を終始ロールとして入れたり
原曲には配置されていない大太鼓・シンバルを結構派手に鳴らしたりとか色々やらかしてはくれているのですけど、
それはそれで面白いアレンジ&解釈なのだと思います!
本記事は昨日の1974年度全日本吹奏楽コンクール課題曲B/高度な技術への指標の姉妹記事と思って頂いても
差支えないと思います。
昨日取り上げた河辺公一の「高度な技術への指標」は長い吹奏楽コンクール課題曲の歴史にあってもとてつもなく
異彩を放つ素晴らしい名課題曲の一つだと思いますし、この曲はここ数年ほどかなり多くのチームが演奏会等で
リバイバル演奏をしているのは、やはり日本が世界に誇る大指揮者の佐渡裕氏の影響もかなり大きいのではないかと
思います。
(佐渡氏がシエナウインドで録音した「高度な技術への指標」はとにかくめちゃくちゃテンポが速くてあのスピード感は爽快です!!)

課題曲A/吹奏楽のためのシンフォニアも素晴らしい課題曲で、当時としては課題曲Aにばかり人気が集中するのではないか・・?
とかあまりにも高度な技術への指標は斬新な課題曲だし吹連としてはかなり冒険した感じもあるから
課題曲B/高度な技術への指標はほとんど演奏されないのではないか・・?みたいな危惧ももしかしたらあったのではないかと
推察されるのですけど、実際蓋を開けてみると全国大会においては、
高校の部で15チームのうち4チームが、大学の部では7チームのうち4チームが、職場の部では10チームのうち5チームが
一般の部では8チームのうち4チームがこの「高度な技術への指標」を選択していた事を考えると、やはりこの課題曲は
斬新で大胆な課題曲ながらも一定・・というか当時の吹奏楽連盟が予想していたよりははるかに多いチームが
この課題曲を選択したと言えるのかもしれないですし、当時の吹連としてはホッ・・と胸を撫で下ろしていたのかも
しれないですね・・(笑)
私としてはあの花輪高校吹奏楽部が課題曲として高度な技術への指標を選択していたのは意外でしたけど、
あの演奏も粗っぽいながらも個性的で面白い演奏だったと思います。

そしてもしかしてなのですけど、当時の吹奏楽連盟は「二匹目のドジョウ」を狙っていたのかもしれないですね・・(汗・・)

「こんなに本格的なポップス系課題曲のウケがいいとは思わなかった・・ちょっと想定外なのかも・・!?」とか
「これだれ評判がいいのだったら、今年も河辺先生にお願いしてポップス系の課題曲を書いて貰うのも
いいんじゃないのか・・?」
みたいな雰囲気がもしかしたらあったのかもしれないですね・・

実際の所はどうなのかは私も知る由もないのですけど、一応事実としては翌年の1975年の中学の部以外の課題曲として
課題曲D/吹奏楽のためのシンフォニック・ポップスへの指標が課題曲として採用されています。
ちなみにですけど、高度な技術への指標の際の河辺氏の名前は河辺公一となっていますけど、
翌年のこの「吹奏楽のためのシンフォニック・ポップスへの指標」では作曲者名はなぜか河辺浩市という名義になっています。
まだ私が吹奏楽の事なんか何も知らない頃は、河辺公一と河辺浩市は別人物と思っていました・・(汗・・)
そうそう、今更言うのも何なのですけど、河辺氏はジャズトロンボーン奏者としても大変著名で、ご逝去される間際まで
現役奏者を貫かれていました。
そして映画音楽の作曲家としても高い評価を受けていて、代表作としては、星は何でも知っている・完全遊戯・
新女囚さそり 特殊房Xなどが挙げられます。

さてさて「高度な技術への指標」の翌年の「吹奏楽のためのシンフォニック・ポップスへの指標」は
どんな感じの曲だったのでしょうか・・?
タイトルだけをみるとより強くポップス色を反映させているようにも感じられますし、あの高度な技術への指標が
バリバリのビギンやサンバ・スゥイング等のジャズを色濃く意識したような曲でもありましたから、その流れだけを見ると
より過激なポップス色全開の曲じゃないのかな・・?と多分当時は誰しもが想像したのかもしれないです。
だけど実際はそうした予想を見事に跳ね除け意表をつく課題曲だったと思います。
だって曲の冒頭はなんだかとてつもなく重いし陰気だし暗いし、前半だけ聴くと
「あれれ・・河辺先生、一体どうしちゃったの・・?」と思われた方は多かったのではないのかなと思います。
冒頭とか前半辺りはポップスというよりもちょっと軽めのコラールのようにも聴こえかねない音楽だったと言えるのかも
しれないです。
だけど後半以降ホルンがまるで鳩時計のような時報みたいな感じのベルトーンを奏で始めるとそこから雰囲気が一変し
とてつもなく盛大に曲が盛り上がり華麗に曲が閉じられます。
演奏上の難しさは正直、前年の高度な技術への指標の方がはるかに難しいと思います。
だけど、木管の指回しは大変ですし各楽器にグリッサンドを多用されていますし、
ホルンのベルトーンは一つでも音を外すとパート全体が崩壊するという危険性もはらんでいたと思いますし、
全体的には「簡単ではない・・」という感じだと思います。
前半と後半の対比をうまく演出し後半の追込みを決めれば、めちゃくちゃかっこいい曲だと思います。

だけど、実際の吹奏楽コンクールにおいては前年の「高度な技術への指標」ほどは高い人気を得られていなかったような
感じもあります。
やはり前半のちょっと重たい雰囲気と後半の派手な感じの落差がちょっと違和感が感じられていたのかもしれないですね。
この年・・1975年の課題曲は中学の部以外は課題曲C/吹奏楽のための練習曲という大変正統派のオーソドックスな
吹奏楽オリジナル曲で、課題曲Dが前年に引き続いてのポップス路線と言う事でこのシンフォニック・ポップスへの指標
だったのですけど、この年の全国大会・高校の部は全出場19チームのうち、この課題曲D/シンフォニック・ポップスへの指標を
選択したチームはなんと・・ゼロでした!
この年の高校の部は、複数の課題曲の中から一つ選ぶという方式において
前出場チーム全てが同じ課題曲を選ぶという結果的に大変珍しい年になってしまいました!
大学の部・職場の部も7チームのうち2チームだけですし、一般の部だけは人気があったようで9チームのうち6チームが
この課題曲を選んでいました。

うーーむ、やはり「二匹目のドジョウはいなかった・・」と言えるのかもしれないですけど、
だけど高度な技術への指標やこの吹奏楽のためのシンフォニック・ポップスへの指標が、その後の吹奏楽コンクール課題曲の
ポップス系課題曲の偉大なる先駆けになった事は間違いないですし、
岩井直溥先生と共にそのお名前は永遠に刻まれ続けるのは間違いないと確信します!
河辺公一の「高度な技術への指標」ですけど、タイトルだけを耳にすると、
「え・・なんだかクラシカルな雰囲気がして高尚そうな曲っぽい」とか
「ショパンとかラフマニノフのピアノ練習曲みたいな感じなのかな・・? それともバイエルンみたいな一種の音楽の教則本
みたいな感じを意識されたのかな・・?」
といった印象を与えかねないのかもしれないですけど、実は実はとてつもなく楽しい曲であり、
こんな音楽がダンスパーティーのBGMとして流れてきたらみんな喜んで踊り出すみたいな雰囲気が満載の
とにかくめちゃくちゃノリの良い明るさと軽快さを兼ね揃えた曲だと思います。

吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中でポップス系の課題曲らしきものが登場したのは、
1972年のシンコペーテッドマーチ「明日に向かって」だと思うのですけど、本当に真の意味での本格的なポップス系課題曲が
登場したのが1974年の課題曲B/河辺公一の「高度な技術への指標」なのだと思います。
1974年前後の課題曲なのですけど、1970~73年の期間は課題曲はAとBの二つしか無くて、しかもAは中学の部限定の
課題曲でありBは中学の部以外の部門の課題曲でしたから事実上この頃の課題曲は一つしか無かったという事なのだと
思います。
そしてそうした事が少しずつ変化していったのが1974年で、この年はAとBの二つの課題曲が出され、部門に関係なく
どちらの課題曲を選んでも構わないというスタイルでした。
しかもAの「吹奏楽のためのシンフォニア」はかなりクラシカルで高尚な雰囲気に溢れていたのに対して
課題曲B/高度な技術への指標は本格的なポップス系課題曲という事でAとBの二つの課題曲のあまりの違いに
逆に当時の課題曲選曲はやりやすかったのかもしれないですね・・(笑)
「ポップス系がうちには合わない」と思ったらAのシンフォニアを選ぶしかなかったのですけど、それはそれで
大変分かり易かったとも思えます。
(課題曲A/吹奏楽のためのシンフォニアの名演はやっぱり沖縄県の首里高校なのかな・・? 首里高の
「エルザの大聖堂への厳かな行列」も私の中では、エルザとしては雄新中に次ぐ名演という感じです!)
1975年の課題曲はちょっと面白い構成になっていて、AとBは中学の部限定で、Aがシンフォニック系でBがポップス系
そしてCとDが中学の部以外の部門でもCがシンフォニック系でDがポップス系という感じです。
ちなみにですけど、1975年の高校の部において全国大会では出場団体全てがCを選曲していて、ポップス系のDを
選んだチームはゼロというのはちょっと意外な感じもしたものでした・・・
1976年の課題曲は今現在のスタイルに近い構成となっていて、この年初めて全部門共通の四曲の課題曲から
自由に一つを選んでいいという構成になっていて、それが完全に定着したのが1978年以降からなのだと思います。
私自身が初めて吹奏楽コンクールに参加したのが1978年でしたので、考えてみるとあの頃って課題曲の構成すらも
完全に定着していなかった時代なのですね・・!
やっぱりそういう私はオールド吹奏楽世代という位置づけになりそうですね・・(汗・・)

話がそれてしまいました・・話を「高度な技術への指標」に戻します。

この曲はコンクール課題曲としては初めてドラムセットが編成の中に入った曲としても知られています。
高度な技術への指標のあとにドラムセットが登場した課題曲と言うと
未来への展開・メイン・ストリートで・ディスコ・キッド・かぞえうた・オーバー・ザ・ギャラクシー・ムービングオン・すてきな日々
などが挙げられますけど、そうした意味においてこの「高度な技術への指標」はドラムセットが楽器編成として
組み込まれた課題曲の素晴らしき先駆けと言えると思います。
そして同時に本格的なポップス系課題曲のとてつもない先駆けと言えると思います。
最初にこの曲を聴いた時は私もびっくり仰天と言うかこういうのを「目から鱗」というのだと思います!
だって吹奏楽コンクール課題曲と言うとどちらかというとお堅い曲が目立つ中、この曲は一つの歌謡ショーみたいな雰囲気すら
有していて、冒頭の華麗なファンファーレで開始されたと思ったら、次の瞬間にはトランペットによる
急速な上昇・下降音型の繰り返しが展開され、ブルース・ビギン・ジャズ・サンバ・スウィングといった要素の音楽が
次から次へと繰り出され、最後は怒涛のアップテンポのクライマックスになだれ込んでいきます!

この「高度な技術への指標」というタイトルですけど、冒頭で書いた通り、タイトルだけを目にすると
音楽教則本みたいなお堅い雰囲気も漂っているのですけど、実際は吹奏楽コンクール史上最強のポップス系課題曲だと
思います!
お堅いタイトルなのにこのあまりにもぶっ飛んだ楽しさ! というとてつもない矛盾を抱えている点が実に素晴らしいと思います!
それではどこが「高度な技術」なのかというと、これはこの曲の楽譜・・特にトランペットパートのパート譜を見れば
一目瞭然だと思います。
急速な上昇・下降音型の繰り返し・リップスラーの多用・スウィングとスラーとレガートが交互に展開されるあの曲想は
まさに「高度な技術」を有していないと全く曲すらにならないのだと思います!
曲のタイトル通り「高度な技術」が求められるのにそこから聴こえてくる音楽は、まさに本格ポップスの塊り・・!
うーーむ、こういう内在する矛盾みたいなタイトルの曲とかこのあまりにもぶっ飛んだ曲の弾けっぷりは
素晴らしすぎると思いますし、当時この課題曲にチャレンジできた奏者の皆様は大変だったと思うのですけど、
同時に「うらやましい!」と心の底から共感します!!

それにしても全日本吹奏楽コンクールがまだ今現在のようなとてつもないハイレヴェルの時代ではない頃に、
こうした課題曲をコンクール課題曲として承認してしまう当時の吹奏楽連盟の肝の座りっぷりは賞賛に値するものが
あると思います。
1974年当時吹奏楽コンクール課題曲の選考委員の一人であった芥川也寸志の
「課題曲にポップスがあってもいいのではないか」という意見が採用され、この曲が課題曲となった経緯があるとの事ですけど、
そういう意見を言う芥川先生も素晴らしいし、それを認める当時の吹連も素晴らしいと思います。
余談ですけど、これは既に当ブログでは何度も書いている事ですけど、芥川也寸志作曲の「交響管弦楽のための音楽」という
曲は、私が高校3年の時の定期演奏会の一つだったのですけど、芥川先生に吹奏楽への編曲版スコア使用の承諾と
演奏上のアドバイスを求めて、当時の私は無謀な事になんと・・! 芥川先生の事務所に電話を掛け、後日芥川先生と
電話ですけど直接お話しをさせて頂く機会を貰えたことは、とにかく芥川先生に感謝感謝・・!という言葉しか
出てこないです!
当時の芥川先生は、作曲活動・NHKの音楽番組の収録・プロの管弦楽団の音楽監督など多忙を極めていたはずだと
思うのですけど、こんな田舎の全く無名の県立高校吹奏楽部のこんなボンコツ吹奏楽部部長に
直接演奏上のアドバイスを頂けるなんて、これはとにかく芥川先生の温かいお人柄以外の何者でもないと思います!

「高度な技術への指標」ですけど、この曲は大変興味深いことに関西で大変人気があったのに対して、
関東・東京でこの課題曲を選ぶチームは関西ほど多くはなかったというのは、やはりここにも「関東と関西の違い」
みたいなものが表れているのかもしれないですね~
ちなみにですけど、関西支部から全国大会に出場したチームは当時全部門を通じて9チームあったのですけど、
そのうち8チームがこの「高度な技術への指標」を選んでいるのですけど、
関東・東京においてはほとんどのチームはAを選んでいました。
ま、そりゃそうですよね・・前橋商業の大木先生や銚子商業の小澤先生や玉川学園の高浪先生や豊島十中の酒井先生が
「高度な技術への指標」みたいなバリバリのポップスを選ぶことはまずありえない話ですよね・・・
「下品でどこが悪いねん!」の関西と「ええかっこいしい」の関東の違いがこういう所にも表れているのかもしれないですね・・

この「高度な技術への指標」の名演というと一般的にはやはり今津中学校でしょうね!
あの得津先生節が全開であの豪快さと溌剌さは今現在の吹奏楽コンクールでは絶対にありえない光景であり、
私はあの演奏は大好きですね!
それと・・阪急百貨店吹奏楽団がスウィング調による極めて個性的な演奏も大変印象的です!
あの独特なノリは反則スレスレなのかもしれないですけど、とにかく聴いていて楽しい演奏だと思います。
だけどこの課題曲のトドメというと、私的には瑞穂青少年吹奏楽団を挙げたいです!
演奏は今現在の視点で聴くととてつもなく粗っぽく雑で部分的に演奏自体が破綻しているのですけど、
あの「熱い演奏」は関西のチームを凌ぐような雰囲気すらあったと思います!
若さがとてつもなくプラスの方向で爆発した素晴らしい名演だと思います。
(自由曲の「シンフォニアノビリッシマ」の豪快極まる演奏も圧巻でした! 部分的にオーボエの音程不良があまりにも
酷すぎたり明らかに音量過剰の部分もあるのですけど、あの明るさと若さは今現在の吹奏楽コンクールにおいては
絶対にお目にかかれない演奏だと思います!)

吹奏楽コンクール課題曲と言うと、風紋・東北地方の民謡によるコラージユ・ベリーを摘んだらダンスにしようなどの
ちょっとシリアスな名課題曲もたくさんあるのですけど、たまにはこうしたハチャメチャなポップス系課題曲を聴いて
元気とエネルギーを貰う事もすてきな事だと思いますねっ! (笑)


コンサートマーチ「テイク・オフ」は、1986年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Dです。
このマーチの課題曲は当初から「とても楽しい曲」とか「聴いている方も演奏している方もどちらもハッピーになれる曲」として
大変評判もよく評価の高い曲だったと思います。
(この課題曲が世に出て既に32年も経過しているのですね・・私もそりゃ年を取る訳ですよね・・汗・・)
1986年の課題曲は四曲とも大変な名曲揃いであり、その年に提示された課題曲全てが名曲にして「吹いてみたい!」と
思わせる曲というのも長い吹奏楽コンクールの歴史の中では、どちらかというと大変珍しい年でもあり、
そういう年に当時はまだ現役奏者であった事に誇りのようなものを感じてしまいます。
だけど1986年当時に在籍していた母校の大学の吹奏楽団が選んだ課題曲は、
この四つの課題曲の中で唯一「聴く分にはいいけど演奏する側の立場としては実はあんまり吹きたくない」という
課題曲Bの「嗚呼!」でしたので、私としては、Aの変容かCの序曲のような内容の充実した課題曲をこの年は
吹きたかったものです・・(汗・・)
課題曲B/嗚呼!は、心の奥にある感情を表現した大変内省的な曲で、とにかく荘厳で吹くだけでなんか胃がギリギリ痛むような
曲だったと思います。

1986年の課題曲はA~Cの三曲がどちらかというと深刻な内容のちょっと重苦しい雰囲気の曲でしたけど、
その中にあって課題曲D/コンサートマーチ「テイク・オフ」だけは
とてもコンクールの課題曲とは思えないような楽しさ満点の曲であり、
こうした楽しい課題曲は、77年以降の課題曲としては1977年の「ディスコ・キッド」、78年のポップス変奏曲「かぞえうた」、
80年の「オーバー・ザ・ギャラクシー」以来だったような感じもあります。
今にして思うと、1989年の課題曲D/ポップスマーチ「すてきな日々」は、1972年の「明日に向かって」や
1974年の「高度な技術への指標」に始まるポップス系の楽しいコンクール課題曲の路線を86年のテイク・オフを挟んで
すてきに受け継がれていったようにも思えますね。

上記で記したとおり1986年の四つの課題曲はどれもこれも素晴らしい課題曲ばかりで内容も大変充実していましたが、
実際にコンクールとして演奏された際に、その人気度というのか演奏頻度に関しては
課題曲四曲とも適度にばらけて、極端な人気課題曲も不人気課題曲が出ず、
ある意味理想的な課題曲の年だったようにも思えます。
その中でも、このコンサートマーチ「テイク・オフ」の楽しさは抜きんでるものがあったと思います。

このコンサートマーチ「テイク・オフ」を最初に耳にした時にちょっと珍しいのかも・・と感じた点は、
出だしが非常にゆっくりとしたテンポで始まる点です。
大抵のマーチの課題曲は、冒頭から全奏者による快活な始まりというパターンが大変多いのですけど、
このテイク・オフの場合は、大変ゆったりとしたイントロが流れ、ここに乗っかる形でオーボエが大変美しいメロディーを
奏でていくのですけど、こうしたゆったりとした出だしのマーチは極めて珍しいと思えますし、このオーボエソロの部分が
思わずハッ・・と感じてしまうほど甘くて美しくてせつない響きであり、当時から大変印象的でした。
他にこんなゆったりとした出だしのマーチと言うと、確かに1984年の課題曲D/マーチ「オーパスワン」という先例もありましたけど
一つの管楽器をソロとして使っている点は大変珍しいものだと思いますしインパクトは大変大きいものがあったと思います。
冒頭がこうしたゆったりとした出だしの課題曲というと、他に印象に残っている課題曲のマーチとしては
2001年の課題曲Ⅰ「栄光を讃えて」が挙げられるとも思います。

テイク・オフの展開部は非常に生き生きとした展開であり、そのなめらかな感じがとても聴きやすいと思います。
この課題曲はホルンの高音域がちょっと大変かな・・?と感じる以外それほど技術的に難しい要素も無く、
そうした意味でも奏者にとっても聴衆にとってもみんながハッピーになれてしまう曲なのだと言えると思います。
中間部もたっぷりと歌っているし、ミュートを付けたトランペットもすてきなアクセントになっていたと思います。
この課題曲で面白いのは、ラスト近くで、トムトムがソロ的に大活躍を果たしてくれる箇所だと思います。
トムトムを入れないで小太鼓だけを叩いていたチームもかなりありましたので、楽譜上のトムトムは、
入れてもいいし入れなくてもいいし、その辺りは指揮者に任せるオプション扱いだったのかもしれないです。
私的にはトムトムは絶対に入れた方が良いと思いますし、入れた方が視覚的効果も大変高いように感じるのですけど、
中には野庭高校のように小太鼓だけの演奏ですけど、大変切れ味が鋭い演奏もあったと思います。
とにかくトムトムのあのソロは、それまでに管楽器が運んできたエネルギーをたった一人で受け止めて尚且つそれを一人で
思いっきり叩き返す必要がありますので、トムトム奏者は思い切りガツンとfffで叩く必要があるものと思われます。

「テイク・オフ」というと、離陸とか自立成長の可能な状態になる事を意味しますので、
言葉の意味とこの曲の雰囲気はピタリ一致しているような感じもありますね~(笑)

この課題曲は、全国大会でも素晴らしい名演がたくさん残されていますけど、私的には
就実・札幌白石・野庭・嘉穂・淀川工業・高岡商業・ブリジストン久留米の演奏が大変印象的です。
1994年の異常に課題曲が難解で長い年の際に四国代表の伊予高校の自由曲は、このコンサートマーチ「テイク・オフ」であり、
全国大会で再度この楽しい課題曲が聴けるとは夢にも思わなかったのであの時はすごく嬉しかったですし懐かしかったです!
演奏自体は上甲先生のかなりクセのある解釈が強調されていて、メロディーラインを意図的に切っているかのように
リズムをわざとぶった切ったような箇所があったのは好き嫌いが分かれるのかもしれないですね。
だラスト近くのトムトムはしっかりと決まり、とても気持ち良かったです!

上甲先生は1986年から伊予高校を指揮されていましたし、1986年も伊予高校は全国大会に出場されていて
ローマの祭りを大変新鮮な感覚で響かせてくれていて、曲の隅々にまで
「自分たちはこのような意図でこのようにこの曲を響かせたい!」という意図や叫びが伝わっていて
とても気持ちの良い好演でした!
あれれ・・考えてみるとそれでは伊予高校の上甲先生は、コンクールマーチ「テイク・オフ」という曲に関しては
1986年に課題曲として演奏をしていて、1994年に自由曲としても演奏していたという事になります。
同一演奏団体で同一指揮者において、同じ曲を課題曲としても自由曲としても演奏した事があるというのは、
多分ですけど伊予高校の上甲先生以外はそうした実績は無いのかもしれないですね。
これはこれで案外凄い快挙なのかもしれないです!
ちなみにですけど、1994年の例のあの異常に長大で難解な課題曲の年において、吹奏楽連盟の見解としては
「この年は出来れば自由曲はマーチを選曲する事が望ましい」と言われていましたけど、
全国大会の高校の部において吹奏楽連盟のこの見解を遵守したのは四国代表の伊予高校と高松第一高校だけで、
しかもこの両校の評価は銅賞と言うのもなんだか皮肉なものがあるのかもしれないですね・・

昨年末の吹奏楽オリジナル作品の「ディオニソスの祭り」でも散々触れているのですけど(汗・・)
私の母校が昨年、2017年度の全日本吹奏楽コンクール支部大会にて難曲中の難曲の「ディオニソスの祭り」を自由曲として
コンクールに臨み、見事に県代表の座を掴み、創部以来2回目の支部大会出場を果たしてくれ、しかも支部大会で
前回の初出場時の銅賞を上回る銀賞を受賞してくれたことはOBの一人として大変誇りに思いますし、
できれば何とか全OB悲願の「念願の全国大会初出場」に向けて頑張ってほしいと思いますし、埼玉の地からエールを
送らさせて頂きたいと思います!

先日、吹奏楽部のOB会報が届けられ昨年の支部大会の演奏風景とか最近のメンバー全員の写真を見たのですけど、
とにかく「部員が増えたな~!」という思いで一杯ですね!
多分ですけど優に70人程度はいそうな気がします。
そしてやはり特筆すべきことは、元々私の出身高校は田舎の県立男子高校だったのですけど、少子高齢化の波を受ける形で
周辺の女子高との学校統廃合という事で数年前に男女共学校へと生まれ変わり
従来までの慢性的な部員不足、そして何よりも極端なクラリネットをはじめとする木管奏者不足が一気に解消され
支部大会での演奏風景を見ると
なんと堂々たる布陣! そしてこの充実した木管セクション!!という印象でした。
最近の吹奏楽コンクールを実際に見たことがある方ならばすぐにお分かりだと思うのですけど、最近の吹奏楽部は
アニメ「響け! ユーフォ二アム」のように全部員の8~9割は女性奏者というのは既に数十年前から定着した光景なのですけど、
実際自分の母校の現在の吹奏楽部員のメンバーのうち、85%以上は女の子であることを見ると
改めて「時代も変わったし、自分の母校も変化するもんだねぇ・・」と改めて感じたものでした。
OBとしては現在の躍進はとても嬉しいけど、反面・・・
「できれば支部大会出場は男子校時代に一度でいいから実現してほしかったなぁ・・」とも思ったりもしますね・・
だけど私が在学中の吹奏楽部はとにかく部員を35~38人程度をキープするのが限界でしたし、
何よりもクラリネット・フルート・オーボエ・ファゴット・バスクラ等の木管楽器の奏者を集めるのが毎年至難の業で、
毎年新入部員が入ってきても大半が金管楽器経験者で、その中から人がよさそうだったり気が弱そうな子をなんとか
口説き落としてクラリネット等にコンバート(口の悪い部員からはよく「左遷」とか言われていました・・汗・・)させても
クラリネットパートは毎年4~5人が限界でしたね・・
(そういう意味では中学の時にすでにクラリネット奏者だった私は貴重な存在でしたね・・・)
昨年度の演奏写真を見た限りでは、クラリネットは12名程度もいて全員女の子というのは、とにかく当時の心境から眺めてみると
「うらやましい!!」という気持ちで一杯ですね~!
男子校時代の吹奏楽部は、トランペット6名 トロンボーン3名 ホルン6人 ユーフォとチューバが2名ずつという
大変充実した金管セクションに対して、クラリネットが4~5名 フルート2名 オーボエとファゴットは1人程度でひどい年は
奏者ゼロという事でとにかく大変バランスが悪くて
コンクールの審査員評でも「充実した金管セクションに対してなんと貧弱な木管」と書かれたこともあり、
今現在もそうですけど、当時から「吹奏楽部」は男子生徒からは敬遠されがちで、なおかつ木管奏者はとにかく絶対的な
奏者不足でしたね・・・
そんな訳で毎年地区予選は突破して県大会に進み県大会で金賞は取れるけど中々県代表として選出されないという背景には
こうした部内の楽器のバランスがあまりにも悪かったことが大きいですね・・
しかも私が在学した当時は、音楽の先生がゼロという事で部員の中から指揮者を選抜し、文字通り生徒だけの手作りの音楽を
模索していたものでした・・

今現在の母校は建物の老朽化という事で男女共学に合わせる形で建て替えられて吹奏楽部の部室も合奏ルームも大変
美しく生まれ変わりましたけど、男子校時代の部室の散乱具合はすさまじいものがありましたねぇ・・(汗・・)
その散乱ぶりですけど、実はうちの吹奏楽部は1990年代に当時はまだ発刊されていた吹奏楽専門雑誌の「バンドピープル」に
一度取材を受けて、部室内の風景も当然掲載されていましたけど、確かに・・あれは記事で書かれていた通り
「部室内は訳の分からんガラクタで溢れかえり・・」という感じそのものだったと思います・・(汗・・)

なぜか工事用ヘルメットだの火炎瓶だのエッチな本や雑誌だの、週刊「プレイボーイ」とか少年ジャンプとかサンデーとか、
食べかけのお菓子やジュースとかスルメイカとかビーフジャッキーとか
なぜか知らないけど近くの女子高の制服とか・・・・(一体どうやって入手したのでしょうかね・・??  汗・・)
訳の分からんガラクタとゴミが至る所に散らばっていて、
部室の大掃除なんて私が在学中は少なくとも一度もやった事はないと思います・・
全体練習とかパート練習で吹けない事がバレて指揮者に怒られ、
その後、指揮者対自分の一対一のそれは楽しい楽しい(?)「個人練習」が行われるのはいつもこの部室でしたけど
指揮者の頭上の天井には、なぜか河合奈保子とか柏原芳恵のポスターがベタベタ貼られていて(古いっすね・・滝汗・・)
指揮者と目を合わすのが気まずい時に、このポスターを何となくポケッと眺めていると
「どこみているべ!!」とまたまた怒られたものです。

だけどこの部室内にはさすが吹奏楽部らしいものというか
音楽史とか楽典関係の本とか、クラシック音楽や吹奏楽オリジナル曲のフルスコアとか
クラシック音楽・吹奏楽コンクールの実況録音など様々なレコードの他に
「バンドジャーナル」・「バンドピープル」といった専門雑誌のバックナンバーなど音楽関係の資料もかなり充実していて
その部室内の書物とか雑誌とかレコードを色々とレンタルできて自分なりに学べていたのは大変良かったと思います。

だけどとにかく当時は色々と訳の分からんものが山積していたものでした。
(今現在の部室は当然きれいです・・笑・・)
その中でも当時一番ひどかったのは、男子校らしい話ですけどエッチ系のスケベ本だと思います・・

というか、これって・・家の中で「処分」に困った先輩とかOBとかがその引き取り先として部室内に
色々と持ち込みをしてくれるものですから自然に溜まっていったものだと思われます・・
当時の男子高生たちはそうしたエッチ系の本を入手するのに結構色々と無駄な苦労とか気恥ずかしさなどが
あったと思うのですけど、
うちらの場合はそうした「夜のおかず・・」(→コラコラ・・汗・・)には不自由しなかった印象があります。

当時部内には、音楽関係のレコードとか書籍のレンタルもノートに記しておけばいつでも自由にレンタル出来たのですけど
さすがにエッチ系の本は記録にする訳にもいかなかったのですけど時々部員同士で
「あのセーラー服のお姉ちゃんのあの本を家にこっそり持ち帰ったのはどこのどいつだ!! おまえだろーー!!」とか言って
喧嘩をはじめてしまうアホたちも当時はいたものでしたね・・

さてさて、そうしたガラクタへんなモノとまじめな音楽資料と楽器に溢れかえった部室内に当時妙なおもちゃがなぜか
置かれていたのは当時から大変印象的でしたし、私もあれ・・今でもはっきり覚えています。

それが何かというとオセロのゲーム盤でおなじみのツクダオリジナルから発売されていた「ミルクモウモウ」という
乳搾りをイメージさせたおもちゃでした・・







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この「ミルクモウモウ」ですけど、要は「乳搾り」を体感できる玩具です。

当時のメーカーのキャッチコピーが
「めったにできないアルプスの乳しぼりがお部屋で簡単に楽しめるユニークな商品です」となっていましたけど、
いやいや、これはユニークを通り越してぶったまげた玩具だと思います・・(笑・・)

水桶に水を入れ牛の頭を押ししっぽを上下に動かすと牛が水を飲みます。そしてお乳を搾ると、なんと・・!
本当に牛のお乳からミルク・・というか白い水が出てきます!
これはもちろん事前に牛の体内の所定位置に乳のように色が白くなる錠剤をセットする必要があるのですけど、
私が卒業したころにはとっくにこの白の錠剤の在庫は切れていました・・・
だから当時は牛のお乳を搾っても出てくるのは只の水です・・(笑)

お腹いっぱいになったら首を上げるというのも画期的でしたし、何よりも・・!牛が頭を上げる際には「モォ~」と鳴き声を
ちゃんと出していることでした!

ちなみにですけどこの商品が発売されたのは確か1979年頃で、この商品は当時結構CMで流されていたような記憶が
あります。
そしてこの「ミルクモウモウ」は一度生産が中止となっていましたけど、1988年頃に再販されているそうです。
参考までに・・1979年頃の製品は牛の左側面の黒斑が北海道の形になっているそうでして、
1988年の再販時にはこの北海道の形の黒斑はなくなってしまったそうです。
そして再販時では金型を作り直したのか牛特有のゴツゴツした骨格の特徴が幾分弱められていて、幾分マイルドな
スタイルになっているそうです。
見方を変えるとこの玩具は精巧な乳牛のフィギュアとも言えそうですね・・・

それにしてもなんでこんな妙なものが男子校の吹奏楽部の部室に置かれていたのかな・・?

そりゃやっぱり当時の男子校らしい発想で「女の子の胸はどれだけプリンのように柔らかいのかな・・?」という事を妄想させる
玩具として、「ここは男子校だし、それだったら牛で代用してしまえー!」という感じだったのかもしれないですね・・(滝汗・・)
昨日の記事が1987年全日本吹奏楽コンクールの課題曲Aの「風紋」でしたけど、
この年の課題曲の人気はAとEに極端に集中してしまい、支部大会でも全国大会でも
BとCとDを演奏するチームがとてつもなく少ないというちょっと異例な年でもあったと思います。
全国大会・高校の部でもCとDを選んだチームは1チームずつで、Bの「渚スコープ」を選んだのは関東代表のチームだけ
というのもちょっと面白い話だと思います。

昨日の記事で書いた通り、風紋は私にとっては文字通り現役奏者としては最後の課題曲になってしまい、
風紋のあの素晴らしい名曲ぶりと合せて私にとっては大変思い入れのある曲なのですけど、この年、1987年のマーチにも
素晴らしい名曲が出現していました。
この年は課題曲CとEがマーチだったのですけど、課題曲Cはスコアを見るととんでもなく簡単に見えてしまい、
課題曲の参考音源のカセットテープ(カセットとは既に死語の世界ですね・・汗・・翌年あたりから参考音源はCDになった
ような記憶があります・・)を聴いた限りではとってもシンプルに聴こえたのですけど、実際この曲を全体で演奏してみると
メロディーとリズムがとてつもなくギクシャクしやすい曲であるという事がすぐに判明し、
課題曲のマーチとしては、Eのハロー! サンシャインに人気が集中していったような感じもあります。
実際この年の全国大会でもこのCを選んだチームは、中学では元吉原中のみで高校の部では下松高校のみでした。

全日本吹奏楽コンクール課題曲としてのマーチには本当に惚れ惚れする名曲も数多くありますけど、
21世紀に入って以降のマーチは全体的にちょっと難しすぎるというのか華麗な技巧に走り過ぎるマーチが多く、
昭和の吹奏楽世代のいわゆるオールド吹奏楽ファンとしては、80~90年代のいかにもシンプルで行進しやすい楽しいマーチの
方により共感をしてしまいますね。
具体的には、79年のE/朝をたたえて 80年のD/オーバー・ザ・ギャラクシー 84年のD/オーパス・ワン
86年のD/テイク・オフ 87年のハロー!サンシャイン 89年のD/すてきな日々 90年のC/カタロニアの栄光 
90年のD/マリーン・シティー 93年のⅢ/潮煙 93年のⅣ/エイプリル・メイ 95年のⅡ/スプリングマーチ 97年のⅢ/五月の風
99年のⅡ/レィディアントマーチ 99年のⅣ/K点を超えて 2001年のⅣ/SLが行くなどは私も大好きな曲なのですけど、
これらの中から三つ選べと言われたら、テイク・オフとエイプリルメイとハロー!サンシャインとなり
ベストコンクール課題曲マーチを一つだけ選べと言われたら、多分ですけど
1987年の課題曲E/マーチ ハロー! サンシャインを選ぶと思います。

松尾善雄ってこの曲の後も何曲も全日本吹奏楽コンクールの課題曲を作曲していますけど、これはあくまで私の意見
ですけど、人気の面でも曲の内容的にもこのハロー! サンシャインは超越できていないような気もします・・(汗・・)
クロマティック・プリズムと童夢は私の大嫌いなコンクール課題曲であったりもします・・(汗・・)
パクス・ロマーナはすてきなマーチとしての課題曲だったと思います。

私自身、マーチ以外の課題曲として死ぬほど大好きな曲として、フェリスタス・東北地方の民謡によるコラージュ・風紋・
吹奏楽のための変容 吹奏楽のための序曲(1986年)・ベリーを摘んだらダンスにしよう・稲穂の波・道祖神の詩などを
挙げたいのですけど、やはりマーチとしてはマーチ「ハロー!サンシャイン」を一押ししたいです!

曲自体とてもシンプルで分かり易く技術的にもそれほど難しくなく、演奏人数25人程度の小編成でも十分演奏可能ですし、
極端な高音もありませんし、演奏時間も3分程度ですので、理想的な課題曲としてのマーチなのだと思います。
このマーチはティンパニを使用せず、小太鼓・大太鼓・シンバル・シロフォン・グロッケン・タンバリンのみの打楽器使用です。
曲はとっても「チャーミングでかわいらしい!」という一言に尽きると思いますし、こうした演奏効果が大変高くて愛くるしい
雰囲気が人気の一つの理由なのかもしれないですね。
1987年は上記で書いた通り、私にとっても10年間の締めくくりというか最後のコンクール出場でしたけど、
気持ちとしては風紋も吹いてみたかったけどハロー! サンシャインも吹いてみたかったという感じだったと思います。

冒頭がとても気持ちの良いファンファーレから開始され、明るく爽やかでチャーミングなメロディーが展開されていき、
クラリネットの低音域が心地よい中間部のトリオに入り、再度メロディーラインが繰り返され華麗に曲が閉じられますけど、
特筆すべきなのはトリオのユーフォニアムだと思います。
上記で「そんなに極端な高音がない」と記しましたけど、ありましたね・・!
ユーフォニアムが担当する裏メロディーはたっぷりと気持ちよく歌い上げていますけど、あの高音域は奏者にとっては
結構大変なのかもしれないですね。
ちなみにですけどこのユーフォの裏メロの高音域を見事に決めている演奏で一番「これはすごい・・!」と感じさせるのが
福岡工大付属高校だと思います。
1987年の福岡工大付属はどうしても自由曲の「カウボーイ」の大変優秀なホルン奏者の事ばかり語られがちですけど、
ホルンだけでなくてユーフォニアム奏者も大変素晴らしかったと思います。
それとこのマーチは全体を通じてピッコロの響きがとてもチャーミングで可愛らしく、マーチとしてのサウンドに華を
もたらしていたと思います。

マーチ「ハロー! サンシャイン」は全国大会でもたくさんのすてきな名演が生まれていたと思います。
(参考音源のフェネル指揮の東京佼成も素晴らしい演奏だったと思いますし、時々テンポをいじくるのも面白いと思いました)
高校の部では、若さが瑞々しい札幌白石、シンフォニックな響きでこの演奏がなぜ銅賞なのか未だに分らない東海大学第四、
テンポいじくりまくりでとにかく重厚な雰囲気で大変個性的な花輪、プロのような演奏の高岡商業、
意外と豪快に鳴らしていた就実、JKらしいチャーミングさが印象的な土佐女子、
中学の部では、チャーミングさと渋みが巧みにミックスされた大塚中、全部門を通じてとにかく可憐で可愛らしいという点では
群を抜いていたようにも感じられる素直な響きが大変印象的な宇品中などが大変印象的です。

これはあくまで私の個人的な感想なのですけど、1987年の中学の部において、課題曲も自由曲も
もっとも音楽的な内容に富み聴衆に「感動」を伝えていて、「中学の部の中ではグランプリクラスの名演」と感じさせてくれた
演奏が、当ブログでも既に何度もその名前が登場していますけど、鈴木清先生指揮の雄新中学校なのだと
思います。

鈴木先生指揮の雄新中学校という名前が久しぶりに出てきましたので、最後に下記に私が2015年に記事にさせて頂いた
1987年の雄新中学校の奇蹟のあの名演についての過去記事を再構成・再編集したものを
下記に転載させて頂き、本記事の締めとさせて頂きたいと思います。

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雄新中学校なのですけど、鈴木先生時代にこんなにも素晴らしい演奏を聴かせてくれているのにも拘らず
吹奏楽コンクールの金・銀・銅といった評価的には必ずしも高い評価を受けていないのは私的にはちょっと納得が
いかないものが多々あります。
もう少し高い評価を得ていても決しておかしくはないと思います。
1983年の「どろぼうかささぎ」序曲は万人が認める圧倒的名演だと思うのですけど、
「雄新にしては少し消極的な演奏のかも・・」とも感じてしまう1984年の「運命の力」は金賞で、
後述しますけど1985~87年のあの積極果敢な表現力と瑞々しさと前進する事を忘れない躍動感の演奏が全て
コンクール審査としては銀賞に留まるというのは、今現在改めてあの演奏を聴いても「え・・? どうして・・!?」と感じますし
やっぱり「コンクール審査」は水物ですし
審査員の価値観・好き嫌いで随分と評価も変わってしまうものなのかもしれませんよね。

特に雄新が光り輝いていたのは、1985年~1987年の3年連続銀賞の頃だと思います。

 1985年 課題曲C 自由曲/こうもり序曲

 1986年 課題曲B 自由曲/ローマの謝肉祭序曲

 1987年 課題曲E 自由曲/歌劇「ローエングリン」~エルザの大聖堂への厳かな行列

あの3年間は、本当に素晴らしい演奏を聴かせてくれていたと思います。
評価は全て「銀賞」なのですけど、私の中ではあの3年間の演奏は「金賞」以上のものがありますし、
何よりも「人の心にまっすぐと伝わる何か」は間違いなく残してくれていたと今でも確信しています。

その中でも特に1987年の「エルザの大聖堂への厳かな行列」は本当に素晴らしかったです!!
あそこまで素晴らしい演奏を聴かせてくれたのに、あの演奏が審査結果で「銀賞」と発表された時は、
冗談抜きにして「審査員、全員死んでしまえ!!」と思ってしまったほどでした(汗・・)

1987年の四国代表・愛媛県雄新中学校は何と恐るべきことに36人編成です。
私は当時普門館で生でこの演奏を聴いていましたけど、生で聴いても録音で聴いてもとても少人数とは思えません。
とにかくサウンドは豊かです。
そして何よりも表情は極めて豊かですし、感受性が大変豊かなのですけど、それがちっとも不自然ではないし
実に素直で伸び伸びと吹いている所がすごいですし、
指揮者の鈴木先生が「こう吹け!!」と言ったから言われたまま吹いているみたいな「お人形さん」みたいな演奏では
ありません。
鈴木先生の解釈では、ところどころにテンポルバートをかけたり、音を微妙に揺らしたり
音楽を大胆にも途中で静止寸前までテンポを落としたりと色々と「やりたい放題」という感じも
するのですけど、それがちっとも作為的でないというか、自然体な所が本当に素晴らしいです。
鈴木先生自体の指揮はかなり大振りで、人によっては「指揮と演奏の雰囲気がもう少し一致していれば・・」と評する方も
いましたけど、私自身は先生と生徒の一体感があそこまで感じられた演奏は極めて珍しいとすら感じています。

この年の雄新は課題曲のマーチでは、金管の優秀さ(特にユーフォニアムの裏メロは素晴らしかったですね!)
自由曲においては、金管は比較的抑制し、
木管を情緒たっぷりにしっとりと吹かせていたのが大成功だったと思いますし、
とにかくあのサウンドとあの音色は、あの演奏から20年が経過した現在でも一聴の価値ありと確信していますし、
現在の若い奏者の皆様にも是非是非「あのしっとり感+みずみずしい感性+豊かな感受性」を聴いて欲しいと思っています。
前半のオーボエソロは絶品ですね!!
中盤の瞬間的に音楽の流れを意図的に止めた際には、
生で聴いた時は「鈴木先生、ここでまさかの演奏中止・・・??とも瞬間的に感じたのですけど
ここから、テンポルバートをかけまくって音楽全体をファンタジーに染めていたあの解釈は、
今聴いても斬新ですし、とにかく美的限界をとっくに超越した「退廃的美しさ」がそこにはあったと思います。
ラスト近くのホルンの雄叫びも良かったし、終わらせ方も一旦音量を落としてから盛大にフォルテ
していくのもむしろ自然体なような感じもします。
音楽がワーグナーの求める重厚さ・神秘さ・透明な清涼感を見事に醸し出していたと思います。

この演奏から既に31年も経過しているのですが、雄新中の素晴らしさを私は永遠に語り継いでいきたいと思いますし、
永遠に後世の人達に受け継がれて欲しい素晴らしい演奏の一つだと思います。
1987年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲Aの風紋は本当に素晴らしい名作課題曲の一つだと思います!
私はこの課題曲、本当に大好きです。
吹奏楽コンクールの課題曲には素晴らしい曲がたくさんあるのですけど、
実際に私自身が吹いた課題曲というのは限りがありますし、
吹いた事は一度も無いけど「本当に素晴らしい曲! 一度こういう課題曲を吹いてみたかったな・・」
という課題曲はたくさんあると思います。
私自身が実際に奏者として出場した吹奏楽コンクールの中で、その時の課題曲として演奏した曲としては
「この曲いいな・・」と感じるのは意外と少なかったような気がしますし、「この課題曲を吹いてみたいな」と思っていたのに
実際には別の課題曲を演奏せざるを得なかったという事も多々ありましたけど、
そうした中で「この課題曲を演奏できてよかったぁー!!」と心の底から実感できた曲が二つほどありまして、
一つが1985年の課題曲B/波の見える風景ともう一つが1987年の「風紋」です。
偶然にも二曲とも大学時代に演奏した曲ですけどね。

私自身の吹奏楽奏者としての稼働時期というのは1978年~1987年の10年間だけなのですけど、
10年間とも吹奏楽コンクールに奏者として出場できたことはたいへんありがたいものがありました。
中学の頃は在籍部員だけで軽く100名を超えていたと思いますし、大学時代も「響け! ユーフォニアム」の第一期では
ありませんけど、コンクール出場奏者を選抜するあの恐怖のオーディションを毎年どうにかこうにか乗り越えられていたのは
ラッキー以外の何者でもなかったと思いますし、一番大きいのは当時も今現在も珍しい部類に入る
「男性のクラリネット奏者」という事に助けられていた事はかなり大きいと自分でも自覚はしております・・(汗・・)
中学の頃と大学の頃ってクラリネットパートの中で男性奏者は私唯一人という感じでしたし、
私がどちらかというとキャラ的に中性化してしまったその背景には中学の頃と大学の頃の
「周りはみ~んなお姉さまたちだらけ・・!」という環境が大きかったのかもしれないですね・・(汗・・)
高校時代は男子校でしたので、そのギャップの大きさも相当なものがあったと思います・・
そうした10年間で演奏した課題曲は、1978年→ジュビラーテ 1979年→幼い日の思い出 1980年→北海の大漁歌
1981年→イリュージョン 1982年→アイヌの輪舞 1983年→カドリーユ 1984年→土俗的舞曲 1985年→波の見える風景
1986年→嗚呼! 1987年→風紋という事になります。
だけどねぇ・・79年はフェリスタスを吹いてみたかったし、80年はオーバー・ザ・ギャラクシーが演奏したかったですし、
81年は何が何でも「東北地方の民謡によるコラージュ」を演奏したかったですし、
82年は出来れば「序奏とアレグロ」を吹きたかったですし、83年はインヴェンション第一番を吹いてみたかったです!
そして何よりもコンクール史上最大の当たり年と自分では思っている1986年は、
Aの「吹奏楽のための変容」またはCの「吹奏楽のための序曲」のいずれかを演奏したかったのですけど、
実際に吹いたのは私が一番嫌いなBの「嗚呼!」というのも皮肉なものを感じます・・(泣・・)

そうした中で「風紋」は初めてこの曲を参考音源として聴いた瞬間に
「Eのマーチ ハロー! サンシャインもすてきな曲だけどこの風紋のしっとりとした雰囲気は素晴らしいねっ!」とまさに
一目惚れ状態だったと思いますし、この課題曲を大学四年という事で生涯最後の現役奏者としての吹奏楽コンクールを
飾るのにこれほど相応しい曲は無いと当時から感じていたものでした。

「風紋」は大変思い入れがある課題曲です。

上記でちらっと書いた通り、1987年は私自身にとっては「最後のコンクール出場」となる事は分かっていました。
翌年以降は社会人になる事が確定していたので、私自身の決意としては、
「社会人になったらもう吹奏楽とは関わらないしコンクールにも出場しない、なぜなら社会人になったからには
仕事を優先すべきであり、こうした吹奏楽コンクールに出場と言うのは、学生時代の一つの余興なのかもしれない。
だけど音楽を聴く事や音楽に関わりを持つことは一生大切にしていきたい」と当時は頑なに思っていました。

当時はそれはそれで正解だったのかもしれませんけど、
今にして思うと多少頭が固かったのかもしれないですね。
「社会人になっても吹奏楽団とか楽器を続けている人はたくさんいるし、その両立は決して不可能な話ではない」という発想も
当時の私には欠けていたのかもしれないですし、当時はバブル絶頂という事もあり
「学校卒業したら、リゲインのCMではないけど24時間戦えますかぁ~という仕事優先の時代に否応なしに入ってしまう」
という想いが当時はやたらと強かったような感じがあります。
社会人としてどことなく余裕が出来た頃は、既に楽器(クラリネット)を昔のようには吹けなくなっていましたし、
何よりも当時は既に「奏者」の立場よりも既に「一人の聴衆」という立場に慣れていたのかもしれませんよね・・・

だけど1987年当時としては、私の意識の中では
「今年が生涯で最後のコンクール出場・・・・
思えば1978年の課題曲A(ジュビラーテ)/自由曲・スラブ行進曲から始まり、吹奏楽コンクールは10年間ずっと出ていたけど、
一度も支部大会は出場していない・・・・
何とか今年こそ都大会予選を突破し普門館で開催される都大会本選に出場し
何とか遅咲きでもいいから普門館デビューを果たし
有終の美を飾りたい!」というのが偽らざる本音でした。

そうした中で、この年の課題曲として演奏したのが「風紋」だったのです。

この課題曲は本当に優しいやさしい課題曲だと思います。

吹くだけで心が癒されるというのか心がすーーーーっと不思議と落ち着くのですよね。
この課題曲を吹く時は、前述のような「今年で最後・・・!!」みたいな焦りの気持ちは
不思議なほどすーーーーっと消えていたと思います。

出だしの低音からしてすごく魅力的だと思います。
そして木管によるとても何か懐かしくもあり心の傷を癒すかのような優しいメロディーが次から次へと展開されていくのですけど、
最初から最後まで何か「魅力的なメロディーライン」が続いています。
この曲の凄いところは、演奏技術的に極度に難易度が高い所がほぼ皆無な所だと思います。
難しい技術を使用しなくても、人の心にすーーーっと入り込んでいける音楽は絶対に存在するという事を立証した
作品と言えるのだと思います。
曲の後半で一旦静まりかえり、そこから展開される「木管のやや甲高い響き」が何か
「心の叫び」のようにも聴こえ、ラストは一気にスピード感をもって閉じられます。

