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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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田嶋勉というと、私のようなオールド吹奏楽ファンですと「WISH for wind orchestra」と答えるのかとは思うのですが、
最近の吹奏楽経験者の皆様にとっては、汐風のマーチ・ピッコロマーチ・エアーズの方が馴染みがあるのかもしれないです。
この田嶋勉ですけど、吹奏楽コンクール的にはある快挙を成し遂げられています。
それは何かと言うと全国大会における「課題曲での自作自演」です!
全国大会での自由曲における自作自演で思い起こすのは、言うまでもなく1981~82年の2年間に渡って
演奏されていた埼玉県の市立川口高校吹奏楽部による「無言の変革シリーズ」だと思うのですけど、
課題曲における自作自演と言うのは大変珍しいと言えると思います。
田嶋勉は、千葉県内の公立中学校・高等学校の音楽科教諭を務めており、
柏市立柏中学校吹奏楽部顧問在任時には2004年度において全日本吹奏楽コンクール全国大会へ出場し、
自ら作曲した課題曲「エアーズ」を演奏し銀賞という評価を得ています。

全国大会での課題曲の自作自演というと、可能性があったのは1995年まで筑波大学を指揮・指導されていた伊藤康英でして、
伊藤氏は1996年の課題曲Ⅰ/ 管楽器のためのソナタの作曲者でもありましたので、96年も筑波大学を指揮されていたら
全国大会での自作自演の可能性もあっただけに惜しまれます・・
伊藤康英は、吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」とか「北海変奏曲」などといった素晴らしい吹奏楽オリジナル作品も
数多く作曲されていますけど、長年にわたって筑波大学吹奏楽団を指導・指揮されていた実績もあり、
作曲活動に留まらずこうやって実際のアマチュア吹奏楽団の指揮・指導という現場もきちんと認識されている点は
大変素晴らしいと思います。
ちなみに伊藤康英は、筑波大学時代には、ネリベルの二つの交響的断章とかアンティフォナーレ、
シェーンベルクの主題と変奏、ヒンデミットのコンサートバンドのための交響曲、ランニングのシンフォニア・フェスティーヴァ、
ミヨーのフランス組曲、アイヴズのカントリーバンドマーチなど
吹奏楽マニアの皆様にとっては「わかっているねぇ~! さすがっ!」という素晴らしい選曲ばかりされていて、
私は伊藤康英のこういう所も大好きです~♪

課題曲の自作自演と言うと、小長谷宗一の1989年の課題曲A / 風と炎の踊りも自作自演になっていた可能性も
あったと思うのですけど、残念ながらこの当時の小長谷氏は既に吹奏楽コンクールの指揮者からは足を洗い
コンクールに出場していませんでしたのでそれは実現出来ませんでした。
インヴェンション第一番とか栄光をたたえてとかグリーン・フォレストでも馴染み深い内藤淳一先生も
泉高校・向山高校で吹奏楽コンクールの課題曲の自作自演を県大会と支部大会でお披露目されていましたけど、
残念ながら全国大会への出場は一度も果たされていないようです・・

こうやって見てみると、音楽大学等で専門的な音楽教育を受けてこられて、素晴らしい作曲・編曲能力をお持ちの
スクールバンドでの指導者も相当増えてきましたので、こうした吹奏楽コンクール・全国大会における
課題曲や自由曲の自作自演という事も決して珍しくも何ともなくなってしまうという未来も案外近いのではないのかな・・?と
ふと思ったりもします。

1989年の課題曲B/WISH for wind orchestraは、時代が昭和から平成に代った最初の吹奏楽コンクールの年の課題曲の一つ
でしたし、この頃は私が社会人になって2年目で吹奏楽コンクールとか現役奏者から足を洗って2年目でもありましたので、
当時はまだまだ「自分だってまだまだ現役奏者みたいなもの」という自負も多少はあってのコンクール視聴だったと思います。
1989年の吹奏楽コンクールの課題曲は、私にとってはAとCがハズレでどちらかというと嫌いな曲であり、
Dのポップスマーチ「すてきな日々」が嫌いという方はほとんどいないと思われる文字通りすてきな曲だと思います。
BのWISH for wind orchestraは、この年の課題曲の中では私的には一番大好きな曲であり、
長年積み重ねられてきた全日本吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中でも大好きな部類に位置するとても素晴らしい曲だと
思います。
「WISH」は文字通り希望という事なのですが、曲の隅々の至るところに希望とかハッピーとか充実みたいな前向きな気持ちが
感じ取られ、私も今でもこの課題曲は自分自身ちょっと気が滅入っている際の気分転換の曲として
今でも愛聴させて頂いております。
出だしのひそやかな雰囲気で既にこの曲の魅力に取りつかれてしまう印象すらあります。
ゆったりとしたおおらかな雰囲気から開始され、展開部に入っていくのですけど、この場面でのホルンの雄叫びは
何度聴いても大変心地よいものがあります。
あの部分のホルンの音域はかなり高くホルン奏者にとっては希望でもなんでもないのかとは思うのですけど、
あの雄叫びの部分と合わせる形での和音の美しさは絶品だと思います。
この部分をサウンド的に整理整頓するのは指揮者にとっては大変やっかいな事でもあるのですけど、同時に
指揮者の腕の見せ所だとも思われます。
そして少しガシャガシャとしたアレグロの展開部分を経て一旦曲が静かになりひそやかな曲想が戻り、ラスト近くで
前述のホルンの雄叫びが再現され、正々堂々と華やかに曲が閉じられていきます。
全体的にはチャーミングさと壮美さが見事に調和した素晴らしい課題曲だと思いますし、こうした名曲は
私も現役奏者の時に演奏したかったなぁ・・と当時は感じていたものでした。
(現役奏者最後の年にあの名曲課題曲の「風紋」を演奏できたことは私にとってはとてもハッピーな事でした!)

この年の課題曲はAとDに人気が集中してしまい、B自体が演奏される事は決して多くは無かったと思うのですけど、
WISH for wind orchestraには実はかなりの名演があると思います。
私個人としては、この課題曲の最高名演は、土気中学校だと思います。
土気中の演奏は実際に普門館で生演奏を聴きましたけど、ホルンの雄叫びの素晴らしさとその後に展開される和音の
ハモリの美しさ、そして演奏全体に漲る躍動感とハッピー感は全部門を通して最高の課題曲Bだったと思います。
チャーミングという点で印象的なのは、中学の部では東京代表の志村第一中学校と高校の部では下関商業だと
思いますし、メカニック的とサウンドの絶対的な美しさという点では常総学院に尽きると思います。
そして個性的な演奏という意味では他の追従を許さない演奏がありまして、それこそが秋田県の花輪高校だと思います。
あんなにも土俗的で泥臭いWISH は他に聴いた事がないと思わさせるほど大地にしっかりと根を下ろした
大変個性的な演奏だったと思います。

とにかく聴くだけで希望とかハッピーを感じさせる曲と言うのはすてきな事なのだと思います。

WISH for wind orchestraなのですけど、これはあくまで私の印象なのですけど、この課題曲は、
大学・職場・一般の部で演奏されると比較的サラサラ~っと淡泊に流される傾向があるのですけど
(ヤマハ浜松がその典型的な演奏だと思います・・)
そうした演奏は聴いていて正直面白みがないですし、曲にハッピー感が伝わってこないのはこの課題曲を選んだ意味が
あまりないような気もします。
だけど不思議な事に中学・高校の部といった年齢層が若く感受性が豊かな世代の皆様がこの課題曲を演奏すると
とたんに生き生きと希望に溢れた演奏が多かったような気もするのも、希望に対する感覚というのか受け止め方の
違いなのかもしれないです。
大人になってしまうと「ま・・こんなものなのか・・」と未来に対してはどちらかというと懐疑的で
現状維持路線をどうしても選択しがちなのかもしれないですけど、若い世代の皆様ですと
「未来はこれから自分達が創造していくもの・・」という感覚があり、こうした希望とか未来に対する感覚・受け止め方の違いが
微妙にWISH for wind orchestraの演奏・解釈にも影響を与えたと言えるのかもしれないです。

上記の記事が「WISH」という希望という事でしたので、このWISH=希望という言葉にイメージがしっくりきそうな
オリジナル絵を描かれた絵師様というと、当ブログ的にはいうまでもなく
dream fantasy2のアミグリさんの
描かれた希望溢れる作品といえると思います。


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「結婚は人生の墓場」みたいな事を言われる方も多々いるようですけど、まぁ・・それは多少そうした事もなくはないのかも
しれないですけど、全体的にはとてもハッピーであり希望の象徴なのかもしれないです。
特に結婚前の若き男女にとっては希望そのものといえるのかもしれないです。

そうした訳でまずはアミグリさんが2013年5月に描かれた「ウェディングの女の子」をご紹介させて頂きたいと思います。

アミグリさんは、東方作品においてもとても可愛くて美しいウェディング作品を描かれていて、
特にウェディングチルノとウェディングうどんげちゃんはすてきな幻想郷の花嫁さんなのだと思います。
(初期作品でしたけどウェディング早苗さんも私は大好きですね~♪)

そして東方と負けず劣らずこのオリジナルのウェディングの女の子もとってもすてきだと思います。

この女の子の「ハッピーな気持ち」がとにかくまっすぐに伝わってくる見ていてとても爽やかで
その幸せ感についついもらい泣きしてしまいそうな素晴らしい一枚だと思います。

女の子とウェディングドレスとの相性は最高の組合せの一つと思えますし、なんだかんだ言ってもやはりウェディングドレス
というものは女の子にとっては「永遠の憧れの象徴」といえるのだと思いますし、そこには「希望」という言葉が
一番しっくりのかもしれないです。


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続きましてアミグリさんが2011年7月に「オリジナル」とタイトルが付けられた幻想的で大変美しい絵です。
pixiv上では「七夕」というタイトルにもなっていましたが、
私のイメージとしては「七夕の日に神聖な祈りを捧げる女の子」という印象です。

夜空を背景とした幻想的な作品なのですけど、この純白の衣装の少女の雰囲気は祈りそのものと言えるのかもしれないです。

月の光に照らされる真夜中に少女が一人「物想い」に耽っているみたいなシーンを想像しますし、
紫のトーンが幻想的光景をナチュラルに演出しているとも感じられます。
少女の両目を閉じているのもそうしたイメージに合致していて とても美しいと思います。

この少女は、どのような想いを巡らしているのでしょうか・・?

そして祈りと同時に心の底では「これからもなにかすてきな事がありますように・・」といった希望を心に秘めて天に向かって
願いを届けているというようにも感じられそうです。


flower_convert_20110220180508.png

そしてアミグリさんが描かれた希望の象徴としてのオリジナル絵というと忘れてはいけない作品が2011年2月に描かれた
「flower」だと思います。

このオリジナル絵からは絶えず希望の灯を忘れずにがんばりましょう!といった前向きメッセージを感じずにはいられないです。

「flower」は私たちにとって「希望」の象徴と言えるのだとと思います。

そしてこの「flower」は黄色と赤の暖色系をベースにされているせいもありますが、
とにかく「明るい! そう全てが明るい!!」みたいな眩しいくらいの健康的な雰囲気がよく伝わってきて、
見ているだけで元気を貰えそうな生命感溢れる素晴らしいオリジナル絵だと思います。

昨年から今年は新型コロナウイルスに日本のみならず世界中が振り回され、何かと深刻で暗いニュースばかりが
先行していましたけど、dream fantasy2のアミグリさんが描かれた「flower」のように「いつも心に花束を・・」という気持ちが持てるように
明るく前向きな気持ちで過ごしていきたいものです。

アミグリさんのオリジナル作品はこうやって見ている私達に「希望という心の灯り」を灯してくださっているようにも
感じられると思いますし、
こうやって見ている人達をすてきな前向きな気持ちにさせてくれるというのは本当に素晴らしいことだと思います。

今回のテーマは「希望」でしたけど、皆様におかれましても皆さま一人一人に「希望」があるのだと思うのですけど、
そうした希望という灯りを消す事なく、
生きている限りはこうしたすてきな希望の灯りを灯しつづけていく事がいくことが出来れば素晴らしい事だと思います。
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私が中学3年の時の吹奏楽コンクールの課題曲Dだったのが
斎藤高順の行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」(銀河を超えて)だったのですけど
この課題曲は当時から「この課題曲いいな・・・、こういう曲を吹奏楽コンクールでも吹きたいな・・・」と思ったものです。
実際は当時の指揮者の先生は、課題曲C/北海の大漁歌を選曲し、
結果的に半年近く、来る日も来る日も「ソーラン節」を練習する羽目になったものです・・・
(ちなみにこの年の自由曲はエリクソンの序曲「祝典」というのも時代を感じさせる話と言えそうです・・)

1980年の吹奏楽コンクールは、私的には一つの頂点というかそのレベル、音楽的表現が一つの最高水準に達した年にも
感じますし、特に高校の部の異常なレベルの高さにそれがよく表れていると思います。
(その中でも、特に秋田南の交響三章、花輪の交響曲第2番「鐘」、市立川口の神の恵みを受けて、淀川工業の俗謡、
天理のストーンヘンジ交響曲、玉川学園のアルメニアンダンスパートⅡ、高岡商業のパシフィックセレヴレーション、
前橋商業の鄙歌第二番、銚子商業のデイォニソスの祭り、就実のル・シッド東海第一の二つの交響的断章、
名電の仮面舞踏会、福岡工大付属の踊る行列は素晴らしかったです~♪)

この年の課題曲四曲は、今にして思うとかなりバラエティーに富んでいて面白かったです。
特にA~Cは、日本の祭り・民謡をモチーフに書かれていて、
Aの「花祭り」は日本の古き良き伝統を、Bの「南の島から」は沖縄の民謡を、
Cの「北海の大漁歌」は北海道の民謡をベースにしてあり、
三曲ともに「日本古来のもの」をテーマにしているのが面白いと思います。
このように課題曲の大半がこうした「日本古来の素材」をベースにしている年というのもあまり例がなく
その意味でも大変面白い試みだと今でも感じる事があります。

その中でこの年の課題曲D/「オーバー・ザ・ギャラクシー」はマーチなのですけど、
リズムの面白さ、魅力的なメロディーライン、ハイハットシンバルのユニークな使用方法など大変斬新な面が感じられる一方、
聴くだけで気持ちが「ノリノリ」になってしまう大変楽しい課題曲であり私は大好きでした~♪
そして編成にドラムセットも含まれていて、ポップス風の香りも漂わせるテンポ速めの行進曲でしたし、実際に全体合奏
してみると意外とリズムがぎくしゃくしやすくて決して簡単な曲ではないとかかなり奥深いマーチであったと思います。
ハイハットシンバルと木管楽器による細かい音符、トランペット3声部による和音などが随所で効果的に用いられていたのも
大変印象的でした。

そしてこの課題曲はマーチなのですけど、ポップス系課題曲の流れを汲んでいたような気もします。
ポップス系課題曲は1970年代の頃はかなり頻繁に登場していたのですけど、結果的に1980年のこのオーバー・ザ・ギャラクシー
を最後に1987年のムービング・オンと89年のすてきな日々が登場するまではポップス系課題曲が少し冷遇されていた
時期があったというのも今にして思うと少しもったいなかったのかもしれないです。

長い吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中でポップス系の課題曲らしきものが登場したのは、
1974年の「高度な技術への指標」ではなくて、実は岩井直溥が1972年の課題曲として作曲された
シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」だと思うのですけど、ここから、
高度な技術への指標→ポップスオーヴァーチュア「未来への展開」→ポップス描写曲「メイン・ストリートで」→ディスコ・キッド
→ポップス変奏曲「かぞえうた」→行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」→ムービング・オン等の
一連のポップス系課題曲に繋がっていきますし、そしてこの流れの一つの最高頂点が、1989年の岩井直溥の
「すてきな日々」なのだと思います!
岩井直溥のポップス系課題曲と言うと、河辺公一の「高度な技術への指標」と東海林修の「ディスコ・キッド」と合わせて
ポップス系の吹奏楽コンクール課題曲を語る上で100%その存在を抜きにして語る事は出来ないほど
吹奏楽コンクール課題曲の上ではとてつもない貢献度とあまりにも素晴らしい名作課題曲の数々を残されたと
言えるのだと思います。
上記でも触れた通り、大変残念なことに吹奏楽連盟は、89年の「すてきな日々」を最後に
2013年に至るまでポップス系課題曲を復活する事が無かったのは大きな損失と言えるのかもしれないです。
確かにオリジナル書下ろし作品もマーチも大切なのですけど、
吹奏楽をもっと心の底から楽しんで演奏するという観点からポップス系課題曲を取り上げていれば、
もう少し今現在のような技術一辺倒の吹奏楽コンクールから多少の変化はあったのかもしれないです。
2013年に一度ポップス系課題曲が復活したけど、それは1972年~78年のような長期的なウェーブに至っていないのは、
日本における「ポップス系がどちらかというと軽視されている」という潮流の表れなのかもしれないです。

前述の通り、私の中学校は当時課題曲Cを選曲したので、オーバー・ザ・ギャラクシーを吹奏楽コンクールで吹くことは
出来ませんでしたけど、毎週月曜日の全校朝礼の入退場のBGMとしてこの曲を吹くことはしばしばあり、
聴くだけではなくて、実際に何度かこの曲を演奏する機会があった事は、今にして思うと幸いな事だったと思います。
私は小学校から吹奏楽に関わりを持ち、結果的に大学を卒業するまで楽器はずっとクラリネットだったのですけど、
1980年の一年間だけは、唯一違った楽器を経験できました。
この年は、それまでのクラリネットからアルトサックスにコンバートされ、一年間だけアルトサックスを
担当したのですけど、以前このブログでも書いた通り、
実はアルトサックスほど音が出やすく簡単にヴィヴラートを掛ける事が出来る楽器はないせいか、
アルトサックスを吹くのが楽しくし楽しくて仕方が無くてその一年間は本当に楽しかったものです。
この年は課題曲C/北海の大漁歌にもわずか4小節ですけど、アルトサックスにもソロがあり、
私も当然そのソロを吹いたものです。
後にも先にもコンクールでソロを吹いたというのはこの時だけです・・・
(吹奏楽コンクールでソロを吹く事のプレッシャーと緊張感はとにかくこの時嫌と言う程味わったものでもありました)
オーバー・ザ・ギャラクシーのメロディーラインは基本的にはトランペットが多いのですけど、
トランペットと共にメロディーラインを担当し、場合によっては裏メロを担当しているのがアルトサックスであり、
この曲のメロディーラインをアルトサックスで吹いている時ほど「マーチって楽しいものだな・・」と感じた事はありません。
翌年高校に入ってからは引き続きクラリネットに戻ったのですけど
クラリネットでマーチを吹いても「ああ、しんどい・・」という感じばかりで、正直、「楽しい」と感じる事の方が珍しい感じでした。

「オーバー・ザ・ギャラクシー」の斉藤高順は、非常にユニークな経歴を持ち、
民間人でありながら、航空自衛隊と警視庁音楽隊の隊長を務めあげています。
作曲家としては、この方は後世にまで必ず受け継がれる素晴らしい作品を一つ残していて、それが「ブルー・インパルス」であり、
1964年の東京オリンピックの開会式で上空に五輪の輪を描いたアクロバット飛行チームのテーマ曲でもあります。
タイトルは聞いたことがなくても、この曲を耳にすると、多く方は「あ、どっかで聴いたことがある」と感じると思います。
それほど実は日本人の多くに馴染みがあるマーチなのです。
また、斎藤高順は、小津安二郎監督の映画の映画音楽を担当していた時期もあり、
名作である「東京物語」とか「早春」・「彼岸花」・「秋刀魚の味」などの小津監督の作品の映画音楽を作曲しています。

「オーバー・ザ・ギャラクシー」は感覚的にはやはり「ブルー・インパルス」に近いのかもしれないです。
あの独特の切れ味鋭いリズム感とトムトムとハイハットシンバルを取り入れたリズム楽器の使用方法はかなり大胆で
面白いものがあります。
例えば瑞穂青少年吹奏楽団のように打楽器パートの中にドラムセットとして組んだチームもありました。
冒頭は少し唐突と言うか、序奏なしにいきなりメロディーラインから開始されるのですけど、
メロディーラインがリズム感の表現がかなり難しいもののこのメロディーラインには相当惹かれる魅力が満載だと感じます。
トリオの部分もいかにも夢見るようなうっとりとした部分があり、吹いているだけで当時うっとりとしたものでした。

余談ですけど
1980年当時、アルトサックスで吹いていて演奏中に思わず我を忘れるほどうっとりとさせられた曲って
この「オーバー・ザ・ギャラクシー」のトリオの部分と「西部警察」のあの勇壮なメロディーと
当時沢田研二が歌っていた「TOKIO」のメロディーと「シャネルズ」(後にラッツ&スターに改名)の「ランナウェイ」
などがありました。
この辺りは既に懐メロの世界なのかもしれないですし、
今現在の若い皆様ですと田代まさしというと覚醒剤で何度も収監されたダメな芸人というイメージもありそうですけど、
実は田代まさしはシャネルズであの鈴木さんと共にボーカルを担当されていたという事をご存知の方は
既に立派な昭和レトロ世代といえそうです・・

行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」のベスト名演は、やはり阪急百貨店かな??
阪急のマーチは昔から定評がありますけど、この曲も王道的なものを感じさせてくれていると思います。
メリハリと切れの良さでは天理高校の演奏も大変知的で素晴らしかったです!
この年の天理は課題曲に関して言うと、トランペットの音が少し硬い上に
前半のメロディーラインで、トランペットの一番の音が伝わりきれておらず二番と三番の音ばかり
伝わってくるのが少々難点なのかもしれないです、
面白い演奏としては、広島の基町高校の演奏があげられます。
正統的で端正な音楽なのだけど部分的に若さが炸裂し、特にトムトムがなぜかむき出し状態のソロみたいになっている部分
があり、これはこれでかなり斬新なものを感じさせてくれます。

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行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」においては編成の中にドラムセットもありますけど、
ララマジの中でドラムセットを担当しているのは、洲崎麻衣というボーイシュなJKさんです~♪

身体を動かすことが大好きなボーイッシュ娘で、趣味はスポーツとスニーカー集めであったりもします。

戦闘時においては、ドラムスティック型の2本のナイフを使用していたりもします。

コンクールの課題曲でドラムセットが必要な曲というとどんな曲があったのでしょうか・・?
思いつくところで言うと・・

〇1974年/高度な技術への指標

〇1975年/ ポップス・オーバーチュア「未来への展開」

〇1976年/ 吹奏楽のための「シンフォニック・ポップスへの指標」

〇1976年/ポップス描写曲「メインストリートで」

〇1977年/ディスコ・キッド

〇1978年/ポップス変奏曲「かぞえうた」

〇1980年/行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」

〇1982年/アイヌの輪舞

〇1987年/ムービング・オン

結構あるものですよね。 そして今後の吹奏楽コンクールの課題曲の中にもドラムセットが編成として組まれている
ポップス系課題曲が登場してほしいものです~♪

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最後に・・

行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」は副題が「銀河を超えて」ということで、宇宙人がロケットに乗って宇宙を飛び交う
みたいなイメージがありますけど、プリキュアの長い歴史の中で、そうしたイメージがよく似合う御方って
いうまでもなく2019年放映の「スター☆トゥインクルプリキュア」の宇宙人キュアのララとユニの二人だと思いますね~♪

ララもユニもそれぞれロケットを所持していて(ユニはアイワーンによってロケットを奪取されてしまいました・・)
ララのロケットに乗ってひかるやまどかさんたちが宇宙を探索する場面も多々ありましたけど、ああいう場面のBGMとして
行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」ほどふさわしい曲は無いのかもしれないですルン~♪

プリキュアの歴史の中では、追加キュアとか異世界出身のプリキュアは、基本的にはピンク系キュアの家に居候というのが
通常パターンでしたけど、ユニもララも一度もひかるの家に居候せず、ララは自分のロケット内で自活されていて、
ユニは当初は地球内で路上生活??をされていて、後にララのロケット内で暮らすようになったというのも
二人の宇宙人としての矜持だったのかもしれないですルン・・
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シロフォン



マリンバ

吹奏楽コンクール・吹奏楽や管弦楽の演奏会、はたまたジャズやポップスやソロリサイタル用の打楽器としてお馴染みの
シロフォン・マリンバですけど、この両者は見た目がよく似ていることもあり「この二つの楽器は一体どこが違うの・・?
それに根本的な疑問だけど、木琴とどこが違うの~?」とお感じになっている方もいらっしゃるのかもしれないです。

まず簡単に申し上げると「木琴」とは木製の音板を鍵盤状に並べてマレットで叩いて鳴らす楽器の総称であり、
木琴の仲間として、シロフォンや小学校等の音楽教材楽器やおもちゃとして用いられる教育用木琴やマリンバがあります。
つまり、シロフォンもマリンバも木琴の一つの種類といえそうです。

それではシロフォンとマリンバの違いについて少し専門的に書いておきますと・・

〇音域が違う

 シロフォンは3~3.5オクターブぐらいですけど、マリンバは5オクターブの音域が出せます。

〇音質が全然違う

 シロフォンの音は硬質で甲高く響き、動きの速いリズミカルな曲に威力を発揮し、元気よく躍動的という印象もあります。
 それに対してマリンバの音は優雅で柔らかく音自体は優しく控えめであり、管弦楽の音に優しく溶け込むような雰囲気が
 あります。
 マリンバはトレモロ奏法により低音も高音も幅広く表現できることも可能です。

〇音板・共鳴管の太さ・長さが全然違う

 音板といった鍵盤の太さは、マリンバの方が断然太く、マリンバには、下に伸びている共鳴管がシロフォンよりもかなり長く
 全ての音板に付いています。
 シロフォンは全ての鍵盤に共鳴管が付いているわけではありません。
 シロフォンの調律は奇数倍音であり、そのため3倍音が基本であり、低音域では7倍音も調律されています。
 それに対して、マリンバの調律は偶数倍音であり、そのため4倍音が基本で、低音域では10倍音も調律されていています。
 マリンバはシロフォンに比べて調律による豊かな低音が特徴ともいえます。

シロフォンもマリンバも管弦楽や吹奏楽などで鍵盤打楽器の一種としてスパイス的に効果的に使用されることも多いのですが、
マリンバに関しては豊かな響きと大きな音量があることから、管弦楽団内の一打楽器という扱いよりは、マリンバソロ奏者が
マリンバ用にアレンジされた楽曲またはオリジナル作品としてソロリサイタルを開催している印象の方が強いようにも
思ったりもします。
マリンバが豊かな表現がシロフォンよりも可能という事に関しては、マレットの数の違いもあるように思います。
(マレットとは棒の先に丸い玉を付けたバチのことです)
マリンバは通常両手で2本~4本で多いときでは6本のマレットで演奏するのに対して、シロフォンは基本的には両手で2本、
つまり片手で1本ずつマレットを持ちます。
またシロフォンで使用するマレット・バチは硬質素材が多いのに対して、マリンバのマレットは優雅にトレモロ奏法ができるように
柔らかい材質を使用することが多いです。

ちなみに私的にはシロフォンのやや甲高く躍動感あふれる駆け抜けるような元気さが大好きです。
管弦楽団のの演奏会に行っても、オーケストラにおいてマリンバが使用されることはどちらかというとかなり稀ですけど、
シロフォンは20世紀以降の作品では、完全に市民権を獲得しているような感じもします。

シロフォンが使用されている管弦楽曲の中で、シロフォンが効果的に使用され目立つ楽曲を少しばかり列挙してみますと・・

〇カバレフスキー/組曲「道化師」~Ⅱ.道化師のギャロップ

〇ハチャトゥーリアン/バレエ音楽「ガイーヌ」~剣の舞

〇ストラヴィンスキー/バレエ音楽「ペトルーシュカ」~第一場・ロシアの踊り

〇  同上  /バレエ音楽「火の鳥」~魔王カスチェイの凶悪な踊り

〇ショスタコーヴイッチ/交響曲第5番・交響曲第7番「レニングラード」

〇オルフ/世俗カンタータ「カルミナ・プラーナ」

〇ブリテン / 組曲「ソワレ・ミュージカル」~Ⅰ.マーチ

〇ガーシュイン/ボーギーとべス

〇矢代秋雄/交響曲~第二楽章

といった楽曲を推したいです。

特に矢代秋雄の「交響曲」より第二楽章は、シロフォンがソロ的にかなり長丁場で活躍する場面が
二度あるのですけど、一度はシロフォン+ピアノとの掛け合い、二回目はシロフォン+トランペットの掛け合いが
とても見事であり、この二度に渡る長丁場のシロフォンの聴かせどころを完璧に決める事が出来れば、シロフォン奏者は
シロフォン奏者冥利に尽きると思います。
吹奏楽オリジナル作品におけるシロフォンというと誰が何と言ってもネリベルの「二つの交響的断章」に尽きると思います!
あれはシロフォンに限らず「魅せるパーカッション」を絵にしたような曲ですけど、
冒頭からしてシロフォン+グロッケン+コンサートチャイムに後から加わるマリンバによる執拗な反復はとにかく何度聴いても
ゾクゾクとさせられます。
個人的にはシロフォンと言うと、リードの第三組曲~Ⅳ.全員の踊り、アルメニアンダンスパートⅡ~ロリからの歌の
硬質な響きも大好きであったりします。

吹奏楽オリジナル作品におけるマリンバというと、個人的には絶対欠かせない作品はオーエン・リードの
交響曲「メキシコの祭り」~Ⅲ.カーニヴァルを強く推したいです!
あの楽章のマリンバ奏者の駆け抜けていくイメージはまさに「祭り」そのものだと思います。
その他にもジェイガーの第二組曲やリードの第二組曲(特にⅢとⅣ)も外すことができないと思います。

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最後に・・余談ですけど、シロフォンとマリンバの違いはなんとなくですけど、グロッケンシュピール(鉄琴)とヴィヴラフォンの
違いと少し似ているようにも感じたりもします。

ヴィヴラフォンはマリンバ同様に音板の下に共鳴管が並んでいて、(グロッケン=鉄琴には共鳴管は無いです)
共鳴管の上端に丸いはねを設置し、このはねを電気モーターによって回転させるとはねが管の上端を閉じたり開いたりして、
振動の共鳴管への伝わり方が増減し、それによって共鳴管の共鳴量が変化し、音量が増減を繰り返し、
音のふるえ(ヴィヴラート)を発生させる事が出来ます。
この音のふるえ=ヴィヴラートこそがこの楽器の名前の由来ともなっています。
またグロッケンとヴィヴラフォンは共に鉄という素材は同じでも、音域・音質・奏法・手にするマレットの本数も
異なっていたりもします。
はねの回転の速度は変化させることができ、停止して演奏することもある。音の余韻をコントロールするダンパーペダルによって
ロングトーンを演奏する事が可能で、このあたりはマリンバやシロフォンと大きく異なる機能であったりもします。
ダンパーペダルを踏むと装置が離れ、離すと装置が音板に触れ残響を止める事が出来ます。

鍵盤打楽器としてのグロッケンは、1980年代以降はどのチームも台というかスタンド付のグロッケンを使用していましたけど、
中学~高校時代の私の記憶では、貧乏公立校の多くはグロッケンを使用する際にはスタンド付という高い楽器ではなくて
教室で使うような机とか安っぽい折り畳みのスチール製パイプ椅子を2台設置して、その上に鍵盤鉄琴を置いて、
撥で叩くというスタイルが多かったような印象もあります。

鉄琴(グロッケンシュピール)が大変効果的に使用されるクラシック音楽の楽曲としてはデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」が
大変名高いですけど、それ以外ではシベリウスの交響曲第4番~第四楽章を挙げたいです。
シベリウスの交響曲第4番は大変わかりにくい渋すぎる難渋な曲で、第一~第三楽章のあの難解な雰囲気は
私も実はいまだにさっぱり理解できません・・
だけど第四楽章に入ると、突然グロッケンシュピールが登場してきて、天国的な美しい音色を奏でていて、
それまでの音楽があまりにも難解すぎたため、第四楽章に入ると唐突に「地獄から天国にやってきた」みたいな感覚を
感じたりもします。

クラシック音楽においてヴィヴラフォンはベルクの歌劇「ルル」での効果的な使用で一気に市民権を獲得したようにも
思われますが、邦人作品としては矢代秋雄の交響曲や三善晃の交響三章でも大変効果的に使用されています。
吹奏楽オリジナル作品におけるヴィヴラフォンの完全ソロとしてはミッチェルの「海のうた」が大変印象的であったりもします。

ららマジで、グロッケンシュピール(鉄琴)を担当している高校3年生の女の子は、神代結菜お姉さまです~♪
神代結菜は器楽部創立メンバーの一人でもあります。

余裕たっぷりの柔らかな物腰、豊満なスタイルと、まさしくお姉さまといったタイプのすてきなJKさんですけど、
その醸し出される大人の魅力は、主人公のプレイヤーすらも惑わせてしまう魅力なのだと思います。
だけど昔から優雅ですてきなお姉さまだったという訳ではなくて、実は昔は孤独にさい悩まされ、心も荒んで荒れていた時期も
あったとの事で、その意味では酸いも甘いもわかるすてきなお姉さまという事なのだと思います。

誰にでも分け隔てなく優しく接しますけど、以前の孤独の反動からなのか好意を抱いた相手には
少々暴走気味な愛情表現を見せることもあるそうでして、
マイペースすぎるあまり、時に理由なく学校をサボるという悪癖もあるそうです。

意外にも実は器楽部の部内でトップクラスの怪力の持ち主であったりもしまして、林檎を片手で握り潰せる七瀬沙希を
圧倒するほどの怪力でもあるそうです。

神代結菜お姉さまが奏でるグロッケンの清楚な響きを聴いて清らかな気持ちで音楽を楽しむ事ができたら最高ですね~♪
ジョン・ウィリアムズのアメリカ映画音楽上の貢献度は素晴らしいものがあると思います。
アカデミー賞を5回受賞と言うのも凄いと思いますけど、ノミネート止まり42回と言うのも ある意味一つの記録だと思います。

ジョン・ウィリアムズがが映画音楽として作曲した曲は思いつくだけでも

〇ジョーズ

〇スターウォーズ

〇未知との遭遇

〇スーパーマン

〇インディージョーンズ

〇ホームアローン

〇シンドラーのリスト

〇ジュラシックパーク

〇ハリー・ポッター

など多数の作品が出てきますね~♪
個人的には、吹奏楽アレンジ版で私自身演奏経験もありますけ「スターウォーズ」がとても 印象深いです。
やはりあの音楽の「メインテーマ」を聴くだけで、映画の名シーンが色々と思い出してしまいますね。
それと知名度はいま一つですけど「11人のカウボーイ」のホルンの雄叫びも極めて印象深いものがあります。
(吹奏楽アレンジ版の演奏としては1987年の福岡工大付属高校の圧倒的名演が大変印象的です)

ジョン・ウィリアムズは、ボストン・ポップスの指揮者として自作自演の他に、
例えば、スッペの喜歌劇「ボッカチオ」序曲とかカバレフスキーの歌劇「コラブルニヨン」序曲など
親しみやすい小品の演奏もすてきな演奏がとても多くて指揮者としても傑出した才能をお持ちなのだと思います。

ジョン・ウィリアムズの作品で、映画音楽以外なのですけど、忘れられない作品として
「リバティー・ファンファーレ」という大変スケールの大きな小品があります。
式典関係のファンファーレと言うと、 この曲以外でも、
1984年の「ロサンジェルスオリンピック」のテーマ曲であるファンファーレも大変素晴らしい曲も残されています。

この「リバティー・ファンファーレ」は、1986年にニューヨークのリバティ島にある自由の女神の修復完成記念のセレモニーの
ために作曲された作品です。
自由の女神の前での発表は、7月4日にマンハッタンの南西端のバッテリー公園で夕方から夜にかけて盛大に行われました。
当日はウイリアムズの指揮によるオール・アメリカン・マーチング・バンドと合唱団が
自由の女神をバックに、野外ステージで演奏されました。

金管楽器の壮麗なファンファーレに続き、打楽器や鐘(カリヨン)が打ち鳴らされ、
ホルン等が厳かな第1主題を提示し、トランペットの華やかな旋律が高鳴り興奮が増し、
最後にもう一度第1主題も現れ、効果的に曲を閉じます。
冒頭の金管セクションによるファンファーレは、本当に豪快で気持ち良く鳴り響き、その後続く「鐘」は、チャイムというよりは
本格的な教会の鐘というかカリヨンがゴーンと荘厳に鳴り響くのが極めて印象的です。

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カリヨンとは要は教会の鐘みたいなものでして、厳密にいうと、
複数の鐘を組み合わせて旋律を演奏できるようにし鐘楼建築物に設置されたかなり大がかりな建造楽器ともいえそうな
ものですけど、ここで言うカリヨンとはカーンコーンと鳴り響く教会の鐘の事です。
大抵の場合2台で1つのセットをなしていることが多いです。

カリヨンが実際に使用された曲を演奏会等で聴いた事は、マーラーの交響曲第2番「復活」~第五楽章や
ベルリオーズの「幻想交響曲」~第五楽章ぐらいしか記憶にありませんけど、コアな昭和の吹奏楽ファンの皆様にとって
カリヨンというとすぐに思い出すのは、誰がなんといっても埼玉県の市立川口高校吹奏楽部による
1981年~82年の「無言の変革」シリーズなのだと思います。
ちなみに82年の「そこに人の影は無かった」の方では、そのラストはカリヨンの音で静粛に閉じられます。
市立川口はその後、アトモスフェアやリードのオセロ・ハムレットでもカリヨンを使用し、特に1988年の「ハムレットへの音楽」の
終結部において2台のカリヨンによる壮麗な響きで普門館の聴衆をあっ・・と言わせていました。
(CDのあの演奏を聴くと、カリヨンがあまりにも強すぎでむしろ金管楽器の音すら消している大音響だと思います!)

この曲は残念ながら生で聴いたことは一度もないのですけど、演奏会のオープニングとしては実に相応しい曲だと思います。
夏の野外コンサートにも最適の曲かもしれないです。

この曲は、吹奏楽にも編曲され、
1994年の関西大会で、洛南高校がこの曲を自由曲に選び素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
惜しまれることに、この年の洛南は関西大会ダメ金という事で全国大会に進めず、関西大会で散ってしまったのですけど
あの華麗な演奏は是非普門館でも聴きたかったです!
あの年の関西代表は淀川工業・兵庫・天理でしたけど、淀川工業はこの学校にしては珍しいくらい不調で銀賞に留まり、
天理はあまりにも抑制され過ぎた演奏は理性的という意味では申し分ないのかもしれないけど少し欲求不満気味で、
兵庫は松井節全開の名演でしたけど、自由曲のカットがかなり強引かな・・?とも感じていただけに、あの年の関西代表には
洛南の「リバティーファンファーレ」は絶対不可欠だったと今更ながらに感じたりもします。
あの年の洛南の演奏はとてつもなく生き生きとしていて、演奏終了後の会場全体がざわつくあのとてつもないブラボーコールの
大声援は、洛南の演奏の素晴らしさを物語っているように感じられます。
洛南の冒頭の金管ファンファーレの激しさと高揚感は圧巻でしたし、それに続くカリヨンの響きがとても壮麗でしたし、
ラストの自然な盛り上がりも圧巻の仕上がりだと思います。
この曲は、吹奏楽版では「交響的三章」・「よろこびの翼」・「オーストラリア民謡変奏組曲」でお馴染みのカーナウが
アレンジしていますけど、 吹奏楽オリジナル作品を主に活動対象にされている方がこうやって
管弦楽作品をアレンジしているのも何か興味深いものがあります。
ちなみにカーナウは、ホルストの組曲「惑星」~天王星も吹奏楽に編曲されていました。

リバティー・ファンファーレの吹奏楽版としてはこの洛南高校を超越する演奏は今後も多分不世出だと思うのですけど、
それ以外としては中澤忠雄先生指揮の野庭高校の定期演奏を収録したCDにこの曲も含まれていましたけど、
確かに見事な演奏ではあるものの、少し洗練され過ぎて自発性と高揚感に欠ける演奏であったのはかなり勿体無いな・・と
感じたものでした。

あの年の洛南高校のリバティーファンファーレの演奏は、ハリソンの夢・アメリカの騎士・ダンスフォラトゥーラと
同じくらい宮本先生のアクの強さが漲り渡り、「宮本先生=洛南高校」というとてつもなく強烈なサウンドが
確立された瞬間じゃないのかな・・・とも感じさせてくれました!
ああいう演奏が出来てしまう演奏団体は、今現在の吹奏楽コンクールの高校の部では皆無と言えるのかも
しれないですね・・
あの「宮本先生=洛南高校」という組合せは、「吉永陽一先生=兵庫高校」に匹敵するとてつもなく個性的なものだったと
感じていますし、個性がギラギラ漲っているみたいな言い方がこれほどしっくりくるチームは少ないとすら思えます。

宮本先生も既に彼岸の彼方に旅立たれていますけど、宮本先生の個性とアクが漲るあの名演の数々は間違いなく
私たちの胸の中に受け継がれていくものと思います!
J.モリセイという作曲家は、既に現在の日本のスクールバンドの中では死語の世界なのかもしれないです。

私が中学~高校の頃、あまり上手で無い小編成のチームの吹奏楽コンクールの自由曲は傾向として
コーディル・オリバドーティー・スウェアリンジェンがBig3とも言われていたのかもしれませんけど、
モリセイの曲も、そこそここうしたチームでは人気があったと思います。
勿論、そんなモリセイの曲を小馬鹿にしている訳ではありませんよ~
モリセイの曲はコーディルやオリバドーティー同様とにかく「シンプル イズ ベスト」を立証した作品ばかりで
一度聴いたら、とにかくあの親しみやすいメロディーラインがずっと頭の中に焼き付いてくるような
そんな感じの素敵な曲が多かったと思います。

モリセイと言うと・・・・

〇吹奏楽のためのディヴェルティメント

〇中世のフレスコ画

〇皇帝への頌歌

あたりが特に有名で1960年~1970年代の吹奏楽コンクールでよく自由曲として取り上げられていたと思います。
私も、「皇帝への頌歌」と「中世のフレスコ画」はコンクールで結構何度も聴いた記憶があります。
大変古い話で恐縮なのですけど、1967年(昭和42年)のバンドジャーナルによると、
この年の吹奏楽コンクールの自由曲において、いわゆる「吹奏楽オリジナル作品」として最も演奏された作曲家が
確かこのモリセイだったような記憶があります。
そのくらい、この時代のスクールバンドの自由曲として、C.ウィリアムズやワルターズなどらと共に愛され人気があった
作曲家の一人がモリセイだと言えるのだと思います。

モリセイの曲って一つ特徴がありまして、曲の雰囲気としてよく中世の宮廷みたいな祝祭的なメロディーを
醸し出している点が挙げられると思います。
「中世の宮廷音楽」と言うと、式典ファンファーレみたいな華やかな音楽も特徴なのかもしれませんけど、
そう言えば、皇帝への頌歌にも中世のフレスコ画にもそうしたファンファーレがしばしば出ていたと思います。

そうは言ってもこうした曲も現在ではすっかり忘却の彼方だと思います。

現在のスクールバンドの現役奏者の皆様に「モリセイという作曲家とかその作品について聞いた事がある?」と尋ねたとしても
ほとんどの方は「知らないし聞いた事がない」と答えるのは目に見えていると思います。
最近の現役奏者の皆様の中にはA.リードすら演奏した事が無いという人もいらっしゃるというお話を最近耳にし
「時代は変わったなぁ・・」とオールド吹奏楽ファンの私は肩身が狭くなる一方です・・・
モリセイの曲を収録したCD自体、極めて少ないし、その意味では、東芝の名曲選とかコロンビアの吹奏楽名曲選
の各シリーズは本当に貴重で有難い事だと思います。

さてさて・・・

モリセイと言うと、忘れてはいれない作品が一つあります。

それが何かと言うと、組曲「百年祭」なのです。
百年祭に関連した吹奏楽作品というと、バーンズの百年祭祝典序曲とか福島弘和の曲という方が最近の奏者の
皆様にとっては馴染みがあるとも思うのですけど、実はモリセイという作曲家にも組曲「百年祭」という
すてきな曲が実はあったりもします。

この曲は、1971年に創立100周年を迎えたアイオラ市民バンドからの委嘱作品なのですけど、
モリセイらしく曲の冒頭はファンファーレから華やかに開始されます。

この組曲は下記の四曲から構成されています。

Ⅰ.序奏

Ⅱ.歌

Ⅲ.祝典の音楽

Ⅳ.祝典のパレード

この組曲は楽章ごとの違いが極めて明瞭で、例えば、Ⅰは全体のファンファーレ、Ⅱは木管とトランペットが中心で、
Ⅲは金管と打楽器のみで木管は一切出番無しです。
Ⅳは、再度全合奏での華やかなマーチとなっていて、楽章ごとの違いを楽しみながら聴くという事も出来ると思います。

演奏する方も楽しいし、聴く方も楽しいという双方がハッピーな気持ちになれそうな曲だと思います。

いかにも古き良き時代のアメリカ」を描いた曲というのか、
「努力すればそのうち多分きっと何かすてきな事が待っているし道が開ける!」みたいな前途洋々の楽天的な気分が
感じられるとても「ハッピーな曲」だと思います。



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最近の吹奏楽名門校は、入部者が100人を超える所も結構あったりするそうで
そういう所は、全員が全員、全国大会に直結するA編成に出られるとは限りません。
場合によっては、小編成・B編成に廻る事もあるのかもしれません。
そうした小編成のチームで、コンクールで良い成績を収めるという事に特にこだわりが無ければ
たまには、こういう古き良き時代の楽しい曲を吹いてみるのもいいのかもしれないですし、
こうした温故知新のオリジナル作品を取り上げることによって音楽の原点というものが垣間見えてくるのかもしれないです。

「響け! ユーフォニアム」はどちらかというと吹奏楽コンクールの話がメインになっていましたけど、もちろんコンクールも
大変意義があるのですけど、時にはコンクール以外の駅前コンサートやポップスコンサートなどで肩の力を抜いた
状態でのびのびと吹くことも大切なのだと感じたりもします。
ディヴェルティメントというとクラシック音楽好きの皆様の感覚ですとモーツアルトという事になるのかもしれないです。

ディヴェルティメントを邦訳すると喜遊曲または嬉遊曲という事になり、
要は楽しく軽妙に親しみやすく作られ、極力悲しい部分や深刻な部分は避けるという事がお約束になっていると思います。
よく「ディヴェルティメント」と「セレナーデ」との違いは何という事が問題になる事もありますけど、
正直特に違いはありません。
強いて言うと、室内用に作られたのがディヴェルティメント、屋外用がセレナーデという所なのかもしれないです。
このディヴェルティメントという音楽形式は、ハイドンやモーツァルトの頃に盛んに作曲されていたものの
19世紀以降は急速に廃れていったような気もします。
(20世紀の作品としてはイベールやバーンスタインの作品が今現在でも演奏されていると思います)

吹奏楽作品でディヴェルティメントというと思い浮かぶのはパーシケッティーだと私的には思うのですけど、
(皇帝への頌歌でおなじみのモリセイにも同名の作品があったりもします)
知る人ぞ知る作品で、全国大会はおろか支部大会でも1980年の福岡工大付属高校以外は演奏実績がない曲ではありますが、
増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は、どちらかというと「ディヴェルティメント」というと洋というイメージがある中、
和の鄙びたイメージを吹奏楽オリジナル作品として盛り込んだ楽曲が既に1980年代以前に作曲されていた事は
驚きでもあるように感じられます。
増田宏三という御方は、作曲家という側面も勿論あるのですけど、どちらかというと作曲理論とか国立音大の作曲理論の
先生というイメージが強く、踊る行列以外の作品や管弦楽作品を調べようと思っても全然検索に引っかからないというのが
実態でして、正直この喜遊曲「踊る行列」についての情報はほぼ皆無としか言いようが無いように感じられます。
増田宏三の吹奏楽作品というと、1976年の浜松工業の自由曲の「朝の歌」の作曲者でもあるのですけど、この朝の歌も
支部大会以上では浜松工業以外演奏実績もありませんので、増田宏三について語るにはあまりにも情報が無さすぎるという
事なのだと思われます。
強いて言うと、バンドジャーナル1984年の特別号の「今注目の邦人作品特集」の中にこの喜遊曲「踊る行列」も紹介されては
いますけど、内容的に特段新しい情報も書かれていませんし、この曲の作曲の経緯とか背景とか作曲の意図等については
何も書かれていませんので、私自身もこの曲に関しては、福岡工大付属高校の1980年の演奏のイメージでしか
書きようがないのが少し歯がゆい感じでもあります。
バンドジャーナル1984年の特別号のわずかな情報として、南国の熱狂的な数日間にわたる祭りをイメージして作曲
されたと記されていますけど、そういう意味では、例えば福岡の博多どんたくとか徳島の阿波踊りとか
はたまた沖縄の琉球舞踏をイメージして作られた音楽と言えるのかもしれないです。

喜遊曲「踊る行列」は上記で触れたとおり、2019年末時点では全国大会・支部大会での演奏実績は今のところは
1980年の福岡工大付属高校(現・福岡工大付属城東高校)のみに留まっています。
(県大会クラスではいくつか演奏実績はあるようです)
だけどその1980年の福岡工大付属の演奏が大変素晴らしくて、正直に書いてしまうと
「この演奏を超える演奏は多分だけど絶対に出てこないだろう・・」と感じさせるものは間違いなくあると思われます。
1980年の吹奏楽コンクールの全国大会の高校の部はとにかく驚異的なハイレヴェルの演奏が続出していて、
これは嘘偽りなく今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色ないものがあると感じられます。
勿論使用されている楽器や演奏技術は今現在の方が圧倒的に高いのは紛れもない事実ではあるのですけど、
音楽的感性というのか表現力の多様さや音楽的掘り下げの深さにおいては今現在の吹奏楽コンクールのレヴェルすらも
凌駕しているような感じすらあると私には感じられたりもします。
就実・東海大学第四・花輪・秋田南・市立川口・銚子商業・前橋商業・玉川学園・兵庫・天理・淀川工業・高岡商業といった
金賞チームの演奏は一つの音楽的限界の壁すらも超えた名演と言えると思いますし、
東海大学第一・名古屋電気・福岡工大付属等の銀賞チームも金賞チームに決してひけを取らない名演だったと思います。
そしてその中でも、秋田南の三善晃の交響三章、福岡工大付属の踊る行列、淀川工業の大阪俗謡による幻想曲の
3チーム続いた邦人作品による自由曲の演奏には、今現在改めて聴いても、その新鮮な音楽的な切り口に
ゾクゾクとさせられるものは確実にあると言えると思います。
1980年と言うと邦人作品が自由曲として選ばれる事自体が少し珍しいという時代でしたので、
3チーム連続邦人作品の演奏というのは当時としては奇蹟と言えるのかもしれないです。
邦人作品が大人気で全国大会の自由曲の半数近くが邦人作品という昨今のコンクール事情という視点で見ると
「そんなのは別に珍しくもなんともないよね~」という事になってしまうのは時代の変化と言えるのかもしれないです。

上記で書いた通りその邦人作品を選んだ3チームがそれぞれ全て素晴らしい演奏を後世に残してくれていて
この演奏は今現在の視点・感覚で聴いても全く色褪せてはいないと思います。
私の個人的な見解ですけど、三善晃の「交響三章~第三楽章」に関しては、
あれだけ多くのチームがその後この曲を自由曲に選びながらも1980年の秋田南を超える演奏はいまだに存在していないと
思いますし、あの秋田南の音楽的小宇宙空間ともいえる濃厚な世界は、あそこまで完璧に内面的に完全燃焼し尽くした演奏と
いうのは今後も不世出のような感じすらあるように思えますし、後日あの名演を作曲者の三善晃が絶賛されたという
エピソードも当然だと思われます。
(1978年の秋田南の三善晃の「管弦楽のための協奏曲」も高校生のレヴェルをとっくに超越していると思えます!)
大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」は、その後丸谷先生が「いい加減マンネリ!!」と言われ続けながらも
2年に一回はこの曲を自由曲に選んでいるにも関わらず
丸谷先生自身が1980年度の自身のこの演奏の壁をいまだに超えられていないような感じすらあります。
というかそろそろ淀川工科の丸谷先生もダフニスとクロエと大阪俗謡による幻想曲以外の自由曲で吹奏楽コンクールに
臨んでほしいと感じたりもしますし、丸谷先生のコンクールでの有終の美はこの2曲以外の曲でもって新鮮な感覚で
臨んで頂きたいと願ったりもしますけど、それは期待するほうがもう無理なのかもしれないですし、コンクールにそうした
あまりにも保守的で頑迷な考えで臨むというならばそもそも論として吹奏楽コンクールに出場しなければいいのに・・という
考えも部外者としては感じたりもします。

秋田南と淀川工業に挟まれる形になっているのですけど、福岡工大付属の演奏も大変素晴らしいものがあると思います。
審査結果としては、秋田南と淀川工業は金賞に輝いているのですけど、福岡工大付属は残念ながら銀賞に留まっています。
個人的な見解ですけど、福岡工大付属の銀賞は少し厳しすぎるようにも感じられます。

上記で書いた通り増田宏三の喜遊曲「踊る行列」はいかにもという感じの和風な喜遊曲だと思います。
感覚としては兼田敏の「シンフォニックバンドのための交響的音頭」の世界に近いものがあるようにも感じられます。
兼田敏のような泥臭さはあまり感じず、鄙びた情感は伝わるもののどちらかというと洗練されている感覚もあったりします。
兼田敏の世界は「辺境の地の田舎鄙びた盆踊り」という感じなのかもしれないです。
そうそう「踊る行列」というタイトルだけを見てしまうと、 團伊玖磨の「ブラスオーケストラのための行列幻想」の
Ⅰ.男の行列 Ⅱ.女の行列 Ⅲ.そして男と女の行列に近いものがありそうですけど、
團伊玖磨の曲は鄙びた感じとか和の雰囲気はあまり感じさせず、どちらかというとモダンとか都会的な洗練された雰囲気を
感じ取ってしまいそうです。

増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は、打楽器の遣い方も大変効果的で、チャンチキとか和太鼓等の和楽器を
曲の最初から最後までかなり巧みに使用されていて、曲としての面白さは十分アピール出来ていたと思いますし、
ユーフォニアム・クラリネット・オーボエ等の少しおどけたようなソロも大変ユニークなものがあったと思います。
ホルンの少しとぼけた雰囲気は合いの手という感じもありそうです。
そして曲のラスト近くに登場するチャンチキ・和太鼓・シンバル・ティンパニのみによる打楽器だけのアンサンブルは、
この曲の「熱狂さ」とか南国的雰囲気を遺憾なく伝えているようにも感じられます。
曲全体としては最初から最後まで和の打楽器という特殊楽器の音の響きに頼り過ぎているような感じもあり、
確かに全体的には熱狂と言う雰囲気も伝えつつも、テンポ設定の変化や曲全体の壮大なクライマックスが少なくて
福岡工大付属の演奏も確かに上手いし、聴かせどころも心得ているし、ソロも上手いし、
全体の響きも申し分ないしという印象はあるのだけど
ワンパターンとか変化に乏しいという印象も感じさせてしまうのは、演奏の良し悪しというよりは曲自体の構造的な課題点
だったのかもしれないです。

そのあたりが福岡工大付属が1980年は銀賞に留まってしまった理由と言えるのかもしれませんし、
そうではないのかもしれないし、正直何とも言えません。
私個人としては、聴いていて大変面白いと思いますし、ラスト近くの打楽器のみの掛け合いの部分から曲のエンディングまでの
熱狂はこれがこの曲の壮大なクライマックスと言えるのかもしれないですし、
この曲は終結部と曲のクライマックスと最大の盛り上がりがイコールの曲と言えるのだとも今更ながら感じたりもします。

確かに評価は分かれる演奏かもしれないですけど私は大好きな演奏の一つですし、たまにはどこかのチームが
自由曲として演奏して欲しい気持ちは間違いなくあると思います。



増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は最初から最後までチャンチキや和太鼓が大活躍し、曲全体のリズムをリードしていますけど、
ららマジの器楽部の打楽器パートの中で和太鼓を担当しているのは、実はJKさんではなくて、JCさんの中学3年の
神田茜という元気はつらつとした下町娘というのもとてもすてきですね~♪

神田茜は粋でいなせな下町少女で、とにかく祭りが大好きで落ち着きがない性格というのも
なんだかやたらと喧嘩早そうな粋な江戸っ子みたいなものなのかもしれないです。
だけどそうした元気溌剌で落ち着きがなく常に何かを絶えず精一杯表現しようとするその姿勢に相応しい楽器こそが
日本の伝統的和楽器の一つの「和太鼓」と言えるのかもしれないです!
お祭りや神社の奉納の舞の際の櫓の上には、いつも神田茜が元気一杯和太鼓を叩き鳴らしているのだと思いますね~♪
中学生と言う事でまだ小柄な体格ですけど、小さ目な体をダイナミックに躍動させるそのエネルギーに見ている人たちを
感動させるのかもしれないですし、神田茜はポニーテール娘と言う事で、叩くたびに髪の束が揺れるのもとてもかわいくて
粋なのだと思います。

ららマジ器楽部による喜遊曲「踊る行列」の演奏も聴いてみたいですし、神田茜による和太鼓の演奏にも興味津々で
あったりもしますね~♪

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神田茜は私服もとってもかわいいですね~♪

神社でお参りしている様子もいかにも和風少女という雰囲気があると思います。

埼玉の大宮駅の次の駅のさいたま新都心は、さいたまスーパーアリーナという全国的に著名な最大37,000席を使用できる
国内最大級の多目的アリーナがあるのですけど、
このさいたまスーパーアリーナ内には、「すわんど」という国内最大級の和太鼓スクールもあったりします。
そしてこのすわんどは、テレビ埼玉のローカルテレビCMとしては埼玉県内ではお馴染みなのかもしれないです。
すわんどでは通常の宮太鼓や締太鼓はもちろん、希少性の高い大太鼓も複数台完備し、どんなレッスンにも対応可能
という事で、様々な世代の皆様がレッスンに通われている和太鼓の専門スクールでもありますので、
ここにはもしかしたら・・? ららマジのすてきな和太鼓奏者の神田茜がレッスン生または講師として東大和市から
来ていただくという脳内妄想もアリなのかもしれないですね~♪


暑い、暑い・・と思っていたら、季節はいつのまにか9月中旬という事で残暑の時期にも入りましたけど、
季節が夏から秋に向かっているのかもしれない・・と感じた瞬間は、
水田の稲の色が今までの青っぽい感じから幾分黄色というのか、黄金色みたいに色が変化しているのを
見た瞬間なのかなとも思ったりもします。

暑い、暑いと言っていても、水田一つとっても着実に季節は秋に向かっています。

日本の素晴らしい所の一つとして四季の美しさを日本人全体が心の中に美意識として有している事と
四季の美しさを楽しむ粋な心という事もあるかとは思いますし、
日本と言う国はつい最近までどちらかというと四季がはっきりとした美しい季節感を持つ国という雰囲気も
あったのかとは思うのですけど、ここ数年は「ここは熱帯亜熱帯気候のエリアなの~!?」と思わず愚痴りたくなる程の
異様な夏の酷暑が続いたり、はたまたまるで熱帯雨林のスコールみたいなゲリラ豪雨の突発的被害が多発するような
災害多発地帯になりつつあるようにも感じたりもします。
近未来の日本はどんどん四季が無い国になっていきそうな予感すら漂っています。
極端に暑くて長い夏と極端に寒くて長い冬という二つの季節が一年の大半を占め、その狭間に申し訳なさそうに
極端に短い春と秋がちょこっとあるだけの季節感をあまり感じさせない国になりそうな気もしますし、
日本の伝統文化の俳句というのも、もしかしたら季節感が無いと言う事で廃れていく可能性すらあるのかもしれないです。
可能性的に21世紀の中盤以降では、「四季」という概念が崩壊し、
極端に暑い夏と極端に寒い冬の狭間にほんの少しだけ春・秋っぽい雰囲気が垣間見えるだけという事になるのかも
しれないです・・

私たちも日本の美しい四季というものは、今のうちにじっくりと噛み締めておく必要があるのかもしれないですし、特に秋の
しっとりとした雰囲気は今のうちにしっかりと記憶に留めておいた方がいいのかもしれないです。

今現在は、まだ四季らしきものは残っておりますし、残っている限りは四季の変化というものを楽しまさせて頂きたいものです。

日本人にとってもっともしっとりとした風情・情緒を感じる季節と言うのは「秋」なのかもしれないです。
春の桜ももちろんとても素晴らしいのですけど、特に山の紅葉とか田んぼが黄金色に染まる光景とか十五夜のお月様とか
秋のしっとり感というのはまた格別なものがありそうです。

古今東西のクラシック音楽の中で「秋」をモチーフにした作品で印象的なのは昨年の丁度今頃の時期に当ブログでも
取り上げさせて頂きましたA.グラズノフのバレエ音楽「四季」~第四場・秋なのかもしれないですけど、
吹奏楽オリジナル作品ですと、ハーンズの「秋のひとり言」とか
1998年全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅱの「稲穂の波」などが大変印象的です。

そして本日取り上げさせて頂く秋をモチーフにした吹奏楽オリジナル作品は、保科洋の「愁映」です。

保科洋というと最近では「復興」が吹奏楽コンクールの自由曲として大変根強い人気を有していて、2010年以降この曲は
ほぼ毎年のように全国大会でどこかのチームが自由曲として演奏されるほど大人気なのですけど、
1970年代後半~80年代後半の頃に現役奏者だった私の感覚では、保科洋というと、誰がなんといっても
1987年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Aでもあった「風紋」や
カプリス・カタストロフィー・交響的断章といった陰気な楽曲や、はたまた古祀・バストラーレ・祝典舞曲といった鄙びた情緒を
漂わせている楽曲の作曲家という印象もあったりします。

そして保科洋と言うと「愁映」という現在では「知る人ぞ知る吹奏楽オリジナル曲」という作品もありまして、
この曲は関西学院大学吹奏楽部からの委嘱(第30回定期演奏会にて記念作品として初演されています)であり、
吹奏楽コンクールとしては1984年の全国大会にて関西学院大学吹奏楽部によって初演され、この年の大学の部で
金賞を受賞しています。
冒頭は重々しいリズムで憂いに満ちた旋律がトランペットのミュートで奏されることから開始され、曲自体終始ゆったりとした
音楽が展開されていきます。
またffの部分や極度に盛り上がる個所も無く見方によっては淡々と粛々と曲は進展していきます。
打楽器の数も少なく、特殊楽器としてはチャイムがあるく゜らいですし、金管や打楽器による派手な色彩感とか咆哮が
みられる曲ではないので、現在の邦人オリジナル作品のような派手で豪華絢爛な響きを期待される方には正直あまり
お勧めは出来ないです。
というか・・前述の通り大胆に盛り上がる個所はほぼ皆無で、終始内省的なしっとりとした響きでもって「秋」の気配を
濃厚に感じさせつつゆったりとした響きが曲の開始から最後まで続いていきます。
それでも愁映の持つ孤独さ・寂しさ・憂いの響きはどちらかというと「和の鄙びた世界」に通ずるのかもしれないです。
あの独特の寂しさ・ゆったりとした内面的な高まりは本当に素晴らしいと感じますし、中間部のチャイムが静かにコーンコーンと
響く感じも大好きです。

愁映の私の勝手なイメージとしては、晩秋の少し風が冷たい時期に京都の神社仏閣詣りとか伊勢神社に参拝した帰りに
紅葉がひらひらと舞い降り、 道を紅葉が真っ赤に染め、その真っ赤な道を静かにしゃりしゃりと紅葉を踏みながら
ゆっくりと散策を楽しむといったイメージがあったりします。

日本人の忘れた何か」を呼び覚ましてくれる哀愁と寂寥感溢れる不思議な曲だと思います。

冒頭で触れた通り、可能性的に日本の四季が崩壊し、22世紀頃にはもしかしたら春や秋という概念が失われた際には、
こうした「愁映」みたいな秋をイメージさせる楽曲自体がピンとこなくなってしまう可能性すらあったりしますので、
四季の感覚がまだ残っている現在だからこそこうした楽曲の意義は強く感じたいものです。

愁映は吹奏楽コンクールではほとんど演奏されないですね・・

1984年に関西学院大学が全国大会で一度演奏した以外はどこのチームも全国大会では演奏されていません。
だけどこの年の関西学院大学は、本当に素晴らしい演奏を残してくれました。
このチームは、例えば1979年の「ローマの松」とか82年のショスタコーヴィッチの交響曲5番とか88年の「ロデオ」のように
金管打楽器がガンガン咆哮乱打するような演奏を好む傾向にあるのに、
例えば、1977年のフォーシェ/交響曲とかこの年の「愁映」のようにたまにですけど内面的な曲を控えめに
演奏する時もあったりして、そのギャップが結構吹奏楽マニアには堪らない面もあったりします。
(88年のロデオは大宮ソニックシティホールでの全国大会の演奏も聴きましたけど、課題曲の深層の祭を含めて、
とにかくあの豪快な鳴らしっぷりは凄いものがありましたし、あのfffの強奏はある意味音の暴力なのかもしれなかったです・・)

愁映は1984年の関西学院大学の演奏時はラストはffで少し鳴らして閉じられるのですけど、
1999年に改訂版も発表されラストが静かに終わるように修正されていました。
というか、静かに終わるパターンと元々のようにffで終わるパターンの二つから自由に選択できるようになっています。
このパターンは、プロコフィエフの交響曲第7番「青春」と全く同じパターンです。
プロコフィエフの場合も、静かに回想的に静かに閉じられる版と華麗に鳴り響いて終わるパターンの二つを用意し
指揮者の判断でどちらかを選ぶようにされています。

ただし・・私の好みでは、保科洋の「風紋」も真島俊夫の「波の見える風景」も「愁映」も元の原典版の方が私は好きです。
改訂版の少し無駄な所を省いたら元の原典版になってしまったような感じもありますし、
原典版の無駄の無い緊密なストーリーが無駄な肉付けによって阻害されてしまったような感すらあったりします。


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ここから先はdream fantasy2
アミグリさんが描かれた美しい絵の転載&ご紹介コーナーです。

上記で四季とか秋という話しが出ましたけど、東方での東方四季娘というと、春がリリーホワイト、夏が風見幽香、
冬がレティさんで、そして秋はいうまでもなく秋姉妹のお二人だと思います。

幻想郷における東方四季娘として「秋」を司られるのは人間・妖怪・妖精ではなくて神様姉妹です。

それが秋穣子と秋静葉の姉妹の秋を司られる神様です。
(神様と言っても強い神様ではないもので、東方風神録の異変では霊夢によっていともかんたんに退治されてしまいます・・)

本記事においてはアミグリさんの描かれた秋姉妹のお二人をご紹介させて頂きたいと思います。

上記の秋姉妹は妹の方の秋穣子です!

