2013年春アニメの中でも全然知名度がない極めてマイナーアニメなのですけど、
「絶対防衛レヴィアタン」という作品がリアルタイムでの放映時からツボに入っていて今でも大好きな作品です。
魔法少女系に付きものの熱い友情・派手な戦闘シーン・ピンチの時に生ずる新たなアイテムと魔法の力という要素は
極めて少ないですけど、そのゆるさ・かわいらしさがこのアニメの魅力なのだと思います。
2013年4~6月にテレビ東京系で土曜23:30から放映されていましたけど、
リアルタイムで見ていた時からとにかく大好きでしたし、同年の7月~9月の深夜枠でも再放送されていて、
この再放送時でも楽しく見ていました。
(再放送時には、焚火劇場ミニというトークコーナーもあったのがすてきでしたし、このトークはDVD最終巻に
収録されていました)
世間的には、ほとんど認知評価されていない作品なのでしょうけど、私は今でも大好きな作品です。
主人公のレヴィアタン役の声優さんが私が大好きな早見沙織さんというのも大変ポイントが高いと思います!
このアニメ、元々はグリーのゲームなのですけど、主人公レヴィアタンは、笑顔を忘れた・無口・滅多に笑わないけど
心の中で爆笑している事もあるというのがグリーのゲーム上の設定です。
ゲームのデザイン画としては、レヴィアタンも含めて他の2人も比較的大人っぽいタッチで描かれていて、これだけを見てしまうと
「レヴィアタンは笑顔を忘れた女の子なんだなぁ・・」と思ってしまいます。
アニメでは、レヴィアタンも含めて全員子供っぽい雰囲気が強調されていますので、私としてはゲーム版よりは
アニメ版の方が断然魅力的に感じます。
またアニメ版のレヴィアタンは、バハムート・ヨルムンガンドよりは喜怒哀楽を出さないけど
微笑んだり、普通に笑ったり怒ったりするシーンが結構あり、その笑顔がたまらなく可愛いと思いますし、あの笑顔は素敵でした!
物語のメインキャラは3人構成なのですけど
知的で物静かなレヴィアタン
じゃじゃ馬系のわがままお嬢様、バハムート
天然の心優しい怪力娘のヨルムンガンドという構成もバランスが取れているのもこの作品の素敵な点だと思います。
「絶対防衛レヴィアタン」の特徴は、タイトルが示唆する通り
「何かを守りたい・・・」
「あなたにとって大切なものとは何・・・??」
「大切なものを守るためにはどうすればよいのか」というテーマが一貫して守られている点なのだと思います。
「守る事」をメインテーマにしていますので、派手な戦闘シーンもそれほど多くはありませんでしたし、
「防衛」に主眼を置いた今どきとしては珍しいアニメでもあるので、
そこにほのぼのさ・多少のゆるさ・レヴィアタンの可愛さとも結びついてたまらない魅力を発揮したと思います。
そうそう、この「絶対防衛レヴィアタン」の世界観の一つとして、レヴィアタン達が暮らす惑星下においては
既に魔法というものは定着していて、人々も普通に魔法に接していることも特筆すべき点だとも思います。
それゆえアニメの中では一般人が妖精」を見ても特に驚く事はありませんので、
妖精や魔法の存在をくひたすら隠す「プリキュア」の世界観とは少し違うものがあったりもすると思います。
特に興味深いのは、魔法というものを使えるのが女の子に限られているという事です。
だから、当然一般人の男どもは魔法を使う事は出来ません。
これはとても面白い設定だと思います。
「魔法を使えるのは女の子だけ」というのは、何だかプリキュアシリーズの
「女の子は誰でもプリキュアになれる」という世界観と近いような感じもありますし、
この「世界と惑星を守るのは女の子!!」という設定がとっても大好きです。
やっぱり世界を守るのはヒーローではなくて「ヒロイン」の方がお似合いだと思いますルンッ~♪
「守りたい人や守りたいもの」を防衛したいという事を終始一貫したテーマとして扱い、
過激に相手に対する攻撃を控えている点は
最近のアニメとしては、一線を画すものであり、もっと高く評価されて然るべき作品かなと思っています。


私が「絶対防衛レヴィアタン」のどんな点に魅かれるのかというと、
あのゆるさ・可愛さ・ほのぼさもそうなのですけど、魔法少女系に付き物の過剰な戦闘シーンとか、
インフレ状態になりがちな主人公たちの過度なパワーアップが控えめであるとか
敵との戦闘シーンとか「やっつける」という概念よりは、
物語の根底にある「自分たちにとって大切なものを守っていく、防衛していく・・」という「守り」の姿勢に焦点を当てて、
敵を撃破するという発想ではなくて、本当に大切なものをいかに守っていくかという事を
クローズアップしている事が、大変新鮮に感じたりもしていたものでした。
話は変わるのですが、
私自身、バブル期の社会人デビュー、そしてバブル崩壊と長期間の不景気、
そして通算三度に渡る勤務していた会社の破綻と倒産、解散(うち2社は上場企業)を経験しましたし、
その後において、中小企業、ベンチャー企業とある意味多彩な勤務経験をさせて頂く事が出来ましたけど、
その中で強く感じることがあります。
「どうして経営者というものは、己の会社を大きくする事ばかり考え、
ひたすら売り上げ増という量の拡大ばかりを目指すのか・・・
なぜ会社を守るというか維持する事を考えないのか・・・
なぜひたすら毎年毎年、前年比いくら売り上げが伸びたのかという事しか考えないのか・・」という事です。
今後の世界全体の不安定化・高齢化・隣国との関係の不安定化、人口減少、
若者の購買意欲低下という事が原因である「パイの縮小化」が簡単に予想できるのに、
なぜ相変わらず量の拡大ばかり追い続けるのか、
「会社・社員、ひいては国民を守る」という発想がどうして起きないものなのでしょうか・・?