話は全然違うのですけど
野庭高校吹奏楽部をモデルにした小説、「ブラバン・キッズ・ラプソディー」の中で
ミッチェル作曲/海の歌について
「演奏している最中に思わず感情がこみあげてきて、涙が出そうになる不思議な曲」といった記述がありましたけど、
これは実際に「海の歌」を演奏した事がある私にとっても「全く同感!!」という一言に尽きると思うのですけど、
「海の歌」と同様に「演奏中に何か感情がこみあげ、涙が出そうになる曲」というと
この「風紋」もそんな感じがあったような気がします。

この「風紋」を全体練習で吹いている際は、
「演奏中は余計な事を考えないで曲に集中しよう」と思っているのですが、
ついつい、
「今年で最後のコンクール、何とか都大会本選に出たい・・・」
「あと一か月後くらいには就職活動が始まる・・・果たして本当に内定がもらえるのかちょっと不安・・」
みたいな余計な事を考えてしまうものですけど
「風紋」を吹いているといつのまにか現実的なそうした不安とか懸案事項がいつのまにかすーーーーっと
消えてしまうのですよね・・・
何かあのメロディーラインを吹くだけで心がすーーっとなっていき、
時には「抑える事ができない感情の高まり」みたいなものを感じてしまう事もしばしばだったと思います。

その意味でも本当に不思議な曲でしたし、思い入れがある課題曲でした。
決して「哀愁溢れる」とか「もの哀しい」という感覚ではないのですけどついつい涙もろくなるような課題曲でした。

ヘンな話なのですけど
この課題曲を吹いていた時も聴衆として聴いていた時も、なぜかこの曲を聴くと
「私を忘れないで・・・・」みたいな「心の叫び」というのか「見えないメッセージ」が聴こえてしまうという感覚があったものです。
外部から聞こえるという感覚ではなくて
自分の内側から自分自身に向けて「忘れないで・・・」みたいな声が聞こえるのですよね。
「私を忘れないで・・・」と曲自体が私たち自分に向けて語りかけるという妙な事を当時感じていたものでした。

これってすごい不思議な感覚だと思います。

なんだろう、この内省的な感覚は・・

当時は意識の中では「今年で最後のコンクール」みたいなカチカチの意識があったから
その一つの反動として「そうは言っても音楽を楽しむ心は忘れないで」みたいな事を
一人の私自身がもう一人の私自身に語りかけていたのかもしれないですね。
一つ前の記事がゲームの「オセロ」ですので、本記事は吹奏楽オリジナル名曲としてのA.リードが作曲した「オセロ」について
過去記事をベースに再構成・再編集させた記事を掲載させて頂きたいと思います。

A.リードは、膨大な数の吹奏楽オリジナル作品を作曲し、21世紀に入って間もなくご逝去されたのですけど、
その作品群の中には「シェークスピア」の作品を題材にした曲も5曲ほど残しています。
その5曲とはどんな曲で、どの作品を題材にしているのかと言うと・・・


1.吹奏楽のための組曲「ハムレットへの音楽」 →これは「ハムレット」を題材にしています。
2.吹奏楽のための交響的ポートレイト「オセロ」 →これは「オセロ」を題材にしています。
3.魔法の島 → これは「テンペスト」を題材にしています。
4 .十二夜 →これは「十二夜」を題材にしています。
5.アーデンの森のロザリンド →これは「お気に召すまま」を題材にしています。

吹奏楽コンクールとか演奏会でお馴染みの曲と言うと、ハムレットとオセロであり、
3~5の曲は、私自身は生で聴いたことは一度もありません。
東京佼成のCDの中に「リードのシェークスピア作品集」というものがあり、この中で上記の曲を聴く事が出来ます。

「オセロ」ですけど、リードがマイアミ大学音楽学部教授であった1974年に、
同演劇学部によるシェークスピア悲劇「オセロ」公演の伴奏音楽の作曲依頼を受け、
「16人の金管楽器と3人の打楽器奏者」という編成による全14曲の劇付随音楽を作曲しました。
実はこれこそが「オセロ」の原型なのです。
吹奏楽コンクールでお馴染みのあの華やかさと内面的抒情性に耳が慣れてしまうと、金管と打楽器のみの特殊編成の
原曲は、もしかすると相当違和感を感じるのかもしれないですね。
スパークの「ドラゴンの年」の原型も実は金管ブラス編成なのですけど、ドラゴンの年は「スピード感」を売りに
していますので、金管のみの編成でもそんなに違和感は感じないのですけど、
「オセロ」は抒情的な側面を相当含んでいますので、やはり金管だけだと、
あの「内面性」を表現するのには無理があるのかもしれないですね・・
その後、この金管編成版を現在演奏されるようないわゆる「ウインドアンサンブル」用にアレンジし、
5曲の交響的ポートレイトとして吹奏楽版の「オセロ」が完成したという事なのです。
ポートレイト(交響的素描)というよりはむしろ「組曲」という形式の方がしっくりきそうな感じはありますね。

この曲に関しては「交響的ポートレイト」という呼び方は私自身あんまり好きじゃないし、
吹奏楽コンクールのプログラム表記でも単に「オセロ」と表記されることが多いため、このブログでは
シンプルに「オセロ」という表記にさせて頂きます。

この「オセロ」は下記の5曲から構成されています。

Ⅰ.前奏曲(ヴェニス)

Ⅱ.朝の音楽(キプロス)

Ⅲ.オセロとデスデモーナ

Ⅳ.廷臣たちの入場

Ⅴ.デスデモーナの死・終曲

「ハムレットへの音楽」も「オセロ」も共通して言えることだと思うのですけど、一見表面的には
大変絢爛豪華で明るい曲のようにも聴こえるのかもしれないのですけど、
それは違いますね・・
両曲共に「カタストロフィー=悲劇的結末」を題材にしているせいもあるのですが、音楽的内容は深刻で重たく、
一言でいうと「陰気で暗くて重厚な曲」という印象が強いです。
どうしても、吹奏楽コンクールのカットヴァージョンだけを聴いてしまうと、オセロもハムレットも
大変明るい曲というヘンな誤解を持たれがちなのですけど、
原曲というのか曲全体を聴いてしまうと、オセロもハムレットも決して明るく絢爛豪華な曲ではないという事を
ご理解頂けるのかもしれません。
むしろできればコンクールのカットヴァージョンだけでなくて全曲版もぜひ機会があれば聴いて頂きたいと思います。
ハムレットの終曲は個人的感想としては「ちょっとだるいのかも・・」と感じなくもないのですけど、オセロの第三曲や第五曲は、
むしろこちらの方が大事な曲の本質とも感じるくらい大変音楽的な感銘度が高く同時に
曲としての完成度が高いと思われます。

Ⅰは、戦争の雰囲気と物語の悲劇を「予感」させる重たい雰囲気が、あの独特なピーンと張りつめた緊張感を
もたらしていると思います。
ハムレットの冒頭も重たいけど、オセロの冒頭も重たいですよね・・
オセロのⅠなんて聴けば聴くほど、あまりの「重たさ」に気持ちが鬱々としがちではあるのですけど、
例えばなのですが、
Ⅰの終結部なんかは、タムタム(ドラ)のすさまじいロールで閉じられるていくのですけど、
1981年の天理のように、楽章の終了と同時にタムタムの音をピシっ!!と遮断させた場合もありますし、
87年の札幌白石のように、ロールのすさまじい盛り上がりをそのまま残響音として響かせ、
10秒程度余韻を残した場合もあり、
そのあたりは指揮者の好みによって色々と解釈の余地はありそうな感じもありますね。
Ⅱは極めて短い演奏時間ですけど、朝の雰囲気はよく出ていますし、戦時中の束の間の安らぎみたいな
雰囲気はよく出ていると思います。
Ⅲについては後述しますのでここでは省略、一つ言える事はこのⅢの部分が「オセロ」の音楽の
クライマックスであり、まさに「本質」なのだと思います。
Ⅳは、とにかく絢爛豪華です。
吹奏楽コンクールの場合、Ⅰ・Ⅲ・Ⅳという組合せが確かに最も演奏効果があると思われますので、
Ⅳで閉じられることがほとんどだと思われます。
だけどⅣで閉じられるコンクールカット版だけを聴いてしまうと
「オセロは大変明るい曲・・??」みたいな誤った誤解が生まれかねないような気もしますので、この点だけは要注意です。
Ⅴは、とにかく「人間の心の闇」を抉ったような陰気なのですけど大変内省的な音楽といえるのだと思います。

「オセロ」は、私自身は残念ながら演奏した経験はありません。
(絶対に吹いてみたい曲の一つである事は間違いないのですけどね・・)
高校・大学の部室にフルスコアとパート譜が置いてありましたので
Ⅲの「オセロとデスデモーナ」の部分は、あくまで個人練習みたいな形で何度か吹いた事はあります。
この「オセロとデスデモーナ」なのですけど、
吹いている内に自然にどんどんどんどん「感情移入」してしまうある意味「魔性の曲」だとも感じます。
自然と音楽の中に「自分自身の感情」が引きずり込まれるような感覚すら覚えたほどです。
吹いているだけで自然と涙が出そうとか感情がこみ上げてくる曲の例として、過去記事の中でも
ミッチェル/海の歌、1987年課題曲A/風紋などをあげていましたけど、
この「オセロとデスデモーナ」もそうした曲の一つであると言えると思います。
特にラスト近くで激しく盛り上がる部分があるのですけど、
あれは本当に「こみ上げてくる自分の感情をどうやってセーブできるのか・・・」みたいな不安感もあり
何か自分自身との戦いというか「葛藤」もあったかのように感じたものでした。

「葛藤」とか「嫉妬」・「人間のどうしようもない嫌な部分」は
この曲の原典でもあるシェークスピアの四代悲劇の一つ、「オセロ」の主要なテーマとなっています。
この「オセロとデスデモーナ」は
まさしく「嫉妬心」を大変上手に音楽として描いていると思います。
当ブログの「東方Project」カテゴリの中で、こうした「嫉妬心」というと、そう! 言うまでもなく「水橋パルスィ」だと思うのですが、
パルスィの場合の「嫉妬心」・「妬ましい」というと、
自分よりも優れている人に対する羨望が焼きもちになったとか
自分よりも「幸せそうに感じている人」に対する「妬み」というような個人の負の感情としての嫉妬心だと思います。
それに対して「オセロ」の場合、これはほぼ完璧に「男女間の嫉妬心」というのがパルスィとの大きな違いですね。

「男女間の嫉妬」は、難しいですよね・・
大抵の場合「ドロドロとした感情」が付き物になってしまいますし、そうしたドロドロ感がオセロの音楽にも
よく表現されていると感じますね。
一度は純粋な「あなたが好きだぁ―!」みたいな気持ちで結ばれた男女ゆえに、
その「絆」に誰かが「いやいや、そんな事ないよ・・あいつは実はあなたの知らない蔭では
こんな事をやっている・・」みたいな嘘八百のチクリなんてのを入れられてしまうと
そうした「絆」が一瞬で崩壊し、
嫉妬心メラメラの感情で「あいつは本当に自分の事が好きなのか・・!?」みたいな感情になってしまうというのも
何だか哀しい事ではあるのですけど、
それは「人間」である以上、避けては通れないのかもしれないですよね。
「深い愛があるんだったらそんなイアーゴーみたいな嘘八百のチクリを入れられたとしても
そんなの跳ね除ければいいじゃん!」と思ってしまいがちなのですけど、
いやいや・・・人間・・・否! 男女間はそんな簡単なもんじゃないですからね・・・・(汗・・)
別に人種差別とかそういうんじゃないのですけど、オセロ自体は「ムーア人」という黒人の武官であり、
そうした黒人がいわば、上官の白人の娘を口説き落した・・なんていう経緯もありますので、
元々オセロ自体に
「こんな幸せは続く訳がない」とか
「どうしてこの白人のこの娘は、オレの事が好きになったのだろう・・」みたいな潜在的不安感を有していて、
そこにオセロの部下の陰険極まりないイアーゴーがオセロを妬み、
色々あることないことチクリまくり、その結果として
オセロが「オレの妻のデスデモーナはオレの知らないところで浮気をしている」と妄想を起こさせ、
その嫉妬心で妻を絞殺したというそんなお話でありますので、やはり「嫉妬」というものは怖いものなのだと思います。
オセロが抱いた嫉妬心は「男女間の嫉妬心」で、
イアーゴーがオセロに抱いた嫉妬心は、東方のパルスィが抱いている「妬ましい・・」という事なのかも
しれないですよね。

話を吹奏楽に戻しますと、リードの「オセロ」の全国大会初演は
一般的には1981年の天理高校と思われているようですけど、実は1978年の長野高専です。
この長野高専の演奏は、Ⅰ.Ⅱ.Ⅳの組合せであり
この曲全体の白眉であるⅢ.オセロとデスデモーナは割愛されています。
うーーん、ありえない・・・・(苦笑・・)
Ⅰ.Ⅱ.Ⅳだけだと知らない人が聴くと
「あ、オセロという曲は明るい快活な曲なんだ・・・」と誤解されそうで怖いです。

吹奏楽コンクールでは、Ⅲの「オセロとデスデモーナ」は2/3程度にカットされることがほとんどなのですけど、
コンクール以外で聞く場合は、出来ればノーカットの演奏も聴いて頂きたいです!
ついでにコンクールではまず演奏されないⅤ.終曲も機会があれば是非聴いて欲しいなとも思います。
Ⅰ~Ⅴの全曲版を聴くと「オセロ」は決して聴き易い音楽ではないという事がよく分かると思いますし、
明るく絢爛豪華な曲というイメージもほぼ払拭できると思います。
全体的にはかなり「内省的」な感じが強い曲という事がご理解いただけると思います。
コンクールとして聴く「オセロ」も魅力的なのですけど
作曲者、ひいては元ネタの戯曲の原作者の意図を理解するためにも是非全曲版は聴いて欲しいなとも思ったりもします。

吹奏楽コンクール・全国大会の「オセロ」というと、
1981年の天理、86年の野庭、87年の札幌白石でほぼ決まりだと思います!
野庭のロマンチックの香りが漂う抒情性も素晴らしいですし、札幌白石の若さとダイナミックスも素晴らしいと思うのですが、
やはり「オセロ」というと1981年の天理高校で「決まり!!」だと思います。
天理の「オセロ」って、いまだに・・・
 
「普門館が揺れた」とか「冒頭のシンバルの音一音だけで既に音楽になっている」とか
「シンバル奏者は、単にフォルテと書かれていても何種類、いや何十種類もの音楽上のフォルテを有している」
など高い評価を得ていますし、いまだにそうした事を言われる方も多いのですけど
私自身も・・・「その通り!!」としか言いようがないです!
まさに・・・文字通りの「伝説的な歴史的名演」なのだと思います。

最後に・・

オセロの吹奏楽コンクールでの演奏で忘れられないのが、1993年の関西大会でのダメ金なのですけど、
京都産業大学の演奏です!
上記で「Ⅲ・オセロとデスデモーナのノーカット演奏を聴きたい」みたいな事を書いたのですけど、
実際はⅠ・Ⅲ・Ⅳの組み合わせで、Ⅲ自体も2/3程度にカットされることが多いのですが、
京都産業大学は、ⅠとⅢのみの組合せです。
しかも・・Ⅲはノーカットです!
ほとんどの場合、Ⅳで締めくくるため、華やかに終わるパターンが多い中、京都産業大学は
Ⅲの部分を大変たっぷりと歌い上げ、大変音楽的に仕上げていて、
静かに息絶えるように演奏を終わらせていたのが大変印象的でした!
Ⅰのかなり骨太の仕上がりも素晴らしかったです!
あれは大変勇気ある組み合わせだと思うのですけど、Ⅲの音楽的緊張感に奏者が飲まれることなく
たっぷりと歌い上げていた事に本当に心から敬意を表したいと思います。
そして圧巻なのは、Ⅲにおけるティンパニ奏者による弱音での打点が恐ろしいほどにピタっ・・!と決まっている点だと
思います!
ああいう演奏を「弱奏の熱演」というのかもしれないですね。
吹奏楽オリジナル作品の中で「イギリス民謡」をベースにした組曲と言うと、
R.ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」とかブリテンの「イギリス民謡組曲~過ぎ去りし時」とか
ホルストの「セントポール組曲」などが有名だったりもしますが、
(参考までにですけど、ホルストには実は「日本組曲」という知る人ぞ知る管弦楽版の組曲が存在していて、
 この曲・・・お江戸日本橋とかぼうやー、よいこーだー、ねんねーしーなーの馴染みのあるメロディーが登場します!)
私といたしまして、「イギリス民謡」をベースにした吹奏楽オリジナル曲で、同時に
「この曲だけは絶対に忘れてはいけない、必ず後世まで受け継がれていって欲しい!」と願う曲として真っ先に上げたいのは、
P.グレインジャーの「リンカンシャーの花束」です!
グレインジャー自身は、実はイギリスで生まれたわけでもなくイギリスで育った訳でもなく実際はオーストラリア人です。
理由はよく分かりませんけど、イギリス民謡にはまりその収集を色々とする中で、
「こうしたイギリス民謡を自分なりにアレンジしたり、再構築したりしてみよう」として色々と試行錯誤した一つの完成体が
この「リンカンシャーの花束」と言えるのです。
この曲はどうみても「組曲」だと思えるのですけど、なぜか曲のタイトルとして「組曲」の名は登場してこないのが
少し不思議な感じもあります。

曲は以下の六曲から構成されています。

Ⅰ.リスボン

Ⅱ.ホークストゥの農場

Ⅲ.ラ・フォード公園の密猟者

Ⅳ.元気な若い水夫

Ⅴ.メルボルン

Ⅵ.行方不明の婦人が見つかった

一見聴いてみると、民謡をベースにしているせいもあり、非常にシンプルで明快で分かり易い作品のようにも聴こえます。
だけど、この曲、意外とやっかいというかスコアを眺めていると分かるのですが、
不協和音あり、複数のメロディーが同時進行したり、楽章によっては、「小節」という概念をとっぱらったり
かなり難解な要素がてんこ盛りです。

Ⅰも、早くも部分的に同時進行メロディーが現れたりしてますし、
Ⅱは抒情楽章なのですが、徐々に盛り上げていく表現力は意外と難しい代物ですし、ソロもかなり表現力が求められます。
Ⅲにいたっては、出だしのソロが中々合わせにくいですし、聴き方によってはストラヴィンスキーのペトルーシュカとか
アイヴズの交響曲第4番のように同時に複数のメロディーが奏でられる場面もあったりして
奏者にとっても指揮者にとっても「正確に演奏する事自体がとても大変」という大変面倒な曲でもあると思います。
Ⅳが聴いていて一番楽しいし、いかにも「うきうきと歩いている」みたいな雰囲気があると思います。
Ⅳのタイトルは「元気な若い水夫」となっていますけど、この曲の名演録音をかなり残しているF.フェネルの指摘によると
「この楽章は引用した民謡から判断して"美少女が歩いている"というタイトルの方が相応しいのではないか?」との事ですが、
私から言わせて頂くと「その通り!」という感じなのかもしれないです!
このウキウキとした楽しい雰囲気は「美少女」そのものだと思いますし、
美少女とかかわいい女の子好きの私にとっては(汗・・)、吹奏楽オリジナル作品の楽章のタイトルに
「美少女が歩いている」という表記はとても嬉しいものがありますねっ! (笑)
Ⅴは、この楽章では「小節」という概念をとっぱらい、この部分に小節という区分はありません。
ラストのⅥでは、ここでチャイム・シロフォーンが加わり色彩的に一番派手な感じがします。
特にⅡのソロとかⅢの曲の構成の複雑さは、奏者というよりもむしろかなり厄介な指揮者泣かせの大変な難曲のようにも
感じられます。
事実、この曲の初演においては、ソロ奏者に大きなミスがあったりⅢが見事に崩壊し演奏がほぼ破綻した雰囲気で
終わったという記録が残っているようでして、当時の初演の指揮者がグレインジャーに謝罪をしたという
エピソードも残されています。
全体的にはⅡが結構しみじみとさせられますし、あの徐々にゆったりと盛り上がっていく感動性はあるのですけど、
同時に作曲者としての「計算」も感じられるのが巧いと思います。
このⅡは、「けちん坊な農園主と召使の悲劇」という民謡をベースにされているとの事です。
Ⅴは、「戦争の歌」という民謡をベースにしていますので、音楽的には一番盛り上がる部分です。

「リンカンシャーの花束」は民謡のオンパレードなのですけど、
例えば、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」も考えてみるとそうした感じの曲ですよね。
ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」もロシアの民謡が「パクリか・・」と突っ込みを入れたくなるほど
頻繁に引用されていますし、マーラーの交響曲第一番「巨人」第三楽章の冒頭も民謡が引用されているそうです。
戦前、ある作曲家の卵がドイツ留学中に、
ある子供が何気なくこのマーラー/巨人の第三楽章を口ずさんでいたのでびっくりしたらしいです。
勿論その子供が口ずさんでいたのは、マーラーの曲としてではなくて民謡としてという事なのですけどね・・

CDでこの曲を聴く場合、やはり、フェネル指揮/東京佼成が一番しっくりきますし、納得させられます。

この曲は、全曲を生で聴いたのは今までで一度だけです。
1989年のフェネル指揮の東京佼成で、演奏会場は新宿文化センターだったと思います。
チケットは当日券でも買えましたけど、ほぼ満席だったと思います。
フェネルが指揮する吹奏楽オリジナル曲は、ほぼ外れの演奏はないですね。
私過去においてフェネルの指揮による演奏を聴いた限りにおいては、
ホルストの第一組曲とか チャンスの朝鮮民謡の主題による変奏曲とかエレジーとか
ウィリアムスのファンファーレとアレグロや交響組曲や
リードのアルメニアンダンスパートⅠやエルサレム讃歌など数多くの名演を聴きましたが
いずれも素晴らしかったです。
但し、展覧会の絵とか火の鳥みたいなアレンジものは、好みが分かれるかもしれないです・・

この「リンカンシャーの花束」を含めた「グレインジャー作品集」というCDを出した超大物指揮者も存在します。
誰かと言うと、泣く子も黙る「ベルリンフィル」の音楽監督のサイモン・ラトルなのですけど、
ベルリンフィルに移籍する少し前に、この「グレンジャー作品集」をバーミンガム響を従えて録音しています。
この若き天才指揮者にも、何か感じるものがあったのかもしれませんし、
それだけグレンジャーを評価したという事なのでしょうね。
この作品集CDの中で、組曲「早わかり」という曲も収録されているのですけど、これ、実は私自身も初めて聴く曲でしたが、
実はとてつもない「隠れた名曲」だと思います。

このグレインジャーの素晴らしい吹奏楽オリジナル作品は、日本のコンクールでは演奏されることはほとんどないのが
とっても残念です。実はなのですけど、全国大会ではまだ一度も自由曲として演奏されていません。
ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」とかホルストの第一・第二組曲は全国大会でも演奏実績があるだけに
かなりもったいない感じはしますけど、確かに、演奏効果が中々得にくいし、全体としては現在のコンクールの視点から
眺めてしまうと「地味な曲・・」みたいにも感じられるし、技術的には大変難しいし、
一言で言うと「労多くして実りが少ない曲」でもありますので、中々吹奏楽コンクールでは
演奏されにくい曲と言えるのかもしれないですね。
私が唯一吹奏楽コンクールで生の演奏を聴いたのは、1988年の東京都大会の乗泉寺吹奏楽団の演奏でした。
このチーム、Ⅰ・Ⅳ・Ⅴを取り上げていましたけど、
Ⅴで終わらせると明らかに印象としては中途半端な感じになってしまうような感じもあります。
私が指揮者だったら、多分ですけど、Ⅱ・Ⅴ・Ⅵの組合せにするのかな・・?

こうした「温故知新」みたいな素敵な古典的吹奏楽オリジナル作品も、コンクールで演奏されなくてもいいから
みんなに聴いてもらい続ける曲であり続けてほしいなぁ・・とも思いますね!
12月の当ブログの吹奏楽カテゴリは、行進曲「SLが行く」とか軍艦マーチとか星条旗よ永遠なれ!とか君が代行進曲とか
ガールズ&パンツァーの戦車道行進曲とかマーチ「カタロニアの栄光」とかラデツキー行進曲とか
なぜかマーチづいているのですけど、
今月のそうした「マーチ特集」を締めくくる行進曲は、いかにも当ブログらしく(?)マニアックでかなりヘンなマーチでもって
いったん締めさせて頂きたいと思います。

軍艦マーチや星条旗よ永遠なれとかラデツキー行進曲や戦車道行進曲などはいかにも「マーチ」らしい親しみやすく
明るいメロディーに溢れていると思います。
だけど本来はこうした楽しく快活で明るいマーチが、新ウィーン楽派みたいな無機質な無調音楽バリバリの作曲家が
無調音楽の概念を持って「行進曲」としての形式を持った曲を作曲したらどんなとんでもない事が起きるのかを
音楽的な内容としても大変立派な曲を作曲されたのがA.ベルクの「三つの管弦楽曲~Ⅲ.行進曲」なのだと思います。

行進曲というタイトルから「どんな明るくて快活な曲が出てくるのかなぁ・・」という普通の期待感を持ってこの曲を聴いたら
痛い目に遭いますよ・・・(汗・・)
だってその実態はとにかく訳がわからなくてどこにメロディーラインがあるのか、なぜ「行進曲」と呼ばれるのか全く意味不明で、
しかもとにかく雰囲気が陰鬱で暗くて厭世的で、聴くだけで「この世に生きている価値は自分には無いのかも・・」と
思わず感じてしまうほど「生きているのが辛い・・」と聴くものを感じさせてしまう曲なのだと思います。
ベルクの「三つの管弦楽曲」(「管弦楽のための三つの小品」と呼ばれる事の方が多いですけど、どう聴いても「小品」には
聴こえないため、私は以前より「三つの管弦楽曲」というタイトルの方を使用しています)なのですけど、
この曲は下記の三楽章から構成されています。

Ⅰ.前奏曲

Ⅱ.輪舞(ロンド)

Ⅲ.行進曲

全体で20分前後の曲ですけど、第三曲の行進曲が全体のメインという形で構成されています。
第二曲の輪舞ですけど、交響曲で言うと第二楽章のアンダンテと第三楽章のスケルツォから構成されているような感じも
ありますので、Ⅰ~Ⅲを4楽章形式の交響曲と解釈する考え方も出来るような気もします。
全体的な印象としてはⅢの行進曲が全体のメインという印象が大変濃厚です。

オーストリアの作曲家アルバン・ベルクは、シェーンベルクやヴェーベルンとともに新ウィーン楽派の代表的人物であり、
無調音楽や十二音技法を開拓・確立した、いわゆる前衛的な現代音楽の旗手のひとりというのが
音楽史的に既に確立しているベルクに対する評価なのだと思います。
ベルクというとヴァイオリン協奏曲、歌劇「ルル」、歌劇「ヴォツェック」が名高いと思いますし、
新ウィーン楽派の他の二人が、どちらかというと無表情・機械的・色気なし・人としての感情無しという印象が強い中、
ヴァイオリン協奏曲が特にそうした傾向が強いのですけど、確かに手法は無調なのですが、
他の2人に比べると人間的な血の香りというのか人間の感情らしいメロディーも感じ取られ、音楽自体に微かな色気が
感じられるのがベルクの特徴なのだと言えると思います。

あ・・だけどベルクの「三つの管弦楽曲」は初期作品という事もありますし、意外にもベルクが残した作品の中で
唯一完成した純粋な管弦楽作品というせいもあるのですけど、後年のヴァイオリン協奏曲のような色気・人間としての感情は
ほぼ皆無で、特に全体のメインともなるⅢの行進曲は、とにかくひたすら陰鬱でどこにメロディーがあるのかよく分からない
無表情極まる曲なのだと思います。

ベルク自身はマーラー門下という事もありますし、ベルクの音楽にマーラーの影は明らかにみられると思います。

マーラーの交響曲第9番第四楽章とかワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は、人によっては
「音楽としての調性・・メロディーラインが感じられるか感じられないかの一つの節目」と評される方もいるのですけど、
そうした意味においてはベルクのこの三つの管弦楽曲~Ⅲ.行進曲は、そうした節目からほぼ完全にはずれ、
無調性・無機質・メロディー感無しという領域に入っているのだと思います。
だけどこのベルクの行進曲は、曲の至る所に「ハンマー」によるゴツン!!という強烈な打撃音が入り、視聴している人の
度胆を抜いているのですが、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」第四楽章にもこのハンマーが効果的に使用されていますので、
マーラーとベルクには何らかの共通性があるのかもしれないですね。
音楽的な意味合いとしては、ハンマーは運命に例えられ、「運命の一撃によって英雄は打倒される」という事を
意図していますので、マーラーもベルクも、このハンマーの叩きつけというものに関しては、
「運命の一撃」みたいな事を示唆しているのかもしれないですね。

さてさて、マーチはマーチでもこんな厄介極まりない難曲中の難曲をなんと・・!
吹奏楽にアレンジし、この曲でもって全日本吹奏楽コンクール全国大会に出場したチームもかつてありました!

そう・・! それこそがこのブログでは何度も何度もその名前が登場している秋田県の花輪高校吹奏楽部なのです!

そしてこの花輪高校を当時指導・指揮され、このベルクの原曲を吹奏楽にアレンジされた御方こそが小林久仁郎先生であり、
この先生のご逝去は今年の私の十大ニュースの確実に上位にランクされる、本当に辛い出来事でもありました・・

改めてですけど、ここに小林先生のご冥福を心の底よりご祈念させて頂きたいと思います。

花輪高校がこのベルクの難曲をもって全国大会に出場されたのが1983年なのですけど、
その前年度の1982年の花輪高校は、グループ表彰開始以来初めて東北大会でダメ金で、全国大会に進むことが
出来ませんでした。
1978年に小林先生が花輪高校に赴任され、ラフマニノフの1番~ショスタコの1番~ハチャトゥーリアンの2番
~プロコフィエフの3番と
「俺が花輪の小林だっ! どだっ! 参ったかぁー!」みたいな独特のロシアマイナーシンフォニー路線を歩み、
小林先生のこの間の歩みは、まさに「軌跡は奇跡!」みたいなものだったと思います。
本当に素晴らしい名演が続出していました!
だけど、1982年の東北大会では、ウィリアム・ウォルトンの「交響曲第1番第四楽章」を
感動的に高らかに鳴り響かせてくれて、当時、吹奏楽とかクラシック音楽なんかそれほどまだ興味がなかった私自身を
クラシック音楽の深い森の中に引きずり込むきっかけを作ってくれたのですけど、
結果はダメ金で全国大会に進めないという大変残酷な結果になったものでした・・(泣)

1983年当時なのですけど、花輪高校の自由曲のタイトルを初めて耳にした時は、
「花輪高校の小林先生は前年のダメ金が余程悔しかったのかな・・」
「昨年の反動で、今までのような難曲のマイナーシンフォニー路線から、万人受けする明るく爽やかなマーチ路線に
シフトしたのかな・・」と当時は思ったものでした。
(当時高校生の私は、ベルクなどのような無調音楽は知る由もなかったです・・
 というか、行進曲というタイトルから「そうなんじゃないのかな・」と勝手に連想しただけです。)

だけど、そう! 花輪高校の小林先生はそんな一年足らずの挫折だけで、自分のやりたい音楽を
引っ込める御方ではないのです!

でも当時は、まさかああいう無調音楽バリバリの路線で勝負を掛けてくるなんて夢にも思わなかったです。

この演奏を初めて聴いた時は、「何じゃ、これ?」という感じでした!
上記で述べたとおり、この曲にメロディーは全くないし、喜怒哀楽のような表情が全くないし、
何となく音符を機械的に割振っただけのような感じもありました。
当時は「一体この曲のどこが行進曲なの・・?」みたいな思いで一杯でした!
何となくですけど、漠然と曲自体に魅かれるものはあり、当時の私の脳内妄想では、全員うつむきながら
処刑される刑場まで無言でうなだれて重い足を引きずって歩いていくような漠然としたイメージは、
当時なんとなくですけどうっすらとは感じておりました。
大学受験の際に、とある学校にて、試験会場から最寄駅までの一本道を受験生ほぼ全員が笑顔も無く
誰も喋る事もなく無表情にうつむきながらトボトボと歩いているかのようなシーンを再現するような音楽とも
言えるのではないのかなぁとも改めて感じたりもします。
そうした意味ではこのマーチは、明るくもないし希望もないし、あるのは「絶望」の感情のみという感じなのかもしれないですね。

ただ言えることは、1983年当時において、ベルクやシェーンベルクみたいな超難解の無調音楽バリバリの音楽を
自由曲にしようなんていう発想はまずありえなかったと思います。
そうした従来の「吹奏楽コンクールの非常識」にあえて積極果敢に挑戦し、
「吹奏楽コンクールは常識に囚われてはいけない世界」という事を私たちに提示してくれた花輪高校の小林先生の
功績はあまりにも大きいと思いますし、
改めて小林先生の偉大さを強く感じますし、小林先生のご逝去のニュースは私にとっても大変ショッキングなものが
あったと思います。

最近の吹奏楽コンクールでは、シュミットの交響曲とかディティューの交響曲とかベルクの歌劇「ルル」とか
ブルックナーの交響曲やらマーラーの交響曲が自由曲として選ばれることも珍しい事ではないようです。
だけど、これらの積極果敢に現代音楽を自由曲に取り上げる大きな「先駆け」となったのが
1983年の花輪高校なのだと思います!

結果的にこの年の花輪高校の演奏は、吹奏楽コンクールとしては銅賞という評価を得ているのですけど、
花輪高校の演奏はとてもじゃないけど「銅賞」という一言で片づけられる演奏ではありませんし、
確かにあの陰鬱さはコンクール向きでは無いとは思うのですけど、聴くものに「何か」を伝えていたのは間違いないと思います!
あの曲の難解さや鬱々とした感じが審査員に受け入れられなかった事なのだと思いますし、同時にこうしたコンクールは、
審査員の好き嫌いが間違いなくあるものなのだと思います。

1983年のBJ12月号の講評において、花輪高校の演奏は、とある審査員から
「あの演奏は曲解である」と評されていましたけど、この場合の「曲解」とは「音楽の解釈上での誤解」との事らしいです。
でもそれって違うんじゃないのかな・・・・?
音楽という一つの素材をどのように料理し、その素材からどのような表現をもって聴衆に自分たちが伝えたい音楽を
伝えるのかというのが指揮者の役割なのだと思いますし、
指揮者というものは自分の解釈を最大の拠り所にして音楽づくりをしていくのだと思います。
だからそうした「指揮者としての解釈」を単に「曲解=誤解」という表現でバッサリ切り捨てるのも
果たしてどうなんだろ・・と、1983年に高校生だった私は考えておりましたけど、その思いは今も全く変わっていないと
思います。
確かに小林先生=花輪の課題曲C/カドリーユは、少し風変りです。
テンポをいじくり廻しているし、この課題曲はどちらかというと前のめりみたいな感じのほうが曲のイメージには
相応しいのかもしれないですけど、花輪のカドリーユは、少し後ろのめりみたいな感じがあり、
なんとなくわざとリズムを後ろにずらしてどことなくですけど「音を引きずっている」みたいな雰囲気を
出しているのかな・・?と私的には感じております。
だけどそうした解釈は小林先生の自由な発想と音楽づくりに基づくものですし、それも一つの立派な音楽表現なのだと
思います。
(自由曲を含めて聴く人による好き嫌いがはっきりと分かれる演奏というのは私も認めますけどね・・)
指揮者がその音楽から何を感じ取り、それをどう表現するかは指揮者の自由であり、それは最大限尊重して
然るべきものじゃないのかな・・?
そんな「曲解」なんて言葉を出されてしまうと、たとえばクラシック音楽の巨匠と言われる先生でも、
例えば、ストコフスキー指揮/フィラデルフィア管弦楽団のあの個性的な演奏は、まさに「曲解」だらけだと
私は思うのですけどね・・(汗・・)

花輪高校の自由曲のベルク/三つの管楽曲~Ⅲ.行進曲ですけど、
今現在の感覚で聴いても「よくこんな難解な曲をこれだけ立派に消化したもんだ・・」と舌を巻くばかりですね!
小林先生のアレンジも原曲の雰囲気を全く損なわせない素晴らしい編曲だと思います。
あの演奏はたとえばカラヤン指揮/ベルリンフィルの王道的解釈から見てしまうと、
確かに「曲解」と言われてしまうのかもしれないですけど、
高校生の技術・感性でもってあそこまでベルクの「陰鬱で無機質な世界」を立派に表現していたのは驚異的だと思います。
あの演奏を改めて聴いてみても、技術的に消化できていない箇所はほぼないと断言したって構いませんし、
トロンボーンの弱奏の幽玄極まりない音とかトランペットの勇壮さと狂ったような感じの混在感とか
全体をしっかりと支えてコントロールしている強いクラリネットセクションなどは本当に立派だと思います。
原曲は前述の通りバリバリの無調音楽なのですけど、そうした曲を演奏した楽器がたまたま管楽器と打楽器のみであったと
言ってもいいほど、原曲を尊重したというのか原曲の雰囲気を壊さずに
吹奏楽としての「無調音楽」に積極果敢に挑戦した大変意欲的な演奏とも言えるのだと思います。

最後に・・・

ブレーン社の「レジェダリシリーズ」の第一弾が発売されていた当時、
確か初回特典として「第一弾の5枚のCDを購入された方に、埋もれている名演三つを収録したCDを
プレゼント!」というものがあったと記憶していますけど、その三つの中に、
銅賞ではあるのですけど1983年の花輪のベルクが収録されていたと思います。

これは私から言わせて頂くと「わかっている人はちゃんとわかっているんだねぇ・・!!」というもので、
当時の私も妙に嬉しかったものでした!

12月の当ブログの吹奏楽カテゴリは「マーチ」ばかりでしたけど、そのマーチを締めくくるのが花輪高校とかベルクというのも
実にうちのブログらしいのかもしれないですね!
本日はクリスマスイヴですね! 今年のクリスマスイヴは日曜日と重なってしまったという事もあり、
多分ですけど本日は一日中街中は家族連れで賑わい、みんな楽しそうに休日を過ごされるのかもしれないですね。
そして若いカップルの皆様は是非ぜひこのクリスマスイヴとクリスマスを楽しんでお二人でお過ごしいただきたいと
思います!

私自身は昨年のイヴもほぼ似たようなことを記事にしていて大変恐縮なのですけど(汗・・)
土日祝日は通常通りの出勤である私は、クリスマスイヴもクリスマスも普通に淡々と仕事をしているだけだと思いますので、
「クリスマスイヴ・・? うーーん、正直自分にはほとんど縁がない世界・・」という感想しかないですね・・
昨年のイヴも普通に出勤していて、確か朝から施工中の近隣からの騒音クレームといったトラブル解決に対応していて
お昼ごはんはコンビニのおにき゜りだけで終了・・家に帰ってもクリスマスケーキ以外興味がないうちの奥様は相変わらずの
家事はやる気なしモードのようでしたので普段とあんまりというかほとんど変わらない夕ご飯だったような記憶が
あります・・(汗・・!)
そんな訳で今年も私はクリスマスイヴだからといって特段いつもと違うことをする事もないと思いますし、
多分普通に何気なくいつものように一日が過ぎていくという感じになるのだと思いますし、
せいぜい、プリキュアシャンメリーを飲んで、ファミリーマートで買ったファミチキを食べる程度で終わってしまうのかも・・?

考えてみると日本人って無節操というのかある意味宗教・慣習的には世界的にも珍しい「おおらかな国」といえるのかも
しれないですよね。
だって12月24~25日には欧米式のクリスマスを祝った翌日からはお正月の準備が始まり、
1月1~3日の間には神社に初詣に行くことが定番行事となっていますし、西洋のキリスト教と日本古来の神道が
さりげなく両立できているというのか異なる宗教的価値観を「ま・・それもいいじゃん! どちらも楽しめければいいじゃん!」と
おおらかに寛容できている国もどらちかというと珍しいだけに
そうした寛容さは今後もすてきな国民性としてキープしてほしいなぁ・・と思ったりもしますね。

とにかく、私のように12月23日の天皇誕生日とか12月24(日)のイヴとか翌日のクリスマスが休みではなくて出勤という
方だって相当多いと思いますし、
彼女に振られちゃったとか元々彼女がいないので「ひとりぼっちのクリスマス」を過ごされる方もいらっしゃると思いますし、
家族はいるけど単身赴任中で、家族と一緒のクリスマスを楽しめないとか
皆様におかれましても「千差万別なクリスマス」を過ごされているのだと思います。

家族と共に素敵なクリスマスを過ごされている方も 、彼氏彼女と素敵なクリスマスを楽しまれている方も
お仕事で出勤されている方も、一緒にクリスマスを過ごすお相手がいないちょっとさびしい(?)皆様も、
是非是非ほんのひと時ではありますが、「dream fantasy 」のアミグリさんが過去に描かれた素敵なクリスマスイラストを ご覧になって頂き、
少しでもクリスマスの気持ちを味わって頂くことができれば幸いです。

アミグリさんが描かれたすてきなクリスマスイラスト記事は本記事の一つ後にありますので、こちらも是非ご覧頂いて
欲しいと思います!

さてさて、クラシック音楽・吹奏楽の分野で「クリスマス」を眺めてみると、宗教音楽とか教会音楽を別にすると
意外と思い浮かぶ曲あんまりがありません。
その中でも一番メジャーな曲はチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」なのかもしれないですね。
その中でも「花のワルツ」はクリスマス音楽の定番ですよね!
その他には、G.F.ヘンデル作曲のオラトリオ「メサイア」よりハレルヤコーラスとか
ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」とかシューベルトのアヴェ・マリア とか
コレルリの合奏協奏曲第8番ト短調「クリスマス協奏曲」あたりが思い浮かびます。

そして吹奏楽オリジナル作品の世界では、真っ先に思い浮かぶのは、リードの「ロシアのクリスマス音楽」だと思います!

リードの初期作品というと、サスカッチアンの山・音楽祭のプレリュード・インペラトリクス・ジュビラント序曲といった曲を
思い出しますが、これらの曲は実は全て第二次世界大戦後に作曲されたものばかりです。
私自身「ロシアのクリスマス音楽」というとあの重厚長大な荘厳で厳粛な大曲というイメージがあり
「アルメニアンダンス以降の中期以降の作品なのかな・・?」と思っていたのですけど、実はこの曲は、
第二次世界大戦前に作曲されたリードとしては初期も初期・・最初期といっても過言ではないある意味若書きの曲だと
言えると思います。

第二次世界大戦中の1944年に、とある演奏会のためにソ連・ロシアにちなんだ音楽の作曲を委嘱され、
あんな゜とてつもない大曲なのにわずか11日間で作曲されたというエピソードも残されているのですけど、
曲自体は後年の「エルサレム讃歌」に匹敵する名曲の大作だと思います。
(私自身、リードの四大名曲は、アルメニアンダンスパートⅠ・オセロ・第二組曲・エルサレム讃歌だと思っています・・)
「ロシアの教会音楽」は続けて演奏される4つの部分から構成されていて、
ロシア正教のクリスマスのコラール「Carol of the Little Russian Children」と、
東方正教の奉神礼音楽にヒントを得たと思われるようなリード自身のオリジナルのメロディーから主に着想されていると
思われます。

この曲、冒頭がチャイムの静粛な音から開始されゆったりとしたうねりの雰囲気から曲が始まっていくのですけど、
そのうねりの部分はいかにも「ロシアの寒くて厳しい冬の空」みたいな空気感が漂っていると思いますし、
このもっさりとした部分はいかにも「ロシアの憂鬱」という雰囲気なのだと思います。
(印象としてはチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」に近いものがあるのかもしれないです・・)
そしてそこから曲がかなり盛り上がっていき一旦壮大なクライマックスが構築されていきます。
そして曲が一旦静粛な雰囲気に戻り、最後は壮大な盛り上がりを見せていき、クライマックスのあの壮大な頂点の響きは
感動の極みだと思います!
しっとりとした静粛な部分のコールアングレのソロは素晴らしいですね!
私的にはあのクライマックスが展開される直前にチャイムが連打され厳粛に鳴り響いている中のトロンボーンセクションによる
音のはもりと重なりの部分は大好きです!
あのトロンボーンのはもりを聴くたびに続々とさせられるものがあります。

だけど全体的には「少ししつこいのかも・・?」と感じられなくもないです。
要はクライマックスが曲の中に2回登場するのですけど、2回とも主旋律がほぼ同じですので聴き方によっては
「同じことの繰り返し」みたいに聴こえちゃうのかもしれないのですが、
ロシアというとこの「野暮ったさ」も一つのイメージだとも思えますので、あのくどさはそんなには気にならないのかな・・?
むしろ指揮者の解釈でそのあたりは逆に面白い表現もできるのではないのかなとも思ったりもします。

この曲の全国大会初演は確か郡山吹奏楽団だったと思います。
初期の頃、この曲はなぜか「ロシアの教会音楽」と表記されていたと思います。
(ソニーのレコードの中に入っている出場チームの課題曲自由曲と評価を記した資料には「ロシアの教会音楽」と
表記されていたと思います)
この曲は、札幌交響吹奏楽団が全国大会で三回も取り上げていますが、失格1 銀1 銅1とあまり良い成績を出していません。
個人的には、1991年の広島での演奏は渋くて良い出来だと感じています。
札幌交響吹奏楽団には、1988年~94年前後に素晴らしいユーフォにアム奏者が在籍されていて
88年のタンホイザーとか、92年のカルミナ・プラーナで素晴らしいソロを披露してくれていますけど、91年はリードのオリジナル曲
ということで大してユーフォが目立つ場面もなく「もったいないなぁ・・」と感じたものでした。
全般的にこのチームは、サウンドがぼやけているというか切れ味が鋭くないというか
よく言うと「おっとり」しているのが特徴なのかな・・?と感じます。

札幌交響以外では88年の神戸中も比較的良い演奏だったと思います。
知る人はあまりいないと思いますが、1985年の東海大会での光が丘女子もスケールの大きな素晴らしい演奏でした。

この曲は、全国大会で金賞を受賞したチームはゼロです。
81年の札幌交響と初演の郡山以外は、たしか全て銅賞じゃなかったかな・・?

それだけ奥が深いというべきなのか、表現が意外と難しいというのか、
作曲者のリードが東京佼成を指揮した自作自演の演奏のような感動的なクライマックスがなかなかコンクール本番で
発揮しにくいというのか思ったほどは演奏効果が上がりにくい曲といえるのかもしれないですね。

リードの宗教関連を題材にした音楽というと「法華経からの三つの啓示」という曲がメジャーだとも思われるのですけど、
あれはなんとなくですけど、リード自身が東京佼成WOにお世話になっている・・」みたいなちょとスケベ心も
あるんじゃないの・・?何てことを言われる方もいたりもしますけど(汗・・)
私自身はリードの宗教関連に題材を求めたオリジナル作品というと、派手な外面的効果という意味では「エルサレム讃歌」を、
そして内省的な効果を求めたい方にはこの「ロシアのクリスマス音楽」をお勧めさせて頂きたいと思います。

こうしたクリスマスイヴの日にこうしたちょっと渋い音楽を聴いて身も心も浄化させるのも悪くはないと思います。

田嶋勉というと、私のようなオールド吹奏楽ファンですと「WISH for wind orchestra」と答えるのかとは思うのですが、
最近の奏者の皆様にとっては、汐風のマーチ・ピッコロマーチ・エアーズの方が馴染みがあるのかもしれないですね。
そうそう、この田嶋勉ですけど、吹奏楽コンクール的にはある快挙を成し遂げられています。
それは何かと言うと全国大会における「課題曲での自作自演」です!
全国大会での自由曲における自作自演で思い起こすのは、そう! 言うまでもなく1981~82年の2年間に渡って
演奏されていた埼玉県の市立川口高校吹奏楽部による「無言の変革シリーズ」だと思うのですけど、
課題曲における自作自演と言うのは大変珍しいと言えると思います。
田嶋勉は、千葉県内の公立中学校・高等学校の音楽科教諭を務めており、
柏市立柏中学校吹奏楽部顧問在任時には2004年度において全日本吹奏楽コンクール全国大会へ出場し、
自ら作曲した課題曲「エアーズ」を演奏し銀賞という評価を得ています。

全国大会での課題曲の自作自演というと、可能性があったのは1995年まで筑波大学を指揮・指導されていた伊藤康英は、
1996年の課題曲Ⅰ/ 管楽器のためのソナタの作曲者でもありましたので、96年も筑波大学を指揮されていたら
全国大会での自作自演の可能性もあっただけに惜しまれますね・・
ちなみに伊藤康英は、吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」とか「北海変奏曲」などといった素晴らしい吹奏楽オリジナル作品も
数多く作曲されていますけど、長年にわたって筑波大学吹奏楽団を指導・指揮されていた実績もあり、
作曲活動に留まらずこうやって実際のアマチュア吹奏楽団の指揮・指導という「現場」もきちんと認識されている点は
大変素晴らしいと思います。
ちなみに伊藤康英は、筑波大学時代には、ネリベルの二つの交響的断章とかアンティフォナーレ、
シェーンベルクの主題と変奏、ヒンデミットのコンサートバンドのための交響曲、ランニングのシンフォニア・フェスティーヴァ、
ミヨーのフランス組曲、アイヴズのカントリーバンドマーチなど
吹奏楽マニアの皆様にとっては「わかっているねぇ~! さすがっ!」という素晴らしい選曲ばかりされていて、
私は伊藤康英のこういう所も大好きですっ!! (笑)

課題曲の自作自演と言うと、小長谷宗一の1989年の課題曲A / 風と炎の踊りも自作自演になっていた可能性も
あったと思うのですけど、残念ながらこの当時の小長谷氏は既に吹奏楽コンクールの指揮者からは足を洗い
コンクールに出場していませんでしたのでそれは実現出来ませんでした。
インヴェンション第一番とか栄光をたたえてとかグリーン・フォレストでも馴染み深い内藤淳一先生も
泉高校・向山高校で吹奏楽コンクールの課題曲の自作自演を県大会と支部大会でお披露目されていましたけど、
残念ながら全国大会への出場は一度も果たされていないようです・・

こうやって見てみると、音楽大学等で専門的な音楽教育を受けてこられて、素晴らしい作曲・編曲能力をお持ちの
スクールバンドでの指導者も大分増えてきましたので、こうした吹奏楽コンクール・全国大会における
課題曲や自由曲の自作自演という事も決して珍しくも何ともなくなってしまうという未来も案外近いのではないのかな・・?と
ふと思ったりもします。

あ・・、冒頭から話がそれまくりでした! 今は、WISH for wind orchestraの話でしたね・・(汗・・)

1989年の課題曲B/WISH for wind orchestraは、時代が昭和から平成に代った最初の吹奏楽コンクールの年の課題曲の一つ
でしたし、この頃は私が社会人になって2年目で吹奏楽コンクールとか現役奏者から足を洗って2年目でもありましたので、
この当時はまだまだ「自分だってまだまだ現役奏者・・!」みたいなヘンな想いも抱きながら吹奏楽コンクールを
聴いていたものでした・・(笑)
1989年の吹奏楽コンクールの課題曲は、私にとってはAとCがハズレでどちらかというと嫌いな曲、
Dのポップスマーチ「すてきな日々」が嫌いという方はほとんどいないと思われる文字通りすてきな曲だと思います。
BのWISH for wind orchestraは、この年の課題曲の中では私的には一番大好きな曲であり、
長年積み重ねられてきた全日本吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中でも大好きな部類に位置するとても素晴らしい曲だと
思います。
「WISH」は文字通り「希望」という事なのですが、曲の隅々の至るところに希望とかハッピーとか充実みたいな前向きな気持ちが
感じ取られ、私も今でもこの課題曲は自分自身ちょっと気が滅入っている際の気分転換の曲として
今でも愛聴させて頂いております。
出だしのひそやかな雰囲気で既にこの曲の魅力に取りつかれてしまうという感じです。
ゆったりとしたおおらかな雰囲気から開始され、展開部に入っていくのですけど、この場面でのホルンの雄叫びは
何度聴いても大変心地よいものがあります。
あの部分のホルンの音域はかなり高くホルン奏者にとっては希望でもなんでもないのかとは思うのですけど(汗・・)
あの雄叫びの部分と合わせる形での和音の美しさは絶品だと思います。
この部分をサウンド的に整理整頓するのは指揮者にとっては大変やっかいな事でもあるのですけど、同時に
指揮者の腕の見せ所だとも思われます。
そしてガシャがシャとしたアレグロの展開部分を経て一旦曲が静かになりひそやかな曲想が戻り、ラスト近くで
前述のホルンの雄叫びが再現され、正々堂々と華やかに曲が閉じられていきます。
全体的にはチャーミングさと壮美さが見事に調和した素晴らしい課題曲だと思いますし、こうした名曲は
私も現役奏者の時に演奏したかったなぁ・・なんて思ったりもします。
(現役奏者最後の年にあの名曲課題曲の「風紋」を演奏できたことは私にとってはとてもハッピーな事でした!)

