本記事の一つ後の記事が東方Projectの「天子ちゃん、マジ天使」でお馴染みの天子記事であり、
更に前日の記事が「Angel Beats !」で周囲から天使と呼ばれ、アニメファンからも「天使ちゃん、マジ天使!」の呼び声で
名高い天使こと、立花かなでに関する記事でしたので、
ここは吹奏楽カテゴリてはあるのですけど「天使」に関連した吹奏楽オリジナル作品を一つ取り上げさせて
頂きたいと思います。
藤田玄播の代表作と言えば、言うまでもなく「天使ミカエルの嘆き」だと思います。
兼田敏の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」・保科洋の「カタストロフィー」と並び1970年代の
吹奏楽邦人作品の代表的名作だと思いますし永遠に後世に受け継がれていくべき作品だと思います。
そしてこれらの作品を経て田中賢の作品を経た後に、
現在の吹奏楽コンクールにおける邦人作品の一大ムーブメントが起きている事を考えると、
天使ミカエルの嘆きやパッサカリアが今日の邦人作品大ブレイクの礎を築いてきたと言っても決して過言ではないと
思います。
この曲はヤマハ浜松からの委嘱作品であり、1978年にヤマハ浜松はこの曲を自由曲に選び金賞を受賞し、
この時が吹奏楽コンクール全国大会初演であり、2018年末時点でこれまでこの曲は全国大会で8回演奏されています。
私自身が「天使ミカエルの嘆き」を初めて生演奏で聴いたのは、
1981年の宮城県大会の仙台地区予選で仙台第一高校が演奏したものでした。
仙台第一高校は、その年以前はB部門での東北大会常連チームでしたけど、この年からA部門へと格上げしていました。
この年の演奏も悪くはなかったのですけど、県大会ダメ金で終ってしまいましたけど、
翌年に組曲「グランドキャニオン」でもって当時の最難関ブロックの東北大会を突破し、全国大会初出場を遂げています。
ちなみにこのグランドキャニオンでは、ヴァイオリン・ピアノ・ウインドマシーンも駆使し色彩的効果をかなり高めています。
1981年の仙台第一高校の「天使ミカエルの嘆き」の演奏で何が印象に残っているかと言うと、
チューバの大胆な使用というか、チューバ奏者が部分的に楽器を上下逆さまに持ち、音を天井に向けて出さずに、
床に向けて出すという事をやっていました。
低音の効果的使用という点でかなりのインパクトと視覚的効果があった演奏だと思います。
天使ミカエルの嘆きですけど、曲自体は大変スケールの大きい一つのファンタジーだとも感じられます。
ヨハネ黙示録に描かれている悪と闘う天使の長のミカエルの苦難と嘆きを題材として描かれていて、地球上に存在する
様々な邪悪が駆逐され、平和で豊かな美しい世界が到来する事を祈って作曲された経緯があります。
本記事の一つ後の記事が東方の天子語りなのですけど、この中で天子は
「新しい世界を一から構築し、そこには貧しさも生きる上での悲しみや不公平も無い理想の社会を作ろう!」と
提言しているのですけど、そうした意味においては藤田玄播の「天使ミカエルの嘆き」での作曲者の祈りと願いは
東方の天子と大体似ていると言えるのかもしれないです。
藤田玄播が生前残された曲の中には、例えば「切支丹の時代」とか劇的序曲「バルナバの生涯」などのように、
宗教に関連した曲が幾つか含まれているという事は、藤田玄播の父親がプロテスタントの牧師さんであり、
藤田玄播が小さい頃から教会音楽やオルガン曲に触れる機会が多かった事とも決して無関係ではないと思えますし、
「天使ミカエルの嘆き」もそうした関連性のある曲と言えるのだと思います。
ちなみにですけど藤田玄播は、比護洵というペンネームでの作詞作曲・編曲の作品も数多く残されているという事な
そうですけど、私自身は比護洵ネームでの曲は一つも知らないです・・
「天使ミカエルの嘆き」は、ヴィヴラフォーンの響きで開始され、ユーフォニアムの朗々としたソロを経て
徐々に音楽が高潮していき、演奏開始から2分辺りで一つのクライマックスに到達します。