この秋穣子はアミグリさんが2011年9月という秋の時期に描かれた作品で、アミグリさんの作品としてはかなりの初期作品
という位置づけになると思います。
そしてこの秋穣子は当ブログでは実は初転載の作品でもあったりします。

アミグリさんの描かれた妹の穣子もとってもかわいいです!

ぶどうが乗っかったZUN帽もすてきですけど、穣子のかわいい笑顔にとっても癒されます~♪

東方って案外姉妹キャラが多いですね。
スカーレット姉妹・古明地姉妹・綿月姉妹・九十九姉妹にそして秋姉妹に依神姉妹・・
なんとなくですけど妹の方がより強く可愛らしさ・無邪気さ・自由さが感じられ、
東方の姉妹キャラは全体的には「妹の方がより人気度が高い」といえるのかもしれないです。


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上記にて秋姉妹のうち、妹の秋穣子を取り上げさせて頂きましたので、ここではお姉さまの秋静葉を
お披露目させて頂きたいと思います。
上記の作品は、アミグリさんが2014年10月に描かれた秋静葉です。

それにしてもアミグリさんが描かれた公式立ち絵をベースにされたショートカットの秋静葉はとても美しいです!

アミグリさんが描かれる静葉は、スカート全体がフリルっぽくなっているのは素晴らしいアレンジだと思います。
全体の雰囲気的には秋の香りが一枚の絵から素敵に漂っていると思いますし、
そこには「愁映」みたいな雰囲気というのか、紅葉した落ち葉がひらひらと舞ってきて、その落ち葉の上を人が
しゃりしゃりと音を立てながら歩いていくといった風景を連想させる素晴らしい秋静葉だと思います。

アミグリさんが描かれた秋静葉の透明感というのかこの「ひそやかさ」が私はとっても大好きです!!
そして何よりも、まるで鍵山雛みたいな「フリル地獄」に陥りかねないこの秋静葉を、「フリルを描く大変さ」を
見ている人達に気付かせないように自然に楽に仕上げられたアミグリさんの絵師様としての腕に
改めて惚れ惚れとさせられるものがあると思います~♪
それにしても雛以上に恐ろしく手が込んだフリルですよね~! 本当に素晴らしいですし会心の一枚だと思います~♪

皆様の中で「こんなにも美しい秋姉妹を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

すてきな秋の季節は、世界的気候変動の中でも残り続けて欲しいものです。

そして保科洋の「愁映」のしっとりとした秋の風情を「失われたモノ」としてではなくて、四季の一つとして楽しむ事が出来る
世界がこれからもずっと続いていって欲しいと改めて感じたりもします。
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「能面」とは幽玄の世界でなんだか「恥の文化」の日本文化の一つの象徴なのかもしれないです。

そうした能面のおどろおどろしく幽玄な美の世界を管弦楽または吹奏楽として表現されたのが小山清茂作曲の
交響組曲「能面」です。

仮面(お面)というと東方ファンの皆様ですと私も含めて秦こころを思い起こす人も多いとは思いますが、
一般的にお面・仮面というと、
本来内省的に自分が有しているはずだけどそれを表にすんなりと出せない自分自身の隠れた側面を
仮面をあえて身に付ける事で表面的な自分を一旦表面上隠蔽した上で本来の自分を演じる事が出来ると言う事に
どことなく不思議な魅力を感じたりもします。
仮面と言うものは換言すると変身願望の一種なのかもしれないです。
自分が元々有している個性を隠蔽し、仮面を被り別の個性を演じる事で
「今までの自分とは違ったもの」を見出してみたいという意図が多少はあるのかもしれないですし、
この点が仮面自体にどことなく妖しさ・ミステリアスさを感じさせてくれているのかもしれないです。

そうした仮面・お面をモチーフにした古今東西の音楽というと、
ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」、ハチャトゥーリアンのバレエ組曲「仮面舞踏会」や
吹奏楽関連では大栗裕の「仮面幻想」、パーシケッティーの吹奏楽のための仮面舞踏会を思い起こしますけど、
日本の和の鄙びた感覚とか奥ゆかしさ・恥じらい等に繋がる音楽として名高いのは小山清茂作曲の交響組曲「能面」と
言えるのかもしれないです。

小山清茂が現代日本のクラシック音楽界と吹奏楽界において最も大きな貢献を残された作品と言うと
管弦楽のための(吹奏楽のための)木挽歌なのではないかと私的には感じていますし、この木挽歌という作品は
外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」と並んで日本人の心のふるさとともいえる作品ではないのかな?と思ったりもします。
この2曲は大変分かりやすい音楽から構成されていて、日本人であるならば間違いなくどこかで聴いたことがあるメロディーが
次から次へと登場してきますし、この曲を聴いてしまうと普段は自分が日本人である事を意識しないような人でも
多少は日本」意識させてくれる郷愁に溢れた作品と言えるのだと思います。
実際、小山清茂の管弦楽のための木挽歌は、外山雄三の管弦楽のためのラプソディーと並んで、
和をモチーフにした邦人作品としてはメかなりジャーな作品だと思いますし、現在でも演奏会で取り上げられる
頻度は比較的高い方だと思います。

小山清茂は管弦楽の分野でもそうですけど、吹奏楽の発展のために尽力し、吹奏楽のための木挽歌のように
そのいくつかの吹奏楽作品は今でもコンサートや吹奏楽コンクール等でも演奏され続けています。
1914年に長野県で生まれた小山清茂は幼い頃から民俗芸能の響きに囲まれて育ち、
日本の伝統的な響きを最も濃厚に受け止めた作曲家のひとりです
西洋楽器のための作品だけでなく、和楽器のためにも数多くの作品を残している事でも知られています。
主要作品に、管弦楽のための木挽歌、管弦楽のための鄙歌第1~4番、管弦楽のための信濃囃子、交響組曲「能面」、
管弦楽のための「もぐら追い」なとが挙げられると思いますし、
吹奏楽作品としては、1980年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Aの吹奏楽のための「花祭り」、
吹奏楽のための「おてもやん」、 吹奏楽のための「琴瑟」などが知られていると思います。

そして小山清茂の作品の中で木挽歌と同様に絶対に忘れてはいけない作品の一つとして交響組曲「能面」が
挙げられると思います。
大栗裕の「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による」などのような凄まじい大音響とか劇的なドラマ性や
動と静の凄まじいダイナミックスレンジの落差による表現という感じではなくて、どちらかというと日本人の心の奥底に潜む
和の鄙びた雰囲気という感じの曲と言う事で、最近の若い奏者の皆様にとっては今一つ演奏効果があがりにくい曲と
捉えられても仕方がないのかもしれないですけど、木挽歌以上にこの曲は後世の日本人に絶対に受け継がれていって欲しい
曲の一つだと思います。

小山清茂の交響組曲「能面」は、1959年に作曲されています。
渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団により1959年11月5日に放送初演されています。
;この曲の音源として、渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団によるビクターのレコードがあるのですけど、
多分この音源はCD化されていないと思いますので、あの素晴らしい名演を是非CDでも聴いてみたいです。
この曲の原曲の管弦楽版の生演奏は一度だけ聴いたことがありまして、1998年の都響の邦人作品シリーズとして
日本の作曲家シリーズ23<小山清茂作品集> というプログラムでこの能面のプロの管弦楽団によるライヴ演奏を聴く事が
出来たのは大変貴重な経験だったと思いますし、多分ですけど能面の管弦楽の生演奏としてはあの演奏が私にとっては
最初で最後のものになる可能性が高いくらい大変意義のある演奏会だったと思います。
あの時の指揮者は矢崎彦太郎で、曲目はオール小山清茂プログラムで、当日演奏していた曲目は、
管弦楽のための信濃囃子・管弦楽のための鄙歌第1番・管弦楽のための鄙歌第2番・交響組曲「能面」・管弦楽のための木挽歌
と言うものでした。
私自身日本フィルで鄙歌と木挽歌は聴いたことがありますけど、能面を聴く事ができるなんて生涯二度とないかもしれないと
思い、あの時はかつてやはり都響の「オール松村禎三プログラム」の時と同じように
「(存在しない)叔母が危篤」のため早退というガセネタで上野の東京文化会館まで聴きに行った事は今となっては
なつかしい思い出ですね~

小山清茂の交響組曲「能面」は下記の三楽章から構成されています。

Ⅰ.頼政 (よりまさ) 
 
Ⅱ.増女 (ぞうおんな)
 
Ⅲ.大癋見 (おおべしみ)

ちなみに吹奏楽コンクールにおいては、Ⅲをベースに構成されている事が多いです。 

この交響組曲「能面」を作曲していた頃の小山清茂は、能の面だけを眺めていてもなんだかイメージが掴めないと言う事で
実際に頼政の舞台を観て能の雰囲気を知った上で、
謡曲本を購入されそれを歌詞として歌曲の要領で作曲するなど試行錯誤しながら作曲の筆を進めたようです。
交響組曲「能面」は鄙歌・木挽歌・花祭りなどに見られたように曲自体に民謡や神楽囃子など日本の伝統音楽の
メロディとして使用している場面はほとんどないです。
能楽はよく「無駄を一切そぎ落とした究極のシンプルな音楽」と言われたりもするのですけど、
交響組曲「能面」はそうした能楽自体をかなり強くイメージさせる音楽であり、和の響きを大切にしながらも
仮面の下に隠された人間の感情の起伏の激しさを西洋の楽器を使いつつダイナミックスレンジの幅を音楽上の強弱というよりも
感情の起伏の激しさという意味で表現されている事は特筆に値しているのかもしれないです。
オーボエのグリッサンドは能管や謡いのイントネーションを意図し、
木管とヴィオラのグリッサンドを伴うピチカートは鼓の音をイメージし、
低弦楽器が靴べらで弦を弾く事によって生ずる音は薩摩琵琶の響きを彷彿とさせている点は、
曲自体は西洋楽器そのものを使用しながらも随所に日本的な和の響きを大切にしている事を強く意識していると
言えそうです。
Ⅰの頼政において、冒頭にオーボエ独奏により無伴奏で出る幽玄な第1主題は謡曲本をベースに作曲されたもので、
続いて弦楽器で出る第2主題は和歌の朗詠のイントネーションを思わせるものであり、
最後には2つの主題が同時に演奏されます。
Ⅱの増女は、気高く神聖なイメージの女性を表現した楽曲です。
2つの主題のうち、1つはⅠの頼政の主題に似せ、2つ目はⅢの大癋見の主題に似せることにより
両端楽章をつなぐ役割を果たしています。
Ⅲの大癋見は、天狗の怒った表情を表す面で、瞬間表情の面であるため、主題も荒々しいもの1つのみとなっています。
最後には、低弦のピチカートとティンパニによる特徴的なリズムに乗っかる形でクライマックスが形成されていきます。
ラスト近くのティンパニの幽玄な連打が大変印象的です。

この交響組曲「能面」は吹奏楽コンクールの全国大会では2019年時点で今の所2回ほど全国大会で演奏されています。

そのうちの一つが1978年の前橋商業なのですけど、大木隆明先生時代の前橋商業というと小山清茂の自由曲が
大変印象的ですし、特に1978年の能面、79年の木挽歌、80年の鄙歌第2番の三年間は鄙びた和の世界を吹奏楽として
見事に表現された名演だと思います。
特に1980年の課題曲A / 吹奏楽のための花祭りは小山清茂作曲の作品でもありますので、この年は課題曲も自由曲も
小山清茂の和の鄙びた世界を完璧に表現された演奏として私もあの「枯れた感覚」の演奏はとっても大好きですし、
かなり強い共感を感じます。

CDが普及する以前の吹奏楽コンクールの音源はレコードでしたけど、
ソニーの「日本の吹奏楽」というLP盤において、このレコードジャケットの裏ページの1978年~81年前後は
出場チームの部長等のコメントが記されていました。
そのコメントの中で大変印象的なコメントが1979年の前橋商業でして、その中に
「私達も年に何度かアメリカのオリジナル作品を演奏する事もあります。だけど、吹いていると
何かこれは自分達が目指している音楽ではないみたいな雰囲気になり、練習するのを止めてしまいます。
こうやって毎年毎年泥臭い邦人作品を演奏し続けるチームが全国に一つくらいあってもいいのではないでしょうか」
といった事が記されていましたけど
この言葉にこそ前橋商業高校吹奏楽部が象徴されているのだと思います。
1978年の前橋商業の自由曲が能面で、課題曲がAのジュビラーテでしたけど、
この年の課題曲Aは上記のコメントではないですけど、アメリカのオリジナル作品を絵に描いたようなジェイガーの作品
でしたので、当時の前橋商業とアメリカ作品の相性の悪さは言うまでもないという感じの演奏だったと思います。
私自身は78年の前橋商業の課題曲と自由曲はカスタムテープとして聴いたのですけど、
奏者達はジュビラーテという課題曲はあまり好きではないと言う事が手に取るように伝わってきています。
勿論、技術的にはとっても上手くて技術的な問題は全くありません。
巧いけど伝わってくる音楽からは「私達はこの課題曲が好き!」という気持ちは全く伝わってこないです。
というか、かなり無機質にさくさく進行しています。
中間部の表情も確かにユーフォニアムの裏メロとかたっぷりと歌っているし、トランペットとフルートの掛け合いも
ほぼ完璧に決まってはいるのですけど、演奏自体にすきま風が吹いていて音楽に違和感を感じてしまいます。
だけど自由曲の小山清茂の能面に入るとこの雰囲気が劇的に変ります。
サウンドが粘っこい音に変り、情感たっぷりの音楽に変容します。
一言で言うととってもおぞましい音楽という形容なのかもしれないですし、
見てはいけないものを見てしまったみたいな感じの音楽を怨念たっぷりに歌い上げた雰囲気に満ち溢れています。
そこから感じ取れるのは、人間の嫉妬・焼きもち・ねたみ・隠してしまいたい心の本音・恨みつらみ・怨念等のマイナスの感情を
能面という一つの仮面に隠すことで、自分の心の奥底の心の闇を隠して建前で生きることでどうにかこうにか現世を
生きていくという人間の裏の感情・心の奥の怨念といったものをとにかく粘っこい音色で歌い上げています。
私自身、この前歯商業の能面を一番最初に私が聴いた時の感想は、おどろおどろしいとかおぞましいという感情しか
無かったのですけど、今現在の視点で聴き直してみると禁断の愛とか秘密といった言葉がしっくりきそうな感じがあります。
幽玄な雰囲気を情感たっぷりに表現しているけど、あのおどろおどろしい雰囲気をここまで吹奏楽として表現出来ている事は
当時としては特筆に値するものがありそうです。
出だしのフルートソロから既にこの曲の幽玄さというのか心の奥底の怨念が炸裂しています。
序盤はとにかく不思議な静けさにも溢れているのですけど、展開部に入って更に驚くことになります。
何かと言うと、原曲にも存在していない男声コーラスで「おー」みたいなハミングの響きが更に
幽玄さを醸し出していきます。
あの部分を聴くと、何となくですけど人の心に潜む妬みみたいな暗黒なものをついつい妄想してしまいます。
そして後半部分はティンパニが大活躍をします。
前橋商業の生演奏を見た訳ではないので、実際何人で叩いたかはわからないのですけど、
1984年に東海大学吹奏楽研究会が都大会と全国大会でこの小山清茂の「能面」を演奏していて、
私自身は都大会の演奏を生で聴いたのですが、この際は5台のティンパニを4人の奏者で演奏していたと記憶しています。
多分ですけど前橋商業も3~4人でティンパニを叩いていたと思うのですけど、
あのティンパニの響きがとっても印象的ですし、とてつもなく幽玄な香りがしますし、
おぞましい香りに溢れていたと思います。
あの迫力はとにかく凄まじいものがありますし負のエネルギー」に満ち溢れていたと思います。
一つ残念だったのは演奏終了後の間髪を入れないブラボーでしたね・・あれは少し興醒めでもありました・・

そしてもう一つの「能面」の演奏は1984年の東海大学吹奏楽研究会です。

東海大学というと今現在では2011年以降にアンサンブルリベルテの福本信太郎先生を招聘されて以降は
全国大会金賞の常連というイメージが既に現在の現役奏者の皆様の間では定着していると思うのですけど、
東海大学と言うと、個人的な話で申し訳ないのですけど、私的には上原圭詞先生というイメージが大変強いです!

1984~1987年当時は自分の大学が都大会予選会を突破し、普門館で開催される都大会本選に進むためには
東海大学・創価大学・東洋大学・明治大学などの都大会本選銀賞~銅賞チームを超える演奏をしないと到底不可能という事で
私も当時はかなり東海大学の存在は意識したものですし、私自身の「普門館での演奏」という夢の実現のためには、
東海大学などには負けられないという気持ちの方が強かったです。
反面個人的には、当時の東海大学は上原圭詞先生という大変マニアックな選曲を独特の世界観で演奏される
大変個性の強いチームでもありまして、私自身は、自分自身のコンクールという事は抜きにして
上原先生在籍当時の東海大学のサウンドは大好きでしたし、上原先生の大ファンでもありました。

当時の上原先生=東海大学は、
どちらかというと、花輪高校の小林久仁郎先生の路線と少し被るような側面もあり、
当時の私としては、花輪の小林先生、東海の上原先生という吹奏楽界の二大偉人という独特の世界観&解釈をされる
お二人の先生を深く深く尊敬していたという事は間違いないと思います。
上原先生は今でも現役で指揮をされ続けていますし、その後活躍ぶりには本当に頭が下がる思いです。
(2017年のコンクールは出場されていましたけど2018年は欠場という事で実は少しばかり心配もしていたりもします・・)

東海大学時代の上原先生の選曲は素晴らしくマニアックだったと思います。

1979年  B/ローマの祭り

1980年  C/交響曲第四楽章(矢代秋雄)

1981年  B/バッカナール(黛敏郎)

1982年  B/交響曲第2番「鐘」第一楽章(ハチャトゥーリアン)

1983年  B/交響曲第一楽章(松村禎三)

1984年  B/交響組曲「能面」

1985年  B/第七の封印

1986年  B/神の恵みを受けて

1987年  B/ローマの祭り

1990年  A/バレエ音楽「まりも」(石井歓)

1991年  B/舞踏曲「サロメ」(伊福部昭)

どれもこれも素晴らしい選曲&演奏だったと思います。

私、これらの東海大学の過去の演奏を聴くために、
当時世田谷区にあったトラヤというカスタムテープ制作会社(既に倒産)に大人買いというか、
「東海大学のみの演奏を収録したカスタムオリジナルテープ作成」を依頼したくらいでもあります。

1981年のバッカナールは課題曲のコラージユと合せて大変高いレヴェルとテンションが高い名演でありまして、
当時の東京支部は、亜細亜&駒沢という超名門チームが闊歩していましたので、
あの名演が全国でも聴けなかったのはとても勿体ない気がします。
黛敏郎の「バッカナール」というと吹奏楽に詳しい方ですと「初演は秋田南高校」と言われるのかもしれないですけど、
実際は秋田南の全国大会での演奏よりも既に4年前に東海大学が演奏をしていたりもするのです。
ハチャトゥーリアンの「鐘」は花輪高校の1980年のカットをそのまま使用した感じで、
第一楽章をメインに演奏し、ラストは第四楽章の「咆哮」を使用するというパターンです。
上原先生はもしかしたら花輪の小林先生からの何かしらの影響は多少はあったのかもしれないです。
圧巻は松村禎三の交響曲でして、とにかく内面的緊張感の持続は戦慄さえ感じます・・・・
前年に屋代高校がこの交響曲の第三楽章を全国で演奏していますけど、
東海大学の第一楽章も前半とラストの静粛さと中間部の緊迫感の壮大な対比が極めて素晴らしいです!
84年の「能面」は、78年の前橋商業とほぼ同じカット&男性コーラスを用いていましたけど
前橋商業に比べて、サウンドの透明感・洗練さを感じさせるため
おどろおどろしい印象よりは都会的なスマートさという印象があります。
1987年の都大会の「ローマの祭り」は気持ちよいほど豪快に鳴らしてくれていて、あの爆演は聴いている方も大変心地よい
ものがありましたけど、実際は指揮者と奏者は快感の極致といえるのかもしれないですね~♪
90年のまりもも本当に素晴らしい演奏だったと思います。
前半の内面的緊張感、中盤の踊り、ラストのたっぷりとした歌い方は、全国大会代表・金でも全然おかしくない演奏でしたけど、
なぜか都大会の評価としては銅賞で私は客席でぶーたれていたものでした。

小林先生が指導されていた花輪高校と上原先生が指揮されていた東海大学は、そのあまりにも強い個性と
アクの強い演奏のためなのか、吹奏楽コンクールという審査の場では多分ですけど、審査員の好みもはっきりと分かれていた
ような気もしますし、それが結果的に「少しばかり不当に低く評価されている」ような印象に繋がっているのかもしれないです。

最後に話を小山清茂の能面に戻しますと、1984年の東海大学の演奏は、課題曲B / 土俗的舞曲のエネルギッシュな明るさと
自由曲の能面という緊張感・人の心に奥深く潜んだ恥じらい・奥ゆかしさに満ち溢れた曲を
内在的エネルギーを内に秘めながらも、比較的カラッとした都会的洗練さを感じさせる表現に仕上げられていて、
78年の前橋商業とは少しばかり全体的な構成や指揮者が意図している点は被る点はあるのかもしれないですけど、
その目指している方向性はむしろ真逆というのも大変面白いものがあると思いますし、同じ素材を用いながらも
全く違った解釈・方向性を楽しむ事ができる吹奏楽コンクールというものは、やはりとてつもなく興味深い場であるのは
間違いないと言えるのだと思います。
「さよなら私のクラマー」は月刊少年マガジンに連載されていた人気漫画で、原作は「四月は君の嘘」で知られる新川直司さん
です。
そして今年・・、2021年の春アニメとしても放映されていて、今年の夏には劇場公開版も上映されていました。
(キャラ絵が四月は君の嘘とよく似ていますし、特に変顔やデフォルメされた時の絵柄はよく似ていますね~♪
四月は君の嘘はストーリーがあまりにも重たくてせつない作品ですけど、さよなら私のクラマーはそうした哀しさがないので
作品としても大変見やすくて分かりやすいです)
この作品は女子サッカーをテーマにした漫画で、のんちゃん達主人公たちが通う高校の名前が蕨青南高校で、
その女子作家チームのチーム名がワラビーズとなっていて、蕨市がメイン舞台となっています。
原作漫画やアニメでも背景などに繊細なタッチで描かれた川口蕨陸橋やJR蕨駅の看板など何でもない蕨市の風景が
随所に出ていたりもしまして、蕨駅を最寄駅の一つとして頻繁に利用する私にとっても「ご当地アニメ」といえそうです。

蕨市の広報担当の方も「蕨はほぼ住宅地でアニメの舞台になった記憶はない」と話されていましたけど、
埼玉県はクレヨンしんちゃん、大きく振りかぶって、球詠、弱キャラ友崎くんなどといったたくさんの作品の聖地と言うか
モデル地となっている中で、蕨市が人気作品の聖地となっているのはとても素晴らしい事だと思います、
埼玉県立蕨青南高校は実在しない架空の高校ですが、物語の舞台が蕨市ということもあり、
登場人物の出身中学校が川口伊刈中だったり戸田北中だったり、ライバル校が浦和邦成高校だったりと架空の学校ながら
聞きなれた地名が多々登場しているのも埼玉県民にとってはちょっと嬉しいものもあったりします。

蕨市は、全国の市の中で最も面積が狭く、区町村を含めても8番目に狭いという大きな特徴があったりもします。
実際、蕨市は本当にちびっこい市であり、市を構成する町も、錦町・南町・北町・中央・塚越と
わずか五つしかないというのもある意味驚異的であったりもします。
人口は7万程度と少ないのですけど、昔から中国・インドの方の人口比重が高い上に、最近特に特筆すべき事は
中東の民族問題や戦争から逃れたイラン人やクルド人の皆様が多いことだと思います。
実際、蕨の公園近辺では、クルド人らしき方をよくお見かけしますけど、総じて私の印象としては、
特段地元民とのいさかいもなく地元に溶け込んでいるみたいな印象もあり、
なんとなくですけど「平和な人たちなんだなぁ・・」みたいな印象も感じたりはします。
クルド人の皆様は第二の故郷として、蕨市をワラビスタンと呼ぶ事も多いようで、これは以前何度かニュースでも
取り上げられていたと記憶しています。
そうそう、蕨市は他に何が名高いのかと言うと、実はなのですけど成人式の発祥の地でもあるとの事です!
日本における今日の形態の成人式は、終戦間もない1946年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現:蕨市)において
実施された「青年祭」がルーツとなっているそうです!

ここまではサッカーと蕨市に関するものでしたけど、当ブログの管理人が居住しているのは蕨市とも隣接している川口市
なのですけど、川口市はスポーツも武道も盛んな街ではありますけど、昔も今も吹奏楽の聖地もの一つともなっていて、
現在でしたら全国的に大変知名度が高いのは川口アンサンブルリベルテだと思うのですけど、私のようなオールド吹奏楽
ファンの視点では「川口と吹奏楽」というと、学校統廃合で校名自体は既に消滅しましたけど市立川口高校だと
思いますし、市立川口が残してくれた名演の中でも特に際立った個性を具現化した演奏の一つが
1981~82年にかけて当時の市立川口の指揮者の信国康博先生の自作自演による「無言の変革」シリーズなのだと
思います。

市立川口高校は市の予算の関係とか少子高齢化の波を受けて、2018年度より川口市内の市立高校3校による統廃合により
その校名はすでに消滅していて、2018年の4月をもって3校が統合した「川口市立高校」が新たに新設されています。
市立川口高校というと全国的にはそれほど知名度が高くはないのかもしれないですけど。
巨人軍の元エースの斉藤雅樹投手の母校であり、斉藤投手が市立川口高校に在籍していた当時は残念ながら
悲願の甲子園出場は実現しなかったものの、埼玉県の高校野球においてはほぼ無名校であった市立川口を
埼玉県大会準優勝まで牽引したその功績は素晴らしいものがあると思いますし、
斉藤投手はまさに川口市の顔という役割も担われていると思います。

平成生まれの若い世代の皆様に市立川口高校とか無言の変革シリーズと言っても「なにそれ・?聞いたことがない」といった
反応になってしまうとは思いますが、私のように1980年代に中学~大学で吹奏楽に携わっていた世代にとっては
ノスタルジックなチームだとも思いますし、当時の市立川口のあの圧倒的な存在感のある演奏を知る者にとっては、
市立川口高校吹奏楽部はとにかく神みたいな存在だったと思います。
市立川口高校は、1970年代中盤頃の自由曲の選曲は、
例えば、ジェイガー/第二組曲、ロッシーニ/どろぼうかささぎ序曲、ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
などのようににかなりオーソドックスな路線を歩んでいたと思いますが、
1979年の全国大会初出場でいきなり金賞を受賞したネリベルの「二つの交響的断章」の
歴史的ウルトラ名演によって一気にブレイクしたと思いますし、
1981年~82年の2年間は、更にとてつもな偉業」を成し遂げてくれました。
それが何かと言うと、上記でちらっと触れているように当時の指揮者の信国康博先生による「無言の変革」という自作自演の
自由曲を二年間に渡って全国大会でお披露目し、そのあまりにもぶっ飛んだ内容で当時の吹奏楽関係者に強烈なインパクトを
残しています。

あの2年間に渡る市立川口高校の「無言の変革」シリーズの際は、私は高校1年~2年の時だったのですけど、
吹奏楽もクラシック音楽のイロハのイの字も何も分かっていない当時の私にとっては、市立川口の演奏のあの猛毒は
かなり強烈なものがあったと思います。
私自身の音楽観としては、これまでの当ブログで何度も語っている通り、この市立川口高校の演奏と
秋田南高校の交響三章、花輪高校のウォルトンの交響曲第1番変ロ短調~第四楽章や
就実高校の幻想舞曲集が私自身に与えた影響度は計り知れないほど大きなものがあったと思いますし、
これらの曲の演奏と曲自体のインパクトが結果的に私自身をクラシック音楽の森の中に迷い込ませる一つの大きな
要因になったのは間違いないと思います。
そして市立川口高校の演奏は私自身のリアルでの生活環境にも多大な影響を残すことになってしまい、
「こんな凄い事を平然とやってのける高校の演奏を是非生で聴いてみたい!」とか
「まずは高校を卒業し上京し、出来ればこんな凄い学校がある埼玉県川口市に住んでみたい」と考えるようになり、
本当に後年川口市内に家を建てて、川口市に永住するという事が「現実のもの」になってしまいました。
嘘から出た誠みたいなものなのかもしれないですけど、本当に後年埼玉県川口市に永住するなんて18歳で上京した時には、
全く想像もしなかったですし、当時は生まれも育ちも埼玉県川口という生粋の川口人であったうちの奥様と何かの縁で出会い、
こうして結婚というご縁で結ばれてしまうとは全く夢にも思っていなかったです。
それだけ市立川口高校の演奏は、結果として、とある東北の田舎の県立高校の吹奏楽部在籍の男の子の運命すらも
左右する事になっていましたし、それだけ印象度の極めて高い演奏を私に残してくれたのだと思います。
もっとも・・うちの奥様は吹奏楽もクラシック音楽も興味のきの字もなくて市立川口高校吹奏楽部とか無言の変革シリーズや
全国初出場の「二つの交響的断章」の話を私がいくら熱く語っても「なにそれ・・?」という反応ですけど、
彼女からは私自身のもう一つの顔でもある「アニメ大好き」という側面にあまりにも多大な影響を残してくれていますので、
私にとっては、うちの奥様・市立川口高校・花輪高校と秋田南高校と仁賀保高校の秋田県の吹奏楽はかなり重要なファクトリーと
言えるのは間違いないと思います。

市立川口高校吹奏楽部の偉大なる軌跡はこのブログでも何度も取り上げさせて頂きましたけど、
吹奏楽部は1979年~1990年に輝かしい実績を残し、全日本吹奏楽コンクールに過去11回出場し、
金賞6回(1979年・1980年・1981年・1984年・1985年・1987年)、銀賞5回(1982年・1986年・1988年・1989年・1990年)を
受賞しております。
1983年には「ウィーン世界青少年音楽祭」に日本代表として出場しグランプリ、
高校部門最優秀賞、オーストリア国営放送賞の3賞を日本で初めて独占という快挙も成し遂げています。
そして何よりも1979年の全国大会初出場の「二つの交響的断章」の歴史的名演と
1981~82年の当時の指揮者の信国先生による「無言の変革」シリーズという自作自演は、
吹奏楽コンクールの一つの金字塔とも思えます。

1979年当時吹奏楽コンクールの全国大会の出場チームのステージ衣装はほぼ例外なく学校の制服というか、
男子は学ラン、女子はセーラー服かブレザーという中、
市立川口高校吹奏楽部は、赤ブレザーに白のズボン・スカートという当時としては斬新なステージ衣装というのは
当時はとても眩しく斬新でしたし、広い普門館のステージが狭く感じるほど、
打楽器を数多くセッティングし、ハープとか法螺貝とか、コンサートチャイムとは別に本物の鐘(カリヨン)を 持ち込んだり、
視覚的にも大変インパクトはありましたし、何よりも演奏が素晴らしかったと思います!
1979年の市立川口高校の課題曲は「プレリュード」という コンクール史上初の無調的色彩の強い現代音楽系の曲
だったのですが、 冒頭のティンパニソロをはじめ、緊張感漲る演奏が本当に素晴らしかったし、
後半のヴィヴラフォーン以降の木管セクションのひさやかさ、打楽器セクションの鼓動 など
文句のつけようがない課題曲Bの演奏だったと思います。
しかもこの演奏、全国大会初出場でしかもプログラム一番なのですよ~!
そんなハンディーを全く感じさせない演奏だったと思います。
自由曲のネリベルの「二つの交響的断章」はまさに圧巻の一言!!!
冒頭が、チャイム・シロフォーン・グロッケン・マリンバの鍵盤打楽器から開始され
執拗に同じメロディーを反復していくのですが、この緊張感が絶品です。
アルトサックスのソロも素晴らしいし、それに合いの手を入れる打楽器セクションの瞬発力も お見事に一言に尽きます。
ファゴットのデュエットも少しばかりズレはあるのですけど、やはりあの勢いは止められない感じです。
後半のティンパニソロからの金管セクションの透明かつ勢いのある展開も大変迫力がありますし、
トムトムをはじめとする打楽器セクションのやはり瞬発力と自発性は高く評価されて然るべきだと 思います。
自由曲における、ドラの鳴り方が非常に効果的なのも印象的です。特に第一楽章の鳴りっぷりは凄まじかったです~♪
この曲の原曲は17分程度の長いものなのですけど、市立川口は5分30秒程度にコンパクトに収めてしまいましたので、
「もう少し長く演奏しても良かったのでは・・・? せめてこの翌年の東海大学第一高校くらいの長さは
欲しかった」とも言えなくはないのですけど、
指揮者の信国先生は、 音楽的緊張感を優先に考え、このカット方法にしたのかもしれないです。
(課題曲Bのプレリュードを静粛に音楽的緊張感をキープしたまま、ネリベルの冒頭のあのひそやかな鍵盤打楽器へと
入った事もあり、課題曲との連続性みたいなものも信国先生としては意識されていたのかもしれないです)

翌年の1980年のマクベスの「神の恵みを受けても素晴らしかったですけど、圧巻なのは誰が何と言っても1981~82年の
信国先生の自作自演による「無言の変革」シリーズだと思います。

1981年の「無言の変革」~問いは普門館のステージにとにかく打楽器をずらーーーっと並べ、
2組のティンパニ、大小のチャイム・カリヨン(鐘)・大小のドラ、様々なトムトム、各種鍵盤打楽器を曲の冒頭から叩きまくり、
普門館の聴衆の度肝を抜き、曲の中間部で突然ホルン奏者等が立ち上がり体をくねらせながら法螺貝を吹きまくったり、
グランドハープを恐らく吹奏楽コンクール史上初めて普門館に持ち込んだりと見た目の演奏効果は抜群でした。
曲自体とても斬新でしたし、アルトサックスのソロをはじめとする個々の技術の完成度の高さも高校生のレヴェルをはるかに
超越していたと感じられます。
とにかく最初から最後まで普門館の聴衆に「これからなにやらとてつもないことが起こりそう・・」といった予感を感じさせていたと
思いますし、ラスト近くの異様な曲の高揚感も劇的緊張と感動が適度に融合されていて、これが曲をすっきりと閉じさせる
大きな要因にもなっていたと感じられます。
1981年当時としては、例えばワーグナーやヴェルディーといったやや硬直化しマンネリ気味だった自由曲の選曲について
「こうした表現はいかがなものか?」という斬新な「問いかけ」という意味合いももしかしたら、信国先生は問い」という
タイトルにも滲ませていたのかもしれないです。
とにかく凄まじいインパクトは残してくれたと思いますし、確実に普門館の聴衆に「何か」は伝えていたと思います。

そうした中で、翌年の1982年も信国先生の自作自演が普門館で再現されました。

タイトルは1981年と同様に「無言の変革」ですけど、1982年は、「そこに人の影は無かった」という部分が選曲されていました。

この「無言の変革」という信国先生の自作自演の曲ですけど、実今現在もその詳細は私自身は把握していません。
曲自体が組曲なのか単作なのか連作なのか、「問い」と「そこに人の影は無かった」以外の楽章は存在するのかしないのか?
続編はその後作られたのか否かなど概要は正直謎で知る由もないです。

大学時代の吹奏楽団のメンバーの中に、一人この市立川口の「無言の変革」を県大会・関東大会・全国大会で聴いた
という人間がいて、彼の話は実に興味深かったです。
それによると、埼玉県大会の段階と全国大会では、演奏も大分変化があったようで、コンクール過程の中で信国先生が
色々と書き加えたり修正をされたとの事でした。
ちなみに市立川口高校は1983年は吹奏楽コンクールには出場していません。
代わりに世界音楽祭に参加し、その際に「無言の変革」~そこに人の影はなかったを演奏しているようですけど
この時の演奏は、1982年の全国大会の演奏に色々と修正をしているようです。
一例をあげると・・・
82年の全国大会では、曲のラストは「カリヨン」(鐘)がコーンコーンと響いて終わるのに
83年の世界音楽祭では、カリヨンの音が響いた後に再度全体での弱奏が続いたらしいです。
そして82年の全国大会では使用されなかった「法螺貝」は、83年の世界音楽祭では用いているそうです。

83年の世界音楽祭の演奏は、公式には確かCD化されていなかったと思いますけど、
後年、市立川口高校吹奏楽部による 「響華Ⅱ 全日本吹奏楽コンクール創奏の軌跡 川口市立川口高等学校吹奏楽部」という
記念盤みたいな形でCDが定期演奏会の際に二枚組CDとして発売されていましたけど、
この記念CDには83年の世界音楽祭の演奏も収録されているらしいです。
この時、私、この記念CDをなぜか購入しませんでしたけど、これは今でも「あの時購入すればよかった」と大変後悔しています。
今となってはとてつもない貴重な資料だと思います。
以前このCDがヤフオクで出ていて入札したのですけど、その後とてつもない高値が付き落札を断念した経緯がありました。

さてさて市立川口高校の2年目の「無言の変革」シリーズのタイトルは「そこに人の影は無かった」というまたまた意味深な
ものでした。
少し厳しく言うと、2年目の「そこに人の影は無かった」は、1年目の「問い」ほどのインパクトは無かったようにも思えます。
「問い」はラスト近くのコラールのメロディーがとても訴えるものがあり感動性が強かったのですけど、
「そこに人の影は無かった」は、どちらかというと少しばかり機械的で冷たい感覚の世界が続いていたような感覚があります。
「問い」に比べて、管楽器のソロの扱い・比重が大きくなり、
「無言の変革は打楽器だけではないぞ」みたいなアピールもあったのかもしれませんけど、打楽器の扱いもやや平板な感じが
します。
全体的に金管楽器の響きが甲高過ぎというかヒステリックにも聴こえ、問いほどの感銘性が弱かった印象はあります。

悪く言うと単に演奏効果だけを狙ったような曲という印象もあり、
「問い」のような感動性とか「これから何かとてつもない事が始まる・・・」みたいなドキドキ感が希薄だった印象もあります。

打楽器セクションの多さ・ハープやカリヨンといった特殊楽器の響きだけに頼りすぎて、聴衆を「音そのもの」だけで
びっくりさせようとする意図があまりにも見え見えすぎて
聴く方としては「二匹目のドジョウはいなかった・・・」という事になったのかもしれないです。

1982年の市立川口の演奏はへらぼうに上手かったですし、技術的にはこの年の高校の部のトップクラスだと思います。
だけどその「音楽の表現」に疑問符を付けた審査員が多かったのかもしれないですし、
市立川口の審査評価はかなり割れていたように記憶しています。
結果的に銀賞という評価に留まっていますけど、このあたりはコンクール審査の難しさはあるようにも感じられます。
技術的にはほぼ満点だけど審査員の好き嫌いで評価は割れ、銀賞という結果に留まったと思います。

当時の高校生の私は「どうして市立川口の演奏は問い以上に斬新な演奏をしたのに銀賞なの~!?」と大変ぶーたれて
いたものですけど、今現在の視点で改めてこの「そこに人の影はなかった」を聴いてみると、
音楽の中身や表現の深さというよりも単に打楽器等の特殊楽器効果でもって聴衆の度胆を抜こうといった意図の方を
より強く感じてしまいます。

だけど、1980年代前半の高校部門において、こうした斬新な音楽と表現で聴く者に「何か」は確実に伝えた市立川口の偉大さは
全く永遠に不滅だと思いますし、私にとっては絶対に忘れる事は出来ない演奏の一つです。

それだけは間違いなく言える事だと思います。

市立川口の素晴らしい点はたくさんあるのですけど、その一つが個々のソロの巧さと個人的技術の高さと
音楽のダイナミックスレンジの幅が大変広くて、ソロや音の薄いところといった弱奏部分とfffの強奏部分の対比が実に
鮮やかという事が挙げられると思います。
その代表的な事例が二つの交響的断章と神の恵みを受けての前半と後半の鮮やかな対比だと思いますし、
無言の変革シリーズと名取吾郎作品におけるソロ楽器の巧さだと思いますし、特にトランペットパートの巧さは
断然光っていたと思います。
後年ですけど、1986年の課題曲の「嗚呼!」・87年の課題曲の「渚スコープ」、88年の「ハムレットへの音楽」の
トランペットのソロのミスはあまりにも目立っていましたし痛かったと思われます。
1980年代後半以降の市立川口が全国大会で金賞から遠ざかってしまった要因の一つがそうしたトランペットに代表される
ように個々のソロミスがあったのかもしれないです。
88年の全国は銀賞でしたけど、課題曲の「交響的舞曲」の中間部と自由曲の「ハムレットへの音楽」の
プロローグとエルシノア城のゆったりとした部分の市立川口の表現力の深さには感服させられたものでした!

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上記でトランペットの話が出てきましたので、ここはdream fantasy2 のアミグリさんが描かれた北宇治高校吹奏楽部のトランペット奏者の高坂麗奈を
改めて皆様に見て貰いたいと思います。

上記の作品はアミグリさんが2018年6月に描かれた「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です。

この高坂麗奈は、2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~♪

高坂麗奈というと孤高のトランペット奏者という印象もありますけど、フリューゲルホルンやコルネットやポストホルンといった
トランペットの類似楽器を吹いてもとても絵になると思いますし、麗奈がタイムスリップして1980年代初めの
市立川口の「無言の変革シリーズ」の演奏に加わったしたら鬼に金棒といえそうです~♪
現在はお盆期間中というかお彼岸真っ只中です。

お彼岸と吹奏楽オリジナル作品というとなかなかそれに合致する曲もないとは思うのですけど、その中でそれらしい曲
ということで、本日は稲垣卓三の管楽器のための組曲という知る人ぞ知る陰鬱な超マイナー作品を簡単に
レビューさせて頂きたいと思います。

私自身、生まれて初めて購入したクラシック音楽のレコードは、ショスタコ―ヴィッチの交響曲第5番「革命」でした。
そして2番目に購入したレコードがオーマンディ指揮・フィラデルフィア管弦楽団の「ロシア名曲シリーズ」で、
ダッタン人の踊り・スペイン奇想曲などが収録されていました。
3番目に購入したレコードがシベリウスの交響曲第1番だったと思います。

それでは吹奏楽関連において私が一番最初に購入したレコードにはどんな曲目が収録されていたのでしょうか・・?

そのレコードは「東京佼成ウインドオーケストラ 第1集と第2集」でして、

・演奏団体:東京佼成ウインドオーケストラ
・指揮者:秋山和慶
・発売元:(株)佼成出版社
・出版年:1979年3月

という内容だったと記憶しています。このレコードはフェネルが東京佼成の常任指揮者に就任する前の収録されたものであり、
フェネルの華やかさとは別にいかにも秋山さんらしい真面目で端正な仕上がりの曲ばかりだったと思います。
2集の方に収録されていたのがいわゆるロシアものの吹奏楽アレンジ作品でして、確か収録されていた曲が
1.歌劇「コラ・ブルニヨン」序曲 2.組曲「道化師」 3.バレエ音楽「ガイーヌ」~剣の舞・子守歌・レスギンカ舞曲
4.バレエ音楽「スバルタカス」~スリーダンスエピソード
という大変充実していまして、特に組曲「道化師」は、私自身が1982年の時の高校の定期演奏会で演奏した曲で、
かなりの部分参考にした記憶があります。
ガイーヌは、この当時はまだあの名アレンジの誉れ高い林紀人先生の版ではなくて、藤田玄播または稲垣卓三による
アレンジが主流だったのは今現在との大きな違いかもですね。

そしてこのシリーズの第一集に収録されていた曲目は、大変メジャーな曲目と超マイナーな曲目の吹奏楽オリジナル作品の
組合せという事で、当時からかなり注目度は高いレコードだったような記憶があります。
この第一集の収録曲目は、

【Side A】

1.交響曲第2番「三法印」/ロバート・ジェイガー
 1楽章 諸行無常 
 2楽章 諸法無我 
 3楽章 涅槃寂静 

2.天使ミカエルの嘆き/藤田玄播 

【Side B】

1.シンフォニア・ノビリッシマ/ロバート・ジェイガー 

2.管楽器のための組曲/稲垣卓三
 1楽章 プロローグ 
 2楽章 仏前にて 
 3楽章 影 
 4楽章 夢 
 5楽章 行進曲 

という内容でしたけど、ジェイガーのシンフォニアノビリッシマと藤田さんの天使ミカエルの曲は今現在でも
時折ですけど吹奏楽コンクール等でも演奏され続けている息の長い作品ですけど、
ジェイガーの三法印と稲垣卓三の組曲は知る人ぞ知る曲という扱いになっているのは否定できないと思います・・
ジェイガーの吹奏楽のための交響曲(第1番) は大変な人気作品であったのに対して、2番の三法印に不人気ぶりは
ある意味際立っていたとも思えます。
私もこの三法印は何度も聴いてみましたけど、この曲のどこに魅力があるのかいまだにさっぱり分かりません・・
1980年に京華学園が自由曲とした以外は、どのチームも吹奏楽コンクールでは演奏されていない事実こそが
その不人気ぶりを見事に象徴しているとも言えます。
同じく稲垣卓三の「管楽器のための組曲」も三法印以上に人気がない曲でありまして、
この曲は吹奏楽コンクールにおいては支部大会以上ではなんと一度も演奏された事すらありません。

稲垣卓三というとどちらかというと東京佼成のコントラバス奏者または吹奏楽作品のアレンジャーというイメージの方が
強いと思います。
上記でもちらっと書いていますけど、ガイーヌ・歌劇「運命の力」序曲、歌劇「ウィリアム・テル」序曲の稲垣さんのアレンジは
かなり優れていると思いますし、ガイーヌも林紀人アレンジ版が出るまではかなり演奏されていたような気がします。
稲垣さんは指揮者としても東京佼成の地方公演を何度かされていて、そこで管楽器のための組曲・三つの日本民謡といった
自作自演もされていたような記憶もあります。

そしてこれは後日の話なのですけど、1980年代後半以降急速にレコードからCD化が普及した際に、
秋山さんが指揮された東京佼成ウインドオーケストラ のレコードがCD化されて再販売されていた頃、
稲垣卓三の「管楽器のための組曲」は割愛されてしまい、CDとしては未収録のまま今現在に至っていますので、
この東京佼成ウインドオーケストラ 第1集のレコードはかなり貴重なものがあるといえそうです。

以前当ブログで兼田敏の「ウインドオーケストラのためのファイブイメージス」という曲は、まるで新ウィーン楽派みたいな
抽象的で難解な作品と記したことがありますけど、
稲垣卓三の「管楽器のための組曲」もその抽象的な内容と曲の難解さは、兼田敏のファイブイメージスに決して
見劣りしないと思います。
私もこの組曲は何度か耳にしましたけど、やはり三法印・ファイブイメージス以上にさっぱりわからないです・・
ファイブイメージスの方はまだどこなくカラっ・・としたあっけらかんさみたいなものもなくはないと思うのですけど、
稲垣卓三の組曲は、和の陰々滅々みたいな雰囲気が濃厚で、全体的に「死と夢」をテーマにしたようにも感じられなくも
ないように感じられたりもします。
特に第Ⅴ曲の「行進曲」は、「この陰鬱な雰囲気のどこがマーチなの~!?」という感じなのだと思いますけど、
あの陰気な世界は、新ウィーン楽派のベルクの初期作品でもある「三つの管弦楽曲~Ⅲ.行進曲」の雰囲気と
かなりの点で被るようにも聴こえたりもします。
その中で唯一イメージしやすい楽章がありまして、それが第二曲の「仏前にて」だと思います。
(というか曲のタイトルに仏前というワードが入っている事自体すごい話なのかも・・?)
この「仏前にて」は黙って目を閉じて聴いていると、いかにもご逝去した方をしのんでその御仏壇に、
チーンチーンと鐘を鳴らしたり焼香をしたり、お線香をつけたりといった「死者への弔い」が日本的なお線香・手を合わせるという
動作として表現されているようにも聴こえたりして、
全体的には大変抽象的でわかりにくい音楽なのですけど、仏壇の前にて手を合わせるという具体的なイメージが
なぜか必然的に湧いてくるという意味では大変面白いものを感じたりもします。

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我が家はお彼岸とは別に毎年毎年11月になるとお墓参りに行く事が多いです。
というのも、なぜか11月にご逝去された身内の方が非常に多いというのもなんだか不思議なものも感じたりもします。
うちの奥様のご両親さんもお二人とも11月にご逝去されていましたし、お墓に刻印されている命日を眺めていると
11月に亡くなられた故人の皆様が多いというのもなんだか偶然ではないような気もしますし、うちの奥様自身も
そのせいかしりませんけど「私が死亡するとしたらそれは11月なのかも・・?」と縁起でもない事をたまに
口にしているようです。
年に何度かお墓参りに行ったり我が家の御仏壇にお線香を付けたり手を合わせるといった動作をしていると、
不思議とこの奇妙な感覚としか言いようがない稲垣卓三の「管楽器のための組曲」~仏前にてを思い出してしまいます。
2018年の冬アニメの「色づく世界の明日から」のヒロインの月白瞳美も未来に帰った際に、(過去において一時期学校生活を
共にしたクラスメイトまたは身内の)お墓参りに行かれていましたけど、
現在も未来もこうした先祖や亡くなった方を偲ぶ気持ちというのは時が流れても変わりがないのかもしれないです。

先日もとある顧客がご逝去され、葬式後と言う事でご自宅にお悔やみ訪問とお線香をあげにお伺いさせて頂きましたが、
遺影を前にお線香をつけて手を合わせた瞬間に、改めてですけど
「人が亡くなるという事とはこうした雰囲気なのだ・・」という事を感じたものですし、
同時に正座をしてお線香をつけて仏壇に手を合わせるという日本的な作法みたいな事をわかりにくい音楽で抽象的に
表現したのがこの「仏前にて」という曲なのかな・・?とふと感じたものでした。

日本のお葬式とか仏壇を表現した曲って多分ですけどそんなにはないと思いますので、そうした意味では大変貴重なものが
ありそうなのかもしれないです。
当ブログにおいて「小山清茂」という偉大なる作曲家のお名前は、
1980年の全日本吹奏楽コンクール課題曲A / 吹奏楽のための花祭りと大木隆明先生時代の前橋商業高校吹奏楽部にて
かなり頻繁に登場すると思います。
小山清茂が現代日本のクラシック音楽界と吹奏楽界において最も大きな貢献を残された作品と言うと
管弦楽のための(吹奏楽のための)木挽歌なのではないかと私的には感じていますし、この木挽歌という作品は
外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」と並んで日本人の「心のふるさと」ともいえる作品ではないのかな・・?と
思ったりもします。
この二曲は大変分かりやすい音楽で構成されていて、日本人であるならば間違いなく「どこかで聴いたことがあるメロディー」が
次から次へと登場してきますし、この曲を聴いてしまうと普段は自分が日本人である事を意識しないような人でも
多少は「日本」を意識させてくれる郷愁に溢れた作品と言えるのだと思います。
実際、小山清茂の「管弦楽のための木挽歌」は、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」と並んで、
「和」をモチーフにした邦人作品としてはメかなりジャーな作品だと思いますし、現在でも演奏会で取り上げられる
頻度は比較的高い方だと思います。

小山清茂は管弦楽の分野でもそうですけど、吹奏楽の発展のために尽力し、吹奏楽のための木挽歌のように
いくつかの吹奏楽作品は今でも演奏され続けています。
1914年に長野県で生まれた小山清茂は幼い頃から民俗芸能の響きに囲まれて育ち、
日本の伝統的な響きを最も濃厚に受け止めた作曲家のひとりです
西洋楽器のための作品だけでなく、和楽器のためにも数多くの作品を残している事でも知られています。
主要作品に、管弦楽のための木挽歌、管弦楽のための鄙歌第1~4番、管弦楽のための信濃囃子、交響組曲「能面」、
管弦楽のための「もぐら追い」なとが挙げられると思いますし、
吹奏楽作品としては、1980年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Aの吹奏楽のための「花祭り」、吹奏楽のための「おてもやん」、
吹奏楽のための「琴瑟」などが知られていると思います。
尚、吹奏楽コンクールにおける小山清茂の作品というと木挽歌と能面が知られていますけど、この両曲は
前橋商業高校吹奏楽部の大木隆明先生から吹奏楽版へのアレンジを依頼され、管弦楽版とは別に吹奏楽版も
存在したりもしています。

そして小山清茂の吹奏楽作品で木挽歌・花祭り以上に忘れてはいけない作品の一つとして「吹奏楽のための大神楽」が
挙げられると思います。
この曲の演奏時間は5分程度と大変短く、例えば大栗裕の「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による」などに
見られるような凄まじい大音響とか劇的なドラマ性や動と静の凄まじいダイナミックスレンジの落差というものは
ほぼ皆無で終始どちらかというとゆったりとした鄙びた音楽が展開されていきます。

吹奏楽のための太神楽は1971年に東京音楽大学の委嘱作品として作曲されています。
小山清茂の故郷である長野県更級郡に伝わる神楽囃子を素材とした作品であり、
笛、太鼓、鉦などに合わせて獅子舞が登場したり、
おかめやひょっとこがおどけた仕草で笑わせるといったような田舎風の楽しく鄙びた雰囲気を伝える曲と言えると思います。

上記で書いた通り最近の邦人オリジナル作品のような派手さ・ドラマチックな展開・咆哮する金管セクションと打楽器といった
要素はほぼ皆無であり、和楽器としての打楽器セクションと木管のソロを中心に構成されている曲と言えます。
冒頭はデリケートな響きの厳かな雰囲気で開始されピッコロのソロで曲が開始されます。
祭りのお囃子のような雰囲気のソロに、和の打楽器が加わってお祭りがスタートします。
上記で書いた「お祭り」というのは獅子舞の一行がお祭り見学に来ている子供たちや村人たちに近づいてくるという
イメージなのかもしれないです。
というか、最近の都会の子供たちは獅子舞とか御神輿といったいわゆる地域のお祭りというものも知らないし見た事がないと
人も相当多いと思いますので、こうした獅子舞の踊りを音楽としてイメージするというのは難しいのかもしれないですね。
私も小さい頃に神社のお祭りの一環としてこうした獅子舞の奉納踊りを見た事がありますけど、
単に人間が獅子の飾りをかぶって踊るという訳ではなくて、獅子舞は立ち止まって頭を振ったり時に子供の頭にかじりつく
振りをしたりなどそこにあるのは「獅子舞のおどけた動作」なのだと思います。
この吹奏楽のための大神楽にはそうした獅子舞の動きを見事に音楽としてイメージさせているものがあると思います。
そしてそうした獅子舞の動きが音楽として展開されている辺りで、オーボエ・クラリネット・フルートのソロも絡み、
この部分は5/8と2/4が組み合わさった変拍子で構成されていたりもします。
例えば大栗裕の神話や仮面幻想等は聴いているだけで「変拍子が大変そう・・」という感じもあるのですけど、
小山清茂の大神楽にはそうした変拍子の厄介さというものを聴衆に感じさせることはほぼ無いと思います。
そこで聴衆が感じ取るのは「鄙びた雰囲気」の方なのだと思います。
そして獅子舞の踊りが終わった頃にリズムとしては6/8に拍子が変わり、ここから先は獅子舞に代って
おかめとひょっとこがひょっこりと登場し、更にのどかな雰囲気を醸し出してきます。
クラリネットのソロを軸にちょいと泥臭くてどんくさい音楽が展開されていき、なんとなく「ひょうきん」というちょっと古臭い言葉が
似合いそうな音楽が展開されていきます。
そしてここから冒頭のピッコロのソロが再現され、鈴の音がシャンシャン・・と静かに鳴らされていき最後は鈴の音が
静かに消え去っていき曲が静粛のうちに閉じられていきます。

吹奏楽のための大神楽ですけど、何が一番大変なのかと言うと演奏テクニック以前に楽譜に指定されている
和の打楽器を揃える事なのかもしれないです。
ティンパニ以外にはあたり金・締太鼓・桶胴・やぐら太鼓・小鈴といった特殊和打楽器も用意する必要があります。
こうした特殊楽器がどうしても準備できない場合は、
あたり金→カウベル 締太鼓→小太鼓 桶胴→トムトム やぐら太鼓→大太鼓で代用するのも一つの案だと思います。

この曲は吹奏楽コンクールの全国大会で演奏された事は残念ながら一度もないのですけど、支部大会では何度か
演奏されています。
私自身が気になる演奏というのは1974年に村松先生時代の就実高校です!
(この演奏は音源が皆無ですので私は聴いた事は一度もありません・・)
就実の村松先生と言うと、幻想舞曲集・スペイン組曲・イベリア・ル・シッドのバレエ音楽などに象徴される通り
スペイン音楽を十八番にされていたと思うのですけど、そうした村松先生がこうした邦人作品を吹奏楽コンクールの自由曲に
されている事自体極めて珍しいと思いますし、しかも74年の課題曲があのポップス色全開の「高度な技術のための指標」
と言う事もあり、もしも音源が残っていたとするならば是非是非聴いてみたい演奏ですね~!