この年の課題曲はAとDに人気が集中してしまい、B自体が演奏される事は決して多くは無かったと思うのですけど、
WISH for wind orchestraには実はかなりの名演があると思います。
私個人としては、この課題曲の最高名演は、土気中学校だと思います。
土気中の演奏は普門館でも聴きましたけど、ホルンの雄叫びの素晴らしさとその後に展開される和音のハモリの美しさ、
そして演奏全体に漲る躍動感とハッピー感は全部門を通して最高の課題曲Bだったと思います。
チャーミングという点で印象的なのは、中学の部では東京代表の志村第一中学校と高校の部では下関商業だと
思いますし、メカニック的とサウンドの絶対的な美しさという点では常総学院に尽きると思います。
そして個性的な演奏という意味では他の追従を許さない演奏がありまして、それこそが秋田県の花輪高校だと思います。
あんなにも土俗的で泥臭いWISH は他に聴いた事がないと思わさせるほど大地にしっかりと根を下ろした
大変個性的な演奏だったと思います。

とにかく聴くだけで希望とかハッピーを感じさせる曲と言うのはすてきな事なのだと思います。

WISH for wind orchestraなのですけど、これはあくまで私の印象なのですけど、この課題曲は、
大学・職場・一般の部で演奏されると比較的サラサラ~っと淡泊に流される傾向があるのですけど
(ヤマハ浜松がその典型的な演奏だと思います・・)
そうした演奏は聴いていて正直面白みがないですし、曲にハッピー感が伝わってこないのはこの課題曲を選んだ意味が
あんまりないような気もします。
だけど不思議な事に中学・高校の部といった年齢層が若く感受性が豊かな世代の皆様がこの課題曲を演奏すると
とたんに生き生きと希望に溢れた演奏が多かったような気もするのも、「希望」に対する感覚というのか受け止め方の
違いなのかもしれないですね。
大人になってしまうと「ま・・こんなものなのか・・」と未来に対してはどちらかというと懐疑的で
現状維持路線をどうしても選択しがちなのかもしれないですけど、若い世代の皆様ですと
「未来はこれから自分達が創造していくもの・・」という感覚があり、こうした希望とか未来に対する感覚・受け止め方の違いが
微妙にWISH for wind orchestraの演奏・解釈にも影響を与えたと言えるのかもしれないですね。

さてさて、ここから先はちょっとした余興です・・・(笑)

上記の記事が「WISH」という希望という事でしたので、このWISH=希望という言葉にイメージがしっくりきそうなイラストを
掲載させて頂き、WISHに花を添えたいなぁ・・と思っていたら、
当ブログのブロとも様にそうしたすてきな絵師様がいらっしゃいました・・! (笑)

そのすてきな絵師様がdream fantasy の管理人さんの
アミグリさんなのですけど、
下記にアミグリさんが描かれた「WISH=希望」という言葉がしっくりくるオリジナルのイラスト2枚を転載&ご紹介を
させて頂き、WISHを締めくくりたいと思います。
本来ですとWISH=希望というと、アミグリさんが描かれた「flower」という素晴らしい名作が一番お似合いなのかもと
感じるのですけど、このflowerは最近もそうでしたけど、過去に何度も何度も転載をさせて頂いておりますので、
今回は別のオリジナル作品を転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。






natuyasumihosi_convert_20130819155328.png






上記の作品はアミグリさんが2013年8月に描かれた「夏休み」とタイトルが付けられたイラストです。

この女の子の「さーて、これから楽しい夏休みが始まるわよぉ―――!!」みたいなウキウキ&ノリノリのご機嫌な様子が
まさに手に取るようにわかる素敵な作品だと思います。

ウインクもピースサインもツインテールもとにかくみんなとっても可愛いです!!

このかわいい女の子の夏休みにこれからどんな楽しい出来事とすてきな出会いが待っているのかという事を
考えただけで、見ているだけで希望とかハッピーに溢れそうなすてきな作品だと思います。

夏休みが始まる時って、本当に楽しいものですよねっ! (笑)






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続きましてアミグリさんが2013年5月に描かれた「ウェディングの女の子」です。

アミグリさんは、東方作品においてもとても可愛くて美しいウェディング作品を描かれていて、
特にウェディングチルノとウェディングうどんげちゃんはまさに「素敵な幻想郷の花嫁さん」なのだと思います。
(初期作品でしたけどウェディング早苗さんも私は大好きですっ!!)

そして東方と負けず劣らずこのオリジナルのウェディングの女の子もとってもすてきだと思います!

なんかこの女の子の「ハッピーな気持ち」がとにかくまっすぐに伝わってくる見ていてとても爽やかで
その幸せ感についついもらい泣きしてしまいそうな素敵な一枚だと思います。

女の子とウェディングドレスとの相性は最高の組合せの一つと思えますし、なんだかんだ言ってもやはりウェディングドレス
というものは女の子にとっては「永遠の憧れの象徴」といえるのだと思いますし、そこには「希望」という言葉が
一番しっくりのかもしれないですね!

アミグリさんのオリジナル作品はこうやって見ている私達に「希望という心の灯り」を灯してくださっているようにも
感じられると思いますし、
こうやって見ている人達をすてきな前向きな気持ちにさせてくれるというのは本当に素晴らしいことだと思います!

さてさて今回のテーマは「希望」でしたけど、皆様におかれましても皆さま一人一人に「希望」があるのだと思うのですけど、
そうした希望という「灯り」を消す事なく、
生きている限りはこうしたすてきな希望の灯りを灯しつづけていく事がいくことが出来れば素晴らしい事ですね!
本日、12月22日は「冬至」です!

そしてこの冬至が過ぎてしまうと、クリスマス~お正月の準備~大晦日とあっという間に一年が駆け足で
過ぎていきそうな気がしてならないですね!

冬至とはどんな日であるのかと言うと、
北半球において太陽の位置が1年で最も低くなる日で、日照時間が最も短くなります。
太陽の位置が1年で最も高くなる夏至と日照時間を比べると、
北海道の根室で約6時間半、東京で約4時間40分もの差があるとの事です。
そうそう、当時なのですけど毎年12月22日が冬至と決まっている訳では無くて、年によっては12月21日が冬至とと言う場合も
多々あります。
そして冬至とは具体的にもっとわかりやすく言うと、冬至とは、一年の中でもっとも日照時間が短い日の事を指します。
感覚的には、一年で最も寒い時期が2月だから一年で最も日照時間が短そうな時期って1~2月というイメージも
ありそうなのですけど、実際は12月というのも子供の頃には意外に感じていたものです。

冬至というと日本人の感覚で言うとかぼちゃを食べるとか柚子湯というイメージもあるのかと思います。

かぼちゃがお菓子としては大好きなんだけど野菜としてはそれほど好きでもない私にとっては冬至と言うと
銭湯や日帰り温泉等でやっている「柚子湯」の方が印象度は強いです。

「冬至にゆず湯に入ると風邪をひかない」という言葉がありますが、冬至にはなぜゆず湯なのでしょうか?
いくつか説があるようですけど、運を呼び込む前に身を清める為という説が定説に近いのかもしれないですね。
昔は強い香りの元には邪気が起こらないと言われており、冬が旬の柚子は香りも強く身を清めるのに最適だったようです。
寿命が長く病気に強い柚子の木にならって、ゆず湯に入り無病息災を祈る風習になったとも言われています。
東方Projectの博麗神社の素敵な巫女さんの霊夢は、一応は神職でもありますので、禊とか清めという意味において
冬至の日に柚子湯に入っているのかもしれないですね・・(笑)

本日も寒かったし、むしろ寒さはこれからが本番なのでしょうけど、
一年で一番昼の時間が短い冬至を通過したという事は、「春」が近づきつつあると言えるのでしょうけど、
実際はこれからが寒さが日に日に厳しくなっていきますし、
特に最近の朝というか、夜明け前の冷え込みは大変厳しいものがありますね。

さてさて、冬至とか夜明けというワードを耳にすると、思い出してしまう吹奏楽オリジナル作品が一つあったりします。
それがホヘアー作曲交響曲第一番「ストーンヘンジ」なのです。
この曲以前は「ストーンヘンジ交響曲」と表記されていましたけど、
ストーンヘンジの作曲以降、交響曲第2~4番が作曲されて、
交響曲第1番「ストーンヘンジ」というタイトルに変更されたという経緯があったりもします。

ホエアーという作曲家は、もう日本の吹奏楽界では忘れられた作曲家になってしまうのかもしれないですね。
この作曲家の曲が吹奏楽コンクールでは、もうほとんど聴かれなくなったのは少し寂しい気持ちもあったりします。
私が中学~高校の頃は、ホヘアーというと、このストーンヘンジ交響曲以外においては、

〇ペレロフォン序曲

〇セレブレーション21⇒1981年の都大会で瑞穂青少年吹奏楽団の超名演があります・・

〇エルシノア城序曲

といった曲が大変記憶に残っています。1970年代の頃ですとエルシノア城序曲は支部大会でもかなり演奏されていたと
思います。

ストーンヘンジ交響曲は、 イギリスの平原の中にあるサークル上の巨石遺跡をテーマにした交響曲なのですけど、
どちらかというと、具体的なイメージに基づく音楽的風景と言うものではなくて、
イメージとか雰囲気に基づいた曲と言えます。
ストーンヘンジ遺跡は、夏至の日の太陽がまっすぐに祭壇石を照らすと言われていますけど、
そうした太古の昔の人達の儀式とかを抽象的に描いた作品とも言えます。

過大評価すれば、吹奏楽版「春の祭典」と言ってもいいのかもしれませんね。
私の感覚としては、ストーンヘンジ交響曲の第三曲の「いけにえ」とストラヴィンスキーの「春の祭典」第Ⅱ部~いけにえは
もちろん作風も表現スタイルも全然異なるのですけど、伝えたい事はどちらの曲も「なんか似ているよね・・」と
感じてしまいます。

このホヘアーの交響曲第1番「ストーンヘンジ」は、以下の三つの楽章から構成されます。

Ⅰ.冬至の日の夜明け

 コンクールのプログラムや文献では、「冬至」と書かれていたり、「夜明け」と表記されていたり、
 「冬至の日の夜明け」と記されていたり、不統一な感じもします。
 私の感覚的には「冬至の日の夜明け」という表題の方が厳格さ・冷たさ・自然と神への畏敬という雰囲気が
 よりイメージされやすいようにも感じます。
 導入部分は、ウインド・マシンが荒涼とした平原を吹きわたる風を表現し、
 断片的 に加わる管楽器や打楽器が神秘的なムードを醸し出しています。
 途中、ややテンポを上 げたところで音楽は大きく盛り上がり、ホルン、そして木管楽器による叫びが聞こえ ます。
 その後、神秘的なムードが再現され、曲は静かに閉じられます。

Ⅱ.招魂

 第一楽章からのアタッカで始まり、打楽器が刻む行進曲風のリズムにホルンの ファンファーレ風のフレーズに
 呼応するようにトロンボーンとユーフォニアムの ユニゾンがテーマを歌いだしていきます。
 その後、少しテンポを上げ、トムトムの刻む リズムに乗って鼓動は高まりますけど、
 やがて速度を落とすと、オーボエがそれまでの雰囲気とは対照的に女神のような慈愛みたいな雰囲気の音楽が
 奏でられていきます。
 全体的には、古代の神や魂を呼び起こす情景を描いた音楽と言えると思います。

Ⅲ.いけにえ

 曲全体を一言で言うと、とにかく打楽器の数が多いだけではなくて打楽器が最初から最後まで大活躍をします。
 躍動感溢れるリズムの歯切れ良さと金管楽器の爆発は、大変迫力があります。
 ミステリアスな部分と金管楽器が咆哮する大変スケールの大きな部分の落差と言うか
 そのダイナミックスレンジの幅がかなり広いのが大変印象的です。
 全体的に躍動感が素晴らしい曲だと思います。
 私の個人的な感覚では、「非常にメカニックな曲」と感じています。
 抒情的な雰囲気はそれほど感じないのですけど、
 迫力と明暗の対比を音楽に求めるならば、これほどうってつけの交響曲はないと思います。
 機械的な精緻な雰囲気が極限にまで拡大しているという印象も感じられたりもします。
 第一楽章と第三楽章のラストで「ウインドマシーン」が登場し、
 曲全体のラストもウインドマシーンによる風の音で静かに閉じられますけど
 この「寂寥感」が何とも言えないと思います。
 

本日のような冬至の日は、第一楽章前半とか第三楽章のラストの静粛さと荘厳さが雰囲気に相応しい感じも
ありそうですね。

この曲は全国大会では一度しか演奏されていませんけど、
この唯一の演奏がとてつもない名演だと思います。
それが1980年の天理高校なのですけど、
この時の天理は、珍しくも完全にあっちの世界にいっちゃっているような感じもあります。
新子先生の天理高校というと大変知的で理性的という印象が強いのですけど、この年に限っては
「狂気」という側面がかなり濃厚に出されていると感じられます。
この年の天理の課題曲D/オーバー・ザ・ギャラクシーが大変理性的に精緻に表現しているのとは対照的に
自由曲のこの「ストーンヘンジ交響曲」は、感情や本能が命ずるままに自由に吹いているという印象が大変強いと思います。
ややヒステリックでクリスタルみたいな音質のトランペットセクションが気になりますが、
全体的には迫力満点の素晴らしい演奏です。
強いて難を言うと、ウィンドマシーンの効果は今一つのように感じるのですけど、後から聞いた話では、
天理はラストの場面ではあえてウインドマシーンを使用せず、楽器の口ではなくて楽器そのものに息を吹きかけて
「風」の音を表現したとの事ですけど、この話は真偽不明でもありますので、何とも言えない話ではあります。
理性的と熱狂がうまくミックスしたとんでもなく素晴らしい演奏だと思います。

全体的には、天理の「圧倒的な演奏技術の高さ」が一つの極限にまで達したようにすら感じられます。
全体を通して、「情緒」というものよりも、何となく「機械的表現」重視という感じもするのですが、
極めて冷静に知的に処理していたと思います。
技術的には一つの完成と言っても過言ではないと思います。
この曲は、前述の通り、吹奏楽版「春の祭典」といってもいい曲なのかもしれませんけど、
いかにも「いけにえの踊り」という感覚をよく表現していたと思います。
課題曲同様、金管の音が少々硬いものの、全体的に精密な設計図を寸分違わず施工しているという感じがします。
クライマックスのすさまじいfffもお見事!!
ラストの静粛も息を秘める緊張感が漲っていたと思います。

この交響曲、木村吉宏指揮/大阪音楽団の演奏で「吹奏楽・交響曲シリーズ」として発売された時は、
本当に私は狂喜乱舞したものです。
こうした知る人ぞ知る埋もれたマイナー名曲シンフォニーをああやって「陽の目」を当ててくれた功績は
かなり大きいと言えると思います。
天理の選曲はどちらかというと、スタンダードで正統派の曲を真正面から正攻法で捉えるパターンが多いと思うのですけど、
そうした天理の歴史の中でも、こういうマイナーなんだけど「埋もれた名作」を取り上げてくれることは
今にして思うと大変貴重だったのではないかと思います。

こうした冬至の日には、天理高校か大阪音楽団の交響曲第1番「ストーンヘンジ」でも聴いて、祖先の魂とか自然への畏敬を
感じてみたいものですね!
F.シュミットの「ディオニソスの祭り」という古典中の古典の名作吹奏楽オリジナル作品の人気は全く色褪せることなく
現在にまで至っていますよね~!
これって実は結構すごい事でして、吹奏楽コンクールの自由曲の人気というのも結構水物というのか飽きっぽい所も多々あり、
前年度にとてつもない人気自由曲となって支部大会や全国大会で複数ものチームが演奏されたとしても、翌年以降は
きれいさっぱり忘れられているという事例もかなりありましたよね~
例えば1980年代後半から90年代初めにあれだけ大ブレイクした田中賢の「メトセラⅡ」なんて、今現在ではほとんど
忘却の彼方の曲にすらなっていると思いますし、一時あれだけ人気のあったR.Wスミスの「海の男たちの歌」とか
メリッロの「アメリカの騎士~選ばれし者」とか天野正道の交響組曲第2番「GR」なども以前に比べるとあまり演奏されなく
なってきましたよね・・

そうした意味においてはこの「ディオニソスの祭り」は凄いと思います。

この曲が初めて全国大会に登場したのは1973年の関西学院大学なのですけど、それ以降2017年時点で
なんと47チームがこの曲を自由曲に選曲して全国大会に出場して演奏されています。
本年度・・2017年においても中学の部で1チームが演奏していましたけど、大体平均して2年に一度程度の割合で
この曲が自由曲として選ばれ続けている事は何を意味するのかと言うと、
時代や指導者が変わっても不変的に愛され続けているし、吹奏楽オリジナル作品としては異例とも感じられるほど
人気が長期に渡って維持されているというのは素晴らしいという事なのだと思います。
上記で書いた通り、一時的に演奏されたとか短期的に人気はあったけどその後はサッパリ・・という吹奏楽オリジナル作品が
山のようにある中で、「人気が衰えないでずっと維持され続けている」この曲はやはり「本物」なのだと思います!

よく偉い音楽評論家の皆様が「吹奏楽オリジナル作品として高く評価できる古典的作品として三つ挙げると、
ホルストの吹奏楽のための第一組曲、シェーンベルクの主題と変奏、そしてシュミットのディオニソスの祭りを推したい」
と書かれている記事を目にする事もあるのですけど、
ホルストとシェーンベルクの曲が全国大会で今後演奏される可能性は極めて低いと予想される中、
ディオニソスの祭りは、単なる「音楽資料的に素晴らしい」とか「歴史的に素晴らしい」という事ではなくて、
昔も今もこうやって実際に現場で演奏され続けている事が凄いと思います!

改めてですけど、「ディオニソスの祭り」は、フランスの作曲家フローラン・シュミットが
1913年にギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団のために作曲した古典中の古典の吹奏楽オリジナル作品です。
こんな20世紀初期の頃に作曲された吹奏楽オリジナル作品が今現在の吹奏楽コンクールでも演奏され続けている事自体、
改めて驚き以外の何物でもないです。

現在の吹奏楽コンクールの高校の部でしたら、55人編成の限られた奏者での演奏となりますけど、
後述しますけど原曲の今現在では使用されないとてつもない特殊楽器が奏でる響きはとてつもなく幻想的であり、
とてつもない大人数の編成で織り成す壮大なスケール感は圧巻で、
吹奏楽オリジナルの最高傑作の一つと今現在でも大変評価を受け続けているのはごく当然だと思います。

「ディオニソス」とは、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神で、
ゼウスの浮気相手セメレーの子がディオニソスですので、
ディオニソスは、ゼウスの正妻ヘラから大変に憎まれていたというのが神話の基本設定です。
どちらかというと酔っ払いの陽気な神様みたいなイメージもあるのかとは思うのですけど、
「ディオニソスの祭り」で描かれているディオニソスは、
エーゲ文明における狂乱と陶酔を象徴する神様というイメージの方が近いような気もします。
(あの曲の陶酔感と狂乱感は少なくとも単なる陽気な酔っぱらいのおじさん・・みたいな感じではないですよね・・)
余談ですけど、私、大学の第二外国語選択がドイツ語だったのですけど、そのドイツ語講義の際に使用された
テキストがギリシア神話でありますけど、ドイツ語というのは大変文法が難解で、習得は大変困難を極める言語の一つだと
思います。
ドイツ語には名詞に男性名詞・女性名詞があったりして、男性名詞と女性名詞によって定冠詞が異なるというのも
面倒な点の一つでしたけど、逆に定冠詞によってその固定名詞が男性なのか女性なのかはある程度分かるのですが、
そのドイツ語講義の際に、とあるポンコツ学生が、ディオニソスは男性名詞という事が分かっているにもかかわらず
「ディオニソスが創造した」というワードを
「ディオニソスが赤ん坊を妊娠した」と誤訳をしてしまい、教官からため息交じりに
「君たちは本当にバカだな・・」と言っていたのが大変印象的でした。今現在の視点で言うと「君たちは本当にバカだな・・」と
いうと「おまえは東方のナズーリンなのかっ!?」とツッコミを入れたい気持ちはあったりもします。

冒頭部分に象徴されるように低音金管楽器に高度な表現力が要求されますし、序盤のユーフォニアムのソロは
奏者にとってはあの音の揺れと高音域をしっとりと表現するのは大変難しいものがあると思います。
全体を通じて木管楽器中心にソリスティックな速いパッセージがたびたび登場しますし、
各パートの入りのタイミングの噛み合わせも難しく、要求される音域の幅広さとあいまって
難曲中の難曲の吹奏楽オリジナル作品として名高い曲と言えると思います。
ラスト近くのあのすさまじい熱狂と陶酔感は何度聴いても飽きることは無いですね!
熱に浮かされたようなあの怒涛のクライマックスはまさに「圧巻!」の一言に尽きると思います。

この「ディオニソスの祭り」ですけど、最大の特徴は、サクソルン属の金管楽器を大量に採用した巨大編成という
事が挙げられると思います。
とりわけ、総勢12名にも及ぶバスおよびコントラバス・サクソルンは圧巻です!
スコアに記載された編成で演奏しようとすると、最低でも約88名もの演奏者が必要となりますし、
オプション楽器を加えると総勢120名すらも超える超・巨大編成となってしまいます!
この曲に使用されているサクソルン属の金管楽器というのは、換言すると金属管のダブルリード楽器であり、
野外演奏を念頭に1850年代に発明されたダブルリード版サクソフォーンと言ったほうがわかりやすいと思います。
だけど、このサクソルン属の金管楽器というのは、コントラバスサリュソフォーンを含めて現在では全く演奏されることも
使用されることも無いある意味「絶滅楽器」でもありますので、
現在この曲を作曲時の作曲者による指定のオリジナル通りに演奏できる団体は存在しておりませんし、
原曲通りに指定された楽器をそのまんま吹くことはほぼ不可能と思われます。
現在の吹奏楽コンクールで吹かれているものは、現在の吹奏楽編成に見合った楽器使用を前提に
アレンジされた楽譜が使用されていることがほとんどです。
1960年代に来日公演&録音をしていたパリギャルド吹奏楽団は、サクソルン属の金管楽器をかなりの部分で使用し、
この曲の原曲の響きに近いものを再現しています。
また1993年の全日本吹奏楽コンクールの東京支部代表の乗泉寺吹奏楽団の自由曲の「ディオニソスの祭り」は、
部分的にサックスセクションがこのサクソルン属の金管楽器に持ち替え、
この曲本来の響きを都大会や全国大会でも高らかに響かせてくれていて、あれは音響的にも視覚的にも
絶大な効果があったと思います!

少しマニアックな話ですけど、このディスオニソスの祭りは、実はシュミットの2作目の吹奏楽作品でして、
1作目の交響詩「セラムリク」は、演奏されることも全く皆無ですし、だれもこの曲を聴いたことはないと思いますし、
私も聴いたことすらあれません・・
 
1980年代初めの頃のBJ(バンドジャーナル)を読み返してみると、かなりの数の先生方や投稿者の皆様が
「1977年の銚子商業のディオニソスの祭りの演奏は、高校の部の飛躍を示唆する演奏」と言われてはいるのですけど、
これはあくまで私の感じ方なのですけど、
「えーー、それって違うじゃん・・高校の部の飛躍を示唆した演奏って、1976年の秋田南のペトルーシュカじゃん!」
とも思ってしまいます。
秋田南のペトルーシュカについてはこのブログでは過去に何度も何度も執拗に書いていますので、ここでは
割愛をさせて頂きますが、あの演奏こそが当時は「充実した中学の部に比べると今一つ」などと
今現在では絶対にあり得ない事を指摘されていた「高校の部」において、
1980年代から現在に至るまでの「高校の部の素晴らしき充実」の一つのきっかけになったのではないのかな
とすら感じています。

結果論になりますが、銚子商業は1980年の全国大会でも再度この「ディオニソスの祭り」を自由曲として演奏していますけど、
銚子商業による二つのこの「ディオニソスの祭り」に関しては1980年の方が断然素晴らしいと思います。
77年の演奏は、確かに上手いのだけど、なんか部分的に消化不良とか迷っているみたいな印象も
受けたりするのですけど、1980年の演奏には、そうした「迷い」は全く無いと思います。
77年の演奏は、難曲をよく音にしているという印象はあるのですけど、聴衆に「何か」は伝えきれていなかったようにも
感じられます。
指揮者の小澤先生としても77年の経験をベースにされて80年に再チャレンジをされて、この時はほぼ完璧に
この難曲を自分達のものとして完成させ、普門館の聴衆に「何か」を間違いなく伝えていたと思います。

あくまで個人的な趣味ですけど、この「ディオニソスの祭り」で、銚子商業以外で大好きな演奏を列記すると、

1.1985年の兵庫県の御影高校

2.1993年の東京の乗泉寺吹奏楽団

3.1982年と1993年と2011年の神奈川大学

4.1988年の天理高校

などがあげられると思います。

1985年の楊先生指揮の御影高校の「すさまじくアクが漲った演奏」は素晴らしかったです!!
当時の私の周辺では「兵庫高校の吉永陽一先生の再来!!」と話題になっていました。
こういうアクの強い演奏は往々にして好き嫌いというか評価は分かれると思いますが、
私はこういう強い攻めの演奏、隅からすみまでコンクールを意識した演奏は決して嫌いではありません。
積極的で自意識過剰の演奏で大好きです。
よく「甲子園には魔物が棲んでいる」とか言われますけど、
同様に音楽にも魔物が住みつく時もあります。
御影高校のアクの強い演奏には、「魔物」が住みついていたと思いますし、
演奏者も、そうした魔的な感覚ももしかして吹いている最中にも感じていたかもしれませんよね。
1993年の乗泉寺吹奏楽団の演奏は上記で書いた通り、今現在では使用されていない筈のサクソルン属の楽器を
サックスセクションが部分的に持ち替えて演奏していたのは、視聴覚的にも大変インパクトがあったと思います。
演奏も指揮者の時任先生の情熱的で熱い指揮が印象的で、両足をかなり大胆に開けたとにかく凄まじい大振りの指揮が
今でも鮮明に記憶に残っています。
演奏自体もとにかく細かい所にまでよく配慮されているだけでなく、感情の高揚感が素晴らしかったです。
神奈川大学は銚子商業での演奏実績をベースによりスケールの大きな演奏をしていて、特に1982年と2011年の
完成度の高さはこの曲の模範的演奏の一つだと思います。
1988年の天理高校は、金管セクションが少し強烈過ぎた印象もあるのですけど、
あのサウンドの透明感と絶対的威圧感は申し分ない演奏だったと思います。

最後に、このブログでは何度か書いている通り、私自身の高校は男子高校で、当時は絶対的で慢性的な
クラリネット奏者不足に泣かされ続けて、毎年一定以上の演奏レヴェルはキープ出来ていたものの、
指導者が不在で毎年生徒の中から指揮者を選出してコンクールに出場し続けていたのですけど、
そうした男子高校時代は残念ながら一度も県大会を突破できず支部大会出場は果たせていなかったのですが、
少子高齢化の波を受ける形で「学校統廃合」という事で周辺の女子高と学校統合を行い、男子校から男女共学校に
なったと同時に、若くて大変有能な吹奏楽顧問の先生が赴任され、
2012年の創部50周年という一つの節目の時に念願の支部大会出場を果たし、結果は銅賞でしたが、
OB一同感涙ものでした・・!
そして、本年度・・2017年にまたまた県大会を突破し、上記で散々書いた「ディオニソスの祭り」でもって支部大会に
二回目の出場を果たし、銀賞を受賞し着実なステップアップを図っているようです!
奏者は現在の吹奏楽事情の通り、8割以上は女の子という事で、必然的にクラリネット奏者不足も解消されていますけど、
男子校時代のOBとしては、嬉しいけど「ちょっと気分は複雑・・」みたいなものもあったりします・・

可能性的に全国大会初出場も決して夢ではないだけに、一人のOBとして母校の吹奏楽部の更なる発展を
心より祈願させて頂きたいと思います!!
最近当ブログでは、行進曲「SLが行く」・軍艦マーチ・星条旗よ永遠なれ!・君が代行進曲とか
「ガールズ&パンツァー」の戦車道行進曲などやたらとマーチに関連した記事を
掲載させて頂いておりますけど、
マーチというと基本はマーチングとか行進の際のBGMというイメージが大変強いと思うのですけど、
そうした「行進すること」を目的としないコンサートマーチとしての素晴らしい行進曲も全日本吹奏楽コンクール課題曲には
たくさん既に登場していると思います。

さてさて、本日ここに取り上げさせて頂く曲は、1990年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Cのマーチ「カタロニアの栄光」です!

そしてこの「カタロニアの栄光」は「歩く行進曲」という感じでは全くなくて、純粋にコンサートマーチとしての課題曲
なのだと思います。
というかこの曲をバックにして歩いたとしたら、たぶんですけど歩いている人はあちこちで転倒したりぶつかったり
足がもつれたりする可能性があるのかもしれないですね・・(汗・・)
この課題曲は既に27年前の課題曲なのですけど、その素晴らしさは決して今現在でも色褪せる事は無いと思います。
一般的にコンクール課題曲と言うものは、その演奏された年が終わってしまうと余程の事が無いと再演されることは
ないと思うのですけど、この曲はその後東京佼成のCDとしても収録されていますし、
「吹楽」というサントリーホールで企画された音楽イベントでもとある中学校がこの曲を演奏されるなど
その「誉れ高い名曲」振りはいまだに健在なのだと思いますし、名課題曲の一つという評価は既に定着していると思います。
そして私自身もこの課題曲は今でも大変大好きです!

間宮芳生は日本のクラシック音楽界の重鎮の作曲家の先生で、世間一般的には
映画「火垂るの墓」の映画音楽も担当されていた事で名高いと思われます。
クラシック音楽作品としては、管弦楽のための二つのタブロー・チェロ協奏曲が代表作と思いますが、
吹奏楽作品として名高いのは、このマーチ「カタロニアの栄光」と1986年の課題曲C/吹奏楽のための序曲と
1994年の課題曲Ⅰ/ ベリーを摘んだらダンスにしようの三つのコンクール課題曲だと思います。
この三曲はもしかしたら、「私の大好き吹奏楽コンクール課題曲ベスト20」に間違いなく三つともランクインすると思います。
特に大好きなのは、「ベリーを摘んだらダンスにしよう」だと思います!

マーチ「カタロニアの栄光」は、スペインの建築家「ガウディ」とその街、カタロニアをモチーフにしたコンサートマーチです。
中間部においてクラリネットを中心とする甲高い響きによる木管セクションによるいかにもスペインらしい異国情緒たっぷりの
スペイン風のメロディーラインが奏でられていくのが大変印象的です。
曲自体は大変鋭いクラリネットセクションの甲高い響きから開始されていきます。
第1主題は木管とトランペットで奏される複雑なメロディーラインなのですけど、この音楽的処理は指揮者も
大変だったと思います。
とてもじゃないけど「マーチ」と簡単に名乗る事を許されない大変複雑な仕掛けが色々と施されているのが大変
印象的です、
中間部は雰囲気が一転し低音の長い保続音の上に朗々と展開されていくのですけど、
民族的なダンスを伴奏するバグパイプを思わせる異国情緒たっぷりの響きが大変素晴らしいです!
曲は再度第1主題に戻り、その後活気あるコーダに入って力強く閉じられていきます。
4分程度の曲ですけど、その音楽的な深さは素晴らしいものがあると思いますし大変中身が充実している曲だと思います。

カタロニアというと今現在は皆様ご存じの通り、カタルーニャ州の独立宣言もあったりしてかなり揉めている
エリアでもあるのですけど、なんとかヨーロッパらしいエレガントな解決方法を望んでおります。
カタルーニャ州はスペイン北東部の地中海岸にあり、交通の要衝として古代から栄えた背景もありますので、
この地に住む住民の皆様は「自分たちはスペイン人と一味も二味も違う」という誇りがあるのかもしれないです。
カタルーニャは独自の歴史・伝統・習慣・言語を持ち、カタルーニャ人としての民族意識を有してもおりますので、そうした気概が
今回の独立運動を引き寄せたと言えるのかもしれないです。

話を再度マーチ「カタロニアの栄光」に戻しますと、
1990年の課題曲は、私個人の見解ですが、1986年と並んで吹奏楽コンクール史上最高の課題曲の当り年という気がします。
課題曲A / ランドスケイプは、N響アワーでもかつてお馴染みだった、池辺晋一郎氏の素晴らしい名作ですし、
課題曲B / 風の黙示録は名取吾郎氏の「遺言」みたいな作品です。
課題曲D / 行進曲「マリーンシティー」も2分半程度の極めて短い曲ながらも、メロディーラインがとても魅力的なマーチです。
A~D全てが名作揃いと言うのは、吹奏楽コンクールの長い歴史の中でも大変珍しいと思います。
(私が高校二年の時の1982年課題曲が史上最低の外れ年と言われたのとはエライ対照的ですね・・汗・・!)

マーチ「カタロニアの栄光」は、上記で書いた通りカタロニア・・つまりカタルーニャ州はスペインの中の一つ能リアなのですけど、
スペインというよりは、何か中央アジアとかアラビア半島の辺境地みたいな香りが感じらます。
曲自体、イスラムの香りのような異国情緒も漂わせているのですが、
遠いはるか昔、ヨーロッパ出身の兵士が、戦争に駆り出され遠い中央アジアの砂漠が延々と続く辺境の地で、
故郷に早く戻りたいと願いながらも、異郷の地で孤軍奮闘しているような香りを感じてしまいます。

この曲が課題曲として演奏されている頃、私自身はとある第二地方銀行の営業担当として従事していましたが、
6月頃、突然支店長に呼び出され、「何だろう、何かヘマしたかな・・」とビクビクしながら行ってみたら
「君、一週間後に山梨に転勤ね。三日で引継ぎし荷物をまとめてすぐ甲府に行ってね。
君は独身で次男だから、特段困る事もないだろう。大丈夫、2年ぐらいしたらすぐに都内店舗に
戻れるはずだからさぁ」と
いきなり人事異動を内示されてしまいました・・(汗・・)
そして一週間後に炎天下の盆地のくそ暑い甲府に飛ばされたのですが、
私自身は山梨とは縁も縁もない人間なので、
「えー、何で自分がよりによって山梨に飛ばされなくちゃいけないんだよぉー」と当時無茶苦茶人事を恨んだものですけど、
同時に、「これも何かの縁だし、この異郷の地で孤軍奮闘して頑張ってみよう」と思ったものでした。
そうした時、この「カタロニアの栄光」を聴くと、縁も縁もない見知らぬ土地で孤軍奮闘している曲のイメージに
私自身の当時の「山梨という異郷の地で頑張ってみるかぁー!」という気持ちが見事にリンクし、
この曲を耳にする度に「この曲は私のシンボル曲」という感覚もあり、余計にこの課題曲に親しみを感じていたものでした。

この課題曲、演奏する方としては結構難しそうですね。
木管の甲高い響きとか不協和音、変拍子に近い拍子感・・・
特にトランペットとクラリネット奏者の方は大変だったと思います。

この曲ですけど、1990年に来日したハンスバーガー指揮/イーストマンウィンドアンサンブルのコンサートの
アンコールで演奏されていましたが、あまりのテンポの速さに驚いたものです。
このマーチはどちらかというと落ち着いた雰囲気でゆったりと響かせた方がこの曲の本質を伝えやすいと思われるのですけど
指揮者による色々な解釈はあるものなのだと改めて感じた演奏でもありました。
※本記事は過去記事の再編集記事です・・

どうしても最近の「米国によるイスラエルのエルサレム首都承認」というニュースに不安と憂慮を感じるものでして
「これが新たな火種にならないといいのだけど・・」とか
「これが結果的に終わりの始まりにならないといいのだけど・・」ときな臭いものを感じたりもします。

最近の世界情勢は、北朝鮮もそうですし相変わらず「紛争」が絶えなくて、きな臭い雰囲気ですよね・・
人間の特性の一つとして、「過去の歴史の教訓」を先祖から子孫まで「記憶」として継承する事は出来ないゆえに
いつまでたっても「過去の愚かな紛争の悲劇」を繰り返してしまうという事は間違いなくあると思います。
もしも「過去の記憶」というものを先祖から子孫にDNAとして継承することが出来るのならば、
過去の悲劇がトラウマとなって「紛争を継続させたり新しく勃発させる事」を多少は防止できるんじゃないのかな・・とも
思ったりもします。
だけど今現在の私たちが出来る事は「記憶のDNAとしての継承」ではなくて、
「過去の歴史から学習する事」だけなんですよね・・

世界各地の「紛争」の原因の一つが「宗教を巡る対立」というのも何かやるせないものもあります。

本来宗教の目的とは「人間のの心の救い」とか「心の拠り所」みたいなものであるはずなのに、
その「宗教」が世界各地の紛争の一つの要因になっているのもとてつもなく皮肉な話でもあります。
宗教は戦争を回避させることはできないというのは、既に歴史の事実が証明しておりますけど、
有史以来の「人類の叡智」を結集して、「世界平和」を実現できる方法は何かないものか・・・・と
ふと考える事もありますね。
そもそも論になってしまいますが、ではどうして「紛争」というものは発生してしまうのか・・・?
こんな問いは、とてもじゃないけど一言で片づけられるべき話じゃありませんし、複数の要因が複雑に
絡み合っているから、決して簡単に勝たれるべき話ではない事は重々承知はしております。
ごく大雑把に言ってしまうと、「異なる価値観」から発生する「相互不信感」みたいなものが紛争の原因の本質
なのではないのかなと感じる事もあります。
それではどうすればいいのか・・?
人類すべてが「聖人君子」みたいな人でしたら、「話し合いで解決」とか「お互いに譲り合うべきところは譲り合いましょう」
というある意味理想論でも片付くと思うのです。
だけど、今、この地球上に住んでいる私たちは残念ながら一人も「聖人君子」は存在していないと思います。
生きていくうえで、国家を運営していくうえで、色々な立場・利害関係の中で様々な意見が出るのはごく当然の話だと
思います。
民主主義の理屈を徹底し詰めていくと、たとえどんな多様な意見があったとしても、国民を代表する「議会」での
健全な話し合いと討論を経て、「一つの決定事項」が出たならは、本来はその決定事項に不服はあったとしても
無条件で従うべきではないのかという意見もあるのかとは思います。
それが「譲り合い」とか「円満解決」ではないのかなとは思ったりもします。
だけど、現実においては、そうした「譲り合い」とか「話し合いで円満解決」という解決方法は所詮は綺麗ごとだと思うのです。
そんなのはまさに「机上の空論」なのです。
それではどうすればいいのでしょう・・?
その答えは無いと思うのですけど、一例をあげると・・・

1.同一民族・同一宗教・同一価値観などのようになにか「一つの御旗」だけでまとめる事ができるような「ブロックエリア」を
  地球上にかなり細かく設定し、
  その「エリア」同士の「絶対的不可侵」だけは遵守するような協定を制定し、
  同じ価値観を共有できる人たちだけで「一つのエリア(国家)」を作る。

2.現況、どの紛争も「絶対的な圧倒的な戦力差」が無いから、戦闘が長引いたり、ゲリラ戦・テロという
  無益な消耗戦に引きずり込まれてしまう・・
  もしもですけど、とてつもなく圧倒的に強い武器等を所有する世界政府みたいな組織があり、
  その世界政府と他のエリア・国家との間には「絶対的な戦力差」があり、
  世界政府が定めた協定案に反する行動を起こした国家は、その世界政府から、懲罰的制裁を
  課される。
  そのために、嫌でも世界政府が定めた方針に逆らう事が出来なくなり、
  「世界政府に反抗しよう」とか「世界政府に戦争を仕掛けよう・・」みたいな発想自体を起こさせないようにする。
(多種多様な意見・政策があるのは理解した上で、協議の上での世界政府が一度定めた方針を
絶対的に遵守させる方法として、上記の2があったりもします・・)

全然関係ない話かもしれませんけど、
私、「ガンダムシリーズ」というのはほとんど興味がありませんし、まともに観た事はありません。
シリーズを通してのいわゆる「アムロ、いきまーす!」の初代が放映されていたのは、私が中学3年頃の話だと
思うのですけど、私・・当時はガンダム自体全く興味のきの字も無かったですね・・・
私的には、アニメや漫画には「美少女」とか「可愛いかわいい女の子」が一杯いっぱい登場しないとつまらん!
というのは実は昔も今もほとんど変わっていないですね・・(汗・・)

ただ唯一引っかかる作品が、確か2006年頃に放映されていた「ガンダム00」なのだと思います。
この作品って結構面白い「テーマ」があり、
紛争の絶えない世界情勢の中で、戦争・内乱など世界中のあらゆる武力紛争に、「ガンダム」という圧倒的な優位性を
持つ武力をちらつかせて介その紛争に積極的に介入していき、
「今すぐそうした紛争を止めないと、このガンダムがあなた達の国家を殲滅させてしまうけど
それでもいいのですか・・?」みたいないわば「恫喝」をかけていき、結果的に紛争根絶を目指していく・・・
確かそんなような話だったと思います。
それはまさしく上記の私の脳内妄想の2に近いような設定でもあります。

しかし、それは「論理的矛盾」を内在する問題であり、結果として、
「世界平和を実現するために、結果として軍事介入という紛争を生み出してしまう」という
自己矛盾を抱えこんでしまうという事になるのだと思います。
(アニメとしては・・・主要キャラの一人、ロックオンが結構好きでしたね・・・最後で壮絶な死を遂げたのが
 何か惜しまれますけど大変印象的でした!)






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だけど、これってある意味一つの「方向性」を示していて、
人間が「恒久的世界平和を実現するための一つの方法」であるような気もします。
要は、何か他を全く寄せ付けない圧倒的な何か(武力・新しいエネルギー源など)をちらつかせることによって
「紛争」を強制的に抑圧していく事なのだと思いますし、
「お前たちが何かよからぬ事を企んでいるのならば、お前たちの国家を全てを破壊する・・・
それが嫌ならば自分達が提示した解決案を全て丸飲みしろ・・・」
という事なのだと思います。

ま、それで本当に「世界平和」なのか・・・という矛盾もありますけど、
一つの組織が「世界各国が束になっても決して勝つことは出来ない強大な武器」をちらつかせることで
表面的には、一旦は全ての紛争を収めてしまうというのも
「真の意味での世界平和に向けての一つの過程」の中ではありなのかなとも思ってしまいます。

だけど何かそういう事はどういう事なのかというと、
右手で握手をしながら背中で隠しながらも左手で拳銃を握りしめているようなものだから、
それが本当に「平和」なのかな?とも思ってしまうのですけど
とにかく一つの組織がリードする形で、たとえ圧倒的な武力をちらつかせる形で
「自分達が提示したこれこれこうした解決方法に基づいて行動しろ」みたいな事であっても
それが「世界の混乱」をひとまず収束させる一つの方法なのかなともふと思ったりもします。
ま、その一つの組織が「善意」に基づいている事が大前提なのですけどね・・・・

ちなみにですけど、上記の「ガンダム00」については、成果としてはほぼ失敗という感じです。
その原因は、主人公たちのガンダムというメカが絶対的な存在ではなくて、ガンダムの製造方法みたいなものが
他国に情報がダダ漏れで、結果としてガンダムという「危険なメカ」が複数の国家に溢れ返ってしまった
というのが大きいと思います。

とにかく人間と言うものは、古今東西「紛争」が絶えない存在です。

本来そうした「紛争」の原因でもある「人間の欲望」に対して「救いの手」を差し伸べるのが「宗教」の
役割のはずなのに、
その「宗教間の相違」が世界各国の諍いの「新しい火種」になっているのは、
「人間の強烈なアンチナーゼ」を感じてしまいますね・・・

エルサレムという聖地は世界的に見ても大変稀有な場所であり、一つのエリアに、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教という
三つの宗教の聖地が集結していることはある意味すごいことなのだと思います。
これって本来は「異教徒同士でも一つのエリアで仲良く融合できる」という事の象徴にもなり得るはずなのですけど、
実際はそうした方向にはならず、それが結果的にこうやって新たな紛争の始まりとその報復という負の連鎖という泥沼に
はまっていくというのもなんだかとても哀しいものがあるのだと思います。

あ・・・、何か話がヘンな方向に流れてしまいました・・・・

「エルサレム」というと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のそれぞれ「聖地」となっていますけど、
そうした各宗教の各始祖の方たちの視点で「現代の混沌」を眺めるとどんな感じなのでしょうか・・?
「なぜあなた達は・・・」
「本来私が後世の人達に託した事とは、全然違う方向に進んでいる」といった「嘆き」なのかもしれないですね。

ここから、やっと本日の「本題」に入ります!!