そんなら日本と言う狭い国土に囚われずに
海外へ打ってでればいいじゃんという発想も確かに一理あります。
だけど、海外へ出る=様々な余計な苦労をしょい込むという事を想定すると
それが本当にベストな選択なのかな・・?とも感じてしまいます。
ましてや今年度一年間世界各地で猛威を振るい、まだそのワクチンすらも確立はされていないという状況下においては、
ひたすら業務拡大だけを目指す現代資本主義自体が一つの限界を迎えているようにも感じたりもします。
狭い国土を有効に活用しつつ、何か国民全体の幸せを守るという事が何か出来ないものですかね・・
「絶対防衛レヴィアタン」の「防衛」とか「守る」というメインテーマに触れてみると、なぜか上記みたいな事を
当時も今もふと感じる事は多々あったりもしたものでした。
このアニメの冒頭のナレーションでは、何度か
「一つのリンゴを分け合う民は祝福され、次の果実へと導かれ
一つのリンゴを分け合えぬ民は裁かれ、やがて無に帰すであろう・・・」というのが流されていましたけど
これは中々印象的な語りだったと思います。
この言葉の本質は、ハピネスチャージプリキュアにおいて一年間かけて主人公のめぐみたちが学んできたこと、すなわち、
「幸せは皆で共有するもの」なのだと思います。
今現在において、全世界、地球上で起きている様々な問題点(特に貧富の格差の拡大)は、理想論で語ってしまうと
上記の「リンゴの理屈」でほとんどの部分が解決できるような感じもしたりもします。
それが出来ないのはなぜなのでしょうか・・?
「国家」という概念に囚われすぎているせいなのか・・・
自国のみの「利益」だけに囚われすぎているせいなのか・・・
国内の一部のほんの一握りの「富裕層」の考えのみが国家の考えになってしまっているせいなのか・・・
それは正直よく分かりません。
だけど、ハピネスチャージプリキュアのめぐみがふと漏らしたように
「世界中の人たち全員が(幻影帝国を含めて)ハッピーになれればいいのに・・・」という考えの下、
世界中の資源・お金の流通・食糧などを一元管理し、
全員の人達に「ある程度の生活」が出来るような保証が出来れば
現在のような世界各国で起きている様々な紛争なんかはある程度は未然に防止できるはずだと思ったりもしますけど、
それを実際に実現化すると「ベイシックインカム」における絶対的平等における不平等の問題とか財源等の
問題もあり、それがなかなかできないから世界にはいつまでたっても皆が共通して実感できる幸福感とか平和が
現実のものにならないのですよね・
何というのかな・・・・
地球上に存在するいかなるモノは、特定の国家・個人のものではない・・・みんなのものみたいな価値観が
地球の民全員に共有できれば
それだけで大部変わってくるようにも思えたりもします。
(それは究極の理想論というのはよく分かってはおります・・汗・・)
それが出来ないのは、複雑に絡み合った「利害関係」の為せる業なのかもしれないですけどね・・
今後の日本には、戦後間もないころのような「高度成長期」はもう訪れないという事を
国民全員が認識する必要があるのかもしれません。
しかも日本は、今後人口減少⇒高齢化社会⇒現役世代の減少⇒世代間格差の拡大と
親からの資産を元々有する「富めるもの」と親からの資産が期待できない「貧しいもの」の
極端な二極分化という事は間違いなく予想され、
数少ない富裕層と高齢世帯にだ「購入を期待しての景気拡大策という事自体限界があるのだと思えます。
そろそろ、豊かさという事よりも
負担をどうやって公平に担当してもらうのか、どうすれば公平な配分が出来るのかに
シフトした政策を国家全体で考えるべき時なのだと思ったりもします。
日本はもはや成長国ではありません。それがスタートラインと言うか大前提なのかもしれません。
日本は成熟国の領域に入っていますしもそれは企業も地域社会も国家も大体同じ事なのかもしれません。
限られた財源」をいかに公平に配分するのか 、
富める者たちからいかに不公平感を少なくして、貧しいものへと分配し、
それが結果的に「働いても怠けても収入は同じ」という社会の不公平感と閉塞感を起こさせないようにすべきなのか
そして、いかに国家の「支出」を削減し、国家の支出を最低限のものにとどめさせるのか
増税とか行政サービスの削減といった「負担」をいかに国民全員が納得して
受け入れさせるべきものなのか こうした矛盾に満ちた政策をどう交通整理させるのか
そろそろ真剣に考えるべき時期なのかもしれないですね。
そうした事が選挙の争点とか論点にならない事こそが根本的な問題なのかもしれないですね・・