私自身が吹奏楽のための大神楽を聴いた演奏の中で特に印象に残っている演奏は、
私の山梨県左遷(?)時代とも重なるのですけど、1992年の山梨県大会と関東大会B部門で聴いた山梨県のB部門の演奏の
勝沼中学校の演奏です!
山梨県の中学校の吹奏楽は、1970年代~80年代の平野先生が指揮された明見中と大月東中で一つの大きな頂点を
築き、21世紀以降の大島先生指揮での敷島中学校が出現するまでの間はちょっと低迷していた時期もあったのかとは
思うのですけど、
そうした低迷期に活躍されていたチームの一つがB部門における笛川中学校(大島先生の敷島中赴任までの前々任校)や
塩山中・勝沼中だと思うのですけど、その中でも塩山中と勝沼中を指導・指揮されていた網野先生の濃厚すぎる
個性豊かな演奏は私にとっても大変印象的な先生であり、演奏だったと思います。
網野先生のコンクールでのステージ衣装は、ラメ色のタキシードみたいな感じのド派手さがあり、
山梨県大会や関東大会で網野先生のあのラメ色ステージ衣装を見るたびに「この先生、すごいよなぁ・・」と
感じていたものでした!
演奏自体も例えば1990年の塩山中を指揮された時の吹奏楽のための木挽歌の素晴らしい名演もありましたし、
93年は結果的に関東大会銅賞という結果ではありましたけど、小山清茂の吹奏楽のための鄙歌第2番も
確かに奏者の技術不足に音量不足という明確な問題点はあったものの、音楽に聴くものを惹きつける個性は
間違いなく伝えていたと思います。

そうした中で1992年に自由曲として演奏し、結果的に山梨県代表の一校として関東大会B部門に出場されていた時の曲が
吹奏楽のための大神楽だったのでした!
あの演奏は素晴らしかったと私は今でも思っています。
木管セクションのソロも最後まで雰囲気をキープしていたと思いますし、演奏も素朴さや日本の和の心が見事に
表現されていたと思いますし、途中で手拍子を入れる等の工夫もあり、
鈴の音も場面によってはほぼ全奏者が鈴を手にして、しかも鈴を上に持ち上げたりステージすれすれの位置まで下げて
鳴らしてみたり、最後は奏者全員でまるで息が絶えるように鈴を静粛にごくごく微音ギリギリまで
静かに美しく鳴らして曲を閉じたりと色々と工夫がみられていて、会場の聴衆のハートは間違いなく掴んでいたと
思います。

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吹奏楽のための太神楽のフルスコアは見たことが無いもので作曲者指定の鈴がどういう鈴を使用すればいいのかは
私は分からないのですけど、神楽というイメージに忠実に従うとなると上記画像の神楽鈴または雅楽の鈴を
使用するのが理想的と言えそうです。

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もちろん本格的な神楽用の鈴を上記の勝沼中のようにほぼ全奏者がラストで静かに鳴らすような演出をすると、
膨大な鈴購入またはレンタルのための経費が発生しそうなので
現実的には学校音楽教材用の鈴を使用した方が宜しいのかもしれないです。

勝沼中の大神楽を聴いて感じた事は、「この曲はA部門の大人数だとかえって曲の雰囲気を損ねてしまう危険もあるので、
35人程度の小編成の方が曲のイメージを素直に伝えることが出来るのかもしれない」というものでしたし、
その感想は今でも変わりは無いと思います。
そうした意味では現在の吹奏楽コンクールの小編成部門でこの曲を自由曲にされるのも悪いことではないし、
私としてはかなり意義があるのかも・・と感じています。
W.H.ヒル と言うと吹奏楽的には「セント・アンソニー・ヴァリエーション」があまりにも有名ですし、この
あまりにも素晴らしき吹奏楽オリジナル作品は天理高校の1985年の奇蹟的超ウルトラ名演によって
世に知られて既に36年以上も経過しているのですけど、
忘れ去られる事なく支部大会・全国大会・プロアマ問わず定期演奏会等で演奏され続けている事は
この曲自体の素晴らしき普遍性を示唆しているのだと思います。
(今更言うまでもない話ですけど、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」もヒルのこの曲も元歌のメロディーは
「聖アンソニーのコラール」という同一主題に由来し、こうした変奏形式の曲を聴いてみると、
管弦楽版も吹奏楽版も素材の調理法によって、聴く人に与える印象は随分と違うものである事は痛感させられたものです)

上記で素晴らしき吹奏楽オリジナル作品と記したのですけど、厳密にいうとヒルのあまりにも感動的な終結部のコラールの
再現がある「セント・アンソニー・ヴァリエーション」は元々の原曲としてのセント・アンソニー・ヴァリエーションではなくて、
1979年のアメリカでの初演後に二人の日本人の手を経て改訂された、冒頭の主題の再現がコラールとして終結部に
高らかに再現されるセント・アンソニー・ヴァリエーションの方であるという事実を知った時は驚いたものでした。
というか・・1985年の天理高校のあの感動的な「セント・アンソニー・ヴァリエーション」の改訂版の演奏に耳が慣れてしまうと、
ヒルの元々の原典版を聴いてみると、特に終結部での違いに愕然としてしまいそうです。

原典版のセント・アンソニー・ヴァリエーションは1979年にアメリカのダウニー高校吹奏楽団からの委嘱により作曲され、
翌年にカリフォルニア州立大学ロサンジェルス校ウインドアンサンブルが来日公演した際に、ヒル自身の指揮で
日本初演が果たされています。
原典版のセント・アンソニー・ヴァリエーションは曲の作りが精密で手の込んだ変奏曲ではあるのですけど、
冒頭の聖アンソニーのコラールのテーマが華やかに鳴り響いた後は、このテーマが原型で登場する事は一度もなく
最後まであの主題が戻ってくることも無く、改訂版のような感動的で華麗なテーマの再現もなく、
更にいうと原典版においては聖アンソニーのコラールのテーマは変奏を重ねる中で変容・解体されていき、
打楽器が活躍する第四変奏の中でどちらかというと知的で暗い雰囲気のまま曲が閉じられ、全体としては
むしろ地味さすら感じてしまうという事で、日本初演後もこの曲が話題になる事は皆無でした。
終り方が改訂版のような華やかさ・感動がほとんどなく、どちらかというと尻切れトンボみたいなヘンな終わらせ方を
していた事も「印象が薄い作品」と感じさせていたのかもしれないですし、あの終わらせ方は、あくまで私の主観ですけど
同じくヒルの吹奏楽オリジナル曲の「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」におけるシロフォーンが呟くように静かに閉じていく
終わらせ方とどことなく似ているように感じたりもします。

ヒルのセント・アンソニー・ヴァリエーションの吹奏楽コンクール全国大会初演は、多くの皆様は1985年の天理高校と
思われている方も多いのかもしれないですけど、実はその4年前の1981年に文教大学によってなされています。
1981年の文教大学は1980年に引き続いて小澤先生率いるあの名門・神奈川大学を関東大会で撃破しての代表なので
値千金なのかもしれないです。
セント・アンソニー・ヴァリエーションの原典版の演奏時間は11~12分なのでどこかでカットする必要性が生ずるので、
当時の文教大のアレンジャーでもあった柳田孝義先生が知恵を絞り、うまい具合にカット改訂を施し、さらに
原典版のままだと感動性がうすいということで、1985年の天理に近いようなラスト近くでの冒頭の聖アンソニーコラールの主題を
再現する改訂を編集され、ここに記念すべきセント・アンソニー・ヴァリエーションの全国大会初演が果たされる事に
なります。(いうまでもなくヒルの了解は得た上での編集です)
しかし、1981年の文教大学は全国大会・銀賞に留まり、そのカット版改訂編集もほとんど注目される事なく、
この曲はその後もほとんど注目される事はありませんでした。
(1982年に遠山先生率いる浜松工業高校がこの曲を自由曲にして臨んだ東海大会はダメ金で終ってしまいます)

しかし、1985年に転機が訪れます。

それがいうまでもなく1985年の超・歴史的名演と今現在でも誉れ高き名演と囁かれ続けている天理高校による
セント・アンソニー・ヴァリエーションの演奏がなされたことです。
私自身もあの天理高校の超名演は普門館で生演奏で実際にこの耳で聴きましたけど、とにかく素晴らしい!としかいいようが
ない感動がそこにはあったと思います。
天理高校の演奏が終わると普門館がざわついていました・・
「セント・アンソニー・ヴァリエーションってこんなに素晴らしい曲だったけ・・??」
「この曲、4年前にも文教大学が演奏していたけど、どうしてあの時はこんなに注目されなかったのだろう・・」
「これってもしかしたらヒルの新作オリジナル作品・・??」などあの日からセント・アンソニー・ヴァリエーションは
ある日突然とてつもない名曲となってしまったのです。
天理高校でアレンジなども務められていたピアニストの中屋幸男先生が、1981年の文教大学の柳田先生による
改訂版を参考にしつつ、文教大とは異なるカットとラストのコラールの再現編集を施し、結果的に1981年の文教大学を
上回る曲としての緊密性とラストの感動性を高めることに大成功し、それが天理高校の超名演と合わさり、一気に
セント・アンソニー・ヴァリエーションが大ブレイクを果たす大きなきっかけが作られたものでした。
ちなみに天理高校によるカット編集版もヒル自身が了解しただけではなくて、1991年のアメリカ吹奏楽指導協会の総会にて
カリフォルニア工科大学吹奏楽団が、ヒルの指揮によって原典版ではなくて
1985年の天理高校によるカット編集版の演奏をしていて、結果的に作曲者自身が公認した改訂アレンジ版という形で
母国・アメリカにこのセント・アンソニー・ヴァリエーションが里帰りを果たしたという大変珍しい現象を引き起こしています。
後日中屋先生によるカット改訂版は日本でも正式にヒル公認編曲版として正式に出版され、現在に至るまでこの版が
吹奏楽コンクールにおいても使用され続けています。
これは見事な換骨奪胎といえそうですし、原典版がいいと思うかこのカット改訂版がいいと思うかは聴き手に委ねられていると
いえそうですけど、私個人は圧倒的に天理高校による改訂版の方が大好きです。

ヒルのセント・アンソニー・ヴァリエーションの名演と言うとやはり1985年の天理高校を超える名演はいまだに出ていませんし、
おそらく今後も出ないと思います。
1988年の全国大会ではこの曲を自由曲に選ぶチームは6チームもありましたけど、天理を超えるどころかその領域に
近づくチームすらなかったようにも感じられます。
(強いて言うと高岡商業の金管セクションの豪快だけど洗練された響きはとても素晴らしかったです)
1985年の天理高校ですけど、自由曲のセント・アンソニー・ヴァリエーションも冒頭の鳴らし方、それに続く打楽器の瞬発力、
静かな部分でのオーボエの美しいテーマの響かせ方、木管セクションのひそやかさ、金管と木管の完璧なバランスなどなど
どれをとっても文句のつけようがない演奏でした。
曲全体を貫く聖アンソニーコラールのテーマとそれに対する変奏の位置関係が大変素晴らしく、
曲の構成が明確に見えてくる演奏だったとも感じられます。
終結部のコラール直前の打楽器だけの部分もティンパニをはじめとするリズムがドンピシャに決まっていて大変心地よかった
ですね~♪
とにかく「素晴らしい」以外の言葉が思い浮かばず、演奏終了後もただただ呆然と見とれるだけで、 
感動以外の何物でもありませんでした。


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1985年の高校の部は、天理高校のセント・アンソニー・ヴァリエーション、愛工大名電の「プラハのための音楽1968」、
習志野高校のローマの祭りがこの年の三大名演だと思いますが、
個人的にはプログラム1番の花輪高校の課題曲Aと自由曲のガジペコフの2番も素晴らしかったと思います。
というか・・花輪高校の演奏がどうして銅賞という評価に終わり、あの素晴らしい名演を何度後日聴きなおしても
どこにマイナスポイントがあるのか私には全く理解できないです・・

1985年の天理高校は金管セクションも素晴らしかったですけど、ティンパニをはじめとする打楽器パートも
大変素晴らしくてあの瞬発力に溢れるキレの良さはため息しか出てこないです・・

1985年の天理の課題曲はBの「波の見える風景」でしたけど、習志野高校の繊細で洗練された演奏とはひと味違う
大変ダイナミックスな迫力ある演奏でした。
あの年・・天理高校は普門館に2台のドラ(タムタム)を持ち込んでいましたけど、40インチの巨大なドラは
課題曲の波の見える風景で曲の終結部においてゴワワワワーー―――ンと地響きを上げるが如くの大変な威力を
発揮していましたけど、なぜか自由曲のセント・アンソニー・ヴァリエーションでは未使用だったのは
少し勿体無い気もしたものでした。
あの巨大ドラをセント・アンソニー・ヴァリエーションでももしも使用していたとしたら、曲の雰囲気はさらにもう少し変化が
出ていたのかもしれないです。
クラリネットの派生楽器の一つである「バスクラ」(バスクラリネットの略)は、普通のB♭クラリネットの約2倍の長さがあり、
管弦楽においては重要な低音旋律において、チェロやコントラバス等の演奏に重なることで明快さを与えたり、
時には自らソロを担当することもあります。
吹奏楽では金管低音楽器を補うための存在として地味ながらも縁の下の力持ち存在として、チューバやコントラバスと共に
全体のリズムを支える目立たない中でも大切な役割を担っている楽器でもあります。
バスクラよりも更に低音が出せるクラリネットの派生楽器として「コントラバスクラ」という楽器もありますけど、
このコントラバスクラは価格的にはとてつもなく高額な楽器であり、私が現役奏者の頃には、普通の公立校の吹奏楽部に
コントラバスクラやコントラファゴットが常備されていることなんてまずお目にかかったことはなかったです。
私自身、都内の大学の吹奏楽団に入団した際に初めてこれらの楽器の実物を目の当たりにした際には、結構感動した
ものでした・・
最近の吹奏楽コンクールにおいては、最近の少子高齢化の影響もあるせいなのか、学校数・生徒数が少ないという事も
あるせいなのか吹奏楽部の予算が私の頃に比べると格段に増えているのかどうかは定かではありませんけど、
こうした高額なコントラバスクラ・コントラファゴット・コールアングレがごく普通に配置されていることは珍しくもなんともなくて
このあたりからも「時代は既に変わったよね・・」としみじみ実感させられるものもあったりします。

支部大会以上の吹奏楽コンクールや東京佼成Wとかシエナのようなプロの吹奏楽団の場合は、
パスクラリネットとクラリネットの持ち替えという事はあまりないように感じられます。たいていバスクラ奏者は持ち返せずに
単独で配置されています。
プロの管弦楽団の場合、日常的ではありませんがクラリネット奏者がバスクラを掛け持ちして吹く事もあるようです。
(日曜PM21:00から二時間枠でEテレで放映されているN響の定期公演の映像を見ると、クラリネット奏者がバスクラを
掛け持ちしたり、またまたクラリネット奏者がエスクラというかE♭クラリネットを掛け持ちしている様子も散見されます。
またオーボエ奏者がコールアングレに掛け持ちしている様子やはたまたファゴット奏者が曲の途中でコントラファゴットに
持ち替えしている様子を見ると「プロ奏者は大変・・」と改めて感じたりもします)

改めてですけど、バスクラとは、クラリネットより1オクターブ低い音が出るクラリネットの派生楽器の一つで、
普通のクラリネットの長さで言うと大体倍ぐらい大きさがあります。
指使いはクラリネットと同じですので、クラリネットと持ち替えをしても違和感はほとんどありません。
マウスピースがクラリネットよりもかなり大きめですので、クラリネットと比べてはるかに簡単に音が出ますし、大変吹きやすい
楽器であると思います。
特徴はなんといってもあの重厚な低音だと思いますし、
管弦楽でもそうした深みのある表現とか内省的な雰囲気を出したいときに作曲家がたまにですけど使う場合も
あったりします。
(その代表的使用例がチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」第一楽章だと思います)
吹奏楽作品でこのバスクラが使用されている代表的事例としては、
何といっても小山清茂の「吹奏楽のための木挽歌」~Ⅳ.フィナーレのラストのバスクラの鬱々としたソロで閉じられる
あの雰囲気が大変印象的ですし、
(木挽歌のバスクラのソロはバスクラ以外に音は入らない完全ソロですので、他の奏者は曲の終結までバスクラ奏者の
完全ソロを「どうか外さないで無事に閉じられますように・・」と願っているのかもしれないです)
クロード・スミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」にて中間部が盛大に盛り上がって終結部に入る所のつなぎとして
バスクラのソロが用いられているのは大変印象的です。
1997年の全国大会では、愛工大名電があまりにも盛大に感動的に中間部を吹きあげたため、ここで曲が終わったと
勘違いした多くの聴衆が拍手をしてしまい、バスクラのあのソロが拍手でかき消されてしまったという
エピソードはいまだに語り継がれています。
今でこそ「フェスティヴァル・ヴァリエーション」は精華女子等の名演によって超メジャー人気曲になっていますけど、当時は
どちらかというと「忘れられたオリジナル曲」という感じでしたので、普門館の聴衆もスミスのフェスティヴァル・ヴァリエーションを
ご存じない人は意外と多かったのかもしれないです。
ちなみにですけど、私自身がバスクラのソロを初めて耳にしたのは、1978年の吹奏楽コンクールの課題曲Aの
ジュビラーテにおいて、中間部が閉じられてトランペットのソロが開始される直前のバスクラの伸ばしによるソロでした。
翌年の1979年の吹奏楽コンクールの課題曲はCの「幼い日の思い出」でしたけど、この課題曲も冒頭の全体でのffの一音の
後にはバスクラの朗々とした音の伸ばしへと受け継がれていきますので、バスクラは意外と使い勝手があるのかも
しれないです。
そして吹奏楽コンクールにてバスクラの威力を初めて実感させられた演奏が1982年の仙台第一高校によるグローフェの
組曲「グランド・キャニオン」の「山道を行く」の楽章の終結部近くのバスクラの軽快で躍動感あふれる弾力的なソロを
聴いた時といえそうです。

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バスクラってクラリネットとの違いとして他にどういう事が挙げられるのでしょうか・・?

リードがクラリネットに比べて1.5倍程度大きいせいもありますけど、「リードミス」が少ないというのは奏者にとっては
ありがたいものがあります。
それでも吹奏楽コンクールでも時折事故はあったりしまして、1977年の駒澤大学の「春の祭典」~第二部の際に
終結部近くにてバスクラの完全ソロ時にバスクラがまさかのリードミスを起こしてしまい、普門館の会場内に
とてつもないバスクラの絶叫音が響き渡りましたけど、その後奏者は何事もなかったかの如く、残りのソロを見事に
吹き上げていましたし、駒澤大学は無事に金賞も受賞しましたので、あのバスクラ奏者の精神力の強さには
最大限の称賛を改めておくらさせて頂きたいと思います。
バスクラはかなり重たい為、首にストラップを付け、ストラップと楽器を結ぶことが多いです。
(ストラップを使用するサックス・バスクラ・ファゴット奏者は首こりと肩こりが多いと言われるのは、多分このストラップの
おかげだと思います)
また管体に取り付けられたエンドピンで楽器を支える事もあります。
バスクラは音量的にはどちらかと言うと弱いと思うのですけど、そのせいか同じ木管低音セクションの中でも
バリサク(バリサンサックス)に音がかき消されてしまうというのは吹奏楽あるある話の一つなのかもしれないです。

私自身、バスクラは何度か吹いたことがあります。
私の高校の場合、毎年秋になると「アンサンブルコンテスト」(略称、アンコン)に出場するパートもあったりして、
毎年クラリネットパートはこのアンコンに欠かさず出ていました。
私自身はクラリネットとバスクラを掛け持ちし、
低音が必要な場合、さっとクラリネットからバスクラに持ち替えし、低音パートとして支える事がありましたけど、
前述のようにバスクラはリードミスがあまりない安定した楽器なので掛け持ちはし易かったと言いたいところですが、
逆にバスクラからクラリネットに戻る際の違和感が相当残り、こちらの方が苦戦した記憶があります。
またなんどかエスクラ(スモールクラリネット)もクラリネットと持ち替えしたこともありますけど、
クラリネット→エスクラへの持ち替えは難しさ・唇の抵抗感を感じたものの、エスクラ→クラリネットへ再度持ち替えする際は
そうした難しさはほとんど感じなかったものです。
一時期クラリネットからアルトサックスにコンバートされた際に、アルトサックスは大変吹きやすかった事と合わせて考慮すると、
マウスピースが大きい楽器からマウスピースが小さい楽器への持ち替えは難しく扱いが厄介で慎重さが求められるのに対して、
逆にマウスピースが小さい楽器からマウスピースが大きい楽器への持ち替えはそれほど難しくもなく抵抗感もないと
私的には感じたものです。
金管楽器の中でマウスピースが小さいホルンとトランペットは音が出にくく、マウスピースが大きいトロンボーンやチューバは
比較的音が出しやすいという事にも通ずるものがもしかしたらあるのかもしれないです。

管弦楽の世界でバスクラが使用されるようになったのは18世紀末期の頃で、楽器としてはむしろ新参者なのかもしれないです。

ソロとしてのこの楽器に光を当てたのは19世紀以降の作品であるのも楽器の成立時期と関係しているのだと思われます。

このバスクラが効果的に使用されている管弦楽曲を挙げてみると・・・

〇チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形」~こんぺい糖の踊り

〇  同       /交響曲第6番「悲愴」第一楽章

〇ワーグナー / 楽劇「神々の黄昏」~夜明けとジークフリートのラインへの旅

〇ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」第二部

〇グローフェ/組曲「グランドキャニオン」~山道を行く

〇ウィリアム=シューマン/交響曲第3番第二楽章第二部

〇ショスタコーヴイッチ/交響曲第7番「レニングラード」第二楽章

〇ラヴェル / スペイン狂詩曲~Ⅱ.マラゲーニャ

ショスタコーヴィッチの7番のバスクラのソロの扱いは見事だと思います。
あの呟くような陰鬱なソロがあるから次のオーボエの悲痛なつんざくような高音のソロが生きてきますし、
次の全体でのffの音響が対比として効果的だと思います。


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ららマジにおけるクラリネット奏者は綾瀬凛という後輩からは怖がられているきょっと気難しくて、自分にも他人にも厳しい
雰囲気があるJKさんです。
キリッ・・!としていて後輩に対して厳しく接する雰囲気の綾瀬凜お姉さまの上記のようなちょっと怒ったような表情も
とてもかわいらしいものがありますけど、
同じパートに自分に厳しすぎる子がいたりするとちょっとつらいものがありそうですけど、ららマジの綾瀬凜みたいな
JKさんだったら、私は喜んで同じパート内で頑張らさせて頂きたいものです~♪

優雅で真面目で完全主義者の綾瀬凛も、その優雅な姿とは異なり、 陰ではクラリネット特有のリード調整の難しさとか
リードミスによる絶叫音に意外と苦労しているのかも しれないです。

ららマジ器楽部の合奏の中で指揮者が「木管の重低音が欲しい・・」と感じた場合は、綾瀬凛もクラリネットからバスクラに
持ち替えされるのかもしれないですし、性格的には多少不器用そうでも楽器の持ち替えは器用そうに造作なく
こなされるのかもしれないです~♪
アース・ウィンド・アンド・ファイアーというと日本人にとっては最もお馴染みの楽曲と言うと「宇宙のファンタジー」と
言えそうです。
意外なことにこの曲は、全米チャートの最高位は32位どまりであり必ずしも爆発的流行と言う訳では全くなかったようでして、
こういう所にも日本人とアメリカ人の音楽の趣味嗜好の微妙な違いも感じたりもします。
曲としては気持ちよくて心地よく響くファルセット・ボイスが無限に広がる宇宙の壮大さを感じさせていると思いますし、
メロディーとハーモニーのコンビネーションの素晴らしさも光っていると思います。
当時、日本のディスコでも大ヒットしましたが、単なるダンス・ナンバーの楽曲の枠にとらわれずに、日本人にとっても
どことなくすんなりと頭に入ってくるあのメロディーラインとビートの融合は今更ながら
「音楽とは素晴らしいものだ~♪」と感じてしまいそうです。
「宇宙のファンタジー」は昭和の頃のジャニーズの往年の男性アイドルのフォーリーブスがカヴァーした事もあるそうですけど、
私自身はフォーリーブスがこの曲を歌っていた事があるなんて実はつい最近まで全然知りませんでした。
平成以降ですと、The DEYが2008年にカヴァーしてヒットさせた「ギヴ・ユー・ザ・ワールド~宇宙のファンタジー2008」によって
この楽曲は再び注目を集めていたと思います。

「宇宙のファンタジー」は、1979年の「ニューサウンズインブラス」(7集)にも収録されていて、1980年代前半の
吹奏楽部の演奏会や文化祭等での演目では大人気の曲の一つでして、
特に冒頭のシンセサイザーのソロは、まさに未来サウンドとファンタジーだったと思います。
曲の中間部でもラストでもシンセサイザーは効果的に使用されていて、メロディーラインがとても
かっこいいですし、オーボエのうっとりとさせられるソロもすてきでしたし、吹いていてとても楽しい曲でもありました~♪
当時の吹奏楽アレンジ版の「宇宙のファンタジー」の冒頭のシンセサイザーやその頃ブレイクしていたYMOの音楽は
当時は未来感覚の音楽であり、当時の私の感覚は「ラブライブ! サンシャイン!!」におけるずら丸ちゃんの
ウォッシュレットやタブレット等を見ての「未来ずら・・」という反応に極めて近いものがありそうです。

ちなみにですけど、私の高校の母校は、いち早くこのシンセサイザーを定期演奏会で使用し、
喜多郎の不滅の名曲の「シルクロード」を県内で初演し、打楽器奏者のトムトムやドラの派手な叩かせ方と合せて
聴衆の度肝を抜かせていました!
私の代の頃はシンセサイザーを今度は上記で触れさせて頂きました「宇宙のファンタジー」を
1982年の私の母校の定期演奏会のポップスステージにおいてオープニングに演奏し、
会場をファンタジー感と陶酔感に溢れさせていたと思います。
ちなみにですけど、1983年の高校生最後の定期演奏会のポップスステージにおいて映画音楽「E.T」~メインテーマの
演奏をした時にもシンセサイザーを使用しましたけど、この頃になると他校も普通にシンセサイザーを定期演奏会等でも
使用していましたので、既に物珍しさは無くなっていたと思います。

今年に入って昨年の今頃とは異なりスクールバンドの中学・高校においても新しい生活様式を遵守する形で
このコロナ禍においても日常の練習やコンサートの開催も徐々に元に戻りつつありとても安堵していますけど、
先日、とある中学校の前を通り過ぎた時に音楽室から聴こえてきていたのは吹奏楽部によるこの「宇宙のファンタジー」の
演奏でした~♪
たまにですけど中学高校の前を通り過ぎると吹奏楽部の練習や全体合奏の際の曲が聴こえてくるのですけど、
その際に(めったにないですけど)宇宙のファンタジーやサタデーナイトフィーバー、バーンズのアルヴァマー序曲や
スゥエアリンジェンのチェスフォード・ポートレイトといったはるか昔に自分自身が吹いた曲が流れてくると
とてつもなく「懐かしいね~♪」と嬉しくなったりもしますし、「この吹奏楽部の指揮者の先生は自分と同年代の御方かな・・?」と
感じたりもします。
余談ですけどYouTubeにて最近の中学生の皆様による1974年の吹奏楽コンクール課題曲Bの「高度な技術への指標」の
演奏を発見した際はなんだかとてつもなく嬉しくなったものです。


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ここから先はdream fantasy2
アミグリさんが描かれた謎の不思議生物の絵の転載&ご紹介コーナーです。
上記にて「宇宙のファンタジー」を取り上げましたので、今回は関連する形で
アミグリさんが2014年7月に描かれた「☆宇宙遊泳☆ 」とタイトルがつけられた不思議生物をお披露目させて頂きたいと
思います。

最初に見た際の第一印象としては「雪の結晶・・?」とも感じたのですけど、
このまんまるの不思議生物ちゃんたちは「宇宙空間の未知の生き物」でもあったのかも・・?という事なのですね~♪

宇宙空間から青い地球を見下ろしたこのまんまるの不思議生物ちゃんたちは何を感じているのかな・・?

「宇宙全体から見れば地球なんてちっこい惑星に過ぎないのに、こんな狭い空間でも一つにまとまることができないで
争いや諍いばかり起こしている地球の人間たちって本当に愚かだよね・・」と
もしかしたら感じているのかもしれないですし、これもすてきな一つの「宇宙のファンタジー」なのだと思います!


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アミグリさんの描かれた謎のまんまるの不思議生物をもう一枚ご紹介させて頂きたいと思います。

上記の「不思議生物」の絵は「❀お花見②♪❀」とタイトルが付けられていて2015年4月に描かれた作品です。
すぐ上の「宇宙遊泳」同様、この不思議な感覚が別の意味でファンタジーを私たちに伝えていると思います。
謎めいた空間でもあり、同時に謎めいた癒しを感じさせる不思議な絵だと思います。

アミグリさんのこうした肩の力をふっ・・と抜いたようなこの脱力感がとても魅力的ですね~♪

この「❀お花見②♪❀」はまさに「可愛いお団子ちゃん!」という雰囲気ですし、不思議な脱力感になんか癒されるし、
このゆるさがたまらないです~♪
まんまるの黄色い物体は、黄色いだけによりナチュラルにお団子っぽい雰囲気を伝えてくれていると思います。

こんなにお団子っぽいと白玉楼のゆゆ様にぜ~んぶ食べられてしまいそうです。

背景の桜もとても美しいと思います。

上記のアミグリさんが描かれた謎生物の絵の権利は上記作品の絵師様であるアミグリさんに
帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、いつもすてきな絵の転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいくて癒される不思議生物を描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2  を ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy2  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私も
とってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

宇宙のファンタジーの壮大なファンタジーも素晴らしいですし、アミグリさんの描かれた宇宙遊泳のような
少し不思議な癒されるかわいいファンタジーもどちらも本当に素晴らしいですね~♪
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ホルンパートは吹奏楽コンクールの高校A編成ですと、最低でも5人、出来るならば7人程度は欲しいなぁ・・と感じるパートです。

ホルンの素晴らしい点は、強奏になった時のあのとてつもない大迫力の音量と壮大なスケールの大きさと
雄叫びの爽快感だと思います。
反面この楽器は想像を絶する技術的な難しさがあり、音を大きく外しやすいし、音を外した場合とてつもなく目立ってしまう
という事が挙げられると思います。
吹奏楽部の全体練習でいっちば~ん!指揮者から怒られるのは金管ではトランペット、木管では圧倒的にクラリネットで
その次に指揮者から目の敵にされるのはやはりホルンだと思います。
ホルンがミスった時は目立つからやはり指揮者の目に留まりやすいのかもしれないですね。
そしてホルンと言うとマーチにおいては、ンパンパンパ・・となぜか後打ちばかりで、気の毒なくらい単調な役割に
なってしまうのは不思議なものがあったりもします。

ホルンという金管楽器は歴史的にはかなり早い段階から登場していて、モーツアルトの頃には既にホルン協奏曲が
作曲されていましたし、トランペット・トロンボーンと共にオーケストラの中では早い段階から定着が果たされていた楽器です。
ホルンはカタツムリのような形状に巻かれた円錐状の管と、3つから5つのロータリー式のバルブを持つのが基本構造で、
他の金管楽器よりも多くの倍音を出すことができる特徴もあり、
金管楽器であるものの、その音色のやわらかさから金管楽器のみならず木管楽器ともよく調和する楽器としても
馴染みがあり、木管五重奏曲なのにホルンが入っている室内楽曲もあったりします。
プロの管弦楽団の演奏会や吹奏楽コンクール等でのホルン奏者の手の動きを見ると一目瞭然なのですが、
手をベルの内部に突っ込むという独特の演奏法を用いることで、ベル内に反響する共鳴の度合いを微調整することが可能
でもあったりします。そしてベル内の手の動きの微調整で豊かな音の変化を生むことができたりもします。

但し、上記でも述べた通りホルンと言う楽器の難しさは生半可なものではないと思います。

例えば吹奏楽部における新入部員の楽器振り分けの際に、例えばトロンボーンやユーフォニアムやサックスに
配属された初心者の皆様は多分ですけど初日でも音ぐらいはある程度容易に出せると思うのですけど、音自体が中々
出せなくて最初から大苦戦を強いられる楽器の代表格は、金管だとホルン、そして木管だとクラリネットと実感したりもします。

2007年のギネスブックで世界で一番難しい金管楽器であるとして認定されたほど、ホルンは金管楽器の中では
大変デリケートで扱いが大変難しく、特に高音域で音を外すというのかプルンとひっくりかえる事が大変多くて、
吹奏楽の中でも、クラリネット・トランペットと共に指揮者から怒られてばかりで目の敵にされやすい傾向があったりもします。
勇壮な曲調から甘美でロマンティックなメロディーもこなせ、その表現力の幅広さはかなり広いのですけど、
とにかく音が決まりにくい楽器と言えます。
プロの管弦楽団でも、指揮者はホルンのソロに差し掛かると、そのきっかけの瞬間だけチラリと目配りして後は目を
そらす傾向にあるそうです。指揮者が睨んだり視線があったりすると、余計に音を外すことが多々あるそうです。

ホルンは強奏の際に決めるべき時はちゃんと決まる楽器でもあるから、あれはとてもうらやましいと思いますし、
あの雄叫びの凄まじさは他パートから見ても惚れ惚れとするものが間違いなくあると思います!
特にホルンがベルアップ気味に構えでまるで法螺貝を鳴らすかの如く奏でるあの雄叫びの爽快さと迫力は、
ホルン奏者にとっては快感そのものといえますし、あの雄叫びを外すことなく全員が決めることができればホルン奏者冥利に
尽きるのかもしれないです。
(そういう芸当ができないクラリネットパートはやっぱり吹奏楽部では不遇パートなのかもしれないです・・)

ホルンの雄叫びというと吹奏楽オリジナル作品や吹奏楽コンクール用にアレンジされた管弦楽曲作品に具体的に
どのような曲が挙げられるのかというと、思い浮かぶ範囲でざっと挙げてみますと・・

A,ハチャトゥーリアン バレエ音楽「ガイーヌ」~収穫祭

O,レスピーギ バレエ音楽「シバの女王ベルキス」~狂宴の踊り

   同      交響詩「ローマの噴水」~第二曲

矢代秋雄 交響曲~第四楽章

三善晃 管弦楽のための協奏曲

G,ホルスト 組曲「惑星」~Ⅰ,火星

伊藤康英 交響詩「ぐるりよざ」~Ⅲ.祭り

A,リード アルメニアンダンスパートⅡ~Ⅲ.ロリからの歌

C,ドビュッシー 管弦楽のための映像、第二曲~Ⅰ,街の道と田舎の道

櫛田胅之扶 吹奏楽のための序曲「飛鳥」

O,リード 交響曲「メキシコの祭り」~Ⅰ,前奏曲とアスティックダンス

藤掛廣幸  吹奏楽のための協奏的序曲(1976年度全日本吹奏楽コンクール課題曲B)

田嶋勉 WISH for wind orchestra(1989年度全日本吹奏楽コンクール課題曲B)

ホールジンガー 春になって王たちが戦いに出向くに及んで・・

ワーグナー / カイリエ編曲 歌劇「ローエングリン」~エルザの大聖堂への厳かな行列

こうやって例に挙げただけでも該当する場面のホルンの雄叫びの猛々しさとかっこうよさと絶大な演奏効果は目を見張るものが
あると思います。
吹奏楽コンクールの中では、私自身が実際に生演奏を聴いた中では、創価学会関西のガイーヌの収穫祭と
ベルキスの終結部のホルンの雄叫びはあまりの絶大な演奏効果とかっこうよさに惚れ惚れとさせられるものは間違いなく
あったと思いますし、あの時は「ホルンってこんなにも音量が出せる楽器なんだ!」と感動したものでした。
それと1980年の玉川学園高等部のアルメニアンダンスパートⅡのラスト近くのホルンのとてつもない迫力満点の雄叫びと
それに続くトロンボーンパートの強奏なのに音が全く割れないはもりの美しさも素晴らしかったです!

そしてホルンの雄叫びというと忘れてはいけないのは矢代秋雄の交響曲~第四楽章だと思います。

第四楽章は全曲の白眉だと思いますし、前半の静けさ、後半のアレグロ、その静と動の対比が実に鮮やかだと思います。
第四楽章の前半のホルンの雄叫びとアレグロに入る前のコンサートチャイムの寂寥感溢れるチャイムの清涼な響きが
特に大好きな箇所です。

矢代秋雄の交響曲は、私が所有してるCDは、
①渡部暁雄指揮の日本フィル
②佐藤功太郎指揮の都響
③湯浅卓雄指揮のナクソス盤

という3枚ですけど、いずれの盤もそれぞれいい所があってどれも素晴らしいのですけど
やはり渡辺暁雄の日本フィルの演奏が圧倒的に素晴らしいと思います。
しかもこの録音、ライヴ演奏なんですよね!ライヴであそこまで精密な作りが出来てしまうとは信じられないほど驚異的ですし
凄まじいほど完成度と集中度が高い名演だと思います。

ちなみに、広上淳一指揮の日本フィルで、この交響曲を聴いたことがありますけど、緊張感溢れる素晴らしい演奏でした。

矢代秋雄の交響曲~第四楽章なのですけど、吹奏楽コンクールにおいては
とにかくやたらと前半部分のホルンの雄叫びが強調される傾向にあると思うのですが、上記で挙げたプロの管弦楽団のCDでも
実際の生の演奏会でも吹奏楽コンクールのアレンジ版で演奏されるような過度なホルンの雄叫びは実は実例は
ないようにも感じられます。
あれって、私も何度かプロの管弦楽団による原曲の演奏を聴いたことがありますけど
あのホルンの部分はそんなに吹奏楽コンクールほど叫ばないみたいな印象があります。
この交響曲を吹奏楽コンクールで全国大会で初演したのは1979年の秋田南高校なのですけど、
秋田南にしたって前半のあのホルンは、そけほどシャウトしていないと思います。
1982年の仁賀保高校も勿論秋田南よりははるかに強調してはいるのですけど、
感覚としては「秋田南の解釈に近い」と言えると思います。
矢代秋雄の交響曲~第四楽章の前半部分の原曲におけるホルンに近いのは、意外かもしれませんが
1981年の田柄中学校なのではないのかなとも思ったりもします。
(ちなみに田柄中の演奏のアレンジャーは東海大学の上原先生です
1980年の上原先生指揮による東海大学の演奏も、あのホルンの個所に関してはむしろ原曲の響きにかなり近いです)

あのホルンを吹奏楽コンクールで初めてあんなにも強調したというのか「雄叫び」に近い感覚でシャウトしたのが
1983年の習志野高校だと思います。
最初にあの演奏を聴いた時はまさに「目から点・・・」だったと思います。
まさに「地響き」みたいな感じで、うぉぉぉーーーーーーんと叫ぶかのような雰囲気だったと思います。
多分ですけど83年の習志野のあのホルンの雄叫びは、その後のあの交響曲の演奏にあたっては
他校に与えた影響は大きいと思いますし、
83年以降、ああしたホルンの雄叫びを強調した演奏が増えてきたかのようにも感じられます。

一つの演奏事例がその後の他チームの演奏や解釈に大きな影響を与えたという点では典型的な演奏といえそうですね~♪
5月というと、手紙等の序文においては例えば「燃えるような新緑」とか「風薫る五月」というものが一つの定番なのかも
しれないですけど、吹奏楽コンクールの課題曲マーチの中にもそうした「風薫る」とか「爽やかな5月」というフレーズが
よくお似合いそうな曲もいくつかありましたし、その代表的楽曲がマーチ「エイプリル・メイ」やスプリングマーチと
いえそうですし、真島俊夫作曲の1997年度課題曲Ⅲの「五月の風」も風薫る五月に実に相応しいマーチと
いえそうです。

「五月の風」はタイトル通り、爽やかな5月の風や風景を思わせる6/8拍子のコンサートマーチです。

日本人は全般的な傾向として6/8拍子が苦手とも言われますが、局の冒頭がこの6/8拍子で開始されるこのマーチを
うまく演奏できるかどうかの大きなポイントは、この6/8拍子の冒頭において個々と全体がうまくこの変拍子のリズムに乗れ、
全体の流れを掴めるかどうかとも言えそうです。
実際この課題曲は、全国大会・都大会・埼玉県大会・西関東大会でもかなり多くの演奏を生演奏で聴く事ができましたけど、
変拍子のリズムにうまく乗れずに最後まで流れが悪かった演奏は結構耳にしたものです。
それだけこの課題曲は決して簡単ではないし、リズムと流れに乗る事が大きなポイントである事を示した課題曲であるとも
言えそうです。
クラリネットとアルトサックスが奏でるトリオの躍動感もとても楽しいですし、
フルートとピッコロが奏でる装飾的な旋律が小鳥の囀りを想起させてとてもすてきなのですけど、
この部分はラストでも再現され、この時はフルート・ピッコロの他に木管高音楽器も加わり高らかに曲を終了させます。
全体的にはとても洗練されているし気品があるし、行進するマーチとしてもコンサートマーチとしても両方に適している
素晴らしい課題曲だと思います。
5月というと一年で一番気分がウキウキするというか、厳しい冬が終わって何かとバタバタする4月が終わって、
「さあー、これから何か楽しい事が待っているぞー♪」といった期待感や楽しい予感に溢れた季節というイメージがありますが、、
そうした季節感を音楽で表現した爽やかなマーチだと思います。

当ブログの過去記事の中で何度か中沢けいの小説「楽隊のうさぎ」に関する記事を掲載させて頂いた事がありましたけど、
この小説の中で主人公たちが中学2年の時の吹奏楽コンクールで演奏した課題曲は行進曲「ラ・マルシェ」が出てきますが
あれは実は1997年の課題曲Ⅳなのです。
その年の課題曲Ⅲが、「五月の風」なのですけど、実はこの「五月の風」は歴代吹奏楽コンクール課題曲の中でも
大人気の曲であり、一つの課題曲にだけとてつもなく人気が集中した典型的な事例の年の課題曲でもありました。
実際1997年に全国大会に出場した全96チームの内、実に半分以上の52チームが課題曲Ⅲ/五月の風を選曲しています。
また大学の部では、出場12チームのうち、何と11チームがこの課題曲Ⅲを選んでいます。
(全体的にはⅡとⅢに人気が集まり過ぎて、ⅠとⅣの演奏頻度が極端に低いという人気の明暗がはっきり分かれた
年にもなってしまいました)

上記で「五月の風」は冒頭の6/8拍子の難しさとフルートとピッコロが奏でる装飾的な旋律が小鳥の囀りを想起させて
とても印象的と記しましたけど、冒頭のリズムがほぼドンピシャで決まり
フルートとピッコロをかなり強調した演奏が高校の部の常総学院だったと思います。
常総学院は93年と95年のマーチが課題曲の年に二度にわたって支部大会でダメ金で全国に進めず
一部で「常総学院はマーチが苦手な学校なのかも・・」という憶測を生じさせたものでしたけど、五月の風のあの快演は、
そうした根拠のない憶測を吹っ飛ばすのには十分すぎるものがあったと思います。

常総学院以外で印象に残っている五月の風というと洛南高校の演奏も大変素晴らしいものがありました。
全体的には男子校特有の骨太の演奏なのですけど、木管セクションが実にたくましく歌い上げているのが印象的ですし、
クラリネットセクションが大健闘をしています。
序盤で大太鼓がズドンと一発唐突に叩き込んでいるのはかなりインパクトがありました。

先ほどの「楽隊のうさぎ」なのですが、小説の上では主人公の学校は課題曲Ⅳを選んでいるのですけど
実際は1997年の中学の部はやはり課題曲Ⅲが大人気で、課題曲Ⅰを演奏したチームは実は一つもありませんし、
課題曲Ⅳはわずか一団体のみでした。


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ここから先はdream fantasy2
アミグリさんが描かれたかわいい絵の転載&ご紹介コーナーです。

本記事において「五月は風薫る五月とか五月雨や集めて早し」といったフレーズではないですけど、五月は爽やかで
希望に溢れる季節の始まりでもありますし、
そうした爽やかなマーチの一つが「五月の風」とも記しましたけど、五月というワードや爽やかさ・可憐さという言葉が
艦これの世界でよくお似合いそうなのが白露型の6番艦の五月雨ちゃんなのかもしれないです。

そうした訳で、本日転載&ご紹介させて頂く作品は、アミグリさんが2016年7月に描かれた
白露型6番艦の五月雨ちゃんをお披露目させて頂きたいと思います。

五月雨ちゃんは新規ゲーム開始時に秘書艦として最初に選べる艦娘の一人でもあります。
艦これの世界を開始し艦これの世界にはまっていった提督たちの中にはかなりの皆様が
「いやいや、最初からこんな自分に手を貸してくれて五月雨ちゃんを忘れる事なんかできない・・!」という事で
五月雨ちゃんファンの提督たちはかなりの数にのぼっているという話は今現在でもよく耳にしますし、
ひと癖もふた癖もある個性派揃いの艦娘たちの中にあって、
明るく優しく健気で前向きでいつも一生懸命、時々ドジっ子で泣き虫などと王道ヒロイン属性てんこ盛りの五月雨ちゃんの人気が
いまだに高いというのもそれは当たり前の話なのかもしれないですね~♪

春雨ちゃんも幼い雰囲気がとっても可愛かったのですけど、五月雨ちゃんも春雨ちゃんの妹艦という事で、
春雨ちゃん同様、否! それ以上に幼くあどけなく健気で可愛いという印象が大変強い艦娘であったりもします。

アミグリさんが描かれる五月雨ちゃんはそうした公式のイメージをそのままストレートにかわいらしさを
直球勝負で描かれていると思います。
このイラストで五月雨ちゃんが手にしている飲み物は、アミグリさんのお話としてはオレンジジュースとの事です。

アミグリさんが描かれた五月雨ちゃんは、春雨ちゃん同様にとってもとってもかわいらしく、
「妹にしちゃいたい!」というみんなの共通の思いをそのまま絵としてすてきに表現されているのが
素晴らしいと思います。
ドジっ子という設定のせいなのかもしれないですけど、「守ってあげたい!」みたいな雰囲気はとても爽やかに伝わって
きていると思います。
この清涼感・透明感・瑞々しさ・初々しさは、同じ白露型で特に大人気艦娘の時雨・夕立には備わっていないのかも
しれないですし、そうした清涼感をオレンジジュース共々とっても新鮮に描かれていると思います。

おでこがとってもかわいいですね~!
五月雨のそんなおでこにちょっとイタズラしてみたくなって、五月雨ちゃんを「デコピンしてみた~い!」と思っているのは
私だけではないと思います・・
こういうかわいい女の子を見てしまうと、ついつい余計なちょっかいを出したくなってしまうのは男の子の本性
なのかもしれないですね~♪

上記のアミグリさんが描かれた五月雨ちゃんの権利は、
全て上記作品の絵師様であられるアミグリさんに帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全て
アミグリさんからご了解を頂いたものであり、アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい五月雨ちゃんを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

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5月も既に半分以上過ぎていますけど、残りの5月も「五月の風」と同様に爽やかに可憐に駆け抜けていきたいものですね~♪
大栗裕の「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による」は「大阪俗謡による幻想曲」・「仮面幻想」と並んで大栗裕の
代表的作品として既に定着していると思いますし、特に吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語によるについては、
1975年の富田中学校による全国大会初演以降、2019年のコンクールに至るまで既に全国大会では39回も自由曲として
演奏されていて、邦人オリジナル作品としては早い時期から吹奏楽コンクール自由曲としては定番曲の一つとして
認知されていたのだと思います。
大阪俗謡による幻想曲も全国大会では既に25回演奏されていますけど、そのうちの10回は淀川工業(淀川工科)による
演奏であり、神話のように多くのチームによる演奏という訳ではないことに違いがありそうです。
というか、一つのチームが同一指揮者で同じ自由曲で10回も全国で演奏しているというその是非について誰も何も
言わないというのは、その指揮者が全日本吹奏楽連盟のトップも務めているということで、忖度が働いているのかも
しれないですけど、私個人としてはその指揮者がここ15年ほどは自由曲はダフニスとクロエ第二組曲と大阪俗謡による幻想曲
しか演奏していない事実に関しては結構疑問を感じていたりもします。

大栗裕の「神話」は二つの版の神話が存在しています。

一つは1973年作曲の吹奏楽版であり、もう一つは1977年に吹奏楽版を管弦楽曲化した管弦楽版であり、
前者のタイトルは「吹奏楽のための神話」であり、後者のタイトルは「管弦楽のための神話」であり、
共に「天の岩屋戸の物語による」という副題を有しています。
管弦楽曲を吹奏楽にアレンジした事例はそれこそ山のように存在していますけど、純粋な吹奏楽オリジナル作品を後日
作曲者の手によって管弦楽曲化された事例は意外と少なく、代表的作品として伊藤康英の「ぐるりよざ」と
フーサの「プラハのための音楽1968」ぐらいがある程度です。
それだけ大栗裕の「神話」は魅力が尽きない曲の証といえそうです。
大栗裕というと「大阪俗謡による幻想曲」も大変名高い名曲ですけど、この曲にも実は吹奏楽版と管弦楽版があります。
俗謡の場合は管弦楽作品のほうが早くて、1955年に作曲・初演が行われていて、翌年に朝比奈隆大先生が
ベルリンフィルに招聘された際に演奏された曲の一つがこの大阪俗謡による幻想曲であったりもします。
ちなみにですけど大阪フィルの創立50周年を記念したレコードの中に朝比奈さんがチューリッヒでのライヴ演奏の俗謡も
あるらしいのですけど、このレコードを色々と神田界隈の古レコード店で探し回ったこともありましたけど、結局発見することは
できませんでした。
神話や俗謡を外国の方が聴いたとしたらどういう感想を抱かれるのかは興味津々です。
不思議な感覚とか打楽器の扱いがユニークとかおぞましいとか土俗的とか「コテコテの大阪喜劇やねん・・」などなど
色々な感想がでるのかもしれないですけど、
そうした地域に根差した土着的な作風が大栗裕が一部で「東洋のバルトーク」とか「難波のバルトーク」とも呼ばれる
所以なのかもしれないです。

私自身、大栗裕=吹奏楽というイメージも強いですし、バーレスクや小狂詩曲といった名課題曲の作曲者という印象も
ありますけど、実際は管弦楽の作品も多数残されています。
(大栗裕はプロのホルン奏者でもあり、N響・東京フィル・大阪フィルにも在籍されていました)
2000年初頭に、ナクソスレーベルより管弦楽の分野の大栗裕作品集が発売され、大栗裕を知る上では
貴重な音源となっています。
(いうまでもなく管弦楽版の俗謡や神話も収録されています)

話が冒頭からそれてしまいました・・大栗裕の作品で、吹奏楽のための神話~天の岩屋度の物語によるという
素晴らしい作品があるのですが、この曲は本当に古事記の世界をイマジネーション豊かに忠実に表現している
素晴らしい名曲ですし、後世にもずっと受け継がれていって欲しい名曲ですし、吹奏楽コンクールでもこの先もずっと
自由曲として演奏され続けて欲しい曲の一つでもあります。
ただこの曲は大変な難曲としても知られ、特に神々の熱狂的な踊りの場面のとてつもなく不規則な変拍子の炸裂は
奏者も指揮者もそのリズムの扱いは大変だと思いますし、少しでも油断して全体の流れに乗り損ねて奏者が脱落してしまうと、
再度その流れに乗る事は至難の業のように感じたりもします。
この神話のフルスコアは大学の吹奏楽団に所蔵されていたので見たことはありますけど、クラリネットの高音域のあの
不協和音と変拍子の連続は見た瞬間に「とてもじゃないけど自分のポンコツな腕では吹く事はできそうもない・・」と
感じたものでした。
実際私が高校を卒業した年の母校の後輩たちが定期演奏会で演奏した曲の一つが神話と同じ作曲家の大栗裕の
「大阪俗謡による幻想曲」でしたけど、最初から最後までリズムのノリが悪い上に全体の流れも滞り、ここに打楽器パートの
致命的なミスも重なり崩壊した演奏を本番でも聴く事になってしまいましたけど、神話も俗謡もとにかく変拍子のリズムの
取り方の難しさには定評があったようにも感じたものでした。

吹奏楽のための神話は古事記・日本書紀にも登場する古代神話のアマテラスの天の岩戸隠れ伝説を音楽として
かなり忠実に再現した作品ともいえ、アーノルドの序曲ピータールーのように黙って目を閉じて音楽を聴いていると
「この部分はあの場面を想定したモノ」というのが感覚として頭にすんなりとはいってくる作品とも言えます。

吹奏楽のための神話の元ネタのアマテラスの天の岩戸隠れ伝説の概要をざっくりと大雑把に書くと、
太陽を司る女神・アマテラスは、弟でもあるスサノオの乱暴狼藉に困り果て、ある日あまりの無礼な振る舞いについに
ブチ切れてしまい岩戸の中に隠れて戸を閉めて引き籠られてしまいました。
だけどアマテラスが姿を隠す事は同時に太陽が翳り全世界にはいつまで経っても朝が到来せず世界は暗黒の闇に
包まれてしまいます。
困った神々たちは一計を案じ、音楽芸能の神であり踊りの達人でもあられる女神・アマノウズメを招聘し、
岩戸の前で大宴会並びにアマノウズメによる華麗なるダンス大会を開催させ、この時に少しばかり調子に乗った?
アマノウズメは身につけていた衣装を一枚ずつ脱いでいき終いには全裸に近いような姿で熱狂的な踊りを披露され、
それを見ていた多くの神々は大興奮の上熱狂的に騒ぎ出します。
そうした熱狂的な声援を岩戸の中で聴いていたアマテラスは「何事だろう・・」と密かに耳を傾けはじめ、
やがてアマテラスが岩戸の戸に手を掛け隙間から外を覗き始めた瞬間を逃さず、ここぞとばかりに
怪力の神様・アメノタジカラオがアマテラスを掴みとり強引に力技でアマノテラスを外の世界に連れ戻す事に成功し、
ここに世界に朝日と光が戻り、闇に包まれた世界はようやく終わりを迎えたというものです。

そしてこの「吹奏楽のための神話」はそうした古代伝承の物語を見事に音楽として忠実に再現しています。

アマテラスが岩戸の中にこもっている所を再度地上に出てきてもらうために、
アマノウズメが踊り狂って乱痴気騒ぎを起こしている踊りのシーンのリズムの複雑さと高揚感は
目を見張るインスプレーションがありますし、あの踊りの場面の開始を付けるニワトリの甲高い鳴き声はミュートをつけた
トランペットによって巧みに表現されていますし、アマノウズメによるエキサイトで少しエロっぽいダンスシーンと
それを熱狂的に見惚れて宴会を行っている神々の狂乱状態のシーンは二人の奏者によるボンゴとコンガによる打楽器で
エキサイトに描写されていますし、岩戸からそうした熱狂的な声を耳にして
「何が起きているのだろう・・」と岩戸の隙間から顔を出した場面はクラリネットとフルートのソロで見事に再現されていますし、
岩戸の隙間から顔を出した事で光がサ――ッと立ち込めるシーンはクラリネットの不気味だけで幻想的なデュエットで
見事に表現されています。
そして圧巻なのはアマテラスが岩戸の隙間から顔をのぞかした瞬間に
怪力の神様・アメノタジカラオがアマテラスを掴みとり強引に力技でアマノテラスを外の世界に連れ戻す事に成功した場面は
ドラのすさまじいロールとゴワワーーン!!というシーンで再現され、ここから曲はとてつもない不協和音と興奮のるつぼと
化していき一気呵成に曲が閉じられていきます。
全体としては原曲は12分程度の曲ですけど、曲のタイトルに交響詩とか交響的物語としてもいいほど、音楽だけで
天の岩戸伝説のストーリーが容易に頭の中に再現されているそのわかりやすさと
わかりやすさのなかにもとてつもなく甲高い不協和音や複雑極まりない変拍子の炸裂など
音楽という領域すらも軽く超越してしまう大栗裕のその豊かな感性には脱帽せざるを得ないですし、1975年の
富田中による全国大会初演から今日に至るまで吹奏楽コンクール自由曲の定番中の定番の一曲になっているのも
当然なのだと思います。
全体的には、ドロドロした非常におぞましい雰囲気なのですが、日本人でないと分らない表現も多々あり
日本人のココロといった作品なのかもしれません。
原曲は吹奏楽版も管弦楽版も12分程度の曲ですけど、原曲を聴いてみると普段コンクールのカット版に耳が慣れている
せいもあり正直「少し冗長すぎてくどいかな・・」と感じなくもないのですし、
一般的にアレンジモノを吹奏楽コンクールverとしてカットしての演奏は正直あまりいい印象は無いのですけど、
神話に関してはコンクール用カットverのほうがむしろ物語をググッと凝縮して濃密さが増したような感じもありますので、
吹奏楽のための神話は私的には原曲版よりもコンクール用カットverのほうがしっくりくるという感じの曲であったりもしますし、
むしろ音楽的緊張も高いような印象もあります。

原曲のあのおどろおどろしさは、あの長さでないと十分表現されないかもしれないし、
どちらが良いかは正直困ってしまいますね・・・

吹奏楽のための神話~天の岩屋戸物語によるの全国大会初演は中学生であったというのも驚きですけど、
その1975年の富田中の演奏は新鮮で斬新で中学生の領域をはるか彼方超越した素晴らしい名演だと思いますし、
あの不協和音のはもりの美しさと変拍子のリズム感は素晴らしいです。
富田中はその後76年に名取吾郎の吹奏楽のための交響的詩曲「地底」を、そして77年には池上敏の「瞑と舞」という
3年連続しておどろおどろしい邦人作品を自由曲に選ぶという当時としてのあの大胆な選曲とその積極的な表現は
称賛に値すると思います。
(富田中は1978年にはミヤスコフスキーの吹奏楽作品でもある交響曲第19番第一楽章を、79年には渡辺浦人の
交響組曲「野人」を自由曲に選んでいたものの四国大会ダメ金で全国に進めなかったのは少し勿体無かったです・・
あ・・、でも1978年の四国代表は鈴木清先生指揮による菊間中の「展覧会の絵」という知る人ぞ知る隠れた名演も
ありますのでそれは何とも言えない話であったりもします)

吹奏楽のための神話~天の岩屋戸物語によるの全国大会の名演は富田中以外にもいろいろ出ていますけど、
私的には1985年の尼崎吹奏楽団、1988年の淀川工業、1989年の東海大学第四高校の演奏が群を抜いていると
思いますし、特に淀川工業と尼崎吹奏楽団の超絶的技術とソロの巧さと全体のストーリーの構成の巧さは
申し分ないです。
東海大学第四の演奏も特にクラリネットのソロが光っていると思います。
これ以外では1987年の市立川口の演奏も大変個性的で魅力的で、特に踊りの部分の後の静粛な場面での
ドラとサスペンダーシンバルによる静かな熱演の部分は一聴に値するものがあると思います。

21世紀以降はこの曲の全国大会での名演はあまり出ていないので、できれば今現在の奏者の新鮮な解釈での
斬新な名演が今後出てくることを大いに期待したいと思います。





ここから先はdream fantasy2
アミグリさんが描かれた美しい絵の転載&ご紹介コーナーです。

上記の吹奏楽のための神話~天の岩屋戸物語による は、いうならばアマテラスが岩戸に隠れてしまったため
いつまでたっても朝がやってこないで地上は暗い闇に覆われてしまったというバックボーンがありますけど、
東方の世界でもそれに近い異変が起きた事もあります。
それが幻想郷に朝がいつまでたってもやってこず長時間夜が明けないばかりか月の進行が止まった状態が続き、
その時の月の進行が満月という事もあり、満月の月光がずっと幻想郷を照らし続け、
満月の月の光は幻想郷内の妖怪の波長に悪い影響を及ぼす危険性があるということで、霊夢たちに緊張が走り
夜が明けないという異変を解決するために事態を重く見たゆかりんや霊夢たちが
「幻想の結界チーム(霊夢・紫)」「禁呪の詠唱チーム(魔理沙・アリス)」、
「夢幻の紅魔チーム(咲夜・レミリア)」、「冥界の住人チーム(妖夢・幽々子)の4チームを結成し、
それぞれが各々の方法で時を止め、夜明けまでには解決しようと意気込もうとしたのが「東方永夜抄」の異変でもありました。
最終的に永夜返しの大技によって夜明けがやってこない異変は収束するのですけど、
もしもこの時この異変の根幹的原因でもある永遠亭の月の民たちが永遠亭の中に立てこもってしまっていたとしたら、
霊夢やゆかりんたちは果たしてどんな解決策を考えたのかについては脳内妄想のし甲斐があるといえそうです。

この東方永夜抄の異変の黒幕は永琳・輝夜といった月の民たちが暮らす永遠亭のメンバーたちでもありますけど、
もしもこの永遠亭メンバーたちがあたかもアマテラスが岩戸にお隠れになっていたように永遠亭の中に
籠っていたとしたら果たして霊夢やゆかりん達はどのように対処したのでしょうか・・?
ゆかりんと永琳は犬猿の仲というのは既に定説ですし、ゆかりんとしても「この機会に一気に永遠亭メンバーたちを
叩きのめす千載一遇のチャンス」と考えたのかもしれないですけど、このまま放置し続け幻想郷の妖怪たちが
満月の月光を浴び続け狂気さがマシマシになっていくのも宜しくないと考え、もしかしたら・・?
上記の「吹奏楽のための神話」の世界観のように、永遠亭の中に立てこもった永琳と輝夜を引きずり出すために
幻想郷内の妖怪どもを集めて永遠亭前で飲めや食えや歌えや踊れの大宴会を開催し、永琳たちが興味をもって少しでも
永遠亭から顔をだした瞬間に外にひきずり出し異変を解決するという手段ももしかしたらありなのかもしれないです。
この場合、踊りや歌の伴奏として登場するキャラはプリズムリバー三姉妹・ミスティア・ローレライ、幽谷響子・堀川雷鼓・
九十九姉妹なのだと思います。
そして古事記や吹奏楽のための神話でお馴染みの音楽芸能の神であり踊りの達人でもあられる女神・アマノウズメに
東方において相当しそうなキャラというともちろん、神と人を繋ぐ神聖な巫女でもある霊夢もそうなのかもしれないですけど、
巫女の奉納の舞はどちらかというとスローで神聖という印象もありますので、
エロティックでエキサイトなダンスというとやっぱり東方屈指の美形エロメイドともいわれる咲夜さんの方が似つかわしいのかも
しれないです。
咲夜さんのあのメイド衣装に白エプロン・ミニスカで激しいダンスなんかされてしまうと、幻想郷の妖怪や人里の男たち
視線は咲夜さんに釘付けになりそうですし、永琳・輝夜・うどんげちゃんがあの妖艶な踊りを一目見ただけで
ついついふらふらっと外に出てきそうな気もしますね~♪

というか・・私もアマノウズメを彷彿とさせる咲夜さんのエロダンスはぜひぜひ見てみたいものです~♪

そんな訳でdream fantasy2
アミグリさんが描かれた咲夜さんです。
上記の咲夜さんはアミグリさんが2016年6月に描かれた作品です。

この咲夜さんは初夏の雰囲気をすてきにイメージされた作品だと思いますし、背景の水滴も夏らしさをすてきに
演出していると思います。

掲載当時のアミグリさんのコメントとしては
「今年の2月に描いた咲夜さん(注.ゲスト寄稿の咲夜さんの事です・・)と雰囲気を変えてみました。
最初いつもの目で描いてたんですが、少し釣り目にしたらしっくりきました。」との事なのですけど、
なるほど・・!
確かに少し釣り目にしただけで咲夜さんの印象もかなり異なって感じるものですね!
この咲夜さんは、ちょびっとだけやんちゃっぽく見えてとっても可愛いです。
ゲスト寄稿のあの素晴らしき咲夜さんは「魔法少女」らしい雰囲気でナイフ投げが凛々しく大変かっこうよく感じたものでしたが、
この咲夜さんは、普通の人間っぽい感じもありますし、
わがままお嬢様のレミリア様の言動に振り回されながらも健気に頑張っているという雰囲気も伝わっているような感じが
ありますし、そうした感じが「爽やかさ・健気さ・頑張っている感じ」を醸し出しているように感じられそうです。

咲夜さんがピースしているのもとってもかわいいです~♪

こうした咲夜さんを拝見させて頂くと「咲夜さんもその辺を歩いている外界の普通のJKさんとほとんど変わりがないのかも
しれないです。
咲夜さんの正体は案外普通の人間だったりして・・!?と感じさせる王道的・かわいらしさが
溢れていると思いますけど、同時に上記の私の脳内妄想のように神々の前でエロティックな濃厚なダンスを
このメイド衣装で踊られている御姿をぜひ見てみたいものです~♪

吹奏楽のための神話のアマノウズメの踊りも素晴らしいですけど、それ以上にメイド姿で華麗で激しいダンスをされている
咲夜さんも最高のものがあると思います!
今日4月29日は祝日「昭和の日」ですが、昭和前半は「天長節」(1927〜1947年)、その後は「天皇誕生日」(1948〜1988年)、
昭和天皇崩御後は自然の恩恵に感謝する「みどりの日」(1989〜2006年)になり、
さらに「昭和の日」(2007年〜)と変わり、結果的に4月29日は変遷を繰り返しました。

吹奏楽コンクール的には昭和というとまだ関東大会が現在のように西関東大会と東関東大会に分離されず、
例えば高校の部でしたら全国大会代表4チームを8県で争うというもので、今にして思うと大変熾烈を極めていたようにも
感じられます。
1990年代初頭の高校の部ですと、全国大会への代表4枠を巡って、埼玉栄・市立柏・習志野・常総学院・市立川口・野庭が
毎年毎年熾烈な代表権争いを展開していて、例えば1988年に埼玉栄が、91年に野庭と市立川口が関東大会でダメ金となり
全国大会に出場できなかった光景を目の当たりにすると
「(当時は)まだレヴェルが低かった中国ブロックや四国ブロックの代表枠を関東支部に廻してくれればいいのに・・」と本気で
やっかんでいたものです。
そして全国大会で低調な演奏を毎年性懲りもなく聴かせてくれていた四国代表2チームに関しては
「四国の枠を削って関東や関西支部の代表を増やせば全国大会のレヴェルはまだまだ上がるのだけどなー」と当時は
感じていたものです。

吹奏楽コンクールにおける関東の驚異的なレヴェルの高さや全国大会への出場枠の少なさが当時の吹連で問題になって
いたのかどうかはよく分かりませんけど、1995年以降の関東大会は
東関東支部(神奈川・千葉・茨城・栃木)と西関東支部(埼玉・群馬・山梨・新潟)に分離し、全国大会への代表枠は
それぞれ3つずつ与えられる事となり、結果的に旧関東支部の高校の部の全国への代表枠は4→6に増えることとなりました。
東関東支部の方は東西に分離されて一見代表枠が増えたように感じられても、元々千葉・茨木・神奈川のには強豪チームが
たくさんひしめいていて、例えば1995年の第一回の東関東大会の全国への代表3チームは、市立柏・野庭・習志野ということで
常総学院がまさかのダメ金という結果になってしまったことは当時は驚いたものでした。
一方西関東大会は、埼玉・群馬・新潟・山梨という振り分けを見た瞬間に
「これってどうみても埼玉県の選出チームが全国大会への切符を独占してしまうよね・・」と感じたものですし、
実際、第一回の1995年から2019年までは中学の部を除くと、高校・大学・一般の部の西関東大会は全国大会代表チームは
ほぼ全て埼玉代表のチームが独占してしまっていて、こうした現状を見てしまうと
「なんだか東関東で熾烈な代表権争いをしている茨城・千葉・神奈川のチームに悪いことしたかも・・」とついつい感じてしまい
そうです。
というか、実際私自身も何度か西関東大会の演奏は聴きに行ったものですけど、どう贔屓目に見てもどう客観的に判断しても
埼玉県代表チームとそれ以外の県の代表チームの「壁」はかなり大きいものがあると感じたものですし、
実際埼玉県の吹奏楽のレヴェルは昔も今も驚異的に高いと言えそうですし、
うちのブログでは「埼玉は何もないない、何もない県」と自虐的に述べていたりもしますけど、吹奏楽のレヴェルの高さと
アニメ聖地の多さだけは遜色ないと思いますし、「十万石まんじゅう」と並んで「埼玉の誇り・宝」と
言えるのかもしれないです。
関東大会の東西分離でよかった点は、西関東大会の高校の部の全国への代表は3枠ですので、分離前ですと
埼玉からの代表チームは埼玉栄・市立川口ばかりでしたけど、市立川口の没落という事情もありましたけど、
この2チーム以外で例えば県立与野・伊奈学園総合・春日部共栄・狭山ヶ丘・松伏・秋草学園など以前からかなりレヴェルの高い
演奏を聴かせてくれていたものの、代表枠の関係でなかなか全国に進めなかったチームが全国大会に進み、
全国で数々の名演を聴かせてくれたことにより、全国の聴衆の皆様に「埼玉の吹奏楽、ここにあり!」というものをお披露目する
事が出来たことはとてもよかったと思います。

1994年大会は、95年以降は関東が西と東に分離してしまうので、関東代表という名称が使用された最後の大会になります。

小学校から中学の社会とか地理の時間では、 関東というと、東京・埼玉・千葉・神奈川・茨城・栃木・群馬と教わったような
記憶があり、 そのせいか、1994年までの全日本吹奏楽コンクール関東大会の構成県は
(人口と学校数がけた違いに東京都は別とするのは当然でしょうね・・)
埼玉・千葉・神奈川・茨城・栃木・群馬・新潟・山梨の8県というのは何か少しヘンな感じもしたものでした。
当時も現在も何となくですけど
「どうして山梨と新潟が関東ブロックなの・・!?」と不思議に感じることもあります。

そう言えば東海大会に長野県が入っているのも何か少し不思議な気もします。
(東海大会に三重県が入っているのも少しばかり??と感じたりもします)

例えば北陸三県に、山梨・長野・新潟の甲信越を加えて 「北陸甲信越ブロック」を構成したほうが宜しいのかもしれないです・・

それはどうでもいい事なのですけど、 どうして「山梨は関東に非ず」という事にこだわるかと言うと、
実際に1990年~95年の6年近く、山梨県に在住し、山梨で仕事をしていた経験がある身としては、
山梨の後進性・閉鎖的人間関係・田舎っぽさに抵抗があったのも大きいと言えますし、
特にあのガラの悪い甲州弁を毎日のように聞かされていると
「ここは本当に東京都の隣接県なの・・?? 県境を越えただけでこんなにも言葉も慣習も気候風土も変わるものなの!?」と
感じたものですし、山梨に異動後に最初に驚いたことは山梨は東京都の隣接県だけどテレビに関しては
基本的にはフジテレビ・日本テレビ・TBSを視聴することができないという事でもありました・・
山梨県は東京都の隣接とは思えないほど 田舎というか、遅れているというか、閉ざされているというのか、
よそ者には住みにくい街という イメージは今でも強いですね・・・
ま勿論良い所は一杯あり、私自身、 山梨の気持ちの良い多くの人達には感謝している面は多々あるのですけど、
全体的な印象は、正直マイナス面の方が大きいですね・・・
21世紀の現在でも、山梨には「無尽」とか「頼母子講」みたいな前近代的な金融システムは存在 しているのかな・・?
(少なくても1990年代後半までは存在していました・・)
1990年に山梨に異動で来た時、 いまだに江戸時代の名残のこうした「無尽」システムが存在している事に
最初は面食らったものです・・・
今では金銭面の助け合い・融通仕合というよりは、飲み食い仲間という意味合いの方が大きいのですけど、
それにしても、あの無尽という組織は、当時ある地方銀行の営業担当で、他県からきたよそ者の私には
正直やっかいでしたし、当時は「吹奏楽コンクール的には山梨は関東支部に属するけど、心情的には山梨は関東に非ず」
という意識は相当強かったと思います。


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このブログでは結構山梨の事を比較的よくないように書いていて、あの甲州弁の言葉の響きのガラの悪さと
甲州人の粗野で粗っぽくてやはりガラが悪く身内だけで物事を決めてしまいよそ者は基本的に排除したり、公衆マナーが
全然なっていなかったり確かに山梨で暮らす事の難しさは多々感じることもありましたし、基本的には今でも
「観光で行くには申し分ないけど住むのにはかなり抵抗があるエリア」という想いは変りはありません。
ただそれでも山梨で暮らしている一人ひとりは確かに多少ガラは悪くても基本的には温かい人たちが多かったですし、
心を開いてくれるまでは相当時間がかかるけど、一度心を開いてくれたらとても温かく親身になって厚い慈愛の気持ちで
接してくれるというのは間違いないと思います。 

そうした山梨の皆様・・梨っ子の皆様を描いたすてきな漫画・アニメが「ゆるキャン△」です~♪

「ゆるキャン△」は山梨県内のJKさんたちがキャンプをしたり、日常生活を送ったりする様子を緩やかに描いている
おっとりとしたゆるい日常系作品です。
テレビアニメ第1期が2018年1~3月に放送され、2020年1~3月にショートアニメ「へやキャン△」が放映され、
福原遥さん主演の実写ドラマが放送されたことも話題になっていましたし、今年・・2021年の1~3月にはその二期も
放映されていました。

「ゆるキャン△」の私の一押しはいうまでもなくなでしこで、その次の推しは「うそやでー」のあおいちゃんです~♪

ゆるキャン△を見てしまうと、少しずつではありますけど私自身の山梨に対するイメージも変わりつつあるように
感じるのはご当地アニメのすてきなメリットといえそうですね~♪
私自身、中学校の吹奏楽部に入部し初めて吹奏楽コンクールに臨んだ年というのは1978年なのですけど、
1978年の課題曲は76年に続いて二回目のマーチと書下ろし作品が混在した4曲の中から選曲するというスタイルなのですが、
改めて振り返ってみると、私自身が吹奏楽部への門を叩いた頃って課題曲のスタイルすらもまだ確立されていない時代でも
あったのですね~
吹奏楽コンクールの課題曲の変遷の歴史を簡単に見ていくと、
1970年代後半から1992年までは書下ろしオリジナル作品とマーチの混合、
1993年から2000年代初期の頃は、奇数年がマーチの年で偶数年が幾分長めの書下ろしオリジナル作品の年と
マーチとオリジナル書下ろしの曲を分離させ、
そして最近は、中学の部限定とか小編成用とか色々と興味深い工夫もある中、
基本的には1970年代後半~90年代初めの頃ののような書下ろし作品とマーチの混合というパターンに
戻ったような感じなのだと思います。

本記事は岩井先生の素晴らしきポップス系課題曲「メイン・ストリートで」の記事なのですけど、
岩井直溥先生のポップス系課題曲と言うと、河辺公一の「高度な技術への指標」と東海林修の「ディスコ・キッド」と合わせて
ポップス系の吹奏楽コンクール課題曲を語る上で100%その存在を抜きにして語る事は出来ないほど
吹奏楽コンクール課題曲の上ではとてつもない貢献度とあまりにも素晴らしい名作課題曲の数々を残されたと
言えるのだと思います。
1976年のポップス描写曲「メイン・ストリートで」は、
1972年「シンコペーテッド・マーチ「明日に向かって」、1975年「ポップスオーバーチュア「未来への展開」に続く
岩井先生作曲によるポップス系課題曲なのですけど、ここから後に
1978年のポップス変奏曲「かぞえうた」、1989年「ポップス・マーチ「すてきな日々」と続いていく事を考えると、
「メインストリートで」は、岩井先生のポップス系課題曲の原点にして一つの大きな頂点と言えるのだと思います。
大変残念なことに吹奏楽連盟は、89年の「すてきな日々」を最後に
2013年に至るまでポップス系課題曲を復活する事が無かったのは私としては「大きな損失」と言えるのかもしれないです。
確かにオリジナル書下ろし作品もマーチも大切なのですけど、
吹奏楽をもっと心の底から楽しんで演奏するという観点からポップス系課題曲を取り上げていれば、
もう少し今現在のような技術一辺倒の吹奏楽コンクールから多少の変化はあったのかもしれないです。
2013年に一度ポップス系課題曲が復活したけど、それは1972年~78年のような長期的なウェーブに至っていないのは、
日本における「ポップス系がどちらかというと軽視されている」という潮流の表れなのかもしれないです。

冒頭からいきなり話がそれました・・

1976年の課題曲は下記の四曲です。

A / 即興曲

B / 吹奏楽のための協奏的序曲

C / カンティレーナ

D / ポップス描写曲「メイン・ストリートで」

こうやって振り返ってみると76年の課題曲は名曲揃いですね!
そして演奏技術的にはどの課題曲も決して易しくは無く、特にBの協奏的序曲の難しさは、最近のコンクール課題曲の
難しさに匹敵するようなものさえあると思います。
(特にラスト近くのホルンのあの勇壮な高音の雄叫びはかなりの難易度があると思います)
課題曲Aの「即興曲」の作曲者の後藤洋さんは作曲当時は秋田県の高校生という事で、当時はかなり話題になって
いたと思いますし、高校生がこんな渋くて表現するのが大変難しい曲を書けてしまう事自体
凄い事なのだと思います。
後藤洋さんの課題曲というと私自身が高校3年の時に実際に演奏した「カドリーユ」の方が私的には大変馴染みが
あるのですけど、即興曲の表現の難しさは正直今現在の視点でも「よくわからない・・」という感覚はあるように思えます。
後藤洋さんというと最近の若い世代の皆様ですと、激辛評論家というイメージもあるのかもしれないですけど、
私にとってはカドリーユという大変かわいらしくてエレガントで粋な曲の作曲家で、
例えば組曲「動物の謝肉祭」・歌劇「トゥーランドット」等のすてきなアレンジャーという印象の方が強いですね。
課題曲C/カンティレーナの作曲者の保科洋先生は、1976年当時既にカプリス・カタストロフィー・交響的断章等で
大御所作曲家というイメージすらあったのに、あれから40年以上近くの歳月が流れているのに、
いまだに現役で作曲・指揮・教職活動をされている事には本当に頭が下がる思いで一杯ですし、保科先生の盟友の
兼田敏がとうの昔にご逝去されている事を思うと、保科先生にはまだまだ現役で頑張って頂きたいです!
そして保科先生の最近のあの素晴らしき名作「復興」もこの先もずっとずっと演奏され続けて欲しい気持ちで一杯です!
カンティレーナは、当時の保科先生と言うと陰気で暗い雰囲気な曲が多いというイメージの中、
この課題曲はまるで「カドリーユ」みたいにかわいく粋でチャーミングな曲であり、
私自身このカンティレーナとカタストロフィーが同じ作曲家の曲とは今でも信じられないです・・
そしてカンティレーナは全国大会でかなりのチームが演奏していましたけど、そのほとんどがちょっと力んでしまって
本来は軽い雰囲気の曲なのにまるで大歌劇のグランドマーチでも聴いているかのような雰囲気の演奏が多かったのは
ちょっともったいなかったです。

さてさてそうした名曲揃いの1976年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲の中でも、
課題曲Dのポップス描写曲「メイン・ストリートで」はポップス系課題曲という歴史的意義においても、曲の楽しさ・親しみやすさ
という意味においてもこの課題曲が世に登場してから既に42年の歳月が経過していますけど、その普遍的価値は
色褪せる事も無く光り続けていると思います。

このポップス描写曲「メイン・ストリートで」は、とある街のメインストリートの一日の様子を表した曲であるそうでして、
夜明け〜朝〜昼〜夜という場面展開が4分程度の曲の中に潜んでいたりもします。
一般的にポップス系課題曲というのは、高度な技術への指標やすてきな日々に代表される通り、
冒頭からどっか~ん!とエネルギー炸裂という印象があるのですけど、この「メイン・ストリートで」の冒頭は
そうしたどっか~ん!という感じではなくて、むしろ落ち着いた雰囲気で爽快な気分のままゆったりと展開されている
印象があるのは、この曲に元々朝・昼・晩という場面展開があるからであり、冒頭が朝の街の風景をイメージ
しているからなのだと思います。
ちなみにこの曲の原曲の編成にはエレキベースやドラムセットが入っていたりもします。
最近の吹奏楽連盟の規定では、エレキベースは使用禁止となっていますので、ポップス系の曲にはドラムセットとベースは
不可欠と考えていた直井先生にとって、もしも先生がご存命だったとしたら吹連に文句と抗議を
されていたのかもしれないですね~!
「メイン・ストリート」は上記で書いた通り冒頭はゆっくりとした、落ち着いたテンポでメロディーが歌われ、
その次にドラムセットなどが加わったゆっくりとしたポップスになり、
そしてここからテンポが加速し速いポップスとして展開されていきます。
クラクションの音をトランペットで表現するなどメイン・ストリートの様子を音で表した表現もあったりします。
陽が落ちると静かになり人気がいなくなった大通りを色っぽく表してクライマックスを迎え、
最後はヴィヴラートを利かせながらしっとりと曲が閉じられていきます。

そうそうこの課題曲のタイトルの「メインストリート」とは、
岩井先生が作曲当時住んでいた中野駅近くにあるブロードウェイ商店街との事ですけど、
岩井先生のインタビュー記事を読んでみると、実際はブロードウェイ商店街というよりはその手前に位置している
中野駅北口の「サンモール商店街」をイメージしているらしいです。
ちなみにですけど、サンモール商店街は、昔は「中野美観商店街」(「北口美観商店街」とも)という名称だったそうです。

実はなのですけど、私自身1985~87年の3年間は中野周辺に住んでいて、当然ながらサンモール商店街や
中野ブロードウェイは当時は頻繁に通行・利用していたものです。
ブロードウェイは、今でこそ「おたくの聖地」とか「まんだらけ」でかなり有名になっていますが、
私が当時中野に住んでいた頃は、まんだらけは、明屋(はるや)という大きな書店とゲーム店に挟まれた小さな店舗という
印象でした。
当時は、ゲーム店や雑貨店とか古銭とかの店などがある階の一つの店に過ぎないという
印象しかありませんでしたが、まさかあそこまで大きく発展するとは夢にも思いませんでした。
まんだらけは現在はマザーズ上場企業ですからね!
本店が入っている中野ブロードウェイ内のまんだらけは、
ビル内の大半がまんだらけ関連のお店というのも凄いですし、あれはいつ見ても壮観ですね!
1987年当時には少なくてもブロードウェイ内には1店舗しかなかった頃のまんだらけを知っている私にとっては、
「時代も変化したね・・」と感じずにはいられないですし、
私以上に驚いているのは岩井先生なのかもしれないです!
jまんだらけは中野ブロードウェイを日本屈指のおたくビルへと変貌させるきっかけを作ったと言っても
過言ではないのかもしれないですね!