A.リードの「エルサレム讃歌!」という大変長大でスケールの大きな吹奏楽オリジナル作品を耳にする時、
毎回そうした事をふと思ったりもします。

私が高校生あたりの頃には
既にリードの「アルメニアンダンスパートⅠとパートⅡは定着化された作品であり大変人気の高い作品でした。
当時よく吹奏楽仲間内の噂では
「リードは、実は、アルメニアンダンスパートⅢの構想を練っていて現在作曲中・であり、1980年代中盤には
発表されるのではないか?」という話がよく出回っていましたけど、結局、パートⅢとして発表される事はありませんでした。

結果として「アルメニアンダンス」と同様にアルメニア地方の「讃美歌」をモチーフにした作品が
この「エルサレム讃歌」でしたから、
ま、あながちあの噂は単なるガセネタではなかったようですね。

リードは生粋なアメリカ人ですし、特にアルメニアやエルサレムとの接点は無いはずなのに、
どうしてアルメニアンダンスとかエルサレム讃歌みたいなアルメニアに色濃厚な曲を残したのだろう?と
思ったことがあるのですけど、
アルメニアの音楽学者であるゴミタス・ヴァルタベッドという方が集めたアルメニアの民謡・聖歌を
「このまま歴史に埋没してしまうのは勿体無い・・」と感じた
イリノイ大学でゴミタスの研究をしているハリー・ビージャンという学者・バンド指導者が、
ゴミタスの集めた聖歌や民謡を使った作品をリードに委嘱したことが
これらの名曲が生まれたきっかけになっています。
そしてリードは、民謡を「アルメニアンダンス」で巧みに用い
7世紀頃のアルメニアのローマ教皇管区教会典礼聖歌集からキリストの復活を称えた讃美歌を
この「エルサレム讃歌」で大変効果的に用いています。

「エルサレム讃歌!」は、序奏、主題提示、5つの変奏とフィナーレから構成されています。
序奏は木管の鋭い動きによって開始され、金管が讃歌によるテーマを歌い上げ、
フレーズの終わりにはトランペットによってファンファーレ風の楽句が挿入されています。
提示部では木管アンサンブルでテーマが美しく奏され、2/4拍子、アレグロの第1変奏、
3/4拍子でハープやヴィブラフォンが効果的な第2変奏に続き、
6/8拍子の行進曲風な第3変奏は切れ目なしで第4変奏に入っていきます。
この部分ではクラリネットとフルートによりカデンツァ風に自由に変奏されています。
カノン風な第5変奏を経て
フィナーレではトゥッティでテーマが奏され冒頭のファンファーレも高らかに加わって華々しく閉じられます。

この曲なのですけど、
CDで聴くと絶対に分からないと思うのですが、
全曲ノーカット版の生演奏を聴くと分かるのですけど
「バンダ」という金管別働隊が、ステージ横に待機していて、
特にラスト近くのフィナーレでは、曲の華々しい盛り上がりに大変大きな役割を果たしています。

とにかくスケールの大きい曲ですし、
聴き方によっては
「諍いばかり起こす人間達は何て愚かな存在・・・」という聖地からの「嘆き」も伝わってくるかのような
感じもあります。
個人的にはラストの高揚感と
序奏の金管セクションによるコラール風な和音の重なり方に
ググッ・・・とくるものはあります。

この曲、吹奏楽コンクール全国大会で何度か演奏されていますけど
長大な曲をかなり強引にカットしているためかどれも今一つ決め手に欠くような演奏です。
強いて言うと、1990年の神戸中学校の演奏が大変素晴らしいですね!!
神戸といっても兵庫県の学校ではなくて岐阜県の学校です。
神戸中の、特に序奏の金管の歌わせ方と冒頭のヒステリックな感じは何かとてもゾクゾクさせてくれるものがあります。
他には、都大会銅賞なのですけど
1989年の都立永山高校の演奏も素晴らしかったと思います。
それと決定打ではないけど、1995年の大曲吹奏楽団も、テンポが少しスローすぎる傾向はあるものの
とても劇的な雰囲気をうまく表現していると思います。

リードの「エルサレム讃歌!」を聴くと、なんか気持ちとしては「人間の原罪」というものをついつい考えてしまいますね。
だけどそういう哲学的な事を考えるのにはとっても相応しい内容の曲だと思いますし、
この曲も後世に受け継がれていってほしい名曲の一つだと思います。
最近当ブログにおきましては「軍艦マーチ」といういかにも日本的で、そして今現在は「艦隊これくしょん」の艦娘たちの
BGMとして使ってみたいと感じさせてしまうマーチを記事にさせて頂きましたが、
軍艦マーチは確かに日本的ではあるのですけど、残念ながら「この軍艦マーチはなんだか日本の国歌みたいだね・・」と
お感じになる方はほぼ皆無だと思います・・(汗・・)
「星条旗よ永遠なれ!」が第二のアメリカ国歌と呼ばれるぐらい
アメリカの国民にとっては大変馴染み深い曲でありこの曲を耳にするとアメリカの方は自国の事をとてつもなく「誇り」に
感じるのとはちょっと対照的なのかな・・と思ったりもします。

私は言うまでもなく生粋の日本人なのですけど、「星条旗よ永遠なれ!」を演奏するときはとても気分がよかったですね!
事実この曲は吹奏楽コンクールや定期演奏会の練習が入っていない部内のオフ期においては、部員一同
息抜きと基礎練習を兼ねてよく演奏した曲ですし、学校の体育館等での全体朝礼の入退場行進曲としてもよく吹いていましたし
私が高校2年の時の定期演奏会のアンコール曲として演奏したマーチでもあります。

スーザの行進曲「星条旗よ、永遠なれ!」は前述のとおりアメリカ人にとっては第二の国歌と言われていますけど、
確かにそれは分かるような気がします。
とにかく吹いていて実に気持ちが良いというのかのびやかな気持ちになれたものでした。
このマーチに関しては作曲者のスーザ自身は「この部分は北部を表し、この部分は南部」という風に
アメリカという国家全体をシンボリックに表現したかった曲との事です。
(作曲当時はもしかして、今では考えられないほどの「南北戦争による心の傷跡」というもの
が生々しく残っていたのかもしれないですね・・)
このマーチの聴かせどころの一つに、中盤のトリオが終わってから、少し静かになった所での
ピッコロのソロが入るところだと思います。
演奏会でこのマーチを演奏する場合、大抵ピッコロ奏者は立ち上がって演奏しますので
結構見栄えはいいしピッコロ奏者の腕の見せ所だと思います。
ちなみに私の学校の定期演奏会では、
本来この部分はピッコロソロ→全体での再現という感じで同じメロディーラインが2回ほど続くのですけど、
このピッコロソロに加えて、チューバ奏者がこのピッコロのソロを吹くという荒業という隠し芸をお披露目していて、
実際の演奏会では、
チューバ奏者が立ち上がって必死でピストンを動かし死に物狂いで吹きまくっていたのが会場でも大うけとなり
大変好評でした。
ですのでうちの学校はピッコロ→チューバ→全体での再現という事で同じメロディーを3回連続させたという事になります。
そして慣例では、どの学校も本場アメリカの演奏でも2回目の全体での合奏の際は
全員立ち上がって演奏をする事が多いです。

やっぱりこうしたのびやかで楽しい「星条旗よ永遠なれ!」を演奏したり聴いたりすると
「アメリカの皆様がこの曲を聴くと自国をとてつもなく誇りに感じる」というのはよくわかる気もしますね。

さてさて上記で「星条旗は永遠なれ!」は第二のアメリカ国歌みたいなものと記しましたけど、
いうまでもなく我が国、日本の国歌は「君が代」です。
私もこの国歌は吹奏楽アレンジ版で何度も何度も式典や体育会等のイベントで演奏したものですけど、
全体的な印象はとにかくスローで重厚という感じです。
そして「盛り上がり」をどのように演出するのか意外と難しいという曲であったりもすると思います。

実を言うと日本では残念ながらほとんど知名度は低いと思われるのですけど、日本固有のこの国歌「君が代」のメロディーを
ほぼそっくりそのまま行進曲にしてしまった「君が代行進曲」というのも実は存在していたりもします!

この曲は吹奏楽アレンジ版の楽譜が存在し、自衛隊制定の行進曲として今現在も演奏され続けています。
ちなみにですけど、昭和27年の第24回選抜高等学校野球大会の入場行進曲として演奏もされていたりもします。
私が中学生のころは、この君が代行進曲は時折朝礼の入退場のマーチとして演奏した記憶はありますけど、
高校以降では演奏した記憶はありません。
私の右系の母校の大学ですらこの「君が代行進曲」は演奏したことはないと思います。
というか、平成に入って以降ですけど、このマーチ自体、日本のスクールバンドではほとんど演奏されていないようにも
感じられます。

日本の国歌をメインメロディーとして使っているのにどうして今一つウケが悪いというのか浸透しないのでしょうかね・・?

それはやはり「君が代」のあのゆったりとしたスローで重厚なイメージが定着していて
重厚な君が代のメロディーをテンポよく軽快にマーチとしてノリノリで吹いちゃっているから、やはりこの「ギャップ」に
違和感を感じるのかもしれないですね・・(汗・・!)

この曲の素晴らしいところは、マーチであるのに原曲の国歌「君が代」の雰囲気を崩していないところだと思います。

艦これのBGMとして使用したら、この曲の再評価とか演奏頻度が上がる・・みたいな可能性もあるのかもしれないですね・・(笑)
1970年代終わりから80年代初期の頃の吹奏楽コンクールにおいて、モーツアルト・ベートーヴェンと大体活動時期を同じくし、
「ガヴォット」という大変愛くるしいヴァイオリン曲でクラシック音楽史にその名を残したゴセックという作曲家の
「古典序曲」という吹奏楽曲は吹奏楽コンクールにおいても何度か演奏されていて、広島の基町高校吹奏楽部が
全国大会で自由曲として演奏されていた事も実はあったりもします。
私自身は古典序曲を演奏した事は一度もありませんが、部室内にそのスコアがあり、
クラリネットのパート譜を吹いた記憶があります。
この「古典序曲」は私が知る限りCDの音源を聴いたことがないものでして、私の中では
「聴きたくても聴くことが出来ない幻の吹奏楽曲」の一つのようになっています。
考えてみると、モーツアルトが生きている頃に既に
軍楽隊用ではありますけど、いわゆる「吹奏楽オリジナル曲」の先駆けみたいな曲があったなんて少し驚きです。

このゴセックの門下生の一人がカテルという方であり、
フランス革命直後に創設されたパリ防衛軍軍楽隊の指揮者であったゴセックの下、
カテルは、なんと弱冠17才にして同軍楽隊の副指揮者に就任してます。
パリ防衛軍軍楽隊自体は、18世紀末に解散ということになっていますが、
その源流は、現在も名門パリ警視庁音楽隊に受け継がれています。
カテルがこの軍楽隊在籍中に書き残した曲の一つが、序曲ハ調という曲でありまして、
前述のゴセックの「古典序曲」と共に吹奏楽オリジナル作品の古典中の古典作品として
古典的吹奏楽作品という面では大変重要な位置づけにあるとさえ思われます。

前述のモーツアルト・ゴセック・カテルの活躍時期は18世紀~19世紀前半の頃の話なのですけど、
19世紀中盤においてもクラシック音楽の中でもかなり有名な作曲家の大家の中にもいわゆる吹奏楽オリジナル曲の源流
といえるような曲もいくつか既に作曲されていて、
その代表的な作曲家と曲がF.メンデルスゾーンの「吹奏楽のための序曲」という作品でもあったりします。

メンデルスゾーンと言うと、劇付随音楽「真夏の夜の夢」や交響曲第3番「スコットランド」とか交響曲第4番「イタリア」とか
「メンコン」の略称で親しまれる「ヴァイオリン協奏曲」などで有名な作曲家ですが、
実は吹奏楽のための作品も残していたというのは少し意外な感じもあったりします。
メンデルスゾーンが生きたのは、19世紀前半から中盤なのですけど、
こんな古い時代にもいわゆる「吹奏楽オリジナル作品」も存在していたのは意外でもあるのですけど、前述の通り
実はその時点でゴセック・カテルといった作曲家の存在もいたりします。
そのメンデルスゾーンの吹奏楽オリジナル作品というのが上記で書いた通り「吹奏楽のための序曲」なのですけど、
この曲を作曲した当時のメンデルスゾーンは、わすが15歳との事です!
当時15歳のメンデルスゾーンは、家族一同バルト海沿岸にあるバート・ドベラーンへ避暑旅行した際に
同地の吹奏楽団のため作曲したのが、この「吹奏楽のための序曲の原型であり、ちなみにこの原型の編成は
管楽器のみの11名編成です。
そしてこの原型となった曲のスコアは後日紛失してしまったとの事なのですけど、後年にメンデルスゾーン自身の記憶によって
復元され更に改訂がなされ今現在の形となっています。
その改訂版は23本の管楽器と打楽器のための作品であり、打楽器も、シンバル・大太鼓・小太鼓・トライアングルも
使用されていて、色彩感覚も十分です。
ちなみにクラリネットは6本使用されています。
この当時で打楽器をこれだけ使用している曲は異例とも言えると思います。
23人編成という事で、昔の地方の吹奏楽コンクール県大会で言う所の「C編成」(25人編成)を意識したような
曲と言えるのかもしれないですね。

この「吹奏楽のための序曲」ですけど、その原型が当時15歳の少年が書いたとは思えないほど本格的なものであり、
吹奏楽コンクールの自由曲や定期演奏会等で演奏しても全然遜色ない曲だと思いますし、
特に序奏部分の木管セクションの美しい響きは極めて印象的です。

その2年後に、劇付随音楽「真夏の夜の夢」序曲を17歳時点で作曲している実績を考えると
メンデルスゾーンは、モーツアルトと同様に「神童」だったのかもしれないです。

このメンデルスゾーンの吹奏楽のための序曲は、滅多にありませんけど、たま~に吹奏楽コンクールでも
演奏されることがあったりもします。
全国大会では東邦高校と乗泉寺吹奏楽団が演奏しています。

実を言うと大変恥ずかしい事に、私自身はメンデルスゾーンの「吹奏楽のための序曲」と
同じくメンデルスゾーン作曲の序曲「ルイ・ブラス」を同一曲と勘違いしていた時期があり、
少なくとも20歳あたりまではそのように勘違いしていました・・・(汗・・)
「ルイ・ブラス」の「ブラス」を吹奏楽の金管楽器と勝手に勘違いしていたのが原因であったりもします・・(汗・・)

これは今にして思うととてつもなくこっ恥ずかしい話ですね・・

昔、ネヴィル・マリナーが都響に客演指揮をした際、「オールメンデルスゾーンプログラム」を組み、
前半に、「ルイ・ブラス」とヴァイオリン協奏曲を演奏し、後半に交響曲第三番「スコットランド」を演奏していましたけど、
この時の演奏は、3曲どれもが素晴らしい名演だったと思います。

ここから先は少し余談ですけど、メンデルスゾーンという作曲家はクラシック音楽上は古典派とロマン派の中間的存在
という立ち位置でもあると思うのですけど、
メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」という古典派のような佇まいの曲を吹奏楽コンクールで自由曲として選曲すると
いうある意味大変リスクの高い冒険にチャレンジしただけではなく、大変音楽的表現に優れた素晴らしい演奏を
残してくれたチームも存在しています。
序曲「フィンガルの洞窟」という古典的名曲を吹奏楽にアレンジして演奏すること自体大変勇気がいりますし、
過去においても何度も何度もそうした古典的名曲に無謀にも挑戦し玉砕した事例は数多く知っていますけど、
序曲「フィンガルの洞窟」を自由曲に選んだ1982年の四国代表の観音寺第一高校吹奏楽部のように
大変優れた「隠れた知る人ぞ知る名演」を残してくれたチームも実は過去に存在したりもしています。
観音寺第一は、「クラシック音楽の古典的名曲を吹奏楽にアレンジするだけでなくて、更にそれを現代的感覚で
もって演奏する」という難点を特に違和感なく現代風にしっとりと聴かせてくれたのは大変ポイントが高いと思います。

原曲は、金管にトロンボーン、そして当然ながらユーフォニウムも入らないのですけど、
この両金管楽器とかサックスセクションを加算しても、決して「厚化粧」みたいな響きにならずに
古典的な「控えめでかれんな演奏」をしっとりと聴かせることが出来たのは大変素晴らしい事だと思います。
原曲は打楽器はティンパニのみなのですけど、観音寺第一の吹奏楽アレンジは小太鼓・大太鼓・シンバルも加わていて
それでいて原曲を損なうような響きにはなっておらず、さほど違和感は感じさせず、
むしろ原曲に元々そうした打楽器が入っているかのような雰囲気さえ感じさせてくれました。

これはどこが成功要因なのかな・・?

元々このチーム自体が持つ「控えめな感じ」がプラスに出たとも思えますし、
指揮者のバランス感覚の良さもあるとは思います。
とにかく吹奏楽で、こうした古典的名曲を表現出来る事は吹奏楽の「無限の可能性」みたいなものも
感じさせてくれていたと思います。
特に木管、特に特にクラリネットセクションの「ひそやかさ」は素晴らしい響きでしたし、
ラスト近くのクラリネットだけのうねりみたいな部分も特に際立っていたと思います。

結果は残念ながら銅賞でしたけど、私個人としては銅賞以上の価値がある演奏だと思います。

前年度の1981年に「ダフニスとクロエ」第二組曲を四国大会で演奏し、支部代表に選出されたにも関わらず、
ブートゥリー編曲ではない渡部修明先生編曲版を使用した事が著作権上問題となり
全国大会代表を後日辞退した「鬱憤」を晴らす見事な演奏だったと思います。
ランニングの「シンフォニア・フェスティーヴァ」は1996年の北海道教育大学函館分校を最後に全国大会では
20年近く演奏をされていませんけど、支部大会や県大会では絶えることなく演奏され続けていて、その人気の高さは
根強いものがあると思います。
ランニングと言うと他にも「吹奏楽のためのコラールとカプリチオ」というとってもすてきな吹奏楽オリジナル曲も
ありますけど、こちらは最近ではほとんど演奏されていないのは大変勿体ないものがあると思います。
私が中学生の頃あたりですと「コラールとカプリチオ」というとジョヴァンニーニという作曲家を思い浮かべましたけど、
高校から大学以降はこちらのランニングの方がメジャーだったような感じもします。
どちらにしても「コラールとカプリチオ」はジョヴァンニーニの曲もランニングの曲もどちらも名曲だと思いますし、
両曲共後世まで受け継がれて演奏され続けて欲しい曲の一つだと思います。

「シンフォニア・フェスティーヴァ」が全国大会で初演されたのは、1983年の東海大学第一高校(現.東海大学翔洋)でした。

この演奏を初めてレコードで聴いた時は正直驚きました!
曲のノリノリな感じ、金管楽器、特にソロトランペットのハイトーンの難技の数々に
曲全体を貫くミュージカルみたいな楽しさと躍動感!!
この曲を初めて聴いた時から、一発でこの曲が好きになったものでした。
東海大学第一の積極的な攻める演奏とか思いっきりの良さに大変好感が持てるものだったと思います。
だけどこの東海大学第一の演奏は、今改めて聴くと、テンポが速すぎて曲全体が完全には消化出来ていない感じもします。
曲の最後のトランペットも思いっきり外しているのがかなりもったいなかったですし、
「最後がカッチリと決まらないまま終わってしまった」という印象もあったりします。
東海大学第一の演奏はノーカットの演奏ではなくて、第三曲を部分的にカットしていますけど、全体の印象を損ねることなく
小気味よいテンポ感をキープしたまま走り抜けています。
12分という時間制限の中で、「迷うことなく駆け抜けた・・だけどちょっと荒すぎた・・」という印象もあるのかな・・?とも思えます。
先ほどラストのトランペットが外したと記しましたけど、第一曲と第二曲はほぼノーミスであのとてつもないハイトーンを
ほぼ完璧に決めていると思います。
このシンフォニア・フェスティーヴァの第一曲の冒頭から既にトランペットのソロから開始されているのですけど、
曲の冒頭からソロ楽器から開始されるのは指揮者にとっても奏者にとっても大変なプレッシャーなのですが、
そうした重圧感をほとんど感じさせずにむしろのびのびと楽しみながら第一曲と第二曲はソロトランペットは吹いているのが
大変素晴らしいと思いますし、「お見事!」だと思いますし、あのトランペット奏者の演奏レヴェルは超高校級だったと思います。
それだけに第三曲のラストさえ決まっていれば「歴史的名演」という評価が成り立っていたのかもしれないだけに
やはり音楽というものは「終わりよければすべてよし・・」みたいな側面もあるのかもしれないです。

シンフォニア・フェスティーヴァは、1987年に計4団体が全国で自由曲として取り上げられ瞬間的に注目を集めます。
明徳義塾は音の粗さと強奏ばかりが目立ち、 富山ウィンドは何か理屈っぽくて素直に楽しめないしカットも何か不自然でしたし、
NTT中国と北海道教育大学函館分校は、課題曲が風紋のせいか、第三曲のみ演奏し印象が薄く、
いずれもこの曲の名演の決定打にはなっていないと思います。
吹奏楽コンクールでこの曲の素晴らしい名演はいまだに出現していませんので、今後の素晴らしい演奏を期待したいものです!
そうそう、忘れていましたけど、支部大会の演奏としては、
1988年の東京正人吹奏楽団の霊友会小谷ホールでの予選会の演奏は、実に考え抜かれていて
且つダイナミックな演奏で素晴らしかったです。
特に第一曲のテンポのタメとか第三曲の楽しさはすてきで都大会の演奏を期待していたのですが、
都大会では緊張したのか、消極的なボロボロの演奏だったのが惜しまれます。

この「シンフォニア・フェスティーヴァ」は、三曲から構成されています。

Ⅰ.ファンファーレ

 冒頭からトランペットのソロが大活躍します。
 クライマックスでのドラの鳴りが極めて豪快!!

Ⅱ.アリア

 木管楽器のしっとりとした表情が印象的ですが、その中でもトランペットに
 ゆったりとしたソロの場面も与えられています。

Ⅲ.トッカータ

 ミュージカルみたいなノリの曲です。
 全員で楽しく踊りまくるみたいなイメージの曲で聴いているだけでハッピーな気持ちになれます。
 だけどエンディングのトランペットのハイトーンを決めるのは至難の業だと思いますし、
 あのハイトーンの難しさはスミスの「ダンス・フォラトゥーラ」に匹敵する難しさがあるようにも感じられます。
 ラスト近くの雰囲気はバレエの「全員の踊り」みたいな雰囲気もあるように感じられます。

CDでは、東京佼成の演奏が一番素晴らしいと思うのですけど、これ以外で「これぞ決定的名演!」という演奏が
プロの演奏にも無いのが惜しまれますね・・
吹奏楽経験者の方でマーチを一度も演奏したことは無いという方は多分ですけど皆無に等しいと思います。
そのくらい吹奏楽とマーチは相性がいいというのか切っても切り離せない関係なのだと思います。
世界各国にはいろいろなマーチがあり盛んに演奏されていますけど、その演奏形態はほとんどが吹奏楽であり、
管弦楽がマーチを演奏することはむしろ珍しいようにも感じたりもします。
(ニューヨークフィルとかクリーヴランド管弦楽団によるスーザの「星条旗よ永遠なれ!」は本当に惚れ惚れするほどかっこいいです!!
ニューイヤーコンサートでお馴染みのシュトラウスのラデッキー行進曲も管弦楽のマーチとしては定番中の定番ですね!)

マーチというと上記の星条旗よ永遠なれ!やラデッキー行進曲もそうですけど、吹奏楽版としては例えば
美中の美・国民の象徴・錨をあげて・雷神・ワシントンポスト・士官候補生・ボギー大佐・アメリカンパトロールなどがとても
印象的ですね!
上記で挙げた曲は私も全て演奏した記憶がありますけど、吹奏楽コンクールの課題曲とか自由曲みたいに
窮屈でプレッシャーがかかり胃がギリギリするような感じではなくて
マーチを吹くときだけはとってものびのび生き生きと演奏していたような印象もあります。
(「響け! ユーフォニアム」カテゴリで散々書きましたけど、マーチングといって歩きながら演奏することはちょっと苦手でした・・)

さてさて・・それではマーチというと日本の作曲家において有名なマーチというとどんな作品があるのでしょうか?

日本の吹奏楽事情においては「全日本吹奏楽コンクール」というものが切っても切り離せない関係があり、
日本の吹奏楽がここまで世界的に見ても驚異的なレヴェルの高さを見せているのは、確かに功罪はあるのは
認識はしていますけど、この吹奏楽コンクールの存在が間違いなく、否! 100%吹奏楽コンクールが導き出したというのは
確実にあると思います。
そんな訳で「日本のマーチ」というとどうしても吹奏楽コンクールの課題曲というイメージもあるのかとは思いますし、
事実、吹奏楽コンクールの課題曲としてのマーチには大変優れた作品や名曲も相当多いのですけど、
ここでは吹奏楽コンクールの課題曲をあえて除外して考えると、
例えばですけど、團伊玖磨の祝典行進曲とか新・祝典行進曲、黛敏郎のスポーツ行進曲、山本直純の白銀の栄光、
高校野球でお馴染みの栄冠は君に輝くなどが大変名高いと思います。
あ・・そういえば、すぎやまこういちのドラクエシリーズの序曲のマーチ・ドラゴンクエストマーチ・おてんば姫の行進
な~んていうマーチもありましたね! (笑)

だけど日本のマーチというと一番有名というのか親しみやすいメロディーというのか、
一度ぐらいは耳にしたことがあるマーチというと「軍艦マーチ」なのかもしれないですね!

軍艦マーチですけど、旧日本海軍の「軍艦」をテーマにしたマーチです。
正式名称は軍艦行進曲または行進曲「軍艦」なのですけど、なぜか知りませんけどこの曲は軍艦マーチとして呼ばれることが
多く、今現在ではその呼び方が完全に定着していると思います。
1900年(明治33年)に軍歌として元からあった元ネタとしての曲に瀬戸口藤吉がマーチとしての加筆を行い手を加え、
海軍の公式行進曲として採用されています。
現在も海上自衛隊の公式行進曲として、式典等で演奏されています。
当初は変ロ長調として作曲されましたけど、その後ト長調に編曲され、さらに大正時代末期にはヘ長調へと改訂され
現在に至っています。

採用当初は題名に沿って、軍艦の進水・出港式などで用いられていましたけど、
戦時中になると戦意高揚のためにラジオなどで盛んに流されるようになり、
終戦直後はGHQの指導もあり多くの軍歌が封印または演奏禁止になっているのに、どういう訳か分かりませんけど
なぜか軍艦マーチだけはGHQから指導を受けなかったため、そのまんまずっと演奏され続けていたという経緯もあったりします。
私はパチンコ等のギャンブルは一切やらないもので、パチンコ店に行ったことは無いのですけど、
昭和の頃はパチンコ屋さんの前を通るとよくこの軍艦マーチがBGMとして流れていて、
そのため私のような昭和世代ですと、軍艦マーチ=パチンコ屋というイメージを持っている人も多いのかも
しれないですね・・(汗・・)
メロディー自体が大変明るくノリの良い曲のため、そのあたりがパチンコ屋さんのBGMとして重宝された理由なのかも
しれないですね。
そうしたパチンコ屋さんのBGM音楽として定着した事でこの曲は日本ではすっかりなじみ深いマーチとなっていったのだと
思います。
現天皇陛下の婚儀を祝った曲でもある團伊玖磨の「祝典行進曲」の知名度が正直今一つである事を考えると、
やはりパチンコ屋の宣伝効果は凄いものがあるのだと改めて実感させられたものでもあります・・(汗・・)
だけど最近では、この軍艦マーチをBGMとして店内で流すことはかなり激減しているそうです・・・

この軍艦マーチですけど、私が中学生の頃部室内にフルスコアがあったのですけど、その総譜の注意書きには、
私のあやふやな記憶ですけど、
「トリオの変奏は、絶対にコルネットが吹く必要がある。コルネットを所有していない吹奏楽団がごまかしながら
この曲を吹くなんてとんでもない話である」みたいな何かとてつもない上から目線みたいな事が
書かれていましたけど、今現在ならばともかく、昭和の頃の田舎の中学校の吹奏楽部にトランペットとコルネットを
使い分けている学校なんてある訳ないじゃん!とツッコミを入れたい気分でもあります・・(汗・・)

この軍艦マーチはタイトルからしていかにも右の方が喜びそうで左の方が眉をしかめそうな感じてもあるのですけど(汗・・)
右系としても名高かった黛敏郎が司会者を務めた「題名のない音楽会」にて、三島由紀夫がゲストとして呼ばれ
読響を三島由紀夫が指揮された曲こそが、この「軍艦マーチ」でした!
うーーむ、これはいかにも右系の黛さんと三島由紀夫が選曲しそうな曲なのかもしれないですね・・(汗・・)

私の出身大学はどちらかというと右系の学校でして
(私は法学部でしたけど、憲法の講座を担当されていた5人の教授のうち4人は「いますぐ憲法第9条改正! そして日本は
ただちに再軍備をしろ!」という先生という事に示唆される通り、かなりの右寄りだったと思います。
今現在はどうか分かりませんけど・・)
当時在籍していた吹奏楽団もそうした影響があったのかどうかは定かではないのですけど、大学の公式の式典の行進曲とか
東都リーグの野球の応援ではよくこの「軍艦マーチ」を演奏していたものでした。
そしてなぜか知りませんけど、高校の頃はあれだけ吹いていた「星条旗よ永遠なれ!」はアメリカの曲と言うせいなのか
ほとんど演奏していなかったのは、右系の学校の雰囲気というのも多少はあったもしれないですし、
右と左が当時はいまだに小競り合いをキャンパス内で時折やっていた
昭和の頃の学生紛争の名残という奴なのかもしれないですね・・(汗・・)

最後に・・この軍艦マーチなのですけど今だったら「艦隊これくしょん」のゲームのBGMとして使用した方が
ぴったりと言えると思います!
例えば、武蔵・伊勢・長門といった戦艦の艦娘が用いたとしたら「はまりすぎてかえって怖いくらい・・」と思われるのかも
しれないですね・・
「序奏とアレグロ」というとクラシック音楽に造詣が深い方ですと「あー、ラヴェルの作品ね・・」と思われる方も多いのかとは
思いますが、私のように吹奏楽コンクールが大好きという人間の観点では
「序奏とアレグロ」と言うとやはり誰が何と言っても、木下牧子が作曲した1982年全日本吹奏楽コンクールの課題曲Bです。
余談ですけど、私が「序奏とアレグロ」とPCで入力するとなぜか「女装とアレグロ」という表示になってしまいます・・汗・・!
この年の課題曲はコンクール史上稀にみる「課題曲不作の年」と酷評を受けた年なのですけど
唯一この課題曲B/序奏とアレグロは
後世にしっかりと受け継がれるべき作品の一つだと思いますし、素晴らしい曲だと思います。
当時東北大会で審査委員の一人を務められた音楽評論家の上野晃先生は、プロに対してもアマチュアに対しても
かなりの激辛評・激辛コメントを炸裂させる事でも有名な先生でもあるのですけど、そうした激辛先生の上野先生が
1982年のあの不評極まりないあの四曲の課題曲の中で唯一評価をされていた曲こそが木下牧子の「序奏とアレグロ」
なのですけど、上野先生が吹奏楽コンクールの課題曲を評価される事自体珍しい部類に入ると思いますので、
やはり音楽のプロも認めざるを得ない素晴らしい内容の課題曲だったのだと思います。
ついでに書くと、1982年の東北大会における全国大会への代表校は秋田南・仁賀保・仙台第一の三校でしたけど、
上野先生が花輪高校のウォルトン作曲/交響曲第一番終楽章をきちんと的確に評価されていたばかりでなくて、
「この日のプログラムの白眉」と絶賛されていたのは、私も大変嬉しいですし、
「やっぱ、分かる人にはあの演奏の真価はちゃんと伝わっているもんだね・・!」と感じたものでした。

長い歴史を誇る「全日本吹奏楽コンクール」ですけど、
その課題曲の中で一つの転換点になった作品が、1979年の課題曲B/プレリュードだったと思いますが、
プレリュードの「無調的・メロディーの非存在・無機質」といった要素を受け継ぎ更に進化させたのが
この木下牧子の「序奏とアレグロ」だったような気もします。

この課題曲の総譜を見た際はドン引きしたものです・・!
小節ごとに拍子が異なるし、変拍子ばっかりだし、♯や♭の臨時記号ばっかりだし、
クラリネットは、8分音符と16分音符の指使いが大変なものぱかりですし、
何より、「この曲のどこにメロディーがあるというねん・・!」と思わず関西弁で突っ込みを入れたくなる程の無調的要素!!
総譜とクラリネットのパート譜を見た瞬間に、
「うちの学校では演奏不可能・・」との結論に達し、
私の高校は課題曲は無難にC/アイヌの輪舞という事になってしまいましたけど、
この時の私自身の内心の心境は複雑なものがあったと思います。
当時は私自身吹奏楽部部長を務め、先輩たちが前年度と前々年度において「県大会金賞」という評価を頂き、
「これはもしかして・・? 東北大会出場の可能性があるのかも・・!?」と私自身もOBはじめ周囲の皆様も感じられていて、
部長としては「正直このプレッシャーはきついよなぁ・・」とも感じていましたし、
「うちの学校のレヴェルではまだまだこんな難解な序奏とアレグロは演奏できない・・」というやむを得ない事情で
序奏とアレグロを外したという経緯がありましたけど、あくまで私個人としては「序奏とアレグロ」のあの無機質的スピード感に
すっかり惚れ込んでしまっていて「奏者としてはこの課題曲に挑戦してみたいね・・」と感じてもいましたので、
「どうすれば地区予選と県大会を突破できるか」を考えた場合、奏者の負担軽減という事を
考慮した場合、序奏とアレグロを課題曲として選ぶことは無理がある事を踏まえて泣く泣く課題曲をアイヌの輪舞にせざるを
得なかったという事もありますので、当時の私の心境としては内心せつないものがあったのかもしれないです。

「序奏とアレグロ」の作曲者の木下牧子は、管弦楽・吹奏楽・歌曲など色々なジャンルで現在も活躍中で
イメージとしては、「合唱作品の大家」という感じがあります。
近年では、歌劇の分野でも大活躍中なのですね。
1982年当時、女性指揮者とか女性作曲家というのが現在に比べると少なかったような感じもあるのですが、
当時、BJに掲載された木下牧子さんの顔写真を見ては
「へー、こんな美人さんがこんな難解な曲を作っているんだ・・・!!」と吹奏楽部員の間でも結構話題になっていたものです。

この「序奏とアレグロ」という課題曲は、文字通り「序奏」と「アレグロ」の二つの部分から成り立っています。
序奏もいきなりミュートを付けたトランペットの長いソロから開始され、かなりやっかいなのですけど、
アレグロの部分もかなり厄介です!
この曲の魅力は何といっても「無調的スピード感」に尽きると思います。
何のメロディーもない無機質な曲想を快速に吹っ飛ばす面白さがそこにはあるのだと思います。
だから、この課題曲のアレグロ部分は変に解釈とか速度の調整なんかしないで
終始一貫して同じ速度で快速に同時に淡々と演奏するのがこの曲を解釈する上では一番大切だったような気がします。
序奏でトランペットのソロから開始させミステリアスさを演出し、アレグロに入るととにかく淡々と無表情に無機質に
淡々と曲が進展していくあの無機質的スピード感は、こうした無機質的課題曲にほとんど馴染みがなかった
当時の現役奏者と指揮者の皆様を相当悩ませたと思うのですけど、今現在聴いてもあの「無機質な透明感のあるアレグロ」は
素晴らしいと思いますし、私としては名作課題曲の一つと思っています。

県大会・支部大会・全国大会で様々な団体がこの課題曲Bに挑んで失敗したケースを聴いたものですけど、
失敗の要因は、冒頭のトランペットのソロミスとか序奏とアレグロの対称性の演出の失敗とかアレグロに入っての
サウンドのもたつき振りとかサウンドの濁りなど色々とあったと思いますけど、一番大きいものは、やはり何と言っても
指揮者がこの難解な課題曲をどう解釈すればいいのか結局わからないまま練習を繰り返し、本番になっても
そうした「何がわからないのかもわからない・・」みたいな聴いていても何にも伝わってこないという面倒な部分だったのかなとも
今更ながら思ったりもします。
アレグロに入って打楽器のトムトムが結構活躍するのですけど、トムトムの打点の響きと管楽器の響きがしっくり響かず、
全体的にとろ~んとした演奏がかなり散見されていたような感じもあります。
この「序奏とアレグロ」を全国大会で見事に演奏した例としては、
秋田/仁賀保 愛知/名古屋電気 神奈川大学 長野/柳町中 長野/屋代高校
兵庫/尼崎西 乗泉寺吹奏楽団などのチームが
アレグロの無調的快速感を見事に表現していたと思います。
この課題曲は、音色に透明感が無いチームとか打楽器(特にトムトム)に切れがないと
全く音楽に躍動感が出てこないだけに本当に厄介な課題曲だったと思います。

やはりこの課題曲の名演は、仁賀保高校のあの透明感溢れるサウンドの爽快さとスピード感に尽きるのかもしれないですね!

冒頭から既に他チームとは全然「別次元」の演奏だったと思います。
この不協和音のてんこ盛りで変拍子が全体を支配する難しい課題曲を聴いていて「難しい!」と全く感じさせない
自然なドライヴだったと思いますし、あの「透明なサウンド」が「素晴らしい」以外の言葉が出てきませんね!!この「透明感」は、
いくら褒めても褒め足りないほどの見事なものがありました。
アレグロに入ってからも、一点の濁りも迷いもなく突き進んでいたと思います。
そして何よりもその「スピード感」は全部門を通して最高の演奏だったと思います。

但し、個人的には仁賀保高校の演奏は課題曲も自由曲も普門館での全国大会の演奏よりは東北大会の方が
圧倒的によかったと思います。
全国大会は、出演順が早かったせいもあると思いますし初出場の緊張感もあったと思いますが
課題曲B/序奏とアレグロの冒頭のトランペットがまさかのミスがあったり、
自由曲でもクラリネットが曲のあちこちでリードミスをし、音楽的緊張感を損ねています。

音楽は生き物であり、コンクールというライヴ演奏に「予想外の事態」は付き物ですのでそれは仕方ないと思います。

埼玉~群馬方面の方でないとあまりピンと来ないのかもしれないですけど、この時期は「秩父夜祭」の真っ最中でも
あります。
秩父というと埼玉でもちょっと特殊というのか浦和・大宮という埼玉県の中心部の視点で見てみると
「あまりにも遠すぎるし交通の便が悪いからあまり馴染みがない観光地」という感じなのかもしれないです。
秩父に行くには、西武線を使うしか手がないし、車で行くとしたら国道299号線をひたすらまっすぐ行って正丸峠を超えて
飯能から一時間~一時間半程度掛かりますし、浦和から車で行った場合は2~3時間程度は覚悟したほうがいいかも
しれないです。
秩父というと地理的には山梨県に近く、埼玉県の中では「限りなく僻地」という感じなのかもしれないです・・(汗・・)

だけどそうした中、「秩父夜祭」は「何もないない何も名物もない」の埼玉県にあっては数少ない由緒正しきお祭りの一つであり、
歴史的価値も大変高く、日本のみならず世界各地からこの大変盛り上がり華やかなお祭りを見ようと観光客が
押し寄せるお祭りなのだと思います。
私も一度だけこの秩父夜祭を見たことがありますけど、とにかく壮観で圧巻で幻想的な光景だったと思います!
祭礼当日は絢爛豪華な2台の笠鉾と4台の屋台が曳行されます。
クライマックスは3日の夜で、最大20tもある屋台・笠鉾をお旅所への急な団子坂を引き上げる様子は大迫力だと
思います。

だけどこのお祭りの欠点はとにかく帰る際の国道299号線の半端ない凄まじい渋滞なのだと思います!
普段ですと秩父駅前から飯能駅前って車で一時間前後ぐらい掛かるのですけど、秩父夜祭の日は
3時間以上は覚悟したほうがいいと思います。

秩父夜祭は、ユネスコ無形文化遺産に登録されている埼玉県秩父市にある秩父神社の例祭であり、
12月2日が宵宮、12月3日が大祭であり、提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、
冬の花火大会はテレビ映像でもおなじみの方も多いのかもしれないです。
秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられるそうですけど、
埼玉県に在住している私の視点からは
「へー、そーなのかー」とまるで東方のルーミアみたいな感想になってしまいますね・・(笑)
「秩父夜祭は確かに名高いけど京都の祇園祭と並ぶ三大祭にカウントされているだけでなんか恐れ多い・・
京都にかえって申し訳ない感じ」というのもあるのかもしれないですね・・(汗・・)
だって普段の秩父なんて「埼玉の中心部から見るとあまりにも遠すぎる僻地」以外の何物でもないのですけど、
そうした遠隔地の神聖なるお祭りだからこそ価値が高いといえるのかもしれないと思います。

秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられているそうです。
金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれるほど豪華絢爛で、
国の重要有形民俗文化財に指定されているとのことです。

先ほどルーミアの名前が出てきましたけど、同じく東方キャラの博霊神社のすてきな巫女さんの霊夢の視点から
こうした秩父神社の秩父夜祭を眺めてみると
「お賽銭が一杯集まりそうだし、お守り等のグッズがたくさん売れそう・・! こりゃ一儲けだぁーー!!」という感覚なのかも
しれないですね・・・(笑)

あ・・今は吹奏楽カテゴリの話で行進曲「SLが行く」の話でしたね・・

話が例によって最初からそれまくりでした・・(汗)

このブログでも何度か書いたことがあると思いますが
私自身、1988年~2001年は金融関係 2001年以降は木造住宅メーカー等の住宅・建築関係の仕事に関係しているのですけど
2004年~2005年の頃の話ですけど、私の顧客が秩父で親と同居用の「セカンドハウス」を建てる事になり
その建築計画に営業担当として最初から建物完成、そして入居までその全てに関わる仕事を担当していたこともあります。
当時、私は所沢の「総合住宅展示場」にて営業担当として勤務していましたけど、所沢から秩父はとにかく遠かったですね!
車で片道2時間半程度は掛かったと思います。
仕事上、秩父から所沢に戻る際、既に真っ暗になっている事も多く、
その際に、「何かが出る・・・」と噂が非常に強かった「正丸峠」のトンネル内を通過する際は
私自身実はかなりビビりながら通行したものです・・(汗・・)

そのお客様のセカンドハウスの施工場所は、秩父鉄道の線路沿いでして、
確か単線だったと思いますし、電車によっては「一両編成」みたいなものもあったような記憶があります。
単線を一両編成の電車が通過するだけで何とも言えないのどかな雰囲気を感じていたものでした。

そのお客様が無事に地鎮祭を迎えられ、私自身も設計担当・工事監督と共に地縄立会い→地鎮祭に参加し、
神主さんが「かしこみ、かしこみ・・・・」などと祝詞を唱えられていると

なんと・・・・!

目の前の線路で昔ながらの蒸気機関車・・・、そう! 「SL」が煙をもくもくと立てて目の前を通過していきました!!

正直、あの時はとても驚きましたし、まさかSLをこんなに間近で見られるなんて夢にも思わなかったですし、
既に「過去の遺産」と思っていた蒸気機関車、SLをあんな間近で見られた事はとてつもない幸運だったと思いますし、
あの時は何か妙にテンションがあがって、
何か地鎮祭どころではありませんでしたね・・・・(汗・・)
私自身、SLが実際に煙を吐き出しながらお客さんを乗せて通行している光景は後にも先にも今のところ
秩父のあの地鎮祭以外は体験したことがないです。
それだけに大変貴重な経験だったと思いますし忘れがたい地鎮祭になりました!

後で聞いた話では、
「パレオエクスプレス」は秩父鉄道が1988年3月より運行しているSL列車で、
秩父地方で発見された海獣「パレオパラドキシア」の化石にちなんで、この名前が付けられたとの事です。
土・休日や春休み・夏休みの時期を中心に、熊谷駅から奥秩父の三峰口駅までの間を1往復し、
C58型蒸気機関車が12系客車4両を牽引していたとの事で、私が地鎮祭の際に目撃したSLは、まさにそれだったのでした!!

大宮から仙台まで新幹線で行くと1時間20分を切る「スピードの時代」の中にあっても
こうした「のんびりとゆったりとしたSLの旅」というのも何かすてきなものを感じます。
見ていても、あの轟音と煙は、何か「郷愁」みたいなものを感じてしまいますね・・・・





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かつて、全日本吹奏楽コンクール課題曲でも「SL」をテーマにしたすてきな曲がありましたね・・

そう、それが2001年度課題曲Ⅳ/行進曲「SLが行く」なのですけど、
この年は課題曲Ⅰ/栄光を讃えて に人気が集中してしまい、
どちらかというと「小編成」での演奏を意識して作られたこの課題曲が全国大会で演奏される回数は
かなり少なかったのは何か勿体ない感じはありました。
この年の課題曲Ⅲ/あの丘を越えては、スコアを見た限りでも演奏を聴いた限りでも
かなり難しい要素はあったと思います。
マーチであそこまで高度な技術を求められるのは少し珍しいかもしれないです。
だけど対照的にこの課題曲Ⅳ/SLが行くは
技術的にも平易だし、シンプルな構成だし、何よりもその「分かり易さ」が実に素晴らしかったですね。
演奏時間も確か2分半程度のかなり短めだったのもジュニア向きを意識したのかもしれないです。

この課題曲、何が素晴らしいかと言うと、そののどかな雰囲気・・・・

あののどかな雰囲気は、まさに私が見た「地鎮祭での秩父でのSL」そのものでした。

この課題曲を聴くと、なぜかいまだにあの時の秩父での地鎮祭ののどかな光景を思い出し
何かいまだに「くすっ」となってしまいます。

そうそう、この課題曲、
打楽器はティンパニは使用せず、小太鼓・大太鼓・シンバル・グロッケンのみの非常にシンブルな構成でしたね。
この課題曲は、
浜松交響吹奏楽団のテンポ設定を比較的遅めに設定した「優雅なおとなっぽい雰囲気」と
磐城高校のテンポ設定を速めに取り、若さ溢れる躍動感をイメージさせた
二つの対照的な演奏スタイルがとても強く印象に残っています。

何かこの曲の事を書くと
「あー、たまには秩父にでも行きたいな・・・」と思ったりもするのですけど
秩父は同じ埼玉でも別世界・・・・
冬は積雪が大変だし寒いし、やはりあの「遠さ」がネックなのかもしれないですね・・

1984年と言うと、私が親元を離れて初めて一人暮らしを始めた年でもあり、
やっと東北の田舎を脱出し実家を離れる事が出来て、その開放感(?)に浸りきった年でもあり、
個人的には大変記憶に鮮明に残っている年でもあります。
あの頃の日本は、いかにも「古き良き時代」という感じでしたし、世間の雰囲気が「まっ、いっか・・」みたいなおおらかな空気が
まだまだ支配的でどこかのんびりとした雰囲気だったような印象があります。
今現在のような閉塞感とか常にピリピリと殺伐としているような空気では無かったと思います。
当時は今みたいに人間関係が無味乾燥という感じではありませんでしたし、
携帯もLINEもメールもパソコンも何にも無いない時代でしたし、
他人とのコミュニケーションは基本的には「直接会話」以外あんまり方法がなかったし、
何て言うのかな・・・まだ日本人らしい(?)「恥の文化」とか「奥ゆかしさ」とか
「そんなに言語明瞭にはっきり言わなくてもいいじゃん! そんなの行間を読み取ってよ・・・」みたいな空気があったと思いますし、
少なくとも今現在よりは「生きやすい時代」だったような記憶があります。
むしろそうした時代に実家を離れて一人暮らしをスタートしたというのは、むしろ恵まれていたような感じもありました。

当時の私は、埼玉県大宮市(現、さいたま市大宮区)のぼろアパート【4畳半+3畳 風呂無し・トイレ共同 家賃2.2万円】に
居住していましたけど、あの頃ってお金は全然無い典型的な貧乏学生でしたし、
仕送り+毎月のバイト代で大体毎月8万程度で全てをやりくりしていたのですけど
(家賃→2.2万 光熱費→8千円未満 通信費→携帯はあの頃は存在していないし、固定電話は無いから0円
 銭湯代→4000円前後 吹奏楽団の部費・楽器消耗品・部の飲み代→1万円前後
 食費→3万未満 本→5000円ぐらい・・・)
別にお金が無くてもそれはそれでいいじゃん!、日々こうやって何とか生きていっているし、
学校は毎日通って、週に何度かは都内の吹奏楽団の練習に参加し、バイトもし、
お金が無くてレコードも聴けないけど、そういう時は・・上野の東京文化会館5階の音楽資料室で
丸一日レコードを借りまくってひたすら「音楽漬」みたいな事もしているし、
他に何か望む事ってある・・・・??

なんかそういう楽観的な雰囲気が私の中に内在していたような感じがあったものでした。

当時はいわゆる「バブルの発生」の前の時代でしたし、まだ就職とか社会人生活なんてまだまだ先の話と
思っていましたし、
日本全体がどことなくまだ何か「牧歌的な雰囲気」が漂っていたのがそうした私自身の「楽観さ」に繋がっていたのかも
しれないです。
今振り返ってみると、この時代の日本は、「バブルの絶頂・日本経済の絶好調→バブルの崩壊・失われた10年」の
直前のお話という訳でして、なんとなくですけど私としては「滅亡前の微かな幸せの時代」という感じだったのかもしれないです。

冒頭から話が全然ヘンな方向にそれてしまいました・・(汗)

1984年と言うと、都内の大学に滑り込み大学の吹奏楽団に入団し、
無事にコンクールメンバーのオーディションを通過し、初めて大学の部として吹奏楽コンクールに
臨んだ年でもあります。
結果論なのですけど、うちの学校は1983年に都大会にも出場していて、かつては全国大会にも出場していた実績は
あったもので、私としても「この4年間で一度ぐらいは普門館で開催される都大会には出場できるのかな・・?」と淡い期待を
抱いていましたけど、現実とは残酷なものでして私が在籍していた4年間は全て都大会予選で散ってしまい、
都大会本選に出場できず、結果的に普門館のステージに立つことは出来ませんでした・・(泣・・)

1984年の吹奏楽コンクール課題曲は、かなり粒が揃っていてかなり充実していたと思います。
前年の1983年の課題曲も、カドリーユとかインヴェンション第一番とか白鳳狂詩曲などとこちらもかなり名作揃いでしたが、
一つ難を言うと、Dのマーチが「キューピットのマーチ」と言う吹奏楽コンクールの中でも
「歴史的な不人気作品」・「典型的なスカ作品」と酷評され、事実、吹奏楽コンクールでもこの課題曲を選曲するチームは
ほぼ皆無でした。
そうした中、1984年の課題曲は、AからDまで4曲全てが大変充実していたと思います。

課題曲4曲が全て充実しているなんて実は珍しい事なのかもしれません。
大抵一つぐらい不人気作品がある傾向にあるのですけど、どの課題曲を選んでも遜色ないという感じでしたし、
1984年の全国大会・大学の部の金賞受賞の4チームの課題曲は、それぞれA~Dと分散していたのは、
その課題曲の人気が平均して優れていたという事なのだと思います。
1986年も1990年の課題曲はA~Dの4曲とも大変内容が優れていたと思います。

Aの「変容-断章」は、現代的なメカニックな響きの中にも「和」の雰囲気を漂わせていたと思いますし、
Bの「土俗的舞曲」は、うちの学校のコンクール課題曲でもありましたし、
結果的にこの曲は後日、作曲者自身によって
「オーケストラのための民舞組曲」の第一楽章として管弦楽化もされていましたし、
Cの「シンフォニエッタ」は、まさに急-緩-急の三楽章からなるミニシンフォニーみたいに大変中身が濃い優れた作品でしたし、
Dの「マーチ・オーバス・ワン」も短い曲ながらも大変親しみやすく、平易な技術で書かれている割には
「充実感」さえ感じさせる堂々とした響きというのが大変印象的でした。

マーチ・「オーパス・ワン」の際立った特徴として一つ指摘したいのは、
この曲以前のコンクール課題曲のマーチは、ほぼ例外なく出だしから最後まで終始テンポが一定に保たれている
パターンが多かったと思いますが、この課題曲の場合、
冒頭のトランペットによる「ゆったりとしたテンポから開始されるファンファーレ的部分」とその後に展開されるマーチの
部分を明白に分離されている事は大変興味深いものはあります。
そうしたファンファーレとマーチを区分している曲として
このオーバス・ワン以降、例えば1985年の「シンフォニックファンファーレとマーチ」とか2001年の「栄光を讃えて」などが
あると思いますけど
今にして思うとそうした曲の先駆者的な役割も担っていたような気もします。

冒頭のゆったりとしたファンファーレに続いて軽快なマーチの部分に展開されていくのですけど
このマーチのメロディーが本当に可愛らしいくてキュートでしたし、同時に大変「流麗」みたいな勢いもありましたし、
スコアを見る限りではそれほど難しい個所も無く、
指揮者にとっても奏者にとっても吹き易くて演奏するのが大変楽しい本当に素敵な作品だったと思います。
シロフォーン奏者だけは・・「こんな速いパッセージ難しい・・」と言っていたのは印象的でした。
私達の学校の課題曲はBを選曲していましたけど、
気分転換の曲としてたまーに、この「オーバス・ワン」も演奏しましたけど、クラリネットパートとしても
難しい指使いとか過度な高音は皆無でしたし、大変伸び伸びと吹ける曲だったと思います。
中間部のトリオのメロディーラインが大変美しい・・・!!
あの部分ではクラリネットが低音でメロディーを奏でているのですけど、吹くだけでうっとりしそうですね。
そしてこの美しいトリオに比較的唐突な印象で金管が入り込み
そこから一気にラストまで駆け上っていくのですけど、あの追い込み方も
なんか「聴かせるツボ」を分かっているみたいな感じでして、「さすが!!」というものでした。

演奏時間は3分程度の短い曲なのですけど、内容的にはかなり充実していますし、
スコア上の「平易さ」が少しも「手抜き」とは感じさせず、
むしろ、「シンプル イズ ベスト」を立証しているようにも感じられます。

この課題曲Dは、全国大会でも結構演奏されていて、この年の高校の部でも確か11チーム演奏していました。
そして意外な事に、関東代表の市立川口・習志野・野庭といった実績のある学校がこの課題曲を選んでいたのは
少し意外な感じもしたのですけど、
その分自由曲にエネルギーと練習時間を廻せるという天では作戦勝ちだったのかもしれません。

さてさて、このマーチ「オーパス・ワン」なのですけど、実はこの曲の作曲者は、
1979年のあのウルトラ超難解現代作品の「プレリュード」(1979年 課題曲B)を作曲された浦田健次郎と同一人物です!
正直、最初にこの話を聞いた時は・・
「え・・、うそでしょ・・・!? あの難解なプレリュードを作曲した人がこんな平易で親しみやすい曲も書けるなんて!」と
当時一部で話題にもなっていました。

あの「プレリュード」の世界を聞いてしまった後にこの「オーバス・ワン」を聴くと確かに同一人物による曲とは思えないですね。

ちなみに、1979年課題曲B/プレリュードは特徴は大きく分けて二つあります。
一つは、小節ごとに拍子がコロコロと変わりまくるすさまじい変拍子の連続で、
そして二つ目はこれは最大の特徴とも言えるのですけど、曲の冒頭はティンパニの完全ソロから開始されます。
「プレリュード」はティンパニだけのソロで、この間は他の楽器は一つの音も入りません。
冒頭から約1分近く、ティンパニのソロ(しかも他の楽器なしの完全ソロ!)という
おそらく課題曲としては私が知る限りにおいて、唯一の快挙を成し遂げています。

さてさて、このティンパニのソロですけど、
38秒までが「手で」、それから52秒までが普通のマレット(バチ)、それ以降は木琴などのバチの柄の部分、
という3種類の演奏法により、音色の変化も出すようにスコア上で指示が出されています。
曲の最後にも「手で」演奏するティンパニのソロが入ります。

そんな感じのシリアスな作品でした!

