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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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邨カ蟇セ髦イ+1_convert_20130910233927

2013年春アニメ「絶対防衛レヴィアタン」
(ヒロインのレヴィアタン役の声優さんは早見沙織さんです)

2013年春アニメの中でも全然知名度がない極めてマイナーアニメなのですけど、
「絶対防衛レヴィアタン」という作品がリアルタイムでの放映時からツボに入っていて今でも大好きな作品です。

魔法少女系に付きものの熱い友情・派手な戦闘シーン・ピンチの時に生ずる新たなアイテムと魔法の力という要素は
極めて少ないですけど、そのゆるさ・かわいらしさがこのアニメの魅力なのだと思います。
2013年4~6月にテレビ東京系で土曜23:30から放映されていましたけど、
リアルタイムで見ていた時からとにかく大好きでしたし、同年の7月~9月の深夜枠でも再放送されていて、
この再放送時でも楽しく見ていました。
(再放送時には、焚火劇場ミニというトークコーナーもあったのがすてきでしたし、このトークはDVD最終巻に
収録されていました)
世間的には、ほとんど認知評価されていない作品なのでしょうけど、私は今でも大好きな作品です。
主人公のレヴィアタン役の声優さんが私が大好きな早見沙織さんというのも大変ポイントが高いと思います!

このアニメ、元々はグリーのゲームなのですけど、主人公レヴィアタンは、笑顔を忘れた・無口・滅多に笑わないけど
心の中で爆笑している事もあるというのがグリーのゲーム上の設定です。
ゲームのデザイン画としては、レヴィアタンも含めて他の2人も比較的大人っぽいタッチで描かれていて、これだけを見てしまうと
「レヴィアタンは笑顔を忘れた女の子なんだなぁ・・」と思ってしまいます。
アニメでは、レヴィアタンも含めて全員子供っぽい雰囲気が強調されていますので、私としてはゲーム版よりは
アニメ版の方が断然魅力的に感じます。
またアニメ版のレヴィアタンは、バハムート・ヨルムンガンドよりは喜怒哀楽を出さないけど
微笑んだり、普通に笑ったり怒ったりするシーンが結構あり、その笑顔がたまらなく可愛いと思いますし、あの笑顔は素敵でした!

物語のメインキャラは3人構成なのですけど
知的で物静かなレヴィアタン
じゃじゃ馬系のわがままお嬢様、バハムート
天然の心優しい怪力娘のヨルムンガンドという構成もバランスが取れているのもこの作品の素敵な点だと思います。

「絶対防衛レヴィアタン」の特徴は、タイトルが示唆する通り
「何かを守りたい・・・」
「あなたにとって大切なものとは何・・・??」
「大切なものを守るためにはどうすればよいのか」というテーマが一貫して守られている点なのだと思います。
守る事をメインテーマにしていますので、派手な戦闘シーンもそれほど多くはありませんでしたし、
防衛に主眼を置いた今どきとしては珍しいアニメでもあるので、
そこにほのぼのさ・多少のゆるさ・レヴィアタンの可愛さとも結びついてたまらない魅力を発揮したと思います。

この「絶対防衛レヴィアタン」の世界観の一つとして、レヴィアタン達が暮らす惑星下においては
既に魔法というものは定着していて、人々も普通に魔法に接していることも特筆すべき点だとも思います。
それゆえアニメの中では一般人が妖精」を見ても特に驚く事はありませんので、
妖精や魔法の存在をくひたすら隠すプリキュアの世界観とは少し違うものがあったりもすると思います。
特に興味深いのは、魔法というものを使えるのが女の子に限られているという事です。
だから、当然一般人の男どもは魔法を使う事は出来ません。
これはとても面白い設定だと思います。
「魔法を使えるのは女の子だけ」というのは、何だかプリキュアシリーズの
「女の子は誰でもプリキュアになれる」という世界観と近いような感じもありますし、
この「世界と惑星を守るのは女の子!!」という設定がとっても大好きです。
やっぱり世界を守るのはヒーローではなくて「ヒロイン」の方がお似合いだと思いますルンッ~♪

「守りたい人や守りたいもの」を防衛したいという事を終始一貫したテーマとして扱い、
過激に相手に対する攻撃を控えている点は
最近のアニメとしては、一線を画すものであり、もっと高く評価されて然るべき作品かなと思っています。

「絶対防衛レヴィアタン」のどんな点に魅かれるのかというと、
あのゆるさ・可愛さ・ほのぼさもそうなのですけど、魔法少女系に付き物の過剰な戦闘シーンとか、
インフレ状態になりがちな主人公たちの過度なパワーアップが控えめであるとか
敵との戦闘シーンとか「やっつける」という概念よりは、
物語の根底にある「自分たちにとって大切なものを守っていく、防衛していく・・」という守りの姿勢に焦点を当てて、
敵を撃破するという発想ではなくて、本当に大切なものをいかに守っていくかという事を
クローズアップしている事が、大変新鮮に感じたりもしていたものでした。

話は変わるのですが、
私自身、バブル期の社会人デビュー、そしてバブル崩壊と長期間の不景気、
そして通算三度に渡る勤務していた会社の破綻と倒産、解散(うち2社は上場企業)を経験しましたし、
その後において、中小企業、ベンチャー企業とある意味多彩な勤務経験をさせて頂く事が出来ましたけど、
その中で強く感じることがあります。
「どうして経営者というものは、己の会社を大きくする事ばかり考え、
ひたすら売り上げ増という量の拡大ばかりを目指すのか・・・
なぜ会社を守るというか維持する事を考えないのか・・・
なぜひたすら毎年毎年、前年比いくら売り上げが伸びたのかという事しか考えないのか・・」という事です。
今後の世界全体の不安定化・高齢化・隣国との関係の不安定化、人口減少、
若者の購買意欲低下という事が原因である「パイの縮小化」が簡単に予想できるのに、
なぜ相変わらず量の拡大ばかり追い続けるのか、
「会社・社員、ひいては国民を守る」という発想がどうして起きないものなのでしょうか・・?
そんなら日本と言う狭い国土に囚われずに
海外へ打ってでればいいじゃんという発想も確かに一理あります。
だけど、海外へ出る=様々な余計な苦労をしょい込むという事を想定すると
それが本当にベストな選択なのかな・・?とも感じてしまいます。
ましてや今年度一年間世界各地で猛威を振るい、まだそのワクチンすらも確立はされていないという状況下においては、
ひたすら業務拡大だけを目指す現代資本主義自体が一つの限界を迎えているようにも感じたりもします。

狭い国土を有効に活用しつつ、何か国民全体の幸せを守るという事が何か出来ないものですかね・・

「絶対防衛レヴィアタン」の防衛とか守るというメインテーマに触れてみると、なぜか上記みたいな事を
当時も今もふと感じる事は多々あったりもしたものでした。

このアニメの冒頭のナレーションでは、何度か
「一つのリンゴを分け合う民は祝福され、次の果実へと導かれ
一つのリンゴを分け合えぬ民は裁かれ、やがて無に帰すであろう・・・」

というのが流されていましたけど
これは中々印象的な語りだったと思います。

この言葉の本質は、ハピネスチャージプリキュアにおいて一年間かけて主人公のめぐみたちが学んできたこと、すなわち、
「幸せは皆で共有するもの」なのだと思います。
今現在において、全世界、地球上で起きている様々な問題点(特に貧富の格差の拡大)は、理想論で語ってしまうと
上記の「リンゴの理屈」でほとんどの部分が解決できるような感じもしたりもします。

それが出来ないのはなぜなのでしょうか・・?

国家という概念に囚われすぎているせいなのか・・・

自国のみの利益だけに囚われすぎているせいなのか・・・

国内の一部のほんの一握りの富裕層の考えのみが国家の考えになってしまっているせいなのか・・・

それは正直よく分かりません。

だけど、ハピネスチャージプリキュアのめぐみがふと漏らしたように
「世界中の人たち全員が(幻影帝国を含めて)ハッピーになれればいいのに・・・」という考えの下、
世界中の資源・お金の流通・食糧などを一元管理し、
全員の人達にある程度の生活」が出来るような保証が出来れば
現在のような世界各国で起きている様々な紛争なんかはある程度は未然に防止できるはずだと思ったりもしますけど、
それを実際に実現化すると「ベイシックインカム」における絶対的平等における不平等の問題とか財源等の
問題もあり、それがなかなかできないから世界にはいつまでたっても皆が共通して実感できる幸福感とか平和が
現実のものにならないのですね・・

何というのかな・・・・

地球上に存在するいかなるモノは、特定の国家・個人のものではない・・・みんなのものみたいな価値観が
地球の民全員に共有できればそれだけで大部変わってくるようにも思えたりもします。
(それは究極の理想論というのはよく分かってはおります・・)

それが出来ないのは、複雑に絡み合った利害関係の為せる業なのかもしれないです。

今後の日本には、戦後間もないころのような高度成長期はもう訪れないという事を
国民全員が認識する必要があるのかもしれません。
しかも日本は、今後人口減少⇒高齢化社会⇒現役世代の減少⇒世代間格差の拡大と
親からの資産を元々有する「富めるもの」と親からの資産が期待できない「貧しいもの」の
極端な二極分化という事は間違いなく予想され、
数少ない富裕層と高齢世帯にだけ高額商品や金融商品といった購入を期待しての景気拡大策という事自体限界が
あるのだと思えます。
そろそろ、豊かさという事よりも 負担をどうやって公平に担当してもらうのか、どうすれば公平な配分が出来るのかに
シフトした政策を国家全体で考えるべき時なのだと思ったりもします。

日本はもはや成長国ではありません。それがスタートラインと言うか大前提なのかもしれません。

日本は成熟国の領域に入っていますしもそれは企業も地域社会も国家も大体同じ事なのかもしれません。

限られた財源をいかに公平に配分するのか 、
富める者たちからいかに不公平感を少なくして、貧しいものへと分配し、
それが結果的に「働いても怠けても収入は同じ」という社会の不公平感と閉塞感を起こさせないようにすべきなのか
そして、いかに国家の支出を削減し、国家の支出を最低限のものにとどめさせるのか
増税とか行政サービスの削減といった「負担」をいかに国民全員が納得して
受け入れさせるべきものなのか こうした矛盾に満ちた政策をどう交通整理させるのか
そろそろ真剣に考えるべき時期なのかもしれないです。

そうした事が選挙の争点とか論点にならない事こそが根本的な問題なのかもしれないですね・・

昨年、旧・統一教会問題が出てきて、旧・統一教会側が自分たちの考えを政策に反映させるために教会信者の票を
特定候補者にまとめて投票させ、それって宗教と政治の分離の原則に反するじゃん・・みたいな論調も一部にあったと
思いますけど、そうした事も国民の選挙における投票率が劇的に上がれば、
特定の政党・利益団体の利益のみに政策が反映されるという事も少なくなると思えますので、まずは私たち一人一人が
「参政権」の意識と投票行動の重要さを再認識する事がスタートラインと言えるのかもしれないです。
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当ブログの過去記事においては星新一の「殉教」・「処刑」・「はい」・「自信に満ちた生活」などを取り上げさせて
頂いた事がありますけど、
本記事において、コンピューター・人工知能が人間の将来・寿命・結婚相手・職業などまでも
管理してしまう近未来のショートショートに感覚としては近い感じの「生活維持省」という作品について
少しばかり触れてみたいと思います。