ポップス描写曲「メイン・ストリートで」は1976年の全国大会においては計21チームが演奏をしています。
結果的に中学・高校・大学においては金賞チームはゼロで、正直言ってスクール部門においては
「これは素晴らしい演奏!」と感じる演奏は少なかったように思えますし、この当時も今現在も
スクールバンドの指導者も奏者たちも「ポップスを演奏するにあたっての基本的な注意事項」等知らない人が
ほとんどであったという事なのかもしれないです。
特に高校の部においてはそうした傾向がありましたけど、あたかもクラシック音楽のアレンジ版を演奏するかのように
ちょっと硬質な響きで堅苦しい演奏をしているような雰囲気もあったと思います。
中学の部においては「あ、この演奏いいかも~」と唯一感じさせてくれたのは四国代表の富田中ぐらいだったと思います。
(富田中の自由曲の交響的詩曲「地底」もあのおどろおどろしさは素晴らしかったです!)
ポップス描写曲「メイン・ストリートで」は一般と職場の部で3チームが金賞していますけど、こうしたポップス系の課題曲を
正しく理解して正しいポップスとしての奏法で楽しくのびのびと演奏できるのは、やはり一般・職場といった
大人の部門でないと中々適切に表現できないという事なのかもしれないです。
金賞チームの中で、よく吹奏楽評論家の皆様から高い評価を得ているのはブリジストン久留米だと思うのですけど、
私的にはあの演奏はちょっと堅苦しくて、確かに技術的には最高峰なのかもしれないですけど、
もう少し吹っ切れた感じで思い切った表現をしてほしかったようにも思えますし、もう少し弾ける感じは欲しかったようにも
感じられます。
そうした意味においては、やはりこの課題曲の全部門を通して最大の名演は誰が何と言っても牟田先生率いる
瑞穂青少年吹奏楽団なのだと思います。
あの演奏は今現在の視点で聴いてもプロ顔負けの演奏だと思いますし、とにかく奏者一人一人が実にのびのびと楽しんで
吹いている雰囲気が隅々に感じられ、まるでミュージカルを聴いている様な気分にすらなれると思います。
そしてこの年の瑞穂は自由曲のリードの「ジュビラント序曲」も本当に素晴らしい演奏を聴かせてくれていたと思います!

瑞穂のジュビラント序曲は 5分10秒で完奏し一気に畳み掛けるスピード感溢れる素晴らしい名演だと思いますし、
とにかくソロクラリネットが本当にめちゃくちゃ上手いと思います。
この曲は作曲者のリードが東京佼成を指揮して自作自演の演奏もCDとして残していますが、
テンポが意外とゆっくりで演奏時間は6分半程度です。
瑞穂みたいな「若々しい」感じではなくて「大人としての演奏」を聴かせてくれています。

あの年の瑞穂は課題曲で大人の演奏をのびのびと伝えてくれていて、自由曲でやんちゃな少年みたいな演奏を
おおらかに聴かせてくれていて、最近の吹奏楽コンクールでは多分味わえないような自然な高揚感を聴かせてくれているのは
本当に素晴らしいと思いますし、ああいうチームが今後出現する事はもうないのかな・・?と
感じてしまう事もあったりもしますね。

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ポップス描写曲「メイン・ストリートで」の本来の原曲においては、本格的なドラムセットの他に、楽譜の上では
指定楽器の一つとして「エレキベース」もちゃんとあったりもします。
上記で触れたとおり、現在の吹奏楽連盟のコンクール既定ではエレキベース・エレキギターの使用は禁止となっている
のですけど、例えばメリッロのアメリカの騎士とかラムのイーゴル・ファンタジーにおいてエレキベースはかなり効果的に
使用されていますので、エレキベースが使用できないこれらの曲を吹奏楽コンクールにおいては、
本来の響きを味わえないのは少し勿体ない感じもありそうです。

「ららマジ」においてこのエレキベースを担当している女の子は楓智美という高校1年生の女の子です!

楓智美は義理人情に厚いやんちゃな性格で、後輩の面倒見も良い情熱的なJKさんでもあります。

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楓智美は器楽部員で構成されたバンド「フロウライン」ではベースを担当していて、器楽部・吹奏楽部としての
大規模編成での合奏ももちろんすてきですけど、けいおん!やバンドリ!を彷彿とさせるガールズバンドでベースを担当
しているというのもとても素晴らしいです~♪

バンドリを見ていると、ドラムやギター・キーボードといった楽器はむさくるしい男どもが演奏するよりは、ららマジ等の
美少女の皆様やJKさんの方が断然見映えがしていると思いますね~
ハワード・ハンソンという作曲家も作品も日本では残念ながらあまり馴染みがない作曲家なのかもしれないです。
このアメリカの作曲家はバーバーと並んでアメリカ保守系クラシック音楽作曲家の大御所の一人で
「イーストマン音楽学校」の校長を長い間勤めていた事でも知られています。
作曲家としては、どちらかと言うと「交響曲の作曲家」としてアメリカでは高い評価を受けているようでもあります。
ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」は実は「20世紀の隠れた名曲」と私自身はかなり以前から高く評価しています!
この素晴らしい交響曲は、「私自身のためだけに聴きたい。他人にはその存在を教えたくない」とも思うのですけど、
「この素晴らしい交響曲は是非一人でも多くの皆様に聴いて欲しい」という気持ちもあったりもしますので、
本記事の後半で触れさせて頂きたいと思います。

ハンソンは、吹奏楽オリジナル曲も決して数多くありませんけど幾つかの作品を残しています。
私が生演奏で聴いたことがある範囲では、

〇ラウデ

〇ディエス・ナタリス

程度に留まっています。

ディエス・ナタリスは元々は管弦楽曲で、吹奏楽版は以前東芝EMIからCDが出ていましたけど
さすがに現在では廃盤なのかな・・?
そうなるとこの曲は、国内盤で聴く事は出来ないというのももったいない気はします。
この曲は、1980年に文教大学が全国大会で演奏し銀賞を受賞しています。
現在大学の吹奏楽を牽引する文教大学も実はこの年が初めての全国出場でもありました。

私にとって、ハワード・ハンソンの吹奏楽オリジナル作品というと、「コラールとアレルヤ」が大好きです!
5分半程度の短い曲なのですけど、前半の祈りのような荘厳さと後半のたたみかけるような重厚な響きなど
聴きどころは満載だと思います。
冒頭は金管楽器のアンサンブルで開始され教会での祈りみたいな雰囲気です。
後半は打楽器が活躍し、特にティンパニの圧倒的なロールは迫力満点です。
最後は、高らかな讃美歌で終わり、非常にすっきりとしたシンプルな終わり方で閉じられます。

吹奏楽オリジナル曲としては大変短い作品なのですけど、保守系シンフォニストらしいエッセンスが凝縮された作品であり、
無駄な部分が一つもなく、実にすっきりと音楽的に充実した作品だと思います。
祈りと讃歌と迫力の三要素が曲の中に溢れていて、短い中にもその音楽的充実感と構成美には目を見張るものが
あると感じずにはいられないです。

「コラールとアレルヤ」し日本の吹奏楽コンクールではほとんど演奏されないのが大変勿体ないと感じます。
1979年の高岡商業が全国大会でこの曲を自由曲にし、銀賞を得ているのが
この名作の唯一の演奏事例と言うのも少し寂しい気がします。
高岡商業のこの年の演奏は素晴らしく、課題曲B/プレリュードも静と動の対比が素晴らしかったですし 、
課題曲で抑制された感情を自由曲の「コラールとアレルヤ」の後半で爆発させたのも
いかにも若き高校生らしい快演だと思います。
翌年に高岡商業は、ニクソンの「パシフィックセレブレーション組曲」の歴史的名演を残すことになります。

高岡商業の「コラールとアレルヤ」は現在は音源が何も無い状態で、ソニーの「日本の吹奏楽79」という廃盤レコードにしか
音源がありませんので、ブレーン社あたりから復刻版として出てくれるとうれしいですね。
私はレコードという形でこの演奏の音源は持っていますけど、最近レコード自体ほとんど聴く機会はないですね・・

ハンソンの「コラールとアレルヤ」は、実は支部大会レベルでは演奏の歴史は非常に古く
昭和36年に三井造船が既に自由曲として演奏されてはいるみたいです。
支部大会でこの曲が最後に演奏されたのは、1984年の福岡工業大学が最後というのも寂しいものは感じます。

「コラールとアレルヤ」は技術的にはそれほど難易度は高くはないと思いますので、中学校・高校の小編成部門で
チャレンジする事は全然悪くないと思いますし、音楽的教育の観点からも演奏効果という点からも
大変申し分のない吹奏楽オリジナル作品と一つと言えると思います。

さてさて、ここから下はこのハンソンが作曲した20世紀の隠れた名曲であると私自身は確信している
交響曲第2番「ロマンティック」について少しばかり触れさせて頂きたいと思います。

ハンソンは元々がスウェーデン系移民の子孫で、交響曲第1番には「北欧風」のタイトルが付けられています。

ハンソンの交響曲と言えば、交響曲第2番「ロマンティック」が圧倒的に素晴らしいと思います。
この交響曲第2番は、私的には20世紀の影の隠れた名曲とか埋もれた名曲だと考えていますし、
本当にこんなに抒情的で美しく、同時に「希望」にも溢れ、優しくせつなくて
聴いているだけで「自分も頑張ってみよう・・!!」と思わせる曲は20世紀の交響曲の中では珍しいものがあるような気さえします。
極論ですけど、このハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」を一度も聴かないで、その生涯を閉じられるのは
とっても勿体無いような気さえします。

ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」は、交響曲第1番に興味と可能性を感じた当時の大指揮者クーセヴィッキーより
ボストン交響楽団創立50周年記念作品の委嘱を受けて作曲されたものです。
この時、他に委嘱を受けた作曲家は、ストラヴィンスキーやルーセルなど当時の大御所達なのですけど、
作曲当時は特に実績もない新人作曲家にこうした委嘱する方も勇気が必要だったと思われますが、
ハンソンはその期待に応えて素晴らしい曲を後世に残すことになります。

この交響曲が作曲された当時は、ストラヴィンスキーの原始主義と新古典主義やドビュッシーやラヴェルの印象派的音楽や
シェーンベルクの無調音楽が闊歩する時代でしたけど、そうした当時最先端の音楽に全く影響を受けずに
「分かり易くて美しくて抒情的な」音楽を残したハンセンは素晴らしいと思いますし、
ほぼ同時代を生き、時代に流されずにロシアの香りが漂うセンチメンタルな音楽を作り続けた
ラフマニノフとも重なるものはありそうな気はします。

交響曲第2番「ロマンティック」は、三楽章構成で演奏時間も25分程度で非常に分かり易い音楽です。
第一楽章は静かに開始されますが、すぐに快活なメロディーが展開されていきます。
この第一楽章のメロディーが第三楽章でも再現される事となります。
第二楽章は、「美しい!」としか言いようがない甘い旋律が続きます。冒頭のフルートが実にすてきですね~!
第二楽章中間部の木管楽器の使い方が実に巧みだと思いますし、抒情的に流れていた音楽に
瞬間的な緊張感をもたらす効果もあると思います。
抒情的というよりは、
「昔の出来事を静かに振り返りながら余韻を楽しむ」みたいな感覚の音楽です。
第三楽章は、上記の要素に加えて
「未来への楽観的希望」みたいに明るい要素が加わっていきます。
冒頭のあのメロディーは、ハンソン自身がこの曲を「精神においては若い」と評していましたけど
その「若さ」が見事に溌剌とした曲想として表現されているのだと思います。
第三楽章のラスト前で一旦静かになる部分があるのですが、「昔をしみじみと懐かしむ感じ」が漂いうっとりさせられ、
最後は肯定的希望を持って明るく閉じられるようにも感じられます。

2013年9月に逝去された作曲家&音楽評論家の諸井誠氏の著書に 「現代音楽は怖くない」というものがあり、この著作の中で
この中で諸井氏はハンソンの交響曲第2番にも触れていますが、
「クーセヴィッキーが委嘱した数々の作品の中で一番新鮮味が無く最も後ろ向きな作品」とかなり酷評しています。
私はそれは全然違うと思っています。
第一にこの音楽は全く後ろ向きではないと私は感じております。
一体この音楽をどうひねくれて聴けば「後ろ向き」に聴こえてしまうのか逆に教えて頂きたいほどです。
特に第三楽章の冒頭の第一楽章再現の部分とか第三楽章のホルンの展開部とかラスト近くの高揚感は、
「ひたすらに前向きに一生懸命生きていれば、そのうちきっと何かいい事が待っているはず!!」みたいな
「希望のメッセージ」を私はこの曲から感じてしまいます。
間違ってもこの曲は「後ろ向き」というものではないと思っています。
100歩譲って、仮に諸井氏が言うとおり「後ろ向き」であったとしても、私の考えとしては、
「別に全ての音楽が前向きでないといけないとか何かメッセージ性とか革新性を有しなくてもいいじゃん・・・」という事なのです。
音楽とは常に前向きでないといけないとか、高尚な内容のものでないといけないとか、
常に新しい感覚を持ち、新しい技術と表現力を提示しないといけないというのではないと思います。

別に後ろ向きだっていいと思います。
作風が「懐古的」だったり「新鮮味に欠けていても」いいじゃないかと思います。
その音楽によって、聴く人の心に「何か」を伝えることが出来ればそれでいいのではないのかな・・?と思っています。
音楽全ての作品が進歩的なものを目指す必要性なんか全然ないと思いますし、
音楽の中には、後世とか自分の過去を見つめ直したり、「美しいもの」を自分なりに探究したり
そうした方向性の音楽が現代にもあって然るべきものだと思います。
前述のボストン交響楽団創立50周年記念の委嘱作品ですけど、このハンソンの交響曲第2番以外には、
例えば、プロコフィエフの交響曲第4番とかルーセルの交響曲第3番などがありましたけど、
そうした革新的で実験的な曲と同系列でこの曲論じる事自体がナンセンスのようにも感じられます。
そもそも目指している方向性が全く違っていますし、
別にハンソン自身は、そんな音楽に「革新性」を求めるタイプではありませんからね。
それに何よりも私自身はこの曲から「生きる希望」を感じ取っています!!

ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」は甘くせつないし、あまりに美しすぎるのだけど、何か妙に「芯」がガッチリとある作品
のようにも感じられたりもします。
この曲の生演奏は一度も聴いたことがないのはとても残念です!
一度だけ吹奏楽アレンジ版としい聴いたことがありますし、それも悪くは無いのですけど、出来るならば、
この交響曲を管弦楽版として是個是非一度生演奏で聴いてみたいのですよね・・・

ちなみにこの曲、アメリカ映画「エイリアン」のラストシーンで使用されています。

この曲をCDで聴く場合、
スラットキン指揮/セントルイス交響楽団が素晴らしい演奏を残しています。
カップリングは、バーバーのヴァイオリン協奏曲ですかので、アメリカの音楽を聴くにはうってつけの一枚だと思います。

余談ですけど、この交響曲の第三楽章をかつて関東第一高校を指揮されていた塩谷晋平先生が
青森山田高校を指揮されて東北大会に出場されていた事もありましたけど、あの演奏は出来れば
当時の普門館でも聴いてみたかったです!





上記でちらっとバーバーのヴァイオリン協奏曲が出てきましたけど、オーケストラが伴奏に回るヴァイオリン協奏曲という
ジャンルは、オーケストラの大きな要素でもあるヴァイオリンパートとソロ担当の独奏ヴァイオリンの時に夢見るような
時に激しくバトルを展開するようなその同一楽器のとしての関連性も大変聴きごたえがあり興味深いのですけど、
大人気スマホアプリゲーム&アニメのBanG Dream!においてもヴァイオリンが登場していたのはとても驚きでしたし、
その意外性がとても新鮮でもありました~♪

Morfonicaは、名門のお嬢様学校・月ノ森女子学園の一年生で結成されたガールズバンドグループなのですけど、このメンバー
5人の中では私的に大注目なのは、八潮瑠唯という BanG Dream!史上初のヴァイオリンパートを担当する
クールビューティの女の子です!
ドライな才媛JKさんですけど、ガールズバンドの中でのヴァイオリンという位置づけもサウンド的には実はとても興味津々でして、
これからの展開に注目させて頂きたいと思います。

ちなみにMorfonicaのメンバーの苗字(倉田・八潮・桐ヶ谷・広町・二葉)は東京都品川区の地名に由来していたりもします。


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ちなみにですけど、八潮瑠唯の声を務めるAyasaは、ガチのロックバイオリニストであったりもします。

八潮瑠唯は、アニメ上での設定は、月ノ森女子学園の1年生で、学年トップの成績をキープする才媛で、
大変ドライな性格で常にトップに立つことを目標にされていて、音楽を「無意味なもの」と一度は捨ててしまった経緯も
あったりします。

もしもバンドリのアニメ第四期が実現した場合は、Morfonicaや八潮瑠唯や八潮瑠唯が一度捨てた音楽をどうやって再び
向き合うようになったのかその経緯も明らかにされると嬉しいです。

どちらにしても、ガールズバンドの世界にヴァイオリンパートを新たに登場させた意義はかなり大きいように
感じたりもしますね~♪
名取吾朗がご逝去されて彼岸の彼方に旅立たれたのが1992年でしたので、もう30年近い歳月が流れているのですね・・
最近の吹奏楽コンクールでは、名取吾朗の作品はアトモスフェアぐらいしか演奏されない気もしますけど、
時々ですけど、あの独特のおどろおどろしい陰鬱な情感の作風がなつかしく感じたりもします。
名取吾朗の作品は陰気で劇的要素が強く、ネリベルのように、強弱と明暗のコントラストが激しい作曲家という印象があります。
生前何回か吹奏楽コンクールの審査員をされていたのが記憶に残っていますが、どこかの県大会で
審査員代表として講評を述べていたのを耳にしたことがありますが、
作品の印象とは全然異なる柔和な人柄の先生という雰囲気がありました。
BJでもよく吹奏楽コンクールの講評を書かれていましたけど、的確でわかりやすいコメントは読んでいる人たちにもかなり参考に
なっていたと思います。
名取吾朗というと1990年にも「風の黙示録」が吹奏楽コンクール課題曲として選ばれていただけに、そのわずか2年後に突然の
訃報を耳にした時はとても驚いたものでした。
名取吾朗の陰鬱な音楽の背景には、自身の辛い戦争体験、特にフィリピン南島での兵士としての辛い体験が
ベースにあったとの事です。
(そのあたりは水木しげると境遇的には似ているのかもしれないです)

名取吾朗の作品は出版されていたりCD化されている作品自体はそれほど多くは無いのですけど、

〇アラベスク(1973年課題曲B)

〇風の黙示録(1990年課題曲B)

〇吹奏楽のための交響的幻想曲「ルソン」

〇交響的幻想曲「ポンドック街道の黄昏」

〇吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」

〇吹奏楽のための詩曲「アトモスフェア」

といった作品が思い浮かびます。

何となくですけど、名取吾朗の作風と市立川口高校と愛工大名電の演奏は非常に相性が良かったようにも思えますし、
アトモスフェアは市立川口と名電は全国大会でそれぞれ2回ずつ自由曲として演奏し、いずれも劇的で緊張感あふれる
演奏を残しています。
課題曲としてアラベスクは瑞穂青少年吹奏楽団、風の黙示録は市立柏の演奏がとても印象的です。
ポンドック街道の黄昏は、関東大会銅賞ですけど真岡高校の演奏が大変印象的ですし、ソプラノサックスの長大なソロは
静かな熱演だったと記憶しています。
永訣の詩は、1984年の市立川口の素晴らしい説得力も素晴らしかったですし、1987年の花輪高校の怨念と暗い情感に
溢れたおどろおどろしい死の香りに溢れた演奏も大変よかったです。

でも私にとって名取吾朗の吹奏楽オリジナル作品というと吹奏楽のための交響的詩曲「地底」です!

名取吾朗の吹奏楽のための交響的詩曲「地底」は情報量が圧倒的に少なく、正直・・私自身もこの曲の事は
あまりよく分かりません。
音楽之友社から以前出版されていた本の中の「吹奏楽作品(邦人)総目録」を見てもこの「地底」に関しては、
「アンサンブル・アカデミーからの委嘱作品、未知の世界「地底」を想像して作曲された、グレード・中級」という記載しか
されていません。

この曲の音源は無いに等しいものがありますけど、どうしても聴いてみたいという場合は1984年の習志野高校の演奏を
収録した「日本の吹奏楽84」を探すか、ブレーンのレジェンダリーシリーズにおいて当時全集を購入された方限定特典の
ボーナスCDの中に確かこの習志野の地底も収録されていたと思いますけど、どちらにしてもこれらの音源は極めて入手困難と
思われます。
私は、ワールドレコード社のオリジナルカスタムテープで、1976年の富田中の演奏と1984年の市立習志野の演奏を所有
していますので、今となっては知る人ぞ知る隠れた名曲を一人こっそりと?堪能させて頂いております。

地底は一言で言うと、冷たいひんやりとした音楽です。
前半のひそやかさとは対称的に、後半の不気味な迫力と劇的雰囲気にはかなり圧倒されるものはあります。
打楽器もティンパニ・大太鼓・シンバル・ドラ・シロフォーン程度でそれほど多彩ではないし特殊楽器も使用されていません。
そうした普通の編成で、ここまで特殊な雰囲気が作れるとは驚異的だと感じています。
ラスト近くのいかにも地底から吹き上がるような音の絵巻はまさに圧巻です。
かなり陰気で怨念溢れるというかドロドロとした暗い情念に溢れた音楽なのですけど、冷徹さという感じではなくて、
聴き方によっては涼しい谷間での冷たい水の感覚といった感覚のようにも聴こえたりもします。

私自身が一番不思議に思っていることはこの曲の呼び方です。
1976年の富田中の演奏を収録したカスターテープにおいては、自由曲のアナウンスではなぜか「ぢぞこ」と呼んでいましたけど、
私自身も生演奏をこの耳で聴いた1984年の習志野高校のアナウンスでは間違いなく「ちてい」と呼んでいました。
多分「ちてい」という呼び方が正解だとは思うのですけど、富田中のあのアナウンスは単なる読み間違いという可能性が濃厚
なのかもしれないです。
富田中はやや荒っぽいつくりで習志野は対照的に洗練された感じです。

最近の吹奏楽コンクールでは地底自体が既に忘却の彼方の楽曲ですし、支部大会でも1987年の関東大会で演奏されて以降は
30年以上どのチームも演奏されていません。
この曲のプロの演奏も是非是非聴いてみたいです!

習志野高校は1984年の地底の演奏以降の自由曲は、ローマの祭り・海・ダフニスとクロエ・サロメ・交響三章・
ローマの噴水・スペイン狂詩曲など洗練されたフランス系アレンジ路線をメインに吹奏楽コンクールに臨んでいましたけど、
1984年だけ、どうしてこんな知る人ぞ知る邦人オリジナル作品を自由曲として選曲したのは少し謎ですね~
1982年も習志野は「呪文とトッカータ」というバリバリのオリジナル曲を自由曲にしていたことはありますけど、
習志野の地底と呪文とトッカータは伝統的な習志野の自由曲の傾向としては極めて異例ともいえますし、それだけに希少価値が
高そうな演奏と言えそうです。

1976年の富田中の地底の演奏は、おぞましい・不気味・おどろおどろしい・こわい・曲がドロドロしているという印象が
大変強いのですけど、1984年の習志野の演奏を聴くと、そうした印象は全く感じられません・・
むしろ、都会的・近未来の風景みたいな富田とはまるで180度異なる感想を抱いてしまうので、
音楽は指揮者の解釈によって全然異なるものだと改めて感じてしまいます。
この年から既に習志野高校は洗練・繊細・気品といった習志野サウンドは完成の域に達していたと思います。
音楽が大変洗練されていて、どの部分を演奏してもサウンドが大変美しくかつデリケートに優しく響いてきます。
強奏の部分も、サウンドが荒れる事も全く無く自然に響いてきます。
この年の演奏で特に印象的だったのは木管のしなりです。
特にクラリネットセクションの美しさとか音のひそやかさは本当に素晴らしかったですし、
この曲が本来有しているおどろおどろしさをいかにも和風のあでやかさとはかなさに変容させていたのは素晴らしかったです。
この曲は、ラスト近くでトランペットがかなり咆哮し打楽器の激しさと合せて
まるで「吹奏楽のための神話」の中間部の踊りみたいな雰囲気で終るのですけど、
そうした部分もうるさいという感じは全く無く、むしろあでやかという雰囲気がよく出ていたと思います。

当時の私としては「これはもう金賞以外絶対にありえないじゃん・・」と予想していたのですけど、結果は銀賞に留まり
邦人オリジナル作品を音楽的に深く掘り下げていたにも関わらず銀になった東海大四という事例もありましたので、
「やっぱり邦人作品は審査員に嫌われるのかな・・」と感じたものでした。

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ここから下記は余談です。

上記において名取吾朗の「地底」を取り上げさせて頂きましたけど、小説における地底人に関する主な作品というと、
地底世界には原始人や恐竜が生息していることがモチーフになっているジュール・ヴェルヌの「地底旅行」や
80万年後の未来世界では人類の子孫として地下に住む白い類人猿「モーロック」が存在しているというH・G・ウェルズの
「タイム・マシン」などが印象的です。

特撮のウルトラシリーズとしては、ウルトラマンにて、地殻変動により地底に追われた種族として地底人が登場し、
地底怪獣テレスドンを操り地上を破壊した回や
帰ってきたウルトラマンにて、地底原始人キング・ボックルが登場した回もありました。

アニメ作品としては「六畳間の侵略者!?」が印象的でした~♪

父の転勤によって高校入学と同時に一人暮らしをすることになった里見孝太郎は、月5000円・敷金礼金無しの格安物件である
築25年のアパート・ころな荘の106号室へ引っ越すことになるというのがおおまかなストーリーですけど、
過去の106号室入居者は幽霊が出没するとの理由からことごとく短期間で引っ越してしまっていて、
入学式の晩、孝太郎の前にその幽霊である東本願早苗が現れ、早苗は孝太郎に対して106号室の先住権を主張し、
幸太郎を追い出そうと画策し、翌日には106号室の窓を突き破って自称・魔法少女の虹野ゆりかが、
翌々日には古代文明の地底人の末裔を自称するキリハが、
翌々々日には宇宙人の神聖フォルトーゼ銀河皇国第7皇女・ティアミリスが、
それぞれ理由を付けて106号室を占拠すべく乱入していたハチャメチャな内容でしたけどとても楽しかったです~♪

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「地底人」というといしいひさいちの漫画、及びその登場キャラクターもとても面白かったです!

毎回地上への侵略計画を立てるがいつも失敗し、地底人の地底国のさらに下には「最低人」が生息していていたのも
楽しかったです~♪
最底人から地底人への攻撃というのも「おまえ、アホやろ~」みたいな感じだったのもとても面白かったです。
保科洋は最近の吹奏楽コンクールでは「復興」が大ブレイクし、大人気自由曲の一つになっていますけど、
実は既に1970年代からその作品は課題曲や自由曲として取り上げられていましたので、実に息の長い作曲家の先生と
言えると思います。
保科洋の盟友の兼田敏が既に彼岸の彼方に旅立っている事を考えると、50年近くも現役として吹奏楽に関わられている
保科洋には本当に頭が下がる想いで一杯でありますし、最近でも岡山大学交響楽団や神奈川大学吹奏楽団を指揮されて
おられますし、83歳を超えられてもその現役の第一線でご活躍されている様子には感銘を受けています。
兼田敏を代表する名曲の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」を2017年に管弦楽曲としてアレンジされ、
管弦楽アレンジ版を秋山和慶が指揮され初演を果たしていたのも大変印象的でした。

1970年代の保科洋の作品というと、例えばカタストロフィー・カプリス・交響的断章などのように
大変陰気な曲想が多く、そのあまりの暗さに厭世観すら感じさせるものがありましたけど、
1980年代に入ると、「古祀」や87年の課題曲にもなった「風紋」のように「和」のイメージを曲に取り入れ始め
特に「古祀」は、日本の古代の儀式みたいなイメージを曲に大胆に取り入れ
その「鄙びた感じ」と「躍動する静のリズム感」がまた独特の世界を生み出し、一時かなりの人気曲でもありました。
この時代に「バストラーレ」(牧歌)や「愁映」のように、曲想が優しく終始穏やかな響きにまとめ、
70年代の頃に感じた陰気で厭世的な曲を書かれる人というイメージは相当後退したようにも感じたものでした。
1976年の保科洋作曲の全日本吹奏楽コンクール課題曲C / カンティレーナのような軽快な雰囲気の軽いマーチといった
作品は後年の作風の変化を示唆させるものがあるのかもしれないです。

保科洋の「古祀」ですけど、作品自体は実は元は管弦楽曲であり、
岡山大学管弦楽団のために書かれた「祀(まつり)」という管弦楽曲を吹奏楽曲に編曲したものが「古祀」と言えます。
管弦楽曲の「祀」を、ヤマハ吹奏楽団浜松からの委嘱により吹奏楽編成に作り直した作品であり、
原始的な祭祀の様々な情景をイメージした5つの部分から構成されています。
全体的には 民衆の神への畏敬と祈りと、神に奉納する踊りの曲といえるのですけど、私が現役奏者時代には
導入部→女性の踊り→全員の踊り→祈りから構成された曲みたいな事が秋山和慶指揮 / 東京佼成のCDの解説として
書かれていたような記憶もあるのですけど、実際はこの曲は五つの部分から構成されていたのですね。

「古祀」の構成なのですけど、保科洋のHPでの解説をそっくりそのまま転載いたしますと・・

第I部 「祈り I」
まだ薄暗い祭壇の前、民衆は祭壇への行列をしずしずと繰り返しながら、神への敬虔な祈りを捧げる。

第II部 「民衆の踊り I 」
祈り終わった民衆は野生的な踊りを始める。踊りの輪は徐々に膨らみ、熱狂的な全員舞踊に発展する。

第III部 「巫女の踊り」
民衆の踊りが一段落すると艶やかな巫女がしずしずと現れ、幻想的な踊りを舞い始める。民衆は車座になって巫女の踊る様を目で追っている。

第IV部 「民衆の踊り II 」
巫女が祭壇から姿を消すと、再び民衆は踊り始める。踊りは前にも増して陶酔状態となり興奮の極致に至る。

第V部 「祈りII 」
踊り疲れた民衆は再度祭壇の前に集まり、祈りを捧げながら三々五々散っていく。朝日が漸く昇り始める。

と記されています。

冒頭は大変静粛さと神聖な雰囲気な曲想から開始され、マリンバと木管セクションの細かいリズムによって導かれる
大変盛り上がる箇所が上記で言うところの民衆の踊りに相当する部分と思われますし、
この民衆の踊りは2回展開されるのですけど、一回目と二回目の間に挟まれた大変しっとりとした美しい音楽で、なおかつ
幻想的な舞のようにも感じられる箇所が「巫女の踊り」という事になるのだと思います。
この巫女の踊りの部分は、大勢の民衆が見つめる中、一人孤独に神聖で幻想的な舞を神様のために奉納しているような
雰囲気も伝わってきていると思います。
「古祀」が激しく盛り上がる部分は「民衆の踊り」といういわば全員の踊り的な箇所なのですけど、計2回繰り返されるこの部分の
間に巫女さんの幻想的で神聖な踊りの箇所が入っていますので、静と動の対比という意味でも大変際立っているようにも
感じられますし、音楽としての巫女さんの幻想的で美しい雰囲気が内省的に伝わっているようにも感じられます。

「古祀」は上記で記した通りヤマハ吹奏楽団浜松創立20周年委嘱作品なのですけど、吹奏楽コンクールとしての初演は、
競うコンクールの場という訳ではなくて、原田元吉指揮・ヤマハ吹奏楽団浜松が
第28回全日本吹奏楽コンクールにおける特別演奏(5年連続金賞達成による招待演奏)として演奏されたものです。
そしてその翌年には浜松工業高校が自由曲として演奏し金賞を受賞しています。

古祀の演奏時間は11~12分前後なのですけど、吹奏楽コンクールで演奏する場合はかなりの部分をカットしなければならず、
一般的には民衆の踊りの部分を一回だけにして祈りの終結部分を短めにするというカット方法が通例かも
しれないですけど、1984年にヤマハ浜松がこの曲を自由曲として演奏した時は、民衆の踊りの部分を二回繰り返して
演奏し、この曲本来のストーリーを音楽的にきちんと表現されていたのは大変印象的でもありました。

余談ですけど、「巫女さん」がモチーフにされている楽曲として、古祀と同じく保科洋作曲の曲として
吹奏楽作品ではないのですけど、「巫女の舞~独奏ホルンとオーケストラのための」という
ソロ・ホルンと管弦楽による自由な形式の協奏曲もあったりもします。
この曲にはピアノリダクション版があり、ピアノリダクション版は、
第21回イタリア・ポルチア国際ホルンコンクールの本選課題曲として使用された事もあるそうです。


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巫女の舞(巫女神楽)の原点は、神様を巫女さんの体内に憑依させるという神がかりの儀式にあったといわれています。
両手に榊(サカキ)と神楽鈴(雅楽の鈴)を手にした巫女がまず身を清めるための舞を舞い、
続いて右回り左回りと順逆双方に交互に回りながら舞を重ねていき、やがてその旋回運動は激しくなり、
しだいに巫女は一種のトランス状態に突入して神がかり(憑依)を開始し、跳躍するに至って、お告げという神託を下すことに
なるのが巫女の舞とも言えます。

東方で巫女さんというともちろん早苗さんも捨てがたいですけど、やはり巫女としての霊夢のインパクトは絶大だと
思います。
霊夢は巫女さんでもありますし「神様の花嫁」という立ち位置でもありますので、もしかしたら幻想郷においては
巫女に対して古めかしい純潔を強く求められるものがあるのかもしれないです。
巫女さんの本来の役割とは、天地の神や超自然的なものごとに通じ、祈祷を行い、物事や未来を占い、
または自らの身体に神を憑依させて信託を伝える役割、そして神前で奉納する舞というものなどがありますので、
幻想郷における奉納の舞を舞われるのはやはり霊夢が最もしっくりきそうなのかもしれないですね~♪

霊夢はゲーム作品や公式書籍では実はそうした巫女さんらしい奉納の舞はほとんどしていないと思われますので、
霊夢の舞は東方MMDとしての霊夢のダンスで楽しむしかないかもしれないですね~
本日は3月16日ですけど、おそらくはあと数日の間に桜の開花宣言や各地で桜が満開というニュースが
溢れるかとは思いますが、それにしても20世紀の頃の南関東での桜の開花宣言というと3月下旬ころだったと思いますが、
最近では3月の中旬というのがごく当たり前になりつつあり、地球の温暖化を考慮すると桜の開花もどんどん前倒しに
なっていくのかもしれないですね・・

昨日の当ブログ記事は「春」のイメージに相応しい吹奏楽コンクール課題曲マーチを取り上げさせて頂きましたので、
本日もそれに関連して「桜」に関連した吹奏楽オリジナル作品について少しばかり触れさせて頂きたいと思います。

「桜」に関連がありそうなクラシック音楽というと、ハワード・ハンソンの交響曲第5番「シンフォニア・サクラ」というタイトルを
初めて耳にした時、「日本の桜となにか関連があるのかな・・?」と思ったのですけど、実は全然関係が無くて、
この交響曲は宗教的な色彩が濃厚な曲であったりもします。
桜にまつわる吹奏楽作品というと色々とあったりもします。
少しばかり挙げさせて頂きますと・・

1.福島弘和 / 桜華幻想

福島弘和というと、ラッキードラゴン 〜第五福竜丸の記憶 や吹奏楽コンクール課題曲の稲穂の波や道祖神の詩でも
既に馴染み深い方だと思います。
そしてこの桜華幻想は、2005年3月に群馬県立前橋東高校の委嘱を受けて作曲されました。
「和風な曲」という委嘱に当たってのリクエストがあったそうで、この和風から「桜」をイメージしてこの曲を作られたとの事です。
作曲当初は桜そのものを表現するつもりだったそうですが、桜を眺める人の心を描いてみようという意図も加わったとの
事です。

「花開く桜の姿が生きる力を呼び起こす」と作曲者は述べられていますけど、この「生きる力」というのは、
桜がひらひら散っているイメージの序奏から力強いテーマが続いていくことからも窺えると思います。

この曲は前橋東高校も吹奏楽コンクールの自由曲として演奏し西関東大会にも出場していますし、既にたくさんのチームが
この曲を自由曲として演奏しています。
2018年末時点で桜華幻想を自由曲にしての全国大会出場チームはありませんので、今後が楽しみでもあります。

2.A.リード / 交響曲第5番「さくら」

洗足学園大学創立70周年記念委嘱作品で、1995年に浜松で開催された第7回世界吹奏楽大会で初演されています。

3楽章からなる交響曲で、第2楽章では日本の童謡とも言える「さくら、さくら」の旋律がゆったりと情緒たっぷりに
展開されていきます。
(これまた話はそれますけど、1982年の秋田南高校の自由曲の「パロディー的四楽章~Ⅳ.ルーセル」は
バルトークの舞踏組曲のフレーズを主にネタにされていますけど、曲の中盤や終盤においてさかんに引用されているのが
実は「さくら、さくら」のフレーズであったりもします。)

この交響曲はリード自身が洗足学園大学を指揮した自作自演CDにも収録されていて、他の収録曲としては
アルメニアンダンスパートⅠとミュージックメーカーズが見事な演奏を聴かせてくれています。

リードの組曲は、第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」・第三組曲「バレエの情景・第四組曲「シティ・オブ・ミュージック」・
第五組曲「インターナショナル・ダンス」などは演奏頻度も高く、馴染み深い感じはあるのですけど、
リードの交響曲は、計5曲作曲されているもののいずれも組曲ほどの認知度と人気は無いような印象もあります。
リードの交響曲の最大の特徴はどのシンフォニーも基本的には三楽章構成で、例えば交響曲第2番のように12音技法を
曲に取り入れている事もあったりして、組曲や序曲のような誰が聴いてもわかりやすいという感じではなくて、
むしろかなりシリアスさを感じさせてくれていると思います。
私的にはこの5曲の交響曲の中で特に技術的に巧みと感じられるのは交響曲第3番だと思います。
緊張感に溢れる第一楽章と楽しさ満開で映画音楽っぽくもある第三楽章に挟まれた第二楽章は、
ワーグナーの「ポラッツィの主題」に基づいた変奏曲と題されてもいますけど終始ゆったりとした響きになっています。
1989年の東北大会でダメ金になった秋田南高校の自由曲はリードの「パルシファルヴァリエーション」とプログラムでは
表記されているようですけど、このパルシファルヴァリエーションというのは交響曲第3番第二楽章の事なのでしょうか・・?
秋田南の1989年の演奏は私も一度も聴いたことが無いもので、その点は未確認です。
誰かそのあたりをご存知の方がいらっしゃれば教えて頂ければ幸いです。

3.さくらのうた(2012年全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅰ)

2012年の全国大会の高校の部において「さくらのうた」を課題曲に選んだチームは習志野高校だけであり、
全部門としてもこの「さくらのうた」を課題曲に選んだチームはわずか7チームに留まっています。
課題曲としては珍しい終始ゆったりとしたテンポの上に、わかりやすいハーモニーが展開されるという事で
ポロが出やすいし、この年は他に課題曲として演奏効果が出しやすい曲が多かったという事が
不人気だったような理由になっている気感じがあります。

作曲者の福田洋介は2004年の課題曲Ⅰ吹奏楽のための「風之舞」でも有名ですけど、この年はちょっと不遇でした。

この「さくらのうた」から感じ取れるのは桜の華やかさだけでなく、桜の散り際の儚さもかなり伝わってきていると思います。

他に吹奏楽作品で「桜」がモチーフとなっている作品として、

中橋愛生/閾下の桜樹~吹奏楽のための

高昌帥/桜花の光跡

天野正道/花の香 桜~桂花~薔薇が挙げられますけど、上記の三曲は私的にはあまりピンと心にくる曲ではないので、
今回は割愛させて頂きたいと思います。

余談ですけど、リードの交響曲第5番「さくら」~第二楽章では「さくら、さくら」のメロディーが朗々と響き渡りますけど、
この「さくら、さくら」の旋律を課題曲として執拗に引用した曲も実はあったりもします。
上記で2012年の課題曲Ⅰ/ さくらのうたは不人気課題曲と記しましたけど、7チームも全国で選曲してくれるチームがあったのは
幸いなのだと思います。
吹奏楽コンクールの歴史において、全国大会において全部門を通して1チームも演奏されることが無かった曲も実は
あったりもします。
しかもその課題曲は「さくら、さくら」がかなり執拗に引用され、曲の中に手拍子も入っていたりもします。

そうした「桜」をテーマにして日本の「さくら、さくら」を執拗に楽曲の中に組み込んでいるのに支部大会でも全国大会でも
ほとんど課題曲として選曲されていなかったのが1978年の課題曲Bで、マスク・カディッシュ等でお馴染みのマクベスが
作曲した「カント」です。
この課題曲こそは長い吹奏楽コンクールの歴史の中で「これぞ最大かつ究極の不人気課題曲」といえそうです。
1978年の課題曲は、極端に課題曲Aにばかり人気が集中する結果になってしまいました。
吹奏楽連盟は、当時の吹奏楽オリジナル曲としてはかなりの人気を誇っていたジェイガーとマクベスという
二人の巨匠に吹奏楽コンクール課題曲を委嘱したものの、その結果は、
なんと、マクベスの課題曲B/カントは、全国大会で演奏したチームは全部門を通して0チームという結果になってしまい、
「歴史に残る人気の無い課題曲」となってしまいました!
支部予選でもカントはほとんど演奏されませんでしたし、
聴いていても「さくら、さくら」がやたら引用される何を言いたのかさっぱり分からん曲・・・という感じでしたから
人気が無いのは仕方が無かったですね・・・・
当時の吹奏楽連盟としては、
「マクベスという大先生に恥をかかせてしまった!」みたいな「やっちまった感」はかなりあったのかもしれないです・・

この年の高校の部は、22団体中、実に18チームがこの「ジュビラーテ」を選んでいました!

あまりにもAのジュビラーテに人気が集中し過ぎるせいで
A以外の課題曲Cとか課題曲D/行進曲「砂丘の曙」を選ぶチームも少なくとても気の毒な感じもしました。
課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、もしも他の年ならばもう少し取り上げるチームも増えただろう事を考えると
勿体無い気はいまだに感じたりもします。

ちなみにですけど、1978年の全国大会にはジェイガーとマクベスも招待されていたと聞いたことがありますが、
ジェイガーは「してやった顔!」という感じで、
マクベスは「ジェイガーにこんなにも差を付けられてしまった・・」みたいな不本意感はあったのかもしれないですね・・


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最後に・・吹奏楽とは関係のない話ですけど桜というと私的には桜ミクフィギュアが大変印象的です~♪
桜ミクフィギュアは最近は毎年毎年プライズ系でもメーカー正規品でも新作が登場していて、その素晴らしい完成度の高さには
目を見張るものがあります。

桜ミクとは髪や衣装がピンク系で、桜の化身のような装いの初音ミクであり、
雪ミクが冬、雪をモチーフとしていることを受けて、春のモチーフである桜が全体にあしらわれています。
雪ミクと同様にすでにたくさんの立体化商品が世に出ています。

ちなみに上記の桜ミクは2019年の桜ミクのプライズ系フィギュアです。

プライズ系でも完成度はかなり高いですし、桜ミクらしい華やかさに溢れていると思います~♪

見上げるようなポーズやさくらんぼのアクセントがとっても可愛いフィギュアになっていますし、
雪ミクの純白さとは対照的に全体が桜の季節に相応しいピントーンに包まれた桜ミクだと思います。

これから桜の季節になりますけど、桜の木の下で並べて飾っておきたいぐらいの素晴らしい出来映えだと思いますね~♪
3月も中旬に入り南関東も随分と暖かくなってきて、これまでの寒さがウソみたいな雰囲気にも
なっていますけど、こうも暖かくなってくると桜の満開宣言も案外近いのかもしれないです。
東方式に表現すると春告精のかわいいリリーホワイトが満面の笑顔で「春ですよー」と春の到来を告知に 
やってくる日も間もなくという感じになりそうですね~♪

管弦楽曲で「春」のタイトルが付く曲というと、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」が一番有名なのかもしれませんが、
あの音楽は「春」というよりは「真夏の狂乱」みたいなイメージもあったりします・・
他にも、シューマンの交響曲第1番「春」とか コープランドのバレエ音楽「アパラチアの春」とか ドビュッシーの交響組曲「春」とか
色々とあるのですけど、どこか決め手に欠くような印象もあったりします。
上記の曲を聴いても決して楽しいとか東方のリリーホワイトの「春ですよー」みたいな気持ちにはちょっとなれないですね・・ 

そういう時はやっぱり元気が溢れる「吹奏楽」なのかな・・?

例えば・・・・

ホールジンガーの「春になって、王達が戦いに出向くに及んで・・・」とか
リードの序曲「春の猟犬」といった吹奏楽オリジナル作品は聴いていてウキウキとした気持ちになれますし、
いかにも「春が来た!!」という感じにもなれそうですね~♪
そう言えば、吹奏楽コンクールの過去の課題曲の中にも 「春」をイメージさせるすてきな曲もいくつかあったと思います。

その一つが1995年の課題曲Ⅱ/スプリングマーチだと思います。
この年の課題曲は、Ⅰ/ラメセスⅡ世に人気が一点集中してしまい 課題曲Ⅱ~Ⅳは高校の部では
あまり演奏されていなかったのは少しもったいない感じがありました。
Ⅰは確かにコンクール向きで演奏効果が大変得やすい反面、
クラリネットの技術は高度なものが要求されるし、ホルンの高音域はすさまじいものがありましたし、
冒頭のつんざくような高音の入り方はかなり難易度が高かったと思います。
その点、この年の課題曲Ⅱ~Ⅳは、技術的にそれほど難しくなく
皆、なぜか愛くるしくてチャーミングな可愛い曲ばかりだったのが大変印象的です!
(Ⅳの「アップルマーチ」もとっても可憐な曲の雰囲気が素晴らしかったと思います)

課題曲Ⅱ/スプリングマーチは、「春」を予感させる 聴いていて妙にウキウキとしてしまいそうな曲でした。
この曲、メロディーラインが滑らかで聴き易く出だしからすぐに曲の楽しさにメロメロになってしまいそうな曲だったと思います。
中間部も木管の響きが大変美しかったし、 その木管に交じる形で加わるミュートを付けたトランペットの音色が
とてもチャーミングでお茶目でしたし、ラストも少しテンポアップし 一気にたたみかけるように終わり
大変スッキリとした終わり方を展開していましたので 印象としてもとても爽やかな感じがしたものです。

このスプリングマーチですけど、色々と素晴らしい演奏は多かった中で
特に印象に残っているのは、与野高校・福岡工大付属高校・近畿大学だと思います。
特に近畿大学は、一点の濁りも無い「透明感とスッキリ感」がとても魅力的でしたし
与野高校の若々しい躍動感も素晴らしかったですけど、この年の与野高校は全国大会初出場とは思えない
堂々とした演奏が大変印象的でしたし、自由曲の交響詩「ティル・オイレンシュピゲールの愉快ないたずら」もホルンの
見事にソロを含めて堂々の圧巻の初出場初金賞だったと思います。
与野高校は埼玉県内でも公立高校としては大変な進学校としても知られていますし、最近はちょっとご無沙汰していますけど、
いずれ近い将来に名門が復活してくれる事を期待したいです!
福岡工大付属も課題曲は愛くるしく、自由曲の「トッカータとフーガニ短調」は荘厳にと対照的な色彩がとても印象的でした。

スプリングマーチ以外で春をイメージさせるすてきな吹奏楽コンクール課題曲マーチというと他には
マーチ・エイプリル・メイもすてきでしたね~♪
この楽しい行進曲は、1993年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲Ⅳでした。
最初は全然気が付かなかったのですけど、この曲のタイトルは、「行進曲」としてのマーチと
「3月」としてのマーチの二つを掛けているというか、何か洒落っ気のあるネーミングだったのですね・・
タイトル通り、3月~5月の何か春らしいウキウキした感じがよく出ていて、 3分半程度の曲なのですけど、
非常に洗練されていて、楽しく明るく、生き生きとして躍動感がある行進曲なので大好きなコンクール課題曲の一つです。
この課題曲が吹奏楽コンクールとして演奏されてた時は、既に現役奏者を引退済ではありましたけど、
こんな楽しい課題曲は是非演奏してみたかったです!
(こうした「すてきな春」をイメージさせる吹奏楽コンクール課題曲は他には1997年の「五月の風」も大変印象的です!)

1992年度までの課題曲はパターンとしては、書下ろしの作品が2曲にマーチが2曲という感じだったのですけど、
1993年以降、全日本吹奏楽連盟は、課題曲に関してはかなり大胆な改革を行い、
西暦の偶数年は、マーチ以外の書下ろしの曲、西暦の奇数年は全てマーチという事に改められました。
1993年は、この改革がスタートした最初の年で課題曲は全て行進曲でした。
やはりマーチは聴きやすいから、聴衆としては奇数年の方がありがたいですね。
個人的には、行進曲だけの年とかマーチ以外の年というように一つの方向性だけを押し付けるのではなくて、
92年以前のように行進曲・難解な曲・日本的情緒の曲・ポップス系など色々なタイプの曲をミックスしたほうが
バラエティーに富んでいて面白いと思いますし、
課題曲として何を選択するかという事でそのチームの個性も見えてくるようにも感じられます。
ちなみにですけど今現在の吹奏楽コンクール課題曲は、こうしたマーチだけとか書下ろし作品だけというのは廃止になり、
以前のようなミックス型に戻ったのはむしろ大正解のような気もします。

1993年の吹奏楽コンクール全国大会・高校の部は、ⅡとⅣに課題曲の人気が集中し、
ⅠとⅢを演奏するチームは極めて少なかったです。
確かⅠは基町のみ、Ⅲは埼玉栄と東海大学第四のみでした。
Ⅰが人気薄と言うのは何となくわかるのですけど 、Ⅲ/潮煙が意外と人気が無かったのは少し意外な感じもしたものでした。

この年の課題曲Ⅳ/マーチ「エイプリル・メイ」が実に楽しい曲で 、技術的に平易ながらも演奏効果が非常に高いという
コンクール課題曲としては大変お手頃な曲でしたし、
課題曲Ⅱ/スターパズルマーチも、「きらきら星」という誰もが知っている曲を引用していますので
ⅡとⅣの人気が高いのは「全く同感」という感じでしたね。

課題曲Ⅲ/潮煙は、技術的には相当難易度が高く、 トランペット(コルネット)のソロがかなり難しいという感じもありましたし、
粋な感じと楽しさを「楽に聴かせる」というのが意外と難しく あたりが高校の部で少し敬遠された理由なのかな・・・??
確かに職場の部のNTT中国も中学の部の袋原中はも
この課題曲Ⅲを選び、トランペットが外しまくって、両チームとも銅賞に留まっていました。

マーチ・エイプリル・メイは全国大会でも多くのチームが取り上げ、素晴らしい演奏を聴かせてくれていましたけど、
野庭・習志野・札幌白石の演奏が、その中でも特に素晴らしかったと思います。
特に習志野の木管の高音の透き通った響き、
強奏でも決して音が割れないし荒れない金管セクションの安定感は群を抜いていたと思いますし、
聴いていて、大変すっきり感の強い感じでした。
中間部の木管セクションの透明感・清涼感は、本当に素敵なものがありましたね。
札幌白石高校の「溌剌さ」も素晴らしいものがあったと思います!