さ浦田健次郎氏は、翌年ヤマハ浜松から委嘱を受けた
シンフォニックバンドのための「Ode」というこれまた素晴らしい作品を私達に提示してくれるのですけど、
あの作品も前半の「静」と後半の「動」の対比が鮮やかで、特に打楽器セクションの迫力と管楽器のうねりが
大変素晴らしかったです!!
クラリネットという楽器は、約9年間この楽器を吹いていた私から言わさせて頂くと「神経質で扱いにくいデリケートな楽器」だと
言えると思います。
ま、デリケートというと「オーボエ」ほどではないと思うのですけど、それでもクラリネットの扱いにくさは、現役奏者当時は
何度も「こいつ、しばいたろか・・」と関西弁でツッコミを入れたくもなったものです・・(汗・・)

そしてその中でも一番頭が痛かったのは「リードミス」のあのキ―ッというこの世のものとは思えない楽器の操作ミスによる
絶叫音ですね・・
あれ、練習中ならば周りも「またか・・」という雰囲気で見てくれるのですけど、万一あのリードミスをコンサートや
吹奏楽コンクールの本番でやらかしてしまった時の周りからの「冷たい視線」はかなり堪えるものがあると
いえそうですね・・(汗・・)

「リードミス」っていう言葉は考えてみるとあまり適切でないのかもしれないです。
クラリネットの演奏中のあの甲高い「キー――ッ!!」というミスった音は色々原因があり
別に「リード」だけが原因ではないと思われます。

ま、勿論リードの調整の悪さと言うのが大きな理由かもしれませんけど、他に主な原因はどこにあるかというと、思いつくのは

1.アンブシュアの問題(唇の締め方・マウスピースをくわえる深さなど)

2.マウスピースとリードの調整が悪い、バランスが悪い

3.運指の問題

  運指の切り替え時に、穴をふさぎ切れていない時や
  下あごの力加減の切り替えや息の入れ方の切り替えタイミングが合わなかった時に
  よく発生します・・・・

4.タンギングのタイミングが悪い

5.楽器自体の調整不良

 例/タンポが腐っているなど・・・・

私、楽器はクラリネットを9年間、アルトサックスを1年間吹いていましたけど、思い起こしてみると、
アルトサックス奏者の時って「リードミス」ってほとんど記憶にないですね。
だけどクラリネット奏者時代は、リードミスは日常茶飯事的な現象であり、
特にコンクールやコンサートの時などは「練習じゃなくて本番だから、絶対にリードミスだけは
起こしたくない・・・」と半分ビクビクしていましたしあのプレッシャーは相当なものがあったと思います。

クラリネットの経験がある方は覚えがある方は多いと思うのですけど
クラリネットのキーーッというあのリードミスは、低音時よりは高音を吹いている際に発生していることが
多い為、いやでも目立ってしまいますよね・・
吹奏楽コンクール全国大会でも、結構クラリネットの「リードミス」は古今東西色々と発生していますけど
特に印象に残っているのは、
1982年の尼崎西高校の「スペイン奇想曲」の第四曲のクラリネット奏者による単独カデンツァの
すさまじいリードミスかな・・・
あれは当時うちの部内のクラリネット奏者間でも大変話題になっていました。
(1983年のうちの高校の定期演奏会の曲目の一つがその「スペイン奇想曲」であり、あのソロを一部担当した私も
とにかくあの重圧は相当なものがあったと思います・・汗・・!)

「クラリネット」という楽器は「オーボエ」と同様に神経質でデリケートで扱いにくい楽器の一つだと思います。
特に「リード」の調整は本当に日々苦労させられたものです。

本当は、市販のリードをそのまんま使用するのが一番理想だと思うのです。

だけど、マウスピースとの相性や自分自身のアンブシュアに合わせるとやはり市販のものを少し調整した方が
より音が出易いとかいい音が出るという事も多いため、ついつい「余計な事」をしたくなってしまいます。
その「余計な事」とはすなわち「リードを削って調整する事」ということです。

リードを削る場合、一番良い方法って何なのでしょう・・?
これはケースバイケースだと思いますし人によってやり方は異なりますので「これが正解!」というのはないと思いますね。
私の場合、中学から高校あたりまでは「トグサ」を使用していました。
都内の大学に入って以降は
「そんなトグサみたいな田舎のやり方をしているんじゃねーよ、トグサじゃなくてサウンドペーパーを使え!!」とか言われて
紙やすりを使用していましたけど感覚的にはトグサの方がやりやすかった印象がありますね。





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そもそも「トグサ」って何でしょうか?

北半球の温帯に広く分布する植物でスギナ(つくし)の親戚で、日本では中部地方より北の山間などに自生しています。
地中には地下茎があり、そこから地上に向けて茎を直立させます。
茎は濃い緑色で表面がザラザラしてかたく中空です。
表面のザラザラを活かして、煮込んで乾燥させた物を薄板などに貼り付け、
ツゲ櫛などの木工品を磨くヤスリとして利用されるのだそうです。
天然素材の紙やすりとも言えるのかもしれませんよね。

私の場合、わざと硬いリードを使用し、吹いている時に
「あれれ、何か少し高音が出しにくいというか、音に抵抗感があり引っかかりがあるな・・・」という感覚で吹いた方が
何となくきれいな音が出やすいみたいな感覚がありました。
だから当時、よくバンドレンの4~4.5の硬いリードを購入しそれをトグサや紙やすりで調整するのが
日常のお仕事でもあり「息抜き」だったような感じもありますね。

クラリネット奏者の中には、全体練習中に指揮者から「下手くそ!!」などと個人攻撃をされ、
むくれて練習場から憤然と席を立ち隣の楽器置場で「リード削り」をやって時間稼ぎ&自分を鎮めて落ちつかせ
ある程度冷静さを取り戻してから再び練習場に戻ってくるというパターンも結構多かったような記憶もありますね。
クラリネットはそうした「逃げ道」があったのかもしれません。

中にはそのまんま半日以上ずーーーっと無言でリード削りに精を出し、挙句の果てには
そのまんま家に帰った奏者もいたりはしましたけどね・・(汗・・)
だけどそれはどちらかというとクラリネット奏者ではなくてオーボエ奏者の方にそうした傾向が強かったような印象も
あったりします・・・






リード





改めてですけど、クラリネットの先端部分はマウスピースから構成されていますけど、このマウスピースは
リガチャーによってリードは固定されていて、リガチャーの締め具合によっても微妙に音色は変化するものですし、
やっぱり、クラリネットは本当に神経質で扱いにくい楽器ですよね・・! (汗・・)

下の部分にコルクが見えますけど
そのコルクにワセリンといって滑りを良くするワックスみたいなものを付けてバレル(俵管)と接続するのですけど、
クラリネットの場合、音程(ピッチ)を合わせる場合、勿論アンブシュア等微妙に変化させていく必要があるのですけど
どうしても合わない場合は、
バレルとマウスピースの間を少し間を取るというか「抜く」という事もあったりします・・・

そうした微妙な調整は結構面倒でしたけどね・・・












クラリネットという楽器は上記のように5つのパーツから構成されています。

オーケストラの演奏会で、トロンボーン奏者がスライドからツバを抜いている姿が目撃されますけど
どうしても管楽器の場合、楽器に唾が溜まってしまい、これを放置しておくと音外し・音の濁りの原因にもなったりしますので
ああやって演奏会の本番でも唾を抜くことは仕方が無い事なのです。

クラリネットはそういう訳にはいきませんよね。

唾を抜くためにマウスピースを一旦外してしまうと
ピッチ(音程)が狂ってしまい、再度チューニングをやり直す必要がありますし、
本番中にまさかマウスピースを外す訳にもいきませんからね・・
クラリネットの場合、ツバのほとんどは楽器の一番下のベルから、別に何もしなくしてもポタポタと垂れていきますから
演奏中に唾を抜く必要が無いのはありがたいことでもありました。

クラリネットの場合、練習が終わると、楽器のメンテナンスを少しはするものですけど、
タンポにティッシュを挟み水分を吸収したり分解した各パーツに対して、
「スワブ」という重しが先端についた紐が付いている厚めのハンカチみたいなもので楽器の内部の管のツバを吹いたりします。
これを怠ったりすると管の中に湿気が発生したり楽器不調を招いたりしますのでこれはサボってはいけないです・・(汗・・)

たまーにですけど、ポンコツ奏者が、楽器の中にこのスワブを詰まらせてしまい
抜くに抜けなくなり困っている姿を何度か見た事があります。
クラリネットの内部の管内をよーく覗いてみるとレジスター・テューブが突き出ています。
非常に強い力で引っ張ったり棒のようなもので突き戻そうとすると、このテューブを痛めてしまいますので、
そういう時は楽器屋に持て行かざるを得ないのですけど大抵修理代・メンテナンス代に5000円程度掛ってしまい、
これをやってしまうと、部内の会計担当が
「たたでさえ予算が無いのに・・・これはおめーのチョンボなんだからてめーで自己負担しろ!」
「えー、だって仕方ないじゃん! そのくらい部費で面倒見てよ・・!」みたいなバトルが起きていましたね・・・・(汗・・)
「サンライズ・マーチ」というと、若い世代の皆様ですと2005年の課題曲を連想され、
私のようにオールド世代ですと、1982年の課題曲を連想するのではないのかなと思ったりもします。
そして中間の世代は1997年の課題曲Ⅰ / ライジング・サン を連想するのかもしれないですね。

厳密に言うと
2005年の課題曲は「サンライズマーチ」
1982年の課題曲は「サンライズ・マーチ」というのが正式タイトルです。

1982年の「サンライズ・マーチ」は、私が高校二年の時の吹奏楽コンクールの課題曲Dです。
余談ですけど、吹奏楽関係者において20世紀生まれと21世紀生まれを見分ける方法の一つとして、
「課題曲をA~Eと呼ぶ方は20世紀生まれの方、課題曲をⅠ~Ⅴと呼ぶ方は21世紀生まれ」というのは
「吹奏楽あるあるネタ」としては鉄板のようですね・・(笑)
ちなみにですけど、課題曲にAとかⅠとか表記自体無い時代に吹奏楽コンクールを経験された皆様は多分御年60以上の
皆様なのかな・・?と思われます・・(汗・・)

1982年当時私達の高校は課題曲にC/アイヌの輪舞を選曲したのですけど、
(私としては出来れば課題曲B/序奏とアレグロは吹いてみたかったですね・・)
同じ課題曲と自由曲ばかり吹いていると結構飽きたりもするもので、そんな時に
よく気分転換の曲としてこの「サンライズ・マーチ」は吹いたものでした。
技術的にも特に難しい部分も無く吹いていても実に楽しくハッピーになれる曲だったと思います。
冒頭のファンファーレ・展開部・トリオ・再現部・エンディングとその構成はまさに吹奏楽コンクールのマーチという感じで、
典型的にわかりやすい吹奏楽コンクールのマーチだったと思います。
激辛講評で有名な音楽評論家の上野晃先生はこのサンライズマーチに関しては「並の普及品」と結構さり気なく
酷評していたのは上野先生らしい話でしたね・・

だけど・・・・

このサンライズマーチですけど、シンバル奏者にとってはかなりプレッシャーがかかる曲だったかもしれないです。

冒頭がいきなりシンバルのffで「バシャ―ン!!」という一撃から開始されるのですから
シンバル奏者にとっては大変神経を使う曲だったと思いますし相当緊張する課題曲だったと思います。
実際、地区予選とか県大会とかで下手くそなチームがこの課題曲Dを選曲し
シンバル奏者がミスったり、しょぼい音を出したり、スカッと空振りに近い音を出したこともありましたし、
ジャーン!!という豪快な音ではなくて「ぼしゃーん」というへんちくりんな音を出したりと
当時は色々と珍演が続出していましたね・・・・(汗・・)

擁護する訳ではないけど、コンクール課題曲で、ソロで開始される曲とか
非常に音が薄く書かれた部分から開始される曲とか弱奏で開始される曲というのはかなり難しいと思いますし、
指揮者にとっても奏者にとっても「やりにくい・・」という感じなのだと思います。
強奏の出だしの場合、正直誰か一人ぐらいミスっても全然ごまかすことは可能なのですけど
ソロとか音が薄いと誤魔化す事自体が至難の業という課題曲もあったと思います。
その意味では、例えば1992年の課題曲A/ネレイデスとか1992年の課題曲B/フューチュリズムとか
1981年の課題曲A イリュージョンとか 1983年の課題曲C/カドリーユとか1988年の課題曲A/深層の祭りとか
1996年の課題曲Ⅰ/管楽器のためのソナタとか2000年の課題曲Ⅲ/胎動の時代の冒頭は
かなり指揮者泣かせでもありましたし奏者泣かせの課題曲の一つだったと思います。

1982年の課題曲D/サンライズマーチは演奏するチームによって表現は全然異なっていたと思います。
例えば亜細亜大学のように豪快で押して押して押しまくる「前進あるのみ!!」の演奏も大変印象深かったですし、
就実高校のように金管ではなくて木管主体の演奏として表現したチームもありましたし、
福岡工大付属高校のように「正統派マーチ路線」みたいなスタイルもありました。

どの演奏もすてきなな「サンライズ・マーチ」でしたけど
就実高校みたいに「爽やかで清楚なサンライズマーチ」も全く別の意味での「新しい可能性」を感じさせる演奏であり
私は今でもこの演奏は大好きですね!
ちなみにですけど、就実高校の村松先生は練習時に、トリオの部分をより奏者にイメージさせるために
「青く光る空~ 輝く太陽」などみたいに歌詞を付けて奏者たちに歌わせていたというすてきなエピソードも
残されています。
ここ数年は「全日本吹奏楽コンクール」の支部大会・全国大会はライヴ演奏としては全然聴いていません・・(泣・・)

支部大会と全国大会の開催は通常土日開催で、土日祝日が出勤シフトの私にとっては、
吹奏楽コンクールを聴きに行くために有給休暇申請するのがなんか面倒くさいというのもありますし、
私にとって「吹奏楽コンクールの聖地」というと「普門館」というのが定着していて、同時に現役奏者の頃は
「支部大会または全国大会のステージにおいて普門館で演奏する」というのが私の夢でもありましたし、
野球部の皆様が甲子園に憧れるのと全く同じように私にとっては憧れの地でもありましたけど、
その普門館が耐震上の理由からホール使用が不可能になってしまって以降は
「東京都大会や全国大会が普門館で開催されない吹奏楽コンクールは私にとっては吹奏楽コンクールじゃない・・」
みたいな妙な思い入れもあったりしますし、
何よりも最近は出不精とか一日だけで30チーム程度の課題曲と自由曲を延々と聴き続けるという体力はあるけど
その気力と音楽的緊張感と感性を一日キープし続けられる自信があまりないということで
ここ数年ほどは「吹奏楽コンクールを聴きに行く」ということから遠ざかってはいます・・

そうですね・・私が(独身の頃のように)管弦楽団のコンサートを聴きに行ったり吹奏楽コンクールを聴きに行ったりするのは、
私自身が定年退職を迎えてある程度の「自由な時間」を持てるようになって以降の
「将来のお楽しみ」ということにさせて頂きたいと思います・・(笑)
生きる上で一つや二つぐらい「将来の楽しみ」が無いと張り合いも生き甲斐もありませんから、そうした楽しみを自分自身で
持てているという事は私にとっては大変すてきな事のように感じられます。

だけどそうは言っても、年に一度ぐらいは「吹奏楽コンクール」を地区予選・県大会クラスの演奏を聴いておかないと
現在の吹奏楽コンクールのレヴェルというものを肌で実感できないという事もありますので、
毎年埼玉県吹奏楽コンクールと地区大会と県大会は聴くようにしております。
私自身が夏休みの時期に開催されることが多く、しかも私の自宅から歩いて行ける距離に会場がありますので、
大変ありがたいものがあります。
県大会ですと、埼玉栄・伊奈学園総合・春日部共栄・松伏・与野等の全国大会に出場実績のある強豪チームの演奏も
聴けますし、それほど上手くないチームの演奏も聴けますし、
「あと一歩頑張ればもしかして将来的に西関東大会に出場できるのかも・・?」みたいな将来の有望校候補の演奏も
聴けますし、とにかくこうしたヴァラエティーに富んだ演奏を楽しむことができるのは
やはり嬉しいものはありますね!
以前ですと、全出場チームが演奏する多様な自由曲については「知らない曲は一つもない!」と豪語出来ていたのですけど、
最近というか・・ここ数年の吹奏楽邦人オリジナル曲については
「聴いたことがない・・知らない・・」という曲ばかりになってしまい、
さすがに私自身も「いつの間にか私も吹奏楽に関しても時代遅れになってしまったのかも・・!?」とぼやいております・・(汗・・)

さてさて、そうした現在の吹奏楽コンクールり県大会・地区予選の演奏を聴いて感じることは、当たり前の話ですけど、
「自分たちの頃とは比べ物にならないほど演奏技術も表現力の幅も高くなっていて、
今現在の奏者の皆様のレヴェルはとてつもなく高いものがあるし全く文句のつけようがないところまで進化していて凄い・・!
同時に現在の奏者の皆様が使用されている楽器の価格の高さ・性能の素晴らしさは、
1970年代終わり~80年代終わりにかけて私が現役奏者だった頃とは全然違う!」というものでした!

私が中学~高校のころって一学年14クラスとか高校受験の競争率が1.8倍程度というのは普通の事でしたし、
生徒数が多いという事で、学校自体一つの部に対してそれほど予算が回らないので、
吹奏楽部が使用する楽器っておんぼろの使い古し楽器という感じでしたけど、
最近の少子高齢化とか学校の統廃合という事情においては、生徒数も少ないから一つの部に対する予算も回しやすいし、
吹奏楽部としても高価な楽器を以前よりは購入しやすいみたいな事情がもしかしたらあるのかもしれないですね。

そんな訳で私が現役奏者の頃の普通の公立学校が使用している吹奏楽部の楽器は、今現在の視点で見てみると
「ちょっとこれは相当ひどいね・・」という感じのものが結構多かったように感じられますね・・
例えばですけど、貧乏公立学校の吹奏楽部で特に実績とか無い学校においては、
クラリネットの材質が木ではなくてプラスチックであったりとか、
ファゴット・オーボエ・コントラバスクラ・コントラファゴット・コントラバス等の特段高価な楽器が元々吹奏楽部に存在しないとか
チューバがロータリー式ではなくて昔ながらのピストン式であったりとか
色々とあったとは思います。
そしてその中でも特に印象的だったのは、ホルンという金管楽器を所有せずその代用品としてホルンより価格が安い
メロフォンという楽器を使用したり、ティンパニがペダル式ではなくて銅製ケトル製の手締め式ティンパニであったりとか
ひどい場合は、手締め式でも銅製ケトルすらも購入できずいかにも安っぽいプラスチック製の手締め式ティンパニを
使っていたチームも当時は結構あったと思います。
酷い場合ですと、チューバすらも所有していなくて代用品としてチューバよりもはるかに金額が安いマーチング用の
スーザフォンを使用している事例もあったものでした。
吹奏楽部の部員が極端に少ない場合は、フルート奏者が突然ステージ最後列の打楽器セクションに移動し大太鼓を叩くとか、
上記で出てきたメロフォン奏者がトランペットと一人二役で持ち替えをしたり、
そういった苦肉の策みたいな事例もあったりしたものでした。













ちなみに上記が「メロフォン」なのですけど、
普通の「ホルン」が、ロータリー式のバルブを左手で操作するのに対して
メロフォンは、トランペットみたいな「ピストン」を右手で操作するのが最大の違いだと思います。
右手操作という事でメロフォンは構えるとベルがホルンとは逆向きになります。
メロフォンはピストンを右手で操作できるのと軽量なことから、
ホルンを始めて間もない小中学生の負担を軽くするために重宝されたと思われます。
価格もホルンより安いので、学校の備品としてもありがたられたのかもしれないですね。
メロフォンの音色はフレンチホルンに比べてやや明るくあっさりとした感じで、
吹奏楽・マーチングバンドでもっぱら演奏されるポップスやマーチに向いているのかな・・?みたいな印象もありますね・・
反面、ホルン特有の重厚な響きはないので管弦楽曲には向かず、
プロアマ問わずオーケストラで使用されることは100%無いと思います。

それと上記で書いた通り右手使用という事でマーチングの際には大変重宝された楽器だったような印象もあります。

メロフォンとホルン更なる違いとして違いは、バルブを操作しない方の手の使い方にありまして、
ホルンの場合、右手はベルの中に深く入れ音程や音色の調節に使います。
楽器も手を深く入れた状態で正しい音程が取れるように設計されています。
一方メロフォンの場合、左手はベルの中に入れず、ベルのふちを持ち、
楽器もベルに手を入れない状態で正しい音程が取れるように設計されているのがホルンとの違いなのだと思います。

だけど1980年以降、このメロフォンは段々見かけなくなりましたね・・・
吹奏楽コンクールにおいては、ホルンだけを使用し、メロフォンを使用するチームもほとんど見かけなくなり、
メロフォン自体が既に「絶滅楽器」の様相を呈しているような気もします。
使用されている数少ない例としてはマーチング程度だけだと思われます。





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現在のティンパニ奏者が使用するティンパニは、足元のペダルで音域を調整するペダル式が主流と言うのかほぼ全てであり、
手締め式ティンパニを使用している吹奏楽団や管弦楽団は今現在ではほぼ無いと思いますし、
手締め式ティンバニも吹奏楽コンクールで目にする事は最近ではほぼ無いですね。
事実、最近私が聴いた埼玉県大会や地区予選でも打楽器セクションで手締め式ティンパニを使っているチームはゼロでした。

ちなみにですけど、上が手締め式で下がペダル式のティンパニです。

手締め式ティンパニーを吹奏楽コンクールの全国大会で見たのは、
1984年の学業院中学校と1987年の安芸中学校が最後だったのかな・・?
(これに関しては全然自信がないですし、断言はできないと思います・・)

1970年代の終盤頃までは、 ティンパニについては手締め式が主流で、
ペダル式ティンパニを揃えている学校にお目にかかると 「わー、すっげー、金持ち学校・・!!」なんて
羨望の眼差しで見ていたものです。
手締め式の場合、 ティンパニ奏者はチューニングは大変そうでしたね・・
吹奏楽コンクールの場合、課題曲と自由曲がありますので、課題曲と自由曲では使用する音程が違っていましたから
課題曲終了と同時に、手でネジみたいなものを廻して音程を変更していましたから奏者は大変だったと思います。
私が中学の頃でしたけど、課題曲と自由曲を合わせると12分という制限時間スレスレという年の場合、
課題曲が終わって自由曲に入る時間を少しでも短縮するために
ティンパニー奏者に対して 指揮者の先生が
「課題曲が終わった後、この台はネジを何回回せばこの音程になるという事を全ての台において体に覚え込ませておけ!」
といった無茶振りをされていたのが 何か妙に印象に残っています。

私自身、高校に入学以降も学校が県立の田舎の貧乏学校のため、
ティンパニは3台しかなく、2台が手締め式、1台がかろうじてヤマハの一番安いカスタムシリーズでしたが、
大抵ティンパニーは4台一組のため、一台足りず、
毎年毎年他校に頭を下げて余っているティンパニを借りたものです。
その都度吹奏楽部の顧問に「借用書」を書いて貰ったのですけど、 その顧問は音符すら一つも読めない先生だったものでして
(私の高校の母校は音楽の先生がいないせいもあり毎年部員の中から指揮者を選出していました・・)
毎回毎回判で押したように 「チンパニーをお借りします」という文面になっていて
借用書を提出するのがなんか恥ずかしかったのですけどね・・・ (汗・・)

でも手締め式が主流の1960年代のティンパニー奏者の苦労は大変なものがあったと思われます。
非常に古い話ですが、 1960年代に島根・川本高校が
全国大会で自由曲にコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」を選び、
(この組曲のⅣの「合戦とナポレオンの敗北」の場面で、ティンパニーは微妙に音程をスライドさせる
 場面があるから、手締め式ティンパニ使用の場合はある程度の台数は必要だと思われます)
ティンパニーを8台使用したらしいのです。
だけど後日のBJの講評では
「この曲でティンパニーを8台も使用する必要は絶対に無く無駄である」と手厳しくコメントされていましたけど、
手締め式の奏者の苦労を考えると、 何もそんなにむきになって批評しなくてもいいのになんて
思ってしまいますね・・(汗・・!)

時代が進展し、手締め式ティンパニーと言ったとしても現役の若い奏者の皆様は多分全然ピンとこないでしょうね。
ティンパニの扱い方も時代と共に進歩し、 例えば西村朗は、ティンパニー協奏曲を作曲した際に
奏者にバチ代わりにマラカスを持たせて、
マラカスと音とティンパニーの音を両方同時に出させる演出なんかもしています。
あ、だけどこの奏法は
1984年の課題曲A「変容-断章」でも池上敏が使用していましたね・・・

最近の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は、マーチもマーチ以外の書下ろし曲も、内容的にも技術的にも
大変高度なものになり、そのレヴェルの向上には目を見張るものがあると思います。
聴いていて「この曲、聴くのも嫌だ・・・」というのが少なくなっているのは大変素晴らしいですね!
私が高校生の時の課題曲の一つであった1982年課題曲A「吹奏楽のためのカプリチオ」は、本当に
歴代課題曲の中でも確実にワースト3に入れる駄作だと思います! (汗・・)
何であんな何の中身もない曲が公募として選ばれたの今でも不思議で仕方ないです・・

あくまで私個人の感想ですけど、86年/嗚呼! 89年/風と炎の踊り 91年/斜影の遺跡
94年/雲のコラージュ 96年/般若 96年/交響的譚詩 00年/をどり唄は苦手の部類に入ります・・(汗)
特に94年のあの伝説の異常に課題曲の演奏時間が長かった年においては、かなりのチームが「雲のコラージュ」を
課題曲に選んでいてあの課題曲を聴く事は私にとっては苦痛でした・・
(福岡工大付属・札幌白石・浜松交響などのように上手なチームが演奏すると全然苦痛に聴こえないのは不思議です・・)
そしてその最たるものは1996年の課題曲でしたね。
あの年の課題曲ⅠのソナタとⅡの般若とⅤの交響的譚詩は苦痛を通り越して「聴くだけで拷問」状態でして、
特に課題曲Ⅴの「交響的譚詩」は今でも大嫌いですし、冒頭を聴いただけで虫唾が走りそうです・・
この課題曲は感覚的には「生理的に受け付けられない・・」というレヴェルの課題曲でもありました・・(汗・・)
だけどこの課題曲Ⅴ/交響的譚詩は、この年の課題曲の一番人気で、出場チームの大半がこの課題曲を演奏していましたけど
「吹奏楽コンクール大好き!」の私ですら、1996年の吹奏楽コンクールはほとんど記憶に無いというのは
この課題曲の存在がほぼ全ての理由といっても過言ではないと思います・・

中には、1990年のように課題曲AからDまで全て名曲揃いという素晴らしい年もありましたね!
(特にランドスケイプとカタロニアの栄光は本当に大好きです!!)

長い吹奏楽コンクールの歴史の中では、かなり不人気な課題曲があったのも否定しようも無い事実でしたね。

少し振り返ってみると・・

1975年

中学の部以外は、課題曲CとDの二曲から選曲しなければならなかったのですが、
高校の部では、課題曲Dを選んだチームは一つもありませんでした。
演奏団体が全て同じ課題曲というのは、審査員にとってはやり易かったのかもしれないですね。
課題曲Dはポップス系だったから、敬遠されたのかもしれないです。
(一般の部・職場の部ではこの課題曲Dは普通に選ばれていましたので、高校の部におけるあの不人気ぶりは
少し気の毒でもありました・・)

1979年

この年は「フェリスタス」という素晴らしい課題曲のせいか、マーチの二曲が不人気という意外な年でもありました。
Eの「朝をたたえて」は、確か阪急と伊丹東中だけしか演奏されていなかったのは意外な感じもあります。
Dの「青春は限りなく」は、高校の部では、福岡工大付属だけというのもこの課題曲自体の出来は決して悪くないだけに
やはり少し気の毒な感じもあります。
(レコードの高校の部の課題曲編における課題曲Dの演奏は、銀賞にもかかわらず福岡工大付属でした・・)

※当時は、現在のCDのように課題曲・自由曲両方の演奏は収録されず
 課題曲は、金賞の中から一団体程度、課題曲編という形でしか収録されていませんでした・・・

1983年

阪急とか嘉穂高校のように課題曲にマーチを選ぶ事が多いチームですら
課題曲Dの「キューピットのマーチ」は避けていましたね。
全国大会では、この課題曲Dは、青森県信用組合と長岡吹のみ演奏しています。

1985年

課題曲Cの「シンフォニックファンファーレとマーチ」を選んだチームは極端に少なかったですよね。
この課題曲での金賞受賞はゼロだったというのも意外です。
この曲を選んだブリジストンタイやもこのチームらしくない冒頭のファンファーレがスカスカの演奏で
当時は驚いたものでした。
だけどこの課題曲においては、チューバのソロという大変珍しい見せ場も用意されています!
課題曲のNo.1は、間違いなく雄新中学校だと思います。
(自由曲のこうもり序曲と合せて、どうしてあの演奏が銀賞なのかいまだに理解できないものがあります・・)

1987年

A(風紋)とE(マーチ「ハロー!サンシャイン)に人気が集中し、B~Dは気の毒なくらい
不人気でしたね。
高校の部では、Bの渚スコープは関東代表のチームだけ
Dは淀川工業のみ
Cは下松だけでしね・・・

1989年

課題曲C/爽やかなれ、清らかなれが圧倒的に不人気課題曲でした!
この課題曲を演奏したのは、阪急と茨城大学のみでした。
作曲者の別宮貞夫先生は、クラシック音楽作曲の重鎮の大先生でしたけど、
吹奏楽コンクールでは人気なしというのも興味深いものを感じます。
(別宮貞夫と並んで重鎮の間宮芳生の課題曲は、カタロニアの栄光を含めて今でも人気と評価が高いのとは極めて
対照的でした!)
別宮貞夫は、当時中央大学の大学教授も務められていましたけど、お膝元の中央大学の吹奏楽団からも
この課題曲C/爽やかなれ、清らかなれは課題曲として演奏されることはパスされていたのも
なんだか皮肉なものを感じたりもします・・
この年の中央大学は「この年に全国大会で金賞を受賞すれば、悲願の5年連続全国大会金賞を達成」という年でも
あったのですけど、全国大会に出場どころか都大会銅賞という結果に終わった事は、
当時一部で「あれは別宮先生の課題曲を選ばなかった呪いだ・・」みたいな事も言われていたのは、
今となってはなんだか懐かしいお話でもありました。

だけどこうした「不人気課題曲」が出てしまう事はある意味仕方のない事なのかもしれないです。
全ての年で全ての課題曲が「当たり」という事を期待する事にもしかしたら無理があるのかもしれないですね。

とにかく今後も素晴らしい課題曲が出てくるのを期待しています!

だけど長い吹奏楽コンクールの歴史の中で「これぞ最大かつ究極の不人気課題曲」というものが実はあったりもします。

それが1978年の課題曲B/カントという曲なのです!

1978年の課題曲は、極端に課題曲Aにばかり人気が集中する結果になってしまいました。
吹奏楽連盟は、当時の吹奏楽オリジナル曲としてはかなりの人気を誇っていたジェイガーとマクベスという
二人の巨匠に吹奏楽コンクール課題曲を委嘱したものの、その結果は、
なんと、マクベスの課題曲B/カントは、全国大会で演奏したチームは全部門を通して0チームという結果になってしまい、
「歴史に残る人気の無い課題曲」となってしまいました! (汗・・!)
支部予選でもカントはほとんど演奏されませんでしたし、
聴いていても「さくら、さくら」がやたら引用される何を言いたのかさっぱり分からん曲・・・という感じでしたから
人気が無いのは仕方が無かったですね・・・・
当時の吹奏楽連盟としては、
「マクベスという大先生に恥をかかせてしまった!」みたいな「やっちまった感」はかなりあったのかもしれないですね。

この年の高校の部は、22団体中、実に18チームがこの「ジュビラーテ」を選んでいました!

あまりにもAのジュビラーテに人気が集中し過ぎるせいで
A以外の課題曲Cとか課題曲D/行進曲「砂丘の曙」を選ぶチームも少なくとても気の毒な感じもしました。
課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、もしも他の年ならばもう少し取り上げるチームも増えただろう事を考えると
勿体無い気はいまだに感じたりもします。

ちなみにですけど、1978年の全国大会にはジェイガーとマクベスも招待されていたと聞いたことがありますが、
ジェイガーは「してやった顔!」という感じで、
マクベスは「ジェイガーにこんなにも差を付けられてしまった・・」みたいな不本意感はあったのかもしれないですね・・
日本においては古今東西より「かぞえうた」みたいなものが民謡・流行歌のような形で庶民を中心に
歌われてきたと思うのですけど、私的には「ひとつとせぇ~」といったフレーズのかぞえうたを聞くと、何となくですけど
この親しみやすさのゆえに「なつかしいなぁ・・」と感じますし郷愁みたいなメランコリーみたいなものを
感じたりもします。

日本における「かぞえうた」とは、古くは降神の儀式の際の呪言として用いられたと言われていますけど、
東方Projectの世界でも博麗神社のすてきな巫女さんでもある霊夢がたま~にですけどそうした降神の術を使っていたりも
しましたけど、同じく降神の術を使っていた綿月依姫と合わせても、そうした「かぞえうた」のような祝詞・呪言は
使っていなかったと思います。
そうした降神の儀式での呪言自体、幻想郷でも外界でも既に使用されなくなりつつあるという事なのかもしれないですね。

日本における「かぞえうた」は、言葉遊び的な要素もある思います。
たとえば一をひとつと読むのを人という言葉に置き換え押韻し、歌詞を紡いでいくという手法もありますし、
そうした韻を踏むような高度なものではなくて、数をリズムよく数え上げるための歌として親しまれている手法もありますし、
後者の場合は童歌として歌われた場合、手毬・御手玉・羽根突と組み合わされて日本各地に広まっていったようにも
思われます。
そしてこうしたかぞえうたは時代と地域を超えて庶民を中心に歌われ継がれていき現在に至っていると思いますし、
そして現代では現代に合わせた形のこうしたかぞえうたがあるのかなぁ・・とも思ったりもします。

こうした「かぞえうた」の一例として幾つか記させて頂きますと・・・

1.いちじくにんじん

「いちじくにんじん」は、手まり歌、羽子突き唄、おはじき歌などとして古くから親しまれてきた日本のかぞえうたです。
1はイチジク、2はニンジン、3はサンショウ(山椒)、4はシイタケ(椎茸)といったように、
数字の読みと語頭が一致する名前の食材や植物などが順番に歌い込まれていく典型的なかぞえうただと思うのですけど、
この中で歌われる食材や植物の中には、普段あまり聞きなれないものもいくつか登場するのが大変興味深いものが
あると思います。
例えばですけど「むくろじゅ(無患子)」とは何なのかと言うと
ムクロジ科の落葉樹で、果皮には多量のサポニンが含まれ、かつては石鹸として洗濯などに珍重されていたそうですけど、
現在ではあまり馴染みがないですよね・・
「はつたけ(初茸)」は、特に関東圏で親しまれていた食用キノコの一つで、
炊き込みご飯にしたり、味噌焼き・しょうゆ焼き、吸い物や煮物など、幅広い料理法で食されるそうですけど、
私もこの食材見た事も聞いた事もないですね・・

2.いっぽんでもにんじん

これは昭和の頃にかなり流行りましたね!
このかぞえうたをご存知の方は立派な昭和育ちと言えるのかもしれないですね・・(笑)
歌っている方は今現在も大活躍中であの「胡散臭さ」がいい味を出しているはなぎら健壱でしたね!
ちなみにこの歌は、昭和の頃の一大流行歌となった子門真人の「およげ!たいやきくん」のB面の曲でもありました!
というか、レコードだのB面だの言われても平成世代の皆様は「なにそれ・・!?」という感覚なのかも
しれないですね・・(汗・・)

一本でも 人参
ニ足でも サンダル
三そうでも ヨット

一本・二足・三艘…と物の数が1つずつ上がると共に単位も変わる巧妙な歌詞は、子供だけでなく大人にも
大うけだったと思います。
およげ! たいやきくんと山口さんちのツトムくんとかいっぽんでもにんじんは、当時小学校の管楽器クラブに所属し
パーカッションを担当していた私も、発表会とか学芸会で何度か演奏した記憶があります。

3.大ちゃん数え唄

これはアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌でして、
軽快なアレンジのかぞえうたとして、アニメソングとしては今も不動の人気曲だと思いますし、この曲は今現在でも
カラオケ店の曲のメニューの中にもごく普通に入っています。
当時これを謳われていた吉田よしみとは現在の天童よしみです!
天童よしみは当時16歳で、この歌がデビュー曲とのことです。

一つ人より力持ち
二つふるさとあとにして
三つ未来の大物だ

この歌詞はかぞえうた形式になっていてとっても親しみやすかったですね!

4.ハゲの歌

埼玉県の某・元国会議員先生のあの「このハゲーー!」によってハゲという言葉は随分と今年は光が
当たったものですね・・(苦笑・・)
だけどそうしたハゲに関する数え歌が、なんとあのボーカロイド楽曲にあったりもします。

初音ミクが歌っている「ハゲの歌」がそうなのですけど、三つ、三日月ハゲがある~というように
ハゲに特化した歌詞のこのボーカロイド楽曲も、よく考えれば数え歌なのでした(笑)

5.1970年代に流れていたパロマの炊飯器のCM

1970年代の日曜の昼間の時間帯に放映されていた「家族そろって歌合戦」という番組の中で
頻繁にパロマ炊飯器のCMとして流れていて、これがかなり長大な「かぞえうた」みたいな感じだったと思います。
一番最後の歌詞が「十でおしまい、鶏のメシ~」となっていて、ここでアニメのニワトリがぐわっぐわっと大騒ぎし、
「やっぱりやめてぇ~、とろろめし」というオチで終っていたと思います。

八はやっぱり パロマのご飯
九でクリクリ 栗の飯~
十でおしまい 鶏の飯~~
 
やっぱりやめて とろろ飯~~~
ご飯炊くなら パロマだよ~~~♪

うーーむ、このほのぼの感はやっぱり「昭和のCM」そのものであり、昭和レトロですね! (笑)

「やっぱりやめて」でホッ・・としてニコニコするニワトリがとっても可愛かったのが大変印象的でした! (笑)


さてさて、こうした「かぞえうた」ですけど、これがなんと全日本吹奏楽コンクールの課題曲でも
このすてきな素材が使われていた事もありましたね!

1978年の吹奏楽コンクールの課題曲は4曲ありましたけど、
極端なほど課題曲A/ジュビラーテに人気が集中していました。

あまりにもAに人気が集中し過ぎるせいで
A以外の課題曲Cとか課題曲D/行進曲「砂丘の曙」を選ぶチームも少なく
何か気の毒な感じもしました。
(課題曲B/カントにいたってはなんと全国大会では演奏団体ゼロです!)
課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、もしも他の年ならばもう少し取り上げるチームも
増えただろう事を考えると何か勿体無い気はしますね・・・

この課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、日本の古き民謡というか童謡の「かぞえうた」をベースにしています。
最近では、ミスチルとかポンキッキーとかみんなの歌とか色々とアレンジされているみたいですね。
何か私は、「かぞえうた」というと、やはり
「ひとつとーせー」みたいな歌詞が思い浮かびますし、上記で書いたようないなかっぺ大将とか
いっぽんでもにんじんの方がより親しみやすさを感じたりもします。

この課題曲は、楽譜の指定上では、エレキベースとかドラムセットが使われていますけど
実際のコンクールでは、エレキベースは使用されたのかな・・・??
自衛隊の演奏では、この曲を聴くとバンバンエレキベースが響いていますけど
当時のコンクールの実況録音を聴いても、ベースの音は感じないのですね。
この課題曲はポップス調なのですけど、出だしは意外にゆったりとした感じから開始されます。
コルネットのソロが実に渋いのが大変ポイントが高いと思います。
全体として「かぞえうた」の「ひーとつとーせー」のフレーズが結構頻繁に引用されますし
ドラムがかなり活躍しているのが印象的です。
とてもコンクール課題曲とは思えないほど楽しさが溢れていますし、
楽しいだけではなくて、何か大人の風格と言うか「大人の洒落っ気」みたいな要素も感じたりします。
作曲者の岩井氏は、この課題曲以外にも
1972年の「明日に向かって」とか76年の「メインストリートで」とか89年の「すてきな日々」みたいな
楽しい課題曲を後世に残してくれていますが、
このポップス変奏曲「かぞえうた」ほど洒落っ気というのかお茶目な要素を感じる曲はないですね。
本当に素晴らしい課題曲だと思いますし、後世に受け継がれていき演奏され続けて欲しい曲の一つだと思います。

1978年というと、私自身、中学に入学し吹奏楽部に入部し、
少しは楽器が吹けるようになった6月頃、初めて全体合奏に参加した曲が
実はこのポップス変奏曲「かぞえうた」だったのです。
だからその意味でも、なつかしい曲ですし、この曲を聴くたびに
楽器を初めて間もない頃の不安感とか楽しさとか当時の事が頭に思い浮かびますね・・・
だけど、結局当時の吹奏楽部の顧問が、
「いやいやコンクールの課題曲にこうしたふざけた曲は相応しくない・・・」と洒落が分からない事を
言い出し、結局課題曲はAのジュビラーテに変更したため
この素敵な課題曲でのコンクールデビューは幻となってしまいました・・・
この年の自由曲は、チャイコフスキーの「スラブ行進曲」でしたので
ジュビラーテと合わせて、初心者には辛いつらい選曲だったと思います。

このポップス変奏曲「かぞえうた」には、素晴らしい名演が残されていますね。
断トツなのは、やはり瑞穂青少年吹奏楽団だと思います。
この演奏は、正直プロ顔負けの演奏ですし、今聴いても色褪せることがない素晴らしい歴史的名演です。
だけど瑞穂にとってはこれが最後の全国大会になってしまい、とても惜しまれるものがあります。
他にはブリジストン久留米の大人っぽい演奏も印象的ですね。
中村学園もこの年全国初出場でしたけど、課題曲はこのかぞえうたでした。
この中村学園の課題曲の演奏を聴くと分かるのですけど、
前半部分のゆったりとした長いフレーズで、ブレスごとに奏者全員の「すーーーっ」という呼吸音が
はっきりと録音にも残っています。
なるほど、「腹式呼吸」の大切さを説いていた中村学園の松澤先生らしい演奏ですね・・・(笑)
全日本吹奏楽コンクールにおいては、ピアノ・ハープ・声・歌詞を伴わないスキャットの使用はオプション扱いという事で、
原則的に使用する事は可能です。
今現在は規定により使用不可能ですけど、1980~90年代においてはヴァイオリン・ヴィオラ・チェロといった弦楽器を
管楽器編成の中に加えてもよいという大変おおらかな規定が認められていた時代もあります。

だけど実際問題、吹奏楽コンクールにおいてはヴァイオリン・チェロ等が目立って使用されていた事例は意外にも
それほど多くなかったような気もします。
というか、管楽器+打楽器という吹奏楽編成に弦楽器を加えてしまうと
「それって管弦楽と大して違いがないじゃん!」みたいな感じにもなってしまいますし、吹奏楽の指揮者・指導者の皆様は
管楽器には精通されていても弦楽器までは専門的にはよく分からない・・という人も多かったはずだから
「別に吹奏楽の編成にあえてわざわざコントラバス以外の弦楽器を入れなくてもいいじゃん」という感じだったのだと
思います。

吹奏楽コンクールで弦楽器が効果的に使用された事例としては・・

1.1982年の仙台第一高校

  グローフェの組曲「グランド・キャニオン」のⅢ.山道を行くの冒頭部分にてヴァイオリンを伴奏無しの完全なソロとして
  使用していたケースが最も効果的な演奏だったと思います。
  仙台第一は、県大会と東北大会ではほぼ完璧で感動的な演奏を謳い上げていたのに、
  全国大会ではそのヴァイオリンソロを含めて凡演で終わってしまい、
  結果的に私としては
  「全国であんな演奏するのだったら、花輪高校のウォルトン/交響曲第1番終楽章を普門館に響かせて欲しかった! と
  いまだに思い続けています・・

2.1996年の伊奈学園総合高校

  こちらは自由曲の交響詩「英雄の生涯」にてチェロをかなり効果的に活用していたのが大変印象的でした。
  チェロ奏者もたしか普門館のステージ最前列に近い位置で奏でていたような記憶があります。

さてさて、吹奏楽コンクールなのですけど、規定においては原則として「声」の使用は限定条件ですけど
使用する事自体は可能です。但しコーラスとかいわゆるコーラスとか歌唱のように歌詞を伴うのは不可です。
歌詞を伴わないいわゆる「スキャット」であれば声の使用はOKとなっています。

全日本吹奏楽コンクール・全国大会にて初めて「声」が使用された事例として、
1976年の倉敷グリーンハーモニー吹奏楽団の岩井直溥作曲の「あの水平線の彼方に」がもしかして
一番最初なのかもしれないと思います。
(この点に関しては少し自信がないです・・もしかしたら76年以前に声を使用した自由曲があった可能性も
あるのかも・・?とも思ったりもしています)
岩井直溥というとポップスの大御所の先生とか「三角帽子」等の吹奏楽アレンジャーという印象も強いのですけど、
「あの水平線の彼方に」みたいな吹奏楽オリジナル曲をたまに作曲されていたりもします。
岩井直溥のそれ以外の曲としては道祖神・渚の詩・民話的詩曲もあったりしますけど、岩井直溥というと
誰が何と言ってもポップス変奏曲「かぞえうた」とかポップス描写曲「メインストリートで」とかポップスマーチ「すてきな日々」
などといったあの一連のポップス系吹奏楽コンクール課題曲の方が大変強く印象に残っています!
「あの水平線の彼方に」ですけど、
海をイメージした大編成の曲で、当時としては珍しいハープが吹奏楽オリジナル作品として入っています。
ラストのほうでは、奏者たちのヴォカリーズ(歌詞なしの歌声、つまりスキャット)も入ってきて
「声」入りの吹奏楽曲としては、やはりこの曲が先駆的というかもしかしたら日本で一番最初の吹奏楽作品ではないのか・・?と
思っています。
参考までに「あの水平線の彼方に」は岩井直溥の作品としては全国大会で唯一演奏された曲であったりもします。

77年の課題曲C「ディスコ・キッド」は序奏の後、「ディスコ!」と掛け声が掛かる演奏も一部にあったようですけど、
あれはあくまで自発的なもので決してスコアに書いてあるとか作曲者の指定という訳では無いようです。
(実際、ディスコ!と掛け声が掛からない演奏の方が圧倒的に多いと思います)
中には亜細亜大学のように盛大にほぼ全員で「ディスコ!」という掛け声が掛かり、
なおかつクラリネットのソロが終わった辺りで 「オーオー」という謎の奇声が入っていましたけど、
あれは一体何だったのでしょうか・・? 偶発的アドリブなのかな・・?

課題曲に声を入れた例として、他に印象に残っているのは
95年の浜松交響吹奏楽団のように、課題曲Ⅳ「雲のコラージュ」の終盤にヴォ―カリーズを入れていた事例も大変印象的です。
この「雲のコラージュ」は作曲者の指定により、別に楽譜通り演奏する必要もないし、楽譜に指定されている楽器以外の
ものを自由に使用して構わないという大変おおらかな曲で奏者と指揮者の自発性に全てを委ねた課題曲なのですけど、
浜松交響はラスト近くのコラール部分にヴォ―カリーズを入れていたのが大変斬新だったと思います。
あの演奏は見事な演奏で、退屈で冗漫な演奏の多かった「雲のコラージュ」の
演奏としては、トップクラスの演奏だと思います。

自由曲となると色々ありますね。

少しだけ例を挙げてみると・・

〇1989年/間々田中学校
  →「シバの女王ベルキス」の第四曲「狂宴の踊り」のトランペットソロの部分を女声スキャットで代用する

〇1996年/東海大学第一高校
  →スミスの交響曲第一番「神曲」~地獄篇で、足踏みと呻き声を曲中に取り入れ、相当の効果をあげていたのが
    大変印象的でした!
   打楽器奏者の苦悶の表情を浮かべながらの鎖をステージ床に叩きつける演出も見事でした!

〇1993年/都立永山
→「この地球を神と崇める」のⅢ.終章~エピローグにて「This Beautiful Earth」のつぶやき声を
   かなり効果的に使用していたと思いますし、曲のラストで一人の女子生徒による消えるような「 Beautiful Earth・・」の
   つぶやきがとても強く印象に残っています。

〇1999年/都立片倉
  →「シャカタ~歌によって世界はつくられた」を自由曲として取り上げていますけど、これはちょっと反則だと思います!
    これは吹奏楽作品というよりはスキャットを全面に出したという印象が大変強く、
    普門館のステージで生で聴いていても「これは吹奏楽作品ではないし、スキャット作品みたいなもので
    純粋に管楽器の技量のコンクールの曲としては果たしていかがなものか・・?」みたいな疑問すら感じていたものでした。

他には、1998年の文教大学が悪い意味で印象に残っています。

アーノルドの序曲「ピータールー」の後半部分にヴォ―カリーズを取り入れている事自体大変違和感がありましたけど、
アーノルドの交響曲第5番に別に原曲自体に声が全然入っている訳でも何でもないのに
なぜか第二楽章において唐突にヴォ―カリーズを入れてきてこれは正直ピータールー以上に
かなりの違和感があったと思います。
何か余計な添加物を入れているような印象があります。
また交響曲第5番も本来は、終楽章は静粛にに閉じられるのに
文教大学のアレンジでは、なぜか威勢よく終わるように改作(改悪・・?)されています。
コンクールですのでラストは派手にffで終わらせたい気持ちや意図はなんとなく理解できなくもないのですけど、
これはさすがに作曲者に対する越権行為どころではなくてアーノルドに対する侮蔑的みたいなものすら
私には感じられたものでした・・・(汗・・)

最後に、吹奏楽オリジナル曲で盛大に「声」が効果的に使用された素晴らしい最高の作品としては
ホルジンガーの「春になって王たちが戦いに出向くに及んで」なのだと思います!!