星新一の視点というか未来の予見性は、卓越したものを持っているとしか言いようが無く、
とてもこれが1960年代後半~70年代にかけて執筆されたとは思えない程、
過去から現在に対する警告・予知みたいなものにかなり富んでいると思わざるを得ないです。
星新一と言うと、近未来における宇宙人との接触みたいな作品も数多くあり、そうしたイメージのせいで星新一とは
SF的なショートショートみたいなイメージを持たれがちなのかもしれませんけど、
例えば、「はい」とか「生活維持省」などのような
近未来における政府やコンピューターによる国民の管理という事態への警告をパソコンやスーパーコンピューター・人工知能が
世間一般に知れ渡る以前から既に提示していた事は、逆に「怖い」ものすら感じてしまいます。
もしかしたら。星新一自身、1960年代あたりから何かを既に感じていたのかもしれないです。

「ボッコちゃん」の収録された「生活維持省」という作品は、「はい」とは別の意味で感覚が凍り付くような恐ろしさを内在した
作品だと思います。
確かに「はい」も「生活維持省」も大変良く似た感じのテーマを扱っていて、
どちらも近未来における人間の主体性を完全に無視した管理社会の怖さを物語っています。
「はい」においては、1960年代の作品なのですけど、作品の中で物語は2016年と設定されています。
当時としては「まだ先の未来・・・こんな未来はあったら困る・・」みたいな感覚で星新一がこの作品を
書いたかどうかは分かりませんけど、
2022年現在、この地球上で生きている私達の視点でこれらの作品を眺めてみると、
「まだ遠い未来の話なのかもしれないのだけど、マイナンバー制度とか特定秘密防止法とか状況によっては
警察による盗聴的監視が可能とかを見てしまうと、いずれこうした日々管理され、何かと窮屈な雰囲気になる世界
が到来するのも決してありえない話ではない」と感じてしまいますし、
改めて星新一の未来に対する予見の確かな目には脱帽させられるものがあります。
21生気の初めころにやたらと「IT社会の到来」という言葉が躍っていたことがありましたけど、ここ数年はIT社会を
軽く超越した人工知能のとてつもない優秀さと怖さ、可能性的に現在の人間のほとんどの職業を奪ってしまう可能性すら
秘めた人工知能は、もしかすると本当に近未来においてはコンピューターが人間を支配する事にもなりかるない
時代が本当に来るのかもしれないです。
「スター☆トゥインクルプリキュアに登場する羽衣ララの優秀なAIはどちらかというと人間味が濃厚な感じでもありましたけど、
近未来の人工知能は無機質でひたすら合理的な決済しかしないのかもしれないですルン・・

凹

「はい」という作品は近未来のコンピューターによる人類に対する管理をテーマにし、
「人の死」という本来人間の尊厳に最も関わる事ですらもコンピューターによる管理がなされている点に
ある意味怖さを感じるのですけど
それに対して、「生活維持省」の方は、政府による寿命統制というのか人口管理が公然と行われている事の悲劇と皮肉を描いた
作品です。

この「生活維持省」の概要を下記に簡単に記すと・・・

近未来―――戦争も貧困もなくなった世界が舞台となっています。
物語に登場する二人組は近未来の「生活維持省」という政府機関に属する列記とした公務員であり、
仕事に邁進する日々を過ごしています。
しかし、二人を見つめる周囲の人たちの視線は冷たく、なぜなら二人は国家から任命された公務員としての死神だからです。

二人は上司から提示されたカードを日々受取り、そのカードのリストにある家を日々訪問し、
「ある事」をしてきます・・
ある日、いつものように自然に囲まれたのどかな風景のとある家を訪れます。
二人が訪れたことを知ると、その家の奥さんは「あ・・死神」と失神します。

二人には役割があったのです・・

この「生活維持省」という世界観においては、政府の方針とは徹底した人口制限を速やかに実行し、
毎日コンピュータで年齢・性別・職業に関係なく完全に公平に選抜した者を殺処分するという事が政府の根幹的な政策であり、
二人はその業務を遂行する執行官だったのでした。

そして、その家のまだうら若き少女は二人が放った光線銃で短い生涯を閉じる事になります。

その少女の次の執行対象者は実はその二人組の内の一人だったのです。
だけどその一人は特に動揺する事も無く、「悪いね・・・君一人で帰らせることになっちゃって・・」
「こんな平和な時代にこれだけ生きられて幸せだった」と呟くシーンでこの物語は閉じられます。

感想としては「はい」よりは後味は思いっきり悪いです。

「はい」の場合は、どこかしらありえない未来の寓話みたいな雰囲気も幾分漂ってはいるのですけど
「生活防衛省」の場合は、政府による人間の寿命を管理しているという事もあるのですけど
決してありえない話ではないという感じがするのがその一因なのかもしれないです。
それに近いような事は、例えとしてはあまり良くないでけど。
例えばナチスによるユダヤ人大虐殺とかソ連のスターリンによる大量粛清などに代表されるように
人が人の死を粛清という名のもとに行ってきて事も確かにあります。
それらは確かに戦時中という言わば特殊な背景があったのかもしれませんけど、
近未来においては、平時においてもこうした政府による一種の人口統制が行われてしまう可能性が
全くゼロではないと思わせてしまう辺りが管理国家としての怖さを感じさせてくれていると思います。

星新一がこの作品を書きあげたのは1960年代から70年代初めだったと思いますが、興味深いと感じたのは、
当時の星新一の視点から眺めてみると、
世界秩序崩壊とか公害・財政破綻・戦争等の主要因の一つを世界人口の爆発的増加として捉えている点だと思います。
現在でしたら、「世の中金さえあれば何でもできる」といったモラルの低下の方をあげたくなりそうです。

星新一がこの作品を描いていた頃の世界人口は、私が1980年代初めに受けた中学の授業では
世界人口は約45億と習った記憶があるのですけど、2021年現在の世界の人口は約76億に達しています。
世界中においては、毎年6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれます。
そしてその間にもどんどん貧富の拡大、地球温暖化などが進行し、問題は山積みです。
石油の枯渇が近づき、表土と森が失われています。
水と食料が、病院と学校が不足しています。
人間の豊かな生活が、太陽と地球からの恵みを超えそうな勢いといっても過言ではないと思います。

そうした観点では世界の人口増加は人類にとって早急に取り組まないといけない課題の一つだと思います。

ユートピア論的に言ってしまうと、富める国が貧しい国に対して手を差し伸べ、
「地球の資源は全て平等、誰か一人のものでもないし、特定の国家の所有物でも無い」という意識を
全人類が共有理念として持ち、「お互いに分かち合う」という事を徹底し、
各国家が責任をもってその国の人口を増えもせず減りもせずという方向に持っていきましょうという事を遵守出来れば
何の苦労も無いのですけど、それが歴史上全く出来ない事に人類の無能さが垣間見え、
過去の歴史の教訓が全く生かされないいつまでたっても進化できない愚かさがあると思います。

星新一の「生活維持省」の場合、人口増加を悪の根源として捉えている面もあると思いますが、
そうした人口増加の対処方法として、人間が人間の寿命を管理コントロールし、本来は神の領域なのかもしれない人口管理
という問題を人間が当事者として行っている事の矛盾を激しく問うているようにも感じらます。

確かに主人公の二人組が言うように、
「こうした静かな環境・・豊かな生活を維持するには適正人口の維持が必要不可欠」と言うのは分かります・・・
それを人間が人間に対して行うというのは果たしていかがなものでしょうか・・
これは何となくですけど、人間が踏み越えてはいけない領域のような気がします。
それが出来るものは「神のみぞ」と言いたい所ですけど、この言葉は精神的無神論者が多い日本人にはあまり合わない
ワードなのかもしれないです。
人工知能や政府機関が人口統制というか人の死すらも管理してしまう未来と言うものは相当恐ろしいものがありそうです。
人を人たらしめているものは「主体性」に他ならず、「私はこうしたい!」という気持ちなのだと思います。
例え結果的にうまくいかなかったにせよ、「その行為を決断したのは私自身なのだ!」という自由な決断が、その主体性こそが
人間」なのかもしれないです。
人の死は確かに避けては通れませんし、人は必ずいつかは死ぬものです。
だけどそれを人工知能や政府機関が勝手に決めてしまう未来が本当にあるとするならば、
そうした未来は決してバラ色とは言えないのかもしれないです・・

もっとも星新一がこうしたショートショートを書いた約50年後の日本は、人口減少という問題に直面していますし、
同時に「超高齢化社会」に既に突入しています。
星新一はその作品の中で何度か人口増加を結構テーマにしていますけど、超高齢化社会はほとんどネタにしていなかった
ような気もします。
星新一自身もここまでそうした少子高齢化社会が短期間で進むとはさすがに予見は出来なかったのかもしれないです・・
2013年春アニメの中でも全然知名度がない極めてマイナーアニメなのですけど、
「絶対防衛レヴィアタン」という作品がリアルタイムでの放映時からツボに入っていて今でも大好きな作品です。

魔法少女系に付きものの熱い友情・派手な戦闘シーン・ピンチの時に生ずる新たなアイテムと魔法の力という要素は
極めて少ないですけど、そのゆるさ・かわいらしさがこのアニメの魅力なのだと思います。
2013年4~6月にテレビ東京系で土曜23:30から放映されていましたけど、
リアルタイムで見ていた時からとにかく大好きでしたし、同年の7月~9月の深夜枠でも再放送されていて、
この再放送時でも楽しく見ていました。
(再放送時には、焚火劇場ミニというトークコーナーもあったのがすてきでしたし、このトークはDVD最終巻に
収録されていました)
世間的には、ほとんど認知評価されていない作品なのでしょうけど、私は今でも大好きな作品です。
主人公のレヴィアタン役の声優さんが私が大好きな早見沙織さんというのも大変ポイントが高いと思います!

このアニメ、元々はグリーのゲームなのですけど、主人公レヴィアタンは、笑顔を忘れた・無口・滅多に笑わないけど
心の中で爆笑している事もあるというのがグリーのゲーム上の設定です。
ゲームのデザイン画としては、レヴィアタンも含めて他の2人も比較的大人っぽいタッチで描かれていて、これだけを見てしまうと
「レヴィアタンは笑顔を忘れた女の子なんだなぁ・・」と思ってしまいます。
アニメでは、レヴィアタンも含めて全員子供っぽい雰囲気が強調されていますので、私としてはゲーム版よりは
アニメ版の方が断然魅力的に感じます。
またアニメ版のレヴィアタンは、バハムート・ヨルムンガンドよりは喜怒哀楽を出さないけど
微笑んだり、普通に笑ったり怒ったりするシーンが結構あり、その笑顔がたまらなく可愛いと思いますし、あの笑顔は素敵でした!

