連日連日暑いですね~
この暑さも多分ですけどあと一か月程度も残暑として我慢すれば、いつの間にか季節は秋へと移っていくと思いますので、
後しばらくの辛抱なのかもしれないです。
そうした夏の暑さがどうにもこうにも我慢の限界を超えた際には、気分だけでもひんやりとした涼しげな音楽でも
聴いてみたいものです。
そうした夏の暑さを瞬間的に忘れさせてくれる吹奏楽オリジナル作品の一つが、V.パーシケッティーの「ああ、涼しい谷間」だと
思いますが、吹奏楽コンクールの課題曲としては1987年の課題曲Bの「渚スコープ」と言えるのかもしれないです。
風紋が課題曲となった1987年とその前年の1986年は課題曲の当たり年だったと思います!。
特に1986年の課題曲、変容・嗚呼!・序曲・テイクオフはどれも全て名曲揃いなので
選ぶ方も大変でしょうし、こういうのを「嬉しい悲鳴」と言うのかもしれませんよね。
私の大学の吹奏楽団は、B/嗚呼!を選曲しましたけど、
私自身としては、A/吹奏楽のための変容かC/吹奏楽のための序曲を演奏したかったというのが偽らざる本音で
あったりもします・・(汗・・)
そして1987年も負けず劣らずの名曲揃いの当たり年でした!
この年はA/風紋とE/マーチ「ハロー!サンシャイン」に人気が集中し、
結果として、B/渚スコープ C/コンサートマーチ87 D/ムービング・オンの演奏頻度がかなり低かったのは
何か気の毒なような気がします。
渚スコープとかムービング・オンは、もっともっと色々なチームが取り上げて演奏して欲しかったような気がしてならないです。
吹奏楽コンクール史上不滅の名曲で今でも名作の誉れ高いといった評価を受け続けている
「風紋」のおかけで、1987年の課題曲B/渚スコープの印象は薄いように感じるのは実はもったいない感じもあったりします。
全国大会でもこの課題曲を選曲したのは、中学1 高校4 大学1のわずか6チームだけでしたし、
興味深い事に、高校の部で「渚スコープ」を選んだのは全て関東代表のチームというのも面白いものがあると思います。
確かに人気はいま一歩だったかもしれませんけど課題曲Bの「渚スコープ」は、素晴らしい名曲だと思います。
コンクールの課題曲の中で、初めから終わりまで終始ゆったりとしたテンポで演奏され、アレグロの部分も無く
激しいffの部分がほぼ皆無という物静かな課題曲は極めて珍しいので その意味でも画期的だったと思います。
渚スコープの印象は、とにかく繊細なフランス風という感じです。
言葉にするのは難しいのだけど、ドビュッシーの「海」の世界に通ずるような世界観を持った曲のような気がします。
タイトルは「渚スコープ」となっているのですけど、私がこの曲に勝手に副題を付けるとすると、
「ある夏の日の思い出」みたいな感じになるのかもしれないです。
具体的な「渚」を描写したような曲でないのは間違いはないのですけど、
「ある夏の日に、自分が目の前で見た風景」についてそれを自分の心がどのようにそれを
感じ取ったのかを描いたような曲と言えるのかもしれないです。
とにかく全体的に繊細でもろくてガラス細工みたいに
何かちょっと強く抱きしめただけで脆く崩れ去りそうな曲だと感じます。
全体的にあやうさ、脆さ、「砂上の楼閣」みたいな雰囲気が感じられ、
そうしたガラス細工のような脆さと繊細さと儚さと美しさがこの曲の持つ最大の魅力だと思います。
この曲は出だしから大変モヤモヤした感じで開始されます。
うっかりしていると、どこがメロディーラインなのかよく分からない内にトロンボーンソロが始まってしまう事もありそうです。
吹奏楽コンクールの課題曲でゆったりとした部分でトロンボーンソロを使う例は
あまり聞いたことがないだけに、この部分はかなり意表を突かれますけど、大胆かつ新鮮な表現のようにも感じられます。
今にして思うと出だしのクラリネットのモヤモヤワサワサとした感じは、波打ち際をイメージしているのかもしれないです。
全体的には物静かな印象があり、出だしから中間部のトランペットソロあたりまではもの悲しさ・哀愁が全体の雰囲気をリード
しているのですけど、このトランペットのソロあたりからは多少盛り上がり
この部分はどことなくホッ・・とするような」感じもあったりはします。
後はゆったりと静かに閉じられ、やはりこの曲は「何かもの哀しい曲なんだな・・」というものも感じさせてくれます。
先程この曲の副題は「ある夏の日の思い出」がぴったりとか書きましたけど
そういう「もの悲しい思い出」とは何なのかな・・?
ひと夏のi苦くて痛い経験とか海岸を背景にした失恋物語とかそういうものなのかな・・??
この曲はスコア的にはそれほど難しい技術は必要としないのですけど、表現方法は大変難しいと思います。
何よりもこの課題曲をされなりに仕上げるためには相当の洗練された音色が必要なのですけど、
こうした音色作りの難しさと終始ゆったりとした構成が、
この曲が内容的には大変素晴らしいものを持っているのに、今一つ人気が出なかった理由なのかもしれないです。
この曲で使用される打楽器の中ではタンバリンが意外といい味を出していて、
タンバリンの鈴を利用したサラサラという音色はいかにも砂浜をイメージさせてくれていると思います。
この課題曲を語る上で絶対に外すことが出来ない演奏が一つあります。
それが何かと言うと市立習志野高校の演奏なのですけど、
このチームのあまりにも高校生離れした透明感溢れる音の清潔さはまさにため息ものだと思います。
そして何よりもとにかく表現が自由自在というのか、瞬間的に「間」をとったり、テンポルバートといって音を自在に揺らしてみたり
音楽が「自由」そのものです。
そして音色とサウンドがどこまでも洗練され透明感に溢れているので、敵無しという感じの演奏だったと思います。
この年の自由曲「ダフニスとクローエ」第二組曲~パントマイム・全員の踊りの
圧倒的な音の透明感・洗練さと合せてサウンドの清潔さが印象に残る演奏でした。
他には習志野と同様に音色の清潔感が印象的な市立柏も素晴らしい演奏を聴かせてくれていましたし、
個性的な演奏なのだけど、トランペットミスが惜しまれ全体的に細部の詰めが甘い市立川口が
印象的な演奏を聴かせてくれました。
埼玉栄は金賞なのだけど、全体にモヤモヤした演奏で、何を言いたいのかその意図は全く伝わってきませんでした。
(BPの講評では、埼玉栄の生徒さん達は、この日の演奏は√2のようなもので何か割り切らない演奏と
言っていましたけど、まさにその通り・・・!!という感じだったと思います)
知る人ぞ知る演奏ですけど、関西大会の洛南高校も音色の洗練度は今一つながら、
「ある夏の日の思い出」みたいな音楽のストーリー性は不思議とよくイメージできる演奏であり
私は自由曲の「ダンス・フォラトゥーラ」と共に結構好きな演奏です。
こういう繊細なガラス細工のような不思議な課題曲もたまにはあってもいいのかもしれないですし、間もなく終わりを迎える
夏のイメージにはうってつけの課題曲と言えそうです。
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支部大会でも全国大会でもそれほど多く演奏されませんでしたけど、全国で演奏されたチームはどのチームも大変考え抜かれた演奏で素晴らしかったと思います。
近畿大も自由曲との対比の意味でもよかったです。
課題曲とは思えない繊細で儚い構成は、指揮者泣かせの曲でもありますけど、局に内在するドラマ性が発揮できた時は指揮者冥利に尽きそうだと思われます。