リムスキー・コルサコフの「スペイン奇想曲」はプロの管弦楽団の演奏会でもよく耳にする曲のひとつだと思いますし、
吹奏楽コンクールにおいても1970年代から今日に至るまでずっと自由曲として選ばれ続けている昔からの定番曲のひとつ
という評価は既に定着しているといえるのかもしれないです。
そして後述しますけど私自身にとっても大変思い入れがある曲でもありまして、高校最後の定期演奏会で演奏した曲目の
一つでもありますし、そこで部分的にソロも担当したという事は貴重な経験だったと思っています。
スペイン奇想曲と言っても別に南ヨーロッパの方が作曲したものではありません。
極寒の北方のロシアで、当時ロシア5人組として一世を風靡したリムスキー=コルサコフの作曲によるものです。
寒い国の方にとっては南欧の「太陽サンサン」の暖かい気候は何か一つのあこがれだったのかもしれないです。
同時代のロシアの作曲家、チャイコフスキーも交響曲第四番を作曲していた頃は、
押しかけ女房の元・教え子の一方的な愛に困り果て苦悩の離婚の末、逃避行みたいな形でイタリアに傷心旅行に赴き
そこで交響曲第四番の終楽章を書き上げたとの事ですが、
ロシアで第一~第三楽章を書き上げた頃は、離婚を巡るドロドロの愛憎劇の真っ只中と言うこともあり、
特に第二楽章の陰鬱で哀愁溢れる曲を書いていたのに対して、
南欧で書き上げた第四楽章では、南欧のイタリアの太陽サンサンの力で蘇ったせいなのかはよく分かりませんけど、
楽天的でパワー炸裂の生きる喜びに溢れた歓喜のフィナーレを仕上げたものです。
最初にこの交響曲を聴いた時、前半の第二楽章までの陰鬱な世界と
ピッチカートの不思議な第三楽章、そして歓喜のフィナーレのギャップに「なんなのこのギャップは・・」と違和感を感じましたが、
作曲者の当時の心境を考えるとうなずけるものがあります。
リムスキー=コルサコフは海軍に在籍した事もあり、恐らくは南欧の太陽サンサンの風土は肌で実感されていたのかも
しれないです。
だからこそ、寒い国の人の感性から書き上げたスペイン奇想曲という素晴らしい名曲を残せたのかもしれません。
スペイン系のアルベニスとかファリアだったら、カスタネットにフラメンコに闘牛みたいなイメージで
リズム感溢れる「スペイン奇想曲」になっていたかもしれませんけど、
ロシア人のリムスキー・コルサコフがイメージというのか半分憧れみたいな気持ちで作曲したからこそあのような
南欧の独特の開放感とロシアのファンタジーが融合した曲が出来たといえるのかもしれないです。
リムスキー=コルサコフは、このスペイン奇想曲を書いた頃、作曲家としての一つの頂点を極めています。
スペイン奇想曲の次の作品がシェエラザード、その次がロシアの復活祭ですので脂が乗りきっていた時代だったのでしょう。
スペイン~シェエラザード~ロシアの復活祭で共通しているのは、
ヴァイオリンを部分的に協奏曲風に扱い、ヴァイオリンソロを大胆に活用している事だと思います。
スペイン奇想曲は、第一曲と第三曲はほぼ同じメロディーと構成なのですけど
ソロ楽器に関しては、第一曲はクラリネット 第三曲はヴァイオリンと楽器を変えることで曲想にも変化を付けています。
(厳密にいうと、第一曲は静かに閉じられるけど、第三曲は派手なffで終わります)
第四曲では、前半はソロ楽器の競演でして、トランペット・ヴァイオリン・クラリネット・ハープ・フルート・オーボエが大活躍します。
そしてハープの夢見るようなファンタジー感溢れるソロも聴きどころの一つだと思います。
第五曲は、カスタネットのリズムの刻みが南欧らしさを一層際立たせていると思います。
そしてラストのコーダもグイグイ奏者を煽りながら、曲をクライマックスに向けて燃え立つように突進していき、
絢爛豪華な音の絵巻として華麗に曲が閉じられます。
14~15分程度の曲なのですけどソロ楽器の活躍あり、第二曲のようにアンニュイな雰囲気でけだるさ全開という場面も
ありますし、第三から第五曲の楽しいリズム感などと聴きどころ満載の曲です。