物語のメインキャラは3人構成なのですけど
知的で物静かなレヴィアタン
じゃじゃ馬系のわがままお嬢様、バハムート
天然の心優しい怪力娘のヨルムンガンドという構成もバランスが取れているのもこの作品の素敵な点だと思います。

「絶対防衛レヴィアタン」の特徴は、タイトルが示唆する通り
「何かを守りたい・・・」
「あなたにとって大切なものとは何・・・??」
「大切なものを守るためにはどうすればよいのか」というテーマが一貫して守られている点なのだと思います。
「守る事」をメインテーマにしていますので、派手な戦闘シーンもそれほど多くはありませんでしたし、
「防衛」に主眼を置いた今どきとしては珍しいアニメでもあるので、
そこにほのぼのさ・多少のゆるさ・レヴィアタンの可愛さとも結びついてたまらない魅力を発揮したと思います。

そうそう、この「絶対防衛レヴィアタン」の世界観の一つとして、レヴィアタン達が暮らす惑星下においては
既に魔法というものは定着していて、人々も普通に魔法に接していることも特筆すべき点だとも思います。
それゆえアニメの中では一般人が妖精」を見ても特に驚く事はありませんので、
妖精や魔法の存在をくひたすら隠す「プリキュア」の世界観とは少し違うものがあったりもすると思います。
特に興味深いのは、魔法というものを使えるのが女の子に限られているという事です。
だから、当然一般人の男どもは魔法を使う事は出来ません。
これはとても面白い設定だと思います。
「魔法を使えるのは女の子だけ」というのは、何だかプリキュアシリーズの
「女の子は誰でもプリキュアになれる」という世界観と近いような感じもありますし、
この「世界と惑星を守るのは女の子!!」という設定がとっても大好きです。
やっぱり世界を守るのはヒーローではなくて「ヒロイン」の方がお似合いだと思いますルンッ~♪

「守りたい人や守りたいもの」を防衛したいという事を終始一貫したテーマとして扱い、
過激に相手に対する攻撃を控えている点は
最近のアニメとしては、一線を画すものであり、もっと高く評価されて然るべき作品かなと思っています。


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私が「絶対防衛レヴィアタン」のどんな点に魅かれるのかというと、
あのゆるさ・可愛さ・ほのぼさもそうなのですけど、魔法少女系に付き物の過剰な戦闘シーンとか、
インフレ状態になりがちな主人公たちの過度なパワーアップが控えめであるとか
敵との戦闘シーンとか「やっつける」という概念よりは、
物語の根底にある「自分たちにとって大切なものを守っていく、防衛していく・・」という「守り」の姿勢に焦点を当てて、
敵を撃破するという発想ではなくて、本当に大切なものをいかに守っていくかという事を
クローズアップしている事が、大変新鮮に感じたりもしていたものでした。

話は変わるのですが、
私自身、バブル期の社会人デビュー、そしてバブル崩壊と長期間の不景気、
そして通算三度に渡る勤務していた会社の破綻と倒産、解散(うち2社は上場企業)を経験しましたし、
その後において、中小企業、ベンチャー企業とある意味多彩な勤務経験をさせて頂く事が出来ましたけど、
その中で強く感じることがあります。
「どうして経営者というものは、己の会社を大きくする事ばかり考え、
ひたすら売り上げ増という量の拡大ばかりを目指すのか・・・
なぜ会社を守るというか維持する事を考えないのか・・・
なぜひたすら毎年毎年、前年比いくら売り上げが伸びたのかという事しか考えないのか・・」という事です。
今後の世界全体の不安定化・高齢化・隣国との関係の不安定化、人口減少、
若者の購買意欲低下という事が原因である「パイの縮小化」が簡単に予想できるのに、
なぜ相変わらず量の拡大ばかり追い続けるのか、
「会社・社員、ひいては国民を守る」という発想がどうして起きないものなのでしょうか・・?
そんなら日本と言う狭い国土に囚われずに
海外へ打ってでればいいじゃんという発想も確かに一理あります。
だけど、海外へ出る=様々な余計な苦労をしょい込むという事を想定すると
それが本当にベストな選択なのかな・・?とも感じてしまいます。
ましてや今年度一年間世界各地で猛威を振るい、まだそのワクチンすらも確立はされていないという状況下においては、
ひたすら業務拡大だけを目指す現代資本主義自体が一つの限界を迎えているようにも感じたりもします。

狭い国土を有効に活用しつつ、何か国民全体の幸せを守るという事が何か出来ないものですかね・・

「絶対防衛レヴィアタン」の「防衛」とか「守る」というメインテーマに触れてみると、なぜか上記みたいな事を
当時も今もふと感じる事は多々あったりもしたものでした。

このアニメの冒頭のナレーションでは、何度か
「一つのリンゴを分け合う民は祝福され、次の果実へと導かれ
一つのリンゴを分け合えぬ民は裁かれ、やがて無に帰すであろう・・・」

というのが流されていましたけど
これは中々印象的な語りだったと思います。

この言葉の本質は、ハピネスチャージプリキュアにおいて一年間かけて主人公のめぐみたちが学んできたこと、すなわち、
「幸せは皆で共有するもの」なのだと思います。
今現在において、全世界、地球上で起きている様々な問題点(特に貧富の格差の拡大)は、理想論で語ってしまうと
上記の「リンゴの理屈」でほとんどの部分が解決できるような感じもしたりもします。

それが出来ないのはなぜなのでしょうか・・?

「国家」という概念に囚われすぎているせいなのか・・・

自国のみの「利益」だけに囚われすぎているせいなのか・・・

国内の一部のほんの一握りの「富裕層」の考えのみが国家の考えになってしまっているせいなのか・・・

それは正直よく分かりません。

だけど、ハピネスチャージプリキュアのめぐみがふと漏らしたように
「世界中の人たち全員が(幻影帝国を含めて)ハッピーになれればいいのに・・・」という考えの下、
世界中の資源・お金の流通・食糧などを一元管理し、
全員の人達に「ある程度の生活」が出来るような保証が出来れば
現在のような世界各国で起きている様々な紛争なんかはある程度は未然に防止できるはずだと思ったりもしますけど、
それを実際に実現化すると「ベイシックインカム」における絶対的平等における不平等の問題とか財源等の
問題もあり、それがなかなかできないから世界にはいつまでたっても皆が共通して実感できる幸福感とか平和が
現実のものにならないのですよね・

何というのかな・・・・

地球上に存在するいかなるモノは、特定の国家・個人のものではない・・・みんなのものみたいな価値観が
地球の民全員に共有できれば
それだけで大部変わってくるようにも思えたりもします。
(それは究極の理想論というのはよく分かってはおります・・汗・・)

それが出来ないのは、複雑に絡み合った「利害関係」の為せる業なのかもしれないですけどね・・

今後の日本には、戦後間もないころのような「高度成長期」はもう訪れないという事を
国民全員が認識する必要があるのかもしれません。
しかも日本は、今後人口減少⇒高齢化社会⇒現役世代の減少⇒世代間格差の拡大と
親からの資産を元々有する「富めるもの」と親からの資産が期待できない「貧しいもの」の
極端な二極分化という事は間違いなく予想され、
数少ない富裕層と高齢世帯にだ「購入を期待しての景気拡大策という事自体限界があるのだと思えます。
そろそろ、豊かさという事よりも
負担をどうやって公平に担当してもらうのか、どうすれば公平な配分が出来るのかに
シフトした政策を国家全体で考えるべき時なのだと思ったりもします。

日本はもはや成長国ではありません。それがスタートラインと言うか大前提なのかもしれません。

日本は成熟国の領域に入っていますしもそれは企業も地域社会も国家も大体同じ事なのかもしれません。

限られた財源」をいかに公平に配分するのか 、
富める者たちからいかに不公平感を少なくして、貧しいものへと分配し、
それが結果的に「働いても怠けても収入は同じ」という社会の不公平感と閉塞感を起こさせないようにすべきなのか
そして、いかに国家の「支出」を削減し、国家の支出を最低限のものにとどめさせるのか
増税とか行政サービスの削減といった「負担」をいかに国民全員が納得して
受け入れさせるべきものなのか こうした矛盾に満ちた政策をどう交通整理させるのか
そろそろ真剣に考えるべき時期なのかもしれないですね。

そうした事が選挙の争点とか論点にならない事こそが根本的な問題なのかもしれないですね・・
本日より消費税が5%から8%に増税されました。
恐らくは、3/31⇒4/1に日付が変更される際は、多くの小売店・飲食業店等で
大混乱があったのかもしれません。

本日は仕事は休みで、午後何気なく外に出てみると
昨日までは買い置き・駆け込みで大変な混雑ぶりだったスーパー・ドラッグストア等は
閑古鳥の状態・・・
ちなみにウェルシアでは、トイレットペーパーはいまだに在庫切れでした・・・

全体的な印象としては
「何だか知らないうちに物価が上がった」という感じです。
感覚としては全ての商品が10円程度値上がりしたという感じです。
というのも、今までは価格+消費税の税込金額表示だったのが、
増税以降は、税抜価格で表記されることが多いので、
いざレジでの支払い時に
「あれ、こんなに買ったのかな・・?」という錯覚も感じる程です。
でも一番増税を意識した瞬間は、
100円ショップで、今まで105円だった商品が全て108円になっていた時でした・・・

8%の消費税といっても実はヨーロッパ諸国に比べると税率は
日本はこれでも相当低く抑えられていて、
現代の日本の巨大な財政赤字を考えると、
日本国民が等しく痛みを分かち合う消費税増税はある意味仕方が無いと思っています。
恐らくは、「このままではいずれ国家破綻するかも・・」と国民も考えているのかもしれません。
だからこそ、2012年と昨年の選挙で「消費税増税」を示唆した自民党でも圧勝出来たのだと
思います。
だけど、一番の問題は、果たして増税分が果たして本当に適切に使われているのか
誰も分かっていない事だと思います。
例えば、増税分全てを子育て支援対策とか少子化対策とか介護関係に廻すという事ならば
ほとんどの方は増税は仕方が無いと言うのかもしれません。
だけど、その増税分が何に使われるのか、
本当に役立つ使われ方をされているのか、
いわゆる無駄遣い公共事業投資に流用されていないか
誰もチェックできないし、確認できない点が問題なのだと思います。
実際、今回の増税で、
この日本の出鱈目な財政赤字の問題が解決できる訳でも何でもありませんし、
むしろ、ますます未来の子孫に対して「財政問題」の先送りを押し付けたという事にも
なりかねません。

本当に怖いのは、この増税分が結果的に
財政赤字縮小にも繋がらないし
少子高齢化社会と言う日本が一番取り組むべき問題にほとんど予算として使われず
最終的に国民全体の疲労感・閉塞感だけを残してしまい
未来に対する希望が失われてしまう事なのだと思います。