やはり、こうしたすてきなコンクール課題曲マーチを改めて聴くと 「あー、春到来!!」という感覚になってしまいますね~♪


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あと少しで2021年冬アニメ作品も最終回を迎えるとは思いますけど、冬アニメが終わるとまたまた息つく暇もなく春アニメが
開始されますのでこちらも楽しみです。
昨年の春アニメは新型コロナ感染リスクの高まりによるアニメ制作現場の大混乱ということで多くの作品が放映中止または
延期に追い込まれたものですけど、今年はなんとかそうした事態が避けられるとうれしいです。

こうやって春アニメが近づく春の季節になると、過去に放映されていた作品の中で「春が近づくとついつい気分的に
見てしまいたくなるような作品」というと私的にはなぜか「カードキャプターさくら」を思い浮かべてしまいます~♪

その他には、CLANNAD・氷菓・花咲くいろは・D.C. 〜ダ・カーポ〜・冴えない彼女の育てかた・のんのんびより・スロウスタート・
四月は君の噓・放課後ていぼう日誌・恋する小惑星あたりかな・・?
V.ネリベルの魅力というものは、
静と動の対比というのか、強奏と弱奏の極端すぎるダイナミックスレンジの凄まじい幅広さだと思いますし、同時に
不協和音でも響かせ方によってはパイプオルガンのような透明で神秘的な響きにもなり得ると言う事を実証した事なのだと
思います。

V.ネリベルには色々と素晴らしい名曲が数多くあり、
私自身がネリベルで一番大好きな曲と言うと、言うまでもなく「二つの交響的断章」なのですけど、
不協和音の壮絶さという観点から言うと、「交響的断章」と「アンティフォナーレ」はまさに双璧だと思います。
私自身がこのネリベルの曲を初めて聴き初めてネリベルの世界に足を踏み込んだのは高校生の頃でしたけど、
「不協和音も響かせ方によっては、こんなに美しい響きにもなるしルガンみたいな重厚感溢れるサウンドになるものだ」
という事に生まれて初めて気が付いたものでした。
不協和音というと、全体合奏の時にも、そうした響きの箇所は当然出てくるのですけど、
吹いている立場で言うと不協和音は耳に不快な響きみたいな印象も持っていたものでした。
耳に不快というよりは、何か人間を不愉快な感情にさせる音楽が不協和音の響きではないのかな・・?と
感じていた時期もあったものでした。
そういう意味では、「不協和音=不快」という当時のイメージを完全に吹き飛ばしてくれたのが
ネリベルの交響的断章であり、それを決定づけたのがアンティフォナーレなのだと思います。
交響的断章は、そのテンションの落差の大きさには、毎回ゾクゾクするものはありますし、
中間部のシロフォーンのソロリズムには感動してしまいます。
こういう不協和音の塊のような曲でも、響かせ方によっては、パイプオルガンを彷彿とさせる「美しい響き」に
なるものだ・・と感じたものでした。
アンティフォナーレの、木管楽器の前半のすさまじい不協和音の響きは、叫び以外の何物でもないと感じます。
ムンクの「叫び」ではありませんが、何か正体がわからないものに対する不安やおののき、それに立ち向かっていく絶望感を
醸し出した曲のようにも感じます。
アンティフォナーレは、木管のあの壮絶な不協和音の響きは歯ぎしりのようにも確かに聴こえるのですけど、
間違いなく美しいとしか言いようがないというのが本当に不思議だと思います。

ネリベルと言うと冒頭で書いた通り、不協和音・オルガンのように壮麗で美しく重厚な響き・
鍵盤打楽器を中心とする打楽器の効果的な使用・鋭角な響き・バンダ(別働隊)の効果的な使用というイメージもありますけど、
それ以外に個人的に大変印象的な特徴と言うとティンパニにかなり重要な役割のソロを与えていて、それが大変効果的に
決まっているという事も挙げられそうです。
二つの交響的断章の第二楽章冒頭のティンパニソロや交響的断章の終結部近くの煽るような畳み掛けるようなソロも
大変印象的ですけど、アンティフォナーレ冒頭のティンパニの完全ソロの強烈なインパクトや
トリティコ第二楽章冒頭の怒涛のソロもかなり効果的だと思います。

「アンティフォナーレ」とはラテン語で、ローマ・カトリック教会の聖務日課のための聖歌集という意味です。
そして同時に、二つの楽器以上の楽器群がそれぞれ別の場所から交互に「音を交し合う」という意味もあるとの事ですけど、
私自身のイメージとしては、
何かヨーロッパの中世の荘厳なお城における建築美みたいなイメージもあったりもします。
この曲の特徴の一つでもある「バンダ」(金管別働隊)なのですけど、これは、
トランペットとトロンボーン各3本の金管6重奏と吹奏楽本体の響きの掛け合いが大変効果的で、
同時に、管楽器と打楽器の応酬も随所に見ることができます。
(バンダは、確かスコアの上では客席から吹く事が求められていたと記憶していますが、
実際の吹奏楽コンクールでは、バンダ自体を配置しないか、バンダを配置する場合もステージ袖に
配置されている事が多いです。
バンダが配置されていると、確かに音が二方向から聴こえますし、視覚的にもかなりのインパクトは残していると思います)

「アンティフォナーレ」は、空間を縦に割るかのようなティンパニの4音から開始されます。
あのダ・ダ・ダ・ダン!という無機質な4音は、それだけで何か「荘厳さ」を感じさせてくれます!
その後は波を打ったような静けさの中神秘的な語法で曲は進みますが
前述の通り、前半部分の木管セクションの鋭いあの不協和音の響きは、まさに美の限界だと思いますし、
あの響きは、何度聴いても私には「叫び」にしか聞こえないです!
中間部の静粛さは、まさに神秘的な響きです。
特にフルートのソロは、寂寥感みたいな響きだと思います。
前半部分があまりにも木管もそうでしたけど、金管の凄まじく荒れ狂った不協和音のオンパレードでしたから、
この中間部の静けさが逆にひそやかさを感じさせてくれます!
あの雰囲気は、たとえて言うと、魑魅魍魎・百鬼夜行の行列の中に、天使が紛れ込んでいた
みたいなイメージが私の中にもあったりします。
鍵盤打楽器やチャイムを伴った金管楽器により静寂は再び破られ、
再度金管セクションによる壮絶な不協和音の展開が再現され、そこにバンダの効果が加わり、
まさに曲自体が収拾のつかない状態になりそうな雰囲気の中、
再びトランペット、トロンボーンそして吹奏楽団全体との掛け合いが長短に達し、
ドライブをかけてコラールのような神聖な歌を伴いつつ感動的なクライマックスへ一気呵成に曲は閉じられていきます。

アンティフォナーレは大変な難曲ですし、必ずしもコンクール向きの曲ではありませんので、
吹奏楽コンクール全国大会では、2018年末時点で6チームぐらいしか演奏されていません。
だけど、この曲の演奏には、一つとてつもない歴史的名演があります!
もちろん、小牧中・大曲吹奏楽団・北教大旭川分校・福岡工業大学などの演奏もそれぞれ一長一短があり、
部分的には素晴らしいところも確かにあるのですけど、
1982年の近畿大学のあのアンティフォナーレのウルトラ歴史的名演を超える演奏にはいまだにお目にかかっていません。
否! あの1982年の近大の名演を超越する演奏は、多分ですけど未来永劫現れないとすら私は思っています。

「トリティコ」は確か、「三つの宗教的絵画」という副題があったような気がします。
確か私の記憶では、三枚の絵画にインスピレーションを得たネリベルが三楽章の曲を書いたというのがこの曲らしいです。
楽章ごとに特にタイトルはありません。
比較的初期の作品のせいか、 後年の作品のような、恐ろしいまでのダイナミックスの落差とか静と動の極端な対比や
不協和音の壮絶な響きなのにまるでオルガンのように美しい壮麗な響きはそれほどは感じられないのですけど、
それでも随所(特に第二楽章)にダイナミックスレンジの落差や美しい不協和音の響きが感じられます。
曲の構成としては第一楽章と第三楽章のスピード感に対して中に挟まっている第二楽章のゆったりとした雰囲気という感じで
曲としては急-緩-急と構成上のバランスが実に巧みに計算されているようにも感じられます。
第一・第三楽章のスピード感や駆け抜けるような雰囲気は私も大好きですし、特に第三楽章の疾走感も
素晴らしいと思います!
第三楽章の不協和音の和音の美しいはもりも、演奏チームが上手い場合は十分に感じ取れるはずだと思います。
第二楽章の冒頭は意表を付いてティンパニ2セットによる轟音が大変印象的です。
あの部分は二人のティンパニ奏者が大活躍するのですけど、あの凄まじいロールの響きは、
どことなくですけど小山清茂の交響組曲「能面」を彷彿とさせるようなものがあるとも感じます。
第二楽章は2セットのティンパニ以外では、アルトサックス・テナーサックスのソロが大活躍振りも大変印象的です。
94年の東海大学第一は、第二・第三楽章の抜粋なのですけど、第二楽章のティンパニの轟音的ソロから
金管セクションの咆哮で曲を終結し、そのまま第三楽章になだれこんでいますので、サックス系のソロが
無残にもカットされ少々残念です。
サウンドも粗いしかなり強引なドライヴですし、曲が終わると同時にやらせのブラボーコールは明らかにやり過ぎだと
思いますしちょっと興醒めな印象は拭えないと思います。
後年、生徒へのセクハラ&パワハラで逮捕&結果的に吹奏楽界からの永久追放のような形になってしまった榊原先生の
ガニマタ指揮も印象が極めて悪いですね・・


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アンティフォナーレの吹奏楽コンクールの超名演というと1982年の近畿大学に尽きると思います!
近畿大学の演奏はも曲の持っている「叫び」というか、形式美を重視している一方で、
何かとてつもなく大きなものに無我夢中で挑んでいくみたいな印象があります。
全般的に早いテンポで進んでいきますが、不協和音が雑音には全く聴こえず、むしろ美しく聴こえるのが素晴らしいです!
前半の壮絶な木管セクションの不協和音による「叫び」はまさに素晴らしいです!
ラストの小太鼓のリズム感・追い込みも圧巻です!
中間部のフルートソロも大変美しいし、そこには「もののあはれ」みたいな寂寥感すら感じさせてくれています。

やや硬い金属的な音のサウンド近畿大学の音質がこの曲に非常にマッチしていたと思います。

「アンティフォナーレ」は21世紀に入っても全然色褪せる事のない名曲だと思うのですけど、
2008年を最後にこの曲は全国大会では演奏されていないのですが、
どこかのチームが、今現在の感覚でシャープに美しく素晴らしい演奏を聴かせてくれることを今後大いに期待したいと思います。
「トリティコ」は1983年の大曲吹奏楽団と94年の東海大学第一以降演奏自体ほとんどされていませんし、この曲は
いまだに決定的名演が出ていませんので、どこかのチームが新しい感覚でこの曲に息吹を吹き込んでくれたら
とても嬉しいです。

改めてアンティフォナーレとトリティコのティンパニソロは痺れるものがあります!

こういうティンパニ奏者冥利に尽きるティンパニソロは、美少女JKさんに是非叩いて頂きたいものです~♪
「浜松」と言うと、私的には「音楽の街」というイメージがあります。

私的には静岡県というと大変温厚な土地柄で温和な人たちが多いという印象がありますし、
浜松にはヤマハがあるという事で「音楽の町」というイメージもあったりします。


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静岡というと楽器以外ではお茶・みかん・うなぎといった素晴らしい特産品がめじろ押しですし、
一部の方においては「静岡県はアニメ放映不毛地帯」という方もいるようですけど、静岡の沼津は
「ラブライブ! サンシャイン!!」の聖地でもありますので、埼玉県民の目では「人気作品のモデル地とはうらやましい!」という
感じでもあります。
埼玉も昨年春アニメの「球詠」の聖地でもありますし、2020年夏アニメの「エグセロス」の聖地でもありましたし、
実は埼玉が聖地のアニメ作品は山ほどある事を考えると「埼玉はいいところだよね~♪」と思わざるを得ないです~♪

そして静岡と言うと、日本のモノづくりをサブカルチャー的にとことん追求したのが日本が世界に誇るべき
日本のアニメとガンプラ等に代表される日本の素晴らしき模型・フィギュアの制作の聖地でもあります!
日本の模型作りの聖地というと東京とか秋葉原といったイメージもありそうですけど、実は静岡県こそが
ホビーの町というか模型の町の聖地と言えるのだと思います。
静岡市を中心とする地域はプラモデルやラジコンを代表に玩具産業が盛んで、タミヤ・バンダイ・アオシマ・ハセガワなど
大手玩具・模型メーカーが本社や工場を静岡県内においていますし、
特にプラモデルに関しては全国売上シェア約90%が実は静岡県が占めていたりもします。
1979年に放送が始まった大人気アニメ「機動戦士ガンダム」のプラモデルは静岡市葵区のバンダイホビーセンターが、
その一大生産拠点であり、「模型の町・静岡」を象徴していると言えそうです。
そして吹奏楽・管弦楽経験者にとっては静岡というと楽器製造の街という印象が強いですし、それを象徴しているのが
ヤマハだと思いますし、吹奏楽コンクールにとってはヤマハ浜松のインパクトは絶大なものがあると感じられます。
元来、浜松市はオートバイや木工・繊維関連など、「モノづくりの街」として名を知られていますけど、
やっぱり最たるものは楽器制作です!
河合楽器製作所・ローランドなど、名だたるメーカーが浜松市に集結していますし、国内でのピアノ生産量は静岡が1位です。

やはり浜松は「世界最大規模の楽器の街」という印象が強いですね~♪

ついでに書くと、私の勝手なイメージがあるのかもしれませんけど、静岡県はとても住みやすい街というイメージが強いです。
気候が温暖で、住んでいる人達も温厚な人柄の方が多く、食べ物も美味しいし
同時に「おっとり」というすごくいいイメージがあります。
あくまで個人的な話なのですけど、知人とか職場で知っている人で静岡出身の人は皆さん温厚で温和で
人間的に魅力がある人が多いみたいなイメージがあったりもします。
どうしてそうした印象を持っているかと言うと、
以前もこのブログで書いている通り、私自身は1990年~96年の間はとある金融機関の山梨県の支店に在籍していたもので、
その際の甲州人の「強引さ・よそ者排除意識・身内意識の強さ・甲州弁のガラの悪さ」等に
いささかうんさ゜りしていた面もかなりあり(勿論、甲州には甲州の良さは一杯ありますよ・・・)
当時、仕事上、隣接県という事で静岡の方と色々と接点を持つ機会も多く、その人柄の良さ・おっとり感に正直驚いてしまい、
「どうして隣同士の県なのに、こうまでも違うんだ! やっぱり今でも県民性の違いってあるもんだ!!」としみじみと感じたものです。

話が冒頭からそれまくりですけど、ヤマハ吹奏楽団浜松は、さすが楽器メーカーだけの事はあって
古くから日本の吹奏楽界をリードし続けた素晴らしい吹奏楽団の一つだと思います。
特に何が素晴らしいかと言うと圧倒的に高い技術力もそうなのですけど、
日本の有能な作曲家に曲の提供、つまり委嘱作品をお願いする事によってその委嘱された曲をコンクールの自由曲として
演奏する事で、邦人オリジナル吹奏楽曲を数多く世に送り出してきたという事が
実は最大の貢献なのではないかと思ったりもします。

一例をあげると・・・

〇保科洋/交響的断章・カプリス・カタストロフィー・古祀

〇夏田鐘甲/ファンタジー

〇田村文生/アルプスの少女

〇田中賢/メトセラⅡ・紅炎の鳥・南の空のトーテムポール・始原Ⅰ~大地の踊りなど

〇藤田玄播/天使ミカエルの嘆き

この中では、今では演奏されなくなった曲もありますし、現在に至るまで積極的に演奏され続けている曲もあります。
こうやって、後世に受け継がれていく曲を委嘱と言う形で世に送り出し続けた
ヤマハの貢献度は、本当に素晴らしいものがあると思います。

ヤマハ浜松は、最初にコンクール自由曲用の委嘱作品は実は邦人作品ではなくて、
「アンティフォナーレ」や「二つの交響的断章」でお馴染みのネリベルだという事は案外知られていないのかもしれないです。
当時のヤマハ浜松の指揮者の原田元吉氏がわざわざ訪米し、ネリベルに直々に
「是非我が吹奏楽団のために曲を書いて欲しい」と依頼し、そこで出来上がった曲が「ヤマハ・コンチェルト」なのです。
そしてヤマハ浜松は1970年の全日本吹奏楽コンクールにこの「ヤマハ・コンチェルト」を自由曲として出場し、
見事にグループ表彰制度開始のこの年に金賞を受賞しています。

この曲を知っている人、現在いるのかな・・? というかほとんど忘却の彼方の曲でもありますし
ヤマハ浜松以外はほとんど演奏された事もない曲ですので、「誰も知らない・・」という曲といえるのかもしれないです。
以前当ブログでこの曲について書いたところ、なおりパパ様より「この曲、知っている!」とコメントを頂いたこともあり、
「この曲をご存知の方がいて安心した・・」と妙に(?)感激したものでした!

「ヤマハ・コンチェルト」は、曲自体は意外と短く5分程度の曲です。
しかもネリベルとは思えないほど何か微妙に可愛らしい要素もあり、
「交響的断章」・「アンティフォナーレ」みたいな恐ろしいほどの不協和音とか畏敬を感じるほどのダイナミックスレンジの
落差の激しさという要素はほぼ皆無です。
曲のラストも、優しく可愛らしくチャーミングに終わり、思わず拍子抜けするほどです。
どちらかというと古典的な佇まいで誰しもから愛される資格がある雰囲気すらあると感じられます。
この前年度、1969年には、ヤマハ浜松は同じ作曲家の「フェスティーヴォ」を自由曲として取り上げていますが、
フェスティーヴォはいかにもと言う感じのネリベルらしい作風であり、ヤマハ・コンチェルトとの対照性を感じたりもします。

予想外の可愛らしさというか、管楽器の音の組合せの楽しさを発揮したのが
「ヤマハ・コンチェルト」の最大の魅力なのかもしれないですね。
ネリベルの残した吹奏楽オリジナル作品の中でヤマハ・コンチェルトに近いかも・・と感じられそうな曲が
「プレリュードとフーガ」なのですけど、プレリュードとフーガも終わり方がヤマハ・コンチェルトとどことなく似たような雰囲気も
あったりします。

ヤマハ浜松と言うと、知る人ぞ知る話かもしれませんが、1974年の全国大会には出場していません。
実は意外だったのですけど、東海大会の段階で、新日鉄に代表の座を奪われてしまいました。
ヤマハ浜松というと当時は既に王者の貫録という感じでしたけどまさか新日鉄に敗れるとは意外だったでしょうね・・・
ちなみに新日鉄のその時の自由曲は、リードの「ジュビラント序曲」でした。
1974年のヤマハ浜松の自由曲は、保科洋の「吹奏楽のためのカプリス」という大変地味で陰気な印象のうすい曲であった
というのがもしかして敗因かどうかは定かではないですけど、
1975年のヤマハ浜松の自由曲は再度二年連続してこの、保科洋の「吹奏楽のためのカプリス」でしたので、
原田元吉氏としても余程悔しいものがあり、雪辱を果たしたかったのかもしれないです。

ヤマハ浜松は、2015年度より、吹奏楽コンクールへの参加と大都市圏でのコンサート開催を1年おきに実施し、
活動を2年周期で展開していく方針であることが発表していますけど、吹奏楽コンクールの出場は毎年ではなくて
2年に一度という事にしているようです。
ヤマハ浜松としてはコンクールで毎年のように金賞を受賞するというある意味マンネリを重ねる事よりは、
少しでも多くの人たちに吹奏楽オリジナル作品を聴いてもらうために演奏会を数多く開催する事の方を大切にしたいという
意図があるのかもしれないですけど、これは大変尊い事だと思いますし、どっかの関西代表チームのように
コンクールで金賞を取る事に特化し自由曲を特定の二曲しか演奏しないという学校の指導者にヤマハ浜松の姿勢を
見習ってほしいものであるということを感じずにはいられないです。
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日本の拍子木

最近では自治会とか町内会に加入している世帯も減少傾向ですし、以前ほど町会における個人同士の交流が
見られない中において、町内会や自治会が主催する夜回りというのもあまり実施されていないような気もしますし、
聞いた話では、夜回りでの「火の用心!」と言った掛け声すらも騒音という事でクレームが上がる事も決して珍しくはない
という事でなんだか本当に世知辛い世の中になったものだ・・と感じてしまいます。
特に最近では新型コロナの自粛モードによるイライラやストレスがそうした世知辛いクレームにも繋がっているのかも
しれないです。

さてさて、そうした町会・自治会での夜回りの小道具として欠かせないのが「火の用心!」という掛け声とともに
カチカチ!と小気味よいリズムを響かせてくれる拍子木なのだと思います。

拍子木とは、拍子を取るための木の音具です。
両手に持って打ち合わせると、カンカンとかカチカチいったと高い澄んだ音が出るのがリズム的には大変心地よいです。

この拍子木は日本においては古来様々な用途に用いられてきた経緯があります。

それでは具体的にどのような時にこの拍子木が使用されていたのかを簡単に列記してみたいと思います。

1.楽器として​使用

雅楽、祭りのお囃子などのリズム楽器として使用されていたのが本来的な使われ方ですけど、現代音楽でも
稀に使用される事もあったりします。
後述しますけど吹奏楽コンクールの課題曲において打楽器の一つとして使用されていた事もあります。

クラシック音楽で拍子木が最も効果的に使用される楽曲として大変名高いのが外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」だと
思いますし、この曲において拍子木は冒頭からいきなりソロ的に使用されていたりもします。
吹奏楽コンクールとしては、1980年の課題曲A/ 吹奏楽のための花祭りと同じく80年の課題曲C/ 北海の大漁歌などで
使用されていたりもします。

2.相撲の呼び出し

呼出しが拍子木を打って、士の名を呼ぶ際に使用されます。

大相撲の呼出しが使う拍子木は、桜の木が使われているそうです。

3.歌舞伎等の舞台で​の使用

歌舞伎の世界においては芝居の開始時の合図として使用される時もありますし、
役者の足取りに合わせて打たれたる等動作や物音を強調する為にも用いられる事もあります。

4.紙芝居での使用​

昭和初期から30年代にかけて下町で人気のあった紙芝居屋は、自転車で町々を回って拍子木を打ち鳴らし、
子供を集めて飴を売り紙芝居を見せた時代もあったりしました。

5.夜回り、夜警​での使用

上記で記したとおり、自治会・消防団などが夜回りを実施する際に「戸締り用心、火の用心」と声をあげながら、
拍子木をカチカチッと打ち鳴らして歩く姿は昭和の頃はお馴染みの光景でもありました。

6.格闘技で​の使用

プロボクシングでは、ラウンド終了10秒前を知らせるためにタイムキーパーが拍子木を打ちますけど、
これは日本のみならず世界共通のルールなそうですけど、
実際に拍子木を使うのは日本だけで、アメリカ等では機械で打っているそうです。

7.宗教行事​での使用

祭礼 山車の運行に拍子木の音によって、止まれ、ススメ、回れ、などの合図をする事もあります。

仏教など 宗派によっては、読経の折などに拍子木で拍子をとる宗派もあるそうです。

また拍子木は、天理教のおつとめに使う鳴物のひとつでもあり、お歌の拍子をとるために使われています。

そう言えば、1975年の天理高校の吹奏楽コンクールの自由曲が天理教の始祖の中山みきを題材にした
交響詩「おやさま」~第二楽章でしたけど、この曲の展開部において拍子木がカチカチと他の楽器を先導していったのは、
天理教のおつとめの様子を示唆したものなのかもしれないです。


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西洋の打楽器のクラベス

拍子木は日本の和の鳴り物ですけど、西洋における似たような楽器というと「クラベス」といえそうです。

クラベスは2本の棒状の木片を打ち合わせることで明るいカチカチとした音を出しますけど、
日本の楽器の「拍子木」と極めて近いものがあると思います。

そしてこのクラベスが効果的に使用された吹奏楽オリジナル作品として極めて名高いのは、J.B.チャンスの「呪文と踊り」
なのだと思います。

「呪文と踊り」は実に単純明快な二部構成でフルートソロから開始される神秘的な「呪文」の部分と
打楽器のエキゾチックな響きが実に印象的な「踊り」の部分から構成されていますけど、
この二つの部分の明確な相違性によるドラマ性とか打楽器の効果的使用といった巧みな楽器構成とか
実によく考えられた作品だと思います。
こうしたシンプルさと分かりやすさというのが、この曲を作曲から40年近く経過しても演奏され続けている大きな要因にも
なっていると思いますし、この曲を吹奏楽オリジナル曲の名作としていまだに名を馳せている理由にも
なっているような気がします。
曲が単純明快なだけに、飽きが来やすいとも思うのですが、長期間多くのチームによって演奏され続けているという事は
演奏するごとに新しい発」があるような曲と言えるのかもしれません。

この曲の「踊り」の部分では打楽器が大活躍します。
冒頭の「呪文」の部分は、かなり長いフロートソロから開始され、序盤はゆったりとした展開がかなり長く続き
かなり不気味な雰囲気を演出しています。
この不気味さはおどろおどろしい感じでもあり、いかにも「呪文」という雰囲気に満ち溢れ、聴き方によっては
呪文は呪文でも人を呪い殺すような呪文のようにも感じたりもします。
そして前半の呪文の部分が閉じられると、いよいよ「踊り」の部分が開始されます。
この踊りの部分なのですけど、マラカスから始まって、打楽器が一つずつ加わっていく感じで曲が展開されていきます。
その打楽器の順番は、マラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレスの順に加わっていきます。
この部分はパーカッション奏者にとっては大変プレッシャーが掛る大変な部分ですけど同時に大変な腕の見せ所だと思います。
全体的にこの曲はかなりの数の打楽器を使用しますし、
奏者は、フルスコアを見れば一目瞭然なのですけど、ティンパニが1名・残りの打楽器に6名、合計7人は絶対に必要です!
というのも、7人が同時に音を出す箇所もあるので、打楽器奏者の数を減らす事は、何らかの楽器の音を
削除することになってしまい、この曲の魅力が明らかに薄れてしまうのであまりやっては欲しくないですね。


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打楽器パートは一般的には、ティンパニ奏者を頂点に、大太鼓・小太鼓(スネアドラム)・トムトム・ドラムセット等の太鼓系、
シンバル・サスペンダーシンバル・ドラなどの鳴り物系、
グロッケンシュピール・シロフォーン・ヴィヴラフォン・マリンバ・コンサートチャイム等の鍵盤打楽器系、
そしてタンバリン・トライアングル・カスタネット・マラカス・拍子木などの小物打楽器系、
そして場合によっては和太鼓といった特殊楽器やはたまたピアノなど、
打楽器奏者はマスターすべき楽器が大変多いというのが大きな特徴なのだと思います。

基本的にティンパニ奏者が他の打楽器と掛け持ちする事はほとんどないのですけど、吹奏楽コンクールにおいては、
打楽器奏者が少ない割にはかなりたくさんの打楽器を使用する楽曲において、たまにティンパニ奏者もそうした小物打楽器と
掛け持ちする事もあったりします。
そのいい例が1987年の武蔵村山第四中学校の自由曲のレスピーギの交響詩「ローマの祭り」なのだと思います。
ローマの祭りはプロの管弦楽団の演奏会でも打楽器奏者を11人近く使用するほど複数の打楽器が大活躍する曲ですし、
吹奏楽コンクールでは1987年当時の規定では50名以内の人数に抑えないといけないため、ローマの祭りを自由曲にすると
打楽器奏者にそれでも7~8人程度は当てる必要はあるのですけど、武蔵村山第四中の当時の打楽器パートの人数は
私の記憶では確か6人という事もあり、主顕祭においては部分的にティンパニ奏者がタンバリンを掛け持ちしていたりも
していたものでした。

異なる打楽器の掛け持ちは基本的には打楽器パート内でやりくりするものですけど、
私の出身中学校のような田舎のポンコツ吹奏楽部ですと、打楽器のやりくりの調整が付かない場合は、場合によっては
チューバ・コントラバス・ファゴットなどがたまに部分的に打楽器を兼任する事もありました。
私が中学3年の時の課題曲がCの「北海の大漁歌」でしたけど、この時には前半のソーラン節のフレーズの際の合いの手を
入れる打楽器として拍子木を小気味よくコーンコーンと鳴らしていましたけど、あの場面においては
うちの中学校の打楽器パートの人数が少なくてソーラン節の場面において拍子木を叩く人がいないという事で、
ファゴット奏者がファゴットの位置から拍子木を掛け持ちしてコーンコーンと打ち鳴らしていたのが大変印象的でした。
当時のファゴット奏者の女の子は、練習中はその拍子木を譜面台に置いていたのですけど、ある時の練習で
譜面をめくる時にうっかり拍子木の一片を床に落としてしまい、咄嗟の判断で残りの一片の拍子木を自らの楽器の
ファゴットに打ち付けてコーンコーンと鳴らしていて、問答無用で指揮者の先生から
「拍子木を落すな!」とか「ファゴットみたいな高価な楽器を打楽器として使用するな!」などうるさく叱られていましたけど、
ファゴット奏者の隣の席にいて当時はアルトサックス奏者だった私は「なるほどね~!咄嗟の判断でそうした事ができるのは
むしろ尊い事なのかもしれない・・」とむしろ感動したものでした~♪
あのファゴットの女の子もアルトサックスやテナーサックスの後輩の女の子たちも当時は私同様かなりの頻度で
指揮者の先生から連日連日「へたくそ」などと怒鳴られ怒られてばかりでしたけど、こういう時って意外と
精神的に強さを発揮して「怒られてもしゃーないじゃん!」と凹まず次の瞬間には立ち直ってしまうのがむしろ女の子の方で、
男性奏者はむしろそういう時ほど案外ポッキリと心の支えが折れてしまいがちで、危機に強いのはむしろ男よりも
女の子の方なのかもしれない・・という事を当時は感じていたものでした。

そしてそれに近い話が同年・・、1980年の吹奏楽コンクール・全国大会にて当時は「5年連続金賞」という偉業に王手を
掛けていた秋田南高校の課題曲でも起きていました。

このブログでは何度も何度も1980年の秋田南高校の精神的に研ぎ澄まされた小宇宙を形成している様な
ピーンと張りつめた劇的緊張感と重度の精神的緊張感をほぼ完璧に吹奏楽として表現した秋田南高校吹奏楽部の事を
語り尽くしていますので詳細はここでは省力しますけど、その自由曲の三善晃/ 交響三章~第三楽章の前に
演奏されていたのが課題曲Aの吹奏楽のための「花祭り」でした。
課題曲A/花祭りも、素朴な味わいが伝わってきて、見事だと思いますし、ソロも含めて各楽器の透明感は
群を抜いていると思います。
その課題曲の終結部近くでちょっとした事件が起きていたものでした。
その事は後日のBP(バンドピープル)の記事の中に書かれていましたけど、課題曲の終結部近くでオーボエが朗々と
ソロを吹く手前で、 拍子木が二回ほどカチッカチッとソロとして音を立てる場面があるのですけど、
この拍子木を担当する打楽器奏者が、ソロの直前で片方の拍子木を落としてしまうというハプニングに直面したとの事です。
拍子木を拾う時間がないため、咄嗟のその打楽器奏者の判断で片方の拍子木を急遽確か譜面台だったと思いましたが。
打ち付けたけどスカッとした音で不発に終わったものの、
二発目をまたまた咄嗟の判断で二回目は課題曲で使用していた和太鼓の側面部分に叩き付けた所、二回目は見事に成功し、
結果的に音が何も入らない空」を回避できたという経緯もあったとの事です。

普門館のドラマは色々と興味深いものがありそうですね・・・

そうしたちょっとした動揺を誘う事件があったにも関わらず、自由曲でのあの研ぎ澄まされた歴史的名演は驚愕以外の
何者でもないです!

拍子木を落してしまったものの、うちの中学校はファゴットに打ち付け、秋田南高校は和太鼓の側面に打ち付けるとは
咄嗟の対応の違いも興味津々でもあります。

最後に・・・1980年の課題曲C/ 北海の大漁歌は上記で触れた通り、前半のソーラン節の合いの手として拍子木を効果的に
使用していましたけど、面白い演出は青森県信用組合だと思います。
青森県信用組合はステージ内に大きな「丸太」を持ち込み、
譜面上では、拍子木指定の部分をこの丸太でコーンコーンと打ち鳴らし、一定の効果を得ていたのは大変ユニークでした!
(1980年のBPのコンクール写真の中に確か青森県信用組合の「北海の大漁歌」で使用した丸太が掲載されていたと
記憶しています・・)
本日、12月21日は「冬至」です。

冬至は毎年同じ日という訳ではなくて、12月21日と12月22日の2パターンがあるようです。
(稀に1920年のように12月23日が冬至ということもあったようです)

ちなみに昨年の冬至は12月22日でした。

冬至が過ぎてしまうと、クリスマス~お正月の準備~大晦日とあっという間に一年が駆け足で 過ぎていきそうな気がして
ならないです。

冬至とは一年で昼が最も短い日で、北半球において太陽の位置が1年で最も低くなる日で、日照時間が最も短くなります。
太陽の位置が1年で最も高くなる夏至と日照時間を比べると、
北海道の根室で約6時間半、東京で約4時間40分もの差があるとの事です。
そして冬至とは具体的にもっとわかりやすく言うと、一年の中でもっとも日照時間が短い日の事を指します。
感覚的には、一年で最も寒い時期が2月だから一年で最も日照時間が短そうな時期って1~2月というイメージも
ありそうなのですけど、実際は12月というのも子供の頃には意外に感じていたものです。

さてさて、冬至とか夜明けというワードを耳にすると、思い出してしまう吹奏楽オリジナル作品が一つあったりします。
それがホヘアー作曲交響曲第1番「ストーンヘンジ」です。
この曲以前は「ストーンヘンジ交響曲」と表記されていましたけど、
ストーンヘンジの作曲以降、交響曲第2~4番が作曲されて、
交響曲第1番「ストーンヘンジ」というタイトルに変更されたという経緯があったりもします。

ホエアーという作曲家は、もう日本の吹奏楽界では忘れられた作曲家になってしまうのかもしれないです。
この作曲家の曲が吹奏楽コンクールでは、もうほとんど聴かれなくなったのは少し寂しい気持ちもあったりします。
私が中学~高校の頃は、ホヘアーというと、このストーンヘンジ交響曲以外においては、

〇ペレロフォン序曲

〇セレブレーション21
 →1981年の都大会で瑞穂青少年吹奏楽団の超名演があったりもします。
  ちなみにあの年の演奏が結果的に瑞穂青少年吹奏楽団最後の普門館での支部大会・全国大会の演奏になりました。 
  余談ですけど、1989年の都大会一般の部予選会は霊友会小谷ホールで開催され、あの時の瑞穂はワーグナーの
  歌劇「タンホイザー」序曲で出場し銀賞を獲得しましたが、もしかしたらあの演奏が2020年現在で瑞穂の最後のコンクール
  演奏になっているのかもしれないです。

〇エルシノア城序曲

といった曲が大変記憶に残っています。1970年代の頃ですとエルシノア城序曲は支部大会でもかなり演奏されていたと
思います。

ストーンヘンジ交響曲は、 イギリスの平原の中にあるサークル上の巨石遺跡をテーマにした交響曲なのですけど、
どちらかというと、具体的なイメージに基づく音楽的風景と言うものではなくて、
イメージとか雰囲気に基づいた曲と言えます。
ストーンヘンジ遺跡は、夏至の日の太陽がまっすぐに祭壇石を照らすと言われていますけど、
そうした太古の昔の人達の儀式とかを抽象的に描いた作品とも言えます。

過大評価すれば、吹奏楽版「春の祭典」と言ってもいいのかもしれませんね。
私の感覚としては、ストーンヘンジ交響曲の第三曲の「いけにえ」とストラヴィンスキーの「春の祭典」第Ⅱ部~いけにえは
もちろん作風も表現スタイルも全然異なるのですけど、伝えたい事はどちらの曲も「なんか似ているよね・・」と
感じてしまいます。

このホヘアーの交響曲第1番「ストーンヘンジ」は、以下の三つの楽章から構成されます。

Ⅰ.冬至の日の夜明け

 コンクールのプログラムや文献では、「冬至」と書かれていたり、「夜明け」と表記されていたり、
 「冬至の日の夜明け」と記されていたり、不統一な感じもします。
 私の感覚的には「冬至の日の夜明け」という表題の方が厳格さ・冷たさ・自然と神への畏敬という雰囲気が
 よりイメージされやすいようにも感じます。
 導入部分は、ウインド・マシーンが荒涼とした平原を吹きわたる風を表現し、
 断片的 に加わる管楽器や打楽器が神秘的なムードを醸し出しています。
 途中、ややテンポを上 げたところで音楽は大きく盛り上がり、ホルン、そして木管楽器による叫びが聞こえ ます。
 その後、神秘的なムードが再現され、曲は静かに閉じられます。

Ⅱ.招魂

 第一楽章からのアタッカで始まり、打楽器が刻む行進曲風のリズムにホルンの ファンファーレ風のフレーズに
 呼応するようにトロンボーンとユーフォニアムの ユニゾンがテーマを歌いだしていきます。
 その後、少しテンポを上げ、トムトムの刻む リズムに乗って鼓動は高まりますけど、
 やがて速度を落とすと、オーボエがそれまでの雰囲気とは対照的に女神のような慈愛みたいな雰囲気の音楽が
 奏でられていきます。
 全体的には、古代の神や魂を呼び起こす情景を描いた音楽と言えると思います。

Ⅲ.いけにえ

 曲全体を一言で言うと、とにかく打楽器の数が多いだけではなくて打楽器が最初から最後まで大活躍をします。
 躍動感溢れるリズムの歯切れ良さと金管楽器の爆発は、大変迫力があります。
 ミステリアスな部分と金管楽器が咆哮する大変スケールの大きな部分の落差と言うか
 そのダイナミックスレンジの幅がかなり広いのが大変印象的です。
 全体的に躍動感が素晴らしい曲だと思います。
 私の個人的な感覚では、「非常にメカニックな曲」と感じています。
 抒情的な雰囲気はそれほど感じないのですけど、
 迫力と明暗の対比を音楽に求めるならば、これほどうってつけの交響曲はないと思います。
 機械的な精緻な雰囲気が極限にまで拡大しているという印象も感じられたりもします。
 第一楽章と第三楽章のラストでウインドマシーンが登場し、
 曲全体のラストもウインドマシーンによる風の音で静かに閉じられますけど
 この「寂寥感」が何とも言えないと思います。
 
本日のような冬至の日は、第一楽章前半とか第三楽章のラストの静粛さと荘厳さが雰囲気に相応しい感じもありそうです。

この曲は全国大会では一度しか演奏されていませんけど、この唯一の演奏がとてつもない名演だと思います。
それが1980年の天理高校なのですけど、
この時の天理は、珍しくも完全にあっちの世界にいっちゃっているような感じもあったりもします。
新子先生の天理高校というと大変知的で理性的という印象が強いのですけど、この年に限っては
「狂気」という側面がかなり濃厚に出されていると感じられます。
この年の天理の課題曲D/オーバー・ザ・ギャラクシーが大変理性的に精緻に表現しているのとは対照的に
自由曲のこの「ストーンヘンジ交響曲」は、感情や本能が命ずるままに自由に吹いているという印象が大変強いと思います。
ややヒステリックでクリスタルみたいな音質のトランペットセクションが気になりますが、
全体的には迫力満点の素晴らしい演奏です。
強いて難を言うと、ウィンドマシーンの効果は今一つのように感じるのですけど、後から聞いた話では、
天理はラストの場面ではあえてウインドマシーンを使用せず、楽器の口ではなくて楽器そのものに息を吹きかけて
「風」の音を表現したとの事ですけど、理性的と熱狂がうまくミックスしたと素晴らしい演奏だと思います。

全体的には、天理の「圧倒的な演奏技術の高さ」が一つの極限にまで達したようにすら感じられます。
全体を通して、「情緒」というものよりも、何となく「機械的表現」重視という感じもするのですが、
極めて冷静に知的に処理していたと思います。
技術的には一つの完成と言っても過言ではないと思います。
この曲は、前述の通り、吹奏楽版「春の祭典」といってもいい曲なのかもしれませんけど、
いかにも「いけにえの踊り」という感覚をよく表現していたと思います。
課題曲同様、金管の音が少々硬いものの、全体的に精密な設計図を寸分違わず施工しているという感じがします。
クライマックスのすさまじいfffもお見事!!
ラストの静粛も息を秘める緊張感が漲っていたと思います。

この交響曲、木村吉宏指揮/大阪音楽団の演奏で「吹奏楽・交響曲シリーズ」として発売された時は、
本当に私は狂喜乱舞したものです。
こうした知る人ぞ知る埋もれたマイナー名曲シンフォニーをああやって「陽の目」を当ててくれた功績は
かなり大きいと言えると思います。
天理の選曲はどちらかというと、スタンダードで正統派の曲を真正面から正攻法で捉えるパターンが多いと思うのですけど、
そうした天理の歴史の中でも、こういうマイナーなんだけど「埋もれた名作」を取り上げてくれることは
今にして思うと大変貴重だったのではないかと思います。


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参考までに、上記画像は「ウインドマシーン」という人口風製造機みたいな特殊打楽器です。

円形のドラムを回転させ布を接触させ、その摩擦音を風の効果音として人工的に作り上げています。
ドラムの回転速度によって音に強弱がつけられたりもします。

このウインドマシーンが効果的に使用された事例としては、ストーンヘンジ交響曲以外では、管弦楽作品においては、
R.シュトラウスのアルプス交響曲とグローフェの組曲「グランドキャニオン」、ヴォーン・ウィリアムズの南極交響曲が
挙げられ、吹奏楽ではスパークの「宇宙の音楽」において効果的に使用されています。

こうした冬至の日には、天理高校か大阪音楽団の交響曲第1番「ストーンヘンジ」でも聴いて、祖先の魂とか自然への畏敬を
感じてみたいものですね~♪
当ブログでは何度かホルストの吹奏楽のための第一組曲、ヴォーン・ウィリアムズのイギリス民謡組曲、そしてグレインジャーの
リンカンシャーの花束やリードのアルメニアンダンスパートⅠやオセロ、シュミットのディオニソスの祭りなどといった
吹奏楽オリジナル作品を語る上では絶対に外すことのできない後世に永遠に受け継がれていってほしいオリジナル曲を
レビューさせて頂きましたけど、ホルストの第一組曲と同じくらい名作オリジナル作品でもあるホルストの吹奏楽のための
第二組曲はこれまであまり取り上げることもなかった事に気が付きまして、
本記事においては少しばかり第二組曲の方にも取り上げてみたいと思います。
ちなみに私自身、高校1年の時の吹奏楽コンクールの自由曲がホルストの第一組曲であり、この時に初めて
音楽の構成美や統一形式の素晴らしさというものに気が付き、私自身が吹奏楽オリジナル作品の魅力に気が付き始めた
原点の一曲という事もあり第一組曲の方は何度かレビューした事はあったのですけど、第二組曲の方は実は演奏経験が
なかったという事で、第一組曲よりは少しばかり私にとっては馴染みがうすいということになるのかもしれないです。
ただ第一組曲も第二組曲も吹奏楽オリジナル作品の原点であり源流であり、吹奏楽オリジナル作品の歴史を語る上では
絶対に外すことのできない不滅の名曲であることは間違いないと思います。

ホルストの第一組曲(第二組曲)のタイトルは「吹奏楽のための第一組曲(第二組曲)」なのですけど、
原題は「ミリタリーバンドのための」と記されています。
この辺りは現在の日本とイギリスの違いと言うのもあると思いますが、イギリスでは金管のみの編成を「ブラスバンド」と呼び、
金管+木管+打楽器の編成、いわゆる日本のスクールバンドで見られる「吹奏楽」の編成の事を
「ミリタリーバンド」と呼ぶそうです。

ホルストはこうした「ミリタリーバンド」のための作品を吹奏楽のための第一組曲を含めて生涯に4曲残していますけど、
第一組曲はそうした作品の先駆けとも言えるものです。
ちなみに他の三曲とは、第二組曲・ムーアサイド組曲・ハンマースミスです。
たまに、サマーセット狂詩曲やセントポール組曲は吹奏楽作品と勘違いされる方もいますけど、
この二つの曲は管弦楽曲または弦楽合奏曲ですので注意が必要です。

サマーセット狂詩曲というと思い起こすのはヴォーン・ウィリアムズだと思います。

ホルストとヴォーン・ウィリアムズは友人関係だったという事ですが、そのせいなのかわかりませんけども、
イギリス民謡組曲の第三曲「サマーセットからの歌」のメロディーがホルストの「サマーセット狂詩曲」にも使用されています。
これは民謡をベースにしているのだから、どちらかがどちらかの作風に影響を与えたとか、主題を拝借したという訳では
ないのですが、両者の親交振りが垣間見えるような気もします。

ホルストの第一組曲は、吹奏楽の分野における古典的な演奏会用作品としてきわめて重要な位置を占めると断言しても
差支えはないと思います。
第一組曲は第Ⅰ曲のシャコンヌで提示された主題が第Ⅱ曲の間奏曲でも第Ⅲ曲のマーチでも提示されていて、
曲全体を一つの主題で統一されていて、どちらかというとチャイコフスキーやフランクが交響曲で提示していた循環主題の
形式美にもつながるものがあるように感じられます。
全体的にはその構成がしっかりと構築されていて、スキのない楽曲だけど同時にとてつもなくわかりやすくて気品に
溢れているという奇跡のような名作吹奏楽オリジナル作品と言えると思います。
ホルストの第二組曲の方は各楽章の統一主題は無くて、各楽章にイギリスの民謡を使用しているのが第一組曲との
大きな違いであり、むしろ第一組曲よりも自由度が高いようにも感じられたりもします。

最近こうした古典的名曲が吹奏楽コンクールで演奏される事は少なくなりつつありますね・・

こういう古典的な曲だからこそ「古きを訪ねて新しきを知る」という言葉がお似合いだと思いますし、
たまにはこうした「シンプル イズ ベスト」の曲を演奏する事で自分達の「原点」を意外と発見できるのかもしれないです。

最近の吹奏楽オリジナル作品、特にその中でも邦人作品は、演奏効果が大変高そうではあるのですが、
技術的には大変難しそうなものばかりが多く、華麗な音楽の連続で確かに耳には心地よいのですけど、
「果たして流行の移り変わりが激しい日本の吹奏楽コンクールの中において
10年後でも変らず演奏され続けていく邦人作品って一体どれだけあるのかな・・?」と考えると
考え込んでしまう作品が結構多いようにも感じたりもします。
一時期あれだけ大ブレイクした田中賢のメトセラⅡやR.スミスの「海の男達の歌」などが最近ではサッパリ演奏されて
いない現実を目にすると「歌謡曲も芸人さんのネタもそうだけど、吹奏楽オリジナル作品の旬は短いからね・・」と痛感する
ばかりであったりもします。
確かにそういう華麗な邦人オリジナル作品もいいけど、吹奏楽のバイブルというのか原典とも言える
吹奏楽オリジナルの古典中の古典たるべき絶対に忘れてはいけないオリジナル作品もたまには目を向けて欲しいなぁ・・と
思う時もあります。

私自身が高校生時代にその曲を実際に演奏した経験があるという背景も大きいのですけど、
特にそうした「吹奏楽オリジナル作品」を語る上では、絶対に忘れてはいけない曲の一つが
リードの「アルメニアンダンス パートⅠ」や「オセロ」であり、
またまたスゥエアリンジェンの「インヴィクタ」序曲とか「チェスフォード・ポートレイト」であり、
私自身が演奏した曲ではないですけど、ヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエ―ション」(原典版)であり、
ネリベルの「二つの交響的断章」などなどであるのですけど、
その中でも特に特に、ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」変ホ長調作品28-1だけは
絶対に忘れないで欲しいと思います!
否!! この素晴らしき組曲だけは、未来永劫ず―――っと後世に受け継がれていって欲しい曲だと思います!

話がそれました・・それでは下記にほんの少しばかりホルストの第二組曲について触れたいと思います。

第一組曲は三楽章構成でしたが、第二組曲は四楽章構成で、各楽章はそれぞれイギリスの民謡や舞曲がモチーフに
されています。
ホルストの吹奏楽のための第二組曲は下記の4曲から構成されています。

Ⅰ.マーチ

Ⅱ.無言歌

Ⅲ.鍛冶屋の歌

Ⅳ.ダーガソンによる幻想曲

上昇和音から開始されるⅠのマーチの楽しさは冒頭からさわやかさと気品と清潔な明るさに溢れていると思います。
第一組曲の冒頭がゆったりとした高まりから開始されていたのとは対照的ですけど、冒頭から曲に引き込まれていくという
印象もあります。
Ⅱの無言歌はしっとりとした美しいメロディーが抒情的に流れていきます。
Ⅲの鍛冶屋の歌はとても威勢がよくて粋だと思いますし、曲の中で何度か出てくるグロッケンまたは鉄琴によるコーンコーン
という甲高い響きは鍛冶の職人さんたちが熱い鉄を叩きつけている雰囲気がすてきに伝わっていると思います。
単純だけどとても域で楽しい描写だと思いますが、鍛冶の雰囲気を小編成の吹奏楽の響きで再現しているホルストの管楽器の
扱いの巧みさはまさに職人レベルだと思います。
ホルストは若いころはオーケストラでトロンボーンを吹いていたこともあり、管楽器の扱いはお手の物だったのかも
しれないです。
Ⅳの「ダーガソンによる幻想曲」も単純な一つのメロディーが延々と繰り返される曲なのですけど、
これが素朴で実に楽しい曲です。
ダーガソンと呼ばれる8小節の循環旋律が冒頭から終結まで奏されていて、途中に「グリーンスリーブス」が対旋律に
あらわれていたりもします。
曲の中でタンバリンの響きが実に小気味よくチャーミングに響いているのが大変印象的です。
ホルスト組曲「惑星」~木星のなかでも大変巧みなタンバリンの使い方を私たちに聴かせてくれていますけど、
タンバリンの響きが曲全体のリズム感に華を添えているという印象があったりもします。
ダーガソンによる幻想曲は、後日ホルスト自身によって弦楽合奏版としてアレンジ・改訂されていまして、それが
「セントポール組曲」の終楽章です。
1905年から亡くなる1934年までセント・ポール女学校の音楽の教員として務めていたホルストは、
1912年に防音装置を備えた専用の部屋を与えられ、そのことに対してホルストが感謝の意を表して作曲したのが
セントポール組曲という弦楽合奏曲です。
管弦楽曲を吹奏楽にアレンジすることはよくある普通の話ですけど、もともとが吹奏楽オリジナル作品を管弦楽にアレンジした
という珍しい位置づけでもありそうです。
ちなみに吹奏楽オリジナル楽曲を作曲者自らが管弦楽にアレンジした事例としては、
ヴォーン・ウィリアムズのイギリス民謡組曲やフーサの「プラハのための音楽1968年」や伊藤康秀の「ぐるりよざ」などが
挙げられると思います。

参考までに、セントポール組曲は下記の4曲から構成されています。

Ⅰ.ジッグ

Ⅱ.オスティナート

Ⅲ.間奏曲

Ⅳ.ダーガソン

ダーガソンに関しては、オリジナルの吹奏楽も弦楽合奏版もどちらも大変優雅な雰囲気ですけど、弦楽合奏版は響きが
いうまでもなく室内管弦楽そのもので、編成的には拡大されているものの少し上品すぎる感じもしなくはないので、
私的には吹奏楽版の方がより魅力的のようにも感じられます。

ホルストの第二組曲を自由曲にして、全国大会まで駒を進めたチームもありました。

1994年の中村学園ウインドアンサンブル(前身は中村学園OB吹奏楽団だったかな・・?)がそうです。
94年は、課題曲が異常に長いものばかりでしたので、課題曲に「雲のコラージュ」を選んだこのチームの自由曲は、
このホルストの第二組曲の中から、Ⅲ・鍛冶屋の歌 Ⅰ・マーチという選曲で臨んでいました。
感想としては、正直特にないけど「フィナーレは、ダーガソンの方が良かったのかも・・」という感じです。
中村学園は、1983年にも、吹奏楽オリジナルの正統派・王道ともいえるヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」で
全国大会にも出場し、この年は、課題曲がカドリーユという事もあり、長めに自由曲を取れたせいか、
イギリス民謡組曲も第一・第三楽章はほぼノーカット、第二楽章も楽章の途中からの演奏となりますけど
第二組曲と言いこの曲と言いとにかくこうした古典的名曲を全国大会で演奏した意義は大変大きいものが
あるのかなと思ったりもします。







ホルストの第二組曲の「ダーガソンによる幻想曲」はタンバリンが大変いい味を出しているのですけど、
ららマジでタンバリンを担当してるのは3年生の島村珠樹です。

東奏学園器楽部のパーカッションセクションは30人という限られた人数の中でも、ドラムス・カスタネット・トライアングル・
シンバル・グロッケンシュピール・和太鼓とかなり充実した人数でありまして、
その中でのタンバリン担当奏者がららマジ屈指のネコ娘とも言うべき島村珠樹でして、
猫と共に育ったハイテンションなネコ娘で、その語尾も「・・にゃ」という事で、時に
「おまえは、艦これの多摩ちゃんなのかっ!?」とツッコミを入れたくなってしまいそうです。
器楽部創立メンバーの一人の三年生でもありましても戦闘時は両手に持ったタンバリンで引っ掻くように猫パンチを
放ったりもします。

島村珠樹によるダーガソンの幻想曲の楽しいタンバリンのリズムの響きを味わってみたいものですにゃ~(^^♪
1981年の全日本吹奏楽コンクール課題曲は

A イリュージョン

B 東北地方の民謡によるコラージュ

C シンフォニックマーチ

D 行進曲「青空の下で」

という4曲でしたけど、私の感覚としてはこの四曲の中で圧倒的に優れていた作品は、
課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュだったと思います。
私自身、今でもこのコラージュは大好きでして、この曲は「私自身が選ぶマイベスト課題曲ベスト10」に間違いなく
入る曲の一つだと思います。
そこには私自身の東北生れ・東北育ちとしての血というのか、
この曲のベースとなっている東北の民謡を聴くと郷愁を感じ、血が騒ぐみたいな感覚があるようにも感じられます。
この年のコンクールは全国的な傾向なのですけど、課題曲の傾向としては
課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュに人気が集中し、
例えば東北大会においても高校A部門では、13チーム中、課題曲Bを選んだチームが実に9チームにも達していましたし、
全国大会でも高校の部では出場25チームのうち、課題曲Bを選んでいたのは15チームにものぼっていました。
この課題曲は今も昔も私も大好きな曲なので、県大会や支部大会で他校の演奏を聴く際も
一日に何度も同じ課題曲を聴いたとしても全然飽き無かったしむしろとても楽しかったです!
演奏団体によって全然異なる解釈や多種多様な表現を非常に興味深く聴くことが出来たと思っています。
(櫛田さん作曲の課題曲として1994年の「雲のコラージュ」がありましたけど、残念ながらこの曲は私は大嫌いなものでして、
94年の吹奏楽コンクールは繰り返し何度もこの雲のコラージュを聴かされることはとてつもない苦痛でした・・)

「東北地方の民話によるコラージュ」は、作曲者が同じという事で、後年の1994年の課題曲Ⅳ/雲のコラージュと同様に
元々の譜面で指定されている楽器は使用しなくても構わないし、他の楽器で自由に代用しても構わないし、
基本的にはどんな楽器で演奏してもOKという非常におおらかなものでした。
ほとんどのチームは、譜面の指定通りの楽器を使用していましたけど、中には後縦しますけど
青森県信用組合のように、アルトサックスのソロの部分を本物の「尺八」で代用したり
弘前南高校のようにラストのトランペットの二重奏をフルート二重奏で置き換えたケースもあり
色々興味深い演奏は聴けることが出来ました。
面白い事にこの課題曲は、例えばトランペット二重奏部分の前とか
前半の幽玄な部分が静かに閉じられアレグロに入る手前にちょっとしたフレーズが出てくるのですけど、
この部分は指揮者の判断によりカットしても構わないといった作曲者公認の「カットOK」という珍しい要素も含まれていました。
実際の演奏ではほとんどのチームはその二か所についてはカットしていたと思います。

この課題曲はタイトル通り東北地方に伝わる民謡をベースに構成されていて。
具体的には「南部牛追い歌」「津軽じょんがら節」「庄内おばこ」「南部二下り甚句」といった東北の人ならば
一度くらいは耳にした事がある懐かしいフレーズが次から次へと出てくるのですけど、
私的に一番「このメロディーは胸にしみるね・・」と感じるのは南部牛追い歌と津軽じょんから節だったと思います。
打楽器編成の中に和太鼓・締太鼓といった日本の伝統楽器が登場するのも大変興味深いものが
ありましたし、部分的に「ガラガラ」みたいな打楽器も登場していました。
序奏は大変幽玄的で、後半のアレグロの展開部分は大変ヴァイタリティーがあり、ラストのトランペット二重奏で
しんみりと閉じられるといった構成でした。
トランペットの二重奏は二人の奏者にとっては大変プレッシャーが掛かると同時に精神力との戦いみたいな部分でも
あったと思います。不思議な事にこの箇所はそれほど大崩する事も少なく、目立ったソロミスは少なかったようにも
感じられます。

この課題曲Bは、全国大会・高校の部においては、九州・四国・中国・関西といった西エリアのチームは
課題曲としてはあまり選ばれておりません。
実際に演奏された事例の中でも、福岡工大付属のように異常に前半が遅くて時間を掛けているとか
就実のように後半、やたらと和太鼓を叩き鳴らすなどのように「それはどうなのかな・・?」といった表現は多かったと思います。
これは曲に出てくるメロディーへの共感度の大きさの違いなのかもしれないですね。
例えばですけど「大阪俗謡による幻想曲」は、関西より西のチームに偏ってどちらかという演奏されるようにも感じられますし、
この大阪俗謡による幻想曲をかつて札幌白石高校が演奏した際は、曲に対する共感度がなんとなく低めに感じられ
例年よりも今一つも今二つもノリが大変悪かったというのも何となく理解できるような気もします。
だって東北出身の私があの曲を聴いても「あー、このメロディーどこかで昔聴いたことがあるある!」というのは皆無ですし、
そうした意味では関西のチームがあの曲を演奏すると、一つの郷愁というのか血が騒ぐ感覚というのに
通ずるものがあるのかもしれないですよね。
それと同様な事が「東北地方の民謡によるコラージュ」にも起きていたと言えるのかもしれないです。
この課題曲は全国大会でもたくさんのチームが演奏していて、とにかく個性溢れる素晴らしい演奏が続出していたと
思うのですけど、音楽的解釈で大変面白かったのは埼玉県の市立川口高校だったと思います。
このチームはとにかく前半が長い長い・・異常にスローテンポで、参考音源の演奏時間は4分35秒なのに、
市立川口は5分38秒でした! このチームはアレグロに入って以降はかなりの快活・快速テンポでしたので、
序奏のあの息の長い歌い廻しは大変印象的でもありました。
音の美しさ・洗練さ・幽玄的な雰囲気という観点で大変印象的な演奏は、花輪高校と習志野高校だったと思います。

「東北地方の民謡によるコラージュ」を語る上で私的に絶対に外せない演奏が二つあります。
その二つの演奏は私自身が1981年の山形市で開催された東北大会の第一日目で生演奏として聴かせて頂いたもので、
あの当時は私自身がまだ吹奏楽とか音楽の事など何も知らない時代でもありましたので、余計に当時の私の胸に
響いていたのかもしれないですね。

その一つは「青森県信用組合」です。

このチームは、1980年に全国大会初出場を果たし、
課題曲C/北海の大漁歌と自由曲として交響詩「フィンランディア」を演奏し、この時は銅賞の評価を得ています。
この時の課題曲の演出は大変ユニークで、ステージ内に大きな丸太を持ち込み、
譜面上では拍子木指定の部分をこの丸太でコーンコーンと打ち鳴らし、一定の演奏効果を得ていたと思います。
青森県信用組合は翌年、指揮者に箕輪響氏を迎え、櫛田作品路線で臨んで以降は
更に素晴らしい進化を見せてくれることになりました。

「東北地方の民謡によるコラージュ」は前半の幽玄的な部分でアルトサックスのヴィヴラートかけまくりのソロを
かなり大胆に取り入れていて、このソロの部分は大変寂しげでもあり哀しくもあり同時にほのかな情熱すらも感じさせる
大変大きな見せ場でもあるのですけど、
青森県信用組合はこのアルトサックスの部分をなんと・・!! 本物の「尺八」を使用していて、
しかもこの尺八がうまいのなんのって、とにかくこぶしをノリノリで聴かせてくれていて、
あのノリはいかにも山の虚無僧みたいな雰囲気が見事に醸し出していたと思います。
日本古来の楽器である尺八をもって東北民謡を朗々とたっぷりと情感を込めて歌い上げていたのも素晴らしかったし、
何よりも「尺八を大胆に使用する」というそのアィディアが「お見事!!」以外の言葉しか出てこないですね。
青森県信用組合は東北大会代表として選出され全国大会でも金賞を受賞されていましたけど、全国大会のBJの講評でも
「全部門を通して最高の演奏」と大絶賛されていたと思います。
1981年の青森県信用組合の自由曲は「飛鳥」でしたけど、こちらも素晴らしい演奏でした。
前年度の1980年に、粟野中学校が同じ飛鳥を演奏していましたが、
粟野中の場合は、ドラをとにかく打ち鳴らし積極果敢に攻める飛鳥という印象なのですが、
青森県信用組合の方は、しっとりと落ち着いて聴かせる大人の飛鳥という印象でした。

二つ目のチームは、残念ながら東北大会ダメ金で終わってしまい全国大会に進む事は出来なかったのですけど、
高校A部門に出場していた大曲高校です。
ちなみに大曲高校のこの年の自由曲は三善晃の交響三章~第二楽章です。
(交響三章は第三楽章が演奏されることが多いだけに第二楽章というのも大変珍しいと思います)
この大曲高校ですけど、当時の東北大会を聴いた人ならば多分同じ事を言うと思うのですけど
この年の全国大会、支部大会を通して「最高の課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュ」だったのではないかと
思います。
私自身大曲高校のコラージュを聴いて背中が凍りつくほどゾクゾクさせられるものがありました!
奏者と指揮者が完全に内面的に燃焼し尽くした大変緊張感が強い演奏は、多分ですけど他には存在しないだろうとすら
思えますし、聴いていて曲の冒頭からピーーンと異常に張りつめた空気が流れていましたし、
息をする事や咳払いする事すら許されないようなとてつもない緊張感が会場内にあった事は間違いないです。
これは当日、あの日あの時会場にいてあの演奏を生で聴いていて会場でその雰囲気を肌で敏感に感じ取っていた
私がストレートにその感想を述べているものであり、決してこの言葉に大袈裟なものや誇張はない事だけは
お断りさせて頂きたいと思います。
これまで聴いた事がない張りつめた空気の「コラージュ」でしたし、
聴いているだけで体の底からゾクゾクしてくる凄まじい内省的な張りつめた空気がビシビシと伝わってくる演奏でした。
アレグロに入って以降の土俗的なヴァイタリティ―も素晴らしく、前半の緊張感と後半のエネルギーの対比が
とてつもなく鮮やかだったと思います。

当時の私は、吹奏楽の名門校とか前年の代表校など何も知らない真っ白の状態でこの年の東北大会を聴いていて、
この時の私の率直な感想は、1981年の東北大会の全国大会代表校3校は、花輪・磐城・大曲だと思っていたほどでした。
ちなみにこの年は弘前南高校が全国大会5年連続金賞に大手を掛けていた年でもあるのですけど、
当時の私の印象・率直な感想としては「弘前南は感銘度がうすい・・」という感じでした・・
ちなみに弘前南高校は全国大会では大変感銘度と内省的充実感を見せてくれた演奏を聴かせてくれていて、
堂々たる全国大会・金賞を受賞し、全国大会5年連続金賞を達成していました!

あの時の大曲高校の実況演奏のの音源はどこかに残っていないものでしょうか・・
当時の東北大会の演奏はレコード化されてはいるのですけど、その音源がどこかに残っていないものか、
今でもちょっと気になったりもします。





東北地方の民謡によるコラージュの中盤のアレグロ以降の展開は、和太鼓が大活躍をしていて
曲全体のリズムをリードしていますけど、
ららマジの器楽部の打楽器パートの中で和太鼓を担当しているのは、実はJKさんではなくて、JCさんの中学3年の
神田茜という元気はつらつとした下町娘というのもとてもすてきですね~♪

神田茜は粋でいなせな下町少女で、とにかく祭りが大好きで落ち着きがない性格というのも
なんだかやたらと喧嘩早そうな粋な江戸っ子みたいなものなのかもしれないです。
だけどそうした元気溌剌で落ち着きがなく常に何かを絶えず精一杯表現しようとするその姿勢に相応しい楽器こそが
日本の伝統的和楽器の一つの「和太鼓」と言えるのかもしれないです!
お祭りや神社の奉納の舞の際の櫓の上には、いつも神田茜が元気一杯和太鼓を叩き鳴らしているのだと思いますね~♪
中学生と言う事でまだ小柄な体格ですけど、小さ目な体をダイナミックに躍動させるそのエネルギーに見ている人たちを
感動させるのかもしれないですし、神田茜はポニーテール娘と言う事で、叩くたびに髪の束が揺れるのもとてもかわいくて
粋なのだと思います。

ららマジ器楽部による東北地方の民謡によるコラージユの演奏も聴いてみたいですし、
神田茜による和太鼓の演奏にも興味津々であったりもしますね~♪
吹奏楽コンクールの課題曲が全部門共通で4~5曲の中から一曲を選択するというスタイルが完全に確立されたのは
1978年以降の話でして、1977年は現在のスタイルが確立される一年前の課題曲ということになると思います。
1977年は少し変則スタイルとなっていて、
中学の部→ドリアンラプソディー 高校の部以上→バーレスク 全部門共通→ディスコ・キッドとなっています。
※課題曲Dの「若人の心」は小編成部門ですのでここでは割愛します

この年の課題曲は、実によく出来ていると思います。
ドリアンラプソディーは大変不思議な感覚の曲ですし、妙な哀愁感もありますしお茶目な部分もあったりします。
私の高校の定期演奏会において、私が卒業した3年後になぜかこの曲を演奏していましたが、
改めて聴いても「不思議」としかいいようがない曲だったと思います。
1977年の中学の部というとほとんどの皆様は、今津中の「運命の力」序曲という大変な歴史的超名演を推される方は
多いと思いますし、私もそれに関しては全く異存はないのですけど、それにしてもあの金管セクションの響きは、
とてもじゃないけど公立学校の中学生の演奏とは到底信じられないハイレヴェルのものがありますし、
指揮者の得津先生としては前年度のマイスタージンガーの銅賞がよほど口惜しかったと言えるのかもしれないです。
(76年の演奏はよく音量過剰と批判を受けていますけど、私的には同じ自由曲の73年の演奏とほぼ近いものがあると
感じていますし、人が言うほど76年の今津がそれほど汚い音の音量過剰とは感じられないです・・
ただ、鳴らし過ぎというのは事実だと思います)
今津も素晴らしいのですけど、それと同じくらいの素晴らしい名演で特に課題曲のドリアンラプソディーの演奏が
この年の中学の部の最高のドリアンラプソディーといえるのが三木中なのだと思います。
三木中は自由曲の「天地創造」~ノアの箱舟・メインテーマも音楽が大変自由自在で、あののびのびとした高揚感は
いつ聴いてもうっとりとさせられるものはあると思います。
そしてポップス系課題曲のひとつの大きな頂点とも言える記念碑的な名曲が課題曲Cの「ディスコ・キッド」なのだと思います!
ディスコ・キッドはいま改めて聴くと本当に奇跡のような課題曲だと思いますし、こんなにもポップスの香りがバリバリの
楽しさあふれるこの曲は何度聴いても全く飽きることは無いと思いますし、あの佐渡裕さんが何度も取り上げているのは
この曲の普遍的名曲を立証しているのだと感じます。
とにかくこの曲を課題曲に選んだ当時の吹連の勇気と見識の高さに敬意を表したいと思います。

1977年の高校・大学・職場・一般の部の課題曲がBの大栗裕作曲の「吹奏楽のためのバーレスク」です。

バーレスクというのはフランス語で、本来の意味としては、とある作品に対する風刺・カリカチュア・パロディーと
言えると思います。19世紀のアメリカにおいてはキャバレーのストリップショーといった意味合いもあるそうです。
大栗裕はこの課題曲を作曲当時において、
「バーレスクというタイトルや風刺という意味にそれほどこだわらずに曲の根底にある土俗的な匂いを表現してほしい」という事を
述べられていたと思いますけど、私自身が最初に大栗裕の「仮面幻想」と「巫女の謳えるうた」を聴いた時の印象が
「なんだか77年の課題曲のバーレスクの世界観に近いものがあるのかも・・」と感じたものですが、
土俗的な雰囲気という意味においては、私のそうした感想もあながちとんちんかんなものではなかったと思います。

大栗裕の作品は「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸物語による」・「大阪俗謡による幻想曲」などに
代表されるとおり、土俗的な日本の香りとかおぞましさ、ドロドロとした怨念とかおどろおどろしい土の香りを
感じさせる作曲家なのかもしれないです。
吹奏楽のためのバーレスクはもしかしたら日本人にしかわからないリズムと感性の曲なのかもしれないです。
おぞましいのだけど、舞踏の感覚というのか神社の奉納音楽のようにも聴こえますし、仮面劇のBGMのようにも
聴こえたりもします。
おどろおどろしさの中にもどことなくユーモラスな側面と土俗的なねばっこさも持ち合わせているような気がしますし、
それを3分半程度の短い曲の中に凝縮した作品が、この「吹奏楽のためのバーレスク」という吹奏楽コンクールの課題曲だけと
いう評価に留めておくにはあまりにももったいない作品なのだと思います。

実際このバーレスクは、2008年の全国大会・中学の部で西関東代表の芝東中学校が自由曲として
取り上げていた事もあったりします。
吹奏楽コンクールの課題曲は「コンクールが終わると二度と譜面を見たくもないし聴きたくもない」といわれたりもしますけど、
たとえばこのバーレスクとか88年の三善晃の「吹奏楽のための深層の祭り」とか87年の保科洋の「風紋」とか
76年の後藤洋の「即興曲」とか大栗裕の「吹奏楽のための小狂詩曲」などのように吹奏楽コンクールの課題曲が
その後自由曲として演奏される事例も稀にですけどあったりしますが、それはやはりその課題曲の時代を超えた名曲と
いうことになるのかもしれないです。

2008年の川口市立芝東中学校は、私の住んでいる川口市内の学校でもありますので、当時の全国大会出場は
私自身もとってもうれしいものがありました。
演奏も31人編成という小編成ということで、
編成が少ない分、1人1人の責任は重くなりますけど、各奏者が積極的に表現しようとする意図は十分に感じられたと
思います。
バーレスクは77年に多くのチームが演奏した際の演奏時間は概ね3分半~長くても4分以内だっと思いますが、
芝東中の演奏は約5分ぐらいのもので、ひとつの曲をじっくりと丁寧に濃密に表現しようとする意図も十分に
伝わっていたと思います。
1993年前後の関東大会、中学校B部門において、新潟県代表のチームが1986年の課題曲A/吹奏楽のための変容を
原曲の演奏時間は3分半程度ですけど、関東大会の演奏ではとにかくひっぱるひっぱるひっぱる・・という感じで
テンポルバート・音のための曲解とも言えそうなほどの大胆な解釈はとても新鮮で感動的なものがありました。
審査結果は銀賞でしたけどあの演奏の価値は金賞以上のものがあったとすら感じています。

とにかく過去の吹奏楽コンクール課題曲には今現在は埋もれているけど、素晴らしい名曲も実はたくさんあるという
事なのだと思います。

1977年当時のこの課題曲の名演はたくさんあると思います。

私的には秋田南高校を推したいのですけど(どうしても自由曲の「春の祭典」の印象が強いのですよね~!)
新鮮な感覚という観点では、弘前南を推したいと思います。
この学校は、この年が全国初出場なのですが、それを全く感じさせない生き生きとした演奏です。
自由曲の「エル・サロン・メヒコ」も今聴くと結構荒っぽい演奏ですけど、演奏が実に初々しい感覚に溢れていますし、
聴いていてとても楽しいと思います。
弘前南は、結果的に初出場のこの年で初金賞を受賞し5年間金賞を取り続け、1982年に特別演奏を披露しています。
そして、この特別演奏の後は全国には一度も出場していません。
つまり、全国での演奏の全てが金賞という珍しいチームなのです。
当初は女性指揮者が3年間振っていましたが、4年目のドリーから男性指揮者に交代となったものの
五年連続金賞の中で指揮者が交代した事例はレアなケースだと思います。
(他には、天理高校と1984~88年の神奈川大くらいかな・・・)

バーレスクの演奏に限って話をすると、おどろおどろしい演奏になりがちなこの曲を弘前南高校が演奏すると
道化とか仮面の遊びみたいなお茶目さを感じさせてくれていると思います。
秋田南高校のバーレスクは、聴き方によっては「固い」と思わせるほど端正で理性的で正攻法で真面目な演奏です。
対照的に自由曲の「春の祭典」は、大胆不敵で豪快で自由自在さは際立っていました!