この曲をCDで聴く場合、この曲の名盤は山のようにありますけどお勧めは、
オーマンディー指揮のフィラデルフィア管弦楽団とデュトワ指揮のモントリオール管弦楽団が素晴らしいと思います。
そしてこのスペイン奇想曲は吹奏楽コンクールでもお馴染みの曲でして、古くは山王中学校の名演にはじまり、
最近では2015年の習志野高校によるこの曲の魅力再発見ともいえそうな新しい感覚と現代のサウンドによる
21世紀のスペイン奇想曲の魅力を引き出している超名演が生み出されています。
スペイン奇想曲の全国大会での名演というと、オールド吹奏楽ファンの皆様ですと「文句なしに1974年の山王中学校」と
いわれると思いますし、現役世代の皆様だったら「いやいや、2015年の習志野高校で決まりでしょ!」と
言われるのかもしれないですけど、私の現役時代の感覚としては
1981年の中村学園のサウンドは少しベタベタしているけど、木管セクション、特にソロクラリネットの技術は超絶としか
いいようがない! 特に第三曲のクラリネットと第四曲のオーボエ・フルート・クラリネットには惚れ惚れしてしまいそうだし、
第五曲の駆け抜けるような一直線みたいな響きはさすが中村学園!としか言いようがないし
おねーさまーー!!すてきーーー!という感想しか出てこないと感じたものですし、
1982年の尼崎西高校は、全体的にアクの強さが漲り、爽快なスピード感が溢れる生き生きとした演奏を聴かせてくれていたと
思います。
大変惜しまれるのは、第四曲でもったいないクラリネットのリードミスがあった事なのかもしれないです。
だけど大変立派なのはあのミスに動揺することもなく奏者全員がその後の展開も一体感を見せながら、最後まで
切れ味とスピード感を保ったままエンディングまで駆け抜かれていったことは賞賛に値すると思いますし、
大変惜しい銀賞だと感じたものでした。
1982年の雄新中学校の演奏も大変新鮮な感覚で瑞々しく聴かせてくれていたと思いますし、ソロの安定感にプラスして
極めて人の心にまっすぐと伝わる素直で伸び伸びとした演奏は素晴らしかったと思います。
そしてこの演奏がいったいどういう感覚で聴けば銅賞という審査結果になってしまうのか、私にはいまだにわからないですし、
その後の1985~87年の雄新中学校の銀賞という結果とあわせて、いまだに「納得いかない感満載」でもあったりします。
1986年の中学校の部においては、このスペイン奇想曲が4チームから自由曲として選ばれるという大人気ぶりでしたけど、
結果的に4者4様の演奏となり、 各演奏団体の違いが一目瞭然と言う感じで、中々そのあたりは逆に興味深かったと思います。
一直線に鋭角的に駆け抜ける当麻、ふんわりと柔らかい響きの首里、正統派の王者の貫録の柏原
全く普段の練習の成果を発揮出来ずに終わった東金と
全く異なるスペイン奇想曲を4通り聴くことが出来たと思います。
個人的には柏原の演奏が一番素晴らしかったと思いますし、安定感は群を抜いていたと思います。
同じ曲目を同じ日に3つも4つも聴くと飽きがくるのかもしれないですけど、各チームの違いを感じるのも吹奏楽コンクールの
醍醐味の一つなのかもしれないです。
1986年の中学の部のスペイン奇想曲を自由曲にした4チームのアレンジはすべてウィンターボトムなのですけど、
それでもあんなに明瞭な違いが出てしまうのは大変興味深いものもあります。
余談ですけど、この年の高校の部でもドビュッシーの海~第三楽章が計3チーム演奏していましたけど、
こちらの方はアレンジャーが全員異なっていたという違いも大きいですけど、中学の部以上に演奏団体の個性が出ていて
大変面白かったです。
八田先生アレンジ版の習志野は繊細で美しいファンタジー感溢れる海を聴かせてくれ、
上埜先生アレンジ版の高岡商業は大変鋭角的でメカニックな雰囲気の海を聴かせてくれ、
藤田玄播アレンジの神戸高校はガッチリとしたドイツ的な重厚感溢れる海を聴かせてくれていて、こちらも三者三様
どの演奏も素晴らしかったと思います!
