プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「プリキュア」がメインになってしまいました・・・
最近は「東方Project」も大好きです!!
吹奏楽もプリキュアも何か自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在は・・・・ラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です・・・
裏の顔は・・・プリキュアと吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは・・・とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に特に・・・さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さんはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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「サンライズ・マーチ」というと、若い世代の皆様ですと2005年の課題曲を連想され、
私のようにオールド世代ですと、1982年の課題曲を連想するのではないのかなと思ったりもします。
そして中間の世代は1997年の課題曲Ⅰ / ライジング・サン を連想するのかもしれないですね。

厳密に言うと
2005年の課題曲は「サンライズマーチ」
1982年の課題曲は「サンライズ・マーチ」というのが正式タイトルです。

1982年の「サンライズ・マーチ」は、私が高校二年の時の吹奏楽コンクールの課題曲Dです。
余談ですけど、吹奏楽関係者において20世紀生まれと21世紀生まれを見分ける方法の一つとして、
「課題曲をA~Eと呼ぶ方は20世紀生まれの方、課題曲をⅠ~Ⅴと呼ぶ方は21世紀生まれ」というのは
「吹奏楽あるあるネタ」としては鉄板のようですね・・(笑)
ちなみにですけど、課題曲にAとかⅠとか表記自体無い時代に吹奏楽コンクールを経験された皆様は多分御年60以上の
皆様なのかな・・?と思われます・・(汗・・)

1982年当時私達の高校は課題曲にC/アイヌの輪舞を選曲したのですけど、
(私としては出来れば課題曲B/序奏とアレグロは吹いてみたかったですね・・)
同じ課題曲と自由曲ばかり吹いていると結構飽きたりもするもので、そんな時に
よく気分転換の曲としてこの「サンライズ・マーチ」は吹いたものでした。
技術的にも特に難しい部分も無く吹いていても実に楽しくハッピーになれる曲だったと思います。
冒頭のファンファーレ・展開部・トリオ・再現部・エンディングとその構成はまさに吹奏楽コンクールのマーチという感じで、
典型的にわかりやすい吹奏楽コンクールのマーチだったと思います。
激辛講評で有名な音楽評論家の上野晃先生はこのサンライズマーチに関しては「並の普及品」と結構さり気なく
酷評していたのは上野先生らしい話でしたね・・

だけど・・・・

このサンライズマーチですけど、シンバル奏者にとってはかなりプレッシャーがかかる曲だったかもしれないです。

冒頭がいきなりシンバルのffで「バシャ―ン!!」という一撃から開始されるのですから
シンバル奏者にとっては大変神経を使う曲だったと思いますし相当緊張する課題曲だったと思います。
実際、地区予選とか県大会とかで下手くそなチームがこの課題曲Dを選曲し
シンバル奏者がミスったり、しょぼい音を出したり、スカッと空振りに近い音を出したこともありましたし、
ジャーン!!という豪快な音ではなくて「ぼしゃーん」というへんちくりんな音を出したりと
当時は色々と珍演が続出していましたね・・・・(汗・・)

擁護する訳ではないけど、コンクール課題曲で、ソロで開始される曲とか
非常に音が薄く書かれた部分から開始される曲とか弱奏で開始される曲というのはかなり難しいと思いますし、
指揮者にとっても奏者にとっても「やりにくい・・」という感じなのだと思います。
強奏の出だしの場合、正直誰か一人ぐらいミスっても全然ごまかすことは可能なのですけど
ソロとか音が薄いと誤魔化す事自体が至難の業という課題曲もあったと思います。
その意味では、例えば1992年の課題曲A/ネレイデスとか1992年の課題曲B/フューチュリズムとか
1981年の課題曲A イリュージョンとか 1983年の課題曲C/カドリーユとか1988年の課題曲A/深層の祭りとか
1996年の課題曲Ⅰ/管楽器のためのソナタとか2000年の課題曲Ⅲ/胎動の時代の冒頭は
かなり指揮者泣かせでもありましたし奏者泣かせの課題曲の一つだったと思います。

1982年の課題曲D/サンライズマーチは演奏するチームによって表現は全然異なっていたと思います。
例えば亜細亜大学のように豪快で押して押して押しまくる「前進あるのみ!!」の演奏も大変印象深かったですし、
就実高校のように金管ではなくて木管主体の演奏として表現したチームもありましたし、
福岡工大付属高校のように「正統派マーチ路線」みたいなスタイルもありました。

どの演奏もすてきなな「サンライズ・マーチ」でしたけど
就実高校みたいに「爽やかで清楚なサンライズマーチ」も全く別の意味での「新しい可能性」を感じさせる演奏であり
私は今でもこの演奏は大好きですね!
ちなみにですけど、就実高校の村松先生は練習時に、トリオの部分をより奏者にイメージさせるために
「青く光る空~ 輝く太陽」などみたいに歌詞を付けて奏者たちに歌わせていたというすてきなエピソードも
残されています。
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ここ数年は「全日本吹奏楽コンクール」の支部大会・全国大会はライヴ演奏としては全然聴いていません・・(泣・・)

支部大会と全国大会の開催は通常土日開催で、土日祝日が出勤シフトの私にとっては、
吹奏楽コンクールを聴きに行くために有給休暇申請するのがなんか面倒くさいというのもありますし、
私にとって「吹奏楽コンクールの聖地」というと「普門館」というのが定着していて、同時に現役奏者の頃は
「支部大会または全国大会のステージにおいて普門館で演奏する」というのが私の夢でもありましたし、
野球部の皆様が甲子園に憧れるのと全く同じように私にとっては憧れの地でもありましたけど、
その普門館が耐震上の理由からホール使用が不可能になってしまって以降は
「東京都大会や全国大会が普門館で開催されない吹奏楽コンクールは私にとっては吹奏楽コンクールじゃない・・」
みたいな妙な思い入れもあったりしますし、
何よりも最近は出不精とか一日だけで30チーム程度の課題曲と自由曲を延々と聴き続けるという体力はあるけど
その気力と音楽的緊張感と感性を一日キープし続けられる自信があまりないということで
ここ数年ほどは「吹奏楽コンクールを聴きに行く」ということから遠ざかってはいます・・

そうですね・・私が(独身の頃のように)管弦楽団のコンサートを聴きに行ったり吹奏楽コンクールを聴きに行ったりするのは、
私自身が定年退職を迎えてある程度の「自由な時間」を持てるようになって以降の
「将来のお楽しみ」ということにさせて頂きたいと思います・・(笑)
生きる上で一つや二つぐらい「将来の楽しみ」が無いと張り合いも生き甲斐もありませんから、そうした楽しみを自分自身で
持てているという事は私にとっては大変すてきな事のように感じられます。

だけどそうは言っても、年に一度ぐらいは「吹奏楽コンクール」を地区予選・県大会クラスの演奏を聴いておかないと
現在の吹奏楽コンクールのレヴェルというものを肌で実感できないという事もありますので、
毎年埼玉県吹奏楽コンクールと地区大会と県大会は聴くようにしております。
私自身が夏休みの時期に開催されることが多く、しかも私の自宅から歩いて行ける距離に会場がありますので、
大変ありがたいものがあります。
県大会ですと、埼玉栄・伊奈学園総合・春日部共栄・松伏・与野等の全国大会に出場実績のある強豪チームの演奏も
聴けますし、それほど上手くないチームの演奏も聴けますし、
「あと一歩頑張ればもしかして将来的に西関東大会に出場できるのかも・・?」みたいな将来の有望校候補の演奏も
聴けますし、とにかくこうしたヴァラエティーに富んだ演奏を楽しむことができるのは
やはり嬉しいものはありますね!
以前ですと、全出場チームが演奏する多様な自由曲については「知らない曲は一つもない!」と豪語出来ていたのですけど、
最近というか・・ここ数年の吹奏楽邦人オリジナル曲については
「聴いたことがない・・知らない・・」という曲ばかりになってしまい、
さすがに私自身も「いつの間にか私も吹奏楽に関しても時代遅れになってしまったのかも・・!?」とぼやいております・・(汗・・)

さてさて、そうした現在の吹奏楽コンクールり県大会・地区予選の演奏を聴いて感じることは、当たり前の話ですけど、
「自分たちの頃とは比べ物にならないほど演奏技術も表現力の幅も高くなっていて、
今現在の奏者の皆様のレヴェルはとてつもなく高いものがあるし全く文句のつけようがないところまで進化していて凄い・・!
同時に現在の奏者の皆様が使用されている楽器の価格の高さ・性能の素晴らしさは、
1970年代終わり~80年代終わりにかけて私が現役奏者だった頃とは全然違う!」というものでした!

私が中学~高校のころって一学年14クラスとか高校受験の競争率が1.8倍程度というのは普通の事でしたし、
生徒数が多いという事で、学校自体一つの部に対してそれほど予算が回らないので、
吹奏楽部が使用する楽器っておんぼろの使い古し楽器という感じでしたけど、
最近の少子高齢化とか学校の統廃合という事情においては、生徒数も少ないから一つの部に対する予算も回しやすいし、
吹奏楽部としても高価な楽器を以前よりは購入しやすいみたいな事情がもしかしたらあるのかもしれないですね。

そんな訳で私が現役奏者の頃の普通の公立学校が使用している吹奏楽部の楽器は、今現在の視点で見てみると
「ちょっとこれは相当ひどいね・・」という感じのものが結構多かったように感じられますね・・
例えばですけど、貧乏公立学校の吹奏楽部で特に実績とか無い学校においては、
クラリネットの材質が木ではなくてプラスチックであったりとか、
ファゴット・オーボエ・コントラバスクラ・コントラファゴット・コントラバス等の特段高価な楽器が元々吹奏楽部に存在しないとか
チューバがロータリー式ではなくて昔ながらのピストン式であったりとか
色々とあったとは思います。
そしてその中でも特に印象的だったのは、ホルンという金管楽器を所有せずその代用品としてホルンより価格が安い
メロフォンという楽器を使用したり、ティンパニがペダル式ではなくて銅製ケトル製の手締め式ティンパニであったりとか
ひどい場合は、手締め式でも銅製ケトルすらも購入できずいかにも安っぽいプラスチック製の手締め式ティンパニを
使っていたチームも当時は結構あったと思います。
酷い場合ですと、チューバすらも所有していなくて代用品としてチューバよりもはるかに金額が安いマーチング用の
スーザフォンを使用している事例もあったものでした。
吹奏楽部の部員が極端に少ない場合は、フルート奏者が突然ステージ最後列の打楽器セクションに移動し大太鼓を叩くとか、
上記で出てきたメロフォン奏者がトランペットと一人二役で持ち替えをしたり、
そういった苦肉の策みたいな事例もあったりしたものでした。













ちなみに上記が「メロフォン」なのですけど、
普通の「ホルン」が、ロータリー式のバルブを左手で操作するのに対して
メロフォンは、トランペットみたいな「ピストン」を右手で操作するのが最大の違いだと思います。
右手操作という事でメロフォンは構えるとベルがホルンとは逆向きになります。
メロフォンはピストンを右手で操作できるのと軽量なことから、
ホルンを始めて間もない小中学生の負担を軽くするために重宝されたと思われます。
価格もホルンより安いので、学校の備品としてもありがたられたのかもしれないですね。
メロフォンの音色はフレンチホルンに比べてやや明るくあっさりとした感じで、
吹奏楽・マーチングバンドでもっぱら演奏されるポップスやマーチに向いているのかな・・?みたいな印象もありますね・・
反面、ホルン特有の重厚な響きはないので管弦楽曲には向かず、
プロアマ問わずオーケストラで使用されることは100%無いと思います。

それと上記で書いた通り右手使用という事でマーチングの際には大変重宝された楽器だったような印象もあります。

メロフォンとホルン更なる違いとして違いは、バルブを操作しない方の手の使い方にありまして、
ホルンの場合、右手はベルの中に深く入れ音程や音色の調節に使います。
楽器も手を深く入れた状態で正しい音程が取れるように設計されています。
一方メロフォンの場合、左手はベルの中に入れず、ベルのふちを持ち、
楽器もベルに手を入れない状態で正しい音程が取れるように設計されているのがホルンとの違いなのだと思います。

だけど1980年以降、このメロフォンは段々見かけなくなりましたね・・・
吹奏楽コンクールにおいては、ホルンだけを使用し、メロフォンを使用するチームもほとんど見かけなくなり、
メロフォン自体が既に「絶滅楽器」の様相を呈しているような気もします。
使用されている数少ない例としてはマーチング程度だけだと思われます。





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現在のティンパニ奏者が使用するティンパニは、足元のペダルで音域を調整するペダル式が主流と言うのかほぼ全てであり、
手締め式ティンパニを使用している吹奏楽団や管弦楽団は今現在ではほぼ無いと思いますし、
手締め式ティンバニも吹奏楽コンクールで目にする事は最近ではほぼ無いですね。
事実、最近私が聴いた埼玉県大会や地区予選でも打楽器セクションで手締め式ティンパニを使っているチームはゼロでした。

ちなみにですけど、上が手締め式で下がペダル式のティンパニです。

手締め式ティンパニーを吹奏楽コンクールの全国大会で見たのは、
1984年の学業院中学校と1987年の安芸中学校が最後だったのかな・・?
(これに関しては全然自信がないですし、断言はできないと思います・・)

1970年代の終盤頃までは、 ティンパニについては手締め式が主流で、
ペダル式ティンパニを揃えている学校にお目にかかると 「わー、すっげー、金持ち学校・・!!」なんて
羨望の眼差しで見ていたものです。
手締め式の場合、 ティンパニ奏者はチューニングは大変そうでしたね・・
吹奏楽コンクールの場合、課題曲と自由曲がありますので、課題曲と自由曲では使用する音程が違っていましたから
課題曲終了と同時に、手でネジみたいなものを廻して音程を変更していましたから奏者は大変だったと思います。
私が中学の頃でしたけど、課題曲と自由曲を合わせると12分という制限時間スレスレという年の場合、
課題曲が終わって自由曲に入る時間を少しでも短縮するために
ティンパニー奏者に対して 指揮者の先生が
「課題曲が終わった後、この台はネジを何回回せばこの音程になるという事を全ての台において体に覚え込ませておけ!」
といった無茶振りをされていたのが 何か妙に印象に残っています。

私自身、高校に入学以降も学校が県立の田舎の貧乏学校のため、
ティンパニは3台しかなく、2台が手締め式、1台がかろうじてヤマハの一番安いカスタムシリーズでしたが、
大抵ティンパニーは4台一組のため、一台足りず、
毎年毎年他校に頭を下げて余っているティンパニを借りたものです。
その都度吹奏楽部の顧問に「借用書」を書いて貰ったのですけど、 その顧問は音符すら一つも読めない先生だったものでして
(私の高校の母校は音楽の先生がいないせいもあり毎年部員の中から指揮者を選出していました・・)
毎回毎回判で押したように 「チンパニーをお借りします」という文面になっていて
借用書を提出するのがなんか恥ずかしかったのですけどね・・・ (汗・・)

でも手締め式が主流の1960年代のティンパニー奏者の苦労は大変なものがあったと思われます。
非常に古い話ですが、 1960年代に島根・川本高校が
全国大会で自由曲にコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」を選び、
(この組曲のⅣの「合戦とナポレオンの敗北」の場面で、ティンパニーは微妙に音程をスライドさせる
 場面があるから、手締め式ティンパニ使用の場合はある程度の台数は必要だと思われます)
ティンパニーを8台使用したらしいのです。
だけど後日のBJの講評では
「この曲でティンパニーを8台も使用する必要は絶対に無く無駄である」と手厳しくコメントされていましたけど、
手締め式の奏者の苦労を考えると、 何もそんなにむきになって批評しなくてもいいのになんて
思ってしまいますね・・(汗・・!)

時代が進展し、手締め式ティンパニーと言ったとしても現役の若い奏者の皆様は多分全然ピンとこないでしょうね。
ティンパニの扱い方も時代と共に進歩し、 例えば西村朗は、ティンパニー協奏曲を作曲した際に
奏者にバチ代わりにマラカスを持たせて、
マラカスと音とティンパニーの音を両方同時に出させる演出なんかもしています。
あ、だけどこの奏法は
1984年の課題曲A「変容-断章」でも池上敏が使用していましたね・・・

最近の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は、マーチもマーチ以外の書下ろし曲も、内容的にも技術的にも
大変高度なものになり、そのレヴェルの向上には目を見張るものがあると思います。
聴いていて「この曲、聴くのも嫌だ・・・」というのが少なくなっているのは大変素晴らしいですね!
私が高校生の時の課題曲の一つであった1982年課題曲A「吹奏楽のためのカプリチオ」は、本当に
歴代課題曲の中でも確実にワースト3に入れる駄作だと思います! (汗・・)
何であんな何の中身もない曲が公募として選ばれたの今でも不思議で仕方ないです・・

あくまで私個人の感想ですけど、86年/嗚呼! 89年/風と炎の踊り 91年/斜影の遺跡
94年/雲のコラージュ 96年/般若 96年/交響的譚詩 00年/をどり唄は苦手の部類に入ります・・(汗)
特に94年のあの伝説の異常に課題曲の演奏時間が長かった年においては、かなりのチームが「雲のコラージュ」を
課題曲に選んでいてあの課題曲を聴く事は私にとっては苦痛でした・・
(福岡工大付属・札幌白石・浜松交響などのように上手なチームが演奏すると全然苦痛に聴こえないのは不思議です・・)
そしてその最たるものは1996年の課題曲でしたね。
あの年の課題曲ⅠのソナタとⅡの般若とⅤの交響的譚詩は苦痛を通り越して「聴くだけで拷問」状態でして、
特に課題曲Ⅴの「交響的譚詩」は今でも大嫌いですし、冒頭を聴いただけで虫唾が走りそうです・・
この課題曲は感覚的には「生理的に受け付けられない・・」というレヴェルの課題曲でもありました・・(汗・・)
だけどこの課題曲Ⅴ/交響的譚詩は、この年の課題曲の一番人気で、出場チームの大半がこの課題曲を演奏していましたけど
「吹奏楽コンクール大好き!」の私ですら、1996年の吹奏楽コンクールはほとんど記憶に無いというのは
この課題曲の存在がほぼ全ての理由といっても過言ではないと思います・・

中には、1990年のように課題曲AからDまで全て名曲揃いという素晴らしい年もありましたね!
(特にランドスケイプとカタロニアの栄光は本当に大好きです!!)

長い吹奏楽コンクールの歴史の中では、かなり不人気な課題曲があったのも否定しようも無い事実でしたね。

少し振り返ってみると・・

1975年

中学の部以外は、課題曲CとDの二曲から選曲しなければならなかったのですが、
高校の部では、課題曲Dを選んだチームは一つもありませんでした。
演奏団体が全て同じ課題曲というのは、審査員にとってはやり易かったのかもしれないですね。
課題曲Dはポップス系だったから、敬遠されたのかもしれないです。
(一般の部・職場の部ではこの課題曲Dは普通に選ばれていましたので、高校の部におけるあの不人気ぶりは
少し気の毒でもありました・・)

1979年

この年は「フェリスタス」という素晴らしい課題曲のせいか、マーチの二曲が不人気という意外な年でもありました。
Eの「朝をたたえて」は、確か阪急と伊丹東中だけしか演奏されていなかったのは意外な感じもあります。
Dの「青春は限りなく」は、高校の部では、福岡工大付属だけというのもこの課題曲自体の出来は決して悪くないだけに
やはり少し気の毒な感じもあります。
(レコードの高校の部の課題曲編における課題曲Dの演奏は、銀賞にもかかわらず福岡工大付属でした・・)

※当時は、現在のCDのように課題曲・自由曲両方の演奏は収録されず
 課題曲は、金賞の中から一団体程度、課題曲編という形でしか収録されていませんでした・・・

1983年

阪急とか嘉穂高校のように課題曲にマーチを選ぶ事が多いチームですら
課題曲Dの「キューピットのマーチ」は避けていましたね。
全国大会では、この課題曲Dは、青森県信用組合と長岡吹のみ演奏しています。

1985年

課題曲Cの「シンフォニックファンファーレとマーチ」を選んだチームは極端に少なかったですよね。
この課題曲での金賞受賞はゼロだったというのも意外です。
この曲を選んだブリジストンタイやもこのチームらしくない冒頭のファンファーレがスカスカの演奏で
当時は驚いたものでした。
だけどこの課題曲においては、チューバのソロという大変珍しい見せ場も用意されています!
課題曲のNo.1は、間違いなく雄新中学校だと思います。
(自由曲のこうもり序曲と合せて、どうしてあの演奏が銀賞なのかいまだに理解できないものがあります・・)

1987年

A(風紋)とE(マーチ「ハロー!サンシャイン)に人気が集中し、B~Dは気の毒なくらい
不人気でしたね。
高校の部では、Bの渚スコープは関東代表のチームだけ
Dは淀川工業のみ
Cは下松だけでしね・・・

1989年

課題曲C/爽やかなれ、清らかなれが圧倒的に不人気課題曲でした!
この課題曲を演奏したのは、阪急と茨城大学のみでした。
作曲者の別宮貞夫先生は、クラシック音楽作曲の重鎮の大先生でしたけど、
吹奏楽コンクールでは人気なしというのも興味深いものを感じます。
(別宮貞夫と並んで重鎮の間宮芳生の課題曲は、カタロニアの栄光を含めて今でも人気と評価が高いのとは極めて
対照的でした!)
別宮貞夫は、当時中央大学の大学教授も務められていましたけど、お膝元の中央大学の吹奏楽団からも
この課題曲C/爽やかなれ、清らかなれは課題曲として演奏されることはパスされていたのも
なんだか皮肉なものを感じたりもします・・
この年の中央大学は「この年に全国大会で金賞を受賞すれば、悲願の5年連続全国大会金賞を達成」という年でも
あったのですけど、全国大会に出場どころか都大会銅賞という結果に終わった事は、
当時一部で「あれは別宮先生の課題曲を選ばなかった呪いだ・・」みたいな事も言われていたのは、
今となってはなんだか懐かしいお話でもありました。

だけどこうした「不人気課題曲」が出てしまう事はある意味仕方のない事なのかもしれないです。
全ての年で全ての課題曲が「当たり」という事を期待する事にもしかしたら無理があるのかもしれないですね。

とにかく今後も素晴らしい課題曲が出てくるのを期待しています!

だけど長い吹奏楽コンクールの歴史の中で「これぞ最大かつ究極の不人気課題曲」というものが実はあったりもします。

それが1978年の課題曲B/カントという曲なのです!

1978年の課題曲は、極端に課題曲Aにばかり人気が集中する結果になってしまいました。
吹奏楽連盟は、当時の吹奏楽オリジナル曲としてはかなりの人気を誇っていたジェイガーとマクベスという
二人の巨匠に吹奏楽コンクール課題曲を委嘱したものの、その結果は、
なんと、マクベスの課題曲B/カントは、全国大会で演奏したチームは全部門を通して0チームという結果になってしまい、
「歴史に残る人気の無い課題曲」となってしまいました! (汗・・!)
支部予選でもカントはほとんど演奏されませんでしたし、
聴いていても「さくら、さくら」がやたら引用される何を言いたのかさっぱり分からん曲・・・という感じでしたから
人気が無いのは仕方が無かったですね・・・・
当時の吹奏楽連盟としては、
「マクベスという大先生に恥をかかせてしまった!」みたいな「やっちまった感」はかなりあったのかもしれないですね。

この年の高校の部は、22団体中、実に18チームがこの「ジュビラーテ」を選んでいました!

あまりにもAのジュビラーテに人気が集中し過ぎるせいで
A以外の課題曲Cとか課題曲D/行進曲「砂丘の曙」を選ぶチームも少なくとても気の毒な感じもしました。
課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、もしも他の年ならばもう少し取り上げるチームも増えただろう事を考えると
勿体無い気はいまだに感じたりもします。

ちなみにですけど、1978年の全国大会にはジェイガーとマクベスも招待されていたと聞いたことがありますが、
ジェイガーは「してやった顔!」という感じで、
マクベスは「ジェイガーにこんなにも差を付けられてしまった・・」みたいな不本意感はあったのかもしれないですね・・
日本においては古今東西より「かぞえうた」みたいなものが民謡・流行歌のような形で庶民を中心に
歌われてきたと思うのですけど、私的には「ひとつとせぇ~」といったフレーズのかぞえうたを聞くと、何となくですけど
この親しみやすさのゆえに「なつかしいなぁ・・」と感じますし郷愁みたいなメランコリーみたいなものを
感じたりもします。

日本における「かぞえうた」とは、古くは降神の儀式の際の呪言として用いられたと言われていますけど、
東方Projectの世界でも博麗神社のすてきな巫女さんでもある霊夢がたま~にですけどそうした降神の術を使っていたりも
しましたけど、同じく降神の術を使っていた綿月依姫と合わせても、そうした「かぞえうた」のような祝詞・呪言は
使っていなかったと思います。
そうした降神の儀式での呪言自体、幻想郷でも外界でも既に使用されなくなりつつあるという事なのかもしれないですね。

日本における「かぞえうた」は、言葉遊び的な要素もある思います。
たとえば一をひとつと読むのを人という言葉に置き換え押韻し、歌詞を紡いでいくという手法もありますし、
そうした韻を踏むような高度なものではなくて、数をリズムよく数え上げるための歌として親しまれている手法もありますし、
後者の場合は童歌として歌われた場合、手毬・御手玉・羽根突と組み合わされて日本各地に広まっていったようにも
思われます。
そしてこうしたかぞえうたは時代と地域を超えて庶民を中心に歌われ継がれていき現在に至っていると思いますし、
そして現代では現代に合わせた形のこうしたかぞえうたがあるのかなぁ・・とも思ったりもします。

こうした「かぞえうた」の一例として幾つか記させて頂きますと・・・

1.いちじくにんじん

「いちじくにんじん」は、手まり歌、羽子突き唄、おはじき歌などとして古くから親しまれてきた日本のかぞえうたです。
1はイチジク、2はニンジン、3はサンショウ(山椒)、4はシイタケ(椎茸)といったように、
数字の読みと語頭が一致する名前の食材や植物などが順番に歌い込まれていく典型的なかぞえうただと思うのですけど、
この中で歌われる食材や植物の中には、普段あまり聞きなれないものもいくつか登場するのが大変興味深いものが
あると思います。
例えばですけど「むくろじゅ(無患子)」とは何なのかと言うと
ムクロジ科の落葉樹で、果皮には多量のサポニンが含まれ、かつては石鹸として洗濯などに珍重されていたそうですけど、
現在ではあまり馴染みがないですよね・・
「はつたけ(初茸)」は、特に関東圏で親しまれていた食用キノコの一つで、
炊き込みご飯にしたり、味噌焼き・しょうゆ焼き、吸い物や煮物など、幅広い料理法で食されるそうですけど、
私もこの食材見た事も聞いた事もないですね・・

2.いっぽんでもにんじん

これは昭和の頃にかなり流行りましたね!
このかぞえうたをご存知の方は立派な昭和育ちと言えるのかもしれないですね・・(笑)
歌っている方は今現在も大活躍中であの「胡散臭さ」がいい味を出しているはなぎら健壱でしたね!
ちなみにこの歌は、昭和の頃の一大流行歌となった子門真人の「およげ!たいやきくん」のB面の曲でもありました!
というか、レコードだのB面だの言われても平成世代の皆様は「なにそれ・・!?」という感覚なのかも
しれないですね・・(汗・・)

一本でも 人参
ニ足でも サンダル
三そうでも ヨット

一本・二足・三艘…と物の数が1つずつ上がると共に単位も変わる巧妙な歌詞は、子供だけでなく大人にも
大うけだったと思います。
およげ! たいやきくんと山口さんちのツトムくんとかいっぽんでもにんじんは、当時小学校の管楽器クラブに所属し
パーカッションを担当していた私も、発表会とか学芸会で何度か演奏した記憶があります。

3.大ちゃん数え唄

これはアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌でして、
軽快なアレンジのかぞえうたとして、アニメソングとしては今も不動の人気曲だと思いますし、この曲は今現在でも
カラオケ店の曲のメニューの中にもごく普通に入っています。
当時これを謳われていた吉田よしみとは現在の天童よしみです!
天童よしみは当時16歳で、この歌がデビュー曲とのことです。

一つ人より力持ち
二つふるさとあとにして
三つ未来の大物だ

この歌詞はかぞえうた形式になっていてとっても親しみやすかったですね!

4.ハゲの歌

埼玉県の某・元国会議員先生のあの「このハゲーー!」によってハゲという言葉は随分と今年は光が
当たったものですね・・(苦笑・・)
だけどそうしたハゲに関する数え歌が、なんとあのボーカロイド楽曲にあったりもします。

初音ミクが歌っている「ハゲの歌」がそうなのですけど、三つ、三日月ハゲがある~というように
ハゲに特化した歌詞のこのボーカロイド楽曲も、よく考えれば数え歌なのでした(笑)

5.1970年代に流れていたパロマの炊飯器のCM

1970年代の日曜の昼間の時間帯に放映されていた「家族そろって歌合戦」という番組の中で
頻繁にパロマ炊飯器のCMとして流れていて、これがかなり長大な「かぞえうた」みたいな感じだったと思います。
一番最後の歌詞が「十でおしまい、鶏のメシ~」となっていて、ここでアニメのニワトリがぐわっぐわっと大騒ぎし、
「やっぱりやめてぇ~、とろろめし」というオチで終っていたと思います。

八はやっぱり パロマのご飯
九でクリクリ 栗の飯~
十でおしまい 鶏の飯~~
 
やっぱりやめて とろろ飯~~~
ご飯炊くなら パロマだよ~~~♪

うーーむ、このほのぼの感はやっぱり「昭和のCM」そのものであり、昭和レトロですね! (笑)

「やっぱりやめて」でホッ・・としてニコニコするニワトリがとっても可愛かったのが大変印象的でした! (笑)


さてさて、こうした「かぞえうた」ですけど、これがなんと全日本吹奏楽コンクールの課題曲でも
このすてきな素材が使われていた事もありましたね!

1978年の吹奏楽コンクールの課題曲は4曲ありましたけど、
極端なほど課題曲A/ジュビラーテに人気が集中していました。

あまりにもAに人気が集中し過ぎるせいで
A以外の課題曲Cとか課題曲D/行進曲「砂丘の曙」を選ぶチームも少なく
何か気の毒な感じもしました。
(課題曲B/カントにいたってはなんと全国大会では演奏団体ゼロです!)
課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、もしも他の年ならばもう少し取り上げるチームも
増えただろう事を考えると何か勿体無い気はしますね・・・

この課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、日本の古き民謡というか童謡の「かぞえうた」をベースにしています。
最近では、ミスチルとかポンキッキーとかみんなの歌とか色々とアレンジされているみたいですね。
何か私は、「かぞえうた」というと、やはり
「ひとつとーせー」みたいな歌詞が思い浮かびますし、上記で書いたようないなかっぺ大将とか
いっぽんでもにんじんの方がより親しみやすさを感じたりもします。

この課題曲は、楽譜の指定上では、エレキベースとかドラムセットが使われていますけど
実際のコンクールでは、エレキベースは使用されたのかな・・・??
自衛隊の演奏では、この曲を聴くとバンバンエレキベースが響いていますけど
当時のコンクールの実況録音を聴いても、ベースの音は感じないのですね。
この課題曲はポップス調なのですけど、出だしは意外にゆったりとした感じから開始されます。
コルネットのソロが実に渋いのが大変ポイントが高いと思います。
全体として「かぞえうた」の「ひーとつとーせー」のフレーズが結構頻繁に引用されますし
ドラムがかなり活躍しているのが印象的です。
とてもコンクール課題曲とは思えないほど楽しさが溢れていますし、
楽しいだけではなくて、何か大人の風格と言うか「大人の洒落っ気」みたいな要素も感じたりします。
作曲者の岩井氏は、この課題曲以外にも
1972年の「明日に向かって」とか76年の「メインストリートで」とか89年の「すてきな日々」みたいな
楽しい課題曲を後世に残してくれていますが、
このポップス変奏曲「かぞえうた」ほど洒落っ気というのかお茶目な要素を感じる曲はないですね。
本当に素晴らしい課題曲だと思いますし、後世に受け継がれていき演奏され続けて欲しい曲の一つだと思います。

1978年というと、私自身、中学に入学し吹奏楽部に入部し、
少しは楽器が吹けるようになった6月頃、初めて全体合奏に参加した曲が
実はこのポップス変奏曲「かぞえうた」だったのです。
だからその意味でも、なつかしい曲ですし、この曲を聴くたびに
楽器を初めて間もない頃の不安感とか楽しさとか当時の事が頭に思い浮かびますね・・・
だけど、結局当時の吹奏楽部の顧問が、
「いやいやコンクールの課題曲にこうしたふざけた曲は相応しくない・・・」と洒落が分からない事を
言い出し、結局課題曲はAのジュビラーテに変更したため
この素敵な課題曲でのコンクールデビューは幻となってしまいました・・・
この年の自由曲は、チャイコフスキーの「スラブ行進曲」でしたので
ジュビラーテと合わせて、初心者には辛いつらい選曲だったと思います。

このポップス変奏曲「かぞえうた」には、素晴らしい名演が残されていますね。
断トツなのは、やはり瑞穂青少年吹奏楽団だと思います。
この演奏は、正直プロ顔負けの演奏ですし、今聴いても色褪せることがない素晴らしい歴史的名演です。
だけど瑞穂にとってはこれが最後の全国大会になってしまい、とても惜しまれるものがあります。
他にはブリジストン久留米の大人っぽい演奏も印象的ですね。
中村学園もこの年全国初出場でしたけど、課題曲はこのかぞえうたでした。
この中村学園の課題曲の演奏を聴くと分かるのですけど、
前半部分のゆったりとした長いフレーズで、ブレスごとに奏者全員の「すーーーっ」という呼吸音が
はっきりと録音にも残っています。
なるほど、「腹式呼吸」の大切さを説いていた中村学園の松澤先生らしい演奏ですね・・・(笑)
全日本吹奏楽コンクールにおいては、ピアノ・ハープ・声・歌詞を伴わないスキャットの使用はオプション扱いという事で、
原則的に使用する事は可能です。
今現在は規定により使用不可能ですけど、1980~90年代においてはヴァイオリン・ヴィオラ・チェロといった弦楽器を
管楽器編成の中に加えてもよいという大変おおらかな規定が認められていた時代もあります。

だけど実際問題、吹奏楽コンクールにおいてはヴァイオリン・チェロ等が目立って使用されていた事例は意外にも
それほど多くなかったような気もします。
というか、管楽器+打楽器という吹奏楽編成に弦楽器を加えてしまうと
「それって管弦楽と大して違いがないじゃん!」みたいな感じにもなってしまいますし、吹奏楽の指揮者・指導者の皆様は
管楽器には精通されていても弦楽器までは専門的にはよく分からない・・という人も多かったはずだから
「別に吹奏楽の編成にあえてわざわざコントラバス以外の弦楽器を入れなくてもいいじゃん」という感じだったのだと
思います。

吹奏楽コンクールで弦楽器が効果的に使用された事例としては・・

1.1982年の仙台第一高校

  グローフェの組曲「グランド・キャニオン」のⅢ.山道を行くの冒頭部分にてヴァイオリンを伴奏無しの完全なソロとして
  使用していたケースが最も効果的な演奏だったと思います。
  仙台第一は、県大会と東北大会ではほぼ完璧で感動的な演奏を謳い上げていたのに、
  全国大会ではそのヴァイオリンソロを含めて凡演で終わってしまい、
  結果的に私としては
  「全国であんな演奏するのだったら、花輪高校のウォルトン/交響曲第1番終楽章を普門館に響かせて欲しかった! と
  いまだに思い続けています・・

2.1996年の伊奈学園総合高校

  こちらは自由曲の交響詩「英雄の生涯」にてチェロをかなり効果的に活用していたのが大変印象的でした。
  チェロ奏者もたしか普門館のステージ最前列に近い位置で奏でていたような記憶があります。

さてさて、吹奏楽コンクールなのですけど、規定においては原則として「声」の使用は限定条件ですけど
使用する事自体は可能です。但しコーラスとかいわゆるコーラスとか歌唱のように歌詞を伴うのは不可です。
歌詞を伴わないいわゆる「スキャット」であれば声の使用はOKとなっています。

全日本吹奏楽コンクール・全国大会にて初めて「声」が使用された事例として、
1976年の倉敷グリーンハーモニー吹奏楽団の岩井直溥作曲の「あの水平線の彼方に」がもしかして
一番最初なのかもしれないと思います。
(この点に関しては少し自信がないです・・もしかしたら76年以前に声を使用した自由曲があった可能性も
あるのかも・・?とも思ったりもしています)
岩井直溥というとポップスの大御所の先生とか「三角帽子」等の吹奏楽アレンジャーという印象も強いのですけど、
「あの水平線の彼方に」みたいな吹奏楽オリジナル曲をたまに作曲されていたりもします。
岩井直溥のそれ以外の曲としては道祖神・渚の詩・民話的詩曲もあったりしますけど、岩井直溥というと
誰が何と言ってもポップス変奏曲「かぞえうた」とかポップス描写曲「メインストリートで」とかポップスマーチ「すてきな日々」
などといったあの一連のポップス系吹奏楽コンクール課題曲の方が大変強く印象に残っています!
「あの水平線の彼方に」ですけど、
海をイメージした大編成の曲で、当時としては珍しいハープが吹奏楽オリジナル作品として入っています。
ラストのほうでは、奏者たちのヴォカリーズ(歌詞なしの歌声、つまりスキャット)も入ってきて
「声」入りの吹奏楽曲としては、やはりこの曲が先駆的というかもしかしたら日本で一番最初の吹奏楽作品ではないのか・・?と
思っています。
参考までに「あの水平線の彼方に」は岩井直溥の作品としては全国大会で唯一演奏された曲であったりもします。

77年の課題曲C「ディスコ・キッド」は序奏の後、「ディスコ!」と掛け声が掛かる演奏も一部にあったようですけど、
あれはあくまで自発的なもので決してスコアに書いてあるとか作曲者の指定という訳では無いようです。
(実際、ディスコ!と掛け声が掛からない演奏の方が圧倒的に多いと思います)
中には亜細亜大学のように盛大にほぼ全員で「ディスコ!」という掛け声が掛かり、
なおかつクラリネットのソロが終わった辺りで 「オーオー」という謎の奇声が入っていましたけど、
あれは一体何だったのでしょうか・・? 偶発的アドリブなのかな・・?

課題曲に声を入れた例として、他に印象に残っているのは
95年の浜松交響吹奏楽団のように、課題曲Ⅳ「雲のコラージュ」の終盤にヴォ―カリーズを入れていた事例も大変印象的です。
この「雲のコラージュ」は作曲者の指定により、別に楽譜通り演奏する必要もないし、楽譜に指定されている楽器以外の
ものを自由に使用して構わないという大変おおらかな曲で奏者と指揮者の自発性に全てを委ねた課題曲なのですけど、
浜松交響はラスト近くのコラール部分にヴォ―カリーズを入れていたのが大変斬新だったと思います。
あの演奏は見事な演奏で、退屈で冗漫な演奏の多かった「雲のコラージュ」の
演奏としては、トップクラスの演奏だと思います。

自由曲となると色々ありますね。

少しだけ例を挙げてみると・・

〇1989年/間々田中学校
  →「シバの女王ベルキス」の第四曲「狂宴の踊り」のトランペットソロの部分を女声スキャットで代用する

〇1996年/東海大学第一高校
  →スミスの交響曲第一番「神曲」~地獄篇で、足踏みと呻き声を曲中に取り入れ、相当の効果をあげていたのが
    大変印象的でした!
   打楽器奏者の苦悶の表情を浮かべながらの鎖をステージ床に叩きつける演出も見事でした!

〇1993年/都立永山
→「この地球を神と崇める」のⅢ.終章~エピローグにて「This Beautiful Earth」のつぶやき声を
   かなり効果的に使用していたと思いますし、曲のラストで一人の女子生徒による消えるような「 Beautiful Earth・・」の
   つぶやきがとても強く印象に残っています。

〇1999年/都立片倉
  →「シャカタ~歌によって世界はつくられた」を自由曲として取り上げていますけど、これはちょっと反則だと思います!
    これは吹奏楽作品というよりはスキャットを全面に出したという印象が大変強く、
    普門館のステージで生で聴いていても「これは吹奏楽作品ではないし、スキャット作品みたいなもので
    純粋に管楽器の技量のコンクールの曲としては果たしていかがなものか・・?」みたいな疑問すら感じていたものでした。

他には、1998年の文教大学が悪い意味で印象に残っています。

アーノルドの序曲「ピータールー」の後半部分にヴォ―カリーズを取り入れている事自体大変違和感がありましたけど、
アーノルドの交響曲第5番に別に原曲自体に声が全然入っている訳でも何でもないのに
なぜか第二楽章において唐突にヴォ―カリーズを入れてきてこれは正直ピータールー以上に
かなりの違和感があったと思います。
何か余計な添加物を入れているような印象があります。
また交響曲第5番も本来は、終楽章は静粛にに閉じられるのに
文教大学のアレンジでは、なぜか威勢よく終わるように改作(改悪・・?)されています。
コンクールですのでラストは派手にffで終わらせたい気持ちや意図はなんとなく理解できなくもないのですけど、
これはさすがに作曲者に対する越権行為どころではなくてアーノルドに対する侮蔑的みたいなものすら
私には感じられたものでした・・・(汗・・)

最後に、吹奏楽オリジナル曲で盛大に「声」が効果的に使用された素晴らしい最高の作品としては
ホルジンガーの「春になって王たちが戦いに出向くに及んで」なのだと思います!!

曲は色々魅力が尽きない曲ですし、視覚的にも聴覚的にも飽きがこない作品だと確信しています!
多彩な打楽器、金管群の高音域の咆哮、声を効果的に使用など
色々な意味で聴きどころ満載だと思います。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」も、冬の間の鬱屈したモヤモヤしたものを
吹き飛ばすエネルギー感に溢れた曲と思いますが、
ホルジンがーのこの曲も、「春」のドキドキ・ウキウキ・ワクワク感を見事に実に巧みに
管楽器と打楽器と声で表現していると思います。
この曲の最大の持ち味は、その野性味あふれるダイナミックスさというのか
「生命感」が漲る「人間が本来有している本能の雄叫び」みたいなものがあちこちからこだましているようにも
聴こえます・・
とにかく、この曲の持つ圧倒的な「パワー」にはひたすら脱帽するのみ・・という感じですね!!

それとこの曲のそれ以外の特徴としては、とにかくホルンパートが極めて難易度が高いという事だと思います!
あれは完璧に「ホルン殺し」だと思います。
C.スミスの大人気曲/ダンス・フォラトゥーラが「トランペット殺し」ならば、
ホルジンガーのこの曲は、とにかく「ホルン殺し」ですね!!
とにかく、あのホルンの技術的難易度の高さ、特に特にあの超高音域・・・・
この曲を吹くことになったホルン奏者は「ご愁傷様でした・・・」と声を掛けてあげたい気持ちで一杯にもなりそうです(汗・・)
V.ネリベルの「トリティコ」という吹奏楽オリジナル曲ですけど、
ネリベルと言うと、どうしても交響的断章・二つの交響的断章・フェスティーヴォ・
アンティフォナーレといった作品が有名という事もあり、「トリティコ」の知名度はそうした曲の中にあっては
どうしても霞んでしまうのかもしれないですね。
「トリティコ」はネリベルにとって比較的初期作品という事もあり、吹奏楽ファンでもそれ程知名度が高い曲では
ないのかな・・?と思ったりもしますけど、初期作品のネリベルの作品として、例えば、コラール・エスタンピー・プレリュードとフーガ
などの作品もトリティコと合わせてなんとか忘れられずに次の世代の皆様に受け継がれていってほしい曲でとも
思ったりもします。
そうそう、ネリベルの初期作品として「シンフォニックレクイエム」というとてつもない大作があり、
ピアノ2台、打楽器8人、バリトン歌手を含む巨大編成が大きな特徴でもあるのですが、
(バリトンが登場するのはフィナーレの第四楽章のみです・・)
ネリベルの大作というと「復活のシンフォニア」の方が有名なのかもしれないですけど、この「シンフォニックレクイエム」の方にも
少しは注目が集まって欲しいなぁ・・とは実はかなり以前から感じていました。
というのも、この「シンフォニックレクイエム」はほとんど演奏されないし、レコード化・CD化がほぼ皆無という事で
まさに「知る人ぞ知る幻の大作名曲」というウルトラマイナー的扱いなのは「もったいないなぁ・・」と感じたりもします。

だけどトリティコも「シンフォニックレクイエム」と大して変わりがないくらい、知名度は低い曲なのかもしれないですね・・

救いはシンフォニックレクイエムが吹奏楽コンクールで演奏されたことは多分一度も無いと思うのですけど、
トリティコの方は全国大会では4回演奏されていますし、最近でも細々とではありますけど、
吹奏楽コンクールの自由曲として選ばれ続けているのは、ネリベル大好きの私としては、大変ありがたい話だと
思っています。
北海道の旭川大学高校は、北海道大会B部門において、ネリベルの交響的断章・二つの交響的断章・アンティフォナーレ
といった「ネリベル三部作」を自由曲として選んでネリベルファンを歓喜させたのみに留まらず、
トリティコ・復活のシンフォニア等のネリベル作品も積極的に取り上げ、そのうち何回かは道内代表として
東日本大会にも出場を果たされていますので、指揮者の先生の「ネリベル愛」には頭が下がる想いで一杯です!