最後にもうひとつ・・

首里高校の演奏も素晴らしかったです!

バーレスクは、ともすると単調な演奏になりがちで不気味な要素を前面に出しがちの傾向が多かったようにも
感じるのですけど、首里高はむしろこの点をかなり「カラっ!!」と明るい感じにうまくまとめていて、
私としてはこうした不気味でおどろおどろしくないこうした「仮面の踊り」も大いにありだと思います。
自由曲のワーグナーの楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲も
朗々とたっぷりと歌い上げているという感じで、「ワーグナーの歌心」というか「陶酔感」をしみじみと感じたものです。
74年もそうでしたけど77年の演奏も、木管を主体にして構成し、「たっぷりと歌いあげる事」に主眼を置いていて、
聴いていて「とにかく気持ちいいほどたっぷりと歌いこんでいるな・・・」という印象が大変強いです。
ただ一つ難点を言うと、原曲よりキーを下げての編曲とクラリネットセクションのまるで鶏の首をひねるような
つんざくような高音のヒステリーっぽい響きが少し感じられたのは惜しいと思いましたが、審査結果は銀賞だけど
私的には金賞の評価に近いものがあると感じています。

吹奏楽のためのバーレスクは大栗裕という関西の作曲家の作品なのですけど、今現在も傾向として
例えば「大阪俗謡による幻想曲」は淀川工科をはじめどちららかというと西日本のチームの方が「土着の血が騒ぐ」
みたいな感じで共感性の強い名演が多いように感じられるのですけど、
吹奏楽のためのバーレスクに関しては、高校の部においては大栗裕の地元に近い西日本のチームよりは、
関東・東北のチームの方がより共感度の強い思い入れのある演奏を聴く事ができたのは意外だけど興味深いものは
感じたものでした。
F.シュミットの「ディオニソスの祭り」という古典中の古典の名作吹奏楽オリジナル作品の人気は全く色褪せることなく
現在にまで至っていますよね~!
高校A部門や一般の部あたりですと、県大会や支部大会では飽きられる事なくこの難曲中の難曲を1チームぐらいは
大抵演奏している事が多いですし、この曲は既に1970年代から全国大会で演奏されている事を考えると、
この曲がずっと自由曲として選ばれ続けることは大変尊い事だと思いますし、それだけ名曲としての評価が定着している
事だと思いますし、なによりも指揮者にとっても奏者にとってもチャレンジし甲斐がある曲という事なのだと
思います。
今年の吹奏楽コンクールは地区・県・支部・全国とほぼ全てのコンクールが中止となり、この「ディオニソスの祭り」を
今年に関しては生演奏で聴く事はできなかったのはとても残念ですけど、来年以降もしも通常通り吹奏楽コンクールが無事に
開催された時には、この「ディオニソスの祭り」も新しい感覚でもって新たな伝説の名演が生まれることを
期待させて頂きたいと思います!
吹奏楽コンクールの自由曲の人気というのも結構水物というのか飽きっぽい所も多々あり、
前年度にとてつもない人気自由曲となって支部大会や全国大会で複数ものチームが演奏されたとしても、翌年以降は
きれいさっぱり忘れられているという事例もかなりありましたよね~
例えば1980年代後半から90年代初めにあれだけ大ブレイクした田中賢の「メトセラⅡ」なんて、今現在ではほとんど
忘却の彼方の曲にすらなっていると思いますし、一時あれだけ人気のあったR.Wスミスの「海の男たちの歌」とか
メリッロの「アメリカの騎士~選ばれし者」とか天野正道の交響組曲第2番「GR」なども以前に比べるとあまり演奏されなく
なってきましたよね・・

そうした意味においてはこの「ディオニソスの祭り」は凄いと思います。

この曲が初めて全国大会に登場したのは1973年の関西学院大学なのですけど、それ以降2019年時点で
なんと48チームがこの曲を自由曲に選曲して全国大会に出場して演奏されています。
2019年においても中学の部で1チームが演奏していましたけど、大体平均して2年に一度程度の割合で
この曲が自由曲として選ばれ続けている事は何を意味するのかと言うと、
時代や指導者が変わっても不変的に愛され続けているし、吹奏楽オリジナル作品としては異例とも感じられるほど
人気が長期に渡って維持されているというのは素晴らしいという事なのだと思います。
上記で書いた通り、一時的に演奏されたとか短期的に人気はあったけどその後はサッパリ・・という吹奏楽オリジナル作品が
山のようにある中で、「人気が衰えないでずっと維持され続けている」この曲はやはり「本物」なのだと思います!

よく偉い音楽評論家の皆様が「吹奏楽オリジナル作品として高く評価できる古典的作品として三つ挙げると、
ホルストの吹奏楽のための第一組曲、シェーンベルクの主題と変奏、そしてシュミットのディオニソスの祭りを推したい」
と書かれている記事を目にする事もあるのですけど、
ホルストとシェーンベルクの曲が全国大会で今後演奏される可能性は極めて低いと予想される中、
ディオニソスの祭りは、単なる「音楽資料的に素晴らしい」とか「歴史的に素晴らしい」という事ではなくて、
昔も今もこうやって実際に現場で演奏され続けている事が凄いと思います!

改めてですけど、「ディオニソスの祭り」は、フランスの作曲家フローラン・シュミットが
1913年にギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団のために作曲した古典中の古典の吹奏楽オリジナル作品です。
こんな20世紀初期の頃に作曲された吹奏楽オリジナル作品が今現在の吹奏楽コンクールでも演奏され続けている事自体、
改めて驚き以外の何物でもないです。

現在の吹奏楽コンクールの高校の部でしたら、55人編成の限られた奏者での演奏となりますけど、
後述しますけど原曲の今現在では使用されないとてつもない特殊楽器が奏でる響きはとてつもなく幻想的であり、
とてつもない大人数の編成で織り成す壮大なスケール感は圧巻で、
吹奏楽オリジナルの最高傑作の一つと今現在でも大変評価を受け続けているのはごく当然だと思います。

「ディオニソス」とは、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神で、
ゼウスの浮気相手セメレーの子がディオニソスですので、
ディオニソスは、ゼウスの正妻ヘラから大変に憎まれていたというのが神話の基本設定です。
どちらかというと酔っ払いの陽気な神様みたいなイメージもあるのかとは思うのですけど、
「ディオニソスの祭り」で描かれているディオニソスは、
エーゲ文明における狂乱と陶酔を象徴する神様というイメージの方が近いような気もします。
(あの曲の陶酔感と狂乱感は少なくとも単なる陽気な酔っぱらいのおじさん・・みたいな感じではないですよね・・)
余談ですけど、私、大学の第二外国語選択がドイツ語だったのですけど、そのドイツ語講義の際に使用された
テキストがギリシア神話でありますけど、ドイツ語というのは大変文法が難解で、習得は大変困難を極める言語の一つだと
思います。
ドイツ語には名詞に男性名詞・女性名詞があったりして、男性名詞と女性名詞によって定冠詞が異なるというのも
面倒な点の一つでしたけど、逆に定冠詞によってその固定名詞が男性なのか女性なのかはある程度分かるのですが、
そのドイツ語講義の際に、とあるポンコツ学生が、ディオニソスは男性名詞という事が分かっているにもかかわらず
「ディオニソスが創造した」というワードを
「ディオニソスが赤ん坊を妊娠した」と誤訳をしてしまい、教官からため息交じりに
「君たちは本当にバカだな・・」と言っていたのが大変印象的でした。今現在の視点で言うと「君たちは本当にバカだな・・」と
いうと「おまえは東方のナズーリンなのかっ!?」とツッコミを入れたい気持ちはあったりもします。

冒頭部分に象徴されるように低音金管楽器に高度な表現力が要求されますし、序盤のユーフォニアムのソロは
奏者にとってはあの音の揺れと高音域をしっとりと表現するのは大変難しいものがあると思います。
全体を通じて木管楽器中心にソリスティックな速いパッセージがたびたび登場しますし、
各パートの入りのタイミングの噛み合わせも難しく、要求される音域の幅広さとあいまって
難曲中の難曲の吹奏楽オリジナル作品として名高い曲と言えると思います。
ラスト近くのあのすさまじい熱狂と陶酔感は何度聴いても飽きることは無いですね!
熱に浮かされたようなあの怒涛のクライマックスはまさに「圧巻!」の一言に尽きると思います。

この「ディオニソスの祭り」ですけど、最大の特徴は、サクソルン属の金管楽器を大量に採用した巨大編成という
事が挙げられると思います。
とりわけ、総勢12名にも及ぶバスおよびコントラバス・サクソルンは圧巻です!
スコアに記載された編成で演奏しようとすると、最低でも約88名もの演奏者が必要となりますし、
オプション楽器を加えると総勢120名すらも超える超・巨大編成となってしまいます!
この曲に使用されているサクソルン属の金管楽器というのは、換言すると金属管のダブルリード楽器であり、
野外演奏を念頭に1850年代に発明されたダブルリード版サクソフォーンと言ったほうがわかりやすいと思います。
だけど、このサクソルン属の金管楽器というのは、コントラバスサリュソフォーンを含めて現在では全く演奏されることも
使用されることも無いある意味「絶滅楽器」でもありますので、
現在この曲を作曲時の作曲者による指定のオリジナル通りに演奏できる団体は存在しておりませんし、
原曲通りに指定された楽器をそのまんま吹くことはほぼ不可能と思われます。
現在の吹奏楽コンクールで吹かれているものは、現在の吹奏楽編成に見合った楽器使用を前提に
アレンジされた楽譜が使用されていることがほとんどです。
1960年代に来日公演&録音をしていたパリギャルド吹奏楽団は、サクソルン属の金管楽器をかなりの部分で使用し、
この曲の原曲の響きに近いものを再現しています。
また1993年の全日本吹奏楽コンクールの東京支部代表の乗泉寺吹奏楽団の自由曲の「ディオニソスの祭り」は、
部分的にサックスセクションがこのサクソルン属の金管楽器に持ち替え、
この曲本来の響きを都大会や全国大会でも高らかに響かせてくれていて、あれは音響的にも視覚的にも
絶大な効果があったと思います!


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ちなみに上記の楽器が現在では誰も見たこともないしその音を聴いた事も無いかもしれない幻の楽器とも
いえそうなコントラバスサリュソフォーンです。

金属製でダブルリードを用いるという事で、サックスとファゴットの合成楽器みたいな感じもしますけど、
誰も見た事すら無い楽器という事で「吹く事ができる生きた化石みたいな楽器」とも言えそうです。

少しマニアックな話ですけど、このディスオニソスの祭りは、実はシュミットの2作目の吹奏楽作品でして、
1作目の交響詩「セラムリク」は、演奏されることも全く皆無ですし、だれもこの曲を聴いたことはないと思いますし、
私も聴いたことすらあれません・・
 
1980年代初めの頃のBJ(バンドジャーナル)を読み返してみると、かなりの数の先生方や投稿者の皆様が
「1977年の銚子商業のディオニソスの祭りの演奏は、高校の部の飛躍を示唆する演奏」と言われてはいるのですけど、
これはあくまで私の感じ方なのですけど、
「えーー、それって違うじゃん・・高校の部の飛躍を示唆した演奏って、1976年の秋田南のペトルーシュカじゃん!」
とも思ってしまいます。
秋田南のペトルーシュカについてはこのブログでは過去に何度も何度も執拗に書いていますので、ここでは
割愛をさせて頂きますが、あの演奏こそが当時は「充実した中学の部に比べると今一つ」などと
今現在では絶対にあり得ない事を指摘されていた「高校の部」において、
1980年代から現在に至るまでの「高校の部の素晴らしき充実」の一つのきっかけになったのではないのかな
とすら感じています。

結果論になりますが、銚子商業は1980年の全国大会でも再度この「ディオニソスの祭り」を自由曲として演奏していますけど、
銚子商業による二つのこの「ディオニソスの祭り」に関しては1980年の方が断然素晴らしいと思います。
77年の演奏は、確かに上手いのだけど、なんか部分的に消化不良とか迷っているみたいな印象も
受けたりするのですけど、1980年の演奏には、そうした「迷い」は全く無いと思います。
77年の演奏は、難曲をよく音にしているという印象はあるのですけど、聴衆に「何か」は伝えきれていなかったようにも
感じられます。
指揮者の小澤先生としても77年の経験をベースにされて80年に再チャレンジをされて、この時はほぼ完璧に
この難曲を自分達のものとして完成させ、普門館の聴衆に「何か」を間違いなく伝えていたと思います。

あくまで個人的な趣味ですけど、この「ディオニソスの祭り」で、銚子商業以外で大好きな演奏を列記すると、

1.1985年の兵庫県の御影高校

2.1993年の東京の乗泉寺吹奏楽団

3.1982年と1993年と2011年の神奈川大学

4.1988年の天理高校

などがあげられると思います。

1985年の楊先生指揮の御影高校の「すさまじくアクが漲った演奏」は素晴らしかったです!!
当時の私の周辺では「兵庫高校の吉永陽一先生の再来!!」と話題になっていました。
こういうアクの強い演奏は往々にして好き嫌いというか評価は分かれると思いますが、
私はこういう強い攻めの演奏、隅からすみまでコンクールを意識した演奏は決して嫌いではありません。
積極的で自意識過剰の演奏で大好きです。
よく「甲子園には魔物が棲んでいる」とか言われますけど、
同様に音楽にも魔物が住みつく時もあります。
御影高校のアクの強い演奏には、「魔物」が住みついていたと思いますし、
演奏者も、そうした魔的な感覚ももしかして吹いている最中にも感じていたかもしれませんよね。
1993年の乗泉寺吹奏楽団の演奏は上記で書いた通り、今現在では使用されていない筈のサクソルン属の楽器を
サックスセクションが部分的に持ち替えて演奏していたのは、視聴覚的にも大変インパクトがあったと思います。
演奏も指揮者の時任先生の情熱的で熱い指揮が印象的で、両足をかなり大胆に開けたとにかく凄まじい大振りの指揮が
今でも鮮明に記憶に残っています。
演奏自体もとにかく細かい所にまでよく配慮されているだけでなく、感情の高揚感が素晴らしかったです。
神奈川大学は銚子商業での演奏実績をベースによりスケールの大きな演奏をしていて、特に1982年と2011年の
完成度の高さはこの曲の模範的演奏の一つだと思います。
1988年の天理高校は、金管セクションが少し強烈過ぎた印象もあるのですけど、
あのサウンドの透明感と絶対的威圧感は申し分ない演奏だったと思います。

このブログでは何度か書いている通り、私自身の高校は男子高校で、当時は絶対的で慢性的な
クラリネット奏者不足に泣かされ続けて、毎年一定以上の演奏レヴェルはキープ出来ていたものの、
指導者が不在で毎年生徒の中から指揮者を選出してコンクールに出場し続けていたのですけど、
そうした男子高校時代は残念ながら一度も県大会を突破できず支部大会出場は果たせていなかったのですが、
少子高齢化の波を受ける形で「学校統廃合」という事で周辺の女子高と学校統合を行い、男子校から男女共学校に
なったと同時に、若くて大変有能な吹奏楽顧問の先生が赴任され、
2012年の創部50周年という一つの節目の時に念願の支部大会出場を果たし、結果は銅賞でしたが、
OB一同感涙ものでした・・!
そして、2017年にまたまた県大会を突破し、上記で散々書いた「ディオニソスの祭り」でもって支部大会に
二回目の出場を果たし、銀賞を受賞し着実なステップアップを図っているようです!
奏者は現在の吹奏楽事情の通り、8割以上は女の子という事で、必然的にクラリネット奏者不足も解消されていますけど、
男子校時代のOBとしては、嬉しいけど「ちょっと気分は複雑・・」みたいなものもあったりします・・
可能性的に全国大会初出場も決して夢ではないだけに、一人のOBとして母校の吹奏楽部の更なる発展を
心より祈願させて頂きたいと思います。


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管弦楽で使用されて吹奏楽で使用されない楽器は、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロの弦楽器です。
(コントラバスだけは吹奏楽でも使用されています)
逆に吹奏楽で使用される楽器なのに、管弦楽ではほとんど使用されない楽器の代表格はユーフォニアムとサックスなのだと
思います。

サックス、特にアルトサックスは吹奏楽部の中では大人気パートであり、新入部員の楽器振り分けの際には
アルトサックス希望の人はとても多いと思うのですけど、
慢性的クラリネット奏者不足の男子高校出身の私としては、「それだったらクラリネットに来てよ~!
一応クラリネットもサックスも同じ木管楽器なのだからさー・・」と大人気のサックスに焼きもちメラメラだったのかも
しれないです・・

「響け! ユーフォニアム」でも「ららマジ」でもさすがにあの超ウルトラ級マイナー楽器のコントラバスサリュソフォーンは
さすがに登場する事はないですね~


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そうそう、シュミットの「ディオニソスの祭り」というとフリューゲルホルンという珍しい金管楽器も使用されています。
(吹奏楽コンクールにおいては特殊楽器ということもあり、この楽器を使用することは極めて稀だと思います)

フリューゲルホルンはコルネットまたはポストホルンに形状がよく似ていて、
マーラーの交響曲第3番「夏の朝の歌」~第三楽章で舞台裏から朗々と長大なソロを担当する楽器がポストホルンでも
ありますけど、稀に指揮者の意向や楽団内にポストホルンがない場合などポストホルンに代わってフリューゲルホルンが
このソロを担当することもあるそうです。
フリューゲルホルンの管長はトランペットやコルネットと等しく音域も同様でありますけど、
コルネットよりも円錐部分が多く、またその部分の口径も大きいことがより太く柔らかく深みに富んだ音色を生んでいます。

フリューゲルホルンは形状としてはトランペットに似ているのに、どうしてホルンという名前がついているのでしょうか? 
それはイングリッシュホルン(コールアングレ)と同様に、管体が円すい状に広がっている部分が多い楽器の総称として
ホルンが使われていると考えられるそうです。
全長・音域や、使うマウスピースのリムやカップの大きさなど、トランペットと共通する点が多いことからトランペット奏者が
持ち替えて使うことも多いそうです。
もしもですけど「響け! ユーフォニアム」において北宇治高校吹奏楽部が「ディオニソスの祭り」を自由曲として演奏した場合、
トランペット奏者の高坂麗奈がフリューゲルホルンを掛け持ちする可能性もあるかもしれないですね~♪


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上記で高坂麗奈の名前が出てきましたので、ここはdream fantasy2 のアミグリさんが描かれた高坂麗奈を改めて皆様に見て貰いたいです!
アミグリさんが描かれた高坂麗奈は最近も転載をさせて頂きましたけど、素晴らしい絵は毎日でも転載&ご紹介を
させて頂きたいです!

上記の作品はアミグリさんが2018年6月に描かれた「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です。

この高坂麗奈は、2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~!

高坂麗奈というと孤高のトランペット奏者という印象もありますけど、フリューゲルホルンやコルネットやポストホルンといった
トランペットの類似楽器を吹いてもとても絵になると思いますね~♪
フランスの作曲家・音楽教育家のシャルル・ケクランをご存知の方はかなり少ないのかもしれないです。
というか・・私自身も後述する「民衆の祭りのためのコラール」以外の曲は聴いた事がありません。
ケクランは、その名前の表示自体、ケックランとかケシュランとか表記されることもあったりしますけど、本記事では
ケクランという表記に統一をさせて頂きたいと思います。ケクランはマスネ・フォーレの弟子でもあり、音楽的功績としては、
ドビュッシーのバレエ音楽「カンマ」やフォーレの劇音楽「ペレアスとメリザンド」のオーケストレーションを担当していた事が
挙げられると思います。

ケクランの曲が吹奏楽コンクールで演奏された事は全国大会・支部大会においては2019年現在で、今の所1回だけに
留まっているのですけど、その唯一演奏された曲が「民衆の祭りのためのコラール」という曲で、
1981年の全国大会・高校の部にて福岡工大付属高校(現・福岡工大城東高校)が歴史的名演を残していた事でも
知られていると思います。
あの演奏は本当に素晴らしく内省的共感度が高く、当時日曜の朝のFMで放送されていた「ブラスのひびき」という番組にて、
そのオープニングを一時期飾っていた事もありました。
確か私の記憶では、1981年の天理高校の「オセロ」と福岡工大付属の「民衆の祭りのためのコラール」や
川本高校の81年課題曲C / シンフォニックマーチを交代交代で
「ブラスの響き」のオープニングとエンディングで流されていたような記憶があります・・

「民衆の祭りのためのコラール」は、ケクランが1936年に作曲した吹奏楽のためのオリジナル曲であり、
野外での演奏も多少は頭の片隅にあったのではないのか・・?とも言われている曲であったりもします。

民衆の祭りのためのコラールは下記の四曲から構成されています。
演奏時間は各曲が2~3分程度ですので、合計10分程度の曲です。

I..遊戯  

II..勝利  

III..戸外の祭りのためのコラール  

IV..民衆の祭りのためのプレリュード  

曲の特徴としては、ファンファーレ的なメロディーラインがどの曲にも提示されている事が挙げられると思います。
Ⅰは冒頭から金管セクションが大活躍していて、その躍動的で祭礼的な雰囲気は冒頭から惹きつけられるものが
あると感じられます。Ⅱの荘厳さ、Ⅲの気品さと洗練さ、Ⅳの内省的充実感とどの部分もそれぞれ光り輝いているものが
多々あり、この曲がほとんど演奏もされなければ後述しますけど音源も少ないことは本当に勿体無いと感じております。

「民衆の祭りのためのコラール」は、この曲を全曲収録した音源というものがドンディーヌ指揮のパリ警視庁吹奏楽団でしか
存在していなかったのですけど、
残念ながらこのパリ警視庁吹奏楽団の演奏は正直あまり芳しいものではないと思います。
冒頭の金管の華やかさの部分は「お・・これはいけるのかも・・」と感じさせてくれるのですけど、曲が進むにつれて
どんどん粗さが目立ってしまい、特に木管セクションの音の悪さと音程の悪さにはガッカリさせられるものが
あると思います。

だけどこの「民衆の祭りのためのコラール」には、吹奏楽コンクールのカットヴァージョンなのですけど、
1981年の全国大会で演奏された九州代表の福岡工大付属高校のあまりにも素晴らしい演奏が存在していますので、
私にとっては「この福岡工大付属高校の演奏さえあれば十分・・」とすら感じさせてくれるものは間違いなくあると思います。

福岡工大付属高校は、屋比久先生時代も現在の武田先生指揮の演奏もそれぞれ素晴らしいと思いますが、
その中でも福岡工大付属の基礎を作り上げられた鈴木先生時代の福岡工大付属はその中でも特に光り輝くものが
あると思いますし、1981年の「民衆の祭りのためのコラール」は、1981年~84年の全国大会4年連続金賞を達成した
最初の年の演奏という意義もありますけど、やはりあの演奏の内面的掘り下げが大変素晴らしいものがあったと思いますし、
ああした演奏は現在の吹奏楽コンクールでは絶対に表現出来ないような気さえします。
本当に数少ない伝説の名演の一つである事は間違いないと感じます。
特に自由曲のケクランの「民衆の祭りのためのコラール」という上記で書いた通り、
知る人ぞ知るあの吹奏楽オリジナル作品をあここまで内面的に掘り下げた演奏は非常に稀有な事だと 思っています。
驚くべきことに、この年のこのチームは演奏人数は41名でしたし、打楽器奏者も4人だけです。
この年、1981年から規定が変更となり、中学と高校のA部門は従来の45名から最大50名まで可となり、
ほんどとのチームは定員一杯の50名で出場しているのに
他のチームよりも10人程度も少ないハンティを全然ものともせず、これだけ堂々とした正攻法の演奏を
内省的に聴かせてくれたこのチームの「音楽的完成度の高さ」には本当に頭が下がる思いです。
そうした小編成を全く感じさせない音楽的に充実した素晴らしい演奏を後世に残してくれたと思います。

課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュは、
少々丁寧過ぎたことが裏目になり、前半がかなり間延びして聴こえた感じはあります。
序奏から前半の「幽玄的」な部分が「たっぷり歌おう、うたおう・・・」みたいな意識が強すぎたせいなのか、
歌い方が丁寧過ぎというのかヘンに理屈っぽいという感じがして、
東北出身の私が聴いても、なんか「これは東方の民謡とはちょっと違うね・・」と感じたものでした。
中間部のアレグロやラストのトランペット二重奏が大変素晴らしい出来であっただけに前半の幽玄な部分が
少し勿体無いなと感じたものです。
この課題曲Bは、全国大会・高校の部においては、九州・四国・中国・関西といった西エリアのチームは
ほとんど演奏していません。
「大阪俗謡による幻想曲」が関西のチームばかり演奏する事が多いという事実と似た側面があるのかもしれないですし、
一つの郷愁というのか血が騒ぐ感覚というのに通ずるものがあるのかもしれないです。

自由曲の「民衆の祭りのためのコラール」は前述の通り曲自体は4曲から構成されているのですけど、
福岡工大付属高校は、ⅠとⅡをカットし、ⅢとⅣの部分だけを演奏しているのですけど、
これは当時の指揮者の鈴木先生の作戦勝ちという側面も大変強いとは思うのですけど、ⅢとⅣの演奏順を入替え、
Ⅳのたいへんしんみりとした内省的な部分から開始させ、Ⅲのトランペットのファンファーレから開始される部分へと
繋げている大変斬新な構成を取られているのが大変印象的です。
そうした訳で二つの楽曲を取り上げているのですけど、どちらの部分も終始ゆったりとした音楽から成り立っています。
Ⅳの部分は木管楽器のコラールが非常に清らかで心にしみます。
Ⅲは、トランペットのファンファーレから開始されこのファンファーレに少しばかりミスはあるのですけど、
ミスがありながらも、大変内省的な響きであり心にじんわりと染み込んでくるものは間違いなくあると思います。
演奏自体、もう少し内声部の和音に配慮して欲しい部分とかサウンドが少しモヤッとしている部分もあったりして、
もう少しサウンドの整理が必要ではないのかなと感じさせる部分も確かにあったりするのですけど、
内省的充実感は本当に賞賛に値すると思います。
あのゆったりとした高まりの音楽は、聴いているだけで聴く者に何か安らぎや優しさみたいなものを伝えていると思います。
こうした演奏を聴くと、別に音楽というものは、強弱の変化とかテンポの速い・遅いの対比がなくても
ゆったりとしたテンポの単調な音楽にでも
聴かせ方によっては間違いなく人に「何か」を伝えることが出来るという事を改めて教わったような思いすらあります。
本当に「心がこもった」素晴らしい音楽だと思います。
この感覚は1994年の関東第一高校の「カンタベリーコラール」に近いものがあると思います。
 
確かに当時の天理みたいな完璧な演奏ではありません。
現在のコンクールの感覚なら、間違いなく金賞は無理だと感じます。
だけど、そうした細かい点を全て帳消しにするような
丁寧な音楽つくり・内面的表情・豊かな表現力・力任せではない温かいサウンドがそこには確実にあると思いますし、
ミスやマイナスがあってもそれを補完できる素晴らしいものがそこにはあるのです。


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民衆祭りのためのコラールの音源は、上記でも既に書いた通り、最近までは
ドンディーヌ指揮のパリ警視庁吹奏楽団と1981年の福岡工大付属高校の演奏だけしかありませんでした。
パリ警視庁吹奏楽団の音源には、ベルリオーズの「葬送と勝利の交響曲」、F.シュミット/ディオニソスの祭り、
G.フォーレ/挽歌も含まれているのですけど、私自身このCDを聴いた印象としては
「曲が冗長だし演奏もあまりいいものではない・・」という感じでしたので、ケクランの「民衆祭りのためのコラール」の
全曲版のCDは今後はもう出る事はないだろうなぁ・・と感じていました。

しかし・・! 2016年に全く思いもよらないところからこのケクランの「民衆の祭りのためのコラール」の全曲版が
CD化されました!

それが何かと言うと「もし陸上自衛隊中央音楽隊がコンクールの人気自由曲を演奏したら」というキングから発売された
CDなのですけど、要は最近の吹奏楽コンクールの人気自由曲を陸上自衛隊中央音楽隊が演奏して企画された
ものですけど、なんと・・!
このCDの中に「民衆の祭りのためのコラール」が4曲ともノーカットで収録されていました!

1.科戸の鵲巣―吹奏楽のための祝典序曲

2.ウインドオーケストラのためのマインドスケープ

3.復興

4.鐘の歌~フリードリヒ・シラーの詩にもとづく

5.エンジェルズ・イン・ジ・アーキテクチャー

6.民衆の祭りのためのコラール

3曲目までは確かに最近の吹奏楽の人気自由曲なのですけど、4曲目以降は知る人ぞ知る曲ばかりでして、
私も4と5の曲は聴いた事すらありません・・

「どこが人気自由曲何じゃん!」とツッコミを入れたくもなってしまいそうですけど、特にケクランのこの曲を
日本の国内盤としてCD化された意義は大変大きいと思いますし、
このCDがきっかけで現在の若い奏者の皆様がこの「民衆の祭りのためのコラール」の素晴らしさを認識して頂ければ幸いです!
今年の春と夏の甲子園大会は中止となりましたけど、春の選抜出場予定チームを一堂に集めての甲子園での
交流戦的な試合の実現や県予選としての高校野球の開催はたとえ無観客試合と言えども大変意義があるものだと思いますし、
選手やその父兄の皆様にとっても大変尊いものがあったと感じられます。

そうした中、屋内ホールでの三密状態を誘発しかねない吹奏楽コンクールの県・支部・全国大会の中止はやむを得ないものが
あったとしてもやはり奏者・・特に現役の3年生にとってはぽっかりと埋める事の出来ない穴が心にあいたまま卒業してしまう事に
鳴ってしまう事を考えるとやはりとてつもなく胸が痛いです・・
(そうした中、マーチングコンテストの開催が色々と条件はあるにせよ開催の予定というのは一つの救いがありそうです・・)

吹奏楽コンクール(特に高校の部)を聴く楽しみ方は色々ありますし、もちろんその最大の魅力はとてもじゃないけど
アマチュアのスクールバンドとは思えない完成度の高さだと思うのですけど、それ以外にも
コンクールゆえの何が起きるかわからない一発勝負のスリルや
特にアレンジ作品における大胆なカットと解釈の味わいとか吹奏楽独特のあの色彩感豊かな華やかな響きの充実感など
一言では書き記せない程の魅力が特に全国大会における各チーム12分間の制限時間の中の課題曲と自由曲に
ギャギュ~っと密集して詰まっているのだと思います。

そしてそれ以外においても高校の部のJKさんたちのとってもすてきでかわいいステージ衣装をお目にかかれる事なのかも
しれないです~♪
最近のJKさんたちの学校指定制服自体がまるでデザイン系制服のようにみなとってもかわいらしいものばかりですけど、
最近の吹奏楽コンクールのステージ衣装はそうした学校指定の制服とはまた異なる吹奏楽部独自のステージ衣装を
身に纏っている事も多々あり、それがまたまたとってもかわいくて魅力的なステージ衣装なので、見ているだけでも
前々飽きないですし、耳では音楽の内容そのものの感動を味わい、目的にはJKさんたちのかわいいステージ衣装を
楽しむという事で、やっぱりいくつになっても私は吹奏楽コンクールを聴きに行く事だけはやめられそうもないですね・・
(普門館の解体以降は以前は毎年のように聴いていた東京都大会や全国大会は聴きに行く事はないものの、
埼玉県大会や西関東大会はほぼ毎年聴いていますね~)
もっとも男子高生のステージ衣装など興味のきの字もないですけどね・・

それだけに今年の吹奏楽コンクールの中止は残念以外の何者でもないです・・


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吹奏楽コンクール【高校の部】においては、多分ですけど1970年代あたりまでのスデージ衣装のほとんどは学校指定の制服
であり、男は学ラン、女性はセーラー服またはブレザー制服が主流だったと思います。
そうした風潮に一石を投じたのが1979年に「二つの交響的断章」の歴史的超名演によってコンクールの歴史に
その名を残すことになった埼玉県の市立川口高校吹奏楽部の赤ブレザー&白のスカート・ズボンだと思います。

そして学校指定の制服とは異なるステージ衣装での演奏というと大変印象的だったのは、
1983年の関西大会での明石北高校音楽部のステージ衣装だと思います。

1983年の明石北高校というと歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りのあまりにも完璧でかつ個性的な演奏の超ウルトラ名演
でもお馴染みですし、その後兵庫高校吹奏楽部を指揮され、松井節とも絶賛されていた松井先生が
兵庫高校の前に指導されていた学校としても名高いのですけど、
1983年の関西大会における女性奏者の制服が、まるで宝塚を彷彿とさせるようなとっても可愛い水色のワンピースの制服!で、
まるで天女みたいなステージ衣裳として今現在でも一部で「伝説のステージ衣装」として語り継がれているくらい
とても可憐でかわいいユニフォームでもあり、あれは現在の吹奏楽コンクールのとってもかわいくて魅力的なステージ衣装の
先駆けとすら言えるのかもしれないです。
本当にあの水色の制服は可愛くて可憐で素晴らしいです~♪

確か聞いた話では、あの水色の宝塚みたいな衣装は夏用のステージ衣装であり、
秋に開催された普門館の全国大会のステージでは 女性奏者は普通のブレザー制服で演奏されていたと記憶しています。

1991年と1997年にも明石北高校は全国大会に出場しているのですけど、
残念ながら、女性奏者のステージユニフォームは、1983年の水色のあの天女みたいなユニフォームでなかったのは
少し惜しまれます・・・
全国大会は既に秋の季節だから、夏用制服のあの水色の天女みたいな制服でステージに立つことは
多分ありえない話だと思うのですけど、一度ぐらいは全国大会というか普門館で是非生で見てみたかったような気もします。

私が1984年に都内の大学に進学し、そこの吹奏楽団に入団した際に関西出身の女の子がいましたので
明石北高校のステージ衣装について聞いてみたのですけど、
「え・・? 明石北の女子生徒の制服は普通のブレザーやねん・・・、あの水色衣装は制服ちゃうで・・・
あれはあくまで夏限定のコンクールのステージ衣装ちゃうねんか・・?」とか言っていましたので、
多分そうなのでしょう・・
松井先生指揮での明石北の普門館再登場も当時とてつもなく期待していたのですけど、
松井先生はその後兵庫高校に異動されましたので、
あの天女みたいな水色の制服も松井先生指揮での演奏もお目にかかる事はありませんでした。

ちなみにですけど、明石北高校のその水色ワンピースのステージユニフォームは、「バンドピープル」のバックナンバーに
何度か登場していますけど、
やっぱりあれは、今改めて見ても斬新なデザインですね~♪

最近の高校生、特にJKさんの皆様の制服って本当に可愛くて素敵なものばかりが多いですよね~♪
いわゆる「デザイン系制服」みたいなものを指定制服とする学校も随分と増えてきたと思うのですけど、
私が高校~大学の学生さんだった頃って、こうしたデザイン系制服自体がまだまだ珍しい時代でもありましたので、
こうした明石北みたいなデザイン系みたいな可愛い制服自体が大変貴重だったと言えると思います。
バンドジャーナル・バンドピープルといった吹奏楽月刊雑誌の毎年11~1月号の「吹奏楽コンクール特集記事」において、
出場チームの写真が掲載される事もかなりあり、
私が田舎の県立男子高校の時に、既にこうした吹奏楽雑誌にて明石北高校のあの天女さんみたいなステージ衣装は
既に掲載されていて、 よく他の男子部員と共に「あー、こんな可愛い制服の女子高生と同じステージで演奏したいよなぁ・・」とか
「それにしてもこの制服可愛いよな・・」
「あんな可愛い制服の女の子と××したいよなぁ・・」
などとよからぬ(?)妄想ネタで盛り上がっていたものでした・・

ちなみにですけど、上記画像は、1988年11月号の「バンドピープルにおける明石北高校の掲載写真です。

今現在の感覚・視点で見てみると、 「別に大したことないじゃん・・」と思われる方が多いのかもしれないですけど、
私が現役奏者の頃は、珍しかったですし、とっても貴重だったのです!
ちなみにですけど、当時の明石北のあのすてきな夏用ステージ衣装はは1990年代に入ると廃止になったとの事で
「なんか勿体ないなぁ・・」とも思ったりもしますね・・
確か私の記憶では90年代に一度だけ明石北が「復刻版シリーズ」とかであの天女みたいな制服を一年限定で
着用されて吹奏楽コンクールに臨んでいたと聞いたことがありましたけど、
そうした復刻シリーズは是非是非来年以降のコンクールでもお披露目して頂きたいものですね~♪
本記事の一つ後の記事がグラズノフのバレエ音楽「四季」~秋に関する記事でもありますので、ここはテーマを「秋」に
統一する意味で、秋をモチーフとした吹奏楽オリジナル作品の中では、私的には保科洋の「愁映」と並んで最も印象的な
作品でもあり、1998年の吹奏楽コンクールのすてきな課題曲でもありました福島弘和の「稲穂の波」について
少しばかり触れさせて頂きたいと思います。

日本の国土の美しさの一つとして四季がはっきりしていた事が挙げられたとも
思うのですけど、何となくですけど今年がそうした日本の美しい四季が崩壊し、
極端に寒い冬と極端に暑い夏の二季しかない国に変容するはじまりとして記憶されるのかもしれないですし、
四季の崩壊という観点では「明確な四季が見られる終わりの始まり・・」と言えるのかもしれないです。
そして今年に関しては四季を愛する心の余裕を喪失しかねない新型コロナウイルスの感染蔓延という事もありましたし、
秋を探して小さな一人旅とか秋のおいしい食材を求めての小旅行というのもなかなかできにくいなんだか例年になく
寂しい秋になりかねないのかもしれないですけど、そうした時は自分が住んでいるエリアの中で「それぞれの自分だけの秋」
といものを探してみるのも秋の楽しみ方なのかもしれないです。


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季節が秋に向かっているのかもしれないな・・と感じた瞬間は、
水田の稲の色が今までの青っぽい感じから幾分黄色というのか、黄金色みたいに色が変化しているのを
見た瞬間なのかなとも思ったりもします。

暑い、暑いと言っていても、水田一つとっても着実に季節は秋に向かっています。

そんな事をふと思ってたら、頭の中を不意にある一つの曲が駆け巡ってきました。

それが何かと言うと、1998年全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅱ/稲穂の波でした。

吹奏楽コンクールの課題曲の変遷の歴史を簡単に見ていくと、
1970年代後半から1992年までは書下ろしオリジナル作品とマーチの混合、
1993年から2000年代初期の頃は、奇数年がマーチの年で偶数年が幾分長めの書下ろしオリジナル作品の年と分離させ、
そして最近は、中学の部限定とか小編成用とか色々と興味深い工夫もある中、
基本的には昔のような書下ろし作品とマーチの混合というパターンに戻ったような感じもあります。
(全体的には試行錯誤の末、結局は元の鞘におさまったという感じですね・・)
1998年は、偶数年でしたから、オリジナル書下ろし作品の年でしたけど、
まだこの年は、1994年の例えば、饗応夫人とか雲のコラージュのように課題曲だけで6~7分程度の
長い課題曲という余韻がまだ幾分残っているような感じもあり、
4曲ともいずれも演奏時間は4~5分程度の曲でした。
この年は何となくですけど、Ⅰの童夢とⅡの稲穂の波に人気が集中していたような印象もあるのですけど
私は、何と言ってもこの課題曲Ⅱ/稲穂の波が大好きでしたね!!
この曲はもイメージがしやすいというのか、黙って目を閉じてこの曲を聴いていると自然に
目の前に広大な田んぼが広がっていて、「秋の収穫」を目前に控えた頃の黄金色に輝く一面の田んぼというのか、
そうした何か「日本人の心のふるさと」みたいな情景が 勝手に入り込んできたりもしていたものでした。
風でさーーーっと黄金色の穂がゆらゆらと揺れ動くみたいなイメージが私の中にはあったものです。
とっても分かりやすい曲で、難しいメロディーも変拍子も特になく、不協和音も無く
頭の中にすーーーっとメロディーラインが入り込んでくるとっても優しい曲だったと思います。
この曲、何度も支部大会・全国大会で耳にしたのですけど
どのチームも曲のイメージがしやすいせいか、課題曲にありがちな「無味乾燥な演奏」というのは
比較的少なかったようにも思えます。
稲穂の波の演奏で私がいっちば~ん!に好感を感じる演奏は秋田県の新屋高校の演奏だったと思います。
(二番目は神奈川大学の正攻法の演奏だと思います。この課題曲でいっちば~ん!個性的な演奏をしたのは、
間違いなくあの吉永陽一先生指揮の西宮高校なのだと思います!)
そして結果的に新屋高校は念願の全国大会初金賞を受賞すると同時に、1984年の花輪高校以来途絶えていた
高校の部における東北代表のチームが久しぶりに金賞を受賞するという快挙も見せてくれていたものでした。
私自身、いっちば~ん!最初に聴いた全国大会・高校の部が1984年だったのですけど、意識としては、まさかその年の
花輪高校以降14年間も高校の部の東北代表のチームが金賞ゼロを続けるなんて全く夢にも想像していなかった
ものでした・・(泣)
1998年の新屋高校の自由曲は矢代秋雄の交響曲~第四楽章でしたけど、指揮者の高野先生にとっても
1982年に仁賀保高校を指揮して同校を全国大会初出場・初金賞の快挙をもたらした時の自由曲も矢代秋雄の交響曲
でしたので、高野先生としても感慨深いものがあったと言えるのかもしれないですね。
(私自身の個人的感想ですけど、82年の仁賀保と98年の新屋は82年の方が感銘度・音のスピード感と切れ味と霊感は
はるかに勝っていたように感じられます・・)

「稲穂の波」の作曲者の福島弘和は、最近では、「ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶」とか
シンフォニエッタ第2番「祈りの鐘」で吹奏楽コンクールでもお馴染みの方なのですけど
私としては、祈りの鐘もかなり大好きな曲なのですけど
「稲穂の波」と2000年課題曲Ⅰ/道祖神の詩の方に強く魅かれるものがあるように感じられます。
福島弘和は日本の「古き良き情緒」をイメージさせる曲の方が、私にとってはよりしっくりくるような気もあります。

「稲穂の波」ですけど、 出だしはゆったりと開始され木管楽器のたっぷりとした歌に最初から心打たれるものがあります。
金管がコラール風に瞬間的に盛り上がった後からの中間部はアレグロ的に展開され、
キビキビと進行していく雰囲気が何となくですけど私的には「風」をイメージしたりもします。
中間部の速い部分は、ホルンの雄叫びみたいな感じとタンバリンがシャリシャリ鳴っている部分が結構気に入っています。
中間部のラスト近くで一旦テンポを少し落とし、コラール風に展開していく部分は、この課題曲の最大の聴かせどころと
言えると思うのですけど、
ああいう感覚は、多分ですけど、日本人の「伝統的美意識・わびさびの世界」の琴線に触れる部分のようにも感じられますし、
日本人にしかわからない音楽なのかな・・?とも思ったりもします。
静かに閉じられるラストも実に秀逸だと思います!!

これはなんていうのかな・・? 「郷愁」の世界なのかもしれませんね。

この曲の雰囲気からは黄金色の稲も感じますし、赤とんぼといったイメージも伝わってきているようにも感じられます。

赤とんぼというと、既に彼岸の彼方の義父が生前によくその娘(つまりうちの奥様の事です・・)に
「うちの窓によく赤とんぼが飛んでくるのを目にするけど、なんだかあの赤とんぼを見ていると、
(その当時は既に逝去していた)うちの妻の事を思い出してしまい、あの赤とんぼに生まれ変わった妻が
自分に対して早くあなたもこっちの彼岸の世界にやってきなさいよと自分に囁いているような気がしてとてもせつない」と
とてもモノ哀しそうな眼をして話していたみたいな事を思い出してしまいます。

「稲穂の波」は聴き方によってはそうしたこの世とあの世を繋ぐような不思議な魅力を持った曲と言えるのかも
しれないという事なのかもしれないです。
A.リードの「エルサレム讃歌!」や「ロシアのクリスマス音楽」は神への荘厳な祈りをイメージさせる曲だとも感じるのですけど、
神への祈りとか荘厳さといった雰囲気は、同じくリードの比較的初期の頃の作品でもある
「アレルヤ! ラウダムス・テ」という宗教音楽みたいな雰囲気の曲とも実は繋がっているものがあるのかな・・?とも思ったりもします。

リードの「アレルヤ! ラウダムス・テ」という吹奏楽オリジナル曲は、最近の現役奏者の皆様にとっては
馴染みが無いというか、「曲名すら聞いたことが無い・・」みたいな感じの曲になってしまうのかもしれないですよね。
私が現役奏者の頃は、よく県大会とか定期演奏会で耳にしましたけど
最近は、コンクールでもこの曲が自由曲として演奏されることはまずないです。

この曲はなんといっても出だしが最高に格好いいと思います。
金管セクションは冒頭からいきなり高音が続きますのでフレーズ的にはかなり苦しいと思うのですけど、
出だしのファンファーレ的な讃歌は、神への讃歌をイメージさせるにはこれほど相応しい音楽はないと感じさせてくれますし、
この冒頭部分に続く木管の響きは、神への清廉な祈りみたいなものを感じさせてくれていると思います。
この曲はかなりシンプルな構成で、このファンファーレ的な部分と神への祈りみたいなフレーズが交互に繰り返され、
ラストは全奏者にての冒頭のファンファーレが高らかに再現されていきます。
この曲は、正直聴く人によって好き嫌いはあるかもしれないですね。
嫌いな人はくどすぎるとか単調とか変化に乏しいと言うかもしれません。そのしつこさを感じる原因と言うのは
曲の単調な構成とか繰り返されるメロディーが嫌というのが理由なのかもしれないです。
繰り返される事であの荘厳なメロディーすらも後日鼻歌でふんふんと歌って見たくなってしまいたくなるのも
この曲の魅力なのかもしれないです。
打楽器は、ティンパニ・大太鼓・小太鼓・シンバル・シロフォーン・ヴィヴラフォーンだけですが、
バスドラムとシンバルがズドーンと叩き付けられる箇所が何度かあるのですけど、
この重低音のどっしりとした響きは私は結構好きです。

このアレルヤ!はリードしてはかなり初期の頃の作品なのですけど、
何かこの雰囲気は、後年の大変な名作「エルサレム讃歌」に繋がるような気がします。
エルサレム讃歌はアレルヤ!のようにシンプルな曲ではなくて、大変精密で複雑な大作なのですけど、
雰囲気は、この両曲はどこかで繋がっているようにも感じられます。

大変古い話で恐縮なのですけど、
1981年の北海道大会の中学校C部門(25名編成)は出場チームが20以上あったにも拘らず、
評価が大変厳しく、金賞受賞チームはただ一団体のみという事もありましたが、
その唯一の金賞チームである明苑中の自由曲がこのリードのアレルヤ!・ラウダムス・テでした!
この曲は、吹奏楽コンクールで演奏する場合、結構難しい要素はあると思います。
あまりにも曲が単調なので、聴く方としてはかなりしつこいという印象はあるのかなとも感じられます。
(神への祈りに通ずる雰囲気を少しでも発見できさえすれば、この曲の魅力が分かると思います)
意外かもしれませんが、全国大会でも実は過去に二回も演奏されていますので(佐賀大学と川崎製鉄千葉)
分かる人には分かるという感じなのかもしけないです。

この曲は、中々素晴らしい演奏・録音が無いなと思っていたら、数年前にやっと決定打が出ました。
金聖響指揮によるシエナ・ウィンドなのですけど、 この演奏は素晴らしいですね~♪
この「アレルヤ!ラウダムス・テ」はオプション扱いですが、楽譜の指定ではパイプオルガンも入ります。
金聖響の演奏では、この曲のラストというか、冒頭のファンファーレの再現部分あたりから
このパイプオルガンを使用し、かなりの効果を上げていますし、 この演奏を聴くと
「あー、やっぱりこの曲は神への讃歌・祈り」の曲なんだな~」と感じてしまいます。

最近の吹奏楽コンクールではめったに聴く事はできない曲と思われますけど、小編成チームが挑戦しても決して
無駄ではない曲である事は間違いないと思います。


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ららマジの東奏学園器楽部の部員は30人ですけど、
「ららマジ」は吹奏楽部ではなくて器楽部と言う事で、楽器仕様に制約が無いと言う事で、出てくる楽器も
吹奏楽ではありえない編成のワーグナーチューバ・箏・胡弓・ピアニカ・リコーダー・エレキベース・シンセサイザー・
ウクレレなども登場しているのは自由さがあってとてもすてきだと思います。

器楽部創立メンバーの一人で、部長であり指揮者でもある草薙百花がそうしたメチャクチャな楽器編成を
無理やりどうにかこうにかまとめてしまっているのですけど、
ららマジの器楽部の楽器編成は「各楽器に奏者が1名」ということですので、部員が30人ということで、つまりは
30の楽器で音楽が奏でられるという事になると思います。

それにしても改めてららマジ器楽部の編成はツッコミどころが満載ですね~♪

チューバは無いけどワーグナーチューバはあったり、オーボエは無いけどなぜかコールアングレはあったり、
ファゴットもコントラファゴットはあるけどなぜかバスクラがなかったり、
ベース・エレキ・ウクレレとギター系の楽器が三本もあったり、ユーフォニアムが管弦楽と同様に配置されていなかったり、
胡弓・箏といった邦楽器があったり、
30人編成なのに、ドラムス・グロッケンシュピール・和太鼓・トライアングル・タンバリン・カスタネット・シンバルの
打楽器セクションはかなり充実していたり、
なぜかシンセサイザーまであったり、基本的には吹奏楽の編成に近いけどなぜかヴァイオリンやチェロ・ハープも配置される
など現実ではあまりありえない編成ゆえにその自由さは素晴らしいものがあると思います。

奏者はドラムスとハープと箏と弦楽器を除くと基本的には全員スタンドアップして演奏していますけど、
コントラファゴットは基本的には立って演奏をする事が出来ないので、椅子に腰かけて演奏しているのは、
「わかっているね~」という感じでもあります。

こうした自由な編成による神への荘厳なる祈りの意味を有する曲というのもぜひ聴いてみたいな~とも思ったりもします。
1985年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は、課題曲B/波の見える風景の印象が大変強いですし、
私もあの課題曲は大学の吹奏楽団時代に吹いた曲としては風紋と並んでとてつもなく大好きな曲でもありました!
(特に習志野高校のあの洗練された響きとストーリー性を感じさせる抒情的な音楽は素晴らしかったです!)
85年の課題曲は波の見える風景というイメージも確かにあるのですけど、
課題曲C / シンフォニックファンファーレとマーチも大変魅力溢れ、曲の隅々にまで工夫と仕掛けが施された曲でしたし、
課題曲D / ポップ・ステップ・マーチも演奏しやすさと親しみやすさという意味では屈指の人気曲だったと思います。

課題曲A / Overture FIVE RINGS(オーヴァーチュア ファイヴリングス)も強烈さとスピード感と言う意味では
大変優れた曲であると思います。
そしてこの課題曲の作曲者が相当の大御所作曲家というのか三枝成彰というオペラ作曲の重鎮の大先生というのも
当時は驚きでした~!
そして三枝さんは当時「11PM」という深夜の大人のトーク番組の司会も務められていて、あの軽妙なトークも
大変印象的でしたので
「まさかこうした先生が吹奏楽コンクールの課題曲の作曲を受けるなんて意外なのかも・・」と感じていたものでした。
(だけど、後年、三善晃が「深層の祭り」という吹奏楽コンクールの課題曲を作曲された時の方がもっと衝撃はありました)
そしてこの課題曲が特筆されるべき点は、この曲はいわゆる吹奏楽コンクール用として最初から構想されたものではなくて、
確かに全日本吹奏楽連盟の委嘱により作曲されたものではあるのですけど、
1984年にNHKで放送されていたNHKの大型時代劇「宮本武蔵」のための音楽を再構成し吹奏楽編成に編曲したもの
という作曲の経緯も当時としては異色というのか珍しいものがあったと思います。
余談ですけど、北陸の根上中学校吹奏楽部は、「利家とまつ」という当時NHKの大河ドラマからの音楽を自由曲として
選曲し全国大会に出場していた事もあったりもします。
この「宮本武蔵」は日曜日の大河ドラマではなくて平日の夜のドラマという放映時間でもありました。
タイトルの「Five Rings」は宮本武蔵が記した兵法書「五輪書」にちなんで付けられているのですけど、
最初にこの課題曲のタイトルを耳にした際は「え・・? 五輪・・?? と言う事はこの曲はオリンピックに関連したものなのかな・・?」と
私は完璧に誤解をしていたものでした・・

最初にこの課題曲を聴いた時、金管セクションの堂々たる分厚い響きも木管セクションの細かいリズムとうねりと高音域の
切迫感にゾクゾクとさせられたものでしたけど、この課題曲の最大の聴き所は誰が何と言っても
ティンパニの連打に次ぐ連打のかっこうよさなのだと思います!
最初にこの課題曲を耳にしたのは言うまでもなく課題曲を決める際の試演だったのですけど、
あの時に見たティンパニ奏者はとにかくめちゃくちゃかっこうよくて、あの時のティンパニ奏者は3年生のお姉さま奏者でしたが、
「キャー! お姉さま、すてき~ かっこいい~♪」という感想しか出てこなかったほどあのお姉さまの狂気と気迫に溢れた
叩きっぷりには私も惚れ惚れとさせられるものがあったと思います~!!
この課題曲Aのティンパニ奏者は大変技術と体力がいる曲なので、本当に演奏は大変だったと思いますが、
あの怒涛の連打は、今でも惚れ惚れするものがあります。
ただこの課題曲の名演は意外と少ないようにも思えます。
強いてあげると、尼崎吹奏楽団と花輪高校と御影高校くらいかもしれないです。
この課題曲は中学校の部でも何チームか取り上げていましたけど、やはり中学生だとあの課題曲のエネルギーを
完璧に表現するには体力的にちょいときついのかな・・?とも感じたものでした。

Overture FIVE RINGSですけど、冒頭からしてとてつもなくかっこいいです! そしてそこから導かれる金管セクションの
堂々とした分厚い響きは艦これで例えると軽巡というものではなくて戦艦や空母艦なのだと思えます!

「宮本武蔵」のヒロインお通が吹く篠笛を模したピッコロのソロを中心とした短い序奏から曲は開始され、
金管楽器による「武蔵のテーマ」がクラリネットのスケールなどが彩る中、力強く分厚い響きで展開されるのが
大変印象的です!
だけど実際の吹奏楽コンクールにおいてはこの冒頭の金管の分厚く重厚な響きを理想通りに響かすことが出来たチームは
実は意外と少なく、全国大会・高校の部では花輪高校と御影高校ぐらいしかなかったと思います。
この事は以前の過去記事の中でも散々ブーたれていますけど、秋田県立花輪高校の課題曲A / Overture FIVE RINGS の
冒頭の金管のあの分厚い重厚で決然とした響きは全部門を通して最高の演奏の一つだと私は今でも確信しているのですけど、
どうしてあの演奏が自由曲のガジベコフの交響曲第2番と合せて銅賞と言う評価で終ってしまったのかは
今でも全く理解も納得も出来ていないですね~!
あの演奏のどこが良くないのか私には全く思い当たる節はないです!
1985年の花輪高校はプログラム一番というハンデもあったのですけど、当時の普門館の朝一番の眠りを完全に
醒めさせる完璧な演奏でしたし、導入部を経て金管セクションの重厚で堂々とした響きとそれに続く木管セクションの
素晴らしいうねりの表現と演奏技術に感動し、あの部分だけで「今年も花輪高校は金賞確定」と確信しましたし、
自由曲のガジペコフのやはり堂々とした重厚感とキビキビとしたスピード感溢れる演奏にさらに感銘を深めましたけど、
審査結果の発表で銅賞と告げられた時は「ありえない・・」という想いしかなかったですし、
後日花輪高校の課題曲と自由曲のカスタムテープの演奏を何度聴き直してもとてもじゃないけどあの演奏のどこが銅賞なのか
実は今日に至るまで全然納得できないですね~!

話がまたまたそれました・・、話をOverture FIVE RINGSに戻しますと、トランペットの短い導入でメロディを木管楽器に受け渡し、
テンポを少し落として「お通のテーマ」が木管楽器とトランペットで歌われていき、
短い休止の後、速いテンポでティンパニの弱音の導入からクレッシェンドしていき、
音量が頂点に達するとティンパニが和太鼓の乱れ打ちのように三連符のパターンを叩き続けていきます!
そして激しい展開を経て一気呵成に曲は閉じられます!
余談ですけど、この課題曲が作曲された頃に4人の作曲家による連作ともいえる交響組曲「東京」の第二曲・summerを
三枝氏が担当されていましたけど、このサマーの雰囲気はどう聴いてもOverture FIVE RINGSに近いものが
あったようにも感じられます。

とにかくあのティンパニの連打というのか乱れ打ちは聴衆の視線を釘付けにすると思います。

そしてパーカッションセクションのパート譜をよく眺めてみると、実はあのティンパニも一見連打とか乱れ打ちとか
高度な技術のように聴こえたりもするのですけど、
ティンパニは、基本的には実は2小節単位の同じ旋律を繰り返しているだけ・・というのも凄いものがあると思います。
ああいう単純な繰り返しをとてつもなく難解なように感じさせるのも立派な作曲上のテクニックのような気もしますね・・
ティンパニ奏者のテクニックは相当難しいものが溢れていると思いますし、
両手の交差が入るなど、二刀流で暴れ放題に暴れているという印象もありますし、あの豪快な暴れっぷりは
今現在で言うとエンゼルスの大谷選手が二刀流でもって大暴れしているのに少しと雰囲気が似ている様なものも
あるのかもしれないです。

ティンパニ以外の楽器も、16分音符系と3連符系が混ざったリズムを全員で揃えたり、
トランペットのハイトーンがあるなどかなり高度な内容で課題曲としてはかなりの難曲だと思います。
この曲で何が一番難しいのかと言うと、瞬間的にこの曲の流れに乗り遅れてしまうと、
1拍とか半拍間違えて入ってしまうプレッシャーがあったりして、特にあのティンパニ連打以降は、一人たりとも
全体の流れから脱落者が出てくると、曲全体が崩壊しかねない危険性も秘めていて、
あの課題曲はティンパニ奏者も大変だったけどそれ以上に全体をコントロールする指揮者がもっと大変・・と
言えるのかもしれないですね~!


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打楽器パートは一般的には、ティンパニ奏者を頂点に、大太鼓・小太鼓(スネアドラム)・トムトム・ドラムセット等の太鼓系、
シンバル・サスペンダーシンバル・ドラなどの鳴り物系、
グロッケンシュピール・シロフォーン・ヴィヴラフォン・マリンバ・コンサートチャイム等の鍵盤打楽器系、
そしてタンバリン・トライアングル・カスタネット・マラカス・拍子木などの小物打楽器系、
そして場合によっては和太鼓といった特殊楽器やはたまたピアノなど、
打楽器奏者はマスターすべき楽器が大変多いというのが大きな特徴なのだと思います。

そして曲が静粛な場面とか弱奏の場面では打楽器は全員お休みという事も多々あり、そういう時にうっかり居眠りして
指揮者にばれると「例え休みの場合でも音楽に参加しているという気持ちをキープしていろ!」と怒られてしまうというのが
一つのお約束であったような感じもします。

Overture FIVE RINGSのティンパニ奏者は音楽の流れに乗るという事が特に求められ、ティンパニ奏者の奏でるリズムのノリに
よって他の金管セクション・木管セクションも音楽の流れに乗る事が初めて可能になる曲のようにも感じられますので、
Overture FIVE RINGSのティンパニ奏者は大変だけど、同時に大変な奏者冥利に尽きる曲であるともいえそうです。

1985年の全国大会でも何人かの女性ティンパニ奏者がこのOverture FIVE RINGSを叩いていましたけど、
個人的に特に印象的だったのは、全体の評価は銅賞でしたけど出雲高校のティンパニ奏者でした。
あの雰囲気はなんとなくですけど「お通に近いのかな・・?」とも感じたものでした。

「響け! ユーフォニアム」の劇場版においては一年生のティンパニ奏者も登場していましたけど、あの一年生は
とってもかわいかったですね~♪

アニメの第一期と第二期でティンパニを担当していた上級生はマーチングではシロフォンを担当していて、
普段のティンパニとは違う魅力を感じさせてくれていたと思います!