この部分でのシロフォーンの無茶苦茶な乱打が視覚的にも聴覚的にもかなりの効果を発揮します。
曲は一旦静まり、オーボエの呟くようなソロからトランペットの生き生きとしたソロへと展開し、一旦静かになり、
メンデルスゾーンの「結婚行進曲」のパロディーみたいなファンファーレが高らかに鳴り響き
曲は静かにうめくように閉じられていきます。
タイトルが示す通り、この部分はこういう場面を想定しているのかも・・というのが大変分かり易く作られていて、
演奏効果は大変高いし曲の内省的充実感は素晴らしいものがあると思いますし、
吹奏楽の色彩的効果が魅力的に発揮されていると思います。
「天使ミカエルの嘆き」の演奏で一番印象に残っているのは、1984年の東海大学第四高校(現、東海大学札幌高校)です。
このチームは1982年にも同じ自由曲を取り上げ、82年は金賞、84年は銀賞という結果になっていますけど、
私自身はこの評価には不満があり、私としては断然84年の演奏の方が素晴らしい演奏と思います。
何が素晴らしいかと言うと、弱奏部分の説得力、いかにも泣き崩れそうな表情、ppの部分の間の取り方の巧さがあげられます。
1984年の東海大学第四高校は、課題曲のマーチも爽やかで申し分なく、課題曲の時点で
「今年も金賞確定じゃん!」と感じていたのですけど、圧巻は自由曲の方で訪れ、特にラストの静粛さが
大変素晴らしかったです!
前半の激しい盛り上がりと高揚感と後半から終盤の静粛さの静と動の対比がとにかく鮮やかでした!
前半の盛り上がり箇所で、シロフォーンが激しく乱打する部分があるのですけど、
奏者が何かに憑りつかれたかのような「狂気さ」が感じられ、金管セクションの鳴らし方も豪快だけど音自体は
大変洗練さが感じられ、そうした前半の高揚感があったからこそ後半からラストでの静粛さが活きてきていたと
感じたものでした。
あのラストの部分は、聴いていても、とてつもなく哀しいし胸が締め付けられる思いで一杯だし、
泣きたいのをぐっとこらえているような雰囲気があり、全てがはかなくてせつなくて、
繊細な砂糖菓子をスプーンで壊していくといったような儚さともろさが表現されていて、とても胸が打たれたものです。
ああいう演奏を「ピアニッシモの熱演」というのかもしれないです。
だけどこの年の東海大学第四高校は銀賞に落ち着き、私としては今一つ説得力が感じられないと思っている82年の
天使ミカエルが金賞というのは実はいまだに納得いかないものはあったりもします。
こうしたコンクールの上で審査は水物であるという事なのかもしれないです。
1991年にJBS吹奏楽団が「天使ミカエルの嘆き」を自由曲として全国大会に臨んでいますが、この時の指揮者の下地氏は、
現在では日本をはじめ世界の若手の超有望指揮者の一人でもあり、
私も読響で何度か下地さんの指揮で演奏を聴きましたけど、あのハートの熱さは素晴らしかったですね~!
藤田玄播は実は吹奏楽の指揮者としても頑張っていた方で、90年代には、都留文科大学、
三和銀行コンサートバンドでもタクトを指揮をされていて、私自身、関東大会や都大会で何度も藤田玄播の指揮を
見たことがあります。
自作自演はではなくて、エル・サロン・メヒコとかウェーバーの主題による交響的変容といったアレンジものを振っていました。
故人の悪口はあまり書きたくないですけど(汗・・)正直、指揮はあまり上手くはなかったですね・・・
棒の振り方が大変ギクシャクしていて硬い表現の指揮振りで、どちらかというと指揮者向きでは無かったようにも思えます・・
「天使ミカエルの嘆き」は、特に中学生・高校生の小編成で演奏して欲しい曲です。
ある程度の人数がいれば、無理なく消化できる内容の曲ですし、語り継がれていくべき名曲だと思います!
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前半の高揚感と後半の祈りの対比が際立っていると思います。