「トリティコ」は確か、「三つの宗教的絵画」という副題があったような気がします。
確か私の記憶では、三枚の絵画にインスピレーションを得たネリベルが三楽章の曲を書いたというのがこの曲らしい
のです。楽章ごとに特にタイトルはありません。
比較的初期の作品のせいか、
後年の作品のような、恐ろしいまでのダイナミックスの落差とか静と動の極端な対比や
不協和音の壮絶な響きなのにまるでオルガンのように美しい壮麗な響きはあまり感じられません。
曲の構成としては第一楽章と第三楽章のスピード感に対して中に挟まっている第二楽章のゆったりとした雰囲気という感じで
曲としては急-緩-急と構成上のバランスが実に巧みに計算されているようにも感じられます。
第一・第三楽章のスピード感や駆け抜けるような雰囲気は私も大好きですし、特に第三楽章の疾走感も
素晴らしいと思います!
第二楽章の冒頭は意表を付いてティンパニ2セットによる轟音が大変印象的です。
あの部分は二人のティンパニ奏者が大活躍するのですけど、あの凄まじいロールの響きは、
どことなくですけど小山清茂の交響組曲「能面」を彷彿とさせるようなものがあるとも感じます。
第二楽章は2セットのティンパニ以外では、アルトサックス・テナーサックスのソロが大活躍振りも大変印象的です。
94年の東海大学第一は、第二・第三楽章の抜粋なのですけど、第二楽章のティンパニの轟音的ソロから
金管セクションの咆哮で曲を終結し、そのまま第三楽章になだれこんでいますので、サックス系のソロが
無残にもカットされ少々残念です。
サウンドも粗いしかなり強引なドライヴですし、曲が終わると同時にやらせのブラボーコールは明らかにやり過ぎだと
思いますし興醒めですね・・

トリティコは、1968年の大学の部で、関西学院大学と駒澤大学が自由曲として選び、2チームとも三位入賞を
果たしているのは凄いと思います・・
(この時代でネリベルを2チームが全国大会で演奏している事自体珍しいとも思えます)
トリティコの演奏で忘れられないのが、1983年の大曲吹奏楽団です。
このチームは、指揮者に小塚類氏を招聘後にぐいぐいと力を伸ばし、
1996年~98年は3年連続全国金賞の偉業を成し遂げています。
個人的には93年のテンポがやたら遅いけど、濃密なアダージョを演出した「ハムレットへの音楽」も
大好きです。
1983年の大曲のトリティコの指揮は小塚氏ではなくて、田村忍氏の指揮によるものです。
演奏は、「土臭い」感じがプンプン漂っているようにも感じられます。
特に技術的に秀でているものもないし、斬新な解釈もしていない。
だけど作りが非常に丁寧と言うか誠実で、ネリベルの「冷たい容赦ない」音楽なのだけど
何か妙に手作り感のある温かい演奏のようにも聴こえたのが大変印象的です
機能性・音の迫力一辺倒の東海大学第一よりは、相当ましな演奏だと思います。
大曲は翌年もチャンスの交響曲第二番で全国大会出場を果たしていますが、この年の方が
技術的にはしっかりしていますし、前年程「もさっとした感じ」はしませんでした。
ちなみにですけど、大曲吹奏楽団は2004年に「トリティコ」を再演しているのですけど、この時の指揮者は小塚氏でしたので
田村氏以上の名演を期待したものですが、残念ながら東北大会ダメ金で終わってしまい、
全国大会での演奏が聴けなかったのは大変残念でした・・

吹奏楽コンクールでの名演も「これが決めて!」という名演CDもトリティコに関してはいまだに出てこないですね・・

プロの演奏では、フェネル指揮/ダラスウィンドがありますが、こちらもよく整理されている演奏だけど、私的には
今一つ「何か」が伝わってこないもどかしさがあります。

この曲の名演はもう期待できないという事なのかな・・
モリセイという作曲家は、既に日本のスクールバンドの中では「死語の世界」なのかもしれないですね。

私が中学~高校の頃って、あまり上手で無い小編成のチームの吹奏楽コンクールの自由曲って
コーディル・オリバドーティー・スウェアリンジェンが「Big3」とも言われていたのかもしれませんけど、
モリセイの曲も、そこそここうしたチームでは人気があったと思いますね。
勿論、そんなモリセイの曲を小馬鹿にしている訳ではありませんよ・・・(汗・・)
モリセイの曲ってコーディルやオリバドーティー同様とにかく「シンプル イズ ベスト」を立証した作品ばかりで
一度聴いたら、とにかくあの親しみやすいメロディーラインがずっと頭の中に焼き付いてくるような
そんな感じの素敵な曲が多かったと思います。

モリセイと言うと・・・・

〇吹奏楽のためのディヴェルティメント

〇中世のフレスコ画

〇皇帝への頌歌

あたりが特に有名で1960年~1970年代の吹奏楽コンクールでよく自由曲として取り上げられていたと思いますね。
私も、「皇帝への頌歌」と「中世のフレスコ画」はコンクールで結構何度も聴いた記憶があります。
大変古い話で恐縮なのですけど、1967年(昭和42年)のバンドジャーナルによると、
この年の吹奏楽コンクールの自由曲において、いわゆる「吹奏楽オリジナル作品」として最も演奏された作曲家が
確かこのモリセイだったような記憶があります。
そのくらい、この時代のスクールバンドの自由曲として、C.ウィリアムズやワルターズなどらと共に愛され人気があった
作曲家の一人がモリセイだと言えるのだと思います。

モリセイの曲って一つ特徴がありまして、曲の雰囲気としてよく「中世の宮廷」みたいな祝祭的なメロディーを
醸し出している点が挙げられると思います。
「中世の宮廷音楽」と言うと、式典ファンファーレみたいな華やかな音楽も特徴なのかもしれませんけど、
そう言えば、皇帝への頌歌にも中世のフレスコ画にもそうしたファンファーレが出ていたと思います。

だけどそうは言ってもこうした曲も現在ではすっかり忘却の彼方だと思います(汗・・)
現在のスクールバンドの現役奏者の皆様に「モリセイという作曲家とかその作品について聞いた事がある?」と尋ねたとしても
ほとんどの方は「知らないし聞いた事がない」と答えるのは目に見えていると思います。
だって最近の現役奏者の皆様の中にはA.リードすら演奏した事が無いという人もいらっしゃるというお話を最近耳にし
「時代は変わったなぁ・・」とオールド吹奏楽ファンの私は肩身が狭くなる一方です・・・(汗・・)
モリセイの曲を収録したCD自体、極めて少ないし、その意味では、東芝の「名曲選」とかコロンビアの吹奏楽名曲選
の各シリーズは本当に貴重で有難い事だと思います。

さてさて・・・

モリセイと言うと、忘れてはいれない作品が一つあります。

それが何かと言うと、組曲「百年祭」なのです。
百年祭に関連した吹奏楽作品というと、バーンズの百年祭祝典序曲とか福島弘和の曲という方が最近の奏者の
皆様にとっては馴染みがあるとも思うのですけど、実はモリセイという作曲家にも組曲「百年祭」という
素敵な曲が実はあったりもします。

この曲は、1971年に創立100周年を迎えたアイオラ市民バンドからの委嘱作品なのですけど、
モリセイらしく、曲の冒頭は、ファンファーレから華やかに開始されます。

この組曲は下記の四曲から構成されています。

Ⅰ.序奏
Ⅱ.歌
Ⅲ.祝典の音楽
Ⅳ.祝典のパレード

この組曲は・・楽章ごとの違いが極めて明瞭で、
例えば、Ⅰは全体のファンファーレ、Ⅱは木管とトランペットが中心で、
Ⅲは、なんと! 金管と打楽器のみで木管は一切出番無しです。
Ⅳは、再度全合奏での華やかなマーチとなっていて、
楽章ごとの違いを楽しみながら聴くという事も出来ると思います。

演奏する方も楽しいし、聴く方も楽しいという双方がハッピーな気持ちになれそうな曲だと思います。

いかにも古き良き時代のアメリカ」を描いた曲というのか、
「努力すればそのうち多分きっと何かすてきな事が待っているし道が開ける!」みたいな前途洋々の楽天的な気分が
感じられるとても「ハッピーな曲」だと思います。

最近の吹奏楽名門校は、入部者が100人を超える所も結構あったりするそうで
そういう所は、全員が全員、全国大会に直結するA編成に出られるとは限りません。
場合によっては、小編成・B編成に廻る事もあるのかもしれません。
だけど、そういう小編成のチームで、コンクールで良い成績を収めるという事に特にこだわりが無ければ
たまには、こういう古き良き時代の楽しい曲を吹いてみるのもいいのかもしれないですね。

もしかして、「音楽の原点」というものが垣間見えてくるのかもしれないです。
メキシコを描写した音楽というと一番有名なのが、A.コープランドの管弦楽曲「エル・サロン・メヒコ」だと
思うのですけど、この曲はなんとなくですけど、メキシコという国を外部のアメリカ人が感じた印象という感じも
あるのかなと思います。
(全体的には酔っ払いとかテキーラで昼間っから飲んだくれている・・みたいな雰囲気の音楽だとも思えます)
メキシコと言う国は、現在アメリカのトランプ大統領から「アメリカとメキシコの間に壁を作る!」なんて
「お前は万里の長城なのか?」みたいな時代錯誤的な事を要求されて大変困惑されているのだと思うのですけど、
あのおおらかな雰囲気とかメキシコの先住住民としてのアステカ部族など、アメリカの「インチキ臭い商業主義」とは
どこか違うような雰囲気も有しているように感じられます。

そうした雰囲気を音楽・・吹奏楽で見事に表現した曲が、オーエン・リードの交響曲「メキシコの祭り」なのだと思います。

最近全国大会で「メキシコの祭り」を聴かないな・・と思っていたら、そりゃそうですよね・・
考えてみると1988年の米沢吹奏楽愛好会の演奏以来、全国大会においては、この素晴らしき名交響曲は
第一楽章も第三楽章も一度も演奏されていません。
(厳密に言うと、 高校フェスティバルにて大西学園中学校・高等学校がこの曲でもって東関東代表として
東日本大会に出場を果たしています )
やはり名曲の真価と吹奏楽コンクールでの人気と言うものは必ずしもリンクしないという事の裏付けでもあるのかも
しれないですね・・
でもやはりさびしいものはありますね。
せめてこの素晴らしき吹奏楽のためのオリジナルとしてのこの交響曲「メキシコの祭り」は絶対に後世にまで
受け継がれて欲しい曲の一つであるのは間違いないと思います。

この曲を初めて聴いたのは、確か1981年の大塚中学校の演奏だったと思います。この時は
第三楽章・カーニヴァルを選曲していました。
当時の私は残念ながら、吹奏楽の事を実はそれほどあんまりよく分かっていなかったですので、
「メキシコの祭り」のオーエン・リードと、アルメニアンダンス等でお馴染みのあの巨匠、アルフレッドとリードを混合していたのは
何か懐かしい思い出でもあったりします・・(汗・・)
だけどオーエン・リードとアルフレッド・リードを同一人物と勘違いしている人は私以外でも何人かいましたので、
そんなに恥ずかしい事ではないのかもしれないですね・・(笑)

この曲は、三つの楽章から構成されています。

Ⅰ. 前奏曲とアスティックダンス

Ⅱ . .ミサ

Ⅲ. カーニヴァル

コンクールでは、Ⅰを選曲する事例が大変多いです。

Ⅰ.前奏曲とアスティックダンス

冒頭がいきなりチャイムの乱打・ホルンの雄叫びと
ティンパニ・大太鼓・スネアドラムの強打から開始され、この部分だけでも相当のインパクトがあります。
前半部分は、祭りが始まる前夜~夜明けをイメージしたものと思われますが、
結構夜が明けるまで長いような感じもします。
この第一楽章は10分程度の曲なのですけど、冒頭から夜が明けるのに6分程度も掛かっていますので、
「なかなか夜明けがやってこない・・」みたいな雰囲気もあるのですけど、後述しますがバンダによって夜明けのイメージの
部分が開始され、祭りが始まるとあとはクライマックスに向けての熱狂的な踊りが展開されていきます。

夜明け・・そして太陽が昇り、祭りが始まるシーンは、
舞台裏から「バンダ」(別働隊)として奏でられるトランペット・トロンボーン・クラリネット・大太鼓・シンバル・小太鼓の
ミニ楽団によって演奏され、舞台裏から聴こえてくるという事で、
遠くから祭りのざわめきが聴こえてくるというイメージなのかもしれません。
このバンダ演奏部分の際は、舞台の本隊の楽団の方は奏者は全員お休み状態です。
後半は、エキサイトなダンスシーンです。
ティンパニとトムトムの掛け合いが非常に面白いし、ティンパニーのソロが実に決まっていて格好いいと思います。
あの部分のティンパニ奏者は気分爽快だと思います。
曲は一気に駆け上がって終わるのですが、その終わり方もffで終わるのではなくて、
最後にドラがゴーーーンと壮大に鳴り響き、その余韻と共に静かにとじられていきます。
こうした曲のラストでドラがゴワワワー―――ンと鳴り響き、その余韻で閉じられていくというパターンは、
管弦楽曲ですけど、レスピーギの交響的印象「境界のステンドグラス」~聖天使・大ミカエルでも使用されていたりもします。

Ⅱ.ミサ

この楽章は「祈り」と記されるプログラムもありますが、私としてはミサと言う方がなんとなくミステリアスな雰囲気が
ありそうで好きです。
この楽章は、第一楽章の興奮をそのまま引きずったように、冒頭からチャイムが鳴り響き、
金管楽器の大音量的コラールで始まります。
だけど盛り上がるのはこの部分だけで、あとは終始ゆったりとした音楽が展開されていきます。

メキシコというとカトリック教徒が多い国でもあったかとは思うのですけど、そうした教会での厳粛なミサを挙行し、
信者たちが荘厳な祈りを捧げているみたいな厳粛な雰囲気は感じられます。
そしてこのⅡの「ミサ」を人間の「聖なるもの」とすると、続くⅢの「カーニヴァル」はまさに人間の「俗なるもの」なのだと
思います。
Ⅱの静粛で厳粛な雰囲気で、少しストレスが溜まったものが、次のⅢのカーニヴァルで一気に爆発し、
人間の欲・快楽・バカ騒ぎが炸裂しまくります!

Ⅲ.カーニヴァル

この交響曲のラストを飾るのに相応しい楽しさ満載のノリノリな楽章です。
冒頭は、何となくストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」第四場の冒頭に
何となく雰囲気が似ているような気がするのは多分気のせいなのでしょうね・・・(汗・・!)
だけどこの楽章は、奏者も指揮者も大変だと思います。
このリズム感をどう正確かつエキサイトに演奏するかは非常に難しいものがあると思います。
終始三拍子系なのですけど、ビートの躍動をどう表現するか指揮者の技量がストレートに出そうな気もします。
結構マリンバが終始大活躍していますけど、マリンバ奏者も相当のハイテクニックが求められそうです。
トロンボーンの粋な感じで半分酔っぱらったような勢いあるソロも実に巧みだと思います。

このⅢの総譜を一度読んだことがあるのですけど、曲自体はどことなくのんびりとした雰囲気があるのに、
指揮者にとってはとにかく「全体を合わせる事」が大変難しいようにも感じられますし、
奏者の視点で見てみると、指揮者をよく見て全体の流れに自分をうまく乗せていかないと、いつの間にか
全体の流れに一人取り残されてしまう・・みたいな危険性を感じたりもしたものでした。

全三楽章の曲なのですけど、多分ですけど技術的に一番大変なのはこのⅢのカーニヴァルのような気もします。

吹奏楽コンクールのこの曲の名演ですけど、一つ素晴らしい演奏があります。

1988年の一般の部に東北代表として演奏していた米沢吹奏楽愛好会の第一楽章・前奏曲とアズティックダンスの
演奏は大変素晴らしいものがありました!
夜の長さも全然冗長に感じませんでしたし、踊りの部分の躍動感が素晴らしかったですし、ラストへ向かう追込みが
圧巻でした!
私としては「当然の金賞」と思っていたのですけど、結果はまさかの銀賞・・
うーーん、あの素晴らしい演奏のどこが銀賞なのか、私にはいまだにさっぱり理解できません・・

全国大会では、他には天理高校とか長岡吹奏楽団とかが第一楽章を取り上げていますが、
神奈川大学も、こんなバリバリの正統派オリジナル曲を選曲しています。
(神大は小澤先生が来る前は、メキシコの祭りとか、仮面舞踏会とか、ジェリコといった
正統派古典オリジナル曲を取り上げています)

面白いのは、1977年に電電中国(現・NTT西日本)が第一楽章を取り上げ、
翌年の1978年に第二楽章「ミサ」を演奏している事です。
いかにも吹奏楽に自分なりのこだわりをお持ちの佐藤先生らしい選曲だと思います。
でもコンクールでほとんど盛り上がり要素が少ないミサだけを演奏してもインパクトは弱いし、アピールは大変だったでしょうね。

Ⅲのカーニヴァルを自由曲にしたチームでは「これぞ名演!」という決定打に欠ける感じはあります。
強いて言うと、1976年の函館中部高校なのびのびとした雰囲気は見事なものがあると思うのですけど、
部分的にリズムがかなりギクシャクしているのは惜しいです・・

あ・・・考えてみるとこの「メキシコの祭り」は、吹奏楽コンクールにおいては、全楽章・・つまりすべての楽章が
自由曲として演奏されている事になりますね!
一般的に吹奏楽でも管弦楽でも「交響曲」という形式においては、静粛な抒情楽章というものがある関係で
全ての楽章が自由曲になる事は極めて稀なのですけど
(かなり昔の話ですけど、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のあの全てがアダージョで悲しげに演奏される
第四楽章が自由曲として演奏されていた事は驚きでした!!)
この「メキシコの祭り」は、三楽章全てが単独ではありますけど、全て全国大会で演奏されていたというのは
大変興味深いものがあると思います。
ちなみにですけど、そうした全楽章全て自由曲として演奏された珍しい交響曲の事例としては、
ジェイガーの「吹奏楽のための交響曲」というケースもあったりします。
ジェイガーの交響曲は、ほとんどは第四楽章が演奏されているのですけど、
1980年の北海道教育大学函館分校のように第一楽章を自由曲として演奏された事もありますし、
はたまた1977年の舟入高校OB吹奏楽団のように、第二・第三楽章を自由曲として演奏されていた事もありますので、
ジェイガーも全楽章演奏の数少ない事例と言えそうですね。
そうそう・・参考までに舟入の場合は、第三楽章がゆったりとした抒情楽章で、第二楽章が活発なスケルツォ楽章ですので、
実際に演奏したのは、第三楽章を先に演奏し、その後に第二楽章が演奏されています。

どちらにしてもオーエン・リードのメキシコの祭りもジェイガーの吹奏楽のための交響曲も
忘れることなく演奏され続けてほしいオリジナル曲の一つだと思います!!
ロジャー・ベネットという作曲家の名前とかその作品を知っているという現役の吹奏楽奏者の方って
もしかしたら皆無に等しいのかもしれないですね・・(泣・・)
私が現役奏者の頃ですら「ベネット・・誰それ・・?」みたいな感じも否定はできなかったと思いますので、
それから数十年後の現在においては、尚更「誰、それ・・?」みたいな感覚なのかもしれないです。
ベネットという御方は、リードとかジェイガーとかチャンスとかC.ウィリアムズなどのようなバリバリの管弦楽&吹奏楽の
作曲家という訳ではなくて、どちらかというとベネットのライフワークは、ブロードウェイミュージカルの編曲家という
印象の方が強いように思えます。
ちなみにですけど、「南太平洋」とか「マイ・フェア・レディ」・「王様と私」といった歴史に残る名ミュージカルの楽曲のアレンジを
ベネットは担当しています。
1955年には映画「オクラホマ」の音楽にて、ベネットはなんと・・!アカデミー賞も受賞されています!

ベネットの吹奏楽作品はそれほど数が多い訳ではないのですけど、
先日の当ブログのリードの第一組曲が「古き良きアメリカ」を象徴したような作品と申し上げたのですが、
その言葉はむしろベネットの「シンフォニック・ソング」の方がより相応しいと言えるのかもしれないです。
この「シンフォニック・ソング」とかやはりベネットの「古いアメリカ舞曲による組曲」を聴くと
今現在のインチキ国家アメリカとか商業主義の胡散臭さとか自国と自分の利益ばかり露骨に追及し
「自分さえよければ他国・他者の事などどうでもいい・・」というアメリカの風潮がなんだか恥ずかしくなってしまいそうですし、
ベネットがシンフォニック・ソングを作曲した頃の1950年代の「努力を重ねていればいつかは報われる事があるのかもしれない」
というアメリカの当時の美しい理想主義がそこはかとなく感じられますし、
やはりそこには良心的で他人の痛みも分かるという「古き良きアメリカ」の理想的な姿を思わず感じ取ってしまいそうな
曲なのだと思います。
それにしてもベネットの「シンフォニック・ソング」のこのほのぼのとした雰囲気とか
「みんなと一緒に自分も頑張るし、とにかく出来る限りのマイベストを尽くそう!」みたいな健全さが至る所から
伝わっているようにも感じられます。
いいですねぇ~! この古き良きアメリカへのオマージュ!
もしかしてですけど、この曲の考えと対極にありそうな吹奏楽作品というと、メリッロの「アメリカの騎士~選ばれし者」
なのかもしれないですね・・(笑)
1950年代~70年代初めの頃のアメリカの吹奏楽オリジナル作品って、とにかく親しみやすくて分かりやすくて
人の心にすーーっと入り込んでくる感じがとても素敵だったと思いますし、
やはりそこには
「頑張って努力を重ねていけばいつかは必ず報われるのかもしれない」みたいな健全で前向きな風潮と言うのか空気感が
あったのかもしれないですね。
今現在の「汗をかかないでひたすら株式のちょっとしたタイムラグとか他人よりもいち早く知り得た情報をとことん利用して
瞬間的にかつぼろ儲けをする」とか「社会や国民の間に格差が生じても仕方がないことだ・・第一自分だけが
儲けて何が悪い! 自分のように情報や知識を得ようともしない奴らがそんな事ほざいても所詮は負け犬の遠吠え・・」
みたいなアメリカの風潮とはエライ違いがあるようにも感じられます。
こうした古き良き時代のアメリカの吹奏楽オリジナル作品って、前述のリードの第一組曲とかベネットの曲以外では、
ジェイガーの第三組曲とかコープランドの戸外のための序曲とかグールドのサンタ・フェ・サガとか
オリヴァドーティのバラの謝肉祭とか、クレストンの祝典序曲とかC.ウィリアムズの交響的舞曲第三番や交響組曲とか、
ワルターズのジャマイカ民謡組曲とかシューマンのチェスターとかジャンニー二の交響曲第3番とか
モリセイの組曲「百年祭」とかカーターのクイーンシティ組曲とかニクソンの「平和の祭り」とかま―――、とにかく素敵な名曲が
目白押しだと思います。
もちろん今現在の吹奏楽コンクールで大人気のスミスの「ダンス・フォラトゥーラ」みたいな豪華絢爛な曲も
私自身とっても大好きなのですけど、こうした古き良きアメリカを彷彿とさせる50~70年代のアメリカの吹奏楽オリジナル作品も
絶対に忘れて欲しくないと思いますし、演奏され続けて欲しいと思っています。

ベネットの「シンフォニック・ソング」は、今聴いてみると決して華やかさや派手さはない曲ですけど、
曲の構成もしっかりしているし、聴いていて楽しいし、
私的には吹奏楽の数少ない名作古典曲の一つだと認識しています。
吹奏楽の古典というと、ホルストの第一組曲・第二組曲やグレンジャーのリンカンシャーの花束、
リードのアルメニアンダンス辺りなのかもしれないですけど、そうした曲に肩を並ばせても全然遜色ない曲だと思います。

この「シンフォニック・ソング」は下記の三楽章から構成される組曲でもあります。

Ⅰ.セレナーデ

Ⅱ.スピリチュアル

Ⅲ.セレヴレーション

Ⅰのうきうきした感じは聴いているだけでなんかホッ・・とするというか心がリフレッシュされるようなおおらかさが
あると思います。
スコア上では3/8拍子なのですけど、2拍子と3拍子が混在しているようにも聴こえるリズムの面白さがあると思います。
全体的にはゆったりとした牧歌的な曲です。
ちなみにですけど、フェネル指揮の東京佼成のこの曲を収録したCDをよく聴いてみると、このⅠが終わった際に
フェネルの「OK・・」みたいな声が微かに収録されているのがなんとも楽しいです・・
Ⅱの「スピリチュアル」とは精神とかそういう事ではなくて、黒人の「霊歌」という側面が大変強いように
感じられます。
最近当ブログでは「響け! ユーフォニアム」に関連してユーフォニアムが活躍する吹奏楽オリジナル作品も
いくつか取り上げさせて頂きましたが、このシンフォニックソングのⅡもそうでしたね・・・!
このユーフォの朗々とした歌い廻しは大変素晴らしいと思いますし、ユーフォ奏者にとっては腕の見せ所だと思います。
そしてこのユーフォからオーボエ・トランペットへとメロディーラインが継承されていく様子は
とっても見事なものがあると思います。
全体的には大変しっとりとした抒情的な楽章だと思います。
Ⅲのリズム感と躍動感は素晴らしいです! ラストを飾るのに相応しい楽しさに溢れていると思いますけど、
決して羽目は外さず、その上品さ・洗練さもお見事だと思います。
トロンボーンのグリッサンドを交えた序奏はとっても楽しいし、あのウキウキ感は聴いているだけで
心ぴょんぴょんしそうです・・(笑)
その後に出てくるトランペット、トロンボーンの旋律では意図的に半音ずらして書かれていて
賑やかさと滑稽さを感じさせると同時にベネットの「巧さ」を感じさせていると思います。
このⅢの途中で思いがけず入り込んでくるホイッスルの音も実に意表をついていると思います。

本当に名作中の名作吹奏楽オリジナル作品ですね!!

でも、この曲は吹奏楽コンクールではほとんど演奏されません。
というか、最近のコンクールでは、ベネットという名前さえほとんどお目にかかれないのは大変残念なものがあります。
出来れば、今現在ののスクールバンドで吹いている生徒たちにも是非聴いて欲しい曲の一つです。

この曲の全国大会の演奏で印象的だったのは、1975年の函館中部高校の演奏です。
(といっても函館中部以外にこの曲を演奏したのは1960年代の神奈川大学だけです・・)
評価は銅賞でしたが、私はこの銅賞はちょっと納得いかないですね・・
1975年と翌年は極めて審査結果が厳しく、出場チームの半数程度が銅賞とい激辛審査という背景もあったかとは思うのですが
この銅賞はちょっと厳しすぎますね・・
(ちなみにですけど、1975年の北海道代表は3チームもありました!)
函館中部高校は、課題曲の「吹奏楽のための練習曲」も大変爽やかでしたし、
自由曲の「シンフォニック・ソング」はⅠ・Ⅲ楽章を取り上げていましたが、
技術的には変拍子も無難にこなし、楽しい雰囲気も十分出ていたし、
どこに問題があるのか分からないという感じです。
(こうした地味な曲は、曲の盛り上がり方が難しいし、聴衆へのアピールは確かに難しいかもしれないですね・・)

シンフォニックソングを吹奏楽コンクールで最後に生で聴いたのは、関東大会の中学校B部門の
埼玉栄東中だったと思います。
学校名から察しがつく通り、吹奏楽の名門の「埼玉栄高校」と同系列の学校なので、
思いっきり期待していたのですが、思いっきり期待を裏切った演奏でした・・・(汗・・)

1994年の東海支部の支部大会で、確か飯田市民がこのベネットの「シンフォニック・ソング」のⅢを自由曲として
演奏していたのは、よく覚えています。
確かこの年の東海大会の一般の部の開催は静岡県富士宮でしたので、当時住んでいた山梨から身延線を利用して
この富士宮までやってきたという記憶があったりもします。
94年の課題曲は、饗応夫人のように長く難解な課題曲だらけの年でしたので、
自由曲は、3~5分程度の短い曲ばかりでしたので、シンフォニック・ソングのⅢはうってつけの自由曲の一つだったのかも
しれないですね。 

94年の場合、課題曲Ⅳの「雲のコラージュ」を取り上げる団体が圧倒的に多かったのですが、
私はこの課題曲が大嫌いの上に、下手なチームがこの曲を演奏すると拷問以外なにものでも
なかったので、本当に苦痛でした・・・(汗・・)
でも浜松交響とか、札幌白石、福岡工大付属のように、上手で曲の構成をよく
考えたチームが演奏すると、本当に魅力的になってしまう曲なのですけどね・・・ 
現在の吹奏楽コンクールにおけるB部門・小編成部門においては、県大会や地区予選では
今でもコーディルの「吹奏楽のための民話」が演奏される事が多々あり、懐かしくも感じますし
「こういう平易なんだけど吹奏楽名オリジナル曲は忘れることなくずっと演奏され続けていてほしい」と常日頃から
感じている私にとっては大変嬉しいことなのだと思います。

私が高校生の頃までは、作曲者の表記は、カウディルと表記されることが多かったのですけど
いつの間にかコーディルという風に表記が変更になっていました。
(「シンフォニア・ノビリシマ」でお馴染みのジェイガーも1970年代初めの頃までは、ジャガーとかイェイガーと呼ばれることも
ありましたので、それに近いことなのかもしれないですね・・)

この「吹奏楽のための民話」は実に平易に書かれていて、演奏するうえで難しい箇所は多分一か所もないと思いますし、
「初見演奏でこの曲を吹きなさい」と言われてもほとんどの方は普通に吹けちゃうほど技術的には大変簡単ですし、
吹奏楽初心者とかそれほど合奏経験がない方とか中学生の小編成部門にはこれほどうってつけの曲は無いとすら
思っていたりもします。
シンプルで分かり易く、技術的には難しい部分はほとんど無いのになぜか演奏効果が大変高く、
序盤のクラリネットの透明感溢れるあのユニゾンのメロディーは一度聴いたら忘れられないものがあると思います。
メロディーラインが、非常に素朴でシンプルでとても懐かしい香りがする曲だと思います。

タイトルには「民話」とありますが、特定の民話のメロディを使ったわけではなく、
コーディル自身が創作したものであると思われます。
民謡風の表情豊かなメロディが美しく、特に冒頭のクラリネットが印象的です。
「クラリネットが低音域でメロディを吹く曲」と言えば、まずこの曲が挙がるのかもしれないですね。
アメリカの古い民謡とか俗謡とか黒人の霊歌とか子守歌とかそうしたアメリカ国内で馴染みのあるメロディーを特に
引用したわけではないのですけど、なぜかこの曲を聴いてしまうとしんみりとしてしまい、
まるでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とか交響的舞曲とかドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」~第二楽章を
聴いているかのような「郷愁」とかどこかメランコリーみたいなものを感じさせてしまう
本当に不思議な曲であるとも思えます。
そうですよね! 日本でこの曲が演奏され始めたのは1960年代なのですけど、それから50年以上に渡って
このコーディルの「吹奏楽のための民話」が忘れることなく演奏され続けていたのは、この「なつかしさ」にも
あるのかもしれないですね。

私が中学生・高校生辺りの時代ですと、よその学校がこの曲を吹奏楽コンクールの自由曲として選ぶと
「あー、あの学校よほど腕に自信が無く、仕方なくあの曲を選んだのかな・・?」といらぬ邪推をし、半分バカにしたものですが、
現在改めて聴くと、曲自体の構成が大変しっかりしているし三部構成で非常に理解しやすく、
冒頭の堂々とした雰囲気とか序盤のクラリネットによる透明感あふれる溌剌としたリズムが面白いと感じますし、
決してバカにすることは出来ない素晴らしい名曲だと感じます。

初見演奏も全然可能な曲だからこそ、特にジュニアバンドには一度は演奏して欲しい曲です。
同じことは、オリバードーティーの序曲「バラの謝肉祭」・「美しき剣士」とか
カーターの交響的序曲・「ラブソディックエピソード」・クイーンシティ組曲などにも言えるんじゃないのかな・・?

コーディルというと・・当時の私たちは

〇吹奏楽のための民話

〇ランドマーク序曲

〇オデッセイ序曲

以上の三曲を「簡単すぎる三部作」とか陰口を叩いていましたが、今改めてこの三曲を聴いても
構成はしっかりしているし、メロディーラインがはっきりと浮き出ていて分かり易いという意味では
現役奏者の皆様にも「一曲ぐらいはコーディルを吹いてほしいよね・・」と感じてほしいですし、この素晴らしき
吹奏楽オリジナル名曲は絶対に後世に受け継がれてほしい曲の一つです!
(コーディルというと上記3曲以外ではヘリテージ序曲も素晴らしい曲だと思います!)
オデッセイ序曲は冒頭がトランペットソロから開始されるのですけど、下手なチームはたいていこの部分を外すことが
多かったですね・・・(汗・・)

ちなみに「吹奏楽のための民話」は何と全国大会では5回も演奏されています。
と言っても内4回は、昭和45年以前の金銀銅のグループ表彰制度以前の順位表彰の時代ですけどね・・・
1970年代でも福井銀行がこの曲を自由曲として演奏し、確か銀賞を受賞していました。
福井銀行の場合、当時の頭取が「これからの銀行マンは軟弱ではいかん! 行員たちも吹奏楽を経験し、
タフな気持ちで仕事も吹奏楽も臨んでほしい」という鶴の一声で吹奏楽団が結成されたみたいなエピソードが
当時のBJで紹介されていたのが印象的です。
そうですね・・私自身も実は1988~2001年までは某地方銀行に在籍していましたけど、当時の会長・頭取から
「これからの銀行マンは軟弱ではいかん! 行員たちも吹奏楽を経験し、
タフな気持ちで仕事も吹奏楽も臨んでほしい」という鶴の一声が最後まで掛からなかったのは惜しまれますね・・(汗・・)
しかもその地方銀行は2001年に経営破綻により倒産してしまうしー!! (滝汗・・)
やはり行員たちが吹奏楽団を職場内に結成せずに軟弱だったのが破綻の原因の一つだったのかな・・??

ちなみにですけど「吹奏楽のための民話」は、全国大会では他には
函館西高校とか富山吹奏楽団、日立製作所も確か演奏していたと思います。

吹奏楽コンクールに限らずこうした古典的なシンプルな曲も、たまには現役奏者の皆様にも演奏して頂きたいです!!
ジョン・バーンズ・チャンスの「呪文と踊り」が吹奏楽コンクールに初登場したのは1970年代なのですが、
この素晴らしき名作吹奏楽オリジナル曲は、今現在でも、支部大会でも全国大会でもずっと演奏され続けており、
それは吹奏楽オリジナル曲としては珍しい事であり、
これだけ長期間愛好され続けているのは「名曲」である証拠なのだと思います。
(評論家の皆様が「この曲は素晴らしい」と絶賛されてもほんど演奏されないのは、名曲たる資格を有していないのかも・・?
中には、ネリベルの「シンフォニックレクイエム」のように演奏したくてもあまりの難解さとコーラスが必要という演奏条件の
難儀さゆえに演奏機会に恵まれていないという例外的な作品もあるのかもしれないです)
私自身、チャンスと言うと一番最初に生演奏で聴いたのは、実は「呪文と踊り」ではなくて、
「管楽器と打楽器のための交響曲第2番」なのでした。
演奏頻度と言うと「朝鮮民謡の主題による変奏曲」の方が人気は高いと思いますけど、
この「呪文と踊り」も交響曲第2番や朝鮮民謡の主題による変奏曲に劣らない素晴らしい名作だと思います。

「呪文と踊り」は冒頭のの低音のフルートソロが実にいいですね。
この不気味な出だしが、この曲の全てを物語っているといっても過言ではありません。
「これからなにか不気味な事が始まる」という予感めいたものを感じずにはいられないミステリアスな序盤だと思います。
考えてみるとチャンスの管楽器と打楽器のための交響曲第2番第一楽章も、そうした「予感」とか「ミステリアスさ」に
満ち溢れていましたので、このチャンスという作曲家の「冒頭」は何やら意味深なものが多いと言えるのかもしれないです。
(「朝鮮民謡の主題による変奏曲」も冒頭のあのアリランのクラリネットによる哀愁溢れるメロディーは、
聴く人の心を打つものが間違いなくあると思います!)
「呪文と踊り」のあの出だしに心を動かされてしまうとこの曲の世界に一気に入ってしまうという感じがあります。

「呪文と踊り」は実に単純明快な二部構成でフルートソロから開始される神秘的な「呪文」の部分と
打楽器のエキゾチックな響きが実に印象的な「踊り」の部分から構成されていますけど、
この二つの部分の明確な相違性によるドラマ性とか打楽器の効果的使用といった巧みな楽器構成とか
実によく考えられた作品だと思います。
こうしたシンプルさと分かりやすさというのが、この曲を作曲から40年近く経過しても演奏され続けている大きな要因にも
なっていると思いますし、この曲を吹奏楽オリジナル曲の名作としていまだに名を馳せている理由にも
なっているような気がします。
曲が単純明快なだけに、飽きが来やすいとも思うのですが、長期間多くのチームによって演奏され続けているという事は
演奏するごとに何か「新しい発見」があるような曲と言えるのかもしれません。

この曲の「踊り」の部分では打楽器が大活躍します。
冒頭の「呪文」の部分は、かなり長いフロートソロから開始され、序盤はゆったりとした展開がかなり長く続き
かなり不気味な雰囲気を演出しています。
この不気味さは「おどろおどろしい感じ」でもあり、いかにも「呪文」という雰囲気に満ち溢れ、聴き方によっては
呪文は呪文でも人を呪い殺すような呪文のようにも感じたりもします。
そして前半の「呪文」の部分が閉じられると、いよいよ「踊り」の部分が開始されます。
この踊りの部分なのですけど、マラカスから始まって、打楽器が一つずつ加わっていく感じで曲が展開されていきます。
その打楽器の順番は、マラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレスの順に加わっていきます。
この部分はパーカッション奏者にとっては大変プレッシャーが掛る大変な部分ですけど同時に大変な腕の見せ所だと思います。
全体的にこの曲はかなりの数の打楽器を使用しますし、
奏者は、フルスコアを見れば一目瞭然なのですけど、ティンパニが1名・残りの打楽器に6名、合計7人は絶対に必要です!
というのも・・・
7人が同時に音を出す箇所もあるので、打楽器奏者の数を減らす事は、何らかの楽器の音を
削除することになってしまい、この曲の魅力が明らかに薄れてしまうのであまりやっては欲しくないですね。

この曲を初めて耳にした方は多分感じると思うのですけど
「え・・この曲ってとてつもない変拍子なの・・・?」と感じるかもしれないのですが、
フルスコアをご覧になって頂ければ一目瞭然ですし、音楽自体をじっくりとよく聴きこめば分かるかとは
思うのですけど、
実際は実に単純な4拍子の曲です!! たまに3拍子のリズムも入ってきますけど基本はあくまで単純な4拍子です。
この曲、なんでこんなに変拍子のように聴こえるのかな・・・?
多分ですけど、裏拍の使用が大変多くて、リズム感が大変取りにくいというのが一因で
ないのかなと推察いたします。

指揮自体はそんなに難しくは無いと思いますが、奏者の皆様は厄介な部分が多いと思います。
特にフルートソロ担当の方と打楽器セクションが大変そうですね。
特に打楽器は「リズムの切れ」が要求されるし、奏者全体のリズムを合わせるのが大変だと思います。
同じチャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」も打楽器セクションは合わせるのが大変だと
思うのですけど、この曲も合せるのは同じくらい大変そうだと思います。
前述の通り基本的には4拍子だから、何とかなるとは思うのですけど、練習段階から「周りの音をよく聴く事と
全体に合わせる事」は必要不可欠な事だと思います。

「ファンファーレとアレグロ」・交響的舞曲第三番「フィエスタ」でお馴染みの、クリフトン・ウィリアムズも
若くしてこの世を去り惜しまれましたが、チャンスも「まだまだ、これから・・」という作曲家として大変脂がのっていた時期に
この世を去る事となり、あまりに早すぎる死が惜しまれる作曲家です。
フェンスに設置された電気金網に接触し感電死という非常に気の毒な事故死をされたのですけど、
実は亡くなる直前に「エレジー」という胸が痛くなりそうな悲愴感溢れる作品を残しています。
これってもしかして、何かしらの「前兆」というか「予知」というか「避けられない運命」みたいなものを
感じていたのかもしれないですね・・・
もしかして・・? 自分自身の「死」を予感させる何かがチャンスの中にあったのかもしれないです・・

「呪文と踊り」の最大の聴きどころの一つである、マラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレス
という打楽器が一つの楽器ずつ加わっていく箇所なのですが、
この部分で使用される打楽器はかなり珍しいものも含まれていますので
簡単に紹介をさせて頂きたいと思います。
(ちなみにですけど、以前も何度も書いたことがある通り、私自身の楽器経験は中学~大学でのクラリネット9年と
アルトサックス1年なのですけど、実は小学校の管楽器クラブでは打楽器奏者でもありました)




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これは「マラカス」です。

日本ではどちらかというとカラオケ店に置かれているグッズとしての方が馴染みがあるのかな・・・?

主にマンボやサルサなど、スペイン語圏のラテン音楽で使われる楽器なのですけど
ポルトガル語圏のブラジルのサンバでは、この楽器が使用される事は少ないとの事です。




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これは「クラベス」です。

2本の棒状の木片を打ち合わせることで明るいカチカチとした音を出しますけど、
日本の楽器の「拍子木」と極めて近いものがあると思います。




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これは「ギロ」です。

ヒョウタンの内側をくりぬき外側に刻みを入れて棒でこすったり叩いたりして演奏しますけど
基本的には、ギーーーチャッチャッ!!という洗濯板と石をこすり合わせたような独特の音を出します。
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」第一部でも使用され、面白い響きの効果を演出しています。




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上記の楽器は、これらの楽器の中では一番馴染みがある「タンバリン」です。
タンバリンは簡単な楽器と思っている人は多いと思いますけど、全然違います!!
鈴の使い方とか皮の叩き方とかこすり方など相当奥深い楽器だと思います。

吹奏楽オリジナル作品ではリードの「アルメニアンダンス パートⅠ」での使い方が実に巧みですし、演奏効果が
大変高いように感じられます。





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この楽器は「テンプル・ブロック」です。

この楽器は「木魚」みたいなものですし、木魚に近い高音のコーンコーンという音が出ます。
一般的には、ないし5個程度を音高順に並べて、専用のスタンドにつけられたものが用いられる事が多いです。

この楽器は、同じくチャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」でもかなり効果的に使用されています。
管弦楽曲としては、コープランドの「エル・サロン・メヒコ」とか
メシアンの「トゥーランガリア交響曲」での使用が大変印象的です。





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この楽器は「ティンバレス」です。

金属製の胴に主にプラスチック製の膜)張った、スネアドラム(小太鼓)に似た太鼓を、
二つ横につなげた楽器です。
基本的にはスティックを使いますけどまれに指で叩く場合もあります。

ちなみにこのティンバレスを所有していないのか音のイメージ感の違いなのか指揮者の好みなのか
よく分かりませんけど
この楽器の代用品として「ボンガ」を使用していたチームもありましたけど、あれだとリオのカーニバルみたいに
聴こえてしまいそうな気もしますね・・





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最後に・・・・

このブログでも以前取り上げたラヴェルの「ピアノ協奏曲」とかブリテンの「青少年のための管弦楽入門」で登場し、
この「呪文と踊り」でもバシッ! バシッ!!と効果的な使用がなされる「ムチ」ですけど、
木の板を合わせてバシッ!!という音を出す感じの楽器です。
ムチというと、競馬の騎手が馬に対して当てるものとかなんかの女王様がMっぽい人に当てるものというイメージが
あるのかもしれないですけど(汗・・)
音楽の世界での「ムチ」とは、木の板を合わせるような楽器の事を示します。

ちゃんと、手に固定されるように止め具が付いているのが奏者に対する配慮なのかもしれないですね。

この「呪文と踊り」は、打楽器の効果的な使用も素晴らしいけど管楽器との掛け合いも大変見事だと思います。

ちなみにですけど、上記のマラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレスの登場箇所は
計二か所出てくるのですけど
二度とも一つの楽器が順番に一個ずつ登場していきますので、その追加されていく響きが
とっても面白いです。そしてここに絡んでいく管楽器の使い方は名人芸みたいなものを感じさせてくれていると思います。

この曲はこの先もずーーーっと後世に受け継がれていってほしい曲の一つです!!