曲は色々魅力が尽きない曲ですし、視覚的にも聴覚的にも飽きがこない作品だと確信しています!
多彩な打楽器、金管群の高音域の咆哮、声を効果的に使用など
色々な意味で聴きどころ満載だと思います。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」も、冬の間の鬱屈したモヤモヤしたものを
吹き飛ばすエネルギー感に溢れた曲と思いますが、
ホルジンがーのこの曲も、「春」のドキドキ・ウキウキ・ワクワク感を見事に実に巧みに
管楽器と打楽器と声で表現していると思います。
この曲の最大の持ち味は、その野性味あふれるダイナミックスさというのか
「生命感」が漲る「人間が本来有している本能の雄叫び」みたいなものがあちこちからこだましているようにも
聴こえます・・
とにかく、この曲の持つ圧倒的な「パワー」にはひたすら脱帽するのみ・・という感じですね!!

それとこの曲のそれ以外の特徴としては、とにかくホルンパートが極めて難易度が高いという事だと思います!
あれは完璧に「ホルン殺し」だと思います。
C.スミスの大人気曲/ダンス・フォラトゥーラが「トランペット殺し」ならば、
ホルジンガーのこの曲は、とにかく「ホルン殺し」ですね!!
とにかく、あのホルンの技術的難易度の高さ、特に特にあの超高音域・・・・
この曲を吹くことになったホルン奏者は「ご愁傷様でした・・・」と声を掛けてあげたい気持ちで一杯にもなりそうです(汗・・)
V.ネリベルの「トリティコ」という吹奏楽オリジナル曲ですけど、
ネリベルと言うと、どうしても交響的断章・二つの交響的断章・フェスティーヴォ・
アンティフォナーレといった作品が有名という事もあり、「トリティコ」の知名度はそうした曲の中にあっては
どうしても霞んでしまうのかもしれないですね。
「トリティコ」はネリベルにとって比較的初期作品という事もあり、吹奏楽ファンでもそれ程知名度が高い曲では
ないのかな・・?と思ったりもしますけど、初期作品のネリベルの作品として、例えば、コラール・エスタンピー・プレリュードとフーガ
などの作品もトリティコと合わせてなんとか忘れられずに次の世代の皆様に受け継がれていってほしい曲でとも
思ったりもします。
そうそう、ネリベルの初期作品として「シンフォニックレクイエム」というとてつもない大作があり、
ピアノ2台、打楽器8人、バリトン歌手を含む巨大編成が大きな特徴でもあるのですが、
(バリトンが登場するのはフィナーレの第四楽章のみです・・)
ネリベルの大作というと「復活のシンフォニア」の方が有名なのかもしれないですけど、この「シンフォニックレクイエム」の方にも
少しは注目が集まって欲しいなぁ・・とは実はかなり以前から感じていました。
というのも、この「シンフォニックレクイエム」はほとんど演奏されないし、レコード化・CD化がほぼ皆無という事で
まさに「知る人ぞ知る幻の大作名曲」というウルトラマイナー的扱いなのは「もったいないなぁ・・」と感じたりもします。

だけどトリティコも「シンフォニックレクイエム」と大して変わりがないくらい、知名度は低い曲なのかもしれないですね・・

救いはシンフォニックレクイエムが吹奏楽コンクールで演奏されたことは多分一度も無いと思うのですけど、
トリティコの方は全国大会では4回演奏されていますし、最近でも細々とではありますけど、
吹奏楽コンクールの自由曲として選ばれ続けているのは、ネリベル大好きの私としては、大変ありがたい話だと
思っています。
北海道の旭川大学高校は、北海道大会B部門において、ネリベルの交響的断章・二つの交響的断章・アンティフォナーレ
といった「ネリベル三部作」を自由曲として選んでネリベルファンを歓喜させたのみに留まらず、
トリティコ・復活のシンフォニア等のネリベル作品も積極的に取り上げ、そのうち何回かは道内代表として
東日本大会にも出場を果たされていますので、指揮者の先生の「ネリベル愛」には頭が下がる想いで一杯です!

「トリティコ」は確か、「三つの宗教的絵画」という副題があったような気がします。
確か私の記憶では、三枚の絵画にインスピレーションを得たネリベルが三楽章の曲を書いたというのがこの曲らしい
のです。楽章ごとに特にタイトルはありません。
比較的初期の作品のせいか、
後年の作品のような、恐ろしいまでのダイナミックスの落差とか静と動の極端な対比や
不協和音の壮絶な響きなのにまるでオルガンのように美しい壮麗な響きはあまり感じられません。
曲の構成としては第一楽章と第三楽章のスピード感に対して中に挟まっている第二楽章のゆったりとした雰囲気という感じで
曲としては急-緩-急と構成上のバランスが実に巧みに計算されているようにも感じられます。
第一・第三楽章のスピード感や駆け抜けるような雰囲気は私も大好きですし、特に第三楽章の疾走感も
素晴らしいと思います!
第二楽章の冒頭は意表を付いてティンパニ2セットによる轟音が大変印象的です。
あの部分は二人のティンパニ奏者が大活躍するのですけど、あの凄まじいロールの響きは、
どことなくですけど小山清茂の交響組曲「能面」を彷彿とさせるようなものがあるとも感じます。
第二楽章は2セットのティンパニ以外では、アルトサックス・テナーサックスのソロが大活躍振りも大変印象的です。
94年の東海大学第一は、第二・第三楽章の抜粋なのですけど、第二楽章のティンパニの轟音的ソロから
金管セクションの咆哮で曲を終結し、そのまま第三楽章になだれこんでいますので、サックス系のソロが
無残にもカットされ少々残念です。
サウンドも粗いしかなり強引なドライヴですし、曲が終わると同時にやらせのブラボーコールは明らかにやり過ぎだと
思いますし興醒めですね・・

トリティコは、1968年の大学の部で、関西学院大学と駒澤大学が自由曲として選び、2チームとも三位入賞を
果たしているのは凄いと思います・・
(この時代でネリベルを2チームが全国大会で演奏している事自体珍しいとも思えます)
トリティコの演奏で忘れられないのが、1983年の大曲吹奏楽団です。
このチームは、指揮者に小塚類氏を招聘後にぐいぐいと力を伸ばし、
1996年~98年は3年連続全国金賞の偉業を成し遂げています。
個人的には93年のテンポがやたら遅いけど、濃密なアダージョを演出した「ハムレットへの音楽」も
大好きです。
1983年の大曲のトリティコの指揮は小塚氏ではなくて、田村忍氏の指揮によるものです。
演奏は、「土臭い」感じがプンプン漂っているようにも感じられます。
特に技術的に秀でているものもないし、斬新な解釈もしていない。
だけど作りが非常に丁寧と言うか誠実で、ネリベルの「冷たい容赦ない」音楽なのだけど
何か妙に手作り感のある温かい演奏のようにも聴こえたのが大変印象的です
機能性・音の迫力一辺倒の東海大学第一よりは、相当ましな演奏だと思います。
大曲は翌年もチャンスの交響曲第二番で全国大会出場を果たしていますが、この年の方が
技術的にはしっかりしていますし、前年程「もさっとした感じ」はしませんでした。
ちなみにですけど、大曲吹奏楽団は2004年に「トリティコ」を再演しているのですけど、この時の指揮者は小塚氏でしたので
田村氏以上の名演を期待したものですが、残念ながら東北大会ダメ金で終わってしまい、
全国大会での演奏が聴けなかったのは大変残念でした・・

吹奏楽コンクールでの名演も「これが決めて!」という名演CDもトリティコに関してはいまだに出てこないですね・・

プロの演奏では、フェネル指揮/ダラスウィンドがありますが、こちらもよく整理されている演奏だけど、私的には
今一つ「何か」が伝わってこないもどかしさがあります。

この曲の名演はもう期待できないという事なのかな・・
モリセイという作曲家は、既に日本のスクールバンドの中では「死語の世界」なのかもしれないですね。

私が中学~高校の頃って、あまり上手で無い小編成のチームの吹奏楽コンクールの自由曲って
コーディル・オリバドーティー・スウェアリンジェンが「Big3」とも言われていたのかもしれませんけど、
モリセイの曲も、そこそここうしたチームでは人気があったと思いますね。
勿論、そんなモリセイの曲を小馬鹿にしている訳ではありませんよ・・・(汗・・)
モリセイの曲ってコーディルやオリバドーティー同様とにかく「シンプル イズ ベスト」を立証した作品ばかりで
一度聴いたら、とにかくあの親しみやすいメロディーラインがずっと頭の中に焼き付いてくるような
そんな感じの素敵な曲が多かったと思います。

モリセイと言うと・・・・

〇吹奏楽のためのディヴェルティメント

〇中世のフレスコ画

〇皇帝への頌歌

あたりが特に有名で1960年~1970年代の吹奏楽コンクールでよく自由曲として取り上げられていたと思いますね。
私も、「皇帝への頌歌」と「中世のフレスコ画」はコンクールで結構何度も聴いた記憶があります。
大変古い話で恐縮なのですけど、1967年(昭和42年)のバンドジャーナルによると、
この年の吹奏楽コンクールの自由曲において、いわゆる「吹奏楽オリジナル作品」として最も演奏された作曲家が
確かこのモリセイだったような記憶があります。
そのくらい、この時代のスクールバンドの自由曲として、C.ウィリアムズやワルターズなどらと共に愛され人気があった
作曲家の一人がモリセイだと言えるのだと思います。

モリセイの曲って一つ特徴がありまして、曲の雰囲気としてよく「中世の宮廷」みたいな祝祭的なメロディーを
醸し出している点が挙げられると思います。
「中世の宮廷音楽」と言うと、式典ファンファーレみたいな華やかな音楽も特徴なのかもしれませんけど、
そう言えば、皇帝への頌歌にも中世のフレスコ画にもそうしたファンファーレが出ていたと思います。

だけどそうは言ってもこうした曲も現在ではすっかり忘却の彼方だと思います(汗・・)
現在のスクールバンドの現役奏者の皆様に「モリセイという作曲家とかその作品について聞いた事がある?」と尋ねたとしても
ほとんどの方は「知らないし聞いた事がない」と答えるのは目に見えていると思います。
だって最近の現役奏者の皆様の中にはA.リードすら演奏した事が無いという人もいらっしゃるというお話を最近耳にし
「時代は変わったなぁ・・」とオールド吹奏楽ファンの私は肩身が狭くなる一方です・・・(汗・・)
モリセイの曲を収録したCD自体、極めて少ないし、その意味では、東芝の「名曲選」とかコロンビアの吹奏楽名曲選
の各シリーズは本当に貴重で有難い事だと思います。

さてさて・・・

モリセイと言うと、忘れてはいれない作品が一つあります。

それが何かと言うと、組曲「百年祭」なのです。
百年祭に関連した吹奏楽作品というと、バーンズの百年祭祝典序曲とか福島弘和の曲という方が最近の奏者の
皆様にとっては馴染みがあるとも思うのですけど、実はモリセイという作曲家にも組曲「百年祭」という
素敵な曲が実はあったりもします。

この曲は、1971年に創立100周年を迎えたアイオラ市民バンドからの委嘱作品なのですけど、
モリセイらしく、曲の冒頭は、ファンファーレから華やかに開始されます。

この組曲は下記の四曲から構成されています。

Ⅰ.序奏
Ⅱ.歌
Ⅲ.祝典の音楽
Ⅳ.祝典のパレード

この組曲は・・楽章ごとの違いが極めて明瞭で、
例えば、Ⅰは全体のファンファーレ、Ⅱは木管とトランペットが中心で、
Ⅲは、なんと! 金管と打楽器のみで木管は一切出番無しです。
Ⅳは、再度全合奏での華やかなマーチとなっていて、
楽章ごとの違いを楽しみながら聴くという事も出来ると思います。

演奏する方も楽しいし、聴く方も楽しいという双方がハッピーな気持ちになれそうな曲だと思います。

いかにも古き良き時代のアメリカ」を描いた曲というのか、
「努力すればそのうち多分きっと何かすてきな事が待っているし道が開ける!」みたいな前途洋々の楽天的な気分が
感じられるとても「ハッピーな曲」だと思います。

最近の吹奏楽名門校は、入部者が100人を超える所も結構あったりするそうで
そういう所は、全員が全員、全国大会に直結するA編成に出られるとは限りません。
場合によっては、小編成・B編成に廻る事もあるのかもしれません。
だけど、そういう小編成のチームで、コンクールで良い成績を収めるという事に特にこだわりが無ければ
たまには、こういう古き良き時代の楽しい曲を吹いてみるのもいいのかもしれないですね。

もしかして、「音楽の原点」というものが垣間見えてくるのかもしれないです。
メキシコを描写した音楽というと一番有名なのが、A.コープランドの管弦楽曲「エル・サロン・メヒコ」だと
思うのですけど、この曲はなんとなくですけど、メキシコという国を外部のアメリカ人が感じた印象という感じも
あるのかなと思います。
(全体的には酔っ払いとかテキーラで昼間っから飲んだくれている・・みたいな雰囲気の音楽だとも思えます)
メキシコと言う国は、現在アメリカのトランプ大統領から「アメリカとメキシコの間に壁を作る!」なんて
「お前は万里の長城なのか?」みたいな時代錯誤的な事を要求されて大変困惑されているのだと思うのですけど、
あのおおらかな雰囲気とかメキシコの先住住民としてのアステカ部族など、アメリカの「インチキ臭い商業主義」とは
どこか違うような雰囲気も有しているように感じられます。

そうした雰囲気を音楽・・吹奏楽で見事に表現した曲が、オーエン・リードの交響曲「メキシコの祭り」なのだと思います。

最近全国大会で「メキシコの祭り」を聴かないな・・と思っていたら、そりゃそうですよね・・
考えてみると1988年の米沢吹奏楽愛好会の演奏以来、全国大会においては、この素晴らしき名交響曲は
第一楽章も第三楽章も一度も演奏されていません。
(厳密に言うと、 高校フェスティバルにて大西学園中学校・高等学校がこの曲でもって東関東代表として
東日本大会に出場を果たしています )
やはり名曲の真価と吹奏楽コンクールでの人気と言うものは必ずしもリンクしないという事の裏付けでもあるのかも
しれないですね・・
でもやはりさびしいものはありますね。
せめてこの素晴らしき吹奏楽のためのオリジナルとしてのこの交響曲「メキシコの祭り」は絶対に後世にまで
受け継がれて欲しい曲の一つであるのは間違いないと思います。

この曲を初めて聴いたのは、確か1981年の大塚中学校の演奏だったと思います。この時は
第三楽章・カーニヴァルを選曲していました。
当時の私は残念ながら、吹奏楽の事を実はそれほどあんまりよく分かっていなかったですので、
「メキシコの祭り」のオーエン・リードと、アルメニアンダンス等でお馴染みのあの巨匠、アルフレッドとリードを混合していたのは
何か懐かしい思い出でもあったりします・・(汗・・)
だけどオーエン・リードとアルフレッド・リードを同一人物と勘違いしている人は私以外でも何人かいましたので、
そんなに恥ずかしい事ではないのかもしれないですね・・(笑)

この曲は、三つの楽章から構成されています。

Ⅰ. 前奏曲とアスティックダンス

Ⅱ . .ミサ

Ⅲ. カーニヴァル

コンクールでは、Ⅰを選曲する事例が大変多いです。

Ⅰ.前奏曲とアスティックダンス

冒頭がいきなりチャイムの乱打・ホルンの雄叫びと
ティンパニ・大太鼓・スネアドラムの強打から開始され、この部分だけでも相当のインパクトがあります。
前半部分は、祭りが始まる前夜~夜明けをイメージしたものと思われますが、
結構夜が明けるまで長いような感じもします。
この第一楽章は10分程度の曲なのですけど、冒頭から夜が明けるのに6分程度も掛かっていますので、
「なかなか夜明けがやってこない・・」みたいな雰囲気もあるのですけど、後述しますがバンダによって夜明けのイメージの
部分が開始され、祭りが始まるとあとはクライマックスに向けての熱狂的な踊りが展開されていきます。

夜明け・・そして太陽が昇り、祭りが始まるシーンは、
舞台裏から「バンダ」(別働隊)として奏でられるトランペット・トロンボーン・クラリネット・大太鼓・シンバル・小太鼓の
ミニ楽団によって演奏され、舞台裏から聴こえてくるという事で、
遠くから祭りのざわめきが聴こえてくるというイメージなのかもしれません。
このバンダ演奏部分の際は、舞台の本隊の楽団の方は奏者は全員お休み状態です。
後半は、エキサイトなダンスシーンです。
ティンパニとトムトムの掛け合いが非常に面白いし、ティンパニーのソロが実に決まっていて格好いいと思います。
あの部分のティンパニ奏者は気分爽快だと思います。
曲は一気に駆け上がって終わるのですが、その終わり方もffで終わるのではなくて、
最後にドラがゴーーーンと壮大に鳴り響き、その余韻と共に静かにとじられていきます。
こうした曲のラストでドラがゴワワワー―――ンと鳴り響き、その余韻で閉じられていくというパターンは、
管弦楽曲ですけど、レスピーギの交響的印象「境界のステンドグラス」~聖天使・大ミカエルでも使用されていたりもします。

Ⅱ.ミサ

この楽章は「祈り」と記されるプログラムもありますが、私としてはミサと言う方がなんとなくミステリアスな雰囲気が
ありそうで好きです。
この楽章は、第一楽章の興奮をそのまま引きずったように、冒頭からチャイムが鳴り響き、
金管楽器の大音量的コラールで始まります。
だけど盛り上がるのはこの部分だけで、あとは終始ゆったりとした音楽が展開されていきます。

メキシコというとカトリック教徒が多い国でもあったかとは思うのですけど、そうした教会での厳粛なミサを挙行し、
信者たちが荘厳な祈りを捧げているみたいな厳粛な雰囲気は感じられます。
そしてこのⅡの「ミサ」を人間の「聖なるもの」とすると、続くⅢの「カーニヴァル」はまさに人間の「俗なるもの」なのだと
思います。
Ⅱの静粛で厳粛な雰囲気で、少しストレスが溜まったものが、次のⅢのカーニヴァルで一気に爆発し、
人間の欲・快楽・バカ騒ぎが炸裂しまくります!

Ⅲ.カーニヴァル

この交響曲のラストを飾るのに相応しい楽しさ満載のノリノリな楽章です。
冒頭は、何となくストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」第四場の冒頭に
何となく雰囲気が似ているような気がするのは多分気のせいなのでしょうね・・・(汗・・!)
だけどこの楽章は、奏者も指揮者も大変だと思います。
このリズム感をどう正確かつエキサイトに演奏するかは非常に難しいものがあると思います。
終始三拍子系なのですけど、ビートの躍動をどう表現するか指揮者の技量がストレートに出そうな気もします。
結構マリンバが終始大活躍していますけど、マリンバ奏者も相当のハイテクニックが求められそうです。
トロンボーンの粋な感じで半分酔っぱらったような勢いあるソロも実に巧みだと思います。

このⅢの総譜を一度読んだことがあるのですけど、曲自体はどことなくのんびりとした雰囲気があるのに、
指揮者にとってはとにかく「全体を合わせる事」が大変難しいようにも感じられますし、
奏者の視点で見てみると、指揮者をよく見て全体の流れに自分をうまく乗せていかないと、いつの間にか
全体の流れに一人取り残されてしまう・・みたいな危険性を感じたりもしたものでした。

全三楽章の曲なのですけど、多分ですけど技術的に一番大変なのはこのⅢのカーニヴァルのような気もします。

吹奏楽コンクールのこの曲の名演ですけど、一つ素晴らしい演奏があります。

1988年の一般の部に東北代表として演奏していた米沢吹奏楽愛好会の第一楽章・前奏曲とアズティックダンスの
演奏は大変素晴らしいものがありました!
夜の長さも全然冗長に感じませんでしたし、踊りの部分の躍動感が素晴らしかったですし、ラストへ向かう追込みが
圧巻でした!
私としては「当然の金賞」と思っていたのですけど、結果はまさかの銀賞・・
うーーん、あの素晴らしい演奏のどこが銀賞なのか、私にはいまだにさっぱり理解できません・・

全国大会では、他には天理高校とか長岡吹奏楽団とかが第一楽章を取り上げていますが、
神奈川大学も、こんなバリバリの正統派オリジナル曲を選曲しています。
(神大は小澤先生が来る前は、メキシコの祭りとか、仮面舞踏会とか、ジェリコといった
正統派古典オリジナル曲を取り上げています)

面白いのは、1977年に電電中国(現・NTT西日本)が第一楽章を取り上げ、
翌年の1978年に第二楽章「ミサ」を演奏している事です。
いかにも吹奏楽に自分なりのこだわりをお持ちの佐藤先生らしい選曲だと思います。
でもコンクールでほとんど盛り上がり要素が少ないミサだけを演奏してもインパクトは弱いし、アピールは大変だったでしょうね。

Ⅲのカーニヴァルを自由曲にしたチームでは「これぞ名演!」という決定打に欠ける感じはあります。
強いて言うと、1976年の函館中部高校なのびのびとした雰囲気は見事なものがあると思うのですけど、
部分的にリズムがかなりギクシャクしているのは惜しいです・・

あ・・・考えてみるとこの「メキシコの祭り」は、吹奏楽コンクールにおいては、全楽章・・つまりすべての楽章が
自由曲として演奏されている事になりますね!
一般的に吹奏楽でも管弦楽でも「交響曲」という形式においては、静粛な抒情楽章というものがある関係で
全ての楽章が自由曲になる事は極めて稀なのですけど
(かなり昔の話ですけど、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のあの全てがアダージョで悲しげに演奏される
第四楽章が自由曲として演奏されていた事は驚きでした!!)
この「メキシコの祭り」は、三楽章全てが単独ではありますけど、全て全国大会で演奏されていたというのは
大変興味深いものがあると思います。
ちなみにですけど、そうした全楽章全て自由曲として演奏された珍しい交響曲の事例としては、
ジェイガーの「吹奏楽のための交響曲」というケースもあったりします。
ジェイガーの交響曲は、ほとんどは第四楽章が演奏されているのですけど、
1980年の北海道教育大学函館分校のように第一楽章を自由曲として演奏された事もありますし、
はたまた1977年の舟入高校OB吹奏楽団のように、第二・第三楽章を自由曲として演奏されていた事もありますので、
ジェイガーも全楽章演奏の数少ない事例と言えそうですね。
そうそう・・参考までに舟入の場合は、第三楽章がゆったりとした抒情楽章で、第二楽章が活発なスケルツォ楽章ですので、
実際に演奏したのは、第三楽章を先に演奏し、その後に第二楽章が演奏されています。

どちらにしてもオーエン・リードのメキシコの祭りもジェイガーの吹奏楽のための交響曲も
忘れることなく演奏され続けてほしいオリジナル曲の一つだと思います!!
ロジャー・ベネットという作曲家の名前とかその作品を知っているという現役の吹奏楽奏者の方って
もしかしたら皆無に等しいのかもしれないですね・・(泣・・)
私が現役奏者の頃ですら「ベネット・・誰それ・・?」みたいな感じも否定はできなかったと思いますので、
それから数十年後の現在においては、尚更「誰、それ・・?」みたいな感覚なのかもしれないです。
ベネットという御方は、リードとかジェイガーとかチャンスとかC.ウィリアムズなどのようなバリバリの管弦楽&吹奏楽の
作曲家という訳ではなくて、どちらかというとベネットのライフワークは、ブロードウェイミュージカルの編曲家という
印象の方が強いように思えます。
ちなみにですけど、「南太平洋」とか「マイ・フェア・レディ」・「王様と私」といった歴史に残る名ミュージカルの楽曲のアレンジを
ベネットは担当しています。
1955年には映画「オクラホマ」の音楽にて、ベネットはなんと・・!アカデミー賞も受賞されています!

ベネットの吹奏楽作品はそれほど数が多い訳ではないのですけど、
先日の当ブログのリードの第一組曲が「古き良きアメリカ」を象徴したような作品と申し上げたのですが、
その言葉はむしろベネットの「シンフォニック・ソング」の方がより相応しいと言えるのかもしれないです。
この「シンフォニック・ソング」とかやはりベネットの「古いアメリカ舞曲による組曲」を聴くと
今現在のインチキ国家アメリカとか商業主義の胡散臭さとか自国と自分の利益ばかり露骨に追及し
「自分さえよければ他国・他者の事などどうでもいい・・」というアメリカの風潮がなんだか恥ずかしくなってしまいそうですし、
ベネットがシンフォニック・ソングを作曲した頃の1950年代の「努力を重ねていればいつかは報われる事があるのかもしれない」
というアメリカの当時の美しい理想主義がそこはかとなく感じられますし、
やはりそこには良心的で他人の痛みも分かるという「古き良きアメリカ」の理想的な姿を思わず感じ取ってしまいそうな
曲なのだと思います。
それにしてもベネットの「シンフォニック・ソング」のこのほのぼのとした雰囲気とか
「みんなと一緒に自分も頑張るし、とにかく出来る限りのマイベストを尽くそう!」みたいな健全さが至る所から
伝わっているようにも感じられます。
いいですねぇ~! この古き良きアメリカへのオマージュ!
もしかしてですけど、この曲の考えと対極にありそうな吹奏楽作品というと、メリッロの「アメリカの騎士~選ばれし者」
なのかもしれないですね・・(笑)
1950年代~70年代初めの頃のアメリカの吹奏楽オリジナル作品って、とにかく親しみやすくて分かりやすくて
人の心にすーーっと入り込んでくる感じがとても素敵だったと思いますし、
やはりそこには
「頑張って努力を重ねていけばいつかは必ず報われるのかもしれない」みたいな健全で前向きな風潮と言うのか空気感が
あったのかもしれないですね。
今現在の「汗をかかないでひたすら株式のちょっとしたタイムラグとか他人よりもいち早く知り得た情報をとことん利用して
瞬間的にかつぼろ儲けをする」とか「社会や国民の間に格差が生じても仕方がないことだ・・第一自分だけが
儲けて何が悪い! 自分のように情報や知識を得ようともしない奴らがそんな事ほざいても所詮は負け犬の遠吠え・・」
みたいなアメリカの風潮とはエライ違いがあるようにも感じられます。
こうした古き良き時代のアメリカの吹奏楽オリジナル作品って、前述のリードの第一組曲とかベネットの曲以外では、
ジェイガーの第三組曲とかコープランドの戸外のための序曲とかグールドのサンタ・フェ・サガとか
オリヴァドーティのバラの謝肉祭とか、クレストンの祝典序曲とかC.ウィリアムズの交響的舞曲第三番や交響組曲とか、
ワルターズのジャマイカ民謡組曲とかシューマンのチェスターとかジャンニー二の交響曲第3番とか
モリセイの組曲「百年祭」とかカーターのクイーンシティ組曲とかニクソンの「平和の祭り」とかま―――、とにかく素敵な名曲が
目白押しだと思います。
もちろん今現在の吹奏楽コンクールで大人気のスミスの「ダンス・フォラトゥーラ」みたいな豪華絢爛な曲も
私自身とっても大好きなのですけど、こうした古き良きアメリカを彷彿とさせる50~70年代のアメリカの吹奏楽オリジナル作品も
絶対に忘れて欲しくないと思いますし、演奏され続けて欲しいと思っています。

ベネットの「シンフォニック・ソング」は、今聴いてみると決して華やかさや派手さはない曲ですけど、
曲の構成もしっかりしているし、聴いていて楽しいし、
私的には吹奏楽の数少ない名作古典曲の一つだと認識しています。
吹奏楽の古典というと、ホルストの第一組曲・第二組曲やグレンジャーのリンカンシャーの花束、
リードのアルメニアンダンス辺りなのかもしれないですけど、そうした曲に肩を並ばせても全然遜色ない曲だと思います。

この「シンフォニック・ソング」は下記の三楽章から構成される組曲でもあります。

Ⅰ.セレナーデ

Ⅱ.スピリチュアル

Ⅲ.セレヴレーション

Ⅰのうきうきした感じは聴いているだけでなんかホッ・・とするというか心がリフレッシュされるようなおおらかさが
あると思います。
スコア上では3/8拍子なのですけど、2拍子と3拍子が混在しているようにも聴こえるリズムの面白さがあると思います。
全体的にはゆったりとした牧歌的な曲です。
ちなみにですけど、フェネル指揮の東京佼成のこの曲を収録したCDをよく聴いてみると、このⅠが終わった際に
フェネルの「OK・・」みたいな声が微かに収録されているのがなんとも楽しいです・・
Ⅱの「スピリチュアル」とは精神とかそういう事ではなくて、黒人の「霊歌」という側面が大変強いように
感じられます。
最近当ブログでは「響け! ユーフォニアム」に関連してユーフォニアムが活躍する吹奏楽オリジナル作品も
いくつか取り上げさせて頂きましたが、このシンフォニックソングのⅡもそうでしたね・・・!
このユーフォの朗々とした歌い廻しは大変素晴らしいと思いますし、ユーフォ奏者にとっては腕の見せ所だと思います。
そしてこのユーフォからオーボエ・トランペットへとメロディーラインが継承されていく様子は
とっても見事なものがあると思います。
全体的には大変しっとりとした抒情的な楽章だと思います。
Ⅲのリズム感と躍動感は素晴らしいです! ラストを飾るのに相応しい楽しさに溢れていると思いますけど、
決して羽目は外さず、その上品さ・洗練さもお見事だと思います。
トロンボーンのグリッサンドを交えた序奏はとっても楽しいし、あのウキウキ感は聴いているだけで
心ぴょんぴょんしそうです・・(笑)
その後に出てくるトランペット、トロンボーンの旋律では意図的に半音ずらして書かれていて
賑やかさと滑稽さを感じさせると同時にベネットの「巧さ」を感じさせていると思います。
このⅢの途中で思いがけず入り込んでくるホイッスルの音も実に意表をついていると思います。

本当に名作中の名作吹奏楽オリジナル作品ですね!!

でも、この曲は吹奏楽コンクールではほとんど演奏されません。
というか、最近のコンクールでは、ベネットという名前さえほとんどお目にかかれないのは大変残念なものがあります。
出来れば、今現在ののスクールバンドで吹いている生徒たちにも是非聴いて欲しい曲の一つです。

この曲の全国大会の演奏で印象的だったのは、1975年の函館中部高校の演奏です。
(といっても函館中部以外にこの曲を演奏したのは1960年代の神奈川大学だけです・・)
評価は銅賞でしたが、私はこの銅賞はちょっと納得いかないですね・・
1975年と翌年は極めて審査結果が厳しく、出場チームの半数程度が銅賞とい激辛審査という背景もあったかとは思うのですが
この銅賞はちょっと厳しすぎますね・・
(ちなみにですけど、1975年の北海道代表は3チームもありました!)
函館中部高校は、課題曲の「吹奏楽のための練習曲」も大変爽やかでしたし、
自由曲の「シンフォニック・ソング」はⅠ・Ⅲ楽章を取り上げていましたが、
技術的には変拍子も無難にこなし、楽しい雰囲気も十分出ていたし、
どこに問題があるのか分からないという感じです。
(こうした地味な曲は、曲の盛り上がり方が難しいし、聴衆へのアピールは確かに難しいかもしれないですね・・)

シンフォニックソングを吹奏楽コンクールで最後に生で聴いたのは、関東大会の中学校B部門の
埼玉栄東中だったと思います。
学校名から察しがつく通り、吹奏楽の名門の「埼玉栄高校」と同系列の学校なので、
思いっきり期待していたのですが、思いっきり期待を裏切った演奏でした・・・(汗・・)

1994年の東海支部の支部大会で、確か飯田市民がこのベネットの「シンフォニック・ソング」のⅢを自由曲として
演奏していたのは、よく覚えています。
確かこの年の東海大会の一般の部の開催は静岡県富士宮でしたので、当時住んでいた山梨から身延線を利用して
この富士宮までやってきたという記憶があったりもします。
94年の課題曲は、饗応夫人のように長く難解な課題曲だらけの年でしたので、
自由曲は、3~5分程度の短い曲ばかりでしたので、シンフォニック・ソングのⅢはうってつけの自由曲の一つだったのかも
しれないですね。 

94年の場合、課題曲Ⅳの「雲のコラージュ」を取り上げる団体が圧倒的に多かったのですが、
私はこの課題曲が大嫌いの上に、下手なチームがこの曲を演奏すると拷問以外なにものでも
なかったので、本当に苦痛でした・・・(汗・・)
でも浜松交響とか、札幌白石、福岡工大付属のように、上手で曲の構成をよく
考えたチームが演奏すると、本当に魅力的になってしまう曲なのですけどね・・・ 
現在の吹奏楽コンクールにおけるB部門・小編成部門においては、県大会や地区予選では
今でもコーディルの「吹奏楽のための民話」が演奏される事が多々あり、懐かしくも感じますし
「こういう平易なんだけど吹奏楽名オリジナル曲は忘れることなくずっと演奏され続けていてほしい」と常日頃から
感じている私にとっては大変嬉しいことなのだと思います。

私が高校生の頃までは、作曲者の表記は、カウディルと表記されることが多かったのですけど
いつの間にかコーディルという風に表記が変更になっていました。
(「シンフォニア・ノビリシマ」でお馴染みのジェイガーも1970年代初めの頃までは、ジャガーとかイェイガーと呼ばれることも
ありましたので、それに近いことなのかもしれないですね・・)

この「吹奏楽のための民話」は実に平易に書かれていて、演奏するうえで難しい箇所は多分一か所もないと思いますし、
「初見演奏でこの曲を吹きなさい」と言われてもほとんどの方は普通に吹けちゃうほど技術的には大変簡単ですし、
吹奏楽初心者とかそれほど合奏経験がない方とか中学生の小編成部門にはこれほどうってつけの曲は無いとすら
思っていたりもします。
シンプルで分かり易く、技術的には難しい部分はほとんど無いのになぜか演奏効果が大変高く、
序盤のクラリネットの透明感溢れるあのユニゾンのメロディーは一度聴いたら忘れられないものがあると思います。
メロディーラインが、非常に素朴でシンプルでとても懐かしい香りがする曲だと思います。

タイトルには「民話」とありますが、特定の民話のメロディを使ったわけではなく、
コーディル自身が創作したものであると思われます。
民謡風の表情豊かなメロディが美しく、特に冒頭のクラリネットが印象的です。
「クラリネットが低音域でメロディを吹く曲」と言えば、まずこの曲が挙がるのかもしれないですね。
アメリカの古い民謡とか俗謡とか黒人の霊歌とか子守歌とかそうしたアメリカ国内で馴染みのあるメロディーを特に
引用したわけではないのですけど、なぜかこの曲を聴いてしまうとしんみりとしてしまい、
まるでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とか交響的舞曲とかドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」~第二楽章を
聴いているかのような「郷愁」とかどこかメランコリーみたいなものを感じさせてしまう
本当に不思議な曲であるとも思えます。
そうですよね! 日本でこの曲が演奏され始めたのは1960年代なのですけど、それから50年以上に渡って
このコーディルの「吹奏楽のための民話」が忘れることなく演奏され続けていたのは、この「なつかしさ」にも
あるのかもしれないですね。

私が中学生・高校生辺りの時代ですと、よその学校がこの曲を吹奏楽コンクールの自由曲として選ぶと
「あー、あの学校よほど腕に自信が無く、仕方なくあの曲を選んだのかな・・?」といらぬ邪推をし、半分バカにしたものですが、
現在改めて聴くと、曲自体の構成が大変しっかりしているし三部構成で非常に理解しやすく、
冒頭の堂々とした雰囲気とか序盤のクラリネットによる透明感あふれる溌剌としたリズムが面白いと感じますし、
決してバカにすることは出来ない素晴らしい名曲だと感じます。

初見演奏も全然可能な曲だからこそ、特にジュニアバンドには一度は演奏して欲しい曲です。
同じことは、オリバードーティーの序曲「バラの謝肉祭」・「美しき剣士」とか
カーターの交響的序曲・「ラブソディックエピソード」・クイーンシティ組曲などにも言えるんじゃないのかな・・?

コーディルというと・・当時の私たちは

〇吹奏楽のための民話

〇ランドマーク序曲

〇オデッセイ序曲

以上の三曲を「簡単すぎる三部作」とか陰口を叩いていましたが、今改めてこの三曲を聴いても
構成はしっかりしているし、メロディーラインがはっきりと浮き出ていて分かり易いという意味では
現役奏者の皆様にも「一曲ぐらいはコーディルを吹いてほしいよね・・」と感じてほしいですし、この素晴らしき
吹奏楽オリジナル名曲は絶対に後世に受け継がれてほしい曲の一つです!
(コーディルというと上記3曲以外ではヘリテージ序曲も素晴らしい曲だと思います!)
オデッセイ序曲は冒頭がトランペットソロから開始されるのですけど、下手なチームはたいていこの部分を外すことが
多かったですね・・・(汗・・)

ちなみに「吹奏楽のための民話」は何と全国大会では5回も演奏されています。
と言っても内4回は、昭和45年以前の金銀銅のグループ表彰制度以前の順位表彰の時代ですけどね・・・
1970年代でも福井銀行がこの曲を自由曲として演奏し、確か銀賞を受賞していました。
福井銀行の場合、当時の頭取が「これからの銀行マンは軟弱ではいかん! 行員たちも吹奏楽を経験し、
タフな気持ちで仕事も吹奏楽も臨んでほしい」という鶴の一声で吹奏楽団が結成されたみたいなエピソードが
当時のBJで紹介されていたのが印象的です。
そうですね・・私自身も実は1988~2001年までは某地方銀行に在籍していましたけど、当時の会長・頭取から
「これからの銀行マンは軟弱ではいかん! 行員たちも吹奏楽を経験し、
タフな気持ちで仕事も吹奏楽も臨んでほしい」という鶴の一声が最後まで掛からなかったのは惜しまれますね・・(汗・・)
しかもその地方銀行は2001年に経営破綻により倒産してしまうしー!! (滝汗・・)
やはり行員たちが吹奏楽団を職場内に結成せずに軟弱だったのが破綻の原因の一つだったのかな・・??

ちなみにですけど「吹奏楽のための民話」は、全国大会では他には
函館西高校とか富山吹奏楽団、日立製作所も確か演奏していたと思います。

吹奏楽コンクールに限らずこうした古典的なシンプルな曲も、たまには現役奏者の皆様にも演奏して頂きたいです!!
ジョン・バーンズ・チャンスの「呪文と踊り」が吹奏楽コンクールに初登場したのは1970年代なのですが、
この素晴らしき名作吹奏楽オリジナル曲は、今現在でも、支部大会でも全国大会でもずっと演奏され続けており、
それは吹奏楽オリジナル曲としては珍しい事であり、
これだけ長期間愛好され続けているのは「名曲」である証拠なのだと思います。
(評論家の皆様が「この曲は素晴らしい」と絶賛されてもほんど演奏されないのは、名曲たる資格を有していないのかも・・?
中には、ネリベルの「シンフォニックレクイエム」のように演奏したくてもあまりの難解さとコーラスが必要という演奏条件の
難儀さゆえに演奏機会に恵まれていないという例外的な作品もあるのかもしれないです)
私自身、チャンスと言うと一番最初に生演奏で聴いたのは、実は「呪文と踊り」ではなくて、
「管楽器と打楽器のための交響曲第2番」なのでした。
演奏頻度と言うと「朝鮮民謡の主題による変奏曲」の方が人気は高いと思いますけど、
この「呪文と踊り」も交響曲第2番や朝鮮民謡の主題による変奏曲に劣らない素晴らしい名作だと思います。

「呪文と踊り」は冒頭のの低音のフルートソロが実にいいですね。
この不気味な出だしが、この曲の全てを物語っているといっても過言ではありません。
「これからなにか不気味な事が始まる」という予感めいたものを感じずにはいられないミステリアスな序盤だと思います。
考えてみるとチャンスの管楽器と打楽器のための交響曲第2番第一楽章も、そうした「予感」とか「ミステリアスさ」に
満ち溢れていましたので、このチャンスという作曲家の「冒頭」は何やら意味深なものが多いと言えるのかもしれないです。
(「朝鮮民謡の主題による変奏曲」も冒頭のあのアリランのクラリネットによる哀愁溢れるメロディーは、
聴く人の心を打つものが間違いなくあると思います!)
「呪文と踊り」のあの出だしに心を動かされてしまうとこの曲の世界に一気に入ってしまうという感じがあります。

「呪文と踊り」は実に単純明快な二部構成でフルートソロから開始される神秘的な「呪文」の部分と
打楽器のエキゾチックな響きが実に印象的な「踊り」の部分から構成されていますけど、
この二つの部分の明確な相違性によるドラマ性とか打楽器の効果的使用といった巧みな楽器構成とか
実によく考えられた作品だと思います。
こうしたシンプルさと分かりやすさというのが、この曲を作曲から40年近く経過しても演奏され続けている大きな要因にも
なっていると思いますし、この曲を吹奏楽オリジナル曲の名作としていまだに名を馳せている理由にも
なっているような気がします。
曲が単純明快なだけに、飽きが来やすいとも思うのですが、長期間多くのチームによって演奏され続けているという事は
演奏するごとに何か「新しい発見」があるような曲と言えるのかもしれません。

この曲の「踊り」の部分では打楽器が大活躍します。
冒頭の「呪文」の部分は、かなり長いフロートソロから開始され、序盤はゆったりとした展開がかなり長く続き
かなり不気味な雰囲気を演出しています。
この不気味さは「おどろおどろしい感じ」でもあり、いかにも「呪文」という雰囲気に満ち溢れ、聴き方によっては
呪文は呪文でも人を呪い殺すような呪文のようにも感じたりもします。
そして前半の「呪文」の部分が閉じられると、いよいよ「踊り」の部分が開始されます。
この踊りの部分なのですけど、マラカスから始まって、打楽器が一つずつ加わっていく感じで曲が展開されていきます。
その打楽器の順番は、マラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレスの順に加わっていきます。
この部分はパーカッション奏者にとっては大変プレッシャーが掛る大変な部分ですけど同時に大変な腕の見せ所だと思います。
全体的にこの曲はかなりの数の打楽器を使用しますし、
奏者は、フルスコアを見れば一目瞭然なのですけど、ティンパニが1名・残りの打楽器に6名、合計7人は絶対に必要です!
というのも・・・
7人が同時に音を出す箇所もあるので、打楽器奏者の数を減らす事は、何らかの楽器の音を
削除することになってしまい、この曲の魅力が明らかに薄れてしまうのであまりやっては欲しくないですね。

この曲を初めて耳にした方は多分感じると思うのですけど
「え・・この曲ってとてつもない変拍子なの・・・?」と感じるかもしれないのですが、
フルスコアをご覧になって頂ければ一目瞭然ですし、音楽自体をじっくりとよく聴きこめば分かるかとは
思うのですけど、
実際は実に単純な4拍子の曲です!! たまに3拍子のリズムも入ってきますけど基本はあくまで単純な4拍子です。
この曲、なんでこんなに変拍子のように聴こえるのかな・・・?
多分ですけど、裏拍の使用が大変多くて、リズム感が大変取りにくいというのが一因で
ないのかなと推察いたします。

指揮自体はそんなに難しくは無いと思いますが、奏者の皆様は厄介な部分が多いと思います。
特にフルートソロ担当の方と打楽器セクションが大変そうですね。
特に打楽器は「リズムの切れ」が要求されるし、奏者全体のリズムを合わせるのが大変だと思います。
同じチャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」も打楽器セクションは合わせるのが大変だと
思うのですけど、この曲も合せるのは同じくらい大変そうだと思います。
前述の通り基本的には4拍子だから、何とかなるとは思うのですけど、練習段階から「周りの音をよく聴く事と
全体に合わせる事」は必要不可欠な事だと思います。

「ファンファーレとアレグロ」・交響的舞曲第三番「フィエスタ」でお馴染みの、クリフトン・ウィリアムズも
若くしてこの世を去り惜しまれましたが、チャンスも「まだまだ、これから・・」という作曲家として大変脂がのっていた時期に
この世を去る事となり、あまりに早すぎる死が惜しまれる作曲家です。
フェンスに設置された電気金網に接触し感電死という非常に気の毒な事故死をされたのですけど、
実は亡くなる直前に「エレジー」という胸が痛くなりそうな悲愴感溢れる作品を残しています。
これってもしかして、何かしらの「前兆」というか「予知」というか「避けられない運命」みたいなものを
感じていたのかもしれないですね・・・
もしかして・・? 自分自身の「死」を予感させる何かがチャンスの中にあったのかもしれないです・・

「呪文と踊り」の最大の聴きどころの一つである、マラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレス
という打楽器が一つの楽器ずつ加わっていく箇所なのですが、
この部分で使用される打楽器はかなり珍しいものも含まれていますので
簡単に紹介をさせて頂きたいと思います。
(ちなみにですけど、以前も何度も書いたことがある通り、私自身の楽器経験は中学~大学でのクラリネット9年と
アルトサックス1年なのですけど、実は小学校の管楽器クラブでは打楽器奏者でもありました)




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これは「マラカス」です。

日本ではどちらかというとカラオケ店に置かれているグッズとしての方が馴染みがあるのかな・・・?

主にマンボやサルサなど、スペイン語圏のラテン音楽で使われる楽器なのですけど
ポルトガル語圏のブラジルのサンバでは、この楽器が使用される事は少ないとの事です。




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これは「クラベス」です。

2本の棒状の木片を打ち合わせることで明るいカチカチとした音を出しますけど、
日本の楽器の「拍子木」と極めて近いものがあると思います。




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これは「ギロ」です。

ヒョウタンの内側をくりぬき外側に刻みを入れて棒でこすったり叩いたりして演奏しますけど
基本的には、ギーーーチャッチャッ!!という洗濯板と石をこすり合わせたような独特の音を出します。
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」第一部でも使用され、面白い響きの効果を演出しています。




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上記の楽器は、これらの楽器の中では一番馴染みがある「タンバリン」です。
タンバリンは簡単な楽器と思っている人は多いと思いますけど、全然違います!!
鈴の使い方とか皮の叩き方とかこすり方など相当奥深い楽器だと思います。

吹奏楽オリジナル作品ではリードの「アルメニアンダンス パートⅠ」での使い方が実に巧みですし、演奏効果が
大変高いように感じられます。





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この楽器は「テンプル・ブロック」です。

この楽器は「木魚」みたいなものですし、木魚に近い高音のコーンコーンという音が出ます。
一般的には、ないし5個程度を音高順に並べて、専用のスタンドにつけられたものが用いられる事が多いです。

この楽器は、同じくチャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」でもかなり効果的に使用されています。
管弦楽曲としては、コープランドの「エル・サロン・メヒコ」とか
メシアンの「トゥーランガリア交響曲」での使用が大変印象的です。





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この楽器は「ティンバレス」です。

金属製の胴に主にプラスチック製の膜)張った、スネアドラム(小太鼓)に似た太鼓を、
二つ横につなげた楽器です。
基本的にはスティックを使いますけどまれに指で叩く場合もあります。

ちなみにこのティンバレスを所有していないのか音のイメージ感の違いなのか指揮者の好みなのか
よく分かりませんけど
この楽器の代用品として「ボンガ」を使用していたチームもありましたけど、あれだとリオのカーニバルみたいに
聴こえてしまいそうな気もしますね・・





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最後に・・・・

このブログでも以前取り上げたラヴェルの「ピアノ協奏曲」とかブリテンの「青少年のための管弦楽入門」で登場し、
この「呪文と踊り」でもバシッ! バシッ!!と効果的な使用がなされる「ムチ」ですけど、
木の板を合わせてバシッ!!という音を出す感じの楽器です。
ムチというと、競馬の騎手が馬に対して当てるものとかなんかの女王様がMっぽい人に当てるものというイメージが
あるのかもしれないですけど(汗・・)
音楽の世界での「ムチ」とは、木の板を合わせるような楽器の事を示します。

ちゃんと、手に固定されるように止め具が付いているのが奏者に対する配慮なのかもしれないですね。

この「呪文と踊り」は、打楽器の効果的な使用も素晴らしいけど管楽器との掛け合いも大変見事だと思います。

ちなみにですけど、上記のマラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレスの登場箇所は
計二か所出てくるのですけど
二度とも一つの楽器が順番に一個ずつ登場していきますので、その追加されていく響きが
とっても面白いです。そしてここに絡んでいく管楽器の使い方は名人芸みたいなものを感じさせてくれていると思います。

この曲はこの先もずーーーっと後世に受け継がれていってほしい曲の一つです!!