消費税増税はある意味仕方が無い。
だけど使われ方は、特定の分野に絞って欲しいし効率を重視して欲しい。
何よりもこのべらぼうな「財政赤字」に何らかの方向性を示さないと
この国自体がいずれ「破綻」の道を歩むような恐れがあり、
それが非常に恐ろしいものがあります・・・
だって、今はいいけど、
いずれ世界各国が日本の財政問題に危機感を感じ、国債の長期金利が跳ね上がった瞬間に
最悪の場合、国家破綻というか、
国家が「債務不履行」という選択肢を選ばざるを得ない可能性もありますし、
それを回避させるために、
政策主導による破滅的超インフレ社会の到来という可能性も十分にありますからね・・・

今の日本は、外交・防衛以前に自国で直ちにやるべきことはあるのではないのかな・・・??
それが ①財政問題 ②少子高齢化対策なのだと
思うのですけどね・・・

期日前投票

2001年以降は、仕事が平日休みで日曜日に投票所に行くことが事実上不可能のため、
最近では、日曜日に学校・公民館等での投票に行ったことは
ありません。
ほとんど全て期日前投票で済ませています。

7/21の参議院選挙も、当日は仕事のため
選挙に行くことが出来ませんので、今回も期日前投票に行ってきました。

しかし・・・・

例えば2009年の「政権交代」をメインテーマにした衆議院選挙や
昨年暮れの衆議院選挙の時の期日前投票と異なり、
(勿論、たまたまなのかもしれないのですが)
今回の期日前投票はガラガラで、
5分程度そこにいたのですけど、自分以外で期日前投票に来た人の姿を見かけることは
ありませんでした・・・
2009年とか昨年の期日前投票なんて、結構混んでいて
受付に行くまでで既に行列が出来ていて、到着してから実際に投票を済ませるまで
20程度かかったことを考えると
今回の参院選挙は全体的に関心度が低いのかもしれませんよね。

本来これではいけないのだけど・・・

〇面倒くさい・・・

〇とりあえず景気は上向きなんだからそれでいいんじゃないの・・

〇特に大きな争点はないしね

〇衆参のねじれはもうこりごり

というのが大体の人の本音なのかな・・・??

衆参にねじれが発生して、決めるべきことがなかなか決められない停滞も困るし
かといって大政党の政権与党の暴走のチェックはやはり必要
でも、これまでのような二大政党の足の引っ張り合いはもっと嫌
だけどこれといって投票したい政党は、今の日本には存在しない・・・
どうすれよいのかわからないし、方向性も全然見えてこない・・

この辺りが今の日本人の大体の感想であり、
今一つ参院選挙が盛り上がらない理由なのかもしれませんよね。
2008年の年末頃、「派遣村」に代表される格差社会に対する社会的な反発な声が
起きた時期もありました。
だけど、現在では一時的な株高・一時的な好景気の幻想により、そうした底辺社会の声なき声が
消されていっているような気もします。

だけど、それで本当に良いのでしょうか?

現在の一時的な好景気の後に待っているものは、
極端に資産・金を持っている「富める者」と資産・金を持てない「貧しい者」の
極端な二極分化社会だと予想されます。
今現在は確かに良いのかもしれませんけど、やがて財政赤字がどうにもならない所まで
拡大し、世界の金融市場やハゲタカファンドから「日本売り」が始まった瞬間に
年金大幅カット・行政サービス大幅低下・均一教育水準維持の困難・医療費カットと言った事が
待ち構えているのです。
危惧するのは、30代から40代の現在の現役世代が、定年を迎える頃に、
年金支給開始の大幅ずれ込み・年金大幅カットが実行され、高齢者の職と賃金が確保されない時に
「高齢者自己破産」が社会に蔓延してしまう事なのです。
これって、決して非現実的な話ではないと予想します。
かなりの確率で起こり得る「近未来の現実」の話だと考えています。

結局今何をすべきかというと、
別に金融緩和でもないし、一時的に株高と好景気を演出する事ではありません。
一時的な好景気を維持している間に、成長戦略を具体化するというのが、現在の政府の
考え方なのかもしれませんけど、
それが出来ないから「失われた20年」から脱却できないのです。
それに、日本の硬直した規制社会や自分達の利権だけを守る経済界と官僚の下では、
成長戦略の為の規制緩和を主張しても、いくらでも骨抜きにされて、
結局は「成長戦略」・「規制緩和」なんて夢物語にすぎなくなるのです。

そんな事は誰もが予想できてしまうと思うのです。

こうした二極分化社会を防止し、ある程度の国民全体が一定の生活水準を維持するには
ホント、どうすれば良いのでしょうか?

要は、虫が良い話かもしれませんが、国家の財政赤字を削減化しつつ、国民全体に一定のお金が
潤滑する仕組みを構築するという事ですけど・・・

大きな枠組みでとらえると・・・

1.国営企業の育成

 たった一つの分野で構わないので、何か特殊な技術を確立させ、商品化し、
 それを国家が全て一元管理し、世界へその特殊技術とその商品を輸出し、その利益でもって
 財政赤字を削減させる。

2.消費税の10~15%化

3.ベーシックインカムの発想かもしれませんが、年収制限を一つの条件にした上で、
 一律国民一人一人に月間10~12万円程度を支給し、夫婦二人+子供一人ならば、月間30万程度の
 収入を保証させる。
 その代わり、年金・医療費・失業保険・生活保護・介護保険などは全て廃止とする。
 現在年金保険機構が管理している保険料は、一旦現役世代に掛けた分程度を返還させる。
 このシステムで最低生活水準は堅守させる。

4.上記だけだと「働かなくても食べていける社会」になってしまい、労働意欲低下・モラル低下を
  招くので、その方策として、①低学年から、「働かざる者食うべからず」の道徳を教え込む
  ②CP社会(チェック&パトロール)と言って、日常的に一定エリアを監視・民民介入が出来る
  システムを構築し、そのパトロール隊を強制的に「働こうとしない人達」に充当させる。
  ③一律支給額の他に働いた分はプラスαの収入になるので、より生活を楽しみたい人は
  稼げば稼ぐほど自分達の生活がより一層レベルが上がる。
  の方策を実施する。

5.「お金は天下の廻りもの」・「お金はあの世に持っていけない」・「内部留保や貯蓄に廻すのではなく、
  お金は使ってナンボ」というスローガンの下、
  企業の内部留保に対する課税・相続課税の強化、場合によっては金融資産への課税を強化し、
  財源の一つとする。

6.上記のCP社会のパトロール者に対する報酬及び地方財源として、消費税の他に、
  一人当たり月間一万円の負担金を支払う。

つまり、一言で言うと、「高負担一定水準の生活維持」・「強制的にお金を世の中に廻す」・
「昭和40年代あたりの国民総中流」という
事なのだと思います。
勿論、色々な矛盾や調整すべき課題は相当多いと思いますが、漠然とこうした大枠での捉え方は
いかがなものなのでしょうかね・・・
相当の暴論かな・・・??
現在進行形ですが、最近の行き過ぎとも感じられる株高・円安基調には危惧の念を持って
見ています。
今はいいけど、これは後で強烈な副作用が待っていそうな予感が漂います。
それに大体、これだけ訳の分からん「マネー」とか「市場メカニズム」とか「ファンド」が
国際金融を牛耳っている中で、日本一国だけが恩恵を受けるという今の体制がどれだけ世界各国が
認めてくれるかと言うと、甚だ疑問の余地があります。
金融部門で打てる手は打っておいたから、後は二の矢・三の矢をうまく的中させて
成長産業をどうやって育成していくのか、規制緩和をどう進めていくのか、日本の経済と社会が
うまくいく方法をどうやって確立させていくのか、
株高・円安基調が続き、瞬間的に経済が持ち直したように思える1~2年程度の短期間の間に
政府がうまく考えておけというのが、現在の場当たり的な取り急ぎの施策なのかもしれません。

しかし、その「それから後の政策」がまるで見えていないのは不思議な事です。
恐らくは、これまでと何ら変わらず
「それでは日本社会の未来をどのような方向に進めていくのか」という事を誰しもが決められず
国民に提示させる事が出来ないような状況が今後も続いていくと
予想されます。

今後の日本の社会をどうした方向に進めていくのかというのはとても大事な事で、勿論目先の景気回復も
必要なのかもしれませんが、今後どうするべきなのかという方向性を示さない限りは
いつまでたっても日本は停滞が続くと思っています。

それではどのような方向に進めていくべきなのでしょうか?

私自身、社会人になって最初の15年間は金融機関に勤め、破綻後は住宅メーカーに勤め、その解散後は
中小企業に3社在籍していました。
(あくまで個人的な事ですが、在籍企業が全て破綻・解散しているのが自分でも恐ろしい・・)
この間に感じた事は、今現在在籍している会社も含めて、大中小に関わらず、ほとんどの経営者というものは、
ひたすら企業の規模拡大と売り上げ拡大だけを考えているのだなーという事です。
勿論資本社会主義下において、これはごく当たり前の考え方なのかもしれませんが、
これほど成熟社会・高齢化社会・人口減少を考えると、こうした考え方時代
とうの昔に時代遅れになっているのかもしれません。
むしろ、現在は量よりも質の問題、
「どうやって現状を維持していくのか」
「どうすれば売上を伸ばさなくても利益を出せるのか」を
考えた方が良いのかもしれません。
日本社会は完全に成熟社会で、これ以上の成長性や発展はあまり期待しない方が良いのかもしれません。
よく学者やテレビコメンテーターの中には、
「それならば外国からの移民を積極的に受け入れれればいいじゃん」とか言う人がいますが、
ここは各種の国家と国境を接していて歴史的に他国と日常的に接触があったヨーロッパではありません。
あくまで島国日本なのです。
残念ながら、日本には他国民を受け入れるという伝統や許容性はないと思った方がいいと思うのです。
だから下手に移民を受け入れてしまうと、
かえって国内の紛争を招く危険性すらあります。

だから量の拡大という時代は既に終わっているのだと思います。
今後は、成熟した社会の中で、特定の富裕層・大企業だけにお金が廻るシステムを
根本から変える必要がどうしてもあると思うのです。
派手に「金融緩和」なんて行っても、結局は特定の資本・特定の大企業・特定の富裕層に
メリットがあるだけで結局は、国民全体に恩恵がある訳でもなんでもない・・・
そうした愚策をやるならば、
余程、大企業が抱えている100兆円とも言われる「内部留保」を社会に吐き出させたり、
富裕層への資産課税を強化した方が余程いいと思います。