「呪文と踊り」はこれまで全国大会でも何度も演奏されているのですけど、私の好みに「ドンビシャ!」という演奏は
残念ながらまだ出てきていないように感じられます。
1984年のからす川音楽集団による演奏は、とてつもなく洗練された美しい響きなのですけど、
音楽自体がちょっとふわっ・・とし過ぎていて、もう少しシャープな感じが欲しいですし、特に冒頭部分は
どす黒いテンションみたいなものも欲しいと思ったりもします。
この曲の名演CDというとフェネルの東京佼成を挙げたいと思うのですけど、ちょっとテンポが遅いというのか、
切れ味がちょっと悪いと言うのか部分的にテンポが間延びして聴こえるのは、全体の雰囲気が悪くないだけに
惜しまれるものがあると思います。

そうした中、「呪文と踊り」と言うと、知る人ぞ知るという範疇になってしまうのですけど、
1975年の秋田県代表の横手高校の全国大会での演奏は私は大好きです!
コンクールの評価としては銅賞という結果に終わっているのですけど、この1975年の高校の部は、
19チーム中10チームが銅賞という激辛審査の年でしたので、私個人としては横手高校の銅賞はちょっと気の毒な
感じもあったりします。
(ちなみにですけど、この年の高校の部に出場した19チームの課題曲は全てCの吹奏楽のための練習曲でした)
横手高校の「呪文と踊り」は今現在の感覚で聴くとかなり雑で粗っぽい印象が強いです。
音量的にも少し頑張りすぎちゃっていて、強奏と弱奏のコントラストをもっと強調して欲しかったですし、
音色が部分的に濁って汚さすらも感じられた箇所があるのは否定はできないと思います。
だけど横手高校の演奏は、実に切れ味がシャープです!!
冒頭もそうですけど、踊りの部分の前述の打楽器の使い方が大変巧いですし、何よりも曲全体を貫く
「どす黒いテンション」みたいなものが実に見事に表現されていると思います。
魔法使いの呪文というよりは、魔女たちの「人を呪い殺すための呪文」みたいなミステリアスさとどす黒さが
音楽として的確に表現されていると思います。
確かに粗雑なんだけど、人間の魂を無理やり揺れ動かせてしまうどす黒さが前面に出ている点は高く評価されて
然るべき演奏だと思います。
全体的に音色が明るいのはとてもよかったと思います。
この当時の秋田県の吹奏楽と言うと「佐藤先生時代の花輪高校」でどちらかというと音色が渋くて暗めという雰囲気
でもありましたので、横手高校のあの「明るさ」は逆に新鮮に感じたものでした!
このブログでは何度も書いている事なのですけど、
1980年の吹奏楽コンクールは特に高校の部においては、私的には「一つの頂点」というのか
そのレベル、音楽的表現は一つの「最高水準」に達した年にも感じられますし、
高校の部のあの異常とも感じられるとてつもないレヴェルの高さは感嘆するばかりですね!
特に秋田南・花輪・前橋商業・銚子商業・市立川口・玉川学園・高岡商業・兵庫・天理・淀川工業・就実のウルトラ級名演は
驚異的なものがありましたし、
一つの吹奏楽コンクールだけであんなにも怒涛の超名演が続出していた事は「一つの奇蹟」なのだと思います。

この年の課題曲四曲は、今にして思うとかなりバラエティーに富んでいて大変面白かったと思います。
特にA~Cは、日本の祭り・民謡をモチーフに書かれていて、
Aの「花祭り」は日本の古き良き伝統を、Bの「南の島から」は沖縄の民謡を、
Cの「北海の大漁歌」は北海道の民謡をベースにしてあり、
三曲ともに「日本古来のもの」をテーマにしているのが面白いと思います。
(Bが沖縄、Cが北海道の民謡という日本の端と端のエリアの民謡をモチーフにしているその対照性が
今にして思うと大変興味深いものがあると思います)
このように課題曲の大半がこうした「日本古来の素材」をベースにしている年というのもあまり例がなく
その意味でも大変面白い試みだと今でも感じる事があります。

1980年度全日本吹奏楽コンクール・課題曲C / 北海の大漁歌は、曲の冒頭から最後まで終始一貫して
北海道の民謡の「ソーラン節」が「これでもかっ!」と執拗に何度も何度もテーマとして登場する大変親しみやすくて
わかりやすい音楽だと思います。
この課題曲を初めて聴く方でも間違いなく「どこかで聴いたことがメロディー」と感じると思いますし、日本人にとって
大変馴染みやすい旋律のソーラン節があちこちに顔を出してきますので、
「全然聴いたことが無いメロディー」と感じる方はほぼ皆無だと思います。
曲の冒頭は、ホルンとアルトサックスによるゆったりとしたソーラン節による夜明けの海上の情景から開始され、
昼間の操業の様子を描写した場面は、ソーラン節がほぼそのまんま転用されています。
そしてアルトサックスのソロをきっかけに一転して楽しい雰囲気から厳しい雰囲気へと曲想が変化し、
嵐と荒れる海上によって漁船が転覆する海難事故の場面へと物語が展開していき、
その海難事故の死者を弔うかのようなトランペット・オーボエ・フルートの三つの楽器による「悲しみと弔い」の音楽が
展開されていきます。
だけどそうした悲しい事故を乗り越えて、海の男たちは生きるために・・家族の生活を守るために再び海へと乗り出し、
ソーラン節の音楽に乗る形で操業、そして大漁の喜びに溢れる中漁港に帰還する・・
そういった一つの物語がソーラン節をモチーフにしながら音楽としてストーリーが進展していくという4分半程度の
一つの音楽物語と言えるのかもしれない課題曲なのだと思います。
ゆったりとした海上の情景も操業の様子も嵐も悲しみも全てぜんぶがぜんぶ「ソーラン節」一色に塗りつぶされている
課題曲と言えるのだと思います。
後述しますけど、この「北海の大漁歌」は私自身の中学三年の時の吹奏楽コンクール課題曲でもあったのですが、
とにかく耳にタコが出来るほど「ソーラン節」を吹きまくっていたという印象がありますし、
吹奏楽部の全体練習は音楽室でやっていたのですが、窓は全開状態で練習していたため、校庭の運動部とか
学校内の文化部や図書館で自習していた生徒の耳には、この年の夏はソーラン節が響き渡りの状態になっていて
よくクラスの同級生から
「おまえらうるせー、なんでああやって毎日毎日ソーラン節ばっかり吹いているんだよっ!」と文句を言われましたけど、
だって、コンクールの課題曲じゃ仕方ないですよね・・(汗・・)

私は小学校から吹奏楽に関わりを持ち、小学校の管楽器クラブでは打楽器を担当し、中学から大学の10年間は、
一年間を除いて担当楽器はずっとクラリネットだったのですけど、
1980年の一年間だけは、唯一違った楽器を経験できました。
この年は、クラリネットからアルトサックスにコンバートされ、一年間だけアルトサックスを
担当したのですけど、以前このブログでも書いた通り、
実はアルトサックスほど音が出やすく簡単にヴィヴラートを掛ける事が出来る楽器はないせいか、
アルトサックスを吹くのが楽しくし楽しくて仕方が無くてこの一年間は楽器を吹く事自体はとても楽しかったです。
(過去記事・・特に「響け! ユーフォニアム」カテゴリで散々愚痴っているように、中学の頃は、部長職を押し付けられたこともあり
 部員の大量退部事件とか顧問の先生のとにかく強烈な上から目線の威圧的指導にほとほと嫌気が差していて
当時の心境としては、「音楽も吹奏楽も大嫌い! 」という感覚が当時は大変強かったです・・)
この年は課題曲C/北海の大漁歌にアルトサックスにもソロがあり、私もソロを吹いたものでした。
後にも先にも吹奏楽コンクールでソロを吹いたというのはこの年だけでした。

この年、1980年の吹奏楽コンクールは、
「出来れば課題曲はマーチのD/オーバー・ザ・ギャラクシーを選んでくれないかな?」と密かに期待していたら
課題曲はC/北海の大漁歌をあのおっかない顧問の先生が選んでしまい、
「まじかよ・・・・えー、これから半年近くもソーラン節という民謡を練習しないといけないのか・・・」と危惧した所、
その杞憂は現実のものになってしまい、先生の厳格な管理指導の下、えんえんとソーラン節を吹く羽目になってしまい、
その先生が練習中に熱血のあまり
「なんでお前たちはそんなに気持ちが乗らない演奏をするのか!! そうだこの素朴で躍動的な民謡は体で覚えないといけない。
 だからお前たちも今から、オレに続けて踊れ!!」なんて唐突に言い出し、
「ヤーレン、ソーラン、ソーラン・・・」と歌いながら、舟をこいだり網を引っ張る先生の勝手な創作ダンスの
振付を覚えさせられ、
歌いながらこのヘンテコダンスを踊らされ、
「どだ!!、そろそろこの曲のリズム感が体に染みついたか・・」とか言われてやっと合奏練習に戻ったものの
そこでまた「下手くそ!!」だの「リズム音痴!!!」だの怒られまくり
ポンコツダンスはさせられるし、怒られまくるし、
この「ソーラン節」というのか北海の大漁歌という課題曲を聴くと、
今でも当時の「苦い夏の思い出」が蘇ってきますね・・・・(汗・・)
上記で書いた通り、アルトサックスには「ソロ」もあったりして、吹奏楽コンクールの本番はとにかく緊張しまくりだったと
思います。
というか・・あのとてつもない重圧・・プレッシャーは今でも鮮烈に私の記憶の中に留まっていますね!
地区予選も県大会もなんとかミスなくソロは乗り越えられましたけど、後で自分たちの実況演奏をテープで聴いてみると、
私のソロの部分は練習以上にヴィヴラート(細かい音の揺れ)かけまくりで、
なんかあれを聴くたびに「あの本番の時はソロというプレッシャーでびびってしまい、声が震えるように
楽器の音色にも震えが生じていたのかもしれないですね・・汗・・!

1980年の私自身の吹奏楽コンクール・県大会は銀賞という結果に留まり、
支部大会代表はおろかダメ金すらも取れないというトホホ・・な結果に終わってしまったのですけど、
本番の演奏終了後に全体の集合写真に写っていた私は、周囲の人たちが「普段の練習が全然発揮できない
惨憺たる演奏をやっちまった・・」みたいなボー然としている表情をしている人ばかりなのに、
なぜか当時、吹奏楽部部長の私は一人だけニッコニコの満面の笑顔で写っていました。
それはなぜかというと、
「これでやっと3年間に渡って首根っこを押さえられとにかくギャンギャン怒られまくったあのおっかない顧問の先生から
解放される! これでもう怒鳴られることもないし、毎日のように下手くそ!と怒られる事もなくなる!
これで大嫌いな吹奏楽とおさらばできるじゃん!!」という感覚だったのかもしれないですね・・・
実際問題、私自身は、中学の卒業文集で延々と吹奏楽部への愚痴と恨みつらみを書きまくり(汗・・)
締めの言葉として「私は高校に入ったら絶対に運動部に入る! もー金輪際、吹奏楽部とか音楽に関わる事は
真っ平御免!」とはっきりと明示していましたからね・・(汗・・)
後日、高校に入学後もちゃっかり(?)吹奏楽部を続けていた私に対して、
「えー、おまえ卒業文集で吹奏楽は絶対にやらないといっていたじゃん! このうそつき!」とも結構言われたりも
していましたけどね・・(滝汗・・)
というか・・高校の吹奏楽部でまさかああした素敵な出会いがあるとは当時の私には知る由もありませんでしたし、
その二年後に、このブログでは何度も書いている通り、1982年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会にて
花輪高校吹奏楽部によるウォルトンの交響曲第一番第四楽章という「魂の演奏」に出会った事で、
私のそれまでの吹奏楽観・音楽観がすっかり劇的に変ってしまい、私自身が中学時代の音楽嫌いから
「吹奏楽・クラシック音楽という深い森の中に迷い込むきっかけ」が出来てしまったという事も知る由もなかったのです。

話を私自身の中学三年の時の吹奏楽コンクールに話を戻しますと・・

県大会の演奏は自分で言うのも何ですけど本当にズタボロの演奏でした・・・(汗・・)
せめて地区予選の時みたいな演奏が出来れば後悔はなかったと思うのですけど
本当にほんとうに惨憺たる出来栄えで練習の成果は全く発揮されていなかったと思います。
コンクール前に思っていた事は、
「万一この県大会を通過して県代表に選出されて支部大会に出場する事になったとしたら
あのおっかねー先生にまたまた一か月近く怒られまくる・・・そりゃ嫌だな・・・
だけど本日の県大会で県代表に選出されなかったら、本日をもって引退となってしまい 
明日からは受験に専念せざるを得なくなる・・・
それも嫌だな・・・
あ~あ、どっちも嫌だな・・・一体どうすりゃいいんだろ・・」みたいな
何か気分は・・「to be or not to be」のハムレットみたいな心境だったと思います。
本番の演奏があそこまで見事に崩壊してしまうとは、私を含めて部員全員のこの一年間の
モヤモヤとした鬱積した気持ちとか大量退部者を出してしまった後ろめたい気持ちとか
指揮者の先生に対する反発の気持ちとか、色々あったとは思いますが
結局は最後まで皆の気持ちが一つにまとまらなかったという何かモヤモヤとした鬱積した気持ちが、本番当日の舞台でも
部員全員の「本音」を象徴させるような形となって、「音」になってしまったのかなと思う事は今でもあったりしますね・・・

課題曲Cの出だしから既に何かモヤモヤした出だし・・・
この年は私自身はアルトサックスでの出場でしたけど、課題曲冒頭の音がアルトサックスにとって鬼門というのか
大変音が出しにくい低音から開始されるという事情もあったのですけど
出だしがスカスカの音状態で始まり
「これはまずい・・・」と思ったけど修正できずに曲がどんどん進行し、
中間部のトランペット・オーボエ・フルートのソロの部分では、3人の奏者が全員揃いも揃ってソロを外すという
練習中でもなかった事態が発生し、更に奏者の動揺を招き、課題曲は崩壊状態で終了し、
自由曲も「あれれ・・いつもと調子が違う」みたいな違和感を最後まで吹っ切る事が出来ずに終了し、
ボー然とする中、中学最後のコンクールが幕を閉じたという感覚で終わってしまいました。

当日全部門の審査が終了したのがPM19:00過ぎ・・・
部員全員を残しておくわけにもいかないという事で、部長・副部長、そして指揮者の先生以外は
全員そのまま帰宅となり、
私が部を代表して閉会式と審査結果発表に臨んだのですけど結果は上記で記したとおり銀賞・・
(よくあんなポンコツ演奏が銅賞にならなかったものですね・・・汗・・!)
閉会式で表彰状を貰ったのですけど、全然嬉しくなかったですし、当日の演奏やこれまて゜の部の活動状況に対する
後悔」の感情ばかりが沸き立つ中で・・・
「ああ・・・やっとこれでコイツの指導から開放される・・・明日からは・・・受験のプレッシャーはあるけど
一応自由だ・・!!」
みたいな開放感はものすごく感じていましたし、それが前述の全体集合写真での私のニコニコ笑顔に
なっていたのかもしれないですね。

今現在ですと、メールやラインで当日の審査結果なんかをリアルタイムで回覧できるのですけど
当時は携帯すらない時代(苦笑・・・)
3年生には、直接電話を掛け結果を伝え、下級生には審査結果は明日の朝刊を見ておいて
というのもなんか時代を感じさせますよね。

それでもって帰りはその指揮者の先生の車で学校まで送って貰ったのですけど
最後ぐらい「お疲れ様!!」とか「今まで色々と酷い事ばっかり言ってすまなかった・・・」
「だけど、お前たちも本当によく頑張ってくれた!!」みたいな労いの言葉があるのかな・・・とか
「最後くらい、俺のおごりでなんかうまいものでも食わしてやる! 何でも好きなもの頼め!!」みたいな
嬉しいサプライズでもあるのかな・・・と淡い期待を持っていたら、
その車での送迎中も一時間近く延々と部長・副部長に対して
「お前たちは、今までオレが面倒見てきた中でサイテーの代!!」
「お前たちぐらい俺の言う事を素直に聞かなかった奴らはいない」 
「お前たちはだからダメなんだ!!」みたいにずーーーーーっと説教の連続でして、

マジであの瞬間は・・・・「こいつ今すぐくたばってしまえ!」と感じていたものでした・・

北海の大漁歌ですけど、この年の課題曲は課題曲A/花祭りに人気が集中しすぎてしまい、
結果的にこの課題曲Cを選曲するチームはどの部門も比較的少なかったと思います。
県大会でも支部大会でも全国大会でも「これが決定的名演!!」と言える演奏があんまり無かったようにも思えます。
強いて言うと、
関西大会の演奏ですけど、大津シンフォニックバンドのテンポいじくりまくりの個性的な演奏とか
四国の富田中学校の大変正攻法で中学生らしい伸び伸びとした演奏は、
とっても素敵な演奏で大変印象に残っています。
そんな中、この課題曲の「最大の名演」がやはりこり東海大学第四高校の演奏だと思います。
全体的に大変オーソドックスでテンポ設定も大変無難で、夜明け→漁の風景→嵐→死者の弔い→漁の再開
みたいな「ストーリー性」が大変生き生きと描かれていると思います。
アルトサックス・トランペット・オーボエ・フルートの各ソロも無難だったと思います。
面白い演出は青森県信用組合だと思います。
ステージ内に大きな「丸太」を持ち込み、
譜面上では、拍子木指定の部分をこの丸太でコーンコーン打ち鳴らし、一定の効果を得ていたのは大変ユニークでした!

最近の演奏技術とか表現が大変難しい課題曲を耳にすると、この時代のソーラン節をひたすらモチーフにした
このシンプルさは逆に新鮮にも感じたりもしますし、
やはりこの課題曲を聴くと、今でも中学生当時の私の「感覚」・「記憶」が蘇ってくるのもなんだか自分自身すごいな・・と
思ってもしまいますね!
昨日の記事は、A.リードの吹奏楽のための第一組曲というちょっと知る人ぞ知るみたいなマイナーの曲の紹介と
なりましたけど、本日の記事も前日同様にリードの曲です!
昨日も語りましたけど、最近リードの曲自体コンクール・コンサート等で耳にする機会は少なくとも20世紀の頃よりは
かなり減っているように感じられます。
今現在ですと、アルメニアンダンスパートⅠ・オセロ・春野猟犬・エルサレム讃歌ぐらいしか演奏されないのかな・・?

本日の記事は、そうしたリードの曲としては現在では演奏される機会はほとんどないのですけど
(第一組曲よりはまだ演奏される頻度は高いのかも・・?)
吹奏楽コンクールの自由曲ではなくて、定期演奏会・駅コン・コンサートのオープニングに相応しいような
演奏時間が3~5分程度の短めのリードの曲ってどんなのがあったのかな・・?と思った所、思いついたのは
下記の二つの曲でした!

その一つが「ミュージック・メーカーズ」という曲です。

「ミュージックメーカーズ」という楽しい小品は、リードの相当初期の作品です。
演奏時間は3分程度なので、
コンサートのオープニングやアンコールには最適の曲と思われますが、
コンクールで演奏するにはあまりにも短過ぎるから、この曲をコンクールで演奏されたことを
聴いたことは一度もありません。
実際問題、この曲が吹奏楽コンクールの自由曲として演奏されたのは、確か・・・1996年の宮崎女子高校ぐらいだったと
思います。
1994年の課題曲のⅠ~Ⅳの全ての演奏時間が6~7分程度ばかりの曲だった時も
この「ミュージックメーカーズ」が自由曲としては支部大会レヴェルでは一度も選曲されなかったのは当時
少し意外に感じもしたものでした。
1994年の自由曲は、課題曲とのバランスの構成とか短時間で演奏効果が得背れる事の難しさを含めて
どのチームも選曲に苦労していたと思いますが、時間的に手頃という事で、
バーンスタインのキャンディード序曲がこの年だけは流行していたのは何か今となっては懐かしい思い出です。

地区予選とか県大会あたりでは、4~5分以内の手頃なオリジナル曲という事で、
普段では滅多にコンクールでは取り上げられないオリジナル曲を結構聴けたのは1994年のコンクールの
数少ない収穫だったと言えるのかもしれないです。

一例をあげると・・・

〇吹奏楽のための第二組曲より、Ⅳ パソ・ドブレ(リード)

〇吹奏楽のための第一組曲より、Ⅲ マーチ(ホルスト)

〇シンフォニア・フェスティーヴァより、Ⅲ トッカータ

〇シンフォニックソングより、Ⅲ(ベネット)

〇交響曲「メキシコの祭り」より、Ⅲ カーニヴァル

〇吹奏楽のための第二組曲~ Ⅲ.鍛冶屋の歌 Ⅰ.行進曲 (またはⅣ.ダーガソンの幻想曲) G.ホルスト

〇前奏曲とフーガ(ネリベル)

比較的、東海大会・一般の部と東京都大会一般の部予選においてマニアックな短い自由曲を聴けたのは、
当時の収穫だったと思います。

「ミュージックメーカーズ」ですけど、何年か前に私のの出身高校の吹奏楽部が定期演奏会で演奏していました。
やはりオープニングの曲として演奏していたようです。
(私の高校2年の時のオープニングは、1972年の課題曲の「明日に向かって」で、3年の時はインヴィクタ序曲でした! 笑・・)
この曲は冒頭からそうなのですけど、とにかく聴くものを惹きつけるほどの輝きと躍動感に満ち溢れていると思います!
これはまさに「生命感」そのものの曲だと思いますし、どちらかというと「ヴィヴァ! ムジカ」とか「春の猟犬」の世界観に近く、
喜びとか音楽を奏でる生き生きとした楽しさをこれほどまで聴き手に分かりやすく伝えている事が出来ている曲も
珍しいのではないのか・・?とすら感じてしまいますね。
演奏時間が短いせいもありますし、曲自体に繰り返しが多いせいか、メロディーラインが大変覚えやすく
一度聴いたらあの躍動感溢れるメロディーは中々忘れることができないようにも感じられますね。
そして短い曲なのだけど、冒頭のあの躍動感から曲のラストまで一気に駆け抜けていくような感じが非常に強いと言える
曲なのだと思います。
個人的な印象なのですけど、この曲における「スネアオフ・ドラムのリズム」は大変巧みだと思います。

この「ミュージックメーカーズ」をCDで聴く場合、一つ素晴らしい名演があります。
それが何かと言うと、リードの自作自演盤なのですけど洗足学園の演奏が非常に生き生きとして素晴らしいですし、
この曲以外で収録されている「アルメニアンダンス」が素晴らしいです!!
(演奏はかなりゆったりめです)


続きまして二つ目のリードの曲が「音楽祭のプレリュード」です!

「音楽祭のプレリュード」(私が現役時代にはこの曲は「オンプレ」と呼ばれる事が多かったですね・・)も
音楽の構成美として大変優れていて、演奏時間は5分程度と短めですけど、内容的にも充実し、
演奏会の開幕を飾るのに相応しい曲の一つとも言えるのだと思います。
初期の頃の作品という事で、後年のリードの「華やかな要素」はまだ少なくどちらかというとシンプルで地味な曲なのですけど、
その分かりやすさが結構ツボに入ったりもします。
タイトル通り、いかにも「音楽祭」の幕開けに相応しい音楽と言うのか、曲全体を通して、
「これから何か楽しい事が始まるぞ・・・」というワクワク感・ドキドキ感が感じられる点が素晴らしいですね。
技術的にもそれ程難しくないし
打楽器もティンパニ・大太鼓・小太鼓・シンバル程度の非常にシンプルなもので
25人程度の小編成チームでも演奏可能と言うのが実にいいですね。

この曲、金聖響指揮/シエナウインドの「リード作品集」にも収録されていたと思いますが、大編成でも小編成でも
どちらでも演奏効果が十分得られる曲と言えるのだと思います。
こうした忘れられつつある吹奏楽の古典的なオリジナル名作を現在にも
蘇らせて頂けるのは、とてもありがたいものです。

この曲は、実は、1970年の吹奏楽コンクールの課題曲でもありました。
この年1970年は、コンクールの一つの転換点でもありまして、
前年までは、出場チームは、一位・二位・三位と順位によって評価を受けていましたけど
この年以降は、金賞・銀賞・銅賞と言うグループ表彰に変わります。
そうそう、この「音楽祭のプレリュード」という課題曲は、高校・大学・職場・一般の部の課題曲で
中学の部は、ヘンデル作曲の「サムソン序曲」というなんとアレンジものでした。
中学とそれ以外の部門で課題曲が異なるというスタイルは、1977年まで継続されていましたね。
(ディスコ・キッドが全部門共通というのもなんか面白い話だと現在の視点で見ると感じてしまいます)

「音楽祭のプレリュード」は1970年当時は課題曲として演奏されていましたけど、
結果的にこの曲が一つのきっかけとなって「アルフレッド・リード」という作曲者が
日本の吹奏楽界で大ブレイクするきっかけとなったと言えるのかもしれないです。
この曲は、後日課題曲としてではなく「自由曲」として演奏される事も結構あり、
私自身もこの曲は何度かコンクールの自由曲として聴いたことがあります。
課題曲が、「自由曲」として演奏されることは、珍しい事ではなくて
1982年の関西大会で、大阪の信愛女学院が76年の課題曲「即興曲」を自由曲として演奏していましたし
1982年の天童市役所音楽隊は、80年の課題曲「北海の大漁歌」を演奏していましたし、
全国大会でも1994年の中学の部で、蟹江中学校が88年の課題曲A/深層の祭りを演奏していました。
保科洋の「風紋」は、自由曲として聴いたことは何度かありました。

あまりにも古いローカル話ですけど、1979年の宮城県大会にて、当時の仙台育英高校がやんちゃな男子高校時代に
自由曲に77年のある意味不滅の課題曲「ディスコ・キッド」を自由曲として演奏していたのは
なんか今でも記憶に残っています・・・(笑)

A.リードの「吹奏楽のための組曲」シリーズは、数えてみると全部で七つもあるのですね!
第四組曲以降は、日本の吹奏楽団体からの委嘱作品というのも意外な話なのですけど、それも晩年のリードと日本の
関係の深さを物語っていると言えると思います。
だから、第四組曲以降の作品の中に、山伏神楽だの阿波踊りだの日本的要素が随分と
組み込まれているのかな?と不思議に感じた事はあるのですけど、それは日本からの委嘱という事で
リードとして相当日本的なものを意識して作曲したのかもしれないです。
(ホルストが組曲「惑星」を作曲していた頃、とある日本人より「日本組曲」という曲を作曲して欲しいと委嘱の依頼があっても
ホルスト本人は「日本の事なんかさっぱりわからない・・」と難色を示したところ、その日本人より、日本のフレーズや民謡を
手取り足取りレクチェーされたみたいなエピソードが残されていますけど、もしかしてそれに近い話が
リードにもあるのかもしれないですね・・笑)

「小組曲」を含めると、「吹奏楽のための組曲」シリーズはリードは生涯に八つ残したという事になると思います。

あくまで私の個人的な感想なのですけど、第四組曲以降の組曲シリーズは、何かあまりピンときません。
無理に日本を意識したり、世界各国の踊りというテーマにこだわりずきたせいか
何か本来のリードらしい「溢れ出るメロディー感」が今一つ伝わってこないような感じもします。

私としては、リードの組曲シリーズは、
私が高校時代の定期演奏会でかつて演奏したというのが一番の理由かもしれませんけど、
第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」が一番大好きです!
この曲、特にⅠとⅣのノリの良さは気持ちいいを通り越して「気分爽快」の一言に尽きますね!
奏者としても「吹いていてこれだけ気持ちが高揚する気持ちのいい曲は無い!」と感じるほど、吹いていてこんなに楽しい曲は
無かったようにも感じられます。
第三組曲「バレエの情景」もクラシカルな雰囲気漂う格調高い作品であり、この曲も結構好きです。
第二曲の「パ・ドゥ・ドゥ」の冒頭のフルートソロとかスローなバレエの調べが随所に感じらますし、第四曲の「全員の踊り」の
クライマックスに掛けての自然な盛り上がりは素晴らしいものがあると思います!
また地味なのですけど「小組曲」のチャーミングさも捨てがたいものがあると思います。

だけど第二組曲・第三組曲がある以上、当然ながら第一組曲というのも残されています。
それでは、組曲シリーズ第一号の「第一組曲」ってどんな曲なのでしょうか?

組曲シリーズの中では、演奏頻度は少なく、影の薄い曲なのかもしれませんけど、
初期の頃の「ミュージックメーカー」らしいアィディアに溢れた作品であり、私は好きな曲です。
全体的には「古き良きアメリカ」という雰囲気が漂っていて、西部開拓時代の歌と踊りみたいな感じもあるのかな・・?とは
感じたりもします。
現在のアメリカというと胡散臭いとか商業主義と訴訟社会が究極にまで達しているとか
自分勝手とか自分さえよければされでいい・・みたいな世相がもしかしたらあるのかもしれないですけど、
リードの第一組曲から聴こえてくる音楽というのは、そうした「アメリカ第一主義としてのアメリカ」ではなくて、
「困ったときはみんなで支え合う」とか「そんなのお互い様だからしょうがないじゃん!」みたいな
古き良き時代の「おおらかさ」みたいなものをリード自体がどこか懐かしんでいるようにも感じられたりもしますね。
だけど、この第一組曲は、最近の若い世代でしたら「聴いたことが無い・・・」なんて言われちゃいそうですね・・(汗・・!)
私が現役奏者時代は「全国大会・支部大会でリードの曲が一つも演奏されない」なんて事は
「ありえな~い!」という感じだったのですけど、現実問題、最近の吹奏楽コンクールにはそうした事が現実に発生していますので
やはり「時代は変わったね・・」と感じずにはいられないのですけど、
私としては、ハムレットの音楽・オセロ・第二組曲・春の猟犬・パンチネルロ・エル・カミーノ・レアル・ジュビラント序曲などの
リードの不滅の名曲は絶対に後世に受け継がれていくべきもの!と考えておりますし、
間違いなくそうなって欲しい!と確信しております!

リードの第一組曲は、下記の四つの曲から構成されています。

Ⅰ.マーチ

Ⅱ.メロディ

Ⅲ.ラグ

Ⅳ.ギャロップ

Ⅰは、快活な行進曲で、金管のノリが抜群に良い楽しいマーチです。
Ⅱは、時にしんみりさせられます。Ⅲは、ちょと繰り返しが多く部分的にしつこいと感じるのですけど、
あのいかにものんびりおっとりとした雰囲気はやはり「古き良きアメリカそのもの」ですね。
Ⅳは、出だしが何となく「双頭の鷲の下に」に似ているかな・・・?
ラストを飾るのに相応しい勢いのあるフィナーレです。

第二組曲・第三組曲のような「表題」はなく、全体的に音楽の絶対性を追求した
純粋吹奏楽曲と言えるのかもしれません。

学校名は全然記憶に残っていないのですけど、吹奏楽コンクールの県大会にて、この第一組曲のⅢ.ラグだけを演奏し、
演奏がド下手くそだったせいもあるのですが、繰り返しの多さにうんざりさせられた記憶があります。
この組曲をコンクールで演奏する場合、Ⅰ・Ⅱ・Ⅳが一番スタンダードなのだと思います。

この組曲は一度だけ全国大会で演奏されたことがあります。
1978年の東北学院大学なのですけど、この時は、どの楽章を演奏したのでしょうかね?
当時の大学の部は、金賞以外レコード録音されないから今となっては確認のしようがないです。

この第一組曲は、秋山和慶/東京佼成が一番優れた演奏だと思います。

Ⅳのギャロップを演奏会のアンコールで演奏するのも楽しいのかもしれないですね。

リードの第一組曲は全体的には、R.ベネットの「シンフォニックソング」とか「古いアメリカ舞曲による組曲」の世界に
近いとも言えるのですけど、
この第一組曲から次の第二組曲の「作風の進化」には目を見張るものがあると思います。
ディヴェルティメントというとクラシック音楽好きの皆様の感覚だと「モーツアルト」という事になるのかもしれないですね。

「ディヴェルティメント」を邦訳すると「喜遊曲」または「嬉遊曲」という事になり、
要は楽しく軽妙に親しみやすく作られ、極力悲しい部分や深刻な部分は避けるという事が
お約束になっていると思います。
よく「ディヴェルティメント」と「セレナーデ」との違いは何という事が問題になる事もありますけど、
正直特に違いはありません。
ま、強いて言うと、室内用に作られたのがディヴェルティメント、屋外用がセレナーデという所なのかもしれないです。
この「ディヴェルティメント」という音楽形式は、ハイドンやモーツァルトの頃に盛んに作曲されていたものの
19世紀以降は急速に廃れていったような気もします。
しかし20世紀に入ると、
ストラヴィンスキー・イベール・バルトーク・ルーセル等の大作曲家がこの「ディヴェルティメント」という
ジャンルに曲を残すようになり
(イベールの「ディヴェルティメント」が実に軽妙で洒落っ気があり素晴らしいと思います。
 終曲で登場する笛とか鈴はとても楽しいものがあると思います)
吹奏楽のジャンルでも、この「ディヴェルティメント」というタイトルの曲もいくつかあったりします。

一例を出すと・・・・

〇パーシケッティー/吹奏楽のためのディヴェルティメント

〇兼田敏/吹奏楽のためのディヴェルティメント(1967年吹奏楽コンクール課題曲)

〇増田宏三/喜遊曲「踊る行列」

さてさて、20世紀終盤にこの「ディヴェルティメント」のジャンルにまた一つ素敵な作品が登場する事に
なるのですけど、それがバーンスタイン作曲の管弦楽のためのディヴェルティメントなのです。

1980年4月、ボストン交響楽団(BSO)はその創立100周年を記念する作品をバーンスタインに委嘱し、
その時に書かれた作品が「管弦楽のためのディヴェルティメント」なのです。
当初は「ファンファーレ」と発表されていましたけど、最終的には短い8つの楽章から成る
「管弦楽のためのディヴェルティメント」となり、バーンスタインの愛弟子、小沢征爾が9月25日に
ボストンでシーズンの開幕曲として華々しく初演されました。
第8曲「行進曲」の副題が「BSOよ、永遠なれ」となっているのは、
そうした初演の経緯によるものと思われます。

この曲は以下の8曲より構成されています。

Ⅰ.ラッパの合図とファンファーレ

Ⅱ.ワルツ

Ⅲ.マズルカ

Ⅳ.サンバ

Ⅴ.ターキートロット

Ⅵ.スフィンクス

Ⅶ.ブルース

Ⅷ.マーチ「BSOよ、永遠なれ」

第一曲はいきなり冒頭から全金管楽器が咆哮し、燃え上がるように開始されます。
第二曲は第一曲とは対照的に弦楽器のみで演奏され、とてもチャーミングな感じがします。
第三曲は、決して陽気なマズルカではなくて、何かどこか思いつめたような感じがします。ラストの
オーボエの何か寂しくつぶやくようなソロが印象的です。
第四曲はいかにもバーンスタインらしい楽しさ溢れる曲ですけど、いかにもブルジルのサンバっぽい
情熱も伝わってきます。
第五曲は、木魚など打楽器の使い方が巧みで、実に粋で洒落っ気たっぷりの音楽です。
第六曲は全曲の中でも異色のすこし物悲しい音楽です・・・
タイトルの「スフィンクス」は正直、このタイトルとこの悲しげな音楽を結ぶものは何も無いようにも
感じられるのですけど、
バーンスタインによると「私がスフィンクスを笑っているジョーク」とのことですけど、
うーーん、実際は意図不明の音楽です・・(笑)
第七曲は、いかにも「ウエスト・サイド・ストーリー」の作曲者らしい音楽です。
ジャズっぽい感覚と、ドラムセットとソロトランペットのくすんだような感じが実にいい味を出しています。
第八曲は、いきなりドラが不気味に静かに鳴り、静かに開始されたと思ったら
サスペンダーシンバルの長いロールに乗っかる形で
金管楽器がどんちゃん騒ぎを開始し、祝祭的な雰囲気のまま楽しく曲は閉じられます。

演奏時間も14分程度で短く、
使用される打楽器も、木魚・ボンゴ・コンガ・ウッドブロック・シロフォーンなど多種多様なものを使用しますので
視覚的効果も十分です。

この曲は一度だけ確か1994年頃だったと思うのですけど
新星日本交響楽団のサントリーホールでの定期演奏会で聴きました。
この時はサントリーホールのP席という一番安い席というか、演奏者の後ろ側の席だったのですけど
そのおかげで私の目の前で
打楽器奏者が木魚・ウッドブロック・シロフォーンを叩いていましたので
その生の響きがいかにも「ライヴ感満載」という感じで私自身もかなりエキサイトしたのが印象的です。

冒頭でもちらっと書きましたけど、「ディヴェルティメント」という形式において、吹奏楽作品も幾つかあったりするのですけど、
その中で特に優れた作品というのが、V.パーシケッティー作曲の「吹奏楽のためのディヴェルティメント」なのだと
思います。

この曲は、ヴィンセント・パーシケッティが実は最初に作曲した吹奏楽曲でもあります。
ゴールドマンの依頼により、1950年から1951年にかけて作曲され、
初演はニューヨークのセントラル・パークにある野外音楽堂「ザ・モール」で、
ゴールドマン指揮のゴールドマン・バンドによって行われています。
このディヴェルティメントの初演は大成功になり大変な反響と好評を呼び込み、そしてこの作品の成功により、
パーシケッティは、ページェント・交響曲第6番・仮面舞踏会・ああ涼しい谷間・詩編など
数多くの吹奏楽曲を作曲するようになりました。

この吹奏楽のためのディヴェルティメントは下記の6曲から構成されています。

Ⅰ.プロローグ
Ⅱ.ソング
Ⅲ.ダンス
Ⅳ.バーレスク
Ⅴ.ソリロクイ
Ⅵ.マーチ

Ⅰのプロローグはとっても快活な曲で開幕に相応しい生き生きとした音楽が展開されます。
Ⅱのソングは優美な旋律が心に残る曲で、Ⅲのダンスは印象派風の楽しげな雰囲気があり、
Ⅳのバーレスクは冒頭から低音セクションがメロディを担当するおどけた感じの曲です。
Ⅴのソリロクイはトランペットのソロが大変印象的です。
Ⅵのマーチは終曲に相応しい曲で冒頭は打楽器のみの響きから開始され、華麗に曲が展開されていきます。
各曲とも全て3分以内の曲で全体の演奏時間も11分程度でかなり短めです。
この曲は吹奏楽コンクールでは正直あんまり演奏されないのはちょっとさびしいですけど、
1993年の大学の部で奏者30名程度でクラリネット奏者が4~5人という小編成&特殊編成の悪条件の中、
輝かしい音色と見事なアンサンブルでこの曲を演奏していた徳山大学の演奏は素晴らしいものがあったと思います。
結果として銅賞なのですけど、私的にはこの銅賞はちょっと気の毒という感じです。
徳山大学の演奏は各人の技術が大変高く、特にⅠのソプラノサックスの音色が大変印象的で見事でした!

パーシケッティーの他の作品というと交響曲第6番「吹奏楽のシンフォニー」も絶対に忘れてはいけない
素晴らしい不滅の名曲だと思います。

交響曲第6番は、音楽解説書風に書くと「新古典主義」的な作風です。
四楽章構成で、各楽章が短めながらも、全て引き締まって書かれていて、音楽に全く無駄がないと感じる作品でもあります。
曲自体、全ての楽章に何か「霊感的なもの」・「インスピレーション」を感じるほど
独創的なアィディアが詰まっていて、音楽のおもちゃ箱、宝石箱みたいな楽しさもそこにはあると
思います。
第一楽章の小太鼓・トムトムで表現される何かせわしい感じの一方で大らかな空気も感じ、
第二楽章の一転してゆったりとした祈りのような歌の世界
第三楽章の「民謡」を思い出させるようなしみじみとした歌⇒何か懐かしい感じもします・・
第四楽章のメカニック的にアレグロなのですけど、突進する中にもスピード感や清涼感も
感じ取ることが出来、一気にクライマックスまで駆け上がります。

作風としては、確かに新古典主義時代のストラヴィンスキーにも何となく近いような印象も
あるのですが、
やはり全編を通じてのあの「霊感」はさすがとしか言いようがないです。
打楽器も、目立ってはいるのですが決して派手と言う訳でもなく、
ティンパニー・大太鼓・小太鼓・シンバル・タンバリン・シロフォーン・トムトム程度しか使用していないのに
管楽器を引き立たせる香辛料としての役割もさりげなく果たしている所が心憎いです。

この交響曲のCDは、断然何と言ってもハンスバーガー指揮/イーストマンが圧倒的お勧めです!!
ライヴ録音とは思えない精密な作りに加えて、ライブ独特の高揚感も出ています。

でも私にとっては、パーシケッティーというと、吹奏楽のための「仮面舞踏会」が一番大好きな曲です!!

このパーシケッティーの吹奏楽のための「仮面舞踏会」は、正直とても難解な曲だと思います。
何がメロディーラインで、何を言いたい曲なのか、それを明確に伝える事は大変難しいようにも思えます。
例えばこの曲を知らない人100人にこの曲をいきなり聴いてもらったら、恐らく97~98人の方は、
「よく分からない・・・」・「訳がわからない・・・」とか「何が言いたいのかよく伝わらない」という印象を持ちそうな気がします。
だけど、私はこの仮面舞踏会は大好きな吹奏楽オリジナル作品です!
何だろう、この曲の魅力って・・・??
やはりその「素性を隠す」とか「妖しげな雰囲気」なのかな・・・・??
拍子は変拍子ばかりだし、不協和音が多いし、メロディーラインがよく分からないし
一見聴くと確かに「訳がわからん曲」なのかもしれません。
だけど、その「妖しげな感覚」が本当に魅力的なのですよね。

この曲は、6小節程度の短い「主題」の提示とそれに続く10の変奏、そしてラストの劇的なコーダに
よって構成されていますので
見方によっては一つの変奏曲と言えるのかもしれません。
出だしの劇的で不協和音に満ちた短い序奏にはじまり、
不安げなトランペットと低音セクションが何やら不気味な感じを演出する第一変奏、
細かく動く打楽器をベースに不気味に激しく展開されていく第二・第三変奏を経て
妖しげなオーボエのソロから開始される第四変奏へと展開し、一旦激しく盛り上がる第五変奏へと
続いていきます。
そしてユーフォニウムのやはり不安げなソロとかミュートを付けたトランペットの哀愁溢れるソロへと
つながる第六変奏になるのですけど、この部分のアルトサックスの何やら本当に妖しいリズムの支えと
いかにも「冷涼感」溢れる木管セクションの美しい響きは
本当に背筋がぞっとするほどの「感銘度」があります。
そして第七~第十変奏は、打楽器・金管楽器が大活躍し、
特にシロフォン・トムトムの響きが極めて印象的です。
そしてこの激しく盛り上がる変奏を経て、ラストのコーダまで一気に曲が展開していき
華麗に曲が閉じられていきます。

全体的には、「難解」・「訳が分からない」という印象が強いのですけど、
言葉にできないほどなにやら「妖しい雰囲気」とソロ楽器の扱い方の巧みさは
本当に上手いと思います。

確かに分かりにくい曲なのですけど
分かる人にはたまらん・・・という感じの曲なのかもしれません。

だけど最近ではコンクールの自由曲でも演奏会でもほとんど取り上げられていませんよね・・・(泣)
この曲、プロの演奏会とかプロの演奏団体のCDにはよく取り上げられている傾向もあったりします。
ある意味「通好み」の曲なのかもしれませんよね。

この曲は、吹奏楽コンクールではこれまでに三回全国大会で演奏されています。
一番最初が1973年の神奈川大学、二度目が1980年の名古屋電気、三度目が同年のヤマハ東京でして、
神奈川大学は小澤先生着任前の時代の演奏ですけど、悪くはありませんし、曲は無難に消化できています。
名古屋電気は非常にサウンドが美しいし、トランペットのソロが素晴らしい・・・
だけどカットが強引なせいもあるけど、「何を言いたいのか」はあまりよく伝わらない勿体ない感じもあります。
この三つの中ではヤマハ東京が一番よい仕上がりだと思います。
この頃の職場の部は、金賞以外はレコード化されない為
仕方が無いので、私はわざわざトラヤ(1990年に倒産・・・)にカスタムテープを発注し
カセットテープにてこのチームの課題曲・自由曲を聴くことが出来ました・・・
名古屋電気に比べてカットの頻度が短いせいもあり、この曲本来の魅力がかなりよく発揮されていると
思います。特にアルトサックスの響きが実に秀逸だと思います。

この吹奏楽のための仮面舞踏会のCDは交響曲第6番でも出てきたハンスバーガー指揮/イーストマンの演奏が
一番素晴らしいと思うのですけど、
ハンスバーガー指揮の演奏は残念ながらいまだに単発ではCD化されていません(セットものでは以前発売されていました)
(レコード盤も探してはいますけどなかなか見つかりません・・)
1987年にパーシケッティーが逝去された際、
日曜の朝のFMで放送された「ブラスのひびき」にて「追悼 パーシケッティー」の特集があり
ここでハンスバーガー指揮での「仮面舞踏会」が放送されていました。
この際、カセットテープにて録音出来て良かったと思います。
この演奏はテープが擦り切れるまで何度も聴いたものですけど、
その演奏レベルの高さ・何かを確実に伝える感銘度の高さ・音楽的表現の高さは
本当に素晴らしいものがありました。
何とかこの演奏、単発でCD化されないかな・・・
この曲とこの演奏がこのまんま埋もれてしまうには勿体ない感じもありますね!!
24.鈴峯女子高校
  (現.広島修道大学附属鈴峯女子中学校・高等学校)


A/管弦楽のための三つの交響的素描「海」~Ⅲ.風と海との対話 (C.ドビュッシー)


ここ数年の吹奏楽コンクールにおける女子高校の躍動振りは本当に惚れ惚れするものがあると思いますし、
女子高チームの中でも特に抜きん出ている存在の精華女子のあの華麗なるサウンドは
見事であるといつも感心しています。精華女子は藤重先生が今現在は他校に移籍していて今現在は
新しい指揮者の下で「新生・精華女子」を目指されていると思いますので、とにかく今後も私達にあの素敵なサウンドを
聴かせ続けて頂きたいものです!

そうした「女子高」チームの現在の隆盛の発展の基礎を気付いたのは1970年~80年代にかけて大活躍し
素敵な数多くの名演を残してくれた中村学園と就実高校だと思うのですけど
(86年の中村の「バリの喜び」と82年の就実の「幻想舞曲集」は永遠に語り継がれて欲しい名演だと思います!
そうそう、80年の就実の「ル・シッド」も絶対に忘れてはいけない不滅の名演だと思います!)