「呪文と踊り」はこれまで全国大会でも何度も演奏されているのですけど、私の好みに「ドンビシャ!」という演奏は
残念ながらまだ出てきていないように感じられます。
1984年のからす川音楽集団による演奏は、とてつもなく洗練された美しい響きなのですけど、
音楽自体がちょっとふわっ・・とし過ぎていて、もう少しシャープな感じが欲しいですし、特に冒頭部分は
どす黒いテンションみたいなものも欲しいと思ったりもします。
この曲の名演CDというとフェネルの東京佼成を挙げたいと思うのですけど、ちょっとテンポが遅いというのか、
切れ味がちょっと悪いと言うのか部分的にテンポが間延びして聴こえるのは、全体の雰囲気が悪くないだけに
惜しまれるものがあると思います。

そうした中、「呪文と踊り」と言うと、知る人ぞ知るという範疇になってしまうのですけど、
1975年の秋田県代表の横手高校の全国大会での演奏は私は大好きです!
コンクールの評価としては銅賞という結果に終わっているのですけど、この1975年の高校の部は、
19チーム中10チームが銅賞という激辛審査の年でしたので、私個人としては横手高校の銅賞はちょっと気の毒な
感じもあったりします。
(ちなみにですけど、この年の高校の部に出場した19チームの課題曲は全てCの吹奏楽のための練習曲でした)
横手高校の「呪文と踊り」は今現在の感覚で聴くとかなり雑で粗っぽい印象が強いです。
音量的にも少し頑張りすぎちゃっていて、強奏と弱奏のコントラストをもっと強調して欲しかったですし、
音色が部分的に濁って汚さすらも感じられた箇所があるのは否定はできないと思います。
だけど横手高校の演奏は、実に切れ味がシャープです!!
冒頭もそうですけど、踊りの部分の前述の打楽器の使い方が大変巧いですし、何よりも曲全体を貫く
「どす黒いテンション」みたいなものが実に見事に表現されていると思います。
魔法使いの呪文というよりは、魔女たちの「人を呪い殺すための呪文」みたいなミステリアスさとどす黒さが
音楽として的確に表現されていると思います。
確かに粗雑なんだけど、人間の魂を無理やり揺れ動かせてしまうどす黒さが前面に出ている点は高く評価されて
然るべき演奏だと思います。
全体的に音色が明るいのはとてもよかったと思います。
この当時の秋田県の吹奏楽と言うと「佐藤先生時代の花輪高校」でどちらかというと音色が渋くて暗めという雰囲気
でもありましたので、横手高校のあの「明るさ」は逆に新鮮に感じたものでした!
このブログでは何度も書いている事なのですけど、
1980年の吹奏楽コンクールは特に高校の部においては、私的には「一つの頂点」というのか
そのレベル、音楽的表現は一つの「最高水準」に達した年にも感じられますし、
高校の部のあの異常とも感じられるとてつもないレヴェルの高さは感嘆するばかりですね!
特に秋田南・花輪・前橋商業・銚子商業・市立川口・玉川学園・高岡商業・兵庫・天理・淀川工業・就実のウルトラ級名演は
驚異的なものがありましたし、
一つの吹奏楽コンクールだけであんなにも怒涛の超名演が続出していた事は「一つの奇蹟」なのだと思います。

この年の課題曲四曲は、今にして思うとかなりバラエティーに富んでいて大変面白かったと思います。
特にA~Cは、日本の祭り・民謡をモチーフに書かれていて、
Aの「花祭り」は日本の古き良き伝統を、Bの「南の島から」は沖縄の民謡を、
Cの「北海の大漁歌」は北海道の民謡をベースにしてあり、
三曲ともに「日本古来のもの」をテーマにしているのが面白いと思います。
(Bが沖縄、Cが北海道の民謡という日本の端と端のエリアの民謡をモチーフにしているその対照性が
今にして思うと大変興味深いものがあると思います)
このように課題曲の大半がこうした「日本古来の素材」をベースにしている年というのもあまり例がなく
その意味でも大変面白い試みだと今でも感じる事があります。

1980年度全日本吹奏楽コンクール・課題曲C / 北海の大漁歌は、曲の冒頭から最後まで終始一貫して
北海道の民謡の「ソーラン節」が「これでもかっ!」と執拗に何度も何度もテーマとして登場する大変親しみやすくて
わかりやすい音楽だと思います。
この課題曲を初めて聴く方でも間違いなく「どこかで聴いたことがメロディー」と感じると思いますし、日本人にとって
大変馴染みやすい旋律のソーラン節があちこちに顔を出してきますので、
「全然聴いたことが無いメロディー」と感じる方はほぼ皆無だと思います。
曲の冒頭は、ホルンとアルトサックスによるゆったりとしたソーラン節による夜明けの海上の情景から開始され、
昼間の操業の様子を描写した場面は、ソーラン節がほぼそのまんま転用されています。
そしてアルトサックスのソロをきっかけに一転して楽しい雰囲気から厳しい雰囲気へと曲想が変化し、
嵐と荒れる海上によって漁船が転覆する海難事故の場面へと物語が展開していき、
その海難事故の死者を弔うかのようなトランペット・オーボエ・フルートの三つの楽器による「悲しみと弔い」の音楽が
展開されていきます。
だけどそうした悲しい事故を乗り越えて、海の男たちは生きるために・・家族の生活を守るために再び海へと乗り出し、
ソーラン節の音楽に乗る形で操業、そして大漁の喜びに溢れる中漁港に帰還する・・
そういった一つの物語がソーラン節をモチーフにしながら音楽としてストーリーが進展していくという4分半程度の
一つの音楽物語と言えるのかもしれない課題曲なのだと思います。
ゆったりとした海上の情景も操業の様子も嵐も悲しみも全てぜんぶがぜんぶ「ソーラン節」一色に塗りつぶされている
課題曲と言えるのだと思います。
後述しますけど、この「北海の大漁歌」は私自身の中学三年の時の吹奏楽コンクール課題曲でもあったのですが、
とにかく耳にタコが出来るほど「ソーラン節」を吹きまくっていたという印象がありますし、
吹奏楽部の全体練習は音楽室でやっていたのですが、窓は全開状態で練習していたため、校庭の運動部とか
学校内の文化部や図書館で自習していた生徒の耳には、この年の夏はソーラン節が響き渡りの状態になっていて
よくクラスの同級生から
「おまえらうるせー、なんでああやって毎日毎日ソーラン節ばっかり吹いているんだよっ!」と文句を言われましたけど、
だって、コンクールの課題曲じゃ仕方ないですよね・・(汗・・)

私は小学校から吹奏楽に関わりを持ち、小学校の管楽器クラブでは打楽器を担当し、中学から大学の10年間は、
一年間を除いて担当楽器はずっとクラリネットだったのですけど、
1980年の一年間だけは、唯一違った楽器を経験できました。
この年は、クラリネットからアルトサックスにコンバートされ、一年間だけアルトサックスを
担当したのですけど、以前このブログでも書いた通り、
実はアルトサックスほど音が出やすく簡単にヴィヴラートを掛ける事が出来る楽器はないせいか、
アルトサックスを吹くのが楽しくし楽しくて仕方が無くてこの一年間は楽器を吹く事自体はとても楽しかったです。
(過去記事・・特に「響け! ユーフォニアム」カテゴリで散々愚痴っているように、中学の頃は、部長職を押し付けられたこともあり
 部員の大量退部事件とか顧問の先生のとにかく強烈な上から目線の威圧的指導にほとほと嫌気が差していて
当時の心境としては、「音楽も吹奏楽も大嫌い! 」という感覚が当時は大変強かったです・・)
この年は課題曲C/北海の大漁歌にアルトサックスにもソロがあり、私もソロを吹いたものでした。
後にも先にも吹奏楽コンクールでソロを吹いたというのはこの年だけでした。

この年、1980年の吹奏楽コンクールは、
「出来れば課題曲はマーチのD/オーバー・ザ・ギャラクシーを選んでくれないかな?」と密かに期待していたら
課題曲はC/北海の大漁歌をあのおっかない顧問の先生が選んでしまい、
「まじかよ・・・・えー、これから半年近くもソーラン節という民謡を練習しないといけないのか・・・」と危惧した所、
その杞憂は現実のものになってしまい、先生の厳格な管理指導の下、えんえんとソーラン節を吹く羽目になってしまい、
その先生が練習中に熱血のあまり
「なんでお前たちはそんなに気持ちが乗らない演奏をするのか!! そうだこの素朴で躍動的な民謡は体で覚えないといけない。
 だからお前たちも今から、オレに続けて踊れ!!」なんて唐突に言い出し、
「ヤーレン、ソーラン、ソーラン・・・」と歌いながら、舟をこいだり網を引っ張る先生の勝手な創作ダンスの
振付を覚えさせられ、
歌いながらこのヘンテコダンスを踊らされ、
「どだ!!、そろそろこの曲のリズム感が体に染みついたか・・」とか言われてやっと合奏練習に戻ったものの
そこでまた「下手くそ!!」だの「リズム音痴!!!」だの怒られまくり
ポンコツダンスはさせられるし、怒られまくるし、
この「ソーラン節」というのか北海の大漁歌という課題曲を聴くと、
今でも当時の「苦い夏の思い出」が蘇ってきますね・・・・(汗・・)
上記で書いた通り、アルトサックスには「ソロ」もあったりして、吹奏楽コンクールの本番はとにかく緊張しまくりだったと
思います。
というか・・あのとてつもない重圧・・プレッシャーは今でも鮮烈に私の記憶の中に留まっていますね!
地区予選も県大会もなんとかミスなくソロは乗り越えられましたけど、後で自分たちの実況演奏をテープで聴いてみると、
私のソロの部分は練習以上にヴィヴラート(細かい音の揺れ)かけまくりで、
なんかあれを聴くたびに「あの本番の時はソロというプレッシャーでびびってしまい、声が震えるように
楽器の音色にも震えが生じていたのかもしれないですね・・汗・・!

1980年の私自身の吹奏楽コンクール・県大会は銀賞という結果に留まり、
支部大会代表はおろかダメ金すらも取れないというトホホ・・な結果に終わってしまったのですけど、
本番の演奏終了後に全体の集合写真に写っていた私は、周囲の人たちが「普段の練習が全然発揮できない
惨憺たる演奏をやっちまった・・」みたいなボー然としている表情をしている人ばかりなのに、
なぜか当時、吹奏楽部部長の私は一人だけニッコニコの満面の笑顔で写っていました。
それはなぜかというと、
「これでやっと3年間に渡って首根っこを押さえられとにかくギャンギャン怒られまくったあのおっかない顧問の先生から
解放される! これでもう怒鳴られることもないし、毎日のように下手くそ!と怒られる事もなくなる!
これで大嫌いな吹奏楽とおさらばできるじゃん!!」という感覚だったのかもしれないですね・・・
実際問題、私自身は、中学の卒業文集で延々と吹奏楽部への愚痴と恨みつらみを書きまくり(汗・・)
締めの言葉として「私は高校に入ったら絶対に運動部に入る! もー金輪際、吹奏楽部とか音楽に関わる事は
真っ平御免!」とはっきりと明示していましたからね・・(汗・・)
後日、高校に入学後もちゃっかり(?)吹奏楽部を続けていた私に対して、
「えー、おまえ卒業文集で吹奏楽は絶対にやらないといっていたじゃん! このうそつき!」とも結構言われたりも
していましたけどね・・(滝汗・・)
というか・・高校の吹奏楽部でまさかああした素敵な出会いがあるとは当時の私には知る由もありませんでしたし、
その二年後に、このブログでは何度も書いている通り、1982年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会にて
花輪高校吹奏楽部によるウォルトンの交響曲第一番第四楽章という「魂の演奏」に出会った事で、
私のそれまでの吹奏楽観・音楽観がすっかり劇的に変ってしまい、私自身が中学時代の音楽嫌いから
「吹奏楽・クラシック音楽という深い森の中に迷い込むきっかけ」が出来てしまったという事も知る由もなかったのです。

話を私自身の中学三年の時の吹奏楽コンクールに話を戻しますと・・

県大会の演奏は自分で言うのも何ですけど本当にズタボロの演奏でした・・・(汗・・)
せめて地区予選の時みたいな演奏が出来れば後悔はなかったと思うのですけど
本当にほんとうに惨憺たる出来栄えで練習の成果は全く発揮されていなかったと思います。
コンクール前に思っていた事は、
「万一この県大会を通過して県代表に選出されて支部大会に出場する事になったとしたら
あのおっかねー先生にまたまた一か月近く怒られまくる・・・そりゃ嫌だな・・・
だけど本日の県大会で県代表に選出されなかったら、本日をもって引退となってしまい 
明日からは受験に専念せざるを得なくなる・・・
それも嫌だな・・・
あ~あ、どっちも嫌だな・・・一体どうすりゃいいんだろ・・」みたいな
何か気分は・・「to be or not to be」のハムレットみたいな心境だったと思います。
本番の演奏があそこまで見事に崩壊してしまうとは、私を含めて部員全員のこの一年間の
モヤモヤとした鬱積した気持ちとか大量退部者を出してしまった後ろめたい気持ちとか
指揮者の先生に対する反発の気持ちとか、色々あったとは思いますが
結局は最後まで皆の気持ちが一つにまとまらなかったという何かモヤモヤとした鬱積した気持ちが、本番当日の舞台でも
部員全員の「本音」を象徴させるような形となって、「音」になってしまったのかなと思う事は今でもあったりしますね・・・

課題曲Cの出だしから既に何かモヤモヤした出だし・・・
この年は私自身はアルトサックスでの出場でしたけど、課題曲冒頭の音がアルトサックスにとって鬼門というのか
大変音が出しにくい低音から開始されるという事情もあったのですけど
出だしがスカスカの音状態で始まり
「これはまずい・・・」と思ったけど修正できずに曲がどんどん進行し、
中間部のトランペット・オーボエ・フルートのソロの部分では、3人の奏者が全員揃いも揃ってソロを外すという
練習中でもなかった事態が発生し、更に奏者の動揺を招き、課題曲は崩壊状態で終了し、
自由曲も「あれれ・・いつもと調子が違う」みたいな違和感を最後まで吹っ切る事が出来ずに終了し、
ボー然とする中、中学最後のコンクールが幕を閉じたという感覚で終わってしまいました。

当日全部門の審査が終了したのがPM19:00過ぎ・・・
部員全員を残しておくわけにもいかないという事で、部長・副部長、そして指揮者の先生以外は
全員そのまま帰宅となり、
私が部を代表して閉会式と審査結果発表に臨んだのですけど結果は上記で記したとおり銀賞・・
(よくあんなポンコツ演奏が銅賞にならなかったものですね・・・汗・・!)
閉会式で表彰状を貰ったのですけど、全然嬉しくなかったですし、当日の演奏やこれまて゜の部の活動状況に対する
後悔」の感情ばかりが沸き立つ中で・・・
「ああ・・・やっとこれでコイツの指導から開放される・・・明日からは・・・受験のプレッシャーはあるけど
一応自由だ・・!!」
みたいな開放感はものすごく感じていましたし、それが前述の全体集合写真での私のニコニコ笑顔に
なっていたのかもしれないですね。

今現在ですと、メールやラインで当日の審査結果なんかをリアルタイムで回覧できるのですけど
当時は携帯すらない時代(苦笑・・・)
3年生には、直接電話を掛け結果を伝え、下級生には審査結果は明日の朝刊を見ておいて
というのもなんか時代を感じさせますよね。

それでもって帰りはその指揮者の先生の車で学校まで送って貰ったのですけど
最後ぐらい「お疲れ様!!」とか「今まで色々と酷い事ばっかり言ってすまなかった・・・」
「だけど、お前たちも本当によく頑張ってくれた!!」みたいな労いの言葉があるのかな・・・とか
「最後くらい、俺のおごりでなんかうまいものでも食わしてやる! 何でも好きなもの頼め!!」みたいな
嬉しいサプライズでもあるのかな・・・と淡い期待を持っていたら、
その車での送迎中も一時間近く延々と部長・副部長に対して
「お前たちは、今までオレが面倒見てきた中でサイテーの代!!」
「お前たちぐらい俺の言う事を素直に聞かなかった奴らはいない」 
「お前たちはだからダメなんだ!!」みたいにずーーーーーっと説教の連続でして、

マジであの瞬間は・・・・「こいつ今すぐくたばってしまえ!」と感じていたものでした・・

北海の大漁歌ですけど、この年の課題曲は課題曲A/花祭りに人気が集中しすぎてしまい、
結果的にこの課題曲Cを選曲するチームはどの部門も比較的少なかったと思います。
県大会でも支部大会でも全国大会でも「これが決定的名演!!」と言える演奏があんまり無かったようにも思えます。
強いて言うと、
関西大会の演奏ですけど、大津シンフォニックバンドのテンポいじくりまくりの個性的な演奏とか
四国の富田中学校の大変正攻法で中学生らしい伸び伸びとした演奏は、
とっても素敵な演奏で大変印象に残っています。
そんな中、この課題曲の「最大の名演」がやはりこり東海大学第四高校の演奏だと思います。
全体的に大変オーソドックスでテンポ設定も大変無難で、夜明け→漁の風景→嵐→死者の弔い→漁の再開
みたいな「ストーリー性」が大変生き生きと描かれていると思います。
アルトサックス・トランペット・オーボエ・フルートの各ソロも無難だったと思います。
面白い演出は青森県信用組合だと思います。
ステージ内に大きな「丸太」を持ち込み、
譜面上では、拍子木指定の部分をこの丸太でコーンコーン打ち鳴らし、一定の効果を得ていたのは大変ユニークでした!

最近の演奏技術とか表現が大変難しい課題曲を耳にすると、この時代のソーラン節をひたすらモチーフにした
このシンプルさは逆に新鮮にも感じたりもしますし、
やはりこの課題曲を聴くと、今でも中学生当時の私の「感覚」・「記憶」が蘇ってくるのもなんだか自分自身すごいな・・と
思ってもしまいますね!
昨日の記事は、A.リードの吹奏楽のための第一組曲というちょっと知る人ぞ知るみたいなマイナーの曲の紹介と
なりましたけど、本日の記事も前日同様にリードの曲です!
昨日も語りましたけど、最近リードの曲自体コンクール・コンサート等で耳にする機会は少なくとも20世紀の頃よりは
かなり減っているように感じられます。
今現在ですと、アルメニアンダンスパートⅠ・オセロ・春野猟犬・エルサレム讃歌ぐらいしか演奏されないのかな・・?

本日の記事は、そうしたリードの曲としては現在では演奏される機会はほとんどないのですけど
(第一組曲よりはまだ演奏される頻度は高いのかも・・?)
吹奏楽コンクールの自由曲ではなくて、定期演奏会・駅コン・コンサートのオープニングに相応しいような
演奏時間が3~5分程度の短めのリードの曲ってどんなのがあったのかな・・?と思った所、思いついたのは
下記の二つの曲でした!

その一つが「ミュージック・メーカーズ」という曲です。

「ミュージックメーカーズ」という楽しい小品は、リードの相当初期の作品です。
演奏時間は3分程度なので、
コンサートのオープニングやアンコールには最適の曲と思われますが、
コンクールで演奏するにはあまりにも短過ぎるから、この曲をコンクールで演奏されたことを
聴いたことは一度もありません。
実際問題、この曲が吹奏楽コンクールの自由曲として演奏されたのは、確か・・・1996年の宮崎女子高校ぐらいだったと
思います。
1994年の課題曲のⅠ~Ⅳの全ての演奏時間が6~7分程度ばかりの曲だった時も
この「ミュージックメーカーズ」が自由曲としては支部大会レヴェルでは一度も選曲されなかったのは当時
少し意外に感じもしたものでした。
1994年の自由曲は、課題曲とのバランスの構成とか短時間で演奏効果が得背れる事の難しさを含めて
どのチームも選曲に苦労していたと思いますが、時間的に手頃という事で、
バーンスタインのキャンディード序曲がこの年だけは流行していたのは何か今となっては懐かしい思い出です。

地区予選とか県大会あたりでは、4~5分以内の手頃なオリジナル曲という事で、
普段では滅多にコンクールでは取り上げられないオリジナル曲を結構聴けたのは1994年のコンクールの
数少ない収穫だったと言えるのかもしれないです。

一例をあげると・・・

〇吹奏楽のための第二組曲より、Ⅳ パソ・ドブレ(リード)

〇吹奏楽のための第一組曲より、Ⅲ マーチ(ホルスト)

〇シンフォニア・フェスティーヴァより、Ⅲ トッカータ

〇シンフォニックソングより、Ⅲ(ベネット)

〇交響曲「メキシコの祭り」より、Ⅲ カーニヴァル

〇吹奏楽のための第二組曲~ Ⅲ.鍛冶屋の歌 Ⅰ.行進曲 (またはⅣ.ダーガソンの幻想曲) G.ホルスト

〇前奏曲とフーガ(ネリベル)

比較的、東海大会・一般の部と東京都大会一般の部予選においてマニアックな短い自由曲を聴けたのは、
当時の収穫だったと思います。

「ミュージックメーカーズ」ですけど、何年か前に私のの出身高校の吹奏楽部が定期演奏会で演奏していました。
やはりオープニングの曲として演奏していたようです。
(私の高校2年の時のオープニングは、1972年の課題曲の「明日に向かって」で、3年の時はインヴィクタ序曲でした! 笑・・)
この曲は冒頭からそうなのですけど、とにかく聴くものを惹きつけるほどの輝きと躍動感に満ち溢れていると思います!
これはまさに「生命感」そのものの曲だと思いますし、どちらかというと「ヴィヴァ! ムジカ」とか「春の猟犬」の世界観に近く、
喜びとか音楽を奏でる生き生きとした楽しさをこれほどまで聴き手に分かりやすく伝えている事が出来ている曲も
珍しいのではないのか・・?とすら感じてしまいますね。
演奏時間が短いせいもありますし、曲自体に繰り返しが多いせいか、メロディーラインが大変覚えやすく
一度聴いたらあの躍動感溢れるメロディーは中々忘れることができないようにも感じられますね。
そして短い曲なのだけど、冒頭のあの躍動感から曲のラストまで一気に駆け抜けていくような感じが非常に強いと言える
曲なのだと思います。
個人的な印象なのですけど、この曲における「スネアオフ・ドラムのリズム」は大変巧みだと思います。

この「ミュージックメーカーズ」をCDで聴く場合、一つ素晴らしい名演があります。
それが何かと言うと、リードの自作自演盤なのですけど洗足学園の演奏が非常に生き生きとして素晴らしいですし、
この曲以外で収録されている「アルメニアンダンス」が素晴らしいです!!
(演奏はかなりゆったりめです)


続きまして二つ目のリードの曲が「音楽祭のプレリュード」です!

「音楽祭のプレリュード」(私が現役時代にはこの曲は「オンプレ」と呼ばれる事が多かったですね・・)も
音楽の構成美として大変優れていて、演奏時間は5分程度と短めですけど、内容的にも充実し、
演奏会の開幕を飾るのに相応しい曲の一つとも言えるのだと思います。
初期の頃の作品という事で、後年のリードの「華やかな要素」はまだ少なくどちらかというとシンプルで地味な曲なのですけど、
その分かりやすさが結構ツボに入ったりもします。
タイトル通り、いかにも「音楽祭」の幕開けに相応しい音楽と言うのか、曲全体を通して、
「これから何か楽しい事が始まるぞ・・・」というワクワク感・ドキドキ感が感じられる点が素晴らしいですね。
技術的にもそれ程難しくないし
打楽器もティンパニ・大太鼓・小太鼓・シンバル程度の非常にシンプルなもので
25人程度の小編成チームでも演奏可能と言うのが実にいいですね。

この曲、金聖響指揮/シエナウインドの「リード作品集」にも収録されていたと思いますが、大編成でも小編成でも
どちらでも演奏効果が十分得られる曲と言えるのだと思います。
こうした忘れられつつある吹奏楽の古典的なオリジナル名作を現在にも
蘇らせて頂けるのは、とてもありがたいものです。

この曲は、実は、1970年の吹奏楽コンクールの課題曲でもありました。
この年1970年は、コンクールの一つの転換点でもありまして、
前年までは、出場チームは、一位・二位・三位と順位によって評価を受けていましたけど
この年以降は、金賞・銀賞・銅賞と言うグループ表彰に変わります。
そうそう、この「音楽祭のプレリュード」という課題曲は、高校・大学・職場・一般の部の課題曲で
中学の部は、ヘンデル作曲の「サムソン序曲」というなんとアレンジものでした。
中学とそれ以外の部門で課題曲が異なるというスタイルは、1977年まで継続されていましたね。
(ディスコ・キッドが全部門共通というのもなんか面白い話だと現在の視点で見ると感じてしまいます)

「音楽祭のプレリュード」は1970年当時は課題曲として演奏されていましたけど、
結果的にこの曲が一つのきっかけとなって「アルフレッド・リード」という作曲者が
日本の吹奏楽界で大ブレイクするきっかけとなったと言えるのかもしれないです。
この曲は、後日課題曲としてではなく「自由曲」として演奏される事も結構あり、
私自身もこの曲は何度かコンクールの自由曲として聴いたことがあります。
課題曲が、「自由曲」として演奏されることは、珍しい事ではなくて
1982年の関西大会で、大阪の信愛女学院が76年の課題曲「即興曲」を自由曲として演奏していましたし
1982年の天童市役所音楽隊は、80年の課題曲「北海の大漁歌」を演奏していましたし、
全国大会でも1994年の中学の部で、蟹江中学校が88年の課題曲A/深層の祭りを演奏していました。
保科洋の「風紋」は、自由曲として聴いたことは何度かありました。

あまりにも古いローカル話ですけど、1979年の宮城県大会にて、当時の仙台育英高校がやんちゃな男子高校時代に
自由曲に77年のある意味不滅の課題曲「ディスコ・キッド」を自由曲として演奏していたのは
なんか今でも記憶に残っています・・・(笑)

A.リードの「吹奏楽のための組曲」シリーズは、数えてみると全部で七つもあるのですね!
第四組曲以降は、日本の吹奏楽団体からの委嘱作品というのも意外な話なのですけど、それも晩年のリードと日本の
関係の深さを物語っていると言えると思います。
だから、第四組曲以降の作品の中に、山伏神楽だの阿波踊りだの日本的要素が随分と
組み込まれているのかな?と不思議に感じた事はあるのですけど、それは日本からの委嘱という事で
リードとして相当日本的なものを意識して作曲したのかもしれないです。
(ホルストが組曲「惑星」を作曲していた頃、とある日本人より「日本組曲」という曲を作曲して欲しいと委嘱の依頼があっても
ホルスト本人は「日本の事なんかさっぱりわからない・・」と難色を示したところ、その日本人より、日本のフレーズや民謡を
手取り足取りレクチェーされたみたいなエピソードが残されていますけど、もしかしてそれに近い話が
リードにもあるのかもしれないですね・・笑)

「小組曲」を含めると、「吹奏楽のための組曲」シリーズはリードは生涯に八つ残したという事になると思います。

あくまで私の個人的な感想なのですけど、第四組曲以降の組曲シリーズは、何かあまりピンときません。
無理に日本を意識したり、世界各国の踊りというテーマにこだわりずきたせいか
何か本来のリードらしい「溢れ出るメロディー感」が今一つ伝わってこないような感じもします。

私としては、リードの組曲シリーズは、
私が高校時代の定期演奏会でかつて演奏したというのが一番の理由かもしれませんけど、
第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」が一番大好きです!
この曲、特にⅠとⅣのノリの良さは気持ちいいを通り越して「気分爽快」の一言に尽きますね!
奏者としても「吹いていてこれだけ気持ちが高揚する気持ちのいい曲は無い!」と感じるほど、吹いていてこんなに楽しい曲は
無かったようにも感じられます。
第三組曲「バレエの情景」もクラシカルな雰囲気漂う格調高い作品であり、この曲も結構好きです。
第二曲の「パ・ドゥ・ドゥ」の冒頭のフルートソロとかスローなバレエの調べが随所に感じらますし、第四曲の「全員の踊り」の
クライマックスに掛けての自然な盛り上がりは素晴らしいものがあると思います!
また地味なのですけど「小組曲」のチャーミングさも捨てがたいものがあると思います。

だけど第二組曲・第三組曲がある以上、当然ながら第一組曲というのも残されています。
それでは、組曲シリーズ第一号の「第一組曲」ってどんな曲なのでしょうか?

組曲シリーズの中では、演奏頻度は少なく、影の薄い曲なのかもしれませんけど、
初期の頃の「ミュージックメーカー」らしいアィディアに溢れた作品であり、私は好きな曲です。
全体的には「古き良きアメリカ」という雰囲気が漂っていて、西部開拓時代の歌と踊りみたいな感じもあるのかな・・?とは
感じたりもします。
現在のアメリカというと胡散臭いとか商業主義と訴訟社会が究極にまで達しているとか
自分勝手とか自分さえよければされでいい・・みたいな世相がもしかしたらあるのかもしれないですけど、
リードの第一組曲から聴こえてくる音楽というのは、そうした「アメリカ第一主義としてのアメリカ」ではなくて、
「困ったときはみんなで支え合う」とか「そんなのお互い様だからしょうがないじゃん!」みたいな
古き良き時代の「おおらかさ」みたいなものをリード自体がどこか懐かしんでいるようにも感じられたりもしますね。
だけど、この第一組曲は、最近の若い世代でしたら「聴いたことが無い・・・」なんて言われちゃいそうですね・・(汗・・!)
私が現役奏者時代は「全国大会・支部大会でリードの曲が一つも演奏されない」なんて事は
「ありえな~い!」という感じだったのですけど、現実問題、最近の吹奏楽コンクールにはそうした事が現実に発生していますので
やはり「時代は変わったね・・」と感じずにはいられないのですけど、
私としては、ハムレットの音楽・オセロ・第二組曲・春の猟犬・パンチネルロ・エル・カミーノ・レアル・ジュビラント序曲などの
リードの不滅の名曲は絶対に後世に受け継がれていくべきもの!と考えておりますし、
間違いなくそうなって欲しい!と確信しております!

リードの第一組曲は、下記の四つの曲から構成されています。

Ⅰ.マーチ

Ⅱ.メロディ

Ⅲ.ラグ

Ⅳ.ギャロップ

Ⅰは、快活な行進曲で、金管のノリが抜群に良い楽しいマーチです。
Ⅱは、時にしんみりさせられます。Ⅲは、ちょと繰り返しが多く部分的にしつこいと感じるのですけど、
あのいかにものんびりおっとりとした雰囲気はやはり「古き良きアメリカそのもの」ですね。
Ⅳは、出だしが何となく「双頭の鷲の下に」に似ているかな・・・?
ラストを飾るのに相応しい勢いのあるフィナーレです。

第二組曲・第三組曲のような「表題」はなく、全体的に音楽の絶対性を追求した
純粋吹奏楽曲と言えるのかもしれません。

学校名は全然記憶に残っていないのですけど、吹奏楽コンクールの県大会にて、この第一組曲のⅢ.ラグだけを演奏し、
演奏がド下手くそだったせいもあるのですが、繰り返しの多さにうんざりさせられた記憶があります。
この組曲をコンクールで演奏する場合、Ⅰ・Ⅱ・Ⅳが一番スタンダードなのだと思います。

この組曲は一度だけ全国大会で演奏されたことがあります。
1978年の東北学院大学なのですけど、この時は、どの楽章を演奏したのでしょうかね?
当時の大学の部は、金賞以外レコード録音されないから今となっては確認のしようがないです。

この第一組曲は、秋山和慶/東京佼成が一番優れた演奏だと思います。

Ⅳのギャロップを演奏会のアンコールで演奏するのも楽しいのかもしれないですね。

リードの第一組曲は全体的には、R.ベネットの「シンフォニックソング」とか「古いアメリカ舞曲による組曲」の世界に
近いとも言えるのですけど、
この第一組曲から次の第二組曲の「作風の進化」には目を見張るものがあると思います。
ディヴェルティメントというとクラシック音楽好きの皆様の感覚だと「モーツアルト」という事になるのかもしれないですね。

「ディヴェルティメント」を邦訳すると「喜遊曲」または「嬉遊曲」という事になり、
要は楽しく軽妙に親しみやすく作られ、極力悲しい部分や深刻な部分は避けるという事が
お約束になっていると思います。
よく「ディヴェルティメント」と「セレナーデ」との違いは何という事が問題になる事もありますけど、
正直特に違いはありません。
ま、強いて言うと、室内用に作られたのがディヴェルティメント、屋外用がセレナーデという所なのかもしれないです。
この「ディヴェルティメント」という音楽形式は、ハイドンやモーツァルトの頃に盛んに作曲されていたものの
19世紀以降は急速に廃れていったような気もします。
しかし20世紀に入ると、
ストラヴィンスキー・イベール・バルトーク・ルーセル等の大作曲家がこの「ディヴェルティメント」という
ジャンルに曲を残すようになり
(イベールの「ディヴェルティメント」が実に軽妙で洒落っ気があり素晴らしいと思います。
 終曲で登場する笛とか鈴はとても楽しいものがあると思います)
吹奏楽のジャンルでも、この「ディヴェルティメント」というタイトルの曲もいくつかあったりします。

一例を出すと・・・・

〇パーシケッティー/吹奏楽のためのディヴェルティメント

〇兼田敏/吹奏楽のためのディヴェルティメント(1967年吹奏楽コンクール課題曲)

〇増田宏三/喜遊曲「踊る行列」

さてさて、20世紀終盤にこの「ディヴェルティメント」のジャンルにまた一つ素敵な作品が登場する事に
なるのですけど、それがバーンスタイン作曲の管弦楽のためのディヴェルティメントなのです。

1980年4月、ボストン交響楽団(BSO)はその創立100周年を記念する作品をバーンスタインに委嘱し、
その時に書かれた作品が「管弦楽のためのディヴェルティメント」なのです。
当初は「ファンファーレ」と発表されていましたけど、最終的には短い8つの楽章から成る
「管弦楽のためのディヴェルティメント」となり、バーンスタインの愛弟子、小沢征爾が9月25日に
ボストンでシーズンの開幕曲として華々しく初演されました。
第8曲「行進曲」の副題が「BSOよ、永遠なれ」となっているのは、
そうした初演の経緯によるものと思われます。

この曲は以下の8曲より構成されています。

Ⅰ.ラッパの合図とファンファーレ

Ⅱ.ワルツ

Ⅲ.マズルカ

Ⅳ.サンバ

Ⅴ.ターキートロット

Ⅵ.スフィンクス

Ⅶ.ブルース

Ⅷ.マーチ「BSOよ、永遠なれ」

第一曲はいきなり冒頭から全金管楽器が咆哮し、燃え上がるように開始されます。
第二曲は第一曲とは対照的に弦楽器のみで演奏され、とてもチャーミングな感じがします。
第三曲は、決して陽気なマズルカではなくて、何かどこか思いつめたような感じがします。ラストの
オーボエの何か寂しくつぶやくようなソロが印象的です。
第四曲はいかにもバーンスタインらしい楽しさ溢れる曲ですけど、いかにもブルジルのサンバっぽい
情熱も伝わってきます。
第五曲は、木魚など打楽器の使い方が巧みで、実に粋で洒落っ気たっぷりの音楽です。
第六曲は全曲の中でも異色のすこし物悲しい音楽です・・・
タイトルの「スフィンクス」は正直、このタイトルとこの悲しげな音楽を結ぶものは何も無いようにも
感じられるのですけど、
バーンスタインによると「私がスフィンクスを笑っているジョーク」とのことですけど、
うーーん、実際は意図不明の音楽です・・(笑)
第七曲は、いかにも「ウエスト・サイド・ストーリー」の作曲者らしい音楽です。
ジャズっぽい感覚と、ドラムセットとソロトランペットのくすんだような感じが実にいい味を出しています。
第八曲は、いきなりドラが不気味に静かに鳴り、静かに開始されたと思ったら
サスペンダーシンバルの長いロールに乗っかる形で
金管楽器がどんちゃん騒ぎを開始し、祝祭的な雰囲気のまま楽しく曲は閉じられます。

演奏時間も14分程度で短く、
使用される打楽器も、木魚・ボンゴ・コンガ・ウッドブロック・シロフォーンなど多種多様なものを使用しますので
視覚的効果も十分です。

この曲は一度だけ確か1994年頃だったと思うのですけど
新星日本交響楽団のサントリーホールでの定期演奏会で聴きました。
この時はサントリーホールのP席という一番安い席というか、演奏者の後ろ側の席だったのですけど
そのおかげで私の目の前で
打楽器奏者が木魚・ウッドブロック・シロフォーンを叩いていましたので
その生の響きがいかにも「ライヴ感満載」という感じで私自身もかなりエキサイトしたのが印象的です。

冒頭でもちらっと書きましたけど、「ディヴェルティメント」という形式において、吹奏楽作品も幾つかあったりするのですけど、
その中で特に優れた作品というのが、V.パーシケッティー作曲の「吹奏楽のためのディヴェルティメント」なのだと
思います。

この曲は、ヴィンセント・パーシケッティが実は最初に作曲した吹奏楽曲でもあります。
ゴールドマンの依頼により、1950年から1951年にかけて作曲され、
初演はニューヨークのセントラル・パークにある野外音楽堂「ザ・モール」で、
ゴールドマン指揮のゴールドマン・バンドによって行われています。
このディヴェルティメントの初演は大成功になり大変な反響と好評を呼び込み、そしてこの作品の成功により、
パーシケッティは、ページェント・交響曲第6番・仮面舞踏会・ああ涼しい谷間・詩編など
数多くの吹奏楽曲を作曲するようになりました。

この吹奏楽のためのディヴェルティメントは下記の6曲から構成されています。

Ⅰ.プロローグ
Ⅱ.ソング
Ⅲ.ダンス
Ⅳ.バーレスク
Ⅴ.ソリロクイ
Ⅵ.マーチ

Ⅰのプロローグはとっても快活な曲で開幕に相応しい生き生きとした音楽が展開されます。
Ⅱのソングは優美な旋律が心に残る曲で、Ⅲのダンスは印象派風の楽しげな雰囲気があり、
Ⅳのバーレスクは冒頭から低音セクションがメロディを担当するおどけた感じの曲です。
Ⅴのソリロクイはトランペットのソロが大変印象的です。
Ⅵのマーチは終曲に相応しい曲で冒頭は打楽器のみの響きから開始され、華麗に曲が展開されていきます。
各曲とも全て3分以内の曲で全体の演奏時間も11分程度でかなり短めです。
この曲は吹奏楽コンクールでは正直あんまり演奏されないのはちょっとさびしいですけど、
1993年の大学の部で奏者30名程度でクラリネット奏者が4~5人という小編成&特殊編成の悪条件の中、
輝かしい音色と見事なアンサンブルでこの曲を演奏していた徳山大学の演奏は素晴らしいものがあったと思います。
結果として銅賞なのですけど、私的にはこの銅賞はちょっと気の毒という感じです。
徳山大学の演奏は各人の技術が大変高く、特にⅠのソプラノサックスの音色が大変印象的で見事でした!

パーシケッティーの他の作品というと交響曲第6番「吹奏楽のシンフォニー」も絶対に忘れてはいけない
素晴らしい不滅の名曲だと思います。

交響曲第6番は、音楽解説書風に書くと「新古典主義」的な作風です。
四楽章構成で、各楽章が短めながらも、全て引き締まって書かれていて、音楽に全く無駄がないと感じる作品でもあります。
曲自体、全ての楽章に何か「霊感的なもの」・「インスピレーション」を感じるほど
独創的なアィディアが詰まっていて、音楽のおもちゃ箱、宝石箱みたいな楽しさもそこにはあると
思います。
第一楽章の小太鼓・トムトムで表現される何かせわしい感じの一方で大らかな空気も感じ、
第二楽章の一転してゆったりとした祈りのような歌の世界
第三楽章の「民謡」を思い出させるようなしみじみとした歌⇒何か懐かしい感じもします・・
第四楽章のメカニック的にアレグロなのですけど、突進する中にもスピード感や清涼感も
感じ取ることが出来、一気にクライマックスまで駆け上がります。

作風としては、確かに新古典主義時代のストラヴィンスキーにも何となく近いような印象も
あるのですが、
やはり全編を通じてのあの「霊感」はさすがとしか言いようがないです。
打楽器も、目立ってはいるのですが決して派手と言う訳でもなく、
ティンパニー・大太鼓・小太鼓・シンバル・タンバリン・シロフォーン・トムトム程度しか使用していないのに
管楽器を引き立たせる香辛料としての役割もさりげなく果たしている所が心憎いです。

この交響曲のCDは、断然何と言ってもハンスバーガー指揮/イーストマンが圧倒的お勧めです!!
ライヴ録音とは思えない精密な作りに加えて、ライブ独特の高揚感も出ています。

でも私にとっては、パーシケッティーというと、吹奏楽のための「仮面舞踏会」が一番大好きな曲です!!

このパーシケッティーの吹奏楽のための「仮面舞踏会」は、正直とても難解な曲だと思います。
何がメロディーラインで、何を言いたい曲なのか、それを明確に伝える事は大変難しいようにも思えます。
例えばこの曲を知らない人100人にこの曲をいきなり聴いてもらったら、恐らく97~98人の方は、
「よく分からない・・・」・「訳がわからない・・・」とか「何が言いたいのかよく伝わらない」という印象を持ちそうな気がします。
だけど、私はこの仮面舞踏会は大好きな吹奏楽オリジナル作品です!
何だろう、この曲の魅力って・・・??
やはりその「素性を隠す」とか「妖しげな雰囲気」なのかな・・・・??
拍子は変拍子ばかりだし、不協和音が多いし、メロディーラインがよく分からないし
一見聴くと確かに「訳がわからん曲」なのかもしれません。
だけど、その「妖しげな感覚」が本当に魅力的なのですよね。

この曲は、6小節程度の短い「主題」の提示とそれに続く10の変奏、そしてラストの劇的なコーダに
よって構成されていますので
見方によっては一つの変奏曲と言えるのかもしれません。
出だしの劇的で不協和音に満ちた短い序奏にはじまり、
不安げなトランペットと低音セクションが何やら不気味な感じを演出する第一変奏、
細かく動く打楽器をベースに不気味に激しく展開されていく第二・第三変奏を経て
妖しげなオーボエのソロから開始される第四変奏へと展開し、一旦激しく盛り上がる第五変奏へと
続いていきます。
そしてユーフォニウムのやはり不安げなソロとかミュートを付けたトランペットの哀愁溢れるソロへと
つながる第六変奏になるのですけど、この部分のアルトサックスの何やら本当に妖しいリズムの支えと
いかにも「冷涼感」溢れる木管セクションの美しい響きは
本当に背筋がぞっとするほどの「感銘度」があります。
そして第七~第十変奏は、打楽器・金管楽器が大活躍し、
特にシロフォン・トムトムの響きが極めて印象的です。
そしてこの激しく盛り上がる変奏を経て、ラストのコーダまで一気に曲が展開していき
華麗に曲が閉じられていきます。

全体的には、「難解」・「訳が分からない」という印象が強いのですけど、
言葉にできないほどなにやら「妖しい雰囲気」とソロ楽器の扱い方の巧みさは
本当に上手いと思います。

確かに分かりにくい曲なのですけど
分かる人にはたまらん・・・という感じの曲なのかもしれません。

だけど最近ではコンクールの自由曲でも演奏会でもほとんど取り上げられていませんよね・・・(泣)
この曲、プロの演奏会とかプロの演奏団体のCDにはよく取り上げられている傾向もあったりします。
ある意味「通好み」の曲なのかもしれませんよね。

この曲は、吹奏楽コンクールではこれまでに三回全国大会で演奏されています。
一番最初が1973年の神奈川大学、二度目が1980年の名古屋電気、三度目が同年のヤマハ東京でして、
神奈川大学は小澤先生着任前の時代の演奏ですけど、悪くはありませんし、曲は無難に消化できています。
名古屋電気は非常にサウンドが美しいし、トランペットのソロが素晴らしい・・・
だけどカットが強引なせいもあるけど、「何を言いたいのか」はあまりよく伝わらない勿体ない感じもあります。
この三つの中ではヤマハ東京が一番よい仕上がりだと思います。
この頃の職場の部は、金賞以外はレコード化されない為
仕方が無いので、私はわざわざトラヤ(1990年に倒産・・・)にカスタムテープを発注し
カセットテープにてこのチームの課題曲・自由曲を聴くことが出来ました・・・
名古屋電気に比べてカットの頻度が短いせいもあり、この曲本来の魅力がかなりよく発揮されていると
思います。特にアルトサックスの響きが実に秀逸だと思います。

この吹奏楽のための仮面舞踏会のCDは交響曲第6番でも出てきたハンスバーガー指揮/イーストマンの演奏が
一番素晴らしいと思うのですけど、
ハンスバーガー指揮の演奏は残念ながらいまだに単発ではCD化されていません(セットものでは以前発売されていました)
(レコード盤も探してはいますけどなかなか見つかりません・・)
1987年にパーシケッティーが逝去された際、
日曜の朝のFMで放送された「ブラスのひびき」にて「追悼 パーシケッティー」の特集があり
ここでハンスバーガー指揮での「仮面舞踏会」が放送されていました。
この際、カセットテープにて録音出来て良かったと思います。
この演奏はテープが擦り切れるまで何度も聴いたものですけど、
その演奏レベルの高さ・何かを確実に伝える感銘度の高さ・音楽的表現の高さは
本当に素晴らしいものがありました。
何とかこの演奏、単発でCD化されないかな・・・
この曲とこの演奏がこのまんま埋もれてしまうには勿体ない感じもありますね!!
24.鈴峯女子高校
  (現.広島修道大学附属鈴峯女子中学校・高等学校)


A/管弦楽のための三つの交響的素描「海」~Ⅲ.風と海との対話 (C.ドビュッシー)


ここ数年の吹奏楽コンクールにおける女子高校の躍動振りは本当に惚れ惚れするものがあると思いますし、
女子高チームの中でも特に抜きん出ている存在の精華女子のあの華麗なるサウンドは
見事であるといつも感心しています。精華女子は藤重先生が今現在は他校に移籍していて今現在は
新しい指揮者の下で「新生・精華女子」を目指されていると思いますので、とにかく今後も私達にあの素敵なサウンドを
聴かせ続けて頂きたいものです!

そうした「女子高」チームの現在の隆盛の発展の基礎を気付いたのは1970年~80年代にかけて大活躍し
素敵な数多くの名演を残してくれた中村学園と就実高校だと思うのですけど
(86年の中村の「バリの喜び」と82年の就実の「幻想舞曲集」は永遠に語り継がれて欲しい名演だと思います!
そうそう、80年の就実の「ル・シッド」も絶対に忘れてはいけない不滅の名演だと思います!)

中国支部で女子高と言うと「就実高校」というイメージが大変強かったのですけど、90年代に入ると
鈴峯女子高校というチームも登場するようになり、92年に全国大会初出場を飾り、今現在で計8回全国大会に
出場されています。

だけどこの鈴峯女子高校なのですけど、私もこのチームの演奏は何度か普門館で聴かさせて頂いたのですけど、
そこで共通して言えることは、大変申し訳ない表現になってしまうのですが
「聴いていて何も感じないし伝わるものがあんまりない・・」みたいな個性&インパクトが大変弱いチームという印象が
大変強いです。

92年のネレイデスと海は初出場という事もありかなり緊張していたという事を最大限差し引いたとしても
ほとんど後日印象に残るものを残さないで当日の本番が終わってしまった・・みたいな感覚すら感じたものでした。
なんていうのかな・・・?
一言で言うと、サウンドは大変清楚で美しくまとまっているけどそのまんま通り過ぎて行った・・みたいな感じが
ありました。
課題曲と自由曲の音楽にこのチームの音質・サウンドは大変合っていると感じたのですけど、それが全体の演奏に
うまく結びつかないまま終ってしまったという感じがありましたね。

数年後、鈴峯女子の全国大会での演奏は火の鳥・ローマの祭り等を聴く機会もありましたけど、
曲が絢爛豪華になっても全体的に地味とかおとなしいという印象は92年の「海」とほとんど変わりは無かったという事は、
むしろ「おとなしさ」というのがこのチームの一つの方向性だったようにも感じられます。

これは完璧に余談ですしカテゴリ相違なのですけど、このブログでは最近よく「艦これ」の話題にも触れることが多く、
最近でも「浦風」という広島弁キャラの艦娘の事を触れさせて頂いたのですけど、浦風の広島弁丸出しの
あのやんちゃな武闘派ぶりはいかにも「広島の元気な女の子!」という感じでもありました。
戦闘では「おどりゃあ!」と叫び、夜戦になると「邪魔じゃけぇ!」「そこ退けやぁ!」と、まるで広島のヤクザみたいな
ドスの利いた言い回しをしているのが大変印象的でしたし、ピンチの際には、
「心配いらんよ。うちがついておるから、この艦隊は大丈夫じゃて!」というセリフは
大変泣かせるものがあると思います!!
広島の女の子というとなんとなくですけど、あのどぎつい(?)広島弁とか
戦闘ではかなり荒っぽくなり普段も広島弁炸裂で、明るくかわいいけど どちらかというと武闘派みたいな雰囲気のある浦風
という印象がある私にとっては、
この鈴峯女子高校の意外な「おとなしさ・控えめ」という感じは大変意外というものもあったと思います。



27.習志野高校


A/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲~Ⅱ.パントマイム Ⅲ.全員の踊り (M.ラヴェル)




この課題曲A「ネレイデス」は習志野高校と常総学院のサウンドのために作曲されたような印象さえあります。
それほど両校の気品・洗練・美的なサウンドにマッチした曲想だと思います。
習志野の「ネレイデス」は曲のうねりも実に見事に表現されていましたし、ラスト近くの音自体の鋭さも大変素晴らしかったと
思います。
常総と習志野はあの「洗練された音」だけでネレイデスで作曲者の田中賢が意図したかったことのほぼ8割近くは
表現出来ていたようにも感じたものでした。
常総学院と並んで全部門を通して最高の課題曲Aの演奏の一つだったと思います。

自由曲は1987年と同じ選曲で、87年のあの歴史的名演を生で聴いていた私は当時とにかく鳥肌が立つくらい
あの素晴らしい演奏と洗練された音と美的限界をはるかに超越するあのあまりにも美しいサウンドに
圧倒されていたものでしたので、
92年の習志野の自由曲が「ダフニスとクロエ」と知った際には、
「是非87年のあの名演を超越する名演を再現して欲しい!」と強く願ったものでした。

一般的な話ですけど、あるチームが過去に素晴らしい名演を残し、数年後に同じ指揮者の下で、
過去の名演と同じ自由曲を再演する場合、
1.過去のそうした名演を更に超えちゃうとんでもない名演がさらに誕生
2.過去の名演を超えることが出来ず、聴いている方も「今回の演奏は過去のあの名演に比べるとちょっとね・・」と
  肩すかしを食らってしまう演奏
という二つのパターンがあると思うのですけど、ほとんどの場合は2のパターンになってしまう事が多いような気もします。
1の数少ない事例としては、87年と92年に「ダンス・フォラトゥーラ」を自由曲に選んだ洛南が挙げられるのかな・・?と
思ったりもします。
「ディオニソスの祭り」を銚子商業と神大で指揮された小澤先生の演奏も1に該当すると言えるのかもしれないです。
秋田南ですら、80年の自由曲の「交響三章」の「美の儚さと崩壊」を感じさせるあの素晴らしい名演を再演した
86年の演奏は高橋紘一先生の勇退の演奏だったのに、聴衆に何も伝えるものがなかった凡演だった事を考えると
やはり「自分の過去の名演」を後日の自分自身が超える事は大変難しいという事を示唆しているのかなとも
思ったりもします。

92年の習志野の「ダフニスとクロエ」第二組曲もそうした感じの典型的な演奏だったように私には感じられたものでした。

87年の演奏にどんなプラスαがあるのかなと思って期待していたのですが、
残念ながら目立つプラスαはありませんでした。
92年の演奏は、87年と同様に、パントマイム~全員の踊りを取り上げていましたが、
87年の場合は、パントマイムの最初のオーボエのソロから開始されていたのに対し
92年の演奏は、チューバと弦バスのボンボンという後打ちから開始される奇妙な始まりという感じがあり、
このチューバの音がなんか少し外し気味で違和感を強く感じたことが印象を悪くしたようにも感じられます。
サウンド自体87年同様華麗に洗練された響きでしたけど、特にそれ以上特筆すべき個所もなく終わってしまいました。

結果として金賞という審査結果になり私としてもこの結果には異存は全くないのですけど、
やはり過去の名演の再演という事で「過去の演奏」を何か上回る+αというものは欲しかったなぁ・・と感じさせる
演奏だったとは思います。
課題曲の演奏が素晴らしかっただけに少し惜しまれるものがあったと思います。
 
リードの「ジュビラント序曲」は支部大会は仕方ないにしてもさすがに県大会・地区予選ですらもほとんど演奏されることのない
「忘れられた吹奏楽オリジナル曲」になりつつあるのかもしれないですね。
この5分程度の短い曲ですけど、ある意味私にとっては「メモリアルな曲」でもありますので、出来れば忘れられることなく
永遠にどこかのチームに演奏され続けてほしい曲の一つだと思っています。

この曲は、まさに初期のリードらしい簡潔なA-B-Aの三部構成として書かれていて、
パンチネルロ・インペラトリクス・春の猟犬・エル・カミーノ・レアルなどと共通の世界観があるのかなぁ・・と感じさせてくれます。

ジュビラント序曲は、1969年の春に作曲され、サム・レイバーン高校吹奏楽部に捧げられた曲で、
期待や可能性、若者たちの自然な熱狂をまさに絵に描いたような曲でもあり、
季節感としては「春」というイメージが大変強いと思います。
この曲はタイトルの「ジュビラント」(歓喜)が示すように、基本は2/4拍子で、曲の両端のアレグロは
まさに「ハッピー」を思いっきり音にしたような「音楽の喜び」・「楽しさ」が表現されていると思います。
冒頭から既に東方のフランちゃんではないですけど(笑・・)
「キュッとしてドッカーン!」みたいに爆発的推進力で溢れかえっていると思います。
そしてこの曲は後述しますけど、前半は「ソロ・クラリネット」が全体をリードし、このクラリネットのメロディーに乗っかる形で
他の木管・金管が絡んでいきます。
そして中間部は4/4拍子に変り、これが実に美しいですし、まさに「希望」と「ロマンチック」を絵にしたような
メロディーが奏でられていきます。
そして前半の再現部を経て、フルートのソロを経て、一旦曲が弱まったのを見透かしたように
突然のとてつもないfffが待ち構えていて、そしてそこから先は一気呵成に華やかにラストまで追い込んでいきます。
5分半程度の大変短い曲ではありますが、とにかく聴きどころが満載で
聴いていてとってもとっても楽しい曲だと思います。
その一方でクラリネット奏者、特にソロクラリネットとファーストクラの奏者は(かつての私のように)大変だと思います・・!