昔からのことわざが示唆する通り、
「お金は天下の廻りもの」
「お金はあの世に持っていけない」なのです。

特定の大企業・富裕層だけにお金が廻るシステムは何とかしないといけない。
同時にこれだけ「社会保障費」にお金がかかり過ぎる社会も改めないといけない。
そして、誰しもがある程度納得する「配分と負担」を実施しなければいけない。
ホント、難しいかじ取りが求められます。
だからこそ、
一定の年収以下の人達には一律に月間10万円程度の給付を行う代わりに
それ以外の収入には30~50%程度の課税を課すとか
年金制度・失業保険・生活保護等は全廃とか、
消費税を20%程度にするとか
CP社会【失業者・高齢者に地域パトロールをして貰い、彼らの報酬は、税金とは別の
    地方税を財源とする】
「働かざる者食うべからず」を徹底すべく、一律10万円の給付があったとしても社会に奉仕する為の
労働という考え方を幼児期から学校で教え込むなどの道徳・規律・社会マナーの徹底を狙った学校教育の見直し
などの
公正な配分と負担を今から真剣に考える必要があるのではないかと
思います。
最近は昨年に比べると景気の良し話がポンポン聞こえてきますね。
株とか高級マンションの販売好調とか金の高騰とか・・・
だけどこれはあくまで一時的な現象で同時にその恩恵を受けるのは、ほんの一部の富裕層と
大企業に勤める人達のみ・・・
しかも、こうした見せかけの好景気らしきものは、あくまで「財政出動」という名の下の
「借金」で賄われているものに過ぎません。
この借金は、いずれ膨大な累積財政赤字として、私達の生活に、そして何よりも未来の日本の
子孫たちにツケを廻しているにすぎないのです。
確かに現政権は、前政権のあまりの体たらく・日本経済の地位低下の少しでも地位奪還を
図るためには、やむを得ない政策だと思います。
だけど、問題は一時的に好景気を人工的に作り出した後の展開なのです。

それを今後どうすべきなのか、日本という国を今後どのような方向に導いていくべきなのか
そろそろこちらの議論を深めていく必要に
あると思われます。

その大前提として、今後日本には、戦後間もないころのような「高度成長期」はもう訪れない
という事を全員が認識する必要があると思います。
しかも日本は、今後人口減少⇒高齢化社会⇒現役世代の減少⇒世代間格差の拡大と
親からの資産を元々有する「富めるもの」と親からの資産が期待できない「貧しいもの」の
極端な二極分化という事は間違いなく予想され、
いつまでも数少ない富裕層と高齢世帯にだけ「購入」を期待しての景気拡大策という事は
出来ないのだと思います。
そろそろ、「豊かさ」という事よりも
「負担」をどうやって公平に担当してもらうのか
どうすれば「公平」な配分が出来るのかに
シフトした政策を国家全体で考えるべき時なのだと思います。

日本はもはや「成長国」ではない。

同時に日本は「成熟国」の領域に入っている。

それは企業も地域社会も国家も大体同じ事。

数少ない「収入」をいかに公平に配分するのか
富める者たちからいかに不公平感を少なくして、貧しいものへと分配し、
それが結果的に「働いても怠けても収入は同じ」という社会の不公平感と閉塞感を
起こさせないようにすべきなのか
そして、いかに国家の「支出」を削減し、国家の支出を最低限のものにとどめさせるのか
増税とか行政サービスの削減といった「負担」をいかに国民全員が納得して
受け入れさせるべきものなのか
こうした矛盾に満ちた政策をどう交通整理させるのか

そろそろ真剣に考えるべき時なのだと思います。

そのためにも・・・

1.年金・生活保護・失業保険などのセーフティーネットを完全に一元化させ、
  富裕層を除く国民全体に、一人一律毎月10万円を支給し、最低限の生活を
  保証させ、「最低でも食べてはいける」という安心感を持って貰う

2.富裕層からの課税強化~相続税の大幅見直し
  ⇒基本的に「お金は天下の廻りもの、お金はあの世に持っていけない」事を
   現世で徹底させる

3.消費税は当面維持(10%程度)

4.最低保証金があるが、それ以上の収入に対しては、プラスαとして考え、
 現行よりも大幅に所得税を課税

5.CP社会(チェック&パトロール)

 仕事がない人・一律支給金を貰ってもそれ以上勤労意欲がない人などには、
 地域の「見守り」と「防犯」と「声掛け社会」の観点から
 地域内定期巡回という仕事を請け負ってもらう

6.株式はあくまで「投資」であり、利益確保の為の短期保有・短期売買は厳禁

などを真剣に検討しても良いのではと思います。
現在の株価や輸出関連企業・大手小売などは結構景気の良い言葉が並び
久しくこうした状況がなかっただけに、
それはそれで嬉しく感じます。

だけど、本当にそれで良いのでしょうか?

確かに株価は相当程度高騰していますが、株価上昇の恩恵を受けられるのも
ほんの一部の投資家と富裕層です。
又、賃金上昇とか一時金アップの恩恵を受けられるのも、今の所ほんの一握りの
運の良い方ばかりです。

今はいいけど、先行きは相当不透明という事は皆様は本当に理解しているのでしょうか?
戦争・紛争・EU等での金融不安・災害など一つの事案がきっかけで、世界各国が連鎖反応で
金融不安⇒景気後退の可能性が高いという事は
最近10年程の世界情勢の変動で、ほとんどの人は学習済だと思うのですが・・・

日本だって、今この瞬間はいいかもしれませんけど、
根本的な問題は何も解決していない・・・
人口減少・高齢化社会・地域の衰退・日本経済を牽引できる成長著しい産業の少なさ
教育とモラルの荒廃・何よりも未来に赤字を垂れ流す危機的な財政問題・・
そして、日本は、2014年から消費税など諸々の分野で負担が増えるだけで
収入が増える見込みは全然立っていないのです。

ホント、どうすれば良いか皆で考えるべき時です。

未来に対して債務だけを残すことは許されませんし、そろそろ根本的な解決策を
全員で考えるべき時期です。

管理社会

「管理社会」というとあまり良いイメージが無いのは確かです。
何か日々監視されている、プライヴァシーが侵害される、情報漏洩が怖いなど
色々と問題点、解決すべき点はあると思います。

先日の閣議で「マイナンバー制度」(国民総背番号制度の導入が決定されましたが、
これは非常に良い事だと思います。
むしろ遅すぎたくらい・・・

自分が考えている「管理社会」とは実はもう少しそれを徹底させたものです。


国民一人一人に「登録番号」を生まれた時から持って貰い、
ここに「一元管理」と言う形で、

〇家族構成

〇学歴と学生時代の成績や学習態度の把握

〇全ての収入の把握と納税状況

〇これまでの懲罰関係の有無・CP活動における近隣との問題行動の有無

〇選挙・国民投票なとにきちんと行っているのか

〇資産状況~貯金・株式・土地など全ての資産を把握

などほぼすべての項目についてデーターを登録し管理するものです。

そもそもこれのメリットとは何なのでしょうか?

それは、CP社会においては、
一定の収入の保証がある代わりに、こうした最低限の生活を楽しむ権利を与える代わりに
「義務」は必ず果たして頂く、その前提としてあるのが
「管理社会」なのです。

例えば、働かなくても「一人一律毎月10万円程度」の収入を与え、それ以上の収入に対しては、
税率30~50%以上を課し、
失業者・勤労意欲はあっても中々働き口がない人・次のステップへ行くために、働きながら学習を
したい人のための「CP活動」(毎日一定エリアをチェック&パトロール巡回し、地域の防犯活動・見回り・
秩序維持・民事介入による紛争事前防止に貢献し、地域の住民が一律に例えば一ヶ月1万円以上の
CP維持費を支払い、CP要員の給与などの維持管理費に充当)を軌道に乗せるためには、
国民一人一人の正確な収入を把握し、
ある人にはどの程度の金融資産課税をし、
相続人には、どの程度の相続税を課したらよいのか、
勤労意欲はあるのに、職がない人の把握など
正確な情報収集と実態把握は必要不可欠だからです。

そもそも管理社会と言うものは、別に国民の自由を奪うのが目的であったり、
結果的に自由を奪うためのものでは全くの無意味なものになってしまいます。
そういうものではなくて、本来は、国民一人一人が最低限の生活を保証され、
安心感を持って生きる事が出来、将来の生活に不安感を持つことがないようするために
必要な制度が「管理社会」というものだと思います。

年金・失業保険・生活保護などの社会保険の一元化
        +
現役世帯にも最低限の生活を保証
        ↓
年金給付・社会保険などの歳出が減るが、それでも相当の「歳出」が伴う
        ↓
「管理社会」によって、国民一人一人の資産状況・収入を把握する事で
 収入・資産がある人に対しては、相応の負担をして頂く。
        +
CP社会(地域のチェック&パトロール活動による秩序の維持と雇用確保という二つのメリットの享受)

その代わりに、この社会の「義務」として
懲罰は徹底され、ルール違反者・税金逃れ・収入隠匿などは相当の重刑と財産没収が
課せられます。

要は「管理社会」と言っても、ルールさえ守れば別に怖くも何ともない制度であり、
国民の最低限の生活保証を維持するためにベストではないけど、次善的なものとしての制度という
側面もあると思います。
皆がある程度公平に一定の水準の生活を営むにはどうすれば良いのか?
かつてのソ連の共産主義体制のように、
「働いても働かなくても適当に動いていれば、ある程度の収入は保証される」という感じでは
国民の倫理観が麻痺し、国全体に停滞感が蔓延してしまうのでは困る・・
独裁国家・管理国家のように、権力をあまりにも特定のエリート層だけに集中させてしまうと、
国民の自由・文化を奪ってしまう結果にもなってしまう・・・

歴史が証明する通り、いまだかつて人類は
「人類全体がある程度の一定水準の生活を享受するシステム」を構築出来ていません。
いまだに暗中模索の状態です。

考え方としては、
まず一国一国が自国内で、自国の事情・慣習・伝統・歴史に基づいて
それぞれの立場でその国内で、国民全体が一定の水準の生活を享受する方法を考えるべきだと
思います。
その上で、それがうまく軌道に乗り出したら、地域連合→世界統一政府という流れに
なっていくのが、大雑把な見方ですが望ましい方向性だと考えます。
その意味では、まだ現時点は、一国一国で考えるべき段階なのだと思います。

それでは、まず日本国内に絞ってみるといかがすれば宜しいのでしょうか?

