25.粟野中学校
D/火の伝説
この粟野中学校ですけど・・・・
この年の前年の1980年の「飛鳥」の演奏のインパクトがあまりにも強すぎるのか
曲自体の魅力が「飛鳥」に比べると少し弱いせいなのか、理由は今一つ釈然としないものがありますが、
この年に関して言うと・・・・
少し印象が希薄なのかな・・・という感じもします。
あ、勿論レヴェルは高いと思いますし、金賞と言う評価には十分妥当性はあると思います。
でも・・・
1980年のあの伝説の名演、「飛鳥」の演奏とついつい比べてしまうのですよね・・・
「飛鳥」なんですけど、この曲、正直そんなに「派手」とか「ため息が出そうなほど鮮やかさ」がある曲では
無いと思うのです・・
ま、他チームの演奏とか東京佼成の演奏を聴く限りでは、どちらかというと「地味」な曲とすら感じてしまいます。
だけど、そうした本来地味な曲のはずの「飛鳥」を
ああやって・・・
とにかく打楽器の強弱のコントラストをあそこまで極端に付ける事で、そして・・・
テンポ設定を時に大胆に遅くしたり、テンポルバートを掛ける事で
曲の雰囲気というか印象は・・・随分と変わってしまうものなのですね・・・
その意味においては、1980年の粟野中の「飛鳥」はどちらかというと・・・・曲の内容そのものよりも
演奏解釈と言うか、過度とも思える強弱と明暗のコントラストを鮮やかにつけたその表現方法が
高く評価されたという事なのかもしれませんよね。
だけど・・・
1980年当時、中学3年生だった自分が、後日学校が購入した「日本の吹奏楽」というこの粟野中の演奏が
収録されたLPレコードを聴いた際は・・・
「本当に彼らは・・・・自分達と同じ中学生なのか・・・あまりにも自分達とは格が違い過ぎる・・・」と
本当に自己嫌悪に陥ったものですし、
とにかく・・・粟野中の生徒達はすごい・・・
こんなにも・・・邦人作品という音楽一つだけで、こんなにも聴く者に「何か」を伝える事が出来るんだ・・・と
感じ取ったのは紛れも無い事実です。
そんな中、多分・・・この粟野中の演奏は注目度が高かったと思います。
だって・・・
前年の「飛鳥」と同じく櫛田さんの邦人作品ですし、指揮者は同じでしたから・・・
だけど・・・この年の演奏と前年の「飛鳥」は決定的に違う事が一つあったようにも思えます。
これはあくまで個人的見解ですので、
「そんな事ないよ・・・」という人がいるかも・・という事は百も承知の上で書かせて頂くと、
「飛鳥」はどちらかというと、奇抜な表現スタイルの斬新さが評価されたもの・・・
「火の伝説」は、曲と演奏の内容そのものが評価されたもの・・・・
「飛鳥」は表面的な演奏なのに対して、「火の伝説」は、内省的な演奏を追求したもの・・・・と言えるのかも
しれません・・・
ま・・・もっとも・・・「飛鳥」も正直・・・今現在の視点・感覚で言うと明らかに音量過剰でやり過ぎ・・・
「火の伝説」も「飛鳥」の後遺症のせいなのか・・・(?)
比較的音量は過剰と言うか、少し鳴り過ぎという感じもあります。
だけど「火の伝説」はどちらかというと・・・・日本人の「心のふるさと」というか「わび・さび」みたいな風格も
漂う曲ですし、曲自体、「飛鳥」みたいな「豪快さ」・「鳴りっぷり」は求めていない・・
どちらかというとかなり「地味」で内面性を重視する曲ですけど、そうした「日本人でないと分かりにくい感覚」
というものを結構的確に描いた演奏のような感じもあります。
ま・・だけど・・・
奏者としては・・・何かそのあたりが欲求不満だったみたいなものはあるのかな・・・
何となく粟野の「火の伝説」を聴くと・・・・奏者が何か「迷いがある・・」みたいな感じもあるのですよね・・・
本当は鳴らしたくて鳴らしたくて仕方が無いのだけど
曲自体地味でおとなしめの曲だから、あんまり過剰に鳴らせない・・・
ま・・・そのあたりの欲求不満を課題曲Dのマーチでぶつけてしまったみたいな感じもあったかな・・・・??
あの「青空の下で」は・・・・明らかに・・・音量過剰・・・
それにしても・・・・「火の伝説」は中々、「これぞ火の伝説の本質!!」みたいに完全に納得できる演奏に
お目にかかれませんね・・・
この曲は、1982年に錦城学園が、1997年に伊丹北が全国大会の自由曲に選んではいますけど
どちらも今一つというか今二つ・・・・
だけど錦城のあの独特の「音の粘り」というか「日本人らしいわび・さび」の世界はかなり本質に迫っていたと
思います・・・・
現在放映中の「響け! ユーフォニアム」の舞台は京都府なのですけど、
京都の学校がああいう「日本人の心の原点」みたいな曲を現代のシャープな感覚で吹いたら・・・
意外と面白いのかも・・・??
最後に・・・・余談ですけどこの「火の伝説」で一つ忘れられない演奏があります・・・
何かと言うと・・・1993年の関東大会中学B部門で、山梨県代表として「火の伝説」を吹いた笛川中学校の演奏は
そうした意味で大変内面的に充実した演奏で良かったのですけど
曲の終わらせ方のアィディアが実に秀逸・・
打楽器奏者が鉄のタライを持ち上げ、タライをゴーーーンと響かせ、タライの余韻の中、静かに閉じられたのですけど
あれはいかにも・・・「京都での日没」をイメージさせるものがあり
視覚的にも大変斬新だったと思います。
ま・・・考えてみると、当時笛川中を指揮されていた大島先生は、後日敷島中に異動され、
その敷島中を全国大会の金賞常連校にまで育て上げた方ですので、当時も・・・・色々と小編成の枠内で
色々と試行錯誤をされていたのですね・・・
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いえいえ、私の方こそあんな古い記事にこうした真摯な感想をお寄せいただけた事を
とても嬉しく思っています。
丁寧なコメントを頂きありがとうございます。