
「ららマジ」の舞台の器楽部におけるハープ奏者は3年生の南さくらです。
南さくらは器楽部を支える副部長で、振り回されることの多い苦労人でもあったりします。
器楽部創立メンバーの一人で、部長であり指揮者でもある草薙百花がメチャクチャな楽器編成を無理やりどうにかこうにか
まとめてしまう剛腕でもあったりしますので、そうした剛腕ぶりに不満がありそうな下級生たちを時に脅しつけ、
時に笑顔と愛嬌で押し通してしまうのがこの副部長兼ハープ奏者の南さくらといえそうです。
そしてららマジでは珍しい部類の眼鏡っ娘でもあったりします~♪
バトル時においては、グランドハープの形をした長弓を武器とし、光の矢を放って攻撃します。

ハープという楽器はヴァイオリンと同様に大変優雅で美しい楽器だと思います。
そうした美しい楽器というイメージが定着しているのは、その形状や音色の美しさも大きいですけど、ハープ奏者のほとんどが
女性奏者であるという事もあるのかもしれないです。
(一時期都響のハープ奏者の一人が男性奏者であったのを演奏会で目撃した時はびっくりしたものでした・・)
ハープは共鳴胴の両端に2本の棹を立て、2本の先を結び、棹のうちの曲線状になった方と共鳴胴との間に
平行に弦を並べて弦を張っています。そしてこの弦を指で弾いて演奏します。
現代の西洋音楽において、独奏やオーケストラ、室内楽などで広く用いられているコンサートハープは、
ダブル・アクション・ペダル・ハープの事であり、ららマジの南さくらが奏でているハーブも
恐らくはこのダブル・アクション・ペダル・ハープのだと思われます。
ダブル・アクション・ペダル・ハープは主に47本の弦を変ハ長調全音階で張られていて、ピアノに例えると、
黒鍵無しの状態で白鍵だけの音階で並んでいるようなものです。
そしてドレミファ・・の各音対して一つずつ合計7つのペダルが付いていて、それぞれ二段階に踏み分けて
一つの音を半音高めたり全音高めたりします。
それゆえハープ奏者は優雅なイメージとは裏腹に人目に付かない所で大変な苦労が付き物で、左足で三つ、右足で四つと
計7つのペダルを絶えず忙しく操作をしないといけない大変さがあったりします。
おまけにハープ奏者は固い弦を指で弾き、時にグリッサンドしないといけないものですから、指先は常にマメ状態と化している
のが実はその日常でもあったりするそうです。
そうした意味ではららマジのハープ奏者の南さくらも色々とご苦労が尽きない・・という感じなのかもしれないです。
ダブル・アクション・ペダル・ハープは、ペダル操作が大変という事で、それに代わる楽器として
半音ごとに弦が張られたペダル無しの半音階ハープが制作され(音楽史的にはクロマティック・ハープと言われています)
ハープ奏者は実に78本も張られた弦に眼が廻ってしまい、とてもじゃないけど演奏不可・・という事で
結局は廃れてしまい現在においては忘れられた楽器と化しています。
(これは両手全ての指を使用し、現在では幻の楽器と化している宮城道雄制作の八十弦箏と似ているのかもしれないです・・)
さてさて歴史に埋もれたペダル無しの半音階ハープ(クロマティック・ハープ) は、プレイエル社が開発・制作した楽器でして、
それは当時既に一定の地位を築いていたエラール社のダブル・アクション・ペダル・ハープに対抗した経緯があったりもします。
プレイエル社はこの楽器の普及のため、1904年に音楽院でのコンクールのための楽曲をドビュッシーに委嘱します。
それを受けてドビュッシーは、1904年に「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」というハープ独奏と弦楽合奏のための作品を作曲します。
ドビュッシー自身は特段半音階ハープを気に入ったわけでなく、楽器性能としてはむしろペダル・ハープの方が優れていると
考えていたようでありまして、初演自体は半音階ハープ(クロマティック・ハープ)が使用されたものの、
今日ではこの作品を演奏する場合はほとんどペダル・ハープで演奏されています。
ちなみにですけど・・、エラール社はドビュッシー作曲の「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」に対抗してラヴェルに
ペダル・ハープの優位を示すための作品を委嘱し、その結果生まれたのが「序奏とアレグロ」という
ハープとフルート、クラリネットおよび弦楽四重奏のための七重奏曲というこれまた名作であったりもします。
C.ドビュッシー / 神聖な舞曲と世俗的な舞曲は大変優雅な作品で、前半の神聖な舞曲における穏やかな美しさと
後半の世俗的な舞曲における生き生きとした躍動感の対比が素晴らしく鮮やかです。
ここから下記は少しばかり余談ですけど、吹奏楽オリジナル作品の中に、「セント・アンソニー・ヴァリエーション」で
お馴染みのヒルが作曲した作品に、上記のドビュッシーのハーブと弦楽のために作曲した名曲と全く同じタイトルの作品が
あったりもします。
ヒルのその曲を2019年時点で全国大会で唯一演奏したのが1981年の高岡商業であったりもします。
この年の高岡商業は、ヒルの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」という大変珍しくて今でもほとんど演奏されない