中国支部で女子高と言うと「就実高校」というイメージが大変強かったのですけど、90年代に入ると
鈴峯女子高校というチームも登場するようになり、92年に全国大会初出場を飾り、今現在で計8回全国大会に
出場されています。

だけどこの鈴峯女子高校なのですけど、私もこのチームの演奏は何度か普門館で聴かさせて頂いたのですけど、
そこで共通して言えることは、大変申し訳ない表現になってしまうのですが
「聴いていて何も感じないし伝わるものがあんまりない・・」みたいな個性&インパクトが大変弱いチームという印象が
大変強いです。

92年のネレイデスと海は初出場という事もありかなり緊張していたという事を最大限差し引いたとしても
ほとんど後日印象に残るものを残さないで当日の本番が終わってしまった・・みたいな感覚すら感じたものでした。
なんていうのかな・・・?
一言で言うと、サウンドは大変清楚で美しくまとまっているけどそのまんま通り過ぎて行った・・みたいな感じが
ありました。
課題曲と自由曲の音楽にこのチームの音質・サウンドは大変合っていると感じたのですけど、それが全体の演奏に
うまく結びつかないまま終ってしまったという感じがありましたね。

数年後、鈴峯女子の全国大会での演奏は火の鳥・ローマの祭り等を聴く機会もありましたけど、
曲が絢爛豪華になっても全体的に地味とかおとなしいという印象は92年の「海」とほとんど変わりは無かったという事は、
むしろ「おとなしさ」というのがこのチームの一つの方向性だったようにも感じられます。

これは完璧に余談ですしカテゴリ相違なのですけど、このブログでは最近よく「艦これ」の話題にも触れることが多く、
最近でも「浦風」という広島弁キャラの艦娘の事を触れさせて頂いたのですけど、浦風の広島弁丸出しの
あのやんちゃな武闘派ぶりはいかにも「広島の元気な女の子!」という感じでもありました。
戦闘では「おどりゃあ!」と叫び、夜戦になると「邪魔じゃけぇ!」「そこ退けやぁ!」と、まるで広島のヤクザみたいな
ドスの利いた言い回しをしているのが大変印象的でしたし、ピンチの際には、
「心配いらんよ。うちがついておるから、この艦隊は大丈夫じゃて!」というセリフは
大変泣かせるものがあると思います!!
広島の女の子というとなんとなくですけど、あのどぎつい(?)広島弁とか
戦闘ではかなり荒っぽくなり普段も広島弁炸裂で、明るくかわいいけど どちらかというと武闘派みたいな雰囲気のある浦風
という印象がある私にとっては、
この鈴峯女子高校の意外な「おとなしさ・控えめ」という感じは大変意外というものもあったと思います。



27.習志野高校


A/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲~Ⅱ.パントマイム Ⅲ.全員の踊り (M.ラヴェル)




この課題曲A「ネレイデス」は習志野高校と常総学院のサウンドのために作曲されたような印象さえあります。
それほど両校の気品・洗練・美的なサウンドにマッチした曲想だと思います。
習志野の「ネレイデス」は曲のうねりも実に見事に表現されていましたし、ラスト近くの音自体の鋭さも大変素晴らしかったと
思います。
常総と習志野はあの「洗練された音」だけでネレイデスで作曲者の田中賢が意図したかったことのほぼ8割近くは
表現出来ていたようにも感じたものでした。
常総学院と並んで全部門を通して最高の課題曲Aの演奏の一つだったと思います。

自由曲は1987年と同じ選曲で、87年のあの歴史的名演を生で聴いていた私は当時とにかく鳥肌が立つくらい
あの素晴らしい演奏と洗練された音と美的限界をはるかに超越するあのあまりにも美しいサウンドに
圧倒されていたものでしたので、
92年の習志野の自由曲が「ダフニスとクロエ」と知った際には、
「是非87年のあの名演を超越する名演を再現して欲しい!」と強く願ったものでした。

一般的な話ですけど、あるチームが過去に素晴らしい名演を残し、数年後に同じ指揮者の下で、
過去の名演と同じ自由曲を再演する場合、
1.過去のそうした名演を更に超えちゃうとんでもない名演がさらに誕生
2.過去の名演を超えることが出来ず、聴いている方も「今回の演奏は過去のあの名演に比べるとちょっとね・・」と
  肩すかしを食らってしまう演奏
という二つのパターンがあると思うのですけど、ほとんどの場合は2のパターンになってしまう事が多いような気もします。
1の数少ない事例としては、87年と92年に「ダンス・フォラトゥーラ」を自由曲に選んだ洛南が挙げられるのかな・・?と
思ったりもします。
「ディオニソスの祭り」を銚子商業と神大で指揮された小澤先生の演奏も1に該当すると言えるのかもしれないです。
秋田南ですら、80年の自由曲の「交響三章」の「美の儚さと崩壊」を感じさせるあの素晴らしい名演を再演した
86年の演奏は高橋紘一先生の勇退の演奏だったのに、聴衆に何も伝えるものがなかった凡演だった事を考えると
やはり「自分の過去の名演」を後日の自分自身が超える事は大変難しいという事を示唆しているのかなとも
思ったりもします。

92年の習志野の「ダフニスとクロエ」第二組曲もそうした感じの典型的な演奏だったように私には感じられたものでした。

87年の演奏にどんなプラスαがあるのかなと思って期待していたのですが、
残念ながら目立つプラスαはありませんでした。
92年の演奏は、87年と同様に、パントマイム~全員の踊りを取り上げていましたが、
87年の場合は、パントマイムの最初のオーボエのソロから開始されていたのに対し
92年の演奏は、チューバと弦バスのボンボンという後打ちから開始される奇妙な始まりという感じがあり、
このチューバの音がなんか少し外し気味で違和感を強く感じたことが印象を悪くしたようにも感じられます。
サウンド自体87年同様華麗に洗練された響きでしたけど、特にそれ以上特筆すべき個所もなく終わってしまいました。

結果として金賞という審査結果になり私としてもこの結果には異存は全くないのですけど、
やはり過去の名演の再演という事で「過去の演奏」を何か上回る+αというものは欲しかったなぁ・・と感じさせる
演奏だったとは思います。
課題曲の演奏が素晴らしかっただけに少し惜しまれるものがあったと思います。
 
リードの「ジュビラント序曲」は支部大会は仕方ないにしてもさすがに県大会・地区予選ですらもほとんど演奏されることのない
「忘れられた吹奏楽オリジナル曲」になりつつあるのかもしれないですね。
この5分程度の短い曲ですけど、ある意味私にとっては「メモリアルな曲」でもありますので、出来れば忘れられることなく
永遠にどこかのチームに演奏され続けてほしい曲の一つだと思っています。

この曲は、まさに初期のリードらしい簡潔なA-B-Aの三部構成として書かれていて、
パンチネルロ・インペラトリクス・春の猟犬・エル・カミーノ・レアルなどと共通の世界観があるのかなぁ・・と感じさせてくれます。

ジュビラント序曲は、1969年の春に作曲され、サム・レイバーン高校吹奏楽部に捧げられた曲で、
期待や可能性、若者たちの自然な熱狂をまさに絵に描いたような曲でもあり、
季節感としては「春」というイメージが大変強いと思います。
この曲はタイトルの「ジュビラント」(歓喜)が示すように、基本は2/4拍子で、曲の両端のアレグロは
まさに「ハッピー」を思いっきり音にしたような「音楽の喜び」・「楽しさ」が表現されていると思います。
冒頭から既に東方のフランちゃんではないですけど(笑・・)
「キュッとしてドッカーン!」みたいに爆発的推進力で溢れかえっていると思います。
そしてこの曲は後述しますけど、前半は「ソロ・クラリネット」が全体をリードし、このクラリネットのメロディーに乗っかる形で
他の木管・金管が絡んでいきます。
そして中間部は4/4拍子に変り、これが実に美しいですし、まさに「希望」と「ロマンチック」を絵にしたような
メロディーが奏でられていきます。
そして前半の再現部を経て、フルートのソロを経て、一旦曲が弱まったのを見透かしたように
突然のとてつもないfffが待ち構えていて、そしてそこから先は一気呵成に華やかにラストまで追い込んでいきます。
5分半程度の大変短い曲ではありますが、とにかく聴きどころが満載で
聴いていてとってもとっても楽しい曲だと思います。
その一方でクラリネット奏者、特にソロクラリネットとファーストクラの奏者は(かつての私のように)大変だと思います・・!

この「ジュビラント序曲」は、私にとっては私自身がチェンジする一つのきっかけになった曲でもありました。
その意味では私にとってはメモリアルな一曲と言えるのかもしれません。

高校の吹奏楽部に入部して間もなくの頃、
「あれれ・・? 自分のクラリネットの音色は全然クリアじゃないし、むしろ濁っている」と
自分の下手さにすぐ気が付き「これはまずい・・・」と思い、
とにかく先輩達に改めて一から教わりながら、アンブシュア・正しい呼吸法・ロングトーン・リードの調整法などを
とにかくひたむきに吸収していったと思います。
多分ですけどあの頃が私が10年間の奏者の中で一番真面目にひたむきに余計な事を考えないで
「クラリネット」に向き合っていた時期だと思います。
そしてあの頃は、教室とか廊下で、メトロノームを相棒にして、とにかくロングトーンをしまくっていたというか
「まずは自分が一番美しく出せる音はどの音だろう・・・」と考え初め
「中音域のCの音か・・・」
「それではCの音が美しく出せるようになったら次はDの音・・・」というように
当時の先輩たちの「美しい響き」を見よう見まねで吹いていき、
とにかく「美しい音」を一つの音でもいいから出せるようにしていこう・・!!としていったものです。
12月~2月頃なんかは、田舎の貧乏県立高校ですから授業と同時にだるまストーブは消されてしまうし、
廊下とか教室はとにかく寒かったですけど、セーターの上にジャンパーとかどてらを羽織ってとにかく厚着しまくりで
練習というかロングトーンしていたのはなつかしい思い出でした!
当時の私の感覚としては、「音楽の優しさも甘美さも厳しさも楽しさもまずは音色から」という意識が大変強く、
音楽の表現以前にまずは「自分のクラリネットとしての音をどうすれば美しく響かすことが出来るのか」という事ばかり
考えていたと思います。
そのために、まずは「たった一音でもいいから、これが自分のクラリネットの音だ!!」というものをつくりあげていこう!という
想いが大変強く、その一音をうまく出せれば、次の音、その次の音という感じでどんどん「自分の音」を
作っていけるんじゃないの・・?みたいな意識はあったのだと思います。
そうですね・・この感覚は、まさに「響け! ユーフォニアム」【第一期】第12話の
久美子の「うまくなりたい! うまくなりたい!」と泣きながら京都の夜の街を駆け抜けていったあの心境と
少しは重なるものがあるんじゃないの・・?みたいに思う事もあります。

さてさて・・・そうした日々の中、高校2年の定期演奏会の曲目が決定し、
ファーストステージの「吹奏楽オリジナル作品ステージ」の一曲目がまさにこのリードの「ジュビラント序曲」だったのです!
私の高校は男子校で慢性的なクラリネット奏者不足に悩まされ続けていましたけど、
当時、一人とてつもなくクラリネットが上手い先輩がいて、
この先輩が吹くクラリネットの音色が、当時の私にはまさに「憧れ」みたいなものでしたし、
まさに身近の偉大なるお手本みたいな存在でした。
そしてこの「ジュビラント序曲」に関しては、私とその先輩が「ファーストパート」というタッグを組む事となり、
私がファースト、その先輩がファースト兼ソロ担当という事になりまして、
当時の私としては、同じ曲で同じファーストを担当する事で、その先輩の間近にいるという事を最大限利用させて頂き、
その先輩の吹き方、マウスピースのくわえかた、ブレスのとりかた、
とにかく・・その先輩が吹く「ジュビラント序曲」を私自身が思いっきりマネさせて頂いたという形になったと思います。
「どうすれば美しい音を出せるのか・・・」と試行錯誤の末、その先輩のパクリに近い感じはありましたけど、
レガート奏法みたいなダーダー吹きみたいな感じの方が
何か美しく響くかな・・・自分には合っているのかな・・と思えるようになり、
結果として私のクラリネットの音色は「リズムが甘いベタベタ吹き」みたくなってしまいました(汗・・)
大学の吹奏楽団に入団して「確かに音自体は大変美しく鳴らせてはいるけど・・」と前振りがあった上で
「ヘンな奏法を身に付けちゃって・・・・」とよく指摘されてはいましたけど、
やはり高校時代のあの先輩の奏法とかクラリネットの音色に私自身は相当影響されていたと思いますし、
身近に上手い先輩がいた事で「どうすればクラリネットを美しく響かせることができるのか・・」という意識を
常に持つようになり、まさに私自身が「チェンジ」する一つのきっかけとなったのが
間違いなくこのジュビラント序曲なのだと思います。

最後に・・・

この「ジュビラント序曲」の歴史的名演は、1976年の瑞穂青少年吹奏楽団に尽きると思います!

この演奏はなんと・・! 5分10秒で完奏しちゃっていて一気に畳み掛けるスピード感溢れる素晴らしい名演だと思いますし、
とにかくソロクラリネットが本当にめちゃくちゃ上手いと思います。
この曲は作曲者のリードが東京佼成を指揮して自作自演の演奏もCDとして残していますが、
テンポが意外とゆっくりで演奏時間は6分半程度です。
瑞穂みたいな「若々しい」感じではなくて「大人としての演奏」を聴かせてくれています。
またとてつもなくマイナーな話ですけど、関東大会B部門で結果として銅賞なのですけど
新潟県代表の六日町高校も荒々しさと瑞々しさが混在した大変面白い演奏を聴かせてくれていたと思いますし、
ソロクラリネットの女の子が半分立ち上がったような雰囲気で腰を浮かしながらの
必死の演奏スタイルが当時極めて印象的に映りました!

とにかくリードの「ジュビラント序曲」は決して忘れてはいけない不滅の吹奏楽オリジナル曲ですので、この曲が後世にまで
ずっと誰かに演奏され続けてほしい!と心から願っております!
「浜松」と言うと、私的には「音楽の街」というイメージがあります。
やっぱりそれは「ヤマハ浜松」の存在が大きいのかな・・・・?
元来、浜松市はオートバイや木工・繊維関連など、「モノづくりの街」として名を知られていますけど、
やっぱり最たるものは「楽器制作」ですよね・・・!!
河合楽器製作所・ローランドなど、名だたるメーカーが浜松市に集結していますし、
国内でのピアノ生産量は第1位ですからね!!

浜松は「世界最大規模の楽器の街」という印象が強いですね!

ついでに書くと、私の勝手なイメージがあるのかもしれませんけど、
「静岡県」はとっても住みやすい街というイメージがあったりもします。
気候が温暖で、住んでいる人達も温厚な人柄の方が多く、食べ物も美味しいし
同時に「おっとり」というすごくいいイメージがあるのですよね。
あくまで個人的な話なのですけど、知人とか職場で知っている人で静岡出身の人ってみんななんか
温厚で温和で人間的に魅力がある人が多いみたいなイメージがあったりもします。
何でそんな印象を持っているかと言うと、
以前もこのブログで書いている通り、私自身は1990年~96年の間は山梨県の支店に在籍していたもので、
その際の甲州人の「強引さ・よそ者排除意識・身内意識の強さ・甲州弁のガラの悪さ」等に
いささかうんさ゜りしていた面もかなりあり(あ・・・勿論、甲州には甲州の良さは一杯ありますよ・・・)
当時、仕事上、隣接県という事で静岡の方と色々と接点を持つ機会も多く、
その「人柄の良さ・おっとり感」に正直驚いてしまい、
「え・・・なんで隣同士の県なのに、こうまでも違うんだ! やっぱり今でも県民性の違いってあるもんだ!!」と
しみじみと感じたものです・・・(汗・・)

ヤマハ吹奏楽団浜松は、さすが楽器メーカーだけの事はあって
古くから日本の吹奏楽界をリードし続けた素晴らしい吹奏楽団だと思います。
特に何が素晴らしいかと言うと、その圧倒的に高い技術力もそうなのですけど、
日本の有能な作曲家に曲の提供、つまり委嘱をお願いする事によってその委嘱された曲をコンクールの自由曲として
演奏する事で、邦人オリジナル吹奏楽曲を数多く世に送り出してきたという事が
実は最大の貢献なのではないかと思ったりもします。

一例をあげると・・・

〇保科洋/交響的断章・カプリス・カタストロフィー・古祀

〇夏田鐘甲/ファンタジー

〇田村文生/アルプスの少女

〇田中賢/メトセラⅡ・紅炎の鳥・南の空のトーテムポール・始原Ⅰ~大地の踊りなど

〇藤田玄播/天使ミカエルの嘆き


この中では、今では演奏されなくなった曲もありますし、現在に至るまで積極的に演奏され続けている曲もあります。
こうやって、後世に受け継がれていく曲を委嘱と言う形で世に送り出し続けた
ヤマハの貢献度は、本当に素晴らしいものがあると思います。

ヤマハ浜松は、最初にコンクール自由曲用の委嘱作品は、邦人作品ではなくて、
実はあの「二つの交響的断章」でお馴染みのネリベルだという事は案外知られていないのかもしれないですね。
当時の指揮者の原田元吉氏がわざわざ訪米し、ネリベルに直々に
「是非我が吹奏楽団のために曲を書いて欲しい!」と依頼し、そこで出来上がった曲が
「ヤマハ・コンチェルト」なのです。
そしてヤマハ浜松は1970年の全日本吹奏楽コンクールにこの「ヤマハ・コンチェルト」を自由曲として出場し、
見事にグループ表彰制度開始のこの年に金賞を受賞しています。

この曲を知っている人、現在いるのかな・・・・? というかほとんど忘却の彼方の曲でもありますし
ヤマハ浜松以外はほとんど演奏された事もない曲ですので、
「誰も知らない・・」という曲といえるのかもしれないです・・(汗・・)
以前当ブログでこの曲について書いたところ、なおりパパ様より「この曲、知っている!」とコメントを頂いたこともあり、
「この曲をご存知の方がいて安心した・・」と妙に(?)感激したものでした! (笑)

「ヤマハ・コンチェルト」は、曲自体は意外と短く5分程度の曲です。
しかもネリベルとは思えないほど何か微妙に可愛らしい要素もあり、
「交響的断章」・「アンティフォナーレ」みたいな恐ろしいほどの不協和音とか畏敬を感じるほどのダイナミックスレンジの
落差の激しさという要素はほぼ皆無です。
曲のラストも、優しく可愛らしく終わり、思わず拍子抜けするほどです。
どちらかというと古典的な佇まいでチャーミングな雰囲気すらあると思います。
この前年度、1969年には、ヤマハ浜松は同じ作曲家の「フェスティーヴォ」を自由曲として
取り上げていますが、この曲はいかにもと言う感じのネリベルらしい作風なのですけどね・・・

この予想外の可愛らしさというか、管楽器の音の組合せの楽しさを発揮したのが
「ヤマハ・コンチェルト」の最大の魅力なのかもしれないですね。

ヤマハ浜松と言うと、知る人ぞ知る話かもしれませんが、1974年の全国大会には出場していません。
実は意外だったのですけど、東海大会の段階で、新日鉄に代表の座を奪われてしまいました。
ヤマハ浜松というと当時は既に王者の貫録という感じでしたけど
まさか新日鉄に敗れるとは意外だったでしょうね・・・
ちなみに新日鉄のその時の自由曲は、リードの「ジュビラント序曲」でした。
1974年のヤマハ浜松の自由曲は、保科洋の「吹奏楽のためのカプリス」という大変地味で陰気な印象のうすい曲であった
というのがもしかして敗因かどうかは定かではないですけど、
1975年のヤマハ浜松の自由曲は再度二年連続してこの、保科洋の「吹奏楽のためのカプリス」でしたので、
原田元吉氏としても余程悔しいものがあり、雪辱を果たしたかったのかもしれないですね・・・

最後に・・ヤマハ浜松は、
2015年度より、吹奏楽コンクールへの参加と、大都市圏でのコンサート開催を1年おきに計画し、
活動を2年周期で展開していく方針であることが発表していますけど、これって換言すると吹奏楽コンクールは偶数年のみ
出場するということなのでしょうか・・?
実際2015年のコンクールは不参加のようでしたし・・・
23.武生東高校


D/交響曲第3番「シンフォニーポエム」 (A.ハチャトゥーリアン)



北陸代表と言うと、1970年代~80年代当時においては、高岡商業と富山商業の2チームだけというイメージでしたけど、
武生東高校という学校が90年代以降は
富山商業を押しのけて、3年連続全国に出場していたのは驚異的な事だと思います。
(もっとも富山商業の坪島先生は、この時期勇退されているみたいですが・・・)
余談ですけど、そうした意味においては、80年代における北陸代表の富山商業と高岡商業という不動のレギュラー代表が
定位置を占めていた中で、1982年において金沢二水高校が高岡商業を退ける形で見事に代表の座をゲットしていたのは
凄い事だと改めて感じたりもします・・

武生東の全国大会初出場は1990年の「吹奏楽のための神話」でしたけど、この時はかなり緊張していた様子が
普門館からの客席にも伝わっていて、演奏自体もカチコチに硬くて見事に演奏が崩壊していたような印象があるのですけど、
そうした初出場時のに比べると、随分と進化していたような印象があります。
90年の初代表から結果的に3年連続北陸代表の座を実力で掴んでいたその実績が既にこの頃には自信となっていたのだとも
思われます。
演奏自体も90年の初出場と明らかに異なっていて、のびのびと吹いている様な雰囲気すら漂わせていたと思います。

だけどこの時代の高校の部は既にとてつもなくレヴェルが高い時代に突入していて、
ちょっとした印象の悪さや音程の悪さが散見されれば評価としては問答無用で銅賞という評価になってしまう
厳しい時代になっていたのだと思います。

このチームの特徴はいい意味でも悪い意味でもその「おおらかさ」にあるのかなとも当時感じていました。

そうした意味においては、この課題曲Dのような曲はこのチームにぴったりみたいな感じもあり、やはりそこから聴こえてくる
音楽にはのびのびとした楽しさがあったと思います。
だけど前半というか冒頭部分のリズムが少しギクシャクしていて、このリズム感の悪さを取り戻すのに
少し時間が掛ってしまったのが上記の印象の悪さに繋がってしまったような感じもあります。

自由曲のハチャトゥーリアンのシンフォニーポエムは、このチームのおおらかさ・素朴さ・素直な感じが
ストレートに発揮されていて全体としては大変のびのびと吹いていて、スケールの大きさも十分に伝わり
決して悪い演奏ではないと思います。
結果的にこの年も銅賞を受賞するのですけど、この銅賞はちょっと気の毒みたいな感じもあったと思います。
サウンドに少し濁りを感じた事と少し全体的におおらかで素直な響きなんだけどもっさりという印象も与えがちなのが
マイナス評価として審査されたようにも感じられます。
冒頭の炎のような金管セクションの咆哮は大変迫力がありましたけど、その後に展開される木管セクションの音のうねりが
少し弱かったようにも感じられますし、
確かに強奏時の熱演には目を見張るものもあるのだけど、中間部の木管を中心とした「しっとり感」は
できれば弱奏の熱演を求めたかったのですけど、その辺りは意外と単調にさくさくと進行していたのも、私としては少し
不満を感じたものでした。
だけどラストにかけての追い込みと盛り上がりは実に自然な流れで、「スレスレ銀賞に潜り込めるかな・・?」と思ったら
評価は銅賞という事で、やはり部分的な「濁り」が印象を悪くしたような感じもありました。

武生東はは翌年の1993年の「ローマの祭り」も惜しくも銅賞で
1994当時、高校の部では珍しい「5年連続銅賞」という珍しい記録が期待されたのですが(?)
94年以降は指揮者が奥田先生から植田先生に変った事が功を奏したのか結果的に初の銅賞以外の賞を受賞し、
5金ならぬ5銅は回避されていました・・・

最後に・・

このハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」は、1984年の花輪高校の全国大会初演より
2016年時点で計12回全国大会で演奏されているのですけど、
初演で元祖の花輪高校を超越する演奏は中々出てこないですね・・・
やはりそれだけ小林先生が指揮された花輪高校が偉大だったという事なのかもしれないですね・・・
(個人的には91年の内灘中とか97年の立正大学は好きな演奏です!)
1991年に全国大会初出場でリードのオセロで全国大会初金賞を受賞した
川口ブラスソサエティーが1981年の関東大会で自由曲に選んだ曲は「最後の誓約」です。
そしてこの「最後の誓約」という曲は、BJ等でもフィッシャートゥール作曲と提示されていましたので、
私自身も長い間、フィッシャトゥールという作曲家がこの「最後の誓約」という知る人ぞ知るウルトラマイナーな
吹奏楽オリジナル曲を作曲したものだと長い間思い込んでいました。

だけど最近判明したのですけど、フィッシャトゥールという作曲家は、実は、アコラーデ・儀式のための音楽で
少しは名が知れた「タル」という作曲家の名前でもあったのですね!
というか・・・1981年の関東大会のプログラムとBJの誤表記だと思うのですけど、
タルという名前は、Tull, Fisherというのが正式の名前で、これがなせかしらないけど、
本当は、タル・フィーシャーというのが正解の表記と思われる中、勘違い等によりなぜかフィッシャトゥールという
「架空の作曲家」(?)という名前か生み出されてしまったのだと思われます・・(笑)
だけどこれでなんとなく納得・・「最後の誓約」のあのミステリアスな雰囲気とアコラーデとか儀式のための音楽の
なんかヘンな雰囲気の作風は、見事に(?)合致するような印象もあったりします。
タルのアコラーデとか儀式のための音楽は、九州の春日市民吹奏楽団が自由曲に選び、全国大会で演奏し
2回とも銀賞を受賞していますけど、演奏自体の印象は淡泊であまり鮮烈な印象はないのですけど、
曲自体が「なんか変っている・・」みたいな印象は今でも私の中にはあったりもします。

それにしてもタル・フィッシャーと言う名前がいつの間にかコンクールプログラムの誤表記でフィッシャトゥールという
架空の名前になってしまった事は、タルには大変気の毒な話ではあるのですけどなんかくすっ・・となってしまいそうな
話しだとも思います。

この話はなんだかプロコフィエフ作曲の交響組曲「キージェ中尉」のストーリーをなんだか彷彿とさせてくれていると思います。

「キージェ中尉」は元々は映画音楽なのですけど、この映画のストーリーを簡単に言うと、
帝政ロシア時代のある皇帝の「勘違い」から始まった物語とも言えます。

皇帝が昼寝をしてうとうとしていると、突然女官の悲鳴が聞こえてくる・・・
皇帝は、廷臣達に「本日の見回り当番は誰なのか」と尋ねると、
「ポルーチキ……ジェ(中尉……です)」と答えたのを,
皇帝は「ポルーチク・キージェ(キージェ中尉)」と聞き違え、
その結果、「そうかキージェ中尉が、自分の睡眠を妨害した奴なのか」と憤慨し、
ここに架空の人物「キージェ中尉」が誕生してしまうのです。

そして、皇帝の命令でキージェ中尉は、シベリア流刑になってしまったのです・・

ある日、皇帝は「もしかしてキージェ中尉は、暗殺者の存在に気が付き、女官に悲鳴をあげさせたのではないか?
案外とキージェ中尉は、忠義心に厚いイイ奴ではないのか」と勝手に自分の頭の中で妄想してしまい、
「キージェ中尉をシベリアから呼び戻せ」
「キージェ中尉を昇進させよ」
「キージェ中尉にお似合いの花嫁さんを探せ」とか
廷臣達に色々と無茶難題を押し付けてくるので、廷臣達もしまいには面倒くさくなり
「キージェ中尉殿は、急死しました・・・」という事にしておき、
映画のラストは、キージェ中尉の葬式のシーンで終わります。

皇帝の勘違い一つで国中がドタバタしてしまう「皮肉」を描いたものともいえるかもしれません。
ま・・日本だって、総理とかのヘンな思い込みや勘違い等で国全体の方向性が随分と妙な方向に走る可能性だって
十分ありますから、そうした警鐘という点でも案外「キージェ中尉」のお話は、示唆的な話なのかもしれないですね。

話がそれました・・フィッシャトゥールじゃない・・タルの「最後の誓約」に話を戻しますと、

この「最後の誓約」という曲は、終始アダージョでゆったりとした感じの音楽です。
曲全体を通して不思議な緊張感と、静と動の対比が強く感じられる曲のように 思えます。
「最後の誓約」を吹奏楽コンクールの支部大会以上で演奏したチームは、2017時点では、
1981年の関東大会・一般の部に出場した川口ブラスソサエティーが今の所唯一の演奏事例です。
そして私自身は、今現在では会社倒産により会社自体が消滅しているトラヤという音楽テープ制作会社へのオーダーによる
カスタムテープという形でこの貴重な演奏をいまだに聴く事が出来ています。
1981年当時のバンドジャーナルのこの川口ブラスソサエティーの演奏の講評にて、
「吹奏楽曲として十分計算された曲で 曲の途中で大胆なffが出てくる」とか書かれていましたが、
まさにその通りの曲だと思います。
前半の静かさに対して、曲の中盤ですさまじい打楽器等による強音が響き渡り、
聴くものを思わず圧倒させます。
そして、ラストは再び静かになって静寂のうちに閉じられます。

何とも不思議な曲ですが、吹奏楽曲としては極めて珍しい終始ゆったりとした曲なので
妙に印象に残っています。
アレグロの部分は皆無で、アダージョ的展開なのに、途中ですさまじい盛り上がりを見せ、ラストは静粛のうちに終わるという
構成が当時としては少し珍しかったせいもあり、印象度としては強かったですね。

川口ブラスソサイェティーは、判明している限りでは、この演奏を含めて三回しか関東大会に
出ていません。
その内一度は、1991年に「オセロ」で全国金賞を果たしています。
但し、正直この年のオセロはカットだらけの演奏で、印象としては極めて散漫です。
むしろ翌年の信国先生の指揮での「ハムレット」の方が大人の演奏で しっくりときます。
92年の関東大会・一般の部は山梨県民ホールで開催され、その頃私は仕事の関係で
山梨在住でしたので、喜んで聴きに行きました。
信国先生は、88年の市立川口高校でこのハムレットへの音楽を自由曲として演奏していますが、
その際は、残念ながらトランペットをはじめ惜しいミスの連続で
印象としてはあまり良くものではありません。
終盤のチャイムの響きも正直鳴り過ぎてやかましいというレベルで、第一楽章アダージョの歌い方は素晴らしかったでけに
惜しまれる演奏です。
その点、92年の川口ブラスソサィェティーは、ほぼノーミスで、第一楽章もしっとりと 聴かせてくれ、
終盤の盛り上がりも極めて自然で 素晴らしい演奏だったと思います。
結果はダメ金で、全国大会に進めなかったのは大変残念でした。
1992年の関東大会・一般の部は、アンサンブルリベルテすらもダメ金でしたから、かなりレベルの高い大会
だったと思います。
アンサンブルリベルテは、今や日本のアマチュアの吹奏楽においてもトップクラスの演奏団体の一つで、
全国大会の金賞の常連チームではありますけど、
この当時は、まだそこまでは至っていなかった・・という感じでもあるのですが、
ダメ金なのですけど、アンサンブルリベルテの1992年の「せむしの仔馬 Ⅱ」とか91年の「アンカラ」なんかは
私は今でも大好きな演奏ですよ!

話を81年の川口ブラスソサィェティーに戻しますと、 この年の課題曲はB「東北地方の民謡によるコラージュ」でしたが、
同じ課題曲を「無言の変革」の市立川口も同じ指揮者の信国先生が振っています。
しかし、随分と両者は違いがあるものですね。
市立川口は、前半はかなり遅めのテンポで演奏しているのに対し、 川口ブラスは、普通のテンポに近い形で演奏しています。
市立川口がかなりひねった解釈をしているのに、 川口ブラスは、オーソドックス表現をしています。

その辺りの解釈の違いというのも面白いものがあると思えますし、そうした事も吹奏楽コンクールを楽しむ
一つの方法とも言えるのかなとも思いますね!
22.下松高校


C/バレエ音楽「バリの喜び」~序曲・ワルツ・マーチ・カンカン(オッフェンバック=ロザンタール編)



下松高校・・・うーーん、懐かしい学校ですね! 93年のベルキスの演奏を最後に全国大会からはもうかれこれ25年近く
遠ざかっていますし、最近では県大会止まりで終ってしまう事も多々あるようですけど、
いつの日にか名門復活が出来るといいですね。

中井先生が指揮された下松高校から聴こえてくるサウンドは、極めて「温かい」というか人間的な香りが漂っていると思います。
中井先生の経歴とかは正直全然わからないのですけど、そこから聴こえてくる音楽は、
いかにも普通の県立高校の先生と生徒が一生懸命「手作りの音楽」をして、その努力の結果として普門館に
たどり着いたみたいな雰囲気だと思いますし、
「厳しい中にも温かさが滲みでているような優しい音楽」みたいな音楽が滲み出ていたと思います。

最近の全国大会に出場する学校名を見れば一目瞭然なのですけど、やはり財力がありそうな私立の台頭が
目立っていますね。
そして下松高校のような普通の地方の公立高校が全国大会に出場してくるというのも
21世紀に入ると段々厳しくなってきたという実感もあったりします。
私も高校は田舎の県立高校で、とにかく限られた予算とおんぼろ楽器と絶対的なクラリネット奏者不足に泣かされ続けた
3年間という印象が大変強いのですけど、中井先生率いられれる下松高校も当時は
公立校としてのご苦労が相当あったのではないのかと推察されるのですけど、それでも80年代後半から90年代前半にかけて
あのような手作りの温かい音楽というのか「人間の触れ合い」らしい音楽を普門館の聴衆に提示し続けたくれた
中井先生と下松高校吹奏楽部の皆様には本当に頭が下がる思いですし、敬意を表したいと思います。
吹奏楽コンクールの中国支部というと80年代辺りまでは、基町高校・川本高校・下関商業・出雲高校、そしてこの下松高校
などのように公立高校がかなり健闘しているブロックという印象もありましたけど、最近ではやはり私立勢の優位が目立ち、
出雲北陵・明誠学院・岡山学芸館・おかやま作陽・鈴ヶ峯女子といった私立勢が全国大会代表になる事が
以前よりは相当多くなってきたようにも思えます。

そうした中での公立校としての下松高校の軌跡はまさに一つの奇蹟だったのかもしれないですね。

初出場当時の幻想交響曲のあのひ弱で音楽的個性がほとんど感じられない演奏から始まり、
確かに賞的には今一つ縁が無かったのかもしれないですけど、幻想序曲「ロメオとジュリエット」・アルメニアンダンスパートⅠ・
セント・アンソニー・ヴァリエーション・プラハのための音楽と毎回出場するごとに着実な「進化」を必ず見せてくれ、
それが最終的に「全国大会金賞」という果実が実ったのが1991年のプロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」」
で聴かせてくれたあのしっとりとしたリリカルな演奏だったのだと思います。

だけど大変惜しまれる事に、下松高校が唯一金賞を受賞した翌年のこの1992年の演奏が、それまで下松高校を牽引されて
こられた中井先生のとして最後の下松高校での指揮という事になり、翌年以降は中井先生は異動をされてしまい、
この1992年の演奏が結果として中井先生最後の下松高校での普門館という事になってしまいました。

改めてですけど吹奏楽コンクールで継続的に素晴らしい成績を維持し続けることは本当に大変難しい事なのだと思います。
前年度の91年に念願の全国初金賞を受賞し素晴らしい演奏を聴かせてくれながらも、翌年の92年の演奏は、
率直に言うと特に個性もない無難で平凡な演奏になってしまいました・・・
課題曲は、もう少し鋭さが欲しかった感じしますけど、どこなく「ほわわーん」とした締りの無い感じでしたし、
リズムの切れが欠けていたのが惜しまれます。
自由曲は逆に音楽が硬めで、もう少し柔軟さが欲しいとも感じました。
指揮者の中井先生の指揮棒からは「随分とやわらかくこじんまりとまとめられている・・」みたいな意図も感じたものですけど、
前年度の良い成績を今年も維持したいみたいなプレッシャーのせいなのか少し固さが感じられ、
もう少しのびのびの楽しみながら吹いた方が良かったような気もします。

前述の通り、結果的に中井先生としては最後の下松での演奏になってしまったので少し残念な感じは今でもありますね・・

私の採点では「銀と銅のポーター」と思っていたのですけど、結果的に銀賞に落ち着き安堵したものでした。
21.花輪高校


C/バレエ音楽「チェックメイト」より(ブリス)



今年はまだ終わっていませんし、残りあと四か月ほどあるのですけど、今年・・2017年度において、
私にとって最大の訃報は、かつて花輪高校吹奏楽部と秋田南高校吹奏楽部をご指導され、全日本吹奏楽コンクールで
数多くの歴史的名演を私達に残して頂けた小林久仁郎先生のご逝去の知らせだったと思います。

改めてですけど、ここに小林先生のご冥福を心の底より御祈願させて頂きたいと思います。

だけど小林先生の訃報の知らせは突然でしたし、「まだまだお若いしこれからもずっと吹奏楽界の発展に貢献して欲しい!」と
願っていた先生でもありましたのでショックは大きかったですね。
事実、当ブログは一応は「毎日更新」が一つの売りにもなっているのですけど、小林先生の訃報を聞いたとたんに
「そんなブログの更新なんてどうでもいいじゃん・・」と感じてしまい事実5日程本当にこの毎日更新のブログが止まって
しまった程、やはり私にとってもショックの大きさを当時物語っていたと思います。

私に出来る事は、小林先生と花輪高校吹奏楽部という素晴らしき存在を、定期的にこういうブログという文章の形でも
とにかく何か「記録」として残して頂く事と
小林先生や花輪高校吹奏楽部の演奏を私がせめてこの世にいる間は「決して忘れないで思いを馳せる事」なのだと
思います。

1992年の花輪高校の演奏は、2017年現在現時点では、結果的に最後の全国大会出場となってしまいました。
翌年の1993年以降は小林久仁郎先生は秋田南へと異動をされてしまいます。
(当時の秋田南は、90年~92年の三年連続県大会落ちという屈辱の歴史を味わっていますので
小林先生を秋田南へ赴任させることで名門校復活を秋田県の教育委員会が意図したという可能性もあるかもしれないですね)

私自身は、小林先生=花輪高校の本流はロシア系マイナーシンフォニーにあるの思っていますので、
前年度の1991年の「バッカスとアリアーヌ」みたいなフランス系路線とか
「永訣の詩」・「壁画」みたいな邦人路線は今一つ小林先生が求める音楽の本質と合わなかったと
言えるのかもしれないですね。
(私自身は小林先生の邦人路線は大好きですし、事実、秋田南での竹取物語とか舞楽は大・大・大好きですっ!!)
1992年は、吹奏楽では珍しいブリスというイギリスの作曲家の作品を自由曲に取り上げていました。
1982年にも東北大会でダメ金でしたけど、ウォルトンの交響曲第一番終楽章を自由曲に取り上げ、
うちのブログではあのウォルトンの一番の超名演を何度も何度も執拗に取り上げている事で分かる通り、
あの演奏には「魂を揺さぶる何か」が間違いなくあったと今でも確信しております。
つまり、イギリス音楽と小林先生の相性は意外とも感じるぐらい実に大変良好なものがあったと思います。
イギリス音楽にも小林先生は造詣が深かったのかもしれませんね。
歴史に「もしもという言葉はNG」とよく言われるのですけど、もしも小林先生が21世紀に入って以降にどこかの市民吹奏楽団の
指導をされ吹奏楽コンクールに出場され、自由曲にイギリスの作曲家のアーノルドの交響曲を演奏されたら
一体どんな感じの演奏&解釈をされていたのかというのは実に妄想のし甲斐があるようにも思えます。
というか・・・どちらかというと重厚な曲を好まれた小林先生が軽妙・ユーモア・現代的なスピード感と爽快感が
一つの売りにもなっているアーノルドの音楽をどのように料理されるのか考えただけでなんかわくわくしそうです・・(笑)
それが今となっては叶わない夢というのも実に残念な話ではありますね・・・

1992年の小林先生としては結果的に最後の花輪高校の普門館での演奏なのですけど、
この演奏は正直驚きでもあります!
当時この演奏を生で聴いていた時も感じましたし、後にこの演奏がCD化された時も感じたのですが、
一言でいうと「それまでの路線と比べて明らかに音楽が洗練化されスマートになっている!」というものでした!
自由曲のブリスのバレエ音楽は、急-緩-急の三曲を選んでいて、特に最後の曲のスケールの大きさは素晴らしかったと
思いますし、緩い部分の大人っぽいしっとりとした歌いまわしも素晴らしかったと思いますし、この緩い部分にどことなく
「寂寥感」みたいな表情も感じられ、花輪高校にしては珍しく(?)都会的なチャーミングな雰囲気も感じられたものでした。

以前のラフマニノフ/交響曲第一番 ショスタコ/交響曲第一番 ハチャトゥーリアン/交響曲第二番「鐘」
プロコフィエフ/交響曲第三番などの演奏のように細かいミスがたまに目につきサウンドが少々荒かった頃に比べると
とても同一チームとは思えないほどサウンドは洗練され、技術も安定しています。
自由曲のブリスの音楽も緩急をしっかりと表現し、随分と大人びた演奏を残しています。
課題曲も三善晃らしいスピード感と音楽の切れを遺憾なく聴衆に聴かせていたと思います。
(私個人としては、課題曲Cの演奏としては、高岡商業・都立永山に次ぐ素晴らしい演奏だったと思います)
そうですね・・・特に自由曲の洗練さは、これはこれで素晴らしいけど、やはりどうしても私としては、
花輪高校というとロシアマイナーシンフォニーの「荒ぶる魂の叫び」なんかを期待しちゃうのですよね・・・(笑)
だけど、この年の花輪は、素晴らしい演奏を最後に普門館で聴かせてくれましたし、
非常に惜しい銀賞だったと思います。
上記で述べた通り、都会的洗練さ・ツンデレの女の子みたいなチャーミングな雰囲気は従来の花輪高校にはほぼ皆無の要素
でもありましたので、「これは来年以降は別の花輪高校のサウンドに変身しちゃうのかも・・!?」みたいな
期待感も感じさせてくれる演奏だったと思いますし、
花輪高校としての「変化」を示唆する演奏であったような気もします。

それだけに結果論ではあるのですけど、せめてあと3年程度は小林先生は花輪高校を指揮されて欲しかったなぁ・・と
今更ながら感じることも多々あったりもします。
そして翌年以降小林先生は、秋田南へと異動され、そして立派に秋田南高校吹奏楽部を立て直され、
1994年には秋田南を引き連れて1988年以来久しぶりの全国大会に臨むことになります。
(94年の秋田南のあの気合入りまくりの饗応夫人と竹取物語は感涙ものでしたね!!)

花輪高校は、1990年の吹奏楽コンクールは「三角帽子」で東北大会ダメ金だったのですが、
翌年の「バッカスとアリアーヌ」・翌々年の「チェックメイト」は生まれ変わったような
洗練されたサウンドに生まれ変わったことは前述の通りなのですけど、
これは小林先生自身ももしかして、「さすがに今までの表現スタイルは時代にそぐわないから、自分たちも
チェンジを図る必要がある」と思われて、小林先生としての「変化」を示した演奏と言えるのかもしれないですね。
花輪高校の1992年のサウンド・音色は、「究極の繊細さ・洗練さ」の域に達しているように感じられます。
小林先生が初めて花輪高校を引き連れて普門館にやってきた1978年の音色・サウンドと単純に比較すると、
雲泥の差があるようにも感じたりもするのですが、これは別にだから78年の演奏はダメ・・と言っている
訳ではありません。78年のラフマニノフには、当時としての美点もたくさんあると思います。
だけど、78年と最後の92年の演奏のサウンドの違いと言うのは、まさに小林先生が1978年→1992年にかけて花輪高校で
育んできた「一つの進化」としての結果なのだと思います。
あの荒ぶるロシアの魂路線からスタートした小林先生が最後に求めたものとは「繊細さ・洗練さ」だったのかもしれないですね。

改めてですけど、小林先生=花輪高校は、とにかく「伝説」だと思います!
ブレーン社から出ている「レジェンダリーシリーズ」の花輪高校編を聴くと、花輪高校の偉大さがご理解して頂けると思います!!
(今回は割愛しますけど花輪高校の吹奏楽コンクールでの選曲は本当に素晴らしいものがあるともいえると思います!)
何よりもあの花輪高校特有の響きは大変洗練されデリケートに美しく響く幽玄なサウンドながら、
時に豪快に、時に荒っぽく、時に咆哮し激高する等、その自由自在な表現も大きな魅力だったと思います。
花輪高校吹奏楽部は1978年の小林先生赴任以前も既に吹奏楽の名門校という立ち位置ではありましたし、
佐藤修先生時代のあのとてつもなく地味な選曲&渋すぎる表現力も大変魅力的ではありましたけど、
花輪高校を更にさらに大きく飛躍させたのが小林先生の赴任なのだと思います。
小林先生は赴任一年目から、いきなり、ラフマニノフ/交響曲第1番第四楽章という
当時誰も目にも留めなかった曲でいきなり全国大会金賞を掴みとってしまいますが、
1979年の2年目のショスタコーヴイッチにしても、自由曲の定番中の定番の交響曲5番ではなくて、
交響曲第1番を選ぶあたり、小林先生の目の付け所の確かさを感じてしまいます。
1980年のハチャトゥーリアン/交響曲第2番「鐘」も81年のプロコフィエフ交響曲第3番も
どちらも第一楽章を選びながら、
ラストにおいては、第四楽章の終結部を巧みに結合させてしまう辺りに、その大胆さと音楽的センスを
感じてしまいます。
(そうそう、小林先生はクラシック作品を吹奏楽用にアレンジされる事にも大変素晴らしき才能を発揮された先生であり、
 事実、小林先生が編曲されたハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」はいまだに全国大会でも
演奏され続けられています!)