話をスペイン奇想曲に戻しますと、この曲は高校三年の時に吹奏楽部時代の高校三年時の最後の定期演奏会の曲の
一つでもあり、大変懐かしい曲でもあります。
スペイン奇想曲のあのクラリネットのソロを是非挑戦してみたいという気持ちとソロに対するプレッシャーの二律背反も
あったといえるのかもしれないです。
原曲のスペイン奇想曲は主にヴァイオリンがソロパートを担当するのですけど
吹奏楽アレンジ版の場合、どうしてもヴァイオリンパートはクラリネットが担当する事が多いので、クラリネットパートに過度な
負担が掛かりがちな曲でもあったりします。
私達の高校は、スペイン奇想曲から第三~第五曲のいわゆるコンクールバージョンを演奏したのですけど、
問題は「クラリネットのソロ」をどうするかという事でした。
田舎の県立男子高校で、元々クラリネット奏者は慢性的に絶対的不足でしたし、
とても一人であの難解で華麗なソロを吹ける力量の奏者はいなかったので、
指揮者とも話し合った末に、結局は3人の3年生が、「一人ずつ一つの楽章のソロを担当する」という事になり、
あみだくじで誰がどの楽章を担当するか決めたものでした。
私としては、超絶的テクニックを要求される第三曲だけは絶対無理無理~
やるならば、パックに一つの楽器も存在しない、正真正銘のカデンツァみたいなソロがある第四曲がいいのかも~と
思っていたのですけど結果として一番無難な第五曲を引き当て内心ホッ・・としていたものでした。
それでも第五曲のソロは数か所もあるし、結構大変でした・・
練習中とかリハーサルでもよく指摘されたのですけど、
3人の音色が異なる奏者がそれぞれの考えや美感をもってソロにあたるのですから、楽章ごとに違った音色のソロが展開され、
聴き方によっては全然統一感が無いと思われますし、後にその定期演奏会の録音を聴いてみると
「確かに、三者三様というかバラバラ」みたいな感じはあっ他と思います。
よくOBからも「一人の奏者が担当した方がいいんじゃないの?」とも言われたものでしたけど
当時としては3人とも「一人であのソロを担当するのは正直荷が重い」という気持ちしか無かったですね。
結果として「一人が一つの楽章を責任もって担当する」という方針がうまく機能し
本番では3人ともノーミスだったというのは一つの救いでした・・
あれって今振り返って見ても、
第三曲は、とにかくひたすら前向きに前へ!という一直線の駆け抜けるソロ
第四曲は、やや武骨で不器用な感じのするソロ
第五楽章(→一応、私です・・・)の中村学園みたいにダーダー吹きというかふわっとした感じの音色と
確かに統一感はほぼ皆無でした・・
それも今となってはいい思い出です。
この時のアレンジは確かハインズレー版でしたけど、この編曲版では二つほど問題があって、
一つは第四曲にて、原曲でハープが華麗にカデンツァしている部分はハープがそのまま指定されているのですけど、
あんな高級楽器は田舎の貧乏公立男子高校にある訳もなく仕方ないので、この部分は、そっくりヴィヴラフォーンで代用
していたものです。
二つ目ですけど第三曲においてハインズレーの編曲の楽譜をそのまま演奏すると、
メロディーラインはソロを担当する1stクラリネットの3人のみという事で、残り全員は、リズム担当という何ともバランスの
悪いものでした。
そこで、第三曲は(本当は著作権上ダメですけど・・汗)結構自分たち自身でいじくりまわし、
第三曲のメロディーラインはクラリネットとサックスセクション全員とフルートとオーボエも部分的に加え、
金管セクションは第三曲のみ演奏するのは3年生のみとしたり、バランスつくりにはかなり苦労した記憶がありますね~!
だけどそれも今となってはいい思い出といえそうです。
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クラリネットのソロが素晴らしかった。
何というか、完成体 でした。
もともと、曲自体が素晴らしかったのですが、4楽章のファンファーレの豪快さ、素晴らしさに感動しました。
懐かしい。