吹奏楽オリジナル作品を自由曲に選んでいます。
この当時は吹奏楽オリジナル作品や邦人作品での全国出場が少し珍しく感じられた時代でもありましたので、
こうしたマイナーなオリジナル曲での全国大会出場は大変立派な事だと今更ながら感じたりもします。
この年の高岡商業は運悪くプログラム一番でした。
1979年の市立川口とか80年の就実のようにプログラム1番という不利な条件を全く不利に感じさせない素晴らしい名演が
重なったという事もあると思いますが、1981年の高岡商業の演奏を聴く限りにおいては
「ブログラム一番は大変で不利なのかも。。」とつくづく感じてしまいます。
音が普門館の会場にストレートに響いてこない印象がありますし、普門館の広い空間を彷徨っているという印象があります。
全体的に音が硬いというせいもあり、サウンドも表現もぎこちない感じがしたものでした。
プログラム一番というコンディションの問題もあったと思いますし、朝一番というプレッシャーもあったと思います。
音が硬質で音がストレートに伝わってこない感じは痛いほどあります。
自由曲のヒルの神聖な舞曲と世俗的な舞曲」という楽曲自体が、「「セント・アンソニー・ヴァリエーション」と比べると
音楽の構成が大変抽象的で、あまり面白いと思わないし、何を意図しているのかよく分からないという曲でもありましたし、
曲自体で損をしているような雰囲気すらあったのは惜しまれますし、
これだけ実力あるチームがこうした不本意な演奏で終ってしまったのは勿体無いと感じたものですし、
選曲ミスの範疇と言えるのかもしれないです。
全般的に、ティンパニのゴツゴツした叩き方が何か印象を悪くしているようにも感じられましたし、
課題曲B「コラージュ」も和太鼓が叩き過ぎという印象もありました。
ただ印象に残っている点は、自由曲のラストが意外な終わり方というか、
曲が一旦盛り上がったところで静かになり、ラストはシロフォーンの弱々しいソロで終わるという
所は、何か意表をつかれるものもあり、その点は印象に残っています。
全く想定外の閉じられ方で、なんかヘンだけど面白い閉じ方と感じていたものでした。

南さくらは、ららマジでは珍しい部類の眼鏡っ娘ですけど、南さくらは眼鏡を掛けても眼鏡を掛けていなくても
すてきなお姉さまだと思います~♪
アニメや漫画では「まるで牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を掛けた冴えない女の子が眼鏡を外すととてつもない
すてきな美少女になる」というのは一つの鉄板ネタのようにも感じられるのですけど、
私自身がそうした女の子のすてきな変化を最初に感じた作品というのは映画「ロッキー」の中に登場している
エイドリアンなのかもしれないです。
エイドリアンは映画の中ではとても内気でおどおどした女の子であまり主体性というものは感じさせなかったのですけど、
とあるシーンにてロッキーから「眼鏡を外してみて・・美しい・・」とかなんとか言われた事が一つのきっかけとなり、
その後徐々にすてきな変化を見せてくれていたと思います。
地味で内気なエイドリアンは「メガネを取ると美人」という定番ネタの一つの伝説として君臨しているのかもしれないです。
ロッキーと付き合うようになって自信をつけたエイドリアンは眼鏡を外すようになり服装も以前より華やかになるのですけど、
これは女の子のすてきな変化とも言うべき一つのシンデレラストーリーの伝説と言えるのかもしれないです。
さてさて、それでは日本のアニメにおいて、そうした「眼鏡をかけた冴えない女の子が眼鏡を外すと実はすてきな美少女」という
典型的なキャラとしてどんなすてきな女の子がいたものでしょうか・・?
思い浮かぶ範囲で下記に少しばかり挙げさせて頂きますと・・
アララ・ココア(NG騎士ラムネ&40)
レディ・アン(新機動戦記ガンダムW )
ティラ・ミス(爆れつハンター)
東城 綾(いちご100%)
ニーナ・アインシュタイン(コードギアス 反逆のルルーシュ)
委員長(瀬戸の花嫁)
藤崎 綾(To LOVEる -とらぶる-)
メイリン(黒執事)
槇島 沙織(俺の妹がこんなに可愛いわけがない)
天王寺 渚(Aチャンネル)
クーリエ(モーレツ宇宙海賊)
鈴原 泉水子(RDG レッドデータガール)
星 七海(アイドルメモリーズ)
この中では私的にかわいいね~♪!と感じさせるのはいちご100%の東城 綾だと思います!
東城 綾は、性格はおしとやかな恥ずかしがり屋でかなりのドジっ娘で、「普通の人間の三倍は転んでいる」と
廻りからも言われているのですけど、それでいて眼鏡を外すと普段の地味な印象が劇的に変化し、
とてつもない美少女になってしまうあの素晴らしき変化は、まさしく
「眼鏡をかけたさえない女の子が眼鏡を外すと実はすてきな美少女」というネタの典型事例なのだと思ったりもしますね~♪
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残念ながらリアルではそういう子はあまり見たこともないような気もします。
大変古い話ですけど、80年代のグループアイドルのセイントフォーのメガネの子もそうだったのかもしれないです。
プリキュアではアコやゆりがそういうキャラなのかもしれないですね~