花輪高校吹奏楽部は、1992年の演奏以降は現在に至るまで吹奏楽コンクールの全国大会の表舞台から
姿を消してしまいますけど、別に「吹奏楽コンクール」だけが全てではありませんし、
何よりも「花輪高校吹奏楽部の偉大なる歴史」は永遠に不滅ですし、
少なくとも「私の心」の中では私が生きている間は少なくとも記憶され続けると思います!

最後に・・・

とにかく私は声を大にして申し上げたいです!

「秋田県立花輪高校吹奏楽部は永遠に私たちの心に刻まれ続ける!!」ということを!!

そしてもう一度だけお悔やみの言葉で締めさせて頂きたいと思います。

小林久仁郎先生、どうぞ安らかにお眠りください・・・、そして「ありがとうございます!」という言葉だけは
お伝えさせて頂きたいと思います。
一つ後の記事が「秋」がテーマにもなっていますので、それに合わせる形で本吹奏楽記事もテーマは「秋」です!

今年の夏は7月は暑かったけど8月は天候不順で冷夏とか梅雨の延長戦みたいな感じもあり、
8月に関してはあんまり夏らしくなかったのかも・・とも感じてしまいます。
最近はまたまた暑さが戻ってきていますし、まだまだ残暑が厳しい8月下旬なのですけど、
何となく・・・
「ああ・・・もう夏は終わりなんだな・・」と感じる事も多くなってきたようにも思えます。
それを一番感じるのは、日が暮れるのが結構早くなってきた事だとも感じます。
先日も仕事で夕方過ぎまで外を廻っていたのですけど、PM19:00を過ぎると、結構もう辺りは暗くなっています。
「あれれ・・・最近までこの時間帯はまだ明るかったのに・・」と思ったのですけど
それだけ季節は秋に少しずつ近づいているのかもしれません。
何よりも、最近ではセミが鳴く声も大分下火になってきましたし、 夜は結構涼しくなってきたようにも感じられます。
それにしても今年は7月に入ると急激に暑くなってしまいましたね!
あの時は「7月初めの段階でこんなに暑かったら今年の夏はどうなってしまうのだろう・・」と少し不安に感じたものでしたけど、
やはり人間と言うものは、暑さ・寒さも含めて環境に順応してしまいますし、暑さも結局は「慣れる」という事で
なんとか対応できるものなのですね。

何となくですけど最近季節が「あ・・・秋に向かっているんだな・・」と一番感じた瞬間は、
水田の稲の色が今までの青っぽい感じから幾分黄色というのか、黄金色みたいに色が変化しているのを
見た瞬間なのかなとも感じたりもします。

暑い、暑いと言っていても、水田一つとっても着実に季節は秋に向かっています。

そんな事をふと思ってたら、頭の中を不意にある一つの曲が駆け巡ってきました。

それが何かと言うと、1998年全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅱ/稲穂の波でした。

吹奏楽コンクールの課題曲の変遷の歴史を簡単に見ていくと、
1970年代後半から1992年までは書下ろしオリジナル作品とマーチの混合
1993年から2000年代初期の頃は、奇数年がマーチの年で偶数年が幾分長めの書下ろしオリジナル作品の年
そして最近は・・・中学の部限定とか小編成用とか色々と興味深い工夫もある中、
基本的には昔のような書下ろし作品とマーチの混合というパターンに戻ったような感じもあります。
1998年は、偶数年でしたから、オリジナル書下ろし作品の年でしたけど、
まだこの年は、1994年の例えば、饗応夫人とか雲のコラージュのように課題曲だけで6~7分程度の
長い課題曲という余韻がまだ幾分残っているような感じもあり、
4曲ともいずれも演奏時間は4~5分程度の曲でした。
この年は何となくですけど、Ⅰの童夢とⅡの稲穂の波に人気が集中していたような印象もあるのですけど
私は、何と言ってもこの課題曲Ⅱ/稲穂の波が大好きでしたね!!
この曲はもイメージがしやすいというのか、黙って目を閉じてこの曲を聴いていると自然に
目の前に広大な田んぼが広がっていて、「秋の収穫」を目前に控えた頃の黄金色に輝く一面の田んぼというのか、
そうした何か「日本人の心のふるさと」みたいな情景が 勝手に入り込んでくるのですよね・・・
風でさーーーっと穂がゆらゆらと揺れ動くみたいなイメージも自分の中にはありました。
とっても分かりやすい曲で、難しいメロディーも変拍子も特になく、不協和音も無く
頭の中にすーーーっとメロディーラインが入り込んでくるとっても優しい曲だったと思います。
この曲、何度も支部大会・全国大会で耳にしたのですけど
どのチームも曲のイメージがしやすいせいか、課題曲にありがちな「無味乾燥な演奏」というのは
比較的少なかったようにも思えます。

この課題曲の作曲者の福島弘和氏は、最近では
「ラッキードラゴン〜第五福竜丸の記憶」とか
シンフォニエッタ第2番「祈りの鐘」で吹奏楽コンクールでもお馴染みの方なのですけど
私としては、祈りの鐘もかなり大好きな曲なのですけど
この「稲穂の波」とか2000年課題曲Ⅰ/道祖神の詩の方により惹かれるものがあります。
なんかこの作曲者はも日本の「古き良き情緒」をイメージさせる曲の方が私にとっては、よりしっくりくるような気もあります。

「稲穂の波」ですけど、
出だしはゆったりと開始されますけど木管楽器のたっぷりとした歌に心からじーーんとくるものがあります。
金管がコラール風に瞬間的に盛り上がった後からの中間部はアレグロ的に展開され、
このシャキシャキと進行していく感じが何か・・・個人的には「風」をイメージしちゃいます。
中間部の速い部分は、ホルンの雄叫びみたいな感じとタンバリンがシャリシャリ鳴っている部分が
特に気に入っています。
中間部のラスト近くで一旦テンポを少し落とし、コラール風に展開していく部分は、本当にあれは泣かせてくれますし、
ああいう感覚は、多分ですけど、日本人の「伝統的美意識・わびさびの世界」の琴線に触れる部分のようにも感じられますし、
日本人にしかわからない音楽なのかな・・・とも思ったりもします。
静かに閉じられるラストも実に秀逸だと思います!!

なんていうのかな・・・「郷愁」の世界なのかもしれませんよね。

だけどとにかく私、この課題曲は大好きです!!

77年のバーレスク 79年のフェリスタス 81年の東北地方の民謡によるコラージュ 82年の序奏とアレグロ
83年のインヴェンション第一番 85年の波の見える風景 86年の変容 86年の序曲 87年の風紋
90年のランドスケイブ 92年のフューチュリズム 94年のベリーを摘んだらダンスにしようなどなど・・・
色々と素晴らしい課題曲は一杯あるのですけど
この「稲穂の波」も決して忘れてはいけない課題曲の一つだと思います!!
20.札幌白石高校


D/バレエ音楽「ガイーヌ」~序奏・友情の踊り・アィシェの孤独・剣の舞・収穫祭 (A.ハチャトゥーリアン)



札幌白石高校というと私のイメージとしては、指揮者の米谷先生という印象が大変強いですし、チーム全体の
「おおらかさ」という雰囲気が良い意味でプラスの評価に繋がっているような感じがあります。
米谷先生の勇退以降はやはりあの素晴らしき演奏とか全国大会金賞という栄誉からは少し遠ざかっている感じもしますし、
ここ数年は北海道大会で終わってしまい全国大会に進めない状況が続いていますけど、
この素晴らしき名門校の復活もいつの日にか大いに期待したいものがあります。

札幌白石は、私的には結構面白いチームだと思っておりまして、毎年毎年金賞と銀賞スレスレの
結構スリリングな演奏を聴かせてくれていて、ライヴ感覚を大切にしているというのか
「たとえ本番の普門館のステージでも何が起きるかわからない、どんなドラマが起きるのかわからない」みたいな
演奏を毎年のように素敵に聴かせてくれていたみたいな印象もあったりもします。
何ていうのかな・・、これはあくまで客席から聴衆の一人として聴かせて頂いた印象としては
「本番のステージでも普段の練習通りの正確な演奏というのではなくて、その時のノリと勢いで何をしでかすか
わからないチーム」みたいな印象も感じていたものでした。
毎年のように「危なっかしいな・・・」と感じさせてくれる面もあるかと思えば
「たっぷりと歌いあげてくるな・・・」と感じさせる面もありましたし
「このアレグロの生き生きとした流れは本当に素晴らしいな!」と感じさせてくれることも多々ありましたし、
プラスに転ぶのかマイナスにずっこけるのかどっちに転ぶのか演奏開始するまでは分からないみたいな
結構「アドリブ的な」側面も感じさせてくれ、それが実に伸び伸びとしていて
高校生らしい素直な演奏を毎年聴かせ続けている要因にもなっていたような印象もあります。

そうですよね・・・・

ある意味不思議なチームでもあり、あれだけ毎年毎年全国大会に出場し続ける「名門チーム」でありながら
何か「名門」とか「伝統」とかいう言葉があまり似合わないような「おおらかさ」も感じさせてくれていたようにも
感じられます。
完璧な技術力とか洗練されたサウンドを持っているとか、決してミスをしないとか
そういう「完成されたチーム」ではないと思います。
だけど何か普通の高校生が一生懸命日々練習してきた結果、ここまで仕上げてきましたという
何か手作りのような感じの音楽を毎回聴かせてくれて、
毎回聴くたびに「温かいモノ」を感じさせてくれるチームだとも感じられます。

何か毎年毎年「気取りのない演奏」を聴かせてくれていてとても親しみやすい雰囲気を持った学校というのが
私が米谷先生自体の札幌白石高校に感じていた率直な印象です。

札幌白石高校は、基本的には課題曲にはマーチを選ぶチームでしたけど、
マーチの演奏に関しては、札幌白石高校は、当時の阪急百貨店・嘉穂高校と同様に定評があり、
この年の課題曲も「ゆかいな仲間たち」に相応しい楽しく温かみのある親しみやすい行進曲だったと思います。
やはり札幌白石高校はこういう曲を演奏させると、高校の部では右に出るチームはあんまりないような気すらしますね!

自由曲の「ガイーヌ」は、序奏~友情の踊り~アイシェの孤独~剣の舞~収穫祭という1990年の中央大学と同じ構成を
取っていましたが、特に「剣の舞」が鮮やかだったのが印象的です。
「剣の舞」というとプロの管弦楽団の演奏ですら、時には「たた強奏をがなりたてるだけ」という単調な演奏も
多いとは思えのですけど、札幌白石の剣の舞は、音量を意図的に落した部分と次の瞬間の再度の強奏の
落差が大変見事で、そのダイナミックスレンジの幅の広さは素晴らしいものがあったと思います。
特にスネアドラムの小気味よい叩き方とかリズム感のよさとか金管セクションの耀きある響きは大変申し分かったと
思います。
収穫祭は、冒頭からいきなりホルンが少し外し気味でしたね・・
ラスト近くのホルンの雄叫びの再現部分も、もう少し音量が欲しかったですし強調されてもいいと思いましたし、
少しパワー不足のような気もしましたが、全体的には非常に楽しい雰囲気を最後までキープしていたと思います。

この年も銀賞と金賞の境界線の演奏に近かったと思いますが、何とか金賞にすべり込んでいました!
19.駒澤大学高校


C/交響詩「ローマの祭り」~ Ⅲ.十月祭 Ⅳ.主顕祭 (O.レスピーギ)



駒澤大学高校というと、あくまで私個人の印象なのですけど、1980年代~90年代にかけては
可もなく不可も無くというかあんまり際立つ「個性」がない無難な演奏ばかりする学校かな・・?という感じで、
確かに都大会には毎年のように出場していたものの、「なんか今一つ印象に残らないチームだな・・・」という印象がありました。
都大会の結果も銀賞という結果が多かったような印象もありました。
だけど、21紀に入ってからの駒澤大学高校は突然変異という覚醒を起し、急激に上手くなって言ったような感じで、
全国大会でも何度も金賞を受賞する全国でも強豪校の一つに進化した様な印象があります。
このチームは確か1983年の組曲「ハーリ=ヤーノシュ」以来指揮者はずっと吉野先生ですので
他から優れた指揮者を引き抜いたわけでも無く、いわば、生え抜きのようなものですから、
長年の吉野先生のご苦労が見事に報われ、大輪の花が全国大会でも咲いたと言えるのかもしれないですね。

「駒澤」と聞くと大学の部のあの名門・駒澤大学をついつい連想してしまい、
「大学があんなに上手いのだから付属の高校だったきっと上手いんでしょ・・」と思われがちなのですけど、
1980年代中盤から2000年代前半までほぼ毎年のように都大会を聴いていた人間から
言わせて頂くと駒澤大学高校に関してのコメントは
「駒澤高校・・・? うーーん、なんか微妙な立ち位置・・」という感じだったのかもしれないです。
上記で書いた通り、確かに毎年のように都大会予選を勝ち抜け都大会本選に出場していたと思いますけど、
都大会の演奏を聴く限りは、「無難」とか「おとなしい」とか「ギラギラした個性があんまり感じない」
「洗練されたサウンドだけど聴く人に伝わるものはあんまりない・・」という印象が強かったような感じもあります。
都大会でも出場すれば毎年銀賞を取り続け、
銅賞と言うレヴェルではないけど全国大会代表・金賞を掴みとるまでのテクニックとか音楽性は
有していないチームみたいな感じもあり、そのあたりは全体的には「中途半端」という印象は拭えなかったと思います。

1992年の全国大会では、駒澤大学高校と東海大学第四とで「ローマの祭り」が
2チーム続けて演奏されていたのですけど、
単純比較で言うと、東海大学第四の圧倒的なエネルギーの塊りとパワーと絢爛豪華さの前では
駒澤大学高校の「おとなしさ・無個性・貧弱さ」は逆に際立っているようにも感じたものですし、
同じ「ローマの祭り」を自由曲に選びながらも、両校の違いは一目瞭然という感じだったと思います。
結果論ですけど、プログラム17~19番の3チームの自由曲はレスピーギが3チーム続いた訳なのですけど、
高岡商業・東海大学第四の「華麗なる音の絵巻」とは対照的に
駒澤大学高校の「サウンドの貧弱さと何かを伝えようとする表現力の弱さ」がかえって浮き彫りになっていたようにも
感じられたものでした。
もちろん駒澤大学高校の演奏自体は決して悪いものではなくて、音もサウンドも技術も標準以上のレヴェルはキープ
されていたと思いますし、
全く別の見方をしますと、高岡商・東海第四のあの強烈な鳴りっぷりに少し耳が疲れた後でこの駒澤大学高校の優しい音楽を
聴くとなんとなくですけどどこかホッ・・とするものはあったと思います。
更にいうと、プログラム16~18番の兵庫・高岡商業・東海大学第四というアクの強い演奏が高校の部の後半以降に
立て続けに続いていましたので、確かに「ローマの祭り」という豪快で鳴る曲を選びながらも
「どこか安心する・・ホッ・・とする」みたいな駒澤大学高校の演奏は、普門館の聴衆にもどこなく一息つかせるような
効果もあったんじゃないのかなと思います。
そう感じさせた要因は、課題曲のシャープさと切れ味というよりはマイルドな雰囲気の音の交錯が案外よかった事と
「ローマの祭り」も十月祭という少しマイルドな部分から開始させていた事も挙げられると思いますし、
全体的に確かにあんまり個性とかアクの強さは感じないけど、どことなくのんびりとしていたような雰囲気が
ローマの祭りという曲を取り上げながらもマイルドさを聴衆に伝えていたのだとも感じられます。

だけど、全体的にはちょっと今一つの仕上がりでもありましたし、結果として銀賞に入賞しましたけど、
限りなく銅賞に近い銀賞で、スレスレで銀賞に潜り込んだという印象が私の中にあったりもします。
そうですねぇ・・、私の本音を書いてしまうと、92年の都大会においては、都立永山は文句なしの代表でしたけど、
もう一つの代表枠を巡って結果的に関東第一と駒澤大学高校が激突していたようにも感じたものですけど、
あれはどうみても関東第一の課題曲Cと自由曲のプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の方が断然秀でているように
感じたものです。
プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」というと、関東第一にとってはある意味トラウマのある自由曲で、
87年にあまりにも有名な「チューバ奏者置き去り事件」によって全国大会の本番のステージにおいてチューバ奏者が
わずか一人で演奏する自体に陥り、当時の関東第一の木管セクションの技術不足もあり、
全国大会銅賞という悲惨な結果に終わってしまいましたけど、その雪辱を果たした演奏が92年の都大会の関東第一の
あの素晴らしい名演だったと思います。
関東第一の92年の都大会の演奏は客観的に聴いても全く非の打ちどころが無く、表現力も劇的な雰囲気も大変
優れていましたけど、なぜか審査結果は銀賞に留まり、全国大会出場はこの年は果たせませんでした。
そして関東第一の代わりに全国大会出場を果たしたのが駒澤大学高校だったのですけど、
プログラム19番の駒澤の演奏が始まると、やはり私としては
「駒澤よりも関東第一に全国大会に出場して貰い、87年のリベンジを果たして欲しかったなぁ・・」と感じたものでした。
18.東海大学第四高校


A/交響詩「ローマの祭り」~Ⅰ.チルチェンセス Ⅳ.主顕祭 (O.レスピーギ)


この年の東海大学第四高校(現、東海大学札幌高校)の演奏は、高校の部の中でも群を抜く素晴らしい演奏
だったと思います。
私個人の感想としては、この年の高校の部のグランプリは常総学院でほぼ確定・・
それに次ぐのが、東海大学第四・高岡商業・洛南なのだと思います。
この年の東海大学第四高校の自由曲は、高岡商業と同じレスピーギを取り上げていますが、
東海大四の方は、「この曲をとことん盛り上げたい!!」・「豪快に鳴らしたい!!」という気持ちをストレートに音にした
実に高校生らしい伸び伸びとした演奏だと感じたものです。
この点、同じレスピーギを自由曲に選んだ高岡商業が、知的さ・洗練さ・指揮者の完璧な制御に象徴されるように
ある意味計算され尽くされた人工的な香りの演奏をしていたのに対して、
東海大学第四高校は、本能の赴くままに豪快に鳴らし、「自分たちの吹きたいように吹けた!」みたいに
音楽が自由自在でやりたい放題という印象が大変強く、
結果的にこの両校はこの年の金賞に輝いたものの、目指していた方向性には随分と違いがあったんじゃないのかな・・?
みたいに感じたりもしたものでした。ある意味対照的な演奏とも言えると思います。

だけど、東海大学第四のこの路線は結果的に成功していると思います。
聴いていて実に心地良いというか、鳴っているのに逆に「もっと吹け!! もっと鳴らせ!!」と突っ込みを入れたくなるような
演奏だったと思います。
演奏が実に生き生きとドライブしていて、躍動感と圧倒的な存在感はお見事の一言に尽きると思います。
冒頭のチルチェンセスの爆演からとにかく鳴らしっぷりが半端ないですし、主顕祭に入ってからも
その豪快な鳴らし振りは「壮絶!」の一言に尽きると思います。
だけど単なる「音の暴力」というのではなくて、パートバランスがきっちりと図られているとか
全体合奏の中で「超えてはいけない一定の音量の限界ライン」を絶対に超えないとか、
音色が大変澄み切って明るく透明感があり、サウンドに微塵も濁りがないため、どこまでいっても音楽が
清純という印象を与えているという点は大変申し分なかったと思います。
クラリネット・トロンボーン・トランペットなど随所のソロパートも、ソロになっても貧弱になる事は全くありませんでしたし、
何よりも演奏の隅から隅まで「自分たちはこのように吹きたい!」という奏者の自発性と積極性が
普門館の客席の隅から隅まで十分すぎるほど見事に伝えていたのは、本当に素晴らしいと感じたものでした。

なんていうのかな・・?

奏者がお人形さん状態とか、いかにも指揮者が「このように吹きなさい」と言われたから指示通りに無機質に吹くという感じは
皆無であったというのがこの音楽的積極性の一因と言えるのかもしれなかったです。
課題曲Aのネレイデスが大変しっとりと抒情的に静かに響かせていたのも、自由曲「ローマの祭り」という派手な曲との
対比性という意味で見事なバランス感覚と音楽的対照性の素晴らしさを提示していたのも
大きなプラス要因だったのではないかと思います。
だけど面白いもので、この演奏から4年後の1996年にやはり同じくレスピーギの交響詩「ローマの松」の演奏を
普門館で聴いた際の私の印象は、92年とは全然異なるもので
「奏者の自発性があんまり伝わってこない・・」とか
「指揮者の井田先生の意向と解釈が奏者の存在感を少し弱めているような印象」とか
「鳴っているけど音楽が単調すぎるのかも・・?」と感じたのは、私の耳が変化したというのではなくて、
それがむしろ「スクールバンドの毎年の出場メンバーの変化」という事が大きいのだと思いますし、
前年度に積極果敢な演奏をしたチームが翌年は別人チームのように無味乾燥で消極的な演奏になってしまう事も
決して珍しくないという日本のスクールバンドの特徴を示唆したような話なのだとも感じたものでした。

この年、1992年において、東海大学第四高校と埼玉の埼玉栄高校のジョイントコンサートが開催されていて、
その合同演奏で演奏された曲の一つが「ローマの祭り」であった訳でして、
東海大学第四も埼玉栄も吹奏楽コンクールの自由曲として「ローマの祭り」を選んでいたのですけど、
東海大学第四は無事に全国大会出場を果たしていたのに対して、埼玉栄はまさかまさかの関東大会ダメ金というのは
極めて意外な展開でもありました。
この年の関東大会・高校の部は私自身も聴いていたのですけど、私個人の感想としては、
「関東支部における全国大会代表4チームは、常総学院・埼玉栄・習志野・東海大学相模で決まりじゃん!
今年は、市立柏・野庭は間違いなく関東大会ダメ金で敗退じゃん・・」と感じていたのですけど、
あの年、まさか埼玉栄がダメ金で全国大会に進めなかったのは極めて意外でした!
東海大学第四とのあの素敵なジョイントコンサートとか関東大会のあの素晴らしき名演を聴いた限りでは、
まさか埼玉栄がダメ金で全国に進めないとは全く微塵も予想していなかっただけに、改めて
「コンクールの一発勝負の怖さ」と「コンクールとは審査員の偏見と好みに左右されることもある」という事を
改めて実感させられたものでした・・・
あの年の関東大会を聴いた限りでは、野庭と市立柏がまさか全国大会代表になるとは夢にも思わなかったですし、
全国大会での柏と野庭の演奏を再度聴いても、残念ながら私自身の印象は全く同じでした・・(汗・・!)

埼玉栄の「ローマの祭り」は是非普門館の聴衆の皆様に聴いて欲しかった素晴らしい演奏だっただけに
惜しまれるものがありました。
だけど埼玉栄は、1997年に再度自由曲に「ローマの祭り」を自由曲に選び、この年は全国大会でも素晴らしい名演を
聴かせてくれ雪辱を果たしてくれたのは大変素晴らしかったと思います!!
過日の報道により既に皆様ご存じの通り、現・平成天皇の生前退位と平成31年元日からの新元号開始と
いうのがほぼ既定路線になっているようですね。
天皇陛下の退位をめぐり、政府は2019年1月1日に皇太子さまが新天皇に即位し、
同日から新たな元号とする方向で検討に入ってはいるようですね。
国民生活への影響を最小限に抑えるため、元日の改元が望ましいと判断したみたいでして、
政府の想定通り進めば、現・天皇陛下は2018年12月31日に退位し、
:結果的に「平成」は30年で幕を閉じることになりそうです。

うーーむ、なんか感覚としてはつい先日(・・??) 当時の故・小渕恵三内閣 官房長官が
「新しい元号は『平成』であります」と、平成という新元号を発表したような感じもあるのですけど、その小渕氏もとうに
彼岸の彼方の御方ですし、
これで新元号が始まったら、私のような「昭和生まれ・昭和育ち」はとてつもないアナログ世代として、
平成生まれの皆様から「だから昭和生まれは古くて嫌なんだよなぁ・・」と言われてしまい、
ますます肩身が狭くなってしまうのかもしれないですね・・(滝汗・・!)

さてさて、1976年の全日本吹奏楽コンクール・高校の部においては、当時の高校の部においては
「名門中の名門校」として既に不動の地位を占めていた奈良県・天理高校吹奏楽部が選んだ自由曲と言うのが、
陶野重雄作曲「皇太子のための祝典音楽」という大変地味な曲でした。
そう・・!
この曲のタイトルの「皇太子」とは現・平成天皇・・つまり、間もなく生前退位される天皇の事なのです!
1976年当時はまだ昭和天皇がご健在の頃でしたので、
(確か同時期にアメリカまで公務で行かれ、かなり長期滞在されていたような印象があります)
「皇太子」というと浩宮さんではなくて、現・天皇陛下の事だったのです!

やはりこういう所にも「歴史」というものは感じるものなのかもしれないですね。

そうそう、歴史と言うと、この年、1976年は吹奏楽コンクールにおいては「かなりの大きな出来事」があったりもしたものでした。
その一つが、当時の押しも押されぬ名門中の名門の一位&金賞常連校の兵庫県今津中学校吹奏楽部が、
なんと・・!
楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲でもってまさかまさかの銅賞を受賞し、同時に
同じく名門中の名門の天理高校吹奏楽部が、2016年時点までにおいては、今の所唯一全国大会で銅賞を受賞したという
まさに歴史的事件が起きたものでした!
今津中学校の銅賞の要因は、簡単でして、実はかなりの音量過剰がその敗因でした。
今となっては真偽は確かめようもないのですけど、横浜での全国大会の本番直前に、今津の大将というか指揮者の
得津武史先生が「ただいまから今津の殴り込みを行う、みんな張り切って先生の棒について来い!」と
余計な事をいってしまったら、素直な生徒さんたちはppがfに、pがfffになってしまうとてつもない大音量の爆演を
炸裂させてしまい、審査員ほぼ全員一致の銅賞という審査結果になったというエピソードが残されています。
そうですね・・少し補足をいたしますと、実は今津中学校は1973年にも自由曲として76年と同じ
楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲を自由曲にしているのですけど、この時も音量に関しては
相当なものがあったように感じております。
ま・・要はその「程度」の問題とか「許容範囲問題」を超越したかどうかというのが73年の金賞と76年の銅賞を分けた
境界だったのかもしれないですね。
ちなみにですけど、翌年の1977年の今津中学校は当然のように形勢を立て直し、当時の審査員から
「まさに国際的水準!」とか「知的な演奏!」と大絶賛された歴史的名演の歌劇「運命の力」序曲でもって金賞を受賞し、
前年の雪辱を果たしています!

話がそれました・・天理高校に話を戻します。

天理高校は順位制度から金銀銅のグループ表彰制度に大きくコンクールのシステムが変更になった後も
順当に金賞を受賞し続け、1970~73年で4年連続金賞を達成し、
「5年連続金賞→翌年は特別演奏」という栄誉に王手を掛ける事になります。
しかし、1974年のリードの「ハムレットへの音楽」でまさかの銀賞!
まさかまさかの75年もコンクールを通常通りの「出場」という事になってしまいます。
75年の自由曲の交響詩「おやさま」という曲は、ある意味、天理高校らしい選曲というのか、
天理教の教祖でもある中山みきの事を「おやさま」とも言うらしいのですけど、
その天理教の教祖でもある中山みきの生涯を音楽としてまとめた山田耕筰作曲の交響詩「おやさま」を
吹奏楽にアレンジしてコンクールに臨んでいます。
この演奏ですけど、アレンジは相当ひどいです・・・(汗・・)正直センスが良くないというのか、
ソロ楽器の扱いがひどいです・・・
だけど・・・・
演奏自体は大変素晴らしいものがあり、鄙びた感じとか素朴さとか純朴さが大変うまく表現されていると思います。
中間部のゆったりとした反復される歌い廻しとか打楽器の扱い方とか表現としては中々魅力的です。

そして翌年の1976年は、75年と同様に邦人作品で臨むのですけど、
そう! それが前述の「皇太子のための祝典音楽」なのです!
「皇太子のための祝典音楽」という曲は、そうですね・・・正直あんまり聴き応えがしない地味な曲を選曲したという事も
あると思いますし、
コンクールとしては今一つインパクトに欠ける曲というせいもあったと思いますし、
もしかして・・・・
谷口先生の「74年に金賞を取れていれば75年は特別演奏だったのに・・・」という未練があったかどうかは
正直よく分からないのですけど、印象としては大変中途半端みたいな演奏を残しています。

天理にしては珍しいくらいの凡演だったようにも思えます。やはり名門・天理高校と言えども
全ての年に名演を残せるという訳では無いようですし、指揮者も奏者もやっぱり「人の子」ですからね・・

余談なのですけど、過去のBJの審査員・批評家の支部大会・全国大会における批評を読み返してみると
中々面白い事もあるものですね。
(BJとはバンドジャーナルといって、吹奏楽専門雑誌です)

その一つの事例が、上記の1976年に奈良県の吹奏楽の超名門高校の「天理高校」に関する事で、
支部大会と全国大会のBJの批評にて、全く同じ一人の批評家から
全く真逆の事をコメントされている記事を見つけた際は、結構驚いたものです!

関西大会でのBJの演奏評は、辻井市太郎という大御所先生が担当されていて、その際には、
「自由曲は初めて耳にする曲であり、アメリカで出版されたものとの事だが、
天理であるからこそ立派に演奏できたとの印象を受けた。
その上、天理の有する独特のサウンドが聴く者を更に納得させた」という大変ベタ褒めコメントをされていました。
しかし、全国大会でのBJの演奏評は同じく辻井市太郎氏が担当していますが、この時は、
「自由曲はコンクールに適応していないものである。
世界の名曲に混じって、いかに高度な技術を有する天理であっても
曲そのものの格調を変える事は無理だったのだろう。
まずは選曲失敗の範疇に入るものである」と、全く正反対の事を言われていました!
そうですね、今現在の感覚で言うと、
「おいおい、おっさん・・・・おまえ、全く同じ演奏を聴いて、どうして関西と全国大会では
演奏そのものではなくて曲自体に対する印象がこうまで違うねん・・・!!」とか
「おいおい、おっさん、関西大会の際には、おまえさん一体なんてコメントしていたのだよー」
とか色々とツッコミを入れたい気持ちにもなったりもしたものでした・・(苦笑・・)

今となっては天理高校の当時の関西大会と全国大会の演奏の実況音源がありませんので
比較とか検証のしようがないのですけど、
一般的に吹奏楽の世界は、支部と全国では、朝一番という悪条件を別とすると
それほど極端な出来不出来の差は無い事が多いですので、
この辺りも「審査員・批評家の一つの気まぐれ」なのかもしれませんし、
同じような演奏でも気分とかによって印象が変わる一つの事例なのかもしれませんよね。

言える事は、
ある同じチームの演奏を聴いても、人によって「感じ方・感想」に違いがあるという事なのかもしれません。
審査員の評価と私自分が感じた評価と会場内の雰囲気には「ズレ」が生ずることもしばしばあり
要は、「審査員の感じた事や評価」が絶対的に正しいものではないし、
感じ方は人それぞれであり、そこに絶対的正解というものは存在しないという事なのかもしれないです。
要は、自分達一人一人が「この演奏素晴らしい!」と感じた演奏がその人にとっては「名演」という事なのであり、
それは人それぞれなのかもしれないですね。

昔のBJ(バンドシャーナル)のバックナンバーを何気なく読んでみると、
現在のBJの演奏評はかなりマイルドになっているというか、幾分くだけたような印象も感じられます。
逆にそれは、プロの目から見ても、「あまり文句の付けようがないほど演奏技術が上がった」という
一つの表れなのかもしれませんよね。
1970年代から80年代の頃ですと、かなり辛辣な評価も目立ったりもしますね。
「ここまで書いたら相手が傷つくでしょう・・・」みたいなひどい事を羅列した演奏評も
随分と散見されていたような印象もあります。
というか、アマチュアの中学生相手に何もここまで書かなくてもいいじゃん! 少しはさじ加減してあげてよ!みたいな記事も
あったりもします。

その代表例が村方千之先生の辛辣な激辛コメントですね・・・・
(ま、この先生、基本的に褒める事はまずしませんけど・・・滝汗・・!)
この先生は御年90近くになってもまだ現役で指揮者教室を開催されていて、
いまだに現役バリバリなのですけど、
口が悪いというか激辛コメントはいまだに健在なのかな・・・・??
この先生のBJでの講評は、1982年以降ピタッと無くなりましたけど、
さすがにあれは学校関係者・PTAあたりから音楽の友社に苦情が殺到したのかもしれないですね。

村方先生の過去の激辛コメントを少し記してみると・・・・


〇音の出し方、フレーズの作り方が全体に雑で、ピッチもバランスも悪く、マーチらしい軽快さに欠け、
  音楽的にはかなり無神経な演奏

〇演奏はこの日最も粗雑なもので、譜面の読み込み方が足りないのか、音の長さやフレーズは
  全体にいい加減で、ただ気分で曲を流しているような感じ

〇曲の良さに乗って譜面をただ追いかける指揮者の姿勢には本質的な問題がある。

〇躍動するフレーズ感に乏しく、盛り上がりや迫力に欠け、全く面白みがない。
  情感の欠けた演奏は人を楽しませることは出来ない。

〇このような無神経さで○○のような曲に取り組むのは、音楽を大切にする姿勢ではない、

いやいや現在ではあまり見られない「辛口」を通り越した「激辛」コメントですよね・・・
しかもこれ、アマチュアの中学生とその指導者に対するものですから、もう少し「配慮」は必要なのかもしれないですね。
ま、確かにこの時代のコンクール支部大会には、中には本当に相当ひどい演奏も数多く
あったと思いますけど、未熟な子供たちには、こうした「激辛コメント」を聞かされて音楽が嫌になるよりは
何か少しでも「良い所」を見つけて褒めてあげる方が「子供たちが将来、音楽に対して興味を持つ第一歩」になる可能性の方が
高いようにも思えるのですけどね・・

それは「長所を見つけて褒めて人を伸ばす教育論」と「短所を徹底的に克服させる教育論」の違いとも
いえそうですね。

あれれ・・? なんで今回は「天皇陛下の生前退位」の話がここまで話がそれてしまったのでしょうか・・? (汗・・)
17.高岡商業高校


C / バレエ音楽「シバの女王ベルキス」より 、Ⅱ.戦いの踊り Ⅰ.ソロモンの夢 Ⅳ.狂宴の踊り (O.レスピーギ)


1989年から92年頃の高岡商業って凄過ぎると言うのか、ある意味神がかった域に達していたとすら感じてしまいます。
89年のローマの祭り、90年のペトルーシュカ 91年のシンフォニエッタ、そしてこの年のベルキスと 
怒涛の圧倒的名演を残しています。
まさに指揮者の土合先生=高岡商業サウンドが確立されていた時期と言えるのだと思いますし、
21世紀以降の高岡商業の没落振りを考えると、この時期が高岡商業としての黄金時代と言えるのではないのかな・・?と
感じてしまいます。

89年のローマの祭りはパフフルさと圧倒的音量が一つの売りというのか、高岡商業の代名詞でもあったようにも
感じられるのですけど、90年のペトルーシュカ以降は、そうした圧倒的なサウンド・音量の迫力は健在ながらも、更にその上に
「知的さ」・「洗練さ」が加わり、エレガントで優雅な名演を残していたように感じられます。
特に90年のペトルーシュカは素晴らしかったです!
この自由曲は残念ながら、当時は著作権の問題で収録NGの都合上、
あの素晴らしい演奏がCD化されていなかったのは大変惜しまれます。
Ⅰの導入部とロシアの踊りとⅣをメインに構成されているのですけど、とにかく細かい所にまで驚異的に
仕上げられていて、同時に迫力も華麗さも申し分ないという稀有な名演だったと思います。
そしてあの年は、それまでのブレザー制服ではなくて、プロの管弦楽団みたいな紫のステージ衣装が
とても印象的でした!
91年のヤナーチェクも素晴らしい知的な演奏で、なぜこの演奏が銀賞なのか今でも全く納得していないですね・・
そして、この年92年のベルキスなのですけど、
印象としては、「余力を残して、力をセーブしても余裕で金賞」という感じです。
83年とか89年の同じ作曲家のレスピーギなのですけど、ボリューム的には相当セーブをかけていると思います。
迫力不足という感覚は全くなく、サウンド的に大変よく鳴っているのだけど
それが全然うるさいと感じさせない次元の高い演奏を披露しています。
高岡商業というとサウンドが絢爛豪華とかとてつもない豊かな音量というイメージが強い学校なのですけど、
90年~92年の三年間、その中でも1992年の演奏は、
本当は鳴らそうと思えばもっと豪快に鳴らす事も出来たのだけど、そうした安易な音量作戦を回避して、
知的に美しく響かせるという方向性にシフトしていたのは、高岡商業としての一つの大きな成長とも進化とも言えるのだと
思えますし、従来までの音量路線に「ちょっと違うのかも・・」と違和感を感じ
「吹奏楽=音量と華麗なる響きという方向性とは違う方向性を自分たちは模索してもいいのではないのか・・?」と試行錯誤を
重ねた結果としてのあのベルキスがあったのではないのかな・・とも感じたりもします。
確かに92年の高岡商業のベルキスは、知的で音量も少し抑えている傾向にはあるのですけど、95年にやはりベルキスを
自由曲として選び、去勢されたかのような迫力に欠けるベルキスを演奏していた野庭高校とは明らかに一線を画すものは
あると思います。
野庭の場合は、意図的に奏者の自発性を奪い取っているみたいな印象もあったりした中で、
92年の高岡商業の場合は、そうした奏者の自発性の欠如という雰囲気は皆無で、指揮者と奏者がよく話し合った中で
ああした方向性のベルキスが生まれたみたいな自発性も窺えるような演奏だったと思えますし、
高岡商業の場合は、全部が全部音量的に抑制しているという訳では無くて、鳴らすべきところは、以前のローマの祭りのように
大爆発・炎上を引き起こしていましたから、やはり両者のベルキスには、天と地ほどの差があったようにも
感じられたものでした。

この年の高岡商業の課題曲Cの三善晃の「クロス・バイ・マーチ」も見事な演奏だったと思います。
この曲は形式的には確かに行進曲なのですけど、さすがに「深窓の祭り」の作曲者はそんな単純なマーチを作らず
構成的に大変厄介な曲を課題曲として提供し、この課題曲を選んだチームの多くを
整理不足と練り込み不足という自体に追い込んでしまう大変な難解な曲でもあったと思うのですけど、
高岡商業は、曲の整理整頓がきちんと出来ていた上に、曲としてのリズム感が大変シャープで鋭く、
内省的に大変テンションの高い演奏を聴かせてくれていたと思います。
自由曲の「シバの女王ベルキス」も前述の通り、従来までの「豪快な鳴らせっぷり」だけに留めず、
曲としての構成美・内省的な響きをきちんと追及していたのはさすがだと思います。
演奏部分も、Ⅱ・Ⅰの中間部分・Ⅳの後半から構成し、静かな部分は少なく「鳴る部分」をメインに構成しているのですけど、
音量的にも音楽の構成的にも「やかましさ」を全く感じさせず、逆に意図的に音量を抑える事で知的さとかしっとり感を
むしろ強調させていたのは、前述の通り、高岡商業が単なる音量のチームだけではなくなったという一つの成長と進化を
示唆するものであり、高岡商業としての一つの大きな節目と高みに達したようにも感じられたものでした。

音量を意図的に抑えるのは指揮者のコントロールだと思うのですけど、「奏者の自発性を奪う」みたいな方向性に
ならす゛にむしろ奏者としての自発性と積極性を引き出している奇跡のような素晴らしい名演だと
感じたものでした。
普門館の会場からは「ちょっと抑え過ぎなのかも・・」とか「美しいけど少し物足りないのかも・・」みたいな雰囲気も
あったのかもしれないですけど、
鳴らすべき所はちゃんと鳴らしていましたし、最後のバンダも十分効果は伝わっていたと思いますし、
私としては「これは素晴らしき進化」と高く評価されて然るべき演奏だと思っています。

まさにグランプリレヴェルの金賞だと思います!
毎年東芝から発売されている吹奏楽のポップス作品を収録した
「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」シリーズは
毎年毎年楽しい演奏を聴かせてくれるので結構好きです。
中でも少し古いのですが、1989年のシリーズは、個人的には過去最高傑作シリーズと
思っています。

収録曲目が

〇ディズニーメドレーパートⅡ

〇イバネマの娘

〇ニューヨーク・ニューヨーク!

〇ユーミン・ポートレート

〇アメリカングラフティー(メドレー)

〇ひき潮

〇ラプソディー・イン・ブルー

などと素晴らしい作品がてんこ盛りです。



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ディズニーメドレーⅡは、チムチムチェリー~ビビディ・バビディ・ブー~不思議な国のアリス~
君も飛べるよなどのメドレーで、
チムチムチェリーの粋な編曲がとても印象的です。
「イバネマの娘」なんて懐かしすぎます・・・
「アメリカングラフティー」も、
悲しき片思い・オンリーユー・ミスターベースマン・ヴァケィションなど古き良き時代の
アメリカが音楽で再現されていて大変魅力的です。

だけど圧巻は「ユーミンポートレート」なのだと思いますっ!!
荒井由美時代から松任谷由美時代の名曲の数々が繋がれていき、
ユーミンの偉大さを改めて痛感させられます。
だけどその選曲が素晴らしいですね! 本当にいい仕事をしていると思いますし、1989年以降の曲ですけど
「春よ、来い」という一曲が追加されていたらもっと素晴らしいメドレーになっていたのかもしれないですね・・(笑)

メドレー曲に収録されている曲ですけど、

〇翳りゆく部屋

〇あの日に帰りたい

〇リフレインが叫んでいる

〇朝陽の中で微笑んで

〇卒業写真

〇中央フリーウェイ

〇雨のスティション

から構成されていますが、私的にはリフレインが叫んでいると中央フリーウェイが 大変印象的です!

中央フリーウェイから雨のスティションには、アルトサックスとテナーサックスの素敵なソロが
華を添えています。
卒業写真では、ホルンがソロメロディーを担当しているのが何とも大胆のように感じられます。
この卒業写真のメロディーってどうしてこんなに胸に沁みてくるのでしょうか・・?
「あの日に帰りたい」も素敵な名曲ですけど、さてさて、私が「帰りたい」と思っているあの日とは果たしていつなんでしょうか・・?

吹奏楽作品でも、たまにはこうしたポップス曲を聴くのも
楽しいものですね!
吹奏楽コンクールの気合に溢れた演奏もいいけど、たまにはこうした楽しく懐かしいメドレーを聴いて
リフレッシュかるのも素敵な事だと思います!
16.兵庫高校


D/バレエ音楽「ロメオとジュリエット」 (S.プロコフィエフ)



素晴らしい演奏だと思います!

結論から言うと、この年の兵庫高校のコンクールとしての評価は銀賞という結果に留まるのですけど、
私個人としてはこの審査結果には大変不満を感じます。
閉会式の審査結果発表の際に銀賞と発表された際は「マジかよ・・なんでこの演奏が銀賞なの・・?」と
頭を抱えたものですし、この審査結果には今でも到底納得いかないものがあります。
松井先生時代の兵庫高校の全国大会での金賞は、1989年の「ディオニソスの祭り」と93年の「シンデレラ」なのですけど、
あくまで私個人の好みで言うと、この年の「ロメオとジュリエット」とか90年の「火の鳥」とか96年の「三つのオレンジへの恋」という
コンクール評価としては銀賞の演奏の方が金賞受賞の演奏よりも大好きというのは、
私自身がどちらかというと「個性が漲っている演奏」の方により強い共感を感じるという要素が強いというのが
大きいからと言えるのかもしれないですね。

全体的に積極的な表現姿勢に好感を持てますし、指揮者の松井先生のアクの強さが全体に漲っていると思います。
課題曲Dは、一般的に中学生がこの曲を演奏するととっても幼く感じるのですけど、高校生がこうした曲を演奏すると
真価を発揮するというのか、楽しさと親しみやすさと曲の構成の見事さを感じてしまいます。
この課題曲は一聴した限りでは「単なる子供っぽいマーチ」のように聴こえてしまう傾向があると思うのですが、
例えばヤマハ浜松とか阪急百貨店の演奏を聴くと多分一目瞭然だと思うのですけど、
この曲はきちんと聴かせ所が備わっていて、特にラストへの追込みにかけての曲としての構成美は素晴らしいものが
あると感じています。
(ヤマハ浜松のティンパニ奏者の曲の追込み感と打点の見事な打ち込みは聴いていて惚れ惚れするものがありました!)
兵庫高校の課題曲Dも単なる「楽しさ」だけではなくて、そうした曲としての構成美を適切に聴衆に伝えていたのは
大変素晴らしいものがあったと思いますし、高校の部の課題曲Dとしてはグランプリクラスの仕上がりだったと
思います。

だけど圧巻は自由曲の「ロメオとジュリエット」だと思います。

低音部がチューバを中心にバリバリ過ぎるくらい豪快に鳴らしていて、
「少し鳴らし過ぎかな・・?」と感じる部分も多々あったのだとは思いますけど、
低音の充実した響きという土台がきちんと出来ていたからこそ、課題曲も自由曲も終始大変安定していた
演奏を展開していた大きな要因になっていたんじゃないのかな・・?とも感じますね。
最近、この年の兵庫高校の課題曲と自由曲を改めて聴いてみたのですけど、やはりあの「低音セクションの安定と充実感」は
素晴らしいものがあると感じました。

この「ロメオとジュリエット」は、一般的には、モンターギュ家とキャブレット家~タイボルトの死という組合せが
大変ポピュラーな組合せと言えると思いますし、このバレエ音楽を自由曲に演奏するチームの大半はこの組合せと
なっています。
1987年に天理高校がこの組合せに「ジュリエットの墓の前で号泣するロメオ」を入れたり、
1986年の中央大学の林紀人アレンジVerのように、朝~喧嘩~少女ジュリエット~タイボルトの死という組合せという
パターンもあるのですけど、
この年の兵庫高校は、後半のタイボルトの死をメインに据えながらも、バレエ音楽全体の中から、
コンクールではあまり演奏されないような箇所からも曲の構成に加えたりと、演奏解釈とは別に選曲という意味でも
大変個性的な面は感じられたものでした。
曲の構成も、全体的には静→動→静→動という雰囲気だったと思いますし、その辺りも音楽としてのストーリー性を
大変意識されていたようにも感じられ、この辺りも大変好感を感じたものでした。

この年の兵庫高校はどのあたりが特に素晴らしかったのかと言うと、第一に自分たちのやりたい音楽の方向性を
明確に示している点、第二に、明示するだけではなくて、積極的に自分たちの音楽を
聴衆に伝えられる高度な技術を持っている点だと思います。
とにかくあの音楽的積極性は素晴らしいですし、静かな部分のリリカルでしっとりとした雰囲気も素敵なものがありますし、
激しく鳴らせる部分は上記で書いた通りの低音セクションのかなり重厚な響きもあり、
まるでロシア陸軍の重量戦車部隊の重厚な行進を彷彿とさせる充実した響きがそこにはあり、
悪く言うと威圧的にも聴こえちゃうのかもしれないですけど、やはりあの充実した響きは、「見事なハーモニー」だと
言えるのだと思います。

だけど、こうした音楽の方向性は、審査員の評価は割れるのかも・・と予想していたら、案の定銀賞にとどまってしまいました。
新屋高校・愛工大名電と並んで非常に惜しい銀賞だと思いますし、
私個人はいまだにこの年の新屋高校と兵庫高校の銀賞には全然納得していないですね!
私個人としては、新屋と兵庫は、十分金賞に値する素晴らしい演奏だと確信しています。
15.嘉穂高校


D/交響的舞曲~第三楽章 (S.ラフマニノフ)


吹奏楽コンクールの指揮者の中には、熱血・情熱という先生も数多くいて、中にはとんでもない大振りの先生も
いたりもします・・(笑)
とてつもない大振りの先生と言うと、私のこれまでの記憶・印象の中では雄新中学校を指導されていた鈴木清先生の
あのとてつもない大振りなんですけどあの情熱溢れる指揮と演奏とその熱くて感性豊かな表現が
大変鮮烈でした!