結論としては、高負担・ある程度一定の水準の生活維持という方向性が
最も適切のような感じがいたします。
例えば年収1000万以下の層には、一人一律毎月10万円の給付を行い、最低限度の生活水準維持という
保証と安心感を与え、それ以上豊かな生活を送りたいならば、もう少し働いて稼ぎなさい、
但し、給与から最低30%程度の税金は徴収します・・・という基本構造にするだけでも
大分人々の意識変化は生ずると思います。

ある人は「月々10万もらえるならばそれで十分」という人もいるでしょうし。
別の人は、「月10万+自分が頑張って稼いだ分を+アルファとして使いたい」という人も
いるでしよう。
それでいいと思うのです。
それを決めるのは個人個人の自由意思なのだから。

そして、月々10万だけで満足している人達にも強制的に働いてもらい、同時に地域安全と秩序維持に
貢献してもらうというのが「CP社会体制」という訳なのです。

月々10万円自動的に給付という代わりに、現在の失業保険・生活保護・老後の年金は全て
廃止です。
それだけでも相当の公務員削減が期待できると思います。
現在社会問題・財政問題の根本的原因が「増大する社会保険」というならば、
その給付と負担の世代間対立を根本的に解消する方策としても、この制度は決して悪くはないと
思います。

その一方で、「国策」として、国家プロジェクト=国営企業と言う形で
何か一つ、世界でまだ手が付けられていない分野に集中的に投資・研究を行い、
日本発世界に向けて画期的な商品の開発という事も他方では求められ、そこから得られた利益を
国家財政に廻せる形にできれば、最高だと思います。
各自治体の町丁目ごとに、定期巡回的要素の強いチェック&パトロール舞台を配置する
目的は以下の点にあります。

1.秩序の維持(犯罪の抑制効果)

 防犯カメラが静的役割とするならば、CP部隊(チェック&パトロール)が果たすべき役割は
 動的役割と言えるのかもしれません。
 駅構内で、警察官が駅の入り口に立っていて「おはよう」とか「いってらっしゃい」とか
 「気を付けて」と声を掛けるだけで、そのたった一声で駅構内の犯罪防止効果に効果があると
 聞いた事がありますが、その応用なのかもしれません。
 誰かが常に町内を防犯パトロールしてくれるというだけで、常に見張り・監視をする人間が
 すぐそばにいるというだけで、相当の犯罪防止効果があるのかもしれません。

2.積極的な民事介入⇒警察では対応できない小さな紛争の現場対応

 CP隊員にある程度の決裁権限、場合によっては逮捕権限を付与させる事も必要だと思いますが、
 地域の小さな紛争に積極的に介入し、小さな芽のうちに「将来の禍根・災いの源」を摘んでおく
 という発想です。
 場合によっては警察との連携が不可欠になるのは言うまでもありません。
 この部分の役割は、シルバー層、ある程度の人生経験者に委ねた方が宜しいのかも
 しれません。

3.CP隊員を常設する事で、増員する事で「国内の雇用」を強制的に生み出す。

 失業されている方、リタイアしたけど「まだまだ勤労意欲の高い」シルバー層、
 次のステップへ行くまでの助走期間としてのつなぎ的な意味での就労として、
 「地域の秩序維持に貢献したい」という奉仕意欲のある方への職場の提供
 現在では、上記のような方に中々適した仕事を見出すことが中々出来ていない中で、
 こうしたCP活動によって、収入を得る事と秩序維持を両立させる。

なせこうしたCP活動にこだわるかというと、
①地域住民として、地域コミュニティーへの参加する意識の高まり
②国内内需の創出
③地域を地域内のメンバーで監督し、地域内の秩序維持に効果が期待できる事
以上の両立と調和が図れるからです。

勿論検討すべき課題は色々とあると思います。

例えば・・・

〇警察とCP隊員の役割分担

〇民事介入といっても、どの程度まで介入して良いのかその線引き

〇CP隊員の給与の財源⇒基本的には、住民税とは別にCP管理費としての徴収だが、どこまで認められるのか・・

〇CP隊員の職務上得た地域住民の情報の管理方法、CP隊員自体に対するチェックをどうするのか

など色々あると思いますが、
別の機会にその辺りももう少し考えていきたいと思います。
株価が上昇傾向にあり瞬間的に「景気回復も近い」と幻想を抱く人も多いと思いますが、
正直そういうものではないと思います。
株価が上がって喜ぶのは一部の投資家・富裕層だけで、
大部分の庶民には、全然関係ない話だと思います。

やはり、一般庶民(ちゃんと働く一般世帯層)にお金が廻って
「少し財布に余裕があるから、今度これを買おう」などと思えない限り
真の「景気回復」はないと思います。

その為にはどうすれば良いのでしょうか・・・・?

方策として、

1.企業の内部留保の強制的取り崩し

2.富裕層への強化と相続税の課税強化

3.現時点での「年金制度」を全て廃止にし、現役層の初任給から今日まで掛けていた
  年金保険料を全額還付する。
 (但し、利息・配当は一切なし
  同時に、将来の年金支給もなしとする。

4.高齢層の年金・社会的弱者等の生活保護・寡婦年金などは全て
 「ベーシックインカム」として一元化する。
 同時に、例えば年収1000万円以下の人に対しては、月額一人10万程度を一律支給する。
 そして、それ以外の勤労収入に対しては、30%程度を所得税として徴収する。

5.住民票を登録する自治体に、月額一人1万程度の、住民税とは別の「CP税」を課税し、
  各自治体を定期的にチェック&パトロールする人達の人件費に充当させる。
  この「CP活動従事者」には、民事介入も原則可とする等のある程度の権限を付与させる。

要は、働いても働かなくても、ある程度の「収入」を保証する事で安心感を持ってお金を使ってもらう事や
確かに働かなくても一定の収入はあるけど、それ以上に「良い生活」を享受するには、更に勤労する
事が必要である事の周知、及び幼年期からの「働かざる者食うべからず」の教育の徹底が
求められる事となります。

確かに上記は「極論」なのでしょう。

だけど、今後の日本社会の未来を占う意味でも、

強制的な方法でもなんでも構わないから、安心感を持って不安感無く「お金」を社会に廻せる
システムが必要なのだと思います。
なぜなら、お金は天下の廻りものだし、お金はあの世にはもっていけないものだから・・・
相続は、単に子孫に「楽」を覚えさせるだけの「愚」以外の何物でもないから・・・
イタリア総選挙の結果もそうですし、今年の7月に予定される日本の参議院選挙もそうなのですが、
現状では、「二院制」の意味が喪失されているような感じがします。
これではただの足の引っ張り合いというか、
一方の院がもう一方の院からの賛成を得るために妥協とか政治的駆け引きを図ったり、
政治日程が止まったりするここ数年の政治情勢に多大なる疑問を感じます。

本来、「二院制」の意味って何なのでしょうか・・・?
議会が二つあれば、一方の院の暴走を食い止められるとかチェック機能とか
確かに本来的側面ではそうした良い効果も本来はあったのかもしれません。
だけど現状のように、別に取り立てて「目立った違い」がない二つの議会が存在しても
特にチェック機能に意味があるとは思えません。
例えば、一方の院が一般大衆代表 一方の院が学識経験者で、どちらかの院に優先権があるのならば
それなりに意味があると思うのですが、
特に違いがない二つの議会の場合、その存在に特に大きな意味があるとは感じられません。

それならば「一院制」にした方が余程政治決断は早いし、複雑な昨今の国際情勢の変化に
即断即決できるし、
何よりも一方の議会がもう一方の議会と妙な駆け引きをする事もなくなり、それなりに
メリットはあると感じています。
それに「一院制」と言っても元々国民の意思を反映している事に変わりはないのですし・・・

「一院制」にしたとしても問題解決が図れる訳ではありません。

現在の政党のように、選挙の際に、自分が当選できるようにするために選挙活動中に
様々な団体と妙な約束事ばかりをするから、いざ当選後に主体的活動をしたくても
その約束事に縛られたり、支援団体からのプレッシャーにさらされるから、
大局的観点から物事を見る事ができないのです。
結局は、議会制民主主義ってものは、いつまでも物事が決まらない、大局的観点から
物事を見られない、国民全体の利益の為に「何を優先すべきで、何をやむなく切り捨てるのか」
「国家全体的観点から、国全体をどのような方向に導いていくべきなのか」などという事が
いつまでたっても何も決まらない制度なのです。

確かに、第二次世界大戦の悲惨さ、戦後の荒廃から考えると、民主主義が一定の効果を果たしたのは
間違いのない事実です。
だけど、そうした「古い民主主義」をいつまでも維持するのはいかがなものなのでしょうか?

そろそろ国民全体で、「民主主義とは何?、自分達一人一人はいかにして自分達の意思を代表者に
託すべきなのか? 代表者とはどうやって選ばれるべきものなのか?
その代表者にどのような権限を与えるべきなのか、又そのチェック&抑制機能はどうすれば良いのか」
などを真剣に考える必要が来ていると
感じます。

主観的な考え方ですが、
基本的には、議会は一院制度で十分、その構成員は「システムマシーン的くじ」により公正に
選出された30人程度の委員程度。彼らの役割は、あくまで「行政」に対する意見具申とチェック機能、及び
その時点での問題点の精査と調査と行政機関への報告と改善事項の提案です。
そして「行政機関」とは、これも少数精鋭の「8人程度の行政官」で十分と考えます。
この行政官にほぼ全ての決裁権限を与え、何が国益に適い、国民全体の幸福を実感させられるか
国家全体が良い方向に向かうにはどうすれば良いのか、どの産業に重点を置き、どの分野を
整理撤退させるべきなのか、国家予算をどのように組み立て、どうすれば無駄のない効率化を図れるのか、
財政問題をどうやって解決し、膨大な債務をいかにゼロに持っていくのか、
未来のこの国をどういう方向に持っていくべきなのかを徹底的に考えて欲しいと
思うのです。
この行政官中からトップを選出するのですが、そのトップだけは、10年に一度、国民投票として
選出するべきなのです。
そして、トップを含めた行政官に対する抑制機能として、「50%以上の不支持」の国民投票が成立すれば
問答無用で退陣というルールを制定するのも
一つの方策ではないかと思います。
「年金問題」って2007年あたりの「消えた年金問題」の頃に比べるとそれ程
騒がれなくなった感がありますが、実は全然解決できていない
問題だと思います。
というか、現在の働いている現役世代とか、20~30代の若手世代は、本音は
「今の制度のままでいくと、現状の日本の年金制度は確実に崩壊する」という事に
尽きると思います。

現在年金を受給しているシルバー層は、現実に現在支給されているのだから
それ程心配には感じていないかもしれませんが、
やはり私達現役世代から視点を捉えると「不安」以外の表現しかないと
思います。

では、どうすれば良いのでしょうか・・・

年金支給と言うのは、財源問題と密接に絡む問題だと思います。

日本の財政をこれ以上悪化させないためにも、今の段階で年金制度自体を根本的に
見直す必要はあるものと考えます。
その為には、少し乱暴かもしれませんが、

①現在、年金保険料として毎月納められ国庫に貯められている資金を全て一旦おさめた分だけ
 返金する。
②今後、「年金」という形での支給はストップする。
③代わりに、「ベーシックインカム」の下、年金も生活保護も全てを一元支給する。
 これにより、相当部分の公務員削減効果も期待できる。

という策を考えるというか決断すべき時期に近づいているような
感じも致します。
お金が社会に廻らない。
働いても働いても、収入が増えず生活するのに精一杯で、文化的な事・社会への奉仕・
他人を顧みる余裕がない・妻子とふれあう時間が持てないなどという結果になっているのだと
思います。