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ホルンという金管楽器は歴史的にはかなり早い段階から登場していて、モーツアルトの頃には既にホルン協奏曲が
作曲されていましたし、トランペット・トロンボーンと共にオーケストラの中では早い段階から定着が果たされていた楽器です。
ホルンはカタツムリのような形状に巻かれた円錐状の管と、3つから5つのロータリー式のバルブを持つのが基本構造で、
他の金管楽器よりも多くの倍音を出すことができる特徴もあり、
金管楽器であるものの、その音色のやわらかさから金管楽器のみならず木管楽器ともよく調和する楽器としても
馴染みがあり、木管五重奏曲なのにホルンが入っている室内楽曲もあったりします。
プロの管弦楽団の演奏会や吹奏楽コンクール等でのホルン奏者の手の動きを見ると一目瞭然なのですが、
手をベルの内部に突っ込むという独特の演奏法を用いることで、ベル内に反響する共鳴の度合いを微調整することが可能
でもあったりします。そしてベル内の手の動きの微調整で豊かな音の変化を生むことができたりもします。

但し、ホルンと言う楽器の難しさは生半可なものではないと思います。

例えば吹奏楽部における新入部員の楽器振り分けの際に、例えばトロンボーンやユーフォニアムやサックスに
配属された初心者の皆様は多分ですけど初日でも音ぐらいはある程度容易に出せると思うのですけど、音自体が中々
出せなくて最初から大苦戦を強いられる楽器の代表格は、金管だとホルン、そして木管だとクラリネットと実感したりもします。

2007年のギネスブックで世界で一番難しい金管楽器であるとして認定されたほど、ホルンは金管楽器の中では
大変デリケートで扱いが大変難しく、特に高音域で音を外すというのかプルンとひっくりかえる事が大変多くて、
吹奏楽の中でも、クラリネット・トランペットと共に指揮者から怒られてばかりで目の敵にされやすい傾向があったりもします。
勇壮な曲調から甘美でロマンティックなメロディーもこなせ、その表現力の幅広さはかなり広いのですけど、
とにかく音が決まりにくい楽器と言えます。
プロの管弦楽団でも、指揮者はホルンのソロに差し掛かると、そのきっかけの瞬間だけチラリと目配りして後は目を
そらす傾向にあるそうです。指揮者が睨んだり視線があったりすると、余計に音を外すことが多々あるそうです。

管弦楽曲の中でホルンの目立つソロで印象的な曲をいくつか挙げてみると・・

〇R.シュトラウス / 交響詩「ティル・オイレンシュピゲールの愉快ないたずら」  アルプス交響曲 

アルプス交響曲のホルンはとにかく勇壮な響きでかっこいいです~♪
特に嵐や頂上の部分のホルンの強奏はほれぼれとさせられる爽快さがあります。そして場面によっては
複数奏者による舞台裏からのホルンの響きが演出されることもあり、これは音の遠近感という意味で大変効果的です。

〇P.チャイコフスキー / 交響曲第5番第二楽章

〇D.ショスタコーヴィッチ / 交響曲第5番第四楽章  交響曲第10番第三楽章

交響曲第10番第三楽章においては、曲が盛り上がってくると、ホルンのファンファーレみたいなメロディーの断片が
それまでのメロディーラインを遮るという感じがします。
そのホルンによる音楽の流れの遮断こそがショスタコーヴィッチ自身のドイツ式の綴りのイニシャルから取ったDSCH音型という
四つの音型パターンであり、 第三楽章の中で、かなり乱暴で粗野な強奏の部分が登場し、「とてつもなく盛り上がってきた」と
聴衆に思わせておいて 、次の瞬間に前述のDSCH音型がその流れを断ち切り、それが何度か繰り返されると
聴いている方としても「またかよ・・」みたいな妙な脱力感を感じてしまいますし、
唐突に背後の人間から膝かっくんを食らった様な感覚にすらなってしまいます。

〇I.ストラヴィンスキー / バレエ組曲「火の鳥」~終曲

魔王カスチェイの凶悪な踊りの激しさと子守歌の美しさが終わった後ホルンソロによるあのメロディーが流れると
どことなくホッ・・とさせられるものがありますし、物語の大団円を示唆しているようにも感じられますし、
魔法の世界から現実の世界に帰還したような感覚を味わったりもします。

〇M.ウェーバー / 歌劇「魔弾の射手」序曲

〇G.マーラー / 交響曲第1番「巨人」第二・第四楽章  交響曲第5番第三楽章

マーラーの巨人の第四楽章は、楽譜上での指示ではエンディング部分のホルン奏者は全員起立してベルアップ奏法を
要求され、あのスタンディングとベルアップのホルンは視覚的にもサウンド的にも大きな効果を上げていると思います。

だけど、ホルン奏者にとっては心底おそろしい・・とプレッシャーを感じる曲の一つはR.シュトラウスの
交響詩「ティル・オイレンシュピゲールのゆかいないたずら」だと感じます。

ティル・オイレンシュピーゲルというのは、14世紀頃のドイツに実在したとも言われるし単なる架空の人物とも
言われる事もあるし、要は、その正体については定かでない伝説の奇人なのですけど、
その生涯の数奇な伝説を音楽の物語として交響詩という形で単一楽章として18分前後の曲として発表したのが
このR.シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」という曲なのです。
R.シュトラウスの交響詩の中では屈指の人気を誇り、「ドン・ファン」・「ツァラトゥストラかく語りき」と並んで
大変演奏頻度も高い曲だと思いますし、
今現在も日本各地のオーケストラのレパートリーとして完全に定着している曲の一つだと思います。
吹奏楽コンクールのアレンジものとしても昔から大変人気が高く、今現在もよく自由曲として選ばれる事の多い曲の一つです。

この曲の最大の聴かせどころでもあり最難関の部分は、曲開始早々のホルン奏者によるソロだと思います。
以前、NHK交響楽団のホルン奏者へのインタビューの中で、
「今まで吹いた曲の中で一番プレッシャーが掛った曲は?」という質問と
「今まで吹いた曲の中で技術的に大変しんどくて難しかった曲は・・?」という質問に対して、
R.シュトラウスのティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずらを挙げていたのは当然だと思いますし、
奏者にとっても大変な曲だと思います。

交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」の冒頭の温和で柔らかい感じは、
「これからおとぎ話が始まりますよ」みたいなプロローグみたいな感じがして実に素晴らしいと思います。
この交響詩が作曲された頃に、それまでの手締め式ではなくてペダルを足で踏む事で音程をコントロールする
ペダルティンパニが発明され世に出ていますけど、
そうしたペダルティンパニを最初に効果的に使用した曲の一つとして
この交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずらを」や同じくR.シュトラウスの歌劇「エレクトラ」・「バラの騎士」を
指摘する見解が多いようです。

ティル・オイレンシュピーゲが行ったいたずらを具体的に挙げてみると・・

1.市場で牛馬を解き放ち、市場を大混乱に陥れる。

2.空飛ぶ靴でトンズラを図る

3.お坊さんの姿に化けてテキトーでいい加減な説法をして廻る。

4.美女を口説くがあっさりと振られる・・

5.学者たちにテキトー論争を吹っかけ、学者たちを煙に巻きそのまま逃走・・・

それほど社会に大きな迷惑は掛けてはいないのかもしれないですけど、そうやって各地をいたずら放浪して
散々悪態ついたところで逮捕され、裁判に掛けられ絞首刑の判決が下り、そのまま息絶えるというストーリーを
大変巧みな構成力&楽器配分で表現したのがこの交響詩と言えると思います。
絞首刑シーンにおけるクラリネットの高音の絶叫音というのは、絞首台でのティルの悲鳴を示唆しているそうです。
曲のラストでは、冒頭のあの親しみやすく温和なメロディーが再現されていて、
「ティル・オイレンシュピゲールは確かに死んだけど、ティルのイタズラ魂は今でも生きている」とか
「ティルは永遠に不滅ですよ、みなさんの心の中に伝説として今後も生き続けていく」みたいな事を暗示しているようにも
感じられたりもします。

この曲は昔から吹奏楽コンクールにおいても人気が高い曲の一つですけど、この曲をコンクールで演奏すると、
時間制約の関係上、どうしても大胆にカットせざるを得なくなり、聴き方によっては、
ティルはまだ2つか3つしかイタズラをしていないのに処刑されてしまった・・みたいな印象もあったりもします。
だけど吹奏楽コンクールでのホルン奏者は冒頭ソロはたいていの場合外す事なく堂々と吹いていますので、「凄すぎる・・」と
感激させられてしまいそうです。

ホルンが大活躍をしたりホルンに目立つソロがある吹奏楽オリジナル曲ですと、
W.スミスの海の男たちの歌や真島さんの富士山〜北斎の版画に触発されてとか
チェザリーニのアルプスの詩、伊藤康英の交響詩「ぐるりよざ」、ホルジンガーの春になって王たちが戦いに出向くに及んで、
などたくさんありますし、そうしたホルンが大活躍する吹奏楽オリジナル作品の中でも、群を抜いて難解で
「ホルン殺しの名曲」として名高いのがクロード・スミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」に尽きると思います!
同じくスミスの「ルイ・ブルジョワの讃美歌の主題による変奏曲」のホルンはラストのとんでもない高音を含めて
相当大変だと思いますし、またまたスミスですけど「ダンス・フォラトゥーラ」はトランペット殺しの名曲だと思います。

この「フェスティヴァル・ヴァリエーション」について一応専門的に少しだけ書いてみると、
アメリカ空軍ワシントンバンドと当時の隊長アーナルド・D・ゲイブリエル大佐の委嘱で作曲され、
1982年2月10日、ゲイブリエル大佐指揮のワシントンバンドで初演され、大反響を起こし、
翌年に日本でもヤマハ浜松が自由曲として演奏し、一気に日本でもブレイクしました。
とにかくこの曲の難易度は高く、あまりにも有名な冒頭のホルンの超難関の高音とか
コーダにおけるホルンのウルトラ高音域は、アマチュアでは演奏困難とも思えます。
これは当時のワシントンバンドの首席ホルン奏者が大学時代のスミスのライバルであったことから、
わざと難しく書いたという有名なエピソードが残されています。

この曲を一言で書くと・・・

「労多くして実りが少ない曲」と言えるかもしれないです。
勿論上手なチームがノーミスで吹きこなせば、元々の曲自体があまりにも素晴らしいので
すさまじい名曲に聴こえ大変な感動を生むのですけど、並以下のチームが無謀にもこの曲に挑んでしまうと
私の母校のように外しまくり玉砕するケースを コンクール・コンサートで何度耳にしたか分かりませんし、
それほど大変な難曲ですし、ホルンセクションは気の毒なくらい難易度の高い技が要求されていると思います。
「ダンス・フォラトゥーラ」は華麗なるトランペット殺しの曲と言えるのに対して、この「フェスティヴァル・ヴァリエーション」は
とてつもないホルン殺しの曲と言えると思います。
大学時代、同期のホルン奏者がこの曲のホルンのパート譜を見た瞬間に「自分には絶対に吹けない・・」とぼやいていたのは
大変印象的でもありました。
この曲はともすると「ホルンの難しさ」がやたらと強調されがちですけど、全てのパートが大変難しいとも間違いなく
言えると思います。
そして例えば中間部のゆったりとした部分のホルン、チューバ・ファゴット・ユーフォニアムのソロも奏者にとっては
腕の見せ所ではありますけど大変なプレッシャーを感じる箇所だと思います。
この曲の構成は、序奏-展開部-二度にわたって同じメロディーが繰り返される中間部-展開部の再現と華麗なる終結部から
なっていると思いますけど、中間部がほぼ同質メロディーが二度にわたって繰り返されるのも大変面白いものが
あると思いますし、あの部分はとにかく「感情」が高ぶりがちになりがちで、どうやって先走る奏者の感情を抑えるかというのも
指揮者の腕の見せ所の一つだったようにも感じられます。
ヤマハ浜松や天理は、中間部を最初の方の比較的おとなしめの部分のみを演奏していましたけど、
1997年の愛工大名電は中間部をほぼノーカットで演奏し、二回目の中間部の盛り上がりでは壮大なクライマックスを
作り上げ熱狂的な雰囲気を中間部でも作り上げていたのは大変印象的ではありました。
精華女子はそのあたりはもっと精緻な構成を取っていて、上手いし圧倒的な技術もあるけど「冷静さ」も保っていたのは
「さすが~!」という感じでもありました。
そしてこの曲の最後の最後のトロンボーンセクションによる壮絶なグリッサンドもこの曲の聴きどころの一つだと思います!

1984年の全国大会の高校の部のプログラム一番であの超名門校の天理高校がこの曲を自由曲として臨み、
課題曲の「変容-断章」を見事に決めていたのに、自由曲の「フェスティヴァル・ヴァリエーション」の冒頭は少し外し気味でも
ありましたので、当時は「あの天理をもってしても完璧には決まらない難曲なんだなぁ・・」と改めて実感させられたものでも
ありました。
天理の展開部でのアルトサックスセクションのリズムの刻みの音色の洗練さと美しさと完璧なリズム感には
生で聴いていた瞬間から感動しまくりでしたし、
(ピッコロとファゴットによるデュエットも素晴らしいし、それを支えるアルトサックスのリズムの刻みの美しさと小気味よさは
鳥肌が立つ想いで一杯でした・・)
中間部のチューバ・ファゴットのソロも完璧に決まっていましたし、
ラストのホルンはパーフェクトに決まっていてその追込みも圧巻だったと思いますし、堂々たる金賞に輝いていたと
思います。
そして21世紀に入ってからは既に皆様ご存じの通り、福岡県の精華女子高校による歴史的超名演が
2008年と2013年の2回に渡ってお披露目されていて、天理やヤマハ浜松なんて正直目じゃない圧倒的な超絶技術が
ほぼノーミスで完璧に決まっていたのは「吹奏楽コンクールの進化は止まらないし凄いものがあるね~」♪と
実感したものでした。
私が高校の頃にこの曲は日本でも演奏され始めるようになっていて、当時はその技術的難解さから
演奏の苦労とか個々の奏者の苦労は絶えない・・と感じさせるものは多々あったと思うのですけど、
精華女子とかたとえば2012年の東海大学高輪台高校のように今現在の優秀な奏者の皆様たちはこんな難曲であっても
やすやすとこなして難曲を消化してしまっていますから、私のような元・ポンコツ奏者の視点から見てみると
現在の奏者の皆様の技術的進化には脱帽せざるを得ないですし、その圧倒的技術には敬意を表せさて頂くしかないです!

最後に・・ この「フェスティヴァル・ヴァリエーション」の過去の演奏では、一度面白い事がありました。
当時私も普門館の客席にいて「えっ・・!?」と思ったのですけど
1997年の愛工大名電の演奏時に、中間部をほぼノーカットで演奏しバスクラのソロをはさんで
後半展開部に一気に飛ぶという豪快なカットを聴かせてくれましたが
この中間部があまりにも感動的に高らかに鳴り響き、 聴衆の中でかなりの人が
「あ、これで演奏終了したか・・」と勘違いし、何を思ったか、その中間部の高まりが鳴り収まった瞬間に
フライングの拍手をしてしまったのです! しかも少数ではなくてかなりの人数でした!
(CDにはその様子がしっかりと収録されています・・・)
「この素晴らしい曲を知らない人も結構多いんだ」と当時思ったものですけど
おかげで、バスクラの弱奏のソロがまったくかき消されてしまい、バスクラ奏者が気の毒に感じたものでした。
名電の奏者も驚いたかどうかは分かりませんが、後半の展開部のトランペットがヘロヘロ状態になったのは惜しまれます。
冒頭とラストのコーダのホルンはほぼ完璧に決まり 、トロンボーンのラストの強烈なグリッサンドも見事に決まり
演奏終了後は凄まじいブラボーコールを受けていました。

それにしてもああしたフライング拍手というものはちょっと残念ではありますよね・・


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ららマジでのホルン奏者は3年生の三嶋蒼です。
文化部所属の天才科学者と言う設定でいつも何かの実験をしており、帽子の中には新しいアィディアと実験器具で溢れていて、
戦闘時は巨大な分銅などを敵にぶつけて攻撃するそうです。

帽子の中に限らずポケットやかばんやリュックサックの中にもさまさまな実験器具が入っていそうですし、なんだか東方の
河童のにとりの帽子・ポケット・リュックサックの中には道具で溢れかえっているのと似ていそうな感じでもありそうです。

三嶋蒼という理系奏者によるスミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」のホルン殺しのソロと高音をどのように
処理されるのか・・というのもなんだか興味津々ですね~♪
私が吹奏楽の現役奏者だった頃、スミスと言うと「フェスティヴァルヴァリエーション」で有名なクロード=スミスを
意味していましたけど、1990年代後半に吹奏楽に携わった人にとっては、
「海の男達の歌」とか「伝説のアイルランド」などでお馴染みのロバート=スミスをあげる人も多いかと思います。

最近は、ロバート=スミスの人気は下降気味なのかもしれないです。
最近では20世紀の後半あたりにあれだけ大流行した「海の男たちの歌」はコンクールでもあまり聴かれなくなりました。
同時期にやはりあれだけブレイクしたメリッロの「アメリカの騎士~選ばれしものも最近では演奏頻度は下がりましたね。
(アメリカの騎士は吹奏楽連盟の規約改定で、コンクール時のエレキベースの使用不可というのも演奏頻度低下の要因に
なっているのかもしれないです)
とにかく、「吹奏楽オリジナル作品」の人気というものは、流行歌みたいな感じがして、
今現在コンクールやコンサートで演奏される機会が多くても、
「20年後にこうした曲は忘れられずに演奏され続けているのか・・?」というと
疑問点が付きそうな曲ばかり・・・みたいな感じも昨今の吹奏楽コンクールを聴いた感じではあったりもします。

クロード・スミスというと、吹奏楽コンクールの全国大会で初登場したのは、1983年のヤマハ浜松が
演奏した「フェスティヴァルヴァリエーション」だと思うのですけど、
いや――――、あの時の衝撃は凄まじかったですね!!

「えーー、こんなに素敵な曲があったんだ!」

「なにこのウルトラ超難曲!! まさに金管奏者泣かせ! そして同時に・・・ホルン殺し!!の曲!!」

「出だしからホルン奏者は確実に死んでしまう・・・」

「とにかくかっこいい素晴らしい曲!! 聴くだけでテンションが思いっきり上がりそう!」

そんなような声が私の周りでも数多く聞かれたものです。

そしてこの曲は、全国初演は1983年なのですけど、その後も天理・愛工大名電・東海大高輪台・東京隆生などが
全国大会でも自由曲として取り上げ、
そしてこの曲の素晴らしさを私達に再認識させてくれたのが、
そう! あの福岡の精華女子高校の素晴らしい名演なのです!
そして今年・・・2016年の全国大会でも、既に岡山学芸館高校がこの曲でもって全国大会出場を
既に決めています。

これって凄い事だと思います。

前述のように一時「大人気自由曲」としてブレイクしてもその後は忘れ去られてしまう事が多い中、
このC.T.スミスの「フェスティヴァルヴァリエーション」は、1983年の全国初演から
忘れられる事なく、今日に至るまでずーーーっと全国大会の自由曲として選ばれ続けているという事実にこそ、
このC.T.スミスの「偉大さ」が示唆されていると思います。

クロード・スミスというと、

〇フェスティヴァルヴァリエーション

〇ルイ=ブルジョワの讃美歌による変奏曲

〇ダンス・フォラトゥーラ

〇ファンファーレ、バラード&ジュビリー

といった作品が有名で技術的にも大変高度なものを要求されます。
特にダンス・フォラトゥーラの技術的難易度の高さは半端ないものがあると思います。
先ほども名前を出しましたけども精華女子のあの素晴らしい演奏を聴いてしまうと
「すごいな・・・こんな難曲中の難曲を聴いている者に少しも疲労感を与えないでこんなに楽に聴かせちゃうなんて!」と
毎回感心させられちゃいますね!
それにしてもあの「ダンス・フォラトゥーラ」の超絶技巧の炸裂振り・金管殺し・トランペット奏者殺しは
一度聴いてしまうと、完璧にはまってしまいますね~♪
吹奏楽を知らない方でも是非この「ダンス・フォラトゥーラ」だけは精華女子高校の演奏を聴いて欲しいです!!
この曲、そしてあの素晴らしき名演を知らないまま一生を終えるなんて勿体無いかもしれないです!

クロード・スミスの作品の中には「これって本当にあのスミスの作品なの・・・?」と疑ってしまうような
平易でシンプルな曲もあったりします。
その代表例が「祝典のための序曲」なのかなと思います。
この曲、私が高校二年の定期演奏会で吹いた曲でもあるのですけど、
確かに技術的には何の難しい部分もなく、たまーに4分の2+2+3みたいな変拍子が出てくる以外は
技術的には楽勝みたいな印象で、吹いていても本当に楽しい曲でした。
確かに「ダンス・フォラトゥーラ」みたいな高度な曲がスミスの代表作というか本質なのでしょうけど
「祝典のための序曲」みたいな万人受けするような曲も意外と本質だったのかもしれません。
この「祝典のための序曲」と「ダンス・フォラトゥーラ」を単純比較してみると、
とても同じ作曲家が書いたとは思えないほどの違いはありますけど、
目指していた方向性は、「聴く人みんなに楽しんで貰おうじゃないか!!」という事だったのかもしれません。

埼玉県の職場一般の部を代表する名門チームというと「川越奏和吹奏楽団」の名前が挙がると思いますが、
だこの川越奏和が初めて県代表として関東大会に臨んだ際の自由曲は
実はこの「祝典のための序曲」だったのです。
当時の編成も確か30名近くの小編成で、
現在の大人びた雰囲気とはえらい違いの「素朴でのびのびとした」雰囲気を漂わせていた演奏でした。
吹奏楽の名門チームの原点と言える曲なのかもしれませんよね。
ちなみにですけど、川越奏和のこの時の課題曲は、C/シンフォニックファンファーレとマーチでしたけど、
この課題曲も知る人ぞ知る隠れた名演ですし、とても小編成とは思えない大変優れた演奏を聴かせてくれています。

「祝典のための序曲」は、むしろ現在の中学生にも是非演奏して欲しいなとも思います。
技術的に平易で、親しみやすいメロディーがてんこ盛りで
ラストの自然な盛り上がり方なんかも、音楽の楽しさを伝えて体感するには
もってこいの素材のような気もします。

難解な交響曲ばかり書いていたショスタコーヴィッチも、たまーにひょいと肩の力を抜いて
「二人でお茶を」とか「祝典序曲」みたいな軽くて底抜けに楽しい曲を書いていた事もありますので、
C.T.スミスなんかも
「たまには技術的に簡単な曲を・・」と肩の力を抜いて作曲したのがこの「祝典のための序曲」と言えるのかもしれないです。


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ららマジの東奏学園器楽部の部員は30人ですけど、
「ららマジ」は吹奏楽部ではなくて器楽部と言う事で、楽器仕様に制約が無いと言う事で、出てくる楽器も
吹奏楽ではありえない編成のワーグナーチューバ・箏・胡弓・ピアニカ・リコーダー・エレキベース・シンセサイザー・
ウクレレなども登場しているのは自由さがあってとてもすてきだと思います。

器楽部創立メンバーの一人で、部長であり指揮者でもある草薙百花がそうしたメチャクチャな楽器編成を
無理やりどうにかこうにかまとめてしまっているのですけど、
ららマジの器楽部の楽器編成は「各楽器に奏者が1名」ということですので、部員が30人ということで、つまりは
30の楽器で音楽が奏でられるという事になると思います。

それにしても改めてららマジ器楽部の編成はツッコミどころが満載ですね~♪

チューバは無いけどワーグナーチューバはあったり、オーボエは無いけどなぜかコールアングレはあったり、
ファゴットもコントラファゴットはあるけどなぜかバスクラがなかったり、
ベース・エレキ・ウクレレとギター系の楽器が三本もあったり、ユーフォニアムが管弦楽と同様に配置されていなかったり、
胡弓・箏といった邦楽器があったり、
30人編成なのに、ドラムス・グロッケンシュピール・和太鼓・トライアングル・タンバリン・カスタネット・シンバルの
打楽器セクションはかなり充実していたり、
なぜかシンセサイザーまであったり、基本的には吹奏楽の編成に近いけどなぜかヴァイオリンやチェロ・ハープも配置される
など現実ではあまりありえない編成ゆえにその自由さは素晴らしいものがあると思います。

奏者はドラムスとハープと箏と弦楽器を除くと基本的には全員スタンドアップして演奏していますけど、
コントラファゴットは基本的には立って演奏をする事が出来ないので、椅子に腰かけて演奏しているのは、
「わかっているね~」という感じでもあります。

こうした自由な編成による自由な音楽は是非ぜひ聴いてみたいものですし、スミスの「祝典のための序曲」のシンプルな楽しさを
ららマジ器楽部として聴いてみたいものがありますね~♪
四反田素幸は東京藝術大学で黛敏郎や浦田健次郎に作曲を師事された日本の作曲家であり、
現在は秋田大学教育文化学部教授を務められています。
といってもこのお名前は正直ほとんど知られていないのかもしれないですし、作曲の先生と言われてもその作品自体極めて
少ないというか、曲自体はもしかしたら相当数作られているのかもしれないですけど、対外的にはほとんど知られていない
という事なのかもしれないです。

そうした四反田素幸ですけど、マニアックでコアな吹奏楽ファンの皆さまですと、もしかしたら何人かは
「あー、花輪高校の平成元年の自由曲の作曲者の方ね・・」と反応されるのかもしれないです。
そして1989年に花輪高校が吹奏楽コンクールの自由曲で演奏していたのが、四反田素幸の吹奏楽のための幻想曲「壁画」で
あったりもします。
壁画は全国大会では花輪高校以外の演奏実績もありませんし、支部大会でも2019年時点で確か5~6チームぐらいしか
演奏されていません。
つまり本当に「知る人ぞ知る吹奏楽邦人オリジナル作品」といえそうです。

吹奏楽のための幻想曲「壁画」は前述のとおり、1989年、秋田県立花輪高等学校吹奏楽部の全日本吹奏楽コンクールの
自由曲として委嘱を受け作曲され、
2015年に花輪高校吹奏楽部が再びコンクールの自由曲としてこの作品を取り上げることになり、全面的に改訂が
なされた経緯もあります。
このときは残念ながら秋田県大会でダメ金に留まり、東北大会出場は果たせませんでしたけど、1989年当時の指揮者の
小林久仁郎先生のこの曲への想いを26年後に再現された2015年当時の花輪高校指揮者の阿部先生に
心から賛辞の言葉を埼玉の地から送らさせて頂きたいと思います。
阿部先生は2009年に小林先生最後の花輪高校での吹奏楽コンクール出場時の自由曲のブリスのバレエ音楽「チェックメイト」を
自由曲に選ばれて、この時は花輪高校をA部門として1992年以来の東北大会出場に導かれていましたので、
おそらくは関係者の皆様にとっても相当感慨深いものがあったのかもしれないです。

吹奏楽のための幻想曲「壁画」 については作曲者の四反田素幸は
「インドのアジャンター石窟や中国の敦煌莫高窟など、アジアに広く点在する多くの仏教遺跡は私を魅了して止まないが、
それらの造営に携わった往時の人々の情念に思いを馳せる時、私は計り知れない人間のエネルギーをいつも感じる。
吹奏楽のための幻想曲「壁画」は、ある特定の遺跡の壁画を描写しようとしたのではなく、
圧倒するような、強烈な存在感を放つ巨大壁画を目の当たりにした時の衝撃を描こうとした作品である」と述べられていますが、
確かに曲のいたるところからアジアの民衆のエネルギーの推進を感じたりもします。
なんとなくですけど私自身の勝手なイメージでは、松村禎三の交響曲にあける圧倒的なアジアパワーみたいなものを
彷彿とさせられてしまいそうです。

吹奏楽のための幻想曲「壁画」 が全国大会で初演された1989年の
前年の88年は、小林先生にとっても初めてとも言える東北大会での金賞以外の賞を受賞という事で
小林先生にとっても部員にとっても大変残念な思いが強かったと思いますし、
小林先生としても1989年のコンクールは雪辱に燃えるものもあったのではないかと推察されます。
前述の通りこの頃の花輪高校は、85年・87年と相当気の毒としか言いようが無い全国大会銅賞という評価も
受けていましたので小林先生にとっても部員にとっても「よーし、今年はなにかやってやろう!」みたいな
心機一転の気持ちもあったのかもしれません。

そうした想いがもしかしたら多少力みにつながったせいなのか、課題曲B/WISHは少しやりすぎというのか
花輪高校にしては珍しい粗さの方が目立っていたような気もします。
音が幾分粗削りで、既にこの頃の吹奏楽コンクールは、習志野・常総学院に代表されるような「洗練された響き」が
高く評価される傾向にもありそれが時代の最先端という雰囲気もあった中で、こうした花輪高校の少し粗野な響きは
審査員・聴衆にとっては「少し時代遅れじゃないの・・??」みたいな印象をもたらしたのかもしれないです。
私としては、確かに常総学院みたいなとてつもなく洗練された響きも大好きですけど、
それと同じくらい花輪高校みたいな個性的で大地に根をおろしたような素朴なサウンドも大好きです!
自由曲は、87年に続いてこの年も邦人作品を取り上げていましたけど、
その演奏も大変気持ちが入ったもので、確かに少し粗削りで武骨な響きもあり、
曲自体が「どこかおぞましい・・あまりにもドロドロしすぎている」みたいな印象も与えかねない曲でしたので、
そうした泥臭さが吹奏楽コンクールの評価としては、結果的にマイナスに作用したといえるのが
この年の花輪高校吹奏楽部の銅賞という評価ではなかったのかな・・と今更ながらに感じたりもします。
四反田素幸の吹奏楽のための幻想曲「壁画」は
あの不気味な感じは確かに「おどろおどろしい」と思われても仕方がない曲&演奏だとは思うのですけど、
あそこまで邦人作品を内面深く掘り下げて演奏した事例が当時は少なかっただけに
「影の名曲&知る人ぞ知る隠れた名演」と私としてはかなり高く評価しています。
小林先生自身、1993年以降の秋田南への異動後は、三善晃・黛敏郎といった邦人作品をこれまた魅力的に
斬新に斬り込まれていましたので、
一般的には小林先生というと「ロシア系マイナーシンフォニー」というイメージが大変強いのですけど、
こうした邦人作品との相性もよかったと言えるのかもしれないです。
「壁画」の演奏は、何を言いたいのか今一つ伝わってこないみたいなもどかしさはあったと思いますし、
一言で言うと、名取吾郎の詩曲「地底」みたいな暗い怨念のこもったおぞましい曲というせいも
あるとは思いますが、花輪らしい個性が少し強すぎて、 この泥臭さが当時既に洗練さがコンクールの
評価基準になりつつあった時代に今一つそぐわなかったと 言えるのかもしれないですけど、
私は花輪高校の邦人路線は、ロシアマイナー路線と同じくらい大好きです!
それが人の好みによって評価が真っ二つに割れがちなのはこれはある意味当然な事ではないのかな・・?と思ったりも
しますけど、それは一つの立派な個性なのだと思います。

花輪高校は、翌年の1990年は「三角帽子」で東北大会ダメ金だったのですが、
翌年の「バッカスとアリアーヌ」・翌々年の「チェックメイト」は生まれ変わったような
洗練されたサウンドに生まれ変わり、当時私も大変驚いたものですが、
これは小林先生自身ももしかして、「さすがに今までの表現スタイルは時代にそぐわないから、自分たちも
チェンジを図る必要がある」と思われて、小林先生としての変化」示した演奏と言えるのかもしれないです。
1992年を最後に小林先生は秋田南高校へ転任され、それ以降花輪高校は、
現在に至るまで吹奏楽コンクールの全国大会の表舞台から姿を消してしまいますけど、
別に吹奏楽コンクールだけが全てではありませんし、何よりも花輪高校吹奏楽部の偉大なる歴史は永遠に不滅ですし、
少なくとも私の心の中では私が生きている間はずっと継承され続けていくと思います。

上記の補足ですけど、1992年の小林先生として最後の花輪高校での自由曲は
ブリスのバレエ音楽「チェックメイト」というまさに小林先生らしいマイナーだけど音楽的魅力が満載の曲を
最後に普門館でお披露目出来た事は、本当にありがたいものがありました。
1992年の演奏を聴くと誰もがそう感じるかもしれないのですけど、
花輪の1992年のサウンド・音色は、究極の繊細さ・洗練さの域に達しているように感じられます。
小林先生が初めて花輪高校を引き連れて普門館にやってきた1978年の音色・サウンドと単純に比較すると、
雲泥の差があるようにも感じたりもするのですが、これは別にだから78年の演奏はダメ・・と言っている
訳ではありません。78年のラフマニノフには、当時なりの美点もたくさんあります!
そうしたサウンドの違いと言うのは、小林先生が1978年→1992年にかけて花輪高校で 育んできた「一つの進化」としての
結果なのだと思います。
毎年、真夏の時期が到来すると自分が出場する訳でもないのに、
「さー、夏だ! 野球は高校野球の夏の甲子園での筋書きのないあのドラマと熱戦が楽しみだし、
吹奏楽コンクールでのとてもアマチュアとは思えないあの素晴らしい名演の続出が毎年とっても楽しみ~♪」と
感じていましたので、今年に関しては夏の甲子園も吹奏楽コンクールの中止も残念とか無念という一言では割り切れない
無慈悲なものを感じたりもします。
特に「今年が最後・・」との思いを秘めていた3年生の気持ちを考えると本当にいたたまれないものがあります。
誰が悪い訳でもない・・憎むべきはあの新型ウイルス・・という事で、今現在は心の整理もつかない皆様も多いとは
思いますが、下級生たちは悔しい思いをした3年生の気持ちを受け継ぎながら、来年度の活動を頑張って頂きたいと
思いますし、3年生は心の整理がつき少し吹っ切れた状態になったら、試合とかコンクールは一旦置いておいて
純粋に野球や音楽そのものを楽しんで頂きたいと思います。

昨年の埼玉県代表の花咲徳栄高校は残念ながら一回戦で明石商業に惜敗してしまいましたけど、
私自身、埼玉県に通算して23年以上在住していますので、小学から高校まで過ごした宮城県の学校が甲子園に出場しても
「あっ、そ・・」みたいな感じになってしまい、
「どうせいつもの仙台育英と東北の二大私立高校しか出場しないから・・」というかなり醒めた感覚で見ているのに対して、
なぜか埼玉の学校は思いっきりエールを送りたくもなってしまいます。
これは私自身、「自分にとっていっちば~ん!ゆかりがある県は埼玉だし、埼玉に愛着を感じている証」という事なのかも
しれないですし、私自身の埼玉愛なのかもしれないですね~ ♪
埼玉もこの10年間において、春の選抜で浦和学院が全国制覇を成し遂げ、花咲徳栄も3年前に全国制覇を実現していますので
来年以降の頑張りに期待をさせて頂きたいと思います。

吹奏楽コンクールにおける埼玉のレヴェルの高さは昔も今も驚異的だと思いますし、
私自身、普門館が解体されて以降は全国大会・都大会を聴く事はなくなりましたけど、それでも毎年埼玉県大会または
地区予選が開催される南浦和のさいたま文化センターが自宅から歩いてでも行ける距離という事で、
毎年県大会または地区予選は必ず聴きにいくようにしていますけど、とにかく埼玉県の吹奏楽のレヴェルの高さは
誇りうるべきものがあると思いますし、西関東大会の埼玉以外の県の皆様には大変申し訳ないですけど、
「埼玉県大会が事実上の西関東大会」といっても過言ではない程のレヴェルの高さがありますし、
埼玉栄・伊奈学園総合・春日部共栄といった現在の名門校の他にも、与野・川口・松伏・秋草学園・狭山ヶ丘といった
古豪もありますし、小編成部門も大変レヴェルが高いと思います。
関東大会が西関東と東関東に分離したのが1995年ですので、分離から今年でちょうど25年目にあたります。
東関東の場合、茨城・千葉・神奈川の3県が毎年熾烈な全国への代表権争いにしのぎを削っていますけど、
西関東の場合は、昔も今も「代表はほぼ例外なく埼玉」という事で、率直に言って埼玉と新潟・山梨・群馬の間には
超えられそうもない壁は確実にありそうです・・
(あ・・、上記の話は高校の部の話ですので・・・)

野球と吹奏楽というと忘れていけないキーワードは甲子園での応援ですね~♪

最近の吹奏楽部による甲子園の応援演奏というと習志野高校の例のあの美爆音サウンドが有名になっていますけど、
習志野高校吹奏楽部は、新妻先生時代の洗練された美しい響きも素晴らしかったですけど、現在の石津谷先生の
自由自在なあのサウンドと表現も素晴らしいと思います。
そして吹奏楽コンクールでのあの美しいサウンドを活かした習志野高校の美爆音による演奏は、テレビの画面からも
その迫力と美しい音がよく伝わってきていると思います。
習志野高校の美爆音も素晴らしいけど、それ以上に私の中で大変インパクトが強い甲子園での吹奏楽部による応援というと、
新子先生が指揮されていた頃の天理高校吹奏楽部によるサウンドだと思います!
特に金管セクションのかなりメタリックなサウンドだけど、どんなに強烈なfffでも決して音が割れないあのサウンドの
クリアさは今現在の習志野高校の美爆音にも決して引けをとらないものだったと思いますし、そうした天理の強烈で
シャープで洗練された金管セクションのサウンドが最大限発揮された名演が、
84年のフェスティヴァル・ヴァリエーションであり、85年のセント・アンソニー・ヴァリエーションであり、はたまた
1988年のディオニソスの祭りなのだと思います。

時期は忘れてしまいましたけど、たしか1980年代中盤から後半にかけて、とある年の夏の甲子園にて
関東一高と天理高校が対戦をしていました。
天理高校は最近は関西大会で大阪代表の強豪チームによって代表を逃す事が大変多くて、しばらく全国大会でも
その名を耳にしなくなりましたけど、1980年代中盤から後半にかけての天理高校の名演の連続は今現在でも
伝説になっていると思います。
関東一高も1993~95年の3年連続全国大会金賞という事もあり、90年代以降は一気にサウンドがよくなっていたと
思います。
だけど80年代は「都大会を突破しても全国では冴えない演奏ばかりで銅賞の常連校」というイメージもあった中、
実は1985年においては、名称は忘れましたけどとある吹奏楽の世界コンテストでグランプリを取った事もあります。
もっとも日本からの出場チームは関東一高だけでしたし、そのコンテストもレヴェルが高いとは思えませんでしたし、
あの当時は「関東一高がグランプリ取れるのだから、支部大会銀賞クラスの演奏でも余裕でグランプリ取れるんじゃないの?」と
やっかみすらありましたけど、それはその当時の吹奏楽事情からはある意味妥当だったのかもしれないです。
関東一高は夏の甲子園にも出場し天理高校と対戦していた際に、
あまり吹奏楽事情に詳しくもなさそうなアナウンサーが「応援紹介コーナー」にて、
天理と関東一高の二人の奏者を並べて音を出させ、
「日本一の天理高校吹奏楽部と世界一の関東一高の吹奏楽対決はいかに?」とか何とか言っていましたけど
知っている人から言わせるとあれは「おいおい・・」という感じのモノもありました・・





昨年の事ですけど、昨年夏の甲子園大会出場した立命館宇治高校の吹奏楽部は、星稜高校との2回戦で、
放火殺人事件の被害に遭った京都アニメーションが制作した「響け!ユーフォニアム」の主題歌を応援曲として演奏されていて
野球部とと京アニへの思いを込めたメロディーがアルプススタンドに鳴り響いた光景には胸を打たれるものがありました。

残念ながら立命館宇治高校は試合には敗れてしまいましたけど、
放火事件の関係者の皆様たちを励ます意味も込めて「響け!-」の主題歌「DREAM SOLISTER」を応援曲とされていて、
堂々と立派に演奏されていた光景は素晴らしいものがあると感じたものでした。

新型コロナウイルスは来年にはなんとか治療薬・ワクチンの開発が進み、終息して欲しいですし、
収束したら今までのように夏には甲子園と吹奏楽コンクールを楽しむ事ができる日々が戻ってきてほしいと
願わずにはいられないです!
人間には「あまり触れてほしくない部分」というものは誰にでも一つや二つは間違いなくあると思いますし、それを換言すると
トラウマという事になるのかもしれないです。
そうしたあまり触れてほしくない部分にズカズカと土足で他人に踏み込まれてしまうと、人は感情を害したり嫌悪感を
抱いてしまうのだと思いますし、それが怒りの気分として表出された場合は、故事で例えると「逆鱗に触れる」という事なのかも
しれないです。

え・・? 私ですかぁ~? そりゃたくさんありますよ・・

人間というものを数十年やっていると「あの事だけは絶対に触れないでほしい!」という事はたくさんありますし、
このブログで公開するなんてとてもじゃないですけど出来そうにもないことなど多々ありますし、
「この事は生涯口に触れることは絶対にないし、全てを自分の胸に秘めたままあの世に旅立とう・・」というトラウマは
幾つかあったりもします・・
仕事上でのトラウマというと、金融機関での取り立てというか不良債権回収にあたっての顧客との交渉時のあのストレスが
最大だったのかもしれないです。
あの時のトラウマに比べたら今現在の顧客管理において時折発生するクレーム対応なんてかわいいものとしかいいようが
ないという感じでもあったりします。

音楽上のトラウマも現役奏者時代は色々あったものです・・

そうしたトラウマの中でもやはり一番大きかったことは、10年間出場した吹奏楽コンクールにおいて、結局ただの一度も
支部大会以上の大会に出場出来なかった事だと思います。
毎回県大会または都大会予選で消えてしまい、特に「生涯に一度ぐらいは普門館という高校野球で例えると甲子園の
ような舞台で吹奏楽コンクールに出場したい」と思っていた私は、その目的成就のためだけに
東北の田舎から上京して都内のとあるポンコツ大学に進学し、吹奏楽コンクール都大会の大学の部の予選会を通過し
都大会本選の会場でもある普門館のステージに立つことを夢見ていましたけど、結局はその夢は叶わず、
10年間の奏者生活から足を洗った訳であったりします。
もちろんその過程で得るものは相当大きかったと思いますし、吹奏楽をやることで自分自身の音楽への興味関心が
とてつもなく増大し、それが今現在でも生きる上での大きな力になっていることも大きいですし、
なによりも上京できること=親元を離れられるという事でも
ありましたので、「親元を合法的に離れる」という最大の目標は達成できたわけですので、決して10年間の吹奏楽コンクール
への参加は無駄ではなくて意義は極めて大きかったのですけど、それでも
「一度ぐらいは都大会銅賞でもなんでもいいから普門館開催の都大会に出場したかった! それができなかったのは
やっぱりなんだかんだいっても今でもすごく悔いがあるし、無念だし、それが自分の音楽上のトラウマなのかも・・」と
感じることは今でもあったりはします。

音楽上のトラウマを一番最初に実感したのは、合奏をすることがとにかく楽しくて楽しくて仕方がなかった小学校の
管楽器クラブでの体験から比べると「どうして音楽ってこんなにつまらなくて苦しくて嫌な事ばかりなの~!?」と感じずには
いられなかった中学校における吹奏楽部入部したあたりの頃なのかもしれないです。
結果的に以前はあんなに合奏をすることが楽しくて楽しくて仕方がなかった全体練習が、指揮者から罵倒され続けることで
苦痛以外の何物でもなかった事もありますけど、その後吹奏楽部部長という嫌な役割を押し付けられ、丁度そのころに
当時の吹奏楽部指揮者=顧問の先生に対する全体の不満が爆発した事に起因する吹奏楽部部員の大量退部騒動の
全責任を当時の部長と副部長にすべて押し付けられてしまい、何かあるごとに顧問の先生やOBOGから執拗に責め立てられ、
中学校卒業の頃には、「音楽も吹奏楽も大嫌い! 高校に入ったら金輪際吹奏楽なんてやるもんか!」と固く心に誓っていた
ものでした。
(結果的に高校入学の頃にたまたま耳にした吹奏楽部が練習していた定期演奏会の曲目の一つの
歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りの哀愁溢れるメロディーに魅了され、何気なく練習見学会を覗いていたら
強引に勧誘されてしぶしぶ入部したら、結果的にその3年間で自分自身の音楽嫌いは完全に治癒されたばかりでなく、
上記で触れた通り「なんとか一度ぐらいは普門館のステージに立ちたい」と本気で考えるようになっていたものでした)

自分自身の音楽上のトラウマを初めて体感したのは中学の吹奏楽部入部時の事でしたけど、あの年の夏って
楽しい思い出はほぽ皆無でした・・
小学校の頃までは夏休みというと、プールで遊んだり野球したり、管楽器クラブでのびのび楽しく練習したり全体合奏したり、
印象としてはあっという間の楽しいお休み期間という感じでしたけど、中学以降、本格的に吹奏楽部に入部してみたら、
夏休みは無いも同然というのか毎日毎日練習ばかりというありさまでした。
夏休みが始まって、朝9時から午後4時近くまで吹奏楽コンクールに向けた練習三昧で、練習中もひたすら指揮者の先生から
「ピッチが合わないから死ね!」
「下手くそ!!」
「おまえらやる気あるのか!?」
「どうしてこんなに汚い音色でしか響かせられないのか!?」
「こんな簡単なフレーズもこなせないとは、お前らには音楽を語る資格は一切ないし、お前たちは俺の言う通りにだけ
吹いていればそれでいいんだ!」
「リズム音痴に鈍感すぎる音感・・おまえたちには才能なんてひとかけらもない」
「どうしてそこで息継ぎするんだ! ちゃんとフレーズを保って堪えろ!! え、なに呼吸が苦しい・・?、じゃー息するな!」などなど
毎日罵詈雑言浴びせられ続けケチョンケチョンに朝から晩までボロくそに怒られてばかりでした。
(今現在だったらパワハラ問題になりかねないですし、間違いなく教育委員会や校長・PTAにチクりがはいると思います・・)
しかも肝心の吹奏楽コンクールはと言うと、県大会の前段階の地区予選にてまさかのタイムオーバー失格という
消化不良の結果で終わってしまい、
当時の最上級性の3年生たちは茫然自失状態となっていましたし、
「まさか県大会にも進めないでこんな段階で3年間の部活が終わってしまうなんて・・」という無力感でいっぱいになって様子が
今でも記憶に残っています。
私自身は、なぜかしりませんけどコンクールメンバーに1年生ながらも選ばれていましたので、失格という結果は残念でしたが、
当時は吹奏楽コンクールのこと自体よくわかりませんでしたし、金賞とか銅賞とかダメ金とか地区予選落ちとか
タイムオーバー失格といわれても「なんじゃそれ・・?」という感じでもありました。
そんなことよりも、県大会に進めなかったという事でその後残り少ない夏休み期間も確かに練習はありましたけど、
既に全員の目的意識もやる気もなくなっていましたので、残りの夏休みの練習はほぼ個人練習となっていたのは
ある意味救いでもありました・・
(中二と中三の時は地区予選を突破し県大会出場が決まっていましたので、地区予選以降も夏休み期間はほぼフルで
練習三昧でもありました・・)
当時のコンクールは今とは開催時期が違っていて、地区予選は8月のお盆前後、県大会は9月中旬でしたから、
夏休みはどうしてもコンクールに向けての猛練習ばかりになってしまいがちでもありました。
前年までは夏休みと言うととにかく遊び呆けていた中一にとっては、最初の夏休みとはつらい試練ともいえそうでもありました。

たまにですけど、練習が終わった後で顧問の先生の配慮で、学校のプールを吹奏楽部員用に貸切で開放して貰い、
プールでで思いっきり泳ぐとか女の子の先輩とか同級生のスクール水着を拝められるのはすてきな思い出でした・・
私自身の担当パートがクラリネットで私以外は女の子ばかりでしたので、こういうブールでのお遊びの際も
何の違和感もなく女の子たちとキャッキャッと遊べる事は、クラリネットパートの唯一の男子部員の特権でもありました。
(この点だけはトラウマではなくて「昔に戻って体感したい・・」という事なのかもしれないです)

この年・・私自身が初めて吹奏楽コンクールに出場した際の課題曲は、1978年課題曲Aのジュピラーテで、自由曲は
チャイコフスキーの「スラブ行進曲」でした。
ちなみにスラブ行進曲というと、最近よくCMで流れていた「Chrome book」のBGMでも使用されていました。
課題曲表記がA~Eというのは現役奏者の皆様の視点では「どうしてⅠ~Ⅴという表記じゃないの?」と感じられるのかも
しれないですし、課題曲4曲の中から自由に一曲を選べるスタイルが確立したのは1978年以降の話であるみたいな事を
書いてしまうと「さすが昭和レトロ世代は古いね~」と失笑されるのかもしれないです。

それにしても自由曲がチャイコフスキーのスラブ行進曲というのは管楽器初心者にとってはつらい選曲だったと思います。

当時はまだ奏法の基礎すらもできていないのに、クラリネットでいうとあんな16分音符の細かい動きが炸裂する曲をいきなり
譜面通り正確に吹けと言われても困惑してしまうのは当然だと思います。
冒頭で触れた通り、人には一つや二つ触れてほしくはないトラウマはあると思うのですけど、上記のさまざまな要因によって
私にとって「スラブ行進曲」とは当時の様々な嫌な事や振り返りたくない事を思い起こさせる曲でもあり、トラウマの曲の一つと
いっても決して過言ではないと思います。
今現在でも冒頭の低音セクションによる陰鬱なメロディーが流れてくると、「こんな曲は聴きたくもない!」とついつい感じてしまう
のはそれもまた一つのトラウマなのかもしれないです。

チャイコフスキーのスラブ行進曲は、19世紀後半にロシアと民族的同胞でもあったセルビアのキリスト教徒が
オスマン=トルコ帝国の軍隊に虐殺されるという事件が起き、チャイコフスキーはロシア人と同胞のスラブ民族の痛ましい事件に
心を痛め、犠牲者の追悼演奏会で演奏される曲を委嘱されたのがこの曲の原型でもあります。
チャイコフスキーはなんと5日程度でこの曲の原型の「セルビア=ロシア行進曲」を作曲し、後年曲の改訂を行い
タイトルも現在の「スラブ行進曲」と改められます。
チャイコフスキーはこの曲の中にセルビアの民謡と帝政ロシア国歌を盛り込み、特に後半部分にトロンポーンによって
盛大に華々しくこのロシア国歌が響き渡り、ロシアの輝かしい勝利とロシア民族の不滅の輝きを示唆するような形で
堂々と閉じられます。
ちなみにチャイコフスキーは荘厳序曲「1812年」でもこの帝政ロシア国歌を曲の中で引用しています。

スラブ行進曲は1960年代~70年代における吹奏楽コンクールの自由曲としては人気自由曲の一つでしたし、
特に1972年の今津中学校による演奏はこの曲の代表的な名演です。
但し、最近では自由曲として演奏される機会は激減していて、全国大会では1977年を最後に演奏されていませんし、
支部大会以上でも2001年を最後に20年近くもコンクール自由曲としては演奏されていません。

この曲は後半のティンパニソロ以降最後の追い込みが図られ華々しく盛り上がっていくのですけど、その大きなクライマックスが
前述のトロンボーンによるロシア国歌のメロディーであり、そのあとすぐにドラ・大太鼓・シンバルといった打楽器による
効果的な打撃音を背景にトランペットを中心とする金管セクションによる咆哮なのだと思います。
私の中一の吹奏楽アレンジ版による演奏では、その個所に差し掛かると練習中はたいていの場合指揮者の先生は
大太鼓奏者の石川先輩という3年生奏者に対して、石川先輩は女性奏者なのに石川という名前だけで勝手に連想したのか
「ごーえーもーん!!」とか「五右衛門もっとしっかり叩いて轟かせろ!!」とやたらとごえもんごえもんと連呼しまくっていましたので、
私自身も実は今現在でもスラブ行進曲の演奏を聴いて、そのクライマックスの部分に差し掛かると
「ごーえーもーん!!」という連呼の声を思い出してしまいますし、それもまた私自身の一つのトラウマなのかもしれないです。


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チャイコフスキーのスラブ行進曲や荘厳序曲「1812年」のクライマックスでのトロンボーによるロシア国歌の吹奏は
奏者にとっては気分爽快と言えそうです~♪
あの個所は吹奏楽アレンジ版でも管弦楽の原曲版でもどのトロンボーンパートも気持ちよく豪快に鳴らすことがほとんど
ですので、トロンボーン奏者にとっても難しいことは何も考えないで気分に任せて吹くことができる曲の一つといえそうです!

ららマジ器楽部のトロンボーン奏者は星崎梨花という3年生のお姉さまですけど、奏者としての立場とは別に
コンサートマスターという重責も担っていて、指揮者とは別の意味で音楽づくりに細かく関わっていて、星崎梨花としての
気苦労も多々あるのかもしれないですが、こういう難しいことは何も考えずに気分に任せて吹くことができる曲というのは
梨花にとっても一つの気分転換にもなりそうな曲ともいえそうです。


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ここから下記はdream fantasy2
アミグリさんが過去に描かれた絵のご紹介コーナーです。

上記において「人の過去のトラウマ」について少しばかり触れさせて頂きましたけど、そうした人のトラウマという心の深層部分を
読み取り、そのトラウマを材料に精神攻撃されるとという結構ヤバい能力をお持ちなのが、妖怪「覚」という事で
東方では古明地姉妹なのだと思います。
ただこいしちゃんの方は自らの意思でサードアイを閉じてしまっていますので、人の心を読み取ったりトラウマを抉る事が
できるのはお姉さまのさとり様のほうです。

そんなわけで本記事においてはアミグリさんが描かれた古明地姉妹をデフォルメ作品として表現した2枚の絵を
転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。

上記のデフォルメこいしちゃんは2019年2月にアミグリさんが描かれた作品です。

このデフォルメこいしちゃんは全体のデフォルメ作品としてのゆるかわいらしさとスカートの薔薇模様のきめ細かさに代表される
精緻さが絶妙に融合しているのが素晴らしいです!

キラキラもすてきに飛ばされていますけど、背景が大きなハートマークというのは、
アミグリさんのビッグなこいしちゃん愛を見事に物語っていると言えるのだと思います。

こいしちゃんはよく「心が空っぽ」と言われたりもするのですけど、それは換言すると「無の境地」に達したともいえそうですし、
無の境地というのは換言すると「開き直ったような明るさ」ともいえるのかもしれないのですけど、
アミグリさんの描かれたデフォルメこいしちゃんからは、余計な事を何も考えずに純粋に自分自身の存在を達観しながらも
楽しんでいるという安らぎ・楽しさは存分に伝わってきていると思います。


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続きまして、アミグリさんが2019年2月に描かれたデフォルメ作品のさとり様です。

さとり様のやっかいな所は、対面している相手の現在の心の深層だけではなくて、その人の過去のトラウマや
過去の嫌な経験を現在心の奥底に秘めてなんとか心のバランスを図ろうとしている人達に対しても
容赦なくそうした過去の古傷を抉り出し精神攻撃を繰り広げたり、はたまた幻想郷内の妖怪さんたちに対しては、
妖怪たちが過去に使用した固有の能力に基づく攻撃アイテムや戦い方を完全コピーしてさとり様自らがそれを使用する事も
可能という事で、萃香・星熊勇儀・八坂神奈子といった東方の強者と言われる皆様からも強い警戒心を持たれて
いるようでもあります。
具体的には、EXステージで使用してくるパチュリーさんの「賢者の石」やPhステージにしか出てこないゆかりんの「二重黒死蝶」を
4面で使用してきたりとそのコピー能力の応用能力は幻想郷でも脅威の能力と言えそうです。

こんなさとり様のコピー能力やトラウマ抉りだし能力を駆使されたら、私なんぞ過去のさまざまなトラウマによって
人格否定&人格破壊すらされてしまいそうです。
だけどさとり様にそんなえげつないことされても「さとり様にそうしたことされるのだったらむしろ本望・・」と感じるのかも
しれないです。

上記のデフォルメこいしちゃんは明るさ・ゆるかわいらしさ・妹キャラらしい少しきゃぴきゃぴした雰囲気が
すてきに伝わっていましたけど、このさとり様はこいしちゃんと同じポーズ・同じデフォルメ・同じハート型の背景・
同じスカートの薔薇の模様というかなりの共通性はあるのに、
「同じ姉妹でもなんだか伝わってくるものが違うのかも」と感じさせるのは、
アミグリさんの表現の使い分けと東方キャラの差別化を立派に実現されている証しなのだと思われます。
このデフォルメさとり様は、ゆるくてかわいらしい雰囲気に溢れているのですけど、
やはりどことなくせつないとか儚いとか心ここにあらず・・と伝わってくるのは、さとり様のあのちょっと哀しそうな表情と
サードアイがこいしちゃんと違って少し不気味に開けられているせいなのかもしれないですね。

東方姉妹の中で依神姉妹・スカーレット姉妹は姉妹の見た目の雰囲気はかなり異なっているのですけど、
古明地姉妹はなんとなく似ている感じもあると思います。
そうした似ているような雰囲気の古明地姉妹をデフォルメ作品としてもその違いを単に衣装や色の違いとしてだけではなくて、
そこから内面的に伝わってくるものを大変立派に表現されているようにも感じられます。

上記のアミグリさんが描かれたデフォルメの古明地姉妹は、さとり様こいしちゃんの絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいデフォルメさとり様を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと
興味がある方は、 是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2 を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2 に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

音楽上もそうですし、なにかと生きる上でのトラウマは多々あるものだと思いますが、さとり様の能力によって
過去のトラウマを喚起させられ、過去の自分自身の傷と改めて正面から向き合うのも悪くはないことなのかもしれないです。
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本記事の一つ前の記事が「邪神ちゃんドロップキック」に付随したゆりねの超名言の「ロックだわ!・・」のあの強烈な一言に
関連した記事とアミグリさんの描かれたとってもかわいいプリパラの北条そふぃでしたけど、
「ロックだわ!・・」の「ロック」というワードが出てくる全日本吹奏楽コンクールの課題曲も実は過去にあったりもします。

それが1991年の課題曲Cの藤掛廣幸作曲の「ロックン・マーチ」であったりもします。

タイトルから創造するとゆりねの「ロックだわ・・!」の強烈な一言みたいなバリバリのハードロックな曲想とかポップス系の曲想を
イメージしそうですけど、実際はメタル系の派手な曲想という訳では全然無いですし、かといって例えば
1989年のポップスマーチ「すてきな日々」のようなポップスバリバリの楽しさ溢れた曲想と言う訳でも実は全然無くて、
どちらかというとクラシカルでスタンダードな曲想であり、私自身この課題曲を初めて聴いた時には
「これのどこが一体ロックなの~!?」と素朴な疑問を感じたものでした。
ちなみに私自身が初めてロックン・マーチを耳にしたのは吹奏楽コンクールではなくて、コンクールに先立つ事四ヶ月前の
フェネル指揮の東京佼成WOの定期演奏会で聴いた時のものでした。

1991年の課題曲ですけど、実はこの年の課題曲は外れ年なのかもしれないというのが私自身の率直な感想です。

前年の1990年の課題曲4曲がどれも素晴らしすぎたのだと思いますし、翌年の1992年のまたまたとてつもない高水準の
課題曲4曲の存在感も光る中では、91年の課題曲はちょっと狙いすぎ・・みたいな雰囲気もあったのかもしれないです。
90年度の課題曲り完成度の高さに比べると91年は、力作揃いだけど、ちょっとね・・・という感じの曲が多かったという印象です。

課題曲Aの「斜影の遺跡」は、今現在の感覚で聴いてみてもやっぱり全然わからないです・・・
あの曲、結局何を言いたいのでしょう・・??
そうした中でも埼玉栄高校と土気中学校の演奏は断然光るものがあったと思います。
意外な所では福岡県の中間東中の演奏が相当ユニークだったのが今でもよく覚えています。
坊主頭のトランペットセクションが盛り上がる部分で何度か全員ベルアップをして演奏効果をあげていたのも面白かったです。
課題曲Bの「コーラルブルー」はとにかく「鳴る曲」という印象が強かったです。
あの課題曲の打楽器の複数楽器持ち替えは見ているだけでもとにかくせわしそうでした。
大抵のチームはあの課題曲を吹くと音量過剰になってしまう傾向が強く、 私としてはもう少しゆったりとした南国情緒が
聴きたかったです。
コーラルプルーと85年の課題曲Bの「波の見える風景」の作曲者は同じという事もあり、この二つの課題曲は
どちらも大変よく鳴るという共通項はあるものの、コーラルブルーはあまりにも意図がみえみえすぎて、波の見える風景ほどの
内省的なしっとりとした抒情感には今一つ欠けていたような印象もあったりします。
課題曲Cのロックン・マーチは、前述の通り、一体あれのとこがロックなのかな・・という印象は当時も今も変わりがないです。
課題曲Dの「そよ風のマーチ」は、演奏するチームによっては音量過剰になってしまい、
そよ風ではなくて台風襲来みたいな感じの演奏が結構多かったような感じもありました。

この年の全国大会では、この課題曲を聴くのが例年に比べて結構苦痛だった印象があります。
Bを選んだチームのオーバーヒートの演奏には、結構耳が痛かったですし、
Aの技術的な完成度の低さに頭を抱え込む演奏も結構多かったような気もします。
課題曲Dが流れるとなんとなくホッ・・としたものです。
課題曲Cのロックン・マーチは実は全然人気がなくて、全部門を通してこの課題曲を選んでいたのはわずか7チームに
留まっていて、高校の部でこの課題曲Cを選んでいたのは習志野高校のみでもありました。

ロックン・マーチは、作曲者の藤掛さんがシンセサイザープレイヤーという事もあって、リズムの刻み方が機械的な事や、
普段はマンドリン音楽も手掛けているので譜面上にはマンドリン音楽特有のピッチカート的な要素を数多く取り入れたフレーズが散見されていたのも大変興味深いものがありました、
曲の中間部では、ユーフォニアムパートに中低音の支えとメロディーラインの構成という役割を与えていたのも面白い試みで
あったようにも感じられます。
ロックン。マーチの作曲者の藤掛廣幸さんは1976年の吹奏楽のための協奏的序曲の公募入選以降
1983年の課題曲B/白鳳狂詩曲、1991年の課題曲C/ロックン・マーチとこれまでに計3作品が課題曲として
演奏されていますけど、1976年の課題曲B/吹奏楽のための協奏的序曲が一番難易度が高いようにも感じられます。
協奏的序曲も白鳳狂詩曲もピッコロのソロからそれにクラリネットが加わり、やがて全体での主題提示という曲想に
なっていくのですけど、言われてみるとそうした協奏的な雰囲気もあったように思えます。
そして両曲の共通点はそうした掛け合いのリズムが意外とギクシャクしてしまう事も多く、リズムをきっちり揃えて統一して
吹く事の難しさを感じた楽曲でもありましたけど、そうしたリズムがついついギクシャクしてしまう事は、このロックン・マーチにも
共通するものはあったと今更ながら感じたりもします。

でもやっぱりロックン・マーチのぎくしゃくしたような雰囲気の一体どこが「ロック」なのかな・・??とついつい感じてしまいます。
全国大会で演奏された7チームの中では習志野高校と中央大学が頭一つ見二つ抜けていた素晴らしい演奏でしたけど、
習志野高校の演奏は、音自体がいつもながら大変洗練され美しいものでしたし、音楽が大変整理されていますので、
他校の演奏だとなんか妙にギクシャク・カチコチ感じられがちなリズムも習志野が演奏すると
大変スムーズに聴こえていたのは素晴らしかったと思います。
ラストの小太鼓による「強烈な叩きつけの一音での閉じ方」も大変お見事でした!

琴似中学校のロックン・マーチは無難なものでしたけど、ウッドブロックを叩いていたツィンテールのパーカッションの女の子が
とてもかわいかったことはなぜかよく覚えていたりもします・・



4月6日記事の続きです!

その①でも記したとおり、赤毛のアンのOPやEDを作曲されていたのは、当時は既に邦人クラシック音楽作曲界の大御所にして
桐朋学園大学の学長を務められていた故・三善晃です!
三善晃というと当ブログでもこれまで何度も何度も秋田南高校・大曲高校・新屋高校・習志野高校・神奈川大学・常総学院等の
名演でお馴染みの「交響三章」の孤高の世界を作曲された偉大な先生とか
吹奏楽コンクールの世界でも深層の祭、クロス・バイ・マーチといった不朽の名作課題曲を後世に残された事で
その御名前が登場していましたけど、実は「赤毛のアン」のOPやEDの曲も残されていました!

赤毛のアンの音楽担当は毛利蔵人なのですけど、毛利蔵人は三善晃の弟子に相当し、三善晃自身が赤毛のアンの
アニメ内のBGM担当作曲家として毛利蔵人を推薦し、結果的に一つのアニメ作品としてクラシック音楽作曲家の師弟コンビが
担当するという凄い結果になりました。
三善晃も毛利蔵人も純粋なクラシック音楽作曲の先生ですので、TVアニメの音楽を手掛けたご経験が実は無かったというのも
今にして思うと凄い話ですけど、それゆえ従来のアニソンに全く囚われない新鮮なアニソンが世に登場したという事に
なると思います。
三善晃は大河ドラマ「春の坂道」や映画「翼は心に」などで劇中音楽を担当され、子どものための合唱曲をはじめとする
多くの歌曲作品があり、その音楽に注目して三善晃に赤毛のアンの音楽を依頼したところ、
多忙のためBGMまでは手が回らないとのことで、アニメ本編のBGMに関しては三善晃に師事した若手作曲家の毛利蔵人が
推薦された経緯もあったとの事です。
それが結果としてそれまでのTVアニメの音楽の型やスタイルにとらわれない独特の雰囲気を持つ音楽が生まれた訳ですが、
世界名作劇場の前作の「ペリーヌ物語」、次作の「トムソーヤの冒険」と比べてみるとその音楽の違いは誰の目にも一目瞭然
と言えると思います。

三善晃自身は「赤毛のアン」の中では、オープニングテーマ「きこえるかしら」とエンディングテーマ「さめないゆめ」、
挿入歌「あしたはどんな日」と同じく挿入歌の「森のとびらをあけて」・「花と花とは」を作曲しています。
挿入歌の「涙がこぼれても」と「忘れないで」と「ちょうちょみたいに」は毛利さんの作曲となっています。
1979年当時は既にたくさんの大胆で前衛的な作品を数多く発表されていた三善晃ですけど、「赤毛のアン」においては、
夢見る少女・アンにふさわしいロマンチックなアニソンを書かれています。
子供向けの単純な音楽に終わることはなく、他のアニソンとは一線を画する卓越した手法が用いらていて、
特に衝撃だったのは、アニソンなのにそのOP楽曲においては、小休止をはさんでいたり、アルトサックスという管楽器に
間奏中のソロの役割を与えていたことが挙げられると思います。
(OPの「きこえるかしら、きこえるかしら~」のフレーズの後にいきなりアルトサックスのソロが表れるのも斬新ですね!)
当ブログにおいて、私自身10年間の吹奏楽生活において中三の一年間のみアルトサックスを吹いていたと記しましたけど、
そのアルトサックス時代にはいうまでもなく「赤毛のアン」のOPの間奏のアルトサックスのソロを吹きましたけど、
吹いていても「なんという壮大でロマンチックな曲!」と感じていた反面、
従来のアニソンというと例えば宇宙戦艦ヤマトやマジンガーZ等の勇壮なイメージとは全く逆の面も有していて
「なんという個性的な曲!」と感じていたものでした。
但し、当時の私には赤毛のアンの作曲者の三善晃がどういう御方でどれだけ偉大な御方であるかという認識は微塵も
有していなくて、私自身が三善晃の偉大さを初めて知る事になったのは、その2年後の吹奏楽コンクール・東北大会で
大曲高校吹奏楽部が自由曲として演奏していた三善晃の「交響三章」がきっかけでもありました。
(「交響三章」の特に第一・第三楽章における「亡びの美学」のわびさびの響きは何度聴いても飽きることは全く無いです!)