嘉穂高校の竹森先生の指揮は、マスク等を指揮されていた1970年代もコッペリア等を指揮されていた1980年代も
結果的に最後の普門館のステージとなった1995年のスパルタカスもどの時代も共通して言えることは、
絶対に大振りはしないで大変コンパクトな指揮をされていたという事に尽きると思います。
見た限りにおいては、振っているのか振っていないのか分からないような大変コンパクトな指揮をされていて、
例えどんなにffの大音量の際とか曲全体がとてつもなく盛り上がる際でも
大振りされることなく、丁寧で必要最低限の指示しか出されない竹森先生のその指揮振りには、
生徒を完全に信頼しきっているみたいな「温かい眼差し」が感じられ、とても印象に残っています。
竹森先生は、例えば、1985年の「シンフォニーポエム」のあの炎のような冒頭とか
1990年のスキタイ組曲の野蛮極まりない出だしすらも、決して大振りはされていなかったのは極めて印象的です。
基本的にはゆったりとした2拍子をベースに指揮されているような印象が私の中にはあります。

竹森先生指揮の嘉穂高校の演奏って、特に親しみやすいクラシック音楽のアレンジものを自由曲にされた場合、
音楽にとてつもない「温かさ」を感じるように思えます。
それは竹森先生のお人柄なのだと思いますし、
下松高校の中井先生のように公立高校の普通の先生と生徒が一生懸命練習して
「手作りの音楽を丁寧に仕上げてきました!」みたいな印象を毎年普門館の聴衆に与え続けていたのは
大変素晴らしい事だと思いますし、それは中々出来る事ではないだけに、竹森先生の指導力とお人柄の温かさを
感じてしまいますね。

さてさて、1992年の嘉穂高校ですけど、得意のロシアもので挑んできたと思います。
嘉穂高校というと私より少しだけ(?)世代が上の皆様ですと「マスク」とか「ディヴァーヅェンツ」というマクベス路線を
イメージされる方も多いのかとは思うのですが、
嘉穂高校は実は、吹奏楽オリジナル作品よりはクラシックアレンジもの、その中でもロシアものを頻繁に自由曲として
取り上げている事の方が多かったように思えます。
具体的には、火の鳥・ガイーヌ・ダッタン人の踊り・交響曲第3番「シンフォニーポエム」・ハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」・
スキタイ組曲・イタリア奇想曲などかそうなのですけど、
前述の繰り返しになりますが、ハチャトゥーリアンの交響曲とかプロコフィエフの野蛮極まりないスキタイ組曲ですら、
竹森先生の指揮は穏やかな2拍子のビートを根幹とされた指揮でしたので、そうした意味でも独特の存在感があった先生で
ある事は間違いないと思います。
92年の演奏はロシアのラフマニノフの「交響的舞曲~第三楽章」を自由曲に選んでいました。
そうですね・・結果論として書くと、音楽の方向性は間違っていないけど、演奏が少しおっとりしすぎていたという感じも
したものでした。

課題曲は、嘉穂らしいマーチで、「愉快な仲間」みたいなキャラクターと嘉穂高校の音が合致していて素晴らしい演奏
だったと思います。
(嘉穂高校は1994年以前までは、1983年を例外とすると、課題曲にはマーチを選ぶことが多く、そして嘉穂のマーチは
毎回聴いているだけでハッピーになれそうな楽しさと軽快さに溢れていたのは大変印象的でした)
自由曲は、一言で言うと、アレンジされた楽譜を音にするのに精いっぱいだった・・みたいな印象もあります。
アレンジ楽譜をそのまま使用するのではなくて、出来れば自分たちのチームのカラーに応じた
楽器の割り振りとかを考えるべきで、その辺りが何か個人的には少し印象を悪くしたような気がします。
勿論、演奏自体は非常に素直な演奏です。
この曲独特のメランコリーもある程度は表現できたと思います。
だけど、アレンジ楽譜で指定された楽器をそのまんま音にしているので、例えば中間部の
夢見るような部分でも、木管低音楽器、特にバリトンサックスの濁った音が
「幻想的」な感じをややぶち壊したような感じもします。
前半部分のカットもいたたげないし、後半もスピード感・サウンドに切れがなく、
全体的にもっそりとした仕上がりになっています。
部分的にはファンタジー感とか夢見る雰囲気は十分伝えていたと思いますし、目指している音楽の方向性は
間違ってはいないと思うのですけど、演奏が少しおっとり・もっさりとし過ぎていて
全体的に「おとなしい・・」みたいなちょっと弱々しい印象も私としては感じたものでした。

それと別に嘉穂高校をかばう訳では無いのですけど、このラフマニノフの「交響的舞曲」は、両端のスピード感と
中間部のファンタジー感の対比が素晴らしいという事で、全国大会でも何度も自由曲として演奏されているのですけど、
この曲の「名演」を私は聴いたことがないです。
吹奏楽にアレンジされると意外と透明感やファンタジー感に欠けてしまうように聴こえるのは、単にアレンジの問題なのか
そもそもこの曲を吹奏楽にアレンジする事自体無理があるのか、
はたまた単に「これから名演が将来的に出てくる」のかよく分かりませんけど、
吹奏楽コンクールの自由曲として演奏するには、ちょっと不利な曲という感じがあるのかもしれないですし、
嘉穂高校のこの年の演奏は、もしかして選曲ミスと言えるのかもしれないですね。
14.愛工大名電高校


C/プラハのための音楽1968~Ⅲ.間奏曲 Ⅳ.トッカータとコラール(K.フーサ)



伝統的に愛工大名電のサウンドは、精密さ・劇的な緊張感が一つの「売り」なのだと思います。
そしてこの緻密さと緊迫感が極限にまで達したような自由曲の演奏が
フーサの「プラハのための音楽1968年」だと思います。

松井先生=愛工大名電のコンピは、1983年に初めて「プラハのための音楽1968」を自由曲として演奏しました。
先生ご自身は、「プラハのための音楽こそが私の代表曲!」と思われていたかどうかは定かではないのですけど、
1983年の演奏以降も、85年・87年・92年と計4回もこの「プラハのための音楽1968年」を自由曲として取り上げています。
松井先生の気質と「プラハのため音楽」は内省的に相当相性はよいものがあったのかなとも感じます。
人によっては松井先生というとネリベルの「交響的断章」が代表的名演と言われる方も多いのかとは思うのですけど、
私個人の感想としては、松井先生=愛工大名電=プラハのための音楽という方程式が成り立っているんじゃないの・・?とすら
思えます。
(松井先生指揮でのローマの祭りとかエル・サロン・メヒコも捨てがたいものがあると思いますし、プラハのための音楽というと
名電以外では1990年の都立永山のあの熱い名演も決して忘れてはいけない演奏だと思います)

全国大会での4回の演奏ともそれぞれ素晴らしい演奏を聴かせてくれてはいるのですけど、
私個人としては、回を重ねるごとに「曲の峻烈さ」が増していき、特に特に・・87年と92の演奏に「音楽としての劇的緊張感」を
遺憾なく発揮させてくれていたと思います。

1992年の愛工大名電なのですけど、フーサの「プラハのための音楽1968」を自由曲に選び、人によっては
「なんだ・・名電はまたプラハなのかよぉー・・・いい加減ワンパターンじゃん!」と思われる方も当時結構いたと思いますが、
それはこの当時、同じ自由曲を3回も4回も選び続ける先生と言うのがあんまりいなかったからじゃないのかなとも
思えます。
ま・・今現在の感覚ですと、淀川工科の丸谷先生なんぞ、ここ十数年程度はダフニスとクロエと大阪俗謡による幻想曲の
2曲以外を自由曲として選んでいないというまさに「究極のワンパターンの自由曲」を選び続けている事から比べると
松井先生のプラハのための音楽を4回自由曲として選曲した事なんて「かわいい・・」とすら感じてしまうのかも
しれないですね・・(苦笑・・)
淀川工科の「大阪俗謡による幻想曲」は、正直に言うと、演奏した年による「演奏の明確な差・違い」というものは、
ほとんど感じられないのに対して、
松井先生=愛工大名電の「プラハのための音楽」は、4回の演奏それぞれに「違い」と言うものが明確に感じられ、
その点が「ワンパターンな自由曲」と後世からも陰口を叩かれない理由なのだと思います。

初めてプラハのための音楽を自由曲として選曲した1983年の演奏は、
「プラハのための音楽1968」という曲自体、大変政治色が濃厚で「メッセージ色」が大変強い曲ではあるのですけど、
確かにとてつもない難曲をよく音にはしているものの「音楽としての感銘性」とか「音楽上のメッセージ」を
普門館の聴衆に伝えるまでには至らなかったと感じます。
その点、熱いメッセージ性を普門館の聴衆にビシビシと伝えていたのが85年の緊張感の極めて強い演奏だったと思います。
87年の演奏も「熱い名演」なのですけど、課題曲の風紋との時間の制約上、カットが少し強引だったことがマイナス点なのだと
思われます。

そうした中、1992年の演奏は、この年で通算4回目の同じ自由曲の演奏となりますけど、
松井先生としては、結果的に最後のプラハのための音楽の演奏となってしまいます。
過去4回のプラハを全部聴いた人間として言わせて頂くと、技術的には、この年、1992年の演奏が過去最高ではないかと
思える事もあります。
勿論、87年の演奏も「過去最高」と太鼓判を押したいのですけど、やはりカットの問題が少し尾を引くのかもしれないです。
その点、92年の課題曲はCを選曲し、課題曲が約3分版程度で収まりましたので、自由曲のプラハのための音楽を
それほど「タイムオーバー失格」を意識しないで、のびのびと吹いていた事が「過去最高の名演」に繋がっていったと
言えるのかもしれないです。

反面、この年の演奏は表現も申し分ない仕上がりなのですけど、
過去3回のプラハが記憶と印象として既に固まってしまっていましたので、いくら素晴らしい技術・表現をしたとしても、
「新鮮度・感銘度」にはどうしても欠けてしまうような感じもあったのかな・・?とも思えます。
この年は、まさかの銀賞でしたけど、
それは、もしかして新鮮さの点で評価が割れたのかもしれませんよね。
翌年からは、愛工大名電はアレンジ路線にシフトしてしまいますが、例えば95年の
「エル・サロン・メヒコ」とか96年の「ローマの祭り」とか
意外とこのチームのアレンジものの演奏も新鮮と言うか、骨太な表現がとても面白かったです。

結果的に松井先生として最後の「吹奏楽オリジナル作品で臨んだ普門館」になってしまいましたけど、
フィナーレに相応しい松井先生としての個性と劇的緊張感を最大限発揮された素晴らしい名演だったと思います。

本当に惜しい銀賞の一つです。
「市立川口高校」というと確かに全国的にはそんなに知名度はないとは思うのですが、
巨人軍の元エースで現在は二軍監督を務められている斉藤雅樹投手の母校であり、
斉藤投手が市立川口に在籍していた当時は残念ながら悲願の甲子園出場は実現しなかったものの、
埼玉県の高校野球においてはほぼ無名校であった市立川口を埼玉県大会準優勝まで牽引したその功績は
素晴らしいものがあると思いますし、
斉藤投手はまさに「川口市の顔」という役割も担われていると思います。

だけど、この市立川口も市の予算の関係とか少子高齢化の波を受けて、来年度・・2018年度より
川口市内の市立高校3校による統廃合が確定していて
2018年度以降は「市立川口高校」という名称は消滅してしまうとの事です。
野球部にとりましても、今年は「市立川口高校としての最後の大会」という事で臨まれたと思いましたが、
やはり今年も悲願の甲子園出場を果たすことが出来ずに、野球部としての夏は閉じてしまいましたけど、
統廃合以降は新たな伝統の始まりとして、是非ぜひ新しい学校としての甲子園出場目指して頑張って頂きたいと
思います!

市立川口高校というと実は、私がかつて吹奏楽部の現役奏者だった1970年代後半~80年代後半にかけては
吹奏楽コンクールのいわゆる名門校の一つで、毎年のように普門館で個性的で大胆な演奏を聴かせて頂き、
私と同世代の吹奏楽経験者の皆様の感覚としては、
市立川口高校吹奏楽部というと間違いなく「凄い!!」という感覚と「懐かしい・・」という感覚を
持たれているんじゃないのかな・・?とも思いますね!


私にとって市立川口というと「無言の変革」も「永訣の詩」などの演奏もとてつもなく魅力的なのですけど
やはり1979年の「二つの交響的断章」という印象が大変強いです。
私、このブログでよく
「1982年の花輪高校のウォルトンの交響曲第1番終楽章の演奏こそが私がクラシック音楽という深い森の中に
入り込むきっかけ」みたいな事を書かせて頂いておりますが、同様に
「1979年の市立川口高校の二つの交響的断章の演奏こそが、私が吹奏楽オリジナル作品の魅力に気が付く
きっかけとなった演奏」と記させて頂いておりますし、
同時に、私自身が「埼玉県川口市というエリアにいつかは住んでみたい!」と思うようになったきっかけの学校とも
言えますし
(それは後年、本当に現実のものになってしまい、私自身は今でも埼玉県川口市在住です! 笑・・)
このブログの一つの目的が花輪高校吹奏楽部と市立川口高校吹奏楽部のあの偉大な不滅の名演を後世の皆様に
語り継いでいきたいという事に繋がっていると思います。

1979年当時吹奏楽コンクールの全国大会の出場チームのステージ衣装は、ほぼ例外なく学校の制服というか、
男子は学ラン、女子はセーラー服かブレザーというチームが多い中、
市立川口高校は、赤ブレザーに赤のズボン・スカートという当時としては斬新なステージ衣装でしたし、
広い普門館のステージが狭く感じるほどパーカッションをズラリとセッティングしたり
グランドハープとか法螺貝とか、コンサートチャイムとは異なる本物の「鐘」を持ち込んだり、
視覚的にも大変なインパクトはありました。
そして見た目だけではなくて演奏自体が素晴らしかったですね!
1979年の課題曲は「プレリュード」と言う「無調的色彩」の強い現代音楽系の曲だったのですが、
出だしのティンパニソロをはじめ、緊張感漲る演奏が本当に素晴らしかったですし、
後半のヴィヴラフォーン以降の木管セクションのひさやかさ、打楽器セクションの鼓動など文句のつけようがない演奏でした。
しかもこの演奏、全国大会初出場でしかもプログラム一番なのですよ・・・!!
そんなハンディーを全く感じさせない圧巻の演奏でした!!
自由曲のネリベルの「二つの交響的断章」は「これぞ゜まさしく歴史的超名演!」の名に恥じない衝撃の演奏です!!
冒頭が、チャイム・シロフォーン・グロッケン・マリンバの鍵盤打楽器から開始され
執拗に同じメロディーを反復していくのですが、この執拗な緊張感が絶品です。
アルトサックスのソロも素晴らしいし、
それに合いの手を入れる打楽器セクションの瞬発力もお見事に一言に尽きます。
ファゴットのデュエットも・・ま・・少しばかりズレはあるのですけど、やはりあの勢いは止められない感じです。
後半のティンパニソロからの金管セクションの透明かつ勢いのある展開も大変迫力がありますし、
トムトムをはじめとする打楽器セクションのやはり瞬発力と自発性は高く評価されて然るべきだと
思います。
自由曲における、ドラの鳴り方が非常に効果的なのも印象的です。特に第一楽章の鳴りっぷりは凄まじいものがありました!
あのドラは、まさに「音楽の神様が鼓動・躍動している!」という響きそのものだと思います。
この原曲は17分程度の大変長いものなのですけど、市立川口は5分30秒程度にコンパクトに収めてしまいましたので、
「もう少し長く演奏しても良かったのでは・・・? せめてこの翌年の東海大学第一高校くらいの長さは
欲しかった」とも言えなくはないのですけど、指揮者の信国先生は、
「音楽的緊張感」を優先に考え、このカット方法にしたのかもしれませんよね。

この1979年の市立川口の演奏は、まさに私の「吹奏楽オリジナル作品のバイブル」だと思いますし、原点だと
思います。

だから私としても「市立川口高校吹奏楽部」の名前が消滅してしまう事にはやはり一抹の寂しさというものは
どうしても感じざるを得ないですけど、
やはりこれも時代の波という事なのかもしれないですね。
市立川口の「二つの交響的断章」とか「無言の変革」シリーズのあの素晴らしき名演は、高校生同時の私に
与えた影響というものは凄まじいものがあったと思いますし、
1982年の東北大会にて秋田県立花輪高校吹奏楽部が残してくれたあの伝説の名演、ウォルトンの交響曲第1番終楽章と
同じくらい「私」自身の音楽の嗜好性に多大なる貢献をして頂いたと今でも実感しております。

学校統廃合というと印象的なのは、1983年から1995年にかけて、市立川口と同様に素晴らしい名演の数々を残してくれた
神奈川県の野庭高校も学校統廃合によってこの輝かしき校名が消滅した事ですね。

よくサラリーマンの世界ですと、業績不振の部署とか関連会社が「名誉ある撤退」とか「発展的解消」の美辞麗句の名において
消滅・他の部署や会社との統合という悲喜劇はよく耳にする話ではありますが、
学校までこの統廃合の波は押し寄せているという事は、やはり少子高齢化とか生徒数激減という荒波は
私達の身近な所にまで既に来ているという事なのかもしれないです。

実は私の出身高校も、つい最近までは男子高校だったのですが、やはり学校統廃合の名のもとに、
近隣の女子高校との統廃合が成立し、今現在では男女共学校となっています。
私の高校時代の思い出は、「男子校としてのの気楽さ」にあったと思うのですけど、
それが現実的に今現在の母校にないとは、卒業生としては一抹の寂しさも感じたりもします。
だけど反面、今まで男子高ゆえの吹奏楽部員の慢性的不足とかクラリネット・ファゴット・オーボエ等の絶対的な
木管楽器の奏者不足が、女の子たちがいっぱいいっぱい入部してくれたおかけで一気に解決され、
それだけではなくてOB悲願の「東北大会A部門出場」を果たしてくれた事は、本当に涙が出るほど
嬉しく感じたものでしたし、やはり、過去の伝統は伝統として考え、今現在の新しい伝統と言うものに対して
OBの一人として温かい気持ちで見させて頂きたいと思っています。

市立川口高校吹奏楽部は、1991年の関東大会でのダメ金を最後に、2005年まで吹奏楽コンクールへの出場を
しない時期が長い間続き、
正直「市立川口高校吹奏楽部」のあの偉大なる伝統と名演を知る人たちも少なくなっていたのが実態だと思うのですが、
2006年以降、市立川口は久しぶりに吹奏楽コンクールにも出場しはじめ、最近では西関東大会にもボチボチと
出場を果たされています。
信国先生時代のあの偉大なる伝統は伝統として、今現在の奏者の皆様には
「新しい伝統」としての市立川口を歩んで頂きたいですし、学校名が変ったとしても
市立川口のあの斬新て新鮮な演奏の感覚は受け継いで頂きたいと思います。

間もなく吹奏楽コンクールの埼玉県大会も開催されますけど、市立川口の「最後の夏」を
一吹奏楽ファンの立場として温かい気持ちで応援をさせて頂きたいですし、普段通りの練習の成果を
本番のステージでも存分に発揮して頂きたいものです!
13.都立永山高校


C/シンフォニックバンドのための「Ode」 (浦田健次郎)



この年で3年連続全国大会出場を果たしているのですけど、「永山らしい個性」・「貫録」は既に確立されていたと
思います。
都立永山を当時指導されていた馬場先生は、現在においては都立片倉高校を全国大会金賞の常連校として
育て上げられていて、その指導力の高さとアクの強い個性は既に誰しもが認めているものと思われますし、
都大会においてはあれだけ私立校が強い中で「都立高校の希望の星」としても評価が高いと思われます。
この年、1992年の演奏は、91年に全国で銅賞を受賞した火の鳥の演奏と「名曲の名演」といまだに語り継がれている
伝説の名演と評価の高い93年のフーサの「この地球を神と崇める」の狭間の演奏なのですけど、
私の率直な感想としては、91年も92年も93年の演奏もどの演奏も馬場先生らしい個性とアクの強さに溢れていて
「自分たちは普門館の聴衆にこのように自分たちの音楽を伝えたい!」という奏者としての意図が
十分すぎるほど伝わっていたと思います。
(94年の演奏だけは、印象度も音楽的アピールが低い凡演だったかな・・)
課題曲Cの「クロス・バイ・マーチ」の切れ味も大変鋭く、スピード感と曲自体の複雑的構造を大変巧みに表現されていたと
思いますし、何よりも自由曲の「Ode」の音楽的緊張感の充実は大変素晴らしいものがあったと思います。

浦田健次郎(1979年課題曲B/プレリュードの作曲者)の「Ode」は、1985年にヤマハ浜松が浦田氏への委嘱作品なのですけど、
同年ヤマハ浜松が全国大会で圧倒的な素晴らしい名演を残していたものの
その後誰も演奏する人も無く、埋もれていた曲ですが、再度都立永山がこの曲の面白さに光を当ててくれ、
私としても嬉しかったです。
Odeは前半がひそやかな感じで始まり、徐々に盛り上がっていき、ラストは凄まじい迫力で終わります。
全体的に終始ゆったりとした曲なのですけど、その緊張感は凄まじいくらい高いものがあり、
決して気楽に聴ける曲ではないと思います。
都立永山は、最初から最後までうまく緊張感を持続し、聴衆に「何か」は確実に伝えていたと思います。
一つ難点を言わせてもらうと、たまにメロディーラインが伴奏部に埋もれてしまい、
何が主旋律でどこが伴奏ラインなのかごちゃごちゃになる時もあり、少し曲としての「整理」が甘かったようにも感じられました。
だけど全体的には熱さと理性的なクールさが大変うまく融合されていて、確かに難解な曲ではあるのですが、
そこには「高校生としての熱い表現」が見事に聴衆に伝わっていたと思います。

「浦田健次郎」と聞かれて真っ先に「プレリュード」と答えられた方は、
も―――、立派な「吹奏楽マニア」の御方なのかもしれないですね(笑・・)
ういう私自身もそういう一人なのではないのか・・と自負はしておりますが・・・・(滝汗・・!)
浦田健次郎というと、吹奏楽コンクール課題曲とか「Ode」の作曲家として認知されていると思うのですけど、
それ程演奏される頻度は高くない曲ですし、最近ではほとんど演奏されない曲ではあるのですが、
「バラード・フォー・バンド」(吹奏楽のためのバラード)という曲も決して忘れていけない作品だと思います。
この曲は確かにかなり地味な曲ではあるのですけど
日本人の感覚で無いと絶対に分からないような抒情性というのか素朴なノスタルジーみたいな雰囲気が漂い
こういう曲こそ、たまには「吹奏楽コンクール・小編成の部」で演奏されて欲しいものです。

「Ode」(オード)というのは「歌」とか「頌歌」という意味なのですけど
少なくとも楽しくてウキウキするような歌ではない事は確かです。
どちらかというと歌は歌でも「悲歌」に近いような感覚もあるのですけど、私としては、
むしろ「祝祭的な歌」風にも聴こえちゃったりもします。
この曲をよく知っている方からの意見としては、「え・・・祝祭だって・・・!? それは絶対違う!! あの陰気な曲は祝典ではない!」
と言われるのかもしれないですけど、
私の感覚としては、「混沌の中の光・・・」とか「怒号が飛び交う中での一筋の光がさ――っと差し込む・・・」
みたいなそんなイメージがあったりもします。
改めて聴くと、この曲・・・前半と後半の落差の対比は凄まじいものがありますね。
前半は、ソロ楽器ほメインにした静粛な部分なのですけど、この部分のクラリネットが果たす役割の大きさは
半端無いものがあると思いますし、あの長大なソロは奏者冥利に尽きると思います。
そしてやっぱのあの静粛な感じは、「やっぱりこの曲はプレリュードの作曲者なんだな・・・」と思ってしまいます。
そうそう・・・この「Ode」ですけど、面白い事に曲全体のテンポは終始ゆったりとしたテンポ設定がキープされています。
後半はかなり激しい音楽となり、「カタストロフィー」(悲劇的結末)を暗示させるようでもあるのですけど、
そうした激しい部分の音楽もテンポ上では、ゆったりとしたテンポを維持していますから、
その辺りは大変面白いと思います。
ああやってゆったりとしたテンポ設定の中でも「激しさ」とか「打楽器の乱打&強打」とか「劇的緊張感」とか「凄まじい音量」を
表現した邦人作品って当時としては珍しかったのかもしれないですね。
後半は、終始「マリンバ」が低音のリズムを刻んでいるのですけど、
あの不気味な低音のリズムがとにかく効果的でした!!
後半は打楽器大活躍なのですけど、特にトムトムの効果的な使用とかチャイムの響かせ方は
当時としてはかなり斬新なものがありました。
曲のエンディングの数小節前は打楽器のみの掛け合いになるのですけど、ああいうパーカッションだけの強奏も
当時としては珍しかったようにも感じられます。
金管セクションのとにかく息の長いフレーズは、奏者泣かせだったと思いますけど
そうした金管に乗っかる形での打楽器の響きはとにかく圧巻でしたし、ああいう感じが
私的には「この曲は祝祭的・・」と感じてしまった一因なのかもしれないですね。

都立永山の演奏以降、どのチームもこの「Ode」を自由曲として演奏していませんけど、
この「埋もれた名曲」を演奏してくれると、私としてもとっても嬉しいものがありますね!!
12.市立柏高校


A/バレエ音楽「火の鳥」~魔王カスチェイの凶悪な踊り・終曲(I.ストラヴィンスキー)



市立柏高校の石田先生は、まさに現代の吹奏楽界の「生きるカリスマ」だと思います!
とにかく、千葉県のスクールバンドの中では、特に際立ったまさに「生きる伝説の先生」だと私は思います。
あの卓抜した指導力とか統率力は本当に本当に優れたものがあると思いますし、
あんなに長年に渡って市立柏を吹奏楽コンクールで優れた評価を受け続けることが出来るというのは
普通の凡人にはとてもとても出来ない事であり、その点も石田先生のすごいところだな・・と思ったりもします。
石田先生は吹奏楽コンクールでもすごいし、マーチングでも優れた指導力を遺憾なく発揮されているし、
何よりも市立柏の吹奏楽部員悠に100名を超す大所帯と聞いた事がありますけど
コンクールメンバー・マーチングメンバー・小編成部門メンバーと部員一人一人に対するきめ細かい指導は
本当に頭が下がる思いですね!
まさしく「千葉県の吹奏楽界のスーパースター」に相応しい指導者だと思います。

吹奏楽についてそれほど詳しくない方でも
指揮者の石田先生はテレビでも何度も登場していますのでご存知の方もいらっしゃるのかなとは思うのですけど、
とにかく熱いハートのお持ちの大変指導力に優れた先生でして、
そうした熱いハートを胸に秘めつつ大変理性的でコントロールされた演奏を聴かせてくれていると思います。
そうした情熱と理性的な両面を遺憾なく発揮された名演の一つが、少し話は古いですが、
1987年の「ローマの祭り」であるし、1998年の「海の男たちのうた」でもあり、2001年の「アメリカの騎士」であり、
2012年の「復興」なのだと思います。
本記事は1992年の演奏に対するものですけど、その前年度の91年の演奏も素晴らしいものがあったと思います。
課題曲の「斜影の遺跡」は、まるで「設計図面」みたいに一部の隙も無い演奏だったと思います。
冒頭の打楽器の弱音のコントロールも素晴らしかったですし、
金管セクションも全体的にはかなり鳴らしているのですけど、全体の中で鳴る部分と抑制される部分の対比が
かなり鮮やかに表現していましたので、
金管がかなり鳴らしている部分でも「やかましい」とは全く感じませんでした。
自由曲の「ガイーヌ」ですけど、序奏→アイシェのモノローグ→収穫祭という順に曲を構成されていて、
鳴る部分→しっとりと聴かせる部分→壮大に鳴る部分の三部構成になっていて、
動・静・動というコントラストがはっきりと描かれていて、聴いているだけでまさに石田先生ワールドに
ひきずりこまれるような感じの素晴らしい演奏だったと思います。

市立柏は90年のベルキスも素晴らしい演奏を聴かせてくれていて、1992年に関しては、なんとなくですけど
「のりにのっている」みたいなイメージもあり、1992年の全国大会での演奏もかなり期待して聴いていたのですけど、
うーーん、残念ながらこの年は「凡演」でした・・・
関東大会でも正直そんなに名演という感じではなかったのですけど、
「市立柏だから全国までにきっと立て直してくれるはず」と思っていたのですけど、関東大会よりもちょっと見劣りする
凡演だったと思います。
(私個人の感想ですけど、1992年の関東大会は、市立柏と野庭を代表にするのだったら、埼玉栄と東海大学相模を
代表として選出して欲しかったです!
 特に東海大学相模のホルジンガーの「春になって、王たちが戦いを始めるに及んで」が素晴らしい演奏だっただけに
当時は「勿体無いよな・・」と感じていたものでした)
やはり「スクールバンド」の場合、継続性というものは大変難しいものがあると感じますね。
前年・前々年に圧倒的名演を残したとしても、翌年にはその奏者が卒業で抜ける事も多々ありますし、指導者そのものが
異動する可能性もありますし、まして奏者はあくまでアマチュアの普通の中高生ですので、
毎年毎年「名演」を残せるという事自体、どこか無理があるのかもしれないですよね。

92年の市立柏の「火の鳥」ですけど、普門館の会場で聴いていて大変気になった事が二つほどありました。
一つ目は、デューカー編曲のアレンジ版を使用していましたけど、
過去に同じ版で演奏していた他校に比べると調を下げていたような気がし、魔王カスチェイの冒頭の強音が
普門館に響いた瞬間に「あれれ・・なんかちょっと響きがヘンかも・・?」と感じ、
二つ目は、「火の鳥」の中で魔王カスチェイの凶悪な踊りと終曲の二つの部分を演奏し、普通に演奏していても
この部分だけならば7分半程度で収まるはずですし、市立柏のこのとしの課題曲はネレイデスという3半程度の曲でしたので、
特段カットする必然性も理由もないはずなのに、魔王カスチェイの中間あたりでクラリネットセクションの細かい動きが
目に付くあたりを中途半端にカットしていて、聴いていて「なんか不自然・・」と感じたものでした。
この年の市立柏は、課題曲も自由曲も前年度までのスピード感・切れ味に欠けていて、
聴いていてどことなくもっさり・おっとりという感じもし、またこのチームにしては珍しいことに部分的に
ピッチが不安定なのかな・・?と感じる箇所もありましたし、
演奏全体も淡々と進行していてあっさり気味に淡白気味に音楽が流れていたのは、「あれれ・・?」と感じたものでした。

市立柏は翌年の「ロメオとジュリエット」もプログラム一番というせいもあり冴えない演奏でしし、94年の「海」も
印象のの希薄な感じもあり、
92~94年は市立柏全体の歴史の中でちょっと低迷期と言えたのかもしれないです。
だけどそれはメンバーが毎年変わるスクールバンドのある意味宿命みたいなものでやむを得ない事だと
思いますし、逆に言うと90年代後半以降の毎年安定した素晴らしい名演を聴かせ続けている市立柏の奏者の皆様と
石田先生のご苦労には本当に頭が下がる思いがあります。
どうかこれからも習志野高校と共に「千葉の雄」として日本のスクールバンドを牽引し続けて頂きたいチームの一つだと
思います。
11.洛南高校


A / ダンス・フォラトゥーラ (C.T.スミス)


改めてですけど、洛南高校をご勇退後のあまりにも早すぎる宮本先生のご逝去の知らせは、
花輪高校・秋田南高校の小林先生のご逝去の知らせ同様にとてつもなく残念なニュースでもありました。
だけど宮本先生=洛南高校のあの素晴らしき数々のインパクトと大変個性の強い名演は、永遠に私たちの心の中に
生き続けると確信しています。
そしてその宮本先生らしい豪快でダイナミックスで「個性」を強く感じさせる代表的な演奏の一つが
この年、1992年の自由曲のスミスの「ダンス・フォラトゥーラ」だと思います!

最近の奏者の皆様の感覚ですと「ダンス・フォラトゥーラというと精華女子のあのとてつもない怒涛のウルトラ名演で
決まりじゃん!
他にどんな名演があるの・・?」と言われるのかもしれません。
確かにその通りだと思います。
私もクロード・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」の歴史的名演というと二度に渡る精華女子のあの名演を超越する演奏は
今後出てこないんじゃないのかな・・?とも思っています。
(あの名演を今後超えそうな可能性があるのは、前・精華女子の指揮者でそのダンス・フォラトゥーラを指導されていた
藤重先生が現在指導・指揮されている大分の垂水女子だけじゃないのかな・・?とも思っています)

だけど・・・

精華女子の名演は2000年代以降の話なんですけど、実は1990年代にもとてつもないダンス・フォラトゥーラの名演が
存在していたのです!
それが1992年の全国大会において宮本先生が指揮されていた洛南高校だと思います!!

あの演奏は、まさに宮本先生のアクの強さが漲り渡り、「宮本先生=洛南高校」というとてつもなく強烈なサウンドが
確立された瞬間じゃないのかな・・・とも感じさせてくれました!
ああいう演奏が出来ちゃう演奏団体は、今現在の吹奏楽コンクールの高校の部では皆無と言えるのかも
しれないですね。
あの「宮本先生=洛南高校」という組合せは、「吉永陽一先生=兵庫高校」に匹敵するとてつもなく個性的なものだったと
今でも思っております。
まさに個性がギラギラ漲っているみたいな言い方がこれほどしっくりくるチームは少ないとすら思えます。

92年の洛南の「ダンス・フォラトゥーラ」のスピード感と切れ味と男子校らしい豪快さの素晴らしさは、あの演奏から既に
25年以上経過した今現在でも決して色褪せているものではありませんし、
あの演奏を普門館の生演奏で聴いていた私も、あの「爽快さ」は今でもはっきりと耳に残っている気がします。
92年の金賞受賞チームの中では、グランプリ候補というと常総学院・高岡商業・東海大学第四が挙げられると
思いますが、洛南高校も十分グランプリ候補になると思います。
精華女子とか最近この曲を演奏したチームに比べると少しカットが大胆というのか、演奏時間が短めという感じも
するのですけど、それだけ集中度が高い演奏ではないのかなとも思ったりもしています。
金管・打楽器セクションが充実しているのは今更言うまでもない話なのですけど、木管セクションもべらぼうに
巧いですし、他校に比べて木管楽器の数は少ないと思うのですけど、そうした弱みを全く感じさせない演奏と言えると
思います。
また、トランペット・サックス・クラリネット・フルート等のソロもほぼノーミスで見事に「決まっていた」と思います。
金管も、トランペットもそうですけど、ホルンのハイトーンも惚れ惚れするくらい決まっていたと思いますし、
トロンボーンもめちゃくちゃ上手かったですね!
トロンボーンのあの凄まじいグリッサンドも実にお見事でした!!

洛南高校は、実は1987年にも「ダンス・フォラトゥーラ」で関西大会に臨みダメ金に終わっていますので、
気持ちとしては「リベンジ」という感覚だったかもしれません。
(「ダンス・フォラトゥーラ」の支部大会以上での演奏の初演は、この洛南を含めて3校あったと記憶しています・・)
1987年の演奏は、課題曲が「渚スコープ」という大変静粛な曲でしたので、自由曲でもって課題曲の鬱憤を晴らした
エネルギーの大爆発があったのですけど、カスタムテープで聴く限りは、ちょっと粗削りでもう少し細かい部分で
整理が足りない部分があるのかな・・?と感じたものです。
92年の演奏は2回目という事もありましたので、「手慣れている」みたいな感じもありましたし、全体的に
「細かいところまでとにかく几帳面に整理されているけど、全体のエネルギーの爆発は87年の関西大会以上」という
印象も感じたものです。

1992年の前年度の1991年の自由曲の「ローマの祭り」が何か気持ちが乗らない感じで
正直私としては「ちょっと洛南らしくないなぁ・・」という今一つの演奏でもありましたので、
「今年はみんなの力でなんとかしようではないか!!」」という気持ちが全曲に漲っていたと思います。

私的には、洛南高校は、クラシック音楽のアレンジものよりは、こうした吹奏楽オリジナル路線の方が
あっているような気がします。
後年の「アメリカの騎士」とか「ハリソンの夢」は、洛南のカラーにドンビシャの演奏だったと思います。
吹奏楽オリジナル作品をあの独特な解釈&サウンドで演奏した時の方が
クラシックアレンジものを演奏した時よりも一層「際立った個性」が感じられ、
私個人としては、「洛南はオリジナル作品の方が真価を発揮できる」と思ったりもしています。
特に、2001年の「アメリカの騎士」は本当に大好きな演奏です!
アレンジものは・・・うーーん、そうですね・・・なんか聴く人の好みによって好き嫌いははっきりと分かれる様な
感じがあります。
そうですね・・・・
洛南は何度もーか「ダフニスとクロエ」第二組曲を自由曲にしているのですけど、
私のあくまで個人的な感想なのですけど、
演奏者のガッツは評価するけど、音色のあの厚化粧振りにとてつもない違和感を感じる・・という感じもあったりします。
「ローマの祭り」・「ローマの松」・「スペイン狂詩曲」も大体同じような印象です。
そんな中、1997年の「ハンガリー民謡・くじゃくによる変奏曲」は、フルートソロの部分をクラリネットに置き換えたり
洛南らしい個性的な解釈が見られる中、素朴さ・哀愁もしっかりと表現された素晴らしい名演だと
思います。
それと、関西大会ダメ金で終ってしまいましたけど、
1993年の「海」(第二楽章も部分的に選んでいましたけど、あの部分の解釈は大変繊細で素晴らしい!!)とか
1994年の「リバティーファンファーレ」も、「隠れた名演」の一つと思っています。

改めてですけど、ダンス・フォラトゥーラの技術的難易度の高さは半端ないものがあると思います。
精華女子のあの素晴らしい演奏を聴いてしまうと
「すごいな・・・こんな難曲中の難曲を聴いている者に少しも疲労感を与えないでこんなに楽に聴かせちゃうなんて!」と
毎回感心させられちゃいますね!
(洛南の唯一の弱みは、ちょっと力みを感じ、聴く方もちょっと構えて聴いてしまう感じもあるのかもしれないですね・・)
それにしてもあの「ダンス・フォラトゥーラ」の超絶技巧の炸裂振り・金管殺し・トランペット奏者殺しは
一度聴いてしまうと、完璧にはまってしまいますね・・・
そうなんですよね!!
吹奏楽を知らない方でも是非この「ダンス・フォラトゥーラ」だけは精華女子高校の演奏を聴いて欲しいです!!
この曲、そしてあの素晴らしき名演を知らないまま一生を終えるなんて
勿体無いかもしれませんよ・・・??

余談ですけど、
「ダンス・フォラトゥーラ」の全国大会初演は、実は高校の部とか一般の部ではないのです!!
実はなのですけど、1989年の中学の部で出場した宮崎県の生目南中学校が全国大会初演なのでした!
しかも、この学校は全国大会初出場です!
この演奏、私も普門館の生演奏で聴きましたけど、とてつもなく印象度が強い演奏だったと思います。
私の印象としては、この難曲中の難曲を音にするだけで精一杯なんだけど、「音楽をみんなで奏でよう!」という
熱いハートは客席にもとてつもなく熱く熱く伝わっていたと思います。
全体的な印象は「細かい事は気にするなっ!!」という感じで、
細かいところよりも全体の雰囲気を大事にしているという感じで、とにかくあの「荒っぽいおおらかさ」は、
現在のコンクールでは絶対に聴く事が出来ない「熱さ」は絶対にあると思います。
この「ダンスフォラトゥーラ」は中間部にトランペットのとてつもないハイトーンのソロがあるのですけど、
生目南中学校は、あの部分のトランペットソロは一オクターブ下げて演奏するという「荒業」も披露してくれて、
これも大変印象に残っています。

最後に、洛南高校は最近では全国大会でしばらく耳にする事もなくなりましたけど、いつの日にか「名門復活」を
期待しておりますし、必ずやその日がやってくると信じております!!
ギリングハムというと、1990年代後半から日本においても少しは馴染みのある作曲家となり、
1990年代後半頃においては、結奏楽コンクールでもその名を耳にする機会はかなり多かったと思います。
ひところは、「With Heart and Voice」という曲がよく演奏されていましたね。
だけど、ここ最近は以前よりは演奏頻度が下がってきたのはちょっともったいない気はします。
最近の吹奏楽オリジナル作品の傾向として、欧米の作曲家よりは邦人作品の方に人気が集まっているような
気もしますけど、
果たして、10年後あたりまで、生き残っている邦人作品はどのくらいあるのかな・・・??
保科洋の「復興」は、是非是非忘れることなくずっーーと作品自体が後世まで受け継がれていくととても嬉しいですし、
そうなって然るべき作品の一つだと思います。

ギリングハムですけど、全国大会で最後に演奏されたのは確か2006年・・・・
10年近く全国大会では自由曲として取り上げられていませんし、支部大会でもめっきり演奏頻度は
下がってしまいましたね・・・
ギリングハムのようにどちらかと言うと難解で政治的なメッセージ色が強い作曲家だと人気は限定的なものになりがちですし、
コンクールで何度か演奏されてしまいますと、飽きられてしまう傾向になりがちになるのかもしれないですね。
その点、「政治色が相当強い吹奏楽オリジナル作品」でもあるK.フーサの「プラハのための音楽1968年」が
全国初演の1978年から結構最近までコンスタントに演奏され続けている事はやはり凄い事だなと感心したりもします。

ギリングハムというと、結構難解とか、表現が難しいとか抽象的すぎるとか
「結局何を言いたいのかよくわからない」等の声を聞くことも多々ありますけど、
私は、ギリングハムというと、前述の通り、
「メッセージ色の強い作曲家」というイメージを持っています。

交響詩「ベトナムの回顧」もそうてすし、「目覚める天使たち-エイズ、死せる者へ捧ぐ」もそうですけど、
その最たるものが、
「And Can It Be? ~ 米国「コロンパイン高校銃乱射事件を題材にした、
 神が愛なら、どうしてこんな悲劇が起こるのか」というウルトラ級に長いタイトルのこの曲でしょうか・・・??