この「ジュビラント序曲」は、私にとっては私自身がチェンジする一つのきっかけになった曲でもありました。
その意味では私にとってはメモリアルな一曲と言えるのかもしれません。

高校の吹奏楽部に入部して間もなくの頃、
「あれれ・・? 自分のクラリネットの音色は全然クリアじゃないし、むしろ濁っている」と
自分の下手さにすぐ気が付き「これはまずい・・・」と思い、
とにかく先輩達に改めて一から教わりながら、アンブシュア・正しい呼吸法・ロングトーン・リードの調整法などを
とにかくひたむきに吸収していったと思います。
多分ですけどあの頃が私が10年間の奏者の中で一番真面目にひたむきに余計な事を考えないで
「クラリネット」に向き合っていた時期だと思います。
そしてあの頃は、教室とか廊下で、メトロノームを相棒にして、とにかくロングトーンをしまくっていたというか
「まずは自分が一番美しく出せる音はどの音だろう・・・」と考え初め
「中音域のCの音か・・・」
「それではCの音が美しく出せるようになったら次はDの音・・・」というように
当時の先輩たちの「美しい響き」を見よう見まねで吹いていき、
とにかく「美しい音」を一つの音でもいいから出せるようにしていこう・・!!としていったものです。
12月~2月頃なんかは、田舎の貧乏県立高校ですから授業と同時にだるまストーブは消されてしまうし、
廊下とか教室はとにかく寒かったですけど、セーターの上にジャンパーとかどてらを羽織ってとにかく厚着しまくりで
練習というかロングトーンしていたのはなつかしい思い出でした!
当時の私の感覚としては、「音楽の優しさも甘美さも厳しさも楽しさもまずは音色から」という意識が大変強く、
音楽の表現以前にまずは「自分のクラリネットとしての音をどうすれば美しく響かすことが出来るのか」という事ばかり
考えていたと思います。
そのために、まずは「たった一音でもいいから、これが自分のクラリネットの音だ!!」というものをつくりあげていこう!という
想いが大変強く、その一音をうまく出せれば、次の音、その次の音という感じでどんどん「自分の音」を
作っていけるんじゃないの・・?みたいな意識はあったのだと思います。
そうですね・・この感覚は、まさに「響け! ユーフォニアム」【第一期】第12話の
久美子の「うまくなりたい! うまくなりたい!」と泣きながら京都の夜の街を駆け抜けていったあの心境と
少しは重なるものがあるんじゃないの・・?みたいに思う事もあります。

さてさて・・・そうした日々の中、高校2年の定期演奏会の曲目が決定し、
ファーストステージの「吹奏楽オリジナル作品ステージ」の一曲目がまさにこのリードの「ジュビラント序曲」だったのです!
私の高校は男子校で慢性的なクラリネット奏者不足に悩まされ続けていましたけど、
当時、一人とてつもなくクラリネットが上手い先輩がいて、
この先輩が吹くクラリネットの音色が、当時の私にはまさに「憧れ」みたいなものでしたし、
まさに身近の偉大なるお手本みたいな存在でした。
そしてこの「ジュビラント序曲」に関しては、私とその先輩が「ファーストパート」というタッグを組む事となり、
私がファースト、その先輩がファースト兼ソロ担当という事になりまして、
当時の私としては、同じ曲で同じファーストを担当する事で、その先輩の間近にいるという事を最大限利用させて頂き、
その先輩の吹き方、マウスピースのくわえかた、ブレスのとりかた、
とにかく・・その先輩が吹く「ジュビラント序曲」を私自身が思いっきりマネさせて頂いたという形になったと思います。
「どうすれば美しい音を出せるのか・・・」と試行錯誤の末、その先輩のパクリに近い感じはありましたけど、
レガート奏法みたいなダーダー吹きみたいな感じの方が
何か美しく響くかな・・・自分には合っているのかな・・と思えるようになり、
結果として私のクラリネットの音色は「リズムが甘いベタベタ吹き」みたくなってしまいました(汗・・)
大学の吹奏楽団に入団して「確かに音自体は大変美しく鳴らせてはいるけど・・」と前振りがあった上で
「ヘンな奏法を身に付けちゃって・・・・」とよく指摘されてはいましたけど、
やはり高校時代のあの先輩の奏法とかクラリネットの音色に私自身は相当影響されていたと思いますし、
身近に上手い先輩がいた事で「どうすればクラリネットを美しく響かせることができるのか・・」という意識を
常に持つようになり、まさに私自身が「チェンジ」する一つのきっかけとなったのが
間違いなくこのジュビラント序曲なのだと思います。

最後に・・・

この「ジュビラント序曲」の歴史的名演は、1976年の瑞穂青少年吹奏楽団に尽きると思います!

この演奏はなんと・・! 5分10秒で完奏しちゃっていて一気に畳み掛けるスピード感溢れる素晴らしい名演だと思いますし、
とにかくソロクラリネットが本当にめちゃくちゃ上手いと思います。
この曲は作曲者のリードが東京佼成を指揮して自作自演の演奏もCDとして残していますが、
テンポが意外とゆっくりで演奏時間は6分半程度です。
瑞穂みたいな「若々しい」感じではなくて「大人としての演奏」を聴かせてくれています。
またとてつもなくマイナーな話ですけど、関東大会B部門で結果として銅賞なのですけど
新潟県代表の六日町高校も荒々しさと瑞々しさが混在した大変面白い演奏を聴かせてくれていたと思いますし、
ソロクラリネットの女の子が半分立ち上がったような雰囲気で腰を浮かしながらの
必死の演奏スタイルが当時極めて印象的に映りました!

とにかくリードの「ジュビラント序曲」は決して忘れてはいけない不滅の吹奏楽オリジナル曲ですので、この曲が後世にまで
ずっと誰かに演奏され続けてほしい!と心から願っております!
「浜松」と言うと、私的には「音楽の街」というイメージがあります。
やっぱりそれは「ヤマハ浜松」の存在が大きいのかな・・・・?
元来、浜松市はオートバイや木工・繊維関連など、「モノづくりの街」として名を知られていますけど、
やっぱり最たるものは「楽器制作」ですよね・・・!!
河合楽器製作所・ローランドなど、名だたるメーカーが浜松市に集結していますし、
国内でのピアノ生産量は第1位ですからね!!

浜松は「世界最大規模の楽器の街」という印象が強いですね!

ついでに書くと、私の勝手なイメージがあるのかもしれませんけど、
「静岡県」はとっても住みやすい街というイメージがあったりもします。
気候が温暖で、住んでいる人達も温厚な人柄の方が多く、食べ物も美味しいし
同時に「おっとり」というすごくいいイメージがあるのですよね。
あくまで個人的な話なのですけど、知人とか職場で知っている人で静岡出身の人ってみんななんか
温厚で温和で人間的に魅力がある人が多いみたいなイメージがあったりもします。
何でそんな印象を持っているかと言うと、
以前もこのブログで書いている通り、私自身は1990年~96年の間は山梨県の支店に在籍していたもので、
その際の甲州人の「強引さ・よそ者排除意識・身内意識の強さ・甲州弁のガラの悪さ」等に
いささかうんさ゜りしていた面もかなりあり(あ・・・勿論、甲州には甲州の良さは一杯ありますよ・・・)
当時、仕事上、隣接県という事で静岡の方と色々と接点を持つ機会も多く、
その「人柄の良さ・おっとり感」に正直驚いてしまい、
「え・・・なんで隣同士の県なのに、こうまでも違うんだ! やっぱり今でも県民性の違いってあるもんだ!!」と
しみじみと感じたものです・・・(汗・・)

ヤマハ吹奏楽団浜松は、さすが楽器メーカーだけの事はあって
古くから日本の吹奏楽界をリードし続けた素晴らしい吹奏楽団だと思います。
特に何が素晴らしいかと言うと、その圧倒的に高い技術力もそうなのですけど、
日本の有能な作曲家に曲の提供、つまり委嘱をお願いする事によってその委嘱された曲をコンクールの自由曲として
演奏する事で、邦人オリジナル吹奏楽曲を数多く世に送り出してきたという事が
実は最大の貢献なのではないかと思ったりもします。

一例をあげると・・・

〇保科洋/交響的断章・カプリス・カタストロフィー・古祀

〇夏田鐘甲/ファンタジー

〇田村文生/アルプスの少女

〇田中賢/メトセラⅡ・紅炎の鳥・南の空のトーテムポール・始原Ⅰ~大地の踊りなど

〇藤田玄播/天使ミカエルの嘆き


この中では、今では演奏されなくなった曲もありますし、現在に至るまで積極的に演奏され続けている曲もあります。
こうやって、後世に受け継がれていく曲を委嘱と言う形で世に送り出し続けた
ヤマハの貢献度は、本当に素晴らしいものがあると思います。

ヤマハ浜松は、最初にコンクール自由曲用の委嘱作品は、邦人作品ではなくて、
実はあの「二つの交響的断章」でお馴染みのネリベルだという事は案外知られていないのかもしれないですね。
当時の指揮者の原田元吉氏がわざわざ訪米し、ネリベルに直々に
「是非我が吹奏楽団のために曲を書いて欲しい!」と依頼し、そこで出来上がった曲が
「ヤマハ・コンチェルト」なのです。
そしてヤマハ浜松は1970年の全日本吹奏楽コンクールにこの「ヤマハ・コンチェルト」を自由曲として出場し、
見事にグループ表彰制度開始のこの年に金賞を受賞しています。

この曲を知っている人、現在いるのかな・・・・? というかほとんど忘却の彼方の曲でもありますし
ヤマハ浜松以外はほとんど演奏された事もない曲ですので、
「誰も知らない・・」という曲といえるのかもしれないです・・(汗・・)
以前当ブログでこの曲について書いたところ、なおりパパ様より「この曲、知っている!」とコメントを頂いたこともあり、
「この曲をご存知の方がいて安心した・・」と妙に(?)感激したものでした! (笑)

「ヤマハ・コンチェルト」は、曲自体は意外と短く5分程度の曲です。
しかもネリベルとは思えないほど何か微妙に可愛らしい要素もあり、
「交響的断章」・「アンティフォナーレ」みたいな恐ろしいほどの不協和音とか畏敬を感じるほどのダイナミックスレンジの
落差の激しさという要素はほぼ皆無です。
曲のラストも、優しく可愛らしく終わり、思わず拍子抜けするほどです。
どちらかというと古典的な佇まいでチャーミングな雰囲気すらあると思います。
この前年度、1969年には、ヤマハ浜松は同じ作曲家の「フェスティーヴォ」を自由曲として
取り上げていますが、この曲はいかにもと言う感じのネリベルらしい作風なのですけどね・・・

この予想外の可愛らしさというか、管楽器の音の組合せの楽しさを発揮したのが
「ヤマハ・コンチェルト」の最大の魅力なのかもしれないですね。

ヤマハ浜松と言うと、知る人ぞ知る話かもしれませんが、1974年の全国大会には出場していません。
実は意外だったのですけど、東海大会の段階で、新日鉄に代表の座を奪われてしまいました。
ヤマハ浜松というと当時は既に王者の貫録という感じでしたけど
まさか新日鉄に敗れるとは意外だったでしょうね・・・
ちなみに新日鉄のその時の自由曲は、リードの「ジュビラント序曲」でした。
1974年のヤマハ浜松の自由曲は、保科洋の「吹奏楽のためのカプリス」という大変地味で陰気な印象のうすい曲であった
というのがもしかして敗因かどうかは定かではないですけど、
1975年のヤマハ浜松の自由曲は再度二年連続してこの、保科洋の「吹奏楽のためのカプリス」でしたので、
原田元吉氏としても余程悔しいものがあり、雪辱を果たしたかったのかもしれないですね・・・

最後に・・ヤマハ浜松は、
2015年度より、吹奏楽コンクールへの参加と、大都市圏でのコンサート開催を1年おきに計画し、
活動を2年周期で展開していく方針であることが発表していますけど、これって換言すると吹奏楽コンクールは偶数年のみ
出場するということなのでしょうか・・?
実際2015年のコンクールは不参加のようでしたし・・・
23.武生東高校


D/交響曲第3番「シンフォニーポエム」 (A.ハチャトゥーリアン)



北陸代表と言うと、1970年代~80年代当時においては、高岡商業と富山商業の2チームだけというイメージでしたけど、
武生東高校という学校が90年代以降は
富山商業を押しのけて、3年連続全国に出場していたのは驚異的な事だと思います。
(もっとも富山商業の坪島先生は、この時期勇退されているみたいですが・・・)
余談ですけど、そうした意味においては、80年代における北陸代表の富山商業と高岡商業という不動のレギュラー代表が
定位置を占めていた中で、1982年において金沢二水高校が高岡商業を退ける形で見事に代表の座をゲットしていたのは
凄い事だと改めて感じたりもします・・

武生東の全国大会初出場は1990年の「吹奏楽のための神話」でしたけど、この時はかなり緊張していた様子が
普門館からの客席にも伝わっていて、演奏自体もカチコチに硬くて見事に演奏が崩壊していたような印象があるのですけど、
そうした初出場時のに比べると、随分と進化していたような印象があります。
90年の初代表から結果的に3年連続北陸代表の座を実力で掴んでいたその実績が既にこの頃には自信となっていたのだとも
思われます。
演奏自体も90年の初出場と明らかに異なっていて、のびのびと吹いている様な雰囲気すら漂わせていたと思います。

だけどこの時代の高校の部は既にとてつもなくレヴェルが高い時代に突入していて、
ちょっとした印象の悪さや音程の悪さが散見されれば評価としては問答無用で銅賞という評価になってしまう
厳しい時代になっていたのだと思います。

このチームの特徴はいい意味でも悪い意味でもその「おおらかさ」にあるのかなとも当時感じていました。

そうした意味においては、この課題曲Dのような曲はこのチームにぴったりみたいな感じもあり、やはりそこから聴こえてくる
音楽にはのびのびとした楽しさがあったと思います。
だけど前半というか冒頭部分のリズムが少しギクシャクしていて、このリズム感の悪さを取り戻すのに
少し時間が掛ってしまったのが上記の印象の悪さに繋がってしまったような感じもあります。

自由曲のハチャトゥーリアンのシンフォニーポエムは、このチームのおおらかさ・素朴さ・素直な感じが
ストレートに発揮されていて全体としては大変のびのびと吹いていて、スケールの大きさも十分に伝わり
決して悪い演奏ではないと思います。
結果的にこの年も銅賞を受賞するのですけど、この銅賞はちょっと気の毒みたいな感じもあったと思います。
サウンドに少し濁りを感じた事と少し全体的におおらかで素直な響きなんだけどもっさりという印象も与えがちなのが
マイナス評価として審査されたようにも感じられます。
冒頭の炎のような金管セクションの咆哮は大変迫力がありましたけど、その後に展開される木管セクションの音のうねりが
少し弱かったようにも感じられますし、
確かに強奏時の熱演には目を見張るものもあるのだけど、中間部の木管を中心とした「しっとり感」は
できれば弱奏の熱演を求めたかったのですけど、その辺りは意外と単調にさくさくと進行していたのも、私としては少し
不満を感じたものでした。
だけどラストにかけての追い込みと盛り上がりは実に自然な流れで、「スレスレ銀賞に潜り込めるかな・・?」と思ったら
評価は銅賞という事で、やはり部分的な「濁り」が印象を悪くしたような感じもありました。

武生東はは翌年の1993年の「ローマの祭り」も惜しくも銅賞で
1994当時、高校の部では珍しい「5年連続銅賞」という珍しい記録が期待されたのですが(?)
94年以降は指揮者が奥田先生から植田先生に変った事が功を奏したのか結果的に初の銅賞以外の賞を受賞し、
5金ならぬ5銅は回避されていました・・・

最後に・・

このハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」は、1984年の花輪高校の全国大会初演より
2016年時点で計12回全国大会で演奏されているのですけど、
初演で元祖の花輪高校を超越する演奏は中々出てこないですね・・・
やはりそれだけ小林先生が指揮された花輪高校が偉大だったという事なのかもしれないですね・・・
(個人的には91年の内灘中とか97年の立正大学は好きな演奏です!)
1991年に全国大会初出場でリードのオセロで全国大会初金賞を受賞した
川口ブラスソサエティーが1981年の関東大会で自由曲に選んだ曲は「最後の誓約」です。
そしてこの「最後の誓約」という曲は、BJ等でもフィッシャートゥール作曲と提示されていましたので、
私自身も長い間、フィッシャトゥールという作曲家がこの「最後の誓約」という知る人ぞ知るウルトラマイナーな
吹奏楽オリジナル曲を作曲したものだと長い間思い込んでいました。

だけど最近判明したのですけど、フィッシャトゥールという作曲家は、実は、アコラーデ・儀式のための音楽で
少しは名が知れた「タル」という作曲家の名前でもあったのですね!
というか・・・1981年の関東大会のプログラムとBJの誤表記だと思うのですけど、
タルという名前は、Tull, Fisherというのが正式の名前で、これがなせかしらないけど、
本当は、タル・フィーシャーというのが正解の表記と思われる中、勘違い等によりなぜかフィッシャトゥールという
「架空の作曲家」(?)という名前か生み出されてしまったのだと思われます・・(笑)
だけどこれでなんとなく納得・・「最後の誓約」のあのミステリアスな雰囲気とアコラーデとか儀式のための音楽の
なんかヘンな雰囲気の作風は、見事に(?)合致するような印象もあったりします。
タルのアコラーデとか儀式のための音楽は、九州の春日市民吹奏楽団が自由曲に選び、全国大会で演奏し
2回とも銀賞を受賞していますけど、演奏自体の印象は淡泊であまり鮮烈な印象はないのですけど、
曲自体が「なんか変っている・・」みたいな印象は今でも私の中にはあったりもします。

それにしてもタル・フィッシャーと言う名前がいつの間にかコンクールプログラムの誤表記でフィッシャトゥールという
架空の名前になってしまった事は、タルには大変気の毒な話ではあるのですけどなんかくすっ・・となってしまいそうな
話しだとも思います。

この話はなんだかプロコフィエフ作曲の交響組曲「キージェ中尉」のストーリーをなんだか彷彿とさせてくれていると思います。

「キージェ中尉」は元々は映画音楽なのですけど、この映画のストーリーを簡単に言うと、
帝政ロシア時代のある皇帝の「勘違い」から始まった物語とも言えます。

皇帝が昼寝をしてうとうとしていると、突然女官の悲鳴が聞こえてくる・・・
皇帝は、廷臣達に「本日の見回り当番は誰なのか」と尋ねると、
「ポルーチキ……ジェ(中尉……です)」と答えたのを,
皇帝は「ポルーチク・キージェ(キージェ中尉)」と聞き違え、
その結果、「そうかキージェ中尉が、自分の睡眠を妨害した奴なのか」と憤慨し、
ここに架空の人物「キージェ中尉」が誕生してしまうのです。

そして、皇帝の命令でキージェ中尉は、シベリア流刑になってしまったのです・・

ある日、皇帝は「もしかしてキージェ中尉は、暗殺者の存在に気が付き、女官に悲鳴をあげさせたのではないか?
案外とキージェ中尉は、忠義心に厚いイイ奴ではないのか」と勝手に自分の頭の中で妄想してしまい、
「キージェ中尉をシベリアから呼び戻せ」
「キージェ中尉を昇進させよ」
「キージェ中尉にお似合いの花嫁さんを探せ」とか
廷臣達に色々と無茶難題を押し付けてくるので、廷臣達もしまいには面倒くさくなり
「キージェ中尉殿は、急死しました・・・」という事にしておき、
映画のラストは、キージェ中尉の葬式のシーンで終わります。

皇帝の勘違い一つで国中がドタバタしてしまう「皮肉」を描いたものともいえるかもしれません。
ま・・日本だって、総理とかのヘンな思い込みや勘違い等で国全体の方向性が随分と妙な方向に走る可能性だって
十分ありますから、そうした警鐘という点でも案外「キージェ中尉」のお話は、示唆的な話なのかもしれないですね。

話がそれました・・フィッシャトゥールじゃない・・タルの「最後の誓約」に話を戻しますと、

この「最後の誓約」という曲は、終始アダージョでゆったりとした感じの音楽です。
曲全体を通して不思議な緊張感と、静と動の対比が強く感じられる曲のように 思えます。
「最後の誓約」を吹奏楽コンクールの支部大会以上で演奏したチームは、2017時点では、
1981年の関東大会・一般の部に出場した川口ブラスソサエティーが今の所唯一の演奏事例です。
そして私自身は、今現在では会社倒産により会社自体が消滅しているトラヤという音楽テープ制作会社へのオーダーによる
カスタムテープという形でこの貴重な演奏をいまだに聴く事が出来ています。
1981年当時のバンドジャーナルのこの川口ブラスソサエティーの演奏の講評にて、
「吹奏楽曲として十分計算された曲で 曲の途中で大胆なffが出てくる」とか書かれていましたが、
まさにその通りの曲だと思います。
前半の静かさに対して、曲の中盤ですさまじい打楽器等による強音が響き渡り、
聴くものを思わず圧倒させます。
そして、ラストは再び静かになって静寂のうちに閉じられます。

何とも不思議な曲ですが、吹奏楽曲としては極めて珍しい終始ゆったりとした曲なので
妙に印象に残っています。
アレグロの部分は皆無で、アダージョ的展開なのに、途中ですさまじい盛り上がりを見せ、ラストは静粛のうちに終わるという
構成が当時としては少し珍しかったせいもあり、印象度としては強かったですね。

川口ブラスソサイェティーは、判明している限りでは、この演奏を含めて三回しか関東大会に
出ていません。
その内一度は、1991年に「オセロ」で全国金賞を果たしています。
但し、正直この年のオセロはカットだらけの演奏で、印象としては極めて散漫です。
むしろ翌年の信国先生の指揮での「ハムレット」の方が大人の演奏で しっくりときます。
92年の関東大会・一般の部は山梨県民ホールで開催され、その頃私は仕事の関係で
山梨在住でしたので、喜んで聴きに行きました。
信国先生は、88年の市立川口高校でこのハムレットへの音楽を自由曲として演奏していますが、
その際は、残念ながらトランペットをはじめ惜しいミスの連続で
印象としてはあまり良くものではありません。
終盤のチャイムの響きも正直鳴り過ぎてやかましいというレベルで、第一楽章アダージョの歌い方は素晴らしかったでけに
惜しまれる演奏です。
その点、92年の川口ブラスソサィェティーは、ほぼノーミスで、第一楽章もしっとりと 聴かせてくれ、
終盤の盛り上がりも極めて自然で 素晴らしい演奏だったと思います。
結果はダメ金で、全国大会に進めなかったのは大変残念でした。
1992年の関東大会・一般の部は、アンサンブルリベルテすらもダメ金でしたから、かなりレベルの高い大会
だったと思います。
アンサンブルリベルテは、今や日本のアマチュアの吹奏楽においてもトップクラスの演奏団体の一つで、
全国大会の金賞の常連チームではありますけど、
この当時は、まだそこまでは至っていなかった・・という感じでもあるのですが、
ダメ金なのですけど、アンサンブルリベルテの1992年の「せむしの仔馬 Ⅱ」とか91年の「アンカラ」なんかは
私は今でも大好きな演奏ですよ!

話を81年の川口ブラスソサィェティーに戻しますと、 この年の課題曲はB「東北地方の民謡によるコラージュ」でしたが、
同じ課題曲を「無言の変革」の市立川口も同じ指揮者の信国先生が振っています。
しかし、随分と両者は違いがあるものですね。
市立川口は、前半はかなり遅めのテンポで演奏しているのに対し、 川口ブラスは、普通のテンポに近い形で演奏しています。
市立川口がかなりひねった解釈をしているのに、 川口ブラスは、オーソドックス表現をしています。

その辺りの解釈の違いというのも面白いものがあると思えますし、そうした事も吹奏楽コンクールを楽しむ
一つの方法とも言えるのかなとも思いますね!
22.下松高校


C/バレエ音楽「バリの喜び」~序曲・ワルツ・マーチ・カンカン(オッフェンバック=ロザンタール編)



下松高校・・・うーーん、懐かしい学校ですね! 93年のベルキスの演奏を最後に全国大会からはもうかれこれ25年近く
遠ざかっていますし、最近では県大会止まりで終ってしまう事も多々あるようですけど、
いつの日にか名門復活が出来るといいですね。

中井先生が指揮された下松高校から聴こえてくるサウンドは、極めて「温かい」というか人間的な香りが漂っていると思います。
中井先生の経歴とかは正直全然わからないのですけど、そこから聴こえてくる音楽は、
いかにも普通の県立高校の先生と生徒が一生懸命「手作りの音楽」をして、その努力の結果として普門館に
たどり着いたみたいな雰囲気だと思いますし、
「厳しい中にも温かさが滲みでているような優しい音楽」みたいな音楽が滲み出ていたと思います。

最近の全国大会に出場する学校名を見れば一目瞭然なのですけど、やはり財力がありそうな私立の台頭が
目立っていますね。
そして下松高校のような普通の地方の公立高校が全国大会に出場してくるというのも
21世紀に入ると段々厳しくなってきたという実感もあったりします。
私も高校は田舎の県立高校で、とにかく限られた予算とおんぼろ楽器と絶対的なクラリネット奏者不足に泣かされ続けた
3年間という印象が大変強いのですけど、中井先生率いられれる下松高校も当時は
公立校としてのご苦労が相当あったのではないのかと推察されるのですけど、それでも80年代後半から90年代前半にかけて
あのような手作りの温かい音楽というのか「人間の触れ合い」らしい音楽を普門館の聴衆に提示し続けたくれた
中井先生と下松高校吹奏楽部の皆様には本当に頭が下がる思いですし、敬意を表したいと思います。
吹奏楽コンクールの中国支部というと80年代辺りまでは、基町高校・川本高校・下関商業・出雲高校、そしてこの下松高校
などのように公立高校がかなり健闘しているブロックという印象もありましたけど、最近ではやはり私立勢の優位が目立ち、
出雲北陵・明誠学院・岡山学芸館・おかやま作陽・鈴ヶ峯女子といった私立勢が全国大会代表になる事が
以前よりは相当多くなってきたようにも思えます。

そうした中での公立校としての下松高校の軌跡はまさに一つの奇蹟だったのかもしれないですね。

初出場当時の幻想交響曲のあのひ弱で音楽的個性がほとんど感じられない演奏から始まり、
確かに賞的には今一つ縁が無かったのかもしれないですけど、幻想序曲「ロメオとジュリエット」・アルメニアンダンスパートⅠ・
セント・アンソニー・ヴァリエーション・プラハのための音楽と毎回出場するごとに着実な「進化」を必ず見せてくれ、
それが最終的に「全国大会金賞」という果実が実ったのが1991年のプロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」」
で聴かせてくれたあのしっとりとしたリリカルな演奏だったのだと思います。

だけど大変惜しまれる事に、下松高校が唯一金賞を受賞した翌年のこの1992年の演奏が、それまで下松高校を牽引されて
こられた中井先生のとして最後の下松高校での指揮という事になり、翌年以降は中井先生は異動をされてしまい、
この1992年の演奏が結果として中井先生最後の下松高校での普門館という事になってしまいました。

改めてですけど吹奏楽コンクールで継続的に素晴らしい成績を維持し続けることは本当に大変難しい事なのだと思います。
前年度の91年に念願の全国初金賞を受賞し素晴らしい演奏を聴かせてくれながらも、翌年の92年の演奏は、
率直に言うと特に個性もない無難で平凡な演奏になってしまいました・・・
課題曲は、もう少し鋭さが欲しかった感じしますけど、どこなく「ほわわーん」とした締りの無い感じでしたし、
リズムの切れが欠けていたのが惜しまれます。
自由曲は逆に音楽が硬めで、もう少し柔軟さが欲しいとも感じました。
指揮者の中井先生の指揮棒からは「随分とやわらかくこじんまりとまとめられている・・」みたいな意図も感じたものですけど、
前年度の良い成績を今年も維持したいみたいなプレッシャーのせいなのか少し固さが感じられ、
もう少しのびのびの楽しみながら吹いた方が良かったような気もします。

前述の通り、結果的に中井先生としては最後の下松での演奏になってしまったので少し残念な感じは今でもありますね・・

私の採点では「銀と銅のポーター」と思っていたのですけど、結果的に銀賞に落ち着き安堵したものでした。
21.花輪高校


C/バレエ音楽「チェックメイト」より(ブリス)



今年はまだ終わっていませんし、残りあと四か月ほどあるのですけど、今年・・2017年度において、
私にとって最大の訃報は、かつて花輪高校吹奏楽部と秋田南高校吹奏楽部をご指導され、全日本吹奏楽コンクールで
数多くの歴史的名演を私達に残して頂けた小林久仁郎先生のご逝去の知らせだったと思います。

改めてですけど、ここに小林先生のご冥福を心の底より御祈願させて頂きたいと思います。

だけど小林先生の訃報の知らせは突然でしたし、「まだまだお若いしこれからもずっと吹奏楽界の発展に貢献して欲しい!」と
願っていた先生でもありましたのでショックは大きかったですね。
事実、当ブログは一応は「毎日更新」が一つの売りにもなっているのですけど、小林先生の訃報を聞いたとたんに
「そんなブログの更新なんてどうでもいいじゃん・・」と感じてしまい事実5日程本当にこの毎日更新のブログが止まって
しまった程、やはり私にとってもショックの大きさを当時物語っていたと思います。

私に出来る事は、小林先生と花輪高校吹奏楽部という素晴らしき存在を、定期的にこういうブログという文章の形でも
とにかく何か「記録」として残して頂く事と
小林先生や花輪高校吹奏楽部の演奏を私がせめてこの世にいる間は「決して忘れないで思いを馳せる事」なのだと
思います。

1992年の花輪高校の演奏は、2017年現在現時点では、結果的に最後の全国大会出場となってしまいました。
翌年の1993年以降は小林久仁郎先生は秋田南へと異動をされてしまいます。
(当時の秋田南は、90年~92年の三年連続県大会落ちという屈辱の歴史を味わっていますので
小林先生を秋田南へ赴任させることで名門校復活を秋田県の教育委員会が意図したという可能性もあるかもしれないですね)

私自身は、小林先生=花輪高校の本流はロシア系マイナーシンフォニーにあるの思っていますので、
前年度の1991年の「バッカスとアリアーヌ」みたいなフランス系路線とか
「永訣の詩」・「壁画」みたいな邦人路線は今一つ小林先生が求める音楽の本質と合わなかったと
言えるのかもしれないですね。
(私自身は小林先生の邦人路線は大好きですし、事実、秋田南での竹取物語とか舞楽は大・大・大好きですっ!!)
1992年は、吹奏楽では珍しいブリスというイギリスの作曲家の作品を自由曲に取り上げていました。
1982年にも東北大会でダメ金でしたけど、ウォルトンの交響曲第一番終楽章を自由曲に取り上げ、
うちのブログではあのウォルトンの一番の超名演を何度も何度も執拗に取り上げている事で分かる通り、
あの演奏には「魂を揺さぶる何か」が間違いなくあったと今でも確信しております。
つまり、イギリス音楽と小林先生の相性は意外とも感じるぐらい実に大変良好なものがあったと思います。
イギリス音楽にも小林先生は造詣が深かったのかもしれませんね。
歴史に「もしもという言葉はNG」とよく言われるのですけど、もしも小林先生が21世紀に入って以降にどこかの市民吹奏楽団の
指導をされ吹奏楽コンクールに出場され、自由曲にイギリスの作曲家のアーノルドの交響曲を演奏されたら
一体どんな感じの演奏&解釈をされていたのかというのは実に妄想のし甲斐があるようにも思えます。
というか・・・どちらかというと重厚な曲を好まれた小林先生が軽妙・ユーモア・現代的なスピード感と爽快感が
一つの売りにもなっているアーノルドの音楽をどのように料理されるのか考えただけでなんかわくわくしそうです・・(笑)
それが今となっては叶わない夢というのも実に残念な話ではありますね・・・

1992年の小林先生としては結果的に最後の花輪高校の普門館での演奏なのですけど、
この演奏は正直驚きでもあります!
当時この演奏を生で聴いていた時も感じましたし、後にこの演奏がCD化された時も感じたのですが、
一言でいうと「それまでの路線と比べて明らかに音楽が洗練化されスマートになっている!」というものでした!
自由曲のブリスのバレエ音楽は、急-緩-急の三曲を選んでいて、特に最後の曲のスケールの大きさは素晴らしかったと
思いますし、緩い部分の大人っぽいしっとりとした歌いまわしも素晴らしかったと思いますし、この緩い部分にどことなく
「寂寥感」みたいな表情も感じられ、花輪高校にしては珍しく(?)都会的なチャーミングな雰囲気も感じられたものでした。

以前のラフマニノフ/交響曲第一番 ショスタコ/交響曲第一番 ハチャトゥーリアン/交響曲第二番「鐘」
プロコフィエフ/交響曲第三番などの演奏のように細かいミスがたまに目につきサウンドが少々荒かった頃に比べると
とても同一チームとは思えないほどサウンドは洗練され、技術も安定しています。
自由曲のブリスの音楽も緩急をしっかりと表現し、随分と大人びた演奏を残しています。
課題曲も三善晃らしいスピード感と音楽の切れを遺憾なく聴衆に聴かせていたと思います。
(私個人としては、課題曲Cの演奏としては、高岡商業・都立永山に次ぐ素晴らしい演奏だったと思います)
そうですね・・・特に自由曲の洗練さは、これはこれで素晴らしいけど、やはりどうしても私としては、
花輪高校というとロシアマイナーシンフォニーの「荒ぶる魂の叫び」なんかを期待しちゃうのですよね・・・(笑)
だけど、この年の花輪は、素晴らしい演奏を最後に普門館で聴かせてくれましたし、
非常に惜しい銀賞だったと思います。
上記で述べた通り、都会的洗練さ・ツンデレの女の子みたいなチャーミングな雰囲気は従来の花輪高校にはほぼ皆無の要素
でもありましたので、「これは来年以降は別の花輪高校のサウンドに変身しちゃうのかも・・!?」みたいな
期待感も感じさせてくれる演奏だったと思いますし、
花輪高校としての「変化」を示唆する演奏であったような気もします。

それだけに結果論ではあるのですけど、せめてあと3年程度は小林先生は花輪高校を指揮されて欲しかったなぁ・・と
今更ながら感じることも多々あったりもします。
そして翌年以降小林先生は、秋田南へと異動され、そして立派に秋田南高校吹奏楽部を立て直され、
1994年には秋田南を引き連れて1988年以来久しぶりの全国大会に臨むことになります。
(94年の秋田南のあの気合入りまくりの饗応夫人と竹取物語は感涙ものでしたね!!)

花輪高校は、1990年の吹奏楽コンクールは「三角帽子」で東北大会ダメ金だったのですが、
翌年の「バッカスとアリアーヌ」・翌々年の「チェックメイト」は生まれ変わったような
洗練されたサウンドに生まれ変わったことは前述の通りなのですけど、
これは小林先生自身ももしかして、「さすがに今までの表現スタイルは時代にそぐわないから、自分たちも
チェンジを図る必要がある」と思われて、小林先生としての「変化」を示した演奏と言えるのかもしれないですね。
花輪高校の1992年のサウンド・音色は、「究極の繊細さ・洗練さ」の域に達しているように感じられます。
小林先生が初めて花輪高校を引き連れて普門館にやってきた1978年の音色・サウンドと単純に比較すると、
雲泥の差があるようにも感じたりもするのですが、これは別にだから78年の演奏はダメ・・と言っている
訳ではありません。78年のラフマニノフには、当時としての美点もたくさんあると思います。
だけど、78年と最後の92年の演奏のサウンドの違いと言うのは、まさに小林先生が1978年→1992年にかけて花輪高校で
育んできた「一つの進化」としての結果なのだと思います。
あの荒ぶるロシアの魂路線からスタートした小林先生が最後に求めたものとは「繊細さ・洗練さ」だったのかもしれないですね。

改めてですけど、小林先生=花輪高校は、とにかく「伝説」だと思います!
ブレーン社から出ている「レジェンダリーシリーズ」の花輪高校編を聴くと、花輪高校の偉大さがご理解して頂けると思います!!
(今回は割愛しますけど花輪高校の吹奏楽コンクールでの選曲は本当に素晴らしいものがあるともいえると思います!)
何よりもあの花輪高校特有の響きは大変洗練されデリケートに美しく響く幽玄なサウンドながら、
時に豪快に、時に荒っぽく、時に咆哮し激高する等、その自由自在な表現も大きな魅力だったと思います。
花輪高校吹奏楽部は1978年の小林先生赴任以前も既に吹奏楽の名門校という立ち位置ではありましたし、
佐藤修先生時代のあのとてつもなく地味な選曲&渋すぎる表現力も大変魅力的ではありましたけど、
花輪高校を更にさらに大きく飛躍させたのが小林先生の赴任なのだと思います。
小林先生は赴任一年目から、いきなり、ラフマニノフ/交響曲第1番第四楽章という
当時誰も目にも留めなかった曲でいきなり全国大会金賞を掴みとってしまいますが、
1979年の2年目のショスタコーヴイッチにしても、自由曲の定番中の定番の交響曲5番ではなくて、
交響曲第1番を選ぶあたり、小林先生の目の付け所の確かさを感じてしまいます。
1980年のハチャトゥーリアン/交響曲第2番「鐘」も81年のプロコフィエフ交響曲第3番も
どちらも第一楽章を選びながら、
ラストにおいては、第四楽章の終結部を巧みに結合させてしまう辺りに、その大胆さと音楽的センスを
感じてしまいます。
(そうそう、小林先生はクラシック作品を吹奏楽用にアレンジされる事にも大変素晴らしき才能を発揮された先生であり、
 事実、小林先生が編曲されたハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」はいまだに全国大会でも
演奏され続けられています!)

花輪高校吹奏楽部は、1992年の演奏以降は現在に至るまで吹奏楽コンクールの全国大会の表舞台から
姿を消してしまいますけど、別に「吹奏楽コンクール」だけが全てではありませんし、
何よりも「花輪高校吹奏楽部の偉大なる歴史」は永遠に不滅ですし、
少なくとも「私の心」の中では私が生きている間は少なくとも記憶され続けると思います!

最後に・・・

とにかく私は声を大にして申し上げたいです!

「秋田県立花輪高校吹奏楽部は永遠に私たちの心に刻まれ続ける!!」ということを!!

そしてもう一度だけお悔やみの言葉で締めさせて頂きたいと思います。

小林久仁郎先生、どうぞ安らかにお眠りください・・・、そして「ありがとうございます!」という言葉だけは
お伝えさせて頂きたいと思います。
一つ後の記事が「秋」がテーマにもなっていますので、それに合わせる形で本吹奏楽記事もテーマは「秋」です!

今年の夏は7月は暑かったけど8月は天候不順で冷夏とか梅雨の延長戦みたいな感じもあり、
8月に関してはあんまり夏らしくなかったのかも・・とも感じてしまいます。
最近はまたまた暑さが戻ってきていますし、まだまだ残暑が厳しい8月下旬なのですけど、
何となく・・・
「ああ・・・もう夏は終わりなんだな・・」と感じる事も多くなってきたようにも思えます。
それを一番感じるのは、日が暮れるのが結構早くなってきた事だとも感じます。
先日も仕事で夕方過ぎまで外を廻っていたのですけど、PM19:00を過ぎると、結構もう辺りは暗くなっています。
「あれれ・・・最近までこの時間帯はまだ明るかったのに・・」と思ったのですけど
それだけ季節は秋に少しずつ近づいているのかもしれません。
何よりも、最近ではセミが鳴く声も大分下火になってきましたし、 夜は結構涼しくなってきたようにも感じられます。
それにしても今年は7月に入ると急激に暑くなってしまいましたね!
あの時は「7月初めの段階でこんなに暑かったら今年の夏はどうなってしまうのだろう・・」と少し不安に感じたものでしたけど、
やはり人間と言うものは、暑さ・寒さも含めて環境に順応してしまいますし、暑さも結局は「慣れる」という事で
なんとか対応できるものなのですね。

何となくですけど最近季節が「あ・・・秋に向かっているんだな・・」と一番感じた瞬間は、
水田の稲の色が今までの青っぽい感じから幾分黄色というのか、黄金色みたいに色が変化しているのを
見た瞬間なのかなとも感じたりもします。

暑い、暑いと言っていても、水田一つとっても着実に季節は秋に向かっています。

そんな事をふと思ってたら、頭の中を不意にある一つの曲が駆け巡ってきました。

それが何かと言うと、1998年全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅱ/稲穂の波でした。

吹奏楽コンクールの課題曲の変遷の歴史を簡単に見ていくと、
1970年代後半から1992年までは書下ろしオリジナル作品とマーチの混合
1993年から2000年代初期の頃は、奇数年がマーチの年で偶数年が幾分長めの書下ろしオリジナル作品の年
そして最近は・・・中学の部限定とか小編成用とか色々と興味深い工夫もある中、
基本的には昔のような書下ろし作品とマーチの混合というパターンに戻ったような感じもあります。
1998年は、偶数年でしたから、オリジナル書下ろし作品の年でしたけど、
まだこの年は、1994年の例えば、饗応夫人とか雲のコラージュのように課題曲だけで6~7分程度の
長い課題曲という余韻がまだ幾分残っているような感じもあり、
4曲ともいずれも演奏時間は4~5分程度の曲でした。
この年は何となくですけど、Ⅰの童夢とⅡの稲穂の波に人気が集中していたような印象もあるのですけど
私は、何と言ってもこの課題曲Ⅱ/稲穂の波が大好きでしたね!!
この曲はもイメージがしやすいというのか、黙って目を閉じてこの曲を聴いていると自然に
目の前に広大な田んぼが広がっていて、「秋の収穫」を目前に控えた頃の黄金色に輝く一面の田んぼというのか、
そうした何か「日本人の心のふるさと」みたいな情景が 勝手に入り込んでくるのですよね・・・
風でさーーーっと穂がゆらゆらと揺れ動くみたいなイメージも自分の中にはありました。
とっても分かりやすい曲で、難しいメロディーも変拍子も特になく、不協和音も無く
頭の中にすーーーっとメロディーラインが入り込んでくるとっても優しい曲だったと思います。
この曲、何度も支部大会・全国大会で耳にしたのですけど
どのチームも曲のイメージがしやすいせいか、課題曲にありがちな「無味乾燥な演奏」というのは
比較的少なかったようにも思えます。

この課題曲の作曲者の福島弘和氏は、最近では
「ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶」とか
シンフォニエッタ第2番「祈りの鐘」で吹奏楽コンクールでもお馴染みの方なのですけど
私としては、祈りの鐘もかなり大好きな曲なのですけど
この「稲穂の波」とか2000年課題曲Ⅰ/道祖神の詩の方により惹かれるものがあります。
なんかこの作曲者はも日本の「古き良き情緒」をイメージさせる曲の方が私にとっては、よりしっくりくるような気もあります。

「稲穂の波」ですけど、
出だしはゆったりと開始されますけど木管楽器のたっぷりとした歌に心からじーーんとくるものがあります。
金管がコラール風に瞬間的に盛り上がった後からの中間部はアレグロ的に展開され、
このシャキシャキと進行していく感じが何か・・・個人的には「風」をイメージしちゃいます。
中間部の速い部分は、ホルンの雄叫びみたいな感じとタンバリンがシャリシャリ鳴っている部分が
特に気に入っています。
中間部のラスト近くで一旦テンポを少し落とし、コラール風に展開していく部分は、本当にあれは泣かせてくれますし、
ああいう感覚は、多分ですけど、日本人の「伝統的美意識・わびさびの世界」の琴線に触れる部分のようにも感じられますし、
日本人にしかわからない音楽なのかな・・・とも思ったりもします。
静かに閉じられるラストも実に秀逸だと思います!!

なんていうのかな・・・「郷愁」の世界なのかもしれませんよね。

だけどとにかく私、この課題曲は大好きです!!

77年のバーレスク 79年のフェリスタス 81年の東北地方の民謡によるコラージュ 82年の序奏とアレグロ
83年のインヴェンション第一番 85年の波の見える風景 86年の変容 86年の序曲 87年の風紋
90年のランドスケイブ 92年のフューチュリズム 94年のベリーを摘んだらダンスにしようなどなど・・・
色々と素晴らしい課題曲は一杯あるのですけど
この「稲穂の波」も決して忘れてはいけない課題曲の一つだと思います!!
20.札幌白石高校


D/バレエ音楽「ガイーヌ」~序奏・友情の踊り・アィシェの孤独・剣の舞・収穫祭 (A.ハチャトゥーリアン)



札幌白石高校というと私のイメージとしては、指揮者の米谷先生という印象が大変強いですし、チーム全体の
「おおらかさ」という雰囲気が良い意味でプラスの評価に繋がっているような感じがあります。
米谷先生の勇退以降はやはりあの素晴らしき演奏とか全国大会金賞という栄誉からは少し遠ざかっている感じもしますし、
ここ数年は北海道大会で終わってしまい全国大会に進めない状況が続いていますけど、
この素晴らしき名門校の復活もいつの日にか大いに期待したいものがあります。

札幌白石は、私的には結構面白いチームだと思っておりまして、毎年毎年金賞と銀賞スレスレの
結構スリリングな演奏を聴かせてくれていて、ライヴ感覚を大切にしているというのか
「たとえ本番の普門館のステージでも何が起きるかわからない、どんなドラマが起きるのかわからない」みたいな
演奏を毎年のように素敵に聴かせてくれていたみたいな印象もあったりもします。
何ていうのかな・・、これはあくまで客席から聴衆の一人として聴かせて頂いた印象としては
「本番のステージでも普段の練習通りの正確な演奏というのではなくて、その時のノリと勢いで何をしでかすか
わからないチーム」みたいな印象も感じていたものでした。
毎年のように「危なっかしいな・・・」と感じさせてくれる面もあるかと思えば
「たっぷりと歌いあげてくるな・・・」と感じさせる面もありましたし
「このアレグロの生き生きとした流れは本当に素晴らしいな!」と感じさせてくれることも多々ありましたし、
プラスに転ぶのかマイナスにずっこけるのかどっちに転ぶのか演奏開始するまでは分からないみたいな
結構「アドリブ的な」側面も感じさせてくれ、それが実に伸び伸びとしていて
高校生らしい素直な演奏を毎年聴かせ続けている要因にもなっていたような印象もあります。

そうですよね・・・・

ある意味不思議なチームでもあり、あれだけ毎年毎年全国大会に出場し続ける「名門チーム」でありながら
何か「名門」とか「伝統」とかいう言葉があまり似合わないような「おおらかさ」も感じさせてくれていたようにも
感じられます。
完璧な技術力とか洗練されたサウンドを持っているとか、決してミスをしないとか
そういう「完成されたチーム」ではないと思います。
だけど何か普通の高校生が一生懸命日々練習してきた結果、ここまで仕上げてきましたという
何か手作りのような感じの音楽を毎回聴かせてくれて、
毎回聴くたびに「温かいモノ」を感じさせてくれるチームだとも感じられます。

何か毎年毎年「気取りのない演奏」を聴かせてくれていてとても親しみやすい雰囲気を持った学校というのが
私が米谷先生自体の札幌白石高校に感じていた率直な印象です。

札幌白石高校は、基本的には課題曲にはマーチを選ぶチームでしたけど、
マーチの演奏に関しては、札幌白石高校は、当時の阪急百貨店・嘉穂高校と同様に定評があり、
この年の課題曲も「ゆかいな仲間たち」に相応しい楽しく温かみのある親しみやすい行進曲だったと思います。
やはり札幌白石高校はこういう曲を演奏させると、高校の部では右に出るチームはあんまりないような気すらしますね!

自由曲の「ガイーヌ」は、序奏~友情の踊り~アイシェの孤独~剣の舞~収穫祭という1990年の中央大学と同じ構成を
取っていましたが、特に「剣の舞」が鮮やかだったのが印象的です。
「剣の舞」というとプロの管弦楽団の演奏ですら、時には「たた強奏をがなりたてるだけ」という単調な演奏も
多いとは思えのですけど、札幌白石の剣の舞は、音量を意図的に落した部分と次の瞬間の再度の強奏の
落差が大変見事で、そのダイナミックスレンジの幅の広さは素晴らしいものがあったと思います。
特にスネアドラムの小気味よい叩き方とかリズム感のよさとか金管セクションの耀きある響きは大変申し分かったと
思います。
収穫祭は、冒頭からいきなりホルンが少し外し気味でしたね・・
ラスト近くのホルンの雄叫びの再現部分も、もう少し音量が欲しかったですし強調されてもいいと思いましたし、
少しパワー不足のような気もしましたが、全体的には非常に楽しい雰囲気を最後までキープしていたと思います。

この年も銀賞と金賞の境界線の演奏に近かったと思いますが、何とか金賞にすべり込んでいました!

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