「お金は天下のまわりもの」と昔の人はうまい事を言ったものだと思いますが、実はこの格言こそが
日本を救う一つのキーワードになっている気がします。
貧困層は、本当に余裕がないから、必要最低限のモノしか買えないし、
富裕層は、将来どうなるか分らないから、信じられるのは結局は「お金」だからと言う理由で
お金を使わない
企業は、内部留保でしこたま貯め込んでも、やはり将来的な不安から社員に対する給与アップに
廻さない・・・
結局、お金は使わないと意味がないのに、
お金はあの世に持っていけないのに、
将来に対する裏付けがないばかりに、お金を使わないでとっておくというのが悪循環の理由なのだと
思います。

これを解決する手段は何かないものなのでしょうか・・・

アベノミクスとかで、確かに一時的に景気は良くなるでしょう。
しかし、それは一時的な短期的なものです。
結局円安+株高という効果があったとしても、それを享受出来るのは
一部の資本家と富裕層だけ・・・
日本社会を支える「一般人」にまでそれがうまく廻らないと予想できます。

結局は、「強い政府」の強制的権限でもって、お金を強制的に一般社会に循環させる
システムが必要だと思うのです。
そして、言葉は悪いのかもしれませんが、
「例え企業等に就職していなくても、自分で商売をしていなくても、生きているだけで
 一定の収入だけは保証させる」システムを構築させる必要があるのかも
しれません。
万一職を失っても、年金を掛けていなくても、病気になったとしても
最低限の収入だけは得られるシステムを考える必要があるのかもしれません。

その一つの解決策がベーシックインカムなのかもしれません。

この制度の問題点として、よく指摘されるのが ①財源 ②勤労意欲の低下です。
①については、例えば毎月一人10万円は確実に支給するから、それ以外の収入に対しては、
今よりも所得税を大幅アップさせるとか、相続税の徹底課税強化、富裕層に対する課税強化と
場合によっては元本自体に対する課税など色々方法論はあると思います。
②については、そこで考えられるアイディアというのが、CP社会の導入なのです。

CP社会とは何かと言うと、「チェック&パトロール」です。
失業者・勤労意欲はあるけど勤務先がないシニア世代・ベーシックインカム制度により
働かないで収入を得ている人達を対象に
担当地区内を二人一組又は三人一組になって巡回パトロールするシステムなのです。
そして、警察が原則民事不介入に対して、
このシステムは、積極的に民事に介入する事が出来るものとし、ある程度の決裁権限も
与えるものとするのです。
これにより、地域防犯・地域無関心・近隣トラブルにもある程度の効果はあるものと
考えます。
CP要員の給与は、各自治体に対して、住民税とは別に一ヶ月一人当たり数千円から1万円前後
聴衆できれば、対応可能とも
考えられます。

要は、強制的に社会にお金を廻し、同時に地域防犯とモラル維持に貢献させましょうという
考え方なのです。
1987年当時って確か吉野家の牛丼は一杯400だったような記憶があります。
現在の日本では、「アベノミクス」とかで年間2%以上の物価上昇というインフレ目標を
設定していますが、当時の日本は「バブルに向けて一直線!!」という感じで、
株価・土地・マンションなどがグイグイ値上がりしていった状況ですから
どちらかというと「物価」わいかに抑制するか、いかに普通のサラリーマンでも
何とか持家を購入できるようにするかかが一つのテーマになっていたような気がします。

その意味では時代は本当に目まぐるしく変わるものですよね。

経済政策とか財政等の問題は、目先の状況だけでコロコロ変えていくのではなくて
何か何があっても変化しない政策とか、時代に変化にも決してぶれない普遍的な政策を
取り込んだ方がかえって長期的には、経済的にも社会的にも「安定」するのではないのかと
思えるような1987年以降の約25年間の教訓だったのではないかと
思える事もあります。

吉野家の牛丼は、一時確か240円になっていた時代もありましたよね。
狂牛病の問題がなかったとしたら、あの価格は今でも維持されていたのでしょうか・・・?

そうなると「適正な価格」って一体なんだろうと思う時もあります。

確かに消費者としては、安いに越したことはないのだけど、それでは企業にとって利益が出ない。
利益が出ないから従業員の給与も上がらない、そして売り上げの低下、挙句の果てに
更なる価格の低下
この繰り返しだったのかもしれません。

現在の日本においては、まず為すべき事は全体的な給与水準の強制的な引き上げなのかも
しれません。
というか、無駄にため込んでいる企業内の「内部留保」をいかに社会に中に潤滑させるのか
設備投資に廻すか従業員の賃金に廻すか、
どちらかを決断させるのが一番の近道ではないかとも思います。

個人レベルの話かもしれませんが、
昔からよく言われる言葉
①お金は天下のまわりもの ②お金はあの世に持っていけない

この事は単に個人レベルの話ではなくて、社会的レベルの話なのだとも
感じます。
②については、相続関係の法整備が色々と再検討されるべきなのかもしれません。
子孫にお金を残すという発想ではなくて、
生きている間に使う、それがひいては社会貢献に役立つという事を
私達は再認識しないといけないのかもしれませんよね。
今年の景気はどうなるのでしょうか?

確かに新年早々比較的景気の良い話は聞こえてきます。

だけど、現状の景気回復政策というのは、新たに国家として債務を増やし、一時的に
景気促進のカンフル剤を注入するに過ぎないのですよね。
確かに短期的には一瞬景気が良くなったような幻想が起きる可能性は濃厚なのですが、
それがいつまで持続するかというと、かなり懐疑的な結論を下さないと
いけないのかもしれません。
その結果、国家としての借金だけが増額し、
国としての信用低下→金利上昇→新たな国債の発行が出来ない→国家破綻という
最悪の結果を招く「序奏」にもなりかねません。

その点を非常に危惧しています。

世界的には「グローバル化」というのがスタンダートとなっていますが、
これについても少々懐疑的です。
「世界の工場」がやれ中国だ、インドネシアだ、ベトナムだ、ミャンマーだと最近色々と
生産拠点移転だのの話が出ていますが、
これって結局はいずれは「生産過剰→在庫過多→モノが売れなくなる→不景気」の連鎖に
なっていくのではないのでしょうか?
又、現在だけの人件費の安さだけで生産拠点を海外に移転したとしても、
いずれ人件費の向上がはじまり、移転のメリットが薄れていくのは、これまでの歴史の流れから
みても、それは当然の事だと思うのです。

思うのですが、なぜもう少し「日本国内」に目を向けないのでしょうか?

日本国内だけで、問題が解決できる方策というのは、見方を少し変えるだけで
色々とあると思うのです。
それについても今後順次問題提示→解決の方策提示をしていきたいなーと
思っています。
昨年の年末以来、株価上昇・円安基調が続き、何となく新年早々は久しぶりに
「活気」とか「夢の再現」とか明るさが戻ったようにも感じられます。
何か、13億円程度の補正予算を組むとか、公共事業で地方を潤すとか色々と景気の良い言葉も
出てきます。
ここ数年があまりにも悲観的なニュースばかりでしたので、たまにはこうした強気の話題が
出る事は喜ばしい事だと思います。

だけど心配なことがあります。

つまり日本の危機的な財政状況が何の解決もしていないどころか、その解決の方向性も
明示されていない。むしろ逆に債務が増える方向ばかり話が進展している事に
何か危機感を感じています。

確かに短期的に見てみると、大型補正予算を組み、赤字国債を目一杯発行し、その結果短期的に
景気が良くなったとしても、それはあくまで「一時しのぎ」に過ぎないのです。
その結果、一時的な景気回復の為に、未来の日本の債務が右肩上がりに増えていき、
最後には、本当に「国家破綻」という最悪の結果を迎えてしまう可能性が高い事になぜ私達は
目が向かないのでしょうか?

世界には、誰にもその実態・本質が分らない「市場原理」という魔物が牙をむいています。

仮に、その魔物達が
「いずれ日本という国自体が債務超過に陥る。彼らの国は人口減少が止まらないし、
これ以上国家の産業が発展しそうにもないし、むしろ縮小傾向になる。そんな中、債務だけが
増えていく。次のターゲットは日本」と牙をむけた瞬間に、
日本は、株安・金利高という集中砲火を受け、立ち直ることが出来ないほどのダメージを受ける
可能性が高いと思います。

今は確かに短期的には、「景気回復への道筋を付ける」というのは全員の共通認識で
構わないと思います。
ただ、その先をどうすれば良いのか、という「道筋」はそろそろ全員が冷静になって
考える時期に来ているのではないかと
思います。

それではどうすれば良いのでしょうか?

これは色々と難しい複雑な理屈はあるのかもしれませんが、それを全て無視して
単純に考えるべきだと思います。
つまり、債務を減らす方法は、ただ一つしかない。
単純に支出を減らし、収入を増やす。それしかないのです。

支出を減らすとは、「国家予算」を減らす事。
現在の日本の社会は、正直、国家も民間も「過剰サービス」の傾向にあると思います。
年金→高齢者に配慮しすぎ、というか支給額が多過ぎ⇒これではいつか「破綻」するのは当然
医療→今後は「予防医学」に重点を置くべき
失業保険→働けるのに働こうとする人達に配慮しすぎ
行政サービス→民間との重複が多過ぎ、しかも過剰サービス

収入を増やすとは、「国家としての収入」を増やす事
税収を増やす事とは?→富裕層の課税強化・消費税アップ・相続税の税率の格段の引き上げ・
          企業の極端な内部留保への課税
          各個人の一定金額の金融資産への元本に対する課税

                   +
          国家として、直接「事業」を行い、ここから利益を出し、国家予算に
          計上する。

でも、その為にも「個人情報の一元管理→国民背番号制度」は前提条件となるかも
しれませんけど・・・
誰しもが感じている「不安」の一つだと思うのですが、
果たしてこのまま世界は、というか地球上の全人類は100年後も存在しているのか
という事は、誰の頭にも一度はかすかにでもよぎった事はあると思うのです。

これはもう近未来の事かもしれませんが、仮に私達人間社会の現在のシステムが破綻する
原因はどこにあったのでしょうか・・・?