ギリングハムを最初に聴いたのは、確か1997年の磐城高校の
管楽器と打楽器のための交響曲「黙示録による幻想」だったと思いますけど、
ネリベル以上の静と動の落差のすさまじさと圧倒的な負のエネルギーに驚いたものでしたけど、
曲としては、緊密な構成と表現力に秀でた素晴らしい曲だと思います。

交響詩「ベトナムの回顧」は、副題として「ヒーローズ・ロスト・アンド・フォーレン」という
タイトルが付けられていますが、
要は戦争というものには、敵も味方も勝者も敗者も存在しない、元々人間が行ってはいけない行為の一つだ
という事なのでしょう。
戦争には勝者も敗者も存在しない・・・勝者・敗者を超えて、戦争で命を失ったすべての人たちに対する「レクイエム」
のような曲なのだと思います。
それを象徴しているのが、まさしく曲のラスト近くのあのまるでレクイエムのようなコラールなのでしょう・・
本当にあの部分は心に沁みますし、「戦争」というものは人類最大の愚行なのだと改めて気が付かされます。

この曲、実は必ずしも難解と言う訳でもなく、
祈りと瞑想にも近いゆったりとした部分と戦闘シーンの対比がすさまじいと言えるのかもしれません。
この対比は、強弱のコントラストというよりは、ダイナミックスレンジの巾の落差がとにかく壮絶だとと思います。
そして戦闘シーンを示唆する場面と
「私達は一体何のために戦っているのか・・・一体誰のために戦っているのか・・・
そして・・・
「そもそもこの戦いはなぜ必要なんだ・・」みたいな根本的な「問いかけ」を投げかけているように
どうしても聴こえてしまいます。
逆に言うと、そうしたメッセージを聴く者に伝わり易いほど、この曲は意外と分かりやすいという事なのだと思います。
そうですね・・・「ベトナム戦争」というと、私と同年代あたりの世代ですと、正直、「よく分からない・・」という
感じになってしまいそうですね・・
私が小学校低学年の頃に、確か、ベトナム戦争終結→アメリカ軍の軍事撤退という歴史的事実があったと
思いますが、
「ベトナム戦争反対」に象徴される「反戦」とか「反戦デモ」というのは、私よりも少し上の世代の人たちが
若い頃に直面した一つの社会的事象だったようにも思えます。
そうした意味においては、この曲は、私の世代と言うよりは、もう少し上の世代の皆様方の方が、より共感度は
高いような気がします。

以前の記事の中でシュワントナーの「・・・そしてどこにも山の姿はない」という曲を取り上げましたが、
あの曲も特殊楽器と特殊技法がてんこ盛りのウルトラ級に難易度が高い曲として知られていますけど、
この「ベトナムの回顧」も、シュワントナーほどではないにせよ、特殊楽器・特殊奏法が色々ありますね。
チェレスタとの他の楽器とのバランスもそうですし、
鍵盤打楽器を弦楽器の弓でこするなど、特殊奏法の連発で、本当に打楽器奏者は大変だと思います。
また、この曲は、ホルンやトロンボーンも相当難易度が高い技術を求められますし、
とにかく、指揮者も大変だけど奏者も大変だと思います。
音楽の内容的にも、「どこまでメッセージ性を盛り込めばいいのか・・・」とかなり指揮者は悩みそうですし、
あんまり過剰な表現だとかえって嫌味にも聴こえてしまいますし、
あまり淡泊過ぎる表現もどうかと思いますし、このあたりは・・・指揮者の解釈は相当難しそうですね。
だけど・・・
もしも私が指揮者だったとしたら、「一度は振ってみたい!!」とついつい思ってしまう曲の一つですね。

曲としては、全体的にはピアノ・チェレスタの鍵盤楽器と
トムトム・ヴィヴラフォーン等の打楽器が終始大活躍をします。
出だしはもやもやした感じ・・・何やら陰鬱とした霧の中にいるかのような雰囲気から開始されます。
ピアノが何やら暗示的なメロディーを示唆する中、ミュートを付けたトランペットがやはり暗示的な示唆をします。
この冒頭の展開部のチェレスタがかなり神秘的で、
「これから何か悲劇的な事が始まる」みたいな事を何やら暗示しているようにも聴こえます。
中間部で戦闘シーンを想起させる激しい描写もありますが、
この戦闘シーンの打楽器のトムトムの凄まじいだ叩き付けは一聴の価値があると思います。
戦闘シーンが終わった後に・・・
しっとりとした歌があり、最後にコラール風に聴かせる部分があったり、
メカニック的な部分としっとりと歌い上げる部分の対比が非常に面白く、
この辺りがこの曲の持つ魅力なのかもしれません。

解釈としては、強弱・明暗といったコントラストを重視したメカニック的な演奏もいいかもしれませんし、
ラストの讃美歌みたいなコラールを強調した抒情的に仕上げる方法もあると思いますし、
色々な表現方法があるのかもしれません。

この曲は、全国大会では、関東一高・玉川学園・上磯吹奏楽団の3団体が取り上げていますが、
あくまで個人的見解なのですけど
1995年に全国で演奏した関東一高を超える演奏は今後も多分出てこないような気がします。
玉川学園は、都会的で洗練された演奏で、上磯はかなり重たい演奏です・・
関東一高は、聴かせどころのポイントをきちんと分かっているというのか、
ガンガン鳴らすところとしっとりと歌う部分を巧みに表情を使い分けているという印象があり、
都大会でも全国大会でも私自身は両方の演奏も生演奏で聴いたのですけど、
感想は、とにかく「聴かせどころを心得ている・・」・「曲を奏者全員がよく理解している・・」
「言いたい事はきちんと伝えてくる・・」みたいな良いイメージの方が強いです!
とにかくツボを心得ている演奏だったと思いますし、
戦闘シーンでも派手にギャンギャンとがなり立てる解釈は取っていないので、
そうですね・・・印象としては「渋い」とか「知的」という言葉が大変よく似合うと思います。

玉川学園も決して悪い演奏ではないと思うのですけども、部分的に技術力の弱さが露呈しているし
時々、「え・・・本当に全国大会に出場しているチームなの・・・」と思ってしまう程
部分的に音程の悪さを感じてしまい、これが印象としてはかなりのマイナス点のようにも感じてしまいます。
全体的にはかなりの薄味の演奏にも聴こえます。
玉川学園で一つよかった点は、ラスト近くのしっとりとした歌の部分を二回繰り返し演奏しているのですけど
(関東一と上磯は一回のみにカットしています・・)
一回目から二回目に入るところで、瞬間的に音楽を止め、「間」を意図的に作っているのは
「なかなかうまい演出」と感じたものです。
上磯の演奏は、前述のラスト近くのしっとりとした歌の部分のメインメロディーのオーボエの
「泣かせるようなしっとりとした歌いかた」はとても心に染み入るものでした。

関東一高と言うと、一昨年の現・楽天りオコエが活躍した夏の甲子園の活躍は見ていて気持ちが良かったですね。
特に初戦の高岡商業戦は、確か序盤で10-0ぐらいに圧倒的にリードを保っていたのにあっという間に
追い上げられて一時は同点まで追いつかれたのに
最後の最後で振り切って辛勝していたのは、いかにも大雑把で豪快なこのチームらしい戦いだな・・とも
感じたものでした。
関東一と言うと、野球とやはり吹奏楽部だと思います!!
現在は男女共学になっていた記憶がありますけど、関東一が吹奏楽コンクールで栄光の3年連続金賞を
受賞していたころは、まだ男子高校でしたので、
絶対的なクラリネット奏者不足の状況の中でかなり大変だったと推察されるのですけど、
関東一は男子校特有のパワーと音量でねじ伏せる豪快な演奏ではなくて、
柔らかい響き・洗練された響き・丁寧な音楽運び・よく練られた音楽構成などかなり繊細な音楽づくりを
している印象がありました。
高校当時は男子校で同じく慢性的なクラリネット奏者不足に泣かされていた私としては、羨ましい話でありましたし、
当時は、羨望の眼差しでこの学校を見ていた記憶があります。

関東一が大化けしたのは、これまでのこのブログで何度か書いているように
1990年の課題曲C/自由曲・華 辺りからだったと思います。
私自身は、1984年以降、仙台を離れて都内近辺に住みつき出したのですけど、
大学に入ってからも引き続き「吹奏楽団」に入団し、その際に同期に
「関東一高ってどんな学校なの・・?」と聞いてみた所、困惑したような顔つきになってしまい(汗・・!)
「うーーん、少なくともお上品な学校ではない・・むしろ少しガラの悪いやんちゃな学校・・」という
答えが返ってきました。
そうですね・・、正直この答えは少し意外なものがありました。
この頃は既に関東一は全国大会の常連校でしたけど、
男子校にしては、サウンドは洗練されているし、表現は大人っぽいし
そんな「やんちゃ・・」みたいな感じは、その音楽からは感じませんでした。
恐らくですけど、関東一をずっと長期間指導されていた塩谷晋平先生の類稀なる指導力が
相当大きかったと思われますし、塩谷先生の絶え間ない努力の結晶があの演奏なのだと思います。
私、都大会や全国大会で何度も塩谷先生の指揮を見てきましたけど、
何となくですけど・・、生徒全員が塩谷先生を信じきっている雰囲気が、部外者の自分には伝わってくるような雰囲気は
ありました。
塩谷先生自身は、大変惜しまれる事に2012年に急逝されてしまったのですが、
先生のご冥福を心よりお祈り申し上げたいと思います。
塩谷先生は、1997年以降は関東一を離れてその後青森山田に移られましたけど、
吹奏楽コンクールは、2012年にブリジストンを振られています。
その際は既に体調も相当悪かったと思われますが、
それでも無事に全国大会でブリジストンを見事金賞に導かれ、そして・・・その数日後に
息を引き取られています。

本当にいかにも塩谷先生らしい最期のお姿だったと思います。

ギリングハムの交響詩「ベトナムの回顧」のラストのあの清らかなコラールは、
塩谷先生に対する「レクイエム」みたいなようにも感じられたものです・・・
10.浜松商業高校


D/トッカータとフーガ ニ短調(J.S.バッハ)



浜松商業の遠山先生は長い間浜松工業を指導・指揮されていて、浜松工業を1960年代~80年代初めにかけて
全国有数の強豪校に育て上げた実績&大変な指導力のある先生です。  
1983年以降は浜松商業に転任され、当時は吹奏楽においてはほぼ無名のこの浜松商業を短期間のうちに
全国大会の常連校に育てあげたその手腕は本当に素晴らしいものがあると思います。
そして浜松工業だけでなくて浜松商業においても、皆様ご存知の通り、素晴らしい名演を色々と生み出されていたのは
いまだに記憶に新しいものがあると思います。
浜松商業の歴史的名演というとやはり1986年の課題曲・嗚呼! と自由曲のトッカータとフーガの印象が大変強いですね!
あの演奏なのですけど、私的には、あの浜松商業の「嗚呼!」の演奏は、雄新中学校・神戸高校の演奏と並んで
大好きな演奏の一つで、浜松商業のあの劇的な音楽的緊張感のキープは素晴らしいものがあったと思います。
そして圧巻は自由曲の「トッカータとフーガ」でした!!
バッハのあの曲がオルガンのように壮麗に鳴り響くという演奏事例は、例えば82年の創価学会関西などのように
既に色々とありましたけど、あそこまで内省的に踏み込んだ演奏は正直聴いた事がなかったものでして、
あの内省的緊張感の高まりの演奏は、浜松商業時代の遠山先生を代表する不滅の名演の一つだと思います。
他にも87年の課題曲の風紋の音楽的な優しさとか91年のメトセラⅡのパワーと若さ爆発の豪快さなども大変印象に
残っています。

前述の通り、遠山先生は1983年以降浜松商業に異動をされたのですけど、
翌年の84年には早くも全国大会出場を果たしたことは、とにかく凄い事だと思います。
一般的には、あんまり実績がない学校をゼロから作り上げて全国大会でも十分通用するチームを作るのには
最低でも3年は掛ると言われる事が多い中、遠山先生はわずか2年でそれを実現していましたからね!
大変古い話で恐縮なのですけど、かつて天理高校吹奏楽部を指揮されて、1979年以降は近大付属に移られた
谷口先生は、風の便りで聞いた話では
「天理なんぞ2年で簡単に追い抜いて見せる!!」と豪語されていたとの事ですけど
ついに谷口先生時代は全国大会出場を果たすことは一度もありませんでしたから、
やはり、指揮者・指導者の転任・異動というのは大変難しいものがありそうですね。
公立校から公立校の異動でそれを軽々とやってのけられた遠山先生のそのお人柄・指導力・音楽的解釈は
本当にお見事なものがあると思います。

さてさて、そうした遠山先生なのですけど、大変惜しまれる事にこの年でもって浜松商業を勇退され、
結果的に最後の全国大会での演奏になってしまいました。
前述の通り浜松商業は、1986年に92年と同じ自由曲の「トッカータとフーガ」の素晴らしい名演を残してくれていたので
この年の演奏も期待して聴いていたのですが、結果は、ちょっと残念な凡演でした・・(泣・)
奏者も余計なプレッシャーがかかって、気合と気持ちが空回りしてしまったのかもしれないですね。
関係者で無いものでその辺りの事情は分からないのですけど、当時の出場者の生徒さんたちは、もしかしたら・・??
「今年でもって遠山先生は勇退・・・だからなんとか全国大会金賞でもって遠山先生のフィナーレに花を添えたい!!」
みたいな重圧感みたいな雰囲気があったのかもしれないですね。
私的には限りなく銅賞に近い銀賞という感じでもあったのは大変惜しまれるものがあると思います。

だけど、遠山先生のコンクールとしての演奏はこの年の浜松商業が最後では無かったのですね!
翌年の1993年に意外な所でこの遠山先生をお見かけする事になりました。
それがどこかというと、東海大会・職場の部でした。
高校時代の吹奏楽の部員の一人が当時トヨタ自動車吹奏楽団に所属していて、
1993年は、ヤマハ浜松が5年連続金賞による特別演奏でお休みのため、
「もしかしたら全国大会に出場できるのではないか・・・? 否! 今年こそがラストチャンス!」という事で
異常に張り切っていたようですけど、93年に、突如静岡県の職場の部に天方吹奏楽団というチームが出現し、
その指揮者が遠山氏で、しかもその時の自由曲が「トッカータとフーガ」という事で
「自分たちにとって千載一遇のチャンスなのに、そんな時に浜商のOB楽団(?)みたいなものが
突如出てくるとは何と運が悪い・・・ただでさえ、東海支部にはツヅキボウという強敵がいるのに・・」と
ぼやいていたのは何か懐かしい思い出です。

最後に・・・余談の領域ですけど、「浜松」と言うと、私的には「音楽の街」というイメージがあります。
やっぱりそれは「ヤマハ浜松」の存在が大きいのかな・・・・?
元来、浜松市はオートバイや木工・繊維関連など、「モノづくりの街」として名を知られていますけど、
やっぱり最たるものは「楽器制作」ですよね・・・!!
河合楽器製作所・ローランドなど、名だたるメーカーが浜松市に集結していますし、
国内でのピアノ生産量は第1位ですからね!!

浜松は「世界最大規模“楽器の街」という感じがしますね。

浜松は、吹奏楽コンクールの関係で「浜松アクトシティ―」に行ったことも何回かありますけど
音響的にも見た目にも素晴らしいホールでしたね!!
ついでに書くと、一度うちの奥様と温泉旅行に行った舘山寺温泉とか浜名湖とか
本当に素晴らしかったですね・・・!!
ホント、もう一回くらいは行ってみたいな・・・・
(舘山寺温泉近辺の観覧車とかフラワーパークも大変印象的でした!)
9.新屋高校


B/バレエ音楽「ガイーヌ」~序奏・近づく嵐・アルメンとガイーヌのデュエット・収穫祭(A.ハチャトゥーリアン)



秋田県の吹奏楽というと、今年は花輪高校と秋田南高校をご指導されていた小林久仁郎先生の早すぎるご逝去も
ありましたし、今年ではないのですけど、かつて仁賀保高校と新屋高校を導き普門館でも数々の名演を私達に
残して頂けた高野先生の勇退とか、既に彼岸の彼方におられる秋田南高校をかつてご指導されていた高橋紘一先生など
1970年代から80年代の秋田県の吹奏楽コンクールにおける偉大なあの歴史を知る人間にとっては
寂しいものを感じざるを得ないのは否定のしようがない事実であると思います。
だけど同時に秋田県においても着々と優秀な若手の指導者が続々と育っておられるのも事実ですので、
以前の素晴らしき伝統は伝統として、これからの新しい秋田県代表チームによる素晴らしい演奏とこれまでの方向性とは
ひと味もふた味も違う新たな音楽を聴かせて頂ければ素晴らしいと思いますし、
埼玉の地より心よりエールを送らさせて頂きたいと思います。

秋田県の吹奏楽コンクールを語る上での二大巨匠と言えば、言うまでも無く高橋紘一先生と小林久仁郎先生だと
思うのですけど、ここで忘れちゃいけないのが、かつて仁賀保高校と新屋高校を指導された高野先生だと
思います!
私自身が初めて高野先生の音楽を聴いたのは、1981年の山形県で開催された東北大会で仁賀保高校を指揮された
「スキタイ組曲」の演奏でしたけど、
あの演奏のサウンドの洗練さと音楽のスピード感溢れる展開に驚いたものですし、表彰式にてあの演奏が
銀賞に留まった事に衝撃を受けたものですし、
「なんて東北支部の演奏はレヴェルが高いんだ! それに比べてうちの学校のレヴェルの低さは恥ずかしいなんて
もんじゃない・・・同じ高校生なんだから、自分達ももう少し頑張ってレヴェルアップをしないといけない!」と
感じるようになったのは、このブログでは何度も語っているように1981~82年の驚異的にレヴェルが高かった
あの東北大会の影響も相当あったと私自身感じております。

そうした中、高野先生は少し気の毒な側面が特に仁賀保高校時代にはあったような気がしてなりません。

だってあれだけの優れた指導力&指揮能力をお持ちで、楽曲の解釈にも大変素晴らしいアプローチを毎年のように
見せてくれながらも、
秋田県内で、秋田南高校と花輪高校という「二大巨匠」がでーーんと構えていて、80年代中盤以降、この両校が
全国大会で金賞を取れない時代が長く続いた背景もあり、「秋田県の東北大会への代表枠」が二つに減らされ、
そのとばっちりで高野先生指揮の仁賀保があれだけ見事な演奏を秋田県大会で聴かせても
東北大会にすら進めないというある意味大変不遇な時代が相当続いていましたからね・・・
このブログで何度も書いている通り、私は大の秋田南と花輪の熱烈的な信者(?)でもあるのですけど、
結果的に秋田南が一時的に没落したというおかげで(?)
仁賀保から新屋に異動された高野先生に陽が当たる時代が来るというのも
なんかとてつもなく皮肉なお話でもあるのですけど、
コンクールというものにそうした「悲哀」はある意味付き物ですから、これはこれで仕方が無いのかも
しれないですね・・

高野先生は、
1982年の仁賀保高校での矢代秋雄/交響曲~第四楽章」というあの歴史的ウルトラ超名演と
98年の新屋における同じく矢代秋雄の交響曲名演の再現で、吹奏楽コンクールにその名を残しましたけど
高野先生は、矢代秋雄や三善晃といった邦人音楽も素晴らしいけど、
ロシア音楽も素晴らしい演奏を毎回聴かせてくれるという印象があります。
この年の「ガイーヌ」の粗暴な響きとしっとりとした感覚の面白さもそうでしたし、翌年のペトルーシュカの演奏も
そうした傾向が強く滲み出ていたと思います。
古い話ですけど、上記でちらっと書いた1981年の東北大会のプロコフィエフ/スキタイ組曲とか85年の「火の鳥」の演奏も
そうした方向性の音楽だったと思います。

高野先生は、ダフニスとクロエとか寄港地、スペイン狂詩曲みたいなフランスものも結構取り上げたていたのですけど、
何となく繊細な感覚というよりは「粗野」な感じの方が強く、私としてはあまり相性としてはよくなかったような気もします・・・
だけど1994年の「スペイン狂詩曲」~Ⅳ.祭りはとてもダイナミックスで個性的な演奏だったと思います。
94年の高校の部では「スペイン狂詩曲」~祭りを自由曲に選ぶチームが新屋の他に天理と埼玉栄があったのですけど、
この3チームの演奏が三者三様で個性に富み、その音楽的方向性に明確な違いが感じられたのは
大変興味深いものがあったと思います。
繊細でふわふわとした仕上がりの天理、吹奏楽としての機能性重視の埼玉栄、そして新屋は
繊細なフランス音楽と粗野でダイナミックスな野蛮なロシア的響きを巧みに融合した演奏で、あの演奏は、
私としては金賞を受賞した天理・埼玉栄よりはむしろ高く評価した演奏でもありました!

高野先生の音楽ってとにかくサウンドが美しく濁りが微塵も無いのが一つの特徴だと思います。
(それが最大限発揮していたのが1982年の矢代秋雄の交響曲だと思いますし、ダメ金で全国大会には進めなかったものの
85年の火の鳥なのだと思います!)
そして同時にサウンドが大変洗練され美しく響いてくるのですけど、同時に「音楽の切れ味」というのか「スピード感」が
実に充実しているというのがその大きな特徴だとも思います。
1983年に出版されたエイト社の「11人の吹奏楽の先生」という本の中で、高野先生はそのインタビュー記事の中で
「スピード感が無い音楽じゃ駄目だ!」とはっきり明言されていましたし、そのスピード感が最大限発揮されてたのが
この年1992年のガイーヌと翌年のペトルーシュカじゃなかったのかな・・・と今になって振り返ると
感じることもあったりします。

この年、1992年の高校の部の課題曲は、AとCに比較的人気が集中し、
課題曲Bの「フューチュリズム」は、この新屋高校の一団体だけでしか課題曲としては選ばれていませんでした・・
個人的にこの課題曲が大好きだった私としては、少しというかかなり寂しいものがあります・・
出だしが非常に薄く書かれていて演奏しにくい面があったのが敬遠された理由なのかな・・?
この年の課題曲A「ネレイデス」は演奏時間が短い割に演奏効果が高かったので、人気があったのかもしれません。
課題曲Bは、リズムの歯切れ良さも面白いし、ロマンチックな中間部も好きだったのですけどね・・
新屋高校の課題曲Bは、恐らく全部門を通じて最高の演奏だと思います。
テンポが冒頭少し早目だったけど、その分迫力もあったし、中間部もしっかりとたっぷりと歌いあげていました!
この年の新屋高校は、サウンドがこれまでの「洗練された音・清潔・気品」という路線ではなくて、
何か荒ぶる魂みたいな感覚の音であり、
これまでのフランス音楽系の音から、ロシア系の荒っぽい感じの音に生まれ変わっていました。
だからこそ、自由曲の「ガイーヌ」は、この年のこのチームのサウンドにドンピシャという感じだったと思います。
それとも、例年に比べてサウンドが粗いから、自由曲も荒っぽいロシア系を選曲したという側面ももしかしたら・・・?
あったのかもしれないですね・・・
そのくらい92年の新屋高校の演奏を普門館で直接聴いた私としては、
「あれれ・・・随分とサウンドが変化したけど、同時にスピード感と切れ味が抜群!!」と感じたものでした。

自由曲の「ガイーヌ」は、これまでの他校の演奏パターンで言うと、
藤田玄播アレンジ系⇒アイシェの目覚めと踊り・レスギンカという組合せで演奏し、
林紀人アレンジ系⇒序奏・ヌーネの踊り・バラの少女の踊り・レスギンカ
          (又は、序奏・友情の踊り・アイシェの孤独・剣の舞・収穫祭)

というまとめ方が多かった中、この年の新屋高校は、
序奏・近づく嵐・ガイーヌとアルメンのデュエット・収穫祭という少し独創的な構成を取っており
それが何か新鮮にも感じられました。
特に近づく嵐のドラのロールとかデュエットにおけるクラリネットの長いソロとか色々聴きどころ満載でしたし、
収穫祭もホルンの雄叫びはほぼ完璧に決まり、
全体的に荒っぽい感じが実にこの曲にマッチしていて、大変気持ちが良かったです。
私、個人としては「グランプリクラスの圧倒的金賞」と思っていたのですが、
実際は銀賞にとどまり、当時としては「え~、なんでこの演奏が銀賞なの・・・?」と疑問にも感じたものですし、
やはり音楽というかコンクールの場においては
「個人の嗜好の違い」というものは間違いなくあるものなんだなぁ・・と改めて実感したものでした!


7.福岡工業大学付属高校


A/ハンガリー狂詩曲第2番(F.リスト)

今更言うまでもない話なのですけど、中学・高校といったスクールバンドの場合、実績と指導力がある先生が
異動されてしまい、翌年以降指揮者の先生が変更になってしまうと、
とたんに前年度みたいな演奏が中々出来なくなってしまい停滞が続いていくみたいな話は、
吹奏楽コンクールではよく聞く話で別に珍しくも何ともないと思います。

福岡工大付属高校も、1989年jまで指導をされていた鈴木先生が退任されて、
1990年からは指揮者が真和志中・石田中・那覇中等でお馴染みの屋比久先生へと変わり、福岡工大サウンドも
一変する事となります。
中学校であれほど実績を残された屋比久先生ですら、高校の部では最初ご苦労されていたのが印象的です。
というかスクールバンドの場合、実績のある学校で指揮者が変った場合に、他校で実績が既にある別の先生が
赴任されたとしても一年目から「結果を出す」という事は大変難しいものがあると言えるのかもしれないですよね。
90~91年は九州大会において福億工大付属はダメ金で、
屋比久先生の指揮で福岡工大が初金賞を受賞されたのは、1993年の事ですから、
いかにスクールバンドにおいて、実績ある指揮者が離れると後任の方がご苦労されるのかを示唆した典型的な
話しなのだと思います。

この屋比久先生はすごいです!
だって・・私が生まれる以前から既に九州大会に出場されていましたし、
中学の部で「沖縄サウンド」と呼ばれる音楽で全国大会の聴衆を魅了され
(特に石田中学校時代のパッサカリア・シチリア島の夕べの祈り・ドヴォルザークの8番終楽章は素晴らしい名演だと
思います!)
1990年代以降は、高校の部へと舞台を移され、福岡工大付属を鈴木先生時代から更にステップさせ、
幻想交響曲・トッカータとフーガ・元禄・ショスタコの5番・アルプスの詩・エルフゲンの叫び等の数多き名演を
私達に残してくれましたし、
更に2007年以降は原田学園に転任され、ここでも素晴らしい名演を色々と生み出しただけでなく
昨年は九州情報大学を全国大会にまで導き出されています!

まさに吹奏楽界の「神様」みたいな存在の先生だと思います!!

そうした神様みたいな屋比久先生を持ってしても、新しい学校での一からの指導というのは中々難しいものが
あるのでしょうね。
屋比久先生の「個性」が吹奏楽団全体に浸透するにはやはりそれなりの時間が必要なのかもしれないですし、
先生自身も従来までは中学生相手の指導から高校の部での指導という事で多少はどこか戸惑いみたいなものも
もしかしたらおありだったのかもしれないですね。
90年の運命の力、91年のラフマニノフの交響曲第一番は、
鈴木先生時代の金管楽器が主体のこのチームのカラーと屋比久先生指揮での木管重視のカラーが
まだ完全に融合していなかったのかもしれません。

1992年は、屋比久先生が福岡工大付属に赴任されて初めて全国大会に出場したのですが、
やはりまだ「ちぐはぐ」な印象は残っていたと思います。
課題曲・自由曲共に重厚さは感じられるものの、音楽に自由さ・躍動感があまり
感じられず、指揮者と奏者の間に、「見えない壁」みたいなものがあったようにも感じました。
普門館からの客席で私もこの演奏を生で聴いていましたけど、「うまいな・・特に木管のうねりが素晴らしいな」と
感じてはいたのですけど、正直この年の演奏は木管の巧さ以外は特段語る部分も少ないのかな・・?と
感じさせる演奏で、上手いのだけど音楽としての「個性」があまり伝わってこない演奏に少しもどかしさを感じたのも
また事実でした。
全体的に歌い廻しが理屈っぽい感じがして不自然さを感じさせたのはマイナスだと感じました。

私の記憶ですと、この年はプログラム1番から6番目あたりまで演奏終了後のブラボーコールが湧き起こらず
「今年の聴衆はマナーが向上したのかな・・?」と瞬間的に感じたのですけど、
普門館でのあの喧しいブラボーコールが湧きあがったのは、1992年の高校の部においては、
この福岡工大付属が初めてだったと思います。
(あれは三年ぶりの全国大会という事でOB等のやらせなのかも・・・? 正直とてもじゃないけどブラボーコールが出る
演奏では無かったような気がします・・)

福岡工大付属が屋比久先生指揮の下で一気に覚醒するのは、翌年の幻想交響曲からだと思います。
5.松江女子高校


C/バレエ音楽「バリの喜び」(オッフェンバック=ロザンタール編曲)



長い間出雲高校を指揮されていた金本先生は、1988年以降はこの松江女子高校に異動されていましたけど、
この松江女子を率いての全国大会初出場を掴みとられていました。
ただ前任校の出雲高校はこの年は中国大会ダメ金で終っていましたので、金本先生としては「どうだっ!」という気持ちと
「すまん・・」という揺れる二つの思いだったのかも・・・

松江女子の演奏ですけど、課題曲も自由曲も大変申し訳ないのですけど、ほとんど印象に残らない演奏だったと
思います。
全国大会初出場という事もあり、比較的早い出演順だった事も悪い方向に流れてしまい、
課題曲Cも本当は鋭い響きを期待したい所、どこなくもさーーっとした締りの無い響きで開始され
「あれ・・?」と思っていたら、そのまんま調子に乗りきらない雰囲気で課題曲は終わってしまいました。
自由曲は課題曲よりは、曲の流れがよく、この楽しいバレエ音楽らしい「華やかさ」は十分アピール出来ていたと
思うのですけど、なんとなくですけど、金本先生の指揮はどことなく柔らかい方向に振っている感じが
客席から聴いている私の感覚として伝わり、
その柔らかさが「サウンドの洗練さ」ではなくてむしろ「少し鈍くさい感じ」として伝わり、それが前述のもさっとした響きに
なってしまったようにも聴こえたものでした。

やはり全国大会初出場と言うのは色々な意味でプレッシャーが掛るもので、普段の練習の成果があんまり
発揮できないまんま普門館の本番のステージが終わってしまったようにも感じられたものでした。



6.土佐女子高校


A/ エル・サロン・メヒコ (A.コープランド)


土佐女子校としては通算4回目の普門館で、森本先生としては、3回目の全国大会でしたので、
指揮者としてもチーム全体としても慣れというのか余裕みたいなものがプログラム5番の松江女子よりは
伝わってきていて、こうした全国大会と言うものは、やはり出場回数とか伝統とか指揮者の慣れと度胸も
結構大きいのではないのかなとも感じたものでした。

課題曲Aのネレイデスは、私が聴いた限りでは何の問題も無く、いかにも女子高らしい繊細でデリケートな響きが
大変印象的でしたし、この課題曲特有のうねりとモヤモヤっとした響きも大変上手にまとめられていると
感じました。
このチームは木管も巧いけど金管セクションのコントロールとか音色のブレンドが素晴らしいと思います。
土佐女子は88年の寄港地とか87年のサロメとか
森本先生の指揮ですけど土佐女子中学校として初出場の中学の部の「ダフニスとクロエ」もそうなのですけど、
どちらかというとフランス音楽の繊細な響きを大変しっとりと歌い上げるのがうまいみたいな印象もあったりします。
そうした中、この年の自由曲に取り上げたのはアメリカのコープランドのちょっと武骨でけたたましい音楽でしたので、
土佐女子の方向性と曲の粗雑さ・粗っぽさが今一つ噛み合っていないのかな・・?みたいな印象も感じられ、
この演奏を普門館で聴いていた私としては、
「テクニックはそこそこあるし、トランペット・クラリネット・ファゴットのソロも決まってはいるのに、
どこなく不安定さを感じさせるのはどうしてなのかな・・?」というミスマッチさを感じたものでした。
やはりそれは選曲ミスの範疇に入ってしまうのかもしれないですね。
トランペットのあのとてつもなく難しいソロを難無く決めていただけに「勿体無いなぁ・・・」とも感じましたし、
個々のテクニックはこんなに大変優れているのにどうして全体としてはどこか冴えない感じになってしまうのだろう・・?と
感じたものでした。

1998年以降、土佐女子の名前を全国大会では耳にしないから少し寂しい気持ちはありますね・・・(泣)
土佐女子の当時の演奏ユニフォームは、まさに伝統的で王道の「純白のセーラー服」の学校でしたので、
男子高校出身の私としては、土佐女子のあの純白セーラー服を見ることが出来るだけでもとてつもない
眩しさはあったと思います!! (汗・・)
前述の通り1988年の「寄港地」の演奏は素晴らしいものがあり、結果として銀賞なのですけどあの演奏は金賞でも
全然遜色ないと思います。
土佐女子は、1998年のウィルソンの「コンサートバンドとジャズアンサンブルのためのラプソディー」で唯一の金賞に
輝いているのですけど、あくまで私個人の感想で言うと、
何か今一つ盛り上がらない感じの98年の演奏よりは88年の「寄港地」の方が大好きです!!

そうそう・・土佐女子の指揮者の森本先生は他校ではありえないほどのご苦労もされていたのが大変印象的です。

土佐女子高校は系列附属に土佐女子中学校もありましたけど、森本先生は高校だけではなくて、この中学の方の指導も
一手に任されていたようでして、
この年、1992年と1995年においては、土佐女子中学校と土佐女子高校のダブルで全国大会出場、そして
普門館においては土日り二日間連続で指揮者として出場されていたという今では考えられない大変なご苦労を
されていたのが大変印象的でした!
印象としては、例えば92年のアルメニアンダンスパートⅠとか95年のバレエの情景のように
とても可愛らしくてチャーミングな響きの中学の生徒さんたちが三年間みっちりと基礎を叩きこまれて、
高校に入って更に進化を重ねたみたいな印象もあったりしますね。
私が中学生あたりの頃で吹奏楽オリジナル作品の中で比較的簡単で親しみやすい曲を作る作曲家というと
コーディル・カーター・オリヴァドーティーあたりだったと思います。
私が中学生の頃は、コーディルはなぜか「カウディル」と吹奏楽コンクールのプログラム等では表記されていたのは
なんか懐かしいですね・・・(笑)
当時の吹奏楽コンクールにおける県大会クラスでの中学校C編成(25人編成、東北ブロックではこのC編成を設置している
県がいくつかあったと記憶しています)ですと、出場チームの半分程度の自由曲がこのカウディル(現、コーディル)で
占められている・・なんていう平和な時代も昔はあったものでした・・・(汗・・!)
当時のカウディルの曲と言うと、吹奏楽のための民話・ランドマーク序曲・オデッセイ序曲などが結構演奏されていたと
思います。

私が高校から大学の頃になると、ジュニア向けの平易で親しみやすい吹奏楽オリジナル作品の第一人者は
「スウェアリンジェン」になっていたと思います。
(私個人としては、オリヴァドーティ・カーターの作品も出来れば忘れることなく演奏され続けて欲しいのですけど、
最近ではその名前すらほとんど耳にする事はなくなりましたね・・・ちょっと残念です・・)
私が初めてスウェアリンジェンの名前を耳にしたのは意外と古く、確か1979年の宮城県大会で
ある中学校が自由曲として「エグザルテーション」を演奏していました。
だけど当時のコンクールのプログラムの表記では
「スウェアリンジェル」ではなくて「スエーリンゲル」となっていましたので、
この二つの表記の方が同一人物と気が付くのは数年後の事でした(汗・・)

スウェアリンジェンの曲って本当に分かりやすくて単純明快で明るく楽しく実にいですよね!
構成もA-B-Aという実にシンプルなものだし、「シンプル イズ ベスト」をまさに実証していると思います。
私自身、スゥエアリンジェンの曲は、インヴィクタ序曲しか吹いたことが無いのですけど、
この曲は高校3年の時の定期演奏会の一曲でしたが、
他の曲がスペイン奇想曲とか組曲「絵のような風景」とか芥川也寸志/交響管弦楽の音楽などとにかく難曲ばかりでしたので、
この曲を吹くときだけは実にのびのびと楽しく吹くことができていたと思います。
この曲、クラリネットのスコアも難しい箇所はほぼ皆無で、極端な高音もないし指使いは平易だし、
曲は実にのびやかで楽しいし、吹いていて実に気持ち良かったです。
やはりプレイヤーをこうした気持ちにさせる事とか技術的な易しさとか親しみやすいメロディーが
スウェアリンジェンを長期間日本の吹奏楽界で(特に中学校の小編成部門で)「不動の地位」を保てた
一つの理由と言えるのかもしれないですね。

私も大学でも一応吹奏楽部に所属し、毎年全日本吹奏楽コンクール・都大会大学部門に出場していましたけど、
大学時代も高校時代と同様に学生指揮でしたが、
自由曲に、ドビュッシーの「三つの夜想曲」~Ⅱ.祭りを選曲した際も全体とし中々的確にてまどまらず、
大学の部の都予選まであと一か月を切った際、指揮者がついポロッと
「うーーん、やはりドビュッシーは君たちの技術では無理なのかもね・・・今から自由曲を
 スゥエアリンジェンのチェスフォードポートレイトに変えてみる?
大丈夫、この曲簡単だから、君達でも三日でマスターできるよ・・・」
なーんて屈辱的な事を言われてしまったのは何か懐かしい思い出ですね。
だけど当時指揮者から言われたあの一言は、私的にはかなりの屈辱でしたね・・(汗・・!)

スウェアリンジェンがブレイクするきっかけとなったのは1981年の狂詩曲「ノヴェナ」ではないかと思います。
支部大会でこの簡単な曲をやるチームは少なかったですけど、この年の県大会では、このノヴェナが大流行したような
記憶があります。
出だしのピッコロと木管ののんびりとした素朴な感じで始まり、コンサートチャイムがカンコン鳴り響いたり
いかにもスゥエアリンジェンらしい曲だったと思います。
スゥエアリンジェンの曲って大抵の場合、威勢のいい打楽器のリズムとか金管の咆哮から開始される事が
多かったような気もするのですけど、こういうしっとりとした出だしと言うのは案外珍しい部類だったのかもしれないですね。

スウェアリンジェンの曲と言うと・・・

〇狂詩曲「ノヴェナ」

〇インヴィクタ序曲

〇チェスフォードポートレイト

〇コヴィントン広場

〇アヴェンチューラ

〇マジェスティア

〇栄光の全てに

〇センチュリア

〇誇りと祝典

〇シーゲート序曲

あたりが私は好きですね。 だっていかにスゥエアリンジェンらしい響きの曲ばかりですから・・・(笑)

東京都大会では、今現在そうしたシステムがあるのかどうかは分からないのですけど、少なくとも2000年代初め頃までは、
都予選B部門(35人以内の小編成)で予選一位と二位のチームに
「特別演奏」という形で名誉あるお披露目演奏が出来る特権を与えているのですけど
1987年~89年の3年連続で、瑞穂中学校がこの特別演奏枠で出場しているのですが
3年間自由曲は全てスゥエアリンジェンというのは画期的だと思いますし、素晴らしいと思います!!
というか、多分ですけど、同一学校が3年連続B組特別演奏枠を掴みとっていた事例はこの瑞穂中以外はないと思います。
演奏も大変生き生きとして素晴らしかったです。
その自由曲は、確かセンチュリア・誇りと祝典・シーゲート序曲でしたね。
確か90年も同じくスウェアリンジェンの「栄光の全てに」を取り上げたのですが
残念ながら4年連続での特別演奏は実現できませんでした・・・(泣・・)
ちなみにこの当時のの瑞穂中の指揮者の臼井弘美先生は、あの伝説の名チーム・瑞穂青少年吹奏楽団の
メンバーだったとのことです。
ちなみに臼井先生はホルン奏者だったとの事です。
牟田先生の後のバトンを託されたのが臼井先生でもあったのですけど、臼井先生指揮での
瑞穂青少年吹奏楽団の演奏は、88年のリードの「ゴールデンジュビリー」と89年のワーグナーのタンホイザー序曲を
都大会・一般の部予選という形で、霊友会小谷ホールで聴く事が出来たのは、
今となっては大変貴重なものがあると思います!

スウェアリンジェンと言うと、中には少し不思議な曲もあり、
例えば「ロマネスク」とか「リフレクションズ」みたいに少し哀愁溢れる曲もあったりして
特に「リフレクションズ」の少し物悲しい感じは、スウェアリンジェンの別の表情みたいな感じもあり、
これはこれで悪くはないし、私は好きですね。

最後に・・・

スウェアリンジェンというと前述の通小編成のジュニア部門という印象が強いのですけど、
実はなのですけど、2016年のコンクールの時点で、たった一度だけこのスウェアリンジェンの曲が全国大会で
演奏されたことがあります。
それがどこかというと、1991年に全国大会にも出場したJR東日本でしたけど、正直・・演奏は上手くは無いです・・(汗・・)
だけど・・・!!
厳密にいうとJR東日本に先駆けてスウェアリンジェンを自由曲にして全国大会出場を果たしたチームが
ありました!
どこかというと、1984年の東北大会で自由曲にこのスウェアリンジェンの「チェスフォードポートレイト」を選んで
全国大会代表の座を掴んだ秋田銀行というチームがあったのですけど、
理由は定かではありませんが、全国大会出場を辞退してしまい、このスウェアリンジェンの曲が全国大会で
鳴り響くのには7年後のJR東日本まで待たなくてはいけなかった・・という経緯もあったりします。

ちなみにですけど、1985年の秋田銀行は自由曲に「ボイジャー」を選んで普通に全国大会に出場していましたので、
やはり少し勿体無い気もしますね・・・
4.常総学院


A/アルプス交響曲(R.シュトラウス)



この年の高校の部の銀賞・金賞チームはとてつもなく高いものがあり
(銅賞チームとの格差は大変申し訳ないのですけど、かなりの差がついてしまっていたようにも感じられます・・)
そうした全体にハイレヴェルの中でも金賞受賞チームは7チームに留まっていて、
審査結果発表の際には「わ・・なんか激辛審査・・今年の審査員は金賞を出し惜しみの傾向・・?」とも
感じたものでした。
あくまで私の感想ですけど、習志野・天理・札幌白石に金賞を与えるのなら、
花輪・新屋・都立永山・愛工大名電・兵庫に金賞を上げて欲しかったなぁ・・な~んて当時は思っていたものでした。
後述しますけど、新屋高校の銀賞は私にとってはあまりにも意外すぎる結果であり
「あんな演奏をしてまで金賞に届かないなんて・・」と思わず絶句したものでした。
そんな中、7チームの金賞受賞チームにおいて断然光っていたのは、高岡商業・洛南、そしてなんといっても
常総学院だと思います!
常総学院は、ここ最近はかなり厳しい状況が続いていて、全国大会出場すら難しい状況が続いているのは、
他校のレヴェルアップと全体水準のとてつもないレヴェルアップに尽きると思うのですけど、
それでも常総学院が「吹奏楽コンクール」に残してきた功績とこれまでの数多い名演は色褪せる事は無いと
思います。
このブログでも何度も書いているように、吹奏楽コンクールの演奏が色彩的にサウンド的に大きな変化を遂げるきっかけを
作った「先駆け」となった演奏をしたのは1989年の常総学院のスペイン狂詩曲のあの歴史的名演であり、
あの演奏こそが、その後の高校の部の更なる進化を示唆していたようにも
私には感じられたものです。

このチームは89年に初出場しましたが、当時の鮮やかな普門館デビュー振りは
当時の聴衆を魅了したものですし、大変な衝撃を与えてくれました。
「え・・・・?、これがあのいわゆるブラスバンドの吹奏楽のサウンドなの・・・?」とため息ものの、
当時としては、「これが今後の吹奏楽界の方向性を示唆する演奏」と感じさせたものでした。
アルプス交響曲を自由曲に選んだ19992年の演奏も、そうした印象を全く裏切らない素晴らしい名演を聴かせてくれました。
特にアルプス交響曲は、音自体の色気がまさしく絶品!!
当時の私としては、
「吹奏楽でこれほどサウンドが清潔で気品があり、且つ艶やかな演奏が出来るのは
習志野と常総学院だけ」とすら思っていたほどでした。
(換言すると、現在の吹奏楽コンクール出場チームは、当時の常総学院程度のサウンドと音は全チーム有している事が
最近の常総学院の苦戦の理由と言えるのかもしれないです・・)
アルプス交響曲の出だしは、いきなり「夜明け」のffから開始されますが、その後の木管の響きは
まさに色気・艶やかさ以外の何物でもありません。
全体的にも、fとpのコントラストの鮮やかさ、ffでも崩れないサウンドの清潔さ、確かな表現力、全く文句のつけようが
演奏だったと思います。
私も吹奏楽コンクールは古今東西色々と聴いてきましたけど、この年の常総学院ぐらい「音自体に色と艶」がお見事だった
事例はあんまり記憶にないですね・・
そのくらい、とにかくあのサウンドだけでノックアウトされたものです。
冒頭のあの大音響の後に展開されたクラリネットセクションを中心とするあの木管のひそやかで音が大変清涼で美しく
のびやかな音は、素晴らしかったと思いますし、
普門館の会場で生であの演奏を聴いていた時も、あの箇所は本当に背中のゾクゾクが止まらないほどの
感銘を受けたものですし、あのゾクゾクというのは「美しいものの限界を感じた時」のゾクゾクだとも思いますし、
例えは大変悪いのですけど、あまりにも美しすぎる少女の亡霊を見た時の衝撃度みたいなものに近いのかな・・?s
今更ながらに思っています。

全体的にこの年の常総学院の「鳴り」は凄まじいものがありましたけど、音がどんなに大きくても
決してサウンドが濁らない点とあんな凄まじい大音響でも少しも聴衆たちに「喧しい・・」と感じさせない
サウンドのコントロールと表現の深さには脱帽する以外ないと思います。

一つだけ難を言うと、カットなのですけど、夜明けと同時にいきなり嵐という音楽的展開というのが
このカットの粗筋にもなってしまうのですが、それは吹奏楽コンクールの時間制限という中では仕方が無い話ですよね・・
原曲自体55分程度のとてつもない大曲ですので、それをコンクール用の7分程度にまとめる事自体
至難の業と言えるのかもしれないですね。

ちなみにこのカット方法についてはこの年のドイツの演奏旅行時の際、本図先生と豊島区吹奏楽団の八田先生が
ロマンチック街道を走るバスの車内で色々と議論を交わし、
実際にコンクール演奏で用いたカット方法を思いついたという事で
二人で「ロマンチックカット」と命名したというエピソードが常総学院のCDで紹介されています。

余談ですけど、八田先生と言うと「豊島区吹奏楽団」とか
全盛期の豊島十中を酒井先生と一緒に支えたというイメージが強いのですけど
実は豊島区吹奏楽団の以前は「公苑会」という吹奏楽団を率い、一般の部で何度か全国大会にも出場しているのですよね。
豊島区吹奏楽団というと、寄港地・火の鳥・幻想交響曲・海・サロメ・ローマの祭り・ダフニスとクロエ・
スペイン狂詩曲などのようにクラシックアレンジ路線が中心なのですけど
(一度だけ「ディオニソスの祭り」という吹奏楽オリジナル曲を取り上げています・・)
公苑会時代は、ギリス/タルサー交響的肖像とかグールド/サンタ・フェ・サガとか呪文と踊りとか
C・ウィリアムス/交響組曲などのバリバリの古典的オリジナル吹奏楽曲を演奏されているのですよね。
確か1988年の都予選では、アルメニアンダンスパートⅡを、89年の都予選ではオセロを
八田先生の指揮で演奏されていましたね。
89年の都予選をもって確か公苑会はコンクール出場は撤収していたように記憶しています)

八田先生はアレンジの名手でもありまして特に海とかアルプス交響曲とかサロメの踊りのアレンジは、名アレンジとして
現在でもよく八田版として使用され続けていますね。

八田先生の指揮は、見ていて地味というか決して大振りはしないけど、ポイントを的確に突いているというか、
非常に端正な指揮でした。
八田先生は、指揮をするのが大好きで大好きでたまらないような雰囲気があり、よくコンクール本番でも
団員たちが楽器を運んだりセッティングしている時も
いつもせわしそうに指揮台近辺をうろちょろうろちょろとせかせか歩き回り、一刻も早く指揮したい、演奏したいオーラが
溢れ出ていて八田先生の「音楽愛」が遠くからも何か伝わってくるものがありました。
 
八田先生と本図先生は、何か深い結びつきがあったのかもしれないですね。
常総学院と豊島区吹奏楽団の自由曲は1987年から95年まで全く同じというのも単なる偶然ではないのかも
しれないですね・・(笑)
常総学院は、85年に海を、86年にディオニソスの祭りょ自由曲にしていましたけど、豊島区吹奏楽団とは結果的に
順番が逆なだけでした・・

八田先生は1992年の都大会のアルプス交響曲が結果的に最後のコンクール演奏となってしまいました・・・

まだまだお若くこれからのご活躍が期待されていたのに、胃がんで急死されたのは
本当に惜しまれる事でした。
既に25年の歳月が過ぎておりますが、心から八田先生のご冥福をお祈り申し上げたいと思います。
結果的に八田先生の最後の全国大会は、1988年の大宮・ソニックでの「ダフニスとクロエ」でしたけど
この演奏を聴けたことは幸いだったと思います。
3.八戸北高校


D/春になって王たちが戦いに出向くに及んで・・・(ホルジンガー)



私、育ちに関しましては、高校までは主に宮城、そして高校卒業以降は主に関東です。
だけど、実は生まれ自体は「青森県八戸市」だったりもします。
最近はなかなかそうした機会が減っていますけど、全日本吹奏楽コンクールの全国大会のステージに
湊中学校とか八戸北高校等の青森県八戸市内の学校が登場してくると
聴くたびに心の底で「頑張って・・なんとか練習の成果を発揮して・・」みたいに祈りたくもなりますし応援したくもなっちゃいます。

やはりこれも一つの「郷土愛」というのかノスタルジーみたいなものなのかもしれないですね。
(今現在は埼玉県在住なのですけど、全国大会のステージに、例えば埼玉栄とか春日部共栄みたいな私立が出てきても
正直、「別にぃ~」みたいな感覚なのですけど、例えば以前、与野高校とか市立川口とか松伏みたいな公立高校が
登場すると、やっぱり「地元愛」が湧いてきて? 思わず応援したくもなっちゃいます・・笑・・)

1992年の全国大会の高校の部のプログラム第三番に全国大会初出場の八戸北高校が登場すると、
上記みたいな事情もあり、私としてはノスタルジーみたいなものも感じどことなくテンション上がり気味でしたし、
指揮者が佐々木孝男先生と知ると、「あ―――、あの時の・・」という懐かしい記憶も蘇ってきました。
佐々木先生の指揮を初めて見たのが、1981年に山形県で開催された東北大会の高校の部・A部門で、
当時佐々木先生は八戸高校をご指導されていて、この年はシベリウスの交響曲第1番第一楽章と言う
吹奏楽コンクールの自由曲として演奏するにはあまりにも地味すぎる曲ではありましたが、
あの自由曲の冒頭のクラリネットの長大なソロがとにかく大変印象的でしたし、曲自体は大変地味で内省的な曲なのですけど、
とにかくサウンドが荘厳でひそやかで曲全体として「ほのかな情熱」を感じさせてくれる
「静かな熱演」は当時吹奏楽もクラシック音楽もあんまりよく分かっていなかった私の胸にはどこかじーんと響く
演奏であったのは大変印象的でした。
(私自身がクラリネット奏者であったのも大きかったと思います)
翌年の1982年に福島で開催された時の八戸高校の自由曲はマーラーの交響曲第1番「巨人」第四楽章でしたけど、
あの演奏も優しさと力強さ、甘美さと躍動感といった人としての感情を大変豊かに表現されていて、
マーラーのあの劇的な世界を吹奏楽でも遺憾なく発揮されていたのがとにかく素晴らしかったと思います。

ちなみにですけど、私自身はこのブログで何度も書いている通り、吹奏楽コンクールの自由曲で演奏された
クラシック音楽を聴く事によって
「この原曲はどんな感じなのだろう・・」と興味を持っていったのがクラシック音楽という深い森の中に私自身が迷い込む
きっかけになった訳でして、
(その最大の事例が1982年の東北大会における花輪高校吹奏楽部が演奏したウォルトンの交響曲第1番第四楽章でも
ありました!!)
プロコフィエフ・ハチャトゥーリアン・ラフマニノフ・ベルク・シチェドリン・ブリスといった作曲家を聴くきっかけを作って頂いたのが
言うまでも無く花輪高校の小林先生なのであり、
シベリウス・マーラーの交響曲を聴くきっかけを作った下さったのが八戸高校の佐々木先生だったのです!