「赤毛のアン」のOPもEDもアニメ本編のBGMは、少女が主人公の作品にふさわしく古典的でロマンティックな曲調が
中心になっていて、子供っぽい表現のコミカルな曲やドタバタ曲はほぼ皆無で、優雅さと気品さを終始キープし
クラシカルにまとめられています。
大きな特徴は、楽器編成にポピュラー音楽のリズム隊(ドラムス、エレキベース、エレキギター)を含まず、
クラシック音楽で使用されるいわばオーケストラの弦楽器・管楽器・打楽器だけで構成されている事だと思います。
実はこれはアニメ音楽としては異例の編成であり、
当時のアニメ音楽は交響組曲と銘打たれた「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」や「交響組曲 宇宙海賊キャプテンハーロック」などの
ようにオーケストラにリズム隊が加わった編成をベースに作曲されている事が多くて、赤毛のアンのような
いわば純粋な管弦楽作品ともいえそうなクラシカルな作品は当時としては冒険であり異色であったと推察されます。
そうした純粋なクラシカルな楽器編成は赤毛のアンという作品の雰囲気を作るのに大きな役割を果たしていて、
100年前のプリンスエドワード島にタイムスリップしたような感覚すら感じてしまいそうです。
余談ですけど、赤毛のアンの原作者のモンゴメリはプリンスエドワード島ですけど、北杜夫の「酔いどれ船」という連作小説の
第4話にプリンスエドワード島の日本人の医者として過ごしたとある男性主人公の視点から描かれた話があり、
その中においては、意外にも?? プリンスエドワード島は大変閉鎖的でよそ者を排除する島民意識が大変強くて、
しまいには「赤毛のアン」すら大嫌いになってしまったと愚痴る場面があったりして、現実と小説のファンタジーの落差を
なんとなく感じ取ったものでもあります。

その①においてはOPの「きこえるかしら」について主に触れさせて頂きましたので、今回はほんの少しばかり
EDの「さめないゆめ」について取り上げてみたいと思います。

当時のアニメ主題歌&エンディング曲は、子供たちが口ずさみやすいような平易なメロディーと伴奏が用いられるのが
一般的でしたけど、さめない夢における三善晃が意図していた事は、子供向けアニメ番組という先入観に囚われない
むしろ万人向けの抒情性という事なのかもしれないです。
「さめない夢」においては特にチェレスタとピアノの二重協奏曲かと錯覚するほど16分音符がスコアの両パートを
埋め尽くしているのが大変印象的です。
冒頭のピアノの細かいメロディーからして既にアニソンらしくない雰囲気で一杯なのですけど、
前半部分のコロコロと愛らしく奏でられるピアノのアルペジオもそうですし、間奏に相当する部分でのオーケストラというか
特に打楽器セクションがまるで現代音楽と錯覚させられるほど異様に高揚した感覚を演出し
(その頂点の部分でドラがごわーんと響かせているのも大変印象的です)
間奏の異様な高ぶりが引いた後に大和田りつこの伸びのある歌声がむしろ大変清楚に響きます。
とにかくロマンチックで壮大な抒情性を感じさせるEDであり、当時赤毛のアンを毎週見ていた人たちに
感受性豊かな少女を彷彿とさせる曲を通じて、それぞれのアンのイメージ、アンへの思いが育まれていったと思われます。

「さめない夢」はなんとなくフルオーケストラの編成みたいな印象を与えがちですけど、よく聴いてみると
ホルン・チューバはおろかトランペットも聞こえず、意外とコンパクトな編成になっているのかもしれないです。
その代わりに間奏部分でのトロンボーンののびやかな雰囲気はとても魅力的な響きに感じられます。
三善晃の吹奏楽作品も管弦楽作品も打楽器がかなり効果的に使用されていて、そのあたりはさすが日本の現代音楽の
第一人者と感じられるのですけど、「さめない夢」の中でも打楽器はかなり効果的に使用されています。
前述の通り間奏部分でのドラの咆哮もそうですが、冒頭部分のピアノのアルペジオと一緒に奏でられるサスペンダーシンバルの
扱いも大変巧みだと思います。
ピアノのアルペジオと一緒に弦楽器群が上昇するフレーズにサスペンダーシンバルロールのクレッシェンドが合わさることで
「これからなにかすてきなファンタジーがはじまる」という少女の予感みたいなものを感じさせてくれていると思いますし、
施設であまりいい思い出がなかったアンが、マシューたちの家に引き取られていく際に
「これから私にもなにかいい事が起きるのかも・・」というアンの淡い期待と夢がここにも感じられそうです。
「はしっても はしっても」と歌い始まってからはマリンバのアルペジオも重なり、一層少女の夢が伝わってきそうです。
全体的にティンパニのリズムの支えも巧いと思いますし、終盤でシンコペーションリズムをティンパニが巧みにサポート
していると思います。
ラスト近くのグロッケンも面白いですし、最後に少しグロテスク気味にテンプルブロックがカタカタ・・と音を鳴らしているのは、
現代音楽らしい不気味さもありそうですし、少しシュールですけど、少女の夢に対する「現実」というものも示唆しているようにも
感じられます。

クラシック音楽作曲家がアニソンも手掛けるというのは今現在は珍しくもなんともない話であり、例えば和田薫や
天野正道などでもお馴染みだと思います。
ちなみに天野正道はまだ無名時代に実は映画「うる星やつら1 オンリーユー」の音楽を担当されていますし、
「犬夜叉」の音楽等でもお馴染みの和田薫の奥様は「フレッシュプリキュア」のキュアパインでお馴染みの中川亜希子さんで
あったりもしますルン~♪

三善晃が「赤毛のアン」というアニソンを作曲されていたのも当時は意外だったのかもしれないですけど、私的にもっと
ぴっくりしたのは、三善晃が1988年に全日本吹奏楽コンクールの課題曲を作曲されていた事でもありましたし、
88年の深層の祭だけでなく、その4年後の1992年に「クロス・バイ・マーチ」というまたまた吹奏楽コンクール課題曲の歴史に
残る名曲も残されていた事でもありました。

1988年~92年の吹奏楽コンクール課題曲マーチの中には、大物作曲家による従来の枠に囚われない素晴らしいマーチも
登場していて、その一つが88年の原博のマーチ「スタウト アンド シンプル」であり、
90年の間宮芳生の「カタロニアの栄光」であり、その集大成が三善晃の「クロス・バイ・マーチ」だったと思います。
大物作曲家と言うと89年の別宮さんの課題曲Cもありますけど、こらちは全く人気皆無というのもなんだか気の毒でもありました。

吹奏楽のための「クロス・バイ・マーチ」は形式的には確かに行進曲なのですけど、さすが深層の祭の作曲者は
そんな単純なマーチを作られず、
構成的に大変厄介な曲を課題曲として提供し、この課題曲を選んだチームの多くを
整理不足と練り込み不足という自体に追い込んでしまう大変な難解な曲でもあったと思います。
とにかく冒頭からして不協和音・とてつもない高音域・不規則なリズムに溢れていますけど、難解だけど
決して聴きにくい作品ではないという事も言えそうです。

タイトルの最初のイメージでは「音の交錯」という印象もありましたけど、当時のBJにおいては
「クロス・バイ」とはそばを通り過ぎるという意味で、仲間と一緒にやっていこうという意味合いだったというのも
面白い話だと思います。
2分の2拍子が基本で、例えば8分の3拍子、2分の2.5拍子というように、拍子が変わります。
使用楽器は、吹奏楽連盟の希望で小編成でも演奏可能な編成を・・という事で
ダブルリードや低音木管、コントラバスなどがオプションとなっていますけど、この課題曲の魅力を最大限発揮させるには
オプションを全ていれたフル編成で無いとあまり効果的ではないように感じられたりもします。

中間部のアルトサックスのソロの裏で音程の違う2つテンプルブロックが演奏する部分がありますけど、
あの部分を聴くと赤毛のアンのOPの間奏部のアルトサックスソロとEDのラスト近くのシュールな響きのテンプルブロックの響きを
ついつい思い出してしまいそうです!

最後に・・・、余談ですけど、三善晃の音楽で異色だけど大変インパクトが強い作品として「レクイエム」を挙げさせて
頂きたいと思います。
西洋の作曲家による「レクイエム」は、例えばモーツアルト・ヴェルディ・フォーレなどに代表されるように死者が安らかに
天国に旅立てるように・・という事を意識した生きる者から死者への鎮魂歌と言えるのだと思います。
そうした中にあって三善晃が残した「レクイエム」は、そうしたやすらぎの鎮魂歌と言う側面は全く無くて、
第二次世界大戦で命を落とした名もなき一般市民・兵士の手紙や残された言葉をベースに構築されていて、
あの世界観はやすらぎではなくて、むしろ死者から生きている者たちへの「怒りの告発」といえるのだと思います。

誰がドブネズミのように隠れたいか!

甚太郎おじさん、殺さんごとしなさい

それはそんなに古い話ではない。おとなしいゾウはどうして殺されたか?

顔をそむけなさるな、母よ。 あなたの息子が人殺しにされたことから

あきらめてください。泣かないでください。トキちゃん、ケイちゃん、さよなら。

お父さん。お父さんのひげは痛かったです。

ああ、あなたでしたね。あなたも死んだのでしたね。

人が死ぬ。その世界の火の中に私一人いる。そして、私も死ぬ。世界には誰もいない。
ただ火事が機械のようにもうもうと燃えていた。

こうしたフレーズがバックの合唱隊によって響いていきますけど、あの一連の言葉は大変重たいですし、
単なる反戦にとどまらず、むしろ死者からの「警告」というようにも聴こえたりもします。

反戦のレクイエムというとブリテンの「戦争レクイエム」の歴史的価値も相当高いのですけど、三善晃が残した「レクイエム」は
死者から生きる者たちへの警告・告発という点で大変重たく意義があるように感じたりもします。
020年4月~5月は後世の時代から振り返ってみても、多分ですけど、
「あの時ほど苦しい時期は無かった・・」とか「あんなにも息苦しくて閉塞感に溢れた時はなかった・・」とか
「ああした重苦しい雰囲気の世相は二度と味わいたくない」と思う方が多いと思いますし、
実際まだまだ新型コロナウイルスの感染終息に向けての光がまだ強くは無い中にあって、当面は自粛とか
「自分がやりたい事を出来ない」とか「自由に外に出るのも誰かと会う事にも制約が課せられる」という強いストレスが
皆様一人一人の中にも相当強いとは思われますけど、
「出口のないトンネルは無い」という言葉を信じて、一人一人が「今自分達に出来る事を誠実に実現していく」という事を
やればなんとかいい方向に動くと思いますし、そうなって欲しいものです。

それにしてもなにかと息苦しくてストレスが溜まる今日この頃です。

そうした重苦しい閉塞感にあって、気持ちだけでも癒されたい・・と感じる時に一つの救いとか癒しになりそうな吹奏楽
オリジナル作品というと、コンクール課題曲ではありますけど、1987年の課題曲Aの「風紋」を強烈に
推したいと思います。

1987年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲Aの風紋は本当に素晴らしい名作課題曲の一つだと思います!
私はこの課題曲、本当に大好きです。
吹奏楽コンクールの課題曲には素晴らしい曲がたくさんあるのですけど、
実際に私自身が吹いた課題曲というのは限りがありますし、
吹いた事は一度も無いけど「本当に素晴らしい曲! 一度こういう課題曲を吹いてみたかったな・・」
という課題曲はたくさんあると思います。
私自身が実際に奏者として出場した吹奏楽コンクールの中で、その時の課題曲として演奏した曲としては
「この曲いいな・・」と感じるのは意外と少なかったような気がしますし、「この課題曲を吹いてみたいな」と思っていたのに
実際には別の課題曲を演奏せざるを得なかったという事も多々ありましたけど、
そうした中で「この課題曲を演奏できてよかったぁー!!」と心の底から実感できた曲が二つほどありまして、
一つが1985年の課題曲B/波の見える風景ともう一つが1987年の「風紋」です。
偶然にも二曲とも大学時代に演奏した曲ですけど、高校時代の課題曲としては、82年の課題曲B / 序奏とアレグロと
81年の課題曲B / 東北地方の民謡によるコラージュは当時は是非演奏してみたかったです。
中学時代の課題曲としては、79年のフェリスタスと80年のオーバー・ザ・ギャラクシーも是非チャレンジしてみたかったです!

私自身の吹奏楽奏者としての稼働時期というのは1978年~1987年の10年間だけなのですけど、
10年間とも吹奏楽コンクールに奏者として出場できたことはたいへんありがたいものがありました。
中学の頃は在籍部員だけで軽く100名を超えていたと思いますし、大学時代も「響け! ユーフォニアム」の第一期では
ありませんけど、コンクール出場奏者を選抜するあの恐怖のオーディションを毎年どうにかこうにか乗り越えられていたのは
ラッキー以外の何者でもなかったと思いますし、一番大きいのは当時も今現在も珍しい部類に入る
「男性のクラリネット奏者」という事に助けられていた事はかなり大きいと自分でも自覚はしております・・
中学の頃と大学の頃ってクラリネットパートの中で男性奏者は私唯一人という感じでしたし、
私がどちらかというとキャラ的に中性化してしまったその背景には中学の頃と大学の頃の
「周りはみ~んなお姉さまたちだらけ・・!」という環境が大きかったのかもしれないです。
高校時代は男子校でしたので、そのギャップの大きさも相当なものがあったと思います・・
そうした10年間で演奏した課題曲は、1978年→ジュビラーテ 1979年→幼い日の思い出 1980年→北海の大漁歌
1981年→イリュージョン 1982年→アイヌの輪舞 1983年→カドリーユ 1984年→土俗的舞曲 1985年→波の見える風景
1986年→嗚呼! 1987年→風紋という事になります。
上記でもちらっと書いていますけど、79年はフェリスタスを吹いてみたかったし、
80年はオーバー・ザ・ギャラクシーが演奏したかったですし、
81年は何が何でも「東北地方の民謡によるコラージュ」を演奏したかったですし、
82年は出来れば「序奏とアレグロ」を吹きたかったですし、83年はインヴェンション第一番を吹いてみたかったです!
そして何よりもコンクール史上最大の当たり年と自分では思っている1986年は、
Aの「吹奏楽のための変容」またはCの「吹奏楽のための序曲」のいずれかを演奏したかったのですけど、
実際に吹いたのは私自身あまり好きではなかったBの「嗚呼!」というのも皮肉なものを感じます。

そうした中で「風紋」は初めてこの曲を参考音源として聴いた瞬間に
「Eのマーチ ハロー! サンシャインもすてきな曲だけどこの風紋のしっとりとした雰囲気は素晴らしいねっ!」とまさに
一目惚れ状態だったと思いますし、この課題曲を大学四年という事で生涯最後の現役奏者としての吹奏楽コンクールを
飾るのにこれほど相応しい曲は無いと当時から感じていたものでした。

「風紋」は大変思い入れがある課題曲です。

上記でちらっと書いた通り、1987年は私自身にとっては「最後のコンクール出場」となる事は分かっていました。
翌年以降は社会人になる事が確定していたので、私自身の決意としては、
「社会人になったらもう吹奏楽とは関わらないしコンクールにも出場しない、なぜなら社会人になったからには
仕事を優先すべきであり、こうした吹奏楽コンクールに出場と言うのは、学生時代の一つの余興なのかもしれない。
だけど音楽を聴く事や音楽に関わりを持つことは一生大切にしていきたい」と当時は頑なに思っていました。

当時はそれはそれで正解だったのかもしれませんけど、
今にして思うと多少頭が固かったのかもしれないですね。
「社会人になっても吹奏楽団とか楽器を続けている人はたくさんいるし、その両立は決して不可能な話ではない」という発想も
当時の私には欠けていたのかもしれないですし、当時はバブル絶頂という事もあり
「学校卒業したら、リゲインのCMではないけど24時間戦えますかぁ~という仕事優先の時代に否応なしに入ってしまう」
という想いが当時はやたらと強かったような感じがあります。
社会人としてどことなく余裕が出来た頃は、既に楽器(クラリネット)を昔のようには吹けなくなっていましたし、
何よりも当時は既に「奏者」の立場よりも既に「一人の聴衆」という立場に慣れていたのかもしれませんよね・・・

だけど1987年当時としては、私の意識の中では、「今年が生涯で最後のコンクール出場・・・・
思えば1978年の課題曲A(ジュビラーテ)/自由曲・スラブ行進曲から始まり、吹奏楽コンクールは10年間ずっと出ていたけど、
一度も支部大会は出場していない・・・・
何とか今年こそ都大会予選を突破し普門館で開催される都大会本選に出場し
何とか遅咲きでもいいから普門館デビューを果たし
有終の美を飾りたい!」というのが偽らざる本音でした。

そうした中で、この年の課題曲として演奏したのが「風紋」だったのです。

この課題曲は本当に優しいやさしい課題曲だと思います。

吹くだけで心が癒されるというのか心がすーーーーっと不思議と落ち着くのですよね。
この課題曲を吹く時は、前述のような「今年で最後・・・!!」みたいな焦りの気持ちは
不思議なほどすーーーーっと消えていたと思います。

出だしの低音からしてすごく魅力的だと思います。
そして木管によるとても何か懐かしくもあり心の傷を癒すかのような優しいメロディーが次から次へと展開されていくのですけど、
最初から最後まで魅力的なメロディーラインが続いています。
この曲の凄いところは、演奏技術的に極度に難易度が高い所がほぼ皆無な所だと思います。
難しい技術を使用しなくても、人の心にすーーーっと入り込んでいける音楽は絶対に存在するという事を立証した
作品と言えるのだと思います。
曲の後半で一旦静まりかえり、そこから展開される木管のやや甲高い響きがどことなく心の叫びのようにも聴こえ、
ラストは一気にスピード感をもって閉じられます。

話は全然違うのですけど
野庭高校吹奏楽部をモデルにした小説、「ブラバン・キッズ・ラプソディー」の中で
ミッチェル作曲/海の歌について
「演奏している最中に思わず感情がこみあげてきて、涙が出そうになる不思議な曲」といった記述がありましたけど、
これは実際に「海の歌」を演奏した事がある私にとっても「全く同感!!」という一言に尽きると思うのですけど、
「海の歌」と同様に「演奏中に何か感情がこみあげ、涙が出そうになる曲」というと
この「風紋」もそんな感じがあったような気がします。

この「風紋」を全体練習で吹いている際は、
「演奏中は余計な事を考えないで曲に集中しよう」と思っているのですが、
ついつい、
「今年で最後のコンクール、何とか都大会本選に出たい・・・」
「あと一か月後くらいには就職活動が始まる・・・果たして本当に内定がもらえるのかちょっと不安・・」
みたいな余計な事を考えてしまうものですけど
「風紋」を吹いているといつのまにか現実的なそうした不安とか懸案事項がいつのまにかすーーーーっと
消えてしまうのですよね・・・
何かあのメロディーラインを吹くだけで心がすーーっとなっていき、
時には「抑える事ができない感情の高まり」みたいなものを感じてしまう事もしばしばだったと思います。

その意味でも本当に不思議な曲でしたし、思い入れがある課題曲でした。
決して「哀愁溢れる」とか「もの哀しい」という感覚ではないのですけどついつい涙もろくなるような課題曲でした。

ヘンな話なのですけど
この課題曲を吹いていた時も聴衆として聴いていた時も、なぜかこの曲を聴くと
「私を忘れないで・・・・」みたいな「心の叫び」というのか「見えないメッセージ」が聴こえてしまうという感覚があったものです。
外部から聞こえるという感覚ではなくて
自分の内側から自分自身に向けて「忘れないで・・・」みたいな声が聞こえるのですよね。
「私を忘れないで・・・」と曲自体が私たち自分に向けて語りかけるという妙な事を当時感じていたものでした。

これってすごい不思議な感覚だと思います。

なんだろう、この内省的な感覚は・・

当時は意識の中では「今年で最後のコンクール」みたいなカチカチの意識があったから
その一つの反動として「そうは言っても音楽を楽しむ心は忘れないで」みたいな事を
一人の私自身がもう一人の私自身に語りかけていたのかもしれないですね。


鳥取


風紋というというまでもなく砂丘を思い出しますけど、日本の砂丘というと鳥取県を思い起こします。

鳥取銀行の行員さんをイメージしたポスターが数年前に掲載されていたことがあったようですけど、あのポスターの
女の子は鳥取銀行の行員さんをイメージしたとの事です。

ちなみにそのイメージのプロフィールとは・・

氏 名:鳥風 梨砂(とりかぜ りさ)

年 齢:24歳

出身地:鳥取県大山町

勤務先:鳥取銀行

身 長:158cm

血液型:A型

特 技:梨の皮むき

趣 味:旅行・料理

鳥取砂丘を背景に鳥取銀行の制服を着用した雰囲気はどことなく凛とした清楚なものを感じますし、なんとなく
「風紋」のイメージに近いものもありそうです。

まだしばらくは自粛等の重い雰囲気が漂いそうですけど、風紋のイメージのように
「つらい事も砂丘の砂が風で飛んでいくようにいつかは消えるもの・・だからあとしばらく頑張って!」という感じで
乗り切っていきたいものです。
クラシック音楽や吹奏楽で使用される打楽器の一つであるシンバルは、
楽曲のクライマックスや激しく盛り上がる部分でバシャーン!と派手に壮麗に鳴り響く事が多いのですけど
あれはかなりの演奏効果があると思います。

シンバルと言うと、種類としてはドラムセットで必ずセットされているハイハットシンバルやドビュッシーが好んで使用した
古代シンバルやロールの響きが大変印象的なサスペンダーシンバルといったものがありますけど、
管弦楽団の演奏会や吹奏楽コンクールにおいてシンバルのイメージというと
打楽器奏者が両手に約40㎝程度の黄銅色の円板を激しく打ち合わせるという感じがしますが、
これは一般的には「クラッシュ・シンバル」(または合わせシンバル)と呼ばれています。
(錫と銅の合金から構成されていて、その配分比率は音色にも微妙に影響するそうです)
クラッシュシンバルは基本的には、片方を上から下へ、もう片方を動かし、こすらせるようにして打ち合わせます。
非常に小さな音から一打ちでオーケストラや吹奏楽団全体をも制するほどの大きな音まで出すことができる表現力を
秘めています。

クラッシュシンバルは全般的には曲のクライマックスや「ここぞ!」と最大限盛り上がる際に派手に打ち鳴らされると
大変な視覚的効果と聴覚的効果があると思います。
(打楽器において最も絶大な視覚的効果がある曲の一つが、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」~第四楽章における
ハンマーの叩きつけが挙げられると思います)
そしてクラッシュシンバルは基本的には全体が派手に強奏で演奏されている時に、他の楽器と一緒に響くことがほとんど
なのですけど、稀にシンバルが単音というかソロに近いような状態で単独で打ち鳴らされることもあったりします。
そしてそれが曲の開始の冒頭でシンバル完全ソロで始まるとされると、シンバル奏者にとっては大変緊張とプレッシャーが
あるのだと思うのですけど同時に演奏し甲斐もあると思われます。

そして曲の冒頭部分でシンバルソロによる一音で開始される曲で大変印象的な曲として、吹奏楽コンクールの課題曲では
あるのですけど、1982年の課題曲D/サンライズマーチを挙げたいと思います。

サンライズマーチですけど、シンバル奏者にとってはかなりプレッシャーがかかる曲だったかもしれないです。

冒頭がいきなりシンバルのffで「バシャ―ン!!」という一撃から開始されるのですから
シンバル奏者にとっては大変神経を使う曲だったと思いますし相当緊張する課題曲だったと思います。
実際、地区予選とか県大会とかで下手くそなチームがこの課題曲Dを選曲し
シンバル奏者がミスったり、しょぼい音を出したり、スカッと空振りに近い音を出したこともありましたし、
ジャーン!!という豪快な音ではなくて「ぼしゃーん」というへんちくりんな音を出したりと当時は色々と珍演が
続出していたものてした。
別に擁護する訳ではないですけど、コンクール課題曲でにおいてソロで開始される曲とか
非常に音が薄く書かれた部分から開始される曲とか弱奏で開始される曲というのはかなり難しいと思いますし、
指揮者にとっても奏者にとっても「やりにくい・・」という感じなのだと思います。
強奏の出だしの場合、正直誰か一人ぐらいミスっても全然ごまかすことは可能なのですけど
ソロとか音が薄いと誤魔化す事自体が至難の業という課題曲もあったと思います。
その意味では、例えば1992年の課題曲A/ネレイデスとか1992年の課題曲B/フューチュリズムとか
1981年の課題曲A イリュージョンとか 1983年の課題曲C/カドリーユとか1988年の課題曲A/深層の祭りとか
1996年の課題曲Ⅰ/管楽器のためのソナタとか2000年の課題曲Ⅲ/胎動の時代の冒頭は
かなり指揮者泣かせでもありましたし奏者泣かせの課題曲の一つだったと思います。

1982年の課題曲D/サンライズマーチは演奏するチームによって表現は全然異なっていたと思います。
例えば亜細亜大学のように豪快で押して押して押しまくる「前進あるのみ!!」の演奏も大変印象深かったですし、
就実高校のように金管ではなくて木管主体の演奏として表現したチームもありましたし、
福岡工大付属高校のように「正統派マーチ路線」みたいなスタイルもありました。
どの演奏もすてきなな「サンライズ・マーチ」でしたけど
就実高校みたいに「爽やかで清楚なサンライズマーチ」も全く別の意味での「新しい可能性」を感じさせる演奏であり
私は今でもこの演奏は大好きです!
ちなみにですけど、就実高校の村松先生は練習時に、トリオの部分をより奏者にイメージさせるために
「青く光る空~ 輝く太陽」などみたいに歌詞を付けて奏者たちに歌わせていたというすてきなエピソードも残されています。

厳密に言うと曲の冒頭ではなくて第二楽章の冒頭のシンバル完全ソロ曲ではあるのですけど、芥川也寸志の
「交響管弦楽のための音楽」~第二楽章の冒頭も大変印象的です。
静粛で無機質なリズムの反復の多い第一楽章が終わって第二楽章が開始される際にさの冒頭で、
シンバルが単独でジャーンと打ち合わせられる所から開始され、金管楽器の大変印象的なファンファーレ風なメロディーへと
連なっていくのですけどあのシンバルは目立ちますしとてつもなくかっこういいです!
第一楽章の静粛さの中でほとんどの打楽器奏者は休止状態なのですけど、第二楽章で唐突にシンバルのジャーン!という
壮麗な一音から開始されますので、シンバル奏者は第一楽章の間も出番待ちという事で、相当な重圧が掛かっているのかも
しれないです。

曲や楽章の冒頭の完全ソロではないのですけど、天野正道/交響組曲第2番「GR」のラスト近くでシンバルがソロ的に
「ジャーン」という打ち鳴らしも大変印象的です。




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「ららマジ」でシンバルを担当するのは強心臓中学生の伊藤萌です~♪
伊藤萌はシンバルを担当しているクールで小さな中学3年生の女の子で、中学生ですけど東奏学園の器楽部でJKのお姉さまと
一緒に音楽を楽しんでいます。
クールな性格の後輩で、「・・・くるしゅうない、です。」など変わった口調でしゃべるのが個性でもあります。また落語を聞くのが
趣味というJCさんにしては大変珍しく渋い趣味を持っていたりもします。

先輩の小田桐アミを師と仰ぎアミのことを「師匠」と呼び慕っているのですけど、実を言うと小田桐アミは元々は
器楽部のシンバル奏者だったのですけど、シンバル奏者は時に「ここで怒涛の一撃を決める!」みたいなプレッシャーを
時に伴いますので、その重圧に耐えきれず、シンバル奏者の地位を後輩の伊藤萌に譲ったという経緯もあったりします。
そして小田桐アミはその後シンバルからピッコロ奏者にパート変更をしています。

アミがいなくなったシンバルは伊藤萌に継承されていますけど、伊藤萌は見た目の少し控えめな雰囲気とは全く異なり、
大変な強心臓の持ち主でプレッシャーに大変強く、「ここでシンバルの強烈な一撃が必要」という時にはしっかりと確実に
決めてくれる頼もしいJCさんであったりもします。

活発だけど小心者なアミと大人しいけど強心臓な萌の対比もとても面白いですね~♪

サンライズマーチや交響管弦楽のための音楽などのような冒頭にシンバルの完全ソロがある曲は、小田桐アミよりは
プレッシャーに強い強心臓の持ち主の伊藤萌のほうが相応しいといえそうですね~♪
吉田公彦 の「吹奏楽のためのカプリチオ」は全日本吹奏楽コンクール1982年の課題曲Aで、
公募作品からの採用で、作曲者は当時早稲田大学の管弦楽団に所属されていたそうです。
この課題曲作曲家の情報は極めて少なく、多分ですけどこの課題曲以外に公での作品は極めて少ないのかもしれないですし、
後述しますけど、当時は「コンクール史上最大の駄作」という酷評が大半でしたので、作曲者としても嫌気が差されたのかも
しれないです。

最近の吹奏楽コンクール課題曲は、マーチの年と描き下ろし作品の年という区分を取りやめて以降急速に難曲化したという
印象がありますし、地区予選・県大会辺りで聴いても正直難しすぎてあまり印象に残らないという楽曲も大変多いような
気もしますし、何よりも曲の構造がひところに比べて数段複雑化しているうえに音色の構成がより洗練さを求められる楽曲が
大変多いような感じもあり、自分が現役奏者だった頃とは既に隔世の感という印象が極めて強いです。
そうした中で、先日青森県の弘前第三中学校の1982年の課題曲、吹奏楽のためのカプリチオを久しぶりに聴いてみたら
「あれ・・? 意外と面白いしわかりやすい曲だね~」と感じたものでした。
私自身、この課題曲に関しては1982年当時高校生だった当時の私の感覚で言わさせて頂くと「駄作」とか「くだらない曲」としか
当時は思わなかったですし、実際多くの方は「公募作品とは思えない内容の薄い駄作」とこきおろされていて、
当時の私の感覚と吹奏楽界一般の感覚は、この課題曲に関してはイコールだったのかもしれないです。

ではどうして「内容がうすい」と感じるのかというと、曲としては極めて単純な作品で最大でも4声部までしかなく、
メロディーに対する裏メロや副声部のメロディーすらあまりなく、ほぼ全員がメロディーラインを担当しているという
あまりのシンプルさが挙げられるのかもしれないです。
1982年の課題曲B / 序奏とアレグロのあまりにも難解な楽曲の構造と不協和音の炸裂に比べて課題曲Aのこの曲の
単純明白すぎる構成があまりにも目立っていたので、そうしたちょっと気の毒な評価に繋がっていたのかもしれないです。
上記で触れた通り最近の吹奏楽コンクールの課題曲の構造の難しさに辟易させられている状態で、
吹奏楽のためのカプリチオを改めて聴くと、そのあまりの単純さにむしろ新鮮さを感じてしまい、
最近の課題曲のメインメロディ・裏メロ・サブメロディー、リズム処理に副声部の裏メロとか音色の複雑怪奇な構成等に
耳が慣れてしまった状態で吹奏楽のためのカプリチオを聴いてみると
「この課題曲には裏メロすら存在していなくて、低音セクションを除くとほぼ全員がメロディーラインを担当しているじゃん!」と
感じてしまいますし、そうした単純で音声部がうすく書かれている楽曲の構成自体が当時としては
「作品がうすっぺらい」と酷評されていた要因にもなっているように今更ながら感じたものでした。
楽曲の構成がほぼメロディーラインのみである吹奏楽作品を奏者と指揮者が力んで演奏してしまうと、曲が意外と
厚ぼったく聴こえてしまい印象としては厚化粧のようにも聴こえてしまいます。
そのあたりが課題曲としては鳴らしやすくもあるのですけど、同時にこの課題曲は微妙に技術的に難しい面があり、
その一つがホルンのとんでもないハイトーンであり、二つ目がメインメロディーを奏でるクラリネットの指使いが大変面倒で
あったためかなりもたついてしまい、それが結果的に曲がついついぎくしゃくしてしまう事でもあり、
決して技術的に難解な曲ではないのに、実際の吹奏楽コンクールで演奏される場合は結構崩壊した演奏が多かったのも
むしろ当然なのかもしれないです。
全体的に曲としての面白みにはやや欠けますが、ノスタルジックな雰囲気はあるのかもしれないです。

1982年度の課題曲は長い吹奏楽コンクールの歴史の中でも課題曲不毛の年でもあり、課題曲B/序奏とアレグロ以外の
評判は今も昔も芳しくないものはありそうです。
音楽評論家の故・上野晃先生はかつてこの年の東北大会の審査員を務めていた時にBJ評にて
Dのサンライズマーチは並の普及品、Cのアイヌの輪舞を安っぽいと酷評されていましたけど、Aのカプリチオについては
「どうして公募作品にも関わらずこんな内容が無いうすべったい曲が採用されたのか全く理解できない」と
超ウルトラ激辛の酷評をれていましたけど、それは分かるような気もします。
だけど上記で書いた通り、2020年の感覚で今更ながら「吹奏楽のためのカプリチオ」を聴いてみると、その単純明快な
構造自体にむしろ曲の面白さを感じたりもします。
過去記事において、私自身もこの曲はこきおろしていましたけど、この変化はもしかしたら私自身の感じ方の劣化なのかも
しれないですけど、そうした年相応の感じ方の変化と言うのも決して悪い事ではないのかもしれないです。

「吹奏楽のためのカプリチオ」は私が高校2年の吹奏楽コンクールの課題曲でした。
以前も書いた通り、私の高校は当時は音楽の専門家の先生がいないため、毎年毎年部員の中から指揮者を選出し、
自分達で解釈し自分達で一から音楽づくりをし全て「手作り」でコンクールに臨んでいました。
必然的に課題曲も、部員全員の意見を聴いたうえで多数決で選曲していました。
個人的には、是非とも課題曲B/序奏とアレグロを演奏したかったのですけど
あまりにも無機質&変拍子&大変な難解なテクニックという事で「演奏不能」という結論に達し
自由曲が無謀にもショスタコーヴイッチを選んだという事情もあり、なるべく負担にならない課題曲をという指揮者からの
要望もあり、課題曲は最も無難なのC/アイヌの輪舞に落ち着きました。

課題曲A/吹奏楽のためのカプリチオは、私自身、何度か吹いた事はありますけど、
クラリネットパートを代表して意見を言わせて頂くと、こんな吹きにくい曲は無いという事でもあります。
クラリネットの主要メロディーは、シドーシドラレードシドラシソラソラーラソラシラーという感じのものでして、
字で表記するとクラリネット奏者以外には伝わりにくいのですけど、指使い的には
クラリネットの中音域の「ラ」は左手の人差し指のキー一本のみであるのに対して、中音域の「シ」は
両手の指を全て使う指使いという事で、こうしたラとシを交互に音符に書かれても正直大迷惑という感じでもありました。
替え指を駆使したり、新しい替え指を新たに発掘しないで、譜面通りにまともに吹いてしまうと、
多分相当もたつく演奏になるパタンーが多いと思います。
県大会や東北大会あたりでも、このクラリネットの指使いのやっかいさがそのまま音の不安定感と全体のリズムのぎくしゃく感に
繋がっている演奏もかなり散見されていたと思います。
そしてこの課題曲でやっかいなのは、上記で既に記したとおりホルンの高音域なのだと思います。
当時のBJの質問コーナーにおいてもプロの奏者の方すらも「これは少しやっかい」と言われていましたし、
内容もそれほど深くは無いし、技術的にはそんなに難しい曲ではないのだけど、一部のパートにとっては技術的やっかいさが
あるという労あって実りが極めて少ない曲と言えるのかもしれないです。

この課題曲にどうして「カプリチオ」=気まぐれというタイトルが付いているかと言うと、
オーボエのゆったりとしたソロで開始され、ゆったりとした序奏から突如、ティンパニの一撃から
アレグロに展開していくその音楽的自由さが由来との事です。
ハイドンが交響曲第94番「驚愕」第二楽章において、深い眠りにおちそうな聴衆を叩き起こすみたいな意図が
あったかどうかは定かではありませんけど、
第二楽章の静かな繰り返しの部分で、ティンパニの一撃と全楽器のffで聴衆を「夢の世界」から叩き起こした的な意図が
意外と「吹奏楽のためのカプリチオ」の意図にあるのかもしれないです。

それにしても、この課題曲Aは人気が無かったですね。
全国大会でもこの課題曲を選択したのは9チームに留まり、そのうち5チームが結果的に銅賞と言うのも
あの課題曲の不毛振りを象徴している感じがします。
この課題曲Aを選択して、全国大会で唯一金賞を受賞したのが弘前第三中です。
曲自体の内容の薄さがあまり伝わってこないほど、大変高い技術でまとめあげ、前述のクラリネットやホルンの問題も
難無くこなしていたという感じがあります。
この課題曲Aにおいて、隠れた名演というのが実は一つだけありまして、それは間々田中学校なのだと思います。
ものすごいダーダー吹きというかすさまじいレガート奏法なのですけど、
とてつもなく美しいサウンドにあのベタベタ奏法が意外と合っていて、私は結構この間々田の課題曲Aは好きだったりもします。





ららマジにおけるクラリネット奏者は綾瀬凛という後輩からは怖がられている少し気難しくて、自分にも他人にも厳しい
雰囲気があるJKさんです。
キリッ・・!としていて後輩に対して厳しく接する雰囲気の綾瀬凜お姉さまの上記のようなちょっと怒ったような表情も
とてもかわいらしいものがありますけど、
同じパートに自分に厳しすぎる子がいたりするとちょっとつらいものがありそうですけど、ららマジの綾瀬凜みたいな
JKさんだったら、私は喜んで同じパート内で頑張らさせて頂きたいものです~♪

現役奏者時代の10年間のうち9年間をクラリネットを担当し、たくさんのクラリネット奏者たちに接してきた私の経験では、
クラリネットを吹く女の子の不器用さ・頭の固さというものはもしかしたら全世界共通なのかも・・?といったら綾瀬凜に
怒られてしまいそうです・・
(そう言えば、とあるブログの管理人さんも元・クラリネット奏者でしたけど、あの融通の利かない頑迷さはクラリネット奏者
気質そのものだったと今にして思うと感じてしまいそうです・・)

綾瀬凛お姉さまだったら、吹奏楽のためのカプリチオにおけるクラリネットパートの妙にへんてこで難しい指使いの裏技も
後輩たちにいつも厳しく、そして時に優しく教えてくれるのかもしれないですね。



本記事の一つ後の記事がららマジのトランペット奏者でもある亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガードの記事ですので、
ここではトランペットと見た目は大変良く似ているけど、実際は楽器の構造も音色もトランペットとはちょっと異なる楽器の
コルネットとららマジでのコルネット奏者である浅野葉月について簡単にレビューをさせて頂きたいと思います。

ららマジの浅野葉月はコルネットを担当している高校2年生のJKさんで、トランペットも兼任しています。

後述しますけど、トランペットとコルネットは楽器の構造がまるで違うので、確かに見た目はよく似ているのですけど、
似て非なる楽器と言えそうです。
(ユーフォニアムとバリトンの違いも似たようなものなのかもしれないです)
そして吹奏楽コンクールやプロの管弦楽団の演奏会等でも、部分的にコルネットを使用する場合は、トランペット奏者が
曲の途中で楽器を持ち替えることがほとんどです。
そのため、浅野葉月がトランペット兼任という設定は当然という事なのだと思います。


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そういう意味では、ららマジの器楽部におけるトランペットパートは実質的に浅野葉月と亜里砂・E.Bの二人と言えますけど、
浅野葉月は亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガード(略して亜里砂・E.B)の隠れファンらしいという事で、浅野葉月にとっては
「あこがれの子と実質的に同じパートなんて大感激・・♪」という感じなのかもしれないです。

それと考えてみると、浅野葉月と亜里砂・E.Bは小悪魔系、抜群のスタイル、トランペット奏者と共通点も多いというか、
設定はかなり被っているから、ある意味似た者同士といえるのかもしれないです。

似た者同士というとトランペットとコルネットもある意味似た者同士なのかもしれないですし、見た目は大変良く似ています。

実際、吹奏楽コンクール等においては、トランペット奏者が曲の途中でコルネットに持ち替えされるケースも大変多いですし、
プロの管弦楽団の演奏会でも、特段専任のコルネット奏者は置いていませんので、やはりトランペット奏者が
コルネットに持ち替えて兼任する事がほとんどです。
そしてコルネットはどちらかというと管弦楽の分野よりも吹奏楽の世界で多用される事が多い楽器です。

コルネットは柔らかい響きが特徴のトランペットに似た形状の高音の金管楽器の一つです。
アルトホルンやユーフォニアム等と同じく「サクソルン属」と呼ばれる楽器の一種で、そのグループのなかでも
特に高い音域を受け持っているのが特徴です。
トランペットに似た形状をしていますけど、トランペットの管の約半分が円筒管であるのに対し、
コルネットはその2/3が円錐管で、ベルに向かってだんだんと広がっていく構造で設計されていて、
トランペットと比較するとより柔らかな響きを出すことができます。そして高音域もトランペットのように鋭く窮屈な響きではなくて、
包み込むようなふんわりとした丸みを帯びた音が出せるというのもトランペットとの違いです。
トランペットの管は1回巻きですけど、コルネットの管は2回巻きなので、管長は同じでもコルネットの方が楽器が小型で、
トランペットよりも体の近くで楽器を構える形となります。
上記の画像で言うと、金色の短い楽器がコルネットで、シルバーの長めの楽器がトランペットです。

こうやって見てみると、トランペットとコルネットは似ているけど、似て非なる楽器といえそうです。
(管弦楽の分野ではコルネットが使用される事自体少ないです・・)

吹奏楽でコルネットにまつわる話というと、今現在は学校統廃合で既に消滅した学校なのですけど、1983~95年にかけて
とてつもない名演を数多く輩出した関東の野庭高校のエピソードを思い起こしてしまいます。
「ブラバン・キッズ・ラプソディー」を読むと、1990年の結果的にダメ金になった関東大会のエピソードとして
興味深いエピソードが紹介されていました。

関東大会の前日に、トランペット奏者が自由曲の「エル・カミーノ・レアル」で使用する掛け持ち用のコルネットを
学校に置き忘れ、部長もその奏者も指揮者の中澤先生に中々報告できずにいて、
ついに練習中にそれが発覚し、中澤先生が大激怒したというエピソードが語られていますけど、
当時は既に中澤先生は大御所だったので、生徒も中々悪い報告はしにくいという雰囲気はあったのかもしれません・・

実は、1990年の市川市で開催された関東大会は私も当時在住していた山梨から遠路はるばる駆けつけていたのですけど、
野庭高校のその時の演奏は、音色は綺麗で美しいけど抑制されたおとなしい演奏という印象でした。
それまでの野庭のリードの演奏というと、例えばアルメニアンダンスパートⅠやオセロ・ハムレット・春の猟犬のように
大変生き生きとした躍動感溢れる個性的で新鮮な演奏というイメージが大変強かったのですけど、あの演奏は
大変消極的でなんだか飼い馴らされた羊みたいな感覚もあったのですけど
もしかしたらですけど、前日のそうした事件がひきずられたままだったのかもしれませんよね・・・

あの演奏は、新鮮さ・音楽としての感動・躍動感はほぼ皆無で、おとなしめ系の何か去勢されたような演奏で、
当時としては「全然野庭らしくないじゃん・・」とガッカリした記憶があります。
結果もダメ金でした(当然の結果だと思いますし、私の評価としては銀と銅の中間だとすら感じたものです)

初期の頃の野庭高校は、中澤先生と生徒達の関係は一対一の対等なパートナーという感じもなくはなかったのですけど
段々と野庭高自体が「吹奏楽有名校」としてマークされ 他校の追い上げが段々ときつくなる中で、
徐々に対等な関係から、幾分上から目線の奏者対圧倒的なカリスマと実績を誇る指揮者みたいな弱者対強者みたいな関係に
変わっていったのかもしれませんよね。
初期のアルメニアンダンスとハムレットがとてつもない「新鮮で瑞々しい音楽」であったのに対して、
1992年以降のクラシック音楽アレンジ路線へ転向して以降は、どことなくですけど
「オレがこの通り指示しているんだから、その通りに吹け!」みたいな幾分ですけど奏者の自発性が
薄れていった演奏になっていったような気がするのも、もしかしたらその辺りに関係あるのかな・・・?と
部外者的な視線でふと感じたりもします。


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ららマジの浅野葉月はららマジの中でもすてきな美少女の一人と言えそうです。

熱しやすくて冷めやすい上に、行動や発言が自由奔放な小悪魔タイプで、
その性格が周囲との軋轢を生むこともあるようですけど、本人はあまり気にしていないという独特のマイペースさを持っている
JKさんといえそうです。
器楽部には先輩のトロンボーン奏者の星崎梨花に誘われて何となく入部したのですけど、
次第に音楽やコルネットやトランペットに魅了されていき、真摯に音楽に向き合っていくようにもなります。
部や楽器のことを悪く言われると激高したり不機嫌になってしまうというのは、換言するとそれだけ音楽に目覚めたと
言えるのかもしれないです。

田舎の大きな旧家の長女なのですけど、後継ぎは弟と決まっているという設定も実はあったりするそうです。

一言で言うとクールなツンデレ系であり、旧家のお嬢様らしい気分屋ゆえに、ゲーム内ではプレイヤーに対して
冷たく接することが多いものの、それは決して本人が冷たい性格という訳ではなくて、「本当はもっと優しくしないと・・」と
分かっているのについついつれない態度を取りがちというのもツンデレさんの典型なのかもしれないです。
そうしたツンデレさんですけど、個性的な器楽部内では逆に周りから翻弄されることが多いというのも面白いですね~
バトル時においてはコルネットを模した二丁拳銃で戦う事が多いです。

器楽部でもかなりの美人でスタイルも見事なものがありそうですし、左目下には泣きぼくろがあるのも
すてきなチャームポイントだと思います~♪
髪型は三つ編みをアップにしていて制服は上着を着ずにシャツの第一ボタンを開けていて、そしてノーネクタイというのも
お嬢様らしい自由さに溢れているといえそうですね~



私が中学校の吹奏楽部に入部したのは1978年(年がバレバレですね・・汗・・)
この年の課題曲は圧倒的にA/ジュビラーテに集中し、私たちのの学校も吹奏楽コンクール出場の際はジュビラーテを
選んでいました。
当時の感覚としては、私もそうでしたしまわりの諸先輩たちも課題曲のジュビラーテを吹く時も、自由曲のチャイコフスキーの
「スラブ行進曲」を吹く時も全員、つまらなそうな顔でいやいや吹いていたような印象もあったりします。
(というか、年中指揮者の先生に「下手くそ!」等罵倒され続けていましたからね・・汗)
時折息抜きを兼ねて78年の課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」とか
当時大流行していた映画「スターウォーズ」~メインテーマとか1977年の課題曲C/ディスコ・キッドを吹く時は
全員ノリノリでとっても楽しく演奏出来ていたと思います。
あのような純粋に音楽を心から楽しむ気持ちで課題曲も自由曲も楽しい気持ちで吹く事ができればよかったのですけど、
それが出来ないのは昔も今も吹奏楽コンクールの一つの功罪なのかもしれないです。

1977年課題曲C/ディスコ・キッドは、私が中学に入学する一年前の課題曲でしたので
この課題曲でコンクールに臨んだことはないのですけど、練習の息抜きとか文化祭等でたびたびこの課題曲を演奏する事が
出来た経験は今にして思うととても貴重なものがあると思います。
(でもさすがに私の世代ですと、74年の「高度な技術への指標」というバリバリポップス系課題曲は吹いた事はないですね~)

「ディスコ・キッド」が本当に吹奏楽コンクールの課題曲であったとは今でも信じられないほど楽しい楽しい曲だと思います。
吹奏楽コンクール課題曲なのですけど、楽譜の指定楽器の中にもドラムスとE.bass(エレキベース)が含まれていて、
当時の規定の上ではコンクール演奏中でもこの課題曲に限ってはエレキベースの使用がOKという凄い曲でもありますし、
エレキベースの使用が完全に禁止となっている現在のコンクール規定ではありえないほどの柔軟性が
ここにもあるように感じられます。
ドラムスの8ビート、エレキベースら低音楽器のリズム隊に支えられ、曲全体を通して軽快で小気味よいリズムと明るく楽しく
華やかなメロディーが4分近く続いていき、最初から最後まで飽きることは全く無いと断言できます!
テレビ番組「題名のない音楽会」が行った視聴者アンケートでは、吹奏楽の人気曲としてこの曲が第1位に選ばれているのも
極めて当然の話だと思いますし、2007年6月には、東京のめぐろパーシモンホールにおいて作曲者の東海林修が招かれ、
この曲の誕生30周年を祝う催しが開催されるなど、とにかくいまだに根強い人気を誇っている吹奏楽コンクール名課題曲です。
ちなみに東海林修は、NHKの「ステージ101」のアレンジャー兼音楽監修でも有名な先生です。
(2018年に御永眠され彼岸の彼方に旅立たれましたけど、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます)

「ディスコ・キッド」は時代的に映画「サタデー・ナイト・フィ―バー」の時期とほぼ同じ頃だと思いますが、
当時のディスコミュージックそのまんまのノリの曲だと思います。
この曲は吹いている方もそうですけど聴いている方も、あまりの楽しさについつい鼻歌や足でのリズム取りを自然にして
してしまいそうなほどの楽しさがあると思います。
この曲を吹奏楽コンクールというお堅い音楽コンクールの課題曲の一つとして認定した当時の吹奏楽連盟の皆様の
ご英断と頭の柔軟さには心から敬意を表したいと思いますし、最近の頭の固い吹奏楽連盟の理事・役員の皆様にも
見習ってほしいものがあると感じてしまいます。

ポップス系課題曲という事でバカにされる方や内容が無いなんという的外れすぎる事をいまだに言われる方もいるようですが、
ポップスを分かっていらっしゃる大御所先生が書かれた作品だからこそ、「ポップスとはなんなのか・・?」という事を
追求した作品だと思いますし、課題曲としてはかなり難度が高く、当時の全国大会で中学、高校の部で
この課題曲を演奏して金賞を受賞した団体は1つもない事がそれを実証していると思います。
換言すると中・高校生ではこの曲の生き生きとした表現が難しかったといえるのかもしれないですし、この曲の金賞チームは
大学・一般の部に多く、ある程度の経験を重ねてきた大人のプレイヤーでないと意外と表現が難しい曲と
いえるのかもしれないです。

ディスコキッドはとにかく冒頭が難しかったですね・・・

冒頭からドラムスが大活躍し、ドラムスのハイハットシンバルが刻むアップテンポなリズムに乗せてピッコロがソロを奏でる
スタートは当時の課題曲としては斬新なものがあったと思います。
序盤の楽しい雰囲気が展開された後にソロクラリネット奏者にとって大変な試練が待ち受けていて、
曲が一旦静かになり、ドラムスがリズムを刻むだけのバックでクラリネットのかなり大変なソロが展開されていきます。
あの部分は現在のポップス系コンサートですと、クラリネット奏者はスタンドプレイをする事が多いようです。
終盤近くのオーボエののびやかなソロが大変美しいのですけど、そのオーボエのソロの裏メロを担当している
ユーフォニアムのとんでもない高音域は奏者にとっては鬼門なのかもしれないです。
ユーフォと言うと、この「ディスコ・キッド」は「響け!ユーフォニアム」の原作にも登場しています。
原作小説の公式ガイドブック「北宇治高校の吹奏楽部日誌」収録の短編「冬色ラプソディー~北宇治高校 定期演奏会~」に
登場し、久美子が定期演奏会の希望曲のひとつに挙げ、定期演奏会の第3部のプログラム最後の曲として演奏することになる
シーンも実はあったりもします。

ディスコ・キッドの1977年当時の全国大会の音源を聴いてみると、前奏からメインテーマに入る直前に、
本来楽譜上には存在しない「ディスコ!」というかけ声を入れた演奏をたまにあったりしますけど、
(全国大会演奏でディスコ!という掛け声が入っているのは、亜細亜大学・駒澤大学・ブリジストンタイや久留米だったと思います)
あれは、作曲者の指定とか作曲者のオプションの一つという訳では全然無いようでして、
なんとなく誰かが自発的にやりだしたらそれが広まっていったという感じだと思いますし、
現在ポップスコンサートやシエナ等の演奏会等では、演奏者と観客が一体となってこのかけ声を入れることが一般化している
ようでもあったりします。
当時の西部大会(現・九州大会)では、演奏中に「ディスコ!」と掛け声を入れたことが規定違反という事で失格になったチームも
あるらしいのですけど、全国大会ではあの掛け声を入れて規定違反という事で失格になった事例はありませんし、
そうした意味では全国大会の審査員・当時の吹連の役員の皆様の見識の高さには敬意を表さざるを得ないです。
ちなみに亜細亜大学の失格はタイムオーバーが理由です。

吹奏楽コンクール全国大会で「ディスコ・キッド」を演奏して素晴らしい演奏を残してくれたチームはたくさんありますけど、
私個人のベスト演奏は、瑞穂青少年吹奏楽団といえそうです。
王道中の王道の演奏で、正統派のポップスを真正面から正攻法で演奏しています。
(この演奏においてはディスコ!の掛け声はありません)
欠点をあげると終盤の弱奏部分でメロディーラインを担当するオーボエがあまりにも非力すぎなのですけど、裏メロの
ユーフォの高音は見事に決まっていてたっぷりと歌いこまれています。
ブリジストンタイヤ久留米は瑞穂と同様に正統派の演奏ですけど、
イメージとしては大人の演奏というか節度ある真面目な演奏というのかクラシカルな演奏を聴かせてくれます。
ディスコ!の掛け声も入ってはいますけど、少し照れがあるのか(?)あまり大きな声量ではないです。
やんちゃな演奏例の代表は駒澤大学だと思います。
ちょっと乱暴で強奏がかなり粗いのですけど、あのやりたい放題はむしろ爽快です!
自由曲のストラヴィンスキーの「春の祭典」で示してくれた正統派クラシカルの雰囲気とは似ても似つかぬあの対照性が
見事だと思います。
コンクール演奏での一番ノリがよい演奏は亜細亜大学かもしれないです。
前述の通り、この年の亜細亜大学は自由曲のラヴェルの「ラ・ヴァルス」をかなり執拗に表現したせいか
タイムオーバーになってしまい審査対象外という事で当時は全然話題にすらならないのですけど
亜細亜のディスコ・キッドの演奏は、作曲者の東海林修先生が聴いたとしても太鼓判を押しそうな切れ味と楽しさに溢れた
素晴らしいものがありました。
ノリはいいし楽しいし切れ味抜群だし、リズム感はいいしドラムスは完璧だし、
例の「ディスコ!!」の掛け声も亜細亜大学を上回る声量は多分無いと思います。
だけどこの亜細亜大学の演奏で一つ謎があります。
クラリネットのソロが終わった後に、男性の声で「オーオーオー」みたいな奇声と言うか掛け声みたいな声がしっかり収録されて
いますけどあれはいったい何なのでしょうか・・・?
アドリブ・・?? 単なるウケ狙い・・? 本当に感極まった声・・・?
今となっては知る由もありませんけど、CDで聴いた感じではとても自然体だと感じます。

最後にこの課題曲の知る人ぞ知る隠れた名演を一つだけ挙げたいと思います。

それは北陸代表の金津中学の演奏です。
この演奏、とても中学生らしいチャーミングな可愛い演奏ですし、大人の演奏とはちょっと違う
もう一つの「ディスコ・キッド」みたいな可能性も秘めている素敵な演奏なのかもしれないです。


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吹奏楽コンクールの課題曲の「ディスコ・キッド」の中にはエレキギターは含まれていないのですけど、
ドラムスとエレキベースは終始リズムの支えとして大活躍を果たしています。
コンクールでエレキギターを入れるのは昔も今も禁止なのですけど、ポップスコンサートや文化祭等で
ディスコキッドに少しばかりアレンジを施しエレキギターを入れても更にポップな表現になるのかもしれないです。

卯月真中華(うづきまなか)は、東奏学園器楽部でエレキギターを担当している中学3年生の女の子です。

東奏学園器楽部のメンバーにはこの卯月真中華を含めて何人かの中等部のJCさんも入っていて、
そうした中学生組をリードするエレキギターを扱う中学3年生の女の子が卯月真中華でもあれます。
東奏学園器楽部のメンバー最年少の中一の卯月幸は真中華の妹です。
器楽部員で構成されたバンド「フロウライン」のギター担当で地元のライブハウスでは有名人との事です。

フロウラインにはエレキベース担当の高校一年の楓智美がいたりもします。

楓智美はサイドテールがとってもかわいいですけど、卯月真中華はツインテールがとってもかわいいです~♪


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1978年前後のポップスコンサートや学校での文化祭等では、例えば当時の自由曲のスラブ行進曲とか
バッハの小フーガ等を演奏しても聴衆の皆様はみんな眠たそうでしたけど、
楽器編成にドラムスやエレキベースが入ったディスコキッドや78年の課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」や
ピンクレディメドレー~サウスポー・UFO・SOS・渚のシンドバット・ウォンテッド・モンスターや
当時大人気刑事ドラマの「太陽にほえろ」とか当時はまだデビュー間もないサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」などの
曲目だけは聴衆がノリノリだったと思いますし、吹いている方もとても気持ちがよかったと思います。

吹奏楽コンクールでの演奏ももちろん素晴らしくて私も大好きですけど、音楽の本質はやっぱり「みんなで楽しむ」と
いう事なのかもしれないですね~♪


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「ららマジ」においてエレキベースを担当している女の子は楓智美という高校1年生の女の子です!

楓智美は義理人情に厚いやんちゃな性格で、後輩の面倒見も良い情熱的なJKさんでもあります。

吹奏楽コンクールのポップス系課題曲としては、ディスコ・キッドやかぞえうたの他に
ポップス描写曲「メイン・ストリートで」においても、本格的なドラムセットの他に、楽譜の上では
指定楽器の一つとして「エレキベース」もちゃんとあったりもします。
上記で触れたとおり、現在の吹奏楽連盟のコンクール既定ではエレキベース・エレキギターの使用は禁止となっている
のですけど、例えばメリッロのアメリカの騎士とかラムのイーゴル・ファンタジーにおいてエレキベースはかなり効果的に
使用されていますので、エレキベースが使用できないこれらの曲を吹奏楽コンクールにおいては、
本来の響きを味わえないのは少し勿体ない感じもありそうです。





ララマジの中でドラムセットを担当しているのは、洲崎麻衣というボーイシュなJKさんです~♪

身体を動かすことが大好きなボーイッシュ娘で、趣味はスポーツとスニーカー集めであったりもします。

戦闘時においては、ドラムスティック型の2本のナイフを使用していたりもします。

JKさんのドラムス担当というと最近ではバンドリ等ガールズバンドのイメージも強いですけど、
吹奏楽コンクールで軽快にかっこよくドラムスを叩くJCさんやJKさんは惚れ惚れするくらいかわいくすてきなものがあります!

ららマジのメイン舞台の器楽部に在籍しているJCさん・JKさんは30人なのですけど、
そのうちドラムスの洲崎麻衣を筆頭に、カスタネット・トライアングル・シンバル・グロッケンシュピール・和太鼓と
計6人の打楽器奏者が在籍していますので、
ららマジの器楽部のサウンドは打楽器奏者多めということで、リズミカルでノリノリな演奏が期待できそうですね~♪

冒頭で出てきた「ディスコ・キッド」やポップスマーチ「すてきな日々」を洲崎麻衣のドラムスと共に
演奏すれば真骨頂なのかもしれないです!
当ブログの吹奏楽カテゴリにおいては何度となく、元クラリネット奏者の経験に基づいて
「クラリネットはデリケートで大変神経質な楽器で大変扱いも奏でる事も難しい楽器」と記させて頂きました。

オーボエ・ファゴットのダブルリード楽器のリード削り・リード調整は確かに大変で厄介なのですけど、
シングルリードのクラリネット奏者の当時の私の感覚としては、
「オーボエやファゴットも大変だけど、同じくらいクラリネットのリード調整も大変なのかも・・」という感じだったと思います。
当時は毎日毎日リードの調整というか、リードをト草を使って削る事が日課でもありました。
(大学の吹奏楽団でトグサでリードを削ろうとしたら、「トグサを使うなんていかにも田舎者らしい話だね~くすっ・・」と
鼻で当時の上級生のお姉さまたちに笑われたものでした・・
当時は既にリードはトグサではなくてサウンドペーパーを使用する事が主流だった模様です・・)


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リードを削る場合、一番良い方法って何なのでしょう・・?
これはケースバイケースだと思いますし人によってやり方は異なりますので「これが正解!」というのはないと思います。
私の場合、中学から高校あたりまでは「トグサ」を使用していました。
上記で触れたとおり、都内の大学に入って以降は
「そんなトグサみたいな田舎のやり方じゃなくてサウンドペーパーを使ってよね~」と先輩お姉さまたちからご指導を受け、
紙やすりを使用する事になりましたけど、私の感覚的にはトグサの方がやりやすかった印象があったりもします。

そもそも「トグサ」って何でしょうか?

北半球の温帯に広く分布する植物でスギナ(つくし)の親戚で、日本では中部地方より北の山間などに自生しています。
地中には地下茎があり、そこから地上に向けて茎を直立させます。
茎は濃い緑色で表面がザラザラして硬くて中は空洞です。
表面のザラザラを活かして、煮込んで乾燥させた物を薄板などに貼り付け、
ツゲ櫛などの木工品を磨くヤスリとして利用されやすく、天然素材の紙やすりとも言えるのかもしれないです。

私の場合、わざと硬いリードを使用し、吹いている時に
「少し高音が出しにくいというか、音に抵抗感があり引っかかりがあるな」という感覚で吹いた方が
何となくきれいな音が出やすいみたいな感覚がありました。
だから当時、よくバンドレンの4~4.5の硬いリードを購入しそれをトグサや紙やすりで調整するのが
日常のお仕事でもあり息抜きだったような感じもあります。

クラリネット奏者の中には、全体練習中に指揮者から「下手くそ!」などと個人攻撃をされ、
むくれて練習場から憤然と席を立ち隣の楽器置場で「リード削り」をやって時間稼ぎ&自分を鎮めて落ちつかせ
ある程度冷静さを取り戻してから再び練習場に戻ってくるというパターンも結構多かったような記憶もあります。
クラリネットはそうした逃げ道があったのかもしれません。
中にはそのまんま半日以上ずーーーっと無言でリード削りに精を出し、挙句の果てには
そのまんま家に帰った奏者もいたりはしましたけどね・・(汗・・)
それはどちらかというとクラリネット奏者ではなくてオーボエ奏者の方にそうした傾向が強かったような印象も あったりします・・




クラリネットという楽器は5つのパーツから構成されています。

オーケストラの演奏会で、トロンボーン奏者がスライドからツバを抜いている姿が目撃されますけど
管楽器の場合、楽器に唾が溜まってしまいこれを放置しておくと音外し・音の濁りの原因にもなったりしますので
演奏会の本番でも唾を抜くことは仕方が無い事なのです。

クラリネットはそういう訳にはいかないです。

唾を抜くためにマウスピースを一旦外してしまうとピッチ(音程)が狂ってしまい、再度チューニングをやり直す必要がありますし、
本番中にまさかマウスピースを外す訳にもいきませんからね・・
クラリネットの場合、ツバのほとんどは楽器の一番下のベルから、別に何もしなくしてもポタポタと垂れていきますから
演奏中に唾を抜く必要が無いのはありがたいことでもありました。

クラリネットの場合、練習が終わると、楽器のメンテナンスは避けては通れない日課でして、
タンポにティッシュを挟み水分を吸収したり分解した各パーツに対して、
スワブという重しが先端についた紐が付いている厚めのハンカチみたいなもので楽器の内部の管のツバを吹いたりします。
これを怠ったりすると管の中に湿気が発生したり楽器不調を招いたりしますのでこれはサボってはいけないです。

たまにポンコツ奏者が、楽器の中にこのスワブを詰まらせてしまい、抜くに抜けなくなり困っている姿を見た事があります。
クラリネットの内部の管内をよーく覗いてみるとレジスター・テューブが突き出ています。
非常に強い力で引っ張ったり棒のようなもので突き戻そうとすると、このテューブを痛めてしまいますので、
そういう時は楽器屋に持て行かざるを得ないのですけど大抵修理代・メンテナンス代に5000円程度掛ってしまい、
これをやってしまうと、部内の会計担当が
「たたでさえ予算が無いのに・・・これはおまえのミスなのだから自己負担しろ!」
「仕方ないじゃん! そのくらい部費で面倒見てよ・・!」みたいなバトルが勃発していた事もあったものです。





ららマジのクラリネット担当の綾瀬凜は真面目な優等生で後輩からはちょっぴり怖い先輩としても知られています。

真面目な厳格な性格で後輩からは少し怖がられている事を綾瀬凜本人はかなり気にしており、
後輩にやさしく接しようと心掛けていたりもするそうです。

優雅で真面目で完全主義者の綾瀬凛も、その優雅な姿とは異なり、
陰ではそうしたクラリネット特有のリード調整の難しさとかリードミスによる絶叫音に意外と苦労しているのかも
しれないです。

私自身、吹奏楽部に入部しクラリネットを始めた中学一年の時には、綾瀬凜みたいにやさしく接してくれそうなお姉さま先輩は
ほぼ皆無でしたので(汗・・)
ららマジの綾瀬凛みたいなお姉さまに教わればもう少し上達したのかもしれないですね~

あくまで私の一般的イメージですけど、吹奏楽部におけるクラリネット奏者と言うのは、どちらかというと融通が利かない
頭の固い人が多かったような感じもあり、それは男女問わず同じだったような印象もあります。
綾瀬凜のちょっと怖いお姉さま設定と言うのは、むしろクラリネット奏者の気質という感じなのかもしれないですね~♪





キリッ・・!としていて後輩に対して厳しく接する雰囲気の綾瀬凜お姉さまの上記のようなちょっと怒ったような表情も
とてもかわいらしいものがありますけど、
同じパートに自分に厳しすぎる子がいたりするとちょっとつらいものがありそうですけど、ららマジの綾瀬凜みたいな
JKさんだったら、私は喜んで同じパート内で頑張らさせて頂きたいものです~♪

クラリネットを吹く女の子の不器用さ・頭の固さというものはもしかしたら全世界共通なのかも・・?といったら綾瀬凜に
怒られてしまいそうです・・

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