確かに色々とあると思います。

例えば・・・

1.人口の増加

2.資源の枯渇

3.現在の民主主義・資本主義が抱えている問題点の未解決

4.公平な分配制度の破綻

5.モラル意識の低下~拝金主義の横行
 →自分さえよければ、自分の国さえよければそれで良い
  この世の中は「お金」さえあれば何でも出来る

色々種々あると思います。

21世紀になっても国家間の紛争は何一つ解決出来ず、国家間の経済競争は過酷になるばかり・・
現在騒がれているTPPにせよ、仮に発行したとしても、いずれ現在のユーロ圏の問題のように
各国家間のシステムや意識の違いを結局は埋めろ事が出来ずに、
最終的には破綻することは目に見えています。

確かに現代の世界観では、国際化だのボーダーレス化などと言われていますが、
自分の予想としては、いずれ国連も何も機能しないような時代、というか
江戸時代のような鎖国下社会→他国との過剰な折衝を避け、自国の問題は自国だけで解決する
ような単一国家社会に変質するような世界にいずれはなるのではないかと
思っています。

そうした世界では、自給自足体制が主流となり、
足りない物質だけを二国間の貿易というか物々交換で充足していくというシステムになっていく
のではないかと予想します。
別にこれは歴史の後退という意味ではなくて、「一歩後退二歩前進」の前奏曲だと思います。
要は、現代の資本主義+民主主義体制の完全な行き詰まりから発生したものであり、
国家間の紛争を回避させるための一つの方策として、各国家内での完結を目指していく方向なのです。

だけど、いずれは、段々と本当に協調できる二国家間の部分連合、地域連合という形で
単一国家完結主義を脱していき、
最終的には、世界共通政府という管理体制というシステムに
未来は変容していくのではないのかなーと
漠然と考える時があります。
衆議院総選挙が近いです。

近年の二回の選挙が誠に次元の低い争点だったので
(2005年→郵政改革にyesかNoか 2009年→政権交代にYesかNoか・・)
今回の選挙は、今後の未来の日本を導く大事な選挙になるはずだと思います。
だけど、世間の人の感覚としては、
「どの政党に入れれば良いのかよくわからない」というのが本音に近いと思います。
色々なテーマはあると思うのですが、
選挙というものは、今後4年間のテーマを争点にして選択するというのではなくて、
政権を担った政党に対するその機関の「評価」という事を優先して投票すべきなのではないかとも
思います。

2009年に、何か閉塞感漂う日本を変えてくれそう、既成概念を打破してくれそう・・・
何かバラ色の未来が待っているかもと期待して民主党に投票した人も相当多いと思いますが、
その期待の大きさに比例して、失望感を持った人も相当多いと思います。
そのガッカリ感を評価という形で、投票に行くのが
一番分り易いのではないのかなーとも思います。

確かに、民主・自民・第三極とか色々選択肢はありますが、どれも決め手に欠けると
思います。
だけど、その中でも「あの党よりはなんぼかまし」という消去法でも構わないと
思います。
最悪、投票所にはいくけど、わざと無効票になるような氏名を記入して
棄権というのも一つの選択肢かもしれません。

自分の主体的な意思を示すという事は大切なことだと思います。

自分自身は、前回胡散臭さを感じながらも消極法でしぶしぶ民主党に一票入れました。
だけど、そのココロは、「民主党に政権奪取された自民党に、その間に立ち直ってほしい」
というものでした。
残念ながら、その期待にはあまり応えてはいないと思いますが、なんぼかましという理由で
今回は、自民に入れるのでしょう・・・

だけど自分の本音は、前にも少しだけ書いたと思いますが、

1.議会は一院制、定員は20~50名程度

2.議会の役割は、少数で構成される中央政府執行委員に対するチェック機能と意見書提案

3.国家の基本骨組みや外交、国家予算枠組み・教育方針などを決めるのは、中央政府
 その政策を具現化させるのは、地方政府の役割

4.国家の役割は、①教育の充実 ②国家的ビジネスの育成 ③国防 ④世の中のモラルの維持
 ⑤ルールの徹底化などである。

5.中央政府執行委員の長は、任期10年 最長30年可能 但し、国民投票で60%以上の不支持で
 自動的に退任

6.道徳とモラルの徹底を教育の最重要課題とする。12歳までは、基本学習を徹底し、
 それ以降は、一人一人の才能や能力に合わせたカリキュラムを組む

7.基本は、内向き国家→日本国内での需要の掘り起こしとCP社会の構築に伴う
 需要創造と雇用の確保と最低賃金と最低生活の最低限の確保

 ※CP社会とは、後日改めて・・・

8.高負担高福祉スタイル+社会の構成員としての地道な奉仕活動への強制参加

9.あの世にお金は持っていけない+お金は天下のまわりものの実践
 →相続税強化、富裕層への寄付金の義務化など税制の根本的変革

まあ、この辺りのテーマは、総選挙の結果でも楽しみながら
改めて記していきたいと思います。
だって、先はまだまだ「長い道」なのだから・・・

理想と現実

人間が全て「相手を思いやる心と自制心」を持ち合わせて実践できれば
何も苦労はしないと思います。
人類が誕生して以来、それが全く全然身に付かず、折角先祖が得てきた「教訓や経験」も
生かされない場面の方が多く
(先祖の教訓や経験が元々遺伝子として生誕時から備わっていれば問題ないのですけどね・・)
自分達のその時点での利益しか考えないから、いつまでたっても理想的な社会が構築されない
のだと思います。

「相手を思いやる心と自制心」を人間に学ばせる一つの教材が「宗教」だったのかも
しれません。
キリスト教もイスラム教も、その教え自体は素晴らしいはずなのです。
だけどそれを運用する方法に問題があるから、宗教自体が民族や国家での紛争原因の一つに
なっているのは本当に悲しい事だと思います。

人類は本当に進化しているのでしょうか?

否、道具は進化しても「内面・心」はほとんど進化していないと断言せざるを
得ません。
その証拠に誰もが、「心の平安」も得ていませんし、紛争が生じていないエリアを
探す方が難しい。
これまでの歴史の簡単な流れは、絶対的王政→民主主義の流れだったと思いますが、
民主主義を完全に使いこなせるだけの一人一人の内面の進化を経ないで、
民主主義の政治を具現化させようとしても、うまくいく訳はないと思うのです。

自分達は、民主主義を上手に活用出来るほど進化はまだしていないのです。

そうした状況の中で、一見国民から正当に選出されたと思われる立法府の方々も
結局は、自分だけの為、自分の地元の為、特定の団体の為だけにしか考えず、
「国家全体」という大局的見地に基づいて考え、行動できないから民主主義が機能しない
のです。

どうすればよいのでしょうか?

取り急ぎ提言出来る事は、とりあえず国民から選出された議員たちは、一人一人が
国家全体の立場から考え、党・地元・組織に拘束されずに、一つ一つの事案に対して
賛成・反対をしていくしかないと思います。
そして、求められることは「スピード」と「決める時には決める決断力」なのです。
これだけ価値観が多様化した現代では、一つの事案に対して複数もの考え方は
存在しますし、全部の顔を立てれば機能不全に陥ることは自明です。
「最大多数の最大幸福」ではありませんが、自分の内面の良心及び相手への思いやりの心を
頼りに、一人一人の議員が自分の頭で考え、最終決定した事項は、例え51対49であったにせよ
決めた事項は死ぬ気で実行していくべきなのです。

上記の事は一つの過程だとも考えます。

そして、ゆくゆくは、国民から直接選出された「統治者」による行政と
それに対する提言・調査・監督を担う国民から抽選で選出された「議員」達による
共同統治の流れになっていき、

その間に人類の覚醒(進化)→モラルへの目覚め・相手への思いやりの自然的取得
を待つしかないのかな・・・?

そうした過程を経て、ようやく「代議制民主主義」にたどりつくべきなのでしょうね。
現在の日本はあらゆる意味で危機的な状況だと誰もが感じているとは
思います。

経済政策・大震災の復旧ヴィジョン・財政破綻の危機・外交問題→どの国と連携すべきか・・・
人口問題・超高齢化社会・教育現場の崩壊・社会のモラル低下などなど

しかし、今の制度では結局は何一つ変わらない気がします。

結局は、仮に選挙が行われたとしても、A党とB党とC党の組合せの問題だけに
終わってしまって、本質的な解決の対応策までは至らないという近未来の光景が
手に取るように予測できます。

なぜ、こうなってしまうのでしょうか?

結局は「代議制民主主義の限界」なのだと思います。

本来「民主主義」というのは、素晴らしいシステムであり、人類の最終的な理想政治スタイル
なのでしょう。
しかし、現時点の私達では、この制度を上手く活用できないレベルなのかもしれません。

今でももう少し上手に活用できれば、スピーディーな政治決断は出来るはずなのです。

例えば、国会議員一人一人が、所属する党に全く拘束されずに、一人一人の政治信念に
基づいて、立法府での議決賛否を行えば、案外うまくいくはずなのです。

それをやれ党の方針がとか、あいつは気に食わないからとかで
本来国のために、国民のためによーーく一人一人が考えて議決をすべきなのに
全然違うところでエネルギーが使われてしまう。

それは本当に悲しむべきことなのです。

その国会議員も結局は、自身の選挙区内での今後の当選しか頭にないから、
国全体と言う対極的な見地からではなく、自分の所属する党や地元の意見に
拘束されてしまい、
本来の立法府の役割とは全く異なる「政治ゲーム」の場にしか
過ぎないのが現状だと思います。

それを打破するにはどうすれば良いのでしょうか?

現時点は、最終的な理想形である「民主主義」への模索の過程と考え、
当面は、行政(国家)の役割強化と地方行政との役割分担を図っていき、
立法府は、現在のシステムのような「国民から選ばれた国会議員」というシステム
ではなくて、
公明正大な抽選で選出された約20人程度のメンバー(当然一院制機関)による
国へのアドバイス機関として考えても良いのかなとさえ思います。
現代日本に住む私達は、なぜもう少し「巨額債務体質」の問題について考えないのでしょうか?

単なる先送り・・・?

実態がつかめなくて、真実が見えにくいから・・・?

今が良ければそれでいい。後はどうとでもなっちまえ・・・

色々と理由はあると思いますが、もう少しこの問題についてそろそろ真剣に取組む必要がある時期に
来ていると感じます。

今は「欧州財務危機」に世界の目が注がれているから、日本の問題は見過ごされていますけど、いずれ欧州危機が
落ち着き、欧米が平常を取戻した頃に、間違いなく21世紀の化け物「金融ファンド」が日本に対して仕掛けてくると思います。
そうならない内に、今から対応策を真剣に考える必要があると痛切に感じます。

大体、本来の国家収入(税金)などを2倍近く上回る歳出予算を毎年組まざるを得ない国家に
「明るい未来」などある訳もないのに、結局は全て「先送り」・「未来人に全てツケを回す」を許す
私達国民もそろそろ考える時期に来ていると思います。

結局はシンプルに考えて、

①収入を増やす
②歳出を抑える
③国民全体が、冨を有しているものはそれ相応分に、冨を持たざるものもそれなりに
 痛みと負担を分け合う。

これしかないと思います。

①については、簡単に蓄電できる太陽光発電・砂漠でも栽培可能なバイオ・他国の侵入を全てはじく
防衛システムなどなど現時点での科学技術では、開発できなかった技術を開発して、他国に広める形で
利益を得る位しか劇的な方法は思いつかないですね。

②については、政治家も悪いけど、政治に過剰な期待を求めすぎる国民にも問題はあると感じます。

③については、現況の「個」重視からの転換が必要になってくると思います。

今回はかなり乱暴に結論だけを省略して書い感じですが、特に②と③について、もう少し掘り下げて
考えていきたいと思います。

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