うーーむ、やはり私自身は吹奏楽とクラシック音楽は切っても切れない縁としか言いようがないですね・・・(笑)

そうそう、ウィリアム=ウォルトンの交響曲第1番が支部大会以上の吹奏楽コンクールの自由曲として演奏された事例は、
2016年の時点では、1982年の花輪高校と1984年の佐々木先生が指揮された八戸高校という
二つの事例だけです!

そしてそれから数年後・・・あの佐々木先生を普門館の場で見ることになったのです!
(佐々木先生にとっても初めての全国大会出場でした)
八戸高校ではなくて、この頃は既に八戸北高校に異動されていたのですけど、1990年の赴任からわずか2年程度で
こうやって普門館に導かれるあたりは「さすが!」としか言いようがないと思います。

そしてプログラム第3番の八戸北高校の演奏が始まりました・・

「指揮者も学校も全国初出場だから緊張で演奏が崩壊するかも・・」

「シベリウスみたいなほのかな情熱の再現・・・?? いやいやホールジンガーの曲だからそれを求めるのは無理だから
マーラーみたいな劇的雰囲気の再現なのかな・・」と

色々な思いが頭を過りましたけど、とにかくいい意味でも悪い意味でも私の予想を覆す
とてつもない演奏が展開されていました・・・!!

この年の八戸北高校は吹奏楽コンクールの評価としては銅賞という結果で終りましたし、正直に書くと
その銅賞と言う評価は極めて妥当としか言いようがないです・・

一言で述べると、とにかくとてつもない雑で粗野で荒削りのとんでもない演奏です!!
悪く言うと「力任せの演奏」であり、この当時の大相撲には、曙・武蔵丸といった強引な力づくのパワー一辺倒の
突き押し相撲が全盛でしたけど、そうした味もへったくれもなく繊細な感覚とか甘美な表現とは一切無縁の
高校生らしい若さとパワーに溢れた「生命感」そのもののとてつもなく熱い演奏が展開されていました。

とにかく聴いていてあの圧倒的なパワーと音量と粗雑さの前には脱帽するしかない、とてつもない演奏だったと
思います。
その野性味あふれるダイナミックスさというのか
「生命感」が漲る「人間が本来有している本能の雄叫び」みたいなものがあちこちからこだましているようにも聴こえました。
八戸北高校のあの演奏は、
「なんかよく分からないけど、とにかく圧倒される・・曲の持つ迫力とエネルギーの前では・・つべこべ文句を言わせて
貰えない・・だけど何かとにかく面白い・・・
聴いていてなんかウキウキとさせられる・・」みたいな感覚があったと思います。

シベリウスの内省的な情熱とかマーラーみたいな人間の感情を計算し尽くした激烈さを表現されていた
当時の佐々木先生とは全く別の表情の佐々木先生を普門館の場で見ることになるとは予想もしていなかっただけに
とにかくとてつもなく印象に残りインパクトがある演奏だったと思います。

1992年の演奏の話ではないのですけど、
翌年の1993年は、三善晃の「管弦楽のための協奏曲」という難曲中の難曲を自由曲に選曲し、
あたかも「精密な設計図」に基づき緻密に組み立てているような感じの演奏を聴かせてくれ
「え・・・、これ本当に昨年と同じチームなの・・・・??」とびっくり仰天した記憶があります。93年の演奏は、とてつもなくクールで
冷静な演奏であり、とても前年の92年のあの破天荒でパワフルで粗雑な演奏をしていたチームとは思えないものがありました。
そのギャップがとても痛快に感じたものでしたけど、改めて93年の「管弦楽のための協奏曲」の演奏を聴くと、
「なるほどね・・ 佐々木先生にはこうした緻密な演奏の方が性分に合っているのかな・・?」とも感じたものでした。

だけどこの辺りは、スクールバンドらしい話だと思いますね。

指揮者の先生が、「学校のチームカラー」とか「これまでの伝統」にばかりにこだわって
毎年毎年生徒たちに同じような「型」をはめこんでしまうよりは、
八戸北高校のように、その年の生徒さん達の「個性」とか「カラー」に合わせて
演奏スタイルとかを変えていった方が、むしろ高校生にとっては自然体なのかもしれませんよね。

最後に・・・

この「春になって、王たちが戦いに出向くに及んで」という曲なのですけど、
曲自体の特徴としては、「声」を積極的に使用している事があると思います。
ちなみに、吹奏楽コンクールにおいては、「歌詞」を伴わないいわゆる「スキャット」であれば声の使用はOKとなっています。
それと他の特徴としては、とにかくホルンパートが極めて難易度が高いという事は特筆に値すると思います。
あれは・・完璧に「ホルン殺し」だと思います!!
C.スミスの大人気曲/ダンス・フォラトゥーラが「トランペット殺し」ならば、
ホルジンガーのこの曲は、とにかく「ホルン殺し」ですねぬぬ
あのホルンパートの技術的難易度の高さ、特に特にあの超高音域に関しては、
この曲を吹くことになったホルン奏者に対しては「ご愁傷様でした・・・」と声を掛けてあげたい気持ちで
一杯にもなりそうです。

ラスト近くで一旦静まり、チャイムがコーンと響く中、女声スキャットが高らかにこだまする中で
ここから更なる「混沌としたサウンド」が展開されていき、
ラストまで一気にたたみかけるように展開していきますけど、
あのノリは・・・とにかく何度聴いても実に胸がスカっ!!としますね。

この曲は90年代前半に吹奏楽コンクールに登場してきましたけど、今現在でもこの曲が自由曲として支部大会・全国大会でも
演奏され続けているというこの事実こそが、この曲の人気ぶりと普遍的価値を素敵に立証しているのだと
思います。
2.野庭高校


A/バレエ音楽「アパラチアの春」 (A.コープランド)



野庭高校吹奏楽部は、1988年の「春の猟犬」以来の4年振りの全国大会出場なのですけど、わずか4年で
方向性がガラッと変化したようにも感じたものでした。
(1991年の関東大会のダメ金の演奏はバーンズの「呪文とトッカータ」だったのですけど、まさか一年後にここまで劇的に
サウンドや方向性が変るとは全く予想もしていなかったです!)
1992年より従来の吹奏楽オリジナル路線からクラシック音楽のアレンジ路線に修正された訳なのですけど、
あくまで私個人の感じ方ですけど、演奏はリードの曲を演奏していた頃のような「自然さ・躍動感・ドキドキ感」が全く無くなり、
指揮者の中澤先生が「このように吹け」と強制されているから、言われた通りに吹いているという
感じが濃厚になり、これまでのような自発さ・楽しさが後退したのは何か寂しいものがあります。
例えるなら、「去勢されたように強制的におとなしくさせられたような」演奏という感じです。
自由曲も確かに響きは美しいのだけど、あまり伝わってくるものがありません。
というか原曲の「アパラチアの春」自体、30分程度の演奏時間の中で、盛り上がる箇所はあんまり無く
聴かせどころは「クエーカー教徒の讃美歌による変奏曲」の部分だけという感じで、正直、管弦楽の原曲で聴いても
飽きちゃうような曲でもあったりします。
そうした曲を吹奏楽コンクールでやる事自体に無理があり、私としては選曲ミスだったのかなぁ・・とも思ったりもします。
実際、野庭の演奏も音は大変クリアですしサウンドが清潔なのはとてもよく分かるのですけど、
音楽の盛り上がりがほぼ皆無ですので、演奏終了後も
「だから一体何が言いたいの・・?」という感じで、印象としては極めて希薄でしたし、
事実、プログラム3番の八戸北高校のまさに「エネルギーの大爆発」みたいな「春になって、王たちが戦いを始めるに及んで」の
演奏を聴いてしまうと、野庭の演奏は全く印象にも記憶にも残りませんでした。

申し訳ないけど私のハートには何にも伝わるものはありませんでした。
この路線で成功したのは、翌年の「くじゃく」だけなのかもしれないです。
大変厳しく言うと、全然惜しくない銀賞だと感じました。

やはり野庭=中澤先生=リードの演奏というイメージが強すぎるせいかもしれませんけど、
1992年以降の演奏は、私としましては、正直「何か今一つ・・」という感じも否定はできません。
92年から95年の4年間の演奏の中では、93年のコダーイのハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲は
本当に感動的でしっとりとした演奏を聴かせてくれ、
野庭=中澤先生サウンドの「別の側面」を見せてくれた演奏だと思います。
正直、この演奏を生で聴いていて、何かこみあげてくるもがあり、
「人の心にまっすぐと訴えかけてくる演奏」の素晴らしさと感動を改めて実感したものでした。

野庭高校に関しては、私の中では見解が二つに割れています。
アルメニアンダンスパートⅠ・ハムレット・オセロ・春の猟犬の頃のようにリードを主なレパートリーとしていた時代と
アパラチアの春以降、クラシックアレンジ路線に転じ、
これはあくまで「私の意見」というあくまで一個人の見解なのですけど、
本当の本音を書いてしまうと、
リード等吹奏楽オリジナル作品を演奏していた頃の中澤先生=野庭高校は大好きなのですけど
クラシックアレンジ路線以降の野庭高校のサウンドは今一つ魅力を感じません。
いかにも生徒の首根っこを無理やり押さえつけ「型」にはめ、去勢された様なおとなしくて
消極的なあの演奏を聴いてしまうと・・・
「うーーん、アルメ二アンダンスとかハムレットをやっていた頃の中澤先生=野庭高校は一体どこにいってしまったのだ・・・
こんな洗練され過ぎた控えめな演奏は野庭じゃない・・・」と当時感じていたものです。
現在の視点・感覚で改めて聴いてみると
「もしかして・・・中澤先生は吹奏楽の別の魅力とか可能性を感じていたのかな・・・
そして、道半ばにして、彼岸の方になられてしまった・・・
先生としても、少し悔いが残られる中でこの世を去られたのかな・・・」としみじみ感じる事もあります。
 
そうですね・・・・

これはあくまで「個人の感じ方」の問題だと思うのです。

あのアルメ二アンダンスのように個性的で躍動的で、とにかく音楽というものをあんなにも楽しく生き生きと聴かせてくれた
中澤先生=野庭高校が大好きという人間もいれば、
音の洗練さ・静かな熱演を心掛けたと思われる1992年以降の中澤先生=野庭の方が大好きという方も大勢いるでしょう。
そうですね、どちらもそれは他ならぬ中澤先生=野庭高校の「軌跡」だと思うのです。
それを「こちらの方が好き」と感じるのはあくまで個人の感じ方の問題であって、
それを単純に好き嫌いだけで論ずることは出来ないのだと思います。

野庭高校吹奏楽部の「軌跡」は本当に「奇跡」なのだと思います。
だって、1980年代~90年代にかけてのあの激戦極まりない「関東大会」にて、
あんな公立の無名校が・・・あんな強豪校がひしめく関東大会を何度も何度も勝ち抜け
全国大会であんな素晴らしい演奏の数々を聴かせてくれたのですよ!!
あれは・・本当に当時から・・「すごいな・・この学校は・・」と思っていたものでした。
確かに今現在は学校統廃合により「神奈川県立野庭高校」の名前は消えています・・・
だけど、特に特に・・・あの伝説の名演・・・アルメ二アンダンスパートⅠとかオセロとか春の猟犬等の
数々の中澤先生が残してくれた名演は、
陳腐な表現で申し訳ないのですけど、永遠に私達の心の中に生き続けると思いますし、あの素晴らしい演奏は、
後世の人達にも是非是非語り継いでいければいいなとも思っています。

野庭高校が全国大会初出場そして初金賞を達成したのは1983年なのですが、
この年は私自身高校3年生で、
当時後輩達か部室で「日本の吹奏楽83 高校の部 vol.5」に収録されていた野庭高校の
「アルメニアンダンスパートⅠ」が収録されているレコードを聴いていて、
私自身も最初にあの演奏を聴いた時の衝撃は、これは多分死ぬまで忘れないと思います。
そのくらい、大変個性的でインパクトが強く、とにかく「躍動感」に溢れた生き生きとした語り口で
同時に表現が実に斬新・・・・!!
あの第ⅴ曲の「Go! Go!」ををpから徐々にあんなに盛り上げていく演奏はかつてなかったと思いますし、
とにかく一つ一つの音が「生命感」と「躍動感」に溢れていて、
「うわわわ、なんだこの素晴らしい演奏・・・これで全国大会初出場・・・
しかも・・・あの激戦の関東大会を公立の全くの無名校が勝ちぬけている・・・??
それに比べて自分達は・・・何とふがいない・・」と
しみじみ思ったものです・・・
私自身、高校の定期演奏会でこの「アルメニアンダンスパートⅠ」を演奏する機会に恵まれたのですけど
残念ながら、楽譜を音にするのが精一杯で、とてもとても・・・野庭みたいなあんな「自由な表現」なんてできなかったです・・
あの演奏は「伝説的な名演」という名前に恥じない素晴らしい演奏だったと今でも思っています。

1.精華女子高校


D/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲~Ⅰ.夜明け Ⅲ.全員の踊り (M.ラヴェル)



1992年の全国大会・高校の部は、確か前日が月末で、
あとほんの一歩のところで毎月のノルマ達成に届かず、上司から無茶苦茶怒られ、
すごくイライラしていたのはよく覚えています。
そして当時の私の記憶では「月末になったら必ず溜め込んでいた三か月分の延滞金を払うからさぁ―」と言っていた
何人かの債務者に予想通り(?)支払をせず「払えねーものは払えねーずら!」と開き直っていた事にカチンときてしまい
かなりの言い争いをしてしまった上に、帰店後にその経緯を上司に報告すると
「お前がこの人は絶対に支払うと言ったから月末まで猶予を与えではないか! バカモン! もう一度行ってきて
回収するまでは帰ってくるんじゃねー!」と罵倒され、その夜またまた派手にバトルを繰り広げてしまった・・みたいな
記憶もあったりしています・・

翌朝目が覚めてもその事のイライラが解消できず、そのまんま始発のかいじ号に乗って普門館に着いたのですけど、
やはり気分としてはめちゃくちゃご機嫌斜め状態でした・・・(汗・・)

そんな訳ですごくイライラしていた当時の朝一番時の精神状態だったのですけど、
この精華女子のダフクロの夜明けの輝かしい清潔で爽やかな演奏を聴いて、そうしたイライラが
一瞬で吹き飛んでしまったのは、すごく鮮明に覚えています。
やはり音楽というものは、人の精神状態形成に色々と影響を与えることもありますし、
音楽はいいものだなーと感じた瞬間ではありました。
精華女子は1990年に初出場し、この時もプログラム一番で、2回目の出場の1992年もプログラム一番で
何か気の毒な感じもしました。
ついでに言うと、翌年の93年も確かプログラム3番辺りだったかな・・・
出演順が遅くなった94年にやっと念願の初金賞を受賞しています。
課題曲も朝一番とは感じさせないほど生き生きとしたものでしたし、
自由曲も夜明けの頂点の部分の盛り上げ方が極めて自然で、ストレートに心を打つような演奏だったと思います。

結果としてこの年は銀賞に留まりましたけど、惜しい銀賞の一つだったと言えると思います。

精華女子は、現在は、押しも押されぬ誰もが認める吹奏楽の名門校ですし、
最近のスミス三部作(ダンス・フォラトゥーラ、ルイ・ブルジョワの讃美歌による変奏曲・フェスティヴァルヴァリエーション)
とかスパークの「宇宙の音楽」の
圧倒的名演は記憶に焼き付いていますね・・
数年前の話ですけど、発売したCDが何と!「クラシック部門第一位」になっていましたね。

初出場の年とかこの年、1992年の演奏は、特に個性とか斬新な解釈とかは無く、
いかにも「普通の女子高生・・」という感じでした。
当時は、確か学校の制服としての真っ白の初々しいセーラー服姿での演奏で、
現在のようなあんな可愛く凛々しいステージ衣装ではありませんでした・・(笑)

精華女子を名門チームに押し上げた最大の功労者とも言える藤重先生は、2015年以降、精華女子を離れて
大分の学校で現在指導をされているのですけど、精華女子は、2000年代前半までは、
特に抜きんでた個性も実績も無いどちらかというと「微妙」な位置づけでしたけど、
2000年代後半から急激に「覚醒&進化」を果たしたと思います。
(それは最近の玉名女子にも同じ事は言えるのかな・・?)
指揮者の藤重先生は、1984年から2014年までずっと精華女子をご指導され続けていたのですけど、
この突然の途方もないステップと躍進の背後には一体どういう「変化」があったのでしょうか・・?

普門館の「ドラマ」は興味深いですよね。

1994年の全国大会の話なそうですが、
本番前日、生徒の藤重先生に対する悪口を耳にし、この件でカーッとなってしまった藤重先生が
「もう練習なんかしない、本番も指揮しない、勝手にしろ」みたいな事で
ホテルの自室にむくれてとじこまったとの事です。
だから、本番当日も、生徒と指揮者の関係は決して良好なものではなく
何となくぎくしゃくしたものがあったとの事です。
当時の藤重先生のあだ名が「フグ」とかいうもので、「あのフグがさー」なんて他愛もない陰口をたまたま
耳にしただけとの事なそうですけど、うーーん、この状態で金賞というのもすごいけど
この当時の藤重先生は、今現在のようなあの大御所的雰囲気とか素敵なダンディーさとか大人っぽい感じという訳では
必ずしもなかったようですけど(汗・・)
吹奏楽コンクールというものは、奏者だけでなくこうやって指導者も「成長」するという事なのかもしれないですね。
ここ数年、吹奏楽コンクールの全国大会は普門館で開催されていませんが、
かつて「普門館=野球部で言う所の甲子園」みたいなイメージがある私としては少し寂しい感じがします。
確か耐震設計上の問題でしたよね・・・
だけど5000人も収容できるホールって結構少ないし、何とか普門館の復活を期待したいと思ってはいるのですけど、
残念ながら既に閉館→解体という方向で決まっているようですね。
改めて振り返ると、普門館は広いホールですし、
早朝のプログラム一番の演奏は、まだ空気が温まっていない感じがします。
プログラム一番の演奏は、特に中学の部において銅賞を受賞する傾向が昔から強いのは、
勿論奏者の緊張もあるでしょうし、頭が完全に覚醒していないということもあるかもしれませんが、
一番の要因は、広いホールの空気が温まっていない状態で演奏を開始になっても響いてくる音が
「あれ、何か全然会場に響かない・・・」
「あれ、いつもと感じが全然違う」
という不安の連鎖反応ではないのかな・・と感じることがあります。

例えば良い例が
1991年~1992年に中国代表で演奏した宇品中学校をあげても良いと思います。
このチームは、1991年以前も何回か全国に出場し素晴らしい演奏を披露していますが、
1991年は不幸な事にプログラム一番・・・
この時演奏した曲は、組曲「サルタン皇帝の物語」でしたが
1986年に「三つの夜想曲」で歴史的名演を残したチームとは思えないほど
サウンドがぼやけきった、技術的に不安定な演奏を展開しています。
だけど翌年の92年は、出演順が後半になったせいか、
普段通りの実力を発揮し、素晴らしい「シェエラザード」を聴かせてくれました。

1992年の高校の部のプログラム一番は精華女子高校で、私が聴いた限りでは、それほど朝一番の不利な条件という事も
感じさせず、練習通りの演奏が出来ていたと思いますが、中学の部のブログラム一番の中間東中学校は、
音楽に大変独特なクセと個性は感じられるものの、朝一番という条件が響いたのか、全体的には音程不良が散見され
(特に自由曲の「イベリア」のコールアングレの代用楽器のソプラノサックスの音程の悪さがかなり酷かったです・・)
やはり「プログラム一番はきついよなぁ・・」と感じさせる演奏でした。

プログラム一番の不利さの問題はずっと以前から議論されていますけど、この問題を解決するためには、
プログラム一番のチームだけは、緞帳がおりて演奏開始前の三分間は
舞台上でのチューニングと音だしOKみたいな事を認めた方が何か公平なような気もします・・・

上記で記したとおり、現在は、5000人を収容できる「普門館」での全国大会開催が事実上出来なくなっているため
全国大会開催ホールは、せいぜい2500人収容のホールが一つの限界という事になると思われます。
そのためのせいかはよく分かりませんが、吹奏楽コンクールの「全国大会」の高校の部の入場券は
最早「プラチナチケット」と化し、入手する事自体極めて困難みたいですね。

1992年の都大会のプログラムを改めて眺めていると、全国大会の入場券の入手方法は、
入場券の金額に該当する郵便局の定額小為替と返信封筒と明細書を吹奏楽連盟まで簡易書留で
郵送して欲しいとのことですけど、何か少し時代を感じさせますね・・・(笑)
だって、現代だったら、全てネットでの申し込み→ネットバンキングを利用しての決済という事でしょうし、
大体、今の若い世代の人達に「定額小為替」と言ってもピンとくる人はいるのかな・・・?
1992年の一般の部は仙台で開催されたのですけど、「当日券の発売あり」と明記されていますけど、
まだこの時代は「当日券」はあったのですね・・・・
仙台で開催された「仙台サンプラザ」での全国大会会場は、それにしても音響が最悪でしたね・・・
あれは、音楽ホールというよりは、何か体育館みたいな感じでした・・
元仙台市民の私が言うのも何ですけど、あのホールで開催する事自体無理があったし、百歩譲って
宮城県民会館の方がまだなんぼかましだったし、遠いけど「イズミティ21」の方がまだ音響的にはマシだった気がしますね・・・

そうそう・・この年、1992年より従来の「大学・職場・一般の部」から大学の部が分離されて、大学の部が単独で
開催されていました。
大学の部は、土曜のPM15:00演奏開始でしたけど、普門館のプログラム一番はAM9:05というシビアさに比べると
全然マシではあると思うのですが、
やはりプログラム一番の全国大会の金賞チームとしては当時既に常連で会った中央大学は、
都大会に比べると全然冴えない演奏で終わってしまい、
改めてですけど「午前・午後に関係なくコンクールのプログラム一番は大変だよなぁ・・」と感じたものでした。

さてさて・・これにて番外編は終了とさせて頂きます。
次回からは本編に入り、プログラム一番の精華女子より順次感想等をのんべり書かせて頂きたいと思います。
1992年当時はとっくに金融バブルは弾け、これまでのように「貸出オンリー、いけいけの時代」はとうに終わりをつげ
どちらかというと既に「資金回収・貸剥がし」の時期に差し掛かっていたような雰囲気もありました。
そうですね・・・当時の記憶を辿ってみると、印象としては「どことなく中途半端」みたいな雰囲気もあったような気もします。
景気はとっくに後退基調に入っているのに、感覚としては数年前のバブルの華やかな雰囲気も残っている感じも
ありましたし、当時の金融機関的には、バブルの頃のような融資量を競い合う時代でもないし、かといって
バブル崩壊以降の融資金回収と貸し剥がしがメインとなっていた訳でもなく、同時に昭和の頃のように
預金量獲得をひたすら追い求めていた時代でも無いという
何となくですけどその「どっちつかず」みたいな迷いの時期が1992年前後の日本全体の雰囲気ではなかったのかなぁ・・とも
思ったりもしています。
そうですね・・・1989年~91年のバブル期の過剰融資競争の狂騒から少しだけ開放され、あのけたたましい忙しさから
少しだけ気分がゆるみ、しばしの休息時期を味わっていた時代とも言えるような気もします・・・

バブルの頃みたいに、確かに給料はいいけど土日も休みなく働けみたいな感じではなくなり、
土日はしっかりと休めるような時代になっていたと思います。
私の場合、この頃は休みの時は、よく下部・身延・増穂・北巨摩・石和の日帰り温泉に出かけていましたね。
ドライブを兼ねてというのもありましたし、特に北巨摩あたりの景色は最高で、この景色をドライブした後
町営温泉で温泉に入るのは何か瞬間的な幸せを実感したものでした・・(笑)

私自身、学生の頃免許は取っていたもののものの、山梨に左遷(?)されるまでの約4年近くはほぼペーパードライバー
でしたね。だけど山梨に異動後は担当区域が遠隔方面担当という事で仕事でどうしても車を使用しなければいけないので、
最初はおっかなびっくりだったものの、段々車の運転は慣れていき、結構運転そのものも
楽しめるようにはなっていたと思います。
当時は金融機関の遠隔顧客担当のため、一日100~120キロ程度走っていましたけどね・・・
だけど、道を譲りあわないとか赤信号でも平気で突っこんでいく俗にいう「甲州ルール」には困らさせられたものでした・・
ちなみにですけど、山梨在住時代、私は車での交通事故を2度ほど経験していますけど、その2回とも
信号待ちで停車中に背後から追突されたケースばかりで、警察の認定も100対0で向こうが悪いという事になっているのですけど
なぜか相手の言い分は
「道を譲らないお前が悪い!」という事でもありましたので、ここにも甲州人の荒っぽい気質が窺う知る事が出来そうですね・・

仕事の際はいいとして、休みの日なんか山梨は娯楽も何もないし、
私はアルコールはほとんど飲まないし、休みの日まで会社関係の人達と遊んだり
酒を飲むことは絶対に嫌だったので、ヒマな時なんかは、たまにですけど
ドライブそのもの、目的地を全く定めないで漠然と車を走らせて
一週間のモヤモヤを吹き飛ばしリフレッシユさせた事もありました。
(行内の女の子を誘ってドライブに行く事もたまにあったりしましたけど、そういう時って大抵誰かに目撃されてしまい、
翌日には、××と△△は付き合っているとかあいつらは出来ているとかヘンな噂が立ってしまうというのも
ま・・いかにも閉鎖的な山梨らしい話ではありましたね・・苦笑・・)
仕事で国道52号を使って身延方面はよく行っていたけど、身延より更に南の南部町~富沢町、
そしてさらに南の静岡県富士宮市、さらには清水港には滅多に行く機会も無かったので、
何度かそうした遠征ドライブをした事もありました。
身延から富士宮に入るまでは、現在はどうか分かりませんけど、ひたすら「道路」ばかりと言う印象で
行き交う車も少なく、結構飛ばす事は出来ました。
あれは結構気分爽快だったと思います。
でも沿線は、コンビニもほとんどなく、ひたすら何もない道路を驀進していたという印象があります。

また高速道路を使わないで、国道20号、俗にいう甲州街道を甲府から新宿にかけて走ったこともありましたけど、
こちらは渋滞ばかりであまり爽快ではありませんでした・・・
だけど面白いのは、新宿から山梨に戻る際、八王子付近までは東京都内の香りが感じられるものの
山梨県上野原に入ると、「田舎」の香りがプンプンと感じられたことです。

だけど、駐車場・高速代・ガソリン代を考えると、都内に遊びに行く場合とか吹奏楽コンクール等を聴きに行く場合は、
電車で行った方が全然安く、時間もかかりませんでしたのでよくあずさとかかいじ号を利用したものです。
全国大会や東京都大会を聴くために普門館にもよく聴きに行ったものですが、
コンクールが終わった後、池袋とか新宿とか秋葉原等をぶらつき、PM22:00新宿発のかいじ号で
山梨に戻るのが一つのパターンでした。
だけど土日の22:00新宿発のかいじ号は結構混んでいる事も多く、
それを回避するため、実はこの時間のかいじ号の始発駅は実は新宿ではなくて東京駅でしたので、
PM21:44の東京駅始発のかいじ号に乗るために、わざわざ東京駅から
乗ったことが結構ありました。
かいじが東京駅を離れると、毎回毎回
「あーあ、また明日から山梨のド田舎で仕事かよー」と愚痴り、ぼんやりと
御茶ノ水界隈の夜景をボーっと見るのが当時の何か慣習みたいなものはありました・・・
かいじ号は往復で当時3900円くらいだったから結構安かったですね。
あずさの回数券は、4枚綴りで確か8900円くらいだったかな・・・?

そうした中央本線は最近はほとんど乗った事がありませんので、なんかたまーにですけど、
「久しぶりに乗ってみたいなあ・・」と思う事もあったりもしますね・・(笑)

あ・・そろそろ本編に入らないと・・・(汗・・)

ぼちぼち1992年の高校の部のプログラム一番の精華女子からいつものようにグタグタと語らさせていきたいと
思っています・・・
1992年というと、バブルが既にはじけていて経済的には既に曲がり角に立っていたものの
まだ「まだまだ日本は大丈夫」という妙な慢心な時代と
目前に迫っていた「長期間の停滞」という冬の時代の丁度過渡期だったような気がします。
それほど不景気ではない、だけど長期的展望は全然開けていないという
「閉塞感」は既に前兆があったような気がします。
当時の日本は、PKOとかいって、自衛隊を海外に派遣するか否かで
国会が野党の牛歩戦術で1~2日も停滞し「何も決められない状況」だったと思います。
(現在は、自衛隊がごく普通に米艦監護を実施し、総理大臣が普通に憲法改正を口にしている状態ですので、
時代も変わったというのか隔世の感がありますよね・・・
ちなみに私自身は、昔から憲法改正大賛成論者ですけどね・・)

そんな中、私自身は当時は、
「あーあ、さっさとこんな山梨みたいな田舎から抜け出して、元の都内勤務に戻りたい」という気持ちと
「いやいや、今戻ったら、自分のこんな未熟な実力ではすぐに潰れてしまう。
それよりはまだ山梨みたいなのんびりした所で牙を研いでいた方がいいのかも・・」という
煮え切らない二律背反みたいなもやもやとした空気を内在していたのかもしれないです。

都内の杉並の普門館に行くのに往復で4時間以上かかる環境にそろそろ嫌気が差していたのは
確かだったですけど、私が実際に山梨を脱出できたのは、それからまだ4年後の話でした・・・(汗・・)

さてさて、1992年と言うと池袋西口に「東京芸術劇場」が完成されお披露目公演をした年でもありました。
池袋西口って、東京芸術劇場が完成する前って、どんな建物がありましたっけ・・・・?
うーん、全然記憶がないですね・・・(汗・・)

東京芸術劇場で初めて管弦楽のコンサートを聴きに行ったのは1992年6月頃だったと思います。
ちなみにサントリーホールのオープン&こけら落し公演は1986年でしたけど、サントリーホールの最初の印象は、
とにかく残響効果が素晴らしい木のぬくもりの感じられる「ぶどう畑」みたいな素晴らしいホールという感じでしたが、
東京芸術劇場は、地上からホールまで行くのにとにかく時間が掛りエレベーターに乗っている時間が長いなぁ・・というのが
最初の印象で、サントリーホールとは対照的に「モダンで人工的な音楽ホール」という雰囲気が
私的には感じたものです。

余談ですけど、私の高校時代の吹奏楽部の同期って、実はほとんど地元の仙台から県外に出ていなくて
ほとんどは地元の大学、地元で就職という感じで、県外に出たのは私を含めてわずか2名だけでした。
当時の私は上記のとおり山梨在住で、もう一人は愛知在住でしたけど、
この東京芸術劇場のこけら落し公演の一つであった東京交響楽団の第一回東京芸術劇場シリーズの演奏会の直前の
池袋西口の噴水前にて、そのもう一人の県外へ出た元・吹奏楽部員と偶然ばったり出くわし、お互いに
「えー、なんで都内在住でもないのにお前こんなところにいるの・・?」みたいに驚きあったのは
なんか妙に印象的でした・・

さてさて、私が聴いたそのこけら落し公演の一つの東京交響楽団の演奏会ですけど、
指揮は秋山和慶、ヴァイオリン独奏が竹澤恭子、
演奏曲目は、
前半がウェストサイドストーリー~シンフォニックダンスとバーバーのヴァイオリン協奏曲
後半がアイヴズの交響曲第4番でした。

この公演は、前半の曲よりもとにかくアイヴズの交響曲第4番がお目当てでした!!
この機会を逃したら、この曲は生涯聴くことが出来ないかも・・・という気持ちもあったと思います。
(事実、この曲は生の演奏ではこの日の演奏しか聴いた事がないです・・・)

東京芸術劇場は、やたら空間が広いような印象がありました。
初めて実際の音を聴いた時は、サントリーホールの時の様なインパクトはありませんでしたが、
サントリーホールよりも残響音が長いような印象は受けましたけど、ぬくもり感は今ひとつだったようにも記憶しています。
響きも決して悪くありませんし、今でも大好きなホールの一つです。
上記で書いた通り最上階に行くまでは、エレベーターと階段を使用しますが、かなり時間がかかりますよね。
今では池袋駅とホールが地下で直結していますけど、それでも駅を降りてから席に座れるまで
15~20分程度かかるのは少し欠点かな・・・?

さてさて、その日演奏されたアイヴズの交響曲第4番は、とにかく壮絶な演奏だったと思います。

アイヴズの交響曲4番は本当に難曲中の難曲だと思います。
あまりにも複雑過ぎて正指揮者の他に、第二楽章と第四楽章は副指揮者も舞台上で指揮をとります。
だから、一つの曲で、同時に二人の指揮者が指揮をするという非常に珍しいスタイルをとります。
(厳密に書くと、第一楽章と第四楽章では合唱も入りますので、合唱指揮者を含めると、なんと一つの曲に
3人の指揮者が振るという壮絶な曲にもなっています)
だけど、これはCDで聴いても絶対に分からないと思います。
生の実演で聴いてみて、一つの楽章の中で、全く違ったメロディーが
鳴り響くというか、ホンキートンク状態に近いと言うか、音楽のカオスである事がよーーく分かりました。
一人の指揮者が弦楽器に指示を送り、弦楽器は一つのメロディーを奏で
正指揮者が全体をコントロールし、もう一人の副指揮者は金管楽器群に指示を出し、マーチをぶっ放すという状態で
「混沌」を見事に表現していたと思います。

そんな中、第三楽章だけは、に美しいメロディーが全体を貫き、何だか泣けてくるような音楽になっています。
これはこれで「あざとい」という感じもします。
というか、混沌と混沌の間に挟まれた楽章だから余計に美しく聴こえるのかもしれません。
それにしてもこの交響曲は、次から次へと多種多様なマーチ・俗謡を引用し、
同時に全く違うメロディーが鳴り響くというとてつもんく大胆不敵な部分が相当あると思います。
最初にこの曲を生で聴いた時は、その衝撃度・インパクトはすさまじいものがありましたね・・・
ま、この曲、間違っても一つの部分だけに辻褄を合わせると必ず演奏に破綻が生じ、
次から次へと引用されるどこかで聴いたことがあるマーチや俗謡に対しては
一気呵成に曲を展開させていかないといけない大変な難曲でもあります。
ま、この曲を指揮する場合、そして聴く場合でも
「軽薄な気持ちで、マーチをぶっ放していく」という感覚が必要なのかもしれませんけどね・・(笑)

CDでこの曲を聴いても多分ですけど、あんまり作曲者の意図って分かりづらいのかもしれないですけど、
生で聴いて初めてこの曲の複雑さ・難解さ・作曲者が言いたい事は
なんとなくわかったような感じでもありました。

アイヴズって方は、一応エール大学の音楽学部を卒業しているのですけど、
卒業後は、「不協和音の為に食いっぱぐれるのは真っ平御免」という不滅の名言と共に保険会社に就職し、
その後自ら保険業の事業を起こし、仕事の傍ら、細々と発表される当てのない曲を書き続けていたという方なのです。
で、その作風もかなりユニークなものがあり、
あるメロディーを奏でている最中に突然、マーチ・讃美歌・ポピュラーソングなどが乱入し、
複数のメロディーが同時にがなり立てあうという面白い事をさらりとやってのけています。
アイヴズが楽壇で認められるようになったのは、
73歳の時、交響曲第3番「キャンプの集い」というアイヴズにしてはかなりおとなしめの作品で
ビュリッツアー賞を受賞した時以降なのですけど、
その際アイヴズは、
「この曲は少年用だ!! 私はとっくに成人している」と相当むくれていたという
逸話が残されています。
ちなみにアイヴズの奥様の名前は、「ハーモニーさん」という方らしいのですけど
何か素晴らしいお名前ですね・・・(笑)

東京芸術劇場も最近は中々聴きに行く機会が激減してしまいましたが、過去においても、

佐渡裕・新星日響/チャイコフスキー 交響曲第5番
小林研一郎・チェコフィル/マーラー 交響曲第1番「巨人」
テルミカーノフ・レニングラードフィル/ストラヴィンスキー 春の祭典
小泉和裕・都響/ローマの祭り
尾高忠明・読響=ピアノ=小山美稚恵 ショパン ピアノ協奏曲第一番

などなど多数の名演と印象に残る演奏を聴かせてくれたホールです。

たまには私も東京芸術劇場でゆったりと「音楽」に身を委ねる時間が欲しいよなぁ・・とも思ったりもしますね・・
現在では、課題曲の呼び方はⅠ~Ⅴという表記が定着していますが、
私なんかいまだにA~Eという表記の方が何かしっくりきますね。
思い起こすと、
課題曲の呼び方がAとかBとか呼ばれたいたのは、1992年が最後なのですよね。
1993年以降は、なぜか唐突にⅠ・Ⅱ・Ⅲという表記に変更されています。
これはいつ誰が決めたのかな??
吹連のお偉い先生達がいつの間にか変更したのかな・・・??







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だけど地方ではこれが浸透していなかったのか面白い現象もあり、
1993年の山梨県大会のプログラム表記は、
A ターンブルマーチ
B スターパズルマーチ
という風に記載されているのが何か面白い感じ・・・

だけど課題曲がマーチの年とマーチでない年を交互にするのも面白い試みだと
思います。
やはり吹奏楽の基本は「行進曲」にあると思うのですが、
上手な学校ほどマーチをパスする傾向も決して否定は出来ませんからね・・・
実際、当時常連校の常総学院も
課題曲がオールマーチになった最初の年と二回目の95年は
まさかの関東大会落ちでしたからね・・・
(年頃の感覚として、常総学院がスタンダードなマーチを演奏するという可能性は
あまり考えられなかったですね・・・)

1992年の課題曲もなかなか当り年だったと思います。
当時「メトセラⅡ」などで絶大の人気を誇っていた田中賢の課題曲Aと大御所、三善晃氏の課題曲Cと
今聴いても「いい曲だなー」と感じさせる曲が揃っています。
課題曲Dもその短さが、長い自由曲を演奏したいチームにニーズに合ったせいなのか(?)
意外と取り上げるチームも多かったですね。
ヤマハ浜松が、課題曲Aではなくて、この課題曲Dを選んだのは当時すごく意外に感じたものです。
前年度の全国大会までは、一日で大学・職場・一般の部の演奏・審査がなされていましたが、
さすがに大変という事で、この年から、大学部門は職場・一般の部の開催日とは別の日に開催されるように
なっていました。

この年、課題曲B/吹奏楽のためのフューチュリズムは取り上げるチームは少なかったですよね。
中学で2チーム、高校と大学は1チームずつ 職場で1チームという感じだったかな・・
だけど私はこの課題曲大好きです!!
前半と後半のリズムの切れと躍動感も素晴らしかったですし、中間部のあの壮大な盛り上がりとロマンチックさも
お見事だったと思います。
非常に分かり易くて、いかにもコンクールの課題曲という感じなのですけど、このベタな感じがとても大好きです。
個人的には、新屋高校の演奏が大好きです。
この曲の出だしは大変神経を使うから、敬遠されたというのも多少はあるのかもしれませんね・・
始まりが、タンバリンとティンパニだけのリズムの掛け合いから、テナーサックスの刻みという非常にうすく書かれているので、
奏者・指揮者としてはやり難いというのがあったとは思います。
非常に古い話で恐縮なのですが、1981年の課題曲A/イリュージョンも
出だしが、ユーフォニアムとチューバだけという非常にうすく書かれていて、
この課題曲の冒頭がカッチリ決まった事例は、私自身もそれほど記憶にありません。
県大会あたりでは、外す事例が続出でした・・・
まともに決まった演奏は、全国大会での淀川工業くらい程度だけだったのかもしれないですね。

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